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一橋大学(前期)
【日本史】解答例
Ⅰ
問1 明暦の大火。江戸時代の都市は,兵農分離政策によって農村に居住していた武士が
都市に集住し,商人や手工業者も領主による営業の自由や地子免除の特権を得て都市
に移住したことで人口が多かったうえに,都市の面積の大半を武家地が占めたので,
町人地では家屋が密集していた。
問2 江戸向けの対策としては,地主の負担する町入用を節約させて節約分の7割を積み
立てる七分積金を実施し,江戸町会所にこれを運用させて米・金を蓄えた。農村向け
の対策としては,各地に社倉・義倉をつくらせて米穀を蓄えさせる囲米を命じた。
問3 世直し一揆。それまでの百姓一揆は領主の支配を受け入れたうえで,年貢の増徴な
どに反対して村役人を含む農民の多数が参加する強訴のかたちをとっていたが,世直
し一揆は社会的・政治的変革を期待する民衆の世直し意識を示すもので,貧農や小作
人などを中心とし,豪農・商人などに対して激しい打ちこわしをともなうものが多か
った。
Ⅱ
問1 造船奨励法,航海奨励法。
問2 大戦によって,欧州の工業製品が撤退したアジア市場に向けて,日本製品の輸出が
増加した。連合国の軍需に対しては綿布や船舶を輸出し,大戦景気に沸いたアメリカ
へは嗜好品用の生糸を輸出した。急激な輸出の拡大で日本は輸入超過となり,貿易収
支は赤字から黒字に改善したが,大戦後には,欧州列強の復興で,日本の輸出は再び
減少した。
問3 臨時資金調整法,輸出入品等臨時措置法。
問4 戦前の日本は,
本土に植民地や占領地を加えた円ブロックで経済圏を構成していた。
戦争で海上輸送が滞ると,満州の大豆や朝鮮の米穀,台湾の砂糖は日本本土への移入
量が減少し,本土から各地の在留日本人に対する綿布,マッチといった生活物資の移
出も途絶えた。日本国内でも,配給制の食糧は代用品の支給や遅配・欠配が多くなり,
切符制の衣料は商品が不足したため,国民は闇取引や農村部への買い出しで糊口をし
のいだ。
Ⅲ
問1 パリ不戦条約。第一次世界大戦後,欧米諸国では国際協調主義や軍縮の機運が高ま
り,1928 年パリで「国際紛争ノ平和的解決」を目的に米国務長官ケロッグと仏外相ブ
リアンによって提起された。これにより戦争の違法化と平和主義の流れが形成された。
問2 天皇の人間宣言。戦前戦中の軍国主義下で天皇は絶対無比な存在として神格化され
た。そこでGHQは昭和天皇との合意のもと,天皇を民主主義推進の中心に位置づけ
る一方で,天皇を「現御神」とする神話を否定した。詔書では日本の民主主義はもと
もと五箇条の御誓文に明示されていると説き,最終段落で人間宣言が述べられている。
問3 皇位継承者は新旧とも皇統に属する男子とされている。
問4 講和条約締結後,戦前回帰の「逆コース」の政治気運が起こるなか,現憲法を「押
しつけ憲法」として自主憲法制定をはかる改憲派と戦争の惨禍をふまえ平和憲法を守
るとする護憲派が,東西冷戦の時代背景のなか対立した。