︹文献紹介︺ に多いという著者の見解にしたがえば、そうした木曽谷各地の消え 木首田谷の歌は信仰に結びつくものより生業に関係するものが圧倒的 かかった歌を保存することは、とりもをなさず木曽谷の﹁生活﹂の たものとそ﹁保存会﹂で﹁保存﹂する意義があるであろう。﹁生活 発展を願つてのことに他念ら左い。切り捨てられ忘れられてしまっ のできない大地は、結局は愛着左缶、大地と左 hJはて﹂るとは、、まさ 辺境と文化 郷土愛の表現の仕方にもいろいろある。文化の探求というものも に著者の切実在嘆きの言葉左のである。そうした著者の姿勢は、 英雄著 そのひとつであろう。愛すべき郷土をもち、愛すればこそ真の姿を ば奈良井宿発展に於ける高居峠の存在左ど、多方面から集落の立地 の左かにさらにはっき ﹁木曽漆器を生んだ自然とその苦難の歴史 込められて凶る。それも単に感傷的に訴えかけるというのでは左く 条件・景観を分析する。そしてその苦難の歴史を紹介し左がら、平 L 見 極 め た い と 欲 す る の が 自 然 の 理 と 思 わ れ る か ら で あ る o ﹃木曽谷 わノとみることができる。 ζ と で は 木 曽 最 北 楢 川 村 を 取 り 上 げ 、 例 え て、民俗学のみ左らず歴史・地理・経済等の立場から分析を加え、 る。そうした上で、 い わ ゆ る 伝 統 産 業 の 将 来 の 在 り 方 に 言 及 す る の 沢を中心とする漆器産業の成立と発展の因由を歴史地理的に解明す J の文化の探求とそこから将来される保存発展への願いが痛いほどに 歴史文化研究叢書﹄の第一冊である本箸には、小冊子左がら、郷土 冷静に語られるのである。その繊細綴密左語りくちは、著者の力士 くちで一不され、それぞれに著者の思うところが語られている。 hy J 概 念 を は じ め そ の 芸 能 ・ 教 育 ・ 文 化 の 現 状 が 平 易 左 説 得 力 の あ る語 講演記録﹁辺境の文化﹂には、これまでのまとめとして、辺境の である。 然とした体寝からは想像でき左い程である。 本著は、木益田谷の歌・漆器の副題のもとに、﹁木曽節と南信濃の 盆踊歌﹂、﹁三岳村の民謡﹂、﹁木曽田漆器を生んだ自然とその苦難 の歴史し、﹁辺境の文化﹂の四編から左る。 ﹁木曽節と南信濃の盆踊歌﹂と﹁三岳村の民謡﹂は、大正時代に いる。大正の末に柳田国男によって紹介され﹁古風の遺物と化する 捨てられ忘れられてしまったもののあることを再認識せよと訴えて る活力を恢復するとししこそ急務であり、著者。最も熱望し、かっ信 理的風土に優先するという木曽谷陀於 hては、ために温喪しつつる が生まれ﹂辺境の文化を支えてきたのである。経済的風土が自然地 ﹁いくたの失敗の中から成功へと結びつける力の根源である活力 のも、もう遠いととでは左い﹂といわれた現阿南町新野の盆踊りの じてやまないところ左のである。その愛すべき郷土のために。 整 理 ・ 統 合 さ れ 全 国 的 に 知 ら れ る よ う に 左 っ た 木 曽 節 の 桧 に 、 切 hJ 予想外の根強さを例に、辺境の文化の真の在夕方を問う。をた谷底 (A5版 、 本 文 五 八 頁 ・ 口 絵 写 真 五 頁 、 発 行 者 尾 崎 常 雄 ・ 木 曽 郡 上 (樋口政問・国学院大学院生) 松町﹁御宿寝覚宿﹂内、非売品、一九七八年九月) 集落の多い木曽の念かでは特異左山村三岳村、さらに王滝・開田の の性格の因由をみるとと左︿、景観を歴史地理的に分析している。 両村を加え、作業歌・祝い歌を採集しつつ、地理的隔絶性のみにそ 22 楯
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