︹文献紹介︺ 正祥 中国歴史輿文化地理図冊(第一冊) まず彊域の変遷図、人口分布図(州を統計・製図の単位とし、一点 一万人のドット・マップ)、人口密度図、﹁詩人﹂と﹁進士﹂の本 こ期にわかって示している o それによって盛唐以後の中国になける 籍別分布図である。﹁進士﹂の分布については、安史の乱をはさむ 城市(都市)、鉱産、塩業、陶磁器業、紡織工業等の分布図が作成 文化中心の東南への移動が明瞭となった。それらに続き、交通路、 用いて記述するのみでは明瞭に一不しえない。そこで地図を使えば一 されている。宋代・明代もほぼ同様である。陳教授は今年七月六日、 史実の多く、 と り わ け 地 域 的 左 分 布 に 関 す る そ れ は 、 単 に 文 字 を 目瞭然となる o こ こ に 沿 い て 歴 史 地 図 の 作 成 が 重 要 左 意 義 を も っ て 広島大学総合地誌研究資料室にないて本書の作成過程、苦心談と 葉を含み、無綴箱入りである o うち四枚は彩色されている o第 二 集 第一集はすでに香港で正式に出版されている口八二枚で図幅九六 讃嘆をさそった o 三O 枚 の ス ラ イ ド 化 さ れ た 分 布 図 を 解 説 さ れ た が 、 そ れ は 参 会 者 の くるのである。 中国は悠久の歴史をもっている o その歴史は日本人の強い関心を 呼びなこし、用地大な研究が一なされてきた。しかし残念ながら地図の は 、 地 理 学 者 の こ の 種 の 渇 を い や す も の で あ る o さらにまた、古文 は印刷中であり、より多くの彩色された地図を含んでいるという。 使用はわずかであった。最近出版された﹁中国歴史輿文化地理図冊﹂ 献の徹底的な地図化は地理学の研究法にも大き左示唆を与えよう。 る も の で 、 一 九 七O 年 ま で は 敷 明 産 業 地 理 研 究 所 と し て 日 本 人 K も この地図集を出版した﹁国際研究中国之家﹂は陳家の設立にかか 第二冊以下を含め総計二六八業の地図を含み、国際研究中国之家出 よ く 知 ら れ て い た 研 究 機 関 で あ る o 一九四七 l六四年の問、 この大冊は、国際的に著名な陳正祥博士の編著になるものである o 版 ﹁ 中 国 研 究 叢 書 ﹂ 第 七 号 に あ た る 。 図 幅 は 五O ×三六・五回で、 究所から一二四号の研究報告が出版されたが、そのうち九四号﹁台 (地理評三七 l 七 )0 そ の 他 の 著 作K つ い て も 西 村 嘉 助 氏 ( 地 理 評 (全三巻) は 著 名 で あ り 、 富 田 芳 郎 氏 に よ っ て 紹 介 さ れ た ζ の研 を補充して作成した二葉を除き、他はすべて新たに創作されたもの 製図の技術は水準が高く、印刷も良好である。既存の、他人の資料 湾地誌﹂ 一 一 六 l八 ) 、 石 田 竜 次 郎 氏 ( 地 理 評 三 六 i 一)によって紹介されて であり、そとにこの地図集の特徴がある。一棄の地図を作成するた め に 、 数 ヶ 月 か ら 数 年 の 努 力 を 要 し た と い わ れ る o陳 教 授 は こ の 地 連絡先一号七三田広 いる o 左 な 棟 教 授 は 今 年 六 月 、 日 本 学 術 振 興 会 の 招 請 に よ り 来 日 さ 0( (堤正信・広島女子大学) 島市宇品東一 l 一l 七 一 広 島 女 子 大 学 今 堀 誠 二 学 長 気 付 ) れ、来年三月まで滞在される予定である 図集を二O 余 年 か か っ て 完 成 さ れ た の で あ る o 第一集は﹁や週一歴史和文化発展之自然限制﹂として、まず気候、 地 形 等 、 中 国 の 歴 史 と 文 化 発 展 の 自 然 的 基 盤 を 説 明 し て い る o それ K段、局、秦、漢各王一拐の地図が続いている o 唐代を例にとると、 -17- 陳
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