近年の東アジアの労働市場では、産業構造の高度化に伴うサービス産業雇用の増加、少子 高齢化に伴う労働力人口の減少、若年失業率の上昇、流動的労働力市場の構築、などを特徴 とする構造変化が見られている。そして、労働市場の構造変化に対応するために行われた労 働市場制度改革(国や地域によって改革の名称や経路、および内容は異なる)は、雇用と賃金 システムの柔軟性(flexibility)を拡大させた。しかし、その過程で働く人々の雇用と所得 にかかわる保障・安全性(security)は著しく低下した。 このような「安全性の拡大による支えを欠いた柔軟性の一方的拡大」は、ミクロ的には労 働者個人が既存の技能向上と熟練形成メカニズムにアクセスすることを困難にし、労働生 産性の継続的な上昇を阻害する。また、マクロ的には雇用と所得にかかわる安定性の低下を 通じて国内消費需要の拡大を妨げ、東アジア経済の輸出主導型成長から内需主導型成長へ の転換を阻害している。 その背景には、東アジア地域における既存の企業単位の雇用調整と技能形成、および雇 用システムと制度的補完性をもつ限定的な社会保障システムが、最近の労働市場における 構造変化に対応できなくなっていることがある。しかし、東アジアの場合、政労使の協議と 合意、および協働にもとづく社会単位の制度的調整メカニズムが整備されておらず、また労 働市場の柔軟化を下支えするための失業保険制度などの社会保障制度が未熟である。そし て積極的な労働市場政策と呼ばれる社会範囲の職業訓練システムと再就職あっせん機能も 弱い。 このような制度インフラの下では、労働市場における柔軟性を拡大させる制度改革は、非 正規雇用を増加させ、生産性インデックス賃金上昇メカニズムを崩壊させ、労働者の熟練と 技能形成を妨げ、ワーク・ライフバランスを阻害するなど、のマイナスの結果をもたらす可 能性が高い。 本研究では、フレキシキュリティ(Flexicurity:労働市場における柔軟性と保障・安全性 の同時拡大を目指す統合的政策戦略)を導き糸とし、 「累積的因果連関」というコンセプトを 中心にすえて、東アジア地域の労働市場における構造変化と制度改革のミクロ的、マクロ的 影響を分析している。すなわち、労働市場における柔軟性と安全性の変化が、各国・地域の 労働生産性上昇と需要成長の間の累積的因果連関構造に及ぼす影響に関する国際比較研究 を通じて、日本を含む東アジア各国・地域の労働市場制度改革の正しい方向性を提示するこ とを目指している。 [需要レジーム] 所得分配段階 支出(消費、投資、輸出)段階 労働市場の構造変化と制度改革 労働生産性上昇 需要成長 による柔軟性と安全性の変化 設備調整段階 雇用調整段階 [生産性レジーム] 図:労働市場の構造変化が累積的因果連関の四つの段階に及ぼす影響の分析枠組み
© Copyright 2024 ExpyDoc