第25号学校長だより 平成27年3月1日 服部哲明 「幸せ」とは 卒業おめでとうございます。在学中にいろいろなことがあったかも知れませんが、見事全ての教育課 程を修了したのです。いつも全校集会では、まるで毎日接している担任のように口うるさくいろいろな ことを指示したと思います。私にとって生徒の皆さんは、自分の息子、娘だという思いがあるからです。 さて、皆さんは何のために働くのでしょうか。その答えの一つに「働くことを通して、世の中や時代 に働きかけ、歴史に加わること。それが働くこと、生きることの意味・・」と寺島実朗氏の「何のため に働くのか」という著書の中で言っておられます。私は、このように高尚なことは言えませんが、「働 く意味は、働いて労働対価を得て、対価の範囲で生計を立てて幸せをつかむため」と定義したいと思い ます。仕事によっては、年収何千万円もの報酬を出す企業があります。しかし、年収何千万円を払う対 価として当事者に計り知れない労働を課していると企業があります。人間ですから、他人を見て、高収 入の人をうらやましいと思うことは仕方がないことです。ただし、高収入の人は、それなりの努力と犠 牲を払っていることを忘れてはならないと思います。具体的に言うと勤務医は、病院専用携帯を持ち歩 き、緊急時には絶えず呼び出されます。また、大半の医師は病棟にくぎ付けとなり、自由もなく、絶え ず患者さんと向き合い最善の医療を尽くしています。確かにそれなりの報酬と社会的地位があるかも知 れませんが、医師本人にとっては患者の命を預かる重大なる責任があるとともに、患者の死とも向き合 わなければならないこともあります。 「幸せ」とは一体何なのでしょう。毎日、食事をすることができること。食べていて「おいしい」 「う まい」と感ずることができること。体を思いどおりに動かすことができること。感動、感激することが できること。暖かい布団でぐっすり眠ることができること。毎日仕事があり、充実することができるこ と。どれをとっても「幸せ」だと思います。 京都竜安寺の石庭の裏側にあるつくばいに書いてある「 「吾唯足知」 を見たことがありますか。 「われ ただ たるを しる」と読みます。 この意味は、 「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送る ことが出来る」と言われています。人間は、物欲があり、自分よりも裕 福な人や家庭を見るとうらやましがり、自分は不幸だと思いがちです。 自分も豊かになりたいという物欲から挑戦心、向上心が生まれるのは当 然です。しかし、物欲によって、満たされない場合に世の中が悪いのだ <竜安寺のつくばい> と決めつけて穿(うが)った見方をする人間にはなって欲しくないと思います。私にとって「幸せ」と は、教え子が社会人として活躍してくれること。そして家族が元気でいてくれて、子供達が社会人とし てそれぞれに精一杯生きてくれることです。そして何よりも商業教育に携わることができ、生涯の生き がいを持つことができたことです。これからも少しでも商業教育発展に貢献できたら最高の幸せを感じ ることができると思っています。卒業生の皆さんも自分の「幸せ」を実感できる豊かな心を持って生活 してくれることを願っています。
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