「患者の死亡と病院費用 1)の支払い」

「患者の死亡と病院費用 1)の支払い」
冷水登紀代
甲南大学法科大学院准教授
人が最期の瞬間を病院で迎えるという光景は、今日日本の社会では珍しいことではない。しかし、この
瞬間におこっている法律関係(誰に病院費用
1)
を請求するか)を病院関係者が口にすることは、ある意味
不謹慎であるようにも思われるが、これまでは、多くの場合、このようなことをあえて口にする必要もな
かった。なぜなら、死を迎える患者のまわりには、家族がおり、その家族が、死者に代わって病院に挨拶
をして治療費等の必要な病院費用を支払い、遺体を引き取るということがごく自然に行われてきたからで
ある。しかし、
「無縁社会」が社会問題として取り上げられる今日、単身の高齢者が病院で死を迎えるよう
になると、その者の死を契機として病院費用の請求や遺体の引取りを誰がするのかということは避けられ
ない問題となる。以下では、患者の死亡と病院費用の支払義務者について考えてみたい。
病院費用を人が払わなければならない法律上の根拠は、患者と病院との間で交わされた契約、あるいは
患者に意識がない(法的な意思表示ができない)状態で病院に運ばれて治療等が施された場合には事務管
理(民法第 697 条、第 702 条)であるとされている。契約に従い行われた治療等とその対価となる費用の
支払時期は、外来か入院を伴う治療かなどにより異なるが、いずれにしても治療を受けた本人がその対価
を支払う義務を負うことになる。事務管理においても同様である。ここでの費用について、病院は、本人
に償還請求ができるからである(民法第 702 条)
。そして、
「自己負担金」については、その支払いがなけ
れば、病院などの請求により、保険者が滞納処分により強制徴収し、徴収した額を病院などに支払うとい
うこともできる。この処分には、国税・地方税に次ぐ先取特権を行使することができるとされている。
(健
康保険法第 74 条、第 180 条、第 182 条、国民健康保険法第 42 条、第 79 条、第 80 条)
。
では、その患者が死亡した場合、その費用の支払義務者はどうなるのだろうか。診療等に関する契約は、
その性質上当該患者の死亡により終了し、事務管理により治療等にあたったとしても同様に終了する。そ
して、死亡と同時に病院の患者に対する診察料等(病院費用)の債権の額が確定する(死後におこなう処
置に係る費用の法的根拠も問題となるがここでの対象外とする)
。同時に、法律の世界では、人の死により、
相続が開始する(民法第 882 条)
。人は、死亡により、財産の帰属主体ではなくなるため、民法は、その者
をとりまく法律上の権利義務を相続人に承継させるのである(民法第 896 条本文)
。これにより、患者の病
院費用等を支払う義務も「相続債務」として、
「相続人」に承継されることになる。つまり、病院費用の支
払義務を負う者は、多くの場合は、常に相続人となる配偶者と第1順位の相続人となりうる子(卑属)
、第
2 順位の尊属、第 3 順位の兄弟姉妹であり(民法第 887 条、第 889 条、第 890 条)
、患者の「家族」と一致
することが多いが、民法の定める相続人と疎遠になっている場合には、相続人を捜索することから始める
必要がある(相続人がいない場合には、相続財産管理人が選任され(民法第 952 条)清算手続が行われる)
。
このような場合、成年後見人等が、被後見人(患者)本人のために、入院等の契約を締結している可能性
もあるが、相続債務について支払う義務を負うわけではない。ただし、成年後見実務の中では、この種の
支払いを病院から求められ、それに応じざるをえない現実があるとの指摘もされているが、あくまで後見
人は被後見人の代理人ではあるが、被後見人の死亡によりその職務は終了する。後見人に相続債務の清算
1
権限・義務はない(荒川拓己「病院費用の支払」松川正毅編『成年後見における死後の事務』123 頁(日
本加除出版、2011 年)では、後見人の応急処分義務の観点から支払の正当化を試みる)。そうすると、病
院は、相続人を捜して、費用を回収する措置を講じなければならない。しかも、相続人が複数人いれば、
相続分に従い当然分割されてしまい、各相続人にその分割された金額しか請求できない。患者が最期の時
を迎えるまで何らかのサービスを提供するがゆえに生じる問題であり、この費用の回収が満足にできない
とするならば、高齢者に対して最期まで医療を提供する医療機関がなくなってしまう危険性すらある。今
後、高齢化、単身者の増加、貧困層が拡大する日本において、この費用の回収を個別の機関の危機管理の
問題にするのか、あるいは法的な特別な費用と位置づけ相続財産から優先的な回収ができる制度を構築す
る必要があるのかなど一層検討していく必要がある。
1)日本では、通常、医療機関での診療は公的健康保険での診療となるため、ここで扱う費用は、特に本人負担分の診察
料等と医療機関の責任で患者から回収しなければならない入院にかかるその他の費用を対象としていることから特に
「病院費用」としている。
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