〒 852‐8113 長崎市上野町 10‐34 カトリックセンター内 TEL 095‐843‐3869 FAX 095‐843‐3417 振替口座 01880‐5‐2699 発行人 大 水 文 隆 ― 教 区シノドスの提言を受けて ― 周年など節目に当たっていま 親でございます。この御親のほ た。天主はわれらのまことの御 きますか(ルカ 価で買い戻すことがで 分のいのちをどんな代 りません。あなたは自 ・ か に は、何 も 信 じ て 敬 う こ と は ま し た が、 年 5 月 の 教 長が代表して参加してき の評議会には各婦人会会 2005~6年に発足 した小教区・地区・教区 カ連)に加盟(1993 カトリック団体連盟(日 進 さ せ ま す。 ま た、日 本 教会」をさらに一歩前 が 広 く な り、 「参加する ク 女 性 団 体 連 盟( 世 カ 日 カ 連 は、世 界 カ ト リ ッ 大 変 有 意 義 で す。 な お と に つ な が り ま す か ら、 使命遂行に寄与するこ ノドスや教会奉仕に参加 中、時 間 を 割 い て 教 区 シ ま で し た。 特 に、忙 し い 皆 さ ん、昨 年 は お 疲 れ さ ま し た。「 婦 人 会 」 は 原 することを決議し 性部」として活動 ら、 会員の信仰を深め、 教 よび世界と連携しなが 年 ) し た こ と は、日 本 お 公認団体です。 カトリック司教協議会の 連 に 正 式 加 盟、ま た 日 本 織 と し て 創 立 さ れ、世 カ 年女性団体の全国組 の要請で、1974 立、 教皇庁公認団体) 連=1910年創 を残らず報告した。イエ 行ったことや教えたこと ま っ て 来 て、自 分 た ち が はイエスのところに集 見せています。「使徒たち スさまもいたわる教会を も広がっています。イエ した方々のいたわり合い を 恵 む の で も な く、一 人 一 人 の 肢体を組み合わせるのでもあり ません。世界の造り主が人の出 生 を つ か さ ど り、あ ら ゆ る も の 担っておられる 区連合婦人会総会 則「既婚者の会」でした 会と社会において女性の 2 神 は い つ も あ な た が、 「女性部」は未婚や 母親は子どもを宿して生みます 独身の女性も会員としま が、母 親 が 子 ど も に 霊 と い の ち 神と人、 人と人が「共 に い る 」 こ と、こ れ が 3・8)と素朴に表現されていま それは、 「園の中を歩く」 (創世記 を背負うように背負ってくださ れ野でも、 旅の間中も、 神は父が子 が約束の地にたどり着くまでの荒 と歌っています。イスラエルの民 いるのです。賛美と感謝と喜びを これほどの愛と恵みをいただいて ペトロ1・ ~ せ ん( Ⅰ コ リ ン ト 6・ 、Ⅰ を現すように努めなければなりま ろうと後押ししてくれる がたい一言。次また頑張 よい』と言われた」 (マ 行 っ て、し ば ら く 休 む が だけで人里離れた所へ す。神はアブラハム、 イサク、 ヤコ 、イ ザ ヤ は、今 後「 評 議 会 女 婦人会から女性部へ 愛 で あ り、い の ち な の ~ と共におられるだ 参照) 。詩編 にいのちを与えるのです(Ⅱマ (大司教 け で な く、あ な た を カ バ イ 7・ 尊 厳 認 識 の 促 進 と、そ の スは、 『さあ、 あなたがた す の で、女 性 の 参 加 の 幅 このわたしは何者なのでしょう ブ、 ヨセフ、 ヨシュア、 モーセ、 ダビ い ま し た( 申 命 記 1・ 毎日長い渋滞が起こりま 髙見三明) です。神は最初から人 か、と 語 り か け て い ま す( 詩 編 デ、結 局 神 の 民 と 共 に お ら れ ま し き出てきます」 (教皇フランシス 作 者 は、神 様 が こ の ち っ ぽ け な 8・4~5参照) 。 た。しかし彼らは共にいなかった 痛 み を 背 負 い、多 く の 人 の 罪 を 自 コ) 。 わ た し を 心 に か け て く だ さ る、 間 と 共 に お ら れ ま す。 わ た し た ち は、ほ か の 人 々 と の き ず な の 中 で、神 か ら 与 え ら ら 負 い、彼 ら が 正 し い 者 と さ れ る ました。 20 参照) 。 あなたは、 ル コ 6・ 19 ちあふれるイエスの心の泉からわ ・9参照) 。イザヤ書の 「主の僕」 感じないわけがありません。でも ▲ 教 会 前 の 道 路 は、朝 夕 始めてくださいました 一 言 を、イ エ ス さ ま か ら 31 「喜びに満 は さ ら に わ た し た ち の 病 を 担 い、 わ た し た ち の 喜 び は、 30 ~ れた知恵と力を用いて生活して でわたしたちと共にいることにな た め に 自 ら を な げ う ち、死 に ま す ) 。あり います(申命記8・ ~ り ま し た。 そ こ で、永 遠 か ら 父 で ~ し か し、こ れ ら の 提 言 が 実 行 さ れ る 前 提 条 件 と し て、信 者 一 が、人 と な ら れ た 神 の 子 イ エ ス ある神と共におられる独り子が人 う提言の大枠と細部が採決され 人一人が静かに自分と向き合 に よ っ て、す べ て の 罪 を ゆ る さ 参照) の で す。 そ の た め、神 が 見 え る 姿 い、自 分 自 身 の 信 仰 を 問 い 直 す れ、神 様 と の 間 に 親 と 子 の き ず 21 教区のすべての皆様 お 一 人 お 一 人 に、新 年 の ご あ い さ つ を 申 されました。協議が進むにつれ 言 が 採 択 さ れ て、わ た し に 手 渡 わたって開催、3つの大きな提 るものはすべていただいたもの のようにわたしたちが持ってい る永遠のいのちのことです。こ ストの受難と死と復活にあずか 局、イ エ ス は、教 え と わ ざ、つ ま り た( マ タ イ 1・ 参照) 。結 救う」の意)と名づけられまし の意)とも呼ばれ、 イエス( 「主は るすべてのものを「一つの体」す いう隔ての壁を取り壊し」 、 対立す まり「御自分の肉において敵意と キリストは「十字架を通して」つ たしたちは、 頭であるキリストと、 が抱えている基本的問題 うことを受け入れるはずです。わ つまりわたしたち信者であるとい に忙しいパパやママ。時 ら、教 会 が キ リ ス ト の「 か ら だ 」 、 ぐ 人 た ち、子 ど も の 送 迎 信仰や教会はあなたにとってど 。この僕 な を つ く っ て い た だ き ま し た。 間 と な ら れ ま し た。「 イ ン マ ヌ エ (イザヤ ・4~ 参照) ( 「 神 は 我 々 と 共 に お ら れ る 」 は、 イエス・キリストの予表です。 んな意味がありますか? もしあ こ の 恵 み は、洗 礼 に よ っ て キ リ ル 」 なたが真剣にキリストを信じるな 間 に 追 わ れ る 日 々、誰 も 見たからです。仕事に急 す。 あ る 朝、す れ 違 う 車 ために――司教・司祭・修道者・ し た。「 私 ど も は キ リ シ タ ン で いつも んでも、全世界を儲けても、 自分 「わたしは世の終わりまで、 リ ン ト 4・ 7 参 照 ) 。財産を積 て高ぶってはなりません(Ⅰコ のです。そして天に昇られるとき わたしたちを救う神として現れた わ た し た ち は、天 地 万 物 の 創 造主を信じています。高木仙右 す。天地万物がなかったときか のいのちを失ったら何の得もあ ア 修 道 会 ) は、「 い つ の 人間的に成熟した修道 サ の 中 で、霊 的、社 会 的、 体験していきました。 招かれています。開年ミ 儀 ) に 参 加 す る と き、キ リ ス ト ご りかけています。ミサ(感謝の祭 聴 く と き、キ リ ス ト が あ な た に 語 を 読 む と き、あ る い は 聖 書 朗 読 を な で 結 ば れ て い ま す。 実 際、聖 書 ~ 参照) 。 また互いに切っても切れないきず わ っ て い ま す。 つ ま り、 ての生活の根底にかか て、ま た キ リ ス ト 者 と し 要です。これは人間とし カテケージスは極めて重 です▲「創造についての を考える暇などないよう ながら運転している人を 自身をいただきます。キリストが ・ 1 ~ 3、 あ な た に 触 れ、あ な た も キ リ ス ト 『 わ た し た ち は ど こ か ら 神 は、あ な た の す べ て を 知 っ て おられ、 あなたを導き、 支えてくだ 3 あなたは、キリストを信じるこ 12 とに喜びを感じていますか? 53 だいたことに感謝いたし した。ミサの恵みをいた 別年の一歩を踏み出しま し た い と 心 か ら 念 じ、特 人々の協力を受けて成長 と が で き る よ う、多 く の 者、奉 献 生 活 者 と な る こ はあなたたちを造った。わたしが る ま で、背 負 っ て 行 こ う。 わ た し た た ち の 老 い る 日 ま で、白 髪 に な き た。 同 じ よ う に、わ た し は あ な 負 わ れ、胎 を 出 た 時 か ら 担 わ れ て す。「あなたたちは生まれた時から あります。神ご自身こう言われま 神があなたと共におられるとい う こ と は、あ な た を 担 う こ と で も 尊い御血によって買い戻されたの 物 に よ っ て で は な く、キ リ ス ト の た は、金 や 銀 の よ う な 朽 ち 果 て る 自身のものではないのです。あな だ さ る 神 殿 で あ り、も は や あ な た 神からいただいた聖霊が宿ってく 編 ・ ~ の 果 て を 極 め た と 思 っ て も、あ な の計らいは、 浜の砂粒より多く、 そ 8~ 方に従ってひたすら自分を神とほ 彼 に 生 涯 を 委 ね、そ の 教 え と 生 き の 癒 や し は、あ な た が 真 心 か ら イ 癒 や さ れ ま す。 し か し、ほ ん と う た女性がイエスの服の房に触れた き 癒 や さ れ、出 血 症 に 苦 し ん で い の 人 が、キ リ ス ト に 触 れ ら れ た と に触れているのです。重い皮膚病 基 本 的 な 行 き 先 」 を、忙 ム282)▲「わたしの だからです」 (カテキズ エ ス を 神 の 子 救 い 主 と し て 信 じ、 く回答を明確にするもの 参照) 。 あなた自身は、 と き 癒 や さ れ た よ う に、あ な た も たは依然神の中にいるのです(詩 かの人たちのために差し出すよう キリスト者の信仰に基づ 基 本 的 な 問 題 に 対 し て、 ゆる時の人々が提起する 的 は 』 …… と い う、あ ら 源は』 『わたしたちの目 のか』 『わたしたちの起 来たのか』 『どこに行く 参照) 。あなたに対する神 ます」と語っていた。 ・3~4) 。詩編作者も、 「主を 担 い、背 負 い、救 い 出 す 」 (イザヤ ) 行 い、あ な た の す べ て で 神 の 栄 光 になるときです。 ・ で す。 だ か ら、あ な た の こ と ば と い、救 わ れ る 神 を 」 (詩編 刷新・適応に関する教令』 た た え よ、日 々、わ た し た ち を 担 周年にあたる。 思います。 (S・N) しいからこそ祈れたらと 2015年は第2バチ カン公会議『修道生活の さ っ て い ま す( 詩 編 に驚きました。歯磨きし し上げます。皆様と共 に 昨 年 の て、教 会 か ら 遠 ざ か っ て い る 信 なわち教会として神と和解させま 備を経て昨年大司教館で4期に お恵みを神に感謝すると同時 者たちのことが主要な課題とし そ の ご 生 涯、特 に 受 難 と 死 と 復 活 信 徒 の 回 心 と 霊 的 刷 新 」「 祈 り くってくださった に、公 私 に わ た っ て 祈 り と 支 援 を通して、 わたしたちと共にいて、 した(エフェソ2・ そ れ に 応 え な が ら、皆 さ ん と 共 ら 天 主 が あ っ て、天 地 万 物 を つ 世でも奉献生活者はキリ ・ )と約束されました。使徒 あなたがたと共にいる」 (マタイ く り、最 初 の 人 間 を つ く り ま し 、 と協力をしてくださっ た 皆 様 に で す。 そ れ を 認 め る な ら、い た 1 神 は、す べ て の も の、そ し て 18 だかなかったかのような顔をし に永遠の幸いに向かっ て 歩 ん で と 信 仰 教 育 の 再 興 」「 癒 や し の も 神 の お 恵 み と し て い た だ き、 「 キ リ ス ト の 真 の 共 同 体 を 築 く 行きたいと思います。 特 に 今 年 23 たちもパウロもそのことをすぐに も 最 初 の 奉 献 で あ り、私 ストに似た者となるよう 17 21 たちは神様に奉献されて 20 14 139 28 聖なるものとされていま をささげようとしていま 16 10 は、日本の信徒発見150周年、 福音を携えた共同体と私」とい 「奉献生活の年」開年ミサ 昨 年 の 月 日( 土 ) が、教 皇 フ ラ ン シ ス コ の す が、彼 ら は さ ら に そ の カトリック長崎大司教区 ス ケ ジ ュ ー ル を 考 慮 し、 上 に、教 会 の た め 世 界 の す。この年を奉献生活を ために特別な方法で自分 1)~ 年2月2日(主 く、司 祭・ 信 徒 も 有 意 義 日(待降節第 の奉献)に変更した。 なものとなるように共に 月 開年を記念するミサを 浦 髙見三明大司教は「奉 献 生 活 者 は、教 会 と 社 会 祈りましょう」と説教し 年 上 教 会 で 行 い、奉 献 生 活 にとってキリストを証 た。 11 18 は、「 奉 献 生 活 の 年 」 の 者をはじめ信者約20 0 しする力となっていま 15 おくる人たちだけでな 人が祈りをささげた。 す。このことを神様から 年 教皇庁奉献・使徒的 生 活 会 省 は 当 初、奉 献 生 活 30 者のための特別年を2 0 11 のお恵みとして共に感謝 21 139 17 22 月 日~ 公布 20 14 したいと思います。洗礼 68 14年 11 日と提案していた 21 46 11 ミサに参加した木口直 惠修道女(お告げのマリ 月 50 昭和27年1月12日 昭和27年1月12日 第三種郵便物認可 第三種郵便物認可 できません」 16 造られたものの中に格別な愛 ~ 、マタイ ・ )? を 受 け た わ た し た ち が い ま す。 16 26 12 き、役 人 に 対 し て こ う 断 言 し ま あなたのからだと魂をつ 31 高 山 右 近 殉 教 4 0 0 周 年、原 爆 13 63 す。どうぞよろしくお願いいた 20 必要があるように思います。 大司教 ヨセフ 髙 見 三 明 印刷所 株式会社 藤木博英社 〒 850‐0852 長崎市万屋町 5‐13 TEL 095‐821‐2146 FAX 095‐821‐2148 て浮上し、それを軸にまとめた、 衛 門 は 最 初 に 捕 ら え ら れ た と 18 します。 さ て、日 本 の 信 徒 発 見 1 5 0 周年を意義深く記念するため に、第 1 回 長 崎 大 司 教 区 代 表 者 22 カトリック長崎大司教区 広報委員会 あなたはほんとうに キリストを信じていますか 年頭教書 感謝を申し上げます。 こ の 一 年 会議(シノドス)が、3年の準 23 12 70 1024 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 1カ月140 1カ月140 円 年間1,500円( 円 年間1,500円( ) ) 第 カトリック教報 1 月1日(毎月1日発行) (1)2015年(平成27年) 信徒発見150周年と高山右近列福に向けて これだけのことは知ってほしい ⑪ ファーヴルです。神の の 一 人 福 者 ピ エ ー ル・ イエズス会の創立者 受けることを目にすることもないという事 す。「 多 く の 子 ど も や 若 者 が、両 親 が 秘 跡 を 機感をもって全世界の司教に通達していま なければいけないと、総会の準備文書は危 ける仕方で伝え、生きるために」何とかし 一番身近な宣教の場でもあります。しかし どもが一緒に受洗する「家族洗礼」という あり、非キリスト者の配偶者と授かった子 の絆にまで高めてくれる聖なる恵みの場で ます。異宗婚は夫婦の絆をキリストと教会 異宗婚によってはじまった結婚生活があり たりにしてきました。 そんな出向いて来た人たちを何度も目の当 を断念する」 ( 『福音の喜び』 )ことです。 洗礼の秘跡についていえます。聖体は秘跡 ) 。親は弱ったわ に夫婦の亀裂を生み破綻へと向かうことも 一方では、 宗教による価値観の違いは、 徐々 になると黙って帰るんです。涙ぐんでいる に来て、 一番後ろに座って、 聖体拝領のころ 「 難 し い と は 思 い ま す が、何 と か 相 談 に 乗ってやってくませんか。毎週主日のミサ か。 」後先考えず、 屋根をはがし寝台ごと病 てみました。話を聞いてやってくれません 「悪かとはこいつです。でも、 無理は承知 のうえで、何とかしてやりたいと思って来 ているのです。 が子のために、その大切さを本能的に知っ で す 」( 『福音の喜び』 なく、弱い者のための良質な薬であり栄養 の頂点ですが、完璧な人のための褒美では みわざは歴史の中で起 実を思い起こせば、この状況から生じる宣 あります。異宗婚は信仰と生活の危機を招 人をつり降ろす兄弟や仲間(マルコ2・4) さあ、 お呼びだ 日、日 本 の 教 こされてきました。今 年3月 教の問題がどれほど切迫しているかがわか くのか、それとも新しい枝として教会とい が今もいるのです。その思いを知っただけ さあ、お呼びだ コ教皇は事あるごとに、家庭が抱える課題 年 を 迎 え ま す。 ま た、 ります」とも追記しています。フランシス 会は信徒発見150周 の中で「離婚者と再婚者の司牧的・秘跡的 と 思 い ま す。 」羊の臭いを染み込ませた牧 で、 すでに病人は癒やされているはずです。 ︱ 出向いて来た家族の肖像 ︱ 2月3日に没後400 者は、萎えた羊の傷みをわが身の痛みに換 作り話ではありません。すべて教会の結婚 馨 年を迎えるユスト高山 刃の剣です。 その分岐点には、 異宗婚によっ う幹に接木されていのちに漲るのか、もろ えて訴えてきます。聖霊に背中を押されて 小春日和に誘われて、店頭に並ぶ不揃い のリンゴを眺めていました。「リンゴはキズ 潜伏キリシタンはその出口にいた人たちで 口 に 右 近 が、 2 5 0 年 後、名 乗 り を 上 げ た そのオナジの霊性がまとめられた時代の入 使者はローマの教会と長崎の教会に同じ課 しと深くかかわっているのです。神からの 責の念があるからです。家庭の問題は癒や がその働きを怠ってしまっているという自 は、癒やしの福音を携えているはずの教会 しても成らないのです。 だから多くの場合、 「この子が教会にも秘跡にも与れん姿を 見 た ら、死 ぬ に も 死 に き れ ま せ ん。 何 と か の で は あ り ま せ ん。 成 ら な い も の は、ど う いろんな行き違いや不和や裏切りを、意 地や根性や気合いだけで乗り越えられるも 者の姿は癒やしそのものです。 の家」の門をいつも開けていようとする牧 された門に出くわすことのないように「父 生きていくことは愛おしいものです。傷を 家族の肖像です。 生きていくことは切なく、 裁判所の門をくぐるために、出向いて来た 教区法務代理 古巣 な配慮」に本気で取り組みたいと胸中を明 教会の門を叩こうとするとき、冷たく閉ざ の あ る の が 甘 い よ。」 顔 見 知 り の 婆 さ ん が す。 今 年 差 し 出 さ れ る 2 つ の 記 念 は、オ ナ 身も心も壊れたあげく離婚に至ります。さ みなぎ 右近は列福承認を間近に控えています。〝ワ て誕生した家庭を取り巻く司牧者と小教区 耳打ちして行きました 。 キ ズ も の は 見 か け ジという信仰の霊脈を日本と長崎の教会が らに、 「離婚したら教会には行けなくなる」 成 ら ん も ん で し ょ う か。 」 本 意 で も な い わ (ヨハネ ・ ) 。 レプトン銅貨2枚の救い 共同体があるのです。 も悪くきらわれるけど、キズついたリンゴ 題を提示し、その答えを求めて呼び出され は言うのです。「わたしの主、 わたしの神よ」 持った神が傷を生きる人に触れたとき、人 はそれを必死でかばお う と 糖 分 を 多 く 出 し ました。 主 人 が 婆 さ ん の 自 説 を 補 っ て く れ ま し た。 髙見大司教様は神からの使者に応えるべ く、この教区が抱える多くの課題と行く末 に希望の道筋をつけようと、教区シノドス これから出向かなければなりません。出向 の門を閉ざしてしまいます。長崎の教会は という誤った教えと理解が、離婚者に教会 開きます(ルカ ・1~8) 。「秘跡の門は、 な さ い。 立 ち な さ い。 お 呼 び だ 」 (マルコ 酷な裁判官の心を動かし、閉ざされた門を ( マ ル コ ら頼み込む親の切なる思いは、昔も今も冷 が子を後ろに、何度も何度もお辞儀しなが ノ 浦 町 田 松 上 天 浦 神 場 岡 秋美 熊川 幸徳 大瀬良直人 竹内 英次 岩本 繁幸 尾髙 修一 川原 昭如 葛島 輝義 工藤 秀晃 鶴崎 伸也 竹谷 誠 前田 達也 本田 靖彦 岩下 和樹 山口竜太郎 鶴巻 健二 汐留 義和 熊谷 裕司 谷脇誠一郎 山添 克明 野濱 達也 岩下 裕志 中尾 直通 大水 満 中野健一郎 志範 川端 島 神 島 原 イ ⃝エズス会 東 長 崎 コ ⃝ンベンツアル 聖フランシスコ修道会 二十六聖人記念館 松村 信也 立 山 修 道 院 デ ・ルカ ・レンゾ 二十六聖人修道院 アギラール ・J ・ホセ 修道会など 萩原栄三郎 根 本 湯 内 江 崎 小長井修道院 東 長 聖コルベ志願院 聖母の騎士修道院 湯江修道院 河 小長井修道院 聖母の騎士修道院 津 岐 練 院 聖母の騎士修道院 修 小長井修道院 江夏 若林 ・ ・ ) に そ っ く り で す。「 安 心 し 山 〃 〃 宕 海 星 学 園 聖ルドヴィコ神学院 ブー ・カイン ・トゥオン マ ⃝リア会 山崎 善彦 池田 紀行 末吉 克久 松本 幸徳 髙田 裕和 海星修道院 小ヶ倉共同体 ヶ 野 倉 海 星 学 園 小 愛 サ ⃝レジオ修道会 ブリ ・ヤン 時 津 牧野修道院 イエスのカリタス ソボン ・タデウス 古木眞理一 中 恵 の 〃 〃 丘 崎 町 韓国殉教福者聖職修道会 ⃝ 金 桐旭 長 オ ⃝プス・デイ 徹 ( )内は叙階年数 田邉 鹿 ⃝児島教区 尾崎 明夫 木村 昌平 恵介 硲 〃 ) 。これから出向いて行く長崎の教 〃 原 町 町 パサラ ・ジョゼフ 会の姿がここにあります。 ポムセノ 愛 〃 〃 長崎修道院 本 原 長崎修道院 本 長崎修道院 神 ⃝言修道会 長崎修道院 聖ルドヴィコ神学院 西 大川 好洋 長 崎 修 道 院 松本 勝男 〃 ヴァルガス ・オスヴァルド 西 ジェブーラ ・エウゲニウス 進 濵口 末明 川上 智樹 片岡 哲夫 冷水 義美 片岡 仁志 戸村 悦夫 関口 七郎 国彦 フ ⃝ランシスコ会 頭島 光 橋口 啓悟 レ ⃝デンプトール会 チャーリー ・バヌエボ ・ マイケル ・ヒルデン 城 モ ー リ ス ・マ ホ ニ ー 聖 ⃝アウグスチノ修道会 はありません。これはとくに『門』である ノ 込 熊 本・ 水 俣 馬 島 イ タ リ ア 黒 福 岡・ 糸 島 差 セ ン タ ー 紐 大 司 教 館 鉢 福 江・ 浜 脇 木 聖フランシスコ園 末吉 矢作 中島 優 三 井 楽 ・貝 津 土 井 ノ 浦 稲 佐 代 行 知 濵田 盛雄 湯 江 修 道 院 ビンセント ・ラチェンダロ 仲 小 神 学 院 出 町 尾 鉢 田 木 太 俵 曽 子 小 神 学 院 早 石 西田 正 山下 公輝 赤尾 満治 平 孝之 西本 仁史 柳本 繁春 山内 春治 瀧 憲志 谷村 達郎 松田清四朗 浅 イ タ リ ア 滑 上 〃 浦 出 向 い て 来 た 家 族 の 肖 像 は、盲 人 バ ル ティマイのところに使いに出された人々 くとは、 「足を止める、 他者に目を注ぎ耳を いかなる理由があっても閉ざされるべきで 飽 町 口 中 戸 浦 亀 平 ノ 宝 水 浦 大 神 学 院 三 山 浦 小 神 学 院 植 大 神 学 院 相 町 曽 幡 大 八 頭 福岡コレジオ 浦 串 セ ン タ ー 浜 木 大 神 学 院 西 留 山 崎 ツ 奈 三 褥 桐 長崎コレジオ 野 中央協議会 大 49 うれしくなって、ついザルふた山を買って 帰りました。これまで 出 会 っ た 味 わ い 深 い を開催しました。教区シノドスは昨年 月 傾けるために心配事を脇に置く、道端に倒 28 3組に1組の夫婦が破綻する時代に入り ました。カトリック信者の夫婦も例外では 20 49 家族の肖像と重なった か ら で す 。 が、祈りも唱えられず、ミサの与り 拓也 達也 文隆 照明 俊治 輝次 英知 晋吾 憲一 正志 繁喜 秀信 川内 和則 久志利津男 聡史 一郎 宏樹 誠志 山田 良秋 川口 昭人 一ノ瀬輝幸 のうめきにも似た祈りを代弁しています。 ありません。その破綻のきっかけの一つに、 れたままにされた人に寄り添うために急用 一 瞬 が 永 遠 と つ な が っ て い る こ と を 教 3日に第4会期を終え、提言案をまとめま わ っ た の は、喪 服 を 着 た 老 婆 か ら で し た。 し た。 そ の 中 で、教 区 シ ノ ド ス は 長 崎 教 区 らは神様以外に何も頼るものがありませ 方 も 知 ら ず、お ろ お ろ と し て い る 功 勲 忠 勲 葛嶋 山村 中田 辻原 (3) 叙階2年前、召命に見切りをつけようと帰 ん。 き つ か で し ょ う が、司 祭 に な っ て わ た 光 景 を 見 る に つ け、あ れ ほ ど 信 仰 井持浦 崎 岩崎 鍋内 々 町 崎 主 佐 大 浦 天 主 湯浅 下窄 堂 司 祭 館 浅田 真 手 ノ 浦 大 水 中濱 高野 治 下山 盛朗 鳥瀬 文武 牧山 強美 大 司 教 館 中村 倫明 五 島 市 福島 光明 神 崎 眞浦 健吾 長 崎 市 中濱 敬司 上 神 崎 紙﨑 新一 セ ン タ ー 白浜 満 福 江 ・浜 脇 ・ 平本 義和 大山 繁 松下 光男 小瀬良 明 村川 昌彦 山内 実 清美 黒 平 大水 田 浦 大 司 教 館 川原 之 方 鯛 青 山本 松田 戸 嘉松 長崎コレジオ 平 石 中島 滑 青 砂 ヶ 浦 (55) 省 し た 時 で す。 早 朝 の ミ サ の 後、「 わ た し 「 親 の 葬 儀 に 参 列 す る 子 ど も た ち しらの相手をしてください」と言うと、喪 上 岩村 知彦 烏山 邦夫 古巣 馨 橋口 朝光 山脇 守 山田 聡 中村 満 康彦 岩崎 ( 新 ) (1) (2) (4) (5) (6) (6) (7) (8) (8) (9) (9) (9) (11) (11) (11) (12) (12) (12) (13) (13) (13) (14) (15) (15) (16) (16) (16) (16) 10 (41) (4) を伝えて生きることにこだわり続 大司教 髙見 三明 与 浦 焼 片岡 久司 川口 清 靖彦 浜崎 長谷 橋本 市 諫 山川 早 大 司 教 館 市 早 下口 戸 長 浦 香 尾 諸岡 大 司 教 館 諫 平 お告げ本部 大 司 教 館 大 前 山 子 大 鹿 セ ン タ ー 佐 賀・ 呼 子 幼きイエズス 修道会司祭館 丸 堀 (17) (17) (17) (18) (19) (19) (20) (20) (20) (22) (22) (22) (23) (23) (24) (24) (24) (24) (24) (25) (25) (25) (26) (26) (28) (28) (29) (29) (29) 10 (18) (27) 服を着た老婆は私のポ ケ ッ ト に 何 か を ね じ 弊していくのを痛感します。わた 長崎の教会がここにきて信仰を伝 原塚 正人 えることができなくなったことを 佐 藤 哲 夫 素 直 に 認 め、ま た 多 く の 兄 弟 姉 妹 川添 猛 がなぜ教会から遠ざかってしまっ 下川 英利 た の か、ゆ る し を 請 い な が ら そ の 山内 豊 原因を尋ねることです」(『提言案』 山内 清海 2)。長崎の教会が家庭の中で、小 下村 徹 教区で信仰を伝えきれなくなった 村中 司 という危機感から始まったのが今 峰 徳美 三村 誠一 回の教区シノドスです。 平野 勇 時 を 同 じ く し て、バ チ カ ン で も 野下 千年 昨年 月5~ 日まで世界代表司 堤 好治 教会議(シノドス)第3回臨時総 宮川 俊行 会が開かれました。テーマは「福 音宣教の観点から見た家庭の司牧 的 課 題 」 で す。「 今、キ リ ス ト 者 の 深 (42) (45) (45) (46) (46) (46) (47) 込み、手を合わせて私を拝みました。前日、 けてきた長崎の教会が、枯渇し、疲 不慮の死を遂げた息子 の 葬 儀 を 出 し た ば か 教区シノドスと世界司教シノドス スが開かれる根本的な理由を確認 す る こ と が で き ま し た。 そ れ は、 長 崎 大 司 教 区 りの老いた母親でした。ポケットの中には、 し た ち は こ の 会 議 で、教 区 シ ノ ド 4つ折りの500円札 が ち り 紙 に 包 ま れ て い ま し た。 あ の 時、老 婆 の レ プ ト ン 銅 貨 2 枚の人生(ルカ ・1 ~ 4 ) を 分 け て も ら い、救われました。夫に先立たれ、病気や事 故で次々と子どもを見送り、爪に火をとも すように家庭を守りな が ら そ れ で も 人 を 気 遣 う。 あ の 瞬 間、永 遠 な る お 方 の 前 に 立 た された思いでした。救 い は 脳 に で は な く 心 に宿るものだとはじめ て 知 り ま し た 。 思えば、分けてもらったものでいつも生 か さ れ て き ま し た。 分 け て く れ た の は、障 害を抱えた子どもを持つ家庭、生活保護を 受 け て い る 家 庭、離 婚 し て い る 家 庭 …… い ・ 8) 不 思 議 な 豊 か さ を 持 っ て くつもの傷を刻みながら、「ただで与える」 (マタイ 阿野 忠秋 小島 栄 萩原 劭 武仁 家庭が抱える問題の所在をはっき (37) (37) (38) (39) (39) (41) (4) (29) (18) 11 川上 (22) (27) (32) (44) (45) (33) (27) (4) (51) (42) 18 もろ刃の剣のなかで 今また生き直すことが目的です。 47 レラノムネ アナタノムネト オナジ〟を か し て い ま す。 そ れ は、多 く の 仲 間 が 教 会 受け渡してきた日本の教会の霊脈の中で、 から遠ざかり、また遠ざけられている原因 46 無キズのリンゴよりうまくなると、市場の 17 「 時 は 神 か ら の 使 者 だ 」 と 言 っ た の は、 り と さ せ、家 庭 の 福 音 を 信 頼 の お (30) (30) (31) (32) (32) (33) (33) (33) (54) (27) (16) 10 (21) (59) (60) (55) (16) (19) (21) (36) (39) (40) (41) (49) (50) (50) (50) 21 いる家庭でした。 10 (19) (35) (38) (46) (52) (62) (62) (35) (44) (23) (24) (1) (11) (29) (63) (51) (51) (51) (51) (51) (52) (52) (52) (53) (54) (54) (54) (58) (64) (47) (48) (48) (50) 19 1 月1日(毎月1日発行) (2) 2015年(平成27年) カトリック教報 1024 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 1 月1日(毎月1日発行) ン公会議公 月 号 1 面 参 照 ) と し、参 く 願 っ て い る 」( 本 紙 際 は、こ れ ま で は 聖 職 者 た。「信徒が使徒職を行う 招かれている」と紹介し て講座を開催したいとし N C K で は、来 年 も 第 5章以下について継続し を発揮すべきである」 大浦教会信徒有志によ かげで大きな盛り上がり る朗読劇『ああ、 サンタ・ を 得 る こ と が で き ま し エルの思いを共有した。 わ れ、平 戸 を 歩 い た ザ ビ きをつなぐ徒歩巡礼が行 雨 の 中、教 会 ご と に た す 準備に携わった信徒の 〈教区家庭特別委員会〉 一 人 は、 「皆の協力のお 伝えるように」 と諭した。 に「神の愛を知り、 生き、 講 座 が、初 め て 長 崎 で 開 テキスタ会)の信仰養 成 お い て、N C K( 日 本 カ 昨年 月 ~ 日カ ト リックセンターホール に た。また「今回の公開講 共同体を指す」と説明し て、「 教 会 と は 建 物 を 指 第2章「神の民」につい りえない場所と環境にお ければ教会が地の塩とな 仰 を 持 つ 人 々 の 集 ま り、 徒 は、自 分 た ち に 依 ら な す だ け で は な く、同 じ 信 い て、教 会 を 存 続 さ せ 活 て」の講話を行った。「信 が 第 4 章「 信 徒 に つ い 2 日 目 は、フ ラ ン シ ス コ会神学院の小西広志師 ターで平戸ザビ ら平戸文化セン 教 に つ い て 語 り、神 に 派 で、髙 見 三 明 大 司 教 は 宣 てささげられたミサの中 マリアさま』に引き続い 課題です」と話した。 げていくかがこれからの し、 継続し、 宣教へとつな た。得たものをどう生か 検索。 崎大司教区リンク集」で 開設した。「カトリック長 紹介するホームページを 生活に関する情報などを 遣されたザビエルのよう 聖母の騎士女子誓願式 日 で あ 大槌ベースボランティア募集 4 ⃝月9日㈭~ 2 ⃝月 日㈭~ 日㈬ (1/ 締切) 3月 日㈮~ 日㈭ (2/ 締切) ⃝ 日㈬ (3/ 締切) 教区評議会は大槌ベースキャンプへのボラン ティアを引き続き募集し、 協力を呼び掛けている。 095‐842‐4450 申し込みは所属小教区へ。問い合わせは教区本 部事務局(松尾)まで。 ラーレセンター。 念ミサ 2月1日㈰ 時、西 坂 公 園( 雨 天 時 は 095‐842‐4460 ℡095‐849‐3812 会 2月8日㈰ 時・ 時(2回上映)カトリッ 発、広 く 門 戸 を 開 い た 招 レ 講 演、各 小 教 区 で の 啓 た。部会の提案によるプ ど前から準備を重ねてき 部会を立ち上げ、1年ほ ミサが執り行われた。 る初誓願・終生誓願式と 髙見三明大司教司式によ 月 日(金)けがれ なき聖母の騎士聖フラン 神 殿 に 奉 献 さ れ る と き、 承 に よ る と、マ リ ア 様 は 院( 諫 早 市 ) に お い て、 出て行くよう招いた。「伝 シスコ修道女会本部修道 両親の方を振り返ること れ、マ リ ア に 倣 い 喜 ん で ち の 意 識 を、間 も な く 始 牧者と役員だけが関わること 徒 さ え い た し、シ ノ ド ス は 司 く な っ た と い わ れ て い る が、 がある。確かに祈る人が少な いた。長崎教区には祈る伝統 修道会でも祈りが捧げられて 語 っ た。「 大 司 教 様 は、フ 式の感想を次のように 誓願宣立者たちを見 守 っ た 修 道 女 の 一 人 は、 み あるじ 日となりました」 初誓願宣立者 ヒルデガルト・マリア 仙波智美(高松・松山) 終生誓願宣立者 ジェンマ・マリア ▼映画「うまれる」上映 中町教会) 。 ▼召命祈願ミサ 1月 日㈮ 時、 大浦天主堂。 ク セ ン タ ー。 入 場 無 料。 ▼一日マリアポリ 1月 分~ 時 ▼日本二十六聖人殉教記 教 区 家 庭 特 別 委 員 会、青 時 まる奉献生活の年の思い 少年委員会主催。 時受付) 、深 堀 教 会 信 へと導いてくださいまし ▼コングレガシオン・ド・ 日㈰ 徒会館。テーマ「お互い た。 こ の 日 は、天 の 花 婿 ノートルダム修道会一日 き な ど を 行 い、巡 礼 団 を も な く、喜 び に 溢 れ て 神 含む1200人余の参加 年 前 ( の愛」 。 問 合 先・ フ ォ コ 聖主イエス様とけがれな り、ま た に『教会憲章』が公布さ き聖母に心からの感謝と 黙想会へのお招き「福音 マリアに倣い喜んで出て行こう ぶどう園 エル祭記念ミサ に開催することにしてい るが、今回はその第1回。 れた日でもあることに触 て お 話 し く だ さ り、私 た 賛美をささげる喜びの一 殿の階段を駆け上がって 中には当初シノドス開催を危 だと思われていたふしもあ 行かれました」 ぶ む 声 も あ っ た。 そ の 上、信 り、シ ノ ド ス 議 員 の 意 識 と の 者を得た。時折強く降る 髙見大司教は説教の中 で、 月 日 は 聖 マ リ ア 地区信徒の関わりのもと の奉献の が行われた。 昨 年 月、委 員 会 の 活 動 の 目 的 や 役 割、信 徒 の お知らせ 文書を学ぶ への協力という形であっ ている。 NCK信仰養成講座 た が、こ れ か ら は 独 自 性 神の愛を知り、生き、伝えよう 平戸ザビエル祭 教区カテキスタ 会 設 立 の 契 機 に シ リ ー ズ と 加 者 へ の 協 力 を 求 め た 。 して、『教会 第 2 講 話 は、仙 台 教 区 憲章』が取り上げられた。 の 佐 々 木 博 師 が 第 3 章 解説した。「位階制度とし 始めに大山きよ子会長 「教会の位階的構成、とく があいさつに立ち、19 に 司 教 職 に つ い て 」 を 69年に神言修道会のゲ て は、神 の 民 と し て 歩 む 同実行委員会では4年 ご と に、平 戸 ザ ビ エ ル 記 とき指導者が必要である 「ザビエルと共に 社会 と 共 に 」 を テ ー マ に、 念教会から文化センター オルグ・ゲマインダ師に 日(日)午後2時か よって創設されたNCK く、仕 え る 立 場 へ と 変 え 月 が、日 本 司 教 団 の 認 可・ が、権 威 者 と し て で は な 教皇庁公認の団体となっ られた。司教は教え、 統治 催 さ れ、他 教 区 か ら も 含 座が教区カテキスタ会の に会場を移してより盛大 た経緯を説明した。 司教団として団体的指導 す る な ど の 任 務 の ほ か、 初 日 の 第 1 講 話 は、N CKの顧問司教である髙 めて約160人が参加 し 動的なものとするように 見三明大司教(写真)が、 体制を形成している」 た。教区信仰養成部の 協 設立につながることを強 い て 次 第 に 理 解 が 深 ま り、教 徒へのアンケートを実施した 第1章「教会の神秘」と 賛。テーマは第2バチ カ 区刷新への機運も高まってい も の の、以 後 遅 々 と し て 準 備 ランシスコ教皇様がよく はじめに 2 0 1 4 年 月 3 日 午 後、 く こ と を 期 待 し て い た し、誰 シノドス最終会議で あ る 第 4 か に 何 と か し て ほ し い と の 願 使われるキーワード『喜 の喜び」~日常をイエス 2月 日㈬9 時、 北九州市・ 分~ と共に~ 時 仙水町修道院。講師・片 柳弘史師(イエズス会) 。 会費1500円(昼食代 込み) 。 申込先・ 東城 (1 ま た 同 日 時、長 崎 教 区評議会女性部の深堀茂 ㈬ 回 の シ ノ ド ス を 支 え、分 裂 や 子代表と各地区女性部代 ターホール。教区平和推 隔 た り を 感 じ た。 そ こ に は、 それでもみなさんの祈りは今 ための援 表者らが指導司祭大山 進 委 員 会 主 催。 問 合 先・ 議員選出に際し役職中心の選 び 』『 出 て 行 く 』 に つ い 助物資と 繁師と共に大司教館を訪 が 進 ま な い こ と に、い つ し か 対立から救ってくれた。シノ 寄付金を れ、神 学 生 養 成 援 助 金 7 誰からともなく声が上がって 見の相違から混乱が生じよう 会を担う若い司祭・修道者・ ド ス の 前 後、ま た 会 期 中 の 意 び 方 を し た こ と で、将 来 の 教 と し て い た と き、聖 霊 が 働 い 届けた。これは同地区の 同委員会 吉村。 ℡095‐845‐0117 いも込められていたようで 信徒を増やせなかったことに て く れ た の だ と 感 じ た が、そ 各小教区が呼び掛け集め 39万3547円を髙見 あった。 原因があったであろう。さら れはみなさんの祈りのお陰で 月 日(日) 時半 頃、平 戸 地 区 評 議 会 の 代 三明大司教に渡した。こ 会 期 を 終 え、感 謝 の ミ サ の 中 に広報を十分生かしきれな あったことは間違いなかっ の献金は1977年に長 す る が、そ の 後 ど の よ う な 成 共 通 理 解 が な け れ ば、教 区 の し か し、シ ノ ド ス に つ い て の が、こ の 声 に は 長 崎 教 区 に 何 が声となって表れたのである て後、早速準備が開始された。 らないのではないかとの思い た い と 念 願 す る。 そ う で な 提言の実行に関わってもらい でも多く力を合わせシノドス 段 階 に あ っ て、教 区 民 が 一 人 に、こ れ か ら い よ い よ 本 気 で き、 伝えるために』 をモットー ――神のいつくしみを共に生 召命を支える信徒の犠牲 日締め切り) 。 きた。「教区は本気で教区刷新 か っ た た め に、シ ノ ド ス 会 期 た。 そ し て、つ い に 最 終 提 言 た も の で、毎 年、米 や 野 崎地区連合婦人会によっ 果が現れたのかほと ん ど 知 ら 教区刷新を始めようとしてい うコンサート 2月 日 時、カ ト リ ッ ク セ ン ジ&神父さんとともに歌 ▼世界平和の日メッセー ℡093‐871‐1166 金子真澄(長崎・浦上) 月 を実行しようとの覚悟がある 中に信徒の盛り上がりに欠け 回 神 学 院 を 訪 れ、神 学 生・ 菜、日 用 品 な ど の 物 資 を 表者らが長崎カトリック 贈っている。今回が て始められ、 その後、 教区 で髙見三明大司教に 「 長 崎 大 司教区シノドス最終提言案」 が渡された。 年に シ ノ ド ス シノドスを 始めるにあたっ て たことは否めなかった。こう 案を作成したのである。 目。神学生たちの食事の 連合婦人会(現在の教区 志願生の のか」と。やはりシノドスも し た 失 敗 を 生 か し、こ れ か ら 「 参 加 し、交 わ り、宣 教 す る 教 会 づ く り 」 を 目 指 し て、長 お世話をしているシス れ て い な い。 さ ら に 遡 っ て け れ ば、意 味 の な か っ た シ ノ の志願院にも贈られた。 とお告げのマリア修道会 ク セ ン タ ー、純 心 聖 母 会 ジオ、 大司教館、 カトリッ 神 学 院 の ほ か、長 崎 コ レ 話している。 動を続けていきたい」と 学生養成援助のための活 様 に 協 力 を お 願 い し、神 深 堀 代 表 は、 「今後も皆 感 謝 を申し上げます。 右の方からご寄付を賜 りました。お礼とご報告 (援助物資とご芳志) い ま す 」 と 話 し て い た。 し て 引 き 継 が れ て い る。 ◦平戸地区信徒一同様 11 援助物資と献金を寄付 イ ベ ン ト で 終 わ り、前 と 変 わ シノドス提言を実行していく 崎 教 区 は『 父 の 家 に 帰 ろ う タ ー は、 「感謝していま ―寄 付― 長崎コレジオ 連載・教区シノドスから恵みの年へ(終) 教区シノドス開催が決定し 15 19 18 長崎カトリック神学院 ドスと化してしまいそうであ 確かであった。 教区シノドス中央委員会 委員長 山脇 守 31 14 開催が決定されてか ら 5 年 目 FAX TEL 23 評議会女性部)発足に伴 シノドスが教区にど ん な 効 果 19 い、教 区 レ ベ ル の 活 動 と とか頑張ってほしいとの切な りかねないのである。経費が シ ノ ド ス 会 期 中、小 教 区 や る。そのためにこれからも祈 る思いが込められていたのも か か り、相 当 な 労 力 を 費 や し シノドスの陰で る。これからが正念場であり 善のためになるはずのもの た。 し か し、そ の よ う な 状 況 て逆に大きな問題をかかえる る人の存在は欠かせない。 が、教 区 の 分 裂 の 原 因 と も な に あ っ て も、大 司 教 は じ め シ こ と に な っ て は、開 催 の 意 味 教区の本気が問われる。 年)についても同様だっ ノドス開催に同意し た 司 祭 評 シノドスに関わる人たち 議 会 は、シ ノ ド ス の 準 備 を 進 シ ノ ド ス 開 催 を 前 に し て、 既に終了したと思っていた信 10 のことになる。 45 13 12 11 10 す。 神 学 生 皆、お い し い 教区の刷 新 に 向 か っ て 5 年 前、大 司 教 が 教 区 シ ノ ド ス 開 催 を 決 定 し た と き に、 18 10 お米を喜んでいただいて を与えるのか期待し た 人 が ど れほどいたのだろう か 。 あ る 教区でかつてシノド ス が 開 か 14 14 50 25 25 28 11 11 Sr. 30 ナ イ ス Ⅰ( 1 9 8 7 年 )・ Ⅱ れた。それから 年 ほ ど 経 過 16 11 10 がない。そのために専門家の 23 17 23 めていくうちにシノ ド ス に つ ( 16 41 11 10 10 30 21 21 24 11 11 11 11 93 1024 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 カトリック教報 (3)2015年(平成27年) 死者の月に祈る 天上と地上の教会 の 交 わ り を スの開催日と重 日が教区シノド て信仰生活を送っていこ 交わりをいつも心に留め 者 墓 地 に 大 司 教・ 司 祭・ 市高尾町にある赤城聖職 追 悼 ミ サ も 行 わ れ、長 崎 津和野殉教者の列聖をめざして シンポジウム 修道者・信徒らが集まり 日時 2015年3月8日(日) 時 場所 カトリックセンター シンポジスト ~日本の信徒発見150周年~ う」と呼び掛けた。 者として来日し 祈りをささげた。 《追悼》本島 等さん たことについて 触 れ、次 の 一 文 が 記 さ れ て い た。 一 部 抜 粋。「( 今 年 の 原 爆 の 日に)私は平和宣言 な り、こ の 日 の 大 司 教 は 説 教 の 中 で、典 礼暦は私たちの最期の時 を思い起こすよう作られ ていることを話し、また、 は な く、よ り 深 刻 な 死 は 「肉体上の死がすべてで 互いの関わりがなくなる こ と で あ り、神 様 と の 絆 を言わねばならない 髙見三明大司教(長崎) 、前田万葉大司 教(大阪) 、 平林冬樹神父、 その他 ローマン・ 京・東村山修道院。 京・ 王 子 修 道 院、 年 東 年 年東 村山修道院、 年小長井・ 日本管区へ移籍。 クエチェン修道士 聖フランシスコ修道会) (コンベンツアル み さ か え 分 院、 年 小 長 井修道院。2009年 月、聖 フ ラ ン シ ス コ 園 に 入所。 聖像制作や建築・造園 技術などの能力を活か し、修 道 院 を 整 え た。 1 大 阪 大 司 教 ) は、 「20 記の通り。 たい。長崎での開催は右 月 1914年5月 日 ポーランド生まれ。 年 れた。 よ り、本 河 内 教 会 で 行 わ 区長の﨑濵宏美師司式に の広場に祭壇などを飾り 23年の広島教区創立1 日聖母の騎士修道院で終 歳超え座り込 見出しで報じられた。 追悼ミサが中町教会で行 月 日、髙 見 三 明 大 司教を実行委員長とする 行動し、訴え続けた。 得へと至る日本の教会の 総流罪から信仰の自由獲 浦 上 四 番 崩 れ、浦 上 信 徒 している。信徒発見から 求 め る た め に、広 島 と 長 (純心聖母会) 大石セイ修道女 日 来 日、 年 6 月 日、同 修 道 会 日 本 管 葬儀ミサ・告別式は 月 小教区の方々とも広く関 設の責任者として利用者 荘 修 道 院 に 派 遣 さ れ、施 と、 恵の丘修道院、 ときわ 年、本 会 で 社 会 福 祉 の事業所が開設される に携わった。 であった。 療養。 ロザリオの聖母修道院で 続けた。2005年から 伝 え、み 言 葉 の 種 を 蒔 き し、出 会 う 人 に 神 の 愛 を 控えめな中にも芯のあ る明るさとやさしさでい 幼児教育や教会奉仕など の 世 話、施 設 運 営 や 職 員 年間の誓願生活 つも温かく周りの人に接 の養成などを通して基礎 深 堀 修 道 院 に 派 遣 さ れ、 慕われた。 王島、 佐世保、 神崎、 潜竜、 わ り を 持 ち、多 く の 人 に 浦 上 修 道 院 を は じ め、伊 付けた。 を確信して宣言を読み上 の本島 等さん(享年 )。 直に受け入れられること 広島教区列聖委員会 は、殉 教 者 の 出 身 地 で あ 生誓願。 年兵庫・仁川 くなった多くの方々のた 本紙1981年8月 号。長崎市長だった当時 わ れ、多 く の 人 々 が 故 人 5 月 8 日 初 誓 願、 年 8 0 0 周 年 に 向 け て、津 和 る長崎の方々に多く参加 徒、恩 人 の た め に 祈 る こ めにあらためて永遠の安 執 筆 し た 原 稿 に は、そ の をしのんだ。 言した。 の追悼ミサは2009 年 息 を 祈 り、彼 ら が 私 た ち 年 の 2 月 に ヨ ハ ネ・ パ モニカ していただきたいと呼び 100歳。 フ ラ ン シ ス コ 園 で 逝 去。 で破壊された浦上天主堂 949年に行われた聖フ ランシスコ・ザビエル渡 歩みを振 来 4 0 0 年 祭 で は、原 爆 2 0 1 3 年 5 月 3 日、 代に生きる私たちが信仰 前 田 万 葉 広 島 司 教( 現・ の糧を発見する機会とし 月 日午後5時 分、肺 炎 の た め 諫 早 市 高 月 日に肺炎のため 亡 く な っ た、元 長 崎 市 長 来町の養護老人ホーム聖 と。神様は私たちを救お 各紙で、「核廃絶の志 最 げることができる」 り返りな う と し、い つ も 私 た ち を 後まで が ら、現 待っておられる」と語っ み 」「 被 爆 地・ 長 崎 の 象 シンポジウムのご案内 た。そして、「〝死〟は永 が、こ れ ま で の 心 細 昨年 月 日(日) 時、教 区 主 催 の 追 悼 ミ サ 遠のいのちへつながる門 市長引退後も日本の加 野 乙 女 峠 の 殉 教 者 の 列 害 責 任 を 問 う と 同 時 に、 聖・列福を目指す」と宣 に 始 ま り、こ れ ま で は 死 のためにも祈ってくださ ウロ2世が平和の巡礼 月 日、聖 フ ラ ン シ スコ病院で逝去。 歳。 日、修 道 会 本 部 聖 葬 儀 ミ サ・ 告 別 式 は、 月 人ホーム(山口県)では、 堂で行われた。 1 9 2 4 年、平 戸 市 生 を築いた。特に最後の奉 まれ。 年に同会へ入会。 仕の場となった小野田老 年 初 誓 願、 年 終 生 誓 願宣立。 初誓願宣立後は、 施設内だけでなく地域や ガブリエラ 年 初 誓 願、 年 終 生 誓 数年前から体調を崩し 入退院を繰り返してい 表現した。 1 9 3 3 年、平 戸 市 生 作 り、生 け 花 な ど を 通 し まれ。 年に同会へ入会。 て「おもてなしの心」を 願宣立。 初誓願宣立後は、 浦 上 修 道 院 を は じ め、伊 リオの聖母修道院で介護 王島、 広島、 神崎、 鹿児島、 た。2011年からロザ 八王子修道院などに派遣 であった。飾らない人柄 年間の誓 を受けながら療養生活を で、得 意 の 料 理 や お 菓 子 月 5 日、修 道 会 本 部 聖 葬 儀 ミ サ・ 告 別 式 は、 願生活であった。 送っていた。 さ れ、調 理 や 教 会 奉 仕 に 携わった。 月 4 日、長 崎 市 三 ツ 山町のロザリオの聖母修 手先が器用で研究熱心 な、常 に 本 物 を 目 指 す 人 道院で逝去。 歳。 (純心聖母会) 山野シヅエ修道女 11 を失うことである。人と 64 76 修道院、 年姫路、 年東 者の月( 月)第1日 曜 る こ と を 願 い、天 上 の 教 に取り立てる嫌われ者。罪人の頭と蔑ま 新しい年を迎えました。 見えなくても、 私を深く愛してくださっている方がい 25 の絆・つながりの土台は、 が髙見三明大司教主司 式 平和と正義を「人間が果 さは全くなくなり、…… 24 掛けている。 全世界の多くの人々に素 により浦上教会で行わ 視」「平和の道 問い続け 徴 自身の戦争責任も直 た す べ き 使 命 」( 2 0 1 広島教区はこの取り組 2年8月号『人』)と捉え、 みを周知させ広く協力を 日 の 午 後、浦 上 教 会 で 大 会と地上の教会の霊的な れ、お金持ちでも心は孤独な彼を、イエス 34 63 神 様 を 愛 し、信 頼 す る こ れ、信者らが共に祈った。 の よ う な も の で、通 過 点 な思想と庶民性」などの 信念 終生揺るがず 鋭利 司教司式のもと行われ て すっかり変えられました。本当の愛の力 たつ や というのでしょうか。 助祭叙階前、福岡キャンパスでの最後の 晩、あ る 神 父 様 の 部 屋 に 呼 ば れ ま し た。 神 さまはわざわざ訪ねます。どれほどの喜 めてみようではありませんか。 14 崎でシンポジウムを計画 き た が、今 回 は 第 1 日 曜 と っ て、忘 れ ら れ な い 大 き な 出 来 事 と な 「 ザ ア カ イ、今 日 は、ぜ ひ あ な た の 家 に 泊 「変わらないで。」どちらも愛情のこもっ ま り た い。 …… 人 の 子 は、失 わ れ た も の を た 言 葉 だ っ た と 思 い ま す が、こ れ は 私 に 捜して救うために来たのである。」 「進藤龍也」という、 代の牧師さんが い ま す。『 人 は 必 ず や り 直 せ る 』 『立ち上 ナ ン バ ー 2 か ら 薬 物 中 毒 に な り、転 落 の ザ ア カ イ と い う 徴 税 人 が い ま し た。 が る 力 』 と い う 講 演 集 が あ り ま す が、こ ロ ー マ の 手 先 と な り、同 胞 か ら 必 要 以 上 の方は前科7犯の元やくざです。組織の 人 生。 し か し、東 京 拘 置 所 の 独 房 で 読 ん 節 ) の 言 葉 に「 あ あ、神 だ「 立 ち 帰 れ 」「 生 き よ 」 と い う エ ゼ キ 章 さ ま は い る 」 と 思 い、あ ま り の う れ し さ エ ル 書( に「 や っ た ー、や っ た ー」 と 叫 ん だ そ う で す。 彼 は 言 い ま す。「 少 年 院 で は、走 っ て、腹 筋 し て、穴 を 掘 っ て、で も そ ん な こ とで性格は変わりません。人は良くなら 父 様 は「 中 野 さ ん、変 わ ら な い で 」 と 話 し び だ っ た で し ょ う。 イ エ ス さ ま は 彼 に、 る。 そ の こ と を 信 じ て、新 し い 出 発 を 始 な い。 人 は 愛 で し か 変 わ ら な い ん だ と、 始めました。「その中野さんを通して救われ 今の仕事を辞めるようにとは一言も言い 僕は言いたい」と。 る人がいるんだよ。 だ か ら お 願 い 。 変 わ ら ら え な が ら 聞 き ま し た。「 変 わ り な さ い。」 ま せ ん。 し か し 彼 は 罪 を 認 め、内 側 か ら 70 16 (ルカ ・5、 ) りました。 東京と福岡の大神学校が合同され、私は 6年のうちの最初の 5 年 を 福 岡 で 過 ご し ま した。神学校では進級や選任、叙階のため、 毎年審査があります 。 年に数回、個別に院長室に呼ばれ、養成者 会 議 の 結 果 を 伝 達 さ れ ま す。 耳 が 痛 い も の で、私 の 場 合、性 格 の あ る 部 分 に つ い て、 「もっと変わりなさい」と言われていまし た。でもなかなか変 わ れ ず 、 5 人 く ら い の 11 74 10 実 施 と な っ た。 死 者 の 月 の 始 め、 月 3日には聖職者のための 11 92 ないで」と。泣きそ う に な る の を 必 死 で こ 神父様方から毎年同 じ 指 摘 を 受 け ま し た 。 20 32 22 16 91 97 58 90 14 27 11 堂で行われた。 12 11 42 40 12 35 65 11 の中にある」と諭し、「亡 10 中野健一郎神父 61 49 23 教 区 の す べ て の 司 教・ である。私たちは生きる 司祭・助祭・修道者・ 信 に も 死 ぬ に も 神 様 の 御 手 31 90 (浦上教会) 10 10 52 11 44 12 33 53 81 みことばにふれて 113 19 70 56 11 11 1 月1日(毎月1日発行) (4) 2015年(平成27年) カトリック教報 1024 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
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