全ての人に信仰を伝える努力を

「教区シノドス公式提言」司祭研修会
年
催 さ れ、約
人 が 参 加 し た。 こ
6月8日(月)午前 時 分
から大司教館で司祭研 修 会 が 開
された。第3会期で最終提言案
弟姉妹への配慮」が優先課題と
ている(遠ざけられている)兄
2会期では「教会から遠ざかっ
◦一般
ボ
ランティアの方々が、惜
しみなく奉仕できるように
6 月 日( 土 ) 時、名 古 屋 教
区司教座聖堂・布池教会で松浦悟
郎 司 教 の 着 座 式 が 行 わ れ、ジ ョ セ
フ・チェノットゥ駐日教皇庁大使
を は じ め 各 教 区 の 司 教 が 出 席、各
れ が「 父 の 家 に 帰 ろ う、そ し て
強調し、努力すべき」と語り、
そ
区民を教え導いた野村純一司教に
は、
始めに、 年の長きにわたり教
ミサの中であいさつした名古屋
か ず ふ み
教区司教総代理の岩崎一二三師
義と平和」活動に関する長い経験
が名古屋教区にも生かされるよう
に と の 期 待 を 語 っ た。 そ し て、今
教様はごあいさつの中で『名古
司 祭 叙 階 式 に つ い て 触 れ、
「司
だ中にあった。
高度経済成長期のまった
る 1 9 6 0 年 代、日 本 は
戦後昭和の代名詞とされ
年4月に行われた布池教会での
屋教区に喜んで来る』というこ
年には
と と、ご 自 分 の 出 発 点 に あ た り
東 京 オ リ ン ピ ッ ク 開 催、
年にはGNPがアメリ
感 謝 す る 』 と 話 さ れ、本 当 に う
の 経 済 成 長 は、日 本 人 に
奇跡」とも呼ばれるこ
カに次ぐ第2位。「東洋の
レゼントしてくださったことに
『神様が新しい二人の司祭をプ
れしく思いました。司教様を信
と っ て、あ る 意 味 で 戦 後
を終わらせる誇りとなっ
頼 し、ご 指 導 の も と に 共 に 歩 ん
ミカエル松浦悟郎司教のモッ
でまいります」と話した。
5 年、当 時
た▲「もう 年にならす
トーは、
「
Pax
et
Justitia
Christi
と で す た い な。
」194
」
(キリストの正義と平
in terris
歳だった女
区新旧代
なる活躍をするよう期待
が、各 評 議 会 の 中 で さ ら
女性が参加する女性部
り、賛 成 多 数 で 承 認 さ れ
いきたいとの提案があ
援の目的で寄付を続けて
動のための啓発活動と支
と か ら、い の ち を 守 る 運
お恵みを与えて奇跡を起
思うとります。
神さまは、
と も、ぜ ん ぶ お 恵 み だ と
こ と も、長 生 き で き た こ
爆したという。「助かった
和がこの地上に)
。
表者ら1
していると励ました。ま
性 は、畑 に 行 く 途 中 で 被
大司教、
女性のさらなる活躍を期待 8 0 人 余
た日カ連の活動の一つで
の一つとして、「メイちゃ
生 に は、た っ た 2 つ の 生
んやったとです」▲「人
こしてくださるとですよ
基金から、4団体に支援
ん の 募 金 箱 」 配 布、来 年
ね。神さまは私を見捨て
教区連合婦人会が教区評
金が贈呈された。
き 方 し か な い。
」アイン
途 に つ い て も、啓 発 活 動
議会女性部へ移行したこ
開催予定の日カ連長崎総
言葉を残している。「一つ
で開催された。
昨年5月、 ある
「いのちを守る運動」 た。この基金の残金の用
と を 受 け、同 会 と し て 最
午 後 は、活 動 報 告・ 決
算 報 告 の 後、女 性 部 移 行
る 生 き 方、も う 一 つ は す
カ連)の深堀邦枝会長の
は奇跡なんてないと考え
シュタインはこのような
午 前 中 は、日 本 カ ト に つ い て 説 明 が あ っ た。 会のために使うことの提
リック女性団体連盟(日 「いのちを守る運動基金」 案があり、
承認された。
べてが奇跡だと信じる生
後の総会となった。
総 会 は、髙 見 大 司 教 司
式の派遣ミサをもって終
に つ い て は、趣 旨 の 中 に
了した。
も目的とする」とあるこ
あ い さ つ の 後、髙 見 三 明 「 支 援 と と も に 啓 発 活 動
大司教が講話。教区の全
ておき、2つの生き方の
き 方 だ。
」彼の真意はさ
いた」と感想を語った。
違 い は、出 来 事 す べ て に
した。ただそのみことば
ま る こ と も あ り、驚 き で
て い ま す。 始 め は、そ の
一日を振り返るようにし
ことがあったのだと思う
出来事を通して伝えたい
ら身近に感じていけたら
と、辛 か っ た、嫌 だ っ た、 ノートの助けを借りなが
か な か 難 し い の で、黙 想
生活していくことはな
て、
「 ユス ト 高 山 右 近 帰
6月 日(月)二十六
聖人記念館ホールにおい
オ・デ・ロヨラの「霊操」 ン ポ ジ ウ ム が 開 催 さ れ、 の信徒発見の知らせを受
の 生 き 方 に は、イ グ ナ チ
殉教を支えたと説明。彼
委員会主催による記念シ
で、中 央 協 議 会 列 聖 推 進
日( 水 ) 大 阪 梅 田 教 会
日( 日 ) 上 智 大 学、
思 う ▲ 1 5 0 年 前、日 本
を向けるかにあるように
その背後の存在にまで目
理 屈 を つ け て 終 わ る か、
右近を支えた〝謙虚さと感謝〟
東京と大阪では、6月
に生きる」というタイト
申し訳なかったという気
ルにまず心を惹かれまし
日の特別な出来事やうれ
高山右近帰天400周年を記念して講演会
教 区 評 議 会 は、今 年 度 の
活 動 方 針「 神 の い つ く し み
しかったことが頭に浮か
講演を行った。
ヴィットヴェル師が基調
す。
」信仰告白はいつも、
私を見捨てんやったとで
を向けたとき。「神さまは
の背後におられる方に目
最 も 腑 に 落 ち る の は、そ
ることは確かだ。しかし
仰伝達に多くの理屈があ
んだといわれる。この信
れを「東洋の奇跡」と呼
け た 教 皇 ピ オ 9 世 は、こ
は、ノ ー ト を 閉 じ る と 忘
が前提にあるという。
践するために「黙想ノート」 つ く し み 深 さ に つ い て、 れてしまい一日心に留め
演会」が開催された。講
天400周年記念特別講
最後に「右近を単なる
模範者として見るのでは
と思います。
な く、祈 り の 仲 介 者 と し
持ちで終わるのではな
師は教皇庁立グレゴリア
く、神 さ ま は ど ん な こ と
る わ け で は あ り ま せ ん。 ナ大学教授・同大学霊性
聖 は、右 近 を 通 し て 働 く
研 究 所 所 長 のアントン・ て見てほしい。列福・列
ん で い ま し た が、毎 日 続
ヴィット ヴェル 師( イエ
け て い る と、自 分 の 失 敗
からでも私にいつくしみ
できない日もやらない日
ておくことは難しいの
を注いでくださっている
も あ り ま す が、な る だ け
で、み こ と ば を 選 ん だ 時
め て 気 づ か さ れ、い い 機
と思えるようになりまし
これまであまり意識した
会になればと黙想ノート
を 発 行 し ま し た。 主 日 の 福
日々の生活の中に神のいつ
た。 ま た、何 も 特 別 な こ
音 を 一 週 間 味 わ い な が ら、 ことがないことにあらた
く し み を 見 つ め、感 じ た こ
黙想ノート―
私の使い方 ① 人記念館館長のデ・ルカ・ 私たちもそのように呼ば
を始めてみました。
ていきたいです。そして
レンゾ師
(同会)
が務めた。 れている。日本の信者た
とを自由に書き留めるノー
神さまのいつくしみの中
ト で す。 黙 想 ノ ー ト を 利 用
変わらず神さまの深いい
に生かされている自分自
宮﨑美和子
ていることを感謝できる
や 嫌 な 思 い を し た こ と、 つくしみの中に生かされ
深堀教会
人を傷つけてしまったこ
出来事を通して示される
(F・O)
感謝と感動である。
「神のいつくしみ」への
24
神 が い る こ と を 伝 え る。
21
ズス会)
、
通訳は二十六聖
に感じた想いを短く書く
ようにしています。する
ヴ ィ ッ ト ヴ ェ ル 師 は、 ちに多くの実りがもたら
右 近 の 霊 性 に 触 れ な が さ れ る よ う、右 近 に 祈 っ
まずノートの後ろにあ
る朝・晩の祈りをしなが
単語をマーカーで塗って
ら、そ の 中 心 と な っ た も
ら 福 音 書 を 読 み、一 つ の
います。一週間同じ福音
身を大切にするととも
し て い る 方 々 に、紙 上 で そ
に、周 り の 人 と も 神 さ ま
て く だ さ い 」 と 結 ん だ。
ようにもなりました。
参加者は
「話し手の声に、
と の 中 に も、「 神 の い つ
のが「謙虚さと感謝」で
身 振 り に、右 近 が 宿 っ て
くしみ」があることに気
のいつくしみを共に生き
あ り、こ の 2 つ が 右 近 の
と、物 事 に 対 す る 自 分 の
づかされました。辛かっ
ていけたらと思います。
書なので飽きるんじゃな
そ し て 寝 る 前 に、今 日
気づかされました。
に日々みことばに触れて
い か な と 思 い ま し た が、 考えや態度にあらためて
昨日は何も感じなかった
みことばが今日は心に留
た こ と も、神 さ ま が そ の
みことばの大切さは分
か っ て い て も、聖 書 を 手
の使用法を分かち合ってい
教区評議会事務局長
ただきます。
下窄英知
私は「神のいつくし み
22
と が な か っ た 一 日 に も、 神さまとの語らいは続け
正 直 に 言 う と、毎 日 欠
かさずノートをつけてい
た。 そ し て、神 さ ま の い
5月 日(日)教区連
合 婦 人 会 総 会 が、各 小 教
の参加を
松浦悟郎司教が着座
得てカトリックセンター
最後の教区婦人会総会
64
◦宣教 社
会の隅に追いやられた
人々の隣人となるように
◦日本 戦
争の記憶が、次世代の平
和につながるように
地から集まった司祭、
修道者、
信徒
による最終
出 か け よ う( 以 下 略 )
」とタイ
ら約1300人が喜び祝った。
提 言 案「 父
( 大 司 教 館 ) 全ての人に伝えることをもっと
の家に帰ろ
教区シノドス提言推進会議
対する感謝を述べ、
松浦司教の
「正
神の
午後からは髙見大司教が提言
実 施 に 向 け て の 注 意 点 を 講 話。
第 2 バ チ カ ン 公 会 議 文 書、特 に
教 会 憲 章 を 精 読 し、価 値 基 準 と
必要に応じて調整・確認・指導
5 月 号 2 ~ 3 面 ) を 作 成 し、第
の 研 修 会 の 目 的 は、教 区 シ ノ ド
1会期において意見を収集。第
ス提言を具体的に実施 し て い く
68
13
トルを変えた理由だとした。
―
いつくしみ
う
人の賛成をもっ
月号3~6面)。
するよう招いた。
を行う。メンバーは教区評議会
ノドス提言推進会議の設置につ
役 員 か ら 選 出 さ れ、他 に 法 務 代
が、行 事 な ど の 諸 事 情 で 時 間 が
言としたことが説明された。「そ
月号3~4面)をもとに、 言 と し て ま と め、こ れ を 公 式 提
理、諸活動部門委員長、修道会・
い て 説 明 し た。 推 進 会 議 は、提
の多くは当たり前のこと。背伸
教育施設・福祉施設・青年の代
言 を 実 施 す る 主 体 を 明 確 に し、
びしなくても始めることができ
表者が加わることが提案され
と れ ず、大 司 教 の 権 限 で 最 終 提
る よ う 作 成 し た。」 ま た「 長 崎
言を3つの基本方針と9つの提
来 な ら ば 提 言 に 対 し て「 教 令 」
質 疑 応 答 に 続 き、下 窄 英 知 師
と い う 形 で 答 え る べ き で あ る (教区本部事務局長)が教区シ
続 い て 髙 見 三 明 大 司 教 が、公
式提言作成の意図を述べた。本
(
て 採 択 し、大 司 教 に 提 出 し た
ス議員 人中
第 4 会 期 で 審 議・ 修 正、シ ノ ド
を 共 に 生 き、伝 え る た め に 」 を
全ての人に信仰を伝える努力を
ドスの経緯とその内容を共有す
公式提言作成の意図
提言書作成過程と
ることにある。
教区シノドス中央委員会委員
長を務めた山脇 守師(司教総代
成過程を次のように説明した。
理・ 滑 石 主 任 ) は、提 言 書 の 作
教皇さまの意向
は家庭で信仰を守り伝えること
アンケートを通して浮かび上
がった教区の課題(本紙201
印刷所
株式会社 藤木博英社
る。 受 け 身 的 な 信 仰 で は な く、 午後3時に終了した。
70
22
発行人
大 水 文 隆
た。6月 日の教区顧問会で審
中央委員会は の提言案( 年
3年
58
12
議・ 決 定 さ れ る こ と を 確 認 し、
14
22
〒 852‐8113
長崎市上野町 10‐34
カトリックセンター内
TEL 095‐843‐3869
FAX 095‐843‐3417
振替口座 01880‐5‐2699
14
に は 長 け て い る が、自 分 の 信 仰
12
13
31
カトリック長崎大司教区
広報委員会
に対する意識が弱いように感じ
11
作成者に選出された古巣 馨師
30
に あ た っ て、司 祭 団 が 教 区 シ ノ
30
10
を生きよう」を具体的に実
70
昭和27年1月12日
第三種郵便物認可
8 月1日(毎月1日発行)
57
1030 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
)
1カ月140
円 年間1,500円(
カトリック教報
(1)2015年(平成27年)
信徒発見150周年と高山右近列福に向けて
これだけのことは知ってほしい(最終回)
七十年目の伝言
に。 被 爆 の 惨 事
とを伝えるため
に耐えぬいたこ
る。 信 仰 の た め
として伝えてい
さまは罪を赦してくださったと思う。
ほ ど い た ら し い。 ま だ す ん ど ら ん で も、神
ち 帰 っ て き た。 ゆ る し の 秘 跡 の た め、 人
つかを母のものとして破れバケツに入れ持
見たのはたくさんのお骨で、その中のいく
体験を「旅の話」 た。見つけに行った姉が天主堂の焼け跡で
公 園 の シ ン ボ ル で あ り、修 学 旅 行 生 の
経 緯 を 述 べ、そ の 上 で「 遺 壁 は 爆 心 地
円の予算で廃墟の一部を移転保存した
を 取 り 壊 す の に 伴 い、同 市 が 1 0 0 万
同教会が新たな天主堂建設のため遺壁
の 中 で 本 島 等 市 長 は、 1 9 5 8 年 に
被爆の実相がよくわかるはず』と川添
『
(遺壁の)所有権を主張するつもり
はない。ただ遺壁は現地にあった方が
大ゴミの捨て場のようだ。
然と置かれ、
貴重な資料というより、
粗
構群も公園の片隅にひとかたまりに雑
いうことだったらしい。
度壊そうとした物を何をいまさら」と
と現状を説明した。市側の本音は「一
これは1990年7月3日の西日本新
について問題をつきつけたといえる。
」
で の、そ し て 今 後 の 遺 構 保 存 の あ り 方
フ ィ ー ル ド 学 習 と し て 定 着 し て い る 」 猛・同教会主任は語る。同市のこれま
「昭和の浦上崩れ」には2人の司祭がい
たことも伝えておく。主任司祭の西田三郎
聞朝刊からの抜粋である。
の中で信徒とし
神父と平戸から手伝いにきていた玉屋房吉
そ こ で、当 時 の 主 任 神 父 が し て く れ
た 秘 話 を 残 す こ と に す る。 1 9 5 8
てどうだったの
かも語り残して
神 父 で、と も に 浦 上 出 身 で あ る。 告 解 場 の
猛
お い て い た だ き た い。 こ れ か ら
跡で見つかった遺骨は、焼け残ったスータ
長崎教区司祭 川添
書 き 残 そ う と す る の は、そ の 中
お れ が 9 歳 の と き 父 が、小 学
1年の弟は後を追うようにその
ましたか。
教会の信者さんの目に、気になる動きがう
のうわさを耳にし、最後に駆け付けた大浦
ん た ち が 出 て、西 田 神 父 を 探 し 始 め た。 こ
被害の小さかった近隣の教会から信者さ
れを市側が業者に頼んで勝手に運び出
いた。境内のどこかに残すために。そ
遺壁の一部を3つに切断し下ろしてお
神父は遺壁のすきな部分を移転する許
「その頃、
牛馬の商人であった戸村若
助氏は長崎まで牛を運搬船で運んで
は そ の 後 な ん の 返 事 も な か っ た の で、 が載っている。
可 を 市 側 に 伝 え た。 し か し、市 側 か ら
い た が そ の 帰 途、浦 上 天 主 堂 の 原 爆 に
れについての次のような興味深い記事
月1日発行の「鯛ノ浦小教区史」にそ
ンのボタンと無事に帰っていた信者さんた 年、市 議 会 は 廃 墟 の 保 存 を 決 議 し た が
1 9 4 8 年、川 口 善 助 神 父 は 鯛 ノ 浦
ち の 証 言 で、玉 屋 神 父 の も の と わ か っ た。 新 教 会 建 設 の た め 折 り 合 い が つ か ず、 教会の改築に着手した。2004年3
2 カ 月 後 に 亡 く な っ た。 除 隊 し
つった。レンガの残骸のすき間を出入りす
神父さまの家族はどうなり
日 の 東 京 空 襲 で だ め だ っ た。 る何匹かのハエである。そこに西田神父の
た 兄 は 大 神 学 校 に も ど り、 4 月
―
のひとつである。
60
の姉はトラピストのシスターじゃった。お
所 に な い と 訴 え る 力 が な い ね。
」これが記
思 い ま す か。」「 あ の て の も の は、あ る べ き
くめて、爆心地公園にある被爆遺構をどう
ことの発端は新聞記者のインタビューで
あ る。「 神 父 さ ん、旧 浦 上 天 主 堂 の 遺 壁 も ふ
に 挟 ま れ て ま っ た く 目 立 た な い し、三
浦中の水タンクはうっそうとした樹木
威 張 れ る も の で は な い。 例 え ば、旧 瓊
も『シンボルとして定着している』と
「だが、
同遺壁も含めて爆心地に置か
れている被爆遺構群の取り扱いはとて
る旧浦上天主堂の遺壁がそれである。
題は封印された。いま爆心地公園にあ
た の で、寄 贈 と い う こ と に し て こ の 問
し、問 題 に な っ た。 市 側 が わ び を 入 れ
業学校の1年生で 歳。被爆者健康手
歳、書 き 手 は 油 木 町 に あ っ た 長 崎 商
ている。
」
身 的 な 協 力 を し た。 今 も そ の 煉 瓦 に
えて、
五島まで搬入するという、
実に献
資 材 に と 思 い 立 ち、浦 上 教 会 の 了 解 を
よって瓦礫となった煉瓦を教会改築の
原 爆 投 下 の 4 カ 月 前 の こ と よ。 遺体があった。
れがひとり生き残っとる。
事になり「浦上教会が遺壁の返還を市に要
は、その指導をひそかに行っていたが、自葬
事件がきっかけで「浦 上 四 番 崩 れ 」 と い わ
れる大検挙を引き起こ し た 。 キ リ シ タ ン は
カ所に分けられ移送
―
あの日はどこにいましたか。
くれ』が最後のことばだったらしい。3人
『先に天国へ行くと母に伝えて
職工学校を卒業し、三菱兵器製作所の大
橋工場に出勤しとった。母とあとでトラピ
帳 の 恩 典 に あ ず か り な が ら、大 司 教 館
1990年の6月定例市議会の一般質問
解だったのに。
旧天主堂の遺壁秘話
ストに行く姉との3人暮らしでね。 時
で余生を過ごしている。
に帰ったけど、なにもなかったよ。
お母さんは無事でしたか。
この記事の語り部は
年前のあの日
道 会 ) の 指 導 の も と、
―
よって構築された塔は威風堂々と残っ
総 流 罪 と な り、 藩
菱製鋼所ビルのらせん階段は地べたに
タンたちの信仰表明を受けた宣教師たち
されたのである。慶応 4 年 か ら 明 治 2 年 に
無 造 作 に 放 置 さ れ た う え、案 内 板 は な
話 」 と し て 子 ど も や 孫 た ち に 語 り 伝 え た。
ち が、ネ パ ー ル で 貧 し い
人の司祭が参加した。
信仰の継承を願って。
人々に奉仕する私に共感
山内堅治師(聖パウロ修
12
牧生活を見つめる助けに
ぎらいの言葉から始まっ
た黙想会。山内師は「召
つ の テ ー マ を 掲 げ、宣 教
休 め な が ら、皆 さ ん の 司 「 聖 母 マ リ ア 」 と い う 7
されていること」
「信じ
け ら れ た が、地 域 の 人 々
を見てきた。
」
なった。
牧生活を見つめる機会と
と 体 を 休 め な が ら も、司
や 司 牧 談 義 を 通 し て、心
聖 堂 で は 共 に 祈 り、食 事
参加者たちは個室で静
か に 黙 想 の 時 を 過 ご し、
を交えながら講話した。
か り に、自 身 の 司 牧 体 験
者パウロのことばを手が
ちの教育に身を投じ、「み
語った。
静かな語りの中に、
揺る
ぎない確信を届けようと
事の一つ一つに
『み摂理』
「 家 庭 で『 ご 聖 体 よ り
も尊いものはない』と教
祭たちにあらためて摂理
す る 講 話 は、参 加 し た 司
立山修道院 イエズス
会立山修道院での黙想会
への信頼を呼び覚ました。
え ら れ、司 祭 に な り た い
を 迎 え、イ エ ズ ス 会 の ア
験に委ねた。広島で終戦
いただくために軍隊の経
い て、召 し 出 し を 決 め て
が時代は戦争に向かって
ことを深く心に刻んだと
摂 理 に 信 頼 し て 生 き る 」 が弁護してくれた。出来
10
郞 師( イ エ ズ ス 会 ) や 広 島 学 院 の 教 え 子 た
は、6月9日(火)~
が指導。自身の召命体験
し、惜 し み な い 支 援 を し
日(金)の日程で行われ、 なれば幸いです」とのね
姉 は 帰 っ て き た が、母 の 姿 は ど
こ に も な か っ た。 翌 朝、大 怪 我 を
と、イ エ ズ ス 会 が 経 営 す
ル ペ 神 父 に 出 会 い、導 か
被爆体験の記憶をど う 継 承 し て い く の か
が問われているという 。 核 兵 器 の 非 人 道 性
した隣のおばさんが来て「お母さ
る日本の学校で教育に
「希望すること」
「 頭 を 使 う 講 話 で は な ること」
く、ゆ っ た り と ゆ る い 話 「愛すること」「祈ること」
26
れていった。
」
「栄光学園
を具体的に世界へ伝え る こ と が 被 爆 証 言 の
祭は都合のよい日程に合
んは外出着でわたしの家の前を通
今年の黙想会は5月と
り、教 会 の 方 へ 行 き よ っ た バ イ 」 6 月 の 2 回 が 組 ま れ、司
」
にします。ゆっくり体を 「 奉 献( さ さ げ る こ と )
大木章次郞師(右)
教館を会場に行われ
目 的 で あ ろ う。 で は、核 兵 器 を 使 用 し な い
と 知 ら せ て く れ た。 次 の 日、こ の
てくれた。布教を禁じる
日ばかり燃えとっ
29
た黙想会は大木章次
戦争に非人道性はないのか。「原爆の被害を
同国で布教した疑いをか
お母さんはどうなっていたの
めの。教えてくれたおばさんの話
上天主堂は
10
山内堅治師
教区司祭黙想会
強調することで日本は 『 侵 略 の 歴 史 』 を 否
携 わ り、後 に 志 願 し て ネ
き な 臭 い 話 は さ て お き、 年 前 の 8 月 9 日
宗教的洗脳、重労働、拷問、飢え、疫病などの
で あ っ た。「 旅 」 に 出 た キ リ シ タ ン た ち は、 とったとは間違いないと思う。浦
は「 四 番 崩 れ 」 に つ ぐ「 昭 和 の 浦 上 崩 れ 」 と 合 わ せ て み て、母 が 告 解 に 行 っ
70
その日は橋口町の告解日になっ
の か 知 ら な い が、ど ん な 時 代 に も、政 治、経
済、戦 争 な ど の 裏 で 暗 躍 す る 勢 力 は あ る。 とった。8月 日のお祝い日のた
ですか。
―
で被爆したとさ。
めのカカラの葉を取りに行く途中
パールの貧しい子どもた
昭和の浦上崩れ
年前のあの原爆は、はじめから浦上を
狙って投下されたと説 く 外 国 人 が 最 近 あ ら
わせて参加した。
70
おばさんは亡くなった。母の最後
13
19
定し、加害者の立場をうすめようとしてい
40
る」と反論する国もあ る 。
11
の 姿 を 教 え た く て、一 日 だ け 生 き
大司教館 5月 日
とったと思っとる。お祝い日のた ( 火 ) ~ 日( 金 )、大 司
んと直接張り付けられている。他の遺
求」ということにまでなった。個人的な見
潜伏キリシタンと宣教師の劇的再会は
「 信 徒 発 見 」 と し て 知 ら れ て い る。 キ リ シ
(写真:鯛ノ浦小教区史)
教会の塔
分ごろ長崎市橋口町208番地にあった家
旧浦上天主堂の煉瓦で作られた旧鯛ノ浦
か け て の こ と。 こ の 一 村 総 流 罪 を 彼 ら は
22
「旅」に出たといい、この間のことを「旅の
20
わ れ、取 材 し て い る ら し い。 何 を 言 い た い
70
石 碑
文字彫刻
墓地工事
リフォーム
墓地分譲
11
15
8 月1日(毎月1日発行) (2) 2015年(平成27年)
カトリック教報
1030 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
司教に岡田武夫大司教
( 写 真 )。 こ の 変 更 は、待
された部分を確認した
した。髙見
三明大司教 (東京)が選出された。
信仰生活とおしゃれ
ことで 内
行われた。
講師は、「日常、
面 を 磨 く 」 体の ㌫以上は衣服で覆
く演出することによっ
われている。この衣服を
とするメッセージをより
年度 定 例司教総会
ホールで開催された。
真剣により高く評価して
私たちの中身にふさわし
講 師 は、ア メ リ カ の
ニューヨークなどを拠点
がカトリッ
6月 日(日)
、
長崎中
地区評議会女性部主催の
にイメージ・コンサルタ
クセンター
司教の集い 6月 日
に発行された小冊子「新
司教勉強会 専門家を
招 き、「 日 本 の カ ト リ ッ
外見を正す
講 演 会「 信 仰 生 活 と お
長崎中地区女性部の講演会
しい『ローマ・ミサ典礼
ク教会と脱原発」につい
日)
信徒発見1
書の総則』に基づく変更
て学んだ。
降節第1主日( 月
50周年を機に長崎
箇 所 」 に し た が っ て、実
―
躍するルラ・キア氏。講
ントとして世界各地で活
よ い か と 問 い 掛 け、語 っ
どのように示していくと
べ、カ ト リ ッ ク 者 と し て
もらうことが可能」と述
しゃれ
見三明大司教。 に背いて(善悪の知識の
演は逐次通訳(通訳者=
から実施される。
で開催された教区シ
際 に 聖 堂 に 移 動 し、変 更
は、日 本 の
ノドスの経緯と目的
木の実を)食べてしまっ
で な く、簡 単 に 判 断 し た
た。これが最初の罪です」 長与教会・登立登喜子さ
りマスターしたりできる
あいにくの雨
ユーモアに、
笑ったり、
深
で、親 子 で 話 し て い か な
の中、約130
くうなずいたりしながら
ものではない。知性も自
た。最後に
「
『ファッショ
て、私 た ち が 送 り 出 そ う
に つ い て 報 告。 広 島
最初の罪とは何か
大司教を講師に公開聖書講座
髙 見 大 司 教 は、ま ず 創
世記全体の構成を説明し
制心も求められる」と話
ければと思った」との声
また野村純一司教(名
古 屋 ) の 引 退 に 伴 い、後
訂
正
す。 制 限 に よ っ て、自 分
も通じるように感じま
くなってしまう。現代に
無視する。神様が見えな
たされてしまって相手を
自 分 の も の に す る と、満
置いた。人間はすべてを
いけませんよ』と制限を
次回の公開聖書講座は
9月 日(日)を予定し
す」と謝辞を述べた。
機会となればと思いま
が聖書により深く触れる
ます。この公開聖書講座
知ることができたと思い
罪 と 原 罪 に つ い て、深 く
ま す が、今 回 特 に 最 初 の
られている箇所だと思い
ちな年頃の娘がいるの
スメディアに惑わされが
が、
良い内容だった」
「マ
るのか正直疑問だった
聴講者からは「信仰生
活とおしゃれは関係があ
と語った。
感じられ、
エレガントだ」 月 日㈭に訂正します。
はとても親切で心遣いが
講 演 後、
「長崎の人たち
本紙6月号4面の記事
に、長与町議・金子 恵氏
〈2015統一地方選〉
す る に は、家 庭 か ら 始 め
県議・里脇清隆氏の所属
コ ラ ー レ 主 催、教 区 家 庭
部分は神様がしてくださ
共 に 愛 す る な ら、残 り の
ります。私たちが祈りと
び申し上げます。
す。関係者の皆様にお詫
を水主町教会に訂正しま
▼被爆 周年展『聖母が
松 山 町 原 爆 落 下 中 心 地。
雨天=カトリックセン
会主催。
▼平和祈願祭 8月9日
時から浦上教会でミ
㈰
サ。
時から平和公園へ
たいまつ行列(※雨天中
止)
。
▼イエズス会立山修道院
日 ㈬。
⃝祈りの日々 9月 日
㈯~ 日㈰。初日 時~
時~
時 半。
なければなりません。私 (長与教会所属)を追記、 お知らせ ⃝祈りの一日
①8月 日㈬ ②9月
たち一人一人に責任があ
委員会共催による「家庭
きな拍手が沸き起こっ
く く ら れ、会 場 か ら は 大
言葉でプログラムは締め
います」という励ましの
人が参加した。
講 師 は、フ ィ リ ピ ン の
マニラ大司教区・元家庭
ぶどう園
の つ ど い 」 が 行 わ れ、約
ヴィララザ夫妻を招き「家庭のつどい」
6月 日
(土)
カトリッ
ク セ ン タ ー 講 堂 で、フ ォ
本紙6月号1面の「選
任式」は、2016年3
の 不 足 を 認 め、神 様 か ら
教会と社会の刷新は家庭から
創られた者であることを
ている。
ン 』 は 奥 が 深 く、表 面 的
た 後、原 罪 の も と と な っ
聴き入っていた。
した。
ん)で1時間半にわたり
6 月 日( 木 ) カ ト
リックセンターホールに
た最初の罪について解説
生涯養成委員会委員長
の谷脇誠一郎師が「創世
聴 講 者 は、時 折 交 え る
大司教の身近なたとえや
おいて、公開聖書講座「最
した。「神様は『全部食べ
記 の こ の 部 分 は、よ く 知
人が参加した。
設立100周年に当
創世
な さ い。 た だ し、善 悪 の
り、広島使徒座代理区
たる2023年に列福
初の罪とは何か
知識の木からは食べては
任の財務委員会委員長に
意識しなければいけない
の に、最 後 は 神 様 の 命 令
が暮らす6畳と4畳半の二間
で、 セ ン チ ほ ど の 御 心 の キ
リスト像があった。二十数年
来、
信徒が集い祈る場所で、
自
業員の姿を頻繁に見かけた。
然と家御堂と呼ぶようになっ
翌日 時半。
℡095‐821‐4577
▼聖母平和祈願祭・日本
の信徒発見150周年記
念 劇『 そ し て サ ン タ・
み た 原 爆 』 開 催 中。 浦
と命の委員であり、
長年、 た。
家庭の問題に携わってき
参 加 し た 方 々 か ら は、 上キリシタン資料館。
た カ ル ロ ス・ エ ド ナ
感 謝 の 言 葉 や、
「 勇 気 を 時~ 時。月曜休館(※
ヴィララザ夫妻(写真)
。 もらった」
「 愛 す る こ と 月曜が祭日の時はその翌
日~ 月
教 を 問 う 欄 が あ り、そ れ に よ っ
が一番大切だと分かっ
員が3人も暮らしていた。6畳
軍艦島にはカトリックの信徒
一 間 に 大 の 男 が 4 人 と は ……。 も多数いた。当時は履歴書に宗
た」
などの声が聞かれた。 ℡095‐807‐5646
言葉にならなかった。意気消沈
部 屋 は 6 畳 一 間 で、す で に 作 業
パ ー ト を 喜 ん だ の は そ こ ま で。 閣 に 向 か い、両 手 を 合 わ せ る 作
―
行われた(教区生涯養成
告があった。 そ の 他、 記2章・3章を読む」が
を実現させたいとの報
委 員 会 主 催 )。 講 師 は 髙
の 改 訂、 年 度 カ ト リ ッ
年3月まで継続す る
活動を震災から 年と な
梅村昌弘司教(横浜)が、
が聞かれた。ルラさんは 〈2015年度行事予定〉 ター。長崎県宗教者懇話
学校教育委員会、青年
する報告が行われた。
連絡協議会などに関
する方針を固めてお
福・ 列 聖 調 査 を 開 始
人の信徒について、列
配流され殉教した
教区からは、津和野に
髙見大司教、教区シノドスを報告
東京・江東区の日本 カ
トリック会館で6月 日
審議事項
年に発表
された司教団メッセージ
15年度の定例司教総 会 『 い の ち へ の ま な ざ し 』
が行われた。
を審議、承認された。
る
エキュメニズム部門責任
ク中央協議会収支決算書
報告事項 東日本大 震
災復興支援担当の菊地
と 述 べ、地 元 に 根 付 く 活
功 司 教( 新 潟 ) は、支 援
動へつなげていきたい と
司祭不在の軍艦島で
信仰を支えたコンフラリア
2人は「家庭の上にある
回(9月
日
▼教区結婚講座 9月1
日の毎週火曜
SASEBO。
日㈯
マリアがいた』 8月
時 開 演、ア ル カ ス
呼ばれ、8名の年配の女性た
神の愛のご計画」につい
たという。老人は宿老さんと
ち が 宿 老 さ ん を 補 佐 し、祈 り
日)
。
の 先 唱、子 ど も が 誕 生 す る と
て信徒の数を把握していた。
(2007年撮影)
家御堂の御心のキリスト像
し て い る と こ ろ へ、荒 く れ 先 輩
たちからのご
託宣。「若造は
8月8日㈯
時、長 崎 市
▼原爆殉難者慰霊祭
月3日を除く)
。
▼大村殉教祭 9月6日
時、
大村市民会館。
教 会。教 区 平 和 推 進 委・ ンター。申込先・教区家
と
22
19
ンツォ殉教祭 9月 日
時、田 平 町 焼 罪 史 跡
㈰
公園。雨天時、
田平教会。
20
事 務 所 に 着 く と、爪 と 髪 毛
を切り履歴書にセロテープで
日の連続
留 め る よ う に 促 さ れ た の で、 押 し 入 れ で 寝
▼NAGASAKI平和
から声がかかった。
て、教 会 の 教 え に 基 づ き
ろ」
な が ら、自 身 の 具 体 的 な
理 由 を 尋 ね る と、「 1 0 0 0
洗 礼 を 授 け、臨 終 の 枕 元 で は
メートルの地下で働く労働者
完 全 な 痛 悔 を 呼 び か け、葬 儀
「私の事務所でデスクワー
クを手伝ってくれ。サ ラ リ ー
時~ 時。カトリックセ
仕事は 時
間 3 交 代 で、
を願うコンサート 8月
時 半 開 演、城 山
事務所の明か
2日 ㈰
が 事 故 に 遭 遇 し た 時、遺 体 を
実践を交えて話した。
収容できない惨事も過去に
も行われた。
は一般労働者の倍だ」
℡095‐842‐4450
次 回 か ら は 具 体 的 に、日 曜
日 の 集 会 の お 祈 り、ラ テ ン 語
▼原爆・すべての戦争犠
りが消えるこ
同コンサート実行委主催。 庭委員会。
とはなかっ
続 い て、長 崎 在 住 の 3
組の夫婦による経験の分
あった。家族に遺品として渡
かち合いが休憩をはさん
す た め だ 」。 一 瞬 言 葉 が 詰 ま
㈰
甘い言葉に心が動い た 。 親
方 に 全 幅 の 信 頼 を 寄 せ、軍 艦
牲者追悼ミサ 8月6日
㈭ 8 時、浦 上 教 会 被 爆 マ
島に向かった。島に近 づ く に
トによる演奏も披露され
▼福者カミロ・コンスタ
で あ り、ギ タ ー と フ ル ー
軍 艦 島 の 北 側 に 端 島 神 社、南 部
リア小聖堂。教区平和推
の洗礼式などを紹介します。
に禅宗のお寺「泉福寺」があり、 現 れ た。「 軍 艦 島 に 教 会 は な か
進委員会主催。
た。命懸けで働く労働者が心の
教会がなかったので日曜日
拠 り ど こ ろ と し た の が 神、仏。 は ゆ っ く り 休 め る ぞ、内 心 そ う
従 い、島 の シ ル エ ッ ト は ま さ
アパートは事務所のすぐ裏
手 に あ り、軍 艦 島 名 物 の 三 〇
「教会や社会を新たに
* 写真は長崎市の許可を 師の2人が答えた。
得て撮影
た。 そ し て、参 加 者 か ら
り、鳥肌が立つのを覚えた。
し く 戦 艦 だ。 大 正 年 間、新 聞
号棟。今から 年前の大正5
12
15
出された3つの質問に講
神ノ島教会 木場田友次
社2社が端島の2本の 煙 突 は
15
16
80
思 っ て い た 矢 先、一 人 の 老 人 が
戦艦を彷彿させると報 道 し て
10 12
10 17
28
ば っ て ん、『 家 御 堂 』 の あ っ と
20
15 13
13
11
21
29
以 来、今 日 も 端 島 を 軍 艦 島 と (1916)年に建築された、 お寺にはお坊さんが常駐してい
18
16
11
13
14
11
ぞ。」 そ こ は 老 人 と 3 名 の 家 族
7階建ての日本初の高層ア
14
14
10
17
15
24
70
27
15
た。 出 勤 途 中、足 を 止 め 神 社 仏
呼ぶ人が多い。
19
99
10
60
10
年 前 の 正 月、軍 艦 島 で 親
方として働く遠戚のお じ さ ん
40
21
50
11
37
(1)
27
01
15
(月)~ 日(木)、20
8 月1日(毎月1日発行)
18
1030 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
カトリック教報
(3)2015年(平成27年)
世 は、公 会 議 開
戦後
年 の 今 年 は、第 2 バ チ カ ン 公 会 議
(1962~ 年)が閉幕して 年にあたる。公会
議を招集した当時の教皇ヨハネ
幕の年に起こった「キューバ危機」
(冷戦下にあっ
た米ソの緊張が核戦争寸前まで高まった状況)の
際、平和のアピールを行い、危機回避に大きな役割
を果たしたという。翌 年、教皇は回勅『パーチェ
なった。
り で あ る『 現 代 世 界 憲 章 』 に 引 き 継 が れ る こ と に
宛 て ら れ た こ の 回 勅 は、第 2 バ チ カ ン 公 会 議 の 実
リック信者だけでなく、「善意あるすべての人へ」
ム・ イ ン・ テ リ ス ―― 地 上 の 平 和 』 を 発 布。 カ ト
63
言われた聖ヨハネ 世。また、被爆者に対するメッ
「わたしには、平和という善のために努力を惜し
まず行う任務があります」(『地上の平和』 )と
89
日 ) と 語 っ た 聖 ヨ ハ ネ・
26
パウロ2世。現教皇フランシスコも今年3月 日、
ム に お い て、 年 2 月
力のあるアピールなのです」
(恵の丘長崎原爆ホー
ピ ー ル ―― 戦 争 反 対、平 和 推 進 の た め の 最 も 説 得
べての善意の人に向けられた最も説得力のあるア
セ ー ジ の 中 で「 皆 さ ん の 生 き ざ ま そ の も の が、す
23
9 7 0 年 代、多 く の 被 爆
り組む。「1
の継承に取
と被爆体験
被爆2世
の健康問題
だった近所の人が突然倒
の 当 た り に し た。「 元 気
し、急 逝 す る 被 爆 者 を 目
母親は大浦で被爆。小
学 校 入 学 時、坂 本 町 に 越
の健康診断以外はない。
対する国の施策は年1回
している。現 在、2世に
和大使派遣開始当初は国
高校生1万人署名活動
の若い世代とも連携。平
けにはいかない。
めることをあきらめるわ
だ が、国 へ 援 護 施 策 を 求
く。2世の全体数は不明
く な る 人 も い て、今 も 続
去 2 回、現 地 で 交 流。「 被
への不安は消えない。過
意見は二分。しかし影響
福島第1原発の放射線
被害については専門家の
の転換点がきっとある」
絶を目指したい。平和へ
世 に つ な い で、核 兵 器 廃
和 の 発 信 は、長 崎 の 使 命
が多い世界に向けての平
えるか。カトリック信者
し て ど う と ら え、ど う 考
「被爆 年の今年、
日本
は戦争への道を歩もうと
話せない」状態だった。
人
2世が白血病で亡くなり
長崎県被爆2世の会
ました。初めは被爆者が
子 ど も の 健 康 を 心 配 し、
厚生省に被爆者と同様に
援護施策を行ってほしい
と 要 望、運 動 が 始 ま り
している。現実を信者と
だと思います」
最近心に残った教会で
の出来事は、
「
(諫早教会
出身の)稲田神父様が叙
れ、夜 に は 遺 体 に な っ て
ブ ラ ジ ル の サ ン パ ウ ロ、 う。 行 政 に し て み れ ば、 ない。頑固』と言われて
ジュネーブへ。
その後は、 ばくの)影響は出ると思
連本部・ニューヨークと
爆2世の立場として(被
の言ったことを絶対まげ
が、
「子どもの頃、
『自分
階 さ れ た こ と 」 と 笑 む。
帰 る。 放 射 線 の 影 響 は
フ ィ リ ピ ン、韓 国 で の 被
会長 丸尾育朗さん
怖 い と 思 っ た。 私 自 身
私たちは不安を助長させ
ました。家内
(京子夫人)
穏やかな笑顔が印象的だ
験で報告されているが、
日
放射線の遺伝的影響に
ついてはマウスな どの実
は、大 き な 病 気 は な か っ
年近くになります」
影響研究所はホームペー
米共同研究機関の放射線
からも言われますが……」
諫 早 教 会 所 属。 歳。
長崎教区平和推進委員。
と話す。
る人間。現地の人たちは
た く な い、差 別 を 受 け る
爆者団体や地元高校生と
から。こちらからは何も
の交流にも同行。世界の 『 ヒ バ ク シ ャ』 と 呼 ば れ
中で核兵器反対の声の広
た。
」被爆2世は被爆者
がりを感じる。「2世、3
である親の姿をずっと見
て き た。 ま た、健 康 に 不
もに臨床的または潜在的
安を抱える人や病気で亡
ジで「原爆被爆者の子ど
拠は得られていない」と
な影響を生じたという証
第2バチカン公会議後のカトリック教会
は、
フランシスコ現教皇にいたるまで、
人間
響かないものは何もない」 。
なことがらで、キリストの弟子たちの心に
と 希 望、苦 悩 と 不 安 で も あ る。 真 に 人 間 的
人々のものは、キリストの弟子たちの喜び
2 バ チ カ ン 公 会 議 の『 現 代 世 界 憲 章 』 は、 らの切なる願いであり、人類全体にとって
く 考 え ら れ ま せ ん 」 と 述 べ て い ま す。 第
害された権利回復の手段になるとはまった
ヨハネ 世教皇は回勅『地上の平和』に
お い て「 原 子 力 の 時 代 に お い て、戦 争 が 侵
対する姿勢を次第に鮮明にしてきました。
軍拡競争や武力による紛争解決に対して反
り、宗教者としていのちを尊重する立場か
てキリストの福音そのものからの要請であ
こ と で す。 戦 争 放 棄 は、キ リ ス ト 者 に と っ
一方、
世界のカトリック教会では、
東西冷 す」にも、はっきりとした戦争に対する拒
戦、
ベルリンの壁崩壊などの時代を背景に、 否が示されています。
とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる
日本カトリック司教団はこれまで、19
95年に『平和への決意――戦後五十年に
のいのちと尊厳の問題、とくに抑圧された
「 皆 様 の 平 和 運 動、と り わ け 年 前、第 2 次 世 界
大戦の終わりに広島と長崎の人々が受けたはかり
しれない苦しみを世界に伝えようとする皆様の努
軍拡競争に反対し、軍事力に頼らない平和
を強く求めました 。1981年、ヨハネ・
に向き合おうとしています 。
2 戦
争放棄への決意
1945年までの日本の朝鮮半島など
に対する植民地支配、中国や他のアジアの
パウロ2世教皇が広島で語った平和アピー
ル の こ と ば、
「 戦 争 は 人 間 の し わ ざ で す。
戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死で
戦 の 理 念 を 支 持 し、尊 重 す る の は 当 然 の
1986年9月 日、東京で開催された
アジア司教協議会連盟総会のミサにおい
あります。
対する深い反省から生まれてきたものでも
く戦前・戦中に日本の教会がとった姿勢に
したことにもよりますが、それだけではな
ん日本が広島、長崎で核兵器の惨禍を経験
訴 え 続 け ま す。 こ の 使 命 の 自 覚 は、も ち ろ
としてではなく、
人間の問題として、
平和を
ではありません。わたしたちは政治の問題
何らかの政治的イデオロギーに基づく姿勢
日本カトリック司教団は、特別に平和の
ために働く使命を自覚しています。それは
3.日本の教会の平和に対する使命
の手放すことのできない理想なのです。
(5)
アド・リミナ中の日本司教団に次のように語った。
あたって』、また2005年には『非暴力に
人や排除された人の問題に真剣に、積極的
年 を 迎 え る 今 年、こ こ に 改 め
23
ならびに平和を願うすべての方々へ
力 に 対 し、心 か ら 感 謝 し ま す。 こ れ ら す べ て の 活
よる平和への道――今こそ預言者としての
し た。 戦 後
て平和への決意を表明することにいたしま
す。
1 教会は人間のいのちと尊厳に関する
問題に沈黙できない
日本人にとっても第2次世界大戦は悲惨な
国々に対する侵略行為はアジアの人々に大
体験でした。1945年3月 日の東京大
きな苦しみと犠牲をもたらしました。
また、
年という記念
カトリック教会にとって今年は、196
2年から1965年にかけて行われた第2
バチカン公会議の閉幕から
(4)
なぜなら、それは相互理解をはぐくみ、共通善に向
け た 協 力 を 促 進 す る と 同 時 に、福 音 を 告 げ 知 ら せ
る た め の 新 し い 道 を 切 り 開 き、こ れ か ら イ エ ス・
キリストと出会う人々を招いているからです」
(カ
トリック中央協議会訳)。
教皇が世界に向けて発信し続ける平和のメッ
セージを受け留め、また、自らも平和への願いを祈
り と 行 動 に 託 す 日 本 の 教 会。 今 年 2 月 に 発 表 さ
年司教団メッセー
世 紀の 前 半、 空襲をはじめ、日本の多くの都市への大規
戦によって日本や外国の兵士だけでなく、
すべき 年 に も あ たり ま す。
多数の民間人が犠牲になりました。そして
ヨーロッパを 中 心 と し た キ リス ト 教 会 は、 模な空爆がありました。沖縄における地上
ヤ人の大量虐殺などを経験しました。これ
渇 望 が 生 ま れ、主 権 在 民、戦 争 放 棄、基 本 的
2つの世界大戦やナチスドイツによるユダ
人権の尊重を基調とする日本国憲法が公布
8月6日広島への原爆投下と8月9日長崎
問題を自分の問題として受け止めなければ
への原爆投下。これらの体験から平和への
ならないと自覚するようになりました。第
的 な 領 域 に 閉 じこも るのでは な く、人 類の
ジ「 平 和 を 実 現 す る 人 は 幸 い ―― 今 こ そ 武 力 に よ
表された司教団メッセージと合わせて小冊子とな
り、 5 月 に 発 行 さ れ た。 長 崎 教 区 で は 全 世 帯 に 配
布され、理解を深める研修会も計画されている。
セージと、長崎から平和を伝える動きを振り返り、
年、アジアの諸国と
のような文章ではっきりと示されています。 の 信 頼・ 友 好 関 係 を 築 き、発 展 さ せ た い と
和憲法をもとに戦後
さ れ ま し た( 1 9 4 6 年 )
。日本はこの平
らの 悲 劇の反 省 か ら 教 会 は、いわゆ る 宗 教
ら な い 平 和 を 」 は、 1 9 9 5 年 と 2 0 0 5 年 に 発
れた日本司教団による戦後
(2)
10
2バチ カン 公 会 議 の 終 わ り に 発 表 さ れ た
現代に生きるカトリック信者として平和の実現
に 向 け 何 が で き る か、何 を す べ き か。 司 教 団 メ ッ
(3)
(1)
『現代世界憲章』の冒頭には、
その自覚が次
教区広報委員会
70
た 悲 劇 に つ い て、神 と ア ジ ア・ 太 平 洋 地 域
ても、日本が第2次世界大戦中にもたらし
は、
日本人としても、
日本の教会の一員とし
う に 述 べ ま し た。「 わ た し た ち 日 本 の 司 教
て、白 柳 誠 一 東 京 大 司 教( 当 時 ) は 次 の よ
26
20 50
「 現 代 の 人 々 の 喜 び と 希 望、苦 悩 と 不 安、 願って歩んで来たのです。
聖ヨハネ 23 世
70
70
70
以上の歴史的経緯を踏まえるならば、わ
たしたち日本司教団が今、日本国憲法の不
動 に お い て、皆 様 は 共 同 体 の 必 要 に 対 処 す る だ け
役割を』というメッセージを発表してきま
キリストにおける兄弟姉妹、
70
で な く、教 会 と 社 会 の 対 話 を 深 め る た め の 機 会 も
日本司教団のアド・リミナ(2015年3月20~26日・バチカン)
生 み 出 し て い ま す。 こ の 対 話 は 極 め て 重 要 で す。
20
67
65
81
40
50
23
70
戦後 年の今とこれからを考える機会としたい。
70
8 月1日(毎月1日発行) (4) 2015年(平成27年)
カトリック教報
1030 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
戦後70年 司教団メッセージ
平和を実現する人は幸い
―今こそ武力によらない平和を
8 月1日(毎月1日発行)
間、民族間の対立、宗教の名を借りた紛争が
の兄弟たちにゆるしを願うものでありま
また日本の中でとくに深刻な問題は、沖
縄が今なお本土とは比較にならないほど多
です。
善のための粘り強い対話と交渉をすること
に各国が軍備を増強させるよりも、関係改
国との間に緊張がある中で、自衛権を理由
念を覚えずにはいられません。周囲の国と
ム強調の動きがあることにわたしたちは懸
本の周辺各国の政府の中にもナショナリズ
連動しています。他方、日本だけでなく、日
力行使できるようにする今の政治の流れと
によって事実上、憲法9条を変え、海外で武
特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認
顕 著 に な っ て き て い ま す。 そ し て、そ れ は
歴史を書き換え、否定しようとする動きが
支配や侵略戦争の中での人道に反する罪の
戦後 年をへて、過去の戦争の記憶が遠
いものとなるにつれ、日本が行った植民地
物多様性の喪失を引き起こすまでになって
ています。人間の経済活動は気候変動や生
格差は広がり続け、貧しい人々が排除され
世界はグローバル化された企業や金融シ
ステムの力に支配されています。その中で
でしょうか。暴力を押さえ込むために新た
を尊重する理性はどこへ行ってしまったの
うな危機的状況に直面しています。人間性
のをいう世界なのかと疑わざるをえないよ
した 。この世界は、結局のところ、力がも
し、過ちを繰り返さないようにといさめま
戦」という人もいるだろうとの懸念を表明
に つ い て、フ ラ ン シ ス コ 教 皇 は「 第 3 次 大
ています。世界各地で続くこのような惨状
いのちが脅かされ、実際にいのちが奪われ
少数民族や宗教的マイノリティーの人々の
人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、
んか。
その道こそが、
歩もうではありませ
す が、平 和 へ の 道 を
しく困難ではありま
いては、人類全体が破滅に向かうだけです。 てはなりません。険
な暴力を用いるようなやり方を繰り返して
人間の運命をまっとうさせるものでありま
の 過 ち を、繰 り 返 し
破壊とに満ちた過去
過 去 の 過 ち、暴 力 と
れ ね ば な り ま せ ん。
さ れ、平 和 が 保 持 さ
お い て、平 和 が 追 求
せん。すべてをさし
「目標は、
つねに平
和でなければなりま
思い起こします。
ピール』のことばを
島で語った『平和ア
もう一度、
ヨハネ・
うな状況が世界各地に広がっています。そ
の中で数多くの人々、とくに女性や子ども、 パウロ2世教皇が広
が 参 加 し、現 地 で は イ
道の宗教者ら総勢
キリスト教・仏教・神
話会顧問を務める髙見
に続いて3回目。同懇
5)と
で、終 戦
会長)が企画したもの
この巡礼は長崎県宗
教者懇話会(野下千年
平和巡礼を行った。
日までの日程でスペイ
うと、6月
メッセージを発信しよ
教者らが世界に平和の
被爆・終戦 年にあ
た り、長 崎 と 広 島 の 宗
うに語った。
髙 見 大 司 教 は、今 回
の巡礼の感想を次のよ
を 開 催 し た 地、ア シ ジ
年に世界平和祈祷集会
さ つ し た。 期 間 中、希
ランシスコ教皇にあい
機卿や髙見大司教を含
礼 団 の 紹 介 も あ っ た。
所 に 席 を い た だ き、巡
では教皇の席に近い場
トロ広場での教皇謁見
加わった。サン・ピエ
スラームの指導者らも
す。 わ た し た ち は、こ の 戦 争 に 関 わ っ た も
くの基地を押しつけられているばかりか、 い ま す。 平 和 の 実 現 の た め に は、こ の よ う
す。 平 和 へ の 道 の み が、平 等、正 義、隣 人 愛
おわりに
の と し て、ア ジ ア・ 太 平 洋 地 域 の 2 千 万 を
な状況を変えること、世界の貧困や環境の
を遠くの夢ではなく、現実のものとする道
激しくなり、対話を不可能と感じさせるよ
越える人々の死に責任 を も っ て い ま す 。 さ
そこに沖縄県民の民意をまったく無視して
問題、格差と排除の問題に取り組むことが
なのです」 。
歴
史認識と集団的自衛権行使容認
らに、この地域の人々の生活や文化などの
新基地建設が進められているということで
963年) 。
わたしたちは
「平和を実現する人は幸い」
球規模の問題に対する無関心を乗り越え、
『現
自分の生活を変えることが求められていま ( マ タ イ 5・ 9) と い う イ エ ス・ キ リ ス ト (4)
代世界憲章』 。
不可欠です。わたしたち一人ひとりにも地
の こ と ば に も 励 ま さ れ ま す。 戦 後
4
上に今も痛々しい傷を 残 し て い る こ と に つ
す。ここに表れている軍備優先・人間無視
す。 わ た し た ち に で き る こ と は、す べ て の
2バチカン公会議閉幕
などの問題
いて深く反省します」。
問題を一気に解決しようとせずに、忍耐を
を求め、平和のために働く決意を新たにし
教団は戦後
年と
年にあたっての平和
メ ッ セ ー ジ( 上 掲 ) の 中 で、戦 前・ 戦 中 の
今
の世界情勢の深刻な危機の中で
望者
人 は、ヨ ハ ネ・
む司教らが一人一人フ
ン と バ チ カ ン を 訪 れ、 正 式 の 謁 見 の 後 は、枢
年( 1 9 9
を集中して観ていただいている感
く て、( 演 じ て い る ) こ ち ら の 方
願 う す べ て の 人 と と も に、平 和
と も に、さ ら に 全 世 界 の 平 和 を
2005年の初演に関わった長
崎純心大学の片岡千鶴子理事長
は、「 浦 上 で の 初 演 の 時 に も 多 田
27
年(2005) パウロ2世が1986
れ た が、聖 母 を 演 じ た 観 世 流 銕 仙
初 演 さ れ、そ の 後 も さ ま ざ ま な 場
(2)教皇フランシスコ使徒的勧
告『 福 音 の 喜 び 』
(201
3 年 ) 1 8 2。「 司 牧 者 に
は、科 学 の 貢 献 を 受 け 入 れ
人
「 ス ペ イ ン・ ア ン ダ
ルシア地方のマラガと
した。
ことは意義深いことで
の考えを披歴し合った
グラナダに行きまし
ま た 教 皇 謁 見 は、仏
教や神道の方々の願い
世紀にかけてイスラ
た。そこは7世紀から
ました。アルハンブラ
和に暮らす時代もあり
ラームの信者たちが平
ト教とユダヤ教とイス
あ り ま し た が、キ リ ス
ところですから戦争も
ム教の支配下にあった
枢機卿様の話や質疑応
評議会議長のトーラン
す。教皇庁諸宗教対話
象に残ったと思いま
の姿に触れたことは印
謁見の雰囲気や教皇様
で も あ り ま し た の で、
ち が、ト ル コ と ス ペ イ
教・キリスト教の人た
広島と長崎の神道・仏
ように発信していくこ
多くの人々に知られる
大 事 な こ と は、こ の
ような動きが一人でも
した。
宮 殿 そ ば の ホ テ ル で、 答も内容のあるもので
ンのイスラームの人た
とです」
戦 争 と、武 力 に よ る 威 嚇 又 は 武 力 の 行
ちと一緒に平和のため
使 は、国 際 紛 争 を 解 決 す る 手 段 と し て
に 祈 り、平 和 に つ い て
的 な 領 域 に 限 定 さ れ る べ き も の で、天
平 和 を 念 願 し、人 間 相 互 の 関 係 を 支 配
力 は、こ れ を 保 持 し な い。 国 の 交 戦 権
は、
これを認めない」。
議会定例司教総会。
(6)1986年6月 日本カトリック司教協
始100年にあたっての戦没者追悼式
(7)教皇フランシスコ「第一次世界大戦開
ノ・レディプーリアの慰霊施設にて(2
典 で の こ と ば 」イ タ リ ア、フ ォ リ ア ー
日)。
ピール』
(1981年2月
日)5。
(8)教皇ヨハネ・パウロ2世『広島平和ア
014年9月
つ て、平 和 を 愛 す る 諸 国 民 の 公 正 と 信
平 和 を 誠 実 に 希 求 し、国 権 の 発 動 た る
国 民 は、正 義 と 秩 序 を 基 調 と す る 国 際
保持しようと決意した」
、同9条「日本
義 に 信 頼 し て、わ れ ら の 安 全 と 生 存 を
する崇高な理想を深く自覚するのであ
的 を 達 す る た め、陸 海 空 軍 そ の 他 の 戦
国に行くために霊魂を整えるためだけ
ん」
。
世回勅『地上の平和』
(1
は、永 久 に こ れ を 放 棄 す る。 前 項 の 目
スペインとバチカンから平和のメッセージ
にあるなどと主張することはできませ
長崎・広島の宗教者が巡礼
(5)日 本 国 憲 法 前 文「 日 本 国 民 は、恒 久 の
(3)教皇ヨハネ
54
世界憲章』(1965年)1。
(1)第2バチカン公会議『現代
注
27
三 明 大 司 教 を は じ め、 も訪れた。
年、第
年にあたり、平和
会は小さな存在ですが、諸教派のキリスト
会の能楽師・清水寛二さんによる
で演じられてきた。
先 生 が 観 に 来 て く だ さ り、
『次は
ロ ー マ 』 と 言 っ て お ら れ ま し た。
きたいというお気持ちは最初から
(長崎の聖母を)世界にもってい
あったんですね。だからきっと今
回 の こ と、喜 ん で お ら れ る と 思 い
ます」と話した。
つ つ、人 間 の 生 活 に 作 用 す
るすべてのことがらについ
て意見を表明する権利があ
り ま す。 も は や、宗 教 は 私
81
こそが、この地域の安定のために必要なの
5
今、世界を見渡せば、各地で軍事的な対立
やテロの悲劇が繰り返されています。国家
被爆
を実現するために働き続けるこ
者 と と も に、諸 宗 教 の 信 仰 者 と
年にあた
とを改めて決意します。
周
日から
こ れ は 一 個 人 と し て の こ と ば で は な く、 の姿勢は平和を築こうとする努力とは決し
司教協議会会長として 司 教 団 の 総 意 を 代 表 て 相 容 れ ま せ ん 。
もって平和と相互理解のための地道な努力
ましょう。わたしたち日本のカトリック教
して述べたことばでした 。さらに日本司
を積み重ねることです。
教会の戦争責任を反省し、その上に立って
平和への決意を表明し て い ま す 。
新作能「長崎の聖母」米公演報告
じだった」
という。
田上市長は、「こ
米国ニューヨーク・ 国 連 本 部 で
の核拡散防止条約(N P T ) 再 検
かったと思う」と話した。
う い う 伝 え 方 も や は り 大 事。 よ
討 会 議 に 合 わ せ、新 作 能「 長 崎 の
海外上演は今回が初めて。日本
の伝統文化である能という形式を
パン・ソサエティーで、5月 日
ボストンの昭和女子大学レイン
写 真 は、田 上 市 長( 手 前 ) に 報
告する関係者ら。左から、
能楽師・
清 水 寛 二 さ ん、土 山 秀 夫 実 行 委 員
長。長崎純心大学の片岡千鶴子理
事長と濵田洋子教授も同席。
2015年2月 日
日本カトリック司教団
と、「 字 幕 を 見 る 方 は あ ま り い な
伝統文化を通して、平和と核兵器廃絶を訴える 5 年、純
聖母」がニューヨーク と ボ ス ト ン
取 り、長 崎 を 舞 台 と し た 演 目 を 通
心学園と
で上演された。公演を 手 掛 け た 2
して核兵器廃絶への関心を高めて
い き た い と、実 行 委 員 会 が 企 画。
浦上教会の共催のもと浦上教会で
K IN NY実行委員会の関係者
015 NAGASAKI WEE
らが6月1日(月)、長崎原爆資料
日ニューヨークのジャ
5月
告した。
ボ ー ホ ー ル で 公 演 を 実 施 し、多 く
~
館 を 訪 れ、田 上 富 久 長 崎 市 長 に 報
新 作 能「 長 崎 の 聖 母 」 は、原 爆
投 下 後 の 惨 状 と 浦 上 の 復 活、平 和
大名誉教授(2010年4月逝去)
公 演 で は、米 国 人 を 中 心 と す る
てっ せん かい
が 書 き、銕 仙 会 が 制 作 し た 作 品。 観客のために英語の字幕が準備さ
67 23
60
15
70
19
50
70
(8)
70
の人が来場したという。
20
25
50
(6)
へ の 祈 り を テ ー マ に、多 田 富 雄 東
16
13
聖ヨハネ・パウロ 2 世
(1981年2月26日・恵の丘長崎原爆ホーム)
14
25
60
(7)
る200
60
50
1030 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
カトリック教報
(5)2015年(平成27年)
第
カトリック教報
1030 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
2015年(平成27年)
8 月1日(毎月1日発行) (6) 2014年度決算に関する報告 カトリック長崎大司教区
〔収入の部〕
〔支出の部〕
科 目
科 目
決算額
1.経常収入の部
448,418,683
教区費
129,508,534
1.経常支出の部
宗教活動費
祭儀費
決算額
科 目
565,941,473
事務費
決算額
15,348,703
14,333,723
教区管理費
14,773,079
2,840,206
法人事務所
575,624
信 徒
113,167,666
司 祭
8,035,000
特別行事
修道会
6,370,000
助成金(小教区)
4,261,613
巡礼センター業務委託料
教区費等収入前年度分
1,935,868
教区評議会
2,048,934
退職引当金
2,404,000
シノドス中央委員会
5,182,970
非課税事業支出
5,579,094
特定献金
33,049,736
0
11,236,236
諸委員会活動費
50,903,259
世界広報の日献金
2,278,733
(1) 信仰養成部
5,149,917
聖ペトロ使徒座への献金
6,679,097
信仰教育委員会
1,296,029
世界難民移住移動者の日献金
2,385,029
生涯養成委員会
2,329,243
世界宣教の日献金
2,321,121
青少年委員会
756,486
宣教地司祭育成の日献金
3,505,601
典礼委員会
671,063
児童福祉の日献金
4,643,919
信仰養成部
97,096
神学生養成援助費(封筒)
特別献金
31,967,615
(2) 福音化推進部
607,294
ミサ奉納金(ビナチオ・トリナチオ)
2,059,000
平和推進委員会
2,139,510
ミサ献金(教区行事)
1,295,796
エキュメニズム・諸宗教委員会
1,255,791
18,518
生涯養成委員会
1,691,010
召命促進委員会
神学生養成委員会
財務支出
385,504
利子支払(借入金)
積立金支出
その他
預り金等収支差額
3.次年度繰越金
61,034
支出の部合計
30,210
0
教会奉仕者等養成部
0
信仰養成部
0
(4) 小共同体推進室
0
728,105
(5) 家庭特別委員会
1,260,093
宿泊収入
(6) 広報委員会
6,655,082
会議室収入
2,066,867
レストラン収入
(7) 教区本部事務局
平和推進委員会
460,405
(8) 信徒発見 150 周年委員会
エキュメニズム・諸宗教委員会
3,000
福音化推進部
2,100
負担金
中央協議会送金
(3) 教会奉仕者等養成部
0
使徒座送金
召命促進委員会
0
心のともしび
神学生養成委員会
0
神学生養成費
639,841,835
カトリックセンター事業部門
青少年委員会
262,600
65,016,067
1,185,139
0
福祉委員会
5,498,791
1,215,349
教会奉仕者養成委員会
0
3,000,000
5,498,791
0
人権委員会
3,000,000
司教活動資金
典礼委員会
(2) 福音化推進部
385,504
0
福祉委員会
信仰教育委員会
8,884,295
退職引当金
14,415,020
1,709,528
2.財務支出の部
0
献金収入(本部関係)
(1) 信仰養成部
607,134
その他支出
1,544,560
(3) 教会奉仕者等養成部
雑費
5,608,189
人権委員会
福音化推進部
600,000
0
14,197,799
6,559,354
8,583,094
不動産取得資金
寄付金
諸委員会活動費
その他の支出
28,947,762
23,302,539
15,487,421
7,215,118
〔収入の部〕
科 目
決算額
45,817,525
2,563,750
11,401,216
売店収入
413,620
営業雑収入
760,970
その他の収入
403,927
前年度繰越金
600,000
収入の部合計
3,000,000
64,361,008
68,407,491
〔支出の部〕
(4) 小共同体推進室
167,074
日本カトリック神学院
27,473,686
(5) 家庭特別委員会
533,000
長崎カトリック神学院
18,000,000
1,241,319
長崎コレジオ
10,000,000
人件費
19,628
福岡コレジオ
11,970,000
法定福利費
1,488,935
913,805
福利厚生費
1,508,722
50,000
什器備品
2,084,920
9,821,850
消耗品費
6,758,098
(6) 広報委員会
(7) 教区本部事務局
(8) 信徒発見 150 周年委員会
1,631,700
(9) シノドス中央委員会
529,000
その他
247,333,444
非課税事業収入
7,821,850
修繕費
308,310
94,993
海外留学費
2,000,000
旅費交通費
133,000
2,413,683
自動車諸費
1,279,406
228,659,712
雑収入
11,858,763
2.財務収入の部
100,000,000
その他の財務収入
100,000,000
国宝保存財務資金
100,000,000
資金取崩収入
0
雑収入
0
その他収入
0
3.前年度繰越金
91,423,152
収入の部合計
639,841,835
お知らせ
〈住所変更〉
お
⃝告げのマリア修道会
水ノ浦修道院の住所が
48」に変わりました。
「五島市岐宿町岐宿16
号
88
長崎巡礼センターが
⃝
「長崎市尾上町1番
2階」に移転しました。
150周年記念DVD〉
〈日本の信徒発見
D V D「 長 崎 の カ ト
リック教会」の予約を受
け付けています。総合版
( 分)3240円、
地域
70
司祭生涯養成費
20,908,663
黙想研修会
6,719,976
小教区拠出金
助祭生活費
決算額
0
保険金収入
受取利息
大神学生諸経費
科 目
不動産管理費
管理費
租税公課
人件費
聖職者(本部関係)
聖職者(小教区)
437,929
通信費
446,231
1,975,754
水道光熱費
5,899,254
313,841,745
広告宣伝費
118,320
29,374,000
支払手数料
1,712,471
公租公課
3,694,974
173,540,000
9,204,400
接待交際費
66,054
職員(本部関係)
49,621,620
保健衛生費
1,593,774
職員(小教区)
52,101,725
雑費
1,946,452
食材仕入支出
5,787,399
引退司祭
福利厚生費
法定福利費(本部)
37,363,449
30,071,641
売店仕入
498,357
法定福利費(小教区)
3,017,987
保険・会費
582,670
福利厚生費
1,361,195
研修費
329,797
福利厚生費(医療費)
1,488,876
寄付金
350,000
医療共済制度(カリス)
1,423,750
退職金
150,000
年金(掛け金)
維持管理費
大司教館
カトリックセンター(管理部門)
0
21,014,803
13,347,175
7,667,628
退職引当預金支出
1,052,145
内部借入金返済
4,000,000
次年度繰越金
支出の部合計
1,663,056
64,361,008
カトリック教報
8 月1日(毎月1日発行)
(7)2015年(平成27年)
(昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
1030 号 2014年度決算に関する報告 72小教区決算集計表
〔収入の部〕
科 目
決算額
1.経常収入の部
科 目
1,093,506,330
献金収入
787,203,542
決算額
15,178,428
司祭活動費補助
4,380,000
教会建設積立繰越金受入
64,429,887
修道院献金
3,576,500
405,619,305
教会建設献金受入
ミサ献金
115,277,022
教会建設寄付金受入
ミサ奉納金
191,815,500
48,258,314
その他の献金
26,233,401
寄付金収入
小計Ⅱ(預り金支出)
487,800
2,789,257
3.前年度繰越金
115,391,669
神学生養成援助費(封筒)
2,407,375
世界広報の日献金
2,172,600
聖ペトロ使徒座への献金
2,498,353
世界難民移住移動者の日献金
2,411,786
世界宣教の日献金
2,287,319
宣教地司祭育成の日献金
2,189,655
〔支出の部〕
決算額
10,624,024
児童福祉の日献金
2,398,837,507
科 目
167,313,963
教区費
707,171,490
収入の部合計
81,187,933
決算額
雑収入
教会維持費
祭儀献金
科 目
一般寄付金
31,396,528
指定寄付金
7,045,271
司祭寄付金
8,391,457
修道会寄付金
1,760,000
祭儀費
43,011,809
特別献金
5,485,876
32,594,677
教化費
22,422,793
預り金
2,206,781
教育養成費
35,517,107
一菜募金
5,789,049
クリスマス募金
4,248,744
その他の寄付金
その他の収入
1.経常支出の部
小計Ⅰ
59,836,996
教区補助金収入
1,053,747,074
886,433,111
図書費
5,395,879
7,056,550
出版刊行費
11,735,599
カリタスジャパン募金
6,468,315
11,391,800
行事費
44,796,956
その他の募金
3,132,417
行事収入
5,097,848
負担金
26,454,845
2.財務支出の部
非課税事業収入
2,072,537
維持管理費
69,497,142
内部借入金返済支出
353,231,333
35,690,117
備品修繕費
19,589,097
外部借入金返済支出
4,000,000
165,277,859
保守管理費
15,466,400
土地取得支出
0
116,410,782
墓地管理費
11,335,654
建物取得支出
85,966,558
保険料
25,168,429
構築物購入支出
13,912,337
器具備品購入支出
29,393,425
受取利息収入
188,815
墓地納骨堂管理費収入
雑収入
預り金収入
教区費
神学生養成援助費(封筒)
10,604,294
児童福祉の日献金
2,402,842
給与手当
世界広報の日献金
2,147,517
雑給与
24,778,865
聖ペトロ使徒座への献金
2,471,060
退職金
3,805,000
世界難民移住移動者の日献金
2,407,964
福利厚生費
12,812,637
世界宣教の日献金
2,281,571
法定福利費
5,029,831
宣教地司祭育成の日献金
2,250,715
会議費
4,335,755
特別献金
2,997,484
消耗品費
19,075,187
預り金
1,946,429
器具備品費
15,409,218
一菜募金
5,711,334
リース料
13,340,446
クリスマス募金
4,197,278
通信費
13,617,551
カリタスジャパン募金
6,381,026
旅費交通費
15,992,004
②教区費 / 世帯数 / 月
540
537
その他の募金
3,067,563
自動車諸費
19,571,787
③教区費 / 維持費(%)
29.0
28.7
598,159,687
水道光熱費
81,503,841
④ミサ奉納金 / 世帯数 / 月
859
885
接待交際費
20,418,668
⑤ミサ献金 / 世帯数 / 月
538
532
2.財務収入の部
243,358,197
625,751,959
内部借入金収入
303,367,541
外部借入金収入
4,000,000
公租公課
1,052,790
54,117,202
支払利息
0
特別目的預金取崩収入
2,544,000
補助金支出
22,917,983
境内建物建設増改築積立金収入
53,029,603
支払手数料
189,845
土地売却代金収入
30,000,000
非課税事業支出
修理費積立金収入
68,215,969
雑費
境内地拡張費積立金収入
世帯数
①維持費 / 世帯数 / 月
総額
1,871
4, 736, 999円(7/1 現在)
算書をはじめ教区シノド
れ、2014年度収支決
6月 日(火)教区顧
問会が大司教館で開催さ
議の設置が承認された。
教区シノドス提言推進会
研修会で構想を説明した、 または教区ホームページ
評議会総会と6月の司祭
三明大司教が5月の教区
選出された。続いて、
髙見
新役員、 年度決算など承認 中地区長・浦上
主任)が監査に
利津男師(長崎
に替わって久志
タ ー」
。申込書は各教会
ンフォメーションセン
先 は「 長 崎 の 教 会 群 イ
C C 制 作・ 協 力。 申 込
1080円。長崎大司教
版(5地区・各
30
14
教区顧問会を開催
ス提言推進会議の設置な
な 自 立 が 見 通 せ る た め、
10
分)各
区 発 行・ 制 作・ 著 作、N
にて。
ど が 審 議、昨 年 新 設 さ れ
新設されて1年を経た
佐 々 小 教 区 は、信 徒 数 6
援 助 が あ っ た が、経 済 的
瀬良 明師)の運営状況
た 佐 々 小 教 区( 主 任 小
今年度からは支給されな
様子や近所との交流な
96人(佐々教会133
そのうち近隣の小教区か
して活動していることが
などが報告された。
わ っ て 山 脇 守 師( 司 教
ど、開 か れ た 教 会 を 目 指
40
ま ず 人 事 異 動 に 伴 い、 人、潜 竜 教 会 3 7 2 人、 い。 ま た、教 会 を 外 部 の
小 島 栄 師( 引 退 ) に 替 旧・江迎教会191人)
、 人たちにも開放している
戸1
100
18,062
1,890
上記献金の他、直接カリタスジャパンへご送金いただ
いている分もあります。皆さまのご支援、ご協力に心か
ら感謝申し上げます。
カリタスジャパン長崎支部
05人となった。昨年度
150
18,098
2015 年 四旬節愛の献金
総 代 理・ 長 崎 北 地 区 長・ ら転籍した信徒は
250
2,398,837,507
2013年度 2014年度
滑石主任)が責任役員
200
719,338,474
支出の部合計
報告された。
300
4,111,598
3.次年度繰越金
に、
下口 勲師(大浦主任) は教区から200万円の
500
総額と貸付金総額がほぼ
(20人~) 改定後
同額となっている。
50
年度決算書を受けて
100
会計報告―
130
予 算 と は「 将 来 の ビ
ジョンに基づいて設定し
150
なり、その負担は従
200
こ と を 再 確 認 し、し っ か
250
来以上に重くなる。 た具体的な目標」である
改定前
団 体
このため、来訪者に
100
150
りとした予算立てとその
130
200
教区会計 岩本繁幸
150
300
実行に取り組んでいきた
下表の通り。
日、教 区 顧 問 会
200
300
も教会維持保全の
が6月
支 出 の 部 で は、信 徒 発
見150周年という記念
250
400
ために負担をお願
で承認された。収入の部
の 年 を 迎 え、多 額 の 出 費
300
600
い。
で は、教 区 費 の 減 少 傾 向
を伴った。たくさんの信
改定前
改定後
一 般
いすることはご理
が続いている。国宝大浦
徒のご寄付やご奉仕を忘
障がい者
大 人 中高生 小学生
解いただけると考
天主堂(写真)拝観料に
れてはならない。
大 人 中高生 小学生
え、7月1日、国宝
依存した教区運営から脱
区 分
大浦天主堂拝観料の改定
却できないでいるのが現
また、
佐々小教区設立、
小 瀬 戸 集 会 所、上 神 崎 教
を行うに至った。料金は
状 で、過 疎 化・ 高 齢 化 を
7月1日から大浦天主堂拝観料を改定
14
16,878,937
その他の支出
2,579,318
宗教法人カトリック長
崎大司教区の収支決算書
考 慮 す る と、将 来 を 見 据
会、
深堀教会の新築など、
教会建設に伴う出費およ
30
118,257,771
境内建物建設増改築基金
26,635,307
えた改善策を具体的に検
討する必要がある。
も多額となった。互助基
び小教区互助基金の貸付
さらに築100年以上
が経過して老朽化が激し
金 の 管 理 状 況 は、預 託 金
)内は前任地
(
くなってくる教会も多く
人事異動・任命 ▼教区〔6月 日付〕
古木眞理一師 病気療養
(時津主任)
岩本 繁幸師 時津小教区管理者 〔
会計兼務〕
28
特別目的預金積立支出
開催地を
変えて開
ソフトボール大会 か れ て い
て、長 崎
西日本の司祭団が交流
―
人超が参加
開催は今年が初めて。開
会式では各教区から新司
祭 が 選 手 宣 誓 に 立 ち、開
催地の髙見三明大司教が
5月 日(金) 時か
ら 大 浦 天 主 堂 で、髙 見 三
が支え合っていくような
共 同 体 の 在 り 方、司 祭 や
修 道 者、そ れ と は 別 の 生
アグネス
下﨑麗子修道女
いしい料理やお話で司祭
や地域の人をもてなし
た。 桐 に 戻 っ て か ら は、
ヨゼフィナ
萩原百合修道女
は 多 く の 人 に 親 し ま れ、
元気を与えた。
フランシスコ病院のホス
る 治 療 を 受 け た が、体 力
昨年9月卵巣がんの手
術 を 受 け、抗 が ん 剤 に よ
をふるった。
ピ ス に 転 院 し た。 シ ス
(
お告げのマリア修道会)
てが神から呼ばれている
2008年にくも膜下
出 血 で 倒 れ た が、奇 跡 的
ターの笑顔は病床にあっ
共同体のために料理の腕
〝召命〟だと語り、祈り合
に回復のお恵みをいただ
て も 絶 え る こ と な く、で
(
お告げのマリア修道会)
い、互 い が 互 い を 支 え 合
き、特 別 養 護 老 人 ホ ー ム
き 方、そ れ ぞ れ の 道 す べ
う共同体となることがで
「福見の園」で穏やかな
1924年新上五島町
桐生まれ。 年桐修道院
は、自 己 へ の 世 話 を 遠 慮
てなしたシスターの最期
旅立った。多くの人をも
化 し、安 ら か に 天 国 へ と
6 月 日、腸 閉 塞 の た 日々を過ごしていた。し
め、上 五 島 病 院 で 逝 去。 かし6月 日に容体が悪
発 な シ ス タ ー で、よ く 笑
保育と主に食事づくり
にたずさわった。明朗活
宣立。
6 月 日、聖 フ ラ ン シ
スコ病院で逝去。 歳。
市の修道会本部大聖堂で
や 教 区 司 祭 に よ り、長 崎
は じ め、お 世 話 に な っ た
願、2002年終生誓願 ( レ デ ン プ ト ー ル 会 ) を
1975年大阪市生ま
れ。 年入会。 年初誓
行われた。
月
とお詫びを伝えた。
ん と 触 れ 合 う こ と で、真
に祈ってくださっている
年 初 誓 願、
今年4月 日の「閉堂
ミ サ 」 を も っ て、江 迎 教
ました。主教会が何度も
宣教にも力を入れて参り
仰 を 守 り、微 力 な が ら も
像 す る と 同 時 に、再 び 母 の も と
真 理 の 霊 が 来 る 時、そ の 方 が 私
「私が父のもとから送る弁護
者、す な わ ち 父 の も と か ら 出 る
弟子たちを慰めるために聖霊を
マリアの子であるイエス キ
・
リストも、別れに先立って、
母と
日 帰 り だ っ た か、一 泊 出 来 た の
た心配りだったのです。その同
えがたい弟子たちへの愛に満ち
エ ス の は か ら い は、何 物 に も か
変わるなど、
まさしく
「旅
する教会」でもありまし
た。 し か し、近 年 ま す ま
す進む「少子高齢」の波
に は 勝 て ず、信 徒 総 会 の
決 定 に 基 づ き、閉 鎖 と い
うことになりました。
今 後 は、佐 々 小 教 区 の
一 員 と し て、江 迎 教 会 で
人に奉仕した。その人柄
感 謝
― 香典返し ―
日、弟 の 萩 原 義 幸 師
葬儀ミサ・告別式は
★
―
レデンプトール会の司祭
★
アッシジ 聖なる風景
★
★YOUCAT
堅信
長崎カトリック神学院
の秘跡 青年向けカテキ
◦柴田ヒロ子様 (
深堀)
故マリア山口ヨシエ様 ズム『YOUCAT』の
◦冨岡勝彦様 (浦上) 姉妹編。個人での読書や
故マリア冨岡アキミ様 講座に。カトリック中央
協議会、
税別900円。
◦葛島ミツエ様 (
奈留)
―
故ミカエル葛島信一様
★酒井しょうこと辿る
◦吉浦スミ子様 (
褥崎) 聖フランチェスコの足跡
吉浦磯次様
故フランシスコ
心に生き続ける聖人の息
著 者 = 酒 井 し ょ う こ、
写真=渡部信光。人々の
右の方々からご芳志を
賜りました。お礼とご報
吹を一冊の小箱に閉じ込
司教様をはじめ、
司祭、
修
支えてくださった髙見大
院の宿なども紹介。サン
感 じ る 教 会 の 売 店、修 道
めました。聖人を身近に
告を申し上げます。
継 ぎ な が ら、福 音 を 述 べ
★
伝えていく所存です。こ
★
パウロ、
税別1800円。
★
道 者、各 教 会 の 信 徒 の 皆
様 に は、大 変 お 世 話 に な
―
神 様 の 恵 み が、皆 様 の
上に豊かにそそがれます
し上げます。
ゼラブル」
のヴィクトル・
修=浦田慎二郎。「レ・ミ
原作=サレジオ会日本
管区、
作画=鈴木ぐり、
監
ン・ボスコの夢は続く
★コラッジョ
よ う に、旧 江 迎 教 会 信 徒
りました。心より感謝申
一同心よりお祈り申し上
スコ社、
税別1000円。
待望の漫画化。ドン・ボ
父、ド ン・ ボ ス コ。 世 界
ユーゴーも心酔した神
議長 前田敏子
旧江迎教会評議会
げます。感謝のうちに。
ド
れまでこの小さな教会を
培った精神的財産を引き
きる限り多くの人に感謝
に 入 会。
するかのようだった。
い、
よく歌い、
惜しみなく
の限界で治療を断念。聖
きるよう恵みを願った。
今回で 回目を数えた
召命祈願ミサ。神学生の
ということを感じる。自
葬儀ミサ・告別式は
月 日、桐 教 会 で 主 任 の
1 人 は、「 実 際 に 信 者 さ
分自身も召命について考
年終生誓願宣立。
松田聡史師司式により行
歳。
えることができる」と話
に励んだ。保育園の給食
得意の生花や美しい声
した。次回のミサは 月
頃、小教区で実施の予定。 で 典 礼 を 飾 り、信 仰 教 育
われた。
江迎教会は信徒
戸数 戸ほどの小
や 司 祭 館 奉 仕 を 務 め、お
江迎教会が閉鎖
感謝のうちに新たな歩みを さな共同体ではあ
り ま し た が、 年
会が正式に閉鎖されたこ
を去った後に母が抱く寂しさま
た手紙を簡単に電車
遣 わ す こ と を 約 束 さ れ ま し た。
か、忙しい彼は、限られた短い時
に及ぶ歴史の中でその信
と を、長 崎 教 区 の 皆 様 に
お そ ら く い つ も は、母 の も
とを離れて暮らす青年が久し
で想像したのだと思います。そ
や車の中では書けな
そ れ は 一 時 的 な 慰 め で は な く、
(ヨハネ 章 節)
いでしょうから、きっ
永 遠 に 続 く、し か も こ の 世 の あ
しょう。もうすぐ母に会える
間を最大限使って親孝行をした
じ霊は今もキリストの弟子と
6
始球式を務めて熱戦が繰
明 大 司 教 主 司 式、 人 の
説 教 師 は、今 年 3 月 に
司祭に叙階された稲田伸
40
95
り広げられた。
高 松・ 大 阪 ) か ら 司 祭・ ると相手チームがその裏
司祭団の共同司式のもと
深めるソフトボール大 会
也 師( 浦 上 教 会 助 任 )。
24
88
ど の 試 合 も、怪 我 を も
恐れぬハッスルプレーの
召命祈願ミサ
に9点取り返す。また別
召 命 祈 願 ミ サ が 行 わ れ、
が長崎市松山町の市営 ソ
フトボール場で開催さ れ
人を超える参加 者
大 司 教、諏 訪 榮 治 郎 高 松
優勝は長崎教区チー
司教、宮原良治福岡司教、 ム。広島・高松教区チー
稲田師は自身のこれまで
ぶ り に 帰 郷 す る と き、家 に た
ご報告いたします。
どり着く十分前に母親に宛て
についてあかしをする。
」
と彼は母と会える日
らゆる不条理の根本的解決策を
紙をしたためたので
を心待ちしながら数
し ょ う。 笑 い に 満 ち
日前から書いて準備
年 の 手 紙 は、読 者 の 想 像 を 豊
と い う の に、ど う し て 手 紙 を
なった私たちの上にも豊かに注
したのだと思います。 与える真理の霊でした。このイ
かにさせてくれる文 章 で す 。
のでしょう。なんと思いやりに
26
連続。大会のサポートに
回った長崎教区若手司祭
と応援に駆け付けた長
崎 南 地 区 女 性 部 は、珍 プ
レー好プレーの連続に歓
の試合は1イニングに3
神学生、志願生、信者ら合
声を上げた。ある試合は
人がルール御構いなしの
わせて約140人が集ま
晴れ渡る5月
日
(月)、西日本の6教区(長
バントを仕掛ける。交流
り共に祈った。
崎・ 福 岡・ 大 分・ 広 島 ・ イ ニ ン グ の 表 に 7 点 入 れ
のはずが真剣勝負になっ
修 道 者 が 集 ま り、交 流 を
ていた。
た。
ムが準優勝となった。次
の 中 に は、前 田 万 葉 大 阪
の開催地を大分として大
手として加わっていた 。
浜口末男大分司教らも 選
の 歩 み を 振 り 返 り、互 い
この大会は年ごとに
今年は終戦 周年 を 迎 え ま
す。8月 日は終戦 記 念 日 で
して母が少しでも慰められるた
日です。被昇天後も マ リ ア は
教 会 の 母 と し て、永 遠 の 命 を
育む神の業への大い な る 協 力
者 と し て 働 い て お ら れ ま す。
母なる聖マリアへの 感 謝 の 心
で、私 た ち も マ リ ア に 倣 っ て
神の業の協力者とな る よ う 招
かれています。
めに笑いに満ちた手
て書いた手紙を投函したので
と の 出 会 い で、母 の 喜 ぶ 姿 を 想
会を終えた。
12
あると同時に聖母被 昇 天 の 祭
母への手紙
90
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「日本一短い母への手紙」
という本の中に載っ た あ る 青
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区本部事務局(松尾)まで。
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(左)vs. 広島・高松チーム
あとで読んで笑ってくださ
い。」
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29
25
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締切)
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日㈬ ( 8 /26
日㈬ ( 9 /30
日㈬ (10/28
日㈬ (11/25
23
21
18
16
日㈭~
日㈭~
日㈭~
日㈭~
17
15
12
10
月
月
月
月
9
10
11
12
⃝
⃝
⃝
⃝
29
90
90
「 あ と 十 分 で 着 き ま す。 手 出 す 必 要 が あ っ た の で し ょ
紙 よ り 先 に 着 く と 思 い ま す。 う。自分の帰郷を知らせるた
江夏国彦神父
15
長崎市深堀町5‒272
☎ 0 9 5 ‒ 8 7 1 ‒ 3 4 5 9
受付時間 10時~15時 (但し月曜日を除く)
お問い合わせ
お申し込みは
下段は骨壺(大)
が
4つ入る大きさです
みことばにふれて 119
8 月1日(毎月1日発行) (8) 2015年(平成27年)
カトリック教報
1030 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第