第10回(ベクトル空間)

経済のための数理基礎10
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ベクトル空間
以前、(m, n) 行列というものは、n 次元の空間から m 次元の空間への変形を意味していると述べた。今
まで学習してきた、行列の逆行列・行列式・階数などはその変形の何を特徴づけているのかを探る。
今回はまず、n 次元の(まっすぐな)空間というものが何なのか、数学的に考えたい。1次元は直線、
2次元は平面、3次元は立体(空間)、……という具合で説明されることが多いが、これでは高次元の説
明がしづらい。実数が数直線であらわされることを考えれば、1次元の空間を R、2次元の空間を
R2 = {(x1 , x2 ) | x1 , x2 ∈ R}
とし、以下 n 次元の空間を
Rn = {(x1 , x2 , · · · , xn ) | x1 , x2 , · · · , xn ∈ R}
と定義する方法がある。しかし、以下のような欠点がある。
• Rn の中にある低次元の空間を記述しづらい。
• 無限次元が曖昧。
• そもそも、Rn の余分な情報を見すぎている。
Rn は n 次のユークリッド空間とも呼ばれ、数学において最も基本なる対象である。同時に様々な性質
を持ち合わせている。大小関係、連続性、微分可能性、分離性、距離、長さ、内積、和、定数倍、などな
ど。この線形代数において重要な性質は、実は和と定数倍だけである。この性質のみを抽出し、公理化し
たものがベクトル空間である。
定義 10.1. 空でない集合 V において、V がベクトル空間であるとは、次の2つの演算(和・実数倍)
1. 任意の a, b ∈ V に対し、a + b ∈ V
2. 任意の c ∈ R と a に対し、ca ∈ V
が定義され、次の自然な演算法則が成り立つことである。
和に関する条件
1. a + b = b + a
2. (a + b) + c = a + (b + c)
3. 任意の a ∈ V に対し、a + 0 = 0 + a = a となる 0 ∈ V が存在する。これを零ベクトルと呼ぶ
4. 任意の a に対し、a + a′ = a′ + a = 0 となる a′ ∈ V が存在する。この a′ を a の逆ベクトルと
呼び、−a と表す。
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定数倍に関する条件
1. c(a + b) = ca + cb
2. (c + d)a = ca + da
3. (cd)a = c(da)
4. 1a = a
実数の世界では当然成り立っているようなことも、上記の公理系から導かれることを確認する必要が
ある。
命題 10.2. 零ベクトルは一意的に存在する。
証明 今、零ベクトルが2つあったとし、それを 0, 0′ とする。この時、各々が零ベクトルであるという性
質を用いると、
0 = 0 + 0′ = 0′
となる。
命題 10.3. 任意の a ∈ V に対し、その逆ベクトルは一意的に存在する。
証明 演習。
命題 10.4. ベクトル空間 V において、任意の a ∈ V と c ∈ R に対し、次が成り立つ。
1. 0a = 0
2. c0 = 0
3. (−1)a = −a
証明 1 だけ示し、残りは演習とする。
0a + a = 0a + 1a = (0 + 1)a = 1a = a
両辺に a の逆ベクトル −a を加えると、
0a + a − a = a − a
であるため、0a = 0 であることが示される。
例 10.5. ベクトル空間の例を紹介する。
1. n 次のユークリッド空間を実数が n 個並んだ列ベクトルの集合とする。
Rn = {t (a1 , a2 , · · · , an ) | a1 , · · · , an ∈ R}
この時、成分ごとの和と定数倍によりベクトル空間となる。
2. Rn の和の構造を a + b := −a − b と定義しなおしても、通常の定数倍を考えることによりベクト
ル空間になる。ただし、このような(病理的な)例は通常用いない。以下、Rn と書いたら通常の和
と定数倍の構造を持つベクトル空間と思うことにする。
3. (m, n) 行列全体の集合を Mm,n とする。このとき、行列の和と定数倍によりベクトル空間となる。
4. 実数を係数とする x の多項式全体の集合を R[x] とする。多項式の和と定数倍によりベクトル空間と
なる。
5. 連続な実数値関数全体の集合を C(R) とすると、関数の和と定数倍によってベクトル空間となる。
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ベクトル空間 V の空でない部分集合 W が、V における和と定数倍で再びベクトル空間となるとき、W
を V の部分空間と呼ぶ。
定義 10.6. ベクトル空間 V の部分集合 W が V の部分空間であるとは、
1. 任意の a, b ∈ W に対し、a + b ∈ W
2. 任意の c ∈ R と a ∈ W に対し、ca ∈ W
注意として、W = {0}、また W = V も V の部分空間である。部分空間は必ず 0 を含んでいる。
例 10.7. R2 の部分集合をいくつか考えてみる。
1. W1 = {t (x, y) | y = 0} は部分空間である。
2. W2 = {t (x, y) | y = 1} は部分空間ではない。
3. W3 = {t (x, y) | x = y} は部分空間である。
4. W4 = {t (x, y) | y = x + 1} は部分空間ではない。
5. W5 = {t (x, y) | y = −x2 } は部分空間ではない。
証明 W1 が部分空間であることを示そう。t (x, y), t (x′ , y ′ ) ∈ W1 とすると、y = y ′ = 0 である。よって、
t
(x, y) + t (x, y ′ ) = t (x, 0) + t (x′ , 0) = t (x + x′ , 0) ∈ W1
である。同様に、c ∈ R と t (x, 0) ∈ W1 に対し、ct (x, 0) = t (cx, 0) ∈ W1 である。
W2 が部分空間でないことを示すためには、反例を挙げればよい。t (1, 1), t (2, 1) ∈ W2 に対し、t (1, 1) +
t
(2, 1) = t (3, 2) ̸∈ W2 となる。以下省略。
命題 10.8. ベクトル空間 V の部分空間を W1 , W2 とする。このとき、
1. 和空間
W1 + W2 = {w + w′ | w ∈ W1 , w′ ∈ W2 }
は V の部分空間である。
2. 共通部分
W1 ∩ W2 = {w | w ∈ W1 かつ w ∈ W2 }
は V の部分空間である。
3. 和集合
W1 ∪ W2 = {w | w ∈ W1 または w ∈ W2 }
は V の部分空間ではない。
証明 1を示そう。w + w′ , z + z ′ ∈ W1 + W2 に対し、(w + w′ ) + (z + z ′ ) = (w + z) + (w′ + z ′ ) であるが、
W1 , W2 が部分空間より、w + z ∈ W1 , w′ + z ′ ∈ W2 である。これより、(w + w′ ) + (z + z ′ ) ∈ W1 + W2 で
ある。次に c ∈ R と w + w′ ∈ W1 + W2 に対し、c(w + w′ ) = cw + cw′ であり、やはり cw ∈ W1 , cw′ ∈ W2
であることが、W1 , W2 が部分空間であることより従う。よって、c(w + w′ ) ∈ W1 + W2 である。
次に 2 であるが、これも w, w′ ∈ W1 ∩ W2 なので、w, w′ ∈ W1 かつ w, w′ ∈ W2 である。W1 , W2 が部
分空間なのだから、w + w′ ∈ W1 かつ、w + w′ ∈ W2 となる。よって、w + w′ ∈ W1 ∩ W2 となる。定数
倍も同様に示せる。
最後に 3 であるが、これは反例を見てみればよい。R2 の部分空間で、W1 = {t (x, y) | y = 0} と、W2 =
{t (x, y) | x = 0} を考えてみよう。t (1, 0), t (0, 1) ∈ W1 ∪ W2 であるが、t (1, 0) + t (0, 1) = t (1, 1) ̸∈ W1 ∪ W2
である。
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定理 10.9. A を (m, n) 行列とする。W = {x ∈ Rn | Ax = o} はベクトル空間である。これを A の解空
間と呼ぶ。
証明 x, y ∈ W とすると、
A(x + y) = Ax + Ay = 0 + 0 = 0
となるため、x + y ∈ W である。また、c ∈ R と x ∈ W に対し、
A(cx) = cA(x) = c0 = 0
となるため、cx ∈ W である。
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