1 2014 年 8 月 8 日 物価水準と名目貨幣供給流列との関係についてのメモ 一橋大学 齊藤 誠 1. セットアップ このメモでは、簡単な貨幣需要関数を用いて、現在の物価水準と現在から将来にかけて の名目貨幣供給流列との関係についてまとめている。 議論を単純化するために、実質貨幣需要に対する実質 GDP 弾力性は 1 とする。すなわ ち、実質貨幣需要関数は、以下のように定式化される。 (1) ln Mt i1,t ptYt ただし、 M t は名目貨幣供給残高、 pt は物価水準、Yt は実質 GDP、 it は名目金利、利子率 半弾性値 は正値のパラメーターとする。 今、フィッシャー方程式が成り立っているとする。 pte1 pt i1,t rt ,t 1 pt ただし、 rt ,t 1 は実質金利を示す。上のフィッシャー方程式を対数近似すると、 (2) i1,t rt ,t 1 ln pte1 ln pt となる。 と表すことができる。 (2)式を(1)式に代入して、 ln pt について解くと、次のようになる。 (3) ln pt 1 Mt rt ,t 1 ln pte1 ln 1 Yt 現在の関心は、物価水準と名目貨幣供給流列との関係なので、実質 GDP を 1 に標準化 して、実質金利を 0 で一定だと仮定して、議論を単純化する。さらに、将来の物価水準に 2 関して合理的期待を想定すると( pte1 pt 1 )、(3)式は、次のように書き換えることがで きる。 (4) ln pt 1 ln M t ln pt 1 1 (4)式を前向き方向に解いていくと、現在の物価水準について次のような解を得ることが できる。 (5) ln pt 1 ln M lim t ln pt 1 0 1 1 (5)式が示すように、現在の物価水準(の対数値) pt は、中央銀行が現在から将来にか けての名目貨幣供給計画、すなわち、名目貨幣供給流列( M t , M t 1 , M t 2 , M t 3 ,... )に依 存する。 2. 物価水準と名目貨幣供給流列 以下では、現在の物価水準と名目貨幣供給流列との関係が、利子率半弾性値 の水準に 左右されることを示していきたい。 0 のケースでは、(4)式からでも、(5)式からでも、 (6) ln pt ln M t を得ることができる。 (6)式によると、どの時点でも、現在の名目貨幣供給と現在の物価の関係が 1 対 1 となる ケースは、すなわち、貨幣数量関係が完全な形で成り立つ。 のケースでは、 lim (7) 1 1 0 、 lim lim 1 1 となるので、(5)式は、 1 1 1 ln pt lim ln pt 3 となる。 (7)式によると、現在の物価は、名目貨幣供給流列にまったく左右されず、貨幣数量関係 は緩やかな形でも成立しない。 2 つの両極端のケースから類推されることは、 0 のケースでは、利子率半弾 性値 が高まるほど、貨幣数量関係は弱まることが予想される。はたしてどうであろうか。 今、 lim ln pt の上昇率が 1 を下回るとすると(たとえば、ハイパーインフレのよう なケースを想定しないとすると)、(5)式右辺第 2 項は消えてしまう。 (8) ln pt 1 ln M t 1 0 1 (名目貨幣供給増加が一時的なケース)まず、一時的な名目貨幣供給量の上昇であれば、 利子率半弾性値 が高まるほど、貨幣数量関係が弱まることを容易に示すことができる。 たとえば、当期(t 期)だけ名目貨幣供給量が高まったとすると、(8)式からは、 (9) ln pt 1 ln M t 1 が得られ、利子率半弾性値 の上昇で、貨幣数量関係が弱まることを確認できる。 (名目貨幣供給増加が永続的なケース)それでは、名目貨幣供給量の増加( ln M )が永 続的に維持された場合はどうであろうか。(8)式からは、 (10) 1 ln pt ln M 1 0 1 1 1 1 1 となるので、上の式は、 が得られる。ここで、 1 0 1 1 1 1 (11) ln pt ln M と書き換えることができる。 4 (11)式の示すところでは、利子率半弾性値 の水準に関係なく、貨幣数量関係が完全に 成り立つ。しかし、(11)式の解釈には、注意を要する。(10)式が示すように、利子率半弾性 値 が高くなると、きわめて遠い将来の名目貨幣供給量のウェートも相対的に高くなるの で、非常に遠い将来の名目貨幣供給量も、現在の物価水準に織り込まれる必要がある。 「非常に遠い将来」の現実的な妥当性は、慎重に検討する必要がある。たとえば、5 年 先、10 年先の名目貨幣供給量であれば、現在の物価水準に織り込まれる現実的な範囲と考 えても差し支えないであろう。しかし、四半世紀先、半世紀先、あるいは、1 世紀先とな ると、現在の物価水準に織り込まれる現実的な範囲とは、なかなか考えにくい。 私たちは、時系列データの特性を考えるときに、自然とタイムスパンの妥当性を考えて いる。たとえば、 yt yt 1 b t に従う時系列 yt があったとして、 が 1 を下回るものの、1にきわめて近い場合、理論的 には、yt は定常的な時系列変数であるが、現実的なタイムスパンで見ると、長期平均 b 1 に収斂していくとはなかなか考えにくく、 yt は非定常的な時系列変数と考える。 以下では、利子率半弾性値 が非常に高い場合、 のケースのインプリケーショ ン、すなわち、 「貨幣数量関係がブレークダウンする」という含意に近いと考えるのが妥当 であることを見ていこう。 (10)式では、無限の将来まで名目貨幣供給量の増分が考慮されているが、有限の将来ま で、すなわち、T 期まで名目貨幣供給量の増分が考慮されているケースでは、 (12) 1 T ln pt ln M 1 0 1 が成立する。 (12)式では、 T については、 M t 0 としていることから、現在の経済主体は、中 央銀行が名目貨幣供給量の制御にコミットメントできる範囲が T 期先までと考えている 事態を想定していることになる。 代替的な定式化としては、(4)式を前向き方向に T 期先まで解いた 5 (13) ln pt T 1 1 T ln M t ln pt T 1 1 0 1 1 を考えることができるが、(13)式を用いなかった理由は、文末の補論で議論している。 1 T 次の表は、 と T の組合せについて、 を求めたものである。なお、時 1 0 1 間単位は、年とする。 T=5 T=10 T=25 T=50 λ =1 0.98438 0.99951 1.00000 1.00000 λ =10 0.43553 0.64951 0.91609 0.99226 λ =100 0.05795 0.10368 0.22795 0.39798 λ =500 0.01192 0.02174 0.05062 0.09688 λ =1000 0.00598 0.01093 0.02565 0.04970 上の表によると、利子率半弾性値 が 1 と低い場合は、向こう 5 年間の名目貨幣供給流 列しか考慮されなくても、 ln pt 0.98438 ln M 1 ln M が成り立ち、ほぼ、貨幣数量関係が成立している。 しかし、 利子率半弾性値 が 10 となると、名目貨幣供給増分 ( ln M )の係数は、 0.98438 から 0.43553 に低下し、利子率半弾性値 が 100 となると、その係数は、0.05795 にさら に低下する。利子率半弾性値 が 100 の場合は、向こう四半世紀の名目貨幣供給増分を考 慮しても、係数は、0.22795 にとどまっている。 100 では、係数が 0.9 を上回るのに、 230 年を超えた名目貨幣供給が織り込まれる必要がある。 短期金融市場の市場金利が非常に低い水準となり1、流動性の罠の状態に陥っていると考 えると、利子率半弾性値 の水準はきわめて高い水準にある。たとえば、名目金利がゼロ 近傍となった 1996 年から 2005 年(量的緩和政策の手仕舞い期)のデータについて、日銀 券に対する貨幣需要の実質 GDP 弾力性を 1 と仮定して、 利子率半弾性値 を推計すると、 100 を超える水準となっている。 1 ただし、金利水準がゼロ近傍になることを必ずしも意味しない。日本の貨幣市場では、 コールレートが 0.5%以下に誘導されるようになった 1995 年半ばごろから、実質貨幣需要 は、利子半弾力性がきわめて高くなった。 6 こうしてみてくると、たとえ、名目貨幣供給増分が長く維持される場合であっても、現 実的なタイムスパンを考慮すれば、利子率半弾性値 が高まるほど、貨幣数量関係は弱ま っていくと考えるのが妥当である。 補論:(13)式の可能性について2 以下に(13)式を再掲する。 (13) ln pt T 1 1 T ln M t ln pt T 1 1 0 1 1 (13)式を用いて、名目貨幣供給量の増加を永続的に維持する影響を考える場合、(13)式 右辺の第 1 項ばかりでなく、第 2 項に現れる ln pt T 1 についても、その影響を考慮しなけ ればならなくなる。 仮に、合理的期待仮説を想定すると、ln pt T 1 についても、(8)式が妥当することになる。 すなわち、 (14) 1 ln pt T 1 ln M t T 1 1 0 1 が成立する。 無限の将来までの名目貨幣供給量を考慮する経済主体の場合であれば、(14)式を(13)式 に代入して、結局、(8)式が得られる。 T 1 1 T 1 ln pt ln M ln M t t T 1 1 0 1 1 1 0 1 1 ln M t 1 0 1 (13)式の可能性については、Twitter 上で@himaginary 氏から指摘を受けた。ここに謝 辞を申し上げる。 2 7 したがって、名目貨幣供給量の増加が永遠に維持される場合は、利子率半弾力性 に左右 されることなく、貨幣数量説が完全な形で成立する( ln pt ln M ) 。 しかし、中央銀行のコミットメントに限界があると考え、 T 期までの名目貨幣供給量流 列しか考慮しない経済主体の場合であれば、将来の物価水準 ln pt T 1 に対する合理的期待 を形成することが困難になる。この困難さをもって、(13)式を用いなかった。 しかし、いくつかのケースを考えることができる。 ① 名目貨幣供給流列の変化が将来の物価水準 ln pt T 1 に対して影響しないと考え、 ln pt T 1 0 の期待形成が成り立つ場合は、(12)式が成立する。 ② 何らかの理由で将来の物価水準についても、貨幣数量説が完全な形で成立する と考えれば( ln pt T 1 ln M )、現在の物価水準についても、貨幣数量説 が完全な形で成り立つ( ln pt ln M ) 。 ただし、合理的期待仮説で②のケースを正当化しようとすると、結局は、いつの時点で も、無限の将来までの名目貨幣供給量を考慮する経済主体を考える必要が出てくる。②の ケースがおそらくもっとも妥当するのは、近い将来、利子率半弾力性 が十分に低下する ことが見通すことができ、将来の物価水準についておおむね貨幣数量説が成り立つことが 見込まれる場合( ln pt T 1 ln M )であろう。この場合であると、貨幣数量説の妥当 性が、依然として将来の利子率半弾力性 の水準に左右されることになる。 以上
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