様式7 論 文審査 の 結 果 の 要 旨

様式 7
論文審査の結果の要旨
人間の歩行メカニズムを大まかに考えると,歩行を司る筋骨格系(Body
)とそれを制御する神経系
(CPG
)に分けることができる.一般に CPGから Body
,あるいは Bodyから CPGへの情報伝達には
電気的・化学的な要因から時間遅れが発生する.人体の場合は lOOms前後の時間遅延が発生している
といわれている.これまでに人間の歩行を記述した数理モデルはいくつかあったが,そのほとんどはそ
うした時間遅延や外界からの摂動に対して脆弱で持続的な歩行が困難であった.それに対して近年,人
間の歩行パターンを CPG と Bodyの結合系と見なし,自発的な歩行パターンを極限周期軌道で表現
するという考えが主流になりつつある.この考えに基づくと,歩行中の外乱や時間遅延に対する適応性
が飛躍的に増し,これまでロボティクスなどの分野で行われてきた,外界からのフィードパックに対す
る膨大な情報処理を用いた制御を必要としない.すなわち摂動や時間遅延があっても軌道が安定な極
限周期軌道に吸引されることにより歩行が自発的に調整され,倒れることなく歩行が継続されるのであ
る.具体的には,時間遅延に応じて, CPGの位相が Bodyの位相よりも先行する,すなわち歩行を事前
予測することにより安定な歩行パターンを生成していたことが多くの数値実験で確認されたのである.
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
g
)と呼んでいる.そうした自
こうした適応の仕方をここでは,柔軟な位相ロック(F
発的な安定歩行形成のメカニズムは,上述のように極限周期軌道にその本質があると信じられているが,
これまでの多くの歩行モデルでは振動子として調和振動子か BVP方程式が用いられているだけであ
った.そこで本研究では,振動子を他の極限周期軌道を有するような系に置き換えても F
l
e
x
i
b
l
ephase
l
o
c
k
i
n
g による適応が再現されるかどうかチェックすることを第 1の課題とした.第 2の課題として,
そのような F
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
gが,どのような数理的構造から自発的に生成されるのかを解析的
に考察することを目標とした.
当学位論文では第 1の課題に対して,振動子を λ・
μシステムと呼ばれる,円軌道を極限周期軌道に持
つ系と Vand
e
rP
o
l方程式の 2つの場合それぞれに対して F
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
gの成立を,膨大な
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
gを見
数値シミュレーションを通してチェックした.その結果,どちらの場合も F
事に生成し,従来の歩行モデル以上に安定な歩行パターンが再現されることを確認することができた.
このように,振動子を取り替えて歩行パターンを考察するという当学位論文によるはじめての試みは,
F
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
gの本質が極限周期軌道にあるという仮説に強い根拠を与えることとなった.特
μ システムを用いた場合,波形が非常にスムーズであること,およびこれまでのどの歩行モデルよ
にλ・
りも時間遅れに対して頑強であることなどが確認された.これは新しい発見であり,歩行モデルを実用
化していく上でも大変重要な情報となるであろう.これに関しては今後論文としてまとめていく予定で
ある.
第 2の課題に対して,本来の歩行モデルを解析することは,その複雑さ故ほとんど不可能であるた
め,単純化されたモデルを提案し,その解析を通して数理構造を探るという方針をとった.これまでも
いくつかの単純化モデルが提案されてきたが,それらすべては元の歩行モデルの性質をきちんと反映し
ているとは言いがたいものであった.単純化モデルでは,一般に CPG と Bodyをそれぞれ一つの振動
子で表現するわけであるが,これまでのモデルではどちらも線形振動子(調和振動子),あるいはその摂
動で、あったり, CPG と Bodyのどちらも同じ振動子で表されたり,といった状態で、あった.それに対し
当学位論文では,もう少し元の歩行モデルをきちんと反映したモデル作りを目指した.実際,元の歩行
モデルでは, Bodyは剛性と伴う逆さ振り子として定式化されているが,それは安定性の弱い極限周期
軌道を生み出していると考えられる.そこで当学位論文では Bodyに対応する振動子として,調和振動
子に摂動を与えた振動子を採用し CPG には安定性の強い極限周期軌道を持つ系を対応させた.このよ
うな, CPG と Bodyで安定性に明らかに差をつけたモデルはこれまで提案されていなかった.その新
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
gに対応する解の挙動を
しい単純化モデルに対して位相解析を行うことにより, F
ほぼ完全に理論的に再現することに成功した.これにより F
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
gが,導出された位相
方程式における平衡点の,時間遅れに対する依存性を調べる問題に帰着され,時間遅れに関して展開し
たときの係数の正負により F
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
gの生成を判断できることが分かつた.その係数には
CPG と Bodyの聞の結合係数が含まれていることから, F
l
e
x
i
b
l
ephasel
o
c
k
i
n
gが CPG と Bodyの
結合の仕方によって生み出されることを理論的に示した最初の仕事になったといえる.こうした着眼点
はこれまでの歩行運動に関する研究にはなかったものであり,当学位論文は高く評価される内容となっ
ている.
以上のように当学位論文における結果は人の歩行運動に対する本質的理解につながる重要な結果を
含むとともに,単純化モデルを提案することにより数理的アプローチも可能にしており,理論,応用の
両面から大変意味のある業績であると考えられる.ここに本研究者は博士(数理学)の学位を受ける資格
があるものと認める次第である.