2. 宣教師たちのユートピア

越境する美術!
ラテンアメリカから考えるグローバル文化
Ⅰ.征服から始まった美術
2. 宣教師たちのユートピア
ふたつの副王領
ヌエバ・エスパーニャ副王領
ペルー副王領
ふたつの<レプブリカ>
スペイン本国�
先住民の集住化/都市化:
都市を中心とした、
スペイン人のレプブリカ
(peninsular – criollo)
支配-被支配の非対称
な関係を前提とした文
化間交渉
植民都市の外部に広がる、
先住民のレプブリカ
エパソユカン Epazoyucan
!
1,実際的必要: 布教、徴税の効率化!
!
2,思想的背景: 「都市化"文明化」というイデオロギー!
「インディオたちがこのまま離ればなれに住み、洞窟や谷あいに居続
けることが、礼節 #$%&'()をわきまえさせるためにも、また改宗を進め
るうえでも不都合であることは、だれしも無視できまい。というのも、
彼らは町で共に住まわせねば、教理を授けられないだけでなく、いつ
までも人間になることもできないからだ。この周知のことに、改めて
説明など不要だろう」!
*+),!-.!/)0&.,1$!2チャルカス聴訴院・聴訴官34!!"#$%&'"()%*(+%&,5!6789!
エパソユカン古地図
テンブレケの水道橋 Zempoala, Hidalgo
フランシスコ会士 Francisco de Tembleque により、16世紀半ばに設された水道橋 托鉢修道会による布教区建設
新大陸の布教に乗り出した托鉢修道会:
フランシスコ会(1524)、ドミニコ会(1526)、アウグスティノ会
(1533)
16世紀末にかけて、ヌエバ・エスパーニャにおける先住民布教を主導
当初の仮設聖堂から、世紀半ばには、石造の本格的修道院建築へ
16世紀末までに、250ものミッションが建設される
宣教の装置
•  地図
ウエホツィンゴ Huejotzingo 修道院:1540年代末着工、1571年完成
16世紀ヌエバ・エスパーニャの典型的な布教区聖堂
)0:&$5!')#&%%)!);&.:0)5!#$<)!をともなう修道院建築!
=.;)<0&>,!?@#.1!6AABC!6DB!2<.E+,!/'F,-:.G3!
Fray Diego Valades.
Retórica cristiana,
1579
ポサ Posa
野外礼拝堂 Capilla abierta: アクトパン Actopan 修道院(イダルゴ州)
テキキ!"#$%&'$%(!様式!
(インド・キリスト教!)*+,!-.&/01*,!
様式)!
Convento dominico de la Navidad de
Nuestra Señora, Tepoztlan (Morelos)
ワケチュラ修道院
(プエブラ州)
Convento de
Huaquechula
(Puebla)
エパソユカン修道院回廊壁画
1550年代頃
23456789:;<!=1.0* 十字架の道行き ->!?@A@
もしインディオたちが、彼ら自身の手と汗によってなさ
なければ、宣教師たちがもつ多くの聖堂や修道院は、だれ
が建てたのだろうか。・・・また、もしもその同じイン
ディオたちがなさなければ、だれがその教会に、装飾や、そ
の他そこに備えられ飾られるすべてのものを整えただろうか
(/.,-&.0)!6A9H!I67J7KC!LL5!D7!I?&;:$!D!M!N)#469K)
マリナルコ
「新世界」の理想化!
!
新大陸にエデンの園があったと信じる人びともいた。!
テカマチャルコ修道院天井画
テカマチャルコ修道院聖堂(プエブラ州)合唱席下天井画 1561-62年
F4!OP:.:!'46DAJ!
8 キリストと7つ
の燭台の幻視
燭台の中央には、
人の子のような方
がおり、足まで届
く衣を着て、胸に
は金の帯を締めて
おられた。・・・
口からは鋭い両刃
の剣が出て、顔は
強く照り輝く太陽
のようであった。
(黙6C6H)
ヨアキムの千年王国思想: 三位一体に対応して、人類の歴史を三つの時代に区分。
第一の時代:父なる神と律法の時代(旧約の時代)。第二の時代(聖
霊の時代):子なるキリストと福音の時代(新約の時代)。だがまも
なく第三の時代が、新たな救世主とともに出現、と預言。「世界は一
大修道院と化し、そこで全人類が瞑想に明け暮れる修道士となって神
秘的忘我の境にはいり、一体となって神を賛美する歌をうたう」
(ノーマン・コーン 1972: 104)。 その出現は1260年頃:アブラハムと
キリストのあいだが42世代であったことを基準に。
メンディエタ:
「取るに足らぬ私であっても、・・・このように良きキリスト教精神
によって組織され、整えられた5万人のインディオの国を、ほとんど
何の苦もなく統治することができるだろう。それはあたかも一つの国
全体が修道院のようなものなのだ。・・・人びとは行進をし、頌歌や
霊的な歌を歌って神を賛美し、時を過ごす」
天井装飾を制作させたのはだれか? その意図は?
修道院長: アンドレス・デ・オルモス Andrés de los Olmos
1554年、ヌエバ・エスパーニャに到着。ともにやってきた同僚に、ヘ
ロニモ・デ・メンディエタ Jerónimo de Mendieta(1525-1604): 『イン
ディアス教会史 』の著者。
ヌエバ・エスパーニャにやってきたフランシスコ会士たち: 「会則
遵守派 observantes」。フィオーレのヨアキム(c.1135-1202,シトー
会士)に発する中世の「千年王国 millennium 思想」との深いつな
がり。
先住民社会はこうした装飾事業どのように関与したのか?!
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「フアン・ヘルソン!B%1*!7#./C*」: テカマチャルコの年代記に
言及 D画家? 聖堂執事?!
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*名は!B#1*!7#./,*!に由来?(近隣には「トマス・デ・アキノ(ト
マス・アクイナス)の名をもつ首長もいた)!
*スペイン風に清掃し、帯剣、騎乗を許されたとの記録も残る!
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先住民が聖堂装飾に関わることの「意味」を示唆!