異世界太腕漂流記 ∼乙女ゲームは衰退しました∼ 笹の葉粟餅 タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 異世界太腕漂流記 ∼乙女ゲームは衰退しました∼ ︻Nコード︼ N7061CC ︻作者名︼ 笹の葉粟餅 ︻あらすじ︼ 女子力底辺の日本在住ゲーオタ社会人女性︵喪︶が、こともあろ うに乙女ゲームの世界に、しかもヒロインをあの手この手でいびる 悪役に転生しました。 わりかしベタな剣と魔法と恋の学園物語の世界、だそうですが、こ いつはんなこと知ったこっちゃありやがりません。ゲームの内容的 な意味も含めて。 前世においてVRMMOにどハマリした、血沸き肉踊り骨軋む剣風 囂々吹き荒ぶ戦闘大好き女子力底辺の戦闘脳は突き進む︱︱最強を 1 目指して! 旧題﹃乙女ゲーム不適合者の乙女ゲーム世界転生記 ∼悪役? い いえ戦闘脳です∼﹄ 2 第一部登場人物一覧︵前書き︶ ※主人公以外の各人物の年齢は、初登場時のものです。 3 ツァスタバ︵暫定︶ 第一部登場人物一覧 ■ 二十撃目の現在御年八歳。でも十二歳かそこらに見える高身長。 主人公。注意していただきたいのは、ヒロインではなく主人公であ るということ。 時代と場所と性別間違って生まれたとしか思えない女子力虚数のグ ますらをとめ ラップラーだった前世に相応しく、早々に修羅の門を潜って羅将へ の道を着々と進んでいる修羅系益荒漢女。 料理も洗濯も裁縫もできるけど何故か女子力に結合しないふしぎ。 そりゃ料理が獲物狩って捌くとこからとかだったら、しゃーねーわ な。 や 十六撃目現在での戦闘スタイルはヒット&アウェイなアサシンスタ イル。獲物にプッシュダガーとか殺る気ムンムンじゃないですかや だー。 なお、 サイレントキリング アクロバットムーブ イーグルダイブ ステルス暗殺 ステルス尾行 高所制覇 鷲の戦い へんたい 逃亡名人 三次元立体機動 加速装置 豪運 フードファイター その他が順調に実績解除されているorされつつある。どう見ても 4 乙女ゲーム転生者のスキルじゃねーぞ。 外装︵笑︶については以下をご照覧あれ。 ぶっちゃけコレ自慢したくてこのページ作りましたが、何か。 <i122986|12585> →元色Ver <i123006|12585> →染色Ver こちらはてるる様からいただきました。本当にありがとうございま す。︵感謝の焼き土下座︶ さらに! 新たな絵師様から未来予想図いただきました、こちらで す! ・・・・ <i124039|3466> →乙女ゲームの攻略対象キャラのスチルですよね、これ。 こちらはやつがれ様からのギフトでございます。︵感謝のシライ土 下座︶ 原作ヴェルヘルミナの将来図は﹁黒髪三つ編みお下げの地味︵つー か陰気︶なメイド﹂。 当然ヴェルヘルミナ︵幼︶もそんな感じになるハズだったんだけど、 今ではすっかりミッシェル兄貴予備軍かつ地獄公務員候補生。 どうしてこうなった。そりゃ中の人のせいですがな。 ちなみに象徴する花は、 ヴェルヘルミナ↓ナツザキフクジュソウ、ムスカリ、トリカブト シャール/ツァスタバ↓ヤドリギ、アキレア、ビジョナデシコ M仕様28歳Ver・郷田ほづ となっておりますが、花言葉でググると笑えると思います。 CV:ツァスタバ・三瓶由布子 5 みor竹本英史or浅沼晋太郎︵M仕様18歳Verまでは菊池正 ドライゼ︵55︶ 美︶ ■ シル○ェスター・ス○ローン似の、葉巻と髑髏が似合うちょい︵っ てレベルじゃねーぞ︶悪オヤジ。個性的で自分勝手な連中の頭を張 ってる、らしい。本格登板はもうちょい後。 大脱出? リベンジマッチ? そっちもいいけどエクスペでしょ。 サコー︵41︶ CV:ささきいさお ■ ジェッ○・リー似の苦労人。ツァスタバ︵暫定︶の父ちゃん。家庭 キリングマークホルダー 持ったらきっと子煩悩。多分一番の常識人︵=貧乏くじ長者︶。主 人公が既に童貞卒業済だと知った後の胃が心配でならない。一応最 年少。繰り返す、最年少である! ヘビースモーカーっぽい。ぽい って何だ。あと、そんな金に汚くない。たぶん。 少○寺! 少○寺! ただしnotサッカーやでえ。 シグ︵45︶ CV:池田秀一 ■ ダ○エル・クレイグ似の、サコー曰く﹁ろくでなしのスケコマシ﹂。 キリングマークホルダー フッカーモテル 割と否定できない。人生いたるところに青山ならぬ女あり。主人公 が童貞卒業済と踏んでいる。娼館及び売春宿での男の作法を主人公 にご教授下さいました。でも限りなく近いのならもう知ってたんや ⋮⋮。︵つそっと目をそらす︶ ダ○エル知らない? 倫敦五輪で女王陛下とスカイフォールしてた やん。 6 藤真秀 ローナー︵42︶ CV: ■ ラ○ディ・クートゥア似⋮⋮というか九○九乱○仕様のラ○ディ・ クートゥア? とりあえず脳筋。脳味噌は人を殴るためにある。︵ キリッ︶ 十七撃目から本格登板。 なんで作者すぐ獏ってしまうん? それは○蔵さんだからです。 ス○ーンコールド・オースチンとザ・○ックで迷ったらこうなった。 アストラ︵49︶ CV:木下浩之 ■ スティー○・ブシェミ似の技術屋系。登板はローナーの次あたりじ ゃね? え、誰それ知らん、と言うアナタは﹃コ○・エアー﹄か﹃ ア○マゲドン﹄をご覧下さい。前者では囚人や警官さえも恐れる伝 スナイパー 説の被害者37人の連続殺人犯で出演しとります。 初めにモデルありき。 ステアー︵43︶ CV:二又一成 ■ ○ドワード・フォックス似の狙撃手系。登板はアストラの次を予定。 え、誰そ︵略︶なら﹃○ャッカルの日﹄をご覧下さい。間違って﹃ ジャッ○ル﹄をご覧になっても出てきませんので要注意。 ⋮⋮最初は公○九課のスナイパーだったとか、口が裂けなくても言 えない。 CV:前田昌明 7 ■ ロッセル・ギャボリオ・サヴィニャック伯爵︵30︶ 婿養子。スケベスト=ナオンスキー。主人公の染色体の半分はコイ ツ持ち。東○タワーカラーの髪とか目に痛ぇよ。 今後の出番? シラネ。 エリザベト・マルゲリット・サヴィニャック伯爵夫人︵27︶ CV:なし︵ヒデェ︶ ■ リアル鬼嫁。サヴィニャックの血統にあらずんばサヴィニャックの 人間にあらず。平家か。ピーコックグリーンの髪とか、色素どっか ら来たし。 ベルサイユ宮殿でマリーさんの取り巻きにいそうなタイプじゃね? 文句があるならベルサイユにいらっさい。 アナ=マリア・マルゲリット・ガブリエル・サヴィニャック伯 CV:潘恵子 ■ 爵令嬢︵7︶ 乙女ゲームヒロイン。そして転生者。そして残念ヒロイン確定の模 様。 ﹁中の人﹂が覚醒する前は、内気で人見知りのはにかみ屋さんで臈 長けたお姫様だったのに。エイメン。 あと雪の女王は関係ない。レリゴゥ! 象徴する花は、 ビフォアー・アナ=マリア↓ストケシア、ユーチャリス、レインリ リー アフター・アナ=マリア↓チューベローズ、ヘメロカリス、スカシ ユリ CV:ビフォアー・平野綾 アフター・富沢美智恵 8 ■ ヨハンナ︵24︶ 主人公の生母。16でお手つきになって出産とか、さすがやなスケ ベスト=ナオンスキー。 おきのどくですが﹁かれんなむすめ﹂はきえてしまいました。でで くに でででででででーでん。 故郷で再婚して新しい生活をスタートしている⋮⋮といいなあ。 CV:雪乃五月 よう 市川 鷹 いちかわ お・ま・け ■ 一族が○影九拳に連なっていたとか、独○ウィルスのホルダーだっ たとかでも、きっと誰も驚かない主人公の前世。 海外事業部のOLやってたけど会社はPMCですが、何か。 デスモドゥス 生まれる場所と時代と染色体間違えてたんじゃね? 車に轢かれて 死んだとか、解せぬ。アレか、車じゃなくて走るギロチンに轢かれ たんとちゃうか? CV:石田彰︵え゛︶ ■山田花子︵仮︶ 鷹さんの同僚︵こっちは庶務課︶オフ友。乙女ゲーム世界に転生し た元凶って、ひょっとしてコイツじゃね? CV:???? 9 第一部登場人物一覧︵後書き︶ うん、見事にオッサンばっかりです。え? それが何か問題でも? 10 一撃目 どう考えても人選ミス いちかわよう 私はゲーマーである。名前は市川鷹。VRゲーム黎明期から今日 まで十年以上ユーザーを魅了し続けた剣と魔法のVRMMO、﹃ミ ふるつわ ヅガルヅ・エッダ﹄に一日最低一時間︵休日祝祭日は最大六時間、 もの 出張等のあった日を除く︶を、サービス開始時から注ぎ続けた古参 兵である。 ちなみにXX染色体︵♀︶ね、ハイここ重要テストに出ます。 まあ、“理想の戦闘スタイル”を実現すべくひたすら鍛えに鍛え、 気付いた時にはぼっちだったけど気にしない。 ジークぼっち! ハイルぼっち! おひとり様の何が悪い! ⋮⋮まあそれはそれとして、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄の面白いと ころは、戦って経験値とレベルとスキルポイントボーナスを稼いで 成長する、古きよきRPGの伝統を継ぐ成長方法とは別に、経験値 やレベル、スキルポイントボーナスに依存しない成長方法があるこ とだと私は思っている。 それは、走り込みや筋トレで体を鍛え剣を振る土台を作り、致死量 に至らない量の毒物を摂取して耐性をつけ、ギルドで﹁魔力開放﹂ の儀式を行ってもらい魔力を感じられるようになったら、瞑想で集 中力と魔力の制御を高め、書物から魔術の理を学び、店売りの武器 や防具などの装備品に不満があれば作り方を学んで自分で作り、卵 や幼獣を探して育てて、と、試行錯誤を繰り返し、派手さのかけら もない泥臭く地味な行為を積み重ねていく、現実に近い方法だ。 私が選んだのは、その泥臭く地味な行為を積み重ねるやり方だっ た。 お陰で同時期に始めたプレイヤーは、私がひいこらやってる間にト ップランカーとして知られるようになったし、後発のプレイヤーに 11 もあっさり追い抜かれた。 時にNPCに間違われたり︵スタート地点の城壁都市の外周走りこ んだり、ギルドの鍛錬場で木刀の素振りや弓の練習してたり、瞑想 室で座禅組んでたり、書庫で魔術書読んでたり、鍛冶屋や農場や牧 場で働いてたりしてたからなー⋮⋮︶、後発組にプギャーされたり したけど、私は私の信念の元、派手さのかけらもない泥臭く地味な 行為の積み重ねで、“理想の戦闘スタイル”を目指した訳で⋮⋮で もそれは、決して無駄ではなかった訳で⋮⋮十とウン年目にして、 やっとその“理想の戦闘スタイル”にこぎつけられそうな訳で⋮⋮ だからこの“理想︵の戦闘スタイル︶”は、間違いなんかじゃない んだから︱︱! とまあ、それはさておき。 私の“理想の戦闘スタイル”、それはズバリ“龍騎士”である。 剣と魔法のファンタジー世界、最強の幻想種たる龍を従え天に舞う 最強の戦闘職。これに憧れずにいられようか。 と言っても、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄はスキルはあるがクラスは ない。故に剣技スキルをメインにしたPLが“剣士”を、魔術スキ ルの中でも攻撃魔術メインのPLが“魔術師”、回復魔術メインの PLが“僧侶”を名乗ろうと関係ない、一種の自己満足の称号みた いなものだ。 なので、それ︱︱私の理想である“龍騎士”の場合、﹁龍を乗りこ なせる騎乗技術﹂と、﹁龍に騎乗した状態で交戦可能な戦闘技術﹂ があり、かつ、﹁騎乗する龍がいる﹂、という条件を満たしていれ ば名乗れるのではないかと思っていいたので、それらを満たせるよ うにひたすら頑張ったとですよ。 まあ、﹁騎乗する龍﹂については、課金アイテムのペットという のもあったのだけど、そこはそれ、力ある龍に打ち勝ち、従えてこ 12 その“龍騎士”ではないか、と。 そんな訳でひたすら自分を鍛え上げ、最強の幻想種の名に相応しい 龍を探したところ、フィールドモンスター最強の一角と名高いネー ムドユニーク、盤古大龍・ククルカン︵と言うかタイトルが﹃ミヅ ガルヅ・エッダ﹄と北欧神話なのに中国神話とマヤ・アステカ神話 がリミックスなのは何故ですかと運営に問いたい、いや割とマジで︶ が挙がりまして。 龍種最強との噂の高い君に決めた! ということで挑む回数実に 四桁弱、ホームへの死に戻りをひたすら繰り返し、遂に遂に、つー いーにー下したのですよ! いやはやソロ撃破の難易度頭おかしいレベルですよってアレ。 ファナティック全属性開幕同時スーパー弾幕ブッパタイムに始まり、 へんたい 雷撃ゲリラ豪雨、荷電粒子砲もびっくりブレス時々テイルウィップ、 加えて巨体に似合わぬ高速立体機動の飛行能力持ちと詰みゲー以外 の何物でもなかったですが、勝利の瞬間は私が男だったらイッちゃ ってたと思う、性的な意味で。 理不尽の体現者とも言うべきハイパー鬼畜仕様サマをソロで下した 瞬間の、こいつは私のものだ、って至福の恍惚と征服欲の満たされ 具合、半端なかったです、はい。 こっちもHPギリギリであとちょっとで死に戻りでしたが、向こう も瀕死と言うか臨死だったので、無事従えられました。 アレです。強いやつが正義みたいな。野生の掟ですね。 かくして理想の戦闘スタイルの極致、“龍騎士”に到って最初の ログインとなるはずの今日、オフラインオタ友の山田花子さん︵仮 名︶が﹁コレ絶対ハマるから!﹂と、朝っぱらから会社の更衣室で 強引に貸し付けてきた、非VRのいわゆる乙女ゲームなるものをバ ッグにインしたまま、歩道にチャージしてきたランクルに、現在進 行形ingで轢かれております。 13 内臓ミンチの肉骨粉ですかそうですか。 つうか車に楽しいで﹁ひく﹂ってそれどうなのよ字面的にあかんの とちゃいますのん? ねえ? 朝からだるいし、頭は重いし、全身の関節は熱持って変に疼くし、 食欲ないし、妙に動きに冴えがないし、﹁今日のお前絶対おかしい﹂ と同僚一同に検温を強制され、測定結果40度で即時帰宅を言い渡 されたと思ったら、ごらんの有様だよ! 人類最小最強の敵とはよく言ったもんだわ。伊達や酔狂で人類の大 量殺戮レコード保有してないね、あいつら。 とりあえず運転席のDQN臭い金髪、奴は呪う。うんと呪う。す ぐ呪う。凄く呪う。 具体的には一生這い上がれない社会のヒエラルキーの最底辺を一生 這い回って元同級生とかにプギャーされ、最後の最期は行旅死亡者 で無縁仏ENDになりやがれ、くらいの勢いで呪う。 ティンダロスの猟犬に死んでも追いかけられろ。角のある空間の向 うの、もの凄い原子核の渾沌世界にお住まいの字祷子様拝んで、存 在の根底から破滅しろ。 ⋮⋮ああ、目が霞んできた。痛いとか通り越して、妙にふわっふ わした感じで感覚ないし、やけに肌寒いし異様に眠いし、これはあ かんやつや。死ぬなこれ。多分じゃなくて、確実に。 でも、せめて。せめて一度、一度でいいから﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄ を、憧れの龍騎士として闊歩したかった⋮⋮。 14 で。 ランクル あ⋮⋮ありのまま、今起こった事を話すぜ! 私はDQNの車に轢 かれて内臓肉骨粉カクテルでおっ死んだと思ったらいつのまにか六 歳児になっていた。 な⋮⋮何を言っているのか分からないと思うが、私も何をされたの か分からなかった⋮⋮頭がどうにかなりそうだった⋮⋮思い違いだ とかドッキリだとかそんなチャチなものじゃあ断じてない、もっと 恐ろしいものの片鱗を、今全力で味わっとります。 うん、凄く混乱してますが、何か? 思わず全力でネタに走るくら い。言ってる事がわからない⋮⋮イカレてるのか? みたいな目で 見られても仕方がないレベルで。 いやだって、死んだと思ったら六歳児ですよ? 何故六歳児かと 申しますと、目を覚まして枕元見たら、﹁六歳の誕生日おめでとう 愛するミーナへ ママより﹂ってカードが置いてあったからです が、これってどゆこと? いやもう本当に何が何だか。 そうやって混乱しているんですが、同時にひどく納得してる自分 もいるのですよ。 私はゲーオタ日本人女性市川鷹であり、カードの送り主であるヨハ ンナさんの娘、ミーナことヴェルヘルミナである、と。 ⋮⋮うん? ヴェルヘルミナ? 聞き覚えがあるようなないよう な⋮⋮って、あ゛。 リアルのオタ友兼同僚の山田花子さん︵仮名︶に、乙女ゲームとか 言うの貸し付けられた時、何か言っとったよーな気がするんですけ ど。 美中年から美少年まで攻略対象がバラエティ豊かで、しかも皆イケ 15 ボでとかどーたらこーたらと。 で、その作品の、純真で天真爛漫ながらも芯の強い、守ってあげた い系の可憐なヒロインの名前が確か、アナ=マリア・マルゲリット・ ガブリエル・サヴィニャック。 一方、そんなヒロイン付きのメイドでありながら、陰であれこれ画 策し、周りの連中扇動してヒロインをあの手この手でいびる根性バ バ色の女の名前が、ヴェルヘルミナだったような⋮⋮って、え? おい。ちょっと待てそれが私? え? マジ? 悪役ですかそうで すか。 じゃなくてだな、そもそも剣と魔法の世界だったら切った張った、 血沸き肉踊り骨軋む戦いに身を投じて何ぼだと思うのですが。 唸る太刀風に身をさらし、死ぬか生きるか、刃の火花に命をさらす。 惚れた腫れたのに割いてる時間なんてねえだろJK。 おっと失礼、市川鷹は女子力たったの5⋮⋮ゴミめ、な女子力底 辺人でしたんで。ええ。 学校の制服以外のスカートはいた覚えがありません。 バレンタイン? ああ翌日には売れ残りのチョコレートセールにダ ッシュしましたねー。大体あんなん製菓会社の戦略でがしょう。も しくはブリテンスメル漂うステッキー戦車でFA? FA。つか、 同性にガチの本命チョコってどうなのよ。いやマジで。 赤毛のアンはアンの長広舌にウンザリして五ページで挫折したけど、 ヴェルヌは大好きでしたよ? ああいう超戦艦的なのって、憧れま せん? 宇宙戦艦とか胸熱じゃないですか。波動砲は漢の浪漫です。 変身するなら魔女っ子アニメより特撮ヒーロー。近所のガキどもと よく変身してました。 子供の頃情熱を持って打ち込んだのは、必殺技の飛び蹴りでしたが 何か⋮⋮って、いやだから節子それ違う。節子って誰。 16 ⋮⋮オーケイ、冷静になって考えよう。 私は日本人で、女子力底辺のゲーオタ社会人︵♀︶の市川鷹である。 私はヴェルヴェリア大陸にある国家のひとつ、レリンクォル王国の ロッセル・ギャボリオ・サヴィニャック伯爵とその妻、エリザベト・ マルゲリット・サヴィニャック夫人、ではなくサヴィニャック伯の お手付きとなったメイドのヨハンナが生んだ娘である。 うん、わけがわからないよ。 とりあえず今の私は、本来のヴェルヘルミナの人格が市川鷹という 人格によって侵食統合されて発生した新たな人格と、そう考えるべ きか。 けどまあ、そうなってしまったものは仕方がない。 着替えたし部屋の外に出よう、と思ったんだがここ屋根裏部屋じゃ ねーかよ。いや着替えした時点でそれっぽいなーと思ったけど、改 めてよく見てみたらマジで屋根裏部屋でした。 六歳児の部屋じゃねーぞこれマジで。 侵食してしまったヴェルヘルミナの記憶によれば、起きたら食堂、 ではなく当然使用人と一緒に台所で食事して、旦那様と奥方様とご 令嬢の目に触れないよう屋根裏部屋か厩か森ん中で日中を過ごし、 夕方になったらまた使用人と台所で食事して、残り湯で体拭いて屋 根裏部屋に戻るルーチンワークの繰り返しでした。 児童虐待ですねわかります。 いっそ感動的なまでの養育放棄と無関心。児相に通報したろか。 ないわーひくわードンびくわー思いつつ屋根裏部屋から出て、一 階︵あ、ここん家三階建てでした︶の台所に下りたら、かっちかっ ちの古いパンにしなびた野菜の切れっ端が申し訳程度に浮かんだ、 水で薄めたうっすいスープとか出てきましたよ。 17 あー、いかにヴェルヘルミナをいびって奥方様の機嫌をとるかで使 用人の扱いが変わるんですかそうですか。 正直笑いそうになったね、お約束過ぎてむしろテンプレ乙だわ。 あ、ちなみに生母のヨハンナさんは先日付けで解雇され、屋敷を 追い出されてました。 ヨハンナさん 市川鷹に侵食される前のヴェルヘルミナにとって、唯一の味方であ る母との離別は、心が千切れるほどのショックだったようで、その せいで市川鷹という前世? の人格が目を覚まし、本来あるべきヴ ェルヘルミナの人格を食い潰してしまったのかもしれない。 あるいは、ショックから自分を守るため、ヴェルヘルミナがこの 先生き残り、生き続けるために市川鷹を目覚めさせた結果がこれで あるなら、私のやるこたぁただひとつ。 市川鷹としての経験と、シャール・エスコットとして﹃ミヅガルヅ・ エッダ﹄で積み重ねた経験とをヴェルヘルミナにフィードバックし、 サヴィニャック家を出て自立し自活できる道を作ることしかない。 学園生活? 知らんがなそないなもん。 それに、この世界が件の乙女ゲームの、剣と魔法と恋の学園物語の 舞台となる世界なら、剣と魔法、つまり血沸き肉踊り骨軋む剣風囂 々たる戦いがないとは言い切れない! とりあえず、地味に地道に泥臭く、体を鍛えることから始めようと 思います。 18 一撃目 どう考えても人選ミス︵後書き︶ 初投稿です。 女子力底辺のゲーオタ喪女で戦闘脳を乙女ゲームに放り込んでみま した。 亀更新ですが、よろしければ気長にお付き合いください。 ※5月30日 人物関係その他含めて修正 19 二撃目 この道はいつか来た道、ああそうだよ鋼鉄の茨道だよ 皆さんこんにちは。ラッシャーき⋮⋮げふんごふん、みんなのア イドル、ヴェルヘルミナちゃん六歳です。 ⋮⋮うん、冗談だから季節の変わり目によく出るアレなひと見る目 は勘弁して下さい。 衝撃︵笑︶の誕生日から五日が過ぎましたが、どっこいしぶとく 生きてます。 アレです、温室でしか育たない繊細な蝶と違って、クマムシは熱帯 から極地方、超深海底から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上 のほとんどありとあらゆる環境に生息してますからね! しかも極度の乾燥状態、151℃の高温からほぼ絶対零度の極低温、 真空から七万五千気圧の高圧、高線量の紫外線、X線︵半致死線量 は57万レントゲン。人間が五百レントゲンだからどんだけですか いな︶、ガンマ線等の放射線に耐えるしね。 何せ宇宙空間に直接さらされても十日間生存できる最強生物だし。 あ、ちなみに只今はケレンディア歴︵ちなみにヴェルヴェリア大 陸の他に三つ大陸があり、それらを含んだ世界の総称がケレンディ アだそうな︶3765年、始源の月、緑の11日です。 1月2月月曜日火曜日とかでいいじゃん面倒くさいなーもー、と思 わなくもないですが、郷に入っては郷に従えと昔の人は言いました。 そしん くろ おおみ うまれ めぐり かくれ ついでに言うと、始源の月ってのは一年の最初の月のこと。 そっから祖神、白、玄、天、地、大海、精霊、時、誕、廻、隠で、 一年十二ヶ月なのは同じだけど、一ヶ月は一週間七日×4の四週間 28日で、赤から始まり青、黄、緑、白、黒、始源の曜日があって、 始源の日は基本安息日だけど、関係あるのは敬虔な祖神教会派信者 20 の人くらいじゃないだろうか。 で、各月の名前はケレンディアの創世神話に由来してるそうで、始 源の混沌から祖神が出で、始源を光と闇に分け、更に天地と海を分 け、精霊を生み出し、時により数多の生命を誕生させ、月日と生死 の廻りが定まったところで世界を譲りお隠れになられた、その行程 を十二ヶ月に、世界を構成する火・水・土・風・光・闇の六大精霊 と始源を曜日に当てはめてたのだとか。 それはまあ割とどうでもいいので置いといて、現状は、ここは何 処のミンチン女学院ですかと突っ込まざるを得ない有り様ですが、 温室でなけりゃ育たない繊細な園芸種と違って、ヴェルヘルミナの 約99%を占める市川鷹は、先祖代々由緒正しい三河武士、つって も足軽よりかは多少マシな程度のごっつい下級という筋金入りの原 生種。図々しさと生命力においては、寧ろ特定外来種レベルです。 ⋮⋮御歳95でもじいさまは田舎で半農半猟生活してたし、じい さまんとこに遊びに行くたびに、罠猟の仕掛けや食べられる野草の 種類と見分け方、雉や鹿や猪のさばき方、代々伝わる甲冑組手術を 教わったり、じいさまの友人の和尚さんとこで、座禅や修験道の流 れを汲む山岳修行なんかをしたもんで御座います。よもや小学校の 夏休みに、千日回峰行ならぬ三十日回峰行するとは思わんかったけ どな! 小学校上がってすぐに両親が飛行機事故で亡くなって、じいさまに 引き取られてからは、日々是鍛練、家訓まんまのエブリディエブリ タイムでしたがね。 そんな市川一族の家訓︵一族訓か?︶は“常在戦場”、婿・嫁に来 る善男善女は先祖伝来の甲冑組手術を仕込まれる。そんな戦闘民族 の末裔にとって、放置は自分を鍛える絶好の好機、むしろご褒美な んですよね。 21 台所から拳大の岩塩一つ、納屋から古い大型ナイフ一振りとちび た砥石、底の凹んだ鉄鍋、端の欠けた木の椀と柄杓、取っ手の壊れ た桶、火種入れるのに丁度良さげなヒビの入った陶器の壺、端っこ ぜ に穴が空いてるけどまだまだ十分使える笊、籠、麻袋等々を失敬し んせ て、転生初日︵余談ながら転生記念日、始源の月の黒の7日は、市 川鷹のリアル誕生日と同日でした︶から狩猟採取生活をエンジョイ &エキサイティングしまくってます。 鍛練については、まだ体が出来上がらないうちから無茶な鍛練する と、却って悪影響を及ぼすので、とりあえず今のところはブッ倒れ るまでひたすら走るくらいしかやってません。 ちなみにポイントは“踵から走る”。トップ兵法家、新免武蔵守藤 原玄信先生もご推奨の走法です。 戦争は数だよ兄貴、は真実だと思いますが、戦は走って走って走れ なくなれば負け、もまた真実だと思うのですよ。 朝起きたら台所で火種と固くて古いパンだけ貰って森に入り、ま ずはブッ倒れるまでひたすら全力で走りに走り、ぶっ倒れたらその 場でクールダウン。 起き上がれるまで回復したら小川の側まで移動して火を起こし、前 の日に仕留めてさばいて岩塩とドライハーブをすり込んどいた獲物 ︵内訳は大ウズラと勝手に命名したレグホン大のウズラが八割で兎 が二割。たまーに保護色どこいった的など派手な雉っぽいヤツ︶を 炙り、鉄鍋に水と昨日の食べ残しの骨と塩を入れて火にかける。 待ってる間に生でも食べられる野草や果物を集め、頃合いを見計ら って鍋から木の棒箸にして骨を除き野草とパンを投入すれば、こん がり肉と野草入りパン粥ガラスープ仕立てが出来上がるので、それ を食べられるだけ食べ︵基本パン粥は一回で食べきられるよう作っ てる︶、小川で洗い物をしたら、三時間ばかり食休みを兼ねた瞑想 に入る。 22 基本的にケレンディアの生物は、保有量の差こそあるが魔力を有 オド している、らしい。 マナ これを内部魔力と言い、それとは別に世界に満ちる魔力、これを外 部魔力と言うが、魔法を使うにはまず自分の内部魔力の扱いに慣れ ヨハンナさん なければならない、らしい。 らしい、って言うのは母による寝る前のお話から推測したにすぎな いからで、それが正式なやり方か今一不明なためである。 寝る前のお話の体裁を借りた諸々の教育︵暦や読み書き等々︶は、 自分が追い出されたら私の教育なんてロクにしない、つか実際は教 育どころか養育すらロクにしやがらなかった訳だけど、それを予測 してただろうヨハンナさんの、精一杯の愛情でありレジスタンスだ ったんだろう。 そんな精一杯の思いを前に、それを受けとるべき本来のヴェルヘル ミナを食い潰してしまったと思うと、罪悪感半端ないです。正直す まんかった、ってレベルじゃねーぞ。 ぜんせ とにかく、内観するなら座禅だろうなと、市川鷹の“プロデュー スド・バイ・じいさま&和尚 たのしい禅宗・初級編”の記憶を辿 り、適当な木の根元に座禅組んで瞑想したのですが、それらしきも のを感じたのが二日前で、それをより確実に感じ取れるようになる のが当面の課題でしょうか。 確実に感じ取れるようになったら、内丹術とかタントラに繋げてい くのもいいかもしれないなー。 サドゥー ヨガが流行ってんで習いに行ったら、スタイリッシュでシャレオツ なヤツじゃなくて、本場で修行してきたガチの苦行僧が出てきたの はいい思い出です。 瞑想を終えたら、日が傾くまでは獲物の残量︵小川からそう遠く ない辺りに手頃な風穴があったので、捕ったら獲物はそこで保存し 23 てる︶と相談して、解した麻袋で作った紐で罠こさえて設置したり、 狩りに出られない場合を想定してなんちゃってジャーキーや干し果 物、木の実のビスコッティもどきといった保存食作りに当てる。 なんちゃってジャーキーは、脂を除いて薄切りにした兎肉に多目 の岩塩と干して粉にした香草をすり込み、木の枝に刺して風穴の中 で干すだけだし、干し果物も、枝のまま取ってきて日中は外で干し、 帰る前風穴に入れておくだけと余り手間はかからない。 唯一手間がかかるのがビスコッティもどき。 まず、ドングリ︵見た目がそれっぽいのでドングリと命名。ただし 大きさはウズラ卵大と結構でかい︶を籠一杯に拾います。クソ苦く て食用に向かない種類もあるので、よく注意して拾いましょう。 拾ったドングリは虫食いなどがないか選別したら、外側の硬い皮と 種子を覆う薄皮をきれいに剥きます。 剥いたドングリは麻袋に詰めて小川に三日ほどさらしてから、灰と 一緒に茹でてしっかりとアク抜きをし、笊に上げてよく乾かします。 きちんと乾燥するよう、水にさらす前に刻んでおくことをお勧めし ます。 乾いたら、平たい石の上で挽いて粉にする、という工程を経てドン グリ粉を作ります。粉ができたら、後は、クルミなどの木の実と少 量の岩塩、植物油、水を加えて練り合わせ、石の上で焼くだけでで きあがりです。 たたらったった、たたらったった、たたらったったったったたたた たた♪ 鷹さん○分クッキングでした。 卵も砂糖もバターも入ってないビスコッティもどきは、ネットの アーカイブで読んだコミックを思い出しつつ、椿っぽい木の種を、 炒って砕いて茹でて煮詰めて作った植物油と胡桃のコクと、干し山 葡萄のおかげで、どうにか不味くはないけど美味くもないくらいに 24 はなっている。 ぶっちゃけ微っ妙ーなレベルですが、脂質と糖質︵炭水化物︶とビ タミンが一挙に取れるんで、正直味とか二の次なんですよねー。 むしろ、ついでに作ったドングリコーヒーの方が私的には重要でし た。あとタンポポコーヒー。 そこらに自生してるハーブ摘んで干して、スパイス兼ハーブティ作 っちゃいるけど、カフェインレスの代用でも、あえて言おう、コー ヒーであると! 日が傾きだしたら残りの肉と果物を食べ、帰り支度をして風穴の 出入口を木の枝でふさぎ、日が暮れる前に屋敷に帰る。 帰ったら帰ったで、屋根裏部屋で残り湯が使える時間まで瞑想して、 残り湯使ってついでに洗濯して、屋根裏部屋に戻って隅っこに干し て寝る。 ベッドはあるけど、使用人部屋の中古品の更にお下がり︵私の服も ヨハンナさん 使用人の着古しだ︶なので、マットは硬いし、所々擦り切れてるペ ラい毛布は、母がいた時は二枚使えたけど、私一人になったら一枚 にされたのでなかなか厳しい。 これはアレか、虐待からの生還本でも書けってか。全米が涙した真 実の物語的な。 せめてもの救いは、サヴィニャック伯の所領が、一年を通して温暖 な気候の王国南部にあることだろう。これが北部だったら私の生命 がマッハでピンチだ。 大体そんな感じで一日を過ごしているので、サヴィニャック伯爵 夫妻と異母姉妹がどーいう人物か、顔形すら今一よう分からんです。 まあ、向こうも見たかないでしょうからねー、サヴィニャック伯婿 養子らしいし。 奥方様ご懐妊でヤることヤれずに女中に手を出したらこっちも大 25 当たり、のパターンかと思ってたんですが、奥方様ご懐妊前から手 ぇ出してた模様。つうか、若くてちょっと小奇麗な女中は基本“お 手付き”とか、やるな婿養子。 母が私を身籠って半年後に奥方様がご懐妊なんで、奥方様と致せな ヨハンナさん いんで女中に手を出したお約束とは逆だから、ある意味斬新なパタ ーンじゃね? これ。 つーことはヒロインちゃんは異母妹になる訳か。 じゃなくてだな。 私はどうやらサヴィニャック伯にはこれっぽっちも似ておらず、母 が言うには﹁祖父似の凛々しい顔立ち﹂だそうで、今の今まで生き てこられたのも、父との血縁を示す要素が見当たらないからではな いか、なんて思ってみたり。 ヨハンナさん 外観としては、母譲りの癖のない黒髪、瞳孔の周辺に、やや不定 形な円環状の鈍色が入った、薄い氷青色のセントラル・ヘテロクロ ミアな三白眼の、繊細? 可憐? 儚げ? 何それ食えるの美味し いの? みたいな、幼いながらも内包した力強さ、獰猛さが垣間見 える、鋭利な目鼻立ちが印象的なショタっ子です。 ロリっ子じゃありません。ショタっ子です。男の娘ならぬ少女の少 年です。 ぜんせ ⋮⋮うん、市川鷹でもそうだったっけなー。 日本人離れした長身と彫り深めな顔立ちが、凛々しくも雄々しいじ さまによく似て男前だと、よく言われました、親戚一同から。 学校の制服姿は女装呼ばわり、近所の女子校の子どころか、共学だ っつのに自校の後輩から手紙だのチョコレートだのを渡され、私服 でデパートとかPAとかの女子トイレに入れば痴漢扱い⋮⋮あれ、 何だろう、前がよく見えないや⋮⋮って戻ってこい私、それは思い 出したらあかんやつや⋮⋮! 26 そんなこんなで、当面は体の基礎作りに専念し、ある程度体が出 来たら片手剣・両手剣・短剣・槍・弓・杖・短杖・斧・鎚と甲冑組 手術の基礎練を少しずつ取り入れ、十歳の誕生日までにはある程度 モノにして、家を出られるようにしたいと考えてる。 何故に十歳かと言うと、ヴェルヴェリア大陸には冒険者ギルドな るものがあり、十歳になれば冒険者登録ができるからだ。 それ これは、孤児や貧民窟の無戸籍児に対するセーフティネットみたい なものなのだろう。庇護が建前であっても、後見人の庇護下で登録 した十歳未満の子供も、十歳になった時点で登録しなおすことがで きる、らしい。 後見人の庇護下にあるが、後見人から虐待や搾取を受けている場合 はギルドが後見人になるので、産業革命下の大英帝国や第三世界の 児童労働者みたいなことにはなかなかならないとか。 侮り難し、剣と魔法の世界の社会保障。もっとも医療保険と国民年 金はありません。 でも、医療費払えないから病院の裏口から患者が放り出される、な ーんてこたないから安心だね! ヨハンナさん ちなみに、そこらも母から聞いた話でございます。 御伽噺のついでに、ちょろっと聞いた限りだったけど、結構熱心に 話してくれましたっけ。 まずは十歳の誕生日、その日を迎えるまで、強く雄々しく逞しく、 雑草のようにしぶとく図太く生きようと思います。 27 二撃目 この道はいつか来た道、ああそうだよ鋼鉄の茨道だよ︵後書き︶ いよいよ乙女ゲーム世界に転生した意味を失ってきます。 Q.どこに行く気だお前は⋮⋮。 A.最終人型決戦兵器の領域ですが、何か。 ⋮⋮新しいなお前の乙女ゲーム! ※5月30日 内容含めて一部修正 28 三撃目 諦めと開き直りって根っこは同じな気がする 月日は百代の過客だそうですが、お久しぶりですこんにちわ。 やっと土台作りの基礎練入れられるようになってwktkの止まら ない、ヴェルヘルミナ︵仮︶六歳と六ヶ月です。 この半年を地ならしに費やしたのは無駄ではなかったようで、大 ウズラと兎は罠使わずに狩れるようになりましたが、さすがに猪は まだ狩れません。おのれ偶蹄目。 なので、中期目標は﹁猪を狩る﹂にしようと思います。 流石に六歳児にはまだ厳しいもんがあるので、あと一、二年はかか るんじゃないかと。 あー早く成長したい。猪鍋⋮⋮ハム⋮⋮ベーコン⋮⋮ソーセージ⋮ ⋮しょうが焼き⋮⋮豚汁豚しゃぶ豚丼叉焼スペアリブ角煮⋮⋮ッ! おっと失敬。 いやでもガッツリ肉喰いたくなる時ってあるじゃないですか。ねえ? それはさておき、朝起きて台所でパンと火種取ったら森に直行、 のパターンに変化はないものの、基礎体力が上昇するにつれ、全力 疾走マラソンでぶっ倒れるまで時間がかかるようになりました。 オド 体力の増強は嬉しいけど朝飯が遠退くのは辛いんで、四ヶ月前から 走り込みは内部魔力で負荷かけながらやってますが、いやコレがま たいい感じでして。 例えるなら重力1.25倍、標高三千メートルの環境下で、自分の 体重の半分くらいの重り付けてる感じですが、その分、理想に至る 土台が今着実に出来上がっているんだ、と実感できてたまらん上に、 内部魔力の制御の練習にもなるから正しく一石二鳥。 お陰で内部魔力の制御に関しては、筋繊維一本単位から強化できそ 29 うな、つーか既にできてる変態的精密性を誇ります。そのうち細胞 単位で強化できるんじゃないだろうか。 何より、その変態的な精密性により、脳神経の強化で思考の高速化 による超加速にも成功しました。 そう。加速装置です。加速装置です。重要なことなのでもう一度、 加 速 装 置 で す 。 カッコいいですよね加速装置! 浪漫ですよね加速装置! 発動には﹁加速装置!﹂のキーワードと奥歯カチッのアクションが 要りますが、加速装置つったらコレ以外に何があると言うのか。 違うと言うならベルサイユへいらっしゃい。︵キリッ︶ モトネタ ただ、本家の加速装置と違ってこちらは発動後の反動が半端ない ので、当分は実用に向けての実験の繰り返しになりそうです。 いやもう見えちゃったから。むしろ渡りかけちゃったから三途の川 的なモノを。ご先祖様に﹁百年早いわっ! くぉの未熟者めがぁっ !﹂と投げ返されましたこっち岸に。 いやマジで。ガチで。 身体強化しまくりながらすれば、どうにか一秒はイケるんじゃない かと、就寝前に実験してますが、毎回ご先祖様にお会いしては投げ 返されてます。 で、サヴィニャック家での扱いについては相変わらずですが、関 わろうとしなけりゃいいだけの話なんで全力で放置してます。 私のスルースキルは百八まである!︵嘘だけど︶ 奥方様に気に入っていただくための使用人の自主的嫌がらせにつ いては、圧倒的に立場の弱い被雇用者だし、何より貴族と平民の壁 は、今は亡きベルリンの壁や南北38度線より越えられないもの。 しゃーないわな、とこちらも放置一択ですが、だからと言って好意 30 があるかっつったらまたまたご冗談を、だけどさ。 懸案事項は数少ない持ち物への被害ですが、それは五ヶ月前にう っかり解決しました。 なんちゃってジャーキーと干し果物、ビスコッティもどきの備蓄が 順調に増える一方で、となると収納とゆー問題が発生しますよね? 今はまだいいけど、この先のこと考えたらどげんかせんといかんで しょう。 屋根裏部屋も安全とは言い切れないし、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄で 使ってたインベントリ使えたらなー、と冗談のつもりで﹁インベン トリ・オープン﹂と念じてみたらああた、ホントにインベントリウ インドウ出てきやがりました。 ウインドウ出た瞬間、全力でパン粥噴いたし。いや鼻からポロロッ カしてめっちゃ痛かった。 目と口からもイロイロ出ちゃって、人様に見せられないエラい顔晒 してウインドウをガン見してる姿は、イロイロと致命的だったと思 う。 女子力i︵※1︶でも流石にコレは人様に見せたらアカンだろ、と 思うレベルでマジ酷かった。 で、開いたウインドウには、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄でシャール・ エスコットが手に入れたありとあらゆるアイテムがずらーっと並ん でいる訳ですから、これまでの私の苦労は何だったのかとリアルに orzのポーズで崩れ落ちたのは言うまでもありません。 謝れ! 私に謝れ! とか軽くテンパりましたさ。 なんちゃってジャーキーとか干し果物とかビスコッティもどきとか せっせと作った私の労力って一体何だったんでしょうか⋮⋮世界は いつだって、こんなはずじゃないことばっかりだよトンちくせう。 けど、これで第一の目標、﹁十歳まで生き延びる﹂と、更にその 31 後を生き延び続ける算段がついたんだから良しとしようと、どうに か自分を納得させました。 衣食住のうち、衣食の問題はこれで片付いたと言ってもいいし、住 の問題も改善の目処がつきましたし。 衣っつうか、装備は“こっち”にあってもおかしくないだろう一 般的な武器なら各種揃ってるし、防具もある程誤魔化しの効くのが 結構あるから、冒険者としての生活が軌道に乗るまでは、そっちに エンチャント 金かけずに済みます。 流石にガッチガチに付与かけまくりのヤツや特殊素材製のやつ、そ れとは別の意味ではっちゃけてヤッチマッタナー、な漢の浪漫武器 は出さないけど。 特にククルカンのソロ撃破達成時のやつは、難易度に合わせて頭お かしい仕様になってるからなー⋮⋮大概のフィールドボスをソロで 討伐余裕です、な仕様とかどんな狂気の沙汰だ。 食に関しては、企業コラボの調味料からスイーツまで種類も数も 揃ってるし、ストレス解消と、フィールドモンスターをアナログ解 体して手に入れた食材アイテムの消費を兼ねた“ロンリネス春の料 理祭り”の発作のたびに作りまくった食品アイテムも山ほどある。 ぐん 具体的には、陸自普通科連隊普通科中隊規模をあと十年は食わせら れるくらい。ふっふっふ⋮⋮圧倒的じゃないか、我が備蓄は⋮⋮! な感じに。 唯一問題があるとすれば、日本人のソウルフードであるお米様がな いことだが、じいさま印の完全無農薬有機栽培天日干し米に、物心 つく前から慣れた私の舌には、VRの米は米とは言えぬッ! 女将 を呼べぃッ! なもので⋮⋮ああでもこんなことなら贅沢言わんと 備蓄しときゃよかった⋮⋮ッ! 住も、快適な眠りをひたすら追及した全天候・環境対応型寝袋が 32 あるから、宇宙空間や深海底でもない限り、屋根裏部屋でも湿地帯 でも火山地帯でもツンドラでも氷原でも快適に過ごせます。 寝袋以外にも、宿に泊まる金がなくても快適な屋外生活を支えるテ ントに始まり、アウトドア用炊事道具や食器等々の各種アイテムが 揃ってるから、野宿もバッチコイだし。 とまあ、自立に向けての諸問題が一気に解決したお陰で時間的に ヨハンナさん ぜんせ も精神的にもある程度余裕ができまして、ヴェルヘルミナ︵元︶が 母に教えてもらった“こっち”の言葉の読み書きの復習や、市川鷹 の記憶にある四則演算の練習にも時間を割けるようになりました。 高級品である羊皮紙や、僻地︵いや、見た限りサヴィニャック家 の所領って、僻地だと思うんだわ︶じゃ更に貴重な紙は使う訳には いかないので、25センチ︱︱ではなく25メル四方、厚さ3メル の板を、頭のもげた釘でがりがり引っかいちゃ削り、引っかいちゃ 削りしながらやってます。 削り屑は、火種用の壺に集めておけばゴミにもならない。MOTT AINAIの精神で大切にしよう、限りある資源。 イベントリには、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄で作った羊皮紙と羽ペン、 墨汁もどきが、ギボンの﹁ローマ帝国衰亡史﹂全巻1セットの写本 を1グロス作っても余るほど積んであるし、ネタアイテム“ミヅガ ルヅ学習帳”シリーズもフルコンプしてるけど、現状においてはそ れらを使うメリットより、デメリットの方が大きいので、死蔵が決 まっている。特に学習帳。 そして、もうひとつ。 市川鷹がヴェルヘルミナ︵元︶を同化し吸収し、今の私であるヴェ ルヘルミナ︵仮︶になった日からの疑問について、考えることも。 そもそも、私のスペックは六歳の女児のものとしては明らかに異 33 まえのわたし いまのわたし 質で異常だ。 市川鷹がヴェルヘルミナになる前からそうであるなら、この世界の 人間がすべからくハイスペックであるか、ヴェルヘルミナ︵元︶が チート性能と言うことになるが、記憶から判断する限り、ヴェルヘ まえのわ ルミナ︵元︶のスペックは、全てにおいて極めて一般的かつ平均的 な六歳の女児ものだった。 たし この劇的過ぎる魔改造ビフォアーアフターの原因は、やはり、市川 鷹と言う異物の混入以外、考えられない。 イベントリの一件から、市川鷹にとっての分身とも言える﹃ミヅガ ルヅ・エッダ﹄のPCであった“仮想世界における市川鷹”もまた、 彼女に上書きされていると推測できた。 いや、“現実世界における市川鷹”の記憶と“仮想世界における市 川鷹”のスペックを持つ、“現実世界における市川鷹”+“仮想世 界における市川鷹”なる存在が上書きされた、と言うべきか。 “現実世界における市川鷹”の記憶と、“仮想世界における市川 鷹”のスペックを持つ異物が、もともとのヴェルヘルミナに押し込 められた結果、本来この世界において、異母妹をいびり倒す悪役に なるはずであったヴェルヘルミナの個性が消し飛んでしまったとし たら? うつわ そこに上書きされた、“現実世界における市川鷹”+“仮想世界に おける市川鷹”と言う中身に肉体が引っ張られ、そうやって底上げ された肉体が中身のスペックを反映しやすくなり⋮⋮と言った相互 作用の結果が、今のヴェルヘルミナなのではないだろうか。 とすれば、私が本来のヴェルヘルミナを殺したようなものである。 だが、そのことについて、申し訳ないことをしたなと、その程度 にしか感じないのもまた事実である。 もうちょっとこう、罪悪感とかそういうの感じるかと思ったんだけ ど、かなり平然としてる自分に、ちょっと吃驚してる。 34 きょう さいきょう さい VRMMOの中でではあっても、一度は至った理想の境地、その境 地に現実として到達し得る︱︱その考えに至って、頭のネジが二、 三本吹っ飛んだとしか思えないが、この可能性に揺るがずにいられ るほど、私は出来た人間じゃない。 わたし 現実と仮想、ふたつの市川鷹に食い潰された本来のヴェルヘルミ ナには気の毒なことをしたが、詫びて済むのは所詮こちらの気持ち だけだ。 なら、傲慢だろうが何だろうが、私は私の欲を押し通す。 押し通して、到ってみせようではないか。 35 三撃目 諦めと開き直りって根っこは同じな気がする︵後書き︶ ※1 iとは二乗してマイナス1になる虚数です。つまり主人公の 女子力は実数として存在しないんだよ!<ナンダッテー! ウォーモンガー と、うっすらシリアス風味混じりましたが、次回から元の路線に戻 ります。 ⋮⋮ところで、育てゲーにアイドルやプリンセスがあるなら戦闘狂 があってもいいと思うんだ⋮⋮。 36 四撃目 幼児期の経験が人生を左右し過ぎた件 気が付いたら、記念すべき転生一周年目を迎えてました。 インベントリから引っ張り出した企業コラボ食品アイテムのザッハ トルテで、ひとり自分の誕生日を祝った、ヴェルヘルミナ︵仮︶七 歳です。 酒が飲めないのが辛うございますが⋮⋮をいこら寂しい言うなや。 そんなん自分が一番理解してるっつうの。 ⋮⋮失礼キレました。カルシウム足りてないんだろうか。 小腹がすいたら川魚の焼き干し丸かじりしてるんだけどなー⋮⋮や っぱ乳製品のがいいのかな。 インベントリにあった気がするんだけどなー、チーズ。 “ミヅガルヅ・エッダ”ん中で、白カビ青カビウォッシュタイプに ハードタイプ、フレッシュタイプと、ワインに合わせて色々買った り作ったりした覚えがあるんだけど、どこにあるんだかいくえ不明 です。うぬぅ。 山羊チーズを焚き火であぶってパンに乗っけて食べたい一心で、 NPCの酪農家んとこに手伝いに行ってチーズ作り教わったんだよ ねー。 ラピュタのパンもだけど、ハイジのパンもほら、殿堂入りじゃない ですか。 さい チーズだけのつもりが、バターにハム、ベーコン、ソーセージの作 り方まで教えていただいたのは、いい思い出です。 きょう カルシウム補給はひとまず置いといて、倦まずたゆまず毎日が理 とな 想への第一歩と、日々基礎固めに励んでますが、お陰をもちまして 当初の予定より早く、ねんがんのいのししをてにいれたぞ! 37 りました。 や もっとも、正面から殺りあって狩った訳ではなく、走り込みしなが ら見付けた餌場に、集めたドングリ撒いてから樹上に張り込んで、 食いにきたのに頭上から奇襲かけて仕留めたんで、次は正面から狩 れるようにしたいと思います。 めぐり ヒレ 記念すべき猪初ゲットの廻の月最終日から一ヶ月間、まるっとガ ッツリ肉祭りでしたが、大腰筋は神の食べ物と認識しました。大腰 筋美味しいよ大腰筋。 ただし猪肉の半分はベーコンにしてインベントリ行きです。 兎肉のなんちゃってジャーキーも悪くはないけど、食べ応えのある 保存食も欲しいですし。 計画的なご利用は、何も金だけじゃなかとです。 インベントリと言えば、これで勝つる! と思ったんですが、現 実はそこまで甘かございませんでした、ハイ。 アイテムの出し入れだけなら、インベントリに入っているもので あればで基本何でもきますが、今現在のスペックに相応のものしか 使えません。 性能バグった装備品や、死んでなけりゃ即復活の壊れ性能の回復ア イテムがいくらあっても、それらを使うに値する能力がなければ宇 宙仕様の兵器の脚と一緒で、置物飾り物でしかないってことです。 今んとこ満足に使えるのは、鍋釜を筆頭とした炊事道具各種と食 器類に、一般家庭に普通にある掃除と洗濯、裁縫の道具、寝具とい った生活用品と、防御力紙の綿のチュニックに毛織のトラウザース、 革のサンダル等の通常の衣類や各種食料品と、ネタアイテム的な意 味でチートなアイテム類。 年齢で引っかかったのか、アルコール類は出すこともできませんで 38 した。どちくせうっ。 寝袋は引っかかるかなー、と思ったけど、ある意味無駄な方向にハ イスペックな点でネタアイテムのカテゴリに入ったらしく、売却は できないようだが、使用は可能だ。 ⋮⋮ネタアイテムに心血を注ぐ、﹃ミヅガルズ・エッダ﹄の職人 集団、“サルト・フィニート”渾身のネタアイテムの数々を知る身 としては、あの程度がネタアイテムとか微妙な気もするけど。 “OBACHAN THE OBACHAN”とかスゴかったから なー⋮⋮どんな髪でもチリチリの大仏パーマヘアと変えるカーラー、 色柄の微妙さを再現しきったネッカチーフ、ブラウスではない、う わっぱりだ! なこちらも絶妙に微妙なブラウス、誰が着ても微妙 な丈になるゴムウエストのスカートと生活感漂う前掛け、娘がはか なくなったのをムリムリはいてる感溢れる校章っぽいワンポイント 入りの白のハイソックス、どこで売ってるのか逆に知りたくなるつ っかけ、こめかみの謎の貼り薬と手首の輪ゴム、買い物カゴまでフ ル装備すれば、高レベルパーティー推奨のモンスターが張り手一発 であぼんする廃性能だったし。 そんなおばちゃんの張り手一発であぼんした高レベルモンスターの、 消え去り際の哀愁半端なかったです。 装備品は﹁こういう装備欲しい﹂で始めた職人修行であれこれ作 ったやつのうちの、初期の練習品縛りが発生してると考えられる。 ソフトレザー ジャケット 鞣しは問題ないけど、染めにムラができちゃったんで仕立ての練習 オーバーコート グローブ ブーツ 用にした、そこそこ丈夫な軟質皮革で仕立てた上衣やトラウザース、 外套、手袋、長靴そのほかの小物類。 料理してて切った指の傷やちょっとした火傷は治せても、逆に言え ばそれだけしか治せないオロ9的な回復薬。 これまで使ってた大型ナイフに比べれば、切れ味と使い勝手の良さ が増した、日本刀参考に鍛造したハンティングナイフと短剣、手槍、 39 やじり 前使ってたのよりちょっといい合成弓と、貫通力に重点を置いた設 計の鉄の鏃の矢、棒手裏剣風スローイングダガー。 あ、鏃とダガーは物量第一なんで鋳造で作ってるから、当たり前だ けど鍛造よりグレードは低い。ま、折れたり曲がったりしても鋳潰 せば無問題だから安心して使えます。ビバ物量。 ⋮⋮何でそんな初期の試験作みたいなん、後生大事に取っておく のかって? インベントリに入れたはいいけど、そのまま存在自体 を忘れていただけであって、片付けられない系とか捨てられない系 の女だからではない、断じてない! その証拠に私の部屋︵因みにワンルーム︶は、友人も驚くシンプル 空間だ。ここ本当に女の部屋? とかある意味近未来とか言われた けど。 そんなに変か。一人がけのソファとベッドとラック一つとVRマシ ンとノートPCがあれば、家具なんて充分だと思います。 偉い人は言いました。立って半畳寝て一畳、と。 ま、多少は制限あるけど、ものを収納して運べるって言うのは大 きなアドバンテージなので、あれこれ文句抜かしたら罰があたるわ な。 オド 加速装置もなー、実用にはまだまだ程遠いし。 内部魔力でガッチガッチに身体強化しまくっても、実時間で一秒が 限界だし、解除と同時にWで鼻血飛沫スプラッシュってその場に卒 倒↓ご先祖様に﹁くぉの馬鹿子孫がぁっ!﹂と川を投げ返されるの も相変わらず。 加速中に体を動かせば、骨格筋断裂するわ末端の毛細血管炸裂で四 肢の末端真っ赤っかだわ、内部魔力回して組織再生まで含めて、最 近じゃ半ば作業ゲーの風情でございます。 40 そのせいなのか何なのか、ここ最近、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄の 何周年記念かのランダムプレゼントで貰えた記念アイテムのひとつ、 企業コラボのヘアカラーセット︵ちなみに、“オーソドックスな地 味色から上空一万メートルからでも判別可能の奇抜色まで自由自在 !”が売り文句。一セット十回分で髪色戻し付き︶で染めないとヤ バいレベルでわっ、わっ、わっ⋮⋮わかっ、わかしっ、若白髪がが ががががGA⋮⋮っ! 眉毛と睫毛まで若白髪化してしもーて、緑の黒髪が、数少ない女子 らしさが終了のお知らせでございますですよ。 純白ではなく、微妙に鈍い鉛色が薄ら混ざっているあたり、何かも う駄目かもしんない。色々と。 これって、一旦実験中止した方がいいんじゃね? と思わなかっ た訳じゃないですが、体毛総若白髪化で食らう精神的ダメージの大 きさよりも、加速装置を実用化することのメリットの方が、私には 大きく、かつ魅力的だった訳でして。 やっぱ切り札は欲しいじゃないですか。ここぞって時の奥の手って、 カッコいいと思いません? 残しておいた次の変身や、こんなこと もあろうかと! は普遍のロマンだと思うのです。 それに、ヴェルヘルミナ、イコール黒髪の子供、とヴェルヘルミ ナについて屋敷の人間が認識しているこの状況は、三年後には有利 に働くはずだし。 ヴェルヘルミナがいなくなり、同年代の子供が別の名前、いや仮に 同じ名前でギルド登録したとしても、ここの人間にとって白髪の子 供は、それだけで彼・彼女等の知るヴェルヘルミナとはノットイコ ールになる。 もっとも、サヴィニャック伯所領内やその近在のギルドに、ヴェル ヘルミナの名前で登録する気は更々ないけどね。 最低でも北辺境、理想は隣国のギルドでの登録だ。 41 あ、修行だけど、そろそろ武術系も基礎なら入れても良さげかな ー、で初歩の初歩から始めたけど、これが予想以上だった。 うまいこといかない方向に。 何つうか、剣、弓、槍、杖は相性いいけど、斧と鎚は相性イマイ チな気がすんだよな。 何より、体さばき、足運び、重心の移動の全てにおいて、基礎の基 礎の動作だってのにこの程度の動きしかできないってことが、たま らなく悔しい。 ぶっちゃけ辛い。身体的にではなく精神的に。 分かっちゃいるけど、もどかしいやら悔しいやらでやりきれないっ つうか。 理想の動きがまずあり、肉体の性能を含めて、そこに今の自分を近 付けるのが修行なんだと、分かっちゃいるけど⋮⋮全てに足りなさ 過ぎてこう、たまらんです。 まだ体ができていないってのもあるけど、それでもこう、忸怩たり 思いがこう、やっぱりね? 甲冑組手術はまあ、長年の積み重ねがあるし、そん中で、あのモ ヤッとした境地も味わってるから、かなり順調だ。 今の状態でもそこそこ戦えるだろうけど、前のような動きは無論不 可能だし、極めた関節強引に壊す程度の、不っ細工でザッパなんが 関の山だと思う。 じいさま直伝の打つ↓崩す↓組む↓極める↓投げる↓折る、のアー ティスティック首折りコンボに至っては、まだ遠い先の話だ。 初めて見たじいさまの、アーティスティックな首折りコンボ。 あくまで技を見せるためだったので、本来は叩き付けて折るところ を、紙一重で通常の投げ技に移行したじいさまの技量は、正直化け 42 物だと思う。 うちのじいさま物理的に倒せる人間がいたら、ノーベル白兵戦賞受 賞もんだと思う。 まあ、じいさまが化け物だとしても、あの技は、あの動きは、ひ たすらに美しかった。 それだけは絶対的な事実だ。 極限まで研かれ、高められた技は、例えそれが、ひとの生命を絶つ ための技であっても美しいのだと、ひとはこんなにも美しく動くこ とができるのだと、胸に込み上げた言い様のない熱さに︱︱感動と、 そう呼べる静かな熱さに震えながら、幼い私は瞬きひとつできずに、 ただただ涙していた。 ぼろぼろと泣きながら、美しさに涙したことを忘れまいと、目に、 心に、魂に、余すことなく焼き付けた。 さざなみ 水の上であっても、漣どころか波紋も立てないだろう滑らかな踏 み込み。 ゆったりとしていながら、いつ放ったのか理解できなかった鋭い崩 しの一打。 ふうわりと触れた瞬間には、既に相手の手首から肩までの関節を極 めていた。 羽毛の軽やかさで宙に浮かせた体を、自らの重みに耐え兼ね枝を離 れる花弁の儚さと、獲物へと落下するように滑空する猛禽の速度を もって地へと叩き付ける様は、天仙の舞いにも似て、崇高ですらあ った。 あんなふうに、胸が切なくなるほど美しく動けるように、感動に 涙することしかできないほど、美しく戦えるように、私もなれるの だろうか。 いや、そうなるのだ。 43 あんなふうに、胸が切なくなるほど美しく戦えるように。 いつか、必ず、ああなるのだ。 考えてみれば、幼き日のあの光景が私の人生の最大の原体験なん だろう。 今生にまで引きずるとは思わなかったけど、前世においても成し遂 げられなかった目標を、今生の目標に加えるのも、悪くはない。 三年後の、十歳の誕生日までを生き延び。 かつて一度は届いた理想に再び到り。 そこまで到ってようやく、あの日のじいさまに一歩近付くのなら。 ⋮⋮齢七つにして、人生の目標が何となく見えてきた気がする。 44 四撃目 幼児期の経験が人生を左右し過ぎた件︵後書き︶ ⋮⋮おかしい。乙女ゲーム世界に転生してんのに、コイツだけ夢○ 獏の世界に転生してる。 そのうち、 ﹁危ねえなあ、そんなもんを出されたら、手加減してやれなくなっ ちまうぜ︱︱﹂ とか言い出すんとちゃうかコイツ。 そして言い出しても違和感が仕事しない件。 45 五撃目 ファンタジーつっても貴族社会がドス黒いのは鉄板 一年を通じて寒暖の差が余りないって、要するに四季の変化に乏 しいってことじゃね? と、変化に富んだ日本の四季がちょっぴり 恋しいヴェルヘルミナ︵仮︶、七歳ともうじき十ヶ月です。 どぶろく 春の桜、夏の蛍、秋の紅葉、冬の雪⋮⋮二十歳越えてからは、じ いさま謹製の濁酒や、じいさまの友人方が土産に持ってくる純米大 吟醸やら焼酎やらのご相伴に預かって、縁側から眺めたっけなあ⋮ ⋮魚沼の蔵元んとこの、夏限定の特別純米原酒、あれはマジ美味か った。 土産にはワインもあったけど、じいさまワイン飲まないから実質私 専用だったっけ。ああくそ、じいさまん家に置いといた当たり年の ロマネコンティ、飲んどくべきだった⋮⋮! え? 酒なんたら法はどうした? 細けぇこたぁいいんだよ。んな こと言ってると禿げるぞ。 時の月も残すとこ数日、あと三ヶ月と何日かで祝・転生二周年で ヨハンナさん すが、最近ちょっとばかり、困ったことになりました。 追い出される前に、母が他の使用人の古着を仕立て直して作ってく れた服が、とうとう着られなくなりました。 まあ、インベントリにゃ服なぞ売るほどあるが、使用人含めてここ ん家の人の目がある場所では、そっちのアイテム使いたくないです やん? 着られなくなったっつっても、服自体が駄目になったとかじゃな くて、七歳の誕生日過ぎた辺りから、縦方向にすくすくと急激に伸 びちゃったせいで、袖丈とか肩周りとかの諸々のせいで、着るのが 物理的に難しくなっただけだ。 46 焼き干しのカルシウムパワーと、よく食べよく鍛えよく眠る健康 的な生活の賜物かと思ったんですが。 大きな手足と頑丈な骨格からなる、ゴツくはないけど雑種の大型犬 ぜんせ の子犬みたいに頑丈な、あーこりゃ将来でかくなるなー、ってのが 漠然とよく分かる、見覚えのある体格からすると、市川鷹の影響の ようです。 コレで小鳥のように可憐で華奢、とかのたまいやがってくれやがる ヤツいたら、そんなん言い出したオマエの頭が大丈夫かと、逆に問 い質したくなる。 現時点で腹がうっすらエイトパックに割れ気味だっつうのに⋮⋮。 ヨハンナさん 母の置き土産のリメイク衣類からは、小鳥のように可憐でコンパ クトな少女に成長して欲しい、って希望が察せられるんだが⋮⋮何 つうか⋮⋮ごめん。 いやホント申し訳ない。正直すまんかった。いやマジで。 デジャヴ 前世知識による七歳女児の平均身長を確実にオーバーしてます。具 体的にプラス20くらい。 ⋮⋮この道はいつか来た道、既視感の世界⋮⋮小六にして169. ぜんせ キャプテン 9、中三にして179.9、高校卒業時には189.9に到達した 市川鷹の成長の記憶に重なってるじゃないですかやだー。 中高の渾名はバレー部主将、そのうちバレー部省略されて主将にな ったり、ダイダラボッチだの八郎太郎だの巨神兵だのビグ・ザムだ のデンドビウムだのヤクトミラージュだの言われたりしたもんです。 メガ粒子砲もメガビーム砲もバスターランチャーも撃てないっつの。 くろ でっでもまあ、身長伸びて体が大きくなった分、身体能力も上昇 するってことだからね! とムリクリ思考ポジティブにして、玄の 月から走り込みをパルクール方式に変えました。 自然の、均一化されていない地形のお陰で付いた、持久力と脚力、 47 柔軟性、軽快なフットワーク。 ・・ へんたい その上で、“どんな地形でも自由に動ける肉体と困難を乗り越えら れる強い精神”と、人力による三次元立体機動を実現する心身能力 へんたい ふたりでひとり を獲得すべく、重力当社比1.5倍・標高4000増で頑張ってま す。 いまのわたし “仮想としての市川鷹”に出来た三次元立体機動が、、現実+仮想 であるヴェルヘルミナに出来ない道理がない。 それはそれで、ひとまず置いといて。 現時点で既に、十歳くらいに見えんですよね、私。 前世に引き続き患ってる、顔面神経と表情筋の、絶望的なまでの不 自由さ⋮⋮じいさまとの組み手ん時か、じいさまプロデュースの野 試合ん時くらいしか、マトモに解れてくれなかったそいつらのお陰 で、下手すりゃそれより年嵩に見えてもおかしかないです。 頑張って微笑んでも唇の端がちょっと持ち上がるだけで、皮肉? とか笑った顔が冷たいとか怖いとか散々でしたよ⋮⋮。 染める以外の手入れ︵と言ってもあのアイテム、髪色戻し使わな い限り、伸びた髪まで染めてくれる理不尽なまでの高性能っぷりで した。いやもう運営様とコラボ企業様マジありがとう⋮⋮!︶を一 ぜんせ 年以上ほったらかした結果、長さ的に大変鬱陶しくなってしまいま して。 つむじ 憧れのストレートヘアも、気付けば市川鷹まんまに、緩いウェーブ のかかる癖っ毛に。加えて旋毛が複数あるから、長い方がまとまり はいいけど、長いと鬱陶しくてかなわんのです。肩より長くなった スキンヘッド らその瞬間にアウトってくらい、長いの駄目なんだよなー。夏にな るたび、丸坊主にしたくなる発作に襲われたもんです。 なんで、いい加減髪切ろうかなーってインベントリから散髪セッ 48 ぜんせ ト出して鏡を覗いた瞬間、昔の写真見た件の山田花子︵仮︶が、﹁ 何と言う猛獣系少年﹂と言った七歳の時の市川鷹の顔を、印欧祖先 のアーリア系ゲルマン人アレンジで彫り深めにしてみました、な顔 発見して、リアルにorzしましたとも。確かにヴェルヘルミナっ てゲルマン系の名前だけどさあ。 伸びた前髪の下に覗く眼光鋭い薄青い双眸、通った鼻筋はいいとし て、物理的には柔らかいはずなのに、引き結ばれた唇は柔らかさ? 何それ食べられるの美味しいの? だし、頬の線もすっきりとシ ャープで⋮⋮これ一目で女って見抜けたら、逆に凄い。 ああ、懐かしくもしょっぱい幼き日々に目の前が霞むわー。 じゃなくてだな。 うろ覚え通り越して既に薄れてる、この世界がそうだっていう乙女 ゲームの内容が間違いじゃなかったら、異母妹付きの護衛⋮⋮じゃ なかったメイドか? メイドになるんだよな確か? つうか、こんなんメイドにしたら、お前のようなメイドがいるか、 か、むくつけきメイドガイか、未来から来た殺人サイボーグメイド にしかならんのとちゃいますのん? メイドって言葉と存在がゲシュタルト崩壊すんじゃねーの、マジで。 ち ⋮⋮うん、ありえなさ過ぎるメイドはこの際置いといて、まず、 ここん家はお貴族様ん家である、ってとこから始めよう。 ヴェルヘルミナって名前しかないってこたぁ、私は“身持ちの悪 い女中の私生児”ってことになっている訳だ。 少なくとも、こーいうお屋敷に勤めてんのに未婚で父親不明の子供 生んだ、ってことは、不身持ちってことになるんだろう。 例え、身分的な理由で雇用主様に強要されりゃ平民の、それも下っ 端女中にゃ拒否権がなく、その結果、運悪く大当たりしちまってで きてもーた雇用主様のガキであっても、その事実を、口にしなくと 49 も誰もが知っていたとしても、だ。 そんな事実は存在しないとサヴィニャック伯と奥方様が決めれば、 そういうことになる。 ガキは自分の出生について、正式な婚姻によって生まれたんじゃな いってことを、母が屋敷を出されてからの扱いや他の使用人からの それとない誘導で、薄々だがそう理解するようになる。 さて、ではここからクエスチョンです。 なり そーいう扱いされてる時に、奥方様が、始終腹減らしてみすぼらし い形してる私生児に、優しい言葉のひとつもかけて、使用人たちに まともな食事を出すようお命じになり、実際それからまともな食事 が出てきた上、食以外の衣・住も改善されたら。 これは一体どういったことになるのでしょうか、お答え下さい。 はい、市川さんのお答えは︱︱A.カルトがよくやる“劇的な回心 ”です。 いやね、これまでの程度のひっくい嫌がらせについて、使用人の 自主的行動だと前は判断したんですがね? つけ 今月始めくらいから使用人頭のミンチン校長︵仮︶が台所に引き留 めようとするんで、森に行くフリしてミンチン校長︵仮︶を尾行た ら、奥方様のお部屋に向かうじゃあーりませんか。 ヴェルヘルミナ 聴覚神経強化して窓の外から耳そばだててたら、極めて貴族的な曖 昧で上品な婉曲表現で、そーいうお話だった訳です。 しせいじ ⋮⋮うん、サヴィニャック伯の恥を外に出さず、ついでにその恥 を、サヴィニャック家と言う飼い主に、妄信レベルで心酔する奴隷、 もとい使用人にするんならいい手かもしれませんが、んな面倒なこ とするよか、腹が目立たないうちに腹の子諸共追い出す方がいいん 何よりサヴィニャック伯婿養子じゃね? サヴィニャック家の血つ じゃね? と思わなくもないんですよ。 50 ったら奥方様の方が重要やん? ⋮⋮うん? 婿養子? あーるぇー? もしかしてもしかすると、そーいうことですかー? サヴィニャック家における実質的な最高権力者は、サヴィニャッ ク家の血筋である奥方様であり、第二子以降に男児が誕生するまで は、伯爵家の跡継ぎである異母妹が、その次に位置する。 サイガー家の血を持たない婿養子は、表向きはサヴィニャック伯と 名乗っていても、実質はただの種馬でしかない。 そんな種馬如きが、よくもまーナメた真似してくれやがったな、と。 女中に手ぇ出すくらいは目こぼししてやるけど、よくもまあ、と。 やってくれやがっちゃった結果であるヴェルヘルミナを、あえて 家に置いていびり倒して使用人にするってーのは、サヴィニャック 家の血を引かない婿養子の子供にはサヴィニャック家の使用人程度 の価値しかない、つまり種としての役割以外何もない使用人なんだ よてめえはと、婿養子に示すためだとしたら。 ⋮⋮何と言う本当はエグい乙女ゲームの世界。奥方様鬼嫁マジ鬼嫁。 そう言や乙女ゲーム貸し付けてきた山田花子︵仮︶の弁によると、 ヴェルヘルミナは後に、サヴィニャック伯のご令嬢である異母妹虐 めに心血注ぐんだよな? つまりどっかの時点で血縁バレして忠誠が逆転したことが考えられ るが、その辺はストーリーの都合上ってヤツなんだろうけど、ぶっ ちゃけよう知らんです。 市川鷹はゲームする前に死んだしな。そう言やあのDQN、きっち り呪われただろーか。イタクァと逝く楽しい超高高度旅行にご招待 されてしまうがいい。 51 でだ、ここでひとつ、それら全ての大前提が崩壊してるっつーこ とを、かしらかしらご存知かしら? と問いたい。問い詰めたい。 ヴェルヘルミナに﹁中の人﹂がいて、その﹁中の人﹂が私であるっ て時点で、完膚なきまでに破綻してるんだっつーことを小一時間く らい問い詰めたい。 ヴェルヘルミナに﹁中の人﹂がいたせいで、婿養子の癖に矢鱈と お元気なサヴィニャック伯の下半身事情とか理解できるし、使用人 の誰かがポロリした﹁畑違いの同じ種﹂発言の意味も分かる。 知ってるかい? 上司や取引先のセクハラジョークは、スルースキ ル磨きと、乗っかってあれこれ引き出して言質取って、後々優位に 立つためにあるんだぜ? 更に、﹁中の人﹂が私だったせいで、パンがなければ狩りをすれ ばいいじゃない、と狩猟採取生活謳歌しまくり、待遇に対しては﹁ わたし ちょwwwおまwwwマジでかwwwwww﹂と草生やして笑い転 ふたりでひとり げてる始末。 ほーら、現実+仮想の市川鷹がヴェルヘルミナにログインした時点 げんじつ で、諸々の前提条件がまるっとログアウトのお知らせじゃないです か。 かそう ゲームの世界ではなく、よく似た別の世界なんだからフリーダム してもいいじゃない、人間だもの。 アホなこと抜かしても、最後に﹁人間だもの﹂ってやると何でか名 言ぽく聞こえる不思議。 とまあ、みつをはこの際置いといて、だ。 後見人なしでギルド登録できる十歳までを生き延び、その後も行き さいきょう 続ける︱︱生存することが第一なのだ。 一度は到ったあの境地を目指す。その最初の前提が﹁生きてること﹂ 52 な訳ですから。 ともかく、十歳まで生き延び、その先も生き続けられんだったら、 そこが南スーダンでもソマリアでもガザ地区でもヨハネスブルグの ヒルブロウ地区でも、どこだって構やしないのである。 とまあ、プロジェクト飼い殺しとか、身の回りに厄ネタのにおい が漂い始めたので、例のヤツを前倒ししようと思います。 そう、こんな時にぴったりの策は! たった一つだけ策はある! とっておきのやつだ! フフフフ⋮⋮逃げるんだよォォォーッ! ⋮⋮世界が熱狂︵嘘︶・ミッション大脱走、近日公開。 なんつって。 53 五撃目 ファンタジーつっても貴族社会がドス黒いのは鉄板︵後書き︶ そう言や作者、乙女ゲームってしたことないわ。 そして何時にも増して高い主人公のテンション。 これも外見とのギャップ萌え⋮⋮な訳あるかボゲェ。 54 六撃目 行き当たりばったり? いいえ臨機応変です 皆様、いかがお過ごしですか。 大脱走のテーマとクワイ川マーチが頭の中でごっちゃになって、結 局某インポッシブーな大作戦のテーマに落ち着いたヴェルヘルミナ ︵仮︶、七歳と十一ヶ月です。 キングダム ワルキューレの騎行は自粛しました。フリーダムな生き様さらして ますが、ベトナムのジャングルの奥地に王国作る予定はありません。 でも個人的にはハンバーガー・ヒルのが好きですね。FMJは不朽 の名作。異論は認めない。 えー、時の月から、年単位の計画前倒しのための準備に奔走して ますが、やっとこさ条件が揃いました。 インベントリがあるんで、ぶっちゃけ身一つで何時でも出て行けん ですが、単に家を出ただけじゃ後々面倒くさいことになりそうなん で、後腐れなくサヴィニャック家と切れるための小細工をあれこれ してたのですよ。 名付けて、“面倒くさいから死んだことにして逃げりゃいいんじゃ ね?”作戦。 そのまんまじゃねえかって? こりゃまた失礼いたしました。 さて、ここらの森には、幸か不幸か、狐や狸はいても熊や狼のよ うな肉食獣がおらんので、食われたように見せるのは不可能な訳で ⋮⋮。 猪突チャージで終了しました、でもいいけど、そうすると食べ残し の問題が出る訳で⋮⋮。 猪は基本雑食だから、猪出る山ん中の自殺者とか食ったりするけど、 雑食であって肉食じゃないから完食しました、にはならない訳で⋮ ⋮。 55 だけどこっちとしては、キレイさっぱりスッキリと、正月元旦の朝 に真新しいパンツを履いたように爽やかな気持ちで、スカッとガッ ツリ縁切りしたい訳で⋮⋮。 だから私が、キッチリ死んだことにして明日への大脱出をするには、 それ以外の方法を見付けなきゃいけない訳で⋮⋮。 ⋮⋮あれ、何だろう急にアコギとハミングが聞こえてきたような⋮ ⋮アイエエエ!? クルッタフルート!? クルッタフルートナン デ!? って、ラヴクラごっこしてる場合じゃなくてだな。 一番手っ取り早い方法がのっけから不可能だったんで、じゃあ何が いいかなーと考えながら林間パルクールしてたら、森を北に1.5 メルロ︵あ、メルロはメルの上の上の単位で、100メル=1メー ル、1000メール=1メルロになる。つうか、もうセンチとメー トルとキロでいいじゃねーかと思うのですが⋮⋮︶ほど行った辺り で、高さ35メールほどの崖になってるのを発見したのですよ。 しかも、いい塩梅に崖下には、そこそこ水量豊富で流れもそこそこ 速い川まである。魚釣りしてた風穴側の小川は、この川の上流から 出てる、支流のひとつなのかもしれない。 崖側の川岸は幅の狭い岩場で、そこからすぐ川に落ち込み、転落す れば、十にならない子供はもとより、成人男性でも余裕で死ねる、 申し分ないロケーション。 二時間枠のサスペンスドラマなんかで、犯人に呼び出された被害者 が突き落とされるのにも最適です。 つか、何で殺る気満々の場所に、ホイホイ呼び出されて行っちゃう んでしょうね被害者の皆様は。まあそうでなけりゃ話進まないのは 分かるけど、チョロくね? さて、この絶好のロケーション、これを生かさない手があるか。 いや、ない。︵反語︶ 56 より効果的に、転落死を印象付ける演出も必要だが、それ以上にど のタイミングで実行するかが重要な訳でして。 小細工自体はそう大層なもんじゃなかったんで、準備期間のほとん どは、実行するタイミングの見極めに消えたと言っていい。 で、この度、成功のための最大かつ理想的な条件、サヴィニャッ ク伯とサヴィニャック伯夫人、及びそのご令嬢の小旅行が決定した のでございますよ。 待てば海路の日よりあり。果報は寝て待て。鳴かぬなら焼き鳥にし ようトールギス。 ⋮⋮ん∼? 間違ったかな∼? それはともかく、こっから東に馬車で三日ほどのとこに所領のあ る伯爵家の方から、インディクム=ウルペース狩りに誘われたんだ そうでございます。 ここの奥方様と、向こうの伯爵夫人が、学園時代からのご友人だっ たとかで、その縁で来た招待だとか。 インディクム・ウルペース 伯爵と面識のないサヴィニャック伯の招待は、藍狐狩りを口実に、 奥方様とご令嬢を招待するための手立てであって、あくまでメイン は向こうの伯爵夫人の開くサロンでの、ご令嬢のサロンデビューな んだとか。 サロンで令嬢同士のコミュニティを構築し、そっから他の令嬢やそ の親とかにコネ広げて、社交界デビューに向けての人脈作りをする。 その記念すべき第一歩だからして準備も念入りにどーたらこーたら と、奥付き女中が言ってるのを小耳に挟みまして。 いやあ、貴族ってのも大変ですねー。ド平民でよかったわー。 インディクム・ウルペース ちなみに、藍狐てのは何でも狐の変異体、つーか亜種? の一種 らしいけど、この辺りじゃそう珍しくもない上に、変異体の癖に大 57 本の狐より弱いそうだが、それって単に弱体化しただけじゃね? 意味なくね? 元の狐より弱い変異体ってどうなのよ。生存戦略的 にどうなのよそれ。 シーズン で、この季節になると、体毛がそれは見事な美しい藍色になるの だそうだが、季節を外れると、途端に、小学校の教室︵しかも低学 年︶の床掃除に三十年間使われたモップのような見てくれになるそ うな。どういうギャップ萌えを狙ってんだか意味が分からない。そ れ以前に藍色の体毛とか、動物学者が発狂すんじゃね? ついでに言うと、肉は食えない訳じゃないが美味くもない、つうか ぶっちゃけおっそろしく不味いらしく、猟犬もよう食わないんだと か。 剥がされて毛皮になった途端に耐寒性耐久性ともにガン落ちして、 どんだけ手入れしてもワンシーズンでぼろぼろになってしまうから、 完全な期間限定のファッションアイテムでしかない、らしい。 ⋮⋮目下、日々生存のために狩りをしてますが、実用性絶無のほぼ 使い捨てなファッションアイテムのために、お遊びで獲物を狩る感 覚自体が、理解不能でございます。 それはさておいて、金かかってんなー、とぱっと見で分かる、サ ヴィニャック伯爵家の紋章が側面に入った、四頭立ての箱馬車に乗 うまれ り込み、奥方様旦那様ご令嬢のお三方が、揃って屋敷を出たのを確 認したのは、四日前、誕の月の末のこと。 下々の、食うため生きるためのそれとは違う、暇を持て余したお貴 族様の優雅なお遊びってことを考えりゃ、ついたその日に狩りしま しょ、とはならないはずだから、帰路分の日数含めて一週間オーバ ーは確実だ。 とにかく、これで大脱出に向けてのカードは揃った。 あとは、手持ちのカードで勝ちに行くのみ。 58 好きって訳じゃないが、じいさま仕込みの博打の腕と豪運︵賭場 限定︶には、ちょっとした自信がある。 社会勉強と称してじいさまに連れてかれた、ヤのつく自営業者主催 の鉄火場で、じいさま共々、相手の褌一枚まで毟りに毟ったもので ございます。 国士無双十三面くらいで四の五の抜かすな。つうか見破られるよう なイカサマするなよ。ロシア式言い出したんで乗っかった途端に言 いだしっぺがビビるとか、ねーよ。さっさと立て! クビ切り落と してクソ流し込むぞ! と私の心の中のハートマン先任軍曹殿がも ー少しで出てくるとこでしたわ。 その後スマッシュ☆大乱闘へと雪崩れ込んだ賭場で、飛び道具は﹁ 当たらなければどうということはない﹂だと実感したのは、十五の 夜のことでござひました。 よく見て、必要な分だけ動いて避けりゃ問題ないとか、うちのじい さまが果たして人間なのか、帰宅後十分ばかり悩んだものです。 それはそれとして。 奥方様がお戻りになるまでは、わざわざ私を台所に引き止める理由 もないから、ミンチン校長︵仮︶も普通に素無視なんで、こっちも 普通に素無視で森に向かう。 肩は突っ張る袖は足りない裾は短いと珍妙なことになってる、つん つるてんのシャツ、テカテカ通り越して膝が抜けてるトラウザース、 爪先ぱっくり割れて紐でくくってどうにか履いてる靴と、ハックル ベリ・フィンかロビンソン・クルーソーか、な格好だが、これも仕 込みの一つだからしょうがない。 外に出たらすぐさま森に入り、崖っぷちまでひとっ走りしたら、 インベントリから出したインナーと軟質皮革の装備一式に着替えて、 よい子の事故現場再現実験・転落死亡事故編、開始です。 59 オド いかにもここで足滑らせました的な痕跡と脱げた靴、だけじゃイン パクト弱いので、内部魔力でかけてた制約を一旦解除し、改めて全 力で身体強化したら、着てきたシャツ︱︱ではなく、加速装置慣れ する時に着てる鼻血染めのシャツを片手に、崖下へレッツ☆バンジ ーただしノーロープ。 崖の途中のちょっとした出っ張りを足場に、あちこちにわざとシャ ツを引っ掛け引っ掛けしながら、岩場の川岸へ着地を決める。 着地の衝撃は、余剰分の内部魔力と、全身のバネを使って筋肉と骨 格とで吸収したけど、さすがに完全には殺しきれなかったようで、 結構響いた。 ほら、アレだアレ。もんっのすごく足痺れてる時に、べしばしぶっ 叩かれた感じ。 さて、ここまで来たら後は最後の一仕事だ。 千切ったシャツの袖を川に流し、靴のもう片方を岩場に投げたら、 インベントリから最後の仕上げのためのアイテム︱︱﹃ミヅガルヅ・ エッダ﹄ネタ職人謹製・防犯用カラーボール︵犯罪現場仕︶を取り 出し、川のすぐ手前の岩場に叩きつける。 殺人現場の再現やスプラッタムービーの演出に最適です、とのキャ ッチコピーに相応しく、崖から落ちて岩場で頭カチ割って、そのま ま川に落ちました、な雰囲気ばっちりです。しかも、時間の経過と ともに酸化してずず黒くなる芸の細かさ。 いやー、あいつらいい仕事してますねー。でも、努力の方向がいつ もいつでも斜め上です。 掃除をしてもブラックライトで照らせばルミノール反応っぽく光り マジックアイテム ます、なんてとこまで再現するし。そのためだけにブラックライト っぽい魔道具作っちゃうし。 そこにシビレないアコガレない。 転落死偽装が済んだら、後は三十六計、南下して隣国のドナルー 60 テ王国を目指すのみ。 いや、レリンクォル王国縦断トライアルで北の辺境か、北隣のヴェ ルパ王国目指してもよかったけど、北に逃げるってありきたり過ぎ るし。 容疑者とか犯人とか、なぜか大抵目指すの北ですやん? 犯罪者で はなく逃亡者ではあるけどね。 せってい さて、これで鬱陶しい首輪は完全にブッ壊した。 “乙女ゲームの陰険な悪役キャラのヴェルヘルミナ”はここで降板、 お役御免だ。 もとより、ゲームキャラとして生きるつもりは更々ないが、これで この世界はゲームから乖離した。 エスケープ ま、世界は大袈裟でも、私は完全に﹁一抜けた﹂して、目出度くゲ ームから離脱したって訳だ。 ヨハンナさん ヨハンナさん ⋮⋮母のことが気にならない訳じゃないが、かと言って、会いに 行くのも気が引ける。 わたし 会いに行こうにも、そもそも母の出身がどこかすら知らないし、戻 った先で子供を生んだことを、勤め先の主人に孕まされ、子供取り ヨハンナさん 上げられて帰ってきました、なんてことを知られてなけりゃ、結婚 の道だって十分残ってる。 うつわ で、もしそうして普通に結婚してた場合、私は母にとって超ド級、 ヨハンナさん 核地雷級の厄ネタだろう。 うつわ 何より、母の知っているヴェルヘルミナは、肉体しか残っていな い。 その肉体も、中身に引きずられてご覧の有様ですよ? ヨハンナさん 元のヴェルヘルミナの面影は目の色くらいで、髪の色すら見る影な しですよ? その私が、どの面下げて会いに行きゃあいい? 母の知るヴェルヘ 61 ルミナを食い潰し、乗っ取った身で? 私の面の皮は、そこまでブ厚くできちゃいない。 せってい ヴェルヘルミナはもういない。 首輪を壊して好き勝手極めた私が、その名前を名乗るべきではない し、ヴェルヘルミナの名前は、わずか六年という短い人生しか送れ ずに、私に食い潰された少女に返されるべきものである。 現実と仮想、ふたつの市川鷹の混合物である、名を持たない一個 の新しい存在としての私の、これが始まりだ。 時間はある。 何をするにしても、その何かをする時間なら、たっぷりとある。 悩むもよし。 考えるもよし。 鍛えるもよし。 ⋮⋮さて、生きますか。 62 六撃目 行き当たりばったり? いいえ臨機応変です︵後書き︶ 一応これで実家話は終わりです。 ちょっとだけシリアスが帰ってきましたが、乙女ゲームは今後も絶 賛消息不明な上、シリアスの出番もこの先未定。 代わりに血と汗と反吐とどつき合いの出番が一気に増えます。 ますらをとめ ⋮⋮乙女ゲームの世界なんだよね? 益荒漢女ゲームの世界ですが、何か。 63 七撃目 初志貫徹は大事ですが、それより大事な何かがログアウトしました︵前 あてんしょんぷっりーず 注意 ちょっと今回、ヤッチマッタナー表現がありますので、ご注意下さ い。 64 七撃目 初志貫徹は大事ですが、それより大事な何かがログアウトしました レリンクォル王国は、ドナルーテ、ヴェルパ、ウェントスの三国 と国境を接している。 レリンクォルを中央として見ると、ドナルーテは南方、ヴェルパは 北方、ウェントスは東方に位置し、西方はメオース海と接している。 国土の四分の一が山岳となっているヴェルパ、温暖と言うにはやや 高温傾向のドナルーテと比べて安定した気候と、実り豊かな平原を 抱えたレリンクォルは、大陸屈指の強国であるウェントスとも友好 的な関係を維持しており、現国王ヴァンサン・レアンドル・アリス ティド・ディス・レリンクォルのもと、平和と繁栄を享受していた。 また、ケレンディア暦3759年には正妃と側妃がそれぞれ王子 を出産し、王太子と王子を同時に授かるという慶事に恵まれた。 レリンクォルでは、正妃・側妃の区別なく、男子は第一子を太子と する習わしがあり、七歳というひとつの節目を迎えると、王太子と して国民に披露目られる。 かくして、正妃アイエッタの王子、ジェルヴェ・シルヴェストル・ グザヴィエ・ディス・レリンクォル殿下の6時間年上の兄である、 側妃マルガレーテのアレクサンドル・エヴァリスト・オクタヴィア ン・ディス・レリンクォル王太子殿下の、時の月、白の20日に行 われたお披露目の祭礼は、レリンクォルの民の記憶にも新しい。 かくれ 隠の月となってもなお、国全体に、祭礼の余韻の浮わついた空気 が漂っているが、そうした空気と無関係な者もまた、確かに存在し ていた。 日の暮れ始めた、ドナルーテとの国境に近いルーケム大森林の副 65 街道を行く旅人も、そのうちの一人だ。 ソフトレザー 副街道を行くにしては随分と小柄だが、かと言って、その能力に欠 けているとは一概には言い切れまい。 ジャケット オーバーコート 旅人の纏う、染めにややムラのある、灰白色の軟質皮革を使った フード付きの上衣はサイズがかなり大きく、上衣と言うより外套に 近いようだ。 肩の位置がかなり下にずれているが、幅15メルほどの、無染色の 茶色い革帯を肘の下から手首にかけて巻き付け、長さを調整してい る。 胴の部分も、袖と同じように長さを調整している。 こちらは、肋骨の下から臍のやや下までに、褪せた臙脂色の帯を幾 重にも巻き付けているが、それでも裾の長さは太腿の半ばを過ぎて いた。 ショートソード ハードレザー 動きやすいようにか、裾は両脇と前後で四つに分かれている。 帯の上からは、刃渡り30メルほどの細刃の短剣と、硬質皮革のポ ーチがついた幅広のベルトを締めている。 ブ トラウザースも上衣と同じ軟質皮革製だが、こちらは濃い灰色を している。 ーツ 上衣よりはまだ身の丈に合ったもののようで、膝下まである茶の革 長靴の中で調整しているようだ。 バックパック 斜め掛けした背嚢はやや細長く、一人旅の必要最小限の荷物が入 るよう作られている。 目立たないよういくつかの場所に、投擲用の小型の刃物が仕込まれ ているが、それも含めて、上肢の動きを阻害せず、また障害物にひ っかからないよう計算されたものだ。 上衣とトラウザース、革長靴同様、使い込まれたのと同じだけ、手 66 入れが行き届いているのが見て取れた。 よく見れば、左右の腕に巻かれた革帯の間には、柄を手首側に向 けた状態で、鞘に収まった細刃のダガーが二本ずつ挟み込まれてい る。 更に革長靴の内側にも、外からは見えぬよう、左右に一本ずつ、ダ ガーが仕込んである。 人前に出るのに、服を着るのが当たり前であるように、それらを 仕込むのは当たり前のことだと言いたげな自然さは、仕込んだそれ らを使うことを、何ら躊躇わないことも示唆している。 日数はかかるが安全な主街道ではなく、危険であっても最短距離 で目的地を目指せる副街道での旅を選び、またそれを可能とするだ けの能力と自負があるのだろう。 目深に被ったフードの下から覗く頬の線は、若いと言うよりはむ しろ幼く、あどけなさすら残しているが、同時に、歳不相応に鋭く もあった。 通った鼻筋と、ごく薄く血の色を透かす唇は、隠された上半分の造 形の端整さを想像させるには十分で︱︱つまり、副街道の旅人の財 産目当てで出没する輩にとっては、路銀と身代とで二度美味しい獲 物と言える。 どこの国でも、表向き人身売買は禁止されているが、抜け道はい くらでもある。 やんごとないご身分の方々が、見目麗しい少女を、将来愛人とする ため、表向き養子や使用人、修道女見習いとして“保護”するのも 珍しいことではない。 同じように、やんごとないご身分のご婦人方が、小姓として侍らせ 67 る見目麗しい少年︱︱例えば、この旅人のような︱︱を“保護”す るのも、よくある話だ。 ルーケム大森林の副街道での被害は、度々報告されており、人命 の被害も少なくないことから、レリンクォルとドナルーテの両国で、 ルーケム大森林の副街道に限り、盗賊行為を行う者に対しては、遭 遇時これを殺害しても罪に問わず、との触れが出されている。 ただし、あくまで触れが出されているだけで、討伐に積極的とはお 世辞にも言えない。 嫌なら安全な主街道を使えばよいのだし、時間を優先するなら護 衛を雇えばよいのだから。 主街道の宿場町に金を落とさない︱︱領主や領民に利益をもたらさ ない旅人のために、金を出してまで盗賊退治など馬鹿らしい、とい うことだ。 薄情と言うなかれ、人命は尊いが、そこに価値の大小、優先順位が 付くのは、この世界においては“やむを得ないこと”として許容さ れているのである。 薄闇が本格的な闇に変わりゆく中、旅人はただ、黙々と副街道を 進んでいた。 † † ななし 晴れて自由の身となりました。 ヴェルヘルミナ改め、しばらくジェーン・ドゥの八歳でございます。 68 名前って、アイデンティティに密接に結びついてますよね。今後 の自分の人生とか諸々含めて考えていこうってことで、とりあえず 今の自分にはこれが一番ぴったりなんで、しばらくはこれにしよう かなー、と考えてます。 そうそう、平民は、家名はないけど屋号があって、それを苗字代 ヨハンナさん わりにしてるんだとか。 ⋮⋮そう言や私、母の屋号知らんかったわ。 さて、無事に大脱走を果たして只今絶賛南下中です。 伝統的な脳漿なめしで仕上げた兎と猪、鹿の毛皮の他には、ドクダ ミに毛が生えた程度の薬草しか換金できそうなものがないんで、ド ナルーテまでは必然的に、自給自足推奨の副街道一択です。 ﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄で稼いだ金が使えるか分からないし、アイ テム類も出所怪しまれたらアウトだしねー。 人目につきにくい副街道だけど、用心するに越したこたないんで、 日中は木の上にくくりつけた寝袋にinして、夜間行軍です。 夕暮れ前に起き出して、インベントリの食品アイテムで腹拵えした へんたいてき ら、明け方を少し過ぎるまで、たまにパルクールしながら歩くだけ の簡単なお仕事ですよ? オド 内部魔力での制約と強化の並列化とか、色々と器用な運用ができ る程には扱いに慣れたんで、おはようからお休みまで重力当社比1. 3倍、標高3776増しつつ、視聴覚強化で照明要らず。 内部魔力便利マジ便利。 ⋮⋮だからな? とっくに気付いてんだよオマエらのヘッタクソ な尾行。 69 つうかこっちに先に見付けられてるとか、何なのオマエら、盗賊業 舐めてんの、ねえ? ランタン丸出しとかバカなのハゲなの? それともツッコミ待ちか、ツッコミ待ちなのか? おめーらの尾行 ありえねーがらー、なツッコミ待ちなのか? ありえなくね? ふでおろし ⋮⋮どーすっかなー、制約オフにしてBダッシュで面倒事を回避 するか、対人実戦を済ませるか。 悩ましい。実に悩ましい。 キリングマークホルダー ぜんせ いくら何でも、さすがにこの歳で殺人童貞卒業は早杉、せめて年 ゴースト 齢二桁行ってからにしません? と、平和な社会で培われた市川鷹 の“日本人的常識”は説いてくる。 しかし同時に、脈々と受け継がれた市川家の人間としての本能が囁 くのよ⋮⋮遅かれ早かれヤるこた同じなんだから、Youここでヤ っちまいなYo!! と⋮⋮。 こんな時、じいさまだったらどうするだろう。 ぶっちゃけ四、五人は死合いで殺っちゃってる、って言われても納 得できるっつーか、逆に四、五人だけなの? とツッコまざるをえ ないじいさまなら。 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮。 うん、﹁よし、死合ってこい!﹂といーい笑顔で送り出す姿しか 思い浮かばない。 死合いじゃねえし、とツッコんでも豪快に笑ってるに1923年レ ートで10億マルク。 つうか、こーいうとこで追い剥ぐってこた、あちらもあちらでキ リングマーク持ちなんだろうし。 70 ・・ バラ 身ぐるみ剥いで、それなりに見目のいい女なら売り飛ばし、少々薹 が立ったのでも処理に使ってから処分、それ以外なら殺して捨てる。 それなら後腐れないだろうしな。 なら︱︱何を遠慮する必要がある? ここは日本じゃない。平和で怠惰な、人命が貴重品の世界じゃない。 確かにこっちでも人命は貴重品だが、価値の大小優劣がつけられて いるのも確かだ。 りそう 貴族一人と平民一人の交換レートは、等価じゃあない。 みち 何より、あの日、確かに一度は手の届いた最強を踏み越え、更に その先の境地に到る。 そのために、そのためだけに私は生きているようなものだ。 みち それを邪魔をすると言うなら︱︱。 くら ﹁喰って、やるさ﹂ ああ、そうとも。 何を迷うことがある。 そんなもの、喰って、途の糧にするだけじゃないか。 † † つけ 夜営場所を探しているのだろう、小柄な旅人の跡を尾行ていた二 人組の男だが、副街道から少し森へと入った辺りで、肝心の旅人の 姿を見失ってしまった。 71 このままではまずい、と急いで一人を、後方の本隊に返す。 そいつが本隊を連れてくる間に、様子を探ろうとランタンを掲げ た時だった。 力が抜けたように、かくりと折れた膝が地面に着いたと思ったら、 後頭部の頭頂に近い辺りに柔らかな衝撃が走り︱︱。 ﹁ひぇ?﹂ 盆の窪に、何か冷たいものが触れた感触を最後に、男の意識は永 遠に失われた。 男の意識の消失と同時に、地面へと落ちかけたランタンを、暗がり から伸びた手が素早くキャッチする。 ランタンの明かりの中に、上衣のフードを目深に被った旅人の姿 が浮かび上がった。 旅人の、ランタンを持たない方の手には、奇妙な形をした刃物が 握られていた。 子供が描く葡萄のヘタか、軸の細い茸を縦切りにしたような形だが、 レザーグローブ 手の中に握り込むのに適した持ち手と、両刃の刀身が一繋ぎになっ た、全長15メルに満たないナイフだ。 握りが滑ったり、刃が手を傷付けないための用心か、黒い革手袋を はめている。 くずお 旅人は、ランタンを手にしたまま、頽れ、完全に絶命した男︱︱ 頭三つ分は背の高い、それなりの体格をした︱︱を片手で肩に担ぎ 上げると、軽やかな足取りで木立の奥へと入っていった。 俗に妖精の輪と言われる、森の中にぽっかりと開けた場所まで運 72 び、地面に下ろす。 ぞんざいながら、死者への礼儀は、最低限守った動作であった。 それが済むと、旅人は、男の相棒が戻っていった方向を一度見や り、木立の間に姿を紛れさせた。 寸前、旅人の口元に浮かんだものを先に見ていれば、男は相棒と共 にとって返しただろう。 とって返し、アレはやめておきましょう、と告げただろう。 そのせいで、頭領に、顔の形が変わるまで殴られる羽目になったか もしれない。 だが、自分の身の上に何が起きたかも分からないまま死ぬような、 そんなことにもならなかったろう。 旅人の、その口元に上ったもの。 ・ それは、鳥の羽のように軽いが、斬られたことにしばらく気付けな い刃物のような笑みであった。 ・・ 旅人が、彼らを狩ると、そう決めてしまったことを示す、何ともこ わい笑みであった。 先に狩ろうとしてきたのはそちらなのだから、こちらに狩られても ワイバーン 仕方がないだろう︱︱旅人の言い分は、そんなところだろう。 運が悪かった、としか言い様がない。 旅人が、ではない。 旅人を狩ろうとした連中が、だ。 ワーム ドレイク 近付いただけで襲ってくるが、大した知恵もない蚯蚓竜や翼竜の つもりで、ちょっかいをかけなければ、基本的に無害な大竜に、手 を出したようなものだ。 蚯蚓竜は、時に体長4メールに達することもある、地中に生息す 73 る蛇に近い生物である。 体表に粘液を分泌し、退化した鱗を持ち、肉食性で、地面の振動を 察知し、動くものが近付くと地表近くに浮上して襲い掛かってくる。 翼竜は、山岳地帯を生息地域にしているが、繁殖期が近付くと山 を下り、手っ取り早く餌にできる人や家畜を襲うことで知られてい る。 前肢と同化した膜翼で飛行︱︱いや、長距離を滑空する巨大な蜥蜴、 といった見た目をしており、鼻先から尾末までの体長は4メールが 平均だが、6メール近い個体が確認された例もある。 どちらも確かに脅威と呼べるものだが、あくまで大型の動物でし かなく、討伐のための手段も知られている。 マナ 辺境であれば、周囲の村の男衆が共同して討伐できる程度の脅威だ。 だが、大竜は違う。 高い知能を持ち、内部魔力と外部魔力を用いて自在に空を飛び、攻 城兵器級とも言われるブレスを吐く大竜を狩るのは、ギルドでも腕 利きと知られる冒険者であっても、十分な支援と同程度の実力の協 力者が複数いなければ、二の足を踏む難事業である。 何より、生半可なことをすれば、大竜による徹底的な蹂躙に晒され る。 だから、一度に手を出したら最後、きっちり殺さなければならない のだ。 自分たちが手を出したのが、なりは小さいが、本質的には大竜と 同じモノであった、と︱︱そのことに気付いたのは、不幸なことに、 旅人に最初に狩られた男だけであった。 74 † † ⋮⋮例えば、恐怖や興奮や、そういった緊張状態に陥るのではな いか、との不安はあったし、これから行うことへの躊躇いも、絶無 じゃなかった。 腹を括ったとは言え、人を殺す、そのことに寸毫も躊躇いを感じな いとしたら、それはそれで人間としてのナニカ終了のお知らせだろ う。 ﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄時代、PK野郎に粘着されてブチ切れて 報復に出た時も、PK返しにならないよう、全身の主要な関節と顎 関節外して︵脱臼はダメージ入らないけど、時間で回復しない特殊 インセクトスワンプ な状態異常扱いだった︶から、融通してもらった蟲汁︵改︶くまな く浴びせて回復持続︵小︶の札貼って、大不人気エリア“蟲沼”に、 フィールド用メッセージボード立てて放置で済ませたし。 あ、蟲汁︵改︶ってのは“蟲沼”出現モブの中でも殊更見た目がエ グい、虫嫌いならトラウマもんの、精神的にキッツいのだけを呼び 集めるためのアイテムで、決して青汁的な蟲の汁ではない。 “蟲沼”は初心者エリアだったんで、モブに集られてもダメージ低 いから、回復持続︵小︶の札の効果時間内ならダメージ相殺して死 たか に戻りもできないしで、地獄だったらしい。 あの野郎、SFホラーとかで死体に集ってそうなモブに、喉の奥ま で入り込まれてマジ泣き入ってたっけな。 とにかく、市川鷹としては当然だが、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄の “仮想としての市川鷹”としても、ダイレクトに人を殺したことは なかった。 75 それだけに、腹を括っても、最後の最後で躊躇うんじゃないかと、 そんな不安があったんだが︱︱。 ﹁⋮⋮イカレてるにも、程があるだろ⋮⋮﹂ 背後から膝靭帯を切って跪かせた、最初の一人を前にした時、頭 の中にあったのは、握り込んだダガーの刃で、的確に息の根を止め ることだけだった。 俯かせることで、頭蓋骨と頚椎の装甲を失った、軟部組織のか弱い 守りを貫き、可及的速やかに延髄を︱︱命を断つ。 その思考に沿って、内部魔力による制約を解除した体は、極めて冷 静に動いていた。 興奮も恐怖もない、ただ、なすべきことをしている、という感覚。 俗に言う、心理的防御反応故の無感動とか、現実からの乖離ってヤ ツ? とも思ったが、その割には、本隊来るの遅ぇなさっさと来い よ、つうかランタン邪魔くせえなー、どっかその辺に置いといても 山火事の危険があるしなー、どうしよっかなー、火消してインベン トリに入れりゃいいんじゃね? とか思ってるし。 や ま、殺ると決めた以上は殺り遂げますけどね? 最後の一人まで、 きっちりと。 † † 相方を置いていった男が、本隊を連れて戻ってきた時には、旅人 76 どころか、残していった相方の姿もなかった。 つけ カモ 大声を出して、旅人に気取られる訳にはいかない。 いや、尾行られていることに気付いた旅人が、それを撒こうとした と考えれば、ある程度行動の説明がつく。 旅人の後を追って行ったのなら、ここで待てばそのうち戻ってくる だろう。 木立の奥に、橙色のランタンの小さな明かりが覗いたのは、こち らにあるランタンの明かりを消して、五分ばかりが過ぎてからだっ た。 幸いにも、今夜は満月︱︱を少し過ぎてはいるが、十分明るい月夜 である。 合図をするように揺れる明かりに向かい、木立の中に一団が足を踏 み込んだ。 木立の間という地形的な制約から、申し訳程度ではあっても、道 としての体裁の整った副街道での隊列そのままには進めず、隊列が 分散する。 木々の枝に遮られがちだが、周囲1メール前後の仲間の姿は十分目 視で確認できるので、ある程度の連携は可能だ。 あともう数メール、というところで、ふ、とランタンの明かりが、 掻き消えた。 ブロードソード 全員が足を止め、各自の獲物に手を伸ばす。 さすがに、片手剣のような長物を振り回すような阿呆はおらず、全 員が、刃渡り40∼50メルの短剣を携えている。 ちょうど人間ほどの重量のモノが倒れるような音は、隊列の最後 尾から届いた。 一団が咄嗟に振り向いた先では、膝丈に近い下草を拉くように、仲 77 ・・ ・・ 間の一人が倒れ伏していた。 真上を向いて、俯せに。 首が折れているのは、一目瞭然だ。 自分の身に何が起きたかも理解できないまま、随分と器用な姿勢 で寝ている男は、彼らでは手の施しようがない。 男のことは早々に見切り、各自が、男の首を折った“何か”と対峙 すべく身構える。 冷やりとした風が、木立の下草を揺らす音に、神経が尖る。 また、一人が倒れた。 夜の空気の中に、鉄錆に似た臭気が立ち上る。 男の首筋から胸元にかけてが、じっとりと黒く濡れている。 首の動脈を掻き切られたのだろう。 潔いほど、殺すことへの迷いがない。 ざ、ざ、と下草が揺れる音がする。 木々の枝葉を透かして落ちる月明かりが、翳った。 雲が、出てきたらしい。 “何か”はそれを好期と見たのだろう、雲に飲まれ、明かりが途 切れるわずかな間に、更に三人が倒れた。 肋骨の隙間を縫い、胸骨ぎりぎりの位置から心臓、背後から肝臓と 腎臓︱︱急所を一撃で突かれている。 雲が切れ、再び月明かりが差した時点で、一団の数は三分の一ま で減っていた 噴き出した厭な汗が、残り少なくなった男たちの額を、背中を流れ 落ちていく。 78 次に欠けるのは、誰か。 互いに目配せしつつ、次に誰が欠けるにしろ、それが自分ではな いようにと、自分の背中を守り、かつ、相手を自分の盾にできる位 置を探りながら、じりじりと後ずさる。 そこにあるのは仲間意識などではなく、ただの生存本能と利己だけ だ。 どこだ。 どこから来る。 このまま、周りでおっ死んでる連中のように、不様に殺されてなる ものか。 どこから来るにしろ、俺は︱︱俺だけは死んでたまるか。 プ 追う者から追われる者、狩る者から狩られる者へと転落したこと レデター を薄々認識しながら、それでも認められずに、姿すら定まらない捕 食者に向かって精一杯の虚勢を張る姿は、いっそ健気ですらあった。 ざ、ざ、と風が鳴る。 流れる雲が、千切れて斑な影を落とす。 ぽたり、と顎の先から汗が落ちる。 と︱︱男たちの頭上から、斑に染まった灰色の塊が落下して、二 つの首が、奇妙な角度にぐるりと曲がった。 伸ばした腕で首を抱え込み、同時に頚椎を極め、落下の勢いを加え て一気に折り抜いたのだ。 79 ﹁な、何だ、何だ、何なんだお前ぇえええええっ!?﹂ 奇声を発し、口角から泡を吹いて喚き立てる最後の一人︱︱奇し くも一団の頭領だ︱︱の前で、斑な灰色の塊が動いた。 それは、男より二周り以上は小柄な、まだ子供と言っていい、後 ろ姿だった。 体格というアドバンテージに、それが目の前で二人の人間の首をへ し折った、ということを都合よく頭から追い出し、フードに覆われ た無防備な頭部へと、手にした短剣を振り下ろす。 粗雑な、一撃だった。 フードの後姿は、低い姿勢のまま身を翻し短剣を回避する。 その勢いを使って地面を蹴り付け、短剣を持つ男の手首を蹴り抜い た。 腰の後ろで結ばれた臙脂の帯と、四つに割れた上衣の裾が、ふわり とたなびく。 小柄な体格と、舞うように優雅な動きからは想像もつかない、重く、 鋭い一撃に、男の手首が鈍い音を立て、関節の動きを度外視した角 度に曲がる。 軽やかな動きに、外れたフードの下から、いい加減な整え方をさ れた短い髪が現れ、月明かりに白刃の色を撒いて揺れる。 着地を決めるが早いか、一歩を踏み込み、男の下腹、膀胱の位置 に、踏み込みの勢いを上乗せした拳を叩き込んだ。 拳の、中指だけを握り込んだ親指の上に乗せ、出っ張った第二関節 が、打撃のインパクトを集中し、雑な作りの皮鎧と筋肉、皮下脂肪 をぶち抜いて入った衝撃と激痛に、男のズボンの前が、異臭を放っ 80 て変色する。 ﹁お゛あ゛っ、お゛っ、お゛っ﹂ 意味を成さない音を口から発し、のたうつ男の最後の記憶は、睥 睨する冷え冷えと底光りする双眸の薄蒼さ、高貴な身分の御婦人方 が、我先にと金貨を吐き出すだろう、華やかさはないが、剣にも似 て鋭利な美貌と︱︱そいつを売り飛ばし、しみったれた田舎暮らし ゆめ と、飽きの来た女房を捨て、王都の娼館の最高級娼婦の肌に溺れる 妄想であった。 † † ミッション・コンプリート 最後の一人︱︱ほかの連中と比べて、多少装備のいいそいつの頚 動脈をダガーで掻っ切って、作戦終了、ってとこだろうか。 売り飛ばす気だったか、身包み剥いで殺す気だったかは分からん が、こちらの意思と人権と人生を、まるっと無視しようとした連中 だ。やり口もそれなりに手馴れているし、少なくとも無辜の民って やつじゃあないのは確かだ。 酷い目に遭わされたと、あの世で神様とやらに泣き付いたりはしね えだろ。 慄きも震えも恐れも興奮もなく、頭の芯は恐ろしく冷たく凪いで いる。 手に腕に足に、息の根を止めた感触が︱︱人を殺した手応えが残っ 81 ているにもかかわらず、だ。 強いて言うなら、尻の座りが悪いような、妙な居心地の悪さがあ る。 いつだったか、訳の分からない理由で襲撃してきた、頭の薄ら悪そ うな連中を返り討ちにし過ぎた時の感じと、よく似てる。 喧嘩でも何でもない、ただの弱いもの虐めでしかなかった、そんな 居心地の悪さ。 後で聞いた絡まれた理由は思い出したくない。思い出すことを許 可しないッ! だからな忘れようや自分⋮⋮あ、あかん何か凹みそうな自分がいる。 つか、凹むポイント明らかに違うんじゃね? 普通、ここまで動揺 してない自分のありようとかに凹んだり落ち込んだりするんじゃね? いやでも、殺すという行為自体に興奮しなかった、ってのは、逆 に良かったんじゃないだろうか。 血の臭いや、肉を断ち命を絶つ感触に酔っぱらかって、殺すという 行為そのものを楽しむ傾向がないってことも分かったし。 殺したり、殺されたりは、あくまで行為の結果だ。 私が心底欲しているのは、そうした結果ではなく、強者との戦いと いう行為そのものであるらしい。 うん、色々終わってるなーとは思いますよ? 思うけど、仕方ないっちゃ仕方ない。 市川鷹としての現実、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄のPCとしての仮 想現実、そのどちらでも捨て切れなかったものを、命が無条件に平 等じゃないこの世界で︱︱いや、そういう世界だからこそ捨てたん 82 だと思う。 りそう 自分が生きたいように生きるために、それを邪魔されないために。 さいきょう 頭悪いんじゃね? とツッコまれること必至の、いつか到った極致 を越え、その先の未知に到るという、馬鹿な願いを叶えるために。 いやー、ホント、実に馬鹿だわコイツ。わーコイツ馬鹿の世界チ ャンピオンだー、ってレベルの馬鹿。 けどまあ、馬鹿でもいいかなーと、そう思っている自分もいる訳で して。 ぶっちゃけ馬鹿の方が生きてて楽しいしな! ⋮⋮開き直った? うん、そうとも言う。 何か問題が? 大丈夫だ問題ない。大丈夫じゃねえよ。問題しかね えよ。 ハイハイ一人ボケツッコミ乙。流石だな私、ボッチ人生上級職。 で、だ。 まあ、とりあえず、そう言うことなので、これから後始末に入ろう と思います。 盗賊も、死ねば神仏、糞袋。 自然にやさしいリユース・リデュース・リサイクルの3R精神に則 り自然に返すその前に、忘れちゃいけない所持品チェック。 VRMMO始める前に、友人に誘われてやったTRPGでも、返り 討ちにした敵の懐は探るもの、装備は剥ぎ取るものと相場が決まっ ておりました。 根城が分かればもっと良かったんだけど、吐かせる前に殺っちまっ たからなあ。 うん、反省。 83 七撃目 初志貫徹は大事ですが、それより大事な何かがログアウトしました︵後 ヤ ヤッチマッタナー=殺ッチマッタナー、でした☆ ログアウトしたのは、人として大事なナニカだった模様。 主人公さんホンマ修羅やでぇ⋮⋮。 やっぱワードで書きながら、ようつべのアサ○リOP流してたのが 悪かったんでしょうか。 次あたりで、その頃のサヴィニャック伯爵家の人々的なのを書く、 かもしれません。 昔の人は言いました、予定は未定! と⋮⋮。 84 八撃目 たったひとつではないけどそれなりに冴えたやり方 ななし 余程暇なのか何なのか、散発的な野盗の襲撃を返り討ちにしなが ら、南下を続けてはや十日となりました、ジェーン・ドゥです。 かくれ 隠の月も大分過ぎましたが、たまに曜日とか曖昧になります。 あと、人との会話とか絶望的になさ過ぎて、声帯が退化しそうです。 いやー、人と話さないと喋り方忘れるって本当ですね。 えー、只今深夜何時かは知らんですが、通算三回目の殲滅作業が 終了しました。 初めての反省を生かして、二回目からは喋る口を残しておくことに しましたが、かといって戦利品が残念気味なのに大差ありません。 武器は鋳造の一山幾らの量産品だし、インベントリがなけりゃ、回 収投げてたと思う。 今日も今日とて根斬り撫で斬りに返り討ち、残しておいた口に潜 伏場所? まで案内させて、出所を怪しまれなさそうなもんを粗方 回収するだけの、簡単なお仕事が待ってます。 荒んでるわー、とすっかり野盗駆除に慣れてる自分に内心苦笑い しつつ、案内を解放⋮⋮の前に、そいつの両の手首を切り落とす。 命は取らない、と言った以上契約は守りますが、それってイコール 無傷で解放、って訳じゃないんですよねー? そんな﹁自分だけに 都合のいい話﹂があるとでも? 転げ回ってのたうち喚いてガンくれてるけどな、止血剤のアフター サービス付きで、めっちゃ痛いだけとかあり得ない温情だと先生は 思います。 85 あ、止血剤ってのは、最近使えるようになった﹃ミヅガルヅ・エ ッダ﹄のアイテムで、生命力の回復はしないけど、傷を塞ぎ、出血 による生命力の持続的な低下を解消する、地味に高性能な即効性の アイテムのこと。 ﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄では散々お世話になりました。 そうそう、副街道の野盗は、大体半農半盗のいわば出稼ぎ兼業農 家らしい。 農の方が耕作か牧畜かは知らんが、二度目の時の口が、家族がどう たら言っていたが、だったらもっとマトモな出稼ぎしろよと言いた い。 閑農期で仕事がないとか、そんなん知るかボケ。 立地が不便過ぎて存在自体が忘れられたらしい、ログハウス風狩 ゲロ り小屋︵元︶に、人の気配はない。 その辺りは最初に自白させてるけど、建物が目視できるようになっ たら、自分の気配の誤魔化して、辺りの気配を探るようにしてる。 大ウズラにしろ兎にしろ猪にしろ、気配バレたら逃げられるし、そ もそも位置掴まないと話にならんかったしネー。 当然ながら、小屋の中に明かりはない。 ボロいこたボロいが、雨露凌ぐ程度なら問題ないくらいで済んでる のは、樵や狩人がその場しのぎ的に建てたもんじゃないからだろう。 家財道具や窓の硝子は、狩り小屋に使うのをやめた時点で撤去した ようで、がらんとした中に、野盗が持ち込んだ荷物が散らかってい る。 ショートボウ 片付けるくらいしろよ、これじゃ勇者がやってきて箪笥荒らしてっ た後みたいじゃないか。 ショートソード ⋮⋮で、本日の猟果は、鋳造の短剣が人数分、短弓と鏃が鉄製の 86 矢が十本入った矢筒が二組と、木の鉢に集められた貨幣でした。 質素ながらも貴金属使った装飾品も数点あったけど、そっちはあえ て見なかったことにする。 量産品の鋳造武器よりゃ金になるが、所有者個人を特定できそうな ヤツは、どこで手に入れたかとかで、後々何かと面倒臭そうだしな。 インベントリから出した麻袋三つに、短剣と短弓、矢を出して空 にした矢筒をそれぞれ分け、矢は矢で麻紐で束ねてから収納する。 うん、インベントリ便利マジ便利。 鉢の貨幣をベルトポーチから出した巾着にあけて、お仕事終了っと。 外に出ると、口の姿は消えていた。 逃げたのには気付いてたけど、武器なし手首から先なしでどうする つもりなんだか。 ま、いいけどね、どうでも。 二度目の時に、ついでに聞き出したあれこれが正しけりゃ、あと あっち こっち 三、四日でレリンクォルとドナルーテの国境だ。 主街道は当然だが、副街道にも関所があるらしい。 しかも、副街道の方が利用者少ないから、通行手続きが簡略化され ないんだと。 なにそれめんどくさい。 副街道離脱して森林ルートで国境越えするか、主街道にルート変 更してどさくさ紛れに通過するか。 ⋮⋮⋮⋮。 よし、こういう時はアレだ、コイントス。 あれこれ考えるより、こーいうのの方がいいって時もある。 87 アレだ、考えるな、感じろ的な。 視覚の強化を一旦解いて、インベントリから﹃ミヅガルヅ・エッ プレイングカラー ダ﹄の流通貨幣、リオムを一枚出して、親指で弾く。 虹色の遊色を内包する、半透明な薄桃色の真珠、といった色合いは、 通貨と言うより宝飾品に近いだろう。 基本物々交換だったから、リオムはそんな持ってないんだよな。 アクセサリー アイテムはわんさとあるけど、リオムは精々五百かそこらで、武器 防具に装身具、回復薬等の初期装備を一通り揃えて多少余るくらい の金額だ。 このリオム、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄では本来スニっつー単位だ ったんだが、表にチュートリアル・ナビゲーションの妖精、リオム の横顔のシルエット、裏に同じ名前の花のレリーフを刻んだデザイ ンからリオムで定着してしまい、誰もスニを使わなくなってリオム に変更された経緯がある。不憫やな、スニ。 さて、妖精なら主街道ルート、花なら森林ルート。 結果は⋮⋮妖精、主街道ルート。 そうと決まったら、今日はこの小屋塒に使って、明日から主街道目 指すぞー。 ⋮⋮考えてみたら、屋敷の連中や野盗以外の人間との、初めての 第一種接近遭遇じゃね? うわあマジ緊張するんですけど。 フード被ったままとか、やっぱ怪しいかなー⋮⋮でも、どう見ても ガキだし⋮⋮そういう怪しいガキがチョロッと紛れても平気な御一 行様が見付かれば⋮⋮! 先の苦悩は先でしろ。物事は大体何とかなるが、ならないときは どうしようもない、はじいさまの口癖。 88 ま、そん時ゃそん時。 とにかく、今日はちょい早いけど、食べて寝て備えるぞー! † † レリンクォル・ドナルーテ間に限らず、国境の宿場町で旅装を解 く旅人は多い。 気が緩んで、裏道をちょっと入った辺りに軒を連ねる、いかがわし い店での予想外の出費に頭を悩ませる者も少なくはない。 おしろい 白粉と香水の匂いと、名残惜しげな女の眼差しを肩先に引っかけ て、そんな店の一軒を出た男は、お世辞にも善人面とは言い難い強 面ながら、かと言って不細工とも言い難く、にやりと悪そうな笑み ジャケット ブー でも浮かべれば、女の方が勝手に落ちてきそうなところがあった。 ツ 男が身に纏う、襟の高い、やや硬い革の上衣とトラウザース、革長 靴はどれも使い込まれ、鍛えられた体をしていなければ着られない 代物だが、それが見事に似合っている辺りも、その理由の一つかも しれない。 店を出た男が向かうのは、辺りでも柄の悪いのが集まる酒場があ る辺りで、そこで仲間、と言うか同僚と言うか、とにかく一旦そい つらと落ち合い、ある程度の方針を立てたら、適当にばらけてドナ ルーテに入ることになっている。 男は、そいつらとレリンクォルでちょっとした“仕事”をしたの だが、聞いた話と食い違いが多く、どういうことか“話し合い”を 89 する材料を集めながらの帰路となったのだった。 ・・ 都合の悪い話を隠したのが依頼元か仲介人か、どちらにしろ、二度 と舐めた真似ができないよう、きっちり教育するのも、仕事のうち だ。 裏通りを抜け、特に柄の悪い連中御用達の店の前で足を止めた男 は、扉を潜り、酒場を兼ねた一階の奥へと向かう。 キツい蒸留酒の臭いと、最近出回り始めた紙巻きと葉巻の煙が漂い、 後ろ暗さを伴う低い声の会話が飛び交う間を縫い、カードのテーブ ルの椅子を引く。 テーブルには、男の他に五人の客がいた。 揃いも揃って善人面とは言い難い、厳つい強面ばかりだが、威圧感 はあっても嫌悪感を抱かせない、妙な愛嬌のようなものがあった。 男が席に着いたところで、カードが配られ、ゲームが始まり、ど ネタ この店は情の濃い女がいるだの、そこの店はいい酒が揃っているだ のといった他愛もない話の間に、蒸留酒のグラスと拾ってきた情報 が飛び交う。 ・・・ 手札が開かれ、積まれた貨幣が移動し、三回目のカードが配られ る。 配られたカードは、七人分︱︱薄らぼやけた気配が明確に固まり、 見せた姿にプレイヤーとして参加する資格を得たのは、灰白色の上 衣のフードを目深に被った、小柄な人物︱︱いや、子供だった。 七人目の存在を、テーブルの男たちは騒ぎ立てるでもなく、ごく 自然に認めている。 多少の粗はあったが、そこにいることを誰も気にしない程度に、暈 した気配を辺りと同化するのは、なかなか難しいものだ。 90 惜しむらくは、こうした環境下での隠形に不慣れなせいで、静か過 ぎたことだろう。 ﹁⋮⋮55点﹂ ﹁厳し過ぎだろ、60点﹂ ﹁お前が甘過ぎんだ。50点﹂ 自分の手札を覗きながら、口々に言う。 ﹁そうか? 中々のもんじゃねえか﹂ ﹁度胸込みなら65点だな﹂ 付けられる点数に、目深にフードを被った子供は動揺するでもな く、静かにカードを手にする。 ﹁で? 用件は?﹂ 手札から二枚を交換し貨幣を積む、いかにも荒事専門といった手 の男の問いに、子供は、 ﹁勝ってから、言う﹂ 人との会話そのものに慣れていないような、微妙にぎこちない口 調で言い、ベルトに吊るしたポーチから巾着を出して、テーブルに 置いた。 ちゃり、と小さな音は、貨幣の触れ合う音だ。 ﹁随分と強気だな﹂ 面構えの割には整った、射手独特の跡が残る手が交換したカード 91 は、三枚。 困ったように子供を見て、カードを一枚交換したのは、一番一般 受けしそうな、多少厳つい程度で済む面構えの男だった。 感性的にも、一番普通に近いらしく、積まれた貨幣の枚数も慎まし い。 面白い、と言わんばかりににやりと笑い、二枚を交換したのは、 肩口に女の残り香を引っかけた伊達男である。 それなりにいい手だったのか、残る二人は手札を交換することは なかった。 七番目のフード姿も、それは同じらしく、手札の交換をしないま ま、巾着ごと前に押し出す。 一巡したところで、手札が開かれる。 フルハウス。 フルハウス。 ストレート。 フラッシュ。 フルハウス。 ストレートフラッシュ。 七番目のフード姿が開いた手札は︱︱ ﹁⋮⋮悪いな﹂ ファイブ・オブ・ア・カインド。 92 のっけ初っぱなから四人の女王を囲った上に、道化の化けた五人目 までお召し上げとは、大したものだ。 ストレートフラッシュも、さすがにファイブ・オブ・ア・カイン ドには勝てない。 フラッシュ、ストレート、フルハウスは言わずもがな、だ。 やられたなあ、などと口にしながら貨幣を押し出すが、誰一人イ カサマだと騒ぐことはなかった。 イカサマなんざ、見抜けなかった奴が間抜けなだけで、バレた時点 で相応な対応をしてやればいい。 フード姿は、貨幣の小山に、少しばかり困ったような気配を漂わ せた。 ﹁金は、いらない﹂ それから、何をどう言おうか考えてでもいるように黙り込み、 ﹁連れってことに、して貰いたい﹂ 国境を越えるまででいい。 少し考えてから言い添えた内容に、 ﹁越えた後はどうするんだ?﹂ 一番、一般寄りらしい男が言う。 ﹁どうにか、なるだろ﹂ 93 返ってきた答えは、他の五人にとってはツボだったらしく、肩を 揺らせて笑い出した。 実際、どうにかなったからここにいるのだろうが、全くもって、面 白い。 ﹁いいだろう。⋮⋮サコー、取り敢えずお前が連れてけ﹂ ﹁はぁ? 待てよドライゼ、何で俺なんだよ!﹂ ﹁お前ぐらいだろ、ガキ連れてても人拐いに間違われねえ面してん のは﹂ ﹁⋮⋮﹂ サコー、と呼ばれた一般人寄りの眉間に縦皺が刻まれるが、話を 振ったドライゼ︱︱荒事に慣れた手の男の名らしい︱︱の言うこと には一理も二理もある。 仕方ない、と溜め息をつき、サコーはフード姿に向き直ると、大 層頑張った笑顔を作った。 それに、ドライゼ以下の連中の笑いが、より深刻化していくが、気 にしたら敗けだと無視を決め込む。 ﹁国境を越えるまでは、俺がお前さんの後見人だ。俺はサコー。お 前さん、名前は?﹂ 努めて柔らかい口調を心がけて言うサコーに、遂にテーブルに突 っ伏したドライゼを他所に、フード姿は、 ﹁⋮⋮ツァスタバ﹂ 言うと、ぺこりと頭を下げた。 偽名だろうが、本名を出さないのは、国境を越えるまでの付き合い 94 と割りきっているからだろう。 面白ぇな︱︱そんな顔で、サコーと、ツァスタバと名乗ったフー ド姿を見ているドライゼの顔には、人のよくない笑みが浮かんでい た。 † † ななし どうも、ジェーン・ドゥ改めツァスタバ︵暫定︶です。 聞き覚えのある単語に脊髄反射でポロッと言っちゃいました。CZ とか言っちゃわなくてホントよかった。 真っ当な旅行者にゃ頼めず、かと言って人身売買業に直ぐ様転向 するようなのは論外と、あちこち探していたらピッタリの物件に遭 遇しました。 それなりに真っ当な堅気ではないけど、通す筋はしっかりしてい る、そんな理想的集団に接触し、国境越えまでの後見もとんとん拍 子にゲットして、初人里の感想も吹っ飛びました。 これも日頃の行いの賜物ですね! 惜しむらくは、野盗相手だと単語と物理言語で大体通るので、ま ともな会話ができなかったせいで、人との会話リハビリができなか ったことでしょうが、それにしてもこれはひどい。 しっかし、サコーさんいい人マジいい人。刑事ドラマとかで何で 95 か知らんがカンフー使えるチャイニーズマフィアっぽい人だけど、 マジいい人。 ドライゼさんは⋮⋮こっちはあれだ、古きよき理屈抜きの85年代 アクション映画で、ジャングルで重機関銃ブッパしてる、知事選に 出てない方の人っぽいお人だ。 名前知らない他の四名様も、マフィアの売春部門取り仕切ってそう な伊達男に、軍産複合体で突っ走り過ぎた実験やらかすマッド技術 者系、男は黙って長距離精密狙撃な暗殺職人風、とりあえず殴って から考えますみたいなタイプと、実に濃いです。 こんだけ濃いメン揃ってりゃ、私が目立つことはまずあるまい。 ドナルーテに入っちゃえば、放浪生活二年くらい楽勝だし、定住 は十歳過ぎてから考えればいい。 国境越えまでの短いお付き合いですが、お互い仲良くやりましょう。 え? 宿? 野宿すっから大丈夫ですよー無問題! だから何故アイタタタな顔をなさるかサコーさんや。皆さん笑って るじゃないですかー。 は? 子供が無茶するな? ⋮⋮解せぬ。 96 八撃目 たったひとつではないけどそれなりに冴えたやり方︵後書き︶ ほら皆さん逆ハーですよ! 乙女ゲーム要素ですよ! ⋮⋮⋮⋮。 うん、言ってて凄い無理があるって分かってるから。 どう頑張っても子連〇狼って分かってるから⋮⋮。 97 九撃目 修羅往く姫︵え゛︶と六匹の悪漢・1 ツァスタバってのは、間違いなく偽名だろう。 国境越えるまでの付き合いと割り切ってる姿勢は悪くはないが、ど う育ったらこんなのができ上がるのか、皆目見当がつかん。 気配の消し方に甘さはあったが、あれは単に、街中の環境に慣れ てないだけだろう。 足音はもとより一挙手一投足、呼吸の気配すら希薄で、しかもそれ さら が常態になっているとか、有り得なさ過ぎるだろうが。 アサシン ⋮⋮後継者に悩む暗殺者が見たら、大喜びで拐いに来るんじゃな いか? 街中での気配の消し方、人体の急所を確実に突く技術と、それを躊 躇わず実行できる神経を仕込めば、すぐにでも暗殺者デビューでき そうな逸材だからな。 国境を越えるのは、明日の午後を予定していた。 今夜の宿は取っているが、まさかこんなことになるとは、予想もし てなかったからなあ⋮⋮。 坊主が宿を取っているか、そもそも宿に泊まる気があるのかも怪し い。 まさかとは思うが、野宿とか言ったりは⋮⋮したよ。しちまったよ。 あのなあ、短い付き合いかもしれんが、面倒見るってなった以上、 責任があるんだよ俺には! あ? 関係ない? んな訳あるか! 国境を越えるまでは、俺はお 前の保護者なんだよ、分かったか! 98 とりあえず、俺と相部屋になるが、いいな? ⋮⋮は? 幾ら払えばいい? 間違ったことを言っちゃいないけど な? お兄さん頭痛くなってきたわ、うん。 なあ坊主、使わずに済む場面で金を使うのは、余り賢いやり方じ ゃあない。 お前がガキだってのは、動かしようのない事実だ。 でもな、そいつは期間限定のアドバンテージでもあるんだぞ? 分かったなら、ほら、行くぞ。 ⋮⋮おいこらアストラ、誰がパパだ。シグ、お前もお父さん言う な。 な、ステアーお前もか! ローナーお前も酸欠するまで笑ってんじ ゃない! いや、構わんドライゼと一緒に笑い死ね。 で、坊主。当てはあるのか? いやだから、ドナルーテで暮らす 当てだよ。 ⋮⋮ない。うん、潔いお返事ありがとうなー、お兄さん吃驚だよ。 そりゃあ、お前さんならどこででもやってけそうだけどな、少しは 計画的に⋮⋮あ゛? あと二年も山籠りしたら十歳だから、そうし たらギルドに登録して、冒険者で食ってく? 胸張って言うことか。 って、ちょ、待て待て待て待て、それじゃあ何か、お前さんまだ 八つ!? は? もうじき八つ? うん、お兄さんの中の色んな何かがダメージ受けてるみたいだわ。 ⋮⋮あー、その、何だ、とりあえず宿まで行こうか。 言っとかなけりゃならんことが多そうだな、お前さんには⋮⋮。 99 † † 海外ドラマとか洋画とかに、悪徳警官とかで出てきそうなサコー さんがマジいいひとな件について。 つか、よくよく見ると、昔のムービーコンテンツの俳優にちょっと 似てる。ええと⋮⋮ジェット・リーだっけ? 悪役やってる時の。 顔に似合わず苦労人つーか、貧乏クジ引きやすいタイプと見た。 ⋮⋮貧乏クジ︵特大︶のお前が言うな? フヒヒサーセン。 いやー、それにしてもサコーさんいいひとマジいいひと。 初めての宿屋泊まり、奢りですよ奥さん! いいひと過ぎて逆に心 配だわー。 あれだ、顔で損してるタイプだな。善き父善き夫になりそうなのに な。見る目がない女が多いのに吃驚だよ。 にしても、ガキであることのアドバンテージ、か。 対人戦で、ガキだからと相手が舐めてかかってくるのも、アドバン テージつったらアドバンテージ、だよな。 舐めてかかって油断するから、より隙が生じる。 場面によりけりだけど、ガキってことを利用するのも、確かに手だ もんな。 ⋮⋮あ、そうだ。 宿に着いたら相談しようと思ってたことがあったんだわ。 ヨハンナさん 母は読み書きや暦の見方、長さの単位は教えてくれたんだけど、 100 世界一大事なカネの話がすっぽ抜けてたんですよねー。 あのままいけば家畜確定だったし、金が必要になると思わなかった からなのか、それともまだ早いと考えたからなのか、その辺は不明 だけど。 野盗連中が溜め込んでたのは、大きさの違う三種類の銀貨が合計 で三十枚ちょい、同じく大きさの違う三種類の銅貨が二十枚ちょい、 小さな金貨が五枚。 貨幣価値としての順位が、銅貨<銀貨<金貨なのは分かるけど、そ れで何ができるか、何と交換できるか、その辺の基準が今一不明だ ったりする。 貨幣経済の外側で、自給自足の狩猟採取生活してたからなあ⋮⋮。 物々交換とゆー原始的な経済活動すらなかったし。 けどまあ、いくらいいひとだっつっても、さすがに金貨を見せる 気はない。 三種類の銅貨と二種類の銀貨について聞いとけば、後はそこから推 測できるし、実際にどこかで使って学ぶのもありだろう。 後は、武器の売却だな。 明日の午後までの期間限定でも、保護者がいる間にできれば売っ払 っちまいたい。 インベントリがあるとは言え、鋳造の数打ちは趣味じゃないし、何 より、ケチが付きそうで持ってたくない。 ⋮⋮サコーさんの後ろにくっついて酒場出た時に、ドライゼさん が笑い死にかけてたけど気にしない。 他の人の名前も分かったけど、軍産複合体で突っ走り過ぎた実験や らかしそうなマッド技術者系がアストラ、マフィアの売春部門取り 仕切ってそうな伊達男がシグ、男は黙って長距離精密射撃な暗殺職 101 人風がステアーで、とりあえず殴ってから考えますみたいなのがロ ーナーかな? 多分だけど、これで合ってるはず。 つうか、皆様実に悪そうな顔してはりますわー。 何だかんだで、いいチームなんだろうな、ってのがよく分かる。 何より、馴れ合ったところがないのがいい。 強面悪人面のオサーン集団だけど。 強面悪人面のオサーン集団だけど。 大事なことなのでもう一回、強面悪人面のオサーン集団だけど。 ⋮⋮サコーさんのお兄さんアピールは、正直切ないもんがあるけ どな。 でもまあ、見たところ、三十路坂は登ってるけど、五十路坂はまだ 先、って感じだから、お兄さんでもセーフってことにしておこう。 アラフォーはオバサンではない、お姉さんだ! とバーのカウンタ ーに打ち付けられた拳と咆哮が、今でも忘れられません。 と、まあ、お兄さんとオッサンの境界という、額の生え際と頭皮 の境界はいずこか、との、繊細かつ複雑な区分に匹敵する難問は置 いといて。 サコーさんの後くっついて宿に向かってますが、完全に坊主呼び 確定しました。装備で体型カバーするまでもない寸胴だしな。 嬢ちゃんとか柄じゃないの理解してるんで、その辺は気にしてない けど、今通ってる辺り立呑屋みたいなのが多くて、そっちのがすご く気になって、涎が出かかってます。 仕方ないじゃん。ここんとこ、なんちゃってジャーキーとビスコ ッティもどきがメイン食糧だったんだから! 102 思ったより量があるから消費しようと思ったんだけど、正直あれで 過ごすのって、イギリス飯で一日三食よりちょっとマシレベルです わ。 ⋮⋮あ、この匂いは揚げ物かな。串カツ系? 揚げたて熱々をジ ュワーっとソースに、いや、白身かホタテにレモン絞って醤油一滴 垂らしたのにかぶり付き、火傷しそうな口の中によく冷えたビール か、辛口の冷酒、できれば大吟醸をキューッと⋮⋮。 あっちのはシュラスコか? 羊、じゃないな。牛か。牛の赤身と嗅 いだ。味付けはザッパだけど、ザッパさがワイルドさに昇華したや つをがぶっと頬張って、ライム入りのコロナをチェイサーにショッ トグラスでテキーラをぐいっと⋮⋮。 ううううう、は や く お と な に な り た い 。 ぴすぴす鼻が鳴ってるのを聞きつけたサコーさんの、微笑ましい ものを見る眼差しの優しさが辛いです⋮⋮。 腹を空かせたワンコ見る目とか、勘弁してつかぁさい。 頭撫でないでくださいしんでしまいますいたたまれなさに。 ⋮⋮あ、フード外れた。 † † 後ろから聞こえる、犬が鼻鳴らしてるような音は、もしかしなく ても坊主か? おーい、解けてるぞ隠行が。 歳相応なとこもあるじゃないか。 103 振り返ると、フードの下から覗いている口元が、うずうずと緩ん でいて、腹を減らした犬に見えてくる。 何だ、腹減ってんのか? こういうとこはやっぱりガキだな。 フードの上から、犬にするようにわしゃっと頭を撫でてやったん だが⋮⋮あー、成る程なー⋮⋮こりゃフードいるわ。 枯れ草色の髪と目の、色合いの地味さを差っ引いても釣りがくる 面の、まー整ってること。 抜き身の刃物に似て鋭く、斬られると分かっても手を伸ばしたくな るような、美貌と言っても差し支えない面に甘さはなく、こんなん をさらして歩いてたら、後継者に悩む暗殺者より、人買いが駆け付 けるのが先だろう。 将来に備えて、シグに女の扱いを伝授してもらうべきか? ほっといたら、毎日が女絡みの刃傷沙汰になりかねんぞ。 † † ⋮⋮外れたフードを被せ直してくれたのはいいんですがサコーさ ん。 思っきししみじみしながら、将来女で苦労しそうだなぁ、とか言わ んでくれますか。 しょっぱすぎて泣けるから。 104 屋敷で見かけた奥方様とご令嬢、旦那様は別として、屋敷の使用 人連中も野盗どもも、この町入ってから見かけた人らも、チーム強 面悪人面オサーンズも、髪や目の色は茶色や砂色のバリエーション か黒と地味だった。 野盗見た辺りで、実は白髪頭って目立つんじゃね? と、﹃ミヅ ガルヅ・エッダ﹄の髪色変更アイテムと理不尽性能のカラコンで、 ありがち地味カラーにしたんだが⋮⋮これならリムーバー使わない で、黒にしたままの方がよかったんじゃろうかー。 あ、奥方様とご令嬢、旦那様はある意味衝撃ですた。生物学関係 者が、ざっけんないいピエロじゃねーかよ俺ら、と叫んで台パンす る方向に。 インターナショナルオレンジの髪とか、斬新過ぎだろ旦那様。 ミドリムシ 奥方様もご令嬢も、ピーコックグリーンの髪とかその色素どっから ヨハンナさん 来たし。葉緑素か。クロロフィルか。リアル動植物か。 つうか旦那遺伝子負けてんなー、母にも負けてんじゃん。どんだけ ー。 ⋮⋮あん時は、視覚の強化してなかったから髪色しか分からなか ったけど、目の色もやっぱすごいんじゃろうかー。 やっべ、ちょっと見てみたいわー、赤とか金色とか居そうだし。ピ ンクとかもいたりしてな。 とか考えてたら、客層の柄も普通寄りな店がある辺りに出ていた。 お、宿ってここ? うわー、何か凄い、凄い普通だー! 木造二階建てで、一階に酒場兼の食堂? があって、二階が客室の、 ホント普通の、ファンタジーRPGとかそーいう映画に出てきそう な宿。 受付っつうか、宿の主人もめっちゃ普通の父ちゃん母ちゃんだし、 105 手伝ってる娘︵多分あの父ちゃん母ちゃんの娘だと思う︶も、贔屓 目に見てちょっと可愛い程度の、普通の娘だし。 普通過ぎて逆にテンション上がりそう。つうか上がってる。 サコーさんが、知り合いの子供なんだけど、急に預かることにな っちまってさあ、とか言って、銀貨の小さいのを一枚と、大きい銅 貨を一枚、カウンターに出した。 ⋮⋮成る程、あれで一人追加分、と。少なくとも、あれでこの宿 には一泊できる訳だ。 でも、どういった泊まりかも、ちゃんと知っときたい。素泊まりな のか、食事が付くのか。食事が付くとして何時出るのか。 そういうのを知っとかないと、後々苦労するからなー。 世間のお勉強は大事ですが、カネの話はもっと大切です。人によっ ちゃ、金は命より重いみたいだし。 宿の部屋だけど、ちょうど昼過ぎに、二人部屋の人が予定切り上 げて急いで出発したとかで、二人部屋が運よく空いたんだそうな。 その部屋にチャージって運びで、サコーさんが一人部屋から荷物を 持ってくるまでの間、とりあえず食堂の椅子に座って待つことにし た。 サコーさんの部屋は一階で、さっきの宿だとカードのテーブルが あった辺りを、ここでは一人部屋に使ってるようだ。 宿の設計自体は似たり寄ったりだけど、場所柄や主人の人柄で、随 分と違ってくるもんだな。 こっちの宿は、明るくて、暖かくて、人を迎え入れる雰囲気がある けど、あっちは鉄火場のひりつく空気ムンムンで、殺伐ーっとして たからな。 106 大人用の椅子なんで、微妙につかない足が面白くて、ついぶらぶ らさせて待ってると、欧州、特にロシア方面に見られるビッグバン 現象を経たと確認されるおばちゃん︱︱おかみさんが、陶器のマグ を片手にやってきた。 三つ編みにひっつめた、少し白いものが混じり始めた茶色い髪、ふ くよかな顔の笑い皺、ぼやけたアースカラーのワンピースに前掛け と、地味で素朴な、いかにも“おっかさん”な感じがする。 割烹着似合いそうだなー。あと買い物カゴ。買い物カゴにはネギお 願いします。もしくは大根。 ﹁はいよ。伯父さんから聞いたよ。お腹減ってんだろ? 食事は終 わっちゃって出せないけど、空きっ腹で寝るよりはマシだからね﹂ そう言って、おばちゃ︱︱げふん、おかみさんはマグをテーブル ぜんせ に置いて、雄大なる大臀筋を揺らして去っていった。 何だろう、市川鷹の修学旅行で乗った水牛車、アレ思い出してる自 分がいる。 つうか、預かった知り合いの子供、の私が、いつの間にかサコー さんの甥っ子になっていた件について。 お父さんじゃないだけマシだけどさ。 おかみさんが置いてったマグからは、ふんわりと、覚えのある仄 かに甘い匂いと、湯気が立ち上っていた。 蜂蜜入りのホットミルクって⋮⋮うわー、転生後初の子供扱いです よ! すげえ。おかみさんマジすげえ。 かくも怪しい人物を子供扱いとか、おっかさんてマジぱねえわ。 マグを手に取り、中を覗く。 107 うん、ホットミルクです。どこからどう見ても普通にホットミルク です。 この構図を客観的に見たら⋮⋮ホットミルクのマグを覗き込んでる、 フード姿の胡散臭いガキ。 凄く⋮⋮シュールです⋮⋮。 ・ そう言えば、水とハーブティー、ドングリとタンポポの代用コー ヒー以外の飲み物も、私は初めてじゃね? わあい初体験だー。 まずは一口、舌の上に薄く広がる程度の量を含んで、待つことし ばし。 ⋮⋮うん、普通に美味い。 飲み込んで、また少し待って、今度はもうちょい多めに一口。 いや、ヴェルヘルミナ︵元︶だった頃、明らかに体によくないの 混じってる系のやつ、ムリクリ飲まされたことがあったんですわ。 サンドバッグ ちなみに犯人は、将来お屋敷で働かせようってんで、手伝いに来さ せてた他の使用人のガキの何人か。 親経由で、そういう扱いをしても怒られない、便利な玩具だと知っ てたっぽいな、あれ。 体格が違っても、目なり金的なり狙ってやりゃ、鍛え始める前の私 でも逃げるくらいはできるけど、ヴェルヘルミナ︵元︶ではそもそ も、その発想がないからな。 ぜんせ その記憶を見てるから、他人の手を介した飲食物に、どうしても 警戒心がねー⋮⋮市川鷹が出てきてからは大分マシになったんだけ ど、癖になってるっぽいなー、これ。 いや、あれが異常で特殊だっただけだって、分かっちゃいるんです がね。 108 ゲリ ボヤ 食中毒と火事が何より怖い宿泊施設でんなことある訳ないし、安 全確認も済んだので、早速いただきます。 これでブランデーかラムが入ってりゃ完璧なんだけどなー、とちび ちびホットミルクを飲んでいると、荷物まとめたサコーさんが、部 屋から出てきた。 出てきて、こっちを見て︱︱。 ⋮⋮ふっ⋮⋮噴いたね! 親父にも噴かれたことないのに! まあ気持ちは分かる。私だってそうする。誰だってそうする。 だからですね、表情筋ひきつらせてまで我慢せんでえーですから、 笑いたきゃ笑っていただいて結構ですんで。 腹筋が波打ってますよって。 呼吸狂ってますよって。 すんごい頑張ってるけど誤魔化せてないサコーさんを横目に、カ ウンターに空のマグを置きに行く。 ﹁美味かった。ありがとう﹂ 相変わらず会話機能錆びてます。会話機能ポンコツまじポンコツ。 Q.いつになったらまともな会話ができるんでしょうか。 A.その予定はありません。 ってか? 軽く頭を下げてお礼をしてから、一応発作の治まったサコーさん の側に移動する。 治まったら治まったで、今度は微笑ましいものを見るよーな目を向 けられてます。 解せぬ。 109 ぽん、と犬の頭でも撫でるように頭に手を乗せたサコーさんが、 行くぞ、と無言で促してくるので、頷いて了承の意をを示す。 この人、何だかんだで頭撫でんの好きなのか? 犬とか猫とかにも 同じことやってそうだよな。 部屋分かんないから、サコーさんの後をくっついて歩いてますが、 こん人も大概だわー。 動きに無駄がない。しかもそれと悟らせない自然さがある。 この世界、出鱈目どもの万国ビックリショーに事欠かないみたいで す。 ゆったりめの階段を上がって、廊下突き当たった角の部屋が、そ うらしい。 すごいぞー、隙間風ぴーひゅーする屋根裏部屋でも、樹上寝袋でも ない、まっとうな宿の部屋だぞー! やっべまたテンション上がってきたわー。 入った部屋は、狭からず広からず、二人で使うのにちょうどいい 手頃さがあった。 掃除が行き届いて清潔な室内には、丈夫そうなシングルベッド二つ と、二人がけの小さいテーブルセット、クローゼットが、使いやす いようにと配置され、ベッドの上掛けの、ハンドメイドらしいキル トが、何とも家庭的な雰囲気を漂わせてる。 そこに泊まるのが、一見悪徳警官風の自称お兄さんと、世界の中 心で胡散臭さを叫ぶガキっていうギャップを考えると、シュール通 り越してるけどな。 現代美術も心筋梗塞のビックリ加減だわ、うん。 110 ドア側のベッドに荷物を下ろして、実行支配イェー! したとこ ろで、旅装を解く準備を始める。 まずベルト外して、袖丈調整の腕の革帯解いて仕込んだダガーを 外して、っと。 ジャケット 左右両方解いたら胴回りの帯解いて、腰骨の上辺りに隠して仕込ん だダガーを回収して、上着を脱ぐ。 インナー代わりのハイネックの黒の長袖とトラウザースは、寝る前 に着替えればいいし。 寝巻きは裁縫技術の練習で作った作務衣でいいだろ。 ダガーは帯でくるんでひとまとめにして、ベルトと荷物と一緒に サイドテーブルに置いたら、まったり寛ぎモードです。 ふぃー、かーいほーうかーん! やっふー! ⋮⋮ところでサコーさんは、何を唖然とした顔をしていらっしゃ るのでしょうか。 いや、これって剣と魔法の世界における正しい一人旅装束ですよね? え、ダガーの仕込み場所が間違ってたとか? え? いやでも、前 腕と腰って一般的ですよね? おかしいとことかないですよね? あるぇー? † † いや、そのな? 宿のかみさんに頼んでおいたホットミルクを飲 んでるとこなんかは、割と普通のガキっぽかったんだよ。 111 マグ返しに行って、頭下げて礼言ってさ、ああこいつ、まだ八つな んだよなあ、って思った訳だ。 部屋に行く時も、妙に嬉しそうな雰囲気漂わせながら後ろにくっ ついて歩いてて、犬猫並みには可愛いかもしれんと、そう思うだろ? 部屋に着いてからも、小走りでベッド占拠しに行くとこなんか、や っぱガキだなあと、微笑ましくなるだろ? ぶち壊しじゃねーか。よく分からんが何かが色々と。 そもそもお前は、一体、何をどれだけ込んでる。 ブーツにも仕込んでるだろ。 まさかとは思うが、インナーの下にも仕込んでんじゃないだろうな。 いやはや、出るわ出るわ、次から次へと暗器がぼろぼろと。 それも、殺傷力の高いシロモノばっかり。 まさかと思うけど、もう殺人童貞卒業しちゃったりしてないよな? お兄さんの心の平安のためにも、頼むからそこはまだだと言って くれ。 しっかし⋮⋮完全に自分の影響下にあり、状況をコントロールで きる場所でなけりゃ、この坊主はもしかすると、完全にリラックス することができないんじゃないだろうか。 本当に、一体どんな場所で、どんな育ち方をしたら、こんなガキが できあがるんだ? ⋮⋮けどまあ、そういうガキが、この程度までなら武装を解いて もいいと、そのくらいにゃ思われてるんだろうか。 懐っこいんだか警戒心旺盛なんだか、分からん坊主だな。 しみじみ眺めてる俺を、変化に乏しい表情の代わりに、随分と多 112 弁な目が、不思議そうに見返していた。 顔に出ないだけで、感情自体は豊かなんだよな。 おい、坊主。 もうちょい、そいつを目だけじゃなく、顔全体に出す努力をしてみ ろ。 そうすりゃあ、あと十年、いや五年もすりゃ、お前モッテモテだぞ ー。 お兄さんが嫉妬しちゃうくらい、モッテモテになるぞー。 そんなことを考えてたら、自然と手が坊主の頭を撫でくっていた。 嫌がるか逃げるかするかと思ったんだが、大人しく撫でくられてい る。 もっとゴワゴワした感触かと思ったんだが、ちょっと力を入れたら すぐ千切れてしまいそうな、柔らかく繊細な手触りだった。 気ぃ付けろよ坊主、こういう髪はある年齢まで行くと、一気に来 るぞ。 そりゃあもう、見るも無惨、聞くも無残、語るも無慚に⋮⋮。 しかし、だ。 正体不明で世界に一匹の珍獣に、ちょっとだけ懐かれた。 多分、これはそういうことなんだろう。 ま、これはこれで、悪い気はしない、かもしれん。 † † 113 ⋮⋮えー、サコーさんに、頭撫でくられてます。 現在進行形でぐりぐりと。 何がどうしてこうなった。 でも、これ完全に動物の頭撫でくる手じゃね? よーしゃよしゃよしゃよしゃよしゃ、って幻聴聞こえてきそうだわ、 うん。 でもまあ、動物扱いかもしれんけど、悪い気はしない。 初めてじいさまに一撃当てた日、よくやった、って頭撫でくられて、 首もげるかと思ったけど、すごく嬉しかったのを思い出した。 サコーさんの手は、じいさまの手ほど、大きく分厚くはないけど、 戦える人間の手をしている。 戦って、結果相手を殺しても、その結果から逃げず、また戦える人 間の手だ。 その手に免じて、存分に撫でくらせてやろうではないか! ピー え、そうじゃない奴だったらどうしてたって? そんなん手首から切り落として一昨日来やがれXXXX野郎、で終 わりですが、何か? ⋮⋮何か頭がすごいことになってるっぽいけど、気にしないでお こう。 あと、このタイミングで﹁父ちゃん﹂言ったらどうなるか、好奇心 と探求心が疼いてます。 いつ投下すっかなー⋮⋮。 114 九撃目 修羅往く姫︵え゛︶と六匹の悪漢・1︵後書き︶ 強面悪人面のオサーンが子供の面倒を見ると、それだけでいいひと に見えるのはヤンキーと捨て猫の方程式ですが、サコーさんはマジ で子供に甘いお人好しでした。 強面悪人面なオサーンが子供に甘いお人好しとか、萌えませんか⋮ ⋮? 私は萌える。︵キリッ︶ 115 十撃目 修羅往く姫︵え゛︶と六匹の悪漢・2 ななし あったーらしーいあーさですよっ! おはようございます、ジェーン・ドゥ改ことツァスタバ︵暫定︶で す。 突然ですが、部屋の空気が最悪です。 いや、99.999%私のせいなんですが。 そう、あれは応仁の乱の頃、いいえ建仁の乱の頃のことでした、 東の空に光り輝く円盤が⋮⋮じゃなくて。 いやね、正直申し上げますと浮かれてた訳ですよ、色々と。 デストロイヤー 初宿屋に初子供扱いと、テンション上がった反動なのか何なのか、 ニワトリ起こし、日曜朝の子供、目覚まし廃業屋と呼ばれた早起き 体質の私が何と、寝過ごしたのですよ。 それだけなら、それだけで済んでりゃよかったんですが、よりに もよって、起こそうとしてくれたサコーさんに、襲いかかりました。 こうがい ええ、そうです襲いかかりました。 枕の下に隠しておいた笄モドキを手に跳ね起きてこう、目狙って体 が動いてました、脊髄反射的に。 うん、10時37分頃に、親兄弟恋人とかの仇ラストワンを断崖 絶壁の岬に呼び出して殺そうとしたところを、探偵や弁護士や刑事 や検事や医者や温泉若女将に止められた犯人って、こんなかなー。 むしろ犯人に殺されかかった被害者だけど、﹁〇〇の事件について お聞きしたいことがあります、署までご同行下さい﹂されるラスト ワンの方か、これは。 116 気まずい。めっちゃ気まずい。 もう、気まずいってレベルじゃ済まねーぞってくらい。 やすにし どーすんだよ、フォローのしようがねーぞ。マジでどーすんだよ、 安西先生も試合終了宣言もんだよっ! あばっ、あばばっ、あばばばばっ! あぶだにらぶたあただかかば ここばうばらはどままかはどまっ! あべしひでぶうわらばたわば っ! ⋮⋮うん、じいさまの仕込みがよすぎたんだねきっと! ﹃避けてみよう! 夜討ち朝駆け殺気/zero攻撃短期集中講座﹄ がレベル高過ぎたんだよ! 脳の制止より先に体が動くのが、半分本能と化してなくね? 寝こけてるんで、朝だぞー、と頭撫でくって起こそうとした保護 者︵暫定︶に、至近距離での刺突用武器片手に跳ね起きて、襲って くるもうすぐ八歳児。 ⋮⋮ないないない、マジでないわー、クレイジー過ぎて。 いやもう本当に、世界の中心でヘルプミーと叫びたい。 幸い、サコーさんが大概だったおかげで、殺人未遂で済んでます けど。 サコーさんもマジ大概なお人やでぇ。 こうがい 笄モドキで目ぇ突きにいった右の手首をすかさず取って、微妙な 加減の捻りで手首・肘・肩三点まとめて極めたら、後頭部と両足押 さえ込んでベッドに沈め、見事な捕縛術です。 三十路男と十歳未満の︵見た目︶少年と、絵的には色々ギリギリか もしれんが、実際は殺人未遂の被害者と加害者っすから、別の意味 でギリギリっちゃギリギリだがな。 117 サコーさんからも、何かすっごい気まずい空気が漂ってますが、 互いに動くに動けない不動金縛り状態です。 じわーっと手のひらに、気まずさ極まって変な汗かいてきたし。 いやホント、どうすんだ、これ⋮⋮。 † † 気が緩んでるのか、わずかに横を向いて顔を枕に突っ伏し、俯せ でキルトの上掛けにくるまってるところは、静かな寝息と相まって、 妙な格好で爆睡する仔犬の風情だな。 寝かしといてやってもいいんだが、朝飯食いっぱぐれたら拗ねそう だからなあ、この坊主は。 ﹁起きろ、坊主﹂ 妙にクセになる手触りの頭に伸ばしかけた手で、咄嗟に掴んだの は、坊主の手首だ。 キルトの上掛けを跳ね除け、枕の下から取り出した刺突用らしい 暗器で、俺の目を貫こうと、バネ仕掛けの機敏さで繰り出された一 撃に、殺気は乗っていなかった。 動物じみた無表情さからも、半ば本能的な反射なんだろうが⋮⋮本 当に、どんな育てられ方してんだこの坊主は⋮⋮! 118 取った手首を捻り、肘と肩もついでに決めて、頭を押さえて、反 射的に取り押さえちまっていた。 ⋮⋮この状況でも暗器を手放さないとは、いやはや。 取り押さえられて、坊主もはっきりと目を覚ましたらしく、もの すごく緊張してるのが、全身の硬直具合からも伝わってくる。 自分がやっちまったことに気が付いて、どうしていいか分からずに、 しでかした粗相の叱られ待ちしてる犬のように、緊張しながら全身 で、俺の出方をうかがっている。 ⋮⋮いやな、お兄さん吃驚したけど、怒ってる訳じゃないからな? 無駄のない直線的な動きってのは、逆に言えば読みやすい動きだか ら、狙い分かった時点で避けられたし、お前さんみたいな野性動物 が寝てるところに、手ぇ出した俺も、少しはまずかったし、だから、 な? ﹁⋮⋮着替え済んだら、下に来い。飯にするぞ﹂ 言って、手を離し、ベッドに突っ伏したまま動かない坊主の頭を 一撫でして、部屋を出た。 アサシン 多少なりともマトモな神経の人間なら、あんな風な育て方はしな いだろう。 まさか、本当に、どこぞの暗殺者に育てられたとか言うんじゃない だろうな。 そうであってもおかしかないぞ、あれは。 一階の食堂の、やや込み入った話がしやすい席を取り、坊主を待 つ。 119 ジャケット ショートソード 坊主が降りてきたのは、それから五分ほどしてからだった。 昨日の灰色の上着を着て、短剣とポーチを下げたベルトをしている。 フードは被っているが、顔を隠すほど目深には被っていない。 長い袖を捲り、脹脛の半ばまで届く裾が、まるでコートのようだ。 全身で俺の方をうかがいながら、そのくせ、表情には相変わらず 動きが見えない。 俺の正面、を少し外れて席につき、落ち着かない雰囲気を撒き散 らし、視線をさ迷わせている。 悄気返った目が、時折こちらを見ては、やや薄い唇がもぞもぞ動く。 分かりにくいが、唇の端と眉も、微妙に下がっている。 意を決したといった目を、真っ直ぐ俺へと向けた坊主が、口を開 こうとした、正にその瞬間。 GURURURURURURURUAAA∼∼ ⋮⋮これ聞いたことあるな。 あれだ、ゴルゴン=カニスの唸り声だ。 ギガンティス ゴルゴン=ウルススに比べりゃ、そう討伐に手はかからんが、変異 種、それも巨化変異だったからなぁ、あれ。 って、待て。 今の魔獣の咆哮はお前か、坊主。 すげえなおい、何飼ってんだ腹ん中に。 自分の腹の虫の雄叫びに驚いたように、目ぇ真ん丸にしてる坊主 の顔が、余りにも“ただのガキ”に見えて、それが何故か、ひどく 可笑しい。 120 堪えきれず、笑い出した俺につられたのか、坊主の顔が少しだけ綻 んだ。 眉は情けなく下がったままだが、口許は、笑いと呼べなくもない形 を作っている。 ⋮⋮何だ、ちゃんと笑えんじゃないか。 ﹁飯にするか﹂ 言うと、坊主は頷いて、 ﹁⋮⋮さっきは、ごめん、なさい﹂ 言って、へにゃりと歪んだ情けない顔をした。 † † ⋮⋮や、やった! やったよ私! ごめんなさい言えましたー! いや、脊髄反射で襲いかかってごめんで済む訳ねえだろ脳味噌膿ん でんのかと、そう言われたら終わりですが、頑張ったことだけは認 めて欲しい。 つうか⋮⋮腹の虫に救われたってのが正しい。 有難う腹の虫! 助かった! 超助かった! そんな腹の虫に感謝を込めて、初めての外食、ガッツリいただき ましたー! 121 シンプルな塩と酢、オリーブオイル︵だと思う︶のドレッシングの かかった、そこらの野草じゃない、ちゃんとした栽培種の新鮮野菜 のサラダ。 表面をフライパンでこんがり炙った、分厚いハムの一切れ。 とろっとした半熟卵を乗っけたイングリッシュマフィン風のパンは、 どれも大層美味でした。 そいつ カフェインレス ただ、サコーさんはコーヒーなのに、私はミルクとか、そりゃない んでないですか? いや、美味しいけど。 美味しい、けど⋮⋮私はコーヒーを要求するー! の代用コーヒーにはもう飽きたんじゃー! 女将ぃー! コーヒー を寄越せぇー! ついつい出てしまう食べ方の癖に、サコーさんが微妙な顔をする けど、気にしない気にしない。 がっちょり食って腹も膨れたところで、この後どうするか、とサ コーさんが聞いてきた。 どうするも、サコーさんが関所行くまでは、こっちはこっちで、あ ちこち見て回って時間潰して、関所の手前で落ち合うつもりだった んですが。 ⋮⋮と、かいつまんで申し上げたところ、野放しにしたら何をや らかすか分からないから、関所越えるまではサコーさんと行動する ように、と釘刺されました。 ああ、うん、反論できねえや、あはははは。 代わりに、しっかり私の知らない一般常識のあれこれを学ばせてい ただこう。 ﹁分かった、頼⋮⋮み、ます﹂ 122 あかん、頼む、とか言いかけたし。 何とか言い直すと、生がつく感じに温かく優しい眼差しで、無理に 敬語使わんでいいぞー、と頭撫でられた。 普段おバカで待てもできない犬が、トンチンカンな方向だけど超頑 張ったのを褒めてる、って感じなんすけど。 ⋮⋮で。 結論から申し上げますと、それから夕刻まで、大変有意義なお時間 を過ごさせていただきました。 通貨は貨幣で、紙幣はない。 貨幣の最小単位は小銅貨で、最大が珠晶貨。 小銅貨は十枚で大銅貨一枚。五枚で銅貨一枚。 小銅貨が十円玉で大銅貨が百円玉、銅貨が五十円玉、と言ったとこ ろか。 で、銅貨の上に銀貨が来る。 大銅貨十枚で小銀貨一枚。この小銀貨十枚が銀貨一枚。五枚で半銀 貨一枚。 千円札と万札、五千円札だな。 で、銀貨十枚で大銀貨一枚。この大銀貨五枚が銀板貨一枚。 銅、銀、とくれば、次の単位は金貨だ。 大銀貨十枚で小金貨一枚。銀板貨なら二枚で小金貨一枚。 小金貨十枚で金貨一枚。五枚で半金貨一枚。 123 大金貨は、金貨十枚。 大金貨五枚で金板貨一枚になる。 金板貨なんかは、貴族やら王族やらとも関わりがあるようなでかい 商会の大口取引とか、国家予算とか、そーいう雲の上の取引に出て くる代物で、一般庶民には半金貨すら遠い世界の貨幣だ。 プラチナ そんな金の上に、さらに白金貨がある。 金板貨十枚で白金貨一枚。ここまで来ると子供銀行の一億円札とか、 ひょっとしてギャグでやってるのかレベルの話になる。 白金貨だけでお腹いっぱいなんだが、そのまた上にあるのが、珠 晶貨だ。 白金貨百枚で一枚とか、どんだけだっつーの。これ一枚で、人一人 が死ぬまでヒキニート超余裕じゃね? マジで。 ・・ んで、その人一人の一日の最低生活資金が小銀貨一枚。ただし、 あくまでも生活資金で、住居などの財産は含まれない。 宿代は、一人部屋一泊二食付きで小銀貨四枚が普通だけど、二人部 しょくざい 屋だと二人で銀貨三枚になるそうな。当然、素泊まりになるともっ と安い。あと、獲物持込割引なるサービスがあるらしい。最大で小 銀貨一枚分まで値引きされるそうだ。 屋台以外の、ちゃんとしたとこの食事なら、一食で大銅貨五枚が最 低価格で、屋台の食い物なんかはどんだけ高くても大銅貨二枚かそ こらで、大体は銅貨で買えるようなものらしい。 いやあ、世界一大事なカネの話ができたのが一番でかいね、やっぱ り! むこう あとは、とりあえず街中でフル武装は目立つので、そーいうのは 街を出るとき入る時くらいだってこと。 けど、私の装備はあくまで常識の範囲だと思うんですが。日本と違 124 って安全と水はアホのように安くはない訳だし、自衛の手段は必要 だと思います。 大概の店は、日が落ちてちょっとしたらクローズだけど、飲み屋 飯屋宿屋は深夜営業だってこと。 屋台は基本ボッてくるから、基本は三割引かせて上記のお値段だそ うな。 あと、ちょっと大きい街には冒険者ギルドの支店? があって、こ っちは二十四時間営業だとか。コンビニか。まあ、年中無休の商売 だしねえ。 何より、所謂ポーション的な回復薬はアホじゃねえかとツッコミ ・・ 入れるしかないお値段だそうな。 一番安いのでも最低価格で銀貨五枚、それも外傷を塞ぐだけで、出 血で失われた体力や血液自体は回復しないし、欠損部位を再生させ るやつとなると、大金貨ウン枚って話だそうで、故に、大前提は﹁ 怪我をしないこと﹂なんだそうな。 色んな店を冷やかして回ったり、ケバブサンド的な屋台のファス トフード奢ってもらったりしてるうちに、気が付いたらもうすぐチ ェックアウトのお時間で、急いで宿戻って旅支度整えて。 そんで︱︱今、目の前には関所がある。 ここを通り抜けたら、サコーさんともお別れか。 何かしんみりしてきた。 案外、私は人恋しかったようだ。 通行手形的なのがあるのかと思ったけど、順番が来てサコーさん が関所の役人に見せたのは、何かちっこい、ドッグタグを一回り小 さくしたくらいの、銀色の札のようなものだった。 125 あれが身分証なんだろうか。 んで、一言二言、私の方を示して言ったら、それで終わり。 ⋮⋮え? あれ? もしかしてサコーさんて、実はスゴイお人だ ったりする? まあ、確かに大概でしたけどね色々と。 あーるぇーやらかしたか? ひょっとして、いや、ひょっとしなく てもやらかしましたか!? そうですかそうですね!? けっ、けどまあ無事関所も通過したことだし、ここでお別れです よねっ! ⋮⋮よし。 ならばここで、かまさねばなるまい取って置きのアレを︱︱そう、 疼く好奇心と探求心を押さえ込み、投下の瞬間を待ち続けたあのネ タを、今こそッ! ここでッ! かまさねばならない、しかるべきネタをッ! 足を止め、深く息を吸い込む。 サコーさんも足を止め、訝しげにこちらを見た。 よし、今だ。今しかないッ! さあ往けぃッ! ﹁あ、ありがと、な⋮⋮父ちゃん﹂ 明日の朝には表情筋が筋肉痛確定だろうが、構うものか。精一杯 の満面の笑顔⋮⋮らしきものを添えて、やりました! ミッション・コンプリィィィトォォォッ! 私の心の中の世紀末覇者が、高々と天に拳を突き上げる。我が人生 に一点の悔いなし、と! 126 ですからね? 期待してたのはサコーさんの﹁誰が父ちゃんだ!﹂ のツッコミであって、何だかいい感じの場面になっちゃってる感と かじゃなかったんですが? 更に背後から大爆笑とか、予想してなかったんですけど⋮⋮アルェ ー? 世界はいつだって、こんなはずじゃなかったことばっかりだと、改 めて実感したツァスタバ︵暫定︶なのでした⋮⋮。 ぎぎぎぎぎ、と音がしそうな感じで背後を見れば、振り向けば奴 ︵等︶がいた、とでも申しましょうか。 ウケてる。めっちゃウケてる。すごいウケてる。 ヤンキー座りでしゃがみ込んで腹抱えてまで大爆笑せんでもいいで しょーにドライゼさんェ⋮⋮ローナーさんも似たり寄ったりで大爆 笑なう、ですし。二人とも笑い過ぎて酸欠になってしまうがいい⋮ ⋮! マッドエンジニア それはそれは人の悪ぅーい、倫理的にアレな実験に成功したよやっ たね的な顔で笑ってるアストラさん、マジ狂技術屋にしか見えない。 やめろー改造なんかするなーぶーっとばーすぞぉー。 隣のステアーさんの肩に肘乗っけて、銜え煙草でにやにや笑ってら っしゃるシグさん、ステアーさんが超迷惑そうにしてますよ? こ いつ死ねばいいのにみたいな目ぇで見られてましたよ? ステアーさんもさぁ⋮⋮笑えば、いいと思うよ⋮⋮? ほら、微妙 に肩震えてえるし。頬引きつってるし。無理に我慢せんでもさぁ⋮ ⋮いっそ笑われた方がマシですがな。 もう皆様お好きなだけ、笑いを抱いて溺死して下さいやがってくれ やがりませですよ。 ハイパー笑い物タイムのいたたまれなさに、振り返り仰ぎ見たサ コーさんですが。 ⋮⋮いやね、その、私としましては﹁誰が父ちゃんか!﹂ってツッ 127 コミをね、期待してたのであって、照れくさそうに、それでいて満 更でもなさそうな顔して﹁そうか、父ちゃんかー⋮⋮﹂とか呟かれ ちゃうとか想定外も甚だしくて、つまりですね。 結論:こんなの絶対おかしいよ⋮⋮! いやもうリアルにこれ何てカオス状態なんですけど。 これか、この心境があれなのか、どうにでもなーれの境地なのか。 どーしょーもねえなと、とぉーい目をして一万年と二千年くらい彼 方を眺めて現実から少し目を逸らしているうちに、オッサンどもの 笑禍が一応過ぎていったらしい。 いい年した大の大人のするこっちゃねーだろ。 かすがい そんな思いを込めてじっとり睨んでみたところで、暖簾に腕押し糠 に釘、豆腐に鎹馬の耳に念仏でしたけどね! ﹁まあそう照れんなって、小僧﹂ ⋮⋮何をどう解釈すればそうなるのか、理解不能ですローナーさ ん。 あと頭かいぐりするなら自分の腕力考えてして下さい、首がもげま す。もろりと。やめてくださいマミってしまいます。 つうか本当に人殴り慣れた分厚い手ぇしてますね! じいさまとい い勝負ですよ。 グリズリー ⋮⋮うん、あれだ。この人、灰色熊だ灰色熊。後足で立ち上がっ ぜんせ た灰色熊な。 市川鷹の身長をもってしても見上げるほどの長身、角張った顔、潰 れた耳、太い鼻、太い首。 服の上からでも、分厚い肩、岩の塊を肉で包んだような胸と胴周り、 太い腕に大腿は、見てくれ重視で鍛えたものじゃなく、実戦の中で、 殴り殴られして作り上げられた代物だと分かる。 128 テクニック 武器を使うなら、重く、分厚く大きく大雑把な武器で、相手の小手 先の技術なんか歯牙にもかけず、それごと真っ向から叩き割るよう な代物だ。 無手でも似たり寄ったりで、破城槌の如き正拳の一発で、喰らった 相手はこの世から即退場だろう。 オド 今の私じゃ、ローナーさんには逆立ちしても勝てないと、よく分 かる。 制約を解除して、内部魔力で筋骨格から神経系ガッチガチに強化し まくって、回避に徹して辛うじて一発か二発、いいのを入れられれ ば御の字ってとこだろう。 速度でなら上回る自信はあるけど、フィジカルな部分が圧倒的に足 りてない。 何せ肉の量が、肉体の出力が、絶望的に違う。 ま、ローナーさんに限ったこっちゃないけど、この場で一番弱い のが私だってのは間違いない。 体格、経験、それらに裏打ちされた技術、特に体格と経験の差が圧 倒的だ。 やっぱアレだ、兼業農家のパートタイム野盗とは、根本から違うっ てことだよな。 そんなことを考えながらローナーさんを見上げていると、笑いの 発作が治まったドライゼさんが、こっちを見て、口の端を歪めてに やりと笑った。 うん、誓ってもいい。絶対ロクなこと考えてないね! このなんち ゃってジャーキーを賭けてもいい! ﹁⋮⋮おいおい、別に取って喰おうってんじゃねんだ。そんなに警 戒心丸出しで尖るこたァねえだろう?﹂ 129 ツラ まあねー、取って喰われるとは思わないけど、その人を喰ったよ ーな、如何にも何か企んでますな面見て、警戒するなっつー方がど だい無理な話だと思うんですけど。 破壊目標の要所要所にC4仕掛けてデトネーティングコード巡らせ 終わって、今から起爆スイッチ押しますよー、みたいな顔してます よ? 首置いてかされそうなローナーさんの手から脱出し、じりじりと サコーさん サコーさんの後ろに回り込む。 済まんが弾除けになってくれ父ちゃん⋮⋮! カバディカバディカバディカバディ、と内心呟きつつ、じわじわ 気配を薄れさせつつ、にじにじ安全圏に逃げようと動く私の襟首を 引っ掴んだのは、ローナーさんだった。 うわあ、このガタイで速さも備えてるんかーい。筋肉ついてきちゃ いるけど、所詮ひょろこいもうじき八歳女児としては、マジ裏山で すわー。 そのまま掴み上げられて、ぶらーんと吊り下げられた状態で、ド ライゼさんの前まで運搬される。 ええい実験用のマウスか私ゃ。 おい、あんま手荒なことはすんなよ! と背後から聞こえるサコー さんのお心遣いが心に沁みる。サコーさんいいひとマジいいひと⋮ ⋮! と、感動していところに、ドライゼさんの顔面が視界にどーんと アップになる。 うん、ちょっと前の大爆笑見てるから威厳もへったくれも⋮⋮あり ましたわ、うん。 130 満面の悪っそーな笑顔がすげえ怖いんですが。 ﹁喜べ、坊主。﹂ わーにん ﹁⋮⋮何を、喜べと?﹂ わーにん ⋮⋮警告、警告! これアカンやつやー! 逃げて私超逃げてー ! プロデュースドバイじいさまイベントの臭いだこれー! ぶら下げられたまま、逃げようとじたじたやってるのを、サコーさ ん除く五名様は面白動物を見る目で見ています。 めっちゃ心臓が痛い。精神的な方向で。 ⋮⋮引きが長ぇーよ、早く言っていただけませんかね私の精神安定 のためにっ! † † 全身の毛を逆立て、フーフーと唸り声をあげている猫のような子 供︱︱ツァスタバに、ドライゼは、人を喰ったような表情を崩さぬ まま、重々しい声で宣告した。 ﹁なに、坊主の勝ち分がな。この程度でチャラにするにゃあ、いさ さかデカ過ぎるってぇ話になってな。当てがねえなら、王都まで連 れてってやろうと、そういう話でまとまったんだわ﹂ ドライゼのその言葉に、フードに覆われたツァスタバの頭が、が っくりと下がる。 例えそれがどのような無茶であっても、一度言い出したら引っ込め 131 ない。そんな傍迷惑な人間の同類を知っているらしい、諦めのよう なものを漂わせたツァスタバが、下がった頭をのろのろと持ち上げ た。 ﹁⋮⋮決定事項?﹂ 確認するように問うツァスタバの頭が、フードの上からわしわし と撫でくり回すドライゼの手の動きに合わせて、ぐらぐらと揺れる。 ﹁おう、そういうこった﹂ がっくりきているツァスタバの頭をもう一度撫でくり回したドラ イゼは、ローナーに手を離すよう目線で指示を出す。 ぱっと襟首を掴んでいた手が離れ、不安定な状態で放り出されたツ ァスタバだったが、すぐさま姿勢を立て直してつま先から柔らかく 足を着き、物音ひとつ立てず着地を決めると同時に、ローナーとド ライゼの手が届かないだろう位置まで、とん、と軽やかに後方に跳 び退き距離を置く。 その位置から、ツァスタバはドライゼを見上げると、 ﹁⋮⋮けど、いいのか?﹂ ﹁あ?﹂ ﹁足手まとい、だろ。弱い奴は﹂ 弱い、と言ったその言葉に滲む悔しさに、ローナーがおや、とい うような顔をした。 自分が、彼らにくっついて行くには“足手まとい”の“弱い奴”だ と自覚した上で、自分の弱さを、本気で悔しがっている。 気配の消し方、身のこなし、そこから察せられる戦闘技術。 132 経験不足は否めないものの、そこらの駆け出し冒険者に比べても遜 色ない、どころか既に凌駕しているだろうに、それでは、それだけ では足りないのだろう。 下を見て安堵するのではなく、上を見て届かぬことに歯噛みし、到 ってやろうと這い登る飢えが、強さへの本能的な飢えが、ある。 育ちのせいか、当人の生来の資質のせいかは不明であるが、幼いな がらも強さへの飢えを抱え込む、そのありようの歪さに、ローナー は興味を持った。 その悔しさと飢えは、ローナーにも身に覚えのあるものだからだ。 ﹁まあな﹂ ﹁じゃあ、どうして﹂ 重ねて問うツァスタバに、ドライゼはにやりと笑い、 ﹁博打の借りは作らねえのが大人の作法だ﹂ ﹁⋮⋮ちゃんと、払ってもらった﹂ ﹁おう、サコーの奴はな。払ってねえだろ、俺たちは﹂ なあ、と残りの連中に声をかける。 しゃあねえわな、とおどけたように肩を竦めるアストラの隣で、そ ういうこった、とシグが紫煙を吐き出し、如何にも承服しかねると いった苦り切った顔のステアーが頷き、負けは負けだかんなあ、と 頭を掻きながらローナーが言う。 聞いてねえぞ、とでも言いたげなサコーだが、同時に、どこかほっ としているようにも見えた。 一日足らずの付き合いで、ツァスタバが恐ろしく一般常識に欠けて いることに気付いたサコーとしては、このまま放りだすのは、正直 気が引けていたらしい。 133 少しの間、じっと、フードの下からドライゼらを見ていたツァス タバだが、やがて、ふうっと息を吐き、肩のあたりに漂っていた緊 張を解くと、酒場でしたように、ぺこりと頭を下げた。 † † ⋮⋮貰って困る土産物ベストテンの、熊の置物の銜えてる鮭の気 持ちが、痛いほど分かっちゃいました。 もしくはFBIに捕まった宇宙人写真の宇宙人の気持ち。 まあ、そりゃ助かるけど。 助かるけど、どう見ても足手まといじゃん、私。 ほら、さ。意地があるんだよ女の子には! ⋮⋮あ゛? どこに女の子がいる? よーし砂利か電球頬張ってか ら体育館裏に来い。ちゃんとついてないぞいーい度胸だこの野郎。 げふん。 えー、とりあえず、ドナルーテの王都までは、子供の一人旅に付 随するだろう諸々の面倒に遭わずに済みそうですが、ぶっちゃけそ っちの方がよかったよーな気が薄らしています。 つか、あのオッサン何だかんだで、結局﹁何となく面白そうでやっ た﹂だと思うんだよなー。しかも後悔も反省もしない。 でも、同じくらい楽しみでもある。 王都までどれくらいかかるか分からないけど、その間に、盗んでも 134 のにできるものが沢山ありそうな気がするんだよねー。 街中での気配の消し方は、サコーさん見てて何となくだけど、野山 での気配の消し方との違いが見えてきたような気がするし。 学べる時に学ばないと、次がいつあるか、そもそも次があるかも分 からない。 えーと、その。 とりあえず、王都までお世話になります。 135 十撃目 修羅往く姫︵え゛︶と六匹の悪漢・2︵後書き︶ 予想に反して何だか﹁イイハナシダナー﹂なふいんきになってしま ったオッサンと少年。響き渡る爆笑。あーたぶんそーくると思った わー<読者 な展開。 次回、十二撃目 修羅往く姫︵え゛︶と六匹の悪漢・3︵仮︶ オッサン祭は終わらないッ! モルダー ⋮⋮あなた憑かれてるのよ作者⋮⋮。 ところで、首の後ろにプラグ刺してPCに繋いで小説書ける時代は まだでしょうか。︵虚ろな目︶ 136 十一撃目 Another One Bites the best・1 ドナルーテの王都、スターバトまで、この街︵ウェーラと言うそ うな︶からだと徒歩で三週間ちょいかかるらしい。 結構広いなドナルーテ、と感心してると、父ちゃ⋮⋮げふん、サコ ーさん曰く、レリンクォルの王都、フローレムまでとなると、一カ 月ちょいかかるとか。 これが大陸感覚かー⋮⋮いや、島国感覚からするとありえなくね? な広さなんですけど。単位違うし。 とりあえず、ウェーラから次の大きな街、イビまでは、このまま わたし サコーさんが同行してくれるそうで、イビの街で次の保護観察官⋮ ⋮もとい、同行者に荷物を引き継ぐらしい。 イビまでは、大人の足で四日だから、坊主連れてなら六日か七日 か、と私の頭かいぐりつつ日数計算されてますがサコーさん。 アップダウンに富んだ山道じゃなく、ある程度均された平野の道な ら、大人ペース余裕なんすけど。 つか楽勝なんすけど。 あ、大きな街はイビだけど、ちっさい村つーか、町? も途中に はあるとかで、主街道を行く場合、野宿は滅多にしないとか。 旅に金かかんのは、何時の世も変わらんようです。 とりあえず、今日はウェーラのドナルーテ側でもう一泊して、明 日早朝の出発にするか? と金のかかるプランを提示されましたが、 このまま出発して野宿はあかんのでしょーか。 上げ膳据え膳とか、慣れてなさ過ぎて落ち着かんし、人の気配のな い野山の方が安心できるし。 137 と、思っていても言わぬが花。 社会生活に順応するためのリハビリだと思って、黙って頷く。 いや、このままだと社会生活不適合拗らせて、野人的なナニカにな りかねん。 それでも、夕飯の時間までの自由行動だけは、もぎ取りましたが ね。 これで都市部での隠密行動の実践訓練もりっとできるっ! いや、 人がいる場所じゃなきゃ、他人の気配に自分の気配紛れ込ませる感 覚とか掴めないし。 それ以外にも、やりたいことあるし。 となれば、早速今晩の宿に行こうじゃあーりませんかサコーさん! と、逸る気持ちを押さえて、雑踏に紛れましょう・ステップ1、ス タート。 気配は薄く、しかし適度に残して、周囲に溶け込む。雑踏の群衆の、 誰でもあって誰でもない気配のひとつになること。 ⋮⋮野山での気配の消し方と違って、適度に人の気配残しとかんと いけないのですが、いや、加減が案外難しいわー、コレ。 難しいけど、どうにか形になってはいる⋮⋮と思う。 ドヤ顔で見上げたサコーさんが、非常に微妙な顔をしてるけど、気 にしない気にしない。 ﹁⋮⋮あー、うん。もう、そんだけできるようになったのか。つう か父ちゃん、教えた覚えがねぇんだけどなー⋮⋮﹂ 見てて覚えちゃったかー、参ったなー、と半苦笑のサコーさんで すが、基本技ってのは、手取り足取りで教えてもらうもんじゃない 138 でしょうに。 見て盗み、盗んだら見よう見真似でトライ&エラーを繰り返し、も しくは体に直接叩き込まれ、汗かきべそかきのた打ち回って血反吐 吐きながら、自分の血肉にしてくもんじゃないんですか? うち実 際そうだったし。 市川家の教育方針は置いといて、この状態でどこまで動き回れる か、試運転したくてたまらんのです。 早よ、父ちゃん早よ宿行こう! ⋮⋮って、待て。ちょい待てサコーさん、今さっき父ちゃん言っ てませんでしたか? いいの? お兄さんの生命線捨てがまっちゃ ってええんの? ドライゼさんと愉快なオッサンどもに、頑張れよ父ちゃんと、か言 われちゃってますけど? ⋮⋮まさかこんな⋮⋮こんなことになるなんて、思ってもなかっ たんです⋮⋮本当なんです刑事さん、信じてください、お願いしま す⋮⋮! とか言っちゃう犯人って、こんな気持ちなんでしょーか。 取調室で純情派刑事に諭されつつ、カツ丼か“お袋さんの差し入れ の弁当”かっこみながら啜り泣かなあかん気がしてきました。 でも取調室のカツ丼て、あれ違法なんだよな。 ⋮⋮まあ、本人がそれでいいならいいんだけどね⋮⋮。 139 で。 ショートソード いやー隠形楽しいマジ楽しい。 宿の部屋に背嚢と短剣だけ置いて、中世ヨーロッパ的、もしくはフ ァンタジー系RPG的な雰囲気の、窓の大きな石造りの建物が並ぶ 街へと繰り出してますが、割かし目立つ格好してんのに、めっちゃ 雑踏に埋没してます。 やっぱ野山で気配薄めるより、人いる場所でする方が、回りに紛れ 易いですわー。 どの程度まで動けるか、これから一杯引っかけに行くか、引っか けて帰るとこらしいおっさんや、閉店間際のタイムセール狙いとお ぼしいおばちゃんその他を掻き分け進んでみたり、走ってみたり、 人の流れに逆らって逆方向に進んでみたりしたけど、さすがに逆進 すると目を引くかなー。 よーし、“逆進しても気付かれない”目指しちゃうぞー。 な、テンションのまま、あっちゃこっちゃ行ってるうちに、現在 位置ロストです。資材置き場みたいな、人気のないとこに出ちゃっ てます。 所謂一つの迷子ですが、しかァしッ! 市川家の人間は狼狽えない ッ! オド 念のために内部魔力でかけっぱにしてる制約を解除して、指先を 重点的に握力強化すると、あんま使われてなさそうな、鐘楼っぽい 建物の外側をよじ登る。 いっちょまえに施錠とは生意気な。こんなことなら、﹃ミヅガルヅ・ エッダ﹄で錠前破り、覚えときゃよかったなー。 石組の小さな凹みや隙間、明かり取り兼換気用の小窓の窓枠とか 140 に手をかけ、足場にしながら五分弱で、天辺の屋根の上に到着しま した。 人目がないのは確認済みだけど、念には念をで一旦しゃがみ、重心 を低くして安定した姿勢を取る。 あっち 目算で大体地上21メールほどだから、日本の平均的なビルの六 階ってとこか。 10メールより高い建物が滅多にないし、あっても精々14メール ほどなんで、見晴らしは大変よろしい。 新月に向かっているが、十分な月明かりに加えて、街の明かりが あるので、視界はそれほど悪くない。 けど、やっぱ念には念をで、握力強化を解除解除っと。 んで、視覚系強化して⋮⋮光感度上げてー、画像の解析度上げてー ⋮⋮はい、生体スターライトスコープぅー︵拡大機能付き︶。 少なくとも、国家とゆーものが誕生してから四千年弱の歴史があ るなら、人類としての歴史はもっとありそうだし、だったら科学技 マナ 術も発達するもんなんじゃね? と思ってましたが、内部魔力だけ でこんな便利なんだもんなー、ここに外部魔力がプラスされりゃ、 科学技術の発達が残念でもしゃあないわな。 ま、御大も、充分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない、 と申されてましたし、逆もまた真なりなんざんしょ。 えーと、宿の目印はニワトリの形の看板だから⋮⋮お、あったあ った。 こっからだと、2時の方向、直線距離で六百、ってとこか。 えーと、ああ行ってこう行ってそこをそうして⋮⋮よっしゃ、見え た。 ついでに、宿周辺の地形とこの街からの最短脱出ルートも確認して、 141 と。 距離と方向、目的地までのラインが確認できたところで、屋根の 上に立ち、強化を全身、下半身には特に念入りに施す。 目を閉じてー、はい深呼吸ー⋮⋮よし。 イメージするのは、風を切り、落下するかのごとく獲物に向かっ て急降下する、猛禽の姿だ。 急降下爆撃は浪漫ですよね! 目を開き、息を一つ吐いてから屋根から身を投げ、重力に身を委 ねる。 ﹁あい・きゃん・ふらぁーいっ﹂ 風を切り落下する爽快さをしばし味わい、地上5メールの辺りで 着地姿勢を取り、衝撃に備える。 着地地点は土の地面だし、崖っぷちからのノーロープバンジー敢行 時に比べれば⋮⋮着地の衝撃は大分マイルドでございましたが、や っぱり微妙に足痺れてます。 さて、宿までの帰路は見えてるので、後は夕飯の時間に間に合う よう、一直線で帰りましょう。 積んである木箱に飛び乗り、屋根の上に出たら、ダッシュあるのみ。 強化は解除したけど、制約もかけてない状態での身体能力を再確認 するのも含めて、ツァスタバ︵暫定︶、行きまーす。 路地の上を飛び越え、屋根の上を走り抜け、張り出した軒をジャ ンプ台にし、楽しいパルクール︵都市部編︶を大満喫して、本日の 宿、歌う雄鶏亭の屋根に無事到着。 142 軒を伝って、ぶらんと天井下がりごっこで、窓を叩く。 父ちゃんただいまー。夕飯の時間ギリギリセーフ、だよね? † † いつもの習慣でついやっちまった隠行を、見て覚えたのか、多少 ぎこちないながらも、十分実用レベルでやって見せたと思えば、今 度は窓から帰ってきた。 非常時の使い方としちゃ間違ってないが、平時の正しい使い方じゃ ないぞ、坊主。 ﹁⋮⋮で、何してきたんだ?﹂ 問えば、存外素直な坊主は、心持ち自慢げな顔をして見せた。 ﹁隠形の、練習﹂ ﹁あ゛ー⋮⋮そうか、隠形の練習か⋮⋮。で、どんな感じだ?﹂ ﹁大分、感覚が掴めてきた。もう少しで、使えるレベルに、なると 思う﹂ アサシン 満面の笑みとはいかないが、わずかに綻んだ口許から察するに、 余程それが嬉しいらしい。 大した学習能力だが、このままだと将来の進路が本気で暗殺者にな りそうで、父ちゃんちょーっと心配だぞ坊主。 あたりまえ 坊主にとっては標準装備らしい暗器の数々を外して灰白色の上着 143 インナー ブーツ を脱ぎ、黒い長袖の内着と濃灰色のトラウザース、茶の長革靴と、 寛いだ格好になった途端、目と腹とが空腹を訴えてきた。 おーおー、今日もいい音で鳴いてるじゃないか、腹の虫。 ﹁飯にするか﹂ ﹁する﹂ 目を輝かせ、力強く頷くところはガキらしいんだがなぁ。 部屋を出た途端、坊主の気配が薄れる。 目立たず、しかし希薄過ぎて違和感を生じさせることなく、自分の 存在を限りなく没個性なものと認識させる薄さだ。 まだ、わずかに固さと言うか不慣れさはあるが、この調子でいけば、 数日と経たず、完全にものにできるだろうが、いやはや。 ﹁?﹂ 図抜けた学習能力に感心するべきか呆れるべきか、足の止まった こちらを、坊主がいささか不満げな目で見上げてくる。 腹減った飯! と、口と顔以上に語る目に言わせてる坊主の頭をか き回し、 ﹁分かった、分かった﹂ 下の食堂に向かう。 その間も、坊主は隠形を解くことはない。 坊主としちゃ、隠形の練習の一環なんだろうが、おかげで十分過ぎ るほど整った容姿に、回りが気付いた様子はない。 余計な面倒を避けるって意味では、坊主にゃ必須の技術なのかもし れんな。 144 食堂の隅のテーブルを選んで着くと、親爺が料理を運んできたが、 そいつを見る坊主の目は爛々と輝いて、餌を前にした犬をつい連想 しちまう。 今朝も思ったことだが、坊主のものの食い方には、食い盛り育ち 盛りの旺盛な食欲はあるが、がっついたところがない。 食いっぷりは見事だが、ある種の品のよさ、のようなものがある。 気取っている訳でもなく、ごく自然に身に付いたもののようだが、 どんな環境で育ったか、余計分からなくなる。 それとなく聞き出そうとしてみてはいるものの、今までに分かっ たのは、ツァスタバという偽名と、もうじき八つで、十になったら 冒険者としてやっていくつもりであること、育ったのは森の中で、 身に付けてる装備の類いは形見の品だという程度だ。 歳を考えれば、あり得ない慎重さであり用心深さだが、コイツなら それもありかと、納得できちまうんだよなぁ。 俺にはある程度なついちゃいるが、気は許していない。 それが見て取れたからこそ、ドライゼはスターバトまで坊主を同行 させると言い出したんだろう。 もっとも、それを含めて面白そうだから、ってのがあるんだが。 イビで誰に引き継ぐかは俺も知らないが、マトモに面倒を見る気 がありそうな奴がいないんだよなぁ⋮⋮。 せめてイビまでは、俺が面倒見ねえとな。 † † 145 晩飯うまー! 本日のディナー、メインはチキングリルでございます。 熟成した鶏胸肉に塩胡椒と数種類のハーブで味を整え、肉は肉汁た っぷりふっくらジューシー、皮はカリッカリに香ばしく、レモンの 酸味が脂っこさを解消し、マジ美味いです。 塩胡椒とハーブにレモンも美味いが、卸しポン酢に柚子皮卸し&一 味や山葵醤油、オレンジママレードと赤ワインの醤油仕立てソース も合うと思う。 付け合わせは丸のまま皮ごと焼いた、ジャイアント馬場の拳骨ぐら いありそうなでっかい馬鈴薯のみ。 鶏ガラと香味野菜で出汁を取ったスープには、角切りのセロリに人 参、玉葱その他の野菜が大量投入されてるので、バランスもいい。 パンは断った。馬鈴薯だけで炭水化物は十分です。 肉も芋も野菜も、味が確りしていて、実に美味いんだが、ボリュ ームが半端ない。 労働量、運動量が根本的から違う訳だから、摂取する熱量も違うの は当然なんだけど、軽くビビったし。 でもって、私はレモンスライスを浮かべたただの水だってのに、サ コーさんは美味っそーにエールをジョッキでやってるのが恨めしい。 おにょれ父ちゃん⋮⋮! この世界、アルコール解禁が十六歳からだから、あと八年⋮⋮八 年も待たなきゃあかんとは⋮⋮! ワインなんか水と一緒じゃんよー、と主張しようにも、中世ヨーロ ッパと違って“魔法”というものがあり、公衆衛生が比較にならな いほど向上してるから、不衛生な水よりワインが安全、とはいかん よーです。 146 それはともかく、動き回ってるから、軽くヒくボリュームも気付 けば完食。 ここ うぁー食った食った。後は歯磨きして、ひとっ風呂浴びて寝支度す るだけだ。 今の時間だと、宿風呂は女性と十歳以下の子供用になっているので、 さっさと支度せな。 木に豚毛の歯ブラシと磨き粉だけど、口腔ケア用品がちゃんとある 辺り、水回りの便利さと相まって、何らかの意図を感じるんだよな ぁ。 台所や風呂といった水回り、何よりトイレがベルサイユ式じゃなく て、水洗なのはいいんだけど⋮⋮いいんだけどさぁ⋮⋮。 ﹁風呂、行ってくる﹂ いつの間にか三杯目のエールを引っかけてるサコーさんに言い、 部屋に向かう。 風呂の準備は、替えの下着をインベントリから出すだけ。 タオルと石鹸は小銅貨二枚で貸してくれるので、手ぶらみたいなも んだ。 もーまんたい 金は、部屋で準備するついでに小銅貨二枚抜き出して、財布代わり の巾着ごとインベントリにしまってるから無問題。 なお、アメニティグッズの充実した風呂付きの部屋となると、宿 のランクから違ってくるので、宿泊代もアホほど高いらしい。 これ、隣のテーブルの女性冒険者三人連れ情報ね。 情報収集って大事ですよねー。なので盗み聞きではない。聞き耳を 立てていたら聞こえてきただけだ。 しっかり動き、しっかり食べた。 147 明日っからの二人旅に備え、しっかり寝る、で今日を〆よう。 ⋮⋮明日の朝は、うっかり脊髄反射で攻撃行動しちゃわないよう に、頑張りたいと思います、まる 148 十一撃目 Another One Bites the best・1︵後書 キュエーンはお好きですか?︵サラドはお好きですか? 風に︶ ⋮⋮風呂イベントあると思った? 残念でした! そんな少女マンガか乙女ゲームみたいな展開がある訳なかろうなの だァーッ! 149 十二撃目 Another One Bites the best・2 その風変わりな二人連れは、ウェーラから始まり、ドナルーテの 王都、スターバトへと向かう主街道を進んでいた。 ジャケット 三十半ばと見える、堅気とは言い難いところのある、少々目付きの 悪い男と、身長から十二歳前後と思われる、灰白色の上衣のフード を目深に被った少年の二人連れは、親子連れと言うにはややぎこち なく、しかし赤の他人同士にしては近しくて、どこかちぐはぐな印 象だ。 時折、男の上衣の裾を引っ張って、少年が何事かを訊ねると、男 は少年の目線に自身のそれを合わせるよう、少しばかり首を屈めて 応えるのだが、やや険しい眼差しが緩み、目尻に僅かだが笑い皺が 浮かんでいることに、男が気付いた様子はない。 また、少年が、自身の腰まである丈の高い草をかき分け、ルーケム 大森林から伸びた森へと小走りに向かうのを見送って、旅人が小休 止できるようにと置かれた、長細く平べったい岩に腰掛け、眉間に 縦皺を刻み、くわえ煙草で帰りを待つ姿には、跳ねっ返りで言うこ とを聞かないやんちゃ坊主に手を焼きつつも案じながら、そのやん ちゃを楽しんでいるような気配が滲んでいた。 親子ではない。 が、父と息子になろうとしている。 ウェーラから王都に通じる主街道に、無数にある小さな宿場町の一 つ、イビの手前にある小さな町で、曾祖父の代から旅籠をやってい る老爺は、ラバに荷を積んでの、のんびりとした帰路にあって偶々 見掛けた二人連れの姿に、そんな印象を抱いた。 随分と昔︱︱老爺の真っ白い髪が、まだ黒々としていた頃の話だが、 老爺が自身の父親の背に、老爺の息子が自身の背に感じただろう何 150 かが育ちつつあることに、かつて息子であった父親は、微笑ましい ものを見る眼差しを向ける。 せがれ 親父も伜も、揃って頑固じゃな。 老爺が、そんなことを考えながら傍らを通り過ぎていく間も、男は、 少年が走っていった方角から目を離すことはなかった。 だから、その日の夕刻近くに、木賃宿に毛が生えた程度の旅籠に 件の二人連れがやってくると、老爺は日に焼けた皺顔に埋もれた目 を細め、おそらく一番いいと思われる部屋の番号を言ってやること にした。 宿代は、かなり割り引いて言ってある。 少年が、腰からぶら下げた、丸々とよく肥えた二羽の大縞鳥をカウ ンターに乗せてきたのもあるが、この二人連れが、先程見掛けた時 よりも、父と息子に見えていることが、老爺には心地よかったから だ。 一足先に、小走りで部屋へと向かう少年に、急がなくても部屋も 飯も逃げねぇぞ、と声をかける男に、老爺は短く、よか伜じゃの、 と言うと、カウンターの上の大縞鳥を手に、奥へと引っ込んだ。 はらわた 大縞鳥は、どちらも一撃で頭を射抜かれており、羽はついたまま だが、血抜きも済んで腸もきれいに抜いてあり、仕留めた腕もいい が、獲物の処理もいい。 この二羽が、少年があの時狩ってきたのだとしたら、大した腕だと 言えよう。 大縞鳥に限らず、禽獣は腸を抜いておかないと、肉に厭な生臭さが ついてしまうのだ。 これだけの大縞鳥が二羽ともなると、今日の晩飯と明日の朝飯に 151 は、二人分としても余る量だ。昼飯に何か包んでやってもいいだろ う。 奥の厨で仕込みを始めている連れ合いの、驚く顔を思いながら、老 爺は皺顔に、滅多と浮かばぬ笑みを滲ませていた。 † † あっと言う間の四日でございました。 ツァスタバ︵暫定︶、もうじき八歳です。 四日間で得たのは、“村と言うには大きく、街と言うには小さい町 の宿には風呂がなく、共同浴場は基本混浴である”のトリビアでし た。へぇー。 サコーさんが一杯引っかける前に風呂入る人だったんで、その前 に風呂入るパターンで楽勝です。 ちくせう十六歳になったら“風呂上がりの一杯”、やってやるんだ からなー! 魂の叫びは置いといて、すっかりサコーさんの伜枠固定で、“父 ちゃん”呼びも吃驚するほどナチュラルに出てくるようになりまし た。 おとこやもめ サコーさんもサコーさんで、“坊主”がたまに“うちの坊主”にな ってましたしね。 嫁さんより先に伜できちゃってますよー。つかあれか、男寡か。う わ違和感仕事しないわー。 152 じゃなくて。 小さな宿場町の、ものっそい田舎の民宿感漂う宿を朝早くに出て、 宿のじいさんから頂戴した昨日の大ウズラとパンとチーズの昼飯を、 岩に腰掛け並んで食べたのが、今から四時間とちょっと前。 次の保護観察官への引き渡し場所であるイビは、目前に迫っており ます。 具体的に言うと、あと三十分強くらい先に。 名残惜しいっつか、別れがたいものを感じまてはおりますが、会 ばんめし うは別れの始まり、別れなくして出会いなしと申しますからねー。 今は残り少ない旅の時間を大切に⋮⋮って、お? 兎発見! どう せなら大物がよかったんだけど、致し方ない。 丸々とよーく肥えたのが、ひいふうみのよの⋮⋮五羽か。 なら三羽かなー。 宿代を多少なりとも浮かすべく、ちょっくら狩ってくっけど、別 にいいよねサコーさん? 答えは聞いてない。 獲物持ち込みの宿代割引美味しいです、はい。 隠形︵狩猟用︶で気配を辺りに同化させ、ベルトの裏側に仕込ん である棒手裏剣を三本抜いて、投擲準備よーし。 猪や鹿の眉間ブチ抜くなら要強化だけど、兎程度なら制約かけてる 状態でも余裕です。 スローイングダガーにしろ棒手裏剣にしろ、投じるのに大袈裟な モーションは必要ない。 大事なのは、運動のエネルギーを余さず投擲する対象に伝え、十分 な速度を出させてやることだ。 それを意識しながら、手にした棒手裏剣三本を同時に投擲する。 153 二羽が、そこだけ白い尻の毛を膨らませてさっと逃げていき、三 羽は狙い通り、眉間ブチ抜かれて、兎に角状態で痙攣している。 うん、上出来上出来。 さーて血抜きして腸抜いて下準備せんと。この一手間サボると、ぐ っと味が落ちるからな。 よろず何事も、準備は大事っつーことです。 その前に棒手裏剣回収回収っと。 棒手裏剣とスローインダガー、鏃は鋳造の大量生産品で、﹃ミヅガ ルヅ・エッダ﹄でアホほど作ったのが、三葉虫湧くくらいある。 今さっき使った棒手裏剣は、釘頭のない五寸釘︵正確には六寸釘だ けど︶をぶっとくして先端ガリッと尖らせた程度の代物だけど、扱 いに気を使わなくていいからよく使ってる。 棒手裏剣に限らず、飛び道具は基本、使い捨て前提だけど、ここで 使い捨てるのは勿体無いからねー。 引き抜き、全体の五分の三にこびりついた血と脂と+αを、イン ベントリから出したボロ布で拭って、刃先を確認。 先端がちょっと欠けてるけど、これなら研ぎ直しで十分リカバリで きる範囲だ、問題ない。 バラ で、下準備の諸々は諸事情でカットとなりましたが、後は皮剥い で解体すだけ、ってとこまできっちり仕上げました。 抜いた腸はその場に放置だけど、別に処理を手抜きしてる訳じゃな いデスヨー? これも立派な自然の循環の一形態です。 兎の後ろ足を元麻袋の麻紐でくくり、ベルトの留め具に紐を結ん で終わり、だけど、あえてそのまま持っていく。 ﹁晩飯、獲ったどー﹂ 154 得意満面で高々と三羽の兎を頭上に掲げて戻ると、サコーさんは 手を伸ばし、フードの上からぐしゃぐしゃと頭を撫でくりつつ、呆 れ混じりの苦笑を浮かべた。 あーもうしょーがねぇなコイツ、とでも言うような表情は、ここ四 日ですっかり見慣れたものだ。 世間一般のもうじき八歳児のアウトオブ規格でどーもすいません。 さて、一時間くらい前から、ウェーラで登った鐘楼みたいな建物 が見えている訳だが、あれって多分、戦時下とか非常時における物 見櫓なんだろうなー。 あれが見えてるってことは、イビの街は、すぐ目と鼻の先ってこと でもある。 このやり取りも、あと少しかー⋮⋮。 と、柄にもなくしょんもり感に浸っていると、わしゃわしゃ頭を撫 でくっていたサコーさんの手が止まり、子供をあやすみたいにぽん、 と乗っけるように柔らかく叩いてきた。 ﹁ほれ。行くぞ、坊主﹂ ﹁⋮⋮ん﹂ ベルトの留め具の、歩く邪魔にならない箇所のに、後ろ足をくく った麻紐を結んで、三羽の兎をぶら下げる。 なかなかの大物なので、耳の先が地面に着きそうになってるけど、 自分で食う時と違って、宿の人に渡して終わりで、剥いだ皮鞣した りする訳じゃないから、まあいいか。 余談ながら、このあたりは冬でも暖かいし積雪もほぼ皆無で、兎も 白い冬毛にはならないんですねー。 サコーさんと並んで、のんびり歩く。 155 暮れ始めた陽に、じんわりとしたオレンジ色のグラデーションを帯 びていく東の空が、やけに綺麗だ。 ぜんせ そう言や、しみじみ夕日を眺めるとか、転生してからなかったから なー。 誰かと一緒に、とかなると、市川鷹含めたら二桁年ぶりくらいじゃ なかろうか。 感傷的に過ぎるけど、こんなのも悪くはない。 夕日を眺めつつ、のんびり歩くこと約三十分。 オープン 私的には予定通り、ウェーラを出て四日目に到着したイビの街は、 何つうかラテン気質で色んな意味で開放的なふいんきの街でした。 ・・・ 具体的には南イタリアとかスペインとかブラジル、メキシコ、あの 辺のノリに、オランダとドイツの一部分をピンポイントでリミック スしたよーな。 ⋮⋮え、ひょっとしてドナルーテってそういうお国柄? やっべ ぇ行先間違えた臭くね? っべーまじっべー、と軽く混乱しかけた頭のまま、表通りにある分、 それなりにお上品で、カップルや家族連れでも楽しめる赤い風車系 の店が並ぶ前を通り過ぎ、次の保護観察官から提示されたランデブ ーポイントへと、裏道裏道と進んどりますが。 ⋮⋮あのー、SUSUKINOとかKABUKICHOとか、あの 辺の裏通りのにほひが漂ってきてんですけど⋮⋮。 と思ってたらあーた、進むにつれて、並ぶ店は下品さ低俗さイカ 156 ガワシさトリプルマシマシ、日も暮れて間もないっつーのに、人に よっちゃ神々しい魅惑の谷間も露に、道端から意味深で色っぽい視 線を送るナイスバディ︵死語︶のおネエちゃんと、おネエちゃんの うずくま ヒモ兼用心棒らしきポン引きのチンピラ、ドサンピンもマシマシ、 路地の隙間に蹲るアル中だか薬中だか追加で、SUSUKINO、 KABUKICHOの裏通り飛び越えて、うっすら二十世紀のブロ ヒビ ンクス、取り壊し前の九龍寨城、ヨハネスブルグ風味じゃないです かやだー、ですだよ。 子供の教育には、全力でよろしくありやがりませんですはい。 おーおー。サコーさん、めっちゃ渋い顔してはります。眉間に皹入 ってまっせ。 客引きポン引き得体の知れない物売り︵痩せこけて、妙に生気の 抜けた虚ろな目付きと土気色の顔した男だか女だか分かんないよー なのが顧客の大半だった。ちなみに歩きながらのカウントでござい ます︶の声を聞き流し、コンテナ一台分の苦虫噛み潰してるサコー さんの隣で見上げるいかにもなこの建物、宿は宿でも、どう見ても その手の宿でございます、本当にありがとうございました。 ﹁⋮⋮本当に、ここなのか?﹂ フッカーモテル ﹁ああ。⋮⋮俺も信じたくはないが、指定されたのはこの店だ﹂ ﹁ここ、売春宿だろ?﹂ ﹁言うな坊主。じゃなくてだな、どこで覚えたそんな言葉﹂ ﹁何人、客引きがいたと?﹂ ﹁⋮⋮﹂ あっちゃー、みたいな顔で天を仰ぐサコーさんには悪いけど、実 はそれほど動じちゃいないんだなこれが。 ぜん 転職前の会社で、接待の名目でザギン︵死語︶のクラブから本番の せ み禁止の場末のセクキャバまで、取引先に付き合わさせられた市川 157 鷹の経験値ナメんな。 おネエちゃんにウケがいいってんで、接待のために男物のスーツま で作らされたしな! 上司︵当然転職前の会社のだ︶命令なんで費用会社持ちだったか ら、腹いせにスーツはもとよりシャツからタイ、ポケットチーフに コートまで、まるっと一揃い、知る人ぞ知るっつーイタリア帰りの 職人に作っていただきましたよ。当然オール手縫いですが、何か。 ついでに靴も、木型から作るフルハンドメイド職人に注文しました が、請求書見た上司の、もともと薄幸な頭髪が更に儚いことになっ てましたっけ。 アレには、腹の底から“ザマミロ&スカッとサワヤカ”の笑いが出 てしょうがなかったですね! トータル七桁はやりすぎだと上司の上司にゃ言われましたが、それ でも﹃私は悪くない﹄。 つか、どいつもこいつも人の性別何だと思っていやがったんだか。 ぜんせ 市川鷹の黒歴史はさておき、殺人童貞はこないだ捨てましたけど、 リアル童貞は物理的に捨てられんのですけど。持ってないから。 つか、売春宿に持ち込み割引とか、そんなんある訳ないですよねー。 兎どーしよう。三羽まるっとサコーさんに丸投げしちまおっかなー。 まあ、思うところは色々諸々ございますが、ここで突っ立ってて も営業妨害だし、行くしかねえでしょう。 父ちゃんや、子連れでこの先に踏み込む覚悟はいいか? 私はでき てる。 ﹁⋮⋮頑張れ﹂ あの野郎なに考えてやがる、と目の前に曰くところの“あの野郎 158 ”がいたら、確実に一発横っ面にキメてそうな顔して唸ってるサコ ーさんの背中をぽんと叩く。 本当はドンマイ言ったげたかったんだけど、通じるか分からんから なー。 ? 何故にそうガックリしてはりますのでしょうサコーさん。 あるぇー? 間違ったかなー? † † ﹃快楽の園﹄と、身も蓋もないストレートな店名の示す通り、こ の店では、金さえ積めば大抵の快楽を買うことができる。 おんな 一階は酒場となっているが、酒を楽しむためのものではなく、店の 娼婦の品定めのための場なので、いい酒が飲みたいのなら、他所を 当たるしかない。 人相のそこはかとない悪さが、怒っているような険しい表情で三 割ほど増している同僚と、そのすぐ隣の、いてもいなくても誰も気 にしない、路傍の石に似た子供の姿に、甘ったるい媚態も顕にしな だれかかる娼婦の“お誘い”をのらりくらりとかわして楽しんでい た男は、へぇ、と低く呟いた。 四日前には薄れさせ過ぎて逆に不自然だった子供の気配が、誰でも あって誰でもない没個性となって、周囲に巧みに同化している。 ﹁よう、サコー。そいつはお前の仕込みか?﹂ 159 苦虫を山ほど噛み潰している同僚︱︱サコーは、男の物言いに、 噛み潰す苦虫の数を数ダース増やし、しかしどこか自慢気なものを 滲ませ、子供の頭をフードの上から撫でくった。 ﹁違ぇよ、こいつが勝手に覚えやがっただけだ﹂ なあ坊主、と言う声にも、はっきりとした親しみが感じられる。 撫でくられている子供も、満更ではなさそうだ。 ﹁⋮⋮で、こんな店指定しやがって、どう言うつもりだ。うちの坊 主がグレたらどうしてくれる﹂ 軽口に六割ほどの真剣さを交え、席には着かず立ったままのサコ ーを、自然と見上げることになった男が、しなだれかかる娼婦の胸 元に、銀貨を一枚滑り込ませて何やら耳打ちすると、滑り込んでき た銀貨が利いたのか、娼婦は機嫌よく席を立った。 空いた席に、サコーは先に子供を座らせるが、子供が座ったのは、 男の腕の長さに、三、四十メルほど足した場所だった。 腰からぶら下げた兎は、ベルトの金具に結んだ紐を解いて足元に置 いている。 ろくに知らない、いわば未知の相手に対する態度としては、間違 っているとは言い切れないが、子供の態度としては余りに慎重で用 心深い。 そのくせ、すぐ隣にサコーが座っても気にしないのは、サコーは敵 ではないと判断しているからだろうが、利き手側と思われる右では なく、左にサコーが来る位置を選んでいる辺り、完全に信用してい る訳でもないらしい。 160 ﹁⋮⋮先に言っとくが、こいつのコレは元からだ﹂ 教育に悪いのはどっちだ、とでも言いたげな男に、サコーはまた、 子供の頭をくしゃりと撫でる。 短くなった紙巻きを、灰皿の上で押し潰し、男は口の端を持ち上 げた。 ⋮⋮面白ぇな。 ガキ 男の目には、子供の癖に妙に老獪で、用心深さと大胆さが同居す る、歳に不釣り合いなありようの歪さが見て取れた。 その歪さを、男は面白いと、そう感じた。 今も、売春宿と言う、世間一般の子供には、マトモな大人なら存在 すら教えようとしない悪所への好奇心を見せるでもなく、ふてぶて しいほど落ち着いて、男の動向と周囲の会話や人の動き、その両方 に意識を向けている。 ﹁お前がここに泊まるってんなら、今日のところは俺が坊主の面倒 を見る。明日の朝にでも、街門に拾いに来い﹂ サコーは、男がこの宿に泊まるものと考えているらしく、外出る ぞ、と子供を促している。 態々面倒を背負ってくれるなら、それに越したことはないか、と男 は、テーブルの上、グラスと酒瓶の間に置かれた紙巻きの箱に手を 伸ばした。 ﹁じゃあ頼んだぜ、“お父さん”?﹂ にやりと笑う男に、サコーは当たり前だ、と返し、子供と連れ立 161 って宿を出ていった。 朝とは言ったが、はてどの程度までが朝になるのか。 くわえた紙巻きに火をつけ、男は二階、さっきの娼婦が待ってい ストイック るだろう部屋へと足を向けた。 次の街までの数日間は禁欲的な生活を余儀なくされるのだ、このく らいは大目に見られて然るべきだろう。 ドナルーテの女は、情が濃い。今夜は楽しめそうだ。 162 十二撃目 Another One Bites the best・2︵後書 ⋮⋮おっかしーなー、次はローナーさんの予定だったのにふしぎ! サコーさんは安定のお父さん。 つうか、九日もかけてコレかよ⋮⋮。︵白目︶ 163 十三撃目 ツァスタバ︵暫定︶にぶんのいち? フッカーモテル 落ち合う場所に売春宿とはやりおるなー、と、微妙にプンスコし てるサコーさんの後を歩きつつ、先の会見について考える。 二階を使わなくても、色っぽいおネエちゃんに囲まれ、ヨイショ されていい気分で飲むのを楽しむってのもアリだし、だとすりゃ野 郎連れでもそうおかしかない。 わたし あそこ 会話も、あんな場所なら他人が何を話してるかなんて誰も気にしや しない。 そーいうのを正しく理解した上で、子供を売春宿に連れて来させた ことを、サコーさんはそれとは別に怒ってるんだろうけど、ほんま サコーさんいいひとですわー。 取り敢えず、明日朝まではサコーさんが面倒見てくれますが、サ コーさん後の保護観察官がここまで面倒見いいとは限らない。 つうか、サコーさんが面倒見よすぎるんだよな、常識的に考えて。 つまり︱︱今後は金の重要性が増大すると考えられます。 手持ちの分で、スターバトまでは十分やってけるけど、その先を考 えると少々心許ない。 主街道だから副街道みたく野盗出ないし、出ても保護観察官の前で リリカルトカレフキルゼムオール☆ はできないし、どうしような かぁ⋮⋮。 ⋮⋮。 ⋮⋮⋮⋮。 ううむ、ここはやっぱ、アレしかないか。 売春宿で拾った話がガセじゃなけりゃ、イケる! ⋮⋮はず。多分。 きっと。おそらく、メイビー。 164 頭の中で、自由時間内に目的を達成するための算段をあれこれや ってるうちに、今日の宿に到着した。 表通りの、家族連れでも女性客一人でも安心して泊まれます、とい った、やや小さめの宿だ。 先に、今日の晩飯兼明日の朝飯分の持ち込みである、よく肥えた兎 三羽を、カウンターの上に置く。 提示された持ち込み割り引き込みの、二人分の宿泊料金分の小銀貨 を、サコーさんは当たり前と言った顔で支払ってくれる。 ⋮⋮いやもう本当にすんません。 そのサコーさんに嘘こくのは、ヒッジョーに心苦しい。 が、すべてはこの先の、﹃自立した生活のための資金獲得﹄のため だ、申し訳ないッ! ﹁⋮⋮父ちゃん﹂ ジャケット 心の中でムーンサルトDOGEZAしつつ、サコーさんの上衣の ソフトレザー ハードレザー 端を掴んで引っ張る。 軟質皮革と硬質皮革の中間みたいな革製で、防具としての一定水準 を満たした性能と、身体の自由な動き、静音性、トリプル役満な代 物だと気付いたのは、二日目に、裾掴んだ時だったっけ。 袖は手首の十五メル弱上までの長さで、ちょっとした暗器を隠すの によさそうな折り返しがあるのが、さりげないワンポイントです。 上着は長く使い込まれているようで、細かな傷ができてるけど、 手入れはいい。 傷には、矢傷刀傷も混じってた。かすった程度のだけど、形には覚 えがあるから、よくわかる。 何だかんだで物騒な生業してんだろうなー、との印象は、今も変わ 165 ってない。 ﹁うん? どうした坊主﹂ ちょいちょいと裾を引っ張られ、振り返ったサコーさんに、スト レートに切り出す。 ﹁外、行ってきても、いいか?﹂ ﹁⋮⋮構わねえが、あんま買い食いすんなよ。晩飯食えなくなるか らな﹂ ﹁いいのか?﹂ ﹁裏通りに近付かなけりゃあな﹂ ⋮⋮あー、ゴメン多分つか100%確実にそれは破る。 が、イカサマと一緒でバレなきゃいいんだ。バレなきゃイカサマじ ゃあねえんだぜ。 つか、買い食いて。夏祭りの屋台に小遣い握りしめて突撃する小 学生じゃないんだから。 そんなにアレか、そんな腹ペコキャラなのか、サコーさんの中での 私は。 否定できんのが悔しいけど。事実だから。 ﹁わかった。晩飯前には戻る﹂ 父ちゃんのお許しも出たし、そんじゃ早速、遊びに行くとしまし ょうか。 ⋮⋮じいさま仕込みの“遊び”をしに。 166 部屋には行かず、速攻で宿を出て向かったのは、裏通り⋮⋮では なく、人通りのない表通りの店の裏手だ。 人の気配はない 店の従業員は、ショーの準備に駆け回ってるのが“聞こえる”から、 出てくることは、まずない。 店の客も、食事を楽しみつつショーの開演を待っている様子が“聞 オド こえる”から、その辺も問題ない。 いやー内部魔力による強化ってここまでできるんですねー。アクテ ィブソナーも夢じゃないんじゃね? その前にエコーロケーション の会得だな。 ⋮⋮さて、今から“遊び”に行く準備をしないと。 まず取りい出したるは、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄が誇るマッド調剤 アイテム マニア集団“ミヅガルヅ青年薬愛師怪”謹製の素敵に無敵なスーパ ・・ ー秘薬。 つか、青年薬愛師怪に、豊胸薬で乳道士会二大派閥、聖貧派と聖峰 派の宗派間抗争の激化を招き、前者からは異端認定、後者からは聖 人認定されたnotロリのガチBBAドワーフや、神は美しい筋肉 にこそ宿る、と、プロテインとポージングオイルを開発、ボディー ビルと共に世に広めた自称ミヅガルヅビルダー協会会長マッチョエ ルフ親爺、“女たちよ、美しく”との理念を掲げ、美肌コスメと美 的生活のカリスマ伝道師として女性とおネエPC・PLに絶大な支 持を誇ったジャイアントのアラフォーおネエがいたのは、一体どー いうことなのでしょうか。 とまあ、開発陣はイロモノとキワモノ揃いだけど、性能はチート 167 だ。 ただし、ネタアイテムとしてチートという辺り、あいつらの“バカ いだ せいぎょくたん バカしさを本気で愛し、本気で極める”精神歪みねえよな、ホント。 へきかんたん せきかんたん さてさて、ここに取り出したる薬は二種類。ひとつは青玉丹、も うひとつは碧甘丹と言う。ちなみに碧甘丹の類似品に、赤甘丹がご ざいます。 前に一度試したけど、チートでもネタアイテムなので使えたし、大 丈夫だ問題ない。 効能は、と言うと、これがまたスゴいんだが、ひとまずそれは置い といて。 青玉丹一粒と碧甘丹二粒を口に含んで飲み下し、意識を切り替える 準備をする。 ﹁⋮⋮っつぅ⋮⋮﹂ けど、結構痛いんだよなコレ。しかも地味に。 一年分の成長痛を三日三晩じっくりコトコト煮詰めて凝縮したよう な節々の痛みに呻きながら、装備一式とコンタクトレンズ的な何か ︵実はこれが正式名称だったりする。他にも“バールのようなもの ”なる鈍器があったっけ⋮⋮︶をインベントリに収納する。 いや、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄でもできたことだから、こっちでも できるかなー、と思って、前に一度試したら、出来ちゃったんだな これが。 つ アンダー ﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄七不思議のひとつ、作成時にサイズ自動 調整が自動で付与く下着︱︱タンクトップとボクサーもどき二丁に なったところで、次はインベントリからの直接装備を実行する。 マント ﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄で“M仕様”に合わせて作った装備一式︱ ︱黒で揃えたタイトな上衣とトラウザース、外套、タートルネック 168 ン ダークブラウン レザーグローブ ブーツ バスケット・ヒルト サブ メイ ショートソード のインナーに、焦茶色の革手袋、革長靴、ベルト二本︵一本は主装 タリスマン 備用の剣帯︶、剣帯に吊るす細身の篭柄クレイモア、副装備の短剣、 ダガーを含む各種暗器、気休め程度の護符を兼ねたブルートパーズ のピアス︱︱は、下着とピアスを除けば、当たり前だがサイズが全 ・・ く合ってない⋮⋮はず、なのだ。 本来なら。 ・ ほんの二呼吸の間に、それらは私︱︱いや、俺の体にしっくりと 馴染んだ。 装備が縮んだ訳じゃない、俺の体が大きくなったのだ。 青玉丹、又の名はプリンス・サファイア。 碧甘丹、別名は、ブルーキャンディ。 青玉丹は服用したした女性を男性に変え、碧甘丹は服用者を、一粒 で十歳分成長あるいは老化させる。 イベントの年齢・性別による縛りを克服するため開発した、と言っ アホタレ ていたが、実際のところは魔が差してやっちまったらできちゃった、 なんだそうな。 文字通り、持て余した暇を拗らせた斜め上の天才どもの、遊びの賜 物だ。 ただし、持続性はなく、三時間で効果は消え、使用後は三十日間、 同じ薬を使うことができない。 その上、容姿に何らかの偽装を施している場合、その偽装を無効化 してしまう。 実用性の低さに反比例する反則級の効能はまさに、ネタアイテムの 白眉と言えよう。 他にも何か注意事項があったような気がするけど、あれ何だったっ け。使用中は真夜中過ぎに食事をしない、水に濡らさない、朝日を 浴びない、だったっけ? あれ、違う? まあいいや。 169 二呼吸目で全身の痛みが引いたところで、壁に手を付き立ち上が り、外套の埃を払い落とす。 視界は、シャール・エスコット、市川鷹のどちらよりも高い。 メール 今のこの身は、誰のものでもない。M仕様である、俺のものだ。 夜は長いが、この身の時間は短い。 さて、行くか。 † † 裏通りの薄汚れた石畳の上に、硬く乾いた音が落ちる。 革長靴の硬い靴底が立てる音だ。 靴音を刻む革長靴の上には、タイトなトラウザースに包まれた、 腹立たしいほど長い足が伸びている。 ドレイク 更にその上、二本のベルト︵斜めにかけた細身の一本は、篭柄の部 分に、炎を吐く大竜が透かし彫りされたクレイモアを吊るす剣帯で ある︶が回る腰から腹にかけては、トラウザース同様、体の線がは っきりと出るタイトな上衣の上からでも、その下の、無駄なく引き 締まった、野の獣に似てしなやかに鍛えられた肉体を、容易く想像 させた。 そこから続く肩、胸板、両腕もまた、同じように逞しいのだろう。 長革靴と皮手袋、ベルトを除き、ほぼ一式を黒で揃えた装備は、 十人中十人が鼻で笑うような気障ったらしさだ。 170 だが、その気障ったらしい出で立ちを、通りに立つ誰もが、ただ呆 然と︱︱あるいは恍惚とした目で追っている。 十人中十人に似合わぬ装束が様になる、十一人目の例外がそこにい た。 時折覗く緋色の裏地が黒を際立たせる、踝に届こうかという丈の ギロチン 外套に覆われた背で、一歩を踏み出すたびに揺れる、緩く波打つ長 い銀糸の髪に、ある女は夜の虹を、ある男は断頭台の刃を見た。 街角に立つ男女が、魂を抜かれたように、虚ろさと熱っぽさとが おもて 入り混じった眼差しを注ぐ、銀糸の髪に縁取られた男の、陶磁器め いた白さの面を、何と形容すればよいのだろう。 鋭利だが端整な輪郭の中に配された、形のよい眉と、強い意志を感 じさせる引き結ばれた唇、すっきりと通った鼻梁。 耳朶を飾る貴石の青よりも冷たく、また輝かしい、氷に似た銀の睫 毛に縁取られた、鉛色の虹がかかる薄青色の瞳。 それらが絶妙な比率の配置で構成するものを、美しいと、そう言う より他に何があるだろうか。 だが、それは、己と同等かそれ以上に獰猛な獣を狩り喰らう獣を きわ 前に、被捕食者であった遠い過去の、原始的な恐怖を喚起する美し さだ。 人を殺めることを究めて作られた刃と技に似た、その足許に身を投 げ平伏し、己が命を差し出してしまいたくなるような美しさだ。 とろ 畏怖と恍惚とに蕩けきった眼差しで、男の背を見送った女たちは、 日頃の感覚ならまだ宵の口、これからが稼ぎ時だと言うのに、ふら ふらと覚束ない足取りで、各々の部屋へと戻っていった。 商売にも使う狭い寝室の、安っぽいベッドのけばけばしい寝具の中 に潜り込むが早いか、目を閉じた。 171 うつつ その日の稼ぎをふいにしてまでも、ひとときの夢に、現では叶わぬ 逢瀬を願う、初恋に身を焦がす乙女のいじらしさで、あの美しい男 の姿を、目から溢してしまわぬようにと、切なげな溜め息をつきな がら。 また、男たちも、女たちの勝手な行動を咎めようとはしなかった。 いつもは、仕事を終えてから足を運ぶ行き付けの酒場に行き、己が 目にしたものは、果たして真実、血肉を備えた人であったのだろう かと、虚ろに蕩けた目をさ迷わせながら、機械的にグラスを傾けて いた。 ・・ その夜、幾つかの通りから名物が消えたが、その通りに立ってい た者たちは、何があったかを語ろうとはしなかった。 ただ、その誰もが、恍惚とした眼差しで、世にも美しい夢を見たの だと、溜め息混じりに囁くばかりであった。 カジノ 正式な認可を受けていないことを、一応は考慮しているらしい。 おんな 売春宿を兼ねた酒場の地下にある賭博場では、上階でお茶を挽いて る娼婦たちが、それなりに上品に見えるよう気を使った格好で、足 おんな の長いグラスを並べたトレイを手に、客の間を歩いていた。 ここに来る客の目当ては、娼婦ではなく一攫千金の夢だ。グラスを 配るのが、娼婦だろうが案山子だろうが骸骨だろうが、気にする者 などいやしない。 とう 薄暗い階段を降りてくる靴音に気付いたのは、いささか薹の立っ 172 た、上階ではダリアと呼ばれている古株の娼婦のひとりだ。 ルージュ カモられてるとも知らない間抜けがまた来たか、と冷ややかな眼差 しを向けた直後、色鮮やかな紅を引いたその唇がぽかんと開いた。 頭ひとつ分は優に高い位置にある、“カモられてるとも知らない 間抜け”であるはずの男の横顔から、目を離すことができない。 開いたままの口から、喘ぎとも溜め息ともつかない熱っぽい息を吐 いて、無意識の動きで髪を整えようと手が動き、トレイから離れた。 酒とグラスは安物でも、落として割ればその分を借金に加算され る。 それがひとつであったとしても、だ。 普段からは考えられないような失態に、あ、と気の抜けた声が漏れ る。 取り繕おうと慌ててトレイに手を伸ばすが、余程動転していたのか、 勢い余って踏み出したヒールが、おかしな具合にふらつき、足首が くなりと曲がった。 床に落ちたグラスの上に倒れ込む数秒先に備えるように、きつく 目を閉じるが、グラスの落ちる音も、鋭い破片が肌を裂く痛みも一 向にやってはこない。 恐る恐る目を開いたダリアの頬が、初恋の相手に手を握られた少女 のように、見る間に赤く染まってゆく。 厚みのある皮革を用いた上着の上からでも分かる、鋼に似た逞しい 腕に、花束でも抱くように支えられているのだと気付いたからだ。 朋輩たちの、羨望を通り過ぎ、物理的な殺傷力さえ伴う嫉妬の眼差 しが突き刺さるが、蚊に刺されたほども感じない。 間近の美貌に、思考のすべてを奪われているからだ。 何て︱︱何て美しい男なのだろう。その男の腕に、今、自分は抱 173 えられている! ダリアの頭の中にあるのは、ただそれだけだった。 仮に、嫉妬に変じた羨望が高じた誰かに、後ろから刺されたとして も、ダリアが気付くことはないだろう。 いや、この男の腕の中で、その姿を目にしながら迎える死であれば、 むしろ恍惚をもって迎え入れるに違いない。 海千山千の娼婦を初な小娘に変えた男は、呆けたような顔でぼけ っと突っ立っている黒服を目配せひとつで呼びつけた。 ダリアの腰に回した腕とは反対側の腕の先で、無傷のまま直立不動 の姿勢を取るグラスをトレイごと渡すと、また別の黒服を呼びつけ る。 ﹁足首を傷めているかもしれん。診てやれ﹂ 岩か鋼がものを言えば、このような声になるのではないだろうか。 若さと重厚さが相殺することなく同居した、よく通る、艶のある深 みりょく いバリトンが発したのは、命令、と言ってもいい言葉であったが、 この男の命令に従いたいと、心底思わせる奇妙な強制力があった。 事実、呼びつけられた黒服は反発するどころか、主君に心酔する忠 ソファー 臣よろしく、申し訳程度に併設されたバーコーナーの、更に隅に置 かれた長椅子へと、あたかもダリアが貴婦人であるかのようにエス コートしていった。 ゲーム それを見届けた上で、男は、本来の目的である博打のテーブルへ と足を運ぶ。 ルーレット、バカラ、ポーカー、数あるゲームのテーブルの中から 男が選んだのは、ブラックジャックのテーブルだった。 既にゲームが始まっているため、参加はできないが、ブラックジ 174 ャックのディーラーは、男と同じか、男よりやや若いくらいの、何 となく気弱そうなところがある優男だった。 そのせいか、勝てると踏んで銀貨を積み、返り討ちに遭った者が多 数出ているようで、ディーラーの優男の前には、銀色の小山ができ ていた。 小銀貨がほとんどだが、半銀貨や銀貨、大銀貨まで混じっている。 テーブルの客は五人。 スタンドの一人を除き、三人がヒット、残る一人はダブルを宣言し た。 ダブルの客は余程自信があるらしい。 優男がカードを追加する一瞬、男の、鉛色の虹がかかる薄青い双眸 が、わずかに眇められる。 賭け金が積まれ、勝負の瞬間が来た。 スタンドの客の手札は、キングと7。 ヒットの三人は、9・7・2、8・9・2、10・3・6。 ダブルの客はジャックと8。 優男の手札は︱︱クィーン・7・3。 口汚く罵りの言葉を吐き出す客など存在しない、とでも言うように、 優男は銀貨を手元に引き寄せる。 捨て台詞を残してダブルで張っていた客が立った席に、入れ替わ るように男がつくと、優男と四人の客が、ぽかんと口を開け、魂が 半分抜けかけたような顔をさらす。 男に気付いた他のテーブルの客や黒服、上階から来ている娼婦たち も、似たり寄ったりの有様だ。 虚ろでありながら、熱に浮かされているような、恍惚に蕩けきった 眼差しであり、顔であった。 175 使い込まれ、張り付くようにぴったりとした革手袋に包まれた指 先が、テーブルを叩く音に、真っ先に優男が我に返り、残り四人の 客がそれに続いたが、その目は詰まれた貨幣やカードではなく、男 の面へと注がれている。 奇妙な空気に包まれたまま、ゲームが始まり、カードが配られる。 最初の一枚が配られたところで、自分のカードを捲り手札を確認す るが、男はテーブルの上のカードに手を触れようともしない。 二枚目が客に配られ、優男が自分の分を配ろうとした次の瞬間、 ﹁ぎゃっ!?﹂ 右手の甲を押さえて喚いた優男の、やや余裕のある袖口から、数 枚のカードがテーブルへとばらけて落ちた。 殺気立った客が、優男に詰め寄ろうと腰を浮かせるが、男は長い足 を組んだまま、動こうとはしなかった。 騒ぎを聞きつけた強面が、テーブルへと近付く。 ディーラーのイカサマが露見し、客が騒ぎ出した場合、腕尽くで物 事を収めるのが、強面の仕事だ。 だが、イカサマを暴いた男を視界に入れた瞬間、強面の頭から仕事 の存在は吹っ飛んでいた。 ﹁ナメた真似してくれるじゃねえか、ああ?﹂ それを誤魔化すように、殊更声を荒げてテーブルを叩き凄む様に、 浮きかけた客の腰が椅子に戻る。 だが、凄まれている当の男の方はと言えば、お前のような三下では 話にならない、とでも言うように、泰然としたものだった。 蟷螂がいくら威嚇したところで、獅子が脅えるなどあり得ぬとばか 176 りの態度に、三下の顔色が変わる。 舐められた︱︱いや、意識の片隅にも留めていない。 路傍の石のごとく、己の存在すら認識していない男への怒りに突き ドレイク 動かされ、掴みかかろうとした三下を止めたのは、艶かしい白い腕 だった。 ワイバーン ﹁およし。翼竜と大竜の見分けくらい、いくらお前でもできるだろ う?﹂ 年の頃なら四十過ぎ。 体型こそ崩れてきているが、そのようなことはまるで気にならない、 艶やかな女である。 重ねた歳の数だけいい女になる、そういう類いの女だ。 言外に引っ込んでいろ、と言われた三下が、多少渋々とだが大人し く引っ込んだところを見ると、ここを取り仕切っているのはこの女 らしい。 ﹁で? そこの坊やが何かやらかしたようだね。責任取れとでも言 う気かい?﹂ ヘアピン 安っぽい色硝子の頭が付いた女物の髪留の先端が、掌から覗くほ ど深く突き刺さった手の甲を押さえ、痛みに呻いている優男を見遣 る女の眼差しは、おそろしく冷たい。 イカサマを仕掛けるにしても、それが通じるか通じないかの区別も 付けられない盆暗を、守ってやる理由はない。そういうことなのだ ろう。 ﹁おかしなことを言う。責任はそいつが負うべきだ。⋮⋮違うか?﹂ 177 男の双眸が、女を見据えると、女の首筋が、さっと赤く染まった。 ﹁⋮⋮やれやれ、何て男だろうね。心臓に悪いったらありゃしない﹂ 首筋から頬へと燃え広がった熱さをどうにか抑えようと、溜め息 をつく女に、 ﹁そいつは光栄だな﹂ わずかに唇の端を持ち上げた男が返す。 ﹁それで、どうするつもりだい?﹂ ﹁言っただろう。責任を負うのはそいつだ。だが、ケリの付け方を 決める権利は、俺にある﹂ ﹁確かにね。⋮⋮分かった、あんたに任せよう﹂ 切られたと理解した優男の顔から、血の気が一気に引く。 媚びを浮かばせた縋り付く眼差しも、女の心を動かすことはなかっ た。 ﹁立て﹂ めいれい 男の言葉に、優男は、手の甲を押さえたまま、卑屈な笑みを顔に 張り付かせ、おどおどと立ち上がる。 ﹁続きといこうか。⋮⋮お前が勝てば、“なかったこと”にしてや る﹂ 先程のイカサマを“なかったこと”にできる。 あくまでその可能性があるに過ぎないが、皮一枚で首が繋がってい 178 る状況において、それはまさに、ヘンメリー王女の糸玉であった。 しょうぶ だが、迷宮に挑む勇士に糸玉を与えた王女ほど、男は優しくはない。 ﹁ただし、全て賭けろ﹂ 全て。 優男の前に積まれた銀貨全てを賭けろ。 全てを失うか、何一つ失わないか、これはそういう博打なのだ。 紙のような顔色になる優男をよそに、男の指が、小金貨を放った。 小金貨一枚で、ひとりの人間が、ただ生きていくだけであれば二年 は過ごせる。 無罪放免となっても、着の身着のままケツを捲って逃げ出さざるを 得ない状況だ。 ならば︱︱。 震える左手で、カードの山から一枚を引く。 最初のカードは8。十点札が来れば、あるいは。 引いたカードは︱︱A。 勝てる。相手は自分の手札すら見ていない。ハッタリだ、そうだ、 そうに決まっている。俺の勝ちだ。 カードを開いた優男の顔は、勝利の確信に満ちていた。 男の手が、伏せられていたカードへと伸び︱︱。 † † 179 うひゃひゃひゃひゃ、いやー笑いが止まらんとです。がっちょり 稼いだ私偉い超偉い。 ・ 化けの皮が剥がれる前にとんずらこいて、効果切れの前に隠形で宿 の近くまで戻ってきたら、いい感じにタイムリミットで、元の私に 戻った次第でございます。 ダークマター ⋮⋮“M仕様”は野郎でアラサーで便利っちゃ便利なんだけど、 終わった後の黒歴史感がパねえんですよ。黒っつーか暗黒物質つー かむしろブラックホール級? メールじゃなくてマゾ仕様じゃねー のコレ? ってレベル。 何あの小学生低学年児童の“ぼくのかんがえたさいきょうの〇〇” みたいな痛いキャラ。 そのキャラ作ったの私だけどさ。うわ地層処理深度まで穴掘って埋 まってべトンで固めて一万年と二千年くらい、いや一億と二千年く らい引きこもりてぇー! 何より、そういうキャラ作ってロールプ レイしないと滑らかに言語的コミュニケーション取れない自分の現 状に絶望した! 稼いだどー! ってムリムリテンション上げないと地底までめり込 む勢いで落ち込むっちゅーねん。 ステータス異常が切れて偽装効果が回復して、コンタクト入れて 装備戻して、やっと人心地ついたとですよ。 マイナス方向にプライスレスな時間と引き換えに、所持金増やして きたけど⋮⋮こ、ココロが⋮⋮ココロがががががGA。 つか、ぶっちゃけ運頼みのいきあたりばったりだったんだけど、 あそこでブラックジャック出た時は心底ほっとしたわー。終わって からは行き倒れてぐったりだったけどな。心労的な意味で。 人の顔見てすっ転げかけた姐さんには、髪留一本台無しにしてもー 180 あん てスマンことしたけど、暗器使ったらディーラーの兄ちゃん利き手 変更のお知らせだし、仕方なかったんやー! 一応、詫びにピアス渡しといたから大丈夫だろ。多分。アレ売って 新しい髪留でも買って下さい。 次からあの装備一式、ピアス抜けるんだよな。別のセットしとか んと。今度のは何にしようかなー。 ここまで戻る途中、諸事情で手放した短剣とダガーも補充して⋮⋮ って何またあの一式使う気でいるの自分。M仕様また出す気でいる の自分。ちょ、待てよ。忘れたのかッ! そいつに触れることは︵ 羞恥心とか後悔とかそういう意味で︶死を意味するッ! ⋮⋮あ、ピアスだけど、こっちって、男女問わずピアスホール開 けてるんだよね。付けてない人でも跡残ってるし。 ヨハンナさん 生後一年を無事過ぎると、魔除けとしてピアスホール開けてピアス 付ける風習? があるみたいで。 当然私も開けてるし、付けとる訳ですが、ヴェルヘルミナが母に付 けてもらったやつは、インベントリ開けるようになってから付け替 えました。 ブラウンク 今付けてるのは、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄でNPCの金銀細工師に ォーツ 弟子入りした時作った練習品で、K10にカボションカットの茶水 スモーキークォーツ オブシディアン 晶をヘッドストーンにした、地っ味ーなやつ。 煙水晶のと黒曜石のも候補にあったけど、一番地味な茶水晶が勝ち ました。 姐さんに、髪留パクったお詫びに渡したやつはK18ホワイトゴ ールドで、オーバルカットのブルートパーズをヘッドにした、少し 腕が上がってから作ったやつ。 所詮は毛の生えた素人の作品だから、装飾品としての価値は低いは ず。石だってそんなグレードよくないし。 181 エンチャ ラック 護符として付与したのは、“四葉のクローバーを見つけるといいこ とがある”程度のザッパな使い捨ての幸運に、“ラベンダーの香り でリラックス”程度の持続型の精神安定と、効果は気休め程度だし、 素材も自分で採掘したやつ使ってるし、まあいかと。 エンチャ 手放した短剣とダガーも、それなりにちゃんとした鍛造品ではある けど、素材はちょっと質のいい程度のただの鋼で、付与してあるの も錆止めと刃毀れの自動修復だけだし。 一頻り悶え倒して気分も落ち着いたので、宿に帰って飯食って風 呂入って、あの三時間のことは忘れませう。 晩飯何かなー、兎のソテーとシチューかなー。昨日泊まった宿で食 べた兎のカッチャトーラ風、美味かったなー。 そう言やピーター某の父ちゃんて、人間に捕まってシチューにされ たんだっけか? あ、ありゃパイだったか。衝撃のキャラ紹介図だ フィレ けど、まーそら畑荒らされたら農家も怒るわな。 そうそう、兎にも大腰筋あるんだわ、ホタテの貝柱ぐらいのちっち ぇーの。 兎の大腰筋がっちょり食おうとしたら、ヌララグス・レックスでも 狙わんと。 推定体重12?だし、体長一般的な兎の約六倍だし。兎だっつうの に視力脚力聴力退化してどうすんだよ。特に聴力。兎の命綱じゃね ーか。だから絶滅すんだよ。 ⋮⋮ま、黒歴史と引き換えに小金貨も四枚︵正確には小金貨三枚 と銀板貨一枚、大銀貨五枚︶増えたし、王都で別れても、ギルド登 録して生活軌道に乗せるまでは、これでどうにかできるだろ。 さーて宿に帰るべ。 飯風呂寝床と夜遊び坊主を心配する父ちゃんが私を呼んでいる。 あ、青玉丹使わなきゃよかったかなー、そしたら風呂で背中流すと か、父と息子のコミュニケーションできたのに。 182 そう言や明日っから保護観察官代わるけど、朝ってどのくらいま で朝なんだろ。 昼過ぎるとかはないよな。いくら何でも、さすがに、ねえ? 183 十三撃目 ツァスタバ︵暫定︶にぶんのいち?︵後書き︶ 今まで︵注・章統合前の段階で︶一番長い話になりました。 ⋮⋮主人公が♂として転生してヴィルヘルムくんにならなかった理 由。 Oとりさん家のK君、くKさん家のR君、御山の美坊主さん系列の 夢〇美形ならまだしも、西新宿の煎餅屋とか院長様とか一万年後の 狩人レベルの対世界宝具級の菊〇美形来たら、攻略対象が可哀想じ ゃないですか。 勝てる要素家柄だけですよ? ええそうです、♂で生まれてきた方が美形度上がったんです本当は ⋮⋮。 184 十四撃目 時刻表との誤差が時間単位なのは世界標準 朝ってどのくらいまで朝なんだろ。 昼過ぎるとかはない、よな。さすがに、ねえ? ⋮⋮と、思っていた時期が、私にもありました。 朝、街門に拾いに来いっつった以上、先に行って待ってるべ、と 朝飯済ましてサコーさんと二人向かったのですが、待ち人は影も形 もございません。ちなみに只今午前11時くらいだから、かれこれ 三時間待ち。 放置されてる木箱に腰掛けサコーさんの、足元の吸殻の数と額の青 筋が、スゴいことになってます。 吸殻のポイ捨てはあかんのとちゃいますか? あ、別にいいんだ。 これもいわゆる文化の違いですかそうですか。まあ、アスファルト じゃなくて地べただしね、下。 ひる 正午になったらそこらの屋台で何か買って昼飯かな。兎と鳥は散 々食ってるんで、豚か牛が食べたいです。魚でも可。 つか、さすがにその前にゃ待ち人来るべ、幾らなんでも。来るって 言ってよバーニィ! とにかくひたすらに暇なんで、街門を通って街を出てく旅人を何 となーく観察してるけど、女の一人旅ってのはまず見ない。ガキ一 人に至っては0である。 女だけの場合は二人か三人連れがほとんどで、その場合は、一人 が旅人で、後は護衛、もしくは腕に覚えのある冒険者パーティーっ て組み合わせだ。 ウェーラのドナルーテ側で見かけた、女三人かしまし冒険者組も、 185 それなりの腕だったんだろう。サコーさんよか確実に弱いだろうけ ど、女だけで旅ができる程度の腕はあるってことか。胸部装甲は伊 達じゃない! ってか。 荷馬車は大体商人。それも多分、ある程度大きな店っぽい。荷馬 車牽いてるのは速さ<体力みたいなモッサリした労働馬で、護衛の 冒険者が歩く速さくらいの速度しか出してない。 身なりや何やから察するに、荷馬車持ちはいわゆる卸業とかじゃな いだろうか。個人商店にゃ護衛付きの荷馬車で仕入れ、なんてコス パ悪いだろうし。 一番多いのは男の一人旅だけど、野郎ばっかのパーティーもたま にいる。うわむっさ! むさっ苦し! と思わず突っ込んだ私は悪 くないと思う。 もう真剣に本気で軽巡洋艦。もといムサイ。男子校の体育会系部活 動かっつー勢いで暑苦しい。 あ、冒険者とそうじゃないのの見分けは、武器を持ち、かつ、そ れを扱うことに慣れてるか慣れてないかで、何となーくできる。 後は体捌きとか気配? で、どの程度できるかも何となーく分かる。 妙に気負ってる若いのがたまにいるけど、あれは冒険者に成り立て なんだろう。そういうのと同年代でも、精神的な余裕があるのは、 かなり早いうちからギルドに登録してるクチだな、多分。 羊が一匹羊が二匹、の気分で路上観察すること更に三十分、ぃや っっっとこさ待ち人がおいでになりやがりました。 サコーさんの額の青筋が、MAJIでブチ切れる五秒前です。 ﹁よう﹂ 186 紙巻きくわえて重役出勤で﹁よう﹂とか、私でなくてもイラッ☆ とすると思うんだ。 つか、歩き煙草とか、あっちじゃスペイン宗教裁判もんだよな。こ っちでもそうなるのかなー⋮⋮ま、私は嫌煙ヒステリーでも愛煙レ ジスタンスでもないからいいけどね、どうでも。 太陽が黄色く見えてそうな、何ともかったるそうな待ち人の風体 に、サコーさんの額の青筋がひくついてる。 もちつけ父ちゃん、血圧上がるぞ。 ﹁⋮⋮お前の朝ってのは、随分と遅いんだな? ええ?﹂ まだ長い紙巻きをメメタァと真っ二つにして、コメカミをヒクつ かせてるサコーさんに、待ち人は生欠伸を噛み殺しつつ、かったる そーな顔と態度をキープしたまま、 ゆうべ ﹁悪ぃ。昨夜遅かったんでな、寝過ごした﹂ はい、枕詞は添えるだけ、の、ちっとも心の込もっていない﹁悪 ぃ﹂、いただきましたー。 ナニがどほしてナニユエに昨夜遅くなって寝過ごしたとか、ボクコ フッカーモテル おんな ドモダカラゼンゼンチットモワカンナイナー。︵棒読み︶ 未成年、しかも十歳未満の児童の手前、売春宿の娼婦と夜通し頑張 ってきたってかいい御身分だなこの野郎、とは思っていても言えな いサコーさん、器用に指向性プレッシャー放出中ですが、余波結構 重いっス。 気当たり、ってのがあるけど、サコーさんの発してるプレッシャ ーは、指向性持たせて待ち人ピンポイントじゃなく全方位無差別だ ったら、気の弱い奴なら顔面蒼白、子供ならマジでギャン泣き+失 187 禁するレベルだ。私はじいさまで慣れてるけど、普通の子供なら余 波でチビんじゃね? プレッシャーで熊に死を受容せしめたうちのじいさま人外マジ人外。 解体用の包丁ひとつでひと狩り行こうぜ、は普通じゃなかったんで すねー⋮⋮。 あーだこーだと軽いジャブを打ち合ってるおっさん二匹をスルー して、空樽に腰掛けたまま路上観察を続けてると、おいこら何他人 事みたいな面してんだ、とサコーさんに八つ当たりで、拳骨でこめ かみグリグリかまされた。 ふっ、不意討ちとは⋮⋮っ! 殺気のない攻撃は、これが怖いんだ よな。 おお父ちゃんよ、八つ当たりとはなにごとだ、ジト目で見上げる と、苦笑を浮かべたサコーさんに、 ﹁⋮⋮まあ、何だ。この野郎は、見ての通りのろくでなしのスケコ マシだが、ドーナの街までのお前の面倒くらいなら見られる⋮⋮は ずだ。多分﹂ こめかみから離れた手で、わしわしと頭を撫でくらた。 うん、実に素晴らしい説明ありがとうございます。不安要素しか見 えないですけど。はず、とか、多分、とか、仮定形かつ希望的観測 ですよね? つか、ろくでなしのスケコマシとか、たとえ事実であったとして も、当の本人前にしてモロリと言わなくね? 歯がフル・フロンタ ルですがな。オブラートさんがログアウトしてますよ。 言われた本人も、微妙に顔ひきつってんじゃん。 これで悪気/ZEROだからサコーさん怖いわー。 188 ⋮⋮? ドーナの街? あ、ここの次の大きめの街が、ドーナってとこな訳ですか。 スターバトに着いたら、ここらの地方の地理をちゃんと勉強しとこ う。うん。 そーいう勉強ってのはどこでできるか、それを調べんのが先か。 情報は力。それは世界が変わっても変わることのない、普遍の真理 っしょ。 毒としても薬としても使えるけど、取扱い注意な点は、ニトログリ セリンに似てる。 とか何とか、大分先の予定をあれこれ考えつつ、腰掛けてた樽か ら降りて、改めて待ち人、次の保護観察官を観察する。 サコーさんより15メルほど背が高い。 マフィアの売春部門取り仕切ってそうな、ある種の女を惹き付ける 雰囲気のある、ダニエル・クレイグからストイックさを差し引いて、 ショートソード 男の色気を二割増ししたような伊達男。 名前は確か、シグだったはず。 にく メインで使ってる武器は、多分だけど短剣⋮⋮いや、大型のナイフ だろうな。長物大物専門で振り回す筋肉の付き方じゃないし。だか らって使えない訳じゃなく、使わないだけっぽいけど。 ジャケット 右肩が少し下がり気味だから、仕込んでるとしたらそっちだろう。 右に仕込んでるってことは、左利きなんだろう。上着の前全部開け てるのは、だからだな。 ・ ・・ ⋮⋮今の私と似た、暗殺向きの近接戦闘タイプ。ただし、私より や 遥かに洗練された対人戦闘技術を、この人は保有してる。 お遊びのじゃれ合いじゃなく、ガチの殺り合いになったら、最長二 分でオワタだな。ひたすら回避に徹して、二分が限度。最終的には 189 こっちの回避行動予測されて、頸動脈かっ切られるか脊髄カットさ ウェイト れるか心臓一突きか、とにかく急所に致命的な一撃貰って終了のお 知らせ。 攻撃に徹した場合は、速さはこっちに利があるけど、リーチ、体重、 実戦経験量の差で最長一分でアウト。 玉砕前提で手段選ばず、ナウマン象もコロリの猛毒含めて何でもア リアリ、なら何とかなるかもだけど、それでも超善戦して、即死の 一発喰らわずに肉を切らせて骨を断つ捨て身の反撃で相討ち、に持 ってこられりゃいいとこだし。 などと、つらつら観察していると、シグのおっさんと目が合った。 ﹁⋮⋮年季が違ぇよ﹂ ニヤリと口の端だけで悪っそーに笑う、その余裕がうらやま悔し い! つか、何考えて観察してたか、しっかりばれてーら。あはは。 み いやでも、面識ないに等しいけど、何やかやで一時的に組む相手前 にした時、最初に観察るのって、普通、相手がどんな戦い方するか っしょ? その上で、共闘するにしろ敵対するにしろ、自分のスタ み イルとの相性考えんのが常識っしょ? サコーさんの時も、ちゃんとその辺観察たし考えましたが、何か? ま、どっちも結論は“何この無理ゲー”だったけどねー。 オド 空の高さと海の広さを知ったからには、スターバト着いたら、鍛 練メニューの組み直しは必至だ。 スターバトまでの間、できるのって精々が内部魔力使った負荷掛け 二十四時間︵睡眠中除く︶ぐらいだし、下手しなくてもあれこれ鈍 っちゃいそうだし、あのまま副街道ルートの方がよかったんじゃろ うかー。 190 でもそうすると、いつまでも井の中の蛙だった訳だし⋮⋮ってやめ やめ! 若人らしく過ぎたことは忘れ、輝かしい未来に向かって生 きようジャマイカ。 とりあえず、次のドーナの街までご面倒かける保護観察官である、 シグのおっさんにご挨拶っと。 ﹁ドーナまで、よろしく頼む﹂ 頭を下げたら、次はここまで世話になった保護観察官のサコーさ んに、お礼をせんと。 ﹁ここまで、世話になった。⋮⋮ありがとな、父ちゃん﹂ 頭を下げて、大頬筋を全力で動かす。 大頬筋もっと動けよ⋮⋮熱い血燃やしてけよ、熱くなった時が、本 当の自分に出会えるんだ。だからこそ! もっと! 熱くなれよお おおおおおおお!! おっと失礼、憑きました。 ツール いやね、スマイル0円って無価値ってことじゃなくて、元値0円で 世の中渡ってける対人関係の潤滑油って意味でプライスレスなんだ と思うんだ。 けどね、あんくらい頑張らないと、私の0円スマイルは使用不能な んだよ。 神だか悪魔だか知らんが、転生させんなら表情筋の活性化と会話能 力向上のオプションくらい付けろやドチクショウ。 大頬筋が肉離れしそうな負荷をかけた甲斐あって、サコーさんが、 超ツンの犬か猫に初めてデレられた飼い主みたいになっちゃってま 191 す。うわあ。 んで、それ見て噴くの超堪えてるシグのおっさん。笑えば、いいと 思うよ。 つか、何て言うの? 正に何このカオス状態。 ⋮⋮あ、正午の鐘だ。 腹減ったなー。あ゛ー米食いてぇー。 銀シャリ、豆腐の味噌汁、糠漬け、納豆、焼き海苔、鯵の開きに大 根おろし、ビールと枝豆冷奴⋮⋮っ! 関係ないけど市川家の卵焼きは、砂糖と醤油の甘じょっぱい系です。 異論は認める。 炊きたてご飯に新鮮卵のTKGが食いたいです安西先生⋮⋮! って現実から目を背けてる場合じゃないか。 ガキ とりあえず、歩きながら食えるもんでいいわ。時間だいーぶロスし てるしさ。ねえ? † † サコー すっかり“父親”が板についた同僚と、子供らしからぬ子供のツ ーショットは、微笑ましいと言えば微笑ましい。 ウェーラからイビまでの間に、随分と懐かせたもんだ。 それでも、踏み込み過ぎず、踏み込ませ過ぎない一定の距離を保っ ているのが、面白い。 次のドーナまでは、大人の足で四日だが、ウェーラからイビまで 192 ガキ ガキ 四日で来てるってことは、あの子供は、子供だからとペースを考慮 しないでいい訳だ。 ひと 昨夜の宿での態度と言い、見た通りの中味じゃねえな、この子供は。 何より、他人を見る目が違っている。 真っ先に、立ち姿、体格から得物を探り、そこから戦闘スタイルを 探った上で、そいつと共闘、いや、真っ先に敵対した場合を想定し て、自分の行動とその結果を、頭の中で模擬実験していやがる。 ガキ 相手は俺のようだが⋮⋮どうやら結果が出たらしい。あの様子だと 子供の惨敗のようだが、当たり前だ。 しかし、ドライゼの奴がちょっかいを出したがるのも、分からん でもない。 ・・ そこらの二流三流冒険者より、余程いい動きをする。 下手をすりゃあ、そっちの童貞卒業しているかも知れん。 ガキ 子供の世話は面倒だが、この子供ならそう手間はかからんだろう。 放っておいても、勝手に生きていそうな図太さが伺える。 こいつは、思ったより愉快なことになりそうだ。 ガキ ﹁おい、子供﹂ ガキ サコーに頭を撫でくられている子供に、声をかける。 昨夜と同様、フードを目深に被っているので顔全体は見えないが、 微妙なやる気のなさが漂っている。 ﹁何だ、おっさん﹂ 頭にサコーの手を乗せたまま、間髪入れずに返してきた。 ﹁ドーナまでの飯と寝床の面倒は見る。後は好きにしろ﹂ 193 ガキ この子供なら、その程度で十分だろう。 犬か猫かで言えば、大山猫だ。 必要以上に構うことはせず、野放しにして眺めている程度が丁度い い。 ﹁分かった﹂ ガキ 子供が頷く。 一連のやり取りに、サコーが渋い顔をするが、生憎俺に子守りの技 術はない。 そもそも、そんな技術を持ち合わせた奴なぞ、俺らの中にはいない だろう。 ﹁出るなら、昼飯を食ってからにしよう﹂ ガキ 言った子供の腹から、ぎゅる、と大層大きな音がした。 194 十四撃目 時刻表との誤差が時間単位なのは世界標準︵後書き︶ い⋮⋮今はこれが精一杯⋮⋮。︵カ〇オストロの城︶ いやもうグッダグダですみません。 いやね、最近ちょっと窓の外にね⋮⋮ああ鳥が、丘の夜鷹が⋮⋮る るるるるるる・んぐるい・んんんんん・らぐる・ふたぐん・んがあ あい よg 195 十五撃目 Ignorance is bliss・1 グッモーニング・ベトナーっ、げふん、ドナルーテ! ツァスタ バ︵暫定︶そろそろ八歳です。 つか、八歳なったんじゃね? 次の宿で日にち確認しとかんと。曜 日の感覚めっちゃ薄いわー。 かち ほどよく晴れたお徒歩日和の青空の下を、薄ら二日酔い気味のシ ・・ グのおっさんの右斜め後方をてくてく歩いております。 あんだけ飲んどいて薄ら二日酔い気味で済んでるとは⋮⋮おっさん の肝臓は化け物か⋮⋮! 昨日は、あれから屋台で、鶏ローストのスライスとレタス、トマ ト、オニオンスライス、オリーブとピクルスを、20メルほどにカ ットしたバゲットに挟んで、ビネガーではなく、あえてのレモンの 程よい酸味が食欲マシマシなハニーマスタードソースで仕上げたバ ゲットサンドと、オレンジのフレッシュジュースで軽く昼飯にして から、シグのおっさんとイビの街を出た。 一つ目はサコーさんにおごってもらったけど、二つ目からは自重し て自腹切りましたよ? 二つ目はシーザーサラダドレッシング︵マ ヨネーズ入ってない、卸しハードチーズとアンチョビのやつね︶、 三つ目はビネガー&オイルでいただきました。 街門での別れ際、シグのおっさんに、妙なこと教えんじゃねえぞ、 と釘を刺してたサコーさんは、きっといい父ちゃんになる。 子供が女の子だったら、どえらい過保護になりそうだけどな。彼氏 できたら戦争じゃね? 男の子だったら特別に、市川家伝来の甲冑組手術を伝授して差し上 げようと思います。 196 街門を出てから十分もしないうちに、丈の高い雑草に覆われた草 っ原は、一面の葡萄畑になった。 ⋮⋮ワイン、シェリー、コニャック、ブランデー、マール⋮⋮夢が 広がるわー。ぐふふ。 こんだけ期待させといて生食用だったら、私が許しても天が許さな いと思うんだ。 のめ まだ見ぬ美酒に思いを馳せつつ、眺める畑の間には、所々に小島 のような雑木林がある。森を伐り拓いて葡萄畑にしたんだろう。つ か、大森林ってめっちゃデカかったんだ。ビフォアーの広さが気に なるわー。 こんだけ一面葡萄畑だと、収穫期には出稼ぎ労働者でスゴいこと になるな。 イビの宿は、規模大きめの街だから割高だし、出稼ぎはどこに泊ま るのか。 答え・畑の近くに建ってる納屋改装したっぽい建物。 収穫時期以外では、私らみたいに半端な時間にイビを出て、途中の 飛び石宿場町に着けなかった、時間配分の甘い旅人を、格安料金で ベッド・アンド・ブレックファースト 泊めて元手回収しているようだ。 ただ、B&Bタイプだったんで、腹減って目が覚めました。ええ。 ラタン それだけに、籐のカゴに盛られたカンパーニュ︵お腹に嬉しい直 径15メルオーバー&高さ10メル! 外はカリっと中はモッチリ でマジ美味い︶と、白カビタイプの山羊チーズ、オイルとビネガー のドレッシングでシンプルに仕立てた大盛り生野菜サラダ、パリッ とジューシーでハーブの風味が利いたでっかいソーセージ、目玉焼 きにオレンジのフレッシュジュース︵シグのオッサンはコーヒーだ った。いい加減コーヒー寄越さんとコーヒー一揆起こすぞ︶、テー 197 ブルにそのまま積まれたリンゴとオレンジ、梨︵洋梨の方ね︶、と いう農家風朝食はマジ美味かったです、はい。 山羊チーズはクセが強いけど、青カビタイプじゃなかったし、まだ 若いやつだったからあんま気にならなかったし、ホントにウマーで した。 朝飯をがっちょりいただき、チェックアウト後は飛び石宿場町を 目指して歩いてますが、シグのおっさん、宣言通りに飯と寝床の面 倒オンリーです。やだ、かっこいい⋮⋮! 会話はないけど、寂しいと死んぢゃう齧歯類ではないし、サコーさ んとの道中は会話量マシマシで、リハビリにはなったけど疲れたの も事実。 この会話のなさ、いいですわー。 オド けど、ぼひゃーっと歩いてるだけでは勿体無い。 内部魔力使った負荷掛けしながら、より効率のいい、無駄のない動 シミュレーション きを、シグのおっさんとゆー目の前のお手本を参考に、頭の中でレ ッツ模擬実験。 その結果を実際の動作に取り込んで試行したら、更にその結果を比 リベンジ 較検証してまた模擬実験して⋮⋮を、朝からひたすら無限リピート しとります。 それと同時進行で、昨日の模擬実験の続行だぜぇ。 アサシン 昔の人は言いました。勝ってくるぞと板橋区、諦めません勝つまで は。 や ⋮⋮いや、暗殺者極めるとかじゃなくて、単に勝てない自分の弱さ が悔しい訳でして。 分かっちゃいるけど諦められんのです。諦めたらそこで試合終了で すよ。 そうやって、二つの模擬実験を延々続けているうちに、腹時計が 198 お昼をお知らせします、とばかりにバルバルバルバルバルッ! と こいつ におい 遠吠えたのが、ついさっき。 胃袋の空腹感を消してやるッ! バックパック ってな訳で、朝食の時に、昼飯用に作ってハンカチに包んどいた、 山羊チーズをカンパーニュに挟んだだけのチーズサンドを背嚢から 取り出し、歩きながらかぶり付く。 行儀が悪い? 細けぇこたぁいいんだよ。 なお、背嚢にはチーズサンドの他にリンゴも突っ込んである。パ ンは一切れどころじゃないけど、ナイフ、ランプも詰め込んでます よ? 丸かじりするには皮が渋過ぎるし、傷みやすいので、梨はインベン トリにこっそり十個ほど放り込むだけにしといた。オレンジも十個 ほどガメといたけど、宿の庭にわんさと生ってたから大丈夫だ問題 ない。 人はパンのみにて生きるにあらず。蛋白質やビタミン、食物繊維も バランスよく摂りましょう。 チーズサンドの数は五つ。リンゴも五つ。おやつ用にも、チーズサ ンド三つにリンゴ三つを用意してますが、何か。 向こうでもそうだったけど、基本私は大食いだ。食える時には食 ぜんせ えるだけ、がっつりしっかり食っておく。 市川鷹では、夏休み三十日回峰行その他のお陰で、前世紀から続く 暖衣飽食の時代の只中に、“飢え”というものを、自分の肉体と精 神とで味わった。 市川鷹だけでなく、ヴェルヘルミナも、ひもじさという感覚を知っ ている。 燃料がなけりゃ、戦闘機も戦車もただの鉄の塊。 生きるためには、食ってそのための力を蓄えなけりゃならない。 生きることは戦いなのですよ。腹が減っては戦はできんのです。 199 ⋮⋮まあ、最近燃費悪くなったってのもあるんだけどね。食った ら食っただけ、片っ端から使われてるっぽいし。 やっぱ内部魔力の使いすぎなんだろうか。 数日前から、使う前に一度溜めて、密度上げる行程入れたんだけ ど、それからとゆーものの、格段に燃費悪くなった気がする。 ちなみに密度上げの行程は、じいさまに連れられて行ったタタラ場 での、玉鋼作りを参考にした。その後、よし、そんじゃお前の守り 刀打ってこい、の一言で、じいさまの知り合いだっつー刀匠んとこ に放り込まれました。 丹田、まあ臍の辺りだな。そこに炉があると仮定して、集めた内部 魔力を砂鉄に見立てて精錬するってだけの、かなりざっくりとザッ パなやり方なんだけどね。 内部魔力は、使えば使うだけ、発生量と回復の量・速度が上がる。 そーいうのを、余り意識しないで漫然と使ってたんだけど、それじ ゃもったいないんじゃね? で、始めてみたら、質に関しては格段 に向上したけど、腹の減り具合と食事量も格段に上がったというオ チがついたとです。 なんじ そんな訳で、胃の欲するところをなせ、でかぶりついたチーズサ ンドは、美味いけど水気が少なく、口内の水分を持ってかれるのが 難点なんですよねー。 一個目を平らげたところで、リンゴにかじりつく。 口内に残るチーズの塩気とリンゴの甘さの組み合わせは、かなりポ イント高い。 ブルーチーズにリンゴと蜂蜜も、あれ結構美味いですよ。アクセン トにクルミを散らしても、歯応えがあって大変よろしいし。薄ーく 切ったバゲットに乗せて、よく冷やした辛口の白か、軽めの赤を合 200 わせるのが好みです。 ⋮⋮実際合わせて味わうまで、あと八年はかかるんだけどね。うう、 こんちくせうっ。 で、飛び石宿場町に着いたのは、昼飯のチーズサンドとリンゴが 胃に消えてから三時間弱の、午後三時かそんくらいのことだった。 よし、おやつは屋台で食うことにして、チーズサンドとリンゴは明 日のおやつってことで、インベントリに収納しよう。 美味いこた美味いけど、昼飯とおやつ一緒ってのもつまんないし。 フッカーモテル つうか、シグのおっさんがイビの売春宿でハッスル︵死語︶して 寝過ごしてなきゃ、昨夜はここに泊まってたんじゃないですかねぇ ? とチラ見するも、何食わぬ顔でしれっとしてます。 ナイススルーだなおっさん。 ガキ ﹁おい、子供。手ぇ出せ﹂ 飛び石宿場町に入ったところで、シグのおっさんが声をかけてき た。 言われるまま手を出すと、半銀貨が一枚、掌の上に降ってきた。 ﹁?﹂ わっついずでぃす? と見上げると、シグのおっさんは、 ﹁宿代と明日の昼飯代だ﹂ それだけ言って、さっさと歩いていってもーたです。 うん、この潔いまでの放任、心地いいです。 サコーさんに構われるのは、まあ、いやじゃなかったし楽しかった 201 けど、基本お一人様仕様の人間なんで、こんくらい野放し放し飼い のが、逆に気楽なんですわ。 つけ まあでも、宿だけは同じとこにしといた方がいいだろ。うん。 見失わないうちに追っかけんと。 当然、ただ追っかけるなんてしませんよ? 隠形して尾行るに決ま ってんじゃないですか。 サコーさんとの道中で、折角都市部での隠形身に付けたんだから、 磨かなくてどうする。もったいないお化けが出ちゃうジャマイカ。 つけ これが夜なら、夜陰に乗じたパルクール隠形尾行するんだけどね。 よーしパパ頑張って尾行ちゃうぞー。 † † ガキ 子供に宿代と明日の昼飯代を渡し、その場を離れる。 考えが足りないなら、後先考えずあるだけ使おうとするだろうし、 ガキ 多少考えられる頭があるなら、俺の後を追ってくるだろう。 さて、あの子供はどうするか。 ターゲット ・・ ⋮⋮気配を消し、俺を追跡対象と見なして尾行、ときたか。 こちら 足音、気配の消し方、動作の無駄のなさは、すぐにでも現場で使え るレベルだが、意識が対象に向きすぎて、丸わかりだ。 ガキ カエルラ もう少し分散させないと、格下はともかく、格上には確実に気付か れる。 インディクム まあ、この子供より格上となると、最低でもD級か。下手すれば現 時点でC級相当かもしれんしな。 202 ガキ それにしても、全くもっておかしな子供だ。 疲れたの何のと騒ぎ立てることもなく、実に大人しいものだが、こ の年齢の子供にしては大人し過ぎ、手間はかからんが、行動自体は ガキ 斜め上ときている。 ガキ まあ、この子供が斜め上の例外中の例外だからこそ、ドライゼに目 を付けられたのだろう。 気の毒なことだ。 つけ 付かず離れず尾行てくる子供を背後に張り付かせたまま、目抜通 りを外れた、客の入りの悪い寂れた宿に入る。 愛想もなければ口も悪い、枯れ木のような爺さんが、似たり寄った りの婆さんと二人、細々とやっている宿だが、宿代さえ払っておけ ば、大概のことには目を瞑る。 融通が効くのもいいが、何より、飯と酒が美味い。 宿代を先払いし、部屋の鍵は婆さんに預けて宿を出た。 ガキ 宿の軒下に置かれた木箱に腰を下ろし、何の関心もございませんと ばかりに、明後日の方向を向いている子供に、 ﹁40点﹂ そう言ってやると、不満げな視線がフードの下から飛んできた。 不満げではあるが、何が減点の理由なのか、自分の行動を検証して いるようだ。 これならあと5点くらい、付け足してやってもよかったかもしれん。 ﹁精々悩め﹂ この野郎、とでも言いたげな視線を鼻先で笑ってやる。 203 最近の連中は、少し行き詰まるとすぐに他人を頼る。 ただ、そういう奴は、大概が次の壁で頭打ちになるが、最後の最後 ガキ まで自力でどうにかしようという奴は、じわじわと伸びていく。 ガキ ガキ この子供の場合は、後者の部類だろうが、成長が矢鱈と早い。 末恐ろしい子供だ。 ヤマ ⋮⋮まさかとは思うが、ドライゼの奴、次の仕事にこの子供を使 おうとは思ってないだろうな? だとしたら、すっかり父親が染み付いたサコーの奴が、切れかねん ぞ。 全く、何を考えていやがるんだか。分からん奴だ。 † † えー、かなり辛い点数いただきました。 何があかんかったのか、じっくり考えようと思います。 動作の効率化で静音性も向上したし、何があかんかったんじゃろう かー。 と、その前に。 シグのおっさんがここの宿に泊まるのは確定したんで、これからち ょっと宿代節約のため、町の外でひと狩りしてこよう。 葡萄の木や葉をかじる兎や鹿、鳩雉は、むしろ獲ることが推奨さ れているらしい。これ昨日泊まった宿の女将さん情報。 あ、鳩雉ってのは、鳩みたいなカラーリングの雉だとか。つまり、 204 地味系。味は雉だけど、大きさは鳩以上雉未満らしい。 鳩なら鳩、雉なら雉どっちかにしろよ。中途半端な。 けどま、こないだの大ウズラ除くと、ここんとこ兎続きなんで、 鳩雉あたりが獲れたらいいなー。未知の味だし。 と、屋上パルクールしながら町の外を目指す。 シグのおっさん手本に、動きの無駄を省いていったら、動きなが らの隠形の精度は上がったんだけど、まだ何かが足りてないんだろ うな。 我流だと、その辺やっぱ甘くなっちゃうんだよね。 内部魔力の練り込みも、そのうち見てもらった方がいいのかなー。 ギルド登録したら、基礎知識的な勉強した方がいいかもしんない。 市川家伝来の甲冑組手術以外は、清々しいほどの我流だし。 杖刀槍弓の扱いも、一応は組手術に含まれてるけど、基本無手で鎧 武者をヌッ殺すことを主眼にしてるからなー、うちのやつ。 っと、さーて町を出たはいいけど、獲物探さんといけませんな。 はっときーじはーときっじ出っておいでー、出ーないっと目玉をほ ーじくるぞー、って節子それ鳥寄せやない、廃屋の妖精寄せや。 日中だしなー、条件微妙だし、今日は坊主かなー、それはそれで ちょっとしょっぱいかなー。 インベントリから出した棒手裏剣片手に、狩猟仕様の気配遮断を展 開しつつ、町に一番近い飛び石雑木林の近くに向かう。 雑木林で獲物探すか⋮⋮って、ちょ! ﹁ぬわわっ﹂ ええい、飛び出すな、脊髄反射は止められない、は常識だろうが。 205 急に飛び出してくるから、棒手裏剣ブッパしてもーたやないかーい。 おまえ 飛び出した勢いを、スライディングに移行させて吹っ飛んでいった 鹿に、思わず突っ込んでしまった。 私が食ってみたかったのは鳩雉であって、鹿ちゃうわ。空気読めよ ボケなのハゲなのバカなの死ぬの? あ、もう死んでるか。 ﹁⋮⋮残念﹂ 予定変わっちゃったけど、仕方ないか。 モツ とりあえず農道から、雑木林の近くに場所を移してっと。 久々の大物︵兎に比べりゃ大物でしょ︶、血抜きして臓物抜いて下 準備しないとねー。 本命の鳩雉じゃないけど、紅葉肉は紅葉肉で美味いからな。 ⋮⋮ああ味噌も醤油も塩麹もある、なのになぜ、ナニユエに貴方は いないのお米様⋮⋮! 紅葉鍋に思いを馳せつつ、鹿の処理を黙々と進める。 大きさからして、二歳か三歳。でもって雄。急に飛び出してこなけ せんそう りゃ、鳩雉探してそっち行ったつーのに、何ともまあ間の悪い。 悲しいけど、これ、生存競争なのよね。 しかし、さすがに鹿一頭担いでたんじゃ目立つかー⋮⋮インベン トリに一度しまって、宿の前で出して担いで入りゃいいか? でも 一頭丸々はでか過ぎだから、後ろ足一本でいいかな? それくらい なら担いでても平気でしょ。 あのおっさんが取った宿だから、仮にまるっと一頭持ち込んでも、 あれこれ詮索してくることもないだろうけど、一頭まるっと食いき れないですやん? 206 バラ 考えつつ手を動かしていたら、気付けば鹿はきちんとお肉になっ ておりました。 モツ えんぴ 皮と脳は鞣し用に別にしといて、本体も部位ごとに解体したし、抜 いた内臓は雑木林に埋めて処理終わったし。いや円匙便利マジ便利。 縁砥いどけば武器にもなるし、マジ便利。 さらし とりあえず、今日の宿泊料金割引分の後ろ足を、晒で包んで落と さないよう背中に括ったし、町に戻って宿取って、速効おやつにし よう。 チーズサンドとリンゴもインベントリにinして、節約して浮かせ た金で屋台巡りして、今日のおやつと明日の昼飯用のパンと果物買 っておーこうっと。 リンゴは今日食ったし、オレンジと梨はインベントリに入ってるし、 それ以外の何か面白そうなのにしよう、そうしよう。 あー、腹減った。 ギガ盛りチャレンジ的なのやってる店でもないかな。あったら挑む のに。 大食い王に俺はなる! ん? 傭兵王だっけ? あるぇー? 207 十五撃目 Ignorance やっとかめの十五撃目です。 is bliss・1︵後書き︶ 今度のおっさんは放任主義。絡み辛ぇー、と作者がじったんばった んしてます。 にしても、あっついなぁ。 ちょっと狂気山脈に、うちのてけりの好物狩りに逝ってくる。︵ち ょっとそこのコンビニ行ってくる風に︶ ⋮⋮その後、作者の姿見た者はいない。 208 十六撃目 Ignorance ひと is bliss・2 一人部屋のいいところは、他人に気を使わなくていい、これに限 ると思います。 おはようございます、いつの間にか八歳になってたツァスタバ︵暫 定︶です。 最近、もう名前ツァスタバでいいんじゃないかな、とか思い始めて ます。 仮称の予定だったジェーン・ドゥだって、んな可愛げある名前の面 ちゃうやん⋮⋮ゲルマン系入った猛禽系少年やん⋮⋮。 てな訳で、朝まだ暗い午前四時︵多分︶。 ミニテーブルの洗面器に水差しの水を注いで顔を洗い、さっぱりし たところで、寝間着代わりの作務衣から、通気性のいい綿素材のト レーニングウェア一式︵黒の半袖シャツとODの七分丈レギンス、 冗談で作った一本歯下駄の三点セット︶に装換し、窓を開ける。 あと二時間もすれば、鳩にトランペット吹いてやりたくなるような 朝焼けが拝めそうだ。 その前にやることやっちゃいますかね。 オド まずは内部魔力を巡らせて⋮⋮よし。次は炉を起こして、っと。 負荷は、呼吸条件富士山頂+加重自重×2くらいかな。 サコーさんとの道中でトレーニングしなかった分、ちょい鈍ってる から、調子戻すのにちょい軽めにしとこう。 上っ側の窓枠に手をかけ、逆上がりの要領で屋根に上がる。ちな みにポイントは、勢いを付けないこと。 屋根に上がったら、数メール先の荒物屋の物置小屋の屋根に向かっ て跳ぶ。 209 着地の衝撃を筋骨格で吸収・分散し、楽しい全力疾走パルクール都 市部編の始まりだ。 目指すは﹃濡れた半紙の上を破かず全力疾走﹄レベルだけど、今は 精々、﹃わら半紙の上をちょっと派手に破れるくらいで全力疾走﹄ が関の山なんだよねー。 じいさまだったら、水の上を走るくらい普通にしそうだけど。 軽く息が上がる程度に走り込むこと小一時間、町外れの鐘楼クラ イミングして、屋根の天辺から周囲を見回す。うっすら白くなり始 めているのが、東の空か。 既に腹が減り始めてるとか、我ながら恐ろしい燃費⋮⋮!︵白眼︶ 負荷はかけつつ、下肢を中心に筋骨格を強化。 立ち上がり、深呼吸で余計な力を抜いたら、お約束のフリーダイビ ングでパルクールは終了だ。 走り込みで下肢を鍛えたら、お次は下駄をなんちゃってカンフー シューズに履き替えて、上肢をレッツトレーニング。 プッシュアップ 腕立て伏せはなるべく深く、うんとゆっくりと。 五十回を数えたら、腕立て伏せの姿勢からゆーっくりと倒立姿勢に 持っていき、腕立て伏せの時と同じ要領で、指立て伏せを五十回。 次は左右の小指を抜いて十回。その次は薬指を抜き、親指だけでの 腕立て伏せが終わったら、人差し指での腕立て伏せを追加して、合 計六十回。 これが終わった辺りで、じんわり汗が滲んでくる。 次は腹背筋だが、足と背中がギリギリ地面に着かない程度に浮か して寝そべって、勢い付けないでゆっくり体を臍中心に二つ折りし て、またゆっくり元の姿勢に戻す。いわゆるV字腹筋、ジャックナ イフとも言うアレです。 210 背筋にも結構クるのでオススメだけど、勢い付けると腰傷めるから 要注意。 メインディッシュ V字腹筋百で基礎トレは終了だけど、もうちょい増やしてもいいか もな。腕立て伏せも。 オードブル 前菜が済んだところで、いよいよこれからが主菜である。 いちかわ しゅうえもん 市川家伝来甲冑組手術、エア死合い。仮想のお相手はもちろん、最 終人型戦略級決戦兵器・市川鷲右衛門︱︱じいさまです。 死合いだけどあくまでエアなんで、ダメージはないけどごっそり疲 れる。 イメージとは言え、ものの一分で、もれなく肋骨全割れ、肘膝粉砕、 頸骨ブチ折れ、頭蓋骨パーンであぼんだから、エグいさすがじいさ まエグい。 四、五十回ほどエア死に散らかしした頃には、滝のような汗で全 アンダー 身びっしょりだ。 下着二丁になって近くの井戸で汲んだ冷水を頭っからひっ被ると、 体熱でもわっと湯気が上がる。 インベントリからタオルを出し、服が着れる程度に水気を拭って、 定番の旅装セット︵各種暗器仕込み済︶に装換する。 無論下着もですよ? 当たり前じゃないですかやだー。 ⋮⋮実はですね、破れやほつれは要修繕なんですが、水濡れ汚れ はインベントリにinすると、キレイさっぱり手仕上げクリーニン グのようになくなるんですわ。 いやもうこの機能だけで黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲も んじゃね? 誰にやればいいか知らないけど、そんくらいの価値は あると思う。 ついでにインベントリ内では時間の流れが止まっているんで、生鮮 食品の保存もバッチリだ。 211 時間が止まっているってことは、熟成には向かないが、最高の熟成 具合の食品や、正に今が最高の飲み頃という酒を、いつでも味わえ るってことでもある。 ・ 実際、﹃ミヅガルヅ・エッダ﹄で仕込んだ、今が飲み頃の絶頂っつ ー樽が、三桁四桁の単位で眠っているとゆーのに⋮⋮! あな口惜 しや口惜しや。 水被って服も着替えて、スゲー爽やかな気分です。新しいパンツ をはいたばかりの正月元旦の朝のよーに。 それでも腹は鳴っている。 腹の虫を宥めるべく、インベントリからリンゴを取り出し、すっ かり明けた空の下、丸かじりしつつ、クールダウンを兼ねた、難易 度低めのパルクールで宿に向かう。 朝食の前の軽い朝食、とかそのうちなりそうで怖い。それ何て常春 の国の潰れアンパン殿下。 あの殿下のチートって、考えたら異常じゃね? あれで十歳とか、 チートっつーよりバグですぬ。 ゆうべ 民家商家の屋根伝いに戻った宿の、鍵だけ開けておいた窓経由で 部屋に戻ると、一階から、昨夜の鹿の赤ワイン煮込みの匂いが届い てきた。 最初の飛び石宿場町の、見るっからに流行ってないあの宿で食った 鹿のシチューに比べるとやや劣るけど、ここの宿の飯も結構、いや かなり美味い。 鹿の赤ワイン煮込みは昨夜も食ったけど、連ちゃんでもイケる美 味さだ。むしろ二日目のカレー理論で、煮込み料理とか、あいつら が本気出すのは二日目からですやん。 玉ねぎ、セロリ、にんにくなどの香味野菜とマッシュルームの美味 212 さ、ワインの深み、焼き目を付けた鹿肉の美味さが渾然一体となり、 そこに鷹の爪の辛さがいいアクセントになっているんだけど⋮⋮飲 み物がっ⋮⋮飲み物が、ただのっ⋮⋮ただの水っ⋮⋮! 許されな いっ⋮⋮許されない非道っ⋮⋮! そこは赤ワインだろうがっ⋮⋮! リンゴ二個では鎮まらなかった腹の虫が、美味そうな香りにあい ぃ∼∼∼るぅうう∼∼∼と雄叫ぶ。 聞きようによってはおにぃ∼∼∼くぅうう∼∼∼と聞こえなくもな い。 寄生増殖型の宇宙生命体が飛び出してきそうな勢い出して鳴ってま す。 あいつら、強酸性で蛍光グリーンの体液してるけど、考えてみたら イカとかカブトガニとかの血も青だし、血抜きすればあいつら食え るんじゃないかな、って気がする。見た目甲殻類っぽいし。 宿代節約の鹿足は、ここの宿で四本目。 今日の夕方には次の目的地、ドーナに到着ってなるんだけど、いま バックパック だにシグのおっさんから四十点以上を取れません。どうして﹃四十 点﹄だけなのよォオオオ∼∼ッ!! えー、大変見苦しいものを失礼しました。 が、それは今考えても仕方ないことなんで、背嚢と部屋の鍵を手に、 一階に下りることにした。 鹿の赤ワイン煮込みの匂いに、焼き立てのバゲットの匂いまでして くるもんだから、腹が鳴るったらありゃしません。 これにサラダと牛乳、果物まで付くとか、ここが天国か⋮⋮! 一階に下りて、夜は酒場を兼ねる食堂の出口側、窓を左、十分な スペースを右に、壁を背にできるテーブルについて、シグのおっさ んを待つ。 213 二階に続く階段と食堂内、宿の出入口まで一望できるオススメ席で す。 適度に目立たない、モブ、雑魚、凡夫、そんな感じに気配と存在 感を薄れさせるのも、今じゃ呼吸並みの作業ですわ。 今ならウェーラ規模の街ん中で、白昼堂々、衆人環視のど真ん中で、 見知らぬ親父のヅラを誰にもバレずに剥ぎ取るくらいはできる気が する。しないけど。そもそもあるのか、ヅラ。 見るともなく食堂内をぼひゃーっと眺めていると、思考は自然と “あのこと”に流れていく。 シグのおっさんという手本を参考にしての“動作の最適化”と隠形 の相互作用は、確実に出ているはず。 ということは、問題はそこではなく、別の場所にあるってことなん だろうけど、その場所がなぁ。 けど、その場所は存外近く、後は私が気付けばいいだけなのかもし れない。 考えながらも、脳には視覚情報が上がってくる。 意識しなくても視界に入ってくる雑多な情報を、だらだらと通過さ せていく。 ⋮⋮? あれ? 何だろう、何か分かりそうな⋮⋮分かっている ことに気付きそうな⋮⋮あ。 あーあーあーあーあー。そうか、そういうことかリリン。謎はとべ てすけた! 視界に入れてるだけでいい。意識して見ようとする必要なんかない。 うわすっごい悔しいんだけど。こんなことに三日も取られてたんか い。 214 だがしかし、駄菓子菓子。男子、三日会わずば刮目して見よと申 しますぬ。 ふはははははは。私は四十点の壁を越えるぞッ、JO⋮⋮じゃない シグのおっさん! にしても⋮⋮腹減った⋮⋮減り過ぎて⋮⋮くうくうお腹がなりま した。 † † ・ 夜更かし夜遊びもせず、早寝早起き。 手間もかからず、実に“いい子”だが、相当猫被っているな、あい つは。 からだ ビジョン 身体ができていないせいで、今の戦闘スタイルは現状での最良で あり、繋ぎでしかないと見るべきだろう。 それでも、あの歳で自分の戦闘スタイルについて、明確な像がある らしい、というのは正直驚いた。 ガキ ルブルム ヒヨッコ あの子供と同い年でも、後見人付きでギルド登録するのはいる。 ルブルム だが、G級の後見人付き新人の中に、自分の戦闘スタイルについて、 フラーウゥス 明確な像を確立してるようなのはいない。そもそもG級で請け負え る仕事は、街中での使いっ走りぐらいのものだ。F級に上がって、 ウィリディス 兎や鳩雉といった、探すのも狩るのも簡単な小型禽獣を街の周囲で 狩るようになる。 成人の目安である十六歳での登録で、E級からのスタートだが、大 215 にんげん 抵は既に組む相手がいて、単独で依頼を受けることも滅多にない。 カエルラ 商隊の護衛依頼やら討伐依頼やらで、盗賊や魔獣と実際に戦うのは、 D級に上がってからだが、そこでようやく、自分の戦闘スタイルと いうものについて、考えるようになるのがほとんどだ。 ガキ だが、あの子供には、漠然とした曖昧なものではなく、目指すべ きものとして、明確なスタイルがあり、そこに至るルートが見えて いるのだろう。 それも、子供らしい夢物語ではなく、現実として、だ。 何より、強さに対する貪欲さがある。 ローナーとはさぞ気が合うことだろう。人でも魔獣でも、強い奴を ぶん殴るのが生き甲斐という奴だからな、あいつは。 ローナー 奴は、殴り返されることのリスクを理解しているが、肉体的な痛 ガキ みに対する恐怖感が、呆れるほど希薄だ。 おそらくだが、あの子供も、痛みにビビって固まるようなことはな いだろう。 した ここ数日の行動から、そう踏んでいるが、大きく間違ってはいな いはずだ。 ガキ ⋮⋮さて、そろそろ一階に下りるか。 子供が腹の虫を盛大に鳴き立てさせているに違いない。 腹の中に別の生き物が住んでいても、逆に納得できるぞ、あの食い 気は。 食う量だけなら、既に成人並み⋮⋮いや、それ以上か。成長期だか ら、で片付く量じゃないが、一体どこに消えているんだ、あれは。 晩飯の度に、何で酒じゃない、と恨めしそうにしていたが、一度く らいなら飲ませてやってもよかったか。 案外いける口かも知れん。 216 ガキ した 飯を食ったらすぐに出られるよう、荷をまとめて一階に下りると、 同じように荷をまとめた子供が、テーブルに突っ伏していた。 選ぶ席が、“何があってもそれなりに対応できる”席なのは、最初 からだったな。 気配の誤魔化し方が、日に日にこなれていくが、今は“別れて数 ガキ 分もすれば、どんな相手だったか忘れている程度に印象の薄い人間 ”に作っている。 ハニー 始終仏頂面だが、この子供の面を考えれば、近付いてくるのは厄介 事だろうから、選択としては間違っちゃいない。 トラップ あと十年もすれば、裸の女が部屋に雪崩れ込んできそうだが、色仕 掛けに引っ掛かるようなタマとも思えない。 思えないが⋮⋮ローナーに引き継ぐのは明日の朝だったな。 覚えておいて損はしない“男の作法”の一つでも、伝授してやると しよう。 教えなくても、放っておけば勝手に覚えるだろう。 世の中の大半は女だ。それと上手に付き合う方法は、覚えておいて 損はないからな。 217 十六撃目 Ignorance is bliss・2︵後書き︶ その時、歴史が動く訳がなかった次話に続く。︵ナレーション キ ー○ン山田︶ や ⋮⋮蒼〇航路の董〇のよーな巨漢マッチョが、丁髷チックに三つ編 みお下げしてる絵面にときめいた挙げ句、ポジション殺られ役でも いいから出そう、と決めてしまいました。 いいじゃないか、益荒漢女ゲームだもの。 218 十七撃目 覚えていーますかー♪ いませんかそーですかー ⋮⋮ああ、太陽が眩しい。 いや、大丈夫だから。別にそれを理由にアラブ人殺すとかしないか ら。アルジェリア在住のフランセ人ちゃうから。 おはようございます、八歳を迎えて大人の階段上りました、ツァ スタバ︵暫定︶です。 どっ、童貞卒業ちゃうわ! そもそも装備されとらんわ! ドーナに着いて、シグさん尾行して着いた宿の部屋とって晩飯済 フッカーモテル ませたところ、現れたシグさんにおもむろにドナドナされて。 行きつけだっつー、売春宿よりワンランク上な娼館の一階に併設さ れたラウンジ︵でいいのか?︶で、綺麗所に可愛がられてきただけ ですよ? 最初はいい店にしとくもんだ、とかシグさんマジかっけーですわ。 そこにシビレるアコガレるぅ! 父親にはしたくないけど、年に一、二度訪ねてくる遠縁の叔父さん に欲しい。 父親にしたくない理由? 畑違いの見知らぬ兄弟姉妹が、どこにど んだけいるか分からない、とか怖いジャマイカ。死合ってみたら異 母兄弟姉妹でした、とか後味悪いですやん? ヴィルヘルム・マイ スターの修行時代のセカンドダンスもゴメンですぬ。 で、だ。 銀座でも指折りの老舗クラブを思い出させる、上品でシックなふい んきでまとめられた娼館のラウンジで、シグさんご指名の綺麗所に もみくちゃにされかけたんで、客待ちのおねえさま方んとこに逃げ 219 込まざるをえなくなりもした。 こ おじょうさん そりゃね、若い娘は可愛いし華やかだし、確かに目の保養ですよ おねえさま ? けど、初めて入った店では、可愛くて華やかな新人方より、長 こ く勤めてる中堅方に付いていただくのが安全安心だと思うのですよ。 接待で行ったクラブでは、若い娘は接待先に付けて、こっちはお姉 さまに付いていただいてましたしねー。気配りつうか空気の読み方 とか、客の立て方とか、さすがプロフェッショナル。実に気分よく 過ごさせていただいたものででございます。 となれば、ついにお酒様解禁か! とワクテカしたものの、出て きのはシャーリー・テンプル︵注1︶だったけどな! そこはダーティ・シャーリー︵注2︶が来るとこじゃね? なのに。 なーのーにーシャーリー・テンプルとか、全私が泣いたわ。 なぁにこれぇ? ないわーマジないわー。 ジト目でシャーリー・テンプルずぞずぞ啜ってる隣で、これ見よが しに、焦がれて止まぬ愛しのお酒様を優雅にたしなみやがってくれ やがるとかシグさんェ⋮⋮。 覚えてろー! 八年経ったらリベンジしてやるからなー! かくして人生の理不尽を舐めるも、酸いも甘いも噛み分けたおね えさま方に可愛がっていただきまして。 これ食べる? とか、これ美味しいわよ、とかで、あれこれ頂戴し ました。菓子とか菓子とか菓子とか菓子とかを。 それ、お馴染みさんからの貰い物ちゃう? みたいなのが混じって たのは気のせいですよね? ⋮⋮つーか、これ餌付けじゃね? うん、知ってた。 うえ とまあ、おねえさま方が珍獣の餌付けに興じること小一時間後、 シグさんが綺麗所の一人と二階に上がったところで、私は宿に帰る 220 ・・ ことになった訳ですが。 餌付けしつつも、将来に備えてあれやこれや教えて下さったおねえ さま方に、何のお礼もないとかないわー、だと思った訳でして。 ジャリボーイ そりゃ、金はシグさん持ちだけど、そこはそれ、と申しますか。 世間一般の八歳男児の、本人的には“お礼のつもり”なんて、蝉や ら蛇の脱け殻とかカブトムシとか、節子それお礼やない、嫌がらせ や。じゃないですか。 何かないかなー、とインベントリん中見てたら、家出する前に獲っ て喰った鳥の中に何羽か混じってた、やたら派手な色合いの鳥の羽 根があったんで、形のいい尾羽根をいくつか見繕って、︵菓子を︶ ありがとう&お休みなさいのご挨拶と一緒にお渡しすることにしま した。 今はゲルマン=アーリア調猛禽系少年︵♀︶でも、中の人の基本 は、お歳暮お中元お年賀と、季節の挨拶が欠かせない礼節の国、日 ノ本の民でございますけん。 いやー、言葉通じるって地味にチートですよねー。 何言ってるか分かんねえよう、日ノ本言葉喋れよう、とか理不尽に キレずに済むんだし。 じゃ、なくて。 結果、おねえさま方から頬っぺチューとハグのお返しいただいたり で、神秘の谷間で窒息死しかかったりもしたけど、きちんとお礼も したので、宿に帰って一っ風呂浴びて爆睡し、朝の鍛練と朝飯を済 ませて、装備含めて出立準備完了の、只今朝九時︵推定︶、シグさ ここ ん未帰還でございます。 まあ、宿に部屋とってないし、昨夜のアレコレ考えたら当然なんす けどね。 221 しかぁーし。私の記憶が確かなら、次の保護観察官への引き継ぎ は、本日朝街門前で行われるはず。 またか。また昼過ぎるのか。黄色い太陽がいっぱいなのか。 伊達に某国情報部のナンバー持ち似じゃねえな。 朝飯の、昨夜の残りの、グレイビーソース付き鹿肉のローストと、 角切り野菜たっぷりのミネストローネ風スープ、豆のサラダ、カン パーニュ、チェダーチーズっぽいハードチーズ、デザートの桃に、 夢にまで見た念願のコーヒーまで、ガッツリ腹一杯喰ったし、昼飯 バックパック 用とおやつ用のカンパーニュのサンドも、鹿のローストとチーズの 二種類作って、桃と一緒に背嚢にインして、出発の準備は万端なん ですがねー。 初コーヒー︵真︶体験したはいいけど、子供舌だからなんでしょ きおく ーか。今の私になって二年、求めて止まなかったコーヒーなのに⋮ ⋮すごく⋮⋮苦いです⋮⋮。 やむなくカフェオレにしたけど、脳ではなく体が苦味を“美味い” と感じられるまでは、コーヒーとお酒様はお預けと、そういうこと ですかそうですかトンちくせう。 八歳児が飲むドーナのコーヒーは、苦い。いろんな意味で。染み付 いて噎せましたとも。ええ。 それはさておき、今回は、遅れてるのは引き渡し側であって引き 渡される側じゃない。 なら、さっさと街門まで行って自主的に引き渡されてくればいい。 遠足で迷子になったら、そのまま家に帰っちゃえばいいじゃない理 論である。 そうとなったら行動あるのみ。 万が一、シグのおっさんがこっちに来た場合、入れ違いになる可能 222 性がなきにしもあらずなんで、インベントリから出したハガキ大の 板切れに、棒手裏剣もどきでガリガリと簡単な伝言を刻み、﹁昨日 の人がまた来たら、頼む﹂と帳場の爺さんに渡す。 シグのおっさんセレクトの宿だけに、脛に傷の五つ六つはありそ うな爺さんは、何も言わず文面も見ず、板切れを裏返して背後のキ ーボックスにしまった。 女、子供の一人旅、でなくても、それなりに堅気なら使わない類い の宿だけど、その分、表通りのファミリー層も安心、な宿にはない サービスが充実してる。 将来的に役立つ知識なんで、しっかり覚えさせていただきますよ? 歯磨きもしたし、暗器の最終チェックもした。 普段よりちょっと早めに起きて、装備してる刃物類一通りメンテし たから、コンディションもいい。 今の装備品って、日本刀の鍛造技術ベースで作ってるんだけど、 野盗と禽獣にしか使われてない辺り、不憫だなーと。 グリップ 不憫なんで、合金の鋳造品に替えようかなー、とか思ったり。あれ、 握りをメリケンにした撲殺用ナイフだから頑丈だし。 ネットのアーカイブで見付けた、秀逸過ぎるデザインに一目惚れし て発作的に作ったんだけど、﹃ミヅカルヅ・エッダ﹄じゃ使わずじ まいだったんだよね。オリジナルにあやかって、“バートリ伯爵夫 人の愉悦”って銘まで付けたのに。 ま、その辺は追々考えるとして、街門に向かいますか。 次の保護観察官は誰が来るかなー。シグさんみたく基本放置の方向 でお願いしたい。カンムリツカツクリとか、あのスタンスいいよね。 メインストリート 宿を出て、街の中央を縦断する大通りを、気配を薄めて街門へと 223 小走りで向かう。 両側に建ち並ぶ建物は、大きさや細々した外観の差異はあるけど、 基礎設計には共通した部分がある。 天井が瓦葺きではなく平らな点を除けば、フォトデータで見たスペ インのフリヒアナの街並みに似てるっぽいな。 ドナルーテって国の国民性? みたいのもラテン気質っぽいし。 宿屋、飯屋、鋳掛け屋、雑貨屋、金物屋、八百屋、肉屋と、いろ んな店が並び、主人と客が値引き交渉で火花を散らしてる脇では、 トランペットの欲しいアフリカ系アメリカ人少年の目をした子供が、 菓子屋の前に張り付いてる。 いやあ、値引き交渉熾烈だわー、主人が迫力負けしてるもん。そり ゃ相手がヴィーナスじゃあなー。ただしヴィレンドルフの、だけど な。ぶう。 ⋮⋮そう言や、ウェーラからこっち、いわゆる“ファンタジー種 族”ってのに、お目にかかってなくね? エルフ、ドワーフ、ホビット、ジャイアントみたいな由緒正しいの はもとより、お前らこういうのが好きなんだろ、みたいな獣人まで、 影も形もありゃーせんが、人種自体は多様だ。 私含めてコーカソイド系が多いけど、サコーさんモンゴロイド系だ し、ネグロイド系やオーストラロイド系も珍しくない。 たまーに、おまいの塩基配列どうなってるん? な、スッ頓狂な髪 色してんのは見かけるけど、ファンタジー種族はホント見ない。 もしかすると、この世界には存在しなかったりするんだろうか。 ホビットのシーフとか、エルフの策士とか、ドワーフの探偵とかは いないんですかそうですか。 人の間をすり抜け、王都方面側の街門についたのは、宿を出て十 五分ぐらいしてからだった。 224 ウェーラで見た顔は、ない。 ありゃ、早かったか? ま、遅れるよかいいよな。 街門のすぐ脇には、でっかい常緑樹が生えている。 なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ。 なぜ木に登るのか。そこに木があるからだ。 煙とナントカは高いところが好きだから、ではない! 多分。きっ と。おそらくメイビー。 ジャンプで下側の枝に飛び付き、逆上がりの要領で枝の上に立ち、 次の枝へと同じように飛び移り、を繰り返して、地上七メールくら いの枝に腰を下ろす。 さーて、次の保護観察官はだーれっかなー。 † † おお 巨きな、男だった。 周囲から、頭一つぶんは、飛び出している。 二メールに、握り拳一つ分ほど足した長身の、人の形に似せて岩を 削り、肉で覆ったような、見惚れるほどの巨体であった。 首も腕も、みっしりと肉が詰まって、太い。 ゆる たたか 首と腕だけでなく、肩も、胸も、胴も、腰も、脚も、すべてが太い。 からだ 太いが、だらしなく肉の弛んだところは、どこにもない。 見てくれを重視した、どこか不自然で無理のある肉体とは違う、使 225 うために作り込まれた肉体だ。 たこ ごつごつと、節くれだった手の硬い胝は、岩に張り付く藤壺のよ うでもある。 厳つい手は、握り込めば、それ自体が鈍器になるだろう。 太い首の上には、厳つい顔が乗っかっていた。 潰れた耳。 鼻も、何度か折っているのが見て取れる。 ただ、太い眉の下の目は、思いがけないほど穏やかであった。 王都方面側の街門へと、男は向かっていた。 ゆったりとした歩みだが、一歩の幅は広い。 平均的な体格の成人男性の小走りと、そう大差はない。 十日ほど前だ。 ウェーラの街で、国境越えのため、臨時の同行者を探して、カード のテーブルに紛れ込んできた子供を、一行の舵取り役であるドライ ゼはいたく気に入ったらしく、王都までの道中、持ち回りで面倒を 見ることになったのだ。 偽名だろうが、子供はツァスタバと名乗った。 言い方は悪いが、使い捨ての、一回限りの関係と割り切った姿勢が、 あの場に堂々と潜り込んできた度胸とあわせて、ドライゼに興味を 抱かせたのだろう。 ひわだ 男︱︱ローナーは、短く刈り込まれた檜皮色の頭髪を、ごつい手 でがしがしとかき回し、深く溜め息をついた。 ローナー以下、お世辞にも善人面とは言い難い、揃いも揃った強 226 面の悪人面を前に、ツァスタバは、怯みも動じもしなかった。 二度目の対面でも、自分の能力では、彼らの足手まといだと言い切 った。 その上で、言葉にはしないものの、強さへの飢餓を抱えた在り様は、 確かに面白くはあった。 面白いが、子供のお守りなど、ローナーは臍の緒を切ってからこ の方、したことがない。 人のぶちのめし方、魔獣のぶち殺し方は熟知しているが、八つかそ こらの子供をどう扱えばいかなど、見当すらつかない。 ゴルゴン=カニスの群れひとつ、素手で潰してこい、と言われる方 が、まだマシだ。 どうしたものか、と再度溜め息をつき、足を止める。 考えながら歩いているうちに、王都方面側の街門そばまで、いつの 間にか到着していたようだ。 イビから、ここドーナまでの同行者であるシグも、当のツァスタバ の姿も、街門付近には見当たらない。 重要度の低い雑事に対するシグの態度は、いい加減極まりない。 子供のお守りなど、シグにとっては最底辺の重要度だ。 しかし、必要な時に、求められる役割を完璧に果たすからこそ、シ グの普段のいい加減さは許容されている。 仕方ねえなぁ、と厚い唇に苦笑を浮かばせたローナーだが、不意 にその苦笑をしまうと、すぐ側の、楡の大木を仰いだ。 何かが、いる。 はらはらと、数枚の葉が、ローナーの肩に落ちてくる。 自然に落ちたものではない。 227 と︱︱ローナーの目の前に、灰色がかった白色の大きな鳥が、枝 オーバーコート ジャケット の間から地面に向けて、落下するように降りてきた。 否、外套のように裾の長い、ローブに似た上衣を着込み、フードを 目深に被った、それは、人であった。 外れないように、片手でフードを押さえている。 見覚えが、ある。 ウェーラの街で顔を合わせた、あの子供︱︱ツァスタバだ。 木登りという行為だけを見れば、子供らしいやんちゃさに、微笑 ましいと頬が緩んでも、これと言っておかしなところはない。 ただし、わずかにではあるが、不自然な揺れ方をしている枝が、頭 上八メール近い高さにあるのでなければ、だが。 ﹁⋮⋮おはよ、う?﹂ ローナーの沈黙をどう解釈したのか、とりあえず、といった様子 でツァスタバが言う。 疑問形なあたり、ツァスタバもローナー同様、困っているのかもし れない。 ﹁⋮⋮おう﹂ シグはどうした、とか、何で木に登っていたのか、とか、あの高 さから飛び降りて平気なのか、とか、次の街まで身柄を預かる立場 なら、その辺を聞くべきなのだろう。 だが、ローナーが返したのは、そんな一言だった。 同時に、子供扱いをする必要がないことに、肩の荷が下りたような 気がした。 228 どうぎょうしゃ インディクム カエルラ あいつらと同じ扱い、ではさすがにまずいが、C級に近いD級の 冒険者だと思って扱えばいいだろう。 そう思うと、途端に、気が楽になった。 ﹁行くか﹂ ﹁行こう﹂ そういうことになった。 229 十七撃目 覚えていーますかー♪ いませんかそーですかー︵後書き︶ ︵注1︶シャーリー・テンプル タンブラーにらせん状にむいたレモンの皮を入れ、端をグラスの縁 に掛ける。氷を入れ、グレナデンシロップを注ぎ、ジンジャーエー ルで満たし、軽くステアする。ノンアルコールの子供用カクテル。 ジンジャーエールをコーラにするとシャーリー・テンプル・ブラッ クに。 ︵注2︶ダーティ・シャーリー シャーリー・テンプル+ウォッカのカクテル。 ええとその、すいません。魔に刺されました。 王都到着まで時間かかりますが、到着後はサクサク進む⋮⋮といい なあ。︵とぉーい目をしている︶ 230 十八撃目 Spare the rod and それは、随分と目立つ二人連れであった。 spoil the 巨漢と、そういってもいいだけの、高さと厚みを持った男の後ろ てん を、つかず離れずの距離を保ち、小柄な人物が歩いているさまは、 大きな熊の後ろから、灰毛の貂がついて歩いているようにも見える。 目深に被ったフードのせいで、小柄な方の顔は、鼻の半ばから下 しか見えないが、覗く頬の線には、少年らしいあどけなさがあった。 身の丈は百五十メル前後と、十一、二歳の少年であるなら、小柄、 とは言えない身長だ。 ただ、比較対象が比較対象なだけに、小さく見えてしまうのだろう。 二人が歩いているのは、主街道を少し外れた、森林の中の、獣道 である。 街道を軸に、内陸側の森林は伐り拓かれて大規模な果樹農園になっ ているが、海側は、牧羊のため伐り拓かれた海岸沿いは別として、 大部分が手付かずで残っている。 それでも、古くからある村落の古老に言わせれば、﹁だいぶ森が減 った﹂そうだが。 ドーナの街からマネトの街にかけて、緩いが大きくカーブを描く 主街道のショートカットに、森林を突っ切っていく旅人は、そう珍 しくはない。 ただし、よほど旅慣れた者であれば、と付くが、人の手入れなど、 入っていないに等しい、文字通りの獣道を行くのだから、当然とい えば当然だろう。 231 chi 悪路と、そういって差し支えない、しかも夕暮れの獣道だが、巨 漢も少年も、足取りに危なげなところはない。 行き交う旅人の無数の足で、自然と整地された主街道を行くように、 安定している。 優れたバランス感覚と、強靭な足腰、優れた視覚を持ち合わせてい るようだ。 フードを目深に被った少年の足が、ふと止まった。 おもて 森の奥に顔を向け、目深に被ったフードの端を摘み、持ち上げた。 子供らしい幼さを残す、しかし、猛禽に似た精悍で端正な面があら わになる。 緩く波打つ枯草色の癖毛が落ちかかる、秀でた白い額の下で、同じ 枯草色の眼が、何かを追うように動いている。 ﹁あれにするか?﹂ 少年の数歩先で足を止めた巨漢が、少年の視線の先にちらと眼を 向けた。 愛想のない、ぶっきらぼうな口調だが、どこか朴訥としたところが ある。 ﹁おう﹂ 少年の返答もまた、無愛想でぶっきらぼうなものであった。 ﹁おれが行くか?﹂ 無理そうなら、代わってやる。 そう含みを持たせた巨漢の言葉に、少年は、 232 ﹁⋮⋮おれが行く﹂ やや不機嫌そうな一瞥を投げ、フードを再び引き下げると、やや への字気味に唇を引き結び、軽く膝を屈めた。 とん、と地面を蹴る軽い音からは、考えつかないような見事な跳 躍で、数メール頭上の木の枝へと跳び乗り、ついた足の位置を調整 するが早いか、枝から枝へと跳び移りながら、視線を向けていた方 角へと進んでゆく。 猿のごとき身軽さで、木々の間を行く少年に、巨漢は、面白いも のを見た、というような眼を向ける。 自分の腕に自信がある若造は、かなりの頻度で見かけるが、自信 通りの腕の若造は、めったなことでは見かけない。 少年は、その、めったに見かけない珍奇な生物の、一体だった。 少なくとも、少年が見つけ、巨漢が視認した対象を、一人で狩るだ けの腕があるのは、確かだ。 ドーナの街で、同僚から子守りを引き継ぐまでは、正直、面倒臭 えなあ、とモチベーションは右肩下がりであったが、当の同僚は現 れず、預かる少年だけが木の上から降ってきたことで、モチベーシ ョンの下降は一応止まった。 更に、同僚はどうした、との問いへの答えのインパクトは、登場 ゆうべ 時のそれを上回るものがあった。 曰く︱︱昨夜は娼館で頑張ってたろうから、遅れると思って置いて きた。 ツァスタバと、偽名であろう名を堂々と名乗る辺りも含め、なかな かに、いい性格をしているようだ。 233 飛び石宿場町の宿の寝台には収まらない、規格外の体格のため、 次の街までは主街道を通らず、森を突っ切るから野宿だと告げた時 も、嫌そうな様子を見せることはなかった。 それどころか、ちょっと待っててくれ、と商店の並ぶ通りへと駆け て行くと、日保ちするよう、硬めに焼かれたパンの大きな塊三つと、 保存のためにワックスで覆われたチーズの塊を買ってきて、これは 自分の分だ、と釘を刺してきた。 これらにより、少年︱︱ツァスタバは“お荷物”から“面白い奴 ”に昇格したのである。 巨漢︱︱ローナーと、仲間内ではそう通っている︱︱は、旅慣れ た大の男でも、少々厳しいルートとペースに、平然と着いてくるツ ァスタバとの道中を、楽しみ始めていることを、まだ自覚してはい なかった。 † † やあ、良い子悪い子普通の子のみんな! おはよう、そしておは よう! ツァスタバ︵暫定︶さんはっさいだよ! って私がやると、ナゼに爽やかさの欠片もない、胡散臭さマシマシ になっちゃうんですかねー。 人徳ですかそうですか。 一人称が違う? いやね、男児判定されてるみたいだし、だった 234 らもういいんじゃないかなそれで、で、目下のところ、﹁おれ﹂使 ってますのん。 僕とか柄じゃないし。そもそも、こんなんが僕っ娘したら、全次元 のフィクション・ノンフィクションに存在する正統派僕っ娘に申し 訳ないですやん? それはいいとして。 ローナーさんとの道中に、懐かしい森暮らしを思い出しとります。 バス・トイレ付き上げ膳据え膳な宿もいいけど、冒険者目指すんな ら、やっぱ野宿生活楽しめなきゃダメだと、先生は思います。 むしろ野宿生活気の方が気が楽とか、これがイ〇の力⋮⋮じゃない、 三つ子ならぬ六つ子の魂百までか。 んで、かけてた負荷を一旦オフにして、本日のメインディッシュ ︵予定︶狩りなう、でございます。 丸々肥った美味そうな猪を発見したんで、ローナーさんに一言言っ フレッシュ て一狩りしに来とります。 肉は狩りたて新鮮より、しばらく置いて熟成させた方が美味いんだ けど、こればっかりは仕方ない。 オド ふはははは、逃がさんぞ蛋白質ゥ! と、謎のテンションと内部魔力で強化された棒手裏剣モドキの投擲 が、猪の眉間にガッツリヒットした、まさにその時。 眉間ぶっこ抜かれて倒れた猪に、それより一回り大きなナニカが 飛びかかり、頸に噛みついた。 猪の頸が折れ、肉が千切れる音が、ここまで聞こえたような気がし た。 動物の毛皮としての質感、風合いを持っているのに、同時に、青 235 銅みたいな金属の質感を感じさせる体毛に覆われたそれは、サイズ あっち がイカれてることを除けば、確かにウサギだった。 フレミングだったっけ? 地球産のでっかい奴。あれが普通サイズ に見えてくるとか、トチ狂ってんなおい。 それ以前にテメエ草食だろうが。齧歯類でもネズミやリスは雑食 とこ だからまだわかるけど、何まりまり猪喰ってんの。 大学時代、知り合いん研究室行ったら、ケージの中でスナネズミが ︵自主規制︶をコリコリと︵自主規制︶してたの思い出しちゃった だろーがどうしてくれる。 メシ つうかそれ、今日の晩飯︱︱そう、そうだった。あれ、今日のメ インディッシュじゃん。 それを。 それを、よくもッ! 他人様が仕留めた肉を喰い散らかしてけつか りおってからにこのド畜生がァッ! ⋮⋮てめーはおれを怒らせた。いや割りとマジに。 えもの 言っておくが、私はかなりアレだ、食い物絡むと性格変わるっーか、 キレるぞ。葬式会場に乗り込んでまで、御遺体奪り返しにくるヒグ マに並ぶ自信がある。 ギルティ よし、殺そう。弁護士検事裁判官裁判員オール私の脳内法廷の判 決は、満場一致で有罪でしたが、何か。量刑? 死刑以外に何があ ると。 棒手裏剣モドキは、通じるかちょっと微妙だな。 もしも毛皮が、見た目の通り金属の特性を持っているなら、棒手裏 剣モドキより質量のあるものを使うべきだろう。 ⋮⋮なら、コレだ。 236 棒手裏剣と投擲用ダガーを延々と量産してた時、同じもん作るのに 飽きて作った、投擲用手槍。コレにしよう。 いやー、あん時は余りの作業ゲー状態にアポカリプるとこだったわ。 あんなん延々とやってりゃ、ババアポカリプスも発生するだろうて。 それはいいとして。 投擲用手槍は、読んで字のごとく、投げることにひたすら特化した、 長さ五十センチ、いやメルか。それに少し足りないくらいの長さの 槍、つうか槍の穂先だけ? みたいなヤツ。デザインは牛の舌形パ アトラトル ルチザンを参考にしました。 長さがないのは、投槍器を使うのと、森の中での狩りにも使うから、 あんま嵩張らせたくなかったんですわ。 足場の悪さは、今立ってる大きな枝から、斜め前に伸びてる枝に 半歩踏み出し、腰を落として重心を低くすることで、十分カバーで きそうだな。 投槍器と投擲用手槍をインベントリから出してセットし、右手に構 え、改めて全身に内部魔力を巡らせ強化マックス︱︱する前に、野 宿の手慰みに作った木の針を、ウサギに投げる。 狙いは眉間に一発だから、ウサギにコッチヲミローッ! しないと あかんのです。 投げた針はウサギの尻にぷすっと刺さった。うけけ、ざっまあ。 あれ? ってことは棒手裏剣モドキでもいけたか? いや、針は当 こっち たっただけで刺さってないし、あの質量だと、ヤツの頭蓋骨貫通し て脳まで徹すのは、今の私には難しそうだし、投擲用手槍の方がい いだろう。 ヂギィッ、と可愛げの欠片もない、甲高くも野太い声を上げたウ サギの顔が、尻を刺した犯人を探して辺りを見回している。 237 タマ はっはっはー、こっちじゃ齧歯類ッ! 命ァ奪ったらァ! 往生せ いやー! ﹁シィッ﹂ 瞬時に内部魔力を巡らせ全身を最大限強化し、上半身全体を使っ て、こっちを向いたウサギの額めがけ、投槍器で惰性を増した手槍 を投げる。 上から下へと投げ下ろす、その勢いも加わり、手槍は見事、ウサギ の額に満点の着地を決めて、全長の三分の二弱をずっぷりと沈めた。 ヒャッハー! これがホントの兎に角でアル〇ラージだぜぇーっ! ってヒャッハーしてる場合違うだろもちつけ自分。 グリップ 投槍器をインベントリに戻すのと入れ替えに、“バートリ伯爵婦人 の愉悦”を出し、握りの穴に指を通してしっかり握り、枝から飛び 降りる。 仕留めてるとは思うけど、半矢の獣の反撃はおっかないからなー。 半矢のシャトゥーンとか、リアル赤カ〇トだから。マジで。 念のため、さっきの木針をもう一本インベントリから出し、ウサ ギの尻に投げてみる。 お、今度は三分の一くらいだけど、刺さった。反応もない。 が、油断大敵。じりじり距離を詰め、頸動脈の辺りを深めにカット する。 ⋮⋮うん、きっちり死んでますね。 普通じゃないっぽいけど、仕留めた以上は責任持ってきちんと処 理しますよ? 獲物横取りかまされた恨みはあれど、死ねば大事な 蛋白質。無駄にするなどとんでもない。 まあ、大きさとかいろんなとこに目ぇ瞑って、見た目だけなら一応 238 ウサギ的な生き物だし、喰える⋮⋮はず。多分。 部分的に喰われてるけど猪もあるし、一緒に解体しちゃいますか。 ま、ウサギが喰えなくても猪あるから、今日のメインディッシュは 確保したってことで。 まずはロープで後ろ足縛って、吊るして放血だな。 その前に手槍回収っと。 あ、尻の針も回収しとこう。こっちは焚き火にくべちゃえばいいか。 血もねー、ブルートヴルストなんかもホントは作れんだろうけど、 生憎そこまで専門的な技術ないし、家畜じゃないから寄生虫とか病 原虫、細菌が怖いし。美味いんだけどなーブルートヴルスト。香辛 料きかせたやつで、アクアヴィットをキューッとやるの、好きなん だけどなー。 てな訳で、もったいないけどかけ流し、じゃない垂れ流し一択で。 許せ猪。 代わりに可食部位は徹底的に喰い尽くし、毛皮も骨も余さず使い切 って差し上げよう。 ぬっふっふ。 † † ローナーが、獣道を少し逸れた地点に拓けた場所でしていた野営 の準備は、ほぼ終わりに近付いていた。 野営場所として、このルートを選ぶ旅人たちに使われているようで、 周囲には高さ六十メルを越える丈の下草が繁っているが、成人男性 239 四人が、四、五十メルの間隔をあけて横になっても、まだ余る程度 のスペースは、ローナーとツァスタバが野営するには十分な広さが あった。 剥き出しになった土の上には、火を焚いた跡らしい、煤けた浅い凹 みもある。 たきぎ 準備といっても、そう大したことではない。 薪になりそうな枯れ枝を必要量集め、地面の浅い凹みの周りを石で 囲んで、火をおこす程度だ。 火打石と鋼鉄片を打ち付け、灰汁に漬けて乾燥した茸の火口に火花 を飛ばし、発火したところで、よく乾いた枝に移した火を、薪へと 燃え移らせれば、後は火が勝手に仕事をしてくれる。 その手順が面倒であれば、魔術を用いて直接薪を燃やせばいい。 そちら 火打ち石と鋼鉄片、火口は、規模の大小は問わず、金物屋、雑貨 屋であれば必ず置いてあるし、魔術が専門である同僚と違い、ロー ナーとしては、魔術を使う方が面倒臭い。 身体活性が使えりゃあ、それで十分だ。 それが、ローナーの持論だ。 マナ 身体活性というのは、外部魔力を用いず、内部魔力のみを用いて、 肉体を活性化する術だ。 外部魔力を併用する身体強化は、地力が低くても、文字通り“強化 ”してくれるが、身体活性は、ある程度地力が高くなければ、効果 が得られない。 地味に地力を上げるより、手っ取り早い身体強化に頼るのが増えて いるのが、現状である。 今時の若いヤツは、と、浮かびかけたセリフに、ローナーの口元 に苦笑が滲む。 240 そんなセリフが浮かんでしまう程度には、歳を喰ってしまったよう だ。 えもの ツァスタバが獲ってくるであろう猪の大きさを考えて、薪は十分 用意した。 薪集めのついでに、ヨモギやアザミの若芽、ナツメの実など、生で 食べられる野草の類いも集めてある。ヤマブドウやガマズミの実も 見付けたのだか、どうやっても潰してしまうので、そちらは諦める ことにした。 野営の際には、獲物を獲らない方がこうした準備をするのが、両者 の間では無言の取り決めとなっている。 がさがさと、繁った下草を掻き分けてツァスタバが現れたのは、 ローナーの予想を四十分ほど過ぎてからだった。 遅かったな、と出かかった軽口は、ツァスタバが引きずっているも のを確認した時点で引っ込んだ。 直径十メル前後の枝を切り、細い枝葉を落としただけの丸太を蔦 でくくった即席橇に、同じく蔦でくくりつけられている枝肉は、形 状から、ひとつは猪。 もうひとつは︱︱ ﹁怪我は、してねえだろうな?﹂ ローナーが確認を取ったのは、それが何であるか、分かったから だ。 群れをなさず、基本単体で行動するため、魔獣としての脅威はさほ ウィリデス ど高くはないが、巨体からは想像できない俊敏さで襲いかかり、強 靭な顎の力と鋭い前歯で噛みついてくる、初心者殺しとも呼ばれて いる、ゴルゴン=クニークルス。 241 ギガンティス 本来なら、中型犬ほどの大きさなのだが、猪より一回り大きいとこ ろを見ると、巨化体だろう。 余りに予想外過ぎる猟果に、ローナーが唖然としていると、ツァ スタバは首を横に振り、 ﹁⋮⋮ええと、成り行き、で?﹂ 即席橇の引き綱ならぬ引き蔦を手から放し、少しの間、何かを考 え込むように、ゴルゴン=クニークルスの枝肉を眺めた。 微妙な空気が、両者の間に漂う。 火にくべられた薪がはぜ、ぱっと火の粉が上がる。 その音につられたように、ツァスタバは枝肉から視線をローナーへ と向けた。 フードの下からではあるが、真剣さは十分伝わってきた。 ややあって、 ﹁こいつ、喰えるか?﹂ 内容はともかく、発せられた問いに込められた思いは、視線同様、 真剣なものであった。 ﹁⋮⋮おう。美味いぞ﹂ ローナーもまた、重々しい口調で返す。 ﹁美味いか﹂ こいつ ﹁美味いな﹂ ﹁猪よりもか﹂ 242 こいつ ﹁猪よりもな﹂ ﹁そうか﹂ ﹁そうだ﹂ 口内に湧いた唾液を、ぐびりと飲み込んだツァスタバの口元が、 三日月の形に緩む。 ﹁なら︱︱喰おう﹂ 夜の暗さが満ち始めた森に、狂おしいような腹の音が、高らかに 響いた。 243 十八撃目 Spare the rod 粟餅さんの豆知識﹃シャトゥーン﹄ and spoil the 冬籠りに失敗し、食料を求めて徘徊するヒグマ。﹁穴持たず﹂とも 呼ばれる。雪の積もった山中で食料を見つけ出すのは困難なため、 家畜や人間を襲うなど、非常に凶暴な存在。 よーするにリアル赤カブ〇。アパムアパム、銀〇呼んでこーい! と、乙女ゲームが益々順調にいくえ不明ですが、ヨソはヨソ、ウチ はウチ! つうか、理想はジョ〇フなのに、何だろう、〇ッシェル兄貴とかS 〇L的な地獄公務員の方向に進んでんじゃね? いや、大好きです けどね。どっちも。 ⋮⋮ところで、でっかいオッサンが、苦労してちまちました作業し てるとこって、可愛いですよね。 本作品の癒し要素はオッサンです。︵断言︶ 244 chi 十九撃目 Spare the rod おはようございますこんにちわ。 and spoil the 冒険者じゃなく、魔獣専門の猟師になろうかと、本気で将来設計の 変更を視野に入れて始めてるツァスタバ︵暫定︶です。 いや、正直ナメてましたわ、魔獣の美味さ。 肉食だし、美味いっつっても癖ありそうだし、熊とかそんなレベル っしょ? ってタカくくってたんですがね。 表面にうっすらと乗る程度の、脂の少ない赤身なんで、最初に表 ギガンティス 面強火で炙って、後は遠赤外線な遠火でじっくり焼き上げたウサギ ︱︱ゴルゴン=クニークルスの巨化体なる魔獣の肉は、軽く塩を振 っただけ。 強火で直接炙られて、カリッカリでサックサクに焼けた脂が肉の 表面を覆い、直接炙られなかった肉本体は、オーブンを使ってロー ストされたみたく、たっぷりと肉汁が詰まった“しっかり火の通っ たレア”状態。 ここまでは火加減の絶妙さの勝利だけど、そいつをがぶりとやった 瞬間、ガツンとやられてしまった訳です。ええ。 ウサギって、ジビエの割には繊細で、やや甘いんですよ、肉が。 合鴨とかツナ缶のツナみたいな、まあ、いやな甘さじゃないんだけ ど、好かない人は好かないんじゃないですかね。 その甘さが、牛ヒレの一番いいところだってあそこまで強烈じゃあ ない、ぎゅっと凝縮した肉の美味さを、振った塩と一緒になって引 き立てる。 それでいて繊細さは損なわれず、野趣に溢れているとか、テラチー 245 chi ト。 舌を火傷しそうなくらい熱かったけど、そんなのこれっぽっちも 気にならない。 かぶりつけば、香ばしい匂いが口から鼻へと一気に駆け抜け、唾液 が溢れる。 歯と舌の上では、焼けた脂の、トレーシングペーパーより薄いパイ 生地のような、サクサクした食感の軽さが旨味と踊り、確かな歯応 えがあるのに、噛み切れば舌の上でほろりと解れる肉からは、堰を 切ったように溢れる肉汁が口の中に広がり︱︱こうなると、もうい けない。 ひたすらに、喰う。 噛み千切り、咀嚼し、飲み込み、わずかの肉片も残さぬよう、骨を しゃぶり。 喰う。 喰う。 喰う。 喰う。 それしか、考えられない。 いや、考えることすらも放棄し、食べるという行為に没頭すること しかできなくなる。 結果、腿肉一本完食しました。 ええ、一本です一本。 猪より一回りでかいゴルゴン=クニークルスの腿肉一本、まるっと がっちょり完食です。 ローナーさんが目ぇ丸くしてましたが、そんなん私だってビックリ ですがな。 ホント、よく入ったな。私の胃袋は宇宙か。 246 それで、ですね。 熟成してない肉であれだけ美味いのなら、熟成したら、どうなって しまうのか︱︱。 考えるだけで、ぞくぞくしてしまう。 あれより、美味くなるのか。 あれより、美味くなってしまうのか。 ついうっかり、恍惚のヤンデレポーズ取りかけちゃったのは内緒だ よっ。︵キラニッ︶ 熟成させたゴルゴン=クニークルス肉のため、朝っぱらから内な る自分と死闘を繰り広げました。 あの美味なる肉をもう一度、もう一度喰いたいと荒ぶる食欲の化身 を、タワー・ブリッジで脊椎ブチ折って調伏するまで、十分はかか りました。 どっちかってーとパロ・スペシャルのが好きなんだけど、ハリケー ン・ミキサーも捨てがたい。でも一番好きなのはベル赤ですが、何 サブミッション か。 関節技は王者の技、に異論はないけど、いいじゃない華拳繍腿。何 より、一番再現しやすそうだし。 そんな訳で、朝飯には、塩と香草揉み込んで一晩寝かせた猪の肩 バラ炙ったの喰いましたけど、やっぱり一段二段、下に感じてしま いますのんよ。 いや、普通に美味いよ? 美味いんだけどさ⋮⋮いまーじんおーざ っぴーぽーおぉう。 純国産黒毛和牛A︲5ランクのヒレ肉喰った次の日、ちょっと奮発 して、肉屋でいつも買ってるのより、ちょっといい豚ロースのしょ うが焼き喰うところを。 美味すぎるって罪ですよねー⋮⋮魔獣肉⋮⋮恐ろしい子⋮⋮!︵白 247 眼︶ と、それはさておき。 この分だと、今日の夕方にはマネトの街に着くとのこと。 ローナーさん、足手まとい︵=私︶がいることで生じる時間ロス分 を入れて、マネト到着まで四泊五日を予定してたらしい。 それが、予定として組み込んでた時間ロスが生じず、三泊四日とロ ーナーさんの平時のペースで進んじゃったから、次の保護観察官へ こっち の引き渡し予定日が、一日ズレてしまったそうな。 それじゃあ森でもう一泊して魔獣狩ろ? ねえ魔獣狩ろ? と全身 全霊でアピってみましたが、却下されました。残念。 しゃかいか かわりに、明日はギルド見学に連れてっていただけることになり ました。 まあ、二年後にはお世話になる訳で、事前の見学とか正直助かりま すが。 何と申しますか、こう、ローナーさんやスケコマシグさんやサコー フッカー マーシー ジョブキラー の父ちゃんやらが所属してる組織なんだよなー、と思うと、某黒い たむろ 入り江の黄色い旗みたいなイメージが⋮⋮売春婦、傭兵、殺し屋が 屯する、世間様から爪弾かれた悪党どもの吹き溜まり、みたいな絵 面が、ついつい浮かんでしまうのですよ。 でもって、カウンターの内側で黙々とグラス磨いてるマスターが、 ショーン・コネリーやクリント・イーストウッド、トミー・リー・ ジョーンズ似のナイスシルバーだったりしたら、九孔噴血して萌え 死ぬ自信があります。 男は四十越えてからが本番です。本領発揮は五十から。求む同士。 しゃかいか ま、魔獣狩りはお預けでも、ギルド見学できるならそれはそれで いいか、と、ローナーさんの後ろをてくてく歩いていますが、妬ま しさすら感じるほど、実にいい筋肉してはります。 248 ソフトレザー ジャケット 軟質皮革の上衣の上からでも、その下に、鍛えられた筋肉の塊があ パワー るとすぐわかる。それも、見かけ倒しじゃない、戦いの中で鍛えら ひぐま れた筋肉が。 羆を殴り殺せる力と、底なしのタフネスを併せ持つだけでなく、フ ットワークも軽い。まさしく上皇軍、もとい連邦のモビルスーツで ございます。 オド 内部魔力で負荷かけて、睡眠時以外はほぼエブリタイム加圧トレ ーニングinラパス状態のお陰で、現時点で腹筋割れてるし、全体 タッパ 的にいい感じに筋肉ついてきてはいるけど、悲しいけどこれ、質量 ぜんせ 不足なのよね。 市川鷹の身体的スペックが引き継ぎになるなら、身長は最低でも百 八十は堅いから、その分の体積は確保できる。 そうなると、筋繊維が太くなりにくく、密度が高くなりやすい体質 も引き継がれるだろうから、外見的な体積よりでかい質量が得られ る、はず。 それに、こっちには身体強化なんて便利なものがあるから、スタミ ナ付ければけっこうイケると思うんですよ。 しっかしまあ、こんな奴をXX染色体のまま転生させた、神だか 悪魔だか旧支配者だか外なる神だかは、一体何を考えていたんだろ うか。 ランクルにグチョッと内臓ミンチにされて死んだであろう身として は、人生まるっとリテイクチャンスの幸運を、素直に感謝すべきな んだろうけど、どうにも﹁デスマーチ明けの謎テンションの勢い余 ってやっちまったZE☆﹂感が拭えないんですよねー。 そもそも烏賊蛸様やヨグ様にデスマーチなんてものがあるか不明だ けど。あるとしたら、いつもニコニコあなたの側に、這い寄る混沌 ナイアーラトテップか? アレ、一応中間管理職らしいし。 249 あっち ぶっちゃけた話、どうせだったらXY染色体の方が色々楽っちゃ 楽だったんだけどなー⋮⋮。 こっち 生っぽい話で申し訳ないが、正直、現代日本の快適便利なサニタリ フィジ ー用品が“当たり前”って感覚の人間には、未知のソレに慣れるこ とができるか、不安がある。 カル フッカーモテル 柔軟性や苦痛への耐性は、出産する性である女のが上だけど、物理 プロフェッショナル 的な力って面では男のが有利だし、溜まりゃマスかくなり売春宿で なか その道の玄人のお世話になればいいし、面倒くさいことが少ないじ ウィークポイント ゃないですか。 分かりやすい急所は増えるけど、そんなの鍛えて体内に引っ込めれ ジェンダー・アイデンティティ ばいいだけだし。少なくとも、じいさまはそうしてました。 しゃかいか ⋮⋮って、肉ウマーからギルド見学、筋肉裏山を経て性自認? とか、思考に脈絡ないよな、この八歳児。 まあ、中の人入りだから、しょうがないっちゃしょうがないんだろ うけど。 そんな、身体は子供頭脳はおとnげふんごふん、中の人入りな私 の少し前を、のしのし進むローナーさんの背中には、枝肉から精肉 となり、油紙で包まれた、ゴルゴン=クニークルスと猪が入った袋 が担がれている。 獲ってきたの私だから、自分で担ぐっつったのに、ペースを落とし うち たくねえからな、って持ってかれてしもーたです。 市川家のじいさまなら、遅れようが重かろうが、尊い命を頂戴した 者の礼儀だ、って、自分が獲った獲物は最後まで責任を持て、って なるけど、そのこと自体は正しいと思ってるから、反論も異論もな いけどね。 ま、主義主張は脇に置いといて、ご厚意はありがたく頂戴しようと 思います。 250 ガワ サコーの父ちゃんもだけど、顔いかついけど、いい男だよなロー ナーさんて。 市川鷹が、中身だけじゃなく身体ごとまるっとこっちに来てたなら、 マッパで押し倒して既成事実を作りに突っ走りかねないぐらいには いい男だと思う。 しないけど。つか、無理無理。できない。ハードル高すぐるわ。 とか、アホなことをあれこれ考えているうちに、前の方が明るく なってきた。これはそろそろ、森抜けるな。 ここらの森は、ヨーロッパによくある落葉広葉樹林・混合林タイプ。 冬でも積雪のない温暖な気候だけど、温帯常緑広葉樹林じゃないん ですねー。 森抜けたら四、五時間で街に着くって言ってたから、目的地はそう 遠くない。お気楽アウトドア生活もおしまいかー⋮⋮ちょっと名残 惜しいけど、このままアウトドア生活続けてたら、社会生活不適合 こじれるからな、確実に。 転落死偽装工作が無駄で無かったことの証のために、社会生活不 適合をこじらせないために! ソロmじゃないマネトの街よ、私は 帰ってきたっ! って、来たことないじゃん。ぎゃふん。 † † 日は、中天を少し過ぎていた。 森を抜けた時点でのおおよその時刻は、日の位置から正午から午後 251 一時といったところか。 森は、主街道のすぐ側まで広がっているので、抜ければ数メール で主街道に合流する。 日が沈む前には、マネトの街に着けそうだ。 ツァスタバ 国境の街、ウェーラでの、サコーとの会話︱︱と呼んでいいのか 判断に苦しむやり取りの中に出てきた、じき八つになる、との本人 ツァスタバ からの自己申告と、体格や動作を観察して予想した身体能力から、 ローナーが立てた予定はしかし、その本人の、予想以上の身体能力 のため、大幅に変更することとなった。 内陸側に緩く大きなカーブを描いているため、ドーナからマネト まで、主街道なら最短でも四泊五日、街道ではなく森を突っ切った としても、最短で三泊四日はかかる。 その、森を突っ切る最短三泊四日のペースで行けるだけの身体能力 を、件の子供は有していたのである。 人の手など入っていないに等しい、獣道と大差ない道を、整備さ れた主街道を行くように、軽やかな足取りで踏破してゆく姿は、街 中より生き生きてとして見えた。 会話のぎこちなさとあわせて考えれば、他者との接触が相当に少な い、どこか山奥の育ちではないだろうかと、ローナーは見ている。 ただ、それで魔獣を知らないというのも、おかしな話だ。 もっとも、ローナーにとって、ツァスタバがどこの誰で、どこで どう育ったか、などというのはどうでもいいことだった。 重要なのは、齢八つにして、ゴルゴン=クニークルスを無傷で仕留 める腕がある、ということだ。 252 ヒモ 後見人付きでなら、ギルドへの登録が可能な歳だが、後見人が要 ウィリディス スリーマンセル カエルラ らなくなる十歳までの間に受けられる依頼は、どれも使いっ走り程 度のものしかない。 魔獣の討伐は、最低でもE級から、それも同級の三人組に、D級以 上の同行が条件となる。 カエルラ 魔獣の中でも、下位グループに入るゴルゴン=クニークルスだが、 ギガンティス カエルラ 単独で狩れるようになればD級に昇格となるので、“最初の壁”と も呼ばれている。 その壁の、変異種である巨化体を単独で狩るとなると、D級中位に ルブルム 手が届くか届かないか、といった辺りだろうか。 後見人付きでのスタートがG級だから、三階級特進の実力だ。 おのれ それでも、当の本人は満足していないだろう。 ほんのわずかであっても、今日の己は、昨日の己より強くありたい。 明日の己は、今日の己より強くなければならない。 強迫観念じみたそれは、ローナーの人生の伴侶でもある。 たとえばそれは、踏み出した一歩の体重移動や、動作の円滑化と いった、わかりやすい変化を伴わないものであってもいいのだ。 どれだけ些細なものであろうと、昨日、いや、数時間前の自分を、 ほんのわずかでも、越えていればいい。 わかりやすさや、派手さはなくても、その“わずか”を積み重ね続 け、天に至る。 そういう、泥くさい努力が、ローナーは嫌いではない。 幸いにも、体格と、そういうセンス︱︱人や魔獣をぶん殴る才能 には恵まれたが、技術はなかった。 技術のなさは、こういうふうに殴って、そういう感じに蹴って、と いう感覚の通りに動ける肉体を作ることで、カバーした。 253 ツァスタバは八つと言ったが、身長ならば十かそこらくらいの子 供並みにある。 手と足は大きく、これから迎える成長期で、かなり伸びることが予 想できる。 センスも、悪くはなさそうだ。 何より、ローナーが持たなかった技術が、ツァスタバにはある。 しゅつりょく 同年代と比べて身長があり、ある程度の質量があっても、あくま で“同年代と比べて”でしかない。 その部分を、ツァスタバは技術で補っている。 野宿初日、ツァスタバは、翌日の朝食を兼ねたモリオオシギを、 長さ三十メルほどの木針の一投で仕留めてのけたが、木針は、正確 に目から脳へと射抜いていた。 昨日仕留めてきた、猪とゴルゴン=クニークルスも、一撃で眉間を 射抜かれ、絶命していた。 木針に、投擲に特化したらしい、変わった形の投げナイフ、やは り投擲用らしい短槍︱︱どれも、扱うには技術がいる。 正確に急所を捕らえ、一撃で仕留めるなら、ただ投げるより、高い 技術が必要だ。 やはり、面白い。 巧みな隠形も、枝から枝へと飛び回る身体能力も、狩猟の技術も、 八つという年齢からはかけ離れすぎている。 どの程度、戦えるのか。 発展途上の未知数が、ローナーに興味を抱かせた。 254 見てみたい。 今、どの程度、戦えるのか。 この先、どこまで戦えるようになるのか。 ちょっと稽古を付けるぐらいなら、すっかり父親︱︱というか、 オカンと化したらしいサコーも、うるさいことは言わないだろう。 そもそも、男親が息子に教える大事なものは、酒の飲み方、女の 口説き方、殴り合いのやり方の三つである。 女の口説き方は、シグが実地で見せているだろうし、ローナーが殴 り合いのやり方を教えたところで、何の問題もないはずた。 それを教えてやらない、サコーの過保護の方が、問題ではないか。 バックパック そんなことを考えながら、平坦な主街道を歩いていると、腹が減 ったのか、背嚢から、青と白の格子柄の布包みを取り出し、中に包 こうべ んだ、かなり大きなサンドイッチにかぶりついていたツァスタバが、 ふと頭を巡らせ、ローナーを見た。 野の獣に似た無表情ながら、思いの外饒舌な枯草色の目が、二度ほ ど瞬く。 大口を開けてサンドイッチにかぶりつき、空けた両手で、背嚢か ら、別の布包みを取り出し、むぐ、とくぐもった声と共に、ローナ ーに突き出す。 サンドイッチで口が塞がれているので、何と言っているのはかわか らないが、布包みを受け取れと、動作は示している。 ローナーが布包みを受け取ると、ツァスタバは、サンドイッチの 保持を口から手に変え、盛大にかぶりついた部分を飲み込み、視線 をローナーから前方へと向け直した。 255 包みの中身は、分厚いパンに、これまた猪肉の分厚い一切れと、 どこで採ってきたのか、青々としたクレソン、猪肉に比べれば薄い チーズ一枚を挟んだ、豪快なサンドイッチであった。 ツァスタバには特大サイズだが、ローナーには適正サイズである。 ﹁お前んのだろ﹂ 出てきたものに、ローナーが声をかけると、ツァスタバは、 ﹁⋮⋮荷物持ちの、礼﹂ 振り向きもせず言い、早くも二つ目のサンドイッチにかぶりつい た。 仕留めた猪とゴルゴン=クニークルスは、昨夜のうちに、枝肉か ら部位ごとに捌き、油紙に包んで、大きな布袋に突っ込んである。 自分が仕留めたものだから、自分が持つ、とのツァスタバの主張を、 子供に荷物持ちさせるのは、格好がつかないというローナーの意地 が、なんやかやと言いくるめた結果なのだが、ツァスタバは、借り を作ったと思っているらしい。 そこで、大事な大事な昼飯を分けることで、貸し借りなしにしよう と、そういうことのようだ。 面白えなあ。 日持ちするように、やや塩気の効いたパンと、チーズの塩気がある ので、あえて塩は振らずに、香草だけで臭みを中和して焼いた猪肉 のサンドイッチは、クレソンのぴりりとした辛味が、ほどよいアク セントになっており、大雑把で豪快な見た目以上に、美味かった。 これが女であれば、十年後には、引く手あまたになっているだろ 256 う。 メイン それなりに美味い飯を作れて、野営にも文句は付けず、戦えて、女 であることを理由に特別扱いも求めない。 もろて ことに、原野森林が活動の中心となる、狩猟を主業にしたリニエッ ジなら、両手を挙げて大歓迎のはずだ。 つら 目付きは鋭く、無口で、愛想もないが、面は悪くない︱︱という か、相当に整っている方だ。 今現在でも、鋭利さ、精悍さが目立つが、顔立ちそのものは、どち らかといえば中性的で、年相応の表情を浮かべ、リボンだレースだ フリルだ花だと飾り立てれば、視覚効果で少女に見えないこともな い、かもしれない。 ﹁美味ぇな﹂ ローナーの正直な感想に、ツァスタバは、ほんの少しだけ得意気 な声で、 ﹁美味いだろ﹂ そう返し、背嚢から取り出した桃を、肩越しに放って寄越した。 荷物持ちの礼には、デザートまで含まれているようだ。 サコーがああなった理由が、なんとなくだが、わかったような気 がして、ローナーは、小さく笑った。 257 十九撃目 Spare the rod and spoil でででっ、でででで∼っででで∼♪︵噎せるアノ曲︶ なぜ、どうして戦う。 リング なぜ拳を向けあう。 ともに立つ荒野で、互いの心の中を覗く。 the そこには、索漠たる荒野の中、闇夜に拳の火花を求めて立ち尽くす、 孤独な己の姿が在った。 次回、﹁拳祭﹂。 ツァスタバが飲むマネトのコーヒーは、苦い。 ⋮⋮って違和感仕事しねぇえええ!! 違和感先生お願いだから仕 事してぇえええ!! しかも次回予告として充分機能してんじゃんこれー!! 癖になったらどうしてくれる。↑自業自得 乙女ゲーム、なんですぐ死んでしまうん⋮⋮? 258 chi 二十撃目 拳祭 マネトでの宿は、“規格外なローナーさんでもゆったり横になれ る頑丈なベッド”の条件でセレクトされているだけあって、縦横と もに大きな宿の扉を抜けるとWWEの選手控え室であった。 いやマジで。ガチで。 三角筋。 上腕二頭筋。 上腕三頭筋。 浅指屈筋。 外側・内側・中間広筋。 大腿直筋。 大胸筋。 僧帽筋。 胸鎖乳突筋。 その他色々エトセトラ、はちきれんばかりの筋肉がひしめく、まさ マッスルインフェルノ マッスルフィリア しくマッスルトリカルパレード。 耐性のない人間には吐血ものの筋肉地獄、筋肉愛好には鼻血モノな 全て遠き理想郷だったでござる。 マッスルインフェルノ どうやらローナーさんの定宿らしく、同じくこの宿を定宿にして いるらしい、アンダーテイカー⋮⋮によく似たマッシヴが、よう、 生きてやがったか、とグラス片手に声をかけてきたりとか、ブルー ザー・ブロディみたいな大型巨人に、おう坊主、飴ちゃん食うか、 と色々似合わないカラフル&キューティーな飴ちゃんをいただいた りとかありましたが、私は元気です。︵混乱︶ こんだけ筋肉無双な宿なのに、店主は、ハリウッドに到った斬ら 259 れ役一筋の大部屋俳優に似て、鶴のようにひょろりとした痩躯の、 いい塩梅に枯れたナイスシルバーとはこれいかに。 私的にはめっちゃ眼福でしたけどね。 あん 色々濃ゆいですが、どなたも気のいい兄ちゃん︵リップサービス って大事だよね!︶、おっちゃん、アメコミのヒロイン︵物理︶ば かりで、随分可愛がっていただきました。 頭かいぐりしてくるおっちゃんが思いの外多数で、ポロリするかと 思ったわ。首的な意味で。 幸いポロリしたのはフードだけだったけど、おねえさま方のかいぐ りが激化したとです。 まあ、宿代節約に、まるっと出した猪とゴルゴン=クニークルス、 獲ったの私って、ローナーさんが店主の爺様にポロリしたせいなん だけどね。 正直、ゴルゴン=クニークルスは出すのめっちゃ迷った。転生して からの人生八年︵実質二年︶で、ここまで迷ったことはない、って ここ くらい迷った。 でも、宿のおかみさん、めっちゃ料理上手いってローナーさん言う し、何よりインベントリとか地味だけど斜め上のとんでもチート、 迂闊に使えないし、旅の荷物は最小限、が鉄則だし、断腸の思いで 放出したとですが、おかげで宿代めっさ浮きました。 二泊だけど、ローナーさんと二人で、お値段お一人様一泊分でまあ お得! ちなみに、料理上手と評判のおかみさんは、上流家庭の裏事情め っちゃ見てる家政婦の方によく似ていらっしゃいました。 むかーしむかし、あるところに、大層貧乏なじいさまとばあさまが 住んでおったそうな。とか言ってほしい。傘地蔵とか花咲か爺さん とか聞きたい。超聞きたい。 260 まあ、それはそれとして。 ツラ あん 繰り返しますが、宿泊客の方々は、皆様実に気のいい兄ちゃん、お っちゃんでしたよ? ツラ キング 最盛期のストーン・コールドみたいなガタイと面したのが雁首揃え あん てて、一番ソフトな面してたのが、アクション筋王ザ・ロック似の 兄ちゃんとかだったりしたけど。 ぶっちゃけ、普通の子供なら単体でもビビり上がってチビりかねな いけど。 ツラ にんさんばけしち にんいちばけきゅう だけど私は、市川鷹であった頃、じいさまのお陰で、どこかの死 刑囚×5レベルの面と存在感の、人三化七ならぬ人一化九とか、ち っこい頃から普通に見てた訳で⋮⋮ついでに上司とか、履歴書にア フガニスタンだのソマリランドだの謎の表記が並んでるゴツい系イ ケメソオヤジ率高かった訳で⋮⋮だから、別にどうってこともなか った訳で⋮⋮その、“どうってこともなかった”、というのが大き かった訳で⋮⋮。︵推奨BGM・〇の国から︶ 犬とか猫とか子供とか、嫌いじゃないしむしろ好きだけど、見た 目でビビられてチビられて泣いて逃げられる方々にとって、ビビら ずチビらず逃げない生き物が現れたからには、いつ構うの? 今で しょ! だったみたいです。 ええ、たとえそれが、無口無愛想無表情トリプル役満の可愛げのな いガキであったとしても。 ぼたん やったねツァスタバちゃん、モテモテ王国の到来なのじゃよー! ⋮⋮あれ? 何か混ざった? ゆうべ まあ、そんなこんなで、昨夜は猪肉祭りでしたが、朝になっても、 まけいぬ なれのはて なし崩し的にスライドしたどんちゃん騒ぎの大酒宴で討ち死にした 敗残兵、もとい酔い潰れた酔っ払いの屍が転がってます。 261 メディック メディック 何という最前線の野戦病院。衛生兵、衛生兵ー! モルグ かくして、酒くっさい死体安置場と化した、酒場兼飯屋兼タトゥ ーショップである宿の一階で、ローナーさんと朝飯もすもす喰って ます。 なれのはて ⋮⋮昨夜は気付かなかったんだけど、隅っこにタトゥーショップ があるんですわ。 あちこちに転がってる屍たちの腕にも、個性的かつアーティスティ ックなタトゥーが踊ってますが、ありゃファッションやのーて、万 が一に備えた個体識別票なんだろなー、というのが、薄々察せられ ます。 ローナーさんにもあるんかなー、とちらちら二の腕見てたら、見て ぇか、と聞かれました。 ⋮⋮あーうん、やっぱあるんだ。 で、肝心の朝飯ですが、猪肉祭りでも思ったけど、おかみさんマ ジ料理上手。 見ていた家政婦さんなルッキングに、ご飯に味噌汁、だし巻き玉子、 トルテ 鯵の干物にほうれん草のおひたし、糠漬け、焼き海苔、なんてメニ ィージャ ューを一瞬期待したけど、出てきたのは、具沢山の分厚いスペイン 風オムレツにとグリーンサラダ、ポトフ、ブールに牛乳、デザート にリンゴと、大層ボリューミーでございました。 マッチ棒四本分くらいの拍子木切りのベーコンと一緒に炒められ、 ベーコンの旨味を吸いつつも、しっかりと甘味を引き出された玉ね ぎ、ポトフの鍋から中途退場したと思われる芋の、スープの滋味を 含んでまろやかなホックリ感を、ゴーダチーズに似たセミハードチ ーズの粗卸しと、声高に自己主張することはないが、各具材に負け ない卵が包み込み、チーズのトロトロ&カリカリと卵のふんわりの 262 トルティージャ 対比、バジルとパセリが口の中に運ぶ爽やかさが、ボリュームを忘 れさせるスペイン風オムレツは、そのままでも、薄めにスライスし たブールに乗せても美味い。 “農”の尊さを舌で実感できる、宿の裏手の畑から今しがた摘んで きたばかりの鮮度抜群な野菜たちが、ワインビネガーと少量のオリ ーブオイルに塩胡椒のシンプルなドレッシングをまとうグリーンサ ラダ。 奇をてらわず、蕪、ニンジン、ポロネギにぶつ切りの鶏肉︵骨付き︶ と王道の具材で直球勝負のポトフは、一見地味だが、澄んだスープ と各具材の丁寧な下ごしらえなくてはなせない調和の妙が、真に偉 大な王とは、装いが何であれ、人の心に畏敬の念を抱かせるのだと、 沈黙のうちに語る。 食材と料理とそれを食べる者への愛すら感じさせる神業に、朝っぱ らから感動です。 世界の料理魔☆改造の美食大国、日出る処の元国民でも、料理の 腕前・並風情がRYOURIで俺sugeeeeeしようとか、そ んなん一万年と二千年早ぇですわ、うん。 その道のプロの技の前には、屁のつっぱりみたいなもんでございま す。 窓と扉を全開にしても、転がってる酔っ払いの成れの果てからは、 酒臭さと地獄の二日酔いの言葉にならない諸々のこもった呻きが立 ち上ぼり、いたちごっこだったりするけど、そんな環境下でも揺る がない美味さに、しみじみそう思った次第です。 しゃかいか うまうま完食して満腹になったところで、いよいよこれから本日 のメインイベント、よい子の冒険者ギルド見学、な訳でございます が。 そも、冒険者ギルドとは何物やと、その辺のレクチャーが先みたい です。 263 まあ、寝る前のお話の延長でしか知らない身としては、欠けた部分 を補完するいい機会ですけんの。 が、講師がローナーさんではなく、先ほど二階から下りてきて、 向かいの席に陣取った、昨日のアンダーテイカーとブルーザー・ブ ロディなのでせうか。 俺が説明するよか、こいつらの方がうまく説明できる? まあ、そ んなこったろうと思ったけどね! 二日酔い何それ食えんの美味いの? とばかりに、私の朝飯の二 倍以上のボリュームのそれを豪快にかっこみつつ、あれやこれやと、 ギルドでは教えてくれないそこん所系のディープな話まで、出てく る出てくる。 いやもう、そこまで言って委員会。ってとこまで。 そもそも、冒険者ギルドっつーのはあくまで通称で、正式な名称 は“ヴェルヴェリア大陸自由傭兵協会”なんだそうな。 国家間での大規模な戦闘行為どころか、小規模な小競り合いもここ 何百年は起きていないんで、傭兵仲介業は閑古鳥が巣を作って雛孵 して、孵った雛がまた巣を作りに来てる状態だけど、本質はあくま で傭兵仲介業なんだと。 ヒモ 後見人付きなら八つから登録できるのも、壮大な青田刈りの一環。 子供でも、斥候や情報収集・伝達要員として使えるし、一般人に紛 れさせれば摘発は難しいから便利だよね。 って、さすがやな異世界。先生助けて!? ジュネーブ緒条約が息 してないの! 段階を追って、依頼内容のハードルを上げていくのだって、ふる い落としを兼ねている。 264 どうぶつ にんげん ・・ 害獣・魔獣↓盗賊とハードルを上げることで、戦争に耐えうるか否 かを判別し、また、戦闘行動を継続的に行うことで戦闘能力の維持・ 向上を図る。 ⋮⋮ま、合理的かつ的確な判断だわな。 今のところ、大陸は百年単位で戦争が起きていない、非常に安定 した状態にあるから、傭兵の出番はない。 が、治にあって乱を忘れず。戦争は忘れた頃にやってくる。いつま でもあると思うな治安とインフラ。万一に備えておこう自衛手段の 心意気。 うちの社訓て、正しかったんだなー。 あいて んで、各国各地に支部があるのも、いつ起こるか分からない戦争 に備え、付くべき国を見極めるための情報収集と有事の際の拠点の 確保を兼ねているから。 ⋮⋮ググってはいけないシリーズ全力でググっちゃった感ぱない んですが、これってどう考えても、ギルド登録前のガキにしていい 話じゃなくね? 明らかに一部限定の準機密情報じゃねーか守秘義 務どこいったし。 ﹁⋮⋮いいのかよ﹂ ヒャッハー ここまでぶっちゃけて。いや、どう考えてもいい訳ねーだろ。南 米で民間人虐殺こいた消毒モヒカンが副大統領なう、レベルのネタ じゃね? ラングレーから来た年金生活者の知り合いなんておらん ぞ。情報保全部の部長は七十まで現役宣言してたし。 そんな内心が、オスミウム製のため息と一緒にポロリしても、仕方 がないと思うんだ。 265 が、現実って容赦ねえですはい。 アンダーテイカーとブルーザー・ブロディは、何言ってんの? み たいな顔して、 はら ﹁? どうせお前も、そのうち“こっち組”だろ?﹂ ﹁まあ、肚ァくくるなら、早いうちがいいからな﹂ HBの鉛筆をバキィッ! とへし折るのと同じくらい、そうなっ て当たり前、みたいなこの言われよう。 いいよね? これは私、泣いてもいいよね? もの でも、一番泣けるのって、それを否定できないってことだよ! そういう組織だと理解した上で、“そっち組”になる肚くくってる 私ガイル。 これまで そもそも、市川鷹は、内戦紛争絶えない世界情勢の不安定を、そ こにある、顔も知らない見知らぬ誰かの生命の危険や、既に生じた 誰かの死を飯の種にしてた訳だ。PMCの海外事業部の社員として、 そーいう自覚はありましたよ? それが、これからは、見知らぬ誰かが、見てわかる誰かになるって だけで、生き死にが飯の種、ってことに変わりはないんだよね。 ツァスタバ︵暫定︶さんはっさい。 修羅の歴史が、また一頁⋮⋮。 † † 266 カエルラ 居あわせた顔見知りに、ギルドについての説明を任せたはいいが、 本来なら、D級の壁︱︱冒険者ギルドの本質を理解し、戦力として インディクム 運用されることを前提とした選別を受けていること︱︱を乗り越え、 C級に昇格した者に提示される情報まで、さも冒険者の一般常識と ばかりに明かしていたのには、人選を誤ったと、ローナーの眉間は、 宿を出てからもひび割れっぱなしであった。 あいつら、敵をぶちのめすこと以外に、ろくに脳味噌使ってねえ からな、などと、大層失礼なことを考えるローナーだが、その“あ いつら”に、自分が同じ評価をされているとは思っていないらしい。 ちらりと見やったツァスタバは、少し後ろを、足音も気配も薄く、 猫のようにひたひたと歩いている。 いや、猫と言うには少々獰猛に過ぎる。虎か、豹か、単独で狩りを する、大型の肉食獣の仔だろう。 説明役から出てきたのは、冒険者に、ひいては冒険者ギルドに、 何らかの憧れを抱いていたなら、木端微塵に爆砕されるような話ば ヒモつき かりであったにもかかわらず、ツァスタバは、いいのかよ、と言っ ただけであった。 声と口調は、現時点では部外者でしかなく、G級ですらない者に、 そこまで踏み込んだ話をしてしまっていいのかと、少しの呆れを含 んではいたが、幻滅や嫌悪、怯えや恐れはなく、そういうものかと、 逆に納得しているようでもあった。 これは、ドライゼが気に入る訳だ。 一朝ことあらば、人間同士の殺し殺されに使われることを理解した 上で、使われることを納得し、受け入れる肚の据わりようもだが、 それ以上に、子供らしからぬ、ある種の覚悟のようなものに、ロー 267 ・ ナーは、ドライゼの審人眼に、改めて感嘆していた。 グレートオールド 次の“仕事”には、“大老”から仕込み中の奴を借りることにな りそうだったが、この子供がこのまま居残るなら、そちらを使わな くてもよさそうだ。 そのためにも、腕のほどは見ておきたい︱︱そう考えたところで、 ローナーは、違ぇな、と苦笑を浮かべた。 これは、ただの理由付けだ。 この子供が、今現在どこまでやれるのか。そして、どこまで伸びる のか。 二十年、いや、十年もすれば、あるいは己が今いる場所に至りうる ものを、構いたいだけなのだろう。 やっと歯が抜け変わったぐらいだろうが、ぬくぬく大事に屋敷の 中で育てられた猟犬など、鼻歌混じりに喰い殺せる獣の仔は、自分 と同じか、自分より強い獣との全力の噛み合いは、まだ、したこと がないはずだと、ローナーは踏んでいる。 思い切り、何の遠慮も躊躇いもなく、全力を出し、それをぶつけ ることができないというのは、やるせなく、切ないものだ。 誰彼構わず、強そうなのを見付けては、辻で喧嘩を売り付けないだ けの分別があるのはいいことだが、同時に不憫でもある。 辻斬りならぬ辻喧嘩で散々にひとをぶん殴っていた、若かりし日 の自分の無分別さと比べ、ツァスタバは実に理性的だ。 だからこそ、ここらで一度、思い切り暴れさせてやったほうがいい だろう。 辻喧嘩で、記念すべき百人目一歩手前の、九十九人目︱︱若かり 268 し頃のドライゼに、親でも見分けがつかないご面相になるほど、し こたまぶん殴られてボロ負けしたが、憑き物が落ちたようにすっき りした。 バカやってるほど暇なら、うちのリニエッジに来い。殴り合いな の ら、死ぬほどさせてやる。ま、本当に死ぬかもしれねえがな。 ローナーほどではないが、それなりにいい拳を喰らって、そこかし こに青痣をこさえた顔で、にやりと笑ったドライゼの話に乗って、 かれこれ二十年は過ぎた。 ドライゼのリニエッジ︱︱できたばかりの当時は、怖いもの知ら ずの若造の寄せ集めだったウィルオザワイクスも、今ではいい年の 中年揃いだ。 若くして死んだ者もいれば、家族ができて、無理はできなくなった と抜けた者、受けた傷のため、戦えない体になって去った者もいる。 いまだに五体満足で続けていられるのは、奇跡のようなものだろう。 さて、この子供はどうだろうか。 自分のように、暴れたいだけ暴れさせてやる、と言われて、乗って くるだろうか。 乗ってくるなら、それはそれで楽しいことになりそうだ。 どちらにしろ、判断を下すのはドライゼであり、ツァスタバであ る。 さしあたっては、約束していたギルド見学が先だ。 今も、表情こそ変わらないが、薄い気配には、どことなく楽しげな ものが混じっていた。 八つという年齢を考えれば、随分とリアクションの薄いはしゃぎ 方だが、冒険者ギルドがどういうものか、その本質を理解した上で 269 はしゃいでいることを考えれば、どこかズレた反応であるし、それ を、初めて行く場所にわくわくと浮かれている仔犬でも見ているよ うな、微笑ましいものを見る目をしているあたり、ローナーも色々 とズレているようだ。 ややあって見えてきた冒険者ギルド︱︱ヴェルヴェリア自由傭兵 協会マネト支部の建物は、商業区域の外れの、あまりぱっとしない 地域にある。 建物自体は、この辺りには珍しくもない、白漆喰の壁と平らな屋根 の、これといった特徴のない三階建てである。 高さを除いて通常の商店六軒分という大きさの他は。 縦横ともに十分な余裕のある出入口の扉の上には、青銅製とおぼ しい、剣を乗せた楯の看板が飾られている。 剣に鞘はなく、刀身には、注意してよく見ればわかる程度の大きさ で、文字が刻まれていた。 フードを持ち上げ、刻まれた文字を、目をすがめるようにして、 ツァスタバは一文字一文字を追っていく。 なんじ あるじ ﹁⋮⋮わ、我、つ⋮⋮つる、剣? な、なれ、ば⋮⋮な、なん? なん、じ⋮⋮汝? 汝、剣の、あ、ある⋮⋮ある、じ? 主たるを、 し、しめ、せ⋮⋮?﹂ ヒュームスコモン 刻まれているのは、ヴェルヴェリア大陸で最も広く使われている、 普人族共通言語の原型となったとされる、原典不明の古語︱︱とい ヒュームスコモン っても、現在では死語に近い言語である。 普人族共通言語と照らし合わせ、予測、推測を重ね、つっかえつっ かえ、疑問符混じりでも、解読できるだけ、大したものといえよう。 270 ライカン エルフ ド ドライゼのリニエッジでも、頭脳担当であるアストラは、古語の ワーフ みならず、他大陸の言語︱︱北大陸の獣人族、東大陸の森人族、岩 人族の言語にも通じている。 偏屈で子供嫌いだが、知識欲のある者には、比較的寛容だ。 ローナーの次の保護観察官でもあるが、これなら案外、うまくやっ ていけるかもしれない。 そういえば、膝をやられてアストラと入れ替わるように去った奴 も、見かけによらず頭はよかった。 十年ほど前、自分の足で歩いて去っていった数少ない幸運な男のこ とを、ふと思い出していたローナーの隣では、ツァスタバが、看板 の文字を覚え込もうとでもいうように、出てきた単語を何度も小声 で繰り返し、時折頷きながら、視線を文字の上で往復させていた。 二、三分ほどそうしていたが、満足したのか、フードを下ろし、 ちらとローナーを見上げてきた。 フードと、癖のある前髪の間から、枯草色の目が覗く。 好奇心に光る目は、表情や言葉よりも雄弁だ。 ﹁行くか﹂ 問いに、頷き答えるツァスタバと連れ立って、ローナーは扉を潜 った。 † † 271 午前中ということもあるんだろうけど、中は閑散としてる。つー かほぼ無人。 いや、マジで人がおらんのですわ。 入って最初の印象は、“想像以上に普通”。 外壁と同じ白漆喰に腰板を打った壁は、時間と煙草でいい塩梅に燻 されて、西部劇、特にマカロニウエスタンなんかだと、冒頭でジョ ン・ウェインがテーブルに足載っけてそうな感じだけど、いるのは ギルド職員とおぼしき人物が二名だけ。 しかもうち一名が箒で掃き掃除、もう一名が雑巾で窓拭きとか、普 通すぎて逆に驚くわ。 ⋮⋮いやね、もっとこう、ね? 賑やかなもんかなーと思ったん よ⋮⋮。 荒くれどもの溜まり場的な、葉巻の煙とウイスキーの匂いが漂って てナイフ投げてダーツしてるようなの期待したんですけど、そもそ も人がおらんとです。 少々ガッカリしつつ見回す内部は、かなり広いけど、建物全体の 三分の二くらいしか使ってないっぽい。 残り三分の一どこいったし、と、更に見回すと、入り口から入って 右、窓のない側の壁に、扉があった。 あ、残り三分の一はそっちですか。でも何に使ってるんでせうか。 謎だ。 中の造り自体は、酒場を兼ねた宿に近いけど、そっちならバーカ ウンターや厨房になってる奥側のスペースが、銀行や郵便局のサー ビスカウンターみたいに、内側で事務仕事ができるようになってい て、更にその奥の壁には見るからに分厚く頑丈そうな扉が。 金とか帳簿とか表に出したらいけないナニカが詰まってそうだ。失 272 われた聖櫃とかはないよな、さすがに。水晶髑髏とかはありそうだ けど。 サービスカウンター部分も丸っと含めて、奥行き的には中の三分の 二は占めてんじゃないか? で、サービスカウンター自体は、幅七メルくらい。窓側に結構な 空きがあって、二階、三階に続く階段になっている。 カウンターには4つの窓口があり、それぞれ左右と前後に仕切りが あって、隣が何を請けてきて、結果がどうだったかが見聞きしにく いようになっている。 まあ、聞いた話じゃそれなりに個人情報の管理ちゃんとしてそう プリティ・ヴェイカント だし、これなら“驚いたからってついうっかりと生命線ともいえる 個人情報を大声で叫ぶ”ような、乳尻顔だけの可愛い空っぽちゃん はいないよね、さすがに。 残り三分の一のスペースには、六人がけくらいの大きな丸テーブ ルが4つ。 表面傷だらけで、明らかに刃物突き立てた傷も多数。 うん、やっぱこうじゃないとね! で、職員らしき方々である。 箒持ってらっしゃるのは、アメリカの古いホームドラマ、それも コメディもので、クリスマスにはプレゼントを山と抱えてやってく る、料理上手で優しい“素敵なグランマ”みたいな、中産階級内の 富裕家庭出身といった、上品な初老の女性だ。 白髪混じりの豊かなブロンドを高く結い、首もとにカメオのブロー チをとめた白のフリルブラウスに、くるぶし丈のピジョングレイの ロングスカートと、出で立ちがナゼかビクトリアンエイジ。もしく 273 はジ○リ。 雑巾片手に窓拭きしてるのは、なぜかサンバイザー︵でいいのか ?︶してる、ド僻地の地方銀行の窓口担当ウン十年で定年カウント ダウンといった風情漂う初老の男性で、着古した感はあるが清潔な 白シャツに微妙な柄の小さな蝶ネクタイ、チャコールグレイのくた びれたウエストコートにトラウザース、仕上げは腕貫鼻眼鏡とか、 もうどうしろと。 つか、その顔で持つならどう考えても雑巾より瓶詰めの海苔の佃煮 だろJK。 違う角度の攻撃力高いわー、と本来ならここ笑うとこなんだろう けど⋮⋮笑えません。 いや、笑ったらケツをシバかれるとかそーいうことじゃなくて、純 粋に笑えねえのですよ。 一見、シルバー人材とかで年金の足しや孫へのプレゼント代のた めに働いてます、みたいなばーさまじーさまだけど、アレはヤバい。 そう見える隙を作ってそう見せてるだけで、マジモンの隙とか全然 ないし。もっと腕上げれば、多分隙が見えてくるんだろうけど、今 の私にゃまだ見えない。 アレか、暇をもて余した達人たちの遊びかゴルァ。いたいけな児童 に何なのこの仕打ち。 前言撤回。ここはバケモノどものすくつです。 ローナーさんの半歩後ろで固まってると、掃き掃除のグランマが、 微笑を浮かべてこっちを見た。 こっち見んな。自分おまけなんで。反物質凝縮してクッキー焼いて てください。 274 ﹁よくいらっしゃったわね。今日はどういったご用件かしら?﹂ ホームパーティで気の置けない友人を出迎える女主人の、穏やか な微笑みがおっかない。 こげな魔窟だなんて聞いてねーよ。アンダーテイカーもブルーザー・ ブロディも、もっと重要な話があるだろ。なぜそれをしなかったし。 ﹁いやなに、このチビにギルドを案内してやることになってな﹂ はい、ローナーさんまるで気にしてません。気付いてないんじゃ なくて、気付いてスルーしてはります。 あーつまりコレが通常運転と。なにそれこわい。 それはそれとして、フードの上からぐりぐりと撫でくり回すのは いいんだけど、私の頭サトちゃん人形みたくなってんですけど。 このまま行くとヤバい回転になりそうなんですけど。 ブリッジで階段下りるとかできませんよ? いや頑張りゃできるだ ろうけど、やりたくないし。緑の反吐とか吐きたくないし。 ぜんせ 何でかわからんけど、段ボールとバンダナが似合うと評判だった 市川鷹の上司とか、オールバックポニテな社食のオッサンが思い出 されて、とぉーい目をしていると、 ﹁あら、そこのおちびさんの登録ではないのね。残念だわ﹂ 自分の実力過大評価しちゃった僕ちゃんなら、ンだとこのババア とかメンチ切って突っかかってくフラグですねわかります。 玄関開けたら五分で銀シャリどころか、足踏み入れた瞬間からふる い落としですか。 275 ⋮⋮? デジャブ ぜんせ まえ あれ? 何この既視感。これ、アレだ。前世の、転職したときの面 接と同じじゃね? あはははは奇遇だなあー市川鷹の勤務先と今世の勤務予定先が被る って。 うん、自由傭兵協会とか冒険者ギルドって思うから緊張するんだよ。 PMCなら勤続十年オーバーだったじゃん。 よし大丈夫だ問題ない。 となれば、社会人の基本、名刺交換⋮⋮はできないので、当たり 障りのないご挨拶から。 相手の得物が不明な場合、長物の間合いのちょっと外側。飛び道具 が予測される場合は、踏み込んで出だしを押さえられる距離を取り ましょう。 レンタル 相手の動きを観察できる視界の維持を意識しつつ、失礼にならない 程度の角度で頭を下げて、ドーモドーモ。 これぞ正しい社会人のご挨拶ofPMC。 グレートオールド ﹁⋮⋮本当に、残念だわ。“大老”からの貸し出しでもないんでし ょう?﹂ うち ﹁拾いもんだからなあ。モグリの奴か、引退したロートルが仕込ん グレートオールド だんじゃねえかなあ﹂ カエルラ うち ﹁それなら“大老”が回収してるでしょ。⋮⋮支部、ここ五年くら いD級の壁越える子が出ないのよねぇ。支部で欲しいくらいだわ、 本当に﹂ ﹁スターバトでもここ一、二年は出てねえしな。ウェントスだと、 支部でも年に二、三人は出てるらしいぜ﹂ アーアーアー聞きたくない聞きたくない。 その手の話は私がおらんところでお願いしますマジで。いたいけな 276 こども 八歳児に聞かせていい話ちゃいますでしょ明らかに! グレートオールド あとその“大老”って。 山の老人的なニュアンスなのは私の気のせいですよねそうですよね ! それならそれでマスター目指すのもアリかもだけど、指詰める ぜんせ のはちょっと。 市川鷹じゃ諦めてたけど、今世でまで左薬指の指輪諦めたくないし。 ﹁レリンクォルはもっと深刻らしいねえ﹂ おっとここで海苔の佃煮が参入しました。 見ざる言わざる聞かざる決め込む私に、にっこり笑顔で﹁いい子だ ねぇ﹂って⋮⋮こんな話よそでできる訳ないじゃないですかやだー。 むずかしいおはなししてるなーぼくにはなんのことかわかんない やー。 と、床板の木目を数えていると、 ﹁悪ぃ、忘れてた﹂ ばつが悪そうな顔で苦笑するローナーさんが、頭を掻きつつ、私 の頭をぐりぐりと撫でくってきた。 忘れてたんかい。いや、いいけどね別に。 ﹁ギルドには、連れてきて、くれたろ。別に、気にしてない﹂ いいけど、オッサンは見た目よりナイーブですからぬ。アフター ケアは大事です。 脳内シミュレーションを繰り返した結果、前より喋りが円滑にな 277 り、言葉の量も増えました。 やったねツァスくん会話が増えるよ! ﹁そうか﹂ ﹁おう﹂ ぐりぐり頭をかいぐるローナーさんが、ふとその手を止めた。 見上げると、友達を遊びに誘う子供のような、だけど少しだけ物騒 で、真摯なローナーさんの目と、目が合った。 ﹁⋮⋮なあ、坊主﹂ ﹁うん﹂ ﹁全力で暴れたこと、あるか?﹂ ﹁⋮⋮ない﹂ 野盗相手にしたあれは、全力出す前に、なんですぐ終了のお知ら せなってしまうん? になっちゃうもんだから、逆にフラストレー ションが溜まりもしたでごわす。 ﹁そうか、ねえか。⋮⋮じゃあ、全力で暴れてえと、思ったことは あるか?﹂ ⋮⋮。 ⋮⋮⋮⋮。 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮はいぃ? 全力? 全力で暴れたいか、だって? 持てる力と技術の限りを尽くし、力尽きてぶっ倒れるまで。 思い切り。 全力で︱︱全力で、暴れる。 そんな。 278 そんなの。 ﹁あるに、決まってる⋮⋮!﹂ 頭の中、イメージとしてしか存在しない相手とのシャドーの最中。 明らかに強いと、今の自分では何をどうしたって勝てないとわか ってしまう相手を前にしたとき。 拳を、技を、思いの丈のありったけをぶつける。 負けて無様に這いつくばり、鼻血垂らして反吐吐き散らかし泥を舐 めることになるとしても。 そうしたいと思わないなら、それはもはや私じゃない。 相手がいないから。 ぜんせ 理由がないから。 市川鷹と違って、じいさまも上司もいないから。 我慢しなくちゃいけないと理性とか分別とか超頑張ってブラック会 社も裸足で逃げ出す勢いで馬車馬のように働かせて我慢して我慢し て我慢してきたとゆーのにっ! なのに、なんで。 のたま なんで、そんなことを。 ヤら そんなことを宣いやがってくれやがりますかなぁローナーさんはッ ッ! それとも。 全身全霊全力全壊フルスロットル、理性と分別投げ捨てて、暴れさ せてくださるとでも? まあ、ローナーさんに勝てるとか、んな身の程知らずなこた、これ 279 っぽっちも思っちゃねーですけど? でも。 わたし ころ そんなことを言っちゃうってーことは、さ。 理性を外した責任、取ってくれるんでございますんでしょうか。 ねえ。 † † ローナーとしては、何気なく問いかけたつもりであったが、返っ てきた反応は、劇的なものであった。 かつ 見上げてくる枯草色の目の中に、潮が満ちるようにひたひたと、 こわいものが満ちてゆく。 薄い気配がべろりと剥がれ落ち、狂おしく身をよじらせる餓えたけ ものが、姿を現す。 長く押し込められていたであろうけものが、身をよじり、腹の底 から切なげな声をひしり上げ、がちがちと歯噛みするのを、ローナ ーは、慈愛すら感じさせる眼差しで見下ろした。 随分と、我慢していたんだなあ。 お前、暴れたくて暴れたくて、仕方なかったんだなあ。 サコーもシグも、強えからなあ。 ずっと、堪んなかったんだろう? 偉いなあ、よく頑張ったなあ。 280 よく、我慢してたなあ。 このけものが、可愛くて可愛くて仕方がない、とでもいうように 目尻を下げ、笑う。 ﹁隣、空いてんだろ﹂ 今にも喉の奥で唸り出しそうなツァスタバの頭を撫でているロー ナーに、苦笑を浮かべた老婦人が、小さな鍵を渡す。 ﹁⋮⋮全く。幾つになっても、殿方は子供なんですから﹂ 言いつつも、老婦人は何か微笑ましいものを見ているような、そ んな眼差しを向けている。 実際、老婦人にしてみれば、ツァスタバは、歯の生え代わり時期に やまいぬ 入り、むず痒さにあたりのものをかじりたがる仔犬のようなものだ。 傍目には餓えに牙を打ち鳴らし、唸りを上げる豺にしか見えないと しても。 ﹁こっちだ、坊主﹂ ぐりん、とツァスタバの頭をひと撫でし、顎をしゃくって壁の扉 を示す。 ﹁⋮⋮?﹂ 訝しげに首を傾げるツァスタバに、ローナーは、笑みを深める。 ﹁まあ、なんだ。遊び場だ、遊び場﹂ 281 暇をもて余した馬鹿同士が、半ば以上本気で殴り合うのが“遊び ”であるなら、確かに遊び場といえるだろう。 微妙な言い回しから、含む意味を拾ったのであろうツァスタバの、 枯草色の目が喜色に潤み、上気した頬が血の赤を淡く透かして薔薇 色に染まる。 引き結ばれた唇は甘やかな笑みに綻び、まるで知り初めた恋に胸踊 らせる少女のようだが、その身から滴るのは、鬼気にも等しい闘争 への渇望だ。 頭から手を放し、扉へ向かうローナーの後を、今にも踊り出しそ うな小走りでツァスタバが追う。 鍵が外され、開いた扉をくぐる。 建物の残り三分の一は、扉の先の空間に使われていた。 天井は高い。 あるはずの二階を取っ払い、吹き抜けにしているのだから、高くて 当然だ。 床板も張られていない、剥き出しのままの土の床の中央には、縦 六メール、横四メールの長方形の四隅を、角から左右に七十メルの 辺りで切り落としたような、変則的な八角形の囲いがあるばかりで、 他には何もない。 囲いは高さ九十メルほどの、丸木を組んだ武骨な代物で、刃物の 傷やらどす黒い染みやらがあちこちに散らばり、実に物騒な装飾を 施しているが、その内側に敷き詰められた砂は、輝かんばかりに白 い。 282 無造作に囲いに歩み寄り、巨体からは想像もつかない軽やかな動 作でひょいと囲いを飛び越えたローナーの手招きに、ツァスタバが 地を蹴った。 囲いを足場に、全身をバネにしてローナーへと跳びかかる。 ﹁シィッ﹂ 尖らせた唇の隙間から鋭い呼気を吐き、脇腹めがけて蹴りを放つ。 鞭のようにしなり、風切り音を立てる脚は、ローナーの掌に柔ら かくいなされ、描く弧の軌道を逸らされた。 その力の流れに逆らうことなく体ごと回転し、蹴りを放った脚を軸 に、回転の勢いを上乗せして振り上げた踵を、ローナーの側頭部︱ ︱こめかみへと叩き付けるが、それも、首を後方に引いただけの、 最小限の動作で避けられる。 こめかみ 対象に当たることなく振り抜かれた踵はしかし、ローナーの顔を 通り過ぎたあたりで、軌道を横から縦へと跳ね上げるように変え、 鎖骨へと襲いかかった。 脇腹を狙った蹴りも、こめかみに放たれた踵も、大振りしたのは このためだろう。 だが。 フン ﹁吩ッ﹂ 素早く頭を引き戻し、直立よりやや前傾した姿勢を取ったローナ ーの、分厚い肩の筋肉がうねるように盛り上がり、ツァスタバの踵 を受け止める。 283 予想以上に、重い。 重く、鋭い。 この体格、この年齢で、これだけの重さと鋭さを持った一撃を放て るとは、たいしたものだ。 マナ オド 外部魔力の変化は観測されていない。ということは、使っている ゆる とすれば、内部魔力による身体活性ということになる。 面白い。 にっ、とローナーの口元が弛む。 おぼっちゃん あばら 鎖骨を折りにいくための、避けられることを前提とした蹴りも、 お座敷剣術で強くなったつもりのお貴族騎士様なら、肋の二、三本 は持っていかれただろう。 踵に至っては、もろに喰らえば、頭蓋骨がぶち割れるくらいの威力 はあったはずた。 そんな技を、捨て技にする。 人間を壊す︱︱殺しうる技を、殺せる技を放つことに、全くといっ ていいほど、ためらいがない。 しかも、自分の技が、そういうものだと自覚した上で、だ。 もっとも、ツァスタバにしてみれば、この程度でローナーが壊れ てくれるなど、これっぽっちも思っていないのだろう。 ローナーの強さを信頼しているからこその、ためらいのなさかと思 うと、少々照れ臭いものがある。 その間も、ツァスタバは止まることなく動き続けていた。 捨て技二つで鎖骨を折りにいった踵は、分厚い肩の筋肉で止めら 284 れた。 ならば、そこからまた、技をつなげばいい。 ひね 踵に重心を移し、宙へと跳ね上げた体を捻り、遠心力を加えて延 髄へとくり出した回し蹴りも、わずか半歩の移動でかわされる。 背後に向きなおり、引いた半歩を越えて大きく踏み出したローナ ーが、初めて放ったのは、無造作な前蹴りであった。 無造作だが、重い。 手加減はしていても、当たれば無事では済まない。そんな蹴りだ。 さあ、どうする。 † † まともに喰らったら、意識が頭蓋骨ん中から成層圏までかっ飛ん で、どえらく気持ちいいことになりそうな前蹴りだ。 やっぱ、すごいわ。 けど、まあ、まだまだ全然、遊び足りない。 素直に喰らうわけにはいかないよなあ。 どうしようか。 ⋮⋮よし。 285 回し蹴り空振って伸びた体を丸めるように縮め、ローナーさんの 前蹴りを踏み台にして、後方に跳ぶ。 うっわあ、ちょっと当てただけなのに、足がびりびりしてる。 さて、次の手は? 脇腹とこめかみ、鎖骨狙って出した中で、当てられたのは、鎖骨 狙いの踵が一発。 しかも不発。 打撃の衝撃を筋肉だけで分散吸収とか、何それチートじゃね? 組みにいっても、力で外されて終了のお知らせ確定だわな。 投げにいくにも、前提の重心崩せる自信絶無だし。 華拳繍腿そのまんまな打撃技一択とか、あらやだ詰んでる。 だけど。 ⋮⋮楽しいなあ。 尾てい骨のあたりから、背中の産毛がさわさわと逆立つような心 feel. 地よい痺れが、ひっきりなしに脳に昇ってきている。 唇が乾く。 着地。 そのまま、姿勢をうんと低く。 think, 昔の人は言いました。 ︱︱Don't ですよね李先生! 286 そもそもだな、圧倒的な格上が、わりと本気出して遊んでくれる とか、セリエAのエースが少年サッカーに突然来ました的な状況で だな。 あれこれ考えてても、その時間がもったいないジャマイカ。 バカの考え休むに似たり。 いいじゃない玉砕上等、当たって砕けてなんぼのもんじゃい。 全身をバネにして、走る。 這うほど低い姿勢のまま、一気に距離を詰める。 肩口。 脇の下。 膝。 脛。 喉。 鳩尾。 下腹部。 貫手。 掌底。 一角打ち。 肘打ち。 足刀。 踵。 膝蹴り。 全部が本命で、全部がほかの一発のための捨て技だ。 ・・ パーリングされただけで、腕が、足が、びりっと痺れる。 普通なら、肘を合わせて壊しにいくところを、掌で弾くだけとか、 287 めっちゃ手加減されてるよなあ。 手加減されてるのは、私が弱いから仕方がない。 悔しくないわけじゃないけど、ローナーさんは、手加減しているの であって、手抜きはしていない。 その程度には、本気で遊んでくれている。 ああ︱︱たまらない。 内部魔力も大フィーバー絶賛回転中だ。 カロリー 生み、練り、末端の細胞に至るまで、飽和するほどに行き渡らせる。 朝あれだけ摂った熱量が、猛烈な勢いで消えていく。 乳様突起を狙って出した爪先が弾かれる。 間髪いれずに接近して、真下から突き上げた顎狙いの掌底はスウェ ーでかわされた。 掌底を出して延び上がった体を思いっきり後ろに反らし、バック転 しながら顔面、顎を狙った蹴りも空振り。 手も足も出ないけど、楽しくて楽しくてたまらない。 口角が吊り上がる。 声をあげて笑い出してしまいそうになるくらい、楽しい。 かつてのわたし 私のすべてを使おう。 市川鷹が得たもの。 今の私が積み重ねたもの。 サコーの父ちゃんとシグのおっさんから、見よう見真似で盗んだも の。 全部、使う。 288 回転速度を上げる。 緩急をつけ。 直線と曲線の動きを織り交ぜ。 かかる負荷に、肉がみしりときしむのを無視して、軌道をムリクリ ねじ曲げて。 心臓が弾む。 吐く息が熱い。 寝る時以外は年中高地トレーニングwith濡れマスク状態のお陰 で、少々テンポは上がったけど、力強く安定したリズムを刻んでい る。 体に熱がこもりだしてるけど、まだ許容範囲内だ。 気持ちがいい。 脳内物質で脳味噌しゃばしゃばになってんだろうなー、ってくらい、 やばいくらいに気持ちがいい。 手を、足を出すごとに、恍惚感がガンガン上がってく。 唇を舐める。 まだ、出していない技。 あっただろうか。 ああ、あった。 だけど、できるだろうか。 ⋮⋮﹃できるだろうか﹄? 何を寝ぼけてる。 そうじゃないだろう。 やるしかないだろう。 まだやっていないなら、やればいい。 289 それだけのことだ。 よし。 やろう。 懐に飛び込む。 距離はほぼ0。 額が分厚い胸筋に当たるくらい、近い。 アレをするのに、距離はむしろ邪魔になる。 踏み込みのエネルギーを加え、全身の力を左の拳に集める。 大きなモーションは必要ない。 拳を前に押し出すだけでいい。 この距離なら︱︱ ﹁チィッ﹂ 外された。 かすっただけで、ダメージはろくに入ってない。 すごい腹だったなあ。 岩をぶっ叩いたみたいだったな。 けど、これでいい。 本命はこっちじゃない。 奥歯を打ち合わせ、スイッチを入れる。 とっておきの奥の手だ。 290 音が消えた。 髪の先から飛んだ汗の玉が、スーパースローで飛んでいく。 リミットは一秒。 再び距離を縮める。 尺骨と橈骨を振動、共振させる。 筋繊維がぶちぶち千切れてくが、知ったことか。 音が戻る。 秒速一マイクロメートルで落ちていた汗が、急降下する。 振動に全身の力を上乗せして、触れさせた右拳から、脇腹にブチ 込む。 ﹁ぎっ﹂ 脳が焼ける。 前に比べれば、多少はマシかな。 手足の力が抜ける。 だめだ、まだ立ってろ。 倒れるな。 ﹁やるなぁ、坊主﹂ 低予算のフィクション仕様ホラームービーみたいに視界がガッタ ガタだ。 その中で、驚いたようなローナーさんの顔だけが、妙にクリアで笑 える。 291 ちょっと痛そうな苦笑を浮かべて、左脇腹を押さえてる。 入ったのか。 透ったのか。 ぶっつけ本番一発勝負の奥の手が。 ﹁っは﹂ 届いたんだ。 ﹁ははッ﹂ どうしよう。 嬉しすぎて、頭おかしくなりそうだ。 ﹁はははははッ﹂ 鼻の穴からW鼻血垂らして大笑いとか、アホの子以外の何者でも ないわな。 けど、一度入った笑いのスイッチはなかなか切れない。 頭のネジがまとめて十グロスくらい弾け飛んだみたいに、ハイにな ってる。 未完成の加速の最中、何となくイケんじゃね? で無茶な大技、 しかもぶっつけでやらかしたおかげで、四肢の末端がどえりゃーこ とになってるっぽいけど、怖くて見れない。 爪の隙間から生暖かい液体がぽたぽたしてるとか、気のせいだよね きっと! だけど。 292 ﹁ははははははははははははははッ﹂ ああ︱︱気持ちがいいなぁ。 293 二十撃目 拳祭︵後書き︶ どうも! 異世界太腕漂流記本編の主人公のほう、ツァスタバです。 肉離れイター! あら、次の保護観察官はインテリ元ちゃんなんスねー。 いず おぶ てーぇ⋮⋮英語忘れてんだよ悪いか! 次回異世界太腕漂流記。 ふぇあ とりあえずシーユー! ⋮⋮拳祭、めっさ楽しかったわ。 やっぱガチが一番。 虎○は殺し技だし、まだ出せないけど、未完成の加速装置に無○波、 ツメの甘い○砲は出せて満足。ぐふ。 294 二十一撃目 Fear ・・ is often greater than 荷物の引き渡し場所に出向いたアストラを迎えたのは、運搬人の ローナーと荷物、そしてなぜか、荷物の最初の世話係を務めたサコ ーであった。 荷物が三角巾で右手を肩から吊っていたり、サコーが荷物の頭を 撫でくってぶちぶち小言をたれていたり、ローナーがそれを頭に生 が付く感じに暖かい眼差しで見ていたり、少々状況判断に悩む光景 だが、傍目にはそれなりに仲のいい父と息子か、叔父甥のじゃれあ いを、共通の友人が眺めている微笑ましい光景、と見えるだろう。 それにしても、とアストラは荷物を観察する。 十日ほどで、まだ荒削りではあるが、隠形が実戦に耐えうるレベル になりつつある。 サコーと、サコーの次に荷物の面倒を見たシグから学んだのだろう か。 だとすれば、大したものだ。 観察し、理解し、それを自らの血肉にする。 簡単なようで、なかなかできることではない。 ﹁相変わらず几帳面だな﹂ 引き渡しの予定時刻きっかりに現れたアストラに気付いたローナ ーが声をかけると、サコーとじゃれていた︵正確にはサコーが構い 倒していた︶荷物が、アストラの方へとその顔を向けた。 自然で、リラックスしているようにも見える立ち姿。 余計な力はどこにも入っていないが、何が起こっても瞬時に対応で 295 the きるよう、そのための準備を常にしているのがよくわかる。 ウェーラの街でもそうだったが、あの時より、磨きがかかっている ようだ。 悪くはない。 こうした、向上心とも言い替えられる貪欲さを持つことは、悪いこ とではないと、アストラは考えている。 が、そのことと、荷物の性質がアストラにとって好ましいものであ るかは、また別の話である。 ガキ ﹁おい、荷物﹂ ガキ 荷物の一言に含ませたものに、どう反応するか。 ある程度の実力があり、また自らの実力に自信がある奴の、十人 中八人から九人までは、こちらにつっかかってくるが、そういった 連中は、相手︵この場合はアストラになる︶と己との実力差を客観 的に観測できない奴ばかりだった。 残り一人か二人も、まず大概は、つっかかってはこないものの、 気分を害したとばかりに不快げな顔をして黙りこむ。 これといった反応を示さない場合もあるが、無視することで相手に していない、と態度で示しているのがほとんどであり、相手との実 力差を客観的に観測でき、かつ、その結果を事実として認めた上で、 相手の意図するところを探るために、自らの反応を表に出さないよ うなのは、滅多にお目にかかれない貴重な掘り出し物といえる︱︱ たとえば、今回の荷物のように。 八歳という年齢上の身体的な未熟さ、時間という物理的な理由に よる練度の不足を、伸びしろと、自分とアストラとの実力差を理解 296 できる頭とで相殺して、ぎりぎり“可”というところか。 アルゲントゥム アストラから一定の距離を置き続けながら、観察、あるいは警戒を 続ける今回の荷物に、そう評価を下した。 ・・・・・・・・ 余談ではあるが、アストラの評価基準は、リニエッジとしてA級 に位置付けられているウィルオザワイクスでやっていけるかどうか であるため、アストラが下した“可”という判定は、よそのリニエ ッジでは“優”一歩出前の“良”に相当する。 いまだに距離を置き、こちらの様子をうかがっている荷物に、 ﹁飯と寝床以外の面倒は見ねえぞ。やらかすなら自己責任でやれ。 ⋮⋮何か質問は?﹂ 実に堂々と宣言するアストラに、サコーのこめかみがひくりとひ きつり、ローナーがおかしそうに笑うが、当の荷物はいたって淡々 としたものだった。 ﹁わかった﹂ 小さく頷いただけで、不平不満を示すこともない。 口数自体、そう多くはないらしいが、アストラとしてもそのほうが 面倒がなくていい。 ﹁よろしく、頼む﹂ 多少ではあるが置く距離を縮めて、荷物がぺこりと頭を下げる。 アストラの動向を眼で追える程度の下げ方だが、礼を逸しない範囲 内であり、それなりに礼儀も身に付いているようだ。 悪くない。 297 こぞう ﹁頼まれてやるから感謝しろよ、荷物﹂ サコーのこめかみがさらにひくつくのを尻目に、アストラは口の 端を持ち上げる。 荷物は荷物だが、多少格上げしてやってもいい荷物だ。 ガキから小僧に格上げされたことに気付いたのか、荷物の口元が、 ほんの少しだけほころんでいた。 † † あーるーはれたーひーるーさがりー、しゅーくーばーへつづーく みちー、にーばーしゃーがーごーとーごーとーわーたーしーをつれ ーてゆくー。 おはようございますこんにちわ、ツァスタバです。 ただいま絶賛ドナドナ中でございます。 あ、売られてゆくんとちゃいますよ? この先の飛び石宿場町ま うまや で通りかかった荷馬車に乗せてもらってるだけです。 宿の厩で使う藁を売りに行くそうで、荷台の藁山に埋もれてますが、 なぜでせうか、見た瞬間塔のてっぺんからダイビングしたくなった とです。 ちなみにローナーさんの次の保護観察官、アストラさんは荷台で農 家のじっちゃんとタンデムなう。 最近は腰痛がのー、とお約束の健康トークに律儀に相槌打ってるけ ど、ありゃかなりのスルーテクの持ち主と見た。 298 それにしても、昨日はあれから大変でしたわ。 大笑いしてたところで、ぶつんと意識がクロスアウツッ! ⋮⋮してどうする。脱ぐな。被るな。変態か。 はーいリテイク入りまーす。 えー、大笑いしてたところで、ぶつんと意識がブラックアウトし まして、気が付いたら右腕肘下から包帯&湿布固め+三角巾吊りで ローナーさんの小脇に抱えられておりましたんですのよ奥さん。︵ 誰︶ 幸い両手利きっつーか、そうなるよう訓練してたんで、利き手使え ない不便はあんまないんですけど、グランマ︵仮︶に肉離れってレ オド ベルじゃねーぞ的なことになってるからしばらく安静に、と注意さ れました。 でもこの程度のダメージなら、内部魔力しゃばしゃばにして再生速 度上げれば、一両日中には五割回復余裕なんだけどね。 そしたらですね。 なんということでしょう、ギルド出てちょっとんとこで、サコーの 父ちゃんとバッタリ遭遇したではありませんか。 ギルドになんぞ用事あったみたいだけど、そこらの事情は見ざる言 わざる聞かざるが正しい選択肢。 で、なにしてんだお前ら、と聞かれたら、答えてあげるが世の情 け。 かくかくしかじかマルマルウマウマ、ざっくりザッパにご説明申し 上げましたところ、出てきたばっかのギルドに再度連行され、ロー ナーさん共々床に正座させられて、ものごっつ叱られたとです。 こっちにもあるんだ、正座。 299 じゃなくてだな、父ちゃんのーぼーだー。わしゃ怪我人じゃぞー。 グレるぞーほんとだぞー。 とりあえず、何をやったかキリキリ吐けっつわれたので、技の詳 細は禁則事項なんで黙秘したけど、未完成の大技×未完成の大技ぶ っつけでぶちかましたらこーなりましたテヘペロ☆ と正直に申し 上げたところ、このバカチンがー! と雷落とされました。 バカチンて。リアルで初めて聞いたわー。 からだ もーまんたい 土台ができあがって技の錬度が上がれば、こっちの被ダメもかな り抑えられそうだし無問題、むしろ現時点でそーいう見通し立って 蝶ラッキーじゃね? なのでつい、﹁カッとなってやった、後悔も反省もしていない︵キ リッ︶﹂︵意訳︶とかやっちゃったのが悪かったんじゃろうかー。 でも実際、後悔とか反省とかするよーなことはひとっつもしてない と、胸張って言えますよ私ゃ。 で、十分ほど、アホども自重しろ︵要約︶とキッツいお叱りを主 にローナーさんが受け、解放された後、再びローナーさんの小脇は キダフ・アル・アジフ とりあえずお断りして宿まで戻りましたが、いやもう途中腹が減る 減る腹が減る。 まさしく私の胃袋が魔獣の咆哮ですはい。 あまりの空腹に耐えかねて、途中の屋台で半銀貨一枚分食い散ら かしました。 あ、もちろん自分の財布から出しましたよ? ボリューム 昼飯時も近く、色んな屋台があったけど、量があって待たされず すぐ食える、を第一条件に、ひたすら食いまくったとです。 塩漬けの豚とヒヨコ豆の煮込みは、胡椒、ハーブ、ドライトマト、 300 オリーブオイルとシンプルな味付けながら、肉の旨味でマイルドさ を持った塩気と、塩漬けにすることで煮込んでもほどよい歯応えを 残す豚肉、肉とドライトマトの旨味たっぷりな煮汁をしっかり吸っ た豆の柔らかさの中に、隠し味の鷹の爪のぴりっとした辛さがいい アクセントになって全体を引き締めていた。 バゲットに挟まれた、でっかいフライパンにたっぷり目に引いたオ リーブオイルで揚げ焼きにした魚は、川魚の分際で泥臭さのない上 品な白身で、癖はないが特徴もない没個性さをもって、粒マスター ドのほどよい刺激が舌を飽きさせないタルタルソースを生かし、し ゃりしゃりのレタス、スライスオニオン&トマトとも互いを引き立 てあって、つまりはいと美味し。 ⋮⋮山田花子︵仮︶がよく、異世界転生もので主人公があれこれ やる時、必ずってくらいマヨネーズ作るよね、と言ってたんだが、 聞いた話では、マヨネーズ発祥の地やら起源やらは諸説紛紛だけど、 地中海のメノルカ島っつー島だって説が有名らしい。 十八世紀、戦争で島に来たフランスの貴族がそこのソースを気に入 って持ち帰り、マヨネーズが生まれたとかなんとか。 起源とかありすぎてわかんねーよ、ってことは、地中海沿岸ではそ んだけメジャーなソースだった、とも考えられ、つまり十八世紀以 前からあってもおかしくない。つか、それ以前からあったと考える べきなんじゃね? 材料は酢と油と卵黄とシンプルだし、日本の平安やら戦国時代的な 異世界や、古代中国的な異世界ならまだしも、ヨーロッパ的異世界 なら似たよーなもんが自然発生してんじゃね? と思ってたけど、 ちゃんと自然発生してましたよ。 それはさておき、両方利き手みたいなもんだけど、口の周り、パ ンくずとかフライの衣とかタルタルソースとかついてたみたいで、 苦笑いのローナーさんに顔ごと拭われましたが、首から上がぐりん 301 ぐりんになったのはゆーまでもありません。 うん、食べかすと一緒に首取れるから、それ。 そうやってあれこれ食いまくって宿に帰れば、サコーの父ちゃん が先回りしてお待ちかねでラウンド2、ファイッ! ですよ。 こっち 思わず母ちゃんか、とツッコミたくなりましたが、そのへんにしと きなよ、今のアンタ、あたしが冒険者で身を立てるって言った時の 母さんそっくりよ? とのサイボーグなクリスチャン姐さん激似の おねいさまの一言に大破してました。 そら母ちゃん呼ばわりはショックでかいわな。違和感仕事しないと か思ったけど。言わなかった私優しい超優しい。 それから晩飯まで、ローナーさんも交えてあれこれ話をしたとで すが、サコーの父ちゃんが聞いてくるのは、シグさんローナーさん との道中にあったことでしたねー。 実家出て一人暮らしの息子が里帰りなう、のおかんですかっつーく らい。 まあ、ついさっきやらかしたことがことだけに、道中ほかになんぞ やらかしてないか気になるみたいです。 サバイバル ローナーさんとの、主街道じゃなく林道ショートカットで楽しく 野宿旅、ゴルゴン=クニークルス獲ったどー! 昨日は持ち込みの 猪で牡丹祭り、今日は兎祭りだトロピカルヤッホォオオイ! の三 本でお送りしたくだりはわりと笑顔で聞いてたけど、シグさんとの 道中、引き継ぎん時にこりゃ遅くなるなーってんで一人で行ったあ たりからこめかみに血管が浮きはじめ、大人の社会見学in娼館の ラウンジのあたりで、浮いた血管がヒグヒグしだして、あるぇーこ れやっちまった? と冷や汗かいたとです。 ⋮⋮ああ、うん。シグさんスマソ。わりとマジに。 302 ぜんか で、数時間前の実績のお陰で、サコーの父ちゃんが明日の引き継 ぎまでお目付け役として乱入もとい参入、二人部屋を四人部屋にチ ャージしてのお泊まりとなりました。 ・ 新人がかましたポカの尻拭いに急遽出張ってなって、野郎と相部屋 で雑魚寝したの思い出したわー。あん時はホテルは元ホテルだわの 壁穴だらけだわ床に寝袋だわ砂ジャリジャリだわ外はどっかんどっ かんうるさいわで大変だったけど。 ゆうべ なれのはて んで、兎祭りじゃー! が昨夜で、サコーの父ちゃんに祭りから つわもの 強制退去させられて、牡丹祭り明けの朝を超える酔っ払いどもの屍 転がる兵どもが宴の跡でガッツリ朝飯いただいて、予定していた待 ち合わせ場所に向かって。 とまあ、そのような経緯があって、農耕馬の歩みに揺れる荷台で、 藁山に半ば埋もれてぼひゃーっと空を眺めるに至ってるとです。 転生八年︵私としては実質二年︶、ここまでのんびりしたことはな いんではなかろうか。 気を抜くと、うっかり寝こけそうになるのんびり加減でございます。 ⋮⋮あー、空が高いなー。藁山ぬくー。 コミュニケーション あったかくて、いい匂いのする荷台の藁山から空を見上げながら、 昨日の楽しい肉体言語式会話をまったりじっくり反芻しているうち に、気がつけば荷馬車は飛び石宿場町に入っていた。 昼は過ぎていたけど、夕方には早く、反芻が楽しすぎて忘れてた空 腹感に、胃がぎゅるぎゅるわめき出したのには参ったけどね。 藁の納入先だからと、そのままついでで宿まで乗せていただくと かVIP待遇でしたが、かわりに宿代節約のための狩りができんか ったとですが、紹介割引かついてました。 二階に二人部屋二つと四人部屋一つ、一階に四人部屋一つの、素朴 303 で家庭的な宿は、荷馬車のじいさまの姪夫婦とその子供たちが経営 してるとか、何だかんだでちゃっかり、じゃないしっかりしてはり ます。 アストラさんが取ったのは二階の角部屋で、扉を開けてあらびっ くり。 痩せぎすで人相のあまりよろしくない、雷鳴とどろく嵐の夜に、墓 場から掘り出してきたの繋ぎ合わせた死体で人造生命体の創造実験 アサシン を、くひひひひとか笑いながらしてても違和感仕事しないオッサン と、暗殺者修行中の見習いです、つったら多分十人中十一人が信じ そうな子供には不似合い過ぎる、プリンスエドワード島行ってきた のうふふ、な趣味の人大喜びなカントリースタイルの二人部屋だっ た。 ないないない、この二人連れにこの部屋はない。マジないわー。 二人してリアルに﹁ポカーン﹂のAAみたいな顔で、目と目で通じ 合ってみたけど、現実は変わらない。 うん、まあ、その、なんだ、メンタル的な疲労はあっても正気度削 れたりしないし、大丈夫だ問題ない。 ⋮⋮といいなあ。 微妙な空気をあえてなかったことにしつつ、下ろした荷物を小さ なテーブルに置き、ベッドに腰掛け旅装を解く、前に右手を吊るす 三角巾を外す。 いや、今朝の段階で七割五分回復してたんだけど、サコーの父ちゃ んがね⋮⋮次会ったらかーちゃん呼んでやる。 グローブ 窮屈な姿勢から解放された右手にほっと一息つきつつ、手袋と隠 ジャケット し武器の幾つかを外しつつ、腕に巻いた革帯やベルトと帯布を解い ブーツ て上衣を脱ぎ、トラウザースとゆったりした黒いシャツ姿になった ところで、革長靴から足を抜く。 304 五感を活かしきるとゆーことで、長時間ブーツを履いた足のニヲイ あまた サバイバー と、結果発生する白○菌の恐怖すら再現してみせた運営の斜め上さ が、数多の経験者たちを狂奔させ、開発に至った神アイテム、抗菌 消臭速乾性五本指靴下︵下着のカテゴリに入るためか、サイズ自動 補正アリ︶のお陰で、スッキリ快適でございます☆ いつものさぎょう 末端の毛細血管決壊のお知らせでえらいことになってた手足も、 内部魔力で細胞レベルの回復促進のおかげでなんという劇的アフタ ー。 始めたばっかの頃と比べて、毛細血管スプラッシュもおとなしくな ったってのもあるし、名残は右手の爪の下にしかない。 グーパーと手と足の指を動かして動作確認。 うん、右手だけちょい違和感あるけど、この感じならあと数時間で 完治ってとこだろう。 しかし、保護観察官がいるっつっても自衛手段を持つのは当たり 前じゃろ? なでぎ 放置されてるとはいえ一応“街道”とされる道で盗賊に襲撃された ら、キチッと返り討ってから次の襲撃に備えるだろう? 誰だって そーする。私もそーする。 なんで、うわぁ、みたいな目ぇで見られんのかなー、と思っとった んですがね? の ﹁量産の鋳造にしちゃ、いい鉄使ってるな。使い捨て前提なら質落 として量だろ量﹂ うん、これは予想外。 この海の︵ズキュウン︶の目をしても以下略でしたわ。 やだ、カッコイイ。 305 りょうさん まあ、アストラさんの言うよーに、使い捨て前提の鋳造品にしち ゃ、質がいいの使ってるけど、鍛治場使わせてくれた親方︵﹃ミヅ ガヅル・エッダ﹄でのね︶が、たとえ使い捨て前提とはいえ、俺の ハンマー 工房で粗製乱打は許さねぇ、つーからさぁ⋮⋮。 頑固一徹職人気質。片手に鎚、心に職人魂、唇に葉巻、背中に人生 を。見て盗んで打って覚えろ、な無口な親方の一言は、重かったと です。 それに。 ﹁こっちは、使い捨てないやつだから、これでいい﹂ りょうさん 鋳造品でも、資源に乏しい技術立国出身なんで、使い捨てたりゃ しません。 手慰みに作ってる投擲用の木針だって、焚き付けに再利用してんで すよ? 貴重な資源使い捨てるわけないじゃないですかやだー。 ﹁使い分けしてんのか?﹂ ﹁使い分けしないのか?﹂ 思わず返すと、アストラさんはぶっと噴き出した。 ﹁お前、結構面白ぇのな﹂ ⋮⋮何でそうなる。 まあ、いいけどね別に。 そりゃそうと、ローナーさんが言うには、アストラさんは脳筋一 座の頭脳担当で、魔法? とかにも強いっつーか、そっちが本職な んだそーな。 考えたら私、魔法の現物見たことないんだよね。 306 マナ 内部魔力回して強化するのはやってるけど、これって厳密には魔法 じゃないらしいし。そもそも魔法がどーいうものか、外部魔力使っ て何かする、ぐらいしかわからないし。 ﹃ミヅガヅル・エッダ﹄じゃそれなりに使ってたけど、こっちの魔 法はマジ知識ゼロだし。 アストラさんが保護観察官のうちに、どーいうもんかちょっとでも 見れたら儲けもんだけど。 ⋮⋮見れたら嬉しいなー。 307 二十一撃目 Fear is 二十一撃目お届けします。 often greater 戦闘書いてスカッとして、気が抜けたみたいです。 than 早いとこ目的地まで書いて、次の戦闘を⋮⋮! 一心不乱の大戦闘 を!︵をい︶ 308 the PDF小説ネット発足にあたって http://ncode.syosetu.com/n7061cc/ 異世界太腕漂流記 ∼乙女ゲームは衰退しました∼ 2015年1月19日12時05分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 309
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