『小さいおうち』

●小論文ブックポート 113
〈連載〉小論文ブックポート
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秋には玄関脇の楓と、ななかま
どの紅い実と美しい屋根が調和
するというふうに、瀟洒な佇ま
いの家だった。本書のタイトル
でもある「小さいおうち」であ
る。 年後の東京オリンピック
と万国博覧会の同時開催も決ま
り、お祭りムードの年だった。
平井家の暮らしは、モダンそ
のもの。例えば小児麻痺で足が
不自由となった恭一ぼっちゃん
の端午の節句にと、「ハムライス
にオムレツにコロッケに伊勢え
本五十六連合艦隊司令長官の戦
死と、アッツ島の玉砕が大々的
に報じられるようになると、皆
が「決戦状態」を理解するよう
になる。そんななか、タキは昭
和 年 月、東京大空襲の前に
山形に帰郷。集団疎開の子ども
たちの世話に尽くすことになる。
そ し て 現 代 が 舞 台 の 最 終 章。
タキの死後、その「秘密」を明
かすべく健史がたどり着いた結
末は、「予想外」のものだった。
『小さいおうち』の時代の人々
とは異なり、戦後生まれの私た
ちは自らの行く末を選び取れる
環境にある。だが著者は近年の
状況から、人々の「現実への無
関心」に警鐘を鳴らす。例えば
選 挙 に 行 か な い 人 々。「 だ ん だ
んと日常に入り込んでくる非日
常を、毒に身体をならすように
受け入れてしまうかと思うとほ
んとうに怖い」と指摘する。 『 小 さ い お う ち 』 は 過 去 の も
のではない。著者の「私たちも、
いつでもああなる危険性があ
る 」 と の 警 鐘 を 重 く 受 け 止 め、
現実を直視していくことが求め
られよう。 (評=福永文子)
職。前の会社から引き抜かれて
びサラダ、桃の缶詰を使ったム ースババロアにホイップクリー
の転職である。この年は満州事
ム」など好物が振舞われた。ぼっ
変 の 翌 年 で あ り、 五・一 五 事 件
ちゃんの足のお医者様は日本橋
後に挙国一致内閣が誕生した昭
にあったため、奥様とタキと三
和7年。国内は「景気がぐんぐ
人 は 帰 り に 三 越 の 食 堂 で 一 息。
ん持ち直し」、玩具会社では「ぐ
るぐる回る戦闘機」や「爆弾三 「 き れ い に 髷 を 結 っ た 奥 様 や お
勤めの人々がおしゃべりしなが
勇士人形」など時局ものの玩具
らお食事している姿は、いつ見
が飛ぶように売れ、キューピー
人形が世界で人気を博した頃だ。 ても楽しいもの」とタキは書く。
昭和初期の日本と言えば、今
景気の良さを反映し、平井の
旦 那 様 は 常 務 取 締 役 に 出 世 し、 は「 戦 争 前 夜 の 暗 く 重 い 時 代 」
とイメージされる。だが東京の
昭 和 年、「 赤 い 三 角 屋 根 の 洋
中 流 層 の 生 活 は 豊 か で 明 る く、
館」を新築。こぢんまりとした
文化的にも成熟しており、現代
バンガロー風の西洋屋敷は花の
季節には沈丁花や金木犀が香り、 のライフスタイルの原型がこの
した後、恭一ぼっちゃんを連れ
て再婚した。相手の「平井の旦
那様」は、玩具会社の営業部長
●中島京子 著 文春文庫(定価 本体580円+税)
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開されていく。時折、日記を盗
み見して評するのが、甥の次男
坊の健史。彼は「過去」と「現
代」のつなぎ手でもある。
タキは二番目の奉公先で、時
子 奥 様 と 出 会 う。「 白 地 に 青 い
水玉模様のワンピースを着て飛
び 出 し て き た 」、 時 子 奥 様 は
歳。 1 歳 半 そ こ ら の 恭 一 ぼ っ
ちゃんを抱いていたが、その姿
は 軽 や か で、「 近 所 の お 姉 さ ん
が戯れに子を抱き上げてみたよ
うな雰囲気」で「お嬢様」のよ
うな若々しさだった。初めて女
中を使う時子奥様はタキに、お
料理や言葉遣いを熱心に細やか
に手ほどきした。その後二人は
長い「濃い時間」を過ごす。
時子奥様は前夫を事故で亡く
『小さいおうち』
昨年、ある公立大学で作家の
中島京子が自らの直木賞受賞作
『小さいおうち』
(文春文庫)に
ついて記した朝日新聞の記事
(平成 年 月 日号)が出題
された。山田洋次監督が映画化
し、黒木華と松たか子が出演し
た話題作である。今回は本書を
読み、戦前の昭和初期、ふつう
の人々が「何を考え、なぜ戦争
になったのか」を追っていく。
「昭和モダン」な暮らしぶり
主人公の布宮タキは昭和5年、
山形の尋常小学校卒業後に上京
し、裕福な中流家庭の家で住み
込 み の 女 中 と し て 働 い て い た。
このタキが晩年に当時を回想し
て綴った日記を元に、物語は展
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時代にあったことがうかがえる。 会社のデザイン部にと引き抜い
かないが、人々がいかにメディ
他方、タキのように地方出身者
た。物語は、この板倉さんと時
ア情報に簡単に影響されるのか
の 姿 か ら は、 著 し い 格 差 社 会
子奥様の「秘め事」を心配そう
が
、よく描き出されている。
だったことも浮き彫りにされる。 に見守るタキの視点で描かれる。
他方、戦争の継続は否応なく、
人 々 の 暮 ら し を 圧 迫 し て い く。
興味深いのは子どもたちの
二人の関係が深まるなか、舞
「 お 受 験 」 の 場 面。 時 子 奥 様 の
台はいよいよ戦時下へ。ここで
すでに太平洋戦争前の昭和 年
姉の「麻布の奥様」は息子の正
も興味深いのは、人々の戦争の
には、支那での事変が長引いて
人ぼっちゃんの中学受験に夢中
とらえ方である。例えば昭和
いたこともあり、オリンピック
で、「小学校五年生から受験塾に
年 月の南京事件(南京大虐殺) が 返 上 さ れ、 万 博 の 延 期 も 決
通わせ、七年制の学校にやるん
に 対 し て。「 南 京 陥 落 直 後 の お
まった。そのなか、金属玩具の
だと目の色を変えていた」
。裕
正月はみんなの気持ちが前向き
国内向け販売も禁止される。旦
福な家庭の母親が子供の「立身
で」
、
平井の旦那様も「先を見て、 那様の玩具会社も大きな人員整
出世」を願って受験に没頭する
先を見て進むのがビジネスの極
理を行い、二年前に操業を開始
様も、現代と重なる風景である。 意ですからなあ」と戦勝景気に
したばかりの大工場を閉め、敷
乗った商品開発を熱く語ってい
地と施設を売り払わなければな
戦争に高揚した、
ふつうの人々
た。一方女性陣は「仕事がらみ
らなくなる。平井家ではこのこ
「赤い屋根の洋館」ができて
のお話ばかりに、奥様は少し退
ろから夫婦の口喧嘩も増えた。
しばらく経った夏、旦那様ら家
屈されたご様子」と、戦争は他
台所を預かるタキは、入手困
族は、社長に鎌倉の別荘に招か
人事でしかなかった。
難になる食料品や贅沢品を切ら
れた。ある日そこにやってきた
さずに求めるため、出入りの御
また昭和 年 月 日、真珠
のが、板倉正治である。美術学
湾攻撃で奇襲作戦が成功したと
用聞きに顔を利かせる。こうし
校を卒業したばかりで、社長が
の ラ ジ オ 放 送 に は、 皆 大 喜 び。 た姿を「キャリアウーマン」と
タキも翌日の朝刊の見出しを
振り返る姿には、庶民のしたた
「何かがすっとわたしの中に
かさとユーモアが表れている。
入ってきて、いろいろなことが
開戦以降は昭和 年 月のシ
わ か っ た 気 が し た 」「 新 し い 時
ンガポール陥落の頃までは日本
代が始まるのだ」と受け止める。 軍の勝利に湧き、ミッドウェー
海戦も「日本が大勝利」と報道
されていた。だが昭和 年に山
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むろん厳しい情報統制下であ
ることを考慮しないわけにはい
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