関東大震災

関東大震災
著者 吉村昭 (文春文庫)
紹介者 静岡大学教育学部総合科学専攻
太田未来
目次
1. 関東大震災概要
2. 被害状況
3. 本所被服廠跡での悲劇
4. 流言(デマ)の拡大
5. 死体処理
関東大震災の概要
• 大正12年9月1日午前11時58分48秒発生
• 津波の襲来
→大島12メートル、伊東12メートル、鎌倉3メートル
• 地面の隆起・陥没
→小田原1.2メートル、茅ヶ崎1.4メートルの隆起
→亀戸24.6センチ、砂町27.6センチの陥没
• 木造建築物の全壊率は50%以上
被害状況
≪横浜≫
• 港湾都市であったため、石造・レンガ造りの洋館が多く、ほとんどが崩壊→圧死
≪鎌倉≫
• 地震によって、長谷の大仏が約50センチ地下に潜り、前に40センチせり出す
≪根府川≫
• 地震発生時に根府川駅に侵入した東海道線が、40メートルの断崖を転がり海へ落下
更にその後の地崩れの影響で駅舎も海へ転落
被害状況
≪東京≫
• 16684戸が倒壊、2122戸が半壊
• 下町は地盤が軟弱であったため、被害がより甚大だった
• 昼時の地震であり、更に水道管破壊によって消防能力が低下したことで、大火災発生
→約42時間後に鎮火、1秒間に69坪強が焼き払われた
• 焼戸数は、30924戸/483000戸(東京市)
本所被服廠跡での悲劇
元は陸軍省被服廠だった場所(約20400坪と非常に広大な敷地)
人々は絶好の避難場所だと考えたため、大量の家財道具を持って
大勢が避難
火が四方から襲い掛かり、家財に引火、大旋風が巻き起こった
推定38000名が死亡した(東京市の死者全体の約55%に当たる)
流言(デマ)の拡大
• 余震への恐怖、圧死体・焼死体・溺死体の目撃等による精神攪乱状態
• 確実な情報の不足、連絡の不可能
平静を失い、冷静な判断が出来ないが故に、デマが大流行
『大津波が来る!』
流言(デマ)の拡大
• 河北新報(宮城) 、伊勢新聞等の報道
『芝浦(品川)に大津波来襲し、約一千名の死者を出した』
• 福岡日日新聞
全て嘘!
『駿遠地方稀有の大震災』 …震源地は沼津!?濃尾平野!?
• 岩手新聞
『秩父連山の噴火、沖天の噴煙壮観を極む』
他にも、上野~長野間全焼や小笠原・伊豆諸島の水没なども報じられた
死体処理
災害地に放置された、大量の焼死体・溺死体・圧死体
残暑が厳しい季節であったため、死体の腐敗が急速に進行
伝染病の恐れを考慮すると、処理を急ぐ必要性あり
特に焼死体は多くが識別不明、引き渡しは困難を極める
とにかく急がねば!!
死体処理
≪死体処理作業の進行方法≫
1. 東京市衛生課を中心とし、警察庁が全面的に協力 また、作業人夫を雇う
2. 各区に死体収容所を設け、遺族のために死体を2日間保管
3. 臨時の火葬場を設置
4. 死体の収容作業には警察官の立ち合いが必要
死体処理
≪被服廠跡での死体処理≫
49821体もの死体を移動させることは不可能
→そのまま大火葬場にすることを決定
火葬された骨は、約3メートルもの高さに積み上がった
現在本所被服廠跡は、震災記念堂になっている
現在の震災記念堂の様子