剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか REDOX ︻注意事項︼ このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にP DF化したものです。 小説の作者、 ﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作 品を引用の範囲を超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁 じます。 ︻あらすじ︼ 幼 き 頃 よ り 剣 を 振 る い、剣 し か 振 ら ず に 育 っ て き た 青 年 ア ゼ ル・ バーナム。ベル・クラネルの幼馴染でもある彼は、ベルに付いて田舎 から迷宮都市オラリオまでやってきた。そこで彼は、ベルと同じ主神 のファミリアに入りダンジョンへと身を投じる。 その身に宿すは︻剣︼。すべてを切ることも、すべてを切らないこと も で き る︻剣︼。圧 倒 的 と も 言 え る そ の 剣 の 腕 で 彼 は 今 日 も モ ン ス フ ァ ミ リ ア・ミ イ ス ターを屠り続ける。急激な成長を遂げていく仲間であるベルの横で、 アゼルは何を思い、何をするのか。 これは一人の青年が剣を振るい、すべてを斬り裂く︻眷属の物語︼。 その先に何が待ち望むのかは、神でさえ知らない。 目 次 プロローグ │││││││││││││││││││││ 強者を見つけ、弱者となる 剣士、迷宮に立つ │││││││││││││││││││ 1 あるギルド職員の受難 │││││││││││││││││ さあ、聖戦を始めよう │││││││││││││││││ 己を貫く代償 │││││││││││││││││││││ 剣、至る │││││││││││││││││││││││ それは遥か昔の熱 │││││││││││││││││││ 炉は燃える │││││││││││││││││││││ 剣を振るい、心は澄む │││││││││││││││││ 試行錯誤・下 │││││││││││││││││││││ 試行錯誤・上 │││││││││││││││││││││ 果たしてその感情は ││││││││││││││││││ 刀鍛冶の少女 │││││││││││││││││││││ 束の間の休息 │││││││││││││││││││││ 望め、さすれば与えられん 幕間 神々の宴│そして彼女は│ ││││││││││││ そして彼は地に墜ちた │││││││││││││││││ 祭りは静かに盛り上がる ││││││││││││││││ 放たれた刃の行方 │││││││││││││││││││ そして因縁は始まる ││││││││││││││││││ 過去を思い、心を刺す │││││││││││││││││ 剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン ││││││││││││ 黄昏の館 │││││││││││││││││││││││ 3 15 24 35 46 60 72 84 98 248 234 222 211 198 184 170 157 145 132 121 107 何故兎は跳ねるのか ││││││││││││││││││ 剣はただ己の為 ││││││││││││││││││││ 幕間 少女は歩き出す │││││││││││││││││ 滴る血より生まれしモノ 奇跡を追い求めて │││││││││││││││││││ 剣士危機一髪 │││││││││││││││││││││ 楽しんだ者勝ち ││││││││││││││││││││ 月下踊る剣の獣 ││││││││││││││││││││ 剣士と冒険者 │││││││││││││││││││││ 相対する剣士と最強 ││││││││││││││││││ ホトトギス │││││││││││││││││││││ 276 267 258 362 352 336 320 307 297 286 強者を見つけ、弱者となる プロローグ ただ、剣を振るい続けた。 剣を握ったのは本当に偶然で、もしそこに鍬があったら、鍬を握っ て畑を耕しただろう。その程度の気持ちだった。 しかし、始めてみると自分に欠けた最後のピースが当てはまるよう に、すとんと心に落ち着いた。振るえば振るうほどのめり込んでいっ た。そんな私を周囲は気味悪く思ったことだろう。 私にとって、剣を握っている自分こそが完全に思えた。 ﹂ そんな時だった、一人の老人に出会ったのは。 ﹁なっとらん 一人で剣を振るっている私に、その老人は笑いながら話しかけてき た。 白髪に赤目の少年と共に住んでいたその老人は、良く村の子供達に 昔話、特に英雄譚を聞かせた。その人の、剣を振るう姿がいつも私の 瞼の裏をちらついていた。 だから、私は素直にその老人に教えを請うた。もっと、もっと格好 良く剣を振りたい、と。きっと、このまま貴方に教えを請わずに振る い続けるのは剣に失礼なのだ、と。 老人は私の言葉に大笑いして、そのお願いを聞いてくれた。ただ、 一つだけ忠告もした。 剣に飲み込まれてはいけない。 剣は己の一部かもしれない。 しかし、己は剣の一部ではない。 何を斬り、何を斬らないか。それを決めるのは己であって、剣では ない。 もし、己と剣を同一視してしまうようなら、それは周りの人間すべ てを傷付ける人間だ、と。 な る ほ ど、と 思 っ た。何 を 斬 り、何 を 斬 ら な い か。深 い 言 葉 だ と 1 ! 思った。しかし、老人はその後、なんてな、と言ったので真意は定か ではない。私は敬意を込めて、老人のことを老師と呼ぶようになっ た。 それから数年経った今でも、彼の言った言葉は俺の中で生きてい た。 アゼル・バーナム Lv.1 力:H 124 耐久:I 45 器用:I 76 敏捷:H 165 魔力:I 86 フトゥルム ︽魔法︾ 常時発動。 ︻未来視︼ ・ 数瞬先の未来の光景を見る。 魔力を込めれば込めるほど、より鮮明に、より先の未来が見え ・ ・ る。 スパーダ ︽スキル︾ ・ ・ ・ 己の力への信頼の丈により効果向上。 己の力への信頼する限り効果持続。 何を斬り、何を斬らないかの取捨選択権を得る。 稀代の剣士として認められた者の証。 ︻剣︼ ・ その日、私は冒険者となった。 何の変哲もない本屋の片隅で、私と友人は一人の神の眷属になっ オ ラ リ オ た。私は、この身に培った剣技を十全に振るえる場所を求め。友人は 運命的な出会いを求め。 人の欲望を押し固めたような迷宮都市で、綴られるのはどんな物語 だろうか。きっと、私の物語は英雄譚などではないだろう。 2 剣士、迷宮に立つ ファミリア ﹁君はダンジョンに何を求めているんだい ﹂ それが所属することになった眷 属の主神が私に最初にした質問で あった。その問に対して私は ﹁修行のため﹂ と答えた。 村に居た老師にはもう教えることがないと言われていた。しかし、 恥ずかしながら私には実戦経験という物があまりにも不足していた。 当然だろう、モンスターと呼ばれる怪物などあまりいないし、野盗に ダンジョン もついぞ会うことはない生活をしていた。 人外がそこら中を彷徨う迷 宮は実践を積むにはうってつけの場所 ﹄ に違いない。老師にそう言うと、彼も笑いながら同意してくれた。 結論から言おう。 私は間違ってなどいなかった。 ﹃ウヴアァァァアァァァァァアアアアッ ﹁⋮⋮うるさいな、こいつ﹂ にも出てくる怪物の一体。その名は﹃ミノタウロス﹄。その肉体は、人 間の限界を越えておりかなり筋肉が隆起している。 ギルドで聞いた話によるとミノタウロスというモンスターは中層 に出てくるモンスターだったはずだ。討伐の適正レベルは2、しかも かなりの熟練者でなければ倒せないと言われた。まあ、まず出会うこ とはないだろうとも言われた。 しかし、現実では出会ってしまった。最初の方は私も逃げまわって いたが、だんだんと面倒くさくなってきた。レベル2のモンスターと いう事前情報に惑わされていたのか、ちゃんと相対してみると、そこ までの気迫ではない。 少なくとも、あの老師が本気を出した時に比べれば生易しい。 ﹁斬れるか⋮⋮﹂ 否、それはなんと無駄な問答だろうか。斬れるか、という疑問など 3 ? 目の前に立つのは半人半牛の怪物。老師に聞かされた英雄譚など !! 私には似つかわしくない。斬るか、斬らないか。それだけが私の出せ る答えなのだから。 ﹁こいつは﹂ ギルドから冒険者となった日に支給された剣を抜く。それは、ただ のショートソードだ。しかし、そんなこと私には関係ない。 ﹃斬る﹄という概念は、剣にあるのではない。斬ることを選ぶのは他 ならない私自身なのだから。手に持つ剣がなんであろうと、斬れない ﹂ 物などないと信じる。 ﹁斬るッ 爆音を伴いミノタウロスも前進してくる。その速度は、今まで戦っ てきたモンスターのそれとはかけ離れていた。 しかし、見える。相手が次に繰り出す攻撃が、確かなイメージとし ﹄ て視界に映される。 ﹃ヴォアアアッ ﹃ヴォアアアアッ ﹄ ﹁巨体というのも、不利な点が多いものですね﹂ を崩し、膝立ちになった。 それでも、後ろに回った私に振り向こうとするミノタウロスは姿勢 足首を斬った。当然、足を失った者は立てない。 ろした。その攻撃をミノタウロスの股の間をくぐりながら避け、その 自分より遥かに背の高いミノタウロスは私に向けて右手を振り下 !! ﹁しッ ﹂ 私が見えないはずもなく。 ろう。その拳は本来の速度には格段に劣っておりーーーそんな拳を を力いっぱい振るった。しかし、足による踏ん張りが効かないからだ すでに立てないにも関わらず、歩いて近付く私にミノタウロスは拳 哮であったことなど、分かりきっていた。 人語など分からないであろう怪物に話しかける。返事は大きな咆 !!! ﹁潔く死ね﹂ そうして、最後にその首を斬り落とそうとショートソードを上段に 4 ! 斬り裂く。腕が一本宙を跳んだ。 ! ﹂ 構えた時だった。 ﹁いたーッ ﹁でかしたわティオナ ﹂ 突然の来訪者。それに合わせて、本能が告げる警戒本能。 数瞬先の未来を見ることができる目も、見えなければ意味がない。 しかし、老師と幾度も手合わせをしてきたからだろう、攻撃という物 を肌で感じることができるようになっていた。 風を切りながら飛来してくる物体。それを、目を向けずにショート ソードで斬り払う。もう一つ飛来してきた物体はミノタウロスの頭 に突き刺さり、貫通して壁にめり込んだ。目を向けるとそれは投げナ イフであった。その威力たるや、そのまま当たっていたら私の身体を いとも容易く貫通していたであろうほど。 ﹁あ﹂ その豪速で飛来してきたナイフとの衝突に耐え切れなかったのか、 大丈夫ッ ﹂ ショートソードは甲高い音と共に中程で折れてしまっていた。 ﹁うわあああ !? う なら、別に構いません﹂ ラ リ オ ﹁いや、そういう問題じゃないと思うんだけど⋮⋮﹂ ﹁あの⋮⋮本当に失礼だとは思ってるけど。質問をいいかしら どうぞ、とティオネと呼ばれていた女性の発言を促す。 ﹂ ﹁いえ、生きてますし。どちらにしろ、助けようとしてくれたのでしょ ろう。 かり思っていた。という考え自体が迷宮都市に馴染めていない証だ オ また褐色の女性だった。かなりの速度だったので、てっきり男性とば どうやら、先ほどのナイフを投げたのはティオネと呼ばれる、これ ﹁ごめんなさい﹂ ﹁ほら、ティオネも謝りなよ。殺しかけたんだから﹂ 突然の来訪者の片方、褐色の女性が駆け寄ってくる。 ! くつ ﹂ ﹁仰る通り、一週間前に冒険者となったレベル1ですよ﹂ ? 5 ! !! ﹁貴方、見た目も装備も駆け出しの冒険者みたいだけど。レベルはい ? ? ﹁嘘じゃないでしょうね ﹁ちょっと、ティオネ﹂ ﹂ 傷付けかけた人間にいくつも質問をし、その上疑うような言動まで するティオネに戸惑ったのか、もう一人の女性はその行動を止めよう としていた。 ﹁だって、考えてみなさいティオナ。仮にもレベル5の私が投げたナ イフを斬り落とすことなんて、レベル1の冒険者にできるわけない わ。しかも、あのミノタウロスよく見てなかったけど、腕が無かった﹂ ﹁ええ、斬りましたから﹂ ﹁それがおかしいのよ。レベル2相当のモンスターをレベル1しかも 駈け出しの冒険者が傷付けることがそもそもありえないわ。さあ、き りきり本当の事を吐きなさい﹂ いつの間にか、自分が嘘を吐いていることになって、しかもそれを 聞き出そうと尋問されていた。なかなか愉快な女性だ。 どうせ、武器も壊れたのでもう帰るつもりでした ﹁正真正銘私はレベル1の駆け出しですよ。なんなら、ギルドに行っ て確認しますか し﹂ ﹁お構いなく。あれは貰い物の上、大した物でもなかったですから﹂ そう言って、私は踵を返して元来た道を戻るために歩きだした。ま ﹂ あ、二人が付いてくるかはどちらでもいい。というか、何か忘れてい ﹂ る気が⋮⋮。 ﹁あぁッ ﹁どうしたのよ ﹂ ﹁いえ、そういえば仲間とはぐれたのでした。できれば仲間を探して からでいいですか ﹁あ、私ティオナ・ヒリュテ。こっちは姉のティオネだよ。所属はロ 逃走して上層まで登ってきたものらしい。 話を聞くと、なんでもあのミノタウロスは中層で出会った集団が、 いててあげるね﹂ ﹁まあ、あのミノタウロスは私達のせいでもあるから、見つけるまで付 ? 6 ? ﹁あ。その、それもごめんね﹂ ? ! ! キ・ファミリア﹂ ﹁親切にどうも。私の名前はアゼル・バーナム。所属はヘスティア・ ファミリアの新参者です﹂ ふむ、まさか大手のファミリアの冒険者だったとは。あまりにも冒 険者について疎く、興味の薄い私にこれだけは覚えておけと言われた ファミリアの中にあった名だ。 しかも、先ほどの会話でレベル5の冒険者であると言っていた。実 聞いたことないわね﹂ は中々な有名人なのかもしれない。私は世間知らずなのでそこらへ んが良く分からない。 ﹁ヘスティア・ファミリア ﹁それはそうでしょう。つい一週間ほど前にできたファミリアですか ら﹂ 私はベルのついでに入ったような物ですが。 ﹁それにしてもまさかこんな浅い階層でミノタウロスなんて大物に出 会うことになるとは。人生何が起こるか分かりませんね﹂ ﹁ごめんねー。あれ、ウチのファミリアの不始末っていうか⋮⋮そも そも、なんであいつら私達から逃げたのよ﹂ ﹁モンスターにすら逃げられる冒険者とは⋮⋮本当に恐ろしい﹂ ﹂ ﹁いやー、私もあんなこと始めてだったから驚いてね。それで、仲間っ ていうのはどんな奴なの 私の仲間は同郷の友とでも言うべき人だ。老師からはそろそろ旅 に出ろと言われていたので、ちょうどその時オラリオに冒険をしに行 くと言っていた彼に付いてきたのが始まりだ。 ﹁白い髪に赤い目。兎のような印象の男です。まだ十四歳なので、結 構小さいと思います﹂ ﹂ ? ﹁ほえー、十四歳で冒険者かあ﹂ ﹂ ﹁ティオナさんもまだまだお若いでしょう。十七くらいなのでは ﹁あたりー。でもアゼルも若いんじゃないの 当てるから。むむむ﹂ ﹁そうですね﹂ ﹁待って ? 7 ? ? 唸りながら歩く私の顔、胴、足と観察するティオナさん。といった ! ものの、私の見た目にそう目立ったものはない。 可も無く不可もない、どちらかといえば可と老師に辛口のコメント を頂いた顔に短い赤い髪。黒単色のズボンに、緑のマントで上半身を 隠している。中はただのシャツしか着ていない。零細ファミリアに ﹂ は防具を買う金などないのだ。 ﹁二十くらい ﹂ ﹁惜しいですね。十八です﹂ ﹁それって惜しい 後、さんは嫌 ? ﹂ ﹁なんでよ ﹂ ﹁いえ、こう、雰囲気 ﹂ ﹁私のどこが怖いっていうの ﹂ オネさんと呼びますね。それとも姐さん、とでもお呼びしましょうか ﹁女性の嫌がる事をするのも嫌いなんです。あ、ティオネさんはティ ﹁いや、普通に呼んでるし﹂ できませんよティオナ﹂ ﹁いやあ、初対面の女性を呼び捨てで呼ぶなんて、恥ずかしくてとても ションだったので、今は逆ですね。 だろうか。いや、彼が語ったのは男が女を助けるというシチュエー これが私の友人、ベル・クラネルの言うダンジョンでの出会いなの いだから﹂ ﹁目麗しいって⋮⋮もっと、普通の言い方できないの い限りです。ミノタウロスにも襲われてみるものですね﹂ ﹁私としてもティオナさんみたいな目麗しい女性と仲良くなれて嬉し ﹁それは、そうだけど﹂ ﹁別にいいじゃん。私達が悪かったのは確かなんだからさ﹂ ﹁というか、ティオナ。何仲良くなってるのよ﹂ さあ、それは個人の感性の違いと言いましょう。 ? とするというか、逆らったら恐ろしい事になる、そんな未来を予想さ せるような女性である。 8 ? 誰も怖いなど一言も言っていません。逆らえない感じがひしひし ! ? ! ? ﹁あ、アイズいたー ついでにベートも﹂ ﹁チッ。漸く来やがったかバカゾネス共﹂ 幾分か歩いていると、ティオナが仲間を見つけたのか手を振りなが ら近づいていった。 一人は銀髪の狼人。目つきが鋭く、醸し出す雰囲気も周りに比べる と人一倍鋭い。好戦的、言葉を交わさずともその性格の一片が見え隠 れする。 もう一人は金髪の女性。その女性を見た瞬間、身体を雷が貫いたよ うな感覚が襲う。 スラリとした身体に金の髪が背中の中ほどまで伸び、こちらを振り 向いた彼女の目は金色。美しい、そんな言葉では足りないような女性 だ。 しかし、そんなことは私にとってはどうでもいい。 ひ と その存在が、その有り様が自分に似ているように感じた。鋭く、硬 く、真っ直ぐな一本の剣。この女性は強い、魂がそれを感じ取った。 ﹁え﹂ 気が付いた時には地面を蹴っていた。予想外の行動にそこにいる 全員が唖然とした。目の前の女性以外は。 鞘に収めていた折れた剣を抜きながら斬りつける。その一撃は呆 気無く彼女の剣に阻まれ、刃と刃がぶつかり火花が散る。 弾かれた剣をもう一度、袈裟に振るう。しかし、それは彼女に当た る前に止まる。 ﹁は﹂ いつの間にか、とでも言うべきか。いや、見えてはいた。見えてい た、というより見た。視界の中に行き成り彼女が私の首に剣先を突き つけるその景色。 ﹁ははっは﹂ 口からは乾いた笑いが漏れる。速過ぎる。瞬きをした瞬間に出現 したわけでもない、にも関わらず私は一瞬で剣が出現したように見え た。彼女は、私より遥か高みにいる。 9 ! ﹂ 降参と言わんばかりに両手をあげる。そうすると、彼女はあっさり と剣を鞘に収めた。 デュ ラ ン ダ ル ﹁それにしても、斬れないとは⋮⋮その武器はなんですか ﹁デスペレード。不壊属性を持った剣﹂ ﹂ 胸ぐらを掴み壁に押し付ける。 大声で呼ばれたので振り向くと、銀髪の狼人が鬼の形相で迫り私の ﹁はイッ﹂ ﹁おいっ、てめぇッ ﹁なるほど、不壊属性。私も知らないことがまだまだあるようだ﹂ ね。 しかも、私の質問に潔く答えるとは。驚きを通り越して呆れます ? ﹂ 確かに、冷静ではなかった。出会った人間に通告もせず斬りつける ああ !? ? なんて礼儀がなってなかったという自覚はある。 ﹁行き成り斬りかかるたあ、どういう了見だ ﹂ ! ﹁いやあ、謝りますよ。だから、手を放して頂けると﹂ ﹂ 放して ﹁なんだその態度はよお ﹁ちょっとベート ! ﹂ 出会った瞬間斬りかか こいつぶっ殺す﹂ ! ﹁もう、止めなって というかアゼルも るってどういうこと ! ﹁邪魔すんじゃねえティオナ て狼人の手を掴み私から引き剥がす。 漸く何が起こったのか把握したのか、ティオナさんも駆け寄ってき ! ﹁アイズ ﹂ ﹁別に、気にしてないから﹂ その声は小さくも、その空間に鈴の音のように響いた。 ﹁いい﹂ ろう。 かってしまった、なんていうふざけた理由を言ったらどう思われるだ 彼女に言って分かるだろうか。強いやつがいたので、つい襲いか ! の女性に詰め寄ってあれこれ言っている。 10 !! ! 言っていることが信じられなかったのか、狼人は狼狽えながら金髪 ! ﹁で、斬りかかった理由、きりきり吐いてもらうわよ﹂ ﹁これには深い理由がありまして﹂ 壁に追いやられた私に追い打ちを掛けるようにティオネさんが尋 問を開始する。先ほどの狼人も怖いものがありましたが、ティオネさ んの背後には鬼が見える。 今回はティオナさんも納得していないのか、姉を止めず同じように 理由を問い詰めてきた。狼人が金髪の女性にあーだこーだ言い、壁際 ﹂ で は 私 が ア マ ゾ ネ ス 二 人 に 問 い 詰 め ら れ る。な ん と も 変 な 空 間 に なった。 ﹂ ﹁これは、どういうことだい ﹁あ、団長 ﹂ ? りかかりやがった ﹂ ﹁それは確かなのかい ﹁はい﹂ ﹂ ﹁この野郎、バカゾネスが連れてきたと思ったら行き成りアイズに斬 突拍子もない狼人の台詞に溜息を吐きながら返事をする少年。 ﹁⋮⋮はあ。まずは説明をしてくれないかなベート﹂ ﹁おい、フィン。こいつ殺していいか 長と呼ばれるからには、ロキ・ファミリアの団長なのだろう。 そんな空間を壊したのは、一人の少年だった。金の髪に青の目。団 ? だが。 ﹁フィン。私は気にしてないから﹂ ﹂ ﹁そうは言ってもね。で、君は何か理由はあるのかい みでも ﹂ ? んな理由で襲いかかる人間は果たしてどれほどいるか。それに私が なんと言えばいいのか。正直に言うと、比べたかった。しかし、そ ﹁ただ アイズに恨 思わずにはいられない。自分のしでかしたことなので、自業自得なの を出している事に違和感を感じながらも、これは面倒な事になったと ティオネさんが最相別人なのではないかというほどお淑やかな声 ? ! 11 ! ﹁いえ、彼女を見るのは今日が初めてです。ただ﹂ ? ? 比べたかったのは実力ではない。もちろん実力という点も大事だが、 何よりも比べたかったのは内面である。 ︻斬る︼ということにおいて、彼女と自分。どちらが優れているの か。結果は、自力に差がありすぎて分からなかったが。 グダグダ言ってねえで本音を吐け、おらぁ ﹁彼女と私、どちらが鋭利なのか。知りたかった、と言いますか﹂ ﹁何言ってんだこいつ ﹂ ﹁ベート、やめるんだ﹂ ﹁止めるんじゃねえフィン ﹂ きる。スキルの説明に刃物の使用は必要とされていなかった。 得物など、なんだって関係ない。極端な話、痛いが手刀でも斬鉄で ならば、斬れる。 ﹁なっ﹂ ﹁どうやら、それは不壊属性という訳ではないみたいですね﹂ 折れたショートソードは無事だ。 の履いていたメタルブーツの爪先部分が斬り落とされる。私の半ば 今回は、弾かれることはなかった。キン、と甲高い音と共に、狼人 再び、鞘からショートソードを走らせる。 速さを見た後だからこそ、見えたのかもしれない。 しかし、まだ見える。彼女ほどではない。いや、彼女の常識はずれの その鋭さは、あのミノタウロスなど比べるのが恥ずかしいほどだ。 痺れを切らしたのか、狼人は一歩踏み込み蹴りを放ってくる。 ? ﹁で、アイズ。本当に彼を許すのかい ﹂ ティオネさんがさも当然、と言わんばかりにさらりとそう言った。 ﹁そうね﹂ ﹁いえ、元はといえば私が失礼な真似をしたのが原因ですので﹂ ﹁すまなかったね﹂ で怖いのには変わりないのだが。 人も嫌々ながら攻撃するのを止めた。かなりの形相で睨んでいるの フィンと呼ばれた団長が少し声に怒色を込めると、勢いのあった狼 ﹁やめろ、と言っているんだ﹂ ! ? 12 ! ﹁ん⋮⋮そもそも気にしてない﹂ ﹁そうか。なら、僕達が気にするのもおかしいか。この事は不問とす る﹂ ﹂ ﹁ありがとうございます。アイズさんも、ありがとうございます﹂ ﹁で、ティオネ。そもそもなんで彼を連れていたんだい フィンがティオネにそう質問すると、彼女は素直に起こったことを 報告した。私の事を快く思ってないにも関わらず、その報告は公平で あった。 ﹁なるほどね。ミノタウロスに襲われて、ティオネの投げナイフを弾 いて武器を壊してしまった、か。なかなかに信じがたいけど、当人達 がそう言っているんだから本当なんだね﹂ ﹁⋮⋮はい﹂ 少し悔しそうな顔をするティオネさんを見て、なんだか状況が少し 理解できた気がする。要するに彼女はフィンに惚れているのだろう。 レベル1の素人に攻撃を防がれたのが気に入らないらしい。 ﹁ティオネさん。一応言っておきますけど、私が防いでいなかったら、 ﹂ 私大怪我をしていましたからね﹂ ﹁分かってるわよ したけどまずはぐれた仲間を探したと。見つかったのかい 髪に赤い目の駆け出し冒険者はそうはいないと思うけど﹂ ﹁いえ、まだですね﹂ 今はどこに ﹂ ﹁その子なら、さっき助けた﹂ ﹁本当ですか ? 白い ? 路を指さした。なんで、落ち込んでるんだ ﹁どうやら、仲間も大丈夫のようだね﹂ と歩き出そうとするとティオナに腕を掴まれ止められた。 もう、色々面倒な上ベルが既に帰ったことが分かったので、帰ろう ﹁ええ、これで心配事もなくなりました。ではッ﹂ ? 13 ? ﹁それで、本当にレベル1か確かめるためにギルドまで同行しようと ! 少し落ち込むような表情をしながらアイズさんは地上に向かう通 ﹁⋮⋮あっち﹂ ? ﹁そんなあっさり帰すと思ってる ﹂ ﹂ 分の行動の結果なのだからしょうがない。行くしかないのだろう。 まだ自分のホームに帰れないのか、と軽く憂鬱になってきたが、自 ﹁⋮⋮ありがとうございます﹂ 器を見繕うよ﹂ ﹁じゃあ、決まりだね。皆合流したらホームまで連れてって、適当な武 言った稼ぎなので﹂ ﹁ない⋮⋮ですね。お恥ずかしながら、毎日食べていくのもやっと、と ない。ここは素直に相手の好意に甘えるべきか⋮⋮。面倒くさい。 別に得物はいらない、などと言ったらまた不審に思われるかもしれ ﹁買うお金あるの ﹁いえ、武器のことなら﹂ ﹁て、いうこと﹂ 器くらいはなんとかしてあげないとね﹂ ﹁そうだね。こちらとしても、随分迷惑も掛けたみたいだし、壊した武 ? ロキ・ファミリアのホーム、黄昏の館へ。 14 ? オ ラ リ オ 黄昏の館 迷宮都市と呼ばれるこの街は、冒険者で溢れている。彼らはこの地 に様々な物を求めてやってくる。名声であったり、金であったり、夢 であったり。私の友人のように出会いなんていう物を求めてやって くる輩もいる。 そもそも、冒険者とは何なのか。それを語るにはまず、神について デ ウ ス デ ア 語る必要がある。 神という超越存在はこの世に存在する。なにせ、私達は日々彼らと 生活をしているのだ。 千年前、神々は天界に飽き、下界へと娯楽を求めて降りてきた。そ こで、見つけたのが私達、彼らの言う﹃子供達﹄、だった。 私達と同じ立場に立ち、同じように生活することに彼らは意味を見 ファ ミ リ ア 出した。完璧な存在であるが故に、私達という不完全な存在に惹かれ た。 それから、神々は下界で生活するために︻神の眷属︼を作った。要 ファミリア ファ ル ナ するに、神の家族となって神を養う、そのための集団。神々は自らの ︻眷 属︼の一員となった者には︻神の恩恵︼を与えた。 エクセリア 神の与えた﹃恩恵﹄、それは子供達の可能性を無限に伸ばす、まさに 神の業。その個人が経験した事を︻経験値︼として可視することので きる神は、その一部を使い子供達の可能性を開花させていった。より ヒエログリフ 良い︻経験値︼なら、より多くの成長を。神が称えるような偉業には、 更なる飛躍を。 イ コ ル 子供達の背中に刻まれた︻ステイタス︼と言われる︻神聖文字︼で 書かれた情報。神の血を媒介として発動するそれは、神と子の絆その ものだ。 その恩恵を使い、子供達は様々な冒険をする。時には強大な敵を討 ち滅ぼす。時には金銀財宝を掘り当てる。時には世紀の大発明を、神 すら感嘆する神秘を秘めた武器を打つ。神々は、そんな永遠に止まる ことのない私達を愛してくれた。 15 ■■■■ 圧倒。それが私の感想であった。 オラリオの最北端、メインストリートから一つ外れたところにその 建物はあった。敷地が狭いにも関わらず大きさはかなりのもので、そ の建造物は先の尖った高層の塔が何本に生え、お互いを補完しあって トリックスター できていた。至る所にロキ・ファミリアのエンブレムである笑みを浮 かべた道 化 師の旗がはためいている。そして、全体的に赤い。 あの後、ロキ・ファミリアの他の仲間を待つためにダンジョンから 一旦出て待つこととなった。その時銀髪の狼人、ベートという名前 だった、が私に突っかかってこないようにティオナが抑えていてくれ たので、なんとか荒事にならず済んだ。 パ ルゥ ム その間私はロキ・ファミリアの団長であるフィン・ディムナと話を した。なんと、この人少年ではなく、小人族だった。歳はなんと四十 16 くらいだとか。見た目は十代前半どの少年だというのに、驚きだ。 待つこと数分、ダンジョンからは続々とロキ・ファミリアの面々が 帰ってきた。そうして、全員が集まると私を連行するかのごとくティ オナとティオネさんが両側から私を逃げないように腕を掴み、ロキ・ ファミリアのホーム、黄昏の館までやってきた。 ﹁まあ大体のことは分かったが﹂ 通されたのは応接間だった。 橙色を基調とした家具で揃えられ、ソファと丸テーブルが幾つか設 置された部屋だ。応接間という言葉から連想される堅苦しさなどな ﹂ く、ファミリアのメンバーが団欒をする場のように感じられた。 ﹁アイズ、本当になんとも思っていないのか ﹁うん﹂ そして、その横に座っているのがアイズ・ヴァレンシュタイン。聞 気を醸し出す、美しい女性だ。 ス・アールヴ。翡翠色の髪に白を基調とした魔術装束。凛とした雰囲 しいが、私にはなんの違いだか分からない。名前はリヴェリア・リヨ 目の前に座っているのはエルフの女性、細かく言うとハイエルフら ? く所によると︻剣姫︼と呼ばれ、オラリオで最強の女性剣士らしい。そ ﹂ 行き成り斬りかかるなんて この人のファミ れは、強いはずだ。 ﹁私は許せません リアに損害賠償を要求するべきです ! ﹂ ﹂ を与えようと、ここまで連れてきたわけだが。何か希望はあるかい ﹁まあ、それでティオネが彼の武器を壊してしまったから新しい武器 ヤさん。アイズさんにはいくら感謝しても足りないな。 アイズの一声で納得してはいないが引き下がってくれたレフィー ﹁ううぅう⋮⋮アイズさんが言うなら﹂ ﹁レフィーヤ。もう、いいから﹂ ﹁で、でもッ﹂ 綺麗な人だ。エルフは美男美女しかいないのだろう。 というエルフの少女だ。山吹色の髪を後ろで束ねている。これまた、 ちなみに、私に食って掛かってきたのはレフィーヤ・ウィリディス やかく言うことじゃないよ﹂ ﹁それに、アイズ本人が気にしていないと言っているんだし。もう、と ティオナの率直な意見に怒るベートさん。 ﹁うるせえッ ﹁損害も何も⋮⋮壊れたのはベートのブーツだけだからねえ﹂ ! ! う人は救いだった。ぐいぐいと話を進めてくれる。 ﹁希望、という程のものは。しかし、それほど高価なものでなく、ある 程度強度のある剣であればなんでも、と言った感じです﹂ ﹁分かった。ラウル、倉庫の方から何本か見繕ってきてくれ﹂ ﹁了解っす﹂ ラウルと呼ばれた青年はフィンの一言で応接間から出て、どこかへ 消えていった。 ﹂ ﹁それで、ここからが本題なんだが﹂ ﹁ええ 本題は武器じゃなかったのですか。そうですか、現実はそう甘くな ? 17 ! もうここから一刻も早く帰りたい私にとってフィン・ディムナとい ? いですね。 ﹁本当に、レベル1なんだね ﹂ ﹁しつこいですねえ。私の背中を見ますか ﹂ ﹁いや、いいよ。そこまで言うなら本当なんだろう﹂ 本当なんだろう、と言いながらもその瞳は私の事を疑っていた。そ れほどまでに、レベル差を超えた私の斬撃を危険視しているというこ となのだろう。私は未だにレベルという物の本当の意味を分からず にいるので、何をそんなに危惧しているのか分からないが。 ﹁ティオネのナイフを斬り払い、ベートのメタルブーツを斬る。しか も、それを折れた何の変哲もない剣でやってのけるというのは、どう にも信じがたいが﹂ ﹂ ﹁本当だよ、リヴェリア。僕は目の前でそれを見ていたんだ﹂ ﹁そこまで、不思議なものなのですか ﹁⋮⋮訳が分からん﹂ 正直、フィンの言葉がなければ信じら ﹁斬ったのは、私です。剣という概念を内包した、私自身が斬る﹂ た確信。 よってでき上がった思想。そして、私の︻ステイタス︼を見た時でき 全員が頭の上に疑問符を浮かべる。これは、きっと老師との修練に 外もすべてですが。斬ったのは剣ではありませんよ﹂ ﹁あれは、ただの剣ですが。何も、ブーツを斬ったのは、いえ、それ以 う、少し説明したくなったのは。 チキをしていると言われているように感じてやまない。だからだろ 信じられない、信じられないと何度も言われるとまるで自分がイン れない話だ﹂ い。それをただの剣で斬る 合った性能の物だ。ベートのブーツも一級品と言っても過言ではな ﹁端的に言って、ありえないな。私達の装備は、かなり高価で金額に見 し冒険者が、まるっきりの駆け出しではないだろう。 じことをできる人間は、いなくもないかもしれない。すべての駆け出 それは、ほんの少しの疑問だった。この広いオラリオを探せば、同 ? 頭のいいはずのエルフにすら理解不能な言葉。私はアイズさんに 18 ? ? ? スパーダ 目を向ける。彼女なら分かるだろうか。少しの期待を込めて、彼女の ﹂ 目を見る。 ﹁ しかし、結果は他の人と同じ。やはり、この︻剣︼というスキルを 持っていない人には分からないことなのだろうか。 自分にとっては、本当に簡単な事実だというのに。 ﹂ ﹁剣を内包した自分、なあ﹂ ﹁ロキ ﹂ ? ﹂ ﹁剣を内包するっつーのは、つまりそういうスキル言うことやないん ﹁それは、どうも ﹁なかなかかっこええ事言うなあ、アンタ﹂ 人間でないと教えてくれる。つまり、下界に降りてきた超越存在、神。 いや、人ではない。その身から発するオーラとでも言うべき物が、 た。髪は淡い赤。まるで、この館のような色。 横から突然声を掛けられ、そちらを向くと糸目の人物が座ってい ! ﹁ッ﹂ まさか、一発で看過されるとは。神とはやはり、私達人間より遥か に知識に明るい。 ﹁仰るとおりです。流石は神。なんでもお見通しということですね﹂ ﹁そ か ア ン タ の 言 い 方 も な か な か い い セ ン ス し と る で。に し て 中のレアスキルと言った珍しい物は大抵固有なものだ。 ﹁にしても、スキルをそうほいほい他人に教えたらあかんで ? 私の主神は、もう一人の眷属にご執心な タんとこの主神はそんなことも教えとらんのか﹂ ﹁言っていた⋮⋮ような 様子ですから﹂ アン そもそもスキルとは個人の︻経験値︼によって発現するもの。その が根本的に違うみたいですね﹂ ﹁アイズさんには似通った雰囲気を感じていますが。どうやら、何か かなり経つし、腕も立つけど﹂ も、そんなスキルがあるなんてなあ。うちのアイズたんも剣を握って ? ? 19 ? ? ﹁子供を贔屓するなんて、なってない神やな ﹂ ﹁ヘスティア、という方です﹂ ﹁なんやて どこのどいつや ﹂ ? だ。 ﹁アンタ、名前は ﹂ ﹁あ、アゼルです﹂ ﹂ この通り ﹂ その名前を告げると、ロキ様は行き成り立ち上がり私の肩を掴ん ! 糸目は今は開かれ、何か必死さすら感じられる。 ﹂ ﹁アゼル、うちの眷属にならん ﹁はあ⋮⋮って、え 頼む ! ? ﹁あいつを見返すチャンスなんや ! ? ﹂ 神が子供に頭を下げるなんて。 ﹁お待たせしましたっす﹂ スティア・ファミリアではどうやったって対抗できない。 は知らないが、それこそ武力でもって奪うことになったら、弱小のヘ 大手のファミリアに団員が引き抜かれることが良く起こることか から﹂ ﹁それは、よかった。本気だったら流石に断るのは骨が折れそうです ﹁まあ、期待はしてへんかったけど﹂ 女なしでは雨風を凌ぐ場所がないのは事実だ。 あのボロ教会の隠し部屋を住まいと言っていいのかは別として、彼 恩があるので﹂ ﹁すみません。一応ヘスティア様にも住まいを提供してもらっている う神は⋮⋮見事な絶壁である。 うな背丈だが、胸だけ発達している。そして、目の前にいるロキとい 一つ言い忘れていた。私のファミリアの主神ヘスティアは子供のよ どうやら、ロキ様とヘスティア様には並々ならぬ因縁がるようだ。 ﹁クソーッ ﹁い、いえ。お心は嬉しいですが、あそこには友人もいるので﹂ にさせるんですか 私の肩を放さずにロキ様は頭を下げた。何がそこまで貴方を必死 ! ? ? そうこうしているうちに、ラウルと呼ばれた青年は何本かの剣を 20 !? ! 持って帰ってきた。 ﹂ ﹁ええと、それほど高価ではなく、適等に硬い物っていう要望だったの で。まあ、何本か持ってきました﹂ メドル ﹁ありがとうラウル。で、アゼル君、どれがいい ﹁そうですね﹂ ラウルさんが持ってきたのは四本の剣。 的な模様を持った剣。 ことがないので、自然と両刃のショートソードに落ち着いてしまう。 そう言って私が掴んだのはショートソードだ。片刃の剣を使った ﹁では、これで﹂ がとても扱いやすいのも特徴だろう。 る防御という面においても優秀な剣だ。なによりも、その軽さや短さ そして、最後にショートソード。片手で扱う剣で、盾と一緒に持て とのできる剣だ。 拳があるのが特徴だ。片手で扱い、他の剣ではむき出しの手を守るこ 刀より湾曲した片刃の剣はサーベル。持ち手に手を守るための護 使っている私の気分の問題もある。 は 様 々 な 鉱 物 が 取 れ、薄 い か ら 折 れ や す い と は 一 概 に 言 え な い が。 しかし、刀身が薄くすぐ折れてしまいそうである。このオラリオで ﹁ふーむ﹂ とに特化した剣だ﹂ ﹁ああ、それは東から伝わってきた打刀という種類の剣だよ。斬るこ が浮かび上がり、芸術品のようにも見える。 それを一度持って、刃を光を反射するように掲げる。より一層模様 ﹁これは、なんですか ﹂ 次に目立つのは片刃の少し反った刀身と、その刀身に描かれた特徴 一度使ったことがあったが、重くて扱いづらかった。 一際大きいのがクレイモアと呼ばれる、一 Mほどの長大な両手剣。 ? いつか、色々な刀剣類を試してみたいものだが、現状金の問題がある。 ﹂ 21 ? ﹁こんな高そうなものを頂いておいてあれなんですが。一つお願いし ていいですか ? ﹁そこまで高くはないんだが。なんだい ﹂ ﹁相手、する﹂ ﹁いいんですか ﹂ 女剣士が、自ら言い出すなんて。 ﹂ 無口で表情の乏しいアイズ・ヴァレンシュタイン。オラリオ最強の それは誰が予想できただろうか。 ﹁え ﹁私が﹂ 当に少年のようだ。 フィンは悩むように首を傾げた。幼い容姿と相まって、なんだか本 ﹁うーん﹂ は選ぶ。 しては駆け出しだが、剣を振るうものとして剣の種類は選ばないが剣 いい、命を預ける装備に妥協する奴は二流の冒険者だ。私は冒険者と 武器に携わる冒険者なら分かるであろう。自分の半身と言っても 際に刃を交える形で﹂ ﹁できれば、貰う前に使い心地の確認をしたいというか。できれば実 ? るのだが﹂ ﹁あ、あれは油断しただけだ ﹂ ﹁ベート。お前はその雑魚と呼んだ相手に武器を一つダメにされてい ﹁おいおいアイズ。こんな雑魚の相手なんてすんな﹂ もしかしたら、私と同じく、私に何かを感じたのかもしれない。 というか抜けているというか。 てきた相手の試し斬りに付き合ってくれるとは、アイズさんは優しい これはなんという棚から牡丹餅。つい先程自分に突然斬りかかっ ? ロ キ 様 は 気 軽 に そ ん な こ と を 言 っ た。主 神 の 許 可 も 得 た こ と で、 ﹁そこまで言うなら、すればええやん﹂ ﹁私が、やりたいの﹂ る。 彼から仕掛けた攻撃であり、言い訳であることなど分かりきってい リヴェリアの指摘に動揺しながら言い返すベート。しかし、あれは ! 22 ? ベートも他のメンバーも反対する者はいなくなった。 もしかしたら、それは自分のスキルを少しだけ話した私への褒美 だったのかもしれない。珍しいスキルであるらしいし。 ﹁あ、そうだアイズさん。できれば、そのサーベルを使っていただくと ﹂ 助かります﹂ ﹁これ そう言って、私はラウルさんが持ってきたサーベルを彼女に差し出 した。 ﹁はい。先ほどのデスペレードでは、斬ってしまった時に弁償なんて デュ ラ ン ダ ル ことになったら、私では一生かかっても返せなさそうですから﹂ ﹁はっ、馬鹿が。不壊属性の武器が斬れるかよ。冗談は休み休みに言 え﹂ デュ ラ ン ダ ル ﹁たぶん、今なら斬れると思うんですよね﹂ あの時、斬れなかったのは私が不壊属性という物を知らなかったか らだ。知らなければ斬るか斬らないか、選ぶことはできない。未知に 対する弱さ、というのが︻剣︼の唯一の難点なのかもしれない。 ﹁分かった﹂ 素直に私の言葉を聞いたアイズさんはサーベルを受け取り、私を導 うちはこういうの大好きやで ﹂ ! くように歩き出した。 ﹁おもろい事になってきたなあッ あ、でもアイズたんに傷一つ付けたら許さんからな そもそも相手になるか、というところが問題だ。 ! ! 23 ? 剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン ﹁あの、アイズさん。できれば手加減お願いしますね﹂ ﹁⋮⋮頑張る﹂ 頑張らないと手加減ができないというのも難儀な事でしょう。今 ﹂ 更だがレベル1という彼女からしたら格下である自分が相手で少し この馬鹿狼﹂ そんな雑魚さっさとぶっ殺せ 申し訳なく思えてしまう。 ﹁アイズ ﹁殺してどうすんのよ ﹁アゼル君、アイズ。準備はいいか ﹂ ルに、振り下ろしたらスタートということだろう。 そう言ってリヴェリアさんが一歩踏み出し、片手を掲げた。シンプ ﹁じゃあ、開始の合図は私がしよう﹂ 用途として使われていることも分かる。 度いいくらいの広さだ。床が所々傷ついていることから、そういった 着いたのは黄昏の館の中庭。館の中心にできたそこは、戦うには丁 ﹁というか、ただの使い心地の確認だからね﹂ ! 撃を受ける姿だ。どうやら、彼女から攻撃する気はないらしい。それ 視界に何人かのアイズさんが霞んで見える。そのどれもが、私の攻 い。先を見れば見るほど、未来は分岐する。 かし、それには一つの弊害がある。未来とは、決定されたものではな 目に精神力を集める。より先の景色を、より鮮明に見るために。し マ イ ン ド もうすぐ始まる。そう思うだけで腕が疼く。 ﹁では﹂ 要がないのでしょう。 も彼女に届くかというのが最初の問題ですからそこまで注意する必 それに対してもアイズさんは頷いて肯定した。私の攻撃はそもそ 前は気を付けろ﹂ ﹁一応言っておくが、相手を殺すような攻撃はなしだ。特にアイズ、お を動かすことを止めていた。 頷くことで返事をする。既に私もアイズさんも戦闘態勢に入り、口 ? 24 ! ! ﹂ が分かっただけでも僥倖。 ﹁開始 リヴェリアさんの手が振り下ろされた、その瞬間。 全力を込めて踏み込む。しかし、私の全力でさえ彼女にとっては緩 慢な動きだったに違いない。目線を見れば分かる、完全に捉えられて いる。 勢いを殺さないまま斬り払いをする。横薙ぎに振るわれた剣は、通 常であればその通り道にある物すべてを斬り裂く必殺の刃だ。そう、 それが通常であれば。 心地よい音が響いた。金属同士をぶつけたにしては軽い、まるで鈴 を鳴らしたかのような音。 剣と剣がぶつかった時の音としては、久しぶりに聞く音。老師と稽 古をしている時によく聞いていた音と同じだ。 横薙ぎに振るったはずの剣が、斜め上に軌跡を変えていた。 完璧に逸らされている。 両刃である事を活かし、斜め上に払われた剣を再び彼女を目掛けて 振るう。しかし、また身体を少し動かしサーベルで巧みに剣戟が逸ら される。 そ れ は、絶 技 だ。洗 練 さ れ た そ の 動 き は す で に 芸 術 の 領 域。美 し い、そう思った。そんなことを、表情一つ変えずに行うその女性に、私 は心から賞賛した。 ﹁くッ﹂ 何度も同じことを繰り返す。斬っては逸らされ、斬り返してはまた 逸らされる。 攻撃が自分の意志とは違った軌跡を辿る、それだけでこちらの体力 は大幅に減っていく。普段している無駄のない体捌きも、自分の思っ た通りに剣が振るえるからこそできるもの。 ﹁はあ、はあ﹂ 一度後退し、剣を構え直す。 しかし、彼女は追ってこない。相も変わらず、凛とした立ち姿で私 の攻撃を待っている。しかし、それじゃ足りない。それはお互いを高 25 ! め合うには足りない。私はこの時当初の目的を完全に忘れていた。 剣先を、くいくい、と私の方へと傾け、来い、とアイズさんに伝え る。 ﹁⋮⋮行くよ﹂ 小さく、そう呟いたのは彼女なりの優しさだろう。 次の瞬間、未来の彼女が複数人目に映る。数秒先、という過去最高 の未来視。その数ある未来から、一つだけを選ばなければならない。 彼女の初動を見る。いくつかの未来が消える。 彼女の動く方向を見る。また、いくつかの未来が消える。 そうして、眼前に本物の彼女が迫る。その速度はあの時とは比べ物 にならないほど遅いものだったが、それでも私にとってはやっと追い つけるものだった。 私と同じような斬り払い。否、私を真似たのだろう。 ならば、私も真似よう。 剣と剣がぶつかる。その瞬間アイズさんの振るったサーベルを下 から掬うようにショートソードを滑らせる。 アイズさんが逸らした時よりも鈍い音が響く。しかし、なんとか彼 女が振るった剣を逸らすことができた。 次の剣戟もなんとか逸らす。しかし、彼女の速度に完全には付いて 行けていない私では、何度もできる芸道ではない。そして剣戟を重ね る毎に剣を逸らす音がだんだんと剣をぶつける鈍い音になっていく。 何度目かの剣戟。遂に、斬撃をいなすことができなくなり、刃と刃 がぶつかる。お互いの勢いを殺せず、激しくぶつかった刃は火花を散 らす。 ︵あ、まずい︶ そして、途端に感じる、何かが斬れる感覚。相手のサーベルを斬っ てしまう。それはまずい。貰っているものでもないのに斬ってしま う訳にはいかない。 一瞬剣を握る力が緩んでしまったのは、そんなことを思ったからだ ろう。 アイズさんは力を入れたままだ。当然ながら、私の剣によって抑え 26 られていた彼女の剣が私に向かって振るわれることになる。 ﹁あ﹂ 完全に私に落ち度がある。例え、私の剣が彼女のサーベルを斬った としても彼女ならそこから斬撃を避けるなど容易いことだっただろ う。 私が力を緩めてしまったばかりに。 ﹁ッ﹂ 彼女も自分の剣を止めようと努力するが、刹那の出来事でそれは叶 わなかった。ならば、自分で防ぐしかない。 剣を握った手とは逆、左手を手刀にしてサーベルに向けて振るう。 この際仕方ない。残念だが、そのサーベル、斬らせてもらいます。 甲高い、金属を素早く擦り合わせたような音。そして、少し遠くに 落ちるサーベルの刃。私の思い描いたとおり、サーベルは中程で綺麗 ﹂ に切断されていた。 ﹁どう、やったの 自らの握った、破損したサーベルを見てアイズさんは首を傾げた。 やはり、そう思うのか。私としては、できて当たり前のことだったの だが。 ﹂ ﹁斬った、と言っておきましょう。つい熱くなってしまいました﹂ ﹁アゼル君。一応聞くが、大丈夫か 一応補足しておくと、私は斬るという意志がなければ斬れないの だ。 それを見て、リヴェリアさんは私という剣士の一端を理解したよう ﹁剣を内包する。つまりはこういうことか﹂ ズさんも一緒に見てまた首を傾げている。 斬られたサーベルの断面をまじまじと見るリヴェリアさん。アイ ﹁それにしても、これは﹂ 外当たりどころがよかったのかそれ以外の傷は見えない。 振るった左手を見せる。手の側面が少し赤くなっているが、思いの ﹁はい、この通り。無事ですよ﹂ 試合が終わってリヴェリアさんがこちらに近づいてきた。 ? 27 ? で、日常生活で突然何かを斬ってしまうということはない。今回はつ い斬り合いに夢中になってしまっただけだ。 ﹁おもろいもん見せてもらったでアゼル。ほんまあのロリ巨乳には勿 体無いくらいおもろい奴や﹂ ﹁それはどうも﹂ それはあまり嬉しくない褒められ方というか。神の言う面白いは 人間の面白いとは少し違う意味合いな気がする。 ﹁サーベル、壊してしまってすみません。この剣もお返ししたほうが いいですよね﹂ ﹁ええ、ええ。持ってきな。それくらいなら別にええ。あっちのも気 ではありがたく受け取っておきます﹂ にせんでええで﹂ ﹁本当ですか 剣の使い心地の確認という名目で試合もできたし、そろそろ帰ると しますか。なんの連絡もしていないのであの神様のことだ、心配され ているかもしれない。 ﹁では、私はそろそろお暇しようと思います。本日は本当に、色々あり がとうございました。助けられたもう一人の仲間の分も感謝させて ください﹂ ﹂ ﹁本当に礼儀正しいやっちゃな さっきの戦いからは想像できへん わ ! すが、処世術というやつです﹂ そう言ってショートソードを鞘に入れ、ベルトに差す。 ﹁んじゃ、誰か案内してやってくれ﹂ ﹁あ、私案内するー﹂ 嬉しい事に立候補してくれたのはティオナだった。親しみ易い性 格だし、これはいい気分で帰れそうです。これがもし、ベートさんや ティオネさんだったら、追い出されるように帰る羽目になっていたで しょう。 ﹁さ、アゼルこっちだよ﹂ ﹁ここまでの道くらいは覚えているんですが﹂ 28 ? ﹁礼儀をもって接すれば大抵の相手は無碍にしませんからね。稚拙で ! ﹁いいのいいの ﹂ ﹂ ﹁そうですか ﹁それにしても、すごかったよ﹂ ロキに対して礼をして、ティオナの後を追った。 ﹁それでは、本当にありがとうございました﹂ ! なんかかっこいいね﹂ ? なんで ﹂ ! ﹁まあ、知りたければ後でリヴェリアさんにでも聞いてください。た の出口までやってきた。 口を尖らせながらぶーたれるティオナに連れられ、私達は黄昏の館 ﹁それは、そうだけどさー。気になるし﹂ ありませんから﹂ ﹁普通、自分の︻ステイタス︼を他のファミリアの団員に教えることは ﹁ええ ﹁これ以上はダメです﹂ アに教えるというのも褒められた行動ではないことに気付いた。 もっと分かりやすく以前に、そもそも自分のスキルを違うファミリ ﹁ぶ∼、もっと分かりやすく﹂ ﹁分かってないですね⋮⋮﹂ ﹁剣を宿す ﹁つまり、私は剣という概念を身体に宿しているという訳です﹂ うのですが。 いではないのかもしれない。あれを見せれば大抵の人は気付くと思 ベートさんが言っていたバカゾネスという呼び名。あながち間違 ? うな試合ではなかったですが﹂ ﹁そんなことよりさ、最後のあれどうやったの 私には分からないな﹂ 剣を内包するって ﹁それに始終押されっぱなしでしたし。と言っても、勝敗を決するよ ﹁いやあ、手加減してもアイズは強いよ﹂ し訳ないですね﹂ ﹁しかし、アイズさんもかなり手加減をしてくれていました。少し申 廊下を歩きながら、ティオナと会話する。 レベル1だなんて信じられないくらい﹂ ﹁それはもう ? ! 29 ! ? ぶん少し分かっているでしょう﹂ ﹁そうする﹂ 一度、止まり黄昏の館を一瞥する。本当に、心躍る試合だった。多 分今夜夢に見るだろうな、と思いながら再び歩き始める。 ﹁では﹂ ﹁うん、ばいばーい﹂ こうして、私の激動の一日は終わり、後はベルとヘスティア様のい ﹂ る教会に戻るのみである。 ■■■■ ﹁で、どやった ﹁強かった﹂ ﹁やろうなあ﹂ 場所は戻って応接間。そこにはロキ・ファミリアの面々が再び集 まっていた。丸テーブルの上には二つに切断されたサーベル。 ﹁それにしても、見事に斬られてるね﹂ ﹁ほんまにおもろいなあ。剣を内包する、つまりは﹃切断﹄という属性 を自分の身体で生むことができる。そんなもんがあるとは⋮⋮これ だから子供達はおもろい﹂ 集まった面々は、ロキの言葉を自分なりに噛み砕いて理解した。 ﹃切断﹄という属性を身体が持つ。しかも、肉を裂くのではなく、斬 鉄をやってのけるほどの鋭さ。 ﹂ ﹁ううん。そうじゃない﹂ ﹁うん かった。 ﹂ ﹁剣技、私より強かった﹂ ﹁嘘やろ ﹁本当﹂ アゼルは、始終アイズの地力に押されていた。レベル1とレベル5 シュタインだからこそ分かったこと。 アゼル・バーナムという青年と唯一剣を交えたアイズ・ヴァレイン ? 30 ? しかし、アイズ・ヴァレンシュタインが注目したのはそこではな ? の地力の差は天と地ほどある。手加減していたとはいえ、それは生半 可なものではない。 その中、アゼルはアイズの動きに喰らいついていた。僅かながら も、攻撃を逸らせるほどには付いてきていたという事実すら驚愕にあ たいする。 ︵もう一度⋮⋮もっと強い彼と︶ ﹁あ﹂ そして彼女はある大事な事を思い出した。 ﹁あの子の名前、聞いてない﹂ 自分の助けた少年の名前を聞きそびれていた。 ■■■■ ﹁只今戻りましたー﹂ な赤い目。アイズ・ヴァレインシュタインが助けた、私の同郷の友に して現在は同じファミリアに所属する仲間だ。老師によって育てら れた子供である。 もう一人は不思議な作りの白い服を着た、背の低い女性。ヘスティ ア・ファミリアの主神、ヘスティア様である。背は低いのに胸は大き いという、まさに不思議体型をした神だ。黒いツインテールにリボン も相まって子供にしか見えない。 まさか、ミノタウロスに襲われた所を助けられて ﹁いえ、少し面倒事に巻き込まれてしまいまして﹂ ﹁君もなのかい ? 31 オ ラ リ オ の 人 気 の な い 路 地 を 何 本 か 入 っ た 所 に 建 つ ボ ロ い 教 会。 その隠し部屋が私の所属するヘスティア・ファミリアのホームだ。黄 ﹂ 昏の館の後に来ると、かなりの格差を感じてしまうのは、私が悪いわ もう、どこをほっつき歩いてたんだい けではないだろう。 ﹁アゼル﹂ ﹁アゼル君 ? 一人はベル・クラネル。処女雪のように真っ白な髪にルビーのよう 入ってきた私の元へと走り寄って来る二人の人物。 ! 血だらけになった、とかではないだろうね ﹁君もなのかッ ﹂ まさか、僕は疫病神なのかな⋮⋮﹂ われた所を助けられたというのは事実ですが﹂ ﹁いえいえ、血だらけにはなっていませんよ。ただ、ミノタウロスに襲 ? だろうね ﹂ はッ、まさか盗んだんじゃない そんな子に育てた覚えはないよ ﹁そんな上等な剣、どうしたんだい そう言って、私は腰に差したショートソードを見せる。 ﹁悪いことばかりではありませんでしたよ﹂ ! 座る。 ﹂﹂ !! ﹂ ﹂ が私にはある。お返しに、この剣はここが良い、こっちはここ、など かった。あの子可愛い、あっちの子も可愛い、と何度も言われた過去 に、目移りが激しく、特定の相手が好きになったというのは聞かな だったが、その全部に気付かないほどの鈍感野郎でもあった。それ この神、かなりベルに好意を寄せている。昔からベルはモテるやつ ヘスティア様が盛大な溜息を吐く。 れで、ほいほい惚れてしまったんだ⋮⋮はあ﹂ ﹁あ、ああ。ベルくんもどうやら︻剣姫︼に助けられたみたいでね。そ ﹁それにしても、タイムリーとは ﹁な、ならいいんだ。あいつに貸しなんて作った日には⋮⋮﹂ まったから頂いたものです﹂ ﹁作ってませんよ。この剣も、私の持っていたものを団員が壊してし だろうね ﹁な、なんて君はタイムリーなんだ。ろ、ロキに貸しなんて作ってない 出しながら飛び上がった。 私の言った事に相当驚いたのか、ベルとヘスティア様両人が大声を ﹁﹁ロキ・ファミリアァ ﹁ロキ・ファミリアから頂きました﹂ ﹁貰った 誰から﹂ のソファに座る。ヘスティア様はベッドに腰を掛け、ベルは俺の横に ぷんすか怒るヘスティア様を押しのけて、部屋の中に入りボロボロ ﹁貴方に育てられた覚えはないですし、これは貰い物ですよ﹂ ! ? ? 32 ? ? ! と延々と剣談義をしてあげたらやめてくれた。 ま、まさか話たりなんて、 そのベルが惚れた相手があの︻剣姫︼アイズ・ヴァレインシュタイ ンだとは。おもしろい。 ﹂ ﹁あ、アイズさんとはその、会ったりした ことはないよね ? ﹂ !!! 手を合わせる﹂ ? ﹂ は事実ですが﹂ ! ﹁なんだい ﹂ ﹁そう言われましても、成り行きだったので。あ、後ヘスティア様﹂ ﹁いいなあぁぁぁッ ﹂ ﹁戦った、という表現は少し適切ではないでしょうね。剣を交えたの こと ﹁き、斬り合うッ。じゃ、じゃあアゼルはあ、アイズさんと戦ったって く、斬り合うという意味での手合わせです﹂ ﹁ベル、落ち着きなさい。それは手合わせではありますが、それではな ﹁て、手合わせって。あ、あの手合わせ 出しているのか、疑問に思えるほどであった。 先ほどとは比べ物にならないほどの絶叫。どこからそんな声量を ﹁うるさいですよベル﹂ ﹁えええええぇぇぇぇぇええぇぇえッ ﹁少し、手合わせをしてもらってきましたよ﹂ ? スパーダ ! 私の問に力なく答えた。 何をしているんだい君は ! ﹁ロキ様に少しばかり︻剣︼のスキルを知られてしまいました﹂ ﹂ ﹁なんだってッ アゼルくーん メだよそんなことしちゃ ! ﹂ 特にロキになんて言っちゃダメだよ 後で 過ぎたことはしょうがないけど、もう二度と軽々と喋っ ちゃだめだからね 何をされるか分かったもんじゃない ! 手合わせのため、という嘘を混ぜた言い訳をしておく。こう言って ! ! ﹁もうッ 言ってしまったというか﹂ ﹁いえ、成り行きと言いますか。手合わせをしてもらう上で、つい少し ! ダ ベルが他の女性に惚れたのが相当ショックなのか、ヘスティア様は ? ! 33 !? おけば納得してもらえるだろう。なにせ相手はオラリオで最強と言 われる女剣士だったのだから。 頬を膨らませながら怒るヘスティア様の頭を撫でながら、横でブツ ブツと呟いているベルに顔を向ける。 ﹁まあ、どうやらダンジョンに出会いはあったようですね。私も、良い 修練になりました﹂ 私達二人の求めたものは、ダンジョンにあった。 34 過去を思い、心を刺す ﹁邪魔ですねえ﹂ そう言って、ショートソードを無造作に相手に斬りつける。なんの 抵抗もなく、まるで紙をはさみで斬るかのように、モンスターの身体 ﹄ は二分された。 ﹃グェコッ 射 出 さ れ た モ ン ス タ ー の 長 い 粘 着 質 の 舌 を 真 っ 向 か ら 横 に 一 閃。 斬られた舌が痛いのか、モンスターは醜い叫びをあげた。 ﹁遅い。遅すぎる﹂ 一歩踏み出す。視界に映る未来には、頭部への刺突によって事切れ たモンスターの未来しか見えない。 そ し て、そ の 未 来 の 通 り に、私 は 接 近 し た モ ン ス タ ー の 頭 部 に ショートソードを突き刺した。 ﹁はあ⋮⋮﹂ ﹃フロッグ・シューター﹄と呼ばれるそのモンスターは長い舌を使い 中距離から攻撃してくるダンジョン5階層から出現するモンスター だ。 長い舌を回避しないことには、何も始まらないのだが、その遅すぎ るとも言える攻撃は私にとってただの障害物くらいにしかならな かった。 ﹁足りない。これが欲求不満というものですか﹂ 今までであれば、モンスターとはこんなものか、と納得していれた のだが。アイズさんと戦ってから上層に出現するモンスターでは物 足りなく感じるようになってしまった。 故郷にいた頃は、大抵暇を持て余していた老師に相手をして貰えて いた。初めての感覚に戸惑う私であった。 ﹁ううむ、これは由々しき事態ですね﹂ 昨日のアイズさんの剣戟が脳裏に蘇る。まだ十数時間前の出来事 だというのに、既にもう一度戦ってみたいと思ってしまっている。 どうやら、人間相手に修練を積んでも︻ステイタス︼は成長するら 35 ! エクセリア しい。︻経験値︼とはその存在が経験したすべての中から選別するの で、当然と言えば当然なのかもしれない。 私の場合モンスターを倒すよりも、彼女と斬り合っていた時のほう が 断 然︻ス テ イ タ ス︼の 伸 び が 良 か っ た。特 に 器 用 さ の 基 礎 ア ビ リ ティは五十程上がっていて、ヘスティア様に驚かれた。 ﹁ああ、どこかに気兼ねなく斬り合える人はいないものか﹂ 欲を言えばアイズさんと斬り合いたい。しかし、ファミリアの問題 もるし、彼女は忙しそうだ。私から会いに行くこともできない。 ﹁そういえば、ベルは大丈夫でしょうか﹂ 自分より何階層か上でモンスターと戦っているであろう友人のこ と を 思 い 出 す。今 日 は 随 分 張 り 切 っ て 朝 早 く か ら ダ ン ジ ョ ン に 向 かっていったので、私は置いてけぼりだ。ヘスティア様と侘しい朝ご はんをもさもさと食べながら朝を過ごし、午後からダンジョンに来た のだ。 ﹁ああ、でもモンスターを倒さないことには︻ステイタス︼を伸ばす方 法もない。つまらないが、斬るしかないか﹂ ア イ ズ さ ん と の 試 合 で 感 じ た こ と。そ れ は 圧 倒 的 な 地 力 の 差 で あった。手加減をしている彼女にすら追いつくのがやっとだった事 を思うと、本当に彼女に申し訳なくなってしまう。 もっといい試合をするためには、まず私が地力を上げていくしかな い。その機会がいつになるかはまったくの無計画だが、いずれ申し込 もうと思っている。ギルドにでも張り込んでいれば出会えるだろう。 ││ビキビキ 石が割れる音がして、壁に罅が走る。 いつ見ても、異様な光景だ。その罅は徐々に広がり、壁の中から一 匹のモンスターを産んだ。ボトリと落ちてきた所を狙って剣を縦一 文字に振るう。発生して数秒、モンスターは呆気無く消滅した。 ﹁しまった、魔石まで斬ってしまいました﹂ ダンジョンはモンスターを産む。それはつまり、この地下に伸びる ダンジョンが実は生きているということに繋がる。 下層に行けば、ダンジョンが行き成り道順を変えたり、穴を開けた 36 りと、冒険をより困難なものにするらしい。敵の胃袋の中で戦ってい るようなものだ。 ﹁さて、次は何が来るか。まあ、何が来ても斬りますが﹂ しかし、そんな事実私にとっては些細なことでしかない。大切なこ とは、無限に生み出されるモンスターを倒すことで、私がまた一回り 強くなれるということ。 強くなってどうするのか、という質問をされた。強くなって更に強 い敵を倒す、と答えた私にあまりいい顔をしなかった主神だった。 それの何が悪いのかと、少し悩んだ。冒険者とは、未知を楽しむ者 達。私にとっての未知とは、私が斬れるか、斬れないかという二つの デュ ラ ン ダ ル 分類に分けていない物のことだ。未だ斬れないのカテゴリーに入っ たものはない。不壊属性もきっと今なら斬れる。 ﹁それは修羅の道、でしたか﹂ ヘスティア様にその時言われたその言葉を思い返す。いつも笑っ ている彼女の悲しそうな顔が印象的だった。 しかし、それの何が悪いのか。たまたま通った道が修羅の道だった というだけのこと。最初から修羅の道を歩みたくて歩んでいる訳で はない。 もし、それがそんなにも悪いというのなら。 ﹁それすらも、私は斬ります﹂ 剣を翻し、モンスターを斬り裂いていく。 ■■■■ ﹁相変わらずアゼル君は器用と敏捷以外はあんまり伸びないね﹂ ﹁まあ、あまり使っている記憶がありませんから﹂ 時間が進み夕方。ダンジョン探索を切り上げた私は上層でベルと 偶然合流して共にホームへと帰ってきた。そして、今は上着を脱ぎヘ ヒエログリフ スティア様に︻ステイタス︼の更新をしてもらっている。 私に跨るように座り、自分の血を一滴背中に垂らし神聖文字を書き 換え︻ステイタス︼を強化していく。その瞬間、背中に熱を感じるが 37 それも僅か数秒の事。 スパーダ ﹁にしても、やっぱり︻剣︼のスキルはあんまり成長には良くないね﹂ ﹁でしょうね﹂ なにせ、それは力を使わずに相手を斬る事を可能としてしまうスキ ダ ン ジョ ン ル だ。 刃 を 当 て れ ば 斬 れ る、 と い う 当 た り 前 の 事 象 を、 当たり前の適応されない空間 で 実 行 す る。私 以 外 に は 分 か ら な い 感 覚だろう。 ﹁はい﹂ アゼル・バーナム Lv.1 力:H 150 ↓ H 161 耐久:I 67 ↓ I 71 器用:G 201 ↓ G 245 敏捷:H 186 ↓ G 201 38 魔力:I 98 ↓ H 105 ︽魔法︾ ︻未来予想︼ スパーダ ︽スキル︾ ︻剣︼ ﹁⋮⋮トータルで70くらいですか﹂ 私は初期の︻ステイタス︼が高かった。それは長い間老師に剣術の 指南を受けていたからだろう。成長度合いとしては、普通の冒険者の それと言える。レベル1から2に上がった最速記録の保持者はアイ ズ・ヴァレインシュタイン。期間は一年だったらしい。 彼女はその期間かなり集中的にモンスターを狩っていた。私とは 比べようもないほどの時間を一日ダンジョンで過ごしていたのだろ う。 絶対だぞ。それと他人にはもっと秘密 ﹁一応、君には教えておこうと思うんだけど﹂ ﹁はい﹂ ﹁ベル君には内緒だからね だ﹂ ? ﹁察するに、ベルの飛躍とも言えるほどの成長についてでしょうか﹂ ﹁⋮⋮そうだよ﹂ 私の前に︻ステイタス︼の更新を行ったベルは、上昇値トータル1 20オーバーというでたらめな数字を叩き出した。私より浅い階層 で、恐らく私より少ないモンスターを倒したベルのほうが︻ステイタ ス︼が上昇したのだ。 初期の︻ステイタス︼でかなり差を付けていたが、今では殆ど並ば れてしまった。 ヘスティア様は私の背中から離れ、私も上着を着直した。 ﹁ベル君のあれは、スキルによるものだ。だから、その﹂ ﹂ ﹁別に焦ってダンジョンに潜ったりはしませんよ。焦ってはね﹂ ﹁言い方に何か悪意を感じるよ。なんだい ﹁いえ、これから少しの間、ダンジョンに篭ってみようかと思っていま して。ベルがスキルで成長するというなら、私は質と量で勝負をして みようかと﹂ ﹁だめだ﹂ それで私がベルを羨むばか 私の言った予定にヘスティア様が口を挟んでくる。 ﹁では、私一人だけ遅い成長をしろと ﹂ もっと非道い時は嫉妬してベルを斬ってしまうことだって、あるかも しれません﹂ ﹁そ、そんなことをするのかいッ ﹁いえ、しませんが﹂ なりに成長すればいいと思える。しかし、成長したいのは何もベルを 羨むからじゃない。 もっと、斬り合いたい。私が唯一楽しめること。大食漢が食べ物を 望むように、好色家が女を望むように、剣士である私は剣を望む。 ﹂ ﹁私も、成長したい理由があるということです﹂ ﹁⋮⋮無茶だけはしないこと。いいね ﹁ええ、無茶はしません。ちゃんと自分のできることとできないこと ? 39 ? り に、焦 っ て ダ ン ジ ョ ン に 言 っ て 死 ん で し ま っ た ら ど う し ま す か。 ? そもそもベルを羨んだとしても、私は私をしっかりと認識し、自分 !? は知っています﹂ そう、私は斬れる。むしろ、私にはそれしかない。剣で一瞬二分し た景色に意味を見出すことも、そこに何かを感じることもできない。 ただ、斬る。 ﹁じゃあ、許可はしよう。でも、ちゃんと定期的に帰ってきてくれよ 僕もベル君も寂しいからね﹂ ﹂ ﹁ヘスティア様はベルがいれば満足そうですけどね﹂ ﹁なっ、何を言っているんだい ﹁君もベル君と食べに行くのかい ﹂ ? ﹁お待たせしました﹂ ﹁お疲れアゼル。︻ステイタス︼どうだった ﹂ きもちを焼き、咄嗟にバイト仲間と夕食を食べるという偽情報を言っ ヘスティア様は、その日に出会った女性とそんな約束するベルにや けということらしい。 るという約束を交わした。ついでに私もその酒場で金を落としてい その代わり、ベルは今晩そのウェイトレスの働く酒場で夕食を食べ んだそれは、と思うかもしれないが、事実だ。 中出会った酒場のウェイトレスからお弁当を受け取ったらしい。な なんでも、ベルは朝食を食べずに出かけたため途中で腹が減り、道 そう言って、私とベルはオラリオの街へと歩いて行く。 う﹂ ﹁気にすることはありません。上昇する分に困ったことはないでしょ ﹁そ、そっか。やっぱり、僕の上昇値変だよね﹂ ﹁ぼちぼちと言った所でしょう。貴方と比べると幾分か遅いですが﹂ ? り、そして外へと出る。そこにはベルが待っていた。 不貞腐れるヘスティア様を地下に残し、私は教会の地上階へと上 子だ﹂ ﹁⋮⋮君は分かっていて言っているんだろう。まったく、罰当たりな ﹁ええ、ヘスティア様こそ、バイト仲間と食べに行くのでしょう ﹂ 慌てるヘスティア様を置いて、私は外へ繋がる階段に向かった。 !? てしまい、寂しい夕食を過ごすことになってしまった。 40 ? ? というのが、今晩のあらましだ。 ■■■■ ﹁ここですか﹂ ﹁うん、たぶん﹂ そうしてやってきたのは﹃豊饒の女主人﹄という酒場だった。かな り賑わっていて、中から人々の笑い声が聞こえてくる。 ﹂ ﹁おお、店員が全員女性ですよベル。これはなかなか華々しい所です ね﹂ ﹁そ、そうだね。アゼルは、その、緊張とかしないの いえ、まったく。今から殺し合う訳でもないので﹂ ﹁し、シルさん﹂ ﹁来てくれたんですね ﹁や、約束したので﹂ ﹂ 仕服に身を包んだ、薄鈍色の髪のヒューマンの少女だった。 店の中から一人の少女が出てきてベルの名前を呼ぶ。若葉色の給 ﹁ベルさんっ﹂ 大胆な夢を掲げる彼は、その反面かなり初だ。 うぶ 女であるで竦んでいるようだ。ダンジョンに出会いを求めるという、 どうやらベルは店員が全員女性、しかもよく見ると全員が美人美少 ﹁それは、なんかおかしいような﹂ ﹁緊張ですか ? ﹁こちらの方は ﹂ りと笑っていた。かなり可愛らしい仕草だ、両方共。 俯きながらぼそぼそと話すベルを見て、シルと呼ばれた女性はくす ! ﹁どうも、アゼル・バーナムと言います。ベルとは同郷、幼い頃から共 に過ごしてきた少し歳の離れた幼馴染です﹂ ﹁私はシル・フローヴァです。この﹃豊饒の女主人﹄でウェイトレスを させてもらっています﹂ はきはきとした明るい声。自分の職業に喜びを感じている者の声 だ。そう言って、シルさんはベルの手を掴み、ベルは私の手を掴み酒 場へと連れてかれた。 41 ? ﹁あ。僕と同じファミリアの人です﹂ ? ﹁お客様二名入りまーっす ﹂ ﹂ ? ! うが断然冒険者らしいと誰もが思うだろう。 ﹂ ﹁なんでもアタシ達を泣かせるほどの大食漢なんだってねえ してるよ ﹁ぶっ﹂ 期待 確かに、ベルはかなりなよっとした容姿だ。目の前にいる女将のほ え ﹁アンタがシルのお客さんかい 冒険者のくせに可愛い顔してるね り、いい席だ。 で、目の前にはこの酒場の女将と思しき大柄の女性が位置する。かな 私とベルが案内されたのはカウンター席だった。ちょうど角の席 ﹁では、こちらにどうぞ﹂ しかし、ここではそんなこと起きそうな雰囲気がない。 う人種には乱暴者が多い。当然集まれば喧嘩をすることも多々ある。 冒険者もたくさんいるというのに、この酒場は平和だ。冒険者とい まった。 おろおろしている。私も、少しばかり酒場の活力にあてられ驚いてし 大声でカウンターに向かってそう言った彼女に驚いたのか、ベルは ! ちょっとシルさん ! ﹁ベル、どうやらハメられましたね﹂ ﹁え、ええぇぇええ ! しい匂いがして、食欲がそそられる一品であった。 パスタや魚の丸焼きなどの料理を置いていった。どれもこれも香ば どん、と勢い良く女将さん、ミアお母さんとシルさんが呼んでいた、 べる未来は回避できなかった。 結局、ベルが大食漢ということは決定事項となり、大量の料理を食 できるという話なのだが。 わされずに、ちゃんと言えたようだ。まあ、言えたからと言って何が ベルはシルさんに文句を言おうとして、シルの可愛らしい仕草に惑 ﹁⋮⋮えへへ﹂ ﹂ にいる私も初耳だ。恐らくベル自身も初耳だろう。 思わず吹いてしまった。ベルが大食漢、などということは長年一緒 ! 42 ! ある程度、料理を食べ酒を飲んでいるとシルさんがサボりに来たの か、それとも客の相手をするのも業務の内なのか、ベルの隣の席に座 り話しかけていた。その表情はとても楽しそうだった。 そんな楽しそうに話している若い二人の邪魔をするわけにも行か ず、取り敢えず私はお手洗いに行くことにした。 ﹂ ﹁あ、店員さん﹂ ﹁なんでしょう もちろん始めてきた酒場のお手洗いの場所など分かるはずもなく、 一人のウェイトレスを捕まえ場所を聞くことにした。 聞こうと思ったのだが。ビリッときた。今剣を持っていないのが 惜しいと思えるほどだった。気付いたときには腰、いつも剣の柄があ る場所に手が伸びていた。 ﹁⋮⋮﹂ ﹁いえ、これは﹂ そんな不審な動きをした私を、そのウェイトレスは鋭い目つきで睨 んできた。決して、一般のウェイトレスがするような目ではなかっ た。 シルさんと同じような若葉色の給仕服に身を包んだ、エルフの女 性。緑の混ざったような形容しがたい金の髪とそこから覗く二本の 尖った耳。何よりも目立つのが、その空色をした二つの瞳。 ﹁随分、腕が立つように見えたもので﹂ ﹁⋮⋮護身術程度です﹂ ﹁それが、護身術とは。出身は大変治安の悪いところだったみたいで すね﹂ 話せば話すほど、彼女の纏う空気が濃く鋭くなっていく。それが心 地いいと思えた。それは、まるですべてを斬り裂く剣のような冷たさ を含んでいた。 ﹂ ﹁お客にゃーん。あんまりウチの子にちょっかい出してると、追いだ しちゃうにゃよ 気が付くと、私の横に猫耳を生やした店員がいた。つい、目の前の エルフの女性に集中しすぎて意識が散漫としていた。 43 ? ? ﹁これは、失礼しました﹂ 実に楽しい場所だ。こんな酒場ですら殺気をこの身に受けること ﹂ ができるとは、思ってもいなかった。私は、視線を彼女から外して尋 ねた。 ﹁お手洗いは、どちらでしょうか ﹁右手の奥、男性は左手にあります﹂ ﹁ありがとう、美しいエルフの方。もし、宜しければお名前を﹂ エルフは皆美しい容姿をしているが、彼女はそれとは隔絶した美し さを持っていた。剣としての、鋭さを孕んだ危うい美しさ。扱いを間 違えればこの身を斬り裂く、刃の如し鈍色の美。 ﹁⋮⋮リュー、と申します﹂ ﹁私はアゼル。以後お見知り置きを﹂ そう気障ったらしく言って、私は店の奥へと向かった。後ろで猫耳 店員が、二度と来るにゃ、といったのも聞こえたが、これは通ってし まいそうだ。 なるほど、ここで争い事が起きない理由が分かった。それは至って 簡単なことだった。店員が全員、そこいらにいる冒険者より遥かに強 いのだ。きっと女将であるミア母さんは、その筆頭なのだろう。争い 事などしようものなら、問答無用で放り出されるに違いない。 ﹁くは、ふふふ﹂ ああ、旅に出て、この街に来て正解だった。これだけの強者が蔓延 るのは世界広しと言えど、ここくらいのものだろう。目指す者が、超 えるべき者が、斬り合いたいと思える者がこんなにもいるなんて。 ﹁ありがとう、ベル。貴方のおかげだ﹂ ベル・クラネルという少年との出会いは、それこそ本当に幼い頃 だった。しかし、その出会いが今を生み、私を形作っている。ベルを 育てた老師に教えを請い、ベルと共にこの街へとやってきた私がい る。 ああ、この出会いに祝福を。ベル・クラネルという少年は、私にとっ て掛け替えの無い存在だ。私に強者を呼んできてくれる、まるで呼び 鈴のような存在。彼の側にいれば、それだけで人々は集まる。ベル・ 44 ? クラネルという少年にはそういった魅力がある。私も、その内の一人 なのかもしれない。 私はベルを利用し、ベルも│││気付かずとも│││私を利用して いる。 老師が、そう仕向けたのだろう。私という、なってはいけない存在。 彼 が 目 指 し て は い け な い 剣 の 担 い 手。反 面 教 師 と で も 言 う べ き か、 きっと私が私でいる限り、ベルは私のようにはならない。心優しい彼 が、そもそも私のようになりえるかは疑問ではあったが、力を望まな ければいけないここオラリオで力に飲まれないとは限らない。 ﹃お前は、英雄足り得ない。アゼル、お前は英雄を英雄足らしめる要素 を持っていない﹄ 記憶の奥底、幼い頃に言われた言葉。その時から、老師は私の辿る 道をある程度把握していた。 ﹃だが、それも悪くない。お前には、お前の道がある﹄ 悪くないと言いつつ、老師の顔はそれほど優れてはいなかった。 しゃがれた声が、私の頭の中を反芻した。鞘から抜いた、剣の音色 の よ う だ。鋭 く、私 の 中 へ と 斬 り 込 ま れ て い く。血 は 流 れ ず と も、 きっと私は傷付いた。 ただひとつ、老師に認めてもらえなかった思い出だった。 45 そして因縁は始まる ﹂ ﹁只今戻りました﹂ ﹁ベルさん 席に戻った私が、ベルに話しかけるのと、座っていたベルが椅子を 蹴飛ばしながら走りだすのはほぼ同時であった。その後を急いで追 うシルさんを見送った私は、訳がわからず立ち止まった。 彼の座っていた足元を見ると、血でできた赤い点が幾つかあった。 ﹁ふむ﹂ お手洗いに行っている間に何か色々と起こったようだ。思いの外、 思い出に浸りすぎていたらしい。 ベルの席、現在は空席だが、の隣の自身の席へと再び腰を下ろす。 ﹂ 料理は少し冷めていたが、まだまだ絶品と言っても過言ではないほど 舌を喜ばせた。 ﹁何が起こったのか、聞かないのかい ん﹂ ﹁ええ、これでも私はベルの仲間です。貴方がどう思うとね、リューさ から声を掛けてもらえるとは思ってもいなかった。 に、聞き覚えはあった。むしろ、聞きたい声であった。まさか、相手 突然、後ろから話しかけられる。非難の色を濃く滲ませたその声 ﹁それでも、貴方は彼の仲間ですか﹂ 力避けてしまう。 しかし、私の悪い癖とでも言うべきか、斬らないことを選ぶことは極 に刃を押して、打撃として攻撃することも、可能といえば可能である。 斬らない、という選択肢もある。斬らない事を選ぶ。つまり、相手 すぎるために、使用できる場面が限られるほどに強い。 れば相手は切断され、死に至る。それは、強いだろう。あまりに強力 の時にしか真価を発揮できない。私が斬るという意志を持って触れ ただ、斬ることしかできない。つまるところ、私は荒事でも極一部 ﹁聞いたところで、私にできることは何もありませんから﹂ ? ﹁なら、追うくらいしたらどうですか﹂ 46 !? ﹁さて、状況をいまいち理解できていないので﹂ 明らかに怒気の入った言葉を向けられても、私の心は一切揺れな かった。 私は確かにベルの仲間だ。同郷の友でもあるし、幼少期を共に過ご した幼馴染でもある。四歳年下ということもあり、弟のように思った こともある。 しかし、違うのだ。ベル・クラネルという人物は、弟と思い優しく 見守る必要のある人間などではない。私はむしろ、痛めつける側だ。 ﹁まあ、何事も経験というものですよ。ベルも、いい勉強になったで しょッ﹂ 言っている途中に向けられた敵意の塊を知覚し、視界を掠める肌色 の軌跡を見た。数瞬先に迫るであろうそれに私は手を向けた。 ﹁何も、平手で殴ることはないでしょう﹂ 平手が頬に当たるギリギリのところ止まっている。その先、手首を これは目立って嫌ですね。これではまるで。 うちがバレない方法教え なんやなんや ウェイトレスに手でも出して ? バカやなあっ !! ﹁アゼルやないか ﹂ ? ! 47 私ががっしりと掴み止めなければ、平手は私の頬にあたり小気味いい 音と共に痛みを感じていたことだろう。 ﹁ああ、本当になんで今剣を持っていないのか﹂ │││パァンッ ﹁ッ﹂ 掴 ん だ ほ う と は 逆 の 手。一 度 止 め た こ と で 油 断 し て い た 頬 に ク ﹂ リーンヒットした平手はそれは盛大に音を鳴らして私に衝撃を与え た。 ﹁離せッ﹂ 掴まれた手を振るい、無理矢理離される。 客を殴るたあどういうことだっ ﹁これは、これは。嫌われたものです﹂ ﹁こらリュー ! 一 部 始 終 を 見 て い た ミ ア さ ん が 大 声 で リ ュ ー さ ん を 叱 り つ け る。 ! 大目玉喰らったんか たろか ? そう、それである。これでは、まるで私がリューさんにちょっかい を出して殴られたようにか見えない。実際ちょっかいは出したのだ が。 ﹁ミアさん。私は気にしてませんから。初対面の女性に平手で殴られ るのも、まあなかなかできない経験でしょう﹂ 次の ﹁⋮⋮アンタも大概変な奴だね。リュー、奥は⋮⋮任せられないから。 じゃがいもの皮でも剥いてな﹂ 失敗を糧に生きていく ﹁せやで、アゼル。何事も経験や ! ﹂ ! お代は持つで ﹂ ? ﹁皆スペシャルゲストやで ﹂ るされてるんでしょう ﹁ぐぺっ ﹂ つーても、昨日振りやけどな ﹂ ﹂ ﹁うるっさいわよベート !! ﹂ ! ますティオネさん。あれは痛そうだ。ベートさんはガードすること 私の言葉に咄嗟に罵倒を返してきたベートさんの顔に一発拳をか ! ﹁ぶっ殺すぞごらぁッ ﹁狼の丸焼きとは、また豪勢ですね﹂ ? 何故か宙に吊るされているベートさんが大絶叫。本当に、なんで吊 ﹁はああああああっ ﹁どうも、ゲストのアゼルです﹂ ! る。行き着いたのは店内の真ん中に位置する一際大きなテーブル。 自分のジョッキを持って、ロキ様に連れられるまま店内を移動す ﹁では、お言葉に甘えて﹂ や、一緒にどうや ﹁こっちからしたら、アゼルがここにいるほうが不思議やけどな。そ ﹁というより、いたんですね﹂ 確かだ。 いえ、かなり重要なことなのだが。他人にとては些末事であるのは ﹁細けえことは気にすんなや れた訳ではありませんからね﹂ ﹁ロキ様、一応弁明しておきますけど。私は別にセクハラをして殴ら ﹂ セクハラは絶対成功させようなっ ! ? !? 48 ! ! もできず、ただ皆に殴られたり蹴られたりしていた。 ﹁はいっ﹂ ﹁これは、ご親切にどうもティオナ﹂ 混沌とした状況に飲まれている間にティオナが椅子を一つ持って きてくれる。 ﹁最近よく会うね。って言っても昨日と今日だけか﹂ 何 ﹁そうですねえ。私としてもロキ・ファミリアのような大手のファミ はい、飲んで飲んで﹂ リアと交流を持てるのは嬉しい限りです﹂ ﹁そう ﹂ ﹂ というより、私がいることに誰も文句を言わないのだろうか かの祝の席のように感じられるが。 ﹁今更ですけど、私いてもいいんですか ﹁いいのいいの。皆飲んで食べて騒ぎたいだけだから ﹁それは大いに満喫しているんでしょうね﹂ この混沌とした状況を見れば分かる。 ﹁にしても、アゼルも災難やったな。エルフっちゅうんわな、気を許し た相手にしか肌を触れさせんちゅう、それはもうセクハラしがいのあ る⋮⋮ごほん、潔癖な種族なんやで﹂ ﹁なるほど。だからあそこまで頑なに私の手を振り払ったのか﹂ ﹁せやせや。だから、別に嫌われてるとかじゃないから、あんま気にせ えへんほうがええで﹂ ﹁嫌われてますよ、きっと﹂ どうも、彼女は仲間というものに何か特別な感情を抱いているよう だった。私にとって、仲間というのはベルしかいない。しかし、ベル とは仲間であって仲間でない。同じファミリアに属し、同じ故郷を持 ち、同じ時間を共に過ごしてきた。 ﹂ それでも、私は本人が言わずとも、自覚せずとも確実にベルを傷つ けてきた。 ﹁そもそも原因はなんだったの 行ってしまったようで。丁度お手洗いに行っていた間だったので、何 ﹁いえ、どうにも私の仲間が無銭飲食をして夜の街へと颯爽と走って ? 49 ! ? ? ? がなにやら﹂ ﹁走り去るって⋮⋮あぁ。アゼルにはまた迷惑かけてもうたな﹂ ﹁あぁ、うん。本当にごめんね﹂ 私の説明を聞きロキ様はやれやれと行った風に私の肩を持ちなが ﹂ らジョッキに入った酒を煽った。 ﹁というと ﹁ベートがね。その仲間君のこと、雑魚だの、アイズ・ヴァレインシュ ﹂ タインとは釣り合わないだの言って貶しちゃって﹂ ﹂ ﹁本当に、この駄犬は ﹁もう、やめっ ﹂ 育ててきたベルだろう。 は、誰なら足り得るのかと。それは、きっと老師自身がずっと大事に そうでなくては、困る。老師は言った、私は英雄足り得ないと。で ﹁ええ、ベル・クラネルは強い﹂ ﹁強いんだね﹂ れようと折れなかった﹂ も同然でした。それでも、ベルは諦めなかった。彼は、何度地面に倒 から。︻ステイタス︼がなければ、ベルは私には手も足もでない、赤子 私を比較してきたのでしょう。彼は自分を卑下する悪癖があります ﹁仲間であり、敵でもある。ベルが育つ中、きっと彼はずっと彼自身と ﹁仲間じゃないのかい のが私しかいなかったので、こういった刺激も必要でしょう﹂ ﹁ベルも、今まで大事に大事に育てられてきましたから。敵というも きまで飲み食いしていたものより高いのだろう、更に美味である。 私もテーブルに置いてある料理に手を付け、酒を飲む。私が今さっ ヴァレンシュタインは特別だ。 ルが気にしたのは後半部分だろう。ベル・クラベルにとってアイズ・ それにしても、雑魚と言われたのもこたえただろうが、何よりもベ ら﹂ ﹁いえいえ、フィンさん。私にはほとんど実害はありませんでしたか ﹁本当に、すまないねアゼル君﹂ ! ! ? 50 ? 場所を移動してフィンさんとティオネさんの間に入ったら、殴られ た。リヴェリアさんとレフィーヤさんの間には入れなかったので、リ ﹂ ヴェリアさんの隣に座りエルフの事をもっと教えてもらった。 ﹁あの子の名前、ベル そして、今はアイズさんの隣に座っている。 ﹁ええ、ベル・クラネルと言います﹂ ﹂ そんなことありませんよ。むしろ、大変感 ﹁私の事、怖がってなかった ﹁アイズさんのことを ﹂ テンパッて走りだしただけです﹂ ﹁かわ、いい ﹁ええ﹂ てええ ﹂ だから、抱きつかせ ﹁そ う で す か 褒 め ら れ る と 照 れ ま す ね。で も、ま だ ま だ で す よ。 ﹁剣の腕は、貴方のほうが上﹂ ですね﹂ ﹁まあ、私としては。アイズさんの剣の腕に惚れ惚れと言ったところ だこーだ文句を言っているが耳に入れないことにした。 ベートさんとレフィーヤさんが耳ざとく私のいった事を聞き、あー より自動迎撃みたいなものでしょう。 赦のないアイズさん。きっとセクハラを日常的に受けてきたことに 自分の容姿に自覚がないのかアイズさんは。そして、ロキ様には容 ! ﹁それは、怖がったからではありませんよ。アイズさんが可愛いから う。 人っぷりはすごいですが。だからと言って逃げることはないでしょ ベル、貴方は何をしているんですか。いえ、確かにアイズさんの美 ﹁この前、ミノタウロスから助けた時⋮⋮逃げられた﹂ 謝していました﹂ ? 老師に勝てるようになるには、まだまだ足りない﹂ ? 51 ? ? ﹁せやで、ウチのアイズたんはめっさかわええ ? ﹁ロキ、うるさい﹂ !! ﹁老師 ﹂ ﹁私の剣の師です。ベルの祖父にあたります﹂ ﹁でも、あの子は﹂ ﹁ええ、手ほどきを受けていません。元々教えるつもりもなかったよ うです﹂ 不思議な話だ。どこの馬の骨か分からない私には毎日のように剣 の稽古を付けてくれるのに本人の孫には一切しない。今思えば、この 時のための布石だったのかもしれない。 爆発的な成長。それには必ず願望が必要だ。その願望がなんなの か、本当のところは知らないが、強くなりたいと思うことは大事なこ ﹂ とだ。常に側に私という強者がいたベルは、常々もっと強くなりたい アイズから離れやがれ と言って燻っていた。 ﹁てめえ ! もう夜やで﹂ ? ﹂ ? ﹁ほんまかいな 防具もなんも付けてへんかったで﹂ ﹁ベルのことです。ダンジョンに行ったでしょう﹂ 討はついてるんやろな ﹁さっきの子かあ。ほんま悪いことしたなあ。で、どこい行ったか検 ﹁ええ、友人を迎えに行かないといけませんから﹂ ﹁どっか行くんか ﹁そろそろ、私も行くとします﹂ ベートにでかした、とグーサインを出していた。 私 と ア イ ズ さ ん を 引 き 離 し た。レ フ ィ ー ヤ さ ん が こ の 時 ば か り は 漸く吊るされた状態から解き放たれたのか、ベートさんは一目散に ﹁おっと﹂ ! 泣きながら、もう一度と私に立ち向かうベルを、私は何度も気絶さ も﹂ ﹁惨めで情けなくとも。涙がでるほど、拳から血を流すほど悔しくと 武器を奪われようと、ならばその身一つで向かってくる。 ﹁貶され、罵倒され﹂ 何度倒されようと、その度に起き上がり。 ﹁ええ、そういう奴ですからベルは﹂ ! 52 ? せるほど叩きのめしてきた。 ﹁ベル・クラネルという冒険者は、折れたりなんてしません﹂ その度、彼は起きた時に今回はどうだったかと聞いてくる。私を恨 むでも、嫌うでもなく。 ﹁流した血、流した涙、流した汗。そのすべてを糧に変え、成長する。 ベルは、正しく冒険者だ﹂ 起きた時、絶対私がそばにいた。老師が優しく物を教え、私が厳し く物を教えた。心は痛まなかった。 ﹁きっと今も泣きながら、傷つきながら、武器を振るい、敵を倒し、成 長している﹂ 諦めが悪い。そう言うと、なんだか悪いイメージが浮かんでしま う。でも、泥臭い感じが彼に合っている。 何 度 で も 立 ち 上 が る。そ う 言 う と、英 雄 の よ う に 聞 こ え る。そ ん 世界は、乗り越えられる者にしか試練を与えな な、本に出てくるような不屈な姿は彼に合っている。 ﹁知っていますか いらしいですよ﹂ そう言って、私は酒場の出入口をくぐった。夜も更け、空には幾千 もの星が輝いていた。きっと、それはベルを照らしているのだろう。 私ではなく、彼を。 ■■■■ ﹁ちっ。言いたいことだけ言って帰りやがった﹂ ﹁⋮⋮ベル・クラネル﹂ アイズは、その少年の名前を記憶に刻むように何度か口にした。ア ゼルが形容した彼の在り方は一目見たベルの見た目、彼との出会いか らは想像できないものだった。 それでも、いや、だからこそ、アイズはベルに会ってみたいと思っ た。 ﹁なんだか、悲しそうな顔だったね﹂ ﹁せやなあ﹂ 53 ? ベルの事を語るアゼルは饒舌だった。自然と口から言葉が出てい るように見えた。しかし、その表情はどこか影が差していた。 ﹁乗り越えられる物にしか試練を与えん、か﹂ ﹁まるで、自分には与えられない、と言っているような言い方だ﹂ ﹁自覚がないんやろ。自分と相手を比べてたのは、何もそのベルっつ う奴だけやなかったってことやな﹂ 普段と変わらない糸目とにやけた顔だったが、声だけは真剣だっ た。 素手で斬鉄を可能とするほどのスキルを身につけた人間の過去を 垣間見た瞬間だった。しかし、その少しばかり見えた過去もすべてが ベルという少年に集約しているように、ロキには思えただろう。 まるで、誰かにそうなるように仕向けられたかのように。 あれほどのスキルと、 ︻剣姫︼と呼ばれるロキのお気に入りの冒険者 が自分より上だと言う剣の腕を持った人間を、まるで一人の少年を完 成させるための駒のように使われている印象があった。 ﹁おもろくないなあ。あんなおもろい子を、こんなにおもろくなくす るんはどこのどいつやろか﹂ アゼルの口から語られた、老師という人物。ベルという少年の祖父 で も あ る と 言 っ て い た。剣 の 師。そ の 身 が 剣 の よ う な ア ゼ ル を、形 作ったであろう人物。 そいつに、違いない。 ﹁ちっ﹂ 何よりも面白いことを愛し、子供達を大切に思うロキにとって、そ れは許せないことだった。 子供達は、自分で自分の道を歩み、成長していくからこそ可愛い。 自分の思うように成長させるなんてことは、もう天界で飽きるほど やってきたことだ。 見えないその老人の姿を掻き消すように、ロキは酒をもう一杯、一 気にあおった。 ■■■■ 夜を行き交う人々を眺め、人のいなくなった広場を眺めた。場所 54 は、ダンジョンの上に聳え立つ五十階ある巨塔バベル。 ベルは、飛躍するかの如く成長する。それは、彼の冒険の証であり、 私が邪魔をするような無粋な真似はしない。 自らの弱さを知り、それでもなお強くなろうとする彼が、少し羨ま しく思えた。私は、知らない。敗北という物の味を。何度も起き上が る過程にある気持ちを。 私が知っているのは剣を振るという事のみ。 ﹁こんばんは﹂ いつの間にか、そんな言葉が最も適切だろう。 ぼんやりと考え事をしていた私の目の前に一人の女性が立ってい た。絶世の美女という言葉ですら足りない、この世の﹃美﹄を集めた ような美貌を持つ女性。目の前に立たれただけで、じんわりと頭の奥 が熱くなる。 銀色の髪に女神のような微笑み。否、彼女は神に違いない。着てい 55 る服は、肌を大きく露出する扇情的なドレスにも関わらず気品があ り、その立ち姿は芸術品のように完成されていた。 それは既に支配の領域まで達しようとしているほどの魅了。その 神の特性を瞬間で理解する。 心を落ち着かせ、沈める。鉛色を想像する。冷たい、何人たりとも 邪魔をすることのできない、一切の感情を含まない鉛色。触れればそ の物を斬る、それは剣。 その時、私は何かを斬った。己を守れという本能に従い、初めて目 に見えない物を斬る。まるで夢から醒めるように、目の前がはっきり と認識できるようになり、熱も冷めた。 ﹁あら﹂ ﹁こんな夜更けに女性一人とは不用心ですよ﹂ ﹁ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。私を襲おうなんて子供はいない もの﹂ そうでしょうとも、見た瞬間に魅了されてしまっては襲おうにも襲 ﹂ えない。美の女神には、そんなことできない。 ﹁こんな所で、何をしているのかしら ? ﹂ ﹁待ち人を待っているのです。いつになるか分かりませんが、ここで 待っていれば来るでしょう﹂ ﹁大切なのね﹂ ﹁そういう貴方はなぜここに ﹂ その手を、私はやんわりと払いのけた。この神を斬ることはできな ﹁やめてください﹂ 再び、怒りに任せ何かを斬る。 い。 る。一切合切を斬り裂いてこそ剣。斬りたくないなど思ったりしな こんなの私ではない。私を汚すな、と静かな怒りが心から湧き上が 斬らなければ、と思いつつも斬りたくないと心が言っている。 るような感覚。 生じる。甘い、抗いがたい熱。今まで感じたことのないような、痺れ そう言って、彼女は私の頬にその手を触れた。触れた場所から熱が 方をちゃんと理解している。いい子ね﹂ ﹁貴方はちゃんと、邪魔をせずにここで待っている。あの子の輝かせ ぶられる。 た。その瞳に吸い込まれるような感覚。落ち着いたはずの、心が揺さ その声は、何故か強制力があった。無意識に彼女の顔を見てしまっ ﹁いいえ﹂ ﹁はて、私のような田舎者にそんなこと分かりませんよ﹂ ﹁美しいものの愛で方よ﹂ ﹁何をですか ﹁貴方は、なかなか分かっているようね﹂ そう、確か名はフレイヤ。美の女神フレイヤ。 ﹁なるほど﹂ ﹁バベルの最上階が、私の住まいだもの﹂ アの主神だったはず。 なんだったか、美の女神の名前は。オラリオでもきってのファミリ ? い。私は彼女を斬ることを選択できないことが、どこか分かってい た。 56 ? ﹁ふふ、貴方もとっても綺麗な色をしているわ。鈍色の輝き﹂ ﹁⋮⋮貴方は私の何を知っている。ベルに何かするつもりですか ﹁何が狙いだとッ﹂ ﹁でも、貴方もまだ輝ききれてない﹂ ﹁何が狙いだ﹂ い。 ﹂ その上今まで会ったことのない神だ。何か狙いがあるとしか思えな 知っている。しかし、あの酒場にはいなかった。いたら必ず気付く。 明らかにベルの事を知っていて、彼がダンジョンに行ったことも ? 瞬間、息を飲む。彼女の顔が本当に近くにあった。否応なしに、彼 力 名声 金 それとも、もっと 女の瞳を見てしまう。そこに映った自分すら見えてしまう。 ﹁貴方に足りないのは何 ? ﹂ 例えば、冒険。例えば、自由。例えば、愛。貴方を輝か ? 求めて欲しかったのかもしれない。 からだ ﹁ねえ、教えて。貴方の冷たい刀身を熱くするには、何が必要 ﹁う、あ﹂ ﹂ それでいいと思ってしまった。もしかしたら、老師は私にその答えを 老師は言った、何か足りずともそれは私の道であると。なら、私は る事実として受け止めた。 とも思わなかった。そうか、私は何かが足りないのか、という純然た うとはしなかった。そもそも悩みすらしなかったから老師に聞こう 知らない。私は、自分に何かが足りないと知りながら、それを知ろ ﹁それ、は﹂ せるのに必要なのは、何 別の何か ? そうになる恐怖。心を震わせる恐怖に身を任せ、私は再びそれを斬っ てしまうような感覚。それを自分の意志と関係なく引きずり出され 心を襲ったのは恐怖だった。知らない、知りたくない自分を知られ を引き出すのは無理だった。 り出そうと、それは暴れまわる。しかし、答えを持たない私からそれ 味が理解できない。ただ、何かが私の中に響いてくる。何かを引きず 呼吸が乱れ、思考が纏まらない。彼女の言葉が耳から入っても、意 ? 57 ? ? ? た。 熱は急激に収まった。我に帰り、彼女を見る。 ﹁分からないのね。でも、それもまた貴方を輝かせるためのことなの かもしれないわ﹂ ﹁ま、て﹂ 彼女は私の横を通り、バベルの中へと消えていく。 ﹁さようなら、また会いましょう﹂ その言葉を最後に、私は壁に寄り掛かるように地面へと崩れた。足 に力が入らない。呼吸が苦しいし、動悸も激しい。あれが、神。ロキ 様とも、ヘスティア様とも違う、その力の片鱗だけで私達を圧倒する 存在。 彼女の残していった甘い匂いだけが、その場に漂った。 彼女の言っている事がまったく分からなかった。 でも、確かなことは分かった。彼女は私にとっても、ベルにとって 58 も良くない存在だ。いつの日か、立ち塞がる敵だ。 それから何時間経っただろう。空には朝焼けが見え始め、建物の屋 根が明るくなる空を背景に見えるようになってきた。 足音が聞こえた。とても、不安定で不格好な足音。しかし、それは しっかりと地を踏みしめ一歩、そしてまた一歩前へと踏み出してい た。 バベルの入り口。そこから一人の少年がゆっくりと出てくる。 白い紙に赤い目。兎のような印象のヒューマン。ベル・クラネルと いう少年はまた一つ冒険をした。 ﹂ ﹁お疲れ様、ベル﹂ ﹁アゼル、なんで ﹁アゼル﹂ 今は相応に重い。成長しているのだ、彼は。 そう言って、私はベルを背中に背負った。昔は軽かったその身体も ﹁うん⋮⋮ありがとう﹂ ﹁疲れているだろうと思いまして、帰りは私が﹂ ? ﹁なんですか ﹂ ﹁いつも、ありがとう﹂ ﹁何を今更﹂ 背中越しに伝わる彼の熱が、私は心地よく思った。 ﹁いつも、いつも。僕が気絶した後も一緒にいてくれて。僕が何度倒 れたって、何度お願いしても相手をしてくれて。本当に、ありがとう﹂ ﹁アゼルなしじゃ、今の僕は⋮⋮ないよ﹂ それっきり、ベルは寝たのか喋らなくなった。 ゆっくりと、人がいない街の中を、ベルを背負ってあるく。背中に 感じる重さと熱を懐かしく感じながら、彼の成長を変化を実感する。 ﹁本当に、貴方という人は﹂ 人を惹きつけて止まない。 私のような斬ることしか能のない人間にも貴方は必要だと、欠かせ ないと言ってくれる。それは、幸せなことだ。 ﹁でもね、ベル﹂ 心に闇が募る。 ﹁私はそれじゃ満たされない﹂ 本当に欲しているのは、必要とされる喜びじゃない。それが、何な のか私は分からない。でも、これではないと分かる。 きっと、私が今までの人生で一度も感じることのできない剣を振る う意味の先にある何か。 ﹁ああ、私も﹂ それを理解するためには何が必要なのか。あの美の女神の質問が 反響するように頭に浮かぶ。どれか分からない。そもそも、あの中に あるのかも分からない。しかし、目先の欲求はできた。 ﹁強くなりたい﹂ 人がほとんどいない街に、私の言葉は溶けて消えた。しかして、そ の願望は身体に宿った。 59 ? ﹄ ﹂ 放たれた刃の行方 ﹁せいッ ﹃キッ ﹄ ﹄ ﹄ ﹄ ネイチャーウェポン 良く、集団戦に長けている。それに比べて私は一人。 る中層のモンスターだ。上層で出現するモンスターに比べると頭が ﹃アルミラージ﹄と呼ばれるそのモンスターは13階層から出現す まだまだ敵はいる。 ﹃キキィイ ﹃キィキッ ﹃キキィッ された胴体を右の剣で斬る。 私に向かって振るうが、左に持つ剣でそれを斬り払い、無防備にさら 仲間が殺されている隙に、もう一匹が自 然 武 器であろう石の斧を 刀両断する。 兎人間とでも言うべきか、二足歩行をする小人程の大きさの兎を一 ショートソード、二本の剣を携えダンジョンへとやってきて四日目。 新しく買った安物のショートソードとロキ・ファミリアで貰った ﹃キィイッ ! れ違いざまに斬り裂く。二本の剣を一気に振りぬき敵を三分割する。 その間私の前後へと別れたアルミラージは同時に攻撃を仕掛けて くる。一匹は飛び上がり斧を振り下ろし、もう一匹は石の槍で突貫し ﹂ て来る。 ﹁ふッ 横に一歩、それだけで斧の軌跡は私から外れ地面へと振り下ろされ る。剣を振り上げ、その腕を斬り飛ばし、突っ込んでくるアルミラー ジにはもう一方の剣で迎撃する。 斜め上に斬り上げ、槍の先端を斬り、返し刀で斜め下に斬り槍は持 ち手部分しか残っていなかった。そして、最後にもう一度刃を返しア ルミラージの首を目掛けて一閃、絶命し地面へと倒れた。 60 !! ! !! ! 先陣を切って飛び込んでくるアルミラージを、身体を横にずらしす !! ! ﹃ギイイィッ ﹄ 腕を斬られた痛みに悶えながらも、アルミラージはその身体を武器 にして再び攻撃を繰り返す。しかし、その攻撃が私に届く前に首と胴 が切断された。 ﹁ふぅ⋮⋮﹂ かれこれ、三十分ほど戦闘をしていたからか、深呼吸をすると肩で 息をするほど疲れていたことに気付いた。 現在、15階層。中層とも呼ばれるそこでは、それより上の上層と 比べるまでもなく一度の戦闘が長く、そして戦闘自体が頻繁に起こ る。な に よ り、敵 の 数 と 発 生 速 度 が 格 段 に 違 う。決 し て、冒 険 者 と なって二週間やそこらの駆け出しが来るような場所ではない。 私とて、最初からここを目指していたわけではない。 最初の方は、大人しく6階層や7階層辺りで敵を斬滅していくつも りだったのだ。しかし、物足りないと思い下の階層へ。下の階層でも 物足りないと感じもう一つ下へ、と繰り返していたらここまで来てし まったのが一日目のことだった。それからずっと中層をうろちょろ していた。 ﹃オーク﹄などは動きが愚鈍で斬る的にしかならず、 ﹃インプ﹄は数 が多いだけの的にしかならなかった。﹃インファントドラゴン﹄と呼 ばれる竜種のモンスターはデカイ図体に長い首もあいまった、懐から 首を一閃して殺すのが容易かった。火を吐くらしいが、そんなことを する前に殺した。 スパーダ 老師によって鍛えられた剣技と勘、そして未来を見る魔法とすべて を切断することを可能とする︻剣︼。その四つを把握し使用すること によって、私は敵の攻撃を一切受けず先手必勝、一撃必殺を繰り返し ていた。 ﹁そろそろ、帰りますか﹂ 持ってきた食料と水が尽きたのが今朝のこと。ダンジョン篭もり をするために買った大きめのバッグに魔石やドロップアイテムが入 りきらなくなってきたこともあるし、一度地上に戻るべきと判断し 61 !! た。 その後、火を噴く狼﹃ヘルハウンド﹄や丸まりながらその硬い表皮 で攻撃する﹃ハード・アーマード﹄などを倒しながら私は上層へと歩 き始めた。 ﹂ ■■■■ ﹁おや そ れ は 私 が 5 階 層 の 中 腹 あ た り を 歩 い て い る 時 だ っ た。モ ン ス ターの気配を後ろに察知し振り向くとモンスターの集団がこちらに 向かって走ってきていた。先頭に立っていたフロッグ・シューターを 斬り殺すも、他のモンスターは私を素通りし逃げていってしまった。 ﹁これは一体⋮⋮﹂ 立ち止まり考えるが何か分かるわけもなく、気になってしまっては 原因が知りたくなってしまうのは自然であった。私が来た道を戻ろ うとした時だった、金色の髪がダンジョンの闇から歩いてきたのは。 ﹁なるほど﹂ つまりモンスター達は彼女から逃げていたのだ。モンスターに怯 えられる冒険者というのもなかなかすごい。やはり、モンスター達も 恐れといった感情があるのだろう。そういえば、仲間を殺されると 怒ったりする。 ﹁こんばんは、アイズさん﹂ ﹁あ⋮⋮こん、ばんは﹂ 少し落ち込みながら歩いていた彼女は私につい先程の光景を見ら れたのが恥ずかしかったのか若干俯きながら返事をした。 ﹁お互い、荷物が多いですねえ﹂ ﹁一日中いたから﹂ ﹁私は四日で、これですから。やはりアイズさんは凄いですね﹂ アイズさんの荷物は私の荷物と比べると五割くらい大きい。荷物 の多さが敵の倒した数と比例するとは限らないが、彼女は恐らく私よ り更に下層で探索をしていたに違いない。やはり、レベルの差という 62 ? ﹂ ものはすごいものだ。 ﹁四日も ﹁ええ、少し⋮⋮思うところがありまして﹂ レベル1である私が四日間ずっとダンジョンにいたのが以外だっ たのか、彼女はその日数を聞き返してきた。 そして、私が思い浮かべるの四日前の事。 ベル・クラネル Lv.1 力:H 120 ↓ G 221 耐久:I 42 ↓ H 101 器用:H139 ↓ G232 敏捷:G 225 ↓ F313 魔力:I 0 熟練度上昇値トータル360という、他の冒険者の成長具合を馬鹿 にするような値を私は見た。たった一晩、ダンジョンで決死の特攻を しただけでこれほど成長してしまった。 ヘスティア様もその異常性に何か思うところがあるのか言葉を慎 重に選びながら、そのことをベルに説明していた。私も詳しいことは 教えられてもらえず、ただスキルの恩恵であるとということしか知ら ない。何が彼をそこまで早く成長させるのか、そのスキルを授かった 経験は一体なんなのか気になった。 少しだけ羨ましいと思った。早く成長すればするほど、更なる強者 と戦う機会が増える。しかし、ベルのスキルの根源的経験を私が知っ たとしても、同じスキルを獲得できるとは限らない。むしろ、私は絶 対にできないと感じていた。 ベル・クラネルという存在は、根本からしてアゼル・バーナムと違 う。 ﹁あ、私身体とか洗ってないんで、臭いかもしれません﹂ ﹁遠征で慣れてるから。気に、ならない﹂ ﹁それはよかった﹂ 敵の攻撃は受けずとも、走れば埃は散り、火の近くにいれば服は焦 63 ? げたりする。身体を動かせば汗をかくし、モンスターを斬れば返り血 を浴びることもある。身体以外は全体的にボロボロ、それが今現在の 私だ。 ﹂ ﹁そういえば。ここまでの道中にモンスターを檻に閉じ込めていた集 団がいたんですが、あれはなんなんですか ﹂ ﹁明日の、フィリア祭﹂ ﹁フィリア祭 ? のだ。 ﹁あの子、元気 ﹂ る気を出すだろう。 ﹁ベルが、どうかしました ﹂ て見るのも面白いかもしれない。なにより、そうすればベルも更にや もアイズさんには並々ならぬ好意を抱いているようだし、引きあわせ どうやらアイズさんはベルのことを気にかけてくれている。ベル ﹁そっか⋮⋮﹂ にいるので。でも、元気でしょう﹂ ﹁ベルのことですか さあ、私はあの次の日からずっとダンジョン それにしても、明日とは私もいいタイミングで物資がなくなったも に聞けばいいことだ。 てくれただけでもよかったとしよう。帰ったらベルかヘスティア様 それ以上詳しい説明はしてくれなかった。祭りがあることを教え ﹁うん、毎年やってる﹂ ? 言っておきます﹂ ﹁まあ、そこまで言うのなら。私からも今度会ったら逃げないように あったし。 が 謝 る 必 要 な ど な い こ と だ。酒 場 で の 一 件 は ベ ー ト さ ん の せ い で そもミノタウロスからベルを助けたことは、感謝はされどアイズさん 何がそこまで彼女にそうさせるのか、私には分からなかった。そも ﹁それでも⋮⋮謝りたい﹂ ﹁あれはベートさんが酔ったからでしょう﹂ ﹁この前、嫌な思いをさせたから﹂ ? 64 ? ? ﹁うん﹂ そもそも、ベルが走って逃げなれければよかった話なのかもしれな い。そんな、約束とも取れぬ約束を私はアイズさんにした。 ■■■■ ﹁では﹂ ﹁さよなら﹂ ダンジョンから出て、バベルの出入口を出ると外はすでに暗かっ た。時間自体は把握していたが、やはり空のないダンジョンだと実感 がない。 そこからギルドに寄り集めた魔石を換金した。受付にいたベルの 担当アドバイザーであるエイナさんは私とアイズさんが一緒にいる 所を見て驚いていた。 最初は黄昏の館まで送ろうと思っていたが、アイズさんが必要ない と言ったのでやめた。彼女に襲いかかって勝てる相手はあまりいな いだろうし、大丈夫だ。 それから私は大衆浴場へと行き、ゆっくりと風呂に入り身体を綺麗 にした。さっぱりして外にでると夜も更けてきたが、なにぶん朝から 何も食べていなかったので落ち着いてきたら空腹感が押し寄せてき た。 丁度、この前の事をリューさんに謝りたかったので豊饒の女主人に 行くことにした。お金も換金したばかりで持っている。 ﹁どうも﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁あ、勘違いしないでくださいね。武器を持ってるのはダンジョンの 帰りというだけですから。別に襲い掛かるとか、そういうつもりは まったくありません﹂ とは言ったものの、私のことをじっと見ているリューさんを前にす るとやはり手合わせをして欲しいという欲求が膨れてくる。 ﹁この前は、すみませんでした﹂ 65 ﹁いえ、私の方こそすみません。エルフのことはあまり詳しくなかっ たとは言え、不快な思いをさせてしまった﹂ 彼女が謝ってきたのは少し意外ではあったが謝られて困ることで はないし、ミアさんに怒られて反省したのだろう。そもそもの原因が 私であることを考えれば別段謝る必要はなかっただろうが。彼女に ﹂ 不快な思いをさせたのは何も手を握ったとうことだけではないだろ うが。 ﹁今日はクラネルさんはいないのですね﹂ ﹁ええ、ベルとは別行動中ですから。あの後、来ましたか ﹂ ﹁はい、翌朝に代金を払いに一度﹂ ﹁そうですか﹂ ﹁ダンジョンには一人で ﹁ええ。一人のほうが気楽ですから﹂ ﹂ ﹂ と聞いて追い払うことはしない。ミアさんに何も言われて ﹁強そうなので﹂ ﹁⋮⋮なぜそう思うんですか ﹁リューさんは、元冒険者か何かですか いないので問題ないのだろう。 すか をしている。私としては、話ができて嬉しいので、さぼっていいんで もう客足が遠のいてきたのか、リューさんは私の横に立ちながら話 ? ファ ル ナ 取 れ る と い う こ と。そ れ は 冒 険 者 に し か 務 ま ら な い 仕 事 だ。 ﹃神の恩恵﹄を授かっていない一般人では到底太刀打ちできない。 ﹁はい、とだけ言っておきます﹂ ﹂ ﹁あまり聞かれたくないことみたいですね。今後気をつけます﹂ ﹁そうして頂けると助かります。話は戻りますが、何階層まで ﹁確か15くらいまで行きましたね﹂ ﹁なっ﹂ おっと、元冒険者と聞いたというのに言ってしまった。 ﹁馬鹿ですか、貴方は。そのような無茶を﹂ ﹁無茶とは思っていませんよ。その証拠に私は怪我らしい怪我をせず ? 66 ? そもそも酒場での荒事を処理できるという時点で、冒険者を相手に ? ? ? に四日間その辺りで過ごしました﹂ ﹁悪いことは言いません。そんなことをしていると、いつか死にます よ﹂ ﹂ ﹁変な事を言いますね。私はどうせいつか死にますよ﹂ ﹁冗談を言っているわけじゃありません﹂ 少し怒った声で、私に忠告をする。 ﹁そもそも、リューさんは私の事を嫌っているのでは ﹁嫌っているから死んでも構わないなどとは思いません﹂ ﹁そうですか。優しいんですね﹂ ﹁貴方は⋮⋮認めたくないがクラネルさんに必要な人だ﹂ 淡々と、彼女はそう言った。理解できない、という感情がありあり と伝わってくる。それにしても、真正面から認めたくないと言われた のは初めてだ。 ﹁クラネルさんは貴方の事を信頼していたし、感謝もしていた。少し 随分ベルのことを気に入ったよう しか話はできませんでしたが、それでも貴方の事を必要だと思ってい ることは伝わりました﹂ ﹁だから、私が死んだら困ると ですね﹂ ベルのことを好いていたなんて。そして、その同僚のために私の事ま で気にかけるリューさんはシルさんのことを本当に大切に思ってい るのだろう。 ﹁まあ、プライベートをどうこう言われる筋合いはないので、やめませ んが﹂ ﹁忠告はしました﹂ ﹁ギルドでも注意されましたよ﹂ ﹁当然だ﹂ 嘘をついて7階層に行ったと言って注意されたのだが。 運ばれてきた料理に手を付けようと思ったが、たぶん食べ始めたら リ ュ ー さ ん も 仕 事 に 戻 る だ ろ う。そ の 前 に 聞 い て お き た い こ と が 67 ? それはきっとシルさんの事なんでしょうね。いや、まさかそこまで ﹁私の同僚の伴侶となる人ですから﹂ ? あった。 ﹁そういえばリューさん。フィリア祭というのをご存知ですか ﹁ご存知も何も、明日です﹂ モンスターフィリア ﹂ ﹁私はつい最近来たばかりなのでそれが何なのか知らなくてですね﹂ ﹁怪 物 祭というのは、ガネーシャ・ファミリアが開催している祭りで す。闘技場を貸し切り、モンスターの調教を見ることができます﹂ ﹁調教とは、そんなこともできるんですね。確かに、それは迫力があっ て冒険者でない人にもウケそうな内容だ﹂ 冒険者でない者はモンスターを見る機会がほとんどないと言って もいい。時々外でも出会ったりするが、普通人がいるような所にモン スターはいない。森に迷い込んだり、逆にモンスターが人里に迷い込 んだりしない限りは見ない。 そんな人達のための祭りなのだろう。 ﹁それ以外にも屋台などの出店が多くあります﹂ ﹁それは興味深い。明日もダンジョンに行こうと思っていましたが、 ﹂ 行かないで祭りを満喫するのも良さそうだ。リューさんどうです 一緒にデートでも﹂ ﹁⋮⋮了承するとでも思っているんですか ﹁いえ、まったく﹂ ﹁そもそも明日も私は仕事です﹂ ? ﹂ んは私の横から動かず立っている。 ﹁あの、暇なんですか ﹁そうならそう言ってください。どうぞ、座ってください﹂ そう言って、私は向かいの席を指した。リューさんはその言葉に従 ﹂ い座った。接客ってなんだ、普通の酒場じゃないなあここも。 ﹁貴方は、何を求めてやってきた たんですが﹂ ﹁唐突ですね。そうですねえ⋮⋮最初は修行のために来たつもりだっ ? 68 ? 知りたいことも分かったので料理を食べ始める。しかし、リューさ ﹁それは、残念。デートはまた別の機会にしましょう﹂ ? ﹁ミア母さんが、この前の詫びとして接客をしろと﹂ ? 目の前に座るリューさんを眺める。金色の髪の女剣士を思い浮か べる。それ以外にも街ですれ違った強者の雰囲気を纏った冒険者を 何人も思い出す。 しかし、それはすべて消え、脳裏に蘇ったのは銀髪の女神だった。 ﹁今は、少し分からなくなっています。いえ、何故来たのか、私が剣を 振るう意味を知ろうとしているのが現状ですね﹂ ﹁信念を持たずに剣を振るうなど﹂ ﹁必要と思ったことがなかったもので。でも、ここでは皆が剣を振る い身を削りながら何かを求めている﹂ ベルは出会いを求めて剣を振るう。金を求める冒険者も、名声を求 める冒険者も、私には輝いて見えた。 ﹃貴方もまだ輝ききれてない﹄ 彼女の声が蘇る。 ﹁私は、私という人間が本当に欲しい物を知らない。それは強くなら 69 なければ知ることのできないものだと、思ったんです。きっとそれは 何かを斬った時に知ることができる﹂ 今 ま で は 剣 を 振 る う だ け で 満 足 し て た ん で す け ど ﹁可哀想な人だ、貴方という人は﹂ ﹁そ う で す か ﹂ ? いでしょうか ﹁その先に何があるというのですか 先に﹂ 傷付き、傷付け、摩耗しきった ﹁碌なものでなくとも、それでも答えが得られるのならいいんじゃな ど、碌なものはない﹂ ﹁そ の 道 は 修 羅 の 道 だ。身 を 戦 い に 投 じ な け れ ば 得 ら れ な い 答 え な そうして、人は己を高めていく。 満 足 し た ら ま た 次 の 段 階 へ。無 限 に 積 み 重 ね ら れ て い く 欲 求 の 塔。 人間とは貪欲だ。これで満足したら、次の段階へ。そして、それも それだけのことで満たされていた。 満足していた。老師に手ほどきを受け、繰り返し、自分のものにする。 そう、故郷にいる時は毎日剣を振るい、疲れた身体を休めることに ね。どうにも、私も都会に毒されてきたみたいだ﹂ ? ? ﹁さあ それが見てみたいんですよ、私は。自らの剣で斬り開いた 道の先を﹂ その言葉を聞いた彼女は席から立ち上がり、カウンターの奥へと戻 ろうとした。しかし、それを止めこちらに向けて言った。 ﹁貴方が、どこで何をしようが構わない。しかし、クラネルさんを巻き 込むようなことは﹂ ﹁しませんよ、まったく。私とてベルのことはそれなりに大切に思っ ています。彼が私とは違うということも理解しています﹂ 本当に、ベルという少年は人を惹きつける。ヘスティア様がまたヤ キモチを焼いてしまうではないですか。ヘスティア様も、アイズさん も、シルさんも、そしてリューさんもベルのことを気にかけている。 中心にはいつもベルがいる。 そのことに、一抹の寂しさを感じた。昔は、私とベルの二人だけ。 何をやるにしても、ベルは私を誘ってきた。森に行きたいから一緒に 行こう、夕飯も一緒に食べよう。笑顔で私にそう言う彼を私は邪険に できなかった。 でも、今は違う。彼は出会いを求めてダンジョンに来た。そして、 見事出会いを果たしている。色々考えて、分からなくなってしまった 私と違い、彼は確かな一歩を踏み出している。彼は自分の向かうべき 場所、目指すべき物を見つけたのだ。 今思えば、故郷にいた頃の私は老師との稽古とベルの相手をするだ けの生活だった。ベルの相手をするように言ったのも、厳しくしろと 言ったのも老師であった。私とて最初は優しく指導するつもりだっ たのだ。 ただ老師の言うことを聞き、ベルを痛めつけた。それは、まるで剣 のようではないか。老師という持ち手によって行動する刃のようで はないか。 し か し、こ こ に は 老 師 は い な い。持 ち 手 を 失 っ た の だ、導 き 手 を 失ったのだ。 持ち手を失くした剣が一本。地面に落ち、跳ね回り、当たるすべて の物を斬る。その向かう先がどこか、跳ね回りながら、斬りながら考 70 ? える。いつか、確かな意味を持ってその刃が地面に突き刺さり止まる ことを夢見ながら、考える。 気付いたからと言って、できることなど何もない。やはり、斬るこ とでしか分からない。例え、それが修羅の道だろうとも。 斬れば斬った分だけ、私は何かを知る。私が何を斬ったのか、なん で斬ったのかという小さな答えが無限に積み上げられていく。それ が、いつか意味を持つのだと信じ続け、私は斬ることしかできないの だろう。 私はその積み上げられた物を、己と呼ぶことにした。 71 祭りは静かに盛り上がる 結局、私が廃教会の隠し部屋に帰った時いたのはベルだけだった。 ヘスティア様はここ二日ほど出かけていて、今日帰ってこなければ三 日外出していることになるらしい。 なんでも神の宴とやらに招待され、それに行ったことは分かってい るがその後の消息が不明のようだ。ヘスティア様にも友神がいるだ ろうし、そこまで心配することではないと思っているのか、ベルも若 干心配しているようだったが慌てふためいている様子はなかった。 私としては早く︻ステイタス︼の更新をして欲しかったのだが、居 ないのならしょうがない。帰ってきてからしてもらおう。 疲れていた私は、椅子に座りすぐ眠りについた。 ■■■■ 今日は祭りがあるらしいです そ ん な こ と も で き る ん だ ね。あ、そ う い え ば こ の 前 ダ ン ると聞きました﹂ ﹁調 教 だっのか﹂ ﹁私は見に行きますが、ベルはどうします ﹂ ? するであろう西のメインストリートで食べ歩き、ついでに東のメイン 結果、冒険者用の露天だけでなく一般人向けに屋台なども多く出店 の道を通って行くか程度のものだ。 それから、私はベルと予定を立てることにした。予定と言ってもど ベルも知らなかったらしいが、誘ったら行くだろうとは思っていた。 翌日の朝、私は朝食を食べるベルに祭りの話題を振った。どうやら ﹁行く ﹂ ジョンでモンスターを檻に入れて運んでるの見たけど、祭りのため ! ! 72 ﹂ ﹂ ﹁そういえばベル。知っていますか よ ﹁祭り ? ﹁ええ、フィリア祭と言って闘技場でモンスターの調教を見世物にす ? ? ストリートに寄ってから闘技場に向かうことに決まった。 モンスターの調教など普段見れるものではないのでワクワクして いるのか、目を幼子のように輝かせたベルを連れて屋台の串物や甘味 を食べながらゆっくりと歩みを進めた。 ﹂ さて、そろそろ東のメインストリートへ行こうと思っていたところ だった。 ﹁おーいっ、待つニャそこの白髪頭 ﹂ ﹂ ﹁そ ん な 嫌 そ う な 顔 し な い で く だ さ い よ。私 だ っ て 傷 付 く ん で す よ ﹁⋮⋮﹂ ﹁こんにちはリューさん﹂ 少しオドオドしながらもベルは少女に駆け寄っていった。 ﹁だ、だよね。僕何かしたっけ⋮⋮﹂ ﹁ベルの事じゃないですか てきていた。隣にはリューさんもいる。 と猫の尻尾を生やした少女が手を大きく振りながらこちらに向かっ ト・ピープルだろうと予想をつけた。予想は的中し、振り向くと猫耳 の近くを通っていたこともあり、十中八九そこの店員であるキャッ と、少し失礼な呼び名でベルが呼び止められたのだ。豊饒の女主人 ! ﹁おっと﹂ どうやら顔は笑ってしまっていたらしい。私の中では嫌そうな顔 をしているリューさんがデフォルトとなりつつある。もっと、笑顔と かも見てみたいと思ってはいるんですけどね。 ﹁貴方に会えて嬉しいから笑ってるんです。ほら、恋愛小説でもよく ﹂ あるじゃないですか。最初は嫌いでも何度も会う内に﹂ ﹁死にますか ﹁ただの挨拶です﹂ ﹁何やってるニャ、リュー ﹂ 色の瞳が綺麗で、本当に固まってしまいそうだった。 身体が凍えそうなほど冷たい目をこちらに向けるリューさん。空 ? ? 73 ? ﹁どの顔がそれを言いますか﹂ ? ﹂ ﹁物騒な挨拶ですね﹂ ﹁あ、アゼル 恋のキューピッド気取りだろうか。嫌いじゃない。 なかなか分かってるニャニャイカ赤髪 ﹂ ﹁では、ベル。一人で探してくださいね﹂ ﹁えぇッ ﹁そうニャ ﹂ ﹁お褒めに預かり恐悦至極﹂ ﹁何言ってるニャこいつ ﹂ んが財布を忘れたらしく、少女はそれをベルに届けてほしいそうだ。 の補足を聞き、要件が分かった。今日の祭りを満喫しに行ったシルさ そこから私は話に邪魔を入れること無く、少女の説明とリューさん ﹁気にしないでくださいベル。少し怒らせてしまっただけです﹂ ? ﹁ほ、本当に一人で探すのッ こんなに広いのに ﹂ ! ! ! 探してください﹂ ﹁お、男として⋮⋮分かったよ ﹂ 僕一人で頑張るね それじゃッ ﹁ええ、そのほうがシルさんも喜ぶでしょう。ここは男として、一人で !? ﹁頑張ってくださいねベル。私は一足先に闘技場に向かうとします﹂ だろうか。たぶん、気付いてないだろうな。 ねるような態度が私の好意を呼んでいる事に彼女は気付いているの リューさんは既に私の方を見るのも止めていた。そういう突っぱ ﹁気にしてはいけませんアーニャ﹂ ? ! ! 騙される性格だ。既にシルさんという女性に惑わされている前科が ある。 ﹁リューさん、デー﹂ ﹁お断りします﹂ ﹂ ﹁では、アーニャさん﹂ ﹁興味ないニャ ! ﹂ ﹁あっちに売ってる魚買ってあげますから﹂ ﹁ニャに ! 74 ! 本当にベルは単純な少年だ。そこが彼のいい所でもあるが、絶対に ! お魚ぁッ ﹂ ﹁アーニャ、帰りますよ﹂ ﹁ニャーッ 見 て み る と、褐 色 の 肌 を 恥 ず か し げ も な く 露 出 し た 格 好 に セ ミ た。 ぶつかった人は女性だったのか、その明るい声に聞き覚えがあっ ﹁いいよいいよ、気にしないで﹂ 私の胸にぶつけ奇妙な声を発した。 今回は真正面からぶつかった。相手は私よりも背が低く、その額を 進まなければ何時までたっても闘技場にはたどり着けないだろう。 そうして、また誰かにぶつかってしまった。いや、ぶつかりながら ﹁おっと、すみません﹂ ﹁わぷっ﹂ とではなかった。 てしまい謝るのもひやりとする体験ではあったが、何も悪いだけのこ 初体験。雑踏に押されるのも、押された先の美女の胸を間違って触っ しかし、こういった賑やかな場所は初めての私にとってはすべてが はしないだろう。 く、賑やかではあるもののかなり混沌としていると言っても誰も反論 ひっきりなしに聞こえる。それに加え歩き売りをしている店員も多 道の両端には普段見ない屋台や出店の数々が並び、客寄せの声が で溢れかえっていた。 技場へと向かっている、と思いたい。それほどメインストリートは人 ンストリートに向かって歩き出した。雑踏に揉まれながら着実に闘 それから、一人になったというイレギュラーはあったが、東のメイ 言うまでもない。 あった。シミュレーションの結果、誘えないという結論に至ったのは ながら、どうやったらリューさんをデートに誘えるか模索するので リューさんに襟を捕まれ強制連行されていくアーニャさんを眺め ! ショートの黒髪。ロキ・ファミリアのアマゾネス姉妹の妹の方、ティ オナだった。 75 ! ﹁おや、ティオナではないですか﹂ ﹁あ、アゼルじゃん﹂ その隣を見ると、姉であるティオネさんとエルフのレフィーヤさん がいた。三人で祭りを満喫していたのだろう。 ﹁あら、こんにちは﹂ ﹁こんにちは﹂ レフィーヤさんは若干挨拶が固かった。私の事を敵視している節 がある彼女だが、元が礼儀正しい性格なのだろう。嫌いなら挨拶をし ﹂ なくても私は一向に構わないのだが。 ﹁アゼルもフィリア祭 た﹂ ﹂ ﹂ ? いよ ﹂ ﹁あの二人は慣れてるし、それにこんな雑踏くらいじゃびくともしな ﹁それは後ろの二人もそうなのでは ﹁この人混みじゃすぐはぐれちゃうよ﹂ ﹁ティオナさん、別に掴んでなくても付いて行けますから﹂ るレフィーヤさんも後ろから付いてきている。 特に気にした様子のないティオネさんと、若干不満気な顔をしてい 可能であった。 した。振り解こうにも私はレベルの差によって筋力がかなり違い不 そう言ってティオナは私の腕を持ち強引に引っ張って移動を開始 ﹁じゃあ一緒に行こっ ﹂ ﹁いえ、もう一人いたのですが。野暮用でどっかへ行ってしまいまし ﹁一人で ておこうと﹂ ﹁ええ、昨日探索から帰ってきたばかりなので。休みついでに見学し ? ! ア マ ゾ ン ﹄ い。レベルの高さがこんな所で活きてくるとは思いもよらなかった。 ﹄ ﹃おい︻大切断︼が男連れてるぞ﹄ ﹃誰だあいつ ﹃髪赤いしロキ・ファミリアの奴じゃねえの ? ? 76 ? 後ろを少し見ると、人にぶつかっても確かに押されている気配はな ? ﹃適当だなおい﹄ などと囁かれていることは私はつゆ知らず、引っ張られるのに身を 任せ闘技場へと向かった。 ■■■■ ﹂ ﹁そういえば、昨日帰ってきたって言ったけど。何日くらい潜ってた の ﹁昨日入れて四日間ですね。なかなか熟練度が上がらないもので﹂ ﹁そ う は 言 っ て も 私 達 と 比 べ た ら じ ゃ ん じ ゃ ん 上 が っ て る と 思 う わ よ﹂ 闘技場へと入り、今はすでに席に座っている。並びは私、ティオナ、 ティオネさん、レフィーヤさんだ。 ﹂ レベル上がった ﹁参考までに聞きますが、どれくらい上がるんですか ﹁ん∼、一週間深層域で狩ってトータル10とか ばっかりの頃はばばーんって上がるんだけどね﹂ ﹁それは⋮⋮﹂ ﹁まあ、まだ貴方には遠い話よ﹂ ﹁⋮⋮だと、いいのですが﹂ ? これは、私もお役御免になる時が来るかもしれませんね。レベル差 になるだろうか。 スピードがそのまま続くとしたら、それはどれだけのアドバンテージ てしまう化物級の新人がいることを彼女たちは知らない。もし、あの ちは知らない。一日やそこいらでトータル100もほいほい上がっ 私の仲間であるベルは常識はずれの成長をしていることを、彼女た ? ﹂ がありすぎると一緒にいてもあまり良いことはない。ベルは私に気 を使ってしまうということもありますし。 ﹁そういえば、アイズさんはいないんですね ? ﹁そうなの∼。アイズはロキと一緒に見て回ってるの﹂ ﹂ ﹁それは残念でしたねレフィーヤさん﹂ ﹁な、なんで私に振るんですか ! 77 ? ﹂ ﹁だって、レフィーヤさんアイズさん大好きでしょう ﹁そ、そ、そんなことありましぇん ﹂ ? わせをしてもらいたい﹂ ﹁そういう⋮⋮﹂ ﹁剣術馬鹿⋮⋮﹂ って私は何を言ってるんですか ﹂ ﹁そ、それだけじゃありません 髪だってすごく綺麗ですし 体だって ﹂ ! ﹁好みの女性とかは ﹂ 節になってしまうというか﹂ 振るってきただけの男ですから。どうしても判断基準が剣術や腕っ 思ってない人はいないと思うんですが。でも、私は今までずっと剣を ﹁そ う で す ね え ⋮⋮ い え、確 か に 美 人 だ と 思 っ て い ま す よ。む し ろ 興味津々といった風に聞いてくる。 やはり女性は誰しも色恋沙汰が好きなのだろう。ティオナさんが ﹁女性としては見てないってこと 身 ﹁彼女の剣の腕は本当に惚れ惚れするほどですからねえ。ああ、手合 ﹁﹁﹁え﹂﹂﹂ ﹁まあ、分かりますよ﹂ 台詞の途中で噛んでてはまったく説得力がないです。 ! ﹂ ﹂ ﹁え∼、つまんない⋮⋮じゃあっ、私達三人の中だったら誰が一番好み からねえ﹂ ﹁うーむ⋮⋮そう言われましても、今まで本当に剣の事ばかりでした ﹁それは違うでしょ いやでもやはり剣士か﹂ ﹁そうですね。回復魔法などを使える人が恋人だったら探索が楽に、 むしろ嫌悪を向けられるほうが慣れているくらいだ。 作ったこともない上、誰かにそれほど好意を向けられたこともない。 顎に手を当てて考える。好みの女性、と言われても今まで恋人など ﹁ぐいぐい来ますね﹂ ? ! 78 !? ! ? ! ﹁なんていう事を聞くんですか貴方は⋮⋮﹂ ? しかし答えないといけない雰囲気だ。レフィーヤさんはそっぽを 向きながらも何気に聞いている。ティオネさんはニヤニヤしながら こっちを見ているし、ティオナは言わないと殴る、くらいの迫力はあ る。 ﹂ ﹁そうですね、この中だったらティオナがいいですね﹂ ﹁へ まさか自分の名前が言われるとは思っていなかったのか素っ頓狂 な声を出してティオナは固まった。 ﹁だって考えても見てください。レフィーヤさんはエルフで、私に肌 ﹂ を触らせてもくれないでしょう﹂ ﹁当然ですっ ﹂ ? ? ﹁うぅ﹂ ﹁というか、戦っている時邪魔じゃないんですか ﹁ふぇぇ⋮⋮﹂ ﹂ ﹂ ﹁むしろ周りに大きい人しかいないので小さいのが恋しいです﹂ ﹁えぅ﹂ ﹁それに私小さいほうが好きですし﹂ いう欲求がムクムクと膨れてきた。 なんだか面白くなってきてしまった。もっとからかってみたいと ﹁あぅ⋮⋮﹂ ﹁見た目は気にしない質なので﹂ ﹁い、いやでもほら。私アマゾネスなのに胸小さいし﹂ 頬を赤く染めながらティオナは俯いてしまった。 ﹁面白いわね我が妹ながら﹂ ﹁見事にテンパってますね﹂ ﹁ふぇっ﹂ すが、聞いてます ﹁見てれば分かります。失礼ですけど消去法でティオナになるわけで ﹁貴方には言ってないんだけど⋮⋮﹂ ﹁ほら。そしてティオネさんはフィンさんに気があるようですし﹂ ! ﹁セクハラで殴るわよ ? 79 ? もはやティオナに話しかけていないのに恥ずかしがっている。疑 問を投げかけたティオネさんは拳を握っていい笑顔をしていた。 トドメを刺してしまおう。 ﹁ティオナ、この後一緒に夕飯でも食べに行きましょう﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹂ ﹁ティオナ、気付いて。からかわれてるわよ﹂ ﹁ティオネさんバラさないでくださいよ﹂ ﹂ ﹁黙りなさい。人の妹を弄んで、殺すわよ ﹁もう二度としませんっ ? い﹂ た。 飲み物のことなど頭から既に消え、私はその香りを辿って歩き始め かを望んでいる節がある。 いうのに、彼女は何かをするつもりなのだろうか。彼女は、ベルに何 彼女がここにいる。悪い予感がひしひしと感じられた。祭りだと の脳を一瞬で警戒態勢へと移行させた。 僅かに甘い香りが匂った。それは、一度嗅いでいたからだろう、私 ﹁ッ﹂ のも一苦労だったが、漸く売り子のところまで来たときだった。 は闘技場にいる歩き売りをしている店を探した。人混みの中を進む フだし森っぽくりんごジュースでいいだろう、と勝手に決めながら私 いい笑顔でティオネさんは私を見送った。レフィーヤさんはエル ﹁一番高いのでいいわ﹂ ﹁⋮⋮当然でしょう﹂ ﹁奢りよね ﹂ ﹁何か飲み物でも買ってきますね。その間に復活させておいてくださ る。 彼女の、本当に人を殺さんばかりの眼光に引きながら席を立ち上が ! 関係者区画に入ると、人がいなくなったので走ることが可能になっ 80 ? た。甘い香りは進むに連れより濃く、より甘美になってきていた。彼 女に対する警戒心が最初からなければ、当の昔に私はこの香りに毒さ れ、歩けなくなっていただろう。それほどまでに、その香りは脳を溶 かす。 気配とでも言うべきか、それはダンジョンで感じるようなものだっ た。地上には通常いないモンスターの気配、しかも随分活発に動いて いる。それを敏感に察知した私は、目に魔力を集中させ始めた。 近くの部屋からモンスターが飛び出る光景が見えたのは、ほぼ同時 ﹂ だった。 ﹁ふッ 腰に下げていたショートソードを抜き放ち、モンスターの胸部、弱 点である魔石が埋まっている箇所に向けて突きを放つ。 現実が目に映った光景に追いつき、ショートソードは寸分違わずそ のモンスターの胸部に深々と突き刺さり魔石を両断した。見たこと のないモンスターだったが、私が到達している階層より下層にいるモ ンスターなのだろう。 一度立ち止まり、部屋の前を見る。もうモンスターが飛び出てくる 未来は見えなかった。警戒しながらも、私は部屋へと足を踏み入れ た。 ﹁う、あ﹂ すぐ近くに、だらしなく涎を垂らしながら倒れている人間が複数い ﹂ た。老若男女問わず、同じ症状だ。 ﹁あら ﹁やはり﹂ そして部屋の中央部に彼女はいた。暗い部屋の中でも、銀色の髪は 輝 い て 見 え た。美 を 司 る 神、フ レ イ ヤ。あ の 晩 と ま っ た く 変 わ ら な い、美しすぎる笑みを浮かべている彼女が佇んでいた。その手には鍵 の束。 周りを見ると檻に入れられているモンスターが数匹。そして、檻が 一つだけ空いていることも分かった。 ﹁貴方がやったのか﹂ 81 ! ? ﹁ええ、まさかすぐ殺されちゃうなんて思ってなかったけど。貴方も よく分かったわね﹂ ﹁嗅いだことのある匂いを辿ってきただけです﹂ 油断せずショートソードを構える。神フレイヤ自身には戦闘力は ﹂ ないが、周りのモンスターを操っているのだとしたら、私の知らない モンスターもいるので警戒するに越したことはない。 ﹂ ﹁ふふ、主人の匂いを覚えたわんちゃんみたいね﹂ ﹁噛まれたいんですか ﹁あら、私は噛み付く子でもちゃんと可愛がってあげるわよ ﹁⋮⋮消えろ。さもないと﹂ ﹂ ﹁さもないと ? ? れたその人物に私は動揺を隠せずにいた。 一人の獣人の男が現れた。気配など一切せず、まるで幽霊のように現 最悪檻ごと斬ってしまおうか、と思っていた時だった。檻の影から ﹁言っていろ、全部斬ってやる﹂ ﹁だから、邪魔は許さないわ﹂ 得できないでいる。 ている故に質のいい、つまり強敵と思える敵の撃破等、 ︻経験値︼が獲 エクセリア いけない戦闘技能の集合体。私はむしろ、そちらだけを極めてしまっ 技量とは︻ステイタス︼に依存しない、冒険者自身が養わなければ だ。ベルにはまだ技量が付いてきていない。 でも、ここにいるモンスターの相手は危険だ。速過ぎる成長故の障害 と聞くまでもない。流石に飛躍と言えるほどの成長をしているベル それは大いに同意できるが、今はそんな場合じゃない。誰に、など ﹁でも、やっぱり好きな相手には悪戯したくなっちゃうのよね﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁本当は、ちょっかいを出すつもりはなかったの﹂ るから。 ができない。私も彼女も、私が彼女を斬ることができないと知ってい と彼女は聞いてきた。そして、私はそれに答えること 私を斬る ? 今まで、油断していない状況で察知できない気配などなかった。 82 ? ﹁オッタル、殺しちゃだめよ。この子も私の物にするんだから﹂ ﹁分かっています﹂ 誰がなるか、と言ってやりたかったが、目の前の男に目が釘付けに ﹂ セルチ されそれどころではない。今さっきとは打って変わって、圧倒的とま 足、退いてるわよ で言える存在感を男は発していた。 ﹁怖いの ﹁ッ﹂ ﹂ │││全くもって、気に入らない。 ﹁斬るッ │││気に入らない。 目だ。 完全に冷めていた。それは、まるで道端にある小石を見ているような 撃をしてくる気配がない。圧倒的高みから私を見下ろすその双眼は、 身体から力を抜き、深呼吸をする。オッタルと呼ばれたその男は攻 ﹁ふう⋮⋮﹂ 辱に思えた。 ていた。私が、ただ前にしただけで恐れを抱いている。その事実が屈 それは無意識の行動だったのだろう。数 Cではあるが、足が退い ? その時、私は圧倒的強者という者に初めて相対した。 83 ? !! そして彼は地に墜ちた ﹃ベル、今のところ一番強い冒険者のレベルはいくつなんですか ﹁はあッ ﹂ ■■■■ ︻猛者︼ おうじゃ の頂点の名。 ﹄ ﹄ その名を口にするベルも少し緊張していた。それは、冒険者すべて ﹃名前は思い出せないけど、二つ名は確か﹄ ということに他ならない。 オラリオで最強の名を得るということは、つまり世界で最強である ﹃たぶんね﹄ ﹃それは⋮⋮つまり世界に一人しかいないということでは ﹃そのはずだよ、レベル7ってオラリオに一人しかいないから﹄ ですか⋮⋮﹄ ﹃7ですか。ということはそう簡単に上がるものではないということ ﹃えぇと、確か7だったと思う﹄ かったので、とりあえず現在の上限を知っておきたかった。 私自身の︻ステイタス︼を見て、レベルという概念が少し分からな ティア様の眷属となった次の日くらいだったと思う。 その質問をベルに投げかけたのは、確かオラリオに来てすぐ、ヘス ? を付けて斬りつけた。相手から攻撃してくる気がないのであれば、最 スパーダ 大威力の攻撃をもって相手を斬り伏せる。 私のスキル︻剣︼によって、斬撃はすべてが必殺となる。だからと 言って、振るい方が雑だったり、斬るつもりのない斬撃を放つと斬れ 己の力への信頼の丈により効果向上。 ない。 ・ それはつまり、私が斬れると思ったら斬れると言い換えてもいい。 84 ? 震える身体に鞭を打ち、踏み込むと同時に腕をしならせながら勢い !! そのために、より鋭い斬撃を、より疾く、より的確に刻み込む。それ が私の築き上げてきた力だ。 ﹁ふん﹂ 今までに聞いたことのないような軽い音だった。 今までにないくらい、完璧な斬撃だったはずだ。攻撃してこない相 手の前で、できうる限りに大振りで威力を出そうとした。その一撃は すべてを斬るはずだった。 ﹁なっ﹂ オッタルはそれを、右腕に装着したプロテクターで軽々と、本当に 力など一切使わずに弾き返した。久方ぶりに感じた、剣を跳ね返えさ れた感覚だったこともあったが、何よりも私はそれを予想していな かったということが一番大きい。呆気無く、私は腕を跳ね上げられ無 防備な胴体を晒していた。 ﹁軽いな﹂ 放 た れ た の は な ん の 変 哲 も な い 左 ス ト レ ー ト。別 段 腰 で 溜 め を 作ったわけでもなく、ありえない速さで放たれたわけでもない。 しかし、それをくらった私は今までに感じたことのない途方も無い 衝撃と共に吹き飛んだ。 ﹁ガッ﹂ 気が付くと、倒れていた。飛ばされた先に檻があり、衝突した時に 檻が壊れたのか、上から木材が降ってくる。 ︵何が、起こった⋮︶ 声を出そうにも、喉から出るのは空気だけだった。続いて口から粘 り気のある鉄の味をした液体が溢れてくる。 ︵斬れなかったのか⋮⋮私は︶ たった一撃、私を戦闘不能にするために必要だったものだ。既に意 識がなくなりそうなほど薄れていて、同時に激しい痛みが身体のあり とあらゆる場所から感じられる。 痛み。 それを最後に感じたのはいつだったか。オラリオに来てからは、ほ とんど感じていない。ダンジョンではほとんどの敵を一刀で倒すか、 85 攻撃はすべて避けていた。戦闘において、未来を見る私は攻撃を防 ぐ、避けるという点においてはかなり有利だ。 ﹁この程度か⋮⋮﹂ ﹁こらオッタル、殺しちゃだめよ﹂ ﹁死んではないだろう﹂ 自分の上に降りかかった木片越しに、すこしくぐもった声が聞こえ た。フレイヤ自身も死んでいるとは思っていないのだろう、声が笑っ ている。 ﹁ぐッ⋮⋮﹂ 起き上がろうと、身体に力を入れる。しかし、その度に激痛が身体 を走り抜ける。実は腕がもげているのではないかと思えるほどの痛 みに耐えながら、私は剣を再び握った。身体に馴染み深い感覚が蘇っ て く る。そ う、剣 を 握 っ て こ そ 私 は 完 全 と な る。剣 な く し て 私 は な く、剣も私なくしては振るわれない。 86 剣を握ると、意識が鮮明になった。そして、振るう。 ﹁あら、意外に元気ね﹂ 上にのしかかっていた木片がすべて斬り飛ばされる。そして、重り のなくなった私はゆっくりと、しかし確実に立ち上がり始めた。腕を 者を眺める。 アゼル・バーナム だらりとぶら下げ、さながら幽鬼の如く私は立ち上がった。 ﹁来い﹂ オッタル 強者は遥か高みから弱 弱者は、高みにいる者を見て何を思うか。それは恐れだろうか。そ れは嫉妬だろうか。それは羨望だろうか。 ﹁く⋮⋮くかか﹂ 否、それは悦びだ。 足が覚束ない、立っていること自体が奇跡のようだ。腕に力が入ら ﹂ ない。ならば身体全体を使って剣を振るえばいい。 ﹁がぁッ しかし、それでは無理だ。 上手い具合に遠心力も掛かり、斬撃は予想以上の速度で放たれた。 腕をだらんと伸ばしたまま、身体を回転させることで腕を振るう。 ! ﹁ふんっ﹂ 再びプロテクターに弾かれる。 相手を見る。未来を見る。かつてないほどの魔力を注ぎ込み、次の 動きを見る。動き自体は速くない。ならば、避けられないことはない はずだ。 オッタルにとってこれは戦いなどではない、ましてや訓練と呼べる ほどの物でもない。遊び、その言葉が一番適等だ。遊びに、本気を出 ﹂ すものなどいない。 ﹁らぁッ 腕の感覚が戻ってくる。激しい痛みは、無理やりねじ伏せて剣を握 り締める。 何度も、何度も斬りつける。下から上に、上から下に、左から右に、 右から左に、斜め上に、斜め下に。ありとあらゆる剣閃を描かせなが ら、半ば無意識に剣を振るい続ける。しかし、そのすべてがオッタル のプロテクターにより弾かれる。斬撃を逸らされているわけでもな ﹂ い、ただ真っ向から弾かれている。 ﹁くくく⋮⋮はっはっは ﹁なぜ なぜ斬れない なぜだ ﹂ る。そして、私は地を這う虫のように無力だ。 自然と笑みが溢れてしまった。ああ、確かに貴方は遥か高みにい !! ! ! 私に斬れない者がいる、それだけの事実に私は歓喜している。オッ タルという存在は、獣人だ。私も知っている存在なのに、斬れない。 それとも疾さが足りないのか 試さな 理解して尚斬れない存在。そんなもの、今までなかった。私の斬撃 に鋭さが足りないのか ければならない。 ? み込みもより疾くなっていた。剣戟の冴えが増し、刃が空気を斬る音 痛む身体など、とうに忘れていた。斬撃は、最初より鋭くなり、踏 完成させていた懐かしき日々のようだ。 も剣を振るい、何が悪いのか、何が良かったのかを試行錯誤しながら こんなこと、剣を振るい始めてすぐの頃のようだ。来る日も来る日 ? 87 ! それは、喜びから上げた声だった。 ! が響く。 それでも、まだ斬れない。 何が足りていない。何があれば貴方を斬れる。考えようとしても、 思考はまったく働かず、ただ剣を振るうことしかできない。 ﹁無駄だ﹂ そう言ってオッタルは腕を振るった。 初めて、剣に対してオッタルはプロテクターを使い勢いを付けて弾 いた。ただ、それだけで剣は私の手から弾き飛ばされた。 剣がない、ならばこの身を使い斬ればいい。剣はイメージ確かなも スパーダ のにし己の力に対する信頼を底上げするための物だ。この身に宿る ︻剣︼は身一つで敵を斬り刻む事を可能とするものだ。 剣の分のリーチがなくなったことにより、踏み込みを更に深くす る。肉薄し、腕を一閃、オッタルの胸板をなぞるように手刀で斬る。 しかし、斬れない。 ﹁お前の刃は軽すぎる﹂ ﹁ガッ﹂ 殴られるでも、蹴られるでもなく左手で首を掴まれ持ち上げられ る。首 が 絞 ま り 息 が で き る か で き な い か と い う 絶 妙 な 力 加 減。 ヒューヒューと耳障りな音が呼吸している事を教えてくれる。 ﹁く、くっく﹂ 私がなぜオッタルを斬れないのか。私は、彼を理解などしていな かった。同じ獣人という存在は知っていても、私はレベル7という次 元を超えた強さを知らない。圧倒的である、ということだけは確か だ。私はまだその遥か高みを感じ取ることすら許されない弱者に過 ぎなかった。 私のスキルと剣技で、誰にも負けないと慢心していた。それはアイ ズ・ヴァレンシュタインというオラリオ最強の女剣士と言われる剣士 と手加減されるも、彼女自身に剣技を褒められたことからだろうか。 いや、もっと昔から。剣を握り、振るい始めた頃からだったか。周 りの同い年の人間で私に敵う人間などいなかった。年上にも負けな かった。唯一負けたのは師である老師だけだ。それでも、きっと心の 88 どこかで本気に殺しにかかれば勝てると思っていたのかもしれない。 とんだ思いあがりだ。私は、強者などではない。 だからなんだ。す だからなんだ。そのどちら 剣の腕がアイズ・ヴァレンシュタインより上 べての物を一刀のもとに両断できる も、私が強者であるという証にはなりえない。 ﹁ぐうぅぅう﹂ と思った。 ﹂ ﹁な、あ﹂ ﹁なんだ ﹁あ゛んた、血は、あがいか ﹁ああ﹂ ﹁ぞ、うか﹂ ﹂ オッ タ ル それでも、何か一つ。どんなに小さなことでもいい、一矢報いたい けでも辛かった。 ずだ、私には既にほとんど力など残っていない。意識を保っているだ 掴んだ腕に力を込める。それでも、びくともしない。それもそのは よって叩き落とされた羽虫のように。 私 は 今 日 負 け、弱 者 と な っ た。遥 か 高 み か ら 見 下 ろ す 絶対強者 に 剣の感触。 子と弄れるような動きで放たれた攻撃。ただ触れるだけで弾かれた オッタルの浮かべるつまらなさそうな表情。手加減などではなく、幼 ああ、私は敗者だ。間違いなく、私は今敗北の味を噛み締めている。 称号だ。 強者とは、常に勝つ者だ。強者とは、遥か高みにいる者に相応しい がり、私はやっとの思いでオッタルの腕を掴んだ。 ればならないほど、私の身体はボロボロになっていた。徐々に腕は上 腕に必至に力を入れる。たったそれだけのことに必至にならなけ ﹁無様だな﹂ ? でも、オッタルは聞き取った。 そうか、血は赤いのか。ならば、斬れないことはないんじゃないか。 89 ? 首を締められ上手く喋ることができない。しかし、どんな小さな声 ? ? 少しでいい、私に私の力を信じさせる要素を見つけろ。 刃などなくとも、この腕で、この指で、この身で私は斬り刻む。想 像しろ、妄想しろ、盲信しろ、夢想しろ。この男を斬ることを、なん だっていい、どんなに小さな傷だっていい。想像できれば、信じるこ とができるかもしれない。 そうだ、私はこの男が斬りたい。 それは、今まで考えたこともない欲求だった。 強者と戦いたいと思ったことはあれど、斬り殺したいと思ったこと はない。 斬り結びたいと思ったことはあれど、斬り刻みたいと思ったことは なかった。 殺 し しかし、この男は違う。 この男を、斬りたい。 │││ゾリ ﹁ほう﹂ 本当に小さな傷。いや、傷とも言えないような小さな痕。細い、細 い肌の切れ目から一粒の血が流れでた。私は、斬った。 にやける顔がやめられない。首をしめられていなければ、大声を上 げて笑いをあげ、どうだと言ってやりたかった。お前は見下していた 弱者に傷を付けられたのだと、大声で言ってやりたかった。 ﹁いいだろう。お前を明確な敵として認めよう。例え、それがほんの 些細な傷だとしても﹂ そう言って、オッタル私を地面に叩きつけた。痛みを感じることが できなかった。それは、痛みが限界を越えてしまったからだろう。薄 れていく意識の中、私はオッタルの声を聞いた。 ﹁さあ、登ってこい﹂ それは強者からの試練だったのか、私を挑発するための言葉だった のか。それともフレイヤの命令で言っているだけだったのか。ただ、 なんだってよかった。その言葉は確実に私にある願望を植えつけた。 暗くなっていく意識の中、私は確かにそれを見た。鉛色に輝く、こ の世で最も鋭く、すべてを斬る物。 90 ああ、私は貴方を斬りに行こう。きっとその先に私の求める物があ る。私が初めて斬れなかった、貴方を斬ることができれば。 それは、きっと想像できないほど心躍る瞬間になるだろう。 歓喜の思いを抱きながら、とうとう私の意識は暗転した。 ■■■■ 戦闘が終わり、檻に入っていたモンスターを全部放ったフレイヤは アゼルの元へと向かった。 ﹁よくやったわ、オッタル﹂ ﹁ありがたきお言葉﹂ 動かなくなったアゼルの前で、フレイヤはしゃがみこんだ。そして 愛おしそうに、その倒れる青年の髪を撫でた。その表情は恍惚として いた。頬は仄かに朱に染まり、吐息は熱をおびていた。 ﹁貴方、輝いていたわ。思わず斬られたと思ってしまうほどに﹂ フレイヤという神は、人の魂の本質を色として見ることができる。 そして、気に入った人間を自らのファミリアに迎え入れる。そうやっ てフレイヤ・ファミリアはオラリオでロキ・ファミリアと並ぶほど力 を持ったファミリアとなった。 今回見初めたのは二人。奇しくも二人共同じ故郷で共に時間を過 ごし、共にオラリオへやってきて、同じファミリアに所属することに なった少年と青年だった。 少年の魂は、見たことのないほど透き通っていた。その先がどうな るのか、見てみたくなった。 青年の魂は、剣を思わせる鉛色をしていた。神である彼女ですら一 瞬恐れをなすほど、その色は剣を表現していた。すべてを斬る剣の 色。冷たく、鋭く、一切の感情を伴わない鋼色。それは、きっといつ か神でさえ斬ってしまう。神を殺す子供、と考えた瞬間欲しくなっ た。今まで見たことのない子供の勇姿を一瞬想像した。 そうして、彼女は動き出した。 ﹁絶対に、絶対に私の物になるわ。貴方は逆らえない。ふふ、最初は誰 91 を斬らせようかしら﹂ 彼が裏切ることになるヘスティアでも斬らせてみようか。自分の お願いであれば、何でも言うことを聞くのだから、それも面白いかも しれない。それとも、神々の間で永きに渡り戦っていたロキを斬らせ ようか。 彼女の中で、想像は膨らんだ。 ﹁とっても楽しみよ、アゼル。でも、今はお休みなさい。もっと強くな らないと、迎えに来てはあげないわ﹂ ﹂ そう言って彼女は立ち上がり、後ろに控えているオッタルに声をか けた。 ﹁貴方から見て、彼はどう ﹁⋮⋮卓越した剣の腕を持っていますが、どこか慢心をしていた印象 があります﹂ それを思ったのは最初の一撃を弾いた時、アゼルは心底驚いた顔を していた。それが油断となり、オッタルの一撃をノーガードでもらう はめになったのだ。 その後は傷付いた身体を駆使して、オッタルでなければ反応できな いほどの斬撃を何度も繰り出していた。 ﹁己の力に絶対の自信があったのでしょう﹂ ﹁でも、それを貴方は粉々にした﹂ フレイヤは歌うように、嬉しそうな声で言った。 ﹁ええ、しかし﹂ そ う 言 っ て オ ッ タ ル は 自 分 の 腕 を 見 る。そ れ は 本 当 に 小 さ な 傷。 既に血も止まり、数分もすれば塞がるであろうほど些細な傷。 しかし、どんなに小さな物でも、それをなしたのが圧倒的弱者で あったことをオッタルは内心驚いていた。あの瞬間、腕を掴んだアゼ ルの手から感じられた恐ろしい力の波動のような物。それでも、傷は 付けられないだろうと高をくくっていたが、その力はオッタルの予想 の上を行った。 ﹁最後の瞬間、奴は自らの限界を超えた。いや﹂ あの時オッタルのことを見ていた目を思い出す。それまでは、どこ 92 ? か冷めているような目をしていたアゼルはあの瞬間、燃えるような意 志を宿していた。 ﹁どこか吹っ切れたように見えました﹂ ﹁そう。自分の感情に素直になったのかもしれないわね﹂ そう、フレイヤはどこかで分かっている。あのような魂の色を出せ る存在が、まともなはずがないと。どこかで破綻しているに違いない と。 ﹁ああ、楽しみだわ﹂ そう言って、フレイヤは暗闇へと消えた。オッタルはすぐに後を追 おうとしたが立ち止まり、自分の腕に装備していたプロテクターを外 し、それをアゼルに向かって放り投げた。そして、何事もなかったか のように歩き始めた。 後に残されたのは、無様に地面に倒れる男が一人。 93 ■■■■ 目が覚めたのは数分後だったのか数十分後だったのかは分からな い。しかし、観客たちの喧騒が微かに聞こえることからそう長い間意 識を失っていたわけではないらしい。 ﹁ぐっ﹂ 意識が戻ったことにより痛みを認識したのか、それとも痛みで意識 が戻ったのか。ここまで激しい痛みを感じたことが久しぶりだった ので定かではなかった。 体の節々からくる痛みを感じながら、身体の現状を確認していく。 身体中が痛いが、手足は動かすと筋肉が悲鳴を上げるが動かないこ とはない。呼吸をすると内臓が圧迫されるからか、ずきりと痛む。恐 らく最初に受けた一撃のせいだろう。 そもそもオッタルの攻撃を受けたのは最初の一回と最後の叩きつ ﹂ けだけだ。そのたった二度の攻撃で、戦闘不能に陥るとは本当に恐ろ しい。 ﹁ぐッ、がぁッ ! 気合を入れて、ゆっくりと立ち上がる。腕で身体を起こし、足で地 面を踏みしめる。たったそれだけの動きのはずなのに、筋肉を一つ動 かす度に痛みが波となって襲い掛かってくる。戦っている間は興奮 して麻痺していたのだろう、戦闘後のほうが痛みをより鋭く感じる。 ﹁ッ﹂ 立った途端バランスを失い尻もちを付いて再び倒れた。何度かそ れを繰り返し、痛いのも嫌になったので諦めて、仰向けに倒れている ことにした。 部 屋 を 見 回 す と 檻 に 入 れ ら れ て い た モ ン ス タ ー 達 は 全 員 い な く なっていた。止めることはできなかった、という気持ちは少ないが あった。しかし、やはりというべきか、心を支配していたのは歓喜で あった。 私は、なんて人でなしだろうか。リューさんが嫌うわけだ。仲間で あるベルが危険にさらされているだろうという時に、私はあの強者を 94 斬ることばかりを考えている。 脳裏に蘇る彼の纏う空気、声、腕の感触。すべてを頭のなかで再現 していく。ふと、近くに鈍い茶色のプロテクターが落ちている事に気 目指す が付いた。彼の、プロテクターだ。 手を伸ばし、それを掴む。私が斬るべき相手、その一部。そして、自 ら の 腕 に そ れ を 付 け る。心 臓 の 鼓 動 は よ り 強 く 脈 打 っ た 気 が し た。 どす黒い感情が、心の奥底を這いずりまわるのが分かった。 ああ、これはいけない。 しかし、私はそう望んだのだ。 私 私は斬りたいと、願ったのだ。 弱者は愚かにも、絶対強者を斬り伏せた先を見てみたいと、渇望し た。 その時、廊下を走りこちらに向かってくる足音が幾つか聞こえてき ﹂ た。急いでいるのか、それはかなり早いペースで走っている。 ﹁えっ。アゼル君ッ 倒れたまま顔だけを横に向け、確認するとそこにはベルの担当アド ﹁エイナ、さんじゃ、ありませんかッ﹂ ! バイザーでありギルドの受付嬢でもあるエイナ・チュールというハー フエルフがいた。 何があったの ﹂ 彼女は傷付いた私に驚き、駆け寄ってきた。 ﹁ど、どういうこと ﹁おいおい、物騒やな﹂ 員を見て、顔を顰めた。 ﹁アゼル君、何があったか教えて。モンスターを逃した人、分かる ? 何も覚えてない ? して。起きたらこの状態でした﹂ ﹁ほんとーに、ほんとーに ﹁はい﹂ ﹂ ﹁すいません、それが覚えてないんです。何があったかもさっぱりで ていろ、と素早くジェスチャーした。 とに気付いた。彼女は至って真面目な顔で指を立てて口に当て、黙っ どうしたものかと視線を泳がせていると、ロキ様が私を見ているこ は同時にベルを助ける可能性を潰すということでもある。 それで解決してしまったら、私はあの男を斬れない。しかし、それ そして、何よりも。 さんに話したからと言って解決にはならない。 事であるかどうかは分からないが、そうでなかったとしたら、エイナ そうとう大事にならないと介入してくれないのだ。今回の事件が大 しかし、ギルドは中立の立場を尊重する。ファミリア間の問題も、 らない。それはつまりベルが狙われていることを話すということだ。 が神フレイヤであると説明する中で、当然その動機を話さなければな 答えるのは簡単だ。しかし、答えていいのか正直分からない。犯人 ﹁それは⋮⋮﹂ ﹂ 私を一瞥した後、周りで倒れている他のガネーシャ・ファミリアの団 続いて色々な人が入ってきたがその中にはロキ様もいた。彼女は !? ようとしたがロキ様がそれを止めた。 エイナさんが男性ギルド職員にそう言い、その男性がその通りにし で運んで﹂ ﹁そっか⋮⋮ならしょうがないよね。誰か、彼に肩を貸して医務室ま ! 95 ! ﹂ ﹁ええ、ええ。君たちはここでもっと調べといて。うちが運んどくか ら﹂ ﹁え、しかし﹂ ﹁アゼルとは知り合いやから。なあ ﹁ええ、少しお世話になりました﹂ ﹁ロキ様が、そう仰るなら﹂ ﹁ええ﹂ ﹁ほれ、立てるか ﹂ さんもあっさりと引き下がった。 神の言うことには逆らえないのか、普段は色々と小言を言うエイナ ? ﹂ ﹂ ? かった。 ﹂ モンスターにぼっこ 女は私にそう聞いてきた。聞いたと言っても、それは確認の意味が濃 部屋を出て廊下を少し歩くと、周りに人がいないことを確認した彼 が見れば誰でも美の神の仕業って分かるで﹂ ﹁阿呆、アゼル以外の子供等は皆﹃魅了﹄で骨抜きにされとったわ。神 ﹁知ってたんですか ﹁犯人は、フレイヤやな らうことで楽に立ち上がることができた。 そう言って、痛む身体を起き上がらせる。今回はロキ様に支えても ? ﹁で、アゼルはどうしてそんなボロボロなん ぼっこか ? う獣人にぼっこぼっこです﹂ ﹁そらそうやろ。そいつはオラリオ最強の冒険者やで﹂ ﹁ええ、実感しました﹂ ﹂ 痛む身体が、忘れさせはしない。身につけたプロテクターが蘇らせ る。 ﹁私は、弱者だ﹂ ﹁⋮⋮うちのアイズたんみたいな事言うんやな﹂ ﹁圧倒的強者を前にして、誰しもがそう思ってしまうんでしょう﹂ ﹁でも、アゼルはアイズたんと違って嬉しそうやな。おかしくない ? 96 ? ﹁いえ、モンスターを放つ前に辿り着きはしたんですが、オッタルとい ? ああ、やはり私は嬉しそうに見えてしまうのだろうか。負の感情を 抑えることが得意な人間はいるが、正の感情を隠すのは至難の業だ。 ﹁おかしいですよね。でも、嬉しいんです﹂ ﹁変なやっちゃなー﹂ ﹁良く言われます﹂ それから会話は生まれず、ロキ様は私を医務室に運び担当医に預け ると颯爽とどこかへ走っていった。 ベッドに寝かされた私は、装備をすべて外された。できるだけプロ テクターを外したくはなかったが、下着にプロテクターのみという変 態的格好を思い浮かべて断念した。 ああ、ヘスティア様とベルにはなんと説明しよう。そもそも、ベル は無事だろうか。早く︻ステイタス︼の更新がしたい。新しい剣が欲 しい。様々な考えが頭を埋め尽くした。 しかし、一度プロテクターを視界に入れると蘇る敗北の味。疲れた 身体に医師が薬を塗り包帯を巻く。その行為に身を任せながら、私は 眠りについた。 こうして、私は弱者となった。 97 ファーイたーん、フレイヤー、ドチビー 幕間 神々の宴│そして彼女は│ ﹁おーい 着ていて周りの注目を浴びている。 ﹂ ﹄ ! ﹁何しに来たんだよ君は﹂ ﹃今 宵 は 宴 じ ゃ ー う相手だ。いつもは男物の格好をしているが、今夜は珍しくドレスを オ最強とも言われるロキ・ファミリアの主神にして、ヘスティアが嫌 そしてやってきたのは、黒のドレスで身を包んだ女神。現在オラリ れたドレスに身を包み、美と愛をその身体で表現する女神。 で多くの存在が彼女に魅了される。銀の髪に、今宵は金の刺繍が施さ その横にはもう一人、愛と美の神フレイヤもいた。彼女が歩くだけ めている。 鍛冶を司る神で現在はヘファイストス・ファミリアの主神兼社長を務 の半分覆うであろう大きな眼帯で隠した神だ。名はヘファイストス、 その会いたかった神友が横にいる、燃えるような赤い髪に右目を顔 ﹁あっ、ロキ﹂ 開いている神の宴に招待されたヘスティアはある神友に会いに来た。 名付けられたかなり恥ずかしい建物の中。ガネーシャ・ファミリアが 場所はガネーシャ・ファミリアのホーム﹃アイアム・ガネーシャ﹄と 快な呼び名で呼んでいるからだ。 いたくない相手と言っても過言ではない神の声が、何やら彼女を不愉 その声を聞いたヘスティアは固まって口を引くつかせた。最も会 !! むしろ理由を探すほうが無粋っちゅうもん ﹁な ん や、理 由 が な き ゃ 来 ち ゃ あ か ん の か っていうノリやろ ? ﹁なんや、ドチビ ﹂ ﹁くっ、ろ、ロキッ﹂ ろう。 だった。ヘファイストスが止めていなければ確実に拳が出ていただ 会って早々失礼な事を言うその神にヘスティアは殴りかかる寸前 や。はぁ、マジで空気読めてへんよ、このドチビ﹂ ? ヘスティアはロキと口も聞きたくないのか、かなり無理をして口を ? 98 ! 動かしているため辿々しい喋り方となっていた。 ﹁君の︻ファミリア︼に所属しているヴァレン何某について聞きたいん だけど﹂ ﹁あ、︻剣姫︼ね。私もちょっと話を聞きたいわ﹂ み た い な 感 ドチビがうちに願い事なんて、明日は溶岩の雨でも降る ハ ル マ ゲ ド ー ン ラ グ ナ ロ ク ー ! ﹁うぅん んとちゃうか じで﹂ ! ﹂ ﹂ つもりだったのだ彼女は。 ? 君から質問っていうのも珍しいじゃないか。明日 ﹁こっちからも質問ええか ﹁な、なんだい ? ﹂ ! は発言した。 ヘスティアが前言ってた眷属のうちの一人 ? だった。 一 瞬 言 い 淀 ん で し ま っ た。そ れ は 怒 り に も 似 た 感 情 が 見 え た か ら 普段糸目のロキの目が薄く開いているのに気付いたヘスティアは ﹁そ、そうだよ。赤髪の、剣士だよ。それがどうしたんだいッ﹂ ﹁アゼル ﹂ 仕返しをしようとしていたヘスティアの台詞を途中で遮ってロキ ﹁最後まで言わせろ ﹁ドチビんとこのアゼルなんやけど﹂ は﹂ ええよな﹂ もし、付き合ってる男や伴侶がいるならそれをベルに言い諦めさせる その︻剣姫︼アイズ・ヴァレンシュタインに恋心を抱いているからだ。 その質問の真意、それはヘスティアの眷属の一人ベル・クラネルが ﹁ちッ は八つ裂きにする﹂ くれてやらん。うち以外があの子にちょっかい出してきたら、そいつ ﹁あほぅ、アイズはうちのお気に入りや。嫁には絶対出さんし、誰にも いるかい ﹁⋮⋮聞くよ。その噂の︻剣姫︼は、付き合っているような男や伴侶は 当大事なのか文句をすべて飲み込んで言った。 言われたその言葉に文句を言いたそうなヘスティアだが、質問が相 ? ? ? ? 99 ! ﹂ ﹁お前、ちゃんとアゼルのこと見てるんか ﹂ ちゃんと見ているとも ﹁し、失礼なッ ﹁じゃあ、もう一人のベルとかいう冒険者との関係は ﹂ ちゃんと把 ﹂ それくらい知ってる というかなんでベル君 握しとるんやろうな ﹁同郷の幼馴染だ ま、まさか狙ってるとかじゃないだろうね ! ﹁はッ、アホか。そんなんやからあんなことになんねん﹂ も知ってる ! ﹁き、君に何が分かるッ ﹂ う少年を成長させるためにいるようなものだから。 そう、なぜならアゼル・バーナムという青年はベル・クラネルとい ﹁このままやと、アゼルはいつかぶっ壊れるで﹂ やけど﹂ ﹁お前は随分ベルとかいうのに入れ込んどるから気付いとらんみたい ルの関係を知っているのか、何も理解していなかった。 なことなのか。そもそも、何故ロキがそう断言できるほどアゼルとベ その意味をヘスティアは理解できなかった。あんなこと、とはどん ! ! ベルの爆発的な成長を見ても、嫉妬もせず焦りもせずただあるがま 目にしたことはない。 を受けてきた。その剣の腕は一流であるとベルからは聞いたが、実際 ベルと同郷の幼馴染で幼いころからベルの祖父から剣の手ほどき 知らない。 思えば、ヘスティアはアゼル・バーナムという青年のことをあまり 既にロキの目はヘスティアを睨んでいた。 ﹁ッ﹂ 顔やったで﹂ 言った言葉や。そら、もう自覚してなかったみたいやけど、辛そうな ﹁﹃試 練 て い う も の は 越 え ら れ る 者 に し か 与 え ら れ な い﹄。ア ゼ ル が ! 100 ? ? ? ! !? まに受け入れていた。しかし、ベルというかなり特殊な存在がいたか ら注目しなかったが、アゼル・バーナムという青年の成長もかなりハ イペースだ。 ︵君はどこで何をしているんだ︶ そう、何も知らない。それは、ヘスティアが何も聞かないからだ。 ﹁あんな、お気に入りの子がいるんわ仕方ないことや。うちもアイズ たんお気に入りやし。でもえこ贔屓はあかんやろ﹂ ﹁べ、別に贔屓していたわけじゃ﹂ ﹁お前がそういうつもりはなくてもな、子供達は分かんねん。うちら が子供達の心が分かるように、子供達もうちらの事よう見てるんや で﹂ 再びいつもの様に糸目に戻ったロキはニヤニヤと笑い始めた。 ﹂ ﹁その調子やと、奪っちまうで﹂ ﹁なッ ﹂ その発言にヘスティアとヘファイストスが驚愕する。フレイヤは 一瞬ロキを睨もうとしたが、止めた。 ﹁ロキ、そんなこと言っちゃだめでしょ る。 かし、その原因は明らかだ。それはベル・クラネルという冒険者にあ 得た少ない情報からはその答えを導き出すことはできなかった。し アゼルが苦しむ理由は、正直な所ロキにはまだ分からない。酒場で それは確信であった。 ﹁心配なだけや。うちにいる方がよっぽどええに決まっとる﹂ ﹁ふふ、ロキはその子の事気に入っちゃったのかしら﹂ ﹁アンタにだけは言われとうないわフレイヤ﹂ ? アゼル君は﹂ なら、その二つを別けてしまえばいい。 ﹂ ﹁そんなことさせるもんかっ ﹁ベルに必要な子、か ﹁ッ﹂ ! ロキに何を言おうとしていたのかを予想されたこともそうだった ヘスティアは息を呑んだ。 ? 101 ! が。何よりも、自分が何を考えていたのかに気付いてしまった。恋は 盲目というが、自分はなんてことを考えていたんだと、心を後悔が蝕 む。 ﹁アゼルはお前の心に気付いとるで。気付いた上で一緒におるんや。 でもな、それはアゼルがそれ以外の生き方を知らんからや。誰かの犠 牲になるように生きてきたからや。そら、辛くもなるやろ。自分を分 からなくもなるやろ。本人は分かってへんみたいやけどな、辛いもん は辛いんや。その苦しんでる子を見放してどうすんねん﹂ ロキはそう言うと背を向けて歩き出した。 ﹁ええか、ちゃんと見てやれよ﹂ それだけ言うと、颯爽と雑踏へと消えていった。残されたヘスティ アは悔しさと情けなさで押しつぶされそうな気持ちだった。 ﹁ヘスティア﹂ ﹁僕は⋮⋮主神失格だよ﹂ ﹁はあ⋮⋮ほら、帰るわよ。今晩はうちで飲みましょ﹂ ﹁ヘファイストス⋮⋮だめだ、早く帰って会わないと﹂ ﹁今のアンタと会ったってその子が困るだけよ。話、聞いてあげるか ら﹂ ﹁ごめんよ﹂ ﹁そういう時は感謝するものよ﹂ ﹁⋮⋮ありがとう、ヘファイストス﹂ ﹁フレイヤって、もういないし﹂ 気づくとフレイヤもその場から消えていた。神というのは自由奔 放な性格な輩が多い。ヘファイストスはそこまで気にせずヘスティ アを連れて会場から立ち去った。 ■■■■ ﹁それで﹂ ﹁⋮⋮うぅ﹂ 場所は変わってヘファイストスの私室。そこにはソファの上に体 102 育座りをするヘスティアとその横に腰を掛けるヘファイストスがい た。 ﹁その子、アゼルだっけ﹂ 正直に言ってご覧なさい﹂ ﹁アゼル・バーナム。ベル君の幼馴染だ﹂ ﹁それで、アンタは贔屓してたの ﹁う⋮⋮してた、かもしれない﹂ いつも、アゼルは気付いたらいなくなって、そして気付いたら帰っ てきていた。元来そういう生活をしていたのだろう、幼馴染であるベ ルが気にしないから次第とヘスティアも気にしなくなっていた。 アゼルは、悩む素振りまったくしない。ベルは、ずっと何かに悩み 助けて欲しいという空気を醸し出していた。だからだろう、ヘスティ アが無意識にアゼルを放っておきベルを助けていたのは。そして、ア ゼルはそのことに不満を言わなかった。 ﹁アゼル君は、いつも怪我一つせずに帰ってくるんだ。だから、大丈夫 だろうって﹂ 怪我をしていないから大丈夫、だなんて言えないでしょ﹂ ﹁あのねヘスティア。何も子供達はずっと冒険をしているわけじゃな いのよ キが教えてくれたように、何か自覚しないまま、心の奥底で、それこ ﹂ そ主神でさえ気付けないような隠れた悩みを抱えていたに違いない。 ﹂ ﹁アゼル君は、僕を頼ってくれないんだ﹂ ﹁貴方が頼りないからじゃない ﹁ヘファイストスぅ、君は僕を慰めてくれるんじゃなかったのか ﹁誰がそんなこと言ったのよ。話を聞いてあげるって言ったの﹂ を作らずにヘファイストスに世話になっていた。その彼女が喜んで ティアはとても自堕落で、天界から下界に降りてきた後もファミリア ヘスティアとヘファイストスは天界にいる頃からの神友だ。ヘス た。 持って行き少し口へと流し込んだ。何を言ってやろうかと、悩んでい そう言ってヘファイストスはテーブルに置かれたグラスを口まで ? ? 103 ? ヘスティアは思い返す。アゼルは何かに悩んでいたのだろう。ロ ﹁うぅ、不甲斐ない﹂ ? 家族ができたと報告しに来た場面を彼女は思い出していた。 ﹂ ﹁貴方は逃げたのよ﹂ ﹁逃げた ﹁そう、ベルっていうもう一人の子供が分かりやすい子だったから。 その子に入れ込む事でアゼルって子を見ないようにした。まあ、ベ ﹂ スパーダ ルって子を好きっていうのは本当なんでしょうけど。何か心当たり はある ﹁⋮⋮ある。でも、言えない﹂ ヘスティアの心当たり、それはアゼルの所有する︻剣︼というスキ ヒエログリフ ル だ っ た。最 初 こ そ ヘ ス テ ィ ア は レ ア ス キ ル と い う 事 実 に 喜 ん だ。 しかし、その神聖文字をそっと触った途端、彼女を恐怖が襲った。 それは︻剣︼だ。すべてを斬ることができる︻剣︼。つまり、それは デ ウ ス デ ア 自分達神でさえ斬れてしまうかもしれない代物。それを、彼女はスキ ルに触れて理解してしまった。超越存在と呼ばれる者達を屠る唯一 つのスキルなのかもしれない。 それが、そもそもの原因だったのだろう。アゼルの人となりを知る ﹂ と恐怖は和らいだが、それでもそのスキルに触れると蘇るのだ。 ﹁それは、どうにかできないの ﹁どうにも、できないよ﹂ ﹁え﹂ ﹁だって、そうでしょう れて愛してあげないと﹂ ﹁それは、そうだけど﹂ どうにもできないなら、その原因も受け入 ﹁じゃあ、もっと頑張らないといけないわね﹂ 験︼の集合体。それだけを消すことなど不可能なのだ。 そうだろう。それはアゼル・バーナムという人間が培ってきた︻経 ? ﹁ふぁふぁめろぉ﹂ うだった。 柔らかい頬は思いの外伸びたのか、少しだけヘファイストスは楽しそ ヘ フ ァ イ ス ト ス は へ こ た れ る ヘ ス テ ィ ア の 頬 を 掴 ん で 伸 ば し た。 ﹁もう、そんな顔しちゃだめでしょ﹂ ? 104 ? ? ﹁いつもの貴方はどこへいったの 底抜けに明るくて、悩んだら当 たって砕けろと言わんばかりに突っ走って、私をいつも心配させてた 貴方は﹂ 頬を離しヘファイストスはそっとヘスティアを抱いた。 ﹁傷 付 く こ と を 恐 れ ち ゃ だ め よ。子 供 達 の た め な ら 傷 付 い た っ て い い。それくらい思ってなきゃだめ。それが、子供達に可能性を与えた 私達の責任﹂ ヘスティアもヘファイストスをしっかりと抱きしめた。 ﹁⋮⋮うん。そうだね。うじうじするなんて僕らしくないよね﹂ ﹁そうよ。もし辛くなったら私に言いなさい。一晩くらい付き合って あげるわ﹂ ﹁分かった﹂ ﹂ 意を決したヘスティアはヘファイストスから離れて、いきなり頭を 下げた。 ﹁お願いだヘファイストス。あの子達に、装備を打って欲しい ﹂ ﹁⋮⋮貴方、私にどれくらい借りがあるか知ってる 頼む ううん、今力に それでも、僕は力になりたいんだ 僕はアゼル君も、ベル君も愛してみせる なるって決めた ﹁打ってくれるのかいヘファイストス ﹂ ﹂ ﹁打ってあげるわよ。でも、ちゃんとお金は払うこと うん うともよ﹂ ﹁うん ! ! その子たちの得物は ? ? た。今回は嬉し涙であったが。 ﹁で、何を打つの ﹂ ファイストス。昔から、ヘファイストスはヘスティアの涙に弱かっ 疲れたような顔をして、抱きついてくるヘスティアの頭を撫でるヘ ﹁まったく﹂ 何年かかろ ﹁はあ⋮⋮まあ、やる気にさせたのは私だし。しょうがないわねえ﹂ 男神がヘスティアに教えた最終奥義だった。 勢い良くヘスティアは土下座をした。それはタケミカヅチという ﹂ よ、この通りだ ! ! ﹁分かってる ? ! 105 ? ! ! ! ! ! ﹂ ﹁ベルくんはナイフだけど⋮⋮アゼル君は何を使うんだろう﹂ ﹁それも知らないの ﹁し、しょうがないだろ、聞いたら何でも使えますって言ったんだ ﹁じゃあ、何打つのよ﹂ ﹂ ﹂ ! かった。 ﹂ ﹁じゃあ、籠手とか ﹁それだ ﹂ ﹂ ? 僕も手伝うから ! ﹁でも、籠手は時間掛かるわよ ﹁何日掛かったっていい ! ﹂ !? ありがとう ﹂ ﹂ ﹁そんな訳ないだろう だ ﹂ 僕は君は打ってくれる装備が一番好きなん ? なかった。 ヘファイストスがヘスティアに付き合わされたのは、一晩では済ま ることに気付いた。いい気分で打てそうだ、そう彼女は感じていた。 曇り一つ無い笑顔を向けられたヘファイストスは、自らも笑ってい ! かないわ。何、不満 ﹁当たり前でしょ。私の個人的な依頼に子供達を巻き込むわけにはい ﹁君が打ってくれるのかい そう言ってヘファイストスは壁に架かっている槌を持ち上げた。 ﹁当然でしょ﹂ ﹂ イ プ の 剣 士 だ っ た。力 が な い と い け な い 盾 は あ ま り い い 案 で は な そう、アゼルの︻ステイタス︼は器用と俊敏に偏ったテクニックタ ﹁盾、ううん。もっと軽い物かな﹂ ﹁盾とか ﹁何か、守る物がいい うーん、と唸りながら頭を抱えるヘスティア。しかし、それも一瞬。 ! ? ? ! 106 ? ! ﹁まったく⋮⋮﹂ ! 望め、さすれば与えられん 束の間の休息 アゼル・バーナム Lv.1 力:H 161 ↓ H 199 耐久:I 71 ↓ H 104 器用:G 245 ↓ F 314 敏捷:G 201 ↓ G 243 魔力:H 105 ↓ H 126 フトゥルム ︽魔法︾ ︻未来視︼ スパーダ ︽スキル︾ ヴィデーレ・カエルム ︻剣︼ 条件:強者と相対する。 107 ︻地 這 空 眺︼ 全アビリティ弱体補正。 早熟する。 ・ 条件クリアにより弱体していた期間に比例する全アビリティ ・ ・ ・ ︻絶対強者︼を倒さない限り効果持続。 ブースト発動。 ・ ﹁これは﹂ 熟練度上昇値トータル200を超えた自分の凄まじい成長ぶりに エクセリア 驚いた。四日間のダンジョンでの集中的なモンスター狩りと、数日前 敗北したオッタルとの戦闘。その︻経験値︼が私の身体に反映された 結果がこれだ。 自分の感覚ではあるが、恐らくモンスターを倒したことよりオッタ ﹂ ルとの戦闘のほうが質のいい︻経験値︼をもたらし、より多くの成長 を促したのだろう。 ﹁君は⋮⋮何をしたんだい ? ヘスティア様が厳しい顔で私を見上げた。 後から知ったことだが、祭りを一緒に回っていたベルとヘスティア 様はフレイヤが放ったモンスターの一匹、巨大な猿の化物﹃シルバー バック﹄に追い回されたらしい。そして、そのシルバーバックをベル がなんとか撃退し、九死に一生を得た。 その後、過労で倒れたヘスティア様の介抱のため豊饒の女主人の二 階を使わせてもらったらしい。私のことなどつゆ知らず、二人はその 後私を探してギルドに行きエイナさんから私が事件に巻き込まれた 事を知った。 なので、ヘスティア様とベルは私の身に起こったことを知らない。 ましてや、今回の事件の首謀者が神フレイヤで、その目的が私とベル であることも知らない。 ﹁少し、ボコボコにされてきました﹂ ﹁本当に、ベル君と言いアゼル君と言い、無茶をし過ぎだッ もう 武器は預かる ちゃんと休むことっ 怒ったぞ ぞ ダンジョンなんかに行くんじゃない ! ﹂ ヴィデーレ・カエルム そう、 ︻ステイタス︼の書かれた紙を見て私を最も驚かせたのは新し く発現したスキルであった。︻地 這 空 眺︼、地を這い空を眺める、そ こにはきっと彼がいるから。明らかにオッタルに敗北したことによ り発現したスキルだ。 その効果は弱体を対価とした一時的アビリティの上昇と成長促進 だ。強者、というのがどれほどの強者でなければいけないのか分から ないが、そこは私の個人的感覚なのだろう。把握しなければならない 言っておくけど、自分を弱くするス のは、どれほど弱くなるのか、それとどれほど上昇するのかだ。 ﹁新しいスキルが出たからだ 戦ってきたのだから、今更少し下がったところでどうなるという話 そ れ は 大 し た 問 題 に は 感 じ ら れ な い。元 々 低 い︻ス テ イ タ ス︼で から﹂ ていないけど、アビリティの熟練度だって数値より低くなってるんだ キルなんて危険極まりないんだからね。︻ステイタス︼には反映され ! 108 ! ! ! ﹁そんな殺生な、せっかく新しいスキルが出たというのに﹂ ! だ。 破ったら怒るからね ﹂ ﹁いいかい 今日一日は絶対にダンジョンに行っちゃだめだからね 絶対だぞ ! ﹃ギギッ ﹄ ﹄ れず、空いた手で頭に手を突き入れて絶命させる。 横から振るわれるキラーアントの爪を手刀で斬り飛ばす。間髪入 ﹃ギィギ ﹃ギギギ﹄ 出しながら一度大きく痙攣して動かぬ屍となった。 腕を振り下ろしキラーアントの頭を斬り落とす。首から血を吹き きを阻害する物となって、より倒しやすい敵にしているだけだ。 しかし、硬い甲殻など私にとっては何も意味を成さない。むしろ動 ﹃ギャッ てこないからだ。 このモンスターが出るまで硬い表皮をしたモンスターというのは出 い甲殻で攻撃を弾き返し、攻めきれない冒険者を鋭い爪で刺し殺す。 キラーアントは多くの新米を死なせるモンスターらしい。その硬 ﹁シッ﹂ ない。 なので私の到達階層からしたら休んでいると言ってもいい、かもしれ 行きたいという欲求が勝ってしまい、結局は来てしまった。7階層 を目の前に私は武器を持たずに構えを取っていた。 そして現在ダンジョン7階層、 ﹃キラーアント﹄と呼ばれる巨大な蟻 ﹃ギィイッ ﹄ ﹄ ■■■■ た。 りができるならいいか、と思い私は武器を持たずに街へと歩き出し ると同時に悲しみもするだろう。一日休んだだけで主神のご機嫌取 怒るヘスティア様は可愛いので破ってもいいのだが、そうすると怒 ! ? ! !! ! ! 109 ! 物足りない。残ったキラーアントは私に襲いかかった仲間が一瞬 ﹂ で殺されていく様に恐れをなしたのか、ゆっくりと後退していた。 ﹁見逃すと思いましたか そんなこと私が許すはずもなく、既に戦闘の意志をなくしたモンス ターを斬殺していった。今は、例えどれほど小さな経験だろうと糧に して成長しなければならない。腕に装備したプロテクターが身体に そう語りかけていた。 ﹁うーむ﹂ 数時間ダンジョンに潜りモンスターを倒した私は、少し物足りない が地上へと帰ってきた。帰りが遅くなれば疑われるかもしれないし、 地上にいたというアリバイを作ってく必要もあるかもしれない。 ﹁身体の違和感は、あまりない﹂ むしろ、身体の調子は今までにないくらい絶好調であった。それは きっと伸びた︻ステイタス︼の分なのだろうが、弱体化したかどうか というのが分からない。この分だと、前回の更新した時のステイタス より低くなっているということはないようだ。各アビリティワンラ ﹂ ンクダウンくらいでだろうか。 ﹁おや は、エイナとベルが一緒に歩いているのを見つけた。 ﹁そ う い え ば、今 日 は 誰 か と 出 か け る と 言 っ て い ま し た ね。デ ー ト だったとは、ベルも隅におけない﹂ これは後でヘスティア様に何か言われるのだろうと思いつつ、私は そのときのベルの困ったような顔を思い浮かべた。こちらに助けを 求めてきても、私は知らぬ存ぜぬを貫き通すと心に誓った。 ■■■■ ﹂ ﹁おや、リューさんお出掛けですか ? ﹂ ﹁なんで貴方が裏口にいるんですか ? 110 ? アリバイついでに豊饒の女主人で時間でも潰そうと歩いていた私 ? それはたまたまであった。最近ではオラリオにも慣れ、路地裏を 通ったほうが人も少ないし移動に時間が掛からないことを分かった 私は一人の時は大抵入り組んだ路地裏を通って移動していた。 豊饒の女主人の裏口付近を通ったのは本当に偶然だったが、これは 運命と言ってもいいかもしれない。むしろ、そうであれ。 ﹁お出掛けなら私とデートでも﹂ ﹁これから買い出しですので、お断りします﹂ ﹁では、私も買い出しに付いて行きましょう。荷物持ちがいれば買い 出しも楽というものですよ﹂ ﹁一人で大丈夫です﹂ 行く、来るな、という問答を数分繰り返した私とリューさんだった が、早く行かないと行けないので折れたのはリューさんであった。私 セルチ は折れないことに定評があるので当然といえば当然だ。 ﹁私から三十 C 以上近寄らないでください﹂ ﹂ 効率的、なん のだろう。それは、違う。私は決してそんな邪な気持ちで見ていたの 111 ﹁分かってますよ。私、女性が嫌がることはしないので﹂ ﹁なら、付いてこないでください﹂ ﹁ほら、荷物持ちがいるほうが効率的ではないですか ていい響きだ﹂ ﹁⋮⋮はあ﹂ じゃないですよ ﹁おや、これはすみません。いや、でも別に厭らしい目で見ていたわけ ﹁そのような目で私を見ないでほしい﹂ だらまた怒られてしまう。もう既に怒っているかもしれないが。 そして、飛んできた平手を私は掴むのではなく叩き落とした。掴ん │││パシンッ のない歩き方だった。 重心がまったくブレず、いつどこで攻撃されても迎撃できるような隙 た。均等に付いた筋肉によって、体幹がかなりしっかりとしている。 ため息を吐くリューさんの少し後ろで、私はその歩く姿を見てい ? 女性の後ろ姿、しかも下半身をジロジロ見ていたから勘違いされた ? ではなく、戦って欲しいなあ、と思っただけで。 ﹁獲物を見るような目で見ないでほしい、と言っているんです。正直 落ち着きません﹂ ﹁よかった、勘違いしてなかったんですね﹂ ﹁邪な目であれば、即刻蹴り飛ばしています﹂ 獲物を見るような目なら厳重注意で許してくれるくらいには心を 許してくれたようだ。まったく許されている気がしないが、邪な目で 見るよりはマシな扱いだ。 ﹁でも蹴ってくれたほうが戦いに持ち込み易いのか﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹂ もう何も言わずにスタスタと歩いて行ってしまった。しかも早歩 き。 ﹁待ってくださいって。冗談です冗談﹂ ﹁貴方が言うと冗談に聞こえない﹂ ﹁非道いなあ。私をそんな戦闘狂のように思ってるんですか ﹁事実です﹂ 反論を許さないような冷たい声だった。しかし私が思うに高レベ ルの冒険者は皆どこか戦闘を好む輩ばかりでしょう。逆説的に、私は 良い冒険者になれる素質がある、と思えば少しは戦闘狂と言われるの も嬉しいかもしれないですね。 その後リューさんは私をこき使い、買い出しの荷物を全部持たされ た。帰りも路地を歩いて、人気のない道を歩く。 当然貴方のことがす﹂ ﹁なぜ貴方は私に構う﹂ ﹁それを聞きますか うか 今度好きだと連呼でもしてみよう。そしたら殴りかかって ﹁殴りますよ ﹂ ﹁本当ですよ。貴方の雰囲気が、目がとても美しかった。とても鋭く、 ? 112 ? 好きと言いたかったのだが、そんなに私に言われるのが嫌なのだろ ﹁冗談はよしてほしい﹂ ? ﹁そうですねえ⋮⋮美しいと思ったからでしょうか﹂ くるかもしれない。 ? 全てを斬り裂く鉄の塊に似ていた﹂ 武人は、相手の雰囲気だけで力量を計れるという。私は、相手が剣 それが 士かどうかが分かる。その大凡の実力も分かる。しかし、それ以上に どれほど斬った どんな想いで どのように剣と向き合ってきたのかがなんとなく分かる。 ﹁貴方は何を斬った ? ﹂ ! ﹂ ? た。 ﹁リューさん。斬った先に、答えはありましたか ﹂ ? ﹂ たので荷物を動かして見てみると、ベルが少女を男性冒険者からか 路地を数分歩き、曲がり角を曲がった先でリューさんが立ち止まっ ﹁アゼルにリューさん ﹁まったく、ベルも困った奴ですね﹂ ■■■■ う。 えた。その姿を美しいと思った私は、やはりどこかおかしいのだろ りを含み、嘆きを含み、絶望した少女の泣き声のように、私には聞こ それは本当に悔しそうな、泣きそうな声であった。それと同時に怒 ﹁⋮⋮あったとでも思っているんですか ﹂ 必至で追いついた私は、聞いてほしくないであろう彼女に問いかけ 私の言葉などお構いなしに歩いて行ってしまうリューさんの後を ﹁待ってくださいよ、足痛いんですけど﹂ ﹁行きますよ﹂ は買い出しの荷物のおかげだろう。ありがとう、荷物。 好きだから、と言おうとしたら足を踏まれた。殴ってこなかったの ﹁いや、ですからすいったッ ﹁では、なぜ未だに私に構っているんですか ﹁詮索はしません。教えて貰えるだなんて思ってもいませんから﹂ ﹁⋮⋮非常識な人だ﹂ いうのもありますが﹂ 知りたいと思ったんです。接してみるとなかなか愉快な人であると ? ? 113 ? ? 今度は何だァッ ばっている場面に直面した。 ﹁次から次へと⋮⋮ ﹂ の伴侶となる方だ、と言われたらそうもなりますか。 ﹁どいつもこいつも、わけのわからねえことをっ⋮⋮ ﹂ ! ﹁ちょおおっ ﹂ ち、後ろにいる私へと振った。 逃げていく男を尻目にリューさんはいきなりその小太刀を抜き放 いった。 聞いたが小太刀というらしい、へと手を伸ばし柄を持つと逃げ出して としていた。しかし、彼女が最終忠告として腰に差した短い刀、後で それでも、男性冒険者は諦めずに目だけはリューさんに反抗しよう ﹁手荒なことはしたくありません。私はいつもやり過ぎてしまう﹂ から殺気とも呼べるほどの威圧感が生じる。 ていた威圧感が消えてなくなり、それを上書きするようにリューさん たった一言。それだけで男性冒険者は動けなくなった。彼の発し ﹁吠えるな﹂ んに向けた。だが、そんなものに意味などない。 そう叫んだ男性冒険者は、自分に出せる最大限の威圧感をリューさ てえのかあッ、ああ ブッ殺され ベルはリューさんの台詞に唖然としている。確かにいきなり同僚 ない同僚の伴侶となる方です。手を出すのは許しません﹂ ﹁貴方の危害を加えようとしているその人⋮⋮彼は、私のかけがえの ! しまった。これ私のせいじゃないですよね。 ﹁殺気を向けないで欲しい。武器を持ったくらいで﹂ ﹁ああ⋮⋮すみません。つい﹂ 本当についだ。剣を持った人を見ると、つい。それがリューさんほ ﹂ どの実力者となると、抑えるのが難しいほどだ。 ﹁えぇと、二人共どうして ? 114 !? !? 私はそれを首を逸らしてなんとか避けたが、林檎を二個か落として ! 突然斬りかかったリューさんに驚くも、私が難なく避けたように見 えたからか、ベルはあまり動揺していなかった。決して、私の心配を していないなどということではない、と思いたい。 ﹁少しリューさんとデーどッ﹂ ﹁黙りなさい﹂ 一応荷物持ってるんですが﹂ デートと言おうとしたら腹を殴られた。 ﹁あの、リューさん ﹁えぇえ⋮⋮ ﹂ ﹁貴方が不要な事を言うからだ。林檎二つ、買ってもらいます﹂ ? 分かってて言ってるんですよね。 んね、このこの﹂ ﹂ ﹁ええぇぇええ で、デートなんかじゃ るの ﹁偶然見かけまして﹂ ﹂ ! ﹁クラネルさん、付き合っている女性がいるんですか ! ﹂ あれはデートじゃなくてッ 買い物 ほら、新しい装備 ﹁い、いません です 買い物 というかなんで知って ﹁それにしても、ベル。エイナさんとデートとは、貴方も隅に置けませ 荷物持ちをしたいという人間は私くらいだろう。 いことにした。世の中金を払ってでもしたいことはたくさんあるが、 荷物持ちをしたのに金を払わねばならない、ということは気にしな 思っておきます﹂ ﹁は あ ⋮⋮ 分 か り ま し た よ。今 回 の デ ー ⋮⋮ 荷 物 持 ち の 料 金 と で も てます それ、リューさんが斬ろうとしたから落とした林檎ですよ、分かっ ? しい装備をしていた。白のプレートアーマー。 それは、面積をかなり少なくして素早さをできるだけ殺さないよう ﹂ にし、且つ重要なところを攻撃から阻むようにできた一品だった。 ﹂ ﹁おお、いいですね﹂ ﹁でしょっ ﹁で、そのプロテクターはエイナさんからのプレゼントですか ? ! 115 ? そう言って自身の身体を見せるようにして立ったベルは確かに新 ! ! ! ! ? !? ! ﹁だからああぁぁッ なんで分かるの ﹁一つだけ毛色の違う防具ですからね﹂ ﹁ひゃ、はい﹂ ﹁本当に、付き合っていないんですね ﹂ ﹂ う所がないので、性能で買ったんだろう。 らと言って、買うとしたら黒か白にするだろう。エイナさんはそうい かで一つだけエメラルドという目立つ色だ。ベルならかっこいいか 腕に装備しているそれは、白と黒で統一されているベルの装備のな !? にベルに気がある。 ﹁あれ、というか女の子は ﹂ エイナさんはどう思っているのか。見ていれば分かるが、彼女は完全 的にデートでないという事にしたようだ。本人はああ言っているが 結構な迫力で聞いてきたリューさんに若干怯えながらベルは最終 ? ﹁⋮⋮何をしたんです ﹂ に荷物を持たせるというのも﹂ ﹁いえいえ、今は少しヘスティア様に会いたくないので。それに女性 ﹁帰ってもよかったんですよ﹂ 夕飯も食べることにした。 荷物を豊饒の女主人まで持っていかなければならないので、ついでに そう言って、ベルはホームへの道を走っていった。私は当然ながら ﹁助かります﹂ ﹁分かったよ。神様には言っておくね﹂ ﹁ベル、私は豊饒の女主人で夕飯を食べるので﹂ 残念がっていたベルだが根が優しいので助けられたことで満足した。 助けた少女と仲良くなる、なんていうロマンスを考えていたのか、 ﹁ええっ。気付いてるなら言ってよ。でも助かったならいっか﹂ ﹁もう、どっか行っちゃいましたよ﹂ ? ﹁ほら、まあその分お金は持ってますから﹂ ﹁⋮⋮はあ、本当に貴方は、馬鹿ですか﹂ 持たずに﹂ ﹁行くなと言われていたダンジョンに行ってしまったんです、武器を ? 116 ! 腰に下げている財布を揺らして見せる。 ﹂ ﹁食べ終わったらさっさと帰ってください﹂ ﹁それ店員としてどうなんですか ■■■■ ﹁アゼル君ッ ﹂ ? より、武器を取り上げたのはヘスティア様だ﹂ ﹁流石の君もそんな馬鹿なことはしないと思ったからだ とこんなことはしないでくれ﹂ もう二度 ﹁武器が無くともあの階層程度であれば問題ないと判断しました。何 ﹁だからって武器も持たずに﹂ た。 いた。奥には、何故怒っているのか分からず困惑しているベルもい 豊饒の女主人で夕飯を食べて帰ってくると、怒ったヘスティア様が 私はそうヘスティア様に言った。 だ、力を求めずして何をしろと言うんですか ﹁⋮⋮はあ、行きましたよ。でも、しょうがないでしょう。私は冒険者 ﹁バベルの人に見かけたって人がいた﹂ ﹁いえ﹂ ﹁君、ダンジョンに行ったね﹂ ﹁⋮⋮はい﹂ ﹂ えるように、両手の荷物を強く持った。 歩き出した彼女の後を追う。垣間見た彼女の実力に震える心を抑 ? 彼女はそう言って、悲しそうに笑いながら私を見上げた。 ﹁⋮⋮だろうと思ったよ﹂ ﹁すみません、約束はできません﹂ だから、きっとこの約束はできない。 のできることをしたまでだったのだ。 ほどの所業だったのだろうか。私にはどうにもそう思えない。自分 ヘスティア様は俯いて、泣いていた。私がした事は、神を泣かせる ! 117 ! ﹂ ﹁今日、君の目撃情報を集めたんだ。そうしたら、どこで君を見たって 人がいたと思う ﹁さあ⋮⋮﹂ ﹁17階層だ﹂ ﹁え﹂ ベルがそのありえない階層名を聞いて素っ頓狂な声を出した。そ れもそうだろう。私とベルは共にレベル1の冒険者な上、私は成長速 度ではベルに劣っている。 ﹁言ったはずです。無茶はしないと。私はできると思ったからやった までです﹂ ﹁これは、聞かなかった僕の落ち度だ﹂ ﹁落ち度も何も、何も起こってませんよ﹂ ﹁まだ、起こってないだけだ﹂ そう言って彼女は私を強く睨んだ。それは激情だ。何か熱い決心 をそこに見た。 ﹁もう、二度とこんなことはしちゃだめだ﹂ ﹂ ﹁無茶はしません、とだけ言っておきます﹂ ﹁しちゃだめだ 一人じゃ絶対死んじゃうぞ ﹂ ヘスティア様が私の服を掴んで縋ってくる。怒ったり泣いたりと 忙しい神だ。 ﹁君に何かあったらどうするんだ ! す﹂ ﹂ ﹁僕達がどう思うと思ってるんだ んだぞ 毎日君の心配をすることになる ﹁そこで死んだというなら、私はその程度の人間だったということで ! ! ﹁知ったからにはそんなことできっこない﹂ 今日のヘスティア様はやけに突っかかってくる。今までこんなに お互いの意見をぶつけたことはなかった。 ﹁では、言いましょう。ヘスティア様やベル、いえ誰でもです。誰が私 の心配をしようと、私はやめない。強くなるために、私は歩みを止め 118 ? ! ﹁しなくて結構です。今まで通りにしていてください﹂ ! るわけにはいかない﹂ そう、オッタルを斬るその瞬間まで立ち止まることなどありえな い。 ﹁そうか⋮⋮﹂ ﹁神様⋮⋮あ、アゼルももうちょっと考えてみようよ﹂ ﹁いえ、これだけは譲れません﹂ ﹁いいんだ、ベル君。こうなるだろうって思ってた。これは、僕が招い た事態でもある﹂ ヘスティア様はベッドの下から布に包まった一つの物体を取り出 した。そして、それを私に差し出した。 ﹁アゼル君、これを君に﹂ 私はそれを受け取って中身を確認した。 それは、籠手だ。黒塗りの、とても軽い籠手だった。 ﹂ ﹁君のために作ってもらった、僕からのプレゼントだ﹂ ﹁えっと、あの ﹁アゼル君。君が一人で中層に行くのは、本当はやめて欲しい。でも、 君はやめないと言ったから。僕は、神として君の意見を尊重する。今 まで無傷に帰ってきたから信用もする﹂ その時、私は初めてヘスティア様を神として見た気がする。埃にま みれた地下室で、彼女は儚く微笑んでいた。それは、とても美しく、こ の世のものとは思えない笑みだった。 ﹁だけど、忘れないで欲しい。僕は、ここにいる。ここで君を待ってい る。だ っ て こ こ は 君 の 家 だ。君 の 帰 る べ き 場 所 だ。忘 れ な い で 欲 し い。僕は、ちゃんと君のことを見るよ。もう、逃げたりなんかしない﹂ 何かが変わったのだろう。ヘスティア様は真っ直ぐと私の目を見 た。その双眼に私は吸い込まれるような錯覚を感じた。 ﹁僕は、君のことも大好きだと、言えるようになる。約束だ﹂ 彼女の言葉が私の中へと突き刺さってくる。今まで感じたことの ない、向けられたことのない感情だった。それが、なんなのか私はよ ﹂ く知らない。でも、不快なものではなかった。 ﹁それはプロポーズですか ? 119 ? ﹁ち、違うよ もう、せっかく良い事を言ったのに 台無しだ ﹂ ! るで毒のように。 ﹁肌身離さず持っておくように ﹁はい﹂ ﹂ 私の中へと溶けこんでいく。まるで氷を溶かす温もりののように、ま 滑らかな表面を触ると、冷たいはずの装備が温かかった。それは、 ﹁この籠手、大切にしますね﹂ ぽかぽかと私を叩く拳は弱かったが何かが私の中に響いた。 そして、少しからかうとヘスティア様はいつも通りに戻っていた。 ! た何かは私を少し変えたのかもしれない。 私は彼女の涙の意味を知らない。それでも、彼女が私の中に響かせ 三人川の字になって寝た。 ただ、ヘスティア様との距離が縮んだ気がした。その晩、ベッドで ! それが私の強さの糧になるか、それだけが私の懸念だった。 120 ! 刀鍛冶の少女 ﹁あ、あの﹂ それは、私がダンジョンに行くため高くそびえるバベルへと向かっ て歩いていた時だった。バベルの足元は昔塔が崩壊した関係で大き な円形の広場となっている。なんでも、最初に地上に降りてきた神が ﹂ 降りてくる際に塔に激突して壊したらしい。 ﹁私ですか そんなことはどうでも良く、その広場で荷物の確認をしていた私に 話しかけてきた少女がいたことが本題だ。 私より頭ひとつ程低い背丈に肩口ほどまで伸びた黒い髪。長い前 髪からは自信なさ気な紫水晶のタレ目が覗く。顔は整っていて、街を 歩けば多くの男が振り向くだろう。 着ている服は極東の人達が好んでいている着物という物で、淡い青 ﹂ 色を基調にし赤い花が描かれたものだ。 ﹁は、はい﹂ ﹁何か御用でしょうか ﹁え、えと﹂ ﹁貴方を ﹂ ﹁わ、私を﹂ かもしれない。あまりしたいことではないのは確かだ。 もいたいけな少女の話を無視してダンジョンに行くことはできない、 なんでしょう、私を足止めする誰かの陰謀なのでしょうか。流石の私 そして急かしてみると舌を噛んで更に時間がかかってしまう始末。 ﹁ひゃい、あぅ﹂ ﹁私はそれなりに急いでいるので。できれば早く言ってください﹂ きモンスターを狩って熟練度を上げたいのだが。 らないが時間がかかっている。私は今一刻も早くダンジョンへと行 辺りをキョロキョロ見たり俯いたりして、何を考えているのか分か ? ﹁私をダンジョンに連れて行ってくだしゃい ﹂ ! 121 ? そうして彼女は意を決して頭を下げながら高らかと私に言った。 ? 目の前には舌を噛んで痛がる少女が一人。頭を下げられた私は周 りから不審者を見るような目で見られ、居心地が悪かったのでとりあ えず少女をダンジョンに連れて行くことにした。 まさか狙ってないですよね、とは聞けなかった。 ■■■■ お互い自己紹介をし、少女の名前は忍穂鈴音と分かった。ヘファイ ストス・ファミリアの一員で専門は刀、所謂刀鍛冶だと教えてくれた。 ﹂ ﹁あ、あの﹂ ﹁ん その彼女は今私の横で鞄を背負って歩いている。それは、彼女の荷 物ではなく私の荷物だ。普通に見れば、私が少女に自分の荷物を持た せている鬼畜最低野郎にしか見えないが、ダンジョンであれば、それ ﹂ ほど珍しいという光景でもない。 ﹁どこまで行くんですか ﹁え﹂ ﹂ ﹁サポート、頼みますよ ﹁えぇぇ ﹂ ﹁とりあえず15階層辺りですね﹂ あるので気にしないことにした。 なら、何故私に話しかけたと思ったが、まあ気まぐれということも 思えたが、どうにも少女は人間関係の構築が苦手のようだ。 たらしい。私からしたら街でアルバイトでもしたほうが良いように 物が持てる程度しか鍛冶以外にダンジョンで役に立つものがなかっ 彼女自身には戦闘能力は皆無だ。︻ステイタス︼のおかげで重い荷 り、モンスターの死骸から魔石を抜くなどの作業をすることにした。 ある。必要に迫られ、彼女はサポーターとして冒険者の荷物を運んだ しかし、それでは生きていけないのでどうにかして金を稼ぐ必要が 彼女は現在刀鍛冶を休業しているらしい。事情は聞かなかった。 ? ? 私の軽装さを見て駆け出し冒険者だと思ったのだろう。間違いで ! 122 ? はないが、駆け出しだからと言って中層に行かないわけではない。む しろ私は積極的に行く。まあ、そんなトチ狂ったことをするのは私く らいだとヘスティア様に言われたが。 ﹁も、もっと浅い層にしましょうッ。ねっ、ねっ﹂ ﹁それじゃ物足りないから態々中層に行くんじゃないですか﹂ ﹁だ、だって。一人だし﹂ ﹁鈴音さんがいるので二人です﹂ ﹁わ、私戦わないです﹂ ﹁知ってますよ﹂ 私の服を引っ張りながらやめるように私を説得しようとする鈴音 さん。これが普通の反応なのだろうか。今までずっと一人で探索を していたので分からなかったが、そうなのかもしれない。 ﹁別に嫌なら付いてこなくていいですよ﹂ ﹁そんなぁぁ⋮⋮﹂ ﹂ まさか貴方も からないが彼女は私の提案を受け入れた。人を信じやすい性格なの かもしれない。いつか絶対騙されるタイプですね。 ﹄ ﹁では、急ぎますよ﹂ ﹁はいっ﹂ ﹃キキィッ ﹄ 123 ﹁はぁ⋮⋮安全は私が保証しましょう。私のそばにいる限り守ってあ げましょう﹂ ﹁ほ、本当に シルさんと同類とかではないですよね ﹁ええ﹂ ﹁な、なら、行く﹂ ? 私の言葉のどこに信用できる要素があったか、言った自分ですら分 ? うほどの事をする鈴音さん。狙ってないですよね 上目遣いに涙目という最早狙っているのではないかと思ってしま ? ﹃ガウッガウッ !! !! 道中13階層。目の前にはアルミラージとヘルハウンドの集団が 待ち受けていた。 ﹁そこにいてくださいね﹂ ﹁は、はいっ﹂ ショートソードを抜き、モンスター達の前で構える。 普段であれば敵が攻撃する前に速攻で倒す私だが、今日は守らなけ ればいけない存在がいるので闇雲に相手に突っ込んでいくわけには いかない。つまり、相手が来るのを待つ必要ができてしまう。 モンスターが大抵攻撃してきてくれるので問題はあまりないのだ ﹄ が、慣れていない戦法であることに変わりはない。 ﹃キィッ アルミラージ三体が走りだし、それぞれが石の斧を振り上げながら 攻撃を試みてくる。大きく横に飛ぶことでそのすべてを避けながら 剣を振りぬき一体の首を刎ねる。 私との距離が空いたことで、一体が鈴音さんを狙おうと顔を逸らし たので急いで間に入り注意を再び私に向けさせる。 ﹄ ﹁貴方の相手は私ですよ﹂ ﹃キッキィッ ﹁ひゃあ﹂ 飛び退きながら鈴音さんの所に戻り、彼女を抱えてまた飛び退く。 皆仲間というわけではないようだ。 ンスターも関係なく炎によるダメージを受けるらしい。モンスター 炎の中からアルミラージが燃えながら突貫してくる。どうやらモ ヘルハウンドの炎のブレスだ。実際に見るのは初めてだった。 私が飛び退いたのと、炎が眼前を飲み込んだのはほぼ同時だった。 次の瞬間、未来が赤く染まった。 すい。 やはり、人型のモンスターはある程度動きが読めるので相手がしや 視界に映る斧の軌跡を避けながら、着地した瞬間に首を斬り飛ばす。 た。しかし、空中というのは不便なもので回避行動が取れなくなる。 私の声に反応したのか、アルミラージは飛び上がり斧を振り上げ ! 124 !! 何体かのヘルハウンドが同時にブレスを吐いているのか、炎の勢い ﹄ は留まらずかなり広範囲に広がってしまった。 ﹃グギィッ ﹂ ﹄ ! ﹄ ! ﹃ギャウッ ﹁伏せてなさいッ ﹂ できなくなってしまうので、とりあえず近付くように言っておく。 離れすぎるといきなり背後から産まれたモンスターなどの対処が ﹁はいぃ﹂ ﹁鈴音さん、もっと近付いてください。産まれる可能性もあります﹂ スが厄介極まりない。 こを離れるとしよう。一人守りながら戦うにはヘルハウンドのブレ 受けていた。それ以外のモンスターは見えないので急いで倒してこ 時間経過によって晴れてきた炎の先に、三体のヘルハウンドが待ち 斬り裂く。 刀を逆手に持ち、拳を振りぬくようにして刃でヘルハウンドの喉を 炎を突っ切ることの出来ない私にとっては好都合だ。 く炎を突破していた。 かないように毛皮に火耐性でもあるのだろう、まったく焦げること無 炎の向こうからヘルハウンドが襲い掛かってくる。己の火で傷つ ﹃ガウッ チがある。 それは、30 Cほどの短い刀だった。少し短いが、素手よりはリー セルチ ので文句があるとしても後で聞きましょう。 鈴音さんの着物に差してる短い刃物を許可無く抜く。緊急事態な ﹁え ﹁ちょっとお借りしますね﹂ アルミラージはそのまま炎の中で燃え死んだ。 擲術はからっきしだった。投げて当たればいいか、くらいだ。 を投擲し牽制する。剣士としての腕は老師が認めるほどだったが、投 鈴音さんを抱えていて剣が振れないので仕方なくショートソード そして、炎の中から一匹のアルミラージが飛び出してくる。 !! ! 125 ? 目の前から飛びかかってくるヘルハウンドに向かって脚を大きく 振り上げ、顔面にかかと落としを喰らわせ地面に伏せさせる。間髪入 れず刀を脳天に突き刺し殺す。 残る一匹は疾走しながらその牙で私を噛もうと突撃してきたが、そ れを避け横から頭に刀を差し込み脳を破壊し、戦いは終わった。 ﹁あ、魔石﹂ ﹁魔石はいいですから、戻りますよ﹂ ﹁え、でも﹂ ﹁人を守りながら戦うというのが初めてなので、少し上の階層で慣ら します﹂ ﹁わ、分かりました﹂ 私は投げたショートソードを回収し、上層へと戻ることにした。 ﹂ それから数時間経ち、私と鈴音さんは地上へと戻ってきていた。 ﹁こ、こんなに貰っていいんですか ﹁いいですよ、別に﹂ そう言って私はヴァリスの入った袋を彼女に手渡した。 鈴音さんという非戦闘員が一人いると思い通りに戦闘が進まない ので泣く泣く10階層でオークとインプを相手にした。 稼ぎは私一人で探索するより断然良かった。当たり前だが、戦いな がら持てる荷物などたかが知れている。荷物持ちとしてサポーター がいるだけで持って帰ることのできる魔石の量は格段に上がるのだ。 しかし、問題は。 ﹂ ﹁私 は 別 に お 金 が 欲 し く て ダ ン ジ ョ ン に 潜 っ て い る わ け で は な い の で﹂ ﹁そ、そうなんですか ﹁ええ﹂ オッタルと私の差、それはただの地力の差ではない。レベルという、 その個人の器とでも言うべき物の差なのだ。それを埋めるためには、 私が器を昇華させていくしかない。ダンジョンでモンスターを倒し、 126 ? もちろん、私がダンジョンに行く理由は強くなるためでしかない。 ? 熟練度を上げランクアップしていくしかないのだ。 結局、私は鈴音さんとそこで別れた。私としてはサポーターという 存在があまり必要とは思えなかったからだ。彼女としても、中層で危 険に遭うのは本意ではないだろう。 どうか少女に幸あらん事を、と願いながら私はホームへと戻った。 ■■■■ ﹁いらっしゃいませ﹂ ﹂ ﹁こんばんはリューさん﹂ ﹁お一人ですか ﹁ええ﹂ 一度ホームに戻り、私は常連となったこの店へと夕食を食べに来て いた。時々ベルとも来るが、ベルはホームでヘスティア様と夕飯を食 べるほうが好みらしい。じゃが丸君だけじゃなければ、私も一緒に食 べるのだが。 ﹁今日はお酌を出来るほど暇ではありませんので、絡まないでくださ い﹂ ﹁暇になるまでいますよ﹂ 出迎えてくれたリューさんと話しながら、定位置となったカウン ター席へと案内される。何度も私の接客をしているせいか、リューさ んは私という存在に慣れ始めていた。以前であれば若干厳しい目つ ﹂ ﹂ きだったが、今は普通に話してくれている。 ﹁ご注文は ﹁もっと話しません ﹁営業中です﹂ ﹁私と話すことは﹂ ﹁ですよね﹂ 仕方ないので料理と酒を頼むとリューさんはカウンターの奥へと 歩いて行ってしまった。周りを見渡すと、いつもの様に賑わっている 127 ? ﹁仕事に含まれていません﹂ ? ? 酒場の客達はほとんどが冒険者だ。眺めて強いか強くないか、どのよ うな装備をしているのか観察をしていく。 巨大なハンマーや大剣を始め、弓やボウガンと言った遠距離武器、 杖などの魔法の補助具と冒険者が扱う武器は多岐にわたる。多岐に わたり過ぎて、そもそもそれが何なのか分からない武器まであるくら いだ。 ﹁そういえば﹂ 手を見ながら、ダンジョンで握った短い刀を思い出す。あの時は緊 急事態ということで深く考えずに借りたが、刀に準ずる物を振るった のはあの時が初めてであった。 そ う い え ば フ ィ ン さ ん は 斬 る こ と に 特 化 し た 剣 だ と 言 っ て い た。 まるで自分のようだな、と謎の共感を持ちながら柄を握った感覚をイ メージする。 剣とは最早私の身体の一部だ。柄を持った感覚からその先に付い 128 た刃の形、触り心地、空気を斬った感触、肉を裂いた感触を自分の中 から引っ張りだす。 少し反った刃は美しく、滑らかな断面は指に吸い付くような触り心 地だった。空気を斬る感触は、今まで使っていたショートソードとは 比べるまでもなく鋭く、肉を裂いた瞬間そもそもショートソードとは まったくの別物だと気付いた。 斬るということに特化した刀剣、その通りであった。 ﹂ ﹁物騒なのでやめてください﹂ ﹁何がですか そういった物には敏感だ﹂ ? ﹁⋮⋮普段の貴方の殺気はもっと鋭い。今回は信じましょう﹂ ﹁いや、本当にわざとじゃないんですよ 信じてくださいよ﹂ ﹁つい、で酒場で殺気を振り撒くのはやめて頂きたい。ここの店員は ﹁それは失敬。つい﹂ ﹁殺気が漏れていました﹂ ず聞き返してしまった。 頼んだ料理を運んできたリューさんがおかしな事を言うので思わ ? 変な信頼のされ方をされてしまったが、信じてもらえたのでよしと する。 ﹁あ、そういえばリューさん﹂ ﹁仕事に戻ります﹂ ﹂ ﹁少しだけでいいので、少しだけ﹂ ﹁後にしてください﹂ ﹁後なら聞いてくれるんですね ﹁⋮⋮ええ﹂ 言ってしまったことは取り返せないと思ったのか、リューさんは肯 定して仕事に戻っていった。リューさんの仕事が落ち着くまで何時 間かかることか。その間することといえばミアさんと話すか、客の観 ﹂ 察くらいしかない。それでも、それなりに楽しめるからここは止めら れない。 ﹁それで、話しとは ﹁今度手合わせを﹂ ﹁明日の仕込みが﹂ ﹁ぐっ﹂ 以前ミアさんに聞いた話だがリューさんの料理の腕は壊滅的らし く、厨房での仕事は野菜の皮剥きか皿洗いくらいしかないらしい。ま あ、恐らくこの店での一番の役目は荒事なんだろうと思っている。 ﹁いえね、今日少し刀を振るったんですが。いや、短いからなんて呼ぶ のかは知らないんですが。まあ、なかなか手に馴染んだので試しに ﹂ あれも刀の一種かと思いま 握ってみようかと思いまして。扱い方を教えてもらえないかな、と﹂ ﹁それで何故私に ﹁以前、小太刀を持っていましたよね して﹂ なにせそれを向けられたのは襲おうとしていた男性冒険者だけでな く、私自身もだったからだ。 129 ? ﹁リューさん料理できないでしょう﹂ ? 少女を庇うベルを助けるときに抜いた小太刀はまだ記憶に新しい。 ? ? その時の事を後悔してか、リューさんはため息を吐いた。 ﹁ダンジョンに行けば刀の使い手くらいいるでしょう。見て、盗めば いい。貴方ならそれで事足りるはずだ﹂ 万が一、いや億 そして出された結論は拒否であった。受け入れて貰えるとは微塵 も思っていなかったので それほど落胆はしなかった。なら何故誘うのか が一ということもあり得るからだ。 ﹂ られたが、そんなこと既に気にしていなかった。 す。料理を頼んだばかりであった。周りから若干変人を見る目で見 ジョッキに残っていた酒を飲み干し、勢い良く立ち上がり、座り直 運命的な出会いだったのかもしれない。 思っているほどだったが、なかなかどうして。 迷惑だった非戦闘員という不確定要素。正直、もう会いたくないと 今朝出会った時の鈴音さんを思い浮かべる。唐突な出会いに、若干 ﹁これはいい考えだ﹂ そもそもあれは鈴音さんの物で、彼女は刀鍛冶だ。 ﹁あ﹂ 残るばかりだった。そういえば今日も適当に振るってしまった。 ない。ショートソードのように振るうのを想像してみるが違和感が 刀を持った自分を思い浮かべるが、やはり振り方がいまいち分から くれるだろうか。ただ、それだけを思い続ける。 ろ、斬り刻めと語りかける。ああ、刀は私を貴方にどれほど近づけて 腕につけたプロテクターから熱を感じる。私に突き進め、登り詰め ﹁つれないなあ。せっかくお近づきになれると思ったのに﹂ した。いつもながら歩く姿も隙がなくて美しい。 了承したリューさんはそれをミアさんに報告し、店の奥へと姿を消 ﹁料理、追加でお願いします﹂ ﹁なんですか ﹁あ、リューさん﹂ もう話は終わりと言わんばかりにリューさんは立ち去っていった。 ? ああ、早く明日になれ。今すぐ彼女に会いたいという衝動を抑えな 130 ? がら、料理が来るのを待つ私は落ち着きのない子供のようだったとミ アさんに言われた。 131 果たしてその感情は ﹂ ヘファイストスとは神友だけど、ファミリア間で問 ﹁いいかい、その子と今後関わるならちゃんとその子から事情を聞い ておくんだよ 題なんて起きたらそういうのは関係ないんだからね﹂ ﹁分かってますよヘスティア様。なので行っていいですか ﹁まだだめだよ、その子の名前を聞いてない。機会があれば僕の方か らも少し調べておくから﹂ 朝食を食べ終わり、さていざバベルに行き鈴音さんを探そうと出か けようとした所にヘスティア様が昨日私が話した事について言及し てきた。ヘスティア様は最近一日の終わりにその日の報告を強請っ てくるようになったので、昨日は鈴音さんの話しをして、仲間がいる と戦い方が変わりますね、という話しをした。 その時私はつい興奮して、早く明日にならないか、とこぼして今日 いいですよ も鈴音さんに会おうと思っている事をヘスティア様に言ってしまっ たのだった。 ﹂ ﹁忍穂鈴音さんです。はい、教えました。いいですか ね ﹂ ﹂ まさかその子に惚れたとか ? ファミリア間での結婚は難しいよ ﹁君は何をそんなに急いでいるんだい じゃないだろうね ﹁そんなことはどうでもいいので、行ってきます ? なあ。というかどうもでいいって、アゼル君らしいけど、もう少しそ ういうことにも興味を⋮⋮いや、でもベル君がそういうことに興味 津々だから二人でバランスが取れていると言えば取れているような ⋮⋮﹂ その後時間が押していることに気付いて急いでバイトの支度をす るヘスティア様がいた事など、私は知らない。 ■■■■ 132 ? ? ﹁ちょ、もう行っちゃったよ⋮⋮ベル君もアゼル君も落ち着きがない ! ? ? ! ﹁あ、アゼルさん﹂ ﹂ ﹁はあっ、はあっ。お、はようございます。ここに居てくれて助かりま した﹂ ﹁なんでそんな疲れてるんですか ﹁気に、しないでください﹂ ﹂ ﹁お願い、ですか ﹂ ジョンへの同行を許可します﹂ ﹁私 の お 願 い を 聞 い て い た だ け れ ば、こ れ か ら も 必 要 な と き に ダ ン ﹁はい ﹁鈴音さん、言いたいことは分かります﹂ ﹁そ、その﹂ で走ってしまった。 ところに私が走ってきた。居ても立ってもいられず、ついかなり本気 ロと周りを見渡しながら、誰かに声をかけるべきかどうか悩んでいる 運良く、彼女は昨日と同じようにバベルの広場にいた。キョロキョ ? ﹂ ? 当然のことだ。 ﹁私に、刀の扱い方を教えていただけないでしょうか 刀と言っても、色々と種類がある。 ﹁これが、一般的な打刀﹂ ﹁ふむ﹂ ﹂ ﹁こっちが脇差し、これが小太刀﹂ ﹁一緒じゃないんですか セルチ が例え初歩を教えてもらう相手でも、ちゃんと礼をもって接するのは 思ってみれば、誰かに師事することは老師以来のことである。それ 息を整えながら背筋を伸ばす。 鈴音さんの同行を必要とするお願いがあるのです﹂ ﹁ええ、私も少し物足りないモンスターで満足することができ、尚且つ ? らいのが太刀﹂ ﹁脇差しは小さい刀、小太刀は小さい太刀。あっちにあるの60 Cく ? 133 ? そう言って鈴音さんは壁にかけられている太刀を指さした。 ﹁使 い 方 の 違 い と 携 帯 の 仕 方 に 違 い が あ っ た。刀 は 刃 を 上 に し て 差 す。太刀は刃が下。太刀は騎乗している時に使うものだったから刃 を上にして携帯すると馬に当たって邪魔だったのが理由﹂ ﹁なるほど﹂ ﹁で も ダ ン ジ ョ ン で は 馬 な ん て 乗 ら な い か ら、刀 と 太 刀 の 違 い は ちょっと曖昧。反りが大きさとかで変わる。その上の大きいのが大 太刀とか野太刀っていう、太刀の大きいの﹂ 太刀の上に、違いを分かりやすくするためか野太刀がかけてあっ た。90Cほどの長大な刀剣だ。 ﹂ ﹁それにしても、バベルの上にこんな場所があったとは﹂ ﹁駆け出しの人はあんまり知らない、かも 場所はバベルのダンジョンに向かう地下とは反対の方向、4階にあ るヘファイストス・ファミリアの店の一つだ。バベルの4階より上に は商業系ファミリアの店が設置されており、街と何も変わらず武器な どの購入ができるようになっていた。 刀の扱い方を知るならまずは自分に合った刀を探すことから始め る、と鈴音さんが言ったのでやってきた次第だ。材質によって重心の 違いや振った時の感触などが違い、やはりより自分にあった得物を 持ったほうが良いのは当然のことだろう。 ﹁はぁ⋮⋮綺麗﹂ 鈴音さんが刀を一本手に取り、刃を少しだけ鞘から抜く。美しい銀 の光が刃から反射して、彼女はその光に見惚れていた。次に表面をな ぞるように触り、吐息を漏らした。 もう少し刃を抜き、光に掲げて浮き出る刃紋を眺める。私もつられ て上を向き、その模様を見た。少し波打ちながら刃の先から手物まで 伸びる色の違う二層は、見ているだけで刃物の切れ味を想像させる程 だった。 ﹁鈴音さん﹂ ﹁は、はい﹂ 私に呼ばれ、彼女は刃を鞘に戻して私の方に振り向いた。 134 ? ﹁もしかして鈴音さんって﹂ 刀を鑑賞する彼女の目は少し恍惚としていた。刃を触る手も、まる で壊れ物に触れるかのように慎重な触り方であったし、吐息を漏らし た時など恋する乙女かと思わせるほどだった。 ﹂ そのことから導かれる結論は。 ﹁刃物が好きなんですか ﹁いや、あの﹂ ﹂ ﹁それは勿体無いです ほら、見てください﹂ ﹁いやあ、私は斬れれば良いという感じなので﹂ ﹁いいですよね刃物、特に反りとか﹂ くらいだ。 なにせ剣を持っている時が一番落ち着くと言っても過言ではない ﹁ええ、それはもう﹂ ﹁ほ、本当ですか ﹁いえいえ、私も刃物大好きですから﹂ 険者に比べればそう異常な趣味ではないように思える。 うことは理解しているらしい。まあ、戦闘が大好きな戦闘狂が多い冒 いうより世間体が良くないと言うべきか、一般的な趣味ではないとい 頬を赤く染めながら鈴音さんは俯いた。やはり女性らしくない、と ﹁お恥ずかしながら⋮⋮﹂ ? 動したのは一時間も過ぎてのことだった。 り出すために儲けている、より手頃な価格で武器が手に入る店へと移 結局、その事実に気付いて4階より上の未熟な鍛冶師達が自分を売 ﹁あ﹂ ﹁一応言っておきますけど、お金はあまりないですからね﹂ の特徴的な刃紋などを出すようで、それはもう熱く語ってくれた。 ロップアイテムを元にして作った刀などは従来の刀とはまったく別 や反り方など、色々な違いが出てくるらしい。その上モンスターのド 特にここオラリオでは珍しい鉱物がたくさん取れるので刀の刃紋 出てくるかなど詳しい説明を聞かされた。 そこから鈴音さんの刀のどこが美しいか、どこにどのような違いが ! 135 ! ﹁す、すみません。つい﹂ ﹁いえいえ、私もためになりましから﹂ 場所は移って6階に設けられている東方の装備が多く並んでいる 店。 4階に売っていた見た目も美しく、おそらく性能も一級品であろう 刀達とは違い、そこに置いてあったのは平凡と言っていいような刀ば かりだった。価格帯を考えれば当然のことなのだが、その平凡な装備 の中で自分と合った物を探し、そして専属の鍛冶師として契約を結ぶ という流れがあるらしい。 ﹁いやあ、今までは特に考えずに剣を持っていたので、こうやってじっ くり見るのは初めてな気がします﹂ ﹁ちゃんと選ばないと﹂ 私は斬ることに関してだけはスキルによる恩恵があるので、あまり 選ばずにいたが確かに手足の長さや身体の捌き方など、癖に合った一 本を選んだことはなかった。どうせ後々高いものを買うのだから今 は何でもいいだろう、と思って面倒臭がったのもあったが。 しかし、今は面倒臭がっている場合ではない。 斬りたい相手が出来た。 そのためなら、武器を選り好みし自分の動きに合った武器というも のがどのような物なのか把握しておくのは必要なことだろう。 ﹁しかし、ここに置いてあるのはどれも同じような⋮⋮﹂ ﹁ちゃんと違う。これとこれは材質が違うし、重心も若干こっちのほ うが手元に近い﹂ ﹁言われてみれば﹂ 詳しく聞いた所、鈴音さんが刃物に触れ始めたのは六歳の時だった らしい。それから何本も何本も刀を見て、触り、鑑賞することによっ て刀に関してだけはかなりの観察眼を養ってきたと言っていた。 ﹁うーん、これは若干長いですね﹂ ﹁こっちのがいいと、思う﹂ そう言って鈴音さんと私はその店を物色し始めた。刀のコーナー 136 はなかなか広かったので二手に別れて、鈴音さんのオススメを選んで きてもらうことにした。 ﹁おい、あんた﹂ ﹁はい﹂ 少し店の奥のほうに足を踏み込んだ私に一人の男が話しかけてき た。もしかして店員しか立ち入ってはいけない場所だったのだろう か、と一瞬思ったが普通に品物が置いてある。 ﹂ ﹁あの女とはあんまりつるまない方がいいぜ﹂ ﹁鈴音さんと、ですか ﹂ ﹁ええ、情報ありがとうございます﹂ ﹁とにかく忠告はしたぞ﹂ ﹁さて、私は鍛冶については詳しくないのでなんとも言えませんが﹂ ﹁自分じゃ何も打てないってのが専らの噂だ﹂ ﹁それで、鍛冶をしなくなったのか﹂ か、その噂はまたたく間にファミリア内に広まった。 しかし、レベル1で第三等級以上の物を打つより現実味があったの のように売っている、という根も葉もない噂だ。 忍穂鈴音は誰かに武器を打ってもらってそれをあたかも自分の物 のか分からないがある噂が流れ始めた。 そんなありえない事をしてしまった彼女に対して、誰が言い始めた かったのだ。 のもあったらしい。しかし、彼女は未だレベル1の鍛冶師に過ぎな 中にはレベル3の上級鍛冶師が制作した第二等級武装に匹敵するも 品はどれもこれも素晴らしい出来だったらしい。打った刀の数々の 話を聞いてみると、なんでも鈴音さんが刀を打っていた頃彼女の作 ﹁いんちき ﹁ああ、あの女ファミリアじゃいんちき鍛冶師って言われてる﹂ 予想外の一言に少し驚きながらも確認を取る。 ? そう言って男はそそくさと戻っていった。本当に私に鈴音さんの 137 ? 話をしに来ただけだったようだ。 それにしても、彼女に聞かずに彼女の事情をある程度把握してし まった。流石にどのようにして業物を打っていたのかまでは分から なかったが、そもそもそういった個人の製法やスキルに関しては聞か ないことがマナーだ。 彼女は謂わば鍛冶師達の面汚しのような扱いを受けているのだろ う。人に武具を打たせるなど矜持もクソもない。 ﹁はあ⋮⋮鈴音さん、気付いてますから﹂ ﹁あぅ﹂ 後ろを振り向かずに呼びかけると、棚の後ろから鈴音さんが出てく る。手には何本かの刀を持っていて、大方私の元へと戻ってきた時に さっきの話を聞いていたのだろう。気まずそうな顔をして、彼女はと ぼとぼと私の所へと歩いてきた。 ﹁あの、私﹂ ﹂ げた。 138 ﹁鈴音さん﹂ ﹁⋮⋮はい﹂ ﹂ ﹁私は別になんとも思っていませんよ﹂ ﹁ほ、本当 ﹁ ら﹂ ﹁いえいえ、言ってはなんですが私もなかなかのいんちき剣士ですか は感謝を述べた。 私の言ったことが意外だったのか、少し涙目になりながら鈴音さん 人間には見えなかった。 話していた鈴音さんは活き活きとしていて、人に刀を打たせるような 今日だけで鈴音さんから刀に関する多くのことを聞いた。それを ﹁あり、がと﹂ を私は知りましたから﹂ ﹁ええ、いんちきかどうかは置いておいて、鈴音さんの刀に対する想い ? 私は何を言おうとしているのか分からず鈴音さんは首を可愛く傾 ? 仮に彼女がレベル1にしてレベル3の鍛冶師と同等の刀を打つと いうなら、私の剣は謂わばレベルという枠組みを飛び越えた斬撃だ。 どれほどレベルの高いモンスターであろうと、私が斬れると信じれば 斬れる。そして、おそらくオッタルより強いモンスターは早々出てこ ないから全部斬れるだろう。 ﹁あの話を聞くと、鈴音さんの打った刀が見たくなってきますね﹂ ﹁ここには、普通のしか置いてないと思うけど﹂ ﹁普通のを打とうと思えば打てるんですね﹂ ﹁うん、でも⋮⋮いい場所に置かせてもらえなくて﹂ ﹁まあ、印象は最悪でしょうからね﹂ 一度いんちきのレッテルを貼られた彼女の作品は例え普通の物で あっても売り場の隅などに追いやられしまったのだろう。彼女に連 れられ、店のかなり奥のほうまで歩くとそれは置いてあった。 ﹁これ、です﹂ ﹂ 139 刀についた埃を払って、彼女は私に一本の刀を手渡した。 黒塗りの鞘に、黒の柄巻。どこからどう見ても普通の刀である。 受け取って少し刃を抜いて状態を見る。揺らめく炎のような刃紋 が浮かび上がり、この階で見たどの刀よりも、それは美しい光を映し だした。 ﹁これは﹂ 柄をしっかりと持ち、握り心地を確かめる。柄一つもっても、柄巻 の巻き加減や素材など千差万別である。何度か力を入れて握ったり、 逆に力を入れずに持ってみたりと繰り返す。 ﹁いいですね﹂ ﹁えと、ありがとう﹂ ﹂ ﹁何がいんちきですか。この階で見たどの刀より惹かれる一振りです よ﹂ ﹁そ、そこまで ﹁ええっ ﹁はい、もうこれを買うしかないってくらいです﹂ ? 即決した私に驚き鈴音さんが素っ頓狂な声を上げたが、私は気にせ !? ずのその一振りをレジまで持って行って買おうと移動をし始めた。 しかし、そもそも幾らなのか見ていなかったので一応値札を見てみ た。 ﹁安っ﹂ ﹁うぅ⋮⋮安くすれば売れるかな、と思って﹂ ﹁そう単純な話ではないでしょうに﹂ 値札に付いていた数字は四八〇〇ヴァリス。私の手持ちは一〇〇 〇〇ヴァリスなので余裕で買える値段だ。 ﹁まあ、私にとっては好都合です。それにこれから鈴音さんにはダン ジョンに付いてきてもらうので、お返しは出来ますよ﹂ ■■■■ ﹁いやあ、確かにダンジョンの真上に店があると楽ですね﹂ そう言ってアゼルは現れたキラーアントに一足で接近し腰に差し てある鞘から刀を抜刀、勢いを殺さずに逆袈裟に頭を斬り一刀両断し た。鈴音が取りやすいようにその死体を蹴って仰向けにすると、彼女 が魔石を取り出すのを待った。 ﹁覚えるの、早い﹂ ﹁まだ基本しか教えてもらってないじゃないですか﹂ 鈴音がしゃがみながらキラーアントの胸部を自分の持っているナ イフで抉る横でアゼルは再び素振りを始める。 柄を両手で握り、左拳が頭より上に来るまで上げ、そこから素直に 下に振り下ろす。振り下ろした瞬間握る力を少し強め、絞るように柄 を握る。 鈴音に基本の型を教えてもらったアゼルはそれを何度も繰り返し 練習していた。しかし、ダンジョンでそれが役立つかと言われると、 若干役に立たない場面のほうが多いと言えるだろう。 なにせダンジョンにいるモンスターの多くは異形なのだ。人型の 戦闘を予想して作られた型をそのままそのようなモンスターに転用 できるかと言うと、答えは当然否である。 140 ﹂ ﹁まだ少し握りが固い﹂ ﹁そうですか ﹁ゆで玉子を握りくらいで、いい﹂ 指摘された所を意識しながらアゼルがまた素振りをする。魔石を 取り終わった鈴音はそれを眺めていた。集中しているアゼルは気付 いていないが、その表情はどこかうっとりとしていた。 完成している、それが鈴音の感想であった。 刃として、刀として、アゼル・バーナムという人間が持つと何かが 完成したのだ。それは、彼女が見惚れてしまう程に美しい光景だっ た。 ましてや握られているのは自分が打った刀なのだ。刀は持ち手を 得て初めてその真価を発揮する。その使い手がどのように振るかに よって、なまくら刀にも業物にもなる。刀とその使い手を見てきた鈴 音にはそのことが良く分かっていた。 しかし、アゼルが持った突端その範疇を超えた。 振るわずとも、持っただけで鋭さが増したのが彼女は肌で感じとっ た。ダンジョンに備わった鈍い光が、彼が持っただけで美しい銀閃と なって反射された。 そして一度振るった姿を見たら、動悸が激しくなるほどの魅了され てしまった。 出会いはほんの偶然であった。 既にファミリアで募集されているバイトは噂のせいでほとんど相 手にしてもらえず、かと言って接客業など彼女に出来るわけもなく、 サポーターとして冒険者に付いていこうと思い立った。 しかし、それもなかなか難しく、元来内気な彼女は異性が苦手な方 だったこともあり男性が多い冒険者の中に入っていくことは出来な かった。話しかけることに戸惑っている間に冒険者達は早々とダン ジョンへと行ってしまい、機会を逃す毎日を過ごしていた。 そこに現れたのがアゼルであった。 彼女がその瞬間に不思議な感覚に襲われた。 ただ立っているだけのアゼルの雰囲気がどうしても自分に慣れ親 141 ? しんだ物のように感じられたのだ。 刃のような人。 それは、ありふれた表現なのかもしれないが、彼女はそう思わずに はいられなかった。空間を斬り裂く一閃一閃が、より一層彼女にその 思いを募らせる。文字通り、身体から放たれる雰囲気が鋭く冷たい金 属のそれなのだ。彼女が最も愛してきた、一振りの刀のような雰囲 気。 人生で今までずっと眺めてきた刃をその身で体現するアゼルに彼 女は惹かれた。どのようにしてそうなったのか、そもそもどういう意 味なのか彼女は知りたくなった。刀がどのような製法で、どのような 材料で出来ているのか知りたくなるような感覚と同じように。 だから普段と違い話しかけることができた。 もっと知りたい。 もっと触れてみたい。 い。この刀も本来はもっと高い値のはずですしね﹂ 地上に戻り適当な酒場に入って、その日の分配を話し合い半分ずつ ということにした。鈴音さんは断ったが、私としてはそれくらい有意 義な時間だったのだ。私としては十分の一くらい貰えれば食べるの には困らないくらいなので、それくらいの割合でも良かったのだが。 ちなみに豊饒の女主人に行きたいのはやまやまだが、あそこに行く 142 それは、恋する乙女のような感情だと彼女は気付かなかった。 次々と敵を切り刻んでいくアゼルを眺めていると、鈴音の道具袋中 が微かに、しかし確実にボンヤリした光を放った。何が光っているの か確認した鈴音は驚きながら一つの決心をした。 人知れず、忍穂鈴音は恋に落ちた。 ■■■■ ﹁ふう、やはり試行錯誤して剣を振るうのは良いですね﹂ ﹂ ﹁こんなに、いいの ? いいですよ、授業料として受け取ってくださ ﹁まだ言うんですか ? ﹂ とリューさんにちょっかいを出してしまい話し合いができなくなっ やっぱり、もっと欲しいですか てしまうかもしれないので行くのは止めた。 ﹁あ、あの﹂ ﹁なんですか ﹁そ、そうじゃなくて⋮⋮その﹂ ﹂ 女が気にしているという可能性はなくもない。 ﹁何か、失礼なことでもありましたか ﹁そうでもなくて⋮⋮アゼルさん、はもっと良い刀、欲しい ﹁それは、欲しいですけど﹂ その質問はたぶん誰にしても答えは一緒だろう。 ﹁あのね⋮⋮私﹂ ﹂ に身体は触れたが断じてやましことはしていない。していないが、彼 もしかして私が何かしたのだろうか。別に教えてもらっている時 る。 言いにくい事なのか、俯きながらチラチラと私を見て言い淀んでい ? あるのは良い事だ。何かが切っ掛けとなって再び鍛冶をするように 何が彼女にそこまでさせるのか、私には分からなかったがやる気が う言った。 ﹁です﹂はほとんど聞こえないほど小さな声だったが、確かに彼女はそ セリフの最後に近付くにつれ声量もだんだんと落ちていき、最後の ﹁私、アゼルさんの刀が打ちたい、です﹂ 言った。 ないのだろう。私の目を見て、彼女はまるで告白でもするかのように 鈴音さんの頬に少し赤みが増す。それは飲んだ酒のせいだけでは ﹁誰かのために刀を打ちたいと思ったの、初めてで﹂ の数々を見て打ちたくなったのだろう。 今は休業しているが、彼女は刀鍛冶である。久しぶりに店に並ぶ刀 た。 だんだんと、彼女が何を言おうとしているのかが私にも分かってき ? ? なれば、彼女の状況もまた何か変わるかもしれない。 ﹁鈴音さん﹂ 143 ? ﹁は、はいっ﹂ 完全に俯きテーブルと睨めっこしている彼女に呼びかけ私に顔を ﹂ 向かせる。頬が笑えるくらい赤くなり、今にも湯気でも出すのではな いかというような状態だった。 ﹁もし宜しければ、私のために刀を一振り打ってくれませんか ﹁え、あの私が打ちたいって﹂ ﹁鍛冶師から武器を打たせてくれ、なんて聞いたことないですよ。普 通、打ってもらう方から頼みます﹂ ﹁そう、ですよね。ちょっと、変でした﹂ ﹁でも﹂ テーブルの上に置かれた彼女の手を握って私は言った。 ﹁打ちたいと言ってもらえたのは、嬉しかったですよ﹂ それはつまり彼女は私に、彼女の打った刀を持って欲しいと思った ということ。剣士にとって、それはどんな言葉にも勝る賞賛に他なら ない。 これは、彼女との関係も思っていたより長い付き合いになるかもし れない。そう、思った。 ﹁きゅぅ﹂ ﹁ちょ﹂ 気絶するようにテーブルに彼女が突っ伏したのはそのすぐ後の話 だ。 144 ? ﹂ 試行錯誤・上 ﹁これが ﹁うん﹂ 今日は鈴音さんに刀の詳細な情報をまとめるために彼女の家へと 呼ばれた。家と言っても共同住宅の一室なのだが、その一室にはずら りと刀が並んでいてとても女性の部屋とは思えない空間だった。 そして今、私の手の中には透き通った青い石が握られている。鈴音 さんはこれを結晶と言い、彼女のレベルを飛び越えた武器生成の素だ と教えてくれた。 人差し指と親指で挟んで光にかざしてじっくりと見てみる。何も ﹂ 言われずに渡されたらそこらに落ちている綺麗な石だと思ってしま うような物だ。 ﹁本当にこんなものが⋮⋮ッ ﹁ど、どうしたの ﹂ 脳に直接捩じ込められ、思わず結晶を地面に落としてしまった。 石を目に近づけた瞬間、身体全体に悪寒が走ると共に何かの記憶が ! ﹁アゼルさん ﹂ ﹁死に、たく﹂ かは死んだ。 にたくないと。世界を呪いながら、その願いで頭を埋め尽くしその誰 そしてその誰かは願った、地上に戻りたいと、家族に会いたいと、死 記憶は鮮明だった。 たくなっていく感覚さえもが自分の身体へと植え付けられる程、その 自分の物ではない、誰かの記憶。薄暗いダンジョンの床で徐々に冷 !? い﹄ ﹃死 に た く な い 死 に た く な い 死 に た く な い 死 に た く な い 死 に た く な ﹃こんな薄暗くて、誰にも見つからないような場所で﹄ ﹃何もしていないのに、何もできていないのに﹄ ﹃何故俺が、俺だけが﹄ 思考が記憶に塗りつぶされ、誰かの囁きが頭の中を反芻していく。 !? 145 ? ﹃死にたく﹄ ﹁うる、さい﹂ そして私は何かを斬った。 それは以前フレイヤと対峙した時と同じような感覚であったが、あ の時の支配力は今より断然強く、抗い難い物だった。 ﹂ ﹁あ、アゼル、さん ﹁え、ええ な、なんで﹂ ﹁⋮⋮で、それは何なんですか ﹂ ﹂ ! 方ない。 ﹁ほ、本当だよ ﹂ の物の話だ。信じていない身としては、どう返答していいか困って仕 誰も私を責めはしないだろう。それはつまり、幽霊などそういった類 その予想の斜め上を行く回答に私は思わず声を出してしまったが、 ﹁はい ﹁死んだ人の思念、です﹂ 筋がゾクゾクする。 嘘である。未だに記憶は私の中に残っているし、思い出すだけで背 ﹁ええ、もうなんともありませんから﹂ ﹁ほんと ﹁怒ったりしませんから﹂ なという方が無理な話だ。 が結晶以外ありえない状況なのだ、それを渡した鈴音さんに気にする 鈴音さんが気まずそうに目を逸らした。私に異常をもたらしたの ? ? ﹁え、えっと﹂ 名称とかではなく、根本的に﹂ の視線を追い、それを見た鈴音さんが驚く。 床に落とした結晶を一瞥すると見事に真っ二つに砕けていた。私 させるように頭を撫でる。 の顔を見上げていた。涙目で今にも泣きそうになっていたので安心 気が付くと鈴音さんが目の前で私の服を握りながら心配そうに私 ﹂ ﹁はあ⋮⋮何ですか ? ? 146 ? ? それから鈴音さんは自分の経歴を話した。 鈴音さんの家、つまり忍穂家は古くから続く退魔師の家系らしい。 この場合、魔というのはダンジョンにいるようなモンスターなどでは なく、怪奇現象などのことのようだ。 そんな家の次女として産まれた鈴音さんであったが、上に兄が二人 姉が一人いたおかげで家を継ぐなどという事はまったく考える必要 もなく、自由に生きていたらしい。その結果として今はオラリオで刀 鍛冶をしている。 そして、忍穂家に受け継がれてきた先天的魔法があり、その魔法こ そが忍穂を退魔師として大成させたものだった。現在でも退魔の役 目は受け継がれていて、オラリオには存在しないお祓いファミリアと いう形で東方の一部の地域で続いているらしい。 その魔法こそがあの結晶を作り上げたものだ。 ﹁いえ、まあ私が最初に触れた人間でよかったと言うべきか﹂ 謝りながら鈴音さんは土下座をしようとしたが肩を掴んで止める。 ヘスティア・ファミリアでも土下座という謝り方がある︵ヘスティア 様直々に教えてもらった︶ので分かったが、恐らくそれほど広まって いない謝り方だ。 147 忍穂家に代々受け継がれてきた︻封魔結晶︼という魔法。 現世に漂う残留思念を封じ結晶に固め浄化する魔法。そして副次 効果として、漂う残留思念が目視できるようになるというものだ。つ まり、鈴音さんは幽霊のようなものが見えるらしい。 そして、その残留思念こそが私に影響を与えた物であり、私が斬っ た物でもある。 身体の入り込んだ異物を排除しようとする防衛本能に従って乗り ﹂ 移ろうとしていた思念を斬り、その結果結晶は真っ二つに割れた。 ﹁思念が乗り移るなんてこと起こるんですか ﹂ ﹁今まで見たことなかったけど﹂ ﹁けど ? ﹁わ、私の封印が甘かったから、かな⋮⋮ごめんなさい﹂ ? 他の人間であればあの段階から逆らうことはできなかっただろう。 ほ、本当に大丈夫 ﹂ いや、もしかしたらオッタルなら精神力と主神に対する忠誠心ででき るかもしれない。 ﹁も、もうなんともない ? ﹂ たかもしれない。 ﹁私の刀にも結晶を使うんですか ﹂ ? 私が結晶化したのじゃないから。こ、これ﹂ ! 思う﹂ ﹁まあ、これなら大丈夫そうです﹂ ﹁よ、よかったぁ﹂ ﹁そんなにこれが使いたいんですか ? か ﹂ ﹁それで、何故結晶を使うと武器が強くなるのかは分かってるんです ないのに。 念で、どのような思念がどのような効果を発揮するのかも分かってい 変な拘りがあるものだ。話を聞いた限り、どの結晶がどのような思 ﹁う、うん﹂ ﹂ るという、一見阿呆のように見える私とそれを眺める鈴音さん。 いことを確認する。数分間石を身体にくっつけては反応を待ち続け 光にかざして見たり、額にくっつけてみたりして何も異常が起きな ﹁わ、私のだから、いいの﹂ ﹁それ使っていいんですか ﹂ ﹁昔から家にあるやつで、今まで殆ど劣化してない奴だから、安全だと 取り出した。今さっきの青いものより何倍も大きく色は赤い。 そう言って彼女はテーブルの上に置いてある袋から一つの結晶を ﹁だ、大丈夫 ﹁いや、というか大丈夫なんですか ﹂ ﹁そ、そのつもりだけど⋮⋮いや ﹂ げて言うが、本当に美の女神の魅了を一度受けていなければ危なかっ どれほどの支配力だったのか分かっていない鈴音さんは小首を傾 ﹁す、すごいね ﹁大丈夫ですよ。あれより強烈なやつを受けたことあるので﹂ ? ? ? 148 ? ? ? ﹁強い想いは時に現実にも影響を与えるから﹂ ﹁まあ、そのための退魔師でしょうからね﹂ ﹁だから、それを封じた結晶を武器に組み込むと強くなるんじゃない かなって﹂ 残留思念や霊などが見えない、信じてもいない私にとっては分から ない感覚だが事実結晶は見せてもらったし、彼女の扱いを見るに結晶 を使った武器は確かに通常考えられない効果を宿していたのだろう。 ﹁ふっ﹂ 思わず笑いがこぼれてしまう。 彼女の結晶を用いた鍛冶は、他の鍛冶師からしたら鍛冶師の存在を 脅かす、他人の努力を踏みにじるような物だ。しかし、それは私も同 スパーダ じこと。 ︻剣︼は鍛冶師の必要性を限りなく少なくしてしまうスキルだ。鈴 音さんに会っていなければ今頃もまだ適当な剣でダンジョンに潜っ ﹂ あまり他人に︻剣︼のことを話すなとヘスティア様に言われている が、自分のもっとも重要な魔法を教えてくれた彼女に、私も誠意を見 せなければならない。それに、専用に武器を打ってもらうに当って 知っていたほうがいいことだろう。 ﹁私には︻剣︼というスキルがあります。効果としては、斬ることと斬 らないことの取捨選択。つまり、私が斬ると決めたら大抵の物は斬れ ます。先ほどの思念もこのスキルで斬りました、半ば無意識でした が﹂ ﹁え⋮⋮﹂ 私の言葉を聞き鈴音さんが唖然とする。当然の反応なのだが、ここ 149 ていただろう。斬ることが可能な物でさえあれば、刀であろうと爪で あろうと何でもいい。当然それは極端な話ではあるが、現在のダン ﹂ ジョン到達域で不自由はしていなかった。 ﹁どうしたの ﹁何が ﹁いえ、意外な所で似ていたということに気付きましてね﹂ ? ﹁私と鈴音さんがですよ﹂ ? 私もなかなかのいんちき剣士だ、と﹂ まで直接教えたのは初めての事だったので新鮮な反応だった。 ﹁言ったでしょう ﹂ 私に合った刀を把握するために、彼女が打った数々の刀を見たのだ を歩く。 ガシャガシャと音を立てながら、鈴音さんが何本もの刀を持って隣 ■■■■ もしれない。今後気をつけないといけないことが増えた気がした。 と、なると腕の良い鍛冶師は私に違和感を覚えるということなのか ない。その一端が外に漏れ出てしまうことも、あるのだろう。 ない。なにせスキルというのは魂に宿っていると言っても過言では 刀鍛冶なりに彼女の感覚は私の特性を感じ取っていたのかもしれ ﹁だから、その⋮⋮納得した、かな﹂ ﹁⋮⋮﹂ 人の手なのに、刀の刃のように感じたの﹂ ﹁うん、アゼルさんの手が温かいのに冷たくて、柔らかいのに鋭くて。 ﹁驚いた ﹁昨日、倒れたのはね、その⋮⋮ちょっと驚いたからというか﹂ 嬉しそうに微笑みながら、私の怪訝そうな表情を見た彼女は言った。 そう言って彼女は自分の手を眺めて、握ったり開いたりしていた。 ﹁そっか﹂ 現にヘスティア様はかなり驚いた。 こんなスキルを聞いたらもっと驚いたりするものだと思ったのだが。 もう既に冷静に戻っている鈴音さんが少し不思議に思えた。普通 ﹁⋮⋮そっか﹂ よ﹂ 索はできません。そんな無茶ができるのはこのスキルのおかげです ﹁ええ。でも、普通は武器の切れ味などの関係であそこまで無理な探 ﹁で、でも。普通に、強かった﹂ ? が、やはり振ってみないことには分からないという結論に至りダン 150 ? ジョンへとやってきた。 刀を選ぶに当って大切な事は色々あるが、鈴音さんが最も重視する べきと言ったのは重心の位置であった。当然手元から離れた場所に あればあるほど遠心力が働き振るう速度は上がる。しかし、その反面 小回りが効きづらくなってしまうので、自分の腕力や技量を考慮した 最適の重心が大切らしい。 それに加え、刀身や柄の長さ、刃の厚みや反り加減など特注で打つ に当っては色々と情報を集める必要があると言われた。 現在は5階層。自分の癖を把握しながら、自身の一挙手一投足に気 を付けて剣を振るわないといけないので浅い階層のモンスターを相 手にしている。鈴音さんも私の動きを見ているので突然の接敵に対 しても5階層程度のモンスターであれば余裕を持って対処できる。 モンスターもすぐ倒すのではなく、何度か斬り刻んで、刃の感触な ども確かめながら探索をしている。 モンスターの強さはかなり物足りないが、動きに集中することでよ り良い刀の振り方が分かってくる。体重移動に腕の曲げ具合、振り抜 く時の手首の力加減など刀の扱いに関して私の未熟な点を上げてい けばキリがないのだ。 ﹁じゃあ、次お願いします﹂ ﹁はい﹂ そう言って鈴音さんは一本の刀を私に手渡し、私は持っていた一振 りを彼女に返した。 角を曲がると、緑色の集団が現れた。蛙の姿をそのまま大きくした モンスター、フロッグシューターだ。私と鈴音さんに気付くとゲコゲ コ鳴きながら戦闘態勢になった。 ﹁行きますッ﹂ 軽く踏み込みながら、刃が上を向いていた鞘を捻り刃を下にする。 射出されたフロッグシューターの舌に対して刃を滑らせるようにし て抜刀しながら斬る。振るった腕や肉を斬った感覚などに注意しな がら、次々射出される舌を必要最低限の足捌きで避けて斬っていく。 全員の舌を斬ってしまったのか、フロッグシューター達は突進して 151 きた。 突進を斜め前に避けながら刃を滑らせて横一文字に斬り裂く。刃 の滑り方や重心の位置を気にしながら飛んできたもう一体のフロッ グシューターを着地する前に逆袈裟に斬り捨てる。 最後に残った一匹が恐れをなして逃げようとしているところに肉 薄し頭に高速の突きを入れる。なんの抵抗もなく刃は根本まで突き 刺さり、脳を破壊してフロッグシューターは倒れた。 ﹂ 一度刀を振るって血を払い、納刀する。 ﹁ど、どう ﹁重心が少し先の方に寄りすぎているので、ちょっと勢いがありすぎ ます。できればもう少し手元寄りのほうが振りやすいです。後、柄巻 は二番の奴のほうが握りやすかったですね﹂ ﹂ ﹁重心はもう少し手元の方が良くて、柄巻は二番の少し柔らかいの、 と。長さは ﹁もう少し長い方が私の好みです﹂ ﹁分かった﹂ 私の感想を聞きながら鈴音さんは紙に色々と書いていく。そして、 別紙にどのような刀にするのかの案を固めていっている。 こんなに真剣にやってもらえるのは嬉しいのだが、なんだか申し訳 なくなってくる。特注品ということで値ははるだろうし、私も何かお 返ししなければならない気がしてきた。 ﹁昨日教えたばっかなのにもう私より上手い﹂ ﹁まあ、夢の中まで振るってましたから。今朝起きた時おかしい体勢 で主神に笑われましたよ﹂ イメージトレーニングも行き過ぎると夢の中にまで出てきてしま う。幸い冒険者となり身体が頑丈になったおかげで寝違えることな どはなかった。 ﹁それにしても、今回は上手くできてよかったです﹂ ﹁そうだね﹂ 今 ま で 何 度 も 勢 い 余 っ て 勝 負 を 一 瞬 で 済 ま せ て し ま っ た こ と が あったのだ。後々握るであろう刀を思い浮かべるとどうしても身体 152 ? ? に力が入ってしまい手加減ができなくなってしまうのだ。 なんでもないよ﹂ ﹁鈴音さん何度もその袋の中見てますけど何かあるんですか ﹁え、ううん ﹂ ? ﹁あれ、アゼル ﹂ 詮索するのはやめておいた。 らか、声色が固かったが聞かれたくなかったことなのかもしれない。 るのを確認したので聞いてみる。突然の質問に驚きながら返したか 戦闘中少し横を見て鈴音さんが持っている袋の中を何度も見てい ! おや、ベルじゃないですか。こんな所で会うとは奇遇ですね﹂ ? ﹂ ﹁いや、それはこっちのセリフだよ。こんな浅い階層でなにしてるの ﹁ん ? 後ろから声を掛けられ振り返ってみると、ベルが人を一人連れて歩 いてきた。ベルに気付いた鈴音さんは急いで私の背後に回った。ベ ルは怖がるような男性では絶対ないのですが。 ﹁少し考えながら戦っているので、かなり余裕を持って戦える階層に ﹂ いるんですよ﹂ ﹁考えながら なになに﹂ もしかして﹂ ? ﹁そちらの方は ﹂ ﹁あ、僕はベル・クラネル。アゼルとは幼馴染で同じファミリアです﹂ ﹁お、忍穂鈴音、です﹂ の鈴音さんです﹂ ﹁ええ、そのもしかしてです。こちら、私の武器を打ってくれる鍛冶師 ﹁誰に打ってもらうの がありありと伝わってくる。 ベルの目がキラキラしていることから、かっこいいと思っていること そう言って私は腰に差してある刀をベルに見せる。それを眺める ﹁これですこれ﹂ ﹁新しい武器 ﹁ええ、新しい武器を打ってもらうので﹂ ? ! 二人とも礼儀正しくお辞儀をして挨拶をしていて、ベルの背後にい ? 153 ? る人物は置いてけぼりだった。大きな鞄を背負った小柄な人で、一瞬 パ ルゥ ム 驚いたが力持ちの小柄な冒険者など掃いて捨てるほどいる。フィン さんという小人族でありながらオラリオでかなり強い部類に入る人 もいるのだ。 シアンスロープ ﹁昨 日 か ら サ ポ ー タ ー と し て 一 緒 に 探 索 し て る 人。リ リ ル カ・ア ー デって言うんだ﹂ ﹁リリルカ・アーデです。リリとお呼びくださいアゼル様﹂ フ ー ド を 取 る と 頭 に 付 い た 犬 耳 が 現 れ る。小 人 族 で は な く 犬 人 ﹂ の少女だったようだ。 ﹁様 ﹁冒険者様はいつもこう呼んでいるので、気にしないでください﹂ ﹁はあ﹂ ﹂ ﹂ いきなりの様付けだったので違和感を覚えたが、相手がそう呼びた いというのならそれでいい。 後の予定について話し合っていた。 ベルとリリが本日の稼ぎで大喜びしている横で私と鈴音さんは今 ■■■■ いた。 ぶりだと思いながら、どうせなら本気を見せてあげたかったと心で呟 敵を見つけて刀を振るった。ベルに戦っている姿を見せるのは久し 小さく頷いた鈴音さんを確認し、ベルを連れて帰り道を歩きながら ﹁こっちも構いませんよね鈴音さん﹂ ﹁ベル様がそうしたいのなら﹂ リ﹂ ﹁うん、荷物が一杯になったからもう帰るところなんだ。いいかな、リ ? ﹁たくさん剣があるけど、全部試してるの ﹂ ﹁ええ。後二本で終わりですけど﹂ ﹁じゃあ、見てていい ? ﹁別にいいですが、ベルはもう探索しないんですか ? 154 ? ﹁情報、集まったから、後は私の仕事﹂ ﹂ ﹁分かりました、後のことはお任せします。私にできることがあれば なんでも言ってください﹂ ﹁じゃ、じゃあ、その⋮⋮手触ってもいい ﹁構いませんけど﹂ ﹂ ﹂ こう見えてベルはかなりモテモ ﹂ 鈴音さんはどうします ﹁あ、アゼルはこの後どうするの ﹁この後ですか ﹂ の知らない知識を与えてくれる彼女のことを快く思っている。 者であるということ。私としては一緒にいて何も不都合はないし私 刀という共通の興味と、お互いが鍛冶師の存在を脅かすような異端 ﹁まあ、馬が合うんですよ色々と﹂ ﹁⋮⋮随分仲がいいんですね﹂ ﹁私と鈴音さんも出会って三日しか経ってないですよ﹂ ﹁リリとベル様はまだ会って二日目ですので﹂ ﹁ちょ、ちょっとアゼル何言ってるの テですよ﹂ ﹁そういうリリはどうなんですか じた感触を再度確かめているのかは分からないが。 それが刀を打つ事に必要なことなのか、それとも彼女が私の手に感 ﹁鍛冶師として私の手が気になっているだけですよ﹂ ﹁お二人は、そういう関係なのですか る鈴音さん。手の平を揉むようにして押したり、撫でたりしている。 そう言って手を差し出すとおずおずと差し出された手に触れ始め ? ? ﹁だ、大丈夫だよ﹂ ﹁そんなにたくさん、持ちにくいでしょう ﹂ ﹁店を教えてもらえればぜひ行きたいですね﹂ ﹁そっか、この後リリとご飯食べに行くんだけど、どうかなと思って﹂ 分の二程持っていたので、帰りもそうしないと彼女も困るだろう。 そう言って彼女の持つ刀の差してある袋を見る。来る時も私が三 ? 155 ? !? ? ? ﹁分かりました。じゃあ家まで送りますね﹂ ﹁帰って、すぐ取り掛かりたい﹂ ? ﹁豊饒の女主人だけど﹂ ﹂ さ、行こリリ ﹂ ﹁鈴音さんを送り届けてから向かいますね﹂ ﹁分かった ﹁ベ、ベル様 める。 刀の入った袋を持ち上げ、鈴音さんを連れて彼女の家へと歩みを進 ﹁うん﹂ ﹁さ、では私達も行きますか﹂ るだけだろう。 にしては強引な方だと思ったが、相当嬉しそうだったので興奮してい そう言ってベルはリリの手を握って歩いて行ってしまった。ベル ! この時ベルに付いて行っていれば、救われる女神が一人いた事など 知る由もなかった。 156 ! ! 試行錯誤・下 ﹁ふふ﹂ アゼルに自宅まで送ってもらった鈴音は早々に使った刀の手入れ を済ませて身支度を整え、着替えてベッドに寝転がっていた。 手に持つのは一つの、血を固めたように赤い結晶。それは彼女がい つも袋に入れている結晶であり、アゼルが戦闘を行うと鈍く光りだす 結晶だ。月明かりにかざすと血のような赤が妖しく仄かに光を灯す。 通常、結晶は封が揺らいだら砕いて完全に浄化をするのだが、この 結晶は数百年前に封じられた物でありながら、今まで一度も封が揺ら いだことがない結晶の一つだ。鈴音の父が彼女にお守りとして持た せた物で、鈴音はおろか家族全員がどのような想いを封じているのか 知らない。 ﹁なんで、光るのかな﹂ 光り出したり、熱を帯びたり、振動したりと変化は様々だが、封じ られた思念と同じような絶望、渇望、妬み恨みを持った人間が近くに いると起こる変化だと彼女は聞いていた。 つまり、その赤い結晶に封じられた想いはアゼルの抱える感情の一 部だ。 ﹁知りたいよ﹂ 鈴音がアゼルに刀を打つにあたってどうしてもこの結晶が使いた かったのは、その感情を知りたかったからだ。それを武器にすれば、 何かが分かると彼女は思った。 結晶を両手で握った彼女はそれを胸元へと寄せる。それはまるで 心臓の鼓動を確かめるような行為だった。そして彼女はそこにある はずのない鼓動をその結晶から探ろうとしていた。 彼女が思い出すのはアゼルの手の感触。 温かく血の通った手は、ふとした瞬間にその表情を変える。血は鉄 へと変わり、温かかった手は冷たい刃物の感触へと変化する。 同じような感触が結晶からじんわりと手に広がり、やがて胸へと到 達して彼女の鼓動を速めていく。 157 知りたいという願いが、触れたいという想いがだんだんと強くなっ てきていた。 だから彼女は刀を打つのだ。 ﹁はぁ﹂ 熱い吐息が鈴音の口から漏れる。 自らの血と汗を糧として完成する至高の一振りをアゼルに持って いて欲しい。それは彼女自身の分身と言っても過言ではない一振り を彼に持っていて欲しいという願い。 名前は何がいいだろうかと考える。しかし、鈴音はすぐに頭を振る いその考えを捨てる。 ﹁考えることはたくさんある﹂ 使う結晶は決めたが、それ以外は決めていない。鈴音は自分で作っ た材料とその重量や触り心地をまとめた本を取り出し材料を吟味し ていく。 158 それ以外にも、鞘の材質や色、柄に使用する木材や皮、それを覆う 柄巻きなどまだまだ考えを練るものはたくさんある。小柄や笄など も入念に作り、自分の魂をその一振りに宿らせる。彼女は自身の最高 傑作となるその一振りに妥協は許さない。 こ の 想 い の 丈 を ア ゼ ル は 知 ら な い だ ろ う。知 っ て ほ し い と 少 し 思ったが、何よりも大切なのは彼がこの刀を気に入ってくれること。 それを振るい、その美しい光景を見せてくれることが最も重要だ、そ う鈴音は思った ﹁でも﹂ 少しくらい、秘めた想いを籠めてもいいだろう。 │││ほととぎす、そうしよう。 ﹂ 刀の案を書いていた紙の隅にその名前を記し、彼女は静かに微笑ん だ。 ■■■■ ﹁そろそろ出てきてもいいですよ ? 鈴音さんを送った帰り道、私は一端足を止め夜は暗くてあまり通ら ない路地へと入った。もちろん豊饒の女主人へ早く行きたいという 気持ちで近道をするつもりもあったが、この時ばかりはそれ以外にも 理由があった。 ﹁ちっ、なんで気付きやがった﹂ ﹁匂いです﹂ ﹁んな馬鹿な﹂ 何度か曲がり角を曲がり、誰もいないはずの路地で呼びかけると、 歩いてきた角から人影が現れる。夜ということもあり、薄暗い路地裏 ではその人物が小柄であるということしか分からない。声は男の物 だった。 ﹁貴方からはあの女神の匂いがするんですよね﹂ バベルから態々つけていたようですが﹂ ﹁あの方が言ってたとおりぶっ飛んだ野郎だ﹂ ﹁で、何か用ですか ﹁ちっ﹂ も う 一 度 舌 打 ち を し た そ の 人 物 は そ れ か ら 何 も 言 わ な く な っ た。 元々事情は聞けないだろうと思っていたので、出てきてもらった目的 は他にもある。 ﹂ ﹁まあ、それは割りとどうでもいいんです﹂ ﹁はあ はないんですよね﹂ 腰に差してある刀の柄を持ち、ゆっくりと抜く。暗闇を一筋の輝き が斬り裂く。 目の前にして確信を得る。この人物は紛れもない強者だ。気配の 消し方が完璧と言わざるおえないほど上手かった。女神の寵愛のお かげで気付いたが、もし違うファミリアの眷属であれば私は気づくこ ともなく素通りしていただろう。 しかし気付いた。いや、もしかしたらあの女神は私が気づくことも 想定していたのかもしれない。何を企んでいるか分からないが、私と しては強者と戦えるのであれば手の平で踊らされるのも構わない。 159 ? ﹁鈴音さんに危害を加えるのかとか、何を企んでいるとか、私の性分で ? ﹁おいおいおい﹂ ﹁私は斬るだけだ﹂ 戦闘開始の合図もなく走りだす。後をつけていたような輩に礼儀 など必要ない。それに、私がどれほど不意を突こうと相手は反応する だろう。 ﹁本当にふざけた野郎だな﹂ 放たれた斬撃をひらりと躱され、後退される。まるで散歩でもする かのような気軽さ。完全に見切られている証拠だ。 数歩下がったその人物は一度ため息を吐いて頭を掻きながら構え をとった。手を前に出して指先を自分の方に引き、来いと言ってく る。 ﹁来な。まあ、少し遊んでやるよ﹂ そう言って、彼は自分の獲物であるナイフを二本取り出し構えた。 ﹁では、お言葉に甘えて﹂ 目に魔力を集め、未来を見る。暗い路地裏では、見難いが相手は黒 い影として視認できる。ナイフの刃が光を反射しているし、ないより はマシだ。 力強く地面を蹴って相手に肉薄する。本当に遊ぶだけのつもりな のか、その人物は攻撃をしようとしてこなかった。 刀を振るが、相手はすべての攻撃を紙一重で避けながらまったく動 揺する様子がない。恐らくわざと紙一重で避けているのだろう。本 気を出せばもっと余裕を持って避けられるはずだ。 ならば、その避けた先に剣を振るうだけのこと。 今までと同じ速度で刀を振り、相手がどの方向にどのように避ける のかを見る。 相手が後ろに僅かに下がりながら避ける未来を見て、刀を振ってい る途中で強引に身体を前に動かし斬撃の軌道を変える。 ﹁ちっ﹂ それなりの速さで行われている戦闘の中でも、相手は舌打ちをする ほど余裕があった。そして、手に持つナイフを振って私の斬撃を迎撃 しようとする。 160 きっと私は笑っていただろう。 ﹂ 狙い通りだ、と。 ﹁なッ フレイヤから私の事を詳しく聞いていなかったのか、ナイフの刃は ﹂ 何の抵抗もなく斬り捨てられ、そのありえない光景に相手は驚いた。 ﹁シッ その瞬間を見逃さず、相手の首を狙って斬撃を繰り出す。しかし流 石はあの女神の眷属、次の瞬間に勢いよく、それこそ私では視認でき ない程の速さで飛び退いた。しかし、僅かだが斬った感触はあった。 ﹁⋮⋮﹂ 無言。しかし、相手の雰囲気が変わり始める。 ぎしぎしと壁が、空間が軋む。相手の身体から発せられる殺気とも 取れる威圧。薄暗い路地裏に浮かぶ二つの光る目が私を射抜く。 ﹁あの方には殺すなって言われてるからよう、殺しはしない﹂ 動きを阻害するほどの圧力の中、私は目の前の未来を見る。迫り来 る拳、狙いは腹、速度は神速。直線的な攻撃だ、しかし避けることは できないだろう。 ﹁だから、そこで寝てろ﹂ 一瞬の間で相手が眼前へと移動していた。近付いて初めて分かっ 人 だったようだ。 キャット・ピープル たが、頭に付いている。相手は 猫 相手が攻撃する前の僅かな時間で私は地面を蹴って後ろへと飛ぶ。 そして、私はその拳によって吹き飛ばされた。地面に何度か転がり ながら壁まで飛ばされ背中を強打した。 ﹁ちっ、上手く衝撃を逃しやがったか﹂ 私が本当に気絶したのかを確認するため相手が倒れた私に近づい てくるのが分かった。痛みで呻き声を上げそうになるのを我慢しな がら相手が攻撃範囲に入るのを待つ。 ﹁起きてるだろお前。痛えだろうに、とんだ狸だぜ﹂ ﹁バレてましたか﹂ ﹁殺気が漏れてんだよ、バレバレだ。もう面倒くせえや。精々あの方 を楽しませるんだな﹂ 161 ! ! 結局、私が起きているのが気付かれてしまい猫人は路地の壁を蹴っ て上り消えていった。じくじくと痛む腹を擦りながら私は路地から ﹂ 出てベルのいる豊饒の女主人へと向かうことにした。 ﹁アゼル様﹂ ﹁ん、なんですかリリ 謎の猫人との戦いから復帰し、痛む身体を若干引き摺りながら店へ とやってきた私に普段は邪険に扱うリューさんですら少し驚かせた のは既に三十分程前のことだ。 何かに怯えながら店内で食事を取っているリリとベルを見つけ同 じテーブルに行くと、何があったのか聞かれたが猫に引っかかれたと 言っておいた。ベルにポーションを一つ貰い、飲み干すと大分楽に なった。 ﹂ ﹁何故ベル様とアゼル様はファミリアに二人しかいない冒険者なのに 一緒に探索をなさらないんですか ﹁何故ですか ﹂ 正直言って理解不能です﹂ であると自覚はしているらしく言いづらそうだった。 既に食べ終わったベルは気まずそうに答えた。ベルも愚かなこと ﹁う、うん﹂ ﹁え、そうなんですか も別々にしようと言い出したのはベルです﹂ ﹁まあ、最もな質問ですよね。理由はいくつかありますが⋮⋮そもそ る。 てや仲間がいるのに各々が一人で探索をするなど愚の骨頂とも言え でダンジョンに潜るという無謀なことをする冒険者はいない。まし 口の中にある食べ物を酒で流し込み、納得した。確かに、通常一人 ? しょ ﹂ リリは私の顔を見て、ダンジョンで見ていた戦闘を思い出したのだ 162 ? ? ﹁そ の ⋮⋮ リ リ も 見 て 分 か っ た と 思 う け ど。ア ゼ ル は す ご く 強 い で ? ﹁⋮⋮まあ、そうでしたけど﹂ ? ろう、肯定と答えた。 一応あの時は本気を出していなかったのだが、それは言わないでお くことにした。あまり必要な情報ではないし、自慢しているようで嫌 なやつみたいな上、ここに来る直前に負けているので何とも言えな い。 ﹁アゼルがいると、どうしても頼っちゃうから。昔からそうなんだ﹂ ﹁そういえばお二人は幼馴染でしたね﹂ ﹁ええ、もう十年くらいの付き合いですね。出会ったのがベルが四歳、 私が八歳の時だったので﹂ 私の後ろをちょこちょこと付いてくる小さいベルを思い出す。確 かにベルは私にべったりだった。 ﹁それじゃ、強くなれないし⋮⋮こんな歳にもなって頼りっぱなしっ ﹂ てのもね。それに﹂ ﹁それに ﹂ ﹁僕に合わせてたらアゼルはつまらないだろうし﹂ ﹁な、なんですかそれはっ ﹁はあ ﹂ ﹁だってアゼルはもう17階層まで行ってるし﹂ て私は即座に反論した。 ベルのセリフを聞いたリリが身を乗り出しながら叫んだのに対し ﹁いや、私が言ったわけじゃないですからね﹂ ! 会ってから毎日のように剣を振るい磨いてきた技術には足元にも及 ばない。 現状17階層でも一人でやっていける私とベルでは圧倒的な実力 ﹂ ﹂ 差があり、どちらかがどちらかに合わせるというのは現状無理な相談 なのだ。 ﹁じゅ、17階層 ﹁ええ﹂ ﹁アゼル様もレベル1の冒険者、ですよね ﹁はい、ベルと同じ日にファミリアに入りましたから﹂ ? ? 163 ? 言うなればベルはまだまだ磨かれていない原石だ。私が老師と出 !? ﹁あ、あ﹂ ﹂ ﹂ 口をパクパクさせながら何かを言うとするリリをベルト二人で眺 める。 ﹁アホですかッ ﹁あっはっはっは その至極真っ直ぐな感想に私は笑ってしまった。 ﹁そもそも、そんなことをして無事なはずが﹂ ﹁企業秘密ですよ。︻ステイタス︼は秘匿するものですから﹂ ﹁だね。僕も教えてもらってないし﹂ ﹁それは私も同じことですよ﹂ 私とベルはお互いの︻ステイタス︼を把握していない。時々ベルが 興奮してどれくらい上がったかなどを教えてくることはあったが、ど のようなスキルを有しているのかなど詳しい話はしていないのだ。 ﹁それはそうと、リリ﹂ ﹂ ﹁そんな横に置いといてみたいな扱いをする話ではないのですが⋮⋮ なんでしょうかアゼル様﹂ ﹁何かに怯えているようですが、どうしたんですか い﹂ ﹁あ、シルさーん注文いいですか ﹁はーい﹂ ﹂ ﹁いえ、ベル様のおかげで稼いだお金なので気になさらないでくださ 矢理連れて来ちゃって﹂ ﹁そういえば此処には来たくないって言ってたっけ⋮⋮ごめんね無理 ﹁そ、そんなことないです。ええ、決してありません﹂ ? ずに会えるのが嬉しいのか軽い足取りでやってきた。その時リリが 横を通りすがったシルさんを呼び止める。ベルがいるのでサボら ? ベルに近付く泥棒猫、いや泥棒犬だとでも思っ ビクリと身体を震わせたことを私は見逃さなかった。シルさん一体 何をしたんですか たんですか ? ﹁かしこまりましたー。ベルさんは何かいかがですか 今日のスー ? 164 ! ! ﹁エールおかわりと、海鮮風パスタ一つお願いすします﹂ ? プはオススメですよ ﹂ ﹁はい ﹂ なんと言ったって私が下拵えしましたから ﹁えっと、じゃあそれで﹂ ! さんを恐る恐る見送っていた。 ﹂ ﹁シルさんがどうかしたんですか ﹁い、いえ ? よ﹂ ﹁き、危険度 ﹂ ﹁そんなに怖がらなくても、ここではシルさんの危険度は低い方です ! ﹂ 笑顔を浮かべながらキッチンへと歩いて行った。リリはそんなシル ベルが関わるとシルさんの機嫌はうなぎ登りになり、とびっきりの ! ﹂ ? 仕事中なのですが﹂ ﹂ ? 何かしました ﹁何故そのようなことを ﹂ ﹁ベルの事、というかあのサポーターの事なんですけど。リューさん ﹁なんですか ﹁リューさん﹂ 怖がるリリを眺めながら酒を呑むのは楽しかった。 ﹁ひぃっ﹂ せ問題を起こした連中は金を置いて叩きだされますから﹂ ﹁ええ、皆が平和に飲み食いを楽しむことのできる酒場ですよ。なに ﹁こ、ここは酒場なんじゃ してもらえていないのですが﹂ ﹁リューさんと言うんですが。かなり強いですよ。一度も手合わせは ようだ。 見せると、再びリリの身体は震えた。表情などもはや泣き出す子供の そう言って違うテーブルの食器などを片付けているリューさんを 例えば、ほらあそこにいるエルフの女性﹂ ﹁ええ、ここの店員誰も言いませんがかなり強い人が揃ってますから。 ? ? ? 165 ! ﹁かなり怖がっていたので﹂ お手洗いに行ったついでにリューさんに話を聞いておくために話 し か け た。す る と リ ュ ー さ ん は 少 し 黙 っ て ミ ア さ ん の い る カ ウ ン パ ルゥ ム ターをチラリと見てからカウンターの死角となる場所へと誘導され た。 ﹁昨日の事です。クラネルさんのナイフを持った小人族の男性を見つ ﹂ け、ナイフを取り戻し蹴り飛ばしたところ﹂ ﹁蹴り飛ばしたんですか ﹁ええ。少々力加減を間違えてしまい、飛ばし過ぎ後を追ったのです が﹂ ﹁リューさんもなかなかの乱暴者ですよね﹂ ﹁男がどこにもいなく、あのサポーターの少女がいたという事があり ました。ナイフは無事クラネルさんに返しました﹂ ﹁それは⋮⋮﹂ リューさんが小人族を蹴る光景を思い浮かべ、まるでボールを蹴っ ているようだなと思いながら考える。 かなり怪しい。その一言に尽きる。 ﹁強く蹴ったんですよね 試しに同じくらいで蹴ってみてください よ﹂ ﹁嫌です﹂ リューさんの蹴りをくらってすぐ立ち直りその場から逃げられる というのは驚愕だ。しかも後を追ったらどこにもいないと思わせる ほど遠くへと逃げおおせたのだ。 ﹁まあ、話は分かりました。話してくれてありがとうございます﹂ ﹂ そう言ってテーブルに戻ろうとする私にリューさんが言葉をかけ る。 ﹁放っておくのですか ﹁ええ﹂ ﹁しかし、彼は﹂ 振り返りながら彼女の目を見る。空色の綺麗な瞳だ。 166 ? ? ﹁ベルは私の仲間だ。でもね、リューさん﹂ ? ﹁ベルをあまり見くびらないで欲しい。ベルだって馬鹿じゃない、気 付いていますよ。ただ、それを信じたくないだけです﹂ そう、その状況ではどう見てもリリが怪しいのだ。誰が見たってそ うなら、ベルがそう思っていてもおかしくない。 確かに、ベルは保護欲をくすぐるような外見と性格をしている。そ れは幼馴染である私が誰よりも知っていることだ。しかし、だからと 言ってずっと大切に、すべてから守るように育ててはいけない。 ﹁ベルは少し知らなければいけないでしょう、人の闇という物を。そ ﹂ れに、これはベルが望んだことでもあります﹂ ﹁クラネルさんが ﹁ベルもひょろっとしてますが、ああ見えて立派な男の子ですから。 いつまでも私に頼っていたくないと、つい先程ベルの口から聞きまし た。まあ、またナイフが盗まれても犯人が殆ど確定しているんです。 クラネルさんに危害を加える可能性も 取り戻すのは容易でしょう﹂ ﹁それでは済まない場合は ある﹂ はずですよ﹂ ﹁それが、冒険ってものじゃないんですか ベルだって重々承知の たが、まあダンジョンで騙されてモンスターに囲まれるとかだろう。 リューさんが考えている危害がどの程度の物なのか分からなかっ ? 昔を懐かしむように、その声は頭の中にふと蘇った。皺のある声 ﹃その必死な姿に、きっとお前に足りない物が見つかる﹄ ﹃ベルの事を見守っていてくれ﹄ ﹃助けすぎてはいけない。助けを請われた時だけ助けてやれ﹄ いや、そう決めさせられたのかもしれない。 が例え非情と思われようと、そう決めたんです﹂ は願った、強くなりたいと。私はそんなベルの邪魔はしません、それ 冒険なんてしなければいい。でも、ベルは違う。ベルは望んだ、ベル ﹁傷付きたくないのなら家に引きこもっていればいい。危険が嫌なら も、自らを危険へと放り込むことで手に入るのだ。 危険を犯さずして手に入る物など何もない。出会いも、経験も、力 ? 167 ? だったが、優しく心落ち着く声だった。その声に何度も叱られ、褒め られ、教えられて私は育ってきた。 いえ、少し違います﹂ ﹁バーナムさん、貴方はクラネルさんを信頼しているのですね﹂ ﹁信頼 信頼しているわけじゃない。むしろ私は信頼していない。なにせ ベルは弱い。困っている人を問答無用で助けようとする性格を考慮 すると、不足している実力以上に一緒に戦いたいとは思わない。だか ら、これは信頼などではない。 昔から、泣き虫の割に喧嘩の仲裁などをする。しかし弱いので仲裁 に入ったのに殴られて泣かされたりするのだ。 でも、気が付くと喧嘩はなくなり、ベルの周りにいる人間は笑って いる。確かに、彼は弱かったし、今も弱いが力に勝る何かを持ってい た。 ﹁これは、きっと期待ですよ。斬ることしかできない私では思いつき もしない結末を見せてくれるベルに対してのね﹂ すべてを覆す力でもない。すべてを見抜く知識でもない。すべて を斬り裂く剣でもない。私の知らない何かで、その場を切り抜けてし まうベルに対しての期待。 身勝手なことなのだろう。それが見たいがために力を貸さないと いうのは。しかし、それも今となってはベルの望んだこととなった。 ﹁もちろん、ベルが助けて欲しいと言えば助けますよ。なにせ、それは ベルが今私に最もしたくない行為でしょうから。でも、そんな弱音を 吐くくらいなら、ベルは血反吐を吐いてでも強くなるタイプです﹂ ﹁貴方とクラネルさんの関係は、なかなか理解しづらい﹂ ﹁人間関係なんてそういう物ですよ﹂ ﹁⋮⋮仕事に戻りますので﹂ ﹁おっと、ミアさんが睨んでますね。これは高い料理を頼まなくては﹂ カウンターにいるミアさんを一瞥してからテーブルに戻る。 今夜はリューさん相手に戦って欲しいと思わなかった。謎の猫人 に負けたことが心に残っていて、いまいち心が高ぶらなくなっていた からだ。 168 ? そしてなにより、ベルを心配しているリューさんを見て少しつまら なかったということもあった。 169 剣を振るい、心は澄む ﹁うぅぅう⋮⋮﹂ 教会の地下に設けられた秘密部屋のベッドに横たわりながらうめ き声をあげる我らがヘスティア・ファミリアの主神ヘスティア様。 昨晩、ご近所付き合いがあるこの界隈で薬売りをしているミアハ・ ファミリアの主神であるミアハ様によって彼女が送り届けられたの は、夜がふけって大分経った頃だった。かなりの酒量だったのか、歩 くこともままならずベルが抱えてベッドに寝かせたほどだ。残念な ことにヘスティア様に記憶はないだろう。 ﹁はあ、まったく﹂ 苦しそうに呻く彼女の顔を湿ったタオルで拭う。一度それを水で 濡らし絞ってから額に乗せておく。とりあえず酒が抜けていないの で体温が高いし、汗をかいたままでは不快だろう。いや、体温が高い のはヘスティア様が子供のような身体をしているからかもしれない が。 ﹁本当は今日あたりに更新をしておきたかったのですが、世話のかか る神様だ﹂ ミアハ様にこっそり聞いたが、なんでもベルが少女と手を繋いで歩 いているところを目撃し、ショックを受けてのやけ酒だったらしい。 恐らくその少女はリリだろう。 そ こ か ら そ の 小 さ な 身 体 の ど こ に 入 る の か 疑 問 な ほ ど 酒 を 飲 み、 酔っ払ってミアハ様の押し車に乗せられ帰ってきた。 ﹁うぅ、ベルくぅん﹂ ﹁どんな夢を見ているのか﹂ こうやって看病をしていると、故郷にいた時のことを思い出す。ベ ルが熱を出しても老師は農作業などをしなければならない身だ。な にせ老師はその老体一つで自身とベルの食い扶持を稼いでいた。 ベルが病気にかかると、私との修練を早く切り上げ私にベルの看病 をさせた。着替えさせたり、身体を拭いてやったり、食事を食べさせ てやったりと我ながら甲斐甲斐しく看病をした物だった。 170 私は病気にかかって苦しくても剣の修練を休んだことはなかった。 動けないほど辛かったわけでもないし、ベッドで寝ているくらいなら 剣を振るっていたかったからだ。それ程重い病に罹らなかったとい うこともある。 だからベッドで寝ているベルがいたく苦しんでいるように思えて しまい、世話を焼いていた。 ﹁ただいま﹂ ﹁おかえりなさい﹂ ﹁神様見ててくれてありがとう、アゼル﹂ ﹁構いませんよ﹂ そうこうしている内にベルが地下室へと帰ってきた。ヘスティア 様の看病を買って出てくれたベルは、今日はダンジョンに行けないこ とをバベルで待っているリリに伝えに行かなければならなかった。 今思ったらリリと面識のある私が変わりに伝言を伝えればよかっ ﹂ 171 たのではないだろうか。過ぎたことは変えられないので考えないこ とにした。 ﹁では、私は行ってきますね﹂ ﹁うん、いってらっしゃい。いつ帰ってくる 思いつきのように籠ろうと思ったので用意など一切していなかっ ﹁まずは携帯食料を買いに行かなくては﹂ に装着し、地下室から地上へと出た。 いていったプロテクターとヘスティア様に頂いた籠手を右手と左手 そう言って、私は壁に立てかけてあった刀を腰に差しオッタルの置 ﹁ヘスティア様の事頼みましたよ﹂ ﹁わ、分かった﹂ に違いはない。 げるのが一番早い解決策と思ったのだろう。私より適任であること とはいえショックを受けたヘスティア様のためにも、二人にさせてあ ミアハ様に二人きりにさせてやってくれと言われた結果だ。誤解 面倒事をベルに押し付けているようだが、決してそうではない。 ﹁今日から少し籠ろうと思うので、明後日くらいには﹂ ? たのであった。 ﹁おや﹂ ﹁おはようございますアゼル様﹂ ﹁昨日振りですねリリ﹂ 適当な店で腹が膨れるだけの携帯食料を買い、水とともにバッグに 詰めてダンジョンへとむかう途中。当然ながらバベルの広場を通ら ﹂ ないといけないのだが、そこに見知った人物がいたので声をかけてみ る。 ﹁こんなところでどうしたんですか ﹁い え、突 然 ベ ル 様 が 行 け な く な っ て し ま っ た の で す る こ と が な く なってしまいまして。少しぼーっとしてました﹂ ﹁それなら﹂ 私と一緒にどうですか、と言おうと思ったが非戦闘員が増えるとカ バーするのに一苦労するのを思い出して止めた。しかし、その続きが 気になったのかリリは私を見上げている。流石に、探索に誘おうと 思ったが邪魔だから止めた、などと言えるわけもない。 ﹂ ﹁それなら﹂ ﹁ 渡し空いているベンチが目に入る。 そういえば彼女はベルからナイフを盗もうとした容疑者であった。 そのことを問いただすつもりはまったくないが、少しくらい話を聞い てもらおう。 ﹂ ﹁それなら、私と少し話でもしましょう﹂ ﹁ダンジョンに行かれるのでは ﹁お一人でですか ﹂ ﹁これから数日は籠もるので少しくらい変わりませんよ﹂ ? なんでもない風にそう答えた私にリリはため息を吐きながら呆れ ﹁ええ、一人の方が気楽ですから﹂ ? 172 ? 何か気の利いた、且つ違和感のないセリフはないものかと辺りを見 ? ていた。 近くにあるベンチまで二人で移動して座る。バベルの広場は朝だ というのにダンジョンに向かう冒険者やバベルにある店に行く店員 ﹂ などで行き交う人が多い。 ﹁で、なんの話ですか ﹁ベル様のですか ﹂ ね。一度聞かれたんです、何故彼らはあんなにも強いのか、と﹂ ﹁特に悪に打ち勝って誰かを救うというストーリーが一番好きでして 頭を抱えながら嘆くリリ。 ﹁ベル様ぁ⋮⋮﹂ ていると思います﹂ いうなかなか愉快な目的ですから。そういう意味ではベルは成功し になりましたが、そもそもダンジョンに潜る理由が出会いを求めてと ﹁そして、それは今も変わっていないんですよ。口には出さないよう ﹁ベル様⋮⋮﹂ ルの祖父の教育の影響を多大に受けていたのでしょう﹂ うに姫を助けて結婚したいなどと絵空事を言っていました。老師、ベ ﹁ベルはいつもいつも、あの英雄のように強くなりたい、あの英雄のよ の一部だ。その物語の一つ一つはベルの中で生き続けている。 いてきた。しかし、それは紛れも無くベル・クラネルという少年の心 老師が自ら作った英雄譚の絵本の数々は故郷の知り合いの元に置 ﹁ベル様らしいですね﹂ て、私もいつの間にか覚えてしまったくらいです﹂ ﹁ベルはすごく好きなんですよね。頼んでもいないのに読み聞かされ ﹁突然ですね⋮⋮まあ、嫌いではないです﹂ え、好きなのはベルなんですがね。 た。い い 歳 に も な っ て 英 雄 譚 か、と で も 言 い た そ う な 目 だ っ た。い 私の突然の質問にリリは目をパチクリさせながら訝しげに私を見 ﹁リリは、英雄譚などは好きですか ﹂ ﹁そうですね⋮⋮ベルの話でもしましょう﹂ ? 彼らは強いから強い、などという意味のない答えを返す訳にもいか 173 ? ? ず、私はその時ばかりは少し考えた。子供の疑問というのは、時に何 かと熟考を必要とする。 ﹁結局私は答えが分からず、こう言ったんです。それは彼らの宿命の ようなものだと。英雄譚では英雄は必ず勝ち何かを救う、物語上彼ら は負けてはならないというひどくつまらない理由で﹂ ﹁本当につまらない理由ですね﹂ ﹁でも、今ではあながち間違っていないのではないかと思っています よ﹂ 英雄の存在は、願いの塊である。誰かが彼らを願ったから、彼らは 力を得たのではないか。誰かが救いを望んだから、彼らはその力を振 るうのではないか。人々の願いと望みを背負ったその存在を、その物 語を宿命と言わずなんと言えばいいのか。 ﹁そして救われる方も宿命のようなものだと思うようになりました。 英雄に関わったら何が何でも救われる。救いを望んでしまったら救 ﹂ に手を乗せ、それをじっと見つめて微動だに動こうとしない。 ﹁そんなこと﹂ 174 われる﹂ ﹁なかなか乱暴な因果関係ですね﹂ ﹁どんな壁があろうと英雄はそれを何度でも砕き、目的を達成してし まうんです﹂ そう、彼らの剣はすべてに勝つ。斬るでもなく、倒すでもなく、彼 ﹂ らは勝つ。勝利すること、そして何かを救うことが英雄を英雄たらし める。 ﹁で、結局何が言いたいんですか ﹁なんのことだと思います ﹁なんの、ことでしょうか﹂ る﹂ ﹁つまり、貴方は救われる側の存在で、貴方が望むと望むまいと救われ が聞いてくる。 話の行方が分からなくなったのか、周りくどい言い方はなしにリリ ? リリも私も沈黙してしまう。隣に座るリリの様子を伺う。膝の上 ? 沈黙を破ったのはか細い声だった。今にも消えてしまいそうな、小 さな叫びだった。 ﹁そんなこと、起こるわけないじゃないですか﹂ 自分の心を押し殺しながら、必死に口から声を出す少女が一人い た。 ﹁そんなこと、信じられるわけないじゃないですか。信じて、いいはず がないんです﹂ それは自分に戒めるような言葉だった。優しさに甘えるな、他人に 世界は人に優しくないと思い 期待するなと彼女は自分に言い聞かせ続ける。 ﹁現実はそう甘くないと思いますか 確かにそうでしょう。人生上手く行くことのほうが少な ﹂ 勝ちだ﹂ ﹁貴方が救われたのなら、私の勝ち。貴方が救われなかったら、貴方の ﹁賭け ﹁じゃあ、何か賭けましょう﹂ 信じずともベル・クラネルはその身を挺して誰かを救う。 行動だと私も、そして彼女も理解するだろう。 女はそれを断固として拒否した。しかし、それこそが意味のなかった 他人の言った事、その上不確定なことを断言するように言われた彼 ﹁⋮⋮私は、そんなこと信じません﹂ ﹁救われる人間というのは、勝手に救われるものですよ﹂ 覆し運さえも味方にして救わなければならない。 生きていくには、自分の中にある正義を貫き通すためには、すべてを そうでなくてはならない。ベル・クラネルがベル・クラネルとして ﹁それでも、ベルは貴方を救う﹂ れを、ベルの目指す者への第一歩を。 一拍置いてから私はその言葉を言う。私がベルに対する期待の現 それでも﹂ く、運が悪いとしか思えないような出来事も多々あります。しかし、 ますか ? ﹁どっちともリリの負けのように聞こえます﹂ ﹁確かにそうですね﹂ 175 ? ? ﹁もう、いいです﹂ ﹂ 彼女はベンチから立ち上がり歩いて行こうとしてしまう。しかし 立ち止まり私の方に振り向いた。 ﹂ 私には関係のない話ですから﹂ ﹁アゼル様、貴方も救われる側の人間なのですか ﹁さあ ﹁関係が、ない 忘れてはいけない。 だ。 し、果たしてそれは人間か 感情のない剣士は最相剣士ではなく剣 感情を斬ることが出来れば、どれほど物事が楽になるだろう。しか れば楽なんですけど﹂ ﹁こういうのはきっと呪いと言うんでしょうね。こういう物も、斬れ うに。 刻んでいく。好き好んで幼馴染を傷つけたいと思う人はいないだろ きっと私はすべてを傷付ける。むき出しの刃は、自身も相手も斬り ﹁それでも、私の中の何かが私をベルから離してくれないんです﹂ しまったのだろうか。 を振り続けた。ただ自分と剣だけを高めるために、剣を振るい続けて 老師は私を変えたかったのかもしれない。しかし、それでも私は剣 ﹁差し出された救いの手ですら私は斬ることしかできない﹂ でもない。私はただ斬りたい。 斬りたい、そう思うことしかできない。救いたいでも、救われたい んです﹂ ﹁私はねリリ。斬ることしかできないんです。斬ることしか望めない ふと、その最上階から視線を感じる。 空を見上げる。青い空が広がり、その中にバベルの塔が聳え立つ。 ? まいそうな気がした。 その言葉を途中で飲み込む。言ってしまえば本当にそうなってし ﹁もしかしたら、もう﹂ い。 剣は己の一部かもしれないが、己は剣ではない。なってはいけな ? 176 ? ? ﹁ではリリ、私が勝ったら夕飯奢ってもらいますね﹂ ﹂ ﹁私が勝ったら⋮⋮私に一生関わらないでください﹂ ﹁偶然横を通り過ぎるくらいはいいですよね ﹁そういうのもなしで﹂ ﹁無理です﹂ ﹁ふふ﹂ 彼女は微かに笑った。しかし、それは今にも泣き出してしまいそう な音に聞こえた。これが私との最後の会話とでも思っているのだろ う。彼女は信じていないから。これまでも、そしてこれからも一人で 生きていくのだと信じている彼女は寂しそうに笑う。 ﹂ だからこそ私は彼女の笑顔を見てみたいと僅かに思った。いや、見 れると私の中では確信があった。 ﹁では、行ってきますね﹂ ﹁賭けが終わる前に死なないでくださいね﹂ ﹁リリ、むしろ私が死んだほうが貴方の願いは叶うんですよ ﹁あ﹂ へと向かった。 ﹁ちょっと、多すぎませんか、ねッ ﹃キャイン﹄ ﹂ そう言って、私は水と食料の入ったバッグを持ち上げてダンジョン ﹁まあ、私はあの人を斬る前に死ぬつもりはないので大丈夫ですよ﹂ ? 斬り捨てる。 ﹂ ﹃グルルルゥ﹄ ﹁本当にッ ﹄ がこちらに気付いて吠える前に一番近くにいた一匹に接近しその首 を斬り落とす。 ﹃ギュオオォッ ! 177 ? 走りながら後ろから襲いかかってきたヘルハウンドを横に避けて ! 曲がり角を曲がると眼前にヘルハウンドの群れと遭遇する。相手 ! 後ろからハード・アーマードが追ってきていた数多くのヘルハウン ドやアルミラージを潰しながら転がって突貫してくる。潰されたモ ンスターのほとんどは魔石も潰され灰となってしまった。 ﹁ちっ﹂ 走 り だ そ う と し て い た の を や め て 急 遽 反 転 す る。転 が っ て く る ハード・アーマードを横に避けながら滑らせるように横に斬る。刃は な ん の 抵 抗 も な く そ の 固 い は ず の 殻 に 食 い 込 み、そ の ま ま ハ ー ド・ ﹄ アーマードを切り捨てた。 ﹃グルァァァアア ハード・アーマードを倒した矢先、追ってきていた白黒の巨大な虎 型モンスター、ライガーファングがその鋭い爪を私に狙いを定めて飛 びかかってきていた。 爪 の 軌 道 を 予 知 し な が ら バ ッ ク ス テ ッ プ し つ つ 腕 を 斬 り 落 と す。 前足の片方が突如なくなったライガーファングは着地に失敗し地面 に転がる。 そして私はライガーファングを倒さずにその上を飛び越えた。起 ﹄ き上がらないように後ろ足二本も速やかに切り落としておく。 ﹃ガルアァァア スが私を目掛けてダンジョンの廊下を埋め尽くすが倒れたライガー ﹄ ファングが壁となり私のいる所だけ安全地帯となる。 ﹄ ﹃ブモオオオオォッ ﹃グガアァァッ を放ち胸部に埋まる魔石を破壊し目の前の巨体を灰へと変える。 いミノタウロスの腕を斬り飛ばす。邪魔だったので、走りながら突き ロスが拳を振るうことを未来で見ていた私は、出ると同時に刀を振る ライガーファングの下から出た瞬間そのすぐ後ろにいたミノタウ ファングの腹を縦一文字に斬り裂いた。 くしてその下を走りぬけながら刀を肩で担ぐようにしてライガー もう一体いたライガーファングも私に飛び掛かるが、私は姿勢を低 倒れたライガーファングから再び前へと走る。 ! 178 !! 後ろから熱気が押し寄せてくる。ヘルハウンドの放った炎のブレ ! ! ミノタウロスだった灰に突っ込むように走り前に進む。視界が晴 ﹄ れると、私に向かってくるミノタウロス達と相対する。その数四。 ﹃ヴヴォアアアア とされていく。 へと倒れた。 ﹄ 止めを刺したのは相手だというのに、私をまるで親の敵とでも言う ﹃ヴォウウウッ ﹄ き刺さる。悲痛の叫びと共に両腕を失くしていたミノタウロスが地 間その尖った角を前にして突進してきたミノタウロスが同胞へと突 目の前にいるミノタウロスを倒すことを諦め横へと飛ぶ。次の瞬 とは頭が足りていない証拠だ。 分かった。レベル2相当のモンスターとは言え攻撃前に大声を出す 後ろから五体満足の残り一体のミノタウロスが突進してくるのが ﹃ヴォオオオオ ﹄ して走れないようにした。振るわれる腕は振るわれた瞬間に斬り落 スに向かって接近する。突進されると面倒なのでその前に足を攻撃 岩を投げたモーションから既に突進へと移行しているミノタウロ せたことだ。 先にいたもう一匹のミノタウロスにぶち当たり大ダメージを食らわ れを躱すことは容易ではあった。嬉しい誤算は、私が避けた岩がその 数瞬前からその飛んでくる岩の軌跡を予知していた私にとってそ ることはできない。 事はできない。例え飛んでくる岩を斬ってもその勢いをどうこうす 威力を秘めている。私は斬ることはできても、物理法則を捻じ曲げる 外の膂力で投げられたそれは当たれば一瞬で冒険者の命を奪う程の 一匹が岩を持ち上げ、それを私に向かって投げてくる。文字通り人 ﹃ヴォモァァア り落とす。行動不能にしてしまえば後でいくらでも殺せる。 股下をスライディングしながら、いつぞやかと同じように両の足を斬 突出して私へと向かって突進をしようとしているミノタウロスの !! かのように睨んでくるミノタウロス。 179 !! ! ! 再び突進をするが今回は腕を振りかぶり、その巨腕で私を潰すつも りらしい。それを許すわけもなく、私は向かってくるその腕を避けな がら斬り落とす。ならばと言わんばかりに逆の腕も振るうがそちら も即座に斬り落とす。 立ち尽くすかと思ったら次は蹴りを放とうとしていたので刀を横 一線。両の脚を斬り、ミノタウロスはとうとう両腕両足を失くし地へ ﹄ と落ちた。既になんの脅威でのないその巨体に近付き頭に一刺しし て絶命させる。 ﹃ガルゥウウッ やっと追い付いてきたヘルハウンドが飛びかかってくるが空中に いる間に相手を斬る。着地することもなく、地面へと激突しながら一 匹が絶命する。 残りの二匹は少し離れた所で二回目のブレスを放つ。跳びながら それを避け、ヘルハウンドの上へと身体を翻し刀を下に向ける。そこ から重力に従って落ちながら刀を真下に突き刺す。ヘルハウンドの 頭、そして勢い余って地面すら突き刺す。 突き刺さった刀から手を離し、急いでブレスを止め私に噛み付こう とするヘルハウンドの口を左手に嵌めている籠手で塞ぐ。がっちり と籠手を放さなくなったヘルハウンドの喉元に向かって右手を手刀 にして深々と突き刺すと、目から光が失われ地面へと倒れた。 ひと通りの戦闘が終わり周りを見渡す。何体か未だに息があるモ ンスターがいるので、一体ずつ近付いて止め刺していく。 ﹁ふぅ﹂ 周りにいたモンスターから魔石を採取して一息付く。 今回は第二の目的として金稼ぎが入っている。理由としては、要求 されていないが鈴音さんへの支払いだ。彼女は料金の話を一切して いないので、恐らく無償で作るつもりなのだろうが私としては正当な 対価は払わなければならないと思っている。それが金だということ が寂しくもあるが、金ほど確かな対価はないのも事実だ。 もちろん第一の目的は︻ステイタス︼の熟練度上げだ。 最初からここまで苛烈な戦闘をするつもりはなかった。現在は1 180 ! 6階層だが、私は今まで二時間ほど戦闘を続けていた。 流石の私も好き好んで集中力を要する戦闘を二時間も続けて行い たくない。いつもは戦闘をして、疲れたら他の冒険者のいる所へと移 パ ス・パ レ ー ド 動し休憩を取るのだが、今回はそれが仇となった。 ﹃怪物進呈﹄ 自分たちの戦っていたモンスター達に手が負えなくなった時に行 う、逃げの手段の一つだ。近くにいる冒険者に自分たちのモンスター を擦り付けて逃げるという行為で、当然好まれたことではない。しか し命には変えられないので、度々行われる。 私が休憩を取っている時にそれが起こった。その冒険者達の一番 近くにいたのは休憩中であった私だったのが運の尽き。パーティー でさえ捌ききれなかったモンスターを私一人で相手をすることに なった。 当然一箇所に留まって相手をすると囲まれてしまうので、迷宮内を 走り回りながら追ってくるモンスター達を相手にしていた。その過 程でモンスターの数が倍に増えたが、それは気にしないことにした。 そのせいで二時間も戦闘を続けるはめになったのだが、何も悪いこ とばかりではなかった。一つはたくさんのモンスターと戦えたこと。 二つ目は、忙しくて思考を放棄できたこと。 ここに来る前リリに話した内容が頭から離れなくなってしまって いた。しかし、それも長期の戦闘で疲弊した頭には浮かんでこなく なっていた。 やはり斬ることは心落ち着くとでも言うべきか、モンスターを斬っ ていく度に心が晴れていくように感じられた。これでいいのだと、心 が納得していくのが分かった。 ﹁はあ⋮⋮どうしますかね﹂ 溜 息 を 吐 き な が ら 一 人 呟 く。こ こ に 至 る ま で 倒 し て き た モ ン ス ターの魔石は手付かずなのだ。しかし、それを回収している内にまた 新しいモンスターに会うのは必然であり、そんなことを続けていたら 一生終わらない。かと言って諦めるには少し戸惑ってしまう量だ。 ああでもない、こうでもないと頭をひねっているとダンジョンには 181 ﹂ 似つかわしくない明るい声が曲がり角の先から聞こえてきた。 もういいでしょ、帰るわよ﹂ ﹁あれ、死体なくなっちゃった。死んじゃったのかなあ ﹁そうなんじゃない ? そもそもなんで律儀に魔石を回収してるのよ﹂ ? も∼ん﹂ ﹂ ﹁そもそもアイズ、何がすごかったのよ 体だったんでしょ ? が曲がり角に差し掛かったのは同時だった。 ﹁え﹂ ﹁これは皆さんこんにちは。いや、こんばんは ﹂ もう一人女性の声と唯一の男性の声が最後に加わるのと、その集団 ﹁ちぇ、団長がそういうなら﹂ ていたら助けてあげよう﹂ ﹁まあまあ。もう少し先に進もう。ここまで来たんだし、怪我でもし ﹁あれは⋮⋮怖かったです﹂ 性が会話に加わる。 そこに静かながら美しい声の女性と凛とした涼しげのある声の女 ﹁確かにな。触ったら崩れるほどの鋭い切り口など初めて見た﹂ ﹁断面が、すごく鋭かった﹂ ただのミノタウロスの死 ﹁だってアイズがすごいって言うからどんな人か知りたくなったんだ 明るくもう一人は若干苛立っている。 聞き覚えのある女性の声が二つ。似通った声質ではあるが、一人は ﹁はあ ちょっと見てみようよ﹂ ﹁え え え ⋮⋮ せ っ か く 魔 石 も 取 っ て き て あ げ た の に ね、も う ? ? 面々であった。 オラリオで一二を争う探索系ファミリアであるロキ・ファミリアの らファミリア一つを纏める冒険者の長である金髪の男性が一人。 ブを着たオラリオ最強の魔導師、そして子供のような身長でありなが 剣士、山吹色の髪を束ねた魔導特化冒険者、翡翠色の長髪に緑のロー を着ているアマゾネスの姉妹、流れるような金髪のオラリオ最強の女 目の前には褐色の肌を惜しみなく露出した踊り子のような戦闘服 ? 182 ? ﹁盗み聞きするつもりはなかったのですが。ティオナ、お礼を言わせ てください。魔石を拾ってもらってありがとうございます﹂ ﹁え、あ、うん。はい﹂ そう言ってティオナは肩に担いでいた袋を降ろした。予想通りか なんでここにいるのよ ﹂ なりの量だったようで、袋はそれなりに膨れていた。 ﹁じゃ、なくて 全員の思っていることをティオナさんが私に突っ込んだのは私が !? どれくらい魔石が取れたのかティオネに聞いている最中のこと、再起 動に掛かった時間は十秒程だった。 183 ! 炉は燃える ああ、お見せするのは初めてでしたね﹂ ﹁それにしても、変えたんだね武器﹂ ﹁え そう言って私は腰に差した刀をティオナに見せた。黒塗りの鞘と 黒の柄、見た目は地味の一言だが切れ味や握り心地などは納得できる 一品だ。 ﹂ ﹁まあ、これは繋ぎの武器なんですけどね﹂ ﹁新しいの買うの ﹂ ! 違った。 ﹁それは特注ということか の女に乗り換えるの ﹂ ﹁というか鍛冶師は女なのね。人の妹を散々誑かしておいて、すぐ次 が、それを言うと更に話を掘り下げられそうなので止めた。 である。真実は鈴音さんの方から打たせて欲しいと言い出したのだ リヴェリアさんの質問に答えるが、私が頭を下げたという部分は嘘 ﹁私が彼女に頭を下げて頼み込んだんですよ﹂ 2にランクアップして二つ名を得て名を挙げてからが一般的だ﹂ うのはあまりいないからな。普通専属契約などを交わすのはレベル ﹁いや、レベル1の冒険者に好き好んで特注の装備を作る鍛冶師とい ? ? ﹁ええ、何かおかしいですか ﹂ ﹂ もどおり笑顔で私の話を聞いていたがリヴェリアさんや他の面々は 特に深く考えていないティオナは何も思っていないのだろう、いつ ﹁へえ、いい武器だといいね ﹁いえ、今打ってもらっています。そのための資金集めですよ﹂ ? すよ﹂ ? にいた上テンパっていたティオナを見て大いに楽しんでいた一人だ。 闘技場でしたやりとりのことを言っているのだろうが、彼女もその場 耳聡く鍛冶師が女性であることを聞いていたティオネさんは以前 ﹁そうとは思っていない奴が一人いるけど ﹂ ﹁人聞きの悪い事を言わないで下さいよ。あれはからかってただけで ? 184 ? そして、その﹁そうとは思っていない﹂人は私のすぐ隣、現在進行 形で顔を朱に染めているティオナなのだろう。ティオネさんはニヤ ﹂ ニヤしながらティオナを見ていた。 ﹁し、知ってたから ﹂ ﹂ !? ﹁あ﹂ ル ガ ﹁少しは考えなさい馬鹿﹂ ! ﹁またその質問ですか ﹂ ﹁それにしても、君は本当にレベル1なのかい ﹂ 内心ヒヤヒヤしながらそれを顔に出さないように再び歩き出す。 ﹁うぅぅ、だってティオネがぁ ﹂ という未来を事前に見ていないとさっぱり動きが追えない。 か少し離れたところまで退避していた。流石は上級冒険者、跳び退く 横にいたティオネさんと更にその横にいたフィンさんはいつの間に 咄 嗟 に し ゃ が ん で 避 け る が 後 ろ 髪 の 毛 先 が 少 し 切 れ た 気 が す る。 えた。 まれる形で歩いていた私は位置的に私は巻き添えをくらう未来が見 た大双刃を横に振るってティオネさんを止めようとする。二人に挟 ウ 羞恥心が限界を越え、とうとうティオナは抑えられず手に持ってい ﹁わあぁぁッ ﹁あの時のアゼルの﹂ ﹁な、何言ってるのティオネ ﹁そうよね、知りながらも毎日毎日私にこいつのことを話したのよね﹂ ! ? のだろうとは思っていたが、それが既に信じられない程深い所まで来 見ることのできる魔法も合わさって、レベル適正を超えた階層にいる 基本的に刃が入れば一撃必殺と言ってもいい私のスキルと未来を そうではないらしい。 やっているだけなので違和感はないのだが周りから見るとどうやら フ ィ ン さ ん の 指 摘 に 頭 を 捻 ら せ る。自 分 と し て は で き る こ と を 信じられる。それくらい君が17階層にいた事は異常だ﹂ 存在と、君がレベルを偽っているという二つだったら後者の方がまだ ﹁言ってはなんだけど、中層で単独戦闘をこなすレベル1の冒険者の ? 185 ! てしまっていたようだ。 ﹁できてしまうことはできてしまうとしか﹂ ﹁本当に君は⋮⋮ランクアップが楽しみだよ﹂ ﹂ 親指を擦りながらそう言ったフィンさんの表情は少し険しかった。 ﹂ ﹁そういえば皆さんは探索の帰りですか ﹁それが聞いてよッ ﹂ ﹁お金稼ぎしよーってダンジョンに来たのに ﹁来たのに﹂ ﹂ 暴れて ﹁18階層で事件に巻き込まれて ﹁はい﹂ ﹂ ﹁事情聴取のために地上に戻らないといけないの ﹂ ﹁つまり暴れ足りないということですか ﹁そういうこと ? ! ! ﹂ ﹁行 っ た こ と な い の が 普 通 な ん だ け ど ⋮⋮ ち な み に 最 高 到 達 階 層 は ﹁行ったことないんですよね、18階層ですか﹂ う。 より部外者である私に教えていいことというのはかなり少ないだろ かなり省略されているであろうその説明に私は納得した。という ! ﹂ さんが何か吹き込んだのか、こちらを見てニヤニヤしていた。 私の質問に対して横から突然ティオナが大声で答える。ティオネ ? ! ﹁今のところ17ですね﹂ ﹂ それともそろそろ復活だっけ まあ、取り ﹁そこまで行ったら18階層行こうよ。今は階層主のゴライアスもい ないだろうし。あれ 敢えずモンスターいなくて安全だよ ? ないようにしたのだ。 所に興味のない私はとりあえず17階層まで降りてそれ以上は降り が中層に関して調べたことがあったから知っていた。しかし、そんな 18階層がモンスターの出ない安全地帯であることは、少しだけだ ﹁ああ、うん、なるほどね﹂ ﹁モンスターのいない階層だから行かないんですよ﹂ ? ? 186 ! ! ? ﹁じゃあ次は18階層を飛ばして19階層に行くの ﹂ ﹁中層で物足りなくなれば⋮⋮そうですね、新しい刀ができたら物足 りなくなるかもしれません﹂ それから地上に到着するまでロキ・ファミリアの面々と他愛もない 話をしながらダンジョンを歩いた。モンスターはほとんどアイズさ んが出会った次の瞬間に倒していた。モンスターに突っ込んでいく 冒 険 者 と い う な か な か 見 る こ と の で き な い こ と を 見 せ て も ら っ た。 リヴェリアさんによるとアイズさんは中層より遥かに強いモンス ターが出る下層や深層でもモンスターに一人で突貫するほど戦うこ とに執着していると溜息を吐きながら教えてくれた。 や は り 見 た 目 が 美 し い 少 女 と 言 っ て も 冒 険 者 と い う こ と だ ろ う。 私からしたら彼女程の剣の腕を持ちながら戦うことを好まないと言 われる方が信じられないので、そこまで驚きではなかった。 その後ロキ・ファミリアの面々と地上に帰還し魔石やドロップアイ テムを換金した。ティオナが拾っていてくれたおかげで魔石が大量 に獲れ、ヴァリスも今までにない程稼げた。 ティオナ達は早く事情聴取を終わらせて再びダンジョンに戻りた かったため、換金所で早々に別れた。そして私は代金の相談をしよう と思い、鈴音さんの家へと向かった。 ■■■■ アゼルは鈴音に会うために彼女の家へと向かったが、それは間違い であった。 彼女は冷えきった工房に一人座っていた。 ここ数ヶ月程一度も火の灯されていなかった炉は冷たく、工房自体 に来ていなかったため全体的に埃っぽい。しかし、彼女はそんなこと を意にも返さず机に向かい、様々な情報が描かれた紙束を眺めながら 今から打つ刀を想像していた。 使 用 す る 金 属 は 非 常 に 稀 少 な 金 属 で あ る ア ダ マ ン タ イ ト。ダ ン ジョンで採れる金属の中でも随一の硬度を持つそれは下層や深層で 187 ? ないと安定して採れない鉱物だ。 鈴音の悪い噂が流れ始めてからめっきり刀が売れなくなった彼女 には当然そんな素材を買う金銭はない。しかし、知り合いと交渉し彼 女の持つ鍛冶に司る技術のすべてと対価に素材の代金を払っても らった。鈴音としてもはすべて自分の手で完成させたい一振りでは あるが、材料を揃える資金がないことには何も始まらない。 恥も外見も気にしている場合ではない。最高の一振り、それは想い だけで打てるほど生易しいものではない。 柄、鞘、笄に使用する木材は長年掛けて自然乾燥させた物。切って すぐの木材は縮んだり伸びたりするので、刃を収納しておく鞘として は使えない。自然乾燥させた木材の中でも彼女が自ら市へと行き、木 の状態を吟味して選んだ物を使う。 柄に巻くのはフライレイと呼ばれる魚の皮。非常に素早く、そのス ピードを使い水面から飛び跳ね、まるで空を飛ぶように見えることか らそう名付けられた魚だ。別段珍しい魚ではないが、その皮の表面に は粒がたくさんあり柄紐を巻くのに役立つ。 柄紐はダンジョンに生息する蜘蛛型のモンスターが吐き出す糸を 解き、紐に編んだ物だ。非常に伸縮性に優れ、細い糸からは想像でき ない程の強度を持っており、解く時に特殊な薬品に漬けることによっ て粘力を失くし触り心地も良い。何よりも程よい弾力があり握りや すく、普通の紐とは一味違った紐だ。 鞘の塗りは黒、柄には白い皮と藍色に染めた紐を巻き、目貫は彼女 がいつも使っている鈴を模した物を使う。 鈴音の中で刀のイメージが確かな物へとなり、同時にそれを持つア ゼルのイメージも彼女の中でより鮮明に見えてくる。しかし、その刀 の描く軌跡が未だ見えない。 │││早く見たいよ 彼女の中でその想いが強くなっていく。まるで身体の中を暴れる ようにその感情は彼女を突き動かしていた。 そしてその想いを炉に灯す。 猛る炎が彼女の顔を照らし、工房の中に再び風が産まれる。忍穂鈴 188 音は帰ってきたのだ。そして漸く彼女は自分の居るべき、帰るべき場 所に気付いた。 初めて刀を打った時のことを思い出す。あの高揚感、そして自分で 打った刀に対する愛情。今は思い出にあるその瞬間を遥かに越える 高揚感が身を支配していた。 インチキだと罵られようとも、他人から嫌悪の目で見られようと も、もう彼女には関係のないことだった。 その槌はただ一人のためだけに振るわれればいい。 その炉はただ一人のために燃え続ければいい。 その心はただ一人のためにあればいい。 その想いをただ一人のために一振りの刀に打ち込めばいい。 最相アゼルに対する彼女の想いに他人など入る余地はなかった。 炉の中で炎が一層強く燃え、鈴音はそれをじっと眺める。そして、 ﹂ やはり思い出すのはアゼルの手であった。もうすぐ、きっともうすぐ だ﹂ ﹁こ、今度ね﹂ その女性は眼帯をしても尚他人の目を惹く魅力がある。あまり意 中の相手に会わせたくないと思ってしまった彼女を責める人はいな いだろう。そしてなにより、目の前にいる女性は強い。 ﹁あい分かった。では始めるとしようか、鈴音﹂ ﹁うん。手伝いに来てくれてありがとう、椿さん﹂ 189 あの手が握ってくれる。 ﹁おや、少し遅れてしまったかの ﹁⋮⋮ううん、ぴったしだよ﹂ ﹂ ? ﹁お主にここまでさせる男がいるとはのう。いつか会ってみたいもの ﹁⋮⋮うん﹂ ﹁ふむ、良い面構えになったのう。もしや、男か サラシ以外は着ておらず褐色の肌を惜しみなく露出している。 左目に眼帯をした褐色の女性だ。上半身は豊満な胸を隠すための するばかりか、鈴音はその人物に気付いていなかった。 気付けば工房にもう一人女性が入ってきていた。燃える炎に集中 ? ﹁何、お主の技法を見せてくれると言われれば誰だって来るさ﹂ その女性の名前は椿・コルブランド。ヘファイストス・ファミリア の首領であり、オラリオで最も腕のいい鍛冶師であると同時にレベル 5の冒険者でもある彼女の名だ。ヒューマンとドワーフのハーフで はあるが、ヒューマンの血を色濃く受け継いだ彼女は一般的な短足短 腕のドワーフと違い手足もスラリと長い。 鈴音の刀の素材の代金を代わりに払った人物であり、鈴音の現状を 心配して色々と世話を焼いてきた人物でもある。 鈴音が刀を打つので手伝って欲しいと言ってきた時椿は喜んだ。 彼女は鈴音の打つ刀が好きだった。椿が打つ武器は完全に戦闘用 の物だが、鈴音の打つ刀は違った。 鈴音の打つ刀は美しかった。刃は細心の注意を払いながら丹念に 研いだのが分かる輝きを放ち、反りはその輝きを鋭さへと変えた。鞘 から抜かれた瞬間空気が変わったのではないかと思うほど、鈴音の打 つ刀の刃は椿には美しく見えた。 そもそも二人は違う信念の元で武器を打っているので当然の違い だ。しかし、美しさを追求するという殺傷のためにある武器には無駄 とも思える鈴音の信念を椿は新鮮に思った。椿にとって鈴音との出 会いは、また一つ彼女の中で鍛冶の奥深さを知らしめた出来事だっ た。 そ ん な 鈴 音 が ど う し て も 完 璧 に 仕 上 げ た い 一 振 り が あ る か ら 手 伝って欲しいと言ってきたので椿は急いで受けていた仕事を済ませ 駆けつけた。 そして炉の中で燃える炎に照らされ鈴音の横顔を見て、また一人楽 しみな後輩ができたと心の中で呟いた。 轟々と燃え盛る炉に忍穂鈴音という少女は向き合った。燃える炎 に負けないくらいの激情を内に抱えながら彼女は槌を握った。 熱せられた金属を炉から取り出し、槌を振り上げる。 │││すべてを斬り裂いて 190 ただそれだけを願って忍穂鈴音は槌を振り下ろした。 ■■■■ 結局鈴音さんは家にはいなかった。共同住宅の外でどこに行った のかと悩んでいると私に誰かが声をかけてきた。 ﹂ ﹁そこの貴方﹂ ﹁私ですか 声の主は燃えるような赤い髪をし、顔の右側を覆う大きな眼帯をし た男装の麗人だった。しかし、男装しているからだろう、その美貌は より一層引き立てられているように思えた。 髪と同じく炎を思わせる赤い目が私を捉えていた。私もその目を 見る。圧倒的存在感と万人を惹きつける美貌。目の前に立っている ﹂ ﹂ 女性が人間ではなく神、つまり女神であるということを理解する。 ﹁ここになんの用かしら ﹁ええと、私そんなに怪しかったでしょうか それはどこにあるのでしょうか 行ったほうがいいわよ﹂ ﹁工房 ﹂ ﹁そ れ で、こ こ に な ん の 用 か し ら 鍛 冶 師 に 用 が あ る な ら 工 房 に ﹁それはよかった﹂ 心しなさい﹂ の眷属じゃない。別に貴方が特別怪しいということじゃないから安 ﹁ここは私のファミリアの子供達が住んでいる場所。そして貴方は私 ない。 好でもないし、不潔というほど身だしなみを疎かにしているつもりも 私としては建物の前で悩んでいるだけで怪しまれるほど奇抜な格 ? ? のヘファイストスよ﹂ ﹁まずは自己紹介ね。私はヘファイストス・ファミリアの主神兼社長 が私に近付く。 に用がある人間だったからだろう、私に対する警戒心もなくなり彼女 彼女は溜息を吐きながら呆れていた。自分のファミリアの鍛冶師 ? ? 191 ? ﹁どこって﹂ ? ﹁私はヘスティア・ファミリアに所属するアゼル・バーナムです。レベ ルは1の所謂駆け出し冒険者です﹂ ﹁貴方が﹂ 驚くことにヘファイストス様は私の事を知っているような口ぶり ﹂ だった。そんな彼女は現在私の左手に装着されている籠手を見た。 ﹁私の事をご存知なんですか ﹁ええ、ヘスティアとは天界にいた頃からの神友よ。少し前会って貴 方のことを聞いたの﹂ ﹁なるほど﹂ ﹁ちなみに﹂ ﹂ そう言って彼女は籠手を付けている左腕を掴み、私の目の高さまで 持ち上げた。 ﹂ ﹁これを製作したのは何を言おう私よ﹂ ﹁⋮⋮え ﹁あいつ言ってなかったのね﹂ ﹁いえ、ちょっと待って下さい。え、えええ あるヘファイストス様は恐らく鍛冶の神である。神としての能力を 使えないとはいえ、その神が作った籠手。確かに軽いのに頑丈だし、 付け心地は抜群だったが、まさか神の作った装備だったとは。 ﹁まあ、もう一人に作ってあげた物に比べれば何の変哲もない籠手な のだけれど﹂ ﹁も、もしかしてあのナイフも﹂ ﹁私が打った物よ﹂ ﹁⋮⋮﹂ 驚きで声が出ないのは初めての経験であった。私のは何の変哲も ない籠手というのだからベルの持っているベルはヘスティア・ナイフ と 呼 ん で い る 黒 い ナ イ フ は 何 か し ら 力 が 込 め ら れ て い る の だ ろ う。 しかも神であるヘファイストス様が直々に打った一振り。 一体どれほど金を積んだのか、と思ったが我がヘスティア・ファミ リアは零細ファミリアである。要するに金に余裕などない。 192 ? 鍛冶をするファミリアであるヘファイストス・ファミリアの主神で ? ? ﹁あの﹂ ﹁代金についてはもう話がついているから心配しなくていいわ﹂ ﹁え、あ、はい﹂ 私はあまり金に固執する人間ではないが、それでも借金などは御免 だ。 表情に少し不安が見えていたのだろう、ヘファイストス様はそれを 見抜いたのだろう。なんと言っても永遠とも言える時間を生きる神 なのだ、人の表情を見るのに長けているという特徴はほぼすべての神 ﹂ に適応される。 ﹁羨ましい ﹁え﹂ ﹁あまり言いたくないけど、製作費は断然ナイフのほうが掛かってい るわ。違う物だから単純に比較はできないけど、性能は天と地ほどの 差になるわ、いつか﹂ 羨ましくないと言えば嘘である。神が打った武器を振るうという 事に惹かれない冒険者はいないだろう。しかし、きっとそうではな い。 ヘスティア様は言った、私を大好きだと言えるようになると。その 言葉に偽りなど感じなかった。ならば何故装備の性能に差を付けた のか。 考えても、私には分からなかった。もしかしたら、彼女の愛情の差 な の か も し れ な い。人 も 神 も 行 動 に 感 情 が 現 れ る の は 変 わ ら な い。 しかし、それでも。 ﹂ ﹁いえ、そこまでは﹂ ﹁そう あの日、あの時まで私の事をあまり気にしていなかったヘスティア 様が私に歩み寄った。この籠手はその取っ掛かりであり証拠であり、 私とヘスティア様の見える絆だ。 私がいつか装備の差に気付くであろう事は、ヘスティア様とて可能 性としては考えていたはずだ。それでも彼女は私にこの籠手を与え 193 ? ﹁私は貰ったことに意味があると感じています﹂ ? た。ならば、きっと性能の差に意味などなかったのだ。 そもそも目の前の女神も何も意地悪でこんな質問をしたわけじゃ ないのだろう。ヘスティア様がどのような想いで渡したのか、気付い ていればいいし、そうでなければそれとなく私に教えるつもりだった のかもしれない。 ﹁ふふ、よかったわ。羨ましい、なんて言われたらどう返そうかと考え ていたわ﹂ 名前が分かれ ﹁流石に神に武器を強請るほど強欲ではありませんよ。それに、正に 今武器を作ってもらっている最中です﹂ ﹁そうだったわね。誰に作ってもらってるのかしら ば場所は分かるわ﹂ なんでもヘファイストス・ファミリアの構成員は入った時点で個人 の工房、鍛冶をする場所を与えられるらしい。鍛冶師として自分の技 能を秘匿するためには必要なことだそうだ。 でも、彼女は﹂ ﹁忍穂鈴音さんという方です﹂ ﹁鈴音 まで鍛冶師を休業していたが、私の刀を打ちたいと言ったのだから鍛 冶を再開したと言っていいだろう。 ヘファイストス様は少し考えてから私に言った。 ﹁私も確認しに行くから案内してあげるわ、こっちよ﹂ ﹁ありがとうございます﹂ 歩き出した彼女の後ろを私は追った。前を歩くヘファイストス様 が少し早足だった。 鉄を打つ音が響く。それは、鍛冶師達の音だ。 ヘファイストス様に案内されたのは何度か路地を曲がった先にあ る場所だった。煙突の付いた平屋造の建物がいくつも並び、辺り一帯 から鉄を打つ音が聞こえてくる場所。 ﹁ここがうちの鍛冶師達が工房を構えている地域の一つよ﹂ 194 ? 鈴音さんのことは彼女も知っているのだろう。鈴音さんは数日前 ? ﹁初めてここまで来ました﹂ ﹁用がなければ来るような場所ではないわ﹂ 喋りながらも彼女はその足を一つの建物へと進めた。他の建物と ほとんど変わらない、今は煙突から煙が出て、中からは鉄を打つ音が 絶えず聞こえてくる工房。きっとそこが鈴音さんの工房なのだろう。 煙が出ているし、鉄を打つ音が聞こえてくるので恐らく現在は作業中 のようだ。 ﹁本当に﹂ 私の横で同じ物を見聞きしていたヘファイストス様はまるで母が 子を愛しむような表情をしていた。今彼女が見ているのは一人の眷 属の挫折と再起の一幕だ。それを喜ばない主神などこのオラリオに はいないだろう。 ﹁貴方のおかげみたいね。ありがとう﹂ ﹁別に、私は何もしてませんよ﹂ ﹁いいえ、そんなことないわ﹂ やんわりと私の言葉を否定した彼女は、耳を澄ませてみろとジェス チャーをしてくる。言われたとおり耳に手を当て音を聞いてみる。 変わらず規則正しく、一定の強さで響く鉄を打つ音。 ﹁音を聞けば分かるわ。鈴音は貴方のために武器を打っている﹂ ﹁⋮⋮私にはさっぱりですね﹂ ﹁ふふ、分かってたらうちのファミリアに勧誘してるわ﹂ 既に耳から手を離した私と違い、ヘファイストス様はまだ音を聞い ていた。目を閉じ、鉄を打つ音から何かを感じ取る彼女は美しかっ た。 私も試しにもう一度音を聞いてみる。 ﹁燃える炉で鉄を熱し、振るわれる槌で鉄を打つ。そうやって私達は 鉄に魂を込めるの﹂ 歌うようにそう言った彼女の表情は慈愛で満ちていた。子供を励 まし成長を見守る母のようにに見えた。 ﹁燃える熱さは血となり、打たれる音が鼓動になる。そしていずれ鉄 は脈打ち命が宿る。私達が自らの血を、魂を込めた一振りができる﹂ 195 少し離れた場所で今も鉄を打っているであろう自分の眷属の背中 を押すように、彼女の言葉には力がこもっていた。 ﹁込める想いは様々だけど、想いの宿った槌を振り下ろした音は﹂ また鉄を打つ音が響く。辺り一帯から絶え間なく聞こえてくるは ﹂ ずの音の中、一つだけ私の耳に訴えかけてくるように聞こえてくるそ の音。 ﹁こんな音よ﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁今度は聞こえたかしら その音は直接身体に響いてくるようだった。普段であればなんの 気なしに聞き逃していたであろうその音は、今私の耳には心地よく聞 こえていた。その音は何かを私に伝えようとする叫びのようだった。 腕が疼いて震えた。ダンジョンから帰ってきたばかりだというの に、ホームに戻ってすぐとんぼ返りするはめになりそうだ。 ﹁ふふ、聞こえたみたいね﹂ ﹁ええ⋮⋮よく分かりませんけど、何か響いたような気がします﹂ ﹁そう、ならよかったわ。後、手﹂ ﹂ そう言ってヘファイストス様は私が無意識に握っていた刀の柄を 指差した。 ﹁あ﹂ ﹁変な誤解を生むだろうから、気を付けたほうがいいわよ ﹁いやあ、すみません。つい﹂ ただ滑稽でしかない。剣に見合った技量も持ってこそ剣士だ。 ならば私も自らの腕を磨くべきだろう。剣に見劣りする剣士など 高の一振りを打とうとしている。 で来た。その真剣な表情を見た気がした。今彼女は彼女に打てる最 想像も付かなかったが、鉄を打つ音を聞いていると自然と頭に浮かん 何度も何度も振っている姿を想像した。普段の彼女からはまったく ここからでは見えない鈴音さんが、汗をかき熱さに耐えながら槌を ﹁そう言って貰えると助かります﹂ ﹁気持ちは分からないでもないわ。私も今槌を握りたい気分だもの﹂ ? 196 ? ﹁今会いに行くわけにもいかないし。帰るわよ﹂ ﹁そうですね﹂ そう言った彼女は私を一瞥してから鈴音さんの工房に寄らずにそ のまま帰ろうとしていた。 刀を打つ音だけでここまで何かを斬りたいと思ってしまうのなら、 出 来 上 が っ た 一 振 り を 握 っ た 時 私 は ど う な っ て し ま う の だ ろ う か。 恐らくまともな思考はできなくなるだろう。何階層まで降りればそ の欲求が満たされるのか予想もできない。 これはまたヘスティア様を心配させることになるだろうと思いつ つ、私はそうなることを止めることができないと確信してしまってい た。 ああ、やはり私は人を悲しませてでも自分の欲求を満そうとしてし まうような男だ。自嘲的な笑みを浮かべた私の心の中に歓喜が渦巻 いていた。 早く握ってみたいと思いながら、ゆっくりとヘファイストス様の後 を追った。 197 それは遥か昔の熱 それは夜が更け、オラリオの住民が寝静まった時間帯のこと。一人 の女神が宵闇を歩いていた。銀の髪は月明かりに照らされその輝き を魅せる。 彼女が向かったのは一人の鍛冶師の工房だった。音もなくドアを 開 け、中 に 侵 入 し た。例 え 気 付 か れ て も、彼 女 に 逆 ら え る 者 は い な かっただろう。 ﹁ふふ、これね﹂ それは部屋の中央、備え付けのテーブルの上に乗っていた。菫色の 長細い袋に入ったそれを、彼女は無遠慮に取り出した。 それは一本の刀だった。 鞘は黒、柄巻は新雪のような白。それを見て彼女は一瞬もう一人の 少年のことを思い出したが、すぐに意識を切り替えた。 198 少し刀身を鞘から抜き、覗いた刃紋が夜の月明かりに照らされ妖し ﹂ く波打つように光るのを眺めた。 ﹁それは⋮⋮﹂ フルンティング ﹁これが何か分かるのオッタル れ問答無用で斬りかかられたという報告だった。 だ。アゼルの動向を探るため監視をさせていたのだが、尾行を気付か 彼女が思い出すのは、アゼルの監視を任せている猫人の眷属の報告 ﹁アゼルにぴったりね﹂ そんな掻い摘んだ説明を受けた女神は微笑んだ。 なくなっていったのはなんら不思議なことではない。 なった。それと同時にその属性を付与することのできる鍛冶師もい しかし、現在は吸血という非人間的な行為が嫌われ、使われなく することさえある。 殺せば殺すほどその武器の性能はその状態で保たれ続け、時には向上 吸血属性。それは生物の血を啜る武器の総称だ。斬れば斬るほど、 います﹂ ﹁恐らくは吸血属性。久しく見ましたが、存在感が昔見たそれと似て ? そして、その猫人は苦虫を噛み潰したような表情で最後に一言、僅 かだが斬られたと漏らした。その言い方が拗ねた子供のようで可愛 モンスターフィリア らしくついつい頭を撫でてしまった彼女だった。 しかし、内心は歓喜で満ちていた。 尾行に気付かれることは予想の範疇だった。 怪 物 祭の時も僅か な残り香だけで発見されたことを考えると、近くに彼女の眷属がいれ ば気付いてもおかしくない。 しかし、まさか彼女が大切に育てた上級冒険者に僅かといえども傷 ヴ ァ ナ・ フ レ イ ヤ を負わせるとは思ってもいなかった。猫人の眷属、アレン・フローメ ルはレベル6の冒険者であり︻女神の戦車︼という二つ名を持つこの 迷宮都市でも上位に入るフレイヤ・ファミリアの実力者だ。 彼女はアゼルの能力はそれとなく理解していた。格下のレベル1 の冒険者がオラリオ最強の冒険者に傷を与えることのできるその能 力に恐怖すら抱いた。 しかし、あれはオッタルが何もしていなかったからできたことだと 思っていた。今回はアレンが戦い、そして斬られた。確かに強いこと は分かっていたが、本気ではなかったとは言えレベル6であるアレン 相手に引けを取らない戦闘能力だ。 彼女の中でアゼルに対する愛が深まった。手に入れたいという想 いがより一層強くなる。 彼女は部屋で寝ている少女を見る。疲れて寝てしまったのか、彼女 は椅子に座りながら静かに寝息をたてていた。静かに近付いて、安ら かに眠るその少女の頬を触れ、感じ取る。 ﹁とっても良いわ﹂ 彼女は愛と美の女神だ。 それは、とても初々しい恋心のような愛。それと同時に刃のように 鋭い危うさを孕んだ愛。 ﹁彼に惚れるんだもの、こうなるわよね。でも、ごめんなさいねお嬢さ ん。彼は私のなの﹂ そう言って女神は刀をオッタルに持たせた。一本の針を取り出し、 手を刀の少し露出した刃の上に持って行く。針で肌を少しだけ刺し、 199 一滴の血が流れ刃へと落ちる。 イ コ ル ﹁愛してあげる。だから、すべてを斬り裂いて私の元へと来なさい。 これは私から送るささやかなプレゼント﹂ それは女神から一人の男に対する贈り物だ。神の血という奇跡を 内包した世界で最も優れた血は刃の妖しさをより一層引き立てた。 ﹂ ﹁この刀に免じて、彼のそばにいさせてあげる。でも、最後は私のもの になるから辛いだけよ 眠る少女に女神は語りかけた。誰も知らない、誰も聞いていないそ の言葉には戸惑いなどなかった。彼女は自分の欲しいものはすべて 手に入れる、そこには妥協も容赦もない。 ﹁いえ、そうでなくとも、彼の近くにいるのは辛いこと。それでも近く で愛したいというのね。これは貴方の愛の結晶﹂ 再び彼女は少女の頬に触れ、そこから熱が発生する。熱っぽいうめ き声が少女の口から漏れる。 ﹁なら私は貴方を祝福しましょう﹂ そうして彼女はそこから立ち去った。 来た時と同じように足音一つ立てず、静かに彼女は闇の中を歩く。 それに付き従う男も巨体にも関わらず卓越した身体操作で足音を消 していた。 ﹁なぜなら私は愛と美の女神﹂ 宵闇に消えたその女神の名はフレイヤ。この世界で最も美しい女 神の名だ。 しかし女神は知らなかった。その刃に宿る怨念を、そこに思念の集 合体がいることを。例え、それが刃に宿った怨念だとしても、彼女は 魅了する。すべてのものを愛せるからこそ愛の女神。そのための美。 ■■■■ アゼル・バーナム Lv.1 200 ? 力:H 199 ↓ G 233 耐久:H 104 ↓ H 179 器用:F 314 ↓ E 402 敏捷:G 243 ↓ F 353 魔力:H 126 ↓ G 201 フトゥルム ︽魔法︾ ︻未来視︼ スパーダ ︽スキル︾ ヴィデーレ・カエルム ︻剣︼ ︻地 這 空 眺︼ ﹂ ﹁上 昇 値 ト ー タ ル 3 5 0 オ ー バ ー ⋮⋮ は ぁ、な ん だ っ て 君 と ベ ル 君 揃って問題児なんだい ﹁別に上がって困る物ではないじゃないですか﹂ 結局、昨日はお金を一度ホームに置いていくために戻った所をヘス ティア様に捕まりもう一度ダンジョンに行くことは叶わなかった。 ﹂ ﹁それはそうかもしれないけど⋮⋮強くなるに連れ危険度も上がるだ ろう ﹁⋮⋮そうなんだよなあ。結局は君たちを信じるしかない、か﹂ そう言って彼女はヘスティア様は私の背中の上から降りた。彼女 もバイトとして働いている身だ、いそいそと出掛ける準備をしている 途中に無理言って更新をしてもらった。 ﹂ 現在の時刻は十一時。私はダンジョンに言った疲れで結構な時間 寝てしまっていたらしい。 ﹁じゃあ、僕は行くね。危険な事はするんじゃないぞ ﹁はいはい、分かりましたよ﹂ ダンジョンへ行くのは決定事項なのだが、その前に鈴音さんの所に するか悩んでいる段階だ。 朝食を食べてすぐダンジョンへと出掛けた。私は今日の予定をどう じゃ、と言ってヘスティア様は地下室から出て行った。ベルは既に ! 201 ? ﹁でも上がれば生き残る確率も上がりますよ﹂ ? 行き武器ができているか確認するか、ダンジョンの帰りに確認しに行 くか悩んでいる。行く前に尋ねて出来ていないと急かしているよう で申し訳ない。しかし、もし完成しているとしたら早く振るってみた い。 せめぎ合う感情。勝ったのは後者であった。 ﹁鈴音さーん﹂ 彼女の住む共同住宅の一室にいないことを確認した後、昨日ヘファ イストス様に案内してもらった工房へと足を運んだ。ドアをノック して名前を呼んでも彼女は出てこなかったので留守のようだった。 ﹁いないのか。じゃあ、帰りに寄るとしますか﹂ 小さな溜息を吐き振り向いて帰ろうとした。やはり早く新しい武 器を試してみたいという気持ちが大きく、彼女になんら非がないのに 後ろ、しかもかなり接近していた。楽しみ過ぎて周囲への警戒を疎か 202 溜息を吐いてしまった。 ﹁きゃぅ﹂ しかし振り返る途中に誰かにぶつかった。つま先立ちをして腕を 伸 ば し て い た そ の 人 物 は 押 さ れ た 衝 撃 で 後 ろ へ と 倒 れ か け て い た。 その事を瞬時に理解し、今朝方更新したばかりの︻ステイタス︼の効 果もありかなりの速さで腕を掴み自分の方へと引き寄せ抱きとめた。 ちなみに倒れると理解したと同時に相手が着物を着た女性である 鈴音さん﹂ ことも確認済みだ。これが男であったら放っておいただろう。 ﹁大丈夫ですか は思えないが。 ﹁は、はい﹂ ? 胸の中で顔を真赤にしている鈴音さんに私は尋ねた。彼女は私の ﹁で、私の後ろで一体何を ﹂ あってもそうだ。まあ、リューさんが私に押されたくらいで倒れると リューさんであれば接触は最低限に抑えて助けたし、知らない女性で もちろん女性だったら誰でも抱きとめたりはしない。もしこれが ? にしていた私に落ち度がないと言えなくもないが、普通街中で周囲の 警戒はしない。 ﹁⋮⋮驚かそうと思って﹂ ﹁鈴音さんがそういう事をすることに驚きました﹂ ﹁ううぅ﹂ 私がからかっていると思ったのか、依然顔を赤くしたまま鈴音さん は私から離れた。驚いたのは本当なのだが。 ﹂ 鈴音さんからは石鹸の清潔な匂いがした。髪も若干湿っているの が分かった。 ﹁お風呂ですか ﹁う、うん﹂ ﹁じゃあ﹂ 一気に心の中が明るくなる。鍛冶とは常に火の近くにいなければ ならないので汗もかくし、汚れる。なので作業中に身体を清めるとい うことはしないはずで、そもそも作業中に風呂に入る程余裕もないだ ろう。 鈴音さんが公衆浴場に行ったということはつまり、作業が終わった ということ。 ﹁できたよ﹂ 私が何を言おうとしたのか分かった鈴音さんは鍵を取り出し工房 のドアを開けた。私の手を取り工房の中へと導き、一振りの菫色の刀 袋に入った刀の前へと連れて行かれる。 ﹁これが﹂ ﹂ ﹁うん。アゼルの新しい刀。名前はホトトギス﹂ ﹁ホトトギス ﹂ ﹁よ、よかったぁ﹂ 本当に安心したのか、胸を撫で下ろしながら鈴音さんは微笑んでい た。そうして彼女は袋の中から刀を取り出した。 203 ? ﹁鳥の名前⋮⋮と、花の名前。書き方は色々あるけど。い、嫌だった ? ﹁嫌なわけないじゃないですか﹂ ? 最初に見えたのは鈴を象った目貫が付いた白と藍色の柄。そのま ま引き抜き、赤い下緒の結ばれた黒塗りの鞘が露わになる。ただそこ にあるだけで私の目を釘付けにする程の存在感があった。 それを鈴音さんは両の手の平に乗せ私に差し出した。微かに震え ている身体に俯いた顔。彼女は緊張していたのか、それとも喜んでい たのか。どちらにしても早く私に握って欲しいという想いが伝わっ てきた。 ﹁では﹂ 差し出された刀を握る。 今まで握っていた刀の柄紐より断然柔らかい握り心地だった。程 良い弾力があり、手に吸い付くようだった。それだけで、彼女がどれ 程私のことを考えて刀を打ってくれたのかが垣間見えた気がした。 な ら ば そ の 中 身 は そ う 思 う だ け で 心 が 震 え た。答 え な ど 分 かっていた。 努めてゆっくり刀身を鞘から抜いていく。 真っ直ぐな刃紋が見えた。私の姿を反射し映しだすその刃が美し く、二色に分けられたその刃の中に、私は自分を見た。ただ斬りたい セルチ と願っている自分を。 8 0 C 程 の 刀 身 を す べ て 抜 き 終 わ る と 工 房 内 に 済 ん だ 音 が 鳴 っ た。滑らかな金属同士を擦り合わせたような、静かで心に響く音。も う私はその刃から目を逸らすことができなくなっていた。 刀を持っていながら、まるで何も持っていないような感覚に襲われ た。振らずとも刀が身体の一部だと感じるほど私の感覚に合ってい た。持ち心地、重心の位置、刃の長さ、すべてが合っていた。 ﹁ッ﹂ 刃を見ていると頭の中に様々な光景が流れた。 ただひたすら刀を打ち続ける老人の姿。死に体で完成させた最後 の一振りに込められたその願い。そして、すべてを斬る刀。その願い に答えるため、何度も何度も物を、人を斬っていく人々の姿。そして 最後には自分すらも斬って死んでいく。 貪欲なまでに斬った人の血を啜り、その想いを溜め込んでいく闇。 204 ? その闇の中で花が散り、その根本は人々の死体と血で埋まっていた。 ﹂ ただそれだけの世界。 ﹁ど、どう 鈴音さんに声を掛けられ我に戻る。涙目になりながら私のことを 見上げる彼女を見て、自分が今までこの世の物でない光景を見ていた 事に気付く。それほどまでに現実味があった。 あんなにも非日常の出来事の光景だったのに、何故か私はそのすべ てが現実なのだと理解していた。それは記憶だった、それは誰かの経 験だった。この刀に宿った思念は、血を啜りそれを自分の物としてき た。 幾百幾千の人間を斬り、その血と想いを吸収する怨念。ただ一人の 男の願いが刀に宿ったことで始まった負の遺産。男のたった一つの 願いを叶えるために刀は血を吸った。 ﹃すべてを斬り裂いて﹄ ﹂ 鈴音さんの声が聞こえた気がした。 ﹁だ、だめだった いが。 るようにでも、私の役に立つようにでもなく。私が最も欲していた願 何故ならこの一振りには願いが込められている。私を守ってくれ ﹁私は生涯この一振りより良い物に出会うことはないでしょう﹂ 願って。 服 を 掴 ん だ 手 を 優 し く 包 み 込 む。こ の 想 い が 彼 女 に 伝 わ る こ と を 彼 女 は 私 の 上 着 を 掴 み 顔 を 押 し 当 て な が ら 泣 き だ し て し ま っ た。 ﹁鈴音さん﹂ ﹁ねえ、何か言ってよぉ﹂ 納刀して腰に差す。もうこの一振りは私の身体の一部となった。 そう、私は願われた。すべてを斬り裂くことを、彼女に望まれた。 一筋の涙が流れた。 ながらもう泣きそうになっていた。目尻には大粒の涙が溜まり、頬に 私が何も答えないのが不安になったのか鈴音さんは私の服を掴み ? ﹁それくらい、素晴らしい物です﹂ 205 ? ﹁ほんと ﹁はい﹂ ﹂ ﹁ほんとにほんと ﹁本当です﹂ ﹂ 私の答えを聞いた鈴音さんは盛大に泣いた。よっぽど緊張してい たのか、私の言葉を聞いた途端彼女は足の力が抜けてしまい地面にへ たりこんでしまった。そんな彼女を支えながら椅子に座らせ涙を流 す彼女が泣き止むまで一緒にいた。 彼女は純粋に私の進む道を肯定してくれた。それがどうしようも なく嬉しかったのだ。 老師は僅かな失望を見せた。 ヘスティア様は悲しそうな顔をした。 リューさんは私を可哀想な人だと言った。 それでもいいと私は本心から思っていた。しかし、否定されること は辛い。理解して欲しいと思うことはいけないことじゃないだろう。 今までの私はただ斬っていただけだった。そういう生き方しか知 らなかったから、私はただすべてを斬っていた。だが今は違う。たく さんの人と出会い、その生き様を垣間見た。ここには数多くの可能性 が眠っていることを知った。 友と歩む道、愛に生きる道、力を求める道。そう、なにせならここ は数々の神が集い、人間たちの可能性を楽しむ世界で最も熱い街なの だから。 それでも、否、だからこそ。私はすべてを斬り裂く、その道を選ぶ。 私は所詮ただの人でしかない。すべてを極めるには脆弱すぎる存 在だ。ならば、自分の持つ唯一つの才能を極めよう。その先にある何 かを掴もう。 剣を持ち、剣を振り、剣に生きてきた。そんな自分の人生に意味が あったのか、自分が積み上げた物がなんだったのか知りたい、知らな ければならない。 そのために私は。 ﹁すべてを斬り裂きます﹂ 206 ? ? それは私がそれしか知らないからじゃない。他の道があると知っ ても私は自らの生き方を変えない。自らの意志で、自らの望みですべ てを斬る。例えそれが誰かを悲しませようとも、傷つけようとも私は 止まらない。 腰に差した刀から熱を感じた。それが広がり心が震え、腕が疼く。 私は斬りたい。 ■■■■ 私は走った。鈴音さんの家から飛び出してからずっと走った。高 ぶる感情を抑えること無く、街中にいたにも関わらず身体は戦闘態勢 に入っていた。上がったばかりの︻ステイタス︼と未来視を使い、人 混みの中を人を縫うようにして走りダンジョンへと向かい、その状態 ははははは ﹂ を維持してただ下を目指して走っていた。 ﹁ははは ﹃ガゥ ﹄ て、早く辿りつけと私を衝き動かす。 その鼓動が私に斬れと言う、すべてを斬り裂けと願うのだ。そし るようだった。 鉄を溶かし、槌でそれを打ったその時の熱が今も刃の中で脈打ってい もその刃には熱い想いが宿っていることが私の心を震わせた。炎で くした。武器としての出来も完璧と言っていいほどだったが、何より ために調節された刀の重さ、長さ、重心の位置は斬撃を更に鋭く、疾 今までどれほど粗末に剣を選んでいたのか理解させられた。私の 笑わずにはいられなかった。 ! 向かって襲い掛かってきた。僅かに身体を横に逸らしながらすれ違 いざまに両断。魔石に目を向けることなく私はそのまま走る。 ﹄ ただ下を、より強い敵を、この武器を振るうに相応しい敵を求めて。 ﹄ ﹃ヴヴォオオオォ ﹃キキィ !! !! 207 ! 下へ下へと走る私を邪魔するようにヘルハウンドが正面から私に ! ﹃グルルッ ﹄ まるでダンジョンが私が先に行くのを阻止するかのように正面か らモンスター達が現れる。壁や天井から産まれたり、曲がり角から私 の気配でも察知していたのか走ってきたりと私が未来視を常時発動 していなければ不意打ちになりかねない場面がずっと続いている。 しかし、この階層では足りないのだ。 攻 撃 と い う 攻 撃 を 未 来 視 し 最 小 の 動 き で 避 け な が ら 一 撃 で 敵 を 屠っていく。立ち止まる時間すら勿体無いと感じていた。 この中層にいるモンスターは全員斬ったことがある。だからもっ と下へ、まだ見ぬ敵を斬るために私はひたすら走っている。 そして辿り着いた。17階層と18階層を繋ぐ最後の広間。私が 18階層に興味がなく終ぞ足を踏み入れることのなかった空間だ。 そこはダンジョンの中だというのに静かだった。つい先程までモ ンスターと戦っていたというのにこの空間に入った途端モンスター メドル がいなくなっていた。 奥行き200 M、幅はその半分程で、天井の高さが20M程の整っ た直方体の空間。一方の壁だけ平らに研磨されたかのように滑らか な表面をしている。これまで見てきたダンジョンのどの空間と違っ た、何か特別な場所。 心がざわざわと騒いで、刀を持つ腕がより一層熱を帯びて疼きだ す。これから来るであろうその敵を、私は出現する前から感じ取って いた。ダンジョンという生物の鼓動、何かを憎みながら呪詛のように 力強く脈打つ生命の根源。 その時、ダンジョンは確かに私へと敵意を向けていた。その理由は 私には分からなかったが、それは今まで受けてきた殺気や敵意とは まったく違うものだった。質で言えばオッタルの漏らした僅かな敵 意の方が上回っていた。 しかし、今感じている敵意は全方向から、まるで私を圧殺でもする かのように襲いかかってきた。それが、堪らなく心地よかった。 │││ビキ 208 ! 傷ひとつない滑らかだった壁に亀裂が入る。 │││バキッ その亀裂は徐々に広がり、壁の中からより濃厚な敵意が漏れ出して くる。来る、何かは分からないが、私が今まで見たことも戦ったこと もないような何かが来る。 │││ズゥン 大きな音と共に壁の向こうから一本の灰褐色の長大な腕が突き出 される。そのに伴って壁だった岩が床へと落下し土煙が立ち込める。 私は、ただその光景を見ていた。 続いてもう一本腕が突き出され、両腕を使い壁に大きな穴を開け た。そこからそれの頭が出てきた。まるで人間のような頭に長い髪。 それは巨人だった。 壁から産まれた巨人はそのまま下へと落下し、その巨大な足で地面 を踏みしめた。ただ着地しただけで周りに爆風の如き風が吹き荒れ 209 土煙は私へと押し寄せ、そしてさらに後方へと吹き飛ばされた。 晴れた視界の先に私はその巨人を見据えた。体躯は7Mを越える、 今まで出会った中でも最大のモンスターだ。その身体は人間とは比 べ物にならないほど大きく、太く、頑強に見えた。 ﹄ ﹃オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ オォッ ﹂ 明確な敵として見ていた。 ﹁不足なしッ !!! !! ﹃オオオオオオオオオオォォォォッ ﹄ だ。ただ冒険者がいたから倒すではなく、目の前のモンスターは私を 宿っていた。私を殺すためにダンジョンが産み落とした一匹の怪物 雄叫びを上げた巨人は私を見下ろした。その目には確かな敵意が ﹁相手にとって﹂ ら力が湧いた。 まれた︻ステイタス︼が一瞬燃えるような熱さを帯び、身体の奥底か て い た。笑 う し か な か っ た。心 が 歓 喜 で 満 た さ れ て い た。背 中 に 刻 ビリビリと空間を震わせるほどの咆哮に晒されながらも私は笑っ !!! 巨人は腕を振り下ろし、私は地を蹴って走りだした。 210 剣、至る 巨人の一撃は地面を砕き、粉塵をまき散らしながら岩を飛ばした。 その中に突っ込んでいくのは通常自殺行為だが、岩の軌跡が見える私 にとってはそこまでの脅威ではなかった。 むしろ、その後が驚愕であった。 迫り来る灰褐色の拳であった。その巨大な拳が視界を覆い尽くす のが見えた瞬間横へと飛ぶ。まるで暴風の如く自分の横を通り過ぎ た腕を見て冷や汗を流す。 一撃でも受けたら致命傷となる。オッタルに貰った一撃は私を一 撃で意識不明にしないように加減されていたが、目の前の相手は違 う。出せる限りの力を使い私を殺そうとしている。 │││灰褐色の巨人﹃ゴライアス﹄ ユニークモンスター 211 中層について大雑把に調べている時に目にしたモンスターの名前 だ。 ダンジョンのモンスターはある一定のサイクルで産み落とされる。 通常のモンスターは倒されてから数時間、遅くとも数日で出現する。 しかし、目の前のモンスターは違う。倒されてから再び産まれるま での期間は大体二週間と長い。しかし、そのおかげなのか絶大な強さ を誇る。 モンスターレックス 通 称 階 層 主 と 呼 ば れ、そ の 階 層 の 最 奥 を 守 る 存 在。ま た の 名 ﹄ 迷宮の孤王、ダンジョンにたった一体しか存在しない固 有 存 在だ。 ﹃オオオオオオオオオオオオオオオオォッ ﹁ぐっ﹂ 放置し、視界に映る情報だけを頼りに戦闘をしていく。 当然戦闘中に耳を守ることなどできない。爆音に晒され痛む耳を する威嚇攻撃、ただの咆哮だけで冒険者達をあざ笑うかの如き力だ。 その咆哮は空間を震わせ、爆音は冒険者に襲いかかる。全方位に対 !! メドル ゴ ラ イ ア ス は 振 り ぬ い た 腕 を そ の ま ま 身 体 の 外 側 へ と 振 り 払 う。 腕の太さは1 Mを越えるほど太く、まるで壁が押し寄せているかの ようだ。その腕をすれすれの所を跳びながら避ける。 もっと高く跳ぶことで余裕を持って避けることができるように思 えるが、空中にいるというのはそれだけで危険だ。なにせ人間は空中 で行動することができない。踏み締める地面がなければ走ることも 跳ぶこともできない。 地面に着地を、姿勢を低くしながら走りだす。目指すはゴライアス の足元。 ゴライアスの強さは絶大ではあるが、その攻撃方法は少ない。腕を 振り下ろす、振り抜く、振り払う、そして足で蹴る、踏み潰す。その すべてが一撃必殺ということを除けば突出した攻撃方法を持ってい ない。 更に足元であれば腕による攻撃は上からに限定できる。最も厄介 ﹂ 212 なのは跳んで避けないといけない振り払いだ。それをなくせば攻撃 をくらう可能性はぐっと下がるはず。 近付けば近付くほどゴライアスの巨体が大きく見えてくる。高揚 していない私であればその巨大さに気圧され萎縮していたかもしれ ない。しかし、今の私を満たしていたのはより強い敵と戦える喜び だった。 殺気を感じれば感じるほど、踏み込む足に力が入った。敵意に満ち た咆哮を浴びれば浴びるほど私の心は震えた。死と隣合わせの状況 で私は自分が死ぬなどという心配も忘れていた。ただその一瞬一瞬 ﹂ を楽しんでいた。 ﹁シィッ ﹁なっ てもう一度斬ればいい事、そう思った矢先であった。 一度の斬撃で斬り落とすことはできなかった。しかし、反対側に回っ が肉を斬り、傷口から血が溢れてくる。流石に刃渡りが足りず足首を 足元へと辿り着きすぐさま一閃。いつも通りなんの抵抗もなく刃 ! 傷口が湯気を上げながら再生しはじめた。 ! 次の瞬間上からゴライアスの拳が降ってきたので已む無くそれを 回避するために少し飛び退いた。視界には地面を殴った衝撃で飛び 散る岩が映り、その間をくぐり抜けるようにして一定の距離を保ちな がら避けていく。 土煙が晴れて先ほど斬った足首を見る。傷は既にほとんど癒えて いた。 ﹁そんな、馬鹿な﹂ ゴライアスの資料はざっとしか読んでいなかったが、流石に能力欄 に︻再生能力︼等書いてあれば気付くし、ちゃんと戦闘に関するとこ ろは読んだつもりだ。 別段ゴライアスは珍しいモンスターではない。毎回毎回どこかの 誰かが倒しているし、再生能力などという能力があれば情報がないわ けがない。読んだ資料はギルド公認の資料だったので情報も確かだ。 ということは、目の前にいるゴライアスが特殊だということだろう 213 か。初めて見るのでそこまで自信はないが、眺めた資料で見た絵と変 わらない見た目だ。 再び足へと近付き、今度は刃を入れてから足首を一周するようにし て斬る。しかし、それも斬った端から再生が始まり完全に切断するこ とができなかった。もう一周しようとすると今度は攻撃され、避けて ﹂ いる間に再生はほぼ完了していた。 ﹁こいつ、死ぬんですか まった。 そこで自分がまったく逃げるつもりがないということに笑ってし りない。 い。流石に欠損した部位まで再生できる程の能力だったら厄介極ま しかし、その再生能力がどれほどの物なのかは知らなければならな 傷が治るのはいい。いや、まったくもってよくないがこの際いい。 撃が致死の相手と戦いながら考え事はできない。 なって逃げなければすぐに追いつかれてしまう。流石にすべての攻 てもゴライアスの足の早さはそこまで遅くはない。こちらも必死に とりあえず何か策はないか考えるために距離を取る。巨体であっ ? ﹁ハッ、ハッハッハッ ﹂ そう、恐怖など感じていなかった。しかし、それは剣士にとって、い や戦う者にとって致命的な欠陥だ。恐怖を感じない者には破滅しか 待っていない。それは私も身を持って体験したことではないか。 慢心や驕りはこの身を斬り刻む。そう分かっていて尚、この時だけ は自分の中に溢れる歓喜に身を任せていたかった。 傷が再生するからなんだ。ならば、再生できない一撃を与えればい い。すべての攻撃が必殺だからなんだ。ならば、一撃もくらわなけれ ばいい。こんな所で立ち止まっている暇など、私にはない。 とりあえず再生能力の性能を確かめなければならない。しかし部 位欠損させるなら部位を選ばなければならない。 足は無理だということはこれまでの出来事で分かっている。それ 以外の箇所となると腕くらいしかないが、腕もそう簡単に斬り落とす ことができるかというと、できないだろう。 腕を振りぬいた時に一度斬ることはできるが腕も刃渡りが足りず 一度の斬撃で斬り落とすことは不可能。となると、肩から腕すべてを 斬り落とす。それなりに斬ることができれば後は腕の重さで切り口 が広がって傷の再生を阻害できるかもしれない。離れた肉と肉をつ なぎ合わせるような再生の仕方ができないという前提だが。 しかし、肩を斬るためには当然そこまで行かなければならない。腕 を伝って行くにしても、いつ宙に飛ばされるか分からない状況は危険 過ぎる上、確実に斬り落とせる保証がない。 もっと確実に斬り落とせる部位はないかと思案して思いつく。指 であれば、刃渡りも足りそうだ。振り下ろしの時に手を開いていれば 斬ることは可能である。それを思いついた瞬間にこれしかないと決 断する。 ﹄ 立ち止まって再びゴライアスと対峙する。 ﹃オオオオオオォッ ライアス。暴力の塊と化した拳は私が後方へと避けたことによって 地面を砕く。 214 ! 走った勢いを利用して今までで一番破壊力のある拳を繰りだすゴ ! 振りぬかれる拳、振り下ろされ振り払われる腕を何度も避ける。闇 雲に攻撃をしたってすぐに再生されるのだから、避けることに専念す る。 そして、望んでいた一撃が放たれる。 手を開いたまま、私を叩き潰すための振り下ろし。手を振り上げ、 手が開いているのを見た瞬間目に魔力を注ぐ。指を斬るためにはそ れだけ近くにいなければならない。それには正確な手の位置、振り下 ろした後の余波などをしらなければならない。なにせただの振り下 ろしでも地面を砕き岩を飛ばすのだ。 流れる時間が遅くなったかのように感じるほど集中する。視界に 映る未来の光景を信じ移動していく。手が地面に叩きつけられた後、 飛ばされる岩の位置を見てどのように刀を振りその後回避をすれば いいか頭に思い浮かべる。 凄まじい速度で振り下ろされる手に、恐れることなく刃を向ける。 思い描いた軌跡と寸分違わず刀を振るい、指の付け根付近を斬り裂 きながら回避行動へと移る。予知していた岩の軌跡を見ながら足を 動かしていく。そして顔面へと飛んできた岩を左手の籠手で弾く。 視界の端には灰褐色の塊が一つ宙に飛ばされていた。指を斬り落 としたのだ。そして、回避行動も唯一避けることのできない場所に飛 ばされた岩を弾いたので完遂した。そして、一瞬気を緩めてしまっ た。 ﹁ごふっ﹂ 腹部に痛みが生じ、いつの間にか吹き飛ばされていた。本来飛んで くるはずのない岩が腹にめり込んでいた。かなりの勢いで飛んでき たそれを無防備な状態で受けた私は吹き飛ばされ地面を転がった。 完全に油断していたとしか言えない。私が見た未来では、自分が 斬った指のことは考慮されていなかった。それ故に予想外な所に岩 が飛んできた、そうとしか思えない。 ﹁ぐっ、これはまずい﹂ それなりの重量のある岩がある程度の速度で飛ばされれば、それは すでに脅威だ。冒険者として︻ステイタス︼で強化された身体がある 215 からなんとか無事ではあるが、本来岩が当たっただけで人は死ぬ。 私は痛む腹部を庇いながらなんとか立ち上がった。吹き飛ばされ たことでゴライアスと距離が空いたことで時間は少しあった。 しかし、悪いことは重なる。 ﹁いつっ﹂ 一瞬目に痛みが走り、次の瞬間視界がぼやける。突然身体が重く なったと感じるほど力が入らなくなった。立ち上がったばかりの私 は膝を立ててやっと姿勢を保てていた。 ﹁なんだ、これは﹂ 今まで感じたことのない倦怠感が一気に押し寄せてくる。よろめ く身体を片方の手を地面に付けて姿勢を保ち、もう一方で痛む目を抑 える。痛みは一向に引かず、ぼやけた視界には近付いてくる灰褐色の 巨人が映る。 ﹁まさかっ﹂ 216 冒険者としてギルドに登録する際に大体の事はベルに聞いてもら い後々気になった時に効くつもりであった私はあまり聞いていな かった。しかし、一つだけベルなしで聞いた説明があった。それは、 魔法に関しての説明。魔法を持っていないベルには不要と思ったの だろう。 マインドゼロ そ の 説 明 の 中 で 特 に 気 を 付 け な い と い け な い と 言 わ れ た の が 精神疲労だった。魔法の使い過ぎによって引き起こされる現象で最 マインド フトゥルム 悪の場合気絶する。体力に限界があるように魔法を使うためのエネ ルギーである精神にも限界がある。 ﹂ 思 え ば 鈴 音 さ ん の 工 房 を 出 て か ら 今 に 至 る ま で ず っ と 未来視 を 使っていた。 ﹁クハッ、ハッハッハ て否、と即答する。 なら死に物狂いで敵から逃げるか、と自問する。そしてそれに断じ きい要因だ。 ない。私がここまでゴライアスと対峙できていたのはこの魔法が大 気怠い身体に鞭を打ちなんとか移動を始める。もう未来視は使え ! 何故なら私の心は折れてなどいないから。満足に動かない身体、使 えなくなった未来視。状況は絶望的と言っても過言ではない。それ でも、私は、私の心は斬り裂くことだけを望んだ。 元より私は剣士、この身一つ、手に持つ一振りだけで戦う者。魔法 が使えなくなったからと言って、戦うことを止める道理などない。あ の 男 を 斬 る ま で は こ の 歩 み を 止 め て は い け な い。そ し て あ の 男 を 斬ってからも私はすべてを斬り裂くために剣を振るう。 手に持つホトトギスの刀身が仄かに朱く揺らめいた。熱は手を伝 い腕へ、腕を伝い胸へ、そして心臓が強く鼓動する。 ﹃斬り裂きなさい﹄ 誰の声かは分からなかった。知りたいとも思わなかった。ただそ の声は私を侵した。すべてを放棄してその命令を聞けと。 ﹃すべてを斬り裂きなさい﹄ ホトトギスから流れた熱は身体中へと巡っていた。力が満足に入 らなかった身体が嘘だったかのように活力に満ちていた。 しかし、だからと言って勝てない現状に変わりはない。私にはホト トギス以外の武器がないのだ。 ﹃いいえ、貴方なら﹄ ﹁何を馬鹿なことを﹂ 誰かが私を見ていたら独り言を呟いている変人にしか見えなかっ ただろう。それでも私は否定せざるおえなかった。ずっと剣しか振 らずに生きてきた私だからこそ知っている剣士としての限界がある。 刃が当たらなければ何も斬れやしない。それを越えるというのは 既に剣技ではなく魔法の領域だ。だから私にはできない。 刀 魔法 ﹃ならば剣技で魔法の領域に達してしまえばいい。その身体一つで、 手に持つ私達ですべてを斬り裂く剣に至ればいい﹄ 自分の内側から何かが膨張するのが分かった。それは炎のように 熱く、鉄のように冷たく、煙のようにとらえどころのない、しかし刃 の鋭さを孕んだ何か。 ﹃その身に剣を宿す貴方なら﹄ 膨れ上がったその何かが身体の外へと溢れ始める。 217 ﹃神さえもが恐れる剣を宿した貴方なら﹄ その何かに思考が侵蝕されていく。斬れないという結論が斬りた いという願望に。逃げろという正解が戦えという蛮勇に。遠ざかる ように走っていた足は、いつの間にかゴライアスへと向かっていた。 ﹃斬りなさい。そうすることでしか、貴方は自分を知ることができな いのだから﹄ 突然進行方向を反転させた私に、待っていたと言わんばかりにゴラ イアスは拳を突き出した。その手には指がなかった。つまり、部位欠 損は回復できない。 これまでの戦闘でその速度と攻撃範囲を把握していた私は横に避 けるのではなく上に跳び、言われたがままに腕を振るい刀を横に薙い だ。 私の内から溢れる得体のしれない何かが暴れるようにして外へと ﹄ 吐き出されたような気がした。 ﹃グオオオオオオオッ 耳に届く巨人の叫び。腕は切断されゴライアスの手は拳を突き出 した勢いもあってかあらぬ方向へと飛んでいった。輪切りになった 腕からは中にあった肉や骨が露出し、ゴライアスの血が吹き出してい た。 腕に着地しそのまま走る。腕を伝い首を斬り落とせば倒せる。斬 ﹄ られた指を再生できないのだから首を斬り落とせば絶命するのは道 理だろう。 ﹃オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ ようと頭を前に出し始めていた。しかし、喰われる気はさらさらな 得物が目の前に舞いでたゴライアスは大きく開いた口で私を食べ び上がり回避し着地と同時に再び首に目掛けて跳躍。 ゴライアスは斬られていない方の手で走る私を掴もうとする。跳 かった。 度もの咆哮で耳が聞こえなくなっていた私にはそこまでの効果はな 目は大きく見開かれ、口も目一杯開いて叫んでいた。しかし、既に幾 私 に 腕 を 斬 り 落 と さ れ た こ と で ゴ ラ イ ア ス は 憤 怒 の 声 を 上 げ た。 !!! 218 !! い。 空中にいるので回避は不可能。ならば、私ができることはたった一 つ。 刀を両手で持ち、身体を捻り力を溜める。 本来であれば不可能なはずのそれを、私はできるという確信があっ た。 ﹃そう、己を信じなさい﹄ 剣を持ち、剣を振り、ただ強い剣士になるために研鑽を重ねてきた 十八年間。他人からすればたった十八年かもしれない。しかし私に とっては己のすべてだ。一人で剣を振り、老師に剣を習い、ダンジョ ンで敵を斬った。 ﹃剣に傾けた時間を、斬るという己の願いを﹄ 来る日も来る日も剣を振るって生きてきた十八年間は私を裏切ら ない。己の中から湧き出る﹃斬りたい﹄という願いは世界を塗りつぶ 219 す。 ﹂ ﹃貴方こそが私達の担い手に相応しい﹄ ﹁おおおおぉ ﹃ォ││││﹄ その斬撃は人の身に余る行為だった。 その斬撃は剣技を超えた。 その斬撃は世界を侵した。 んだ。 部を斬り裂き、その後ろにあった壁に大音響と共に深い亀裂を斬りこ り過ぎた物すべてを斬り裂く斬撃であった。それはゴライアスの頭 刃が空を斬ったその直後視界にあるすべてが斬れた。ただ一閃、通 ら届いていない、宙で刀を振るっただけに見えただろう。 それは一見ただの右薙ぎだっただろう。刀はゴライアスの肉にす だから私は、刀を横に振り切った。 れ上がった。 は疑問にも思わなかった。でも、私の声に答えるようにそれはまた膨 自分の中から湧き出るそれが何なのか私は知らなかった。その時 !! 大きく開かれたゴライアスの口、その上顎と下顎がずれる。そし て、遂にゴライアスの頭部は下顎を残し首から分断され地へと落ちて いった。 まるで岩が落下したかのような音を聞きながら、私は地面へ着地し た。背 筋 を 伸 ば し 姿 勢 を 正 す。深 い 息 を 吐 い て 心 を 落 ち 着 か せ、納 刀。そしてなんとなしに上を見上げた。 ﹂ そこには横長の亀裂が壁に刻まれていた。到底刀一本では付ける ことのできない斬撃だ。 ﹁これは⋮⋮貴方がやったんですか ﹃いいえ、貴方が斬ったのよ﹄ 頭の中に声が響く。戦っている最中は気付かなかったが美しい声 はなつばき だった。 ﹃花 椿﹄ 前置きなしに言われた何かの名前。しかし、それだけで私は理解し た。ああ、それがお前の名前か、と。 ﹃桜のように人を誘い、憑いては殺し散った血は花びらのように美し い。何人もの人間の首を斬り、都を恐怖で彩った私達の名前﹄ ﹂ ﹁そうですか⋮⋮でも、私はホトトギスの方が好きですね﹂ ﹃ならそう呼べばいい﹄ ﹁そう、させてもらいます。いっ だということを思い出し触ってみる。ぬるり、という温かい液体が手 に付いた。 ﹁え﹂ 自分の腹を見る。岩が当たれば場合によっては出血もするだろう。 しかし、流石に出血していたらあの時気付いたはずだ。確かに当たっ た直後は血など出ていなかったのだ。 痛みを我慢して上着をたくし上げ傷を見る。 ﹁なん、で﹂ そこには切り傷があった。注視しなければ見えないくらい綺麗な 切り口、それでいて血はかなり滴る異様な傷。 220 ? 突如腹部に痛みを感じた。そう言えば岩が当たって負傷をしたの ! ポーションを取り出し染みることを覚悟しながら傷にかける。染 みたが、傷は一行に良くなる気配がない。その間もずっと血が流れ る。 そこに思い出したかのように精神疲労の影響が戻ってくる。 ﹁ぐっ﹂ 倒れそうになるのを気合で足に力を入れて踏ん張る。ここで倒れ るのはまずい。そうだ、それはあってはならない。ホームには私の帰 りを待つベルとヘスティア様がいる。鈴音さんだって私にホトトギ スの感想を聞きたいだろう。そう言えばリリとは賭けをしていた。 ﹁かえ、ら、ないと﹂ 何よりも、こんな所で死ぬわけには行かない理由がある。あの男を 斬るまでは、あの高みへとたどり着くまでは。 プロテクターが目に入る。私が斬るべき相手を思い浮かべる。私 がこんな所で死ねばあの男は失望するだろうか。それは嫌だ。 籠手が目に入る。私を大切に思う神様を思い浮かべる。私がこん な所で死ねばあの神様は悲しむだろう。それは嫌だ。 ﹁く、そ﹂ だが、限界を超えていた身体は私の言うことなど聞いてくれない。 自分の血でできた血だまりに倒れ伏し、私が最後に見たのは17階層 へと続く通路からやってくる冒険者達の姿だった。 221 己を貫く代償 ﹁あ、起きた﹂ 目を覚ますと知らない天井があった。上体を起こした私に同室に いた男性が気付き、すぐに部屋を出て誰かを呼びに行ってしまった。 ﹁いっ﹂ 腹部には相変わらず痛みがあった。擦ってみると真新しい包帯の 感触。あたりを見渡して自分がどこかの部屋のベッドに寝かされて いたことを確認する。 足をベッドから下ろて座る。傷を庇いながら身体を少し動かし調 子 を 確 か め る。そ し て 身 体 に 力 が 入 ら な い 致 命 的 な 異 常 に 気 付 く。 ﹂ 手を握っても握力が格段に落ちていて刀もまともに握れそうにない。 ﹁よお、もう動いて大丈夫なのか ﹁起き上がって歩くくらいなら﹂ つい先程出て行った男を引き連れ、もう一人眼帯をした男が部屋へ と入ってくる。 ﹁ならいい。で、話を聞かせてもらおうか。こっちは一日待たされた んだ﹂ ﹁ここは18階層にあるリヴィラの街。お前は17階層でゴライアス の死体の近くで倒れてたのを冒険者が拾ってきた。で、残った魔石と 俺 は こ こ で ま と め 役 み て え な 事 を し て る ドロップアイテムの所有権が誰にあるのか聞きてえっつう訳で治療 し た。こ れ で い い か よかった。 ? ﹁ううむ﹂ 魔石を横から奪うってのも目覚めが悪いからよ﹂ ﹁で、あいつを倒したのはどこのどいつだ 流石に階層主クラスの 最後に見た冒険者達は私を街まで運んでくれたようだ。いい人達で その男の話を聞いて漸く固まっていた思考が回り始める。そうか、 ボールスだ。ちなみに治療費は後で俺に払えよ﹂ ? 222 ? そ れ 以 前 に こ こ が 何 処 な の か 教 え て も ら っ て も い い で ﹁話 と は ? ﹂ しょうか ? ﹁どうした ﹂ ここは正直に私だと言うべきなのだろうか ゴライアスの魔石 は大きいので大量のヴァリスになりそうだし、ドロップアイテムとい うのも少し気になる。しかし、レベル1で中層のモンスターを倒して いた事に驚いたフィンさん達のことを考えると、階層主を単独撃破し たなど誰も信じてはくれないだろう。 そもそも階層主の単独撃破という時点で信じてもらえるかすら分 からない。 ﹁言っとくが、下手に隠し事はしねえことだ。今リヴィラはちぃとば かしピリピリしてるんでな﹂ ﹁えぇ⋮⋮﹂ ﹂ そう言われてしまうと私が倒したという真実を告げるしかない。 ﹁実はですね、わ﹂ ﹁ボーーールスーーー おねがーい ア マ ゾ ン 買い取りー ! た。 ﹂ ﹁お前は寝て待ってろ、すぐ済ませてくる。聞こえてるっつーの 黙ってそこで待ってろ ! 行った。 ■■■■ ﹁やっと出てきた らね﹂ 今度遅れたら他のとこに買い取りしてもらうか 外にいる女性に負けず劣らずの大声を出しながらボールスは出て !! どこか聞き覚えのある二つ名を呟きながらボールスは立ち上がっ ! く。聞き覚えのある女性の声だった。 ﹁ボーールスーー ﹂ 私が倒したんですよ、と言いかけたところで外から誰かの声が届 !! ﹁ちっ、声がでけえんだよ︻大切断︼め﹂ !! ! 223 ? ? ﹂ ﹁こっちにも都合ってもんがあんだよ。あ いか ﹁こっちにも都合ってものがあるんだよ﹂ ﹁うぜぇ﹂ たアゼルと出会った。 ﹁あいつらの知り合いか ててくれ。おい、お前とお前 二人程いなくなってな こっち手伝え﹂ じゃあ、あいつらの暇つぶしにでもなっ そこで勝手にベッドから起き上がり部屋の外へのこのこと出てき ﹁外から知り合いの声が聞こえたもので﹂ ﹁てめえ、寝てろって言っただろ﹂ を連れてこようと店の中へと行こうとした。 四人がそれぞれ抱えている戦利品を見てボールスは何人か手伝い ﹁また随分と貯めこんだな。待ってろすぐ終わらせる﹂ ﹁こっちの馬鹿は放っておいて、買い取り頼むわ﹂ フィーヤとフィンで行動をしていた。 現在はアイズとリヴェリアを抜いた四人、ティオナ、ティオネ、レ 五日前のことだ。 ファミリアの面々は、その後すぐさまダンジョンへと再び潜ったのは 日 1 8 階 層 で 事 件 に 巻 き 込 ま れ 翌 日 泣 く 泣 く 地 上 へ と 戻 っ た ロ キ・ アイズとティオナの借金を返済するためにダンジョンに趣き、その 言った。 ふふん、と無い胸を張りながらティオナはお返しとばかりにそう ? ﹁あら、また会ったわね﹂ ﹁ええ、五日振りくらいでしょうか ? が信じられないのだろう。それに比べてティオナはまったく気にし やはりティオネとしては未だにレベル1の冒険者が中層にいること 若干口を引きつらせながら挨拶をしたティオネにティオナが続く。 ﹁アゼルやっほ∼﹂ ﹂ アゼルを、同じように驚いて四人は出迎えた。 と出る。ダンジョンの中だというのに昼のように明るいことに驚く 店員を二人呼びつけるボールスの横を通り過ぎアゼルは店の外へ ! ? 224 ? ている様子がない。 ﹁フィンさんもレフィーヤさんもこんにちは、で合ってますよね にしている。 ﹁で、君はどうしてここに 興味がないと言ってたけど﹂ ﹂ どこか胡散臭い雰囲気のあるアゼルのことをレフィーヤは少し苦手 呆れ顔のフィンとアゼルの挨拶にお辞儀だけで答えたレフィーヤ。 けど、ここは昼だし﹂ ﹁ああ、合ってるよ。僕らもずっとダンジョンにいるから確証はない ? ﹁大丈夫 回復薬いる ポーション ﹂ が怪我をすることなど日常茶飯事なので誰も驚かなかった。 そう言ってアゼルは包帯の巻かれた腹部を四人に見せた。冒険者 てね﹂ ﹁別に来たくて来たわけじゃないですよ。少し怪我をしてしまいまし ? でいたボールスが横から話に入ってくる。 ? 血 は 止 ま っ て る よ う で す ﹁そうなんだ。じゃあ、どうやって治すの ﹁寝 て れ ば 治 る ん じ ゃ な い で し ょ う か し﹂ ﹂ アゼル達が話をしている間にフィン達の戦利品を店の中へと運ん 一本無駄にしちまったからその分も払えよ﹂ ﹁そうだぞ、なんでか知らんがそいつの傷、回復薬が効かねえんだわ。 ﹁いえ、お構い無く。たぶん効かないので﹂ ? ﹁うん、二人共まだ下﹂ ﹁そう言えばアイズさんとリヴェリアさんがいないですね﹂ ﹁リヴェリアがいれば魔法でちょちょいのちょいだったのに﹂ ﹁私自身覚えのない傷なんですよ﹂ ﹁だと思うって。はっきりしないわね﹂ ﹁切り傷、だと思うんですけど﹂ ﹁そもそもどんな傷なのよ﹂ さい溜息を吐いた。 アゼルは落ち着いていた。そのことに少しだけ呆れたティオナは小 怪我を負った本人すら把握していない傷を負っているというのに ? 225 ? それが大いに不満なのか唇を尖らせながらティオナは説明した。 それから深層ではどんなモンスターがいたか、どうやって倒したか などをティオナがアゼルに話ながら買い取りが終わるのを待った。 ボールスも手慣れたもので大量にあった戦利品の買い取りは十分 程度で終わった。 ﹁ほれ、証文だ﹂ ﹁ありがとうボールス。今度も頼むよ﹂ ﹁次はうちで金を落としてけ﹂ ﹁ここで買い物をするほどお人好しじゃないよ﹂ ダンジョン内に存在するリヴィラの街の物価は地上と比べ物にな らないほど高い。十倍行くかどうか、という具合だ。この街で買い物 をする人間は緊急で物が必要な人間だけだ。 ﹁で、そっちの。お前にはまだ話があんだよ﹂ ﹁忘れてなかったんですね﹂ 言い逃れしようたってそうはいかねえぞ﹂ ﹂ よるとゴライアスはもう死んでてその近くでこいつが倒れてたんだ とよ。で、魔石もドロップアイテムもそのままだからとりあえず話を 聞こうと思ってな﹂ ﹁⋮⋮なるほど﹂ フィンはじろりとアゼルを見た。その視線に気付いたアゼルはぎ こちない笑みを浮かべたが、フィンには通用しなかったようだ。 ﹂ ﹁そこの彼の身分は僕が保証する。話さないのも決して悪気があるわ けじゃない。誰にだって話せないことはあるだろう ? 226 ﹁ああ ﹁まるで私が何かしたような言い草ですね なっていた。 ? ﹁まあ、少しな。昨日ゴライアスが出たんだけどよ、発見した冒険者に ﹁どうかしたのかいボールス ﹂ ゼルも力が入らない身体では抵抗しようもなく、まったく動けなく ボールスはアゼルの腕を掴みどこへも行かないように抑えた。ア ! ? ﹁やけにこいつの肩を持つな。もしかしてお前んとこの新人か何かか ﹂ ? ﹂ ﹁違 う け ど、ま あ 少 し ば か り 世 話 を し て あ げ た 間 柄 だ よ。魔 石 も ド ロップアイテムもそっちが貰っていい。それでいいねアゼル ﹂ ﹁⋮⋮それでお願いします﹂ ﹁⋮⋮本当にいいのか ﹁はあ ﹂ ﹁⋮⋮すみません、うちエンブレムなんてないんですけど﹂ け﹂ ﹁リヴィラじゃ買い物は証文でやんだよ。ほら、名前とエンブレム書 ﹁あ、後私今治療費を払うお金がないんですが﹂ という取引だ。 つまるところ、魔石とドロップアイテムを差し出すから何も聞くな をわざわざ言いたい人はいない。 たくない理由も頭に浮かぶ。どうせ言っても誰も信じてくれない事 かった。ゴライアスを倒したのが誰なのか、そして自ずとそれを言い ボ ー ル ス と て 馬 鹿 で は な い。フ ィ ン の 言 い 方 で 大 体 の こ と は 分 少し悩んだ末に了承したアゼル。訝しげにアゼルを見るボールス。 ? 書で行われる。何かを買えば証文に名前とファミリアのエンブレム を書き店員に渡す。その店員が地上に帰った時に証文を持ってファ ミリアに金額を請求する。買い取りの場合は逆だ。 トリックスター ﹁ボールス、彼の治療費はロキ・ファミリアが負担するよ﹂ ﹁まあ、払ってくれるなら誰でもいいがよ﹂ そう言ってフィンは素早く証文に名前と道 化 師のエンブレムを書 きボールスへと手渡した。 ﹁何から何まですみませんフィンさん﹂ ﹂ ﹂ ﹁これくらいどうってことないさ。さて、で君の話を聞かせてくれる かい ﹁あ、やっぱりそうなります 腕を掴まれたアゼルに逃げ場などなかった。 れるかのように連れて行かれた時と同じく、ティオナとティオネに両 出会った当初、ロキ・ファミリアのホームである黄昏の館に連行さ ? 227 ? リヴィラでの買い物はほとんどが証文というファミリアへの請求 ? ? ■■■■ ボールスさんの店から装備を取ってきて、フィンさん達が泊まって ﹂ しかも一人でだなんて無理です いる宿の一室へと連れて行かれた。世話をしてもらった手前嘘は吐 けない。 ﹁し、信じられませんッ ﹁まあまあ﹂ ﹁だ、だってレベル1で階層主を ﹂ ﹁やっぱり嘘です ﹂ ﹁本当ですよ、証拠はありませんが﹂ ! ! ﹁自分でも頭おかしいって自覚はあるのね﹂ ﹂ ﹂ ズドーンって感じ そう言って握りこぶしをフィンさんに見せる。どれほど力を入れ ﹁帰りますよ。まあ、もう少し休んでからになりそうですが﹂ ﹁で、この後はどうするんだい ライアスを倒したというだけなので終わった。 最後にやれやれと呆れながらフィンさんがつっこむ。私の話はゴ ? 言葉に棘があるティオネさんは通常運転だ。 ﹁ねえねえっ、どうやって倒したの ﹁ほえ∼。あ、これが新しい刀 ﹁いえ、むしろズバーンって感じでした﹂ ? ﹁はしゃいだ、じゃ済まないと思うよ﹂ ﹂ ﹁まあ、それはアイズさんが私より頭が良い証拠じゃないでしょうか﹂ とを私がやってのけたのが気に入らないのだろう。 自分の憧れであるアイズ・ヴァレンシュタインにもできなかったこ ﹁ああ、そういうことですか﹂ ﹁だ、だってそんなことアイズさんですら﹂ にもレフィーヤさんだった。 ゴライアスを単独撃破したことを告げるとまず反応したのは意外 ! ﹁ええ、素晴らしい一振りで少しはしゃぎ過ぎました﹂ ? ? 228 ! ようとしても入らず、ぷるぷると震えるだけだ。 ﹁どうにも身体の調子がおかしいんですよね﹂ ﹁はあ⋮⋮送っていくよ。でも、ここに一泊するから帰るのは明日だ﹂ ﹁本当にありがとうございます。早いところ帰って主神を安心させな いと後が怖いので﹂ どれだけ泣かれるか、という怖さだ。ヘスティア様の涙は苦手だ。 ﹂ ﹂ 自分のために誰かが涙を流すということが今までなかったからだと 思っている。 ﹁え、なに。アゼルも泊まってくの ﹁ええ、お世話になります﹂ ﹂ ﹂ ﹁じゃあ、これから水浴びしにいくから一緒に行こ ﹁⋮⋮私男ですよ ﹂ ﹁別に気にしない気にしない ﹁気にしますっ ! ? う物騒な名前で恐れられるティオナですし。 んに限って襲われることなどないだろう。道を歩けば︻大切断︼とい の中には私とフィンさんだけになった。まあ、ティオナとティオネさ タオルやら荷物を用意して出て行くティオネ達を見送った。部屋 ﹁気を付けるんだよ﹂ ﹁じゃ、行ってくるね﹂ だった。別に私がいてもいなくても変わらないということだろう。 象的な二人を見て少し笑ってしまった。ティオネさんは始終無関心 残念そうにするティオナと安心しきったレフィーヤさんという対 ﹁そっかぁ﹂ ﹁お誘いは嬉しいのですが、私は傷もありますから遠慮します﹂ だったようだ。ベルに教えておこう。 マゾネスという種族は総じて恥じらいがないと聞いていたが本当 必死の形相でレフィーヤさんが私の同行を阻止しようとする。ア ! ? ﹁まあ、なんとなく分かってはいたけど。とんでもないことをしてく れたね﹂ 229 ! ﹂ ﹂ ﹁分かっていたんですか﹂と尋ねると﹁僕の勘はよく当たるんだ﹂と 答えられた。 ﹁一つ聞いていいかな ﹂ 違うファミリアである ﹁ええ、どうぞと言いたい所なのですが、一つ質問いいでしょうか ﹁なんだい ﹁なんでここまで良くしてくれるんですか ﹂ 自分がしたことで周りとの関係が壊れるとは 結果誰かが傷つくことは いのかい その いるけど。自分がしていることが間違っている、そう思ったことはな ﹁君は強くなるために、いや、自分の欲を満たすために色々無茶をして したかった質問を投げかけてきた。 頬を掻きながらフィンさんはぎこちなく笑った。そして、彼が私に ﹁はは、振られたってロキに伝えるのは僕なんだけどなあ﹂ します﹂ ﹁後半は聞かなかった事にしますね。でも、この御恩はいつか絶対返 ば後々快く改 宗してくれるだろうという下心かな﹂ コンバート は君のことを気に入ったみたいでね。まあ、要するに恩を売っておけ ﹁目の前に困っている人がいたら助ける、っていうのもあるが。ロキ その質問にフィンさんは顎を撫でて答えに悩んでいた。 私に﹂ ? ? ? 相も変わらずフィンさんは返事もせず私をじっと見つめる。 んていうのは無意味な問答ですよ﹂ いことを、心の底から望んだことをするのに間違っているかどうかな ﹁フィンさん、私はね間違っていてもいいんです。自分が本当にした スの柄を撫でる。 しかし、既にその問題への解答を私は得ている。優しく、ホトトギ んだったのか。そう思ったことはないわけではない。 私は果たして間違っているのか。間違っていたとしたら、正解はな ﹁間違っている、ですか⋮⋮まあ、そうですね﹂ 情の裏にある感情でも読み取ろうとしているように見えた。 フィンさんの表情は真面目そのものだった。目は私を捉え私の表 ? 230 ? ? ? ﹁その結果誰かが傷付いても、誰かが私から離れていっても私は止ま らない。そう心に誓ったんですから。だから、私は誰かが吐いた怨嗟 も流した涙も糧とすることにしました﹂ 誰も傷つけたくないのなら、誰も近付けなければいい。誰にも涙を 流してほしくないなら、誰よりも強くなればいい。孤高にして孤独、 最 強 絶対にして最強。このオラリオを見下ろすあの男のように。たった 一人のレベル7のように。 ﹁⋮⋮⋮⋮そうか﹂ パ ルゥ ム 長い沈黙の後フィンさんはそう呟いた。私の答えを聞き目を閉じ て何かを考えるような仕草をした。 ﹂ ﹁君は少し僕に似ているね﹂ ﹁私がですか ﹁ああ、冒険者である前に君は剣士だ。そして、僕は小人族だ。そのた めに生きている、そういった所がね﹂ フィンさんは両手を握りしめていた。そこには上級冒険者フィン・ ディムナではない、違うフィンさんの表情が伺えた。 その後お礼を言われ会話は終わった。結局フィンさんが何を聞き たかったのかは始終分からなかったが、別に気にもならなかった。 しかしティオナ達が帰ってくる前に ﹁いい小人族の女性がいたら紹介してくれないか﹂ と頼まれたのには驚いた。一瞬ティオネさんに告げ口したほうが いいのかとも考えたがフィンさんのためにやめておいた。小人族の ﹂ 知り合いはいないので、見つけたら紹介しますとだけ言っておいた。 ■■■■ ﹁じゃあね ﹁いいっていいって ﹂ フィンさん達と出会った次の日の昼過ぎ、私は地上へと戻ってい ﹁なんでアンタがそんな偉そうにしてんのよ﹂ ! 231 ? ﹁本当にありがとうございました﹂ ! た。 上級冒険者であるティオナやフィンさんが一緒にいるおかげでリ ヴィラから地上までの道のりは快適だった。私は本当にもしもの時 のためにレフィーヤさんの傍で待機していたので、何もせずに地上ま でたどり着いた。 ﹂ ﹁じゃあ、楽しみに待っているよ﹂ ﹁何をですかフィンさん ﹁まあ、色々とだよ﹂ 笑いながらフィンさんは何も答えてはくれなかった。レフィーヤ さんは律儀にお辞儀をし、ティオネさんはフィンさんの腕にひっつ き、ティオナは度々こちらに振り向きながら手を振って去っていっ た。 ゴライアス戦から三日が経った。その内一日はずっと寝ていたに も関わらず、体調は未だ万全には程遠い。昨日よりは良いが、一人で ダンジョンに行ったら苦労しそうなくらいだ。 バベルの広場に出て行き交う人々を眺める。笑い合いながら店へ と入っていく恋人たち、肩を叩きながら冗談を言う男達、世間話に花 を咲かせる女達。それは日常だ。誰もが当たり前に過ごし、誰もが大 切にしている日常だ。 しかし今、私には酷く物足りないものに思えた。肌に突き刺さるよ うな敵意も、命を失ってしまうような危険もない。日常に剣は必要な い。 ﹁ああ、これは重症だ﹂ ゆっくりと歩きながら胸を抑える。胸が高鳴らないのだ、腕が疼か ないのだ。早く、早く戦場へと身を投じたい。 ﹁もどかしい﹂ こんな傷など負っていなければすぐにでもダンジョンに行きたい。 ︻ステイタス︼の更新が必要なければダンジョンに篭もりっきりでい られるのに。 背中に刻まれた神と眷属の証。すべてを斬り裂くという私の望み に必要なもの。それはつまり、それを刻む神であるヘスティア様も私 232 ? は 必 要 と し て い る。必 要 と し て い る の に 蔑 ろ に し て し ま っ て い る。 傷付けてしまっている。 私が斬れば斬るほど、戦えば戦うほど、彼女は私の心配をする。彼 女の涙を思い出し、心が締め付けられた。私の中の何かが軋んだ。 ﹁はっ﹂ 笑ってしまう。自分の欲しい道を見つけた。そのための覚悟も決 めた。なのにこの様ななんだ。心を鉄にしろ。迷うな、突き進め、そ うすることでしか掴めない、望めない場所を目指すのだから。 ﹁ごめんなさい﹂ これから傷付けるであろうすべての存在へ、諦念を胸に私はその一 言をひねり出した。太陽で照らされた明るい街で、私の影は濃くなっ た。 233 君って奴はっ さあ、聖戦を始めよう ﹁君って奴は ﹂ ﹂ ﹂ でも、今まで一度も目立つ怪我を していなかったというのも事実だ ﹁それは、まあ⋮⋮あ、︻ステイタス︼の更新してくれません ﹁その前に何をして怪我をしたのか言うんだ﹂ ﹁その説明は更新の後がいいと思います﹂ せて仰向けになる。 ﹁はあ、今度は何をしてくれたんだい ﹂ に巻いてある包帯を解く。ベッドにタオルを敷きその上に腹部を乗 頬を膨らますヘスティア様をベッドの脇まで連れて行き、自分は腹 ﹁それくらい分かっているさ、まったく﹂ ね﹂ ﹁まあ、そう言わずに。あ、背中に乗る時は体重かけないでください ﹁⋮⋮なんだかすごく嫌な予感がするよ、僕は﹂ をしてくれないかもしれない。 たぶん説明したらまた怒るだろう。怒ったら︻ステイタス︼の更新 ? ! ﹁それはそうかもしれないけど ベルに同意を求めると頷いてくれた。 ﹁ヘスティア様、一応言いますが怪我をするほうが普通なんですよ﹂ た。 夕方になりヘスティア様が帰ってきて私の傷を見た途端怒りだし は自分だと言うのに。 で思わず体調が悪いのかどうか聞いてしまった。体調が優れないの ジョン大好きっ子なら毎日ダンジョンに行くものだと思っていたの 様はバイトでいなかったが、驚くことにベルはいた。ベル程のダン 私がホームに帰ると昼時ということもありいつも通りヘスティア ﹁痛い、痛いですってヘスティア様﹂ !! ! 滴私の背中へと垂らした。 ジト目で私を見下ろすヘスティア様は針で自分の指を刺し、血を一 ﹁それは更新してのお楽しみということで﹂ ? 234 ! ﹁ッ ﹂ そしてその表情は驚愕に染まった。私の上で固まったヘスティア ﹂ ﹂ 僕無性に食 様を不審に思ったのかベルがベッドの傍に来ようとする。 ﹁ベル君 ﹁ひゃい ヘスティア様はそんなベルに大声で反応した。 ﹁ちょっとジャガ丸くんを買ってきてくれないかなあ べたくなってきたんだ﹂ ﹁えっと、神様はお昼もジャガ丸くんだったって⋮⋮﹂ ﹁食べたいんだ、全種類、揚げたてのを頼むよ﹂ 答えて地下室から出て行った。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ヒエログリフ ﹁⋮⋮アゼル君、これはどういうことだい ﹂ ﹁これ、とは ﹂ 背中の神聖文字が光っている。ランクアップ出来る ﹁とぼけるな ﹁君は⋮⋮君はまた僕の忠告を無視したのかい ヘスティア様が力なく私の上に座った。 ﹁やはり、だって﹂ ﹁やはり﹂ ? 数分で︻ステイタス︼の更新は終わった。ヘスティア様はその内容 ﹁ほら﹂ てきているかのようだった。 込んできた。まるで、涙を流していない女神の悲しみがそのまま流れ 触れ、私の経験を反映させていく。淡い熱が背中からじわじわと流れ ヘスティア様も私の言葉を聞き漸く動き出した。手で私の背中に 帰ってきてしまいますよ﹂ ﹁と り あ え ず、更 新 し ま し ょ う。あ ま り 時 間 を 掛 け 過 ぎ る と ベ ル が ﹁だからって⋮⋮だからってこんなこと﹂ ﹁私は前言ったはずです。私は歩みを止めないと﹂ ? ﹂ ? 証拠だ ! ﹂ ヘスティア様の必死の声と表情に気圧されベルは小さく﹁はい﹂と ? !? ! ! 235 ! を紙に記し私に渡した。 アゼル・バーナム Lv.1 力:G 233 ↓ D 546 耐久:H 179 ↓ E 438 器用:E 402 ↓ B 784 敏捷:F 353 ↓ C 611 魔力:G 201 ↓ D 506 フトゥルム ︽魔法︾ ︻未来視︼ スパーダ ︽スキル︾ ヴィデーレ・カエルム ︻剣︼ ︻地 這 空 眺︼ これがレベル1最後の︻ステイタス︼だった。そしてもう一枚の紙 には。 アゼル・バーナム Lv.2 力:I 0 耐久:I 0 器用:I 0 敏捷:I 0 魔力:I 0 剣士:I フトゥルム ︽魔法︾ ︻未来視︼ スパーダ ︽スキル︾ ヴィデーレ・カエルム ︻剣︼ ︻地 這 空 眺︼ すべての基礎アビリティがリセットされた︻ステイタス︼だ。 ﹁派生アビリティはそれだけだったから、勝手にそれにしておいたよ﹂ ﹁ありがとうございます﹂ 236 ﹂ そしてふと気付く。︻魔法︼が増えていない。 ﹁あの、魔法増えてませんでしたか ﹁増えてないよ﹂ 思っていた。 ﹁で、何をしたらこんなことになるんだい 険度とかね﹂ ﹁階層主という存在は ﹁⋮⋮まさか﹂ ﹂ ﹁馬鹿野郎、誰が謝ってほしいもんか ﹂ ﹂ れようとも構わない。それは私が受けるべくして受ける罰なのだ。 その覚悟を決めた。それで恨まれようとも、泣かれようとも、罵ら ﹁⋮⋮私は、謝りません﹂ 声は震えていた。 背中に額を押し付けるように倒れこみ、彼女は小さく私に言った。 ﹁危険な事はするなって、言ったのに﹂ 様はやめてくれなかった。 背中を殴られ傷が痛んだ。しかし、苦悶の声をあげてもヘスティア ﹁まあ、そのまさかでうっ ﹂ ﹁まあ、主な事は知ってる。君のことを調べた時に一緒に調べたよ、危 ? ? ﹁ヘスティア様は17階層の事をどれくらい知ってます ﹂ か 思 え な い 斬 撃 を 繰 り 出 し た。て っ き り 魔 法 を 得 る も の と ば か り しかし、あの時確実に私の剣技は超常の現象を起こした。魔法とし には見えなかった。 不機嫌そうに私の問に答えるヘスティア様は嘘を吐いているよう ? は、そんなのは嫌なんだ﹂ 心配することもできない。愛してあげることもできない。そんなの ことしかできない、そういう存在だ。でもね、君が死んでしまったら るんだ。僕のことはどうでもいい。僕はここで君たちの心配をする ﹁怪我をするな、なんて言わない。でももっと、もっと自分を大切にす かが滴る。 頭は背中にくっつけたまま彼女は大声でいった。背中に温かい何 ! 237 ! ? ﹁⋮⋮﹂ 私は答えなかった。分かったとも、次からはそうしますとも言えな かった。だってそれは嘘になる。真摯に私にぶつかってくる女神に、 私は嘘など吐けなかった。 ﹁いいんだ、答えなくても。分かりきっていたことだ。ぐすっ﹂ 私の背中から頭を上げ、彼女は涙を拭った。 ﹁それでも僕は、君を僕の家族だと言い続ける。どれだけ僕が傷付い ても、君の居場所であり続ける﹂ もう涙など流していなかった。目の前にいる神は微笑んでいた。 ﹁だって、僕は君の神様だ﹂ 身は軋み、心は叫ぶ。腹部の傷など比べようがない程の激痛が身体 中を襲った。それでも、耐えてみせなければならない。こんなところ で折れてしまってはいけない。 ﹁ぐぅっ﹂ 238 息が吐けなかった。ごめんなさいという言葉を口から出さないよ うに喉が塞がったかのようだ。 ﹁ごめんよアゼル君。君が苦しむのを分かって言っている﹂ それはお互い様だろう。そう、彼女に言ってあげたかった。でも、 ﹂ そうじゃない。そんなこと彼女は分かっているのだから。 おんな ﹁僕は、非道い女神だろう ﹁はっ、どこが、ですか﹂ ﹂ ? ﹁それぐらいが、相手としては丁度いいですよ﹂ ﹁言っておくけど、僕達の愛は重いぞ 神々 通そうとする子供の喧嘩のようなものだ。 んかじゃない。ただ自分の望みを相手に押し付け、自分のわがままを 神との戦い、か。聖戦とでも言うべきか。でもこれは神聖なものな ﹁望む、ところで、す﹂ るつもりはないけど﹂ ﹁根比べだよアゼル君。君が折れるか、僕が諦めるか。まあ、僕は負け 女神が他のどこにいるというのだろう。 やっと謝罪の言葉を飲み下し、弱々しい声を出す。こんなに優しい ? 呼吸も落ち着いてきて、息苦しさもなくなってきた。ヘスティア様 ﹂ は私の背中降りベッドの縁に座った。 ﹁で、今回の顛末聞いていいかい ﹁ええ、始まりは三日前鈴音さんかた新しい刀を受け取った事です﹂ そうして私は17階層での情報にない能力を有していたゴライア スとの戦闘を語った。その事をヘスティア様も不思議に思ったよう だが、取り敢えずその後の事を聞いてきた。 ﹁18階層でロキ・ファミリアに所属するフィンさん達に出会い少々、 ブレイバー いえ、すごくお世話になってしまいました﹂ ﹁⋮⋮またかい﹂ ﹁ええ、だから、その﹂ ﹁気付いているだろうね︻勇 者︼なら﹂ ﹁確実に﹂ ﹁はあぁ⋮⋮君はなんでそう厄介事にばっかり﹂ 眉間を抑えながらヘスティア様は盛大な溜息を吐いた。 ﹁ロキにも知られただろうなあ、こりゃ﹂ ﹁恐らくは﹂ ﹁もう、本当に君がこんなことをしてくれなければこんなに心配事を 抱えることもなかったんだけどなあ﹂ ﹁うっ﹂ 泣き止んだヘスティア様は意地悪そうな顔で私にそう言った。私 もどう答えていいのか、謝ることはできないので悩んだ。 ﹁ふふ、ごめんよ。少し意地悪だったね﹂ ﹁まあ、迷惑をかけている自覚はありますからいいんですけど﹂ ﹁でも、君は心配しなくていい。心配するのは僕の仕事だからね。ロ キも自分の眷属でもない君のことを他人に言いふらすような事はし ないだろう﹂ ﹁そうだといいんですけど﹂ 目の周りはまだ少し赤いが、ヘスティア様は確かに笑ってくれてい た。それだけで何か救われたような気がした。 ﹁それで、君が言った魔法のような斬撃についてだけど﹂ 239 ? ﹁⋮⋮﹂ ﹁魔法の欄には何も増えていなかったことから、それは魔法ではない ことが分かる。でも、確かに飛ぶ斬撃なんて魔法でしか起こりえない 現象だ﹂ ﹁ですよね﹂ ファルナ ﹁そのことを踏まえて考えると、結論は一つしかない。信じられない ことだけど、君は僕達神々が授ける︻恩恵︼に頼らずに魔法という奇 ﹂ 跡を起こしたってことになる﹂ ﹁そんなこと可能なんですか ﹂ 今回は運良く倒れた時に冒険者が回収してくれたからいいものの、 ﹁そうですか⋮⋮﹂ に何かを犠牲にしなければならない﹂ ﹁でも、どれだけ器を昇華させたって君は僕達神にはなれない。絶対 ら。 手段を私はしっている。器の昇華、それこそがランクアップなのだか そう、器が足りないというのなら大きくすればいい。その方法を、 ﹁そうだね、君が考えていることはたぶん当たっている﹂ ﹁⋮⋮器が足りないということは﹂ けで済んだのかもしれない。とにかくすごく危険なことだ﹂ かしくない。斬撃という属性が君の身体に馴染んでいたからこれだ ﹁その神秘に耐えられず器は傷付く。下手をすれば粉々に砕けてもお ヘスティア様は私を見上げた。 当にそれを実行したとしたら﹂ はそんな器じゃない。でも、もしそれを可能とする方法があって、本 ﹁人の身で奇跡を起こすなんて本来は不可能なはずだ。だって君たち 痒い程度の痛みしか感じなくなっている切り傷。 そっと包帯の上から傷に触れる。もう殆ど塞がり、そっと触れれば ﹁私が けど、きっとそれは君が斬った傷だよ﹂ ﹁分からない。でも、君のお腹の傷。気付いたらあったと言っていた ? 次あんな状況に陥った時も幸運が続くとは限らない。 240 ? そもそも使い方が未だ分からないが、使えるようになったとしても ﹂ 極力使わないほうがいいだろう。諸刃の剣とは正にこれのことだ。 ﹂ ﹁で、その原因だけど﹂ ﹁分かるんですか ﹁分かるも何も、その前に起きた変化なんて一つしかないだろう ﹁⋮⋮まさか﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹂ ? 揚げたてですよ ﹂ ﹁ありがとうベル君ッ ﹂ ﹁ただいま戻りました神様 ジャガ丸くん全種買ってきました そう言って二人で深い息を吐いた。その直後にベルが帰ってきた。 ﹁だと思います﹂ ﹁はあ⋮⋮たぶんランクアップの経緯も聞かれるんだろうね﹂ ﹁そうらしいですね﹂ んじゃないぞ。確かギルドには報告しないといけないんだよな﹂ ﹁はあ、君って奴は。あ、ランクアップしたことは不用意に誰かに言う ﹁よかったあ﹂ ﹁取り上げたりなんてしないさ﹂ ﹁あ、あの﹂ 戦う前後の違いと言えばホトトギスを使っているかどうかくらいだ。 こすだけの影響を私に与えるかは分からないが、確かにゴライアスと しかも長い年月を掛けて血を啜ってきた刀だ。それだけで奇跡を起 思いっきり曰くつきである。話しかけてくる思念まで憑いている。 ﹁アゼルくーん ﹂ 曰くつきとかじゃないだろうね ﹁君の新しい刀。鞘に入っていても禍々しい感じが伝わってくるよ。 ? ? ! ! そこには日常があった。 赤 く な る 親 友。破 顔 し な が ら 抱 き つ く 主 神。そ れ を 見 て い る 私。 袋を受け取りヘスティア様を支援する。 うに抱きついた。あわあわと狼狽えているベルからジャガ丸くんの そしてヘスティア様はいつもの様に入ってきたベルに飛びつくよ !! 241 ? ! ヘスティア様が真正面からぶつかってくれたおかげだろうか。罪 悪感は薄れていた。 所要期間、約一ヶ月。 モンスター撃破記録、二三〇九体。 Lv.2到達記録を無視するかのような早さでランクアップをし、 前代未聞のレベル1で階層主単独撃破をした冒険者が誕生した。 ■■■■ 次の日、私は鈴音さんに会いに行くことにした。流石のヘスティア 様も私がこの体調でダンジョンに行くとは思っていなかったようで 外に出る時何も言われなかった。行こうと思えば行けるが、流石に私 も万全じゃない状態でダンジョンに言って死ぬなんて嫌なので行か ないでおいた。 人の 242 そして会いに行くために大通りを歩いていると豊饒の女主人を通 り過ぎる。それはいつものことなのだが、ランクアップしたからか更 に鋭敏になった感覚があの女神の匂いを感じ取った。 不審に思いながらも店の中へと入った。もしあの女神の眷属がい アゼルさんじゃないですか﹂ るなら確認したいこともある。 ﹁いらっしゃいませ 青年だ。 えっと、どなたでしょう ﹂ ? ﹁連れがいますから﹂ ﹁お連れ様ですか ﹁え、アレンさんですか ? ﹂ はなく、本から少し離れた二人がけのテーブルに座っている猫 キャットピープル いた。カウンターの上に不自然に置いてある違和感ばりばりの本、で 店内を見渡し、見つける。一番強い匂いを発している存在がそこに ﹁いえ﹂ ﹁お席までご案内しますね﹂ ﹁こんにちはシルさん﹂ ! ﹁あそこに座っている猫人の人です﹂ ? ﹁ええ﹂ そう言って私は彼に近付いた。路地裏で戦った時とは違い、今の彼 には敵意など感じなかった。敢えて言うなら少し居心地が悪そうな 感じだったが。 ⋮⋮てめえは﹂ ﹁こんにちは﹂ ﹁あぁ ﹁お久しぶりですね﹂ ﹁あっち行け﹂ 彼の言葉を無視して対面に座る。そうしたら思いっきり睨まれた。 ﹂ 猫のようなツリ目は殺気とまでは行かないが威圧感があった。 ﹂ ﹁あ、シルさん。何か怪我に効きそうな飲み物とかあります ﹁怪我に効く⋮⋮青汁とかでしょうか ﹁お酒は身体に悪いと思いますよ に行った。 うか ﹂ ﹂ ﹁いやあ、種族的な問題なので気にしない方がいいんじゃないでしょ ﹁おい、待て。何がなるほどだ﹂ ﹁なるほど﹂ 待っているような。 し か し 彼 は 一 行 に そ れ に 口 を つ け る 様 子 が な い。ま る で 何 か を る。たぶん温かいミルクか何かだろう、猫人だし。 アレンさんの目の前にはカップが一つ置いてあり、湯気を立ててい ﹁アレンさんは飲まないんですか ﹂ そう言いながらシルさんは注文を承りカウンターへ飲み物を取り ﹂ 言っておくが、俺はお前が大っ嫌 ﹁あ、名前はアレンさんでいいんですよね ﹁⋮⋮何の用だアゼル・バーナム ﹂ いだから、ふざけたこと言ったら殴るぞ﹂ ﹁私何かしました ﹁⋮⋮﹂ ? アレンさんは何も答えなかったが、私を睨んできた。 ? ﹁それは嫌ですね。まあ、じゃあ果樹酒をお願いします﹂ ? ? ? ? ? 243 ? ? ﹁な、何のことだ ﹂ ﹂ ﹂ ? めて私をじっと見ていた。 誰にも言ったりしませんよ ﹁どうかしました ﹂ ﹁お前、何をした ﹁質問の意味が分かりませんね﹂ ? ﹁そうだったんですか ﹂ ﹁さっきの一撃、以前のお前なら絶対反応できない速さだったはずだ﹂ コップをテーブルに置いて向き合う。 ﹂ 果樹酒を受け取り一口飲む。目の前の猫人はいつの間にか目を細 ﹁何もありませんよ。ありがとうございますシルさん﹂ ﹁どうぞアゼルさん。って何かありました 鋭く悪態を吐いたアレンさんは諦めて飲み物に息を吹きかけた。 ﹁死ね﹂ ﹁いえ、アレンさんが猫じゃらし好きそうだなんて言ってません﹂ ﹁何か言ったか ら、私は避けなかった。 狙いは私の米上くらいの高さ、頭にぎりぎり掠らない程度だ。だか 刺突だ。しかし、手加減したのだろう。私にも見える速さだった。 その瞬間、アレンさんの右腕が動いた。猫人としての爪を活かした ﹁アレンさんが猫じ﹂ ? ? かったがな﹂ いいわけねえだろ﹂ ﹁私からも一つ聞いていいですか ﹁あ ﹁あの女神は﹂ ? ど私が猫舌と言いかけた時より出ていた。 即座に反応したアレンさんの反応に忠誠心が現れた。殺気も先ほ ﹁様を付けろ雑魚が﹂ ﹂ ﹁とんだ化物だぜ、お前は。ま、俺としては報告することができてよ そしてアレンさんは口角を釣り上げた。 ﹁⋮⋮﹂ ﹁はっ、その反応を見ると普通に見えてたみたいだな﹂ ? 244 ? ? ? ﹁あの女神様は、私の刀に何かしました ﹁知るかよんなこと﹂ ﹂ ﹂ 豊饒の女主人に行くという寄り道をしたが、私は予定通り鈴音さん た。不思議だ。 いでみたが、古そうなのに古い紙の匂いもしない程匂いがしなかっ く、なさすぎた。特に匂いがまったくしなかった。近くまで寄って嗅 それにしてもあの本、存在感が浮いていた。存在感があるのではな 小言を貰った。 かかった。店を出て行く時リューさんに、何をしているんですか、と その後、程良い殺気にあてられながら果樹酒を飲み干すのに十分程 ﹁ありがとうございます﹂ ﹁⋮⋮お前がやったことを報告するのが俺の仕事だ﹂ ﹁貴方のおかげでまた一つ己を知ることができた、と﹂ ﹁はあ とだけ伝えておいてください﹂ ﹁そうですか⋮⋮まあ、何か分かったらいいんですけど。ありがとう、 ? ﹂ の部屋へとやってきた。ドアを叩き鈴音さんを呼び出す。 ﹂ ﹁鈴音さん、いますか ﹁あ、アゼル ? ﹂ ? いうことはもう言ってあるし、今もその感想は変わらない。 そう、感想を言いに来たのだが正直感想に困る。すばらしい刀だと ﹁何と言えばいいのか﹂ ﹁で、その、どうだった い部屋ではないので鈴音さんはベッドに座った。 そう言って部屋の中へと入り、備え付けの椅子に座る。そこまで広 ﹁お邪魔しますね﹂ ﹁ど、どうぞ﹂ 開きだったら私に激突していただろう。 そう言うとドアが勢いよく空いた。内開だからよかったが、もし外 ﹁はい、遅れましたがホトトギスの感想をと思いまして﹂ ? 245 ? ﹁えぇと、すみませんが鈴音さん花椿という名前に聞き覚えはありま ﹂ ﹂ あ、あるけど﹂ せんか が。 ? ﹂ ? ﹁もっと無いんですか お金とか。ホトトギスのためなら私は幾ら それで行ける気がするが、中層の敵は私にとって強敵ではない。 然的に一人守りながら戦わなければならない。今なら中層くらいは なにせ私は一人で探索をしているので鈴音さんを連れて行くと必 ﹁だ、だからいつかでいいの﹂ ﹁それは、まあ不可能ではないですけど難しいですね﹂ 手に﹂ ﹁いつかでいいから。ホトトギスを振るってる姿が見たい。強い敵相 しか思えない。 上目遣いで私を見つめる鈴音さん。やっぱり狙ってやっていると ﹁はい、何でも言ってください﹂ ﹁じゃ、じゃあ。あのね﹂ ﹁流石に私もこれだけの一振りを無償で貰うわけにはいきません﹂ ﹁お、お礼なんて別にいいよ。その、私の好きでやったことだし﹂ ﹁なんとお礼すればいいのか分からないくらい良い刀でした﹂ もじもじしながら鈴音さんは聞いてきた。 ﹁で、その、感想は ﹁そうなんですか。それはいい事を聞きました﹂ ﹁そうだね。妖怪にしては綺麗な名前だよ﹂ す﹂ ﹁いえ、少し小耳に挟んで、なかなか特徴的な名前だなと思っただけで ﹁そ、それがどうかしたの ﹂ それがただの作り話ではないということを私は知っているわけだ ﹁なるほど﹂ ﹁昔話に出てくる妖怪、えぇと、モンスターみたいなの﹂ ﹁何なんです ﹁え ? でも稼いできますよ﹂ ? 246 ? ? ﹁お金は別にいいかな﹂ ﹁いえ、お金も受け取ってください﹂ ﹁う、うん﹂ ﹁それでも足りないくらい良い物ですよ、これは。お金を出したから ﹂ と言って手に入る刀ではないですから﹂ ﹁そ、そう 鈴音さんは首を傾げた。彼女は自分がどれだけの物を打ったのか 分かっていないようだ。刀としても一級品、付加された能力も一級品 の刀は本来何千万ヴァリスという値段で取引されるべき代物なのだ。 それに加え、ホトトギスは特別な刀だ。鈴音さんという特殊な鍛冶 師がいて、私のために刀を打つと想ってくれて初めて完成した一振り なのだから。 ﹁じゃあね、今度でいいから﹂ ﹁はい﹂ ﹁一緒に出かけて欲しいです。あ、後名前も呼び捨てがいい、かな﹂ ﹁分かりました鈴音﹂ 結局彼女が要求したのはそれだけだった。それ以降どれだけ、他に ないのか聞いても、ないとしか答えなかった。 247 ? ﹂ ご、ごめんなさいっ、怪我はないですか あるギルド職員の受難 ﹁へぶにゅ ﹁かっ、神様ぁー ﹁面白い声出てましたよ﹂ ﹁どうしたんですか ﹂ ﹂ 果としてヘスティア様は後頭部を床に激突させ、奇声を上げた。 スティア様が背中に乗っていることを忘れたのか起き上がった。結 そして現在、ヘスティア様が何か呟きベルがそれに対して驚き、ヘ 新をしている。 ベルは数日探索しただけで大きく熟練度が上昇するのでこまめに更 ベルは︻ステイタス︼の更新を頼んだ。成長促進スキルを有している ヘスティア様がバイトから帰ってきて慎ましい夕食を食べたあと、 日々の探索で疲れが溜まったのだろうと思い起こさず放っておいた。 め地下室にいるのは知っていたが、帰ると本につっぷして寝ていた。 潔くホームへと帰った。ベルも今日はダンジョンに行かなかったた 鈴音と今後の予定の話などをして、することもなくなったので私は ? タス︼の書かれた紙をぞんざいに放った。 ﹁神様、アゼル。僕魔法が使えるようになった﹂ ﹁おめでとうベル。これで念願の魔法剣士を目指せますよ﹂ ! 攻撃魔法だ。 うやらベルの魔法もその類らしい。字面から判断すると超短詠唱の つ、速攻魔法だった。私の︻未来視︼も詠唱いらずの魔法だったが、ど ベルの魔法︻ファイヤボルト︼の備考欄に書かれた文章はたった一 は︻未来視︼が発現した時、つまり入団時に受けた説明だ。 フトゥルム そんなベルを宥めながらヘスティア様の魔法解説が始まった。私 ことではないのにこちらまで嬉しくなってしまうくらいだった。 見るからに上機嫌なベルは、踊り出しそうな程喜んでいた。自分の ﹁待って、それを目指した覚えはない。でも、確かにっ、目指せる ﹂ 溜息を吐きながらヘスティア様はそう言いテーブルの上に︻ステイ ﹁いったたぁ⋮⋮魔法だよ。ベル君に魔法が発現したんだ﹂ ? 248 !? !? 炎の雷撃。本来交じることのない二つの属性が交じり合うという 神秘、それが魔法。人の身ではけっして辿り着くことのできない領 域、そのはずだ。 しかし、私はその領域を侵したらしい。人の身でありながら、たっ た一つの刃を片手に。 何気なく︻ファイヤボルト︼と言葉にしかけたベルの口をヘスティ ア様が手で塞ぐ。曰く、何がトリガーとなって魔法が発動するか分か らない。明らかに攻撃魔法なのだから、ここで不用意に魔法名を言葉 にするのは危険とのことだった。 確かにこの一室が焼け焦げてしまったらホームなしのファミリア になってしまう。そうなったら宿暮らしだろう。未だ貯蓄の少ない 零細ファミリアにとってそれが無理というものだ。 結局、魔法の効果や発動条件の確認は明日ダンジョンでするように ヘスティア様は言って、歯磨きを済ませベッドへと飛び込んだ。働い 249 て疲れていたのか布団に包まるやいなや小さい寝息が聞こえてきた。 きっと私の事で疲れたということもあるのだろう。 私 も 回 復 し た と は い え ま だ ま だ 体 調 は 元 通 り に は 程 遠 い ま ま だ。 自分のソファに寝っ転がり薄い布団を被り寝ることにした。寝ると 決めたらすぐ寝入ってしまい、途中誰かが動いていた気配を感じたが ﹂ ﹂ すぐにまた深い眠りへと落ちてしまった。 ■■■■ ﹁うぐぅ∼∼⋮⋮っ ﹁何をやってるんですかベル ? う。 ﹁アレかい、おねしょでもしちゃったとか ﹁違いますよぉ∼﹂ ﹂ 潮しているので、まあ何か嬉しい事か恥ずかしい事でもあったのだろ け悶えるような声を出すばかりで事情を説明してくれない。頬が紅 朝起きてからベルはずっとこの調子だ。クッションに顔を押し付 ? ! ヘスティア様のからかいに律儀に答えながらもクッションに顔を 押し付けるのを止めないベル。もう自分専用だと言わんばかりにぐ りぐり押し付けている。 ﹁は あ。何 が あ っ た か 知 ら な い け ど、君 も 本 当 に 多 感 な 子 だ よ な ぁ ⋮⋮あ、そうだ。ベル君、昨日のあの本見せてくれよ。今日は昼まで 暇なんだ﹂ ﹁あ、はい。いいですよ﹂ 子供のような身体のヘスティア様だが読書は大好きらしい。今の 生活になってからは本を買うお金がないので読んでいないようだが、 ﹂ 以前は相当読んでいたらしい。そういえばヘスティア様がファミリ アを設立した経緯をまだ聞いていない。 ﹁ふぅん、見れば見るほど変わった本だ、な⋮⋮ぁ ﹁⋮⋮その本は﹂ 昨日はベルが頭を乗せて寝ていたので気付かなかったが、その本は 豊饒の女主人に置いてあった存在感のない本であった。どんな経緯 グ リ モ ア を辿ればベルの手に渡るかは分からないが、厄介事の気配がした。 ﹂ ﹁⋮⋮コレは、魔道書じゃないか﹂ ﹁ぐ、ぐりもあっ 秘︼と︻魔導︼を持った人物しか作ることのできない特別な書物らし い。値段にすると︻ヘファイストス・ファミリア︼の一級品が買える くらいするとか。つまり何千万という、現在のヘスティア・ファミリ アではどう足掻いたって払える値段ではない。 しかも効力は一度読むと失われ、ただの重い本になってしまう。 ベルはそれをとある人物から借りてきたらしい。たぶんシルさん だろう。だが返したとしても、物だけで中身は二度と返せない品物 だ。ベルは謝りに行こうとしたがヘスティア様はそれを掴んで止め た。謝って、もしも弁償しろなんて言われた日には雨風を凌ぐ場所さ え失ってしまうからだろう。 それでも正直者のベルはヘスティア様の腕を振りほどき外へと駆 250 ? 魔道書は、ランクアップの時に発現する派生アビリティである︻神 ﹁簡単に言っちゃうと、魔法の強制発現書⋮⋮﹂ ? け出していってしまった。 ﹁ベル君の正直者ぉ⋮⋮﹂ ﹁美点のはずなんですけどね﹂ 項垂れるヘスティア様を慰めるために私は言った。 ﹂ ﹁まあ、そんな貴重な物を酒場に置いておくほうが悪いですよ﹂ ﹁酒場 ﹁ええ、行きつけの酒場に置いてあったのを昨日見ましたから﹂ それなら言い訳ができるな、と立ち直ったヘスティア様を見て私は 地下室を後にした。今日はギルドに言ってランクアップの報告をし なければいけない。 だからベルに魔法が発現したのか、と一人納得する。しかし、そん な貴重な物を酒場に置いておく人間がいるかは大いに疑問だ。しか し、考えた所で何になるというわけでもないので考えるのは止めた。 ■■■■ ﹁ふむ﹂ ギルド本部に着く。そもそもギルドとは冒険者とファミリアを管 ファルナ 理する大きな組織、神が頂点にいるので大きなファミリアと言っても いい。しかし、そのメンバーに︻恩恵︼を授かっている者はいない。冒 険者やファミリアに対してできるだけ干渉をしないギルドの方針に 合わせているのだろう。 ﹁誰に報告するべきか﹂ 普通に考えれば、私が単独階層主撃破をしたと言っても誰も信じて くれない。ランクアップ事態は背中を見せれば分かるが、その経緯ま では本人しか知らない。私はベルと違って専用アドバイザーを割り 当てて貰う提案を断ったから特に親しい職員というのがいない。 ﹁まあ、ここはエイナさんでいいか﹂ 一応ベルを通しての知り合いということで顔見知りではある。 エイナさんのいる受付へと足を運ぶ。未だ朝ということもあり、ギ ルドの混雑はそこまででもなかった。これが夕方となり冒険者達が 251 ? ダンジョンから帰ってくる時間帯になると受付も換金所ももの凄く 混む。 ﹁次の方どうぞ。ってアゼル君﹂ ﹁おはようございます、エイナさん。そういえば、以前闘技場で助けて もらったお礼を言ってませんでしたね。あの時は見つけてくれてあ りがとうございました﹂ ﹂ ﹁別に私があそこに行くって決めたわけじゃないから、いいよお礼な んて。それで、本日はどのような用件でしょうか ﹁えぇ⋮⋮ちょっと内密な話があるんですけど﹂ てて﹂ ﹁そうですか﹂ ﹁他の人でもいい ﹁大丈夫です﹂ ﹂ それならすぐ呼んでくるから﹂ ﹁あぁ、そうなるとごめんね。私この後外せないミーティングが入っ ﹁できれば﹂ ﹁えっと、じゃあ別室に行ったほうがいい に話すなとヘスティア様にお願いされている。 容ではない。しかし、その異例の早さと異常な討伐記録は不用意に人 声量を落として用件を伝える。ランクアップ自体は内密にする内 ? 一人の童顔の女性を連れてきた。エイナさんと違って耳が尖ってい ないヒューマンの女性だった。髪の色は明るい茶色で背が低い。 ﹁はい、ミィシャ後お願いね﹂ ﹁え、えぇ⋮⋮そんないきなり﹂ ﹁大丈夫大丈夫﹂ ﹁もうっ、今度何か奢ってね﹂ ﹁しょうがないわね。アゼル君、こちらミィシャ・フロット。私の同 僚﹂ ﹁私はアゼル・バーナムです。よろしくお願いしますフロットさん﹂ ﹁あ、名前でいいよ。こちらこそよろしくねアゼル君﹂ そうして私はミィシャさんに連れられ個別指導室へと案内された。 252 ? そう言ってエイナさんは受付から一旦下がって、事務所の方に行き ? ベルも時々ギルドに行きエイナさんからダンジョンの様々な知識を 学んでいるように、冒険者は希望すればギルド職員によるダンジョン と言っても冒険者の事情はギルドに持ち込 教育を受ける事ができる。この部屋はそう言った用途で使われる場 所だ。 ﹁で、内密な話だっけ んでもあんまり意味ないよ﹂ ﹁あんまり他の人に言うなって言われてる話なんです﹂ ﹁それは、聞きたくなくなる情報だな∼﹂ ﹁そう言わずに聞いてください﹂ ミィシャさんは苦い顔をした。どうやら思ったことをはっきり言 うタイプのようだ。もしくは言いたいことを我慢できていないだけ かもしれないが。取り敢えず話しやすい人だ。 ﹁ま、話してみなさい﹂ ﹂ ﹁凄く簡単な話なんですけど。言っても信じてもらえるかどうか﹂ ﹁ちょっと、私ってそんなに信用ない ﹂ 度呼吸をし、決心して私は口を開いた。 言っても無理だろうな、と思いつつ一応忠告はしておいた。もう一 ﹁早く言いなさい﹂ ﹁あ、絶対驚かないでくださいね﹂ ﹁うん﹂ ﹁実はですね﹂ ﹁どんと来なさい﹂ ﹁じゃあ、言いますよ かったが、言わないことには何も始まらない。 た。そ の 顔 が 怖 い と い う よ り 可 愛 い の で ま っ た く 威 圧 な ど さ れ な なかなか言い出さない私にむっとしたエイナさんは少し睨んでき が⋮⋮﹂ ﹁ミィシャさんと話したのが今日が初めてなのでなんとも言えません ? それのどこがおかしいの おめでとうって言うしかない ? 253 ? ? ﹁ランクアップしました。二日程前に﹂ ﹁うん よ﹂ ? ﹁エイナさんに渡された資料、見てください﹂ そう言ってミィシャさんはエイナさんが渡した私に関する資料を 上から下まで読もうとした。しかし、ある一点で顔が止まった。 それは冒険者登録日の項目だ。そこには今から約一ヶ月前の日付 が記載されていた。 ﹁⋮⋮ちょっと、待ってね。うん、うん。何回見ても同じか﹂ ﹂ 目を擦ってもう一度資料を見るミィシャさん。 ﹂ ﹁えええええええええええええぇ ﹂ ﹁ちょっ、ミィシャさん ﹁むぐ、むぐぐむ !? ﹁ご、ごめんなさい﹂ ﹂ ﹁まあ、こうなると思ってました﹂ ﹁だ、だって、ええ ﹁それ本当 君の妄想とかじゃなくて 嘘とかでもない ﹁ほ、ほら。気になる私に構って欲しくて、とか﹂ ? ﹂ ﹁私最初にエイナさんに報告しようと思ったんですけど﹂ ﹁じゃあ、気になるのはエイナなの ﹁⋮⋮はあ﹂ ﹂ ? 彼女も落ち着きを取り戻し私の手を掴んで口からひっぺがした。 でも声を出すのをやめようとしない程彼女は驚いていた。数秒して、 大声で叫び声を上げたミィシャさんの口を急いで手で塞ぐ。それ ! ﹂ ? ぎこちなく頷きながら持っていた手帳に私の名前とランクアップ ﹁はい﹂ ことだろうから、嘘じゃないん、だよね ﹁ごめん、私は神聖文字読めないんだ。でも、それは確認すれば分かる ヒエログリフ ﹁ランクアップの確認がしたいのなら背中見せますけど﹂ 背中を見せるのも必要かもしれない。 プを偽るほど馬鹿ではない。最終手段ではあるが、話が進まないなら 溜息を吐く。どうしても認めたくないようだが、流石にランクアッ !? 254 ! ミィシャさんがもう一度資料に目を落とす。 ? ﹁嘘を吐く理由がありません﹂ ? し た と い う 事 実 を 書 き 記 す ミ ィ シ ャ さ ん。若 干 手 が 振 る え て 字 が ﹂ た、確かに大声で叫んじゃったから部屋に 所々読めなくなっている。 ﹁で、内密な話ってこれ いてよかったけど﹂ ﹁むしろその後の方が内密な話しです﹂ ﹁ちょっと待って、これを言った後にもっと驚く事って何 ﹁私のランクアップまでの経緯殆ど、ですかね﹂ それから私は自分の今までの活動記録を話した。上層でミノタウ ロスに襲われたこと。その後は中層をうろうろしていたこと。 ミィシャさんはもう考えることを止めたのか、ただ私の言った情報 を紙に記す存在となっていた。途中、はは、という乾いた笑いが漏れ ていたが気にしないことにした。 ﹁で、ランクアップの切っ掛けなんですけど﹂ ﹁⋮⋮ここで切るってことは﹂ ﹁ええ、最も驚く情報です﹂ ﹁も、もう驚かないわ﹂ 笑いながら胸を張ってミィシャさんはそう言った。あ、これはダメ モンスターレックス だなと思ったのは秘密である。 ミィシャさーん ﹂ ﹁17階層の階層主、迷宮の孤王ゴライアスを単独撃破したんです﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁あれ、ミィシャさん した﹂ ﹁うわああああああああああああああん 今回は叫び声ではなく泣き声だった。 ﹂ ﹁いやあ、よかったですまた大声で叫ばれたらどうなるかと思ってま ﹁うう﹂ ﹁あ、動いた﹂ ﹁う﹂ いのだが、その状態からまったく動かない。 ミィシャさんは笑ったまま固まっていた。笑顔はあどけなく可愛 ? ﹁なんでこんな処理しにくい情報を私が聞かないといけないのよお !! !!! 255 !? ? ? エイナのバカァ ﹂ たぶんまだギルド内にいるエイナさんに聞こえるのではないかと 絶対 何を言っても机に突っ伏した姿勢から動かなくなってしまった。 ﹁お願いしますから、動いてくださいよ﹂ ﹁嫌よ。アゼル君が直接班長に話してきてよ﹂ ﹁嫌ですよ、こんな誰も信じないような話を何度もするのは﹂ ﹁鬼畜 ﹂ ﹁まあ、これも仕事だと思ってやってください﹂ んはちゃんと仕事をする。 独でゴライアス討伐﹂と書き足した。文句を言いながらもミィシャさ 涙ぐみながらミィシャさんは活動記録を書いたページの最後に﹁単 う﹂ ﹁⋮⋮じゃあ、これはアゼル君の妄想ってことで処理しよう、そうしよ ! いう程大きな声だった。 ﹂ ﹁この資料を班長に見せたらどんな顔されると思ってるの 絶ッッ対正気を疑われる ﹁すみません﹂ ﹁うぅ⋮⋮もうやだ﹂ ﹁そう言わないで下さいよ﹂ ﹁もう何もしたくない﹂ !? ﹁仕事してください。しないと怒られるのはミィシャさんですよ﹂ ! に報告しに行くことを想像したのだろう。 でも、これからもこんな感じの報告はする可能性が高く、その度に 違う人に報告して驚かれるのも面倒だ。報告する時は全部ミィシャ さんにしよう。 ﹁まあ、頑張ってください﹂ ﹁はい⋮⋮﹂ ﹁じゃあ、私行きますね﹂ ﹁うん、ばいばい﹂ そう言って部屋から退出しようとする。後ろでミィシャさんも重 256 !! 弱々しく机に項垂れるミィシャさん。これからその班長という人 ! い腰を動かし付いてくる気配がしたが、やはり足取りは重そうだ。 ﹁あ、今後も報告はミィシャさんにするつもりなので、よろしくお願い しますね﹂ ﹁聞きたくなーい、聞きたくなーい﹂ 耳を手で塞ぎながらミィシャさんが隣を歩く。そうしつつも明確 な拒否はしないので了承したと受け取っておいた。まあ、流石に今回 異常に驚くような報告は早々ないと思いながら、ミィシャ・フロット というギルド職員の受難は今後も続くだろうと容易に想像できた。 257 何故兎は跳ねるのか ギ ル ド に ラ ン ク ア ッ プ の 報 告 を し た 私 は や る こ と が な く な っ た。 もう体調は戻っているが、万全を期すためにダンジョンに行くのは明 日からにした。と言っても明日は中層で調子を確かめるのと、あの飛 ぶ斬撃を放った時の感覚がなんだったのか確かめるだけにするつも りだ。 ぶらぶらとオラリオを歩く。日常に対する物足りなさは少し薄れ てきていた。それはきっと私の居場所でい続けると、私と正面から勝 負をしてくれると言ったヘスティア様のおかげだろう。それでも少 グ リ モ ア し居心地の悪さのようなものを感じてやまないが。 そう言えばベルが読んでしまった魔道書は豊饒の女主人に置いて あった物だった。その経緯を調べるのも、いい暇つぶしかもしれな い。 ﹁ということで、こんんちは﹂ ﹁何がということで、ですか﹂ ﹁まあまあ、そう言わず﹂ ﹁⋮⋮はあ。それにしても、昨日も昼に来ましたね﹂ ﹁ええ﹂ 店に入りそばにいた店員に席に案内され、丁度近くを通ったリュー さんに声をかける。若葉色の給仕服に身を包んだエルフの女性は今 日も美しい佇まいだった。ダンジョンに行けない私にとっては良い 刺激だ。 私は基本的に夜にしかここには来ない。まあ、酒場という性質上そ れが正しいような気もする。だから昨日今日と昼に来ている私を不 審に思ったのだろう。まだ腹部に巻かれた包帯は健在だが、服を着て いるので当然私が負傷しているかなど分からない。 ﹁ちょっと怪我をしましてね。その療養中なんです﹂ ﹁療養なら酒場に来ない方がいいかと﹂ 至極真面目な顔で、至極真っ当な事を言われた。ここで﹁貴方に会 いにきたんです﹂とでも言ったらどんな反応をするだろうかなど考え 258 ﹂ る暇もなく、何を考えていたのか見透かされ睨まれた。 ﹁そういえばリューさん﹂ ﹁先に注文をしてください﹂ ﹁注文したら戻ってしまうでしょう ﹂ ﹁昨日、気が付いたら置いてあった物です﹂ ﹁嘘、じゃないんですよね。ちなみに場所は ? ﹁何か不自然な事はありませんでしたか ﹂ しかし、人為的な事だったとしても動機が思い当たらない。 座った席だった。色々、偶然が重なりすぎている気がしなくもない。 そ う 言 っ て 示 さ れ た の は 私 と ベ ル が 一 緒 が 初 め て 来 店 し た 時 に ﹁あちらの隅の席です﹂ ﹂ 絶対にあれは忘れ物などではない、そんな確信があった も、あれは存在感を薄くする細工までされていた。 険者が暴れないとはいえ酒場に持ってくる人間の正気を疑う。しか なにせ何千万もする物だし、作れる人も限りなく少ない。それを冒 てくる人がいるなんて思えません﹂ うやってここに辿り着いたんですか 正直あんな物を酒場に持っ ﹁それは良い事を聞きました。まあ、そうじゃないんです。あの本ど ました﹂ な所にあんな貴重な物を置いていった持ち主が悪いという事になり ﹁あの本に関してはクラネルさんから謝罪を受けました。結局、こん よ、積極的に話してくれるのは助かる。 自身、あの魔道書のことが気になっていたのかもしれない。なんにせ くさいという感情は浮かんでいなかった。もしかしたらリューさん 一瞬悩んだ末質問を聞くことにしてくれた。しかし表情には面倒 ﹁⋮⋮あの本がどうかしましたか ﹁少しだけでいいですから。ベルに渡った本に関しての話なんです﹂ ﹁よく分かりましたね。今は仕事中ですから﹂ ? ? ﹁ミア母さんが本を持つシルを見て苦々しい顔をしていました。そし リューさんは横目で一瞬ミアさんを見た。 ﹁何かと言われましても⋮⋮そう言えば﹂ ? 259 ? て忘れ物なら誰かが取りに来るだろうと店に置いおくように言った んです。それが少し気になりました﹂ ﹁⋮⋮﹂ 苦い顔など誰でもするのだが、リューさんにとってそれは不自然な ことだったのだろう。確かにいつも豪気なミアさんが苦い顔をした 所は見たことがない。 もしかしたらミアさんはこの本の持ち主を知っているのかもしれ ない。それなら持ち主に返せばいい。それをしなかったということ は、そもそも本は店に置かれる予定だったということ。苦い顔をした のだから飾りというわけではなかったのだろう。 ﹁バーナムさん、そろそろ注文を﹂ ﹁え、ああ。すみません。お話ありがとうございます。えっと、それ じゃあランチセットの一番高いの一つで﹂ ﹁かしこまりました﹂ 注文を聞き早々とリューさんは去っていってしまった。離れてい く彼女の背中を眺めながら考えを纏めていく。 本は元々店に置いておく物だった。そしてそれを豊饒の女主人に あたかも忘れ物かのように置いていった人物をミアさんは知ってい て、恐らく苦手な相手だ。苦い顔をしながらもそれを店に置く事をミ アさんに強いることができる存在がいるということだ。 ミアさんは昔一級冒険者だったらしい。今もその実力は健在で、そ のおかげでこの酒場で荒事の類は滅多に起きない。リューさんも強 いが、そのリューさんが強いと思う相手がミアさんなのだ。そんな彼 女に命令できるような存在は限られる。更に強い冒険者、あるいは。 ﹁あるいは神、か﹂ そして本はベルに渡り、ベルは念願の魔法を習得した。もし、そこ までが計画だったとしたら、どうやって本がベルに渡るように仕向け たのだろう。運任せにするには貴重過ぎる品だ。魔道書を何個も無 駄にしていい程金銭に余裕があるという可能性もあるが、あの本は存 在感を薄くする細工がされていた。 私はその薄すぎる存在感に違和感を覚えたから気付いたに過ぎな 260 い。 あの本は匂いがまったくしなかった。 ﹁匂いか﹂ その一言で頭に浮かんだのは一人の女神の姿だった。世界のすべ てを魅了する微笑みを浮かべた一人の神。 あの女神は私の動向をアレンさんに探らせていた。私がこの酒場 に頻繁に来ているということは知っている事は想像できる。彼女の 事を警戒していることも、その探知方法が匂いだということも知られ ている。 ﹁考え過ぎですかね﹂ 頭を掻いて考えるのを止める。すべて確証の無いことの上、別に持 ち 主 が 分 か っ た 所 で も う 何 も で き や し な い。事 は す べ て 成 っ て し まっているのだから。 物なんですから﹂ ﹂ 261 それでも、私はバベルの最上階のある方向を一瞥した。あの女神な も、もしかしてうちの店に幽霊でも オーバーリアクションなシルさんに笑いかける。 ﹁もうびっくりさせないでくださいよっ﹂ ﹁シルさんが勝手に驚いただけじゃないですか﹂ ﹁ぶー、ベルさんならすぐ謝ってくれるのに﹂ ﹁今度連れてきますよ。そろそろ色々と落ち着くはずなので﹂ ﹂ ? ﹁そんなことするのシルさんくらいしか思いつきません。仮にも人の ﹁え、はい。そうですけど、なんで分かったんですか ﹁そうえいば、あの本。ベルに渡したのは貴方ですよね﹂ をテーブルに置いていく。 やった、と喜びながらシルさんはトレーの上に置かれた皿や食器類 !? らこれくらいやりかねない。ベルにちょっかいを出すためにモンス ﹂ ターを街に放つくらいの相手だ。 ﹁お待たせしましたアゼルさん ﹁何を見ていたんですか ﹁⋮⋮ありがとうございますシルさん﹂ ! ﹁いえいえ、ぼーっとしていただけですよ﹂ ? ﹁⋮⋮ベルさんの役に立ちたくて、その﹂ ﹁別に咎めてませんよ。取り来なかった方が悪い、これも事実ですか ら﹂ コップに注がれた水を少し飲む。一度視線を外した方向がやはり 気になる。 ﹁もし、本当に忘れ物だったなら、ですけど﹂ ﹁⋮⋮もうこの話はやめにしましょう。私だって反省してるんですよ ﹂ シルさんはトレーを身体の前に抱えながら上目遣い、しかも少し涙 ﹂ 目で私の事を見てくる。とても自然で、いつもやっているような仕草 だ。 零れた水はもう戻らないんです ﹁そうですね。もう過ぎたことです﹂ ﹁そうですそうです ! ﹁はい ﹂ ﹁アゼルさん﹂ とした。 少し不貞腐れた顔でシルさんは背中を向けてカウンターに戻ろう ﹁あぅ﹂ ﹁だからって開き直らないでください﹂ ! だけ見えた。 ■■■■ ﹁あの、神様﹂ 告白かい ﹂ ? !? ﹁なんだい、ベル君 てっ そんなに話しにくそうな態度で⋮⋮もしてし ものような仕草。それでも、私にはどこか底の見えない少女に、一瞬 それだけ言って今度こそ戻っていった。いつものような笑顔、いつ ﹁ベルさんの事、よろしくお願いしますね﹂ 女が話しかける。 シルさんが戻っていくので料理に手を付けようとしていた私に彼 ? ! 262 ? ﹁こ、告白 ち、違います。相談というか﹂ ﹁なぁんだ﹂ 夜、ホームで最近漸くジャガ丸くんからグレードアップした慎まし い夕飯を三人で食べ終えると、各々が本を読んだり、装備の点検をし たりする時間になる。 ベッドに寝転がり、何度も読んで面白いのか聞き質したくなるほど 面倒事かい ﹂ 読み返している本を今日もまた読んでいるヘスティア様に話しかけ た。 ﹁で、相談ってなんだい ﹁⋮⋮﹂ ? ヘスティア様に名前を呼ばれ顔を上げるベル。じっと、ヘスティア ﹁はい﹂ ﹁ベル君﹂ その中には当然ベルのナイフがなくなった話も含まれている。 と話し始めた。 を巻き上げるからそれに協力しろと言い寄ってきた冒険者がいたこ 事に巻き込まれていると思った原因、なんでも今朝、リリを嵌めて金 ベルはリリとの出会い、それとそれから起こった事や今リリが厄介 が。 だ。ロキ・ファミリアと仲良くしている私が言える立場ではないのだ まりよろしいことではない。何が不和の元ななるかわからないから ば共同で事にあたることはあるが、団員同士が勝手に行動するのはあ ファミリア同士はあまり関係を持たない。主神同士の同意があれ が伺えた。 が小さくなり、自分でも無茶な事を言っているという自覚があること セリフの最後の方は既に聞こえるか聞こえないかというくらい声 きないでしょうか﹂ なんだか厄介事に巻き込まれているみたいで⋮⋮うちで保護とか、で ﹁最近一緒に探索をしているサポーターの女の子の事なんですけど。 ﹁はぁ⋮⋮まあ、言ってみな﹂ ? 様はベルン目を見てその奥にある少年の心を読み取ろうとした。否、 263 ? ﹂ ベルの心など最初から分かっている。ただ、それがどれだけ真っ直ぐ か、それを見たかったのだろう。 ﹁そのサポーター君は、本当に信用の足る人物かい ﹁え⋮⋮﹂ 当然の質問だ。ベルのナイフがなくなった時、それを持っていたの がリリであった。それだけで疑われるには十分なことだ。ましてや 冒険者に恨みを買うようなサポーターを信用しろという方が難しい。 ﹂ ﹂ ﹁私からしてもリリ、そのサポーターの女性は怪しいですね﹂ ﹁アゼルまで ﹁君は件のサポーター君に会ったことがあるのかい ﹁ええ、ついでにナイフがなくなった事件に関わっていた人物とも話 パ ルゥ ム をしました。私は十中八九そのリリが犯人だと思ってますよ﹂ ﹁で、でもリューさんは持ってたのは小人族の男だったって﹂ ﹁ベル、私達は何も探偵ではない。別に事件のトリックを理屈で推理 する必要などありません。犯人が冒険者であれば簡単に解決できる。 魔法ですよ﹂ 私も話に口を挟む。ベルは人の善意を信じている、なにせ本人が善 意の塊のような人間だ。誰かに悪意を向けられることも、悪意を向け ることも経験がない。どこまでも愚かで、純粋な少年だ。 だからこそ、ベルは自分に悪意が向けられていたという事実を感じ 取ってもらう必要がある。その悪意を向けられ、傷付けられ、裏切ら れ、それでもリリを救いたいと言うのなら、ベルはベルが信じる英雄 へと一歩近付けるだろう。 ﹁で、でもそんな都合良く﹂ ﹁ベル、何も悪人が人を騙す魔法を手に入れたんじゃないんです。都 合が良いというのは語弊があります。その魔法を手に入れたから、彼 女はその道を選んだ。これはね、彼女の選択ですよ﹂ ア ゼ ル も ? そんな、そんな事をするような女の子じゃないよ ! 264 ? ? ! ﹁⋮⋮ リ リ が、自 分 の 意 志 で 人 を 騙 し て る っ て 言 う の 会ったでしょ ﹂ ﹁⋮⋮はあ﹂ ! ﹂ ﹁まあ落ち着けよベル君﹂ ﹁で、でも ベルは怒鳴るような声でそう言ってテーブルに拳を振り下ろした。 冒険者として成長した︻ステイタス︼によって補正されたその拳は呆 気無くテーブルを破壊した。 腕を振り上げた瞬間それを察知した私はヘスティア様を抱え安全 な場所まで退避した。 ﹁それでも⋮⋮僕は信じたいんだ﹂ 地面に座り込み、俯きながらベルは涙を流していた。 それきっと悔しいからだろう、助けたいと思った人を完全に信じる ﹂ ことのできない己が。助けたいと言う確固たる想いを絶対に実現で きるという力がない己が。 ﹁僕は、リリを助けたいんだ ﹁ベル、しかし貴方のそれは偽善です。盗みを働かざるおえない人を す涙は何故こうも美しいのか、私には分からなかった。 座り込んだベルに近寄り頬を流れた涙を指で掬う。人を想って流 救う、それが貴方の選択ということですよベル﹂ ﹁それが彼女の選択であったと言うのなら、そんな彼女を何が何でも 私の言葉に瞠目するベル。驚きすぎて涙が止まっていた。 ﹁で、でも、リリが犯人だって﹂ ﹁そうだね﹂ ﹁誰も助けるななんて言ってないでしょう。ねえ、ヘスティア様﹂ ﹁え﹂ ﹁なら、そうすればいい﹂ ベルは自分の想いを告げた。泣きながら、己を曝け出した。 見る。彼女は最初からそれを許すつもりだったのだろう。しかし、今 それは心の叫びだった。優しそうに微笑んでいるヘスティア様を ! ﹂ 救いたいという、同情のような感情です﹂ ﹁違う﹂ ﹂ ? 265 ! ﹁なら、女性だから助けるのですか ﹁違う ! ﹁ならば、何故 ﹂ おもい もう、瞳に涙などなかった。きっと蒸発してしまったのだろう。ベ ルの瞳には揺らめく炎が燃え盛っていた。その目に強い意志を感じ た。もしかしたら、私も戦っている時はこういう目をしているのだろ うか。 ﹁僕は⋮⋮リリだから﹂ ﹁リリだから助けたいんだ。僕の、大切な仲間を助けたい。悲しそう に笑う彼女を守りたい。一人だった僕といつも一緒にいれくれたア ゼルみたいに、行く宛のなかった僕達を助けてくれた神様みたいに﹂ 自分の心から本音を絞りだすように胸を抑え、漸くその答えに辿り 着く。 ﹁なら、迷う必要などないでしょう。助けたいのなら助ければいい、そ の結果を貴方が受け止めるというのなら﹂ 自分のために剣を振るい続け、仲間を傷付けていく私。 他人のために己を削り続け、仲間を危険に晒すベル。 それは正反対のように思える生き方。しかし、何も変わらない。た だ、己の信じた道が違かっただけの話だ。 方やすべてを置き去りにしていく剣の道。方や助けたすべての人 を背負っていく善の道。 全てを斬った私は空っぽになるのかもしれない。全てを背負い込 んだベルは圧し殺されるのかもしれない。結局、道の果てなどそんな ものなのかもしれない。 それでも、それが私の求めた道の先だと言うのなら、空っぽな私は 満たされるのだろう。圧し殺されたベルは満たされるのだろう。 こんなにも同じだというのに、私にはベルが眩しく見えた。 ﹁神様、僕は⋮⋮﹂ ﹁ああ、君は自分の信じた道を行け﹂ そうして、兎は自分の跳ねる理由を知る。 266 ? 剣はただ己の為 ベルの一大決心から一夜。ベルはまだ日の登らない早い時間から 外に出ていった。私は今日から漸くダンジョン探索を再開できるこ ともあり、普段より早く起きたがベルには負けた。 遅めの朝食を済ませ、私は数日間ダンジョンに潜る準備をするため に北西の大通りにある道具屋などを数軒周り、携帯食料や最低限の ポーション類を購入した。そのままバベルに向かうため大通りを歩 いて行くとギルドが見えてくる。 ミィシャさんはちゃんと報告をしてくれただろうか、と少し心配し つつ通り過ぎる。久しぶりにダンジョンに行けるという喜びで足が 徐々に速くなっていく。 見覚えのあるハーフエルフの女性の横を通り過ぎ、そのままバベル へと入りダンジョンに降りようと思ったところ後ろから声をかけら ﹂ 267 れた。 ﹁アゼル君 声をかけて安堵したような表情をした。 ﹂ ﹁よかった。急いでベル君を追ってほしいの﹂ ﹁嫌です﹂ ﹁頼んだわ⋮⋮って、なんでよ ﹂ ﹁どうせ厄介事に巻き込まれているから、とかでしょう ﹁知ってるなら尚更追いなさい はなるべく避ける、リスクは出来る限り減らすスタンスを好む。 冒険者は冒険をしてはいけないと常々言っている彼女は危険な事 だろう。 幕などない、と彼女に説明しても理解はされど納得はしてもらえない 回の件はベルに任せ、ベルも私に助力を請わなかった。なら私が出る 何故エイナさんがベルの事情を知っているかは知らないが、私は今 ? ! ! ﹂ はギルドの制服に合わせて青いスカーフを巻いていた。彼女は私に ハーフエルフの女性、ベルの担当アドバイザーのエイナさんだ。今日 急 ブ レ ー キ を し て 声 を か け て き た 人 物 を 見 る。先 程 通 り 過 ぎ た ! ﹁行きなさいっ 特に今回は﹂ ﹂ ﹁なら陰ながら見守ってあげなさいっ ほら ﹂ ! ﹃ファイアボルトォ ﹄ 方で炎が弾ける音が微かに聞こえた。 流石のベルも10階層に進出はしていないだろうと思った矢先、遠 れることはなかった。 スターの位置が分かるようになっていたので霧の中とは言え奇襲さ 10階層に到着し、霧の中へと身を投じる。些細な物音だけでモン いた。 ︻未来視︼を使わないでも敵の攻撃が簡単に予測できるようになって う、モ ン ス タ ー の 動 き が 以 前 に も ま し て 遅 く 見 え る よ う に な っ た。 道中の敵を片手間で斬り裂いていく。レベルアップしたからだろ ﹁ふっ ﹂ と感じることができた。 秒で今出せる最大速度まで加速する。レベルが上がった実感をやっ もう止めておくのが精一杯だった足は弾かれるように動き出し、数 ﹁分かりましたよ。まあ、無駄でしょうけど﹂ しよう。 らないが私も中層を目指しながらそれとなく周りを見ておくことに り敢えず行くと言っておいた方がいいだろう。まあ、出会うかは分か エイナさんを納得させるには時間がかかりそうだ。なら、ここは取 ! ﹁弟分の躍進に兄分である私が登場するのはよくないと思うんです。 ! ていくのが見えた。驚く事に霧の中を颯爽とやってきたのはアイズ ふと、霧を斬り裂く銀の閃きが視界を通り過ぎモンスターを斬殺し なかった。 という意志が宿っていた。その声を聞いた私は、助けるわけにはいか その声には必死さがあった。何が何でも、どれ程足掻いても助ける ベルが数日前に覚えた魔法が炸裂していた。 ! 268 ! さんだった。 その場を静観し、ベルがモンスターの包囲網にアイズさんの開けた 穴を強引に押し通り9階層へと、きっとリリを追って行った。それか らアイズさんが周辺のモンスターを狩り尽くすまでそう時間はかか らなかった。 ﹁お疲れ様です﹂ ﹁ん﹂ ﹂ 私がいた事を気付いていたのかアイズさんは驚かなかった。 ﹁なんで助けなかったの ﹁色々あるんですよ、ベルも男の子ですから﹂ ﹁⋮⋮分からない﹂ そう言って彼女は少し離れた所に落ちていたベルのエメラルド色 のプロテクターを見つけ拾い上げた。そしてそれを私へと差し出し てきた。 ﹁⋮⋮これ﹂ ﹂ ﹁ありがとうございま⋮⋮良い事思いつきました﹂ ﹁⋮⋮ ﹁それ、アイズさんがベルに返してください。話しかける切っ掛けに なりますよ﹂ ﹁⋮⋮また逃げられたら、どうしよう﹂ 首を折りながら不貞腐れるアイズさん。これだけ落ち込むってこ と は そ れ だ け ベ ル の こ と を 気 に 掛 け て い る と い う こ と だ。こ れ は、 ひょっとするとひょっとするかもしれない。 ﹂ ﹁アイズさんって天然ですよね﹂ ﹁⋮⋮ 私の発言に首を傾げたアイズさん。そう言った所がまさに天然な 感じです。 ﹁あのですねアイズさん。逃げるなら、追えばいいだけの話しじゃな いですか﹂ ﹁⋮⋮確かに﹂ 269 ? 差し出されたプロテクターをアイズさんに押し返す。 ? ? ﹁アイズさんの︻ステイタス︼なら、絶対に逃げられません﹂ ﹁⋮⋮そっか。ありがとう﹂ ﹂ これでベルも逃げ場をなくしただろう。 ﹁さて、もっと下に行きますか﹂ ﹂ ﹁あ⋮⋮ゴライアス、倒したって、本当 ﹁フィンさんから聞いたんですか ﹁うん﹂ ? ﹁どうやって ﹂ ﹁剣でズバーンと﹂ ﹁どうやってそんなに強くなったの ﹁それは⋮⋮﹂ 付かれるとは﹂ ﹁⋮⋮これは驚いた。︻剣姫︼ならまだしも、そちらの冒険者にまで気 時を同じくしてアイズさんも自分の剣を抜いた。 話 の 途 中 だ っ た に も 関 わ ら ず 腰 に 差 し た ホ ト ト ギ ス を 抜 き 放 つ。 た。10階層の空気が変わったと感じる程の何かが。 言えません、と言おうとし時だった。何かがいる、そう直感が告げ ﹁それは﹂ だからだ。 それ以上強くなってどうする、なんて聞けなかった。私も同じ気持 ﹁私は⋮⋮強くなりたい﹂ らだ。 愛も、友人と遊ぶ楽しさも、すべてを犠牲にして剣を振るってきたか 技術という事であれば、それは剣しか知らなかったからだ。家族の 果のある︻地 這 空 眺︼のおかげだ。 ヴィデーレ・カエルム ︻ステイタス︼の成長という意味であれば、それは確実に成長促進効 アイズさんの質問に少し考える。 ﹂ ような不思議そうに見る目ではなく、真剣な眼差しだった。 それを言ったアイズさんの目は確かに私を捉えていた。いつもの ? そして少し離れた所に黒い人影が現れる。どこからともなく、音す ら立てず。 270 ? ? ﹁君には用はない。少し眠ってもらおう。なに、起きた時には私のこ とは忘れている﹂ そう言って黒い人影は私に手を向け、小さく何か呟いた。 ﹁ぐっ﹂ たったそれだけで私は意識が朦朧としはじめ、刀を杖にしてやっと 立ち上がっている状態になってしまった。何かが私の中を蠢いてい る。それは私の頭へと向かっているのが分かった。恐らく記憶を消 すための魔法か何かだ。 ﹁アゼルッ﹂ ﹁危害を加えるつもりはない。彼には聞かせないほうがいい話なだけ だ。むしろこれは彼の安全確保のためにしていることだ。下手に首 ﹂ を突っ込まれると面倒だからね﹂ ﹁っ 思い出せ、私は意識を乗っ取られかけたことなど何度かあるだろ う。一度目はフレイヤに、二度目は鈴音さんの結晶に。その時の感覚 を呼び覚ませ。自らに宿す概念で、身体を侵す異常を斬り裂け。 身体の中で何かが揺らめいたような感覚があった。次の瞬間、意識 ははっきりとしていた。立ち上がることもできるようになっただろ う。しかし、私の身体を固めた。その感覚は、ゴライアスと戦った時 のあの感覚と同じだった。 忘れるな、と身体に念じる。しかし、どれだけ強くそう願ってもそ の感覚はすぐに薄れ、まるで最初から何も感じていなかったかのよう ﹂ に消えてしまった。 ﹁寝たかな ﹁それは助かる。本来であれば私の存在も忘れて欲しいのだが、効か ﹁いいですよ、私は先に下に行くので﹂ か、好奇心か、ともかくあまり心地の良い視線ではなかった。 人影の顔に当たる部分、その奥にある目が細まった気がした。警戒 た﹂ ﹁⋮⋮これは驚いたね。抵抗されたのか、いや、そんな感じではなかっ レジスト ﹁残念ながら、ぴんぴんしてます﹂ ? 271 ! ないのならしょうがない﹂ ﹁てっきり効かないのならしょうがない、殺すかと言われると思って ました﹂ ホトトギスを鞘に戻し歩き出す。しかし警戒は怠らない。いつで も抜刀できるように、動き出せるように準備をしておく。 ﹁君の事は一応知っている。惜しい人材を失うことになる﹂ ﹁どこで、なんて聞いても答えてはくれないんでしょうね。まあ、殺さ れないならいいです。では、アイズさんさようなら、黒いお方も﹂ ﹁ばいばい﹂ ﹁夜道は気を付け給え﹂ 貴方が言うと冗談にならない、と言おうと思ったが彼なりの冗句 だったのだろう。私がアイズさんとその謎の人影の視界から消える まで彼等は一言も喋らなかった。別に出歯亀するつもりのなかった 私は素直に10階層から11階層へと降りた。 出会うモンスターを片っ端から斬り殺し、先程感じた身体の中で何 かが揺らめくような感覚を掴もうと集中したが、それは結局私が地上 に戻った二日後まで叶わなかった。 しかし、やはりレベル2になって基礎となる身体能力が飛躍的に向 上していた。踏み込む速度とその重さ、それでいて軽い足運びも可能 となり、剣を振るう速度も格段に上がった。これは確かに手加減して いたとしてもレベル5のアイズさんに追いつけないわけだ。 度重なる戦闘で私はレベルという物がどれ程差を作るのかを知っ た。 ■■■■ 地上へと戻るとリリの件は片付いていた。ベルはあの日10階層 で助けてくれたのが誰だったのか分かっていなかったようだ。霧が 濃い階層だしアイズさんの動きはかなり速かったからだろう。 ベルはリリとまた一度パーティーを結成し、探索をすることにした と嬉しそうに報告してくれた。そこで今後一緒に探索することもあ 272 るかもしれないということで後日三人で探索をしようと言われ、途中 までならと答えておいた。私としても、ベルがどれ程強くなったのか 見てみたい。 今日はそのリリとヘスティア様の初対面となる日だ。団員であり リリとも知り合いである私も一緒に来るように言われた。 ヘスティア様と共に目的地であるオープンカフェへと向かう。そ ﹂ こには既にテーブルに座っているベルとリリがいた。 ﹁おーい、ベル君っ ﹁あ、アゼルに神様。こっちですよ﹂ ベルに手招きされテーブルへと近づく。しかし私とヘスティア様 の分の椅子が足りない。ベルが店員に椅子の追加を頼みに行くとい うので椅子を運ぶために付いて行く。 椅子も人数分集まり、漸く話し合いが始まる、かと思いきやヘス ティア様はベルの腕に抱きつき、リリも対抗するように逆の腕に抱き つき始めた。平和なカフェが修羅場と化した。 ヘスティア様とリリ、ついでにベルを落ち着かせ椅子に座らせて今 度こそ話し合いを始める。具体的に言うとリリの今後についてだ。 リリはソーマ・ファミリアで色々と問題を起こしたので居づらい コンバート し、もし復讐でもされたら堪ったものではない。なのでベルは彼女を ヘスティア・ファミリアに改 宗しないかと持ちかけたのだ。確かに 同じパーティーで探索をしていくなら同じファミリアに所属してい る方が何かと楽だ。 しかしリリはその提案を断った。なんでもソーマ・ファミリアは改 宗をする場合多大な金がかかるらしい。今回の事件で財産を失った リリと零細ファミリアであるうちでは逆立ちしても払えない額だそ うだ。 私が頑張れば払えなくもないかも、とも思ったがリリに関してはベ ルに任せることにした。たぶんベルもファミリアに十分なヴァリス があっても、それは皆のお金だからと言って渋るだろう。私だけで 払ったらそれこそ怒り出すかもしれない。 結局リリはヘスティア・ファミリアには入らず、昔世話になった宿 273 ! に泊まって暮らすことにする予定らしい。 リリの今後も決まり、話し合いは終わった。ベルはそのままギルド に言って、この件で心配をかけたエイナさんに報告しに行った。ヘス ティア様はバイトの時間が迫っていたのか急いでバベルへと走って いった。 ﹂ ﹁あの、アゼル様﹂ ﹁なんですか そしてその場に残った私とリリ。彼女と最後に話したのは賭けの 話をした時だ。 ﹁色々ご迷惑をお掛けしました﹂ ﹁別に私は何もしてませんし、されてませんよ﹂ ﹁でも、ファミリア間の問題に巻き込んでしまいました﹂ ﹁本当に、気にしないでください﹂ 頭を下げるリリは本当に申し訳無さそうな声をしていた。色々と 悪事を働いていたようだが、根は優しい女性だったみたいだ。まあ、 だからこそベルは必死に彼女を救おうとしたのだろう。 ﹁それよりも、これからベルのことをお願いしますね﹂ ﹁そ、それは任せて下さいっ﹂ ばっと上を向き宣誓するように言った。その目に偽りは一欠片も 映っていなかった。 ﹁じゃあ、私は行きますね。今後一緒に探索することもあると思うの ﹂ で、その時はよろしくお願いします﹂ ﹁あ、あの、アゼル様 ﹁ベル様はただの少年です。女の子が大好きで、ダンジョンに出会い リリは真っ直ぐ私の目を見た。 ﹁でも、私は違うと思ったんです。いいえ、絶対に違います﹂ ﹁ええ﹂ ました﹂ ﹁アゼル様は、以前ベル様の事を英雄だと、すべてに勝つ英雄だと言い か話がるのかと不思議に思いながらリリの元へと戻る。 去っていこうとする私の背中にリリは言葉を投げかけた。まだ何 ! 274 ? なんていうものを求める程純粋で、馬鹿で、お人好しで。ベル様は、英 雄に憧れるただの少年です﹂ ﹁私には違いが分かりませんね﹂ 私のそんな言葉にリリは笑った。 ﹁だって、ベル様はあんなに弱いです。すべてに勝つ英雄なんて大そ れた者ではありません。何かを、誰かを救おうと足掻いて、傷付いて、 挫けて。それでも立ち上がって﹂ リリは自分の胸を抑えた。脳裏に浮かぶベルの姿が彼女を苦しめ るのだろう。彼女はベルを裏切ったのだ。それなのに、リリはベルに 救われた。そんな自分が許せないのだろう。 ﹁そんなベル様に、リリは救われたんです。ベル様が英雄だから、運命 で救われたんじゃありません。ベル様が、リリのために戦ってくれた から救われたんです﹂ なんでですか ﹂ ﹁いまいち理解できませんが。まあ、言おうとしていることはなんと ﹂ 出す。 何故理解できないのか、その理由を私は知っている。 ﹁リリ﹂ ﹁はい﹂ ﹁私はね、誰かのために剣を振るうという事ができないんです。誰か のために何かをすることはできても、絶対に、絶対に剣だけはだめな んです。理解ができない。だから、私は﹂ 英雄譚はいつも誰かを救う話だ。皆が憧れるのは人々を守る存在 だ。皆、誰かのために戦うのは正義だと言う。守るものがあれば人は 強くなれるという。何度も何度もその言葉を見聞きしてきた。 この剣は自分のためだけにある。でも、もし誰かのための剣になれ たとしても。 ﹁誰かのために戦うという意味を知らないんですよ﹂ 私は強くなれる気がしないのだった。 275 なく ﹁もうっ ! リリの話も終わったので、若干怒っているリリに背中を向けて歩き ! ? 幕間 少女は歩き出す 彼女はその悠然と佇む男の姿に見惚れていた。片手に携えるのは この世に一本しかない、彼女が全身全霊をもって打った一振りの刀。 妖しく光る刃からは圧迫されていると錯覚する程の存在感が溢れ、 一瞬たりとも目が離せなくなる。それは彼女が打った時にはなかっ たものだった。 刃は持ち手によってその姿を変える。素人がどんな業物を握ろう と刃は鈍く光るが、達人は例え鈍ら刀を握っても刃は鋭い光を反射す る。 持ち手あっての刀であり、刀あっての持ち手なのだ。片方だけでは 決して見ることのできない景色を彼女は見ていた。 彼女の最高傑作はその男を完成させた。同時に、その男は彼女の最 高傑作を完成させた。そう、それが放つ光はきっとこの世で最も美し まだ自分が見ていない景色が うと呼吸を忘れるほど見つめた。しかし、その瞬間は一生訪れること はない。目の前が暗くなり、目に朝日が差し込んでくる。 ぼんやりとした視界で彼女が捉えたのは刀などではなく木の天井 だった。 夢の様な光景、否、夢から覚める。 ﹁⋮⋮今日も、見れなかった﹂ それが悲しくて、苦しくて、切なくて彼女は身体にかかっていた シーツを強く抱きしめた。 あの世界で最も美しい光の先は確かに存在する。その光景こそが 剣士と刀が繰りだす剣技であり、すべてを斬り裂く刃。 彼女はそれが存在することを知っている。しかし、それを見ること ができない。想像することもできない。 そう、忍穂鈴音は男が本気で振るう刀を知らない。故に、夢で見る 276 い光だ、彼女はそう思った。 でも、もしその先があるとしたら あるとしたら ? 男がゆっくりと身体を動かし構えを取る。彼女はその瞬間を見よ ? こともできない。 ﹁はあ⋮⋮会いたいよ﹂ 朝だというのに熱っぽい吐息が鈴音の口から漏れる。鈴音は再び 目を閉じて男の姿を頭に思い浮かべた。刀を握ったその姿は瞼の裏 に描かれているのではないかと思うほど鮮明に思い出すことができ た。 ﹁アゼル﹂ その身に剣を宿す、剣の申し子のような男の名を呼ぶ。それと共に 触れた手の感触も蘇る。血の通った手のはずなのに、ふとした瞬間冷 たく鋭い刃のような感触。 思いの外記憶に浸りすぎて急いで身支度をする鈴音がいたことは、 また別の話である。 ■■■■ セルチ 277 ﹁うーん⋮⋮﹂ 鈴音は自らの打った脇差を見て唸った。大凡40 Cの刃は、波打 つ刃紋を描きながら鈍色の光を放っていた。 鈴音自身としても問題のない一品だった。自分の思った通りの長 さ、重さ、重心の位置、刃紋がその脇差には反映されていた。しかし、 それでも│││ ﹁│││何か違う﹂ 何かが足りていなかった。心の何処かで、その刃が放つ光が欠けて いるように思えた。刃に魅入られ、刃を打つことだけに没頭してきた 彼女だからこそ感じる僅かな違和があった。 それが何なのか悩む鈴音の元に一人の女性が訪ねてくる。工房の ドアが叩かれたので、思考を一時中断して対応した。ドアを開けると ﹂ そこには左目が眼帯で隠れた褐色の女性が立っていた。 ﹁鈴音、終わったかの 鈴音は先程まで眺めていた脇差を鞘に収めて椿に手渡した。 ﹁終わったよ椿さん。これ、頼まれてた脇差﹂ ? 鈴音がアゼルのためにホトトギスを打っても彼女を取り巻く環境 は変わるはずもなく、未だに彼女の作品は店の隅に追いやられ陽の光 を見ることがない。それでも人間が生きていくには金が必要であり、 刀鍛冶としてアゼルのためにあると決めた鈴音は当然鍛冶をして稼 いでいく他ない。 そんな彼女に手を差し伸べたのが椿であった。元々鈴音が他人に 刀を打たせているなどという噂を信じていなかった椿は自分のお得 意様の注文の一部を鈴音に任せることにした。当然、取引相手には信 頼の置ける鍛冶師だと話し了承を得てからの話だ。 鈴音が普通に打てる武器は、武器としての出来は一流であるがその 性能はレベル1の鍛冶師が打った物と変わりない。あまり性能を重 視していない予備の武装等までも椿に注文していては金がいくら あっても足らなくなってしまう。そこで椿は鈴音の武具を正当な価 格でお得意様に注文を取る仲介役を担うことにした。 ﹁ふむ﹂ 脇差を受け取った椿は柄の握り心地や重さなどを確かめ、鞘から抜 いて刃の具合を見た。お得意様に紹介した手前、彼女は厳しい目で鈴 音の武具を鑑定していた。しかし、それが必要ないということも椿は 分かっていた。 ﹁見事な出来だな。うむ、手前には真似できんくらいだ﹂ ﹁そ、そんなこと、ないと思います、けど﹂ 尊敬する先輩鍛冶師にそんな事を言われた鈴音は小さな声で反応 するも、台詞の最後に近付くに連れ小さかった声が更に小さくなり、 聞こえなくなった。 ﹁謙遜することはない。長さ、重さ、重心共に完璧。その上この浮かび 上がる刃紋はもう芸術と言ってもよかろう﹂ ﹁そう、でしょうか⋮⋮﹂ 褒めに褒められた鈴音は恥ずかしくなり若干涙目になりながらそ の賛辞を受け取った。しかし、その言葉の数々も彼女の心に響くこと はなかった。 幾ら褒められても、鈴音自身が納得していない一振りなのだ。 278 ﹂ ﹁ほう、これ以上の物が作れると ﹁いえっ、そういう訳じゃ ﹂ ﹁ふふふ、分かっておる。納得できんのだろう ? まう。 ﹂ ﹁その理由を、知りたいのかの ﹁⋮⋮それは│││﹂ ﹂ ﹂ きったことだ。この仕事なくして鈴音の収入源は雀の涙になってし じゃあ何故勧めたのか、などと鈴音は聞かなかった。それは分かり の﹂ ﹁なあに、そもそもこういった仕事は向いてないと思っておったから ﹁分かるんですか して鈴音を好いていた。 て、友として、そしてヘファイストス・ファミリアに所属する家族と りの鍛冶師ともなれば拍車がかかる。彼女は先輩として、同類とし 性格は人好きである。誰かといれば話したくなるし、それがお気に入 慌てふためく鈴音を見て椿は微笑んだ。工房に篭りがちな椿だが、 ? ! がなければ生きていけない。 ﹁もう、気付いておるのだろう ﹁だ、だって﹂ ﹂ ? ﹂ ? ない。 はちっぽけな一存在でしかない。レベル1の冒険者で、鍛冶師でしか つ目指したい夢は、現実に押しつぶされる。鈴音という少女も、結局 それが出来たらどれほど良かっただろうか、鈴音は嘆いた。ただ一 想いに従い納得できる一振りを打つのは至極自然なことだろう ﹁自身の想いを無視して打った武器に納得できんのは当然。なれば、 なら何故、その通りに進まない それは夢の様な物語になるだろう。しかし、現実は非常で残酷だ。金 それは浪漫に溢れたことだろう。それは憧れるような状況だろう。 ただ一人のためにしか武器が打てなくなってしまう。 になってしまう。 くなってしまうように思えたのだ。言ってしまえば、本当にその通り 鈴音は口をつぐんだ。その先を言ってしまうと、この仕事ができな ? ? 279 ? 椿のように卓越した鍛冶技術と戦闘技術を備えた傑物ならば、金な ど如何ようにでも稼げるだろう。しかし、鈴音は違う。その夢を叶え るための下積みが彼女にはなかった。 忍穂鈴音は、求めてやまないただ一つの存在と早く出会いすぎたの かもしれない。そうとさえ、彼女には思えてしまった。 ﹂ ﹁そうだのお⋮⋮少し付いて来い﹂ ﹁え、何処にですか 鈴音から受け取った脇差を袋に収めて椿は振り返って歩き始めた。 その背中は有無を言わさない雰囲気で、鈴音は逆らう気すら起こさな かった。 ﹁決まっているであろう﹂ 椿は首を捻りちらりと後ろを見る。その顔には不敵な笑みが浮か んでいた。何故なら、彼女にはもう結末が見えているのだから。女と して、鍛冶師としての結末が彼女には分かっていた。だから導く。 ﹁鍛冶師は鍛冶場にいるのだ﹂ 宣言通り、椿は鈴音を己の工房へと連れて行った。鈴音の工房より 二倍ほどの大きさのそれは、様々な武器がずらりと並ぶ一室と鍛冶を ﹂ 行う鍛冶場の二つの部屋からできていた。 ﹁わあ﹂ ﹁珍しいか できない物すらあった。しかし、その中にあった刀や脇差、小太刀な どを見て一瞬で椿の技量の高さを理解した。 椿には専門がない。鈴音であれば刀鍛冶を自称するくらい、刀に類 する物しか打てない。しかし、椿は違う。注文されれば何でも打つ。 細身のショートソードから大振りな大剣、果てにはブーツなどの防具 までも彼女は製作する。 ﹁見ての通り、手前は興味の持った物はなんでも作る﹂ 280 ? ずらりと並ぶ武器の数々を見て鈴音は種類を言い当てることすら ﹁は、はい﹂ ? 椿は並ぶ武器を示してそう言った。その作品の数々こそが椿・コル ブランドが血の汗を流し、その才を尽くして打ってきた武器であり、 彼女そのものと言ってもいい。 ﹁これを﹂ ﹂ 椿は鈴音を真っ直ぐ見つめた。 ﹁鈴音はどう思うかの ﹂ ﹂ ﹂ ? ﹁分かるって何が ﹂ ﹁好きな素材を使ってよい。刀身だけでも打てば、分かるだろう﹂ た。 は何も変わらない。その匂いが、温度が鈴音には心地よく感じられ 打つための道具の数々。場所が変われど、持ち主が変われど、鍛冶場 そう言って椿は鈴音を工房に迎え入れた。轟々と燃える炉と、鉄を ﹁うむ、今、ここで﹂ ﹁い、今 ﹁鈴音、一本打ってくれんか それを凄いと言わずして何と言うのか。 椿の鍛冶の腕は底知れない。 音と引けを取らないのに、それを数多くの武具で高水準を保っている 理解できなかった。刀をとってもその技量は刀だけを打ってきた鈴 笑みを浮かべながら椿は首を傾げた。その所作の意味が鈴音には ﹁そうか ﹁どうって⋮⋮凄いと、思います﹂ ? と工房にあった鉱物を調べ、刀を打つことにした。 ﹂ ﹁それはアゼルに渡す一品だと思って打て﹂ ﹁あ、アゼルに ﹁うむ﹂ ﹁じゃあ、その、もっと材料を細かく調べないと﹂ ﹁よいよい、取り敢えずそのつもりで打て。いいな ﹂ それから何を聞いてもはぐらかす椿に困らされた鈴音は、おずおず ﹁それは打ってからのお楽しみだ﹂ ? 漸く打ち始めようとしていた鈴音が再び材料を吟味しに行こうと ? ? 281 ? ? するのを椿は止めた。重要なのは材料ではないということだろう。 ﹁さあ、打ってみるといい。鈴音の想う男のためにな﹂ ﹁アゼルの、ために﹂ 独り言のようにアゼルの名を呼んだ鈴音。しかし、その名を呼ぶだ けで手にはホトトギスを打った時の感覚が蘇る。 槌を握ったあの燃えるような熱さ。流れ落ちる汗が気にならなく なるほど一心に、自らの想いと願いを鉄に打ち込んだ時の衝撃。息遣 いから、熱せられた鉄が温めた空気の質感までもが蘇る。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ それは、椿に仲介してもらった仕事のために打っていた時にはない 感覚だった。しかし、その事実に驚くことなく、鈴音は作業に取り掛 かった。 アゼルのために剣を打つ。そう考えただけで、それ以外の事がどう でもよくなっていた。椿の工房にいることも、提供された素材をどう 支払えばいいかも、すべて頭の中から消えていた。 残るのは、ただ刀を構えたアゼルのイメージだけだった。 忘れられるはずがない。忘れようものなら、幾度でも鉄を打ちその 感情を蘇らせる。他の誰かのために槌を振るうことなど、鉄を打つこ となどできようものか。 ただ一人のために槌を振るう。それが、忍穂鈴音という鍛冶師の、 少女のあるべき姿なのだから。 気が付けば、鈴音の手には一本の刃が握られていた。一心不乱に鉄 を熱し、打ち付け、鍛えたからだろう、形は今までにないくらい不格 好 で あ っ た。し か し、鈴 音 の 表 情 は 晴 れ て い た。流 れ る 汗 が 心 地 よ く、今まで引っかかっていたものがなくなっていた。そして、理解し てしまった。 それは│││私がアゼルに恋をしているから。 言葉にせずとも、否、鍛冶師であるが故に、その刀身は言葉以上に 彼女を語っていた。だからこそ、鈴音は椿を見た。 282 ﹂ ﹁惚れ惚れする面構えだったぞ。どうだ、想いのまま打った気分は 時を忘れるほどだっただろう ﹁⋮⋮﹂ うことを漸く理解した。 ﹁なんで⋮⋮なんで、こんなことをさせるんですか だけじゃ生きていけないのに⋮⋮﹂ ﹁鈴音﹂ 私は、この想い 図星であった。窓から見える空はすでに暗くなっていて、夜だとい ? も到達できるかすら分からないのに、そこまで至れと椿は言った。 鈴音はその話の大きさにただ唖然とした。行き着く先などそもそ ﹁⋮⋮﹂ ない、お主の鍛冶の道を﹂ ﹁ならば見せてくれ。お主の行き着く先を。手前では見ることのでき いいと思ったのだ。 さっきと同じだった。アゼルのためなら他のすべてを投げ捨てても それはホトトギスを打つ時に交わした約束だった。あの時も、今 ﹁鈴音は手前にこう言った、持てるすべての技術を手前に明かすと﹂ ていなかった。 ただ一人のために鉄を打つことがどれほど凄いことか鈴音は理解し 優れた鍛冶師故に己の武具に誇りがあり、他のすべての客を蹴って たことはない﹂ ﹁それでも、手前はただ一人にこの身を捧げて武具を打ちたいと思っ て出会えるものではない。 ているものを欲しがった。それは、ただ腕の良い鍛冶師だからと言っ それは、羨望の感情が含まれていた。心の底から、椿は鈴音の持っ 鍛えてきた﹂ を打ってきた。何日も何日も鉄を熱し、汗を流し、槌をふるい、鉄を ﹁手前は数多くの冒険者に、それこそ数えるのが億劫になるほど武具 が妹をあやす時のような声だった。 俯き、涙すら浮かべ始めた鈴音に椿は優しく語りかけた。それは姉 ? ヘファイストス・ファミリアの団員は、入団時に主神である鍛冶の 283 ? 神ヘファイストスの打った武具を見せられる。そして、その武具を越 えようとする者だけが入団できる。入った当初、いや、つい最近まで 鈴音もそのために打っていた。あの美しすぎた刀を越えるために、精 進していた。 しかし、今は違う。鈴音は他の団員たちとは違う道を歩み始めた。 何故なら、彼女は見つけたのだ。彼女の打った刀が最も輝く場所を、 最も美しい斬撃を繰りだす人物を。 ﹁そのためなら、手前は援助を惜しまない﹂ ﹁そ、そんな冗談、やめてください﹂ ﹁冗談などではない。金がいるのなら良い仕事を紹介しよう、材料が いるのなら調達しよう﹂ その声も、表情も真剣そのものだった。 ﹁強くなりたいと言うのなら、手前が鍛えよう﹂ その一言が、鈴音を揺さぶった。 彼女は鍛冶師であり、鍛冶師は冒険者の武器を打つ存在だ。しか し、鈴音はアゼルに恋をしてしまった。自分の打った武器を使っても らいたくて、全身全霊で最高の一振りを打った。アゼルという存在 に、自分があるということに喜びを感じた。 しかし、人は強欲である。 そ の 先 が 見 て み た く な っ た。ア ゼ ル の 振 る う 刀 が 見 た く な っ た。 彼のいる世界が見たくなった。その次は、同じ世界を見たくなるのは 当然と言えるだろう。アゼルの横で、同じ景色を見てみたいと思うの は何もおかしくないだろう。 それが、本当にしたいことなら、他のすべてを投げ捨ててでもした いことなのなら利用できるものは利用する。それが人であり、その機 会が今しかないのなら│││ ﹁│││私は、強くなりたいです﹂ いつの日か、アゼルと同じ世界を見るために、武器を打つだけでは なく共に戦うために。 ﹁│││あい、分かった﹂ 忍穂鈴音は覚悟を決めた。 284 アゼル・バーナムが他のすべてを斬り捨て、すべてを斬り裂く剣士 になることを決意したように。ヘスティアが己の行動がアゼルを苦 しめても彼を家族として迎えようとするように。 彼女は多くの可能性を捨てた。ただ一人の男のためにあるために。 それが報われようとも報われなくとも。 彼の傍らで、その刀がこの世のすべてを斬り裂く光景を見るため に。 285 滴る血より生まれしモノ 奇跡を追い求めて 夢を見ていた。しかし、不思議な事にそれは私の中にあるはずのな い記憶から形成された夢だった。 ある男が刀を振るう。ある女が刀を振るう。ある子供が、老人が、 貴人が、浮浪人が刀を振るう光景を延々と夢に見ていた。 刀が振るわれる度に何が斬られていく。腕が、脚が、首が、銀の閃 きが瞬く毎に血を吹き出しながら誰かが倒れていく様を延々と夢に 見ていた。 何度も何度も、私はただ無感情にその光景を眺めていた。 そこに恐怖などなく、ましてや嫌悪感もなかった。ただ、その振る われる刀が美しく見惚れていた。誰が振るおうともその剣閃は揺る ぐことなく、何を斬ろうとその勢いは衰えない。剣にして剣士、その ﹂ 286 二つの要素を同時に持つその刀を私は知っていた。 ﹁花椿 当て始めた。 私に向かって構えるかと思いきや、彼等はその刃を自分の首へと押し 彼等の手には夢と変わらず一本の刀が手に握られている。それを ﹃すべてを捧げて﹄ 従っている人形のように見えた。 だった。その顔からは生気がまったく感じられず、ただ一つの意志に 一歩一歩私を囲うように歩みを進める彼等はまさしく死人のよう ﹃捧げて﹄ き上がってくる。 音が辺りをひしめき、暗闇の中から今まで夢に見ていた人物たちが浮 自分の周りに人々が群がってくる。ひたひたと素足で地面を歩く がすべて消え、新たな場面へと飛んだ。 その事実を伝えた。その名前を呼んだ途端、目の前に流れていた記憶 形は違えど、その刃から放たれる剣気とでも言うべき雰囲気が私の ? それは異様な光景だった。見渡す限り幽鬼のような人型が自らの 首を刀で斬ろうとしている。 ﹃刃に、すべてを捧げて﹄ 次の瞬間、彼等は一斉にその刀を自らの首へと沈み込ませた。頸動 脈が裂かれ血を吹き出しながら彼等は一人一人地面へと倒れていく。 そして、最後に一人だけがそこに残った。 ﹁⋮⋮﹂ 気 が 付 く と 自 分 の 手 に も 刀 が 握 ら れ て い た。鈴 音 が 私 の た め に 打った、花椿という剣の化生を内に閉じ込めた一本の刀、ホトトギス だ。まだ持ってそう長くは経っていないのに、まるで産まれた頃から 握ってきたかのように手に馴染むその感触を私は忘れるわけがな かった。 ﹁さあ、捧げて﹂ 後ろから突然衝撃を感じ、振り返ろうとするがそうする前に抱きつ かれる。その人物は巧みに腕を使い私の腕に絡めながらホトトギス の刃を私の首へと持ってきた。 不思議なことに抵抗することができなかった。いや、抵抗する気さ え起きていなかった。 ﹁そう、そのまま﹂ 徐々に刃が首元へと近付いてくるのが分かった。底冷えするする ほど冷たそうに鈍色の光を放つ刃が私の肌に触れる。しかし、そこで 止められる。 ﹁ねえ、アゼル。もう一度、もう一度私の名前を呼んで﹂ ﹁⋮⋮花椿﹂ ﹁ふふ、違う。私の名前はホトトギス。生みの親から授かった、大切な 名前﹂ その瞬間、手に持った柄も首に当てられた刃も燃え上がるような熱 さを発した。その灼熱は私の手を首を伝って私の中へ、そして中心へ と突き進む。余りにも懐かしく、親しみすぎた感覚と共に、私の奥底 へと斬りこんでくる。 ﹁アゼル、貴方こそが私達の担い手に相応しい﹂ 287 じわじわと押し寄せてくる熱と、首を斬ろうとする刃の鋭さを感じ ながらも、彼女の言葉からは耳が離せなかった。 ﹁だから私達の﹂ その次の言葉を聞いてしまったら何かが終わってしまう、そう思え て仕方なかった。それでも、逆らう気が起きなかった。そうして刃は ﹄ 首へと沈んでいく、そう思った瞬間。 ﹃アゼル君 ﹂ 私はヘスティア様の声で意識を一瞬で覚醒させた。 ﹁大丈夫かい ﹁⋮⋮﹂ ﹂ 感覚が散らばっていく。 ﹁酷くうなされていたけど大丈夫かい 怖い夢でも見たのかい ﹂ ? 刀。 灯したことに私は気付かなかった。 ア様にさえ聞こえなかったその一言に、刀の刀身が僅かに朱色の光を 小さく、誰にも聞かれないように私は囁いた。近くにいたヘスティ ﹁貴方なのか ﹂ いつもと変わらぬ風貌で、いつもと変わらぬ位置に置いてあるその 寝 て い た 私 の す ぐ 近 く の 壁 に 立 て か け て あ る ホ ト ト ギ ス を 見 る。 こったことだったのではないだろうか。 たのかということだ。あれは、あの惨状は夢などではなく、本当に起 してくれた。しかし、私が疑問に思っていたのはあれが本当に夢だっ ヘスティア様は私が夢を見たことを思い出せないことに同意を示 ﹁まあ、夢ってそういうものだけどさ﹂ ﹁怖い、かは分かりませんが夢は見ていた⋮⋮気がします﹂ ? いるような気がしたのだ。しかし、思い出そうにも何故かぼやぼやと まで見ていた夢のことを考えていた。あの声と雰囲気を私は知って 心配そうに私の顔を覗きこむヘスティア様を目の前に、私は数瞬前 ﹁え、ええ。起きました﹂ ﹁アゼル君 !? ? 288 ! ? ﹂ ■■■■ ﹁シッ ホトトギスを横に薙ぐ。火を吐こうとしていたヘルハウンドは横 一閃に顔を斬られ絶命し倒れる。そのまま動きを止めずに走る。敵 が攻撃するまえに一刀で殺す。 ヘルハウンドが火を吐こうとすればその口を上から突き刺し閉じ させ、ミノタウロスが突進を繰りだそうとすればその脚を切断する。 敵の僅かな動きも見逃さず、半ば無意識に反応し斬り刻む。既に中層 での戦闘は作業と化していた。 だから思考を巡らせる。 自分の剣で放った斬撃のことを思い出す。今となってはその時の 感覚がかなり薄れ、どのようにして繰り出したのか身体が覚えていな いが、あれができた原因くらいは考えられる。 一つ目の原因。 それは鈴音から授かった妖刀花椿、改め妖刀ホトトギスだろう。刀 単体としての出来は私からしたら完璧と言っていいが、その本質は刀 に宿る思念である。詳しくは分からないが、ホトトギスに宿った﹃ホ トトギス﹄と自ら名乗った思念体は極東ではお伽話の類に出てくる怪 物の名前らしい。 その実、遥か昔に刀を打つことに取り憑かれた男が生み出してし まった最高の刀を目指すべく人を操り血を啜り強くなっていく怪異 である。その怪異を鈴音の先祖が結晶に封じ、それが巡り巡って鈴音 の手に渡った。鈴音はその結晶を使い私に刀を打ってくれた。 しかし、一つ疑問があるとすれば﹃ホトトギス﹄は一つの思念でし かないはずである。つまるところ、 ﹃ホトトギス﹄は﹁斬る﹂というこ としか考えられない一方通行の感情の塊でしかないのだ。しかし、ゴ ライアスとの死闘の際私に話しかけてきた﹃ホトトギス﹄は確かに人 格のようなものがあった。 剣は口では何も語らない、それは当たり前のことだ。だが、剣は振 るえばそれだけで自分に語りかけてくる。どの刃に宿った想いや願 289 ! い、出来上がるまでの過程を話さずとも語ってくれる。だから私はホ トトギスを振るう。 何かを斬れば斬るほど理解が深まる、そのはずなのだ。斬ることで 己を知り、そして剣を知る。それが剣士としての研鑽であり、目的で あり目標でもある。己という剣士を知り、その限界を越えていく。己 の剣を完全に理解することで自分の剣技を高めていく。 だが、ホトトギスでいくら敵を斬り殺しても私は何も理解できずに いた。どのようにして動けばより疾く、正確に斬れるか等は振るう毎 に理解が深まっていく。しかし、私の知りたいことは何一つ分からな い。 しかし、私は剣を振るうこと以外は何も知らないただの剣士でしか ない。いくら考えても真相など分かるはずもないので、結局はこう やって戦地に足を運び敵を斬る他ない。例え、今実らずともいつか理 解できる時がくるのだと信じて剣を振るう他、私にできることはな い。 ﹁ふぅ⋮⋮もう、いないようですね﹂ 中層でのモンスターの産出速度を上回る速度でモンスターを狩っ た せ い だ ろ う。周 り に は ミ ノ タ ウ ロ ス や ヘ ル ハ ウ ン ド の 死 体 が 転 がっているばかりで新たなモンスターが現れる気配がない。 スパーダ 動かぬ屍となったモンスターから魔石を取り除く作業に取り掛か りながら、再び考え始める。 二つ目の原因。 これは、推測でしかないが私の︻剣︼に原因があるのではないかと 思っている。そもそも強力過ぎるスキルである、とヘスティア様には 言われていた。一人の人間が所有するには最高峰のスキルの一つで はないかとさえ神に言われたのだから、︻剣︼の破格さが伺える。 信じれば斬れる。単純明快にして強力無比なスキルである。しか ・ ・ し、その説明欄に記載されている﹃稀代の剣士として認められた証﹄と ファルナ いう言葉がずっと頭に引っかかっていた。私は誰に認められたのか ということだ。 神々の与える︻恩恵︼は冒険者の蓄積してきた功績を目に見える形 290 で反映させるものだ。スキルともなれば発現するための経験はそれ だけ重要なものになるはずなのだ。しかし、私は誰かに自分の剣の腕 を認められた覚えなどなかった。 出処と経緯が不明なこのスキルは私にとっても未だ謎が多い。そ んなことを考えている事自体、斬れればいいというのがモットーの私 らしくないのだが。 しかし、そこに何か秘密があるのだと私は思った。例えば、ロキ様 は私のスキルを﹃切断﹄という属性を生み出すスキルだと言った。だ から私は手で物を斬ることができるし、刃の切断力を飛躍的に向上で きる。 もし、今までは自分の身体もしくは触れている物に対してしか付加 できていなかった﹃切断﹄という属性を、外に行使することができた らどうなるだろうか。想像することしかできないが、恐らくはゴライ アスに放った斬撃、切断という概念を放出できるのではないだろう か。 そこまで考えて、私は虚空に向かってホトトギスを振るった。当 然、何も起こりはしない。しかし、あの時私がしたことと何も変わら ないのだ。 ﹁答えてはくれないか⋮⋮﹂ 右手に握るホトトギスに話しかける。きっと、この刀は答えを知っ ている。否、この刀が答えであるはずだ。しかし、いくら考えてもそ の方法が思いつかない。あの時、ホトトギスは勝手に私に話しかけて きたが、今はうんともすんとも言わない。 夢には出てくるのに、現実では何も語らない。 ﹁帰って寝てみるのも手ですかね﹂ ゴライアスと再戦するというのは不可能ではないが、既にレベルが 上がってしまった私では前回の再現は不可能である。ならば睡眠を 試すのが道理だろう。 ﹁では、帰りますか﹂ 善は急げとばかりに私は急いで残りの死体から魔石を回収し地上 への帰路についた。斬るために寝るというのは少し奇妙な感覚では 291 あったが、私の行動すべてが結局は斬ることに帰結するのだと妙に納 得できた。 そう、すべては斬るためにあるのだ。己も、剣も、敵も、世界も、す べてが斬るために存在するのだ。 バベルを出ると空は茜色に染まり、夕方になっていることが分かっ た。今日はヘスティア様に起こされ朝から活動をしていたので比較 的早い時間に帰ってこられたようだ。 態々人通りの多い大通りを通ることなどせず、私は入り組んだ路地 へと足を踏み入れた。ひんやりとした空気が流れ、人が多かったバベ ルの広場から来たからだろう、少しだけ廃れた気配が漂う。 道に迷うことなく路地を右へ左へと進み着実に歩みを進めていく。 仮に迷ったとしても屋根の上まで登れば大通りに戻ることは容易で 292 ある。細い路地なので三角飛びの要領で屋根まで登ることも簡単に できる。 だからだろう。私はすこしばかりぼーっとしていた。今まで剣に 関しては躓いたことのなかった私が、剣について考えていたからかも しれない。 ﹂ ﹁止まってくださいバーナムさん﹂ ﹁え ﹂ そして相手を見て、今一度自分が気を抜いていたのだと実感した。 る確率が高い。 しい。別段有名でもない私を知っているということは知り合いであ ﹁貴方でも﹂という言葉が引っかかった。相手は私を知っているら ﹁ん ﹁いえ、構いません。しかし、貴方でもこういうことがあるんですね﹂ ﹁あ、これはすみません﹂ 歩ほど歩いて入ればぶつかっていただろう。 物が声を掛けてくれたおかげでぶつからずに済んだが、それでも後二 気が付けば私は誰かにぶつかりかけていた。ぶつかる前にその人 ? ? ﹁どうかしましたか ﹂ り買い出しをさせられていたようだ。 ﹁じゃあ、頑張ってくださいね﹂ ﹁⋮⋮バーナムさん、少し話をしませんか ﹂ ? ﹁もう一つですか ﹂ ﹁そしてもう一つ﹂ れている。 いことではないが、ヘスティア様からはできるだけ知られるなと言わ それは自分であるのだが、平静を装って返事をする。知られてまず ﹁それはすごいですね﹂ いう噂です﹂ ﹁なんでも、どこかの誰かが単独でゴライアスを討伐をしたらしいと ﹁はあ、噂ですか﹂ ﹁最近、とある噂を耳にしました﹂ れず清廉潔白であり、サボることをあまり好まないのだ。 ましてや今は買い出しの途中である。リューさんはエルフの類にも 普 段 で あ れ ば リ ュ ー さ ん か ら 話 し か け て く る こ と は あ ま り な い。 るが、リューさんの一言で振り返りながら声を出してしまった。 帰って早く寝たかった私はリューさんの横を通り過ぎ帰ろうとす ﹁はい ﹂ 彼女は食材が入った袋を抱えていた。どうやら店の在庫がなくな んから﹂ ﹁今の状態でぶつかられては買い出しをもう一度しなくてはいけませ うございました﹂ ﹁いえ、少しぼーっとしていたようで。声をかけてもらってありがと そういえば彼女も移動には路地を使うのであった。 空色の瞳は薄暗い路地でもはっきりと輝きを放っている。 レスとして働いているエルフの女性、リュー・リオンであった。その 目の前にいたのは給仕服を身に纏った豊穣の女主人亭でウェイト ? ストに入っていて、調べてみるとその人物が冒険者になったのは約 ﹁はい。今まで見も聞きもしたことのない冒険者がランクアップのリ ? 293 ? 一ヶ月前のことだとか﹂ 何かの間違いだろうと調べた本人も信じていませんでしたが、と リューさんは続けた。 ﹁⋮⋮人の過去を調べるなんて、暇な人もいるんですね﹂ 僅かであるが、リューさんから怒気を感じた。空色の瞳が静かに私 を睨みつけているように思えた。薄暗い路地ではそれを確認するこ とができないが、確認したくないのが本音である。 ﹁私も、一ヶ月などありあえないと思っていました。しかし、その冒険 者の名前を聞いて、私は何故かゴライアスの噂を結びつけてしまっ た﹂ ﹁⋮⋮﹂ 僅か一ヶ月という短い期間で、階層主の単独撃破と ﹁そして、今確信しました。バーナムさん、貴方はランクアップを果た したのですね いう偉業を成し遂げ﹂ ﹁⋮⋮ええ﹂ 仮に私が否定したとしても、リューさんはその確信を曲げなかった ﹂ だろう。私は諦めてその事実を認めた。 ﹁一応、なんで確信に至ったんですか ただ、それだけのことだった。 ? ﹁何事にも例外というものがあるということでしょう。それに、倒せ するのなど常軌を逸している﹂ ら自殺行為にあたる。それに自分から向かい、あまつさえ一人で討伐 アスはギルドの推定レベルは4です。そもそも挑もうとすることす ﹁バーナムさん、何が貴方をそこまで駆り立てるのですか ゴライ 経 験 と 現 在 の 酒 場 の 店 員 と い う 経 験 で 冒 険 者 の 力 量 を 予 測 で き る。 けである程度予想できるように、リューさんは過去の冒険者としての 分かる人には分かるということだろう。私が剣士の力量を見るだ ﹁有り体に言えば﹂ ﹁⋮⋮なるほど。勘みたいなものですか﹂ のでしょうか。特にレベル1とレベル2の違いは大きい﹂ ﹁分かるんです、長年冒険者を見ていると。雰囲気とでも言えばいい ? 294 ? たのは奇跡のようなものでしたよ。ええ、本当に奇跡でした﹂ そして今はその奇跡を追い求めて剣を振るっている自分がいる。 ﹁人の冒険にとやかく言う資格は私にはありません。ですが、一つだ け言わせてください﹂ その時、彼女は真っ直ぐと私を見ていたが、私には彼女が私を通し て何か別のものを見ているような気がした。 ﹂ ﹁もっと自分を大切にしてください。貴方の事を心配している人がい るということを知ってください﹂ ﹁⋮⋮それは誰かに言われた台詞ですか ﹁昔、言われた言葉です﹂ あえて言うならば、その言葉が彼女のものでなかったことが分かっ たのは彼女に合っていなかったと思ったからだ。抜身の刃のような ﹂ 彼女の雰囲気には似合わない、そう思ってしまった。 ﹁リューさんも心配してくれるんですか ﹁私は⋮⋮私はもう知り合いには死んで欲しくないだけです﹂ 目を閉じて呟かれたその言葉は誰を想って口から零れたのか私に は分からなかった。しかし、その時目の前にいた女性はどこか儚く、 悲しんでいた。 ﹁それと、もう一つ﹂ 一つだけじゃなかったんですか、などと言ってもリューさんが何か を言うのを阻止できるとは思えず言わなかった。 ﹁貴方がどのような手段でゴライアスを討伐せしめたか、私には分か りません。しかし、それが普通ではないのは理解できる。レベルを超 えた相手を倒すというのは、それ自体が異常だ﹂ ﹁そうですか﹂ 割りと前から中層で戦っていた私にとっては麻痺した感覚ではあ ・ ・ るが、本来冒険者は自分のレベルを考慮してダンジョンを探索する。 ﹁バーナムさん、貴方にはレベルを無視できるほどの何かがある。だ ﹂ 295 ? ? からこそ気を付けてください。貴方が深淵を覗き込む時、深淵もまた 貴方を覗き込んでいる﹂ ﹁ええと、つまりどういうことですか ? ﹁力に溺れるな、ということです。力に溺れた者の末路はいつの時代 も決っている﹂ その時リューさんが強張ったのが分かった。持っている買い出し の袋を持っている手に力が入り皺ができていた。 ﹁⋮⋮ご忠告ありがとうございます﹂ 私 は 一 言 礼 を 言 っ て か ら 今 度 こ そ 帰 ろ う と 足 を 進 め よ う と す る。 しかし、またしてもリューさんに呼び止められる。 ﹁ああ、それと。色々言いましたが、ランクアップおめでとうございま す。では、私は少々急ぎますので﹂ 言うことだけ言って、私の返事を聞かずに歩き去っていくリューさ んの背中を見る。薄暗い路地裏では少し離れただけで見えなくなっ たが、なんだかんだ言ってランクアップして初めて﹁おめでとう﹂と 言われた気がする。 ﹁﹃深淵を覗き込む時、深淵もまた貴方を覗き込んでいる﹄ですか⋮⋮﹂ リューさんに言われた言葉を呟きながら腰に差したホトトギスを 眺める。今朝見た夢は、十中八九ホトトギスの見せた夢だ。その刃に 宿った想いの一端を私は見たのだ。それと同時に、相手もまた私の一 端を見たのだろう。 そもそもホトトギスは人に取り憑き操る怪異である。触れれば触 れるほど、覗けば覗くほど彼女もまた私に触れ覗く。そして、私とい う人間を熟知した時、私もその昔取り憑かれた人間たちと同じ末路を 辿るのかもしれない。 ﹁ふふ、望むところだ﹂ そうであるならば、これは時間との勝負である。私とホトトギス、 どちらがお互いを支配するかの勝負だ。確かに、相手は何百年と生き てきた思念体で私とは比べ物にならない程凶悪であるかもしれない。 しかし、私には一つだけの矜持がある。 剣に関する勝負で負けるわけにはいかない。ただ、それだけだ。 296 ﹂ 剣士危機一髪 ﹁大丈夫 ﹁大丈夫ですッ ﹂ 冒 険 者 達 が ま だ 各 々 の 拠 点 で 探 索 の 準 備 を し て い る よ う な 早 朝。 アイズは市壁上でベルの訓練をしていた。 ベルのプロテクターを返そうとアイズが思っていた矢先、アイズと ベルはギルドで鉢合わせになった。毎度のこと逃げようとしたベル を、アイズはアゼルのアドバイスに従って第一級冒険者としての敏捷 値で一瞬で先回りしてベルを見事捕まえることに成功した。 その時にベルが自分は戦い方がまったくなっていないと言ってい たので、アイズは自ら訓練をつけると申し出た。 そして訓練を初めて三日目となり、アイズもベルの実力をほぼ把握 してきていた。 率直な感想として、他の︻ステイタス︼と比べて俊敏だけが抜きん 出て高いということ。そして、何故か痛みに慣れているということ。 ﹂ ﹁じゃあ、次行くよ﹂ ﹁はいッ アイズが一声かけるだけでベルはナイフを構えて姿勢を整えた。 ︵意識の切り替えができてる︶ 目の前の少年は痛みで思考を止めるようなことがない。肉を切ら せて骨を断つ、時には攻撃をくらうことも必要となるダンジョンでは 痛みで思考を停止させるのは愚かなことだ。それは、度重なる戦闘に よって養われるはずの技能だ。 ﹁ふッ﹂ ﹁ッ﹂ ベルの反応できるぎりぎりの速度を維持しながらアイズは剣を走 らせた。縦横無尽に、休むことなくベルの甘いところを突き崩してい く。 ︵そしてなにより、目を閉じない︶ 不思議なことに目の前の少年は早朝訓練初日から、一度足りともア 297 ! ? ! イズの攻撃から目を逸らしたり、目を閉じたりしていない。どんな攻 撃も見ていなければ避けることも防御することも難しくなる。その 点を考えるとベルに資質はあるように思えた。 ただバランスが悪いというべきか。ベルは攻撃から目を逸らすよ うなことはしなかったが、その攻撃の対処がぞんざいだった。避ける にも必要以上に大きく避けるし、防御なんて仕方が分からないという くらいに雑だった。 ﹁わッ、とッ﹂ 今はなんとか相手の攻撃に対して真正面からナイフで防ぐのでは なく、なるべく相手の攻撃の方向を見切って攻撃を逸らすようにして 防御することに慣れ始めている。 その最終形態がアイズとアゼルの手合わせの時にアイズがやって みせた、剣をいなすということだ。流れるように、まるで相手から剣 を逸らしたかのように思えるほど自然に剣閃を逸らす絶技である。 298 アイズが徐々に攻撃速度を上げていく。ベルは緩やかに速くなっ ていく剣戟に気付くことなく、そのすべてを防いでいく。目を見張る 成長速度にアイズは舌を巻いた。 以前から冒険者としての実力、つまり︻ステイタス︼が異常に早く 上がっているとは予想していたが、戦闘技術もまるで砂が水を吸うよ うに上達していっている。伸び代があるからと言えなくもないが、そ れでも驚異的な速度だった。それも、戦闘という非日常にベルが慣れ ているからだろうとアイズは思った。 ベルは戦い慣れてはいないが、戦いに身をおくことには慣れてい た。敵の攻撃からは目を逸らさず、吹き飛ばされたらすかさず立ち上 がる。すべてが昔、アゼルに訓練という名のチャンバラに付き合って ﹂ ﹂ もらったおかげであった。 ﹁シッ ﹁ぐえッ こだろう。 放つと脇腹に突き刺さり蹴り飛ばされる。やはり、改善すべき点はこ 必死に自分の剣を防いでいるベルに対して、剣ではなく回し蹴りを ! ! ﹁君は素直すぎるね﹂ ﹁うぅ⋮⋮そうでしょうか﹂ ﹁悪いことじゃないよ。言ったことはちゃんとできているのは、君が 素直だから﹂ 蹴り飛ばされた脇腹を擦りながら立ち上がったベルにアイズは近 ﹂ ﹂ 付く。その処女雪を思わせるような白い髪の毛と血のように赤い目 がやはりどこか兎を思わせる。 ﹁あ、あの。一つ聞いていいですか ﹁うん、いいよ﹂ ベルは少し俯きながらその質問を投げかけた。 ﹁アイズさんは、アゼルと戦ったことがあるんですよね ﹁うん、一度だけだけど﹂ ﹁僕は⋮⋮アゼルと比べてどのくらい強いのか、聞いてみたいという か﹂ アイズはその質問に対する答えを瞬時に出していた。現状のベル ではアゼルの足元にも及ばないだろうという答えだ。 確かに、ベルは驚異的な速度で成長している。しかし、それはアゼ レ コー ド ルも同じことである。否、度合いが違うと言うべきかもしれない。単 身で中層を歩きまわり、アイズ自身が築いたランクアップ世界記録を 大きく塗り替え、公表されてはいないがLv.1で階層主ゴライアス を単独撃破すら達成してしまった。 それは異常の一言だ。単独での階層主撃破は達成したアイズだか らこそ分かる。階層主という桁違いの強さのモンスターに一人で挑 むというのは狂気の沙汰だ。しかも、アゼルはそれを本当に一人で やったのだ。アイズにはリヴェリアという信頼している仲間が心の 支えになっていた。 ﹁君はアゼルに比べれば弱い﹂ ﹁です、よね﹂ ﹁でも﹂ しかし、その異常性が分かるからこそアイズはその強さを否定す る。例 え、そ れ が 自 分 の 一 部 を 否 定 す る こ と に な っ て も。そ れ が 間 299 ? ? 違っていると彼女自身が思っているのだから。それでも力を望むこ とを止められない自分がいることも自覚しながら。 それは敵を倒すという、本当にそれだけの強さでしかない。それは 冒険者になりたてのアイズが求めていたものだ。しかし、今のアイズ は仲間に囲まれ、愛され、守られて自分が誰かに大切にされているこ とを知っている。彼女はかけがえのない家族を得た。 自分が傷付けば誰かが泣く。自分が無事だと誰かが喜ぶ。それは、 絶対に強さだけを求めた先にはないものだった。 ﹁でも、君はまだまだ強くなる。ううん、今この瞬間も強くなってる。 びっくりするくらいの早さで﹂ それは、慰めにしかならないかもしれない。それでも、アイズはア ゼ ル よ り ベ ル の 強 さ に 惹 か れ て い た。そ の 想 い が 伝 わ れ ば い い と 思った。 ﹁だから、他の人のことは気にしないで。今は、ただ強くなることを考 ルベライト アイズは思った、この少年の深 紅の瞳は陽だまりの中でこそ輝く と。そこに今は自分が共に立っている。その事がなんだか嬉しかっ た。 ■■■■ 300 えて﹂ ﹁僕は、追いつけるでしょうか﹂ ﹁絶対に。きっと、すぐだよ﹂ だからその歩みを止めないでとアイズは願った。気が付けばその 走る姿を目で追ってしまっていた。その先に、自分の求めている答え ﹂ があるように思えた。 ﹁よしッ ﹂ ! ベルは頬を少し赤くして笑った。 ﹁うん﹂ ﹁もう一回お願いしますッ の好意を寄せる女性から激昂されやる気の出ない男はいない。 ベルは立ち上がり自分の頬を力強く叩いて気合いを入れた。自分 !!! ﹁ぐッ、はあはあッ﹂ 脇腹からは血が滲み、身体を徐々に毒が侵していくのが分かった。 力の入らない身体を動かし辺りを見渡す。ダンジョン20階層の一 角はモンスターの死体だらけだった。 ﹁これは、ちょっと⋮⋮﹂ 熊型のモンスター﹃バグベアー﹄は頭を失った死体になっていた。 硬い殻で全身を覆った﹃マッドビートル﹄は真っ二つに斬られ地面に 横たわっている。空中を飛び回り金属製の弾丸を打ち出す蜻蛉のモ メドル ンスター﹃ガン・リベラル﹄は羽を斬り裂かれ頭を突き刺され転がっ ていた。全長ニ Mを越える巨大な猪﹃バトルボア﹄はすれ違いざまに 首を斬られ勢いのまま壁に激突して死んだ。 ﹁モンスターになっても群れをなすとは﹂ 数々の死体の上を飛び交う巨大な蜂﹃デッドリー・ホーネット﹄を 眺 め て 溜 息 を 吐 く。他 の モ ン ス タ ー は 倒 せ ば 倒 す ほ ど 数 が 減 っ て いったが、 ﹃デッドリー・ホーネット﹄だけは倒せば倒すほど仲間を呼 び増えていった。 最終的に危険になると仲間を呼ぶと判断し、倒すのを後回しにした 結果大群となってしまった。 ﹁ちょっとは休ませてくださいよ﹂ 一番槍とばかりに大群の中から一匹がその尻尾に生えた毒針を突 き出しながら飛んで来る。その個体に続き大群の一部が動き出し、ま るで壁のように私に迫ってくる。 ﹁はぁ⋮⋮﹂ 毒で動かすのも億劫になった身体を脱力させるために深呼吸をす る。納刀したホトトギスの柄に手を掛け、刃を走らせる準備をする。 刀を用いた戦い方に抜刀術、もしくは居合術というものがある。納 刀からの神速の一刀で相手を斬るか攻撃を受け流し、二の太刀で確実 に殺めるという技術だ。 もちろん、これは刀特有の技術であり、今まで剣しか扱ってこな か っ た 私 は 知 ら な か っ た も の だ。知 っ た の は 鈴 音 に 会 っ て か ら だ。 301 鈴音は刀での斬り合いより抜刀術の方が得意とは言っていたが、それ でも彼女の本業は刀鍛冶であり抜刀術は脚色しても﹁神速﹂とまでは 言えなかった。 なので、私のこれは結局未熟な技以下、見様見真似でしかない。し かし、原理が分かり、その目的が斬ることであるのなら。 ﹁私にできない道理はない﹂ 身体から無駄な力を抜き、腰を少し下ろしながら構える。右足を少 し前、左足を少し後ろに動かし、僅かに身体を捻らせる。雑念を取り 払うように目の前に迫り来る﹃デッドリー・ホーネット﹄だけを見る。 先程までうるさかった蜂の羽音が世界から消える。攻撃してくる ﹃デッドリー・ホーネット﹄の後ろに控える次の群れの姿が視界から消 える。流れる時が細分化されまるでゆっくり流れるかのように世界 が遅くなる。 そして私は静かに狙いを定めた。 302 何故抜刀術の際納刀状態から一刀目を放つのか。鞘から抜くのだ から遅くなるのではないかと思われがちだが、結果は逆である。刃は 抜かれる時に鞘に抑えられるが、抑えられた分抜かれた時に跳ね返る ようにして速度を増す。でこぴんと同じ原理である。 全神経を刀を抜き放つ右手に集中させる。もし、ここで失敗すれば 迫り来る毒針に刺され、文字通りの蜂の巣にされるだろう。しかし、 不思議と心は波一つない水面のように落ち着いていた。身体は毒に ﹂ 侵され万全には程遠かったが、万全でないのは常である。 ﹁ッ ﹂ ! 何匹倒しても、まるで数が減っているように感じられない。斬り刻 ﹁休憩ッ、させてください、よッ し、いかんせん敵の数が多すぎる。 迫ってくる巨大蜂達の毒針を掻い潜りながら斬り刻んでいく。しか 最速の一撃で先頭の一匹とその後続を一匹、計二匹を殺し次々と 音もなく魔石ごと切断され灰へと還った。 鞘走りで高い鈴のような音が短く響き、 ﹃デッドリー・ホーネット﹄は 先頭にいた一匹の毒針を避けながら一刀目を抜き放った。高速の ! んでもそのすぐ後ろから毒針で私を刺し殺そうと飛んで来る蜂が フトゥルム やってくるばかりである。 ︻未来視︼を駆使してもすべての攻撃を避けることが不可能なほど 間髪入れずに攻撃され、掠った程度でも毒は確実に身体の中に入り体 力を削っている。 ﹁これは、本当にまずいかもしれないですね⋮⋮﹂ 当然ながら解毒薬は持っている。持ってはいるが、止むことのない 毒針攻撃に晒されながらでは飲むことが不可能である。 しかし、私はそんな危機的状況を望んでここに来たのだ。 ︵答えてください、ホトトギス︶ 攻撃を避け刀を振るう。一瞬足りとも動きを止めることなく、縦横 無尽に駆けながら致命傷だけは負わずに戦い続ける。そう、私は知り たいのだ。結局寝てもホトトギスは夢に出てきてはくれなかった。 ならば、もう試すのは危機的状況に陥るくらいだ。自分の力の探求 のために自分を危険にさらすことはどこか間違っているようにも思 えた。しかし、私にはそれだけの価値があると思えた。 私は、この命を掛けてでもあの力がなんだったのか知り、使いこな したい。 あの斬撃を放った時の感覚をもう一度味わいたいと願った。あの 斬撃を放った後の景色をもう一度眺めたいと願った。 そう、願ったのならば、命を掛けるくらいはしなければならないだ ろう。 ﹁どうすればいいッ﹂ しかし、答えは返ってはこない。いくら敵を斬り殺してもホトトギ スはただ濁ることのない妖しい刀身を煌めかせるだけだ。 ﹁これでも足りないと言うのですか﹂ 端的に言って今の状況は最悪である。敵の正確な数も分からない 上長い間一箇所に留まって戦闘をしていると他のモンスターもじき にやってくる。毒の侵蝕も進み、身体はより一層言うことを効かなく なってきている。今自分が20階層のどの辺りにいるか正確な位置 が分からないので退くことは愚策としか思えない。 303 私が剣と一番真っ直ぐ向き合えるのは戦っている時である。それ が危機的状況であればあるほど、日々の鍛錬がものを言う。身体に刻 み込まれた剣術の数々が、私という存在を剣に教える。考える余裕が ないからこそ裏表などなく、純粋な私の力量が発揮される。 それでも、ホトトギスは答えない。 本来戦闘中はできるだけ感情の揺らぎを抑えるべきである。戦闘 とはそれだけ繊細で、少しの変化で予想と違った結果を叩き出す。故 に感情の起伏も抑えるのが定石だ。 しかし、この時ばかりは私の心は沈んだ。見えない相手への、理不 尽 な 失 望 と で も 言 え ば い い の か。私 は 自 分 勝 手 に も 期 待 を し て し まっていた。 だからだろう、真後ろから私を貫かんと飛来してきていた﹃デッド リー・ホーネット﹄の攻撃に気付くのが一瞬遅れたのは。 ﹁あ⋮⋮﹂ 304 振り向いて切り伏せる時間はない。私にできることはその刺突を 必死に避けることだけだった。しかし、気付くのが一瞬遅かったので 急所は免れたが毒針を受けてしまった。 相当な速度で飛来していたのだろう、その勢いのまま私は吹き飛ば された。モンスターの包囲網から抜けられたのは幸いだった。あの まま吹き飛ばされていなければ周りの﹃デッドリー・ホーネット﹄に ﹂ も滅多刺しにされていただろう。 ﹁ぐッ⋮⋮ けない男がいるのだ。 とがあるのだ。斬らねばいけないものがあるのだ。越えなければい 死ぬわけにはいかない。いや、死にたくない。まだまだやりたいこ ﹁こん、なところで﹂ 動かし私を殺さんと迫ってくる数多の毒針を眺めた。 しかし、モンスターに私の都合など関係ない。僅かに動かせる頭を えるだけで力が入らない。 毒が身体を巡った。地面に手をついて身体を起こそうにも、腕が振る 急いで立ち上がろうとするが、毒針をまともに受けたことで一気に ! │││死にたくない ﹂ ﹃死なせはしない﹄ ﹁どりゃあああ ﹂ ﹂ !? ﹁ええ⋮⋮﹂ ちょっと待っててね、すぐ終わらせるから﹂ ﹁あの子が帰ってくるまで我慢しなさい﹂ ﹁あの⋮⋮助けて貰った私が言うのもあれなんですが⋮⋮治療とか﹂ いるのだろう。 滅するティオナを眺めていた。たぶん万一のことを考えて私の傍に ティオネさんは地面に倒れている私の横まで来て、モンスターを残 ﹁あっそ﹂ ﹁⋮⋮ティオネさんも大概です、けどねッ。いつッ﹂ いわね﹂ ﹁まったく、あんなに張り切っちゃって⋮⋮我が妹ながら分かりやす 双子の姉であるティオネさんだと理解する。 なくなった。視界の外から話しかけられ、声でその人物がティオナの 知っている人物を見たからか、安堵した私の身体は疲労と毒で動か ﹁ティオネさん﹂ ﹁アンタも無茶するわねー﹂ 貫していった。 を発してものすごい勢いで﹃デッドリー・ホーネット﹄の群れへと突 先程受けた毒針の傷を見て驚いた彼女は一転して怒気を孕んだ声 ﹁怪我してる リア所属の第一級冒険者ティオナ・ヒリュテだった。 ﹃デッドリー・ホーネット﹄を一掃したのは褐色の女性、ロキ・ファミ 蹴 り 飛 ば し た つ い で と ば か り に 大 双 刃 を 振 り 回 し て 周 り に い た ﹁ティ、オナ ﹁大丈夫ですかって、アゼル ばした何者かの声が聞こえたのは同時だった。 聞きたかったその声と眼前の﹃デッドリー・ホーネット﹄を蹴り飛 ホトトギスを握る手から伝って何かが流れ込んでくる。 ! ﹁今日は私の勝ちだったから、あの子機嫌悪いの。アンタの治療すれ 305 ? ! ば機嫌も良くなるでしょ ﹂ ﹁でしょって、私に言われても﹂ 結局私が治療を受けたのはティオナがモンスターを倒しきった数 分後のことだった。ホトトギスから流れ込んできた何かは、いつの間 にか感じられなくなっていた。 306 ? 楽しんだ者勝ち ﹁アゼルってば無茶しすぎだよー﹂ ﹁いッ﹂ そう言いながらティオナは応急処置として巻いた包帯を取ってい く。 ティオナとティオネさんは最近二人で鍛錬をしているらしく、今回 は20層付近でどちらがより多くのモンスターを倒すことができる かという勝負をしていたらしい。それと合わせて行き帰りもどちら ﹂ が早く目的地に到着できるかという競争もしていたので、本来は18 階層にあるリヴィラで一泊する予定などなかった。 ﹁本当にすみません。態々一泊までさせてしまって﹂ ﹂ ﹁いいっていいって。好きでやってることなんだから ﹁何が好き、なのかしらね ! ことになっているリヴィラで宿に泊まることはなるべく避けたいこ とだが、日帰りを予定していた二人は当然ながら野営の準備などして いるわけもない。 別に地上に着くまでならずっと歩いてても大丈夫と言う私にティ オナは﹁何が起こるか分からないから﹂の一点張りでリヴィラに滞在 することを押し通した。ティオネさんは始終ニヤニヤしていた。 ﹂ ﹁いえ、この程度の痛みなら﹂ ﹁あら、そう いや、本当に ほらほら﹂ ﹂ ! 近くを指でつつく。 ﹁ちょっ、ティオネさん痛いですって ﹂ ﹁この程度なら大丈夫なんじゃないのー ﹁ちょっとティオネ ! ? ! そう言いながら笑みを浮かべたティオネさんが近づいてきて傷の ? 307 ? ﹂ ﹂ !? ﹁う、うるさいティオネ ﹂ ! ごめんねアゼル大丈夫 ﹁いっっつ ﹁ああっ !! 現在私達三人はリヴィラにある宿の一室にいる。物価がおかしい ! ﹁あら怒った。何よ、いつもベートとかには怪我している時に率先し て弄るくせに﹂ ﹁ティオネだってフィンが怪我してて、私が傷つついたら怒るでしょ ﹂ ﹁取り敢えず一発殴るわね、本気で⋮⋮というか、ティオナ貴方それっ てつまり﹂ ﹁え⋮⋮あっ﹂ ティオネさんにとってのフィンさんとティオナにとっての私を同 列に扱うということは、つまりその向けている感情も同じなのではな いかと言うティオネさん。それが本当かどうかは私には分からない その、あの、うぅ﹂ べ、別にアゼルのことが、その、す、す好きと が、とりあえず私は顔を赤くして今にも爆発しそうなティオナから離 れることにした。 ﹂ ﹁ち﹂ ﹁ち ﹁ち、ちち違うから かじゃなくて。あ、でも嫌いじゃなくて ﹁なっ、無しっ 今の無し ﹂ 言おうとしているのか気付いた。 のだが、混乱しているティオナは途中まで言葉を口にして自分が何を そもそもまったくと言っていい程対抗意識を燃やす台詞ではない ﹁わ、私だってアゼルのこと│││﹂ ﹁あら、私は団長のこと大好きよ﹂ ティオネさんと一緒に眺める。 う、頭を抱えながら思考を纏めようとしても纏まらないティオナを 恐らく自分でも何を言っているのか分からなくなっているのだろ ! !! ? ! は見ていて分かりますから﹂ ﹁ああ、愉快愉快﹂ ﹁あの、できれば包帯を巻き直してもらえませんか ? 私の横でケラケラと笑うティオネさんは治療には一切手を貸して ﹁ああ、ごめんね。今すぐやるよ﹂ ﹂ ﹁まあ、待ってください。どう見てもティオネさんがからかってるの ! 308 ! ポーション いない。なんとなく、この姉妹の強弱関係を理解した。 回復薬を染み込ませた綺麗な布を傷に宛てがいながら包帯を巻い ていく。若干滲みて痛かった。やはりというべきか、第一級冒険者と もなると包帯の巻き方も綺麗だった。言っては悪いがティオナはこ ういう事が得意そうには見えなかったので少し驚いた。 ここじゃ高いじゃん﹂ ﹁じゃ、私は少し買いたい物があるから﹂ ﹁オラリオに戻るまで待てば ﹁どうしても今欲しいのよ。それじゃ、留守番頼むわねー﹂ 私の怪我の処置も終わり、各々が武器の手入れをしていると一足早 く終わったティオネさんが颯爽と部屋から出て行った。ティオナが 座っている場所からは見えなかっただろうが、私は見えた。ティオネ さんは笑っていた。 ﹁はあ⋮⋮気を利かせてるつもりですかね﹂ いい姉なのだろう。しかし、ティオナが指摘した通りリヴィラで好 き好んで買い物をする冒険者などいない。その上あの笑みを見てし まえば退出の意図などすぐに理解できる。 ティオネさんは自分の恋路には積極的だが、どうやら妹の恋路にも なかなか積極的である。そう考えると彼女なりに私の事を認めてく ﹂ ﹂ れている、のかもしれない。ただ面白いからしているという可能性も 大いにあり得るが。 ﹂ ﹁そういえばさー﹂ ﹁何ですか ﹁アゼル、最近調子悪いの ﹁⋮⋮なんでそう思ったんですか ﹁うーん、なんとなく﹂ らくは精神的な面で私は参ってしまっている。 私は今まで剣に関して躓いたことがなかった。習得が困難な剣技 等は当然あったし、それこそ月単位で修練をしてやっと辿り着いた剣 309 ? ティオナの予想通り、私の調子は悪い。身体的な調子ではなく、恐 ? ? ? 技もある。しかし、そのどれを取っても剣を振るう度に何かが積み重 なっていくのを感じた。少しずつではあるが完成に近づいていく感 覚があったのだ。 しかし、今はまったくない。いくら剣を振るっても、敵を屠っても 小さな一歩すらあの斬撃に近づけた気がしない。 ﹁なんとなくって﹂ ﹁なんて言うの⋮⋮ぴりぴりしてるっていうか。皺が寄ってるってい うか⋮⋮﹂ ﹁皺﹂ ﹁うん、おでこに﹂ ﹁眉間の間違えですね﹂ ﹁あぅ﹂ 指摘されて自分の眉間を指で触る。しかし、別段皺が寄っているこ とはなかった。 ﹁なんて言うのかな│、フィンとかリヴェリアが作戦考えてる時みた いな、難しい雰囲気だった﹂ 確かに最近ホトトギスについてあれこれと考えていた節はあるが、 果たして一見しただけでそれを見抜けるだろうか。 ﹁たぶん、アゼルらしくないって思ったんだと思う﹂ ﹁私らしくない、ですか﹂ ﹁うん、私の見てきたアゼルはさ、何故か余裕があって何事にも動揺し ない。そんな人だったから﹂ ﹁それは、少し買いかぶり過ぎですよ﹂ ﹁えへへ、そうかな﹂ 今まで接してきて何となくは分かっていたことだが、ティオナは頭 脳派ではなく感覚派だ。物事を難しく考えず、自分の思うままにする 女性だ。しかし、いや、だからこそ自分の中のどこかで正解をしって いる。どう動けばより早く走れるか、どう振ればより攻撃力が増す か、動いている内に分かってくる。 私もどちらかと言えば感覚派の人間である。 ﹁実は今、少し剣で行き詰まってるんです﹂ 310 ﹁えっ、そうなの ﹂ ﹁なんでそんな驚くんですか ﹂ ﹂ ? ﹂ ﹁⋮⋮それは ﹂ ﹁じゃあ、解決方法は簡単じゃん ﹂ だろう。特にティオナのような前衛はその傾向があると思われる。 りある身体能力だけでも第一級冒険者は驚異的な殲滅力を発揮する げていけばいくほど重要度が下がっていくのかもしれない。その余 ろう。そもそも、冒険者にとって技術は大切ではあるが、レベルを上 ティオナは首を私の言葉に首を傾げた。彼女にはない悩みなのだ ﹁へえ ﹁色々考えてしまって、反応が遅れたりするんです﹂ で探索してモンスターを倒している様はおかしいだろう。 中層を安全に探索できるらしいので、レベル2である私が下層を一人 言われてみれば、ギルドの説明ではレベル2がパーティーを組んで あ、でも今回みたいな無茶はもうしちゃだめだよ ﹁えー、だってアゼル平気で下層まで来てモンスター倒してるから。 ? !? ! 方法を言った。 ﹁考えなければいいだけのことだよ ﹁⋮⋮はあ﹂ ! 何その反応、馬鹿にしてる ﹂ !? ﹂ 今度は頭が痛くて眉間を指で撫でた。 ﹂ ﹂ こう、ワーって感じでガーってやればいいと思う﹂ ? ﹁なんて言うかさ、こう⋮⋮もっと楽しまないと ﹁楽しむ ! ﹁そう 難しいんじゃないですか ﹁いえ、馬鹿にしているというか。その、どうやって考えずにするかが ﹁ああ ﹂ ティオナは椅子から立ち上がり、得意気に胸を張りながら私に解決 ﹁ふっふっふ﹂ ? その時の彼女の笑顔が純粋過ぎて、私には少し眩しく見えた。で ? ! 強くなっててさ。わくわくしない ﹂ ﹁そう、楽しむの 身体を動かしてさ、モンスター倒して、昨日より ? 311 ? ! ? も、ああ確かにそうであった。何故、そんなことを忘れてしまってい のか。 ﹁ハッ﹂ 何故、私が今までずっと剣を振るえてきたのか。 何故、辛い鍛錬を積み重ねてこれたのか。 何故、血反吐を吐いてまで剣を握り続けてきたのか。 何故、誰かを傷付けてまで剣士の頂きに登りつめたいのか。 ってアゼル、聞いてる ﹂ ﹁ほら、好きこそものの上手なれって言うしさ。楽しんで、好きだから 強くなれるんじゃないのかな ﹁ああ﹂ ﹁アゼル│ ﹂ 気絶するまで疲労しても、私は剣を握り続けた。 だから次の日も剣を握った。手に豆ができても、親に叱られても、 めて味わったのだ。 次の日も次の日も振るってみた。その時、私は楽しいという感覚を初 偶然剣を握って振るってみたのが始まりだった。気まぐれでその のか。 この心を衝き動かしたその原初の感情を何故忘れてしまっていた ? ﹁え、ええと、大丈夫 ﹂ ﹁えっ、じゃあ私も付いて行くよ﹂ ﹁ちょっと外を歩いてきますね﹂ う。 である。だが、それは剣を振るう理由としては間違っていたのだろ きものを見誤っていた、いや見失っていた。確かにあの斬撃は魅力的 あの斬撃がなくとも私は剣士であり続ける。私は、私の剣が目指すべ 断じて、一つの斬撃を放つためにこの剣は振るわれるのではない。 なくわくわくする程知りたいから私は剣士となったのだ。 るのか、何を考えるのか、何を斬るのか知りたいから、どうしようも そうだ、楽しいからだ、心躍るからだ。登りつめた時、私は何を見 ﹁大丈夫ですよ。ええ、大丈夫ですとも﹂ ? 312 ? ﹁くはっ、ふふ、はっはっはっ﹂ ? ﹁いえ、少し一人で考え事がしたいので﹂ ﹁えー、つまんない﹂ 口を尖らせて駄々をこねるティオナを見て私は笑った。その少し 子供っぽい仕草が彼女に似合っていた。だから、私は手を伸ばして彼 女の頭を撫でた。 ﹁ありがとうございますティオナ﹂ ﹁ふぇ﹂ ﹁おかげで、大切な事を思い出せました﹂ ﹁ぅ、うん﹂ ﹁では、行ってきますね。留守番お願いします﹂ ﹁はい、いって、らっしゃい﹂ 顔を赤くして言葉もどこか片言になりつつあるティオナの頭から 手を離して、私は部屋から出た。 その後ティオナはベッドで悶えることになるのだが、それは私の ﹂ 313 知ったことではない。 街を抜けて森へと入る、目指すは18階層中央に聳える巨大な樹 だ。そこに19階層へと続く穴が空いている。 久しぶりに身体が疼いてきた。剣を振るえと、敵を斬れと身体が訴 えかけてくるのが分かった。久しく、感じていなかった気がする。 ﹁はーい、そこのアンタ少し待ちなさい﹂ ﹁何ですか、ティオネさん﹂ 通せんぼをするように私の前にティオネさんが現れる。私がホト トギスを腰に差しているように、彼女もまた武装していた。 ﹂ ﹁流石にその身体で行かせるわけにはいかないのよね﹂ ﹁⋮⋮どうしても、ですか ﹁ええ、どうしてもよ﹂ ﹁分かってくれた ﹁はあ、じゃあしょうが無いですね﹂ ? ティオナとティオネさんには色々とお世話になっている。今回の ? 宿泊代も彼女たちが出してくれている上、命の恩人なのだ。ここは言 うことを聞いておくべきだろう。 ﹁ええ、分かりました。だから力づくで通ります﹂ それでも、止められない。だから私は一歩を踏み出す。流石に命の ﹂ 恩人を斬るわけにはいかないので峰の状態で抜刀する。 ﹁やっぱりそうくるわよねッ 彼女もそれを予想していたのか、一対のククリナイフを抜き放ち私 の一刀を弾いた。刃を交えると武器を斬られると理解しているのか、 上手く角度をつけて刃を弾いている。 続けざまにもう一本のククリナイフで私の脚を斬りつけようとす るが、私は跳んでそれを回避した。また彼女との間に距離が開く。 ﹁一度アンタとやり合いたいと思ってたのよねー﹂ ﹁それは、光栄なことです﹂ ﹁まあ、ここから先には行かせられない代わりと言っては何だけど。 ﹂ お姉さんが相手をしてあげるわ。言っておくけど、怪我してるからっ て手加減はしないわよ らいます﹂ ﹁私の胸は団長のものだから貸してあげない﹂ 軽口を言う彼女に向かって今度は刃で斬りかかる。 ﹁シッ﹂ ﹁なかなか速いわね﹂ だが、斬撃はすべて捉えられていた。元々速度で負けている私が、 立ち止まったら死ぬと思え ﹂ 未来を見る。縦横無尽に繰り出される斬撃を予見しながら体捌きで どんどんいくぞ ! ! 避け刀で弾いていく。こちらも、防ぎきれない。 ﹁ほらほらッ ! 314 ! ﹁怖いお姉さんですね。では、胸を借りるつもりで全力でいかせても ? 一本の刀で繰りだす斬撃を彼女は二本のククリナイフで捌いている ﹂ のだ。攻めきれない。 ﹂ ﹁でも、遅いッ ﹁ッ ! ティオネさんが攻撃に転じる雰囲気を感じ取り目に魔力を集めて ! 先程は怪我をした身体でダンジョンに行かせないと言いながら今 は怪我をした私に容赦なく攻撃をしているティオネさんを見て私は 笑った。きっと彼女は私と同族なのだ。 この身体を動かし、戦い、傷付き、そして勝利することに己をすべ てを投じる戦闘狂なのだろう。戦い始めると、それまでの経緯もそれ からの影響も考えなど考えられなくなるのだ。 思考など放棄する。考えてから攻撃していては当たるわけがない、 ﹂ ﹂ 考えてから防いでいては防げるわけがない。ただ感じるままに、思う がままに身体を動かすのだ。 だからこそ感じる充実感がある。 ﹁ハッハッハッ、口調変わってますよ ﹁ちょっと油断するとこうなるのよね。はあ、治らないかしら ﹁そっちの方がいいと思いますよ、私は﹂ ﹁ありがとう、でも団長以外にそんなこと言われてもなんとも思わな ﹂ の消耗が早いのは当然のことだ。だが、今はそんなことどうでもよ かった。 剣 を 振 る う と い う こ と が 楽 し い の だ。敵 う は ず も な い 相 手 に 向 かっていくのがどうしようもなく興奮するのだ。どれだけ自分が強 くなれるのか知りたい、ただその一心であった。 ﹁まだまだ﹂ 刀を構える。そして、いらない情報を消していく。自分の意識が鋭 くなっていき、ただ目の前にいる相手に集中していく。 その最中、手から熱が流れ込んでくるのが分かった。それは私の集 中を妨げるどころか高めていった。 ﹁これからですよ﹂ その熱に促されるまま踏み込む。しかし、その動きもティオネさん に と っ て は 緩 慢 な も の だ っ た の だ ろ う。余 裕 を 持 っ て 避 け ら れ る。 315 ? ? いのよね。あら、それにしてもアンタ随分息が荒いわね。まだまだこ 何を言っているのやら﹂ れからなのに、そんなんで大丈夫 ﹁ハッ ? 最初から怪我をした身体だったのだ、無理が効くわけもないし体力 ! もう一度地面を踏みしめて方向転換をして彼女を追う。 追ってくる私も彼女は二本のククリナイフで攻める。右から左か ﹂ ら、私が反応できるだろうぎりぎりの速度で斬りこんでくる。 ﹁そうよね。まだ始まったばかりだものねえッ より疾く刀を振るうために、痛みなど感じるのは邪魔である。手か ら伝ってきた熱が私の思考を読んだのか、傷から感じる痛みがすべて その熱によって感じなくなった。 ﹃力を貸しましょう﹄ 踏み込む力がまったく足りていない。 ﹃この身に宿す、幾百幾千の命が今貴方を支えましょう﹄ ティオネさんの攻撃を捌くにはもっと鋭い感覚が必要である。 ﹃何故なら、貴方こそが担い手に相応しい﹄ ﹁ああ、だから﹂ 熱が全身へと行き渡るのが分かった。そして手から流れ込んでく ﹂ てティオネさんは戸惑いを示したがそれも一瞬のこと。 ﹂ ﹁ハアッ 私にもさっぱり。でも、一つだけ言えることは│││﹂ 私も面白くなってきたわ ! きなかったであろう余裕があるからこそできる行為。 掛かってきなさい ! ﹁│││私はまだまだ戦える。まだまだ斬れる﹂ ﹁ハッ ﹂ お互いの斬撃を避け、弾きながらの会話。先程までの私では到底で ﹁さあ ﹁ちょっとちょっと、どういうことよ﹂ だからこそ面白い。 ながらも敵わない、傷を負わせることもできない。 れる。これが第一級冒険者、これがレベル5。奇跡を起こす力を使い 踏み込みの速さにも斬りこむ斬撃の速度にも焦ることなく対応さ ﹂ ﹁ラァッ ! 316 ! る熱はまったく途絶えていない。むしろ勢いを増してきている。 ﹂ ﹁斬るッ ﹁ッ ! 先程までとは桁違いの力で踏み込む。激しすぎる速度の差によっ ! ! ? ! きっとお互い獰猛な笑みを浮かべていたのだろう。この時だけ、私 とティオネさんは通じ合っていたのかもしれない。いつまでも戦い たいと。この甘美な時間をもっともっと味わいたいと。 更に速度を上げたティオネさんの斬撃が少しずつ捌ききれなくな り、身体に傷ができはじめる。それでも、私は笑っていた。 ならば次はその速度を捌き切ろう。そのために戦おう、高めよう。 この瞬間を楽しもう。 ﹁ちょっとあんまり触らないで﹂ ﹁私をこんな状態にしたのは何処の誰ですかね﹂ 戦っていた時はまだ明るかったが、今はもう夜となり暗くなってい る。そんな中私はティオネさんに肩を貸してもらって歩いていた。 317 ﹁うっ、悪いとは思ってるのよ、少しは﹂ ﹁⋮⋮ 別 に 気 に し て ま せ ん よ。結 局 は 私 の 実 力 不 足 だ っ た ん で す か ら﹂ ﹁レベルの差を実力不足で済ませるアンタが恐ろしいわ﹂ あのまま数時間もの間私とティオネさんは戦った。私の動きが良 くなる毎にティオネさんは私よりも少し速い動きをした。そして私 がまたそれに追いつき、彼女がまた動きを速くしていく。その繰り返 しだった。 私がもっと速く動きたいと思えば思うほど、身体に流れ込む熱がよ り熱く反応するのだ。しかし、それは身を焦がすような熱ではなく、 私のナイフ、一本お 心地よかった。ずっと身を任せていたいと思えるほどに心地よく、だ からこそずっと戦っていたかった。 ﹁それにしても、アンタやっぱおかしくない じゃんにしてくれるし﹂ ﹁ですかね﹂ ﹁絶対おかしいわ﹂ しかし、最後は私の腹の傷が開き血を流しすぎて身体が動かなく ? なって終わりとなった。少しだけ消化不良ではあったが、私にとって は得るものが多い戦いだった。ティオネさんも特に不満そうには見 えない。 ﹁もう、早く寝たいです﹂ ﹁その前にまた傷の手当ね。いやー、いい仕事したわ﹂ ﹁ティオナの機嫌を良くするために私に怪我をさせないで欲しいんで すが﹂ ﹁いいじゃない、どうせ私達二人共怒鳴られるんだし﹂ 何がいいのか分からなかったが、反論する気は起きなかった。別段 怪我をしたことも、この後ティオナに怒られることも気にはならな かったからだ。 ﹂ ﹁まあ、そうですね。楽しかったですし、それに│││﹂ ﹁それに ﹁⋮⋮いえ、なんでもありません﹂ それに│││彼女は答えてくれた。 腰に差したホトトギスに触れる。ゴライアス戦の時と違い、あの熱 ︶ を、あの感覚を、あの喜びを今ははっきりと覚えている。 ︵楽しかったのですか ﹃ええ、とても﹄ ︵それは良かった︶ ? 私は嬉しくなって笑ってしまった。 も し か し て 叱 ら れ て 喜 ぶ タ イ プ ? ﹂ ? ﹂ ? かったのに。 テ ィ オ ネ さ ん は 笑 っ て い た。別 段 な に か が 面 白 か っ た わ け で も な この後ティオナに長時間怒られるのは目に見えているのに、私と ﹁まあ、そうね﹂ ですが。それはティオネさんもでしょう ﹁そんなわけないじゃないですか⋮⋮まあ、強い相手と戦うのは好き ばアンタ戦うのは格上ばっかりね⋮⋮もしましてマゾ ちょっとそういうのはやめてよね、あの子純粋なんだから。そういえ ﹁ち ょ っ と 何 笑 っ て る の よ 頭に直接語りかけてくる彼女と会話をする。それだけの事なのに、 ? 318 ? ただお互いの刃を交えた時間を思い出し、笑っていた。 319 月下踊る剣の獣 怪我をして共に宿へと帰った私達を待っていたのは激怒するティ オナだった。留守番を頼んで一行に戻らない自分たちを心配してい たというのに、していたことが激しい戦いであったからだ。私に対し ては怪我をしているのに無理をしたことに怒り、ティオネさんにはそ ホームまで送ってこうか ﹂ んな私相手に更に怪我を負わせたことを怒った。 ﹁本当に大丈夫 ﹁⋮⋮じゃあ、次は私の番ね﹂ ﹁助けられたことには変わりません﹂ ﹁そ、そんなつもりで助けたわけじゃないからッ﹂ ば何でも言ってください。ティオナは命の恩人ですから﹂ ﹁ティオナ、本当にありがとうございました。私にできることがあれ しまった。どこにいてもマイペースな女性だ。 そう言ってティオネさんは﹁じゃあね﹂と一言言って歩いて行って しょ﹂ ﹁ほ ら ほ ら テ ィ オ ナ、し つ こ い 女 は 嫌 わ れ る わ よ。さ っ さ と 帰 り ま あるから言わなかった。 だったようだ。ティオナは心配症だな、と思いつつその原因が自分で だ っ た。よ く よ く 計 算 し て み る と ダ ン ジ ョ ン に 入 っ て か ら 三 日 目 ゆっくりと地上まで戻ってきた時には既に夕方に差し掛かる時間 朝起きてから宿を出て、怪我をしている私に無理をさせないよう きてはダンジョンに行くという選択肢はないですし﹂ ﹁流石にそこまでしてもらうわけにはいきませんよ。ここまで戻って ? じゃあ、私も行くね ﹂ ﹁ええ、その時はお手柔らかにお願いしますよ﹂ ﹁うん ! いついたティオナは文句を言い、ティオネさんはそれを軽くあしらい ながら帰っていった。 ﹁さて、私も帰るとしますか﹂ ヘスティア様の待つホームへと。私の怪我を見て心配しながらも 320 ? ティオナも手を大きく振りながら離れていく。ティオネさんに追 ! ﹂ 怒るであろう主神のことを思い浮かべながら、私は軽い足取りで帰る のであった。 ﹁君という奴はああああ ﹁いやあ、すみません﹂ 帰ってきたヘスティア様に︻ステイタス︼の更新をしてもらった後、 危惧していたとおり彼女は怒りはじめた。泣かれるよりはましだが、 ﹂ 毎回こんなことになるのかと考えると少し憂鬱である。最も原因が 自分なので甘んじて説教は受けることにしている。 アゼル・バーナム Lv.2 力:H 124 ↓ G 254 耐久:H 102 ↓ G 251 今すぐ言うんだああ ! 器用:G 213 ↓ E401 敏捷:H 187 ↓ F 369 吐け 魔力:H 122 ↓ G 251 剣士:I ↓ I フトゥルム ︽魔法︾ ︻未来視︼ スパーダ ︽スキル︾ ヴィデーレ・カエルム ︻剣︼ ︻地 這 空 眺︼ ﹁今度は何をしてきたんだ ! ど口が裂けても言えない。 メンバーである第一級冒険者達に助けられ、あまつさえ戦ったことな ア、しかもヘスティア様が目の敵にしているロキ・ファミリアの主要 流石に死ぬような目にあったとは言いづらい。それを他ファミリ ﹁まあまあ﹂ 言った言葉だ。 私の異常に上昇した︻ステイタス︼を見て最初にヘスティア様が ! 321 !! ﹁しかも、今回は怪我までしてきて ﹂ ﹁もう治療もしてあるので大丈夫ですよ﹂ ﹂ 後、僕達には嘘が吐けないんだぞ 神々 ﹁⋮⋮待てよ、その治療は誰がしたんだい ﹁⋮⋮もちろん、私です﹂ ﹁今の間はなんだっ るんだ﹂ ﹁そう言えばそうでした﹂ 結局私は起こったことを洗いざらい話す羽目になった。 ﹁君って奴はっ、本当に ﹂ て、共に地上まで帰ってきたこと。 白状す らったが、結局はティオネさんと戦ってまた怪我をしたこと。そし たティオナとティオネさんに助けられたこと。その後治療をしても を斬り殺したが、数に押されて怪我を負ったこと。運良く通りかかっ 無謀にも20階層に一人で踏み込んだこと。数多くのモンスター ! ? ! ですが﹂ ﹁そんなことはどうでもいい いや、どうでもは良くないけども ! ル ナ ファミリア ﹁それでも⋮⋮それでも、僕は君にここに居て欲しい。ベル君とアゼ たファミリアに私も入ることになり、私とヘスティア様は出会った。 は︻神の恩恵︼を与えてくれるものでしかなかった。ベルが勧誘され ファ ともなかったことだったからだ。私にとってファミリアとは、主神と その続きを言おうとして私は言葉をつまらせた。今まで考えたこ ﹁それは﹂ アに行ったほうがいいんと思うんだ﹂ ﹁君は、本当は僕のファミリアなんかよりロキとか他の強いファミリ 回復薬が良かったのだろう、傷はほぼ塞がっていた。 ポーション ティア様は包帯の巻かれた箇所を優しく触れた。ティオナが使った 勢 い 良 く 怒 っ て い た 顔 か ら 一 転 し て 悲 し そ う な 顔 に な っ た ヘ ス だったからと答えるんだろうけど﹂ 20階層なんて、なんでそんな無茶を⋮⋮って言っても君は必要 ! ﹁いやー、私としては仲良くできているので問題ないかと思ってるん ! ル君は僕の初めての家 族だから﹂ 322 ! 僕はわがままなんだろうね、と彼女は儚い笑みを浮かべて呟いた。 そんな彼女をどう励ませばいいか、慰めればいいか私には分からな かった。だから、私は自分の思ったことを言うしかない。真摯に、素 直に向き合うしかない。 ﹁確かに、そうかもしれません。強い仲間に囲まれ、より強い敵を倒せ る環境の方が私の望んでいるものかもしれません﹂ こ こ 私の傷を我が子を心配する母のように撫でるヘスティア様の手を 握る。 ﹁でも、私はヘスティア・ファミリアにいます﹂ 私の台詞を聞いて見上げるようにして私の目をまっすぐ見つめる ヘスティア様を、私も見返す。その無垢な瞳に吸い込まれそうになる 感覚を感じながら、彼女の頭を撫でる。 ﹁だって、私達は今喧嘩の真っ最中ではないですか。勝負から逃げる なんて│││﹂ 323 私は剣を極めるために、ヘスティア様は私を本当の家族にするため に、お互いの譲れない想いをぶつけた戦いの真っ最中なのだ。 ﹁│││私らしくない﹂ 真 っ 向 か ら 挑 ん で こ そ 剣 士 で あ る。愚 直 な ま で 真 っ 直 ぐ 斬 り か かってこそ剣士。敵に背を向けて逃げるなど、恥でしかない。 ﹁だから、私はまだここから離れません。あの喧嘩に勝負が着くまで は、絶対に﹂ ﹁そ、そうか。それを聞けて、僕は嬉しいよ。すごく、嬉しい﹂ そう言ってヘスティア様は私の胴に腕を回して抱きしめた。若干 痛かったが、ここは我慢した。 ﹁でも、無茶はしないでほしいな﹂ ﹁あー、それはなんと言いますか⋮⋮善処します﹂ ﹂ ﹁まったく⋮⋮はあ、僕は身内には甘いところが玉に瑕かな﹂ ﹁玉に瑕って自分でいうものですか 笑ってしまった。そして、笑みの温かさと同時に、胸を刺すような痛 そう言ってヘスティア様は笑った。その笑顔を見て、私も自然に ﹁うるさいなー、そもそも君が原因なんだぞ﹂ ? みを感じた。私は、きっとこの笑顔を壊してしまうのだろうから。 それからは私のいない間に起こったことをヘスティア様に聞いた。 なんでも最近朝起きてもベルがいないらしい。今までも朝早くか ほら、昔からの習慣とか﹂ らダンジョンに行くのが日常ではあったが、朝食をホームで食べる日 がほとんどだ。 ﹁うーん﹂ ﹁何か分かるかい は﹂ ﹁のは ﹂ ﹁女性じゃないで﹂ から﹂ ﹁ぼ、僕というものがありながら⋮⋮うそだああああ ! な﹂ ﹁信用はしてるさっ ベル君が何をしてるのか見てきてくれないか でも、その⋮⋮心配なものは心配だろう ! ベル君はあんな性格だし、すぐ騙されちゃうし﹂ ? ﹁頼むっ、アゼル君 今の様子を見ていると絶対に改宗などさせなさそうである。 れには当然主神であるヘスティア様の同意が必要になる。 からだろう。本当に恋人になるのであれば改 宗の必要があるが、そ コンバート ア間のお付き合いがどれ程難しいことかヘスティア様が知っている リア内では知れていることだ。それを頑なに否定するのはファミリ そもそも現在進行形でアイズさんに片想いをしているのはファミ ﹁ベルは罪な男ですね﹂ ﹂ ﹁しかし、ベルも十四歳ですし。そういうお年頃であるのは確かです ティア様。 女 性 と い う 言 葉 に 即 座 に 反 応 し て 頭 ご な し に 否 定 し て く る ヘ ス ﹁そんなわけあるか ﹂ ﹁いえ、別にはそういうのはないと思いますけど⋮⋮まあ、思いつくの ? ﹁少しは信用してあげましょうよ﹂ ! 324 !? ? ﹁は あ ⋮⋮ 分 か り ま し た よ。私 自 身 色 々 心 配 を か け て い る で し ょ う ﹂ し、少しくらいヘスティア様のストレス軽減に協力しましょう﹂ ﹁ありがとう その後ベルがダンジョンから帰ってくるのを待ち、下層で稼いでき た私の奢りで外食をした。ヘスティア様もロキ様と変わらないくら い酒を飲んでいたが、神は皆酒が好きなのだろうか。 ■■■■ ﹁いってきます﹂ 誰も起こさないように小声で外出の挨拶をして地下室から駆け上 がっていくベルを確認して私は起き上がった。 ﹁ふぁあ、本当に早いですね﹂ 街の人々が起き始めて仕事の準備をする時間帯ではあるものの、こ の時間に活動を始める冒険者はまずいないだろう。冒険者の多くが、 自由を好み自堕落に生活している輩が大部分だ。 ﹁さてと、私も行きますか﹂ 急いで身支度をしてから私もベルの後を追うために地下室から地 上へと登った。 辺りはまだ薄暗く、ひんやりとした空気が寝起きの身体を徐々に覚 醒させていく。ベルに気付かれないように私は建物の屋根を伝って こっちは﹂ 追跡をすることにした。 ﹁ん 入り、入り組んだ道をまるで毎日通っている散歩道かのように突き進 んでいった。上から追っているからいいものの、もし普通に追ってい たら私は道に迷っただろう。 ﹁しかし、こっちは市壁しかないはずですが﹂ オラリオには都市を囲う大きな壁がある。なんのために存在する かは知らないが、話を聞く限りだと隣国から攻められることがあるそ うなのでそのためだろう。もちろん巨大であるためその上に登るこ 325 ! 目下を走るベルを追うこと数分。ベルは大通りから一本の路地に ? とが可能であるし、壁の中には部屋もある。 ベ ル が 目 指 し て い る の は そ う い っ た 場 所 に 行 く た め の 通 路 口 で あった。 ﹁こんな所で何をするんですかね﹂ 昨日はヘスティア様に軽々しく女性だろうと言ったが、わざわざ人 が極端に少ない早朝、しかも人がまったくこない市壁まで来て会うよ うな女性を私は思い浮かべられなかった。もしかしたら、本当に何か しらの事件に巻き込まれているのかもしれない。 そう思っていた矢先だった。 ﹁おはようございますっ﹂ ﹁おはよう﹂ 違う路地から現れた人物にベルが挨拶をしていた。目的はやはり 誰かと会うことだったようだ。 ﹁今日もよろしくお願いします﹂ 326 ﹁うんッ﹂ その人物が誰なのか見ようと屋根から身を乗り出した瞬間だった。 ﹂ その人物は私の視線に感付いたのかいきなり空を見上げた。 ﹁どうかしたんですか いかかった。 りアイズさんに向かって走っていく手に持ったナイフを振るって襲 に気付く。そして、準備運動を終えた二人は向き合うとベルがいきな が準備運動をしはじめた。そういえば、二人共武器を持っていたこと 市壁上へと辿り着いた二人は遠目からでは詳しくは見えなかった 強の女剣士アイズ・ヴァレンシュタインだった。 一瞬で私の視線に気付いたのはベルが絶賛片思い中のオラリオ最 ズさんとは﹂ ﹁⋮⋮まさか本当に女性との相瀬だったとは。しかもその相手がアイ た後ベルを連れて市壁の上へと登って行った。 見逃したのかは分からないがその人物は数秒私のいる方向を見つめ それが自分の勘違いだと思ったのか、それとも何もしてこない私を ﹁⋮⋮ううん、なんでもないよ﹂ ? アイズさんは難なくベルの猛攻を捌き、お返しとばかりにサーベル で切り返してきた。その早さは遠目で見ている私でも剣の軌跡が見 えたので手加減していることが見て取れた。しかし、驚くことにベル は突き出されたサーベルを時には回避し、時にはナイフで防いで凌い でいた。 ﹁なるほど、そういうことですか﹂ その光景を見て、私は昔の自分と老師の訓練を思い出した。要する にベルはアイズさんに鍛えてもらっているのだ。どのような経緯で そうなったかは不明だが、別にやましいことは何もなかったようだ。 ベルに限ってやましいことなどないとは思っていたが。 ﹁これは報告しない方がいいですかね。お互いのためにも﹂ もし、これを報告したらヘスティア様は怒る。そしてベルはアイズ さんとの訓練を止めさせられるだろう。それは両者にとって不利益 しか生まない。黙っていればヘスティア様はこのことを知らずに済 むし、ベルも訓練を続けてもらえる。 ﹁そうしましょう﹂ ヘスティア様に報告しないことを決意して私はホームへと戻るこ とにした。是非私も訓練に参加させて欲しかったが、ベルのためにも 自重することにした。 怪我が完治するまでダンジョンに行くのは禁止と言い渡された私 は手持ち無沙汰になっていた。一般的な冒険者はあまり連日でダン ジョン探索をしないと聞くが、この暇な時間は何をして過ごすのか私 には分からなかった。 武器の手入れをしようにも、何故かホトトギスは刃こぼれ一つ起こ さないしいつの間にか刃に付着した血もなくなってしまっているの で錆びる心配もなさそうなのだ。 ﹃今日は斬りに行かなかったのね﹄ ︵ええ︶ そして、そのホトトギスはティオネさんとの戦闘の後から自発的に 327 話しかけてくるようになった。その理由ははっきりとは分からない が、話せるようになったので気にしないことにした。 今はホトトギスを腰に差して散歩をした帰りである。適当にオラ リオを歩きまわり、屋台で昼を食べながらぶらぶらと気が向くままに ﹄ アゼルはこんなに斬りたいと想っているのに。あの小さ 歩いた。そして、気付けばもう太陽が沈み、夕方も過ぎ夜となってい た。 ﹃なんで いのに言われたから ︵小さいのって⋮⋮まあ、そうですよ︶ 流石に一人で喋っていたら不審者扱いになってしまうので頭のな かで会話をする。私の頭に直接語りかけてくるように、私の考えたこ ともホトトギスは読み取ってくれるらしい。 ﹃そう、優しいのねアゼル﹄ ︵優しい、ですか⋮⋮︶ 果たして、これは優しさと言うのだろうか。私は自分に怪我をして いるから休むべきだという言い訳をしている。自覚してしまう程に、 その考えは私の本当の気持ちではない。 ヘ ス テ ィ ア 様 の 言 葉 が な け れ ば 怪 我 を し て い て も ダ ン ジ ョ ン に 行ってモンスターを斬りたい。だが、それなら私は何故ヘスティア様 の言ったことを言い訳までして従っているのか。何度も自分の行い で傷付けているというのに。 ﹄ ︵私は、優しくなどない︶ ﹃そう も、傷付けるのに傷付けたくないと思い︶ お互いが傷付くことを知りながらも、私は戦うことを止められな い。そしてヘスティア様も、そうなのだろう。どう考えても、世間一 ︶ 刃はね何度も金属を叩いてできるのよ﹄ 般から見れば私の方が悪者になるのだろう。自分でも、そう思ってし まう。 ﹃アゼル、知ってる ︵それが、どうかしましたか ? ? 328 ? ? ︵宙 ぶ ら り ん で 中 途 半 端 で。そ れ が 一 番 非 道 い こ と だ と 知 り な が ら ? ﹃だから、アゼルもそうなんじゃないかしら ﹁ん ﹄ ﹂ みを自覚する。 何度も傷付き、その度 ていく、洗練されていく。傷付けば傷付くほど、痛いほどに自分の望 が鉄を打って剣を作るように、私は自分を傷付けてその度に強くなっ しかし、ホトトギスの説明に私はどこか納得してしまった。鍛冶師 ︵貴方は例外中の例外でしょう︶ ﹃あら、私は剣であり剣士になれたわ﹄ ︵⋮⋮私は、剣ではなく剣士ですよ︶ となる﹄ に起き上がり、その度に強くなっていく。そして最後には一振りの刀 ? ﹃追いかける ﹄ ︵ええ、力を貸してくれますか ︶ それはベルとアイズさんが訓練をしていた市壁の方角だった。 瞬通り過ぎていくのが見えた。そして跳んでいった方向を見る。 同じように反応した。急いで上を見上げると星空を黒い影が四つ一 ふと、甘い匂いを感じ取った。ホトトギスも何かを感じ取ったのか ﹃あら ? ﹂ の影を補足して追いかける。 いった方向を見る。異常なまでに強化された視力で闇の中を走るそ 地面を蹴って跳び上がる。建物の屋根に跳び乗り、黒い影が跳んで ﹁ふッ も出てこなかったのだ。 なら、この熱は︻ステイタス︼の︻魔法︼の欄にも︻スキル︼の欄に そして、それを可能とするホトトギスこそが﹃奇跡﹄なのだ。何故 奇跡ではないだろうか。 奇跡と形容した。ならば、レベルの差を縮めてしまう程の身体能力も 私も、ヘスティア様もあの斬撃を︻ステイタス︼に依存しない魔法、 い、その熱は一瞬で身体中にめぐり力が溢れてくる。 ホトトギスの柄に触れる。そこから熱が伝わってくる。以前と違 ﹃アゼルが望むのなら、いくらでも﹄ ? ? 329 ? ! 今までの二倍かそれ以上の速度を出しながら建物の屋根を伝って 走る。相手も相当な速度で走っていて差は縮まらなかったが、ある場 所に到達すると彼等は立ち止まった。それを見逃さず、私は一気に接 近した。 ﹁なッ﹂ ﹁こんばんは﹂ 一人が接近した私に気付き持っていた槌で私を迎撃しようとした が、私はそれを難なく躱す。暗いから相手の狙いも悪かった上、今の 強化された感覚でその攻撃を捉えることは簡単だった。そして、槌が 振り切られたその時私はすでにホトトギスを抜き放っていた。妖し ﹂ い赤い光を灯した刃は槌を両断した。 ﹁なんだこいつッ 他の三人も私に気付き各々の武器を取り出しながら私に攻撃を加 えてくる。剣、槍、斧をそれぞれ携えて突然の襲撃にも関わらず一糸 乱れぬ連携だった。 しかし、視覚も聴覚も触覚も、そして嗅覚すらもがその攻撃を私に 教えてくれる。闇の中で僅かな月明かりを反射する刃が見えた。突 き出される槍の穂先が斬り裂く空気の音が聞こえた。斧を振り回し ﹂ た時に乱れる空気を肌が感じた。僅かな匂いだけで相手の位置が手 に取るように分かった。 ﹁こんばんは、フレイヤ様はお元気ですか ﹁てめえ、アゼル・バーナムかッ﹂ │││深淵を覗きこむ時、深淵もまた貴方を覗き込んでいる 込む。 力に身を任せてしまいたいと思わせるほどに温かく、優しく私を包み ホトトギスは危険である。甘美なまでに私の願いを叶える。その ﹃斬りましょう﹄ ﹁斬ります﹂ がしなかった。慢心は剣士を殺すというのに。 悠然と四人の前に立つ。ああ、これはいけない。何故か、負ける気 ﹁まあ、そんなことは本当はどうでもいいんです。取り敢えず﹂ ? 330 ! ええ、その通りでしたよリューさん。ホトトギスは私の欲しいもの が分かっている。だからこそ、こんなにも溺れてしまうそうになるの だ。 だ か ら、脳 の 片 隅 で 思 い 出 す の だ。老 師 と 交 え た 剣 閃 を、ベ ル が 語ったお釈迦を、ヘスティア様が零した涙を。己を保つために、己を 思い出す。 ﹃そうでなくては。それでこそ相応しい﹄ ホトトギスの言葉を聞きながら私は跳びだした。 ■■■■ ︵くそッ、どういうことだ︶ 金髪の女剣士、アイズ・ヴァレンシュタインの剣戟を槍で巧みに弾 ︶ きながらアレン・フローメルは心の中で悪態を吐いた。 ︵ガリバー兄弟め、どこ行きやがった ブ リ ン ガ ル パ ルゥ ム ガリバー兄弟とはアレンと同じくフレイヤ・ファミリアに所属する ︻炎金の四戦士︼の名を冠するレベル5の冒険者である小人族四人兄 弟の名前だ。剣、槌、槍、斧の四つの武器を扱う四人の冒険者は単体 でも比類なき強さを発揮するが、その真骨頂は優れた連携にある。連 携したガリバー兄弟はレベル6すら圧倒する。 ︵フレイヤ様の命令を無視するわけない︶ アレンとて自分一人でアイズ・ヴァレンシュタインを抑えられると は思っていない。相手も自分を倒すために戦っているなら別だが、今 の彼女にとって再優先はベル・クラネルの安全である。アレンとの戦 闘を一時放棄してベルを助けに行っても不思議ではない。 そうさせないために、アレンとガリバー兄弟で囲み逃げさせないよ ﹂ うにするのが本来の作戦だった。今一番知りたいのはベルの実力な のだ。 ﹁行かせるかよっ 手後ろに回りこんで槍を向ける。 331 ! アイズが退こうとするのを瞬時に見抜いたアレンは即座に壁を勝 ! ﹁邪魔﹂ ﹁邪魔をするのが俺の仕事だ﹂ 暗闇の中でも金に輝く双眸で睨まれるが、アレンも負けず睨み返 ︶ す。そして、視界に建物の屋根の上から降りてくる壁を捉えた。 ︵やっとか⋮⋮ ︵誰だ⋮⋮ッ ︶ いうことだった。つまり、ガリバー兄弟ではない。 明らかになる。そして、まず気付いたことは小人族より身長が高いと 降りてきたことで少しだけ舞っていた埃も晴れ、その人物の全貌が 物に斬りかかった。しかし、当然と言うべきかその一撃は弾かれた。 アイズも上から誰かが降りてきたのを察知し、一瞬の判断でその人 ? ﹁は ﹂ ︶ ﹂ 何者だあいつは﹂ ﹁あいつにやられた。油断していた。瞬く間に武器も全部斬られた。 ﹁どうしたんだテメエ等﹂ 体も所々傷ができていた。 続けざまにもう三人降りてきた。その全員が武器を持っておらず、身 アレンの後ろにまた誰かが上から降りてくる。一人降りてくると ﹁ガリバー兄弟か﹂ ﹁すまないアレン﹂ 持つ冒険者の内の一人であるアゼル・バーナムであった。 冒険者。ついこの間ランクアップを果たした、女神フレイヤが興味を 降りてきた人物はベルと同じくヘスティア・ファミリアに所属する ︵嘘だろ ﹁⋮⋮アゼル ﹁待ってくださいアイズさん、私です私﹂ ! ? ︶ ない。今はアイズに場違いな他愛もない挨拶を交わしている。 ︵あいつがガリバー兄弟を圧倒した 故に傷を付けられたが、ガリバー兄弟を圧倒するほどの強者ではな アレンも過去アゼルと戦ったことはある。その時は油断していた ? 332 ! アレンは視線をアゼルに向けた。アゼルは傷らしい傷もできてい ? かったはずだ。技術面だけを見れば同等と言っても良かったが、所詮 はレベル2の冒険者だ。レベル5、しかも四人揃うとレベル6相当の 冒険者に敵うはずがない。 ﹁あれ、アレンさんじゃないですか。こんばんは。追ってきて正解で した。是非あの時の続きをしましょう﹂ ﹁テメエ、何しやがった﹂ あ り え な い。ア レ ン の 思 考 と 経 験 は そ の 答 え を 導 き 出 し て い る。 しかし、目の前に立つアゼルを前にすると何故だがアゼルがやったの だと納得してしまっていた。 それほどまでに異質だった。纏う空気が、携えた刀が、そして何よ りもその目が。 アゼルの目は、夜空に浮かぶ月のように、この世で最も美しい銀色 に染まっていた。 ︵その色は︶ って、アゼル ﹂ アレンさんと小人族の冒険者達がその場を去ってすぐ、ベルとヘス 333 その色をアレンもガリバー兄弟も知っていた。自分たちが最も敬 愛する女神の色である、知らない訳がない。だからこそ、理解が不能 であった。何故、眷属でもないアゼルの目がその色に染まっているの か。そもそも何故眼の色が変わっているのか。 だが、アレンが理解したことが一つあった。 ﹂ ﹁おい、撤退するぞ﹂ ﹁いいのか ■■■■ ﹁アイズさんッ !? ﹁おや、ベルにヘスティア様まで﹂ ! 全員が悔しい顔をしてその場を去っていった。 ﹁すまない﹂ じゃこっちが不利になる﹂ ﹁⋮⋮ あ あ。あ れ が 何 か 分 か ら な い 上、お 前 等 で も 倒 せ な か っ た ん ? ティア様がやってきた。どちらも肩で息をしているので走ったのだ ﹂ ろう。ベルに関してはナイフを抜いているので戦っていたのかもし れない。 ﹁はあっはあ。アゼル君はなんでここに ﹁君は何をしてるんだああ ﹂ あっ それと君朝僕に何もないって ﹁アイズさんを襲おうとしていた冒険者を逆に襲ってました﹂ ? 言ったじゃないか。あれは嘘だったんだな ! いですか﹂ ﹁どこがやましくない、だ も、ももももしかしたらヴァレン何某がベル君を誘 う、うん、ありがとうございました﹂ ﹂ 壁に寄りかかり身体を休める。そのまま空を見上げ、夜空を照らす ﹁ぐっ⋮⋮﹂ かってくる。 高ぶっていた精神も、一気に落ち着き、遅れてどっと疲れが襲いか ホ ト ト ギ ス に 語 り か け る と 瞬 時 に 身 体 を 巡 っ て い た 熱 が 収 ま る。 ﹃分かったわ﹄ ︵もういいですよホトトギス︶ かった。 アイズさんと心配されるベルがどこか兄弟のように見えて微笑まし アイズさんはベルを心配して彼の元へと歩いて行った。心配する ﹁怪我はない ﹁うぇっ ﹁そうだったんですか。よかったですねベル﹂ ﹁ううん。私が、言ったことだから﹂ ﹁ベルがお世話になったようで﹂ ズさんに向いた。 頭を抱えて色々呟いているヘスティア様を放っておいて、私はアイ 惑しようと⋮⋮﹂ らないだろう 二人っきりで何をしてたかなんて分か でした、と言っただけですから。ヘスティア様に嘘を吐けないじゃな ﹁いえいえ、嘘じゃないですよ。私は、何もやましいことはありません ! ! ! 月を見た。銀色に輝く美しい月だった。 334 !? ? ! ﹁ッ﹂ 背筋がぞっとする程強い視線を感じた。慣れたと思っていたが、突 然その視線に晒されるとやはり驚く。バベルの塔の最上階から彼女 は見ていたのだろう。戦うベルの姿も、私の姿も。 ヘスティア様の気苦労は増える一方だな、と思いながらホトトギス を納刀する。疲れと共に、充実感が身体を満たす。自分の求めていた 答えが返された。私はただ求めればよかったのだ。 何も考えずただ斬ることを、戦うことを望めばよかった。共に、一 つの願いに向かっていけばいいだけだったのだ。 ﹁アゼル君も、帰るぞ﹂ ﹁ええ、今行きます﹂ アイズさんとベルの方も話し終えたのか、ヘスティア様と共に表通 りへと向かっていった。 ﹁感謝しましょう、美の女神よ。これはきっと貴方のおかげなのだか ら﹂ 小さく呟く。その声が彼女に届くとは思わなかったが、それが私の 本心だったのだから。 ﹃楽しかったわね、アゼル﹄ ﹁ええ、とても﹂ 何故なら、ホトトギスの声は覚えのある銀の雰囲気を帯びているの だから。甘く澄んだ、何時までも聞いていたくなるような声なのだか ら。 335 ﹂ ﹂ あの野郎がフレイヤのとこのガリバー兄弟をぼこぼこにし 剣士と冒険者 ﹁はあ ただあ ﹁はい﹂ ﹁⋮⋮それホンマ ﹁見た限りでは﹂ フレイヤ・ファミリアの冒険者に闇討ちされたアイズはロキ・ファ ﹄という張 ミリアのホームである黄昏の館まで帰ってきた。そして、帰ると何故 か﹃第一回どうやればアゼルをゲットできるか会議やで り紙をされた談話室へと足を運んだ。 ﹁凄い、ね﹂ かったんか ﹂ ﹁そういやティオネは二日前アゼルとバトったんやったな。そない凄 ﹁あの時のあいつならできるんじゃないかと思いまして﹂ ﹁ティオネは驚かないんだね﹂ 人だけ驚いていないのを不審に思ったフィンがティオネに聞いた。 アイズの情報にティオネ以外のメンバーは声を上げて驚いた。一 たと言うと全員が納得したのはアイズにとって幸いだった。 闇討ち自体はよくされるので、今回は珍しくオラリオ内で襲ってき をつけていることは一切触れなかった。 い、アイズは先程見てきた光景を話した。もちろん自分がベルに稽古 にレフィーヤまで座ってロキの話を聞いていた。ちょうどいいと思 アやガレスに加えて、ティオネとティオナのアマゾネス姉妹、ベート そこでは主神であるロキ、団長であるフィン、幹部であるリヴェリ ! どうしてだい ? しいと思いました﹂ ﹁恐ろしい ﹂ ﹁まるで底が見えなかった。確かに、凄かったけど。私はむしろ恐ろ 動き。 剣閃、自分が速度を上げる度に同じように速度を上げてくるアゼルの ティオネはその時のことを思い出すように目を閉じた。迫り来る ? ? 336 ? !? ? ﹁だって、おかしいじゃないですか。レベル2のはずなのに、レベル5 の動きについてくるなんて。私達の積み重ねてきた努力を嘲笑うか 例えば魔法とか﹂ のようにもの凄い勢いで成長するなんて﹂ ﹁⋮⋮もし、成長じゃないとしたらどや ある可能性をロキが提示する。つまり、アゼルの見せた異常なまで の身体能力は成長ではなく何かしらの技または魔法であるという可 能性。 ﹁それはありえんだろう。レベルを上げる魔法は確認はされているも ののかなり稀少だ。その上レベルを3つ上げるような効果があるな ど、ありえない﹂ 魔法の専門家であるリヴェリアがその可能性を即座に否定する。 ﹁仮にあったとしても、そう安易に他人に見せる魔法じゃない﹂ ﹁確かになー⋮⋮じゃあ、なんやろ﹂ ﹁ま、まさか強化種とかじゃ﹂ 恐る恐るレフィーヤが残された可能性を口にする。現在ロキ・ファ ミリアが敵対している地下勢力に存在を確認された人ならざる人、人 の形をした化物を彼等は﹃強化種﹄と呼んでいる。その身体に魔石を 埋め込み、常軌を逸した回復力と膂力を発揮する化物だ。 ﹁それはないよ、だってアゼル怪我してたもん﹂ ﹁で、ですよね﹂ しかし、その可能性も怪我をしているアゼルを見たティオナによっ ﹂ て否定される。レフィーヤはむしろ否定されたことに安堵した。 ﹁結局、ここで考えていては分からんのではないだろうか ? 私が行く ﹂ ﹁んー、ガレスの言う通りやけど⋮⋮教えてって言うと教えてくれる わけないし﹂ ﹁やっぱり戦って確かめるしかないよ ! したので、自分が戦いにいけると思って喜んでいる。 ﹁戦うんは、まあ、問題やけどアゼルは気にせえへんやろうしむしろ 嬉々として戦ってくれそうやけど⋮⋮そうやな、アゼルを誘う形で いってみよか﹂ 337 ? 嬉しそうにその提案をしたのはティオナだった。次は自分と約束 ! ﹂ ﹁つまり、今は暇だから一緒に訓練しよう。でも主神に言わないのが 条件、と言うのか めもできてこっちには一石二鳥やん やっぱうちは天才やな ﹂ ! ﹁私 私私ッ ﹂ 言われるか分かったものじゃない。 にアゼルは気にしないだろうが、もしアゼルの主神に知られたら何を をしているのに主神は見ての通り軽い気持ちでしているのだ。確か 米上を抑えながらリヴェリアは溜息を吐いた。割りと無理なこと ﹁はあ⋮⋮で、問題は誰が戦うかなのだが﹂ ! ﹁そんな感じや。強いやつと戦えてアゼルにも得、恩も売れるし見極 ? すからッ﹂ ﹁ねえ、私は ﹂ ﹁だ、だめです 同じ剣士やし﹂ ? アイズさんは私と訓練してくれる約束してるんで ﹁アイズがいいんちゃう ティオナがぴょんぴょん跳ねながら手を挙げる。 ! ! やな﹂ エルガルム ﹂ ! むわ﹂ ﹂ ﹁えええええええええええ !! 沈してそのまま部屋へと帰っていった。 さま近所迷惑だと言われティオネに頭を叩かれたティオナは、意気消 ティオナの叫び声にかき消されながらフィンは返事をした。すぐ ﹁⋮⋮分かったよ﹂ ﹂ ﹁ティオナ、じゃ戦っても楽しんで観察できへんやろうし。フィン、頼 の人物の名前を言った。 ロキもその決断を本当はしたくなかったのか、溜息を吐きながらそ ﹁しゃあないな⋮⋮ホンマはそんなよくないんやけど│││﹂ ﹁ねえ、私│ で敵を粉砕する重戦士である。 ガレス・ランドロック、 ︻重 傑︼の二つ名で呼ばれる有り余るパワー ﹁ハッハッハ 難しく考えるのは苦手なのでな ﹁リヴェリアは頭ええけど、アゼル相手じゃ無理やし⋮⋮ガレスは逆 ? ! !! 338 ! ■■■■ フレイヤ・ファミリアの冒険者と戦った翌日。朝起きてからヘス パ ルゥ ム ティア様に怪我の具合を嘘偽りなく報告して、今日も目出度く留守番 を言い渡された私は昨日と同じく散歩をしていた。 そんな私に意外な人が声をかけてきた。 ﹁やあ﹂ ﹁えっと、おはようございます、フィンさん﹂ ロ キ・フ ァ ミ リ ア の 団 長 で あ る フ ィ ン さ ん だ っ た。小人族 で あ る フィンさんは子供のような身長だが、第一級冒険者である。きっと凄 く強いのだろう。 ﹂ ﹁先日はティオネさんとティオナに助けられました。ありがとうござ いました﹂ ﹁いいさ、彼女たちも好きでしたことだ。怪我の調子は大丈夫かい ﹁ええ、殆ど治ってはいるんですが。まだほんの少し痛むので主神か ら留守番を言い渡された次第です﹂ ﹁そうか⋮⋮﹂ 何かを考えるように目を閉じて考えるフィンさんを見て、実は何か 目 的 が あ っ て 私 に 話 し か け た の で は な い か と 考 え る。と い う よ り、 フィンさんのような忙しそうな人が気まぐれで私に話しかけるとは 思えない。 ﹁実は今日はオフを貰っていてね、暇なんだ。他の面子は各々の訓練 ﹂ ﹂ でいなくなってしまって、相手を探してるんだけど。アゼル君、どう かな ﹁ええと、はい いるようだし﹂ ﹁⋮⋮﹂ フィンさんの申し出に驚きながらも、私の中で返事など出ていた。 ﹁じゃあ、行きましょうか﹂ 339 ? ﹁もちろん主神には秘密にするのが条件だ。見たところ武器も持って ? ? 第一級冒険者が訓練をしてくれるなど早々ある機会ではない。そ ﹂ 私なんかよりティオネさんと過ごし の機会を活かさない手はいかない。 ﹁それにしてもいいんですか たほうがいいんじゃないですか コンバート ﹁私、 改 宗はしませんよ ﹂ ﹁そうかい。言っておくけど、ロキはしつこいよ ﹁説得してくださいよ﹂ ﹁じゃあ、始めようか﹂ ンさんの強さを垣間見る。まったく隙がない。飛び込めばそのまま その状態のまま数秒、そして数十秒が経つ。目の前にして漸くフィ ように深呼吸をして、意識をホトトギスを抜き放つ右手に向ける。 静かに集中していく。フィンさんと戦えるという興奮を抑えこむ ﹁それを聞いて安心しました﹂ ﹁この槍はスペアだから、気にせずかかってきていい﹂ る。 そう言ってフィンさんは槍を構えた。私もそれに応じて構えを取 ﹁ああ、僕は刀剣類に関しては詳しくないからね﹂ ﹁組手形式でいいんですか ﹂ する間モンスターが産まれないらしい。 始めた。最初は意味が分からなかったが、壁を壊しておくと壁が再生 こにいたモンスターをフィンさんが数秒で残滅し、その後壁を破壊し ダンジョン5階層の奥の方にある大きな空洞へとやってくる。そ ﹁さて﹂ ンジョンの良いところである。 て行った。どれだけ激しく周りを壊しても文句を言われないのもダ そうして私はフィンさんに連れられダンジョンへと向かって歩い ﹁それは無理というものさ﹂ ﹂ ﹁まあ、将来の仲間の実力を知っておきたくてね﹂ ? ? カウンターを食らって負ける未来が見える。 340 ? ? ? ﹁そちらから来ないなら、僕から行かせてもらうよ﹂ フトゥルム 私が向かってこないことを見るとフィンさんは構えた状態から更 に踏み出すために脚へと力を込めた。目に魔力を注ぎ︻未来視︼を発 動させ未来を見る。視界には飛び込んで槍を突き出すフィンさんの ﹂ 姿が映る。 ﹁ハアッ 槍の軌道に合わせて一刀目を抜き放つ。狙いは槍の先端部分、穂の 下辺りを狙って刃を走らせる。 ﹁シッ﹂ しかし、その一刀目はフィンさんの突き出した槍に掠ることもな かった。刃が槍に当たる直前、フィンさんは穂先を少し下に向かせて 軌道を逸らしたのだ。目で捉えるのも難しいはずの斬撃を的確に捉 える恐るべき動体視力だ。 空振りに終わった一刀目から切り返し、二の太刀で追撃をする。し かし、その斬撃もフィンさんが槍を巧みに振り回し柄の後ろ半分、石 突付近で左に弾かれる。 次に襲いかかってきたのは槍の真骨頂である突き。弾かれた勢い を殺さずに身体を左に倒れこむように回転させ突きを避けながら左 足で後ろ蹴りを放つ。その蹴りも難なく避けられ、フィンさんは一度 後退した。 そのことを不思議に思いながら、そういえば組手だったと思い出 ﹂ す。呼吸を整えて、もう一度構える。 ﹁それは、君の本気かい ﹁⋮⋮ええ﹂ けてくれたらしいじゃないか﹂ ﹁昨日、アイズがフレイヤ・ファミリアの冒険者に闇討ちされるのを助 しかし、試したい気持ちはある。 起きて心配されるほどだ。 疲れる。あの後ホームに帰って私は倒れるようにソファで寝た。朝 日ホトトギスの力を使って分かったことなのだが、あれを使うと凄く ホトトギスの力を抜きに考えれば今日の調子はすこぶる良い。昨 ? 341 !! ﹁もしかして﹂ ﹂ ﹁その前はティオネと善戦したと本人から聞いたよ﹂ ﹁それが目的ですか 冒険者は皆力を求めている。より深くダンジョンに潜るため。金 を求める者、名声を求める者、力を求める者と目的は人によって様々 だ。だが、結局強さなくしてそれらは叶わない。第一級冒険者である フィンさんが更なる強さを求めるのはなんら不思議なことじゃない。 そして、私はレベルを無視するような力を見せてしまった。 ﹁僕も、久しぶりに好奇心が抑えられなくてね﹂ ﹁秘密にしてください、と言っても無駄なんでしょうね﹂ 構えをといて自然体になる。溜息を吐きながら、自分が実は大きな 過ちを犯しているんじゃないかと考える。考えるが、もう止められは しない。そもそも見て私が何をしたのか理解できるとは思えないが。 ﹂ ﹁アイズとティオネの言っていることが本当なら、ここからは先は組 手じゃ済まないかな ﹁ええ、そうですね。フィンさんも遠慮しないで、それこそ殺す気で やってください﹂ ﹁ははは、流石に殺しはしないさ﹂ 笑いながらもフィンさんは私を睨むかのように見ていた。きっと 私が何をするのか見逃さないためだろう。しかし、別段モーションが 必要なことじゃないのだ。 ︵いきますよ、ホトトギス︶ ﹃ええ、斬りましょう﹄ 考えれば想いが伝わる。ホトトギスから熱が伝わってくる。身体 中を巡り、やがて心臓へと到達する。一際強く心臓が脈動するのが分 かった。 ﹁ああ﹂ 麻薬を使ったことはないが、きっとこんな感じなのではないだろう かと思う。使う度にその良さを確認し、何度も何度も使いたくなる。 例え身体に多大な疲労を残すと分かっていても、この力に身を任せた くなる。 342 ? ? だが、剣に振られる剣士ほど滑稽なものはない。意識的に己を保つ ことを忘れない。そんなことをしていられるほど目の前の冒険者は 甘くないだろうと思いながらも、私はホトトギスの誘惑に抗う。 ■■■■ そもそも、何故ロキは団長であるフィンにアゼルの相手を頼んだの か。本来であればもう少し位の低い団員に頼みたいところだったの だが、話に聞くアゼルの相手をできる面子は限られる。その上戦いな がらアゼルの行動を観察するほどの余裕がなければいけない。 そして、もう一つ。ロキはアゼルが﹃強化種﹄である可能性を捨て 切ってはいなかった。﹃強化種﹄とはロキ達にとって未知の存在であ り、怪我が治らない個体がいてもおかしくない。だからこそ、何事に も対処できるフィンを起用した。 険と隣合わせの緊張感を、仲間と共に戦う喜びを、未知を知っていく 楽しさを愛していた。それは、彼の本来の目的を忘れさせるほどに 343 ︵これはッ︶ 激しい火花と共に迫る刃を槍で弾く。決して刃を交えてはいけな いことを念頭に、角度を付けて弾くことが思いの外苦行ではあったも ︶ のの、先程までは余裕を持ってできていた。 ︵まだ速くなるのか ︶ ! フィン・ディムナは正しく冒険者であった。彼は冒険を好んだ。危 ︵本当に、君は面白い は雲泥の差があった。そして、フィンもギアを少しずつ上げていく。 る。ある程度は予想していたが、話に聞くのと実際に体験するのとで ティオネの言っていた恐ろしいという感覚をフィンは漸く理解す ︵これは、確かに悪夢のようだな︶ の刃を弾いたことを発端にアゼルの斬撃は速くなる一方だった。 したかのように向上した身体能力で踏み込み斬りこんできたアゼル フィンがアゼルに本気を出せと伝えた直後、まるでランクアップを しかし、現在はそれも難しくなりつつあった。 ! フィン・ディムナという存在を魅了した。 だからこそ、目の前の未知を知りたくなった。目の前の剣士と戦い たくなった。 最初の頃とは比べ物にならない速度で槍を振り回す。穂と石突そ して柄、槍のすべてを使って攻撃を弾き、逸らし、そして反撃をする。 だが、攻撃のすべてがアゼルによって回避されていく。まるで幽霊 でも相手にしているような感覚をフィンは覚えた。どこに攻撃をし ても、まるでそれを分かっていたかのように人間の反応を越えた早さ で察知して避けられている。 ︵それもまた、君の力か︶ 本当に、底が知れない。そして、何よりもアゼルの笑みを見てフィ ンは震えた。 アイズが認めるほどの剣の腕を持っている。ティオネが恐ろしい と感じるほどの身体能力を持っている。フィンが舌を巻くほどの回 ・ ・ そんなことはどうだってよくなっている。 ロキ・ファミリアの団長ともなると理知的で冷静、いつでも余裕を 持って状況を見ているというような印象を持たれがちだが、それだけ じゃない。ロキ・ファミリア団長、つまりはファミリアの頂点である フィン・ディムナは誰よりも強いのだ。 強者になればなるほど、心が振るえるような戦いを好まない冒険者 はいない。戦いを好まない冒険者は、真に冒険者ではないのだから。 ﹁だから、終わらせよう│││﹂ │││これ以上やると殺してしまいかねない。 344 避能力を持っている。しかし、そんなこと関係なくアゼル・バーナム は正しく剣士であった。 どんな戦いでも、自らの剣を信じてすべての敵を打倒する。それを ・ 生き甲斐とする剣の申し子であった。 ︵ああ、これはまずい。楽しくなってきてしまった︶ そしてフィンも自らの心が震えているのを自覚し始めていた。仲 間になるからその実力を知りたい おかしいほどの能力を有して いるから見極めたい ? 純粋に、アゼルとの戦いを楽しみたいと思い始めてしまっていた。 ? それがフィンの決断であった。相手が他ファミリア、しかもまだま だ成長途中の冒険者であることを忘れてはいけない。アゼルにはま だまだ成長の余地があるのだ。もっと強くなったアゼルと戦いとい う思いが芽生えた。 ﹂ だからフィンは本気を出した。一瞬で決着を付けるために。 ﹁フッ 人の域を越えた踏み込みは、瞬間移動のように見えるだろう。しか し、アゼルはその動きを的確に捉えていた。その事実にまた心を震わ せながら、フィンは地面を踏みしめ急停止、更に方向転換をしながら ﹂ 走りだす。アゼルは刀を振るったが、斬り裂いたのはフィンの残像 だった。 ﹁本当に恐ろしい ﹁│││ッ ﹂ ていたこと。組手をしていた時は銀ではなく、翠だった。 いたということだろうか。それ以外で特徴と言えば、目が銀色になっ つ言えるとしたら、ティオネの時と違い意識的に身体能力の強化して 相手をしたフィンでも何が起こったか理解できなかった。ただ一 ﹁⋮⋮ロキにはなんと報告しようか﹂ した。 うにして地面に倒れた。その事を確認したフィンは取り敢えず安堵 鳩尾を突かれて一瞬呼吸をできなくなり気をアゼルは気を失うよ ﹁ぎッ﹂ いた。 は石突で振り向くアゼルの動きを予測しながら寸分違わず鳩尾を突 したアゼルは振り向いて迎撃をしようとしたが時既に遅し。フィン 次に姿を表したのはアゼルの背後だった。一瞬でそのことを知覚 ! ﹁ふふふ﹂ ﹁嘘、だろう﹂ 浴びた。 ていた。まるで背筋に氷を突っ込まれたかのような殺気をその身に 考え事を中断してフィンは槍を構えた。否、反射的に構えてしまっ !! 345 ! ありえない、そう思いながらも目の前の現実はそれを否定した。ゆ らりと、まるで幽鬼のようにアゼルは立ち上がった。その瞳は未だ銀 色に、つい先程までより一層美しい銀色に染まっていた。 ﹂ ﹁殺させはしない﹂ ﹁なに ﹁アゼルは、私たちに必要だから。だから│││﹂ アゼルの口から紡がれる言葉に違和感を覚えながら、殺気が一気に 膨れ上がるのを感じたフィンは戦闘態勢になる。ぞくぞくと悪寒を 感じる背中には嫌な汗が流れる。明らかにレベル2の冒険者の存在 感ではなかった。 ﹁│││貴方を斬るわ﹂ 気絶させたはずなのに、アゼルの踏み込みの速度はまったく衰えて いなかった。むしろ先程より僅かに速くすらも感じられた。 ﹁くッ﹂ ありえない状況に追いつかない思考を放棄して刃を受けた、受けて しまった。 ﹁しまっ﹂ 槍の先端部分が予想通り斬り捨てられた。手で金属を斬り裂くの だ、刃で斬れないわけがないと思っていたフィンの予想は当たってい た。 ﹂ ﹁ああ、やっぱり素晴らしいわ﹂ ﹁君は、誰だ に至る。 ︵もう一人いるのか ? 決なのは目の前のアゼルをもう一度戦闘不能にさせることだ。 フィンは思考を巡らせようとするが、それを中断する。何よりも先 じゃないな︶ 二重人格か、それとも。いや、それは今重要 込め始めていた。明らかに、雰囲気が違うアゼルを見て飛躍した結論 会話が噛み合っていない。しかし、フィンはなんとなく状況が飲み しかいない﹂ ﹁やっぱりアゼルしかいない。私達の担い手に相応しいのは、アゼル ? 346 ? ﹁すまないアゼル君。少し痛いかもしれないが│││﹂ 槍を反転させて石突を前にして構え、そして跳び出す。アゼルも真 正面から来るフィンに対処するために刀を振るう。フィンの予想通 り、アゼルの刃はフィンの突きを予測して武器破壊を狙っていた。 だから、それに抗うことをやめた。フィンは斬られる槍を手放し て、素手でアゼルの懐に入り込んだのだった。 ﹁│││許してくれ﹂ そしてもう一度鳩尾に、今度は自らの拳で一撃を叩き込む。また立 ち上がられては厄介なので容赦はしなかった。 しかし、それでも。 ﹂ ﹁ぎぃ、ぐぅぁ﹂ ﹁沈め 何故か意識を保っていたアゼルにとどめの踵落としを頭に落とす。 痛みに苦しんでいたアゼルはその一撃を避けることは叶わず、そのま ま地面へと物凄い勢いで倒された。 ﹁⋮⋮ちょっとやり過ぎたかな﹂ 自分の踵落としで若干凹んだ地面を見てフィンはアゼルの無事を ポーション 確かめ始めた。今度こそ、気絶したことを確認してからフィンはアゼ エリクサー ルの治療を開始した。もちろん負わせた怪我は回復薬ではなく、より 高い万能薬で跡形もなく治療した。 ■■■■ ﹁うっ⋮⋮あれ、私は⋮⋮﹂ ﹂ ああ、そう言えばフィンさんと訓練をしていて⋮⋮﹂ ﹁目が覚めたかい ﹁フィンさん ? ﹁気絶したんですか、私﹂ 思考が徐々にクリアになっていき、何をしていたのかを思い出す。 眠りから覚めるように、ゆっくりと覚醒していく。ぼやけた視界と ﹁あ、いえ。こちらこそ、すみませんでした﹂ ﹁すまないね、少し熱くなりすぎて﹂ ? 347 ! ﹁ああ、言葉じゃ止まりそうになかったからねお互い﹂ ﹁はっはっはっ、確かに。というか怪我が全部治ってるんですが﹂ ﹁気にしなくていいさ。怪我をさせたのは僕だからね﹂ そう言ってフィンさんは回復薬が入っていたであろう瓶を仕舞っ た。なんだかロキ・ファミリアの人達に返しきれないほどの恩がある 気がしてきた。 ﹁有意義な訓練だったよ。僕もまだまだ修行が足りないようだ﹂ ﹁私もまだまだでした。フィンさんの動きに付いて行くのがやっとで したから﹂ ﹂ ﹁それは本来修行でどうにかなるものじゃないんだが。まあ、詮索は しないでおくよ﹂ ﹁しないんですか ﹁ああ。どうせ教えてはくれないだろうしね﹂ そう言ってフィンさんは立ち上がった。横になっていた私に手を 差し伸べて立ち上がらせてくれた。思っていたよりも体力が回復し ていて、ふらつかずに立ち上がれた。 ﹁さて、じゃあ帰るとしようか﹂ ﹁そうですね﹂ ︶ そうして私を先導するようにして歩くフィンさんの後ろを歩く。 ︵ん く観察すると槍の先端部分がなくなっていた。断面から見るに斬ら れたようなのだが。 ︵斬った覚えがないんですが、私︶ 気付かないくらい熱中していたのだろうという結論にして、私はそ ﹂ のことを忘れることにした。 ■■■■ ﹁もう一人ぃ ﹁ああ、そうとしか言えない﹂ ? 348 ? そしてフィンさんが手に持った槍を見て何かが引っかかった。よ ? 昨日に続けて﹃第二回どうやればアゼルをゲットできるか会議やで ﹄が談話室の扉に貼り付けられたその日の夜、フィンはその日起き た事をロキに報告した。 メンバーは昨夜と同じだ。フィンの報告にいち早く反応したのは、 ﹂ 信じられないと言わんばかりに眉を釣り上げていたベートだった。 ﹁つまり二重人格と言うことか あはははははっは ﹂ その二人の議論を中断させたのはロキの笑い声だった。 ﹂ ﹁くっくっくっくく、くはっ ﹁何が面白い ! 説明はつく。 ﹂ ﹁で、でも、そんなことが本当に可能なんでしょうか ﹂ ない、飛躍しすぎた答えだったが、確かに気絶しても戦えたアゼルの ロキの導き出した答えに全員が息を呑んだ。論理もへったくれも ﹁そう、つまりは二重人格なんかやなくて、魂の共生やな﹂ ﹁でも、それは﹂ ルの中にほんまにもう一人いるんや﹂ 別の、せやな魂って言ってもええ。アゼルが二人いるんちゃう、アゼ なんは人格やない。アゼルが持ってるんは二つ目の意識、アゼルとは ﹁フィンの言ったとおり、二重人格やと説明がつかん。やったら二つ ﹁聞かせてくれ﹂ ﹁まあ、うちの考えも可能性の一つでしかないんやけど﹂ キに聞いた。 突然笑い出す主神に不本意ながら慣れてしまったリヴェリアがロ ﹁もしかして、分かったのか ﹂ 提示された可能性について真剣に審議をするリヴェリアとフィン。 ⋮⋮私達の中に二重人格者がいるわけじゃないから確証はないな﹂ ﹁確 か に 意 識 が な い と 人 格 の 入 れ 替 え は 起 き な い よ う に も 思 え る が がって人格が変わっているのは果たして二重人格なのかな﹂ ﹁い や、僕 も そ の 可 能 性 を 考 え た ん だ け ど。気 絶 さ せ た の に 起 き 上 ? ﹁ひー、ひーっはっは。いやあ、ホンマ下界はおもろいなあ ! ? ! ? ﹁可能か不可能で言ったら、可能やと思うで。まあ、できるかはやって ? 349 ! 神 みないと分からんけど﹂ ロキがその結論を出したのだ、きっと本当に可能なのだろう。 ﹁そうなると、どこかで何かしらの神が関わってるんじゃないかな﹂ ﹂ ﹁せやろなー。ドチビにそんなことはできへんやろうし⋮⋮チッ﹂ ﹁心当たりがあるのか ﹁まあ、一人だけな﹂ 意識 がもう一つあるからって強くなるものなの ? イヤの魅了を跳ね除けたのだろうとロキは予想した。 ﹁でも、魂 ﹂ 血まみれになりながらも自意識を保っていた。何らかの方法でフレ ロキは訪れた。他の人間が魅了され骨抜きにされている中、アゼルは アゼルがフレイヤと対峙したであろう現場に、すべてが終わった後 十分な理由やな︶ ︵そういやアゼルは魅了されてなかったなあの時。目付けられるには して扱われるファミリアの主神だった。 ロキが思い浮かべたのはオラリオで唯一ロキ・ファミリアと同格と ? ﹂ ! ﹁ああ﹂ ﹁人ならざるもの ﹂ ﹁もし、人ならざるものの魂だったらどうかな﹂ す。 底冷えするほどの殺気と、本能が恐れを感じる異様な雰囲気を思い出 フ ィ ン は 気 絶 し た 後 の ア ゼ ル と 対 峙 し た 時 の こ と を 思 い 出 し た。 ﹁もし﹂ める。 いつものようにいがみ合いを始める姉妹をよそにフィンが話し始 ﹁そのまんまよ﹂ ﹁私にしてはってどう言う意味 ﹁ティオナにしては良い指摘ね﹂ ﹁確かにそうじゃな﹂ い。 い続けたアゼルの説明はするが、異常な身体能力の説明にはならな ティオナは思ったことを率直に言った。魂の共生は気絶しても戦 ? ? 350 ? ﹁どうしてそう思うんや ﹂ フィンのことを愛するティオネですら明らかに訝しむその発言に、 ロキは説明を要求した。 ﹁あの時、僕は恐怖したんだ。ロキ・ファミリアの団長、レベル6の第 一級冒険者である僕が。数多くのモンスターを倒し冒険をしてきた 僕が、レベル2の冒険者にだ﹂ ﹁⋮⋮団長﹂ ﹁あれはまるで│││﹂ 神々 そしてフィンはロキを見た。 ﹁│││君達と対峙しているように思えるほどだった﹂ デ ウ ス デ ア その一言にロキを除く他のメンバーは息を呑んだ。それもそうだ ろう、神は超越存在であるからこそ神。人からその感想を感じること など、本来あってはならないことだ。 しかし、ロキだけは口角を釣り上げ笑みを深めるのだった。この世 にまだ自分が知らないことがあるのだと、その可能性を示す子供がい るのだという事実に彼女は心を踊らせた。 ﹁ハッ、昔もおったな、数々の試練を乗り越えて、神々の座に加えられ た傑物は﹂ 彼等は知らない。アゼルの持つ妖刀に宿るもう一つの存在がいる ということを。その存在が、一滴とは言え神の血でできた存在だとい うことを。そして、アゼルはその存在を己の中に取り込むことで尋常 ならざる力を発揮しているということ。 深淵を覗きこむ時、深淵もまた彼を覗き込む。そして、彼等はお互 いに引かれ合い、重なりあい、やがては。 351 ? 相対する剣士と最強 ﹁ッ﹂ その視線を感じて、私は飛び起きるようにして目を覚ました。何時 もであれば、遥か遠くオラリオの中心に聳える塔の最上階からその視 線を感じるのだが、今朝は違った。その視線はすぐ近くから浴びせら れたものだった。 フィンさんと戦ってから二日が経つ。結局、あの日は服の汚れから 何かしていたことを見抜いたヘスティア様に訓練をしていたことを 白状させられた。なんとかその相手の情報は死守した。そして、怪我 は完治したもののもう一日留守番を言い渡されたのである。 ということで今日から念願のダンジョン探索復帰なのだが、どうも 雲行きが怪しくなった。 ﹁呼んでいるんですかね﹂ ・ ・ 352 静かにソファから立ち上がり、ホトトギスを持って私は地下室から 出ることにした。こんなこと今まで一度もなかった。何かが起こる 気がした。 廃教会の地下室から地上部分へと出る。まだ朝も早い時間で空気 はひんやりと冷えていた。教会の扉の外、すぐそこに彼女の存在を感 じた。 ゆっくりと歩き扉を開けて外へと出る。 ﹁おはよう、アゼル﹂ 美しかった。オラリオの廃れた部分にあるこの廃教会は、当然周り ﹂ も埃だらけの廃れた場所だ。それでも、その女神が立つだけですべて が美しく見えた。 ﹁ふふ、そんな怖い顔をして。どうしたの ﹁⋮⋮何の用ですか、女神フレイヤ﹂ 切ることが可能となっている。 そうしていたが、現在はホトトギスの助けもあり意識的に異常を断ち う。しかし、私はその魅了を断ち切ることができる。今までは本能で きっと、私以外の人間が見ていたらそのまま魅了されていただろ ? ﹂ ﹁やっぱり、魅了されないのね。素敵よ﹂ ﹁そんなことを言うために来たんですか ﹂ ﹁はあ、それが何か ﹂ ﹁今ねオッタルはダンジョンにいるの﹂ みがいちいち美しくて心が落ち着かない。 そうよね、と言いながらフレイヤはまたしても微笑んだ。その微笑 ﹁いえ、まったく﹂ しら ﹁そう言えば、アゼル。貴方、今オッタルがどこにいるか知っているか ﹁⋮⋮﹂ いたわ。闇討ちをしに行ったら逆に討たれたって﹂ ﹁はあ⋮⋮まあ、いいわ。そう言えばあの子達がとっても悔しがって 暇ではないだろう。 の前の闇討ちの件かもしれないが、あの程度で会いに来るほど彼女も ら考えても自分に会いに来た理由は思い付かない。もしかしたらこ ころころと笑う女神を前に私は思考を働かせていく。しかし、いく ﹁もう少し話を盛り上げるということを覚えたほうがいいと思うの﹂ ? ﹁場所は ﹂ ﹁ふふ、興味あるのね ﹂ れを理解した瞬間から、もうこの高ぶりは誰にも止められない。 起きた瞬間から感じていたこの予感。フレイヤが現れた意味。そ たが、ダンジョンと闇討ちという言葉を聞いてすべてが分かった。 線が繋がった。フレイヤの言っている事が脈絡がないと思ってい ジョンにいる時を狙うの。モンスターにやられたことにできるから﹂ ﹁この前の闇討ちは珍しく地上でしたけど、普通闇討ちする時はダン ? ? の指が私の口に触れた。 ﹁そんな大声を出したら皆起きちゃうわよ ﹂ 答えないフレイヤに思わず声を荒げて詰問しようとした瞬間、彼女 ﹁早く教えろと│││﹂ ﹁はあ⋮⋮妬けちゃうわ。本当にオッタルってば﹂ ﹁早く場所を教えて下さい﹂ ? ? 353 ? 否応なしに顔が熱くなった。まるで母親に諭されているようにも 思えたし、何よりも女神に触れられたその甘美な感覚に身が震えた。 ﹁なら、早く教えて下さい﹂ ﹁待てができない子には教えられないわ、ふふ﹂ その言葉を聞いた瞬間、私はホトトギスを抜き放った。ひんやりと 冷えた空気を、凍えるように鋭い刃が斬り裂く。 ﹁│││なッ﹂ しかし、それは彼女に当たる寸前で止まった。動けと腕を動かそう としても、まるで何か大きな力に止められているかのように動かなく なった。そして、僅かにホトトギスから熱を感じることに気付いた。 刀が、ホトトギスがフレイヤを攻撃することを拒んでいる。 ﹁ふふ、この刀役に立っているみたいね﹂ フレイヤは動かなくなったホトトギスに触れた。優しく、愛でるよ うにその刃を撫でた。ホトトギスの人格は、フレイヤのそれに似てい る。その訳を今まで理解していなかったが、次にフレイヤがした行為 で理解した。 フレイヤはその刃に指を宛てがい、僅かに指に傷を作りホトトギス に血を吸わせた。 ﹁そういう、ことか﹂ 何故、ホトトギスという思念に人格ができたのか。何故、その人格 に 抗 う こ と が 難 し か っ た の か。す べ て は 彼 女 の 血 が 起 こ し た こ と だったのだ。 この世の存在を超越した神々の血が奇跡を成した、その結果がホト トギスなのだ。 ﹁ねえ、アゼル﹂ 傷のできた手でフレイヤは私の頬を撫でた。未だ固まって動けな くなっていた私はそれを避けることができなかった。 ﹁もしオッタルに勝てたら、貴方の好きなだけ血をあげるわ﹂ ゾクリと背筋が震えた。ホトトギスの力の源がフレイヤの血だっ たと言うのなら、それをもっと吸えばもっと強くなれる。この身を、 この剣を更なる高みへと至らせることができる。 354 ﹁だからね、アゼル﹂ フレイヤは頬から指を動かしていく。赤い血の跡が頬から口へと 描かれる。その跡が熱い、どうしようもなく熱かった。 ﹁頑張って足掻いてごらんなさい﹂ その瞬間、まるで灼熱で身を焼かれるような感覚を覚えた。それ は、今まで感じていたホトトギスの力とはまるで違う、言葉通り身を 壊すような力の奔流だ。ホトトギス自身も制御できないのだろう、濁 流のごとく身体の中を熱が暴れる。 ﹂ ﹁オッタルは今9階層にいるわ。貴方なら匂いで場所は分かるでしょ う ﹁ぐぅッ⋮⋮あぁッ﹂ 動機が収まらない胸を抑える。それどころか一拍毎に速くなって いく。それでも、彼女の言葉はしっかりと耳に入り理解できた。 ﹁さあ、走りなさい。今回も私を楽しませて頂戴﹂ その言葉を聞いた瞬間、私は走りだしていた。 ■■■■ ﹃生きてリュー。私達の分まで﹄ もう、俺達は助からない﹄ ﹃行けよ、オメエはここで死んでいいような女じゃねえだろ﹄ ﹃分かってるんだろうリュー なっていた。 減っていき、最後にはリューとファミリアの主要メンバーしかいなく でも待っていたのは敵の罠と刺客ばかり。一人、また一人と仲間は の冒険者達はやっとの思いで18階層へと戻ってきた。しかし、そこ ら執拗なまでの魔法の包囲網を食い破り、︻アストレア・ファミリア︼ 敵対ファミリアの罠に嵌まり、幾十幾百のモンスターに囲まれなが ﹃だからね、リオン﹄ がりを確認できる唯一の機会。 た。あの日から繰り返し見る夢、悪夢でありながら彼女が彼等との繋 暗闇の中、ただ彼等が死に際に呟いた言葉の数々を思い出してい ? 355 ? ﹃もっと笑いなさい。辛い時こそ笑って、自分の正義を信じて﹄ つい先日まで快活な少女だったその冒険者も敵の毒に侵され、顔は 青白く息も絶え絶えだった。しかし、その顔の笑顔は絶やさない。ど れほど絶望的な状況であっても、彼女は笑っていた。まるでいつだっ て希望があるように、彼女は諦めなかった。 ﹃腐らず、曲がらず、曇らず。いつもの幸せそうに光り輝くリュー・リ オンでいて。リオンが私達の希望になって﹄ それが彼女の最後の言葉だった。仲間達が庇ってくれたおかげで 無事だったリューは、一刻も早く逃げなければいけない状況で仲間達 の遺体を18階層の地面に埋めた。彼等の遺体が野ざらしにされて いることは許せなかった。 それから、彼女がしたことは単純だった。 彼女は復讐鬼と成り果てた。今まであった幸せの分、抱えていた正 義の分彼女は殺した。罠に嵌めたファミリアは当然のこと、その関係 者を片っ端から闇討ちや不意打ちで殺していった。彼女の報復行動 は凄まじい勢いで成された。 リュー・リオンは希望にはなれなかった。彼女は、どこまでいって もただ一人の少女でしかなかった。故郷から出てきて初めてできた 仲間の死という重みに彼女の心は割れてしまった。 気が付くと、彼女は薄暗い路地裏に横たわっていた。雨が降り、血 と泥にまみれた彼女は静かに仲間の元へと近付いていっていた。失 われていく四肢の熱を感じながら、彼女はゆっくりと目を閉じた。 そして目を覚ます。いつも見上げている木の天井を捉えて、彼女は 即座に夢を見ていたと認識した。それもそうだろう、死んだ人間の言 葉を聞くことなど夢の中でしか不可能なのだから。 ゆっくりと覚醒する意識と共に、ベッドで温まっているはずの身体 に芯から凍えるような冷たさを感じた。リューは自分を抱きしめて その冷たさが去るのを待った。待つことしかできなかった。 数十秒すると冷たさもなくなり、感覚が正常に戻った彼女はベッド から出て着替えを始める。勤務先、というより彼女の住まいの一階に 356 ある酒場﹃豊穣の女主人亭﹄の制服に袖を通しカチューシャを付ける 前に髪を整える前に髪を整える。 ﹁ッ﹂ しかし、その為に櫛を手に取ろうとすると櫛に一つの罅が走る。そ れ以上使ったら折れてしまうかもしれないと思った彼女は仕方なく 手櫛で済ませた。彼女の中に何か悪いことが起きるという理由のな い不安が芽生えた。 そして鏡に向く。長年の勤務で慣れたが、やはり彼女には自分の格 好に違和感があった。冒険者時代もその昔も彼女はスカートをあま り履かなかったし、カチューシャも付けなかった。しかし、彼女はそ の違和感のある自分も好きになっていた。 しかし、できることなら昔に戻りたい。あの頃に戻り、仲間達に囲 まれながら助け合い、高め合いながら冒険をしていた日々に戻りた い。 ﹁ああ、でもそうするとシルとは知り合えないですね﹂ それは嫌だなと心の中で彼女は零した。 支度ができたので自室のドアを開けて一階へと目指す。それが今 の彼女の日常。ある少女に死にそうな所を救われ、傷付いた心も救わ れ生きる彼女の生活。 しかし、現在と過去どちらが大切かと問われても彼女は答えを出せ ないだろう。出せないからこそ彼女はまだ昔の夢を見る。結局、現在 は過去があるからこそあるのだと彼女はどこかで分かっているのだ。 過去はなくならない。過去を忘れることはできない。 いや、忘れてはいけない。 シルやリュー、豊穣の女主人亭のウェイトレス達の朝は早い。朝や 昼も客は来るし、なんと言っても夜は席が足りなくなるほど客がく る。そのための仕込みは、それこそ前の晩から始めているし店の清掃 などもする。 リューとシルは店頭の掃除をしていた。店の中に仕舞ってあった 357 植木などを外に運び出し、夜の間に溜まった埃などを掃いていく作業 だ。 その時、リューはふと通りの向こうから猛スピードで走る一人の冒 ︶ 険者を目聡く見つけた。 ︵バーナムさん それは彼女の見知った冒険者であったが、一瞬そのことが分からな くなるほどいつもと雰囲気が違った。禍々しい、そう形容するのが正 しい様子だった。 リューはその雰囲気に見の覚えがあった、ありすぎた。修羅の如 く、敵を斬り殺した昔の己のような雰囲気だ。 ﹂ そう思った時、彼女は既に走りだしていた。 ﹁えっ、りゅ、リュー ﹁バーナムさんッ ﹂ と、着実に差は狭まっていたがアゼルの速さは尋常じゃなかった。 それでも、リューとアゼルの差は一気に縮はしなかった。ジリジリ ︵速いッ︶ 華させた︻ステイタス︼を全力で活かし一瞬で最高速まで到達する。 後ろで狼狽える同僚の声を無視して、冒険者としてレベル4まで昇 !? ﹂ ? ﹁退けッ ﹂ な笑みは狂気に満ちていた。 銀に輝く瞳は美しかったがどこか冷たい印象を与え、獰猛な獣のよう 顔を上げたアゼルの顔を見てリューは凍えるような寒さを感じた。 ﹁答えてくださいバーナムさん﹂ ﹁退いてください﹂ ﹁どこに、行くのですか と既にバベルは目の前となっていた。 立った。アゼルも目の前に突然人が現れて立ち止まった。気が付く 漸く、アゼルを追い越してリューは行く手を阻むように目の前に ! リューはアゼルに何かがあったのだと理解した。 ﹁教えてくださいバーナムさん。どこに、何をしに行くのですか ﹂ ? 358 ? い つ も の ア ゼ ル で は 決 し て 使 わ な い よ う な 言 葉 遣 い も 相 ま っ て、 ! 尋常じゃないアゼルの様子を理解したリューは身構えた。行かせ るわけには行かないと、自分と同じ末路を追わせるわけにはいかない と決心する。 自分が救われたのは、本当に運が良かっただけなのだから。身近な 人物がその道をたどることは絶対に避けたかった。 ﹁貴方には関係のないことです﹂ ﹁言え、貴方の目的はなんだ﹂ 戦闘の気配にあてられリューも口調が変わる。目の前に立ってい るだけでアゼルはまるで今にも人に斬りかかりそうな抜身の刃のよ うな雰囲気を醸し出していた。 ﹁斬りに行くんです、斬らなければならない男を﹂ ﹁│││ッ﹂ 自分の予測が当たっていたことにリューは怒りを覚えると同時に、 より一層行かせるわけにはいかないと思った。 まるで当たり前のように人を斬ると言いのけた目の前の男が、昔の 自分に重なった。そこに理性などなく、自分の感情のままに行動した あの時の自分と同じように見えた。 ﹁時間がないんです﹂ ﹁なッ﹂ 気付いたら、リューの真横をアゼルは通り抜けていた。油断してい たつもりはなかったが、思いもしていなかった速度に一瞬戸惑い反応 が遅れる。 気が付いた時にはアゼルはバベルへと、ダンジョンへと走って行っ ていた。 ︵まだ、判断能力がある︶ 自分を斬っていかなかったアゼルを見たリューははまだ遅くない と思い、急いでアゼルの後を追った。後で無断で仕事を放棄したこと で女将であるミアにこっ酷く叱られるだろうことなど頭から消え失 せていた。 ︵貴方はまだ引き返せる︶ それは自己満足なのだろう。かつて多くの者を殺した自分が誰か 359 を救いたいと思うのは間違っているのかもしれない、偽善なのかもし れない。それでも、かつて︻疾風︼と呼ばれた冒険者はその二つ名の 如く走りだした。 ﹂ ■■■■ ﹁邪魔だ 最速、今まで感じたことのないほどの力に任せて走り続ける。目の 前に出てきたモンスターを一瞬で斬り捨てながら、速度を落とさず走 り続ける。 ﹁やっとだ、やっと貴方を斬れる﹂ まだ見ぬオッタルのことを思い、感情が奥底から溢れてくる。コロ シアムでまるで赤子の手を捻るように敗北した一戦。あの時感じた 高すぎる壁に私は挑むのだ。あの敗北があったからこそ私は這い上 がることを覚えた。あの敗北があったからこそ私は越えたいと思え た。 今の私なら、私の刃ならあの男に届くかもしれない。いや、届かせ てみせる。 ﹂ ﹁感謝しよう女神よ、貴方が与えてくれた機会を私は活かそう。だが、 それは貴方のためじゃない、自分のためだ おうじゃ ︻猛者︼。 ﹂ ヤの寵愛を最も受け、そしてオラリオの冒険者達の頂点に君臨する 2 Mを超えるかどうかというほど大きな身体をした獣人。フレイ メドル そして、とうとうその姿を見つけた。 闘音を聞き取る。 けば近付くほど濃くなっていくのだから。強化された聴覚で響く戦 迷うことなどない。何度も嗅ぎ分けてきた匂いなのだから。近付 ﹁見つけた﹂ へ、奥へと走る。そして一瞬、フレイヤの甘い香りを感じ取る。 気が付いた時には9階層まで到達していた。そしてまた走る。奥 ! 360 !! ﹁オッタル !!! そのオッタルは複数のアマゾネスと戦っていた。巧みな連携で何 かを追おうとするオッタルを止めているように見えた。しかし、今は 邪魔でしかない。 ﹂ ﹁邪魔を、するなッ﹂ ﹁いッ、ぎゃあああ 斬る。 ﹁な、なんだこいつは ﹂ !? ﹂ その先に待つ結末など今は露ほども知らずに、ただ手に持つ刃で相 ﹁ええ、斬り裂いてあげましょう﹂ そして、私は再び﹃最強﹄へと立ち向かう。 うことになったとしても良い。 だと認識されていることに私は喜びを感じた。例え、それが死に向か はその男の敵意を感じた。前回は遊ばれていたが、今回はちゃんと敵 大剣を片手で構えてその男は私と向き合った。目の前にして、今回 ﹁相手をしよう。あの時からどれほど強くなったか、示してみろ﹂ いった。これで、外野はすべていなくなった。 と分かったアマゾネス達は傷付いた仲間を背負ってどこかへ去って オッタルもアマゾネス達から意識を私に移した。攻撃してこない ﹁⋮⋮そうか。それがあのお方の望みだと言うのなら﹂ ﹁貴方の女神に言われて﹂ ﹁何故来た りかかりたくなり、抑えると身体が震えた。 いた。アマゾネス達を無視して、私はオッタルを見据えた。今すぐ斬 味方が突然やってきた冒険者に斬られたアマゾネス達は狼狽えて ﹁ニイシャ ﹂ よかった。顔も見ず、むしろその姿さえも確認せずに走り過ぎながら 近くにいたアマゾネスを適当に斬る。今はオッタル以外どうでも !! 手を斬るために振るう。 361 !? ? ホトトギス もう抑えることのできなくなった戦闘本能に従い、最速の一刀目を 繰りだす。今までにない疾さで放たれたその斬撃を、オッタルは難な く片手で持った大剣で対応した。 ﹂ 軽々と、まるでなんでもないかのようにその斬撃はいなされた。 ﹁らあああああッッ い。 くのが跳んだ後だったのだから、自分でも驚く。 瞬間、理性ではなく本能で横に跳んでいた。自分がその事実に気付 ﹁避けてみろ﹂ り何倍も恐ろしく感じた。 にしたような光景に見えた。もちろん、オッタルの方がゴライアスよ 剣を振り上げていた。まるでゴライアスが拳を振り下ろす瞬間を前 いつの間にか、本当にその言葉しか出てこなかった。オッタルは大 ﹁随分強くなった。だが、まだ足りんな﹂ がある、斬り殺す価値がある。 すら至っていないという事実が嬉しかった。だからこそ越える価値 自分でも強くなったと思ったが、今の私でも未だ力量を測る場所に 絶技を扱えるのか。まったく、底が見えない。 のか、どれほど極めれば呼吸をするかのように剣をいなすなどという 下ろすことを許された最強の傑物。どれほど戦えばそこまで到れる 強い、強すぎる。流石はオラリオに君臨する絶対強者、すべてを見 ﹁ハハハ、アハ ﹂ しかし、どの斬撃もオッタルはいなし、弾き、避けて掠りすらしな 斬りたかった、それだけだ。 る。反撃をする暇など与えなければいい。否、そんなことよりも今は ペースなど考えず、取り敢えず自分の全力をもって猛攻をしかけ もう一度斬撃を放つ。その剣戟もオッタルは易易と弾いた。 そしていなされた方向に流れるようにして身体を回転させながら !!! 鼓膜を破るような破壊音が轟き、破壊された床が粉塵となって視界 362 ! を遮る。その中を暴風の如く大剣が横薙ぎに通り過ぎる。粉塵は剣 ﹂ 圧で吹き飛ばされ目の前の獣人の姿があらわになる。 ﹁シッ そ の 一 撃 を し ゃ が ん で 回 避 し、足 元 を 狙 っ て ホ ト ト ギ ス を 薙 ぐ。 オッタルほどの巨体になると足元の対処は他の箇所より難しくなる はずである。 ﹁ふんッ﹂ しかしオッタルは刃が足首に当たる直前、足を浮かせて刃を避けす ぐに降ろした。刃が踏まれ攻撃は失敗に終わり、自身の考えが甘かっ たことを痛感する。 オッタルは身体のどこであってもその反応速度が鈍らない。弱点 が見つからない。 踏まれた刀がまるで大重量で押さえつけられているようにびくと もしない。次の攻撃が来ることを予見した私は泣く泣くホトトギス から手を離し後退した。 ﹁どうしたらそれほどまでに強くなれるというのか﹂ ﹁ただ一つを信じ、あのお方のお役に立つため己を高めたまでだ﹂ 再びオッタルが大剣を構える。その姿が、どこか自分に似ているよ うに思えた。愚直なまでに何かを信じ、そのために斬り捨てていく自 分に。 ﹁ああ、貴方も私と同じだったか﹂ 笑みが深まる。自分が斬るべき男は、私と同じ異常者なのだ。一つ の出会いを切っ掛けに人道を外れ、ただ一つのことのために歩んでき た求道者だ。誰のためでもない、己のためでもない、ただその目的の ため力を高めてきた狂信者なのだ。 だからこそ道は交えた。だからこそ私たちは刃を交えて殺しあう。 ﹃私を呼んでアゼル﹄ 脳内にホトトギスの声が響く。そして、オッタルのすぐ後ろに落ち ているホトトギスを見る。今まで刀を手放したことがなかったから 分かっていなかったが、どうやらホトトギスは離れていても意思疎通 ができるようだ。 363 ! ﹃来いと願って﹄ なんの疑いもなくその言葉を実行する。 ︵来い、ホトトギス︶ 呼びかけると横たわるホトトギスが僅かに震えた。幽霊によって 不自然な物理現象が起こるというのは良く聞く話だが、自分でそれを 起こすことになるとは思ってもいなかった。 ︵来い。私の手に来い。貴方が収まるべき場所へ︶ 手 を 伸 ば す。強 く、そ の 刃 を 願 う。ホ ト ト ギ ス が 音 も な く 宙 に 浮 ︶ き、との刃をオッタルへと向けた。 ︵来いッ ﹂ た。油断などしていなかったつもりだ。相手の行動を見逃すことの それはこちらの台詞だと思った。次の瞬間、目の前にオッタルがい ﹁ああ。油断していたつもりはない。そのような言い訳はしない﹂ ﹁この刃、貴方に届きましたか﹂ 首から血が流れていた。 傷を付けたと聞いて一瞬分からなかったが、よく見るとオッタルの くしてぎりぎりのところで首を逸らして後方に跳んだ。 しかし、その斬撃もオッタルは避けた。今までよりも更に動きを速 な﹂ ﹁戦闘中にそのような感情は不要。だが、まさか私に傷を付けるとは ﹁その割に表情が驚いていませんが﹂ ム﹂ ﹁武器が独りでに動くとは、お前はよく私を驚かせるアゼル・バーナ そしてオッタルの首を刈り取るために振るう。 飛びながら私の手元へと届く。 は既に彼の懐に入っていた。弾かれたホトトギスが不自然な軌跡を オッタルはその一撃を大剣で背中を守り弾いた。しかし、その時私 ﹁ッ ルの心臓を目掛けて撃ち出される。 そして私は駆け出す。同時に宙に浮いていたホトトギスがオッタ ! ないように注視していたはずだ。 364 ! それでもオッタルという男はその上を行く。冒険者として最高位 にあるその並外れた︻ステイタス︼とそれを十二分に活かすことので きる技術の数々。オッタルという最強は冒険者としても、武人として も人の域を越えようとしている。 相手の目線や呼吸、思考まで読み意識と意識の間を縫う。それが実 際にできる武人はどれほどいるだろうか。 ﹁故に敬意を持って、全力で相手をしよう﹂ 突然現れたかのように目の前に大剣を横薙ぎに振るうオッタルが いた。それを認識した瞬間しゃがんで刃を避ける。頭上を嵐が通り すぎたかのような暴風を感じながら戸惑うことなくオッタルの懐へ と飛び込む。 自 分 の 中 に 後 退 と い う 二 文 字 は な く な っ て い た。後 退 し た 瞬 間 オ ッ タ ル の 大 剣 が 容 赦 な く 私 の 命 を 刈 る イ メ ー ジ し か 浮 か ば な い。 だから攻める。 ︵もっと︶ まったく速度も鋭さも足りていない。 ︵もっと鋭く︶ 攻撃を避けるための動体視力が足りていない。 ︵もっと疾く︶ オッタルとの攻防についていくための身体能力が根本的に足りて いない。 ︵もっと、力を︶ だから心は力を渇望する。際限なく、目の前の男に追い付けと心が 願い、目の前の男を斬れと心臓が脈打つ。 ︵力が欲しい、誰にも負けない、最強を下せるだけの力が︶ 意識が銀色に染まっていく。目の前の男を倒せという想いだけが この身体を動かし始める。そこに思考など不要であり、私の考えとは 関係なく刀が振るわれていく。 だんだんと意識が溶かされ薄れていく。 それでも、その時私は力が欲しかった。 365 ■■■■ おうじゃ オッタルという男は他者の追随を許さない程強い。身体的にも精 神的にも、そして冒険者としても最強を誇る。故に彼は︻猛者︼と呼 ばれる。 天下無敵の女神の戦士。しかし、だからこそ彼は孤独であった。自 身が敬愛する女神のために戦うことは確かに至福であった。だが、そ れは男としてであり武人としての彼には潤いを与えなかった。 相手がいないのだ。 天下無敵故に誰にも挑まれず。天下無敵故に誰ともぶつかりあえ ず。オッタルという武人は燻っていた。オラリオで最強の冒険者と 呼ばれる彼が何に燻ぶる必要があるのかと人は問うだろう。しかし、 彼にとっては当然のことである。 武人として、他者と戦い高めていくことこそが生き甲斐であったの 366 だから。確かに、女神の寵愛はこの世で最も心地いいものだ。それで も、彼は望まずにはいられなかった。 そして彼は見つけた。他のことなど投げ捨ててでも自分と戦うで あろうその男を。 ﹂ だからこそ、オッタルは目の前の男に落胆し失望した。 ﹁ガアアアアアアアッッ 今のアゼルは彼等と同類であった。 じ技量の相手、己に追随する身体能力の相手は幾度と無くしてきた。 しかし、視界の中を駆け巡る銀の獣にオッタルは脅威を感じない。同 確かにその驚くべき身体能力はオッタルに届きそうですらあった。 ﹁⋮⋮飲まれたか﹂ 言わせて斬りかかってくるだけの獣だった。 より狂戦士のようだった。そこに剣技などなく、ただ身体能力に物を しかしてその表情は獣のように猛々しく、その戦い方も剣士という いた。 は髪までもが銀色に染まり、より色濃くフレイヤの面影を映し出して 仲間から聞いた話では瞳が銀に染まっていたらしい。しかし、現在 !! ﹁しかし、これもまたあのお方の望み﹂ 以前のアゼルに感じた底の知れなさや得体の知れなさは微塵も感 じられなく、目の前にいるのはただ強いだけの冒険者になっていた。 アゼルが放つ神速の斬撃を、オッタルもまた神速で捌いていく。ぶ つかり合う刀と大剣はただ火花を散らすだけであり、仲間から聞き及 んでいた切断による武器破壊など起こる様子もない。 ︵お前はもうそこにいない︶ 仮にも素手で自身に傷を付けた相手が、刀で武器を斬れないわけが ない。アゼルは劣化してしまっているとオッタルは結論づけた。目 の前の男は以前自分が叩き潰した剣士ではなくなった。 であるならば、オッタルが長々と時間を掛けて戦い楽しむ必要など どこにもない。 ﹁殺してやろう。これ以上その無様な姿を晒さぬように﹂ 同じ武人として、技なき剣など滑稽でしかなく、力に飲まれ振り回 される様は無様でしかない。故に終わらせる。その生と死にも、オッ タルの敬愛する女神を楽しませたという功績ができるのであるから、 敬意を持って無慈悲に潔く殺す。 向かってくるアゼルに大剣を振り降ろす。アゼルはそれを避ける でも逸らすでもなく、真正面から刀で受け止めた。火花が散り、刃は 傷付く。やはり、ただ向かってきた刃を受け止めるだけのその戦い方 はアゼルらしくなかった。 しかし、留まる所を知らないその身体能力でアゼルはオッタルの一 撃を受け止め弾いた。間髪入れずオッタルは拳を振るう。アゼルも その拳に対して自分の拳をぶつけた。しかし、体格も力も劣るアゼル が負けることなど目に見えていた。アゼルは石ころのように吹き飛 ばされ壁へと激突した。 ﹁最早剣士であることも捨てるか﹂ 以前のアゼルであれば、己が剣士であるという絶対の信念故に、帯 剣状態で拳など決して使わなかっただろう。避けて剣戟を繰り出す か、突き出される腕を斬り裂こうとするかしただろう。 ﹁私の一撃を受け、なお立ち上がり私を斬り裂こうとしたお前はもう 367 いない﹂ 壁に激突してから動き出そうとしないアゼルにオッタルは歩いて 近づいていく。 ﹁私が恐ろしいと感じるほどの何かを秘めていたお前はもういない﹂ 絶対強者はまた一人佇むことになる。下から自分の首を求めて掛 けがってくる挑戦者はいなくなり、また一人景色を眺めるだけの日々 がくる。 ﹁お前は、もう死んでしまった﹂ 武人に武がなくなったしまった時人になるではない、武人は人とな るのではなく武人として死ぬのみである。 激突したことでできた穴の中で動かなくなったアゼルを静かに見 下ろすオッタルは、大剣を振り上げてその首に狙いを定めた。 ﹁つまらぬものだな、死人を殺すというのは﹂ そして音を置き去りにしながら大剣は振り下ろされる。誰にも止 368 めることのできない、命を刈り取る一撃が放たれた。その一撃でアゼ ルの首は斬り落とされ絶命する。 そのはずであった。 刹那、刃がぶつかり合う音が大きく響いた。 ﹁非道いですね、死人とは﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮ふっ﹂ その大剣の一太刀は、血のように赤く染まったアゼルの手によって ﹂ 面白い、やはりお前は面白い。断ち切った 止められていた。その接触部分からは火花が散り、刃と刃が交わる金 属音が響く。 ﹁ハッハッハッハッハ か、あのお方の寵愛をッ かった。しかしその存在感ははっきりと伝わってくるのだ。目が離 そう、今目の前にいる男から強者の雰囲気をオッタルは感じていな ていた威圧感はない。 髪と翠の瞳に戻っていた。そして、目の前の男から今さっきまで感じ を見て立ち上がる。その髪も瞳ももう銀色ではなくいつも通りの赤 飛びのきながらオッタルは笑った。アゼルもオッタルが引いたの ! !! せないほどにアゼルがそこにいるというのに、その事実以外なにも感 じられない。 何が起こっているかオッタルには分からなかった。分からなかっ たが、目の前の男がまだ自分と戦えるということだけは理解できた。 ﹁さあ、足掻き抗い、そして挑んでこい﹂ 今はそれだけで十分だった。 ■■■■ 自身の奥底からそれは溢れてきた。心の渇望がドロリとした溶岩 のようになって身体を満たしていく。それは今まで感じたことのな い、自分の中にへばり付き一生取れなくなってしまうような熱だっ た。 想いが身体を内側から焼き殺し始めるその感覚を、私はまるで他人 事のように感じていた。自分が自分でなくなっていくような、誰かに 支配されていくようなその感覚に私は抗えなかった。 身体はただ沈んでいく、徐々に身体を満たしていくドロリとした熱 に溺れていく。焼かれ、焦がされ、爛れていく自分がいた。獣のよう に、ただ力を求め、相手を斬ることだけに固執した化物と化すのだ。 そこに人間としての自分は不要だった。 うすうす感じていた、というべきか。ホトトギスから力を貸しても らう度にその強化は強力になっていっていた。身体に馴染んている だけと思っていたし、話しているホトトギスは友好的であった。しか し今回のフレイヤの血の大量摂取が引き金となったのかもしれない。 いや、そもそも前々から身体が乗っ取られるのは決まっていたのか もしれない。どちらにしろ、今の状況は遅かれ早かれ訪れていたよう に思えた。 ︵だが、これは違うだろう︶ こんな獣のように血走ったような目でただ獲物を追うようにして 宿敵を斬り刻むなど私のやりたいことではない。もっと技を磨き、一 つ一つの斬撃に想いを込めて全身全霊の自分で戦いを挑みたかった。 369 強い力があっても、優れた身体能力があっても、すばらしい武器を 持っても、その斬撃にアゼル・バーナムという存在がないのなら、私 が剣を振るう意味はない。それは、私でなくてもできることだから だ。 ﹃そう、これは貴方の望んだことじゃない﹄ 静かに、しかしはっきりとその声は響いた。必死に、溺れる身体を 動かしながら私はその声を求めて上へと手を伸ばす。 その先に何があるかなど分かっていた。この手が掴むものは他人 の手でも、希望でも絶望でもない。私がこの手に掴むものは最初にそ れを掴んだ瞬間から決まった。私という存在の最後のピース、不完全 である存在を完全にするための鉄の塊。 ﹃人の身で抗えないというのなら、私が貴方をここまで引っ張りあげ てあげる﹄ 誰かが伸ばされた私の手を掴んで引っ張りあげられる。もう一つ 370 上へと、もう一つ先へと私は登っていく。全身を覆っていた液体から 頭、首、胴と順に身体が抜け出していく。 水面に立つ。上も下も左も右も、傍も遥か彼方も見渡す限り赤い世 界が広がる。地面だけが規則的に波紋を描き水面だと分かる。 ﹁こんにちは、アゼル﹂ 背後から声を掛けられる。その声はやはりフレイヤの声に似てい た。振り返ってその人物を見る。血をぶち撒けたかのように赤い着 物を着た銀髪の女性だ。初めてその姿を見たが、それでも分かった。 ﹁こんにちは、ホトトギス﹂ 幾百年も昔に作られた刀の化身。刃に宿った思念にフレイヤの血 が与えた人格が目の前に立っていた。フレイヤのややきつめの目付 ﹂ きと違い、彼女の目は若干タレ目で優しい雰囲気があった。 ﹁ここは は私と貴方しかいないのだけど、今はあの神もいるわ﹂ ﹁ここは私と貴方の世界、夢の中のような場所と思っていいわ。普段 のは夢の中の黒い世界だった。 辺りを見渡しながら最初の疑問を問う。以前ホトトギスと会った ? 彼女は下を指差してそう言った。その表情はどこか申し訳無さそ うだった。 ﹁ごめんなさいね。私はどうしても、どうしてもこの血には逆らえな いの﹂ 自分の身体を抱きしめながら彼女は私に謝った。しかし、少し考え てみれば分かることだった。彼女はフレイヤの血が作った人格であ る。創造主に逆らえる創造物というのは、そもそも創造物として間 違っている。 ﹁だからねアゼル﹂ しかし、それでも彼女はフレイヤの意志に反逆しようとしてくれて いる。苦しそうに、哀しそうに顔を歪めながら彼女は腕を広げた。 ﹁私を斬って﹂ 消えてしまえいそうなほど小さな声だったが、それは直接頭に響い たかのように鮮明に聞こえた。 一瞬悲しそうな顔を彼女はした。触れてしまえば割れてしまいそ うなガラス細工のような儚さがあった。何故なら彼女は知っている。 ﹁そもそも私はあの神に作られただけの人格。他の意志より力がある からこうやって貴方と話すのが私になってはいるけど、私は⋮⋮私は 外から入った異物のようなもの。私達の夢を語っていい存在じゃな いわ﹂ 確かにそうかもしれない。フレイヤがいつ自分の血をホトトギス に吸わせたかは分からないが、私の身体が敵を倒すためだけに動いて いる現状は彼女にあるのは明確である。こうなってしまったのはフ レイヤの血の意志とホトトギスに宿っていた思念の意志が違ってい て、フレイヤの血の方が圧倒的に強いからかもしれない。 だが、それがなんだと言うのか。 ﹁あの神の血の意志は結局私という核がいるから存在している。一度 に大量の力が投入されたから制御できなくなって飲み込まれてし まったけれど、それは変わらないわ﹂ 私が彼女を斬らなければいけない理由を言ったが、それはとても作 業的で感情のないものだった。何故なら彼女は知っているのだから 371 │││ ﹁だから、私という核がいなくなれば神の意志はなくなるわ。だから﹂ ﹁いいでしょう﹂ │││私が斬ることを承諾することを。 ﹁ふふ、アゼルならそう言ってくれると思ったわ﹂ ﹁当然といえば当然でしょう。私たちはお互いを覗き込んだ仲ですか らね﹂ 私は斬る、それが存在理由であるから。そして、私の唯一にして絶 対の理解者であるホトトギスはそんなこと百も承知である。お互い を覗きこんだからこそ、私たちはお互いを理解する。 ﹁そうだった⋮⋮そうだったわね﹂ 私の言葉に嬉しそうに答えた彼女は膝をついて手の平を上にして 両手を上げた。数秒すると彼女の手から血が滴り、そして一振りの刀 が形作られていった。 ﹁これを使って﹂ ﹁これは⋮⋮﹂ 私が現在持っているホトトギスとは違う、もっと荒々しく美麗とは 言いづらい刀だった。しかし、それからは願いを感じた。 ﹁これは、貴方か﹂ ﹁ええ、それは最初の私。最も古い、原初の願い。ある男がその命を燃 やして打った最後の一振り﹂ 元祖ホトトギス、否そのときはそんな名前などなかった。ただの人 間である刀鍛冶が夢見た身の丈に合わない最果てを目指すために打 たれた名も無き刀。 刀を手に取る。やはりいつも握っているホトトギスとは天と地ほ どの差がある握り心地だった。しかし、それでもどこか手に馴染む感 覚を覚えた。 ﹃人を、怪異を、そして神すら斬り裂く刃を打ちたい﹄ 握った腕から伝って記憶が流れ込んでくる。燃え盛る炎と向き合 う一人の男の生涯だ。何度も何度も、数えることが億劫になるほど刀 を打ち続け、それでも届かなかった夢の記憶だ。 372 ﹃ああ、悔しい⋮⋮ここまでやっても、死力を尽くしても届かないとい うのか﹄ 年老いて、腕や足が細くなり槌を振るう力も弱くなってしまった。 それでも男は打ち続けた。血を吐き、骨を折り、病に伏せても男は一 人炎の前で打ち続ける。 ﹃それでも手を伸ばしてしまう俺はきっと阿呆なのだろう﹄ 涙を流しながら、最後に打った刀を眺めながら横たわる男は最後ま でその願いに縋った。一人の人間の生涯を使っても達成できなかっ た夢があった。男の流した悔し涙が、一つの怪異を産んだ。 一人の人生で足りないのなら、もっと多くの人生を注ぎ込めばい い。手にした人間に乗り移りながら、血を吸い強化されていく刃の物 語が始まった。 そして、今は私の手にその物語は意志と共に渡った。 ﹁貴方がなればいい﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁いいえ、貴方しかいないのアゼル。幾十幾百年の時をただ斬るため だけに存在してきた私達が認める貴方しかいないの。人の身で抗え ないというのなら│││﹂ 私が刀を受け取るとホトトギスは立ち上がった。フレイヤと変わ らず美しいホトトギスの表情に不安や悲しみなど映ってはいなかっ た。 それは単純な解決方法だろう。人々に︻ステイタス︼という奇跡を 授け、思念に人格を宿らせるほどの力を蓄えた神の血に、ただの人で ある私は抗えない。ならばどうするかなど決っている。 それは本来やってはいけないことなのかもしれない。越えてはい けない一線なのかもしれない。しかし、そんな価値観私には通用しな ・ ・ い。斬るためであれば、私はなんだってしよう。 だから│││ ﹁│││人を越えてしまえばいい。貴方がホトトギスになればいい﹂ ﹁│││私は成り果てましょう、人でなくなったとしても私は私でい ましょう﹂ 373 私 アゼル・バーナムという存在が果たしてどこに向かっていくのか、 それはきっと神々も予想できない。しかし、私の手には今揺るがぬ願 いが握られている。誰にも折ることのできない、誰にも曲げることの ﹂ できない夢を見た男の魂を私は受け継ぐ。 お別れの言葉かしら ﹁ああ、それとホトトギス﹂ ﹁なあに ・ 彼 女 は そ う 言 っ て 目 を 閉 じ た。覚 悟 な ど 最 初 か ら 決 ま っ て い た。 ﹁ありがと﹂ ﹁綺麗ですよ、あの女神よりも﹂ 信条なのに。アゼルのせいで台無しよ﹂ ﹁花のように凛と、刃のように冷たく鋭く、炎のように情熱的にが私の が頬を伝う様はまるで宝石を眺めているようにすら思えた。 微笑みながら彼女は涙を流した。その泣き顔はなお美しく、涙の雫 ﹁⋮⋮もうっ﹂ ﹁│││貴方は私が最初に殺す人だ﹂ る。 ものように、ゆっくりと彼女を殺すための一太刀を放つために構え 私の言葉を聞いて泣きそうになっている彼女の前で構える。いつ うとしているくらいだ。貴方は立派な個人だ。だから│││﹂ い。貴方はフレイヤであってフレイヤでない、なにせ彼女に反逆しよ 部だ。誰が忘れようとも、私は貴方がいたということを決して忘れな ﹁貴方がいなければ今の私はいないでしょう。だから、貴方も私の一 ﹁アゼル⋮⋮﹂ 私は貴方に会えて嬉しかったですよホトトギス﹂ れません。貴方は私が暴走している原因かもしれません。それでも、 ﹁貴方は遥か昔、ある男が見た夢とは違う意志を持っているのかもし る。言葉だけでは伝わらないであろう自分の感情を伝えるために。 彼女の瞳を真っ直ぐ見る。フレイヤと変わらない銀の瞳を見つめ はあの男の願った願いを語る資格がないと言ったことですが﹂ ﹁それは刃に込めます。そうではなくてですね、貴方の言った自身に ? 彼女が待ってくれていたのは私の覚悟だったのだろう。 374 ? 人を斬る、その意味を考えるための時間。思考をして、言葉を発し、 食べ物を食べ、喜怒哀楽の感情がある存在を殺すという行為の重さを 想像させるための時間だったのだろう。 ﹁私もアゼルと会えて嬉しかったわ﹂ ﹁それはよかった﹂ ﹁だから│││さようなら﹂ 私が私として生きるためにホトトギスがいてはいけないのだから。 当然彼女とて生きたいだろう。それは生まれたものすべてが持つこ との許された感情だ。それを放棄することがどれほど勇気のいるこ とか、私には一生理解できないだろう。 だからこそ、私は斬らねばいけない。この刃に宿った意志を継ぎ、 貫き通し、頂へと至るために。彼女が選んだ私でなければいけない。 ﹁何に成り果てたとしても、私がすることは変わらない﹂ ﹁そう、思うがまま、したいがままに﹂ ただ一つの存在理由のためにこの身はあるのだと信じているのだ から。今まで生きてきた時間もこれから生きていく時間も、味わって きた苦しみや喜びもこれから味わうであろう痛みや快感さえもがそ の一つの行為に収束していくに違いないのだから。 ﹁﹁斬り裂くだけ﹂﹂ そうして私は斬撃を放つ。それは今までで一番感情の乗った一撃 だった気がする。一秒がその何十何百倍のように感じられ、刃が彼女 の首に食い込み斬り裂くまでの時間がまるで永遠のようにすら感じ られた。 果たしてこの選択が正しかったのかどうか、その最中私は考える。 それがどれだけ無駄な思考だと分かりながらも、私は人を殺すという 重みをこれから一生背負っていかなければならないと思うと考えず にいられなかった。その人が例え誰にも見えなかった、私だけの知る 存在だとしてもその重みに違いはない。否、きっとこの先彼女がいな くなった欠落感を感じるのは私だけだ。だから誰も慰めてはくれな い、誰も理解してはくれない。 それでも、刃は止まらない、止めてはならない。そんな中途半端な 375 想いでこの刀は振るってはならない。 それでも時は進み、刃は振り抜かれる。振りぬいた時には、彼女は もうこの世からいなくなっていた。光るの粒となって虚空へと消え ていく彼女を見ながら残心する。 ﹁ッ﹂ 彼女という核がいなくなったからだろう、立っていた水面が不規則 な波を作りそして内部から爆発して水柱が発生する。新たな核を作 ろうとしているのか、それとも本当にただ暴れているのかは分からな いが神の意志が最後の反発をしている。 そして私は大きな波に飲み込まれ沈んでいった。しかし、もうこの 想いは揺らがない。 ﹁人の意志が神の意志を越えないなど、誰が言った﹂ 自身の中から怒りが湧き上がってくる。私は唯一の理解者を失っ た。最終的にはこの結末は変わらなかったかもしれない。時間は掛 かっただろうがフレイヤの血が混入していた限りこの暴走は起こり、 ホトトギスを私は斬ることになったかもしれない しかし、時間はあった。仲間はいても、私は孤独だ。誰も私を理解 はしないだろう。それで構わないと思った。だからこそ、理解者がい てくれたこと今いないことが苦しい。 しかし、その苦しみさえ刃を鋭くするためにあるのだと信じて私は 斬った。 ﹁神も人と同じ、そこに存在し触れられる。ならば斬れない道理など ホトトギス ない、そうだろう│││﹂ 己 │││なあ、 私 そして刃を振るう。私は人でなくなったのかもしれない。私は何 かに堕ちてしまったのかもしれない。ただ違う力に飲み込まれてし まったのかもしれない。 しかし、その瞬間ただの人が、矮小で無力でありふれた一人の人間 が│││ ﹁貴方は邪魔だ﹂ │││神の意志を斬り裂いた。 376 ■■■■ 目を覚ました瞬間オッタルが振り下ろした大剣を手で受け止めた。 で き る と い う こ と を 私 は 知 っ て い た。自 分 が 何 に な っ た の か 私 は 知っていた。 ﹁さて、仕切り直しといきましょうか﹂ 私は幾十幾百年存在し続け、人を操り斬り裂き血を啜ってきた怪異 へとなったのだ。この身体を器として、重ねた年月で強くなった刃を 受け継いだ。 その言葉に答えてくれる人はもういない。もう手に握ったホトト ギスから熱は流れてこない。私がその熱となったのだからそれもそ のはずだ。脈打つ心臓はすべてを斬り裂けと心臓が叫び続け全身へ と力が送り出す。 今日、この瞬間一人の男から始まった夢は一人の男に受け継がれそ して大きな前進を始めた。 377
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