剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか ID:55630

剣がすべてを斬り裂く
のは間違っているだろ
うか
REDOX
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す。
小説の作者、
﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作品を引用の範囲を
超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。
︻あらすじ︼
幼き頃より剣を振るい、剣しか振らずに育ってきた青年アゼル・バーナム。ベル・ク
ラネルの幼馴染でもある彼は、ベルに付いて田舎から迷宮都市オラリオまでやってき
た。そこで彼は、ベルと同じ主神のファミリアに入りダンジョンへと身を投じる。
その身に宿すは︻剣︼。すべてを切ることも、すべてを切らないこともできる︻剣︼。圧
倒的とも言えるその剣の腕で彼は今日もモンスターを屠り続ける。急激な成長を遂げ
フ ァ ミ リ ア・ミ イ ス
ていく仲間であるベルの横で、アゼルは何を思い、何をするのか。
これは一人の青年が剣を振るい、すべてを斬り裂く︻眷属の物語︼。その先に何が待ち
望むのかは、神でさえ知らない。
目 次 望め、さすれば与えられん
刀鍛冶の少女 ││││││││
束の間の休息 ││││││││
プロローグ │││││││││
果たしてその感情は │││││
強者を見つけ、弱者となる
剣士、迷宮に立つ ││││││
試行錯誤・上 ││││││││
過去を思い、心を刺す ││││
そして因縁は始まる │││││
放たれた刃の行方 ││││││
祭りは静かに盛り上がる │││
そして彼は地に墜ちた ││││
それは遥か昔の熱 ││││││
炉は燃える │││││││││
剣を振るい、心は澄む ││││
さあ、聖戦を始めよう ││││
己を貫く代償 ││││││││
剣、至る ││││││││││
55
剣 姫 ア イ ズ・ヴ ァ レ ン シ ュ タ イ ン 黄昏の館 ││││││││││
1
試行錯誤・下 ││││││││
5
72
幕 間 神 々 の 宴 │ そ し て 彼 女 は │ 365 347 330 310 288 267 247 228 207 190 168
154
24
132 113 95
38
│
あるギルド職員の受難 ││││
何故兎は跳ねるのか │││││
剣はただ己の為 │││││││
幕間 少女は歩き出す ││││
滴る血より生まれしモノ
奇跡を追い求めて ││││││
剣士危機一髪 ││││││││
楽しんだ者勝ち │││││││
月下踊る剣の獣 │││││││
剣士と冒険者 ││││││││
相対する剣士と最強 │││││
ホトトギス │││││││││
432 418 404 388
565 549 524 499 479 464 447
強者を見つけ、弱者となる
﹂
!
だから、私は素直にその老人に教えを請うた。もっと、もっと格好良く剣を振りたい、
を聞かせた。その人の、剣を振るう姿がいつも私の瞼の裏をちらついていた。
白髪に赤目の少年と共に住んでいたその老人は、良く村の子供達に昔話、特に英雄譚
一人で剣を振るっている私に、その老人は笑いながら話しかけてきた。
﹁なっとらん
そんな時だった、一人の老人に出会ったのは。
私にとって、剣を握っている自分こそが完全に思えた。
思ったことだろう。
落 ち 着 い た。振 る え ば 振 る う ほ ど の め り 込 ん で い っ た。そ ん な 私 を 周 囲 は 気 味 悪 く
しかし、始めてみると自分に欠けた最後のピースが当てはまるように、すとんと心に
う。その程度の気持ちだった。
剣を握ったのは本当に偶然で、もしそこに鍬があったら、鍬を握って畑を耕しただろ
ただ、剣を振るい続けた。
プロローグ
1
プロローグ
2
と。きっと、このまま貴方に教えを請わずに振るい続けるのは剣に失礼なのだ、と。
老人は私の言葉に大笑いして、そのお願いを聞いてくれた。ただ、一つだけ忠告もし
た。
剣に飲み込まれてはいけない。
剣は己の一部かもしれない。
しかし、己は剣の一部ではない。
何を斬り、何を斬らないか。それを決めるのは己であって、剣ではない。
もし、己と剣を同一視してしまうようなら、それは周りの人間すべてを傷付ける人間
だ、と。
なるほど、と思った。何を斬り、何を斬らないか。深い言葉だと思った。しかし、老
人はその後、なんてな、と言ったので真意は定かではない。私は敬意を込めて、老人の
ことを老師と呼ぶようになった。
それから数年経った今でも、彼の言った言葉は俺の中で生きていた。
アゼル・バーナム
Lv.1
力:H 124
耐久:I 45
器用:I 76
敏捷:H 165
魔力:I 86
・
・
魔力を込めれば込めるほど、より鮮明に、より先の未来が見える。
数瞬先の未来の光景を見る。
常時発動。
・
・
・
己の力への信頼の丈により効果向上。
己の力への信頼する限り効果持続。
何を斬り、何を斬らないかの取捨選択権を得る。
稀代の剣士として認められた者の証。
培った剣技を十全に振るえる場所を求め。友人は運命的な出会いを求め。
何の変哲もない本屋の片隅で、私と友人は一人の神の眷属になった。私は、この身に
その日、私は冒険者となった。
・
︻剣︼
スパーダ
︽スキル︾
・
︻未来視︼
フトゥルム
︽魔法︾
3
プロローグ
4
オ
ラ
リ
オ
人 の 欲 望 を 押 し 固 め た よ う な 迷宮都市 で、綴 ら れ る の は ど ん な 物 語 だ ろ う か。き っ
と、私の物語は英雄譚などではないだろう。
剣士、迷宮に立つ
ファミリア
﹁君はダンジョンに何を求めているんだい
結論から言おう。
!!
私は間違ってなどいなかった。
﹃ウヴアァァァアァァァァァアアアアッ
﹁⋮⋮うるさいな、こいつ﹂
﹂
﹄
にそう言うと、彼も笑いながら同意してくれた。
人外がそこら中を彷徨う迷 宮は実践を積むにはうってつけの場所に違いない。老師
ダンジョン
怪物などあまりいないし、野盗にもついぞ会うことはない生活をしていた。
には実戦経験という物があまりにも不足していた。当然だろう、モンスターと呼ばれる
村に居た老師にはもう教えることがないと言われていた。しかし、恥ずかしながら私
と答えた。
﹁修行のため﹂
対して私は
それが所属することになった眷 属の主神が私に最初にした質問であった。その問に
?
5
目の前に立つのは半人半牛の怪物。老師に聞かされた英雄譚などにも出てくる怪物
の一体。その名は﹃ミノタウロス﹄。その肉体は、人間の限界を越えておりかなり筋肉が
隆起している。
ギルドで聞いた話によるとミノタウロスというモンスターは中層に出てくるモンス
ターだったはずだ。討伐の適正レベルは2、しかもかなりの熟練者でなければ倒せない
と言われた。まあ、まず出会うことはないだろうとも言われた。
しかし、現実では出会ってしまった。最初の方は私も逃げまわっていたが、だんだん
と面倒くさくなってきた。レベル2のモンスターという事前情報に惑わされていたの
か、ちゃんと相対してみると、そこまでの気迫ではない。
少なくとも、あの老師が本気を出した時に比べれば生易しい。
﹁斬れるか⋮⋮﹂
否、それはなんと無駄な問答だろうか。斬れるか、という疑問など私には似つかわし
くない。斬るか、斬らないか。それだけが私の出せる答えなのだから。
﹃斬る﹄という概念は、剣にあるのではない。斬ることを選ぶのは他ならない私自身な
だ。しかし、そんなこと私には関係ない。
ギルドから冒険者となった日に支給された剣を抜く。それは、ただのショートソード
﹁こいつは﹂
剣士、迷宮に立つ
6
のだから。手に持つ剣がなんであろうと、斬れない物などないと信じる。
﹂
﹄
!!
﹄
!!!
るった。しかし、足による踏ん張りが効かないからだろう。その拳は本来の速度には格
すでに立てないにも関わらず、歩いて近付く私にミノタウロスは拳を力いっぱい振
ど、分かりきっていた。
人語など分からないであろう怪物に話しかける。返事は大きな咆哮であったことな
﹃ヴォアアアアッ
﹁巨体というのも、不利な点が多いものですね﹂
なった。
それでも、後ろに回った私に振り向こうとするミノタウロスは姿勢を崩し、膝立ちに
は立てない。
をミノタウロスの股の間をくぐりながら避け、その足首を斬った。当然、足を失った者
自分より遥かに背の高いミノタウロスは私に向けて右手を振り下ろした。その攻撃
﹃ヴォアアアッ
しかし、見える。相手が次に繰り出す攻撃が、確かなイメージとして視界に映される。
のそれとはかけ離れていた。
爆音を伴いミノタウロスも前進してくる。その速度は、今まで戦ってきたモンスター
﹁斬るッ
!
7
﹂
段に劣っておりーーーそんな拳を私が見えないはずもなく。
﹁しッ
﹁いたーッ
﹂
たら私の身体をいとも容易く貫通していたであろうほど。
んだ。目を向けるとそれは投げナイフであった。その威力たるや、そのまま当たってい
う。もう一つ飛来してきた物体はミノタウロスの頭に突き刺さり、貫通して壁にめり込
風を切りながら飛来してくる物体。それを、目を向けずにショートソードで斬り払
なっていた。
度も手合わせをしてきたからだろう、攻撃という物を肌で感じることができるように
数瞬先の未来を見ることができる目も、見えなければ意味がない。しかし、老師と幾
突然の来訪者。それに合わせて、本能が告げる警戒本能。
!
!!
﹁でかしたわティオナ
﹂
そうして、最後にその首を斬り落とそうとショートソードを上段に構えた時だった。
﹁潔く死ね﹂
斬り裂く。腕が一本宙を跳んだ。
!
その豪速で飛来してきたナイフとの衝突に耐え切れなかったのか、ショートソードは
﹁あ﹂
剣士、迷宮に立つ
8
﹂
甲高い音と共に中程で折れてしまっていた。
大丈夫ッ
!?
オ
ラ
リ
オ
が迷宮都市に馴染めていない証だろう。
﹂
﹁いえ、生きてますし。どちらにしろ、助けようとしてくれたのでしょう
構いません﹂
﹁いや、そういう問題じゃないと思うんだけど⋮⋮﹂
どうぞ、とティオネと呼ばれていた女性の発言を促す。
﹁あの⋮⋮本当に失礼だとは思ってるけど。質問をいいかしら
﹂
?
?
?
﹁貴方、見た目も装備も駆け出しの冒険者みたいだけど。レベルはいくつ
﹂
﹁仰る通り、一週間前に冒険者となったレベル1ですよ﹂
﹁嘘じゃないでしょうね
﹁ちょっと、ティオネ﹂
?
なら、別に
だった。かなりの速度だったので、てっきり男性とばかり思っていた。という考え自体
どうやら、先ほどのナイフを投げたのはティオネと呼ばれる、これまた褐色の女性
﹁ごめんなさい﹂
﹁ほら、ティオネも謝りなよ。殺しかけたんだから﹂
突然の来訪者の片方、褐色の女性が駆け寄ってくる。
﹁うわあああ
!
9
傷付けかけた人間にいくつも質問をし、その上疑うような言動までするティオネに戸
惑ったのか、もう一人の女性はその行動を止めようとしていた。
ことなんて、レベル1の冒険者にできるわけないわ。しかも、あのミノタウロスよく見
﹁だって、考えてみなさいティオナ。仮にもレベル5の私が投げたナイフを斬り落とす
てなかったけど、腕が無かった﹂
﹁ええ、斬りましたから﹂
﹁それがおかしいのよ。レベル2相当のモンスターをレベル1しかも駈け出しの冒険者
が傷付けることがそもそもありえないわ。さあ、きりきり本当の事を吐きなさい﹂
いつの間にか、自分が嘘を吐いていることになって、しかもそれを聞き出そうと尋問
されていた。なかなか愉快な女性だ。
﹁正真正銘私はレベル1の駆け出しですよ。なんなら、ギルドに行って確認しますか
どうせ、武器も壊れたのでもう帰るつもりでしたし﹂
?
﹁あぁッ
﹂
くるかはどちらでもいい。というか、何か忘れている気が⋮⋮。
そう言って、私は踵を返して元来た道を戻るために歩きだした。まあ、二人が付いて
﹁お構いなく。あれは貰い物の上、大した物でもなかったですから﹂
﹁あ。その、それもごめんね﹂
剣士、迷宮に立つ
10
!
﹁どうしたのよ
﹂
!
﹂
﹁いえ、そういえば仲間とはぐれたのでした。できれば仲間を探してからでいいですか
11
聞いたことないわね﹂
?
﹁それにしてもまさかこんな浅い階層でミノタウロスなんて大物に出会うことになると
私はベルのついでに入ったような物ですが。
﹁それはそうでしょう。つい一週間ほど前にできたファミリアですから﹂
﹁ヘスティア・ファミリア
のかもしれない。私は世間知らずなのでそこらへんが良く分からない。
しかも、先ほどの会話でレベル5の冒険者であると言っていた。実は中々な有名人な
く、興味の薄い私にこれだけは覚えておけと言われたファミリアの中にあった名だ。
ふむ、まさか大手のファミリアの冒険者だったとは。あまりにも冒険者について疎
です﹂
﹁親切にどうも。私の名前はアゼル・バーナム。所属はヘスティア・ファミリアの新参者
﹁あ、私ティオナ・ヒリュテ。こっちは姉のティオネだよ。所属はロキ・ファミリア﹂
登ってきたものらしい。
話を聞くと、なんでもあのミノタウロスは中層で出会った集団が、逃走して上層まで
﹁まあ、あのミノタウロスは私達のせいでもあるから、見つけるまで付いててあげるね﹂
?
は。人生何が起こるか分かりませんね﹂
﹁ごめんねー。あれ、ウチのファミリアの不始末っていうか⋮⋮そもそも、なんであいつ
ら私達から逃げたのよ﹂
﹁モンスターにすら逃げられる冒険者とは⋮⋮本当に恐ろしい﹂
奴なの
﹂
﹁いやー、私もあんなこと始めてだったから驚いてね。それで、仲間っていうのはどんな
す﹂
?
﹁ほえー、十四歳で冒険者かあ﹂
﹂
﹁ティオナさんもまだまだお若いでしょう。十七くらいなのでは
当てるから。むむむ﹂
﹁そうですね﹂
﹁待って
?
唸りながら歩く私の顔、胴、足と観察するティオナさん。といったものの、私の見た
!
﹂
﹁白い髪に赤い目。兎のような印象の男です。まだ十四歳なので、結構小さいと思いま
始まりだ。
いたので、ちょうどその時オラリオに冒険をしに行くと言っていた彼に付いてきたのが
私の仲間は同郷の友とでも言うべき人だ。老師からはそろそろ旅に出ろと言われて
?
﹁あたりー。でもアゼルも若いんじゃないの
剣士、迷宮に立つ
12
目にそう目立ったものはない。
可も無く不可もない、どちらかといえば可と老師に辛口のコメントを頂いた顔に短い
赤い髪。黒単色のズボンに、緑のマントで上半身を隠している。中はただのシャツしか
﹂
着ていない。零細ファミリアには防具を買う金などないのだ。
﹁二十くらい
﹂
?
タウロスにも襲われてみるものですね﹂
?
﹁いやあ、初対面の女性を呼び捨てで呼ぶなんて、恥ずかしくてとてもできませんよティ
が語ったのは男が女を助けるというシチュエーションだったので、今は逆ですね。
これが私の友人、ベル・クラネルの言うダンジョンでの出会いなのだろうか。いや、彼
﹁目麗しいって⋮⋮もっと、普通の言い方できないの
後、さんは嫌いだから﹂
﹁私としてもティオナさんみたいな目麗しい女性と仲良くなれて嬉しい限りです。ミノ
﹁それは、そうだけど﹂
﹁別にいいじゃん。私達が悪かったのは確かなんだからさ﹂
﹁というか、ティオナ。何仲良くなってるのよ﹂
さあ、それは個人の感性の違いと言いましょう。
﹁それって惜しい
﹁惜しいですね。十八です﹂
?
13
オナ﹂
﹁いや、普通に呼んでるし﹂
﹂
﹂
﹂
すね。それとも姐さん、とでもお呼びしましょうか
﹂
﹁女性の嫌がる事をするのも嫌いなんです。あ、ティオネさんはティオネさんと呼びま
﹁なんでよ
﹁いえ、こう、雰囲気
﹁私のどこが怖いっていうの
?
﹁あ、アイズいたー
ついでにベートも﹂
らったら恐ろしい事になる、そんな未来を予想させるような女性である。
誰も怖いなど一言も言っていません。逆らえない感じがひしひしとするというか、逆
!
?
!
!
スラリとした身体に金の髪が背中の中ほどまで伸び、こちらを振り向いた彼女の目は
もう一人は金髪の女性。その女性を見た瞬間、身体を雷が貫いたような感覚が襲う。
戦的、言葉を交わさずともその性格の一片が見え隠れする。
一人は銀髪の狼人。目つきが鋭く、醸し出す雰囲気も周りに比べると人一倍鋭い。好
た。
幾分か歩いていると、ティオナが仲間を見つけたのか手を振りながら近づいていっ
﹁チッ。漸く来やがったかバカゾネス共﹂
剣士、迷宮に立つ
14
金色。美しい、そんな言葉では足りないような女性だ。
しかし、そんなことは私にとってはどうでもいい。
ひ
と
その存在が、その有り様が自分に似ているように感じた。鋭く、硬く、真っ直ぐな一
本の剣。この女性は強い、魂がそれを感じ取った。
にも関わらず私は一瞬で剣が出現したように見えた。彼女は、私より遥か高みにいる。
口からは乾いた笑いが漏れる。速過ぎる。瞬きをした瞬間に出現したわけでもない、
﹁ははっは﹂
た。視界の中に行き成り彼女が私の首に剣先を突きつけるその景色。
いつの間にか、とでも言うべきか。いや、見えてはいた。見えていた、というより見
﹁は﹂
弾かれた剣をもう一度、袈裟に振るう。しかし、それは彼女に当たる前に止まる。
阻まれ、刃と刃がぶつかり火花が散る。
鞘に収めていた折れた剣を抜きながら斬りつける。その一撃は呆気無く彼女の剣に
目の前の女性以外は。
気が付いた時には地面を蹴っていた。予想外の行動にそこにいる全員が唖然とした。
﹁え﹂
15
﹂
降参と言わんばかりに両手をあげる。そうすると、彼女はあっさりと剣を鞘に収め
た。
デュ ラ ン ダ ル
﹁それにしても、斬れないとは⋮⋮その武器はなんですか
﹁デスペレード。不壊属性を持った剣﹂
﹁おいっ、てめぇッ
﹂
﹁なるほど、不壊属性。私も知らないことがまだまだあるようだ﹂
しかも、私の質問に潔く答えるとは。驚きを通り越して呆れますね。
?
てなかったという自覚はある。
ああ
﹂
?
﹁ちょっとベート
﹂
放して
﹂
!
!
漸く何が起こったのか把握したのか、ティオナさんも駆け寄ってきて狼人の手を掴み
!
﹁なんだその態度はよお
﹁いやあ、謝りますよ。だから、手を放して頂けると﹂
!?
確かに、冷静ではなかった。出会った人間に通告もせず斬りつけるなんて礼儀がなっ
押し付ける。
大声で呼ばれたので振り向くと、銀髪の狼人が鬼の形相で迫り私の胸ぐらを掴み壁に
﹁はイッ﹂
!!
﹁行き成り斬りかかるたあ、どういう了見だ
剣士、迷宮に立つ
16
!
私から引き剥がす。
こいつぶっ殺す﹂
というかアゼルも 出会った瞬間斬りかかるってどういうこ
﹁邪魔すんじゃねえティオナ
﹂
﹁もう、止めなって
と
!
﹂
!
今回はティオナさんも納得していないのか、姉を止めず同じように理由を問い詰めて
ほどの狼人も怖いものがありましたが、ティオネさんの背後には鬼が見える。
壁に追いやられた私に追い打ちを掛けるようにティオネさんが尋問を開始する。先
﹁これには深い理由がありまして﹂
﹁で、斬りかかった理由、きりきり吐いてもらうわよ﹂
てあれこれ言っている。
言っていることが信じられなかったのか、狼人は狼狽えながら金髪の女性に詰め寄っ
﹁アイズ
﹁別に、気にしてないから﹂
その声は小さくも、その空間に鈴の音のように響いた。
﹁いい﹂
んていうふざけた理由を言ったらどう思われるだろう。
彼女に言って分かるだろうか。強いやつがいたので、つい襲いかかってしまった、な
!
!
17
きた。狼人が金髪の女性にあーだこーだ言い、壁際では私がアマゾネス二人に問い詰め
﹂
られる。なんとも変な空間になった。
﹂
﹁これは、どういうことだい
﹁あ、団長
?
﹂
?
﹂
﹁それは確かなのかい
﹂
﹁この野郎、バカゾネスが連れてきたと思ったら行き成りアイズに斬りかかりやがった
突拍子もない狼人の台詞に溜息を吐きながら返事をする少年。
﹁⋮⋮はあ。まずは説明をしてくれないかなベート﹂
﹁おい、フィン。こいつ殺していいか
には、ロキ・ファミリアの団長なのだろう。
そんな空間を壊したのは、一人の少年だった。金の髪に青の目。団長と呼ばれるから
!
かしたことなので、自業自得なのだが。
違和感を感じながらも、これは面倒な事になったと思わずにはいられない。自分のしで
ティオネさんが最相別人なのではないかというほどお淑やかな声を出している事に
﹁はい﹂
?
!
﹁フィン。私は気にしてないから﹂
剣士、迷宮に立つ
18
﹁そうは言ってもね。で、君は何か理由はあるのかい
﹂
﹁いえ、彼女を見るのは今日が初めてです。ただ﹂
﹁ただ
アイズに恨みでも
?
﹂
?
差がありすぎて分からなかったが。
﹁彼女と私、どちらが鋭利なのか。知りたかった、と言いますか﹂
グダグダ言ってねえで本音を吐け、おらぁ
?
痺れを切らしたのか、狼人は一歩踏み込み蹴りを放ってくる。
﹁何言ってんだこいつ
﹂
︻斬る︼ということにおいて、彼女と自分。どちらが優れているのか。結果は、自力に
ちろん実力という点も大事だが、何よりも比べたかったのは内面である。
かる人間は果たしてどれほどいるか。それに私が比べたかったのは実力ではない。も
なんと言えばいいのか。正直に言うと、比べたかった。しかし、そんな理由で襲いか
?
ルブーツの爪先部分が斬り落とされる。私の半ば折れたショートソードは無事だ。
今回は、弾かれることはなかった。キン、と甲高い音と共に、狼人の履いていたメタ
再び、鞘からショートソードを走らせる。
かもしれない。
る。彼女ほどではない。いや、彼女の常識はずれの速さを見た後だからこそ、見えたの
その鋭さは、あのミノタウロスなど比べるのが恥ずかしいほどだ。しかし、まだ見え
!
19
﹁どうやら、それは不壊属性という訳ではないみたいですね﹂
﹁なっ﹂
ならば、斬れる。
得物など、なんだって関係ない。極端な話、痛いが手刀でも斬鉄できる。スキルの説
﹂
明に刃物の使用は必要とされていなかった。
﹁ベート、やめるんだ﹂
﹁止めるんじゃねえフィン
?
﹁そうか。なら、僕達が気にするのもおかしいか。この事は不問とする﹂
﹁ん⋮⋮そもそも気にしてない﹂
﹂
ティオネさんがさも当然、と言わんばかりにさらりとそう言った。
﹁そうね﹂
﹁いえ、元はといえば私が失礼な真似をしたのが原因ですので﹂
﹁すまなかったね﹂
撃するのを止めた。かなりの形相で睨んでいるので怖いのには変わりないのだが。
フィンと呼ばれた団長が少し声に怒色を込めると、勢いのあった狼人も嫌々ながら攻
﹁やめろ、と言っているんだ﹂
!
﹁で、アイズ。本当に彼を許すのかい
剣士、迷宮に立つ
20
﹂
﹁ありがとうございます。アイズさんも、ありがとうございます﹂
ましたからね﹂
!
はいないと思うけど﹂
れた仲間を探したと。見つかったのかい
白い髪に赤い目の駆け出し冒険者はそう
﹁それで、本当にレベル1か確かめるためにギルドまで同行しようとしたけどまずはぐ
﹁分かってるわよ
﹂
﹁ティオネさん。一応言っておきますけど、私が防いでいなかったら、私大怪我をしてい
レベル1の素人に攻撃を防がれたのが気に入らないらしい。
る。要するに彼女はフィンに惚れているのだろう。
少し悔しそうな顔をするティオネさんを見て、なんだか状況が少し理解できた気がす
﹁⋮⋮はい﹂
だね﹂
しまった、か。なかなかに信じがたいけど、当人達がそう言っているんだから本当なん
﹁なるほどね。ミノタウロスに襲われて、ティオネの投げナイフを弾いて武器を壊して
を快く思ってないにも関わらず、その報告は公平であった。
フィンがティオネにそう質問すると、彼女は素直に起こったことを報告した。私の事
﹁で、ティオネ。そもそもなんで彼を連れていたんだい
?
21
?
﹁いえ、まだですね﹂
今はどこに
﹂
﹁その子なら、さっき助けた﹂
﹁本当ですか
?
んで、落ち込んでるんだ
﹂
?
かしてあげないとね﹂
﹁そうだね。こちらとしても、随分迷惑も掛けたみたいだし、壊した武器くらいはなんと
﹁そんなあっさり帰すと思ってる
るとティオナに腕を掴まれ止められた。
もう、色々面倒な上ベルが既に帰ったことが分かったので、帰ろうと歩き出そうとす
﹁ええ、これで心配事もなくなりました。ではッ﹂
﹁どうやら、仲間も大丈夫のようだね﹂
?
少し落ち込むような表情をしながらアイズさんは地上に向かう通路を指さした。な
﹁⋮⋮あっち﹂
?
﹂
?
別に得物はいらない、などと言ったらまた不審に思われるかもしれない。ここは素直
﹁買うお金あるの
﹁いえ、武器のことなら﹂
﹁て、いうこと﹂
剣士、迷宮に立つ
22
に相手の好意に甘えるべきか⋮⋮。面倒くさい。
ロキ・ファミリアのホーム、黄昏の館へ。
のだからしょうがない。行くしかないのだろう。
まだ自分のホームに帰れないのか、と軽く憂鬱になってきたが、自分の行動の結果な
﹁⋮⋮ありがとうございます﹂
﹁じゃあ、決まりだね。皆合流したらホームまで連れてって、適当な武器を見繕うよ﹂
で﹂
﹁ない⋮⋮ですね。お恥ずかしながら、毎日食べていくのもやっと、と言った稼ぎなの
23
オ
ラ
リ
オ
黄昏の館
迷宮都市と呼ばれるこの街は、冒険者で溢れている。彼らはこの地に様々な物を求め
てやってくる。名声であったり、金であったり、夢であったり。私の友人のように出会
いなんていう物を求めてやってくる輩もいる。
デ ウ ス デ ア
そもそも、冒険者とは何なのか。それを語るにはまず、神について語る必要がある。
神という超越存在はこの世に存在する。なにせ、私達は日々彼らと生活をしているの
だ。
千年前、神々は天界に飽き、下界へと娯楽を求めて降りてきた。そこで、見つけたの
が私達、彼らの言う﹃子供達﹄、だった。
私達と同じ立場に立ち、同じように生活することに彼らは意味を見出した。完璧な存
在であるが故に、私達という不完全な存在に惹かれた。
ファ ミ リ ア
ファミリア
それから、神々は下界で生活するために︻神の眷属︼を作った。要するに、神の家族
ファ
ル
ナ
と な っ て 神 を 養 う、そ の た め の 集 団。神 々 は 自 ら の︻眷 属︼の 一 員 と な っ た 者 に は
神の与えた﹃恩恵﹄、それは子供達の可能性を無限に伸ばす、まさに神の業。その個人
︻神の恩恵︼を与えた。
黄昏の館
24
25
エクセリア
が経験した事を︻経験値︼として可視することのできる神は、その一部を使い子供達の
ヒエログリフ
可能性を開花させていった。より良い︻経験値︼なら、より多くの成長を。神が称える
ような偉業には、更なる飛躍を。
イ
コ
ル
子 供 達 の 背 中 に 刻 ま れ た︻ス テ イ タ ス︼と 言 わ れ る︻神聖文字︼で 書 か れ た 情 報。
神の血を媒介として発動するそれは、神と子の絆そのものだ。
その恩恵を使い、子供達は様々な冒険をする。時には強大な敵を討ち滅ぼす。時には
金銀財宝を掘り当てる。時には世紀の大発明を、神すら感嘆する神秘を秘めた武器を打
つ。神々は、そんな永遠に止まることのない私達を愛してくれた。
■■■■
圧倒。それが私の感想であった。
オラリオの最北端、メインストリートから一つ外れたところにその建物はあった。敷
地が狭いにも関わらず大きさはかなりのもので、その建造物は先の尖った高層の塔が何
トリックスター
本に生え、お互いを補完しあってできていた。至る所にロキ・ファミリアのエンブレム
である笑みを浮かべた道 化 師の旗がはためいている。そして、全体的に赤い。
あの後、ロキ・ファミリアの他の仲間を待つためにダンジョンから一旦出て待つこと
となった。その時銀髪の狼人、ベートという名前だった、が私に突っかかってこないよ
うにティオナが抑えていてくれたので、なんとか荒事にならず済んだ。
パ ルゥ ム
その間私はロキ・ファミリアの団長であるフィン・ディムナと話をした。なんと、こ
の人少年ではなく、小人族だった。歳はなんと四十くらいだとか。見た目は十代前半ど
の少年だというのに、驚きだ。
待つこと数分、ダンジョンからは続々とロキ・ファミリアの面々が帰ってきた。そう
して、全員が集まると私を連行するかのごとくティオナとティオネさんが両側から私を
逃げないように腕を掴み、ロキ・ファミリアのホーム、黄昏の館までやってきた。
﹁まあ大体のことは分かったが﹂
通されたのは応接間だった。
橙色を基調とした家具で揃えられ、ソファと丸テーブルが幾つか設置された部屋だ。
﹂
応接間という言葉から連想される堅苦しさなどなく、ファミリアのメンバーが団欒をす
る場のように感じられた。
﹁アイズ、本当になんとも思っていないのか
?
んの違いだか分からない。名前はリヴェリア・リヨス・アールヴ。翡翠色の髪に白を基
目の前に座っているのはエルフの女性、細かく言うとハイエルフらしいが、私にはな
﹁うん﹂
黄昏の館
26
調とした魔術装束。凛とした雰囲気を醸し出す、美しい女性だ。
そして、その横に座っているのがアイズ・ヴァレンシュタイン。聞く所によると︻剣
姫︼と呼ばれ、オラリオで最強の女性剣士らしい。それは、強いはずだ。
﹂
!
!
!
﹂
!
アイズの一声で納得してはいないが引き下がってくれたレフィーヤさん。アイズさ
﹁ううぅう⋮⋮アイズさんが言うなら﹂
﹁レフィーヤ。もう、いいから﹂
﹁で、でもッ﹂
いないのだろう。
女だ。山吹色の髪を後ろで束ねている。これまた、綺麗な人だ。エルフは美男美女しか
ちなみに、私に食って掛かってきたのはレフィーヤ・ウィリディスというエルフの少
じゃないよ﹂
﹁それに、アイズ本人が気にしていないと言っているんだし。もう、とやかく言うこと
ティオナの率直な意見に怒るベートさん。
﹁うるせえッ
﹁損害も何も⋮⋮壊れたのはベートのブーツだけだからねえ﹂
要求するべきです
﹁私は許せません 行き成り斬りかかるなんて この人のファミリアに損害賠償を
27
んにはいくら感謝しても足りないな。
﹂
﹁まあ、それでティオネが彼の武器を壊してしまったから新しい武器を与えようと、ここ
まで連れてきたわけだが。何か希望はあるかい
﹁ええ
﹂
﹁それで、ここからが本題なんだが﹂
ラウルと呼ばれた青年はフィンの一言で応接間から出て、どこかへ消えていった。
﹁了解っす﹂
﹁分かった。ラウル、倉庫の方から何本か見繕ってきてくれ﹂
であればなんでも、と言った感じです﹂
﹁希望、という程のものは。しかし、それほど高価なものでなく、ある程度強度のある剣
た。ぐいぐいと話を進めてくれる。
もうここから一刻も早く帰りたい私にとってフィン・ディムナという人は救いだっ
?
﹁本当に、レベル1なんだね
﹂
?
?
﹁しつこいですねえ。私の背中を見ますか
﹂
本題は武器じゃなかったのですか。そうですか、現実はそう甘くないですね。
?
本当なんだろう、と言いながらもその瞳は私の事を疑っていた。それほどまでに、レ
﹁いや、いいよ。そこまで言うなら本当なんだろう﹂
黄昏の館
28
ベル差を超えた私の斬撃を危険視しているということなのだろう。私は未だにレベル
という物の本当の意味を分からずにいるので、何をそんなに危惧しているのか分からな
いが。
﹂
?
?
斬ったのは剣ではありませんよ﹂
﹁あれは、ただの剣ですが。何も、ブーツを斬ったのは、いえ、それ以外もすべてですが。
言われているように感じてやまない。だからだろう、少し説明したくなったのは。
信じられない、信じられないと何度も言われるとまるで自分がインチキをしていると
直、フィンの言葉がなければ信じられない話だ﹂
だ。ベートのブーツも一級品と言っても過言ではない。それをただの剣で斬る 正
﹁端的に言って、ありえないな。私達の装備は、かなり高価で金額に見合った性能の物
ではないだろう。
間は、いなくもないかもしれない。すべての駆け出し冒険者が、まるっきりの駆け出し
それは、ほんの少しの疑問だった。この広いオラリオを探せば、同じことをできる人
﹁そこまで、不思議なものなのですか
﹁本当だよ、リヴェリア。僕は目の前でそれを見ていたんだ﹂
の変哲もない剣でやってのけるというのは、どうにも信じがたいが﹂
﹁ティオネのナイフを斬り払い、ベートのメタルブーツを斬る。しかも、それを折れた何
29
全員が頭の上に疑問符を浮かべる。これは、きっと老師との修練によってでき上がっ
た思想。そして、私の︻ステイタス︼を見た時できた確信。
﹁斬ったのは、私です。剣という概念を内包した、私自身が斬る﹂
﹁⋮⋮訳が分からん﹂
頭のいいはずのエルフにすら理解不能な言葉。私はアイズさんに目を向ける。彼女
﹂
スパーダ
なら分かるだろうか。少しの期待を込めて、彼女の目を見る。
﹁
﹂
!
てくれる。つまり、下界に降りてきた超越存在、神。
いや、人ではない。その身から発するオーラとでも言うべき物が、人間でないと教え
るで、この館のような色。
横から突然声を掛けられ、そちらを向くと糸目の人物が座っていた。髪は淡い赤。ま
﹁ロキ
﹁剣を内包した自分、なあ﹂
自分にとっては、本当に簡単な事実だというのに。
は分からないことなのだろうか。
しかし、結果は他の人と同じ。やはり、この︻剣︼というスキルを持っていない人に
?
﹁なかなかかっこええ事言うなあ、アンタ﹂
黄昏の館
30
﹁それは、どうも
﹁ッ﹂
﹂
﹁剣を内包するっつーのは、つまりそういうスキル言うことやないん
?
﹂
アンタの言い方もなかなかいいセンスしとるで。にしても、そんなスキルが
?
?
どこのどいつや
﹂
私の主神は、もう一人の眷属にご執心な様子ですから﹂
﹁子供を贔屓するなんて、なってない神やな
﹂
?
?
﹁ヘスティア、という方です﹂
﹁なんやて
!?
!
﹁言っていた⋮⋮ような
そんなことも教えとらんのか﹂
﹁にしても、スキルをそうほいほい他人に教えたらあかんで アンタんとこの主神は
言った珍しい物は大抵固有なものだ。
そもそもスキルとは個人の︻経験値︼によって発現するもの。その中のレアスキルと
たいですね﹂
﹁アイズさんには似通った雰囲気を感じていますが。どうやら、何かが根本的に違うみ
あるなんてなあ。うちのアイズたんも剣を握ってかなり経つし、腕も立つけど﹂
﹁そか
﹁仰るとおりです。流石は神。なんでもお見通しということですね﹂
まさか、一発で看過されるとは。神とはやはり、私達人間より遥かに知識に明るい。
?
31
﹂
﹂
その名前を告げると、ロキ様は行き成り立ち上がり私の肩を掴んだ。
﹁アンタ、名前は
﹂
この通り
糸目は今は開かれ、何か必死さすら感じられる。
﹁あ、アゼルです﹂
﹂
﹁アゼル、うちの眷属にならん
﹁はあ⋮⋮って、え
頼む
!
?
﹁あいつを見返すチャンスなんや
!
?
神が子供に頭を下げるなんて。
私の肩を放さずにロキ様は頭を下げた。何がそこまで貴方を必死にさせるんですか
!
?
﹂
!
そして、目の前にいるロキという神は⋮⋮見事な絶壁である。
た。私のファミリアの主神ヘスティアは子供のような背丈だが、胸だけ発達している。
どうやら、ロキ様とヘスティア様には並々ならぬ因縁がるようだ。一つ言い忘れてい
﹁クソーッ
﹁い、いえ。お心は嬉しいですが、あそこには友人もいるので﹂
?
凌ぐ場所がないのは事実だ。
あのボロ教会の隠し部屋を住まいと言っていいのかは別として、彼女なしでは雨風を
﹁すみません。一応ヘスティア様にも住まいを提供してもらっている恩があるので﹂
黄昏の館
32
﹁まあ、期待はしてへんかったけど﹂
持ってきました﹂
﹁ありがとうラウル。で、アゼル君、どれがいい
﹁そうですね﹂
メドル
?
?
剣。
﹁これは、なんですか
﹂
次に目立つのは片刃の少し反った刀身と、その刀身に描かれた特徴的な模様を持った
あったが、重くて扱いづらかった。
一際大きいのがクレイモアと呼ばれる、一 Mほどの長大な両手剣。一度使ったことが
ラウルさんが持ってきたのは四本の剣。
﹂
﹁ええと、それほど高価ではなく、適等に硬い物っていう要望だったので。まあ、何本か
そうこうしているうちに、ラウルと呼ばれた青年は何本かの剣を持って帰ってきた。
﹁お待たせしましたっす﹂
たって対抗できない。
こそ武力でもって奪うことになったら、弱小のヘスティア・ファミリアではどうやっ
大手のファミリアに団員が引き抜かれることが良く起こることかは知らないが、それ
﹁それは、よかった。本気だったら流石に断るのは骨が折れそうですから﹂
33
それを一度持って、刃を光を反射するように掲げる。より一層模様が浮かび上がり、
芸術品のようにも見える。
﹁ああ、それは東から伝わってきた打刀という種類の剣だよ。斬ることに特化した剣だ﹂
﹁ふーむ﹂
しかし、刀身が薄くすぐ折れてしまいそうである。このオラリオでは様々な鉱物が取
れ、薄いから折れやすいとは一概に言えないが。使っている私の気分の問題もある。
刀より湾曲した片刃の剣はサーベル。持ち手に手を守るための護拳があるのが特徴
だ。片手で扱い、他の剣ではむき出しの手を守ることのできる剣だ。
そして、最後にショートソード。片手で扱う剣で、盾と一緒に持てる防御という面に
おいても優秀な剣だ。なによりも、その軽さや短さがとても扱いやすいのも特徴だろ
う。
﹁では、これで﹂
そう言って私が掴んだのはショートソードだ。片刃の剣を使ったことがないので、自
﹂
然と両刃のショートソードに落ち着いてしまう。いつか、色々な刀剣類を試してみたい
﹂
?
?
ものだが、現状金の問題がある。
﹁そこまで高くはないんだが。なんだい
﹁こんな高そうなものを頂いておいてあれなんですが。一つお願いしていいですか
黄昏の館
34
﹁できれば、貰う前に使い心地の確認をしたいというか。できれば実際に刃を交える形
で﹂
武器に携わる冒険者なら分かるであろう。自分の半身と言ってもいい、命を預ける装
備に妥協する奴は二流の冒険者だ。私は冒険者としては駆け出しだが、剣を振るうもの
として剣の種類は選ばないが剣は選ぶ。
﹁うーん﹂
フィンは悩むように首を傾げた。幼い容姿と相まって、なんだか本当に少年のよう
だ。
﹁私が﹂
﹂
い出すなんて。
﹁相手、する﹂
﹂
無口で表情の乏しいアイズ・ヴァレンシュタイン。オラリオ最強の女剣士が、自ら言
それは誰が予想できただろうか。
﹁え
?
斬りに付き合ってくれるとは、アイズさんは優しいというか抜けているというか。
これはなんという棚から牡丹餅。つい先程自分に突然斬りかかってきた相手の試し
﹁いいんですか
?
35
もしかしたら、私と同じく、私に何かを感じたのかもしれない。
﹁おいおいアイズ。こんな雑魚の相手なんてすんな﹂
﹂
﹁ベート。お前はその雑魚と呼んだ相手に武器を一つダメにされているのだが﹂
﹁あ、あれは油断しただけだ
﹁これ
﹂
﹁あ、そうだアイズさん。できれば、そのサーベルを使っていただくと助かります﹂
い。珍しいスキルであるらしいし。
もしかしたら、それは自分のスキルを少しだけ話した私への褒美だったのかもしれな
バーも反対する者はいなくなった。
ロキ様は気軽にそんなことを言った。主神の許可も得たことで、ベートも他のメン
﹁そこまで言うなら、すればええやん﹂
﹁私が、やりたいの﹂
撃であり、言い訳であることなど分かりきっている。
リヴェリアの指摘に動揺しながら言い返すベート。しかし、あれは彼から仕掛けた攻
!
そう言って、私はラウルさんが持ってきたサーベルを彼女に差し出した。
?
では一生かかっても返せなさそうですから﹂
﹁はい。先ほどのデスペレードでは、斬ってしまった時に弁償なんてことになったら、私
黄昏の館
36
デュ ラ ン ダ ル
うちはこういうの大好きやで
﹂
あ、でもアイズ
!
た。
﹁おもろい事になってきたなあッ
たんに傷一つ付けたら許さんからな
そもそも相手になるか、というところが問題だ。
!
!
素直に私の言葉を聞いたアイズさんはサーベルを受け取り、私を導くように歩き出し
﹁分かった﹂
一の難点なのかもしれない。
ば斬るか斬らないか、選ぶことはできない。未知に対する弱さ、というのが︻剣︼の唯
あの時、斬れなかったのは私が不壊属性という物を知らなかったからだ。知らなけれ
デュ ラ ン ダ ル
﹁たぶん、今なら斬れると思うんですよね﹂
﹁はっ、馬鹿が。不壊属性の武器が斬れるかよ。冗談は休み休みに言え﹂
37
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
﹁あの、アイズさん。できれば手加減お願いしますね﹂
頑張らないと手加減ができないというのも難儀な事でしょう。今更だがレベル1と
﹁⋮⋮頑張る﹂
この馬鹿狼﹂
そんな雑魚さっさとぶっ殺せ
﹂
いう彼女からしたら格下である自分が相手で少し申し訳なく思えてしまう。
﹁アイズ
﹁殺してどうすんのよ
!
る。
さだ。床が所々傷ついていることから、そういった用途として使われていることも分か
着いたのは黄昏の館の中庭。館の中心にできたそこは、戦うには丁度いいくらいの広
﹁というか、ただの使い心地の確認だからね﹂
!
!
?
たらスタートということだろう。
﹁アゼル君、アイズ。準備はいいか
﹂
そう言ってリヴェリアさんが一歩踏み出し、片手を掲げた。シンプルに、振り下ろし
﹁じゃあ、開始の合図は私がしよう﹂
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
38
頷くことで返事をする。既に私もアイズさんも戦闘態勢に入り、口を動かすことを止
めていた。
﹂
!
勢いを殺さないまま斬り払いをする。横薙ぎに振るわれた剣は、通常であればその通
違いない。目線を見れば分かる、完全に捉えられている。
全力を込めて踏み込む。しかし、私の全力でさえ彼女にとっては緩慢な動きだったに
リヴェリアさんの手が振り下ろされた、その瞬間。
﹁開始
どうやら、彼女から攻撃する気はないらしい。それが分かっただけでも僥倖。
視界に何人かのアイズさんが霞んで見える。そのどれもが、私の攻撃を受ける姿だ。
岐する。
つの弊害がある。未来とは、決定されたものではない。先を見れば見るほど、未来は分
目に精神力を集める。より先の景色を、より鮮明に見るために。しかし、それには一
マ イ ン ド
もうすぐ始まる。そう思うだけで腕が疼く。
﹁では﹂
いうのが最初の問題ですからそこまで注意する必要がないのでしょう。
それに対してもアイズさんは頷いて肯定した。私の攻撃はそもそも彼女に届くかと
﹁一応言っておくが、相手を殺すような攻撃はなしだ。特にアイズ、お前は気を付けろ﹂
39
り道にある物すべてを斬り裂く必殺の刃だ。そう、それが通常であれば。
心地よい音が響いた。金属同士をぶつけたにしては軽い、まるで鈴を鳴らしたかのよ
うな音。
剣と剣がぶつかった時の音としては、久しぶりに聞く音。老師と稽古をしている時に
よく聞いていた音と同じだ。
横薙ぎに振るったはずの剣が、斜め上に軌跡を変えていた。
完璧に逸らされている。
両刃である事を活かし、斜め上に払われた剣を再び彼女を目掛けて振るう。しかし、
また身体を少し動かしサーベルで巧みに剣戟が逸らされる。
それは、絶技だ。洗練されたその動きはすでに芸術の領域。美しい、そう思った。そ
んなことを、表情一つ変えずに行うその女性に、私は心から賞賛した。
﹁はあ、はあ﹂
るもの。
く。普段している無駄のない体捌きも、自分の思った通りに剣が振るえるからこそでき
攻撃が自分の意志とは違った軌跡を辿る、それだけでこちらの体力は大幅に減ってい
何度も同じことを繰り返す。斬っては逸らされ、斬り返してはまた逸らされる。
﹁くッ﹂
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
40
一度後退し、剣を構え直す。
しかし、彼女は追ってこない。相も変わらず、凛とした立ち姿で私の攻撃を待ってい
る。しかし、それじゃ足りない。それはお互いを高め合うには足りない。私はこの時当
初の目的を完全に忘れていた。
剣先を、くいくい、と私の方へと傾け、来い、とアイズさんに伝える。
ショートソードを滑らせる。
剣 と 剣 が ぶ つ か る。そ の 瞬 間 ア イ ズ さ ん の 振 る っ た サ ー ベ ル を 下 か ら 掬 う よ う に
ならば、私も真似よう。
私と同じような斬り払い。否、私を真似たのだろう。
いものだったが、それでも私にとってはやっと追いつけるものだった。
そうして、眼前に本物の彼女が迫る。その速度はあの時とは比べ物にならないほど遅
彼女の動く方向を見る。また、いくつかの未来が消える。
彼女の初動を見る。いくつかの未来が消える。
ある未来から、一つだけを選ばなければならない。
次の瞬間、未来の彼女が複数人目に映る。数秒先、という過去最高の未来視。その数
小さく、そう呟いたのは彼女なりの優しさだろう。
﹁⋮⋮行くよ﹂
41
アイズさんが逸らした時よりも鈍い音が響く。しかし、なんとか彼女が振るった剣を
逸らすことができた。
次の剣戟もなんとか逸らす。しかし、彼女の速度に完全には付いて行けていない私で
は、何度もできる芸道ではない。そして剣戟を重ねる毎に剣を逸らす音がだんだんと剣
をぶつける鈍い音になっていく。
何度目かの剣戟。遂に、斬撃をいなすことができなくなり、刃と刃がぶつかる。お互
いの勢いを殺せず、激しくぶつかった刃は火花を散らす。
そして、途端に感じる、何かが斬れる感覚。相手のサーベルを斬ってしまう。それは
︵あ、まずい︶
まずい。貰っているものでもないのに斬ってしまう訳にはいかない。
一瞬剣を握る力が緩んでしまったのは、そんなことを思ったからだろう。
アイズさんは力を入れたままだ。当然ながら、私の剣によって抑えられていた彼女の
剣が私に向かって振るわれることになる。
私が力を緩めてしまったばかりに。
そこから斬撃を避けるなど容易いことだっただろう。
完全に私に落ち度がある。例え、私の剣が彼女のサーベルを斬ったとしても彼女なら
﹁あ﹂
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
42
﹁ッ﹂
彼女も自分の剣を止めようと努力するが、刹那の出来事でそれは叶わなかった。なら
ば、自分で防ぐしかない。
剣を握った手とは逆、左手を手刀にしてサーベルに向けて振るう。この際仕方ない。
残念だが、そのサーベル、斬らせてもらいます。
甲高い、金属を素早く擦り合わせたような音。そして、少し遠くに落ちるサーベルの
﹂
刃。私の思い描いたとおり、サーベルは中程で綺麗に切断されていた。
﹁どう、やったの
﹂
?
﹁それにしても、これは﹂
よかったのかそれ以外の傷は見えない。
振るった左手を見せる。手の側面が少し赤くなっているが、思いの外当たりどころが
﹁はい、この通り。無事ですよ﹂
試合が終わってリヴェリアさんがこちらに近づいてきた。
﹁アゼル君。一応聞くが、大丈夫か
﹁斬った、と言っておきましょう。つい熱くなってしまいました﹂
のか。私としては、できて当たり前のことだったのだが。
自らの握った、破損したサーベルを見てアイズさんは首を傾げた。やはり、そう思う
?
43
斬られたサーベルの断面をまじまじと見るリヴェリアさん。アイズさんも一緒に見
てまた首を傾げている。
それを見て、リヴェリアさんは私という剣士の一端を理解したようだ。
﹁剣を内包する。つまりはこういうことか﹂
一応補足しておくと、私は斬るという意志がなければ斬れないので、日常生活で突然
何かを斬ってしまうということはない。今回はつい斬り合いに夢中になってしまった
だけだ。
ろい奴や﹂
﹁おもろいもん見せてもらったでアゼル。ほんまあのロリ巨乳には勿体無いくらいおも
ではありがたく受け取っておきます﹂
?
連絡もしていないのであの神様のことだ、心配されているかもしれない。
剣の使い心地の確認という名目で試合もできたし、そろそろ帰るとしますか。なんの
﹁本当ですか
﹁ええ、ええ。持ってきな。それくらいなら別にええ。あっちのも気にせんでええで﹂
﹁サーベル、壊してしまってすみません。この剣もお返ししたほうがいいですよね﹂
少し違う意味合いな気がする。
それはあまり嬉しくない褒められ方というか。神の言う面白いは人間の面白いとは
﹁それはどうも﹂
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
44
﹂
﹁では、私はそろそろお暇しようと思います。本日は本当に、色々ありがとうございまし
さっきの戦いからは想像できへんわ
た。助けられたもう一人の仲間の分も感謝させてください﹂
﹁本当に礼儀正しいやっちゃな
!
﹂
!
﹁それにしても、すごかったよ﹂
ロキに対して礼をして、ティオナの後を追った。
﹁それでは、本当にありがとうございました﹂
﹁いいのいいの
﹁ここまでの道くらいは覚えているんですが﹂
﹁さ、アゼルこっちだよ﹂
ように帰る羽目になっていたでしょう。
気分で帰れそうです。これがもし、ベートさんやティオネさんだったら、追い出される
嬉しい事に立候補してくれたのはティオナだった。親しみ易い性格だし、これはいい
﹁あ、私案内するー﹂
﹁んじゃ、誰か案内してやってくれ﹂
そう言ってショートソードを鞘に入れ、ベルトに差す。
うやつです﹂
﹁礼儀をもって接すれば大抵の相手は無碍にしませんからね。稚拙ですが、処世術とい
!
45
﹂
﹁そうですか
?
かったですが﹂
ないな﹂
﹁そんなことよりさ、最後のあれどうやったの
剣を内包するって
私には分から
?
なんかかっこいいね﹂
?
のも褒められた行動ではないことに気付いた。
もっと分かりやすく以前に、そもそも自分のスキルを違うファミリアに教えるという
﹁ぶ∼、もっと分かりやすく﹂
﹁分かってないですね⋮⋮﹂
﹁剣を宿す
﹁つまり、私は剣という概念を身体に宿しているという訳です﹂
しれない。あれを見せれば大抵の人は気付くと思うのですが。
ベートさんが言っていたバカゾネスという呼び名。あながち間違いではないのかも
?
﹁そ れ に 始 終 押 さ れ っ ぱ な し で し た し。と 言 っ て も、勝 敗 を 決 す る よ う な 試 合 で は な
﹁いやあ、手加減してもアイズは強いよ﹂
﹁しかし、アイズさんもかなり手加減をしてくれていました。少し申し訳ないですね﹂
廊下を歩きながら、ティオナと会話する。
レベル1だなんて信じられないくらい﹂
﹁それはもう
!
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
46
なんで
﹂
﹁これ以上はダメです﹂
﹁ええ
!
である。
?
■■■■
﹁で、どやった
﹂
こうして、私の激動の一日は終わり、後はベルとヘスティア様のいる教会に戻るのみ
﹁うん、ばいばーい﹂
﹁では﹂
ろうな、と思いながら再び歩き始める。
一度、止まり黄昏の館を一瞥する。本当に、心躍る試合だった。多分今夜夢に見るだ
﹁そうする﹂
いるでしょう﹂
﹁まあ、知りたければ後でリヴェリアさんにでも聞いてください。たぶん少し分かって
きた。
口を尖らせながらぶーたれるティオナに連れられ、私達は黄昏の館の出口までやって
﹁それは、そうだけどさー。気になるし﹂
﹁普通、自分の︻ステイタス︼を他のファミリアの団員に教えることはありませんから﹂
!
47
﹁強かった﹂
﹁やろうなあ﹂
場所は戻って応接間。そこにはロキ・ファミリアの面々が再び集まっていた。丸テー
ブルの上には二つに切断されたサーベル。
﹁それにしても、見事に斬られてるね﹂
﹁ほんまにおもろいなあ。剣を内包する、つまりは﹃切断﹄という属性を自分の身体で生
むことができる。そんなもんがあるとは⋮⋮これだから子供達はおもろい﹂
集まった面々は、ロキの言葉を自分なりに噛み砕いて理解した。
﹃切断﹄という属性を身体が持つ。しかも、肉を裂くのではなく、斬鉄をやってのける
ほどの鋭さ。
﹂
?
﹂
?
アゼル・バーナムという青年と唯一剣を交えたアイズ・ヴァレインシュタインだから
﹁本当﹂
﹁嘘やろ
﹁剣技、私より強かった﹂
しかし、アイズ・ヴァレンシュタインが注目したのはそこではなかった。
﹁うん
﹁ううん。そうじゃない﹂
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
48
こそ分かったこと。
アゼルは、始終アイズの地力に押されていた。レベル1とレベル5の地力の差は天と
地ほどある。手加減していたとはいえ、それは生半可なものではない。
その中、アゼルはアイズの動きに喰らいついていた。僅かながらも、攻撃を逸らせる
ほどには付いてきていたという事実すら驚愕にあたいする。
を感じてしまうのは、私が悪いわけではないだろう。
の所属するヘスティア・ファミリアのホームだ。黄昏の館の後に来ると、かなりの格差
オラリオの人気のない路地を何本か入った所に建つボロい教会。その隠し部屋が私
﹁只今戻りましたー﹂
■■■■
自分の助けた少年の名前を聞きそびれていた。
﹁あの子の名前、聞いてない﹂
そして彼女はある大事な事を思い出した。
﹁あ﹂
︵もう一度⋮⋮もっと強い彼と︶
49
﹁アゼル﹂
﹁アゼル君
もう、どこをほっつき歩いてたんだい
﹂
?
神だ。黒いツインテールにリボンも相まって子供にしか見えない。
主神、ヘスティア様である。背は低いのに胸は大きいという、まさに不思議体型をした
もう一人は不思議な作りの白い服を着た、背の低い女性。ヘスティア・ファミリアの
する仲間だ。老師によって育てられた子供である。
ズ・ヴァレインシュタインが助けた、私の同郷の友にして現在は同じファミリアに所属
一人はベル・クラネル。処女雪のように真っ白な髪にルビーのような赤い目。アイ
入ってきた私の元へと走り寄って来る二人の人物。
!
﹂
まさか、ミノタウロスに襲われた所を助けられて血だらけになった、
とかではないだろうね
?
まさか、僕は疫病神なのかな⋮⋮﹂
!
そう言って、私は腰に差したショートソードを見せる。
﹁悪いことばかりではありませんでしたよ﹂
﹁君もなのかッ
れたというのは事実ですが﹂
﹁いえいえ、血だらけにはなっていませんよ。ただ、ミノタウロスに襲われた所を助けら
?
﹁君もなのかい
﹁いえ、少し面倒事に巻き込まれてしまいまして﹂
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
50
﹂
﹁そんな上等な剣、どうしたんだい はッ、まさか盗んだんじゃないだろうね
な子に育てた覚えはないよ
?
誰から﹂
?
﹂﹂
!!
﹂
?
れてしまったんだ⋮⋮はあ﹂
そん
﹂
﹁あ、ああ。ベルくんもどうやら︻剣姫︼に助けられたみたいでね。それで、ほいほい惚
﹁それにしても、タイムリーとは
﹁な、ならいいんだ。あいつに貸しなんて作った日には⋮⋮﹂
ものです﹂
﹁作ってませんよ。この剣も、私の持っていたものを団員が壊してしまったから頂いた
﹁な、なんて君はタイムリーなんだ。ろ、ロキに貸しなんて作ってないだろうね
がった。
私の言った事に相当驚いたのか、ベルとヘスティア様両人が大声を出しながら飛び上
﹁﹁ロキ・ファミリアァ
﹁ロキ・ファミリアから頂きました﹂
﹁貰った
ヘスティア様はベッドに腰を掛け、ベルは俺の横に座る。
ぷんすか怒るヘスティア様を押しのけて、部屋の中に入りボロボロのソファに座る。
﹁貴方に育てられた覚えはないですし、これは貰い物ですよ﹂
!
?
!
51
ヘスティア様が盛大な溜息を吐く。
この神、かなりベルに好意を寄せている。昔からベルはモテるやつだったが、その全
部に気付かないほどの鈍感野郎でもあった。それに、目移りが激しく、特定の相手が好
きになったというのは聞かなかった。あの子可愛い、あっちの子も可愛い、と何度も言
われた過去が私にはある。お返しに、この剣はここが良い、こっちはここ、などと延々
と剣談義をしてあげたらやめてくれた。
そのベルが惚れた相手があの︻剣姫︼アイズ・ヴァレインシュタインだとは。おもし
ろい。
﹁あ、アイズさんとはその、会ったりした ま、まさか話たりなんて、ことはないよね
﹂
?
?
﹂
!!!
﹁て、手合わせって。あ、あの手合わせ
手を合わせる﹂
﹁ベル、落ち着きなさい。それは手合わせではありますが、それではなく、斬り合うとい
?
問に思えるほどであった。
先ほどとは比べ物にならないほどの絶叫。どこからそんな声量を出しているのか、疑
﹁うるさいですよベル﹂
﹁えええええぇぇぇぇぇええぇぇえッ
﹁少し、手合わせをしてもらってきましたよ﹂
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
52
う意味での手合わせです﹂
﹁き、斬り合うッ。じゃ、じゃあアゼルはあ、アイズさんと戦ったってこと
﹂
!
﹂
?
スパーダ
アゼルくーん 何をしているんだい君は
!
えた。
﹂
!
﹁ロキ様に少しばかり︻剣︼のスキルを知られてしまいました﹂
しちゃ
﹁なんだってッ
!
﹂
後で何をされるか分かったもんじゃない
手合わせのため、という嘘を混ぜた言い訳をしておく。こう言っておけば納得しても
!
!
!
特にロキになんて言っちゃダメだよ
﹂
!
﹁もうッ 過ぎたことはしょうがないけど、もう二度と軽々と喋っちゃだめだからね
いうか﹂
﹁いえ、成り行きと言いますか。手合わせをしてもらう上で、つい少し言ってしまったと
!
ダメだよそんなこと
ベルが他の女性に惚れたのが相当ショックなのか、ヘスティア様は私の問に力なく答
﹁なんだい
﹁そう言われましても、成り行きだったので。あ、後ヘスティア様﹂
﹁いいなあぁぁぁッ
﹁戦った、という表現は少し適切ではないでしょうね。剣を交えたのは事実ですが﹂
!?
53
らえるだろう。なにせ相手はオラリオで最強と言われる女剣士だったのだから。
頬を膨らませながら怒るヘスティア様の頭を撫でながら、横でブツブツと呟いている
ベルに顔を向ける。
私達二人の求めたものは、ダンジョンにあった。
た﹂
﹁まあ、どうやらダンジョンに出会いはあったようですね。私も、良い修練になりまし
剣姫アイズ・ヴァレンシュタイン
54
過去を思い、心を刺す
﹄
!
てくるダンジョン5階層から出現するモンスターだ。
﹃フロッグ・シューター﹄と呼ばれるそのモンスターは長い舌を使い中距離から攻撃し
﹁はあ⋮⋮﹂
刺した。
そして、その未来の通りに、私は接近したモンスターの頭部にショートソードを突き
来しか見えない。
一歩踏み出す。視界に映る未来には、頭部への刺突によって事切れたモンスターの未
﹁遅い。遅すぎる﹂
のか、モンスターは醜い叫びをあげた。
射出されたモンスターの長い粘着質の舌を真っ向から横に一閃。斬られた舌が痛い
﹃グェコッ
で紙をはさみで斬るかのように、モンスターの身体は二分された。
そう言って、ショートソードを無造作に相手に斬りつける。なんの抵抗もなく、まる
﹁邪魔ですねえ﹂
55
長い舌を回避しないことには、何も始まらないのだが、その遅すぎるとも言える攻撃
は私にとってただの障害物くらいにしかならなかった。
今までであれば、モンスターとはこんなものか、と納得していれたのだが。アイズさ
﹁足りない。これが欲求不満というものですか﹂
んと戦ってから上層に出現するモンスターでは物足りなく感じるようになってしまっ
た。
故郷にいた頃は、大抵暇を持て余していた老師に相手をして貰えていた。初めての感
覚に戸惑う私であった。
ア様に驚かれた。
エクセリア
ス︼の伸びが良かった。特に器用さの基礎アビリティは五十程上がっていて、ヘスティ
私の場合モンスターを倒すよりも、彼女と斬り合っていた時のほうが断然︻ステイタ
い。
はその存在が経験したすべての中から選別するので、当然と言えば当然なのかもしれな
どうやら、人間相手に修練を積んでも︻ステイタス︼は成長するらしい。︻経験値︼と
もう一度戦ってみたいと思ってしまっている。
昨日のアイズさんの剣戟が脳裏に蘇る。まだ十数時間前の出来事だというのに、既に
﹁ううむ、これは由々しき事態ですね﹂
過去を思い、心を刺す
56
﹁ああ、どこかに気兼ねなく斬り合える人はいないものか﹂
欲を言えばアイズさんと斬り合いたい。しかし、ファミリアの問題もるし、彼女は忙
しそうだ。私から会いに行くこともできない。
││ビキビキ
り込んでいれば出会えるだろう。
つになるかはまったくの無計画だが、いずれ申し込もうと思っている。ギルドにでも張
もっといい試合をするためには、まず私が地力を上げていくしかない。その機会がい
てしまう。
ている彼女にすら追いつくのがやっとだった事を思うと、本当に彼女に申し訳なくなっ
アイズさんとの試合で感じたこと。それは圧倒的な地力の差であった。手加減をし
ないが、斬るしかないか﹂
﹁ああ、でもモンスターを倒さないことには︻ステイタス︼を伸ばす方法もない。つまら
ジョンに来たのだ。
だ。ヘスティア様と侘しい朝ごはんをもさもさと食べながら朝を過ごし、午後からダン
日は随分張り切って朝早くからダンジョンに向かっていったので、私は置いてけぼり
自分より何階層か上でモンスターと戦っているであろう友人のことを思い出す。今
﹁そういえば、ベルは大丈夫でしょうか﹂
57
石が割れる音がして、壁に罅が走る。
いつ見ても、異様な光景だ。その罅は徐々に広がり、壁の中から一匹のモンスターを
産んだ。ボトリと落ちてきた所を狙って剣を縦一文字に振るう。発生して数秒、モンス
ターは呆気無く消滅した。
ダンジョンはモンスターを産む。それはつまり、この地下に伸びるダンジョンが実は
﹁しまった、魔石まで斬ってしまいました﹂
生きているということに繋がる。
下層に行けば、ダンジョンが行き成り道順を変えたり、穴を開けたりと、冒険をより
困難なものにするらしい。敵の胃袋の中で戦っているようなものだ。
だ斬れないのカテゴリーに入ったものはない。不壊属性もきっと今なら斬れる。
デュ ラ ン ダ ル
未知とは、私が斬れるか、斬れないかという二つの分類に分けていない物のことだ。未
それの何が悪いのかと、少し悩んだ。冒険者とは、未知を楽しむ者達。私にとっての
えた私にあまりいい顔をしなかった主神だった。
強くなってどうするのか、という質問をされた。強くなって更に強い敵を倒す、と答
出されるモンスターを倒すことで、私がまた一回り強くなれるということ。
しかし、そんな事実私にとっては些細なことでしかない。大切なことは、無限に生み
﹁さて、次は何が来るか。まあ、何が来ても斬りますが﹂
過去を思い、心を刺す
58
﹁それは修羅の道、でしたか﹂
ヘスティア様にその時言われたその言葉を思い返す。いつも笑っている彼女の悲し
そうな顔が印象的だった。
しかし、それの何が悪いのか。たまたま通った道が修羅の道だったというだけのこ
と。最初から修羅の道を歩みたくて歩んでいる訳ではない。
もし、それがそんなにも悪いというのなら。
ヒエログリフ
私に跨るように座り、自分の血を一滴背中に垂らし神聖文字を書き換え︻ステイタス︼
をしてもらっている。
ホームへと帰ってきた。そして、今は上着を脱ぎヘスティア様に︻ステイタス︼の更新
時間が進み夕方。ダンジョン探索を切り上げた私は上層でベルと偶然合流して共に
﹁まあ、あまり使っている記憶がありませんから﹂
﹁相変わらずアゼル君は器用と敏捷以外はあんまり伸びないね﹂
■■■■
剣を翻し、モンスターを斬り裂いていく。
﹁それすらも、私は斬ります﹂
59
スパーダ
を強化していく。その瞬間、背中に熱を感じるがそれも僅か数秒の事。
﹁にしても、やっぱり︻剣︼のスキルはあんまり成長には良くないね﹂
﹁でしょうね﹂
ダ
ン
ジョ
ン
なにせ、それは力を使わずに相手を斬る事を可能としてしまうスキルだ。刃を当てれ
ば斬れる、という当たり前の事象を、当たり前の適応されない空間で実行する。私以外
には分からない感覚だろう。
﹁はい﹂
アゼル・バーナム
Lv.1
力:H 150 ↓ H 161
耐久:I 67 ↓ I 71
器用:G 201 ↓ G 245
敏捷:H 186 ↓ G 201
魔力:I 98 ↓ H 105
︽スキル︾
︻未来予想︼
︽魔法︾
過去を思い、心を刺す
60
スパーダ
﹁はい﹂
?
ヘスティア様は私の背中から離れ、私も上着を着直した。
初期の︻ステイタス︼でかなり差を付けていたが、今では殆ど並ばれてしまった。
倒したベルのほうが︻ステイタス︼が上昇したのだ。
うでたらめな数字を叩き出した。私より浅い階層で、恐らく私より少ないモンスターを
私の前に︻ステイタス︼の更新を行ったベルは、上昇値トータル120オーバーとい
﹁⋮⋮そうだよ﹂
﹁察するに、ベルの飛躍とも言えるほどの成長についてでしょうか﹂
﹁ベル君には内緒だからね
絶対だぞ。それと他人にはもっと秘密だ﹂
﹁一応、君には教えておこうと思うんだけど﹂
どの時間を一日ダンジョンで過ごしていたのだろう。
彼女はその期間かなり集中的にモンスターを狩っていた。私とは比べようもないほ
がった最速記録の保持者はアイズ・ヴァレインシュタイン。期間は一年だったらしい。
からだろう。成長度合いとしては、普通の冒険者のそれと言える。レベル1から2に上
私は初期の︻ステイタス︼が高かった。それは長い間老師に剣術の指南を受けていた
﹁⋮⋮トータルで70くらいですか﹂
︻剣︼
61
﹁ベル君のあれは、スキルによるものだ。だから、その﹂
﹂
﹁別に焦ってダンジョンに潜ったりはしませんよ。焦ってはね﹂
﹁言い方に何か悪意を感じるよ。なんだい
それで私がベルを羨むばかりに、焦ってダン
私の言った予定にヘスティア様が口を挟んでくる。
﹁だめだ﹂
ルで成長するというなら、私は質と量で勝負をしてみようかと﹂
﹁いえ、これから少しの間、ダンジョンに篭ってみようかと思っていまして。ベルがスキ
?
﹁いえ、しませんが﹂
﹁そ、そんなことをするのかいッ
﹂
斬ってしまうことだって、あるかもしれません﹂
ジ ョ ン に 言 っ て 死 ん で し ま っ た ら ど う し ま す か。も っ と 非 道 い 時 は 嫉 妬 し て ベ ル を
﹁では、私一人だけ遅い成長をしろと
?
家が女を望むように、剣士である私は剣を望む。
もっと、斬り合いたい。私が唯一楽しめること。大食漢が食べ物を望むように、好色
いいと思える。しかし、成長したいのは何もベルを羨むからじゃない。
そもそもベルを羨んだとしても、私は私をしっかりと認識し、自分なりに成長すれば
!?
﹁私も、成長したい理由があるということです﹂
過去を思い、心を刺す
62
﹁⋮⋮無茶だけはしないこと。いいね
﹂
?
﹂
?
出すことも、そこに何かを感じることもできない。ただ、斬る。
しいからね﹂
﹁じゃあ、許可はしよう。でも、ちゃんと定期的に帰ってきてくれよ
﹂
﹁ヘスティア様はベルがいれば満足そうですけどね﹂
﹁なっ、何を言っているんだい
﹂
﹁ええ、ヘスティア様こそ、バイト仲間と食べに行くのでしょう
﹁君もベル君と食べに行くのかい
慌てるヘスティア様を置いて、私は外へ繋がる階段に向かった。
!?
る。そこにはベルが待っていた。
﹁お待たせしました﹂
?
﹁ぼちぼちと言った所でしょう。貴方と比べると幾分か遅いですが﹂
﹁お疲れアゼル。︻ステイタス︼どうだった
﹂
不貞腐れるヘスティア様を地下に残し、私は教会の地上階へと上り、そして外へと出
﹁⋮⋮君は分かっていて言っているんだろう。まったく、罰当たりな子だ﹂
?
?
僕もベル君も寂
そう、私は斬れる。むしろ、私にはそれしかない。剣で一瞬二分した景色に意味を見
﹁ええ、無茶はしません。ちゃんと自分のできることとできないことは知っています﹂
63
﹁そ、そっか。やっぱり、僕の上昇値変だよね﹂
﹁気にすることはありません。上昇する分に困ったことはないでしょう﹂
そう言って、私とベルはオラリオの街へと歩いて行く。
なんでも、ベルは朝食を食べずに出かけたため途中で腹が減り、道中出会った酒場の
ウェイトレスからお弁当を受け取ったらしい。なんだそれは、と思うかもしれないが、
事実だ。
その代わり、ベルは今晩そのウェイトレスの働く酒場で夕食を食べるという約束を交
わした。ついでに私もその酒場で金を落としていけということらしい。
ヘスティア様は、その日に出会った女性とそんな約束するベルにやきもちを焼き、咄
嗟にバイト仲間と夕食を食べるという偽情報を言ってしまい、寂しい夕食を過ごすこと
になってしまった。
というのが、今晩のあらましだ。
■■■■
から人々の笑い声が聞こえてくる。
そうしてやってきたのは﹃豊饒の女主人﹄という酒場だった。かなり賑わっていて、中
﹁うん、たぶん﹂
﹁ここですか﹂
過去を思い、心を刺す
64
﹁おお、店員が全員女性ですよベル。これはなかなか華々しい所ですね﹂
﹂
いえ、まったく。今から殺し合う訳でもないので﹂
﹁そ、そうだね。アゼルは、その、緊張とかしないの
?
﹁し、シルさん﹂
﹁来てくれたんですね
!
﹂
?
﹁あ。僕と同じファミリアの人です﹂
﹁こちらの方は
かなり可愛らしい仕草だ、両方共。
俯きながらぼそぼそと話すベルを見て、シルと呼ばれた女性はくすりと笑っていた。
﹁や、約束したので﹂
﹂
薄鈍色の髪のヒューマンの少女だった。
店の中から一人の少女が出てきてベルの名前を呼ぶ。若葉色の給仕服に身を包んだ、
﹁ベルさんっ﹂
なり初だ。
うぶ
いるようだ。ダンジョンに出会いを求めるという、大胆な夢を掲げる彼は、その反面か
どうやらベルは店員が全員女性、しかもよく見ると全員が美人美少女であるで竦んで
﹁それは、なんかおかしいような﹂
﹁緊張ですか
?
65
﹁どうも、アゼル・バーナムと言います。ベルとは同郷、幼い頃から共に過ごしてきた少
し歳の離れた幼馴染です﹂
ます﹂
﹁私はシル・フローヴァです。この﹃豊饒の女主人﹄でウェイトレスをさせてもらってい
はきはきとした明るい声。自分の職業に喜びを感じている者の声だ。そう言って、シ
﹂
ルさんはベルの手を掴み、ベルは私の手を掴み酒場へと連れてかれた。
﹁お客様二名入りまーっす
うな雰囲気がない。
が多い。当然集まれば喧嘩をすることも多々ある。しかし、ここではそんなこと起きそ
冒険者もたくさんいるというのに、この酒場は平和だ。冒険者という人種には乱暴者
る。私も、少しばかり酒場の活力にあてられ驚いてしまった。
大声でカウンターに向かってそう言った彼女に驚いたのか、ベルはおろおろしてい
!
﹁アンタがシルのお客さんかい
冒険者のくせに可愛い顔してるねえ
﹂
!
確かに、ベルはかなりなよっとした容姿だ。目の前にいる女将のほうが断然冒険者ら
?
酒場の女将と思しき大柄の女性が位置する。かなり、いい席だ。
私とベルが案内されたのはカウンター席だった。ちょうど角の席で、目の前にはこの
﹁では、こちらにどうぞ﹂
過去を思い、心を刺す
66
しいと誰もが思うだろう。
﹁なんでもアタシ達を泣かせるほどの大食漢なんだってねえ
﹁ぶっ﹂
期待してるよ
﹂
!
だ。恐らくベル自身も初耳だろう。
ちょっとシルさん
!
﹁ベル、どうやらハメられましたね﹂
﹁え、ええぇぇええ
!
相手をするのも業務の内なのか、ベルの隣の席に座り話しかけていた。その表情はとて
ある程度、料理を食べ酒を飲んでいるとシルさんがサボりに来たのか、それとも客の
一品であった。
焼きなどの料理を置いていった。どれもこれも香ばしい匂いがして、食欲がそそられる
どん、と勢い良く女将さん、ミアお母さんとシルさんが呼んでいた、パスタや魚の丸
きなかった。
結局、ベルが大食漢ということは決定事項となり、大量の料理を食べる未来は回避で
んと言えたようだ。まあ、言えたからと言って何ができるという話なのだが。
ベルはシルさんに文句を言おうとして、シルの可愛らしい仕草に惑わされずに、ちゃ
﹁⋮⋮えへへ﹂
﹂
思わず吹いてしまった。ベルが大食漢、などということは長年一緒にいる私も初耳
!
67
も楽しそうだった。
そんな楽しそうに話している若い二人の邪魔をするわけにも行かず、取り敢えず私は
お手洗いに行くことにした。
﹁あ、店員さん﹂
﹂
色をした二つの瞳。
うな形容しがたい金の髪とそこから覗く二本の尖った耳。何よりも目立つのが、その空
シルさんと同じような若葉色の給仕服に身を包んだ、エルフの女性。緑の混ざったよ
て、一般のウェイトレスがするような目ではなかった。
そんな不審な動きをした私を、そのウェイトレスは鋭い目つきで睨んできた。決し
﹁いえ、これは﹂
﹁⋮⋮﹂
どだった。気付いたときには腰、いつも剣の柄がある場所に手が伸びていた。
聞こうと思ったのだが。ビリッときた。今剣を持っていないのが惜しいと思えるほ
スを捕まえ場所を聞くことにした。
もちろん始めてきた酒場のお手洗いの場所など分かるはずもなく、一人のウェイトレ
﹁なんでしょう
?
﹁随分、腕が立つように見えたもので﹂
過去を思い、心を刺す
68
﹁⋮⋮護身術程度です﹂
﹂
話せば話すほど、彼女の纏う空気が濃く鋭くなっていく。それが心地いいと思えた。
﹁それが、護身術とは。出身は大変治安の悪いところだったみたいですね﹂
それは、まるですべてを斬り裂く剣のような冷たさを含んでいた。
﹂
?
﹁⋮⋮リュー、と申します﹂
し鈍色の美。
剣としての、鋭さを孕んだ危うい美しさ。扱いを間違えればこの身を斬り裂く、刃の如
エルフは皆美しい容姿をしているが、彼女はそれとは隔絶した美しさを持っていた。
﹁ありがとう、美しいエルフの方。もし、宜しければお名前を﹂
﹁右手の奥、男性は左手にあります﹂
﹁お手洗いは、どちらでしょうか
てもいなかった。私は、視線を彼女から外して尋ねた。
実に楽しい場所だ。こんな酒場ですら殺気をこの身に受けることができるとは、思っ
﹁これは、失礼しました﹂
中しすぎて意識が散漫としていた。
気が付くと、私の横に猫耳を生やした店員がいた。つい、目の前のエルフの女性に集
﹁お客にゃーん。あんまりウチの子にちょっかい出してると、追いだしちゃうにゃよ
?
69
﹁私はアゼル。以後お見知り置きを﹂
そう気障ったらしく言って、私は店の奥へと向かった。後ろで猫耳店員が、二度と来
るにゃ、といったのも聞こえたが、これは通ってしまいそうだ。
なるほど、ここで争い事が起きない理由が分かった。それは至って簡単なことだっ
た。店員が全員、そこいらにいる冒険者より遥かに強いのだ。きっと女将であるミア母
さんは、その筆頭なのだろう。争い事などしようものなら、問答無用で放り出されるに
違いない。
ああ、旅に出て、この街に来て正解だった。これだけの強者が蔓延るのは世界広しと
﹁くは、ふふふ﹂
言えど、ここくらいのものだろう。目指す者が、超えるべき者が、斬り合いたいと思え
る者がこんなにもいるなんて。
い存在だ。私に強者を呼んできてくれる、まるで呼び鈴のような存在。彼の側にいれ
ああ、この出会いに祝福を。ベル・クラネルという少年は、私にとって掛け替えの無
この街へとやってきた私がいる。
の出会いが今を生み、私を形作っている。ベルを育てた老師に教えを請い、ベルと共に
ベル・クラネルという少年との出会いは、それこそ本当に幼い頃だった。しかし、そ
﹁ありがとう、ベル。貴方のおかげだ﹂
過去を思い、心を刺す
70
ば、それだけで人々は集まる。ベル・クラネルという少年にはそういった魅力がある。
私も、その内の一人なのかもしれない。
私はベルを利用し、ベルも│││気付かずとも│││私を利用している。
老師が、そう仕向けたのだろう。私という、なってはいけない存在。彼が目指しては
いけない剣の担い手。反面教師とでも言うべきか、きっと私が私でいる限り、ベルは私
のようにはならない。心優しい彼が、そもそも私のようになりえるかは疑問ではあった
が、力を望まなければいけないここオラリオで力に飲まれないとは限らない。
ただひとつ、老師に認めてもらえなかった思い出だった。
の中へと斬り込まれていく。血は流れずとも、きっと私は傷付いた。
しゃがれた声が、私の頭の中を反芻した。鞘から抜いた、剣の音色のようだ。鋭く、私
悪くないと言いつつ、老師の顔はそれほど優れてはいなかった。
﹃だが、それも悪くない。お前には、お前の道がある﹄
していた。
記憶の奥底、幼い頃に言われた言葉。その時から、老師は私の辿る道をある程度把握
﹃お前は、英雄足り得ない。アゼル、お前は英雄を英雄足らしめる要素を持っていない﹄
71
そして因縁は始まる
﹁只今戻りました﹂
﹂
﹂
いたが、まだまだ絶品と言っても過言ではないほど舌を喜ばせた。
ベルの席、現在は空席だが、の隣の自身の席へと再び腰を下ろす。料理は少し冷めて
ていたらしい。
お手洗いに行っている間に何か色々と起こったようだ。思いの外、思い出に浸りすぎ
﹁ふむ﹂
彼の座っていた足元を見ると、血でできた赤い点が幾つかあった。
らず立ち止まった。
りだすのはほぼ同時であった。その後を急いで追うシルさんを見送った私は、訳がわか
席に戻った私が、ベルに話しかけるのと、座っていたベルが椅子を蹴飛ばしながら走
﹁ベルさん
!?
?
ただ、斬ることしかできない。つまるところ、私は荒事でも極一部の時にしか真価を
﹁聞いたところで、私にできることは何もありませんから﹂
﹁何が起こったのか、聞かないのかい
そして因縁は始まる
72
発揮できない。私が斬るという意志を持って触れれば相手は切断され、死に至る。それ
は、強いだろう。あまりに強力すぎるために、使用できる場面が限られるほどに強い。
斬らない、という選択肢もある。斬らない事を選ぶ。つまり、相手に刃を押して、打
撃として攻撃することも、可能といえば可能である。しかし、私の悪い癖とでも言うべ
きか、斬らないことを選ぶことは極力避けてしまう。
人間などではない。私はむしろ、痛めつける側だ。
しかし、違うのだ。ベル・クラネルという人物は、弟と思い優しく見守る必要のある
る。四歳年下ということもあり、弟のように思ったこともある。
私は確かにベルの仲間だ。同郷の友でもあるし、幼少期を共に過ごした幼馴染でもあ
明らかに怒気の入った言葉を向けられても、私の心は一切揺れなかった。
﹁さて、状況をいまいち理解できていないので﹂
﹁なら、追うくらいしたらどうですか﹂
﹁ええ、これでも私はベルの仲間です。貴方がどう思うとね、リューさん﹂
いなかった。
た。むしろ、聞きたい声であった。まさか、相手から声を掛けてもらえるとは思っても
突然、後ろから話しかけられる。非難の色を濃く滲ませたその声に、聞き覚えはあっ
﹁それでも、貴方は彼の仲間ですか﹂
73
﹁まあ、何事も経験というものですよ。ベルも、いい勉強になったでしょッ﹂
言っている途中に向けられた敵意の塊を知覚し、視界を掠める肌色の軌跡を見た。数
瞬先に迫るであろうそれに私は手を向けた。
﹁何も、平手で殴ることはないでしょう﹂
平手が頬に当たるギリギリのところ止まっている。その先、手首を私ががっしりと掴
み止めなければ、平手は私の頬にあたり小気味いい音と共に痛みを感じていたことだろ
う。
│││パァンッ
﹁ああ、本当になんで今剣を持っていないのか﹂
掴んだほうとは逆の手。一度止めたことで油断していた頬にクリーンヒットした平
﹁ッ﹂
﹂
手はそれは盛大に音を鳴らして私に衝撃を与えた。
掴まれた手を振るい、無理矢理離される。
客を殴るたあどういうことだっ
﹁これは、これは。嫌われたものです﹂
﹁こらリュー
!
一部始終を見ていたミアさんが大声でリューさんを叱りつける。これは目立って嫌
!
﹁離せッ﹂
そして因縁は始まる
74
ですね。これではまるで。
か
バカやなあっ
﹂
?
?
うちがバレない方法教えたろか
!!
!
でも剥いてな﹂
功させようなっ
﹂
﹁せやで、アゼル。何事も経験や 失敗を糧に生きていく
次のセクハラは絶対成
!
せんからね﹂
﹁細けえことは気にすんなや
﹂
﹁というより、いたんですね﹂
いえ、かなり重要なことなのだが。他人にとては些末事であるのは確かだ。
!
﹁こっちからしたら、アゼルがここにいるほうが不思議やけどな。そや、一緒にどうや
?
﹁ロキ様、一応弁明しておきますけど。私は別にセクハラをして殴られた訳ではありま
!
!
﹁⋮⋮アンタも大概変な奴だね。リュー、奥は⋮⋮任せられないから。じゃがいもの皮
なかできない経験でしょう﹂
﹁ミアさん。私は気にしてませんから。初対面の女性に平手で殴られるのも、まあなか
ようにか見えない。実際ちょっかいは出したのだが。
そう、それである。これでは、まるで私がリューさんにちょっかいを出して殴られた
?
﹁アゼルやないか なんやなんや ウェイトレスに手でも出して大目玉喰らったん
75
お代は持つで
﹂
﹂
つーても、昨日振りやけどな
!
店内の真ん中に位置する一際大きなテーブル。
﹁皆スペシャルゲストやで
﹁はああああああっ
﹁どうも、ゲストのアゼルです﹂
!
しょう
何故か宙に吊るされているベートさんが大絶叫。本当に、なんで吊るされてるんで
!?
﹂
自分のジョッキを持って、ロキ様に連れられるまま店内を移動する。行き着いたのは
﹁では、お言葉に甘えて﹂
?
﹂
﹂
!!
﹁うるっさいわよベート
﹂
!
﹁ぶっ殺すぞごらぁッ
﹁狼の丸焼きとは、また豪勢ですね﹂
?
!
﹁はいっ﹂
りしていた。
あれは痛そうだ。ベートさんはガードすることもできず、ただ皆に殴られたり蹴られた
私の言葉に咄嗟に罵倒を返してきたベートさんの顔に一発拳をかますティオネさん。
﹁ぐぺっ
そして因縁は始まる
76
﹁これは、ご親切にどうもティオナ﹂
混沌とした状況に飲まれている間にティオナが椅子を一つ持ってきてくれる。
はい、飲んで飲んで﹂
るのは嬉しい限りです﹂
﹁そう
﹂
﹂
というより、私がいることに誰も文句を言わないのだろうか
に感じられるが。
﹁今更ですけど、私いてもいいんですか
﹁いいのいいの。皆飲んで食べて騒ぎたいだけだから
﹁それは大いに満喫しているんでしょうね﹂
この混沌とした状況を見れば分かる。
?
?
で﹂
﹁せやせや。だから、別に嫌われてるとかじゃないから、あんま気にせえへんほうがええ
﹁なるほど。だからあそこまで頑なに私の手を振り払ったのか﹂
触れさせんちゅう、それはもうセクハラしがいのある⋮⋮ごほん、潔癖な種族なんやで﹂
﹁にしても、アゼルも災難やったな。エルフっちゅうんわな、気を許した相手にしか肌を
!
?
何かの祝の席のよう
﹁そうですねえ。私としてもロキ・ファミリアのような大手のファミリアと交流を持て
﹁最近よく会うね。って言っても昨日と今日だけか﹂
77
﹁嫌われてますよ、きっと﹂
どうも、彼女は仲間というものに何か特別な感情を抱いているようだった。私にとっ
て、仲間というのはベルしかいない。しかし、ベルとは仲間であって仲間でない。同じ
ファミリアに属し、同じ故郷を持ち、同じ時間を共に過ごしてきた。
﹂
それでも、私は本人が言わずとも、自覚せずとも確実にベルを傷つけてきた。
﹁そもそも原因はなんだったの
﹁走り去るって⋮⋮あぁ。アゼルにはまた迷惑かけてもうたな﹂
うで。丁度お手洗いに行っていた間だったので、何がなにやら﹂
﹁いえ、どうにも私の仲間が無銭飲食をして夜の街へと颯爽と走って行ってしまったよ
?
私の説明を聞きロキ様はやれやれと行った風に私の肩を持ちながらジョッキに入っ
﹁あぁ、うん。本当にごめんね﹂
た酒を煽った。
﹂
?
﹁もう、やめっ
﹂
﹁本当に、この駄犬は
!
﹂
わないだの言って貶しちゃって﹂
﹁ベートがね。その仲間君のこと、雑魚だの、アイズ・ヴァレインシュタインとは釣り合
﹁というと
そして因縁は始まる
78
!
﹁本当に、すまないねアゼル君﹂
﹂
?
るのかと。それは、きっと老師自身がずっと大事に育ててきたベルだろう。
そうでなくては、困る。老師は言った、私は英雄足り得ないと。では、誰なら足り得
﹁ええ、ベル・クラネルは強い﹂
﹁強いんだね﹂
度地面に倒れようと折れなかった﹂
は私には手も足もでない、赤子も同然でした。それでも、ベルは諦めなかった。彼は、何
のでしょう。彼は自分を卑下する悪癖がありますから。︻ステイタス︼がなければ、ベル
﹁仲間であり、敵でもある。ベルが育つ中、きっと彼はずっと彼自身と私を比較してきた
﹁仲間じゃないのかい
かったので、こういった刺激も必要でしょう﹂
﹁ベ ル も、今 ま で 大 事 に 大 事 に 育 て ら れ て き ま し た か ら。敵 と い う も の が 私 し か い な
ていたものより高いのだろう、更に美味である。
私もテーブルに置いてある料理に手を付け、酒を飲む。私が今さっきまで飲み食いし
後半部分だろう。ベル・クラベルにとってアイズ・ヴァレンシュタインは特別だ。
それにしても、雑魚と言われたのもこたえただろうが、何よりもベルが気にしたのは
﹁いえいえ、フィンさん。私にはほとんど実害はありませんでしたから﹂
79
場所を移動してフィンさんとティオネさんの間に入ったら、殴られた。リヴェリアさ
んとレフィーヤさんの間には入れなかったので、リヴェリアさんの隣に座りエルフの事
をもっと教えてもらった。
﹂
﹂
そんなことありませんよ。むしろ、大変感謝していました﹂
?
ですが。だからと言って逃げることはないでしょう。
ベル、貴方は何をしているんですか。いえ、確かにアイズさんの美人っぷりはすごい
﹁この前、ミノタウロスから助けた時⋮⋮逃げられた﹂
﹁アイズさんのことを
﹁私の事、怖がってなかった
﹁ええ、ベル・クラネルと言います﹂
そして、今はアイズさんの隣に座っている。
﹁あの子の名前、ベル
?
?
﹂
しただけです﹂
﹁かわ、いい
﹁ええ﹂
だから、抱きつかせてええ
﹂
!!
?
﹁せやで、ウチのアイズたんはめっさかわええ
!
﹁それは、怖がったからではありませんよ。アイズさんが可愛いからテンパッて走りだ
そして因縁は始まる
80
﹁ロキ、うるさい﹂
自分の容姿に自覚がないのかアイズさんは。そして、ロキ様には容赦のないアイズさ
ん。きっとセクハラを日常的に受けてきたことにより自動迎撃みたいなものでしょう。
ベートさんとレフィーヤさんが耳ざとく私のいった事を聞き、あーだこーだ文句を
言っているが耳に入れないことにした。
褒められると照れますね。でも、まだまだですよ。老師に勝てるよう
?
﹂
?
爆発的な成長。それには必ず願望が必要だ。その願望がなんなのか、本当のところは
い。
れるのに本人の孫には一切しない。今思えば、この時のための布石だったのかもしれな
不思議な話だ。どこの馬の骨か分からない私には毎日のように剣の稽古を付けてく
﹁ええ、手ほどきを受けていません。元々教えるつもりもなかったようです﹂
﹁でも、あの子は﹂
﹁私の剣の師です。ベルの祖父にあたります﹂
﹁老師
になるには、まだまだ足りない﹂
﹁そうですか
﹁剣の腕は、貴方のほうが上﹂
﹁まあ、私としては。アイズさんの剣の腕に惚れ惚れと言ったところですね﹂
81
知らないが、強くなりたいと思うことは大事なことだ。常に側に私という強者がいたベ
アイズから離れやがれ
﹂
ルは、常々もっと強くなりたいと言って燻っていた。
﹁てめえ
!
もう夜やで﹂
?
﹁ええ、友人を迎えに行かないといけませんから﹂
﹁どっか行くんか
﹁そろそろ、私も行くとします﹂
ていた。
引き離した。レフィーヤさんがこの時ばかりはベートにでかした、とグーサインを出し
漸く吊るされた状態から解き放たれたのか、ベートさんは一目散に私とアイズさんを
﹁おっと﹂
!
﹂
﹁さっきの子かあ。ほんま悪いことしたなあ。で、どこい行ったか検討はついてるんや
ろな
?
防具もなんも付けてへんかったで﹂
!
﹁貶され、罵倒され﹂
何度倒されようと、その度に起き上がり。
﹁ええ、そういう奴ですからベルは﹂
﹁ほんまかいな
﹁ベルのことです。ダンジョンに行ったでしょう﹂
そして因縁は始まる
82
武器を奪われようと、ならばその身一つで向かってくる。
﹁知っていますか
世界は、乗り越えられる者にしか試練を与えないらしいですよ﹂
うな不屈な姿は彼に合っている。
何度でも立ち上がる。そう言うと、英雄のように聞こえる。そんな、本に出てくるよ
じが彼に合っている。
諦めが悪い。そう言うと、なんだか悪いイメージが浮かんでしまう。でも、泥臭い感
﹁きっと今も泣きながら、傷つきながら、武器を振るい、敵を倒し、成長している﹂
は痛まなかった。
起きた時、絶対私がそばにいた。老師が優しく物を教え、私が厳しく物を教えた。心
険者だ﹂
﹁流した血、流した涙、流した汗。そのすべてを糧に変え、成長する。ベルは、正しく冒
なく。
その度、彼は起きた時に今回はどうだったかと聞いてくる。私を恨むでも、嫌うでも
﹁ベル・クラネルという冒険者は、折れたりなんてしません﹂
してきた。
泣きながら、もう一度と私に立ち向かうベルを、私は何度も気絶させるほど叩きのめ
﹁惨めで情けなくとも。涙がでるほど、拳から血を流すほど悔しくとも﹂
83
?
そう言って、私は酒場の出入口をくぐった。夜も更け、空には幾千もの星が輝いてい
た。きっと、それはベルを照らしているのだろう。私ではなく、彼を。
■■■■
﹁ちっ。言いたいことだけ言って帰りやがった﹂
﹁⋮⋮ベル・クラネル﹂
アイズは、その少年の名前を記憶に刻むように何度か口にした。アゼルが形容した彼
の在り方は一目見たベルの見た目、彼との出会いからは想像できないものだった。
それでも、いや、だからこそ、アイズはベルに会ってみたいと思った。
﹁なんだか、悲しそうな顔だったね﹂
﹁せやなあ﹂
ベ ル の 事 を 語 る ア ゼ ル は 饒 舌 だ っ た。自 然 と 口 か ら 言 葉 が 出 て い る よ う に 見 え た。
しかし、その表情はどこか影が差していた。
﹁自覚がないんやろ。自分と相手を比べてたのは、何もそのベルっつう奴だけやなかっ
﹁まるで、自分には与えられない、と言っているような言い方だ﹂
﹁乗り越えられる物にしか試練を与えん、か﹂
そして因縁は始まる
84
たってことやな﹂
普段と変わらない糸目とにやけた顔だったが、声だけは真剣だった。
素手で斬鉄を可能とするほどのスキルを身につけた人間の過去を垣間見た瞬間だっ
た。しかし、その少しばかり見えた過去もすべてがベルという少年に集約しているよう
に、ロキには思えただろう。
まるで、誰かにそうなるように仕向けられたかのように。
あれほどのスキルと、
︻剣姫︼と呼ばれるロキのお気に入りの冒険者が自分より上だと
言う剣の腕を持った人間を、まるで一人の少年を完成させるための駒のように使われて
いる印象があった。
だった。
何よりも面白いことを愛し、子供達を大切に思うロキにとって、それは許せないこと
﹁ちっ﹂
そいつに、違いない。
いた。剣の師。その身が剣のようなアゼルを、形作ったであろう人物。
アゼルの口から語られた、老師という人物。ベルという少年の祖父でもあると言って
つやろか﹂
﹁おもろくないなあ。あんなおもろい子を、こんなにおもろくなくするんはどこのどい
85
子供達は、自分で自分の道を歩み、成長していくからこそ可愛い。自分の思うように
成長させるなんてことは、もう天界で飽きるほどやってきたことだ。
見えないその老人の姿を掻き消すように、ロキは酒をもう一杯、一気にあおった。
■■■■
夜を行き交う人々を眺め、人のいなくなった広場を眺めた。場所は、ダンジョンの上
に聳え立つ五十階ある巨塔バベル。
ベルは、飛躍するかの如く成長する。それは、彼の冒険の証であり、私が邪魔をする
ような無粋な真似はしない。
自らの弱さを知り、それでもなお強くなろうとする彼が、少し羨ましく思えた。私は、
知らない。敗北という物の味を。何度も起き上がる過程にある気持ちを。
私が知っているのは剣を振るという事のみ。
銀色の髪に女神のような微笑み。否、彼女は神に違いない。着ている服は、肌を大き
たれただけで、じんわりと頭の奥が熱くなる。
いう言葉ですら足りない、この世の﹃美﹄を集めたような美貌を持つ女性。目の前に立
ぼんやりと考え事をしていた私の目の前に一人の女性が立っていた。絶世の美女と
いつの間にか、そんな言葉が最も適切だろう。
﹁こんばんは﹂
そして因縁は始まる
86
く露出する扇情的なドレスにも関わらず気品があり、その立ち姿は芸術品のように完成
されていた。
それは既に支配の領域まで達しようとしているほどの魅了。その神の特性を瞬間で
理解する。
心を落ち着かせ、沈める。鉛色を想像する。冷たい、何人たりとも邪魔をすることの
できない、一切の感情を含まない鉛色。触れればその物を斬る、それは剣。
その時、私は何かを斬った。己を守れという本能に従い、初めて目に見えない物を斬
る。まるで夢から醒めるように、目の前がはっきりと認識できるようになり、熱も冷め
た。
には、そんなことできない。
?
でしょう﹂
﹁待ち人を待っているのです。いつになるか分かりませんが、ここで待っていれば来る
﹁こんな所で、何をしているのかしら
﹂
そうでしょうとも、見た瞬間に魅了されてしまっては襲おうにも襲えない。美の女神
﹁ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。私を襲おうなんて子供はいないもの﹂
﹁こんな夜更けに女性一人とは不用心ですよ﹂
﹁あら﹂
87
﹁大切なのね﹂
﹁そういう貴方はなぜここに
﹁何をですか
﹂
﹂
﹁貴方は、なかなか分かっているようね﹂
そう、確か名はフレイヤ。美の女神フレイヤ。
﹁なるほど﹂
﹁バベルの最上階が、私の住まいだもの﹂
ず。
なんだったか、美の女神の名前は。オラリオでもきってのファミリアの主神だったは
?
込まれるような感覚。落ち着いたはずの、心が揺さぶられる。
その声は、何故か強制力があった。無意識に彼女の顔を見てしまった。その瞳に吸い
﹁いいえ﹂
﹁はて、私のような田舎者にそんなこと分かりませんよ﹂
﹁美しいものの愛で方よ﹂
?
そう言って、彼女は私の頬にその手を触れた。触れた場所から熱が生じる。甘い、抗
している。いい子ね﹂
﹁貴方はちゃんと、邪魔をせずにここで待っている。あの子の輝かせ方をちゃんと理解
そして因縁は始まる
88
いがたい熱。今まで感じたことのないような、痺れるような感覚。
斬らなければ、と思いつつも斬りたくないと心が言っている。
こんなの私ではない。私を汚すな、と静かな怒りが心から湧き上がる。一切合切を斬
り裂いてこそ剣。斬りたくないなど思ったりしない。
再び、怒りに任せ何かを斬る。
﹁やめてください﹂
その手を、私はやんわりと払いのけた。この神を斬ることはできない。私は彼女を斬
ることを選択できないことが、どこか分かっていた。
﹁ふふ、貴方もとっても綺麗な色をしているわ。鈍色の輝き﹂
﹂
瞬間、息を飲む。彼女の顔が本当に近くにあった。否応なしに、彼女の瞳を見てしま
﹁何が狙いだとッ﹂
﹁でも、貴方もまだ輝ききれてない﹂
﹁何が狙いだ﹂
だ。何か狙いがあるとしか思えない。
し、あの酒場にはいなかった。いたら必ず気付く。その上今まで会ったことのない神
明らかにベルの事を知っていて、彼がダンジョンに行ったことも知っている。しか
﹁⋮⋮貴方は私の何を知っている。ベルに何かするつもりですか
?
89
力 名声
金
それとも、もっと別の何か
?
う。そこに映った自分すら見えてしまう。
﹁貴方に足りないのは何
?
ば、冒険。例えば、自由。例えば、愛。貴方を輝かせるのに必要なのは、何
?
﹁ねえ、教えて。貴方の冷たい刀身を熱くするには、何が必要
からだ
﹂
例え
﹂
てしまった。もしかしたら、老師は私にその答えを求めて欲しかったのかもしれない。
老師は言った、何か足りずともそれは私の道であると。なら、私はそれでいいと思っ
足りないのか、という純然たる事実として受け止めた。
そもそも悩みすらしなかったから老師に聞こうとも思わなかった。そうか、私は何かが
知らない。私は、自分に何かが足りないと知りながら、それを知ろうとはしなかった。
﹁それ、は﹂
?
?
?
?
に身を任せ、私は再びそれを斬った。
覚。それを自分の意志と関係なく引きずり出されそうになる恐怖。心を震わせる恐怖
心を襲ったのは恐怖だった。知らない、知りたくない自分を知られてしまうような感
し、答えを持たない私からそれを引き出すのは無理だった。
ただ、何かが私の中に響いてくる。何かを引きずり出そうと、それは暴れまわる。しか
呼吸が乱れ、思考が纏まらない。彼女の言葉が耳から入っても、意味が理解できない。
﹁う、あ﹂
そして因縁は始まる
90
熱は急激に収まった。我に帰り、彼女を見る。
みしめ一歩、そしてまた一歩前へと踏み出していた。
足音が聞こえた。とても、不安定で不格好な足音。しかし、それはしっかりと地を踏
を背景に見えるようになってきた。
それから何時間経っただろう。空には朝焼けが見え始め、建物の屋根が明るくなる空
いつの日か、立ち塞がる敵だ。
でも、確かなことは分かった。彼女は私にとっても、ベルにとっても良くない存在だ。
彼女の言っている事がまったく分からなかった。
彼女の残していった甘い匂いだけが、その場に漂った。
の力の片鱗だけで私達を圧倒する存在。
呼吸が苦しいし、動悸も激しい。あれが、神。ロキ様とも、ヘスティア様とも違う、そ
その言葉を最後に、私は壁に寄り掛かるように地面へと崩れた。足に力が入らない。
﹁さようなら、また会いましょう﹂
彼女は私の横を通り、バベルの中へと消えていく。
﹁ま、て﹂
﹁分からないのね。でも、それもまた貴方を輝かせるためのことなのかもしれないわ﹂
91
バベルの入り口。そこから一人の少年がゆっくりと出てくる。
白い紙に赤い目。兎のような印象のヒューマン。ベル・クラネルという少年はまた一
つ冒険をした。
﹂
﹁お疲れ様、ベル﹂
﹁アゼル、なんで
﹁なんですか
﹁アゼル﹂
﹂
成長しているのだ、彼は。
そう言って、私はベルを背中に背負った。昔は軽かったその身体も今は相応に重い。
﹁うん⋮⋮ありがとう﹂
﹁疲れているだろうと思いまして、帰りは私が﹂
?
﹁いつも、ありがとう﹂
?
﹁アゼルなしじゃ、今の僕は⋮⋮ないよ﹂
いしても相手をしてくれて。本当に、ありがとう﹂
﹁いつも、いつも。僕が気絶した後も一緒にいてくれて。僕が何度倒れたって、何度お願
背中越しに伝わる彼の熱が、私は心地よく思った。
﹁何を今更﹂
そして因縁は始まる
92
それっきり、ベルは寝たのか喋らなくなった。
ゆっくりと、人がいない街の中を、ベルを背負ってあるく。背中に感じる重さと熱を
懐かしく感じながら、彼の成長を変化を実感する。
に浮かぶ。どれか分からない。そもそも、あの中にあるのかも分からない。しかし、目
それを理解するためには何が必要なのか。あの美の女神の質問が反響するように頭
﹁ああ、私も﹂
何か。
きっと、私が今までの人生で一度も感じることのできない剣を振るう意味の先にある
い。でも、これではないと分かる。
本当に欲しているのは、必要とされる喜びじゃない。それが、何なのか私は分からな
﹁私はそれじゃ満たされない﹂
心に闇が募る。
﹁でもね、ベル﹂
る。それは、幸せなことだ。
私のような斬ることしか能のない人間にも貴方は必要だと、欠かせないと言ってくれ
人を惹きつけて止まない。
﹁本当に、貴方という人は﹂
93
先の欲求はできた。
宿った。
人がほとんどいない街に、私の言葉は溶けて消えた。しかして、その願望は身体に
﹁強くなりたい﹂
そして因縁は始まる
94
﹄
﹂
放たれた刃の行方
﹁せいッ
!
﹄
﹄
﹄
比べて私は一人。
ターだ。上層で出現するモンスターに比べると頭が良く、集団戦に長けている。それに
﹃ア ル ミ ラ ー ジ﹄と 呼 ば れ る そ の モ ン ス タ ー は 1 3 階 層 か ら 出 現 す る 中 層 の モ ン ス
まだまだ敵はいる。
﹃キキィイ
﹃キィキッ
﹃キキィッ
が、左に持つ剣でそれを斬り払い、無防備にさらされた胴体を右の剣で斬る。
仲間が殺されている隙に、もう一匹が自 然 武 器であろう石の斧を私に向かって振るう
ネイチャーウェポン
兎人間とでも言うべきか、二足歩行をする小人程の大きさの兎を一刀両断する。
本の剣を携えダンジョンへとやってきて四日目。
新しく買った安物のショートソードとロキ・ファミリアで貰ったショートソード、二
﹃キィイッ
!!
!
!! !
95
﹃キッ
﹄
﹂
﹄
!!
繰り返す。しかし、その攻撃が私に届く前に首と胴が切断された。
腕を斬られた痛みに悶えながらも、アルミラージはその身体を武器にして再び攻撃を
﹃ギイイィッ
命し地面へと倒れた。
ていなかった。そして、最後にもう一度刃を返しアルミラージの首を目掛けて一閃、絶
斜め上に斬り上げ、槍の先端を斬り、返し刀で斜め下に斬り槍は持ち手部分しか残っ
げ、その腕を斬り飛ばし、突っ込んでくるアルミラージにはもう一方の剣で迎撃する。
横に一歩、それだけで斧の軌跡は私から外れ地面へと振り下ろされる。剣を振り上
﹁ふッ
上がり斧を振り下ろし、もう一匹は石の槍で突貫して来る。
その間私の前後へと別れたアルミラージは同時に攻撃を仕掛けてくる。一匹は飛び
裂く。二本の剣を一気に振りぬき敵を三分割する。
先陣を切って飛び込んでくるアルミラージを、身体を横にずらしすれ違いざまに斬り
!!
!
ていたことに気付いた。
かれこれ、三十分ほど戦闘をしていたからか、深呼吸をすると肩で息をするほど疲れ
﹁ふぅ⋮⋮﹂
放たれた刃の行方
96
97
現在、15階層。中層とも呼ばれるそこでは、それより上の上層と比べるまでもなく
一度の戦闘が長く、そして戦闘自体が頻繁に起こる。なにより、敵の数と発生速度が格
段に違う。決して、冒険者となって二週間やそこらの駆け出しが来るような場所ではな
い。
私とて、最初からここを目指していたわけではない。
最初の方は、大人しく6階層や7階層辺りで敵を斬滅していくつもりだったのだ。し
かし、物足りないと思い下の階層へ。下の階層でも物足りないと感じもう一つ下へ、と
繰り返していたらここまで来てしまったのが一日目のことだった。それからずっと中
層をうろちょろしていた。
﹃オーク﹄などは動きが愚鈍で斬る的にしかならず、
﹃インプ﹄は数が多いだけの的に
しかならなかった。﹃インファントドラゴン﹄と呼ばれる竜種のモンスターはデカイ図
体に長い首もあいまった、懐から首を一閃して殺すのが容易かった。火を吐くらしい
が、そんなことをする前に殺した。
スパーダ
老師によって鍛えられた剣技と勘、そして未来を見る魔法とすべてを切断することを
可能とする︻剣︼。その四つを把握し使用することによって、私は敵の攻撃を一切受けず
先手必勝、一撃必殺を繰り返していた。
﹁そろそろ、帰りますか﹂
持ってきた食料と水が尽きたのが今朝のこと。ダンジョン篭もりをするために買っ
た大きめのバッグに魔石やドロップアイテムが入りきらなくなってきたこともあるし、
一度地上に戻るべきと判断した。
その後、火を噴く狼﹃ヘルハウンド﹄や丸まりながらその硬い表皮で攻撃する﹃ハー
ド・アーマード﹄などを倒しながら私は上層へと歩き始めた。
■■■■
﹂
てしまった。
ていたフロッグ・シューターを斬り殺すも、他のモンスターは私を素通りし逃げていっ
察知し振り向くとモンスターの集団がこちらに向かって走ってきていた。先頭に立っ
それは私が5階層の中腹あたりを歩いている時だった。モンスターの気配を後ろに
﹁おや
?
なってしまうのは自然であった。私が来た道を戻ろうとした時だった、金色の髪がダン
立ち止まり考えるが何か分かるわけもなく、気になってしまっては原因が知りたく
﹁これは一体⋮⋮﹂
放たれた刃の行方
98
ジョンの闇から歩いてきたのは。
﹂
?
﹁ええ、少し⋮⋮思うところがありまして﹂
﹁四日も
ない。やはり、レベルの差というものはすごいものだ。
た数と比例するとは限らないが、彼女は恐らく私より更に下層で探索をしていたに違い
アイズさんの荷物は私の荷物と比べると五割くらい大きい。荷物の多さが敵の倒し
﹁私は四日で、これですから。やはりアイズさんは凄いですね﹂
﹁一日中いたから﹂
﹁お互い、荷物が多いですねえ﹂
かったのか若干俯きながら返事をした。
少し落ち込みながら歩いていた彼女は私につい先程の光景を見られたのが恥ずかし
﹁あ⋮⋮こん、ばんは﹂
﹁こんばんは、アイズさん﹂
そういえば、仲間を殺されると怒ったりする。
いうのもなかなかすごい。やはり、モンスター達も恐れといった感情があるのだろう。
つまりモンスター達は彼女から逃げていたのだ。モンスターに怯えられる冒険者と
﹁なるほど﹂
99
放たれた刃の行方
100
レベル1である私が四日間ずっとダンジョンにいたのが以外だったのか、彼女はその
日数を聞き返してきた。
そして、私が思い浮かべるの四日前の事。
ベル・クラネル
Lv.1
力:H 120 ↓ G 221
耐久:I 42 ↓ H 101
器用:H139 ↓ G232
敏捷:G 225 ↓ F313
魔力:I 0
熟練度上昇値トータル360という、他の冒険者の成長具合を馬鹿にするような値を
私は見た。たった一晩、ダンジョンで決死の特攻をしただけでこれほど成長してしまっ
た。
ヘスティア様もその異常性に何か思うところがあるのか言葉を慎重に選びながら、そ
のことをベルに説明していた。私も詳しいことは教えられてもらえず、ただスキルの恩
恵であるとということしか知らない。何が彼をそこまで早く成長させるのか、そのスキ
ルを授かった経験は一体なんなのか気になった。
少しだけ羨ましいと思った。早く成長すればするほど、更なる強者と戦う機会が増え
る。しかし、ベルのスキルの根源的経験を私が知ったとしても、同じスキルを獲得でき
るとは限らない。むしろ、私は絶対にできないと感じていた。
ベル・クラネルという存在は、根本からしてアゼル・バーナムと違う。
﹂
?
﹂
?
よかったとしよう。帰ったらベルかヘスティア様に聞けばいいことだ。
それ以上詳しい説明はしてくれなかった。祭りがあることを教えてくれただけでも
﹁うん、毎年やってる﹂
﹁フィリア祭
﹁明日の、フィリア祭﹂
が、あれはなんなんですか
﹁そ う い え ば。こ こ ま で の 道 中 に モ ン ス タ ー を 檻 に 閉 じ 込 め て い た 集 団 が い た ん で す
体的にボロボロ、それが今現在の私だ。
を動かせば汗をかくし、モンスターを斬れば返り血を浴びることもある。身体以外は全
敵の攻撃は受けずとも、走れば埃は散り、火の近くにいれば服は焦げたりする。身体
﹁それはよかった﹂
﹁遠征で慣れてるから。気に、ならない﹂
﹁あ、私身体とか洗ってないんで、臭いかもしれません﹂
101
﹂
さあ、私はあの次の日からずっとダンジョンにいるので。でも、
それにしても、明日とは私もいいタイミングで物資がなくなったものだ。
﹁あの子、元気
元気でしょう﹂
﹁ベルのことですか
﹂
?
の一件はベートさんのせいであったし。
からベルを助けたことは、感謝はされどアイズさんが謝る必要などないことだ。酒場で
何がそこまで彼女にそうさせるのか、私には分からなかった。そもそもミノタウロス
﹁それでも⋮⋮謝りたい﹂
﹁あれはベートさんが酔ったからでしょう﹂
﹁この前、嫌な思いをさせたから﹂
﹁ベルが、どうかしました
により、そうすればベルも更にやる気を出すだろう。
並々ならぬ好意を抱いているようだし、引きあわせて見るのも面白いかもしれない。な
どうやらアイズさんはベルのことを気にかけてくれている。ベルもアイズさんには
﹁そっか⋮⋮﹂
?
?
﹁うん﹂
﹁まあ、そこまで言うのなら。私からも今度会ったら逃げないように言っておきます﹂
放たれた刃の行方
102
そもそも、ベルが走って逃げなれければよかった話なのかもしれない。そんな、約束
とも取れぬ約束を私はアイズさんにした。
■■■■
丁度、この前の事をリューさんに謝りたかったので豊饒の女主人に行くことにした。
てきたら空腹感が押し寄せてきた。
して外にでると夜も更けてきたが、なにぶん朝から何も食べていなかったので落ち着い
それから私は大衆浴場へと行き、ゆっくりと風呂に入り身体を綺麗にした。さっぱり
た。彼女に襲いかかって勝てる相手はあまりいないだろうし、大丈夫だ。
最初は黄昏の館まで送ろうと思っていたが、アイズさんが必要ないと言ったのでやめ
であるエイナさんは私とアイズさんが一緒にいる所を見て驚いていた。
そこからギルドに寄り集めた魔石を換金した。受付にいたベルの担当アドバイザー
していたが、やはり空のないダンジョンだと実感がない。
ダンジョンから出て、バベルの出入口を出ると外はすでに暗かった。時間自体は把握
﹁さよなら﹂
﹁では﹂
103
お金も換金したばかりで持っている。
﹁どうも﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁あ、勘違いしないでくださいね。武器を持ってるのはダンジョンの帰りというだけで
すから。別に襲い掛かるとか、そういうつもりはまったくありません﹂
とは言ったものの、私のことをじっと見ているリューさんを前にするとやはり手合わ
せをして欲しいという欲求が膨れてくる。
﹁この前は、すみませんでした﹂
﹁いえ、私の方こそすみません。エルフのことはあまり詳しくなかったとは言え、不快な
思いをさせてしまった﹂
彼女が謝ってきたのは少し意外ではあったが謝られて困ることではないし、ミアさん
に怒られて反省したのだろう。そもそもの原因が私であることを考えれば別段謝る必
﹂
要はなかっただろうが。彼女に不快な思いをさせたのは何も手を握ったとうことだけ
ではないだろうが。
﹁ええ、ベルとは別行動中ですから。あの後、来ましたか
﹁はい、翌朝に代金を払いに一度﹂
?
﹁今日はクラネルさんはいないのですね﹂
放たれた刃の行方
104
﹁そうですか﹂
﹁ダンジョンには一人で
﹂
と聞いて追い払うことはし
?
﹁強そうなので﹂
﹁⋮⋮なぜそう思うんですか
﹂
﹁リューさんは、元冒険者か何かですか
﹂
ない。ミアさんに何も言われていないので問題ないのだろう。
しては、話ができて嬉しいので、さぼっていいんですか
もう客足が遠のいてきたのか、リューさんは私の横に立ちながら話をしている。私と
﹁ええ。一人のほうが気楽ですから﹂
?
﹁なっ﹂
﹁確か15くらいまで行きましたね﹂
ル
ナ
﹁そうして頂けると助かります。話は戻りますが、何階層まで
﹂
﹁あまり聞かれたくないことみたいですね。今後気をつけます﹂
﹁はい、とだけ言っておきます﹂
到底太刀打ちできない。
と。それは冒険者にしか務まらない仕事だ。﹃神の恩恵﹄を授かっていない一般人では
ファ
そもそも酒場での荒事を処理できるという時点で、冒険者を相手に取れるというこ
?
?
105
?
おっと、元冒険者と聞いたというのに言ってしまった。
﹁馬鹿ですか、貴方は。そのような無茶を﹂
で過ごしました﹂
﹁無茶とは思っていませんよ。その証拠に私は怪我らしい怪我をせずに四日間その辺り
﹁悪いことは言いません。そんなことをしていると、いつか死にますよ﹂
﹂
﹁変な事を言いますね。私はどうせいつか死にますよ﹂
﹁冗談を言っているわけじゃありません﹂
少し怒った声で、私に忠告をする。
﹁そもそも、リューさんは私の事を嫌っているのでは
それにしても、真正面から認めたくないと言われたのは初めてだ。
淡々と、彼女はそう言った。理解できない、という感情がありありと伝わってくる。
﹁貴方は⋮⋮認めたくないがクラネルさんに必要な人だ﹂
﹁そうですか。優しいんですね﹂
﹁嫌っているから死んでも構わないなどとは思いません﹂
?
﹁だから、私が死んだら困ると
随分ベルのことを気に入ったようですね﹂
んでしたが、それでも貴方の事を必要だと思っていることは伝わりました﹂
﹁クラネルさんは貴方の事を信頼していたし、感謝もしていた。少ししか話はできませ
放たれた刃の行方
106
?
﹁私の同僚の伴侶となる人ですから﹂
それはきっとシルさんの事なんでしょうね。いや、まさかそこまでベルのことを好い
ていたなんて。そして、その同僚のために私の事まで気にかけるリューさんはシルさん
のことを本当に大切に思っているのだろう。
に戻るだろう。その前に聞いておきたいことがあった。
﹁そういえばリューさん。フィリア祭というのをご存知ですか
?
﹁調教とは、そんなこともできるんですね。確かに、それは迫力があって冒険者でない人
切り、モンスターの調教を見ることができます﹂
﹁怪 物 祭というのは、ガネーシャ・ファミリアが開催している祭りです。闘技場を貸し
モンスターフィリア
﹁私はつい最近来たばかりなのでそれが何なのか知らなくてですね﹂
﹁ご存知も何も、明日です﹂
﹂
運ばれてきた料理に手を付けようと思ったが、たぶん食べ始めたらリューさんも仕事
嘘をついて7階層に行ったと言って注意されたのだが。
﹁当然だ﹂
﹁ギルドでも注意されましたよ﹂
﹁忠告はしました﹂
﹁まあ、プライベートをどうこう言われる筋合いはないので、やめませんが﹂
107
にもウケそうな内容だ﹂
冒険者でない者はモンスターを見る機会がほとんどないと言ってもいい。時々外で
も出会ったりするが、普通人がいるような所にモンスターはいない。森に迷い込んだ
り、逆にモンスターが人里に迷い込んだりしない限りは見ない。
そんな人達のための祭りなのだろう。
﹁それ以外にも屋台などの出店が多くあります﹂
一緒にデートでも﹂
﹁それは興味深い。明日もダンジョンに行こうと思っていましたが、行かないで祭りを
﹂
満喫するのも良さそうだ。リューさんどうです
﹁⋮⋮了承するとでも思っているんですか
﹁いえ、まったく﹂
﹁そもそも明日も私は仕事です﹂
?
﹁それは、残念。デートはまた別の機会にしましょう﹂
?
知りたいことも分かったので料理を食べ始める。しかし、リューさんは私の横から動
かず立っている。
﹂
?
﹁そうならそう言ってください。どうぞ、座ってください﹂
﹁ミア母さんが、この前の詫びとして接客をしろと﹂
﹁あの、暇なんですか
放たれた刃の行方
108
そう言って、私は向かいの席を指した。リューさんはその言葉に従い座った。接客っ
﹂
てなんだ、普通の酒場じゃないなあここも。
﹁貴方は、何を求めてやってきた
﹁私は、私という人間が本当に欲しい物を知らない。それは強くならなければ知ること
彼女の声が蘇る。
﹃貴方もまだ輝ききれてない﹄
には輝いて見えた。
ベルは出会いを求めて剣を振るう。金を求める冒険者も、名声を求める冒険者も、私
何かを求めている﹂
﹁必要と思ったことがなかったもので。でも、ここでは皆が剣を振るい身を削りながら
﹁信念を持たずに剣を振るうなど﹂
うとしているのが現状ですね﹂
﹁今は、少し分からなくなっています。いえ、何故来たのか、私が剣を振るう意味を知ろ
しかし、それはすべて消え、脳裏に蘇ったのは銀髪の女神だった。
も街ですれ違った強者の雰囲気を纏った冒険者を何人も思い出す。
目の前に座るリューさんを眺める。金色の髪の女剣士を思い浮かべる。それ以外に
﹁唐突ですね。そうですねえ⋮⋮最初は修行のために来たつもりだったんですが﹂
?
109
のできないものだと、思ったんです。きっとそれは何かを斬った時に知ることができ
る﹂
今までは剣を振るうだけで満足してたんですけどね。どうにも、私も
﹁可哀想な人だ、貴方という人は﹂
﹁そうですか
﹁その先に何があるというのですか
傷付き、傷付け、摩耗しきった先に﹂
﹁碌なものでなくとも、それでも答えが得られるのならいいんじゃないでしょうか
?
﹂
﹁その道は修羅の道だ。身を戦いに投じなければ得られない答えなど、碌なものはない﹂
の段階へ。無限に積み重ねられていく欲求の塔。そうして、人は己を高めていく。
人間とは貪欲だ。これで満足したら、次の段階へ。そして、それも満足したらまた次
師に手ほどきを受け、繰り返し、自分のものにする。それだけのことで満たされていた。
そう、故郷にいる時は毎日剣を振るい、疲れた身体を休めることに満足していた。老
都会に毒されてきたみたいだ﹂
?
それが見てみたいんですよ、私は。自らの剣で斬り開いた道の先を﹂
?
?
は﹂
﹁貴方が、どこで何をしようが構わない。しかし、クラネルさんを巻き込むようなこと
し、それを止めこちらに向けて言った。
その言葉を聞いた彼女は席から立ち上がり、カウンターの奥へと戻ろうとした。しか
﹁さあ
放たれた刃の行方
110
しかし、ここには老師はいない。持ち手を失ったのだ、導き手を失ったのだ。
老師という持ち手によって行動する刃のようではないか。
ただ老師の言うことを聞き、ベルを痛めつけた。それは、まるで剣のようではないか。
初は優しく指導するつもりだったのだ。
ベルの相手をするように言ったのも、厳しくしろと言ったのも老師であった。私とて最
今思えば、故郷にいた頃の私は老師との稽古とベルの相手をするだけの生活だった。
している。彼は自分の向かうべき場所、目指すべき物を見つけたのだ。
している。色々考えて、分からなくなってしまった私と違い、彼は確かな一歩を踏み出
でも、今は違う。彼は出会いを求めてダンジョンに来た。そして、見事出会いを果た
で私にそう言う彼を私は邪険にできなかった。
ベルは私を誘ってきた。森に行きたいから一緒に行こう、夕飯も一緒に食べよう。笑顔
そのことに、一抹の寂しさを感じた。昔は、私とベルの二人だけ。何をやるにしても、
もベルのことを気にかけている。中心にはいつもベルがいる。
まうではないですか。ヘスティア様も、アイズさんも、シルさんも、そしてリューさん
本当に、ベルという少年は人を惹きつける。ヘスティア様がまたヤキモチを焼いてし
とは違うということも理解しています﹂
﹁しませんよ、まったく。私とてベルのことはそれなりに大切に思っています。彼が私
111
放たれた刃の行方
112
持ち手を失くした剣が一本。地面に落ち、跳ね回り、当たるすべての物を斬る。その
向かう先がどこか、跳ね回りながら、斬りながら考える。いつか、確かな意味を持って
その刃が地面に突き刺さり止まることを夢見ながら、考える。
気付いたからと言って、できることなど何もない。やはり、斬ることでしか分からな
い。例え、それが修羅の道だろうとも。
斬れば斬った分だけ、私は何かを知る。私が何を斬ったのか、なんで斬ったのかとい
う小さな答えが無限に積み上げられていく。それが、いつか意味を持つのだと信じ続
け、私は斬ることしかできないのだろう。
私はその積み上げられた物を、己と呼ぶことにした。
祭りは静かに盛り上がる
結局、私が廃教会の隠し部屋に帰った時いたのはベルだけだった。ヘスティア様はこ
こ二日ほど出かけていて、今日帰ってこなければ三日外出していることになるらしい。
なんでも神の宴とやらに招待され、それに行ったことは分かっているがその後の消息
が不明のようだ。ヘスティア様にも友神がいるだろうし、そこまで心配することではな
いと思っているのか、ベルも若干心配しているようだったが慌てふためいている様子は
なかった。
﹂
私としては早く︻ステイタス︼の更新をして欲しかったのだが、居ないのならしょう
がない。帰ってきてからしてもらおう。
疲れていた私は、椅子に座りすぐ眠りについた。
■■■■
今日は祭りがあるらしいですよ
?
﹂
﹁そういえばベル。知っていますか
﹁祭り
?
?
113
そんなこともできるんだね。あ、そういえばこの前ダンジョンでモンスター
﹁ええ、フィリア祭と言って闘技場でモンスターの調教を見世物にすると聞きました﹂
﹁調教
﹂
﹂
?
﹂
さて、そろそろ東のメインストリートへ行こうと思っていたところだった。
た。
のように輝かせたベルを連れて屋台の串物や甘味を食べながらゆっくりと歩みを進め
モンスターの調教など普段見れるものではないのでワクワクしているのか、目を幼子
かうことに決まった。
メインストリートで食べ歩き、ついでに東のメインストリートに寄ってから闘技場に向
結果、冒険者用の露天だけでなく一般人向けに屋台なども多く出店するであろう西の
か程度のものだ。
それから、私はベルと予定を立てることにした。予定と言ってもどの道を通って行く
たらしいが、誘ったら行くだろうとは思っていた。
翌日の朝、私は朝食を食べるベルに祭りの話題を振った。どうやらベルも知らなかっ
﹁行く
﹁私は見に行きますが、ベルはどうします
を檻に入れて運んでるの見たけど、祭りのためだっのか﹂
!
!
﹁おーいっ、待つニャそこの白髪頭
!
祭りは静かに盛り上がる
114
と、少し失礼な呼び名でベルが呼び止められたのだ。豊饒の女主人の近くを通ってい
たこともあり、十中八九そこの店員であるキャット・ピープルだろうと予想をつけた。
﹂
予想は的中し、振り向くと猫耳と猫の尻尾を生やした少女が手を大きく振りながらこち
﹂
らに向かってきていた。隣にはリューさんもいる。
﹁ベルの事じゃないですか
﹁だ、だよね。僕何かしたっけ⋮⋮﹂
少しオドオドしながらもベルは少女に駆け寄っていった。
﹁こんにちはリューさん﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そんな嫌そうな顔しないでくださいよ。私だって傷付くんですよ
﹁どの顔がそれを言いますか﹂
か。最初は嫌いでも何度も会う内に﹂
﹁貴方に会えて嬉しいから笑ってるんです。ほら、恋愛小説でもよくあるじゃないです
すけどね。
さんがデフォルトとなりつつある。もっと、笑顔とかも見てみたいと思ってはいるんで
どうやら顔は笑ってしまっていたらしい。私の中では嫌そうな顔をしているリュー
﹁おっと﹂
?
?
115
﹁死にますか
﹂
﹂
﹂
?
﹁えぇッ
なかなか分かってるニャニャイカ赤髪
﹂
﹁そうニャ
﹁何言ってるニャこいつ
﹂
!
!
﹁お褒めに預かり恐悦至極﹂
!
﹁気にしてはいけませんアーニャ﹂
?
﹂
れをベルに届けてほしいそうだ。恋のキューピッド気取りだろうか。嫌いじゃない。
件が分かった。今日の祭りを満喫しに行ったシルさんが財布を忘れたらしく、少女はそ
そこから私は話に邪魔を入れること無く、少女の説明とリューさんの補足を聞き、要
﹁気にしないでくださいベル。少し怒らせてしまっただけです﹂
﹁あ、アゼル
﹁物騒な挨拶ですね﹂
﹁ただの挨拶です﹂
﹁何やってるニャ、リュー
当に固まってしまいそうだった。
身体が凍えそうなほど冷たい目をこちらに向けるリューさん。空色の瞳が綺麗で、本
?
?
﹁では、ベル。一人で探してくださいね﹂
祭りは静かに盛り上がる
116
リューさんは既に私の方を見るのも止めていた。そういう突っぱねるような態度が
私の好意を呼んでいる事に彼女は気付いているのだろうか。たぶん、気付いてないだろ
うな。
﹁ほ、本当に一人で探すのッ
こんなに広いのに
﹂
!
僕一人で頑張るね
それじゃッ
!
﹂
!
﹂
!
﹂
!
﹁ニャーッ
お魚ぁッ
!
﹂
﹁アーニャ、帰りますよ﹂
﹁ニャに
﹁あっちに売ってる魚買ってあげますから﹂
﹁興味ないニャ
﹁では、アーニャさん﹂
﹁お断りします﹂
﹁リューさん、デー﹂
既にシルさんという女性に惑わされている前科がある。
本当にベルは単純な少年だ。そこが彼のいい所でもあるが、絶対に騙される性格だ。
﹁お、男として⋮⋮分かったよ
!
﹁ええ、そのほうがシルさんも喜ぶでしょう。ここは男として、一人で探してください﹂
!?
﹁頑張ってくださいねベル。私は一足先に闘技場に向かうとします﹂
117
!
リューさんに襟を捕まれ強制連行されていくアーニャさんを眺めながら、どうやった
らリューさんをデートに誘えるか模索するのであった。シミュレーションの結果、誘え
ないという結論に至ったのは言うまでもない。
それから、一人になったというイレギュラーはあったが、東のメインストリートに向
かって歩き出した。雑踏に揉まれながら着実に闘技場へと向かっている、と思いたい。
それほどメインストリートは人で溢れかえっていた。
道の両端には普段見ない屋台や出店の数々が並び、客寄せの声がひっきりなしに聞こ
える。それに加え歩き売りをしている店員も多く、賑やかではあるもののかなり混沌と
していると言っても誰も反論はしないだろう。
しかし、こういった賑やかな場所は初めての私にとってはすべてが初体験。雑踏に押
されるのも、押された先の美女の胸を間違って触ってしまい謝るのもひやりとする体験
ではあったが、何も悪いだけのことではなかった。
までたっても闘技場にはたどり着けないだろう。
そうして、また誰かにぶつかってしまった。いや、ぶつかりながら進まなければ何時
﹁おっと、すみません﹂
﹁わぷっ﹂
祭りは静かに盛り上がる
118
今回は真正面からぶつかった。相手は私よりも背が低く、その額を私の胸にぶつけ奇
妙な声を発した。
﹂
?
﹁一人で
﹂
﹁ええ、昨日探索から帰ってきたばかりなので。休みついでに見学しておこうと﹂
﹁アゼルもフィリア祭
が礼儀正しい性格なのだろう。嫌いなら挨拶をしなくても私は一向に構わないのだが。
レフィーヤさんは若干挨拶が固かった。私の事を敵視している節がある彼女だが、元
﹁こんにちは﹂
﹁あら、こんにちは﹂
りを満喫していたのだろう。
その隣を見ると、姉であるティオネさんとエルフのレフィーヤさんがいた。三人で祭
﹁あ、アゼルじゃん﹂
﹁おや、ティオナではないですか﹂
キ・ファミリアのアマゾネス姉妹の妹の方、ティオナだった。
見てみると、褐色の肌を恥ずかしげもなく露出した格好にセミショートの黒髪。ロ
ぶつかった人は女性だったのか、その明るい声に聞き覚えがあった。
﹁いいよいいよ、気にしないで﹂
119
?
﹂
﹁いえ、もう一人いたのですが。野暮用でどっかへ行ってしまいました﹂
﹁じゃあ一緒に行こっ
も後ろから付いてきている。
﹁ティオナさん、別に掴んでなくても付いて行けますから﹂
﹂
﹁この人混みじゃすぐはぐれちゃうよ﹂
﹁それは後ろの二人もそうなのでは
ア マ ゾ ン
﹃誰だあいつ
﹄
﹃髪赤いしロキ・ファミリアの奴じゃねえの
などと囁かれていることは私はつゆ知らず、引っ張られるのに身を任せ闘技場へと向
?
?
﹃適当だなおい﹄
﹄
がこんな所で活きてくるとは思いもよらなかった。
後ろを少し見ると、人にぶつかっても確かに押されている気配はない。レベルの高さ
?
?
﹁あの二人は慣れてるし、それにこんな雑踏くらいじゃびくともしないよ
﹂
特に気にした様子のないティオネさんと、若干不満気な顔をしているレフィーヤさん
にも私はレベルの差によって筋力がかなり違い不可能であった。
そう言ってティオナは私の腕を持ち強引に引っ張って移動を開始した。振り解こう
!
﹃おい︻大切断︼が男連れてるぞ﹄
祭りは静かに盛り上がる
120
かった。
■■■■
﹁そういえば、昨日帰ってきたって言ったけど。何日くらい潜ってたの
﹁昨日入れて四日間ですね。なかなか熟練度が上がらないもので﹂
フィーヤさんだ。
?
?
﹂
日やそこいらでトータル100もほいほい上がってしまう化物級の新人がいることを
私の仲間であるベルは常識はずれの成長をしていることを、彼女たちは知らない。一
﹁⋮⋮だと、いいのですが﹂
﹁まあ、まだ貴方には遠い話よ﹂
﹁それは⋮⋮﹂
ばーんって上がるんだけどね﹂
﹁ん∼、一週間深層域で狩ってトータル10とか レベル上がったばっかりの頃はば
﹁参考までに聞きますが、どれくらい上がるんですか
﹂
闘技場へと入り、今はすでに席に座っている。並びは私、ティオナ、ティオネさん、レ
﹁そうは言っても私達と比べたらじゃんじゃん上がってると思うわよ﹂
?
121
彼女たちは知らない。もし、あのスピードがそのまま続くとしたら、それはどれだけの
アドバンテージになるだろうか。
これは、私もお役御免になる時が来るかもしれませんね。レベル差がありすぎると一
﹂
緒にいてもあまり良いことはない。ベルは私に気を使ってしまうということもありま
すし。
﹁そういえば、アイズさんはいないんですね
﹂
﹁それは残念でしたねレフィーヤさん﹂
﹁な、なんで私に振るんですか
﹂
﹁だって、レフィーヤさんアイズさん大好きでしょう
﹁そ、そ、そんなことありましぇん
﹂
﹁そうなの∼。アイズはロキと一緒に見て回ってるの﹂
?
台詞の途中で噛んでてはまったく説得力がないです。
!
?
!
﹁そういう⋮⋮﹂
たい﹂
﹁彼女の剣の腕は本当に惚れ惚れするほどですからねえ。ああ、手合わせをしてもらい
﹁﹁﹁え﹂﹂﹂
﹁まあ、分かりますよ﹂
祭りは静かに盛り上がる
122
﹂
身体だって
って
!
﹁剣術馬鹿⋮⋮﹂
私は何を言ってるんですか
﹁女性としては見てないってこと
!
﹂
?
!
士か﹂
﹁それは違うでしょ
﹂
﹁そうですね。回復魔法などを使える人が恋人だったら探索が楽に、いやでもやはり剣
ているくらいだ。
上、誰かにそれほど好意を向けられたこともない。むしろ嫌悪を向けられるほうが慣れ
顎に手を当てて考える。好みの女性、と言われても今まで恋人など作ったこともない
﹁ぐいぐい来ますね﹂
﹁好みの女性とかは
しても判断基準が剣術や腕っ節になってしまうというか﹂
いと思うんですが。でも、私は今までずっと剣を振るってきただけの男ですから。どう
﹁そうですねえ⋮⋮いえ、確かに美人だと思っていますよ。むしろ思ってない人はいな
風に聞いてくる。
やはり女性は誰しも色恋沙汰が好きなのだろう。ティオナさんが興味津々といった
?
!?
!
﹂
﹁そ、それだけじゃありません 髪だってすごく綺麗ですし
123
﹂
﹁うーむ⋮⋮そう言われましても、今まで本当に剣の事ばかりでしたからねえ﹂
﹁え∼、つまんない⋮⋮じゃあっ、私達三人の中だったら誰が一番好み
﹂
﹁そうですね、この中だったらティオナがいいですね﹂
ないと殴る、くらいの迫力はある。
に聞いている。ティオネさんはニヤニヤしながらこっちを見ているし、ティオナは言わ
しかし答えないといけない雰囲気だ。レフィーヤさんはそっぽを向きながらも何気
﹁なんていう事を聞くんですか貴方は⋮⋮﹂
?
オナは固まった。
まさか自分の名前が言われるとは思っていなかったのか素っ頓狂な声を出してティ
﹁へ
?
﹂
!
﹂
﹁見てれば分かります。失礼ですけど消去法でティオナになるわけですが、聞いてます
﹁貴方には言ってないんだけど⋮⋮﹂
﹁ほら。そしてティオネさんはフィンさんに気があるようですし﹂
﹁当然ですっ
ないでしょう﹂
﹁だって考えても見てください。レフィーヤさんはエルフで、私に肌を触らせてもくれ
祭りは静かに盛り上がる
124
?
﹁ふぇっ﹂
﹁うぅ﹂
﹂
﹁というか、戦っている時邪魔じゃないんですか
﹁ふぇぇ⋮⋮﹂
﹁セクハラで殴るわよ
?
も は や テ ィ オ ナ に 話 し か け て い な い の に 恥 ず か し が っ て い る。疑 問 を 投 げ か け た
?
﹂
﹁むしろ周りに大きい人しかいないので小さいのが恋しいです﹂
﹁えぅ﹂
﹁それに私小さいほうが好きですし﹂
クと膨れてきた。
なんだか面白くなってきてしまった。もっとからかってみたいという欲求がムクム
﹁あぅ⋮⋮﹂
﹁見た目は気にしない質なので﹂
﹁い、いやでもほら。私アマゾネスなのに胸小さいし﹂
頬を赤く染めながらティオナは俯いてしまった。
﹁面白いわね我が妹ながら﹂
﹁見事にテンパってますね﹂
125
ティオネさんは拳を握っていい笑顔をしていた。
トドメを刺してしまおう。
﹁ティオナ、この後一緒に夕飯でも食べに行きましょう﹂
﹁⋮⋮﹂
﹂
﹁ティオナ、気付いて。からかわれてるわよ﹂
﹁ティオネさんバラさないでくださいよ﹂
﹁黙りなさい。人の妹を弄んで、殺すわよ
﹂
?
彼女の、本当に人を殺さんばかりの眼光に引きながら席を立ち上がる。
﹁もう二度としませんっ
!
﹂
﹁何か飲み物でも買ってきますね。その間に復活させておいてください﹂
﹁奢りよね
?
だった。
店を探した。人混みの中を進むのも一苦労だったが、漸く売り子のところまで来たとき
んごジュースでいいだろう、と勝手に決めながら私は闘技場にいる歩き売りをしている
いい笑顔でティオネさんは私を見送った。レフィーヤさんはエルフだし森っぽくり
﹁一番高いのでいいわ﹂
﹁⋮⋮当然でしょう﹂
祭りは静かに盛り上がる
126
﹁ッ﹂
僅かに甘い香りが匂った。それは、一度嗅いでいたからだろう、私の脳を一瞬で警戒
態勢へと移行させた。
彼女がここにいる。悪い予感がひしひしと感じられた。祭りだというのに、彼女は何
かをするつもりなのだろうか。彼女は、ベルに何かを望んでいる節がある。
飲み物のことなど頭から既に消え、私はその香りを辿って歩き始めた。
関係者区画に入ると、人がいなくなったので走ることが可能になった。甘い香りは進
むに連れより濃く、より甘美になってきていた。彼女に対する警戒心が最初からなけれ
ば、当の昔に私はこの香りに毒され、歩けなくなっていただろう。それほどまでに、そ
の香りは脳を溶かす。
気配とでも言うべきか、それはダンジョンで感じるようなものだった。地上には通常
いないモンスターの気配、しかも随分活発に動いている。それを敏感に察知した私は、
目に魔力を集中させ始めた。
﹂
近くの部屋からモンスターが飛び出る光景が見えたのは、ほぼ同時だった。
﹁ふッ
!
127
腰に下げていたショートソードを抜き放ち、モンスターの胸部、弱点である魔石が埋
まっている箇所に向けて突きを放つ。
現実が目に映った光景に追いつき、ショートソードは寸分違わずそのモンスターの胸
部に深々と突き刺さり魔石を両断した。見たことのないモンスターだったが、私が到達
している階層より下層にいるモンスターなのだろう。
一度立ち止まり、部屋の前を見る。もうモンスターが飛び出てくる未来は見えなかっ
た。警戒しながらも、私は部屋へと足を踏み入れた。
すぐ近くに、だらしなく涎を垂らしながら倒れている人間が複数いた。老若男女問わ
﹁う、あ﹂
﹂
ず、同じ症状だ。
?
ることも分かった。
周りを見ると檻に入れられているモンスターが数匹。そして、檻が一つだけ空いてい
女が佇んでいた。その手には鍵の束。
を司る神、フレイヤ。あの晩とまったく変わらない、美しすぎる笑みを浮かべている彼
そして部屋の中央部に彼女はいた。暗い部屋の中でも、銀色の髪は輝いて見えた。美
﹁やはり﹂
﹁あら
祭りは静かに盛り上がる
128
﹁貴方がやったのか﹂
たことはない。
﹂
﹁ふふ、主人の匂いを覚えたわんちゃんみたいね﹂
﹁噛まれたいんですか
﹁あら、私は噛み付く子でもちゃんと可愛がってあげるわよ
﹂
彼女も、私が彼女を斬ることができないと知っているから。
﹁本当は、ちょっかいを出すつもりはなかったの﹂
それは大いに同意できるが、今はそんな場合じゃない。誰に、などと聞くまでもない。
﹁でも、やっぱり好きな相手には悪戯したくなっちゃうのよね﹂
﹁⋮⋮﹂
?
?
﹁⋮⋮消えろ。さもないと﹂
﹁さもないと
?
と彼女は聞いてきた。そして、私はそれに答えることができない。私も
私を斬る
?
﹂
スターを操っているのだとしたら、私の知らないモンスターもいるので警戒するに越し
油断せずショートソードを構える。神フレイヤ自身には戦闘力はないが、周りのモン
﹁嗅いだことのある匂いを辿ってきただけです﹂
﹁ええ、まさかすぐ殺されちゃうなんて思ってなかったけど。貴方もよく分かったわね﹂
129
流石に飛躍と言えるほどの成長をしているベルでも、ここにいるモンスターの相手は危
険だ。速過ぎる成長故の障害だ。ベルにはまだ技量が付いてきていない。
技量とは︻ステイタス︼に依存しない、冒険者自身が養わなければいけない戦闘技能
エクセリア
の集合体。私はむしろ、そちらだけを極めてしまっている故に質のいい、つまり強敵と
思える敵の撃破等、︻経験値︼が獲得できないでいる。
﹁だから、邪魔は許さないわ﹂
﹁言っていろ、全部斬ってやる﹂
最悪檻ごと斬ってしまおうか、と思っていた時だった。檻の影から一人の獣人の男が
現れた。気配など一切せず、まるで幽霊のように現れたその人物に私は動揺を隠せずに
いた。
今まで、油断していない状況で察知できない気配などなかった。
﹁怖いの
﹁ッ﹂
足、退いてるわよ
?
﹂
はない。今さっきとは打って変わって、圧倒的とまで言える存在感を男は発していた。
誰がなるか、と言ってやりたかったが、目の前の男に目が釘付けにされそれどころで
﹁分かっています﹂
﹁オッタル、殺しちゃだめよ。この子も私の物にするんだから﹂
祭りは静かに盛り上がる
130
?
セルチ
それは無意識の行動だったのだろう。数 Cではあるが、足が退いていた。私が、ただ
前にしただけで恐れを抱いている。その事実が屈辱に思えた。
﹂
!!
その時、私は圧倒的強者という者に初めて相対した。
│││全くもって、気に入らない。
﹁斬るッ
│││気に入らない。
道端にある小石を見ているような目だ。
がない。圧倒的高みから私を見下ろすその双眼は、完全に冷めていた。それは、まるで
身体から力を抜き、深呼吸をする。オッタルと呼ばれたその男は攻撃をしてくる気配
﹁ふう⋮⋮﹂
131
そして彼は地に墜ちた
﹃ベル、今のところ一番強い冒険者のレベルはいくつなんですか
﹃えぇと、確か7だったと思う﹄
あえず現在の上限を知っておきたかった。
﹄
私自身の︻ステイタス︼を見て、レベルという概念が少し分からなかったので、とり
なった次の日くらいだったと思う。
その質問をベルに投げかけたのは、確かオラリオに来てすぐ、ヘスティア様の眷属と
?
﹃7ですか。ということはそう簡単に上がるものではないということですか⋮⋮﹄
﹄
﹃そのはずだよ、レベル7ってオラリオに一人しかいないから﹄
﹃それは⋮⋮つまり世界に一人しかいないということでは
?
その名を口にするベルも少し緊張していた。それは、冒険者すべての頂点の名。
﹃名前は思い出せないけど、二つ名は確か﹄
らない。
オラリオで最強の名を得るということは、つまり世界で最強であるということに他な
﹃たぶんね﹄
そして彼は地に墜ちた
132
おうじゃ
︻猛者︼
■■■■
﹂
スパーダ
己の力への信頼の丈により効果向上。
る限りに大振りで威力を出そうとした。その一撃はすべてを斬るはずだった。
今までにないくらい、完璧な斬撃だったはずだ。攻撃してこない相手の前で、できう
今までに聞いたことのないような軽い音だった。
﹁ふん﹂
鋭い斬撃を、より疾く、より的確に刻み込む。それが私の築き上げてきた力だ。
それはつまり、私が斬れると思ったら斬れると言い換えてもいい。そのために、より
・
が雑だったり、斬るつもりのない斬撃を放つと斬れない。
私のスキル︻剣︼によって、斬撃はすべてが必殺となる。だからと言って、振るい方
せる。
た。相手から攻撃してくる気がないのであれば、最大威力の攻撃をもって相手を斬り伏
震える身体に鞭を打ち、踏み込むと同時に腕をしならせながら勢いを付けて斬りつけ
﹁はあッ
!!
133
﹁なっ﹂
オッタルはそれを、右腕に装着したプロテクターで軽々と、本当に力など一切使わず
に弾き返した。久方ぶりに感じた、剣を跳ね返えされた感覚だったこともあったが、何
よりも私はそれを予想していなかったということが一番大きい。呆気無く、私は腕を跳
ね上げられ無防備な胴体を晒していた。
﹁軽いな﹂
放たれたのはなんの変哲もない左ストレート。別段腰で溜めを作ったわけでもなく、
ありえない速さで放たれたわけでもない。
しかし、それをくらった私は今までに感じたことのない途方も無い衝撃と共に吹き飛
んだ。
﹁ガッ﹂
気が付くと、倒れていた。飛ばされた先に檻があり、衝突した時に檻が壊れたのか、上
から木材が降ってくる。
︵斬れなかったのか⋮⋮私は︶
をした液体が溢れてくる。
声を出そうにも、喉から出るのは空気だけだった。続いて口から粘り気のある鉄の味
︵何が、起こった⋮︶
そして彼は地に墜ちた
134
たった一撃、私を戦闘不能にするために必要だったものだ。既に意識がなくなりそう
なほど薄れていて、同時に激しい痛みが身体のありとあらゆる場所から感じられる。
痛み。
それを最後に感じたのはいつだったか。オラリオに来てからは、ほとんど感じていな
い。ダンジョンではほとんどの敵を一刀で倒すか、攻撃はすべて避けていた。戦闘にお
いて、未来を見る私は攻撃を防ぐ、避けるという点においてはかなり有利だ。
剣を握ると、意識が鮮明になった。そして、振るう。
くして私はなく、剣も私なくしては振るわれない。
た。身体に馴染み深い感覚が蘇ってくる。そう、剣を握ってこそ私は完全となる。剣な
は腕がもげているのではないかと思えるほどの痛みに耐えながら、私は剣を再び握っ
起き上がろうと、身体に力を入れる。しかし、その度に激痛が身体を走り抜ける。実
﹁ぐッ⋮⋮﹂
も死んでいるとは思っていないのだろう、声が笑っている。
自分の上に降りかかった木片越しに、すこしくぐもった声が聞こえた。フレイヤ自身
﹁死んではないだろう﹂
﹁こらオッタル、殺しちゃだめよ﹂
﹁この程度か⋮⋮﹂
135
﹁あら、意外に元気ね﹂
上にのしかかっていた木片がすべて斬り飛ばされる。そして、重りのなくなった私は
ゆっくりと、しかし確実に立ち上がり始めた。腕をだらりとぶら下げ、さながら幽鬼の
如く私は立ち上がった。
者を眺める。
アゼル・バーナム
強者は遥か高みから弱
オッタル
﹁来い﹂
弱者は、高みにいる者を見て何を思うか。それは恐れだろうか。それは嫉妬だろう
か。それは羨望だろうか。
﹁く⋮⋮くかか﹂
否、それは悦びだ。
足が覚束ない、立っていること自体が奇跡のようだ。腕に力が入らない。ならば身体
全体を使って剣を振るえばいい。
﹂
!
﹁ふんっ﹂
しかし、それでは無理だ。
力も掛かり、斬撃は予想以上の速度で放たれた。
腕をだらんと伸ばしたまま、身体を回転させることで腕を振るう。上手い具合に遠心
﹁がぁッ
そして彼は地に墜ちた
136
再びプロテクターに弾かれる。
相手を見る。未来を見る。かつてないほどの魔力を注ぎ込み、次の動きを見る。動き
自体は速くない。ならば、避けられないことはないはずだ。
オッタルにとってこれは戦いなどではない、ましてや訓練と呼べるほどの物でもな
﹂
い。遊び、その言葉が一番適等だ。遊びに、本気を出すものなどいない。
﹁らぁッ
﹂
!!
なぜだ
!
!
を這う虫のように無力だ。
なぜ斬れない
!
私に斬れない者がいる、それだけの事実に私は歓喜している。オッタルという存在
それは、喜びから上げた声だった。
﹁なぜ
﹂
自然と笑みが溢れてしまった。ああ、確かに貴方は遥か高みにいる。そして、私は地
﹁くくく⋮⋮はっはっは
いるわけでもない、ただ真っ向から弾かれている。
る。しかし、そのすべてがオッタルのプロテクターにより弾かれる。斬撃を逸らされて
め上に、斜め下に。ありとあらゆる剣閃を描かせながら、半ば無意識に剣を振るい続け
何度も、何度も斬りつける。下から上に、上から下に、左から右に、右から左に、斜
腕の感覚が戻ってくる。激しい痛みは、無理やりねじ伏せて剣を握り締める。
!
137
は、獣人だ。私も知っている存在なのに、斬れない。
それとも疾さが足りないのか
試さなければならない。
理解して尚斬れない存在。そんなもの、今までなかった。私の斬撃に鋭さが足りない
のか
?
かず、ただ剣を振るうことしかできない。
何が足りていない。何があれば貴方を斬れる。考えようとしても、思考はまったく働
それでも、まだ斬れない。
なっていた。剣戟の冴えが増し、刃が空気を斬る音が響く。
痛む身体など、とうに忘れていた。斬撃は、最初より鋭くなり、踏み込みもより疾く
だ。
が悪いのか、何が良かったのかを試行錯誤しながら完成させていた懐かしき日々のよう
こんなこと、剣を振るい始めてすぐの頃のようだ。来る日も来る日も剣を振るい、何
?
する信頼を底上げするための物だ。この身に宿る︻剣︼は身一つで敵を斬り刻む事を可
スパーダ
剣がない、ならばこの身を使い斬ればいい。剣はイメージ確かなものにし己の力に対
だけで剣は私の手から弾き飛ばされた。
初めて、剣に対してオッタルはプロテクターを使い勢いを付けて弾いた。ただ、それ
そう言ってオッタルは腕を振るった。
﹁無駄だ﹂
そして彼は地に墜ちた
138
能とするものだ。
剣の分のリーチがなくなったことにより、踏み込みを更に深くする。肉薄し、腕を一
閃、オッタルの胸板をなぞるように手刀で斬る。しかし、斬れない。
いや、もっと昔から。剣を握り、振るい始めた頃からだったか。周りの同い年の人間
を褒められたことからだろうか。
タインというオラリオ最強の女剣士と言われる剣士と手加減されるも、彼女自身に剣技
私のスキルと剣技で、誰にも負けないと慢心していた。それはアイズ・ヴァレンシュ
弱者に過ぎなかった。
ある、ということだけは確かだ。私はまだその遥か高みを感じ取ることすら許されない
いう存在は知っていても、私はレベル7という次元を超えた強さを知らない。圧倒的で
私がなぜオッタルを斬れないのか。私は、彼を理解などしていなかった。同じ獣人と
﹁く、くっく﹂
事を教えてくれる。
できるかできないかという絶妙な力加減。ヒューヒューと耳障りな音が呼吸している
殴られるでも、蹴られるでもなく左手で首を掴まれ持ち上げられる。首が絞まり息が
﹁ガッ﹂
﹁お前の刃は軽すぎる﹂
139
で私に敵う人間などいなかった。年上にも負けなかった。唯一負けたのは師である老
師だけだ。それでも、きっと心のどこかで本気に殺しにかかれば勝てると思っていたの
かもしれない。
とんだ思いあがりだ。私は、強者などではない。
だからなんだ。すべての物を一刀の
?
だからなんだ。そのどちらも、私が強者であるという証にはなり
剣の腕がアイズ・ヴァレンシュタインより上
もとに両断できる
えない。
﹁ぐうぅぅう﹂
?
オッ
タ
ル
私は今日負け、弱者となった。遥か高みから見下ろす絶対強者によって叩き落とされ
攻撃。ただ触れるだけで弾かれた剣の感触。
べるつまらなさそうな表情。手加減などではなく、幼子と弄れるような動きで放たれた
ああ、私は敗者だ。間違いなく、私は今敗北の味を噛み締めている。オッタルの浮か
強者とは、常に勝つ者だ。強者とは、遥か高みにいる者に相応しい称号だ。
腕を掴んだ。
私の身体はボロボロになっていた。徐々に腕は上がり、私はやっとの思いでオッタルの
腕に必至に力を入れる。たったそれだけのことに必至にならなければならないほど、
﹁無様だな﹂
そして彼は地に墜ちた
140
た羽虫のように。
掴んだ腕に力を込める。それでも、びくともしない。それもそのはずだ、私には既に
ほとんど力など残っていない。意識を保っているだけでも辛かった。
﹂
それでも、何か一つ。どんなに小さなことでもいい、一矢報いたいと思った。
﹂
﹁な、あ﹂
﹁なんだ
﹁ぞ、うか﹂
﹁ああ﹂
﹁あ゛んた、血は、あがいか
?
そうだ、私はこの男が斬りたい。
いい。想像できれば、信じることができるかもしれない。
盲信しろ、夢想しろ。この男を斬ることを、なんだっていい、どんなに小さな傷だって
刃などなくとも、この腕で、この指で、この身で私は斬り刻む。想像しろ、妄想しろ、
に私の力を信じさせる要素を見つけろ。
そうか、血は赤いのか。ならば、斬れないことはないんじゃないか。少しでいい、私
聞き取った。
首を締められ上手く喋ることができない。しかし、どんな小さな声でも、オッタルは
?
141
それは、今まで考えたこともない欲求だった。
強者と戦いたいと思ったことはあれど、斬り殺したいと思ったことはない。
斬り結びたいと思ったことはあれど、斬り刻みたいと思ったことはなかった。
殺
し
しかし、この男は違う。
この男を、斬りたい。
│││ゾリ
﹁ほう﹂
本当に小さな傷。いや、傷とも言えないような小さな痕。細い、細い肌の切れ目から
一粒の血が流れでた。私は、斬った。
にやける顔がやめられない。首をしめられていなければ、大声を上げて笑いをあげ、
どうだと言ってやりたかった。お前は見下していた弱者に傷を付けられたのだと、大声
で言ってやりたかった。
声を聞いた。
れは、痛みが限界を越えてしまったからだろう。薄れていく意識の中、私はオッタルの
そう言って、オッタル私を地面に叩きつけた。痛みを感じることができなかった。そ
も﹂
﹁いいだろう。お前を明確な敵として認めよう。例え、それがほんの些細な傷だとして
そして彼は地に墜ちた
142
﹁さあ、登ってこい﹂
それは強者からの試練だったのか、私を挑発するための言葉だったのか。それともフ
レイヤの命令で言っているだけだったのか。ただ、なんだってよかった。その言葉は確
実に私にある願望を植えつけた。
暗くなっていく意識の中、私は確かにそれを見た。鉛色に輝く、この世で最も鋭く、す
べてを斬る物。
ああ、私は貴方を斬りに行こう。きっとその先に私の求める物がある。私が初めて斬
れなかった、貴方を斬ることができれば。
それは、きっと想像できないほど心躍る瞬間になるだろう。
歓喜の思いを抱きながら、とうとう私の意識は暗転した。
■■■■
戦闘が終わり、檻に入っていたモンスターを全部放ったフレイヤはアゼルの元へと向
かった。
﹁ありがたきお言葉﹂
﹁よくやったわ、オッタル﹂
143
動かなくなったアゼルの前で、フレイヤはしゃがみこんだ。そして愛おしそうに、そ
の倒れる青年の髪を撫でた。その表情は恍惚としていた。頬は仄かに朱に染まり、吐息
は熱をおびていた。
﹁貴方、輝いていたわ。思わず斬られたと思ってしまうほどに﹂
フレイヤという神は、人の魂の本質を色として見ることができる。そして、気に入っ
た人間を自らのファミリアに迎え入れる。そうやってフレイヤ・ファミリアはオラリオ
でロキ・ファミリアと並ぶほど力を持ったファミリアとなった。
今回見初めたのは二人。奇しくも二人共同じ故郷で共に時間を過ごし、共にオラリオ
へやってきて、同じファミリアに所属することになった少年と青年だった。
少年の魂は、見たことのないほど透き通っていた。その先がどうなるのか、見てみた
くなった。
青年の魂は、剣を思わせる鉛色をしていた。神である彼女ですら一瞬恐れをなすほ
ど、その色は剣を表現していた。すべてを斬る剣の色。冷たく、鋭く、一切の感情を伴
わない鋼色。それは、きっといつか神でさえ斬ってしまう。神を殺す子供、と考えた瞬
間欲しくなった。今まで見たことのない子供の勇姿を一瞬想像した。
そうして、彼女は動き出した。
﹁絶対に、絶対に私の物になるわ。貴方は逆らえない。ふふ、最初は誰を斬らせようかし
そして彼は地に墜ちた
144
ら﹂
彼が裏切ることになるヘスティアでも斬らせてみようか。自分のお願いであれば、何
でも言うことを聞くのだから、それも面白いかもしれない。それとも、神々の間で永き
に渡り戦っていたロキを斬らせようか。
彼女の中で、想像は膨らんだ。
﹂
?
フレイヤは歌うように、嬉しそうな声で言った。
﹁でも、それを貴方は粉々にした﹂
﹁己の力に絶対の自信があったのでしょう﹂
度も繰り出していた。
その後は傷付いた身体を駆使して、オッタルでなければ反応できないほどの斬撃を何
油断となり、オッタルの一撃をノーガードでもらうはめになったのだ。
それを思ったのは最初の一撃を弾いた時、アゼルは心底驚いた顔をしていた。それが
﹁⋮⋮卓越した剣の腕を持っていますが、どこか慢心をしていた印象があります﹂
﹁貴方から見て、彼はどう
そう言って彼女は立ち上がり、後ろに控えているオッタルに声をかけた。
来てはあげないわ﹂
﹁とっても楽しみよ、アゼル。でも、今はお休みなさい。もっと強くならないと、迎えに
145
﹁ええ、しかし﹂
そう言ってオッタルは自分の腕を見る。それは本当に小さな傷。既に血も止まり、数
分もすれば塞がるであろうほど些細な傷。
しかし、どんなに小さな物でも、それをなしたのが圧倒的弱者であったことをオッタ
ルは内心驚いていた。あの瞬間、腕を掴んだアゼルの手から感じられた恐ろしい力の波
動のような物。それでも、傷は付けられないだろうと高をくくっていたが、その力は
オッタルの予想の上を行った。
あの時オッタルのことを見ていた目を思い出す。それまでは、どこか冷めているよう
﹁最後の瞬間、奴は自らの限界を超えた。いや﹂
な目をしていたアゼルはあの瞬間、燃えるような意志を宿していた。
﹁どこか吹っ切れたように見えました﹂
止まり、自分の腕に装備していたプロテクターを外し、それをアゼルに向かって放り投
そう言って、フレイヤは暗闇へと消えた。オッタルはすぐに後を追おうとしたが立ち
﹁ああ、楽しみだわ﹂
なはずがないと。どこかで破綻しているに違いないと。
そう、フレイヤはどこかで分かっている。あのような魂の色を出せる存在が、まとも
﹁そう。自分の感情に素直になったのかもしれないわね﹂
そして彼は地に墜ちた
146
げた。そして、何事もなかったかのように歩き始めた。
後に残されたのは、無様に地面に倒れる男が一人。
■■■■
目が覚めたのは数分後だったのか数十分後だったのかは分からない。しかし、観客た
ちの喧騒が微かに聞こえることからそう長い間意識を失っていたわけではないらしい。
﹁ぐっ﹂
意識が戻ったことにより痛みを認識したのか、それとも痛みで意識が戻ったのか。こ
こまで激しい痛みを感じたことが久しぶりだったので定かではなかった。
体の節々からくる痛みを感じながら、身体の現状を確認していく。
身体中が痛いが、手足は動かすと筋肉が悲鳴を上げるが動かないことはない。呼吸を
すると内臓が圧迫されるからか、ずきりと痛む。恐らく最初に受けた一撃のせいだろ
う。
そ も そ も オ ッ タ ル の 攻 撃 を 受 け た の は 最 初 の 一 回 と 最 後 の 叩 き つ け だ け だ。そ の
﹂
たった二度の攻撃で、戦闘不能に陥るとは本当に恐ろしい。
﹁ぐッ、がぁッ
!
147
気合を入れて、ゆっくりと立ち上がる。腕で身体を起こし、足で地面を踏みしめる。
たったそれだけの動きのはずなのに、筋肉を一つ動かす度に痛みが波となって襲い掛
かってくる。戦っている間は興奮して麻痺していたのだろう、戦闘後のほうが痛みをよ
り鋭く感じる。
りまわるのが分かった。
付ける。心臓の鼓動はより強く脈打った気がした。どす黒い感情が、心の奥底を這いず
手を伸ばし、それを掴む。私が斬るべき相手、その一部。そして、自らの腕にそれを
目指す
くに鈍い茶色のプロテクターが落ちている事に気が付いた。彼の、プロテクターだ。
脳裏に蘇る彼の纏う空気、声、腕の感触。すべてを頭のなかで再現していく。ふと、近
さらされているだろうという時に、私はあの強者を斬ることばかりを考えている。
私は、なんて人でなしだろうか。リューさんが嫌うわけだ。仲間であるベルが危険に
を支配していたのは歓喜であった。
ことはできなかった、という気持ちは少ないがあった。しかし、やはりというべきか、心
部屋を見回すと檻に入れられていたモンスター達は全員いなくなっていた。止める
のも嫌になったので諦めて、仰向けに倒れていることにした。
立った途端バランスを失い尻もちを付いて再び倒れた。何度かそれを繰り返し、痛い
﹁ッ﹂
そして彼は地に墜ちた
148
ああ、これはいけない。
しかし、私はそう望んだのだ。
私
私は斬りたいと、願ったのだ。
弱者は愚かにも、絶対強者を斬り伏せた先を見てみたいと、渇望した。
その時、廊下を走りこちらに向かってくる足音が幾つか聞こえてきた。急いでいるの
﹂
か、それはかなり早いペースで走っている。
﹁えっ。アゼル君ッ
﹁ど、どういうこと
何があったの
﹂
!?
﹁それは⋮⋮﹂
﹁アゼル君、何があったか教えて。モンスターを逃した人、分かる
﹂
りで倒れている他のガネーシャ・ファミリアの団員を見て、顔を顰めた。
続いて色々な人が入ってきたがその中にはロキ様もいた。彼女は私を一瞥した後、周
﹁おいおい、物騒やな﹂
!
彼女は傷付いた私に驚き、駆け寄ってきた。
ルドの受付嬢でもあるエイナ・チュールというハーフエルフがいた。
倒れたまま顔だけを横に向け、確認するとそこにはベルの担当アドバイザーでありギ
﹁エイナ、さんじゃ、ありませんかッ﹂
!
?
149
答えるのは簡単だ。しかし、答えていいのか正直分からない。犯人が神フレイヤであ
ると説明する中で、当然その動機を話さなければならない。それはつまりベルが狙われ
ていることを話すということだ。
しかし、ギルドは中立の立場を尊重する。ファミリア間の問題も、そうとう大事にな
らないと介入してくれないのだ。今回の事件が大事であるかどうかは分からないが、そ
うでなかったとしたら、エイナさんに話したからと言って解決にはならない。
そして、何よりも。
それで解決してしまったら、私はあの男を斬れない。しかし、それは同時にベルを助
ける可能性を潰すということでもある。
どうしたものかと視線を泳がせていると、ロキ様が私を見ていることに気付いた。彼
女は至って真面目な顔で指を立てて口に当て、黙っていろ、と素早くジェスチャーした。
の状態でした﹂
﹁ほんとーに、ほんとーに
﹁はい﹂
何も覚えてない
﹂
?
エイナさんが男性ギルド職員にそう言い、その男性がその通りにしようとしたがロキ
﹁そっか⋮⋮ならしょうがないよね。誰か、彼に肩を貸して医務室まで運んで﹂
!
﹁すいません、それが覚えてないんです。何があったかもさっぱりでして。起きたらこ
そして彼は地に墜ちた
150
様がそれを止めた。
﹁え、しかし﹂
﹁アゼルとは知り合いやから。なあ
﹁ええ、少しお世話になりました﹂
?
引き下がった。
﹁ほれ、立てるか
?
﹂
﹁犯人は、フレイヤやな
﹁知ってたんですか
﹂
部屋を出て廊下を少し歩くと、周りに人がいないことを確認した彼女は私にそう聞い
の神の仕業って分かるで﹂
﹁阿呆、アゼル以外の子供等は皆﹃魅了﹄で骨抜きにされとったわ。神が見れば誰でも美
?
?
ち上がることができた。
そう言って、痛む身体を起き上がらせる。今回はロキ様に支えてもらうことで楽に立
﹁ええ﹂
﹂
神の言うことには逆らえないのか、普段は色々と小言を言うエイナさんもあっさりと
﹁ロキ様が、そう仰るなら﹂
﹂
﹁ええ、ええ。君たちはここでもっと調べといて。うちが運んどくから﹂
151
モンスターにぼっこぼっこか
てきた。聞いたと言っても、それは確認の意味が濃かった。
﹁で、アゼルはどうしてそんなボロボロなん
﹂
?
﹁私は、弱者だ﹂
﹁⋮⋮うちのアイズたんみたいな事言うんやな﹂
﹁圧倒的強者を前にして、誰しもがそう思ってしまうんでしょう﹂
?
な人間はいるが、正の感情を隠すのは至難の業だ。
ああ、やはり私は嬉しそうに見えてしまうのだろうか。負の感情を抑えることが得意
﹁でも、アゼルはアイズたんと違って嬉しそうやな。おかしくない
﹂
痛む身体が、忘れさせはしない。身につけたプロテクターが蘇らせる。
﹁ええ、実感しました﹂
﹁そらそうやろ。そいつはオラリオ最強の冒険者やで﹂
ぼっこです﹂
﹁いえ、モンスターを放つ前に辿り着きはしたんですが、オッタルという獣人にぼっこ
?
それから会話は生まれず、ロキ様は私を医務室に運び担当医に預けると颯爽とどこか
﹁良く言われます﹂
﹁変なやっちゃなー﹂
﹁おかしいですよね。でも、嬉しいんです﹂
そして彼は地に墜ちた
152
153
へ走っていった。
ベッドに寝かされた私は、装備をすべて外された。できるだけプロテクターを外した
くはなかったが、下着にプロテクターのみという変態的格好を思い浮かべて断念した。
ああ、ヘスティア様とベルにはなんと説明しよう。そもそも、ベルは無事だろうか。
早く︻ステイタス︼の更新がしたい。新しい剣が欲しい。様々な考えが頭を埋め尽くし
た。
しかし、一度プロテクターを視界に入れると蘇る敗北の味。疲れた身体に医師が薬を
塗り包帯を巻く。その行為に身を任せながら、私は眠りについた。
こうして、私は弱者となった。
ファーイたーん、フレイヤー、ドチビー
幕間 神々の宴│そして彼女は│
﹁おーい
﹂
!!
スティアはある神友に会いに来た。
なり恥ずかしい建物の中。ガネーシャ・ファミリアが開いている神の宴に招待されたヘ
場所はガネーシャ・ファミリアのホーム﹃アイアム・ガネーシャ﹄と名付けられたか
言っても過言ではない神の声が、何やら彼女を不愉快な呼び名で呼んでいるからだ。
その声を聞いたヘスティアは固まって口を引くつかせた。最も会いたくない相手と
!
そしてやってきたのは、黒のドレスで身を包んだ女神。現在オラリオ最強とも言われ
の身体で表現する女神。
女に魅了される。銀の髪に、今宵は金の刺繍が施されたドレスに身を包み、美と愛をそ
その横にはもう一人、愛と美の神フレイヤもいた。彼女が歩くだけで多くの存在が彼
ス・ファミリアの主神兼社長を務めている。
う大きな眼帯で隠した神だ。名はヘファイストス、鍛冶を司る神で現在はヘファイスト
その会いたかった神友が横にいる、燃えるような赤い髪に右目を顔の半分覆うであろ
﹁あっ、ロキ﹂
幕間 神々の宴─そして彼女は─
154
るロキ・ファミリアの主神にして、ヘスティアが嫌う相手だ。いつもは男物の格好をし
﹃今宵は宴じゃー
﹄ っていうノリやろ
ているが、今夜は珍しくドレスを着ていて周りの注目を浴びている。
﹁何しに来たんだよ君は﹂
﹁なんや、理由がなきゃ来ちゃあかんのか
!
むしろ理由を探すほうが無粋っちゅうもんや。はぁ、マジで空気読めてへんよ、こ
?
﹂
﹁くっ、ろ、ロキッ﹂
ストスが止めていなければ確実に拳が出ていただろう。
会って早々失礼な事を言うその神にヘスティアは殴りかかる寸前だった。ヘファイ
のドチビ﹂
?
辿々しい喋り方となっていた。
﹁君の︻ファミリア︼に所属しているヴァレン何某について聞きたいんだけど﹂
﹁あ、︻剣姫︼ね。私もちょっと話を聞きたいわ﹂
ラグナロクー
みたいな感じで﹂
ドチビがうちに願い事なんて、明日は溶岩の雨でも降るんとちゃうか
ハルマゲドーン
﹁うぅん
?
言われたその言葉に文句を言いたそうなヘスティアだが、質問が相当大事なのか文句
!
ヘスティアはロキと口も聞きたくないのか、かなり無理をして口を動かしているため
﹁なんや、ドチビ
?
!
?
155
をすべて飲み込んで言った。
﹁⋮⋮聞くよ。その噂の︻剣姫︼は、付き合っているような男や伴侶はいるかい
﹂
ち以外があの子にちょっかい出してきたら、そいつは八つ裂きにする﹂
﹂
﹁あほぅ、アイズはうちのお気に入りや。嫁には絶対出さんし、誰にもくれてやらん。う
?
?
君から質問っていうのも珍しいじゃないか。明日は﹂
?
﹂
!
﹁アゼル
ヘスティアが前言ってた眷属のうちの一人
﹂
?
まった。それは怒りにも似た感情が見えたからだった。
普段糸目のロキの目が薄く開いているのに気付いたヘスティアは一瞬言い淀んでし
﹁そ、そうだよ。赤髪の、剣士だよ。それがどうしたんだいッ﹂
?
仕返しをしようとしていたヘスティアの台詞を途中で遮ってロキは発言した。
﹁最後まで言わせろ
﹁ドチビんとこのアゼルなんやけど﹂
﹁な、なんだい
ええよな﹂
るならそれをベルに言い諦めさせるつもりだったのだ彼女は。
ズ・ヴァレンシュタインに恋心を抱いているからだ。もし、付き合ってる男や伴侶がい
その質問の真意、それはヘスティアの眷属の一人ベル・クラネルがその︻剣姫︼アイ
﹁ちッ
!
﹁こっちからも質問ええか
幕間 神々の宴─そして彼女は─
156
な
﹂
?
と い う か な ん で ベ ル 君 も 知 っ て る !
!
﹂
ま、まさか狙ってるとかじゃないだろうね
!
そう、なぜならアゼル・バーナムという青年はベル・クラネルという少年を成長させ
﹁このままやと、アゼルはいつかぶっ壊れるで﹂
﹁お前は随分ベルとかいうのに入れ込んどるから気付いとらんみたいやけど﹂
解していなかった。
もそも、何故ロキがそう断言できるほどアゼルとベルの関係を知っているのか、何も理
その意味をヘスティアは理解できなかった。あんなこと、とはどんなことなのか。そ
﹁はッ、アホか。そんなんやからあんなことになんねん﹂
!?
?
﹁同 郷 の 幼 馴 染 だ
そ れ く ら い 知 っ て る
﹁じゃあ、もう一人のベルとかいう冒険者との関係は ちゃんと把握しとるんやろう
!
﹂
﹁お前、ちゃんとアゼルのこと見てるんか
?
﹂
ちゃんと見ているとも
!
﹁し、失礼なッ
157
﹂
るためにいるようなものだから。
﹁き、君に何が分かるッ
ナムという青年の成長もかなりハイペースだ。
た。しかし、ベルというかなり特殊な存在がいたから注目しなかったが、アゼル・バー
ベルの爆発的な成長を見ても、嫉妬もせず焦りもせずただあるがままに受け入れてい
の剣の腕は一流であるとベルからは聞いたが、実際目にしたことはない。
ベルと同郷の幼馴染で幼いころからベルの祖父から剣の手ほどきを受けてきた。そ
思えば、ヘスティアはアゼル・バーナムという青年のことをあまり知らない。
既にロキの目はヘスティアを睨んでいた。
﹁ッ﹂
ら、もう自覚してなかったみたいやけど、辛そうな顔やったで﹂
﹁﹃試 練 て い う も の は 越 え ら れ る 者 に し か 与 え ら れ な い﹄。ア ゼ ル が 言 っ た 言 葉 や。そ
!
﹁べ、別に贔屓していたわけじゃ﹂
し。でもえこ贔屓はあかんやろ﹂
﹁あんな、お気に入りの子がいるんわ仕方ないことや。うちもアイズたんお気に入りや
そう、何も知らない。それは、ヘスティアが何も聞かないからだ。
︵君はどこで何をしているんだ︶
幕間 神々の宴─そして彼女は─
158
﹁お前がそういうつもりはなくてもな、子供達は分かんねん。うちらが子供達の心が分
かるように、子供達もうちらの事よう見てるんやで﹂
再びいつもの様に糸目に戻ったロキはニヤニヤと笑い始めた。
﹁その調子やと、奪っちまうで﹂
﹂
﹁ロキ、そんなこと言っちゃだめでしょ
としたが、止めた。
﹂
その発言にヘスティアとヘファイストスが驚愕する。フレイヤは一瞬ロキを睨もう
﹁なッ
!
﹁そんなことさせるもんかっ
アゼル君は﹂
なら、その二つを別けてしまえばいい。
ル・クラネルという冒険者にある。
らはその答えを導き出すことはできなかった。しかし、その原因は明らかだ。それはベ
アゼルが苦しむ理由は、正直な所ロキにはまだ分からない。酒場で得た少ない情報か
それは確信であった。
﹁心配なだけや。うちにいる方がよっぽどええに決まっとる﹂
﹁ふふ、ロキはその子の事気に入っちゃったのかしら﹂
﹁アンタにだけは言われとうないわフレイヤ﹂
?
159
!
﹁ベルに必要な子、か
﹁ッ﹂
﹂
ロキはそう言うと背を向けて歩き出した。
どな、辛いもんは辛いんや。その苦しんでる子を見放してどうすんねん﹂
そら、辛くもなるやろ。自分を分からなくもなるやろ。本人は分かってへんみたいやけ
ゼルがそれ以外の生き方を知らんからや。誰かの犠牲になるように生きてきたからや。
﹁アゼルはお前の心に気付いとるで。気付いた上で一緒におるんや。でもな、それはア
えていたんだと、心を後悔が蝕む。
が何を考えていたのかに気付いてしまった。恋は盲目というが、自分はなんてことを考
ロキに何を言おうとしていたのかを予想されたこともそうだったが。何よりも、自分
ヘスティアは息を呑んだ。
?
﹁はあ⋮⋮ほら、帰るわよ。今晩はうちで飲みましょ﹂
﹁僕は⋮⋮主神失格だよ﹂
﹁ヘスティア﹂
なさで押しつぶされそうな気持ちだった。
それだけ言うと、颯爽と雑踏へと消えていった。残されたヘスティアは悔しさと情け
﹁ええか、ちゃんと見てやれよ﹂
幕間 神々の宴─そして彼女は─
160
﹁ヘファイストス⋮⋮だめだ、早く帰って会わないと﹂
﹁アゼル・バーナム。ベル君の幼馴染だ﹂
﹁その子、アゼルだっけ﹂
ティアとその横に腰を掛けるヘファイストスがいた。
場所は変わってヘファイストスの私室。そこにはソファの上に体育座りをするヘス
﹁⋮⋮うぅ﹂
﹁それで﹂
■■■■
い。ヘファイストスはそこまで気にせずヘスティアを連れて会場から立ち去った。
気づくとフレイヤもその場から消えていた。神というのは自由奔放な性格な輩が多
﹁フレイヤって、もういないし﹂
﹁⋮⋮ありがとう、ヘファイストス﹂
﹁そういう時は感謝するものよ﹂
﹁ごめんよ﹂
﹁今のアンタと会ったってその子が困るだけよ。話、聞いてあげるから﹂
161
﹁それで、アンタは贔屓してたの
﹁う⋮⋮してた、かもしれない﹂
正直に言ってご覧なさい﹂
ルを助けていたのは。そして、アゼルはそのことに不満を言わなかった。
う空気を醸し出していた。だからだろう、ヘスティアが無意識にアゼルを放っておきベ
アゼルは、悩む素振りまったくしない。ベルは、ずっと何かに悩み助けて欲しいとい
アも気にしなくなっていた。
そういう生活をしていたのだろう、幼馴染であるベルが気にしないから次第とヘスティ
いつも、アゼルは気付いたらいなくなって、そして気付いたら帰ってきていた。元来
?
?
﹁貴方が頼りないからじゃない
﹂
﹁アゼル君は、僕を頼ってくれないんだ﹂
た悩みを抱えていたに違いない。
ように、何か自覚しないまま、心の奥底で、それこそ主神でさえ気付けないような隠れ
ヘスティアは思い返す。アゼルは何かに悩んでいたのだろう。ロキが教えてくれた
﹁うぅ、不甲斐ない﹂
していないから大丈夫、だなんて言えないでしょ﹂
﹁あのねヘスティア。何も子供達はずっと冒険をしているわけじゃないのよ 怪我を
﹁アゼル君は、いつも怪我一つせずに帰ってくるんだ。だから、大丈夫だろうって﹂
幕間 神々の宴─そして彼女は─
162
?
﹁ヘファイストスぅ、君は僕を慰めてくれるんじゃなかったのか
﹂
?
﹂
?
でしょうけど。何か心当たりはある
﹁⋮⋮ある。でも、言えない﹂
﹂
?
途端、彼女を恐怖が襲った。
そヘスティアはレアスキルという事実に喜んだ。しかし、その神聖文字をそっと触った
ヒエログリフ
ヘスティアの心当たり、それはアゼルの所有する︻剣︼というスキルだった。最初こ
スパーダ
事でアゼルって子を見ないようにした。まあ、ベルって子を好きっていうのは本当なん
﹁そう、ベルっていうもう一人の子供が分かりやすい子だったから。その子に入れ込む
﹁逃げた
﹁貴方は逃げたのよ﹂
いた。
なっていた。その彼女が喜んで家族ができたと報告しに来た場面を彼女は思い出して
堕落で、天界から下界に降りてきた後もファミリアを作らずにヘファイストスに世話に
ヘスティアとヘファイストスは天界にいる頃からの神友だ。ヘスティアはとても自
へと流し込んだ。何を言ってやろうかと、悩んでいた。
そう言ってヘファイストスはテーブルに置かれたグラスを口まで持って行き少し口
﹁誰がそんなこと言ったのよ。話を聞いてあげるって言ったの﹂
163
それは︻剣︼だ。すべてを斬ることができる︻剣︼。つまり、それは自分達神でさえ斬
デ ウ ス デ ア
れ て し ま う か も し れ な い 代 物。そ れ を、彼 女 は ス キ ル に 触 れ て 理 解 し て し ま っ た。
超越存在と呼ばれる者達を屠る唯一つのスキルなのかもしれない。
それが、そもそもの原因だったのだろう。アゼルの人となりを知ると恐怖は和らいだ
﹂
が、それでもそのスキルに触れると蘇るのだ。
﹁それは、どうにかできないの
﹁どうにも、できないよ﹂
れだけを消すことなど不可能なのだ。
そうだろう。それはアゼル・バーナムという人間が培ってきた︻経験︼の集合体。そ
?
﹁え﹂
﹁だって、そうでしょう
いと﹂
?
の外伸びたのか、少しだけヘファイストスは楽しそうだった。
ヘファイストスはへこたれるヘスティアの頬を掴んで伸ばした。柔らかい頬は思い
﹁もう、そんな顔しちゃだめでしょ﹂
﹁それは、そうだけど﹂
どうにもできないなら、その原因も受け入れて愛してあげな
﹁じゃあ、もっと頑張らないといけないわね﹂
幕間 神々の宴─そして彼女は─
164
﹁ふぁふぁめろぉ﹂
﹁いつもの貴方はどこへいったの 底抜けに明るくて、悩んだら当たって砕けろと言
165
てなきゃだめ。それが、子供達に可能性を与えた私達の責任﹂
ヘスティアもヘファイストスをしっかりと抱きしめた。
﹁⋮⋮うん。そうだね。うじうじするなんて僕らしくないよね﹂
﹁そうよ。もし辛くなったら私に言いなさい。一晩くらい付き合ってあげるわ﹂
﹂
意を決したヘスティアはヘファイストスから離れて、いきなり頭を下げた。
﹁分かった﹂
﹂
﹁お願いだヘファイストス。あの子達に、装備を打って欲しい
?
!
!
頼むよ、この通りだ
﹂
それでも、僕は力になりたいんだ ううん、今力になるって決めた
﹁⋮⋮貴方、私にどれくらい借りがあるか知ってる
﹁分かってる
僕はアゼル君も、ベル君も愛してみせる
!
!
﹁傷付くことを恐れちゃだめよ。子供達のためなら傷付いたっていい。それくらい思っ
頬を離しヘファイストスはそっとヘスティアを抱いた。
わんばかりに突っ走って、私をいつも心配させてた貴方は﹂
?
に教えた最終奥義だった。
勢い良くヘスティアは土下座をした。それはタケミカヅチという男神がヘスティア
!
!
﹂
﹂
何年かかろうともよ﹂
﹁はあ⋮⋮まあ、やる気にさせたのは私だし。しょうがないわねえ﹂
﹁打ってくれるのかいヘファイストス
うん
!
!
﹁打ってあげるわよ。でも、ちゃんとお金は払うこと
﹁うん
!
﹁で、何を打つの
その子たちの得物は
﹂
﹂
﹁ベルくんはナイフだけど⋮⋮アゼル君は何を使うんだろう﹂
?
﹁じゃあ、何打つのよ﹂
﹁し、しょうがないだろ、聞いたら何でも使えますって言ったんだ
?
﹂
?
﹂
!
﹂
そう、アゼルの︻ステイタス︼は器用と俊敏に偏ったテクニックタイプの剣士だった。
﹁盾、ううん。もっと軽い物かな﹂
﹁盾とか
﹁何か、守る物がいい
うーん、と唸りながら頭を抱えるヘスティア。しかし、それも一瞬。
!
?
から、ヘファイストスはヘスティアの涙に弱かった。今回は嬉し涙であったが。
疲れたような顔をして、抱きついてくるヘスティアの頭を撫でるヘファイストス。昔
﹁まったく﹂
!
﹁それも知らないの
幕間 神々の宴─そして彼女は─
166
﹂
﹂
力がないといけない盾はあまりいい案ではなかった。
﹂
﹁じゃあ、籠手とか
﹁それだ
﹂
僕も手伝うから
﹁でも、籠手は時間掛かるわよ
?
﹁何日掛かったっていい
﹁当然でしょ﹂
!
!
﹂
!?
﹂
?
﹂
﹁そんな訳ないだろう 僕は君は打ってくれる装備が一番好きなんだ ありがとう
満
﹁当たり前でしょ。私の個人的な依頼に子供達を巻き込むわけにはいかないわ。何、不
﹁君が打ってくれるのかい
そう言ってヘファイストスは壁に架かっている槌を持ち上げた。
!
?
167
!
!
ヘファイストスがヘスティアに付き合わされたのは、一晩では済まなかった。
た。いい気分で打てそうだ、そう彼女は感じていた。
曇り一つ無い笑顔を向けられたヘファイストスは、自らも笑っていることに気付い
﹁まったく⋮⋮﹂
!
望め、さすれば与えられん
束の間の休息
アゼル・バーナム
Lv.1
力:H 161 ↓ H 199
耐久:I 71 ↓ H 104
器用:G 245 ↓ F 314
敏捷:G 201 ↓ G 243
魔力:H 105 ↓ H 126
フトゥルム
︽魔法︾
︻未来視︼
・
早熟する。
︻地 這 空 眺︼
ヴィデーレ・カエルム
︻剣︼
スパーダ
︽スキル︾
束の間の休息
168
・
・
・
・
︻絶対強者︼を倒さない限り効果持続。
条件:強者と相対する。
条件クリアにより弱体していた期間に比例する全アビリティブースト発動。
全アビリティ弱体補正。
﹂
?
らったらしい。私のことなどつゆ知らず、二人はその後私を探してギルドに行きエイナ
その後、過労で倒れたヘスティア様の介抱のため豊饒の女主人の二階を使わせても
して、そのシルバーバックをベルがなんとか撃退し、九死に一生を得た。
放ったモンスターの一匹、巨大な猿の化物﹃シルバーバック﹄に追い回されたらしい。そ
後から知ったことだが、祭りを一緒に回っていたベルとヘスティア様はフレイヤが
ヘスティア様が厳しい顔で私を見上げた。
﹁君は⋮⋮何をしたんだい
が質のいい︻経験値︼をもたらし、より多くの成長を促したのだろう。
自分の感覚ではあるが、恐らくモンスターを倒したことよりオッタルとの戦闘のほう
︻経験値︼が私の身体に反映された結果がこれだ。
エクセリア
ダンジョンでの集中的なモンスター狩りと、数日前敗北したオッタルとの戦闘。その
熟練度上昇値トータル200を超えた自分の凄まじい成長ぶりに驚いた。四日間の
﹁これは﹂
169
さんから私が事件に巻き込まれた事を知った。
武器は
なので、ヘスティア様とベルは私の身に起こったことを知らない。ましてや、今回の
ちゃんと休むことっ
もう怒ったぞ
﹂
事件の首謀者が神フレイヤで、その目的が私とベルであることも知らない。
ダンジョンなんかに行くんじゃないぞ
!
﹁少し、ボコボコにされてきました﹂
預かる
!
のかだ。
ろう。把握しなければならないのは、どれほど弱くなるのか、それとどれほど上昇する
がどれほどの強者でなければいけないのか分からないが、そこは私の個人的感覚なのだ
その効果は弱体を対価とした一時的アビリティの上昇と成長促進だ。強者、というの
オッタルに敗北したことにより発現したスキルだ。
であった。︻地 這 空 眺︼、地を這い空を眺める、そこにはきっと彼がいるから。明らかに
ヴィデーレ・カエルム
そう、
︻ステイタス︼の書かれた紙を見て私を最も驚かせたのは新しく発現したスキル
!
﹁本当に、ベル君と言いアゼル君と言い、無茶をし過ぎだッ
!
﹁そんな殺生な、せっかく新しいスキルが出たというのに﹂
!
﹁新しいスキルが出たからだ 言っておくけど、自分を弱くするスキルなんて危険極
束の間の休息
170
だって数値より低くなってるんだから﹂
まりないんだからね。︻ステイタス︼には反映されていないけど、アビリティの熟練度
!
絶対だぞ
それは大した問題には感じられない。元々低い︻ステイタス︼で戦ってきたのだから、
今日一日は絶対にダンジョンに行っちゃだめだからね
﹂
!
今更少し下がったところでどうなるという話だ。
﹁いいかい
破ったら怒るからね
!
﹃ギギッ
﹁シッ﹂
﹄
﹄
層からしたら休んでいると言ってもいい、かもしれない。
行きたいという欲求が勝ってしまい、結局は来てしまった。7階層なので私の到達階
器を持たずに構えを取っていた。
そして現在ダンジョン7階層、
﹃キラーアント﹄と呼ばれる巨大な蟻を目の前に私は武
﹃ギィイッ
!!
■■■■
器を持たずに街へと歩き出した。
もするだろう。一日休んだだけで主神のご機嫌取りができるならいいか、と思い私は武
怒るヘスティア様は可愛いので破ってもいいのだが、そうすると怒ると同時に悲しみ
!
?
!
171
キラーアントは多くの新米を死なせるモンスターらしい。その硬い甲殻で攻撃を弾
き返し、攻めきれない冒険者を鋭い爪で刺し殺す。このモンスターが出るまで硬い表皮
﹄
をしたモンスターというのは出てこないからだ。
﹃ギャッ
﹄
﹂
に恐れをなしたのか、ゆっくりと後退していた。
物足りない。残ったキラーアントは私に襲いかかった仲間が一瞬で殺されていく様
に手を突き入れて絶命させる。
横から振るわれるキラーアントの爪を手刀で斬り飛ばす。間髪入れず、空いた手で頭
﹃ギィギ
﹃ギギギ﹄
きく痙攣して動かぬ屍となった。
腕を振り下ろしキラーアントの頭を斬り落とす。首から血を吹き出しながら一度大
なって、より倒しやすい敵にしているだけだ。
しかし、硬い甲殻など私にとっては何も意味を成さない。むしろ動きを阻害する物と
!
!
?
いった。今は、例えどれほど小さな経験だろうと糧にして成長しなければならない。腕
そんなこと私が許すはずもなく、既に戦闘の意志をなくしたモンスターを斬殺して
﹁見逃すと思いましたか
束の間の休息
172
に装備したプロテクターが身体にそう語りかけていた。
﹂
?
これは後でヘスティア様に何か言われるのだろうと思いつつ、私はそのときのベルの
におけない﹂
﹁そういえば、今日は誰かと出かけると言っていましたね。デートだったとは、ベルも隅
一緒に歩いているのを見つけた。
アリバイついでに豊饒の女主人で時間でも潰そうと歩いていた私は、エイナとベルが
﹁おや
リティワンランクダウンくらいでだろうか。
前回の更新した時のステイタスより低くなっているということはないようだ。各アビ
テイタス︼の分なのだろうが、弱体化したかどうかというのが分からない。この分だと、
むしろ、身体の調子は今までにないくらい絶好調であった。それはきっと伸びた︻ス
﹁身体の違和感は、あまりない﹂
く必要もあるかもしれない。
きた。帰りが遅くなれば疑われるかもしれないし、地上にいたというアリバイを作って
数時間ダンジョンに潜りモンスターを倒した私は、少し物足りないが地上へと帰って
﹁うーむ﹂
173
﹂
困ったような顔を思い浮かべた。こちらに助けを求めてきても、私は知らぬ存ぜぬを貫
き通すと心に誓った。
■■■■
﹁おや、リューさんお出掛けですか
?
﹁お出掛けなら私とデートでも﹂
いかもしれない。むしろ、そうであれ。
豊饒の女主人の裏口付近を通ったのは本当に偶然だったが、これは運命と言ってもい
を通って移動していた。
ないし移動に時間が掛からないことを分かった私は一人の時は大抵入り組んだ路地裏
それはたまたまであった。最近ではオラリオにも慣れ、路地裏を通ったほうが人も少
﹂
﹁なんで貴方が裏口にいるんですか
?
﹁一人で大丈夫です﹂
のですよ﹂
﹁では、私も買い出しに付いて行きましょう。荷物持ちがいれば買い出しも楽というも
﹁これから買い出しですので、お断りします﹂
束の間の休息
174
行く、来るな、という問答を数分繰り返した私とリューさんだったが、早く行かない
と行けないので折れたのはリューさんであった。私は折れないことに定評があるので
セルチ
当然といえば当然だ。
﹁なら、付いてこないでください﹂
﹁ほら、荷物持ちがいるほうが効率的ではないですか
?
﹂
﹁おや、これはすみません。いや、でも別に厭らしい目で見ていたわけじゃないですよ
﹁そのような目で私を見ないでほしい﹂
しまう。もう既に怒っているかもしれないが。
そして、飛んできた平手を私は掴むのではなく叩き落とした。掴んだらまた怒られて
│││パシンッ
撃されても迎撃できるような隙のない歩き方だった。
肉によって、体幹がかなりしっかりとしている。重心がまったくブレず、いつどこで攻
ため息を吐くリューさんの少し後ろで、私はその歩く姿を見ていた。均等に付いた筋
﹁⋮⋮はあ﹂
効率的、なんていい響きだ﹂
﹁分かってますよ。私、女性が嫌がることはしないので﹂
﹁私から三十 C 以上近寄らないでください﹂
175
?
女性の後ろ姿、しかも下半身をジロジロ見ていたから勘違いされたのだろう。それ
は、違う。私は決してそんな邪な気持ちで見ていたのではなく、戦って欲しいなあ、と
思っただけで。
﹁獲物を見るような目で見ないでほしい、と言っているんです。正直落ち着きません﹂
﹁よかった、勘違いしてなかったんですね﹂
﹁邪な目であれば、即刻蹴り飛ばしています﹂
獲物を見るような目なら厳重注意で許してくれるくらいには心を許してくれたよう
だ。まったく許されている気がしないが、邪な目で見るよりはマシな扱いだ。
﹁でも蹴ってくれたほうが戦いに持ち込み易いのか﹂
﹂
もう何も言わずにスタスタと歩いて行ってしまった。しかも早歩き。
﹁⋮⋮﹂
﹁待ってくださいって。冗談です冗談﹂
﹁貴方が言うと冗談に聞こえない﹂
?
こか戦闘を好む輩ばかりでしょう。逆説的に、私は良い冒険者になれる素質がある、と
反論を許さないような冷たい声だった。しかし私が思うに高レベルの冒険者は皆ど
﹁事実です﹂
﹁非道いなあ。私をそんな戦闘狂のように思ってるんですか
束の間の休息
176
思えば少しは戦闘狂と言われるのも嬉しいかもしれないですね。
﹂
今度好き
その後リューさんは私をこき使い、買い出しの荷物を全部持たされた。帰りも路地を
歩いて、人気のない道を歩く。
当然貴方のことがす﹂
﹁なぜ貴方は私に構う﹂
﹁それを聞きますか
﹁殴りますよ
﹁そうですねえ⋮⋮美しいと思ったからでしょうか﹂
だと連呼でもしてみよう。そしたら殴りかかってくるかもしれない。
好きと言いたかったのだが、そんなに私に言われるのが嫌なのだろうか
﹁冗談はよしてほしい﹂
?
﹁貴方は何を斬った
どれほど斬った
どんな想いで それが知りたいと思った
?
?
んです。接してみるとなかなか愉快な人であるというのもありますが﹂
?
がなんとなく分かる。
る。その大凡の実力も分かる。しかし、それ以上にどのように剣と向き合ってきたのか
武人は、相手の雰囲気だけで力量を計れるという。私は、相手が剣士かどうかが分か
の塊に似ていた﹂
﹁本当ですよ。貴方の雰囲気が、目がとても美しかった。とても鋭く、全てを斬り裂く鉄
?
?
177
﹁⋮⋮非常識な人だ﹂
﹂
﹁詮索はしません。教えて貰えるだなんて思ってもいませんから﹂
﹂
﹁では、なぜ未だに私に構っているんですか
﹁いや、ですからすいったッ
?
﹂
﹁リューさん。斬った先に、答えはありましたか
?
■■■■
やはりどこかおかしいのだろう。
含み、絶望した少女の泣き声のように、私には聞こえた。その姿を美しいと思った私は、
それは本当に悔しそうな、泣きそうな声であった。それと同時に怒りを含み、嘆きを
?
﹂
私は、聞いてほしくないであろう彼女に問いかけた。
私の言葉などお構いなしに歩いて行ってしまうリューさんの後を必至で追いついた
﹁待ってくださいよ、足痛いんですけど﹂
﹁行きますよ﹂
のおかげだろう。ありがとう、荷物。
好きだから、と言おうとしたら足を踏まれた。殴ってこなかったのは買い出しの荷物
!
﹁⋮⋮あったとでも思っているんですか
束の間の休息
178
﹂
﹁まったく、ベルも困った奴ですね﹂
﹁アゼルにリューさん
路地を数分歩き、曲がり角を曲がった先でリューさんが立ち止まったので荷物を動か
?
今度は何だァッ
﹂
して見てみると、ベルが少女を男性冒険者からかばっている場面に直面した。
﹁次から次へと⋮⋮
!?
﹂
﹁どいつもこいつも、わけのわからねえことをっ⋮⋮ ブッ殺されてえのかあッ、ああ
と言われたらそうもなりますか。
ベルはリューさんの台詞に唖然としている。確かにいきなり同僚の伴侶となる方だ、
なる方です。手を出すのは許しません﹂
﹁貴方の危害を加えようとしているその人⋮⋮彼は、私のかけがえのない同僚の伴侶と
!
179
!
﹁吠えるな﹂
が、そんなものに意味などない。
そう叫んだ男性冒険者は、自分に出せる最大限の威圧感をリューさんに向けた。だ
!?
たった一言。それだけで男性冒険者は動けなくなった。彼の発していた威圧感が消
えてなくなり、それを上書きするようにリューさんから殺気とも呼べるほどの威圧感が
生じる。
﹁手荒なことはしたくありません。私はいつもやり過ぎてしまう﹂
それでも、男性冒険者は諦めずに目だけはリューさんに反抗しようとしていた。しか
し、彼女が最終忠告として腰に差した短い刀、後で聞いたが小太刀というらしい、へと
手を伸ばし柄を持つと逃げ出していった。
逃げていく男を尻目にリューさんはいきなりその小太刀を抜き放ち、後ろにいる私へ
と振った。
﹂
﹁殺気を向けないで欲しい。武器を持ったくらいで﹂
のせいじゃないですよね。
私はそれを首を逸らしてなんとか避けたが、林檎を二個か落としてしまった。これ私
﹁ちょおおっ
!
﹁えぇと、二人共どうして
﹂
と、抑えるのが難しいほどだ。
本当についだ。剣を持った人を見ると、つい。それがリューさんほどの実力者となる
﹁ああ⋮⋮すみません。つい﹂
束の間の休息
180
?
突然斬りかかったリューさんに驚くも、私が難なく避けたように見えたからか、ベル
﹂
てて言ってるんですよね。
分かっ
はあまり動揺していなかった。決して、私の心配をしていないなどということではな
い、と思いたい。
﹁少しリューさんとデーどッ﹂
一応荷物持ってるんですが﹂
デートと言おうとしたら腹を殴られた。
﹁黙りなさい﹂
﹁あの、リューさん
﹁えぇえ⋮⋮
﹁貴方が不要な事を言うからだ。林檎二つ、買ってもらいます﹂
?
それ、リューさんが斬ろうとしたから落とした林檎ですよ、分かってます
?
﹁ええぇぇええ
で、デートなんかじゃ
!
というかなんで知ってるの
!
﹂
﹁それにしても、ベル。エイナさんとデートとは、貴方も隅に置けませんね、このこの﹂
らいだろう。
の中金を払ってでもしたいことはたくさんあるが、荷物持ちをしたいという人間は私く
荷物持ちをしたのに金を払わねばならない、ということは気にしないことにした。世
﹁はあ⋮⋮分かりましたよ。今回のデー⋮⋮荷物持ちの料金とでも思っておきます﹂
?
181
!?
買い物です
ほら、新し
!
﹂
あれはデートじゃなくてッ 買い物
!
?
﹁偶然見かけまして﹂
﹂
!
﹁クラネルさん、付き合っている女性がいるんですか
い装備
﹁い、いません
!
ところを攻撃から阻むようにできた一品だった。
﹂
﹁おお、いいですね﹂
﹁でしょっ
なんで分かるの
﹂
﹁で、そのプロテクターはエイナさんからのプレゼントですか
﹁だからああぁぁッ
﹂
るだろう。エイナさんはそういう所がないので、性能で買ったんだろう。
ラルドという目立つ色だ。ベルならかっこいいからと言って、買うとしたら黒か白にす
腕に装備しているそれは、白と黒で統一されているベルの装備のなかで一つだけエメ
!?
?
!
﹁一つだけ毛色の違う防具ですからね﹂
!
﹂
それは、面積をかなり少なくして素早さをできるだけ殺さないようにし、且つ重要な
た。白のプレートアーマー。
そう言って自身の身体を見せるようにして立ったベルは確かに新しい装備をしてい
!
﹁本当に、付き合っていないんですね
?
束の間の休息
182
﹁ひゃ、はい﹂
結構な迫力で聞いてきたリューさんに若干怯えながらベルは最終的にデートでない
と い う 事 に し た よ う だ。本 人 は あ あ 言 っ て い る が エ イ ナ さ ん は ど う 思 っ て い る の か。
﹂
見ていれば分かるが、彼女は完全にベルに気がある。
﹁あれ、というか女の子は
というのも﹂
﹁いえいえ、今は少しヘスティア様に会いたくないので。それに女性に荷物を持たせる
﹁帰ってもよかったんですよ﹂
人まで持っていかなければならないので、ついでに夕飯も食べることにした。
そう言って、ベルはホームへの道を走っていった。私は当然ながら荷物を豊饒の女主
﹁助かります﹂
﹁分かったよ。神様には言っておくね﹂
﹁ベル、私は豊饒の女主人で夕飯を食べるので﹂
ルだが根が優しいので助けられたことで満足した。
助けた少女と仲良くなる、なんていうロマンスを考えていたのか、残念がっていたベ
﹁ええっ。気付いてるなら言ってよ。でも助かったならいっか﹂
﹁もう、どっか行っちゃいましたよ﹂
?
183
﹁⋮⋮何をしたんです
﹂
﹁それ店員としてどうなんですか
﹂
﹁食べ終わったらさっさと帰ってください﹂
腰に下げている財布を揺らして見せる。
﹁ほら、まあその分お金は持ってますから﹂
﹁⋮⋮はあ、本当に貴方は、馬鹿ですか﹂
﹁行くなと言われていたダンジョンに行ってしまったんです、武器を持たずに﹂
?
?
歩き出した彼女の後を追う。垣間見た彼女の実力に震える心を抑えるように、両手の
﹂
荷物を強く持った。
■■■■
﹁アゼル君ッ
!
﹁バベルの人に見かけたって人がいた﹂
﹁いえ﹂
﹁君、ダンジョンに行ったね﹂
﹁⋮⋮はい﹂
束の間の休息
184
﹂
﹁⋮⋮はあ、行きましたよ。でも、しょうがないでしょう。私は冒険者だ、力を求めずし
て何をしろと言うんですか
故怒っているのか分からず困惑しているベルもいた。
豊饒の女主人で夕飯を食べて帰ってくると、怒ったヘスティア様がいた。奥には、何
私はそうヘスティア様に言った。
?
上げたのはヘスティア様だ﹂
﹁流石の君もそんな馬鹿なことはしないと思ったからだ
!
﹁今日、君の目撃情報を集めたんだ。そうしたら、どこで君を見たって人がいたと思う
彼女はそう言って、悲しそうに笑いながら私を見上げた。
﹁⋮⋮だろうと思ったよ﹂
﹁すみません、約束はできません﹂
だから、きっとこの約束はできない。
のだろうか。私にはどうにもそう思えない。自分のできることをしたまでだったのだ。
ヘスティア様は俯いて、泣いていた。私がした事は、神を泣かせるほどの所業だった
ないでくれ﹂
もう二度とこんなことはし
﹁武器が無くともあの階層程度であれば問題ないと判断しました。何より、武器を取り
﹁だからって武器も持たずに﹂
185
﹂
﹂
﹁無茶はしません、とだけ言っておきます﹂
﹁もう、二度とこんなことはしちゃだめだ﹂
そう言って彼女は私を強く睨んだ。それは激情だ。何か熱い決心をそこに見た。
﹁まだ、起こってないだけだ﹂
﹁落ち度も何も、何も起こってませんよ﹂
﹁これは、聞かなかった僕の落ち度だ﹂
﹁言ったはずです。無茶はしないと。私はできると思ったからやったまでです﹂
私とベルは共にレベル1の冒険者な上、私は成長速度ではベルに劣っている。
ベ ル が そ の あ り え な い 階 層 名 を 聞 い て 素 っ 頓 狂 な 声 を 出 し た。そ れ も そ う だ ろ う。
﹁え﹂
﹁17階層だ﹂
﹁さあ⋮⋮﹂
?
!
﹁君に何かあったらどうするんだ
一人じゃ絶対死んじゃうぞ
﹂
!
﹁そこで死んだというなら、私はその程度の人間だったということです﹂
!
ヘスティア様が私の服を掴んで縋ってくる。怒ったり泣いたりと忙しい神だ。
﹁しちゃだめだ
束の間の休息
186
﹁僕達がどう思うと思ってるんだ
毎日君の心配をすることになるんだぞ
!
﹂
!
それは、籠手だ。黒塗りの、とても軽い籠手だった。
私はそれを受け取って中身を確認した。
﹁アゼル君、これを君に﹂
を私に差し出した。
ヘスティア様はベッドの下から布に包まった一つの物体を取り出した。そして、それ
﹁いいんだ、ベル君。こうなるだろうって思ってた。これは、僕が招いた事態でもある﹂
﹁いえ、これだけは譲れません﹂
﹁神様⋮⋮あ、アゼルももうちょっと考えてみようよ﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
そう、オッタルを斬るその瞬間まで立ち止まることなどありえない。
と、私はやめない。強くなるために、私は歩みを止めるわけにはいかない﹂
﹁では、言いましょう。ヘスティア様やベル、いえ誰でもです。誰が私の心配をしよう
つけたことはなかった。
今日のヘスティア様はやけに突っかかってくる。今までこんなにお互いの意見をぶ
﹁知ったからにはそんなことできっこない﹂
﹁しなくて結構です。今まで通りにしていてください﹂
187
﹂
﹁君のために作ってもらった、僕からのプレゼントだ﹂
﹁えっと、あの
は吸い込まれるような錯覚を感じた。
何かが変わったのだろう。ヘスティア様は真っ直ぐと私の目を見た。その双眼に私
よ。もう、逃げたりなんかしない﹂
君 の 家 だ。君 の 帰 る べ き 場 所 だ。忘 れ な い で 欲 し い。僕 は、ち ゃ ん と 君 の こ と を 見 る
﹁だけど、忘れないで欲しい。僕は、ここにいる。ここで君を待っている。だってここは
た。
彼女は儚く微笑んでいた。それは、とても美しく、この世のものとは思えない笑みだっ
その時、私は初めてヘスティア様を神として見た気がする。埃にまみれた地下室で、
する﹂
言ったから。僕は、神として君の意見を尊重する。今まで無傷に帰ってきたから信用も
﹁アゼル君。君が一人で中層に行くのは、本当はやめて欲しい。でも、君はやめないと
?
かった。
とのない感情だった。それが、なんなのか私はよく知らない。でも、不快なものではな
彼女の言葉が私の中へと突き刺さってくる。今まで感じたことのない、向けられたこ
﹁僕は、君のことも大好きだと、言えるようになる。約束だ﹂
束の間の休息
188
﹂
台無しだ
﹂
!
﹁それはプロポーズですか
もう、せっかく良い事を言ったのに
!
?
﹁はい﹂
﹁肌身離さず持っておくように
﹂
んでいく。まるで氷を溶かす温もりののように、まるで毒のように。
滑らかな表面を触ると、冷たいはずの装備が温かかった。それは、私の中へと溶けこ
﹁この籠手、大切にしますね﹂
く拳は弱かったが何かが私の中に響いた。
そして、少しからかうとヘスティア様はいつも通りに戻っていた。ぽかぽかと私を叩
﹁ち、違うよ
!
それが私の強さの糧になるか、それだけが私の懸念だった。
変えたのかもしれない。
私は彼女の涙の意味を知らない。それでも、彼女が私の中に響かせた何かは私を少し
て寝た。
ただ、ヘスティア様との距離が縮んだ気がした。その晩、ベッドで三人川の字になっ
!
189
刀鍛冶の少女
﹁あ、あの﹂
それは、私がダンジョンに行くため高くそびえるバベルへと向かって歩いていた時
だった。バベルの足元は昔塔が崩壊した関係で大きな円形の広場となっている。なん
でも、最初に地上に降りてきた神が降りてくる際に塔に激突して壊したらしい。
﹂
?
花が描かれたものだ。
﹁何か御用でしょうか
﹁え、えと﹂
﹂
着ている服は極東の人達が好んでいている着物という物で、淡い青色を基調にし赤い
気な紫水晶のタレ目が覗く。顔は整っていて、街を歩けば多くの男が振り向くだろう。
私より頭ひとつ程低い背丈に肩口ほどまで伸びた黒い髪。長い前髪からは自信なさ
女がいたことが本題だ。
そんなことはどうでも良く、その広場で荷物の確認をしていた私に話しかけてきた少
﹁私ですか
?
﹁は、はい﹂
刀鍛冶の少女
190
辺りをキョロキョロ見たり俯いたりして、何を考えているのか分からないが時間がか
かっている。私は今一刻も早くダンジョンへと行きモンスターを狩って熟練度を上げ
たいのだが。
﹂
?
﹂
!
まさか狙ってないですよね、とは聞けなかった。
ことにした。
るような目で見られ、居心地が悪かったのでとりあえず少女をダンジョンに連れて行く
目の前には舌を噛んで痛がる少女が一人。頭を下げられた私は周りから不審者を見
﹁私をダンジョンに連れて行ってくだしゃい
そうして彼女は意を決して頭を下げながら高らかと私に言った。
﹁貴方を
﹁わ、私を﹂
だ。
ダンジョンに行くことはできない、かもしれない。あまりしたいことではないのは確か
を足止めする誰かの陰謀なのでしょうか。流石の私もいたいけな少女の話を無視して
そして急かしてみると舌を噛んで更に時間がかかってしまう始末。なんでしょう、私
﹁ひゃい、あぅ﹂
﹁私はそれなりに急いでいるので。できれば早く言ってください﹂
191
■■■■
お互い自己紹介をし、少女の名前は忍穂鈴音と分かった。ヘファイストス・ファミリ
アの一員で専門は刀、所謂刀鍛冶だと教えてくれた。
﹂
﹁あ、あの﹂
﹁ん
﹂
いが、ダンジョンであれば、それほど珍しいという光景でもない。
物だ。普通に見れば、私が少女に自分の荷物を持たせている鬼畜最低野郎にしか見えな
その彼女は今私の横で鞄を背負って歩いている。それは、彼女の荷物ではなく私の荷
?
?
か鍛冶以外にダンジョンで役に立つものがなかったらしい。私からしたら街でアルバ
彼女自身には戦闘能力は皆無だ。︻ステイタス︼のおかげで重い荷物が持てる程度し
くなどの作業をすることにした。
れ、彼女はサポーターとして冒険者の荷物を運んだり、モンスターの死骸から魔石を抜
しかし、それでは生きていけないのでどうにかして金を稼ぐ必要がある。必要に迫ら
彼女は現在刀鍛冶を休業しているらしい。事情は聞かなかった。
﹁どこまで行くんですか
刀鍛冶の少女
192
イトでもしたほうが良いように思えたが、どうにも少女は人間関係の構築が苦手のよう
だ。
なら、何故私に話しかけたと思ったが、まあ気まぐれということもあるので気にしな
いことにした。
﹁え﹂
﹂
﹁サポート、頼みますよ
﹁えぇぇ
?
﹁知ってますよ﹂
﹁わ、私戦わないです﹂
﹁鈴音さんがいるので二人です﹂
﹁だ、だって。一人だし﹂
﹁それじゃ物足りないから態々中層に行くんじゃないですか﹂
﹁も、もっと浅い層にしましょうッ。ねっ、ねっ﹂
トチ狂ったことをするのは私くらいだとヘスティア様に言われたが。
だからと言って中層に行かないわけではない。むしろ私は積極的に行く。まあ、そんな
私の軽装さを見て駆け出し冒険者だと思ったのだろう。間違いではないが、駆け出し
!
﹂
﹁とりあえず15階層辺りですね﹂
193
私の服を引っ張りながらやめるように私を説得しようとする鈴音さん。これが普通
の反応なのだろうか。今までずっと一人で探索をしていたので分からなかったが、そう
なのかもしれない。
﹁別に嫌なら付いてこなくていいですよ﹂
﹁そんなぁぁ⋮⋮﹂
﹂
﹁はぁ⋮⋮安全は私が保証しましょう。私のそばにいる限り守ってあげましょう﹂
﹁ほ、本当に
ね
鈴音さん。狙ってないですよね
まさか貴方もシルさんと同類とかではないですよ
上目遣いに涙目という最早狙っているのではないかと思ってしまうほどの事をする
?
?
タイプですね。
私の提案を受け入れた。人を信じやすい性格なのかもしれない。いつか絶対騙される
私の言葉のどこに信用できる要素があったか、言った自分ですら分からないが彼女は
﹁な、なら、行く﹂
﹁ええ﹂
?
﹁はいっ﹂
﹁では、急ぎますよ﹂
刀鍛冶の少女
194
﹃キキィッ
﹄
﹃ガウッガウッ
﹄
!!
﹄
私との距離が空いたことで、一体が鈴音さんを狙おうと顔を逸らしたので急いで間に
る。大きく横に飛ぶことでそのすべてを避けながら剣を振りぬき一体の首を刎ねる。
アルミラージ三体が走りだし、それぞれが石の斧を振り上げながら攻撃を試みてく
﹃キィッ
法であることに変わりはない。
モンスターが大抵攻撃してきてくれるので問題はあまりないのだが、慣れていない戦
つ必要ができてしまう。
がいるので闇雲に相手に突っ込んでいくわけにはいかない。つまり、相手が来るのを待
普段であれば敵が攻撃する前に速攻で倒す私だが、今日は守らなければいけない存在
ショートソードを抜き、モンスター達の前で構える。
﹁は、はいっ﹂
﹁そこにいてくださいね﹂
道中13階層。目の前にはアルミラージとヘルハウンドの集団が待ち受けていた。
!!
!!
195
入り注意を再び私に向けさせる。
﹁貴方の相手は私ですよ﹂
﹄
何体かのヘルハウンドが同時にブレスを吐いているのか、炎の勢いは留まらずかなり
﹁ひゃあ﹂
飛び退きながら鈴音さんの所に戻り、彼女を抱えてまた飛び退く。
く炎によるダメージを受けるらしい。モンスター皆仲間というわけではないようだ。
炎の中からアルミラージが燃えながら突貫してくる。どうやらモンスターも関係な
のブレスだ。実際に見るのは初めてだった。
私が飛び退いたのと、炎が眼前を飲み込んだのはほぼ同時だった。ヘルハウンドの炎
次の瞬間、未来が赤く染まった。
やはり、人型のモンスターはある程度動きが読めるので相手がしやすい。
地した瞬間に首を斬り飛ばす。
いうのは不便なもので回避行動が取れなくなる。視界に映る斧の軌跡を避けながら、着
私の声に反応したのか、アルミラージは飛び上がり斧を振り上げた。しかし、空中と
﹃キッキィッ
!
﹄
広範囲に広がってしまった。
﹃グギィッ
!!
刀鍛冶の少女
196
そして、炎の中から一匹のアルミラージが飛び出してくる。
鈴音さんを抱えていて剣が振れないので仕方なくショートソードを投擲し牽制する。
剣士としての腕は老師が認めるほどだったが、投擲術はからっきしだった。投げて当た
ればいいか、くらいだ。
アルミラージはそのまま炎の中で燃え死んだ。
﹂
?
﹄
!
以外のモンスターは見えないので急いで倒してここを離れるとしよう。一人守りなが
時間経過によって晴れてきた炎の先に、三体のヘルハウンドが待ち受けていた。それ
刀を逆手に持ち、拳を振りぬくようにして刃でヘルハウンドの喉を斬り裂く。
炎を突っ切ることの出来ない私にとっては好都合だ。
に火耐性でもあるのだろう、まったく焦げること無く炎を突破していた。
炎の向こうからヘルハウンドが襲い掛かってくる。己の火で傷つかないように毛皮
﹃ガウッ
それは、30 Cほどの短い刀だった。少し短いが、素手よりはリーチがある。
セルチ
しても後で聞きましょう。
鈴音さんの着物に差してる短い刃物を許可無く抜く。緊急事態なので文句があると
﹁え
﹁ちょっとお借りしますね﹂
197
ら戦うにはヘルハウンドのブレスが厄介極まりない。
﹁鈴音さん、もっと近付いてください。産まれる可能性もあります﹂
離れすぎるといきなり背後から産まれたモンスターなどの対処ができなくなってし
﹁はいぃ﹂
﹄
﹂
まうので、とりあえず近付くように言っておく。
﹃ギャウッ
﹁伏せてなさいッ
﹁魔石はいいですから、戻りますよ﹂
﹁あ、魔石﹂
に刀を差し込み脳を破壊し、戦いは終わった。
残る一匹は疾走しながらその牙で私を噛もうと突撃してきたが、それを避け横から頭
かと落としを喰らわせ地面に伏せさせる。間髪入れず刀を脳天に突き刺し殺す。
目の前から飛びかかってくるヘルハウンドに向かって脚を大きく振り上げ、顔面にか
!
!
私は投げたショートソードを回収し、上層へと戻ることにした。
﹁わ、分かりました﹂
﹁人を守りながら戦うというのが初めてなので、少し上の階層で慣らします﹂
﹁え、でも﹂
刀鍛冶の少女
198
﹂
それから数時間経ち、私と鈴音さんは地上へと戻ってきていた。
﹁こ、こんなに貰っていいんですか
﹁いいですよ、別に﹂
﹂
?
差なのだ。それを埋めるためには、私が器を昇華させていくしかない。ダンジョンでモ
差、それはただの地力の差ではない。レベルという、その個人の器とでも言うべき物の
もちろん、私がダンジョンに行く理由は強くなるためでしかない。オッタルと私の
﹁ええ﹂
﹁そ、そうなんですか
﹁私は別にお金が欲しくてダンジョンに潜っているわけではないので﹂
しかし、問題は。
る魔石の量は格段に上がるのだ。
どたかが知れている。荷物持ちとしてサポーターがいるだけで持って帰ることのでき
稼ぎは私一人で探索するより断然良かった。当たり前だが、戦いながら持てる荷物な
階層でオークとインプを相手にした。
鈴音さんという非戦闘員が一人いると思い通りに戦闘が進まないので泣く泣く10
そう言って私はヴァリスの入った袋を彼女に手渡した。
?
199
ンスターを倒し、熟練度を上げランクアップしていくしかないのだ。
結局、私は鈴音さんとそこで別れた。私としてはサポーターという存在があまり必要
とは思えなかったからだ。彼女としても、中層で危険に遭うのは本意ではないだろう。
どうか少女に幸あらん事を、と願いながら私はホームへと戻った。
■■■■
﹁いらっしゃいませ﹂
﹂
﹁こんばんはリューさん﹂
﹁お一人ですか
﹁ええ﹂
だけじゃなければ、私も一緒に食べるのだが。
も来るが、ベルはホームでヘスティア様と夕飯を食べるほうが好みらしい。じゃが丸君
一度ホームに戻り、私は常連となったこの店へと夕食を食べに来ていた。時々ベルと
?
出迎えてくれたリューさんと話しながら、定位置となったカウンター席へと案内され
﹁暇になるまでいますよ﹂
﹁今日はお酌を出来るほど暇ではありませんので、絡まないでください﹂
刀鍛冶の少女
200
る。何度も私の接客をしているせいか、リューさんは私という存在に慣れ始めていた。
﹂
﹂
以前であれば若干厳しい目つきだったが、今は普通に話してくれている。
﹁ご注文は
﹁もっと話しません
﹁営業中です﹂
﹁私と話すことは﹂
で深く考えずに借りたが、刀に準ずる物を振るったのはあの時が初めてであった。
手を見ながら、ダンジョンで握った短い刀を思い出す。あの時は緊急事態ということ
﹁そういえば﹂
か分からない武器まであるくらいだ。
助具と冒険者が扱う武器は多岐にわたる。多岐にわたり過ぎて、そもそもそれが何なの
巨大なハンマーや大剣を始め、弓やボウガンと言った遠距離武器、杖などの魔法の補
だ。眺めて強いか強くないか、どのような装備をしているのか観察をしていく。
まった。周りを見渡すと、いつもの様に賑わっている酒場の客達はほとんどが冒険者
仕 方 な い の で 料 理 と 酒 を 頼 む と リ ュ ー さ ん は カ ウ ン タ ー の 奥 へ と 歩 い て 行 っ て し
﹁ですよね﹂
﹁仕事に含まれていません﹂
?
?
201
そういえばフィンさんは斬ることに特化した剣だと言っていた。まるで自分のよう
だな、と謎の共感を持ちながら柄を握った感覚をイメージする。
剣とは最早私の身体の一部だ。柄を持った感覚からその先に付いた刃の形、触り心
地、空気を斬った感触、肉を裂いた感触を自分の中から引っ張りだす。
少し反った刃は美しく、滑らかな断面は指に吸い付くような触り心地だった。空気を
斬る感触は、今まで使っていたショートソードとは比べるまでもなく鋭く、肉を裂いた
瞬間そもそもショートソードとはまったくの別物だと気付いた。
斬るということに特化した刀剣、その通りであった。
﹁物騒なのでやめてください﹂
﹂
﹁殺気が漏れていました﹂
まった。
頼 ん だ 料 理 を 運 ん で き た リ ュ ー さ ん が お か し な 事 を 言 う の で 思 わ ず 聞 き 返 し て し
﹁何がですか
?
?
敏感だ﹂
﹁いや、本当にわざとじゃないんですよ
信じてくださいよ﹂
﹁つい、で酒場で殺気を振り撒くのはやめて頂きたい。ここの店員はそういった物には
﹁それは失敬。つい﹂
刀鍛冶の少女
202
﹁⋮⋮普段の貴方の殺気はもっと鋭い。今回は信じましょう﹂
変な信頼のされ方をされてしまったが、信じてもらえたのでよしとする。
﹁後にしてください﹂
﹁後なら聞いてくれるんですね
?
﹁それで、話しとは
﹁今度手合わせを﹂
?
﹁リューさん料理できないでしょう﹂
﹁明日の仕込みが﹂
﹂
らここは止められない。
いえばミアさんと話すか、客の観察くらいしかない。それでも、それなりに楽しめるか
ていった。リューさんの仕事が落ち着くまで何時間かかることか。その間することと
言ってしまったことは取り返せないと思ったのか、リューさんは肯定して仕事に戻っ
﹁⋮⋮ええ﹂
﹂
﹁少しだけでいいので、少しだけ﹂
﹁仕事に戻ります﹂
﹁あ、そういえばリューさん﹂
203
﹁ぐっ﹂
以前ミアさんに聞いた話だがリューさんの料理の腕は壊滅的らしく、厨房での仕事は
野菜の皮剥きか皿洗いくらいしかないらしい。まあ、恐らくこの店での一番の役目は荒
事なんだろうと思っている。
あれも刀の一種かと思いまして﹂
ですが。まあ、なかなか手に馴染んだので試しに握ってみようかと思いまして。扱い方
﹁いえね、今日少し刀を振るったんですが。いや、短いからなんて呼ぶのかは知らないん
﹂
を教えてもらえないかな、と﹂
﹁それで何故私に
﹁以前、小太刀を持っていましたよね
たので
万が一、いや億が一ということも
そして出された結論は拒否であった。受け入れて貰えるとは微塵も思っていなかっ
れで事足りるはずだ﹂
﹁ダンジョンに行けば刀の使い手くらいいるでしょう。見て、盗めばいい。貴方ならそ
その時の事を後悔してか、リューさんはため息を吐いた。
けられたのは襲おうとしていた男性冒険者だけでなく、私自身もだったからだ。
少女を庇うベルを助けるときに抜いた小太刀はまだ記憶に新しい。なにせそれを向
?
?
それほど落胆はしなかった。なら何故誘うのか
?
刀鍛冶の少女
204
あり得るからだ。
もう話は終わりと言わんばかりにリューさんは立ち去っていった。
﹂
?
﹁これはいい考えだ﹂
そもそもあれは鈴音さんの物で、彼女は刀鍛冶だ。
﹁あ﹂
日も適当に振るってしまった。
ソードのように振るうのを想像してみるが違和感が残るばかりだった。そういえば今
刀を持った自分を思い浮かべるが、やはり振り方がいまいち分からない。ショート
思い続ける。
りかける。ああ、刀は私を貴方にどれほど近づけてくれるだろうか。ただ、それだけを
腕につけたプロテクターから熱を感じる。私に突き進め、登り詰めろ、斬り刻めと語
﹁つれないなあ。せっかくお近づきになれると思ったのに﹂
ら歩く姿も隙がなくて美しい。
了承したリューさんはそれをミアさんに報告し、店の奥へと姿を消した。いつもなが
﹁料理、追加でお願いします﹂
﹁なんですか
﹁あ、リューさん﹂
205
刀鍛冶の少女
206
今朝出会った時の鈴音さんを思い浮かべる。唐突な出会いに、若干迷惑だった非戦闘
員という不確定要素。正直、もう会いたくないと思っているほどだったが、なかなかど
うして。
運命的な出会いだったのかもしれない。
ジョッキに残っていた酒を飲み干し、勢い良く立ち上がり、座り直す。料理を頼んだ
ばかりであった。周りから若干変人を見る目で見られたが、そんなこと既に気にしてい
なかった。
ああ、早く明日になれ。今すぐ彼女に会いたいという衝動を抑えながら、料理が来る
のを待つ私は落ち着きのない子供のようだったとミアさんに言われた。
果たしてその感情は
﹁いいかい、その子と今後関わるならちゃんとその子から事情を聞いておくんだよ
ないんだからね﹂
?
いいですよね
﹂
!
まさかその子に惚れたとかじゃないだろうね
﹁忍穂鈴音さんです。はい、教えました。いいですか
﹁君は何をそんなに急いでいるんだい
?
うと思っている事をヘスティア様に言ってしまったのだった。
その時私はつい興奮して、早く明日にならないか、とこぼして今日も鈴音さんに会お
て、仲間がいると戦い方が変わりますね、という話しをした。
終わりにその日の報告を強請ってくるようになったので、昨日は鈴音さんの話しをし
ヘスティア様が昨日私が話した事について言及してきた。ヘスティア様は最近一日の
朝食を食べ終わり、さていざバベルに行き鈴音さんを探そうと出かけようとした所に
くから﹂
﹁まだだめだよ、その子の名前を聞いてない。機会があれば僕の方からも少し調べてお
﹁分かってますよヘスティア様。なので行っていいですか
﹂
ヘファイストスとは神友だけど、ファミリア間で問題なんて起きたらそういうのは関係
?
207
?
ファミリア間での結婚は難しいよ
﹂
﹁そんなことはどうでもいいので、行ってきます
?
■■■■
いた事など、私は知らない。
﹂
その後時間が押していることに気付いて急いでバイトの支度をするヘスティア様が
ているような⋮⋮﹂
もベル君がそういうことに興味津々だから二人でバランスが取れていると言えば取れ
うもでいいって、アゼル君らしいけど、もう少しそういうことにも興味を⋮⋮いや、で
﹁ちょ、もう行っちゃったよ⋮⋮ベル君もアゼル君も落ち着きがないなあ。というかど
!
?
﹂
?
ながら、誰かに声をかけるべきかどうか悩んでいるところに私が走ってきた。居ても
運良く、彼女は昨日と同じようにバベルの広場にいた。キョロキョロと周りを見渡し
﹁気に、しないでください﹂
﹁なんでそんな疲れてるんですか
﹁はあっ、はあっ。お、はようございます。ここに居てくれて助かりました﹂
﹁あ、アゼルさん﹂
果たしてその感情は
208
立ってもいられず、ついかなり本気で走ってしまった。
﹂
?
可します﹂
?
﹁これが、一般的な打刀﹂
刀と言っても、色々と種類がある。
﹁私に、刀の扱い方を教えていただけないでしょうか
﹂
てもらう相手でも、ちゃんと礼をもって接するのは当然のことだ。
思ってみれば、誰かに師事することは老師以来のことである。それが例え初歩を教え
息を整えながら背筋を伸ばす。
必要とするお願いがあるのです﹂
﹁ええ、私も少し物足りないモンスターで満足することができ、尚且つ鈴音さんの同行を
﹁お願い、ですか
﹂
﹁私のお願いを聞いていただければ、これからも必要なときにダンジョンへの同行を許
﹁はい
﹁鈴音さん、言いたいことは分かります﹂
﹁そ、その﹂
209
?
﹁ふむ﹂
﹂
﹁こっちが脇差し、これが小太刀﹂
﹁一緒じゃないんですか
大な刀剣だ。
セルチ
太刀の上に、違いを分かりやすくするためか野太刀がかけてあった。90Cほどの長
の﹂
大きさとかで変わる。その上の大きいのが大太刀とか野太刀っていう、太刀の大きい
﹁でもダンジョンでは馬なんて乗らないから、刀と太刀の違いはちょっと曖昧。反りが
﹁なるほど﹂
魔だったのが理由﹂
太刀は騎乗している時に使うものだったから刃を上にして携帯すると馬に当たって邪
﹁使い方の違いと携帯の仕方に違いがあった。刀は刃を上にして差す。太刀は刃が下。
そう言って鈴音さんは壁にかけられている太刀を指さした。
﹁脇差しは小さい刀、小太刀は小さい太刀。あっちにあるの60 Cくらいのが太刀﹂
?
﹂
?
場所はバベルのダンジョンに向かう地下とは反対の方向、4階にあるヘファイスト
﹁駆け出しの人はあんまり知らない、かも
﹁それにしても、バベルの上にこんな場所があったとは﹂
果たしてその感情は
210
ス・ファミリアの店の一つだ。バベルの4階より上には商業系ファミリアの店が設置さ
れており、街と何も変わらず武器などの購入ができるようになっていた。
刀の扱い方を知るならまずは自分に合った刀を探すことから始める、と鈴音さんが
言ったのでやってきた次第だ。材質によって重心の違いや振った時の感触などが違い、
やはりより自分にあった得物を持ったほうが良いのは当然のことだろう。
かのように慎重な触り方であったし、吐息を漏らした時など恋する乙女かと思わせるほ
刀を鑑賞する彼女の目は少し恍惚としていた。刃を触る手も、まるで壊れ物に触れる
﹁もしかして鈴音さんって﹂
私に呼ばれ、彼女は刃を鞘に戻して私の方に振り向いた。
﹁は、はい﹂
﹁鈴音さん﹂
けで刃物の切れ味を想像させる程だった。
模様を見た。少し波打ちながら刃の先から手物まで伸びる色の違う二層は、見ているだ
もう少し刃を抜き、光に掲げて浮き出る刃紋を眺める。私もつられて上を向き、その
して、彼女はその光に見惚れていた。次に表面をなぞるように触り、吐息を漏らした。
鈴音さんが刀を一本手に取り、刃を少しだけ鞘から抜く。美しい銀の光が刃から反射
﹁はぁ⋮⋮綺麗﹂
211
どだった。
﹂
そのことから導かれる結論は。
﹁刃物が好きなんですか
﹁ほ、本当ですか
﹂
﹁いえいえ、私も刃物大好きですから﹂
る。
あ、戦闘が大好きな戦闘狂が多い冒険者に比べればそう異常な趣味ではないように思え
良くないと言うべきか、一般的な趣味ではないということは理解しているらしい。ま
頬を赤く染めながら鈴音さんは俯いた。やはり女性らしくない、というより世間体が
﹁お恥ずかしながら⋮⋮﹂
?
なにせ剣を持っている時が一番落ち着くと言っても過言ではないくらいだ。
﹁ええ、それはもう﹂
!
ほら、見てください﹂
!
そこから鈴音さんの刀のどこが美しいか、どこにどのような違いが出てくるかなど詳
﹁いや、あの﹂
﹁それは勿体無いです
﹁いやあ、私は斬れれば良いという感じなので﹂
﹁いいですよね刃物、特に反りとか﹂
果たしてその感情は
212
しい説明を聞かされた。
特にここオラリオでは珍しい鉱物がたくさん取れるので刀の刃紋や反り方など、色々
な違いが出てくるらしい。その上モンスターのドロップアイテムを元にして作った刀
などは従来の刀とはまったく別の特徴的な刃紋などを出すようで、それはもう熱く語っ
てくれた。
然のことなのだが、その平凡な装備の中で自分と合った物を探し、そして専属の鍛冶師
こに置いてあったのは平凡と言っていいような刀ばかりだった。価格帯を考えれば当
4階に売っていた見た目も美しく、おそらく性能も一級品であろう刀達とは違い、そ
場所は移って6階に設けられている東方の装備が多く並んでいる店。
﹁いえいえ、私もためになりましから﹂
﹁す、すみません。つい﹂
だった。
ている、より手頃な価格で武器が手に入る店へと移動したのは一時間も過ぎてのこと
結局、その事実に気付いて4階より上の未熟な鍛冶師達が自分を売り出すために儲け
﹁あ﹂
﹁一応言っておきますけど、お金はあまりないですからね﹂
213
として契約を結ぶという流れがあるらしい。
﹁いやあ、今までは特に考えずに剣を持っていたので、こうやってじっくり見るのは初め
てな気がします﹂
﹁ちゃんと選ばないと﹂
私は斬ることに関してだけはスキルによる恩恵があるので、あまり選ばずにいたが確
かに手足の長さや身体の捌き方など、癖に合った一本を選んだことはなかった。どうせ
後々高いものを買うのだから今は何でもいいだろう、と思って面倒臭がったのもあった
が。
しかし、今は面倒臭がっている場合ではない。
斬りたい相手が出来た。
そのためなら、武器を選り好みし自分の動きに合った武器というものがどのような物
なのか把握しておくのは必要なことだろう。
何本も何本も刀を見て、触り、鑑賞することによって刀に関してだけはかなりの観察眼
詳しく聞いた所、鈴音さんが刃物に触れ始めたのは六歳の時だったらしい。それから
﹁言われてみれば﹂
﹁ちゃんと違う。これとこれは材質が違うし、重心も若干こっちのほうが手元に近い﹂
﹁しかし、ここに置いてあるのはどれも同じような⋮⋮﹂
果たしてその感情は
214
を養ってきたと言っていた。
﹂
?
﹁いんちき
﹂
﹁ああ、あの女ファミリアじゃいんちき鍛冶師って言われてる﹂
予想外の一言に少し驚きながらも確認を取る。
﹁鈴音さんと、ですか
﹁あの女とはあんまりつるまない方がいいぜ﹂
てある。
員しか立ち入ってはいけない場所だったのだろうか、と一瞬思ったが普通に品物が置い
少し店の奥のほうに足を踏み込んだ私に一人の男が話しかけてきた。もしかして店
﹁はい﹂
﹁おい、あんた﹂
たので二手に別れて、鈴音さんのオススメを選んできてもらうことにした。
そう言って鈴音さんと私はその店を物色し始めた。刀のコーナーはなかなか広かっ
﹁こっちのがいいと、思う﹂
﹁うーん、これは若干長いですね﹂
215
?
話を聞いてみると、なんでも鈴音さんが刀を打っていた頃彼女の作品はどれもこれも
素晴らしい出来だったらしい。打った刀の数々の中にはレベル3の上級鍛冶師が制作
した第二等級武装に匹敵するものもあったらしい。しかし、彼女は未だレベル1の鍛冶
師に過ぎなかったのだ。
そんなありえない事をしてしまった彼女に対して、誰が言い始めたのか分からないが
ある噂が流れ始めた。
忍穂鈴音は誰かに武器を打ってもらってそれをあたかも自分の物のように売ってい
る、という根も葉もない噂だ。
しかし、レベル1で第三等級以上の物を打つより現実味があったのか、その噂はまた
たく間にファミリア内に広まった。
﹁それで、鍛冶をしなくなったのか﹂
﹁自分じゃ何も打てないってのが専らの噂だ﹂
だったようだ。
そう言って男はそそくさと戻っていった。本当に私に鈴音さんの話をしに来ただけ
﹁ええ、情報ありがとうございます﹂
﹁とにかく忠告はしたぞ﹂
﹁さて、私は鍛冶については詳しくないのでなんとも言えませんが﹂
果たしてその感情は
216
それにしても、彼女に聞かずに彼女の事情をある程度把握してしまった。流石にどの
ようにして業物を打っていたのかまでは分からなかったが、そもそもそういった個人の
製法やスキルに関しては聞かないことがマナーだ。
彼女は謂わば鍛冶師達の面汚しのような扱いを受けているのだろう。人に武具を打
たせるなど矜持もクソもない。
﹂
?
から﹂
﹁ええ、いんちきかどうかは置いておいて、鈴音さんの刀に対する想いを私は知りました
﹁ほ、本当
﹁私は別になんとも思っていませんよ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁鈴音さん﹂
﹁あの、私﹂
気まずそうな顔をして、彼女はとぼとぼと私の所へと歩いてきた。
の刀を持っていて、大方私の元へと戻ってきた時にさっきの話を聞いていたのだろう。
後ろを振り向かずに呼びかけると、棚の後ろから鈴音さんが出てくる。手には何本か
﹁あぅ﹂
﹁はあ⋮⋮鈴音さん、気付いてますから﹂
217
﹁あり、がと﹂
今日だけで鈴音さんから刀に関する多くのことを聞いた。それを話していた鈴音さ
んは活き活きとしていて、人に刀を打たせるような人間には見えなかった。
私の言ったことが意外だったのか、少し涙目になりながら鈴音さんは感謝を述べた。
﹂
﹁いえいえ、言ってはなんですが私もなかなかのいんちき剣士ですから﹂
﹁
ターは早々出てこないから全部斬れるだろう。
あろうと、私が斬れると信じれば斬れる。そして、おそらくオッタルより強いモンス
謂わばレベルという枠組みを飛び越えた斬撃だ。どれほどレベルの高いモンスターで
仮に彼女がレベル1にしてレベル3の鍛冶師と同等の刀を打つというなら、私の剣は
私は何を言おうとしているのか分からず鈴音さんは首を可愛く傾げた。
?
一度いんちきのレッテルを貼られた彼女の作品は例え普通の物であっても売り場の
﹁まあ、印象は最悪でしょうからね﹂
﹁うん、でも⋮⋮いい場所に置かせてもらえなくて﹂
﹁普通のを打とうと思えば打てるんですね﹂
﹁ここには、普通のしか置いてないと思うけど﹂
﹁あの話を聞くと、鈴音さんの打った刀が見たくなってきますね﹂
果たしてその感情は
218
隅などに追いやられしまったのだろう。彼女に連れられ、店のかなり奥のほうまで歩く
とそれは置いてあった。
﹂
?
﹁ええっ
﹂
﹁はい、もうこれを買うしかないってくらいです﹂
﹁そ、そこまで
﹁何がいんちきですか。この階で見たどの刀より惹かれる一振りですよ﹂
﹁えと、ありがとう﹂
﹁いいですね﹂
り返す。
など千差万別である。何度か力を入れて握ったり、逆に力を入れずに持ってみたりと繰
柄をしっかりと持ち、握り心地を確かめる。柄一つもっても、柄巻の巻き加減や素材
﹁これは﹂
の階で見たどの刀よりも、それは美しい光を映しだした。
受け取って少し刃を抜いて状態を見る。揺らめく炎のような刃紋が浮かび上がり、こ
黒塗りの鞘に、黒の柄巻。どこからどう見ても普通の刀である。
刀についた埃を払って、彼女は私に一本の刀を手渡した。
﹁これ、です﹂
219
!?
即決した私に驚き鈴音さんが素っ頓狂な声を上げたが、私は気にせずのその一振りを
レジまで持って行って買おうと移動をし始めた。
しかし、そもそも幾らなのか見ていなかったので一応値札を見てみた。
﹁安っ﹂
﹁うぅ⋮⋮安くすれば売れるかな、と思って﹂
﹁そう単純な話ではないでしょうに﹂
値札に付いていた数字は四八〇〇ヴァリス。私の手持ちは一〇〇〇〇ヴァリスなの
で余裕で買える値段だ。
﹁まあ、私にとっては好都合です。それにこれから鈴音さんにはダンジョンに付いてき
てもらうので、お返しは出来ますよ﹂
■■■■
体を蹴って仰向けにすると、彼女が魔石を取り出すのを待った。
抜刀、勢いを殺さずに逆袈裟に頭を斬り一刀両断した。鈴音が取りやすいようにその死
そう言ってアゼルは現れたキラーアントに一足で接近し腰に差してある鞘から刀を
﹁いやあ、確かにダンジョンの真上に店があると楽ですね﹂
果たしてその感情は
220
﹁覚えるの、早い﹂
﹂
?
はそれを眺めていた。集中しているアゼルは気付いていないが、その表情はどこかうっ
指摘された所を意識しながらアゼルがまた素振りをする。魔石を取り終わった鈴音
﹁ゆで玉子を握りくらいで、いい﹂
﹁そうですか
﹁まだ少し握りが固い﹂
る。
られた型をそのままそのようなモンスターに転用できるかと言うと、答えは当然否であ
なにせダンジョンにいるモンスターの多くは異形なのだ。人型の戦闘を予想して作
と言えるだろう。
かし、ダンジョンでそれが役立つかと言われると、若干役に立たない場面のほうが多い
鈴音に基本の型を教えてもらったアゼルはそれを何度も繰り返し練習していた。し
振り下ろした瞬間握る力を少し強め、絞るように柄を握る。
柄を両手で握り、左拳が頭より上に来るまで上げ、そこから素直に下に振り下ろす。
ゼルは再び素振りを始める。
鈴音がしゃがみながらキラーアントの胸部を自分の持っているナイフで抉る横でア
﹁まだ基本しか教えてもらってないじゃないですか﹂
221
果たしてその感情は
222
とりとしていた。
完成している、それが鈴音の感想であった。
刃として、刀として、アゼル・バーナムという人間が持つと何かが完成したのだ。そ
れは、彼女が見惚れてしまう程に美しい光景だった。
ましてや握られているのは自分が打った刀なのだ。刀は持ち手を得て初めてその真
価を発揮する。その使い手がどのように振るかによって、なまくら刀にも業物にもな
る。刀とその使い手を見てきた鈴音にはそのことが良く分かっていた。
しかし、アゼルが持った突端その範疇を超えた。
振るわずとも、持っただけで鋭さが増したのが彼女は肌で感じとった。ダンジョンに
備わった鈍い光が、彼が持っただけで美しい銀閃となって反射された。
そして一度振るった姿を見たら、動悸が激しくなるほどの魅了されてしまった。
出会いはほんの偶然であった。
既にファミリアで募集されているバイトは噂のせいでほとんど相手にしてもらえず、
かと言って接客業など彼女に出来るわけもなく、サポーターとして冒険者に付いていこ
うと思い立った。
しかし、それもなかなか難しく、元来内気な彼女は異性が苦手な方だったこともあり
男性が多い冒険者の中に入っていくことは出来なかった。話しかけることに戸惑って
223
いる間に冒険者達は早々とダンジョンへと行ってしまい、機会を逃す毎日を過ごしてい
た。
そこに現れたのがアゼルであった。
彼女がその瞬間に不思議な感覚に襲われた。
ただ立っているだけのアゼルの雰囲気がどうしても自分に慣れ親しんだ物のように
感じられたのだ。
刃のような人。
それは、ありふれた表現なのかもしれないが、彼女はそう思わずにはいられなかった。
空間を斬り裂く一閃一閃が、より一層彼女にその思いを募らせる。文字通り、身体から
放たれる雰囲気が鋭く冷たい金属のそれなのだ。彼女が最も愛してきた、一振りの刀の
ような雰囲気。
人生で今までずっと眺めてきた刃をその身で体現するアゼルに彼女は惹かれた。ど
のようにしてそうなったのか、そもそもどういう意味なのか彼女は知りたくなった。刀
がどのような製法で、どのような材料で出来ているのか知りたくなるような感覚と同じ
ように。
だから普段と違い話しかけることができた。
もっと知りたい。
もっと触れてみたい。
それは、恋する乙女のような感情だと彼女は気付かなかった。
次々と敵を切り刻んでいくアゼルを眺めていると、鈴音の道具袋中が微かに、しかし
確実にボンヤリした光を放った。何が光っているのか確認した鈴音は驚きながら一つ
の決心をした。
人知れず、忍穂鈴音は恋に落ちた。
■■■■
﹂
﹁ふう、やはり試行錯誤して剣を振るうのは良いですね﹂
﹁こんなに、いいの
?
かったのだが。
十分の一くらい貰えれば食べるのには困らないくらいなので、それくらいの割合でも良
た。鈴音さんは断ったが、私としてはそれくらい有意義な時間だったのだ。私としては
地上に戻り適当な酒場に入って、その日の分配を話し合い半分ずつということにし
はもっと高い値のはずですしね﹂
いいですよ、授業料として受け取ってください。この刀も本来
﹁まだ言うんですか
?
果たしてその感情は
224
ちなみに豊饒の女主人に行きたいのはやまやまだが、あそこに行くとリューさんに
やっぱり、もっと欲しいですか
﹂
ちょっかいを出してしまい話し合いができなくなってしまうかもしれないので行くの
は止めた。
﹁あ、あの﹂
﹁なんですか
?
くもない。
﹁何か、失礼なことでもありましたか
﹂
﹁そうでもなくて⋮⋮アゼルさん、はもっと良い刀、欲しい
﹁それは、欲しいですけど﹂
その質問はたぶん誰にしても答えは一緒だろう。
?
?
今は休業しているが、彼女は刀鍛冶である。久しぶりに店に並ぶ刀の数々を見て打ち
だんだんと、彼女が何を言おうとしているのかが私にも分かってきた。
﹁あのね⋮⋮私﹂
﹂
断じてやましことはしていない。していないが、彼女が気にしているという可能性はな
もしかして私が何かしたのだろうか。別に教えてもらっている時に身体は触れたが
言いにくい事なのか、俯きながらチラチラと私を見て言い淀んでいる。
﹁そ、そうじゃなくて⋮⋮その﹂
?
225
たくなったのだろう。
﹁誰かのために刀を打ちたいと思ったの、初めてで﹂
鈴音さんの頬に少し赤みが増す。それは飲んだ酒のせいだけではないのだろう。私
の目を見て、彼女はまるで告白でもするかのように言った。
セリフの最後に近付くにつれ声量もだんだんと落ちていき、最後の﹁です﹂はほとん
﹁私、アゼルさんの刀が打ちたい、です﹂
ど聞こえないほど小さな声だったが、確かに彼女はそう言った。
何が彼女にそこまでさせるのか、私には分からなかったがやる気があるのは良い事
だ。何かが切っ掛けとなって再び鍛冶をするようになれば、彼女の状況もまた何か変わ
るかもしれない。
﹁鈴音さん﹂
﹁は、はいっ﹂
完全に俯きテーブルと睨めっこしている彼女に呼びかけ私に顔を向かせる。頬が笑
えるくらい赤くなり、今にも湯気でも出すのではないかというような状態だった。
﹂
?
﹁鍛冶師から武器を打たせてくれ、なんて聞いたことないですよ。普通、打ってもらう方
﹁え、あの私が打ちたいって﹂
﹁もし宜しければ、私のために刀を一振り打ってくれませんか
果たしてその感情は
226
から頼みます﹂
気絶するようにテーブルに彼女が突っ伏したのはそのすぐ後の話だ。
﹁ちょ﹂
﹁きゅぅ﹂
思った。
こ れ は、彼 女 と の 関 係 も 思 っ て い た よ り 長 い 付 き 合 い に な る か も し れ な い。そ う、
にとって、それはどんな言葉にも勝る賞賛に他ならない。
それはつまり彼女は私に、彼女の打った刀を持って欲しいと思ったということ。剣士
﹁打ちたいと言ってもらえたのは、嬉しかったですよ﹂
テーブルの上に置かれた彼女の手を握って私は言った。
﹁でも﹂
﹁そう、ですよね。ちょっと、変でした﹂
227
﹂
試行錯誤・上
﹁これが
﹂
!
﹂
られ、思わず結晶を地面に落としてしまった。
石を目に近づけた瞬間、身体全体に悪寒が走ると共に何かの記憶が脳に直接捩じ込め
﹁本当にこんなものが⋮⋮ッ
たらそこらに落ちている綺麗な石だと思ってしまうような物だ。
人差し指と親指で挟んで光にかざしてじっくりと見てみる。何も言われずに渡され
と言い、彼女のレベルを飛び越えた武器生成の素だと教えてくれた。
そして今、私の手の中には透き通った青い石が握られている。鈴音さんはこれを結晶
部屋とは思えない空間だった。
言っても共同住宅の一室なのだが、その一室にはずらりと刀が並んでいてとても女性の
今 日 は 鈴 音 さ ん に 刀 の 詳 細 な 情 報 を ま と め る た め に 彼 女 の 家 へ と 呼 ば れ た。家 と
﹁うん﹂
?
!?
自分の物ではない、誰かの記憶。薄暗いダンジョンの床で徐々に冷たくなっていく感
﹁ど、どうしたの
試行錯誤・上
228
覚さえもが自分の身体へと植え付けられる程、その記憶は鮮明だった。
そしてその誰かは願った、地上に戻りたいと、家族に会いたいと、死にたくないと。世
界を呪いながら、その願いで頭を埋め尽くしその誰かは死んだ。
﹂
!?
﹂
﹁あ、アゼル、さん
?
﹂
﹁はあ⋮⋮何ですか
?
より断然強く、抗い難い物だった。
それは以前フレイヤと対峙した時と同じような感覚であったが、あの時の支配力は今
そして私は何かを斬った。
﹁うる、さい﹂
﹃死にたく﹄
﹃死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない﹄
﹃こんな薄暗くて、誰にも見つからないような場所で﹄
﹃何もしていないのに、何もできていないのに﹄
﹃何故俺が、俺だけが﹄
思考が記憶に塗りつぶされ、誰かの囁きが頭の中を反芻していく。
﹁アゼルさん
﹁死に、たく﹂
229
気が付くと鈴音さんが目の前で私の服を握りながら心配そうに私の顔を見上げてい
た。涙目で今にも泣きそうになっていたので安心させるように頭を撫でる。
名称とかではなく、根本的に﹂
床に落とした結晶を一瞥すると見事に真っ二つに砕けていた。私の視線を追い、それ
な、なんで﹂
を見た鈴音さんが驚く。
﹁え、ええ
﹁⋮⋮で、それは何なんですか
﹁え、えっと﹂
﹁ほんと
﹂
﹁怒ったりしませんから﹂
ない状況なのだ、それを渡した鈴音さんに気にするなという方が無理な話だ。
鈴音さんが気まずそうに目を逸らした。私に異常をもたらしたのが結晶以外ありえ
?
?
る。
嘘である。未だに記憶は私の中に残っているし、思い出すだけで背筋がゾクゾクす
﹁ええ、もうなんともありませんから﹂
?
﹂
?
その予想の斜め上を行く回答に私は思わず声を出してしまったが、誰も私を責めはし
﹁はい
﹁死んだ人の思念、です﹂
試行錯誤・上
230
ないだろう。それはつまり、幽霊などそういった類の物の話だ。信じていない身として
﹂
は、どう返答していいか困って仕方ない。
﹁ほ、本当だよ
忍穂家に代々受け継がれてきた︻封魔結晶︼という魔法。
その魔法こそがあの結晶を作り上げたものだ。
存在しないお祓いファミリアという形で東方の一部の地域で続いているらしい。
として大成させたものだった。現在でも退魔の役目は受け継がれていて、オラリオには
そして、忍穂家に受け継がれてきた先天的魔法があり、その魔法こそが忍穂を退魔師
の結果として今はオラリオで刀鍛冶をしている。
げで家を継ぐなどという事はまったく考える必要もなく、自由に生きていたらしい。そ
そんな家の次女として産まれた鈴音さんであったが、上に兄が二人姉が一人いたおか
だ。
うのはダンジョンにいるようなモンスターなどではなく、怪奇現象などのことのよう
鈴音さんの家、つまり忍穂家は古くから続く退魔師の家系らしい。この場合、魔とい
それから鈴音さんは自分の経歴を話した。
!
231
現世に漂う残留思念を封じ結晶に固め浄化する魔法。そして副次効果として、漂う残
留思念が目視できるようになるというものだ。つまり、鈴音さんは幽霊のようなものが
見えるらしい。
そして、その残留思念こそが私に影響を与えた物であり、私が斬った物でもある。
身体の入り込んだ異物を排除しようとする防衛本能に従って乗り移ろうとしていた
﹂
思念を斬り、その結果結晶は真っ二つに割れた。
﹁思念が乗り移るなんてこと起こるんですか
﹂
﹁今まで見たことなかったけど﹂
﹁けど
?
ほ、本当に大丈夫
﹂
らオッタルなら精神力と主神に対する忠誠心でできるかもしれない。
他の人間であればあの段階から逆らうことはできなかっただろう。いや、もしかした
かったが、恐らくそれほど広まっていない謝り方だ。
ミリアでも土下座という謝り方がある︵ヘスティア様直々に教えてもらった︶ので分
謝りながら鈴音さんは土下座をしようとしたが肩を掴んで止める。ヘスティア・ファ
﹁いえ、まあ私が最初に触れた人間でよかったと言うべきか﹂
﹁わ、私の封印が甘かったから、かな⋮⋮ごめんなさい﹂
?
﹁も、もうなんともない
?
?
試行錯誤・上
232
﹁大丈夫ですよ。あれより強烈なやつを受けたことあるので﹂
﹂
﹂
﹁私の刀にも結晶を使うんですか
﹂
私が結晶化したのじゃないから。こ、これ﹂
﹁いや、というか大丈夫なんですか
﹂
﹁そ、そのつもりだけど⋮⋮いや
?
美の女神の魅了を一度受けていなければ危なかったかもしれない。
どれほどの支配力だったのか分かっていない鈴音さんは小首を傾げて言うが、本当に
﹁す、すごいね
?
?
!
﹂
?
﹁まあ、これなら大丈夫そうです﹂
私とそれを眺める鈴音さん。
る。数分間石を身体にくっつけては反応を待ち続けるという、一見阿呆のように見える
光にかざして見たり、額にくっつけてみたりして何も異常が起きないことを確認す
﹁わ、私のだから、いいの﹂
﹁それ使っていいんですか
﹁昔から家にあるやつで、今まで殆ど劣化してない奴だから、安全だと思う﹂
さっきの青いものより何倍も大きく色は赤い。
そ う 言 っ て 彼 女 は テ ー ブ ル の 上 に 置 い て あ る 袋 か ら 一 つ の 結 晶 を 取 り 出 し た。今
﹁だ、大丈夫
?
233
﹁よ、よかったぁ﹂
﹁そんなにこれが使いたいんですか
﹂
﹁それで、何故結晶を使うと武器が強くなるのかは分かってるんですか
﹁強い想いは時に現実にも影響を与えるから﹂
﹁まあ、そのための退魔師でしょうからね﹂
ない効果を宿していたのだろう。
﹂
結晶は見せてもらったし、彼女の扱いを見るに結晶を使った武器は確かに通常考えられ
残留思念や霊などが見えない、信じてもいない私にとっては分からない感覚だが事実
﹁だから、それを封じた結晶を武器に組み込むと強くなるんじゃないかなって﹂
?
思念がどのような効果を発揮するのかも分かっていないのに。
変な拘りがあるものだ。話を聞いた限り、どの結晶がどのような思念で、どのような
﹁う、うん﹂
?
︻剣︼は鍛冶師の必要性を限りなく少なくしてしまうスキルだ。鈴音さんに会ってい
スパーダ
力を踏みにじるような物だ。しかし、それは私も同じこと。
彼女の結晶を用いた鍛冶は、他の鍛冶師からしたら鍛冶師の存在を脅かす、他人の努
思わず笑いがこぼれてしまう。
﹁ふっ﹂
試行錯誤・上
234
なければ今頃もまだ適当な剣でダンジョンに潜っていただろう。斬ることが可能な物
でさえあれば、刀であろうと爪であろうと何でもいい。当然それは極端な話ではある
﹂
が、現在のダンジョン到達域で不自由はしていなかった。
﹁どうしたの
﹂
?
﹁言ったでしょう
私もなかなかのいんちき剣士だ、と﹂
は初めての事だったので新鮮な反応だった。
私の言葉を聞き鈴音さんが唖然とする。当然の反応なのだが、ここまで直接教えたの
﹁え⋮⋮﹂
斬りました、半ば無意識でしたが﹂
選択。つまり、私が斬ると決めたら大抵の物は斬れます。先ほどの思念もこのスキルで
﹁私には︻剣︼というスキルがあります。効果としては、斬ることと斬らないことの取捨
に武器を打ってもらうに当って知っていたほうがいいことだろう。
も重要な魔法を教えてくれた彼女に、私も誠意を見せなければならない。それに、専用
あまり他人に︻剣︼のことを話すなとヘスティア様に言われているが、自分のもっと
﹁私と鈴音さんがですよ﹂
﹁何が
﹁いえ、意外な所で似ていたということに気付きましてね﹂
?
235
?
﹁で、でも。普通に、強かった﹂
﹁ええ。でも、普通は武器の切れ味などの関係であそこまで無理な探索はできません。
そんな無茶ができるのはこのスキルのおかげですよ﹂
﹁⋮⋮そっか﹂
もう既に冷静に戻っている鈴音さんが少し不思議に思えた。普通こんなスキルを聞
いたらもっと驚いたりするものだと思ったのだが。現にヘスティア様はかなり驚いた。
﹁そっか﹂
そう言って彼女は自分の手を眺めて、握ったり開いたりしていた。嬉しそうに微笑み
ながら、私の怪訝そうな表情を見た彼女は言った。
﹂
﹁昨日、倒れたのはね、その⋮⋮ちょっと驚いたからというか﹂
﹁驚いた
の刃のように感じたの﹂
﹁うん、アゼルさんの手が温かいのに冷たくて、柔らかいのに鋭くて。人の手なのに、刀
?
ルというのは魂に宿っていると言っても過言ではない。その一端が外に漏れ出てしま
刀鍛冶なりに彼女の感覚は私の特性を感じ取っていたのかもしれない。なにせスキ
﹁だから、その⋮⋮納得した、かな﹂
﹁⋮⋮﹂
試行錯誤・上
236
237
うことも、あるのだろう。
と、なると腕の良い鍛冶師は私に違和感を覚えるということなのかもしれない。今後
気をつけないといけないことが増えた気がした。
■■■■
ガシャガシャと音を立てながら、鈴音さんが何本もの刀を持って隣を歩く。
私に合った刀を把握するために、彼女が打った数々の刀を見たのだが、やはり振って
みないことには分からないという結論に至りダンジョンへとやってきた。
刀を選ぶに当って大切な事は色々あるが、鈴音さんが最も重視するべきと言ったのは
重心の位置であった。当然手元から離れた場所にあればあるほど遠心力が働き振るう
速度は上がる。しかし、その反面小回りが効きづらくなってしまうので、自分の腕力や
技量を考慮した最適の重心が大切らしい。
それに加え、刀身や柄の長さ、刃の厚みや反り加減など特注で打つに当っては色々と
情報を集める必要があると言われた。
現在は5階層。自分の癖を把握しながら、自身の一挙手一投足に気を付けて剣を振る
わないといけないので浅い階層のモンスターを相手にしている。鈴音さんも私の動き
を見ているので突然の接敵に対しても5階層程度のモンスターであれば余裕を持って
対処できる。
モンスターもすぐ倒すのではなく、何度か斬り刻んで、刃の感触なども確かめながら
探索をしている。
モンスターの強さはかなり物足りないが、動きに集中することでより良い刀の振り方
が分かってくる。体重移動に腕の曲げ具合、振り抜く時の手首の力加減など刀の扱いに
関して私の未熟な点を上げていけばキリがないのだ。
﹁じゃあ、次お願いします﹂
﹁はい﹂
そう言って鈴音さんは一本の刀を私に手渡し、私は持っていた一振りを彼女に返し
た。
角を曲がると、緑色の集団が現れた。蛙の姿をそのまま大きくしたモンスター、フ
ロッグシューターだ。私と鈴音さんに気付くとゲコゲコ鳴きながら戦闘態勢になった。
肉を斬った感覚などに注意しながら、次々射出される舌を必要最低限の足捌きで避けて
グシューターの舌に対して刃を滑らせるようにして抜刀しながら斬る。振るった腕や
軽く踏み込みながら、刃が上を向いていた鞘を捻り刃を下にする。射出されたフロッ
﹁行きますッ﹂
試行錯誤・上
238
斬っていく。
全員の舌を斬ってしまったのか、フロッグシューター達は突進してきた。
突進を斜め前に避けながら刃を滑らせて横一文字に斬り裂く。刃の滑り方や重心の
位置を気にしながら飛んできたもう一体のフロッグシューターを着地する前に逆袈裟
に斬り捨てる。
最後に残った一匹が恐れをなして逃げようとしているところに肉薄し頭に高速の突
きを入れる。なんの抵抗もなく刃は根本まで突き刺さり、脳を破壊してフロッグシュー
ターは倒れた。
﹂
一度刀を振るって血を払い、納刀する。
﹁ど、どう
ですね﹂
﹁重心はもう少し手元の方が良くて、柄巻は二番の少し柔らかいの、と。長さは
﹁もう少し長い方が私の好みです﹂
?
私の感想を聞きながら鈴音さんは紙に色々と書いていく。そして、別紙にどのような
﹁分かった﹂
﹂
う少し手元寄りのほうが振りやすいです。後、柄巻は二番の奴のほうが握りやすかった
﹁重心が少し先の方に寄りすぎているので、ちょっと勢いがありすぎます。できればも
?
239
刀にするのかの案を固めていっている。
こんなに真剣にやってもらえるのは嬉しいのだが、なんだか申し訳なくなってくる。
特注品ということで値ははるだろうし、私も何かお返ししなければならない気がしてき
た。
﹁昨日教えたばっかなのにもう私より上手い﹂
﹁まあ、夢の中まで振るってましたから。今朝起きた時おかしい体勢で主神に笑われま
したよ﹂
イメージトレーニングも行き過ぎると夢の中にまで出てきてしまう。幸い冒険者と
なり身体が頑丈になったおかげで寝違えることなどはなかった。
﹁それにしても、今回は上手くできてよかったです﹂
﹁そうだね﹂
今まで何度も勢い余って勝負を一瞬で済ませてしまったことがあったのだ。後々握
るであろう刀を思い浮かべるとどうしても身体に力が入ってしまい手加減ができなく
﹂
?
なってしまうのだ。
なんでもないよ﹂
!
戦闘中少し横を見て鈴音さんが持っている袋の中を何度も見ているのを確認したの
﹁え、ううん
﹁鈴音さん何度もその袋の中見てますけど何かあるんですか
試行錯誤・上
240
で聞いてみる。突然の質問に驚きながら返したからか、声色が固かったが聞かれたくな
﹂
かったことなのかもしれない。詮索するのはやめておいた。
﹁あれ、アゼル
﹂
おや、ベルじゃないですか。こんな所で会うとは奇遇ですね﹂
﹁いや、それはこっちのセリフだよ。こんな浅い階層でなにしてるの
?
﹂
?
なになに﹂
!
﹁誰に打ってもらうの
もしかして﹂
ラしていることから、かっこいいと思っていることがありありと伝わってくる。
そう言って私は腰に差してある刀をベルに見せる。それを眺めるベルの目がキラキ
﹁これですこれ﹂
﹁新しい武器
﹁ええ、新しい武器を打ってもらうので﹂
﹁考えながら
﹁少し考えながら戦っているので、かなり余裕を持って戦える階層にいるんですよ﹂
のですが。
気付いた鈴音さんは急いで私の背後に回った。ベルは怖がるような男性では絶対ない
後ろから声を掛けられ振り返ってみると、ベルが人を一人連れて歩いてきた。ベルに
?
﹁ん
?
241
?
﹁ええ、そのもしかしてです。こちら、私の武器を打ってくれる鍛冶師の鈴音さんです﹂
﹁お、忍穂鈴音、です﹂
﹂
﹁あ、僕はベル・クラネル。アゼルとは幼馴染で同じファミリアです﹂
﹁そちらの方は
﹂
フ ー ド を 取 る と 頭 に 付 い た 犬 耳 が 現 れ る。小 人 族 で は な く 犬 人 の 少 女 だ っ た よ う
シアンスロープ
﹁昨日からサポーターとして一緒に探索してる人。リリルカ・アーデって言うんだ﹂
部類に入る人もいるのだ。
掃いて捨てるほどいる。フィンさんという小人族でありながらオラリオでかなり強い
パ ルゥ ム
ぼりだった。大きな鞄を背負った小柄な人で、一瞬驚いたが力持ちの小柄な冒険者など
二人とも礼儀正しくお辞儀をして挨拶をしていて、ベルの背後にいる人物は置いてけ
?
﹁リリルカ・アーデです。リリとお呼びくださいアゼル様﹂
だ。
﹁様
?
れでいい。
いきなりの様付けだったので違和感を覚えたが、相手がそう呼びたいというのならそ
﹁はあ﹂
﹁冒険者様はいつもこう呼んでいるので、気にしないでください﹂
試行錯誤・上
242
﹁たくさん剣があるけど、全部試してるの
﹂
﹁ええ。後二本で終わりですけど﹂
﹁じゃあ、見てていい
﹂
?
﹁別にいいですが、ベルはもう探索しないんですか
?
﹂
﹁分かりました、後のことはお任せします。私にできることがあればなんでも言ってく
﹁情報、集まったから、後は私の仕事﹂
話し合っていた。
ベルとリリが本日の稼ぎで大喜びしている横で私と鈴音さんは今後の予定について
■■■■
を見せてあげたかったと心で呟いた。
振るった。ベルに戦っている姿を見せるのは久しぶりだと思いながら、どうせなら本気
小さく頷いた鈴音さんを確認し、ベルを連れて帰り道を歩きながら敵を見つけて刀を
﹁こっちも構いませんよね鈴音さん﹂
﹁ベル様がそうしたいのなら﹂
﹁うん、荷物が一杯になったからもう帰るところなんだ。いいかな、リリ﹂
?
243
ださい﹂
﹁じゃ、じゃあ、その⋮⋮手触ってもいい
﹁お二人は、そういう関係なのですか
﹂
﹂
平を揉むようにして押したり、撫でたりしている。
そう言って手を差し出すとおずおずと差し出された手に触れ始める鈴音さん。手の
﹁構いませんけど﹂
?
かめているのかは分からないが。
﹂
﹁私と鈴音さんも出会って三日しか経ってないですよ﹂
﹁リリとベル様はまだ会って二日目ですので﹂
﹁ちょ、ちょっとアゼル何言ってるの
﹁そういうリリはどうなんですか
こう見えてベルはかなりモテモテですよ﹂
それが刀を打つ事に必要なことなのか、それとも彼女が私の手に感じた感触を再度確
﹁鍛冶師として私の手が気になっているだけですよ﹂
?
!?
?
と。私としては一緒にいて何も不都合はないし私の知らない知識を与えてくれる彼女
刀という共通の興味と、お互いが鍛冶師の存在を脅かすような異端者であるというこ
﹁まあ、馬が合うんですよ色々と﹂
﹁⋮⋮随分仲がいいんですね﹂
試行錯誤・上
244
のことを快く思っている。
﹂
?
鈴音さんはどうします
﹁あ、アゼルはこの後どうするの
﹁この後ですか
﹁帰って、すぐ取り掛かりたい﹂
?
﹁だ、大丈夫だよ﹂
﹂
?
﹁分かった
さ、行こリリ
﹂
﹂
!
だと思ったが、相当嬉しそうだったので興奮しているだけだろう。
そう言ってベルはリリの手を握って歩いて行ってしまった。ベルにしては強引な方
﹁ベ、ベル様
!
!
﹁鈴音さんを送り届けてから向かいますね﹂
﹁豊饒の女主人だけど﹂
﹁店を教えてもらえればぜひ行きたいですね﹂
﹁そっか、この後リリとご飯食べに行くんだけど、どうかなと思って﹂
たので、帰りもそうしないと彼女も困るだろう。
そう言って彼女の持つ刀の差してある袋を見る。来る時も私が三分の二程持ってい
﹁そんなにたくさん、持ちにくいでしょう
﹂
﹁分かりました。じゃあ家まで送りますね﹂
?
245
﹁さ、では私達も行きますか﹂
た。
この時ベルに付いて行っていれば、救われる女神が一人いた事など知る由もなかっ
刀の入った袋を持ち上げ、鈴音さんを連れて彼女の家へと歩みを進める。
﹁うん﹂
試行錯誤・上
246
試行錯誤・下
いた。
ような絶望、渇望、妬み恨みを持った人間が近くにいると起こる変化だと彼女は聞いて
光り出したり、熱を帯びたり、振動したりと変化は様々だが、封じられた思念と同じ
﹁なんで、光るのかな﹂
じているのか知らない。
の父が彼女にお守りとして持たせた物で、鈴音はおろか家族全員がどのような想いを封
封じられた物でありながら、今まで一度も封が揺らいだことがない結晶の一つだ。鈴音
通常、結晶は封が揺らいだら砕いて完全に浄化をするのだが、この結晶は数百年前に
うな赤が妖しく仄かに光を灯す。
る結晶であり、アゼルが戦闘を行うと鈍く光りだす結晶だ。月明かりにかざすと血のよ
手に持つのは一つの、血を固めたように赤い結晶。それは彼女がいつも袋に入れてい
を整え、着替えてベッドに寝転がっていた。
アゼルに自宅まで送ってもらった鈴音は早々に使った刀の手入れを済ませて身支度
﹁ふふ﹂
247
つまり、その赤い結晶に封じられた想いはアゼルの抱える感情の一部だ。
﹁知りたいよ﹂
鈴音がアゼルに刀を打つにあたってどうしてもこの結晶が使いたかったのは、その感
情を知りたかったからだ。それを武器にすれば、何かが分かると彼女は思った。
結晶を両手で握った彼女はそれを胸元へと寄せる。それはまるで心臓の鼓動を確か
めるような行為だった。そして彼女はそこにあるはずのない鼓動をその結晶から探ろ
うとしていた。
彼女が思い出すのはアゼルの手の感触。
温かく血の通った手は、ふとした瞬間にその表情を変える。血は鉄へと変わり、温か
かった手は冷たい刃物の感触へと変化する。
同じような感触が結晶からじんわりと手に広がり、やがて胸へと到達して彼女の鼓動
を速めていく。
知りたいという願いが、触れたいという想いがだんだんと強くなってきていた。
だから彼女は刀を打つのだ。
自らの血と汗を糧として完成する至高の一振りをアゼルに持っていて欲しい。それ
熱い吐息が鈴音の口から漏れる。
﹁はぁ﹂
試行錯誤・下
248
は彼女自身の分身と言っても過言ではない一振りを彼に持っていて欲しいという願い。
名前は何がいいだろうかと考える。しかし、鈴音はすぐに頭を振るいその考えを捨て
る。
刀の案を書いていた紙の隅にその名前を記し、彼女は静かに微笑んだ。
│││ほととぎす、そうしよう。
少しくらい、秘めた想いを籠めてもいいだろう。
﹁でも﹂
くれることが最も重要だ、そう鈴音は思った
切なのは彼がこの刀を気に入ってくれること。それを振るい、その美しい光景を見せて
この想いの丈をアゼルは知らないだろう。知ってほしいと少し思ったが、何よりも大
に宿らせる。彼女は自身の最高傑作となるその一振りに妥協は許さない。
だ考えを練るものはたくさんある。小柄や笄なども入念に作り、自分の魂をその一振り
それ以外にも、鞘の材質や色、柄に使用する木材や皮、それを覆う柄巻きなどまだま
や触り心地をまとめた本を取り出し材料を吟味していく。
使う結晶は決めたが、それ以外は決めていない。鈴音は自分で作った材料とその重量
﹁考えることはたくさんある﹂
249
■■■■
﹂
﹁貴方からはあの女神の匂いがするんですよね﹂
としか分からない。声は男の物だった。
人影が現れる。夜ということもあり、薄暗い路地裏ではその人物が小柄であるというこ
何度か曲がり角を曲がり、誰もいないはずの路地で呼びかけると、歩いてきた角から
﹁んな馬鹿な﹂
﹁匂いです﹂
﹁ちっ、なんで気付きやがった﹂
が、この時ばかりはそれ以外にも理由があった。
た。もちろん豊饒の女主人へ早く行きたいという気持ちで近道をするつもりもあった
鈴音さんを送った帰り道、私は一端足を止め夜は暗くてあまり通らない路地へと入っ
﹁そろそろ出てきてもいいですよ
?
バベルから態々つけていたようですが﹂
?
もう一度舌打ちをしたその人物はそれから何も言わなくなった。元々事情は聞けな
﹁ちっ﹂
﹁で、何か用ですか
﹁あの方が言ってたとおりぶっ飛んだ野郎だ﹂
試行錯誤・下
250
いだろうと思っていたので、出てきてもらった目的は他にもある。
﹂
?
﹁本当にふざけた野郎だな﹂
れに、私がどれほど不意を突こうと相手は反応するだろう。
戦闘開始の合図もなく走りだす。後をつけていたような輩に礼儀など必要ない。そ
﹁私は斬るだけだ﹂
﹁おいおいおい﹂
平で踊らされるのも構わない。
もしれない。何を企んでいるか分からないが、私としては強者と戦えるのであれば手の
しかし気付いた。いや、もしかしたらあの女神は私が気づくことも想定していたのか
アの眷属であれば私は気づくこともなく素通りしていただろう。
わざるおえないほど上手かった。女神の寵愛のおかげで気付いたが、もし違うファミリ
目の前にして確信を得る。この人物は紛れもない強者だ。気配の消し方が完璧と言
腰に差してある刀の柄を持ち、ゆっくりと抜く。暗闇を一筋の輝きが斬り裂く。
ね﹂
﹁鈴音さんに危害を加えるのかとか、何を企んでいるとか、私の性分ではないんですよ
﹁はあ
﹁まあ、それは割りとどうでもいいんです﹂
251
放たれた斬撃をひらりと躱され、後退される。まるで散歩でもするかのような気軽
さ。完全に見切られている証拠だ。
数歩下がったその人物は一度ため息を吐いて頭を掻きながら構えをとった。手を前
に出して指先を自分の方に引き、来いと言ってくる。
そう言って、彼は自分の獲物であるナイフを二本取り出し構えた。
﹁来な。まあ、少し遊んでやるよ﹂
相手が後ろに僅かに下がりながら避ける未来を見て、刀を振っている途中で強引に身
今までと同じ速度で刀を振り、相手がどの方向にどのように避けるのかを見る。
ならば、その避けた先に剣を振るうだけのこと。
けられるはずだ。
い。恐らくわざと紙一重で避けているのだろう。本気を出せばもっと余裕を持って避
刀を振るが、相手はすべての攻撃を紙一重で避けながらまったく動揺する様子がな
撃をしようとしてこなかった。
力強く地面を蹴って相手に肉薄する。本当に遊ぶだけのつもりなのか、その人物は攻
きる。ナイフの刃が光を反射しているし、ないよりはマシだ。
目に魔力を集め、未来を見る。暗い路地裏では、見難いが相手は黒い影として視認で
﹁では、お言葉に甘えて﹂
試行錯誤・下
252
体を前に動かし斬撃の軌道を変える。
﹂
!
﹂
!
い路地裏に浮かぶ二つの光る目が私を射抜く。
ぎしぎしと壁が、空間が軋む。相手の身体から発せられる殺気とも取れる威圧。薄暗
無言。しかし、相手の雰囲気が変わり始める。
﹁⋮⋮﹂
僅かだが斬った感触はあった。
属、次の瞬間に勢いよく、それこそ私では視認できない程の速さで飛び退いた。しかし、
その瞬間を見逃さず、相手の首を狙って斬撃を繰り出す。しかし流石はあの女神の眷
﹁シッ
り捨てられ、そのありえない光景に相手は驚いた。
フレイヤから私の事を詳しく聞いていなかったのか、ナイフの刃は何の抵抗もなく斬
﹁なッ
狙い通りだ、と。
きっと私は笑っていただろう。
た。そして、手に持つナイフを振って私の斬撃を迎撃しようとする。
それなりの速さで行われている戦闘の中でも、相手は舌打ちをするほど余裕があっ
﹁ちっ﹂
253
﹁あの方には殺すなって言われてるからよう、殺しはしない﹂
動きを阻害するほどの圧力の中、私は目の前の未来を見る。迫り来る拳、狙いは腹、速
度は神速。直線的な攻撃だ、しかし避けることはできないだろう。
﹁だから、そこで寝てろ﹂
人 だったようだ。
キャット・ピープル
一瞬の間で相手が眼前へと移動していた。近付いて初めて分かったが、頭に付いてい
る。相手は 猫
相手が攻撃する前の僅かな時間で私は地面を蹴って後ろへと飛ぶ。
そして、私はその拳によって吹き飛ばされた。地面に何度か転がりながら壁まで飛ば
され背中を強打した。
私が本当に気絶したのかを確認するため相手が倒れた私に近づいてくるのが分かっ
﹁ちっ、上手く衝撃を逃しやがったか﹂
た。痛みで呻き声を上げそうになるのを我慢しながら相手が攻撃範囲に入るのを待つ。
﹁起きてるだろお前。痛えだろうに、とんだ狸だぜ﹂
結局、私が起きているのが気付かれてしまい猫人は路地の壁を蹴って上り消えていっ
な﹂
﹁殺気が漏れてんだよ、バレバレだ。もう面倒くせえや。精々あの方を楽しませるんだ
﹁バレてましたか﹂
試行錯誤・下
254
﹂
た。じくじくと痛む腹を擦りながら私は路地から出てベルのいる豊饒の女主人へと向
かうことにした。
﹁アゼル様﹂
﹁ん、なんですかリリ
﹂
?
﹁まあ、最もな質問ですよね。理由はいくつかありますが⋮⋮そもそも別々にしようと
索をするなど愚の骨頂とも言える。
るという無謀なことをする冒険者はいない。ましてや仲間がいるのに各々が一人で探
口の中にある食べ物を酒で流し込み、納得した。確かに、通常一人でダンジョンに潜
らないんですか
﹁何故ベル様とアゼル様はファミリアに二人しかいない冒険者なのに一緒に探索をなさ
一つ貰い、飲み干すと大分楽になった。
と、何があったのか聞かれたが猫に引っかかれたと言っておいた。ベルにポーションを
何かに怯えながら店内で食事を取っているリリとベルを見つけ同じテーブルに行く
普段は邪険に扱うリューさんですら少し驚かせたのは既に三十分程前のことだ。
謎の猫人との戦いから復帰し、痛む身体を若干引き摺りながら店へとやってきた私に
?
255
﹂
言い出したのはベルです﹂
﹁え、そうなんですか
正直言って理解不能です﹂
ているらしく言いづらそうだった。
﹁何故ですか
﹁その⋮⋮リリも見て分かったと思うけど。アゼルはすごく強いでしょ
﹂
既に食べ終わったベルは気まずそうに答えた。ベルも愚かなことであると自覚はし
﹁う、うん﹂
?
に負けているので何とも言えない。
まり必要な情報ではないし、自慢しているようで嫌なやつみたいな上、ここに来る直前
一応あの時は本気を出していなかったのだが、それは言わないでおくことにした。あ
た。
リリは私の顔を見て、ダンジョンで見ていた戦闘を思い出したのだろう、肯定と答え
﹁⋮⋮まあ、そうでしたけど﹂
?
?
たので﹂
﹁ええ、もう十年くらいの付き合いですね。出会ったのがベルが四歳、私が八歳の時だっ
﹁そういえばお二人は幼馴染でしたね﹂
﹁アゼルがいると、どうしても頼っちゃうから。昔からそうなんだ﹂
試行錯誤・下
256
私 の 後 ろ を ち ょ こ ち ょ こ と 付 い て く る 小 さ い ベ ル を 思 い 出 す。確 か に ベ ル は 私 に
べったりだった。
﹂
?
﹂
!
﹂
!?
﹁ええ﹂
﹁じゅ、17階層
﹂
がどちらかに合わせるというのは現状無理な相談なのだ。
現状17階層でも一人でやっていける私とベルでは圧倒的な実力差があり、どちらか
ように剣を振るい磨いてきた技術には足元にも及ばない。
言うなればベルはまだまだ磨かれていない原石だ。私が老師と出会ってから毎日の
﹁はあ
﹁だってアゼルはもう17階層まで行ってるし﹂
した。
ベルのセリフを聞いたリリが身を乗り出しながら叫んだのに対して私は即座に反論
﹁いや、私が言ったわけじゃないですからね﹂
﹁な、なんですかそれはっ
﹁僕に合わせてたらアゼルはつまらないだろうし﹂
﹁それに
﹁それじゃ、強くなれないし⋮⋮こんな歳にもなって頼りっぱなしってのもね。それに﹂
257
?
﹁アゼル様もレベル1の冒険者、ですよね
﹂
﹁はい、ベルと同じ日にファミリアに入りましたから﹂
?
﹂
﹂
口をパクパクさせながら何かを言うとするリリをベルト二人で眺める。
﹁あ、あ﹂
﹁アホですかッ
﹁あっはっはっは
!
ど詳しい話はしていないのだ。
い上がったかなどを教えてくることはあったが、どのようなスキルを有しているのかな
私とベルはお互いの︻ステイタス︼を把握していない。時々ベルが興奮してどれくら
﹁それは私も同じことですよ﹂
﹁だね。僕も教えてもらってないし﹂
﹁企業秘密ですよ。︻ステイタス︼は秘匿するものですから﹂
﹁そもそも、そんなことをして無事なはずが﹂
その至極真っ直ぐな感想に私は笑ってしまった。
!
ゼル様﹂
﹁そんな横に置いといてみたいな扱いをする話ではないのですが⋮⋮なんでしょうかア
﹁それはそうと、リリ﹂
試行錯誤・下
258
﹁何かに怯えているようですが、どうしたんですか
﹂
?
﹂
?
だとでも思ったんですか
ベルに近付く泥棒猫、いや泥棒犬
?
よ
なんと言ったって私が下拵えしましたから
﹂
!
﹂
!
?
ベルが関わるとシルさんの機嫌はうなぎ登りになり、とびっきりの笑顔を浮かべなが
﹁はい
﹁えっと、じゃあそれで﹂
!
﹁かしこまりましたー。ベルさんは何かいかがですか 今日のスープはオススメです
﹁エールおかわりと、海鮮風パスタ一つお願いすします﹂
?
見逃さなかった。シルさん一体何をしたんですか
しいのか軽い足取りでやってきた。その時リリがビクリと身体を震わせたことを私は
横を通りすがったシルさんを呼び止める。ベルがいるのでサボらずに会えるのが嬉
﹁はーい﹂
﹁あ、シルさーん注文いいですか
﹁いえ、ベル様のおかげで稼いだお金なので気になさらないでください﹂
ちゃって﹂
﹁そ う い え ば 此 処 に は 来 た く な い っ て 言 っ て た っ け ⋮⋮ ご め ん ね 無 理 矢 理 連 れ て 来
﹁そ、そんなことないです。ええ、決してありません﹂
259
﹂
らキッチンへと歩いて行った。リリはそんなシルさんを恐る恐る見送っていた。
﹂
﹁シルさんがどうかしたんですか
﹁い、いえ
?
﹁き、危険度
﹂
﹁そんなに怖がらなくても、ここではシルさんの危険度は低い方ですよ﹂
!
いのですが﹂
?
連中は金を置いて叩きだされますから﹂
﹁ええ、皆が平和に飲み食いを楽しむことのできる酒場ですよ。なにせ問題を起こした
﹁こ、ここは酒場なんじゃ
﹂
﹁リューさんと言うんですが。かなり強いですよ。一度も手合わせはしてもらえていな
の身体は震えた。表情などもはや泣き出す子供のようだ。
そう言って違うテーブルの食器などを片付けているリューさんを見せると、再びリリ
こにいるエルフの女性﹂
﹁ええ、ここの店員誰も言いませんがかなり強い人が揃ってますから。例えば、ほらあそ
?
怖がるリリを眺めながら酒を呑むのは楽しかった。
﹁ひぃっ﹂
試行錯誤・下
260
仕事中なのですが﹂
﹁リューさん﹂
﹁なんですか
﹁何故そのようなことを
﹂
﹁ベルの事、というかあのサポーターの事なんですけど。リューさん何かしました
?
﹂
?
﹁それは⋮⋮﹂
無事クラネルさんに返しました﹂
パ ルゥ ム
﹂
﹁男がどこにもいなく、あのサポーターの少女がいたという事がありました。ナイフは
﹁リューさんもなかなかの乱暴者ですよね﹂
﹁ええ。少々力加減を間違えてしまい、飛ばし過ぎ後を追ったのですが﹂
﹁蹴り飛ばしたんですか
戻し蹴り飛ばしたところ﹂
﹁昨日の事です。クラネルさんのナイフを持った小人族の男性を見つけ、ナイフを取り
死角となる場所へと誘導された。
リューさんは少し黙ってミアさんのいるカウンターをチラリと見てからカウンターの
お手洗いに行ったついでにリューさんに話を聞いておくために話しかけた。すると
﹁かなり怖がっていたので﹂
?
?
261
リューさんが小人族を蹴る光景を思い浮かべ、まるでボールを蹴っているようだなと
思いながら考える。
試しに同じくらいで蹴ってみてくださいよ﹂
かなり怪しい。その一言に尽きる。
﹁強く蹴ったんですよね
﹁しかし、彼は﹂
﹁ええ﹂
﹁放っておくのですか
﹂
そう言ってテーブルに戻ろうとする私にリューさんが言葉をかける。
﹁まあ、話は分かりました。話してくれてありがとうございます﹂
しかも後を追ったらどこにもいないと思わせるほど遠くへと逃げおおせたのだ。
リューさんの蹴りをくらってすぐ立ち直りその場から逃げられるというのは驚愕だ。
﹁嫌です﹂
?
振り返りながら彼女の目を見る。空色の綺麗な瞳だ。
﹁ベルは私の仲間だ。でもね、リューさん﹂
?
そう、その状況ではどう見てもリリが怪しいのだ。誰が見たってそうなら、ベルがそ
ただ、それを信じたくないだけです﹂
﹁ベルをあまり見くびらないで欲しい。ベルだって馬鹿じゃない、気付いていますよ。
試行錯誤・下
262
う思っていてもおかしくない。
確かに、ベルは保護欲をくすぐるような外見と性格をしている。それは幼馴染である
私が誰よりも知っていることだ。しかし、だからと言ってずっと大切に、すべてから守
るように育ててはいけない。
﹂
?
クラネルさんに危害を加える可能性もある﹂
?
ベルだって重々承知のはずですよ﹂
?
﹁傷付きたくないのなら家に引きこもっていればいい。危険が嫌なら冒険なんてしなけ
と放り込むことで手に入るのだ。
危険を犯さずして手に入る物など何もない。出会いも、経験も、力も、自らを危険へ
﹁それが、冒険ってものじゃないんですか
ンで騙されてモンスターに囲まれるとかだろう。
リューさんが考えている危害がどの程度の物なのか分からなかったが、まあダンジョ
﹁それでは済まない場合は
も犯人が殆ど確定しているんです。取り戻すのは容易でしょう﹂
頼っていたくないと、つい先程ベルの口から聞きました。まあ、またナイフが盗まれて
﹁ベ ル も ひ ょ ろ っ と し て ま す が、あ あ 見 え て 立 派 な 男 の 子 で す か ら。い つ ま で も 私 に
﹁クラネルさんが
望んだことでもあります﹂
﹁ベルは少し知らなければいけないでしょう、人の闇という物を。それに、これはベルが
263
ればいい。でも、ベルは違う。ベルは望んだ、ベルは願った、強くなりたいと。私はそ
んなベルの邪魔はしません、それが例え非情と思われようと、そう決めたんです﹂
いや、そう決めさせられたのかもしれない。
﹃助けすぎてはいけない。助けを請われた時だけ助けてやれ﹄
﹃ベルの事を見守っていてくれ﹄
﹃その必死な姿に、きっとお前に足りない物が見つかる﹄
昔を懐かしむように、その声は頭の中にふと蘇った。皺のある声だったが、優しく心
落ち着く声だった。その声に何度も叱られ、褒められ、教えられて私は育ってきた。
﹁バーナムさん、貴方はクラネルさんを信頼しているのですね﹂
いえ、少し違います﹂
?
は弱かったし、今も弱いが力に勝る何かを持っていた。
でも、気が付くと喧嘩はなくなり、ベルの周りにいる人間は笑っている。確かに、彼
れて泣かされたりするのだ。
昔から、泣き虫の割に喧嘩の仲裁などをする。しかし弱いので仲裁に入ったのに殴ら
に戦いたいとは思わない。だから、これは信頼などではない。
ている人を問答無用で助けようとする性格を考慮すると、不足している実力以上に一緒
信頼しているわけじゃない。むしろ私は信頼していない。なにせベルは弱い。困っ
﹁信頼
試行錯誤・下
264
﹁これは、きっと期待ですよ。斬ることしかできない私では思いつきもしない結末を見
せてくれるベルに対してのね﹂
すべてを覆す力でもない。すべてを見抜く知識でもない。すべてを斬り裂く剣でも
ない。私の知らない何かで、その場を切り抜けてしまうベルに対しての期待。
身勝手なことなのだろう。それが見たいがために力を貸さないというのは。しかし、
それも今となってはベルの望んだこととなった。
そしてなにより、ベルを心配しているリューさんを見て少しつまらなかったというこ
に残っていて、いまいち心が高ぶらなくなっていたからだ。
今夜はリューさん相手に戦って欲しいと思わなかった。謎の猫人に負けたことが心
カウンターにいるミアさんを一瞥してからテーブルに戻る。
﹁おっと、ミアさんが睨んでますね。これは高い料理を頼まなくては﹂
﹁⋮⋮仕事に戻りますので﹂
﹁人間関係なんてそういう物ですよ﹂
﹁貴方とクラネルさんの関係は、なかなか理解しづらい﹂
いてでも強くなるタイプです﹂
したくない行為でしょうから。でも、そんな弱音を吐くくらいなら、ベルは血反吐を吐
﹁もちろん、ベルが助けて欲しいと言えば助けますよ。なにせ、それはベルが今私に最も
265
266
試行錯誤・下
ともあった。
剣を振るい、心は澄む
ミアハ様にこっそり聞いたが、なんでもベルが少女と手を繋いで歩いているところを
﹁本当は今日あたりに更新をしておきたかったのですが、世話のかかる神様だ﹂
もしれないが。
不快だろう。いや、体温が高いのはヘスティア様が子供のような身体をしているからか
額に乗せておく。とりあえず酒が抜けていないので体温が高いし、汗をかいたままでは
苦しそうに呻く彼女の顔を湿ったタオルで拭う。一度それを水で濡らし絞ってから
﹁はあ、まったく﹂
どだ。残念なことにヘスティア様に記憶はないだろう。
た。かなりの酒量だったのか、歩くこともままならずベルが抱えてベッドに寝かせたほ
であるミアハ様によって彼女が送り届けられたのは、夜がふけって大分経った頃だっ
昨晩、ご近所付き合いがあるこの界隈で薬売りをしているミアハ・ファミリアの主神
がヘスティア・ファミリアの主神ヘスティア様。
教会の地下に設けられた秘密部屋のベッドに横たわりながらうめき声をあげる我ら
﹁うぅぅう⋮⋮﹂
267
目撃し、ショックを受けてのやけ酒だったらしい。恐らくその少女はリリだろう。
そこからその小さな身体のどこに入るのか疑問なほど酒を飲み、酔っ払ってミアハ様
の押し車に乗せられ帰ってきた。
﹁うぅ、ベルくぅん﹂
こうやって看病をしていると、故郷にいた時のことを思い出す。ベルが熱を出しても
﹁どんな夢を見ているのか﹂
老師は農作業などをしなければならない身だ。なにせ老師はその老体一つで自身とベ
ルの食い扶持を稼いでいた。
ベルが病気にかかると、私との修練を早く切り上げ私にベルの看病をさせた。着替え
させたり、身体を拭いてやったり、食事を食べさせてやったりと我ながら甲斐甲斐しく
看病をした物だった。
私は病気にかかって苦しくても剣の修練を休んだことはなかった。動けないほど辛
かったわけでもないし、ベッドで寝ているくらいなら剣を振るっていたかったからだ。
それ程重い病に罹らなかったということもある。
だからベッドで寝ているベルがいたく苦しんでいるように思えてしまい、世話を焼い
ていた。
﹁ただいま﹂
剣を振るい、心は澄む
268
﹁おかえりなさい﹂
﹁神様見ててくれてありがとう、アゼル﹂
﹁構いませんよ﹂
そうこうしている内にベルが地下室へと帰ってきた。ヘスティア様の看病を買って
出てくれたベルは、今日はダンジョンに行けないことをバベルで待っているリリに伝え
に行かなければならなかった。
今思ったらリリと面識のある私が変わりに伝言を伝えればよかったのではないだろ
﹂
うか。過ぎたことは変えられないので考えないことにした。
﹁では、私は行ってきますね﹂
﹁うん、いってらっしゃい。いつ帰ってくる
﹁ヘスティア様の事頼みましたよ﹂
﹁わ、分かった﹂
だろう。私より適任であることに違いはない。
を受けたヘスティア様のためにも、二人にさせてあげるのが一番早い解決策と思ったの
ミアハ様に二人きりにさせてやってくれと言われた結果だ。誤解とはいえショック
面倒事をベルに押し付けているようだが、決してそうではない。
﹁今日から少し籠ろうと思うので、明後日くらいには﹂
?
269
そう言って、私は壁に立てかけてあった刀を腰に差しオッタルの置いていったプロテ
クターとヘスティア様に頂いた籠手を右手と左手に装着し、地下室から地上へと出た。
思いつきのように籠ろうと思ったので用意など一切していなかったのであった。
﹁まずは携帯食料を買いに行かなくては﹂
﹁おや﹂
﹁おはようございますアゼル様﹂
﹁昨日振りですねリリ﹂
適当な店で腹が膨れるだけの携帯食料を買い、水とともにバッグに詰めてダンジョン
へとむかう途中。当然ながらバベルの広場を通らないといけないのだが、そこに見知っ
た人物がいたので声をかけてみる。
﹂
?
私と一緒にどうですか、と言おうと思ったが非戦闘員が増えるとカバーするのに一苦
﹁それなら﹂
少しぼーっとしてました﹂
﹁いえ、突然ベル様が行けなくなってしまったのですることがなくなってしまいまして。
﹁こんなところでどうしたんですか
剣を振るい、心は澄む
270
労するのを思い出して止めた。しかし、その続きが気になったのかリリは私を見上げて
いる。流石に、探索に誘おうと思ったが邪魔だから止めた、などと言えるわけもない。
﹂
?
﹂
?
﹂
?
﹁で、なんの話ですか
﹂
ジョンに向かう冒険者やバベルにある店に行く店員などで行き交う人が多い。
近 く に あ る ベ ン チ ま で 二 人 で 移 動 し て 座 る。バ ベ ル の 広 場 は 朝 だ と い う の に ダ ン
なんでもない風にそう答えた私にリリはため息を吐きながら呆れていた。
﹁ええ、一人の方が気楽ですから﹂
﹁お一人でですか
﹁これから数日は籠もるので少しくらい変わりませんよ﹂
﹁ダンジョンに行かれるのでは
﹁それなら、私と少し話でもしましょう﹂
ただすつもりはまったくないが、少しくらい話を聞いてもらおう。
そういえば彼女はベルからナイフを盗もうとした容疑者であった。そのことを問い
ンチが目に入る。
何か気の利いた、且つ違和感のないセリフはないものかと辺りを見渡し空いているベ
﹁
﹁それなら﹂
271
?
﹂
﹂
﹁そうですね⋮⋮ベルの話でもしましょう﹂
﹁ベル様のですか
の中で生き続けている。
それは紛れも無くベル・クラネルという少年の心の一部だ。その物語の一つ一つはベル
老師が自ら作った英雄譚の絵本の数々は故郷の知り合いの元に置いてきた。しかし、
﹁ベル様らしいですね﹂
にか覚えてしまったくらいです﹂
﹁ベルはすごく好きなんですよね。頼んでもいないのに読み聞かされて、私もいつの間
﹁突然ですね⋮⋮まあ、嫌いではないです﹂
なって英雄譚か、とでも言いたそうな目だった。いえ、好きなのはベルなんですがね。
私 の 突 然 の 質 問 に リ リ は 目 を パ チ ク リ さ せ な が ら 訝 し げ に 私 を 見 た。い い 歳 に も
﹁リリは、英雄譚などは好きですか
?
?
﹁そして、それは今も変わっていないんですよ。口には出さないようになりましたが、そ
﹁ベル様⋮⋮﹂
ていたのでしょう﹂
婚したいなどと絵空事を言っていました。老師、ベルの祖父の教育の影響を多大に受け
﹁ベルはいつもいつも、あの英雄のように強くなりたい、あの英雄のように姫を助けて結
剣を振るい、心は澄む
272
も そ も ダ ン ジ ョ ン に 潜 る 理 由 が 出 会 い を 求 め て と い う な か な か 愉 快 な 目 的 で す か ら。
そういう意味ではベルは成功していると思います﹂
﹁そして救われる方も宿命のようなものだと思うようになりました。英雄に関わったら
みを背負ったその存在を、その物語を宿命と言わずなんと言えばいいのか。
いか。誰かが救いを望んだから、彼らはその力を振るうのではないか。人々の願いと望
英雄の存在は、願いの塊である。誰かが彼らを願ったから、彼らは力を得たのではな
﹁でも、今ではあながち間違っていないのではないかと思っていますよ﹂
﹁本当につまらない理由ですね﹂
まらない理由で﹂
英雄譚では英雄は必ず勝ち何かを救う、物語上彼らは負けてはならないというひどくつ
﹁結局私は答えが分からず、こう言ったんです。それは彼らの宿命のようなものだと。
かりは少し考えた。子供の疑問というのは、時に何かと熟考を必要とする。
彼らは強いから強い、などという意味のない答えを返す訳にもいかず、私はその時ば
んです、何故彼らはあんなにも強いのか、と﹂
﹁特に悪に打ち勝って誰かを救うというストーリーが一番好きでしてね。一度聞かれた
頭を抱えながら嘆くリリ。
﹁ベル様ぁ⋮⋮﹂
273
何が何でも救われる。救いを望んでしまったら救われる﹂
﹁なかなか乱暴な因果関係ですね﹂
そう、彼らの剣はすべてに勝つ。斬るでもなく、倒すでもなく、彼らは勝つ。勝利す
﹁どんな壁があろうと英雄はそれを何度でも砕き、目的を達成してしまうんです﹂
﹂
ること、そして何かを救うことが英雄を英雄たらしめる。
﹁で、結局何が言いたいんですか
﹂
﹁なんの、ことでしょうか﹂
﹁つまり、貴方は救われる側の存在で、貴方が望むと望むまいと救われる﹂
話の行方が分からなくなったのか、周りくどい言い方はなしにリリが聞いてくる。
?
じっと見つめて微動だに動こうとしない。
リリも私も沈黙してしまう。隣に座るリリの様子を伺う。膝の上に手を乗せ、それを
﹁なんのことだと思います
?
﹁そんなこと、信じられるわけないじゃないですか。信じて、いいはずがないんです﹂
自分の心を押し殺しながら、必死に口から声を出す少女が一人いた。
﹁そんなこと、起こるわけないじゃないですか﹂
沈黙を破ったのはか細い声だった。今にも消えてしまいそうな、小さな叫びだった。
﹁そんなこと﹂
剣を振るい、心は澄む
274
確かに
それは自分に戒めるような言葉だった。優しさに甘えるな、他人に期待するなと彼女
は自分に言い聞かせ続ける。
﹁現実はそう甘くないと思いますか 世界は人に優しくないと思いますか
?
信じずともベル・クラネルはその身を挺して誰かを救う。
るだろう。
して拒否した。しかし、それこそが意味のなかった行動だと私も、そして彼女も理解す
他人の言った事、その上不確定なことを断言するように言われた彼女はそれを断固と
﹁⋮⋮私は、そんなこと信じません﹂
﹁救われる人間というのは、勝手に救われるものですよ﹂
ならない。
分の中にある正義を貫き通すためには、すべてを覆し運さえも味方にして救わなければ
そうでなくてはならない。ベル・クラネルがベル・クラネルとして生きていくには、自
﹁それでも、ベルは貴方を救う﹂
者への第一歩を。
一拍置いてから私はその言葉を言う。私がベルに対する期待の現れを、ベルの目指す
来事も多々あります。しかし、それでも﹂
そうでしょう。人生上手く行くことのほうが少なく、運が悪いとしか思えないような出
?
275
﹂
﹁じゃあ、何か賭けましょう﹂
﹁賭け
﹂
私には関係のない話ですから﹂
﹁アゼル様、貴方も救われる側の人間なのですか
﹁さあ
﹁関係が、ない
から視線を感じる。
﹂
空を見上げる。青い空が広がり、その中にバベルの塔が聳え立つ。ふと、その最上階
?
?
に振り向いた。
彼女はベンチから立ち上がり歩いて行こうとしてしまう。しかし立ち止まり私の方
﹁もう、いいです﹂
﹁確かにそうですね﹂
﹁どっちともリリの負けのように聞こえます﹂
﹁貴方が救われたのなら、私の勝ち。貴方が救われなかったら、貴方の勝ちだ﹂
?
?
﹁差し出された救いの手ですら私は斬ることしかできない﹂
だ斬りたい。
斬りたい、そう思うことしかできない。救いたいでも、救われたいでもない。私はた
﹁私はねリリ。斬ることしかできないんです。斬ることしか望めないんです﹂
剣を振るい、心は澄む
276
老師は私を変えたかったのかもしれない。しかし、それでも私は剣を振り続けた。た
だ自分と剣だけを高めるために、剣を振るい続けてしまったのだろうか。
感情のない剣士は最相剣士ではなく剣だ。
?
﹁偶然横を通り過ぎるくらいはいいですよね
﹂
﹁私が勝ったら⋮⋮私に一生関わらないでください﹂
﹁ではリリ、私が勝ったら夕飯奢ってもらいますね﹂
た。
その言葉を途中で飲み込む。言ってしまえば本当にそうなってしまいそうな気がし
﹁もしかしたら、もう﹂
剣は己の一部かもしれないが、己は剣ではない。なってはいけない。
忘れてはいけない。
は人間か
感情を斬ることが出来れば、どれほど物事が楽になるだろう。しかし、果たしてそれ
ど﹂
﹁こういうのはきっと呪いと言うんでしょうね。こういう物も、斬れれば楽なんですけ
好んで幼馴染を傷つけたいと思う人はいないだろうに。
きっと私はすべてを傷付ける。むき出しの刃は、自身も相手も斬り刻んでいく。好き
﹁それでも、私の中の何かが私をベルから離してくれないんです﹂
277
?
﹁そういうのもなしで﹂
﹁無理です﹂
彼女は微かに笑った。しかし、それは今にも泣き出してしまいそうな音に聞こえた。
﹁ふふ﹂
これが私との最後の会話とでも思っているのだろう。彼女は信じていないから。これ
までも、そしてこれからも一人で生きていくのだと信じている彼女は寂しそうに笑う。
﹂
だからこそ私は彼女の笑顔を見てみたいと僅かに思った。いや、見れると私の中では
確信があった。
﹁では、行ってきますね﹂
﹁賭けが終わる前に死なないでくださいね﹂
﹁リリ、むしろ私が死んだほうが貴方の願いは叶うんですよ
?
!
﹁ちょっと、多すぎませんか、ねッ
﹂
そう言って、私は水と食料の入ったバッグを持ち上げてダンジョンへと向かった。
﹁まあ、私はあの人を斬る前に死ぬつもりはないので大丈夫ですよ﹂
﹁あ﹂
剣を振るい、心は澄む
278
﹃キャイン﹄
走りながら後ろから襲いかかってきたヘルハウンドを横に避けて斬り捨てる。
﹂
﹃グルルルゥ﹄
﹁本当にッ
﹄
!
﹄
食い込み、そのままハード・アーマードを切り捨てた。
横に避けながら滑らせるように横に斬る。刃はなんの抵抗もなくその固いはずの殻に
走りだそうとしていたのをやめて急遽反転する。転がってくるハード・アーマードを
﹁ちっ﹂
灰となってしまった。
を潰しながら転がって突貫してくる。潰されたモンスターのほとんどは魔石も潰され
後ろからハード・アーマードが追ってきていた数多くのヘルハウンドやアルミラージ
﹃ギュオオォッ
て吠える前に一番近くにいた一匹に接近しその首を斬り落とす。
曲がり角を曲がると眼前にヘルハウンドの群れと遭遇する。相手がこちらに気付い
!
イガーファングがその鋭い爪を私に狙いを定めて飛びかかってきていた。
ハード・アーマードを倒した矢先、追ってきていた白黒の巨大な虎型モンスター、ラ
﹃グルァァァアア
!!
279
爪の軌道を予知しながらバックステップしつつ腕を斬り落とす。前足の片方が突如
なくなったライガーファングは着地に失敗し地面に転がる。
そして私はライガーファングを倒さずにその上を飛び越えた。起き上がらないよう
に後ろ足二本も速やかに切り落としておく。
﹄
﹃ブモオオオオォッ
﹄
﹄
!
安全地帯となる。
ダンジョンの廊下を埋め尽くすが倒れたライガーファングが壁となり私のいる所だけ
後ろから熱気が押し寄せてくる。ヘルハウンドの放った炎のブレスが私を目掛けて
﹃ガルアァァア
!
!
と変える。
邪魔だったので、走りながら突きを放ち胸部に埋まる魔石を破壊し目の前の巨体を灰へ
ことを未来で見ていた私は、出ると同時に刀を振るいミノタウロスの腕を斬り飛ばす。
ライガーファングの下から出た瞬間そのすぐ後ろにいたミノタウロスが拳を振るう
りぬけながら刀を肩で担ぐようにしてライガーファングの腹を縦一文字に斬り裂いた。
もう一体いたライガーファングも私に飛び掛かるが、私は姿勢を低くしてその下を走
倒れたライガーファングから再び前へと走る。
﹃グガアァァッ
剣を振るい、心は澄む
280
ミノタウロスだった灰に突っ込むように走り前に進む。視界が晴れると、私に向かっ
﹄
てくるミノタウロス達と相対する。その数四。
﹃ヴヴォアアアア
﹄
!!
る腕は振るわれた瞬間に斬り落とされていく。
する。突進されると面倒なのでその前に足を攻撃して走れないようにした。振るわれ
岩を投げたモーションから既に突進へと移行しているミノタウロスに向かって接近
ぶち当たり大ダメージを食らわせたことだ。
易ではあった。嬉しい誤算は、私が避けた岩がその先にいたもう一匹のミノタウロスに
数瞬前からその飛んでくる岩の軌跡を予知していた私にとってそれを躱すことは容
をどうこうすることはできない。
できても、物理法則を捻じ曲げる事はできない。例え飛んでくる岩を斬ってもその勢い
れたそれは当たれば一瞬で冒険者の命を奪う程の威力を秘めている。私は斬ることは
一匹が岩を持ち上げ、それを私に向かって投げてくる。文字通り人外の膂力で投げら
﹃ヴォモァァア
後でいくらでも殺せる。
ングしながら、いつぞやかと同じように両の足を斬り落とす。行動不能にしてしまえば
突出して私へと向かって突進をしようとしているミノタウロスの股下をスライディ
!!
281
﹃ヴォオオオオ
﹄
﹄
﹄
その巨体に近付き頭に一刺しして絶命させる。
り、ミノタウロスはとうとう両腕両足を失くし地へと落ちた。既になんの脅威でのない
立ち尽くすかと思ったら次は蹴りを放とうとしていたので刀を横一線。両の脚を斬
かりに逆の腕も振るうがそちらも即座に斬り落とす。
許すわけもなく、私は向かってくるその腕を避けながら斬り落とす。ならばと言わんば
再び突進をするが今回は腕を振りかぶり、その巨腕で私を潰すつもりらしい。それを
くるミノタウロス。
止めを刺したのは相手だというのに、私をまるで親の敵とでも言うかのように睨んで
﹃ヴォウウウッ
失くしていたミノタウロスが地へと倒れた。
前にして突進してきたミノタウロスが同胞へと突き刺さる。悲痛の叫びと共に両腕を
目の前にいるミノタウロスを倒すことを諦め横へと飛ぶ。次の瞬間その尖った角を
2相当のモンスターとは言え攻撃前に大声を出すとは頭が足りていない証拠だ。
後ろから五体満足の残り一体のミノタウロスが突進してくるのが分かった。レベル
!
!
!
やっと追い付いてきたヘルハウンドが飛びかかってくるが空中にいる間に相手を斬
﹃ガルゥウウッ
剣を振るい、心は澄む
282
る。着地することもなく、地面へと激突しながら一匹が絶命する。
残りの二匹は少し離れた所で二回目のブレスを放つ。跳びながらそれを避け、ヘルハ
ウンドの上へと身体を翻し刀を下に向ける。そこから重力に従って落ちながら刀を真
下に突き刺す。ヘルハウンドの頭、そして勢い余って地面すら突き刺す。
突き刺さった刀から手を離し、急いでブレスを止め私に噛み付こうとするヘルハウン
ドの口を左手に嵌めている籠手で塞ぐ。がっちりと籠手を放さなくなったヘルハウン
ドの喉元に向かって右手を手刀にして深々と突き刺すと、目から光が失われ地面へと倒
れた。
ひと通りの戦闘が終わり周りを見渡す。何体か未だに息があるモンスターがいるの
で、一体ずつ近付いて止め刺していく。
もちろん第一の目的は︻ステイタス︼の熟練度上げだ。
だということが寂しくもあるが、金ほど確かな対価はないのも事実だ。
なのだろうが私としては正当な対価は払わなければならないと思っている。それが金
音さんへの支払いだ。彼女は料金の話を一切していないので、恐らく無償で作るつもり
今回は第二の目的として金稼ぎが入っている。理由としては、要求されていないが鈴
周りにいたモンスターから魔石を採取して一息付く。
﹁ふぅ﹂
283
最初からここまで苛烈な戦闘をするつもりはなかった。現在は16階層だが、私は今
まで二時間ほど戦闘を続けていた。
流石の私も好き好んで集中力を要する戦闘を二時間も続けて行いたくない。いつも
は戦闘をして、疲れたら他の冒険者のいる所へと移動し休憩を取るのだが、今回はそれ
パ ス・パ レ ー ド
が仇となった。
かった。一つはたくさんのモンスターと戦えたこと。二つ目は、忙しくて思考を放棄で
そのせいで二時間も戦闘を続けるはめになったのだが、何も悪いことばかりではな
が、それは気にしないことにした。
追ってくるモンスター達を相手にしていた。その過程でモンスターの数が倍に増えた
当然一箇所に留まって相手をすると囲まれてしまうので、迷宮内を走り回りながら
を私一人で相手をすることになった。
憩中であった私だったのが運の尽き。パーティーでさえ捌ききれなかったモンスター
私が休憩を取っている時にそれが起こった。その冒険者達の一番近くにいたのは休
然好まれたことではない。しかし命には変えられないので、度々行われる。
つだ。近くにいる冒険者に自分たちのモンスターを擦り付けて逃げるという行為で、当
自分たちの戦っていたモンスター達に手が負えなくなった時に行う、逃げの手段の一
﹃怪物進呈﹄
剣を振るい、心は澄む
284
きたこと。
ここに来る前リリに話した内容が頭から離れなくなってしまっていた。しかし、それ
も長期の戦闘で疲弊した頭には浮かんでこなくなっていた。
やはり斬ることは心落ち着くとでも言うべきか、モンスターを斬っていく度に心が晴
れていくように感じられた。これでいいのだと、心が納得していくのが分かった。
﹁はあ⋮⋮どうしますかね﹂
溜息を吐きながら一人呟く。ここに至るまで倒してきたモンスターの魔石は手付か
ずなのだ。しかし、それを回収している内にまた新しいモンスターに会うのは必然であ
り、そんなことを続けていたら一生終わらない。かと言って諦めるには少し戸惑ってし
まう量だ。
﹂
ああでもない、こうでもないと頭をひねっているとダンジョンには似つかわしくない
明るい声が曲がり角の先から聞こえてきた。
もういいでしょ、帰るわよ﹂
﹁あれ、死体なくなっちゃった。死んじゃったのかなあ
﹁そうなんじゃない
ね、もうちょっと見てみようよ﹂
そもそもなんで律儀に魔石を回収してるのよ﹂
﹁えええ⋮⋮せっかく魔石も取ってきてあげたのに
?
聞き覚えのある女性の声が二つ。似通った声質ではあるが、一人は明るくもう一人は
﹁はあ
?
?
?
285
若干苛立っている。
﹁だってアイズがすごいって言うからどんな人か知りたくなったんだも∼ん﹂
﹂
﹁そもそもアイズ、何がすごかったのよ ただのミノタウロスの死体だったんでしょ
?
掛かったのは同時だった。
?
ネスの姉妹、流れるような金髪のオラリオ最強の女剣士、山吹色の髪を束ねた魔導特化
目の前には褐色の肌を惜しみなく露出した踊り子のような戦闘服を着ているアマゾ
﹁これは皆さんこんにちは。いや、こんばんは
﹂
もう一人女性の声と唯一の男性の声が最後に加わるのと、その集団が曲がり角に差し
﹁ちぇ、団長がそういうなら﹂
げよう﹂
﹁まあまあ。もう少し先に進もう。ここまで来たんだし、怪我でもしていたら助けてあ
﹁あれは⋮⋮怖かったです﹂
そこに静かながら美しい声の女性と凛とした涼しげのある声の女性が会話に加わる。
﹁確かにな。触ったら崩れるほどの鋭い切り口など初めて見た﹂
﹁断面が、すごく鋭かった﹂
?
﹁え﹂
剣を振るい、心は澄む
286
冒険者、翡翠色の長髪に緑のローブを着たオラリオ最強の魔導師、そして子供のような
身長でありながらファミリア一つを纏める冒険者の長である金髪の男性が一人。
オラリオで一二を争う探索系ファミリアであるロキ・ファミリアの面々であった。
!?
うで、袋はそれなりに膨れていた。
なんでここにいるのよ
!
取れたのかティオネに聞いている最中のこと、再起動に掛かった時間は十秒程だった。
全員の思っていることをティオナさんが私に突っ込んだのは私がどれくらい魔石が
﹁じゃ、なくて
﹂
そう言ってティオナは肩に担いでいた袋を降ろした。予想通りかなりの量だったよ
﹁え、あ、うん。はい﹂
を拾ってもらってありがとうございます﹂
﹁盗み聞きするつもりはなかったのですが。ティオナ、お礼を言わせてください。魔石
287
炉は燃える
﹁それにしても、変えたんだね武器﹂
ああ、お見せするのは初めてでしたね﹂
﹂
?
﹂
!
﹂
﹂
?
いからな。普通専属契約などを交わすのはレベル2にランクアップして二つ名を得て
﹁いや、レベル1の冒険者に好き好んで特注の装備を作る鍛冶師というのはあまりいな
?
﹁それは特注ということか
の話を聞いていたがリヴェリアさんや他の面々は違った。
特に深く考えていないティオナは何も思っていないのだろう、いつもどおり笑顔で私
﹁へえ、いい武器だといいね
﹁いえ、今打ってもらっています。そのための資金集めですよ﹂
﹁新しいの買うの
﹁まあ、これは繋ぎの武器なんですけどね﹂
味の一言だが切れ味や握り心地などは納得できる一品だ。
そう言って私は腰に差した刀をティオナに見せた。黒塗りの鞘と黒の柄、見た目は地
﹁え
?
﹁ええ、何かおかしいですか
炉は燃える
288
名を挙げてからが一般的だ﹂
﹂
?
﹂
?
﹂
!
﹁な、何言ってるのティオネ
﹂
﹁そうよね、知りながらも毎日毎日私にこいつのことを話したのよね﹂
﹁し、知ってたから
ているティオナなのだろう。ティオネさんはニヤニヤしながらティオナを見ていた。
そして、その﹁そうとは思っていない﹂人は私のすぐ隣、現在進行形で顔を朱に染め
見て大いに楽しんでいた一人だ。
とりのことを言っているのだろうが、彼女もその場にいた上テンパっていたティオナを
耳聡く鍛冶師が女性であることを聞いていたティオネさんは以前闘技場でしたやり
﹁そうとは思っていない奴が一人いるけど
﹁人聞きの悪い事を言わないで下さいよ。あれはからかってただけですよ﹂
の
﹁というか鍛冶師は女なのね。人の妹を散々誑かしておいて、すぐ次の女に乗り換える
れそうなので止めた。
音さんの方から打たせて欲しいと言い出したのだが、それを言うと更に話を掘り下げら
リヴェリアさんの質問に答えるが、私が頭を下げたという部分は嘘である。真実は鈴
﹁私が彼女に頭を下げて頼み込んだんですよ﹂
289
!?
﹂
﹁あの時のアゼルの﹂
﹁わあぁぁッ
ない。
﹁あ﹂
﹁少しは考えなさい馬鹿﹂
!
﹁またその質問ですか
﹂
?
ウ
ル
ガ
を偽っているという二つだったら後者の方がまだ信じられる。それくらい君が17階
﹁言ってはなんだけど、中層で単独戦闘をこなすレベル1の冒険者の存在と、君がレベル
?
﹂
内心ヒヤヒヤしながらそれを顔に出さないように再び歩き出す。
﹁うぅぅ、だってティオネがぁ
﹂
た。流石は上級冒険者、跳び退くという未来を事前に見ていないとさっぱり動きが追え
さんと更にその横にいたフィンさんはいつの間にか少し離れたところまで退避してい
咄嗟にしゃがんで避けるが後ろ髪の毛先が少し切れた気がする。横にいたティオネ
私は巻き添えをくらう未来が見えた。
るってティオネさんを止めようとする。二人に挟まれる形で歩いていた私は位置的に
羞恥心が限界を越え、とうとうティオナは抑えられず手に持っていた大双刃を横に振
!
﹁それにしても、君は本当にレベル1なのかい
炉は燃える
290
層にいた事は異常だ﹂
フィンさんの指摘に頭を捻らせる。自分としてはできることをやっているだけなの
で違和感はないのだが周りから見るとどうやらそうではないらしい。
基本的に刃が入れば一撃必殺と言ってもいい私のスキルと未来を見ることのできる
魔法も合わさって、レベル適正を超えた階層にいるのだろうとは思っていたが、それが
既に信じられない程深い所まで来てしまっていたようだ。
﹂
!
﹂
?
んだのか、こちらを見てニヤニヤしていた。
﹁お金稼ぎしよーってダンジョンに来たのに
﹁18階層で事件に巻き込まれて
﹁はい﹂
﹂
暴れて
!
﹁来たのに﹂
!
!
﹂
私の質問に対して横から突然ティオナが大声で答える。ティオネさんが何か吹き込
﹁それが聞いてよッ
﹁そういえば皆さんは探索の帰りですか
親指を擦りながらそう言ったフィンさんの表情は少し険しかった。
﹁本当に君は⋮⋮ランクアップが楽しみだよ﹂
﹁できてしまうことはできてしまうとしか﹂
291
﹂
﹁事情聴取のために地上に戻らないといけないの
﹁つまり暴れ足りないということですか
﹂
?
﹂
!
私に教えていいことというのはかなり少ないだろう。
﹁行ったことないんですよね、18階層ですか﹂
﹁行ったことないのが普通なんだけど⋮⋮ちなみに最高到達階層は
?
まあ、取り敢えずモンスターいなくて安全だよ
﹁そこまで行ったら18階層行こうよ。今は階層主のゴライアスもいないだろうし。あ
﹁今のところ17ですね﹂
﹂
かなり省略されているであろうその説明に私は納得した。というより部外者である
﹁そういうこと
!
それともそろそろ復活だっけ
﹂
れ
?
?
﹂
階層まで降りてそれ以上は降りないようにしたのだ。
べたことがあったから知っていた。しかし、そんな所に興味のない私はとりあえず17
18階層がモンスターの出ない安全地帯であることは、少しだけだが中層に関して調
﹁ああ、うん、なるほどね﹂
﹁モンスターのいない階層だから行かないんですよ﹂
?
﹁じゃあ次は18階層を飛ばして19階層に行くの
?
炉は燃える
292
で早々に別れた。そして私は代金の相談をしようと思い、鈴音さんの家へと向かった。
ティオナ達は早く事情聴取を終わらせて再びダンジョンに戻りたかったため、換金所
げた。
ティオナが拾っていてくれたおかげで魔石が大量に獲れ、ヴァリスも今までにない程稼
その後ロキ・ファミリアの面々と地上に帰還し魔石やドロップアイテムを換金した。
で驚きではなかった。
程の剣の腕を持ちながら戦うことを好まないと言われる方が信じられないので、そこま
やはり見た目が美しい少女と言っても冒険者ということだろう。私からしたら彼女
吐きながら教えてくれた。
る下層や深層でもモンスターに一人で突貫するほど戦うことに執着していると溜息を
もらった。リヴェリアさんによるとアイズさんは中層より遥かに強いモンスターが出
モンスターに突っ込んでいく冒険者というなかなか見ることのできないことを見せて
ジョンを歩いた。モンスターはほとんどアイズさんが出会った次の瞬間に倒していた。
それから地上に到着するまでロキ・ファミリアの面々と他愛もない話をしながらダン
れません﹂
﹁中層で物足りなくなれば⋮⋮そうですね、新しい刀ができたら物足りなくなるかもし
293
炉は燃える
294
■■■■
アゼルは鈴音に会うために彼女の家へと向かったが、それは間違いであった。
彼女は冷えきった工房に一人座っていた。
ここ数ヶ月程一度も火の灯されていなかった炉は冷たく、工房自体に来ていなかった
ため全体的に埃っぽい。しかし、彼女はそんなことを意にも返さず机に向かい、様々な
情報が描かれた紙束を眺めながら今から打つ刀を想像していた。
使用する金属は非常に稀少な金属であるアダマンタイト。ダンジョンで採れる金属
の中でも随一の硬度を持つそれは下層や深層でないと安定して採れない鉱物だ。
鈴音の悪い噂が流れ始めてからめっきり刀が売れなくなった彼女には当然そんな素
材を買う金銭はない。しかし、知り合いと交渉し彼女の持つ鍛冶に司る技術のすべてと
対価に素材の代金を払ってもらった。鈴音としてもはすべて自分の手で完成させたい
一振りではあるが、材料を揃える資金がないことには何も始まらない。
恥も外見も気にしている場合ではない。最高の一振り、それは想いだけで打てるほど
生易しいものではない。
柄、鞘、笄に使用する木材は長年掛けて自然乾燥させた物。切ってすぐの木材は縮ん
だり伸びたりするので、刃を収納しておく鞘としては使えない。自然乾燥させた木材の
295
中でも彼女が自ら市へと行き、木の状態を吟味して選んだ物を使う。
柄に巻くのはフライレイと呼ばれる魚の皮。非常に素早く、そのスピードを使い水面
から飛び跳ね、まるで空を飛ぶように見えることからそう名付けられた魚だ。別段珍し
い魚ではないが、その皮の表面には粒がたくさんあり柄紐を巻くのに役立つ。
柄紐はダンジョンに生息する蜘蛛型のモンスターが吐き出す糸を解き、紐に編んだ物
だ。非常に伸縮性に優れ、細い糸からは想像できない程の強度を持っており、解く時に
特殊な薬品に漬けることによって粘力を失くし触り心地も良い。何よりも程よい弾力
があり握りやすく、普通の紐とは一味違った紐だ。
鞘の塗りは黒、柄には白い皮と藍色に染めた紐を巻き、目貫は彼女がいつも使ってい
る鈴を模した物を使う。
鈴音の中で刀のイメージが確かな物へとなり、同時にそれを持つアゼルのイメージも
彼女の中でより鮮明に見えてくる。しかし、その刀の描く軌跡が未だ見えない。
│││早く見たいよ
彼女の中でその想いが強くなっていく。まるで身体の中を暴れるようにその感情は
彼女を突き動かしていた。
そしてその想いを炉に灯す。
猛る炎が彼女の顔を照らし、工房の中に再び風が産まれる。忍穂鈴音は帰ってきたの
だ。そして漸く彼女は自分の居るべき、帰るべき場所に気付いた。
初めて刀を打った時のことを思い出す。あの高揚感、そして自分で打った刀に対する
愛情。今は思い出にあるその瞬間を遥かに越える高揚感が身を支配していた。
インチキだと罵られようとも、他人から嫌悪の目で見られようとも、もう彼女には関
係のないことだった。
その槌はただ一人のためだけに振るわれればいい。
その炉はただ一人のために燃え続ければいい。
その心はただ一人のためにあればいい。
その想いをただ一人のために一振りの刀に打ち込めばいい。
最相アゼルに対する彼女の想いに他人など入る余地はなかった。
炉の中で炎が一層強く燃え、鈴音はそれをじっと眺める。そして、やはり思い出すの
﹂
はアゼルの手であった。もうすぐ、きっともうすぐあの手が握ってくれる。
﹁おや、少し遅れてしまったかの
?
左目に眼帯をした褐色の女性だ。上半身は豊満な胸を隠すためのサラシ以外は着て
はその人物に気付いていなかった。
気付けば工房にもう一人女性が入ってきていた。燃える炎に集中するばかりか、鈴音
﹁⋮⋮ううん、ぴったしだよ﹂
炉は燃える
296
おらず褐色の肌を惜しみなく露出している。
﹂
?
話を焼いてきた人物でもある。
鈴音の刀の素材の代金を代わりに払った人物であり、鈴音の現状を心配して色々と世
一般的な短足短腕のドワーフと違い手足もスラリと長い。
ヒューマンとドワーフのハーフではあるが、ヒューマンの血を色濃く受け継いだ彼女は
ラ リ オ で 最 も 腕 の い い 鍛 冶 師 で あ る と 同 時 に レ ベ ル 5 の 冒 険 者 で も あ る 彼 女 の 名 だ。
その女性の名前は椿・コルブランド。ヘファイストス・ファミリアの首領であり、オ
﹁何、お主の技法を見せてくれると言われれば誰だって来るさ﹂
﹁うん。手伝いに来てくれてありがとう、椿さん﹂
﹁あい分かった。では始めるとしようか、鈴音﹂
いる女性は強い。
たくないと思ってしまった彼女を責める人はいないだろう。そしてなにより、目の前に
その女性は眼帯をしても尚他人の目を惹く魅力がある。あまり意中の相手に会わせ
﹁こ、今度ね﹂
﹁お主にここまでさせる男がいるとはのう。いつか会ってみたいものだ﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁ふむ、良い面構えになったのう。もしや、男か
297
炉は燃える
298
鈴音が刀を打つので手伝って欲しいと言ってきた時椿は喜んだ。
彼女は鈴音の打つ刀が好きだった。椿が打つ武器は完全に戦闘用の物だが、鈴音の打
つ刀は違った。
鈴音の打つ刀は美しかった。刃は細心の注意を払いながら丹念に研いだのが分かる
輝きを放ち、反りはその輝きを鋭さへと変えた。鞘から抜かれた瞬間空気が変わったの
ではないかと思うほど、鈴音の打つ刀の刃は椿には美しく見えた。
そもそも二人は違う信念の元で武器を打っているので当然の違いだ。しかし、美しさ
を追求するという殺傷のためにある武器には無駄とも思える鈴音の信念を椿は新鮮に
思った。椿にとって鈴音との出会いは、また一つ彼女の中で鍛冶の奥深さを知らしめた
出来事だった。
そんな鈴音がどうしても完璧に仕上げたい一振りがあるから手伝って欲しいと言っ
てきたので椿は急いで受けていた仕事を済ませ駆けつけた。
そして炉の中で燃える炎に照らされ鈴音の横顔を見て、また一人楽しみな後輩ができ
たと心の中で呟いた。
轟々と燃え盛る炉に忍穂鈴音という少女は向き合った。燃える炎に負けないくらい
の激情を内に抱えながら彼女は槌を握った。
熱せられた金属を炉から取り出し、槌を振り上げる。
│││すべてを斬り裂いて
ただそれだけを願って忍穂鈴音は槌を振り下ろした。
■■■■
結局鈴音さんは家にはいなかった。共同住宅の外でどこに行ったのかと悩んでいる
と私に誰かが声をかけてきた。
﹁そこの貴方﹂
﹂
﹂
あるということを理解する。
感と万人を惹きつける美貌。目の前に立っている女性が人間ではなく神、つまり女神で
髪と同じく炎を思わせる赤い目が私を捉えていた。私もその目を見る。圧倒的存在
思えた。
た。しかし、男装しているからだろう、その美貌はより一層引き立てられているように
声の主は燃えるような赤い髪をし、顔の右側を覆う大きな眼帯をした男装の麗人だっ
﹁私ですか
?
﹁ここになんの用かしら
?
299
﹁ええと、私そんなに怪しかったでしょうか
﹁それはよかった﹂
﹂
別に貴方が特別怪しいということじゃないから安心しなさい﹂
﹁ここは私のファミリアの子供達が住んでいる場所。そして貴方は私の眷属じゃない。
というほど身だしなみを疎かにしているつもりもない。
私としては建物の前で悩んでいるだけで怪しまれるほど奇抜な格好でもないし、不潔
?
それはどこにあるのでしょうか
﹂
﹁それで、ここになんの用かしら 鍛冶師に用があるなら工房に行ったほうがいいわ
よ﹂
﹁工房
?
?
よ﹂
﹁まずは自己紹介ね。私はヘファイストス・ファミリアの主神兼社長のヘファイストス
だったからだろう、私に対する警戒心もなくなり彼女が私に近付く。
彼 女 は 溜 息 を 吐 き な が ら 呆 れ て い た。自 分 の フ ァ ミ リ ア の 鍛 冶 師 に 用 が あ る 人 間
﹁どこって﹂
?
﹁貴方が﹂
出し冒険者です﹂
﹁私はヘスティア・ファミリアに所属するアゼル・バーナムです。レベルは1の所謂駆け
炉は燃える
300
驚くことにヘファイストス様は私の事を知っているような口ぶりだった。そんな彼
﹂
女は現在私の左手に装着されている籠手を見た。
﹁私の事をご存知なんですか
﹂
﹁これを製作したのは何を言おう私よ﹂
﹁⋮⋮え
﹁あいつ言ってなかったのね﹂
﹁まあ、もう一人に作ってあげた物に比べれば何の変哲もない籠手なのだけれど﹂
とは。
手。確かに軽いのに頑丈だし、付け心地は抜群だったが、まさか神の作った装備だった
ス様は恐らく鍛冶の神である。神としての能力を使えないとはいえ、その神が作った籠
鍛冶をするファミリアであるヘファイストス・ファミリアの主神であるヘファイスト
?
?
﹁いえ、ちょっと待って下さい。え、えええ
﹂
そう言って彼女は籠手を付けている左腕を掴み、私の目の高さまで持ち上げた。
﹁ちなみに﹂
﹁なるほど﹂
の﹂
﹁ええ、ヘスティアとは天界にいた頃からの神友よ。少し前会って貴方のことを聞いた
?
301
﹁も、もしかしてあのナイフも﹂
﹁私が打った物よ﹂
驚きで声が出ないのは初めての経験であった。私のは何の変哲もない籠手というの
﹁⋮⋮﹂
だからベルの持っているベルはヘスティア・ナイフと呼んでいる黒いナイフは何かしら
力が込められているのだろう。しかも神であるヘファイストス様が直々に打った一振
り。
一体どれほど金を積んだのか、と思ったが我がヘスティア・ファミリアは零細ファミ
リアである。要するに金に余裕などない。
﹁あの﹂
﹁代金についてはもう話がついているから心配しなくていいわ﹂
﹁え、あ、はい﹂
私はあまり金に固執する人間ではないが、それでも借金などは御免だ。
表情に少し不安が見えていたのだろう、ヘファイストス様はそれを見抜いたのだろ
う。なんと言っても永遠とも言える時間を生きる神なのだ、人の表情を見るのに長けて
﹂
いるという特徴はほぼすべての神に適応される。
﹁羨ましい
?
炉は燃える
302
﹁え﹂
﹂
?
どなかったのだ。
いたはずだ。それでも彼女は私にこの籠手を与えた。ならば、きっと性能の差に意味な
私がいつか装備の差に気付くであろう事は、ヘスティア様とて可能性としては考えて
た。この籠手はその取っ掛かりであり証拠であり、私とヘスティア様の見える絆だ。
あの日、あの時まで私の事をあまり気にしていなかったヘスティア様が私に歩み寄っ
﹁私は貰ったことに意味があると感じています﹂
﹁そう
﹁いえ、そこまでは﹂
人も神も行動に感情が現れるのは変わらない。しかし、それでも。
考えても、私には分からなかった。もしかしたら、彼女の愛情の差なのかもしれない。
じなかった。ならば何故装備の性能に差を付けたのか。
ヘスティア様は言った、私を大好きだと言えるようになると。その言葉に偽りなど感
険者はいないだろう。しかし、きっとそうではない。
羨ましくないと言えば嘘である。神が打った武器を振るうという事に惹かれない冒
ら単純に比較はできないけど、性能は天と地ほどの差になるわ、いつか﹂
﹁あまり言いたくないけど、製作費は断然ナイフのほうが掛かっているわ。違う物だか
303
そもそも目の前の女神も何も意地悪でこんな質問をしたわけじゃないのだろう。ヘ
スティア様がどのような想いで渡したのか、気付いていればいいし、そうでなければそ
れとなく私に教えるつもりだったのかもしれない。
﹁ふふ、よかったわ。羨ましい、なんて言われたらどう返そうかと考えていたわ﹂
らっている最中です﹂
﹁流石に神に武器を強請るほど強欲ではありませんよ。それに、正に今武器を作っても
﹁そ う だ っ た わ ね。誰 に 作 っ て も ら っ て る の か し ら 名 前 が 分 か れ ば 場 所 は 分 か る
わ﹂
でも、彼女は﹂
﹁忍穂鈴音さんという方です﹂
だそうだ。
る場所を与えられるらしい。鍛冶師として自分の技能を秘匿するためには必要なこと
なんでもヘファイストス・ファミリアの構成員は入った時点で個人の工房、鍛冶をす
?
ヘファイストス様は少し考えてから私に言った。
していたが、私の刀を打ちたいと言ったのだから鍛冶を再開したと言っていいだろう。
鈴音さんのことは彼女も知っているのだろう。鈴音さんは数日前まで鍛冶師を休業
﹁鈴音
?
﹁私も確認しに行くから案内してあげるわ、こっちよ﹂
炉は燃える
304
﹁ありがとうございます﹂
歩き出した彼女の後ろを私は追った。前を歩くヘファイストス様が少し早足だった。
鉄を打つ音が響く。それは、鍛冶師達の音だ。
ヘファイストス様に案内されたのは何度か路地を曲がった先にある場所だった。煙
突の付いた平屋造の建物がいくつも並び、辺り一帯から鉄を打つ音が聞こえてくる場
所。
私の横で同じ物を見聞きしていたヘファイストス様はまるで母が子を愛しむような
﹁本当に﹂
く現在は作業中のようだ。
こが鈴音さんの工房なのだろう。煙が出ているし、鉄を打つ音が聞こえてくるので恐ら
い、今は煙突から煙が出て、中からは鉄を打つ音が絶えず聞こえてくる工房。きっとそ
喋りながらも彼女はその足を一つの建物へと進めた。他の建物とほとんど変わらな
﹁用がなければ来るような場所ではないわ﹂
﹁初めてここまで来ました﹂
﹁ここがうちの鍛冶師達が工房を構えている地域の一つよ﹂
305
表情をしていた。今彼女が見ているのは一人の眷属の挫折と再起の一幕だ。それを喜
ばない主神などこのオラリオにはいないだろう。
﹁貴方のおかげみたいね。ありがとう﹂
﹁別に、私は何もしてませんよ﹂
やんわりと私の言葉を否定した彼女は、耳を澄ませてみろとジェスチャーをしてく
﹁いいえ、そんなことないわ﹂
る。言われたとおり耳に手を当て音を聞いてみる。
変わらず規則正しく、一定の強さで響く鉄を打つ音。
﹁音を聞けば分かるわ。鈴音は貴方のために武器を打っている﹂
﹁⋮⋮私にはさっぱりですね﹂
﹁ふふ、分かってたらうちのファミリアに勧誘してるわ﹂
既に耳から手を離した私と違い、ヘファイストス様はまだ音を聞いていた。目を閉
じ、鉄を打つ音から何かを感じ取る彼女は美しかった。
私も試しにもう一度音を聞いてみる。
母のようにに見えた。
歌うようにそう言った彼女の表情は慈愛で満ちていた。子供を励まし成長を見守る
﹁燃える炉で鉄を熱し、振るわれる槌で鉄を打つ。そうやって私達は鉄に魂を込めるの﹂
炉は燃える
306
﹁燃える熱さは血となり、打たれる音が鼓動になる。そしていずれ鉄は脈打ち命が宿る。
私達が自らの血を、魂を込めた一振りができる﹂
少し離れた場所で今も鉄を打っているであろう自分の眷属の背中を押すように、彼女
の言葉には力がこもっていた。
﹁こんな音よ﹂
﹁⋮⋮﹂
?
﹁ええ⋮⋮よく分かりませんけど、何か響いたような気がします﹂
﹁ふふ、聞こえたみたいね﹂
すぐとんぼ返りするはめになりそうだ。
腕が疼いて震えた。ダンジョンから帰ってきたばかりだというのに、ホームに戻って
えようとする叫びのようだった。
ていたであろうその音は、今私の耳には心地よく聞こえていた。その音は何かを私に伝
その音は直接身体に響いてくるようだった。普段であればなんの気なしに聞き逃し
﹁今度は聞こえたかしら
﹂
け私の耳に訴えかけてくるように聞こえてくるその音。
また鉄を打つ音が響く。辺り一帯から絶え間なく聞こえてくるはずの音の中、一つだ
﹁込める想いは様々だけど、想いの宿った槌を振り下ろした音は﹂
307
﹁そう、ならよかったわ。後、手﹂
﹂
そう言ってヘファイストス様は私が無意識に握っていた刀の柄を指差した。
﹁あ﹂
﹁変な誤解を生むだろうから、気を付けたほうがいいわよ
﹁いやあ、すみません。つい﹂
い。剣に見合った技量も持ってこそ剣士だ。
ならば私も自らの腕を磨くべきだろう。剣に見劣りする剣士などただ滑稽でしかな
女に打てる最高の一振りを打とうとしている。
聞いていると自然と頭に浮かんで来た。その真剣な表情を見た気がした。今彼女は彼
ている姿を想像した。普段の彼女からはまったく想像も付かなかったが、鉄を打つ音を
ここからでは見えない鈴音さんが、汗をかき熱さに耐えながら槌を何度も何度も振っ
﹁そう言って貰えると助かります﹂
﹁気持ちは分からないでもないわ。私も今槌を握りたい気分だもの﹂
?
ていた。
そう言った彼女は私を一瞥してから鈴音さんの工房に寄らずにそのまま帰ろうとし
﹁そうですね﹂
﹁今会いに行くわけにもいかないし。帰るわよ﹂
炉は燃える
308
309
刀を打つ音だけでここまで何かを斬りたいと思ってしまうのなら、出来上がった一振
りを握った時私はどうなってしまうのだろうか。恐らくまともな思考はできなくなる
だろう。何階層まで降りればその欲求が満たされるのか予想もできない。
これはまたヘスティア様を心配させることになるだろうと思いつつ、私はそうなるこ
とを止めることができないと確信してしまっていた。
ああ、やはり私は人を悲しませてでも自分の欲求を満そうとしてしまうような男だ。
自嘲的な笑みを浮かべた私の心の中に歓喜が渦巻いていた。
早く握ってみたいと思いながら、ゆっくりとヘファイストス様の後を追った。
それは遥か昔の熱
それは夜が更け、オラリオの住民が寝静まった時間帯のこと。一人の女神が宵闇を歩
いていた。銀の髪は月明かりに照らされその輝きを魅せる。
彼女が向かったのは一人の鍛冶師の工房だった。音もなくドアを開け、中に侵入し
た。例え気付かれても、彼女に逆らえる者はいなかっただろう。
それは部屋の中央、備え付けのテーブルの上に乗っていた。菫色の長細い袋に入った
﹁ふふ、これね﹂
それを、彼女は無遠慮に取り出した。
それは一本の刀だった。
鞘は黒、柄巻は新雪のような白。それを見て彼女は一瞬もう一人の少年のことを思い
出したが、すぐに意識を切り替えた。
﹂
少し刀身を鞘から抜き、覗いた刃紋が夜の月明かりに照らされ妖しく波打つように光
るのを眺めた。
﹁これが何か分かるのオッタル
?
﹁それは⋮⋮﹂
それは遥か昔の熱
310
フルンティング
彼女だった。
しかし、内心は歓喜で満ちていた。
見されたことを考えると、近くに彼女の眷属がいれば気付いてもおかしくない。
尾行に気付かれることは予想の範疇だった。 怪 物 祭の時も僅かな残り香だけで発
モンスターフィリア
漏らした。その言い方が拗ねた子供のようで可愛らしくついつい頭を撫でてしまった
そして、その猫人は苦虫を噛み潰したような表情で最後に一言、僅かだが斬られたと
報告だった。
を探るため監視をさせていたのだが、尾行を気付かれ問答無用で斬りかかられたという
彼女が思い出すのは、アゼルの監視を任せている猫人の眷属の報告だ。アゼルの動向
﹁アゼルにぴったりね﹂
そんな掻い摘んだ説明を受けた女神は微笑んだ。
ことではない。
にその属性を付与することのできる鍛冶師もいなくなっていったのはなんら不思議な
しかし、現在は吸血という非人間的な行為が嫌われ、使われなくなった。それと同時
の武器の性能はその状態で保たれ続け、時には向上することさえある。
吸血属性。それは生物の血を啜る武器の総称だ。斬れば斬るほど、殺せば殺すほどそ
﹁恐らくは吸血属性。久しく見ましたが、存在感が昔見たそれと似ています﹂
311
しかし、まさか彼女が大切に育てた上級冒険者に僅かといえども傷を負わせるとは
ヴ ァ ナ・ フ レ イ ヤ
思 っ て も い な か っ た。猫 人 の 眷 属、ア レ ン・フ ロ ー メ ル は レ ベ ル 6 の 冒 険 者 で あ り
実力者だ。
︻女神の戦車︼という二つ名を持つこの迷宮都市でも上位に入るフレイヤ・ファミリアの
彼女はアゼルの能力はそれとなく理解していた。格下のレベル1の冒険者がオラリ
オ最強の冒険者に傷を与えることのできるその能力に恐怖すら抱いた。
しかし、あれはオッタルが何もしていなかったからできたことだと思っていた。今回
はアレンが戦い、そして斬られた。確かに強いことは分かっていたが、本気ではなかっ
たとは言えレベル6であるアレン相手に引けを取らない戦闘能力だ。
彼女の中でアゼルに対する愛が深まった。手に入れたいという想いがより一層強く
なる。
彼女は部屋で寝ている少女を見る。疲れて寝てしまったのか、彼女は椅子に座りなが
ら静かに寝息をたてていた。静かに近付いて、安らかに眠るその少女の頬を触れ、感じ
取る。
それは、とても初々しい恋心のような愛。それと同時に刃のように鋭い危うさを孕ん
彼女は愛と美の女神だ。
﹁とっても良いわ﹂
それは遥か昔の熱
312
だ愛。
﹂
?
イ
コ
ル
再び彼女は少女の頬に触れ、そこから熱が発生する。熱っぽいうめき声が少女の口か
のね。これは貴方の愛の結晶﹂
﹁いえ、そうでなくとも、彼の近くにいるのは辛いこと。それでも近くで愛したいという
い。
などなかった。彼女は自分の欲しいものはすべて手に入れる、そこには妥協も容赦もな
眠る少女に女神は語りかけた。誰も知らない、誰も聞いていないその言葉には戸惑い
けよ
﹁この刀に免じて、彼のそばにいさせてあげる。でも、最後は私のものになるから辛いだ
も優れた血は刃の妖しさをより一層引き立てた。
それは女神から一人の男に対する贈り物だ。神の血という奇跡を内包した世界で最
ささやかなプレゼント﹂
﹁愛してあげる。だから、すべてを斬り裂いて私の元へと来なさい。これは私から送る
した刃の上に持って行く。針で肌を少しだけ刺し、一滴の血が流れ刃へと落ちる。
そう言って女神は刀をオッタルに持たせた。一本の針を取り出し、手を刀の少し露出
の﹂
﹁彼に惚れるんだもの、こうなるわよね。でも、ごめんなさいねお嬢さん。彼は私のな
313
ら漏れる。
﹁なら私は貴方を祝福しましょう﹂
そうして彼女はそこから立ち去った。
来た時と同じように足音一つ立てず、静かに彼女は闇の中を歩く。それに付き従う男
も巨体にも関わらず卓越した身体操作で足音を消していた。
力:H 199 ↓ G 233
Lv.1
アゼル・バーナム
■■■■
からこそ愛の女神。そのための美。
を。例え、それが刃に宿った怨念だとしても、彼女は魅了する。すべてのものを愛せる
しかし女神は知らなかった。その刃に宿る怨念を、そこに思念の集合体がいること
宵闇に消えたその女神の名はフレイヤ。この世界で最も美しい女神の名だ。
﹁なぜなら私は愛と美の女神﹂
それは遥か昔の熱
314
耐久:H 104 ↓ H 179
器用:F 314 ↓ E 402
敏捷:G 243 ↓ F 353
魔力:H 126 ↓ G 201
﹂
?
﹁それはそうかもしれないけど⋮⋮強くなるに連れ危険度も上がるだろう
﹁でも上がれば生き残る確率も上がりますよ﹂
﹂
?
もう一度ダンジョンに行くことは叶わなかった。
結局、昨日はお金を一度ホームに置いていくために戻った所をヘスティア様に捕まり
﹁別に上がって困る物ではないじゃないですか﹂
い
﹁上昇値トータル350オーバー⋮⋮はぁ、なんだって君とベル君揃って問題児なんだ
︻地 這 空 眺︼
ヴィデーレ・カエルム
︻剣︼
スパーダ
︽スキル︾
︻未来視︼
フトゥルム
︽魔法︾
315
﹁⋮⋮そうなんだよなあ。結局は君たちを信じるしかない、か﹂
そう言って彼女はヘスティア様は私の背中の上から降りた。彼女もバイトとして働
いている身だ、いそいそと出掛ける準備をしている途中に無理言って更新をしてもらっ
た。
﹂
現在の時刻は十一時。私はダンジョンに言った疲れで結構な時間寝てしまっていた
らしい。
﹁じゃあ、僕は行くね。危険な事はするんじゃないぞ
!
せめぎ合う感情。勝ったのは後者であった。
振るってみたい。
来ていないと急かしているようで申し訳ない。しかし、もし完成しているとしたら早く
いるか確認するか、ダンジョンの帰りに確認しに行くか悩んでいる。行く前に尋ねて出
ダンジョンへ行くのは決定事項なのだが、その前に鈴音さんの所に行き武器ができて
ダンジョンへと出掛けた。私は今日の予定をどうするか悩んでいる段階だ。
じゃ、と言ってヘスティア様は地下室から出て行った。ベルは既に朝食を食べてすぐ
﹁はいはい、分かりましたよ﹂
それは遥か昔の熱
316
﹁鈴音さーん﹂
彼女の住む共同住宅の一室にいないことを確認した後、昨日ヘファイストス様に案内
してもらった工房へと足を運んだ。ドアをノックして名前を呼んでも彼女は出てこな
かったので留守のようだった。
鈴音さん﹂
?
ば接触は最低限に抑えて助けたし、知らない女性であってもそうだ。まあ、リューさん
もちろん女性だったら誰でも抱きとめたりはしない。もしこれがリューさんであれ
﹁大丈夫ですか
これが男であったら放っておいただろう。
ちなみに倒れると理解したと同時に相手が着物を着た女性であることも確認済みだ。
抱きとめた。
たばかりの︻ステイタス︼の効果もありかなりの速さで腕を掴み自分の方へと引き寄せ
人物は押された衝撃で後ろへと倒れかけていた。その事を瞬時に理解し、今朝方更新し
しかし振り返る途中に誰かにぶつかった。つま先立ちをして腕を伸ばしていたその
﹁きゃぅ﹂
という気持ちが大きく、彼女になんら非がないのに溜息を吐いてしまった。
小さな溜息を吐き振り向いて帰ろうとした。やはり早く新しい武器を試してみたい
﹁いないのか。じゃあ、帰りに寄るとしますか﹂
317
﹂
が私に押されたくらいで倒れるとは思えないが。
﹁は、はい﹂
驚いたのは本当なのだが。
私がからかっていると思ったのか、依然顔を赤くしたまま鈴音さんは私から離れた。
﹁ううぅ﹂
﹁鈴音さんがそういう事をすることに驚きました﹂
﹁⋮⋮驚かそうと思って﹂
なくもないが、普通街中で周囲の警戒はしない。
接近していた。楽しみ過ぎて周囲への警戒を疎かにしていた私に落ち度がないと言え
胸の中で顔を真赤にしている鈴音さんに私は尋ねた。彼女は私の後ろ、しかもかなり
﹁で、私の後ろで一体何を
?
鈴音さんからは石鹸の清潔な匂いがした。髪も若干湿っているのが分かった。
﹂
?
かくし、汚れる。なので作業中に身体を清めるということはしないはずで、そもそも作
一気に心の中が明るくなる。鍛冶とは常に火の近くにいなければならないので汗も
﹁じゃあ﹂
﹁う、うん﹂
﹁お風呂ですか
それは遥か昔の熱
318
業中に風呂に入る程余裕もないだろう。
鈴音さんが公衆浴場に行ったということはつまり、作業が終わったということ。
﹁できたよ﹂
私 が 何 を 言 お う と し た の か 分 か っ た 鈴 音 さ ん は 鍵 を 取 り 出 し 工 房 の ド ア を 開 け た。
﹂
私の手を取り工房の中へと導き、一振りの菫色の刀袋に入った刀の前へと連れて行かれ
る。
﹁これが﹂
﹂
﹁うん。アゼルの新しい刀。名前はホトトギス﹂
﹁ホトトギス
﹁嫌なわけないじゃないですか﹂
﹁鳥の名前⋮⋮と、花の名前。書き方は色々あるけど。い、嫌だった
?
程の存在感があった。
緒の結ばれた黒塗りの鞘が露わになる。ただそこにあるだけで私の目を釘付けにする
最初に見えたのは鈴を象った目貫が付いた白と藍色の柄。そのまま引き抜き、赤い下
は袋の中から刀を取り出した。
本当に安心したのか、胸を撫で下ろしながら鈴音さんは微笑んでいた。そうして彼女
﹁よ、よかったぁ﹂
?
319
それを鈴音さんは両の手の平に乗せ私に差し出した。微かに震えている身体に俯い
た顔。彼女は緊張していたのか、それとも喜んでいたのか。どちらにしても早く私に
握って欲しいという想いが伝わってきた。
そう思うだけで心が震えた。答えなど分かっていた。
?
が身体の一部だと感じるほど私の感覚に合っていた。持ち心地、重心の位置、刃の長さ、
刀を持っていながら、まるで何も持っていないような感覚に襲われた。振らずとも刀
きなくなっていた。
士を擦り合わせたような、静かで心に響く音。もう私はその刃から目を逸らすことがで
80 C 程の刀身をすべて抜き終わると工房内に済んだ音が鳴った。滑らかな金属同
セルチ
たその刃の中に、私は自分を見た。ただ斬りたいと願っている自分を。
真っ直ぐな刃紋が見えた。私の姿を反射し映しだすその刃が美しく、二色に分けられ
努めてゆっくり刀身を鞘から抜いていく。
ならばその中身は
のかが垣間見えた気がした。
に吸い付くようだった。それだけで、彼女がどれ程私のことを考えて刀を打ってくれた
今まで握っていた刀の柄紐より断然柔らかい握り心地だった。程良い弾力があり、手
差し出された刀を握る。
﹁では﹂
それは遥か昔の熱
320
すべてが合っていた。
刃を見ていると頭の中に様々な光景が流れた。
﹁ッ﹂
ただひたすら刀を打ち続ける老人の姿。死に体で完成させた最後の一振りに込めら
れたその願い。そして、すべてを斬る刀。その願いに答えるため、何度も何度も物を、人
を斬っていく人々の姿。そして最後には自分すらも斬って死んでいく。
貪欲なまでに斬った人の血を啜り、その想いを溜め込んでいく闇。その闇の中で花が
﹂
散り、その根本は人々の死体と血で埋まっていた。ただそれだけの世界。
﹁ど、どう
宿ったことで始まった負の遺産。男のたった一つの願いを叶えるために刀は血を吸っ
幾百幾千の人間を斬り、その血と想いを吸収する怨念。ただ一人の男の願いが刀に
血を啜りそれを自分の物としてきた。
理解していた。それは記憶だった、それは誰かの経験だった。この刀に宿った思念は、
あんなにも非日常の出来事の光景だったのに、何故か私はそのすべてが現実なのだと
があった。
て、自分が今までこの世の物でない光景を見ていた事に気付く。それほどまでに現実味
鈴音さんに声を掛けられ我に戻る。涙目になりながら私のことを見上げる彼女を見
?
321
た。
﹃すべてを斬り裂いて﹄
﹂
鈴音さんの声が聞こえた気がした。
﹁だ、だめだった
しく包み込む。この想いが彼女に伝わることを願って。
彼女は私の上着を掴み顔を押し当てながら泣きだしてしまった。服を掴んだ手を優
﹁鈴音さん﹂
﹁ねえ、何か言ってよぉ﹂
納刀して腰に差す。もうこの一振りは私の身体の一部となった。
そう、私は願われた。すべてを斬り裂くことを、彼女に望まれた。
うになっていた。目尻には大粒の涙が溜まり、頬に一筋の涙が流れた。
私が何も答えないのが不安になったのか鈴音さんは私の服を掴みながらもう泣きそ
?
﹁ほんと
﹂
﹁それくらい、素晴らしい物です﹂
役に立つようにでもなく。私が最も欲していた願いが。
何故ならこの一振りには願いが込められている。私を守ってくれるようにでも、私の
﹁私は生涯この一振りより良い物に出会うことはないでしょう﹂
それは遥か昔の熱
322
?
﹁はい﹂
﹂
?
友と歩む道、愛に生きる道、力を求める道。そう、なにせならここは数々の神が集い、
見た。ここには数多くの可能性が眠っていることを知った。
はただすべてを斬っていた。だが今は違う。たくさんの人と出会い、その生き様を垣間
今までの私はただ斬っていただけだった。そういう生き方しか知らなかったから、私
欲しいと思うことはいけないことじゃないだろう。
それでもいいと私は本心から思っていた。しかし、否定されることは辛い。理解して
リューさんは私を可哀想な人だと言った。
ヘスティア様は悲しそうな顔をした。
老師は僅かな失望を見せた。
だ。
彼女は純粋に私の進む道を肯定してくれた。それがどうしようもなく嬉しかったの
支えながら椅子に座らせ涙を流す彼女が泣き止むまで一緒にいた。
聞いた途端彼女は足の力が抜けてしまい地面にへたりこんでしまった。そんな彼女を
私の答えを聞いた鈴音さんは盛大に泣いた。よっぽど緊張していたのか、私の言葉を
﹁本当です﹂
﹁ほんとにほんと
323
人間たちの可能性を楽しむ世界で最も熱い街なのだから。
それでも、否、だからこそ。私はすべてを斬り裂く、その道を選ぶ。
私は所詮ただの人でしかない。すべてを極めるには脆弱すぎる存在だ。ならば、自分
の持つ唯一つの才能を極めよう。その先にある何かを掴もう。
剣を持ち、剣を振り、剣に生きてきた。そんな自分の人生に意味があったのか、自分
が積み上げた物がなんだったのか知りたい、知らなければならない。
そのために私は。
私は走った。鈴音さんの家から飛び出してからずっと走った。高ぶる感情を抑える
■■■■
私は斬りたい。
腰に差した刀から熱を感じた。それが広がり心が震え、腕が疼く。
せようとも、傷つけようとも私は止まらない。
き方を変えない。自らの意志で、自らの望みですべてを斬る。例えそれが誰かを悲しま
それは私がそれしか知らないからじゃない。他の道があると知っても私は自らの生
﹁すべてを斬り裂きます﹂
それは遥か昔の熱
324
こと無く、街中にいたにも関わらず身体は戦闘態勢に入っていた。上がったばかりの
﹁ははは
ははははは
﹂
!
﹄
!
ただ下を、より強い敵を、この武器を振るうに相応しい敵を求めて。
ことなく私はそのまま走る。
かってきた。僅かに身体を横に逸らしながらすれ違いざまに両断。魔石に目を向ける
下 へ 下 へ と 走 る 私 を 邪 魔 す る よ う に ヘ ル ハ ウ ン ド が 正 面 か ら 私 に 向 か っ て 襲 い 掛
﹃ガゥ
私を衝き動かす。
その鼓動が私に斬れと言う、すべてを斬り裂けと願うのだ。そして、早く辿りつけと
うだった。
わせた。炎で鉄を溶かし、槌でそれを打ったその時の熱が今も刃の中で脈打っているよ
言っていいほどだったが、何よりもその刃には熱い想いが宿っていることが私の心を震
刀の重さ、長さ、重心の位置は斬撃を更に鋭く、疾くした。武器としての出来も完璧と
今までどれほど粗末に剣を選んでいたのか理解させられた。私のために調節された
笑わずにはいられなかった。
!
かい、その状態を維持してただ下を目指して走っていた。
︻ステイタス︼と未来視を使い、人混みの中を人を縫うようにして走りダンジョンへと向
325
﹄
﹃ヴヴォオオオォ
﹃キキィ
﹄
﹄
!!
奥行き200 M、幅はその半分程で、天井の高さが20M程の整った直方体の空間。
メドル
いたというのにこの空間に入った途端モンスターがいなくなっていた。
そこはダンジョンの中だというのに静かだった。つい先程までモンスターと戦って
なく終ぞ足を踏み入れることのなかった空間だ。
そして辿り着いた。17階層と18階層を繋ぐ最後の広間。私が18階層に興味が
を斬るために私はひたすら走っている。
この中層にいるモンスターは全員斬ったことがある。だからもっと下へ、まだ見ぬ敵
まる時間すら勿体無いと感じていた。
攻撃という攻撃を未来視し最小の動きで避けながら一撃で敵を屠っていく。立ち止
しかし、この階層では足りないのだ。
続いている。
きたりと私が未来視を常時発動していなければ不意打ちになりかねない場面がずっと
現れる。壁や天井から産まれたり、曲がり角から私の気配でも察知していたのか走って
まるでダンジョンが私が先に行くのを阻止するかのように正面からモンスター達が
!
!!
﹃グルルッ
それは遥か昔の熱
326
327
一方の壁だけ平らに研磨されたかのように滑らかな表面をしている。これまで見てき
たダンジョンのどの空間と違った、何か特別な場所。
心がざわざわと騒いで、刀を持つ腕がより一層熱を帯びて疼きだす。これから来るで
あろうその敵を、私は出現する前から感じ取っていた。ダンジョンという生物の鼓動、
何かを憎みながら呪詛のように力強く脈打つ生命の根源。
その時、ダンジョンは確かに私へと敵意を向けていた。その理由は私には分からな
かったが、それは今まで受けてきた殺気や敵意とはまったく違うものだった。質で言え
ばオッタルの漏らした僅かな敵意の方が上回っていた。
しかし、今感じている敵意は全方向から、まるで私を圧殺でもするかのように襲いか
かってきた。それが、堪らなく心地よかった。
│││ビキ
傷ひとつない滑らかだった壁に亀裂が入る。
│││バキッ
その亀裂は徐々に広がり、壁の中からより濃厚な敵意が漏れ出してくる。来る、何か
は分からないが、私が今まで見たことも戦ったこともないような何かが来る。
│││ズゥン
大 き な 音 と 共 に 壁 の 向 こ う か ら 一 本 の 灰 褐 色 の 長 大 な 腕 が 突 き 出 さ れ る。そ の に
伴って壁だった岩が床へと落下し土煙が立ち込める。私は、ただその光景を見ていた。
続いてもう一本腕が突き出され、両腕を使い壁に大きな穴を開けた。そこからそれの
頭が出てきた。まるで人間のような頭に長い髪。それは巨人だった。
壁から産まれた巨人はそのまま下へと落下し、その巨大な足で地面を踏みしめた。た
だ着地しただけで周りに爆風の如き風が吹き荒れ土煙は私へと押し寄せ、そしてさらに
後方へと吹き飛ばされた。
晴れた視界の先に私はその巨人を見据えた。体躯は7Mを越える、今まで出会った中
﹄
でも最大のモンスターだ。その身体は人間とは比べ物にならないほど大きく、太く、頑
強に見えた。
﹃オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォッ
うな熱さを帯び、身体の奥底から力が湧いた。
なかった。心が歓喜で満たされていた。背中に刻まれた︻ステイタス︼が一瞬燃えるよ
ビリビリと空間を震わせるほどの咆哮に晒されながらも私は笑っていた。笑うしか
!!!
殺すためにダンジョンが産み落とした一匹の怪物だ。ただ冒険者がいたから倒すでは
雄叫びを上げた巨人は私を見下ろした。その目には確かな敵意が宿っていた。私を
﹁相手にとって﹂
それは遥か昔の熱
328
﹂
﹄
なく、目の前のモンスターは私を明確な敵として見ていた。
﹁不足なしッ
﹃オオオオオオオオオオォォォォッ
!!
巨人は腕を振り下ろし、私は地を蹴って走りだした。
!!!
329
ダ ン ジ ョ ン の モ ン ス タ ー は あ る 一 定 の サ イ ク ル で 産 み 落 と さ れ る。通 常 の モ ン ス
中層について大雑把に調べている時に目にしたモンスターの名前だ。
│││灰褐色の巨人﹃ゴライアス﹄
としている。
ないように加減されていたが、目の前の相手は違う。出せる限りの力を使い私を殺そう
一撃でも受けたら致命傷となる。オッタルに貰った一撃は私を一撃で意識不明にし
へと飛ぶ。まるで暴風の如く自分の横を通り過ぎた腕を見て冷や汗を流す。
迫り来る灰褐色の拳であった。その巨大な拳が視界を覆い尽くすのが見えた瞬間横
むしろ、その後が驚愕であった。
かった。
でいくのは通常自殺行為だが、岩の軌跡が見える私にとってはそこまでの脅威ではな
巨人の一撃は地面を砕き、粉塵をまき散らしながら岩を飛ばした。その中に突っ込ん
剣、至る
剣、至る
330
ターは倒されてから数時間、遅くとも数日で出現する。
モンスターレックス
しかし、目の前のモンスターは違う。倒されてから再び産まれるまでの期間は大体二
週間と長い。しかし、そのおかげなのか絶大な強さを誇る。
ユニークモンスター
﹄
通称階層主と呼ばれ、その階層の最奥を守る存在。またの名迷宮の孤王、ダンジョン
にたった一体しか存在しない固 有 存 在だ。
﹃オオオオオオオオオオオオオオオオォッ
﹁ぐっ﹂
メドル
というのはそれだけで危険だ。なにせ人間は空中で行動することができない。踏み締
もっと高く跳ぶことで余裕を持って避けることができるように思えるが、空中にいる
ながら避ける。
越えるほど太く、まるで壁が押し寄せているかのようだ。その腕をすれすれの所を跳び
ゴライアスは振りぬいた腕をそのまま身体の外側へと振り払う。腕の太さは1 Mを
情報だけを頼りに戦闘をしていく。
当然戦闘中に耳を守ることなどできない。爆音に晒され痛む耳を放置し、視界に映る
だの咆哮だけで冒険者達をあざ笑うかの如き力だ。
その咆哮は空間を震わせ、爆音は冒険者に襲いかかる。全方位に対する威嚇攻撃、た
!!
331
める地面がなければ走ることも跳ぶこともできない。
地面に着地を、姿勢を低くしながら走りだす。目指すはゴライアスの足元。
ゴライアスの強さは絶大ではあるが、その攻撃方法は少ない。腕を振り下ろす、振り
抜く、振り払う、そして足で蹴る、踏み潰す。そのすべてが一撃必殺ということを除け
ば突出した攻撃方法を持っていない。
更に足元であれば腕による攻撃は上からに限定できる。最も厄介なのは跳んで避け
ないといけない振り払いだ。それをなくせば攻撃をくらう可能性はぐっと下がるはず。
近付けば近付くほどゴライアスの巨体が大きく見えてくる。高揚していない私であ
ればその巨大さに気圧され萎縮していたかもしれない。しかし、今の私を満たしていた
のはより強い敵と戦える喜びだった。
殺気を感じれば感じるほど、踏み込む足に力が入った。敵意に満ちた咆哮を浴びれば
浴びるほど私の心は震えた。死と隣合わせの状況で私は自分が死ぬなどという心配も
﹂
忘れていた。ただその一瞬一瞬を楽しんでいた。
!
なかった。しかし、反対側に回ってもう一度斬ればいい事、そう思った矢先であった。
ら血が溢れてくる。流石に刃渡りが足りず足首を一度の斬撃で斬り落とすことはでき
足元へと辿り着きすぐさま一閃。いつも通りなんの抵抗もなく刃が肉を斬り、傷口か
﹁シィッ
剣、至る
332
﹁なっ
﹂
土煙が晴れて先ほど斬った足首を見る。傷は既にほとんど癒えていた。
ようにして一定の距離を保ちながら避けていく。
し飛び退いた。視界には地面を殴った衝撃で飛び散る岩が映り、その間をくぐり抜ける
次の瞬間上からゴライアスの拳が降ってきたので已む無くそれを回避するために少
傷口が湯気を上げながら再生しはじめた。
!
うとすると今度は攻撃され、避けている間に再生はほぼ完了していた。
それも斬った端から再生が始まり完全に切断することができなかった。もう一周しよ
再び足へと近付き、今度は刃を入れてから足首を一周するようにして斬る。しかし、
でそこまで自信はないが、眺めた資料で見た絵と変わらない見た目だ。
ということは、目の前にいるゴライアスが特殊だということだろうか。初めて見るの
の資料だったので情報も確かだ。
し、再生能力などという能力があれば情報がないわけがない。読んだ資料はギルド公認
別段ゴライアスは珍しいモンスターではない。毎回毎回どこかの誰かが倒している
書いてあれば気付くし、ちゃんと戦闘に関するところは読んだつもりだ。
ゴライアスの資料はざっとしか読んでいなかったが、流石に能力欄に︻再生能力︼等
﹁そんな、馬鹿な﹂
333
﹁こいつ、死ぬんですか
﹂
きる程の能力だったら厄介極まりない。
能力がどれほどの物なのかは知らなければならない。流石に欠損した部位まで再生で
傷が治るのはいい。いや、まったくもってよくないがこの際いい。しかし、その再生
れてしまう。流石にすべての攻撃が致死の相手と戦いながら考え事はできない。
足の早さはそこまで遅くはない。こちらも必死になって逃げなければすぐに追いつか
とりあえず何か策はないか考えるために距離を取る。巨体であってもゴライアスの
?
﹂
そこで自分がまったく逃げるつもりがないということに笑ってしまった。
!
る暇など、私にはない。
が必殺だからなんだ。ならば、一撃もくらわなければいい。こんな所で立ち止まってい
傷が再生するからなんだ。ならば、再生できない一撃を与えればいい。すべての攻撃
る歓喜に身を任せていたかった。
慢心や驕りはこの身を斬り刻む。そう分かっていて尚、この時だけは自分の中に溢れ
持って体験したことではないか。
て 致 命 的 な 欠 陥 だ。恐 怖 を 感 じ な い 者 に は 破 滅 し か 待 っ て い な い。そ れ は 私 も 身 を
そう、恐怖など感じていなかった。しかし、それは剣士にとって、いや戦う者にとっ
﹁ハッ、ハッハッハッ
剣、至る
334
とりあえず再生能力の性能を確かめなければならない。しかし部位欠損させるなら
部位を選ばなければならない。
足は無理だということはこれまでの出来事で分かっている。それ以外の箇所となる
と腕くらいしかないが、腕もそう簡単に斬り落とすことができるかというと、できない
だろう。
腕を振りぬいた時に一度斬ることはできるが腕も刃渡りが足りず一度の斬撃で斬り
落とすことは不可能。となると、肩から腕すべてを斬り落とす。それなりに斬ることが
できれば後は腕の重さで切り口が広がって傷の再生を阻害できるかもしれない。離れ
た肉と肉をつなぎ合わせるような再生の仕方ができないという前提だが。
しかし、肩を斬るためには当然そこまで行かなければならない。腕を伝って行くにし
ても、いつ宙に飛ばされるか分からない状況は危険過ぎる上、確実に斬り落とせる保証
がない。
もっと確実に斬り落とせる部位はないかと思案して思いつく。指であれば、刃渡りも
足りそうだ。振り下ろしの時に手を開いていれば斬ることは可能である。それを思い
ついた瞬間にこれしかないと決断する。
﹄
立ち止まって再びゴライアスと対峙する。
﹃オオオオオオォッ
!
335
剣、至る
336
走った勢いを利用して今までで一番破壊力のある拳を繰りだすゴライアス。暴力の
塊と化した拳は私が後方へと避けたことによって地面を砕く。
振りぬかれる拳、振り下ろされ振り払われる腕を何度も避ける。闇雲に攻撃をしたっ
てすぐに再生されるのだから、避けることに専念する。
そして、望んでいた一撃が放たれる。
手を開いたまま、私を叩き潰すための振り下ろし。手を振り上げ、手が開いているの
を 見 た 瞬 間 目 に 魔 力 を 注 ぐ。指 を 斬 る た め に は そ れ だ け 近 く に い な け れ ば な ら な い。
それには正確な手の位置、振り下ろした後の余波などをしらなければならない。なにせ
ただの振り下ろしでも地面を砕き岩を飛ばすのだ。
流れる時間が遅くなったかのように感じるほど集中する。視界に映る未来の光景を
信じ移動していく。手が地面に叩きつけられた後、飛ばされる岩の位置を見てどのよう
に刀を振りその後回避をすればいいか頭に思い浮かべる。
凄まじい速度で振り下ろされる手に、恐れることなく刃を向ける。
思い描いた軌跡と寸分違わず刀を振るい、指の付け根付近を斬り裂きながら回避行動
へと移る。予知していた岩の軌跡を見ながら足を動かしていく。そして顔面へと飛ん
できた岩を左手の籠手で弾く。
視界の端には灰褐色の塊が一つ宙に飛ばされていた。指を斬り落としたのだ。そし
て、回避行動も唯一避けることのできない場所に飛ばされた岩を弾いたので完遂した。
そして、一瞬気を緩めてしまった。
一瞬目に痛みが走り、次の瞬間視界がぼやける。突然身体が重くなったと感じるほど
﹁いつっ﹂
しかし、悪いことは重なる。
スと距離が空いたことで時間は少しあった。
私は痛む腹部を庇いながらなんとか立ち上がった。吹き飛ばされたことでゴライア
岩が当たっただけで人は死ぬ。
険者として︻ステイタス︼で強化された身体があるからなんとか無事ではあるが、本来
それなりの重量のある岩がある程度の速度で飛ばされれば、それはすでに脅威だ。冒
﹁ぐっ、これはまずい﹂
慮されていなかった。それ故に予想外な所に岩が飛んできた、そうとしか思えない。
完全に油断していたとしか言えない。私が見た未来では、自分が斬った指のことは考
吹き飛ばされ地面を転がった。
が腹にめり込んでいた。かなりの勢いで飛んできたそれを無防備な状態で受けた私は
腹部に痛みが生じ、いつの間にか吹き飛ばされていた。本来飛んでくるはずのない岩
﹁ごふっ﹂
337
力が入らなくなった。立ち上がったばかりの私は膝を立ててやっと姿勢を保てていた。
﹁なんだ、これは﹂
今まで感じたことのない倦怠感が一気に押し寄せてくる。よろめく身体を片方の手
を地面に付けて姿勢を保ち、もう一方で痛む目を抑える。痛みは一向に引かず、ぼやけ
た視界には近付いてくる灰褐色の巨人が映る。
﹁まさかっ﹂
冒険者としてギルドに登録する際に大体の事はベルに聞いてもらい後々気になった
時に効くつもりであった私はあまり聞いていなかった。しかし、一つだけベルなしで聞
マインドゼロ
いた説明があった。それは、魔法に関しての説明。魔法を持っていないベルには不要と
思ったのだろう。
その説明の中で特に気を付けないといけないと言われたのが精神疲労だった。魔法
の使い過ぎによって引き起こされる現象で最悪の場合気絶する。体力に限界があるよ
マインド
フトゥルム
うに魔法を使うためのエネルギーである精神にも限界がある。
思えば鈴音さんの工房を出てから今に至るまでずっと未来視を使っていた。
﹂
!
でゴライアスと対峙できていたのはこの魔法が大きい要因だ。
気怠い身体に鞭を打ちなんとか移動を始める。もう未来視は使えない。私がここま
﹁クハッ、ハッハッハ
剣、至る
338
なら死に物狂いで敵から逃げるか、と自問する。そしてそれに断じて否、と即答する。
何故なら私の心は折れてなどいないから。満足に動かない身体、使えなくなった未来
視。状況は絶望的と言っても過言ではない。それでも、私は、私の心は斬り裂くことだ
けを望んだ。
元より私は剣士、この身一つ、手に持つ一振りだけで戦う者。魔法が使えなくなった
からと言って、戦うことを止める道理などない。あの男を斬るまではこの歩みを止めて
はいけない。そしてあの男を斬ってからも私はすべてを斬り裂くために剣を振るう。
手に持つホトトギスの刀身が仄かに朱く揺らめいた。熱は手を伝い腕へ、腕を伝い胸
へ、そして心臓が強く鼓動する。
がないのだ。
しかし、だからと言って勝てない現状に変わりはない。私にはホトトギス以外の武器
嘘だったかのように活力に満ちていた。
ホトトギスから流れた熱は身体中へと巡っていた。力が満足に入らなかった身体が
﹃すべてを斬り裂きなさい﹄
すべてを放棄してその命令を聞けと。
誰の声かは分からなかった。知りたいとも思わなかった。ただその声は私を侵した。
﹃斬り裂きなさい﹄
339
﹃いいえ、貴方なら﹄
﹁何を馬鹿なことを﹂
誰かが私を見ていたら独り言を呟いている変人にしか見えなかっただろう。それで
も私は否定せざるおえなかった。ずっと剣しか振らずに生きてきた私だからこそ知っ
ている剣士としての限界がある。
刀
刃が当たらなければ何も斬れやしない。それを越えるというのは既に剣技ではなく
魔法の領域だ。だから私にはできない。
べてを斬り裂く剣に至ればいい﹄
魔法
﹃ならば剣技で魔法の領域に達してしまえばいい。その身体一つで、手に持つ私達です
自分の内側から何かが膨張するのが分かった。それは炎のように熱く、鉄のように冷
たく、煙のようにとらえどころのない、しかし刃の鋭さを孕んだ何か。
﹃その身に剣を宿す貴方なら﹄
膨れ上がったその何かが身体の外へと溢れ始める。
ゴライアスへと向かっていた。
逃げろという正解が戦えという蛮勇に。遠ざかるように走っていた足は、いつの間にか
そ の 何 か に 思 考 が 侵 蝕 さ れ て い く。斬 れ な い と い う 結 論 が 斬 り た い と い う 願 望 に。
﹃神さえもが恐れる剣を宿した貴方なら﹄
剣、至る
340
﹃斬りなさい。そうすることでしか、貴方は自分を知ることができないのだから﹄
突然進行方向を反転させた私に、待っていたと言わんばかりにゴライアスは拳を突き
出した。その手には指がなかった。つまり、部位欠損は回復できない。
これまでの戦闘でその速度と攻撃範囲を把握していた私は横に避けるのではなく上
に跳び、言われたがままに腕を振るい刀を横に薙いだ。
﹄
私の内から溢れる得体のしれない何かが暴れるようにして外へと吐き出されたよう
な気がした。
﹃グオオオオオオオッ
きないのだから首を斬り落とせば絶命するのは道理だろう。
!!!
いた私にはそこまでの効果はなかった。
れ、口も目一杯開いて叫んでいた。しかし、既に幾度もの咆哮で耳が聞こえなくなって
私に腕を斬り落とされたことでゴライアスは憤怒の声を上げた。目は大きく見開か
﹃オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ
﹄
腕に着地しそのまま走る。腕を伝い首を斬り落とせば倒せる。斬られた指を再生で
ゴライアスの血が吹き出していた。
かあらぬ方向へと飛んでいった。輪切りになった腕からは中にあった肉や骨が露出し、
耳に届く巨人の叫び。腕は切断されゴライアスの手は拳を突き出した勢いもあって
!!
341
ゴライアスは斬られていない方の手で走る私を掴もうとする。跳び上がり回避し着
地と同時に再び首に目掛けて跳躍。
得物が目の前に舞いでたゴライアスは大きく開いた口で私を食べようと頭を前に出
し始めていた。しかし、喰われる気はさらさらない。
空中にいるので回避は不可能。ならば、私ができることはたった一つ。
刀を両手で持ち、身体を捻り力を溜める。
本来であれば不可能なはずのそれを、私はできるという確信があった。
剣を持ち、剣を振り、ただ強い剣士になるために研鑽を重ねてきた十八年間。他人か
﹃そう、己を信じなさい﹄
らすればたった十八年かもしれない。しかし私にとっては己のすべてだ。一人で剣を
振り、老師に剣を習い、ダンジョンで敵を斬った。
﹃剣に傾けた時間を、斬るという己の願いを﹄
来る日も来る日も剣を振るって生きてきた十八年間は私を裏切らない。己の中から
湧き出る﹃斬りたい﹄という願いは世界を塗りつぶす。
﹂
!!
自分の中から湧き出るそれが何なのか私は知らなかった。その時は疑問にも思わな
﹁おおおおぉ
﹃貴方こそが私達の担い手に相応しい﹄
剣、至る
342
かった。でも、私の声に答えるようにそれはまた膨れ上がった。
だから私は、刀を横に振り切った。
それは一見ただの右薙ぎだっただろう。刀はゴライアスの肉にすら届いていない、宙
で刀を振るっただけに見えただろう。
刃が空を斬ったその直後視界にあるすべてが斬れた。ただ一閃、通り過ぎた物すべて
を斬り裂く斬撃であった。それはゴライアスの頭部を斬り裂き、その後ろにあった壁に
大音響と共に深い亀裂を斬りこんだ。
その斬撃は世界を侵した。
その斬撃は剣技を超えた。
その斬撃は人の身に余る行為だった。
そこには横長の亀裂が壁に刻まれていた。到底刀一本では付けることのできない斬
た。
姿勢を正す。深い息を吐いて心を落ち着かせ、納刀。そしてなんとなしに上を見上げ
まるで岩が落下したかのような音を聞きながら、私は地面へ着地した。背筋を伸ばし
の頭部は下顎を残し首から分断され地へと落ちていった。
大きく開かれたゴライアスの口、その上顎と下顎がずれる。そして、遂にゴライアス
﹃ォ││││﹄
343
撃だ。
﹁これは⋮⋮貴方がやったんですか
﹃いいえ、貴方が斬ったのよ﹄
﹃ならそう呼べばいい﹄
﹁そう、させてもらいます。いっ
﹂
﹂
﹁そうですか⋮⋮でも、私はホトトギスの方が好きですね﹂
の首を斬り、都を恐怖で彩った私達の名前﹄
﹃桜のように人を誘い、憑いては殺し散った血は花びらのように美しい。何人もの人間
お前の名前か、と。
前置きなしに言われた何かの名前。しかし、それだけで私は理解した。ああ、それが
﹃花 椿﹄
はなつばき
頭の中に声が響く。戦っている最中は気付かなかったが美しい声だった。
?
い出し触ってみる。ぬるり、という温かい液体が手に付いた。
突如腹部に痛みを感じた。そう言えば岩が当たって負傷をしたのだということを思
!
血していたらあの時気付いたはずだ。確かに当たった直後は血など出ていなかったの
自分の腹を見る。岩が当たれば場合によっては出血もするだろう。しかし、流石に出
﹁え﹂
剣、至る
344
だ。
痛みを我慢して上着をたくし上げ傷を見る。
プロテクターが目に入る。私が斬るべき相手を思い浮かべる。私がこんな所で死ね
高みへとたどり着くまでは。
何よりも、こんな所で死ぬわけには行かない理由がある。あの男を斬るまでは、あの
﹁かえ、ら、ないと﹂
けをしていた。
る。鈴音さんだって私にホトトギスの感想を聞きたいだろう。そう言えばリリとは賭
うだ、それはあってはならない。ホームには私の帰りを待つベルとヘスティア様がい
倒れそうになるのを気合で足に力を入れて踏ん張る。ここで倒れるのはまずい。そ
﹁ぐっ﹂
そこに思い出したかのように精神疲労の影響が戻ってくる。
良くなる気配がない。その間もずっと血が流れる。
ポーションを取り出し染みることを覚悟しながら傷にかける。染みたが、傷は一行に
血はかなり滴る異様な傷。
そこには切り傷があった。注視しなければ見えないくらい綺麗な切り口、それでいて
﹁なん、で﹂
345
ばあの男は失望するだろうか。それは嫌だ。
籠手が目に入る。私を大切に思う神様を思い浮かべる。私がこんな所で死ねばあの
神様は悲しむだろう。それは嫌だ。
達の姿だった。
血だまりに倒れ伏し、私が最後に見たのは17階層へと続く通路からやってくる冒険者
だが、限界を超えていた身体は私の言うことなど聞いてくれない。自分の血でできた
﹁く、そ﹂
剣、至る
346
己を貫く代償
﹁あ、起きた﹂
目を覚ますと知らない天井があった。上体を起こした私に同室にいた男性が気付き、
すぐに部屋を出て誰かを呼びに行ってしまった。
腹部には相変わらず痛みがあった。擦ってみると真新しい包帯の感触。あたりを見
﹁いっ﹂
渡して自分がどこかの部屋のベッドに寝かされていたことを確認する。
足をベッドから下ろて座る。傷を庇いながら身体を少し動かし調子を確かめる。そ
﹂
して身体に力が入らない致命的な異常に気付く。手を握っても握力が格段に落ちてい
て刀もまともに握れそうにない。
﹁よお、もう動いて大丈夫なのか
﹁起き上がって歩くくらいなら﹂
それ以前にここが何処なのか教えてもらってもいいでしょうか
?
?
﹁ならいい。で、話を聞かせてもらおうか。こっちは一日待たされたんだ﹂
﹁話とは
﹂
つい先程出て行った男を引き連れ、もう一人眼帯をした男が部屋へと入ってくる。
?
347
﹁ここは18階層にあるリヴィラの街。お前は17階層でゴライアスの死体の近くで倒
れてたのを冒険者が拾ってきた。で、残った魔石とドロップアイテムの所有権が誰にあ
るのか聞きてえっつう訳で治療した。これでいいか 俺はここでまとめ役みてえな
その男の話を聞いて漸く固まっていた思考が回り始める。そうか、最後に見た冒険者
事をしてるボールスだ。ちなみに治療費は後で俺に払えよ﹂
?
ゴライアスの魔石は大きいので大量
流 石 に 階 層 主 ク ラ ス の 魔 石 を 横 か ら 奪
達は私を街まで運んでくれたようだ。いい人達でよかった。
﹁で、あ い つ を 倒 し た の は ど こ の ど い つ だ
うってのも目覚めが悪いからよ﹂
﹁ううむ﹂
﹂
ここは正直に私だと言うべきなのだろうか
﹁どうした
?
そもそも階層主の単独撃破という時点で信じてもらえるかすら分からない。
主を単独撃破したなど誰も信じてはくれないだろう。
ル1で中層のモンスターを倒していた事に驚いたフィンさん達のことを考えると、階層
のヴァリスになりそうだし、ドロップアイテムというのも少し気になる。しかし、レベ
?
?
るんでな﹂
﹁言っとくが、下手に隠し事はしねえことだ。今リヴィラはちぃとばかしピリピリして
己を貫く代償
348
﹁えぇ⋮⋮﹂
﹂
そう言われてしまうと私が倒したという真実を告げるしかない。
﹁実はですね、わ﹂
﹁ボーーールスーーー
﹂
!!
おねがーい
ア マ ゾ ン
買い取りー
﹂
黙ってそこで待っ
!
■■■■
外にいる女性に負けず劣らずの大声を出しながらボールスは出て行った。
てろ
﹁お前は寝て待ってろ、すぐ済ませてくる。聞こえてるっつーの
どこか聞き覚えのある二つ名を呟きながらボールスは立ち上がった。
!
女性の声だった。
﹁ボーールスーー
!
﹁ちっ、声がでけえんだよ︻大切断︼め﹂
!!
私が倒したんですよ、と言いかけたところで外から誰かの声が届く。聞き覚えのある
!!
349
﹁やっと出てきた
二人程いなくなってないか
﹂
今度遅れたら他のとこに買い取りしてもらうからね﹂
﹁こっちにも都合ってもんがあんだよ。あ
﹁こっちにも都合ってものがあるんだよ﹂
﹁うぜぇ﹂
?
店の中へと行こうとした。
四人がそれぞれ抱えている戦利品を見てボールスは何人か手伝いを連れてこようと
﹁また随分と貯めこんだな。待ってろすぐ終わらせる﹂
﹁こっちの馬鹿は放っておいて、買い取り頼むわ﹂
で行動をしていた。
現在はアイズとリヴェリアを抜いた四人、ティオナ、ティオネ、レフィーヤとフィン
ダンジョンへと再び潜ったのは五日前のことだ。
に巻き込まれ翌日泣く泣く地上へと戻ったロキ・ファミリアの面々は、その後すぐさま
アイズとティオナの借金を返済するためにダンジョンに趣き、その日18階層で事件
ふふん、と無い胸を張りながらティオナはお返しとばかりにそう言った。
?
!
そこで勝手にベッドから起き上がり部屋の外へのこのこと出てきたアゼルと出会っ
﹁外から知り合いの声が聞こえたもので﹂
﹁てめえ、寝てろって言っただろ﹂
己を貫く代償
350
た。
前とお前
じゃあ、あいつらの暇つぶしにでもなっててくれ。おい、お
こっち手伝え﹂
﹁あいつらの知り合いか
?
迎えた。
﹁あら、また会ったわね﹂
﹁ええ、五日振りくらいでしょうか
﹁アゼルやっほ∼﹂
﹂
ンの中だというのに昼のように明るいことに驚くアゼルを、同じように驚いて四人は出
店員を二人呼びつけるボールスの横を通り過ぎアゼルは店の外へと出る。ダンジョ
!
﹁フィンさんもレフィーヤさんもこんにちは、で合ってますよね
雰囲気のあるアゼルのことをレフィーヤは少し苦手にしている。
﹂
呆れ顔のフィンとアゼルの挨拶にお辞儀だけで答えたレフィーヤ。どこか胡散臭い
し﹂
﹁ああ、合ってるよ。僕らもずっとダンジョンにいるから確証はないけど、ここは昼だ
?
比べてティオナはまったく気にしている様子がない。
としては未だにレベル1の冒険者が中層にいることが信じられないのだろう。それに
若干口を引きつらせながら挨拶をしたティオネにティオナが続く。やはりティオネ
?
351
﹁で、君はどうしてここに
興味がないと言ってたけど﹂
そう言ってアゼルは包帯の巻かれた腹部を四人に見せた。冒険者が怪我をすること
﹁別に来たくて来たわけじゃないですよ。少し怪我をしてしまいましてね﹂
?
﹂
など日常茶飯事なので誰も驚かなかった。
ポーション
回復薬いる
?
﹁そうなんだ。じゃあ、どうやって治すの
﹂
血は止まってるようですし﹂
?
ていた。そのことに少しだけ呆れたティオナは小さい溜息を吐いた。
怪我を負った本人すら把握していない傷を負っているというのにアゼルは落ち着い
﹁寝てれば治るんじゃないでしょうか
?
横から話に入ってくる。
アゼル達が話をしている間にフィン達の戦利品を店の中へと運んでいたボールスが
まったからその分も払えよ﹂
﹁そうだぞ、なんでか知らんがそいつの傷、回復薬が効かねえんだわ。一本無駄にしち
﹁いえ、お構い無く。たぶん効かないので﹂
﹁大丈夫
?
﹁だと思うって。はっきりしないわね﹂
﹁切り傷、だと思うんですけど﹂
﹁そもそもどんな傷なのよ﹂
己を貫く代償
352
﹁私自身覚えのない傷なんですよ﹂
﹁忘れてなかったんですね﹂
﹁で、そっちの。お前にはまだ話があんだよ﹂
だけだ。
十倍行くかどうか、という具合だ。この街で買い物をする人間は緊急で物が必要な人間
ダ ン ジ ョ ン 内 に 存 在 す る リ ヴ ィ ラ の 街 の 物 価 は 地 上 と 比 べ 物 に な ら な い ほ ど 高 い。
﹁ここで買い物をするほどお人好しじゃないよ﹂
﹁次はうちで金を落としてけ﹂
﹁ありがとうボールス。今度も頼むよ﹂
﹁ほれ、証文だ﹂
ボールスも手慣れたもので大量にあった戦利品の買い取りは十分程度で終わった。
アゼルに話ながら買い取りが終わるのを待った。
それから深層ではどんなモンスターがいたか、どうやって倒したかなどをティオナが
それが大いに不満なのか唇を尖らせながらティオナは説明した。
﹁うん、二人共まだ下﹂
﹁そう言えばアイズさんとリヴェリアさんがいないですね﹂
﹁リヴェリアがいれば魔法でちょちょいのちょいだったのに﹂
353
﹁ああ
﹂
言い逃れしようたってそうはいかねえぞ﹂
﹁まるで私が何かしたような言い草ですね
﹂
?
﹂
?
﹁⋮⋮それでお願いします﹂
そっちが貰っていい。それでいいねアゼル
﹂
﹂
﹁違 う け ど、ま あ 少 し ば か り 世 話 を し て あ げ た 間 柄 だ よ。魔 石 も ド ロ ッ プ ア イ テ ム も
?
だって話せないことはあるだろう
﹁そこの彼の身分は僕が保証する。話さないのも決して悪気があるわけじゃない。誰に
かべたが、フィンには通用しなかったようだ。
フィンはじろりとアゼルを見た。その視線に気付いたアゼルはぎこちない笑みを浮
﹁⋮⋮なるほど﹂
そのままだからとりあえず話を聞こうと思ってな﹂
はもう死んでてその近くでこいつが倒れてたんだとよ。で、魔石もドロップアイテムも
﹁まあ、少しな。昨日ゴライアスが出たんだけどよ、発見した冒険者によるとゴライアス
﹁どうかしたのかいボールス
い身体では抵抗しようもなく、まったく動けなくなっていた。
ボールスはアゼルの腕を掴みどこへも行かないように抑えた。アゼルも力が入らな
!
?
﹁やけにこいつの肩を持つな。もしかしてお前んとこの新人か何かか
己を貫く代償
354
?
﹁⋮⋮本当にいいのか
﹂
つまるところ、魔石とドロップアイテムを差し出すから何も聞くなという取引だ。
言っても誰も信じてくれない事をわざわざ言いたい人はいない。
を倒したのが誰なのか、そして自ずとそれを言いたくない理由も頭に浮かぶ。どうせ
ボールスとて馬鹿ではない。フィンの言い方で大体のことは分かった。ゴライアス
少し悩んだ末に了承したアゼル。訝しげにアゼルを見るボールス。
?
﹂
?
渡した。
トリックスター
そう言ってフィンは素早く証文に名前と道 化 師のエンブレムを書きボールスへと手
﹁まあ、払ってくれるなら誰でもいいがよ﹂
﹁ボールス、彼の治療費はロキ・ファミリアが負担するよ﹂
に帰った時に証文を持ってファミリアに金額を請求する。買い取りの場合は逆だ。
かを買えば証文に名前とファミリアのエンブレムを書き店員に渡す。その店員が地上
リヴィラでの買い物はほとんどが証文というファミリアへの請求書で行われる。何
﹁はあ
﹁⋮⋮すみません、うちエンブレムなんてないんですけど﹂
﹁リヴィラじゃ買い物は証文でやんだよ。ほら、名前とエンブレム書け﹂
﹁あ、後私今治療費を払うお金がないんですが﹂
355
﹁何から何まですみませんフィンさん﹂
﹁これくらいどうってことないさ。さて、で君の話を聞かせてくれるかい
﹂
﹂
?
﹂
しかも一人でだなんて無理です
連れて行かれた。世話をしてもらった手前嘘は吐けない。
﹁し、信じられませんッ
﹁まあまあ﹂
﹁やっぱり嘘です
﹂
!
ゴライアスを単独撃破したことを告げるとまず反応したのは意外にもレフィーヤさ
!
﹂
ボールスさんの店から装備を取ってきて、フィンさん達が泊まっている宿の一室へと
■■■■
かった。
れて行かれた時と同じく、ティオナとティオネに両腕を掴まれたアゼルに逃げ場などな
出会った当初、ロキ・ファミリアのホームである黄昏の館に連行されるかのように連
﹁あ、やっぱりそうなります
?
﹁本当ですよ、証拠はありませんが﹂
!
!
﹁だ、だってレベル1で階層主を
己を貫く代償
356
んだった。
ズドーンって感じ
言葉に棘があるティオネさんは通常運転だ。
﹂
﹁はしゃいだ、じゃ済まないと思うよ﹂
﹁で、この後はどうするんだい
﹂
﹁帰りますよ。まあ、もう少し休んでからになりそうですが﹂
?
というだけなので終わった。
最後にやれやれと呆れながらフィンさんがつっこむ。私の話はゴライアスを倒した
?
﹁自分でも頭おかしいって自覚はあるのね﹂
﹁ねえねえっ、どうやって倒したの
﹁ほえ∼。あ、これが新しい刀
﹁いえ、むしろズバーンって感じでした﹂
?
﹁ええ、素晴らしい一振りで少しはしゃぎ過ぎました﹂
?
﹂
﹁まあ、それはアイズさんが私より頭が良い証拠じゃないでしょうか﹂
けたのが気に入らないのだろう。
自分の憧れであるアイズ・ヴァレンシュタインにもできなかったことを私がやっての
﹁ああ、そういうことですか﹂
﹁だ、だってそんなことアイズさんですら﹂
357
そう言って握りこぶしをフィンさんに見せる。どれほど力を入れようとしても入ら
ず、ぷるぷると震えるだけだ。
﹁どうにも身体の調子がおかしいんですよね﹂
﹁はあ⋮⋮送っていくよ。でも、ここに一泊するから帰るのは明日だ﹂
で﹂
﹁本 当 に あ り が と う ご ざ い ま す。早 い と こ ろ 帰 っ て 主 神 を 安 心 さ せ な い と 後 が 怖 い の
どれだけ泣かれるか、という怖さだ。ヘスティア様の涙は苦手だ。自分のために誰か
﹂
﹂
が涙を流すということが今までなかったからだと思っている。
﹁え、なに。アゼルも泊まってくの
﹁ええ、お世話になります﹂
﹂
﹂
!
?
﹁じゃあ、これから水浴びしにいくから一緒に行こ
﹁⋮⋮私男ですよ
﹂
!
?
﹁別に気にしない気にしない
!
﹁お誘いは嬉しいのですが、私は傷もありますから遠慮します﹂
族は総じて恥じらいがないと聞いていたが本当だったようだ。ベルに教えておこう。
必死の形相でレフィーヤさんが私の同行を阻止しようとする。アマゾネスという種
﹁気にしますっ
己を貫く代償
358
﹁そっかぁ﹂
残念そうにするティオナと安心しきったレフィーヤさんという対象的な二人を見て
少し笑ってしまった。ティオネさんは始終無関心だった。別に私がいてもいなくても
変わらないということだろう。
﹁一つ聞いていいかな
﹂
﹂
違うファミリアである私に﹂
﹁ええ、どうぞと言いたい所なのですが、一つ質問いいでしょうか
﹁なんだい
﹁なんでここまで良くしてくれるんですか
?
?
その質問にフィンさんは顎を撫でて答えに悩んでいた。
?
?
﹂
﹁分かっていたんですか﹂と尋ねると﹁僕の勘はよく当たるんだ﹂と答えられた。
﹁まあ、なんとなく分かってはいたけど。とんでもないことをしてくれたね﹂
ろう。道を歩けば︻大切断︼という物騒な名前で恐れられるティオナですし。
ンさんだけになった。まあ、ティオナとティオネさんに限って襲われることなどないだ
タオルやら荷物を用意して出て行くティオネ達を見送った。部屋の中には私とフィ
﹁気を付けるんだよ﹂
﹁じゃ、行ってくるね﹂
359
コンバート
﹁目の前に困っている人がいたら助ける、っていうのもあるが。ロキは君のことを気に
入ったみたいでね。まあ、要するに恩を売っておけば後々快く改 宗してくれるだろうと
いう下心かな﹂
﹁後半は聞かなかった事にしますね。でも、この御恩はいつか絶対返します﹂
頬を掻きながらフィンさんはぎこちなく笑った。そして、彼が私にしたかった質問を
﹁はは、振られたってロキに伝えるのは僕なんだけどなあ﹂
投げかけてきた。
その結果誰かが傷つくことは
﹂
していることが間違っている、そう思ったことはないのかい
自分がしたことで周り
﹁君は強くなるために、いや、自分の欲を満たすために色々無茶をしているけど。自分が
との関係が壊れるとは
?
?
しかし、既にその問題への解答を私は得ている。優しく、ホトトギスの柄を撫でる。
う思ったことはないわけではない。
私は果たして間違っているのか。間違っていたとしたら、正解はなんだったのか。そ
﹁間違っている、ですか⋮⋮まあ、そうですね﹂
でも読み取ろうとしているように見えた。
フィンさんの表情は真面目そのものだった。目は私を捉え私の表情の裏にある感情
?
﹁フィンさん、私はね間違っていてもいいんです。自分が本当にしたいことを、心の底か
己を貫く代償
360
ら望んだことをするのに間違っているかどうかなんていうのは無意味な問答ですよ﹂
相も変わらずフィンさんは返事もせず私をじっと見つめる。
うな仕草をした。
﹂
﹁君は少し僕に似ているね﹂
﹁私がですか
?
い、違うフィンさんの表情が伺えた。
強
フィンさんは両手を握りしめていた。そこには上級冒険者フィン・ディムナではな
そういった所がね﹂
﹁ああ、冒険者である前に君は剣士だ。そして、僕は小人族だ。そのために生きている、
パ ルゥ ム
長い沈黙の後フィンさんはそう呟いた。私の答えを聞き目を閉じて何かを考えるよ
﹁⋮⋮⋮⋮そうか﹂
下ろすあの男のように。たった一人のレベル7のように。
最
なら、誰よりも強くなればいい。孤高にして孤独、絶対にして最強。このオラリオを見
誰も傷つけたくないのなら、誰も近付けなければいい。誰にも涙を流してほしくない
た﹂
誓ったんですから。だから、私は誰かが吐いた怨嗟も流した涙も糧とすることにしまし
﹁その結果誰かが傷付いても、誰かが私から離れていっても私は止まらない。そう心に
361
その後お礼を言われ会話は終わった。結局フィンさんが何を聞きたかったのかは始
終分からなかったが、別に気にもならなかった。
しかしティオナ達が帰ってくる前に
﹁いい小人族の女性がいたら紹介してくれないか﹂
と頼まれたのには驚いた。一瞬ティオネさんに告げ口したほうがいいのかとも考え
たがフィンさんのためにやめておいた。小人族の知り合いはいないので、見つけたら紹
﹂
介しますとだけ言っておいた。
■■■■
﹁じゃあね
﹁いいっていいって
﹂
﹁本当にありがとうございました﹂
!
!
での道のりは快適だった。私は本当にもしもの時のためにレフィーヤさんの傍で待機
上級冒険者であるティオナやフィンさんが一緒にいるおかげでリヴィラから地上ま
フィンさん達と出会った次の日の昼過ぎ、私は地上へと戻っていた。
﹁なんでアンタがそんな偉そうにしてんのよ﹂
己を貫く代償
362
していたので、何もせずに地上までたどり着いた。
﹂
?
ゆっくりと歩きながら胸を抑える。胸が高鳴らないのだ、腕が疼かないのだ。早く、
﹁ああ、これは重症だ﹂
失ってしまうような危険もない。日常に剣は必要ない。
しかし今、私には酷く物足りないものに思えた。肌に突き刺さるような敵意も、命を
もが当たり前に過ごし、誰もが大切にしている日常だ。
たち、肩を叩きながら冗談を言う男達、世間話に花を咲かせる女達。それは日常だ。誰
バベルの広場に出て行き交う人々を眺める。笑い合いながら店へと入っていく恋人
らいだ。
未だ万全には程遠い。昨日よりは良いが、一人でダンジョンに行ったら苦労しそうなく
ゴライアス戦から三日が経った。その内一日はずっと寝ていたにも関わらず、体調は
ながら手を振って去っていった。
儀をし、ティオネさんはフィンさんの腕にひっつき、ティオナは度々こちらに振り向き
笑いながらフィンさんは何も答えてはくれなかった。レフィーヤさんは律儀にお辞
﹁まあ、色々とだよ﹂
﹁何をですかフィンさん
﹁じゃあ、楽しみに待っているよ﹂
363
早く戦場へと身を投じたい。
﹁もどかしい﹂
こんな傷など負っていなければすぐにでもダンジョンに行きたい。︻ステイタス︼の
更新が必要なければダンジョンに篭もりっきりでいられるのに。
背中に刻まれた神と眷属の証。すべてを斬り裂くという私の望みに必要なもの。そ
れはつまり、それを刻む神であるヘスティア様も私は必要としている。必要としている
のに蔑ろにしてしまっている。傷付けてしまっている。
私が斬れば斬るほど、戦えば戦うほど、彼女は私の心配をする。彼女の涙を思い出し、
心が締め付けられた。私の中の何かが軋んだ。
笑ってしまう。自分の欲しい道を見つけた。そのための覚悟も決めた。なのにこの
﹁はっ﹂
様ななんだ。心を鉄にしろ。迷うな、突き進め、そうすることでしか掴めない、望めな
い場所を目指すのだから。
た。太陽で照らされた明るい街で、私の影は濃くなった。
これから傷付けるであろうすべての存在へ、諦念を胸に私はその一言をひねり出し
﹁ごめんなさい﹂
己を貫く代償
364
君って奴はっ
﹂
さあ、聖戦を始めよう
﹁君って奴は
!!
いうのも事実だ
﹂
﹁それは、まあ⋮⋮あ、︻ステイタス︼の更新してくれません
!
﹁その前に何をして怪我をしたのか言うんだ﹂
?
!
﹁その説明は更新の後がいいと思います﹂
﹂
﹁それはそうかもしれないけど でも、今まで一度も目立つ怪我をしていなかったと
ベルに同意を求めると頷いてくれた。
﹁ヘスティア様、一応言いますが怪我をするほうが普通なんですよ﹂
夕方になりヘスティア様が帰ってきて私の傷を見た途端怒りだした。
優れないのは自分だと言うのに。
に行くものだと思っていたので思わず体調が悪いのかどうか聞いてしまった。体調が
かったが、驚くことにベルはいた。ベル程のダンジョン大好きっ子なら毎日ダンジョン
私がホームに帰ると昼時ということもありいつも通りヘスティア様はバイトでいな
﹁痛い、痛いですってヘスティア様﹂
!
365
たぶん説明したらまた怒るだろう。怒ったら︻ステイタス︼の更新をしてくれないか
もしれない。
﹁⋮⋮なんだかすごく嫌な予感がするよ、僕は﹂
﹁まあ、そう言わずに。あ、背中に乗る時は体重かけないでくださいね﹂
頬を膨らますヘスティア様をベッドの脇まで連れて行き、自分は腹に巻いてある包帯
﹁それくらい分かっているさ、まったく﹂
﹂
を解く。ベッドにタオルを敷きその上に腹部を乗せて仰向けになる。
﹁はあ、今度は何をしてくれたんだい
﹁それは更新してのお楽しみということで﹂
?
ジト目で私を見下ろすヘスティア様は針で自分の指を刺し、血を一滴私の背中へと垂
らした。
﹂
!
﹂
﹂
!? !
ヘスティア様はそんなベルに大声で反応した。
﹁ひゃい
﹁ベル君
のかベルがベッドの傍に来ようとする。
そしてその表情は驚愕に染まった。私の上で固まったヘスティア様を不審に思った
﹁ッ
さあ、聖戦を始めよう
366
﹁ちょっとジャガ丸くんを買ってきてくれないかなあ 僕無性に食べたくなってきた
んだ﹂
﹁えっと、神様はお昼もジャガ丸くんだったって⋮⋮﹂
﹁食べたいんだ、全種類、揚げたてのを頼むよ﹂
?
ヘスティア様が力なく私の上に座った。
﹁やはり、だって﹂
﹂
﹁君は⋮⋮君はまた僕の忠告を無視したのかい
﹂
﹁とりあえず、更新しましょう。あまり時間を掛け過ぎるとベルが帰ってきてしまいま
﹁だからって⋮⋮だからってこんなこと﹂
﹂
ヘスティア様の必死の声と表情に気圧されベルは小さく﹁はい﹂と答えて地下室から
出て行った。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮アゼル君、これはどういうことだい
﹂
﹁これ、とは
ヒエログリフ
?
背中の神聖文字が光っている。ランクアップ出来る証拠だ
﹁とぼけるな
?
﹁やはり﹂
!
﹁私は前言ったはずです。私は歩みを止めないと﹂
?
!
367
すよ﹂
ヘスティア様も私の言葉を聞き漸く動き出した。手で私の背中に触れ、私の経験を反
映させていく。淡い熱が背中からじわじわと流れ込んできた。まるで、涙を流していな
い女神の悲しみがそのまま流れてきているかのようだった。
数分で︻ステイタス︼の更新は終わった。ヘスティア様はその内容を紙に記し私に渡
﹁ほら﹂
した。
アゼル・バーナム
Lv.1
力:G 233 ↓ D 546
耐久:H 179 ↓ E 438
器用:E 402 ↓ B 784
敏捷:F 353 ↓ C 611
魔力:G 201 ↓ D 506
︽スキル︾
︻未来視︼
フトゥルム
︽魔法︾
さあ、聖戦を始めよう
368
スパーダ
すべての基礎アビリティがリセットされた︻ステイタス︼だ。
︻地 這 空 眺︼
ヴィデーレ・カエルム
︻剣︼
スパーダ
︽スキル︾
︻未来視︼
フトゥルム
︽魔法︾
剣士:I
魔力:I 0
敏捷:I 0
器用:I 0
耐久:I 0
力:I 0
Lv.2
アゼル・バーナム
これがレベル1最後の︻ステイタス︼だった。そしてもう一枚の紙には。
︻地 這 空 眺︼
ヴィデーレ・カエルム
︻剣︼
369
﹁派生アビリティはそれだけだったから、勝手にそれにしておいたよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹂
そしてふと気付く。︻魔法︼が増えていない。
﹁あの、魔法増えてませんでしたか
﹁で、何をしたらこんなことになるんだい
﹂
?
?
﹁ヘスティア様は17階層の事をどれくらい知ってます
﹂
繰り出した。てっきり魔法を得るものとばかり思っていた。
しかし、あの時確実に私の剣技は超常の現象を起こした。魔法としか思えない斬撃を
不機嫌そうに私の問に答えるヘスティア様は嘘を吐いているようには見えなかった。
﹁増えてないよ﹂
?
﹂
﹂
﹁まあ、主な事は知ってる。君のことを調べた時に一緒に調べたよ、危険度とかね﹂
﹁⋮⋮まさか﹂
﹁まあ、そのまさかでうっ
?
﹁危険な事はするなって、言ったのに﹂
かった。
背中を殴られ傷が痛んだ。しかし、苦悶の声をあげてもヘスティア様はやめてくれな
!
﹁階層主という存在は
さあ、聖戦を始めよう
370
背中に額を押し付けるように倒れこみ、彼女は小さく私に言った。声は震えていた。
その覚悟を決めた。それで恨まれようとも、泣かれようとも、罵られようとも構わな
﹁⋮⋮私は、謝りません﹂
﹂
い。それは私が受けるべくして受ける罰なのだ。
あり続ける﹂
﹁それでも僕は、君を僕の家族だと言い続ける。どれだけ僕が傷付いても、君の居場所で
私の背中から頭を上げ、彼女は涙を拭った。
﹁いいんだ、答えなくても。分かりきっていたことだ。ぐすっ﹂
れは嘘になる。真摯に私にぶつかってくる女神に、私は嘘など吐けなかった。
私は答えなかった。分かったとも、次からはそうしますとも言えなかった。だってそ
﹁⋮⋮﹂
い。そんなのは、そんなのは嫌なんだ﹂
でもね、君が死んでしまったら心配することもできない。愛してあげることもできな
はどうでもいい。僕はここで君たちの心配をすることしかできない、そういう存在だ。
﹁怪我をするな、なんて言わない。でももっと、もっと自分を大切にするんだ。僕のこと
頭は背中にくっつけたまま彼女は大声でいった。背中に温かい何かが滴る。
﹁馬鹿野郎、誰が謝ってほしいもんか
!
371
もう涙など流していなかった。目の前にいる神は微笑んでいた。
﹁だって、僕は君の神様だ﹂
身は軋み、心は叫ぶ。腹部の傷など比べようがない程の激痛が身体中を襲った。それ
でも、耐えてみせなければならない。こんなところで折れてしまってはいけない。
息が吐けなかった。ごめんなさいという言葉を口から出さないように喉が塞がった
﹁ぐぅっ﹂
かのようだ。
それはお互い様だろう。そう、彼女に言ってあげたかった。でも、そうじゃない。そ
﹁ごめんよアゼル君。君が苦しむのを分かって言っている﹂
おんな
﹂
んなこと彼女は分かっているのだから。
﹁僕は、非道い女神だろう
?
﹁望む、ところで、す﹂
ど﹂
﹁根比べだよアゼル君。君が折れるか、僕が諦めるか。まあ、僕は負けるつもりはないけ
いるというのだろう。
やっと謝罪の言葉を飲み下し、弱々しい声を出す。こんなに優しい女神が他のどこに
﹁はっ、どこが、ですか﹂
さあ、聖戦を始めよう
372
神との戦い、か。聖戦とでも言うべきか。でもこれは神聖なものなんかじゃない。た
﹂
だ自分の望みを相手に押し付け、自分のわがままを通そうとする子供の喧嘩のようなも
のだ。
神々
﹁言っておくけど、僕達の愛は重いぞ
﹁で、今回の顛末聞いていいかい
﹁⋮⋮またかい﹂
﹁ええ、だから、その﹂
﹂
﹁気付いているだろうね︻勇 者︼なら﹂
ブレイバー
話になってしまいました﹂
﹁18階層でロキ・ファミリアに所属するフィンさん達に出会い少々、いえ、すごくお世
きた。
た。その事をヘスティア様も不思議に思ったようだが、取り敢えずその後の事を聞いて
そうして私は17階層での情報にない能力を有していたゴライアスとの戦闘を語っ
﹁ええ、始まりは三日前鈴音さんかた新しい刀を受け取った事です﹂
?
ベッドの縁に座った。
呼吸も落ち着いてきて、息苦しさもなくなってきた。ヘスティア様は私の背中降り
﹁それぐらいが、相手としては丁度いいですよ﹂
?
373
﹁確実に﹂
﹁はあぁ⋮⋮君はなんでそう厄介事にばっかり﹂
眉間を抑えながらヘスティア様は盛大な溜息を吐いた。
﹁ロキにも知られただろうなあ、こりゃ﹂
﹁恐らくは﹂
﹁も う、本 当 に 君 が こ ん な こ と を し て く れ な け れ ば こ ん な に 心 配 事 を 抱 え る こ と も な
かったんだけどなあ﹂
泣き止んだヘスティア様は意地悪そうな顔で私にそう言った。私もどう答えていい
﹁うっ﹂
のか、謝ることはできないので悩んだ。
﹁ふふ、ごめんよ。少し意地悪だったね﹂
か救われたような気がした。
目の周りはまだ少し赤いが、ヘスティア様は確かに笑ってくれていた。それだけで何
﹁そうだといいんですけど﹂
もない君のことを他人に言いふらすような事はしないだろう﹂
﹁でも、君は心配しなくていい。心配するのは僕の仕事だからね。ロキも自分の眷属で
﹁まあ、迷惑をかけている自覚はありますからいいんですけど﹂
さあ、聖戦を始めよう
374
﹁それで、君が言った魔法のような斬撃についてだけど﹂
﹂
?
﹂
?
﹁その神秘に耐えられず器は傷付く。下手をすれば粉々に砕けてもおかしくない。斬撃
ヘスティア様は私を見上げた。
い。でも、もしそれを可能とする方法があって、本当にそれを実行したとしたら﹂
﹁人の身で奇跡を起こすなんて本来は不可能なはずだ。だって君たちはそんな器じゃな
か感じなくなっている切り傷。
そっと包帯の上から傷に触れる。もう殆ど塞がり、そっと触れれば痒い程度の痛みし
﹁私が
君が斬った傷だよ﹂
﹁分からない。でも、君のお腹の傷。気付いたらあったと言っていたけど、きっとそれは
﹁そんなこと可能なんですか
達神々が授ける︻恩恵︼に頼らずに魔法という奇跡を起こしたってことになる﹂
ファルナ
﹁そのことを踏まえて考えると、結論は一つしかない。信じられないことだけど、君は僕
﹁ですよね﹂
も、確かに飛ぶ斬撃なんて魔法でしか起こりえない現象だ﹂
﹁魔法の欄には何も増えていなかったことから、それは魔法ではないことが分かる。で
﹁⋮⋮﹂
375
という属性が君の身体に馴染んでいたからこれだけで済んだのかもしれない。とにか
くすごく危険なことだ﹂
﹁⋮⋮器が足りないということは﹂
﹁そうだね、君が考えていることはたぶん当たっている﹂
そう、器が足りないというのなら大きくすればいい。その方法を、手段を私はしって
いる。器の昇華、それこそがランクアップなのだから。
﹁でも、どれだけ器を昇華させたって君は僕達神にはなれない。絶対に何かを犠牲にし
なければならない﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
今回は運良く倒れた時に冒険者が回収してくれたからいいものの、次あんな状況に
陥った時も幸運が続くとは限らない。
﹂
﹂
そもそも使い方が未だ分からないが、使えるようになったとしても極力使わないほう
がいいだろう。諸刃の剣とは正にこれのことだ。
﹁分かるんですか
?
﹁分かるも何も、その前に起きた変化なんて一つしかないだろう
﹁⋮⋮まさか﹂
?
﹁で、その原因だけど﹂
さあ、聖戦を始めよう
376
﹂
﹁君の新しい刀。鞘に入っていても禍々しい感じが伝わってくるよ。曰くつきとかじゃ
ないだろうね
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹂
そう言って二人で深い息を吐いた。その直後にベルが帰ってきた。
﹁だと思います﹂
﹁はあ⋮⋮たぶんランクアップの経緯も聞かれるんだろうね﹂
﹁そうらしいですね﹂
かギルドには報告しないといけないんだよな﹂
﹁はあ、君って奴は。あ、ランクアップしたことは不用意に誰かに言うんじゃないぞ。確
﹁よかったあ﹂
﹁取り上げたりなんてしないさ﹂
﹁あ、あの﹂
どうかくらいだ。
分からないが、確かにゴライアスと戦う前後の違いと言えばホトトギスを使っているか
を掛けて血を啜ってきた刀だ。それだけで奇跡を起こすだけの影響を私に与えるかは
思いっきり曰くつきである。話しかけてくる思念まで憑いている。しかも長い年月
﹁アゼルくーん
?
?
377
﹁た だ い ま 戻 り ま し た 神 様
﹂
﹂
ジ ャ ガ 丸 く ん 全 種 買 っ て き ま し た 揚 げ た て で す よ
!
!
次の日、私は鈴音さんに会いに行くことにした。流石のヘスティア様も私がこの体調
■■■■
1で階層主単独撃破をした冒険者が誕生した。
Lv.2到達記録を無視するかのような早さでランクアップをし、前代未聞のレベル
モンスター撃破記録、二三〇九体。
所要期間、約一ヶ月。
ヘスティア様が真正面からぶつかってくれたおかげだろうか。罪悪感は薄れていた。
あった。
赤 く な る 親 友。破 顔 し な が ら 抱 き つ く 主 神。そ れ を 見 て い る 私。そ こ に は 日 常 が
る。
あわあわと狼狽えているベルからジャガ丸くんの袋を受け取りヘスティア様を支援す
そ し て ヘ ス テ ィ ア 様 は い つ も の 様 に 入 っ て き た ベ ル に 飛 び つ く よ う に 抱 き つ い た。
!!
!
﹁ありがとうベル君ッ
さあ、聖戦を始めよう
378
でダンジョンに行くとは思っていなかったようで外に出る時何も言われなかった。行
こうと思えば行けるが、流石に私も万全じゃない状態でダンジョンに言って死ぬなんて
嫌なので行かないでおいた。
そして会いに行くために大通りを歩いていると豊饒の女主人を通り過ぎる。それは
いつものことなのだが、ランクアップしたからか更に鋭敏になった感覚があの女神の匂
いを感じ取った。
アゼルさんじゃないですか﹂
不審に思いながらも店の中へと入った。もしあの女神の眷属がいるなら確認したい
こともある。
﹁いらっしゃいませ
人の青年だ。
キャットピープル
?
のテーブルに座っている猫
えっと、どなたでしょう
?
﹁連れがいますから﹂
﹁お連れ様ですか
﹂
の上に不自然に置いてある違和感ばりばりの本、ではなく、本から少し離れた二人がけ
店内を見渡し、見つける。一番強い匂いを発している存在がそこにいた。カウンター
﹁いえ﹂
﹁お席までご案内しますね﹂
﹁こんにちはシルさん﹂
!
379
﹂
﹁あそこに座っている猫人の人です﹂
﹁え、アレンさんですか
﹁あぁ
⋮⋮てめえは﹂
﹁こんにちは﹂
なかった。敢えて言うなら少し居心地が悪そうな感じだったが。
そう言って私は彼に近付いた。路地裏で戦った時とは違い、今の彼には敵意など感じ
﹁ええ﹂
?
﹂
たこと言ったら殴るぞ﹂
﹁⋮⋮何の用だアゼル・バーナム
﹁私何かしました
﹁⋮⋮﹂
?
言っておくが、俺はお前が大っ嫌いだから、ふざけ
?
アレンさんは何も答えなかったが、私を睨んできた。
?
﹂
目は殺気とまでは行かないが威圧感があった。
彼の言葉を無視して対面に座る。そうしたら思いっきり睨まれた。猫のようなツリ
﹁あっち行け﹂
﹁お久しぶりですね﹂
?
﹁あ、名前はアレンさんでいいんですよね
さあ、聖戦を始めよう
380
﹂
﹁あ、シルさん。何か怪我に効きそうな飲み物とかあります
﹁怪我に効く⋮⋮青汁とかでしょうか
﹁お酒は身体に悪いと思いますよ
﹂
﹁それは嫌ですね。まあ、じゃあ果樹酒をお願いします﹂
?
﹂
?
﹁なるほど﹂
﹁おい、待て。何がなるほどだ﹂
﹂
﹂
﹁いやあ、種族的な問題なので気にしない方がいいんじゃないでしょうか
﹁な、何のことだ
﹂
しかし彼は一行にそれに口をつける様子がない。まるで何かを待っているような。
ミルクか何かだろう、猫人だし。
アレンさんの目の前にはカップが一つ置いてあり、湯気を立てている。たぶん温かい
﹁アレンさんは飲まないんですか
そう言いながらシルさんは注文を承りカウンターへ飲み物を取りに行った。
?
?
狙いは私の米上くらいの高さ、頭にぎりぎり掠らない程度だ。だから、私は避けな
手加減したのだろう。私にも見える速さだった。
その瞬間、アレンさんの右腕が動いた。猫人としての爪を活かした刺突だ。しかし、
﹁アレンさんが猫じ﹂
?
?
381
かった。
﹁何か言ったか
﹂
﹂
?
﹁質問の意味が分かりませんね﹂
コップをテーブルに置いて向き合う。
﹂
?
﹁⋮⋮﹂
﹂
﹁はっ、その反応を見ると普通に見えてたみたいだな﹂
﹁そうだったんですか
﹁さっきの一撃、以前のお前なら絶対反応できない速さだったはずだ﹂
?
ていた。
﹁どうかしました
?
﹂
﹁お前、何をした
誰にも言ったりしませんよ
果樹酒を受け取り一口飲む。目の前の猫人はいつの間にか目を細めて私をじっと見
﹁何もありませんよ。ありがとうございますシルさん﹂
﹁どうぞアゼルさん。って何かありました
鋭く悪態を吐いたアレンさんは諦めて飲み物に息を吹きかけた。
﹁死ね﹂
﹁いえ、アレンさんが猫じゃらし好きそうだなんて言ってません﹂
?
?
さあ、聖戦を始めよう
382
そしてアレンさんは口角を釣り上げた。
いいわけねえだろ﹂
?
﹂
?
かけた時より出ていた。
﹁あの女神様は、私の刀に何かしました
?
﹂
?
その後、程良い殺気にあてられながら果樹酒を飲み干すのに十分程かかった。店を出
﹁ありがとうございます﹂
﹁⋮⋮お前がやったことを報告するのが俺の仕事だ﹂
﹁貴方のおかげでまた一つ己を知ることができた、と﹂
﹁はあ
てください﹂
﹁そうですか⋮⋮まあ、何か分かったらいいんですけど。ありがとう、とだけ伝えておい
﹁知るかよんなこと﹂
﹂
即座に反応したアレンさんの反応に忠誠心が現れた。殺気も先ほど私が猫舌と言い
﹁様を付けろ雑魚が﹂
﹁あの女神は﹂
﹁あ
﹁私からも一つ聞いていいですか
﹁とんだ化物だぜ、お前は。ま、俺としては報告することができてよかったがな﹂
383
て行く時リューさんに、何をしているんですか、と小言を貰った。
それにしてもあの本、存在感が浮いていた。存在感があるのではなく、なさすぎた。
特に匂いがまったくしなかった。近くまで寄って嗅いでみたが、古そうなのに古い紙の
匂いもしない程匂いがしなかった。不思議だ。
豊饒の女主人に行くという寄り道をしたが、私は予定通り鈴音さんの部屋へとやって
﹂
きた。ドアを叩き鈴音さんを呼び出す。
﹂
﹁鈴音さん、いますか
﹁あ、アゼル
?
﹂
で鈴音さんはベッドに座った。
そう言って部屋の中へと入り、備え付けの椅子に座る。そこまで広い部屋ではないの
﹁お邪魔しますね﹂
﹁ど、どうぞ﹂
激突していただろう。
そう言うとドアが勢いよく空いた。内開だからよかったが、もし外開きだったら私に
﹁はい、遅れましたがホトトギスの感想をと思いまして﹂
?
﹁で、その、どうだった
?
さあ、聖戦を始めよう
384
﹁何と言えばいいのか﹂
﹁そうだね。妖怪にしては綺麗な名前だよ﹂
﹂
﹁そうなんですか。それはいい事を聞きました﹂
﹁で、その、感想は
﹁お、お礼なんて別にいいよ。その、私の好きでやったことだし﹂
﹁なんとお礼すればいいのか分からないくらい良い刀でした﹂
もじもじしながら鈴音さんは聞いてきた。
?
﹂
そう、感想を言いに来たのだが正直感想に困る。すばらしい刀だということはもう
言ってあるし、今もその感想は変わらない。
﹂
あ、あるけど﹂
﹁えぇと、すみませんが鈴音さん花椿という名前に聞き覚えはありませんか
﹁え
﹁何なんです
﹂
?
﹁いえ、少し小耳に挟んで、なかなか特徴的な名前だなと思っただけです﹂
﹁そ、それがどうかしたの
それがただの作り話ではないということを私は知っているわけだが。
﹁なるほど﹂
﹁昔話に出てくる妖怪、えぇと、モンスターみたいなの﹂
?
?
?
385
﹁流石に私もこれだけの一振りを無償で貰うわけにはいきません﹂
﹁じゃ、じゃあ。あのね﹂
上目遣いで私を見つめる鈴音さん。やっぱり狙ってやっているとしか思えない。
﹁はい、何でも言ってください﹂
﹁いつかでいいから。ホトトギスを振るってる姿が見たい。強い敵相手に﹂
﹁それは、まあ不可能ではないですけど難しいですね﹂
﹁だ、だからいつかでいいの﹂
なにせ私は一人で探索をしているので鈴音さんを連れて行くと必然的に一人守りな
がら戦わなければならない。今なら中層くらいはそれで行ける気がするが、中層の敵は
私にとって強敵ではない。
﹁もっと無いんですか お金とか。ホトトギスのためなら私は幾らでも稼いできます
よ﹂
?
刀ではないですから﹂
﹁それでも足りないくらい良い物ですよ、これは。お金を出したからと言って手に入る
﹁う、うん﹂
﹁いえ、お金も受け取ってください﹂
﹁お金は別にいいかな﹂
さあ、聖戦を始めよう
386
﹁そ、そう
﹂
めに刀を打つと想ってくれて初めて完成した一振りなのだから。
それに加え、ホトトギスは特別な刀だ。鈴音さんという特殊な鍛冶師がいて、私のた
段で取引されるべき代物なのだ。
うだ。刀としても一級品、付加された能力も一級品の刀は本来何千万ヴァリスという値
鈴音さんは首を傾げた。彼女は自分がどれだけの物を打ったのか分かっていないよ
?
も、ないとしか答えなかった。
結局彼女が要求したのはそれだけだった。それ以降どれだけ、他にないのか聞いて
﹁分かりました鈴音﹂
﹁一緒に出かけて欲しいです。あ、後名前も呼び捨てがいい、かな﹂
﹁はい﹂
﹁じゃあね、今度でいいから﹂
387
﹂
ご、ごめんなさいっ、怪我はないですか
あるギルド職員の受難
﹁へぶにゅ
﹁かっ、神様ぁー
﹂
?
﹂
に激突させ、奇声を上げた。
に乗っていることを忘れたのか起き上がった。結果としてヘスティア様は後頭部を床
そして現在、ヘスティア様が何か呟きベルがそれに対して驚き、ヘスティア様が背中
練度が上昇するのでこまめに更新をしている。
ス︼の更新を頼んだ。成長促進スキルを有しているベルは数日探索しただけで大きく熟
ヘスティア様がバイトから帰ってきて慎ましい夕食を食べたあと、ベルは︻ステイタ
ず放っておいた。
帰ると本につっぷして寝ていた。日々の探索で疲れが溜まったのだろうと思い起こさ
帰った。ベルも今日はダンジョンに行かなかったため地下室にいるのは知っていたが、
鈴音と今後の予定の話などをして、することもなくなったので私は潔くホームへと
﹁面白い声出てましたよ﹂
!?
!?
﹁どうしたんですか
あるギルド職員の受難
388
?
﹁いったたぁ⋮⋮魔法だよ。ベル君に魔法が発現したんだ﹂
﹂
溜息を吐きながらヘスティア様はそう言いテーブルの上に︻ステイタス︼の書かれた
紙をぞんざいに放った。
﹁神様、アゼル。僕魔法が使えるようになった﹂
﹁おめでとうベル。これで念願の魔法剣士を目指せますよ﹂
﹁待って、それを目指した覚えはない。でも、確かにっ、目指せる
に。
フトゥルム
しかし、私はその領域を侵したらしい。人の身でありながら、たった一つの刃を片手
人の身ではけっして辿り着くことのできない領域、そのはずだ。
炎の雷撃。本来交じることのない二つの属性が交じり合うという神秘、それが魔法。
字面から判断すると超短詠唱の攻撃魔法だ。
た。私の︻未来視︼も詠唱いらずの魔法だったが、どうやらベルの魔法もその類らしい。
ベルの魔法︻ファイヤボルト︼の備考欄に書かれた文章はたった一つ、速攻魔法だっ
した時、つまり入団時に受けた説明だ。
そんなベルを宥めながらヘスティア様の魔法解説が始まった。私は︻未来視︼が発現
こちらまで嬉しくなってしまうくらいだった。
見るからに上機嫌なベルは、踊り出しそうな程喜んでいた。自分のことではないのに
!
389
何気なく︻ファイヤボルト︼と言葉にしかけたベルの口をヘスティア様が手で塞ぐ。
曰く、何がトリガーとなって魔法が発動するか分からない。明らかに攻撃魔法なのだか
ら、ここで不用意に魔法名を言葉にするのは危険とのことだった。
確 か に こ の 一 室 が 焼 け 焦 げ て し ま っ た ら ホ ー ム な し の フ ァ ミ リ ア に な っ て し ま う。
そうなったら宿暮らしだろう。未だ貯蓄の少ない零細ファミリアにとってそれが無理
というものだ。
結局、魔法の効果や発動条件の確認は明日ダンジョンでするようにヘスティア様は
言って、歯磨きを済ませベッドへと飛び込んだ。働いて疲れていたのか布団に包まるや
いなや小さい寝息が聞こえてきた。きっと私の事で疲れたということもあるのだろう。
私 も 回 復 し た と は い え ま だ ま だ 体 調 は 元 通 り に は 程 遠 い ま ま だ。自 分 の ソ フ ァ に
寝っ転がり薄い布団を被り寝ることにした。寝ると決めたらすぐ寝入ってしまい、途中
﹂
﹂
誰かが動いていた気配を感じたがすぐにまた深い眠りへと落ちてしまった。
■■■■
﹁うぐぅ∼∼⋮⋮っ
!
﹁何をやってるんですかベル
?
あるギルド職員の受難
390
朝起きてからベルはずっとこの調子だ。クッションに顔を押し付け悶えるような声
﹂
を出すばかりで事情を説明してくれない。頬が紅潮しているので、まあ何か嬉しい事か
恥ずかしい事でもあったのだろう。
﹁アレかい、おねしょでもしちゃったとか
﹂
?
いてあった存在感のない本であった。どんな経緯を辿ればベルの手に渡るかは分から
昨日はベルが頭を乗せて寝ていたので気付かなかったが、その本は豊饒の女主人に置
﹁⋮⋮その本は﹂
﹁ふぅん、見れば見るほど変わった本だ、な⋮⋮ぁ
いえばヘスティア様がファミリアを設立した経緯をまだ聞いていない。
は本を買うお金がないので読んでいないようだが、以前は相当読んでいたらしい。そう
子供のような身体のヘスティア様だが読書は大好きらしい。今の生活になってから
﹁あ、はい。いいですよ﹂
君、昨日のあの本見せてくれよ。今日は昼まで暇なんだ﹂
﹁はあ。何があったか知らないけど、君も本当に多感な子だよなぁ⋮⋮あ、そうだ。ベル
めないベル。もう自分専用だと言わんばかりにぐりぐり押し付けている。
ヘスティア様のからかいに律儀に答えながらもクッションに顔を押し付けるのを止
﹁違いますよぉ∼﹂
?
391
グ リ モ ア
ないが、厄介事の気配がした。
﹂
﹁⋮⋮コレは、魔道書じゃないか﹂
﹁ぐ、ぐりもあっ
まった。
それでも正直者のベルはヘスティア様の腕を振りほどき外へと駆け出していってし
凌ぐ場所さえ失ってしまうからだろう。
ティア様はそれを掴んで止めた。謝って、もしも弁償しろなんて言われた日には雨風を
たとしても、物だけで中身は二度と返せない品物だ。ベルは謝りに行こうとしたがヘス
ベルはそれをとある人物から借りてきたらしい。たぶんシルさんだろう。だが返し
しかも効力は一度読むと失われ、ただの重い本になってしまう。
ティア・ファミリアではどう足掻いたって払える値段ではない。
ス・ファミリア︼の一級品が買えるくらいするとか。つまり何千万という、現在のヘス
持った人物しか作ることのできない特別な書物らしい。値段にすると︻ヘファイスト
魔道書は、ランクアップの時に発現する派生アビリティである︻神秘︼と︻魔導︼を
﹁簡単に言っちゃうと、魔法の強制発現書⋮⋮﹂
?
﹁美点のはずなんですけどね﹂
﹁ベル君の正直者ぉ⋮⋮﹂
あるギルド職員の受難
392
項垂れるヘスティア様を慰めるために私は言った。
﹂
?
ルドの方針に合わせているのだろう。
を授かっている者はいない。冒険者やファミリアに対してできるだけ干渉をしないギ
神が頂点にいるので大きなファミリアと言ってもいい。しかし、そのメンバーに︻恩恵︼
ファルナ
ギルド本部に着く。そもそもギルドとは冒険者とファミリアを管理する大きな組織、
﹁ふむ﹂
■■■■
もないので考えるのは止めた。
に置いておく人間がいるかは大いに疑問だ。しかし、考えた所で何になるというわけで
だからベルに魔法が発現したのか、と一人納得する。しかし、そんな貴重な物を酒場
た。今日はギルドに言ってランクアップの報告をしなければいけない。
それなら言い訳ができるな、と立ち直ったヘスティア様を見て私は地下室を後にし
﹁ええ、行きつけの酒場に置いてあったのを昨日見ましたから﹂
﹁酒場
﹁まあ、そんな貴重な物を酒場に置いておくほうが悪いですよ﹂
393
﹁誰に報告するべきか﹂
普通に考えれば、私が単独階層主撃破をしたと言っても誰も信じてくれない。ランク
アップ事態は背中を見せれば分かるが、その経緯までは本人しか知らない。私はベルと
違って専用アドバイザーを割り当てて貰う提案を断ったから特に親しい職員というの
がいない。
﹁まあ、ここはエイナさんでいいか﹂
一応ベルを通しての知り合いということで顔見知りではある。
エイナさんのいる受付へと足を運ぶ。未だ朝ということもあり、ギルドの混雑はそこ
まででもなかった。これが夕方となり冒険者達がダンジョンから帰ってくる時間帯に
なると受付も換金所ももの凄く混む。
﹁次の方どうぞ。ってアゼル君﹂
﹂
?
声量を落として用件を伝える。ランクアップ自体は内密にする内容ではない。しか
﹁えぇ⋮⋮ちょっと内密な話があるんですけど﹂
はどのような用件でしょうか
﹁別に私があそこに行くって決めたわけじゃないから、いいよお礼なんて。それで、本日
言ってませんでしたね。あの時は見つけてくれてありがとうございました﹂
﹁おはようございます、エイナさん。そういえば、以前闘技場で助けてもらったお礼を
あるギルド職員の受難
394
﹂
し、その異例の早さと異常な討伐記録は不用意に人に話すなとヘスティア様にお願いさ
れている。
﹁えっと、じゃあ別室に行ったほうがいい
﹁できれば﹂
﹁そうですか﹂
﹁他の人でもいい
?
﹁私はアゼル・バーナムです。よろしくお願いしますフロットさん﹂
﹁しょうがないわね。アゼル君、こちらミィシャ・フロット。私の同僚﹂
﹁もうっ、今度何か奢ってね﹂
﹁大丈夫大丈夫﹂
﹁え、えぇ⋮⋮そんないきなり﹂
﹁はい、ミィシャ後お願いね﹂
色は明るい茶色で背が低い。
を連れてきた。エイナさんと違って耳が尖っていないヒューマンの女性だった。髪の
そう言ってエイナさんは受付から一旦下がって、事務所の方に行き一人の童顔の女性
﹁大丈夫です﹂
それならすぐ呼んでくるから﹂
﹁あぁ、そうなるとごめんね。私この後外せないミーティングが入ってて﹂
?
395
﹁あ、名前でいいよ。こちらこそよろしくねアゼル君﹂
そうして私はミィシャさんに連れられ個別指導室へと案内された。ベルも時々ギル
ドに行きエイナさんからダンジョンの様々な知識を学んでいるように、冒険者は希望す
ればギルド職員によるダンジョン教育を受ける事ができる。この部屋はそう言った用
途で使われる場所だ。
﹁で、内密な話だっけ と言っても冒険者の事情はギルドに持ち込んでもあんまり意
味ないよ﹂
い人だ。
もしくは言いたいことを我慢できていないだけかもしれないが。取り敢えず話しやす
ミィシャさんは苦い顔をした。どうやら思ったことをはっきり言うタイプのようだ。
﹁そう言わずに聞いてください﹂
﹁それは、聞きたくなくなる情報だな∼﹂
﹁あんまり他の人に言うなって言われてる話なんです﹂
?
﹂
?
﹁ミィシャさんと話したのが今日が初めてなのでなんとも言えませんが⋮⋮﹂
﹁ちょっと、私ってそんなに信用ない
﹁凄く簡単な話なんですけど。言っても信じてもらえるかどうか﹂
﹁ま、話してみなさい﹂
あるギルド職員の受難
396
なかなか言い出さない私にむっとしたエイナさんは少し睨んできた。その顔が怖い
﹂
というより可愛いのでまったく威圧などされなかったが、言わないことには何も始まら
ない。
﹁じゃあ、言いますよ
﹁どんと来なさい﹂
﹁実はですね﹂
﹁うん﹂
﹁うん
それのどこがおかしいの
おめでとうって言うしかないよ﹂
?
それは冒険者登録日の項目だ。そこには今から約一ヶ月前の日付が記載されていた。
うとした。しかし、ある一点で顔が止まった。
そう言ってミィシャさんはエイナさんが渡した私に関する資料を上から下まで読も
﹁エイナさんに渡された資料、見てください﹂
?
﹁ランクアップしました。二日程前に﹂
して私は口を開いた。
言っても無理だろうな、と思いつつ一応忠告はしておいた。もう一度呼吸をし、決心
﹁早く言いなさい﹂
﹁あ、絶対驚かないでくださいね﹂
?
397
﹁⋮⋮ちょっと、待ってね。うん、うん。何回見ても同じか﹂
﹂
目を擦ってもう一度資料を見るミィシャさん。
﹂
﹁えええええええええええええぇ
﹁ちょっ、ミィシャさん
﹂
!
!?
掴んで口からひっぺがした。
﹁ご、ごめんなさい﹂
﹂
﹁まあ、こうなると思ってました﹂
﹁だ、だって、ええ
ミィシャさんがもう一度資料に目を落とす。
嘘とかでもない
﹁ほ、ほら。気になる私に構って欲しくて、とか﹂
?
﹁私最初にエイナさんに報告しようと思ったんですけど﹂
﹂
﹂
やめようとしない程彼女は驚いていた。数秒して、彼女も落ち着きを取り戻し私の手を
大声で叫び声を上げたミィシャさんの口を急いで手で塞ぐ。それでも声を出すのを
﹁むぐ、むぐぐむ
!
﹁じゃあ、気になるのはエイナなの
!?
?
?
君の妄想とかじゃなくて
?
﹁嘘を吐く理由がありません﹂
﹁それ本当
あるギルド職員の受難
398
﹁⋮⋮はあ﹂
溜息を吐く。どうしても認めたくないようだが、流石にランクアップを偽るほど馬鹿
ではない。最終手段ではあるが、話が進まないなら背中を見せるのも必要かもしれな
い。
﹂
?
ど﹂
﹂
た、確かに大声で叫んじゃったから部屋にいてよかったけ
﹁ちょっと待って、これを言った後にもっと驚く事って何
﹁むしろその後の方が内密な話しです﹂
?
と。その後は中層をうろうろしていたこと。
それから私は自分の今までの活動記録を話した。上層でミノタウロスに襲われたこ
﹁私のランクアップまでの経緯殆ど、ですかね﹂
!?
﹁で、内密な話ってこれ
書き記すミィシャさん。若干手が振るえて字が所々読めなくなっている。
ぎこちなく頷きながら持っていた手帳に私の名前とランクアップしたという事実を
﹁はい﹂
嘘じゃないん、だよね
﹁ごめん、私は神聖文字読めないんだ。でも、それは確認すれば分かることだろうから、
ヒエログリフ
﹁ランクアップの確認がしたいのなら背中見せますけど﹂
399
ミィシャさんはもう考えることを止めたのか、ただ私の言った情報を紙に記す存在と
なっていた。途中、はは、という乾いた笑いが漏れていたが気にしないことにした。
﹁で、ランクアップの切っ掛けなんですけど﹂
﹁⋮⋮ここで切るってことは﹂
﹁ええ、最も驚く情報です﹂
﹁も、もう驚かないわ﹂
モンスターレックス
笑いながら胸を張ってミィシャさんはそう言った。あ、これはダメだなと思ったのは
秘密である。
ミィシャさーん
﹂
﹁17階層の階層主、迷宮の孤王ゴライアスを単独撃破したんです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あれ、ミィシャさん
?
からまったく動かない。
ミィシャさんは笑ったまま固まっていた。笑顔はあどけなく可愛いのだが、その状態
?
﹁いやあ、よかったですまた大声で叫ばれたらどうなるかと思ってました﹂
﹁うう﹂
﹁あ、動いた﹂
﹁う﹂
あるギルド職員の受難
400
﹁うわああああああああああああああん
今回は叫び声ではなく泣き声だった。
﹂
﹂
﹁なんでこんな処理しにくい情報を私が聞かないといけないのよお
!!!
﹂
!
!?
﹁嫌ですよ、こんな誰も信じないような話を何度もするのは﹂
﹁嫌よ。アゼル君が直接班長に話してきてよ﹂
﹁お願いしますから、動いてくださいよ﹂
何を言っても机に突っ伏した姿勢から動かなくなってしまった。
﹁仕事してください。しないと怒られるのはミィシャさんですよ﹂
﹁もう何もしたくない﹂
﹁そう言わないで下さいよ﹂
﹁うぅ⋮⋮もうやだ﹂
﹁すみません﹂
疑われる
エイナのバカァ
﹁この資料を班長に見せたらどんな顔されると思ってるの 絶対 絶ッッ対正気を
だった。
た ぶ ん ま だ ギ ル ド 内 に い る エ イ ナ さ ん に 聞 こ え る の で は な い か と い う 程 大 き な 声
!!
!!
401
!
﹁⋮⋮じゃあ、これはアゼル君の妄想ってことで処理しよう、そうしよう﹂
涙ぐみながらミィシャさんは活動記録を書いたページの最後に﹁単独でゴライアス討
伐﹂と書き足した。文句を言いながらもミィシャさんはちゃんと仕事をする。
﹁まあ、これも仕事だと思ってやってください﹂
﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁まあ、頑張ってください﹂
驚かれるのも面倒だ。報告する時は全部ミィシャさんにしよう。
でも、これからもこんな感じの報告はする可能性が高く、その度に違う人に報告して
とを想像したのだろう。
弱々しく机に項垂れるミィシャさん。これからその班長という人に報告しに行くこ
﹁鬼畜
!
﹁聞きたくなーい、聞きたくなーい﹂
﹁あ、今後も報告はミィシャさんにするつもりなので、よろしくお願いしますね﹂
てくる気配がしたが、やはり足取りは重そうだ。
そう言って部屋から退出しようとする。後ろでミィシャさんも重い腰を動かし付い
﹁うん、ばいばい﹂
﹁じゃあ、私行きますね﹂
あるギルド職員の受難
402
403
耳を手で塞ぎながらミィシャさんが隣を歩く。そうしつつも明確な拒否はしないの
で了承したと受け取っておいた。まあ、流石に今回異常に驚くような報告は早々ないと
思いながら、ミィシャ・フロットというギルド職員の受難は今後も続くだろうと容易に
想像できた。
何故兎は跳ねるのか
ギルドにランクアップの報告をした私はやることがなくなった。もう体調は戻って
いるが、万全を期すためにダンジョンに行くのは明日からにした。と言っても明日は中
層で調子を確かめるのと、あの飛ぶ斬撃を放った時の感覚がなんだったのか確かめるだ
けにするつもりだ。
ぶらぶらとオラリオを歩く。日常に対する物足りなさは少し薄れてきていた。それ
はきっと私の居場所でい続けると、私と正面から勝負をしてくれると言ったヘスティア
グ リ モ ア
様のおかげだろう。それでも少し居心地の悪さのようなものを感じてやまないが。
そ う 言 え ば ベ ル が 読 ん で し ま っ た 魔道書 は 豊 饒 の 女 主 人 に 置 い て あ っ た 物 だ っ た。
その経緯を調べるのも、いい暇つぶしかもしれない。
﹁ええ﹂
﹁⋮⋮はあ。それにしても、昨日も昼に来ましたね﹂
﹁まあまあ、そう言わず﹂
﹁何がということで、ですか﹂
﹁ということで、こんんちは﹂
何故兎は跳ねるのか
404
店に入りそばにいた店員に席に案内され、丁度近くを通ったリューさんに声をかけ
る。若 葉 色 の 給 仕 服 に 身 を 包 ん だ エ ル フ の 女 性 は 今 日 も 美 し い 佇 ま い だ っ た。ダ ン
ジョンに行けない私にとっては良い刺激だ。
私は基本的に夜にしかここには来ない。まあ、酒場という性質上それが正しいような
気もする。だから昨日今日と昼に来ている私を不審に思ったのだろう。まだ腹部に巻
かれた包帯は健在だが、服を着ているので当然私が負傷しているかなど分からない。
かされ睨まれた。
﹁そういえばリューさん﹂
﹁先に注文をしてください﹂
?
﹁⋮⋮あの本がどうかしましたか
﹂
﹁少しだけでいいですから。ベルに渡った本に関しての話なんです﹂
﹁よく分かりましたね。今は仕事中ですから﹂
﹁注文したら戻ってしまうでしょう
﹂
でも言ったらどんな反応をするだろうかなど考える暇もなく、何を考えていたのか見透
至極真面目な顔で、至極真っ当な事を言われた。ここで﹁貴方に会いにきたんです﹂と
﹁療養なら酒場に来ない方がいいかと﹂
﹁ちょっと怪我をしましてね。その療養中なんです﹂
405
?
一瞬悩んだ末質問を聞くことにしてくれた。しかし表情には面倒くさいという感情
は浮かんでいなかった。もしかしたらリューさん自身、あの魔道書のことが気になって
いたのかもしれない。なんにせよ、積極的に話してくれるのは助かる。
﹁あの本に関してはクラネルさんから謝罪を受けました。結局、こんな所にあんな貴重
な物を置いていった持ち主が悪いという事になりました﹂
正直あんな物を酒場に持ってくる人がいるなんて思えません﹂
﹁それは良い事を聞きました。まあ、そうじゃないんです。あの本どうやってここに辿
り着いたんですか
﹁嘘、じゃないんですよね。ちなみに場所は
?
動機が思い当たらない。
色々、偶然が重なりすぎている気がしなくもない。しかし、人為的な事だったとしても
そ う 言 っ て 示 さ れ た の は 私 と ベ ル が 一 緒 が 初 め て 来 店 し た 時 に 座 っ た 席 だ っ た。
﹁あちらの隅の席です﹂
﹂
絶対にあれは忘れ物などではない、そんな確信があった
されていた。
はいえ酒場に持ってくる人間の正気を疑う。しかも、あれは存在感を薄くする細工まで
なにせ何千万もする物だし、作れる人も限りなく少ない。それを冒険者が暴れないと
?
﹁昨日、気が付いたら置いてあった物です﹂
何故兎は跳ねるのか
406
﹁何か不自然な事はありませんでしたか
﹂
?
めながら考えを纏めていく。
注文を聞き早々とリューさんは去っていってしまった。離れていく彼女の背中を眺
﹁かしこまりました﹂
の一番高いの一つで﹂
﹁え、ああ。すみません。お話ありがとうございます。えっと、それじゃあランチセット
﹁バーナムさん、そろそろ注文を﹂
だったということ。苦い顔をしたのだから飾りというわけではなかったのだろう。
ち主に返せばいい。それをしなかったということは、そもそも本は店に置かれる予定
もしかしたらミアさんはこの本の持ち主を知っているのかもしれない。それなら持
う。確かにいつも豪気なミアさんが苦い顔をした所は見たことがない。
苦い顔など誰でもするのだが、リューさんにとってそれは不自然なことだったのだろ
﹁⋮⋮﹂
が取りに来るだろうと店に置いおくように言ったんです。それが少し気になりました﹂
﹁ミア母さんが本を持つシルを見て苦々しい顔をしていました。そして忘れ物なら誰か
リューさんは横目で一瞬ミアさんを見た。
﹁何かと言われましても⋮⋮そう言えば﹂
407
本は元々店に置いておく物だった。そしてそれを豊饒の女主人にあたかも忘れ物か
のように置いていった人物をミアさんは知っていて、恐らく苦手な相手だ。苦い顔をし
ながらもそれを店に置く事をミアさんに強いることができる存在がいるということだ。
ミアさんは昔一級冒険者だったらしい。今もその実力は健在で、そのおかげでこの酒
場で荒事の類は滅多に起きない。リューさんも強いが、そのリューさんが強いと思う相
手がミアさんなのだ。そんな彼女に命令できるような存在は限られる。更に強い冒険
者、あるいは。
そして本はベルに渡り、ベルは念願の魔法を習得した。もし、そこまでが計画だった
﹁あるいは神、か﹂
としたら、どうやって本がベルに渡るように仕向けたのだろう。運任せにするには貴重
過ぎる品だ。魔道書を何個も無駄にしていい程金銭に余裕があるという可能性もある
が、あの本は存在感を薄くする細工がされていた。
私はその薄すぎる存在感に違和感を覚えたから気付いたに過ぎない。
あの本は匂いがまったくしなかった。
みを浮かべた一人の神。
その一言で頭に浮かんだのは一人の女神の姿だった。世界のすべてを魅了する微笑
﹁匂いか﹂
何故兎は跳ねるのか
408
あの女神は私の動向をアレンさんに探らせていた。私がこの酒場に頻繁に来ている
ということは知っている事は想像できる。彼女の事を警戒していることも、その探知方
法が匂いだということも知られている。
﹁考え過ぎですかね﹂
頭を掻いて考えるのを止める。すべて確証の無いことの上、別に持ち主が分かった所
でもう何もできやしない。事はすべて成ってしまっているのだから。
それでも、私はバベルの最上階のある方向を一瞥した。あの女神ならこれくらいやり
﹂
﹂
かねない。ベルにちょっかいを出すためにモンスターを街に放つくらいの相手だ。
﹁お待たせしましたアゼルさん
も、もしかしてうちの店に幽霊でも
﹁⋮⋮ありがとうございますシルさん﹂
﹁何を見ていたんですか
﹁ぶー、ベルさんならすぐ謝ってくれるのに﹂
﹁シルさんが勝手に驚いただけじゃないですか﹂
﹁もうびっくりさせないでくださいよっ﹂
オーバーリアクションなシルさんに笑いかける。
﹁いえいえ、ぼーっとしていただけですよ﹂
?
﹁今度連れてきますよ。そろそろ色々と落ち着くはずなので﹂
!?
!
409
やった、と喜びながらシルさんはトレーの上に置かれた皿や食器類をテーブルに置い
ていく。
﹂
﹁そうえいば、あの本。ベルに渡したのは貴方ですよね﹂
﹁え、はい。そうですけど、なんで分かったんですか
﹁もし、本当に忘れ物だったなら、ですけど﹂
?
零れた水はもう戻らないんです
﹂
シルさんはトレーを身体の前に抱えながら上目遣い、しかも少し涙目で私の事を見て
﹁⋮⋮もうこの話はやめにしましょう。私だって反省してるんですよ
﹂
コップに注がれた水を少し飲む。一度視線を外した方向がやはり気になる。
﹁別に咎めてませんよ。取り来なかった方が悪い、これも事実ですから﹂
﹁⋮⋮ベルさんの役に立ちたくて、その﹂
﹁そんなことするのシルさんくらいしか思いつきません。仮にも人の物なんですから﹂
?
くる。とても自然で、いつもやっているような仕草だ。
﹁そうですそうです
!
少し不貞腐れた顔でシルさんは背中を向けてカウンターに戻ろうとした。
﹁あぅ﹂
﹁だからって開き直らないでください﹂
!
﹁そうですね。もう過ぎたことです﹂
何故兎は跳ねるのか
410
﹁アゼルさん﹂
﹂
そんなに話しにくそうな態度で⋮⋮もしてしてっ
それでも、私にはどこか底の見えない少女に、一瞬だけ見えた。
■■■■
﹁あの、神様﹂
?
ち、違います。相談というか﹂
﹁なんだい、ベル君
﹂
﹁こ、告白
告白かい
それだけ言って今度こそ戻っていった。いつものような笑顔、いつものような仕草。
﹁ベルさんの事、よろしくお願いしますね﹂
シルさんが戻っていくので料理に手を付けようとしていた私に彼女が話しかける。
﹁はい
?
ベッドに寝転がり、何度も読んで面白いのか聞き質したくなるほど読み返している本
べ終えると、各々が本を読んだり、装備の点検をしたりする時間になる。
夜、ホームで最近漸くジャガ丸くんからグレードアップした慎ましい夕飯を三人で食
﹁なぁんだ﹂
?
!?
!
411
面倒事かい
﹂
を今日もまた読んでいるヘスティア様に話しかけた。
﹁で、相談ってなんだい
﹁⋮⋮﹂
?
言い寄ってきた冒険者がいたこと話し始めた。
いると思った原因、なんでも今朝、リリを嵌めて金を巻き上げるからそれに協力しろと
ベルはリリとの出会い、それとそれから起こった事や今リリが厄介事に巻き込まれて
ではないのだが。
和の元ななるかわからないからだ。ロキ・ファミリアと仲良くしている私が言える立場
ることはあるが、団員同士が勝手に行動するのはあまりよろしいことではない。何が不
ファミリア同士はあまり関係を持たない。主神同士の同意があれば共同で事にあた
でも無茶な事を言っているという自覚があることが伺えた。
セリフの最後の方は既に聞こえるか聞こえないかというくらい声が小さくなり、自分
巻き込まれているみたいで⋮⋮うちで保護とか、できないでしょうか﹂
﹁最近一緒に探索をしているサポーターの女の子の事なんですけど。なんだか厄介事に
﹁はぁ⋮⋮まあ、言ってみな﹂
?
その中には当然ベルのナイフがなくなった話も含まれている。
﹁ベル君﹂
何故兎は跳ねるのか
412
﹁はい﹂
ヘスティア様に名前を呼ばれ顔を上げるベル。じっと、ヘスティア様はベルン目を見
てその奥にある少年の心を読み取ろうとした。否、ベルの心など最初から分かってい
﹂
る。ただ、それがどれだけ真っ直ぐか、それを見たかったのだろう。
﹁そのサポーター君は、本当に信用の足る人物かい
﹁え⋮⋮﹂
﹁アゼルまで
﹂
ません。犯人が冒険者であれば簡単に解決できる。魔法ですよ﹂
﹁ベル、私達は何も探偵ではない。別に事件のトリックを理屈で推理する必要などあり
﹁で、でもリューさんは持ってたのは小人族の男だったって﹂
パ ルゥ ム
十中八九そのリリが犯人だと思ってますよ﹂
﹁ええ、ついでにナイフがなくなった事件に関わっていた人物とも話をしました。私は
?
!
﹁君は件のサポーター君に会ったことがあるのかい
﹂
﹁私からしてもリリ、そのサポーターの女性は怪しいですね﹂
ターを信用しろという方が難しい。
そ れ だ け で 疑 わ れ る に は 十 分 な こ と だ。ま し て や 冒 険 者 に 恨 み を 買 う よ う な サ ポ ー
当然の質問だ。ベルのナイフがなくなった時、それを持っていたのがリリであった。
?
413
私も話に口を挟む。ベルは人の善意を信じている、なにせ本人が善意の塊のような人
間だ。誰かに悪意を向けられることも、悪意を向けることも経験がない。どこまでも愚
かで、純粋な少年だ。
だからこそ、ベルは自分に悪意が向けられていたという事実を感じ取ってもらう必要
がある。その悪意を向けられ、傷付けられ、裏切られ、それでもリリを救いたいと言う
のなら、ベルはベルが信じる英雄へと一歩近付けるだろう。
﹁で、でもそんな都合良く﹂
ア ゼ ル も 会 っ た で し ょ
そ
は語弊があります。その魔法を手に入れたから、彼女はその道を選んだ。これはね、彼
﹁ベル、何も悪人が人を騙す魔法を手に入れたんじゃないんです。都合が良いというの
!
?
!
女の選択ですよ﹂
﹂
﹁⋮⋮リリが、自分の意志で人を騙してるって言うの
んな、そんな事をするような女の子じゃないよ
﹂
!
長した︻ステイタス︼によって補正されたその拳は呆気無くテーブルを破壊した。
ベルは怒鳴るような声でそう言ってテーブルに拳を振り下ろした。冒険者として成
﹁で、でも
﹁まあ落ち着けよベル君﹂
﹁⋮⋮はあ﹂
何故兎は跳ねるのか
414
腕を振り上げた瞬間それを察知した私はヘスティア様を抱え安全な場所まで退避し
た。
﹂
!
﹁それが彼女の選択であったと言うのなら、そんな彼女を何が何でも救う、それが貴方の
私の言葉に瞠目するベル。驚きすぎて涙が止まっていた。
﹁で、でも、リリが犯人だって﹂
﹁そうだね﹂
﹁誰も助けるななんて言ってないでしょう。ねえ、ヘスティア様﹂
﹁え﹂
﹁なら、そうすればいい﹂
がら、己を曝け出した。
からそれを許すつもりだったのだろう。しかし、今ベルは自分の想いを告げた。泣きな
それは心の叫びだった。優しそうに微笑んでいるヘスティア様を見る。彼女は最初
﹁僕は、リリを助けたいんだ
が。助けたいと言う確固たる想いを絶対に実現できるという力がない己が。
それきっと悔しいからだろう、助けたいと思った人を完全に信じることのできない己
地面に座り込み、俯きながらベルは涙を流していた。
﹁それでも⋮⋮僕は信じたいんだ﹂
415
選択ということですよベル﹂
座り込んだベルに近寄り頬を流れた涙を指で掬う。人を想って流す涙は何故こうも
美しいのか、私には分からなかった。
﹂
﹂
﹁ベル、しかし貴方のそれは偽善です。盗みを働かざるおえない人を救いたいという、同
情のような感情です﹂
﹁違う﹂
﹂
﹁なら、女性だから助けるのですか
﹁違う
﹁ならば、何故
?
はこういう目をしているのだろうか。
く炎が燃え盛っていた。その目に強い意志を感じた。もしかしたら、私も戦っている時
おもい
もう、瞳に涙などなかった。きっと蒸発してしまったのだろう。ベルの瞳には揺らめ
?
!
を助けてくれた神様みたいに﹂
たい。一人だった僕といつも一緒にいれくれたアゼルみたいに、行く宛のなかった僕達
﹁リリだから助けたいんだ。僕の、大切な仲間を助けたい。悲しそうに笑う彼女を守り
﹁僕は⋮⋮リリだから﹂
何故兎は跳ねるのか
416
自分の心から本音を絞りだすように胸を抑え、漸くその答えに辿り着く。
そうして、兎は自分の跳ねる理由を知る。
﹁ああ、君は自分の信じた道を行け﹂
﹁神様、僕は⋮⋮﹂
こんなにも同じだというのに、私にはベルが眩しく見えた。
う。圧し殺されたベルは満たされるのだろう。
それでも、それが私の求めた道の先だと言うのなら、空っぽな私は満たされるのだろ
されるのかもしれない。結局、道の果てなどそんなものなのかもしれない。
全てを斬った私は空っぽになるのかもしれない。全てを背負い込んだベルは圧し殺
の道。
方やすべてを置き去りにしていく剣の道。方や助けたすべての人を背負っていく善
が違かっただけの話だ。
それは正反対のように思える生き方。しかし、何も変わらない。ただ、己の信じた道
他人のために己を削り続け、仲間を危険に晒すベル。
自分のために剣を振るい続け、仲間を傷付けていく私。
け止めるというのなら﹂
﹁なら、迷う必要などないでしょう。助けたいのなら助ければいい、その結果を貴方が受
417
剣はただ己の為
ベ ル の 一 大 決 心 か ら 一 夜。ベ ル は ま だ 日 の 登 ら な い 早 い 時 間 か ら 外 に 出 て い っ た。
私は今日から漸くダンジョン探索を再開できることもあり、普段より早く起きたがベル
には負けた。
遅めの朝食を済ませ、私は数日間ダンジョンに潜る準備をするために北西の大通りに
ある道具屋などを数軒周り、携帯食料や最低限のポーション類を購入した。そのままバ
ベルに向かうため大通りを歩いて行くとギルドが見えてくる。
ミィシャさんはちゃんと報告をしてくれただろうか、と少し心配しつつ通り過ぎる。
久しぶりにダンジョンに行けるという喜びで足が徐々に速くなっていく。
見覚えのあるハーフエルフの女性の横を通り過ぎ、そのままバベルへと入りダンジョ
﹂
ンに降りようと思ったところ後ろから声をかけられた。
!
フを巻いていた。彼女は私に声をかけて安堵したような表情をした。
ベルの担当アドバイザーのエイナさんだ。今日はギルドの制服に合わせて青いスカー
急ブレーキをして声をかけてきた人物を見る。先程通り過ぎたハーフエルフの女性、
﹁アゼル君
剣はただ己の為
418
﹂
﹁よかった。急いでベル君を追ってほしいの﹂
﹁嫌です﹂
﹁頼んだわ⋮⋮って、なんでよ
﹂
﹁どうせ厄介事に巻き込まれているから、とかでしょう
﹂
!
﹁なら陰ながら見守ってあげなさいっ
ほら
﹂
!
﹁分かりましたよ。まあ、無駄でしょうけど﹂
それとなく周りを見ておくことにしよう。
﹂
言っておいた方がいいだろう。まあ、出会うかは分からないが私も中層を目指しながら
エイナさんを納得させるには時間がかかりそうだ。なら、ここは取り敢えず行くと
!
﹁弟分の躍進に兄分である私が登場するのはよくないと思うんです。特に今回は﹂
﹁行きなさいっ
リスクは出来る限り減らすスタンスを好む。
冒険者は冒険をしてはいけないと常々言っている彼女は危険な事はなるべく避ける、
解はされど納得はしてもらえないだろう。
せ、ベルも私に助力を請わなかった。なら私が出る幕などない、と彼女に説明しても理
何故エイナさんがベルの事情を知っているかは知らないが、私は今回の件はベルに任
﹁知ってるなら尚更追いなさい
!
?
!
419
もう止めておくのが精一杯だった足は弾かれるように動き出し、数秒で今出せる最大
速度まで加速する。レベルが上がった実感をやっと感じることができた。
﹂
ふと、霧を斬り裂く銀の閃きが視界を通り過ぎモンスターを斬殺していくのが見え
ていた。その声を聞いた私は、助けるわけにはいかなかった。
その声には必死さがあった。何が何でも、どれ程足掻いても助けるという意志が宿っ
ベルが数日前に覚えた魔法が炸裂していた。
!
が微かに聞こえた。
﹄
流石のベルも10階層に進出はしていないだろうと思った矢先、遠方で炎が弾ける音
かるようになっていたので霧の中とは言え奇襲されることはなかった。
10階層に到着し、霧の中へと身を投じる。些細な物音だけでモンスターの位置が分
単に予測できるようになっていた。
きが以前にもまして遅く見えるようになった。︻未来視︼を使わないでも敵の攻撃が簡
道中の敵を片手間で斬り裂いていく。レベルアップしたからだろう、モンスターの動
﹁ふっ
!
﹃ファイアボルトォ
剣はただ己の為
420
た。驚く事に霧の中を颯爽とやってきたのはアイズさんだった。
その場を静観し、ベルがモンスターの包囲網にアイズさんの開けた穴を強引に押し通
り9階層へと、きっとリリを追って行った。それからアイズさんが周辺のモンスターを
狩り尽くすまでそう時間はかからなかった。
﹁お疲れ様です﹂
﹁ん﹂
﹂
私がいた事を気付いていたのかアイズさんは驚かなかった。
﹁なんで助けなかったの
﹂
?
﹁それ、アイズさんがベルに返してください。話しかける切っ掛けになりますよ﹂
差し出されたプロテクターをアイズさんに押し返す。
﹁⋮⋮
﹁ありがとうございま⋮⋮良い事思いつきました﹂
﹁⋮⋮これ﹂
見つけ拾い上げた。そしてそれを私へと差し出してきた。
そう言って彼女は少し離れた所に落ちていたベルのエメラルド色のプロテクターを
﹁⋮⋮分からない﹂
﹁色々あるんですよ、ベルも男の子ですから﹂
?
421
﹁⋮⋮また逃げられたら、どうしよう﹂
首を折りながら不貞腐れるアイズさん。これだけ落ち込むってことはそれだけベル
のことを気に掛けているということだ。これは、ひょっとするとひょっとするかもしれ
ない。
﹂
﹁アイズさんって天然ですよね﹂
﹁⋮⋮
﹂
﹁あ⋮⋮ゴライアス、倒したって、本当
﹁フィンさんから聞いたんですか
﹁うん﹂
?
それを言ったアイズさんの目は確かに私を捉えていた。いつものような不思議そう
?
﹂
これでベルも逃げ場をなくしただろう。
﹁⋮⋮そっか。ありがとう﹂
﹁アイズさんの︻ステイタス︼なら、絶対に逃げられません﹂
﹁⋮⋮確かに﹂
﹁あのですねアイズさん。逃げるなら、追えばいいだけの話しじゃないですか﹂
私の発言に首を傾げたアイズさん。そう言った所がまさに天然な感じです。
?
﹁さて、もっと下に行きますか﹂
剣はただ己の為
422
﹂
﹂
に見る目ではなく、真剣な眼差しだった。
﹁どうやって
アイズさんの質問に少し考える。
﹁それは⋮⋮﹂
﹁どうやってそんなに強くなったの
﹁剣でズバーンと﹂
?
イズさんも自分の剣を抜いた。
話の途中だったにも関わらず腰に差したホトトギスを抜き放つ。時を同じくしてア
気が変わったと感じる程の何かが。
言えません、と言おうとし時だった。何かがいる、そう直感が告げた。10階層の空
﹁それは﹂
それ以上強くなってどうする、なんて聞けなかった。私も同じ気持だからだ。
﹁私は⋮⋮強くなりたい﹂
楽しさも、すべてを犠牲にして剣を振るってきたからだ。
技術という事であれば、それは剣しか知らなかったからだ。家族の愛も、友人と遊ぶ
︻地 這 空 眺︼のおかげだ。
ヴィデーレ・カエルム
︻ス テ イ タ ス︼の 成 長 と い う 意 味 で あ れ ば、そ れ は 確 実 に 成 長 促 進 効 果 の あ る
?
423
﹁⋮⋮これは驚いた。︻剣姫︼ならまだしも、そちらの冒険者にまで気付かれるとは﹂
そして少し離れた所に黒い人影が現れる。どこからともなく、音すら立てず。
そう言って黒い人影は私に手を向け、小さく何か呟いた。
﹁君には用はない。少し眠ってもらおう。なに、起きた時には私のことは忘れている﹂
たったそれだけで私は意識が朦朧としはじめ、刀を杖にしてやっと立ち上がっている
﹁ぐっ﹂
状態になってしまった。何かが私の中を蠢いている。それは私の頭へと向かっている
のが分かった。恐らく記憶を消すための魔法か何かだ。
﹁アゼルッ﹂
彼の安全確保のためにしていることだ。下手に首を突っ込まれると面倒だからね﹂
﹁危害を加えるつもりはない。彼には聞かせないほうがいい話なだけだ。むしろこれは
﹂
!
いた。立ち上がることもできるようになっただろう。しかし、私の身体を固めた。その
身体の中で何かが揺らめいたような感覚があった。次の瞬間、意識ははっきりとして
体を侵す異常を斬り裂け。
ヤに、二度目は鈴音さんの結晶に。その時の感覚を呼び覚ませ。自らに宿す概念で、身
思い出せ、私は意識を乗っ取られかけたことなど何度かあるだろう。一度目はフレイ
﹁っ
剣はただ己の為
424
感覚は、ゴライアスと戦った時のあの感覚と同じだった。
忘れるな、と身体に念じる。しかし、どれだけ強くそう願ってもその感覚はすぐに薄
﹂
れ、まるで最初から何も感じていなかったかのように消えてしまった。
﹁寝たかな
す。では、アイズさんさようなら、黒いお方も﹂
﹁どこで、なんて聞いても答えてはくれないんでしょうね。まあ、殺されないならいいで
﹁君の事は一応知っている。惜しい人材を失うことになる﹂
に、動き出せるように準備をしておく。
ホトトギスを鞘に戻し歩き出す。しかし警戒は怠らない。いつでも抜刀できるよう
﹁てっきり効かないのならしょうがない、殺すかと言われると思ってました﹂
がない﹂
﹁それは助かる。本来であれば私の存在も忘れて欲しいのだが、効かないのならしょう
﹁いいですよ、私は先に下に行くので﹂
もかくあまり心地の良い視線ではなかった。
人影の顔に当たる部分、その奥にある目が細まった気がした。警戒か、好奇心か、と
﹁⋮⋮これは驚いたね。抵抗されたのか、いや、そんな感じではなかった﹂
レジスト
﹁残念ながら、ぴんぴんしてます﹂
?
425
﹁ばいばい﹂
が誰だったのか分かっていなかったようだ。霧が濃い階層だしアイズさんの動きはか
地上へと戻るとリリの件は片付いていた。ベルはあの日10階層で助けてくれたの
■■■■
度重なる戦闘で私はレベルという物がどれ程差を作るのかを知った。
わけだ。
がった。これは確かに手加減していたとしてもレベル5のアイズさんに追いつけない
込む速度とその重さ、それでいて軽い足運びも可能となり、剣を振るう速度も格段に上
しかし、やはりレベル2になって基礎となる身体能力が飛躍的に向上していた。踏み
な感覚を掴もうと集中したが、それは結局私が地上に戻った二日後まで叶わなかった。
出会うモンスターを片っ端から斬り殺し、先程感じた身体の中で何かが揺らめくよう
出歯亀するつもりのなかった私は素直に10階層から11階層へと降りた。
がアイズさんとその謎の人影の視界から消えるまで彼等は一言も喋らなかった。別に
貴方が言うと冗談にならない、と言おうと思ったが彼なりの冗句だったのだろう。私
﹁夜道は気を付け給え﹂
剣はただ己の為
426
なり速かったからだろう。
ベルはリリとまた一度パーティーを結成し、探索をすることにしたと嬉しそうに報告
してくれた。そこで今後一緒に探索することもあるかもしれないということで後日三
人で探索をしようと言われ、途中までならと答えておいた。私としても、ベルがどれ程
強くなったのか見てみたい。
今日はそのリリとヘスティア様の初対面となる日だ。団員でありリリとも知り合い
である私も一緒に来るように言われた。
ヘスティア様と共に目的地であるオープンカフェへと向かう。そこには既にテーブ
﹂
ルに座っているベルとリリがいた。
﹁おーい、ベル君っ
ヘスティア様とリリ、ついでにベルを落ち着かせ椅子に座らせて今度こそ話し合いを
化した。
に抱きつき、リリも対抗するように逆の腕に抱きつき始めた。平和なカフェが修羅場と
椅子も人数分集まり、漸く話し合いが始まる、かと思いきやヘスティア様はベルの腕
ない。ベルが店員に椅子の追加を頼みに行くというので椅子を運ぶために付いて行く。
ベルに手招きされテーブルへと近づく。しかし私とヘスティア様の分の椅子が足り
﹁あ、アゼルに神様。こっちですよ﹂
!
427
始める。具体的に言うとリリの今後についてだ。
コンバート
リリはソーマ・ファミリアで色々と問題を起こしたので居づらいし、もし復讐でもさ
れたら堪ったものではない。なのでベルは彼女をヘスティア・ファミリアに改 宗しない
かと持ちかけたのだ。確かに同じパーティーで探索をしていくなら同じファミリアに
所属している方が何かと楽だ。
しかしリリはその提案を断った。なんでもソーマ・ファミリアは改宗をする場合多大
な金がかかるらしい。今回の事件で財産を失ったリリと零細ファミリアであるうちで
は逆立ちしても払えない額だそうだ。
私が頑張れば払えなくもないかも、とも思ったがリリに関してはベルに任せることに
した。たぶんベルもファミリアに十分なヴァリスがあっても、それは皆のお金だからと
言って渋るだろう。私だけで払ったらそれこそ怒り出すかもしれない。
結局リリはヘスティア・ファミリアには入らず、昔世話になった宿に泊まって暮らす
ことにする予定らしい。
リリの今後も決まり、話し合いは終わった。ベルはそのままギルドに言って、この件
で心配をかけたエイナさんに報告しに行った。ヘスティア様はバイトの時間が迫って
いたのか急いでバベルへと走っていった。
﹁あの、アゼル様﹂
剣はただ己の為
428
﹁なんですか
﹂
そしてその場に残った私とリリ。彼女と最後に話したのは賭けの話をした時だ。
?
くお願いします﹂
!
思議に思いながらリリの元へと戻る。
去っていこうとする私の背中にリリは言葉を投げかけた。まだ何か話がるのかと不
﹁あ、あの、アゼル様
﹂
﹁じゃあ、私は行きますね。今後一緒に探索することもあると思うので、その時はよろし
ばっと上を向き宣誓するように言った。その目に偽りは一欠片も映っていなかった。
﹁そ、それは任せて下さいっ﹂
﹁それよりも、これからベルのことをお願いしますね﹂
うとしたのだろう。
ようだが、根は優しい女性だったみたいだ。まあ、だからこそベルは必死に彼女を救お
頭を下げるリリは本当に申し訳無さそうな声をしていた。色々と悪事を働いていた
﹁本当に、気にしないでください﹂
﹁でも、ファミリア間の問題に巻き込んでしまいました﹂
﹁別に私は何もしてませんし、されてませんよ﹂
﹁色々ご迷惑をお掛けしました﹂
429
﹁アゼル様は、以前ベル様の事を英雄だと、すべてに勝つ英雄だと言いました﹂
﹁ええ﹂
リリは真っ直ぐ私の目を見た。
﹁でも、私は違うと思ったんです。いいえ、絶対に違います﹂
求める程純粋で、馬鹿で、お人好しで。ベル様は、英雄に憧れるただの少年です﹂
﹁ベル様はただの少年です。女の子が大好きで、ダンジョンに出会いなんていうものを
﹁私には違いが分かりませんね﹂
私のそんな言葉にリリは笑った。
﹁だって、ベル様はあんなに弱いです。すべてに勝つ英雄なんて大それた者ではありま
せん。何かを、誰かを救おうと足掻いて、傷付いて、挫けて。それでも立ち上がって﹂
リリは自分の胸を抑えた。脳裏に浮かぶベルの姿が彼女を苦しめるのだろう。彼女
はベルを裏切ったのだ。それなのに、リリはベルに救われた。そんな自分が許せないの
だろう。
なんでですか
﹂
﹁いまいち理解できませんが。まあ、言おうとしていることはなんとなく
﹁もうっ
!
!
﹂
?
ありません。ベル様が、リリのために戦ってくれたから救われたんです﹂
﹁そんなベル様に、リリは救われたんです。ベル様が英雄だから、運命で救われたんじゃ
剣はただ己の為
430
リリの話も終わったので、若干怒っているリリに背中を向けて歩き出す。
何故理解できないのか、その理由を私は知っている。
私は強くなれる気がしないのだった。
﹁誰かのために戦うという意味を知らないんですよ﹂
この剣は自分のためだけにある。でも、もし誰かのための剣になれたとしても。
の言葉を見聞きしてきた。
に戦うのは正義だと言う。守るものがあれば人は強くなれるという。何度も何度もそ
英雄譚はいつも誰かを救う話だ。皆が憧れるのは人々を守る存在だ。皆、誰かのため
は﹂
ることはできても、絶対に、絶対に剣だけはだめなんです。理解ができない。だから、私
﹁私はね、誰かのために剣を振るうという事ができないんです。誰かのために何かをす
﹁はい﹂
﹁リリ﹂
431
まだ自分が見ていない景色があるとしたら
た。そう、それが放つ光はきっとこの世で最も美しい光だ、彼女はそう思った。
でも、もしその先があるとしたら
?
日が差し込んでくる。
ほど見つめた。しかし、その瞬間は一生訪れることはない。目の前が暗くなり、目に朝
男がゆっくりと身体を動かし構えを取る。彼女はその瞬間を見ようと呼吸を忘れる
?
彼女の最高傑作はその男を完成させた。同時に、その男は彼女の最高傑作を完成させ
できない景色を彼女は見ていた。
持ち手あっての刀であり、刀あっての持ち手なのだ。片方だけでは決して見ることの
達人は例え鈍ら刀を握っても刃は鋭い光を反射する。
刃は持ち手によってその姿を変える。素人がどんな業物を握ろうと刃は鈍く光るが、
離せなくなる。それは彼女が打った時にはなかったものだった。
妖しく光る刃からは圧迫されていると錯覚する程の存在感が溢れ、一瞬たりとも目が
ない、彼女が全身全霊をもって打った一振りの刀。
彼女はその悠然と佇む男の姿に見惚れていた。片手に携えるのはこの世に一本しか
幕間 少女は歩き出す
幕間 少女は歩き出す
432
ぼんやりとした視界で彼女が捉えたのは刀などではなく木の天井だった。
夢の様な光景、否、夢から覚める。
蘇る。血の通った手のはずなのに、ふとした瞬間冷たく鋭い刃のような感触。
その身に剣を宿す、剣の申し子のような男の名を呼ぶ。それと共に触れた手の感触も
﹁アゼル﹂
ほど鮮明に思い出すことができた。
を頭に思い浮かべた。刀を握ったその姿は瞼の裏に描かれているのではないかと思う
朝だというのに熱っぽい吐息が鈴音の口から漏れる。鈴音は再び目を閉じて男の姿
﹁はあ⋮⋮会いたいよ﹂
そう、忍穂鈴音は男が本気で振るう刀を知らない。故に、夢で見ることもできない。
することもできない。
彼女はそれが存在することを知っている。しかし、それを見ることができない。想像
す剣技であり、すべてを斬り裂く刃。
あの世界で最も美しい光の先は確かに存在する。その光景こそが剣士と刀が繰りだ
めた。
それが悲しくて、苦しくて、切なくて彼女は身体にかかっていたシーツを強く抱きし
﹁⋮⋮今日も、見れなかった﹂
433
セルチ
思いの外記憶に浸りすぎて急いで身支度をする鈴音がいたことは、また別の話であ
る。
■■■■
﹁うーん⋮⋮﹂
鈴音は自らの打った脇差を見て唸った。大凡40 Cの刃は、波打つ刃紋を描きながら
鈍色の光を放っていた。
鈴音自身としても問題のない一品だった。自分の思った通りの長さ、重さ、重心の位
置、刃紋がその脇差には反映されていた。しかし、それでも│││
女性が立っていた。
で、思考を一時中断して対応した。ドアを開けるとそこには左目が眼帯で隠れた褐色の
それが何なのか悩む鈴音の元に一人の女性が訪ねてくる。工房のドアが叩かれたの
があった。
た。刃に魅入られ、刃を打つことだけに没頭してきた彼女だからこそ感じる僅かな違和
何かが足りていなかった。心の何処かで、その刃が放つ光が欠けているように思え
﹁│││何か違う﹂
幕間 少女は歩き出す
434
﹁鈴音、終わったかの
﹂
?
た。お得意様に紹介した手前、彼女は厳しい目で鈴音の武具を鑑定していた。しかし、
脇差を受け取った椿は柄の握り心地や重さなどを確かめ、鞘から抜いて刃の具合を見
﹁ふむ﹂
を正当な価格でお得意様に注文を取る仲介役を担うことにした。
に注文していては金がいくらあっても足らなくなってしまう。そこで椿は鈴音の武具
鍛冶師が打った物と変わりない。あまり性能を重視していない予備の武装等までも椿
鈴音が普通に打てる武器は、武器としての出来は一流であるがその性能はレベル1の
とにした。当然、取引相手には信頼の置ける鍛冶師だと話し了承を得てからの話だ。
などという噂を信じていなかった椿は自分のお得意様の注文の一部を鈴音に任せるこ
そんな彼女に手を差し伸べたのが椿であった。元々鈴音が他人に刀を打たせている
鍛冶をして稼いでいく他ない。
生きていくには金が必要であり、刀鍛冶としてアゼルのためにあると決めた鈴音は当然
く、未だに彼女の作品は店の隅に追いやられ陽の光を見ることがない。それでも人間が
鈴音がアゼルのためにホトトギスを打っても彼女を取り巻く環境は変わるはずもな
鈴音は先程まで眺めていた脇差を鞘に収めて椿に手渡した。
﹁終わったよ椿さん。これ、頼まれてた脇差﹂
435
それが必要ないということも椿は分かっていた。
﹁見事な出来だな。うむ、手前には真似できんくらいだ﹂
尊敬する先輩鍛冶師にそんな事を言われた鈴音は小さな声で反応するも、台詞の最後
﹁そ、そんなこと、ないと思います、けど﹂
に近付くに連れ小さかった声が更に小さくなり、聞こえなくなった。
﹁謙遜することはない。長さ、重さ、重心共に完璧。その上この浮かび上がる刃紋はもう
芸術と言ってもよかろう﹂
褒めに褒められた鈴音は恥ずかしくなり若干涙目になりながらその賛辞を受け取っ
﹁そう、でしょうか⋮⋮﹂
た。しかし、その言葉の数々も彼女の心に響くことはなかった。
﹂
﹂
﹂
幾ら褒められても、鈴音自身が納得していない一振りなのだ。
﹁いえっ、そういう訳じゃ
?
﹁ふふふ、分かっておる。納得できんのだろう
!
る。彼女は先輩として、同類として、友として、そしてヘファイストス・ファミリアに
る。誰かといれば話したくなるし、それがお気に入りの鍛冶師ともなれば拍車がかか
慌てふためく鈴音を見て椿は微笑んだ。工房に篭りがちな椿だが、性格は人好きであ
?
﹁ほう、これ以上の物が作れると
幕間 少女は歩き出す
436
所属する家族として鈴音を好いていた。
﹂
?
﹂
?
﹁もう、気付いておるのだろう
﹁だ、だって﹂
なら何故、その通りに進まない
﹂
?
﹂
?
それが出来たらどれほど良かっただろうか、鈴音は嘆いた。ただ一つ目指したい夢
きる一振りを打つのは至極自然なことだろう
﹁自身の想いを無視して打った武器に納得できんのは当然。なれば、想いに従い納得で
?
物語になるだろう。しかし、現実は非常で残酷だ。金がなければ生きていけない。
それは浪漫に溢れたことだろう。それは憧れるような状況だろう。それは夢の様な
ただ一人のためにしか武器が打てなくなってしまう。
うに思えたのだ。言ってしまえば、本当にその通りになってしまう。
鈴音は口をつぐんだ。その先を言ってしまうと、この仕事ができなくなってしまうよ
﹁⋮⋮それは│││﹂
﹁その理由を、知りたいのかの
の仕事なくして鈴音の収入源は雀の涙になってしまう。
じゃあ何故勧めたのか、などと鈴音は聞かなかった。それは分かりきったことだ。こ
﹁なあに、そもそもこういった仕事は向いてないと思っておったからの﹂
﹁分かるんですか
437
は、現実に押しつぶされる。鈴音という少女も、結局はちっぽけな一存在でしかない。
レベル1の冒険者で、鍛冶師でしかない。
椿のように卓越した鍛冶技術と戦闘技術を備えた傑物ならば、金など如何ようにでも
稼げるだろう。しかし、鈴音は違う。その夢を叶えるための下積みが彼女にはなかっ
た。
忍穂鈴音は、求めてやまないただ一つの存在と早く出会いすぎたのかもしれない。そ
うとさえ、彼女には思えてしまった。
﹂
﹁そうだのお⋮⋮少し付いて来い﹂
﹁え、何処にですか
を言わさない雰囲気で、鈴音は逆らう気すら起こさなかった。
鈴音から受け取った脇差を袋に収めて椿は振り返って歩き始めた。その背中は有無
?
﹁鍛冶師は鍛冶場にいるのだ﹂
は分かっていた。だから導く。
ら、彼女にはもう結末が見えているのだから。女として、鍛冶師としての結末が彼女に
椿は首を捻りちらりと後ろを見る。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。何故な
﹁決まっているであろう﹂
幕間 少女は歩き出す
438
宣言通り、椿は鈴音を己の工房へと連れて行った。鈴音の工房より二倍ほどの大きさ
﹂
のそれは、様々な武器がずらりと並ぶ一室と鍛冶を行う鍛冶場の二つの部屋からできて
いた。
﹁わあ﹂
﹁珍しいか
﹁これを﹂
を流し、その才を尽くして打ってきた武器であり、彼女そのものと言ってもいい。
椿は並ぶ武器を示してそう言った。その作品の数々こそが椿・コルブランドが血の汗
﹁見ての通り、手前は興味の持った物はなんでも作る﹂
大剣、果てにはブーツなどの防具までも彼女は製作する。
い。しかし、椿は違う。注文されれば何でも打つ。細身のショートソードから大振りな
椿には専門がない。鈴音であれば刀鍛冶を自称するくらい、刀に類する物しか打てな
理解した。
あった。しかし、その中にあった刀や脇差、小太刀などを見て一瞬で椿の技量の高さを
ず ら り と 並 ぶ 武 器 の 数 々 を 見 て 鈴 音 は 種 類 を 言 い 当 て る こ と す ら で き な い 物 す ら
﹁は、はい﹂
?
439
﹂
椿は鈴音を真っ直ぐ見つめた。
﹁鈴音はどう思うかの
﹁そうか
﹂
﹁どうって⋮⋮凄いと、思います﹂
?
﹂
﹂
?
度が鈴音には心地よく感じられた。
数々。場所が変われど、持ち主が変われど、鍛冶場は何も変わらない。その匂いが、温
そう言って椿は鈴音を工房に迎え入れた。轟々と燃える炉と、鉄を打つための道具の
﹁うむ、今、ここで﹂
﹁い、今
﹁鈴音、一本打ってくれんか
それを凄いと言わずして何と言うのか。
の武具で高水準を保っている椿の鍛冶の腕は底知れない。
刀をとってもその技量は刀だけを打ってきた鈴音と引けを取らないのに、それを数多く
笑みを浮かべながら椿は首を傾げた。その所作の意味が鈴音には理解できなかった。
?
?
﹂
?
﹁それは打ってからのお楽しみだ﹂
﹁分かるって何が
﹁好きな素材を使ってよい。刀身だけでも打てば、分かるだろう﹂
幕間 少女は歩き出す
440
﹂
それから何を聞いてもはぐらかす椿に困らされた鈴音は、おずおずと工房にあった鉱
物を調べ、刀を打つことにした。
﹂
﹁それはアゼルに渡す一品だと思って打て﹂
﹁あ、アゼルに
﹁うむ﹂
﹁じゃあ、その、もっと材料を細かく調べないと﹂
?
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
質感までもが蘇る。
らの想いと願いを鉄に打ち込んだ時の衝撃。息遣いから、熱せられた鉄が温めた空気の
槌を握ったあの燃えるような熱さ。流れ落ちる汗が気にならなくなるほど一心に、自
ギスを打った時の感覚が蘇る。
独り言のようにアゼルの名を呼んだ鈴音。しかし、その名を呼ぶだけで手にはホトト
﹁アゼルの、ために﹂
﹁さあ、打ってみるといい。鈴音の想う男のためにな﹂
た。重要なのは材料ではないということだろう。
漸く打ち始めようとしていた鈴音が再び材料を吟味しに行こうとするのを椿は止め
﹁よいよい、取り敢えずそのつもりで打て。いいな
?
441
幕間 少女は歩き出す
442
それは、椿に仲介してもらった仕事のために打っていた時にはない感覚だった。しか
し、その事実に驚くことなく、鈴音は作業に取り掛かった。
アゼルのために剣を打つ。そう考えただけで、それ以外の事がどうでもよくなってい
た。椿の工房にいることも、提供された素材をどう支払えばいいかも、すべて頭の中か
ら消えていた。
残るのは、ただ刀を構えたアゼルのイメージだけだった。
忘れられるはずがない。忘れようものなら、幾度でも鉄を打ちその感情を蘇らせる。
他の誰かのために槌を振るうことなど、鉄を打つことなどできようものか。
ただ一人のために槌を振るう。それが、忍穂鈴音という鍛冶師の、少女のあるべき姿
なのだから。
気が付けば、鈴音の手には一本の刃が握られていた。一心不乱に鉄を熱し、打ち付け、
鍛えたからだろう、形は今までにないくらい不格好であった。しかし、鈴音の表情は晴
れていた。流れる汗が心地よく、今まで引っかかっていたものがなくなっていた。そし
て、理解してしまった。
それは│││私がアゼルに恋をしているから。
言葉にせずとも、否、鍛冶師であるが故に、その刀身は言葉以上に彼女を語っていた。
だからこそ、鈴音は椿を見た。
﹂
?
?
?
﹁それでも、手前はただ一人にこの身を捧げて武具を打ちたいと思ったことはない﹂
がった。それは、ただ腕の良い鍛冶師だからと言って出会えるものではない。
それは、羨望の感情が含まれていた。心の底から、椿は鈴音の持っているものを欲し
日も何日も鉄を熱し、汗を流し、槌をふるい、鉄を鍛えてきた﹂
﹁手前は数多くの冒険者に、それこそ数えるのが億劫になるほど武具を打ってきた。何
ような声だった。
俯き、涙すら浮かべ始めた鈴音に椿は優しく語りかけた。それは姉が妹をあやす時の
﹁鈴音﹂
けないのに⋮⋮﹂
﹁なんで⋮⋮なんで、こんなことをさせるんですか 私は、この想いだけじゃ生きてい
した。
図星であった。窓から見える空はすでに暗くなっていて、夜だということを漸く理解
﹁⋮⋮﹂
だっただろう
﹁惚れ惚れする面構えだったぞ。どうだ、想いのまま打った気分は 時を忘れるほど
443
優れた鍛冶師故に己の武具に誇りがあり、他のすべての客を蹴ってただ一人のために
鉄を打つことがどれほど凄いことか鈴音は理解していなかった。
それはホトトギスを打つ時に交わした約束だった。あの時も、今さっきと同じだっ
﹁鈴音は手前にこう言った、持てるすべての技術を手前に明かすと﹂
た。アゼルのためなら他のすべてを投げ捨ててもいいと思ったのだ。
﹁ならば見せてくれ。お主の行き着く先を。手前では見ることのできない、お主の鍛冶
の道を﹂
鈴音はその話の大きさにただ唖然とした。行き着く先などそもそも到達できるかす
﹁⋮⋮﹂
ら分からないのに、そこまで至れと椿は言った。
ヘファイストス・ファミリアの団員は、入団時に主神である鍛冶の神ヘファイストス
の打った武具を見せられる。そして、その武具を越えようとする者だけが入団できる。
入った当初、いや、つい最近まで鈴音もそのために打っていた。あの美しすぎた刀を越
えるために、精進していた。
しかし、今は違う。鈴音は他の団員たちとは違う道を歩み始めた。何故なら、彼女は
見つけたのだ。彼女の打った刀が最も輝く場所を、最も美しい斬撃を繰りだす人物を。
﹁そのためなら、手前は援助を惜しまない﹂
幕間 少女は歩き出す
444
﹁そ、そんな冗談、やめてください﹂
いつの日か、アゼルと同じ世界を見るために、武器を打つだけではなく共に戦うため
﹁│││私は、強くなりたいです﹂
用できるものは利用する。それが人であり、その機会が今しかないのなら│││
それが、本当にしたいことなら、他のすべてを投げ捨ててでもしたいことなのなら利
で、同じ景色を見てみたいと思うのは何もおかしくないだろう。
たくなった。その次は、同じ世界を見たくなるのは当然と言えるだろう。アゼルの横
その先が見てみたくなった。アゼルの振るう刀が見たくなった。彼のいる世界が見
しかし、人は強欲である。
を打った。アゼルという存在に、自分があるということに喜びを感じた。
恋をしてしまった。自分の打った武器を使ってもらいたくて、全身全霊で最高の一振り
彼女は鍛冶師であり、鍛冶師は冒険者の武器を打つ存在だ。しかし、鈴音はアゼルに
その一言が、鈴音を揺さぶった。
﹁強くなりたいと言うのなら、手前が鍛えよう﹂
その声も、表情も真剣そのものだった。
よう﹂
﹁冗談などではない。金がいるのなら良い仕事を紹介しよう、材料がいるのなら調達し
445
に。
彼の傍らで、その刀がこの世のすべてを斬り裂く光景を見るために。
うとも報われなくとも。
彼女は多くの可能性を捨てた。ただ一人の男のためにあるために。それが報われよ
するように。
したように。ヘスティアが己の行動がアゼルを苦しめても彼を家族として迎えようと
アゼル・バーナムが他のすべてを斬り捨て、すべてを斬り裂く剣士になることを決意
忍穂鈴音は覚悟を決めた。
﹁│││あい、分かった﹂
幕間 少女は歩き出す
446
滴る血より生まれしモノ
﹂
?
た。その名前を呼んだ途端、目の前に流れていた記憶がすべて消え、新たな場面へと飛
形は違えど、その刃から放たれる剣気とでも言うべき雰囲気が私のその事実を伝え
﹁花椿
衰えない。剣にして剣士、その二つの要素を同時に持つその刀を私は知っていた。
見惚れていた。誰が振るおうともその剣閃は揺るぐことなく、何を斬ろうとその勢いは
そこに恐怖などなく、ましてや嫌悪感もなかった。ただ、その振るわれる刀が美しく
何度も何度も、私はただ無感情にその光景を眺めていた。
吹き出しながら誰かが倒れていく様を延々と夢に見ていた。
刀が振るわれる度に何が斬られていく。腕が、脚が、首が、銀の閃きが瞬く毎に血を
刀を振るう光景を延々と夢に見ていた。
ある男が刀を振るう。ある女が刀を振るう。ある子供が、老人が、貴人が、浮浪人が
れた夢だった。
夢を見ていた。しかし、不思議な事にそれは私の中にあるはずのない記憶から形成さ
奇跡を追い求めて
447
んだ。
自分の周りに人々が群がってくる。ひたひたと素足で地面を歩く音が辺りをひしめ
き、暗闇の中から今まで夢に見ていた人物たちが浮き上がってくる。
﹃捧げて﹄
一歩一歩私を囲うように歩みを進める彼等はまさしく死人のようだった。その顔か
らは生気がまったく感じられず、ただ一つの意志に従っている人形のように見えた。
﹃すべてを捧げて﹄
彼等の手には夢と変わらず一本の刀が手に握られている。それを私に向かって構え
るかと思いきや、彼等はその刃を自分の首へと押し当て始めた。
それは異様な光景だった。見渡す限り幽鬼のような人型が自らの首を刀で斬ろうと
している。
﹃刃に、すべてを捧げて﹄
次の瞬間、彼等は一斉にその刀を自らの首へと沈み込ませた。頸動脈が裂かれ血を吹
き出しながら彼等は一人一人地面へと倒れていく。そして、最後に一人だけがそこに
残った。
気が付くと自分の手にも刀が握られていた。鈴音が私のために打った、花椿という剣
﹁⋮⋮﹂
奇跡を追い求めて
448
の化生を内に閉じ込めた一本の刀、ホトトギスだ。まだ持ってそう長くは経っていない
のに、まるで産まれた頃から握ってきたかのように手に馴染むその感触を私は忘れるわ
けがなかった。
しみすぎた感覚と共に、私の奥底へと斬りこんでくる。
灼熱は私の手を首を伝って私の中へ、そして中心へと突き進む。余りにも懐かしく、親
その瞬間、手に持った柄も首に当てられた刃も燃え上がるような熱さを発した。その
﹁ふふ、違う。私の名前はホトトギス。生みの親から授かった、大切な名前﹂
﹁⋮⋮花椿﹂
﹁ねえ、アゼル。もう一度、もう一度私の名前を呼んで﹂
色の光を放つ刃が私の肌に触れる。しかし、そこで止められる。
徐々に刃が首元へと近付いてくるのが分かった。底冷えするするほど冷たそうに鈍
﹁そう、そのまま﹂
た。
不思議なことに抵抗することができなかった。いや、抵抗する気さえ起きていなかっ
は巧みに腕を使い私の腕に絡めながらホトトギスの刃を私の首へと持ってきた。
後ろから突然衝撃を感じ、振り返ろうとするがそうする前に抱きつかれる。その人物
﹁さあ、捧げて﹂
449
﹁アゼル、貴方こそが私達の担い手に相応しい﹂
じわじわと押し寄せてくる熱と、首を斬ろうとする刃の鋭さを感じながらも、彼女の
言葉からは耳が離せなかった。
﹁だから私達の﹂
その次の言葉を聞いてしまったら何かが終わってしまう、そう思えて仕方なかった。
﹄
それでも、逆らう気が起きなかった。そうして刃は首へと沈んでいく、そう思った瞬間。
﹁⋮⋮﹂
﹁アゼル君
﹂
!?
﹂
﹁大丈夫かい
私はヘスティア様の声で意識を一瞬で覚醒させた。
﹃アゼル君
!
?
い出そうにも何故かぼやぼやと感覚が散らばっていく。
怖い夢でも見たのかい
﹂
ことを考えていた。あの声と雰囲気を私は知っているような気がしたのだ。しかし、思
心配そうに私の顔を覗きこむヘスティア様を目の前に、私は数瞬前まで見ていた夢の
﹁え、ええ。起きました﹂
?
﹁酷くうなされていたけど大丈夫かい
?
奇跡を追い求めて
450
﹁怖い、かは分かりませんが夢は見ていた⋮⋮気がします﹂
﹂
?
﹂
!
が突進を繰りだそうとすればその脚を切断する。敵の僅かな動きも見逃さず、半ば無意
ヘルハウンドが火を吐こうとすればその口を上から突き刺し閉じさせ、ミノタウロス
絶命し倒れる。そのまま動きを止めずに走る。敵が攻撃するまえに一刀で殺す。
ホトトギスを横に薙ぐ。火を吐こうとしていたヘルハウンドは横一閃に顔を斬られ
﹁シッ
■■■■
なかったその一言に、刀の刀身が僅かに朱色の光を灯したことに私は気付かなかった。
小さく、誰にも聞かれないように私は囁いた。近くにいたヘスティア様にさえ聞こえ
﹁貴方なのか
風貌で、いつもと変わらぬ位置に置いてあるその刀。
寝ていた私のすぐ近くの壁に立てかけてあるホトトギスを見る。いつもと変わらぬ
惨状は夢などではなく、本当に起こったことだったのではないだろうか。
し、私が疑問に思っていたのはあれが本当に夢だったのかということだ。あれは、あの
ヘスティア様は私が夢を見たことを思い出せないことに同意を示してくれた。しか
﹁まあ、夢ってそういうものだけどさ﹂
451
奇跡を追い求めて
452
識に反応し斬り刻む。既に中層での戦闘は作業と化していた。
だから思考を巡らせる。
自分の剣で放った斬撃のことを思い出す。今となってはその時の感覚がかなり薄れ、
どのようにして繰り出したのか身体が覚えていないが、あれができた原因くらいは考え
られる。
一つ目の原因。
それは鈴音から授かった妖刀花椿、改め妖刀ホトトギスだろう。刀単体としての出来
は私からしたら完璧と言っていいが、その本質は刀に宿る思念である。詳しくは分から
ないが、ホトトギスに宿った﹃ホトトギス﹄と自ら名乗った思念体は極東ではお伽話の
類に出てくる怪物の名前らしい。
その実、遥か昔に刀を打つことに取り憑かれた男が生み出してしまった最高の刀を目
指すべく人を操り血を啜り強くなっていく怪異である。その怪異を鈴音の先祖が結晶
に封じ、それが巡り巡って鈴音の手に渡った。鈴音はその結晶を使い私に刀を打ってく
れた。
しかし、一つ疑問があるとすれば﹃ホトトギス﹄は一つの思念でしかないはずである。
つまるところ、
﹃ホトトギス﹄は﹁斬る﹂ということしか考えられない一方通行の感情の
塊でしかないのだ。しかし、ゴライアスとの死闘の際私に話しかけてきた﹃ホトトギス﹄
は確かに人格のようなものがあった。
剣は口では何も語らない、それは当たり前のことだ。だが、剣は振るえばそれだけで
自分に語りかけてくる。どの刃に宿った想いや願い、出来上がるまでの過程を話さずと
も語ってくれる。だから私はホトトギスを振るう。
何かを斬れば斬るほど理解が深まる、そのはずなのだ。斬ることで己を知り、そして
剣を知る。それが剣士としての研鑽であり、目的であり目標でもある。己という剣士を
知り、その限界を越えていく。己の剣を完全に理解することで自分の剣技を高めてい
く。
だが、ホトトギスでいくら敵を斬り殺しても私は何も理解できずにいた。どのように
して動けばより疾く、正確に斬れるか等は振るう毎に理解が深まっていく。しかし、私
の知りたいことは何一つ分からない。
しかし、私は剣を振るうこと以外は何も知らないただの剣士でしかない。いくら考え
ても真相など分かるはずもないので、結局はこうやって戦地に足を運び敵を斬る他な
い。例え、今実らずともいつか理解できる時がくるのだと信じて剣を振るう他、私にで
きることはない。
中層でのモンスターの産出速度を上回る速度でモンスターを狩ったせいだろう。周
﹁ふぅ⋮⋮もう、いないようですね﹂
453
奇跡を追い求めて
454
りにはミノタウロスやヘルハウンドの死体が転がっているばかりで新たなモンスター
が現れる気配がない。
スパーダ
動かぬ屍となったモンスターから魔石を取り除く作業に取り掛かりながら、再び考え
始める。
二つ目の原因。
これは、推測でしかないが私の︻剣︼に原因があるのではないかと思っている。そも
そも強力過ぎるスキルである、とヘスティア様には言われていた。一人の人間が所有す
るには最高峰のスキルの一つではないかとさえ神に言われたのだから、
︻剣︼の破格さが
伺える。
信じれば斬れる。単純明快にして強力無比なスキルである。しかし、その説明欄に記
・
・
載されている﹃稀代の剣士として認められた証﹄という言葉がずっと頭に引っかかって
ファルナ
いた。私は誰に認められたのかということだ。
神々の与える︻恩恵︼は冒険者の蓄積してきた功績を目に見える形で反映させるもの
だ。ス キ ル と も な れ ば 発 現 す る た め の 経 験 は そ れ だ け 重 要 な も の に な る は ず な の だ。
しかし、私は誰かに自分の剣の腕を認められた覚えなどなかった。
出処と経緯が不明なこのスキルは私にとっても未だ謎が多い。そんなことを考えて
いる事自体、斬れればいいというのがモットーの私らしくないのだが。
しかし、そこに何か秘密があるのだと私は思った。例えば、ロキ様は私のスキルを﹃切
断﹄という属性を生み出すスキルだと言った。だから私は手で物を斬ることができる
し、刃の切断力を飛躍的に向上できる。
もし、今までは自分の身体もしくは触れている物に対してしか付加できていなかった
私では前回の再現は不可能である。ならば睡眠を試すのが道理だろう。
ゴライアスと再戦するというのは不可能ではないが、既にレベルが上がってしまった
﹁帰って寝てみるのも手ですかね﹂
夢には出てくるのに、現実では何も語らない。
トトギスは勝手に私に話しかけてきたが、今はうんともすんとも言わない。
刀が答えであるはずだ。しかし、いくら考えてもその方法が思いつかない。あの時、ホ
右手に握るホトトギスに話しかける。きっと、この刀は答えを知っている。否、この
﹁答えてはくれないか⋮⋮﹂
ない。しかし、あの時私がしたことと何も変わらないのだ。
そこまで考えて、私は虚空に向かってホトトギスを振るった。当然、何も起こりはし
ないだろうか。
かできないが、恐らくはゴライアスに放った斬撃、切断という概念を放出できるのでは
﹃切断﹄という属性を、外に行使することができたらどうなるだろうか。想像することし
455
要領で屋根まで登ることも簡単にできる。
ても屋根の上まで登れば大通りに戻ることは容易である。細い路地なので三角飛びの
道に迷うことなく路地を右へ左へと進み着実に歩みを進めていく。仮に迷ったとし
だけ廃れた気配が漂う。
た。ひんやりとした空気が流れ、人が多かったバベルの広場から来たからだろう、少し
態々人通りの多い大通りを通ることなどせず、私は入り組んだ路地へと足を踏み入れ
だ。
ティア様に起こされ朝から活動をしていたので比較的早い時間に帰ってこられたよう
バベルを出ると空は茜色に染まり、夕方になっていることが分かった。今日はヘス
に存在するのだ。
そう、すべては斬るためにあるのだ。己も、剣も、敵も、世界も、すべてが斬るため
ことに帰結するのだと妙に納得できた。
斬るために寝るというのは少し奇妙な感覚ではあったが、私の行動すべてが結局は斬る
善は急げとばかりに私は急いで残りの死体から魔石を回収し地上への帰路についた。
﹁では、帰りますか﹂
奇跡を追い求めて
456
だからだろう。私はすこしばかりぼーっとしていた。今まで剣に関しては躓いたこ
とのなかった私が、剣について考えていたからかもしれない。
﹂
?
﹂
?
﹂
?
と輝きを放っている。
いるエルフの女性、リュー・リオンであった。その空色の瞳は薄暗い路地でもはっきり
目の前にいたのは給仕服を身に纏った豊穣の女主人亭でウェイトレスとして働いて
﹁どうかしましたか
そして相手を見て、今一度自分が気を抜いていたのだと実感した。
もない私を知っているということは知り合いである確率が高い。
﹁貴方でも﹂という言葉が引っかかった。相手は私を知っているらしい。別段有名で
﹁ん
﹁いえ、構いません。しかし、貴方でもこういうことがあるんですね﹂
﹁あ、これはすみません﹂
だろう。
れたおかげでぶつからずに済んだが、それでも後二歩ほど歩いて入ればぶつかっていた
気が付けば私は誰かにぶつかりかけていた。ぶつかる前にその人物が声を掛けてく
﹁え
﹁止まってくださいバーナムさん﹂
457
そういえば彼女も移動には路地を使うのであった。
﹁いえ、少しぼーっとしていたようで。声をかけてもらってありがとうございました﹂
﹂
彼女は食材が入った袋を抱えていた。どうやら店の在庫がなくなり買い出しをさせ
﹁今の状態でぶつかられては買い出しをもう一度しなくてはいけませんから﹂
られていたようだ。
﹁じゃあ、頑張ってくださいね﹂
﹁⋮⋮バーナムさん、少し話をしませんか
﹂
?
まり好まないのだ。
出しの途中である。リューさんはエルフの類にもれず清廉潔白であり、サボることをあ
普段であればリューさんから話しかけてくることはあまりない。ましてや今は買い
一言で振り返りながら声を出してしまった。
帰って早く寝たかった私はリューさんの横を通り過ぎ帰ろうとするが、リューさんの
﹁はい
?
﹁それはすごいですね﹂
﹁なんでも、どこかの誰かが単独でゴライアスを討伐をしたらしいという噂です﹂
﹁はあ、噂ですか﹂
﹁最近、とある噂を耳にしました﹂
奇跡を追い求めて
458
それは自分であるのだが、平静を装って返事をする。知られてまずいことではない
が、ヘスティア様からはできるだけ知られるなと言われている。
﹂
?
て、私は何故かゴライアスの噂を結びつけてしまった﹂
?
﹁⋮⋮﹂
﹁そして、今確信しました。バーナムさん、貴方はランクアップを果たしたのですね
僅か一ヶ月という短い期間で、階層主の単独撃破という偉業を成し遂げ﹂
﹁私も、一ヶ月などありあえないと思っていました。しかし、その冒険者の名前を聞い
本音である。
ように思えた。薄暗い路地ではそれを確認することができないが、確認したくないのが
僅かであるが、リューさんから怒気を感じた。空色の瞳が静かに私を睨みつけている
﹁⋮⋮人の過去を調べるなんて、暇な人もいるんですね﹂
た。
何かの間違いだろうと調べた本人も信じていませんでしたが、とリューさんは続け
て、調べてみるとその人物が冒険者になったのは約一ヶ月前のことだとか﹂
﹁は い。今 ま で 見 も 聞 き も し た こ と の な い 冒 険 者 が ラ ン ク ア ッ プ の リ ス ト に 入 っ て い
﹁もう一つですか
﹁そしてもう一つ﹂
459
﹁⋮⋮ええ﹂
﹂
仮に私が否定したとしても、リューさんはその確信を曲げなかっただろう。私は諦め
てその事実を認めた。
﹁一応、なんで確信に至ったんですか
﹁バーナムさん、何が貴方をそこまで駆り立てるのですか ゴライアスはギルドの推
で冒険者の力量を予測できる。ただ、それだけのことだった。
できるように、リューさんは過去の冒険者としての経験と現在の酒場の店員という経験
分かる人には分かるということだろう。私が剣士の力量を見るだけである程度予想
﹁有り体に言えば﹂
﹁⋮⋮なるほど。勘みたいなものですか﹂
にレベル1とレベル2の違いは大きい﹂
﹁分かるんです、長年冒険者を見ていると。雰囲気とでも言えばいいのでしょうか。特
?
ら向かい、あまつさえ一人で討伐するのなど常軌を逸している﹂
定レベルは4です。そもそも挑もうとすることすら自殺行為にあたる。それに自分か
?
そして今はその奇跡を追い求めて剣を振るっている自分がいる。
なものでしたよ。ええ、本当に奇跡でした﹂
﹁何事にも例外というものがあるということでしょう。それに、倒せたのは奇跡のよう
奇跡を追い求めて
460
﹁人の冒険にとやかく言う資格は私にはありません。ですが、一つだけ言わせてくださ
い﹂
その時、彼女は真っ直ぐと私を見ていたが、私には彼女が私を通して何か別のものを
見ているような気がした。
知ってください﹂
﹁⋮⋮それは誰かに言われた台詞ですか
?
思ってしまった。
?
一つだけじゃなかったんですか、などと言ってもリューさんが何かを言うのを阻止で
﹁それと、もう一つ﹂
しかし、その時目の前にいた女性はどこか儚く、悲しんでいた。
目を閉じて呟かれたその言葉は誰を想って口から零れたのか私には分からなかった。
﹁私は⋮⋮私はもう知り合いには死んで欲しくないだけです﹂
﹁リューさんも心配してくれるんですか
﹂
ていなかったと思ったからだ。抜身の刃のような彼女の雰囲気には似合わない、そう
あえて言うならば、その言葉が彼女のものでなかったことが分かったのは彼女に合っ
﹁昔、言われた言葉です﹂
﹂
﹁も っ と 自 分 を 大 切 に し て く だ さ い。貴 方 の 事 を 心 配 し て い る 人 が い る と い う こ と を
461
きるとは思えず言わなかった。
﹁貴方がどのような手段でゴライアスを討伐せしめたか、私には分かりません。しかし、
それが普通ではないのは理解できる。レベルを超えた相手を倒すというのは、それ自体
が異常だ﹂
・
・
割りと前から中層で戦っていた私にとっては麻痺した感覚ではあるが、本来冒険者は
﹁そうですか﹂
自分のレベルを考慮してダンジョンを探索する。
﹂
てください。貴方が深淵を覗き込む時、深淵もまた貴方を覗き込んでいる﹂
﹁バーナムさん、貴方にはレベルを無視できるほどの何かがある。だからこそ気を付け
﹁ええと、つまりどういうことですか
手に力が入り皺ができていた。
その時リューさんが強張ったのが分かった。持っている買い出しの袋を持っている
﹁力に溺れるな、ということです。力に溺れた者の末路はいつの時代も決っている﹂
?
﹁ああ、それと。色々言いましたが、ランクアップおめでとうございます。では、私は
リューさんに呼び止められる。
私は一言礼を言ってから今度こそ帰ろうと足を進めようとする。しかし、またしても
﹁⋮⋮ご忠告ありがとうございます﹂
奇跡を追い求めて
462
少々急ぎますので﹂
言うことだけ言って、私の返事を聞かずに歩き去っていくリューさんの背中を見る。
薄暗い路地裏では少し離れただけで見えなくなったが、なんだかんだ言ってランクアッ
プして初めて﹁おめでとう﹂と言われた気がする。
剣に関する勝負で負けるわけにはいかない。ただ、それだけだ。
ない程凶悪であるかもしれない。しかし、私には一つだけの矜持がある。
支配するかの勝負だ。確かに、相手は何百年と生きてきた思念体で私とは比べ物になら
そうであるならば、これは時間との勝負である。私とホトトギス、どちらがお互いを
﹁ふふ、望むところだ﹂
憑かれた人間たちと同じ末路を辿るのかもしれない。
くほど彼女もまた私に触れ覗く。そして、私という人間を熟知した時、私もその昔取り
そもそもホトトギスは人に取り憑き操る怪異である。触れれば触れるほど、覗けば覗
それと同時に、相手もまた私の一端を見たのだろう。
夢は、十中八九ホトトギスの見せた夢だ。その刃に宿った想いの一端を私は見たのだ。
リューさんに言われた言葉を呟きながら腰に差したホトトギスを眺める。今朝見た
﹁﹃深淵を覗き込む時、深淵もまた貴方を覗き込んでいる﹄ですか⋮⋮﹂
463
﹂
剣士危機一髪
﹁大丈夫
﹂
と。そして、何故か痛みに慣れているということ。
率直な感想として、他の︻ステイタス︼と比べて俊敏だけが抜きん出て高いというこ
そして訓練を初めて三日目となり、アイズもベルの実力をほぼ把握してきていた。
ら訓練をつけると申し出た。
その時にベルが自分は戦い方がまったくなっていないと言っていたので、アイズは自
功した。
従って第一級冒険者としての敏捷値で一瞬で先回りしてベルを見事捕まえることに成
合わせになった。毎度のこと逃げようとしたベルを、アイズはアゼルのアドバイスに
ベルのプロテクターを返そうとアイズが思っていた矢先、アイズとベルはギルドで鉢
ベルの訓練をしていた。
冒険者達がまだ各々の拠点で探索の準備をしているような早朝。アイズは市壁上で
﹁大丈夫ですッ
!
?
﹁じゃあ、次行くよ﹂
剣士危機一髪
464
﹁はいッ
﹂
アイズが一声かけるだけでベルはナイフを構えて姿勢を整えた。
!
防御なんて仕方が分からないというくらいに雑だった。
かったが、その攻撃の対処がぞんざいだった。避けるにも必要以上に大きく避けるし、
た だ バ ラ ン ス が 悪 い と い う べ き か。ベ ル は 攻 撃 か ら 目 を 逸 ら す よ う な こ と は し な
御することも難しくなる。その点を考えるとベルに資質はあるように思えた。
を逸らしたり、目を閉じたりしていない。どんな攻撃も見ていなければ避けることも防
不思議なことに目の前の少年は早朝訓練初日から、一度足りともアイズの攻撃から目
︵そしてなにより、目を閉じない︶
に、休むことなくベルの甘いところを突き崩していく。
ベルの反応できるぎりぎりの速度を維持しながらアイズは剣を走らせた。縦横無尽
﹁ッ﹂
﹁ふッ﹂
ことだ。それは、度重なる戦闘によって養われるはずの技能だ。
は攻撃をくらうことも必要となるダンジョンでは痛みで思考を停止させるのは愚かな
目の前の少年は痛みで思考を止めるようなことがない。肉を切らせて骨を断つ、時に
︵意識の切り替えができてる︶
465
﹁わッ、とッ﹂
今はなんとか相手の攻撃に対して真正面からナイフで防ぐのではなく、なるべく相手
の攻撃の方向を見切って攻撃を逸らすようにして防御することに慣れ始めている。
その最終形態がアイズとアゼルの手合わせの時にアイズがやってみせた、剣をいなす
ということだ。流れるように、まるで相手から剣を逸らしたかのように思えるほど自然
に剣閃を逸らす絶技である。
アイズが徐々に攻撃速度を上げていく。ベルは緩やかに速くなっていく剣戟に気付
くことなく、そのすべてを防いでいく。目を見張る成長速度にアイズは舌を巻いた。
以前から冒険者としての実力、つまり︻ステイタス︼が異常に早く上がっているとは
予想していたが、戦闘技術もまるで砂が水を吸うように上達していっている。伸び代が
あるからと言えなくもないが、それでも驚異的な速度だった。それも、戦闘という非日
常にベルが慣れているからだろうとアイズは思った。
ベルは戦い慣れてはいないが、戦いに身をおくことには慣れていた。敵の攻撃からは
目を逸らさず、吹き飛ばされたらすかさず立ち上がる。すべてが昔、アゼルに訓練とい
﹂
﹂
う名のチャンバラに付き合ってもらったおかげであった。
﹁シッ
!
﹁ぐえッ
!
剣士危機一髪
466
必死に自分の剣を防いでいるベルに対して、剣ではなく回し蹴りを放つと脇腹に突き
刺さり蹴り飛ばされる。やはり、改善すべき点はここだろう。
﹁あ、あの。一つ聞いていいですか
﹁うん、いいよ﹂
﹂
ベルは少し俯きながらその質問を投げかけた。
﹁アイズさんは、アゼルと戦ったことがあるんですよね
?
?
る。否、度合いが違うと言うべきかもしれない。単身で中層を歩きまわり、アイズ自身
確かに、ベルは驚異的な速度で成長している。しかし、それはアゼルも同じことであ
にも及ばないだろうという答えだ。
アイズはその質問に対する答えを瞬時に出していた。現状のベルではアゼルの足元
﹁僕は⋮⋮アゼルと比べてどのくらい強いのか、聞いてみたいというか﹂
﹁うん、一度だけだけど﹂
﹂
を思わせるような白い髪の毛と血のように赤い目がやはりどこか兎を思わせる。
蹴り飛ばされた脇腹を擦りながら立ち上がったベルにアイズは近付く。その処女雪
﹁悪いことじゃないよ。言ったことはちゃんとできているのは、君が素直だから﹂
﹁うぅ⋮⋮そうでしょうか﹂
﹁君は素直すぎるね﹂
467
レ
コー
ド
が築いたランクアップ世界記録を大きく塗り替え、公表されてはいないがLv.1で階
層主ゴライアスを単独撃破すら達成してしまった。
それは異常の一言だ。単独での階層主撃破は達成したアイズだからこそ分かる。階
層主という桁違いの強さのモンスターに一人で挑むというのは狂気の沙汰だ。しかも、
アゼルはそれを本当に一人でやったのだ。アイズにはリヴェリアという信頼している
仲間が心の支えになっていた。
﹁君はアゼルに比べれば弱い﹂
﹁です、よね﹂
求めた先にはないものだった。
自分が傷付けば誰かが泣く。自分が無事だと誰かが喜ぶ。それは、絶対に強さだけを
自分が誰かに大切にされていることを知っている。彼女はかけがえのない家族を得た。
のアイズが求めていたものだ。しかし、今のアイズは仲間に囲まれ、愛され、守られて
それは敵を倒すという、本当にそれだけの強さでしかない。それは冒険者になりたて
のだから。それでも力を望むことを止められない自分がいることも自覚しながら。
自分の一部を否定することになっても。それが間違っていると彼女自身が思っている
しかし、その異常性が分かるからこそアイズはその強さを否定する。例え、それが
﹁でも﹂
剣士危機一髪
468
﹁でも、君はまだまだ強くなる。ううん、今この瞬間も強くなってる。びっくりするくら
いの早さで﹂
それは、慰めにしかならないかもしれない。それでも、アイズはアゼルよりベルの強
さに惹かれていた。その想いが伝わればいいと思った。
﹂
!!!
﹂
!
が共に立っている。その事がなんだか嬉しかった。
アイズは思った、この少年の深 紅の瞳は陽だまりの中でこそ輝くと。そこに今は自分
ルベライト
ベルは頬を少し赤くして笑った。
﹁うん﹂
﹁もう一回お願いしますッ
性から激昂されやる気の出ない男はいない。
ベルは立ち上がり自分の頬を力強く叩いて気合いを入れた。自分の好意を寄せる女
﹁よしッ
てしまっていた。その先に、自分の求めている答えがあるように思えた。
だからその歩みを止めないでとアイズは願った。気が付けばその走る姿を目で追っ
﹁絶対に。きっと、すぐだよ﹂
﹁僕は、追いつけるでしょうか﹂
﹁だから、他の人のことは気にしないで。今は、ただ強くなることを考えて﹂
469
■■■■
﹁ぐッ、はあはあッ﹂
脇腹からは血が滲み、身体を徐々に毒が侵していくのが分かった。力の入らない身体
を動かし辺りを見渡す。ダンジョン20階層の一角はモンスターの死体だらけだった。
﹁これは、ちょっと⋮⋮﹂
熊型のモンスター﹃バグベアー﹄は頭を失った死体になっていた。硬い殻で全身を
覆った﹃マッドビートル﹄は真っ二つに斬られ地面に横たわっている。空中を飛び回り
メドル
金属製の弾丸を打ち出す蜻蛉のモンスター﹃ガン・リベラル﹄は羽を斬り裂かれ頭を突
き刺され転がっていた。全長ニ Mを越える巨大な猪﹃バトルボア﹄はすれ違いざまに首
を斬られ勢いのまま壁に激突して死んだ。
最終的に危険になると仲間を呼ぶと判断し、倒すのを後回しにした結果大群となって
は倒せば倒すほど仲間を呼び増えていった。
他のモンスターは倒せば倒すほど数が減っていったが、
﹃デッドリー・ホーネット﹄だけ
数々の死体の上を飛び交う巨大な蜂﹃デッドリー・ホーネット﹄を眺めて溜息を吐く。
﹁モンスターになっても群れをなすとは﹂
剣士危機一髪
470
しまった。
身体から無駄な力を抜き、腰を少し下ろしながら構える。右足を少し前、左足を少し
﹁私にできない道理はない﹂
り、その目的が斬ることであるのなら。
なので、私のこれは結局未熟な技以下、見様見真似でしかない。しかし、原理が分か
﹁神速﹂とまでは言えなかった。
方が得意とは言っていたが、それでも彼女の本業は刀鍛冶であり抜刀術は脚色しても
かったものだ。知ったのは鈴音に会ってからだ。鈴音は刀での斬り合いより抜刀術の
もちろん、これは刀特有の技術であり、今まで剣しか扱ってこなかった私は知らな
刀で相手を斬るか攻撃を受け流し、二の太刀で確実に殺めるという技術だ。
刀を用いた戦い方に抜刀術、もしくは居合術というものがある。納刀からの神速の一
トギスの柄に手を掛け、刃を走らせる準備をする。
毒で動かすのも億劫になった身体を脱力させるために深呼吸をする。納刀したホト
﹁はぁ⋮⋮﹂
で来る。その個体に続き大群の一部が動き出し、まるで壁のように私に迫ってくる。
一番槍とばかりに大群の中から一匹がその尻尾に生えた毒針を突き出しながら飛ん
﹁ちょっとは休ませてくださいよ﹂
471
後ろに動かし、僅かに身体を捻らせる。雑念を取り払うように目の前に迫り来る﹃デッ
ドリー・ホーネット﹄だけを見る。
先程までうるさかった蜂の羽音が世界から消える。攻撃してくる﹃デッドリー・ホー
ネット﹄の後ろに控える次の群れの姿が視界から消える。流れる時が細分化されまるで
ゆっくり流れるかのように世界が遅くなる。
そして私は静かに狙いを定めた。
何故抜刀術の際納刀状態から一刀目を放つのか。鞘から抜くのだから遅くなるので
はないかと思われがちだが、結果は逆である。刃は抜かれる時に鞘に抑えられるが、抑
えられた分抜かれた時に跳ね返るようにして速度を増す。でこぴんと同じ原理である。
全神経を刀を抜き放つ右手に集中させる。もし、ここで失敗すれば迫り来る毒針に刺
され、文字通りの蜂の巣にされるだろう。しかし、不思議と心は波一つない水面のよう
﹂
に落ち着いていた。身体は毒に侵され万全には程遠かったが、万全でないのは常であ
る。
!
還った。
ような音が短く響き、﹃デッドリー・ホーネット﹄は音もなく魔石ごと切断され灰へと
先頭にいた一匹の毒針を避けながら一刀目を抜き放った。高速の鞘走りで高い鈴の
﹁ッ
剣士危機一髪
472
最速の一撃で先頭の一匹とその後続を一匹、計二匹を殺し次々と迫ってくる巨大蜂達
﹂
の毒針を掻い潜りながら斬り刻んでいく。しかし、いかんせん敵の数が多すぎる。
﹁休憩ッ、させてください、よッ
険にさらすことはどこか間違っているようにも思えた。しかし、私にはそれだけの価値
ならば、もう試すのは危機的状況に陥るくらいだ。自分の力の探求のために自分を危
夢に出てきてはくれなかった。
致命傷だけは負わずに戦い続ける。そう、私は知りたいのだ。結局寝てもホトトギスは
攻撃を避け刀を振るう。一瞬足りとも動きを止めることなく、縦横無尽に駆けながら
︵答えてください、ホトトギス︶
しかし、私はそんな危機的状況を望んでここに来たのだ。
ながらでは飲むことが不可能である。
当然ながら解毒薬は持っている。持ってはいるが、止むことのない毒針攻撃に晒され
﹁これは、本当にまずいかもしれないですね⋮⋮﹂
され、掠った程度でも毒は確実に身体の中に入り体力を削っている。
︻未来視︼を駆使してもすべての攻撃を避けることが不可能なほど間髪入れずに攻撃
フトゥルム
ろから毒針で私を刺し殺そうと飛んで来る蜂がやってくるばかりである。
何匹倒しても、まるで数が減っているように感じられない。斬り刻んでもそのすぐ後
!
473
があると思えた。
私は、この命を掛けてでもあの力がなんだったのか知り、使いこなしたい。
あの斬撃を放った時の感覚をもう一度味わいたいと願った。あの斬撃を放った後の
景色をもう一度眺めたいと願った。
そう、願ったのならば、命を掛けるくらいはしなければならないだろう。
﹁どうすればいいッ﹂
しかし、答えは返ってはこない。いくら敵を斬り殺してもホトトギスはただ濁ること
のない妖しい刀身を煌めかせるだけだ。
れる。
存在を剣に教える。考える余裕がないからこそ裏表などなく、純粋な私の力量が発揮さ
ればあるほど、日々の鍛錬がものを言う。身体に刻み込まれた剣術の数々が、私という
私が剣と一番真っ直ぐ向き合えるのは戦っている時である。それが危機的状況であ
か正確な位置が分からないので退くことは愚策としか思えない。
はより一層言うことを効かなくなってきている。今自分が20階層のどの辺りにいる
留まって戦闘をしていると他のモンスターもじきにやってくる。毒の侵蝕も進み、身体
端的に言って今の状況は最悪である。敵の正確な数も分からない上長い間一箇所に
﹁これでも足りないと言うのですか﹂
剣士危機一髪
474
それでも、ホトトギスは答えない。
本来戦闘中はできるだけ感情の揺らぎを抑えるべきである。戦闘とはそれだけ繊細
で、少しの変化で予想と違った結果を叩き出す。故に感情の起伏も抑えるのが定石だ。
しかし、この時ばかりは私の心は沈んだ。見えない相手への、理不尽な失望とでも言
えばいいのか。私は自分勝手にも期待をしてしまっていた。
だからだろう、真後ろから私を貫かんと飛来してきていた﹃デッドリー・ホーネット﹄
の攻撃に気付くのが一瞬遅れたのは。
﹁あ⋮⋮﹂
振り向いて切り伏せる時間はない。私にできることはその刺突を必死に避けること
だけだった。しかし、気付くのが一瞬遅かったので急所は免れたが毒針を受けてしまっ
た。
相当な速度で飛来していたのだろう、その勢いのまま私は吹き飛ばされた。モンス
ターの包囲網から抜けられたのは幸いだった。あのまま吹き飛ばされていなければ周
りの﹃デッドリー・ホーネット﹄にも滅多刺しにされていただろう。
﹂
た。地面に手をついて身体を起こそうにも、腕が振るえるだけで力が入らない。
急いで立ち上がろうとするが、毒針をまともに受けたことで一気に毒が身体を巡っ
﹁ぐッ⋮⋮
!
475
しかし、モンスターに私の都合など関係ない。僅かに動かせる頭を動かし私を殺さん
と迫ってくる数多の毒針を眺めた。
死ぬわけにはいかない。いや、死にたくない。まだまだやりたいことがあるのだ。斬
﹁こん、なところで﹂
らねばいけないものがあるのだ。越えなければいけない男がいるのだ。
│││死にたくない
﹃死なせはしない﹄
﹂
!?
が聞こえたのは同時だった。
﹁大丈夫ですかって、アゼル
﹂
﹂
聞きたかったその声と眼前の﹃デッドリー・ホーネット﹄を蹴り飛ばした何者かの声
ホトトギスを握る手から伝って何かが流れ込んでくる。
﹁どりゃあああ
!
﹁怪我してる
ちょっと待っててね、すぐ終わらせるから﹂
リュテだった。
ネット﹄を一掃したのは褐色の女性、ロキ・ファミリア所属の第一級冒険者ティオナ・ヒ
蹴り飛ばしたついでとばかりに大双刃を振り回して周りにいた﹃デッドリー・ホー
﹁ティ、オナ
?
!
剣士危機一髪
476
先程受けた毒針の傷を見て驚いた彼女は一転して怒気を孕んだ声を発してものすご
い勢いで﹃デッドリー・ホーネット﹄の群れへと突貫していった。
でしょ
﹂
﹁今日は私の勝ちだったから、あの子機嫌悪いの。アンタの治療すれば機嫌も良くなる
﹁ええ⋮⋮﹂
﹁あの子が帰ってくるまで我慢しなさい﹂
﹁あの⋮⋮助けて貰った私が言うのもあれなんですが⋮⋮治療とか﹂
眺めていた。たぶん万一のことを考えて私の傍にいるのだろう。
ティオネさんは地面に倒れている私の横まで来て、モンスターを残滅するティオナを
﹁あっそ﹂
﹁⋮⋮ティオネさんも大概です、けどねッ。いつッ﹂
﹁まったく、あんなに張り切っちゃって⋮⋮我が妹ながら分かりやすいわね﹂
解する。
の外から話しかけられ、声でその人物がティオナの双子の姉であるティオネさんだと理
知っている人物を見たからか、安堵した私の身体は疲労と毒で動かなくなった。視界
﹁ティオネさん﹂
﹁アンタも無茶するわねー﹂
477
?
ホトトギスから流れ込んできた何かは、いつの間にか感じられなくなっていた。
結局私が治療を受けたのはティオナがモンスターを倒しきった数分後のことだった。
﹁でしょって、私に言われても﹂
剣士危機一髪
478
楽しんだ者勝ち
﹁アゼルってば無茶しすぎだよー﹂
そう言いながらティオナは応急処置として巻いた包帯を取っていく。
﹁いッ﹂
ティオナとティオネさんは最近二人で鍛錬をしているらしく、今回は20層付近でど
ちらがより多くのモンスターを倒すことができるかという勝負をしていたらしい。そ
れと合わせて行き帰りもどちらが早く目的地に到着できるかという競争もしていたの
﹂
で、本来は18階層にあるリヴィラで一泊する予定などなかった。
﹁本当にすみません。態々一泊までさせてしまって﹂
﹂
﹂
﹁いいっていいって。好きでやってることなんだから
?
﹂
﹁何が好き、なのかしらね
﹁う、うるさいティオネ
﹂
!
ごめんねアゼル大丈夫
﹁いっっつ
﹁ああっ
!?
!!
現在私達三人はリヴィラにある宿の一室にいる。物価がおかしいことになっている
!
!
479
リヴィラで宿に泊まることはなるべく避けたいことだが、日帰りを予定していた二人は
当然ながら野営の準備などしているわけもない。
別に地上に着くまでならずっと歩いてても大丈夫と言う私にティオナは﹁何が起こる
か分からないから﹂の一点張りでリヴィラに滞在することを押し通した。ティオネさん
は始終ニヤニヤしていた。
﹂
﹁いえ、この程度の痛みなら﹂
﹁あら、そう
﹁ちょっ、ティオネさん痛いですって
﹂
ほらほら﹂
いや、本当に
﹁この程度なら大丈夫なんじゃないのー
﹁ちょっとティオネ
﹂
!
﹁ティオネだってフィンが怪我してて、私が傷つついたら怒るでしょ
﹂
﹁あら怒った。何よ、いつもベートとかには怪我している時に率先して弄るくせに﹂
!
?
!
そう言いながら笑みを浮かべたティオネさんが近づいてきて傷の近くを指でつつく。
?
!
とは、つまりその向けている感情も同じなのではないかと言うティオネさん。それが本
ティオネさんにとってのフィンさんとティオナにとっての私を同列に扱うというこ
﹁え⋮⋮あっ﹂
﹁取り敢えず一発殴るわね、本気で⋮⋮というか、ティオナ貴方それってつまり﹂
楽しんだ者勝ち
480
当かどうかは私には分からないが、とりあえず私は顔を赤くして今にも爆発しそうな
﹁なっ、無しっ
その、あの、うぅ﹂
今の無し
﹂
!
ますから﹂
?
﹁ああ、愉快愉快﹂
﹁あの、できれば包帯を巻き直してもらえませんか
﹂
﹁まあ、待ってください。どう見てもティオネさんがからかってるのは見ていて分かり
!
るティオナは途中まで言葉を口にして自分が何を言おうとしているのか気付いた。
そもそもまったくと言っていい程対抗意識を燃やす台詞ではないのだが、混乱してい
﹁わ、私だってアゼルのこと│││﹂
﹁あら、私は団長のこと大好きよ﹂
思考を纏めようとしても纏まらないティオナをティオネさんと一緒に眺める。
恐らく自分でも何を言っているのか分からなくなっているのだろう、頭を抱えながら
でも嫌いじゃなくて
べ、別にアゼルのことが、その、す、す好きとかじゃなくて。あ、
ティオナから離れることにした。
﹂
﹁ち﹂
﹁ち
?
﹁ち、ちち違うから
!!
!
481
﹁ああ、ごめんね。今すぐやるよ﹂
私の横でケラケラと笑うティオネさんは治療には一切手を貸していない。なんとな
ポーション
く、この姉妹の強弱関係を理解した。
回復薬を染み込ませた綺麗な布を傷に宛てがいながら包帯を巻いていく。若干滲み
て痛かった。やはりというべきか、第一級冒険者ともなると包帯の巻き方も綺麗だっ
た。言っては悪いがティオナはこういう事が得意そうには見えなかったので少し驚い
た。
ここじゃ高いじゃん﹂
﹁じゃ、私は少し買いたい物があるから﹂
﹁オラリオに戻るまで待てば
だろうが、私は見えた。ティオネさんは笑っていた。
ネさんが颯爽と部屋から出て行った。ティオナが座っている場所からは見えなかった
私の怪我の処置も終わり、各々が武器の手入れをしていると一足早く終わったティオ
﹁どうしても今欲しいのよ。それじゃ、留守番頼むわねー﹂
?
いい姉なのだろう。しかし、ティオナが指摘した通りリヴィラで好き好んで買い物を
﹁はあ⋮⋮気を利かせてるつもりですかね﹂
楽しんだ者勝ち
482
する冒険者などいない。その上あの笑みを見てしまえば退出の意図などすぐに理解で
きる。
ティオネさんは自分の恋路には積極的だが、どうやら妹の恋路にもなかなか積極的で
ある。そう考えると彼女なりに私の事を認めてくれている、のかもしれない。ただ面白
﹂
﹂
いからしているという可能性も大いにあり得るが。
﹂
﹁そういえばさー﹂
﹁何ですか
﹁⋮⋮なんでそう思ったんですか
﹁アゼル、最近調子悪いの
?
しかし、今はまったくない。いくら剣を振るっても、敵を屠っても小さな一歩すらあ
づいていく感覚があったのだ。
も剣を振るう度に何かが積み重なっていくのを感じた。少しずつではあるが完成に近
それこそ月単位で修練をしてやっと辿り着いた剣技もある。しかし、そのどれを取って
私は今まで剣に関して躓いたことがなかった。習得が困難な剣技等は当然あったし、
で私は参ってしまっている。
ティオナの予想通り、私の調子は悪い。身体的な調子ではなく、恐らくは精神的な面
﹁うーん、なんとなく﹂
?
?
483
の斬撃に近づけた気がしない。
﹁なんとなくって﹂
﹁なんて言うの⋮⋮ぴりぴりしてるっていうか。皺が寄ってるっていうか⋮⋮﹂
﹁皺﹂
﹁うん、おでこに﹂
﹁眉間の間違えですね﹂
﹁あぅ﹂
指摘されて自分の眉間を指で触る。しかし、別段皺が寄っていることはなかった。
﹁なんて言うのかな│、フィンとかリヴェリアが作戦考えてる時みたいな、難しい雰囲気
だった﹂
確かに最近ホトトギスについてあれこれと考えていた節はあるが、果たして一見した
だけでそれを見抜けるだろうか。
﹁それは、少し買いかぶり過ぎですよ﹂
だったから﹂
﹁うん、私の見てきたアゼルはさ、何故か余裕があって何事にも動揺しない。そんな人
﹁私らしくない、ですか﹂
﹁たぶん、アゼルらしくないって思ったんだと思う﹂
楽しんだ者勝ち
484
﹁えへへ、そうかな﹂
今まで接してきて何となくは分かっていたことだが、ティオナは頭脳派ではなく感覚
派だ。物事を難しく考えず、自分の思うままにする女性だ。しかし、いや、だからこそ
自分の中のどこかで正解をしっている。どう動けばより早く走れるか、どう振ればより
攻撃力が増すか、動いている内に分かってくる。
私もどちらかと言えば感覚派の人間である。
﹁えっ、そうなの
﹂
﹂
?
﹂
?
ティオナは首を私の言葉に首を傾げた。彼女にはない悩みなのだろう。そもそも、冒
﹁へえ
﹁色々考えてしまって、反応が遅れたりするんです﹂
様はおかしいだろう。
できるらしいので、レベル2である私が下層を一人で探索してモンスターを倒している
言われてみれば、ギルドの説明ではレベル2がパーティーを組んで中層を安全に探索
な無茶はもうしちゃだめだよ
﹁えー、だってアゼル平気で下層まで来てモンスター倒してるから。あ、でも今回みたい
?
!?
﹁なんでそんな驚くんですか
﹂
﹁実は今、少し剣で行き詰まってるんです﹂
485
険者にとって技術は大切ではあるが、レベルを上げていけばいくほど重要度が下がって
いくのかもしれない。その余りある身体能力だけでも第一級冒険者は驚異的な殲滅力
﹂
を発揮するだろう。特にティオナのような前衛はその傾向があると思われる。
﹂
﹁じゃあ、解決方法は簡単じゃん
﹁⋮⋮それは
!
﹂
﹂
!
何その反応、馬鹿にしてる
﹁⋮⋮はあ﹂
﹁ああ
!?
﹁考えなければいいだけのことだよ
ティオナは椅子から立ち上がり、得意気に胸を張りながら私に解決方法を言った。
﹁ふっふっふ﹂
?
﹂
ですか
﹂
身体を動かしてさ、モンスター倒して、昨日より強くなっててさ。
!
今度は頭が痛くて眉間を指で撫でた。
﹁楽しむ
﹁そう、楽しむの
!
?
﹂
こう、ワーって感じでガーってやればいいと思う﹂
﹁そう
?
﹁いえ、馬鹿にしているというか。その、どうやって考えずにするかが難しいんじゃない
!
?
﹁なんて言うかさ、こう⋮⋮もっと楽しまないと
楽しんだ者勝ち
486
わくわくしない
﹂
であった。何故、そんなことを忘れてしまっていのか。
その時の彼女の笑顔が純粋過ぎて、私には少し眩しく見えた。でも、ああ確かにそう
?
ないのかな
﹁ああ﹂
ってアゼル、聞いてる
﹂
?
﹁アゼル│
﹂
しても、私は剣を握り続けた。
だから次の日も剣を握った。手に豆ができても、親に叱られても、気絶するまで疲労
振るってみた。その時、私は楽しいという感覚を初めて味わったのだ。
偶然剣を握って振るってみたのが始まりだった。気まぐれでその次の日も次の日も
この心を衝き動かしたその原初の感情を何故忘れてしまっていたのか。
?
﹁ほら、好きこそものの上手なれって言うしさ。楽しんで、好きだから強くなれるんじゃ
何故、誰かを傷付けてまで剣士の頂きに登りつめたいのか。
何故、血反吐を吐いてまで剣を握り続けてきたのか。
何故、辛い鍛錬を積み重ねてこれたのか。
何故、私が今までずっと剣を振るえてきたのか。
﹁ハッ﹂
487
?
﹂
﹁くはっ、ふふ、はっはっはっ﹂
﹁え、ええと、大丈夫
﹁いえ、少し一人で考え事がしたいので﹂
﹁えっ、じゃあ私も付いて行くよ﹂
﹁ちょっと外を歩いてきますね﹂
ていたのだろう。
ていた。確かにあの斬撃は魅力的である。だが、それは剣を振るう理由としては間違っ
も私は剣士であり続ける。私は、私の剣が目指すべきものを見誤っていた、いや見失っ
断じて、一つの斬撃を放つためにこの剣は振るわれるのではない。あの斬撃がなくと
は剣士となったのだ。
るのか、何を斬るのか知りたいから、どうしようもなくわくわくする程知りたいから私
そうだ、楽しいからだ、心躍るからだ。登りつめた時、私は何を見るのか、何を考え
﹁大丈夫ですよ。ええ、大丈夫ですとも﹂
?
﹁ありがとうございますティオナ﹂
彼女に似合っていた。だから、私は手を伸ばして彼女の頭を撫でた。
口を尖らせて駄々をこねるティオナを見て私は笑った。その少し子供っぽい仕草が
﹁えー、つまんない﹂
楽しんだ者勝ち
488
﹁ふぇ﹂
﹁何ですか、ティオネさん﹂
﹁はーい、そこのアンタ少し待ちなさい﹂
分かった。久しく、感じていなかった気がする。
久しぶりに身体が疼いてきた。剣を振るえと、敵を斬れと身体が訴えかけてくるのが
へと続く穴が空いている。
街を抜けて森へと入る、目指すは18階層中央に聳える巨大な樹だ。そこに19階層
い。
その後ティオナはベッドで悶えることになるのだが、それは私の知ったことではな
屋から出た。
顔を赤くして言葉もどこか片言になりつつあるティオナの頭から手を離して、私は部
﹁はい、いって、らっしゃい﹂
﹁では、行ってきますね。留守番お願いします﹂
﹁ぅ、うん﹂
﹁おかげで、大切な事を思い出せました﹂
489
通せんぼをするように私の前にティオネさんが現れる。私がホトトギスを腰に差し
ているように、彼女もまた武装していた。
﹂
﹁流石にその身体で行かせるわけにはいかないのよね﹂
﹁⋮⋮どうしても、ですか
﹁ええ、どうしてもよ﹂
﹁分かってくれた
﹂
﹁はあ、じゃあしょうが無いですね﹂
?
﹂
はいかないので峰の状態で抜刀する。
それでも、止められない。だから私は一歩を踏み出す。流石に命の恩人を斬るわけに
﹁ええ、分かりました。だから力づくで通ります﹂
が出してくれている上、命の恩人なのだ。ここは言うことを聞いておくべきだろう。
ティオナとティオネさんには色々とお世話になっている。今回の宿泊代も彼女たち
?
!
続けざまにもう一本のククリナイフで私の脚を斬りつけようとするが、私は跳んでそ
る。
刃を交えると武器を斬られると理解しているのか、上手く角度をつけて刃を弾いてい
彼女もそれを予想していたのか、一対のククリナイフを抜き放ち私の一刀を弾いた。
﹁やっぱりそうくるわよねッ
楽しんだ者勝ち
490
れを回避した。また彼女との間に距離が開く。
﹂
?
﹂
!
﹂
!
きれない。
無尽に繰り出される斬撃を予見しながら体捌きで避け刀で弾いていく。こちらも、防ぎ
ティオネさんが攻撃に転じる雰囲気を感じ取り目に魔力を集めて未来を見る。縦横
﹁ッ
﹁でも、遅いッ
す斬撃を彼女は二本のククリナイフで捌いているのだ。攻めきれない。
だが、斬撃はすべて捉えられていた。元々速度で負けている私が、一本の刀で繰りだ
﹁なかなか速いわね﹂
﹁シッ﹂
軽口を言う彼女に向かって今度は刃で斬りかかる。
﹁私の胸は団長のものだから貸してあげない﹂
﹁怖いお姉さんですね。では、胸を借りるつもりで全力でいかせてもらいます﹂
してあげるわ。言っておくけど、怪我してるからって手加減はしないわよ
﹁まあ、ここから先には行かせられない代わりと言っては何だけど。お姉さんが相手を
﹁それは、光栄なことです﹂
﹁一度アンタとやり合いたいと思ってたのよねー﹂
491
﹁ほらほらッ
どんどんいくぞ
立ち止まったら死ぬと思え
!
﹂
!
だからこそ感じる充実感がある。
﹁ハッハッハッ、口調変わってますよ
﹂
﹁ちょっと油断するとこうなるのよね。はあ、治らないかしら
?
?
﹁そっちの方がいいと思いますよ、私は﹂
﹂
いては防げるわけがない。ただ感じるままに、思うがままに身体を動かすのだ。
思考など放棄する。考えてから攻撃していては当たるわけがない、考えてから防いで
なるのだ。
なのだろう。戦い始めると、それまでの経緯もそれからの影響も考えなど考えられなく
この身体を動かし、戦い、傷付き、そして勝利することに己をすべてを投じる戦闘狂
だ。
容赦なく攻撃をしているティオネさんを見て私は笑った。きっと彼女は私と同族なの
先程は怪我をした身体でダンジョンに行かせないと言いながら今は怪我をした私に
!
何を言っているのやら﹂
!
﹂
?
最初から怪我をした身体だったのだ、無理が効くわけもないし体力の消耗が早いのは
﹁ハッ
れにしてもアンタ随分息が荒いわね。まだまだこれからなのに、そんなんで大丈夫
﹁ありがとう、でも団長以外にそんなこと言われてもなんとも思わないのよね。あら、そ
楽しんだ者勝ち
492
当然のことだ。だが、今はそんなことどうでもよかった。
剣を振るうということが楽しいのだ。敵うはずもない相手に向かっていくのがどう
しようもなく興奮するのだ。どれだけ自分が強くなれるのか知りたい、ただその一心で
あった。
刀を構える。そして、いらない情報を消していく。自分の意識が鋭くなっていき、た
﹁まだまだ﹂
だ目の前にいる相手に集中していく。
その最中、手から熱が流れ込んでくるのが分かった。それは私の集中を妨げるどころ
か高めていった。
その熱に促されるまま踏み込む。しかし、その動きもティオネさんにとっては緩慢な
﹁これからですよ﹂
ものだったのだろう。余裕を持って避けられる。もう一度地面を踏みしめて方向転換
をして彼女を追う。
﹂
追ってくる私も彼女は二本のククリナイフで攻める。右から左から、私が反応できる
だろうぎりぎりの速度で斬りこんでくる。
﹁そうよね。まだ始まったばかりだものねえッ
より疾く刀を振るうために、痛みなど感じるのは邪魔である。手から伝ってきた熱が
!
493
私の思考を読んだのか、傷から感じる痛みがすべてその熱によって感じなくなった。
﹃力を貸しましょう﹄
踏み込む力がまったく足りていない。
﹃この身に宿す、幾百幾千の命が今貴方を支えましょう﹄
ティオネさんの攻撃を捌くにはもっと鋭い感覚が必要である。
﹃何故なら、貴方こそが担い手に相応しい﹄
﹁ああ、だから﹂
熱が全身へと行き渡るのが分かった。そして手から流れ込んでくる熱はまったく途
﹂
絶えていない。むしろ勢いを増してきている。
﹂
﹁斬るッ
﹁ッ
!
﹂
﹁ハアッ
!
級冒険者、これがレベル5。奇跡を起こす力を使いながらも敵わない、傷を負わせるこ
踏み込みの速さにも斬りこむ斬撃の速度にも焦ることなく対応される。これが第一
﹂
!
戸惑いを示したがそれも一瞬のこと。
先程までとは桁違いの力で踏み込む。激しすぎる速度の差によってティオネさんは
!
﹁ラァッ
楽しんだ者勝ち
494
ともできない。
だからこそ面白い。
私にもさっぱり。でも、一つだけ言えることは│││﹂
﹁ちょっとちょっと、どういうことよ﹂
﹁さあ
う余裕があるからこそできる行為。
掛かってきなさい
私も面白くなってきたわ
!
﹁│││私はまだまだ戦える。まだまだ斬れる﹂
﹁ハッ
﹂
お互いの斬撃を避け、弾きながらの会話。先程までの私では到底できなかったであろ
?
!
う。
ならば次はその速度を捌き切ろう。そのために戦おう、高めよう。この瞬間を楽しも
はじめる。それでも、私は笑っていた。
更に速度を上げたティオネさんの斬撃が少しずつ捌ききれなくなり、身体に傷ができ
もっと味わいたいと。
通 じ 合 っ て い た の か も し れ な い。い つ ま で も 戦 い た い と。こ の 甘 美 な 時 間 を も っ と
きっとお互い獰猛な笑みを浮かべていたのだろう。この時だけ、私とティオネさんは
!
495
﹁ちょっとあんまり触らないで﹂
戦っていた時はまだ明るかったが、今はもう夜となり暗くなっている。そんな中私は
﹁私をこんな状態にしたのは何処の誰ですかね﹂
ティオネさんに肩を貸してもらって歩いていた。
﹁うっ、悪いとは思ってるのよ、少しは﹂
﹁⋮⋮別に気にしてませんよ。結局は私の実力不足だったんですから﹂
あのまま数時間もの間私とティオネさんは戦った。私の動きが良くなる毎にティオ
﹁レベルの差を実力不足で済ませるアンタが恐ろしいわ﹂
ネさんは私よりも少し速い動きをした。そして私がまたそれに追いつき、彼女がまた動
きを速くしていく。その繰り返しだった。
私がもっと速く動きたいと思えば思うほど、身体に流れ込む熱がより熱く反応するの
だ。しかし、それは身を焦がすような熱ではなく、心地よかった。ずっと身を任せてい
たいと思えるほどに心地よく、だからこそずっと戦っていたかった。
﹁ですかね﹂
し﹂
﹁それにしても、アンタやっぱおかしくない 私のナイフ、一本おじゃんにしてくれる
楽しんだ者勝ち
496
?
﹁絶対おかしいわ﹂
しかし、最後は私の腹の傷が開き血を流しすぎて身体が動かなくなって終わりとなっ
た。少しだけ消化不良ではあったが、私にとっては得るものが多い戦いだった。ティオ
ネさんも特に不満そうには見えない。
﹂
?
︵楽しかったのですか
︶
の喜びを今ははっきりと覚えている。
腰に差したホトトギスに触れる。ゴライアス戦の時と違い、あの熱を、あの感覚を、あ
それに│││彼女は答えてくれた。
﹁⋮⋮いえ、なんでもありません﹂
﹁それに
﹁まあ、そうですね。楽しかったですし、それに│││﹂
も、この後ティオナに怒られることも気にはならなかったからだ。
何がいいのか分からなかったが、反論する気は起きなかった。別段怪我をしたこと
﹁いいじゃない、どうせ私達二人共怒鳴られるんだし﹂
﹁ティオナの機嫌を良くするために私に怪我をさせないで欲しいんですが﹂
﹁その前にまた傷の手当ね。いやー、いい仕事したわ﹂
﹁もう、早く寝たいです﹂
497
?
﹃ええ、とても﹄
︵それは良かった︶
頭に直接語りかけてくる彼女と会話をする。それだけの事なのに、私は嬉しくなって
笑ってしまった。
ちょっとそういうの
?
もしましてマゾ
﹂
はやめてよね、あの子純粋なんだから。そういえばアンタ戦うのは格上ばっかりね⋮⋮
﹁ちょっと何笑ってるのよ もしかして叱られて喜ぶタイプ
?
ティオネさんもでしょう
﹂
﹁そ ん な わ け な い じ ゃ な い で す か ⋮⋮ ま あ、強 い 相 手 と 戦 う の は 好 き で す が。そ れ は
?
?
ただお互いの刃を交えた時間を思い出し、笑っていた。
ていた。別段なにかが面白かったわけでもなかったのに。
この後ティオナに長時間怒られるのは目に見えているのに、私とティオネさんは笑っ
﹁まあ、そうね﹂
楽しんだ者勝ち
498
月下踊る剣の獣
怪我をして共に宿へと帰った私達を待っていたのは激怒するティオナだった。留守
番を頼んで一行に戻らない自分たちを心配していたというのに、していたことが激しい
戦いであったからだ。私に対しては怪我をしているのに無理をしたことに怒り、ティオ
ホームまで送ってこうか
﹂
ネさんにはそんな私相手に更に怪我を負わせたことを怒った。
﹁本当に大丈夫
?
いてもマイペースな女性だ。
そう言ってティオネさんは﹁じゃあね﹂と一言言って歩いて行ってしまった。どこに
﹁ほらほらティオナ、しつこい女は嫌われるわよ。さっさと帰りましょ﹂
が自分であるから言わなかった。
ジョンに入ってから三日目だったようだ。ティオナは心配症だな、と思いつつその原因
戻 っ て き た 時 に は 既 に 夕 方 に 差 し 掛 か る 時 間 だ っ た。よ く よ く 計 算 し て み る と ダ ン
朝起きてから宿を出て、怪我をしている私に無理をさせないようゆっくりと地上まで
に行くという選択肢はないですし﹂
﹁流石にそこまでしてもらうわけにはいきませんよ。ここまで戻ってきてはダンジョン
?
499
﹁ティオナ、本当にありがとうございました。私にできることがあれば何でも言ってく
ださい。ティオナは命の恩人ですから﹂
﹁そ、そんなつもりで助けたわけじゃないからッ﹂
﹁助けられたことには変わりません﹂
﹁⋮⋮じゃあ、次は私の番ね﹂
じゃあ、私も行くね
﹂
﹁ええ、その時はお手柔らかにお願いしますよ﹂
﹁うん
!
!!
帰ってきたヘスティア様に︻ステイタス︼の更新をしてもらった後、危惧していたと
﹁いやあ、すみません﹂
﹂
のことを思い浮かべながら、私は軽い足取りで帰るのであった。
ヘスティア様の待つホームへと。私の怪我を見て心配しながらも怒るであろう主神
﹁さて、私も帰るとしますか﹂
は文句を言い、ティオネさんはそれを軽くあしらいながら帰っていった。
ティオナも手を大きく振りながら離れていく。ティオネさんに追いついたティオナ
!
﹁君という奴はああああ
月下踊る剣の獣
500
おり彼女は怒りはじめた。泣かれるよりはましだが、毎回こんなことになるのかと考え
﹂
ると少し憂鬱である。最も原因が自分なので甘んじて説教は受けることにしている。
アゼル・バーナム
Lv.2
力:H 124 ↓ G 254
耐久:H 102 ↓ G 251
器用:G 213 ↓ E401
敏捷:H 187 ↓ F 369
今すぐ言うんだああ
魔力:H 122 ↓ G 251
剣士:I ↓ I
フトゥルム
︽魔法︾
︻未来視︼
スパーダ
︽スキル︾
ヴィデーレ・カエルム
︻剣︼
吐け
!
︻地 這 空 眺︼
﹁今度は何をしてきたんだ
!
私の異常に上昇した︻ステイタス︼を見て最初にヘスティア様が言った言葉だ。
!
501
﹁まあまあ﹂
流石に死ぬような目にあったとは言いづらい。それを他ファミリア、しかもヘスティ
白状するんだ﹂
ア様が目の敵にしているロキ・ファミリアの主要メンバーである第一級冒険者達に助け
﹂
られ、あまつさえ戦ったことなど口が裂けても言えない。
﹁しかも、今回は怪我までしてきて
﹁もう治療もしてあるので大丈夫ですよ﹂
﹂
後、僕達には嘘が吐けないんだぞ
神々
﹁⋮⋮待てよ、その治療は誰がしたんだい
﹁⋮⋮もちろん、私です﹂
﹂
こと。そして、共に地上まで帰ってきたこと。
れたこと。その後治療をしてもらったが、結局はティオネさんと戦ってまた怪我をした
に押されて怪我を負ったこと。運良く通りかかったティオナとティオネさんに助けら
無謀にも20階層に一人で踏み込んだこと。数多くのモンスターを斬り殺したが、数
!
?
!
結局私は起こったことを洗いざらい話す羽目になった。
﹁そう言えばそうでした﹂
﹁今の間はなんだっ
!
!
﹁いやー、私としては仲良くできているので問題ないかと思ってるんですが﹂
﹁君って奴はっ、本当に
月下踊る剣の獣
502
﹁そんなことはどうでもいい
いや、どうでもは良くないけども
20階層なんて、
!
がっていた。
かれた箇所を優しく触れた。ティオナが使った回復薬が良かったのだろう、傷はほぼ塞
ポーション
勢い良く怒っていた顔から一転して悲しそうな顔になったヘスティア様は包帯の巻
なんでそんな無茶を⋮⋮って言っても君は必要だったからと答えるんだろうけど﹂
!
とを言うしかない。真摯に、素直に向き合うしかない。
ル
ナ
励ませばいいか、慰めればいいか私には分からなかった。だから、私は自分の思ったこ
僕はわがままなんだろうね、と彼女は儚い笑みを浮かべて呟いた。そんな彼女をどう
の家 族だから﹂
ファミリア
﹁それでも⋮⋮それでも、僕は君にここに居て欲しい。ベル君とアゼル君は僕の初めて
様は出会った。
でしかなかった。ベルが勧誘されたファミリアに私も入ることになり、私とヘスティア
だったからだ。私にとってファミリアとは、主神とは︻神の恩恵︼を与えてくれるもの
ファ
その続きを言おうとして私は言葉をつまらせた。今まで考えたこともなかったこと
﹁それは﹂
いいんと思うんだ﹂
﹁君は、本当は僕のファミリアなんかよりロキとか他の強いファミリアに行ったほうが
503
﹁確かに、そうかもしれません。強い仲間に囲まれ、より強い敵を倒せる環境の方が私の
望んでいるものかもしれません﹂
こ
こ
私の傷を我が子を心配する母のように撫でるヘスティア様の手を握る。
﹁でも、私はヘスティア・ファミリアにいます﹂
私の台詞を聞いて見上げるようにして私の目をまっすぐ見つめるヘスティア様を、私
も見返す。その無垢な瞳に吸い込まれそうになる感覚を感じながら、彼女の頭を撫で
る。
私は剣を極めるために、ヘスティア様は私を本当の家族にするために、お互いの譲れ
﹁だって、私達は今喧嘩の真っ最中ではないですか。勝負から逃げるなんて│││﹂
ない想いをぶつけた戦いの真っ最中なのだ。
﹁│││私らしくない﹂
真っ向から挑んでこそ剣士である。愚直なまで真っ直ぐ斬りかかってこそ剣士。敵
に背を向けて逃げるなど、恥でしかない。
我慢した。
そう言ってヘスティア様は私の胴に腕を回して抱きしめた。若干痛かったが、ここは
﹁そ、そうか。それを聞けて、僕は嬉しいよ。すごく、嬉しい﹂
﹁だから、私はまだここから離れません。あの喧嘩に勝負が着くまでは、絶対に﹂
月下踊る剣の獣
504
﹁でも、無茶はしないでほしいな﹂
﹂
?
﹁うーん﹂
?
﹁のは
﹂
﹁いえ、別にはそういうのはないと思いますけど⋮⋮まあ、思いつくのは﹂
﹁何か分かるかい
ほら、昔からの習慣とか﹂
くのが日常ではあったが、朝食をホームで食べる日がほとんどだ。
なんでも最近朝起きてもベルがいないらしい。今までも朝早くからダンジョンに行
それからは私のいない間に起こったことをヘスティア様に聞いた。
壊してしまうのだろうから。
して、笑みの温かさと同時に、胸を刺すような痛みを感じた。私は、きっとこの笑顔を
そう言ってヘスティア様は笑った。その笑顔を見て、私も自然に笑ってしまった。そ
﹁うるさいなー、そもそも君が原因なんだぞ﹂
﹁玉に瑕って自分でいうものですか
﹁まったく⋮⋮はあ、僕は身内には甘いところが玉に瑕かな﹂
﹁あー、それはなんと言いますか⋮⋮善処します﹂
505
?
﹁女性じゃないで﹂
﹁そんなわけあるか
﹂
﹂
!
ベル君が何をしてるのか見てきてくれないかな﹂
でも、その⋮⋮心配なものは心配だろう ベル君はあんな性
﹁少しは信用してあげましょうよ﹂
ティア様のストレス軽減に協力しましょう﹂
﹁はあ⋮⋮分かりましたよ。私自身色々心配をかけているでしょうし、少しくらいヘス
?
﹁頼むっ、アゼル君
今の様子を見ていると絶対に改宗などさせなさそうである。
があるが、それには当然主神であるヘスティア様の同意が必要になる。
とかヘスティア様が知っているからだろう。本当に恋人になるのであれば改 宗の必要
コンバート
いることだ。それを頑なに否定するのはファミリア間のお付き合いがどれ程難しいこ
そもそも現在進行形でアイズさんに片想いをしているのはファミリア内では知れて
﹁ベルは罪な男ですね﹂
﹁ぼ、僕というものがありながら⋮⋮うそだああああ
﹁しかし、ベルも十四歳ですし。そういうお年頃であるのは確かですから﹂
女性という言葉に即座に反応して頭ごなしに否定してくるヘスティア様。
!?
!
!
格だし、すぐ騙されちゃうし﹂
﹁信用はしてるさっ
月下踊る剣の獣
506
﹁ありがとう
■■■■
﹂
なのだろうか。
をした。ヘスティア様もロキ様と変わらないくらい酒を飲んでいたが、神は皆酒が好き
その後ベルがダンジョンから帰ってくるのを待ち、下層で稼いできた私の奢りで外食
!
辺りはまだ薄暗く、ひんやりとした空気が寝起きの身体を徐々に覚醒させていく。ベ
急いで身支度をしてから私もベルの後を追うために地下室から地上へと登った。
﹁さてと、私も行きますか﹂
が大部分だ。
める冒険者はまずいないだろう。冒険者の多くが、自由を好み自堕落に生活している輩
街の人々が起き始めて仕事の準備をする時間帯ではあるものの、この時間に活動を始
﹁ふぁあ、本当に早いですね﹂
確認して私は起き上がった。
誰も起こさないように小声で外出の挨拶をして地下室から駆け上がっていくベルを
﹁いってきます﹂
507
こっちは﹂
ルに気付かれないように私は建物の屋根を伝って追跡をすることにした。
﹁ん
そう思っていた矢先だった。
かった。もしかしたら、本当に何かしらの事件に巻き込まれているのかもしれない。
朝、しかも人がまったくこない市壁まで来て会うような女性を私は思い浮かべられな
昨日はヘスティア様に軽々しく女性だろうと言ったが、わざわざ人が極端に少ない早
﹁こんな所で何をするんですかね﹂
ベルが目指しているのはそういった場所に行くための通路口であった。
巨大であるためその上に登ることが可能であるし、壁の中には部屋もある。
を聞く限りだと隣国から攻められることがあるそうなのでそのためだろう。もちろん
オラリオには都市を囲う大きな壁がある。なんのために存在するかは知らないが、話
﹁しかし、こっちは市壁しかないはずですが﹂
いいものの、もし普通に追っていたら私は道に迷っただろう。
をまるで毎日通っている散歩道かのように突き進んでいった。上から追っているから
目下を走るベルを追うこと数分。ベルは大通りから一本の路地に入り、入り組んだ道
?
﹁おはよう﹂
﹁おはようございますっ﹂
月下踊る剣の獣
508
違 う 路 地 か ら 現 れ た 人 物 に ベ ル が 挨 拶 を し て い た。目 的 は や は り 誰 か と 会 う こ と
だったようだ。
﹂
?
た二人は向き合うとベルがいきなりアイズさんに向かって走っていく手に持ったナイ
じめた。そういえば、二人共武器を持っていたことに気付く。そして、準備運動を終え
市壁上へと辿り着いた二人は遠目からでは詳しくは見えなかったが準備運動をしは
ヴァレンシュタインだった。
一瞬で私の視線に気付いたのはベルが絶賛片思い中のオラリオ最強の女剣士アイズ・
﹁⋮⋮まさか本当に女性との相瀬だったとは。しかもその相手がアイズさんとは﹂
て行った。
からないがその人物は数秒私のいる方向を見つめた後ベルを連れて市壁の上へと登っ
それが自分の勘違いだと思ったのか、それとも何もしてこない私を見逃したのかは分
﹁⋮⋮ううん、なんでもないよ﹂
﹁どうかしたんですか
視線に感付いたのかいきなり空を見上げた。
その人物が誰なのか見ようと屋根から身を乗り出した瞬間だった。その人物は私の
﹁うんッ﹂
﹁今日もよろしくお願いします﹂
509
フを振るって襲いかかった。
アイズさんは難なくベルの猛攻を捌き、お返しとばかりにサーベルで切り返してき
た。その早さは遠目で見ている私でも剣の軌跡が見えたので手加減していることが見
て取れた。しかし、驚くことにベルは突き出されたサーベルを時には回避し、時にはナ
イフで防いで凌いでいた。
﹁なるほど、そういうことですか﹂
その光景を見て、私は昔の自分と老師の訓練を思い出した。要するにベルはアイズさ
んに鍛えてもらっているのだ。どのような経緯でそうなったかは不明だが、別にやまし
いことは何もなかったようだ。ベルに限ってやましいことなどないとは思っていたが。
もし、これを報告したらヘスティア様は怒る。そしてベルはアイズさんとの訓練を止
﹁これは報告しない方がいいですかね。お互いのためにも﹂
め さ せ ら れ る だ ろ う。そ れ は 両 者 に と っ て 不 利 益 し か 生 ま な い。黙 っ て い れ ば ヘ ス
ティア様はこのことを知らずに済むし、ベルも訓練を続けてもらえる。
も訓練に参加させて欲しかったが、ベルのためにも自重することにした。
ヘスティア様に報告しないことを決意して私はホームへと戻ることにした。是非私
﹁そうしましょう﹂
月下踊る剣の獣
510
怪我が完治するまでダンジョンに行くのは禁止と言い渡された私は手持ち無沙汰に
なっていた。一般的な冒険者はあまり連日でダンジョン探索をしないと聞くが、この暇
な時間は何をして過ごすのか私には分からなかった。
武器の手入れをしようにも、何故かホトトギスは刃こぼれ一つ起こさないしいつの間
にか刃に付着した血もなくなってしまっているので錆びる心配もなさそうなのだ。
﹄
?
?
︵小さいのって⋮⋮まあ、そうですよ︶
ら
﹃なんで アゼルはこんなに斬りたいと想っているのに。あの小さいのに言われたか
沈み、夕方も過ぎ夜となっていた。
屋台で昼を食べながらぶらぶらと気が向くままに歩いた。そして、気付けばもう太陽が
今はホトトギスを腰に差して散歩をした帰りである。適当にオラリオを歩きまわり、
いことにした。
うになった。その理由ははっきりとは分からないが、話せるようになったので気にしな
そして、そのホトトギスはティオネさんとの戦闘の後から自発的に話しかけてくるよ
︵ええ︶
﹃今日は斬りに行かなかったのね﹄
511
流 石 に 一 人 で 喋 っ て い た ら 不 審 者 扱 い に な っ て し ま う の で 頭 の な か で 会 話 を す る。
私の頭に直接語りかけてくるように、私の考えたこともホトトギスは読み取ってくれる
らしい。
﹃そう、優しいのねアゼル﹄
果たして、これは優しさと言うのだろうか。私は自分に怪我をしているから休むべき
︵優しい、ですか⋮⋮︶
だという言い訳をしている。自覚してしまう程に、その考えは私の本当の気持ちではな
い。
ヘスティア様の言葉がなければ怪我をしていてもダンジョンに行ってモンスターを
斬りたい。だが、それなら私は何故ヘスティア様の言ったことを言い訳までして従って
いるのか。何度も自分の行いで傷付けているというのに。
﹄
︵私は、優しくなどない︶
﹃そう
?
ア様も、そうなのだろう。どう考えても、世間一般から見れば私の方が悪者になるのだ
お互いが傷付くことを知りながらも、私は戦うことを止められない。そしてヘスティ
付けたくないと思い︶
︵宙ぶらりんで中途半端で。それが一番非道いことだと知りながらも、傷付けるのに傷
月下踊る剣の獣
512
︶
何度も傷付き、その度に起き上がり、そ
刃はね何度も金属を叩いてできるのよ﹄
ろう。自分でも、そう思ってしまう。
﹃アゼル、知ってる
﹃だから、アゼルもそうなんじゃないかしら
︵それが、どうかしましたか
?
﹄
﹂
﹃あら
?
それはベルとアイズさんが訓練をしていた市壁の方角だった。
て跳んでいった方向を見る。
た。急いで上を見上げると星空を黒い影が四つ一瞬通り過ぎていくのが見えた。そし
ふと、甘い匂いを感じ取った。ホトトギスも何かを感じ取ったのか同じように反応し
?
﹁ん
傷付くほど、痛いほどに自分の望みを自覚する。
作るように、私は自分を傷付けてその度に強くなっていく、洗練されていく。傷付けば
しかし、ホトトギスの説明に私はどこか納得してしまった。鍛冶師が鉄を打って剣を
︵貴方は例外中の例外でしょう︶
﹃あら、私は剣であり剣士になれたわ﹄
︵⋮⋮私は、剣ではなく剣士ですよ︶
の度に強くなっていく。そして最後には一振りの刀となる﹄
?
?
513
﹃追いかける
﹄
︵ええ、力を貸してくれますか
﹂
︶
テイタス︼の︻魔法︼の欄にも︻スキル︼の欄にも出てこなかったのだ。
そして、それを可能とするホトトギスこそが﹃奇跡﹄なのだ。何故なら、この熱は︻ス
ならば、レベルの差を縮めてしまう程の身体能力も奇跡ではないだろうか。
私も、ヘスティア様もあの斬撃を︻ステイタス︼に依存しない魔法、奇跡と形容した。
身体中にめぐり力が溢れてくる。
ホトトギスの柄に触れる。そこから熱が伝わってくる。以前と違い、その熱は一瞬で
﹃アゼルが望むのなら、いくらでも﹄
?
?
た。それを見逃さず、私は一気に接近した。
な速度で走っていて差は縮まらなかったが、ある場所に到達すると彼等は立ち止まっ
今までの二倍かそれ以上の速度を出しながら建物の屋根を伝って走る。相手も相当
る。異常なまでに強化された視力で闇の中を走るその影を補足して追いかける。
地面を蹴って跳び上がる。建物の屋根に跳び乗り、黒い影が跳んでいった方向を見
﹁ふッ
!
﹁こんばんは﹂
﹁なッ﹂
月下踊る剣の獣
514
一人が接近した私に気付き持っていた槌で私を迎撃しようとしたが、私はそれを難な
く躱す。暗いから相手の狙いも悪かった上、今の強化された感覚でその攻撃を捉えるこ
とは簡単だった。そして、槌が振り切られたその時私はすでにホトトギスを抜き放って
いた。妖しい赤い光を灯した刃は槌を両断した。
﹂
手の位置が手に取るように分かった。
﹁こんばんは、フレイヤ様はお元気ですか
?
﹁斬ります﹂
心は剣士を殺すというのに。
悠然と四人の前に立つ。ああ、これはいけない。何故か、負ける気がしなかった。慢
﹁まあ、そんなことは本当はどうでもいいんです。取り敢えず﹂
﹁てめえ、アゼル・バーナムかッ﹂
﹂
の音が聞こえた。斧を振り回した時に乱れる空気を肌が感じた。僅かな匂いだけで相
の中で僅かな月明かりを反射する刃が見えた。突き出される槍の穂先が斬り裂く空気
しかし、視覚も聴覚も触覚も、そして嗅覚すらもがその攻撃を私に教えてくれる。闇
斧をそれぞれ携えて突然の襲撃にも関わらず一糸乱れぬ連携だった。
他の三人も私に気付き各々の武器を取り出しながら私に攻撃を加えてくる。剣、槍、
﹁なんだこいつッ
!
515
﹃斬りましょう﹄
ホトトギスは危険である。甘美なまでに私の願いを叶える。その力に身を任せてし
まいたいと思わせるほどに温かく、優しく私を包み込む。
│││深淵を覗きこむ時、深淵もまた貴方を覗き込んでいる
ええ、その通りでしたよリューさん。ホトトギスは私の欲しいものが分かっている。
だからこそ、こんなにも溺れてしまうそうになるのだ。
だから、脳の片隅で思い出すのだ。老師と交えた剣閃を、ベルが語ったお釈迦を、ヘ
スティア様が零した涙を。己を保つために、己を思い出す。
﹃そうでなくては。それでこそ相応しい﹄
ホトトギスの言葉を聞きながら私は跳びだした。
■■■■
︵くそッ、どういうことだ︶
︶
金髪の女剣士、アイズ・ヴァレンシュタインの剣戟を槍で巧みに弾きながらアレン・フ
ローメルは心の中で悪態を吐いた。
︵ガリバー兄弟め、どこ行きやがった
!
月下踊る剣の獣
516
パ ルゥ ム
ブ
リ
ン
ガ
ル
ガリバー兄弟とはアレンと同じくフレイヤ・ファミリアに所属する︻炎金の四戦士︼の
名を冠するレベル5の冒険者である小人族四人兄弟の名前だ。剣、槌、槍、斧の四つの
武器を扱う四人の冒険者は単体でも比類なき強さを発揮するが、その真骨頂は優れた連
携にある。連携したガリバー兄弟はレベル6すら圧倒する。
﹂
!
暗闇の中でも金に輝く双眸で睨まれるが、アレンも負けず睨み返す。そして、視界に
﹁邪魔をするのが俺の仕事だ﹂
﹁邪魔﹂
で槍を向ける。
アイズが退こうとするのを瞬時に見抜いたアレンは即座に壁を勝手後ろに回りこん
﹁行かせるかよっ
の作戦だった。今一番知りたいのはベルの実力なのだ。
そうさせないために、アレンとガリバー兄弟で囲み逃げさせないようにするのが本来
ない。
ネルの安全である。アレンとの戦闘を一時放棄してベルを助けに行っても不思議では
相手も自分を倒すために戦っているなら別だが、今の彼女にとって再優先はベル・クラ
アレンとて自分一人でアイズ・ヴァレンシュタインを抑えられるとは思っていない。
︵フレイヤ様の命令を無視するわけない︶
517
︶
建物の屋根の上から降りてくる壁を捉えた。
︵やっとか⋮⋮
︵誰だ⋮⋮ッ
︶
兄弟ではない。
して、まず気付いたことは小人族より身長が高いということだった。つまり、ガリバー
降りてきたことで少しだけ舞っていた埃も晴れ、その人物の全貌が明らかになる。そ
た。しかし、当然と言うべきかその一撃は弾かれた。
アイズも上から誰かが降りてきたのを察知し、一瞬の判断でその人物に斬りかかっ
?
︵嘘だろ
︶
﹁⋮⋮アゼル
﹂
﹁待ってくださいアイズさん、私です私﹂
!
?
ル・バーナムであった。
間ランクアップを果たした、女神フレイヤが興味を持つ冒険者の内の一人であるアゼ
降りてきた人物はベルと同じくヘスティア・ファミリアに所属する冒険者。ついこの
!
アレンの後ろにまた誰かが上から降りてくる。一人降りてくると続けざまにもう三
﹁ガリバー兄弟か﹂
﹁すまないアレン﹂
月下踊る剣の獣
518
人降りてきた。その全員が武器を持っておらず、身体も所々傷ができていた。
﹂
?
︶
?
それほどまでに異質だった。纏う空気が、携えた刀が、そして何よりもその目が。
つアゼルを前にすると何故だがアゼルがやったのだと納得してしまっていた。
ありえない。アレンの思考と経験はその答えを導き出している。しかし、目の前に立
﹁テメエ、何しやがった﹂
の続きをしましょう﹂
﹁あれ、アレンさんじゃないですか。こんばんは。追ってきて正解でした。是非あの時
ベル6相当の冒険者に敵うはずがない。
等と言っても良かったが、所詮はレベル2の冒険者だ。レベル5、しかも四人揃うとレ
たが、ガリバー兄弟を圧倒するほどの強者ではなかったはずだ。技術面だけを見れば同
アレンも過去アゼルと戦ったことはある。その時は油断していた故に傷を付けられ
︵あいつがガリバー兄弟を圧倒した
に場違いな他愛もない挨拶を交わしている。
アレンは視線をアゼルに向けた。アゼルは傷らしい傷もできていない。今はアイズ
﹁は
﹁あいつにやられた。油断していた。瞬く間に武器も全部斬られた。何者だあいつは﹂
﹁どうしたんだテメエ等﹂
519
アゼルの目は、夜空に浮かぶ月のように、この世で最も美しい銀色に染まっていた。
︵その色は︶
その色をアレンもガリバー兄弟も知っていた。自分たちが最も敬愛する女神の色で
ある、知らない訳がない。だからこそ、理解が不能であった。何故、眷属でもないアゼ
ルの目がその色に染まっているのか。そもそも何故眼の色が変わっているのか。
だが、アレンが理解したことが一つあった。
﹂
﹁おい、撤退するぞ﹂
﹁いいのか
■■■■
って、アゼル
﹂
!?
﹁おや、ベルにヘスティア様まで﹂
!
全員が悔しい顔をしてその場を去っていった。
﹁すまない﹂
なる﹂
﹁⋮⋮ああ。あれが何か分からない上、お前等でも倒せなかったんじゃこっちが不利に
?
﹁アイズさんッ
月下踊る剣の獣
520
アレンさんと小人族の冒険者達がその場を去ってすぐ、ベルとヘスティア様がやって
﹂
きた。どちらも肩で息をしているので走ったのだろう。ベルに関してはナイフを抜い
ているので戦っていたのかもしれない。
﹁はあっはあ。アゼル君はなんでここに
あ っ そ れ と 君 朝 僕 に 何 も な い っ て 言 っ た じ ゃ な い
﹁君 は 何 を し て る ん だ あ あ
!
!
﹂
う、うん、ありがとうございました﹂
!
﹁怪我はない
?
﹁うぇっ
﹁そうだったんですか。よかったですねベル﹂
﹁ううん。私が、言ったことだから﹂
﹁ベルがお世話になったようで﹂
頭を抱えて色々呟いているヘスティア様を放っておいて、私はアイズさんに向いた。
!?
だけですから。ヘスティア様に嘘を吐けないじゃないですか﹂
二人っきりで何をしてたかなんて分からないだろう
!
も、ももももしかしたらヴァレン何某がベル君を誘惑しようと⋮⋮﹂
﹁どこがやましくない、だ
﹁いえいえ、嘘じゃないですよ。私は、何もやましいことはありませんでした、と言った
﹂
か。あれは嘘だったんだな
!
﹁アイズさんを襲おうとしていた冒険者を逆に襲ってました﹂
?
521
アイズさんはベルを心配して彼の元へと歩いて行った。心配するアイズさんと心配
されるベルがどこか兄弟のように見えて微笑ましかった。
︵もういいですよホトトギス︶
﹃分かったわ﹄
ホトトギスに語りかけると瞬時に身体を巡っていた熱が収まる。高ぶっていた精神
も、一気に落ち着き、遅れてどっと疲れが襲いかかってくる。
﹁ぐっ⋮⋮﹂
壁に寄りかかり身体を休める。そのまま空を見上げ、夜空を照らす月を見た。銀色に
輝く美しい月だった。
何も考えずただ斬ることを、戦うことを望めばよかった。共に、一つの願いに向かっ
よかったのだ。
と共に、充実感が身体を満たす。自分の求めていた答えが返された。私はただ求めれば
ヘスティア様の気苦労は増える一方だな、と思いながらホトトギスを納刀する。疲れ
も、私の姿も。
れるとやはり驚く。バベルの塔の最上階から彼女は見ていたのだろう。戦うベルの姿
背筋がぞっとする程強い視線を感じた。慣れたと思っていたが、突然その視線に晒さ
﹁ッ﹂
月下踊る剣の獣
522
ていけばいいだけだったのだ。
だ、何時までも聞いていたくなるような声なのだから。
何故なら、ホトトギスの声は覚えのある銀の雰囲気を帯びているのだから。甘く澄ん
﹁ええ、とても﹂
﹃楽しかったわね、アゼル﹄
ら。
小さく呟く。その声が彼女に届くとは思わなかったが、それが私の本心だったのだか
﹁感謝しましょう、美の女神よ。これはきっと貴方のおかげなのだから﹂
いった。
アイズさんとベルの方も話し終えたのか、ヘスティア様と共に表通りへと向かって
﹁ええ、今行きます﹂
﹁アゼル君も、帰るぞ﹂
523
﹂
あの野郎がフレイヤのとこのガリバー兄弟をぼこぼこにしただあ
剣士と冒険者
﹁はあ
﹁はい﹂
﹁⋮⋮それホンマ
﹂
!?
﹄という張り紙をされた談話室へと足を運んだ。
!
アイズの情報にティオネ以外のメンバーは声を上げて驚いた。一人だけ驚いていな
納得したのはアイズにとって幸いだった。
闇討ち自体はよくされるので、今回は珍しくオラリオ内で襲ってきたと言うと全員が
がベルに稽古をつけていることは一切触れなかった。
聞いていた。ちょうどいいと思い、アイズは先程見てきた光景を話した。もちろん自分
て、ティオネとティオナのアマゾネス姉妹、ベートにレフィーヤまで座ってロキの話を
そこでは主神であるロキ、団長であるフィン、幹部であるリヴェリアやガレスに加え
トできるか会議やで
ある黄昏の館まで帰ってきた。そして、帰ると何故か﹃第一回どうやればアゼルをゲッ
フレイヤ・ファミリアの冒険者に闇討ちされたアイズはロキ・ファミリアのホームで
?
?
﹁見た限りでは﹂
剣士と冒険者
524
いのを不審に思ったフィンがティオネに聞いた。
﹁ティオネは驚かないんだね﹂
﹁あの時のあいつならできるんじゃないかと思いまして﹂
﹁そういやティオネは二日前アゼルとバトったんやったな。そない凄かったんか
﹁恐ろしい
どうしてだい
﹂
?
﹁⋮⋮もし、成長じゃないとしたらどや
例えば魔法とか﹂
だ。その上レベルを3つ上げるような効果があるなど、ありえない﹂
﹂
﹁そ れ は あ り え ん だ ろ う。レ ベ ル を 上 げ る 魔 法 は 確 認 は さ れ て い る も の の か な り 稀 少
ではなく何かしらの技または魔法であるという可能性。
ある可能性をロキが提示する。つまり、アゼルの見せた異常なまでの身体能力は成長
?
んて﹂
るなんて。私達の積み重ねてきた努力を嘲笑うかのようにもの凄い勢いで成長するな
﹁だって、おかしいじゃないですか。レベル2のはずなのに、レベル5の動きについてく
?
﹁まるで底が見えなかった。確かに、凄かったけど。私はむしろ恐ろしいと思いました﹂
上げる度に同じように速度を上げてくるアゼルの動き。
ティオネはその時のことを思い出すように目を閉じた。迫り来る剣閃、自分が速度を
﹁凄い、ね﹂
?
525
魔法の専門家であるリヴェリアがその可能性を即座に否定する。
﹁仮にあったとしても、そう安易に他人に見せる魔法じゃない﹂
﹁確かになー⋮⋮じゃあ、なんやろ﹂
﹁ま、まさか強化種とかじゃ﹂
恐る恐るレフィーヤが残された可能性を口にする。現在ロキ・ファミリアが敵対して
いる地下勢力に存在を確認された人ならざる人、人の形をした化物を彼等は﹃強化種﹄と
呼んでいる。その身体に魔石を埋め込み、常軌を逸した回復力と膂力を発揮する化物
だ。
﹁それはないよ、だってアゼル怪我してたもん﹂
しかし、その可能性も怪我をしているアゼルを見たティオナによって否定される。レ
﹁で、ですよね﹂
﹂
?
フィーヤはむしろ否定されたことに安堵した。
﹁結局、ここで考えていては分からんのではないだろうか
私が行く
﹂
!
いにいけると思って喜んでいる。
嬉しそうにその提案をしたのはティオナだった。次は自分と約束したので、自分が戦
﹁やっぱり戦って確かめるしかないよ
!
﹁んー、ガレスの言う通りやけど⋮⋮教えてって言うと教えてくれるわけないし﹂
剣士と冒険者
526
﹁戦うんは、まあ、問題やけどアゼルは気にせえへんやろうしむしろ嬉々として戦ってく
れそうやけど⋮⋮そうやな、アゼルを誘う形でいってみよか﹂
﹂
﹁つまり、今は暇だから一緒に訓練しよう。でも主神に言わないのが条件、と言うのか
527
には一石二鳥やん
やっぱうちは天才やな
﹂
!
﹁私
私私ッ
﹂
!
同じ剣士やし﹂
?
アイズさんは私と訓練してくれる約束してるんですからッ﹂
!
﹂
?
﹁ハッハッハ
難しく考えるのは苦手なのでな
!
﹂
﹁リヴェリアは頭ええけど、アゼル相手じゃ無理やし⋮⋮ガレスは逆やな﹂
﹁ねえ、私は
﹁だ、だめです
﹁アイズがいいんちゃう
ティオナがぴょんぴょん跳ねながら手を挙げる。
!
アゼルの主神に知られたら何を言われるか分かったものじゃない。
神は見ての通り軽い気持ちでしているのだ。確かにアゼルは気にしないだろうが、もし
米上を抑えながらリヴェリアは溜息を吐いた。割りと無理なことをしているのに主
﹁はあ⋮⋮で、問題は誰が戦うかなのだが﹂
!
﹁そんな感じや。強いやつと戦えてアゼルにも得、恩も売れるし見極めもできてこっち
?
!
﹂
エルガルム
ガレス・ランドロック、
︻重 傑︼の二つ名で呼ばれる有り余るパワーで敵を粉砕する重
戦士である。
﹁ねえ、私│
﹁えええええええええええ
﹂
﹁ティオナ、じゃ戦っても楽しんで観察できへんやろうし。フィン、頼むわ﹂
言った。
ロキもその決断を本当はしたくなかったのか、溜息を吐きながらその人物の名前を
﹁しゃあないな⋮⋮ホンマはそんなよくないんやけど│││﹂
!!
!!
合を嘘偽りなく報告して、今日も目出度く留守番を言い渡された私は昨日と同じく散歩
フレイヤ・ファミリアの冒険者と戦った翌日。朝起きてからヘスティア様に怪我の具
■■■■
た。
言われティオネに頭を叩かれたティオナは、意気消沈してそのまま部屋へと帰っていっ
ティオナの叫び声にかき消されながらフィンは返事をした。すぐさま近所迷惑だと
﹁⋮⋮分かったよ﹂
剣士と冒険者
528
をしていた。
そんな私に意外な人が声をかけてきた。
パ ルゥ ム
﹂
?
﹁ええと、はい
﹂
まって、相手を探してるんだけど。アゼル君、どうかな
?
﹂
﹁実は今日はオフを貰っていてね、暇なんだ。他の面子は各々の訓練でいなくなってし
まぐれで私に話しかけるとは思えない。
話しかけたのではないかと考える。というより、フィンさんのような忙しそうな人が気
何かを考えるように目を閉じて考えるフィンさんを見て、実は何か目的があって私に
﹁そうか⋮⋮﹂
された次第です﹂
﹁ええ、殆ど治ってはいるんですが。まだほんの少し痛むので主神から留守番を言い渡
﹁いいさ、彼女たちも好きでしたことだ。怪我の調子は大丈夫かい
﹁先日はティオネさんとティオナに助けられました。ありがとうございました﹂
ような身長だが、第一級冒険者である。きっと凄く強いのだろう。
ロキ・ファミリアの団長であるフィンさんだった。小人族であるフィンさんは子供の
﹁えっと、おはようございます、フィンさん﹂
﹁やあ﹂
529
?
﹁もちろん主神には秘密にするのが条件だ。見たところ武器も持っているようだし﹂
﹁⋮⋮﹂
フィンさんの申し出に驚きながらも、私の中で返事など出ていた。
﹁じゃあ、行きましょうか﹂
第一級冒険者が訓練をしてくれるなど早々ある機会ではない。その機会を活かさな
い手はいかない。
﹂
﹁そ れ に し て も い い ん で す か 私 な ん か よ り テ ィ オ ネ さ ん と 過 ご し た ほ う が い い ん
じゃないですか
?
コンバート
﹁私、 改 宗はしませんよ ﹂
け激しく周りを壊しても文句を言われないのもダンジョンの良いところである。
そうして私はフィンさんに連れられダンジョンへと向かって歩いて行った。どれだ
?
?
﹁そうかい。言っておくけど、ロキはしつこいよ
﹁説得してくださいよ﹂
﹂
﹁まあ、将来の仲間の実力を知っておきたくてね﹂
?
﹁それは無理というものさ﹂
剣士と冒険者
530
﹁さて﹂
ダ ン ジ ョ ン 5 階 層 の 奥 の 方 に あ る 大 き な 空 洞 へ と や っ て く る。そ こ に い た モ ン ス
ターをフィンさんが数秒で残滅し、その後壁を破壊し始めた。最初は意味が分からな
﹂
かったが、壁を壊しておくと壁が再生する間モンスターが産まれないらしい。
﹁じゃあ、始めようか﹂
﹁組手形式でいいんですか
私が向かってこないことを見るとフィンさんは構えた状態から更に踏み出すために
﹁そちらから来ないなら、僕から行かせてもらうよ﹂
見える。
間見る。まったく隙がない。飛び込めばそのままカウンターを食らって負ける未来が
その状態のまま数秒、そして数十秒が経つ。目の前にして漸くフィンさんの強さを垣
て、意識をホトトギスを抜き放つ右手に向ける。
静かに集中していく。フィンさんと戦えるという興奮を抑えこむように深呼吸をし
﹁それを聞いて安心しました﹂
﹁この槍はスペアだから、気にせずかかってきていい﹂
そう言ってフィンさんは槍を構えた。私もそれに応じて構えを取る。
﹁ああ、僕は刀剣類に関しては詳しくないからね﹂
?
531
フトゥルム
脚へと力を込めた。目に魔力を注ぎ︻未来視︼を発動させ未来を見る。視界には飛び込
んで槍を突き出すフィンさんの姿が映る。
﹂
もう一度構える。
﹂
そのことを不思議に思いながら、そういえば組手だったと思い出す。呼吸を整えて、
なく避けられ、フィンさんは一度後退した。
左に倒れこむように回転させ突きを避けながら左足で後ろ蹴りを放つ。その蹴りも難
次に襲いかかってきたのは槍の真骨頂である突き。弾かれた勢いを殺さずに身体を
フィンさんが槍を巧みに振り回し柄の後ろ半分、石突付近で左に弾かれる。
空振りに終わった一刀目から切り返し、二の太刀で追撃をする。しかし、その斬撃も
難しいはずの斬撃を的確に捉える恐るべき動体視力だ。
たる直前、フィンさんは穂先を少し下に向かせて軌道を逸らしたのだ。目で捉えるのも
しかし、その一刀目はフィンさんの突き出した槍に掠ることもなかった。刃が槍に当
﹁シッ﹂
を走らせる。
槍の軌道に合わせて一刀目を抜き放つ。狙いは槍の先端部分、穂の下辺りを狙って刃
﹁ハアッ
!!
﹁それは、君の本気かい
?
剣士と冒険者
532
﹁⋮⋮ええ﹂
ホトトギスの力を抜きに考えれば今日の調子はすこぶる良い。昨日ホトトギスの力
を使って分かったことなのだが、あれを使うと凄く疲れる。あの後ホームに帰って私は
倒れるようにソファで寝た。朝起きて心配されるほどだ。
しかし、試したい気持ちはある。
﹂
?
﹁秘密にしてください、と言っても無駄なんでしょうね﹂
﹁僕も、久しぶりに好奇心が抑えられなくてね﹂
そして、私はレベルを無視するような力を見せてしまった。
ことじゃない。
叶わない。第一級冒険者であるフィンさんが更なる強さを求めるのはなんら不思議な
求める者、力を求める者と目的は人によって様々だ。だが、結局強さなくしてそれらは
冒険者は皆力を求めている。より深くダンジョンに潜るため。金を求める者、名声を
﹁それが目的ですか
﹁その前はティオネと善戦したと本人から聞いたよ﹂
﹁もしかして﹂
じゃないか﹂
﹁昨日、アイズがフレイヤ・ファミリアの冒険者に闇討ちされるのを助けてくれたらしい
533
構えをといて自然体になる。溜息を吐きながら、自分が実は大きな過ちを犯している
んじゃないかと考える。考えるが、もう止められはしない。そもそも見て私が何をした
のか理解できるとは思えないが。
﹂
﹁アイズとティオネの言っていることが本当なら、ここからは先は組手じゃ済まないか
な
臓へと到達する。一際強く心臓が脈動するのが分かった。
考えれば想いが伝わる。ホトトギスから熱が伝わってくる。身体中を巡り、やがて心
﹃ええ、斬りましょう﹄
︵いきますよ、ホトトギス︶
見逃さないためだろう。しかし、別段モーションが必要なことじゃないのだ。
笑いながらもフィンさんは私を睨むかのように見ていた。きっと私が何をするのか
﹁ははは、流石に殺しはしないさ﹂
﹁ええ、そうですね。フィンさんも遠慮しないで、それこそ殺す気でやってください﹂
?
かっていても、この力に身を任せたくなる。
にその良さを確認し、何度も何度も使いたくなる。例え身体に多大な疲労を残すと分
麻薬を使ったことはないが、きっとこんな感じなのではないだろうかと思う。使う度
﹁ああ﹂
剣士と冒険者
534
だが、剣に振られる剣士ほど滑稽なものはない。意識的に己を保つことを忘れない。
そんなことをしていられるほど目の前の冒険者は甘くないだろうと思いながらも、私は
ホトトギスの誘惑に抗う。
■■■■
そもそも、何故ロキは団長であるフィンにアゼルの相手を頼んだのか。本来であれば
もう少し位の低い団員に頼みたいところだったのだが、話に聞くアゼルの相手をできる
面子は限られる。その上戦いながらアゼルの行動を観察するほどの余裕がなければい
けない。
そして、もう一つ。ロキはアゼルが﹃強化種﹄である可能性を捨て切ってはいなかっ
た。﹃強化種﹄とはロキ達にとって未知の存在であり、怪我が治らない個体がいてもおか
しくない。だからこそ、何事にも対処できるフィンを起用した。
いた。
度を付けて弾くことが思いの外苦行ではあったものの、先程までは余裕を持ってできて
激しい火花と共に迫る刃を槍で弾く。決して刃を交えてはいけないことを念頭に、角
︵これはッ︶
535
︵まだ速くなるのか
︶
︶
ンもギアを少しずつ上げていく。
想していたが、話に聞くのと実際に体験するのとでは雲泥の差があった。そして、フィ
ティオネの言っていた恐ろしいという感覚をフィンは漸く理解する。ある程度は予
︵これは、確かに悪夢のようだな︶
斬撃は速くなる一方だった。
上した身体能力で踏み込み斬りこんできたアゼルの刃を弾いたことを発端にアゼルの
フィンがアゼルに本気を出せと伝えた直後、まるでランクアップをしたかのように向
しかし、現在はそれも難しくなりつつあった。
!
!
だが、攻撃のすべてがアゼルによって回避されていく。まるで幽霊でも相手にしてい
を使って攻撃を弾き、逸らし、そして反撃をする。
最初の頃とは比べ物にならない速度で槍を振り回す。穂と石突そして柄、槍のすべて
だからこそ、目の前の未知を知りたくなった。目の前の剣士と戦いたくなった。
本来の目的を忘れさせるほどにフィン・ディムナという存在を魅了した。
張感を、仲間と共に戦う喜びを、未知を知っていく楽しさを愛していた。それは、彼の
フィン・ディムナは正しく冒険者であった。彼は冒険を好んだ。危険と隣合わせの緊
︵本当に、君は面白い
剣士と冒険者
536
るような感覚をフィンは覚えた。どこに攻撃をしても、まるでそれを分かっていたかの
ように人間の反応を越えた早さで察知して避けられている。
︵それもまた、君の力か︶
本当に、底が知れない。そして、何よりもアゼルの笑みを見てフィンは震えた。
アイズが認めるほどの剣の腕を持っている。ティオネが恐ろしいと感じるほどの身
体能力を持っている。フィンが舌を巻くほどの回避能力を持っている。しかし、そんな
こと関係なくアゼル・バーナムは正しく剣士であった。
・
・
・
どんな戦いでも、自らの剣を信じてすべての敵を打倒する。それを生き甲斐とする剣
の申し子であった。
おかしいほどの能力を有しているから見極めたい
そんなこと
そしてフィンも自らの心が震えているのを自覚し始めていた。仲間になるからその
︵ああ、これはまずい。楽しくなってきてしまった︶
実力を知りたい
純粋に、アゼルとの戦いを楽しみたいと思い始めてしまっていた。
はどうだってよくなっている。
?
まりはファミリアの頂点であるフィン・ディムナは誰よりも強いのだ。
いるというような印象を持たれがちだが、それだけじゃない。ロキ・ファミリア団長、つ
ロキ・ファミリアの団長ともなると理知的で冷静、いつでも余裕を持って状況を見て
?
537
強者になればなるほど、心が振るえるような戦いを好まない冒険者はいない。戦いを
好まない冒険者は、真に冒険者ではないのだから。
│││これ以上やると殺してしまいかねない。
﹁だから、終わらせよう│││﹂
それがフィンの決断であった。相手が他ファミリア、しかもまだまだ成長途中の冒険
者であることを忘れてはいけない。アゼルにはまだまだ成長の余地があるのだ。もっ
と強くなったアゼルと戦いという思いが芽生えた。
﹂
だからフィンは本気を出した。一瞬で決着を付けるために。
﹁フッ
﹂
フィンの残像だった。
急停止、更に方向転換をしながら走りだす。アゼルは刀を振るったが、斬り裂いたのは
動きを的確に捉えていた。その事実にまた心を震わせながら、フィンは地面を踏みしめ
人の域を越えた踏み込みは、瞬間移動のように見えるだろう。しかし、アゼルはその
!
!
測しながら寸分違わず鳩尾を突いた。
向いて迎撃をしようとしたが時既に遅し。フィンは石突で振り向くアゼルの動きを予
次に姿を表したのはアゼルの背後だった。一瞬でそのことを知覚したアゼルは振り
﹁本当に恐ろしい
剣士と冒険者
538
﹁ぎッ﹂
鳩尾を突かれて一瞬呼吸をできなくなり気をアゼルは気を失うようにして地面に倒
れた。その事を確認したフィンは取り敢えず安堵した。
た。
!!
﹁殺させはしない﹂
銀色に染まっていた。
鬼のようにアゼルは立ち上がった。その瞳は未だ銀色に、つい先程までより一層美しい
ありえない、そう思いながらも目の前の現実はそれを否定した。ゆらりと、まるで幽
﹁ふふふ﹂
﹁嘘、だろう﹂
筋に氷を突っ込まれたかのような殺気をその身に浴びた。
考え事を中断してフィンは槍を構えた。否、反射的に構えてしまっていた。まるで背
﹁│││ッ
﹂
で特徴と言えば、目が銀色になっていたこと。組手をしていた時は銀ではなく、翠だっ
ティオネの時と違い意識的に身体能力の強化していたということだろうか。それ以外
相手をしたフィンでも何が起こったか理解できなかった。ただ一つ言えるとしたら、
﹁⋮⋮ロキにはなんと報告しようか﹂
539
﹁なに
﹂
けがないと思っていたフィンの予想は当たっていた。
槍の先端部分が予想通り斬り捨てられた。手で金属を斬り裂くのだ、刃で斬れないわ
﹁しまっ﹂
ありえない状況に追いつかない思考を放棄して刃を受けた、受けてしまった。
﹁くッ﹂
ろ先程より僅かに速くすらも感じられた。
気絶させたはずなのに、アゼルの踏み込みの速度はまったく衰えていなかった。むし
﹁│││貴方を斬るわ﹂
らかにレベル2の冒険者の存在感ではなかった。
じたフィンは戦闘態勢になる。ぞくぞくと悪寒を感じる背中には嫌な汗が流れる。明
アゼルの口から紡がれる言葉に違和感を覚えながら、殺気が一気に膨れ上がるのを感
﹁アゼルは、私たちに必要だから。だから│││﹂
?
﹂
?
会話が噛み合っていない。しかし、フィンはなんとなく状況が飲み込め始めていた。
﹁やっぱりアゼルしかいない。私達の担い手に相応しいのは、アゼルしかいない﹂
﹁君は、誰だ
﹁ああ、やっぱり素晴らしいわ﹂
剣士と冒険者
540
明らかに、雰囲気が違うアゼルを見て飛躍した結論に至る。
二重人格か、それとも。いや、それは今重要じゃないな︶
?
﹂
!
何故か意識を保っていたアゼルにとどめの踵落としを頭に落とす。痛みに苦しんで
﹁沈め
﹁ぎぃ、ぐぅぁ﹂
しかし、それでも。
介なので容赦はしなかった。
そしてもう一度鳩尾に、今度は自らの拳で一撃を叩き込む。また立ち上がられては厄
﹁│││許してくれ﹂
懐に入り込んだのだった。
だから、それに抗うことをやめた。フィンは斬られる槍を手放して、素手でアゼルの
して武器破壊を狙っていた。
ンに対処するために刀を振るう。フィンの予想通り、アゼルの刃はフィンの突きを予測
槍を反転させて石突を前にして構え、そして跳び出す。アゼルも真正面から来るフィ
﹁すまないアゼル君。少し痛いかもしれないが│││﹂
アゼルをもう一度戦闘不能にさせることだ。
フィンは思考を巡らせようとするが、それを中断する。何よりも先決なのは目の前の
︵もう一人いるのか
541
いたアゼルはその一撃を避けることは叶わず、そのまま地面へと物凄い勢いで倒され
た。
自分の踵落としで若干凹んだ地面を見てフィンはアゼルの無事を確かめ始めた。今
﹁⋮⋮ちょっとやり過ぎたかな﹂
ポーション
エリクサー
度こそ、気絶したことを確認してからフィンはアゼルの治療を開始した。もちろん負わ
せた怪我は回復薬ではなく、より高い万能薬で跡形もなく治療した。
■■■■
﹂
﹁うっ⋮⋮あれ、私は⋮⋮﹂
ああ、そう言えばフィンさんと訓練をしていて⋮⋮﹂
﹁目が覚めたかい
﹁フィンさん
?
﹁すまないね、少し熱くなりすぎて﹂
?
﹁気絶したんですか、私﹂
アになっていき、何をしていたのかを思い出す。
眠りから覚めるように、ゆっくりと覚醒していく。ぼやけた視界と思考が徐々にクリ
﹁あ、いえ。こちらこそ、すみませんでした﹂
剣士と冒険者
542
﹁ああ、言葉じゃ止まりそうになかったからねお互い﹂
﹂
?
︶
?
そしてフィンさんが手に持った槍を見て何かが引っかかった。よく観察すると槍の
︵ん
そうして私を先導するようにして歩くフィンさんの後ろを歩く。
﹁そうですね﹂
﹁さて、じゃあ帰るとしようか﹂
がらせてくれた。思っていたよりも体力が回復していて、ふらつかずに立ち上がれた。
そう言ってフィンさんは立ち上がった。横になっていた私に手を差し伸べて立ち上
﹁ああ。どうせ教えてはくれないだろうしね﹂
﹁しないんですか
﹁それは本来修行でどうにかなるものじゃないんだが。まあ、詮索はしないでおくよ﹂
﹁私もまだまだでした。フィンさんの動きに付いて行くのがやっとでしたから﹂
﹁有意義な訓練だったよ。僕もまだまだ修行が足りないようだ﹂
ファミリアの人達に返しきれないほどの恩がある気がしてきた。
そう言ってフィンさんは回復薬が入っていたであろう瓶を仕舞った。なんだかロキ・
﹁気にしなくていいさ。怪我をさせたのは僕だからね﹂
﹁はっはっはっ、確かに。というか怪我が全部治ってるんですが﹂
543
先端部分がなくなっていた。断面から見るに斬られたようなのだが。
︵斬った覚えがないんですが、私︶
﹂
﹄が談話室の扉
気付かないくらい熱中していたのだろうという結論にして、私はそのことを忘れるこ
とにした。
■■■■
﹁もう一人ぃ
﹁ああ、そうとしか言えない﹂
昨日に続けて﹃第二回どうやればアゼルをゲットできるか会議やで
﹂
わんばかりに眉を釣り上げていたベートだった。
メンバーは昨夜と同じだ。フィンの報告にいち早く反応したのは、信じられないと言
に貼り付けられたその日の夜、フィンはその日起きた事をロキに報告した。
!
?
?
﹁確かに意識がないと人格の入れ替えは起きないようにも思えるが⋮⋮私達の中に二重
ているのは果たして二重人格なのかな﹂
﹁いや、僕もその可能性を考えたんだけど。気絶させたのに起き上がって人格が変わっ
﹁つまり二重人格と言うことか
剣士と冒険者
544
人格者がいるわけじゃないから確証はないな﹂
﹂
﹂
提示された可能性について真剣に審議をするリヴェリアとフィン。その二人の議論
あはははははっは
を中断させたのはロキの笑い声だった。
﹂
﹁くっくっくっくく、くはっ
﹁何が面白い
﹂
﹁ひー、ひーっはっは。いやあ、ホンマ下界はおもろいなあ
!
答えだったが、確かに気絶しても戦えたアゼルの説明はつく。
ロキの導き出した答えに全員が息を呑んだ。論理もへったくれもない、飛躍しすぎた
﹁そう、つまりは二重人格なんかやなくて、魂の共生やな﹂
﹁でも、それは﹂
ゼルが二人いるんちゃう、アゼルの中にほんまにもう一人いるんや﹂
アゼルが持ってるんは二つ目の意識、アゼルとは別の、せやな魂って言ってもええ。ア
﹁フィンの言ったとおり、二重人格やと説明がつかん。やったら二つなんは人格やない。
﹁聞かせてくれ﹂
﹁まあ、うちの考えも可能性の一つでしかないんやけど﹂
突然笑い出す主神に不本意ながら慣れてしまったリヴェリアがロキに聞いた。
﹁もしかして、分かったのか
?
!
?
!
545
﹁で、でも、そんなことが本当に可能なんでしょうか
﹁心当たりがあるのか
﹂
﹂
﹁せやろなー。ドチビにそんなことはできへんやろうし⋮⋮チッ﹂
﹁そうなると、どこかで何かしらの神が関わってるんじゃないかな﹂
ロキがその結論を出したのだ、きっと本当に可能なのだろう。
神
けど﹂
﹁可能か不可能で言ったら、可能やと思うで。まあ、できるかはやってみないと分からん
?
の人間が魅了され骨抜きにされている中、アゼルは血まみれになりながらも自意識を
アゼルがフレイヤと対峙したであろう現場に、すべてが終わった後ロキは訪れた。他
︵そういやアゼルは魅了されてなかったなあの時。目付けられるには十分な理由やな︶
ミリアの主神だった。
ロキが思い浮かべたのはオラリオで唯一ロキ・ファミリアと同格として扱われるファ
﹁まあ、一人だけな﹂
?
がもう一つあるからって強くなるものなの
?
﹂
保っていた。何らかの方法でフレイヤの魅了を跳ね除けたのだろうとロキは予想した。
意識
?
?
説明はするが、異常な身体能力の説明にはならない。
ティオナは思ったことを率直に言った。魂の共生は気絶しても戦い続けたアゼルの
﹁でも、魂
剣士と冒険者
546
﹁確かにそうじゃな﹂
﹂
!
﹁人ならざるもの
﹁ああ﹂
﹁⋮⋮団長﹂
﹂
僕が。数多くのモンスターを倒し冒険をしてきた僕が、レベル2の冒険者にだ﹂
﹁あの時、僕は恐怖したんだ。ロキ・ファミリアの団長、レベル6の第一級冒険者である
した。
フィンのことを愛するティオネですら明らかに訝しむその発言に、ロキは説明を要求
?
?
﹁どうしてそう思うんや
﹂
﹁もし、人ならざるものの魂だったらどうかな﹂
殺気と、本能が恐れを感じる異様な雰囲気を思い出す。
フィンは気絶した後のアゼルと対峙した時のことを思い出した。底冷えするほどの
﹁もし﹂
いつものようにいがみ合いを始める姉妹をよそにフィンが話し始める。
﹁そのまんまよ﹂
﹁私にしてはってどう言う意味
﹁ティオナにしては良い指摘ね﹂
547
﹁あれはまるで│││﹂
そしてフィンはロキを見た。
神々
デ ウ ス デ ア
その一言にロキを除く他のメンバーは息を呑んだ。それもそうだろう、神は超越存在
﹁│││君達と対峙しているように思えるほどだった﹂
であるからこそ神。人からその感想を感じることなど、本来あってはならないことだ。
しかし、ロキだけは口角を釣り上げ笑みを深めるのだった。この世にまだ自分が知ら
ないことがあるのだと、その可能性を示す子供がいるのだという事実に彼女は心を踊ら
せた。
なりあい、やがては。
深淵を覗きこむ時、深淵もまた彼を覗き込む。そして、彼等はお互いに引かれ合い、重
在を己の中に取り込むことで尋常ならざる力を発揮しているということ。
の存在が、一滴とは言え神の血でできた存在だということを。そして、アゼルはその存
彼等は知らない。アゼルの持つ妖刀に宿るもう一つの存在がいるということを。そ
﹁ハッ、昔もおったな、数々の試練を乗り越えて、神々の座に加えられた傑物は﹂
剣士と冒険者
548
相対する剣士と最強
・
廃教会の地下室から地上部分へと出る。まだ朝も早い時間で空気はひんやりと冷え
こんなこと今まで一度もなかった。何かが起こる気がした。
・
静かにソファから立ち上がり、ホトトギスを持って私は地下室から出ることにした。
﹁呼んでいるんですかね﹂
なった。
ということで今日から念願のダンジョン探索復帰なのだが、どうも雲行きが怪しく
ある。
の情報は死守した。そして、怪我は完治したもののもう一日留守番を言い渡されたので
を見抜いたヘスティア様に訓練をしていたことを白状させられた。なんとかその相手
フィンさんと戦ってから二日が経つ。結局、あの日は服の汚れから何かしていたこと
その視線はすぐ近くから浴びせられたものだった。
遠くオラリオの中心に聳える塔の最上階からその視線を感じるのだが、今朝は違った。
その視線を感じて、私は飛び起きるようにして目を覚ました。何時もであれば、遥か
﹁ッ﹂
549
ていた。教会の扉の外、すぐそこに彼女の存在を感じた。
ゆっくりと歩き扉を開けて外へと出る。
美しかった。オラリオの廃れた部分にあるこの廃教会は、当然周りも埃だらけの廃れ
﹁おはよう、アゼル﹂
﹂
た場所だ。それでも、その女神が立つだけですべてが美しく見えた。
﹁ふふ、そんな怖い顔をして。どうしたの
﹁⋮⋮何の用ですか、女神フレイヤ﹂
助けもあり意識的に異常を断ち切ることが可能となっている。
の魅了を断ち切ることができる。今までは本能でそうしていたが、現在はホトトギスの
きっと、私以外の人間が見ていたらそのまま魅了されていただろう。しかし、私はそ
?
﹂
﹁やっぱり、魅了されないのね。素敵よ﹂
﹁そんなことを言うために来たんですか
?
﹁はあ⋮⋮まあ、いいわ。そう言えばあの子達がとっても悔しがっていたわ。闇討ちを
の程度で会いに来るほど彼女も暇ではないだろう。
会いに来た理由は思い付かない。もしかしたらこの前の闇討ちの件かもしれないが、あ
ころころと笑う女神を前に私は思考を働かせていく。しかし、いくら考えても自分に
﹁もう少し話を盛り上げるということを覚えたほうがいいと思うの﹂
相対する剣士と最強
550
しに行ったら逆に討たれたって﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そう言えば、アゼル。貴方、今オッタルがどこにいるか知っているかしら
﹁いえ、まったく﹂
﹂
?
﹂
﹁ふふ、興味あるのね
?
﹂
﹁早く場所を教えて下さい﹂
?
﹁場所は
から、もうこの高ぶりは誰にも止められない。
﹂
起きた瞬間から感じていたこの予感。フレイヤが現れた意味。それを理解した瞬間
闇討ちという言葉を聞いてすべてが分かった。
線が繋がった。フレイヤの言っている事が脈絡がないと思っていたが、ダンジョンと
狙うの。モンスターにやられたことにできるから﹂
﹁この前の闇討ちは珍しく地上でしたけど、普通闇討ちする時はダンジョンにいる時を
﹁はあ、それが何か
﹁今ねオッタルはダンジョンにいるの﹂
くて心が落ち着かない。
そうよね、と言いながらフレイヤはまたしても微笑んだ。その微笑みがいちいち美し
?
551
﹁はあ⋮⋮妬けちゃうわ。本当にオッタルってば﹂
﹁早く教えろと│││﹂
﹂
答えないフレイヤに思わず声を荒げて詰問しようとした瞬間、彼女の指が私の口に触
れた。
えるように鋭い刃が斬り裂く。
その言葉を聞いた瞬間、私はホトトギスを抜き放った。ひんやりと冷えた空気を、凍
﹁待てができない子には教えられないわ、ふふ﹂
﹁なら、早く教えて下さい﹂
女神に触れられたその甘美な感覚に身が震えた。
否応なしに顔が熱くなった。まるで母親に諭されているようにも思えたし、何よりも
﹁そんな大声を出したら皆起きちゃうわよ
?
﹁ふふ、この刀役に立っているみたいね﹂
刀が、ホトトギスがフレイヤを攻撃することを拒んでいる。
から熱を感じることに気付いた。
何か大きな力に止められているかのように動かなくなった。そして、僅かにホトトギス
しかし、それは彼女に当たる寸前で止まった。動けと腕を動かそうとしても、まるで
﹁│││なッ﹂
相対する剣士と最強
552
フレイヤは動かなくなったホトトギスに触れた。優しく、愛でるようにその刃を撫で
た。ホトトギスの人格は、フレイヤのそれに似ている。その訳を今まで理解していな
かったが、次にフレイヤがした行為で理解した。
フレイヤはその刃に指を宛てがい、僅かに指に傷を作りホトトギスに血を吸わせた。
フレイヤは頬から指を動かしていく。赤い血の跡が頬から口へと描かれる。その跡
﹁だからね、アゼル﹂
ができる。
れをもっと吸えばもっと強くなれる。この身を、この剣を更なる高みへと至らせること
ゾクリと背筋が震えた。ホトトギスの力の源がフレイヤの血だったと言うのなら、そ
﹁もしオッタルに勝てたら、貴方の好きなだけ血をあげるわ﹂
それを避けることができなかった。
傷のできた手でフレイヤは私の頬を撫でた。未だ固まって動けなくなっていた私は
﹁ねえ、アゼル﹂
この世の存在を超越した神々の血が奇跡を成した、その結果がホトトギスなのだ。
かったのか。すべては彼女の血が起こしたことだったのだ。
何故、ホトトギスという思念に人格ができたのか。何故、その人格に抗うことが難し
﹁そういう、ことか﹂
553
が熱い、どうしようもなく熱かった。
﹁頑張って足掻いてごらんなさい﹂
その瞬間、まるで灼熱で身を焼かれるような感覚を覚えた。それは、今まで感じてい
﹂
たホトトギスの力とはまるで違う、言葉通り身を壊すような力の奔流だ。ホトトギス自
身も制御できないのだろう、濁流のごとく身体の中を熱が暴れる。
﹁オッタルは今9階層にいるわ。貴方なら匂いで場所は分かるでしょう
﹁ぐぅッ⋮⋮あぁッ﹂
?
動機が収まらない胸を抑える。それどころか一拍毎に速くなっていく。それでも、彼
女の言葉はしっかりと耳に入り理解できた。
その言葉を聞いた瞬間、私は走りだしていた。
﹁さあ、走りなさい。今回も私を楽しませて頂戴﹂
■■■■
﹃分かってるんだろうリュー
もう、俺達は助からない﹄
﹃行けよ、オメエはここで死んでいいような女じゃねえだろ﹄
﹃生きてリュー。私達の分まで﹄
相対する剣士と最強
554
?
暗闇の中、ただ彼等が死に際に呟いた言葉の数々を思い出していた。あの日から繰り
返し見る夢、悪夢でありながら彼女が彼等との繋がりを確認できる唯一の機会。
彼等の遺体が野ざらしにされていることは許せなかった。
は、一刻も早く逃げなければいけない状況で仲間達の遺体を18階層の地面に埋めた。
それが彼女の最後の言葉だった。仲間達が庇ってくれたおかげで無事だったリュー
ンが私達の希望になって﹄
﹃腐らず、曲がらず、曇らず。いつもの幸せそうに光り輝くリュー・リオンでいて。リオ
女は笑っていた。まるでいつだって希望があるように、彼女は諦めなかった。
えだった。しかし、その顔の笑顔は絶やさない。どれほど絶望的な状況であっても、彼
つい先日まで快活な少女だったその冒険者も敵の毒に侵され、顔は青白く息も絶え絶
﹃もっと笑いなさい。辛い時こそ笑って、自分の正義を信じて﹄
ていた。
一人と仲間は減っていき、最後にはリューとファミリアの主要メンバーしかいなくなっ
層へと戻ってきた。しかし、そこでも待っていたのは敵の罠と刺客ばかり。一人、また
法の包囲網を食い破り、
︻アストレア・ファミリア︼の冒険者達はやっとの思いで18階
敵対ファミリアの罠に嵌まり、幾十幾百のモンスターに囲まれながら執拗なまでの魔
﹃だからね、リオン﹄
555
相対する剣士と最強
556
それから、彼女がしたことは単純だった。
彼女は復讐鬼と成り果てた。今まであった幸せの分、抱えていた正義の分彼女は殺し
た。罠に嵌めたファミリアは当然のこと、その関係者を片っ端から闇討ちや不意打ちで
殺していった。彼女の報復行動は凄まじい勢いで成された。
リュー・リオンは希望にはなれなかった。彼女は、どこまでいってもただ一人の少女
でしかなかった。故郷から出てきて初めてできた仲間の死という重みに彼女の心は割
れてしまった。
気が付くと、彼女は薄暗い路地裏に横たわっていた。雨が降り、血と泥にまみれた彼
女は静かに仲間の元へと近付いていっていた。失われていく四肢の熱を感じながら、彼
女はゆっくりと目を閉じた。
そして目を覚ます。いつも見上げている木の天井を捉えて、彼女は即座に夢を見てい
たと認識した。それもそうだろう、死んだ人間の言葉を聞くことなど夢の中でしか不可
能なのだから。
ゆっくりと覚醒する意識と共に、ベッドで温まっているはずの身体に芯から凍えるよ
うな冷たさを感じた。リューは自分を抱きしめてその冷たさが去るのを待った。待つ
ことしかできなかった。
数十秒すると冷たさもなくなり、感覚が正常に戻った彼女はベッドから出て着替えを
始める。勤務先、というより彼女の住まいの一階にある酒場﹃豊穣の女主人亭﹄の制服
に袖を通しカチューシャを付ける前に髪を整える前に髪を整える。
しかし、現在と過去どちらが大切かと問われても彼女は答えを出せないだろう。出せ
る少女に死にそうな所を救われ、傷付いた心も救われ生きる彼女の生活。
支度ができたので自室のドアを開けて一階へと目指す。それが今の彼女の日常。あ
それは嫌だなと心の中で彼女は零した。
﹁ああ、でもそうするとシルとは知り合えないですね﹂
い、高め合いながら冒険をしていた日々に戻りたい。
しかし、できることなら昔に戻りたい。あの頃に戻り、仲間達に囲まれながら助け合
けなかった。しかし、彼女はその違和感のある自分も好きになっていた。
た。冒険者時代もその昔も彼女はスカートをあまり履かなかったし、カチューシャも付
そして鏡に向く。長年の勤務で慣れたが、やはり彼女には自分の格好に違和感があっ
いことが起きるという理由のない不安が芽生えた。
れてしまうかもしれないと思った彼女は仕方なく手櫛で済ませた。彼女の中に何か悪
しかし、その為に櫛を手に取ろうとすると櫛に一つの罅が走る。それ以上使ったら折
﹁ッ﹂
557
ないからこそ彼女はまだ昔の夢を見る。結局、現在は過去があるからこそあるのだと彼
女はどこかで分かっているのだ。過去はなくならない。過去を忘れることはできない。
いや、忘れてはいけない。
シルやリュー、豊穣の女主人亭のウェイトレス達の朝は早い。朝や昼も客は来るし、
なんと言っても夜は席が足りなくなるほど客がくる。そのための仕込みは、それこそ前
の晩から始めているし店の清掃などもする。
リューとシルは店頭の掃除をしていた。店の中に仕舞ってあった植木などを外に運
び出し、夜の間に溜まった埃などを掃いていく作業だ。
その時、リューはふと通りの向こうから猛スピードで走る一人の冒険者を目聡く見つ
けた。
︶
?
昔の己のような雰囲気だ。
リューはその雰囲気に見の覚えがあった、ありすぎた。修羅の如く、敵を斬り殺した
と雰囲気が違った。禍々しい、そう形容するのが正しい様子だった。
それは彼女の見知った冒険者であったが、一瞬そのことが分からなくなるほどいつも
︵バーナムさん
相対する剣士と最強
558
﹂
そう思った時、彼女は既に走りだしていた。
﹁バーナムさんッ
﹂
まっていたがアゼルの速さは尋常じゃなかった。
それでも、リューとアゼルの差は一気に縮はしなかった。ジリジリと、着実に差は狭
︵速いッ︶
タス︼を全力で活かし一瞬で最高速まで到達する。
後ろで狼狽える同僚の声を無視して、冒険者としてレベル4まで昇華させた︻ステイ
﹁えっ、りゅ、リュー
!?
﹁退いてください﹂
﹁どこに、行くのですか
﹂
の前に突然人が現れて立ち止まった。気が付くと既にバベルは目の前となっていた。
漸く、アゼルを追い越してリューは行く手を阻むように目の前に立った。アゼルも目
!
﹂
!
いつものアゼルでは決して使わないような言葉遣いも相まって、リューはアゼルに何
﹁退けッ
しかったがどこか冷たい印象を与え、獰猛な獣のような笑みは狂気に満ちていた。
顔を上げたアゼルの顔を見てリューは凍えるような寒さを感じた。銀に輝く瞳は美
﹁答えてくださいバーナムさん﹂
?
559
かがあったのだと理解した。
﹁教えてくださいバーナムさん。どこに、何をしに行くのですか
﹂
まるで当たり前のように人を斬ると言いのけた目の前の男が、昔の自分に重なった。
わけにはいかないと思った。
自分の予測が当たっていたことにリューは怒りを覚えると同時に、より一層行かせる
﹁│││ッ﹂
﹁斬りに行くんです、斬らなければならない男を﹂
まるで今にも人に斬りかかりそうな抜身の刃のような雰囲気を醸し出していた。
戦闘の気配にあてられリューも口調が変わる。目の前に立っているだけでアゼルは
﹁言え、貴方の目的はなんだ﹂
﹁貴方には関係のないことです﹂
どることは絶対に避けたかった。
自分が救われたのは、本当に運が良かっただけなのだから。身近な人物がその道をた
いと、自分と同じ末路を追わせるわけにはいかないと決心する。
尋常じゃないアゼルの様子を理解したリューは身構えた。行かせるわけには行かな
?
そこに理性などなく、自分の感情のままに行動したあの時の自分と同じように見えた。
﹁時間がないんです﹂
相対する剣士と最強
560
﹁なッ﹂
気付いたら、リューの真横をアゼルは通り抜けていた。油断していたつもりはなかっ
たが、思いもしていなかった速度に一瞬戸惑い反応が遅れる。
気が付いた時にはアゼルはバベルへと、ダンジョンへと走って行っていた。
﹁邪魔だ
﹂
最速、今まで感じたことのないほどの力に任せて走り続ける。目の前に出てきたモン
!!
■■■■
呼ばれた冒険者はその二つ名の如く走りだした。
のは間違っているのかもしれない、偽善なのかもしれない。それでも、かつて︻疾風︼と
それは自己満足なのだろう。かつて多くの者を殺した自分が誰かを救いたいと思う
︵貴方はまだ引き返せる︶
るだろうことなど頭から消え失せていた。
ルの後を追った。後で無断で仕事を放棄したことで女将であるミアにこっ酷く叱られ
自分を斬っていかなかったアゼルを見たリューははまだ遅くないと思い、急いでアゼ
︵まだ、判断能力がある︶
561
スターを一瞬で斬り捨てながら、速度を落とさず走り続ける。
﹁やっとだ、やっと貴方を斬れる﹂
まだ見ぬオッタルのことを思い、感情が奥底から溢れてくる。コロシアムでまるで赤
子の手を捻るように敗北した一戦。あの時感じた高すぎる壁に私は挑むのだ。あの敗
北があったからこそ私は這い上がることを覚えた。あの敗北があったからこそ私は越
えたいと思えた。
今の私なら、私の刃ならあの男に届くかもしれない。いや、届かせてみせる。
じゃない、自分のためだ
﹂
﹁感謝しよう女神よ、貴方が与えてくれた機会を私は活かそう。だが、それは貴方のため
して一瞬、フレイヤの甘い香りを感じ取る。
気が付いた時には9階層まで到達していた。そしてまた走る。奥へ、奥へと走る。そ
!
け、そしてオラリオの冒険者達の頂点に君臨する︻猛者︼。
おうじゃ
2 Mを超えるかどうかというほど大きな身体をした獣人。フレイヤの寵愛を最も受
メドル
そして、とうとうその姿を見つけた。
くなっていくのだから。強化された聴覚で響く戦闘音を聞き取る。
迷うことなどない。何度も嗅ぎ分けてきた匂いなのだから。近付けば近付くほど濃
﹁見つけた﹂
相対する剣士と最強
562
﹁オッタル
﹂
﹂
!!
﹁何故来た
﹂
﹂
﹂
ネス達は傷付いた仲間を背負ってどこかへ去っていった。これで、外野はすべていなく
オッタルもアマゾネス達から意識を私に移した。攻撃してこないと分かったアマゾ
﹁⋮⋮そうか。それがあのお方の望みだと言うのなら﹂
﹁貴方の女神に言われて﹂
?
震えた。
達を無視して、私はオッタルを見据えた。今すぐ斬りかかりたくなり、抑えると身体が
味方が突然やってきた冒険者に斬られたアマゾネス達は狼狽えていた。アマゾネス
﹁ニイシャ
﹁な、なんだこいつは
ず、むしろその姿さえも確認せずに走り過ぎながら斬る。
近くにいたアマゾネスを適当に斬る。今はオッタル以外どうでもよかった。顔も見
﹁いッ、ぎゃあああ
﹁邪魔を、するなッ﹂
オッタルを止めているように見えた。しかし、今は邪魔でしかない。
そのオッタルは複数のアマゾネスと戦っていた。巧みな連携で何かを追おうとする
!!!
!?
!?
563
なった。
﹁相手をしよう。あの時からどれほど強くなったか、示してみろ﹂
大剣を片手で構えてその男は私と向き合った。目の前にして、今回はその男の敵意を
感じた。前回は遊ばれていたが、今回はちゃんと敵だと認識されていることに私は喜び
を感じた。例え、それが死に向かうことになったとしても良い。
そして、私は再び﹃最強﹄へと立ち向かう。
るう。
その先に待つ結末など今は露ほども知らずに、ただ手に持つ刃で相手を斬るために振
﹁ええ、斬り裂いてあげましょう﹂
相対する剣士と最強
564
ホトトギス
もう抑えることのできなくなった戦闘本能に従い、最速の一刀目を繰りだす。今まで
にない疾さで放たれたその斬撃を、オッタルは難なく片手で持った大剣で対応した。
﹂
軽々と、まるでなんでもないかのようにその斬撃はいなされた。
﹂
!
自分でも強くなったと思ったが、今の私でも未だ力量を測る場所にすら至っていない
のように剣をいなすなどという絶技を扱えるのか。まったく、底が見えない。
れた最強の傑物。どれほど戦えばそこまで到れるのか、どれほど極めれば呼吸をするか
強い、強すぎる。流石はオラリオに君臨する絶対強者、すべてを見下ろすことを許さ
﹁ハハハ、アハ
しかし、どの斬撃もオッタルはいなし、弾き、避けて掠りすらしない。
ど与えなければいい。否、そんなことよりも今は斬りたかった、それだけだ。
ペースなど考えず、取り敢えず自分の全力をもって猛攻をしかける。反撃をする暇な
つ。その剣戟もオッタルは易易と弾いた。
そしていなされた方向に流れるようにして身体を回転させながらもう一度斬撃を放
﹁らあああああッッ
!!!
565
という事実が嬉しかった。だからこそ越える価値がある、斬り殺す価値がある。
﹁随分強くなった。だが、まだ足りんな﹂
いつの間にか、本当にその言葉しか出てこなかった。オッタルは大剣を振り上げてい
た。まるでゴライアスが拳を振り下ろす瞬間を前にしたような光景に見えた。もちろ
ん、オッタルの方がゴライアスより何倍も恐ろしく感じた。
﹁避けてみろ﹂
瞬間、理性ではなく本能で横に跳んでいた。自分がその事実に気付くのが跳んだ後
だったのだから、自分でも驚く。
鼓膜を破るような破壊音が轟き、破壊された床が粉塵となって視界を遮る。その中を
暴風の如く大剣が横薙ぎに通り過ぎる。粉塵は剣圧で吹き飛ばされ目の前の獣人の姿
﹂
があらわになる。
﹁シッ
になると足元の対処は他の箇所より難しくなるはずである。
その一撃をしゃがんで回避し、足元を狙ってホトトギスを薙ぐ。オッタルほどの巨体
!
が踏まれ攻撃は失敗に終わり、自身の考えが甘かったことを痛感する。
しかしオッタルは刃が足首に当たる直前、足を浮かせて刃を避けすぐに降ろした。刃
﹁ふんッ﹂
ホトトギス
566
オッタルは身体のどこであってもその反応速度が鈍らない。弱点が見つからない。
踏まれた刀がまるで大重量で押さえつけられているようにびくともしない。次の攻
撃が来ることを予見した私は泣く泣くホトトギスから手を離し後退した。
﹃来いと願って﹄
トギスは離れていても意思疎通ができるようだ。
を見る。今まで刀を手放したことがなかったから分かっていなかったが、どうやらホト
脳内にホトトギスの声が響く。そして、オッタルのすぐ後ろに落ちているホトトギス
﹃私を呼んでアゼル﹄
だからこそ道は交えた。だからこそ私たちは刃を交えて殺しあう。
のためでもない、ただその目的のため力を高めてきた狂信者なのだ。
けに人道を外れ、ただ一つのことのために歩んできた求道者だ。誰のためでもない、己
笑みが深まる。自分が斬るべき男は、私と同じ異常者なのだ。一つの出会いを切っ掛
﹁ああ、貴方も私と同じだったか﹂
なまでに何かを信じ、そのために斬り捨てていく自分に。
再びオッタルが大剣を構える。その姿が、どこか自分に似ているように思えた。愚直
﹁ただ一つを信じ、あのお方のお役に立つため己を高めたまでだ﹂
﹁どうしたらそれほどまでに強くなれるというのか﹂
567
なんの疑いもなくその言葉を実行する。
︵来い、ホトトギス︶
呼びかけると横たわるホトトギスが僅かに震えた。幽霊によって不自然な物理現象
が起こるというのは良く聞く話だが、自分でそれを起こすことになるとは思ってもいな
かった。
︵来い。私の手に来い。貴方が収まるべき場所へ︶
手を伸ばす。強く、その刃を願う。ホトトギスが音もなく宙に浮き、との刃をオッタ
︶
ルへと向けた。
︵来いッ
﹁ッ
﹂
て撃ち出される。
そして私は駆け出す。同時に宙に浮いていたホトトギスがオッタルの心臓を目掛け
!
そしてオッタルの首を刈り取るために振るう。
入っていた。弾かれたホトトギスが不自然な軌跡を飛びながら私の手元へと届く。
オッタルはその一撃を大剣で背中を守り弾いた。しかし、その時私は既に彼の懐に
!
﹁その割に表情が驚いていませんが﹂
﹁武器が独りでに動くとは、お前はよく私を驚かせるアゼル・バーナム﹂
ホトトギス
568
﹁戦闘中にそのような感情は不要。だが、まさか私に傷を付けるとはな﹂
しかし、その斬撃もオッタルは避けた。今までよりも更に動きを速くしてぎりぎりの
ところで首を逸らして後方に跳んだ。
傷を付けたと聞いて一瞬分からなかったが、よく見るとオッタルの首から血が流れて
いた。
した瞬間しゃがんで刃を避ける。頭上を嵐が通りすぎたかのような暴風を感じながら
突然現れたかのように目の前に大剣を横薙ぎに振るうオッタルがいた。それを認識
﹁故に敬意を持って、全力で相手をしよう﹂
どれほどいるだろうか。
相手の目線や呼吸、思考まで読み意識と意識の間を縫う。それが実際にできる武人は
強は冒険者としても、武人としても人の域を越えようとしている。
た︻ステイタス︼とそれを十二分に活かすことのできる技術の数々。オッタルという最
それでもオッタルという男はその上を行く。冒険者として最高位にあるその並外れ
いなかったつもりだ。相手の行動を見逃すことのないように注視していたはずだ。
それはこちらの台詞だと思った。次の瞬間、目の前にオッタルがいた。油断などして
﹁ああ。油断していたつもりはない。そのような言い訳はしない﹂
﹁この刃、貴方に届きましたか﹂
569
戸惑うことなくオッタルの懐へと飛び込む。
自分の中に後退という二文字はなくなっていた。後退した瞬間オッタルの大剣が容
赦なく私の命を刈るイメージしか浮かばない。だから攻める。
︵もっと︶
まったく速度も鋭さも足りていない。
︵もっと鋭く︶
攻撃を避けるための動体視力が足りていない。
オッタルとの攻防についていくための身体能力が根本的に足りていない。
︵もっと疾く︶
だから心は力を渇望する。際限なく、目の前の男に追い付けと心が願い、目の前の男
︵もっと、力を︶
を斬れと心臓が脈打つ。
それでも、その時私は力が欲しかった。
だんだんと意識が溶かされ薄れていく。
始める。そこに思考など不要であり、私の考えとは関係なく刀が振るわれていく。
意識が銀色に染まっていく。目の前の男を倒せという想いだけがこの身体を動かし
︵力が欲しい、誰にも負けない、最強を下せるだけの力が︶
ホトトギス
570
571
■■■■
おうじゃ
オッタルという男は他者の追随を許さない程強い。身体的にも精神的にも、そして冒
険者としても最強を誇る。故に彼は︻猛者︼と呼ばれる。
天下無敵の女神の戦士。しかし、だからこそ彼は孤独であった。自身が敬愛する女神
のために戦うことは確かに至福であった。だが、それは男としてであり武人としての彼
には潤いを与えなかった。
相手がいないのだ。
天下無敵故に誰にも挑まれず。天下無敵故に誰ともぶつかりあえず。オッタルとい
う武人は燻っていた。オラリオで最強の冒険者と呼ばれる彼が何に燻ぶる必要がある
のかと人は問うだろう。しかし、彼にとっては当然のことである。
武人として、他者と戦い高めていくことこそが生き甲斐であったのだから。確かに、
女神の寵愛はこの世で最も心地いいものだ。それでも、彼は望まずにはいられなかっ
た。
そして彼は見つけた。他のことなど投げ捨ててでも自分と戦うであろうその男を。
だからこそ、オッタルは目の前の男に落胆し失望した。
﹁ガアアアアアアアッッ
こる様子もない。
﹂
剣はただ火花を散らすだけであり、仲間から聞き及んでいた切断による武器破壊など起
アゼルが放つ神速の斬撃を、オッタルもまた神速で捌いていく。ぶつかり合う刀と大
にいるのはただ強いだけの冒険者になっていた。
以前のアゼルに感じた底の知れなさや得体の知れなさは微塵も感じられなく、目の前
﹁しかし、これもまたあのお方の望み﹂
力の相手は幾度と無くしてきた。今のアゼルは彼等と同類であった。
を駆け巡る銀の獣にオッタルは脅威を感じない。同じ技量の相手、己に追随する身体能
確かにその驚くべき身体能力はオッタルに届きそうですらあった。しかし、視界の中
﹁⋮⋮飲まれたか﹂
だった。
だった。そこに剣技などなく、ただ身体能力に物を言わせて斬りかかってくるだけの獣
しかしてその表情は獣のように猛々しく、その戦い方も剣士というより狂戦士のよう
に染まり、より色濃くフレイヤの面影を映し出していた。
仲間から聞いた話では瞳が銀に染まっていたらしい。しかし、現在は髪までもが銀色
!!
︵お前はもうそこにいない︶
ホトトギス
572
仮にも素手で自身に傷を付けた相手が、刀で武器を斬れないわけがない。アゼルは劣
化してしまっているとオッタルは結論づけた。目の前の男は以前自分が叩き潰した剣
士ではなくなった。
であるならば、オッタルが長々と時間を掛けて戦い楽しむ必要などどこにもない。
以前のアゼルであれば、己が剣士であるという絶対の信念故に、帯剣状態で拳など決
﹁最早剣士であることも捨てるか﹂
うに吹き飛ばされ壁へと激突した。
しかし、体格も力も劣るアゼルが負けることなど目に見えていた。アゼルは石ころのよ
た。間髪入れずオッタルは拳を振るう。アゼルもその拳に対して自分の拳をぶつけた。
しかし、留まる所を知らないその身体能力でアゼルはオッタルの一撃を受け止め弾い
刃を受け止めるだけのその戦い方はアゼルらしくなかった。
く、真正面から刀で受け止めた。火花が散り、刃は傷付く。やはり、ただ向かってきた
向かってくるアゼルに大剣を振り降ろす。アゼルはそれを避けるでも逸らすでもな
いう功績ができるのであるから、敬意を持って無慈悲に潔く殺す。
しかない。故に終わらせる。その生と死にも、オッタルの敬愛する女神を楽しませたと
同じ武人として、技なき剣など滑稽でしかなく、力に飲まれ振り回される様は無様で
﹁殺してやろう。これ以上その無様な姿を晒さぬように﹂
573
して使わなかっただろう。避けて剣戟を繰り出すか、突き出される腕を斬り裂こうとす
るかしただろう。
壁に激突してから動き出そうとしないアゼルにオッタルは歩いて近づいていく。
﹁私の一撃を受け、なお立ち上がり私を斬り裂こうとしたお前はもういない﹂
絶対強者はまた一人佇むことになる。下から自分の首を求めて掛けがってくる挑戦
﹁私が恐ろしいと感じるほどの何かを秘めていたお前はもういない﹂
者はいなくなり、また一人景色を眺めるだけの日々がくる。
武人に武がなくなったしまった時人になるではない、武人は人となるのではなく武人
﹁お前は、もう死んでしまった﹂
として死ぬのみである。
激突したことでできた穴の中で動かなくなったアゼルを静かに見下ろすオッタルは、
大剣を振り上げてその首に狙いを定めた。
刹那、刃がぶつかり合う音が大きく響いた。
そのはずであった。
い、命を刈り取る一撃が放たれた。その一撃でアゼルの首は斬り落とされ絶命する。
そして音を置き去りにしながら大剣は振り下ろされる。誰にも止めることのできな
﹁つまらぬものだな、死人を殺すというのは﹂
ホトトギス
574
﹁非道いですね、死人とは﹂
その大剣の一太刀は、血のように赤く染まったアゼルの手によって止められていた。
﹁⋮⋮⋮⋮ふっ﹂
﹂
面白い、やはりお前は面白い。断ち切ったか、あのお方の寵愛
その接触部分からは火花が散り、刃と刃が交わる金属音が響く。
をッ
﹁ハッハッハッハッハ
今はそれだけで十分だった。
﹁さあ、足掻き抗い、そして挑んでこい﹂
まだ自分と戦えるということだけは理解できた。
何が起こっているかオッタルには分からなかった。分からなかったが、目の前の男が
いうのに、その事実以外なにも感じられない。
の存在感ははっきりと伝わってくるのだ。目が離せないほどにアゼルがそこにいると
そう、今目の前にいる男から強者の雰囲気をオッタルは感じていなかった。しかしそ
前の男から今さっきまで感じていた威圧感はない。
その髪も瞳ももう銀色ではなくいつも通りの赤髪と翠の瞳に戻っていた。そして、目の
飛びのきながらオッタルは笑った。アゼルもオッタルが引いたのを見て立ち上がる。
!
!!
575
ホトトギス
576
■■■■
自身の奥底からそれは溢れてきた。心の渇望がドロリとした溶岩のようになって身
体を満たしていく。それは今まで感じたことのない、自分の中にへばり付き一生取れな
くなってしまうような熱だった。
想いが身体を内側から焼き殺し始めるその感覚を、私はまるで他人事のように感じて
いた。自分が自分でなくなっていくような、誰かに支配されていくようなその感覚に私
は抗えなかった。
身体はただ沈んでいく、徐々に身体を満たしていくドロリとした熱に溺れていく。焼
かれ、焦がされ、爛れていく自分がいた。獣のように、ただ力を求め、相手を斬ること
だけに固執した化物と化すのだ。そこに人間としての自分は不要だった。
うすうす感じていた、というべきか。ホトトギスから力を貸してもらう度にその強化
は強力になっていっていた。身体に馴染んているだけと思っていたし、話しているホト
トギスは友好的であった。しかし今回のフレイヤの血の大量摂取が引き金となったの
かもしれない。
いや、そもそも前々から身体が乗っ取られるのは決まっていたのかもしれない。どち
らにしろ、今の状況は遅かれ早かれ訪れていたように思えた。
︵だが、これは違うだろう︶
こんな獣のように血走ったような目でただ獲物を追うようにして宿敵を斬り刻むな
ど私のやりたいことではない。もっと技を磨き、一つ一つの斬撃に想いを込めて全身全
霊の自分で戦いを挑みたかった。
強い力があっても、優れた身体能力があっても、すばらしい武器を持っても、その斬
撃にアゼル・バーナムという存在がないのなら、私が剣を振るう意味はない。それは、私
でなくてもできることだからだ。
く。
へと私は登っていく。全身を覆っていた液体から頭、首、胴と順に身体が抜け出してい
誰かが伸ばされた私の手を掴んで引っ張りあげられる。もう一つ上へと、もう一つ先
﹃人の身で抗えないというのなら、私が貴方をここまで引っ張りあげてあげる﹄
いう存在の最後のピース、不完全である存在を完全にするための鉄の塊。
絶望でもない。私がこの手に掴むものは最初にそれを掴んだ瞬間から決まった。私と
その先に何があるかなど分かっていた。この手が掴むものは他人の手でも、希望でも
その声を求めて上へと手を伸ばす。
静かに、しかしはっきりとその声は響いた。必死に、溺れる身体を動かしながら私は
﹃そう、これは貴方の望んだことじゃない﹄
577
水面に立つ。上も下も左も右も、傍も遥か彼方も見渡す限り赤い世界が広がる。地面
だけが規則的に波紋を描き水面だと分かる。
背後から声を掛けられる。その声はやはりフレイヤの声に似ていた。振り返ってそ
﹁こんにちは、アゼル﹂
の人物を見る。血をぶち撒けたかのように赤い着物を着た銀髪の女性だ。初めてその
姿を見たが、それでも分かった。
﹁こんにちは、ホトトギス﹂
幾百年も昔に作られた刀の化身。刃に宿った思念にフレイヤの血が与えた人格が目
の前に立っていた。フレイヤのややきつめの目付きと違い、彼女の目は若干タレ目で優
﹂
しい雰囲気があった。
﹁ここは
世界だった。
辺りを見渡しながら最初の疑問を問う。以前ホトトギスと会ったのは夢の中の黒い
?
﹁ごめんなさいね。私はどうしても、どうしてもこの血には逆らえないの﹂
彼女は下を指差してそう言った。その表情はどこか申し訳無さそうだった。
ないのだけど、今はあの神もいるわ﹂
﹁ここは私と貴方の世界、夢の中のような場所と思っていいわ。普段は私と貴方しかい
ホトトギス
578
自分の身体を抱きしめながら彼女は私に謝った。しかし、少し考えてみれば分かるこ
とだった。彼女はフレイヤの血が作った人格である。創造主に逆らえる創造物という
のは、そもそも創造物として間違っている。
る。こうなってしまったのはフレイヤの血の意志とホトトギスに宿っていた思念の意
からないが、私の身体が敵を倒すためだけに動いている現状は彼女にあるのは明確であ
確かにそうかもしれない。フレイヤがいつ自分の血をホトトギスに吸わせたかは分
達の夢を語っていい存在じゃないわ﹂
方と話すのが私になってはいるけど、私は⋮⋮私は外から入った異物のようなもの。私
﹁そもそも私はあの神に作られただけの人格。他の意志より力があるからこうやって貴
ような儚さがあった。何故なら彼女は知っている。
一瞬悲しそうな顔を彼女はした。触れてしまえば割れてしまいそうなガラス細工の
に聞こえた。
消えてしまえいそうなほど小さな声だったが、それは直接頭に響いたかのように鮮明
﹁私を斬って﹂
に、哀しそうに顔を歪めながら彼女は腕を広げた。
しかし、それでも彼女はフレイヤの意志に反逆しようとしてくれている。苦しそう
﹁だからねアゼル﹂
579
志が違っていて、フレイヤの血の方が圧倒的に強いからかもしれない。
だが、それがなんだと言うのか。
されたから制御できなくなって飲み込まれてしまったけれど、それは変わらないわ﹂
﹁あの神の血の意志は結局私という核がいるから存在している。一度に大量の力が投入
私が彼女を斬らなければいけない理由を言ったが、それはとても作業的で感情のない
ものだった。何故なら彼女は知っているのだから│││
﹁だから、私という核がいなくなれば神の意志はなくなるわ。だから﹂
│││私が斬ることを承諾することを。
﹁いいでしょう﹂
﹁ふふ、アゼルならそう言ってくれると思ったわ﹂
﹁当然といえば当然でしょう。私たちはお互いを覗き込んだ仲ですからね﹂
私は斬る、それが存在理由であるから。そして、私の唯一にして絶対の理解者である
ホトトギスはそんなこと百も承知である。お互いを覗きこんだからこそ、私たちはお互
いを理解する。
秒すると彼女の手から血が滴り、そして一振りの刀が形作られていった。
私の言葉に嬉しそうに答えた彼女は膝をついて手の平を上にして両手を上げた。数
﹁そうだった⋮⋮そうだったわね﹂
ホトトギス
580
﹁これを使って﹂
年老いて、腕や足が細くなり槌を振るう力も弱くなってしまった。それでも男は打ち
﹃ああ、悔しい⋮⋮ここまでやっても、死力を尽くしても届かないというのか﹄
夢の記憶だ。
だ。何度も何度も、数えることが億劫になるほど刀を打ち続け、それでも届かなかった
握った腕から伝って記憶が流れ込んでくる。燃え盛る炎と向き合う一人の男の生涯
﹃人を、怪異を、そして神すら斬り裂く刃を打ちたい﹄
心地だった。しかし、それでもどこか手に馴染む感覚を覚えた。
刀を手に取る。やはりいつも握っているホトトギスとは天と地ほどの差がある握り
夢見た身の丈に合わない最果てを目指すために打たれた名も無き刀。
元祖ホトトギス、否そのときはそんな名前などなかった。ただの人間である刀鍛冶が
の一振り﹂
﹁ええ、それは最初の私。最も古い、原初の願い。ある男がその命を燃やして打った最後
﹁これは、貴方か﹂
た。しかし、それからは願いを感じた。
私が現在持っているホトトギスとは違う、もっと荒々しく美麗とは言いづらい刀だっ
﹁これは⋮⋮﹂
581
続けた。血を吐き、骨を折り、病に伏せても男は一人炎の前で打ち続ける。
﹃それでも手を伸ばしてしまう俺はきっと阿呆なのだろう﹄
涙を流しながら、最後に打った刀を眺めながら横たわる男は最後までその願いに縋っ
た。一人の人間の生涯を使っても達成できなかった夢があった。男の流した悔し涙が、
一つの怪異を産んだ。
一人の人生で足りないのなら、もっと多くの人生を注ぎ込めばいい。手にした人間に
乗り移りながら、血を吸い強化されていく刃の物語が始まった。
そして、今は私の手にその物語は意志と共に渡った。
﹁貴方がなればいい﹂
﹁⋮⋮﹂
かなど決っている。
を宿らせるほどの力を蓄えた神の血に、ただの人である私は抗えない。ならばどうする
それは単純な解決方法だろう。人々に︻ステイタス︼という奇跡を授け、思念に人格
ギスの表情に不安や悲しみなど映ってはいなかった。
私が刀を受け取るとホトトギスは立ち上がった。フレイヤと変わらず美しいホトト
た私達が認める貴方しかいないの。人の身で抗えないというのなら│││﹂
﹁いいえ、貴方しかいないのアゼル。幾十幾百年の時をただ斬るためだけに存在してき
ホトトギス
582
それは本来やってはいけないことなのかもしれない。越えてはいけない一線なのか
・
・
も し れ な い。し か し、そ ん な 価 値 観 私 に は 通 用 し な い。斬 る た め で あ れ ば、私 は な ん
だってしよう。
だから│││
﹁なあに
お別れの言葉かしら
﹂
?
私が暴走している原因かもしれません。それでも、私は貴方に会えて嬉しかったですよ
﹁貴方は遥か昔、ある男が見た夢とは違う意志を持っているのかもしれません。貴方は
伝わらないであろう自分の感情を伝えるために。
彼女の瞳を真っ直ぐ見る。フレイヤと変わらない銀の瞳を見つめる。言葉だけでは
願いを語る資格がないと言ったことですが﹂
﹁それは刃に込めます。そうではなくてですね、貴方の言った自身にはあの男の願った
?
﹁ああ、それとホトトギス﹂
のできない、誰にも曲げることのできない夢を見た男の魂を私は受け継ぐ。
も予想できない。しかし、私の手には今揺るがぬ願いが握られている。誰にも折ること
アゼル・バーナムという存在が果たしてどこに向かっていくのか、それはきっと神々
私
﹁│││私は成り果てましょう、人でなくなったとしても私は私でいましょう﹂
﹁│││人を越えてしまえばいい。貴方がホトトギスになればいい﹂
583
ホトトギス﹂
﹁アゼル⋮⋮﹂
うとも、私は貴方がいたということを決して忘れない。貴方はフレイヤであってフレイ
﹁貴方がいなければ今の私はいないでしょう。だから、貴方も私の一部だ。誰が忘れよ
ヤでない、なにせ彼女に反逆しようとしているくらいだ。貴方は立派な個人だ。だから
│││﹂
私の言葉を聞いて泣きそうになっている彼女の前で構える。いつものように、ゆっく
・
りと彼女を殺すための一太刀を放つために構える。
﹁│││貴方は私が最初に殺す人だ﹂
微笑みながら彼女は涙を流した。その泣き顔はなお美しく、涙の雫が頬を伝う様はま
﹁⋮⋮もうっ﹂
るで宝石を眺めているようにすら思えた。
ルのせいで台無しよ﹂
﹁花のように凛と、刃のように冷たく鋭く、炎のように情熱的にが私の信条なのに。アゼ
彼女はそう言って目を閉じた。覚悟など最初から決まっていた。彼女が待ってくれ
﹁ありがと﹂
﹁綺麗ですよ、あの女神よりも﹂
ホトトギス
584
ていたのは私の覚悟だったのだろう。
人を斬る、その意味を考えるための時間。思考をして、言葉を発し、食べ物を食べ、喜
怒哀楽の感情がある存在を殺すという行為の重さを想像させるための時間だったのだ
ろう。
であろう痛みや快感さえもがその一つの行為に収束していくに違いないのだから。
てきた時間もこれから生きていく時間も、味わってきた苦しみや喜びもこれから味わう
ただ一つの存在理由のためにこの身はあるのだと信じているのだから。今まで生き
﹁そう、思うがまま、したいがままに﹂
﹁何に成り果てたとしても、私がすることは変わらない﹂
至るために。彼女が選んだ私でなければいけない。
だからこそ、私は斬らねばいけない。この刃に宿った意志を継ぎ、貫き通し、頂へと
することがどれほど勇気のいることか、私には一生理解できないだろう。
きたいだろう。それは生まれたものすべてが持つことの許された感情だ。それを放棄
私が私として生きるためにホトトギスがいてはいけないのだから。当然彼女とて生
﹁だから│││さようなら﹂
﹁それはよかった﹂
﹁私もアゼルと会えて嬉しかったわ﹂
585
﹁﹁斬り裂くだけ﹂﹂
そ う し て 私 は 斬 撃 を 放 つ。そ れ は 今 ま で で 一 番 感 情 の 乗 っ た 一 撃 だ っ た 気 が す る。
一秒がその何十何百倍のように感じられ、刃が彼女の首に食い込み斬り裂くまでの時間
がまるで永遠のようにすら感じられた。
果たしてこの選択が正しかったのかどうか、その最中私は考える。それがどれだけ無
駄な思考だと分かりながらも、私は人を殺すという重みをこれから一生背負っていかな
ければならないと思うと考えずにいられなかった。その人が例え誰にも見えなかった、
私だけの知る存在だとしてもその重みに違いはない。否、きっとこの先彼女がいなく
なった欠落感を感じるのは私だけだ。だから誰も慰めてはくれない、誰も理解してはく
れない。
それでも、刃は止まらない、止めてはならない。そんな中途半端な想いでこの刀は振
るってはならない。
それでも時は進み、刃は振り抜かれる。振りぬいた時には、彼女はもうこの世からい
なくなっていた。光るの粒となって虚空へと消えていく彼女を見ながら残心する。
内部から爆発して水柱が発生する。新たな核を作ろうとしているのか、それとも本当に
彼女という核がいなくなったからだろう、立っていた水面が不規則な波を作りそして
﹁ッ﹂
ホトトギス
586
ただ暴れているのかは分からないが神の意志が最後の反発をしている。
そして私は大きな波に飲み込まれ沈んでいった。しかし、もうこの想いは揺らがな
い。
ホトトギス
しかし、その瞬間ただの人が、矮小で無力でありふれた一人の人間が│││
たのかもしれない。ただ違う力に飲み込まれてしまったのかもしれない。
そして刃を振るう。私は人でなくなったのかもしれない。私は何かに堕ちてしまっ
己
│││なあ、 私
││﹂
﹁神も人と同じ、そこに存在し触れられる。ならば斬れない道理などない、そうだろう│
しかし、その苦しみさえ刃を鋭くするためにあるのだと信じて私は斬った。
い。
それで構わないと思った。だからこそ、理解者がいてくれたこと今いないことが苦し
しかし、時間はあった。仲間はいても、私は孤独だ。誰も私を理解はしないだろう。
していた限りこの暴走は起こり、ホトトギスを私は斬ることになったかもしれない
の結末は変わらなかったかもしれない。時間は掛かっただろうがフレイヤの血が混入
自身の中から怒りが湧き上がってくる。私は唯一の理解者を失った。最終的にはこ
﹁人の意志が神の意志を越えないなど、誰が言った﹂
587
﹁貴方は邪魔だ﹂
│││神の意志を斬り裂いた。
■■■■
目を覚ました瞬間オッタルが振り下ろした大剣を手で受け止めた。できるというこ
とを私は知っていた。自分が何になったのか私は知っていた。
始めた。
今日、この瞬間一人の男から始まった夢は一人の男に受け継がれそして大きな前進を
り裂けと心臓が叫び続け全身へと力が送り出す。
てこない。私がその熱となったのだからそれもそのはずだ。脈打つ心臓はすべてを斬
その言葉に答えてくれる人はもういない。もう手に握ったホトトギスから熱は流れ
この身体を器として、重ねた年月で強くなった刃を受け継いだ。
私は幾十幾百年存在し続け、人を操り斬り裂き血を啜ってきた怪異へとなったのだ。
﹁さて、仕切り直しといきましょうか﹂
ホトトギス
588