10 月 16 日(日)10:45-11:15【若手研究者フォーラム 会場 B】 ヨハン・マッテゾンの音楽論における〈経験〉―自然と旋律との関わりから― 九州大学 米良ゆき ヨハン・マッテゾン(1681-1764)は、後期バロック時代から前古典派時代にかけての転換期 に位置するドイツの音楽著作家である。マッテゾンの音楽論は、シェーフケやカノンらの研 究によって、啓蒙主義的性格やフランスの合理主義的思潮からの影響が強調されてきた。し かしマッテゾンの音楽論の意義を理解するためには、進歩史観的な見方に捉われることのな い解釈が必要であると思われる。そこで本発表では、特に彼の主著『完全なる楽長』を取り 上げ、自然学を中心に展開した彼の経験論的音楽観が旋律優位の思想に結びついていること に着目しながら、マッテゾンの位置づけについて再考したい。 マッテゾンの功績の一つは、17~18 世紀のドイツで発展した音楽情念論 Affektenlehre を 体系的に記述したことに求められる。その中でマッテゾンは、客観的な情念 Affekt を描写し、 聴衆に情念を惹起させるという音楽の心理的作用を重視するが、その根拠の一つにおいたの が経験に基づく感覚であった。マッテゾンにとって、人間の魂を動かすのは感覚に与えられ た音響であり、思弁的な数学は最早かつてほど重要性を持たなかったのである。この点は、 彼自身関係の深かったイギリスの経験主義的思潮からの影響が指摘されるところだろう。更 にマッテゾンは、旋律こそが音楽の本質的な働きである情念の表現を担い、音楽において最 も重要なものであるとした。 このように情念の惹起という経験的要素を重視するマッテゾンは、音楽論の最も中心的な 位置に自然学を据えた。彼は自然を美の範型として、人為的で難解な対位法を退け、より自 然で単純な旋律を重視したのである。このような彼の自然への志向には、 「美しい自然」の理 性的模倣を理想としたフランス合理主義との共通項が包含されている。しかし、音楽を生み 出す源泉としての自然に、彼が「神の力」を見ていたことに着目すべきだろう。音楽を「歌 う」ものとして捉えるマッテゾンが、自然な美しい旋律こそが経験を通して人間の心を最も よく感動させると考えるとき、むしろ彼はルター的教義に基づいて音楽観を展開していると 解釈できる。福音を自分たちの言語で歌い、美しく単純な形のコラールで神を讃美するとい う経験に重きを置くルターの思想や音楽観は、敬虔なルター正統主義信者であったマッテゾ ンの旋律論にいまだ生き続けているのである。 以上の考察から、マッテゾンの経験論的音楽観の形成を、経験主義的思想の受容としての み語ることはできないだろう。彼の音楽論においては、ルター的音楽観という土壌と新時代 的性格が、経験というキーワードを媒介として結合しているのである。音楽史上重要なパラ ダイムの転換を導いたマッテゾンはドイツ啓蒙主義の先駆的存在としてのみならず、時代の 変化に応じながらも真摯にルター的音楽観を追究した音楽著作家として位置づけられるので はないだろうか。
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