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報道資料
2017 年 1 月 28 日
[土]─ 4 月 16 日
[日]
はじめに
ドイツ・ルネサンスを代表する画家、ルカス・クラーナハ ( 父、1472 -1553 年 ) は、特異なエロティ
シズムで女性を描く画家として知られています。日本においてクラーナハといえば、
とりわけ歴史の
教科書に載る、マルティン・ルターの肖像画が有名でしょう。
しかしこれまで、
この画家の展覧会が
日本で開催されたことはありませんでした。
そんなクラーナハの全貌を、当時の社会背景にも目を配
「クラーナハ展─ 500 年後の誘惑」は、
りつつ紹介する日本で初めての機会となります。オーストリア、
ドイツ、オランダ、ハンガリー、
イタリ
ア、スペイン、
イギリス、
アメリカ、台湾、
日本と、世界中から集められた作品およそ100 点で構成
される、史上最大規模のクラーナハ展です。
クラーナハの死後、はるか近現
宗教改革からちょうど 500 年をかぞえる記念の年、本展はさらに、
代にまでいたるその影響力にも注目します。パブロ・ピカソやマルセル・デュシャン、ジョン・カリン、
そして森村泰昌など、近現代の美術におけるクラーナハの残影が、展覧会をとおして浮かびあ
がってくるでしょう。
みどころ
-
日本初 !クラーナハの大回顧展
-
世界 13 か国よりクラーナハの貴重作品が大集結 !
-
ウィーン美術史美術館×国立西洋美術館×国立国際美術館監修
-
宗教改革 500 年記念 ! 盟友マルティン・ルターの肖像の数々
-
特異なエロティシズム、
「女のちから」をかりた誘惑する絵画
-
パブロ・ピカソやマルセル・デュシャンら、近代美術の巨匠たちを触発した、
はるか 500 年前の巨匠
01
Ⅰ 蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ
Mark of the Serpent: Cranach the Court Painter
ルカス・クラーナハ ( 父 ) は、1505 年、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公の招きを受けて、
ウィー
ンからヴィッテンベルクへと移住しました。ザクセン公国の都、やがて宗教改革の発祥地ともなる
ヴィッテンベルクは、当時の神聖ローマ帝国における、文化拠点のひとつです。彼はこの街で、
およそ半世紀にわたり宮廷画家として活動するこ
芸術庇護に熱心な計 3 代の選帝侯たちに仕え、
とになります。
《ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公》
1515 年頃 テンペラ / 板 コーブルク城美術コレクション
© Kunstsammlungen der Veste Coburg
蛇の紋章
コウモリの翼をもち、冠をかぶった蛇が、ルビーの指輪をくわえています。この紋章は、
1508 年にザクセン選帝侯から授けられたものです。以後、
クラーナハは自作の署名、
また自営する工房の「商標(トレードマーク)
」
として、
この紋章を活用しました。
02
Ⅱ 時代の相貌─宮廷画家としてのクラーナハ
Features of the Age: Cranach the Portraitist
宮廷画家でありながら、同時に、自立した事業家でもあったクラーナハは、
ヴィッテンベルクの自
営の工房で、効率的な協働制作システムを確立しました。息子のハンス・クラーナハやルカス・ク
ラーナハ(子)、
また多くの弟子たちとともに大量生産される絵画群。誰よりも
「素速い画家」だと
称賛されるゆえんです。
当時のドイツにおいて、肖像画は人物の「記憶」を伝えるためのメディアでした。クラーナハもま
た、ザクセンの宮廷人をはじめ、政治家や人文主義者など、数多くの肖像を手がけています。本
章では、ルネサンス期最大の肖像画家としてのクラーナハを紹介します。
《ザクセン公女マリア》
1534 年 油彩 / 板 リヨン美術館
© Photo Josse/ Scala, Florence
20 世紀の巨匠パブロ・ピカソも、
この肖像画に感嘆
し、魅了された画家のひとりです。おそらくピカソは、
本作のポストカードから少なからぬ刺激を受け、
リト
グラフ
《クラーナハにもとづく若い女性の肖像》を手
がけたのでしょう。
ルカス・クラーナハ(子)
《ザクセン選帝侯アウグスト》
《アンナ・フォン・デーネマルク》
1565 年以降(1575 年頃 ?) 油彩 / カンヴァス ウィーン美術史美術館
© KHM-Museumsverband
03
w900×h1200
ヴェッティン家 家系図
House of Wettin
フリードリヒ2世
F idrich II
Fr
I
1412-1464
ザクセン選帝侯(1428-1464)
エルンスト系
アルブレヒト系
Ernestine Line
Alb
l ertine Line
lb
分裂(1481)
エルンスト
アルブレヒト勇敢公
Ernest
Albrecht the Bold
1441-1486
1443-1500
ザクセン選帝侯(1464-1486)
フリードリヒ賢明公
ザクセン公(1464-1500)
ヨハン不変公
ゲオルク髭公
F ederick the Wise
Fr
John the Steadfa
f st
fa
George the Bearded
ザクセン選帝侯(1486-1525)
ザクセン選帝侯(1525-1532)
ザクセン公(1500-1539)
1463-1525
ヨハン・エルンスト
John Ernest
1521-1553
ザクセン=コーブルク公(1525-1532)
1468-1532
ヨハン・フリードリヒ寛大公
John Fr
F edrerich
the Magnanimous
1468-1554
ザクセン選帝侯(1532-1547)
ザクセン公(1547-1554)
1471-1539
ハインリヒ敬虔公
Henry the Pious
1473-1541
ザクセン公(1539-1541)
ジビュレ・フォン・クレーフェ
Sibylle of Cleves
1512-1554
ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公
ヨハン3世の娘
アンナ・フォン・デーネマルク
アウグスト
モーリッツ
1532-1585
1526-1586
1521-1553
ザクセン選帝侯(1553-1586)
ザクセン公(1541-1549)
ザクセン選帝侯(1547-1553)
Anna of Denmark
Augustus
デンマーク=ノルウェー王
クリスチャン3世の娘
Maurice
クラーナハは 1505 年以後、およそ半世紀にわたってザクセン選帝侯に仕えました。
「選帝侯」というのは、14 世紀にカール 4 世が金印勅書
を発布して以降、当時の神聖ローマ帝国においてドイツ王(実質的な神聖ローマ皇帝)を選出する権利を与えられていた 7 人の諸侯たちの
ことです。現在のドイツやオーストリアを含む、広大な領土をヨーロッパ内に築いていた神聖ローマ帝国の帝位は、15 世紀前半から、
ハプスブルク家によってほぼ独占されていました。そうした強大なちからを有していた皇帝にとっても、選帝侯たちは利害関係上、
まったく無視できない存在だったのです。
なかでも、クラーナハを雇い入れたザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公(nos. 2-4)は、1502 年にヴィッテンベルク大学を創設し、その後
にはじまるマルティン・ルターの宗教改革を皇帝や教皇に敵対しながら一貫して擁護するなど、際立った政治力と新しい思想をもった人物
でした。彼は、いわゆる「エルンスト系ヴェッティン家」の家系に属すザクセン選帝侯でしたが、つづくヨハン不変公、ヨハン・フリードリヒ
寛大公(nos. 24, 26)もまた、変わることなくルターを後押しし、改革勢力の主導者を演じました。そんな計 3 代のザクセン選帝侯たちが、
ヴィッテンベルクを帝国内の新たな文化拠点とすべく、クラーナハを宮廷画家として雇用していたのです。
しかし、やがて 1547 年に、ヨハン・フリードリヒ寛大公が皇帝カール 5 世(no. 31)率いるカトリック陣営に敗北すると、選帝侯位は
ヴェッティン家のもうひとつの家系、アルブレヒト系に移されます。クラーナハが亡くなったのち、彼の工房を引き継いだ同名の息子
ルカス・クラーナハ(子)は、今度はそのアルブレヒト系のザクセン選帝侯、
アウグスト
(no. 32)
らに寵愛されました。
04
Ⅲ グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ
Graphic Experiments: Cranach the Printmaker
クラーナハはおそらく、みずからの芸術を、経済活動の一環とみなしていました。そんな彼にとって、
版画という複製技術は、絵画に負けず劣らず重要です。16 世紀前半のドイツにおいて、版画は、
ただイメージの大量生産を可能にするテクノロジーであっただけではありません。それはまた、注
文主の趣味や意向に縛られない、
より自由な制作を許容する、いわば実験場でもありました。ク
ラーナハの芸術における版画の重要度は、そこに彼のトレードマークである有翼の蛇紋章が描
かれていることからも、窺い知れるでしょう。
本章ではクラーナハの荒々しくうねるような描線、
ダイナミックな構図、
そして鮮烈な色彩をもまとう、
多色刷り木版(キアロスクーロ)
の数々をご覧ください。
《聖アントニウスの誘惑》
《聖クリストフォロス》
1506 年 木版(第 2 ステート) 国立西洋美術館
1509 年頃 キアロスクーロ木版(第 2 ステート) アムステルダム国立美術館
© The National Museum of Western Art, Tokyo
© Rijksmuseum, Amsterdam
05
Ⅳ 時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相
Timeless Ambivalence: Aspects of the Nude
クラーナハ独特の官能的な裸婦像は、1520 年代に確立されました。古典古代の理想化された
人体表現に範をとるクラーナハですが、
しかし単なる模倣にはとどまりません。彼こそ、
アルプス以
北においてはじめて、神話主題の裸婦を等身大で描きだした人物でした。
愛の女神ヴィーナスをはじめ、
クラーナハの描く裸婦像は、見る者を警告しつつ誘惑するという、二
重の性格をそなえています。道徳的な教訓を隠れ蓑に、
正当化される官能的な裸体。
こうしたアン
ビヴァレンス
(二律背反)
によって、
クラーナハは新たな表現領域を切り開いていったわけです。
《泉のニンフ》
1537 年以降 油彩 / 板 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
© Courtesy National Gallery of Art, Washington
《ヴィーナス》
1532 年 混合技法 / 板 シュテーデル美術館、
フランクフルト
© 2016 DeAgostino Picture Libars/ Scala, Florence
《ルクレティア》
1529 年 油彩 / 板 サラ・キャンベル・ブラッファー財団、
ヒューストン
© Sarah Campbell Blaffer Foundation, Houston
06
Ⅴ 誘惑する絵─「女のちから」
というテーマ系
Pictorial Temptations: The Theme pf“Power of Women”
絵はひとを誘い、
また惑わせる─クラーナハはそうした「誘惑」の作用を、誰よりもよく心得ていまし
た。その作品群からは、
ある種の集合的な
「誘惑」のイメージ、つまり
「女のちから」や「女のたくら
み」
と呼ばれるテーマ系が浮かびあがってきます。
女性の身体的魅力や性的誘惑に男性が屈服し、堕落していくという物語の類型を、
クラーナハは
さまざまな主題をとおして表現しました。ただし、重要なのは「女」だけではありません。クラーナハ
は、男性への警告にとどまらない、
より普遍的な
「ちから」、誘惑それ自体を問題としています。後世
の画家たち、
それにいま、作品を見つめる私たちをも惹きつけてやまない「誘惑」のイメージ群。本
章では、
クラーナハ芸術の根幹をなす「女のちから」をあますところなく紹介します。
《ホロフェルネスの首をもつユディト》
1525 /30 年頃 油彩 / 板 ウィーン美術史美術館
© KHM-Museumsverband
《不釣り合いなカップル》
1530 /40 年頃 油彩 / 板 ウィーン美術史美術館
© KHM-Museumsverband
07
《ヘラクレスとオンファレ》
1537 年 油彩 / 板 バンベルク財団、
トゥールーズ
©bpk/ PMN - Grand Palais/ Mathieu Rabeau
森村泰昌
《ユディトⅡ》
《Mother(Judith II)
》
1991 年 発色現像方式印画 東京都写真美術館
© Yasumasa Morimura
08
Ⅵ 宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて
Faces of the Reformation: Beyond Luther
クラーナハは、マルティン・ルターの肖像画を数多く手がけています。1517 年にはじまる宗教改革
運動に、文字どおりの「顔」を与えたわけです。
ルターと親交が深かったクラーナハは、ほかにも宗教改革にさまざまなかたちで寄与していまし
た。たとえばルターによるドイツ語訳の聖書に、木版画の挿絵を載せたり、
またプロテスタントの
中心的な教義を、積極的に絵で表現しようとしたりと、寄与のかたちはさまざまです。これらのイ
メージは、
プロテスタントを信奉する鑑賞者たちにとりわけ強い共感を引き起こすものでした。
《マルティン・ルター》
1525 年 油彩 / 板 ブリストル市立美術館
© Bristol Museums, Galleries and Archives
ルカス・クラーナハ(父、
ないし子?)
《子どもたちを祝福するキリスト》
1540 年頃 油彩 / 板 奇美美術館、台湾
© Courtesy of Chimei Museum
09
概要
2017 年 1 月 28 日
(土)― 4 月 16 日
(日)
開館時間:午前 10 時 ∼ 午後 5 時(金曜日は午後 7 時)
※入場は閉館の 30 分前まで
休館日:月曜日、3 /20(月・祝)
は開館、翌日
(3 /21)
は休館
主催:国立国際美術館、
ウィーン美術史美術館、TBS、MBS、朝日新聞社
後援:外務省、
オーストリア大使館
特別協賛:
協賛:大日本印刷
協力:オーストリア航空、ルフトハンザカーゴ AG、ルフトハンザドイツ航空、
アリタリア
イタリア航空、
日本航空、
日本通運、
ダイキン工業現代美術振興財団
/ 大学生 1 ,200 円
/ 高校生 600 円(500 円)
観覧料:一般 1 ,600 円
(1 ,400 円)
(1 ,000 円)
※( )
内は前売および 20 名 以上の団体料金 ※中学生以下は無料
※心身に障害のある方とその付添者 1 名無料(要証明書)
※前売券は 2017 年 1 月 27 日
(金)
までの販売
※チケットはイープラス、セブンチケット
(セブンコード:049 - 836 )、チケットぴあ
(Pコード:768 -029)
、ローソンチケット
(Lコード:52497)など各プレイガイドで販売
同時開催の
「おとろえぬ情熱、
走る筆。
ピエール・アレシンスキー展」
もご覧いただけるお得
な共通チケット
(個人・一般のみ 1 ,900 円)
を販売します
(1月28日
[土]
から4月9日
[日]
まで)
。国立国際美術館の窓口でお買い求めください
(当日券のみの販売となります)
。
事務局:06 -4862 -5777(平日 10:00 ∼ 17:00)
展覧会ホームページ:http://www.tbs.co.jp/vienna2016 /
関連イベント
講演会
1 月 28 日(土)14:00 − 15:30
講師:山梨俊夫(国立国際美術館 館長)
アーティスト・
トーク
3 月 25 日(土)14:00 − 15:30
講師:坂本夏子(画家)
いずれも
会場:国立国際美術館 地下 1 階講堂
参加無料(要観覧券)
先着 130 名
当日 10:00 から整理券を配布します
報道関係お問い合わせ
ギャラリー・トーク
「クラーナハ展―500 年後の誘惑」
2 月 25 日(土)、4 月 8 日
(土) 各日とも14:00 −
広報事務局(TM オフィス内)
講師:福元崇志(国立国際美術館 研究員)
担当:馬場・石原・瀬木
会場:国立国際美術館 地下 3 階展示室
〒 541 -0046 大阪市中央区平野町 4 -7 -7 -8 階
参加無料(要観覧券)
先着 90 名
TEL:06 -6231 -4426 │ FAX:06 -6231 -4440
当日 13:30 から聴講用ワイヤレス受信機を 貸し出します
E-mail::[email protected]
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