ONE PUNCH MAN ~白銀の女神~ ID:71148

ONE PUNCH MAN ∼白銀
の女神∼
上川 智
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小説の作者、
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︻あらすじ︼
三十九歳、︵社畜︶がある日目を覚ますと真っ白な世界に居て││。
* * *
これは、ある伝説。
光と神に愛された。美貌と力を持つ銀髪の女神が数多の悪を討つ話││。
第
第
第
4
3
2
1
46
35
28
19
12
1
目 次 第
話 ││││││││││││
第
5
話 ││││││││││││
話 ││││││││││││
話 ││││││││││││
話 ││││││││││││
話 ││││││││││││
第
6
第
話
﹁どうなってんだこりゃ⋮⋮
﹂
夢、という単語が一瞬頭を過る。試しに頬をつねってみたが普通に痛かった。
何故俺はこんなところに居るんだ。
昨日は会社の残業が終わった後、寄り道せず家に帰ってぐっすり寝てたはずなのに。
眼が覚めるとそこは全てが白い世界。上も下も右も左も全てが真っ白だった。
1
﹂
?!
人の子﹂
?
まるで身の丈もある巨大な氷塊をおぶったかのような悪寒。我知れず冷や汗をたら
瞬間、とてつもない重圧が俺の背に押しかかった。
﹁││目覚めたか
真っ白のローブを着た老人が立っていた。
思わず眼を瞑る。たっぷり数秒間かがやき続けたフラッシュが消えると、そこには
﹁うおっ
い光が瞬いた。
間ではどこが床でどこが天井なのかさえ分からないが││するといきなり目の前で眩
降参、お手上げ、とばかりに俺は手を挙げて床に突っ伏す││尤も、この真っ白な空
?
1
りと足らした俺に老人はまるで生ゴミを見るかのような冷徹とした一瞥を寄越すと、フ
ンと鼻を鳴らした。
﹂
﹁││喜べ、下等生物。貴様は我々神々によって選ばれた﹂
﹁⋮⋮⋮⋮は
言外に老人の冷たい眼差しがそう語っていたのだ。
││少しでも意に反することをすればその瞬間殺すと。
こいつは、この方は人間ではない。
本 能 で 理 解 し た の だ。目 の 前 の 老 人 に 逆 ら っ て は い け な い。意 見 し て は い け な い。
しかし俺の口から出たのはそんな掠れた声だけだった。
言いたいことはもっとあった。ここはどこだとか、お前は誰だとか。
?
?
て選ばれた存在だと。
││お前はそんな人間共の害悪文明を抹消するため、地球。ひいては神の意思によっ
││人間とはそんな地球を蝕み続ける病原菌である。
││地球とは一個の生命体である。
そうして老人は語った。曰く、
│﹂
﹁││そうだ、それでいい。少しは頭が回るようだな 無駄話をせず本題に入れる│
第1話
2
﹁││これから貴様に新たな肉体と力を与えてやろう。⋮⋮地球上の生物を抹消するに
は十分過ぎる力、だ﹂
││人間は悪だ
││人間とは害悪文明である
││人間を殺せ
* * *
いうものだった。
││どうせ生まれ変わるなら、もっと若くて、綺麗な身体に生まれ変わりたい││と
記憶の片隅、最後に残った意識の欠片で思ったことは││。
その一言を最後に俺の視界は黒く塗り潰されていった。
﹁││それ、いけワクチンマン⋮⋮人間を、害悪を、破壊し││蹂躙しろ﹂
!
!
!
その度に俺の意識は薄れ、同時に新たな精神が刷り込まれていくのを感じた。
不協和音めいた老人の声が頭を反響する。
﹂
﹁││その力があれば一朝一夕と時間をかけず、人類を滅亡させることができるだろう
3
平日の早朝、いつもは平和であるはずのA市は火の海に包まれていた。
建物は崩壊し、あらゆるところでひっきりなしに爆音が鳴り響く。
A市は戦場と化していた││。
突如A市を襲った爆発は尚
男はそれを確認するとその腰を持ち上げて静かに呟く。
ぷつん、と。テレビにノイズが走ったと思うと映像が途切れ、砂嵐になる。
も規模を拡大させ、現在協会で災害レベルを判別中との││﹄
﹃ご覧くださいものすごい轟音と揺れが続いております
!!
山だ、瓦礫の。どこもかしこも、コンクリートの山に散らばり、荒れ果てた荒野が広
に惨憺たる景色が広がっていた。
サイタマがA市に到着した頃には、そこに街があったという事実を疑ってしまうほど
* * *
││正義執行。
﹁よし、行くか﹂
第1話
4
がるのみだった。
ぽつりと漏らした呟きに返る返事はない。
﹁こりゃ⋮⋮もう生きてるやつ居ないかもな﹂
ママ││││
﹂
しかし、きょろきょろ周囲を見回すサイタマの耳にふと、弱々しくも確かに子供の泣
パパ││││
!!
き声が届いたのだった。
﹁うぇ││││ん
声の方向へ急行するサイタマ。
﹁おっ﹂
!!
のようなものがその者が人外であると告げていた。
その怪人は容姿もまた醜悪極まりなく、黒々とした肉体に頭部から生えた二本の触角
だけで恐ろしさのあまり発狂しあるいは失神していただろう。
それは、恐ろしくも不気味でおどろおどろしい声だった。常人ではその声を耳にした
﹁││何者だ、お前は﹂
気絶してしまった少女を抱き抱え、怪人の手から離れた手近な場所に横たえる。
の元へ。
それを察知した瞬間││。素早く地を蹴ったサイタマは眼にも止まらぬ早さで少女
そこには果たして今まさに怪人の手にかけられそうになっている少女の姿があった。
!!
5
あるいはこの相手が自分を脅かす強敵でありますように││。
久々の大物に、僅かばかりの期待を寄せ、口端に笑みを作るとサイタマはいつもの口
上を口にした。
﹂
﹁⋮⋮俺は││趣味でヒーローをやっている者だ﹂
* * *
﹁││ん
﹂
ると膝を着く。
今回も一撃で終わってしまった相手の肉片を一瞥し、サイタマは虚しさを咆哮に変え
その後は││、大方が予想通りであった。
﹁くそったれぇええええええええええええ
!!
﹂
疑問に思ったサイタマは試しにその糸を鷲掴みにし、ぐいと引っ張る。そうして中か
?
束だ。
もれているのに気が付いた。白っぽく、太陽に反射し、キラキラと光るそれは銀の糸の
しばらくそうしていたサイタマだったが、ふと目の前の怪人の残骸。肉片に何かが埋
?
﹁なんだ、これ
第1話
6
ら出てきたのは、
﹂
ワンパン
およそ齢十二、三の、長い銀色の髪をした全裸の少女だった││。
﹁⋮⋮⋮⋮え、なにこれ迷子
ワンパン
* * *
以上の通りである。一瞬にしてやられた。いや、俺が言うのもなんだけど結構強くな
そうして破壊の限りを尽くしていると、どこからともなく禿げ頭の男が現れ││。
し意識は保ったまま勝手に身体が動くのだ。
例えるならゲームの三人称のような、自分で自分の四肢も口も一切を動かせず、しか
俺の意思とは少し違う。
人類を殺戮する怪人となった俺は手始めにA市を破壊していた││。しかしそれは
んな感想を漏らした。
俺は自由の効かない身体にもがきながら、どこか客観的な意識を抱き、事の顛末にそ
一撃だった。それはもう見事な一撃だった。
?
7
かった
俺、曲がりなりにも神と地球に選ばれた存在なんだよね
ていいの
?
こんな瞬殺され
?
﹂
分離したみたいな││。
﹁なんだ、これ
そんなこと考えてると頭上から声が聞こえた││って、痛た
痛い
もしかしなくとも髪の毛を引っ張られてる。そりゃ痛いはずだ。
?!
?
最初に俺が見たのは俺を倒した禿げ頭の男だった。
あまりの激痛に抗議の意を込めて眼に力を入れてると引きずり出された外の光景で
!!
ぶっ飛ばされたはずなのに五体満足の感覚があった。まるでさっきの怪人の身体から
そんなこと考えてると、ふと身体が軽いのに気が付いた。というか、さっき粉々に
?
間違いなく、あの真っ白な空間で出会った老人以上の気迫だった。
か負けるとかじゃなく、戦いを挑むことさえおこがましい。
ヤバいなんてどころじゃない。身体中が警報を告げている。勝てない。いや、勝つと
今ならわかる。間近で見て、この気配。
だって威圧感かハンパじゃない。
思わず変な声が出た。
﹁││うぇっ﹂
第1話
8
﹂
必死にそんな凍りつくような恐怖に耐えていると、ふと眼前の男は鎌首をもたげて
言った。
﹁⋮⋮⋮⋮え、なにこれ迷子
﹁違ぇよ⋮⋮﹂
しまった
機嫌を損ねたか
と、俺が戦々恐々としていると、
﹂
かしどこか頼りない弱そうな風貌だが。
﹁││お前、父ちゃんと母ちゃんは
男がふと、そんなことを聞いてきた。俺は素早く首を振る。
両親なんてもう十年以上前に死んでる。俺、今年で三十九だぞ。
﹂
?
?
﹁これから、そこに倒れてる子を近くの街に送ってやるけど、お前もそれでいいか
﹁││い、いや
!
﹂
恐らく、そのこてこてのヒーロー衣装からも察せられるに悪者ではないのだろう。し
息の詰まりそうな圧が霧散し、俺は一息吐く。
瞬間、男の纏う雰囲気が少しだけ緩和した。
男はそれだけ呟いた。
﹁││そっか﹂
!?
ぽつりと、俺が反射的にそう呟くと男は眼をぱちくりさせた。
?
!
9
続けた男の言葉に素早く首を振った。
冗談じゃない。今では俺は立派な犯罪者だ。人殺しだ。
﹂
なーんて言っても理解されようはずもない、即断罪である。
││変な老人に身体をいじくられて⋮⋮とか、こんなことするつもりじゃなかったん
です
いいんですか
﹂
!
﹂
?
きた。
そんな思考をしていると男はおもむろに自身のマントを取ると俺に向かって放って
ばらく匿って貰えそう。
間髪入れずに頷く。俺からしたら願ってもない提案だ。悪い人じゃなさそうだし、し
﹁えっ
﹁じゃお前、一旦俺ん家来るか
黙りこくる俺に、男は一度ため息を吐くと、俺の頭にぽんと手を置いてきた。
﹁││はぁ、﹂
たし俺、マジこれからどうしよう⋮⋮。
その問いかけに俺は首を捻る。住む家はもちろん、身体も変なバケモンにされちまっ
﹁じゃ、お前どうすんの
?
!
?
﹁あっ、すいません﹂
﹁ほら、それでもいいから着とけ、お前今裸だろ﹂
第1話
10
﹂
恐縮しつついそいそとマントを纏う。その時、俺はようやく自分の身体を見下ろし│
│、
﹁││は
﹂
?
?
したね。
御覧ください。あなた達の息子は立派な娘に成長いたしましたよ
⋮⋮いや、ほんと、笑えない。俺がなにしたってんだよ⋮⋮。
草々
あなた達は生前、常々口癖のように﹁男より女の子の方が欲しかった﹂と仰っていま
拝啓、天国におわしますお父様、お母様。
﹁││うそだろ
いたのだった││。
あるべきものがそこにあらず、やけに白っぽく艶やかな肌が晒されているのに気が付
?
11
第
話
あ、どうも⋮⋮﹂
して俺に向かって放った。
落ち着いて気を抜くと男はおもむろに引き出しから無地のシャツと短パンを取り出
までの憂鬱な気分も和らいだ。
それを一口飲んでからほぅ、と息を吐く。慣れ親しんだ日本茶の味に心なしか先ほど
飲みに注がれた緑茶はほかほかと湯気を立ち上らせていた。
言われて俺は座蒲団の上に腰掛ける。しばらくして目の前のテーブルに置かれた湯
﹁え
﹁あ、そこ座っててくれ。今お茶出すから﹂
は空のコンビニ弁当やら割り箸が無造作に放置されていた。
一人暮らしらしい。質素な部屋は最低限の生活用品しか置かれておらず、テーブルに
だった。
そうして男に案内されたのはZ市の閑静な住宅街に建ち並ぶアパートメントの一角
2
?
﹁とりあえずこれでも着てろ、真っ裸よりマシだろ﹂
第2話
12
﹁おぉ⋮⋮ありがとうございます﹂
恐縮しつついそいそと着替える。なんかさっきからこの人に助けて貰い過ぎな気が
してならない。普通なら裏があるのかと勘繰ってしまうところだが、目の前の男は押し
付けがましくなく、むしろ助けて当然とばかり、あまりにも自然にそれらの行動を行う
ので刹那には俺は自らの邪推を圧し殺していた。
﹁俺は趣味でヒーローをやってるサイタマという者だ﹂
男││サイタマというらしい。彼は俺に対面するように腰を下ろすと、そのどこか間
の抜けたぬぼーとした顔をこちらに向けた。
﹁ああ、俺は││﹂
相手から自己紹介されたので礼儀としてこちらも名乗る。口を開いて自分の名を言
葉にしようとしたところで、
﹂
名前、そう名前だ⋮⋮。俺の名前、名前って││何だっけ
俺は最大級の衝撃に見舞われた。
﹁││あれ
?
自分の性別、年齢、家族、職業。
今ある自分の記憶の引き出しを出来る限り引っ掻き回す。
ぽっかり、記憶に巨大な穴が開いたような喪失感を感じ、同時に俺は焦燥した。
?
13
その他は思い出せるのに自分の名前だけが思い出せなかった。
そうして自覚ある分だけまだいい。
││無自覚の中で、俺は何かとても大切なことを忘れてしまってはいないか。忘れた
ということさえも忘れてしまって。
﹂
ふとそんな結論を抱き、全身のうぶ毛が粟立つような恐怖を感じた俺は思わず身を震
わせて口元を抑えた。
﹁││もしかして、お前自分の名前わかんねぇのか
俺が言葉なく無言で頷くとしばらくしてぽんと俺の頭に手を置かれた。
いつしかまた、サイタマは纏う雰囲気を真剣なものに変化させ、そう問いかけてきた。
?
それはある種の予感でありながら確信だった。今の俺の姿を見て嘲笑う奴の姿があ
きっと、恐らく、必ず、俺の記憶を奪ったのも奴の仕業だ。
凶。
ふと、脳裏に白いローブを纏った老人の姿が写しだされる。俺をこんな姿にした元
抑えきれない激情の嵐が俺の心中に渦巻き、一筋の滴となって俺の頬を流れた。
ぽろりと、涙が溢れた。
悩むなよ﹂
﹁あー、⋮⋮俺、専門家じゃねぇからそういうのよくわかんねぇけど⋮⋮。あんま、思い
第2話
14
15
りありと脳裏に浮かび上がった。
絶え間無く涙を溢れ落とす俺を見て、その間サイタマはずっと黙って俺の頭を撫でて
いた。
静かに、優しく。
それは俺が泣き疲れて眠るまで続いていた。
* * *
時が経つのは早いもので、俺がサイタマの家の居候になってから既に一週間が過ぎよ
うとしていた。
早朝、ぱしゃぱしゃと顔を水洗いしてタオルで拭う。ふと視界の照準を洗面台の鏡に
移すとそこにはこの世のものとは思えない美貌を持った少女が俺を見返してきた。
きめ細かい銀髪はまるで髪の毛一本一本が高級な絹糸のようにさらりと靡き光を振
り撒いている。艶やかな曲線を描く身体は粉雪のように酷く白く、そして華奢だ。
全体的に精緻で巧妙な人形細工と言われて納得してしまうほど整った容姿に、真っ赤
な緋色の瞳が一際異彩を放って光輝いている。
しかし慣れとは怖いもので、最初の方はそんな自身の容姿に戸惑ったが二、三日もす
ると自然に馴染んでしまっていた。今ではこの身体で殆ど違和感なく日常を過ごせる
ようになっている。
アカメか⋮⋮﹂
﹁おいサイタマ。起きろ、ご飯できたぞ﹂
﹁⋮⋮んぁ
﹂
?
﹁パンとベーコンとスクランブルエッグだ﹂
﹁今日の朝メシはー
いつまでも﹁おい﹂とか﹁お前﹂とかで呼ばれるよりはマシだと思っている。
まぁ、他に大した候補も挙がらず俺も名前に大した拘りもなかったので決定したが、
る。いくらなんでも安直すぎんだろ⋮⋮。
何か色々斬りそうな名前だが、命名はサイタマで、理由は赤い眼をしてるから、であ
ちなみにアカメ、というのは俺の新しい名前だ。
未だ寝ぼけ眼の家主はのっそりと布団から起き上がった。
?
全然料理しないし、掃除もしないんだもん。
ちなみにここに来てからというもの炊事、掃除等は俺の役割になった。だってこいつ
けた。手を合わせ、いただきますをしてから料理に箸を伸ばす。
食べ物の匂いに覚醒したらしいサイタマがテーブルの前に座ると俺も対面して腰掛
﹁おっ、うまそう﹂
第2話
16
最初の方は俺みたいな子供││ただし中身は立派な大人だが││に料理をさせると
いうのに難色を示していたサイタマだったが、俺の料理の腕を知ってからは何も言わな
くなった。自炊生活十年以上の俺の料理の腕はもはやプロのレベルに片足を突っ込ん
でると言っても過言ではないのだ。
そんなこんなで食事を終え、食器を片しているとサイタマは自分の財布から一万円を
取り出してテーブルの前に置いた。
?
俺は肩をすくめた。
てかそのジャージ俺のだから
!
﹁別にこれでいいじゃん﹂
!
と嘆息を吐いて首を横に振った。
思わずぽつりと漏れた俺の呟きに、サイタマは珍しく飽きれ果てたような表情をする
﹁面倒くさいんだよなぁ⋮⋮﹂
間髪入れずサイタマに指摘され俺は思わず仰け反った。ううむ、しかし。
﹁いや、駄目だろ
﹂
ブカブカの上下ジャージに下着は男物のトランクス。以上。
そう指摘され俺は自身の服を見直す。
買ってこいよ﹂
﹁お前、いつまでもそんな服装じゃ駄目なんじゃないか これでなんか好きな服でも
17
そんな風に考えて俺は手渡された一万円札を握りしめたのだった。
えばいいか。
││まぁ、手近なところでB市にレまむらとウニクロがあったし、そこで適当に見繕
こうして今日の俺のお昼の予定は半ば強制的に決定させられたのだった。
のかよ⋮⋮﹂
﹁お前⋮⋮まるでおっさんだな。手がかからないのはいいけどさ、女としてそれでいい
第2話
18
話
3
た人垣が形成されているのに気が付いた俺は堪らず人の少ない裏路地に逃げ込み、ボロ
今もまるで俺を監視するかのように遠巻きでこちらを見据えてくる人でちょっとし
したら││そりゃ、俺だって思わず振り返ってガン見してしまうかも知れない。
場になって考えたらどうだろう。前から突然、アイドル顔負けの美少女がやって来たと
半ば忘却していたが、今の俺は見た目だけで言ったら超の付く美少女なのだ。逆の立
ドーのガラス張りの窓に映った自分の容姿を見て、客観的にそう思った。
こればかりは俺が失念していたと言わざる負えない。ふと眼についたショーウィン
る。まるで動物園のパンダにでもなった気分だ。
誰かとすれ違う度に振り返られ、唖然とばかりに凝視され、居心地の悪さを加速させ
かった。
それに加え、俺が歩くと周囲から向けられる好奇の視線の数々。これが厄介極まりな
に溢れ、非常に鬱陶しい。
昼堂々とイチャイチャするカップルや大学のサークルらしき若者の集団が散漫と辺り
休日の昼間ということもあってかB市の繁華街は人の群れでごった返していた。白
第
19
い古着屋で買う予定のなかった野球帽を購入すると、輪ゴムで適当に束ねた銀髪の上か
ら目もとの辺りまで覆うようにそれを深く被った。これで変装は完璧だ。
とんだハプニングに見舞われ、大幅に遠回りすることを余儀なくされた俺だったが、
無事に目的地のウニクロに到着した。
店に入るや否や買い物籠を手に、そこらへんにあった安くて着心地の良さそうな服か
らぽいぽい籠の中に入れていく。俺は見た目より機能重視なのだ。
ついでに試着室で着替えも済ませ、上下だぼだぼのジャージという出で立ちから、無
地 の シ ャ ツ と 短 パ ン と い う 極 め て ラ フ な 衣 装 に 衣 替 え し て か ら 足 早 に 店 を 後 に し た。
合計で八七五〇円と思ったより高く消費してしまったのは痛い。
まぁ概ねではあるものの、無事ショッピングを終えた俺は買い物袋を片手に鼻歌を混
じせ、帰路につく。
︵残ったお金でお菓子でも買って帰ろうかな︶
寧ろこれが今回の本題だったりする。
残ったお金でどんな物を買おうかとうきうきしながら黙考していると、
﹂
!?
空を仰ぎ見た。
ふと腹から込み上げる悪寒と、息が詰まりそうな重圧を感じ、刹那には顔を持ち上げ、
﹁││││││ッッ
第3話
20
プレッシャーは郊外の山林から発生しているようだった。異様な風向きの変化と空
気が変わったのを肌で感じ、ざわりと胸騒ぎを覚えた。
果たしてそれは俺の予感の通り、みるみる内に膨れ上がっていく威圧感は文字通り大
きく巨大化していき、山林を悠々と越える男の巨人の姿を形成すると地鳴りを響かせ、
街を踏み潰し、真っ直ぐこちらに向かってきた。
﹂
!!
飛行││というか、落下している一筋の放物線を発見し、俺は安堵の息を吐く。
果たして数秒後には俺の読み通り、綺麗な弾道を描き、さながら砲弾のように空中を
いで高速接近してくる気迫に気が付いたからだ。
目の前の巨人は確かに恐ろしいが、先ほどからこちらにジェット機もかくやという勢
対して、俺の心中はどうかと言うと思いの外落ち着き払っていた。
人々は逃げ、戸惑って辺りはあっという間に阿鼻叫喚の渦に包まれる。
鳴が爆発した。
けたたましいサイレンと共にそんな勧告が促されると、辺りは一瞬の騒然の直後、悲
﹁うわあああああああああああ
﹃││現在、巨大生物はB市に接近中││、近隣住民は、至急避難を開始して下さい││﹄
﹃D市に││巨大生物が出現││D市は消滅しました││﹄
﹃││緊急避難警報││災害レベルは││鬼﹄
21
﹁おーい
サイタマー
﹂
!
取っていたことに気が付かされる。
皆、足を止めて俺を注視していたのだ。そこで俺は先ほどまで自分が余程大胆な行動を
周りの人々はさっきまで嵐のような戸惑いを見せていた筈なのに、今は何故か皆が
に気が付いた。
巨人の肩に着陸したサイタマの姿を確認しつつ、視線を戻すとやけに周囲が静かなの
これでもう大丈夫だろう。
が付いたのか、サイタマはちらと横目で俺を見て、サムズアップを返してきた。
しかし太陽の光に反射してキラキラ輝く銀髪はやはり一目を惹くらしく、向こうも気
の上ない。
振った。反動で結わいた髪が解けて視界の端でゆらゆらと揺れるのが鬱陶しいことこ
俺は被っていた野球帽を脱ぎ捨て、その小さな人影││サイタマに向かって両手を
!
にした。
彼方でぶっ飛ばされる巨人をしり目に俺は野球帽を被り直し、そそくさとその場を後
﹁⋮⋮やばっ﹂
第3話
22
││この日、B市を襲った巨人はどこからともなく現れた銀髪の美少女が天に手を掲
げると、彼方へ吹き飛んでいったという噂がまことしやかに広がったらしい。
現場に居合わせた人々は口々にこう言った。││聖女の奇跡だと。
* * *
か
﹂
﹁い、いえ⋮⋮
明していた男を一言で押し黙らせた。
侮蔑的な視線を向けたまま新聞をテーブルに放るとアマイマスクは慌てて色々と弁
!
?
﹁││甘いよ﹂
ですが被害は最小限に留められたと││﹂
﹁全く││この体たらく。現場のヒーローは何をしていた、呑気にお茶でも飲んでいた
を睨めつける。
名前の通り美麗と整った顔を歪め、アマイマスクはヒーロー協会の遣わした職員の男
ケメン仮面≫アマイマスクは手にした新聞を読み上げた。
スタジオの舞台裏。ゆったりとしたカウチソファに腰掛けながらA級ヒーロー≪イ
﹁││D市に突如、巨大生物が出現。D市は壊滅、か﹂
23
この巨人を倒したヒーローは誰なんだ
﹂
場に重苦しい空気が広がり、アマイマスクの冷たいため息の声が響く。
﹁それで
?
タツマキじゃないのか﹂
?
なくもっとハッキリしたものを││﹂
﹁まるでおとぎ話の聖女だな、混乱して幻覚でも見たんだろう。そんな眉唾な情報じゃ
ハッと、アマイマスクは思わず鼻で笑った。
たと⋮⋮﹂
﹁それが、現場に居合わせた市民の情報によると││銀の髪を持つ少女が現れ、街を救っ
﹁じゃあ誰だ﹂
﹁は、はい。タツマキさんはその時、別任務の最中だったと││﹂
﹁⋮⋮何だと
乗り出すのは半ば仕方のないことだった。
だから、予想だにしない男の言葉を聞いた時、アマイマスクが思わずソファから身を
﹁そ、それが││詳しいことは未だ不明です﹂
慄の≫タツマキが応対したのだろうと当たりを付けて、
現場状況、そしてテレビに報道されていた巨人の図体から察するにS級二位││≪戦
半ば形式ながらもアマイマスクはそう聞いた。
?
﹁いや、それが⋮⋮﹂
第3話
24
アマイマスクの言葉を遮り、男が持ち出したのは黒のタブレットだった。画面には粗
﹂
い映像で繁華街とおぼしき風景が映っている。
﹁⋮⋮これは
﹂
?
を脱ぎ捨てたのだ。
しばらく立ち尽くしていた子供だったが、ふと自身の帽子に手を掛けると乱雑にそれ
やがて、状況が動く。
感じさせアマイマスクはいつしか静かに画面を注視していた。
ラリ伸びた細足はしなやかで美しく、その立ち姿は映像越しにも息を呑むような美貌を
無地のシャツに短パン姿、野球帽を深く被ったその表情は伺い知れないが、しかしス
ら凡そ十代前半。
しかしそんな中でアマイマスクは奇妙なものを発見した。子供だ。それも背格好か
﹁││ん
街並みが映る。
慌ただしく逃げ惑う人々の映像から始まり、数秒後には静けさが溢れ、がらんとした
向けた。
それまでと違ってやけに真剣な男の声音に渋々とアマイマスクはタブレットに眼を
﹁││B市の監視カメラの映像です。これをご覧下さい﹂
?
25
﹁││││美しい﹂
思わずそんな感嘆が漏れた。きらびやかな銀髪を風に靡かせ、現した少女の素顔をそ
れ以外に的確に表現できる言葉を知らなかった。
例えば高名な彫刻家が長い年月を費やし作り出した美神の彫刻か。
明らかに人間の範疇から逸脱した少女の美しさにアマイマスクは息をすることすら
忘れて画面に食い入った。
そして、映像の少女は両手を掲げる。
その数秒後には巨人が彼方へ吹き飛ばされ、B市は歓喜の渦が覆った。
少女はそんな中、改めて帽子を被り直すと、静かに街角へと消えていく││。
我知れずアマイマスクはそう呟いていた。
﹁││白銀の女神﹂
今、彼は確信したのだ。今のヒーロー協会に必要なのは絶対的強さとカリスマを兼ね
備えた人材。それこそ、名も知れぬ彼女であると。
﹂
﹁こ の 少 女 を 探 す ん だ。あ ら ゆ る 手 段 を 行 使 し て で も 絶 対 に。本 部 に も そ う 伝 え て お
け﹂
!
有無を言わせぬアマイマスクの気迫に男は頷く。
﹁││は、はい
第3話
26
27
乾いた舌に潤いを求め、果汁酒で口を湿らせると久方に感じなかった高揚感を落ち着
かせ、アマイマスクは瞑目した││。
第
話
しても改善しない俺を見て諦めたらしい。最近では何も言ってこない。
最初の方は俺がだらしない格好をすると色々と嗜めてきたサイタマだが、いくら指摘
微妙な顔で一瞥した後、ジョウロを持ってベランダの植木鉢に注いでいく。
萎えたように言ってキッチンから顔を出したサイタマは腹を出して寝っ転がる俺を
﹁えぇ∼Z市も入ってんじゃん。勘弁してくれよ﹂
﹃蚊の発生区域の皆さまは窓を閉め、外出を控えるなどの対応を││﹄
かさっぱりわからん。
専門家っぽい禿げたおっさん達があれこれ議論しているが、ハッキリ言って何言ってる
なんでも新種の蚊の大量繁殖が世間で問題になってるらしい。今も朝の報道番組で
るサイタマに向かってそう言った。
麗らかな朝日が窓から差し込む中、無防備に床へごろんと寝転びながらキッチンに居
﹁蚊の異常発生だって、お前も気を付けろよ﹂
4
くあ、と欠伸を噛み殺して立ち上がる。視界の端で何やらぶぉんぶぉん高速移動して
﹁⋮⋮カルピス飲も﹂
第4話
28
るサイタマの姿が眼に入ったが、気にせず俺は勝手口に向かった。
﹂
?
最後に野球帽を被り、俺はアパートを後にした。
﹁じゃあ行ってくるわ﹂
これで蚊の対策は万全だろ。
言いつつサイタマから金を受け取り、俺は虫除けスプレーをさっと身体に振り撒く。
﹁うわだっせ﹂
﹁⋮⋮いや、そこで蚊に刺されてな﹂
﹁何やってんの⋮⋮
にぽりぽり掻いている。
サイタマが若干、疲労した顔でベランダから出てきた。額に作った赤い腫れを痒そう
﹁あ、ついでにおつかい行ってきてくれよ、金渡すから﹂ ﹁ちょっとカルピス買ってくるわ⋮⋮﹂
高の一品、カルピスだけなのである。お茶なんて邪道、水なんて論外なのだ。
刻一刻と迫る喉の渇きと餓えに俺は焦った。今の俺に潤いを持たせる甘露はあの至
冷蔵庫を開くや俺は絶句した。そうカルピスが空なのである。
﹁カルピス切れてるじゃん⋮⋮﹂
29
* * *
ジェノスが街に降り立つや否や洗礼とばかりに出迎えてきた蚊の大群が取り囲み、そ
﹁ここがZ市⋮⋮。見事に人の気配がしないな﹂
の針のように鋭い口器を突き立ててきた。
常人では一瞬にしてミイラにされてしまうだろう何千、何万の一斉による吸血も、し
かしジェノスの││身体を改造し、鋼鉄の皮膚を手にしたサイボーグ人間である彼の前
では何の意味も成さなかった。
﹁││焼却﹂
ぼぉ、と一瞬の閃光と共にジェノスの右手から凄まじい威力の火炎放射が放たれた。
一瞬で黒い灰や煤になった羽虫の死骸を払いつつジェノスはその鋭い視線を宙に漂わ
す。
一点に視点を定め、ジェノスはその場から大きく跳躍する。
﹁││高エネルギー反応アリ。⋮⋮あそこか﹂
果たして、そこには予想通り。まるで女王のように大量の蚊を侍従させ、空にふわふ
わと浮かび上がる女型の怪人を発見した。
﹁ぷ は ぁ ∼ な に よ ア ン タ 達。こ ん だ け じ ゃ 全 然 足 ん な い わ よ。も っ と 吸 っ て ら っ し ゃ
第4話
30
い﹂
﹁││ッ
やってみなさい
﹂
!!
?
れていた。
﹁││ふふ、次は足かしら
﹂
空中で交わり、やがてすれ違って降り立ったジェノスの片腕は、モスキート娘にもが
刹那の停滞の後、衝突する二つの影。
!
﹁お前を排除する。││そのまま動くな﹂
キート娘にジェノスは冷静に、掲げた右手をゆっくりと向けた。
捕食対象とばかり思っていた相手からの予想外の反抗を受け、顔を強張らせるモス
前に一瞬で灰と化す。
主人の命に襲いかかってきた蚊の大群も、恐るべき火力を誇るジェノスの﹃焼却﹄の
﹁焼却﹂
﹁あはっ、食事が来たわ。吸いつくしてあげなさい﹂
らせた。
なるが、ジェノスの姿を眼に止めると、直ぐに肉食獣の如き嗜虐的な笑みに取って変わ
女型の怪人││モスキート娘は突然の闖入者の声に眼を瞬かせ面を食らった表情に
﹁││なるほど。蚊の大群に血を吸わせてそれをお前が独り占めしていたのか﹂
31
勝利を確信し、口端を吊り上げるモスキート娘だったが。数秒の違和感の後、目の前
のサイボーグが手にしている物に気が付く。
私の足⋮⋮﹂
それも、近い
!?
!!
彼もまた素早く右手を掲げ││、
高エネルギー反応
﹂
しかしみすみすとそれを見逃すジェノスではない。
﹁││逃がすか﹂
そう決断したモスキート娘が取った行動は即ち撤退であった。
これ以上の戦闘は得策ではない。
呟き、素早く踵を返す。
﹁今のままじゃ、殺されちゃいそうね⋮⋮﹂
に明確な死を悟った。
ぽいと、まるでゴミを扱うかのように放られた自身の両足にモスキート娘は戦慄と共
﹁││あ、あれ
?
外れのエネルギーを察知し、ジェノスはその身を凍らせた。
粟立つような恐怖とプレッシャー。先ほどまでの怪人とはまるで比較にならない桁
﹁││ッ
!!
果たしてそこから現れたのは一人の子供のような姿だった。ねずみ色のパーカーに
﹁││ふんふふんふふー﹂
第4話
32
││いや︶
紺のジーンズを履いた人影は野球帽を深く被り、表情が伺い知れない。
な存在ではないと。
ジェノスは懸命に自身を叱咤した。
た。
﹁待て﹂
?
虚を突かれたように、その怪物は立ち止まる。顔を上げ、帽子からその瞳を垣間見せ
﹁││お
﹂
久しく感じなかった震え上がるような恐怖を押し込み、その怪物の前に立ちはだかっ
・・
あらゆる警報が告げている。目の前の子供のようなものは、決して見た目通りの貧弱
というのに額から滴る冷や汗をジェノスは認識した。
まるで心臓を鷲掴みにされたような錯覚。サイボーグの肉体は汗をかかないはずだ
││この、気配。
それになにより││、
で子供が現れるなど、そんな偶然が果たしてあるものだろうか。
物見高くとも外に出ようとは思わないハズだ。それにこんなところに、このタイミング
ジ ェ ノ ス は 直 ぐ 様 そ の 考 え を 否 定 し た。ヒ ー ロ ー 協 会 か ら 警 報 は 発 令 さ れ て い る。
︵迷い込んだ、子供
?
33
││、
││ゾクリ
﹂
不明瞭な声でモゴモゴと呟く。
﹁││あー、いや、俺は⋮⋮﹂
﹁││人間ではないのなら、排除させてもらう⋮⋮
﹂
!
﹂
構え、右手を突き出す。勝負は一瞬、最大力の焼却砲を││
﹁へ
﹂
冷徹な声を喉から絞りだし、ジェノスがそう言うと怪物は気まずそうに横を向いた。
﹁││お前、人間じゃないな﹂
イドがあるのだ。
しかし下がれない。サイボーグとなり、機械と化したジェノスの心にも引けないプラ
││無言の威圧でこれほどとは。
まるで血の池に浸したような赤々しい朱の瞳に睨まれ、ジェノスは半歩押し下がる。
﹁くっ⋮⋮
!
眩い閃光の後、全てを切り裂くような爆音。豪炎が辺りに轟いた。
!!
!
?
﹁││焼却
第4話
34
第
話
﹂
││この服まだ買ってから二回しか着てなかったんだぞクソッタレ
﹁ふああああああああああああっ
俺はこの耐え難い悲しみをありったけの咆哮へ変え、天へと轟かせたのである。
あるいは、それは喪失感か、行き場のない憤りか。余りにも冷酷、そして無情。
て、俺は名状し難い感情をその時確かに抱いたのだ。
ずの衣類が消失し、俺の周りにはただこんもりとした灰の山が形成されていたのを見
眩い閃光。充満した焦げ臭い煙が晴れて、ふと視線を下に落とすと身に纏っていたは
そう、俺は││社会的に││死んだのである。
今この瞬間。俺という一個体の存在は確かに終わりを告げたのだ。
めたのである。
予測も回避も不可能な、横暴で残忍なその一撃は正確に、的確に、俺という人間を殺
余りにも唐突で、そして残酷な一撃だった。閃光、爆発、崩壊。
それは突然だった。
5
俺は激怒した。
!!
?!
35
必ず、目の前の邪智暴虐の男を除かねばならぬと決意した。
俺には法律がわからぬ。しかし邪悪には人一倍に敏感であった。俺には父も、母も既
に居ない。女房も居ない。二十五歳の禿げたヒーローと二人暮らしだ。世のため人の
ため、社会に何か貢献できたかと言えば首を捻るばかりである。
││だからってこんな仕打ち、あんまりじゃないか。
俺は泣いた。静かに泣いた。心の中で沸々と煮えたぎるこの紅蓮のような激情をど
こかに、誰かに、ぶつけねばならぬと思った。
ふと視界に入る。身体からぷすぷすと煙を出しながら膝を着く憎っくき男が目に入
﹁││くっ、無傷とは。ここまで⋮⋮か﹂
り、俺は視線を尖らせた。││たった今決めた。この男に服代を弁償させると。
幸い、今の俺の性別は女である。セクハラ料も加算して一万円はふんだくれるだろ
う。
そうと決まれば俺は男に向かって大股で歩みを進める。決意を固めた俺の意思はさ
何か面白いことやってるじゃない。私も混ぜてもらえるかしら﹂
ながらダイアモンドよりも凝固なのだ。あれってハンマーで叩いたら割れるらしいけ
﹂
?
?
ど。
﹁あ
﹁││あら
第5話
36
そんな中で割り込んでくる者がいた。
女だ。それも全身真っ赤のペンキを塗りたくったみたいな女だった。虫みたいなコ
スプレをして宙に浮かんでる。
││全然気が付かなかったけどこいつ虫かなんかの怪人か、サイタマとずっと居るせ
いでどうも感覚が鈍ってるらしい。なんか今までの怪人に比べたらずっと弱く見える。
!!
走った瞳孔で俺を見てきた。いわゆるガン見である。
⋮⋮せっかく見逃してあげようと思ったのに、貴女馬鹿なのかしら
?
金属同士がぶつかったみたいな硬質音がした後、その怪人の爪は俺の頭で止まってい
やれやれ、と言わんばかりに首を振る怪人は爪みたいな手を俺に向けて振りおろす。
﹁は、あ゛
﹂
俺がそんな返答をするとその怪人はぐるんと勢いよく顔をこちらに向け、開いて血
﹁││うるせぇババア﹂
女の怪人は言ってくすりと笑い、
獲物、手を出さないでもらえるかしら﹂
﹁まぁいいわ、同じ怪人のよしみで殺さないでおいてあげる⋮⋮。それよりアレは私の
前の男の方へ顔を向ける。
その女の怪人は俺を上から下へ舐めるように視線を移すとそう言った。その後、目の
﹁おちびちゃん⋮⋮よく見たら人間じゃないわね。私達に近いものを感じる﹂
37
﹂
た。なんかじんじんして地味に痛かった。
﹁いきなりなにすんだ
﹂
!
﹂
!
* * *
﹁││お前には致命的な弱点がある。それを今、教えてやる﹂
殺意丸出しでこちらを睨む怪人だが今の俺にとってはまったく怖くない。
﹁なんですって⋮⋮
﹁お前、虫の怪人だろ。だったら今の俺に勝てないぞ││絶対に、な﹂
い至り、俺は不敵な笑みを浮かべた。
そんなに強く蹴った覚えはないのにと頭を捻る俺だったが、直ぐに一つの可能性に思
ごほっ、と吐血しながら腹を押さえる怪人の姿は演技に見えない。
﹁な、なに、今の⋮⋮なにを⋮⋮﹂
た。ドォンドォンと二、三回バウンドしてから足を着く。
││ので、ムカついたからその怪人の脇腹に蹴りを叩き込むと大袈裟に飛んでいっ
﹁ごぼっ
!!
﹁││お前には致命的な弱点がある。それを今、教えてやる﹂
第5話
38
その言葉を耳にした時、モスキート娘の頭に沸いたのは明確な殺意だった。
自分に弱点がある。それは言外にお前は不完全な存在であると言われたようなもの
だ。怒りが沸かないはずがない。
しかし一抹の興味があるというのも否定できなかった。自分自身気が付いてない弱
点、それを目の前の少女は知っているのだという。
どんなトリックを使ったのか知らないが、隙を突いて自分に膝を着かせた相手の話な
ど、本来なら耳を貸すことなく一瞬にして消してやりたい。しかし話を聞いてからでも
いいかも知れない。殺すのはその後でもいいはずだ。
一瞬の思考でそんな結論を下したモスキート娘は血ヘドを飲んで殺意を抑えた。話
を聞いた後は││、容赦なく殺す。そんな激情を秘めて。
﹂
?
思わず間抜けた声でモスキート娘は呟く。虫除けスプレー⋮⋮。
﹁││││││は
﹁││虫除けスプレーだよ﹂
てこう言った。
少女は尊大な態度で勝ち誇ったような視線をモスキート娘にくれた後、指を突き付け
﹁ふふん。それはな⋮⋮﹂
﹁な、なんなのかしら⋮⋮。その私の弱点、というのは﹂
39
虫除けスプレー⋮⋮、虫除けスプレーというと、あの虫除けスプレーか
居るということだな
﹂
﹁虫の怪人であるお前は、その虫除けスプレーの効果で、俺に対して本来の力を出せずに
一拍置いて、少女は言う。
﹁そう、俺はここに来る前に虫除けスプレーをかけて来たんだ。││つまり﹂
?
突風を巻き起こして少女の元に接近する。
││殺そう。
││もういい。
﹁││││あぁ﹂
れた。
どうだ、と言わんばかりに胸を仰け反らせる少女を見てモスキート娘の中の何かが切
!
まずはその無防備な喉を掻き切って││、
﹂
﹁とぉ﹂
!?
鮮血を撒き散らしながらモスキート娘は吹き飛ぶ。今ので腹に大きな風穴が開いて
キート娘は、たった今殴られたのだ。
無気力な掛け声と共にモスキート娘の腹に鉛が衝突した。││否、拳である。モス
﹁がっ
第5話
40
いた。
その少女の言葉に戦慄する。まさか、いや、まさかとは思うが、本当に
﹁ふっ、やはり虫除けスプレーの効果か⋮⋮﹂
プレーで自分が押されているというのか
いや、違う。
何かがおかしい。
何かが違う。狂ってる。
﹁あっ、コラ待て
﹂
そうだ、アプローチを変えるんだ。地上が駄目なら空中から。
?
虫除けス
直後、大きなビル群に着弾したと思ったら爆音轟かせ、崩壊││というより跡形もな
ト娘の頬を掠めて後方に飛んでいき││、
ぴゅんと、少女の手から野球ボール大の光るものが見えたと思ったらそれがモスキー
││一瞬、何が起きたのか分からなかった。
﹁あ、なんか出た﹂
しばらくはこのままに、焦った心を落ち着かせ││
続けるのみ。
宙に浮かぶモスキート娘に攻撃手段を持たない少女は虚しく両手をぶんぶんと振り
!
?
41
く消し飛ばした。
威力が、範囲が、規模が、違う。
モスキート娘は事ここに至って、理解した。
・・
即ち、目の前の少女は││いや、少女の姿を模した悪魔は、自分より格上の敵である
と。
﹁なんだ今の﹂
きょとんと、まるで何も分かってないような無垢な顔する悪魔の姿がモスキート娘の
恐怖を更に引き立てた。
如何にしてこの悪魔から逃げおおせるか。
﹂
それだけが頭の中を占めていた。
﹁待てコラァ
質である。
︶
動いたらこの男を殺すぞ
!
﹂
モスキート娘は素早くその男の背後に立つとその首に自身の爪を置いた。つまり人
︵││あれだ
を片手に蚊を追い掛け回している。
そこでモスキート娘はこちらに近付く第三者に気が付いた。禿げた頭の男が、殺虫剤
!
!
﹁それ以上動くな
!!
第5話
42
﹁││││あ
﹂
張った顔で額に手を当てていた。
状況を理解してない、といった風に禿げ頭の男は首を傾ける。対して銀髪の悪魔は強
?
* * *
?
﹁││││あ﹂
﹁てか、お前何で裸なの
風邪ひくぞ﹂
で死んだであろう怪人を思って俺はちょっぴり虚しい気持ちになる。
まるで分かってない。という風に首を傾けるサイタマを目に状況を理解できず一瞬
﹁何だったんだ
今の﹂
それがモスキート娘の聞いた最期の言葉となった。
﹁││││蚊、うぜぇ﹂
パァンと、乾いた音が鳴り。モスキート娘の視界が揺らぐ。
ばこのまま逃げ││││
いきなり態度が縮小した悪魔を見てモスキート娘はこれを好機と見る。うまくいけ
﹁いや⋮⋮それ以上は止めといた方が⋮⋮﹂
43
?
サイタマに指摘され、俺は我に返った。辺りを見回すと、膝を着いたまま唖然とこち
﹂
らを見る男の姿を眼に俺は当初の予定を思い出した。
俺の服、弁償しろ
!
││頭叩いたら治るかな
やく反応を返してきた。
﹂
そう思って実行に移そうと考えていると、その男はよう
﹁││お前、いや⋮⋮貴女は怪人ではないのか⋮⋮
﹁俺は人間だ﹂
う言ったのだ。
男はそれを聞いて、何を納得したのか分からないが満足そうに一度、うんと頷くとこ
!
言ってくる。
﹁是非、貴女方のお名前を教えていただきたい
﹂
﹁え、アカメだけど﹂
﹂
そう即答すると男は何故か顔を引き締めた。重苦しい表情で俺を真っ直ぐ見据えて
?
?
だけである。
男の胸ぐらを掴みながらそう言うが反応しない。口を魚みたいにぱくぱくさせてる
﹁おい、お前
!
﹁そちらの方は
!
﹁え、サイタマだけど﹂
第5話
44
﹁俺をあなた方の弟子にしていただきたい﹂
?
﹁ん
?
﹂
﹁え
﹂
﹁あ⋮⋮うん﹂
45
第
話
﹂
!
﹂
!
を弟子にしてもらいたい
﹂
﹁アカメ先生とサイタマ師匠のお力には感服しました 先日も言いましたが、是非俺
お詫びに来たのかと思ったらどうにも違うらしい。
元気よくそう言って頭を下げたのは先日俺の服を焦げ炭にした青年だった。
﹁ありがとうございます
﹁先生は止めろ。││お茶、飲んだら帰れよ﹂
﹁ジェノスです。サイタマ先生
﹁││マジで来たのか⋮⋮えぇっと﹂
思っていたのだが。
それがここ最近の俺の日課となり、今日もまた例外なくそんな一日を過ごすのだと
す。
朝食の後、ごろんと床に寝そべりテレビを見ながら午後までだらだらと時間を過ご
今日も今日とてZ市は静寂に包まれている。
6
!
!
﹁いや、弟子なんか募集してねーし。あと師匠も止めろって﹂
第6話
46
﹂
そんなやり取りを他人事のように眺めつつ、俺はふと思ったことを口にした。
サイタマが師匠ってことは⋮⋮一番弟子は俺ってことになるのか
?
﹁では、アカメ先生は俺の姉弟子ということになりますね
お呼びした方が││﹂
﹁おいバカ止めろ﹂
﹁俺ですか
俺の話を聞いてくれるんですか
?
﹂
姉さん⋮⋮いえ、姐さんと
ていた。かくいう俺も似たり寄ったりの顔になっているだろう。
そう言って間に入ったサイタマの表情は残業終わりの会社員みたいに心底疲れ切っ
﹁いや、コイツも俺の弟子じゃねーし⋮⋮。お前マジなんなんだよ⋮⋮﹂
ると、
真面目そうな顔に見えて実は割とヤバい奴なんじゃないかと俺が危惧を抱き始めてい
俺の冷たい視線に、しかし全く理解してない風にジェノスは首を傾ける。⋮⋮こいつ
イなんだよ、ドン引きだわ。
間髪入れず却下する。明らかに自分より見た目歳下の少女を姉呼びってどんなプレ
!
寄せてきたのである。
ジェノスは純朴な少年のようにキラキラと瞳を輝かせると俺に向けてずいっと顔を
そんな俺の何気ない一言に顔を上げて反応を見せたのは青年改めジェノス君だった。
﹁あれ
?
47
?
しかしまたまたずいっと顔を寄せてきたジェノス君はおもむろに何かの前振りをし
てきたのである。
﹁いや、いい﹂
﹁俺も、いい﹂
興味もなかったので素早く首を横に振った俺とサイタマを見てジェノス君は、ほうっ
と一息吐くと││。
﹁││四年前⋮⋮俺は十五の頃まで生身の人間でした││﹂
││コイツ人の話聞かねぇぇぇぇええええええ
いるが、はっきり言って半分以上聞いてない。
﹂
俺が内心で絶叫をしている間、しかしジェノスはぺちゃくちゃとずっと何やら話して
!!
!!
﹁クセーノ博士は俺に││﹂
二十字以内に簡潔にまとめやがれ
!
* * *
話から離脱し、朝の通販番組を眺めていた。
ついに耐えきれなくなったのかサイタマがそう言った。││ちなみに俺はとっくに
﹁バカヤロウ
第6話
48
﹁││モスキート娘が敗北しただと⋮⋮
のないことだった。
﹂
る者の言葉││自分自身の言葉を疑うわけではないがそう聞き返してしまうのは仕方
その能面めいた顔から垣間見せた。自分以外の人間を下等な者と断する彼が唯一信じ
二十八、と胸に書かれた自身のクローンの言葉にジーナスは始めて感情らしい感情を
﹁何﹂
いえ一方的に﹂
﹁いえ⋮⋮それが⋮⋮モスキート娘は大量の血液を吸収した状態で⋮⋮二人がかりとは
あくまで冷酷、感慨を微塵すらも感じさせない冷ややかなものであった。
男││ジーナスは黒塗りのソファに深く腰掛けたままそう吐き捨てる。その声音は
﹁まぁ、奴は血を吸わなければ貧弱な虫でしかないからな。所詮は試作品ということだ﹂
である。
暗闇にはただ一つ、極薄で形成されたモニターの青緑の光が僅かに周囲を照らすだけ
つすら設置されていなかった。
研究室。本ばかりが山のように積まれて生活感を感じさせない部屋には蛍光灯の一
?
49
﹁小型追跡カメラがほんの一部ですが記録しています。││これです﹂
﹁││おぉ﹂
そうしてモニターに映し出されたのは眩い銀髪を靡かせる美少女だった。この世の
ありとあらゆる美をその身一つに凝縮させたような少女は真っ赤な宝石のようなル
ビーの瞳を瞬かせ、雪原に咲く一輪の百合の花の如き、白の肌を惜しみもなく露出させ
ていた。
気付けば感嘆の声を漏らし、彼は触れることのないモニターに向かって手を伸ばして
いた。ゾッとするほど美しいとはまさにこのことだ。それは研究による知的好奇心以
外、あらゆる感情を排斥してきた彼が久方ぶりに得た感動だった。
ジーナスは息をすることさえ忘れてモニターに見入る。最後の方になにやら禿げた
男が映った気がしたが、そんなこと気にも止められないくらい少女に対し釘付けになっ
ていた。
映像が終わり、恍惚とした表情をしたジーナスがぽつりと呟いた。
﹁⋮⋮すばらしい﹂
うっとりとした表情のまま、ジーナスは静かに続ける。
﹁無理矢理にでも彼女の身体を調べさせてもらおう﹂
﹁使者を送って彼女を招待しろ⋮⋮。我々の﹃進化の家﹄にね﹂
第6話
50