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漆の品質評価技術の開発
- Py-GC/MSに よ る 漆 塗 膜 分 析 -
藤島夕喜代*
梶井紀孝*
江頭俊郎*
漆 器 に 合 成 塗 料 や 硬 化 剤 等 が 添 加 さ れ て い る 事 例 が 見 受 け ら れ ,県 内 漆 器 企 業 か ら 判 別 の 依 頼 が 増 え て
き た 。 そ こ で ,プ ラ ス チ ッ ク や ゴ ム な ど の 混 合 物 の 分 析 に 有 効 な 熱 分 解 ガ ス ク マ ト グ ラ フ ィ ー 質 量 分 析 法
(P y- GC/MS)に 着 目 し , 漆 へ の 合 成 塗 料 の 配 合 率 と塗 膜 中 硬 化 剤 の 含 有 量 の 分 析 方 法 を 検 討 し た 。 そ の 結 果 ,
漆 - ウ レ タ ン 混 合 塗 膜 に お け る 漆 の 配 合 率 を 見 積 も る こ と が で き た 。 ま た ,硬 化 剤 の 特 定 ( 検 出 下 限 濃 度 1
% )と 漆 に 対 す る 硬 化 剤 濃 度 の 定 量 が 3~ 10%の 範 囲 で 可 能 と な っ た 。
キ ー ワ ー ド : 漆 塗 膜 , P y-GC/MS, 硬 化 剤 含 有 量 , 漆
Development of a Quality Evaluation Technique for Lacquer Film
- Analysis of Lacquer Film by Means of Py-GC/MS Yukiyo FUJISHIMA, Noritaka KAJII and Toshiro EGASHIRA
In recent years, synthetic paint and a curing agent have been added to the coating material used for lacquerware. We focused on PyGC/MS, which has been used for analyzing plastic and rubber, for the analysis of lacquer film. We investigated the mixing ratio of paint
to urushi and the amount of curing agent contained in the coating film. As a result, in the case of the coating film of urushi mixed with
urethane, we were able to estimate the mixing ratio of urushi. In addition, we could identify the type and quantify the amount of curing
agent used.
Keywords: lacquer film, Py-GC/MS, content of curing agent, urushi
1.緒
言
家庭用品品質表示法では,一般消費者保護の観点か
製品の保護や美観を目的として,古くから塗料が使
ら,事業者には製品の品質に関して適性に表示するこ
用されている。なかでも,漆はその独特の艶やかさや
とを求めている。これは,輸入品に対しても適用され
肉もち感から実用品に限らず,美術品にまで珍重され
るため,輸入業者は輸入品の品質確認をする必要があ
てきた。近年,塗料の進歩により,合成樹脂塗料にお
る。
いても漆塗膜に匹敵するほどの深みのある美しい塗膜
一方,プラスチックやゴムなどのような有機物の分
を得られるようになってきた。また,漆を塗布する場
析手法として熱分解ガスクロマトグラフィー質量分析
合,伝統的な刷毛塗りに加えて,塗装効率の良さから
法 (Py-GC/MS)が 利 用さ れてい る 。こ の分 析法 で使 用す
スプレー塗装も行われるようになってきた。その際,
る 装 置 は , 試 料 を 加 熱 し て 分 解 す る 熱 分 解 装 置 (パ イ
一部の事業者では,塗膜が早く乾燥するように硬化剤
ロ ラ イ ザ ー ), 分 解 し て 出 て く る 成 分 を 分 離 す る 装 置
を 添 加 し て い る 。 こ れ を 受 け て , 平 成 20年 12月 に 日 本
(ガ ス ク ロ マ ト グ ラ フ ), 分 離 し た 各 成 分 を 同 定 す る 質
漆器協同組合連合会では「漆に対して硬化剤配合量の
量分析装置を組み合わせたものである。特別な前処理
上 限 が 10% 以 内 の と き “ 漆 塗 装 ” と 表 示 で き る 」 と の
を行わずにプラスチック等の固形物の分析が可能であ
ガ イ ド ラ イ ン を 各 産 地 に 通 達 し た 。 ま た ,「 漆 と 合 成
り,分離能力に優れることから混合物や添加剤の分析
樹脂塗料の混合塗装の場合は漆の比率を付記するこ
に 広 く 用 い ら れ て い る 。 宮 腰 ら は Py-GC/MSを 用 い て
と」 と同ガイドラ イン中で規定 している。
漆 塗 膜 を 2段 階 に 熱 分 解 す る こ と で 得 ら れ る 熱 分 解 生
成 物 の 解 析 に よ り 漆 の 産 地 特 定 の 検 討 を し て い る 1) 。
*
ま た , 神 谷 ら は オ ン ラ イ ン 紫 外 線 照 射 /熱 分 解 -ガ ス ク
繊 維生活 部
- 35 -
ロ マ トグ ラフ /質 量 分析 法 (UV/Py-GC/MS)を 用 い て,生
漆塗 膜からの揮発 性物質につい て解析してい る 2) 。
当場では,これまでフーリエ変換型赤外分光光度法
(FT-IR)に よ る 塗 膜 分 析 が 主 で あ っ た 。 FT-IRは 迅 速 か
つ微量での測定が可能であることなどの種々の利点を
有する分析法であるが,漆と合成樹脂の混合塗装や硬
化 剤 含 有 量 の 定 量 に は 限 界 が あ っ た 。 本 研 究 で は ,漆
への合成塗料の配合率,漆に添加されている硬化剤の
種 類 の 特 定 と そ の 含 有 量 分 析 を 目 的 に , Py-GC/MSに
よる 漆塗膜分析を 検討した結果 を報告する。
図1
2.実
2.1
Py-GC/MSの 装置概観
験
パイログラムからデータベース検索を実施することで
試料塗膜
漆 塗 膜 試 料 は , 中 国 産 精 製 漆 ((有 )能 作 う る し 店 製
物質を同定し,トータルイオンクロマトグラムの各ピ
朱 合 漆 )に ト リ レ ン ジ イ ソシ ア ネ ー ト (TDI)(和 光 純 薬 工
ークの面積から混合塗膜中の漆含有量や漆塗膜中の硬
業 (株 )製
化剤 含有量の算出 をした。
95%以 上 )ま た は ヘ キ サ メ チ レ ン ジ イ ソ シ ア
ネ ー ト (HMDI)(東 京 化 成 工 業 (株 )製
98%以 上 )を 適 時
3.結
添 加 し , 攪 拌 混 合 し た も の を ガ ラ ス 板 に 塗 布 し , 20℃ ,
果
70%RHの 恒 温 室 で 乾 燥 硬 化 さ せ て 作 成 し , そ の ま ま 1
3.1
分析条件
ヶ月以上経過したものを試験に用いた。漆との混合塗
宮 腰 ら は Py-GC/MSを 用 い て 漆 塗 膜 を 400℃ と 500℃
装 に は , 新 漆 (寿 化 工 (株 )製 ), カ シ ュ ー 塗 料 (カ シ ュ ー
の 2段 階 に 熱 分 解 す る こ と で 分 析 を 行 っ て い る た め ,
(株 )製 ), 2液 性 ウ レ タ ン (川 上 塗 料 (株 )製 )を 漆 と 任 意 の
塗 膜 の 熱 分 解 温 度 300~ 700℃ , 熱 分 解 時 間 12秒 で 検 討
割合で混合後,ガラス板に塗布し,同様の条件で乾燥
した。当初,試験に供する塗膜を塊のまま分析しよう
硬化 ,養生させた 。
と し た の で , 400℃ 以 下 で は 充 分 な 熱 分 解 が 進 ま ず ,
500~ 550℃ で 分 離 分 析 可 能 で あ っ た 。 し か し , 試 料 形
2.2
状が塊のままでは分析データの再現性が得られなかっ
分析装置
図 1は 本 研 究 で 用 い た Py-GC/MSの 装 置 で , 加 熱 炉 型
た 。 そ の た め , 試 料 重 量 を 約 0.5mgに , 試 験 形 状 を フ
PY-2020iD),
ィ ル ム 上 あ る い は 粉 末 状 に し , 分 解 時 間 を 30秒 と 長 め
ガ ス ク ロ マ ト グラ フ (ア ジ レ ン ト ・ テ ク ノ ロジ ー (株 )製
に 設 定 し た と こ ろ , 熱 分 解 温 度 400℃ の と き 再 現 性 の
7890A GC), 飛 行 時 間 型 質 量 分 析 装 置 (日 本 電 子 (株 )製
あ る分 析デ ータ を得 た。 図2に TDI含 有漆 塗膜 のト ータ
JMS-T100GCV)を 組 み 合 わ せ た も の で あ る 。 分 離 用 分
ル イ オ ン ク ロ マ ト グ ラ ム を 示 す が , 保 持 時 間 13.5分 後
析 カ ラ ム は 金 属 キ ャ ピ ラ リ ー カ ラ ム (フ ロ ン テ ィ ア ・
の ピ ー ク が 硬 化 剤 由 来 ピ ー ク , 約 24分 後 の ピ ー ク が 漆
熱 分 解 装 置 (フ ロ ン テ ィ ア ・ ラ ボ (株 )製
+
ラ ボ (株 )製
Ultra ALLOY -5 , 30m × 0.25mm, 膜 厚
0.25µm)を 用 い た 。 ま た , FT-IRは フ ー リ エ 変 換 型 赤 外
分 光 光 度 計 (バ リ ア ン ・ テ ク ノ ロ ジ ー ズ ・ ジ ャ パ ン ・
リミ テッド製
2.3
3100FT-IR)を使 用した。
分析手順
漆塗 膜試料 (重量約 0.5mg)を 熱分 解装置の 試料カップ
に 入 れ , 400℃ で 30秒 間 熱 分 解 し , 発 生 し た ガ ス を ガ
スクロマトグラフに導入した。ガスクロマトグラフの
測 定条 件は ,オ ーブ ン温 度40℃ ~ 300℃ (昇 温 速度 10℃ /
分 ), ス プリ ット 比 50:1で ある 。得 られ た質 量分 析計 の
- 36 -
図2
TDI含有漆塗膜(a:TDI5%,b:TDI10%)のトータル
イオンクロマトグラム
由 来 ピ ー ク (m/z=314,318)で あ っ た 。 以 後 の 分 析 は 分 解
析は ,種類を TDIと HMDIの 2種類 に絞って検 討した。
ま ず , FT-IRに よ る 硬 化 剤含 有 量 分 析 を 試 み た 。 TDI
温度 400℃,分解 時間 30秒に統 一した。
添 加 量 が 0, 5, 10% の と き の 赤 外 ス ペ ク ト ル を 図 4に
3.2
塗膜主成分の分析
示 す 。 TDI含 有 量 の 増 加 に 伴 っ て 1720お よ び 1540 cm -1
塗 膜 成 分 が 単 一 物 質 の 場 合 , 塗 膜 成 分 の 同 定 は FT-
の ピ ー ク 強 度 が 増 加 す る 。 そ の た め , FT-IRに お い て
IRに お い て も 可 能 で あ る 。 図 3に 油 入 り 漆 塗 膜 と カ シ
も硬化剤含有量を見積もることが可能であったが,
ュー塗膜の赤外スペクトルを示すが,油入りの漆塗膜
FT-IRのみでは硬 化剤の特定まで は難しかった 。
の赤外スペクトルはカシュー塗料の赤外スペクトルと
一 方 , Py-GC/MSを 用 い る と 硬 化 剤 添 加 漆 塗 膜 は ,
酷 似 す る た め , FT-IRで は こ れ ら 混 合 物 の 識 別 が 難 し
熱 分 解 温 度 400℃ , 分 解 時 間 30秒 の と き , ト ー タ ル イ
い 。 Py-GC/MSで は , マ ス ス ペ ク ト ル の 解 析 に よ り 油
オンクロマトグラムにおいて硬化剤由来ピークと漆由
入り漆塗膜からはステアリン酸やパルミチン酸等の乾
来ピークとに分離できる。それらのピーク面積比と硬
性油由来成分を,カシュー塗膜からはクレゾール核
化 剤 含 有 量 と の 関 係 を 図 5に 示 す 。 硬 化 剤 含 有 量 3~
(m/z=108)を検出し, これらの識 別が可能であ った。
10%で 強 い 相 関 を 示 し , 相 関 係 数 (r=0.92-0.95)を 得 た 。
漆にウレタン系合成塗料が混合されている塗膜を
ま た , 硬 化 剤 含 有 量 1%の 試 料 に お い て も 硬 化 剤 由 来
Py-GC/MSで 分 析 し た 場 合 , ウ レ タ ン の 種 類 に よ り ト
ピークを検出した。この検量線により漆塗膜中硬化剤
ータルイオンクロマトグラムのパターンは異なるもの
含有量の定量が可能となる。また,マススペクトルの
の漆由来ピークは同一時間に検出され,そのピーク面
解析 により硬化剤 の同定が可能 であった。
積から混合塗膜中の漆含有量を見積もることができた。
漆塗膜には,艶出しや粘度調整を目的として乾性油
図4
漆塗 膜 (TDI 0%, 5%, 10%)の 赤外ス ペクトル
図3 油入り漆塗膜とカシュー塗膜の赤外スペクトル
3.3
塗膜硬化剤の分析
分析に先立って産地で使用されている硬化剤の種類
に つ い て 聞 き 取 り 調 査 を 実 施 し た と こ ろ , 主 に 「 LH80(寿 化 工 (株 )製 )」,「 UT20(斉 藤 (株 )製 )」,「 IM(寿 化 工
(株 )製 )」 の 3種 類 が 使 用 さ れ て い た 。 他 に ウ レ タ ン 系
合 成 塗 料 の 硬 化 剤 と し て 3種 (カ シ ュ ー (株 )製 , 和 信 化
学 工業 (株 )製, 川上塗 料 (株 )製 )を 入手し ,Py-GC/MSで
分 析 し た 。 そ の 結 果 , ウ レ タ ン 系 硬 化 剤 の 1種 類 (川 上
塗 料 (株 )製 )の み に ヘ キ サ メ チ レ ン ジ イ ソ シ ア ネ ー ト
(HMDI)が 含 ま れ て お り , 残 り の 5種 類 は す べ て ト リ レ
ン ジ イ ソ シ ア ネ ー ト (TDI)に 有 機 溶 剤 が 混 合 さ れ て い
るものであると判明した。そのため,硬化剤含有量分
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図5
硬 化剤含有量 と Py-GC/MSにお けるピーク強 度比
との 関係
謝
が添加されることがある。乾性油が添加されている場
合,油無添加の場合とは異なる熱分解挙動を示し,分
離した漆由来ピークと硬化剤由来ピークを得ることが
辞
本研究を遂行するに当たり,終始情報提供を頂いた
産地 企業の皆様に 感謝します。
できなかったため,油入り漆塗膜中の硬化剤含有量の
参考文献
定量 は困難であっ た。
1) 宮腰哲雄, 永瀬喜助, 吉田孝. 漆科学の進歩―バイオポリ
4.結
言
マー漆の魅力―. (株)アイピーシー, 2000, p. 418.
漆への合成塗料の配合率,漆に添加されている硬化
2) 神谷嘉美, 武田紫穂里, 渡辺忠一, 宮腰哲雄. オンライン
剤 の 特 定 と そ の 含 有 量 分 析 を 目 的 に , Py-GC/MSに よ
紫外線照射熱分解ガスクロマトグラフィー/質量分析法を
る漆塗膜分析を検討してきた。その結果,以下のこと
用いた生漆塗膜の紫外線劣化に伴う揮発生成物の検出と
を明 らかにした。
劣化機構の解析. BUNSEKI KAGAKU, 2011, vol. 60, no. 3,
(1) 漆 -ウ レタ ン混 合塗膜 の場 合, 漆由 来のピ ーク 面積
p. 269-274.
から 混合塗膜中の 漆含有量を見 積り可能であ る。
(2) 漆 塗 膜 に 硬 化 剤 が 添 加 さ れ て い る 場 合 , 添 加 さ れ
て い る 硬 化 剤 の 種 類 が 特 定 で き る 。 さ ら に , 3~
10%で 硬 化 剤 含 有 量 の 定 量 が 可 能 に な っ た 。 ま た ,
硬 化 剤含 有量 が 1%に おい ても 硬 化剤 由来 ピ ークを
検出 できた。
(3) 漆 塗 膜 に 乾 性 油 が 添 加 さ れ て い る と き の 硬 化 剤 含
有量 の定量におい ては,課題が 明確になった 。
今後,県内の漆器業者の支援に活用していきたい。
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