講義ノート - 名城大学

第 11 回「脂肪族求核置換反応 (1)」
有機化学Ⅰ 講義資料
第 11 回「脂肪族求核置換反応 (1)」
第6回から第9回にかけて、多重結合を持つ sp2 炭素・sp 炭素上で起きる反応につい
て学んだ。それでは、sp3 炭素上で起きる反応についてはどうだろうか。sp3 炭素上に
は4本のσ結合がある。これらがすべて、炭素や水素など、炭素との電気陰性度の違い
が小さい原子と結合している場合には、σ結合の反応性は低い(下左図)。しかし、炭
素との電気陰性度が異なる原子と結合している場合はどうだろうか。この時は、σ結合
は分極している。従って、極性反応が起きる可能性がある(下右図)。
R1
R4
R3
R1
C
R4
R3
R2
!+
C !–
X
分極した共有結合
=極性反応が起きる?
分極なし
反応性低い
今回から3回にわたって、正に分極した sp3 炭素上で起きる反応について学ぶ。今回
学ぶのは、sp3 炭素上での置換反応である。この反応では、sp3 炭素上に結合した電気的
陰性な原子または置換基が、他の電気的陰性な原子または置換基に置き換わる。
RCH2X
RCH2Y
Y–
+
+
X–
この反応を、脂肪族求核置換反応 aliphatic nucleophilic substitution と呼ぶ。
「脂肪族」
とは、「sp3 炭素原子上で起きる」という意味であり、「求核」とは「正に分極した炭素
原子に求核剤が攻撃する」ことを意味している。脂肪族求核置換反応には、反応が起き
る炭素原子の性質によって、二種類の反応機構が存在することが知られている。今回は
そのうち一つの反応について学び、もう一つを次回に学ぶことにする。
注1:「脂肪族」とは、本来「芳香族」aromatic に対応する言葉であり、「芳香族性」を持たな
い有機化合物のことを指す。しかし、我々はまだ芳香族性について学んでいないので、ここでは
「sp3 炭素を持つ化合物」と仮に解釈しておく。
置換反応において、置換される原子または基を脱離基 leaving group と呼ぶ。上の反
応式では、X が脱離基である。あとで学ぶように、脱離基と求核剤の性質は、置換反応
の反応性と深く関係している。
脱離基
RCH2X
求核剤
+
RCH2Y
Y–
+
X–
–1–
名城大学理工学部応用化学科
第 11 回「脂肪族求核置換反応 (1)」
有機化学Ⅰ 講義資料
1. 臭化メチルと求核剤の反応:SN2 反応
臭化メチル(ブロモメタン)は、HO–のような強い求核剤と反応して、臭素原子が求
核剤に置き換わった生成物を与える。
CH3Br
+
–OH
CH3OH
+
Br–
注1:ハロゲノアルカンの命名法の一つとして、「アルキルカチオンとハロゲン化物アニオンが
結合したもの」と考えて「ハロゲン化アルキル」と名付ける方法がある。ブロモメタンは、「メ
チルカチオン」と「臭化物アニオン」が結合したものとして「臭化メチル methyl bromide」と
なる。この命名法も系統的命名法の一種であり、基官能命名法 radicofunctional nomenclature
と呼ぶ。
この反応の機構について考えてみよう。先ほど述べたように、この反応のポイントは、
C–Br 結合が分極していることである。
HH
!– !+
Br
C
H
炭素原子が正に分極しているので、この部分は求電子性を持つ。従って、求核剤 (HO–)
はこの炭素原子に向かっていくであろう。
HH
!– !+
Br
C
–OH
H
この反応の電子の流れは、酸・塩基反応と似ている(第2回資料 7 ページ)。つまり、
正に分極した原子に向かって、求核剤のローンペアが近づいて行き、新しい結合を作ろ
うとする。このとき、C–Br 結合の電子は押し出されて、Br 原子上に残ることになるで
あろう。
HH
!– !+
Br
C
–OH
H
その結果、C–O 結合が新たに生成し、同時に C–Br 結合は切断されて、反応は完結
する。
–2–
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第 11 回「脂肪族求核置換反応 (1)」
有機化学Ⅰ 講義資料
HH
Br–
C
OH
H
以上の反応機構を一つの反応式にまとめると、下のようになる。「‡」は「ダブルダ
ガー」と読み、「遷移状態」を表す記号である。
HH
!– !+
+
Br
C
–OH
!–
Br
H
HH
C
!–
OH
HH
Br– +
H
C
OH
H
この反応を SN2 反応 (SN2 reaction)と呼ぶ。S は「置換」substitution、N は「求核」
nucleophilic を意味する。なお、N は下付き文字で書くことになっている。
「2」は「二
分子反応」のことで、遷移状態の形成にハロゲン化アルキルと求核剤の両方が関わって
いることを表している。(脂肪族求核置換反応には、もう一つ「SN1 反応」がある。こ
れについては次回に学ぶ。)SN2 反応の特徴は、反応点の sp3 炭素に求核剤が結合する
と同時に脱離基が解離することである。
SN2 反応における電子の流れを、分子軌道で見てみよう。反応途中の遷移状態では、
C–O 結合の生成と C–Br 結合の切断が同時に起きていることに注意すること。
O上のローンペア
C–Br σ結合
HH
Br
–OH
C
H
遷移状態
!–
Br
HH
C
!–
OH
H
HH
Br–
Br上のローンペア
C–O σ結合
C
OH
H
また、SN2 反応のエネルギー図は、下のようになる。山の頂上が遷移状態に対応する。
–3–
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第 11 回「脂肪族求核置換反応 (1)」
有機化学Ⅰ 講義資料
!–
Br
HH
C
遷移状態
!–
OH
エネルギー
H
HH
Br
HH
–OH
C
Br–
H
C
OH
H
反応座標
SN2 反応に影響を与える主な要因として、次のものが挙げられる。(1) 脱離基の種類、
(2) 求核剤の種類、(3) 溶媒、(4) アルキル基の種類。これらについて、順に見て行こう。
2. 脱離基の種類
四種類のハロゲノメタンと HO–の反応を比較してみよう。これらの反応では、求核
剤は共通で、脱離基のみが異なっている。
CH3F
+
–OH
CH3OH
+
F–
CH3Cl
+
–OH
CH3OH
+
Cl–
CH3Br
+
–OH
CH3OH
+
Br–
CH3I
+
–OH
CH3OH
+
I–
遅い
速い
反応性は、フルオロメタンが最も低く、ヨードメタンが最も高い。反応性の順序から、
脱離基の脱離能 (leaving group ability) は F– < Cl– < Br– < I– の順であることがわかる。
脱離能に関する一般的な規則として、「塩基性の低い基ほど脱離能が高い」ということ
が知られている。上の例では、四種類のハロゲン化物イオンの塩基性の強さが F– > Cl–
> Br– > I– の順序であるから、確かにこの規則が成り立っている。
なぜ塩基性と脱離能の間に関係があるのだろうか。大まかに言えば、塩基性は「H–X
結合の切れにくさ」を示す指標であり、脱離能は「C–X 結合の切れやすさ」を示す指
標だから、と考えられる。F–と I–を比較する場合、F– の方が強い塩基なので、H–F 結
合よりも H–I 結合の方が切れやすい。H–X 結合の切れやすさと C–X 結合の切れやす
さの間には相関があるので、C–F 結合よりも C–I 結合の方が切れやすい、従って I–の
–4–
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有機化学Ⅰ 講義資料
方が脱離能が高い、と結論づけることができる。
H-X結合
X–の塩基性
C-X結合
X–の脱離能
H F
切れにくい
高い
C F
切れにくい
低い
H
切れやすい
低い
C
I
切れやすい
高い
I
塩基の強さは、共役酸の強さから判断できる。つまり、強い塩基ほど共役酸は弱い酸
である。酸の強さについては多くの資料があるので、この関係を知っていれば、脱離能
の高さについて予測することができる。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
例題:以下の化合物を SN2 反応を起こしやすい順に順位をつけなさい。教科書付録の
pKa の表を参考にすること。
O
O CH3
O
O CH3
O S O
CH3
考え方:SN2 反応は、電気的に陰性の原子が結合した sp3 炭素上で起きる。上の3つの
化合物の場合、いずれもメチル基の炭素が SN2 の反応点になる。すなわち、
「メチル基
以外の部分」が脱離基となるので、その部分の塩基性の強さを比較すればよい。それに
は、共役酸の強さを比較すればよい。
O
O
O
OH
O
O
O S O
OH
OH
O S O
脱離基=
メチル基以外の部分
その共役酸
共役酸の強さは、スルホン酸>カルボン酸>フェノールである。従って、スルホン酸
の共役塩基が最も脱離能が高く、フェノールの共役塩基が最も脱離能が低い。
答:左から順に、2・3・1。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
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有機化学Ⅰ 講義資料
3. 求核剤の種類
SN2 反応が可能な求核剤には、非常に多くの種類がある。ローンペアを持っている化
学種はすべて原理的には求核剤として働き得ると考えてよい。いくつかの代表的な求核
剤とその反応を下に挙げた。
酸素求核剤
窒素求核剤
硫黄求核剤
炭素求核剤
CH3Br
+
–OH
CH3OH
+
Br–
CH3Br
+
–OR
CH3OR
+
Br–
CH3Br
+
–NH
CH3NH2
CH3Br
+
CH3Br
+
Br–
NH3
CH3NH3+ +
Br–
+
–SH
CH3SH
+
Br–
CH3Br
+
–SR
CH3SR
+
Br–
CH3Br
+
C CR
CH3 C CR
CH3Br
+
C N
CH3 C N
+
Br–
CH3 Y
+
X–
ハロゲン求核剤 CH3X
+
2
Y
+
Br–
このように、求核剤は「求電子剤と結合を作る原子の種類」によって分類して整理し
ておくとよい。
さて、これらの求核剤には、当然ながら反応性の違いがある。最もわかりやすいとこ
ろで、次の2つの反応を比較してみよう。
CH3Br
+
–NH
CH3Br
+
NH3
+
Br–
CH3NH3+ +
Br–
CH3NH2
2
どちらの反応が速く進むだろうか。言い換えると、NH2–と NH3 とでは、どちらの方
が正に分極した炭素と反応しやすいだろうか。答えは容易に想像できるだろう。負の電
荷を持つ NH2– の方が、中性である NH3 よりも反応しやすいに違いない。
求電子剤との反応性
–NH
2
>
NH3
一般に、反応する原子の種類が同じであれば、求核剤の反応性は、その化学種の塩基
性と相関している。つまり、塩基性が強い化学種は、高い求核性を持つ。
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第 11 回「脂肪族求核置換反応 (1)」
有機化学Ⅰ 講義資料
–NH
塩基の強さ
2
>
NH3
9.4
36
(共役酸のpKa)
反応する原子の種類が異なる場合は、事情はもう少し複雑である。それは次の節で取
り扱う。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
例題:次の化学種を、求核性の高い順に順位をつけなさい。
O
CH3OH
CH3O–
CH3
O–
C
O
考え方:いずれも酸素求核剤なので、塩基性の強いものほど求核性が高いと考える。ま
ず、中性分子(CH3OH)はアニオン(他の3つ)よりも塩基性が弱く、求核性も弱い。
残りの3つについては、共役酸の pKa を比較する。共役酸の強さはカルボン酸>フェノ
ール>アルコールなので、塩基の強さの順序はこれの逆順となる。
答:左から順に2・4・1・3。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
問1:次の SN2 反応の生成物を示しなさい。
(a) CH3CH2Br + CH3
(c) CH3CH2CH2I +
(e) CH3Br +
O–
C
O
H3C
CH3
N
CH3
C CCH2CH3
(b)
CH3CH2Br + CH3S–
CH2Br + HO–
(d)
(f)
CH2=CHCH2Cl + C N
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
問2:次の3つの SN2 反応を速い順に並べなさい。なぜそう考えたかも説明しなさい。
(a) CH3CH2Br + HO–
(b) CH3CH2I + HO–
O–
(c) CH3CH2Br + CH3 C
O
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
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第 11 回「脂肪族求核置換反応 (1)」
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4. SN2 反応の溶媒効果
SN2 反応の速度は、非常に大きな溶媒効果を受ける。特に顕著なのは、「非プロトン
性極性溶媒」aprotic polar solvent による強い加速効果である。非プロトン性極性溶媒
とは、極性溶媒であるが、水素結合する H 原子を持たないものである。
プロトン性極性溶媒
O
CH3OH
CH3
C
OH
メタノール
酢酸
非プロトン性極性溶媒
O
O
C
CH3C N
CH3
CH3
アセトン アセトニトリル
CH3
O
C N
H
CH3
N,N-ジメチルホルムアミド
(DMF)
CH3
S
CH3
ジメチルスルホキシド
(DMSO)
たとえば、F– を求核剤とする SN2 反応は、エタノール中よりも DMF 中の方が 106
倍も速い。さらに、求核剤による反応性の順序も異なる。メタノールやエタノール中で
は I– > Br– > Cl– > F– であるのに、DMF や DMSO 中では F– > Cl– > Br– > I– となる。
このような反応性の違いは、プロトン性溶媒による求核剤の安定化によるものである。
プロトン性溶媒は、正に分極した水素原子を持っている。この水素原子は、求核剤のロ
ーンペアと引きつけ合って、水素結合を形成する。求核剤の中心原子が N, O, F である
場合は、以前に学んだ通り(第3回)、水素結合は特に強い。水素結合の強さは、周期
表の下の方ほど(つまり原子が大きいほど)弱くなる。これは、ローンペアの原子軌道
と水素の 1s 軌道の重なりが小さくなるためである。
F–の反応性が溶媒の種類によってどう変化するかを考えよう。メタノール、エタノー
ルなどのプロトン性の溶媒は、F–を水素結合で強く安定化する。一方、DMF, DMSO
などの非プロトン性の溶媒は、F–の安定化にほとんど寄与しない。
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第 11 回「脂肪族求核置換反応 (1)」
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!–
CH3 O
!+ H
CH3
!+ O!–
H
F–
!+
H !–
O CH3
!+ H
!– O
CH3
CH3
H3C S
O
CH3
S
O
CH3
F–
H3C
O
S CH3
H3C
O
S
CH3
非プロトン性極性溶媒
(DMSO)
プロトン性極性溶媒
(メタノール)
「求核剤が安定化される」ということは、
「求核剤の反応性が下がる」ことを意味する。
つまり、F–の反応性は、DMSO 中の方がメタノール中よりも高いことがわかる。
求核剤の反応性が溶媒によって逆転する現象にも、水素結合による安定化が影響して
いる。F–と I–を比較してみよう。DMSO 中では、求核剤の本来の反応性(塩基性と同
じ順序)が見られるため、F–の方が反応性が高い。しかし、メタノール中では、F–は水
素結合によって強く安定化を受けるが、I–はあまり安定化を受けない。これは、I–のロ
ーンペアが属する軌道(5p 軌道)と H の 1s 軌道の空間的な広がりが大きく異なるた
め、相互作用が小さいからである。このため、F–の安定性の低下が効いて、I–の方が反
応性が高くなる。
CH3
!–
O
!+ H
CH3
!+ O!–
H
CH3
F–
!+ H
!– O
CH3
CH3
!+ O!–
H
!–
O
!+ H
I–
!+
H !–
O CH3
!+ H
!– O
CH3
!+
H !–
O CH3
I–とメタノール
(安定化小さい
=反応性高い)
F–とメタノール
(安定化大きい
=反応性低い)
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
例題:次の反応はどちらが速いと考えられるか。理由をつけて答えなさい。
(a)
CH3CH2Br + Cl–
(b)
CH3CH2Br + Cl–
EtOH
DMSO
–9–
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答:(a)のエタノール中では、求核剤の Cl–が水素結合によって安定化を受けるため、反
応性が下がり、反応は遅くなる。(b)の DMSO 中ではこのような効果はない。従って、
(b)の方が速いと考えられる。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
問:ブロモエタンと HO–、HS–の反応はどちらが速いと考えられるか。エタノール中と
DMSO 中のそれぞれについて、理由をつけて答えなさい。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
5. アルキル基の種類による SN2 の反応性
SN2 反応の機構をもう一度書いてみよう。
HH
!– !+
+
Br
C
!–
Br
–OH
H
HH
C
HH
!–
OH
Br– +
H
C
OH
H
ここで、反応物(ブロモメタン)の3つの水素原子を、一つずつアルキル基に置き換
えてみる。これは、原料のメチル基を一級・二級・三級のアルキル基に置き換えること
に対応する。
HH
Br
H
+ –OH
C
Br
H
H
H
+ –OH
C
Br
+ –OH
C
二級アルキル
一級アルキル
Br
R
+ –OH
C
R
R
R
メチル
R
R
三級アルキル
アルキル基 R は、水素原子に比べると立体的にかさ高い (sterically bulky)。かさ高
い置換基が増えるにつれて、求核剤の C への攻撃は大きな立体障害を受ける。従って、
SN2 反応の速度は、メチル>一級>二級の順に遅くなる。三級のハロゲン化アルキルは
SN2 反応を全く起こさない。
一方、3-ブロモ-1-プロペン(臭化アリル)のようなアリル型のハロゲン化アルキルは、
アリル型でないものに比べて SN2 反応を起こしやすい。これは、SN2 反応の遷移状態
において、炭素原子が少し正に分極しており、従ってカルボカチオンと同じようにπ共
役による安定化を受けるためである。
CH2 CHCH2 Br
アリル型
+ Cl–
CH3CH2CH2 Br + Cl–
>
一級アルキル
この説明によれば、二級のハロゲン化アルキルは(超共役の効果があるため)一級の
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ハロゲン化アルキルよりも SN2 反応が速くなりそうだが、上に述べたようにそうはな
らない。超共役の効果は弱いため、立体障害が増えることによる減速効果の方が勝るか
らである。このように、反応性に影響するいくつかの要因が競合する場合は、どの要因
が支配的かを予想することは難しい場合も多い。典型的な例を学んだ上で、できるだけ
多くの視点から反応を理解するよう心がけることが大切である。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
問:次の化合物を、SN2 の反応性が高いものから順に順位をつけなさい。
CH3
CH3CH2CHCH2Br
CH3CH2C Br
CH3CHCH2CH2Br
CH3
CH3
CH3CH2CH2CH2CH2Br
CH3
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
6. SN2 反応の立体化学
くどいようだが、SN2 反応の機構をもう一度書いてみる。
HH
!– !+
+
Br
C
–OH
H
!–
Br
HH
C
!–
OH
H
HH
Br– +
C
OH
H
ここで、反応点の炭素原子の立体配置を見ると、反応前後で反転していることがわか
るだろう。これを「立体反転」inversion of configuration と呼ぶ。強風で傘が「おちょ
こ」になるのと似ている。
ブロモメタンの場合は、立体反転が起きても起きなくても同じものができるが、反応
点の炭素が不斉炭素である場合は、立体反転が起きたことを実験的に確かめることがで
きる。
– 11 –
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H CH3
Br
C
(S)
H3C H
+ –OH
C
CH2CH3
H3CH2C
OH
+ :Br–
(R)
(R)-2-ブタノール
(S)-2-ブロモブタン
不斉炭素がない化合物の SN2 反応でも、立体反転を確かめられることがある。たと
えば下のような、シクロアルカンの炭素上の反応の場合である。
H
Br
H +
OH + Br–
–OH
trans-4-メチル
シクロヘキサノール
cis-1-ブロモ-4-メチル
シクロヘキサン
この反応は注意深く考察する価値がある。求核剤がどの方向から近づいて結合を作る
か、またその時に炭素上の残り3つの結合がどのような方向に伸びているか、よく見て
おくこと。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
問:上の2つの反応の遷移状態を図示しなさい。立体化学がわかるように書くこと。
­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­
7. まとめ
・ 電気陰性の置換基が sp3 炭素に結合した化合物は、求核剤と反応して、置換基が求核
剤で置き換わった化合物を生成する。この反応を脂肪族求核置換反応と呼ぶ。
・ 脂肪族求核置換反応のうち、反応点の sp3 炭素に求核剤が結合すると同時に置換基が
脱離する反応を SN2 反応と呼ぶ。
・ SN2 反応の速度は、脱離基の脱離能が高いほど速い。脱離能は、塩基性が低いもの
ほど高い。
・ SN2 反応の速度は、求核剤が強いほど速い。求核剤の強さは、反応原子の種類が同
じであれば、一般には塩基性が高いものほど強い。
・ SN2 反応は、非プロトン性極性溶媒中では大きく加速される。非プロトン性極性溶
媒として代表的なものは、DMF、DMSO である。
・ アルコールなどのプロトン性極性溶媒中では、求核剤が水素結合によって安定化さ
れるため、SN2 の反応性は低下する。この効果は、求核剤の反応原子が周期表で上の
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有機化学Ⅰ 講義資料
行に位置するものほど著しい。
・ SN2 反応は大きな立体効果を受ける。このため、反応性はアルキル基の種類に大き
な影響を受け、メチル>一級アルキル>二級アルキルの順になる。三級アルキルハロ
ゲン化物は SN2 反応を行わない。また、アリル型のハロゲン化アルキルの SN2 反応
は、遷移状態が安定化を受けるため、極めて速く進行する。
・ SN2 反応は、反応点の炭素上の立体配置の反転を伴って進行する。このため、不斉
炭素上で SN2 反応が進行する場合は、立体配置が逆になった生成物が得られる。
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