やり直したら幸せになれますか? - タテ書き小説ネット

やり直したら幸せになれますか?
つつじー
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︻小説タイトル︼
やり直したら幸せになれますか?
︻Nコード︼
N7347BY
︻作者名︼
つつじー
︻あらすじ︼
過労死した哀れなリーマンが、幸か不幸か転生する。
性別が異なっているも頭の中は生前︵男︶のもの。
今度こそ過労死してたまるかと、前世の知識を使って立ち回る。
1
継承︵サラリーマン︶
﹁こちらの機能はコミット済みです。もう一つタスク仕上げれば多
楓は何時もの様に何時もの如く仕事に走る。またの名を
分遅延は取り返しますよね?﹂
小鳥遊
現実逃避とも言うわけだが。
﹁流石⋮相変わらず赤い奴だ﹂
﹁3倍出るよう努力しましたから、では最後のタスク拾いますよ﹂
魔法使い
都内のソフトウェア企業に就職して早5年、出会いもない男だら
けの職場で婚活もせず、仕事と勉強に逃げた。
気づけば早くも28歳、そろそろ俗に言う所の30喪男が迫って
来ているが、本人に危機感は感じられない。
縁遠いものとして、割り切ってしまったのが彼の残念な所の一つ
だ。
そして引き換えにして得た赤い角ばりの解析能力と理解力、開発
能力は、仕事に逃げる更なる理由づけにもなってしまっていた。
実に悪循環。
もっとも、別段苦労してまで彼女が欲しいとも思わない絶食系男
子であるためか、彼は恋愛する前に枯れているともいえる。
﹃一体どこで私の人生は間違ったのでしょうか﹄と言うのが事あ
るごとに口に出てしまう言葉。
そう思いながらも手はマウスを動かし、最後のタスクを開く。
別の事を考えながらも目は実現すべき機能概要と想定工数、全体
のタスク状況を確認していく。
立派な仕事中毒者、またの名を訓練された社畜とも言う。
彼が今のプロジェクトに参加して1週間、彼が参加時点で既に1
2
週間遅れの状態だった。
通常の手段ではこの火は消せないと判断した経営陣は、社内きっ
ての火消し役、楓に白羽の矢を立てたのだ。
本来であれば引継ぎに環境の把握等含めて1週間はかかるところ
ハタ迷惑な
だが、﹃まぁお前ならどうにかできるだろう、ボーナス出すから頼
むよ﹄とありがたいお言葉を上司にもらいつつ即戦力になってしま
う。
そうした事を繰り返すうち、本人も望まず火消し役となってしま
った。
﹁このタスク終わらせたら後は全て仕掛中ですよね?私が終わらせ
ますよ?﹂
﹁お!マジかっ!明日の納期⋮⋮いや午前8時まで残り9時間!ど
うにか終わりが見えてきたっ!おおし後耐久9時間っ!﹂
修羅場状態、この業界で言う所のデスマーチが始まり約2週間、
事の始まりは仕様変更だったが、愚痴を言っても始まらない。
﹁さて、最後の作業に取り掛かりましょう、みなさんも後数時間な
んとか乗り切りましょう!﹂
この残業祭りの1週間もとうとう最終日、どうにか終わらせてマ
ネージャが納品して終わりだ。
そんな追い詰められている状況だからこそ、彼はあえて陽気に声
を出す。
よくある炎上プロジェクトでは、そろそろナチュラルハイを通り
越して少しづつ言葉が消えていく場合が多い。
倒れる人間が出始まるのはこの辺りからだ。
しゃちく
だからこそ可能な限り明るく振舞って、モチベーションを下げな
いようにしようというのが熟練者の暗黙の了解。
3
﹁うっし!俺のこの手が光ってうなるっ!バグを潰せと轟きさけぶ
っ!﹂
﹁よし!この戦いが終わったらこの煙草を吸うんだ!﹂
﹁おい誰だ!?死亡フラグ立てやがったの!?﹂
﹁大丈夫だ、現実の死亡フラグは大体回収されないんだ﹂
だが、メンバーが冗談交じりに返せるうちは、まだギリギリ全員
の精神が持つようだ。
﹁じゃぁ、その死亡フラグをへし折るために頑張ろうや!﹂
リーダーのその一言の後、全員がディスプレイに向かい押し黙る。
全員が全員黙ってディスプレイを向いて、無言でカタカタとキー
を叩くのは普通の人が見れば異様な光景だろう。
楓も最後のモジュールを書き始めた。
当初の見積もりで1人日、実際にこれまでかかってる工数で言え
ば2人日という量だ。楓の経験則上はおよそ6時間で済むと踏んで
いる。
そうして手を動かしていると、時折悲鳴に似た叫びが聞こえる。
﹃うおー!エラー吐いて死にやがった﹄
﹃この期に及んで仕様論理矛盾とか勘弁しろよ!制限だ制限!﹄
﹃またコンフリかよ!﹄
しかし、それが作業を停止させる致命的なものでもない限り、誰
一人その声を拾わない。
拾う余裕等全員すでに存在していないからだ。
︱︱︱翌朝午前7時。
4
﹁ラストモジュール、何とか上がりました﹂
楓は本来16時間時間かかる見込みの機能を6時間で組み終わる
と、自身の作業の終了を宣言した。
その一言で開発現場から一気に張りつめた空気が消え去っていく。
それもその筈だ、彼らは2週間、残業だらけで、特にここ昨日か
ら今日にかけては貫徹で作業を進めていたのだ。
通常、睡眠時間というのはとても大切で、徹夜した頭で作業をす
れば効率は半分近くまで落ちる。
だからこそ終わらせられる見込みがなければ、泊まり込みは最低
の下策であると言える。
そんな中でも楓は同僚以上の作業をしてしまう所が彼のエースた
る所以だった。
もっとも、彼がなんとかしてしまうが故に営業も反省せずに無茶
な要件を呑んでしまうのだが、それで彼を責めるのはお門違いだと
も通ってるから多分大丈夫だ、後は営業
いう事は全員が理解していた。楓自身もだ。
﹁こっちも終わり、CI
に出させりゃOK﹂
﹁うっしゃあああああ!帰っぺ帰っぺ!﹂
﹁タバコタバコ⋮﹂
﹁⋮今回の戦いも⋮タフだった﹂
それも終わり、開放感に身を包んだ企業戦士たちはしばしの休息
を楽しむ。
既に始発は過ぎており、本来この時間であれば、ぞろぞろと起き
て出社準備をするか、遠くに住んでいる人は電車の中のような時間
だ。
勿論深夜残業の果てに、開発の終了をもぎ取った人間たちがその
5
まま日常業務を開始することはない。
﹁では私も帰ります。お疲れ様です﹂
そう言って楓は帰り支度を始めた。
全員が緊張感から解放され、楓も酷い眠気が襲ってくるが、帰る
までの辛抱だと頭を振る。
そうして帰り支度を整えて、鞄を手に机から立ち上がったときだ
った。
﹁あ、楓は明日から二課のプロジェクトの火消し頼むわ∼﹂
出社してきた営業から能天気な声がかかる。
徹夜明けからの解放感に全力で水を差された形だった。
周囲のメンバーからは、文字通り可哀相な子を見る目が集中する。
﹁なんでっ⋮。﹂
せんゆう
楓はあまりのショックに鞄を落とし突っ伏している。
﹃今いう事か!?﹄というのがメンバーの共通見解だ。
周りのメンバーも無理もないと暖かい視線を送る一方、声も懸け
らずにいる。
一か月近く残業休出祭りをしたことは確かにあったが、連続火消
は楓にとっても流石に初めての経験だった。
楓自身もショックではある。現実逃避とはいえ、仕事に逃げてお
きながら、逃げた先も結局過酷であるという現実を突きつけてくる。
現実なんてクソゲーだという人も居るが、この時ばかりは楓も同
意した。
﹁私は何処で道を誤ったのでしょうか⋮﹂
6
悲痛すぎる呟きに社員の誰もが声をかけるのをためらう。もちろ
ん能天気だった営業の人間もだ。
そんな痛すぎる静寂が1分程続くと、一人が立ち上がって楓に声
をかける。
﹁いや、お前はもう今日は帰れ、俺が社長に直訴しとくから﹂
そう言って立ち上がったのはプロジェクトリーダーだった。
楓も感謝の念は抱くものの、主に精神的な体力が限界だったこと
もあり、結局﹃ありがとうございます﹄とだけ呟いてフロアを後に
した。
会社を出て、電車に乗り帰宅まで約1時間の道のりだが、この日
の楓にはとても長く感じられた。
貫徹して体力が落ちているのもそうだが、何より帰り際の一幕が
最も響いたといってよい。
足が重く、歩くのもつらいのはこの条件下であれば当然のことの
ように思う。
なんとか引きずるように駅まで歩き、スマホを取り出し、駅の改
札をくぐる。
大量の人が駅から吐き出されるが、進む道は逆方向なので、呑ま
れる事もない。
人が掃けてそれなりに空いた電車内に入ると、座席を確保し、電
車に揺られながら夢うつつに考える。
︵ホント何処で道を誤ったのでしょうか︶
出勤中のサラリーマンも一部で毎朝考えられてそうな単語だが、
朝方の帰り電車でこれを考える人間はきっと1日当たりでも多くは
7
ないだろう。
真面目にこの問いに答えるのであれば、この現状は楓自身が招い
たことである。
会社側も初めは新人に失敗を経験してもらおうと出した課題を、
楓は期待されていると思って何とかしようとする。
そして何とかできてしまうところが不幸の始まりだった。
そうして繰り返すうちに、経営側も﹃こいつなら大丈夫だ﹄と思
ってしまったのが分水領。
リ
だからこそ彼は失敗できるうちに失敗しておくべきだったといえ
る。
そしてそれは楓自身も同じ結論に至っている。
しかし今からそれを実行すれば会社にとっては大打撃だろう。
ーマン
しかしここで安易に転職を思い浮かばないあたりが昔ながらの企
業戦士。悪く言えば訓練された社畜だった。
︵今さら考えた所で戻れる訳ではありませんよね。今日は確かに疲
れましたね、家まで眠ったら少しはスッキリするでしょうか?︶
そう考えると思考を停止する。
パソコンの電源を落とすように楓は眠りについてしまった。
そして夢現のうちに彼はこの生涯を終えてしまうことになる。
﹃本日17時頃、○○線内にて男性が倒れているのが見つかり、病
楓さん︵28︶で⋮﹄
院に運ばれましたが心不全の為間もなく死亡ました。警察の発表に
よりますと、千葉県在住の小鳥遊
日本国内ではお馴染みの、海外では未知の恐怖とも言われる過労
死だった。
︱︱︱楓?︱︱︱
8
﹁ああああぁう!﹂
赤子のような鳴き声に私は目を覚まします。
が、目を空けた私には声の主ではなく、見ず知らずの女性の顔が
ドアップで見えます。
覗き込むように見ていたようです。
白い服装なので看護婦さんか何かでしょうか?
女性と呼ぶべきか女の子と呼ぶべきか悩む位には若く見えます。
彫りは浅いですが、金色に近い白髪と緑の目をした美少女と呼ん
で差し支えないでしょう。
この近距離で美少女に見つめられると、いつもなら間違いなく照
れてしまうところですが、体が重く、頭にももやがかかっているか
のように体の感覚、視覚も良くありません。
状況が呑み込めませんが、彼女は私と目が合うと途端に嬉しそう
な表情を浮かべます。
やはり過労か何かで延々寝込んでいたのですね⋮というか、看護
youk
uhks﹂
婦さんが覗き込むようなシチュエーションなんてあるんですねぇ。
﹁ili
女性がそう話かけてきます。
どうしたことでしょう?
出稼ぎの外国人でしょうか?いえ、日本で看護婦してて日本語が
できないってことはない筈ですが?
何か凄まじく眠いですが、子供の泣き声が聞こえる状態の中眠り
続けるのも流石に厳しい所でしょう。
泣き声が聞こえる方を見ると、男性に抱かれた赤子が泣いていま
す。
9
男性の髪は茶色く、そう太ってはいなさそうです。
というのも、とてもぼやけていて大よその輪郭しか見えません。
抱きかかえられている赤子は黒髪でしょうか?目を凝らしても見
えません。
元々メガネですからね、メガネをかけないことには見えないのも
致し方ない。
肌色の比率から、おそらくは裸の赤ちゃん?粗相でもしてしまっ
たのでしょうか?でも病室でおしめ取り換えるのはどうなんでしょ
うね?
面倒ですが、そうしている訳にも行かないでしょう。
深呼吸をして少し頭のもやを払います。
さて、この状況は一体どういった訳でしょうか?いえ、それより
ここは何処でしょうか?
﹁おおあおおえう⋮︵約:ここは何処です⋮︶﹂
呂律が回っていない。
脳挫傷で言語野に問題でも出たのでしょうか?
ですが、そこそこ言葉で思考しているいる以上は、体か自律神経
に問題が出たのでしょうか?こちらの可能性の方が高そうですね。
寝てばかりもいられませんし、上半身を起こしてみましょうか。
﹁⋮っ⋮﹂
力を入れても体を起こす気配も感覚もありません。
え、えー寝た切り生活ですか?父上、母上、ご迷惑おかけして申
し訳ございません⋮?
﹁⋮あえ?﹂
10
思わす頭を抱えようと伸ばした手を見て気づきます。
私の知る手とは明らかに異なります。とても小さい、まるで幼児
のような手です。
まっすぐ片手を前にだして上下左右に振ってみます。目の前の小
さな手が震えながら動きます。
手を握ってみます。視界の先の指が握ります。
血の気が引きます。
目も覚めました、ハッキリと。
﹁まいえうあ⋮︵約:マジですか︶﹂
声を出すくらいにはショックです。軽く眩暈がします。首を振ろ
うにも重いです。呂律が回らない理由も分かりました。歯が生えて
ないんですよね?
決定的です。私は幼児になっています。
そして改めて周りの状況を確認します。
木造の部屋?茶色っぽく見えますし恐らくむき出しなのでしょう。
部屋の大体中心位の位置に私と女性がいて、入り口に近い所に男
性と赤子がいます。
自分の状態は⋮?横になっていたので気づきませんでしたが抱き
かかえられてました。
しかも女性に抱きかかえられています。それが出来るくらいに軽
いのでしょう。
﹁あー﹂
近くにはわずかに血の付いた白い服を着た女性が手を洗っている
のが見えます。この人こそ医者なんですよね?
言葉が出てきません。いえ、言葉にならない以上会話はあきらめ
ましょう。
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状況証拠だけで推察するしかありません。
第一に私は見るからに赤ん坊。手先は僅かに濡れているものの、
間違ってもお風呂の線は無いでしょう。服に血の付いた医師もいま
すしね。
﹃転生﹄という言葉が脳裏を過ります。
否定するだけの材料も見当たりませんし、まずは確定で良いでし
ょう。
つまり、ここは分娩室か何かで、私とそこの幼児は今さっき産ま
れたのですね?
それにしては随分区切りの良い転生です。確か胎児にも聴覚や触
覚と僅かながらの意識がある筈なんですけどね?
﹁oueー?﹂
考え込んでいると、女性が声をかけてきます。
イントネーション的に問いかけ?現状では情報がなさ過ぎて何と
も言えませんが。
まぁ、いずれにせよ転生なのかどうかの検証は後回しです。
最悪、取り付いた上に乗っ取ってしまった可能性も無いではない
ですが、不可抗力です。
前の身体の顛末で何か情報は得られるかもしれませんが、今の私
ではやりようがないでしょう。
状況の検証を再開。
お産に立ち会うくらいですから、父親はそこの男性で、母親はこ
この20歳にも満たなそうな女性なのでしょう。
うーん頭が痛い。はい、理解が追いつきません。
﹁⋮あー﹂
困ったような表情⋮にはきっとなっていないのでしょう。
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表情筋がそこまで発達している訳がないのですから。
案の条と言いますか、こっちの気持ちも知らず、このご両親は満
面の笑みを浮かべています。
﹃人の気も知らないで﹄とはまさにこの事ですね。
そうしていると泣き止んだ赤子を連れて男性がこちらに歩いてき
ています。
赤子の方も、簡単に布に包まれているものの、その下は裸のよう
です。
まず男性。年齢的には40台?筋肉質ではありませんが、やや細
身の身体と、茶色よりの黒髪に白髪がブレンドされた頭。彫りの薄
い顔。目が緑でなければ日本人にも見えます。
服装は袴?にしては形状が華美な気がしますが⋮所々見たことも
無い模様や装飾はされてます。
オーダーメイドなら仕立てるのに大分かかるでしょう。大分裕福
そうですね。
赤子のほうは黒い髪。男性と違って黒の目です。
布に包まってはいますが、髪もまだ乾ききっていないようです。
珍しいですが多分双子なのでしょう。
ああ、包みがほどけます⋮よ?
﹁⋮!?﹂
赤子の姿を間近で見た瞬間の事です。
驚きのあまり声が出ませんでした。ええ、出る訳もありません。
近づいてきたその赤子は﹃男にあるべき部位がなかった﹄のです
から。
え⋮えー?今の私って双子ですよね?
﹁⋮﹂
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二卵性双生児であることを祈りつつ私は体の感覚を確かめます。
⋮
⋮⋮
⋮⋮⋮え?
軽く眩暈がします。
⋮一卵性?二卵性かもしれませんが、それはもはや重要なことで
はありません。
私も”ツイてない状態”です。
28年連れ添った息子は前の体と何処かにあるのでしょう。そし
て、もし見つかったところで、どうしようもありません。
そして新しい私には﹃ソレ﹄はなくなってしまいました。
通算30まで後2年。とうとう魔法使いが確定してしまった訳で
す。
神様は﹃使わない剣なら必要ない﹄とでもおっしゃるのでしょう
か?
いえ、この際魔法使いはどうでもいいです。それよりも恐ろしい
未来の幻想が私を苦しめます。
きっと私は今、泣いているのでしょう。声こそ上げていませんが、
きっと目元には涙を浮かべています。だって視界が歪んでますから。
大人になって恋愛、結婚するという事は、相手は男性であるはず
で⋮⋮前世の記憶のある状態で大人になったら彼氏とか出来るので
すか?体はともかく頭は男の私が?男と結婚!?
街角で出会った男性に﹃ウホッいい男⋮﹄とか言うのですか?薔
薇の花を咲かせって事なんですか!?
いや今の性別的にはビジュアル的にアレな事にはならないのかも
知れませんが、それでも脳は最大限の拒否感で一杯な訳ですよ。
14
たとえ一部で流行の﹃男の娘﹄だとしても私にその気はなかった
訳ですから、ご容赦願いたいわけです。
ということは独身を貫くのがほぼ確定。生まれたばかりで喪の二
連荘確定。
いえ、この思考は考えないほうが良いです。いろいろ精神衛生上
よくない。
気を取り直して状況把握。
会話や質問を諦めるとすれば、今聞いた言葉と、視界から状況を
youk
uhks﹄とは何のことでしょう?先ほど
把握するしかなさそうです。
﹃ili
の発言が全く聞き覚えが無い時点でここは他国で決定でしょう。
少なくとも日本でも英語圏でもありません。中国語の音も語感が
異なりますし、大学で聞いた第二外国語のドイツ語でもこのような
単語に聞き覚えはありません。
日本でないどころか、全く意思疎通が出来ない国であることはさ
すがにショックですね。
もっとも幼児であれば言葉が通じなくとも致し方ないのでしょう
けど。
翌々考えれば、出産は本来病院で行われるべきで、むき出しの木
造の部屋、それも白くもない病室なんて日本に存在しないでしょう。
女性の衣類は白く、綿か何かでできているように見えます。男性
の服も、基本的に綿に染色といった繊維のように見えます。
男性側の肌を包む布地の面積から、およそ温帯から冷帯近辺なの
でしょう。
民族衣装なのかどうかは分かりませんが、少なくとも欧米各国の
一般的な服装には見えません。むしろ中世の高官のように、装飾が
多すぎると言っても良いでしょう。
こうした衣装は図鑑でも見た記憶はありませんし、疑問が深まり
ます。
そうしてみると、人種も不可解です。母親の白髪となればアルビ
15
ノを想像しますが、眼球には色素があり、そういった人種であると
言われればそうなのでしょう。
大人二人はどちらも彫はそう深くなく、日本人に近い造形ですが、
共通して眼球、肌の色素が薄い。
色素的には欧米人、むしろ北欧でしょうか?顔のつくりは日本人、
そんな人種見た記憶がありません。
建物の件もそうですが、どうにもアンバランスに感じます。
出産の場でありながら、病院のようではなく、一方で衣服はそれ
なりに清潔感を感じる。
男性は裕福層のような衣装に対し、現状の設備の悪さも目につき
ます。私の知るどの国でもこのような状況は考えにくいです。
1.
人種も現時点で不明、少なくとも知識の上で知っている人種
ここは温帯か冷帯に属するどこかの国
うーん⋮。
2.
裕福層の様な出で立ちでありながら、十分な設備があるとは
ではない
3.
子を見る両親の反応から、何らかの特殊な事情があるような
言えない看護体制
4.
5.
女になってる...|||orz
自身は双子として転生したものと思われる
気配もない
6.
現時点で把握できるのはここまでのように思います。
では、一応は今後の方針も若干考えておいた方がよさそうです。
とりあえずは這って動きが取れるようになるまでは、大人しくし
ておくほか無いでしょう。
後はなるだけ早い段階で言葉を覚える必要がありそうです。
であれば、優先度的に
16
4.
3.
2.
1.
以前の体の顛末の確認
可能な限り早く身動きを取れるように訓練する
言葉の習得︵これが無くては何の状況も掴めない︶
自身の置かれている立場、状況の理解
以降の要件は後回しにするか、状況を見て決定するほかないと割
り切りましょう。
とりあえず寝ればもう少し意識がはっきりするのかもしれません。
︱︱︱︱???︱︱︱︱
﹁眠ったのか?﹂
娘を抱き、頬が緩むのを必死に抑える男がそこにいた。
名をライオール・クロマルド≪愛称:ライル≫、年齢にして46
歳。この国で唯一の魔術学園、及び研究施設の最高責任者で、実質
この国の教育機関のトップと言ってよい。
その為、直接の領地こそ僅かながら、侯爵の位を持っていた。
教育者故の知識階級でもある。結果、権力狙い、左と右の見合い
を避け、そう言った野心家を避けて相手を探して、気づけばこの歳
だった。
賢者︵性に興味がない︶と呼ばれた事もあった。
そんな彼が46歳にして初めての娘が生まれたのだ。
人目の中でも大喜びして良い場面ではあるが、他の病室を気にし
てそう出来ない所が不器用な彼の性格を物語っている。
﹁本当に可愛いわ、貴方もこんな時くらい嬉しがってもいいと思う
わよ?﹂
色素の薄い金髪の女性、名前をアイクィル・クロマルド≪愛称:
17
クィル≫が娘が出来た嬉しさと、不器用なままの夫へのほほえまし
さに呆れた気持ちをごちゃ混ぜに話かける。
﹁いや、確かにそうなんだが、私にもこういう時どんな顔をしたら
いいか分からんのだ﹂
﹁まったく貴方は⋮﹂
まったく困っていない表情でクィルは呟く。この夫婦はこれが普
通だった。
馴れ初めから結婚に至るまで、クィルがひたすらに押し続けてこ
こまで来たが、結婚してからも家庭では尻に敷かれているのが実情
である。
﹁ところで、女の子だったら私が名前を付けることになってたけど、
双子とは思わなかったし、貴方も名前つけてみる?﹂
これはクィルなりの気遣いだ。カマをかけただけで、命名権を譲
る気はさらさらない。
ライルは悪い出来事であれば、早い段階で理性的な判断を下すの
だが、感情を伴う出来事、とりわけ﹃好い﹄方向の出来事にはパニ
ックを起こす。
初の子供ということが嬉しかったのか、それとも他の要因かは判
らなかったが、クィルの目にはライルがどうして良いのか分からず
にフリーズしているように見える。
こんな時、考えるべき材料を投下してやればそれについて考えを
巡らせ、彼のパニックは収まるものであることをクィルは知ってい
る。
もっとも今回はパニックというほどではないのかも知れないが、
混乱しているのは間違いない。
18
﹁悩みもしない名前を付けられんよ。まして考えてたのは男子の名
前だけだ。何も今日中に無理に考えなくても良いのだぞ?﹂
予想に違わず復活した旦那を見て微笑む。
﹁大丈夫よ、3人までなら考えているもの。後は貴方がそれを一生
呼び続けることができるかだけだわ﹂
﹁⋮いや、君なら変な名前はつけるまい。考えてるなら任せるよ﹂
夫の方も妻に対する信頼は高い。
これで夫婦になって僅かに二年。クィルが17歳だというのだか
ら驚きだ。
この国では、15歳で大人として認められるが、そこから僅かに
二年で熟年の夫婦であるかのような信頼関係が生まれている。
もっとも学生時代のクィルの猛威アタックを含まれば合計6年の
付き合いになるわけだが。
﹁そう。ならこの子はイィリエス、貴方が抱いてるその子はエィリ
エスが良いと思うの﹂
イィリエスもエィリエスも同一の植物の名前だ。
この国でも割と寒冷地帯の方でのみ咲く花で、雪解けが始まる頃
に咲く白い花をイィリエス草、その後、雪解けの終わりの時期に薄
黄に染まった姿をエィリエス草と呼び、つい最近までは別々の花で
姉妹草と言われていた花だ。
﹁イィリとエィリ。私もその名前がいいと思う。確か希望の花だっ
たか?この子たちの行く先に希望があれば良いな﹂
﹁やっぱり貴方も知ってたのね﹂
19
この草は雪解けに現れ、春を告げる事から、地域によっては希望
の象徴とされている。
ライルは以前にも色が変化する仕組みを、何等かの技術に応用で
きないかと調査したことがあったのだ。
その際、植生の調査、地元からの聞き込み等、様々な調査を行っ
ており、そうした暗示等も知る機会があったのだ。
科学者としてなら捨て置くであろう言われや暗示も、ライルはそ
れが良い言葉なら覚えるようにしている。
こうしたロマンチズムが好きだ言うのはクィルの言。
﹁この子達の希望、どんな希望を見出して育って行くのか楽しみだ
わ﹂
﹁そうだな⋮﹂
こうして楓、改めイィリは見ず知らずの世界で産声を上げた。
20
継承︵サラリーマン︶︵後書き︶
初投稿になりますね。
どこまでモチベーションが続くのやら...
21
天才姉妹
今日で生後2年が経過しました。
言葉を覚えるって大変ですよね。半年以上お母様たちの言葉をま
ねるばかりで、意味が全く分かりませんでした。
文語構造は主語、述語、動詞。単語がぶつ切りで、英単語を日本
語文法で並べた感じ?多分男性詞と女性詞、丁寧語位はあるようで
す。やってて良かった大学の一般教養。
それはそれとして身動きが取れず、聞いてまねるだけでは単語を
覚えるにも限界があり、学習効率は悪いと言わざるを得ません。
しかも覚えてもうまく発音できない⋮歯も生えきってないのです
から致し方無いのですが、歯がゆいものがあります。
その過程で色々なことが分かりました。多分私の知ってる地球で
はありません。
私が生まれた場所は島国﹃オルドーア﹄の王都︵王政︶で、現在
はお父様︵地球でいう所の伯爵?︶の領地﹃クロフィド﹄、屋敷の
一室:子供部屋に住んでいます。
電線はおろか電気すら存在しない屋敷。建物は木造と石造り。夜
に見た町並みは、部屋の範囲から見る限りは北半球でよく見る傾斜
付の屋根。度々見える煙突。コンクリート舗装されてない道路。移
動手段が馬車。一切見ることのない英語表記。アメリカ、イギリス、
日本、中国といずれも伝わらない会話。
結論。地球にそんな所あるわけないですよね。
ということで、前世調査は打ち切りです。やれる気がしません。
とりあえず、いろいろ見聞きするためにも全力で這ったり立った
りする練習をしました。何にしても体が資本。身動きが取れるとい
うのがどれだけ大事なのか分かりましたから。
なぜって?漏らします。何を?赤子が漏らすと言えば⋮⋮お察し
ください。いくら意識があろうと、そりゃ生後数か月は身動きでき
22
ないんだから漏らすしかないですよね?
転生チートが常に良いものだと思ったら大間違いですよ?
今は何とかおまるが使えるようになったので、どうにかなりまし
た⋮漏らした回数XXX回︵数え切れてない︶は私の黒歴史ですよ
ぅ。
﹁ねーね⋮?﹂
今日も隣で袖を握ったエィリが無言で泣いてます。
ええ、分かってます。漏らしたのでしょう?2歳ですし、早けれ
ばそろそろ改善するので我慢してください。
それはそうと、﹃双子だから﹄で片づけていいのかは分かりませ
んが、どうにもエィリの感覚と感情が感じ取れるようです。
触覚や聴覚、味覚まで共有はできないようですが、プライバシー
も何もあったものではありませんよね?
ですが今はまだ便利さの方が上でしょう。こうした時に大人を呼
びに行くのが私の立ち位置となりました。
﹁にすさん、えいりががまんできなかったって﹂
同じく部屋で控えていたメイドのイーニスさんに声をかけます。
名前をイーニスさん。ファミリーネームは聞いたことがないです。
普段は愛称でニスさんと呼んでます。
私が普通に動き回るようになって直ぐに来たメイドさんですね。
やっぱり私の見た目が特異なせいか、使用人は一度は私に会いた
がりますが、それっきり来ない方が殆どで、この人が来るまでそそ
くさと子供部屋から逃げる人までいました。ありがたい事です。
察しのいい方とは言いませんが、誠実で優しい人だというのが印
象です。見た目に反して。
ちょっと近寄りがたいといいますか⋮ヅカ?いえ、歌劇団とか無
23
いんでしょうけど。かっこいいからさぞかしモテるでしょうね。主
に女性に。
﹁はい、ではイィリお嬢様は暫くお離れ下さい﹂
そう言ってニスさんが準備に取り掛かります。今は真昼でありな
がら、ニスさんはランタンを手に取り火を灯します。
子供部屋は、日中でも厚手のカーテンが閉め切られ、常に薄暗く
保たれています。これは私にとってどうしても必要な措置でした。
先天性色素欠乏症。紫外線に対する体性が殆どなく、日焼けどこ
ろか火傷まで負う遺伝疾患。
幸いなことに、二卵性双生児だったらしく、エィリはそういった
症状はありません。
私の提案もあり、エィリは度々連れ出してもらっています。日の
光は浴びて育った方がいい。
多少寂しくはありますが、そういった時は大体ニスさんが残って
付き合ってくれます。いい人です。
﹁お嬢様、終わりましたし私は片づけてきます﹂
おしめの交換は直ぐに終わったようです。そのままニスさんは一
時退席。
この状況、何時ものことながら本当に暇です。
﹁えいりも、はやくはなせるようになればいいのですけどね﹂
色々な意味で本心です。とはいえ、エィリにはよくわからないの
でしょう﹃それなあに?﹄と首を傾げています。
相変わらず袖をつかんでます。うーん頬をプニプニしたい⋮⋮で
きないけど。︵主に筋力的な意味で︶
24
﹁イィリっ!エィリっ!﹂
﹁まーま!﹂
﹁おかあさま?﹂
本日の仕事が終わったのか、クィルお母様が子供部屋に駆け込ん
できました。
私たちに近寄ると、二人とも抱き寄せられます。流石に照れます
ね。
エィリも﹃まーま!﹄と嬉しそうにはしゃいでます。この反応私
には無理ですよ。
しかしお母様とて、普段は王都に赴任してるお父様の代わりに、
領地の有力者との打ち合わせや、公共事業の視察などをしているの
で、これで気分転換になるならゆっくりして行って欲しいと思いま
す。
私が言葉を理解しているからあえて言わないよう努めているのか、
こうした時に仕事に関して愚痴の一つも聞きません。お父様の前で
は漏らしているようですけど。
﹁奥様、お嬢様方の昼食をお持ちいたしました。奥様も今日はこち
らでお食べになりますか?﹂
そして開いたままのドアから、料理の乗ったトレイを運んでくる
ニスさん。音もなく入ってくるところがプロですよね。
﹁ありがとうニス。お願いするわ。あと、小さな台もお願いしてい
い?﹂
﹁かしこまりました、すぐお持ちいたしますね﹂
﹁ありがとうございます。にすさん﹂
25
私の声にニスさんも笑顔で手を振ってくれます。お母様もかなり
若いですが、この方も相当若いですよね。
聞いたところによると15歳で成人扱いらしいですし、まだ20
歳になってないですよねきっと。
﹁それにしてもそんな時間だったのね⋮﹂
子供部屋では時間間隔が狂うので、私にはまったく分かりません
が、お母様も把握してなかったようです。
仕事中毒はいけませんよー。経験者は語る。
幼児になってみると分かるのですが、量が入らない割にすぐに空
腹になるんですよね。その為、食事は少量でありながら回数取るこ
とになります。いろいろと面倒ですよね。
それはそれとして離乳食が食べれるようになったのは本当に幸い
でした。
だってその前は授乳ですよ?前世の私なら﹃何そのエロゲ﹄とか
言うのでしょうけどとんでもない。
恥ずかしいやら情けないやら、挙句、幼児の涙腺って凄まじく弱
くて、泣いてしまい、それが恥ずかしさに拍車をかける。でも拒否
してたら死にます。どうしろと⋮
表情も作れない頃の出来事で本当に良かったと思いますよ。気づ
かれたらどんな顔されるか⋮。
離乳食が初めて出てきたときはかなり嬉しかったのをよく覚えて
ます。マジで作ってくれた人には感謝ですよ。
﹁イィリも食べさせてあげようか?﹂
お母様が凄くいい笑顔で言ってきます。食べさせたいんですよね
?分からなく無いですけど。
まだスプーンすら扱い切れてないので正直助かりはするのですが
26
⋮。
﹁おかあさま。わたしはれんしゅうしてますので、さきにえいりを
みてあげてください﹂
お母様は私を解放すると、﹃本当に優しい子﹄と微笑みかけ、エ
ィリを抱いて離乳食を食べさせ始めました。いいお母様なのですが
やはり親バカです。
逃れる目的もありますが、こんなチート娘より本来の赤子を見て
あげてくださいお母様。
というかここまで成長をすっ飛ばしておいて何ですが、良く怖が
りませんねお母様。まぁ面倒がなくて良いのですが。
私はスプーンに手を伸ばします。
自力で食べるためですが、幼児の手はまだまだ震える震える。そ
れでも何とか自力で口に運びます。
一杯⋮二杯⋮⋮っと。
初めの頃は何度落としたことか⋮指まで発達すれば改善されそう
ですが、時間がかかりそうです。
ふと気づくとエィリにはもう食べさせ終わってるようです。早っ
!こちらはまだ半分ですよ。
汚さないようにと気を付けていると、一人では中々に時間がかか
ります。
残りは諦めて食べさせてもらうことにします。この位なら大分羞
恥心もありませんね。いえ、子供だからと納得できる範囲です。
因みに、恥ずかしいのを覚悟で白状してしまうと、お母様に抱か
れた状態というのは、なんというか安心感?も感じます。
幼児期の生物的プログラムか何かなんですかね?
とはいえ、自立できるまではまだまだ頑張ることが多そうです。
食べ終わると、食後のお休みです。転生前であれば考えられない
ことですが、これが凄まじく眠くなるのです。
27
子どもの体力の無さは致し方ないとはいえ、これ程とは思いませ
んでした。次に起きたらもっと動けるように練習しないと。
︱︱︱イーニス・イル≪ニス≫︱︱︱
﹁こんにちは、イィリエスお嬢様。お目覚めですか?﹂
屋敷で働く使用人であるイーニス≪愛称:ニス≫は、目を覚まし
たイィリにそう声をかける。
食後のお休みになった後、イィリたちは今まで熟睡し、クィル︵
母親︶は領地の有力者の人たちと会談している。
ニスはといえば、食事の片づけの後は場を離れることも出来ず、
ぼうっと双子の寝顔を眺めていた。
同僚からは赤ちゃんで、しかも双子はは可愛いけど大変だと言わ
れて、初めのうちは相当身構えていたものだ。
雇い主の子供、それも幼児が相手では、注意を払うことがあまり
にも多い。
しかし、そう身構えていたのも初めの半年位までだった。
夜泣きは覚悟していれば諦めもつき、本来起こされると思ってい
た回数の半分以下だったので、余裕をもって対処できる。
一番大変そうな﹃何で泣いてるのか﹄はイィリが通訳してくれる
上、イィリに至っては着替えとお風呂、おまるの掃除を除けば全く
手がかからない。
﹁こんにちは。にすさん﹂
まだ発達してない手足を起用に動かし、ベッドの手すりに掴って
わざわざ立ち上がってお辞儀をする。
使用人としても、礼儀を弁えている方が気持ちがいい。
その上可愛い盛りといっていい幼児期の笑顔に、頬が緩む。
28
ニスとしては、﹃別に寝たままでも﹄とは思う。本来、二歳であ
れば礼儀など覚える筈もないからだ。
一方で、エィリはすぐ横で、まだまだ眠そうな目を僅かに開きな
がら、ニスを見ていた。理性の光もなさそうで、まだまだ寝ぼけて
いる。
﹁えいりはまだおやすみなさい﹂
そう言ってイィリがエィリの手を握ると、安心したのかエィリは
そのまま眠ってしまう。
伝聞だったら﹃妹思いの優しいお姉ちゃん﹄と誰もが言う。でも、
二人は双子。全くの同い年なので、見た目には凄まじい違和感があ
る。
気遣いまで見せる二歳児。あり得ない光景ではあるがニスはもは
や動じない。
﹃イィリお嬢様には天才なんて言葉では足りません。不敬を承知
で言えば異常だと思います﹄とはニスの言。
﹁にすさん。わたしをしたにおろしてくれませんか?﹂
舌ったらずながらも言葉、それも文章を正しく組み立てて話すと
いうことがどれだけ異常なことなのかは、せいぜい2∼3語を繋げ
て話すだけのエィリと比較すると特に良くわかる。
ニスはイィリを持ち上げて、ベッドから降ろす。
幼児用のベッドなので、背は低く作られているが、勝手に動き回
らないよう手すりが柵のように囲っている。
イィリはベッドを降りると迷うことなく壁に片手をついて歩行練
習を始める。
他のパターンだと、ニスに﹃話し相手になって﹄と言いう事もあ
る。
29
初めてニスに﹃すこし、おはなししませんか?﹄と言ったのが1
歳半。ニスの方が混乱して言葉が出なかった。
そんなこともあり、ニスは既にイィリを8歳児位で見積もってい
る。
ニスはその様子を眺めているうち、進行方向に障害物が置いてあ
るのを思い出す。
﹁お嬢様、今日は部屋の隅に荷物がありますので、角にお気を付け
下さい﹂
﹁わかりました。ありがとうございますにすさん﹂
普通の場所ならその位の事で声をかけることはないが、薄暗く閉
め切った子供部屋では言っておく必要がある。
ニスも何回か足の指を打って痛い目を見ている。
こうした話題となるたび、ニスはどうしてこうなったのかについ
て考えてしまう。
︵イィリお嬢様は白い。奥様も強い日差しには耐えれないそうです
けど、それにも増して弱いというのは何の呪いでしょうか。生涯太
陽の元を駆け回ることが出来ないというのはどういう事なのでしょ
うか⋮。︶
それはとても辛いことだとニスは考える。年頃になっても日中外
で遊べないということは、子供たちの輪に混ざれないことを意味す
る。
今でこそ姉妹一緒ではあるが、エィリもいずれ友達を作り、庭や
野を駆けることになるだろう。
イィリはそれを見に行くこともままならない。
それどころか、その見た目をもって虐められる可能性もある。
ニスと同じ使用人の中にすらイィリを気味悪く思っている人すら
30
いる始末だ。
と、考えれば考えるだけ負のループに陥ってしまう。
﹁にすさん、にもつはこれですか?﹂
声をかけられたニスは気持ちを切り替え、イィリに悟られないよ
う表情を作ると、荷物の説明に入る。
﹁はい、そうですよお嬢様。中は旦那様がお嬢様に取り寄せた絵本
だそうです。﹂
﹁えほん?﹂
﹁はい、絵がたくさん描かれた本⋮ええっと、絵と文字が書かれた
紙の集まりです﹂
まだ教えたことのない単語だったっけと少し首をひねる。
イィリは殆どの単語は一度聞くとすぐに理解してみせる。
それだけ物覚えの良いイィリが丁寧語で話すようになったのは、
ニスが丁寧語で話しているせいもある。
イィリのは当初﹃女性の使う言葉だから、きっと女性的な言葉づ
かいなんだろう﹄と練習したら、その後使用人として丁寧語を使っ
ていたのだと知る。
その頃には既に身についてしまっていたので、イィリはそのまま
丁寧語で固定してしまった経緯がある。
母親の言葉遣いではなく、使用人の言葉遣いを覚えてしまったこ
とにクィルは少しショックを受けたが、特に矯正するつもりはなさ
そうだった。
﹁ありがとうございます。いまみてもいいですか?おかあさまがく
るまでまちますか?﹂
31
封を切っていない意図を逆読みしてみせる。
イィリにしてみれば何気なく﹃そういう意図なんだよね?﹄と読
み取ってしまうのだが、二歳児が他人の気遣いを﹃気遣いだ﹄と認
識出来ることのおかしさに気づいていない。
﹁⋮⋮奥様がお手すきでしたら呼んでまいります。少しの間だけお
待ちください﹂
﹁おねがいします。にすさん﹂
イィリが笑顔でニスを見送る。それを横目にニスは部屋を出るの
だが、廊下に出て直ぐに立ち止まってしまう。
︵お嬢様、貴方は本当に笑えているのですか?︶
母親よりも一緒にいる時間の多いニスには、イィリが幼児として
は破格の知性を持っていることは知っている。
そしてエィリが外へ連れ出されるたび、寂しそうな表情を一瞬だ
け浮かべるのも気づいていた。
その表情を隠し、笑顔で話しかけるだけの気遣いをイィリは当た
り前のようにこなすので、余計に心配しているのだ。
︵お嬢様の頭が良いのも、また呪いでしょうか?何も知らなければ
無邪気に人に甘えられたのに。奥様もエィリ様も送り出したりせず、
泣いて引き留める事も出来るのに︶
その知性が普通ではないながらも、イィリを気味悪がらないのは
ここが理由だったりする。
これだけ優しい子がその知性を悪意で染めることはないという安
心感だ。
ニスは目元が熱くなるのを感じると、﹃ドアの前で泣いたりした
32
らまた気を使われる﹄と、戸の前を後にする。
少し浮かんだ涙をぬぐいながら、ニスは居間へと向かった。
︱︱︱???︱︱︱
﹁イィリに絵本を?もちろん行くわ。呼びに来てくれてありがとう、
ニス﹂
クィルの判断で付く範囲の政務が終わり、休憩しようかと腰を上
げたのと、ニスが呼びに来たのは殆ど同時だった。
ニスが言うには、ライルが送ってきた絵本にイィリが気づいて、
読みたがってるという。
﹃こんな時でもないとイィリに構うことができないから﹄と二つ
返事。こうしたチャンスを逃したくないのだ。
イィリは子供としては気味が悪い位に﹃良い子﹄で通っている。
大人から見た善悪感と自立心があるのだから当然と言えるが、事
実を知らない者からすれば﹃異常な程良い子﹄に見える。
そのため手間もかからず、どうしても中身も幼児なエィリを構っ
てしまう。
そしてその差が一つの悲劇を生んでしまった。
歯が生えてきて、本格的に言葉の聞き取りをしていたイィリが、
母親を差し置いてニスの言葉遣いで話すようになってしまったのだ。
ニスが話すのは丁寧語。それは別段どこへ出ても問題のある話し
方ではなく、むしろへんな癖が付いてしまうよりずっと良い。
それは知っていても気持ちの上で抵抗があるのは致し方のない話
だ。
もっとも、こうした感覚は貴族ではまれだ。政務や社交など、す
ることの多い貴族たちの多くは、乳母を雇い、育てば専属の教師と
使用人を付ける。
当たり前だが親から言葉遣いといった初歩的なことを教わること
33
は普通はない。
クィルもそれは知っていたが、元々貴族のライルと違い、商人の
出自であるクィルには思う所が出てしまう。
︵ああ、もっと子供達との時間がとれればなぁ⋮。︶
それがクィルの今の所一番の願いだ。
結婚当初、40過ぎまで領地を一人で支えた上、王都で仕事まで
していたライルがどれだけ優秀だったかクィルは思い知った。
そしてその後すぐに、優秀すぎて部下が育たなかった事も知る。
その状況を見かねたクィルが手をだし、商人としての知識をもっ
て主に経済面を支えるに至った。が、それも昨今弊害が出てしまっ
た。
商業が急速に発展した結果、ライルが管理できる許容量を超えて
しまったのだ。
部下も育ててはいるが、任せきりになるにはまだ少しかかりそう
だ。結果、共働きの母に甘んじている。
﹁あの子ならいきなり一人で読み出しかねないわよね?﹂
移動中、話題がてら冗談のつもりで話を振ったクィル。
﹁流石にそのようなことは無いと思いますけど⋮?﹂
ニスもそれは無いだろうと応じる。しかし大分歯切れが悪い。
常識的にはたとえどれだけ学習能力が高かろうと、見たことのな
いものを突然読むことは出来ない。
ニスはしかしその裏では﹃もしかしたら⋮﹄を払拭することがで
きないようだ。
34
﹁ですがお嬢様なら直ぐに覚えると思います﹂
﹁私もそんな気がするわ、エィリと差が空く一方だし何故なのかし
らね?﹂
クィルもイィリの学習能力に思う所はもちろんある。専属医から
は、﹃2歳前後では2−3の単語を組み合わせる事しかできない﹄
と聞いている。
個人差はある筈だが、言葉遣いまで覚え、舌が回らないながらも
大人と会話を成立させて見せるイィリは、個人差で片づけられる限
度は既に超えている。
︵いっつもエィリを心配するような子だし、心配はしてないけど、
エィリは比べられたら可哀想よね⋮⋮いっそ比較も馬鹿らしい位に
なってもらっちゃおうかしら?︶
不安を感じるよりもう一方の娘への配慮を考える。
商人の家系であった事で、両親共に割きりと切り替えが早いだけ
あり、その影響を受けていたクィルも割り切りが早い。
それどころか何を仕込もうか真面目に考え始めた。
子供部屋に付くと、クィルの顔が笑顔に染まる。子供に物語を読
んで聞かせる。それは全てのは親が憧れるシチュエーションの一つ
だろう。それが嬉しいのだ。
﹁イィリ、待たせたわね﹂
﹁まーま、えほん、ききたい﹂
﹁おかあさま、だいじょうぶです。えいりもおきてしまいましたの
で、いっしょにきかせてもらってもいいですか?﹂
読み聞かせるのはイィリだけだと思い込んでいたクィルは一瞬疑
35
問符を浮かべたが、それはそれでいいかと快諾する。
イィリは多少言葉が早くても普通に聞き取ってしまうので、﹃読
み聞かせ﹄ではなく﹃朗読﹄になるかも知れないとクィルは今さら
ながらに思ったからだ。
そうした意味では、エィリが起きていたのはうれしい誤算だ。
聞き取りもままならないエィリに合わせると、文字通り読み聞か
せる形となる。
︵初めて一緒に読む絵本が朗読では悲しすぎるものね⋮︶
そう思いつつも絵本を覆っていた包みを解き、中から本を持ち上
げる。
表紙には家と老夫妻の絵が描かれたもの、多くの四足の動物が描
かれたもの、何か大きな盾の様なものを持った男が描かれているも
のの3つだ。
それを見たイィリが目を丸くしている。
初めて見た本に驚いていると受け取ったクィルとニスは安堵のた
め息をする。この子でも見たことの無いものは驚くんだと。
イィリが一冊を手に持ち、その表紙に触れて何かを唸っている。
イィリとしては手書きであることに驚いているのだが、クィルも
ニスも知る由はなかった。
早速部屋に置いてある椅子を寄せ、大人二人が腰かける。イィリ
もエィリも、それぞれニスとクィルの膝の上で大人しく聞いている。
光源の少ない子供部屋ではランプを除いて光源が少ない為だ。
﹁二人とも初めて見るものだし、最初はこれね﹂
そう言って動物の絵が多く描かれた表紙の本を取り出して読み始
めた。
エィリは時折絵を指さして﹃これは?なに?﹄と何度も聞いてい
36
るが、イィリは真剣そうに文字を視線で追いかけている。
話としてはお嬢様がけがをした動物を次々と助け続け、最後に熊
に襲われそうな処をこれまで助けた動物たちに助けられるというお
とぎ話だ。
物語が終わると、エィリは楽しそうにきゃっきゃと声を立てて喜
んでいるが、イィリは目を閉じて考え事をしている。
﹁お嬢様、何か分からない所などありましたか?﹂
と悩んだ様子のイィリに声をかける。
大方、エィリが楽しそうに質問し続けているのを見て遠慮した為、
所々でわからない事でも出たのだろうとニスは推測していた。
イィリはふと顔を上げて、クィルに向き合うと、
﹁いまのえほんのさいしょと、3まいめのさいしょをよんでもらえ
ますか?ゆっくりおねがいします﹂
何だろう?と首を傾げたクィルは、最初のページと5−6ページ
の冒頭を読む。
今度はエィリに止められることもなく、すんなり読み終わる。
しかし、読んだからこそ余計に理由が分からない。
全く違う箇所を飛ばして読んだのだ。
話も繋がっていないのに、これで一体何がわかるのか?とクィル
もニスも首を傾げる。
数秒の間、イィリが考え込むような仕草をした後、おもむろに声
を上げる。
﹁⋮⋮にすさん、まちがえてたらおしえてください。となりのほん
のだいめいは﹃やさしいひめさまとろうふうふ﹄ですか?﹂
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イィリが老夫妻の描かれた本の表紙を指さし突然話し出した。
﹁﹁⋮﹂﹂
今度は大人二人が驚く番だった。
表紙にお姫様の様な絵は無いし、当たり前のようだが文章を正式
に読んで聞かせたのは今回が初めての筈だった。
にも拘わらずイィリは本のタイトルを読んでみせたのだ。
﹁⋮⋮イィリエスお嬢様?⋮何方か教えて下さった方が居るのです
か?﹂
ニスは使用人の誰かがお忍びでここに来たのかと疑う。
そう思いつつも、イィリの見た目もそうだが、薄暗い子供部屋に
好き好んで来るような使用人がいない事は分かっていた。それが混
乱に拍車をかける。
するとイィリはその短い腕を上げて母親を指さす。
﹁いま、よみきかせてくれましたよね?﹂
さも当たり前の様に母親を指さすイィリ。
﹃え?あ⋮でも⋮﹄と突きつけられた事実だけでは到底納得がで
きない。クィルも同じ表情だ。
固まる二人を見て不思議そうに首を傾げながら。
﹁ただしいですか?あと、﹃ろうふうふ﹄ってなんですか?﹂
それを聴いてクィルは先に気づく。
﹁イィリ貴方、文字の音だけ先に覚えてしまったの?﹂
38
だから意味を持つ単語が何を示しているのか理解できないのでは
ないかと推論を立てる。
そしてその直後のイィリの﹃はい、そうですよ?﹄の声にクィル
は唖然とする。
この国の言葉はアルファベットの様な記号の羅列で構成される。
それを組み合わせて単語、空白で文字を繋いで文となる。
使われる字は記号を含め43文字。︵漢字の様に︶文字そのもの
に意味を持つものがなかったことで、単語を知っていれば理解は早
い。知らない単語もエィリが聞いているので、特に疑問はない。
後は、文字と音を突合せれば読むことは出来る。接続することで
訛る部分は流石に聞くしかないが、そう多くはない。そうした類の
説明をイィリは行う。
そうした説明に、ニスはあり得ないものを見ているかのような視
線を送る。
一通り説明し終わったイィリは、固まってる大人二人に、﹃つぎ
のほんをよんでいいですか?﹄と次の絵本に手を付けていた。
その後は、イィリが主導で絵本を読み、所々つっかえたり、単語
の意味を聞きながら結局三冊ともこの日のうちに読めるようになっ
てしまった。
クィルはこの一件をライルに報告し、ライルもしっかり5分は石
像化したが、クィルはそのことを笑うことは流石に出来なかった。
その後はライルも教職の立場を利用し、子供部屋には言葉の教科
書、小説、果ては子供の初期教育用の教本まで揃え、イィリが喜々
として読み漁り、エィリに喜んで聞かせるようになった。
エィリは姉の感情に引きずられるままにそれを聴き、次々に知識
を蓄えて行った。
かくて、自覚のない天才姉妹が出来上がることになる。
︵ここで生きていくには分からない事が多すぎます⋮⋮︶
39
幼児が気にするような類の問題では無いが、前世もちのイィリは
そう考えていた。
︱︱︱イィリエス・クロマルド≪イィリ≫︱︱︱
本を読み始めて1年。やはり効率は良いですよね。
両親は強制も何もせず、流れに任せているような雰囲気でしたが、
辞典に算術本、書き取り用のノート等を私の進捗に合わせて随時用
意してくださっているようで、私の﹃成長﹄は大分早まったと思い
ます。
幸い教科書等もあり、分からなければニスさんに聞けば良いので、
覚えるのは割かし直ぐでした。まだ時折単語を空耳しますが、許容
範囲でしょう。
驚くべきは赤ん坊の記憶力でしょう。覚えようと思えば一字一句
殆ど覚えられます。これが若さですか⋮。
ついでに、何もせずにいるのも暇そうだったエィリにも教師まが
いのことをしてみました。
いや、相手の感情が分かるって便利ですよね。分かったのか分か
らないのか、今のモチベーションがどうなのかとかすべて分かりま
すから。
お蔭でエィリも今や独力で小説を読めますし、基本的な四則演算
位は出来るようになりました。3歳児としては間違いなく天才でし
ょう。
お母様のお腹も最近急に大きくなってきているので、次に生まれ
る子は私たちの代わりに子供というものを見せてあげて欲しいです
ね。
それはそれとして、この国がどんなものなのか、改めて把握する
ことができたのは儲け物でしょう。
歴史書そのものは記録が取られ始めてから約2000年程と記載
40
されているものの、高度な産業体系はなく、人力・水力・風力によ
る工業。それも紙や製鉄と、低品質な透明ガラス工業位しかまとも
に機能していないそうです。
地球史ですと、ガラスが17世紀位の筈ですので、私の知る世界
より300年は進んでいないことになります。産業革命はまだです
か?
因みに紙はあれど、トイレットペーパー程量産は出来てないよう
です。今まで布だったのはそれが理由ですか⋮⋮石鹸位はあるので
すが、そんなに量産出来てないようです。これまた不衛生。
その他諸々
・この国は島国、海賊は時折居るが、ここ百年以上戦争らしい戦争
はない︵海の向こうではかなりドンパチしてるらしい︶
・技術的には17世紀程。火薬位はあるらしい
・王政=貴族型の統治。一部腐敗が問題提起されてる
・人種的には殆どが黒髪︵私は大好きですが︶の碧眼
・対してクロマルド家は色素が薄い家系らしい。私とエィリは遺伝
子異常かも
・男系の社会構造。家庭に入って守るのが女の幸せとされている。
一昔前の日本か⋮
ざっくりまとめるとこんな所でした。
一方で、面白そうな技術もありました。
﹃章術。野生に生きる一部の動物は、風を起こす、光を発する等
の特殊な力を持つ。これらの角等の器官を組み合わせ、人が力を加
えることで同様の力を生み出す技術のこと﹄
つい先ほど読み終えた理工学書に書かれた最後の一節。
数学も化学も正直大したものではないですし、そこに興味はあり
41
ません。高校理系レベルまでの化学位までなら私が進めればよいの
です。それよりも、明らかに前世でなかった技術が気になります。
興味はあれど、手持ちの資料で﹃章術﹄に関する記述はこれだけ
なので、余計に気になってしまいます。
正直なところこんなこと︵誕生パーティ︶するより、これに関す
る書籍が欲しいのですが⋮。
﹁私としてはパーティより勉強がしたいのですが⋮﹂
﹁いいえ、イィリお嬢様。今日は誕生日ある他にも一族へのお披露
目もありますので諦めてください。それに調理師たちがケーキを用
意してくださるそうですよ?﹂
正直に言えば私にはそんな物欲はありません。いいから私に知識
をくださいプリーズ。
﹁お姉ちゃん、私本にあったケーキというものを食べてみたいわ﹂
﹁エィリのお願いでは聞くしかありませんね⋮﹂
﹁ええ、観念してお嬢様もドレスに着替えてください﹂
というように、今日で三歳児となります。
私にしてみると31歳になるのでしょうか⋮年号が違うので何と
も言えませんけど。
エィリもはっきり話せるようになってしまいましたし、まだ子供
らしさが残ってるうちに母方の祖父母≪オル&シクル≫と、父方の
お祖母様≪フィル≫とで誕生会をすることになったのだそうです。
すみません子供らしくなくて。
因みにオルお爺様夫妻はそこそこ離れた土地で商会をしているそ
うで、生まれた直後以降で会うのはこれが最初ですかね?フィルお
婆様はお忙しいとはいえ近所なので時折遊びにいらっしゃいますが。
42
﹁⋮いつの間にこれだけ揃えたのですか?﹂
﹁いいえお嬢様、貴族としてはこれでも少ないほうです﹂
そこに並べられているのは20着近い服の山だ。
子供とはいえ貴族の家系であれば社交界に出る機会も無いわけで
は無いので、子供であってもそれなりに着飾る必要があるとはニス
さんの弁。
普段引きこもりで、おめかしする事はなかったので、これが初め
てということになります。まさか幼児に化粧はしないようですが、
衣装が面倒ですよね。
個人的には前世で着慣れたスーツを⋮とも思うのですが、スーツ
はきっと男用なんですよね。今は望むべくもありません。
﹁お姉ちゃんお姉ちゃん!見て見て!﹂
ふと見ると、エィリは白一色ながら、随分装飾だらけの服を着せ
られてます。白ゴス?あれ絶対ニスさんの趣味ですよね。普段以上
のいい笑顔してますもん。
輸入品なのでしょう。この国の民族衣装は糸で編んだ布を何枚も
重ねる、袴の様な出で立ちなので、元日本人的にはそっちにしてほ
しかったです。まぁ本人も気分が良さそうですしいいですけど。
これは早めに決めないと私までニスさんにおもちゃにされそうな
気がします。
この際女装趣味とかどうとか恥は全て捨てましょう。鏡の中の白
い女の子はどんな服がいいのでしょう?
﹁やっぱり黒⋮でしょうか?﹂
コントラスト的に。
エィリもゴスですしこちらは黒ゴスでいいかなと。これ、転生前
43
でこんな恰好したらと思うと寒気がしますね。
﹁可愛いわぁ﹂
﹁﹁ああ、二人ともとても似合ってるわ﹂﹂
居間に出るとフィルお婆様と、お母様&シクルお婆様が殆ど同時
に同じ感想を漏らします。というかお母様とシクルお婆様がハモっ
てました。同じ遺伝ですねぇ。
シクルお婆様も若いですよね。この国は17で元服だから、まだ
30代?お爺様もその位です。フィルお婆様が60台。お爺様より
年上のお父様、どれだけ晩婚だったのか伺えますね。
お母様若いのに陶酔したように頬を染めないでください。世の男
たちに見せたら結構な人数がコロッと逝きかねないです。
﹁おぉ!やはり孫たちは可愛いな!﹂
オルお爺様も褒めてくださってます。
ええ、服のチョイスは間違っていませんでしたね。正直微妙な気
がしますが。
そうこうしていると、エィリが俯いてモジモジし始めました。
うん、滅多に会わないお爺様たちを前に緊張してますね。後は照
れてる。そうした仕草も相変わらず可愛いですよね。
あー、今度はこちらもちらちら見ながら更に照れだしました。私
の心情も伝わったんですね。隠す気もありませんけど。
思わず抱きしめたくなるくらいには可愛いですけど、今は自重自
重⋮。
﹁⋮﹂
そうしてエィリを見て癒されていると、微妙そうな視線が流れて
44
きます。お爺様です。
エィリに向けてたわけでは無いですし、きっと私の筈ですが思い
当たる節はありません。
ああ、礼儀作法とかそういった立居振舞の問題でしょうか?貴族
の家系ですしね。
﹁本日は私たちの為にこのような場を用意していただき、誠にあり
がとうございます﹂
スカートの裾を軽く持ち上げ、お辞儀と一緒に挨拶をしてみまし
た。小説を読む限り、多分これであってる筈⋮なのですが?
微妙な視線二対に増えました。シクルお祖母様です。まぁ普段家
にいる方々と、現役教育機関幹部︵ライルお父様︶がスルーですし
これ以上は気にしないことにしましょう。
多分皆さんの期待した反応と違ったのでしょう。こればかりは私
だからと諦めてもらうしかありません。
﹁⋮うん、二人とも凄く流暢に話をするんだね﹂
﹁はい、随分練習しましたから。お母様達からは読み書きと礼儀、
計算なども教わってますよ、お爺様﹂
﹁私はお姉ちゃんから教わったわ、お爺様﹂
オルお爺様とシクルお婆様がすごい勢いでお母様に振り向きます。
凄いですね、あんな速度で振り向くとか首が痛くなりそうです。
フィルお婆様はちょくちょく見に来ますし特に気にした様子はあ
りませんね。
﹁ライル、、、は日中家にいないだろううし、クィル、お前この子
にどんな詰め込み方したんだ?﹂
﹁あー⋮。イィリが1歳過ぎた頃から喋りだして、本も読みたそう
45
にしてたから⋮でもお父さんには手紙で伝えてたよね?﹂
﹁⋮確かに。でもここまでとは思わなかった⋮ぞ?﹂
﹁私は無理に詰め込むようなことはしてないわ。親馬鹿を承知で言
うけど、天才よ﹂
﹁天才ではありませんお母様。お母様とニスさんの教え方が良かっ
たからです﹂
本当にお母様とニスさんには頭が上がりません。
言葉、文化、文字、計算、聞けば教えてくれましたからね。あと、
努力とは言いましたが前世もちの身としては情報収集は切実だった
のですよ。
こうしたやり取りは何時もの事なので、やはり両親とフィルお婆
様はスルー。オルお爺様たちはたっぷりフリーズ中です。
﹁さて、皆揃ったわね?お父様たちも呆けて無いで席に座って!⋮
イィリとエィリはこの席ね﹂
唖然としているお爺様方を前に、さっさと場を仕切るお母様。
私もそ知らぬ顔でエィリと同じ主賓席に座り、お父様による会の
開催を聞き、話の流れを見守ります。
生後に一同集まったのはこれが初めてとのことなのだそうです。
交通の便もそうですが、商人も中々忙しいようですね。フィルお
婆様位でしょうか、屋敷の近くで隠居生活してるのは⋮。
って、あー!エィリが早くも、料理に手を伸ばしちゃってますよ。
﹁まだまだ子供だ。仕方ない﹂
躾も考えればその発言はNGですオルお爺様。とはいえ、お父様
も特になにも言わずニコニコしているので、今日は無礼講なのでし
ょう。
46
私も適度につまみながら話に混ざります。
エィリがニコニコしながらパンに噛り付く姿、ホント可愛いです
よね。
こう、保護欲を掻き立てるというか、小動物みたいで見ているだ
けで癒されると言いますか。
その後、お母様方女性陣が私たちを見ながら﹃可愛い﹄と話して
るので、軽く混ざっていかにエィリが可愛いのか語ってしまいまし
た。
女性陣は概ね﹃だよねー﹄的に盛り上がったが、男性陣は居場所
がなさそうでした。女性比率が高いですからね。南無。
そうして一通り皆が食べ終わった頃、お父様が少し咳き込むと、
皆様の動きが止まりました。
﹁お前たちもそろそろ自分で考えられる頃だろう。誕生祝に何かプ
レゼントのリクエストを聞こう。どうだ?何か欲しいものはないか
?﹂
なるほど、転生前でもよく見た光景です。
改めて文化が似ている様に思いました。いや、誕生日プレゼント
は万国共通ですかね?
﹁お父様、私はクッキーが食べてみたいわ!﹂
﹁そうか、エィリはまだ食べた事がなかったものな。これからでも
作ってもらおう﹂
即座に答えたのはエィリ。うん、ホント純真で可愛いです。
ですが、それはそれとして欲しいものですか。使い捨ての類の物
は特に欲しいとは思いませんし、食べ物、飲み物にも特に執着はな
いですよね。
服を私に聞かれても困る位だし当然候補外。まさか三歳児がお金
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をねだるのは流石に狂ってるでしょう。私でも子供にお金は持たせ
ない。
いや、そもそもお金があっても知識のない今では⋮⋮知識?
そうですね、その線で行きましょうか。
﹁お父様﹂
﹁ん?イィリは何が欲しいんだ?﹂
﹁私は章術の知識が欲しいです﹂
﹁﹁えっ⋮?﹂﹂
これはこれは皆様揃って呆然としたお顔。
声を出したのはお父様とお爺様だけでしたか。お母様たちの間の
抜けた声は聴けませんでしたが、まぁそれはそれで良いでしょう。
自分から勉強したがる三歳児。シュールですけど自重はしません。
﹁お姉ちゃん楽しそう!﹂
﹁ええ、とても楽しいですよ?エィリ﹂
妹は反応しましたがお父様は相変わらずフリーズしてますね。
しかしお爺様もフリーズとは⋮。血はつながってなくても親子な
んでしょうかね?
﹁お父様、学習に必要となるものは何でしょう?﹂
﹁⋮あ、ああ、章術は基本的に座学と実習で、道具が必要になるの
は実習の方で、紋章制作に使う材料と工具が⋮﹂
ベクトルを与えると一気に傾くこの思考は見てて面白いですよお
父様。お母様が弄る気持ちも理解できます。
﹁ではその道具一式を誕生祝にお願いします﹂
48
敢えてニッコリ笑いながら言ってみる。くらいなさい、三歳児の
娘の屈託ない笑顔︵笑︶。お父様たちがどんな顔をするか楽しみで
す。
多少変ではあっても、お父様は聞かない訳にはいかないでしょう。
わが子が進んで勉強したいというのを止める親はそういないとい
うのもそうですが、家計的にも爵位持ちで教育の最高責任者が学習
器具の一人分を出すのは造作もない筈です。
﹁貴方?﹂
﹁あ⋮ああ⋮﹂
お母様から促されて肯定を含んだ呻き声を上げるお父様。言質い
ただきました。ありがとうございます。
そう言ったきりお父様は考え込んでしまいました。ちょっと刺激
が強すぎましたかね?
お母様は﹃またこの子は﹄的なため息をしてます。そりゃ私に今
まで勉強教えてたのお母様ですからね。今さら驚かないでしょう。
お父様も日中もずっと家に居るなら驚かなかったのでしょうね。
お爺様たちはあんぐりと口を開いてます。いい表情ですよ皆様︵悪︶
。
時折﹃あの子の頭はどうなってるんだ﹄と、お父様から独り言が
漏れてます。今さらでしょう。
﹁良いわ、私がこの子たちに教えるわよ。貴方!固まってないで教
本の予備を準備して!後、地下の研究室から教材になるものを幾つ
か持ち出すわよ﹂
お母様の言に﹃分かった﹄と戸惑い気味に部屋を出るお父様。ち
ょっとやり過ぎましたね。
49
まぁ、機材の発注でもしたら戻ってくるでしょう。それにしても、
凄いですお母様。その思い切りの良さはかっこいいと思います。
お母様も高等部主席卒という経歴は聞きましたし、忘れていない
のであれば優秀な家庭教師になれるんですよね。
﹁ありがとうございます、お母様﹂
﹁どういたしまして。で?イィリもエィリもいつからがいい?王都
まで近いから教本も道具も直ぐね。遅くても明後日以降には始めら
れるわよ?﹂
﹁でしたら明後日からお願いします。概要しか分からず気になって
いるので、今から楽しみです﹂
﹁ありがとうお母様。私もお姉ちゃんと一緒がいいわ﹂
﹁そうね。じゃあ話はこの位にして、皆でケーキを頂きましょう?
⋮ニス、全員分のデザート運んできてくれない?お父さんが戻って
きたら皆で食べましょう﹂
﹁はい、承りました奥様﹂
﹁やった!﹂
そう言ってニスさんが台所へ向かいます。
私はというと、からかい過ぎだとお母様に注意を受け、今はエィ
リもろともぬいぐるみ扱いされています。
エィリはよくわかってなさそうな顔を一瞬浮かべましたが、今は
暖かいからか嬉しそうにしてます。
生まれ変わった直後はなすがままで恥を晒しましたが、こうして
家族と一緒に笑いあう時間が味わえるのなら人生やり直しもいいか
も知れません。
︱︱︱アイクィル・クロマルド︽クィル︾︱︱︱
﹁二人とも、今日から勉強だけど、本当にいいの?﹂
50
ここでは通常、教育は5歳から8歳までに基礎的な算数と読み書
きを、9歳から12歳までに高等教育、13歳から15歳で専門教
育を施す。
もちろん、各区切りで教育を打ち切り仕事に出るものも居る。例
えば農家を継ぐのであれば8歳以降は十分な労力になるためだ。
そしてこれから行う章術の学習は高等教育に含まれる。これは専
門職全般でこうした技術が必要になるからだ。間違っても3歳児の
やることではない。
﹁もちろん良いですよお母様。もっとも言い出した私が嫌がる訳が
ないですけど﹂
﹁お姉ちゃんがやるなら私もやるわ。置いて行かれるのは嫌だもの﹂
娘たちに全く迷いは無いようだ。
﹁なら始めるわね。まず章術というものの成り立ちと、目指してい
るものについてね﹂
章術はつい20年程前までは﹃魔法﹄と呼ばれて忌避されていた
ものである。
それは極稀に生まれる﹃魔法使い﹄と呼ばれる人たちだけが実現
して見せた奇跡だからだ。
それについて20年前にこの学問を開いた開祖﹃イスクルム・オ
ーカード﹄氏が道具を用いることで同様の事が誰にでも出来ること
を示したことから状況が一変する。
氏の著書の中では、﹃魔法﹄とは個々人が常に潜在的に持つ力で
あり、それを発現させる動力が﹃魔力﹄である。﹃魔法使い﹄はそ
れを視認することが出来る。
そしてその力を特定の紋章に象ることで何等かの現象を引き起こ
51
すというものだと記している。
これまで﹃魔獣﹄と呼ばれていた一部動物たちが扱う魔法もそう
した力を使ったものであり、そうした獣の器官︵多くの場合は骨の
一部︶を利用する事で力の流れは見えずともその現象を引き起こす。
これを﹃器物﹄と呼んでいる。
一般には視認できない物の、紋章を象ることから章術と名付けら
れた。
﹁⋮今ではそうした道具をどう組み合わせれば何が出来るのか、そ
れが研究内容となってるわ﹂
﹁紋章自体の組み合わせは連結だけですか?﹂
﹁そうね、言いたいことは分かるけど、紋章そのものを見ることが
出来る人は殆どいないの。連結での組み合わせはあっても合成は出
来てないのが実情ね。イスクルムさんも数年前に亡くなってるし⋮﹂
﹁ある意味仕方ありませんよね﹂
﹁そうね。もっとも最初に二人にやってもらうのはこれね﹂
そうして私が取り出したのは輪だ。大きさにして人の頭程の大き
さだ。
﹁これは光るだけの器物ね。と言っても洞窟に住む魚の骨なんだけ
どね﹂
これは章術を扱うものが最初に触れる器物で、個々人の持つ力の
大きさを測る道具として用いられている。
道具として見たときの効率が悪く、日常に使えるものではないが、
その明るさと持続時間で個人の持つ魔力を図るのに使われている。
﹁とりあえずそれを手に持ってなさい﹂
52
言われるままにイィリが手を伸ばし輪を手に取る。すると。
﹁大分眩しいですよね﹂
イィリが輪を持って僅か数秒後、白い光が辺りを照らし出す。子
供部屋は暗いので、慣れていない目には眩しい位だろう。
それにしてもかなり明るい。
﹁凄く明るいわね、私が在学中だったころでもトップクラスだった
かも?何処か疲れてるような感じはない?﹂
﹁僅かに何か削り取られるような感覚がありますが、この分なら半
日は持ちますね﹂
︵⋮⋮え?︶
一度にため込める力には限界がある。その容量と出力には個人差
があり、生まれついての物だと言われている。
それを持続時間と明るさという形で確認するのがこのチェックの
目的だ。
出力だけで見れば学園約1000人の中でも上位。記録保持者で
も1時間が限度だ。それを数倍上回る容量。
﹁⋮もう離して大丈夫よ﹂
私は軽く額を抑える。
これだけの容量を持った子を見たことはない。まして教本の中の
記録でも過去2時間持った学生は存在しなかった。
﹁エィリも触ってみます?﹂
﹁うん、楽しみね﹂
53
気づけばイィリは器物を台に置き、エィリに促している所だった。
置かれた器物にエィリがその小さい手を伸ばす。
﹁皆、目を閉じてください!﹂
輪が光り出す前に聞こえたのはイィリの叫び声だ。
何の事かは分からないが目を閉じる。直後、全身に暖かさを感じ
る。
閉じた目にすら感じ取れる光を受けて一体何があったのかと気に
なるが
﹁熱いっ!﹂
そうエィリが漏らして手を放すのは直ぐの事だった。
﹁大丈夫エィリ?﹂
エィリの心配をして直ぐにイィリが横についている。
私は急いて片づけるため器物に手を伸ばした。
﹁熱い⋮﹂
我慢できない位ではないが、器物は熱を持っており、その発光の
激しさを物語っている。肌の弱い子供の手には厳しいだろう。
目を閉じていなければ失明していたかも知れないと思うと背筋が
凍る。
﹁二人とも!大丈夫だった!?目が痛いとかない!?﹂
慌てて娘たちに振り替えると二人とも首を縦に振っている。
54
イィリが気づいたお蔭でエィリも目を閉じていたようだ。
﹁良かったわ、二人とも無事で。それにしても凄い光だったわね。
あんな光は見たことが無いわ﹂
﹁私も焦りました。﹃青い光の線﹄があまりに太いので⋮﹂
﹁うん、お姉ちゃんに助けられた﹂
﹁良かった⋮﹂
﹁⋮お母様、私はあのまま手を離さなければ1時間位続けられたと
思うわ﹂
これまた規格外の言葉が漏れる。あの出力で1時間も?
これだけの光を起こした人間は、少なくともこの学問が出来てか
ら存在していない筈だ。
﹁⋮もうこれだけで生活できるわね⋮﹂
やや呆れ気味にそうつぶやいた。
実際、これだけの力を発揮できるなら引く手数多だろう。産業の
一部ではこうした力を利用するものもあり、実際そのための要員を
欲している所は少なくない。
﹁そうなんだー﹂
エィリは感心したようにこちらを向いているが、イィリは何処か
虚空を眺めている。
﹁⋮確かあの紋章はこうだった⋮﹂
そう呟く娘に違和感を感じた時だった。
55
﹁!!?﹂
やや眩しい位の光に、私は言葉にすることが出来なかった。現状
﹃器物﹄は私の横の箱の中であり、他に器物はない筈だった。
つまりこの場において光を生み出すものは存在しない筈だ。
﹁⋮やっぱり出来ましたね。私も﹃魔法使い﹄になれそうです﹂
﹁私もできるかな?お姉ちゃん﹂
﹁エィリも青い光は見えるよね?﹂
﹁うん、見える﹂
﹁さっき感じた何かを引っ張り出される感じで、出て来た光をこう
いう風に繋ぎます﹂
﹁⋮うん、やってみる﹂
そして今度はエィリも虚空を眺め始め、僅かに数秒で光を生み出
し始めた。
﹁エィリ、少し眩しいですがもう少し抑えられますか?﹂
﹁⋮うん⋮﹂
余程集中しているのか、エィリの応答が曖昧になっている。
私はと言えば、どうしていいか分からず頭を悩ませているだけだ。
︵魔法使い⋮しかも二人揃って⋮どう教えれば良いって言うのよ⋮︶
今この場に居ない夫にどう伝えたものかと悩んでしまう。固まる
位で収まってくれるといいんだけど⋮。
︱︱︱エィリエス・クロマルド≪エィリ≫︱︱︱
56
初めて章術を見てから、私たちは直ぐにこれに夢中になった。
おとといは、他にはないのとお母様にねだってみたら、地下の﹃
研究室﹄という所に連れてきてくれた。
とっても面白い場所だと思う。
﹁エィリ、これも面白いですよ。﹃加速﹄です﹂
そういってお姉ちゃんが手に着いた水を飛ばしてして遊んでた。
加速の紋章の上を水滴が通ると、もう目で見えない位の速さで壁に
当たって弾けてた。
﹃パシャッ﹄という音が、雨みたいでよく覚えてた。私がやった
時は
パァン!
と、ちょっと大きな音を立ててやっぱり壁で弾けた。
一緒に見て同じものを使っても、大体私の方が起きる力が強い。
何でも出来るお姉ちゃんに対抗意識を持つ気もないけど、それが
ちょっとうれしかった。
その日は、他に﹃凍らせる紋章﹄というのが面白かった。
紋章は見たことないけど、同じ事を起こす魔法を、絵本の中で魔
法使いが使っていた。
最初試しに置いたコップの水を凍らせた。コップを逆さまにして
みたけど零れる事がない、ちゃんと固まったんだと思う。でもこの
時はちょっと冷やし過ぎて指に張り付きかけた。
他には、桶の水を真ん中だけ凍らせるようにやってみた。
でもこれは失敗だった。
本当は水の上に氷の柱を作りたかったのだけど、出来た氷を中心
に周囲も薄く固まっちゃった。
でも、この分なら何回か練習すればできそうな気がする。
57
まるで私が絵本の中の登場人物になったみたいで少しうれしい。
あと、お姉ちゃんが幾つかの器具を目の前に置いて、手に持って
は何か考えてた。
こういう所はお姉ちゃんの分からない所だと思う。
どう見たって﹃悩んでます﹄という見た目なのにずっと心が﹃笑
ってる﹄。
楽しいのに悩んでるというのはやっぱりよく分かんない。
私もそのうち分かるようになるのかな?
︱︱︱︱︱
次の日も私たちは地下で遊んだ。
外で遊ぶのも面白いけど、やっぱり私はお姉ちゃんと居たい。
1∼2日位なら何にも言われないけど、あんまり一緒に居ると気
持ちは怒ってないのに怒られる。なんでだろう?
この日は最初からお姉ちゃんは悩んだままだった。
﹁お姉ちゃんどうしたの?﹂
あんまりにも悩んでるから、そう言ったんだけど、﹃大丈夫だか
ら少しだけ考えさせて﹄って言ってたので、私はその日も一人で見
てた。
お姉ちゃんのこういう反応はつまらないけど、そう思うとお姉ち
ゃんを邪魔するので、とりあえずは面白そうな物が無いか探してた。
その日、部屋から出る前にお姉ちゃんがこんな事を言ってた。
﹁明日は面白い物が見れますよ﹂
何の事かは分からなかったけど、お姉ちゃんが言うからきっと間
違いはないと思う。
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お父様とお母様も呼んでって言ってたから、明日は呼びに行こう
と思う。
︱︱︱︱︱
今日、お父様とお母様を連れて地下室に来てみたら、お姉ちゃん
がいっぱいコップを並べて待ってた。木じゃなくてガラスのだから、
割ったら凄く怒られそうだ。
﹁イィリ?これから何をするの?﹂
﹁だから面白いことですお母様﹂
そうしてお姉ちゃんがコップに向かうと、章術を使い始める。
紋章は一昨日見た﹃加速﹄って言うのに似てたけど、細かい所が
随分違うように見える。それも一つじゃなくて20個位?
良くわからないけど、この紋章が動けばわかるのかな?
﹁⋮ご清聴下さい﹂
お姉ちゃんの一言の後、コップを端から順に叩いていく。
高い音から低い音まで色々音が鳴るのは面白い。でもこれは章術
じゃない気がする。だってどの音もいつか聞いたことのあるガラス
の音だったから。
一通り叩き終えると、お姉ちゃんはこっちを振り向いて目を閉じ
た。
﹁⋮何がし⋮﹂
リィン
59
お父様が良くわからないような顔で何か言おうとしたら、コップ
を叩いた時の様な音が聞こえる。
お姉ちゃんはもうコップを向いていないし、誰も叩く筈はない。
リィン、キィン、カァン
今度は幾つもの音が同時に鳴り出した。
お姉ちゃんは必死に何か考えてるっぽいけど、お父様もお母様も
驚いた顔してる。お姉ちゃんこの顔見たら喜びそうなんだけどな。
リィン、リィン、キィン
音は何かで聞いたような音楽を表してるように思う。何だっけ?
幾つかの音が重なってるけど、早さも整ってて、とっても綺麗に
聞こえる。
﹁⋮⋮10年後の貴方に⋮﹂
そんな風な歌詞がお姉ちゃんの口から聞こえて来た。
うん、お母様が歌ってた子守唄だ。それが今お姉ちゃんの口と、
紋章から聞こえる。多分演奏してるんだと思う。
知ってるものがもっと気持ちよく聞こえるのはとても嬉しい。
お姉ちゃんの歌い方もとっても綺麗だけど、感覚は分かるから私
も歌えるよね?
﹁﹁⋮⋮今の幸せになれるように♪﹂﹂
私が歌い出したら、私が間違わない程度に声を下げて、少しずれ
た音でお姉ちゃんが歌う。
やっぱりお姉ちゃんは凄い。ずれた音で歌ってるのに、私だけで
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歌ってる時より綺麗に聞こえる。
⋮キィン
最後に高い音を立てて歌が終わる。
お父様もお母様も凄く喜んでる。でもあんまり拍手されると照れ
るなぁ。
﹁イィリ、エィリ、とってもいい綺麗な曲だったよ。またいつか、
今度はオルお爺ちゃんたちが来た時にやってくれるかな?﹂
﹁ええ、大丈夫ですよ﹂
﹁うん!﹂
本音を言えばもっと歌いたいけど、お姉ちゃんも乗ってくれるか
な?
﹁ときにイィリ⋮その章術はまさか﹃創った﹄のか?﹂
﹁はい、創りました。紋章の解析が出来たのはまだほんの少しです
が、物理的な力は凡そ再現できますよ﹂
﹁﹁⋮﹂﹂
お父様もお母様も黙っちゃった。
言ってることが良く分からなかったし、後でお姉ちゃんに聞いて
みよう。
お姉ちゃんもとっても楽しそうだし、きっと教えてくれるよね。
お姉ちゃんが創ったっていうこれも覚えたらきっと面白くなりそ
うな気がする。
61
天才姉妹︵後書き︶
2発目で早くも書置きが尽きたぞー︵;´Д`︶
追記:
ちょっと誤字や書いたつもりで書いてなかった箇所等を微修正。
最初に書いた量のせいか、1話辺りが長すぎた。
でももう戻れないし、このまま突き進むしかなさそう。3話目なん
てどれだけ長くなるのか︵;゜Д゜︶
62
友達
﹁∼♪﹂
クロマルド邸の一室、かつての子供部屋に二人の少女と一人の女性
がいる。
少女の一人はベッドに腰掛け、白く長い髪を後ろで束ね、整った顔
に慈しむかのような表情を浮かべながら静かに本を読んでいる。
その傍らでは黒く艶のある髪を流し、可愛らしい顔に薄く笑みを浮
かべながらピアノを弾き続ける少女がいる。
5歳を越えたイィリエス・クロマルド︵イィリ︶とエィリエス・ク
ロマルド︵エィリ︶の姉妹だ。
2年前の地下室の一件以来音楽に興味を持ったエィリは、4歳には
音楽家に弟子入りし、自宅においても練習を欠かさなくなった。
初めの頃こそミスも多く、引き直事も多かったのだが、今では余程
早い曲でもない限りは大体弾けるようになってきている。
練習の場合はともかくとして、自室で気ままに弾くときはイィリの
趣味も手伝ってややスローペースな曲が多い。今弾いているのもそ
んな曲だ。
5分程の曲を弾き終えると、エィリはゆっくりイィリに振り替える。
﹁綺麗な曲でした。いつもありがとうございます。エィリ﹂
イィリも本を閉じると、目を細め口元に笑みを浮かべながら言う。
この世界では娯楽はとても貴重だ。テレビもラジオも漫画も存在し
ないので、路上演奏とパフォーマーを除けば、展覧会か劇場でしか
娯楽にありつけない。
まして、日中出歩くことのかなわないイィリには貴重な娯楽である。
63
﹁そう言ってくれて嬉しい。姉さん﹂
この双子は、幸か不幸か生れながらに互いの感情を感じ取ってしま
うので、口にされずともエィリにはわかっている事だった。
それはおろか、音楽ばかり聞いて読書が出来ていないことまで気づ
いている。
しかしそうであっても、口にしてもらえるのは嬉しい。
そうしてエィリは更に練習に対するモチベーションを増やしていく
のだ。
褒めて伸ばす、古今東西天才とはこうして作られるものである。
﹁凄いですよ、エィリお嬢様。私ではたとえ暗記していてもお嬢様
の様には手を動かせないかと思います﹂
そう言ったのはお側付のイーニス・イル︵ニス︶だ。
整った顔立ちだが、可愛いという人は残念ながら少数だろう。
代わりに背も高く、カッコいいと呼べる容姿のメイドだ。
その表情は明るく嬉しそうで、その言が嘘ではないことが良く分か
る。
﹁ありがとう、ニスさん。でもお師様にはまだまだだって言われる
わ﹂
﹁音楽はそう直ぐ身に付くものではありません。ですがこの前迎え
に上がりました時、﹃覚えるのが早いから直ぐに一人前になる﹄と
仰っていましたよ?﹂
﹁その﹃直ぐ﹄って何年先なのかしらね?﹂
ニスの言にすこしおどけるように答える。
エィリもそう易々と一人前になれるとは思ってはいない。単純な照
れ隠しだ。
64
﹁﹃日進月歩﹄ですよエィリ、﹃できること﹄はのんびり増やして
いけば良いのです﹂
﹁できるというと⋮姉さん、研究の方は何か面白い発見とかあった
?﹂
普通の家庭で聞けば何か違和感を感じそうな言い様でも、この姉妹
にはよくある事だ。
﹁うーん、研究はそう簡単に結果が出る類の物でもないので、私以
外にいったら怒られますよエィリ。まぁ、今日はこんなものを用意
してみました﹂
イィリがポケットから3つのアクセサリーを取り出す。
ヘアピン、クリップ、ヘアピックと、どれも髪飾で、イィリの手の
中で光を放っている。
エィリは小さく光る青い光点を見つけて、﹃章術﹄が埋め込まれて
いることに気づく。
個々人が持つ﹃魔力﹄を紋章に整えることで奇跡を起こす﹃章術﹄。
その魔力や流れを直接見る事が出来る﹃魔法使い﹄が希少である事
イィリ
から、学問として成立して20数年が経った今でもそう多くの紋章
は生まれていない。
たまたま﹃魔法使い﹄として生まれついたこの姉妹の特に姉は、そ
の特異性を利用して章術の研究を行うのを暇つぶしの手段としてい
た。
﹁生き物の神経程ではないですが銀が魔力を通すので、縮小と道具
化を試してみました﹂
身近にあるものに端から魔力を流して実験した結果である。
65
金属が全般的に魔力を通すが、特に銀との相性が良かったので銀粉
を注文していたのだ。
銀の融点はおよそ1000度。平らな石膏を削って型を作り、銀粉
と水と薄い接着剤で作った粘土を埋めて焼くだけだ。材料さえそろ
えばそう難しい作業ではない。
﹁調子に乗って小さくし過ぎたら、ヘアピンの飾りに乗るほどに小
さくなりました。試作品ですがエィリもどうですか?﹂
﹁光る髪飾りなんて初めてだわ。姉さんありがとう、使わせてもら
うね﹂
そう言うと、エィリはヘアクリップを受け取る。ニスにもと促すと、
ニスも少し戸惑いながらヘアピックを手に取った。
残ったヘアピンを見てイィリが軽く思案すると、自分のポニーテー
ルの結び目に括りつけた。
何かを照らす程ではないが、暗闇の中で主張するくらいの光が出て
いる。
﹁明るさが皆同じくらいだけど調整できたの?﹂
光り方を観察しながらエィリが言う。
﹁調整したというよりは、その大きさではそれ以上光らせられない
というのが正解です。紋章そのものの効率は良くなってる筈ですが、
小さ過ぎて魔力が流れないみたいですね﹂
﹁私としては嬉しいですね。魔力の容量は無いのですが、これなら
ずっとつけていられます﹂
﹁ニスさんにそう言ってもらえる位なら、十分に抑えられたと思っ
ていいですよね。公開したら儲かるかも知れません﹂
66
﹃誰でも使える﹄は大きな強みだ。
アクセサリ程度ではあるが、紋章のサイズに無関係に目的の効果が
発揮できるのであれば応用範囲は広がる。
例えば煙草に火を着けたいだけなら、葉の僅かな範囲を加熱出来れ
ばいい。
﹁もっとも、実用品レベルのものは私やエィリくらい魔力がないと
意味無いですけど⋮飾りとしては需要がありそうですね﹂
イィリは章術に価値は低いと見切りを着けている。確かに使えれば
便利な事は間違いない。
しかし、大きく進歩させるには数万人に一人の魔法使いの誕生を待
たねばならず、しかも個人差が激しい。
どんなに頑張ったところで一部の人間の便利な道具止まりなのだ。
入学を間近に控えたイィリは、入学したら鍛冶系の人脈と、設計手
法や技術を覚えようと密かに考えている。
﹁でもお嬢様。紋章もそうですが、銀で器具が創れるという情報は
簡単に流せさない方が良いのでは?﹂
﹁確かに⋮そうなんですよねぇ﹂
金属加工による器具の作成は、これまで唯一と思われていた動物由
来素材の組み合わせで器具を作るよりも遥かに簡単で量産が容易だ。
それは章術がより身近なものになるという点事でもある。扱いやす
い材料により、様々な試験が行えるという点や、生産性の向上によ
り、誰でも恩恵に与かれるということだ。
一方で、取り回しが良いということは悪用しやすいということでも
ある。
無邪気に﹃できたよー﹄と出すわけにはいかない。
他にも、紋章の改善ができると言うのは、自分が﹃魔法使い﹄であ
67
ると主張するようなものでもある。
悪い意味での偏見は若い世代ではほぼ払しょくされてはいるが、3
0歳を過ぎた世代より上では案外そうでもない。
露骨な事はないまでも、良い顔はされないというのは容易に想像が
つく。
﹁そうなんですよね、この件はとりあえずお父様に預けましょう。
そんなに目立つ物ではありませんが二人とも紛失には気を付けてく
ださい﹂
﹁畏まりましたお嬢様﹂
﹁うん、気を付けるね⋮っと﹂
言い終わらない内にエィリは自分の髪を後ろでまとめ始めた。
一通りまとめ終わると、ヘアクリップでそのまま固定する。
﹁どうかな?﹂
するとその場でゆっくり回って見せる。イィリ同様のポニーテール
だ。
﹁よくお似合いですよ、お嬢様﹂
﹁ええ、とても可愛いですよ﹂
そう言われるとエィリは少し照れたような笑みを浮かべる。
﹁ね、姉さん。⋮章術で今までに分かったこととか教えてくれると
嬉しいな!﹂
照れ隠し6割、好奇心4割な発言。
感情を共有しているイィリには効果が薄いが、ニスには効いたよう
68
だ。
﹃流石お嬢様﹄と言わんばかりの表情を浮かべている。
が、これ幸いとイィリは口を開いた。ぶっちゃけて言えば話したい
のだ。
﹁そうですね、章術と言うものの本質についてお話しましょうか﹂
﹁うん、お願い。姉さん﹂
﹁⋮﹂
エィリが少しだけ興味を示し、ニスは既に呆れ顔だ。
たかだか5歳の子供が章術という学問の終着点の一つを語るという。
もう驚くのも飽きたと言わんばかりで、実に調教されたと言えなく
もない。
﹁ここ1年位の実験で分かった事ですが、魔力は生き物に何等かの
影響を与えるという事と、章術とは魔力という力を別の形に変える
ものであるという事です﹂
﹁別な形?﹂
﹁そうです。例えば熱、光、波、物を動かす等です。なぜ紋章を象
る必要があるのかについては不明ですね﹂
何が出来て何ができないのか、それは章術の結論の一つと言える。
﹁えーと⋮昔話で魔法使いが死んだ人を呼んだり、雷を落としたり
するのは?﹂
イィリが英才教育をしているとはいえ、流石に分からない。
30年積み上げてきた知識の上に見つけた理屈を、5歳児に分かれ
と言うのは酷過ぎる。
ニスは﹃その反応が普通なんです﹄と頷いてる。
69
﹁雷は出来なくないでしょうけど、死者云々は作り話でしょうね﹂
﹁やっぱりそうなんだ⋮生き物の方って?﹂
﹁それは⋮まぁ見せた方が早いですね﹂
そう言って立ち上がると、ランプの前まで行き、その蓋を持ち上げ
る。
ランプの中では蝋燭の小さな炎が揺れており、少し風を起こすだけ
で吹き消えてしまいそうにも見える。
﹁良く見ていてください﹂
そう言うとイィリは袖をまくり、何の躊躇もなくその炎で左手小指
をあぶり始める。
﹁姉さん!﹂
﹁お嬢様!﹂
慌てた二人が止めに入り、即座に火は消されるが、既にイィリの指
にはすすが付き、皮膚の一部が焼けた為か血が滲んできている。
﹁ここからです﹂
イィリがそう言い放って目を閉じる。
が、ニスは構わずドアへ走った。
﹁直ぐに薬をお持ちします!﹂
﹁⋮﹂
慌てた様子のニスとは裏腹に、エィリはその指を呆然と見ていた。
70
﹁⋮姉さん?﹂
指を魔力の膜で包み込むようにすると、火傷の痕がが僅かに光を帯
びる。
数秒のうちに垂れようとしていた血はそのまま止まり、固まってい
く。
それと同時に、焼けた指先の肌が崩れ始める。エィリはその様子を
不思議そうに見ている。
﹁水と布をお持ちしました!イィリ様!早くこれで冷やしてくださ
い!﹂
慌てて入って来たニスを見てイィリは少し苦笑する。
﹁少し驚かせすぎましたね。濡れた布だけ頂けますか?﹂
熱がっても痛がってもいないイィリの姿に虚を突かれたのか、ニス
は言われるままに布を水に浸すとイィリに渡す。
濡れた布で小指を簡単にふき取ると、火傷の痕も水ぶくれも、赤く
なってさえいない指が姿を見せた。
﹁一種の治癒です。時間をかければ治る類の物なら多分治るでしょ
うね﹂
﹁⋮凄い﹂
﹁エィリにも出来ますよきっと。他に分かったのは、身体強化、寿
命の引き伸ばし、後は魔獣化ですね﹂
﹁⋮⋮お嬢様﹂
回復は目の前で見せられた。その上で身体強化と言うのであればあ
71
る意味で納得は出来る。
だが、明らかに見過ごせない単語が二つ混じっている。
﹁寿命に魔獣と言うのは一体どういう事でしょうか?﹂
ニスは笑っていない。感情を抑え込んで発した言葉にはかすかに怒
気が含まれている。
﹁先ほどはごめんなさい、ニスさん。今回ほど危ないことはしてい
ませんので、怒らないでください﹂
﹁⋮﹂
素直に謝ったためか、少々むっとした表情を出しながらも幾分雰囲
気は軽くなる。
﹁ハエを相手に魔力を当て続ける実験を行いました。通常、成虫に
なってからは4週間ほど生きますが、1日1時間ほど魔力を当てて
いたところ、7週間生存しました。カエルでも同じ事が起きました
ね﹂
﹁それって生き物全部でそうなの?﹂
﹁人間に効果があるのかは断言できません。ネズミで実験してみた
いですが、すぐには分からないでしょうね﹂
﹁お嬢様、魔獣については?﹂
先を促すニスの声にはやや感情がこもってる。
ニスはどちらかと言えばこちらの方が問題視している。
幼少の頃、小動物程度の魔獣に襲われ、当時仲の良かった友人が怪
我をしたのだ。
それを﹃守る﹄と奮起したニスは、気づけば男勝りで男性が寄り付
かなくなってしまった。ある意味人生を狂わされたと言っていい。
72
﹁卵に対して魔力を与え続けた結果、何匹か魔力に反応して飛ぶ様
になりました。章術を使ってくる類の個体は出ませんでしたが、何
世代かしたら章術を使うようになったかもしれません﹂
そこで一旦区切ると、イィリは視線をエィリに向ける。
厳密にはエィリではなく、その体から垂れ流されている魔力の方を
見ている。
魔力は体の中で作られるが、余った分は出ていくしかないのだ。
﹁つまり、生まれる前から魔力を受け続けた子供は魔法使いになる
可能性があります﹂
﹁﹁⋮﹂﹂
押し黙る側付と次女。
黙るという反応は一緒だが、その表情は対照的だ。
﹁⋮コル様も魔法使いかも知れない⋮﹂
﹁コルも見えるかも知れないのね!﹂
この﹃コル﹄が魔法使いだったら、顔すればいいんだという表情の
側付と、仲間が増えたと喜ぶ妹。
コルオル・クロマルド︵コル︶は2年程前に生まれた現在1歳の長
男で、イィリ&エィリの弟だ。流石にイィリの様に喋り出す気配は
ない。
旧子供部屋は暗いので、現在は日当りのいい新子供部屋で別の側付
と一緒に生活している。
﹁まぁ、常にそうなった訳ではないですし、物心付くまで保留です
ね﹂
73
﹁そうね、楽しみだわ!﹂
楽しそうな笑顔でいうエィリ。
ニスはその裏で、﹃シィ︵コルの側付︶に教えておくべきでしょう
か⋮﹄と頭を抱えている。
知ってどうにかなるものではないから無駄ではとイィリは思うが敢
えて突っ込まない。
﹁姉さん。そこまで分かったなら、紋章はもう自由自在?﹂
﹁勿論です。後で良ければ全部教えますよ﹂
﹁やった!お願い!そしたら私も姉さんに歌を教えてあげるわ!﹂
﹁それはそれで楽しそうですね是非お願いします﹂
﹁うん!今度は私がコルに教えるんだ!﹂
︵︵頭と言葉遣い以外はやはり子供なんですよね︶︶
微笑ましさを感じながらイィリとニスはエィリを眺めていた。
︱︱︱︱イーニス・イル︵ニス︶︱︱︱︱
﹁⋮以上がお嬢様からの報告になります﹂
﹁ああ、お疲れ様だ﹂
﹁では私は失礼させていただきます﹂
旦那様のため息に見送られて私は執務室を後にした。
お嬢様は今日までに発見した成果を、書類として纏めていたので、
私がそれを旦那様に届けた。
書類は私も見たが、書いていることが専門的すぎるからか一部分か
らない。
旦那様は初めこそ淡々と読んでいたが、途中から驚く表情となり、
74
最後は無表情化した。
少し同情する。
旦那様の様子も気にならなくないが、まずはお嬢様たちの元へ行こ
うと思う。もう直ぐ日が落ちるからだ。
イィリお嬢様は日中出歩くことができないのだが、運動不足は良く
ないとと進言し、ここ1年程は日の沈んだ町を走る様になった。
お嬢様は﹃ジョギング﹄と呼んでいたが、私には聞き覚えがない。
多分何かしらの本に書いていたのだろう。
いくらこの領が他の町より安全であるとはいえ、お嬢様一人で走ら
せるわけにもいかず、私も同行する。私もいくらか武道には心得が
あるのだ。
﹁あっ、シィ﹂
﹁先輩?﹂
着替えを取りに洗濯場まで行くと、後輩のシィリィ・イリが先客と
して居た。
この子はコル様が乳離れして直ぐ雇われた側付兼教育係だ。
年齢にして12歳、優秀で慢心もしない努力家な人柄を買われて跡
継ぎの側付という立場を与えられた。もっとも不測の事態に対応出
来ない所が珠に傷ではある。
ふと見ると、そこには幼児用の服が握られている。丁度着替えを取
りに来たか何かだろう。
﹁シィ、今忙しいですか?﹂
﹁⋮えっと⋮いえ、少しくらいなら大丈夫ですよ?﹂
どうしたのかと首を傾げるシィ。
これからいう事は絶対に不測の事態である。シィが慌てふためくの
はほぼ確定するが、心の準備の為にも言っておくべきなのは間違い
75
ない。
﹁シィ。驚くのは構いませんが、大きな声を出さないでください。
これからいう事は﹃もしかしたら﹄の話です。覚悟だけしておい
てください﹂
﹁⋮はい﹂
まだ特に焦るような兆候は無い、むしろ焦っているのは私の方かも
知れない。
私は目を閉じて言った。
﹁コル様は﹃魔法使い﹄かもしれません﹂
﹁⋮﹂
意を決して言うが、シィの反応はない。
少し変な気がして目を開けると、シィは固まっていた。目の前で手
を振っても反応がない。
次第に目元には薄く涙を浮かべ始め、小声で﹃コルちゃん置いてか
ないで﹄と口走っている。
私たちの立場で﹃ちゃん﹄付けはどうかとも思うが、心情は理解で
きた。多分この子もコル様を﹃弟﹄の様に感じてるのかも知れない。
偏見こそ大分薄れたが、﹃魔法使い﹄として普通の事とは違う事も
沢山学ぶのだろう。そうして雲の上の人になるのではと恐れている
ように思う。
﹁シィ、気負いすぎです。お嬢様達は魔女ですがずっと一緒にいま
す﹂
﹁⋮は⋮い⋮﹂
そう漏らすとシィは服を持ってトボトボと歩き始める。
76
色々と罪悪感があるが、シィも考え過ぎである。
︵とりあえず私はお嬢様達の着替えを持って行きましょうか︶
窓の外では日が沈むのが見えた。
私は運動着に素早く着替え、愛用のナイフとお嬢様達の運動着、水
筒を持つと、お嬢様達の部屋へ向かう。
﹁そろそろそんな頃だと思ってたわ﹂
﹁あ、もうそんな時間でしたか⋮﹂
﹁相変わらず姉さんは時間の感覚がないね﹂
﹁仕方ないとはいえあまりからかわないで下さい﹂
部屋に入るとエィリお嬢様がイィリお嬢様にじゃれついている。
普段は大人びているが、こうしているときのエィリお嬢様は歳相応
でどこか安心する。
逆にイィリお嬢様はほほえましそうに﹃かまってあげている﹄様に
見える。
初めの頃は﹃歳の離れた姉妹なら⋮﹄とも思ったが、もう特に思う
所はない。
﹁うん、早く着替えて行こう!﹂
エィリお嬢様が離れて着替え始めると、イィリお嬢様も着替え始め
た。
イィリお嬢様は自分のお腹と、着替え中のエィリ様のお腹を見て、
安心したようなため息をついている。
子供にしては綺麗に引き締まったお腹だと思う。
﹁うん、まだ割れてない﹂
77
そう簡単に筋肉が割れるとは思えないが、お嬢様はそこまで筋肉質
にはなりたくないらしい。
どうにも男性は自分より強いとか、自分より優秀な女性を避けたが
るらしい。
そういった意味では、力は無くとも、魔法使いで文字通りの天才な
お嬢様は普通に敬遠されやすいだろう。
まぁ剣と体術で婚期を逃した私がどうこう言えないのだが⋮。
﹁行きましょうお嬢様、エィリお嬢様がお待ちですよ?﹂
﹁⋮あ、はい!﹂
そうして私たちは屋敷の前に移動する。
初めこそ屋敷の回りだったが、今は町を抜けて外門︵往復約5km︶
まで走る様になった。
﹁ではお二人は好きに走ってください、私は後ろから付いて行きま
すので﹂
﹁はい、お願いしますね﹂
私は基本的に二人の後ろだ。
護衛という事もあるし、二人とは歩幅が違いすぎる。
﹁じゃぁ行きましょうエィリ!﹂
﹁うん!﹂
子供はこういう時に面白がって全力疾走を行うものだが、イィリお
嬢様は初めから心得ていたようだった。
その為、イィリお嬢様がペースを作り、エィリお嬢様が追従する。
ペース配分は心配だが、幸い一度として私が運んで帰るような事態
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にはなっていない。
それでも片道が終わる頃には肩で息をし、疲れて座り込む事も多い。
結構ギリギリのラインを見極めているのかも知れない。
﹁こんばんはっ!﹂
﹁ああ、こんばんはお嬢ちゃん﹂
エィリお嬢様がすれ違い様に店の店員に声を掛ける。毎日走るので、
見知った顔も多いのだ。
首都に近い事もあり治安が良く、日が落ちても大通りではランプを
灯すので、まだまだ出歩く人は多い。
そんな中を、門に向って走り続ける。
﹁⋮?﹂
走り続けていると、お嬢様が急にその足を止めると、路地のくらが
りに目を向ける。
エィリお嬢様も足を止め、路地に視線を埋めると顔をしかめた。
﹁⋮!﹂
﹁⋮!﹂
路地の方からは時折声がしている。
﹁ニスさん、水稲をお借りしても?﹂
﹁?⋮ええ、どうぞ﹂
エィリお嬢様が水筒を手に取ると、路地に向かって歩みを進める。
街の明かりと喧噪が僅かに届く為か、私にもそれを見る事が出来た。
79
﹁子供達ですか?﹂
お嬢様達とそう変わらない子供達の姿がそこにあった。
その数は4人。ほほえましいような状況ではないのは一目見て気付
いた。
﹁⋮私、虐めって初めてみた﹂
エィリお嬢様は不快そうに私の裾をつかむ。
一人の女の子を少年二人と少女が一人囲んでおり、その手には路地
の砂や土が握られていた。
その一人が砂を大きく振りかぶった瞬間、
バシャッ
3人は水筒の水を頭から被ることになった。
驚いて、砂や土を落とした子供たちは、振り返る。
﹁﹁なにすんだ︵のよ︶!﹂﹂
﹁すみませんね、あまりに見るに堪えないから思わず手が滑りまし
た﹂
﹁てめえ!﹂
すぐさま地面から砂を掴んで振りかぶるが、イィリお嬢様は身動き
一つしない。
私は思わず後を追って路地裏に入ろうとしていたが、その動きは裾
を掴んだエィリお嬢様に止められた。
﹁大丈夫だと思う。姉さん紋章だしてるから⋮あんなに怒った姉さ
ん初めて見る﹂
80
﹁え?﹂
振りかぶった砂が投げられ、そのままお嬢様にかかるかもと思った
その時だ。
路地裏に強いつむじ風が起こる。
投げた砂を巻き込み、地面の砂も巻き込んだそれは、三人を飲み込
んだ。
風は僅かに2−3秒で止まり、中からは水を吸った服に沢山の砂を
付けた子供達が現れた。
砂が口の中に入ったのか、気持ち悪そうに唾を吐いている。
﹁うん、ニスさんお願い﹂
エィリお嬢様はそういうと、私の裾を手放す。
﹁てめえ!﹂
先に復活した少年が拳を振り上げるが、その拳は私の手のひらで止
められる。
﹁少年、女性に手を上げるものではありませんよ﹂
そう言うと、私は少年を取り押さえる。多少大人げないかもしれな
いが、お嬢様に手を上げるなら話は別だ。
残った少年と少女はそれを見ると直ぐに逃げ出したが、まぁ一人い
れば事情は分かるだろう。
取り押さえられた少年の横をイィリお嬢様はわれ関せずと通り過ぎ
ると、路地の奥で怯えたように蹲る女の子に近寄っていく。
お嬢様が手を伸ばすと
81
﹁ヒッ!﹂
短い悲鳴を上げて頭まで抱え込む。
﹁一体どれだけ虐めがあったのか⋮﹂
イィリお嬢様は蔑むような視線を少年に送ると、しゃがみ込んで目
の前の少女を包んだ。
少女はふと顔を上げ、お嬢様を見上げると、次第に目元に涙を浮か
べた。
﹁⋮ック⋮ああ⋮ああああ!﹂
少女はそのまま泣き出す。
私は私でどうしてこうなったのか少年から聞き出そうかと思う。
﹁エィリお嬢様、申し訳ございませんが、今日の所は戻りましょう
か﹂
﹁⋮そうね、このままって訳にもいかないしね﹂
︱︱︱︱エィリエス・クロマルド︵エィリ︶︱︱︱︱
結局いじめっ子を取り押さえた私たちは、騒ぎを聞いて駆け付けた
衛兵さんに状況を説明すると、詰所へ向かった。
私の名前を聞くと衛兵さんたちは緊張し、それを見た虐めっ子は急
に大人しくなった。
﹁エィリはこっちでこの子をお風呂に入れるの手伝ってもらえます
か?﹂
﹁うん﹂
82
私は姉さんに連れられて、この子を一緒にお風呂に入れる事にした。
お風呂に行く途中、虐めっこの方はと聞いたら一瞬ビクッとしてた。
この様子を見た姉さんが少しだけ心配そうな気持ちを浮かべた。
﹁あちらは見ていて楽しいものではありませんよ﹂
﹁姉さんが言うならきっとそうね⋮﹂
﹁⋮﹂
女の子はずっと俯いてる。
髪には泥や土が付き、手足も砂だらけだ。
きっと擦り傷とかもあるだろう。
虐められる気持ちは分からないけど、こうなるのはきっと惨めで悔
しいと思う。
﹁ん⋮暗いね﹂
﹁まぁそんなものでしょう﹂
﹁ねぇ、自分で服脱げる?﹂
﹁うん﹂
手早く服を脱ぐと、浴室のドアを開ける。
熱を逃がさない為に閉め切ってるのか、浴室は真っ暗で、明かり一
つない。
天井近くに窓はあるが、夜では日差しも期待できない。
湿度が高く、カンテラ等も持ち込めないことから、どうしたものか
と悩んでしまう。
﹁流石にこれでは転びそうですね⋮私が明かりを出します﹂
姉さんがそういうと、途端に明るい光が周囲を照らし始めた。
83
生まれて初めて使った魔法なので、良く覚えている。
﹁それ⋮﹂
明かりを見て驚いたような声を上げる。
﹁ん?﹃章術﹄です。普通は道具を使うものですが⋮まぁ話は後で
すね﹂
﹁うん、とりあえず洗っちゃおう、姉さん﹂
この子の言葉が少ないのは、どうしていいか分からないだけかもし
れない。
とりあえず髪についていた砂と土を洗い流そう。
そう思って桶を取り、湯船に手を入れた。
﹁寒っ!﹂
﹁まぁこんな時間にお風呂に入る人は普通居ませんしね⋮﹂
﹁笑い事じゃないわ!ちょっと温めるわよ?﹂
そうして自分の体の中から魔力を取り出す。
お風呂もそこそこ大きいから結構な魔力が必要そうだ。
それを水の中で紋章に変える。
﹁えっ!?﹂
女の子が私の方を見て声を上げる。
﹁?﹂
良く分からないが私は水面に視線を戻す。
84
少しづつ湯気が立ち上り、水面が揺れる。
試しに手を入れてみると、少し熱めだが入れるくらいにはなった。
﹁目をつむってね﹂
それを桶に汲むと、頭から少しづつかけた。
砂と土を全部洗い流すと、膝、肘、手のひら、あちこち擦りむいた
痕が見えた。
﹁どうしよう?﹂
﹁直すしかないでしょうね﹂
姉さんはそう言うと、魔力を手のひらに集めた。
﹁⋮それって⋮﹂
女の子が怯えるように膝を抱き、右手で姉さんの手を指さす。
﹁貴女も見えるんですね?﹂
﹁ホントっ!?﹂
私と姉さん以外では初めてだけど、この子も魔法使いかも知れない!
﹁それって⋮なん⋮ですか?﹂
﹁魔力と呼ばれるものです。大丈夫ですよ、薬みたいなものですか
ら﹂
﹁?﹂
女の子は分かってなさそうだが、薬と言われて緊張が解けたらしい。
私も対面から順に治していく。
85
﹁さて、貴方が誰か聞いてもいいですか?﹂
怪我を直し終わり、皆で湯船に入ると、開口一番に姉さんが質問し
た。
﹁うん⋮たすけてくれてどうもありがとうございます。わたしは孤
児院のエリスって言います﹂
﹁宜しくね!私はエィリエス・クロマルド!長いからみんな﹃エィ
リ﹄って言うわ﹂
﹁そういえば名乗ってませんでしたね。私はイィリエス・クロマル
ド。イィリと呼んでください﹂
﹁あ⋮うん!﹂
気持ちを大分持ち直したように見える。
﹁それでそれで!エリスは魔力が見えるの?﹂
﹁えっと⋮うん⋮﹂
﹁じゃぁ魔法は?使えるの!?﹂
﹁ええと⋮?﹂
﹁エィリ。少し抑えてください﹂
姉さんに怒られる。
言葉こそ穏やかだったけど、内心苛立ってる。
見ればエリスは水面を見て思いつめたような表情をしていた。
ごめんなさい。
反省していると、姉さんの気持ちも落ち着いていった。
﹁見えたことで何かあったのですね?﹂
﹁⋮はい。皆お前は普通じゃないんだって、きっと目が黒いせいだ
86
って、呪われてるんだって⋮!
それで来年から学校だって言ったら、お前みたいな気持ちの悪い
奴は来るなって!⋮それで⋮﹂
﹁なるほどそれが原因でしたか⋮﹂
﹁そんなのおかしい!﹂
聞いた瞬間に怒りがこみ上げて来た。
だってそれなら私どころか姉さんは?
﹁プッ⋮アハハハ!﹂
﹁イィリ⋮さん?﹂
﹁姉⋮さん?﹂
﹁いえ、笑ってしまってすみません。たかが魔力が見えて目が黒い
だけって大したこと無いじゃないですか﹂
姉さんが自分の白い髪を持ち上げてエリスを見ると赤い目でウィン
クしてみせる。
顔は笑っている物の、心は笑ってない。
怒ってるようでもないけど、ちょっと良く分からない。
﹁私も魔力は見えますし、エィリもそうです。大した事無いですね﹂
﹁え⋮えっ?﹂
﹁その程度の事で気味が悪いというなら、私の名前を出してもらっ
ていいですよ。
﹃領主の娘に喧嘩を売っても同じことが言えるの?﹄って﹂
﹁そうね、それでも来るなら私が相手になっても良いわ﹂
私も同調する。
姉さんを馬鹿にすることはとても許せるものじゃない。
87
﹁あ⋮あのっ!﹂
﹁?﹂
﹁それだけじゃ⋮ないんです﹂
エリスがそう言うと、髪をかき分けて自分の耳を見せる。
﹁﹁⋮?﹂﹂
長い髪に隠されていた耳の形状は、上部に少しだけ長く、三角形の
角のような形をしていた。
変わった形だと思うが、それがどうしたのか私には分からない。
でも姉さんからはとても楽しそうな気持ちが伝わってくる。
﹁もしかしてご両親は海外の方ですか?﹂
﹁お母さんだけ、海の外から来たって言ってました﹂
﹁⋮すみません、辛いことを聞いてしまいましたね﹂
そう言うと姉さんは立ち上がってエリスの頭を抱きしめた。
お母様が居たのに孤児院に居るという事に何か事情があるのかも知
れない。
﹁エリス。エリスの耳だって﹃その程度﹄だと思わ﹂
そういうとエリスはまた少し泣いた。
︱︱︱︱イィリエス・クロマルド︵イィリ︶︱︱︱︱
﹁なるほど、それは監督責任の追及をしても良いかも知れませんね﹂
風呂から上がると直ぐ側にニスさんが待機していたので、情報交換
88
をしていました。
こちらは﹃魔女素質のあるハーフエルフ︵長耳︶﹄がおそらく虐め
の原因だろうということ、
ニスさんからは、少年も同じ孤児院の出身である事、孤児院の運営
者達が揃って子供に無関心である事と、日も沈み切ったこの時間に
なっても迷子の捜索が行われていない事を聞きました。
あと、少年はどうにも言い訳ばかりで、怒りを抑えるのに随分苦労
したとのこと。
﹁お疲れ様です、ニスさん﹂
﹁いえ⋮ええ、正直疲れました﹂
本音を少しづつ出すようになってくれたのは良いことでしょう。
﹁教育的指導はしました?﹂
﹁しない訳に行かないでしょう?﹂
ですよね。まともな理由があるならまだしも今回は完全に言いがか
りですから。
﹁少年は?﹂
﹁先ほど衛兵が送り届けました﹂
ニスさんを怒らせた事こそないですが、さぞ恐ろしい事でしょう。
今回の言いがかりによれば、私も対象となることを考えれば容赦は
出来ないと思います。
﹁しかし、そんな状況ではエリスを帰すには不安が残りますね﹂
﹁そうですね、今日の所は客室に来ていただきましょうか?﹂
﹁それではかえって恐縮してしまうでしょう。私たちの部屋で良い
89
のでは?﹂
﹁それは⋮その、お嬢様の言を疑うわけではありませんが大丈夫な
のですか?﹂
ニスさんが心配そうに見つめてきます。
本当に愛されているのが実感できますね。
﹁心配してくれてありがとうございます。大丈夫です。少し引っ込
み思案なお友達だと思っていただければ﹂
﹁分かりました、孤児院の方は私から旦那様に相談してみます。ま
ともに運営されていないなら監査を入れて3日位で人が入れ替わる
筈です﹂
﹁お願いします﹂
事務的な事はこれで全部でしょうか⋮?
あ、忘れていたことがありますね。
﹁少年が殴り掛かってきたとき、助けてくれてありがとうございま
す。かっこよかったですよ﹃姉さん﹄﹂
少し恥ずかしいですが、最後のはリップサービスです。
実際ニスさんは信用も置ける頼れる﹃お姉さん﹄だと思うので、こ
れ位は良いかも知れません。
面と向かってそう言うと、ニスさんは感極まったように私を抱きし
めます。
少し想定と違いますね⋮赤面すると思っていたのですが⋮。
﹁どういたしまして⋮⋮ありがとうございますイィリ﹂
私にだけ聞こえる声で耳元で呟くと、あっさり解放してくれました。
90
こういった事を受け入れてくれるというのはとても嬉しいですよね。
﹁帰りましょうか﹂
﹁はい、お嬢様﹂
詰所を出ると、衛兵の一人が護衛する中、エィリもエリスも待って
いました。
﹁待たせてしまってすみません、では戻りましょうか﹂
﹁うん!﹂
﹁あの⋮お世話になりました﹂
エリスが唐突にこちらに頭を下げて来ました。
あぁそういえば説明してませんでしたね。
﹁エリス、今日こんなことがあった後では帰れないでしょう?今日
から少しの間私たちの家に招待しますよ﹂
﹁あ!それいい!エリス、私たちの部屋に来てよ!色々教えてあげ
るわ!﹂
﹁⋮えと⋮その⋮良いのでしょうか?﹂
﹁お嬢様達の友人でしたら全く問題ありませんよ﹂
﹁その⋮ありがとうございます﹂
最後に涙まで浮かべてお礼をいうエリス。
これはこれで保護欲をかきたてる子ですよね。
それにしてもこれはテンションが上がりますよ!
異世界!魔法!魔力!そしてここにきてエルフ!
獣人とかドワーフとかにももしかしたら期待が持てるかも知れませ
ん!
この国の文献ではそうした特徴は見ませんでしたし、海外の文章を
91
探せばそうした話もあるかも知れません。
﹁姉さん嬉しそう?﹂
エィリには気付かれましたがまぁ良いでしょう。
その日寝るときは一つのベッドで川の字で寝ました。
中央はエリスで、私は意識を落とすまでエリスの髪を触っていまし
た。
時折見え隠れするエルフ耳イイ!
︱︱︱︱ライオール・クロマルド︵ライル≫︱︱︱︱
﹁ああ⋮うーん﹂
首都アルフィドから近いクロフィド領、その唯一にして最大の学園
であるクロフィド学園。
その理事長室で私は一人悩んでいた。
﹁⋮あの娘たちをどう扱えばいいと言うんだ﹂
今年5歳となった娘たちの事だ。
一般的に5∼8歳で文字や計算等の一般教養、9∼12歳で章術を
含んだ能力の底上げ、13∼15歳で専門教育を行う。
強制力は無いので、一生学校に行かない人間もいるが、初等教育は
国が助成していることもあり、殆どの子供は初等教育は受ける。
引き換えに、集団意識と愛国心を学ばせ、識字率も向上するのだか
ら間接的に国の利益になるのだ。
しかし、娘たちの心の成長はまだしも、知識だけならそのまま専門
教育に入れていい。
92
極論集団生活以外に学ばせるものが殆ど残っていないのだ。
しかし歳が近ければ浮くし、離れていれば生意気と見られるか甘や
かされる。
﹁⋮しかも昨日はもう章術の終点まで予言しおったし⋮﹂
これはイィリが提出してきたレポートだ。
イィリは新しい紋章を作るどころか、その解明を殆ど完了させたら
しい。挙句、その紋章を器物として量産する目処まで立ててしまっ
た。
結果が公開されればとんでもない混乱を生むだろう事は容易く想像
できる。
﹁あれは公開するにしろ、秘匿するにしろ劇薬過ぎる﹂
劇薬は薄めて使うのが定石だ。向こう10年、いや、コルを含めて
二世代に渡って使うべきかもしれない。
コルが魔法使いである可能性があることも聞いているし、それが良
いかもしれない。
その頃には偏見は年寄りの戯言になっているはずだ。
﹁それよりもだ⋮﹂
何にしてもあの子達を何処に置くかだ。
そんな命題でかれこれ二時間は経つ。
﹃いっそ教師にしちゃえばいいわ﹄
とは妻の言。
⋮やってみるか。
93
侮り位ならあの二人なら余裕で覆しそうだ。
⋮コンコン
﹁クロマルド様、お客様がおいでです﹂
受付嬢が来客を知らせに来た。
ふと窓の外を見る。日もやや沈みかけている。
視線を落とすと馬小屋に見慣れない馬が繋がっているのが見えた。
﹁こんな時間に誰かな?﹂
﹁騎士の方です。お連れしても?﹂
﹁ああ、頼むよ﹂
彼女はそう言うと、小走りに呼びに行った。
それから来たのは一人の騎士だった。どうにも伝令らしい。
﹃再来月で殿下が5歳となられます。ひいてはそのお目見えのため、
男爵以上の貴族全員、及び直系の5歳以上13歳以下の子供に招致
が掛かりました﹄
入って来た騎士は伝令でそれだけ言うと、踵を返し部屋を出ていっ
た。
なんでも直ぐに他の領地にも走らなければならないのだとか。
私は窓辺に立ち、彼が馬で学院が出ていくのを見送ると、呟く。
﹁いい機会だ、子供達の反応を見て決めればいい﹂
貴族とはいえ5歳程度ではまだ子供だ。
8歳を超えてくると違うだろうが、そんな自覚が芽生えるような歳
94
ではない。
その反応を見て初等教育にするかどうかを決めよう。
95
友達︵後書き︶
イィリ:5歳、転生者、魔法使い
エィリ:5歳、イィリの妹、ややイィリ信者
コル:1歳、魔法使い疑惑
エリス:5歳、魔法使いになれるかも?
ニス:19歳、行き遅れフラグ
シィ:12歳、コルの側付、感情移入しやすい
気付けばコル以外の主要人物が全員女の子︵−︳−;︶
96
友達2︵前書き︶
エリスという人物像
97
友達2
エリスが家に来て3日。
人見知りのきらいがあるのか、貴族の屋敷で遠慮があるのか、寂
しいのか、殆ど私かエィリにベッタリです。
別にビクビクしてる様にも見えませんし、これが素なのかもしれ
ません。
いえ、言い方は悪いですが孤児ですし、もしかしたら人恋しいの
かも知れませんね。
﹃エリスも魔法使いにしてあげる!私と姉さんが師匠よ!﹄
と豪語していたエィリも付いて来られると多少戸惑っていました。
気ままに動いて時折甘えて来るエィリを猫の様だと言うなら、エ
リスは犬なんでしょうね。
可愛いざかりの仔猫と仔犬。出来ることなら囲っておきたいです
が、さすがにそうは行きませんよね。
﹁今朝方、ニスさんからの報告がありましたが、やはり孤児院の運
営体制に見直しがかかったそうです﹂
﹁あの後ちょっと聞いたけど、やっぱりそうなったんだね﹂
﹁?﹂
平然とついて来れるエィリと首を傾げるエリス。
自分で言っておいて何ですが、多分エリスの反応が5歳児として
エィリ
は正しいのかもしれません。
少し妹には詰め込みが過ぎました。
﹁要するに孤児院の大人が入れ替わりました、エリスが帰ってもい
98
じめられることはありません﹂
﹁⋮﹂
複雑そうな感じですね。
良い子ちゃん的には追い出したみたいで申し訳ないけど、虐めら
れないのは正直助かる⋮といった感じでしょうか?
﹁別にエリスのせいではありません。元々あの人たちは裏で悪い事
していたようですから﹂
子供に詳細を言うのは気まずいので言いませんが、彼らは運営資
金の一部を横領するどころか、やや離れた領地の男爵に労働力を﹃
売って﹄いたことも発覚しました。
実態を調査すると言うことで、国王に立ち入り調査を申請してる
んだとか。
この国に奴隷制度は無いそうなので、奴隷売買まがいな行為をし
ていた訳ですから、それなりに大事です。
ある意味で地方自治の腐敗を指摘した形になったわけです。
やっぱり不正は多いらしくて、国としてもこうした報告は歓迎さ
れる様です。
しかしこの貴族制度、国王や重鎮まで腐ったら国が終わりそうで
すね。
﹁⋮そうなの?⋮ですか?﹂
﹁姉さんが言うなら間違いないわ﹂
﹁まぁ、なんとなく居づらい気持ちは分からなく無いですけどね。
話し合って謝ってもらって終わりですよ﹂
お父様
新しい経営者には話は通してますし、悪い事にはならないでしょ
う。教育者の教え子らしいですしね。
99
すぐに和解できなくても10台に満たない子供が根に持ったって
数年持ちません。
﹁いつまでもここで囲う⋮いえ、保護するのも無理がありますから、
戻ることをお勧めしますよ﹂
﹁うん⋮はい。いいりさまがそういうなら話してみる⋮みます﹂
でと、孤児院に戻すに際して話しておくことは何かありましたっ
け?
﹁あ、そういえば戻る前に話しておくことがありました﹂
﹁﹁?﹂﹂
王子の誕生日
エィリも疑問符ですか。
まぁパーティ前には釘を刺しておこうと思いましたし丁度いいで
すね。
﹁エィリもエリスも魔力は見えるのでしたね?﹂
﹁?﹂
﹁はい﹂
質問の意図が分からないと言った様子です。
ここからはイタズラ心を抑えないといけませんね。
﹁実はずっと前から見えていたのですが、白い光は見えますか?﹂
私は敢えて何もない空間を指差します。
﹁えっ?﹂
﹁ほら、そこらじゅうに浮いてるではないですか﹂
100
そうして色々指を指しますが、当然何もありません。
エリスはよく分からないとオドオドし始め、エィリも気味が悪い
ようです。
﹁けが人の近くなんかに良く集まっているのですが⋮﹂
思い出すフリ。
もう一押し。
﹁ほら、今エリスの肩に止まった﹂
﹁ヒッ!!﹂
﹁!﹂
エリスは僅かに涙を浮かべています。
怖い話への耐性はまだまだですね。
﹁⋮冗談だよね?姉さん?﹂
﹁勿論冗談です、私にも見えませんのでそんなに怖がらないでくだ
さい﹂
エリスはまだ涙を浮かべながらも少し落ち着いた様に見え、エィ
リの方は軽く睨んできます。
からかわれたと思ったのでしょう。
﹁でも今のが魔力の見えない人たちの感じ方です﹂
﹁﹁⋮﹂﹂
二人とも黙ってしまいましたが、効果はあったようですね。
101
﹁ですので簡単に﹃見える﹄と言っては嫌われてしまいます。特に
エリスは今後言わないように﹂
﹁うん⋮﹂
﹁わかったわ﹂
﹁あと、魔法が使えるとも言わない方がいいかも知れません。覚え
た魔法も、偶然で済ませられる位が良いでしょう﹂
こちらは偏見の問題ですが、まだ暫く黙っていた方が良いかも知
れません。
﹁﹁はい﹂﹂
とりあえず言うべき事は全部な気がします。
﹁エィリは何か言っておくこととかありますか?﹂
私の言う事は大体終わったので、エィリに話を振ってみます。
日も暮れてきたし、そろそろ新任の孤児院の方が迎えに来る頃で
しょう。
その前に言うべきことは言っておいた方が良い。
﹁私としてはエリスの中途半端な敬語かな?姉さん気づいてる?﹂
﹁まぁ⋮初日から気づいてましたが練習していたのでは?﹂
練習であれば見守りつつ教えてあげるのが大人というものでしょ
う。子供ですけど。
﹁違うよ。昨日聞いたんだけど、姉さんが敬語だかららしいの﹂
﹁そ!それっ!言っちゃダメっ!﹂
102
借りて来た猫的に静かだったエリスから大きな声が出るとか少し
驚きました。
俯いて恥ずかしそうに⋮フラグ立ちました?
﹁良かったら理由を聞かせてくれませんか?﹂
顔を上げたエリスの顔は真っ赤です。
羞恥で確定ですね。
照れではないので、フラグでは無さそうです。この歳ならそうで
すよね。
ですがこれはこれで可愛い。
﹁助けてくれた人がけいごなのに、わたしがけいごじゃないのはダ
メだから⋮﹂
上目使い。この歳の子供だと破壊力ありますね。
アニマルセラピーに近いことが実は出来るんじゃないでしょうか?
とか思ってるとエィリが少し不機嫌そうになってきました⋮自重
自重。
﹁うーん、別にエリスに気を使っての敬語ではなくて、使い分ける
のが面倒だから敬語なんですけどね﹂
﹁そ、姉さん﹃敬語を使ってる﹄んじゃなくて﹃敬語しか言わない﹄
の﹂
﹁で、でも⋮ですが。ふたりとも貴族さまです﹂
﹁昨日も言ったけどさ、普通に話してくれた方がいいんだけど?﹂
5歳児が苦笑して呆れるとかどれだけですかエィリ。
﹁そうですね、同じ歳の友達に敬語を使わせてたら私たちが悪者み
103
たいですし、普通でお願いできますか?﹂
﹁⋮﹂
今後学校とかでそういう所を見られたらやっぱり﹃高飛車﹄とか
思われるのですかね?
返答はなかったですが、頷いてくれたので分かってはくれたよう
です。
もういいかとエィリを見ますが、首を縦に振っているので大丈夫
でしょう。
﹁それではエィリ、見送りお願いしてもいいですか?﹂
﹁うん、任された。姉さんはこれから地下?﹂
﹁そうですね。他にすることもありませんし。ではエリス、またい
つでも遊びに来てください﹂
﹁うん!またいろいろおしえてねいいりちゃん!﹂
そういうと二人はそのまま部屋を出ていきます。
途中の階段までは見送りますが、私はそこまで。
このまま研究室に行くことにしましょう。
それにして﹃ちゃん﹄ですか、初めて呼ばれましたね。
◆◆◆◆◆
﹁⋮以上が顛末になります、先生﹂
翌日、休日もエリスは遊びに来ました。
やはり子供一人を外に出すわけにも行かなかったのか、孤児院の
人も一緒です。
そこそこ大柄な男性で、もしかしたらこの人がお父様の元生徒な
のかも知れません。
104
事の顛末が一応気になるので、エリスには部屋へ行っててもらい、
私はお父様との面会に参加させていただきました。
参加には相手方も渋りましたが、お父様の口添えで参加できたの
は幸いでした。
実際の報告は、聞けば聞く程惨状の酷さが目に浮かぶようでした。
独房
・子供たちは基本的に放置されていた
・7∼8歳になると、反省室に閉じ込めたり力で従わせていた
・おやつも与えられず、基本的な食事も必要最小限しか与えられ
ていなかった
・領地を一つ跨いだ所の男爵家毎年何人か売り渡していた
・等々⋮
中々聞くに堪えませんでしたが、領内で起こった事件である以上、
罰の裁量にも報告は必要なのでしょう。
5歳児
しかしこうした惨状を感情的な発言も無く報告出来るのは優秀な
方です。
もしかしたら私がこの場に居たから遠慮したのかも知れませんけ
ど。
とりあえずこの件そのものは、およそ予想していた範疇だったの
で、私は別件を聞いてみます。
﹁私から質問は宜しいでしょうか?﹂
﹁ええ⋮大丈夫ですよお嬢さん?﹂
院長先生は私の発言に戸惑いの表情を浮かべてます。
こんな面白くもない話を無言で聞いて、淡々と質問する子供は居
ないでしょうね。
﹁エリスにあった虐めの顛末、及び、院内での他の虐めの現状把握
105
はされましたでしょうか?﹂
﹁⋮その件でしたら⋮﹂
結果から言えば、エリスの件は双方が謝ってとりあえずは解決し
たらしい。そのボス格の少年︵私に殴り掛かってニスさんに取り押
怒った
教育的指導
のでしょうね。
さえられた子︶も当日の一件だけで相当反省したそうです。ニスさ
んどれだけ
残りはボス格の取り巻きみたいなものだったそうで、双方とも謝
ったものの、気まずそうな雰囲気だったとか。
他の虐めに関しては、1件見つかったそうですが、そちらは喧嘩
の延長で、解決は早かったとか。
まぁ後は運営側の頑張りに期待ですね。
﹁説明頂きましてありがとうございます。無事解決出来て良かった
です。食事が改善すれば子供達の鬱積もある程度解消できるかもし
れませんし、私の方から気になる事は以上となります﹂
私が礼を言うと、男性は面白いくらいの驚く顔を見せてくれます。
﹁凄いですね、さすが先生のお嬢様だ。一体どうしたらそこまで賢
くなれるのか⋮﹂
想定通りのあり得ないものを見る目。
この際スルーでいいでしょうけど。
さて、旧師弟なら積もる話もあるかも知れませんし、私はこのあ
たりでお暇しましょう。
﹁本日はありがとうございます。最後にお願いが一つ、虐めを行っ
ていた人たちに私が謝っていたとお伝え頂けますか?以前水をかけ
てしまいましたので﹂
106
﹁うん、伝えておくよ。それでお嬢さんは納得できたのかい?﹂
﹁何がでしょう?﹂
いや普通に心底分からないのですが?
﹁いや、友達を虐めた子達を許せないんじゃないかってね﹂
﹁?⋮和解したのですよね?﹂
﹁いや、そうなんだけど⋮え?﹂
微妙に噛み合ってないですね。
こう言う場合は1から全部話すに限ります。
経験上、少しづつ認識を共有するより早いことが多いですので。
﹁まずこの件はエリスの問題です。そして、その問題は和解という
形で決着しました。解決した問題を蒸し返す気はありません。虐め
を見つけたら助けますけど、恨む気は無いですよ﹂
﹁⋮﹂
唖然としてますね。処理が追いつかないのでしょう。
まぁこれもスルーさせていただきましょう。
側に控えていたニスさんと共に一礼して執務室を出ます。
部屋から出ると、﹃あの子は本当に子供ですか?﹄とか聞こえて
きました。
子供ですよ?物理的に。
そう思いながら廊下を歩いていると、子供が二人視界に入ります。
エィリとエリスでしょう。
体格が一緒なので、エリスが髪を伸ばして同じ服を着たら遠目に
は区別がつかないかも知れません。
私は超がつくド近眼ですしね。
多重人格者は人格で視力まで違うと聞きますし、転生の影響なの
107
アルビノ
でしょうか、それともこの白の様にもって生まれた特性なのか。
もっと色々勉強しておくべきでしたね。今更ですが。
﹁姉さん﹂
﹁いいりちゃん﹂
二人ともこちらに気づいたのか、こちらに向かってくるのが見え
ます。
﹁いいりちゃん、あそぼ?﹂
私の前まで来ると、袖口をつまんで上目遣い。
私を萌やし殺す気ですか⋮
エィリみたいに歳に不相応な態度も見ようによっては可愛いです
が、歳相応に甘えてくる子供も可愛い。
﹁そう言えばエリス。エィリが﹃魔法使いにする﹄と言ったのは覚
えてますか?﹂
﹁うん、おぼえてる﹂
﹁でしたらやって見ますか?まぁ役に立つかは運次第ですが⋮﹂
﹁うん、やってみたい﹂
即答ですね。
目元に好奇心の色が混じっているので本当に楽しみなのでしょう。
そしてもう一つ期待の目線を向けてくる子も相手をしましょうか。
﹁エィリ、貴女が教えてみたいですか?﹂
﹁うん!いっつも姉さんに教わってばかりだったし、私もやってみ
たいわ﹂
108
では私は適当にティーチングアシスタントでもしましょうか。
大学院時代を思い出しますね。
﹁でしたらお任せします。ニスさん、すみません。お母様から輪の
器物を借りて来ていただけませんか?﹂
こんな明るい時間に日の当たる執務室に私は近づけませんしね。
﹁承りました﹂
ニスさんも微笑ましそうな笑顔を浮かべると、部屋を出て行きま
す。
ですよね、子供達が友達同士でキャイキャイ言ってるのは見てる
分には微笑ましいですからね。
というか子猫と子犬がじゃれあってるようにしか見えませんしね。
二人を見てニマニマしていると、ニスさんが器具を持って来まし
た。
光を発する器具。
性能や効率はお察しですが、その光量と持続時間で適正を図る道
具です。
﹁ありがとうございます。早かったですね?﹂
﹁いえ、奥様も準備なさっておいででしたので﹂
﹁こうなることも想定済みでしたか。話が早くて助かります﹂
視線を二人に戻すと、エィリがエリスに講義をしているところで
した。
お題は章術の成り立ち。
普通、成り立ちなんて興味をそそる話では無いでしょうけど、開
祖が魔法使いだったという所で盛り上がってました。
109
ふとニスさんに視線を向けると、慈しむ様な目で二人を見ていま
す。
ですよね?そう思いますよね?
そっち
だよねとニスさんに笑いかけてみたら、何やら首を傾げられまし
た。
あれ?私はニスさん側ですよ?
まいっか。
﹁エィリ、ニスさんが持ってきてくれましたよ﹂
﹁あ!うん、貸して貸して!﹂
駆け寄ってきたエィリを華麗に躱します。
危ない危ない。
エィリは勢い余って転びかけましたがどうにか耐えたようです。
普段からジョギングで鍛え続けているからか、いいバランスとバ
ネですね。
﹁エィリ、貴女が持ったら大惨事でしょう?﹂
初めてこれに触れた時、エィリは周りを失明させかねない強力な
光を放ってます。
浮かれるのは分かりますが、大惨事になりそうな事は基本的に禁
止ですよ。
﹁直接エリスにお渡しします﹂
﹁⋮うん﹂
何か地味に傷付いてる?
後でフォローしましょうか。
110
﹁全員まずは目を閉じてください。そしたらエリス、こちらに手を
伸ばしてください﹂
全員が目を閉じたのを確認すると、私はエリスと手をつないで目
を閉じます。
そしたら、器具をエリスの手に握らせます。
⋮大した熱も出ていませんし大丈夫でしょう。
﹁皆さん、目を開けても大丈夫ですよ。危なくはなさそうです﹂
目を開けて確認してみると、エリスの手元からはそこそこの光が
出ています。
私より少し暗い感じでしょうか?
やったね、ハーフエルフに勝ちました!まぁこの世界でエルフが
どういう種族か知りませんけど。
﹁エリスのそれはお母様の言うところでは、結構明るい方です優秀
ですね﹂
この手の性能は殆ど持って生まれるかどうかなので、褒められて
嬉しいかどうかは知りませんが。
﹁⋮そうなの?﹂
﹁あ、手を離さないでください。エィリ、今度こそ説明任せました﹂
﹁うん!﹂
エィリに話を任せて離れると、昔聞いた説明が聞こえてきます。
懐かしいですね、光の強さと持続時間の話です。
﹁持ってると体から何か出ていく気がするよね?﹂
111
﹁うん⋮ちょっと怖い﹂
﹁大丈夫。そのうち勝手に光が消えるから。それでエリス。どれく
らいそうしてられそう?﹂
﹁えーっと⋮﹂
エリスは口を開こうとしては、直ぐに口を閉じて首を傾げる仕草
を繰り返します。
エィリはその様子を見て、どうしたんだろうと首をかしげてます。
うん、はたから見てて面白いですこの子達。
エリスはまだ﹃時間﹄の概念が無いのかも知れません。
であれば、こうした仕草も理解できます。
職場
後、エィリのそれは﹃分からない人の気持ちが分からない﹄のケ
ースでしょう。
こちらは良く分かります。前世でとても良くありましたからね。
分かりますよエィリ、凄くもどかしいですよね?
﹁まぁ、出来るところまででいいと思いますよ﹂
ちょっと助け舟。
このままでは埒があきませんからね。
﹁そうだね、ならこのまま続けるね。エリス、青い光が出てるのは
見えるよね?﹂
﹁うん﹂
﹁その光が﹃魔力﹄ね。自分で出すときは体から押し出す感じかな
?少し練習すれば、自分の思った形に出来るわ﹂
そう言ってエィリは目の前に魔力で4足の動物の絵を描きます。
あれは猫でしょうか?
私は殆ど外に出ないので、お猫様にはまだお会いしていないので
112
すよ。猫好きなのに⋮。
早く紫外線吸収材を作れるようにならないとダメですね。
﹁それを決まった形にすると、色んなことが出来るの﹂
今度はやや大きめな光の紋章を作ってます。
紋章は即座にその力を発揮し、丁度ランプ位の明かりを灯してい
ます。
エリスの目にははっきりと憧憬の色が混じってますね。
﹁すごい!すごい!わたしもやってみたい!﹂
﹁うん、でもエリスは今日はその輪の光が消えるまでやってね﹂
﹁うん!﹂
一瞬﹃まて﹄を言い渡された子犬を思い浮かべましたが、とりあ
えず忘れましょう。
この子は厳密には犬ではありません。犬だけど。
30分
結局この後、エリスは3時間程光を出し続ける事が出来ました。
お母様のいう優秀基準をここの3人は全員上回ってますけど、基
準が間違ってるのか、魔法使いが特殊なのか想像できませんね。
︱︱︱︱イーニス・イル≪ニス≫︱︱︱︱
イィリお嬢様がお友達を作って今日で10日目。
私は彼女、エリスの記憶力を甘く見ていました。
章術。というより、お嬢様達のそれは魔法ですか⋮それが共有の
話題ですが、その時は雲の上の話に聞こえました。
とはいえ、驚かないでいたのは、その進度が分からなかったから
です。
113
状況が変わってきたのが4日前。
それまで嬉々として教えていたエィリ様が、﹃免許皆伝﹄と宣言
した時点から少し状況が変わりました。
幾つか章術を披露はするものの、エリスの﹃どうしてこうなるの
?﹄の前に撃沈したため、﹃私ではもう教えられない﹄と諦めてだ
そうです。
悪いとは思いますが、この瞬間だけは、お嬢様達が歳相応に見え
て嬉しかったのを覚えています。
イィリお嬢様が言うには、﹃基礎紋章は覚えるだけですが、合成
にはそこそこ数学が欲しい﹄と言っていました。
試しに少しだけ聞いては見ましたが、使われる数式や機能だけで
エリス
も高等教育完了時点の物でした。
それを何も知らない5歳児に説明するのは確かに不可能でしょう。
むしろそれを﹃そこそこの﹄で片づけるお嬢様に何か思うべきな
のかも知れません。
エィリお嬢様も計算は苦手で、うまく組み合わせる事が出来ない
のだそうです。正直ほっとしました。
閑話休題
結局﹃その先﹄は言葉と計算が必須で、それは学校で習うからと、
イィリお嬢様が遊ぼうと提案していましたが、エリスは勉強を主張
していました。
子供が勉強したいと言いだすこと自体おかしな話で、この位の子
供は走り回ったりまま事をしたりするものだと思います。
もしかしたら一時的に面白いと思っただけで、直ぐに飽きるので
はとも思っていました。
ただ、今思えばエリスの目に興味と言うよりは、義務感の様な光
があったのかも知れません。
なので、その時は﹃高度な計算はともかくとして、言葉と文字は
何かと必要になりますから、そこまでは覚えさせてしまいましょう
?﹄とお嬢様に進言し、文章の勉強を始めました。
114
これが三日前の事です。
私が驚いたのはここからでした。
イィリお嬢様は最初に全ての文字を一覧にして、読みを教えると、
いきなり絵本に入っていきました。
ゆっくり発音して、エリスに同じように読ませながら、3冊を初
日で読み切りました。
それを貸し出すと、翌日にはその本が突っかかりながらも独力で
読めるようになっていて、驚きました。
文字の書き取りも、文字をひとつづつ書き取らせるのではなく、
いきなり絵本の写本。それも読ませながらです。
私が知る学校のやり方とは似ても似つきませんが、エリスは正し
く覚えているようで、色々と驚きます。
そして今は、短いですが小説を読み始めています。
ただ、これにはイィリお嬢様も違和感があるらしく、昨日から﹃
エリスから何か相談とかされていませんか?﹄と聞かれました。
もっとも私に心当たりがなく、知らないとしか言えられないので
すが。
﹁いいりちゃん、この単語はどう読むの?﹂
違和感の正体と言いますが、疑問に思っている事は良く分かりま
す。
エリスは傍目で見てもどうして続けられるのかが不思議な位集中
しています。
この課題ももしかしたら今日中に終わってしまうのではないかと
思います。
しかし﹃面白そう﹄な表情ではありません。
﹁それは﹃演技﹄です。小説は面白いですか?﹂
﹁ううん。面白くない﹂
115
そうだと思います。
とても楽しんでいるような表情ではありません。
お嬢様が何かと気にした様子を見せるのは、エリスのこの反応に
対してでしょう。
何かやりたい事か覚えたいことがあるのかも知れません。
イィリお嬢様もそこは気づいているのでしょう。首を傾げては唸
っています。
因みにエィリお嬢様は、﹃出来る事は無いけど、邪魔も出来ない﹄
とピアノの練習をされています。
もっとも視線はエリスに向けているので、練習効果があるかは分
かりませんが。
﹁今さらなのですが、章術を合成できるようになるのが、エリスの
目標なのですか?﹂
意を決したようにイィリお嬢様が問いかけました。
﹁⋮ちがう﹂
一瞬疑問があるかのように首を傾けましたが、直ぐに否定の言葉
が出てきます。
﹃なりたい自分﹄というものではないのでしょうか?
﹁でしたら、エリスは何がしたいのでしょう?﹂
首を傾けたまま問いかけています。
エィリお嬢様に向けるように意図して優しい目をしているのが分
かります。
純粋な親切心だと思うのですが⋮。
116
せんぼう
﹁⋮いいりちゃんやえいりちゃんみたいになりたい﹂
すが
返答が僅かに震えた気がします。
この目は何でしょうね?縋る目?羨望でしょうか?
﹁貴族をめざ⋮﹂
﹁ちがう﹂
でしょうね。
安定してて夢としては良いものだと私なら思いますけど、知らな
い子供がそれを望める筈もありません。
検討違いです⋮とも思いますが、イィリお嬢様の年齢で、他の同
世代の子供を知らなければ思い至らないかもしれませんね。
﹁将来なりたい仕事でしょうか?章術の研究者は今一番需要のある
仕事ですしね。エリスなら十分活躍できると思いますよ?﹂
そこまで考えられるのはお嬢様達だけです。
当たり前ですが、エリスはフルフルと首を振ります。
顔を伏せているので表情は伺えませんが、雫が落ちるのが見えま
した。
﹁⋮ちがう﹂
私にはわかった気がします。
ずっといじめられていて、それをお嬢様に助けて貰ったこと。
いつもお嬢様達について回り、その上で二人がはるか上に居るこ
とを見せられた事。
そしてこの問答とその反応。
117
そこまで分かれば十分な気がします。
﹁あの、お嬢さ⋮﹂
﹁貴方は勉強して何がしたいのでしょう?もしかしたらその近道を
教えてあげれるかも知れませんよ?﹂
私が言うより先に、お嬢様は次の言葉を投げかけてしまいました。
お嬢様には涙が見えなかったのかも知れません。
目が悪い上に、この子供部屋は薄暗いですから、表情が分からな
ければ気づかないですよね
エリスは俯いたまま動きを止めてしまっています。
﹁⋮︵グスッ︶⋮﹂
鼻をすする音。
目標
声を上げて泣きわめかないだけでも立派ですエリス。
問い詰められている気がしたのか、お嬢様に全く届いていないと
いう事実を指摘されたように感じたのか⋮。
一方でイィリお嬢様はどうしていいのか分からずうろたえている
様にも見えます。
申し訳ございません、私がもう少し早く止めるべきでした。
﹁ごめんなさい!エリス、辛ければ答えなくても良いですよ?﹂
同世代
イィリお嬢様も謝罪しますが、やはり少しずれた回答をしてしま
っています。
そうだとは思いましたが、お嬢様は5歳の気持ちが分からないの
かも知れません。
﹁⋮いつかっ⋮おいていかれるかもっ⋮知れな⋮﹂
118
﹁エリス?﹂
﹁おかあさんもっ⋮連れてっ⋮いけな⋮って!﹂
触れてはいけない何かに触ってしまったようです。
言い方は酷いですが母親がエリスを捨てたか、何かに巻き込まな
いようにおいて行ったか。
事情はどうあれ置いて行かれたのは確かでしょう。
エルフ耳で虐めが出る位には少数の種族です。
苦労したのではないでしょうか?
﹁エリス、落ち着いてください。私たちは別に置いて行っては居な
いでしょう?﹂
﹁でも、でもっ!ふたりともすごいからまた置いて行かれちゃう⋮﹂
そうでしょうね、人が恋しいだけなんですね。
だから誰かの後ろをちょこちょこ付いて回って、だから苛められ
てもその立場としてグループに居たのですね。
﹁なるほどエリス。私は﹃まだ﹄置いて行きません﹂
﹁⋮っ⋮!﹂
えっ!?お嬢様!?
それはつまり﹃いつか﹄置いていくという?
ここは慰める所でしょう?
何をしれっと爆弾を落としてるのですか!?
もっとも、お嬢様は既にうろたえてる様子もないので、明らかに
意図した発言でしょうけど流石にそれは⋮
﹁そうですね⋮エリス。何か一つ私を超えて見せてください﹂
﹁っ⋮そんなこと⋮!﹂
119
﹁エィリは音楽で私を超えましたよ?気配りではニスさんには敵い
ません。出来ない事ではありませんよ?﹂
少し納得しました。
逆に考えれば﹃たった一つでいい﹄という事を忍ばせたのはワザ
となのでしょう。
ですがこれは、聞き様によっては酷い発言ですよね。
明らかに性能差がある所を追いつくより追い越せと言われたよう
に感じるかも知れません。
言葉の裏まで理解できるでしょうか?エリスが可哀想になってき
ました。
﹁期限は⋮そうですね、初等部の卒業位にしましょう。それまでに
私を何かで超えて見せてください。それまでは協力しますよ﹂
﹁⋮﹂
涙目どころか今にも泣きわめきそうな感じです。
エィリお嬢様は少し離れた所で迷っているようです。
お嬢様は言葉が正しく吟味出来ているのでしょう、この時点であ
る意味規格外な気がしますが。
エリスには後でこっそりお嬢様の意図を教えてあげましょうか?
私はフォローする役です。
﹁ちょっとヒントを出しましょう。音楽でエィリに勝つのは難しい、
私に勉強で勝つのは難しいでしょう。では違う事をしてみるのはど
うでしょう?﹂
確かに内容はヒントですけど⋮。
﹁ですが、私は﹃研究﹄する分他の事を努力する余裕はありません。
120
エィリだって﹃音楽﹄を覚えるので忙しいですから、他のことは出
来ません﹂
﹁⋮﹂
一瞬﹃お嬢様でも努力するのですか?﹄と言いそうになりました
が、言ったら泥沼化しそうですよね。
エリスも顔を上げ、少しだけ目に強さの様な物が宿った気がしま
す。
言わぬが華ですね。
﹁もちろん半端な努力で私たちが負ける事は無いですけど、きちん
と努力すればちゃんと勝てますよ?﹂
イィリお嬢様の遍歴を知っていると、必要な努力に差があり過ぎ
る気がしますが⋮。
いえ、本当に超えられるのなら、超えて貰った方が良いのかも知
れません。
﹁なので、まず﹃これだ﹄と思うことを見つけてください。もちろ
ん私も相談に乗ります。言いづらいならニスさんに相談するのもい
いでしょう。良いですよね?﹂
﹁もちろんです。お嬢様の友人でしたら喜んで﹂
エリス
仕事に支障のない範囲でなら⋮ですが、協力しましょう。
きっとこの子にはまだ他に頼れそうな大人は居ないでしょうし。
本当は孤児院の方の仕事なのでしょうけど、余程のことが無けれ
ば直ぐに信頼はされないでしょうね。
﹁ありがとう⋮ございますっ!﹂
121
その後、誤解が無いか確認して、先ずは色々やってみるという事
になりました。
お嬢様が終始穏やかな口調だった事もあり、エリスはお嬢様を嫌
う事はなかったのは助かりました。
因みに、後からお嬢様に厳しくした理由を聞いたところ、
﹃変に依存されても困るし、一生は面倒は見きれないでしょう?な
ら、自分はこれだという何かを持って自信を持ってくれるのが一番
いいです﹄
との事でした。
なるほど、お嬢様の欠点は、自身と同じくらい﹃特定の事に努力
出来る﹄ことを誰でも出来る事と思っているようです。
お嬢様は家族や屋敷のもの以外と触れ合う機会は殆どありません
︱︱
ので、仕方無いかも知れませんが、このままでは敵を作ってしまう
エィリエス・クロマルド︽エィリ︾
でしょうね。
︱︱
﹁またね、エリス﹂
﹁バイバイ、えいりちゃん!﹂
今日はとっても疲れた。二つの意味で。
エリスが付いてくるのは何と無く可愛いかったけど、とても気を
使ってしまう。
覚えが良くて教えるのも楽しいけど、時折会話が噛み合わない。
ニスさんが言うには﹃エリスが普通﹄らしい。
もし、本当にそれが普通なら、学校はきっととても疲れる場所に
なるかもしれない。
この不安が一つ目、
122
もう一つ⋮姉さん容赦無さすぎだよ。
私にはそうでもない筈なんだけど?
でもつまりは気を使ってくれてるんだよね?そう思うと少し嬉し
い。
﹁⋮ふぅ﹂
良いのか悪いのかよく解らないため息が出た。
﹁ただいま﹂
﹁お帰りなさいませお嬢様﹂
玄関に入ってすぐニスさんが反応する。
ふと、気付いたのだけど、私はお母様と姉さんに言葉を教わり、
姉さんはニスさんに言葉を教わったはず。
ならきっと、姉さんがエリスと同じように会話が噛み合わない時
期があっても覚えてるかも知れない。
﹁ニスさん、私や姉さんもエリスみたいに、うまく会話ができなか
った時期ってあったの?﹂
﹁うまく会話ができない⋮ですか、そうですね⋮﹂
ニスさんによると、私が2歳の終わり頃から3歳の中頃までそん
な感じだったらしい。
それでも異常なほど早いらしいので、ちょっと鼻が高い。
でもそれは今聞きたい答えじゃない。
﹁姉さんは?﹂
言ってから失敗したと思った。
123
私に言葉を教えてた相手が私より先に会話してたのは考えてみれ
ば当然の事かもしれない。
﹁イィリ様は⋮﹂
ニスさんが屋敷に来た時、つまり私たちが1歳半の頃には既に言
葉を理解しているようだったそうだ。
2歳にはいきなり会話を成立させ、3歳の頃にはいまと殆ど変ら
なかったらしい。
分かってた事だけど、姉さんは昔から凄かったのは十分に分かっ
た。
姉さんを話すニスさんが得意気だったのだけど、私も少し理解で
きる気がする。
﹁ありがとう、ニスさん。私は姉さんの所に行ってみる﹂
ライル
そんな姉さんを誇らしく思いながら、地下の研究室へ向かう。
お父様が若い頃趣味に作ったとは聞いたが、今では殆ど姉さんの
私室と化してる。
お父様には仕事もあるのだから当然の事かも知れない。
﹁姉さんは何してるの?﹂
一瞬驚いた様なそぶりだったけど、私の方を向くと、安心したよ
うな暖かい気持ちを向けてくる。
﹁ちょっと海水の電気分解をしてました﹂
早速分からない単語が出てきた。
首を傾げていると、弱い雷を流すことで、塩水を二つの液体に変
124
化させる事だって教えてくれた。
それぞれカビとりや、石鹸作りに使えるらしい。
私が知る限り石鹸は、灰を溶かした水に油を混ぜて作るものだっ
て教科書には載っていた気がする。
やっぱりよく分からないと思いつつ、周りを見ると、随分と見覚
えの無い物が研究室に増えていた。
それらと一緒のラベルを見てみると、酢酸、硫酸、柳の幹、磁石
と覚えのないものだらけだ。特に硫酸の文字の下には﹃危険、劇物﹄
とまで書かれている。
少し気味が悪い。
﹁姉さん、色々増えてるけど、これどうしたの?﹂
﹁ああ、お父様に石炭をより効率良く使う方法を伝えたら、代わり
に色々揃えてくれました﹂
石炭は本に載っていた。確か鉄を作るときに使う、燃える石だ。
研究室でも結構たくさんあったと思う。
姉さんが言うには、石炭をほぼ密閉した状態で加熱すると、中の
成分が溶け出たり蒸発したりして、更に高温で燃える物が残るらし
い。
よくそんなものを見つけたと思う。
﹁できたっと﹂
何かが終わったらしい。
黄色くなった液体と、特に何の色も付いていない液体が出来上が
ってる。
姉さんはテーブルの上から、少し汚れた銅板を取ると、黄色い方
の液体を少しだけ垂らす。
125
﹁白くなった?﹂
板についていた汚れが途端に白くなっていく。
﹁上手く作れたみたいですね﹂
そう言って、布でふき取ると、その下から真新しい色をした銅板
が出てくる。
これが﹃カビ取りに使える﹄方なのかも知れない。するともう一
方は﹃石鹸が作れる﹄ほうの液体なのかも知れない。
どうしてこうなったのかは分からないけど、姉さんは満足気だ。
電気分解?も、その結果も姉さんはきっと本で読んで知っていた
のかも知れない。
でも終わったのなら、私は早く上に戻りたい。
良く分からないけど危険なものまであるような場所には長居はし
たくない。
﹁姉さん、エリスが居て出来なかったけど、約束通り歌を教えてあ
げるわ。上に行きましょう?﹂
﹁そうですね、行きましょうか﹂
そう言って、二つの液体を良く分からないラベルの付いた容器に
移すと、一緒に研究室を後にした。
両方に﹃危険、劇物﹄と書いていたけど、気にしない事にした。
126
出発︵前書き︶
デスマで随分間が空きました⋮
ちょっと王都で一波乱してもらおうかと思います
127
出発
﹁行きたくない⋮﹂
﹁致し方ないですよお嬢様﹂
﹁⋮知ってる﹂
エィリが着替えとカードをカバンに詰めながら愚痴る。
それを手伝うニスもどうフォローしていいか悩みながら手を動かす。
何故そんな事になったかと言うと、これから王都に王子様とやらの
誕生パーティに参加するよう父親命令が出たからだ。
本来このパーティの参加強制の条件は5歳以上12歳以下の貴族の
子供。目的は将来の有力者との顔合わせが目的だ。
しかし、この国において基本的に家を継ぐのは長男だ。女であるは
ずのこの姉妹ではない。即ち有力者候補からは外れているのだ。
つまりこの双子は外野である。その為、強制力は働かない。要する
に表向き、出たくたくなければ出なくてもお咎めはないのだ。
が、そこは貴族。﹃面子というものもある﹄というのが父親、ライ
オール・クロマルド伯爵の言だ。
この姉妹に兄は居ないし、世継ぎ候補の弟はまだ2歳。立場的に後
継者でも、まさか幼児を社交界に連れて行くわけにはいかない。そ
父親
のため実質穴埋めで出る⋮というのが表向きの理由だ。
不幸だったのはライルの﹃出席命令﹄に対する二人の受け取り方だ。
ライル自身は﹃人のいる中で娘達の社交性を確認したい﹄というの
が本音だが、イィリは目的は何にせよチャンスだと考えている。
︵お父様の意図として社交界を経験させる位しか思いつきませんが、
人脈を拡げるいい機会です。名刺は流石に有りませんが、この容姿
はいい名刺代わりです︶
128
一方で不幸だったのはエィリの受け取り方だ。
︵基本的に家を継がない私たちはどうにか生計をたてないといけな
い。確か貴族では他の貴族に嫁ぐことになるはず、なら売り込み相
手を捜す目的?あまり考えたくないんだけど⋮︶
イィリに言わせれば﹃親族経由で教育の世界に口出しされるのを嫌
って余裕の賢者なお父様に、そんな意図無い無い﹄と言い捨てられ
る所だが、気持ちは共有されていても思考は共有できないので口に
しなければ突っ込みも入らない。一人で悶々としているのが残念な
所だ。
一時は強くない義務を指摘して残ろうかとも考えたが結局実行には
移されなかった。姉の顔を見た瞬間やれる気がしなかったのだ。イ
ィリは既に乗り気だったからだ。一人嫌がったら置いていかれるの
が目に見えてしまう。
しかもエィリの感情を読み取ってしまう姉の前で駄々をこねるなん
て事をしたら、どんな目で見られることか分かったものではない。
﹁荷物の用意はできました?﹂
旅行鞄を閉じた所を見計らってイィリが声をかける。
言うだけあってイィリの荷物は既に用意ができている。
エィリが鞄に詰めようとしている衣類に比べると衣類自体は圧倒的
に量が少ない。
この辺りは清潔でさえあれば飾る事がほぼ無かった元理系男子の性
質と言った形だ。
鞄は必要最小限の衣類、パーティ用の白ドレスと他少量の衣類。筆
記用具が几帳面に整理され、隅には小さくまとまった紙の包みと銀
製の器具が入っている。
129
﹁⋮一応﹂
﹁まだ機嫌は治りませんか﹂
この発言には控えていたニスも苦笑い。任せたとばかりにイィリに
目配せをしている。
﹁⋮﹂
﹁正直言うと、エィリが怒ってるとちょっとしんどいんですが⋮﹂
﹁⋮ごめん﹂
そう言ったきりエィリはまた黙ってしまう。
癇癪の一つでも起こす方が子供らしいのだが、同時に生まれた姉が
そもそもそう言う事を嫌う気配を見せるので、妹もパブロフとなん
とやらよろしくで声を荒げる事も無い。
﹁さっさと移動して向こうで遊びましょう?﹂
﹁⋮うん﹂
﹁⋮﹃鳴いたカラスがもう笑う﹄とはなかなか行きませんね﹂
遊ぼうという言葉を聞いた直後に少しだけ機嫌が回復する。こうい
う所は子供らしくてイィリは気に入ってる。
さすがに笑うとはいかないが機嫌が少し回復するのは良い事だと判
断する。
﹁鳴いた⋮?﹂
﹁知らなくて良いですよ、それよりも早く馬車へ行きましょう。日
が出て来たら私が困ります﹂
﹁王都まで馬車でおよそ6時間かかります。流石に日が出るという
事はありませんが、お休みになる時間を考えれば早い方が良いです﹂
﹁お父様の準備はできてるの?﹂
130
﹁奥様は出席されませんし、旦那様は王都に別邸がありますので直
ぐに出られます﹂
﹁王都に入り浸って領地も運営出来るとかどんな超人ですかね⋮﹂
︵お嬢様が言いますか︶
︵姉さんが言わないでよ︶
思っても口に出さない辺りは慣れと言える。
﹁まぁ行きましょうか、ニスさんは先にエィリの荷物を手伝ってあ
げてください﹂
そう言って反応も待たずに自分の上半身と変わらないサイズの鞄を
手に取る。その重量は余裕で5kg。本や紙などがその重量の主な
原因だが、イィリの体重が17kgである事を考えればかなりの重
量である。
﹁よっ⋮っと﹂
10km
も走っていない。
簡単な声を出すと、自重の1/3にも到達しかねない荷物をそのま
ま持ち上げてしまう。
5歳といえ、伊達や酔狂で毎日
しかし、視界の殆どが荷物で遮られている状態で歩くその姿は見て
いるだけでかなりの無理がある。
﹁お嬢様、前が見えないのでは転びますよ?﹂
シィ
部屋を出た直後にその様子を目撃したシィリィの第一声だ。
足取りがしっかりしているせいで、ニスが慌てて駆け寄る前に部屋
の外まで出てしまったのだ。
131
子供が重そうな荷物を持ち上げているとかはスルー。この姉妹は屋
敷の中では今更何をしても驚かれない。
﹁お待ちくださいっ!!﹂
慌てたニスがイィリを呼び止めると、その荷物を急ぎ没収する。
主に荷物を運ばせたとあっては外聞が悪過ぎる。屋敷内ならイィリ
の性格が知れ渡ってるので問題ないが、外に出られたら何かと問題
になる。
そんな焦りのニスとは対照的に、イィリの感覚は自分で出来ること
は自分でやれという自立思考だ。貴族の外聞など知った事ではなく、
﹃貴族に嫁ぐ気など更々ない↓貴族であり続ける事はない↓なら自
分の事位は自分でやるべき﹄とそのまま考えている。
﹁⋮?これ位なら持っていけますよ?﹂
よってこのような発言をしてしまう。
﹁⋮いえ、それくらいお持ちますから⋮察してください⋮﹂
考えそのものはニスには伝わっているものの、いまいち見栄や外聞
を気にしない訳にもいかないニスは、最初から説得を諦めている。
ニスの言に、イィリは今一つ良くわからないと首を傾げるが、聞き
分けがない訳でもないためそのまま後に続く。
そのまま部屋を出て玄関前まで移動すると、ニスは最終確認とばか
りに振り返る。
﹁手伝いませんでしたけど忘れ物は⋮⋮ある訳無いですかね﹂
﹁衣類の類いは最悪ドレス以外は向こうで調達できる筈ですし大丈
夫でしょう﹂
132
﹁⋮最悪、買って済ませられるとか考える事を打算と言うのですが
⋮﹂
﹁値がかかりそうな物は全て積んだので、ある程度は大目に見てく
ださい﹂
この位は許容範囲でしょう?と言わんばかりの顔にニスは黙る。
浪費癖が付くのは良く無いが、必要な時必要な分買うだけなら責め
られる内容ではない。
﹁⋮お嬢様、くれぐれもお客様の前でそう言った言動は⋮﹂
﹁勿論言いません⋮ってお客様ですか?﹂
﹁はい、馬車は別ですが、王都までお客様が同行します﹂
﹁⋮ニスさん、それ初耳﹂
﹁学園にご子息でも?﹂
﹁そう聞いてます﹂
国内最大の学園都市と言われているクロフィド領での学習は、地元
の人間のみならず国内様々な領から学びに来る人間も多い。
また王都アルフィドに最寄り︵とはいえ片道6時間もかかる訳だが︶
という事もあり、貴族も長男を除けば教育に出す事も多い。
﹁ニスさん、その人の名前は?﹂
﹁お客様のお名前はシークゥイ・オリアッド様で、ここから北東に
位置する鉱山都市イムルの領主様です﹂
その貴族も、今回は首都までの経路ということで通りがかりのつい
でに次男と長女を拾って行くらしい。
︵⋮やっぱり同じ子も居るんだ⋮友達になれるかな?︶
︵私たち同様の﹃オマケ組﹄ですか⋮彼らも大変ですね⋮でも鉱山
133
ですか⋮夢が広がりますね︶
﹁ではいきましょうか﹂
戸をあけて正面の馬車の方を見ると、クロマルド家御用達の馬車の
前に見慣れない馬車が止まっている。
順序にも序列があり、立場が下の者が先導を行うこの国の風習から、
クロマルド家より立場が低い事を意味している。
︵お父様が伯なので、序列的には副爵か男爵にあたるわけですか⋮︶
﹁おや、来たか⋮﹂
﹁そち⋮ら⋮?﹂
ライル
シーク
馬車の前で話をしていた男性陣二人が屋敷から出て来る双子に気づ
く。
片方がライオール・クロマルドで、もう片方がシークゥイ・オリア
ッドだ。
色素が若干薄いライルと対象的に、シークは髪も瞳も真っ黒な髪で
短髪の男性だ。
白髪混じりのライルとは対象に、シークはまだ若く、文字通り1世
代分は見た目にも違う。
そのシークは振り返って﹃そちらがお嬢様ですか?﹄の一言を出そ
うとして失敗した。
﹁ああ、紹介しようシーク、私の娘たちだ。来期から学園に通う事
になる﹂
﹁はじめまして、シークゥイ様﹂
﹁お初にお目にかかります、シークゥイ様。私はイィリエス、隣が
私の妹でエィリエスと申します﹂
134
初めに声をかけたのがエィリ、追ってイィリが声をかける。
二人ともその立ち居振る舞いも礼儀作法も澱みがない。
ニスは空気を読んだのか、三人の後方に下がり、目立たない様にし
ている。
﹁⋮あ、ああ。初めまして、私はシークゥイ・オリアッド。一応隣
町の領主だ。
非公式な場だし、そこまでかしこまらなくて良いよ。
聞いてると思うけどライオール先生の教え子でね。先生には未だ
に頭が上がらないんだ。
それで⋮その⋮﹂
イィリの姿に言い淀むシークゥイに、エィリがジト目になるが、イ
ィリは気にした風でもなく笑う。
﹁ええ、私の﹃色﹄ですよね?奇麗でしょう?私は結構気に入って
るのです。そのせいか、日の光を浴びると日焼けが火傷みたいにな
って酷い事になってしまうので余り外に出れないのは残念ですが﹂
学校に通ってすら居ない子供が、噛む事も無く言葉を紡ぎ、お辞儀
に振る舞いも教科書通りにこなしてみせる。
一人の父親としての驚きと敗北感がシークにわき上がって来るが、
同時にここまで仕込まされた双子に哀れみも感じ始める。
この歳で大人の様に振る舞う、もしくは大人のような子供は、そう
なるまでに一体どれだけ多くの事を押し付けられたのかとシークは
考える。
﹁ああ⋮ああ確かに奇麗だ。それにそんなに小さいのに随分はっき
り話すんだね?下の子達⋮は多分寝てるか。見習わせたい所だよ﹂
135
見当違いな思いでシークは言いよどむが、実際には﹃先天的に大人
の思考﹄を持っていたイィリと、イィリに追いつこうとしたエィリ
が居るだけで、誰も押し付けられては居ない。
﹁ありがとうございます。姉さんは私も大好きですので、そう言っ
ていただけると嬉しいです。でしたら夜会にて改めてご挨拶に伺い
ます﹂
笑顔を見せるエィリに、シークは﹃理想とする貴族の子供﹄の姿が
垣間見える。
﹁⋮本当に見習わせないとね⋮﹂
﹁それでは私たちはこの辺りで失礼いたします﹂
もう苦笑しか出てこないシークに控えていたニスが会釈をすると、
子供用馬車へ移動する。
﹁すごいですね。とても子供とは思えない落ち着き方です。さすが
現役教育者の娘さんだ。私も見習いたいものです﹂
僅かに棘を持った声を出す。
暗に﹃年端も行かない子供をどれだけ縛り付けるのだ﹄と非難を込
めているのだ。
それを聞いたライルはため息と苦笑しか出てこない。
気づいたら勝手にああなっていたのだから非難されてもどうしよう
もないからだ。
﹁⋮信じない事を前提に言うだけ言うが、私も妻もまともに教えた
物はないんだ⋮本は確かに買い与えたんだが⋮﹂
136
﹁それこそまさかでしょう?﹂
﹃何を言ってるんだこいつ﹄と声を上げそうなシークにライルは困
った顔をする事しかできない。
﹁これもきっと信じないだろうな⋮姉の方などきっともう私より優
秀だよ﹂
困った様な苦笑いを繰り返すだけのライルがそのまま馬車へ乗る。
それを見送ったシークは釈然としない顔で自分の馬車に乗り込んで
行く。
﹁お帰り、父上﹂
少年と呼ぶべきか青年と呼ぶべきかやや悩みそうな位の男性が声を
かける。
父親譲りで髪も瞳も黒く、ぱっと見イケメンと言って差し支えない。
﹁ああ。ソルト、起きたのか?﹂
﹁さっき起きたばかりだけどね、馬車の外見てたら眠気も吹っ飛ん
だよ。
凄く真っ白な子だった。僕も挨拶してみたかったけど⋮こいつら
起こしそうだったしね﹂
ソルトと呼ばれた少年の膝に眠った女の子と男の子が頭を載せてい
る。
少年は苦笑気味だが、正面に座ったシークはその様子に更に苦笑す
る。
﹁双子でイィリエスちゃんとエイィリエスちゃんと言うらしい。明
137
日の夜会で会えるそうだ﹂
﹁ああ、それは楽しみだ。でも夜会?日中のパーティはどうしたん
だ?﹂
﹁イィリエスちゃんの方は日の光が駄目なんだそうだ。間近で見て
奇麗だとは思ったが色々大変そうだ﹂
﹁おぉぅ。父上にそこまで言わせると期待してしまうな⋮と走り出
したのか﹂
止まっていた馬車が走り出す。その振動に寝ていた子供達もうっす
ら目を開けるが、そのまま寝てろと諭されると目を閉じた。
﹁⋮まぁ話すだけ話して見ろ。きっと凄いぞ﹂
﹁それは楽しみだ﹂
138
馬車︵前書き︶
改善できるものはする。エンジニアの正義です。
139
馬車
久々に乗った馬車の味は最悪でした。
馬車に乗るのは人生で二度目、最初は生まれて間もない頃に王都か
サンバーン
ら自領に戻るときです。
あの時は私が日光皮膚炎で死にかけて、エィリが代わりに泣いてた
記憶しかありません。
今回久々に乗った馬車は夜行。日光を気にする必要がなく、返って
他の事が気になってしまいます。
そんな中で揺れる事3時間、現在は王都まで半分と言った場所で休
憩中です。
他の馬車どころか、見覚えの無い馬車もあり、見覚えの無い方々も
散見するので、道の駅みたいな場所なのかもしれません。
屋台の一つもあれば良いのですが、そんな気の効いた物がある筈も
なく⋮。
﹁姉さん、気持ち悪い⋮﹂
﹁大丈夫?この先まで半分ありますが寝ていられますか?﹂
﹁⋮無理⋮﹂
エィリが完全なグロッキーです。
原因は馬車の揺れ。そしてまともに寝るのも難しい状況です。
サスペンションもゴムタイヤも無いのでは当然ですよね⋮。
夜会の出席だけで良いとは言え、この分では昼は寝るしかなさそう
ですよね。昼夜逆転したらどうしましょうね?
﹁⋮冷たい水とタオルで落ち着きましょう﹂
馬車を出るついでに、エィリも一緒におろします。
140
こういうときに換気と気分転換は重要ですから。
エィリも歩く気力すら残ってないのか、ニス姉さんの背中で虚ろな
目をしてます。
エィリの目から僅かながら涙が見えます。
﹁泣くほど辛いけど、声を上げると吐きそうで泣けない⋮﹂
﹁﹁⋮﹂﹂
気持ちだけは解るので代弁したつもりです。
そりゃどう反応していいか解りませんよねー。
﹁ニス姉さん、最後尾の馬車で水を貰うのを提案⋮﹂
﹁そうですね⋮﹂
水を飲んで落ち着くと良いのですけどね⋮。
歩いていると、道で話している何人かは振り向きます。
領地だと殆んど毎日走っているので名物となっているのですが、初
見だとやっぱり目に付くんですねぇ。
深夜である為か人もまばらなのは助かります。奇異な視線は少ない
方がいい。
﹁こんばんはっ﹂
たまたま気づいた数人にも笑いかけてみると大体表情を崩します。
チョロい。
段々顔芸が上手くなっていきますね⋮。
お母様曰く、﹃双子が似てるのはそう言う物だけど、ちょっと私に
に過ぎかな?﹄とのこと。
お母様は可愛い系の人なので、年齢も相まって、世間では可愛い盛
りの年齢なのでしょう。
141
打算に割り切りができる頭は、その外見は使ってナンボと⋮。
﹁ニス姉さんみたいにカッコいい見た目に⋮⋮なれないんでしょう
ねきっと﹂
﹁お嬢様はなっては駄目だと思ううのですが?同性にもてたいです
か?﹂
ニスさんはどうにもコンプレックスがあるらしい。
そりゃ同性に恋愛的な意味でモテたらそういう趣味でない限り嫌で
すよね。
私も男に言い寄られたらヤダ。
でも対外的に女の子に手を出すのは百合だしどうしろと?
﹁⋮そういう訳でも無いんですけど⋮ね﹂
どう答えても良さげな解答にはならないので誤摩化します。
正直な事を言えば、可愛い系の自分の顔は好きなんですよ!鏡で見
る分には!
そりゃスキンケアだってちゃんとしますよ。自前で石けんや香油、
シャンプーにリンスまで作ったし。
でも男受けするという事実はノーサンキュー。
自分の好み的に﹃硝煙の漂う∼﹄的な物にも中二病心は疼きますが、
普通にカッコいいお姉さん系な外見の方が嬉しかったのは確かです。
この姿見だと自然と⋮いや、本当に自然と﹃媚び﹄を覚えちゃうん
30オッサン
です。世渡り的な意味で⋮。
覚える度に﹃前世﹄の媚顔が頭を過るので勘弁願いたいのですが⋮
あーすみません私も吐いていいですか?
とはいえ見栄えを武器にキャラを作るのはどうも女性の標準装備の
ようです。恐い、恐いわー××過ぎて恐いわ∼
せめてもの救いは隣でグロッキーな片割れも可愛く育ちそうだとい
142
う事でしょうか⋮
﹁すみません、お水を入れてください﹂
最後尾の荷馬車まで着くとその御者に声をかけます。
何かあった時の為とかで、結構な量の水を積んでるのだとか。
空になった水筒を渡すと、中の入った水筒を渡してくれます。
﹁エィリ、これで顔を拭いて水を飲めば少しは落ち着きますよ﹂
﹁⋮うん、ありがと⋮﹂
貰った水でタオルを湿らせ、魔法で冷却してエィリに渡します。
冷却の魔法は何処から見てもバレない魔法の一つなのでかなり重宝
しますね。
全員これができれば色々便利ですが、人類が進化するにしても数世
子を残
代は掛かるかもしれません。
もっとも、それに遺伝子を提供してやる気は更々ないですが。
﹁ん⋮﹂
﹁少しはすっきりした?﹂
﹁⋮うん、少しは﹂
﹁大丈夫そうですね、出発までまだ少しありますから座ってましょ
う?﹂
﹁そうですね﹂
特に急ぎの用事も無いので、荷台に腰掛けて水を飲みつつゆっくり
しましょうか⋮。
それにしても先ほどの発言、他の人が居ないもしくは聞いてない場
所では、ニスさんも割と素で話す様になってくれたのですが、主従
的な会話ではもう完全に無くなりつつありますね。
143
﹁最近ニスさんがどんどんお姉さん化してる気がする﹂
﹁えっ?﹂
﹁いえ、もう主従の会話じゃなくなったなーと思っただけです。
⋮そうですね、私としては頼れる姉さんができて嬉しく思いまし
た﹂
ニス姉さんの顔が赤いです。
からかう趣味はないですが一応からかった事になるのでしょうか?
まぁでもニス姉さんの微妙に照れた顔可愛いです。
﹁⋮ん﹂
座ってるニスさんに抱きつきました。
可愛い表情してたのでつい⋮もっとも身長差があり過ぎて胴回りに
抱きつく形になってしまいましたが⋮。
恋愛できない体ですが一つ利点がありました。感情表現が男より遥
かに自由です。
男でやったら殴られるでは済みそうにないですね。
ふとニスさんを挟んで反対側を見ると、ニスさんの太ももに頭を乗
っけるエィリが⋮が⋮が⋮。
ニスさんもまるで猫をあやす様にエィリの頭を⋮萌やし殺す気です
か!
テンション上げたらエィリが反応してしまいますね⋮⋮2⋮3,5
⋮7⋮落ち着くんだ⋮﹃素数﹄を数えて落ち着くんだ。
⋮ええ、OK。大丈夫です。
このほのぼの空間を眺めて癒されましょうか。
﹁あ、すまない、そこの君⋮﹂
﹁?﹂
144
何か良く分からず振り向くと、15歳位︵この世界では成人︶の男
性と10歳程度の少年少女の3人組が立っています。
色々間が悪いですよね⋮これからだったのですが。
というか恋愛に不自由しなさそうなイケメンです。
とりあえず恨みは無いですが爆発しろと言いましょうか。私はおか
げさまで魔法使いですよ⋮⋮。
まぁ、顔には出しませんが。
﹁君で間違いないようだ。初めまして、私はソルフト・オリアッド。
シークゥイ・オリアッドの長男だ。ここの二人は次男がリフティ、
長女がシルストという。お前らも挨拶を⋮﹂
﹁﹁初めまして﹂﹂
男性の方は少々視線が気になりますが不快という物ではなく、子供
二人も好奇といった視線でしょうか?
領を継いでいないなら青年もまだ成人していないのでしょう。歳の
割には落ち着いている印象があります。
リフティくんとシルストちゃん?は話しかけてみたいけどソルフト
氏を気にしてる?
リフティ君は脇に置いといて、シルストちゃんは10歳位?カッコ
いい系女子になりそうですよ。少し羨ましい。
﹁ご挨拶に来ていただいてしまい恐縮です。本来でしたらこちらか
ら伺おうと思っておりましたが⋮⋮私はイィリエス・クロマルド。
ライオール・クロマルドの長女です﹂
﹁私はエィリエス・クロマルド。次女です。私も姉もパーティでは
そちらのお二人と同じ立場となりますので、よろしくお願いいたし
ますね﹂
﹁⋮いえ、夜分遅くに押し掛けてしまってこちらこそ申し訳ない。
145
お二人とは早く話してみたくて、気分を優先させてしまいました﹂
一瞬ソルフト氏が固まって、態度が変わったのは見て見ぬ振りをし
た方がよいのでしょうね。
子供だと思って甘く見ていたのでしょう。
﹁お気にならさず。お恥ずかしい話ではありますが、私が馬車の揺
れに酔ってしまいまして、寝れずにいたのです。物心ついて初めて
の経験でしたので﹂
﹁初めてですとなかなか辛いものでしょう﹂
﹁はい、どうにかできれば良いのですが﹂
﹁そこは慣れですよ、そのうち平気になります﹂
木製とは言え地面の衝撃が直接伝わって来るような馬車に慣れると
か中々ハードル高いですね。
エィリは聞いてどんより。ですよねー?
﹁まぁ、こればかりは慣れるしかありませんよ﹂
エィリの顔に出てしまったのをソルスト氏も気づいたのか、苦笑し
ながら返してきます。
しかし何故二回言った?
あれですか?大事な事だからですか?
﹁とは言え、乗り合いなども考えると改善すべき箇所ではあります
よね⋮﹂
﹃ですよねー﹄的に共通認識を図ってみます。
﹁⋮?本当になれる意外ないですよ?﹂
146
Oh...言い方って物があるでしょうよ。
﹃そうなんですよねーでも⋮﹄だったら話は解るのですが﹃何言っ
てんの?﹄的な応答を返されるとイラッとしますね。
なるほど所詮は10代のジャリですか。
﹁大丈夫ですよ、大人になる頃には慣れますから﹂
なんでしょうね⋮言ってる事は穏やかなんですが雰囲気って言うん
でしょうか。
﹃子供の言う事だから適当に⋮﹄的な雰囲気を感じるのは。
いやまぁコドモデスケド!
ちょっと真面目に反論してみましょうか。
エィリが辟易する様な事を言ったのもそうですが、﹃俺が正しい﹄
的な事を言う人は嫌いです。
﹁そうなのかもしれませんね﹂
とりあえず作り笑顔で乗ってみます。
別段喧嘩がしたい訳ではありませんので。
﹁そうそう、酔いの話ですが、どうして人は乗り物に酔ってしまう
のかご存知でしょうか?﹂
﹁え?⋮あ⋮あーそう言えば考えた事も無かったね﹂
﹁フフッ⋮普通そうだと思います。馬車に乗るのも商人か貴族、後
は乗り合い位でしょうしね﹂
オッサン
うん、笑顔で笑うとか表情を作るとか慣れて来てしまいました。
というかいい加減脳裏を駆け巡るのは自重してください30代男!
147
﹁まず、﹃酔い﹄というものの原因から説明します。人の平行感覚
を司る器官が耳の奥にあって﹃三半規管﹄と言います。
カタツムリの様な形をしていますが、そこは医学書を見てくださ
い。トーリィ氏の医学書なら写本でも載ってる筈です﹂
﹁え⋮あ⋮うん﹂
具体的な名称と医師の名前を出したら目に見えて大人しくなりまし
たね。
流石に王家御用達大病院のトップ。名前くらいは有名でしたか。本
でしか知りませんけど。
﹁三半規管と視覚、風などを合わせて人は均衡を保ちますが、馬車
の中など、揺れる乗り物の中で視界と風を防がれたらどうなります
?﹂
相手方は首を振ってます。
お子様二人は眠そうです。馬車で寝てて良いですよ。ソルフト氏が
聞いてれば大丈夫ですから。
﹁結論から言えば感覚が混乱を起こします。この混乱が酔いを誘発
します。目隠しをして杖を中心にぐるぐると回ったら気持ち悪くの
はこれが理由です﹂
スイカ割りなんて聞いた記憶が無いのでやった事があるかは解りま
せんけどね。
﹁酔わない様にする最も良い方法は御者席に座る事です。馬車の揺
れと景色の動き、肌で感じる風の感覚を一致させる方法ですね﹂
﹁⋮!﹂
148
何か思い当たる事がありそうですね?目つきが変わりましたよ?
﹁全員を御者席に乗せるのは不可能ですから、馬車で酔わない為に
はもう一つの問題を取り除くしかありません。つまり、車の揺れを
抑えれば良いのです﹂
﹁ソルトさまぁぁぁあああ!﹂
誰ですか?せっかくここまで説明を誘導したのに⋮。
﹁ソルフト様、こちらへいらっしゃいましたか⋮そろそろ⋮﹂
肩で息するメイド⋮この間の悪さはちょっと酷いですね。
ソルフト氏も微妙な顔をしていますし、従者なら空気読みましょう
よ⋮?
まぁ、諦めて馬車に戻りましょうか⋮。
﹁そろそろ出発するんだね?⋮分かった、馬車へ戻るよ。イィリエ
スさん、エィリエスさん。申し訳無いですが僕たちはこれで一旦失
礼しますね﹂
﹁はい、それでは次は夜会でお会いしましょう。その前に﹃提案書﹄
をお送りしますので、その返事も併せてご検討下さい﹂
﹁⋮?ええ、またゆっくり話を聞かせてください﹂
お早いお呼びで⋮まぁ道の駅で休憩なんて前世でもトイレ休憩位で
すし、そんな物かも知れませんね。
さて、可愛い妹の為に一仕事しましょうか。
自分の馬車に戻る前に荷馬車から筆記用具だけ回収しておかないと
いけませんね。
︱︱︱︱ライオール・クロマルド︵ライル︶︱︱︱︱
149
﹁あの様子では社交界に連れ出すまでも無かったか﹂
走り出した専用馬車の中で独り言を呟いてしまう。
﹃権力者や見ず知らずの男性を前に萎縮するのではなかろうか?﹄
とそれなりに心配もしていたのだから、独り言位は許されるだろう。
社交性を確認しておこうと考えていたが、娘達の様子をみる限り問
題は無さそうだ。
二人を歳相応に初等部から入れるべきか、専門教育課程に入れてし
まうか迷ってはいたが、専門教育課程で特に問題はないだろう。
ここまで来た手前、今更パーティを免除できるというものでも無い
が、とりあえず安心できた。
⋮コンコン⋮
﹁誰だ?﹂
走っている馬車の中に連絡して来る者はそう多くない。
伝令か護衛かの二択だったのだが、今回はどうも伝令のようだ。
﹁ご苦労。下がってくれて大丈夫だ﹂
イィリから文を預かってるとの事なので、受け取りって文を開く。
用紙にして3枚もの紙が含まれており、図の様なものも書かれてい
る。
最初からまずは読ん⋮で⋮
﹁⋮こんな所でもか⋮﹂
つれて来た事を後悔するべきかこの文章の内容を喜ぶべきか。
150
イィリ
これはもう頭を抱える他ない。あの子は間違いなく﹃劇物﹄の類だ
と思い知る。
最初の紙に書いてあったのは、未知の機構が馬車の足回りに設置さ
れている図と、それをオリアッド家に提案してもいいかという許可
申請だ。
・お父様へ
・この提案内容は教育現場に限り広めてかまいません
・この内容はお父様が見た上で同意いただけるなら、変更せずオ
リアッド様にお伝え下さい
・オリアッド家皆様
・内容の原理が正しく伝わるようでしたら、今回に限りその発案
をオリアッド家のものとしてかまいません
・後希望を言えば、この技術で作った馬車を一台クロマルド家に
に寄贈頂けると助かります
まさか中を読まない訳にもいかない。
これまでの娘の報告は突拍子も無い事が多い。
魔力と章術の新発見と応用法の提示。石炭の効率的な運用。海水の
変質。その他多数。
おいそれと発表を躊躇うものもあるにはあるが、それでも有用な物
が多い。
こうして私を通している間は良いが、そうならないだけマシだと思
う。
﹁⋮久々に馬車酔い確定だな⋮﹂
機構の中身は、2枚目に記されたスプリングと呼ばれる螺旋状の金
属を用いたサスペンションという名前の衝撃吸収機構。
金属も力を受ければ曲がる。同時に、元の形に戻ろうとする力があ
151
る事は、るのはあまり一般的ではないが確かにある。
サスペンションはその力でもって瞬間的にかかる振動を吸収する役
目を果たす。
﹁⋮なるほど⋮﹂
理にかなっている。言われてみればどうしてこういった物が今まで
無かったのかと疑問に思うほどだ。
最後の一枚は、密閉した空気を使って衝撃を吸収するショックアブ
ソーバーと記されている。
空気は圧縮することも、元の大きさに戻ろうとする事も理屈として
は知っているので、これも理解自体は可能だ。
空気の完全な密閉は非常に難しいが、それができれば上記と併せる
事でより快適な馬車が作れると記載している。
いやしかし、流石にこちらを予備知識なしに理解しろと言うのは難
しい。
そもそも空気を密閉することが難しい為、知っている物が少ない。
それを踏まえると、理屈は分かるがどうすればこうした発想が出て
来るかはとても理解出来るものではない。
しかしこの技術に利用価値が高い事は分かる。
多くの場合、貨物輸送は馬車か船かだが、馬車はその揺れの為に食
品の輸送に向かない。穀物などはまだしも、果物を中心に痛んでし
まうからだ。この発明はそれを軽減させる事ができる。割れ物だっ
てそうだ。
つまり、行商人を中心にかなりの﹃儲け話﹄にできるということだ。
﹁それを﹃今回に限って発案を譲ってもいい﹄というのは、﹃次は
自分も前に出るから手伝え﹄という暗示か?﹂
152
サスペンションは容易に真似ができる物ではあるが、ショックアブ
ソーバーは外から見て解るような機構でもない。
つまり意図して広めなければ、独占的にその利益を扱えるという事
を意味している。
それを敢えて﹃教育に用いて良い﹄ということは、独占期間に対す
る制限を付けたということだ。
卒業生は各地に広まり、ゆっくりではあるが確実に広まって行くだ
ろう。
言い方は悪いが﹃次が欲しければ今後は協力しろ﹄と言っている様
にも見える。
﹁私は育て方を間違ったか⋮?﹂
娘がそこまで黒い事を考えるものなのか?しかしイィリ程頭が回れ
ばやりかねない。
しかし、教育の面で﹃最新技術﹄を学べるとなれば学校の価値も上
がる。
広まるにはやや期間を要する事を考えれば、その間オリアッド家は
独占的に利益を得られる。
イィリはクロマルドの他に後ろ盾も得られる。
つまるところ誰も損をしていない。
対して、私がこれを止めて技術を公表した場合。
娘達の心証は間違いなく下がる。そこは様々な意味で避けたい。
家族としても娘に信用されないと言うのは中々心が痛そうだが、こ
こまで色々と発見と発明を繰り返す娘が教育に近い場所から離れて
しまえば、この国の発展は間違いなく数年、下手すれば数十年は遅
れる。
﹁⋮乗るか⋮﹂
153
結局それ以外の選択肢が浮かばない。
窓の外、護衛の一人に話しかけると、それまで読んでいた書類をそ
のままオリアッド家の馬車に渡すよう伝える。
﹁きっと酷く混乱するのだろうな⋮﹂
ーーーー夜会の席で会ったシークは出発した時の威勢は無かったと
だけ記しておく。
154
熱︵前書き︶
ホームグラウンド
システム開発で無くても雑学は地味に便利だったりする。
155
熱
﹁秋熱病だね、果物を食べて寝てるしかないよ﹂
﹁⋮﹂
姉さんが辛そうにうなづいてる。
というよりかなり辛い。姉さんの感情は普段から動きが少ないか
ら、私が気づかない事も多いけど、今ばかりはどうあっても分かる。
辛い、泣きそう、ある種の諦め。
そんな感覚で埋め尽くされてるのだから、辛いのなんて間違えよ
うも無い。
﹁姉さん大丈夫?﹂
﹁⋮大丈夫ですよ。とりあえず寝せて下さい﹂
﹁⋮うん﹂
普段私が話しかけたら、嬉しさや優しい気持ちを浮かべてつき合
ってくれる姉さんの反応が素っ気ない。
気持ちも変わらず沈んだままで、却って私の方も悲しくなってし
まう。
いや⋮いまは駄目。絶対にそう思っちゃ駄目だ。
私の気持ちを感じ取ってもっと辛くなるに決まってる。
﹁あ、あー⋮ごお嬢さんはこの部屋にいない方がいい﹂
﹁エィリもこっちに来なさい。ニス、イィリの事は任せた﹂
﹁はい⋮イィリエス様の事は承りました﹂
ニスさんも姉さんをかなり心配そうにしてる。
156
﹁別室で話したい事があります、すみませんが皆さんついて来ても
らえますかね?﹂
﹁⋮ああ、分かった。エィリも来るといい﹂
来るといい?こんな状態の姉さんを残して?
普段から滅多に顔もあわせないお父様が?
﹁こんな姉さんを置いて行く程大切な事?﹂
正直苛立ってるのが自分でも分かる。
こんな言い方が自分の口から出た事には少し驚くけど、それ以上
にどんどん思ってる事が出て来てしまう。
﹁そのイィリの事を聞くんだ、いいから移動を⋮﹂
﹁こんなに辛そうなんだよ?聞かせたく無いから移動するんだよね
?﹂
﹁⋮﹂
﹁無駄だよ、私でも話の流れで分かるもの。姉さんが気づいてない
筈ない﹂
姉さんが視界の隅で困った様な顔で頷いてるのが見えるし。
かか
﹁なら尚更エィリはここに居るな。お前まで罹ったらイィリに、ク
ィルにどんな顔すればいい?﹂
﹁え⋮あぁ勿論聞こえてますよ。エィリ、今はここに居ちゃ駄目で
すよ⋮﹂
﹁⋮﹂
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
157
数刻前、王都アルフィドにあるお父様の屋敷に着いた位からこう
なる気配があった様に思う。
﹁お嬢様?イィリお嬢様?﹂
﹁ん⋮はい﹂
馬車から降りる時、馬車が止まった事に姉さんは気づかなかった。
その時は夜通し揺られて、私の事まで気遣ったのだから余程疲れ
てたんだと思った。
姉さんも﹃だるい﹄と感じていたし、私も疲れてた。
ニスさんに起こされるのも仕方ないと思ったし、別段それを疑問
にも思わなかった。
日が出始めた頃だったし、皆も気にせず早めに屋敷に入ったのは
覚えてる。
﹁⋮すみません、先に寝せてください﹂
屋敷に入って、そこの人たち全員との挨拶が終わった後、朝食の
用意が始まる前に姉さんはそう宣言した。
﹁お嬢様、やはり馬車でお疲れに?﹂
﹁そんな気がします。私は平気だと思ってたのですが、やっぱり疲
れてはいたみたいです﹂
﹁⋮姉さん大丈夫?﹂
今思えばこの時既に病気だったのかも知れない。
暗くて良く分からなかったけど、姉さんの顔は既に赤かった気が
する。
﹁ええ、大丈夫ですよ。休んでればすぐに回復する筈です。そした
158
ら夜にでも散歩しましょう、エィリ﹂
﹁うん﹂
﹁でしたら旦那様に伝えてきます。そしたら部屋へ行きましょう﹂
﹁うん、ニスさんお願い。私も姉さんと寝たいけど⋮﹂
﹁わかりました。旦那様にお伝えしておきます﹂
姉さんがだるさを感じてたのは分かってたけど、寝たい、休めば
回復すると言った姉さんの言葉から、本当に疲れてたんだと思った。
実際私もかなり疲れてたし、ご飯が出ても食べれる気がしなかっ
た。
一緒に部屋に案内され、荷物だけ置いてベッドに転がった。
見慣れない天井とか、部屋の壁、調度品に黒いカーペットの敷か
れた足下とか、慣れない物は沢山あったけど、姉さんも私もそんな
物を気にする余裕は無かった。
気づけば姉さんはうつ伏せで寝息を立ててたし、私も何の感想も
出てこなかった。
ともかく柔らかいベッドで揺られる事なく寝られるのが嬉しいと
思った。
それから大体二刻くらい、私と姉さんは向かい合って寝てた。
その時見た夢はとても酷いものだったと思う。良く覚えてないけ
ど。
目が覚めて最初に見たのは、走り込みをした後みたいに汗を流し
てうなされる姉さんの姿だった。
﹁ニスさん!ニスさん!﹂
私はそれを見て焦ってニスさんを探した。
幸いにしてニスさんは直に見つかり、姉さんの様子を伝えると、
直にお医者さんの手配をすませてくれた。
私はその間ずっとうろうろしてた。何ができるのか全く分からな
159
いのだから仕方ない。
そして冒頭のやり取りに戻る。
﹁秋熱病⋮⋮私は聞いた事無い。ニスさんは何か知ってる?﹂
﹁⋮はい。とても高い熱が出る病気です。私も以前かかった事があ
って、その時は死にかけました。
ただ、普通は一度しか罹らない病気ですがエィリお嬢様はまだ⋮﹂
﹁うん、分かった。姉さんをお願い﹂
流石に出て行けとは言いにくいみたいだった。
ただ黙っていても心配になるだけな気がする。
居続ける事はできないが、何もせず心配だけするのもおかしな話
だ。
姉さんなら間違いなくこういう時は行動を起こす。なら私は何が
できるんだろう?
﹃不安に思うのは良く知らないからで、遠ざけるだけでは何の解
決にもなりません﹄
言われた気がする位クリアに頭の中で再生できてしまった姉さん
の言葉。
勉強を教わりだした時に時折言ってたことだ。
﹁ニスさん。私、何かできないか調べて来るわ﹂
﹁はい、何かいい方法が見つかったら教えてください﹂
﹁うん、こういうの何とかしようと思ったのは私だけじゃ無い筈だ
し﹂
とりあえず最初はどこからあたってみるべきなんだろう?
﹃最初に思い浮かぶのは本を探す事、幸いこの屋敷にはいろんな分
野の本が置いてありそう﹄
160
﹃誰かに聞く?知っていればこれが一番効率がいい﹄
﹃王都なら病院もある筈。そこに行って聞いてみるというのも手か
も知れない﹄
﹃本を探すところから考えると、とても時間がかかる﹄
﹃お父様ならお医者さんから話も行ってる筈だし、聞いてみる価値
はあるかもしれない﹄
﹃関連しそうな本を誰かに見繕ってもらえば時間が短縮できそう﹄
﹃病院のお医者さんなら専門家だし何か知っているかもしれない。
でもそれくらいなら姉さんを連れて行った方が早い﹄
思いつくままに挙げてみたけど、結果は﹃屋敷の誰かに関連しそ
うな本を探してもらう﹄﹃お父様と話して何か得られないか確認す
る﹄﹃見繕ってもらった本を調べる﹄が一番間 接的な時間がかか
らなそう。
病院に行く位なら夜に姉さんを連れて行ってもらった方がいい。
お父様の所へ行けば誰か居るかな?とりあえず移動しよう。
﹁⋮姉さん起きたら採点してもらおうかな⋮﹂
これが正解かどうかは分からないけど、姉さんならまだ他の案を
出すかもしれない。
話す前には整理しないといけないかも?私の考え方は色々な考え
スレッディング
がそれぞれ動き回る。だからそのまま伝えても理解されない事も多
い。
姉さんは﹃並列処理﹄と言ってたけど意味は知らない。
﹁?どうしたエィリ﹂
考え事をしながら歩いたら直にお父様の部屋まで着いてた。
クロフィドの家よりもだいぶ小さい気もする。
161
廊下で会ったのは少し驚いたけど、丁度部屋に戻るところだった
みたい。
﹁姉さんの病気の事でお願いと質問があるの﹂
﹁そうか、どっちを先にしたい?﹂
会った直後は驚いた様子だったけど、すぐに真剣な顔になった。
ちょっと安心する。お父様も姉さんは気にかけてるんだ。
﹁じゃぁ、お願いから。秋熱病に関わる本を見繕って欲しいかな。
誰かに頼める?﹂
﹁ああ、勿論だ。聞いてたな?﹂
お父様が後ろを振り返ると、お父様と同じ位の年齢のおじちゃん
が立ってた。
いつの間に居たのか分からない。
﹁はい。持ってくるのは構いませんが、お嬢様に読めますかな?﹂
﹁杞憂だ﹂
﹁⋮はい。お探し致しますので暫しお待ちを﹂
足音の一つも立てないとか気味が悪いけど、、、
おじちゃんは執事か何かかな?
﹁それで質問だけど⋮﹂
﹁いや、待てエィリ。それは長くなるか?﹂
﹁⋮多分﹂
﹁なら、部屋に入ってしよう。ずっと立ってるのも辛い﹂
﹁私は平気﹂
﹁私が辛いんだよ。私も歳だからな﹂
162
部屋に入って中を見渡してはみたけど、ここがお父様の私室?こ
こだけでも本が結構置いてある。
これだけあれば医学書の一つもあるかと思ったけど、ほとんどタ
イトルに年号だけ書かれてる。
記録とかそういった物なのかも知れない。
﹁でだ、聞きたい事は何だい?﹂
﹁秋熱病の原因、直し方か、有効な方法﹂
﹁⋮エィリ、知ってたら私がイィリの所に行くと思うんだが?﹂
﹁うん、知ってる。でも私なら抜け道を見つけるかも知れない﹂
﹁いや⋮⋮はぁ⋮、そうだな。お前たちならそうかも知れない﹂
お父様があきれた様にため息を吐く。
姉さんと同じ様に見られるには自信は無いけど、今は気にしても
しょうがない。
﹁⋮﹂
﹁一応、知ってるだけの事は話そう⋮といっても、本に載ってるも
のしか無いが⋮﹂
のぼ
﹃秋熱病﹄は、とにかく高熱が出る病気らしい。実際、姉さんの
額はお風呂で上気せた様に熱く、時折苦しそうに声が漏れる。
危ないのはやっぱり熱で、熱が続くと少しづつ体力を失っていく
のが問題だって言ってる。
一番危ないのが初日と二日目、つまり今日と明日。そこを超える
と治ってくという話だった。
熱が高すぎると、助かっても失明したり難聴になったりする事も
あったらしい。
話の途中、執事が本を持ってきてくれたけど、中はお父様の話と
163
そんなに変わらない。
﹁わかった。ありがとうお父様﹂
﹁⋮あまりたいした事ができなくてすまんな⋮安静にするしかない
んだ﹂
この国の学者でこの程度?
﹁お医者さんは何て?﹂
﹁いや、だから安静に⋮﹂
﹁そうじゃなくて姉さんをどう見たって話﹂
﹁⋮﹂
お父様の暗い表情で何となく分かった。
本にもあったけど子供では助からない事が多いと書いてあった。
それを疑う訳じゃないけど、ただお医者さんもお父様も姉さんを
甘く見過ぎ。
魔力の強い生き物は生命力が強いというのが姉さんの見つけた事。
周りの人よりよっぽど魔力の強い私と姉さんがそうそう死ぬなん
て事はない。
﹁そう⋮⋮なら私はもっと何か探すわ﹂
﹁ああ、すまないな﹂
﹁お嬢様、イィリお嬢様とは別室をご用意させていただきますので
⋮﹂
執事のおじちゃんが何か言ってるけど、正直聞く気にならない。
もうここには用はない。これからどうすべきだろう?
﹁⋮ふん﹂
164
部屋を出て戸を閉じるとため息が出る。
お父様も本も﹃頭を冷やして寝てろ﹄だけだ。姉さんが苦しんで
るのに﹃それしかない﹄の言葉にイラッっと来る。
私はまだ諦めない。
﹃∼しかない﹄は諦めて考える事を止めた人の言葉だと姉さんは
良く言う。
⋮あれ?
姉さんが最後にそれを聞いて苛立った時、何か無かった?
その時姉さんはコップの水を冷やさなかった?ただの水で冷やす
より良いよね?
姉さんは普段から見つけた物はメモを作って、表に出すのは確証
が出来た時だけだ。
であれば、冷却の章術も姉さんのメモに何か記述がある筈。
﹁⋮でも即興で何の記述も無い気もする。姉さんならやりかねない
⋮﹂
章術の作成、合成は基本的に数字と記号の組み合わせで、私はそ
の方法を習ってる。
だから余計に想像したくない状況がありありと浮かんでしまう。
つまり手記には何の記載もなく、私がその計算をして作らなけれ
ばならないという事。
姉さんの変態じみた計算力ならそれ位の事はやってのけそうで怖
い。
自分でも辟易した表情になってる自覚はある。
ニスさんが断念し、お父様が数十分悩む数式を私に解けと言われ
たら辟易するのは仕方ないと思う。
﹁⋮⋮ニスさん、居る?﹂
165
部屋の前まで来てニスさんに声をかける。
﹁エィリお嬢様?﹂
﹁ニスさん、姉さんの荷物持ってきてくれる?﹂
﹁⋮はい。⋮何か分かりました?﹂
﹁どうすればいいかは分かった。姉さんの書いたレポートと、道具
ならどうにかできるかも知れない﹂
ニスさんが姉さんのトランクを持って戸を開ける。
翌々見ると結構大きい。さっきの執事のおじさんに持ってもらう
んだったと少し後悔⋮。
言っても仕方ないし、魔力で力を強くして無理矢理持とう。
﹁ニスさん。姉さんの様子は?﹂
﹁ずっと寝てます。時折うなされてて大分辛そうではあるのですが
⋮﹂
﹁熱は?﹂
﹁結構あります。私のときよりは大分いいのですが、ちょっと心配
⋮﹂
やっぱりその位なんだ?
きっとお父様も姉さんの年齢と病気の名前で相当脅されたんだと
思う。
脅されて心配になる位なら姉さん看てればいいのに⋮。
考えててもしょうがないかな?まずは私に割り当てられた部屋へ
行こう。
今すぐにでも荷物を開けて中を改めたいけど、まずはやる事を確
認してからだ。
その間に姉さんが書いたメモに冷却、少なくとも水を冷やせる章
166
術があるかも知れない。紋章のメモが無くてもヒントはある筈。
他に良さそうな物があったら何でも使う。
﹁姉さんのメモ⋮﹂
部屋に入って姉さんのトランクを開けると、幸いに直にメモが見
つかった。
几帳面に全部折り畳まれて、種類ごとにまとめてある。
色々気になるものもあるけど、まずはメモ。
﹁⋮ゴム⋮ガス⋮アルコール消毒⋮﹂
姉さんの字で良く分からない単語が多く羅列され、それぞれ生成
法や特性が書かれている。
種類も多種多様で、一体姉さんは何がしたいのか読み取れない。
取りあえず分かるのは、この紙の束に凄い価値がありそうだとい
う事位。
でも今はどうでもいい。
﹁何⋮?これ⋮?﹂
半分位読んだ所に1枚だけ﹃全く読めない﹄メモがあった。
難しいかどうかも分からない。見た事も無い丸みのある文字とカ
クカクした文字の組み合わせ。
暗号?にしては使う文字の種類が多すぎる。
この国の文字は43種類。姉さんの数字と記号を含めても60位
しかない。でもここで使われている文字は100を間違いなく超え
てる。
姉さんがそうして隠したい物ってなに?
ううん、今は気にしてもしょうがない。
167
﹁⋮?﹂
数枚の紙をめくっていって見つけたのは﹃沈痛解熱剤﹄と書かれ
たものとその作り方。
﹃検証中﹄と書いてあってその下には実験記録が色々書かれてる。
﹃ナガキ﹄の樹皮を煎じて作る薬で、服用して二刻︵約3時間︶
位で痛みが押さえられたと書いてある。
﹁私が聞いてないって事はまだ確証まで取れてない?でもこの記録
は痛み止めとしては試した後っぽいし⋮﹂
私も腹痛位あるけど、こんなに早く薬が効いた記憶なんて無い。
痛み止めの部分しか試してないのに、﹃解熱﹄って言ってる位だ
から、何か確信があるのかも知れない。
こんな事なら最初から姉さんの荷物を調べておくべきだったかも
知れない。
いつもの通り、新発見のものだと思うけど⋮
とりあえずこの名前︵サリシンと書いてある︶の付け方は改めて
欲しい。意味が分からない。
荷物に入ってた白く小さな紙の包みに入ってるって書いてある。
﹁これっ!﹂
トランクの中にはそれと分かる小さな紙の袋が複数ある。
小さく折り畳まれた紙の袋だ。
再度メモに目を向けると、この小さな袋一つ分で1回分の想定ら
しい。
その隣の﹃関連項目﹄に﹃解熱﹄の項目があったので読み進めて
みる。
168
﹁⋮リンパ節?﹂
首や脇の下を冷やす方がいいとか書いてある。頭を冷やすのは気
持ちがいいだけって⋮。
水を冷やした章術も見つけた。書いてあるのは計算式だけど⋮図
で書けばいいのに。
うん、姉さんてそういう人だ。諦めて解こう。
一緒に銀の針金も姉さんの荷物に入ってた。
姉さんの荷物を調べるのが最初ならもっと早く解決できたかもし
れない。
−−−−−−−−−−−−
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ええと⋮どうでしょう?﹂
日が開けて早朝。
朝食時に問診に来た医者と弟子はイィリの姿を見るなり固まった。
それもそのはずだ。そこで見たものは元気とは言えないまでも体
を起こし、少し赤い程度の顔でニスと一緒に朝食を齧る重病人であ
るべき少女だったのだ。
秋熱病のピークが発症の初日目から二日目で絶賛期間内の時間帯。
普通なら起きて食事を平然と摂るなんて事はできない。
医者もこの年齢では丁度今くらいの時間が山ではないか、もしか
したら死んでいるかもと想像していた位なのだが、蓋を開けてみれ
ばご覧の有様である。
それでも来たのだから診察くらいしろとどうにか動かし、診察を
終えたのがつい先ほどだ。
169
﹁いや⋮いやいやいや!ありえないだろ!?﹂
﹁何がでしょう?﹂
少女が不思議そうに首を傾げる。
この青年も﹃秋熱病の患者である﹄という知識が無ければ、熱で
紅潮した驚くほど白い少女のその色彩に驚く所だったかも知れない。
﹁普通なら今頃意識も朦朧として死ぬかもしれないという状態の筈
なんだ!先生、こんな事ってあり得r⋮!!﹂
げんこつ
言い終わる前にこの青年の頭に拳骨が落ちる。
患者を前に取り乱すのは医者としてやってはいけない事の一つだ。
当然拳骨を見舞ったこの医師もそこはわきまえている。
﹁⋮騒がしくしてすまないねお嬢さん、まだ経験も随分浅いんだ。
許してやってくれないかな?﹂
錯乱している弟子の男はまだ17歳。現実世界で高校生程度では、
まだやんちゃする奴は居るにはいる。
この世界では成人扱いではあるが、医師としてはヒヨッコな彼に
父親
常識外の状況を理解しろというのは酷かも知れない。
なにせこの医師が﹃重症化すること﹄を事前にライオールに覚悟
するよう伝えた翌朝がこの有様である。
しかし、この医師の判断は本来正しい。
この病気そのものはそうした危険性の高い病の一つだったのだか
ら、覚悟はしてしかるべきなのだ。
﹁これが驚くのもある意味仕方無いんだ。
この病気で今のお嬢さんのよう回復するのは早くて三日目の夜、
普通なら四日目になる。
170
一体どんな魔法を使ったのか教えてくれないだろうか?﹂
子供に言い聞かせる様に⋮実際子供だが、白髪まじりのヒゲにぎ
こちない微笑みを浮かべて問いかける。
挙動がぎこちないのは、この少女、見た目こそ少女以外の何者で
もない癖に、言動や振る舞いが明らかに大人なのである。
子供特有の落ち着きの無さも無ければ、感情的にもならない。
﹁検証中の薬を使ったんですよ﹂
﹁!?﹂
まだだるい位の熱はある物の、ハキハキと言葉を紡ぐ娘とその言
動が全く理解できず、医師は頭を抱えて考え込んでいる。
弟子も一緒で、ニスが心の中で﹃師弟で似るのは医術も一緒か﹄
と呟いたのは別の話。
エィリが昨晩見つけて来たイィリの研究資料、﹃サリシン﹄がそ
の新薬。
柳に近い植物が持つこの成分は、体内で﹃サリチル酸﹄に分解さ
れ、高い解熱と沈痛作用を起こす。
このサリチル酸を弱毒化し、より効率的に固めて薬としたのがご
存知バフ○リンであり、主成分のアス○リン︵登録商標の為伏せて
おります︶である。
﹁賭けにはなってしまいましたけどね⋮。
そう言えばこの薬、まだお父様に報告していませんでした。
ニスさん、お父様には後で知らせておいて下さい﹂
﹁⋮はい、承りましたお嬢様﹂
割といつも通りに話しかけるイィリに対して、落ち込むニス。
単純に考えれば熱に対して最高の薬とも思えるサリシンだが、熱
171
が出始めた段階でイィリが使わなかったのにも勿論理由がある。
人間が人間の形をしており、血の色も赤ければ、内蔵の構成も殆
ど変わらない。
だが、ここは地球ではなく魔力なんて未知の物もあれば、植生が
似ていても若干違うものもある。
柳の特徴を持った植物を柳として成分を抽出したものの、それが
未知の植物である以上、サリシンが得られるかどうかは分からない。
で齧った程度でしか
イィリは前世で薬学の専門でもなければ、風邪をひいて使った○
ファリンに興味が沸き、Wiki○edia
ないのだから、それが本当にサリシンなのかは全く分からないのだ。
加えて、地球の人間に効く成分がこの世界の人間に効くかどうか
は未知数だし、最悪毒にもなり得た可能性だってある。
少しづつ分量を確認し、沈痛作用こそ僅かながらに試したイィリ
も、実際に解熱作用まで試すのは危険と判断したのだ。
最悪、熱が悪化する事態が無いとも限らない。これがイィリの言
った﹃賭け﹄の事だ。
その事で使用後、回復気味にあったイィリにお説教を食らったニ
スは、事の重大さに気づいて猛省中。ニスから聞いたエィリもかな
りの沈み具合だが、それはまた別の話だ。
﹁⋮いや、ちょっと待ってくれ。今あり得ない事を聞いたんだが⋮
ライオール卿がこの薬を知らない?これはライオール卿の指示では
ないのか!?﹂
﹁⋮﹂
﹁え?でもそれは誰が!?﹂
﹁⋮ヲイ﹂
﹁⋮﹂
﹁︵つくづく医師に向かない弟子さんですね⋮︶﹂
めざとく言葉の内容に突っ込みを入れる青年だが、自分で言った
172
言葉で混乱し始める。
結果医師に視線で威圧をかけられて黙る様に、イィリは苦笑する
しかない。
医師は弟子の言葉から、誰かこの場に居ない謎の薬師が存在する
のではと疑い始めている。
可能性としては隣のメイドが怪しいが、確定も出来ない。
﹁⋮お嬢さん。すまないがその薬を作った者と話をする事は出来な
いだろうか?﹂
医師は至って真面目な顔でイィリにお願いをする。
実際、この医師にとってみればこれはこの世界における医療の常
識を覆しかけない代物だ。
痛みを抑える薬もあれば、麻酔だってある。
しかし、解熱作用は未だ発見されておらず、物理的なダメージの
回復に比べると病に対する対処はまだまだ未発達なのだ。
﹁それが出来てどうするのでしょう?﹂
当然その事実を理解しているイィリが易々とその情報を明かす訳
がない。
この薬の臨床例が増え、実用化されれば、凄まじい儲けとなるの
は目に見えている。
﹁トーリィ卿に会ってもらう。トーリィ卿の耳に入ればお嬢さんが
臨床⋮自分を実験台にしなくたってすむ筈だよ﹂
国の医療の最高幹部に会わせなければならないという言葉を聞い
て、イィリは警戒を解く。
薬の生む利益が欲しければ、何らかの手で薬師を囲い込む必要が
173
ある。
だが、当の本人は囲い込みをするでもなく、権威者に話を通した
いという。
この医師とトーリィ氏がグルであると仮定するには、この医師に
は地位も無さそうだと考えられる。
﹁成る程分かりました。でしたら驚かずに聞いて下さい、それを作
ったのは私です﹂
﹁やはり付き人の女中さ⋮⋮って、お嬢さん、こんなときに冗談は
関心しないな⋮﹂
苦笑する医師に、流石にそれはねえよと言わんばかりの顔を浮か
べる青年。
医師の方は納得できなくは無いが、青年の方の態度にイィリが僅
かにムッとする。
﹁ニスさん、私の鞄からレポートを持って来てくれますか?﹂
﹁はい﹂
丁寧にレポートとインク、ペンをニスが取り出すと、製法、効果、
実験記録が書かれているレポートに﹃全く同じ筆跡﹄でこれ見よが
しに﹃同じく約二刻で高熱からややだるい程度の熱まで低下、約半
日程度効果が持続。特に副作用の自覚はなし﹄と書き込んでゆく。
筆跡鑑定なんてするまでもなく、目の前で書かれた文字が事前に
書かれていた文字と筆跡が同じである事は誰の目にも明らかだった。
﹁では、ニスさん。これを直にお父様にお願いします﹂
﹁承りました﹂
それを唖然と眺める師弟に同情の目を向けてニスが退室する。
174
﹁して⋮何か質問は?﹂
満面の笑みで微笑む少女に大人二人は返す言葉が無かったという。
175
熱︵後書き︶
長編のフラグ投下。
176
恐怖の妹
﹁⋮︵じー︶﹂
エィリ
最近、妹の様子がちょっとおかしいのですが?
今朝どうにか﹃完治﹄の言葉を医師の方から聞いて、久々に皆で
食事をしたのですが、そこからイィリが驚くほどべったりです。
﹃辛く無い?﹄﹃どこか変な感じとかしてない?﹄とかそんな言
葉を繰り返し投げかけてくるのですが、本気で心配しているのも分
かるので邪険にするのも気が引けるんですよね。
その位なら病み上がりですし、2日もまともに顔合わせて無いで
すから、そんな物かなという気もしますが、その後も横か後ろにベ
ッタリくっついてきます。
﹁ねぇエィリ﹂
﹁なあに?姉さん﹂
﹁エリスの真似?﹂
首を傾げてまぁ、可愛いんですけど!
イィリはそんなに犬みたいな性格してなかった筈なのですが?
お姉さん心配です。
﹁ニスさん、エィリのキャラがブレてるのですが、心当たりとか無
いですか?﹂
私が寝てる3日の内に何があったのかと気になったので、ニス姉
さんに聞いてみた所。
﹁えーと⋮様子が変わったのは牧場の見学をした後でしょうか?﹂
177
あっさり答えが返ってきました。
牧場で何か心配事⋮あー成る程、屠殺現場でも見たんですかね?
今思えば﹃私が死ぬかも知れなかった事で、エィリが反省してい
る﹄という話に疑問を持つべきだったのかも知れませんね。
そりゃ5歳児に﹃死ぬ﹄という概念を教え込むのは相当しんどい
でしょう。
︵クロフィド領の︶家にある小説でいくらでも﹃死﹄という単語
が出たりしますが、知識と実感は違う物ですからね。
︵とはいえです⋮︶
ニスさん、にやりと笑うその様はちょっとサドっぽいですよ?
というか思い出したのかエィリが泣きそうですし。
主人を泣かせてどうする付き人!とも思いますが、ニスさん若い
しスルーで。
﹁成る程、説明に困って屠殺でも見学した訳ですね。で、知るだけ
知って改めて心配しているという事でしたか﹂
まぁ必要なお話ですよね。
うん、必要悪ですね。
私の肩口の服を握って泣くのをこらえる可愛い生き物を見れたの
もそのおかげですしね!
ひと
﹁他人事みたいにおっしゃりますが、イィリお嬢様も行きますよ?﹂
ん?あぁ私も﹃死ぬという概念が分かってない子供﹄と判断され
たんですね?まぁそんな教育生まれ直してこの方受けた記憶無いで
すからね。
178
オッサン
ogrish
なアレコレも見てるから
30年の歴史で理解済みな上に、前世で普通に祖父母の葬儀にも
出てますし、つべとかで
耐性あるんですけどね。
﹁分かりました、明日ですか?今日は曇りですし日中でもいいです
よ?﹂
と言ったら、首を傾げて﹃怖く無いの?﹄って視線してますけど
今更⋮ねぇ?
怖がってるフリをした方が良いのでしょうか?
隣でエィリが涙目で拒否してますけど。
こういう姿見てると安心しますね、歳相応で。
﹁⋮お嬢様らしい気もしますが⋮﹂
﹁私にどんな反応を期待しているのですか。それと、エィリをこれ
以上追いつめたら可哀想ですよ﹂
まぁ、エィリについてはそのうち平常運転に戻るでしょうから気
つぶや
にせず、この機会に戯れる方向で。
小声で﹃おねえちゃん﹄と呟きつつ、涙をこらえる小動物⋮萌え
死にます。
今日一日中でもこの小動物を構っていたい所ですが、日程的には
今夜は誕生祭では?
﹁そういえば、ニスさん。パーティは結局どうなるか聞いてたりし
ます?﹂
﹁本日はお嬢様の判断に任せると聞いております。昨日の前夜祭は
旦那様だけ出席になりました。イィリお嬢様は当然としても、エィ
リお嬢様も危ないかも知れないですから﹂
179
たぐい
うつ
そりゃ命に関わる類の病気持ちと、感染ったかも知れない妹が出
れる訳無いですよね。
﹁せっかくですので、知り合いを作っておこうかと思ってるのです
よ﹂
﹁⋮姉さんが出るなら出る﹂
﹁⋮う∼ん﹂
ニスさんの表情の変化が面白いですね。
驚いて、何かに気づいて、悩んでる⋮?
ニス姉さんかっこいですが、クールなキャラクターは出来ないで
すよね。顔に出過ぎです。
それもまたギャップ萌えな訳ですけど。
﹁エィリお嬢様は嫌がってますけど?﹂
﹁でしょうね。明確な目的が無いのに面倒ごとに巻き込まれるのは
私でも遠慮したいですし﹂
﹁目的って⋮はぁ。お嬢様はブレないですよね﹂
﹁どういう意味か聞いても?﹂
﹁聞きたいですか?﹂
いいえノーサンキューです。
表情で何となく分かりましたよ、﹃子供らしく無い﹄って。
﹁いえ、遠慮します﹂
﹁はい。でしたら旦那様にはそのようにお伝えします。尚、帰りの
日程が1日遅れることになりました﹂
﹁日程変更ですか、何かトラブルでも?﹂
﹁トーリィ様との会談が入りました﹂
﹁は?﹂
180
昨日今日でもうそんな予定が入ったのですか?
﹁ええと⋮それって公爵のあの方で合ってます?﹂
﹁はい、トーリィ・オネス様です﹂
トーリィ・オネス氏。
王家の分家、医療のエキスパートで宰相としても実質国を動かす
第二位権力者。
良く王政の末期では王族より貴族の方が力を持つものですが、こ
の国では少し違います。
確かに貴族の方が王より力はあるのですが、諸侯が強い訳ではな
く彼個人が強い。
おとうさま
それで尚王政がが続くのは単純に王家と関係性がいいからでもあ
る。
加えて言えばライオールの師匠とも聞いていますし、話を通すに
はこれ以上無い相手ではあります。
懸念と言えば私が成人する前に世代交代が確実にある所でしょう
か。
﹁それは渡りに船ですね。お父様の恩師でしたら、安心してお話し
できそうですね﹂
﹁渡りに船⋮?﹂
﹁腹の探り合いをしなくても良さそうです﹂
﹁⋮﹂
何か考えてる?
﹁申し訳ございません、お嬢様。今晩は欠席していただきます﹂
﹁わっつ!?﹂
181
いきなり何を言い出すんですか!?
﹁さっき出るのに了承してくれたばかりですよね?﹂
﹁気が変わりました、今のお嬢様を夜会に出すわけに行きません﹂
﹁﹁⋮﹂﹂
エィリがちょっと嬉しそう⋮私は嬉しくないんですけどー!?
﹁ええとですね、ニスさん?理由を聞いてみてもいいですか?﹂
﹁⋮普段あれだけ頭が回るのにどうして人の絡む事に疎いんですか
?断言します、お嬢様は人付き合いが下手すぎます。﹃腹の探り合
い﹄?お嬢様には不可能です﹂
もとうけきぎょう
驚くほどの完全否定。
これでも転生前に腹黒共と随分やりあったつもりなんですけどね?
﹁お子さん逹とでしたら良いことだと私も思います。お嬢様は友達
が少なすぎますから。ですがお嬢様のそのおっしゃりようならその
相手は直接各貴族様とですよね?﹂
﹁そのつもり⋮なんですが⋮﹂
﹁明らかな子供なら皆笑って済ませます。ですがお嬢様のそれは利
益に直結してしまう。まして子供の言う約束を本気で守ってくれる
人がどれだけ居ると思ってるんです?﹂
約束を守らなければ信用は失うでしょうし、先の儲けを考えたら
そんな焼け畑みたいな事をする人居るのでしょうか?
﹁信用を失ったらそれ以上の儲けは無いと思いますが?﹂
﹁子飼いを変えて繰り返すだけです。お嬢様が貴族をどう思ってい
182
るかは知りませんが、彼らはそれができるんですよ﹂
それで一定の稼ぎが出ればそれで済ますと?
わたし
﹁製作者が知識を公開したらそれで継続的な利益は無くなるはず。
独占の維持をしようと思ったら法で縛るしかない。でもそれが容易
かどうかは少し考えれば分かるでしょう?﹂
﹁貴族たちが皆、お嬢様ほど思慮深いと思ってはいけません。信じ
てください!﹂
﹁う∼ん﹂
ちょっと皆の頭を悪く言いすぎじゃないでしょうか?
とはいえ、ニスさんの言うことですし信じたい所ではあるんです
けど。
どう言ったものでしょうね?
﹁⋮っ!﹂
え!?
あれ!?
その瞳の揺れ方は?
﹁⋮姉さんニスさん泣かせた⋮﹂
分かってますから!
いやでも声を上げた訳ではないですし!?
﹁お嬢様、ご自身は屋敷の者以外とこれまで何人話されたかご存知
ですか?﹂
﹁⋮街の見回りの方とエリス⋮オリアッド様くらいでしょうか?﹂
183
﹁そうですね、偶然にも全て旦那様の関係者です﹂
﹁ですね﹂
﹁そして全員人格者ですよね?﹂
﹁ですね?﹂
何が言いたいのか見えてきません。
﹁まともに人と会った事も無いイィリがオリアッド様と話した時、
どれだけ心配したか知ってるの!?話す前から﹃政敵﹄等と警戒し
といて、ソルフト様に反論するし!シークィ様にも反論して見せて、
提案書まで突きつけたよね!?﹂
﹁あ、待って、落ち着いてください﹂
急に大きな声を出されても困ります。
﹁待たない!もしコルにイィリが見つけた物を違うと否定され、よ
り正しいと思えるものを突きつけられたらと、考えた事があるの!
?﹂
﹁私なら喜びますが⋮﹂
なるほど察しました。
そっか、元請け企業の方々も翌々考えれば技術者でしたっけ?
正しい事は良いことです。理系的に。
ですが流石にこの回答は求めてないですよね?
あ、いや、ここまで感情的なニスさん初めて見ました。
﹁普通は﹃面子を潰された﹄と思うの!立場があれば余計に!!﹂
﹁痛っ!?﹂
うん痛い。
184
抱きしめてくれるのは嬉しいし、心配してくれるのも嬉しいので
すが、痛い。
﹁もし貴族の誰かがイィリを誘拐したらどうするの?﹂
わたし
確かに、知識を独占すればいくらでも儲かりますよね。
こんな旧世代な文明の警察にまともな操作能力があるとも思えま
せんし。
つまり簡単に完全犯罪ができる⋮?
﹁檻に閉じ込めて、家畜みたいにされる事だってあり得るんだ﹂
﹁ひっ!﹂
思わず出てしまった自分の声に驚きます。
怪我の功名か⋮自分の声に驚いたお陰で、気持ちが恐怖だけで埋
め尽くされなかったのは助かりました。
何が起きるかが原因ではありません。
そんな﹃不快な話﹄で怯える程私の頭は子供ではないです。
﹁⋮エィ⋮リ⋮?﹂
純粋すぎる怒り。生まれて初めて、ええ、前世を含めて人生で初
めて感じる怒りです。
﹃腑が煮えくり返る﹄という形容が最も一致するのでしょうか?
ここまで無遠慮に、無思慮に叩きつける怒りと悪意を私は知りま
せん。
この感じる怒りが私の感情なら怖いなんて思いませんが、問題は
⋮。
﹁エィリ!﹂
185
﹁⋮姉さん?何?﹂
大分収まったけどまだ燻ってる?
不機嫌な声で答えたエィリにニスさんもさすがに驚いてる⋮。
そりゃ、癇癪の一つも起こさないエィリが不機嫌をそのまま見せ
るなんてほぼありませんからまだ分かりますけど。
﹁ごめんなさいニスさん﹂
﹁うん⋮﹂
一言だけ謝りを入れてニスさんの手から離れました。
ニスさんも分かってくれたのかも?
それはそうとエィリです。
抱きしめて治る位ならいいですが⋮。
﹁大丈夫、エィリ。落ち着いて、そんな事にならないから﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい、姉さん﹂
まだ少し気が立ってはいるものの、大丈夫かな?
この位ならまだ覚えがある。
音楽家の私塾で兄弟子と言い合いをした後だったっけ?
私の﹃心配﹄を感じて自重するくらいならもう多分大丈夫。
﹁エィリ、私ならその気になれば滅多なことは無いから心配しない
でください﹂
﹁うん﹂
あーしかし焦りました。
そんな会話をしただけなのですが、勢い余って誰かを殺しかねな
い感じでしたし。
186
﹁姉さんは私が守ってあげるから大丈夫よ﹂
屈託無い笑顔をしながら言ってくれるエィリの笑顔はちょっと怖
かった。
187
恐怖の妹︵後書き︶
久々に投稿。24時間以内にもう一つ出せればいいな⋮
188
加筆:改めて読んだら話が飛んでた⋮|||orz
オニユリ︵前書き︶
11/11
189
オニユリ
わし
﹁イィリ、エィリ、この方は⋮﹂
﹁いや待てライル、すまんが儂の方から言わせてくれんかの?﹂
﹁分かりました師匠﹂
﹁卿、師匠は止めい。今はもう弟子もなにも無かろう﹂
場所は変わって王城。
ラド・キ・エル・オルドーア
いろ
パーティには参加しなくとも、その前に謁見だけしておこうと言
ったのはライオールからだった。
謁見では挨拶以上の事はせず、王子もイィリの白には好奇心を向
ライオール
けはしたが、パーティのホストとしての準備で呼ばれ謁見は終了。
ライルから﹃もしかしたら興味を持たれたかもな﹄と声を掛けら
れたが、イィリには﹃こうも色が違えばそりゃそうだ﹄と勘違いし
てしまう。
その後、宰相のトーリィに別室へ呼ばれ今に至る。
︵ずいぶんフレンドリーな宰相様ですよね︶
苦笑するライルとトーリィの目線でのやりとりは長い付き合いを
感じさせるには十分だろう。
ライルは視線だけでイィリに﹃つまりこういう人だ﹄と伝えてい
る。
﹁こんにちはお嬢ちゃん方、先日こちらにお邪魔した医師の師匠で、
トーリィ・オネスと言う。見知っておいてくれると嬉しい﹂
トーリィ・オネス、51歳。ほぼ白髪の長い髪と髭を持つこの男
が王家の分家、この国の医学の権威、宰相でもある公爵家の人間だ。
190
60
歳なので、正直棺桶に
顔の彫りも浅く、こうして年老いてしまえば、目の色を除き日本
人と区別がつかない。
この国の平均寿命が事故を除いて
半分足を入れている。
いい加減に後進を育てたい所ではあるが、最もそれに近い弟子の
ライオールが善良過ぎるため、自身の後継者に指名できなかった経
緯がある。
現在孫に後を継がせる目論見で目下教育中だ。
﹁初めまして、トーリィ・オネス公爵様。私がイィリエス・クロマ
ルド。ライオールの長女です﹂
﹁初めまして公爵様。私はエィリエス。妹です﹂
﹁ふむ⋮あ奴らの言う通りか。イィリエスちゃん、エィリエスちゃ
ん⋮でいいかな?﹂
﹁はい、まだまだそんな年齢ですから。それより⋮﹂
イィリがお辞儀をしたばかりの小さな頭を再度下げ、右手をお腹
に宛てて敬礼する。
﹁お忙しい中お時間を頂きまして恐縮にございます﹂
流暢に流れる様に。
悩んだり思い出したりという様な間も何もなく、﹃やりなれてる﹄
かの様にスムーズな挨拶にトーリィは目を丸くする。
シーク
︵聞いてはいたんだがの⋮本当だと気づいて妙な気分なるのは久々
か︶
ライル
事前に噂を聞いた相手はライオール、シークゥイ、先日の医師の
3名。
191
彼らから聞いた範囲でトーリィ氏が感じたのが。
・話し方は成人しててもおかしく無いハキハキとした口調
・頭の回転が速い
・姉が研究者で、妹は音楽家
・姉は子供だと思ったら負け
・二人ともいたずら好きの天邪鬼
短い自己紹介の中だけでも、最後以外はおおよそその通りだとト
ソース
ーリィ氏は判断した。
尚、情報源が昨日の医師であった事から、情報はイィリに偏り気
味だ。
・・
︵にしても報告以上に⋮白いな?人間はここまで白くなれるものか
⋮︶
イィリの人間離れした白さに驚き、そしてかつて見た海外の文献
を思い出す。
それは日の光を嫌い、視力も弱く、その特徴から差別される事も
多いというもの。
さらにこの国の古い文献では﹃白﹄が幸福のシンボルだとして、
略奪・殺害まで行われた記録がある。
海外では国によっては不幸を呼ぶと伝える地域もある。
トーリィにとって、それらは全て知識であり、知っているのであ
って理解していた訳ではない。
しかし、実感としてそうした姿を見た事で実感を得ると、戸惑い
は生まれるものである。
︵⋮なるほどここまで特異なら様々な伝え方も理解できると言うも
のよ︶
192
目を閉じてそう気を取り直す。
﹁少しばかり話がしたくて呼んだのだ。そう畏まらなくてもよい。
どうせ公式な場でも無いからの﹂
﹁ありがとうございます。ですが私はこの話し方が素ですのでお気
遣いくださらなくても大丈夫ですよ﹂
ライル
︵本当に噂通りか。此奴は年端も行かない娘に何を仕込んでる?だ
がエィリエスちゃんを見るに、感情は年相応か⋮無理矢理押し付け
たようなものでも無さそうだが?︶
笑顔で応えるトーリィ氏とイィリ。
一方で明らかに警戒してますよという顔をしているエィリ。
エィリが年相応に﹃人見知り﹄する姿に微笑ましさも感じる。
どなた
﹁お話の前にですが、何方からかお噂を聞かれたそうですが、どう
いった内容かを宜しければお聞かせいただけますでしょうか?﹂
警戒心が驚くほど素直に出ているエィリにトーリィ氏は苦笑する。
しかしこの一言はイィリにしても全く予想していない一発だ。
とはいえ、リーマン時代に顧客を前に後輩がやらかすのとさして
変わらないと判断し、鉄面は崩さない。
﹁申し訳ないです。普段は人見知りする子では無いのですが、慣れ
ない場所で緊張しているみたいです﹂
反応したライルが助け舟を出そうと声を上げる。
エィリの一言に焦ったのか、その顔は割と必死だ。
193
﹁いいさライル。私はエィリエスちゃんには嫌われてしまったかな
?大丈夫だよ、君やお姉さんに何かしに来た訳じゃないからさ﹂
﹁エィリ、何をそんなに警戒してるのですか?﹂
﹁姉さんこそ警戒してるわ﹂
﹁ばれましたか﹂
えへへと苦笑するイィリにトーリィ氏は苦笑する。
エィリの反応は言葉遣いこそ子供らしくはないといえ、まだ理解
できる。
5歳そこらなど、人見知りをするのは当たり前という感覚がある
からだ。
そこからしても不自然な表情をしている訳ではなく、声色からも
それが嘘ではなさそうだと考えられた。
だがイィリの物言いは違う。感情を隠して明らかにごまかしてる。
﹁ですがお客様にその態度は失礼ですよ﹂
﹁⋮ごめ⋮申し訳ございません﹂
﹁申し訳ございません、トーリィ様。この子も幼い故、ご容赦下さ
い﹂
イィリも全く悪いと思っていないかのような声色で謝る。
あたかも﹃この程度は笑い話で済ませようよ﹄と打診しているの
が嫌という程よく分かる。
ライルは早くもどうフォローしていいか頭を悩ませ初めており、
イィリもそれを見て見ぬふりをしてしまう。
﹁構わんよ、お嬢ちゃん達の歳なら﹃普通は﹄そんな物だからね﹂
敢えて﹃普通は﹄を強調するあたり、﹃イィリは普通じゃないだ
ろ﹄と言い切る。
194
トーリィ氏の表情にも警戒の色が浮かび、この状況では誤摩化し
ても仕方ないと判断したイィリがやや大げさに苦笑する。
︵⋮うーんこの歳では仕方ないですかね。まぁ社会に出る頃になっ
たら覚えるでしょう︶
表情の裏に別の顔を持つスキル。
自分の気持ちがどうあれ表情を作って会話するのは、現代日本の
社会人としては殆どの仕事で必須のスキルだ。
つまり﹃誰でも歳をとればこの位やる﹄というのが元日本人の感
サービス
覚。
たぬき
第三次産業が拡大すれば事実ではあるのだが、それはまた随分と
先の話になる。
商人
貴族
この世界でそんな物が必要なのは商人でなければ貴族の連中だけ
箱入り娘
なのだが、悲しいかな感情抑制位までを普通に出来る母と父親に囲
まれて育ったイィリにはそれが特殊である事を理解できていない。
そして、それを良くやる連中をトーリィ氏は知っている。
︵目の前に居るのは本当に子供か?︶
他の貴族。
全員がそういった訳でもないのだが、自分の分け前と領地しか興
味の無い連中も確かに居る。
その彼らの得意技が笑顔を貼付けての交渉。
その実﹃利権は欲しいけどリスクはノーサンキュー﹄﹃叩ける所
は叩いて権利を引き出す﹄そうした事に心血注ぐ連中すらいる始末。
それらの連中の得意技を目の前の子供がやっていた事に軽く恐怖
を感じる。
ほう
﹁なるほどイィリエスちゃん。薬発見の報といい、どうも見た目通
195
りではないようじゃ。なら、少しづつ本題に入ろうかのう?﹂
﹁はい、そうしていただけると助かります﹂
イィリは満面の笑みを浮かべるが、ここまでのやり取りをした後
では返って気味が悪い。
実際イィリはさっさと話して終わりたいのだ。
交渉自体は本質的ではない、さっさと妥協点を見つけて稼がせろ
というのがイィリの目標だ。
﹁まず、エィリエスちゃんの問いに答えると、報告を聞いたのはそ
こにいるライオール卿とシークィ卿、あとは先日の医師の三人だじ
ゃ。もっと言えばこれまでの成果も、﹃魔法使い﹄の事も聞いてお
るよ﹂
﹁なるほど、それで初対面で驚いていただけなかったのですね﹂
残念とばかりにイィリがおどけて見せるが、それに反応を返すも
のも居らず、姿勢を直す。
﹁いや、驚かせてもらったわい。これほど幼い娘が医療を一気に底
上げしよったのだからの。量産こそ出来てはいないが、王都でいく
つか臨床させておる。いずれも快方に向かっておるそうじゃ﹂
﹁ご確認頂きありがとうございます﹂
﹁⋮うむ。礼を言うのはこちらの方よ。そこで本題じゃ。これだけ
の事があったとはいえ、手放しでお主を表彰する訳にもいかぬので
な﹂
﹁それはそうでしょうね﹂
イィリの反応はそれは既に分かっていると言わんばかりだ。
この偉業に対して、イィリの名前は使うことができない。
医療があり、医学という学問があり、研究者が居て、努力を積み
196
重ねている人々がいる。
それを差し置いて、5歳の娘が公に表彰される訳にはいかない。
プライド
彼らとて無能というわけではなく、これまで数多くの病気と戦っ
てきた自負はある。
話しながらではまともに他人の心情を考慮出来ないイィリとはい
え、彼らが積み上げてきた経歴に5歳児が並んだと言われたら、賞
の権威が脅かされるか彼らのプライドを傷つけるかのどっちかだと
いうのは容易に想像できる。
﹁⋮ほう?良いのか?これだけ功があれば本来なら名誉爵位だって
あり得る話なのだがな?﹂
本当に子供であればそれがどういうことかは理解しない。
だが、これまでの会話から、言っている事の意味は伝わるとトー
イィリ
リィは踏んだ。
﹃アレの実年齢はアテにならない﹄
それを踏まえた上での発言だ。
﹁別に良いのでは?﹂
﹁ならこの結果を儂の名の下で広めたとしてもか?﹂
純粋な疑問だ。
イィリエス・クロマルドの名前が出れば、直ぐにでもクロマルド
家の女児に行き着く。
そんな子供の言葉を信用するなら色々な意味で問題が大きい。
トーリィが言い出せば、﹃耄碌した﹄と言われるのは火を見るよ
り明らかだ。
その為、発表するとしたらトーリィか、最低限ライルの名前が必
要になる。
197
・・・・・・
﹁その方がいろんな意味で助かる人が多いのではないですか?医学
関連の皆様とか﹂
言っていることは事実。
トーリィの名で広めればネームバリューから広めるのも容易であ
るし、薬の量産に関しても事業化しやすい。
関係各所に働きかけるのも容易ではある。
だが同時に、自分の名前で発表できないということは、その功績
を放棄することに等しい。
その後でイィリが何を言ったところで、誰もそれを信用しないだ
ろう。
まして5歳の女児である。子供の戯言と思われるのがオチだ。
﹁分からぬな、それでどんな益があろうよ?﹂
つまり何のためにお前はこの結果を公表するのだと。
﹁ありますよ?薬が量産されれば私も含めて皆心配事が減るでしょ
う?﹂
﹁それは本気で言っておるのか?﹂
確かに幾つかの病からは解放される。
家族の誰かが病で倒れたとか、自分が病気になった所で、全ての
病ではないにせよかなり有効な一手だ。
だがここでトーリィが言う﹃益﹄は利用者の立場ではない、開発
者としての﹃益﹄なのだが、イィリはそこに一切触れない。
﹁薬と食料生産のお話で稼ぐ気はありません。それ以外なら話は別
ですが﹂
198
イィリの感情は読めないが、言動はトーリィの意図を理解してい
る。
その上で人道的なものであれば無償で成果を公表するとイィリは
宣言した事になる。
そして聞いている話で事医療、食料の話はこれだけではない。
﹁それは何故じゃ?﹂
イィリにしてみれば﹃人道支援的なもので稼がないのが当たり前﹄
だが、トーリィにしてみれば﹃真意は何だ?腹の中を見せろ﹄と思
ってしまう。
純粋な子供相手ならトーリィもそうは思わないが、イィリが狸に
見える為警戒しているのだ。
﹁色々疑われてそうですが⋮⋮私が﹃短気だから﹄が一番近いです。
と言ったら信じますか?﹂
イィリの発言にエィリ以外の全員が固まる。
エィリはそれをよく知っているから固まる事はない。
﹁⋮どういう事じゃ?﹂
﹁風邪をひいたとしましょう。一々お医者様の所へ行って診察を受
けて、しかも人が多ければ待たなければならない⋮その間ずっとだ
るさと腹痛に悩まされる。我慢できますか?﹂
﹁するしかないじゃろうな⋮なるほど、これまでならか!﹂
口に出して理解したためか、トーリィの目に理解の光が浮かぶ。
︵ほう!﹃それしかない﹄けど﹃我慢できない﹄から、﹃我慢する
以外の方法﹄を探したという意味か!︶
199
気づいてみれば実に単純で子供らしい発想だ。
﹃我慢する以外の方法﹄を知っていた事が異常ではあるが、動機
としては間違ってない。
トーリィはそれまでの警戒を解くと、声を掛けようと口を開ける
が、
﹁やったことは⋮どう言って良いか分からぬが、動機はまだ子供っ
ぽ⋮いや、年相応か⋮﹂
呆れ混じりになってしまう。
もうここから改めて真面目に話すこともあるまいと肩の力を抜い
て話を始める。
﹁どれ、怖い話はこれ位としよう。先ほどああは言ったが、褒賞は
出そうと思っておる。今すぐ名前を出す様なものでなければ将来の
事でも良い、宰相の名の下にだいたいの事は叶えようぞ﹂
﹁でしたら、今後の私の﹃発表内容﹄を買って頂けませんか?もち
ろん医療等は無償でですが﹂
﹁無理じゃな﹂
イィリの希望に対して即座に不可能と言う。
医療系は無償としても、今回と同規模の物は買い取れないと踏ん
だからだ。
﹁今回の一件。長期的に見ればこれで一体どれだけの民が救えると
思う?功績だけで言えば、爵位を持って然るべきものだ⋮と言って
わかるかの?﹂
﹁勿論。首都だけで年間200人近くが秋熱病で亡くなっているわ
けですしね、記録されていない物を含めればかなりの数でしょう﹂
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そう言ってイィリがエィリの手を握る。
姉を心配していちいち情報をかき集めたエィリから得た情報だ。
心なしかエィリも得意げに微笑む。
戸籍がまともに整備されていないため、正確な数字こそ存在しな
いが、人口約15万、年間2千人程度のが生まれる首都において2
00人が同じ原因で亡くなっているというのは、なかなかに脅威で
ある。
薬が行き渡る保証は無いにせよ、有効な対策が立てられたという
ことの意味は大きい。
﹁それを﹃売り買い﹄なぞしたら儂が干上がるわい﹂
先を見越した褒賞を出せる訳がない。
仮に半数の100人が助かるとして、その税収がどれ程になるか
?国全体で見てどこまで膨らむか見当がつかない。
﹁資産⋮そうじゃな。今すぐ表彰出来ないにしろ、いずれこの功績
に見合う地位はどうかの?﹂
﹁成る程、爵位でしたら辞退しますね﹂
﹁ほう!これは予想外よ。ライルにシークから聞いた限りではそれ
が良いと思ったのだが⋮﹂
あっけらかんと先手を打つイィリにトーリィも聞いていたライル
も絶句する。
黙っていればクロマルド家の爵位は、長男のコルオルが継ぐ事に
なる。
だが幸いと言っていいかは不明だが、奴隷騒ぎで取り潰された男
爵家があり、土地も権利も浮いている。
それを正当な報酬として出せば、イィリはそれに飛びつくものと
201
シークィ
トーリィもライルも考えていた。
会った貴族に提案を持ちかけ、自分の後ろ盾とするイィリの行動
を、二人とも﹃権力的な野心あり﹄と勘違いしていたのだ。
﹁私は領地の管理なんてそんな面倒な事に興味はないです﹂
﹁いや、イィリ。なら何だってシークにあんなことを?﹂
先に立ち直ったのは珍しくライルだ。
つて
﹁私のやりたい事を手伝ってもらうだけですよ?鉄鋼の伝手があれ
ば色々試せるでしょう?﹂
﹁その伝手だって立場があったほうが都合がいいのではないか?﹂
﹁権利と義務は一対でしょう?﹂
﹁⋮それはそうだが﹂
﹁そして手にできる権利が大きい程その義務と責任は増えます。さ
て、ではお父様はその義務を果たすのに1年でどのくらい家に居ま
すか?﹂
﹁⋮﹂
せっかくだからとイィリを説得するライルだが、イィリはそんな
面倒はパスと流す。
加えて﹃家族サービス足りなくない?﹄と皮肉まで言われてはラ
イルは黙るしかない。
﹁⋮くっ⋮⋮くくくふ⋮ふははは﹂
﹁!?﹂
ライル
突然笑い出したトーリィに驚いたのはライル。
イィリは必死な父親を弄るのが楽しかったのか思わず笑みを浮か
べている。
202
﹁はははっ⋮ライルよ。長男がっ⋮居るのは知っておるが⋮くくく
っ⋮この娘が後継でなくて本当に良いのか?﹂
﹁⋮この子は女です師匠﹂
﹁ふふっ⋮あー久々に笑ったわ。硬いなライル。確かに前例はない
が、だが明文化もされておらん。イィリエスちゃんがが継ぐと言う
のなら儂も支持するし孫にも支持させよう﹂
その一言にライルは考え込んでしまう。
せいじん
現実問題として5歳でここまで頭が回り、義務を正しく理解する
娘が15歳したら一体どうなるか想像すら出来ない。
最大の問題は前例のない﹃女である﹄という点だ。
だが、宰相がそれを支持するのであれば、後は本人の才覚次第で
どうとでもなるかもしれない。
今すぐでも後継者として教育したい衝動に駆られるが、本人が嫌
がるそぶりを見せる事だけがネックだ。
﹁いえ、私は⋮﹂
話の流れで貴族にしようという雰囲気を感じ取ったイィリが困っ
た表情で口を挟む。
がりがり
﹁勿論聞いておるよ、だが残念だわい。﹃権利と義務が一対﹄か、
我利我利の馬鹿者共に聞かせてやりたいわ﹂
﹁ですので爵位は継ぐ気はありませんし、爵位を持つのも遠慮させ
てください﹂
﹁⋮そう言えるからこそなってほしいのだがの。まぁ今はそれで構
わぬよ﹂
﹃今のところは諦めるが気が変わったら⋮﹄と続きそうな言葉を
203
発して改めて向き直る。
﹁ふむ。なら代わりに欲しい物はないかのう?結構なものが出せる
が﹂
この一言にライルがイィリに目を向ける。
その目は必死で﹃頼むから余計なこと言わないでくれよ﹄と言っ
ているかのようだ。
﹁究極的には、好き勝手に研究して生計立てれれば良いんですけど
⋮﹂
﹁イィリ、自律的なのはいいことだが生計は男が⋮﹂
﹁それが嫌だって姉さん言ってる﹂
イィリのぼやきにいち早く反応したのはライル。
言い終わる前にエィリに遮られてしまう。
だんだんヒエラルキーが下がってきた気がすると悩み始めるライ
ルを横目にトーリィが続く。
﹁なら、その研究には国が投資しよう。お主ならそこから幾らでも
生計が立てられるじゃろうしのう?﹂
国にしてみればそれが富国に繋がるなら投資の価値がある。
﹁だが⋮のう。投資する以上はその成果は発表しなければならぬ﹂
﹁まぁそれはそうでしょうね。それはどういった形で発表される見
込みですか?﹂
せ
﹁医療であれば⋮すまぬが勝手に公表させてもらう。それ以外は⋮
競りが良いとは思うが内容次第での個別の検討になろうよ﹂
﹁誰の名前ででしょう?﹂
204
﹁﹁⋮﹂﹂
たまたま開いたエィリの一言に大人二人が揃って黙ってしまう。
当然の話だ。ついさっき子供を表彰は出来ないと言ったばかりだ。
このまま夜会に出席しなければ顔も年齢も伏せられるが、名前が
割れれば早晩本人に行き着いてしまう。
﹁⋮発言、いいでしょうか?﹂
﹁どうしたエィリ﹂
﹁姉さんの﹃研究﹄は今でも沢山あります。みんなそれを欲しがっ
たら姉さんの安全は誰が保証するのでしょう?心優しい付き人が心
配しておりました﹂
﹁⋮実に言う通りよ。なら誰の名前で発表するかが悩みどころじゃ
な﹂
再びの沈黙。
リスクを恐れてトーリィやライルの名で発表してしまえば、国か
らの予算を引き出すのが難しい。
予算は自分の領地でどうにかしろという方向に倒れてしまうから
だ。
加えて言えば、イィリの希望である﹃生計を立てる﹄が成り立た
ない。
﹁⋮姉さん、この話の進み方もう限界だわ。言っていい?﹂
﹁あまり出しゃばったらニスさんに怒られますよ?﹂
﹁姉さんも弁護してよ﹂
﹁しょうがない子ですね⋮﹂
ニスと﹃相手の面子も考える﹄と約束し、少しづつ会話を誘導す
るよう心がけてたイィリだが、ここでエィリの我慢が先に切れたら
205
しい。
仕方ないかなと乾いた笑いをイィリが浮かべると、今度はエィリ
が猛然と喋りだす。 ﹁名前があれば実在しなくてもいいと思います﹂
﹁﹁は?﹂﹂
﹁法人。法の元に、この場合国王様?に、人格ありと認めさえされ
れば、それが偽名でも団体名でもいいのではないですか?﹂
﹁いやエィリ、個人で﹃団体﹄を名乗るのは⋮﹂
﹁前例ない?知らない人から見たらその名前が個人か団体かはどう
でも良いと思いますが?トーリィ様?﹂
父親の意見をさっさとぶった切り、相手との交渉に入る。
そういう扱いがこれまでに無かったわけでは無いが、師匠の前と
いう状況でやられたライルの凹み方は推して知るべし。
﹁いや、いいアイディアだと思うがね?儂らが暫くその窓口に立て
ば良い⋮そういうことかの?﹂
﹁姉さんが成人する位までは請け負って頂けますでしょう?後は発
表で﹃その人はこういう人だ﹄と印象づけ出来れば、姉さんの名前
が前に出た時でも混乱はありません﹂
ですよね?と首を傾げて見せる。
仕草自体は見た目も相まって子供らしいが、言ってることは無茶
苦茶だ。
﹁くくくっ⋮凄まじいな。こんな子供達に⋮押さえ込まれるとは!
長く生きて見るもんじゃ。よいよい、それが恐らく最善じゃろう。
儂は乗った!﹂
﹁⋮﹂
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﹁ライルは固まっておるのか?まぁよい。その知識、一体何処から
湧いてくるのか?﹂
﹁姉さん︵のレポート︶です!﹂
﹁あのメモですか⋮﹂
﹁ブッ⋮!﹂
参考、イィリエス著﹁集団的工業における市場への影響とブラン
ディングの考察﹂。
イィリが倒れてた間にエィリが熟読したメモの数々。
読めるものは片っ端から読み、理解できるものは片っ端から理解
したという事だろう。
幸いと言って良いかは分からないが、言葉や単語はイィリと同じ
本を読んでいる以上、同程度に理解できている。
﹁クク⋮すまぬ⋮はははっ!ふ、ふー⋮﹂
﹁⋮腹筋崩壊⋮﹂
﹁ブッ⋮ははは!はははははっ!やっ⋮やめんか⋮っ!﹂
ツボに入って苦しそうに腹を抑えるトーリィと、頭をかかえるラ
イル。
追撃の反応を見て満足そうなイィリに、いいから話を進めろよと
膨れるエィリ。
今誰かがこの部屋に入ってきたら、余りのカオスっぷりにそっと
扉を閉める他ないかも知れない。
﹁あ、あー。⋮ようやく落ち着いたわい。でだ、何と名乗るつもり
じゃ?﹂
﹁姉さん任せた﹂
﹁任されました。でしたら﹃リリウム・ランシフォリウム﹄と名乗
りたいと思います﹂
207
振られたイィリの挙げた名が﹃オニユリ﹄の学名。
前世では実家に植えてあった花でもある。
﹁ふむ⋮聞きなれぬ名前ではあるが、女性名っぽくはあるな。﹃儂
の弟子リリウム・ランシフォリウムは見聞を深める為にクロマルド
に出向、様々な知識を元に今回の薬を発見したと﹄しよう。これな
ら儂らが窓口に立つ理由も立とう。どうかの?﹂
﹁はい、それが良いと思います﹂
﹁良し、決まりじゃな。だいぶ話したか⋮褒賞額についてはまた後
日話すとしよう。そろそろ夜会の準備もせねばな﹂
﹁はい、本日はありがとうございました﹂
そう言って帰りの支度を始めるイィリ達を眺めて、ライルは疑問
を口にする。
﹁のぅクロマルドの姉妹よ。それだけ頭が回ればもっと安全に稼ぐ
事はできよう?何故知り得たものを世に出そうとする?﹂
イィリの知識は金になる。
今回に限って言えば、研究予算を貰うよりも商人を抱き込んで売
り出したほうが圧倒的に儲かる。
守秘義務契約さえしてしまえば、広く公表するより圧倒的にリス
クが低い。
何故そうしない?というのは当然の疑問だ。
﹁不便だと思った事はありませんか?﹂
﹁む?どういうことじゃ?﹂
﹁紙が安価ではなく描きづらい羊皮紙が沢山、石鹸は一般にはまだ
まだ高い、お風呂を沸かすだけで労力がかかる⋮﹂
208
﹁⋮成る程、当たり前にしている事からして不満がある。という事
かのう?﹂
トーリィは一瞬考えるそぶりを見せるが、すぐに答えを引き当て
る。
その様子にイィリが満足げな表情を浮かべる。
﹁はい、私はとても﹃怠惰﹄なので、怠けるために色々楽にするん
です﹂
﹁⋮不思議なもんじゃ。そう聞くと﹃怠惰﹄が悪いものには聞こえ
ぬよ。久々に面白い会話じゃった。また何度か話す機会もあろう、
楽しみにしておるよ﹂
﹁こちらこそよろしくお願い致します﹂
そう言って帰っていくイィリを見送ると、トーリィはすぐに書を
書き出す。
内容は薬の発見、その量産の為の工場設置、発見者の報告と国庫
からの投資計画。
それを全て日が落ちる前に仕上げる必要があるという。
︵仕事が増えて楽しいと思ったのはいつ以来か⋮?︶
そうしてトーリィは作業に没頭していった。
209
オニユリ︵後書き︶
夜会は大いに荒れた。
原因は言うまでもなく、汎用性の高い鎮痛解熱薬。それによる風
土病の事実上の克服。その発見者リリウム・ランシフォリウムだ。
薬に止まらず、鍛冶に馬車改良、日用品まで複数の発見の報を発
表され、王子様そっちのけで問い合わせが殺到した。
不幸中の幸いは一通り面通しが終わった後だった事だが、トーリ
ィ、シークィ、ライオール、国王の事情を知る4人もこれには苦笑
いするしかなかった。
﹁兄上ぇ。みんなひでーよね?兄上の誕生日だっていうのに﹂
ラド
誰も見ていないこの隙にと王子に声をかける子供がいる。
王位継承権が低い、異母兄弟の次男、シュズ・キ・エト・オルド
ーアだ。
黒い短く切り揃えた髪に、同世代としてはやや背丈の低い、大人
しそうな印象顔だが、その目には歳相応に好奇心の光が宿っている。
﹁どうなんだろ?皆あっちに夢中だからこうやってオマエとも話せ
ねーだろうし﹂
答える王子は母親の遺伝か、同じ髪と目の色でありながら、常に
笑っているかのような顔の作りで目が細い。
開いた目はパーティに飽きてさっさと部屋に戻りたいと訴えてる
かのようだ。
﹁それはラッキーだけどねー。でもさー、とーさま言ってたじゃん。
兄上とオレのどっちかあの﹃リリウム﹄って人を嫁に出来ればいい
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なーって﹂
﹁ねーよなー。俺らが大人んなったらきっとばーさんだぜ?﹂
﹁だよなー。そんなら俺昼間に見た黒い子の方がいー﹂
﹁そっち?まー俺多分はこんなかの誰かと結婚すんだろーけど⋮昼
間に見た白い子の方がいいなーかっけーし﹂
ツマラナイと言いたげに椅子の上で足を揺する。
誰も見ていないからこそ、付き人も何も言わない。
達観してるというよりかは、結婚というものそのものをよく理解
していない子供らしい発言とも言える。
貴族が聞いたら怒り心頭だろう。
﹃自分の娘を!﹄と思っている貴族は多い。
﹁そういや兄上、オレ今度クロフィドにりゅーがくするってとーさ
ま言ってたぜ?だから﹃リリウム﹄って奴はオレがしらべてやるよ﹂
﹁いーなー。代われよー﹂
﹁しょーがねーよ。兄上は違うベンキョーするし﹂
﹁だよなー﹂
子供ながらにある程度の自覚はあるのは良いことだが、この言葉
遣いを聞いてる付き人にしてみれば頭の痛い話だ。
﹁じゃーまかせたっ!﹂
﹁おー!﹂
入学式まで一月の出来事である。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n7347by/
やり直したら幸せになれますか?
2014年11月12日22時12分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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