海外研修レポート 1 年 F 組 林 蔚然 Harvard University 午前の MIT に引き続き、ハーバード大学に向かいました。ハーバード大学では三人の方々から話 を聞くことができました。まず、私たちが聞いたのは眼科の吉村さんのお話でした。レーシックという のはほとんどの人が知っていることだと思いますが、世の中にはレーシック手術をしてもなかなか回 復しない、という人たちがいて、そういう人たちは目の病気を患っているということが多いということだ そうです。例えば、ブドウ膜炎がお話の中でできました。ブドウ膜炎というのは、実際眼内のすべて の炎症をさすそうです。(日本眼科学会HPより)その病気を吉村さんは外からの治療や、薬を投与す る内的な治療などを研究しているそうです。免疫のことを学んでいるうちに目というのが、日常生活 に欠かせないものだと思って、目の研究を志したと記憶していますが、目が日常生活に欠かせない とはまさにその通りだと思います。目がなければ、映画を見たり、本を読むこと、旅行に行っても景色 が見られない。そして勉強ももちろん厳しいでしょう。本当にそれだけ目は日常に密着しているのだと 思います。だから、話を聞いて将来何か研究職に着くとしたらやはり、人の役に立つもの、そして日 常に役に立つ仕事をやりたいなと強く感じることができました。 吉村さんに引き続き、松浦さんというリスク規制の研究をしている方のお話 を聞きました。リスク規制という言葉自体が聞きなれないと思いますが、内容 を聞けばとても面白い話でした。私たちは、普段の生活からいろんなリスク に瀕しているといえます。例えば、道路を歩いて、そこに車が突っ込んで、事 故死してしまう、というリスクは全くないとは言い切れないと思います。タバコ を吸うことのリスク、アルコールのリスク、などなどです。そんな中でリスク規 制というのは、例えば、アスベストが例に挙げられます。アスベストは石綿と呼ばれ、断熱材として使 われてきました。しかし、アスベストには発癌性があるとされ肺癌や塵肺などを引き起こします。その ため、アスベストは便利ですが危ないですよということを世間に知らせたり、国に知らせたりすること で規制するといったことをリスク規制ということなのだと思います。この分野はいろいろなことの知識 が必要なようで、大変そうでしたが、とても魅力のある分野だなと思えました。研究者になったらやっ てみたいなと思えるものでした。 そして、最後がとても印象的でした。それは普段ならとてもじゃないけど入れないというと所には入 れたからです。それは、実験用のマウスを保管している場所に入ったことです。全身をマスク、白衣、 帽子、手袋で覆い、その前には特殊な機械で汚いものを落とすためだと思いますが機械からでた風 を受けたりなどと、いろんなことをしてからマウスの保管室に入りました。いっぱい、いましたし、特殊 なマウスで値段も一匹一匹、高いらしいです。また、ここにいるマウスは人間よりきれいと言っていま した。では、このマウスを何に使うというと、ES 細胞の研究などに使用しているそうです。感じたことと しては、本当に医学の最先端を見てしまったのかということです。もし仮に ES 細胞や ips 細胞が人間 に応用されたら治らない病気も簡単に治るかもしれませんし、全く自分と同じ人間ができる、なんてこ ともあるかもしれません。実際、植物などにはもうクローン技術は応用されていますし、クローンの羊 も一時期話題になりました。だから、自分と全く同じ人間ができるのも時間の問題かもしれません。そ う考えると、怖いしそんなことは想像できませんが、同時に、これからの人類にとってはホットで重要 な研究になっていくのではないかと思えました。そう思うと改めて自分がすごいところにいたのだなと いう気がします。 三つともとても自分的にはとても興味が沸くもので、本当に SEG に来られて最高だなと思える見学 でした。そしていつか自分こんなところで学習できたらどれだけいいのかということを感じさせてくれ ました。 Impressions of the trip アメリカはずっと行きたいと思っていた国でした。世界一の経済大国ですし、他の国の都市はあま り知らないという人でも、ニューヨークだとか、ロサンゼルス、ボストン、ワシントンと知っているのだと 思います。ロサンゼルスはいけなかったものの、他に挙げた都市には行きましたし、将来留学したい と思っている私にとって、ハーバードや MIT にいけるとは本当に最高でした。必ずこれからの人生に 役に立っていく経験になったはずです。 今回の旅でアメリカについての印象を一言で表すとしたら、規格外という一言に限ります。いろん な規格外がありました。 一つ目の規格外は人です。空港に着いて、バスに乗るまでは、あーアメリカに来たということで全く 気になりませんでしたが、夜タイムズスクエアに行ったとき初めて、注意しました。人間で規格外とい うとただ単に、人がでかいって言いたいのか?と思うかもしれませんが、それもそうですがそういうわ けではありません、私が感じたのは人の多さです。それは、中国の人の多さではなく、いろんな人が いるということです。白人、黒人、黄色人種とまたは宗教色を表に明らかにだした人などなどと。社会 科でも習ったようにアメリカのサラダボールと呼ばれていますが、それを実際に感じた瞬間でした。 それは訪れた都市の中でニューヨークで一番感じました。ひげを蓄え、帽子をかぶったユダヤ教徒。 独自のコミュニティを広範囲に展開している、華僑、華人。服装も格好も奇抜なのにそれをおかしそう な目で見る人もいない、本当日本にはないことだと感じました。この国の代名詞となっている自由は、 やっぱり移民の国であった瞬間からの運命だったと感じます。人がたくさんいるから共同のルールを 作りにくいそんなところから自由の気風が生まれているのだと思います。しかも、いろんな人がいる からいろんな意見が出ていろんな発想へとつながり、それがこの国の原動力になったはずです。 二つ目は、土地の広さです。とくにそれを感じたのは、オーランドです。人口が少ないとはいえ、ケ ネディースペースセンター、ディズニーワールドとどちらも豪快すぎます。これも日本とアメリカの一 つの違いでした。ただ、ニューヨークからボストンに行くだけでも、高速道路の周りは大体木々しかな いし、ほんとに地球の木は減っているのかと思うくらい自然を感じることもできました。その他ワシント ンにあるスミソニアン博物館群をみても、あれが広大の土地に渡ってあるのも、力と余裕があるだけ でなく広大な土地があってこそのものだと思えました。 そして、三つ目の規格外は食事です。これは、今回の SEG でもっとも悩まされたことです。なんで こんな食事なのだろと。正直初日で負けました。レストランでいきなりパスタ。そのあとサラダをたべ、 もう終わりかと思いきや、海老に海老を巻いたものが 4 個も出てきました。4 個を食べてしまい限界を 超え、デザートのチーズケーキは苦手だったこともあり、一口しか食べられませんでした。訪れた際 には量にお気をつけ下さい。ニューヨークが初めての朝食でしたが、ビュッフェなのにカリカリのベー コン、スクランブルエッグ、ソーセージなどしかなく、これが朝食??と思ってしまうものでした。この朝食 は、最後のオーランドまでまさかでしたが、同じでした。きっとあれがスタンダードなアメリカの朝食な のだと思います。そのあともいろんな店で食べましたが、どうしても口に合わず、しかも量が多いとい う状態です。そんな中、とても美味しいと感じられたのはバスで二回出た、和食の弁当。そしてボスト ンの空港で食べた中華、それとマクドナルド。アメリカ食で美味しいと思ったのはワシントンで食べた ハンバーガー、そしてお高い店で食べたパスタぐらいです。どうやら、アメリカに行ってもハンバーガ ーははずれがないみたいです。10 日間を通してやっぱこんな食事をしているから人口の 60%が肥 満もしくは肥満の恐れがあるという状況になってしまうのだなと感じます。長く生活したら慣れるだろ うけどやっぱり私はアジアの食文化に万歳です。 三つの規格外は実際すべて関連していると思います。どれもアメリカの特色です。アメリカという国 はいい国です。しかし、行ってみればどれだけ、日本が恵まれているか感じることができました。こん なに住みやすい国はないと思います。しかし、こんな住みやすい国でも地震で大変な状態です。もう 一度、地震から立ち直って、世界に誇れる住みやすい日本になってほしいと思います。 Japan Embassy 東北で起きた、東日本大地震のため忙しい中、時間の変更があったものの日本大使館に行くこと ができました。藤崎大使との懇談会を行えませんでしたが、大使と私たちは、写真撮影することがで きました。お会いになったのは 5 分ぐらいでしたが、込み入ったスケジュールの中で時間を割いてくだ さったので、とてもありがたいことだと思います。 大使館で私たちは、Science and Technology in the United States というタイトルのプレゼンテーショ ンを受けました。プレゼンをしてくださったクリスティーさんは日本で英語を教えていたこともあるそう です。クリスティーさんのお仕事は、大使館で働く、外交官に科学技術面でアシスタントをするという ことです。内容としては、合衆国議会で科学技術に関することが話されたときにその委員会を傍聴し、 報告をするといった仕事です。大使館とは国と国との橋渡しをするところですが、まさにクリスティー さんはその橋渡しをする最先端の部分をやっているということになるのだと思います。すごい魅力の ある仕事だなと思えました。 さて、プレゼンの内容はというと、まず、アメリカの科学技術面の組織構造です。アメリカは日本と 違い、科学技術関係の政府機関が複数から成り立っているそうです。これは日本では文部科学省が 中心となっているので大きな違いなのかなと思います。そんなに分かれて、物事がやりにくいので は?と私は思いましたが、そうではなくさすがは世界一の国とあって科学技術という 21 世紀には欠 かせない分野において、重点をおいているからこそ、いろんな政府機関で取り組んでいるのかなと 思います。実際、オバマ大統領も科学技術の大切さを強調しています。もらった資料からも、上院だ けでも通商・科学・交通委員会、エネルギー・天然資源委員会、またそこでなされた決定や助言によ って科学技術関係の政府機関にどれだけ、お金を出すのかを決める歳出委員会があります。また下 院には、科学・宇宙・技術委員会、エネルギー商業委員会、そして上院同様、歳出委員会があります。 きっと日本の国会でもこうした委員会があるのだと思いますが、アメリカのこの両院の委員会をみれ ば科学技術に対する気合がすごいということがまた分かるのだと思います。 次に、アメリカの研究開発予算です。実は、世界中の研究開発に注いでいるお金はアメリカと日本 だけで、半分以上となるのです。世界中の国は、国連加盟国でも 192 カ国ということなので、それのト ータル研究開発予算の半分を超えるとは・・・・・・。本当に驚きです。アメリカは 369billion で、日本は 148billion いずれも単位はドルだと思いますが、数値にしてみると両国にも差があるように思えます。 しかし、研究開発費は日本では GDP の 3.44%を占めていますが、アメリカは 2.68%なのだそうです。 これに対し、オバマ大統領は、3%を超える、ということを目標に研究開発予算を増やすそうです。 研究開発のお金の使用の目的として、基礎研究、応用研究、そして開発がありますが、アメリカ国 内でもっとも多いのは、開発です。企業の大体 5 分の 4 くらいがその開発にお金を注いでいるといい ます。開発することによってそこから、またお金を得るということだと思います。これに対して、国は三 つとも同等にお金を出していますし、科学技術の向上は、基礎研究が大切なので、クリスティーさん は基礎研究にもっと力を注いくべきだと考えているそうです。 研究開発。研究開発といっていますが一概に利点だけとは言えません。夏目漱石にこんな言葉が あります。「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学はかつて我々に止 まることを許して呉れたことがない。」これはこのプレゼンを聞いて科学技術にお金使っても今回の 原子力発電所の事故があったので怖いなと思って思い出しました。まさに、夏目漱石の言うとおりだ と思います。つまり、私が感じたのは、これからはこの止まることのできない科学に止まることを教え るということも研究開発で大切になってくるのではということです。ハーバードで見たリスク規制など が大切になってくると思います。 3時間ぐらい大使館にいましたが、とても密度が濃い、貴重な時間でした。 MIT MIT は、ボストン市内とは川を一つ隔てたケンブリッジ市に位置しています。私たちは、バスでそこ へ向かったのですが、MIT は「ここから、ここまでが MIT のキャンパスですよ。」というはっきりとした区 切りはないそうです。企業の建物が大学の建物と建物の間に入っているのです。というのも、MIT で なされた研究や技術を企業が応用したり、または MIT と企業との共同研究を行うにはこの方が都合 に良いからなのだと思います。このような MIT 関係の企業としては、iRobot 社が有名です。全自動掃 除機(日本ではルンバで名前が通っているのだと思いますが)を作っている会社です。 私たちは、現地の人たちがマスアベと呼ぶ、77 Massachusetts Avenue でバスを降り、そこで MIT で研究を行う日本人研究者の案内のもと MIT の象徴とも呼べる、Great Dome に向かいました。この ドームは MIT 名物であるイタズラで、パトカーが乗っていたこともあるそうです。そこから、無限に続く 廊下と呼ばれる、MIT の学生が講堂に向かうときに使う廊下を通り、廊下を抜け、アコースティックベ ンチという、ベンチに向かいました。見た目はいたって普通。何が特別かといえば、ベンチを対面に 声をだすと声が反響するようになっているということです。見た目は普通なのに、と思わせるさすが は MIT というようなベンチでした。やっぱり「百間は一見に如かず」なので、訪れたら是非。私たちが 訪れたのは、Great Dome 周辺のキャンパスでしたが、アコースティックベンチを始め、ハローウィン には上からパンプキンを落とすという、建設基準の穴をついて作ったケンブリッジ市内最も高い建物、 あとはジブリの映画に出できそうな奇抜で近未来な State Center などなどとユーモアに富むものば かりです。こんな環境で勉強することができたら、楽しいだろうな、カッコイイだろうなと心から思える MIT キャンパスでした。 キャンパス見学を終え、私たちは三つの班に分かれました。化学、生物、物理。私は、化学班で私 たちを案内してくれたのは、東京工業大学から MIT に来た庄司さんです。まずは庄司さんの所属す るグループの研究室を訪れました。庄司さんの所属する研究室には多くの研究者がいろんな国から 来ているそうです。これは、私がアメリカに着いてからこの国のすごいと思ったことです。いろんな国 からいろんな人が来る。そこで、いろんなアイデアが出る。それが研究室では、一緒の研究室で多く の刺激を得られる訳ですから、もちろん研究も充実する。これこそ、アメリカの大学が世界のトップに 君臨し続ける理由なのだと思います。また、多くの普段は見られないような実験器具を見ることがで きました。実験器具の充実も今はとても大切なことだそうです。ひとりひとりに与えられるスペースも 想像していたより広く、器具はひとりひとり一台ずつ配備されています。実績のある MIT だからこそで きることなどだと思います。実験道具のガラスの上にメモを取ったり、その上でディスカッションなどを するということは強く印象に残っています。 庄司さんの研究は、有機化学で素材に関するものでした。素材にはそれぞれ、光を当てると電流 を流すもの、光を当てると光を出すというふうに特性があります。例えば有機 EL ディスプレイのよう なものです。この材料というのはやはり、電子機器の分野に応用されることが多いそうです。実験は なかなか反応しない時もあり忍耐のいるものだとも言っていました。実験が本当にうまく行かず、前 いた日本の研究者は実験用具の上に悪霊退散の札までを張っていたそうです。また行った実験の 記録、これもすごく大切で使った試薬、順序はもちろんのことながら記録し、その記録したノートは厳 格に規則が決められ、実験室の外には持ち出すことができないそうです。 あとから聞いたのですが、庄司さんは最初から、この分野を志した訳ではないそうです。東工大に 入り、実験をして新たな材料を作るということの魅力を感じ、分野を変えて今の分野になったといいま す。なんかカッコイイですよね。私自身もやりたいことを持っていたとしても、これからの生活でいろ んな方面に興味を持つこともとても大切なことなのだなと思えました。 NASA オーランドに着いたあと、すぐケネディスペースセンターに向かいました。ケネディスペースセンタ ーは空港から大体バスで 50 分くらいの距離でしたので、ガイドの高橋さんが道中 NASA、そして宇宙 開発について話してくれました。人間が、宇宙に行くまでの長い道のり、それとソ連とアメリカの宇宙 開発競争の話はとても面白いものでした。 ソ連の打ち上げたスプートニク 2 号に乗り、始めて軌道周回をした動物となったイヌのライカ。それ に引き続き、アメリカは猿とエーブルとベイカーを宇宙飛行させ、生還させることに成功。しかし 1961 年に地球は青かったという言葉で有名なユーリ・ガガーリンが人類として初めて宇宙に行き、生還に 成功。というふうに、アメリカは常にソ連の一歩あとでした。このようなことを受け、第 34 代大統領で ある、アイゼンハワー大統領の提言のもと今の NASA ができたそうです。そして、第 35 代大統領であ る、かの有名なケネディ大統領のもと人類を月に、というアポロ計画が始まり、アポロ 11 号で月面着 陸を成功させました。これぞ、切磋琢磨という感じします。互いに競い合う中で、将来は宇宙で生活 できるようにしようというレベルまで持っていけたわけですからとてもすごいことだと感じました。また、 その他話にあったものとしては、年内にあと二回を残し、スペースシャトル計画は終わるという話で す。次のなる計画は火星に人を飛ばすことだとか・・・・・・。 そんな話を聞いているうちにケネディスペースセンターに着きました。飛行機が遅れた理由もあり 最初から急ぎで、IMAX シアターで、SPACE STATION 3D という 3D 映画を見ました。国際宇宙ステー ションでの宇宙飛行士の生活を特集した感じの映画です。宇宙ステーション内での生活では、テレビ などで紹介されているのである程度は知っていたはずなのに、初めて見るかのように、ポカーンと見 ていた気がします。3D だったのでほんとリアルでした。地球がとてもきれいだったのも印象的です。 宇宙というのは、自分にとってそこまで興味のあるものではないのですが、この 3D を見て、宇宙に行 ってみたいなという気持ちがわきました。たぶん見る人皆がそう感じるのだと思います。 そして、つぎはスペースシャトルに乗っての発射の模擬体験。これもすごいものでした。これは、も うアトラクションでした。テーマパークにあるみたいな感じです。90 度傾いたり・・・・・・。これに関しては 乗ってみないと分からないと思うので、訪れたら是非。 次にむかったのは ASTRONSUT ENCOUNTER という宇宙飛行士に会える場所です。私たちがお 会いしたのは Alfred Worden さんでした。ウォーデンさんはアポロ 15 号の乗員です。また、12 号の予 備乗員でもあった人です。つきに降り立ったわけではなく、機体の運転を任せられた人だそうです。 お話の内容は、宇宙についての話だけでなく、宇宙と科学を結びつけてお 話をしてくださいました。冗談なども交えて他の人たちは笑っていましたが、 私たちが座っていたところだけシーンとしてしまいました。しかも、残念な がら内容を全部把握するということは出来ませんでした。英語力のなさを 痛感しました。貴重な方の話なのにつくづく残念でした。話が終わっての、 写真撮影すごい乗り気で気さくな方でした。 NASA で思ったことは、宇宙開発は本当身近になってきたのかなということです。たった 50 年前初 めて人類は宇宙に行けた訳です。しかし、今となっては宇宙飛行士であるとはいえ、人間が何ヶ月も 宇宙で暮らすことは夢でなく現実になりました。そして、前にも書いたように次は、行くのに 6 ヶ月も掛 かるそうですが火星に行けるのかもしれません。大切な地球に住み続けられることに越したことはあ りませんが、今の人類は地球を守れるのか疑問です。そういった意味でも宇宙開発はとても大切な のかなと思いますし身近な問題である気がします。しかし、もし宇宙に住むというようなことになった ら、そこでは地球で行われた醜い戦争がない、人類がいることを願っています。 Smithsonian Institute まず、スミソニアン航空宇宙博物館について書きたいと思います。スミソニアン航空宇宙博物館 はスミソニアン博物館群の中でももっとも人気のある博物館の一つです。入ると突き抜けになってい るところに何度も飛行機やロケット、宇宙船などが釣り下がっていました。そこで私たちが最初に見た のは、アポロ 11 号の宇宙船司令室です。紡錘形をしていました。これに乗って人類は宇宙に行った のか、と思うぐらい小さいものでした。それと、レポートを書いた今になってすごいものを見たのだな と感じています。次に見たのは、零戦です。この零戦は継ぎ足しなどではなく、当時のオリジナルの ままでとても価値が高いということでした。もっと大きいものだと思いましたが、実際見て思ったのは 小さいなということでした。しかし、これがアメリカを脅かしていたのですから侮れません。次に見た のはライト兄弟で有名なライトフライヤー号を見ました。人類初めての飛行は 12 秒の飛行でしたが、 4 回目には 59 秒まで伸びたそうです。しかし、ライト兄弟が最初から飛行機を飛ばしたということで注 目の的であったかというと、そうではなく、科学的に不可能だと信じられなかったというのです。更に、 今展示されている航空宇宙博物館は、最初館長がライト兄弟を嫌い、ライトフライヤー号を置くことを 認めず、始めはイギリスの博物館にあったそうです。しかし、なんでライトフライヤー号がアメリカのも のなのにイギリスにあるのだという意見のもと 1948 年 12 月 17 日にアメリカに戻り、今の航空宇宙博 物に展示されるようになったというわけです。因みに初めて飛行したのもこの 12 月 17 日だそうです。 次に、自然史博物館について。自然史博物館に何にあるかといえば一番の見 所は、ホープダイアモンドです。このホープダイアモンドはいろいろな呪いの伝説 があり、所有した人は不幸になるとか。しかし、このホープダイアモンドを見に世 界中から旅行客が自然史博物館に来るので、博物館にとっては幸運をもたらしてくれたという人もい ます。ダイアモンドはもちろんケースに入っていますが、360 度どの角度からも見られるように、ダイ アモンドが乗った台は回転してくれます。私もきちんと目に焼き付け、写真も撮りました。さすが、人 気の展示ですね。この博物館で他には、恐竜の展示がありました。トリケラトプスやティラノサウルス などと、小さい頃図鑑でしか見たことのないものを直で見ることができました。なかなかの迫力でした。 その他、いろいろな動物の展示がなされていて、アフリカ、オーストラリアと場所によって分かれて展 示されていました。モルガヌコドン目という地球で最初の哺乳類の展示もあります。この生物の遺伝 子は、何十億の子孫に受け継がれています。あなたを含め。という説明があったのですが、こんな小 さい動物と自分は繋がっているのかと思うととても不思議な気持ちになりました。 最後に、アメリカ歴史博物館について。この博物館はアメリカについてのものならなんでもあるとガ イドさんが行っていましたが実際行ってみると、他のところとは違い文化的な展示が結構ありました。 ファーストレディの着たドレスの展示、楽器の展示。その中でも興味があったのはヴァイオリンです。 あの有名なストラディヴァリウスが2本ありました。そして隣の文化的な展示にはマイケルジャクソン の帽子などもありました。戦争の展示や奴隷の展示もありましたが、その中に They worked . . . from can to can’t , from the time they could see until the time the time they couldn’t . とありました。展示 にあった写真を見ながらこの言葉を見ると無条件に学校に行けている自分の幸せさを少し感じること ができました。 この三つの博物館のほかに、スミソニアン博物館群には位置していませんが、国際スパイ博物館 にも行きました。そこもとても面白いところでした。スミソニアン博物館群にはナショナルギャラリーな ど他にいろいろあるので、将来またアメリカに行ったときには行ってみたいと思います。 Two Institutes In Woods Hole ウッズホールはボストンからバスで1時間半ぐらいの距離でした。避暑地としても有名で、その土地 柄のお陰もあって夏は世界中から多くの研究者や学生が来るそうです。静かな村で、研究所がある というような雰囲気では正直ありませんでした。そもそも、ウッズホールは漁師さんの町でその奥さ んたちが研究を始め、それがきっかけとなり、今の研究所があるそうです。奥さんたち、すごいなと思 います。何の研究をしていたのでしょうか。 まず、最初に行ったウッズホール海洋生物学研究所(以降、MBL としたいと思います。)について書 きたいと思います。この研究所は、単一の研究所としては最多のノーベル賞受賞者を出していること で有名ですが、その数はガイドの方が 53 人と言っていたと思います。1901 年にノーベル賞が始まっ たので、約二年一人はノーベル賞受賞者が出ることになります。さて、研究所案内で私たちはまず、 ビデオを見ました。今までどういう研究をしてきたか、そして今はどうなのかということなどが主な内 容だったと思います。そのビデオをみた後、いろいろな魚が入っている水槽のあるところに行きまし た。カブトガニなど普段では見られない、海の生き物を見ることができました。では、MBL がただ魚を 獲り、その生物を研究するのかというとそうではありません。例えば、アンコウの一種で人間の内耳 が似ているものがあるそうで、それにより耳の病気や平衡感覚などの研究をしているそうです。他に は先ほど話しに出した、カブトガニ血を使いエイズやがんなどの治療薬となるのでは、という研究が 盛んであるそうです。ガイドの方は夏にきてくれたら、ウッズホールの研究で有名なイカもいたのに。 と夏にまた来るようオススメしてくれました。 次にウッズホール海洋研究所(以降 WHOI とします。)を紹介 したいと思います。WHOI はあのタイタニック号の創作をしたと いうことで有名です。MBL とは対照的にこちらは海そのものを 研究しているといえます。海溝に潜ったり、海流の研究などな どです。もちろん地震の研究もなされていて、私たちはその地 震関係の研究室に入ることができました。研究室には丸い透明の容器があり、中に揺れを観測でき る機器があり、またそれを記録したりできるという地震観測用の機械がありました。大きさは大体両 手でギリギリ抱えられる感じの大きさのものでした。一個のボールだけではなく 20 個ぐらいを束にし て研究を行うそうです。また、丸い形をしている理由は容積がもっとも球体が多いこと、また圧力に強 いということがあるそうです。世界中いろんなところで地震の研究しているのだなと思いました。それ と実際研究を行うときは、実際に現場に行きそこで研究するため、研究室の機能をそのまま、コンテ ナの中に載せそこが現地での研究室の役割をするといっていました。なんか小さい頃に考えていた 研究者の像そのものでした。その他、WHOI で有名なものとしては潜水艇などの深海探査船がありま す。タイタニック号捜索をした、Alvin。その他 Sentry、REMUS、SeaBED、などなどといろいろあります。 その作っている現場もチラッと見られました。同じ機械がたくさんあるのかと思いきや、性能も違い、 ほとんど一台しか作られないそうです。本当に深海を探索するものや、100m のところを探索する専 門機なとどと分かれているそうです。 海の研究とはなかなか想像できないものでしたが、実際見て、生活ときちんと関連していて欠かせ ないなと思えました。また、それだからこそすごい数のノーベル賞受賞者を輩出することができるの かなと感じました。また、いつかガイドの方がオススメしていたイカを見にウッズホールに行きたいと 思います。
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