異界嫁日記 ∼幻色美女図鑑 - タテ書き小説ネット

異界嫁日記 ∼幻色美女図鑑
novel.n
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うぞ。
︻小説タイトル︼
異界嫁日記 ∼幻色美女図鑑
︻Nコード︼
N1022W
︻作者名︼
novel.n
︻あらすじ︼
地球と異世界をつなぐゲートから帰還した﹁おれ﹂。
ワケあり勇者として召喚された高校生のおれは、とあるチートな
秘策を駆使して、ゲート内世界を救おうとしたのだが。
その過程で出会ったゲート内世界のお姫様たちや魔剣士、はたま
た地球に帰ってきてからは義妹や女教師が熱いまなざしをおれに向
けてきて、さあ大変。
やがてゲートによって二つの世界が恒常的につながったことで、
1
おれの女性関係はさらなる混迷の度を深めてゆくのだった。
2
プロローグ∼イレヴンズゲート∼
∼イレヴンズゲート∼
世界各国に異世界と通じる扉が開いたのは3ヶ月前のこと。
アメリカ、イギリス、中国など11の国に、野球場ほどの面積を
有する超次元空間が生まれた。
ここ日本にもゲートがある。東京都武蔵野市、都立吉上高校の校
庭が丸ごと大ゲートへ空間転移し、もともとあったグラウンドは次
元の彼方に吹き飛ばされてしまった。
それはそれは、世界中が大変な騒ぎになったそうだ。
もっとも、その時の様子をおれはこちら側の世界から見ていない。
各国の軍隊や警察が厳戒態勢を敷き、マスコミ報道もそのこと一色
でテレビも通常番組の放送を休止した。いまも報道番組のなかで、
検証番組が繰り返し放送されているのを、おれは自宅にもどってか
らゆっくりテレビで見せてもらったのだが。
世界中の関心は11ヶ所のゲートに向けられ、その間は紛争中の
国家や民族同士も停戦せざるを得なかったほど。人類未曾有の事態
は、宇宙人の侵略か、はたまた天変地異の前触れかと世界中の人間
を震え上がらせた。
数日が経ち、各ゲートから人間が姿を見せると、その身柄はたち
まち各国政府の保護下に置かれた。
3
11ヶ所のゲートから一人づつの人間が現れたのだが、日本のゲ
ートから出てきたのが、この﹁おれ﹂だったというわけだ。
ふたば
おれの名前は、双葉としあき。一年前に行方不明となり、両親を
苦しめた親不孝者だ。ゲートがおれの通う学校の敷地に現れたのは、
異世界での役割を終えて故郷に帰る者たちのために、神さまがそれ
ぞれの家路に近い場所を選んでくれたからである。
4
プロローグ∼イレヴンズゲート∼︵後書き︶
現代地球と異世界が﹁ゲート﹂と呼ばれる、異世界の神々によっ
て作られた出入り口によって繋がった世界のアレコレを想定するシ
ェアードワールド作品です。
基本はバックパッカーでも気軽に往来できるような気楽さで、ハ
ードなものからソフトな旅行まで自由度の高い世界を、各作者が自
由に構築します。
細かい設定は下記にて
http://www47.atwiki.jp/isekaik
ouryu/pages/1.html
5
第一章 リリーナ・フォーミュラ・エル・スターバックス姫
ゲート内は11大国家が陸と海洋の9割近くを支配するが、どの
国にも属さない小国も数多くある。その領地を合わせて、やっと大
国家1つ分ほどの自治区を形作っていた。
もともとおれを召還したのは、∼龍神を王とする鱗持つ民の国∼
ミズマミシマだったのだが、龍神の代弁者である祀族長オトヒメが
年若い少女であったためか、未熟な術式の結果、被召還者の身体は
ミズマミシマと関わりのない小国、スターバックスに現出した。
スターバックスは人口30万人ほどの国というよりは、わらわれ
現代人の感覚で言うところの﹁市﹂に近い。貴族制度は無く、王家
とその縁戚者と代議士、官僚が統治するミニ行政区だった。
スターバックスに美貌の皇女あり。リィナ姫。正しくはリリーナ・
フォーミュラ・エル・スターバックス芳紀16歳の愛称が、リィナ
姫。
その可憐な姿を思い出すと、授業中の教室であるにもかかわらず
顔がにやけてしまう。
その夜、平凡な高校生であるおれの前で、高貴な美姫はその柔肌
を無防備にさらした。薄衣の夜着が月明かりに照らされ、下着もつ
けていないためにその肢体が、ほぼ全裸同然におれの目に焼き付く。
おもわず、おれはつばを飲んだ。
この時点でおれは女性経験が無かったので、初体験が異国の姫君
6
相手とあっては気圧されずにいられない。
リィナ姫と出会ってこのとき3ヶ月。幾度か彼女の窮地を救い、
信頼を勝ち得ていたおれが彼女と親しくあることを周囲の者もとが
めはしなくなった頃だった。
﹁ひ、姫、ほ、本当にいいのですか﹂
リィナ姫がうなずく。恥ずかしいのだろう。顔を伏せてこちらを
見ようとしない。
その日、∼不死者たちの終わりなき遊技場∼と呼ばれる死霊貴族
領スラヴィアの、死神モルテの力によって生み出された死なずの者
達、またの名をアンデッド軍団の侵攻を食い止め、あまつさえ不死
の軍隊に完全な死を与えたおれは、スターバックスのみならず隣国
領の住人たちからも英雄として崇められるようになった。
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#2
騎士団とともに凱旋したおれは道中、村人たちから熱烈な歓迎を
受けつつ、スターバックス王都マキアートまで帰還した。沿道から
は騎士団の先頭を進む馬上のおれに向かって、花束と歓声が浴びせ
られた。
宮城の前では王自らが妃と皇女を従えて、おれを出迎えてくれた。
小国の善君で気さくなお方であるスターバックス王であっても、こ
れは格別の労いだ。
おれは民衆の前で王に肩を抱かれ、王と並び立つとまるで公国の
王子でもあるかのような賞賛を浴びた。
侍従が盛大な宴を催すとおれに伝えたが、固辞した。戦はこれで
終わったわけではない。すぐに軍議を開くためと言って、日頃より
豪勢な食事を兵たちに与えるよう頼んだ。
本当は、敵軍を完膚なきまでに叩きのめし、国境にも警備の騎士
団を置いてきたのでしばらくのんびりできるとわかっていたのだっ
たが、おれはこういうときどう振る舞えば自分の評価が高くなるか
わかっていた。
おれの根城は、宮城から少し離れた区画の離宮をあてがわれてい
た。軍議など開かず、部下たちは町へ繰り出していった。酒場へ行
ったか、女を漁りに行ったか。
給仕たちに口止めし、おれは食事をした後、果実酒をさらに果汁
で割ったグラスを手にバルコニーで夜風に当たっていた。
8
コンコン。樫の木の戸を拳でノックする音に振り返る。
﹁入れ﹂
顔を出したのは見慣れた女官。この人がいるということは⋮⋮
おれは膝を床につき、胸に手を当てた。
部屋に入ってきたのは、ローブで顔を隠したリリーナ・フォーミ
ュラ・エル・スターバックス皇女。
﹁階下で待て﹂
人払いをすると、彼女は顔を見せた。
﹁面を上げよ﹂
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#2︵後書き︶
始まったばかりで多くの方に読まれてうれしく思います。
さて、どんなきっかけで読まれたましたか? 更新情報かランキン
グか通りすがりか、アクセス数だけでは見えない部分に関心があり
ます。お気軽に感想やメッセをいただけたらと思います。
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#3
年若くとも威厳のある声に恐縮して顔を上げると、そこにいたの
は一人の少女にすぎなかった。
﹁としあき卿、よく無事でもどってくれました﹂
﹁リィナ姫、だれもいませんから、トッシーでいいですよ﹂﹂
﹁トッシー﹂
サファイヤブルーの宝石をはめたような瞳に涙がたまる。おれは
すかさず彼女の脇に経ち肩に手を置く。
﹁わたしは皇女失格です﹂
﹁なにを馬鹿なことを。道中、騎士はみな姫様のことで話に花を咲
かせておりましたよ﹂
騎士だけでなく、転戦先の村人とも親しく会話をするようになる
と、必ずリィナ姫のことを聞かれる。評判のような美姫なのかと、
なにか言葉を賜ることはないのかと。
﹁領民を守るために戦地へ赴いた騎士団が勝利したことを喜ばなけ
ればいけないのに、わたしはあなたが無事に生きて帰ってきてくれ
たことだけに心を震わせているただの女です。これでは王家の一員
として失格です﹂
﹁リィナ姫、おれはあなたにそう想われていることを心の糧に戦っ
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ております﹂
﹁トッシー!﹂
おれの胸にリィナ姫が飛び込んでくる。姫はこれまでも人目を忍
んでは、たびたびおれを訪ねてきてくれていた。そろそろ頃合いだ
ろうか。
﹁武功を立てても、報賞も断り続けるなど、トッシーの振る舞いに
わたしも父王も心苦しく想っております﹂
現代社会で生きてきたおれは、こういうときどのように振る舞え
ば民衆と上官の歓心を買えるか知っている。歴史と政治から学んだ。
そして、こういうときは夜景を見ながら話をするに限る。
﹁姫、テラスへ﹂
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#4
窓を開けると町の喧噪が伝わってくる。いつもより騒がしいのは、
戦勝ムードに湧いているからか。11大国家よりも小国の連合国の
方が国民の暮らしは豊かなようだ。
リィナ姫の肩を抱きながら、耳元で囁くような話し方が許される
程度の親密さにはすでになれている。
﹁姫、寒くはありませんか﹂
まだ秋になったばかりで肌寒いなどということはないが、一応尋
ねてみた。
リィナ姫の身長は160センチもないだろう。彼女が前髪がおれ
の鎖骨をくすぐる。
一度、彼女の体が離れてベランダに手を置く。
﹁トッシー、宴席も辞退し報賞も受け取らぬばかりでは、我ら王族
の面子も立ちませぬ﹂
﹁よいのです。よいのですよ、リィナ姫。おれは民が無事に笑って
暮らしていれば、それがおれにとっての勲章なのです。そしてひい
ては、リィナ姫をお守りすることにつながるのです﹂
少し強い風が吹いた。他の国の姫様はたいてい髪を腰まで長く伸
ばしていることが多いが、リィナ姫の髪型は光沢のある銀髪を肩で
切りそろえている。先程述べたようにサファイヤブルーの瞳から風
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に乗って、しずくが宙に舞った。
﹁トッシー、それでもわたしはあなたに褒美を与えたいのだ。なん
でもよいから申しておくれ﹂
﹁言えません﹂
﹁なぜだ﹂
リィナ姫が胸元で拳を握る。
﹁口にするのも、あまりにおそれおおいので﹂
﹁よい。申しておくれ。遠慮はいらぬ﹂
﹁とても、とても申せませぬ﹂
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#5
おれは顔を覆うふりして、指の隙間から姫の表情を伺った。姫の
容貌は日本人から見ると、西洋人を通り越してもうハーフエルフか
と見まごう神秘的な姿だった。
姫はハラハラした様子でおれに願いを言えと迫るが、これがまた
なんとも外見に似合わぬコミカルさで可愛らしい。
彼女はおれがなにか苦悩を抱えて、苦悶の表情を隠しているのだ
と思っているが、逆だった。おれの顔はデレデレでとても見せられ
たものではないのだ。
﹁リィナ姫、願いを申したら聞き入れてもらえますか?﹂
﹁もちろんだ﹂
﹁本当ですか?﹂
﹁皇女に二言はない﹂
﹁もしかしたら姫を怒らせるかもしれませんよ?﹂
﹁かまわぬ。申してみよ﹂
﹁では⋮⋮﹂
おもむろにおれは、リィナ姫の背中まで両手を回し、その身体を
捉えた。
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﹁! としあき卿、なにを?﹂
﹁姫、褒美をいただけるのならばわたしの望みは姫ご自身です﹂
リィナ姫は言葉もない。ただ吐息が漏れた。おれの胸板が彼女の
身体に密着する。一条の稲妻がリィナの身体を駆け抜けていった。
ビクンと肩がけいれんしたかと思うと、がくっと力が抜けて、まる
で操り糸の切れた人形のように、おれの腕の中で動けなくなってい
た。
炎のような期待感がおれのなかで燃え上がる。
皇女を想いのままにもてあそんでいるかのように見えるだろうが、
このときおれはまだ女性経験がない。
おれはおれなりに使命感を持って生きているつもりだが、彼女に
はじめて会ったときからこの日が来るのを待ちわびていなかったか
といえば嘘になる。
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#5︵後書き︶
なるべく毎日更新します。
手探りで書いておりますが、お読みになった方の評価と感想が羅針
盤です。
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#6
﹁姫、はじめてお目にかかったときから、おれは、おれはもう!﹂
この世界で根無し草のおれは、周囲の信頼を得るべく紳士的に振
る舞ってきたが、もはや限界だ。
おれは鼻息荒く姫の唇を奪おうとする。
﹁ヒィッ!﹂
おれの豹変に姫の顔色が変わった。
﹁ち、ちょっととしあき卿、ま、待って﹂
おれが唇を突き出して、姫のそれをふさごうとするのを彼女は細
い腕でおれの顔を押しのけようとする。これはちょっと意外だった。
ここへ来たときには、もう完全に覚悟を決められているのだと半ば
感じていたのだが。
﹁い、いやですか、姫様?﹂
﹁え、そういうわけでは﹂
﹁じゃあ、続きを﹂
﹁ま、待って、まだ心の準備が﹂
﹁皇女に二言はないと言ったじゃないですかー、やだー﹂
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唇に姫の指の感触。
﹁1分! わたしに1分時間をください!!﹂
両の掌で必死にガードしながら、思い切りのけぞっておれの顔を
かわす。おれが手を離すと、彼女はバルコニーに手を置いて深く呼
吸した。
﹁⋮⋮﹂
呼吸を整えたリィナ姫は、振り返ってその両腕を広げた。
﹁さぁ、どうぞ。トッシー卿、遠慮なく﹂
おれはその腰に手を回すが彼女は緊張しているのか、ぎゅっと目
を閉じてあごを上に向けている。
彼女の顔におれの息がかかって、皇女の肩がびくんと動いた。
︵今度こそ、今度こそ!︶
もう二人を遮るものはない。身分の差もこれだけ武勲を立てれば、
障害にならぬであろう。
︵やわらかい、そしてつややかな、さすが王族の唇︶
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#7
逆に自分の肌のささくれを感じさせるほどの、なめらかな感覚が
おれの唇に返ってきた。
リィナ姫の唇は小さく、強く押し付ければおれの口に飲み込まれ
しまいそうな薄さ。
ぎゅっと、姫の手がおれの肩の衣を掴む。おれは彼女の身体を締
め上げぬよう、腰に回した手に力を入れないように気をつけた。
1分近くそうしていたが、姫が窒息してしまいそうなので一度離
れる。
﹁ふっ、はあ﹂
苦しそうに息を吐き出す彼女。もたれるように頬を俺の胸の埋め
た。
﹁トッシー、わたしは、わたしは少し怖い。このようなこと、初め
てなのだ﹂
これから起きることを思うと、彼女が怖じ気づくのは仕方ない。
不死者の暴徒に御者を囲まれたときも気丈に振る舞っていた皇女だ
が、それでもはじめての性体験の前には、だれしも恐ろしさに身が
すくむものだ。
逆に﹁オッケー、トッシー。わたしは経験豊富だからバッチコー
イだ﹂と言われては堪らない。
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﹁リイナ姫、わたしは謀反人でしょうか。あまりにも畏れ多いこと
をしていることは重々承知しています⋮⋮ですが﹂
﹁と、としあき殿! 手、手が!!﹂
﹁え?﹂
てのひら
掌にやわらかい感触。女性としてはかなりスレンダーなタイプに
属する姫だから、けっしてたわわな感触とはいかないが、貧乳であ
れ、やはりおっぱいの感触は最高だ。
﹁うおー、こ、これは失礼を!!﹂
てのひら
かしこまった口調とは裏腹におれの掌はリィナ姫の右の乳房を包
んでいた。右腕はおれの意思に反してその場所から離れようとしな
い。仕方なく左手でその手を引き離した。
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#8
彼女は身体を折っていまにも泣き出しそうだ。おれはじっと手を
見る。青林檎のようなまだ硬い発展登場の乳房。声なき抗議をする
かのような潤んだ瞳。
バルコニーに並んで夜景を眺めた、さきほど抱擁する前に見つめ
た瞳も、ロマンティックに濡れた双眸だったが、いまのそれはもう
いかにも﹁わたし、もうこれがイッパイイッパイなの﹂という心持
ちを現していた。
そしておれの頭の中もまた、おっぱいのことでオッパイオッパイ
⋮⋮もといイッパイイッパイなのだった。
﹁グス⋮⋮﹂
姫が涙をぬぐって向き直る。
﹁リィナ⋮⋮﹂
﹁夜着にかえて参ります﹂
おれは窓を閉め、部屋の灯りを消した。姫は隣の部屋へと消える。
もともとは王族の離宮で彼女の着替えも揃っていた。
︵姫、無理をしているなー︶
おれもブーツを脱いで、軍服のトラウザーズとシャツをたたんだ。
士官からバカにされるが、シャツの下にはもう一枚下着を着る習慣
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を変えていない。
ベッドの上で正座のままシャツを折っているおれの背後から声が
した。
﹁としあき卿﹂
︵キ、キター! AA略︶
﹁リリーナ・フォーミュラ殿下、とてもキレイだ﹂
もじもじと身体をくねらせながら、カーテンの陰に隠れようとす
る姫におれは近づいた。
手を引くと、まるで体重のない精霊の手を引いているように身が
軽い。
カーテンから離れて、月明かりが差し込む窓辺にそのシルエット
を照らす。絹のネグリジェに包まれた白い肌が宝石のように神々し
い輝きを放っている。
﹁姫、手を下ろして﹂
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#8︵後書き︶
序盤ですけど、評価点を入れてくれてもいいのよ︵チラッ
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#9
おれに命じられるまま、ふるふるとブラジャーに隠されていない
乳房から手をどける。
お椀ほどもない、砂丘のようななだらかなふくらみだったが、初
体験のおれには、むしろ似つかわしいだろう。なんとか不安のない
ように姫をリードしてさしあげたい。
おれの目線の方が高いので、こうして向き合っていると捕虜を検
分しているような気まずさがただよってしまう。
﹁リィナ、こちらへ﹂
ほっそりとした肩を抱いてベッドに導くと彼女は、するりとシー
ツの中に身を隠した。
﹁明かりを、もそっと暗く⋮⋮﹂
おれはカーテンを閉めた。電灯もないから、部屋は月明かりが数
条差し込むだけで青暗の闇に包まれた。
おれは目がいい方なので、すぐに闇のなかでも視野がもどる。
﹁姫、隣へ入りますよ﹂
﹁⋮⋮参れ﹂
おれは吹き出しそうになる。皇女からすれば、男女の和合も武人
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にとっての初戦のようなものなのかもしれない。
︵おっと︶
声が漏れないように唇を閉じ、彼女の隣に侵入する。
﹁不思議な⋮⋮気持ちです﹂
彼女の言いたいことはなんとなくわかる。
﹁いままで人目を忍んでお逢いしていましたが、とうとう一線を越
えることになりましたね﹂
異界の迷い人だったおれの水先案内役を引き受けてくれたリリー
ナ。貴族でもない、どこの馬の骨ともわからぬおれと親しく接して
くれた。
﹁あなたとは良き友人になりたいと思っていました。なのに、逢う
たびにそれ以上の感情がわたしのなかで育っていくのです﹂
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#10
﹁おれは友だちでありつづけたいと思ったことは一度もありません﹂
﹁え?﹂
悲しそうな顔で姫が振り返る。
﹁ずっと友だちなんて嫌です。姫が時おり陣中見舞いに来てくれた
ときも常にわたしは、どうやったらあなたの心を自分のものにでき
るか考えていました﹂
おれは姫の身体に体重をかけぬよう手とひざをついて、彼女にま
たがった。シーツは上等なものなので、つるっとした感触でおれの
背中を滑り落ちていく。
﹁夜着を脱がさせていただきます﹂
ビリッ。︵あっ、いっけね︶彼女のネグリジェを破いてしまった。
︵ええい、かまうもんか︶おれは自分の肌着を脱ぎ捨てベッドの外
に放る。
こうして一糸まとわぬ男女の裸身だけが闇のなかに現れた。
姫は唇を噛んで恥ずかしさに耐えているようだ。右の腕で胸元を
隠しているが、左手は観念したように投げ出されている。
その手がおれの頬に触れ、それから首筋を這い胸元に触れる。
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﹁意外と柔らかな肌なのね。もっとささくれた感触かと思っていま
した﹂
現代人の生活に慣れた俺の肌は、この地方の人間ほど荒れていな
い。それでも辺境での戦を繰り返して日と乾燥に焼かれた方だが。
﹁そばで肌を見るのは二度目﹂
城内でおれが半裸で稽古しているところへ、姫がやって来たこと
がある。
彼女は俺の身体を見て驚いていた。
﹁傷を受けたあとがまったくないな。そなたのような強者は、不覚
をとったことがまるでないのか?﹂
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#11
おれは、傷が治りやすい体質なのだと答えた。常人なら医師に縫
合を頼むような負傷でも、一晩も経たずに跡形もなく治ってしまう
のだ。
おれの下で仰向けになっている乳房はもとから小ぶりなので、重
力の方向が変わっても形の変わることがない。
もう無言で、ゆっくりとだが遠慮もなくそのふくらみに手をかけ
た。
﹁あっ!⋮⋮あっ﹂
リィナ姫の声もか細くなっていく。
こういうときどんな順番で女性を喜ばせたらいいのか、おれには
わからないが、今夜この瞬間はリリーナ皇女がおれへと与えた褒賞
なのだとその想いに甘えることにした。
彼女の首筋に唇を這わせる。
﹁ふゅぅっ、あ﹂
くすぐったいのだろう。身体が硬直し、顔が左上部に振られる。
おれは視線を真ん前に向ける。おれの掌の中、指の間、ささやか
な曲線の頂上にはさくらんぼうのような赤みの差した乳首がちょこ
んとかわいらしく息づいている。
29
思い切ってその突起を口に含んでみた。唇で果実をはさむと、﹁
ヒッ﹂という甲高い声が漏れ、彼女の両手が、右手でおれの頭を抱
き、左手でおれの口を敏感な部分から引き離そうと力を加えていた。
ウォーリアーの鋼鉄の身体を押しのけるのは女性の力ではまず無
理だ。おれはおかまいなしに、このときばかりはまるでこの土地の
貴族のように葡萄のふさを舌で転がすのであった。
なにぶん童貞なので全身の隅々まで攻めるような連鎖的愛撫も思
いつかず、そのときの俺の手は皇女の胸とお尻を往復するばかりの
単調な動きしかしない。
30
#12
人間の肉体は強い刺激にもやがて慣れる。羞恥心にも免疫ができ
てきたのか、姫の身体からも緊張がほぐれてきたようだ。
﹁はぁっ、はぁっ⋮⋮﹂
リィナ姫の熱い吐息が耳にかかる。相当な熱量がこもっている。
顔だけでなく、乳房の色も火照って赤みを帯びてきたのがわかる。
まるで風邪でもひいているかのように、全身が暖かくなっている。
︵そろそろ下半身に手を伸ばしてみようかな︶
おれの目線は、姫の首筋を見つめる位置にあった。
不意に彼女は上半身を起こした。
︵どうした?︶
皇女は、おれの首に手を回して顔を近づけた。潤んだ瞳、せつな
げな吐息。その口元が一瞬、きゅっと結ばれる。
カツンという硬い音がしたのは、おれと彼女の歯がぶつかったと
きだ。今度は姫の方からの熱い口づけ。
﹁んんっつ、むぐぅ﹂
姫もなかなか情熱的なところがあるようで。
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彼女に舌を搦めるようなテクニックはないと思うが、強く口と口
が接すると少し呼吸をしただけでも舌が触れる。
﹁⋮⋮!﹂
そのことに気づいた姫がぱっと顔を離し、思わず口を手で押える。
まだまだ恥じらいが強いようで、おれの興奮は逆に高まるばかり
だ。
﹁姫、もう一度よろしいか﹂
姫は首を横に振る。
︵そんな、つれない︶
﹁姫ではありません。いまはただの⋮⋮なんというのでしょうか﹂
もじもじと胸の前で指を合わせている。
︵ああ、そういうことですか︶
コホン。咳払いをひとつ。あらたまっては、おれも呼びづらいの
だ。
32
#13
﹁リリーナ、あなたはいまスターバックス国ではなく、おれだけの
プリンセスだ﹂
﹁トッシー﹂
そう。いまのおれと彼女は、皇女と騎士団筆頭騎士ではなく、た
だの恋する男女に過ぎない。
こんどはおれの方から唇を。童貞ではあるがキスの経験ぐらいは
あるので、ディープに彼女の唇、それから舌を吸った。
﹁なにか、すごく凶暴な感じがします﹂
そうかもしれない。胸を玩ばれるより、舌同士の感覚は鋭敏だ。
﹁キスでとろける﹂なんてフレーズもあるぐらいだし。
リリーナは深いため息のような深呼吸をひとつした。
﹁慣れているのね﹂
自分ではむしろ奥手だと思うのだが、純潔の乙女からしたら経験
豊富なプレイボーイに見えるようだ。
﹁そんなこと⋮⋮ないよ﹂
﹁でも、あなたの周りにはたくさんの女性が﹂
33
﹁たくさん? だれのことですか﹂
﹁エイプリルやサクヤ殿たちがいつもあなたのそばに﹂
エイプリルは別の国に召還されたアメリカ人の女の子だ。敵の戦
力として十分な教育を受ける前に、一手先んじてこちらの陣営に引
き入れることが出来た。
﹁あいつは副官だし、おれのことをそんな目で見ていませんよ﹂
エイプリルはおれの副官ということになっているが、マイペース
でおれの部下という感じもしない。ゲートの外の人間が数少ないか
ら、おれに愚痴を言ってばかりだ。
﹃としあき、早く戻れるようになんとかしろ﹄
向こう側に帰りたいのは当たり前だろうが、彼女はいつもおれを
せっつく。
34
#14
彼女をこちらの陣営に引っ張り込もうと口説くときに、﹁元の世
界に帰りたいだろう?﹂と散々心を揺さぶったので、おれは彼女に
地球帰還の義務を負うような形になってしまった。そのかわり、彼
女も特殊能力を駆使して、おれの軍隊への貢献度も高い。
姫の言葉にもどるが、
﹁わたしの父もそうですが、地位の高い男はいろいろと方々に女性
を囲うものが多いとも聞いていますし。まして、あなたはどこへ赴
いても英雄として⋮⋮﹂
︵﹁英雄、色を好む﹂ということを言いたいのかな。まあ、文明度
からみても封建的な世の中だよな、こっちは︶
温和で話の通じるスタバ王だが、それでもまあ、前時代的な父権
をかざしているように見える。
おれは一応救国の英雄ということでひろく知られていた。噂と評
判が人づてに広まっているようだ。だから、遠征先でもやりたい放
題だろうと、姫は諦観しているようだ。
だが、実はそんなこともないのだ。実際、他国の領主に饗応を受
けることもあり、気を利かせて美女を侍らしておれをもてなしてく
れたこともあった。
正直、ふらふらと誘惑に流されてしまうところだったが、おれの
そばには常に前述の女騎士エイプリルや、おれといっしょに地球か
35
ら巻き込まれ召還した少女、美咲がいて、おれがハニートラップに
かかりそうになるとおれの耳を引っ張って耳もとでわめき散らのだ。
﹁あんたね、なに鼻の下のばしてんのよ。こんなの罠に決まってい
る。だいたいあんな色仕掛けの宴会に同席させるなんて美咲の、子
どもの教育に良くないでしょうが!﹂
36
#15
美咲はまだ小学校に上がったばかりの女児だ。ここではおれしか
頼れる者がいない。
こんな調子でいろいろ監視が厳しいために、おれだって本当は色
に溺れたかったんだが、いまのところ清廉潔白を貫いている。
まあ、それがおれの良い評判になって民衆から慕われる一因にも
なっているのだから悪いことではないのだが。
﹁ときにとしあき卿、いかがですかな。今宵は英気を養っては。
地方の公爵や、やり手の商人には、日本風に言うと﹁ガッハッハ
なおっさん﹂が多くいて、純粋に厚意と労いで夜伽を勧めてくれる
こともあった。
宿で待っていれば女性が訪ねて来たのだろうが。こういうチャン
スもことごとくエイプリルがたたきつぶした。
いとま
﹁我らは矛を持たぬ民の盾。女に現を抜かしている暇などない!﹂
エイプリルが剣を掲げ高らかに宣言する。周囲は感心しきり。お
れはがっかり。
﹁そうだよな、リーダー!﹂
冷たい目線でエイプリルがおれに釘を刺す。
37
﹁うん⋮⋮そうだね﹂
こんな調子だから、リリーナ皇女が心配しているようなことはま
だ起きてない。
﹁トッシー、いいのですよ、本当のことを言っても。そうだとして
も、わたしは責めたりしません﹂
﹁ほんとうになにもないんです﹂
無理矢理でも清廉潔白に振る舞わされているので、出会う土地の
者たちはおれを枢機卿かと思い込む者までいたぐらいだ。そうでな
くてもおれをテンプルナイツか僧兵だと思っている人間が多かった。
38
#16
﹁本当?﹂
姫は半信半疑のようだ。おれは二度うなずく。︵結果的にだけど︶
﹁にわかには、信じられませぬ﹂
︵無理からぬ。結果論だからね。チャンスはたくさんあったし︶
思い出すだにいまいましいエイプリルの所行。
︵でも、姫さま、あなたと民をお守りしたいと思って戦っているの
は本心ですよ︶
おれは最上の笑みを作って親指を立てた。ビシッ。
﹁童貞も守れないような男に、何が守れるというのですか!﹂︵ド
ヤー︶
ヒューッとすきま風。
︵あ、これ、はずしたな⋮⋮︶と思ったのも束の間。
﹁キャー、としあきー、抱いてー!!﹂
感激した姫がおれにタックルして、おれたちはぐるぐるとベッド
の上を転げまわった。
39
﹁はあはあはあ、としあき、もうわたしも恐れませぬ﹂
壁は崩れ、あとは若い欲情をぶつけ合うのみ。
おれは身を起こして、一気にリリーナの足を開き、熱い銃身を構
える。標的はロイヤルガーデンの蒼い茂みの中にある。
銃口はリィナのアンダーヘアに触れたが、そこはまだ春が訪れる
前の林のように湿度が足りず、歓びの泉はまだ見つからない。
このような状態で凶暴な侵入者を受け入れることが到底無理なこ
とはおれも想像ができる。ゆっくりと指で絹のように柔らかい毛叢
と、その下にある秘裂をなぞる。
﹁うっ、ううん⋮⋮、うん、あん﹂
亀裂の頂点に位置するふくらみが露になると、リィナは眉間にし
わを寄せながらも、喘ぎ声をあげた。声がかぼそいのは指を噛んで、
淫らな声を押し殺そうとしているから。
40
第一章
了
声を押し殺しても下肢がひとりでにわななき震えている。花芯は
ゆっくりと朝露のような分泌液を宿していく。なおも、ぬるぬると
した花蜜で潤っていくその部分を、合わせ目に沿って指でなぞって
みた。
大きく息を吐くと、おれはもう一度彼女の秘孔へ、今度はこじ開
けるように指を滑らせた。芯の部分から分泌される粘液をすくうと、
それは薄白い半透明の液体に見えた。
そんなものをまじまじと見つめていると、彼女に怒られそうだ。
リリーナが目を開けそうになったので、おれは急いで手を自分の
局所にもどす。
﹁もうそろそろいいのかな?﹂
おれは彼女の太腿の間に自分の腰を滑らせ、いきり立つ刀を右手
で掴んだ。その先端は彼女から採取した愛液と自身の分泌液でてら
てらと艶やかに輝いて、手を添えないと反り返って天を仰いでしま
う。
焦らすわけじゃないが、ツンツンと見当違いのところを突いた後
で、おれの刀は皇女の花弁を押し開いて、奥深く入り込もうとする。
﹁痛い!!﹂
姫が思わず跳ね起きる。
41
︵あちゃー、やっぱそうかー︶
﹁で、でも耐えます! あなたの戦の痛みに比べればこれしきのこ
と⋮⋮﹂
リリーナは唇を噛んで、処女喪失の痛みに耐えている。
︵なんでいじましいんだ︶
おれはいっそう彼女のことを愛しく思うのだった。
次からはきっと、うまくいくだろう。
なるべく優しくしたいとは思うのだが、火の焼べられたエンジン
はとどまることを知らない。おれは彼女の鳴き声を聞きながら、夜
の半分をかけてその営みを成し終えた。
42
第一章
了︵後書き︶
さて、第一章が終わりました。
朝起きたら、たくさんポイントが入っているのを期待して寝ま−す。
ノシ
壁|︳・︶︶︶≡ ササッ
壁|︶︶≡3
壁‖⋮
次から第二章に入ります。
義妹登場です。
43
第二章 おれの妹と女教師がこんなに可愛いわけがない
リリーナ・フォーミュラ・エル・スターバックス姫とのことは心
残りだったが、おれは地球に帰って来た。
もちろん、ゲート内世界が抱えるすべての問題を解決してからの
ことだ。
おれにはどうしても、この世界にもどらなければならない理由が
あった。
リリーナ皇女は泣いておれを引き止めた。
おれもつらかった。
おれはこっちの世界では、あれだけの美人に好意をもたれたこと
はおろか、ステディな彼女すらいた試しがない。
﹁行かないでおくれ、としあき﹂
おれの二の腕にしがみついて、ぎゅうぎゅうとおれの身体を抱き
しめてくれた。
サファイヤブルーの瞳から、青真珠のような涙がこぼれる。
その美貌を思い出さない日はない。それどころかこうして授業や
休み時間ごとに想い出している。
﹁ああ、リィナ。またすぐにでもゲートの中にもどりたい⋮⋮﹂
44
そんな夢想に浸っていると、クラスメイトたちのざわつく声が聞
こえて来た。
﹁なんだ?﹂
教壇にはいつもの担任教師、それと見知らぬ女性教師が立ってい
た。年齢は若い。ベージュのスーツに薄い紺色のブラウスを着てい
る。髪も染めていない、真面目そうな印象の女性。
﹁えー⋮⋮今日から三週間⋮⋮大学の⋮⋮教育実習⋮⋮﹂
担任教師に紹介されたのは、新しい教師ではなく、教員免許を取
得しようとする女子大生だった。
﹁うおー、かわえー﹂
﹁ひゅーひゅー﹂
男子生徒から上がる歓声。女子も珍しい客人に、大いにはしゃい
でいるようだ。
45
第二章 おれの妹と女教師がこんなに可愛いわけがない︵後書き︶
<i42115|4357>
46
#2
短い紹介を終えると、担任教師は教室を出て行った。
︵あれ、どこかで見たような顔の希ガス⋮⋮︶
白墨が黒板をこする音。
﹁中原涼子﹂、それが彼女の名前だった。
︵はっ!︶おれは思い出した。おれは彼女を知っている。
︵これは⋮⋮まずいんでないかい?︶
彼女もおれを知っている。でも、おれのことをもう覚えていない
かもしれない。ほんの短い間、同じ場所にいただけだから。
彼女は自己紹介で、○○○大学の四年生で外国語学部の学生だと
言っている。中学高校の教員免許は通っている大学の学部で取得で
きる教科が異なる。
彼女は英語教師になりたいのだといんう。
︵⋮⋮気づきませんように⋮⋮︶
ふつう、授業のたびに出欠はとらないが、はじめての授業という
ことで彼女は出席簿の名前を読み出した。
︵あのときは、ちがう名前だったけど︶
47
中原先生は、ひとりひとりを起立させて名前と顔を覚えようとし
ているみたいだ。
﹁北佐和くん﹂
﹁はい﹂
﹁塚原さん﹂
﹁はい﹂
﹁藍川くん﹂
﹁うーっす﹂
うちのクラス連中も行儀がいいのか、わざわざ起立して返事をし
ている。その都度、中原先生がまじまじと生徒の顔を見つめている。
やがておれの番が回って来た。
﹁双葉⋮⋮ふたばとしあきくん!﹂
調子が出てきたのか、教室の空気になじんできたのか、やたら快
活な口調でおれの名を呼ぶ涼子先生。
︵なんだか、小学校の教育実習みたいだ︶
おれは、なるべく彼女と目を合わさないように、やる気のない生
徒をよそおってうつむき加減に起立した。
48
#3
﹁ウウェーイ︵ 0w0︶﹂
﹁こら、真面目に返事しなさい!﹂
﹁は、はぃ⋮⋮﹂
︵やば、センコーが近づいてくる︶
中原先生は、おれの右斜め前に立った。おれは校庭の方に視線を
避けた。
﹁先生の方を向きなさい﹂
;`︳ゝ´︶o”︶︶チラッ ↓ |︳・︶︶︶≡ササッ ↓ |︶
︶≡3
おれは一瞬だけ先生の方を見た。
﹁⋮⋮﹂
中原さんはいぶかしげに腕組みしている。
﹁⋮⋮﹂
﹁ねえ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
49
﹁どこかで、あなたと会ったことないかしら?﹂
ポーカーフェースで答える。
﹁いえ、ないと思います﹂
﹁気のせいかしら?﹂
﹁ですね﹂︵にっこり自然な笑みで︶
涼子は、ためいきを一つ吐いた。
﹁座っていいわよ﹂
おれは着席した。やれやれ。
教室が少しざわついてきた。周囲からしたら奇異なやり取りだか
ら仕方あるまい。
﹁先生、どうしたんですか?﹂
一人の女子生徒が挙手して質問する。
︵いらぬことを!︶
また中原先生も、いい笑顔で答える。
﹁先生が高校生のときの同級生に似てたから、ついね﹂
50
どっと教室が湧く。ヒューヒュー。誰かが口笛を吹いて囃し立て
る。
︵うぜーぞ、ガキども!︶
また、別の女子生徒が追い打ちを掛ける。
﹁えーなんでー? その人のこと好きだったんですかー?﹂
︵やめろって、まじで︶
中学生高校生はこういう話大好きなんだよな。
﹁うーん、そうねー。実は、ちょっといいなって思ってたのよね。
ちょっとの間だけ同じクラスで、その人すぐ転校しちゃったんだけ
どね﹂
︵また、あんたもいちいち話を合わせなくていいッて︶
51
#4︵前書き︶
今日は、台風で予定が狂ってしまったみなさんのために長文を書き
ました。
もしかしたら携帯で読むのは大変かもしれませんが、後半は読み飛
ばしても次回に困らないようにしています。
52
#4
﹁もしかして同一人物だったりしてー﹂
中原が苦笑する。
﹁もしそうだったら、落第何年生? ありえないわよー﹂
この問いには、クラス一同だれも笑ってない。
﹁えー? だって、ねぇ﹂
﹁うん﹂
﹁だよな﹂
数名の生徒が顔を見合わせた後に、おれの方を向く。それに釣ら
れてクラス全員の首が動いた。
﹁うっ﹂
まずい展開だ。
オンドゥルル
オンドゥルルラギッタン
﹁だって、とっしーは留年大王だしー。たしか先生と同じ年ぐらい
じゃなかった?﹂
︵ヽ︵0w0;︶ノ
ディスカー!︶
53
とうとう確信に近づいてしまった。
﹁え、留年⋮⋮大王って⋮⋮そうなの? 双葉くん﹂
﹁だれが留年大王ですか、だれが滝沢秀明ですか﹂
﹁滝沢秀明はだれも言ってないでしょ﹂
︵自分ではちょっと似てると思ってるんだけど︶
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮留年は一回しかしてませんよ﹂
﹁あら、そうなの﹂
クラスの連中は無責任なことばかり言う。たしかにおれはいま二
一歳だが、留年はゲートの中にいた一年分だけだ。
﹁一度社会人になって、それから高校に入り直したんです﹂
﹁ごめんなさい、無神経なこと言ったわね﹂
﹁それはいいけど、そろそろ授業はじめた方がいいんじゃないすか
?﹂
涼子は時計を見て、顔色を変えた。
﹁いっけない、もう10分も経ってる﹂
54
教育実習生も期間内にノルマの授業をこなさなければ、教員免許
を取得するための単位がもらえなくなるはずだ。
﹁コホン﹂
姿勢を正し、咳払いを一つして彼女は授業を開始した。
﹁じゃ、あらためて。実習が終わるまでの間、よろしくお願いしま
must
come
few
d
red.
m
new
before
table
CDs.
a
your
back
す。では、教科書の30ページから、文型の区分についていくつか
You
in
me
finished
great
quickly
look
の例を示します。
1.
You
innew.
2.
He
dress.
3.
brought
the
problems.
She
painted
ath
4.
She
some
5.
教科書の例文の中から、それぞれの文と同じ文型の文を選んでく
ださい。
まず、1番の例文から探しましょう﹂
生徒に与えられた時間は一分だった。
55
﹁﹃1.
You
must
dinnew.﹄
come
this
before
sta
afternoon.﹄﹂
game
back
これに該当する構文を答えてください。
では、双葉くん?﹂
four
basketball
おれは立ち上がり、答える。
at
﹁選択肢c。﹃The
rts
﹁はい、正解です。同じ答えだった人、手を上げて﹂
look
great
in
your
おずおずと数人の手が挙がる。気恥ずかしくて反応しなかった者
もいただろう。
You
dress.﹄の答えを考えて﹂
﹁では、﹃2.
new
また一分が過ぎた頃、先生は生徒の席の間を歩きながら、一人の
生徒の前で立ち止まった。
﹁はい、どうだったっかな、双葉くん?﹂
︵またおれかよ!︶
ふたたび指名されたおれは、また正答した。
56
room
should
always
clean.﹄です﹂
﹁bの﹃You
r
quickly
a
keep
few
you
finished
problems.﹄﹂
He
このあたりから、おれも正解が曖昧になってきた。
﹁﹃3.
math
remember
that
wond
ここからは30秒の時間しか与えられなかったが、やはり特定の
生徒が回答を求められた。
day.
always
教室の生徒も違和感を抱き始めた。
﹁﹃e﹄
I'll
erful
です﹂
﹁他に正解だった人は?﹂
先生は、少し嬉しそうに微笑んでいた。
︵どんだけ意識してるんだよ︶
brought
me
some
CDs.﹄
みんなも同じ事を考えているはずだが、彼女自身はかまうことな
She
く、質問を続ける。
﹁﹃4.
57
sun
gives
の答えは、﹃a﹄、
The
She
us
want
light.﹂
be
red.
hone
table
to
the
you
painted
残された選択肢は一つ。
﹁﹃5.
﹄と同じ構文は、﹃I
stly﹄﹂
﹁はい、よくできました。全部正解できてたら、英語の構文を理解
できていることになります。双葉くん、どのように構文を区別した
か説明してください﹂
そこからは、授業の半分をおれが行っているようなものだった。
﹁えーと、例文の5文は順番を変えて、それぞれ英文における基本
4
3
2
1
主語+動詞+目的語+補語
主語+動詞+間接目的語+直接目的語
主語+動詞+目的語
主語+動詞+補語
主語+動詞
の5文型に副詞句を加えています。
5
これと同じ構文になる選択肢を見分ける手順で区別しました。
58
まず文章から主語と動詞を探します。これで構文のSとVが埋ま
るので、その他の単語を補語と目的語に分別します。
文の前後の﹃時、場所、様子﹄を表す語句を副詞句として、選択
肢にある文章をS・V・O・Cに置き換えた構文として考えます﹂
迷うのは目的語と補語の区別だ。
﹁例文と選択肢はみなさんを惑わせるために、副詞句の数が一致し
ていないものもありますが、文章の構成としては同じものになりま
す。
目的語と副詞の区別は、論理的にはVの後ろにある語句と、その
前方に有る名詞との間に、﹃aはbだ﹄﹃aがbする﹄という意味
が成り立つ場合には目的語、そうでない場合は補語になります﹂
アメリカ人はべつに自分たちの言葉をいちいち分解して、構文を
意識しながらしゃべったり聞いたりすることはないだろう。
﹁言葉というものは、もともと学問ではなく道具であり、学問やビ
ジネスを英語で行うためには、構文を意識する事無く自由に使えて
こそのコミュニケーションツールで
はあります。ですので、会話や英作文を日本語のように使えるよう
になるためには、暗記するよりも英語に慣れる、馴染むぐらいに、
見る聞く書くと、なるべく五感を駆使した学習が必要になります﹂
授業が終わると、やはり中原先生はおれに向けて、ちらちらと視
線を送りながら、去って行った。
59
#5
授業が終わると、やはり中原先生はおれに向けて、ちらちらと視
線を送りながら、去って行った。
昼休みであるが、授業が終わってもクラスメイトたちの好奇の視
線がチチラチラと浴びせられている。
﹁じー﹂
隣の席の女子生徒が、無遠慮な視線を投げかけてくる。
﹁なんだい? 吉岡さん﹂
﹁先生と知り合いなの?﹂
他の生徒は、おれと目が合いそうになると、ささっと目線をはず
すが、彼女は遠慮がない。
﹁ちがうよ﹂
﹁中原さんの好みのタイプなのかしら、双葉さん﹂
﹁かもしれないね﹂
﹁チャンスなんじゃない?﹂
﹁ははは︵苦笑︶﹂
60
﹁おつきあいを考えてみてはいかがかしら﹂
なにを思って、吉岡がこんなことをけしかけてくるのかはわかっ
ている。
﹁いいねー、教師と生徒の禁断の恋愛ってか﹂
﹁わたし、携帯小説家になりたいの﹂
﹁知ってるよ。いつも携帯でなにか文章を打ち込んでるよな﹂
﹁読者受けしそうな題材だわ。先生とおつき合いできたら、取材さ
せてよ﹂
﹁ごめんこうむる。それに涼⋮⋮先生とはなんの関係もない﹂
おれの恋愛経験はあまり携帯小説の女性読者向きではないと思う
のだが。
﹁ファンタジー小説を書く気はないか?﹂
それなら協力できないこともないが、でもそっちは供給先が別に
あるのでやはり吉岡にネタを提供することはできないな。
﹁ファンタジー小説? あんな超次元ゲートが目の前にあっちゃね、
もう空想の入る余地がないわ﹂
吉岡は窓の外を見た。
都立吉上高校のグラウンドは消失し、いまは異世界への出入り口
61
になっている。イレヴンズゲートと呼ばれるのは世界に一一ヶ所存
在し、基本的にはゲートの出入り口が存在する国家が、両世界の通
行を管理をしているが、地球側の一部情勢不安な地域や極地などは
国連が管理する例外もある。
62
#6
いまも、異世界を見聞したいという勇気ある市民が千人ほど列を
成して通関の順番待ちをしている。
そのため、グラウンドを使えなくなった生徒たちのために、体育
授業や部活動は少し離れた市営体育館を吉上高校専用体育館として
使用することが認められた。
﹁そうかもしれないね﹂
ゲートの向こう側では、かつてのおれの部下たちが、地球人の入
国審査を行っていると吉岡に話すことはできない。
﹁さて、昼飯だな﹂
﹁また、先輩がいらっしゃいますね﹂
﹁ん? ああ、そうだな﹂
吉岡の言う﹁先輩﹂とは⋮⋮ちょうど現れたようだ。ここは携帯
小説家志望の吉岡がはじめて彼女を目にしたときの描写に読者のみ
なさんへの説明を譲ることにしよう。
吉岡がなにか言いかけて止まった。クラスのほかのみんなもゆっ
くりと一方向へ振り返ってゆく。
﹁彼女﹂がはじめてこの教室に姿を見せたとき、
63
﹁?﹂
みんなの視線を追うと、教室の後方の扉が開いていた。わたしと
双葉としあきの席は一番後ろの列にあるので、右方向に首を曲げる
向きになった。
そして、そこに﹁あのひと﹂が立っていた。まるで漫画の中の登
場人物に見えた。
まるでアニメーション番組の1シーンか何かのように、緻密な筆
致と色彩で彼女はそこに描かれていた。
まず、トラディショナルドールのような漆黒のロングヘアー。
神職を思わせる神々しさを放つなら巫女と表現すべきかもしれな
いが、日本人らしからぬのは、吸いこまれてしまいそうになるほど
美しい双眸だった。宝石のように輝いている。
64
#7
さりとて、近寄りがたい威厳を放っているわけでは決してなく、
むしろ保母さんのような温かな笑みをたたえ、教室の空気は和らい
で華やいでゆく。
アクセサリーはつけていない。イヤリングはおろか、ヘアバンド
すらもつけていない。まったくの自然体で、化粧している様子さえ
も無い。制服は、わが校のオーソドックスなセーラー服だが、たと
えジャージの上下を着ていても、その異彩は衰えることなどないだ
ろう。
陽の
人形のような顔立ちだが、けっして不健康そうな色白の肌ではな
く、冴え冴えした白さにほんのわずかだけ、ピンク色の頬。
当たりが暗いところならば、眼を凝らさなけれは気づかないだろう、
ささいなコントラスト。
男子たちは呼吸するのも忘れているかのように、無言で彼女を見
つめている。
そんな無遠慮な視線には馴れているのか、表情一つ変えずに彼女
は、こちらへ歩いてくる。
︵こっちへ?︶
教室の後方を足音も無く歩く。スラッと長い手足も、わずかにな
びく長い髪も、女子にしては少し背が高く、それでいて細い身体つ
きも、何もかもがカッコ良い。クラス中の視線が監視カメラのよう
に彼女を追う。確かに、これでは﹁こっち見んな﹂という方が無理
65
だ。
もうすでに彼女は、わたしの二歩前に来ている。この方向にはわ
たしともう一名しかいない。
︵え、あたしに用?︶
と思ったら、わたしの脇を抜いてもう一歩前へ。わたしの後ろに
はもう一名しかいない。
﹁忘れものよ﹂
彼女の楽しげに弾む声を聞いた。そんな彼女の表情を、肩を震わ
せる愛らしい仕事を、わたしはチラリと見ることに成功する。
66
#8
﹁ああ、すまないね。さつき﹂
彼女はそっと手首をもちあげる。その指には弁当箱の包み。
﹁そういえば⋮⋮﹂
双葉としあきは社会人学生でかつ、いつも弁当を持参していた。
男だてらにまめなことだと感心したものだ。それが、だれか女性の
手によるものだとは思いもよらなかった。
﹁⋮⋮双葉先輩﹂
二人を見て、教室の中には何ごとかを囁き合っている者もいた。
﹁知ってるのか?﹂
﹁ああ、三年のフロアまでちょっと見学に行ったんだ。ほら、ウチ
の三年に半端じゃない美人がいるってウワサがあったろ!﹂
勇猛果敢に聖域に侵入した勇者がいたようだ。男子生徒の好奇心、
侮りがたし。
その噂の主が彼女であることは、確かめるまでもない。
︵それにしても、入学してそれほど経つわけでもないのに、なぜ双
葉としあきは上級生の美少女とかかわりを持っているのだろう。し
かも弁当の差し入れなんて!?︶
67
しかし、そのときわたしはある事実に気付いた。なぜ、もっと早
く気付かなかったのだろう。
︵あれ、待てよ。双葉としあき⋮⋮双葉さつき⋮⋮、さつき⋮⋮先
輩!?︶
と、まあ、最初に我が妹を紹介したときは、吉岡もたいそう驚い
ていたようだ。
﹁兄さん、いっしょにお昼を食べない?﹂
なんとも奇妙な話に聞こえるだろうが、同じ学校に通いながら、
妹のさつきがおれの上級生なんである。
﹁そうすることにしよう。屋上でも行くか﹂
クラス中の注目を集めながら、上級生がいっしょに教室で食事す
るのも、上級生下級生双方が食べづらいだろう。
68
#9
おれは席を立った。廊下に出ると、屋上に続く階段ヘ歩き出す。
向かう先は廊下の一番突き当たりだ。
﹁おい、そんなにくっつくなよ、恥ずかしいじゃないか﹂
さつきの肩がおれの上腕に触れるほど、ぴたりと密接して歩いて
いる。
﹁そんなこと気にするなんて、おかしいの﹂
彼女が楽しそうに笑う。ころころと弾けそうなほど明るい笑顔だ。
廊下を歩く彼女を目にしたすべての生徒が、無意識に彼女が振り
まく、色彩の柔らかさに照らされる。
並んで歩く二人は、兄妹というよりまるで恋人同士のように⋮⋮
見えないな、やっぱり。
もうすぐ六月だ。梅雨になれば、屋上のベンチで食事をできる日
は少なくなるだろう。昼休みにまっすぐここへ来た数名の生徒が、
すでにそれぞれの弁当の包みを開いている。
おれたちは、転落防止用のフェンスを背にするかたちで同じベン
チに座った。
﹁はい、兄さん﹂
69
さつきがサンドイッチをワンピース、おれの口元に運ぶ。
﹁⋮⋮﹂
対面には男子生徒の三人組がこちらを、どこか呆れたように見て
いる。
︵ううっ、恥ずかしい︶
おれはさつきの手からパンを取ると、それを自分の手であらため
て口に入れる。あまりにもおれたち二人の佇まいは違い過ぎて、お
なじ環境の中にイメージが結びつかない。
﹃妹さん、すごい美人ですね﹄
よく言われることだ。その後に必ずこうも言われる。
﹃似てませんね﹄
そりゃ、そうだ。血がつながってない義兄妹だから。
彼女と兄妹になって、もう何年経つだろうか。はじめて出会った
のはおれが一二歳でさつきが九歳だったはず。
70
#10
おれが親父に引き取られてからすぐ、というより初対面の瞬間か
ら、サツキはおれになついた。
﹁兄さん、クリームソースがほっぺについてる﹂
﹁うん?﹂サンドイッチからはみ出したサワーソースの感触。
﹁ぺろっ﹂それを小さな感触が、温かくて濡れた舌がなめとった。
﹁ひゃああっつ﹂
おれは思わず乙女のような声を漏らす。
﹁うふふふ﹂
サツキは、以前からお兄ちゃん子だったのだが、おれが一年の間
ゲートの中にいて離ればなれだったこともあって、最近は行動がエ
スカレートしてきている。
﹁おまえなー、家の外では控えろって言ったろ﹂
﹁うふふふふ﹂おれがゲートから帰還してからは、基本的にはいつ
も上機嫌の妹である。
おれたちの異常な仲の良さが、学校内でも噂になりつつあるのは
自覚しているのだが、妹はまるで気にしていないようだ。
71
バタッ。牛乳パックの地面に落ちる音。おれたちのものではない。
﹁あ、あんたたち、なにやってんの⋮⋮﹂
﹁うわっつ、えいぷるり、じゃなかった、エイプリル!﹂
そこに立っていたのは、ゲート内においてはスターバックス騎士
団の副官としておれと行動をともにしていた女性、エイプリル・カ
エノメレス。
なんで彼女がこんなところにいるかというと、ゲートから一一人
の召還者が帰還してしばらく経った頃、彼女の故郷イギリスから、
急に日本へ引っ越してきたのだ。
そのときも一悶着あったのだが、それはまたあとで説明すること
にする。とにかく一八歳の彼女は日本で暮らすことにして、この吉
上高校に転入してきたのだ。
72
#11
学年はサツキと同じ三年生。クラスはちがうが、サツキもおれと
エイプリルの関係は知っている。つまり、彼女もまたおれの上級生
ということになる。ゲートの中とは上下関係が逆転してしまった。
﹁おふたり、恋人みたいね﹂
おれはコーヒーを吹き出した。
﹁あら、そう見える、エイプリル? どうしましょう、兄さん﹂
﹁お、おかしなこと言うなよ、エイプリル﹂
﹁あんたたち、いつもそんなにベタベタしてるわけ?﹂
おれは狼狽したが、サツキは対照的に顔をほころばせている。
﹁そらみろ、サツキ。おまえはこれが普通だなんて言うけど、第三
者から見たら、おれたち相当変な関係に見えてるんだぞ﹂
﹁エイプリル﹂
サツキがエイプリルに質問をした。
﹁あなた、兄弟はいる?﹂
﹁いないわ。一人っ子よ﹂
73
﹁お兄さんがいないからわからないのよ、兄妹ならこれが普通よ﹂
サツキは両腕をおれの左肩に回してきた。ぴったりとくっつき、
あごを肩に乗せている。
︵いやいや、そんなことないだろ︶
エイプリルもぶんぶんと首を振った。
﹁イギリスにだって、そんな兄妹はいない﹂
﹁じゃあ、国民性のちがいね﹂
苦い表情でいたエイプリルがふっと、口元をゆるめた。
﹁いいわ。わたしは兄弟がいないから、二人を見て正直少しうらや
ましいかなって思う﹂
彼女はおれの隣に座って、牛乳パックにストローを挿した。
﹁としあき卿⋮⋮ゲートの中でもこっちでもモテモテなのね﹂
﹁ブホォ!﹂
おれはふたたび、牛乳を吹き出した。
﹁あら? それは初耳ね。どういうことかしら、エイプリル﹂
74
#12
サツキの頬がぴくりと痙攣しているのを、おれは見逃さなかった。
﹁授業中に教育実習の女子大生にアタックされてたって聞いたよ﹂
エイプリルの口調にまるで悪気なし。あとで久しぶりの軍議を開
かないといけない。サツキはおれにとっての爆弾なのだと教えてお
けばよかった。
﹁兄さん、そんな面白いことがあったなんて報告しなかったわよね﹂
さきほどまでの天使のような笑顔から一変、いまは憮然とした仏
頂面になっている。
﹁面白くない、面白くないって!﹂
つぶらな瞳が、いまは疑念をたたえて細められている。
﹁例の、﹃裏の仕事﹄がらみの女なんだ。五年前に接点があって偶
然、教育実習生でおれらのクラスに来てしまったんだ﹂
﹁例の仕事ってなによ?﹂
エイプリルは、おれがゲートの中に召還される前のことを知らな
い。どうして、おれがイレヴンズゲート十一柱と呼ばれる召還戦士
のなかで、世界の命運を賭けたゲームのキャスティングボードを握
ることが出来たのか。
75
﹁でも実習生は、としあきのこといろいろ根掘り葉掘り聞いたけど、
彼は他人の振りしてたって﹂
サツキのただならぬ様子に、エイプリルはおれをフォローする側
に回った。
﹁そんなの、当たり前よ!﹂
︵ひえー︶
サツキの怒りがエイプリルにも向けられた。
この怒り方は尋常でないとエイプリルも思い知っただろう。
﹁あ、でもさ、としあきは彼女の知人だってことをかたくなに否定
してたってよ? 先生の方は昔好きだった人に似てるって言ってた
らしいけど⋮⋮﹂
﹁馬鹿! よけいなことを﹂
エイプリルはいつも、良かれと思っておれを窮地に陥れるのだ。
76
第二章 了
﹁へー﹂
ギロッっとサツキの瞳がおれたちを刺す。おれはは彼女と視線を
合わさぬよう足元の、ゴム状の床を見ている。首筋には脂汗が浮か
んでいた。エイプリルはフォローどころか、とどめを刺してしまっ
たようだ。
サツキが立ちあがった。鬼のような形相で、ベンチに腰掛けたま
まのおれを見下ろす。
﹁どうなのよ?﹂
ガツッ。腕組みしたまま、彼女のつま先がおれの脛を蹴りあげる。
﹁ヒィッ!﹂
思わず、エイプリルが声を漏らした。
﹁いくらなんでもひどすぎる。これが兄に対する妹の態度?﹂
﹁うるさい!﹂
髪を振り乱し、目元が乱れ髪に隠れる。
﹁だいたい、あんたも何なのよ。わざわざイギリスから日本まで来
て兄貴のそばをうろうと﹂
77
どれだけの時間が経っただろう。彼女の顔色を伺おうとする。ま
だ同じ目で見下ろしている。まるでエイプリルも同罪のように、冷
たい眼差しを向けられていた。いつのまにか、彼女の視線もおれと
同じく足元だけしか見ることができなくなっていた。
︵ううっ、とんだ昼休みになってしまった︶
おれは授業の予鈴を待ちわびた。どれだけの時間そうしていたの
だろう。はてしなく長い時間に感じられた。
リンゴーン、カランゴローン♪
お待ちかねの予鈴。これでようやく、この重苦しい空気から解放
されるとほっとした。
﹁さあ、午後の授業だ。しっかり勉強しよう﹂
この痴話げんかは他の生徒にも聞こえていて、屋上にいる生徒た
ちも唖然として、われわれの背中を見送っている。
エイプリルは恥ずかしさで、サツキは怒りで顔を真っ赤にして、
おれの後をついてくる。
﹁兄さん、今夜は家族会議だから﹂
サツキが冷たい声でつぶやく。
78
第二章 了︵後書き︶
挿絵:双葉サツキ
<i41981|4357>
79
第三章 どうしてこうなった?
え? どうしてそんなに妹を恐れるのかって?
そうだねぇ。みんなも不思議に思うだろう。
もちろん腕力で妹にかなわないなんてことはないし、兄妹といっ
ても養子だから家族の中で引け目を感じているとか、そういうこと
で頭が上がらないわけじゃない。
それどころか、彼女には出会った日からよく懐かれたし、おれた
ちは仲の良い兄妹だった。おれを引き取ってくれた親父に感謝を。
いま、おれたちはとあるマンションに二人で暮らしている。親父
がいれば、おれはサツキの扱いに困ることはなかったのだが、生憎
親父はおれが15歳のときに事業に失敗し、あまつさえいくつかの
不法行為も明るみになってしまい、ここ6年の間は別宅で過ごして
いる。けっして帰宅できない﹁別荘﹂なのだが。それまでは大変裕
福な家庭だったので、おれは何不自由なく、故郷にいた頃より快適
な毎日を過ごしていた。
﹃としあき、頼む!! サツキだけはわたしに代わって必ず守って
やってくれ。おまえならできる!﹄
﹃わかったよ、絶対にアイツはおれの手で守るから!﹄
刑事に連行される親父と、固い約束を交わして別れた。
80
親父が止めなければ、警察官を殴り倒していたかもしれない。
一時は耐乏生活を経験したが、おれは高校をやめて働きに出た。
サツキは泣いてばかりいた。せめて彼女だけは、普通にそれまで通
りの暮らしをさせてやりたい。
働いて働いて、マンションを買うぐらいのお金を得ると、おれは
20歳になっていた。そしてゲートの中で一年を過ごす。高校に再
入学した直後のことだった。
81
第三章 どうしてこうなった?︵後書き︶
エイプリル
<i42198|4357>
82
#2
サツキには寂しい想いをさせたから帰還後、おれにやたらとべた
べた接してくることも最初は違和感を覚えていなかった。
﹁⋮⋮どうしてこうなった﹂
昼休みにサツキから通達された家族会議。とは言っても、いま家
族はおれと彼女の二入しかいない。
おれがどうして家族会議を恐れるか。
﹁さあ、さっさと脱いで﹂
サツキが制服のネクタイをはずし、ブラウスのボタンに手をかけ
る。
﹁なあ、もうこういうのはやめにしないか?﹂
﹁いいから脱げ﹂
サツキがおれのシャツに手をかけて力まかせに引きちぎる。
﹁わかったって。脱ぐ脱ぐ﹂
おれとサツキの家族会議。それはお互いが裸になって行われる、
兄妹会議だ。兄と妹の間に隠し事があってはならないというサツキ
の強い信念に基づくものである。
83
スルッ、パサ。ブラウス、スカート、ネクタイが順番に床に落ち
ていく。
﹁ジロッ﹂
おれがまだ上半身しか裸になっていないのを見て、キツイまなざ
ししがおれの肌をさす。
カチャカチャ。ベルトをはずして下着一枚になる。おれの両腕に
は、肘から手首を覆うように赤い布が巻かれているが、これがちょ
っとしたマジックアイテムなのである。
スルリ。サツキはパンティを脱いでしまった。
︵包め︶
おれが念じると、赤い布が一反木綿のようにおれの腕から離れて、
幅を伸ばしていく。露になったサツキの胸元から下腹部をすべてぐ
るぐる巻きにした。
﹁こんなもの!﹂
サツキが力を込めたぐらいで破れたりはしない。ジェット燃料が
燃えうつっても焼けたりはしない素材だ。
84
#3
﹁サツキ、はしたないから女の子がかんたんに人前でマッパになる
んじゃない﹂
﹁なによー、元祖裸族は兄さんのくせに﹂
彼女の言う通り双葉家に迎え入れられた頃、おれはふだん裸でう
ろうろしていることが多かった。
幼いサツキは不思議そうな顔で尋ねたものだ。
﹁お兄ちゃん、なんでいつも裸なの?﹂
一般常識のないおれはとんちんかんな答えをした。
﹁サツキは女の子だから服を着た方がいいけど、男はふつう裸で過
ごすものだよ﹂
そんなおれを見て、親父は眉をひそめた。
﹁それは、ここでは普通ではない。夏で暑いから裸でいるのかと思
ってたが、もう秋だぞ、いいかげんに服を着るんだ、としあき﹂
家の中とはいえ、おれの真似をして、サツキがパンツ一丁で歩き
回るようになって親父はおれをきびしくいさめるようになった。
﹁いい加減にしろ。サツキの教育に悪影響があるだろう!﹂
85
父に叱られて、おれはここの習慣に合わせて、渋々服を着るよう
になった。
﹁斯くなる上は﹂
まふ
サツキは魔布に包まれたまま勢いよく床を蹴り、おれに向かって
ダイブした。
彼女の体当たりをかわしてしまうわけにもいかず、両腕を縛られ
ている彼女をこの胸に抱きとめた。もう18歳だから身体も十分に
発育して、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいる。
﹁スキあり!﹂
サツキの唇がおれのそれに触れようと迫ってくる。
﹁おっとと﹂
顔を背けたら二枚の花びらを合わせた感触が首筋に触れる。
﹁なんでよけるのよ!﹂
﹁よけるさ﹂
﹁こうしてやるー!﹂
86
#4
ムチューッ。彼女はキスマークをつけようと、おれの首筋を強く
吸う。
﹁おいい、学校へ行けなくなるよ﹂
﹁あの教育実習生にキスマークを見つかればいいんだ!﹂
︵はあぁ、それが目的か︶
﹁彼女とはなんでもない。なんでもないって。仕事のことは知って
るだろ﹂
薄布一枚はさむだけで、サツキがおれの胸元で暴れている。
﹁ミッションだけじゃない。ビヨンドでも色んな女とつき合ってた
んでしょ!﹂
ゲートに隔てられた世界を、もっぱら地球人は﹁ビヨンド﹂と呼
んでいる。﹁向こう側﹂という意味だ。
﹁⋮⋮そんな、ことはないよ?﹂
﹁いま、一瞬間が空いた。絶対、嘘ついてる! 妹のあたしを差し
置いて、他の女にうつつを抜かしやがってー﹂
まるでだだっ子だ。
87
﹁ふつう、そこで妹は差し置くだろ﹂
﹁兄さんは、とっしーはあたしだけを見てればいいの!﹂
ゲートに行く前からブラコンの気味はあったが、最近とみにヤン
デレ化が進んでいるようだ。
﹁おまえ、学校でもてるじゃないか。彼氏を見つけろよ﹂
ぶわっ、とサツキのまぶたから涙があふれた。
﹁あたしが、他の男に寝取られてもいいっての!?﹂
﹁やらしい言い方すんなよ﹂
彼女は文才があるので、変に大人びた言葉を使うことがある。
﹁ぱぱと約束したでしょ、あたしの伴侶になって一生守るって。誓
いを守りなさいよ﹂
﹁一生とも伴侶とも言ってないぞ﹂
おれの口まで自分の唇が届かないのが口惜しいのか、おれの鎖骨
を口にくわえた。
﹁くすぐったい﹂
ガジガジガジと、おれの骨をかじっている。
88
#5
﹁あたしの夫になれ、としあき!﹂
﹁だが断る!﹂
﹁なんでよ? あたしの小説のファンはみんな妹萌えばかりなのに。
なんで兄さんはあたしに萌えないのよー﹂
﹁その理屈はおかしい﹂
﹁おかしくなんかない! 兄さんをモデルにしたんだから本人も妹
萌えであるべきなの!﹂
﹁なにその、アニメの放送が終了したら原作も終了みたいな理屈!
?﹂
トゥルッルルル。電話が鳴った。携帯電話でなくファクシミリ一
体型のこの電話番号を知っている人間は限られている。
﹁出た方が良さそうだな﹂
﹁チッ﹂舌打ちして、サツキは電話の方を見た。
﹁電話に出るからこれはずしてよ﹂
﹁ああ﹂
︵リリース︶
89
彼女の身体をバドガールの衣装のように包んでいた魔布の緊縛が
緩んで、ただの布になった。
﹁よっ、と﹂
自由になった手をおれの胸元について、彼女は起き上がろうとし
た。その手が胸元からずれておれの首に回された。
﹁むぐっ﹂
油断大敵。まんまと唇を奪われた。
おれ﹁むぉい、ふぁゆあく、でゅんわにでれ︵おい、はやくでんわ
にでろ︶﹂
サツキ﹁んー!﹂
なるべくその時間が長く続くよう、サツキはおれの首にかけた手
に力をこめる。
なんだか不憫な気もして、おれは妹のするがままにしていた。け
っしてタブーや罪悪感を感じているわけでもないし。
むしろ自分を好いてくれるその感触は心地よく癒しを感じるほど
だ。
だが、おれは彼女の気持ちを受け入れるわけにいかない。ビヨン
ドでリリーナ姫に対して抱いたような強い情念までは、おれはサツ
キに対しては持ち合わせていないからだ。
90
#6
血がつながっていなくとも、一年も過ぎた頃にはおれは彼女を自
分の妹として認識していた。自分は3人兄弟妹なのだと。血のつな
がった実弟となんら変わらない存在となっていた。
彼女を愛しているが、それは家族愛だ。
親父が逮捕され、高校をやめて飲食店でアルバイトを始めたとき、
当時の吉上高校生徒たちは、涙を流しながらおれを励ましてくれた。
一年生で生徒会の役員もしていたので、生徒会長がたいそう残念が
った。
担任教師は奨学金の受給を勧めてくれたが、親父の負債があまり
にも大きく、その支払いを求められることはなかったのだが、家も
なく安アパートに引っ越した身では、生活費と妹の学費を稼ぐため
に働くことを選ぶしかなかった。
比較的すぐに状況を理解したおれに選ぶという意識もなかった。
可能な限り、それまでの生活に近いレベルというのは、無理な話だ
った。金が無いというより、それまでがありすぎていた。おれの実
家も特権階級ではあったが、物質的にはここでの暮らしの方がより
恵まれていたほどだ。
きゅぽん。サツキの頭を両手で掴んで、唇を引き離した。
﹁にまー﹂
彼女が笑った。今日は彼女に一本取られた。
91
とりあえず気が済んだのか機嫌が直ったのか、小さくメロディを
喉でならしながら今度こそ、電話をとりにむかった。
心なしか足取りも軽い。かわいいお尻がスキップに合わせて揺れ
る。
少し親父くさい目線になっているかもしれない。
92
#7
彼女は一糸まとわぬ姿のまま、コードレス電話を手にとる。
﹁はい、双葉です⋮⋮どうも﹂
ファックス機能付きのこの番号にかけてくるなかに個人はいない。
だれがかけてきたか、可能性はあらかじめ限定できる。
﹁ええ、どうも。前回の印税は入金を確認しました。領収書はいら
ないですよね⋮⋮えーと、入金の確認じゃない。では、なんでしょ
うか﹂
やはり出版社の丸山書店のようだ。サツキの買いた小説を販売し
てくれている会社だ。
サツキは少女小説家としても、ちょっとした有名人なのである。
個人情報が知れると、静かな生活ができなくなるので、プロフィー
ルは簡潔に高校生とだけ、小説賞の授賞式にも出席せず、写真も公
開はしない。
双葉サツキが小説家・宵闇心音と知っているのは、出版社の担当
編集者、編集長とおれだけ。
彼女の書くものは、中高生を主な読者と想定したファンタジー小
説で、いわゆる﹁ライトノベル﹂と呼ばれる分野の作品だ。
電話で話す声は大人びている。話しながらも、スラリとしたシル
エットを惜しげもなくおれに見せつけている。
93
おれは女性の背中を見るのが好きだった。ビヨンドのお姫様たち
の衣装の中でも、背中が大きく開いたドレスにおれは目を奪われて
いた。
童貞だったときは、胸元を強調する装束にどぎまぎしていたが、
女性慣れしてからは裸の背中に性的興奮を覚えるようになってそれ
はいまでも変わっていない。
94
#8
異界の美女たちと比べても、我が妹の背中の美しさは負けていな
い。白く柔い肌に癖のない艶やかな黒髪のコントラスト。絵画の裸
婦像ともちがう今どきの若者の骨格。現代アートといっていいほど
様になっていた。
彼女はいま一人のアーティストと呼ぼうか、クリエイターとして
企業の担当者と意思疎通をしている。彼女が一人の大人として、社
会とつながる部分だ。まるで企業のオフィスレディーのように立ち、
ビジネスの電話を受けるその様は凛としてカッコいいものだった。
なかなか堂々としたものだと感心する。
おれにとって自慢の妹だ。ただし、おれを性的な目で見ないでく
れれば。
ところで今日はなんの話をしているのだろう。彼女の作品は先日、
完結作を発売し次回作の予定は入れていない。
﹁新作? 先日お伝えした通り、家事と学業のために執筆をしばら
くお休みしようと思っています﹂
おれがビヨンドより帰還してからはら、彼女は新妻のようにおれ
の世話を焼いてくれている。小説もおれの帰還直後に出版したもの
を最終巻とするように丸山出版へ伝えその後、なにかを描いている
様子はない。
﹁構想もしてませんし、とりあえず大学に入学してからゆっくり⋮
⋮待てない? でも今のシリーズではもう書くべきことはすべて書
95
き終えたとお伝えしましたよね﹂
彼女の人気作はちょうど区切りのいいところで最終巻を迎えた。
折しもアニメーション番組原作としてのテレビ放送も決まったとこ
ろだ。
96
第三章 了
﹁テレビ放映が始まるからって⋮⋮それはこちらの関知することで
ないし、承諾はしましたけど、こちらから頼んだことではないです
よ﹂
最終巻刊行後にテレビ放送というのは、企画がまとまるのが少し
遅れたためで、ずいぶん前から話があった。ライトノベルのアニメ
化には二つの目的があるらしい。一つはDVDなどの映像商品の収
益。もう一つは原作の販売促進になること。
﹁ええ?﹂
少し苛立った声で、いくつか言葉を交わした後、サツキは電話を
切った。
﹁どうしたんだ﹂
妹は全裸のままテーブル上のノートPCを開いた。webブラウ
ザを立ち上げる。
﹁おや?﹂
宵闇心音の新商品情報があった。
﹁発売日未定だけど続きを書いていたのか﹂
﹁書いてないよ。わたしに無断で新作の発売を決めたんだって﹂
97
なんとも大胆な営業戦略である。
﹁おいおい、そりゃまずいんじゃないの﹂
彼女の作品は出版社の株価に影響を与えるくらい売れている。だ
からシリーズを引き延ばしたいのもわからないではないが。
検索すると読者ですら完結したと思っている人間が多かったので、
まさかの続巻刊行はいろいろなブログでニュースとして取り上げら
れている。
タイピングするサツキの指が止まった。
﹁どうしよう⋮⋮﹂
サツキが小説を書き始めたのはおれが失踪する前からだった。幸
いなことにそのころには、我が家の家計は大幅に改善していた。だ
からビヨンドにいる間も、彼女の経済環境を心配してはいなかった。
我が家に戻ってきて、そろそろこの作品を終わりにした方がいい
と助言したのはおれだった。サツキも素直に従った。
この作品を続けていると、そろそろ面倒なことになると彼女もわ
かっていた。
これからはゲートを行き来する人間が増える。やがては、この作
品がビヨンドの国家や民衆の生活を忠実に描いていることに気づく
人間が出てくる。そして、この小説は11大ゲートが開いて異世界
の存在が広く知れ渡る前に書かれて出版したものだ。
98
サツキの肩が震える。泣いているのか。
﹁どうした?﹂
﹁どうしても﹃シュバルツ!﹄の続きを書いてくれないと困るって﹂
﹁勝手に発売を決められても、こっちの知ったことじゃないだろ﹂
﹁もう発売の告知をしたものを中止したら不祥事になるって。編集
の五木さん、わたしを説得できなかったらクビになるって、電話の
向こうで泣いてた⋮⋮﹂
﹁あの人か⋮⋮作品を終わらせることに同意してくれてたが、上を
説得できなかったのか﹂
おれもサラリーマン経験があるから、企業のなかで往々にしてそ
ういうことが起きることは想像できる。
﹁なにかお話してよ、兄さん﹂
サツキが立ち上がっておれの胸に飛び込んでくる。
ムニュっと、やわらかいオノマトペが原稿用紙に響く。おれの胸
板にはりつくようにふたつのマシュマロがその形を変幻自在に変え
ていく。
﹁サツキ﹂
﹁不安なんだよ、兄貴。わたし、どうしたらいいの?﹂
99
そう言われてはちょっと突き放しづらい。
おれは気づかなかった。顔を伏せたサツキがぺろっと舌を出して
いたことを。
おれも彼女の背中に手を回す。相変わらずの全裸兄妹のままで。
彼女の猛アタックには正直、気の迷いを起こすことが時おりない
ではないが、男女の関係になってしまったら、いつか関係が終わる
ときが来るかもしれない。
強いていうならば、気を持たせてしまうのが怖かった。
兄と妹の絆は永遠だ。恋人や夫婦は終わってしまえば、離ればな
れにならなくてはならない。
だからギリギリのところで、おれはサツキとは男女の一線を越え
ないようにしている。
おれは時計を見た。
ちょうど今夜から、時間ももうすぐ、彼女の作品を原作としたア
ニメーション番組の放送が始まる。
100
第三.五章 ケントゥリア︵剣闘都︶
テレビ東京系列 金曜日深夜26時30分。︵土曜日2時30分︶
﹁テレビを見るときは部屋を明るくして離れてみてね﹂のテロップ
が流れる。
昭和65年1月1日、一人の女性が赤ん坊を出産した。その日は
日本でただ1日だけ、人を傷つける事故や事件が1件も起きなかっ
たおめでたい日でした。
午前9時20分、午前中にしては珍しく雷鳴が鳴り響き、嵐が近
づいてくるような天候です。
母は夫につぶやく。
﹁赤ちゃんは、なぜ泣きながら生まれてくるのでしょう? 残酷な
世界に産み落とされたことが悲しくて泣くのかな﹂
少し皮肉を含んだ妃の言葉に王の顔が歪みます。
医学書を読むと、母親の胎内から這い出して自分の力で呼吸をす
ること。そのために赤ちゃんは泣くのだと言います。
﹃王子が息をしていません!﹄
﹃こら、泣きなさい!!﹄
たまに産声をあげない子どもがいると、お医師さまや助産師さま
101
は赤ん坊に呼吸をさせるためにお尻を叩いて、無理にでも泣かせる
そうです。
﹁こんな子、初めてだよ。さすがシュヴァリアの王子﹂
その子もやはり泣き声をあげずに産まれ出でた子どもです。取り
上げてくれた
助産婦たちをたいへん困らせたそうです。
﹁先生、どうしましょう?﹂
﹁えい! えい!!﹂
女官がいくらお尻を叩いても、彼は泣きません。
﹁こまったな・・・﹂
すでにお尻は何度もひっぱたかれて真っ赤っかです。
医師が口元に耳を近づけます。
スーハースー。
﹁息はしているな﹂
医師は最後にお尻をぎゅっとつねりました。これには王子の顔も
痛みに歪みます。
102
第三.五章 ケントゥリア︵剣闘都︶︵後書き︶
剣闘都という字を当てていますが、ケントゥリアの本当の意味は﹁
兵役﹂です。
<i42113|4357>
103
#2
﹁ヴ、ヴヴヴゥゥゥ﹂
やがて、彼は獣のような唸り声をあげました。どこから声を出し
ているのか、地獄の底から響くような気味の悪い泣き声です。
﹁ま、まあ、いいだろう。ほら、肝っ玉のすわった王子様ですよ﹂
ケントゥリア︶とも呼ばれる傭兵国家シュヴァリアは、
赤子は心配そうに見守る王と妃の手に返されるのでした。
剣闘都︵
ビヨンド11大国家のひとつ、騎兵国家イストモスを形作る小国家
のひとつでした。
イストモスの正式国名はケンタウロス首長連合国と言い、部族性
国家の緩やかな連合体でありますが、大別してイストモス・ケンタ
ウロス︵西側に住むケンタウロス、重装を好む︶とオストモス・ケ
ンタウロス︵東側に住むケンタウロス、弓術に長け軽装を好む︶の
ニ派に分かれています。
獣人各部族をそれぞれのハーン︵族長︶が統率しており、かつて
は偉大なる建国者を祖とする大首長を王としていましたが、その血
筋が途絶えた現在は首長達の合議制で国の方針が決定しているので
す。
ビヨンドの東方に位置する、鋼に身も地も包んだ騎士団国家イス
トモスの中で、最も過酷な兵役を国民に課すシュヴァリアは、周辺
104
の国家や部族から﹁アイツらは頭がおかしい﹂ともっぱらの評判で
す。
国民男子は全て兵役に就き、主たる産業は傭兵の派遣でした。
シュヴァリアでは、子どもは国の財産として扱われます。同国の
子どもは7歳になると厳しい軍事訓練を課せられ、その過程で脱落
した子どもを殺害していき、残ったものだけを市民として育てます。
105
#3
現代日本の教育とは対極の子育てです。シュヴァリアではまず、
親は自分の子どもを自由に育てる権利を持ってはいません。﹁子ど
もは軍事国家シュヴァリアのもの﹂とされ、生まれた子どもはすぐ
に長老の元へ連れて行かれます。そこで﹁健康でしっかりした子﹂
と判定されれば、育てることが許されますが、病身でひ弱な子ども
は﹁生きていても国の為にならない﹂として、子捨ての淵と呼ばれ
る特異な空間へ投げ捨てられました。
この悪習を改めさせたのは、現王妃カーチャン・ヒムロ・シュヴ
ァリエ。
不定期に現れる異空間移動ゲートを通称、小ゲートと人々は呼ん
でいたが、子捨ての淵も実は異世界に通じる次元の穴なのでした。
その穴からひょっこり現れたのは異世界人の女性、氷室果綾。な
んだかんだで王太子の庇護を受けるうちにその妻となりました。
やがて二児をもうけます。一人目の子どもを﹁トシアキ・デスプ
ルーフ・シュヴァルツ﹂、二人目の王子を﹁シモンキン・デスマー
チ・シュヴァルツ﹂と名付けました。
代々王家の男子は殺しても死なない不死身に近いデスプルーフ︵
耐死︶能力を持っているがために、この戦闘民族の王族として国民
から崇められておりました。
7歳になった子どもたちは学舎へ入ります。王子も例外ではあり
ません。いくつかの組に分けられ、同じ規律の下、生活と学習も一
106
緒に行われます。そこでの規律は﹁国家の命令に服従すること﹂﹁
試練に耐え、闘ったら必ず勝つこと﹂などで、服を着ることは許さ
れず、頭は丸刈りにされ、革のホットパンツと足に具足︵防具︶を
つけて訓練をしました。
107
#4
教育は成人するまで続き、公人として国に仕えているという自覚
を常に求められ、やがて成人すると他国へ傭兵として送り出される
か、ある者は戦闘教官になり、子どもたちに訓練を施します。自国
が戦争になれば、傭兵は帰国して軍団に編入されます。
好戦的な部族やときには成熟した商業国でさえ、自国でもシュヴ
ァリアと同じような教育を施そうと提唱したことがあります。彼ら
の誤りは、シュヴァリア人の教えが普遍的な精神論であると錯覚し
たことでした。
子どもたちに競争をさせれば、強い国が出来るという論理は誤り
である。
シュヴァリアの教育は競争教育ではありません。他人と比べて優
劣をはかる相対主義ではなく、シュヴァリア人として生きるために
必要な下限を設けた、生死のかかった絶対評価主義の教育なのです。
シュヴァリア人の教えは哲学ではなく、生きるか死ぬかの二元論
でしかありません。獣人国イストモスの中で最も人族に近い種族と
して周囲の獣人領から自国を守る、数多の獣を迎え撃つ宿命が、必
然としてシュヴァリア人に戦士として生き、戦士として死ぬことを
最上の栄誉とする人生訓を育んだのです。
シュヴァリアの教えを実践できるのは、シュヴァリア人だけなの
です。
その証拠に、シュヴァリア人の生活には厳しい軍国主義とは相反
108
する共生主義が根付いています。土地の均等配分、民会設置、装飾
品の禁止、共同食事制が彼らの生活基盤です。
シュヴァリア人は武技を競いますが、いくら戦で武功を立てても
個人に栄達はありません。報賞も財産も与えられはしません。
109
#5
与えられるものは名誉のみなのです。戦績は盾に勲章のごとく刻
まれます。
王妃は王の妻となる前から、これを疑問視していました。王を驚
かせた彼女の言動のはじめが、﹁昨日の思想によって子供たちを縛
るのは教育ではなくて訓練に過ぎません。明日の思想によって子供
たちを縛るのもまた訓練であります。教育は訓練ではなく、創造で
あるべきです﹂
王曰く、
﹁そのような考え方をする人間にこれまで会ったことがない﹂
妃はゲートを通る以前にはなかった魔力をこのビヨンドで使える
ようになっていたのですが、そのことを夫と子ども以外には伝えま
せんでした。
少しずつ少しずつ王妃は、シュヴァリエを文明化しようと心を砕
きました。やがて、役に立たない子どもをいきなり淵に落とすとい
う習慣も廃れていったのでした。
国民皆兵の国是は未だに残り、第一王子は軍事教練の課程に入り
ます。シュヴァリア人の母は皆、髪を引かれる想いで我が子を見送
りますが、7歳の王子は王妃に深々と頭を下げると涙ひとつも見せ
ずに入校の隊列に加わるのでした。
︵さくら さくら
110
やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざやいざや 見にゆかん︶
王族であっても、教練場ではなんら特別扱いはされませんが、人
一倍強靭な肉体を持つ王子は脱落しそうになる他の子どもらの手を
引いて、厳しい修錬を積んでおりました。
夜ごと、頭の中に異国の唄が響きます。
︵母上、毎夜お言葉をかけていただきありがとうございます。お気
持ちは嬉しいのですが、王妃殿下から特別な計らいを受けることを、
仲間たちの手前もあり、心苦しく思います︶
111
#6
J︵'ー`︶し﹁トシちゃん、だれも聞いてないからママと呼んで
いいのよ﹂
トシアキ﹁つーか、母上。毎晩毎晩頭の中に入ってこないでくださ
い﹂
J︵'ー`︶し﹁ケンカの練習ばかりじゃ立派な王様になれません。
だからこうして母の国の言葉で語りかけているのです﹂
トシアキ﹁母上、女王自らが国民の義務を否定するようなこと言っ
たらマズいですよ﹂
周囲の学徒たちは、ぐっすりと寝入っていますが、起きていたと
して王子が母と会話していることに気づく者などありません。
氷室果綾は次元の壁を超えたときに、高等魔法のひとつである﹁
ダイレクトヴォイス﹂を会得していました。生身の人間が次元の歪
みを通ると思いがけない影響が身体に現れます。直接、目の前にい
る人間はおろか離れた場所にいる者の心へ直接自分の言葉を届ける
力です。相手もそれに返事をすることができます。翻って言えば、
テレパシーが使えるということなのでした。
母の目的は我が息子との交流ではありません。
次代の王に相応しい教養を授けることでした。軍人としての才覚
しかない夫を超える明君に育てなければと、母は義務感に駆られま
した。
112
母は日本語で語りかけます。子ははじめのうち、その意味を理解
できませんでしたが、言葉といっしょに意味の字幕のようにふたつ
のイメージとなって螺旋状にきりもみしながら頭の中へとどけられ
ます。
人権・平和・平等。父が知らぬ概念を子は学びました。
113
#7
シュヴァリア人のトシアキにとって、それはなんだか生温く、さ
りとて母の心の礎となるものであることを悟り、無下にはできない
のでした。
こうしてシュヴァリア人の中では唯一、現代日本人的教養の基礎
と、片言の日本語を覚えました。
そして初等教練の課程を終えると、シュヴァリア人は戦争に派遣
することを許された兵士とみなされます。一人前の戦士として認め
られることが、社会の一員となることなのです。
やがて教練の終了日が近づいたある日、トシアキは﹁子捨ての淵﹂
に立ってその渦の至る先を見つめていました。
今では小ゲートと呼ばれる空間の歪み。これはいつどこに現れる
か予見できる人間は世界に数えるほどしかおりません。
ある日、前触れもなく現れた小ゲートの報告を受けると王の顔色
が青ざめました。
﹁国王陛下! いえ父上、おやめください!!﹂
父の腕に抱かれているのは、兄とは対照的に病弱な子だった弟の
シモンキン。
114
第一王子誕生の際に、エスタリア∼緑深き妖精たちの国∼から贈
られた祝いの品がある。
﹃シモン、今日からはこれを着ていろ﹂
緑生い茂る森の王国のエルフたちの髪を織って作られた反物。い
つも風邪を引きやすい弟に、兄は癒しの加護を与える外套に仕立て
られたローブを譲った。
﹃それでは兄上のマントが﹄
気が引けている弟に兄は、ツヅラから別の反物を取り出してみせ
た。
﹃エルフの紡ぐ糸には癒しの魔力があるそうだが、おれはこっちの
戦闘用ローブでいい﹄
115
#8
クルスベルグ∼鍛冶屋たちの鍛冶屋たちによる鍛冶屋たちのため
の国∼の住人であるドワーフたちのなぜか鍛冶職人たちの手による
頑丈一点張りのローブがそこにあります。
エルフのマントに包まれたシモンキンは今まさに、子捨ての淵に
投げ捨てられようとしている。
﹁なぜですか! 母上の進言で子殺しはやめたではないですか!?﹂
シモンキンはまだ8歳だ。兄は王と長老と近衛の前に単騎立ちは
だかります。手はシュヴァリア兵の刀、マシェーテの柄を握って。
︵急いで! シモンを救うのよ!!︶
教練の最終試練である素手による熊狩りを終えた直後に、母の言
葉が届きました。教官の馬を奪う。初めての命令違反でした。
父は息子の反乱にも怒った様子は見せません。
﹁シモンは元来、育てることができないはずだった子どもだ﹂
﹁だから、それは母上が⋮⋮みんなそれがいいと、変えた方がいい
と言ったではないですか﹂
﹁内心では快く思っていない者も多いのだ。国の伝統を壊す行いだ
からな﹂
116
長老会が母妃を疎ましく思っているのは年若いトシアキにも想像
ができました。そもそも王が誰かの意見を聞き入れて、国の制度を
変えるということ自体が異例なことであり、祖父王はその厳しさで
二人の王子のうち一人を、父の兄を死なせたのだといいます。
母はこの国の特異点でした。トシアキの父も歴代の王の中では、
兄の死を引きずるナイーブな部分があったようです。
117
#9
父王はそれゆえに妃の言葉に従った。長老会はそれを王が妃に屈
したと受け止めました。王に対して全権を握る異界から来た妃を憎
んでいる。王が長老会をうらぎったと陰口も広まりました。そのた
めに政権運営に幾度か彼らの協力を得られず、王は苦心していたの
です。
夫の苦境を見ても、妃は妥協をしなかった。妃の救いの手は、シ
ュヴァリアの外にも向けられます。
福祉も社会保障もない国々が多く、子どもたちは腹をすかせぼろ
まとっていることも多くありました。
だが彼女は妥協しない。
長老会は王に一つの条件を提示しました。
﹁妃は第二王子シモンキン可愛さに子殺しの掟を曲げた﹂
﹁それはちがう﹂と王は反論を試みましたが、長老の妥協を取りつ
けるためには私心が無いことを証明しなくてはならなかったのです。
こうしてシュヴァリエ最後の子殺しが行われようとしていました。
?
弟、シモンキンを救いだせるのは遠く離れたところにいる兄だけ
です。
118
だがそれについては、妃は何も知らされていないのですが、テレ
パシーは翻って他者の心を読み取る能力でもあります。長老の企て
を知った母は、兄に語りかけます。
王宮で妃と向き合った長老の一人は慇懃に頭を下げ、その傍らを
横切ろうとしました。彼女がその心をトレースしていることに気づ
かず、彼女はを底なしの絶望に突き落としたのです。?
兄は父による子殺しの寸前に間に合い、駆けつけました。
トシアキもまた、もはや希望が何一つなくなっても一瞬たりとも
妥協しようとは思わない。
119
#10
﹁トシアキ、王がいなければ国は立ち行かん。そして信頼と尊敬を
失えば、その者は王足り得ない。シモンは無駄死にではない。崇高
な犠牲なのだ﹂
憐れな弟。王の子にさえ生まれなければ、いまのシュヴァリアな
ら病弱さえも咎められずに済んだのに。
︵まだ、八歳なのに⋮⋮︶
父の腕に抱かれた枯れ木のような手足、その目は自分の運命を悟
ったように、諦観にとらわれている。
﹁シモンは母の子。第二王子である前におれの弟。弟を殺す者なら、
王と長老会であろうと、この兄が殺す!﹂
﹁王子、ご乱心か!﹂
長老たちが取り乱した様子を見せ、その中で王のみが、平静な眼
差しを息子に見せています。
﹁トシアキ、これは王族の運命だ。命より国家への貢献を民に求め
る以上、己が命を惜しんではならん﹂
王はシモンを地に下ろした。
﹁父上?﹂
120
何をするつもりなのか、トシアキはいぶかしみます。
息子と同様に腰へ吊るした山刀を抜く。
トシアキは息を?みました。
︵いよいよ、父と剣を交えるのか︶
命知らずのシュヴァリア戦士であっても、王の剣に対する畏怖の
念は捨て去れません。
先刻の熊狩りに倣い、トシアキは腰を落とし膝を曲げ、踵を浮か
せるように﹁猫足立﹂の構えをとります。刀は胸の前で柄を短く握
り、どの方角への攻撃も防御も瞬時に対応できる姿勢です。
熊の爪刀もかいくぐり、背後をとるトシアキですが、戦士の中の
戦士、父王は熊の力など軽く凌駕することを知っています。
121
#11
トシアキは青銅の剣を携え、弟のシモンを血と暴力の国から引き
離し、どこかこの世の遠くにある甘い果樹園に連れて行かなければ
なりません。
母は言いました。
﹁国家にも人格がある。子捨ての痛みが、国を成長させはしない。
子どもを解放するよう王が言い渡さなければ、シュバリアの民が神
々の栄光に近づくことはないであろう﹂
トシアキは微笑んで、その言葉に聞き従っていました。
﹁トシアキ、王妃の言葉は毒の林檎と長老会は考えている。おまえ
もそれを耳にして毒されたようだな﹂
﹁母を侮辱するなど、父上らしくもない﹂
﹁王には逃れられぬ宿命がある﹂
父の手から王子のもと同じ形の山刀・マシェーテが離れる。それ
は王の足下の大地に突き立ちました。
︵?︶
戦士の長である王が刀を捨てることなど有り得ない。
﹁その宿命を背負う覚悟があるか﹂
122
﹁覚悟とは?﹂
﹁本当に父を殺す覚悟はあるか?﹂
﹁シモンキンの命を賭けての決闘ならば、受けて立つ所存﹂
緊張に、ギリッと奥歯を噛み締める音が鳴ります。
﹁ならば、父を殺せ。父を殺せば、おまえが王ぞ。そして長老会も
皆殺しにするのだ。己の意思に逆らう者を粛正する力を王は持つ﹂
長老たちの中には、すでにこの場を去ろうときびすを返す者もい
ました。
﹁覚悟さえ示せば、残された臣下の者たちは年若かろうと王に従う。
政権を奪い、母の言う﹃神に祝福を受ける国﹄へシモンと民を連れ
て行くといい﹂
両腕を広げ、無防備な心臓を晒して王は、トシアキに一歩また一
歩と近づいていきます。
123
第三.五章 了
王の威厳は、若き王子を圧倒するものであった。無意識にたじろ
いだ足が、一歩二歩と後退してしまいます。
踵が小石を蹴った。コロコロと音を立てて、谷を落ちるようにゲ
ートへ吸い込まれていく。
トシアキは﹁子捨ての淵﹂に立ってその渦の至る先を見つめまし
た。
今では小ゲートと呼ばれる空間の歪み。これはいつどこに現れる
か予見できる人間は世界に数えるほどしかおりません。
ここに弟が放り込まれたらどこへ行くのか。
︵全ての人間はすべからく神々に対して畏敬の念を払わねばならぬ︶
﹁母よ、加護をください﹂
︵神に名はなく、なぜなら世界を支配する神とは愛に他ならない。
愛を指導者とする戦いで栄光を勝ち取るには、慈悲に不服従であっ
てはならぬ︶
トシアキは念仏か呪文のように母の言葉を唱えます。自らの勇気
を奮い立たせるために。
︵愛に不服従なる人は全て神を憎む人々である︶
124
? 愛の名の下に神と和解するなら、血に手を汚した戦士であれ、
わたしたちはそれぞれ自らの愛の対象を手に入れる。この世に幸福
があるならば、それはこうした状態に限りなく近づくこと。
父が剣を捨てたのと同じように、トシアキも腰の鞘にマシェーテ
を収めました。
﹁弟を捧げる覚悟が出来たか﹂
父は息子の剣に刺し貫かれることを期待していたのか、悲しげな
目をしました。
﹁王は国を民を守るために少数を殺す﹂
王がかつて息子に帝王学を語ったときの言葉を、トシアキは口に
しました。
﹁王は国を民を守るために己が命を惜しんではならない﹂
125
第三.五章 了︵後書き︶
遅い時間に執筆してるので、なんだか人称が統一できなくなってま
すね。
劇中劇だから、地の文をナレーションにしたのですが、純粋な三人
称にするべきでした。
なろう版を掲載するときには直します。
126
第四章 あらかじめ失われた玉座の王子
父と子、王と兵士が、互いに徒手空拳で正面から向き合う。
この世にあっては、王は自らが座する場所からすべてが成し遂げ
られることを見渡すことが仕事であるのかもしれない。
家族を第一に愛することが許されるのは王と異なる世界、すなわ
ち平民市民においてのみなのであります。王は愛を国家の前に置く
ことは許されていません。
愛することができるのは、即ちもうひとつの世界に属するよう定
められた魂だけである。
トシアキは玉座へ至るには、完全に純粋で完全に無垢で完全に勇
敢なる者でした。
悪魔は死なせるべき人間たちに対して、その高い希望から奈落の
底に突き落とすように諮ります。
﹁王よ、父上とシモンの二者択一と言われたが、おれはどちらも捨
てる気はありませぬ﹂
王子はそれに抗い、もうひとつの世界に生まれることなく不幸な
運命の下にある、罪人とされた弟を守ろうと死地に赴くことも厭わ
ない。
﹁分別をなくしているようですが、シモンはあなたにとって大切な
王子です。今日この日より、シュヴァリアの王子はシモンキンただ
127
一人のみ!﹂
それが王の息子、トシアキ・デスプルーフ・シュヴァルツの声を、
シュヴァリアの民が聞いた最後だった。
おれは身を翻し、背後にあった子捨ての淵へ自ら飛び降りた。
はるか頭上から王と長老が、おれを呼ぶ声が聞こえたが、振り返
る余裕は無かった。
この時空の歪みの果てに何があるのか、これまで落とされた多く
の赤子たちがどこへ行ってしまったのか、それを確かめるのも王の
務めなのかもしれない。
128
#2
トシアキの身体は螺旋を描きながら、ゲートを落下していく。そ
の先がどこへつながっているのか、かつて母が通った道と言うから、
母の故郷につながっていることを願うしかない。もちろん、いつも
同じ場所につながるとは限らないのが、この異空間ゲートだ。
﹁この道をいけばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はな
し﹂
﹁母上?﹂
またも、ダイレクトヴォイスがトシアキの脳裏に響いた。母の言
葉は次元まで超えて届くらしい。
﹁踏み出せばその一歩が道となり、その一足が道となる。迷わず行
けよ、行けばわかるさ﹂
落下速度はますます加速していく。
﹁このままでは!﹂
トシアキの装束は革のショートパンツに膝下の防具。上半身は、
裸の上にクルスベルグ∼鍛冶屋たちの鍛冶屋たちによる鍛冶屋たち
のための国∼の住人であるドワーフたちの鍛冶職人たちの手による
頑丈一点張りのマントを羽織るのみだった。
これもまた法術を施した魔布。たなびくマントが形を変えて、トシ
アキの肩から鳥の翼のようにはためく。
129
これにより落下速度が減速される。
﹁息子よ、一足先に母の故郷に帰りなさい。
あなたは胸の内に勇気と子どもの心持っているのだから、むやみ
に感情を高ぶらせすぎてはなりません。
?
不死なる戦士たちのうちにあっても、不名誉な王子と後ろ指を指
されることなどないのだから。
?
あなたは、父上と同じ生まれの誇り高き戦士。
?
あなたはいずれ、生きとし生けるもの、そして死にゆくものすべ
ての君主となるでしょう。
?
不屈なるシュヴァリア人の中でも至高の栄誉をもつに相応しい子
ども﹂
やがて母の言葉が途切れる頃に、トシアキは新しい地平の光を見
た。
<i34422|4357>
130
#3
最初に﹁光りあれ﹂と神は言った。
そこは光の明滅が激しい昼の谷間だった。
﹁﹃光あれ﹄ってレベルじゃねーぞ﹂
もとより昼間のようで、陽の光はシュヴァリアの大地と変わらぬ
光量が注がれているが、部分的な光の投射が見慣れぬものであった。
おれは石岩山の谷間にいるのかと思ったが、よくみれば路の両脇
を囲むのは人口の建築物の壁であるようだった。
これほど隙間無く背の高い家屋を並べる習慣は、わが国にない。
石畳は隙間無く、凹凸や段差の少ない手のこんだ物だった。
﹁石だけでなく、ところどころ柔い。土が見えないな﹂
落ちるようにゲートに飲み込まれたが、吐き出されたときは水平
の力が加わった。落下していたつもりが、いつの間にか水平移動し
ていたようだ。平衡感覚が狂いそうになり、ぐるぐると前転しなが
ら、気づけば時空の歪みが消えかかっていた。
おれの背後に人だかり。みな珍しそうにゲートの奥を覗いている。
わずかな時間でゲートは縮小し、やがて空気のゆらめきとなって
見えなくなってしまった。
131
﹁人族の国のようだな﹂
ゲートを見たことがないのだろう。みな、顔を見合わせて首を傾
げている。
数歩歩くごとに、やけに柱が多い。通りの頭上をワイヤーが縦横
無尽に這う。商家が多く、ひっきりなしに住居から人が出入りして
いる。
ある程度の文化を持つ集落であることは一見してわかる。
﹁交易都市であるのかな﹂
ビヨンドで有名な商業都市と言えば、ラ・ムール∼太陽神を信仰
する猫人達の国∼だ。実際に訪れたことはないので、これは学舎で
習っただけの知識なのだが。
132
#4
やがて衆目の関心は次元の歪みから、おれの方へ移った。行き交
う男女が、じろじろとおれの方を見ている。
﹁無礼な奴らめ﹂
異民族たちは、男女とも同じような服装でいるのが奇異に思える。
ビヨンドでも、他の国の民は男も衣装を着込んでいるから、おかし
いとまでは言わないが、それにしても男より女の方が肌の露出が多
いのはどういうことか。
シュヴァリアの女性も周辺国の婦人たちに比べれば軽装だが、そ
れは強力な軍隊と男たちの筋肉の壁に守られているからあって、郊
外に住む集落の女性たちは、獣に襲われたときに備えた丈夫な野良
着に身を包んでいる。
この場で上半身が裸の男はおれだけで、それゆえに彼らはおれを
指差している。下半身は短いスカートに生脚の女性も数多くいて、
むしろおれの出で立ちに近いものがある。
それにしても⋮⋮
﹁話かけるでもなく、にやにやと気色の悪い連中め﹂
彼らは遠巻きにおれを見ながら、仲間同士でなにやらひそひそ話
をしている。
﹁ヤダー、ハダカジャナーイ﹂
133
﹁ナニ、アノコ。マントナンカハオッテ、コスプレ?﹂
彼らがそろって同じ姿勢でおれに向かう。腰をやや落とし、右腕
を突き出す。彼らはおれでなく、一様に手にした機械のようなもの
を見つめていた。
﹁む?﹂
なにか戦士の直感がおれに警告を発していた。
ピローン♪
機械音がするや、おれは地面を転がって男の間合いから逃れた。
﹁おれを狙っている?﹂
弓や小刀には見えないが、その機械がおれを標的にしているのは
間違いない。
134
#5
時折、環衆のクスクスと忍び笑う声も聞こえる。
ピャラーン♪
さらに背後から電子音。後方へ宙返りしつつ、射線から飛びのい
た。
﹁おおー﹂
なにやら、称賛するらしき声も聞こえて拍手が起きた。
﹁ヨーツーベー⋮⋮﹂
なおも食い下がるようにおれに機械を向ける男の掌中から、それ
を奪い取った。
﹁いいけげんにしろっつーの﹂
握ってみると力を入れれば真っ二つに壊れてしまいそうな、華奢
な道具だった。使い道がわからない。と、そのとき。
いまであれば着信メロディなどに驚いたりはしないのだが、不意
に流れる音楽に驚いておれは携帯電話を取り落してしまった。
ガシャン。カラカラ。
二つ折りタイプの赤い携帯電話は力なく路上を滑った。電池カバ
135
ーがはずれて、バッテリーもあらぬ方向へ転がった。
なんとも間抜けな姿だ。どうやら危険なものでもないらしい。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
周囲の嘲笑も止んだ。
﹁ナニスンダテメー﹂
おれに携帯電話を壊された男が胸倉をつかもうとして、手が泳い
だ。上半身裸のためにシャツの襟をつかむようにいかない。少し迷
って、マントの端を握った。
戦闘能力の低い町人だと一目でわかったので、殴り倒すのは少し
の間保留した。
それより周囲の風景におれは関心を奪われた。男が顔を近づけて、
﹁ガン﹂をつけてきたので、手首を軽くひねると男は地面に膝をつ
いた。
﹁うまそうな匂いがするな﹂
おそらくここは母の国だろうと思った。耳が慣れて、道行く人間
の言葉が、片言なら聞き取れるようになってきた。
136
#6
おれの嗅覚はそこここの飲食店から漂ってくる食べ物の匂いをか
ぎ取っていた。
﹁空気にも混ざりものが、たき火でもしているのか﹂
排気ガスの正体がわからない間は漠と不快に感じた。
通りの向こうの軒先に、父子がいた。カフェの軒先はドリンクと
アイスクリームの販売コーナーになっていて、父がなにか注文して
いる足下で、女の子が野良猫をかまっている。
﹁猫もいるのか﹂などと考えていると、店先の父親がソフトクリー
ムをカウンターで受け取っていた。子どもから視線が反れている。
そのとき、歩道に寝転がって子どもに腹を見せていた猫のしっぽ
が、通行人の男に踏まれた。
ウウギャー。悲鳴を上げ、道路に飛び出した野良猫。
そのまま走り抜けていれば良かったのだが、まさにその刹那、一
台のセダン車が車道を駆けた。迫り来る車を見てしまった猫は、車
線を横切る横断歩道の真ん中で立ちすくみ、金縛りにあう。
信号は青信号。運転手にも落ち度は無かった。それだけに一瞬の
出来事に運転手は猫の存在を知覚さえできなかった。
﹁だめ、ネコちゃん!﹂
137
子どもも、猫が車道へ飛び出したのと同時にその後を追っていた。
女の子が固まった猫を抱きあげ、運転手がはっと目を見開く。彼の
心臓が縮み上がったことだろう。
急ブレーキを踏むも、その距離わずか1メートルに満たない。
スローモーションで、周囲の情景が流れる。
異変に気づき、アイスクリームを取り落とした父親が腰を曲げた。
我が子を救わんと、駆け出そうとする。勘定を終えた、別の客が店
から出て来た。大学生だろうが、右手を上げて、少女を指差すのが
精一杯だった。
138
#7
キキキキキキキキーーー!!!!!
長いブレーキ音が、父の眼前を過ぎていく。
黒いセダン車は横断歩道を通り抜け、少女のいた位置から10メ
ートル先の地点で停止していた。
﹁あ、あわわわわ﹂
運転手が腰を抜かしたまま、車から降りて来た。定年を迎えた前
後に見える初老の男だった。
やがて、往来に人が集まって来る。みな、同じく一点を注視して
いた。それは道路にぶちまけられた血の海ではなく、横たわる少女
と猫の痛ましい姿でもなかった。
通行人の視線の先にあるもの。みな、ぽかんと口を開けて、ある
上空の一点を見つめていた。
地上から5メートル。車道用信号機におれは右腕一本でつかまっ
ていた。左腕には少女を抱え、彼女は猫を抱いている。
少女が車にはねられる瞬間、父親は目をつぶった。
ドシンという車の前部が爆ぜる音が彼の鼓膜に響いた。
139
﹁ひぃっぃぃ﹂おそるおそる目を開けて見たのが、いまの光景だっ
た。
﹁いまの見た?﹂
﹁え? ううん。どうなったの?﹂
通行人の声がする。
子どもが車道に飛び出した瞬間、手前の女子高生の携帯電話だけ
がおれの視界の隅で、虚空に浮いていた。
スローモーションで展開する交通事故の再現映像の中、おれだけ
が他者とは異なる時間軸を移動していた。
子どもを追って、ダッシュで駆け出した。セダン車との距離30
センチの地点で、しゃがみこむ少女の背に覆いかぶさる。
脇から手を回され、児童の体が宙に浮く。
140
#8
両足で第一のジャンプ、高さではなく瞬発力を優先し、セダン車
の前面グリルを飛び越えた。第二のジャンプで、おれの右足が車の
ボンネットに陥没を生じる。その蹴りは、車のエンジンをも破壊す
るほどのものだった。
常人からすれば驚異的と呼べるだろう跳躍力で、空めがけて飛び
上がったおれの足の下をセダン車の天井が通過していく。
信号機のアームが近づく。女の子の体から右手をはなし、信号機
を支える鉄柱をつかんだ。ふたたびおれの体に地球からの引力の支
配が及ぶ。
ざわざわ。往来の人間たちが集まって来た。おれの跳躍を目撃し
た人間は数人いたようだが、それらの人々は、自分の目を疑って目
尻をおさえたり、頭を振ってまばたきしたりしていた。
ぞろぞろと集まって来るのは、なにが起きたのかもわからない野
次馬ばかり。
﹁なんだ、なんだ?﹂
﹁事故か?﹂
﹁え、どうしてあんな高いところに子どもが?﹂
口々に当然の疑問を口にする。
141
﹁サツキ! サツキ!! 無事か!?﹂
父親がようやく目を開ける。我が子の姿を求めて、左右に首を振
っている。
﹁誰か下に行ったほうがいいんじゃないか? 子どもをおろさない
と﹂
﹁早くしろ!﹂
数人の野次馬がおれの真下へやって来た。
︵なるほど、この少女を助ける手伝いをしようとしているのだな︶
﹁ど、どうするの?﹂
﹁きみ、わたしたちが受け止めるから合図をしたら手を離すんだ!﹂
このときのおれは、彼らの言葉をすべて理解することはできなか
った。
142
#9
﹁子どもを受け止めるから! 大人にまかせろ!﹂
︵とにかく、子どもをおろせと言っているようだ︶
地上では、スーツを脱いで子どもを受け止めようとする男たちの
円陣が組まれた。
︵あの鉄の箱の背に降りればいいのだな︶
おれは左手の力を抜いた。ゆらっと、落下するおれの体。まだ準
備ができていなかったのか、悲鳴を上げる大人たち。
﹁きゃー﹂
思わず、女の子も悲鳴を上げる。
﹁おおっと!!﹂
予想外に鉄板は柔く、おれと少女の体重を受け止めて、ズムッっ
と天井がひしゃげた。窓ガラスに無数のひびが入り、車内が見えな
くなるほど。
少女の身体をかばって着地したおれは姿勢をくずして、車体から
転げ落ちた。ボンネットをつたって、アスファルトの地面に背中を
打ちつけた。
﹁痛えぇ﹂
143
彼女はどこにも、打ち身など作っていないはずだ。
おれは立ち上がりもう一度、自動車を観察した。
︵これは牛車か馬車か? それにしては牛も馬もいない︶
自走する籠のようなものか、人足でも中に入っているのかと思え
ば、それも違うようだ。
鉄の塊かと思えば、内部は空洞も多い。叩いてみた手ごたえから
して無数の部品から組み立てられた機械であるようだ。
先ほどの子どもが、おれの腕をしっかとつかんでいる。
﹁ふぇーん﹂小刻みに震えて、か細い声で泣いている。
こんなものにぶつかられては、成人であれば当たり所によって死
を免れることもあるだろうが、この小さな体ではひとたまりもない
ように思えた。とっさに助けに入ったことは間違いではなかっただ
ろう。
144
#9︵後書き︶
次回、4章了
145
第四章 了
おれは興味深く自動車を観察していた。見たところ、車線はこの
自動車と歩行者がそれぞれ進み道を分けているのだと理解する。
歩道にもどったおれにみんなの注目が集まるが、誰も言葉をかけ
ない。声をかけられないと言った方が正解だろう。
﹁サツキ!!﹂
父親が叫びながら女の子に駆け寄った。
﹁怪我はない!? どこか痛くないか!?﹂
彼女はこくこくとうなづいている。懐には猫を抱えたまま、顔面
は蒼白になっている。
﹁はっっぁあ﹂
父親は声にならない嗚咽をもらした。そのまま力の入らない手で、
ぽかぽかと子どもの体を叩き続けている。
父親は落ち着きをとりもどしきれてはいないが、やや冷静になっ
てからおれの方に向き直った。
﹁%#︵‘︵’‘%︶︷︸|>¥>“☆ДИш⋮⋮﹂
英検4級程度の英語力でも幼児の言葉ぐらいは聞き取れるという
146
が、早口でまくしたてられると、父親がなにを言っているのかさっ
ぱりわからない。
5分も経つころには、彼もすっかり平静を取り戻したようだ。感
謝のまなざしでいたものが、だんだん不審げに変わっていくのがわ
かる。
このときのおれは、﹁半裸ですがなにか?﹂というぐらいのもの
だったが、いまでは珍妙ないでたちでいたことが理解できる。
そうこうしていると、ほかの衆目とは異なる鋭い視線がおれに向
けられているのに気付いた。
上から下まで紺色のおそらくは軍服を着た二人の男が、人の群れ
を縫って現れた。
﹁ちょっと話を聞かせてもらおうか﹂
おれは警察に補導された。
147
第五章 異世界人はつらいよ
事故の現場検証をしている間、おれはパトカーに乗せられていた。
セダン車の持ち主や通行人から巡査が目撃証言の聞き取りをしてい
る。
︵なるほど。鉄の籠の中はこうなっているのか、意外と座り心地が
いいぞ︶
何人かは車中のおれを覗き込んだりもしていた。
﹁⋮⋮署へ⋮⋮移すぞ⋮⋮﹂
相変わらず、この国の人間の言葉を完全には聞き取れない。はじ
めて外国旅行をするようなものだから、いたし方あるまい。
警察官がなにやらレバーを引っ張ったり、肩を揺らしている。ハ
ンドルを回すと車は方向を変えながら、車道に進みだした。
おれは籠がどうやって動いているのか不思議だった。もしかして、
前の席に座る二人と隣の席の男が下で足を動かしているのかと思っ
たが、べつにそんなことはなかったぜ。
やれやれ、おれは取調室に座らされた。
マントは取り上げられなかったが、上半身裸のおれは具足を外さ
れ、ジャージの上下を貸し出された。青いフードのついている、ニ
ュースでよく見る﹁あれ﹂。
148
﹁きみ、なまえは?﹂
﹁トシアキ・シュヴァルツ、トシアキ・デスプルーフ・シュヴァル
ツ﹂
﹁としはいくつだ?﹂
︵うん? もう一度名前を尋ねたのか?︶
﹁トシアキ・デスプルーフ・シュヴァルツ﹂
﹁はあ?﹂
﹁いえはどこだ? でんわばんごうは? けいたいでんわはもって
るか﹂
﹁イエ・シュバリエ⋮⋮デンワ? ケイタイ? ワカラナイノコト﹂
﹁がいこくじんか⋮⋮﹂
現場検証でいろいろおかしな目撃証言が集まったらしく、警察官
も半信半疑でいろいろ尋ねてきたが、言葉が通じないとわかると、
返答を急いてくることもなくなった。
149
第五章 異世界人はつらいよ︵後書き︶
<i50411|4357>
150
#2
所在無げにおれは、警察署の片隅に置かれたソファーに座ってい
た。無言でいたが、おれは目に映るものすべてが目新しく、退屈は
しなかった。
︵ここは町の治安を司る管理の詰所であるようだ︶
ワケあり顔の民間人を伴って警察官が行ったり来たり。
軍の駐屯所より臨場感があるといえよう。平時においては、軍人
の生活は静かで単調なものだ。
軍の敷地で聞こえる声といえば、訓練の号令ばかりだが。ここで
は官吏と民間人が大きな声で怒声を浴びせあっている。
︵オラ、わくわくしてきたぞ︶
窓から西日が差しこむようになった頃、一人の女性警察官が声を
かけてきた。
﹁きみ、おなかすいていない? わかる?﹂
彼女は、おわんから食べ物を口に運ぶジェスチャーをしてみせた。
︵食事をどうするか尋ねているのだな。ほしいといったら、くれる
のだろうか︶
場所を移して落ち着いて食事をとれる部屋に案内してくれた。白
151
衣を着た若い男が配膳用の金属ケースから陶器の器を取り出した。
ふたをあける。ふわっと湯気が立ち上った。シュヴァリアでは、
米食よりジャガイモを食することの方が多い。寄宿舎の食事では大
きなパンが配られ、グループごとにそれを手でちぎって分けて食べ
る。
スプーンもフォークもないが、チョップスティックの使い方は知
っていた。海洋国ミズハミシマの食事は箸で行われる。使い慣れな
いと握るのが難しい。
目の前には女性警察官がいる。おれは王族のメンツもあって、一
粒のコメも落とさぬように、細心の注意を払って米を口に運んだ。
152
#3
︵それにしても⋮⋮︶
﹁かつ丼おいしい?﹂
女性警察官が声をかける。
﹁カツドンマイウー﹂
かつ丼にはおもに卵とじとソースかつ丼があるが、いま食べてい
るのはふわっとしたころもにあまじょっぱいソースがかけられたも
のだった。これは精がつきそうだ。
︵これを毎日食べさせれば、シモンキンもたくましい身体になるの
ではないだろうか︶
故郷に残してきた弟が気がかりだった。
第一王子の出奔はどう処理されたろう。自死したと思われたか、
あるいは事故として処理されたのだろうか。いずれにせよ、第一王
子亡き後に、あえて唯一の王子であるシモンを手にかけることなど
もうないだろう。
外見からすると、この世界の小学6年生か中学に入りたての年齢
に見えるおれを、いつまでも警察署に留め置くわけにはいかない。
はぐれたか、家出したか、いずれにせよ写真を撮影するのは、登
録外国人や旅行者の中から身元を洗うためのものだろう。
153
その晩はなにやら、わけありの児童が生活する施設に身柄が移さ
れた。他の児童に紹介されるでもなく、個室で夜を明かした。
ベッドの中で、今後の身の振り方を考える。
﹁おれは、子捨ての淵に落とされた子どもたちを探さなくてはいけ
ないのではないだろうか﹂
自分が生きているのだから、どうやらかつてゲートを通った幼子
たちも生きている可能性が高い。彼ら彼女らの行方を探すことは、
王子の義務であるように思えた。
︵追放されたから、もう王子でもないけど︶
154
#4
最後の子捨てが行われたのは、おれが生まれる2年も前のこと。
彼ら彼女らが生きているならば、一番若い子どもでも14歳は超え
ているだろう。長らく行われた悪習であるから、壮年や老齢のシュ
ヴァリア人も存命かもしれない。
︵しかし、どうやって探せばいいのか?︶
この世界のことを明日から学ばなければならないだろう。母の故
郷の、シュヴァリア人にとっては少しぬるく思えるこの世界を。
翌日、少年用の衣類を施設に努める女性が貸し出してくれた。い
まの恰好はあまりにもあまりだろうと、警察官に文句を言っていた。
昨日おれが来ていた服は事件の容疑者が着るためのものだったらし
い。
多くの子どもが暮らす施設のようだったが、朝になるとみんな門
の外へ鞄をかついで出て行った。月曜日だから学校へ行ったのだ。
素性の知れぬおれを子どもたちに接触させるのははばかられたのか、
おれは部屋の窓から子どもらの背中を見送った。
この世界の子どもたちがどんな生活をしているのかは、この時点
ではまだ知らない。
施設の職員から口の中を見られたり、身長と体重を測られたり、
かんたんな身体検査を受けたりして過ごしていた。
自由になると、幾冊かの本やテレビを見ることを許された。テレ
155
ビは昨日の自動車に続く驚きだった。異世界人が現代文明に触れた
時の驚きは長々描かなくても、みなもろもろのファンタジー小説で
よく知っているだろう。あれをおれは体験したわけである。
156
#5
さすがに小人が箱の中に入っているのかとは思わなかった。それ
に母がテレパシストだったこともあって、これがなにかテレパシー
の受像機かなにかなのかと推察したりもした。いまの液晶テレビは
箱型というには、あまりにも薄すぎだからそんなことも考える余地
はないだろうが、このころはまだ液晶テレビが普及していなかった。
夕刻に、昨日見かけた人物が現れた。子どもは連れていなかった。
﹁きみはどこかべつのくにからきたのだそうだね﹂
おれはうなずいた。
﹁ことばはわかるかね﹂
﹁ホンノスコシノコトナラ﹂
﹁ごりょうしんがみつからないとか、ふあんだろうね﹂
おれは首を振った。
﹁チガウヨ、クニカラトウボウシテキタノコトネ﹂
男性はぎょっとした顔をした。たいそう驚いている。
﹁もしかしてきみはなんみんなのか?﹂
﹁ナンミン? ナンノコトネ﹂
157
﹁いや、なんみんというのはだね。くにがせんそうをしていてこく
みんがにげてきたとかかえるいえがなくなったひとのことだよ﹂
それならわかる。おれは難民ということになるのだろう。
﹁センソウハイツモシテルネ、ベツニメズラシイコトジャナイノコ
トヨ﹂
母が女性言葉で話していたせいで、おれの日本語もどこかおかし
なイントネーションだ。
﹁にほんごはだれにおそわったんだい?﹂
﹁カーチャンガコノクニノヒトダカラ、コトバヲナラッタコトアル
ヨ﹂
難民という言葉の深刻な意味を、おれは理解していなかった。紳
士の顔はみるみる蒼くなっていく。
158
#6
﹁モウカエルイエモナイヨ﹂
﹁これはたいへんだ、これはたいへんなことだ﹂
なにか深刻そうに考えこんでいる。
︵なんだろう。このおじさん、なにか悩み事でもあるのだろうか︶
﹁ソウイエバ、コドモハゲンキデスカ?﹂
﹁ああ、そのせつはありがとう。きみがいなければむすめはどうな
っていたか、きみはいのちのおんじんだ﹂
︵よくわからないが、感謝されてるようだな︶
手応えからして、あの女の子には怪我をさせていないと思ってい
たが、無事でなによりだった。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮よし、きめた﹂
彼は向き直って、おれに言った。
﹁わたしのうちにきなさい。きみのせいかつはわたしがめんどうみ
よう﹂
159
これがおれのこの世界での家族となる、双葉親娘との出会いだっ
た。
察しの良い読者諸兄のことだから、そろそろわかってしまったと
思うが、つまりおれ双葉としあきは、もともとゲート内世界ビヨン
ドで生まれた人間なのである。
テレビで放送されている﹁シュヴァリエ!﹂もそのころの思い出
に、おれから聞いた故郷の話をサツキがイマジネーションを膨らま
せて小説にしたものだ。
﹁なつかしいなー﹂
﹁うーむ﹂
いいかげんおれたちも服を着た。
﹁あのころは、兄さんも言葉がたどたどしくてどこの国の人だろう
と思ったわ﹂
﹁片言でも喋れて助かった。母さんのおかげだな﹂
双葉氏に連れられて、おれは施設からマンションに移った。思い
がけぬ来客に9歳のサツキは目を丸くしていた。
160
#7
着の身着のままだったので、衣類や日常に必要なものを買い揃え
たり散在させてしまったが、すぐに双葉親子がかなり裕福な家庭だ
ということに気づいた。
おれは少しづつ高度文明社会の生活になじんでいく。
サツキには母がいなかった。彼女が幼いころに離婚したのだそう
だ。
父が仕事の間は、家事をしてくれる人間が数時間訪ねてきたが、
一人でいる時間が多いサツキはすぐおれになついた。
後から考えると、難民なのはいいとしてこの世界には存在しない
国の住人であるこのおれが、よく日本国籍を取得できたものだ。学
校への編入など、なに不自由ない生活がすぐに用意された。
どうしてそんなに手回しがいいのか、双葉氏がなにか特別な権力
でも持っているのか、その理由がわかるのは数年後のことだった。
おれは一般的な中学生の年齢にしては落ち着いて従順だったため
か、双葉氏に気に入られた。ほどなく養子縁組をして双葉氏はおれ
の義父になった。おれの名前もトシアキ・シュヴァルツから日本風
の名前に変わった。トシアキという名前はこの国でも珍しい響きで
はないようだ。サツキには学校の勉強を教わるなど情けない限りだ
ったが、彼女はおれを兄として慕ってくれた。
161
一般常識のないおれが一人で出歩くと、たいがいなんらかのトラ
ブルを引き起こすので、サツキはどこへ行くにもおれの後をついて
歩くようになる。
この世界のルールはテレビとサツキから学んだ。
最初はとんちんかんなことばかりして、学校でからかわれること
もあったがいじめに発展することはなかった。
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#7︵後書き︶
お気に入り登録が700件を超えました。
ありがとうございます。
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#8
素手で熊を倒すシュヴァリア戦士と喧嘩をして勝てる児童生徒は
いなかったからだ。
最初の頃は、ちょっかいを出してくる生徒になんの疑問も抱かず
喧嘩を買っていたが、この国の子どもは軍事教練を受けてはいない
ことを知って、自重した。
歯を折ったり複雑骨折や内蔵にダメージのないように、加減して
いたつもりだが、それでも学校では大問題になり、相手の親は泣き
ながら怒り狂うし、双葉氏も呼び出されて平身低頭だった。
﹁これが母上の言っていた﹃人権﹄か﹂
シュヴァリアでは教練での人死にが問題になることなどなかった。
おれが痛めつけた生徒たちも他の弱い子どもらから金品を恐喝し
たり、暴力を振るっていたから子どもの世界は無法なのだと思って
いたが、そうでもないようだ。
そんなつもり
おれは自分から喧嘩を吹っ掛けるようなことはしなかったので、
やがて中学校では番長として扱われるようになった。
はないんだが
他校の生徒とのトラブルも相談されるようになるが、力による支
配が功を奏して吉祥寺周辺の学校は平和になっていった。
それでも言葉が拙いことをからかわれることはまだまだあったの
で、おれは猛勉強をした。早く一般の生徒の学力に追いつかないと。
164
そうこうしているうちに、おれは学業でも目立つようになった。
言葉がわかれば、異世界の学問であっても、理解することは不可能
でない。
この世界の歴史は、これからビヨンドの国々がどんな発展を遂げ
ていくのかを予言されているようで衝撃的だった。
165
第五章 了
もどれることがあるかわからないが、関数という概念などもシュ
ヴァリアでは一部の学者しか知らないような内容を無償で一般人に
教えてくれるのだから、この国の教育環境は非常に恵まれていると
思う。
自分が教わった数学は課税に関わるものと、測量に関するものば
かりだった。
学問の価値を知るものと知らないものでは熱意に差が出るから、
おれは成績も上位になって高校に入学後は生徒会に推された。
おれが来る前からも双葉家の生活は変わっていて、朝はおれが通
学途中にサツキを小学校へ送っていくのだが、帰りは時間が遅くな
るので父の部下らしき女性が迎えに来て、家事や夕食なども作って
くれた。
おれが来る以前は、朝もだれかしら迎えが来ていたらしい。
父は商社を経営していた。日本でも有数の会社の経営陣の一人だ
った。そういったプライベートな用事まで頼んでいいのだろうか、
と疑問に思うこともある。
﹁ああ。しかし登場人物を実名にしてしまって大丈夫だったろうか﹂
作者である宵闇心音のプロフィールは謎になっているから、これ
がおれたちの物語だということを知る人間はないないの⋮⋮だが?
166
﹁シュヴァリエ!﹂のテレビ放送が終わった。
﹁さて、ネットでの評判をみてみましょうか﹂
﹁ドキドキするな﹂
おれたちはPCの前に座った。﹁シュヴァリエ!﹂
索してみる。
でネット検
いくつかあるアニメ批評サイトの中から一番上位に表示されたサ
イトを開いてみた。
﹃いまのアニメひどかったね⋮⋮﹄
がくっ。おれたちは肩を落とした。
167
第五章 了︵後書き︶
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168
第六章 リリーナ、東京の夜を歩く
10月某日、あるマンションの一室にて。
中学校入学を間近に控えた少女が、新調した冬の制服に袖を通し
姿見の前に立っていると、母親が慌ただしく部屋に入って来た。
﹁ちょっ、ちょっと、ベランダに来なさい。すごい物が見えるわよ﹂
﹁すごいもの? なによ、母さん﹂
広い部屋ではない。母親に背中を押され、キッチンに入ると窓の
外から鮮やかな光が見えた。
﹁へえー。こんな季節外れに花火なんかやってるんだ﹂
もう八時も過ぎた。周辺でこれほど目立つ照明を掲げる建物はな
いはずだし、角度が高すぎる。
駅の方角ともちょっと違う。
﹁なに言ってるの、よく見なさい﹂
﹁なに、あの光?﹂
東の空にひときわ強い光を放つ星があった。
﹁へんね、あんな星座は⋮⋮﹂
169
そう言ってる間にも星は輝きを増し、大きくなっていく。
﹁え、まさか流れ星?﹂
少女が驚くのも無理はない。母が既に開け放していたガラス戸か
ら物干し台へ出ると、長い尾を引くほうき星が武蔵野の空から都心
へ向かって流れていくところだった。
﹁ね、ね? すごいでしょ﹂
﹁うわー⋮⋮﹂
絶句して、しばらく声も出ない。
それもそのはず。
10月の風はなまぬるく娘の顔をなめた。空は4割の曇り空。
﹁きっと日本中が大騒ぎよ。お父さんに電話かけてみようか﹂
母は大はしゃぎだった。
今夜の天気はくもり、ところによりにわか雨。風は北西の風、後
に北の風。23区西部では北西の風やや強く。
少女はなおも空を見上げる。
﹁天気予報は、はずれだな﹂
その星は尾を引き、不思議なことにその尾が消えることなく地表
170
に向けて糸を引いて伸びていく。
﹁ほんとに流れ星? 流れ星なら、すぐに軌跡は消えてなくなるは
ずなのに⋮⋮﹂
171
レベル
第六章 リリーナ、東京の夜を歩く︵後書き︶
少年従者
<i42214|4357>
172
#2
母も首をかしげはじめた。
流星の本体になる小天体は、0.1ミリ以下のごく小さな塵のよ
うなものから、数センチ以上ある小石のようなものまで様々な大き
さがある。こうした天体が地球の大気に秒速数十キロメートルとい
う猛スピードで突入し、上層大気の分子と衝突してプラズマ化した
ガスが発光する。これが地上から流星として観測される。
勘違いしやすいのは、星屑が大気との摩擦により燃焼してる状態
が流れ星として見えていると思っている人が多いこと。
﹁流れ星って言うより、もはや光の川ね﹂
ふつうの流れ星は地上より150キロから100キロメートルの
高さで光り始め、70キロメートルから50キロメートルの高さで
消滅する。
特に大きい星は、燃え尽きずに隕石として地上に落下することも
ある。もっとも、見た目には燃え尽きたように見える流れ星も、そ
の欠片は流星塵として地球に降り注いでいる。
ざわざわと騒ぎ出したのは、この親子だけではなかった。
近隣の家々の住人たちが、窓から外をのぞき、家から表に出て来
た。
その時間、武蔵野市民いや日本中が全て空の一点を見つめていた。
173
﹁流れ星が地表に落ちていく⋮⋮﹂
隣室から聞こえてくるほどに、近隣住民たちも一様にこの天体シ
ョーの話題でもちきりだった。
町の声は時間が経つとともに大きくなっていった。
日頃、言葉も交わさぬ隣人ともこれは何事かと顔を見合わせて話
し合っている。
携帯電話を耳に当てる人間も多い。家族にかけているにせよ、友
人にかけているにせよ、内容は容易に想像がつく。
174
#3
﹁だ、大丈夫なの⋮⋮? 隕石や彗星だったら、大惨事よ﹂
のんきな母親も、それが自分の夫の勤務先の方角と気付いて、に
わかに青ざめ始めた。
﹁星が割れた﹂
流星の頭の部分が分かれ、光の川が3本に枝分かれした。
﹁お父さん、大丈夫かしら?﹂
みなが一斉に電話をするものだkら、通信規制がかかっているよ
うでアンテナが圏外になっている。
﹁無理もないわ。テレビをつけようよ。どこでもいいからニュース
番組にして﹂
﹁ちょっと、待ってね⋮⋮ってか、全部の局が臨時ニュースになっ
ているわ。当たり前ね﹂
液晶テレビの中では、予想通り報道特別番組が始まっており、ア
ナウンサーが興奮を抑えるように努めて冷静に話していた。
﹃⋮⋮また、気象庁や文部科学省にも事前に流星群などの観測情報
は入っていないとのことです﹄
誰もが予期しない自然現象ということだった。
175
テレビの画面上部には緊急ニュースの知らせと、これが特別番組
であることを示すテロップが流れている。
もはや、光の航跡は地表すれすれにまで到達しているように見え
る。彗星の落下ならば、どれだけの衝撃が地表にもたらされるだろ
う。幻想的な天体ショーが一転して、大惨事になることも考えられ
る。
しかし、少女はその光の緩やかな軌跡ゆえか、そのような禍々し
いものの来訪にはどうしても思えず、ただただ素直にその美しき姿
に見とれていた。
季節や時間帯によってまちまちだが、ふだんでも1時間も夜空を
見上げていれば、平均数個程度の流れ星を目撃することはできる。
176
#4
−3等から−4等程度よりも明るい流星は、火球と呼ばれ、中に
は満月より明るい光を放ち、夜空全体を一瞬閃光のように明るくす
るものもある。
だが、それらの稀なケースと比較しても今夜の星空はあまりにも
現実離れしていた。
﹃⋮⋮このような天体現象は観測史上例がないということです﹄
男性キャスターが言う。
﹃もし、これが彗星であった場合、不思議なのは各地の天文台でま
ったく事前に地球接近の兆候をとらえることができなかったことで
す﹄
女性キャスター。
﹃つい、今し方の出来事ですが、ここで局内のクルーが本社の屋上
より流星らしき光を撮影する準備ができたようですので、カメラを
切り替えましょう。屋上の加藤さーん﹄
初老のスーツを着た男性が屋上より空の様子をレポートしている。
﹃はいー、こちら社屋の屋上からも、空を彩る光の束がはっきりと
見ることができます﹄
﹃ライブ映像:本社社屋屋上﹄とテロップが流れる。
177
﹃いやー、驚きですね﹄
﹃流れ星と言っていいのかわかりませんが、光はその先端が地表に
接触しているようです﹄
﹃光の行き先が都内であることはわかっていますが、どちらの方角
かわかりますか﹄
﹃この向きだと、光はどうやら銀座方面が終着点のようです﹄
カメラがスタジオにもどる。
﹃現在、彗星落下による地震やけが人などの被害報告は入っており
ません﹄
これが本当に隕石の落下なら、甚大な被害が出ているだろう。
﹃一番不思議なのは、やはり流星の尾が消えかかっているとはいえ、
光が依然、帯の状態を保っていることですね﹄
︵銀座か⋮⋮︶
少女はつぶやいた。
178
#5
東京、銀座、有楽町。
東
第二次世界大戦から日本の復興期も、21世紀になってからも、
銀座駅、東銀座駅、銀座一丁目駅、都営地下鉄
東京見物に来る人間は必ず一度はこの街を訪れる。
東京地下鉄
銀座駅。路線でいうと、日比谷線、銀座線、丸ノ内線、浅草線、有
楽町線。銀座にはいくつもの列車、路線が通り過ぎる。
天変地異が起きては、外出を控える人間も多いはず。しかし、そ
のあまりの美しさ、奇跡の目撃者になりたいという欲求に勝てず、
大勢の人々が表に出ている。
電車に乗る人からも、沿線ではビルやマンションのベランダから
空をうかがう人々の姿が見える。
ニュースでも危険や災害は発生していないようだという報道がさ
れていることも大きい。そろそろ中継車が銀座に到着して、周辺の
様子をレポートしているが、とくに危ういものはないようだ。
むしろ現場になにごとも起きてないことこそが異変だった。
有楽町とは地方から上京した観光客への誘い口でもある。
この地には、かって半円塔形のビルで知られた音楽やレビューの
メッカ﹃日劇﹄と、文化の潮流を常にリードし続けた大手新聞社が
並んで建っていた。
179
近代日本発祥の記憶とイメージを受け継ぎながら、誕生した建築
物が﹃マリオン﹄。
公共通路を挟んで2つの百貨店が向かい合い、長大なエスカレー
ターの交差する贅沢な空間に5つの映画館やホールを有する。
有楽町駅から銀座への玄関であり、文化のシンボルであり続ける
存在。
近くにいる人にはむしろわからないが、その無人の頂上に光の柱
の終点があった。
180
#6
流星の元になる小天体は、主に彗星から放出されたものである。
彗星は太陽に近づく度に無数の塵を放出している。これらの塵は太
陽の周りをほぼ彗星の軌道と同じ軌道で公転する。その残された塵
が地球に降り注ぐことで、流星を発生する。
光の帯がゆっくりと薄れてゆくにしたがって、その中心に立つ一
人の人間が姿を現しつつある。
一歩、また一歩と光の帯から女の影は足を踏み出す。
﹁ここはどこか?﹂
UFOに乗って、宇宙人が地球を来訪したのではなどうやらない
ようだ。
遅れて一人の少年が彼女の背後に立つ。その出で立ちは中世のヨ
ーロッパで活躍したような軽装の猟師姿。ひとつ違うのは弓や狩猟
道具のような荷物は持たずに、腰に一振りの短剣を携えていること。
﹁なんと大きな⋮⋮お城でしょうか?﹂
少年の背は腰に下げた短刀が成人にとっての長刀に見えるほどの
高さ。身長は130センチほどだろうか。
彼は周囲に危険がないかを見回した後、片膝をコンクリートの地
につけた。
181
恭しく接するその所作を見る限り、どうやら彼は貴人に仕える従
者のようである。
彼が顔を上げると、まだ光の帯が消えぬまま主人の背に後光が射
したように輝いている。
﹁よい、顔を上げよ。レベル、ここは我らの国ではないのだから﹂
レベルと呼ばれた少年の主人は、気品ある歩き方で彼のかたわら
を抜き、ビル屋上の隅まで進む。
﹁姫さま、危のうございます﹂
一陣のビル風が路上から、天に向けて吹き上げる。光条の灯りに
照らされる﹃姫﹄の白金の髪がビュッと風になびいた。
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#7
﹁着慣れない服だが、ドレスで来なかったのは正解であったな﹂
スカートの裾を気にしなくても良いように、剣術衣を着用して赴
いた。
﹁姫さま、そのようなところに立たれては、落ちちゃいますよ﹂
11、12才にしか見えないレベルにかしずかれる﹃姫﹄もまた、
16、17才前後のうら若き乙女である。
足下に広がる雑踏を見下ろすと、まるで崖の上から奈落のそこを
見下ろしているようで足がすくんだ。
﹃姫﹄は剛胆なのか、顔色ひとつ変えず、むしろしげしげと興味深
げに通りを歩く無数の人の群れを眺めていた。
﹁見てみやれ、レベル。トシアキ卿の申した通りの世界ではないか﹂
﹁まことに。夜なのに、まるで昼のように煌煌と灯りが街を照らし
ています。それにこれほどの巨大な建物が間をおかずに見渡す限り
に﹂
銀座に毎日通う人間でさえ、銀座の夜の景色は見飽きないという。
最先端のデザインの店舗がライトアップされ、着飾った女性が行き
交い、全てが、美しく、そして夢のような街だ。夜の銀座、何度で
も通いたい街。ただ、其処を歩くだけで気持ちいい街。
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このモダンな街並を時代錯誤なファッションに身を包み見下ろす
二人。場違いなようで、絵になっているようにも思える。
﹁この天の川から降り立ったのは、我ら二人だけであるな﹂
﹁はい、同じ場所に落ちるはずが、的が外れたのか、わたしだけが
姫のすぐおそばに落ちたようです﹂
﹁一度に三人は魔導士どのに無理をさせすぎたのであろうか。ミサ
キ、道に迷うていないだろうか﹂
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#8
﹁エミリオどの、3人を運べと姫から聞いて青い顔してましたもの
ね﹂
﹁彼奴はわが国一番の魔法師なのだ。それぐらい雑作もないと思っ
たのじゃ。それに、わらわとて気を使って、もっとも身軽な騎士で
あるおまえたちを同行者に選んだのであるぞ﹂
﹁はい。わたしもミサキさまが心配です。早く合流いたしましょう﹂
彼らは迷子の異邦人であるようだ。それにもかかわらず落ち着い
ていられるのは、はぐれた仲間のおおよその位置がわかっているか
らである。
﹁姫、ミサキの光もすぐそばに落ちております﹂
﹁では、参ろうか。⋮⋮ところで出入り口はどこにあるのか﹂
﹁姫、こちらに鉄の扉があります﹂
レベルがノブに手をかけるが、内側から鍵がかかっていて開ける
ことができない。
﹁ふむ。侵入者を止める備えとしては当然だろう﹂
﹁ですが、ここに留まるわけにもいきませぬ﹂
コンコン。レベルの拳がドアを叩き、手応えを計っている。
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﹁お下がりください﹂
﹁そなたの技量を見るのは初めてであったな﹂
主人が自分の間合いから離れたのを確認して、レベルが刀に手を
かける。
スゥー、という息を吸う音が止むと、すらりとなんの気負いもな
く刀が鞘を滑るように抜き出された。
キィィィ。細い金属音とともに斜めに一直線の傷が扉に走った。
ちょん、と指で突くと、バタンという音をたてて鉄扉は屋内に倒
れた。
﹁ふむ。なかなかの腕前だな。エミリオがそなたを推したのもわか
る﹂
﹁もったいないお言葉でございます﹂
﹁刀はローブで隠して歩け﹂
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#9
目立たぬよう、防寒着として灰色の外套を羽織る二人だったが、
思ったより暖かい気候だった。
売り場に現れた二人が人目を引いたのは、レベルの出で立ちがロ
ビン・フッドかピーター・パンのようなファッションであったため
ではない。
﹁なんだか注目されてあるみたいですね、姫﹂
﹁エミリオの申すとおりに服を選んだし、これで奇異に見られるは
ずはないのだが⋮⋮﹂
異世界の住人とのコンタクトに、さすがの﹃姫﹄もやや気後れし
ていた。
﹁うわー、きれーい。モデルさんかな?﹂
﹁あの男の子もかわいいわ。姉弟よ、きっと﹂
ここはファッションの発信地、銀座。少々の奇抜なファッション
を見咎められる場所ではない。周囲が注視するのは、二人の異邦人
然とした容貌であった。
まるでファッションブランドのカタログから抜け出てきたような
高貴な異様。
﹁みんな、姫の美しさを称えているようですね﹂
187
﹁さようか⋮⋮、ならば問題ない。参ろうか﹂
階下へ降りる道を探していると、それらしき階段を見つけた。同
じように階段を下りようとする人の列もできている。
﹁こちらから降りられるようですよ、姫⋮⋮なっ、これは!﹂
なんということだろう。二人の眼前にある階段を降りる人間たち
は自らの足を動かすこともなく、すーっと流れるように階下に通じ
る空間に吸い込まれていった。
﹁ひ、姫、お待ちください。これは危険です!﹂
レベルが手を掲げて姫を止めようとする。
﹁お、臆するな、レベル。先に行った者たちも何事もないように降
りているではないか﹂
188
#10
﹁しかし、この穴の下がどうなっているのかもわかりません﹂
二人がはじめて見るエスカレーターに恐れとまどっていると、背
後から買い物客の不機嫌そうな声が飛んだ。
﹁なにをモタモタしてるんだ、さっさと行けよ﹂
気の短そうな初老の男が、舌打ちをしていた。
﹁き、貴様、姫殿下に無礼であろうが﹂
レベルが思わず、マントに隠した刀に手をかけるのを姫は制した。
﹁場をわきまえよ、レベル。ここに我らの常識は通じぬ﹂
そう言うと、意を決して﹃自らの意志で動く階段﹄へその足を乗
せた。
﹁うわっつ﹂
不思議なのは階段が動くだけでなく、自分の足を乗せたプレート
が平行移動しながらやがて、変形して階段の体を形作っていくこと
だった。
足元を取られて、バランスを崩した姫の腰をとっさにレベルが支
えると、二人はしりもちをついた。
189
周囲から、クスクスと笑い声が漏れる。
下の階は男性用アパレルフロアだった。
﹁この建物はどうやら商用施設なのだな﹂
冷静に観察する姫の耳に、レベルの裏返った声が響いた。
﹁姫、あれを!﹂
一難去ってまた一難。
﹁階段が消えていく?﹂
彼らの足元のその先では、足場となるはずのプレートが折りたた
まれるようにしてわずかな隙間に収納されていく。
﹁このままでは、あの隙間に足を飲み込まれてしまう!﹂
レベルの心臓は恐怖のあまりに、バクバクと音をたてた。
﹁ハッ!﹂
足元のプレートからジャンプしたレベルは、吸い込み口を跳び越
えてフロアに着地した。
190
第六章 了
﹁姫! お手を﹂
﹁うむ!﹂
姫の伸ばした手をつかみ、ぐいっと引き寄せる。それとともに彼
女の体がふわっと、宙に浮かび、その勢いをレベルは自分の胸で受
け止める。
﹁ふーっ。姫、大丈夫ですか?﹂
﹁ええ、ありがとう﹂
さらにクスクスと、周囲の人間が笑い声をかみ殺している。
﹁⋮⋮﹂
後から次々と買い物客が、何事もないようにエスカレーターを降
りてくる。
レベルの身長では、姫の肩ほどもない。抱き合うようにして立ち
尽くしている二人とすれ違うときだけは、みな目を合わせないよう
にして通り過ぎる。
﹁みな、当たり前のようにこの不思議な階段を通っているな﹂
﹁そのようですね﹂
191
10人、20人と目前を通り過ぎていく人間たちを観察している
と、やはり恐れるには足りぬもののようだと理解できる。
﹁よっ、と﹂
緊張するのは、ステップに足を乗せるときだ。少々、バランス感
覚を要する。
﹁なんだ、慣れてみれば面白いものではないか﹂
﹁とくに反対側の登り階段は楽そうですね﹂
エスカレーターの真価は﹃上り﹄にある。
やや大げさな所作でエスカレーターを降りるが、もはや恐怖は感
じない。
﹁さすが、トシアキ卿の住む世界。話は聞いていたが、想像をはる
かにうわまわっている。それに、巨城ほどの建物の壁が一面すべて
ガラス張りとは、どのような構造になっておるのだ﹂
高さ28Mのセンターモールは、1階から7階まで吹き抜けてお
り、建物を垂直に切るバッファゾーンになっている。幅14M、長
さ60M。早朝から深夜まで開放される連絡通路は、有楽町駅と銀
座を結んでおり、地下部分は地下鉄7路線のコンコースと接続して
いる。
ほどなく、二人は地上へ降りた。
192
第七章 すべての男は消耗品であり、すべて女性はプリンセスである
姫を我が家にお迎えするにあたって、この状況をサツキにどう説
明しようか。
おれは昔から他人の面倒見がいいと言われていた。だれかに住む
場所を世話したり、隠れ家を用意するなんてことは十代の頃からお
CQ
応答願います。としあき殿、としあき殿、応答願い
手のものだった。
︵CQ
ます︶
天体ショーのニュースが流れる晩、おれはビヨンドの少年魔導士
エミリオからのダイレクト・ヴォイスを受信した。テレパシー通信
のようなもので脳内に直接術者の声が届くのだ。おれの母が得意な
魔術だった。
﹃ハム無線かよって、聞こえているぞ。久しいな﹄
声には出さず、心の声で答える。
︵急用がありまして、奏上いたします︶
﹃なにか相談事かい?﹄
︵これよりリリーナ・フォーミュラ・エル・スターバックス姫をお
連れして、東京へ参ります︶
193
﹃なに? ゲートに並ぶというのか。王族の往来は供の者がいるか
ら慎重にせよと伝えてあるだろ。おれも姫に会いたいのはやまやま
だが、王族も民間人もイレヴンズゲート律令に基づく資格者にしか
出入国を許していないはずだ﹄
︵ゲートを通さずに直接お連れします︶
﹃エミリオ、おまえ小ゲートを作ることができたのか。しかし、そ
れは律令に背くのではないかな﹄
︵ミサキ様が閣下にお会いしたいと、夜ごと泣いておられるのをリ
ィナ姫が見かねたということに、こちらではなっています︶
﹃ということのなってるって、そうではないということか﹄
194
#2
︵姫ご自身、乗り乗りでございます︶
﹁おーい、サツキ﹂
﹁なーに? 兄さん﹂
﹁ちょっと出かけて来る。帰りにお客様を連れて来るかもしれない
から﹂
﹁えー? こんな日に? ベランダでいっしょに流れ星を見ようよ
ー﹂
いぶかしむサツキを残し、おれは銀座に向かった。
同時刻。銀座七丁目、ソニープラザ前。
交差点で立ち尽くす一人の少女、その容貌はおれの初恋の人に瓜
二つ。やや年若い面立ち。
﹁うわー、うわー。あれは何かしら?﹂
︵あれは自動車だよ、リィナ︶
そばにいたならば、的確な説明を彼女に与えていただろう。
自分たちの故郷にも馬車はある。違うのは荷車を引く馬も牛もい
195
ないことだ。スピードも早い。
﹁すごい数ね。道を埋め尽くすほどの数だし、どうやって動いてる
のかしら﹂
リリーナは、はじめて見る異国の文明に驚きながらも、毅然とし
た表情ながらも、やや興奮気味に往来を見つめている。
﹁ミサキ、それにエミリオはどこにいるのだろう? 確か、近くに
落ちたはずなのだけど﹂
向かいのビルに壁一面がテレビモニターになった部分がある。
大画面モニター。先ほどからの大流星落下事件の経過を延々と流
し続けている。遠方からでもはっきりと視認できる光の帯。その上
をテロップが流れ続ける。
﹁あれ、わたしたちのことなのでしょうか?﹂
少し離れた百貨店前では、テレビのクルーが流星の落下地点と思
われる銀座からの中継を始めたところだ。
﹁ここ、銀座では世紀の天文現象発生の直後にもかかわらず、普段
どおりの週末の夜を⋮⋮﹂
196
#3
興奮気味にカメラに向かって話し続けるレポーター。
︵あの人、だれと話してるのかしら?︶
現場中継という言葉を知らぬリリーナにしてみれば、女性が複数
の男性スタッフたちの間で、一人芝居か演説をしているように見え
る。
﹁トシアキ卿がわたしたちのもとへ来てくださったのと同じ流星⋮
⋮﹂
日本でただ一人、この天変地異の真相を知る人間がいる。
﹁早く、会いたい﹂
彼女にとっての関心は思い人にしぼられているようで、きらびや
かな繁華街の照明にも心動かされることはないようである。
﹁こんな大きな街で、トシアキさまを探し出せるのでしょうか﹂
ブンブン。レベルの言葉にリリーナは、不安を振り払うように首
を振った。
﹁大丈夫よ、エミリオがダイレクト・ヴォイスでトシアキ卿に伝え
てくれたんだから。きっと、見つけてくれる﹂
報道特別番組は続く。
197
﹁まるで巨人が入っているように見えて、あれは動く絵なのよね?﹂
ニュースキャスターの姿は5メートルにも拡大されている。
﹁知っています。前にトシアキ様がケイタイデンワの画面を見せて
くれたもの。あのエキショウガメンと同じもの﹂
ジワッと、リリーナの瞳に涙が浮かぶ。
﹃ごらんください、リリーナ様。これがわたしの家族です﹄
異邦人のおれがリィナと最初に出会ったころ、彼女には自分の懐
から取り出した不思議な機械を見せた。
﹃まだ、バッテリー残ってるかな﹄
おれがボタンを押すと、ポッと液晶画面に光が点る。
198
#4
﹃うわ、びっくり﹄
そこに映るのは、サツキと、もう一枚は別の女性。その姿を見て
さらに驚くリリーナ姫だった。
﹃わたしにそっくりだ⋮⋮﹄
﹃わたしは姫に初めて会ったときから、運命を感じていましたよ﹄
しばらく時が経つと、その機械は動かなくなった。﹃デンリョク﹄
が尽きたからだ。
彼女たちの窮地を救った後、おれは故郷へ帰った。おれのことが
忘れられず、こうして時限の壁まで飛び越えて彼女らは追いかけて
きてしまった。
﹁リリーナさまー!﹂
﹁あ、ミサキがいたわ、レベル﹂
雑踏の中から現れた小さな人影。
﹁ミサキさま、ご無事ですかー?﹂
レベルがミサキのもとへ駆け寄る。
﹁エミリオめ、ちゃんと同じ場所に降ろさぬか﹂
199
﹁三人も一度に運んだのですから、無理は言わないであげてくださ
い、姫様﹂
エミリオは彼女らの故郷で、並ぶ者は少ない大魔法使いである。
本来なら同行するべきところだが、3人を運ぶ術式に専念するため、
自身はかの地へ残った。
︵一人減るだけでも負担が大きく変わるのですよ︶
﹁これからどうしますか、姫﹂
﹁やがて、トシアキ卿が我らを見つけるだろう。そのための光の川
you
doing?﹂
でもある。下手に動いては、見つけられる者も見つけられなくなろ
う﹂
are
そのとき、彼らを呼び止める声があった。
﹁Hey,Kids.What
﹁あれ、レベル。言葉が通じぬようだが﹂
﹁変ですねー、この地の言葉が通じるように魔法を掛けてもらって
いるのに﹂
200
#5
リリーナは、思案顔で推論を述べた。
﹁あの男、この地の者ではないのではないか?﹂
﹁外人さんですね﹂
サツキは日本人なので、都内には外国人も多くいることを知って
いる。
三人が周囲を見渡す。
﹁そういえば・・・・・・﹂
往来を歩く人間は、トシアキ卿の故郷だけあって、彼と同じ黒い
髪と肌の色をした人間が多い。とも一概に言えぬのが、ファッショ
ンの発信基地、銀座。
﹁トシアキ様と同じ民族の者には見えますが、髪の色や出で立ちは
てんでバラバラですね﹂
それでも、目の前の男が﹃ニホンジン﹄でないのは明らかのよう
である。地球においては、欧米人の姿である訪問者三人中ニ人の人
This
it
is
good︵おや? ソ
a
種的特長を共有している。
sorry.
take
beautifu
I
girl,if
﹁I'm
l
ーリー、よくみれば美人だな︶﹂
201
visitor?
I
will
guide
どうやら目の前の男は日本に暮らす外国人のようだ。筋骨は隆々。
you
おそらくは軍属かなにかだろう。
﹁Are
sightseeing︵観光客? よかったら案内するぜ︶﹂
馴れ馴れしく男の手が、姫の肩に回される。
﹁姫さまから手をはなせ!﹂
レベルは周囲の人間に気付かれぬよう剣をマントで包んでいた。
その束に手をかけ、一気に抜刀した。
短剣とはいえ60センチほどの刀身に20センチほどの束を持つ
刀剣は、少年にとっては、成人が長刀を持つほどの長さだ。
202
#6
男はなにが起きたかわからぬうちに、首筋にひんやりとした感触
があった。
﹁?﹂
考えもなく手で触ろうとして、その指が剣の刃に触れる。
﹁アウチ!﹂
自分の首元に剣が突きつけられていること、またそれを目の前の
少年が抜いたことに気付いた男は、尻餅をついたまま後ずさろうと
する。
男は立ち上がると一目散に逃げていった。
﹁﹁きゃー!!﹂﹂
ざわざわと往来が騒ぎだす。
﹁まずいな、通行人がみんなこっちを見てるぞ﹂
レベルは見た。さきほどからのレポートを追えたテレビクルーが
こちらの騒動に気付いて近寄ってくるのを。
﹁レベル、剣を隠せ。逃げるぞ﹂
彼ら3人を中心に、ぐるりと人の輪ができていた。いずれの人間
203
もレベルの剣に恐れおののいて遠巻きに見ている。
﹁ちょっと、あなたたち、なにしてるの!?﹂
マイクを持った女性レポーターが、カメラクルーを従えて駆け寄
ってくる。
﹁え、え? どうして逃げるの﹂
ミサキが、きょろきょろと首を動かしている。
﹁今後の我らの平穏な潜伏生活のためだ﹂
レベルは一寸早く、﹃近衛騎士モード﹄となって、姫の隣で身構
えている。
﹁レベル、引くぞ﹂
﹁わかりました、姫﹂
通りを脱兎のごとく駆け出す3名。
同じころ、彼らを探す人影があった。有楽町・国際フォーラムか
ら地上へと出たおれは、マリオンのツインタワーにはさまれた通路
を歩いていた。
﹁彼らがうろうろしていれば、必ずなにかトラブルを起こすはずだ﹂
204
#7
プロムナードの壁面、建物内部にいくつものテレビディスプレイ
がならぶ。それぞれが各局の放送を映し出していた。その前に立つ
おれ。
モニターのひとつ。レポーターの背後に外国人風の少年少女一団
の姿が映っていた。
﹁ソニープラザの前だな﹂
町の声に耳を傾けると、やはりトラブルを噂するささやき声が聞
こえてくる。おれは踵を返すと、その情報発信源を求めて雑踏に分
け入った。
テレビのレポーターに追われているだけあって、トラブルメーカ
ーはすぐに見つかった。
信号を待つ交差点の向こう側、周囲はドラマの撮影かなにかかと
思っている人間も多いようである。
﹁リィナ! シュウウォウモン︵リィナ! こっちだ︶﹂
おれはゲート内世界ビヨンドの言葉で呼びかけた。
おれの発した言葉は買い物客たちには理解できないものだった。
この地球で唯一、異界の言語を操る人間。信号が青に変わり、歩行
者が横断歩道をわたり始めるのをかきわけ、レベル少年が手を上げ
て、探し人を呼び止める。
205
﹁トシアキさま!﹂
おれを最初に見つけたのは、彼等を先導するように先へ進むリィ
ナの横を駆けるレベルだった。
異界のプリンセスはくるっと向きを変えて、全速力でこちらへ近
づいてくる。おれがその右手をつかんでも勢いは止まらずに、体当
たりをするように、この胸へと飛び込んだ。
そして次にミサキが。
﹁レベル、おまえもおいで﹂
姫二人に遠慮していたレベルもおれの腕を掴んだ。
206
#8
﹁ヘンキオウ♪ ヘンキオウ♪ ヘンキオウ♪︵大好き♪ 大好き
♪ 大好き♪︶﹂
おれたちは仲のよい家族のように肩を抱き合いくるくると輪にな
って回転している。これは、彼らとおれの故郷で家族が再会したと
きによく見られる挨拶である。
それを見た通行人がクスクスと笑っている。
歩行者信号が点滅するのを見たおれは、リィナの手を引き3人を
有楽町駅のガード下まで案内する。
﹁ここまで来れば大丈夫だろ﹂
3人とも足が速いために、テレビ局のクルーをはじめ、野次馬も
追いついてはこない。美咲はおれが背負って走った。
誰一人として、息切れすらしていない。
﹁トッシー﹂
来ていたブルゾンの襟にリィナがすがりつく。
彼女の髪をなでようとして、おれは身分の違いを思い出し、しゃ
がみこんでひざを地についた。
﹁これはリリーナ・フォーミュラ・エル・スターバックス姫殿下、
207
ご尊顔を拝しまして恐悦至極⋮⋮﹂
彼女もそれに合わせて、一度おれの身体から手を離した。おれは
美咲を背負ったまま頭を下げている。
﹁出迎え、大儀でありました。面をあげておくれ、トシアキ卿﹂
﹁御意﹂
落ち着いた声で返答すると、すっくと立ち上がった。
﹁レベルも、よく来たな﹂
ねぎらいの言葉に少年従者レベルは、上官に対する敬礼で応える。
おれと姫殿下が正面から向き合う。
﹁これより、我が家に案内します。せまい住まいで恐縮ですが、ど
うぞ気兼ねなくご滞在ください﹂
さて、このことをサツキにどう話したものか。そのことだけは気
が重い。
208
第七章 了
﹁お客様を連れてきたよ。ビヨンドの高貴な方だ﹂
姫を見て、サツキの顔色が変わった。
︵怒るかな?︶
怒るどころか、サツキは玄関に正座して三つ指をついて彼女らを
出迎えた。
﹁しばらく逗留していたくので、我が家でお世話をしたいと思うん
だ。いいかな?﹂
﹁ビヨンドの方が訪ねてきたということは、兄がお世話になった方
たちということ。狭い住まいでよろしければ、どうぞおくつろぎく
ださい﹂
恐縮したレベルが、同じように膝を床につけ頭を下げた。
﹁もったいのうございます!﹂
﹁レベル、面あげい﹂
現代文明の家具調度品は、異界の住人であっても快適であるのは
自分自身が経験済みだ。
姫に紅茶を。ミサキたちはオレンジジュースにした。まだ幼さの
残るレベルにはなにを飲ませようか考えたが、コーラを飲ませたら
209
きっと吹き出すだろうと考えると笑みがこぼれそうになる。
﹁兄さん、ちょっといいかしら﹂
二人きりになると、食って掛かってくるかと思ったが、意外に彼
女は冷静だった。
﹁あの人に似てるね⋮⋮﹂
うーん。いきなり核心をついたね。
﹁そう⋮⋮かな?﹂
﹁兄さんが失踪した時、まっさきに連絡をくれたよ﹂
﹁彼女が⋮⋮﹂
リィナ姫とはじめて会った時の印象は、おれも同じだった。正義
と悪、敵味方がわからないうちから、無条件で彼女を守る決意を固
めたほどだ。それほど瓜二つだったのだ。
彼女が心配をしてくれていた⋮⋮おれの心に暖かな火が灯る。彼
女のことに関してだけは、サツキは嫉妬心を隠して平静に話す。
もう終わったことだと、気持ちの整理がついているのだろう。
おれは﹁彼女﹂にそっくりなリリーナ姫と出会ってから、心の安
寧とはほど遠い精神状態でいた。
210
第八章 死せる詩人の会
教育実習生の中原涼子は困惑していた。
おれがリリーナ姫の転入手続きの相談に来たからだ。
職員室で隣に並んですわるおれとリィナ。
﹁ご親戚? 似てないわね﹂
それはそうだ。プラチナの細く艶やかな髪。妖精のような光が透
き通ってしまいそうな肌に、サファイヤブルーの瞳は宝石の輝き。
﹁遠縁なんですが、彼女の両親は海外勤務で知り合って結婚して、
生まれた彼女も海外生活が長いのですが、このたびお父さんが日本
支社に赴任して来日しました。あいにくと支社が長野県にあるので、
どうせなら東京の高校へ通いたいということで、我が家から通学し
たいとの彼女の希望を受けてこうして、校内を見学しに来た次第で
す﹂
﹁ふーん﹂
なにかいぶかしむような目で見られている気がした。
﹁ま、わたしは教育実習生だから事務的なことはしないけど、転校
の手続きは豊岡先生が教えてくれるわ。それにしても⋮⋮妹のサツ
キさんといい、家族が美人揃いでいいわね﹂
少々、冷ややかな声だった気もする。
211
﹁いやぁ﹂
照れたフリで頭をかく。
﹁妹さんと二人暮らしだったわね﹂
おれはうなずく。涼子はリリーナ姫の肩に両手を置いて忠告した。
﹁彼のこと信頼してるんだろうけど、ひとつ屋根の下にいるのなら
油断しちゃだめよ﹂
余計なこと言うなっつーの。それに、おれとリリーナはすでに何
度も夜を⋮⋮。
﹁大丈夫です。彼のこと信じてますから﹂
まるで人を疑うことを知らないような無垢な笑顔で答える。
212
#2
まるで菩薩のような穏やかな顔。後光が射しているようで、まぶ
しく感じた。中原先生も同様に感じたらしく目を細めている。
そして彼女の信頼を一身に受けるおれ。誇らしくなって、つい﹁
どや顔﹂で涼子を見てしまった。
﹁それはまあ、なんともごちそうさま﹂
それ以上、彼女は言葉もない。
﹁いいのです。彼になら何をされてもかまいはしないのだから﹂
︵はうあああ︶その物言いだと、また別の意味になってしまう。
﹁リリーナさん。あなた、なん歳だっけ?﹂
ぴくり。涼子の眉が吊り上る。
﹁16歳です﹂
﹁双葉君は﹂
﹁21歳です﹂
﹁双葉くん、見学が終わったら、先生とお話をしましょう﹂
ひきつった、それでも笑顔を作ろうとして、涼子の頬が痙攣して
213
いた。
︵まいったなー。またお小言か︶
いったん職員室を出る。土曜日の午後、これからリリーナに校内
を案内して回る。彼女は着替えを数着持参していたが、散策を兼ね
て街へ買い物に出かけた。そのとき購入した目立たぬ服で高校へ訪
問している。
リリーナ・フォーミュラ・エル・スターバックス姫殿下御一行が
我が家に滞在して数日、サツキともうまく付き合い、レベルたちは
家事をよく手伝い、地球の日常へ徐々になじむようになっていた。
﹁姫、おれとサツキは学校へ参ります。留守の間は、外へ出ないよ
うにしてください﹂
昼間のほとんどを家に置き去りにしてしまうことは心配だった。
携帯電話の使い方を教えて急用があれば、学校も何度か早退して駆
けつけた。
214
#3
美咲はもともと地球人なのだが、地球に戻ってきても親元に連れ
て行く気はさらさらない。まだ7歳だった彼女の養育を放棄した男
女だ。親と認められない。
わが故郷、シュヴァリアでは親による子どもの養育権そのものが
認められてはいないが、この日本では子の養育は国民の義務である
はずだ。
姫と一緒とはいえ、一日の多くを部屋に置き去りにされるのはさ
びしいだろうと思っていた。また姫もこの世界の仕組みについて興
味津々だ。一国の皇女としては学究心もあるだろう。
案の定、﹁トッシー、わたしもあなたの通う﹃学校﹄を見てみた
い﹂と姫が所望された。
どれだけ滞在するにしても、レベルたちにこの世界の文明を見せ
てやりたい思いもある。
校内を、姫と歩きながら案内する。
﹁兄さん﹂
土曜日は基本休みだが、進学コースのサツキは午前授業で登校し
ていた。
右脇にサツキと、左にリィナを伴って廊下を歩くと、生徒たちの
視線が痛い。
215
﹁トシアキ!!﹂
ひときわするどい視線の主は、わが副官エイプリル・カエノメレ
ス。
﹁なんだ、エイプリルも学校に来てたのか﹂
﹁生徒会の活動だよ﹂
エイプリルは、生徒会の副会長をしている。ビヨンドにいたとき
と同じように、リーダーのサポートをしてくれているわけだ。
この学校の生徒会役員は女子生徒が多い。
生徒会長は有能な副官のおかげでたいそう仕事がはかどっている
ことだろう。まさか、生死のかかった戦争で磨かれた組織統率能力
だとは夢にも思うまい。
216
#4
﹁そ・ん・な・こ ・と・よ・り﹂
エイプリルは、おれの隣のリリーナに目を奪われていた。
﹁リリーナ姫さま﹂
片膝を廊下につけ頭を下げようとするのを、おれと姫で止めた。
﹁なにごとかと思われるだろ﹂
周囲に他の生徒はいなかったが、奇異にとられる講堂は慎むべき
だ。
﹁面をあげて、エイプリル﹂
﹁姫さま、どうしてここに﹂
﹁美咲がトッシーに会いたいと懇願するので、わたしが連れてきた
のだ。いえ、ここでは身分の差などありません。姫などと呼ばない
で、エイプリル﹂
リリーナは、エイプリルに対等な一市民として接するように求め
た。
﹁急には無理か。おれも銀座まで迎えにいったときは思わず平伏し
ようとしたものな﹂
217
﹁銀座? 銀座ってまさか、この前の流星騒ぎは⋮⋮﹂
﹁そうだ、ゲートを通らずに強行着陸したんだ。このことは秘密だ
ぞ﹂
﹁驚いたわ﹂
﹁エイプリル、美咲にも会いにきてね。きっと喜ぶわ﹂
﹁姫はいまどちらに滞在を?﹂
﹁トッシーの家だ﹂
ギロッ。猫のようなエイプリルの眼がさらにカッと開く。
﹁⋮⋮危険です﹂
﹁なにが?﹂
姫はさきほどの涼子に向けたものと同様の無垢な瞳をエイプリル
に向ける。
﹁とにかく姫はこの地球で見聞を広めたいとのことで、近くこの学
校に転入するつもりだ。おまえにもよろしく頼む﹂
﹁まじで!?﹂ 姫とお供の行列は計4名に増えた。
﹁トッシー、もしかしてわたしは王族と知れてしまっているのか﹂
218
#5
﹁いえ、そのようなことはありません。なぜそのように思われまし
た?﹂
﹁素性を隠しているのに、どうしてみな⋮⋮わたしの方を見ている
ような⋮⋮思い過ごしでしょうか﹂
﹁学校という場所は見かけぬ人間がいると目立つものです。そうで
なくても姫のような高貴なお方は人目を惹いてしまうものなのです
よ﹂
﹁トッシー⋮⋮﹂
﹁高貴でなくて悪かったな﹂
エイプリルが憮然とした顔でいた。サツキは無言だが、エイプリ
ルと似たような表情でいる。
かなり﹁おれ﹂らしからぬ状況ではある。サツキと一緒にいるだ
けでも周囲からは好奇の目で見られるのに、エイプリルが転校して
きておれは注目の男子生徒になってしまった。
こうして美少女3人を伴って校内を闊歩するのは、男子としてち
ょっといい気分だった。
学校自体は皇女にも理解がしやすいものだった。ビヨンド内にも
学校があるし、貴族制度のないスターバックス国なので姫は一般人
と共に学舎へ通った。最も、貴族に近い富裕な商人や公人の子弟が
219
集う学校だったそうだが。おれの通ったような軍事教練施設ではな
い、児童生活があった。
学校見学が終わり、職員室へ挨拶にもどると中原先生が待ってい
てくれた。
﹁お待たせしてすいません。見学が終わりました﹂
﹁双葉くん、少し時間あるかしら? 転校生の受け入れについて相
談したいの﹂
︵あれ? 事務的なことは他の先生に任せると言ってなかったっけ︶
220
#6
本来、仕事の終わったはずの教育実習生を待たしたのかもしれな
いし、話を聞かなければいけないと思った。
﹁よし、3人は帰っていてくれ。おれは話をしてからもどる。よい
ですね? 姫﹂
﹁姫?﹂
涼子の顔に疑問符がついた。つい、口が滑ってしまった。
﹁我が家の客人なので、﹃お姫さま﹄扱いをしています﹂
﹁なるほどね。こんなかわいいゲストといっしょでは、楽しくて仕
方ないでしょう﹂
﹁そうですね。毎日が薔薇色です﹂
おれは照れもせずに返した。
エイプリルに、我が家まで姫と同行を頼んだ。よければ、そのま
ま夕食までいてくれと伝える。
廊下を歩きながら、姫は2、3度振り返るのを見送って、おれは
手を振った。
﹁少し、場所を変えて話しましょうか﹂
221
涼子の提案で、おれたちは屋上へ出た。生徒の姿はない。見渡し
て、涼子が念入りに確認しているように見えたのは気のせいだろう
か。
﹁リリーナは世間知らずで、外見も目立つ生徒ですからいろいろご
心配をかけるとは思います。学年は1年生ですから、できれば同じ
クラスにしてくれたら、おれが面倒をみることができるのですか﹂
﹁わかったわ﹂
あっさりと涼子が応じた。口にしてから、教育実習生に頼むよう
な話ではなかったと思いかけていたのだが。
﹁あなたの頼みなら、なんでもきいてあげる﹂
︵あれ? なんか変な言い回しだぞ︶
﹁それはずいぶんとサービスがいいですね﹂
涼子はしばらくおれと目を合わさず、落下防止用フェンスの先に
ある空を眺めていた。
222
#7
﹁教育実習生になって高校生たちを見ていると、自分のその頃のこ
とを思い出すわ﹂
﹁どんな思い出がありますか?﹂
彼女の高校生時代には、ひとつの大きな事件があった。それさえ
除けば、きっと楽しい高校生活だったことだろう。こうして溌剌と
した顔で教育実習に来ていることからも大学生生活も順調なことだ
ったろう。
﹁楽しい思い出。それから寂しい別れがあったわ﹂
おれはだんだん白々しくなってきた。あれから5年も経っていな
いのだ。
﹁双葉くん、わたしたちは同い年同士。そのころはどこにいたの?﹂
﹁おれは親父が事業に失敗して、妹との生活を守るために職を転々
としていましたよ﹂
﹁仕事って?﹂
﹁まあ、いろいろです。ウェイターをやったり、販売や事務をした
り﹂
﹁あなたの住所を見たけど、ずいぶんと素敵なマンションに住んで
いるのね﹂
223
﹁がんばって働いて、金回りがよくなってきて、おかげさまでいま
はお金の苦労はしていませんよ﹂
﹁立派ね﹂
﹁いや、それほどでも﹂
実際には聞くも涙、語るも涙の苦労話があるのだが。
﹁でもさ、高校生が働きだして数年でマンションを購入して、妹さ
んと何不自由ない生活基盤を作るなんてちょっとすごすぎると思う
んだけど﹂
﹁身を粉にして働きましたので﹂
なんだろう。てっきりリリーナ姫と不適切な関係を結ばないよう
に釘を刺すために呼び出されたと思ったのに。
﹁あのご親戚の女の子、とてもキレイね﹂
224
第八章 了
﹁そうでしょう?﹂
あえて軽薄な笑みで疑いをかわす。
﹁すこし妬けるわね﹂
﹁え? なにがですか﹂
﹁あなたは昔、わたしが少し気にかけていた人に似ているのよ﹂
﹁やだなあ、からかったりして。勘違いしますよ?﹂
涼子がこちらへ向きなおして一歩近づいた。口元に笑みを浮かべ
ているが、真剣な眼差しがおれに注がれている。
じっとおれの顔を見つめている。
﹁ねえ、5年しか経っていないのに同級生の顔を忘れたりするもの
かしら﹂
﹁どうでしょうか﹂
﹁その同級生は、短い間しかわたしの前にいなかった。でも、わた
しや家族に大きな秘密を隠したまま姿を消してしまった。わたしは
ずっとそのことが気がかりで仕方ないの﹂
﹁ご本人が秘密にしたいのなら、そのままにしておいた方がいいの
225
ではないでしょうか﹂
もはや、さぐりをいれるどころの話じゃない。
﹁冷たいじゃない、水島くん。わたしはあなたのことお友だと思っ
ていたのに﹂
涼子の手がおれの肩に置かれる。
﹁だれかと勘違いしているようですね。おれはこの学校を一度中退
して、あなたの同級生になったことは⋮⋮﹂
彼女の手がおれの背中に届いて、おれは抱きしめられた。彼女は
背が高い方で、ヒールの高い靴を履くと、おれと並んでもあまり差
がない。
﹁わたしの妹を助けてくれてありがとう、リトル・ランボー﹂
おれは観念した。彼女の腕を振りほどくのをやめて、同じく彼女
と抱擁を交わすべく両手を彼女の背に回した。
﹁きっと、あなたじゃないかと思っていた﹂
﹁それ以上、いけない﹂
226
第九章 死せる詩人の会︵後編︶
4年まえのことだ。
新しい町、新しい住まい、新しい学校に転校してきて一週間。
ここは武蔵野市、吉祥寺のはずれにある都立高校の教室。いまは
昼休み。
まだ友だちは一人もいない。できないわけではなく、あえて作ら
ないと言ったほうが正しい。虚勢を張っているように聞こえるかも
しれないが、詳しいことは追々説明することにしよう。
おれは誰と話をすることもなく、周囲の人間がどんな会話をして
いるのか耳を傾けていた。
﹁昨日のドラマさー⋮⋮﹂
﹁韓ジャニの⋮⋮竜二くんが⋮⋮﹂
﹁親が携帯のアドレス帳をチェックしててさー、チョーむかつくよ﹂
少し前の自分なら、そんな会話の輪に加わることを面倒だとは思
わなかった。いまはただ、昨夜に眠れなかった分を取り返そうと、
こうして目を閉じてじっとしているだけだ。
227
﹁⋮⋮水島くん、﹂
交わらなくとも最低限、クラスメイトの顔と名前は覚えようとし
ている。
﹁水島くん?﹂
この声は、二つ隣の席に座る中原涼子の声。
﹁もしもーし、起きてますカー?﹂
楚々としているが、実は気の強いところがある。
﹁水島君ってば﹂
声が近づいてきたので、薄目を開けた。
﹁うわっ、﹂
驚いて、のけぞった拍子に椅子が浮いた。あまりにも彼女の顔が
近くにあったから。
﹁なによー、なんでそんなにビビるのよ﹂
ふだんは、ストレートに伸びた真ん中分けの髪が、いまだけはポ
ニーテールになってる。
﹁いや、急に声をかけられたから﹂
﹁なに言ってるの? さっきから呼んでるでしょ﹂
228
#2
﹁いや、だって水島くんなんて言うからさ⋮⋮あ!﹂
︵いけね、いまは﹃水島祐希﹄だったっけ︶
﹁あ、いや、ごめん。居眠りして、寝ぼけてた。で、なんか用?﹂
おれの返事に涼子はむっとしたようで、教室をぐるりと指差した。
﹁あれ、誰もいない﹂
﹁もう、五時限目はじまってるっつーの。あんたが来ないから呼ん
でこいって言われたのよ﹂
目を閉じていたら、ほんとに眠っていたようだ。教室には制服の
ままの自分と、体操着姿の彼女しかいない。クラスメイトと必要最
低限の会話しかしないでいたから、だれもおれに声をかけなかった
ようだ。
こういうとき呼びに来るのは大抵、仲のよさそうな同性の友だち
なのだろうが、教員にもその心当たりがないあたり、おれのこの学
校での立場を物語っている。
彼女は学級委員だから、教師から言いつかったのだろう。俺が体
操着に着替えるまで、委員長は律儀に廊下で待ってくれていた。
﹁お待たせー﹂
229
学校指定の体操着に着替えて、教室から顔を出すおれ。
﹁しっかりしなさいよね、転校生﹂
ぷいっと、顔を上げると廊下を駆け出す。彼女と並走しながら、
おれはあることに気づいた。
﹁なあ、この学校の体操着ってハーフパンツだよな﹂
男子は白い短パンだが、女子は水色で膝上までのジャージをはい
ている。
﹁なんか、やけに短くないか、きみのパンツ﹂
﹁じろじろ見ないでよ、いやらしい﹂
別に変な意味で見ているわけじゃない。純粋に女子生徒の動向を
観察しているに過ぎない。
230
#3
涼子のジャージは裾をまくりあげて、太ももがあらわになってい
た。巻きあげられた生地が脚の付け根に近い部分でぐるぐる巻きに
なっている。
﹁かぼちゃパンツみたいだよ﹂
﹁むかつく言い方ね。脚が長く見えるように、みんなこうしてるの
よ﹂
涼子は自分の意志ではなく、女子全体の見解として答えた。
校庭に出ると、生徒たちがにやにやとした視線で迎えた。
﹁水島、たるんでるぞー﹂
体育教師は出席簿で軽くおれの頭を叩く。
﹁すいまっせーん﹂
今日の授業は陸上の中距離走をやるらしい。季節によっては、男
女が別の競技を行うために授業が別になるが、今日は全員一緒にひ
たすらトラックを走るだけだ。
八〇〇メートル走をひたすら繰り返す間に、生徒たちの﹁かった
りー﹂の声が何度漏れたことだろうか。
おれは目立たぬように生徒の平均的なペースで走るようにした。
231
力をセーブして走っているので、肩で息を切らすようなこともない。
インターバルの間は、さきほど涼子と話した件について、さらな
る考察をしてみた。
女子の﹁かぼちゃパンツ率﹂は、およそ半数。こうしてみると、
すでに廃止している学校が多いはずのブルマが復活しているように
も見える。
﹁いや、そうではないな﹂
思春期の乙女にとって、お尻の形がはっきりとわかるブルマを敬
遠するのは理解できる話だ。
彼女らのこのコーディネイト、モチーフはバルーンパンツだろう
か。
涼子は﹁むかつく形容﹂と言ったが、べつにばかにするつもりは
なく、ふわっとしたカボチャのような形になったジャージから伸び
る生脚が、彼女の言うとおりに脚
線美をよりいっそう引き立ている。
232
#4
﹁うん。うまい工夫だと思うよ﹂
感心して、女子の一団を眺めていると、涼子たちのグループがト
ラックを走り終わって、おれの眼前を過ぎようとしていた。
涼子に手を振ると彼女は、︵まだ、見てるのか?︶という顔で冷
たい視線を投げかけてくる。
つづいて、すぐに二度目のコースランの順番が回って来た。
﹁いい天気だな﹂
暑くもなく、寒くもなくいい季節だ。ジョギングは体育の授業で
なくとも毎夜走っているから、苦にもならない。
天は高く、雲も少ない秋の午後。
﹁こんな日は、父が捕まった日のことを思い出す﹂
昭和83年某日。
おれは夕暮れ時の住宅街を歩く。
家に着くと午後七時三十分を回っていた。居間では父とサツキと
が夕食を息子の帰りまで待ってくれている。
233
﹁ふわぁっ、眠い﹂
おれは欠伸をしてまぶたをこすった。若いから、いくらでも眠る
ことが出来る。
その晩は、家族にとって気になる出来事があった。
﹁としあき、テレビのボリュームを上げろ﹂
父の顔が険しくなる。
﹁これって、本家の?﹂
テレビのニュースである企業の名が繰り返し呼ばれている。アナ
ウンサーの声を背景に、アイエムジー株式会社の本社ビルと、テレ
ビ局の取材から顔を隠すようにして小走りに帰宅する社員と思われ
る人たちの姿が映し出されていた。
その企業の名をとしあきも知っている。父方の親類縁者が経営す
る企業グループの中核企業だった。祖父が早くに亡くなって貧しか
ったころ、本家の援助で父は大学に通わせてもらったと聞いている。
234
#5
バブル経済が弾けたあとの不況下でさえ、盤石な財務状況を誇る
と言われていた代表的な国内企業の一つ。
﹁パパ、なにか聞いてる?﹂
サツキの問いかけに父は首を横に振った。
アナウンサーが企業の歴史を簡単に視聴者に伝える。
﹃アイエムジー株式界社の起源は、終戦後すぐに始まったアメリカ
との貿易にあります。戦後日本の経済成長とともに事業は多岐にわ
たり、主な収益は資源貿易からとなっていきました。そういう意味
では、日本の経済史において物資調達に大きな役割を果たした企業
であるといえます。その一方で日本のバブル経済が弾ける前後には、
業界の先端を走るようにエネルギー取引に積極的にデリバティブを
取り入れ、資源市場に限らないキャッシュフロー経営の最先端企業
ともなり、アメリカの投資バブルにも支えられ、安定した経営をア
ピールしました﹄
優良企業の代表と言われていたアイエムジー株式会社になにが起
きたのか。
﹃そのアイエムジー株式会社で今回明るみに出た粉飾会計ですが⋮
⋮﹄
﹁粉飾だって? そんなばかな﹂
235
﹁そんなばかな﹂という父の言葉をおれとサツキは、﹁身に覚えが
ない﹂という意味だと思っていた。実際には、﹁なんでバレたんだ﹂
という意味だったらしい。
﹃時価主義会計を利用して見かけ上の利益を水増しする、合法ぎり
ぎりの会計も積極的に利用して利益を高く見せていました﹄
さらにインサイダー取引についても、近年積極的に行われていた
ことが明らかになったのだという。
236
#6
さらにインサイダー取引についても、近年積極的に行われていた
ことが明らかになったのだという。
﹃昨年には利益に占めるデリバティブ比率は八割を越えていました﹄
それが今回のアメリカ金融危機によって、露見したというのだ。
﹁いまの社長は父さんの従兄だ。兄貴に電話してみる﹂
携帯電話を取り出し、数回かけなおしてみても電話は通じなかっ
た。
父はこの企業グループの関連会社の社長をしていた。
﹁それどころじゃない、ということか﹂
﹁ぼくたちに何かできることはあるかな﹂
父の従兄一家とは何度か会うことがあったものの、社長自身は多
忙なためにめったにとしあきが姿を見ることはなかった。順おじさ
んは気前のいいひとで、ある年などは正月にとしあきにお年玉をく
れたのだが、のし袋をあけると中には一万円札が十枚入っていた。
驚いて父に報告すると、あわてて中身は返されてしまった。
﹁チェッ、言わなきゃよかった﹂
237
内心では、報告するんじゃなかったと悔やむとしあきだった。
しばし、重い空気が家族の団らんを打ち消す。
﹁とにかくだ、商売のことは部外者にはわからない。明日も連絡し
てみて、お父さんにできることがあれば手伝うつもりだ。としあき、
おまえは気にしなくていい﹂
これほどの巨大企業の不祥事を高校生が悩んでみたところで、解
決策が思いつくはずも無い。
おれは自室で参考書を開いた。とはいえ、心穏やかでいられるわ
けがない。
くるくるとシャープペンを指で回す。商売に無関係だったが、一
族の一大事である。
238
#7
思い出にふけっている間に、二周目のコースランは終了した。
﹁ふうっつ﹂
さすがに二度目の二〇〇〇〇メートルを駆けると、通常呼吸とい
うわけにはいかない。手を広げ、深く息を吐く。
﹁水島君、すごいのね﹂
﹁ん?﹂
涼子が、声をかけてきた。
︵おっとっと︶
足元に目を落とそうとして、急いで視線を顔に向ける。
︵すごい? ランニングのことなら、ちゃんと目立たぬように手を
抜いて走ったはずだけど⋮⋮︶
おれは、ちゃんと隣に並んだ生徒と同時にゴールしたのだから、
とくに目立つこともないはず。左側を走っていた山村純一は、ひざ
に両手を置いて、﹁ハア、ハア﹂と乱れた呼吸を整えようとしてい
る。
︵そう、山村と同時に⋮⋮あれ?︶
239
そこにいたのは、山村ではなく田島陽介だった。
振り返ると、いまゴールした後方を山村たち一団が﹁ヒーコラ、
ヒーコラ﹂とトラックを駆けてくる。彼らは、ゴール地点で止まる
ことなく、そのまま次の一周を続けた。
﹁ありゃ、あいつら周回遅れ? ひとつ前のグループに追いついち
まったか﹂
正確にはおれが周回飛ばしをしたのだが、思い出に浸っているう
ちに、無意識にスピードを普段のジョギングペースに上げてしまっ
たらしい。
﹁はぁ、はぁっつ、うぐーうぐー、もう駄目だー、死ぬー、もう走
れねー﹂
おれは、あわててグラウンドに突っ伏し、息も絶え絶えを装って
苦しげな声を出した。
ぽかーんとする涼子や女子たち。われながら、わざとらしい演技
だと思ったが、こうでもしておかないと、後々、陸上部やらの運動
部から勧誘攻勢に遭うのが目に見えていた。
240
#8
体育が終了し数学の時間も、涼子の視線を感じた。あきらかに、
ふにおちないという顔でおれを見ている。
六限が終了するやいなや、おれは席を立つ。予想は的中。教室を
出るところで、上級生とすれちがった。
﹁おい、このクラスに水島ってやつはいるか?﹂
坊主頭ではない。野球部以外の部員だろう。細身で頬もこけてい
るから、おそらく陸上競技部だろう。
﹁え? ええーと、さっき帰りました﹂
教室の中から答えたのは、涼子の声だ。
︵サンキュー︶心で念じながら、おれは廊下を足早に過ぎ去った。
︵いまのおれには、部活なんかしている暇はない︶
俺が高校2年生で、サツキは中学2年生になっていた。2人暮ら
しには馴れている。双葉氏、いや、父さんが逮捕される前も、長期
出張が多かった。
サツキが小学生だったころも、おれとサツキは家で2人、何日も
父の帰りを待つことがあった。
﹁ほんとに大丈夫か?﹂
241
父の仕事の妨げになるのは嫌だったし、2人で夜を過ごすことも
寂しいと思ったことはない。サツキもおれがいれば大丈夫だと言っ
た。
父の手配か時々、職場の同僚と名乗る女性が、おれの様子を見に
来てくれた。
そしてその女性はいまも、おれの部屋にいる。
携帯電話の着信音が鳴る。
﹃食事の支度をして、隊にもどります。お早いお帰りを﹄
陸上自衛隊に所属する霧島二尉は自衛官でありながら、おれと同
じ﹃組織﹄に所属するエージェントだ。
霧島という名前と尉官も適当な呼称だろうが、組織には軍属関係
者が多い印象がある。
242
#9
自衛隊の給料に加えて組織から支払われる手当のせいで、組織に
協力する人間が多いのだという。霧島女史に限らず、組織の人間は
すべて、表の顔としてなんらかの職業に従事しているようだ。
メールの着信音が鳴る。
一〇月一五日︵水︶、午後三時〇〇分ころ、豊島区棚橋二丁目付
近で、ひったくり事件が発生しました。︵不審者の特徴については、
一七〇cm 位、短髪、黒色っぽい上衣︶
︻問い合わせ先︼武蔵野警察署 〇三?####?%%%%
﹁近いな﹂
今日はこどもに声をかける不審者の報告が多い。都内全域で、注
意を促すメールが何件も来る。
引っ越して、まだ一ヶ月しか経たないマンション。隣人は、まさ
か高校生と中学生の二人暮らしだとは思っていないはずだ。
霧島二尉が出入りしてるのは、親族に見えるようカモフラージュ
する意味もある。
スーパーで日用品とおやつを買って帰宅する。電子ロック付のセ
キュリティが行き届いたマンションだ。
243
外観はガラスを多用した軽量の建築構造。厳しくなった構造設計
の審査と、防災に配慮し、鉄筋そのものをデザインに組み込んだデ
ザイナーズマンション。耐震設計が行き届き、脱出路も複数用意さ
れている。
エントランスには非接触式のICカードによる認証。部屋へ入る
には、カードキーと暗証番号が必要だ。
表札には水島の姓。
﹁かえったよー﹂
屋内は静かだった。昨日、帰宅したときにはゲーム機の電子音が
聞こえてきたが。
﹁おかえりなさーい﹂
244
#10
リビングから、サツキがひょこっと顔を覗かせた。
﹁ただいまー。アイス買ってきたから、冷蔵庫に入れといて﹂
玄関まで出迎えに来た彼女に、スーパーの袋を渡す。
彼女は冷凍庫に隙間をさがして、棒状のアイスクリームバーをしま
おうとする。
﹁あれ、扉がしまらないや﹂
冷凍食品を買いすぎていたせいか、冷凍庫からアイスバーがはみ
出している。
﹁冷凍スパ、お昼に食べなかったの?﹂
サツキの中学は今日、設立記念日で休みだった。
﹁燈子さんが、お昼は冷凍じゃないスパゲッティつくってくれた﹂
シンクは、調理をしたあとに掃除をしてくれたのだろう。出かけ
る前よりキレイになっている。高校に上がるころはサツキの料理も
主婦並に上達していたが、このころはまだ苦労知らずの癖が抜けて
いなかった。
テーブルの上に書置きがあった。
245
﹁燈子さんが帰ったの、三〇分前ぐらい?﹂
メモを読む。
﹃自分の食ベたいものではなく、サツキちゃんの健康を気づかうよ
うに﹄
おれの食生活に関するお小言が書いてあった。
霧島二尉は勤務シフトで昼に時間があると、我が家を訪れる
﹁そういえば、親父もよく燈子さんに似たようなこと言われてたな﹂
父の逮捕以前にも、燈子さんは我が家をよく訪れていた。出張で
父が不在がちなのを心配したのだろう。父が数日の間も家を空ける
ようなことは以前はなかったそうだ。おれが家族に加わって、サツ
キを任せて仕事に専念できるようになったらしい。
246
#11
おれが中学生だった頃、父の不在時には食料や漫画を買い込んで
家庭内キャンプとしゃれ込んでいたが、いまはそういうわけにいか
ない。
父は組織の仕事と実子であるサツキ、血のつながらない息子であ
るおれを育てるというやっかいな仕事を両立していた。その後、お
れは父の仕事を、少し形を変えて引き継いでいる。
引っ越しが多くなることを考えて、冷蔵庫は一人暮らし用のもの
を買った。冷凍食品のウチ、ピラフなど形が崩れてもいいものをテ
ーブルの上でつぶしてから冷凍庫に戻すと、アイスクリームもなん
とか収納できるようになった。
﹁霧島にいが、サラダをつくってくれたよ﹂
﹁そう。じゃあ、お米を研いで晩ご飯のしたくをしますかね﹂
﹁もう研いだよ﹂
見ると、炊飯器のふたが閉じてあり、赤いランプが点滅している。
ふたを上げると米は三合沈んでいる。水の位置もちょうどいい目盛
りの位置だ。
このマンションは、部屋数三、そのうちひとつがこのダイニング
キッチン。いわゆる二DKの間取りだ。高校生と中学生の二人暮ら
しとしては広すぎるくらいの間取りだろう。
247
ふだんは、リビングで生活する時間が多い。六畳の寝室と同じ広
い、とても整理整頓された空間になって
さのクローゼットに衣類や雑貨がしまわれ、このマンション室内全
体が散らかるものの少な
いる。おれはクローゼットに学生服を脱いでしまい、シャツも脱ぎ、
下着一枚の姿になった。
そして、もう一部屋。ここはなるべくサツキにも立ち入らせない
ようにしている秘密の部屋。そこはシークレット・エージェント、
水島祐希としての執務室。
248
#12
部屋の間取りは隣室と同じだが、クローゼット以外に家具は置い
ていない。正面に姿身があるぐらいだが、これも身だしなみを整え
るためのものではない。
この世界の生活で困ることは、組み手がいないことだ。投げや受
け身の練習もせまい部屋ではできやしない。
だがエージェントの活動の中、わかったこともある。
﹁世の中には、思いもかけないケンカの仕方があるもんだ﹂
この下着ー枚がおれのトレーニこグウェア。ひざを曲げ腰を落と
し、鏡の前で半身を引く。
駆け出しエージェントとしてミッションを遂行する中では、正直
言って痛い目に遭う事も多々あった。そこで、より多彩な敵と相ま
みえるために、ボクシングを鍛練に取り入れることにした。
﹁フッ、フッ﹂
短かく左挙を突いてももどす。
﹁ッュッ、シュッ、シュッ!﹂
ふりかぶって右フック。すばやく姿勢をもどす。
ただ同じ動作をくり返すだけではなく、鏡の中に自分と同じ技量
249
を持つ敵を見出す。
自分の挙は敵の拳。打っと同時に、かわす。
﹁ッュッ、シュッ、シュッ!﹂
ボクサーはリズムを取るために口で夙切り音を模すが、スピード
に乗ったおれのパンチは自然とボクサー同様に空を切る音をたてた。
シュシュシュシュシュッツ。まるで機械音のように、券圧が空気
を摩擦する。一〇代前半の武道鍛錬は、より強い生身の人間になる
ことをめざした、心身の鍛錬だった。
これからは、この肉体を戦闘機械として研ぎすましていくことを
目的とした鍛錬を行わなければならない。
250
#13
より速く、より正確に相手の急所へ打撃を与える。威嚇であれば、
一撃で致命傷にならなくてもいい。
いざとなれば、トドメはナイフを用いてもいい。
出会い頭の戦闘では、顔、とりわけ鼻などに軽い一撃を与えるだ
けでも、相手の闘争意欲をそぐことが出来る。
逆に言えば、相手もこちらの戦闘力をそぐために同様の攻撃を仕
掛けてくるだろう。
お互いに武器を持たない、武器を抜く暇の無い近接戦闘では互い
の急所をガードしながら、リーチの短い打撃戦になる。
シュヴァリアの教練においては、ファランクスと呼ばれる集団戦
闘を前提に訓練を受けた。この世界に来てからは、心を空にして型
に倣う稽古を積んだが、現代都市戦術においては常に相手の動きを
追い、次のコンビネーション動作を考えていなければならない。
ブブ、ブブブブ、ガチャン。何か床にぶつかる音がした。
﹁うん? 携帯が落ちたか﹂
マナーモードにしていた携帯電話をリビングのテーブルに置いて
いたが、振動で床に落ちたらしい。
﹁大事な連絡手段だ、壊れないようにしないと﹂
251
官給品の携帯電話は、過酷な任務環境に耐えられるよう、防水仕
様で衝撃にも強い機種をもらっていた。
﹃受信メール件数一〇件﹄
さきほど確認したときから、メールが増えている。携帯電話は二
種類のメールアドレスを一台で使用することができる設定になって
おり、組織からの連絡メールは専用のフォルダに入るようになって
いた。
いま届いたのは、一般的な用事に用いるメールアドレス宛の送信
だ。
252
#14
いま届いたのは、一般的な用事に用いるメールアドレス宛の送信
だ。
﹁どら、誰からかな﹂
フォルダを開く指がボタンを押す間もなく、画面が受信表示に変
わった。
﹁またかよ、﹂
受信を待って、トレイを開く。
メールは全て警視庁からの警戒メールだった。
﹁なんか多くね?﹂
そう言ってる間にも手のひらが震動する。みる間に受信トレイが
新着メールで埋められていく。
?一〇月一五日︵水︶、午後七時三〇分ころ、豊島区夏江町三丁
目の路上で、生徒が帰宅途中、男に声をかけられました。︵不審者
の特徴については、三〇歳代、中肉、長髪パーマ、色不明Tシャツ、
色不明短パン、自転車利用、色不明軽快車︶
︻問い合わせ先︼豊島警察署 〇三−****−****︵内線
////︶
253
︵・ω・
﹁変質者か、おれの前に現れたら、ギッタギッタにしてやんよ﹂
シュッ、シュッ。おれの拳が空を切った。︵⊂=⊂≡
︶
さらに携帯の震えは止まらない。
?一〇月一五日︵水︶、午後九時二〇分ころ、小平市中川二丁目
付近で、自転車利用によるひったくり事件が発生しました。︵犯人
︵男︶の特徴については、二〇歳代、白色っぽいTシャツ、黒色っ
ぽいズボン、シルバー色っぽいミニサイクル︶
︻問い合わせ先︼小平警察署 〇三−¥¥¥¥−¥¥¥¥︵内線
++++︶
﹁これは、毛色が違うな﹂
ブルル、ブルルル。通常、一日平均五件ほど届くメールがじゃん
じゃんと入ってくる。
254
#15
?一〇月一五日︵水︶、午後一〇時〇〇分ころ、渋谷区四つ木二
丁目付近で、オートバイ利用によるひったくり事件が発生しました。
︵犯人︵男︶の特徴については、黒色っぽいジャンパー、黒色っぽ
いフルフェイス型ヘルメット、黒色っぽい原付スクーター︶
︻問い合わせ先︼渋谷警察署 〇三−$$$$−$$$$︵内線
****︶
﹁えらく、ぶっそうな晩だな﹂
このメールは主に小さな子どもを持つ母親が登録しているという。
遊びに外出したわが子が無事に帰ってくる保証などない世の中。警
視庁は注意を促すため、親が自衛できるように不審者情報を発信し
ている。
発信元を確認すると、ほぼすべての所轄署からメールが発信され
る。これではまるで、百鬼夜行のごとくに都内中を不審者が徘徊し
ているようだ。
﹁なにか胸騒ぎがする﹂
サツキがおれを見ていた。とくに不安を感じている様子はない。
刑務所にいる父から託された言葉にある。
﹃まだわたしを父と思ってくれるなら、この子を守ってやってほし
い。わたしがいなくなったら、それができるのはお前しかいない﹄
255
父のメッセージに従い、おれはサツキを守ることにした。そして、
そのためには、父の跡を継いで、おれ自身が組織のエージェントに
なることが必要だった.
携帯電話が鳴る。
?一〇月一五日︵水︶、午後三時三〇分ころ、世田谷区弥生町六
丁目の路上で、公然わいせつ事件が発生しました。︵犯人︵男︶の
特徴については、二〇歳代、一七〇cm 位、徒歩︶
256
#16
︻問い合わせ先︼世田谷警察署 〇三−aaaa−bbbb︵内
線cccc︶
都内でこのメールを受信しているのが何世帯ほどかは知らないが、
今夜の事件の多さには唖然としている人間もいるだろう。メールの
受信件数自体は、自分の住居に近い警察署ごとに受信設定が出来る
ので通常、それほど多くの件数を受信することは無い。
おれは、都内の警察署からの配信を一括受信設定しているので、
すべての警察署からの警戒メールが届くようになっている。その数
が、今日だけで五〇件を超えている。いつもなら、一日に届く件数
は、日にもよるが五.六件というところだ。
ふたたび、部屋にもどりクローゼットからアタッシュケースを持
ち出す。握り手下の電子ロックに、四桁の数字を入力する。
本当は、指紋認証のほうがとっさの時でも開錠するのに便利だが、
いまのおれの両手、一〇本の指に指紋はない。
指どころか、手のひらにある掌紋と呼ばれる模様すらない。
カシンと音を立てて、ロックが外れた。
高校生が持つようなアタッシュケースではないが、これも父の形
見。ジェラルミンの箱の中には、ウレタンが敷き詰められ、その中
央部分に金属片を収めるスペースが空間になるようくり抜かれてい
た。
257
アタッシュケースの中でウレタンの空間に収まっているのは、S
日本国内の政府機関では拳銃という表
IGSAUER P二二六と呼ばれる自動拳銃。ちなみに拳銃の拳
の字は常用外漢字なので、
記を用いることは出来ない。そのため、自衛隊や警察では拳銃を短
銃または、けん銃と表記する。これ、豆知識な。
258
#17
シグ・ザウエル&ゾーン社は軍用拳銃メーカーの名門。転じて、
世界の銃愛好家にファンが多い。
ハードボイルド小説や海外の犯罪小説などにもよく登場する小銃
だ。日本語訳にしたとき、その綴りから、﹃シグザウエル﹄または
﹃シグザウワー﹄と作家や翻訳家の好みで表記が別れる。
おれはこの拳銃をシグ二二六と呼んでいる。子どもには見せたく
なかったが、時々手入れをしているので、サツキにもこの銃の存在
を知られてしまった。
ちなみに彼女は、この銃を﹃シグちん﹄と呼んでいる。
SIG SAUER P二二六の先代モデルはP二二〇、スイス
拳銃である。タクティカルユース、競
のSIG社及びドイツのザウエル&ゾーン社が一九七六年に共同開
発した警察及び軍用の自動
も採用し
技ユース共に、コルト・ガバメントに次いでアメリカでは人気があ
る。スイス軍の制式銃に指定されたほか、日本の自衛隊
ている。
P二二〇は銃身や弾倉を交換する事で、九MMパラベラムの他に
併せて四種類の弾丸を使用する事が考慮されている。これは民需部
門において極めて大きな市場であるアメリカへの輸出を念頭におい
限されると
たものでだった。銃の外形は.かなり大柄であり、またシングルカ
ラムの弾倉を採用しなければならない為に装弾数も制
いう欠点を持つ事となった。
259
その欠点を補い、ダブルカラムの弾倉を装填できるようにしたの
が、いま目の前にあるP二二六。
この銃をおれの元へ届けたのは、霧島二尉。コルトガバメント・
コンバットコマンダーという銃の隣に並べられ、﹁どっちがいい?﹂
と聞かれた。
260
#17︵後書き︶
<i41990|4357>
261
#18
数発試射した後、装填段数の多いP二二六をおれは選んだ。撃ち
合いになったとき、弾が多いほうが生き残る確率が多くなるからだ。
装弾数が九MMパラベラム弾仕様で一六発。
一般に拳銃の弾は五発から、多くて七発しか拳銃の中には装填で
きないと思われているが、カートリッジの中に弾丸を縦二列に並べ
ることで一六発収容することが可能となっている。これをダブルカ
ラム式という。
﹁高い銃だから、大事に扱うのよ﹂
霧島二尉に言われたが、一般人が民家で拳銃を所持するのに、最
新の注意を払うのは当たり前だ。
長時間、水や泥の中に浸けた後でも確実に作動するほど堅牢であ
り、耐久性は非常に高い銃だが、ダブルカラム式のマガジンをしま
うためにグリップが太くなっている。
﹁殴れば、鈍器として使えるな﹂
おれは弾丸を抜き出し、空となったマガジンをシグ二二六のグリ
ップに装着した。何もない空間に構えて引き金を引く。
カシュン。虚しい音が響く。銃の動作は正常。ふたたび、マガジ
ンをはずして弾丸をこめ、銃をしまった。
﹁おや?﹂
262
いつの間にか、携帯電話に届くメールの受信音が止んだのに気づ
いた。
最後のメールが届いてから、三〇分が経っている。
?一〇月一五日︵水︶、午後九時五〇分ころ、千代田区千住寿町
付近で、オートバイ利用によるひったくり事件が発生しました。︵
犯人︵男︶の特徴については、一七〇cm 位、中肉、黒色っぽい
フルフェイス型ヘルメット、黒色っぽいスクーター︶
263
#19
︻問い合わせ先︼千代田警察署 〇三−vvvv−vvvv︵内
線zzzz︶
﹁今日は店じまいか?﹂
メールの内容も今日多い誘拐未遂のようなものではなく、ありふ
れた物盗りのようだ。
﹁サツキ、戸締りには気をつけろよ﹂
しつこいぐらいに言い聞かせてあるので、彼女は無言でうなずく。
﹁それでも、知らない人が入ってきたら?﹂
タタッと駆けると、サツキはテレビの横に置いてある充電台から
自分の携帯電話を持ってきた。右手の指を端末につながるリングに
かけて、今にも引き抜こうとする。
実際にそのリングを引き抜いてしまうと、とてつもない大音量が
響きわたる。子ども用の防犯携帯は市販のものだが、分解・改造し
て出力を大幅にパワーアップしている。
﹁いいぞ、元にもどせ﹂
おれは、軽くシャワーを浴びて晩飯の仕度にとりかかる。毎日の
献立はNINTENDO DSのレシピデータに沿って作るのだが、
初心者一人暮らしクラスに設定している。
264
今日のメニューは、肉野菜炒め。朝食がスクランブルエッグだっ
たり、目玉焼きだったりが多いので、夕食は卵を使わないようにし
ている。
二人で暮らし始めたころ、毎日マクドナルドのハンバーガーとシ
ェイクを食べていたら、サツキの体に発疹が出たことがある。
急いで駆けつけてくれた燈子さんに、おれは殴られた。
﹃いや、サツキもハンバーガー好きだっていうからいいかな、と﹄
燈子さんは、おれをにらみつけた。
﹃父親、失格ね。秀明さんの足元にも及ばない﹄
265
#19︵後書き︶
#17,18部分の掲載内容が過去投稿分と重複していましたので、
修正しました。
266
#20
えらく高い水準を要求されているな、と思った。
﹃そりゃ、無理ですって。おれ、まだ高校生なんですよ﹄
﹃エージェントに泣き言は許されないわ。これぐらいできなくてど
うするの?﹄
これは、いまだによく言われるせりふだ。理由は関係ない。おれ
たちに求められるのは結果だけ。手段も問わない。
﹃自分だって、子どもいないじゃん﹄
悔し紛れに不用意な言葉を吐いた。
﹃なんですって?﹄
燈子さんの手がハンドバッグに入り、撃鉄の上がる音が聞こえた。
﹃嘘! うそです!! すんません!!﹄
おれは手を上げて許しを乞うた。
そんなこんなで、叱られることも多いが、こうしてサツキの面倒
を見ながら日々をすごしている。
おれはおれなりに、サツキを観察しているつもりだ。
267
食べる量が減ってないか、顔色は悪くないか、体温も毎日測って
いる。
﹁おかわりするか﹂
おれは、サツキのおわんをとってご飯をよそる。
その晩、おれは夢を見た。
︵AM四:〇〇まで勢いのいい雨が降り、六時以降も続くようその
まま振り続けてくれたら日中の仕事がなくなるのに⋮⋮︶
と思いつつ、二度寝に入る瞬間﹁でも⋮花火流れちゃうな⋮﹂と
ぼんやり。
おれはだれかの物思いのなかにいるらしい。
﹁晴れて快晴* 露も残り仕事も流れ花火大会決行♪﹂
そんなんで親戚の女の子から浴衣着つけの依頼がかかりました。
268
第九章 了
浴衣はわたしが大学一回生の時に買った水色ユニクロ。
校則と親が厳しいらしくて顔もいじってない。
年ごろ考えたらそろ?やっても良いんじゃないか、浴衣特別だし
!!!
で、眉毛を整えナチュラル気味に従妹にとって初化粧施しました
****
﹁可愛く良い感じにできた?︵´∀`●︶♪♪♪﹂
ファンデーションは仰け反り、﹁軽く目を閉じて﹂と言えばきつ
く目を閉じ、マスカラは秒単位の瞬き。
以前の自分を思い出しておかしかったw
高二の秋に生徒の少ないカフェテリアで、友達にさせられた記憶
が︵笑
﹁似合うよ!!﹂ってまじまじ見られると照れて恥ずかしくて
メイク落としで落とさないとパンダ゛顔になっちゃうから家に帰
らないと素顔無理で。
親に何か言われるのが一番恥ずかしかったから、
269
玄関あけて洗面台まで全力で走りましたww
徐々に化粧を休日はするようになって、今は毎日してますが^^
﹁もうそろ?卒業するな﹂﹁来年から大人なんだ﹂
なんて高三の夏は本格的な背伸びをどの子もし始める時期な気が
します。
不思議な感覚。自分が女性になった夢ではなく、だれかの心のそ
ばに寄り添っているような、違和感のない安らぎ。
彼女はやがて仕事に出かけるための支度をしようと、OLらしい
服装に着替えて鏡台に座る。
鏡に映ったその顔を見て、おれは幸福を感じた。
それは二〇台半ばになったであろう、サツキの姿だと確信できた
から。
目を覚ますと、頬までを涙が伝わっていた。
270
第九章 了︵後書き︶
今回はお友だちのポエムとコラボさせてもらいました。
霧島二尉
<i42047|4357>
271
第十章 リトル・ランボー
﹁なんだよ、このセンチメンタルな感傷は。花嫁の父でもあるまい
に﹂
朝だ。目覚まし時計より早く起きた。
サツキも半身を起こしたが、その顔はまだうつらうつらと寝ぼけ
眼。
あんな夢を見たのも、彼女が無事に大人になれること、平凡でも
ささやかな幸せの中に生きていけることを願う気持ちの現われか。
いつもどおりに、サツキの食事をさせて、昼食を作ってから登校。
教室が騒がしいのはいつものことだが、今日はいつになく重苦し
い空気が漂っている。
ふだんと同じように着席して、窓の外をながめていればだれも話
しかけては来ないだろう。だが、小さな異変を見逃さないのがエー
ジェントに求められる資質である。
︵なんかあったの?︶
誰でもいいから問いかけようとする前に、めずらしく女子生徒が
話しかけてきた。
﹁涼子の⋮⋮﹂
272
南野春香は、涼子と親しいクラスメイトだ。その声は、かすれる
ようにのどからしぼり出されている。
﹁中原さんがどうかした?﹂
彼女の声は、かすれるようにのどからしぼり出されている。
﹁涼子の妹の、美羽ちゃんが誘拐されたって、うっ﹂
﹁は?﹂
よくみれば、クラスメイトたちは手に手に携帯電話を開き、ワン
セグ放送のニュース速報を受信している。
教室に涼子の姿はない。
テレビ画面では、ワイドショーやニュース番組がこの事件を取り
扱っている。
﹁中原美羽さん一四才が消息を絶ったのは、昨夜午後九時半ごろの
ことと見られていました。塾から自宅までは自転車で一五分。その
間になにものかに連れ去られたものと思われます﹂
273
#2
涼子は自宅で、家族とともに妹の無事を祈っているのだろう。
最後に通学路上にあるコンビニの防犯カメラにその姿が映ってい
るので、失踪した瞬間はさらに絞られる。
﹁昨日は、都内全域で多数の不審者を目撃する情報があり、警戒を
強めている中、起きた事件ということで警察は関連を調べています。
ただし、中原さん自身の目撃情報はなく警察は公開捜査に切り替え
ました﹂
おれは息をのんだ。気持ちを整理するために席に座る。
妹を誘拐された姉の気持ちを想像する。とても無理だった。
︵涼子⋮⋮︶
きっと心は引きちぎられんばかりでいることだろう。親しい友人
たちは彼女の心痛を思い、涙ぐんでいる者も多かった。
おれたちの担任、佐宗先生が教室に入ってくる。この状況を知ら
ないはずはなく、生徒たちも自分の席に戻った。
﹁みんな、もうすでに知っていると思うが、中原のご家族がいま大
変な心配をされている。今日は午前の授業を自習にするから、なに
か知っている人、気づいたことのある人は職員室に来てくれ﹂
佐宗先生は、日本史の教科書から三〇ページ分を指定して歴史事
274
件のチャート図を作るよう黒板に板書した。それからしばらく窓の
外をながめていた。
一〇分ほどそうしていただろうか、
﹁職員室にいるからな。なにかあったら知らせてくれ﹂
やがて先生はもどっていった。校門付近に数人の人影を見たから
だろう。報道関係者かもしれない。
教師が去ると教室は騒がしくなった。
﹁親父が言ってたけど、昨日って事件多かったみたいな﹂
275
#3
﹁うちの姉貴も仕事からの帰りが遅くなるんだけど、気味の悪い男
たちに後をつけられたって﹂
おれは昨夜のことを思い出していた。警視庁の警戒メールがあれ
ほどひっきりなしに届いたのは初めてだった。おれだけでなく多く
の家庭が不安を感じていたようだ。
﹁なあ、中原さんの妹が通ってた塾ってどの辺にあるの?﹂
口ぶりから彼女の妹とも面識があるらしい女子に尋ねた。
﹁前野町のブックオフのそばよ﹂
おれの胸に小さなとげが刺さった。そのあたりは、おれのジョギ
ングコースのひとつだった。
︵昨夜、トレーニングに出ていれば⋮⋮︶
あるいは、彼女を拉致する人間と鉢合わせしたかもしれない。
たとえ相手が犯罪にかかわるような組織の構成員であったとして
も、そんじょそこらのケンカが強い程度の相手であれば、制圧する
のは容易だ。
最近では自衛官を相手にした格闘訓練でも引けはとらなくなった。
霧島二尉からはまだ一度も白星をあげたことがないが。
276
おれはサツキを守ることに万全を期した。家を出ずに、彼女のそ
ばにいた。
仕方のないことだが、悔やまずにいられない。
携帯電話に振動。また警視庁の警戒メールかと思ったが、件名を
見て眉をひそめた。
﹁首都圏全エージェントへ通達﹂
︵全件送信⋮⋮初めて見た︶
組織からの連絡は通常、メールまたは電話で行われる。あるいは
霧島二尉が直接に家を訪ねてくることもある。ほとんどはミッショ
ンの開始を告げる報せだ。
全国に何人のエージェントがいるのか知らないが、定時連絡やメ
ールマガジンの類を受け取ったことは無い。本文を読む。
277
#3︵後書き︶
中原涼子
<i42197|4357>
278
#4
﹁状況七G。自宅待機﹂
﹁七G。レベル七の状況、G装備にて待機?﹂
レベル七がどの程度の危険状況かというと、最高ランクの状況レ
ベル九は、戦争や大規模テロの発生を意味する。レベル一は、非作
戦行動中にエージェントの素性を怪しむ隣人がいることなどを告げ
る初期の警戒レベル。
G装備は戦闘体制を整えろということ。自宅にもどり、シグザウ
ワーを握ったまま待機することになる。
おれは自習なのをいいことに、無言で教室を出た。まっすぐに家
にもどる。
制服をジーンズに履き替え、昨夜同様ジェラルミンケースから拳
チョッキも引っ張り出して首を通す。チ
銃と弾丸をホルスターに差して床に置く。今日は点検ではない。ク
ローゼットの奥から防弾
い。
ョッキというよりは胸当てと背中だけをカバーする軽装備だ。この
上にシャツを着てコートを羽織れば街中でも目立たな
指定された地区にいる多くのエージェントが同じように自宅で装
備を整えているはずだ。このあと何が起きるのかはわからない。
だが、少なからず物騒なことになるのは間違いないだろう。広域
に点在するエージェントを待機させるということは、大規模なミッ
ションが始まるのかもしれない。
279
﹁待機は待機﹂
床に大の字になり、天井を見る。耳元には携帯電話。なにもせず、
組織からの連絡を待つ。
一〇分ほどしてメールが着信する。
﹁以下の地区エージェントは継続待機。他は状況を解除﹂
<i42349|4357>
280
#5
﹁やれやれ﹂
対象地域に武蔵野市が含まれなければ、待機は終わりだ。拳銃を
しまい、学校にもどるか迷った。
﹁継続待機:都内一一区、一二区﹂
ここ武蔵野市を含み、杉並区から八王子方面の都内がすべて含ま
れている。短い文面を読んだだけでのどが渇いた。
冷蔵庫のコーラ缶を一本開けた。待機継続でがっかりするよりも、
より出動の確率が高まったことに緊張する。しかも、拳銃を所持し
た上での出動だ。
電話が鳴った。こんどはメールの着信ではない。音声通話の着信
だ。
﹁リトル・ランボー?﹂
女性らしき合成音だ。
﹁そうです﹂
尋ねたことがある。この声の主は本当に女性なのか。組織につな
がる情報を制限するために音声を加工しているが、自分は生身の女
性だという。
281
﹁G装備のまま、保谷駅へ移動。現地エージェントのバックアップ
体制に入ること﹂
まだ質問は不要だ。
﹁了解。到着時に連絡します﹂
短く答えて家を出る。おれがミッションから帰らないことがあれ
ば、組織の人間がサツキを迎えに来る手はずになっている。
バイクの運転も出来るが、停める場所を探すよりタクシーに乗っ
たほうが早い。一五分と経たずにおれは西武新宿線の保谷駅に到着
した。
﹁保谷駅に到着しました﹂
﹁目立たぬ場所で待機﹂
短いやりとり。マクドナルドでコーヒーを買うと、携帯電話のア
ンテナが圏外にならぬことを確かめて店内の隅に腰かけた。
もうすぐ一六才になる。制服でなければ、平日にぶらぶらしてい
ても補導はされないが、脇に抱えた拳銃の重みが周囲の視線に対し
て疑心暗鬼を生む。
282
#5︵後書き︶
登場人物紹介 としあきの副官、エイプリル
<i42198|4357>
283
#6
︵ヤクザが拳銃を懐に隠して町を歩くときもこんな気持ちなんだろ
うか︶
三〇分が経過して、メールが着信した。
﹁新日本流体力学研究所 西東京市==町****﹂
そしてすぐさま電話がかかる。
﹁所在地は確認できましたか?﹂
﹁確認しました﹂
﹁潜入の準備を﹂
いよいよだ。どうやら多数のエージェントから最前線への投入部
隊に選ばれたようだ。
最近の携帯電話にはGPSとナヴィゲーション機能がついていて、
はじめて訪ねる施設にも迷わず到着することが出来る。
都心にこれだけの敷地をかまえるのは難しいだろうというぐらい
の広さを壁に囲まれた、工場のような施設だ。オフィスらしきビル
が隣接している。
いったん、その場を離れて宅急便の営業所前に立つ。店頭に張り
紙がある。
284
﹃アルバイト募集 職種:事務補助﹄
高校生では宅急便ドライバーにはなれないが、事務補助なら面接
ぐらい受けさせてくれるだろう。おれは、店のドアを開けた。
﹁すいませーん﹂
事務所の奥はトラックの駐車場に通じているらしく、ドライバー
たちが伝票を手にせわしなく動いている。カウンターに近い席の女
性社員が立ち上がり応答してくれた。
﹁はい﹂
﹃なんでしょう?﹄と言われる前に、おれは用件を告げた。
﹁表の張り紙にあるアルバイトをしたいんですが﹂
﹁もう既にお電話かなにかいただいてますか?﹂
当然、アポイントメントはとっていない。首を横に振ると彼女は
先輩社員らしき男性に耳打ちした。
﹁こんにちはー﹂
285
#6︵後書き︶
登場人物紹介
<i42112|4357>
286
#7
先輩社員は愛想良く声をかけてくれた。
﹁こんにちは﹂
おれも頭を下げて応じた。
﹁じゃあ、これからかんたんに面接をしましょう。こちらの応接室
で待っててください﹂
おれは事務所の右手にある部屋へ通された。予想どおり、そこは
会議室兼ロッカールームでもあった。
﹁いま、用件をかたしてから来ますから、五分ほど待っててくれる
かな﹂
おれはほくそ笑んだ。五分と言われたが少なくとも三分以内に終
わらせよう。社員が部屋を出ると同時に立ち上がりドアに耳を寄せ
る。足音はたしかに遠ざかった。
﹁防犯カメラはないな﹂
天井と部屋の中を見回すと、ロッカーは壁を覆うように二〇台以
ネットと背中合わせになるロッカーに
上ある。なるべく迷惑をかけたくないので、名前のプレートがない
ロッカーを探した。キャビ
われてい
そのようなものがあった。ステンレスの扉を開けると、思ったとお
りに誰のものでもないロッカーには未使用の制服がしま
た。サイズを確認して、おれは持参した紙袋にクリーニングされた
287
制服を一着しまった。
何食わぬ顔で席にもどる。このまま面接を受けるふりをしている
時間はない。事務室へのドアをあけると、さきほどの社員は電話を
しているところだ。
﹁すいません。ちょっと電話してきます﹂
受付の女性にそう告げて、恐縮しているように腰を低くして営業
を着用しているために、サイズの大き
所を出た。近くの雑居ビルの裏手、人気のない場所で拝借した制服
に着替える。防弾チョッキ
いものを選んだ。ツナギの上からは銃のシルエットも目立たない。
着てきた衣服は紙袋に入れて荷物のように脇に抱える。
288
#7︵後書き︶
登場人物紹介 中原美羽
<i42524|4357>
289
#8
﹁潜入準備完了﹂
オペレーターに電話をすると、ここに至って詳細な状況を説明さ
れるに至った。
新日本流体力学研究所は、大手電気メーカー出資の研究施設だ。
外観が広大に見えたのは、メーカー系列の精密機器部品工場に隣接
し、その一角を間借りしているらしい。
今日日、宅急便でも守衛で入退室を記録される。
﹁せーの、ホップ・ステップ・ジャンプ!﹂
一台の車に向かっておれは助走した。バンパーの前でジャンプし、
ボンネットを蹴り、おれは路上駐車するワゴン車の天井から壁の内
側に侵入した。
なかへ入ってしまえばすれ違う社員たちも時おり頭を下げるだけ
で怪しまれることはない。オペレーターの命令を反芻する。
﹃昨夜、一人の少女が誘拐されました。名前は中原美羽。中学二年
生﹄
︵なっ!?︶
おれは面食らった。
290
﹃営利以外の目的のため、被害者宅に連絡はなし。今日になって公
開捜査が開始されましたが、警察の手の届かぬ場所に監禁されてい
ることが、組織の内通者により判明しました﹄
涼子の妹が誘拐された報を聞いたばかりで、まさかその救出に自
分が駆り出されるとは。いや、俄然やる気が出てきた。もしかして、
それもあっておれが選ばれたのか。
﹃正義の味方になるのはけっこうだけど、よく組織が動きましたね﹄
エージェントはボランティアではない。組織にとってなんらかの
利得がなければ行動しないはず。そうでなければ、全国のエージェ
ントに支払われる報酬だって捻出できないはずだ。
291
#8︵後書き︶
登場人物紹介 少年従者 レベル
<i42214|4357>
292
#9
﹃彼女の両親が組織にとって有用な人物であることから、たっての
依頼を受けています﹄
﹃組織はエージェントを裏切らない。エージェントもまた組織を裏
切ってはならない﹄
その限りにおいて、組織は組織に協力する人間の願いをかなえる。
﹃内通者からの情報で、新館四階にある企画統制二課に誘拐事件の
キーマンがいる模様。拘束して尋問してください﹄
﹃了解﹄
﹃では、ミッションの優先事項を伝えます。第一目標は、中原美羽
の保護。第二目標は先行したエージェントの捜索﹄
﹃先行? もうだれか入ってるのか﹄
﹃特徴を伝えます。氏名は遠野錬 年令一五才、身長一六〇センチ
体重五四キログラム。画像を送ります﹄
彼のバックアップのためにおれは現地に配置されたが、三〇分前
から応答が途絶えているそうだ。しかも自分が最年少エージェント
だと思っていたら、同い年のメンバーが存在して既に施設に侵入し
ているとは。
定時連絡が途切れたのは、単純に電波の届かない場所に潜伏して
293
中原美羽の捜索を続けているだけかもしれない。あるいは⋮⋮
︵おれが死んだら、だれが悲しんでくれるのかな︶
そのときには、学校へおれの両親と称する人物が退学の届けを提
出するだろう。病気療養などと言えば、教師が見舞いに来るかもし
れない。無難なところでは、両親の転勤が理由としてふさわしいだ
ろう。いずれにせよ、クラスメイトたちがおれの死を知ることはな
い。
願わくば、三人そろって無事に帰還したいところだが。
294
#10
守衛のチェックをかわすと、宅急便の配達員に不審の目を向ける
ものはいない。受付も会釈をするだけで通り過ぎることが出来た。
エレベーターは使わずに階段で四階に上がる。
﹁企画統制二課。ここだな﹂
ノックをして部屋に入る。
﹁こんちわー。宅急便です﹂
室内には三名のスタッフがいた。デスクの数からすると不在の人
間もいるらしい。
宅急便が訪ねてくるのは珍しいのか。怪訝そうな目でこちらを見
る。確信が深まる。ふつうの会社では訪問者に過度な警戒心は見せ
ない。この部署にふだん一般の来客がいないということだ。
入り口に近い席の男は目を伏せた。向かい側の席を男が立つ。
﹁えーと、なんの届け物ですかね?﹂
﹁いえ。集荷に参りました﹂
﹁集荷? おかしいな。なにも頼んでないはずだけど﹂
いぶかしむ男の顔を見ると、おれは不意に笑いたい衝動がこみ上
げてきた。
295
﹁いえ、大事な預かり物があるはずですよ。女子中学生を一人、家
に送り届けなきゃならない﹂
奥の席に座る男が電話機に手をのばす。おれの隣に立つ男が肩に
手をかけようとする。一歩飛びのいて、懐のシグザウワーP二二六
を男に向けた。
﹁動くな。誘拐犯のアジトに丸腰で来たと思うか?﹂
この部屋の責任者らしき男の年齢は五〇歳前後だろうか。歯ぎし
りするような顔で、おれをにらみつける。
三〇台半ば、角刈りの男はおれの目と手にした拳銃の間で、視線
がさまよっていたが、助けを求めるように上司のほうを見る。
296
#11
﹁か、課長、どうし⋮⋮﹂
﹁電話線を切れ。警報機に触れれば引き金を引く﹂
電話線を引っこ抜いて、あらためておれは尋問を開始した。
﹁課長ってことは、あんたがこの部屋で一番えらいひとだね? 単
刀直入に言うけど、中原美羽はどこにいる﹂
﹁警察か? 令状はあるのか﹂
その問いかけが無意味なことに、課長はおれの顔を見てすぐ気づ
いた。
﹁この銃が令状かわりさ。さあ、人質のありかを答えろ。言っとく
が本物だぜ﹂
﹁どこで手に入れたか知らんが、ガキがなめたまねを﹂
角刈りの男が言い終わらぬうちに、おれはその顔を銃のグリップ
で殴りつけた。
﹁おっさんたちが、悪さするからだろが。そのせいでおれみたいな
ガキまで動員されていい迷惑だぜ﹂
課長は、おれの言い分に一理あると思ったのか、うずくまる部下
を見下ろした後、口調を変えた。
297
﹁いいかね、君。なにを聞いたか知らないが、これは君みたいな若
者が想像できるような事柄じゃないんだよ﹂
﹁いたずら目的で誘拐したとは思ってないさ。子どもの親が経済界
の大物か政治家か知らないが、企業ぐるみでこんな大それたことす
るなら、それなりの理由があるんだろう﹂
しゃべりながら、おれの頭のなかでアラームが鳴った。戦闘教則
の表紙が思い浮かんだ。
﹁そうだ、これはこの国にとって大変に⋮⋮﹂
シグザウワーの銃口が火を噴いた。おれは顔を赤らめていた。
﹁理由なんかどうでもいい﹂
相手と交わす言葉は慎重に選ぶこと。組織の訓練で学んだはずだ。
つい軽口をたたきそうになったが、それはすなわち、相手のペース
に乗せられることにつながる。
298
#11︵後書き︶
登場人物紹介 ミサキ
<i43018|4357>
299
#12
﹁理由の如何によらず中原美羽を奪い返す。それが最優先事項だ﹂
﹁それは無理だな﹂
シグザウワーの威嚇にも顔色を変えていない。課長は平静を取り
戻していたようだ。
﹁ここは厚い警護に守られている。生きて彼女を連れ出すことなど
出来ない﹂
﹁無理かどうかやってみなければわからない。このビルにいる全員
を殺してでも奪い返すぞ﹂
﹁ならば、まずは我々を殺すんだな。急なことだが、覚悟はしてい
るぞ﹂
悪党にも一分の吟持があるらしい。だが、そんなことで感銘を受
けている暇もなし。おれは、左に座る三〇前後の男に銃を向けた。
﹁こんな聞き方はおれの方が悪党みたいだが、しゃべるまで順に一
人ずつ撃たせてもらおう﹂
銃を向けられた男は上司ほど肝が据わっていないようだ。目を見
開きまぶたを痙攣させたが、すぐに両手で頭をかばおうとする。
﹁まずは右肩﹂
300
﹁ヒャーッッツ﹂
おれがつぶやくと、男は飛び上がって壁に張り付いた。
﹁ま、待て待て!﹂
しめた。こいつはもう一押しでしゃべりそうだ。上司の口が堅く
ても、部下が情報を持っていれば問題はない。
だが、命惜しさにでたらめな情報をしゃべられても面倒だ。真実
味のある言葉を聞かなくてはならない。
﹁とりあえず、一発撃たせてもらうか﹂
おれが引鉄にかかる指に力をこめると、男は悲鳴をあげた。
﹁ま、待てって、エージェント!!﹂
耳を疑った。
﹁なんだって? いま、なんて言った﹂
正体を知られていた? これはますますこの三人を撃たなければ
ならない状況だ。
301
#12︵後書き︶
異界の召還巫女的なキャラを考えてみました。
<i43152|4357>
最近、絵がうまくなりたいと思うようになり、ご要望があれば他の
人の作品にもイラストを提供したいと思っております。ただしツー
ルはお絵描き掲示板レベルですが
302
#13
﹁き、君は組織のエージェントだろ? さっき捕えられた少年とい
いどうなってるんだ?﹂
先行し、消息を絶った同僚。どじを踏んだらしい。
﹁おれたちの素性を知っているってことは、彼を拷問にかけたのか
? ﹂
くそったれ。このまま弔い合戦になるのか? 怒りで指先の筋肉
が痙攣しそうだ。
﹁ち、違う。君らを呼んだのは、わたしだ﹂
﹁﹁は?﹂﹂
彼以外の三人が疑問符を口にした。
﹁わたしが内通者だ! 組織に通報したんだよ。この施設に子ども
が監禁されてるって。てっきり特殊部隊かやくざ者かなにかが来る
のかと思ったのに、子どもを助けに子どもが来るとは﹂
﹁企画統制二課に誘拐事件のキーマンがいるから尋問しろって言わ
れたが、あんたがそうなのか?﹂
﹁そんな! わたしのことは秘密にしてくれるって言ったのに﹂
﹁田辺! きさまというやつはー!!﹂
303
銃を持っていれば、即座に引き金を引きそうな勢いで課長が憎悪
のまなざしを向けている。
﹁動くな!﹂
おれは課長の挙動を制した。
﹁わ、わたしは二年前まで公務員だった。役所の裏金を管理してい
た責任者として依願退職を迫られたんだ。市の有力者から紹介され
てこの財団に再就職した。待遇もよかったし、詰め腹を切らされた
見返りとして悪くはないと最初は思ってたんだ﹂
内通者はこの組織生え抜きの人材ではなかったらしい。
﹁今年に入ってから、後ろ暗い仕事が多くなって、これも簿外資金
を管理していた経験を買われてのことかと思っていたんだ。それが
まさか、誘拐や殺人の片棒まで担がされるなんて思ってもみなかっ
たよ﹂
男はちらちらと上司のほうを見ながら言葉を続けた。
304
第十章 了
﹁わたしにだって子どもはいる。もう耐えられなかった﹂
﹁よく、組織につてがありましたね﹂
組織の協力者であれば、おれも言葉遣いを変えなければならない。
﹁同僚が以前に別の不祥事を起こして、もみ消しに協力してもらっ
たんだ﹂
組織は協力者の願いをかなえて、対価を要求する。
﹁エージェント、こんなことになってわたしや家族はどうなる? 保護してもらえるのか﹂
﹁もちろんです﹂
おれは彼の同僚二人を撃った。これで協力者の裏切りを知る人間
は消えた。
﹁組織は協力者を裏切らない。協力者もまた、組織を裏切ってはな
らない﹂
同僚二人の亡骸を前に、協力者は顔を覆った。両手のすきから嗚
咽が漏れてくる。このさき彼が組織を裏切れば、同様の運命が待ち
受けている。
﹁昔もその台詞を聞いた⋮⋮﹂
305
﹁人質と仲間の居所は知っていますね。案内をお願いします﹂
協力者、田辺の顔が曇った。
﹁さっきの課長の言葉じゃないが、容易ではないぞ。もうひとりの
エージェントも少女といっしょに捕らわれているようだ﹂
﹁場所は?﹂
田辺は床下を指差した。
地下に下りるエレベーターに向かって、田辺の後ろを歩いた。作
業員の制服に着替え、マスクとヘルメットを目深にかぶる。
﹃地下に実験施設? まずいな、脱出が困難になる﹄
﹃深いぞ。通常の地下四階ほどだ﹄
﹃保護対象者および先行エージェントの所在を確認。これより救出
に入る﹄
オペレーターに現状を報告。いよいよ、危険地帯に足を踏み入れ
る。
306
第十章 了︵後書き︶
次章でこの作品は終了です。
その後に主人公と涼子さんのハードなラブシーンを短編で書きます。
次回作の構想も練っています。今日の挿絵はその主人公。次次回作
で、再びとしあきのお話を書く予定です。
<i43487|4357>
307
第十一章 男子高校生の非日常
セキュリティーチェックは、田辺がいると障害にはならなかった。
彼が静脈認証を受けると、再度の検査は求められない。いかめしい
有人によるセキュリティーは、やや緊張がほぐれた様子で廊下に立
っていた。
背広姿の男たち、警棒のようなものは手にしていないが、腰のシ
ルエットに不自然な隆起がある。
通常の操業を行う工場地下に、秘密の実験場があるという。その
監視ルームに入る。
﹁いいか、中では説明はできないからな。モニターを見れば状況が
わかる﹂
室内には実験器具のようなものは見当たらず、いくつもの天井ま
でほどもあるコンピューターらしき装置を重ねた機械が並んでいた。
その隙間に座るように三人のデータ管理エンジニアが液晶モニタの
数値とにらめっこしている。
部屋には、ガラス窓はなく大型のモニターは五〇インチはあるだ
ろうか。三枚ほど横に並んだ画面。体育館のようなフロアとそこに
観察者が居並ぶ様子が映し出されていた。
その一枚におれは目が釘付けになった。
︵中原美羽! なんて姿だ︶
308
彼女は幸いにも生存していた。だが、おれの鼓動は速まっていく。
彼女は一糸まとわぬ裸身で、体をかがめるようにしてうつむいてい
る。顔は見えないが、彼女が美羽にちがいあるまい。
︵これはなんだ?︶
複数のビデオカメラによって、その姿が撮影されているらしいが、
どう考えても犯罪めいた趣向をもった人間向けのポルノビデオ撮影
をしているのとも違う。
よく見ると、彼女が体をかがめているのは、羞恥心のためではな
いようだ。彼女をかばうように、もうひとりの少年が、背後からお
おいかぶさっている。
309
第十一章 男子高校生の非日常︵後書き︶
<i50757|4357>
310
#2
︵エージェント、遠野錬︶
第一目標と第二目標を同時に発見した。エンジニアに報告したい
が、携帯電話はジャミングされているのを廊下で確認した。
とらわれのエージェントも一瞬、少女が二人かと思うほどの白い
肌に華奢な体格。
ときおりズームアップされる空間の異様さにおれは気づいた。
︵彼らは何に拘束されている?︶
自分が着ているのと同じ作業服に身を包んだ技師と、彼らを指揮
しているらしい背広の男たち。
遠野錬と中原美羽がうずくまる前に悠然と立って、二人を見上げ
ている。
︵なぜ、逃げない?︶
彼らは手錠をかけられているわけでもなく、檻に閉じ込められて
いるわけでもない。ただ二柱の鉄塔にはさまれた間で身動きがとれ
ないでいるようだ。
﹁あと、三分です﹂
目の前のエンジニアが、マイクに話した。その声はホールに通じ
311
ているらしく、響いた声が室内のスピーカーにもどってきた。
﹁カウントダウン開始﹂
モニターに移る男が手を上げると、ディスプレイの一枚が時計に
切り替わった。
二:五九、五八、五七⋮⋮なんのカウントダウンだろう。
﹁成功の確率はどれぐらいだろうな?﹂
エンジニアがつぶやいた。
﹁はじまる前は五〇%と考えられていたが、空間の移送がうまく行
われていないようだ。おそらくは⋮⋮﹂
﹁あの被験者もかわいそうにな。塾に通う途中を誘拐してきたんだ
ろ。マウスで実験が成功したから、次は人間って、いくらなんでも
乱暴だよな﹂
目の前のエンジニアは二〇台後半くらいの年令だろうか。自分が
シークレット・エージェントになった経緯を考えると、よくもまあ、
このようなおぞましい犯罪に加担できる人材を必要な数だけ集めら
れるものだと思う。
312
#2︵後書き︶
いま書いてる童話のイラストです。
http://ncode.syosetu.com/n8622
z/1/
<i43788|4357>
313
#3
﹁消失したラットが、空間転移を完了するのに二分の時差があった。
だ。死刑囚を使うのも、一般人より厳しく
その間になにを見たのか、ネズミからは聞き取り出来ないから人間
を使うことになったん
に言葉に出来な
管理されているから調達はできない。被験者は小柄なほうがいいが、
小学校低学年や幼稚園の児童では見たものを適切
いだろうってことで、中学生の女子が被験者に選ばれた。ひどい話
だが、わが国の科学技術発展のための尊い犠牲ってことだな﹂
中原美羽は未知の科学を探求する実験材料にされているようだ。
︵空間? 転移? ここにいるのはマッドサイエンティストかなに
かか?︶
おれは田辺のすそを引っ張って、耳打ちした。彼がおれの質問を
エンジニアに伝える。
﹁あの娘は、この後どうなるんだ?﹂
﹁いま、ふたりは高エネルギーを固定した移送空間の中に拘束され
た状態でいます。この空間は一時間前から体積を狭めていますが、
これより装置Aが空間転移のフェイズに入りましたので、成功すれ
ば無事に装置Bが作り出した着点空間へ姿を現す予定です﹂
﹁なぜ、裸に?﹂
﹁不純物を極力減らすためです﹂
314
おれはとらわれの二人を観察して、このとき驚くべき事実に気付
いた。
︵宙に浮いている?︶
美羽とエージェントは、よく見ればうっすらと光を放つヴェール
のような皮膜に覆われるようにして正方形の空間に囚われていた。
そしてその部屋は水を敷いたプールの上で空中に浮遊している。
︵あれが高エネルギーのなんちゃら空間か?︶
315
#4
エンジニアの説明は半分も理解できなかったが、状況は想像でき
た。
エネルギー空間が秒刻みで狭まっていくのが視認できる。このま
ま空間は小さくなって、やがて消失するのだろう。
﹁成功すれば二人は助かるんだな?﹂
光の小部屋は二本の柱状の装置に挟まれるようにして水の上に在
る。同じ装置がホールの反対側に設置され、同じように技術者が観
測している。
﹁いまの状況だと難しいですね。ふたりは次元の壁に推し込められ
るように、体をかがめています。本来ならば、空間が置換されてい
くことで物理的圧力は被験者にかからないはずなんです﹂
﹁じゃあ、実験はもう失敗が濃厚と?﹂
説明をしたエンジニアはうつむいて言葉を返さなかった。もう一
人は事務的な口調で、職務として田辺に答えた。
﹁転送に失敗した場合には、被験者はこのまま次元の壁に圧縮され
ることになります﹂
このままでは、ふたりはぺっちゃんこにプレスされてしまうとい
うことだ。
316
﹁装置を止めて、実験を中止する方法は?﹂
エンジニアに聞こえるように、はじめて俺は声を出した。二人が
怪訝そうな顔で俺を見る。ホールにいた人間は聞いただろう。一瞬、
悲鳴を上げかけた声と、スピーカーが断線する音を。
廊下を走り、階段を駆け下りる四人の人影。ホールのドアが観音
開きで勢いよく開く。
﹁た、大変です!﹂
﹁どうした!?﹂
居並ぶ技術者と背広組。先頭を走る二人のエンジニアには、事実
を伝えるように命じた。
﹁そ、それが⋮⋮侵入者が現れました!﹂
317
#5
三人いる背広の年配者が異界への扉と異相空間を見上げる。
﹁この少年、仲間がいたのか?﹂
視線をおれたちに戻した。
﹁え、少年?﹂
目が合うと、管理職らしき男の戸惑いが伝わって来た。
︵気づいたな︶
まさしくおれがその侵入者だ。
男が濃紺のスーツに手を入れる。懐の銃に手をかけたか。
︵撃ち合い上等︶
もとより、こちらはそのつもりだ。既に盾にしたエンジニアの背
中に隠れてシグザウワーP二二六の引き金を握っている。
肩越しに現れた拳銃をみて凍り付く技術者たち。最初の一発で指
揮官を射殺した。
﹁ドェアワー!﹂
声にならない叫びを上げてエンジニアのかかとがコンクリートの
318
床を蹴った。
﹁邪魔だ!﹂
急ブレーキで止まろうとする肩を払いのけ、五発の銃声が響いた。
上司を撃たれた男が二名、同じように懐に手を入れたからだ。
突然の出来事というものは、適切な対応が難しい。フロアの反対
側にもいた技術者が、なす術も無く立ち尽くしていた。
﹁た、田辺さん、これはあんまりじゃ﹂
非難がましい言葉をエンジニアが吐いた。田辺はうつむいて骸と
なった仲間を見下ろしているだけだ。
﹁おい、そっちの技術者もこっちへ来い!﹂
おれが銃を向けると装置Bの前に経つ三人の技師が両手を上げた。
﹁武器は持ってないか、脇を見せろ﹂
ゆっくりと歩く技師たちに上着をめくらせた。
﹁な、なぜ、こんなことを﹂
質問の意味が分からない。なめてるのか、こいつら。
﹁はあ? それはこっちのセリフだ。実験だかなんだか知らないが、
こんないかがわしい機械に子どもを閉じ込めて、自分たちが悪の組
織の一員だって自覚は無いのか?﹂
319
#5︵後書き︶
あと1点で2500ポイントに⋮⋮
320
#6
﹁はあ、﹂
身の置き所がなさそうに、技師は頭をかいて視線が床をさまよう。
万引きを咎められた中学生か。なんと情けない大人たちだろうとお
れは思った。罪の意識に苛まれているように見えない。
﹁田辺さん、あなたは立派だ﹂
﹁え、どういう意味だい?﹂
小心者故だろうが彼は少なくとも、この殺戮に見て見ぬ振りを決
め込まず、組織に相談した。組織を頼った後は楽観していた節はあ
るが、この救出作戦において大きな役割を果たしている。
装置AとBはそれぞれ高さ二.五メートルほどの二本の鉄塔がセ
ットになっている。近くで見ると、鉄塔は高さ一メートルから上が
二股に分かれたU字型をしている。どんな未知のエネルギーを発生
させているのかは知らないが、二本の塔が共鳴しているのは間違い
ないだろう。
不可視のエネルギーで人間を空中に固定しているのだからただ事
ではない。それにしては装置自体はえらくシンプルで、小学校の理
科実験教材を巨大化させたようなシルエットが逆に不気味に思える。
﹁うぐっ﹂
頭上からうめき声が聞こえた。
321
﹁まずい!﹂
もう残された時間はないようだ。実験動物にされた全裸の少年少
もはや空間を隙間無く二人の肌が密着
女は、もはや手足を延ばすことも出来ず一メートル四方の立方体に
体を押し込められていた。
いる。
している。少女は退治のように体を丸め、色白の少年は少女を守る
姿勢でヘラクレスのように最後まで圧力に抗おうとして
﹁この装置を止めろ!﹂
322
#7
おれは技師たちに命令した。従わなければ殺すというメッセージ
は十分に伝わっているはずだが、おれを満足させる回答は得られな
かった。
﹁この装置に停止ボタンはありません。動作の制御は別室から行っ
ています﹂
さきほどのモニタールーム以外に制御室がある。
﹁われわれの担当はデータの記録なんです﹂
おれの盾となっていたエンジニアが同僚に変わって答える。それ
を裏付けるように、スピーカーから短いアラーム音、そしてアナウ
ンスが続いた。
﹁地下四階実験室に不審者が侵入。保安要員は至急、対象人物の身
柄を確保せよ。繰り返す、さきほどの出動とは別件の侵入者有り﹂
エンジニアの言うように、おれたちは別室からもモニターされて
いて、さきほどの侵入者というのは、同僚エージェント、遠野錬の
ことである。
﹁射殺も許可する﹂
物騒な追伸をつけてアナウンスは切れた。一度ならず二度までも
ということだろうか。エージェント・遠野錬が捕獲されたときより
も対応が厳しくなっている。
323
︵とっとと、撤収しなければ︶
エンジニアの言うように装置に停止ボタンらしきスイッチは見当
たらない。実験場という割には、機械類が雑然と置かれることもな
く装置本体から床下へ幾本かのケーブルが延びているだけで、浅い
水槽と装置以外の機材はなにもないフラットな空間だ。
﹁ずいぶん、さっぱりしているな﹂
床を蹴ってみる。感触から下に空洞があるとわかる。
﹁床が底上げされて、LANと電源ケーブルはその下を通ってるん
だ﹂
324
#8
装置本体の内部へアクセスするパネルでもないかと顔を近づける。
︵あるにはあるが、ふたがビスで留められて開けられない︶
本体から伸びる一番太いケーブルを握ってみる。
︵これを切ってみるか︶
停止ボタンがないなら、電源を落とすまでだ。動力源なしに機械
は動かないはず。
その瞬間エンジニアの顔が引きつったのを、おれは見のがさなか
った。おそらく正解だろう。
救助対象者二人の悲鳴が聞こえる。
﹁も、もうだめ! 首が折れる﹂
﹁あきらめるな!!﹂
一歩飛びのいて、おれはシグザウワーを連射した。火花を上げて
千切れるケーブルから空中に青白い炎と光が激しく漏れる。
力の均衡を失ったツインタワーはおれが破壊した側の棟に負荷が
かかったのか、落雷を受けたように音叉部分が中心から裂けて小さ
く暴発した。
325
﹁うわわあああーーー﹂
﹁きゃあー﹂
頭上から足元へ悲鳴が流れた。そして水に落ちる音。
﹁ぷはっつ﹂
水面から顔を上げ周囲を見渡す中原美羽、複数の男たちの視線に
気付いて、ぎょっと目をむき自らの裸身を手で隠そうとした。
そのすぐ前に立ち上がり、こちらも丸裸のまま戦いを挑もうと身
構えるエージェント・遠野錬。
﹁助けに来たぞ、レン﹂
目の前の死体と拳銃を握るおれを見比べて、彼も状況を理解した
ようだ。
﹁はっ、はは⋮⋮もうだめかと思ったぜ﹂
かすれそうな笑い声で応じる錬。
多数の足音が階段を駆け下りてくる。おれはP二二六の弾装を交
換して銃口をエントランスに向けた。
326
#9
﹁田辺さん、出口は?﹂
錬は倒れている男の背広に手をかけた。
﹁奥の階段から外へ出られる。来た道からもどるのはだめだ。保安
要員が来る﹂
見ると装置Bの奥に非常階段のような案内板が掲げてある。
錬はおれに斃された男たちの拳銃を奪った。おれももう一丁の銃
を取り計四つの銃を構える。
おれはエンジニアたちに命じた。
﹁出口へ向かうぞ。おまえら、その制服を脱げ﹂
錬と美羽に服を着せてやらなければならない。錬は美羽を脇に抱
えるようにして立たせた。技師たちの背中を押しながら出口へ走る。
後方で勢いよく扉が開き武装した警備員が現れた。おれは両手の
拳銃を撃ちまくり、一団を扉の向こうへ押しもどす。
非常口の踊り場で錬たちは服に袖を通した。嗚咽を漏らす美羽に
錬がなぐさめの言葉をかけている。
﹁ほらな? 必ず助けが来るって言ったろ﹂
327
組織はけっしてエージェントを裏切らない。だから、おれは死力
を尽くして彼らを救う。
﹁あんたもありがとう。おれは遠野錬、あんたは⋮⋮﹂
﹁水島祐希、ミッションの上での名前だけどな。礼はあとだ、ふた
りで切り抜けるぞ﹂
﹁この上はもう精密機器工場の社員が働いているフロアだ。そこま
でいけば﹂
﹁なんだ、それならもう楽勝じゃないか⋮⋮!﹂
階上から足音。扉の向こうからも保安要員が近づいてくるのがわ
かる。
﹁錬、外を頼む﹂
エージェント同士の阿吽の呼吸で彼はホール側への威嚇射撃を、
おれは階段を駆け上がった。
328
#9︵後書き︶
<i46085|4357>
329
#10
﹁なんだ、おまえ﹂
さきほどの保安要員が機動隊のようないかめしい装備なのに比べ
て、踊り場にいたのは通常の警備員らしき姿だった。突きつけられ
た拳銃にひるまず、腰の警棒に手を伸ばしたところを見るに、こち
らも階下の人間たちと同種の人間のようではある。
銃底で警備員の脛を殴り、バランスを崩しながらも警棒を振り下
ろす手首をつかむと、もとより低い階下にあるおれは体重をかけて
やるだけで容易に男の体を投げることが出来た。
転げるように階段を落ちていく男。
﹁うわっ﹂
踊り場の田辺たちがその体につまずいて倒れた。
﹁上がって来い!﹂
ホールに向かって撃ちまくる錬の銃声が止んだ。
階段を二階上り、気密性の高い金庫のようなドアを二枚くぐると
田辺の言葉通りに、もうそこには堅気の社員たちが勤めるフロアが
あった。
﹁ここもまだ地下一階だ﹂
330
照明は明るく、地下とはわからない。
外へ連れ出すのは、中原美羽と田辺だけでいい。エンジニアたち
は盾代わりになればいいと思うが、むしろ足手まといでもある。
︵さりとて、置き去りにして追跡班と合流されても面倒だ︶
このあたりはまるで商社のように社員が机を並べている。一階へ
出るには彼らの間を通って反対側にある通常階段まで移動しなけれ
ばならないようだ。
﹁追っ手は銃を持ってるぞ﹂
錬がおれに小声でささやく。フロアを足早に通り過ぎるおれたち
を幾人かの社員は不審の目で見た。
331
#11
同じ敷地内で働く人間だから、技師や田辺たちを見かけたことは
あるかもしれない。だがそれに続く、明らかに異質な若者たち。ぶ
かぶかの作業服を羽織った年端も行かない少女と、彼女をかばうよ
うに脇を固める少年。近くでにおいを嗅げば火薬と硝煙が鼻をつく
だろう。
幾人かの社員は他の社員がなにも言わないので黙っている。幾人
かは机上のノートPCしかみていない。人間は意外と目の前で起こ
る異変に鈍感なものだ。
﹁追っては来ても、ここでぶっ放したりはしないだろうさ﹂
言い終わる前に、勢いよくオフィス後方のドアが開いた。
﹁あんなところに出口が?﹂
おそらくこの部署の責任者らしきデスク背後の扉が勢いよく開き、
役職者らしきおっさんが机ごと突き飛ばされている。
火を噴くマシンガン。エンジニアを連れてきたのは正解だった。
おれのかわりに十数発の弾丸を受け止めてくれたようだ。
オフィスに硝煙と血しぶきが舞う。社員たちの悲鳴。
錬は美羽を、おれは田辺の頭を下げさせ伏せるようにして、机の
陰を進んだ。
332
威嚇射撃をしながら逃げる俺たちを追って、一人の武装保安員が
机の上に飛び乗った。マシンガンを乱射しながら八双飛びで机の上
を進む。
おれはその足下を狙って撃つ。短距離走の選手が転倒したように
勢いよくおれの足下までたどり着いた。その喉元におれのつま先が
突き刺さる。
﹁走れ!﹂
立ち上がったおれは、二丁拳銃で敵を足止めしようとした。
﹁水島、おまえも来い!﹂
333
#12
廊下の橋までたどり着いた錬が、おれをバックアップしてくれる。
おれたちの戦闘術は自衛隊仕込みだ。一般人でも体験入隊は出来
るが、おれたちエージェントには隊内の協力分子が定期的に特別の
訓練を施してくれる。
おれと錬で交互に弾幕を張りながら、追っ手の銃撃を封じた。
﹁出口はすぐそこだ﹂
もはや階上には堅気の人間しかいない。ロビーにいたのは商談に
来社した営業マンや受付の女性。まぎれもなく安全地帯に脱したよ
うだ。
そこでも生き残った四名は奇異の視線にさらされる。
﹁うっつ、えぐっ﹂
ほっとしたのか、美羽の横隔膜は自分でも制御できないようにけ
いれんしていた。
﹁もう、大丈夫だから﹂
錬は完全に美羽にとっての白馬の騎士のようである。
﹁先に行け﹂
334
地下の住人たちが、よもやここまで追いすがるとも思えないが、
おれは用心して建物の奥を睨めつけていた。
﹁タクシーだ﹂
田辺、美羽、錬が車に乗る。おれはまだ動かずにポケットの中で、
右手の指を銃の引き金に掛けていた。左手で携帯電話をダイヤルす
る。
オペレーターの冷静な声。
﹁状況報告をお願いします﹂
﹁マルタイおよび内通者を確保、エージェント・遠野錬とともにこ
れより施設外へ移動します。次の報告は五分後に﹂
短く通話を切った。
タクシーの後部ガラスからこちらをうかがう錬に合図を送った。
タクシーが発車する。おれは、小走りにその後をついていく。まだ
行く手を遮るものがいれば、車内からの応戦は不利だからだ。
335
#13
正門前、警備員の視線がいぶかしげであることから、彼らが一般
の警備会社とわかる。獲物に逃げられて歯ぎしりする殺し屋には見
えない。
﹁ゴールだ﹂
おれはようやくタクシーに乗った。気を利かせて田辺は運転席の
隣に座っていた。
長い一日がもうすぐ終わる。
﹁お客さん、どちらまで?﹂
﹁八王子までお願いします﹂
とにかくここから遠くへ移動する。その間に組織へマルタイのピ
ックアップを頼む。
オペレーターに電話をすると、やはり直接には中原美羽を自宅へ
届けるなということだった。彼女の家は警察官とマスコミに取り囲
まれている。
美羽への口止め工作も無用とのことだった。彼女の両親が組織の
いた組織が勝手にやってくれるとのこ
関係者であるために、よく言い聞かせるそうだ。警察やマスコミへ
のもみ消し工作は、田辺の
いだろう。
とだった。親しい友人におれたちの存在を漏らす可能性もあるが、
女子中学生が今日起きたことを説明してもだれも信じな
336
途中、オペレーターから電話があって立川でタクシーを降りてい
いという。駅前のホテルに田辺と錬を残し、おれは美羽とファミレ
スに入った。
田辺は自分の組織を裏切った以上、家族とともにおれたち組織の
保護下に入ることになる。こういった仕事を受け持つエージェント
が彼を迎えに来る。オペレーターが田辺とも会話し、妻に子どもを
学校へ迎えに行かせるように指示した。そのまま級友たちとは長い
別れになる。
錬は田辺としばらく残った後に、例の転送装置のせいで体に影響
がないか病院で精密検査を受けるそうだ。 337
#14
ファミレスにおれと二人でいると、美羽はまだ不安そうだった。
同じ命の恩人とはいえ、彼女は錬といた方が安心を感じるのだろう。
﹁もう誰も君に危害を加えることはできないから安心して﹂
美羽も落ち着きを取り戻して、もう震えてはいなかったが表情は
暗い。
﹁レジのところに公衆電話があるね﹂
おれの指差す方を彼女も見た。
﹁自分で一一〇番して警察を呼ぶんだ。おれはこのあと、離れた席
できみを見守ってるから。警察が来たのを見計らって店を出る。そ
れでお別れだ﹂
﹁ありがとうございました。⋮⋮いつもこんな危険なお仕事をして
るの?﹂
﹁ここまでの修羅場はおれもはじめてだな。錬も助けに入るのが遅
かったら殉職するところだったし、おっと⋮⋮﹂
いけない。これもまた禁則事項だった。ほかのミッションの内容
を口外はできない。
錬の名前と、殉職という言葉に彼女はナーバスに反応した。顔が
こわばる。
338
﹁とにかく、君はもう安全だ。錬もおれも無事に任務を終えて家に
帰る。とりあえずはハッピーエンドだな。だから⋮⋮﹂
べつに彼女の好意が錬に偏っているからといって不満があるわけ
じゃない。危険は山盛りだったが、今回はいつにも増してやりがい
のあるミッションだった。
今日は任務を遂行するために何人の生命を奪っただろう。もちろ
ん、悪党たちの命をいくら積み重ねても、美羽ひとりの命には及ば
ないとおれは思っているが、
339
第十一章 了
﹁⋮⋮だから、君の笑っている顔が見たい﹂
本当は、彼女を姉の涼子のもとへ連れて行きたかった。転校生の
おれに親切にしてくれた委員長。きっと涙をこぼして喜ぶだろう。
その顔を見ることができないのが残念だ。
おれはこの後、マンションにもどって引越しの準備をしなければ
ならない。しばらくはあの街を拠点に任務に出かけるはずだったの
だが。
明後日あたりには、人知れず退学の手続きがなされるだろう。学
れとこの事件のつながりを涼子が気付
校の事務室には、転入の手続きに使ったおれの顔写真が一枚ぐらい
はあるかもしれないが、お
くことはまずないだろうし、美羽も自分を助けたのが姉の同級生だ
ということを知る機会はないはずだ。
美羽は、おれの願いを聞き入れようと、ぎこちなくだが無理には
にかむ仕草をしてくれた。
︵こうしてまじまじと見ると、やはり姉妹だけあって似ているな︶
その笑顔がおれの免罪符となる。脳裏に焼き付けて、おれは席を
立った。
340
︵もう、あの姉妹に会うことは二度とないだろう︶
そのときのおれは考えたのだが、中原涼子とはその後、腐れ縁と
も言うべき長い交流が、時を経てふたたび始まるのだった。
まさか、彼女までもが組織のエージェントとなっておれを追って
来るとは⋮⋮
341
第十二章 リユニオン
中原涼子が組織の一員となっていたとは驚きだった。
組織は貢献を求める代わりに、メンバーの願いを叶える。
彼女の父はそれまでの貢献を、誘拐された娘の救出という対価で
受け取った。同じように、彼女はおれの正体を知る対価のために、
組織へ自身の魂を売ったのだ。
﹁あなたはわたしのヒーローなのよ﹂
リリーナ姫と同様の感情を、涼子は自分に抱いていたようだ。教
室で再会したときから、変だとは思っていたのだが。教育実習生と
して我が校に再び現れたのは、母校だから特別な工作はしていない
そうだ。
彼女はおれの口からあの日あったことを聞いて、感情が高ぶった
ようだ。人生をかけたミステリーが明らかになる瞬間だった。その
後の情熱的なアプローチ、まるでおれになにをされてもいいような、
そんな信頼がおれに向けられた。
彼女はおれの昔なじみでもあった。なつかしさもあって、つい彼
女の気持ちにほだされてしまった。
そんなわけでこうして家路についたわけだが、時間は深夜12時
を回ってしまった。
家にたどり着き、チャイムを鳴らす。
342
反応がない。
ピンポーン。
自分の鍵で解錠したが、チェーンロックがかかっていた。
﹁⋮⋮﹂
携帯電話を取り出して、さつきの番号にかける。
﹁⋮⋮もしもし﹂
さつきが電話に出た。
﹁さつき、チェーンをはずしてくれないか﹂
﹁どちらさまですか?﹂
﹁あなたの兄です﹂
﹁兄なら、とっくに帰宅して風呂に入って寝ました﹂
343
#2
ゲート内世界でともに行動した仲間に、他人が見る自分の外見を
自在に変化させることのできる能力者がいた。彼が我が家を訪問し
たのだろうか。
それはないだろう。彼はその能力を悪用して、詐欺を働いていた
のを仲間に咎められて刑務所で反省中のはずだ。脱獄したなら、お
れの元にも連絡が入る。
﹁変身能力者がいたら危険だから、兄さんに確かめさせなさい﹂
﹁こんな時間までなにやってたのよ?﹂
返信能力者が訪問したのは嘘らしい。
﹁いや、中原先生と進路相談をね﹂
﹁兄さんになんの進路相談が必要だってのよ、エージェントの仕事
もあるし、働くかなくたってお金はいくらでもあるじゃない。昼間
に学校で別れてから、こんな真夜中まで一緒にいたっての!?﹂
﹁さつき、声が響いてご近所迷惑になるから、家に入れてくれない
か﹂
﹁⋮⋮﹂
ガチャリ。チェーンをはずす音がした。ドアノブを引いて部屋に
入ろうとすると、隙間からリリーナが顔を見せた。
344
﹁やあ、姫。ただいま帰りました﹂
﹁︵じー︶﹂
さつきのような感情的な声は上げないが、冷ややかな視線がおれ
を刺した。
﹁おかえりなさいませ﹂
声は落ち着いているが、やや口をとがらせ、汚いものでも見るか
のようにおれを見下ろしている。
﹁まだ起きていらしたのですか、姫﹂
リビングで、さつきとリリーナにおれは詰問された。
﹁なんで、こんな時間まで先生といっしょにいたのよ、なにしてた
のよー!? 夜の進路相談とかしてたんじゃないでしょうねー﹂
345
#3
︵﹃夜の進路相談﹄わが妹ながらオヤジくさいセンスだな︶
﹁説明するから、二人とも座ってくれ﹂
プンスカプン。二人ともおかんむりだ。
リリーナ姫を我が家に迎えて当初は、二人が反目するのではない
かと心配したが、それは杞憂だった。すぐに打ち解けて、仲の良い
親戚の少女同士のようにいっしょに料理をしたり、さつきは姫に、
この世界の理を教える教師役を務めていた。
もともとリリーナは、さつきに対して含むところはなかった。お
れの妹ということで最大限の敬意を払っていた。さつきはさつきで、
おれが世話になった貴人として、姫めのおもてなしはおれ以上に心
を配っていた。
仲が良くなりすぎて、連合を組んでおれを糾弾してくるようにな
ったのは予想外であった。
おれはリビングにあぐらをかいた。二人はソファーに座り、腕を
組んで足を交差させ左右対称の像を結んでいた。
同じ角度でおれを見ている。
﹁中原先生は、おれのかつての同級生なのだ﹂
彼女と妹にまつわる話はかつて、さつきにも語って聞かせたこと
346
がある。
﹁練とはじめて出会ったときのことだ。中原涼子の中学生の妹が誘
拐され、秘密の研究所をおれと練とでつぶした﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
さつきは少し得心したように顔が緩んだ。リリーナ姫はおれの裏
稼業を知らない。
﹁空間転移装置の実験台に中学生の妹さんを利用しようとした悪い
人たちを懲らしめたのよね﹂
そのエピソードを、彼女は作品にそのまま使ってしまった。
347
#4
﹁中原さんはおれのことを恩人だと言って崇拝しているようなのだ。
そればかりか、いまではおれと同じエージェントにまでなったらし
い﹂
﹁よくあれが兄さんの仕事だってわかったわね﹂
妹が無事に生還した喜びとどたばたで最初は考えもしなかったこ
とだった。時間が経ち、冷静になるとなにかがおかしいと考えるよ
うになる。
両親は不自然なぐらいに事件のことを早く忘れろ、と。
だが、姉妹では毎日のようにその日のことを話し合う。
﹁わたしは薬をかがされて拉致されて何も無い部屋に監禁された。
そこに一人の男の子が後から放り込まれたの﹂
美咲を救出に来た先発エージェントが敵に不覚を取って、彼女と
同じように監禁された。
﹁中原さんはおれのことを恩人だと言って崇拝しているようなのだ。
そればかりか、いまではおれと同じエージェントにまでなったらし
い﹂
﹁え、先生もエージェントなの? それにしてもよくあれが兄さん
の仕事だってわかったわね﹂
348
妹が無事に生還した喜びとドタバタで最初は考えもしなかったこ
とだった。時間が経ち、冷静になるとなにかがおかしいと考えるよ
うになる。
両親は不自然なぐらいに事件のことを早く忘れろ、と言った。
しかし、姉妹では毎日のようにその日のことを話し合う。
﹁わたしと彼は全裸にされて、狭くなっていく部屋に押しつぶされ
そうになって、彼は最後までわたしを護ろうとしてくれた。だけど、
二人ともあきらめそうになった時、不意に世界が開けた﹂
349
#5
﹁ごめん、きみのこと守れなかった!﹂
自分の命が失われるという瀬戸際で、生真面目な彼は最後の瞬間
まで美羽を守ろうと足掻いている。
彼の名は遠野練。わずかな時間の間に二人は友情を育んだ。美羽
はこの窮地を生き延びて、解放されたら彼と愛し合いたいと思った。
突如、崩壊する白光の壁に囲まれた空間。重力が二人を捕まえる。
落下した足下は、小さなプール様の水槽だった。
﹁助けに来たぞ﹂
現れたのは、たった一人の援軍だった。彼は、二人に手を差し伸
べもせず、笑みを見せることもなかった。ただ、周囲に拳銃を向け、
二人の盾にならんとしている。立ち上がった練もそれを承知で、美
羽に肩を貸すとプールを出て、援軍の少年がかざした拳銃を受け取
って、研究者たちに向けた。
後に二人が初対面と聞いた美羽は驚く他ない、見事な連携だった。
手早く美羽と練のための衣服を奪うと、銃を乱射しながら囚われの
実験施設を悠々と脱出したのだった。
練は姉にその経緯をつぶさに報告した。姉も同じ話を何度も聞き
たがった。美羽は明らかに練にご執心のようで、彼がどんな容姿で、
どんな言葉を美羽にかけ、細かな仕草までを鮮明に覚えていた。
350
その説明から、中原涼子は練を見知らぬ少年と理解していた。が、
﹁もう一人﹂の少年の話を聞くうちに、姉は胸がざわつくのを感じ
るのだった。
﹁わたし、なんだか最初からわかっていた気がする﹂
再会後、涼子はおれにこう言った。
351
#5︵後書き︶
3000ポイントが見えてきました。ご愛読ありがとうございます
352
#6
﹁わたし、なんだか最初からわかっていた気がする﹂
そうなることがわかっていて、彼女はおれを部屋に招いたのだ。
﹁え?﹂
﹃おまえの正体を知っている﹄と言われて、彼女に背を向けること
はできなかった。
学校見学からリリーナとさつきを先に帰宅させ、高校生時代の思
い出話をしていたら、彼女はすべておれの素性と裏稼業を調べあげ
ていたでござる。
夕方になり、教師も部活動の顧問を残すのみとなり、屋上にいづ
らくなった。
﹁静かな場所で話しましょう﹂
おれと、中原さんは学校を後にした。
﹁ここは?﹂
とあるマンションの前でタクシーを降りると、彼女は答えた。
﹁わたしの部屋よ﹂
﹁そうですか﹂
353
かつての同級生の部屋を訪れ、恐縮していたおれも夜が更けると
ベッドでくつろいでいた。
﹁いい部屋に住んでるね。女子大生の一人暮らしにしては﹂
気安く女性を口説くつもりはなかった。でもいまの彼女は、おれ
にとって特別な存在の一人となったのだ。そう伝えると、彼女は嬉
しいと言った。
おれたちがいる寝室は半分を化粧台が占めている。ひとつの部屋
は小さいけど、リビングとキッチンが別にあった。
﹁そうそう。きみのお父さん、組織のスポンサーだったね。お金に
は不自由してないか﹂
教育実習でとある高校の教壇に立った彼女は、偶然かつての同級
生をそこで見つけた。
おれの名前は﹁双葉としあき﹂。同じ教室で短い期間だけクラス
メイトだった男。そしてあれから5年が経った現在も、当時と変わ
らぬ姿で教室にいたのだから驚いたはずだ。
354
#7
﹁中原さんも人が悪いな﹂
彼女は、ブラウス一枚でおれの隣に横たわった。触るでもなく、
おれの指が顔女の脚に触れた。その手を握る。
﹁全部知っているのなら、最初からそう言ってくれたらよかったの
に﹂
涼子は思わず笑みをこぼす。ここ1週間のこと、少し悪戯が過ぎ
たようだ。
﹁妹を助けてくれてありがとう﹂
そう言うと、彼女はおれの鼻先にキスした。
﹁これはあのときのお礼?﹂
リラックスしていたおれは上半身を起こして、涼子を見下ろす。
﹁わたし、なんだか最初からわかっていた気がするんだ﹂
誘拐された妹の生還。それと同時に姿を消した転校生。点と点を
つなぐ糸はなくても、女の勘が告げていた。
﹁あなたが妹の美羽の奪還に関わっていたって﹂
﹁どうしてわかった?﹂
355
﹁女の勘よ﹂
﹁あれ、あの頃の涼子はもう﹃大人﹄の女だったの?﹂
﹁こいつ、おっさんくさいこと言うな!﹂
涼子の指が伸びて、おれの両頬をひっぱった。
﹁変わってないね、委員長﹂
﹁そうでもないわ。とても素直になったつもりよ﹂
過ぎ去った時が蘇っていく。もし、あの事件が起きなかったら、
おれは転校を繰り返すことなく、もしかしたら中原涼子たち当時の
同級生と一緒に卒業するまで、あの学校に通い続けていたのかもし
れない。
転校生に親切にしてくれた委員長。
﹁あなたが姿を消すまでは、はっきりと意識していなかったけど、
わたしはあなたのことを相当に気にかけていたみたい﹂
356
#8
﹁ねえ、転校してからクラスのことを思い出すことはあった?﹂
︵わたしのことを思い出すことはあった?︶と目が訴えている。
少しの間、黙考してから答えた。
﹁何度も学校を変わったから、時おり思い出したのは委員長のこと
だけだな﹂
︵やだ、嬉しい!︶と目が語っている。
﹁こいつめ、意外と如才ないやつだったのか、本心なのかはかりか
ねるけど、わたしの心臓はキュンとしめつけられたぞ﹂
涼子がおれの首に手を回し、ヘッドロックのような形で首を絞め
ている。
﹁でも、あなたの周囲には、いろんな女の影がついてまわる。ここ
2週間の間に観察しただけでも、きれいな女性が入れ替わり立ち替
わり、隣に立っていたわよねー﹂
﹁最近、やけに女運がいいんだ。どうしたんだろうな、昔はおれに
言い寄ってくる女なんてトラブルを運んでくる人間ばかりだったの
に﹂
﹁安心して。嫉妬はしていないから﹂
357
﹁ふーん﹂
﹁わたしが調べた、あなたのその後の経歴を考えれば、わたしのよ
うな女性たちが慕ってやってくるのは無理からぬ話でしょう﹂
﹁おれは、けっして女ったらしなどではない﹂
ジェームス・ボンドよろしく組織からの指令を遂行していと、多
くの人間との出会いが訪れる。そして、ほとんどの場合は一期一会
の別離となった。
そういう意味では、ここ最近のおれの女性関係は異質である。
﹁わたしの調査では、あなたは一つところで多くの人間関係を結ぶ
ことをしないはず﹂
358
#9
﹁異質か⋮⋮以前は組織の秘密保持のために、任務が終わればすぐ
に人間関係を断ち切っていたから﹂
﹁いまはどうなの?﹂
﹁最近は、組織からの命令もなく普通の暮らしをしているから﹂
いや、異世界への旅はそれまでの任務よりよほど異質だった。だ
が、帰還後は組織も、おれのことを放っておいてくれている。
涼子ががおれを見ている。
﹁おれの顔を見てて面白いか?﹂
﹁そうね。見た目は特別に端正ということはないけれど、一応わた
しのアイドルだわ﹂
﹁えらい、持ち上げようだな﹂
﹁他の女の子だったら、あなたのことをわたしみたいに観察したり
しないでしょう。アイドルタレントやイケメン俳優のような華やか
さもないし、ファッション誌のモデルのようなモテオーラも出して
いない﹂
とても好意を持たれているようには聞こえない人物評だ。
﹁委員長、いや涼子先生、妹のことで恩義を感じているだけならい
359
いんだぜ? 仕事でやったことだ。きみの家族はそのサーヴィスを
受けるだけの縁を組織と結んでいたんだ﹂
﹁いまは涼子でいいわ。でも、いまでも委員長と呼んでくれて嬉し
いとも思ったわ。あの頃の短い時間の交流がそのまま形を変えずに
あなたの中に残っていたのだから﹂
やはり好意を持たれているのは間違いない。少々遠慮なく、おれ
は左手を彼女の腰に回した。彼女はブラウスを羽織っているけど、
下半身はパンティをはいているだけ。
﹁妹さんと、あのお姫様が怒るかしら﹂
涼子はリリーナを﹁お姫様﹂と呼んだ。たしかにいいとこのお嬢
様キャラではあるが、王族と知っているのだろうか。
360
#10
涼子の口ぶりだと、背徳的な男女の秘密を共有する関係をおれと
結ぶことをとっくに覚悟しているように聞こえる。
︵むしろ、それを望んでいるような︶
﹁不倫上等﹂と言わんばかりの挑発だ。
姫の悲しむ顔は見たくないんだが、涼子はおれの数少ない現実社
会の理解者でもあり、悪友的な連帯を感じてもいる。
﹁涼子、君はおれのことを倫理的に信頼しているか?﹂
﹁ええ、世間様の理解はとても得られはしないでしょうけどね﹂
組織からの任務は、誰か︵組織に何らかの貢献があることが条件
だが︶からの依頼に基づくものばかりだが、依頼の承認は高度な倫
理上の審査を経て、おれたち実行部隊に発令される。
例としては、これまで語ったように、涼子の妹を救い出す依頼を
したのは彼女の父だ。もっとも、最初から荒事の依頼だったわけで
なく、当初は﹁家に帰らない次女の美羽の安否を確認する﹂ことだ
った。
組織は巨大な人的ネットワークを誇り、警察には不可能な手段を
問わない調査を行う。その結果、娘の所在をつき止め、失踪の真相
が誘拐であること、理由が超科学的目標を設定した人体実験である
こと、実行組織の規模と性質を解析した。
361
組織のネットワークは広大で、一定の規模を誇る組織には必ず内
通者を持つと言われている。
涼子は、おれたちが彼女の妹を無事に家族の元へ帰したことをも
って、唯一無二の正義遂行者とおれを信頼している。
しかし、おれの受けた命令には、﹁﹃手段を問わず﹄保護目標の
確保﹂とあった。
362
#11
つまり、必要であれば任務遂行のために殺人さえも許容される。
実際に、美羽一人を救出するために、数えるのは途中でやめたが、
二十人以上の誘拐およびその背景の研究グループ関係者を殺めた。
彼らにも、家族があったかもしれない。だが、おれの良心は痛ん
でいない。もし、おれが心を痛めるとすれば、銃撃戦が美羽の囚わ
れていた施設の外部にまで及び、まったく無関係の通行人をおれ自
身、あるいは敵側の射撃でも同様だが、その流れ弾で殺傷するに至
ってしまったときなどだ。
組織の中でも荒事を担当するバトラーは、戦闘のプロフェッショ
ナルである。その中でもおれは生い立ちにおいて、この日本国国民
に比べて戦争には忌避感が少ない。
たとえ敵の犠牲者が百人を超えようと、美羽一人の命の方が重い
とおれは考える。
﹃委員長、きみの妹を助けるためにおれは自分の手を血で汚したん
だ﹄
もちろん、そんな恩着せがましいことを口になどしない。
だけど、涼子が事件の真相を知っているなら、その行いをすべて
許容してくれるだろう。
殺戮について悔やんでいると言えば、おれを聖母マリアのように
癒し包み、赦しを与えてくれるはずだ。
363
どのような行いをしても、絶対的な理解者がいるというのは救わ
れるものだ。彼女はおれの罪を免罪するどころか、喜んで共犯者に
なってくれるだろう。
ただ、おれたちの任務は組織が依頼を受ける時点で、高度な倫理
ロジックの計算により、実行メンバーが罪悪感を感じる必要がない
場合が多い。
364
#12
最近ではもう任務の倫理的な根拠を求めることはしない。最初の
うちは、この任務にどんな意味があるのかという疑問に思うことも
あった。しかしその規模によって、別に理由を聞かなくても構わな
いという、些細な仕事から段階的に経験を積んでいた。段階的に任
務の重要度が大きくなり、どう考えてもこれは違法行為なのではな
いかと思えるレベルの仕事を命じられることが増えた。
その段階に至ってようやく、組織は任務の詳細を教えてくれるよ
うになった。ベテランの構成員と、人の生死に関わるような行動を
起こすこととなったとき、質問をしてみた。
﹁今日の仕事は誘拐だそうですが、営利誘拐までうちの組織はする
﹂
んですか? それに適材適所ってことですけれども、おれが素直に
誘拐の片棒なんてかつぐとでも思ってているんですか?
﹁君は荒事仕事は初めてだそうだね。それを考慮して組織からも今
回の仕事の背景を君に話していいと許可を得ている。わたしもこの
一線を越える時には、説明を求めることを許された。それで納得し
て、以後は質問もせずに従っているのだからね﹂
﹁聞けば納得できるない内容だったのですか。どの道、借りが大き
くて組織に逆らえる状況ではないんですが﹂
﹁むしろ、君のような若者の方が今回の内容に納得すると思うよ﹂
普段はマンション販売の営業をしているというエージェントから
聞いた今回の行動計画。彼もまさか、組織のルーキーが、この世界
365
に来る前の少年期から、戦闘や狩りで人や獣を手にかけることに慣
れていたとは思いもよらなかっただろう。
366
#13
おれたちは、一人の男を尾行している。適当な場所で追いついて、
拉致するためだ。ターゲットは、若いサラリーマン。自宅らしきア
パートの一室に入るのを確認した。
﹁数日前に下調べして、防犯カメラが近辺にないことを確認してい
る﹂
﹁金を持ってそうに見えないけど、どこから身代金取るんですか﹂
﹁営利誘拐じゃないよ。まあ、ある意味では営利誘拐になるのかな。
奴の名前は、#$#$%%︵︵︵’’’。年齢は二十三﹂稼ぎは少
ないけど、商社に勤めて位いる正社員だ﹂
それを聞いて、狙いは勤務先勤務先企業の機密情報でも引き出す
ことかと思っていた。
﹁そんな重要人物じゃねーよ﹂
初老のエージェントの声に苛立ちが含まれていた。企業に勤務し
ている人間が、実質スパイとして組織に仕えている人間も多い。そ
ういう人間が窮地に陥ったときに、救出へ向かう仕事もある。
﹁もう十年前のことだ。#$#$%%︵︵︵’’は山梨県に住んで
いた。学校での成績は中の下、陸上部に入っていたが、そちらも中
途半端な取り組み方だったようだ。そんなことはどうでもいいが、
暇を持て余すようになってからは、本格的な不良になるまでいかな
いものの、似たような半端の悪で集まって、数人の気弱な生徒から
367
金品を恐喝するようになる﹂
﹁いじめですか?﹂
﹁どこからどこまでが、いじめと言っていいんだろうな。おじさん
の感覚じゃ、ちょっとした意地悪や無視ぐらいのものまでだろうと
思うんだがな。道行く人から財布を奪えば、窃盗や強盗に他あるま
い。そういったことが常習的に行われていたんだ﹂
368
#14
﹁いじめられていた子はどうなったんですか﹂
俺の故郷のシュヴァリアでは、弱い子供は生きてはいけない。し
かし仲間に限らず自分より強い人間に戦いを挑むことを美徳として
いる民族性のために、たとえ相手が戦闘員だろうと非戦闘員であろ
うと自分より力の弱いものをいたぶるようなことはあまりしない。
敢えて言うなら情報を聞き出すために拷問にかける時くらいのもの
だ。
﹁その子は自殺したんだ﹂
こっちの世界に来てから人間の死に様で自殺が多いことに驚く。
シュヴァリア人は最後の最後まで一人でも多く相手を道連れにしよ
うと、戦い続ける。ただし捕らわれの身になることを良しとしない
場合には自決をすることはままあることを思い出した。
とは言え、この頃には人の良い義父、そして妹との暮らしの中で
おれもすでにだいぶこの世界の人間らしい感性を培っていた。中学
生が自殺をしたと聞けば、かわいそうにと、その死を悼む素直な気
持ちはおれの中にもあった。
﹁いや、首を吊ったにしては体の外傷が多く、本当に自殺なのかと
疑う声も当時あった﹂
第三者でさえ疑うのであれば、実の両親にしてみればたまったも
のではないだろう。
369
﹁少年が死を選ぶ直前まで、いじめグループといっしょにいたとい
う目撃証言はあるのだが、殺人の立証が出来ず自殺の原因となった
いじめについては両親が民事裁判を起こした結果、加害者グループ
慰謝料の支払い命令が出ている﹂
俺たちが尾行した男の年齢から考えるとおよそ十年ほど前のこと
だろう。
370
#15
﹁やつを尾行して拉致するということはこの任務は復讐ですか。そ
れならそれでもかまわないですけれど﹂
おそらく亡くなった中学生の遺族からの依頼なのだろう。それに
しても、当時でなく少し時間が経ちすぎているようにも思えるのだ
けれど。
﹁それで拉致したとどうするのです。痛めつけるだけで許すんです
か? それとも殺しますか﹂
仕事の背景におれは納得できた。組織がおれたちに嘘をつくとい
うことも今まで無かった。伝えることのできないことは最初から伝
えないというのがこの組織の流儀だった。
﹁殺すか。結果的にはそうなると思うよ。だけど殺しはそれ自体が
目的ではない。結果的に死なせるとしてもむやみにいたぶったりは
しないつもりだ﹂
殺すと決めているのがあればさっさと殺す。遺族がそれ以上のこ
とを求めていたとしても、それは何とでも報告すればいいのだろう。
先輩エージェントが電話をすると、すぐに一台の乗用車が路地に
現れた。なんの変哲もないセダン車。
﹁まず君が奴を殴りたまえ。その後に私が麻酔薬を注射する﹂
五分後、#$#$%%︵︵︵’’のアパートのドアをノックして、
371
顔を出した#$#$%%︵︵︵’’の顔を、先輩と示し合わせたと
おりに俺は殴りつけた。部屋の奥に転がる#$#$%%︵︵︵’’。
奴がチェーンをしたままドアを開けたときのことを考慮して先輩エ
ージェントは巨大な工業用断ち切りバサミ持参していた。持ち手が
五十センチ以上あって、てこの力で金属鎖を断ち切るタイプ。
372
#16
#$#$%%︵︵︵’’が油断していたので、断ち切りバサミは
必要なかった。
ただ殴られるだけでなく#$#$%%︵︵︵’’も抵抗を試みた。
なかなか負けん気は強いタイプのようである。
﹁なんだ、てめえ。強盗か!﹂
若い時は悪だっただけあって、怯まずににつかみかかってきたが、
歴戦の闘士であるおれにかなうはずもなし。
右ストレートを肘で受け流し、そのまま関節をひねり上げて背後
へ回る。足を転ばせ、奴の体を床の上に拘束した。
老エージェントが、注射針を掲げて指先で揺らす。注射針の先か
ら溢れる薬液。空気が入らないように配慮はしている。
﹁麻酔薬だ﹂
おれに言ってるようにも、#$#$%%︵︵︵’’に言っている
ようにも聞こえた。
慎重な手つきで頸部の血管を探すと、手慣れたように針が斜めに
向かってなめらかに$#$%%︵︵︵’’の肌へ沈んでいく。
﹁や、やめろ、金ならやる⋮⋮﹂
373
﹁裁判所の命じた賠償を踏み倒すべきじゃなかったな﹂
誠意を持って犯した罪の償いをしていれば、それをしようと励め
ば、今回のことにおいて最初の犠牲者には選ばれなかっただろう。
ぐったりしている男をかついで外の階段を降りた。
﹁その男はその後、どうなったの?﹂
おれの述懐は続く。おれは半身を涼子の体に重ねていた。
﹁うん、彼はどうしてそんな死に方をする羽目になったのかという
とだね﹂
おれは一度起き上がり、テーブルの上にあった冷えた紅茶のカッ
プを口につけた。
374
#17
﹁どおうして?﹂
薄れゆく意識の中で、$#$%%︵︵︵’’は問うた。
﹁もう、忘れたのか? 無かったことにしたのか? 人一人を自殺
に追いやって、何事もなかったようによく生きていけるもんだな﹂
先輩エージェントは、それでも律儀に彼の質問に答えた。
﹁⋮⋮あいつの復讐か、家族に頼まれたのか﹂
﹁ようやくそこに思い至ったか﹂
かつて級友を死に至らしめたことの因果であるが、状況はもっと
複雑だった。
﹁その後の話は、男の耳にも入っていなかっただろう。完全に意識
を失ったからね﹂
涼子におれは彼の末路を語った。
﹁エージェントは最初から、復讐ではないと言っていたが、その通
りだった。過去に亡くなった中学生、A山B夫には仲の良い妹がい
た。兄を失ったときには彼女も取り乱し、その嘆きようは彼女自身
を殺されるかのようでもあったと言う。そのことを考えれば$#$
%%︵︵︵’’の罪は一人の命を奪った以上に深いものだ﹂
375
もちろん、妹だけでなく、その両親にも自身の死よりも辛い苦し
みを与えた。
﹁エージェントにも家族がいるのだろう。きっと自分の子供や孫が
同じ目にあったら、と深い同情を遺族に見せていた。家族は悲しみ
と怒りを押し殺し、その後の十年の歳月を生きてきた。息子の、兄
の仇を殺してやりたいくらいにも思ったかもしれないが、一般人が
何の助けもなく背中を押す誰かの手もなく殺人という境界線を踏み
越えるのは易しいことではない﹂
376
#18
善人でも踏み越えることのできる悪徳の境界とそうでないものが
ある。殺人は後者だ。
そこで組織の登場である。
﹁ご遺族が復讐の依頼をしたの?﹂
﹁相応の対価があっても、組織の倫理検証を経なければ依頼は受理
されない。このケースであれば、受理は可能だったかもしれない﹂
もちろん、殺人に相当する対価となれば、家族一同の一生を組織
に捧げる覚悟が必要だ。
﹁しれない? 受理されたんでしょう﹂
﹁ご両親の依頼は復讐殺人ではなかった﹂
﹁え? では、なにを願ったの?﹂
運命の輪は回る。
﹁両親にとっては、息子の無念を腹に飲み込んでも守らなければな
らない、残された娘がいる。亡くなった少年の妹だな﹂
﹁まさかその連中は、妹さんにも何かしようとしたの?﹂
﹁そうではなかったが、天は無慈悲なのか。残された娘すら両親の
377
元から奪おうとしていた。彼女は高校生になったころ重篤な病に伏
せることになる。多臓器不全と言うのか、生命維持に必要な複数の
臓器の機能が次々と障害を起こした。現在のところ、各臓器の機能
不全を個々に治療することはできるものの、これらが関連して一時
に発生した場合、それぞれに対処していく以外に治療法がないのが
現状である。そうして対処療法的に、闘病生活を送っていたが、身
体がその負担に耐え続けることができない段階がやってくるに至り、
父と母は泣いて暮らす日が続いた。そして﹂
﹁だれかが見かねて組織を紹介したのね﹂
涼子はわかっている。組織は困窮した人間にどこからともなく救
いの手を差し伸べる。
378
#19
﹁胡散臭いことこの上ない組織の接触だったが、父親には選択肢も
なかった﹂
そんな気持ちを汲んで男たちはこう言った。
﹁成功報酬でいいですよ﹂
藁にもすがる思いの父は組織に自分の魂を売ることに同意した。
このときの彼は、エージェントをマフィアのメンバーかなにかと
思っていて、彼らの図る便宜というのも、海外での臓器移植の順番
を繰り上げてくれるとか、治療費を肩代わりしてくれるというもの
だと思っていた。やくざな集団であれば、高利での資金返済を求め
られるかもしれないと覚悟した。
﹁それでも、子どもの命には代えられない﹂
組織は事前になにを要求するかは言わなかった。
﹁求めるのは忠誠だ﹂とだけ伝えられた。
その後の行動は早かった。娘はそれまで入院していた病院を出て、
とある診療所へ移送された。不思議なことに、病院の主治医も看護
師たちも親子の行動を止めはしなかった。もう助からないと見て、
自宅に帰る事を認めているのかと父はそのとき思った。しかし後に
思い返すと、それもまた違ったようだ。
379
病院にも組織の協力者がいるのだと後には思うようになった。そ
こから今回の事態の解決方法を導き出そうとした
その過程でエージェントは、これまでの経路を根掘り葉掘り聞く
のだった。そうして、少女の兄、長男の死のいきさつを知ったエー
ジェントはそれを組織に報告した。
ほどなく組織からの回答と指示が届いた。
﹁兄君の死に責任を負う者に贖罪の機会をあげようということにな
った﹂
380
#20
﹁妹君の兄を死に至らしめるに至った責任者から妹君のための臓器
をいただくのが妥当なところだと本部は判断しました﹂
﹁え、殺すのか? 彼らを﹂
父は顔を青ざめていた。
﹁ご遺族にとっては一石二鳥でしょ﹂
荒事に慣れたエージェントは、物事を深刻に考えない。
﹁それは⋮⋮わたしは殺人の依頼などは﹂
息子を失った父でさえ躊躇せずにいられない。殺人の倫理ハード
ルはそれほどまでに高いのだ。近頃はそのハードルを易々と踏み越
え、良心の呵責さえ感じない中学生もいるのだ。
﹁殺人は手段であって、目的ではない。ふつう、復讐は勧めない。
犠牲者もそれを望まないとかなんとか言って止められるケースがほ
とんどだが、今回に限って言えば、妹を救うために兄君も了承する
ことでしょうよ﹂
﹁しかし!﹂
﹁考えてもみろよ、お父さん﹂
エージェントは合理的思考を有す。それは組織の決定が高度な倫
381
理ロジック経て為されていることである事を信頼しているからでも
ある。
﹁もちろん他に方法がなければ、あなたが最初に想像した通りに、
どこか外国での、手術の順番を繰り上げる方法での便宜を図ること
になるのであろう。だけど、それは万策尽きたときの話で今われわ
れが選択すべきオプションではない。それをすれば、誰かあなたの
娘と同じ状況で僅かな可能性に望みを託すどこかの誰かが助からな
くなる可能性もあるんですよ﹂
﹃生命の順番﹄という言葉に父は抗えなかった。
382
#20︵後書き︶
ちょっと引っ張り過ぎましたか。本章もそろそろまとめないと。
383
#21
俺は少し饒舌になっていたのかもしれない。涼子に話聞かせてい
るつもりが、いつの間にか思い出話を独り言のように口ずさむよう
に話していることに気づいた。
血なまぐさい話を、楽しげに話すのはいかがなものだったろうか。
涼子は真摯な態度で傾聴している。この話もそろそろ切り上げた
ほうがよさそうだ。
﹁﹃彼﹄を俺たちはあらかじめ手はずしていた医療施設へ運びこん
だ﹂
﹁そんな手術を請け負ってくれるなんて、実戦エージェント並に非
合法なミッションに関わってるお医者さまなのね﹂
殺人すら厭わない、そんなエージェントと同格に作戦行動に参加
する医師はさすがにそうはいない。
﹁訳ありの医師と言うのもたまにいてね。もちろん正規の病院では
行えない手術だから、ちょっと人目につかない診療所をお借りして
道具を運びこんだ。時おり医師免許を剥奪されて食いっ逸れた医者
もいるんだけど、そのとき担当してくれたのは、不可抗力の医療ミ
スで職を失った医者だった。たまにニュースで見るだろう?﹂
医師免許を剥奪されるといっても様々で、悪質な医療過誤もあれ
ば、もう助かりようも無い患者の苦しみようから目をそらすことが
出来ずに、止むに止まれず安楽死に手を染める者などはむしろ医師
384
の良心に逆らえなかったケースと言えるだろう。
﹁結果だけ言えば、依頼者の娘は助かって今も元気に暮らしている。
多少の後遺症はあるが、日常生活を送れていると聞いている﹂
﹁おおよそ、正義とは言えないわね﹂
涼子はおれの言いたいことを理解していた。
385
#22
正義なんて言葉に逃げるつもりはない。あくまで組織は互助会の
ような物でしかない。必要とすうる人間に十分な人員を派遣するだ
けなのだ。
長男を失った父は、その死に責任をもつ者の生命と引き換えに長
女の命を長らえた。そして、彼はその対価をいつか支払わねばなら
ない。
﹁いますぐにではないが、彼は必要が生じた時に組織に身体を張っ
て奉仕しなければならない。一度とも限らない。必要が生じれば何
million
slaves﹂
度でも、死ぬまで組織のサーヴァントとして使える﹂
﹁10
﹁一千万人の奴隷﹂おれたちの別名を涼子は繰り返しつぶやいた。
ここにいるのはプロフェッショナルな犯罪者と、その見習い一名。
そろそろ窓の外も暗くなってきた。しかし黄昏よりも暗い四つの
瞳が部屋の照明の中で、そこだけ光を吸い取るかのように佇んでい
る。
おれにとって、自分の闇を理解してくれる女性は涼子だけだった。
さつきは深く、おれを愛してくれている。リリーナも同様。だが、
ニ人は俺を英雄視していて、俺のなすことは百%これ全てを正義と
信じている。
386
時おり、その視線が痛い。
涼子はおれの成すことがただの取り引きと知っている。知ってい
てなお、肯定し赦しを与えてくれた。
サツキとリリーナにとっては、そもそもおれの中に赦しをこうべ
き罪などあると思ってはいない。それはおれの見解と少し異なる。
おれはおれなりに悪徳を悪徳と認めた上で、この仕事を引き受け
ているのだ。
387
第十ニ章 了
夜がふける。ニ人の周囲が闇に包まれていく。部屋の中には照明
が照らされているのだが、光をカーテンで覆うような悪徳の闇に若
い二人の肢体が沈んでいく。
涼子には欲望があった。彼女にとって俺は生ける偶像なのであっ
た。俺に恋人がいようとおれの事を一途に慕う妹がいようと関係な
い。
別におれに純潔を捧げるとかそんな青臭い話ではない。わざわざ
確かめはしないが別に俺が初めての男でないということはしぐさか
らわかる。彼女のおれを誘う手管は明らかに処女のそれではない。
きりりとした涼子の容貌に反して、ボタンをすべて外したブラウ
スから見える乳房は、薄いブルーのブラに包まれてはいたが、むや
みに悩ましく淫美だった。
﹁⋮⋮﹂
彼女は何も言わない。おれと交わりたいという情欲は、単純な性
欲というほど単純ではないだろう。かといって生理的欲求ともちが
う。きっと彼女にとって俺との交わりは読みかけて途中で取り上げ
られたお気に入りのミステリー小説を、ようやく初めて結末まで読
むようなものなのだろう。
︵いいかな?︶と口に出すのも無粋だし、おれは彼女の身体に手を
かけることなく、あごを向けて唇を寄せた。
388
涼子は目を閉じて応じる。かつての級友とのキスというのは、異
世界からやって来たおれには新鮮な感覚だった。この世界の住人と
して生きているという実感が湧く。
﹁これが、本来のこの世界恋愛の形に近い﹂
﹁⋮⋮だね﹂
涼子におれを他の女たちからうばいとる意思はないだろうと思っ
ている。しかしこの背徳感はちょっと癖になりそうな刺激だ。
389
第十三章 GIRL
IN
RED︵前書き︶
ここより、主要登場人物の名前と設定を少々変更します。が、読ん
でいるとすぐ慣れると思います。F.S.SでH.MがG.T.M
になったようなものとお考えください。
390
第十三章 GIRL
﹁敵が入ってきたぞ﹂
IN
RED
もう屋内に侵入されたようだ。自分たちの眼前に敵が現れるのも
すぐだろう。 思わず廊下に飛び出して逃げ出したくなったが、屋
敷の外は敵に囲まれていた。退路は無い。
︵わたしは人生を楽しんだろうか。こうなるとわかっていればどの
ような日々を過ごせばよかったのだろう。やり残したことはたくさ
んある︶
うづき かえで
卯月楓は絶望の淵に立たされていた。
十七歳と三ヶ月。この世ならざる場所においても、誕生日にプレ
ゼントされた腕時計は変わらず動きつづけている。それを頼もしく
感じ、ここへ来てから、ずっとお守りだと思っていた。時間が異な
るこの世界でも、元の世界の時刻を刻む時計をあえて調節せずにい
た。
動悸は断続的にやってくる。外は弓矢の雨。この数日続いた超常
現象の中でも、平静を装う胆力も身についたが、それにも限度があ
る。
︵多分もう駄目だろう︶
この状況からは助からないと思う。
それは周囲の人間の表情からわかる。年若い王女と近衛兵が顔を
391
見合わせている。自分をこの世界へ召還したリリーナ姫は美しい少
女だった。その手が震えている。薄いブロンドに透けるような肌。
宝石のような瞳。彼女自身は人間だが、そばに仕えるワイルドエル
フ騎士団と比しても、清廉で神々しいオーラをまとっていた。その
可憐な容貌もいまは凍りついている。
﹁落ち着け、落ち着け﹂
邪魔にならぬよう部屋の隅でうずくまっていたが、テーブルの前
に立ちグラスを手に取った。ワインに口をつける。彼女は未成年だ
ったが、それを咎める者はここにはいない。喉元が熱く火照る。
392
#2
﹁あなたたちの子供がどうして死んだのか﹂家族に遺言を届ける方
法もない。
︵こんな理不尽な運命があっていいものだろうか︶
いや、悔いるべき点はいくつかあった。
予兆はあった。それを直接自分には関わりのないこととしてやり
過ごしてしまった。
不運はある日突然にやってこないのだという。
一つの重大事故の背後には二九の軽微な事故があり、その背景に
は三〇〇の異常が存在するというもの。これをハインリッヒの法則
という。
軽微どころではない。とんでもない天変地異のような怪異を目撃
していたのに。
﹁夕一
ゆういち
くん、ごめんね。このことだったの、宵子
よいこ
﹂
友人が失踪した。親友は警告を発していた。次は自分の番だった
のだ。
393
︵神様、死ぬときはせめて苦しみませんように︶
いまどきの若者にしては、信心深い方だった。
近衛兵が、﹁彼の君﹂に何事か物騒な言葉をかけている。
少女は目をつぶり意識を別のことに向けようとした。恐怖から目
をそらそうとした。これはきっと空想世界の出来事だ。悪夢のよう
な現実から逃避したい。
祖父母の墓を思い出した。自分もいつかそこに入るのかと思って
一人の敵が顔を出した。
いたが、それは叶わぬようだ。ただ魂だけは風に乗ってそこへ帰っ
ていけるのかもしれない。
階下では戦闘が続く。階段では踊り場に
弓矢による攻撃に備えてすぐに頭を引っ込めた。
その予想通りに、近衛兵の一人は弓を弾いた。
一呼吸置いて敵がなだれ込んできた。
394
#3
﹁楓どの、力はまだ目覚めぬのですか!?﹂
うづき 老騎士は、強い言葉で彼女に迫る。肩をつかまれて、体を揺さぶ
かえで
られて思わずグラスを取り落とす。都立吉祥寺高校の二年生、卯月
楓には首を横に振ることしかできない。
老騎士も答えはわかっていた。
結局自分は何の役に立たないままだった。それでも姫君の顔に失
望の色は無い。
﹁まだ時間が足りない﹂
敵の襲撃が数日遅ければ、彼らが曰く、容易に敵を撃滅させる才
能が自分にはあったらしい。
本来、こんなときのために呼ばれたのだったが、結局どんな力を
持っていたのかさえわからないまま、運命は途切れるようだ。
彼女の瞳に、ぶわっと涙があふれる。
﹁楓⋮⋮﹂
リリーナ姫の手が頬に触れる。絹のハンカチが涙を拭う。
﹁うっ、申し訳ありません。何のお役にも立てなくて﹂
395
本来ならば、死地に招いたサモンマスターに恨み言の一つも言う
べきところかもしれない。だがここ数日の間、ともに暮らして友好
的な取り扱いを受けていたこともあって彼女らに対して否定的な感
情も消えていた。
﹁わたしはまだあきらめてはいません﹂
さすがに王族ともあって、自分自身の運命を受け入れる覚悟を既
に決めているようだ。そんな心持ちになど慣れぬであろう楓のこと
を子どもをあやすように、無理に微笑もうとしている。
見れば見るほど美しい女性で、初対面の時から貴人であるにもか
かわらず楓に対して大変な運命に巻き込んだことを謝罪するなど、
年齢の近い女性同士のコミュニケーションを図っていた。
驚愕の異世界召喚ではあったが、穏やかな日々が過ぎていた。客
人として丁重にもてなされた。それでも彼らの頼み事というものが、
とても自分の手に負えるものではないと思っていた。
﹁救世主になんてなれません﹂
今もそうとしか、言葉にできなかった。
異世界で自分を出迎えたワイルドエルフ、そしてフタバ国の人間
たちからなる騎士団も、次々と命を落としていった。
冬の都シャンドリンでこの世界の地を初めて踏んだ楓は、リリー
ナ姫が治める城塞都市フタバへ帰還するのに伴い、その途上の領主
邸宅に宿泊したのだった。
396
この屋敷の主と家族も隣の部屋で体を震わせている。彼らもまた
フタバ国の領民・貴族として快く一行を迎えていた。
領主は臣下としてリリーナ姫にかしづき、婦人は異世界人たる楓
に奇異なものを見るようなまなざしを向けていたが、その幼い子ど
もたちは好奇心を隠しもせずに、彼女のそばへ近づいてきたものだ
った。
397
#4
貴族の屋敷だけあって大邸宅と言える広大な敷地だった。窓から
外を見る。よく手入れのされた庭園を次から次へと敵の兵士が、屋
敷に向かって走ってくる。
階段は数ヶ所ありそれぞれの場所で近衛が防衛線を張っている。
突破されるのは時間の問題。
真紅の甲冑。格好こそは、楓も一端の女騎士のような出で立ちで
あった。味方の騎士は、日本人から見たトラディショナルな西洋甲
冑のイメージ。敵方は無国籍風で、忍者風というか、浪人風という
か、迷彩柄のマントをかぶって顔も隠した、特殊部隊のようでもあ
り暗殺者風でもある装束だった。
次々と倒されていく騎士たち。表を警備していたはずの者たちの
姿が見えない。もう討ち取られてしまったのだろうか。見張りの一
人が発した苦悶と悲鳴の入り混じった声。惨劇はそこから始まった。
敵の矢は正確に騎士たちの体を捉えた。
ひるんだところへ一気に刺客たちが攻め込む。
﹁そうだ、あれは軍隊と言うより暗殺者たちの行動だ﹂
騎士たちのリーダーの一人がうめいた。都市から離れた郊外の邸
宅ゆえに、周囲は森に囲まれ景観は素晴らしいのだが、木陰に隠れ
て敵が忍び寄るには絶好のロケーションでもあった。
398
︵本当にわたしに、この人たちを守るような力があるのだろうか︶
隣室の子どもたちのことを考えると、楓にも戦士としての自覚が
芽生えつつあったと言えなくもない。
サーベルの柄に手をかける。
﹁東階段、抜かれました!﹂
老騎士が最期に残る数名の騎士を引き連れて走る。廊下に顔を出
せば敵の姿が見える距離だ。
怒鳴り声が聞こえる。敵の声か味方かもわからない。
﹁キャー﹂
手薄になった室内に、子どもたちの叫び声が聞こえた。
楓も無意識にサーベルを抜いた。隣室に続くドアを開ける。それ
と同時にガラス窓の砕ける音が響いた。
子どもたちは、窓の向こうから的な室内を覗くのを見たのだった。
ここは三階。どうやら敵は一度屋上に上がったらしく、次の瞬間特
殊部隊よろしく、縄で吊り下げられた反動で屋内に飛び込んできた。
その数五名。
﹁無礼者!﹂
気丈にも侯爵夫人が叫ぶ。
399
もはや、屋内にリリーナ姫を守る戦士は楓一名のみ。片刃の白人
を向け、敵を睨み付けてはみたものの、体は硬直していた。剣術の
構えもここ数日に習ったのみだ。
楓のまぶたが痙攣する。彼女は内心はパニックの真っ只中にあっ
た。胸部が圧迫されるような息苦しさに吐き気をもよおした。
﹁カスフール侯、子どもたちを﹂
﹁姫!﹂
マネキンのような甲冑姿の楓を押しのけて、リリーナが敵の眼前
に飛び出した。
400
#5
剣をかまえたものの楓には目の前の光景を正視する勇気がない。
﹁姫、子どもたち︰⋮⋮グッ!﹂
目をつむったままでも、カスフール公爵が敵刃に倒れたことを察
することができた。
︵このままではご家族と姫まで!︶
﹁逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ﹂
楓は少しオタク知識のある女子高生でもあった。
世界が一つのかがり火に
楓はライトノベル以外にも国内外の青春小説をたしなんでいる。
﹃光の街があるなどということは嘘だ。
すべての人が自分の火を持ってるだ
孤独な自分の火を持っているにすぎない﹄と言ったのは、﹁
なるなどということはない。
け、
エデンの東﹂で知られるジョン・アーンスト・スタインベックだっ
た。
なぜかそんなことを考えた。次の瞬間、楓の心の奥底にも篝火が
灯った。
楓がまとった真紅の鎧甲冑が、窓からの明かりを受けて、さらに
色を濃くするように輝いた。
﹁うわぁぁぁあ!! 吹き飛んでしまえ!﹂
401
そう念じると、どこでからともなく熱風が吹き始めた。
﹁これは⋮⋮熱い!﹂
﹁とうとう、目覚めたのね﹂
リリーナは察した。﹁その時﹂が来たことを。待ち望んでいた祝
福の時が来た。
夫人とともにカスフール公爵を抱えるようにして、子どもたちと
ともに楓の背後に回り込んだ。
最初は熱風だったものが渦巻き、敵の侵攻を阻む。
しかし臆してばかりいる暗殺者ではない。
暗殺者はこの熱風の壁を突き破らんと、さらに歩みを進める。し
かしそれは誤りであった。気づいたときには、渦のただ中にあって
先に行くことも後へ退くことも叶わぬ状況となっていた。
やがて熱風は熱だけでなく、最初は蜃気楼だったものがゆらゆら
と視界を曲げて最後には目に見える炎を出現させた。
﹁ぎゃああああ﹂
それは残酷な拷問のようなものであった。百戦錬磨の暗殺者たち
が今はオーブンで焼かれるように炎であぶられている。しかし苦痛
は長く続かなかった。
402
炎の渦はやがて収束して輝きだけが増していく。光の球体に変化
していく。そしてその球体も少しずつひと周りふた回りと小さくな
り、やがって野球ボール大にまで縮小した。そして⋮⋮
光の次に轟音。
楓の前方に見える邸の建物が爆発に包まれた。
﹁なんだ、地震か!?﹂
各階で戦う騎士たち。敵味方の区別なくいきなりの衝撃に驚愕し
た。
かなりの数の敵が邸の屋上に取り付いていたらしい。屋根が崩れ
落ちるとともに、バラバラと人の体が落下してくる。実に建物の半
分が消失していた。このままでは、邸が倒壊するのも時間の問題だ。
403
#6
楓の能力はどうやらパイロキネシスであったらしい。映画で言っ
たらスティーブン・キングの﹁炎の少女チャーリー﹂のような発火
能力。しかも、その熱量は半端ない。
爆発の威力は主に前方に向かったようだが、四方八方にも損傷を
与えていた。等しく同心円状に威力が拡散していれば、能力者当人
の楓たちさえも死傷したかもしれない。
﹁で、出た! 炎!! ってうわっ﹂
不意に足元がぐらつく。建物が二つに折れるように、床も崩れて
いく。建物が重力に耐えられなくなったのだ。
振動で体が左右前後上下に振られる。巨大なエレベーターが降下
するように、視界が下っていった。天井と壁が崩れて、空は雲の少
ない陽気。この惨状に不釣り合いな天気だった。
﹁う、うわわわ﹂
崩壊するというより、ゆっくりとゆっくりとだが畳まれるように、
建物が小さくなっていく。階下の人間たちも脱出するのに精一杯だ
った。この間、戦闘は中断した。
しかしこれで終わるはずもなく、建物の崩落が収まるまでに二分
と掛からなかった。何人の味方が助かったのだろう。味方が姿を現
すよりも早く、敵の生き残りが一度屋外に脱出してから再度侵入を
試みた。
404
三階だった場所が一階と
まさしく窮地は一時的に中断したに過ぎない。
床に膝をついていた楓が立ち上がる。
二階が潰れて、地面より少し高いだけの場所になっていた。
﹁楓、無事か?﹂
﹁姫さま﹂
全員の安否を確かめる暇もなく、瓦礫の隙間を切り開くように、
分け入るように暗殺者たちが近づいてくるのが見える。
﹁け、剣は﹂
リリーナ姫が勇者への贈り物としてくれた宝剣、すぐそばに落ち
ていた。再び握り締め敵に刃を向ける。
﹁もう一度、炎よ⋮⋮﹂
先ほどのような熱量は発生しなかった。
﹁炎よ⋮⋮あれ?﹂
何度も試してみるが、使い捨てライターのように小さな炎を空中
に現れてすぐに消えた。
さきほどの猛威を目撃していた者は、楓と注意深く距離をとって
いた。そもそも見ていない敵もいた。
405
楓を中心に広間は、がれきも少ない空間になっていた。屋敷の半
分は原型を留め、半分が倒壊していた。
騎士団長が配下を引き連れて戻ってくる気配も無かった。
﹁一人、二人、三人、四人⋮⋮うわっ、増えていく﹂
敵も完全には冷静さを取り戻してはいないようで、慎重に少女剣
士との距離を詰めていく。
最初の一人が、十分に安全を確認したと判断して、剣を担いだ。
駆け出して、楓に斬りつけるつもりだ。
﹁ヒッ!﹂
楓はうなじの毛が逆立つのを感じた。
406
#7
木材のかけらが、ぱらぱらと落ちたが刺客は気にせずに前へ進む。
ぐらっと、柱が斜めに落下して来て、男を圧殺した。
再び天井が崩落した。その一番大きな梁とともに人影が降って来
たのを楓は見た。
目の前の光景が、スローモーションのように感じた。武装した男
が、壁材の破片とともに舞い降りて来る。
﹁新手!?﹂
床に落下物がぶつかる音にかき消され、その挙動は静かに影絵の
ように埃にかぶさる。着地の瞬間に少し体を沈める姿勢になって、
ゆっくりと投げていた腰と膝を伸ばす。身長は一七〇センチ前後か。
緑色の軍服に軽装の防具をまとった武人らしき男が、楓に背を向
けて立っている。
︵斬りかかるなら今か?︶
楓は剣の柄を握る手に力を込めた。だが敵にしては楓に向かって
背中を向けたままで振り向く様子もない。
年齢も若そうだ。その手が腰の刀に手をかける。
抜刀。その剣は両刃のサーベル。特徴的なのは随分と地肉の幅が
407
広い剣であった。
楓に注がれていた暗殺者たちの視線が一斉に青年に向けられた。
どうやら仲間ではないらしい。
ゆっくりと黒髪の剣士が剣を持ち上げる。剣の柄の先端である柄頭
つかがしら
上に向けて、柄を握る拳は親指が地面を向いている。
楓の位置からは見えないが、その顔から年齢はまだ少年と思われ
た。居並ぶ刺客を見つめる瞳。その眼差しに気負いは全くない。こ
のような戦場に属することのない胆力を備えているようだ。
しばしそのまま静止していた少年がサーベルの握りを返す。
それは合図にしたかのように、刺客たちが少年に襲いかかる。
地面に向いていた刃が弧を描くように上方から最初の一人を斬り
つける。抜刀後の姿勢は、右足を大きく前に出し、深く膝を曲げた
もの。日本の剣道の上段から打ち下ろしを、さらに低い位置まで姿
勢を落としたもの。右手のみで握っていた柄は両手の掌で握り直さ
れている。
敵は絶命していた。手練の敵であっても、少年の剣術の間合いを
見誤ったらしい。
そこからはとどまること無く状況が進行した。二人目は、より力
任せに至近距離からの袈裟懸けに斬り裂いた。
力強く素早い少年の挙動。三人目はそれを警戒し、ワンテンポ早
408
い間合いで少年を襲うが、間合いが遠ければ刃先が届くのに時間も
かかる。彼は易々と剣をかわし、その脇をすり抜けながら短い間合
いで斬りつけた。即死ではないが、刺客は地に伏し七転八倒した。
四人目。右斜め上段から敵も袈裟懸けに斬りつけた。腰を落とし
て、頭上にその剣の軌跡をやり過ごす。
409
#8
大振りな攻撃は避けられてしまえば、防御はがら空きとなる。横
薙ぎ一閃の斬撃に屠られた。
室内の敵を一掃すると、少年戦士は敵が侵入して来た壁の穴から
外へ出て行く。三階だった空間はもはや地表と接していた。楓とリ
リーナの背後、階段へ続く廊下は扉が塞がれて出入りできない。
去り行く背中が刹那とどまり、初めてその顔が楓の方を向いた。
﹁えっ!?﹂
楓に衝撃が走る。
﹁嘘っ!﹂
それはよく見知った顔だった。
少年戦士は、右手の指を口に当てて、口笛を吹いた。まるで誰か
に合図するかのように。
それに応えて、天井の隙間から人影が顔を出した。左手に長弓そ
れを振って返事をしているようだ。
自分や姫を守るための人員なのだと察した。
一瞬、楓と彼の目が合ったように思えた。ただ彼は足を止めて言
葉を発することもなく、屋外に飛び出して行った。
410
楓は慌ててその背中を追った。リリーナも続く。壁のところで天
から声がかかる。
﹁それ以上進むな﹂
少年と同じく鎧をまとった兵士。年齢はかなり年上のようだ。
足手まといにならぬよう、恐る恐る外の様子を見る。
﹁夕一くん、どうしてここに?﹂
楓は少年戦士の素性を知っていた。いや何も知らなかったと言っ
ていい。
目の前の少年は自分と同じ学校に通うクラスメイトだった。その
彼が剣を振って次々と人を斬り倒しているのが信じられない。
屋外にはまだまだ敵が大勢いた。しかし少年戦士は、味方の兵士
を引き連れていたようだった。敵も手練だったが、味方の戦力も強
者ぞろいのようで、犠牲者を出すこともなく一人また一人と敵を倒
していく。
戦い方も多彩で、ムチを振るい、敵を近づけることなく戦う者も
いる。両手に短刀を携えて手数で対手を圧倒する者もいる。槍使い。
長剣の騎士。
その中でも少年戦士だけは別格のようだ。彼一人で敵を殲滅する
勢いで薙ぎ倒していく。
411
あきとせゆういち
﹁秋年夕一、あなた何者なの?﹂
自分より少し早い時期に、自分たちが元いた世界から消え去った
少年。
﹁ここへ来て、そんなことができるようになったの?﹂
︵いや、ちがう︶
楓は思い出していた。彼が消失した時の怪事件の顛末を。
︵あいつ、やっぱり最初から普通じゃなかったんだ⋮⋮︶
その動きは俊敏などというレベルではなかった。まるで彼の周囲
だけ時が止まっているように、敵はなすすべもなく殺されていく。
その手並みはひどく機械的で、ためらうことなく、また力むことな
く、てきぱきと慣れた作業をこなすかのようだった。
412
第十三章 了
剣術だけでなく、一人の敵を突き刺すとともに、同時に左手の指
が別の敵の喉元に突き刺さり気道を握りつぶす。
その動きのコンビネーションは合理性を極めたようにも、逆に不
規則なようにも思えた。しかし洗練された戦士の動きというのはそ
ういうものであるのかもしれない。合理性を極めればその動きは規
則性を持つ、同じレベルで戦い慣れた敵には、次の動きを読まれる
ことにもなるのだろう。
それは目の錯覚かもしれない。あまりにも素早い動きであるため、
相手の動きが止まっているように見えるのだろう。攻撃から次の攻
撃に移る刹那だけ、夕一が通常の時間軸に戻ってくるかのようだっ
た。
﹁あのときもそうだった。いえ、それ以上だわ﹂
あきとせゆういち
楓はこの世界に来る前にも目撃した、秋年夕一に関するある怪事
件を思い出すのだった。
やがて半時も経たずに敵は一掃された。
﹁あらかた片付いたな﹂
伏兵がいないか注意深く監視する者たちを残し、夕一は楓たちの
いる部屋へ戻ってきた。
ここで初めて楓と少年戦士は向き合った。
413
もう彼が自分のクラスメイトであることを楓は疑っていない。
﹁なんだ、エイプリルさんも来てしまったのか。この世界へ﹂
卯月楓。卯月とは暦の四月のこと。英語で言えばエイプリル。だ
からクラスメイトからはよく﹁エイプリル﹂というあだ名で呼ばれ
ていた。
﹁その呼び名を知っているということ。もう人違いじゃないよね。
秋年くん﹂
﹁ああ、そのとおり。おれはおれさ﹂
しかも同じクラスの中で、秋年夕一は楓の隣の席に座っていた。
﹁あなたが、どうしてここにいるの?﹂
それは、﹁どうしてこの世界にいるの﹂という意味と、﹁どうし
てここに駆けつけることができたのか﹂と言うふたつの意味がある。
﹁うん。それはね、あ、そうだ。ちょっとごめん﹂
楓の後の人物に夕一は視線を移した。
﹁リリーナ・フォーミュラ・エル・フタバ姫でございますね﹂
夕一は右膝を床につけ、貴人に恭しく頭を下げた。先程まで振っ
ていた、血染めの剣は左手に持ち替えて剣先が背後を向くように地
に伏せた。
414
﹁貴国よりの要請により姫殿下ご一行お守りするため参上しました。
わたくしの名前は秋年夕一と申します﹂
﹁そうであったか。大義であった﹂
正真正銘の友軍と知って、リリーナ姫は心底から安心したようだ。
﹁楓、そなた、この騎士を見知っているのか﹂
﹁同じ学び舎で学ぶ友人でございます﹂
﹁なに? ということはこの者もそなたの世界から﹂
﹁⋮⋮そのようですね﹂
﹁姫、ご無事ですかぁ﹂
暗殺者達と死闘を繰り広げていた騎士団が戻ってきた。意外と犠
牲者が少なかったようで、リリーナ姫は目に涙を浮かべている。
415
第十三章 了︵後書き︶
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416
第十四章 冬の都へ︵前書き︶
人は、運命を避けようとしてとった道で、
しばしば運命にであう。
417
第十四章 冬の都へ
うづきかえで
卯月楓、愛称エイプリルはその日、高校からの帰り道友達と歩い
ていたところを異世界へ召喚された。
まったく前触れもなく本人が気づく暇もないほどに瞬間的に次元
転移が行われたようだ。
ある男の子のことを考えていて、注意力が不足していたのかもし
れない。
︵いえ、気づいていても同じことだったのかもしれない︶
本人の感覚では学校の正門を出てすぐ石畳がアスファルトに変わ
る靴底の感触が消えたかと思うと、ほんの数センチ体が落下するよ
うな感覚があったらしい。目眩と言うほどのものでもなく、本人は
錯覚と思い隣にいた友人に振り返った
そこに友人の姿はなく、見知らぬ城壁の内部だった。
﹁え?﹂
通っていた高校のキャンパスは古い建物で壁はレンガが積まれて
いるあたり、その雰囲気に少し似てもいた。
﹁学校の中に戻ったわけじゃないよね⋮⋮﹂
彼女は壁を見ていたが、視線を変えると、人ではない人の気配が
ある。それも多数だった。
418
﹁え、誰⋮⋮?﹂
ごく平凡な女子高生だったエイプリルには、エリスタリアの騎士
団の威容は圧倒されるものがあっただろう。揃いの鎧の上にこれま
た揃いの灰色のマントをかぶった兵士の一団。
背筋に寒いものが走ったのは恐れのためだっただろうか。気持ち
drin,﹂
ruinierten
S
の問題だけではない。ここは彼女が住んでいる秋の吉祥寺と比べて
気候が寒いのだ。
Land,
beautifulness
﹁?berwintre
tadt
一団の先頭に立つ人物が言葉を発した。ただしそれをを日本人の
エイプリルは理解できなかった。
﹁英語⋮⋮じゃないよね﹂
﹁ヴェルファフタング﹂
筆頭騎士の名はヨルンと言う。彼はエイプリルに言葉が通じない
ことを知っていた。だから彼女に話しかけるような素振りも見せな
い。
﹁ちょっと、触らないでよ!﹂
顔を隠した修道士のような男たちが、エイプリルの身柄を拘束し
ようとする。
419
突如として拉致監禁されようとしているのだから、エイプリルも
必死だ。手足をばたつかせ抵抗する。
多勢に無勢、無駄なあがきではある。往来で痴漢に遭ったら大声
を出して助けを呼ぶのがいいだろう。しかし、叫んでも誰かが助け
てくれるとは限らない。
エイプリルは周囲に自分の友人知人がいないことに気付いた。そ
れも不思議だ。
アメリカでは﹁help!﹂と叫んでも助けが来ないことが多い
ので、﹁fire!︵火事だ!︶﹂と叫ぶのが良いとされる。
そうは言っても、いざ痴漢・暴漢に遭遇したとなると怖くて声が
出ない人も多いのではないか。そう言う意味でも、エイプリルは勝
ち気な女の子なのである。
420
#2
﹁くるなーくるなー!﹂
︵英語だったら﹁ドントタッチミー!﹂と叫ぶべき? いえ、彼ら
はアメリカ人じゃないわ︶
逃れようとするが、服を掴まれてしまっては逃げ出すことも出来
ない。それでも彼女はあきらめなかった。降りまわす腕と指の先が
男の一人のフードにかかった。
あらわ
布地がめくれて男の顔が露になった。その顔を見て、エイプリル
は驚愕する。
﹁なっ? あんたたち、それコスプレ⋮⋮?﹂
褐色の肌、尖った耳、ブロンドの髪。細面の男。
ここはエリスタリア∼緑深き妖精たちの国∼。その住人はエルフ、
フェアリー、樹人が主な種族となっている。
﹁な、なんなのあんたたち?﹂
コスプレなどではない。彼らが人間でないのは一目瞭然。でなけ
れば、相当な特殊メイキャップを施したのだろう。いずれにせよ、
エイプリルの体に悪寒が走った。寒風が彼女の髪を巻き上げる。
エリスタリア国内は季節の移り変わりが無く、一年を通して同じ
421
季節続いているが、各四つの地域によって春夏秋冬の季節が分かれ
ている。
そして今エイプリルが立っているのは、春夏秋冬を分ける四つの
国の一つ、冬の国∼廃都シャンドリン。
ダークエルフ種であるワイルドエルフたちが住む高地。いまエイ
プリルが露にした騎士の容貌も、寒々しい荒野を放浪する影の戦士
たちのものだった。
シャンドリンのワイルドエルフたちは、戦士としてエリスタリア
の防衛を担っている
エイプリルが激しく抵抗するものだから、ワイルドエルフたちも
一時手を止めた。
彼らにもエイプリルに対して敵意があるわけではなかった。何も
取って食おうと言うわけではない。
ワイルドエルフたちにもある目的があり、エイプリルを自分たち
の勢力の中に取り込もうとしている。できることならば、友好的に
事を運べればそれに越した事は無いのだ。
ただし、それはエイプリルが彼らの意に沿う行動をとる場合に限
る。さもなくば、何らかの条件づけを行い、最終的には強制的に自
分たちへ協力させる腹づもりなのだ。
﹁ラブ エイネン コーパー フレイ︵いったん放してやれ︶﹂
筆頭騎士ヨルンの声で、ワイルドエルフたちはエイプリルの衣服
422
をつかむ手を離した。
友好的な姿勢を見せれば大人しくなるかもしれない。そう考えた
のだ。
騎士たちに一歩引かせ、ヨルンは彼女を迎え入れようと手を広げ
た。
﹁今だ! ランナッウェイ!!﹂
ヨルンの紳士的な態度には一切見向きもしない。壁沿いに騎士た
ちが遮る者のいない方向へ、エイプリルはダッシュした。
423
#3
﹁エスリストデシス、ウェイン イッシュ ボンボンオースシェシ
ュ︵甘い顔をすればこれだ︶﹂
ワイルドエルフたちは特に慌てる様子もない。彼らは身軽なので、
本気で追いかければ人間が直線距離を逃げ切るのは無理だ。
エイプリルも決して運動が苦手な方ではない。むしろ、同級生の
女子たちの間では足は速い方だ。暴漢に追いかけられた経験は無い。
だから前だけを見て一心不乱に走った。
︵振り返ればスピードが落ちる︶
恐ろしくもあったが、それだけは冷静に考えていた。
彼女は頬に風を感じたが、次の瞬間には目の前に人影が立ち塞が
った。
しかも、直前に割り込んできたのではなく数メートルの間隔をあ
けて前に立っていた。高校陸上のエース級選手でもこんなに速く走
れない。
﹁あわああわわわ﹂
驚きのあまり足がもつれかける。バランスを崩しながら、目前の
男と距離が縮まるのを止める事はできない。
424
つまずきそうになっで堪えるか、体が前のめりに。一瞬遅れて、
正面のエルフの後に次々と追いついてきた兵士たちが並ぶ。
重心を失ったエイプリルは、男に容易に捕らえられた。
今度は両脇を二人のワイルドエルフにつかまれ、有無を言わさず
連行される形になった。
﹁うっ⋮⋮﹂
もはや抵抗しても無駄とあきらめ、彼らが引く方向へ自らも進む。
彼女が走り回ったのは、彼らの住まう城の広場であった。外観か
ら厳めしい古城と思われた建物の内部はきれいに手入れされていて
ぎりぎり客人扱いされているようにも思えた。
生活感もある。その一室に彼女は軟禁された。監禁というほど悲壮
なものでなく、
ドアの外に見張りの兵士がいるようだが、広い部屋にはベッドや
家具もあり、こんな状況でなければ居心地の悪い空間ではなかった
ようにエイプリルは思った。
﹂
それ以来彼女は放って置かれた。誰も彼女に話しかけることもな
い。
﹁いったい何なのよ?
何か危害を加えられる事はなかった。部屋に通されてすぐ、お茶
と一冊の本がテーブルに置かれた。毒が入っているとも思わないが、
迂闊に口にする勇気もなかった。
425
﹂
ため息をついているうちに、やがて日が暮れた。
﹁お母さん、心配しているだろうな?
太陽が、ゆっくりと他の向こうに消えていく、。友人たちは自分
の失踪に気づいて、警察に捜索願を出してくれているだろうか。そ
んなことを考えていると、部屋の明かりもだんだんと暗くなり心細
くなっていく。
﹁寒い⋮⋮﹂
エイプリルは両肩を抱いた。心細さだけではない。ベッドの上に
あったブランケットを羽織る。
426
#4
ここは冬の国∼廃都シャンドリン。常に気候は冬の中だった。
ちょうど、ドアをノックする音がしてエルフの男女が部屋に入っ
て来た。
女性は食事を、男性は見張りなのか何も手伝わず、かといってエ
イプリルを威圧するようなこともなく部屋を見回していた。
エルフの女性を初めて見るエイプリルだったが、昼間より冷静に
なっていい加減、目の前の事態を現実と認められるような心理状態
になっていた。
﹁人間じゃないのね、あなたたち﹂
返事は無い。先ほどの彼らの言葉も聞き取ることはできなかった
が、英語やフランス語でないのは確かだった。日本のコミックスや
小説ほどではないが、ビジュアル的にファンタジー小説の挿絵でよ
く見たエルフの姿に似ているように思えた。しかし、少し独特の雰
囲気を持ってもいるのが、ワイルドエルフたる所以だ。
自分を拉致したときの手際といい動作といい、身体能力も人間ば
なれしていた。
﹁ウィ ゲフト エス デム ギヒューフィ?︵ごきげんはいかが
?︶﹂
女エルフは、自分に気遣いをしているように聞こえた。ワイルド
427
エルフの特徴はエルフのそれでありながら、どこか普通の人間でも
こんな人種はいそうな生活感を感じさせるところが独特だ。決して
妖精のような手足がひょろ長く華奢な民族に見えない。
テーブルの上に温かな食事が置かれる。
エイプリルが震えているのに気づき、男は薪をくべ、火を焚いて
くれた。
ワイルドエルフ両人の友好的な態度と暖炉の熱で、凍てつく警戒
心が少し緩んだ。落ち着いて状況を判断しようと努める気にもなる
ことができた。
﹁ヴァイト オフネ ヴォラート︵遠慮しないで食べなさい︶﹂
会釈して、女エルフが退室しようとする。男も同じように頭を下
げて、扉を閉じた。
︵おいしそう⋮⋮だけど︶
テーブルに置かれたのは、シチューにサラダ、果物とパン、ティ
ーポット。
︵毒なんて入っていないだろうけど︶
彼らが自分を拉致監禁すると動機を考える。エイプリルの家族は
日本での平均的な収入を得る中流家庭で、会社員の父と、母が近所
のスーパーでパートタイムで働いている。
︵自分は身代金目的誘拐されるようなご令嬢様ではない︶
428
︵お金が取れないとなれば、人身売買とか?︶
これならむしろ、両家の子女より自分のようなありふれた若者が
ターゲットにされる可能性がある。日本でもアジア人だけでなく東
欧やロシア系女性の人身売買の例が多いのだ。アメリカでは移民の
管理が厳しくなっているが、先進国でもイギリスのマフィアなどは
地域ごとに規模は大きくないが、かなり血なまぐさいことを行うと
いう。
429
#5
イギリスが紳士の国と言われたのも昔のこと。グローバル経済で
は先行した国の中流層の富は、後進グループに流される。
女性たちは母国から、﹁イギリスで良い仕事がある﹂とだまされ
て連れ出される。それも、美しい女性ばかりだ。彼女らを待ってい
るのは、監禁同然に自由を奪われて性的なサービスを強要される。
日本でも同様なことは起こりうるが、外国人が目立ちやすい日本
では、同じ日本人を借金などで逃げられなくして半分は自由意志で
の就労を強要する手口が多い。客が存在する以上、秘密を守ること
ができないため、その拘束もホストや男を使ってマンツーマンに近
い状態での監視が必要になる。
大っぴらに外国人を監禁などすれば、すぐに入国管理局が飛んで
くるだろう。それに比べればイギリスの暗黒街は手口が荒っぽいの
だ。
︵わたしも同じような目に遭うのだろうか?︶
エイプリルはまだ純潔だった。もし、無事に家に帰ることができ
れば、今まであまり関心を持たなかった人権活動にも協力しようと
思う。
︵いやいや︶
エイプリルは頭を振った。
430
︵そんな、現実的な状況じゃないから!︶
ここがこの世ならざる場所らしきもことも理解せざるを得ない。
少なくとも、彼らワイルドエルフの正体が明かされていずとも、超
常識的な存在であることは、事実として認知している。
給仕をしてくれた異人が親切だったからと言って、彼ら全体が自
分に友好的な存在とは限らない。
︵自分なんか攫ってなんになるのだ?︶そう考えると、振り払いか
けた懸念が頭をよぎる。
彼らが自分に向ける欲求など限られるではないか。うら若き異郷
の民、それも女性を求めるなど﹁そんな﹂理由以外になにがあるの
か。
しかし空腹には勝てず、食事には手をつけることにした。
︵いざという時にお腹が空いていっては逃げれないし。腹が減って
は戦はできぬとも言うしね︶
食事は誠に美味であった。ポトフのような野菜スープ。焼きたて
のような暖かい。チーズを薄く切ったものを載せるととろとろに溶
けて、まるでジブリアニメに出てくる食事のようであった。
先程の給仕の態度といい、もてなしの気持ちは伝わってくる。
︵だからといって油断しないよー。すきを見つけて逃げ出してやる
んだから︶
431
紅茶はエイプリルが普段飲んでいるものよりも、少し酸味が強い
気がした。
﹁ふうー﹂
空腹を満たし部屋も暖まって少々気が緩んだ。
食卓とは別に部屋には小机もあった。客室としては頻繁に使用さ
れているようだ。
432
#6
何気なしに、その上に置いてあった本を手に取った。英語ではな
い文字で、十一文字のタイトルらしき言葉が記されている。
﹁左開き、ハードカバー。製本は手作りなのかしら﹂
そんなに分厚い本ではないが、ページの紙は糸で縫うように表紙
に綴じられている。ある意味、最近書店では見ないような手のかか
った高価な本の装丁だ。自宅で作られた私家本なのだろうか。
当然、読んでも理解できないだろうと思いながらも、興味を引か
れて表紙を開いた。
﹁!﹂
エイプリルは、一瞬その手を止めた。ページの隙間からうっすら
と光が漏れる。急いで本を閉じる。
﹁これは?﹂
エイプリルの心臓が鼓動を早めた。恐る恐る、再度本を開くと、
エメラルドグリーンの光が彼女の顔を、部屋を照らしていく。
﹁きゃあきゃあ!﹂
その時、さらなる異変が起きた。エイプリルは開きかけた本を、
体重をかけて閉じようとする。
433
﹁だめ、閉じられない! 押し返される﹂
本の中から何かが飛び出そうとしている。
けではその力にあらがうことができない。
エイプリルの両腕だ
バサバサッ。取りが翼をはためかすように、本のページが激しく
上下した。そして、そこから現れた者は?
﹁フェアリー?﹂
三人? 三羽? の翼を持った小人が本の中から飛び出して来た。
立ち上がり、思わず後ずさったエイプリルを追うように頭上を、
足下を、肩口を、彼女を囲むように三人の妖精が旋回する。
﹁禍々しいものには思えないけど、あなたたち何をするつもりなの
?﹂
その外見は小動物のような儚さで、つかめば小鳥をひねるように
弱々しい。彼ら? 彼女らの顔はエルフをさらに無機的にしたよう
な表情の無い容貌で、彼らの考えを窺い知ることはできない。
﹁ひっ﹂
エイプリルの耳元を風がくすぐった。
be
afraid.︵恐れないで︶﹂
︵風じゃない、吐息? 空気の振動?︶
﹁don't
434
︵え?︶
ne
sommes
英語を聞いたように思えた。
﹁Nous
pas
s.︵わたしたちは敵じゃない︶﹂
talk
tes
ennemi
English?︵あなたたち、英
dich⋮⋮︵力を抜いて︶﹂
フェアリーは、いくつかの言語でささやくように語りかけてくる・
you
﹁Entspanne
﹁Can
語が話せるの?︶﹂
not
speak
English.︵わたした
なぜか、今度はエイプリルの言葉が英語になっている。彼女の問
do
いにフェアリーが答える。
﹁We
ちは英語を話しているのではない︶﹂
﹁我?甚至能?什??的?言︵わたしたちはどんな言葉でも話すこ
とができる︶﹂
435
第十四章 了
bokuno
owaka,
hune﹂
tirinuru
否定するものの、エイプリルには彼らの言葉を明確に日本語とし
て認識できた。
Ri−be
﹁irohanaihoheto
suihei
フェアリーたちは呪文を唱えながらエイプリルの周囲を飛び回る。
彼らの体はほのかに光を帯びていて、先ほどの本の隙間から漏れた
緑光も彼らの体が発するものだったのだと分かった。
﹁ああ、つながっていく﹂
何が? 直感的なものが確信に変わっていく。
エイプリルはまぶた
エイプリルは目を閉じる。まぶたを通して光が柔らかく網膜を照
らした。
徐々に薄れゆき、光が消えたと感じた時、
を開けた。その時自分の周囲を飛び回っているフェアリーたちはそ
の姿を消していた。
﹁なんだったの、いまの?﹂
コンコン。ドアをノックする音。
﹁失礼します﹂
436
先ほどの男女、ワイルドエルフが再び部屋に入って来た。
﹁食事はお済みになりましたか?﹂
女性がエイプリルに声をかけた。食膳を下げに来たらしい。
﹁あ、はい。大変おいしゅうございました﹂
エイプリルは頭を下げて礼を述べる。
﹁はっ!﹂
エイプリルは異変に気づいた。
﹁あれ、いまわたし?﹂
異人の言葉を理解できたように思えた。
﹁開いたようですね、﹃言の葉の書﹄を﹂
﹃言の葉の書﹄とは、先ほどのフェアリーたちが飛び出してきた本
のことだろうか。
﹁これでようやく我々とあなたの間で意思の疎通を図ることができ
る﹂
ワイルドエルフの青年は訳知り顔である。
﹁いったい、なにが起きたの? さっきの本は一体?﹂
437
﹁言葉が通じなくては、貴殿をお招きした理由も伝えることができ
ませぬ。その﹃言の葉の書﹄はひとつの魔道書にて﹂
青年の説明によると、フェアリーが宿る書物の魔力が書を開いた
者の頭を走査して、言語中枢に異種族の言語を翻訳する能力を与え
てくれるのだということだった。
その結果、エイプリルにも異世界人であるワイルドエルフの言語
が通じる状態になったわけだ。
﹁あなたたちは誰なの?﹂
エイプリルは問う。
﹁我々はこの冬の都、シャンドリンの住人﹂
青年は答える。
﹁どうしてわたしは、ここにいるの? ここ、日本のどこかじゃな
いよね﹂
﹁あなたの故郷からは遠く遠く離れた場所です。そして、あなたが
ここにいるのは、我々がお招きしたからです﹂
﹁じゃあ、どうしてわたしを連れてきたの?﹂
﹁そこから先は我らの筆頭がお話しをする準備をしております。今
しばらくのお時間をいただいて、筆頭騎士ヨルンの元へあなたをご
案内します﹂
438
第十五章 魔導の学士︵前書き︶
われらの最大の栄光は、一度も失敗しないことではなく、倒れるご
とに起きることにある
439
第十五章 魔導の学士
うづきかえで
卯月楓には親友がいた。
少し変わった子だったが、小学校の頃から仲良くしていた。
よく一緒に勉強したり、買い物をして、お互いの家を遊びに行き
来することは多かった。
少し夢見がちな女の子、と言えば聞こえは良いが、はっきり言え
ば﹁天然﹂少女であった。
空想にふける癖があるのか、時おり突拍子も無いことを言い出す。
あきとせよいこ
彼女の名前は秋年宵子。
彼女が楓の家に遊びにきていた時、不意にボロボロと涙をこぼし
始めた。
﹁え? ど、どうしたの!? 急に﹂
ゆういち
﹁夕一の気配が消えた﹂
﹁夕一くんが⋮⋮消えた? どういうことよ﹂
彼女の兄は一年と歳が違わず、妹と同じ学年にいる。だから楓も
夕一のことを、友人の兄ではあるが気軽に呼んでいた。
それにしても気配が消えたとはどういうことであろうか。今は二
440
人で楓の自宅にいる。夕一はどこにいるのか知らない。兄妹という
ものは離れた場所にいても何か異変を察知することができるものな
のだろうか。
︵そもそも、あの兄妹はおかしなことだらけだった︶
﹃へー、卯月だから4月でエイプリルさんか。妹がいつもお世話に
なっています﹄
楓の脳裏に、初対面の時の夕一の声がよぎる。十年来の親友であ
るにもかかわらず、宵子に兄がいることを知ったのは、つい二年前
のことだった。
あきとせゆういち
しかし現在、自分が置かれている状況を考えると、それに近い怪
異が秋年夕一を襲ったのではないかと推測された。
今の自分は、見知らぬ国で、異形の者たちに案内され、その屋敷
の中を歩いている。
部屋の前で、食事を下げたもう給仕の女性とは別れた。彼女は、
エイプリルたちが進む方向とは逆の向きにワゴンを押して去ってい
く。
、先ほどの拉致騒動の際にいちばん俊敏に動きエイプ
︵やはりこの男が筆頭騎士か︶
ヨルンは
リルイの動きを封じた男だった。周囲の者たちも、彼に従うように
行動していたように思っていた。
﹁まずは非礼をわびよう﹂
441
ヨルンの第一声。
﹁とりあえず危害を加えることはない。リラックスするといい﹂
エイプリルにとって誘拐団の頭目でもある。先程の二人には少々
良い印象抱いたが、まだまだ組織としての彼らには心を許すことが
できない。
﹁我が城のもてなしは満足いただけたかな﹂
執務室のようだ。
﹁おいしい食事とお茶をどうもありがとう﹂
ここは城の一室。
﹁こちらから一方的に話してもいいが、質問は多くあるだろう。話
せることは話すつもりなので遠慮は要らぬ﹂
442
#2
ヨルンの外見。もともとエルフたちは同じ男性だと特徴が似通っ
ていて、容姿も人間ほど固体差がない。
それでもワイルドエルフはお人形のような顔立ちというより、ど
こか野性味があって、わかりやすく言うと、
︵みんな狐というか、犬系の顔よね︶
エイプリルにも個々の見分けがつくぐらいには、個体差があった。
一刻も早く尋ねたい質問があるのだが、深呼吸する。大事な質問
故に厳粛な声音で、噛んだりせずに尋ねたい。
﹁なぜわたしをさらったの?﹂
言の葉の書により、コミュニケーションが可能となったのでこの
世界に来て以来の疑問をぶつけてみた。
﹁この地を支配する神の声による﹂
ヨルンは答えた。ほかの者たちは彼を筆頭騎士と呼んだ。だが、
本人はどこか官僚的な話し方でもある。武闘派と言うイメージでも
ない。
﹁なぜ神様が、あなたたちにわたしをさらえと命じたのよ?﹂
神とは何か。ここには観念としての神ではなく実態を持った神が
443
彼らを支配しているのだろうか。
﹁具体的にそなたを招けと命じられたわけではない。﹂
﹁あなたの言っていることがわからないわ﹂
神に命じられたと言いながら、自分をさらえとは神は言ってない
という。エイプリルは歯がみした。
︵ふざけた話だわ︶
﹁神はそう易々と対話に応じてなどくれぬよ。ただ、異界より客人
を招くための今が知られざる呪文と理を我等のオラクルに囁いてき
ただけのこと﹂
つまり、神の具体的な意思ではなく、異世界召還術の呪文を初め
て発見するに至り、それを実践したとの事だった。
﹁めったに召還魔法など使わぬよ﹂
ヨルンの言葉に、エイプリルの中で一つの不安がわく。
﹁その滅多に使わない召喚術を使ってわたしを異世界に招いたのよ
ね﹂
﹁そのとおり﹂
﹁⋮⋮帰れるんでしょうね?﹂
﹁帰る手だては神の声に従い次の言葉を待つべし。それにより帰還
444
魔法があきらかになるだろう﹂
﹁ふざけんなー!﹂
思った通り、これが稀な試みゆえに招くことに成功しても、逆に
エイプリルを元いた世界に戻す方法を彼らは知らない。
めまがいして、昏倒しそうになる。
︵絶望的状況じゃないか︶
故郷の両親、クラスメイトたちの顔が走馬灯のように頭をよぎる。
﹁大丈夫ですか﹂
崩れ落ちそうになるエイプリルの体を先程から彼女をエスコート
している青年、後に名前をハバネロと知らされたが、彼が支える。
﹁なんてこと、なんてこと、なんて⋮⋮﹂
ぶつぶつと呪詛のように同じ言葉を繰り返すエイプリルだった。
﹁はっ! そうだ﹂
445
#3
﹁異世界からの召還魔術を試してみたと言うのなら、なぜわたしを
ターゲットにしたの﹂
本当に試行のためだけに自分を召還したわけではないだろうと、
楓は考えた。
﹁確実に召喚を成功させられる見込みはあったが、どのような人間
を招くかはタイミング次第ということだ。川に竿を垂らして魚を釣
るがごとし﹂
﹁じゃぁ、わたしが選ばれたのはまったくの偶然ってわけ?﹂
﹁いかにも﹂
ヨルンは悪びれた様子もなくうなずいた。
︵一瞬、自分が選ばれた救世主とかそういう運命的な必然によりこ
の世界に招かれたのかとも考えたが、そんなことはなかったぜ。わ
たしのような異世界人を召喚するのであれば、わたしに頼らなくて
はならないような重大な使命があるのかと思った︶
﹁あなたが選ばれたのは偶然かもしれない。だが運命的な使命があ
る。それはあなたにしかできないことだ﹂
︵あ、やっぱりあるんだ︶
だとすれば、これか映画のようなドラマチックな展開が自分を待
446
ち受けているのかもしれない。訳も分からず拉致されて、売り飛ば
されるよりよほどいい。本来、異国の人間を連れ去るメリットなん
て、スパイに育てるか、奴隷にするぐらいしかメリットは無いはず
だ。
﹁まだ、名前を聞いていなかったな﹂
心開いていない相手に名乗る名などないが、先方は頼み事がある
偽か友好的なムードを演出しているのは理解できた。
﹁わたしの名は卯月⋮⋮ウヅキカエデよ﹂
無作為に抽出されたらしいが、何か頼まれ事はあるらしい。
︵どうしてわたしを、いやわたしでなくて良いとの事だったけれど
異世界の人間を呼び出して何をさせたいのか? わたし一人を呼び
出して一体何ができると思っているの?︶
﹁﹃ミス﹄でよろしかったかな?﹂
﹁わたしまだ高校生なんですが﹂
﹁高校生とは何かな?﹂
﹁まだ結婚をする年齢でないっていうことです﹂
﹁そうか。ミス・カエデよ、私たちが呼び出したのは貴殿1人だけ
だが他の国々も続々と、そなたと同じようにご同輩を呼び出してい
ることだろう﹂
447
自分と同じように異世界の様々な国で地球人を次々と呼び出して
いるらしい。いくつかの可能性を考えてみた。比較的平和的な理由
から、そうではないと物騒な理由まで。
﹁異世界召喚する各国の理由は動機は主に傭兵としてだ﹂
︵あちゃー︶
楽観的な選択肢の1つが消えた。
﹁よーへー⋮⋮ですか?﹂
﹁いかにも﹂
事態は悪い方向に動き始めた。
﹁傭兵って兵隊にするために、女子高生を攫ったって言うんですか
?﹂
448
#4
︵戦争するなら本職の軍人とか呼べばいいのに。わたしなんて何の
役にも立つはずがない︶
﹁神のみぞ知ることよ。﹃一期一会﹄﹂と言うではないか﹂
︵どうなってんの、この翻訳機能!?︶
﹁あなたたちの神様が戦争しろって言ってるの?﹂
﹁そう解釈した国が多い。次にそう解釈した国との戦いに備えて同
じように客人を招く国が多い。いずれにしても、次元の壁を越えて
きた者にはゲート神からギフトが与えられるとオラクルの言葉だ﹂
﹁あなたたちが召喚したのに、元の世界に返すことができないだな
んて﹂
﹁いかにも﹂
あきらめきれずにエイプリルは質問した。
﹁魔法が存在するのなら、そっち方面の研究も盛んなのではないの
?﹂
﹁魔道の学士は多数存在する﹂
ヨルンは答えた。
449
﹁一方通行より、よその世界に行く研究する人だっていたでしょう
に﹂
﹁長い歴史の中でおおよその、人にあやつれる自然のことわりとい
うのは限られていることが知られているのだ。種族により得意な魔
法というのも偏りがあるし、事実われらワイルドエルフの中で次元
魔法を使えるものは存在しない﹂
エイプリルに疑問符がついた。
﹁あんたたちでないのであれば、では誰がわたしをここへ呼んだの
?﹂
﹁それはこれからご紹介しよう﹂
ヨルンがあごをしゃくる。楓を案内した先ほどの青年が隣室に続
くドアを開ける。
現れたのは人間の女性。とても美しく聡明そうな女性。話の流れ
からするとエイプリルを召喚した魔道の学士殿であろうか。
﹁こちらは我らワイルドエルフの都、シャンドリンと友好関係にあ
るフタバ国のプリンセス。リリーナ・フォーミュラ・エル・フタバ
姫殿下であらせられる﹂
﹁よしなに﹂
リリーナ姫はドレスの両サイドをつまんで膝を落とす西欧式婦女
子の挨拶をした。こういう仕草は共通であるらしい。
450
﹁突然の無礼をお許しください、異郷の方よ﹂
﹁わたしは⋮⋮﹂
エイプリルも貴人への礼を失しないよう名乗ろうとした。
﹁私の名前はエイプリル・カエノメレスです﹂
﹁突然のことで驚くなというのはとても無理な話であることは重々
承知しております﹂
公女の物腰は上品であるがやわらかく、エイプリルにも直感的に
﹁この人とは友だちになれるのではないか﹂という好意を抱かせた。
それに姫は友好的であっても、周りは武人ばかりだ。今は紳士的
な態度でも、ただをこねたら、何をされるかわからない。
﹁わたし⋮⋮言っておきますけど、戦争なんてできませんから。役
になんて立てません﹂
451
第十五章 了
姫の顔が曇る。
﹁他国の召還戦士が皆、あなたのような考え方であるのなら何も問
題はなかったのですが。なぜでしょう、皆嬉々として戦争に加担し、
被害を増やしているようです。でも、こちらへ来た者は皆すべから
く戦争に有益な特別な力を持って現れるのです﹂
エイプリルには心当たりがない。
﹁何か思い当たる事はありませんか?﹂
エイプリルは首を横に振る。
﹁何か体に変調を感じておりませぬか? 熱っぽいとか胸が苦しい
とか何かこれまで感じたことのないインスピレイションがあったと
か﹂
エイプリルはインナースペースに感覚を向けてみる。何も普段と
変わったことがないようだ。
﹁変わったことは無いような気がします﹂
少しがっかりしたような顔で、その場の一堂が顔を見合わせてい
た。
﹁そうですか。おそらく才能に目覚めるのにも時間がかかるのかも
しれません﹂
452
﹁そういうものなのですか﹂
﹁さあ、わたしも異世界からのお客様をお迎えするのは初めてのこ
となのでよくわかりません﹂
﹁え? 初めてなんですか﹂
リリーナがうなずく。
﹁常日頃であれば、別の世界で生きる方を、無理やりこの国にお招
きするなどということはいたしません。あなたにも生活がありご家
族や友人がいらっしゃるということも承知しております﹂
それだけのやむをえない事情だということだ。
﹁緊急事態ということであれば、わたしが役に立てなくても他にも
人材をこの世界に呼び寄せることができるということですか?﹂
リリーナが今度は首を横に振った。
﹁それができれば良いのですが。いえ、それができないからこそ今
まで平和であったのです﹂
エイプリルの淡い期待はついえた。
﹁では、わたし以外の能力者が戦ってくれるということは無いので
すか﹂
かのくに
﹁不思議なのです。彼の国がどうやってこの短期間に、あれだけの
453
人材を揃えることができたのか﹂
﹁それでは、召還というのは日ごろ行われているものではないので
すね﹂
リリーナがうなずく。
﹁わたしはこの国の住人ではありません。なぜわたしがこの冬の都、
シャンドリンに招かれたかと言いますと﹂
そういえばリリーナ姫は美しい女性だが、この館の主であるワイ
ルドエルフたちは明らかに人種が異なる。エイプリルも先ほどまで
は、彼ら彼女らがそのように共存しているのだろうと疑問をもたな
かったが。
﹁なぜわたしがこの冬の都、シャンドリンに招かれたかと言います
と、異界からの人物召還術を行うには、時と場所、座標軸と言いま
しょうか、とても稀な条件の合致が必要なのでございます﹂
﹁リリーナ姫殿下は、フタバ国の公女であらせられるが、すぐれた
魔法術の学士としても知られておる﹂
ヨルンは、リリーナの家臣ではないようだ。
﹁フタバ国⋮⋮この国の名はシャンドリンと言いましたね﹂
﹁この地は大きく、エリスタリアという国名で呼ばれているがその
うちの四つの小国の一つがここシャンドリンである。他に新都エリ
ューシン、古都アルシェロン、ホビット庄が並ぶ﹂
454
フタバ国の名前は出てこなかった。
﹁わたくしはこの国の者ではありません。今日この日この場所で、
あなたをお招きするための儀式を執り行うため、友好国であるシャ
ンドリンに参りました﹂
一つは術式を行うための時間と
魔導士でもあるリリーナの言葉によると、異世界人の召還には二
つの儀式が必要であるとのこと。
場所を導き出すこと。もう一つは、しかるべき素養を持った術者が
現地に赴いて、三日三晩の祈祷を行い続けることが必要である。
世界一の召還はとても難易度の高い魔術とのことだった。一つに
は召喚儀式を行い得る時と場所が一年に一度あるかないかとのこと。
そして魔道士は万人に一人の才能と言われている。
さらには近衛の騎士団に護られながら、旅をしてきた公女の不眠
不休に近い祈り。
リリーナ姫の目には隈ができ、美貌に影を落とす疲労の色があり
ありと見てとれた。
﹁ギフト︵天から与えられた才能︶の発言には時間を要することで
しょう。それまではゆっくりとおくつろぎください﹂
リリーナの身体がふらっと揺れたかと思うと、貧血でも起こした
かのように倒れ込む身体をヨルンが慌てて抱きとめた。
エイプリルは何も言うことができなかった。
455
第十六章
話はさかのぼる。
﹁リリーナ姫、お気をつけください。正体の知れぬ一団が⋮⋮﹂
近衛の老騎士団長は、まだ警戒を解いていない。その目が、かっ
と見開かれる。
﹁この者は誰か!?﹂
ゆういち
リリーナとエイプリルの前で膝を地につける夕一。
﹁良い。この者は援軍である﹂
﹁では、外の者たちの仲間で?﹂
老騎士にも、謎の兵団に助けられたという認識はあるようだ。
﹁面おもてをあげよ﹂
夕一の所作は、騎士そのものだった。どこでこんな挙動を身につ
けたのか。エイプリルの知らぬ夕一の一面だった。
﹁父王フタバ様の命により推参﹂
エイプリルたちは、まさしくそのフタバ国へ帰参する途上であっ
た。
456
ともがら
﹁外の者たちは、わたしの輩にございます﹂
それを聞いて、老騎士も安心したようだ。
﹁そなたが率いているのか。その服はわが国の軍服。しかし貴君を
見かけたことがない﹂
夕一がうなずく。
﹁旅の途上、不穏な動きを察しておりましたが、フタバ城内にて召
還の儀が行われることを聞くに至り、敵の手がこの地にて、姫様、
いえそこなる級友、エイプリルの命を狙うものと悟りました。この
服は汚れた装束の代わりに、着替えとして頂戴しました﹂
︵いったい、なにをしていたのだ、この男は? それにしても、場
になじんでるなぁ︶
感心するというより呆れるくらいだ。
﹁アキトセユーイチ﹂
﹁はっ、殿下﹂
﹁実はこのような話し方は疲れるのだ、話し方をくずすが良いか?
そなたも貴人相手の言葉使いをせずとも良いぞ﹂
老騎士はあまりいい顔をしなかったが、たしなめはしなかった。
﹁御意﹂
457
夕一も姫の言葉に応じる。
﹁ではユーイチどの、お尋ねします。さきほどから我らが朋友、卯
月楓うづきかえでをエイプリルと呼んでいますが?﹂
元の世界で疼き卯月楓をあだ名のエイプリルと呼ぶ者は、知人の
うち半数を占める。
﹁エイプリルは親しい者から呼ばれる愛称です。卯月うづきは四の
月ゆえに﹂
﹁そうですか、ではわたしもこれからは楓どののことをエイプリル
と呼ぶことにしましょう。わたしのことはリリーナでけっこうです﹂
﹁オッケー!﹂
︵こら、いくら姫様が気さくな性格でも、それは気安すぎるだろ︶
﹁ちょっと、あんた、何してるのよ﹂
﹁君たちを助けに来た。それにしてもきみまでこの世界に呼ばれて
しまうとはなぁ。宵子が寂しがるなぁ﹂
あきとせよいこ
秋年夕一の妹、秋年宵子は、最愛の兄が失踪したばかりか、親友
まで失った。
458
第十六章︵後書き︶
秋年宵子のビジュアル公開。クリックすると、もうちょっと大きく
表示されます。
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459
#2
ゆういち
﹁夕一の気配が消えた﹂
涙を流し取り乱す親友を、楓かえではなだめた。
﹁何言ってるのよ?﹂
秋年宵子あきとせよいこは兄を名前で呼ぶ妹だった。
﹁どこか遠くへ行ってしまった⋮⋮いいえ、きっと﹃あっち﹄へ呼
ばれたんだ﹂
宵子の言葉の意味が楓にはわからなかった。
︵あっちってどこよ?︶
﹁夕一が、どうしたの? 事故にでもあったの﹂
夕一は楓にとっても気安く話すクラスメイトだった。
兄妹の間のに通じる直感というものは存在するだろうと楓も信じ
ていた。
しかし、楓はうすうす思っていた。
︵この二人は本当の兄妹ではないのではないかしら?︶
現に小学生の頃、宵子に兄がいるなど聞いたことがなかった。
460
彼女の父親が帰って来るまで、彼女は思い詰めた顔でじっとテー
ブルの上のグラスの水滴を見つめていた。
自分の家に帰宅した楓は、ネットのニュースで吉祥寺駅前で起き
たある騒動を知る。
︵そういえば、さっきプロムナードを通ったとき警察が現場検証し
ていたな︶
テレビカメラクルーもいたが、吉祥寺はもともと賑やかな街なの
で取材があることも特に珍しいことではない。
吉祥寺に熊が出没したらしい。
﹁ハアぁぁぁあ?﹂
どこかの動物園から逃げ出したきたのだろうか。YOUTUBE
に騒動の模様がUPされているらしい。
動画へのリンクをクリックして驚愕した。
街は恐怖のどん底に突き落とされていた。逃げ惑う市民。撮影者
は携帯電話で撮影したのだろう。動画もかなり視点がぶれている。
一組の親子が逃げ後れて転倒する。
街を徘徊しているのは直立すれば二メートルを超えるという黒毛
に覆われた筋肉質の獣。
461
︵これ、熊?︶
プロポーションといい立ち姿といい、熊とはまた別の生き物にも
見える。
まさに、市民が襲われようとしているところに現れた人影。
便宜的にここでは熊と呼ぶが後に楓はその生き物の名前をフェン
リルと知る。
﹁グロロロロローーーー﹂
地の底から響いてくるようなおそろしいうなりごえを隈はあげて
いる。
制服からして高校生らしき少年が、猛獣とがっぷり組み合う。首
相撲のように、お互いの肩に腕をかけ、下半身にかかる重心は、靴
がアスファルトにめり込む程の重量だった。
体格差は雲泥の差だが、驚愕的なことに双方ともに譲らぬ互角の
力比べだった。
異種族間の格闘は、その動画のみならず街中の防犯カメラ等で作
成された記録がいくつか存在した。しかしどれも離れた場所から撮
影されているので、勇敢な少年の顔までは確認できなかった。
462
#3
﹁え、夕一くん!?﹂
顔はハッキリとは見なかったが、それは楓のクラスメイトの姿に
似ていた。
﹁あっ!﹂
磁気の乱れでもあったのか、撮影するカメラの画像にノイズが走
る。動画はすぐに終わった。
案の定、ネットではその動画の真偽をめぐってちょっとした議論
よいこ
になっている。フェイク動画かどうか、あるいは本物だとしても映
像の生き物が熊なのか何なのか検証求める声も上がった。
あきとせゆういち
一つ言えることは、翌日から秋年夕一が登校せず、妹の宵子がず
っと生気を失ったような表情でいたということだ。
﹁神隠し﹂に遭っていた秋年夕一だが、いま楓と運命の再会となっ
た。
︵やっぱり﹁こっち﹂へ来ていたのか︶
彼が失踪してから一ヶ月が経っていた。
楓はようやくこの世界の住人とのコミュニケーションが取れるよ
うになって、無理矢理呼び出されたわだかまりが消えつつあるとこ
ろだった。
463
﹁殿下、急ぎ出立の支度を﹂
侍従たちはより安全な場所を求めて、この地を離れるべきだと考
えている。
ゆういち
﹁どう思われますか、夕一どの?﹂
秋年夕一は早くもリリーナ姫の信頼を勝ち得つつある。生命の恩
人だから当然であると言えば当然だが。異世界生活の先輩とはいえ、
楓の順応性とは大きな差である。
﹁敵は殲滅しましたが、伏兵や暗殺が失敗したときのための連絡係
が残っているかもしれません。それらの兵がいたとしても計画の失
敗を悟って顛末を報告しに帰還するはずです。しかし、念のために
周辺を索敵してから動いたほうがよろしいかと。方々もお疲れでし
ょう?﹂
死地をくぐったばかりのリリーナ姫一行には疲労の色が濃く出て
いた。
﹁それに⋮⋮﹂
ふっと、夕一の視線が落とされた。
﹁亡くなった者たちの弔いもせねばなりません﹂
夕一に距離を置いていた騎士団の面々も、共感を覚える発言だっ
た。
464
︵あんた、いままで何やってたのよ?︶
楓の思念を見透かしたように、夕一は答えた。
﹁エイプリル、つもる話は後でな﹂
それからすぐに手勢の半分を見回りに向かわせると、夕一と騎士
たちは喪の作業を開始した。
庭に並べられる犠牲者たちの亡骸。ワイルドエルフとリリーナ姫
直下の騎士三十人から成る混成旅団だった。そのうち七名が命を落
とした。
楓に無茶な要求をしてきた人々だが、悪い人たちでは決してなか
った。
リリーナ姫の隣に立ち、楓も自然に涙を流していた。
殉職者たちは遺体が腐る前に、庭の花園の奥にある桜の木の下に
埋葬された。
465
#4
﹁この世界にも桜があったのね﹂
ゆういち
夕一は小刀を持ち出すと、彼らの髪の毛を切っていった。何も言
わなくとも、それを包むための上等なハンカチーフが用意された。
かえで
それは遺族に届けるためのものだろうと、楓にも理解できた。夕
一は黙々と作業続ける。さながら葬儀社の人間のようだった。丁寧
に怠り無く、館の主に、老騎士たちに順番に渡していく。
それぞれの軍刀も形見の品として持ち帰る。死者たちは軍服の襟
を正した姿で埋葬された。
﹁運べるのは、これだけでやっとでしょう﹂
夕一もシャベルを持とうとしたが、死者の仲間たちが是非にと引
き取った。
﹁いずれ、遺族をお連れしてください。丁重にお迎え致します﹂
領主夫妻と子息たちもこのままここに留まるのは危険であろうと、
一時的に一行と行動を共にすることになった。
最後に、楓の知らぬ言葉で詩を歌い、葬儀とした。
夕一も当たり前のように歌詩を口ずさんでいた。
﹁?﹂
466
一連の作業が終わる頃には、夕一は旅団の一員として認められて
いた。
喪の作業は、仲間の結束を固める。
楓でさえ、夕一のこととても頼もしく大人びて感じた。
︵大人とはなんだろうか?︶
人はいつから大人と呼ばれるのだろう? 楓の漠然としたイメー
ジでは、年齢的に言うと高校を卒業した頃からか。もちろん現役高
校生の自分自身は、まだまだ子どもの領域にいると考えていた。
﹃わたしたち、いつから大人と名乗っていいのかしら?﹄
クラスメイトたちと、おしゃべりの合間にそんなことを、問うて
みたこともある。返ってきた答えは、
﹃そりゃあ、ねえ?﹄
﹃ねえ?﹄
友人たちはニヤニヤと笑いながらひじをつつく。
﹃?﹄
﹃○○を捨てたときじゃん?﹄
思わずコーラ吹いた。楓は顔真っ赤にした。友人たちと比べても
467
まだまだ子どもだったのだ。
それだけにこの数日の間、異世界を救う救世主だか傭兵だかのよ
うな扱いに大きな戸惑いを覚えていた。
︵だけど、ただ年齢を数えただけでとても大人とは呼べないような
大人も多い︶
実際の子どもよりも子どもじみた大人も多く見てきた。
︵大人が大人に見える瞬間、それはお葬式の時かしら︶
楓は人の死に際しての葬儀、その時に親戚のおじさん、おばさん
たちが限られた時間で慌ただしくも、てきぱきとすべきことを滞り
なく行うのを見て﹁まだまだ、自分は大人にはかなわないなあ﹂と
思ったものだ。
だから楓は、目の前で葬儀に携わる夕一を尊敬のまなざしで見て
いた。
まるで人生経験豊富な、親戚の頼りになるおじさんのようだ。
﹁大したものね﹂
﹁え、なんだって?﹂
ライトノベルでお決まりの台詞を夕一は発した。
︵それは、女性がらみの修羅場にとっておきなさい︶
468
﹁カエデさま、カエデさま﹂
領主の子どもたちも、いまはもうその顔に怯えは無い。
﹁うん、なあに?﹂
﹁父上母上から聞きました。わたしたちも、フタバポリスに向かう
と﹂
﹁カエデちゃんや、姫さまたちとずっといっしょにいられてうれし
いな﹂
兄妹の顔は明るい。楓はほっとした。
﹁あの人、カエデさまのおともだちなんでしょ、強いねえ﹂
﹁すごいねええ﹂
とくに男子である兄は、将来武人として仕官することを前提とし
た育て方をされているらしい。夕一のことをはっきりと尊敬の眼差
しで見ていた。
﹁うーん、そうねえ。お友だちではあるわね﹂
楓も学校では男子にモテる方であった。女子とつるんでいる時以
外は、男子たちが話しかけてくることが多い。しかし楓と夕一とで
はそれらの男子たちとはまた異なる距離感がある。
よいこ
はっきり言って、宵子という親友を介していなければ、あまり話
す機会も少なかったのだろうと思う。しかし、彼がその親友の兄で
469
あるが故に、男子の中でも最も楓と接点の多い男子であることもま
た事実なのだった。
一公国の姫殿下とも楽しげに談笑して
この異世界での夕一の姿と、普段の姿とではちょっとイメージが
違う。
今は騎士たちに囲まれ、
いる。
夕一と楓の目が合う。ほったらかしにして悪いと思ったのか、話
を中断して彼女の元へとやって来た。
楓の両脇には領主の子息と息女。兄は苦境な戦士への羨望と緊張
の入り混じった顔で、妹は少し人見知りなところもあるのかもじも
エイプリル﹂
じと顔半分を楓の腰のアーマーにかくすようにして、はにかんでい
る。
﹁いろいろ不安だっただろう、
﹁ええ、聞きたいことが山ほどあるわ﹂
﹁二日ほど旅をする。話をする時間はたっぷりあるさ。いずれにし
ても間に合ってよかった﹂
あきとせゆういち
先ほど、あれだけの人数の敵を殺害したとは思えないほどの、穏
やかな笑み。この表情の方が、楓の記憶の中にいる秋年夕一の日常
に近い。
﹁坊ちゃんお嬢ちゃんも、あれだけの怖い人たちに襲われながら、
立派にふるまわれました﹂
470
四人を見つめるリリーナ姫の視線
夕一は地面にひざをつき、目線を二人の子どもたちと同じ高さに
合わせてその頭に手を置く。
暖かな空気が流れた。ふと、
に楓は気がついた。
視線を落とす。幼い兄妹たちから夕一に注がれる絶対的な信頼の
視線。
471
第十六章 了
ふと、﹁ラノベにありがちな展開であるなあ﹂と楓は思った。
︵はっ、まさかこやつ⋮⋮︶
ギフト
世界と世界の壁を超えた人間には、異能力が与えられる。
︵なんだか、急速に姫様や子どもたちに好かれているわね。ニコポ
ナデポ能力でももらったのかしら?︶
読者のみなさんのために説明すると、﹁ニコポナデポ﹂とは、主
に物語の中において活躍する主人公︵男性︶が出会ったヒロインと
急速に仲良くなることである。それこそ主人公がにっこりと微笑む
だけで、ヒロインがポッと顔を赤らめたり、あるいは同じく妹系ヒ
ロインの頭を手でなでなでするだけで、ポッと顔を赤らめたりする、
まあよくある描写である。
ギフト
楓がパイロキネシスを異能としてさずかったのと同じように、夕
一は対人スキルを身に付けたのかもしれない。
この地で再会してからの彼の行動は如才ないように見える。元々
の夕一も無口というわけではない。話しかければ何か気の利いたこ
とも言う。しかし、少なくともこんなに社交的ではなかった。
だが、親友の兄でなければ気にもかけないかと言えばそうでもな
い。ただ変わり者だとは思っていた。
︵どこか、飄々とした人だったけど。でも、こんなにケンカが強か
472
ったかしら?︶
楓は無造作に並べられた敵の遺体の列を眺める。
葬儀を取り仕切れる男は、大人の男だ。それだと、葬儀社勤めの
男性が最も頼りがいがあるということになってしまうか。しかしあ
る種のプロフェッショナル集団という意味では間違っていないかも
しれない。
楓は考える。もし明日両親が死んだら、自分はどうしたらいいの
だろう。オロオロするばかりで何もできないような気がする。
よほど悲惨な死に方でもされない限り、実際の遺族は悲しんでい
る暇も無い。通夜と葬儀は手配や決めることが多すぎて、故人が火
葬されるまでもあっという間に時間が過ぎ去っていくのだ。
﹁悲惨な死﹂
﹁フタバ国に栄光あれ! 朋友ワイルドエルフに!!﹂
老騎士の叫びに周囲の若い騎士が応える。
﹁オウ!﹂
かちどき
この世界の勝鬨なのだろうか。丁重に葬られた戦士者たち。
当然と言えば当然だが、敵の遺骸は無造作に並べられている。腐
るに任せていないのは、何か襲撃者の黒幕、その手がかりが無いか
これから探るためである。また領主一家がこの地に戻ったときに、
腐敗したままでは迷惑千万である。
473
﹁悲惨な死﹂
憎むべき敵ではあるが、楓にはむごたらしい死に方に見えた。戦
争を知らない世代ならではの甘っちょろい感傷。
﹁どうした、エイプリル﹂
﹁夕一、あなた、ここではまるで別人みたいね﹂
﹁⋮⋮﹂
夕一はしばらく沈黙した後、こう答えた。
﹁つまりこういうことかな。ふだん大人おとなしいクラスメイトが、
バイト先や塾ではキャラが違うみたいな?﹂
あながち間違ってはいない。ただし、
﹁大人しい、だれが?﹂
︵あんたは、ただ単に変わり者なだけでしょうよ︶
敵の遺骸の検分が終わる頃には、一行は出立の支度を整えること
ができた。
姫と楓はシャンドリンからずっと、馬車に乗っていた。
﹁竿を長くして、伏兵に気をつけて進め﹂
474
道が広ければ二列で進みたいところだが、田舎道はそうもいかな
い。騎馬の間隔を長く開けて、待ち伏せに備える。竿とは縦一列に
隊列を組むことだ。
斥候は出さずに、最前列が視界から消えぬ位置を保った。
夕一は御車のすぐ前を進んだ。楓の位置からはずっと、彼の背中
が見える。
﹁エイプリル﹂
リリーナ姫が楓に話しかけた。
﹁はい﹂
﹁夕一どのを車内に呼びましょうか?﹂
﹁え?﹂
﹁積もる話もあるのでしょう﹂
。この先時間はいくらでもあるでしょう
リリーナ姫は学友と思わぬ再会をした楓を気遣っているのだ。
﹁あ、いえ、いいですよ
し﹂
﹁そうですか﹂
リリーナ姫の柔らかな笑みをしばらくぶりに見る。
475
﹁エイプリル、あなたは⋮⋮﹂
﹁はい、﹂
﹁とても良いお友だちをお持ちですね﹂
﹁ええ、ま、はい﹂
気恥ずかしくもあったが、否定をするような場面でもないだろう。
﹁本当に、素敵な方ですね﹂
︵うん?︶
単純に褒めているのだと思うが、リリーナの声音に楓は違和感を
感じた。
﹁ご婦人方にも人気がおありなのでしょうね﹂
﹁いえいえ、決してそんなことは﹂
︵おやおやー? 変な雲行きになってきたぞ︶
これもニコポナデポ能力の成せる業わざか。
﹁姫様、彼は姫様の思っているような人間ではありません﹂
リリーナの戸惑い。
﹁え? わたしが彼のことをどう思っているというのですか﹂
476
︵うわっ、リリーナさま、顔が赤くなってますよ︶
気づくと、夕一がすぐ窓の外に並んでいた。
﹁リリーナさま、確かに彼はめざましい活躍をしておりますが、ど
うも私の知る日頃の彼と雰囲気が異なるような気がします﹂
﹁と言いますと?﹂
﹁姫様は彼のことを気にいっていらっしゃるようですが、わたした
ちの国での彼はそのように女性の気を引くような仕草は見せません。
きっと、それこそが姫様たちのいう彼が得た﹃ギフト﹄なのではな
いでしょうか﹂
楓が授かった発火能力のような力で、夕一は女性の心を操ってい
るのではないか、そんな風に楓は思うのだった。
﹁そのようなことはないでしょう﹂
リリーナは涼やかに応える。
いくさぢから
﹁先程の見事な戦いぶり、まさしく鬼神のようでありました。この
たぐいまれなる戦力こそがあの方に与えられたギフトなのではない
でしょうか﹂
﹁あっ⋮⋮﹂
言われてみればその通り。
477
第十七章
ゆういち
夕一がひょいっと首を伸ばして御車の車中に顔を入れてくる。
︵サファリパークのキリンか、おまえは︶
﹁こ、これ、夕一どの﹂
御車を引く馬の手綱を握る老騎士が夕一をたしなめる。
﹁リリーナ姫、本日中に五〇キロメートル移動します。日が落ちる
前に行ける村に、今夜の宿の目当てをつけています。ゆとりを見て
も二日かけずに城都へ帰着するつもりです﹂
まるで経験豊富な官吏のような口ぶりだった。
﹁よしなに﹂
度量衡も楓の世界の単位に認識できる。言葉が日本語として聞こ
えるわけではない。聞こえている音声はあくまで現地の言葉でそれ
を正しく理解できるということである。
それだけ伝えると、夕一はすぐにまた護衛の任に戻った。
領主の館を出発して一時間が立つ。太陽はまだ高い位置にあった。
貴人を連れての旅であるならば、強行軍はできまい。
﹁さて、半日は馬上の人ですね﹂
478
のどかな田舎道が続く。馬車が通れる道、すなわち平地を選んで
進んでいるそうだ。山中を進めば、もっと早く帰ることもできるの
だが、森や林の中を進むのは危険だ。どこで敵に襲われるか分から
ない。
﹁時間もあることですし、いろいろ聞かせていただこうかしら﹂
﹁⋮⋮何をですか?﹂
﹁あなたのご学友のことですよ?﹂
気になる男子の話をするとき、女の子は同じ顔をする。それは、
現代社会の女子高生でも異世界の王族でも変わらないようだ。
あきとせゆういち
﹁秋年夕一はわたしの一番親しい友人の兄なのです﹂
﹁そうですか。では古くからのお知り合いなのですね﹂
﹁それがそうでもなくて。友人とは幼馴染といえる間柄ですが、彼
女に兄がいるということを知ったのは比較的近年のことなのです﹂
あきとせよいこ
親友・秋年宵子とは、小学校から親しくしている。
﹁そのご友人には複雑な家庭の事情がおありようですね﹂
夕一との出会いは、中学生になってから宵子の家を訪ねた時のこ
とだった。
﹁宵子、来たよー﹂
479
﹁あ、楓ちゃん、いらっしゃーい。あがってあがってー﹂
広いマンションだった。平凡なサラリーマンの楓の父と違って羽
振りがいい。
宵子に手を引かれて居間に入った、土曜の午後、真新しい中学の
制服姿の楓が見たのは、今までこの家で見たことの無い少年だった。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
少年と楓の目が合った。楓からすると、ちょっと粗野なところの
ある、とっつきづらい風貌に見えた。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
ソファーに腰かけていた少年は、楓が挨拶をしようとすると立ち
上がった。
︵だれだろう?︶
﹁こ⋮⋮んにちわ﹂
﹁あ、はい。こんにちわ﹂
緊張しているのか、言葉を噛みながら挨拶する少年。つられて楓
の調子も狂う。
宵子はいつものように、いや普段より上機嫌で彼の隣に立ってい
480
る。
︵まさか、宵子の彼氏とか? 中一で早すぎるだろ! あたしだっ
てまだつきあったことないのに︶
仲睦まじく、宵子はすりすりと少年の上腕部をさすっていた。
ゲストの正体が不明では、友人宅での会話も途切れがちになる。
﹁座って座って﹂と宵子の言葉に楓もソファへ腰を下ろすことにし
た。
﹁宵子、やけに仲が良さそうだけど、その人だれ? ⋮⋮まさか︵
彼氏?︶﹂
違和感のある挨拶だったが、こうしていると少年は緊張している
ようにも見えない。
コホン。咳払いを一つして、宵子は応えた。
﹁ではご紹介します。彼の名は、秋年夕一。わたしのお兄さんです﹂
﹁注目ー!!﹂とばかりに手をひらひらさせて、何かVIPを引き
合わせたかのようなドヤ顔である。
﹁はあ?﹂
この家に楓は何度も来ているが、兄を紹介されたことなどない。
そもそも兄がいるなどということも初耳だった。
481
﹁あんた、一人っ子だったでしょうが﹂
﹁それは⋮⋮﹂
宵子は珍しく影のある表情を浮かべた。その時、楓は、はっと気
付いたことがある。
︵宵子のご両親、たしか離婚して⋮⋮︶
秋年家は宵子と父のふたり暮らしだった。楓も宵子の母親に会っ
たことはない。小学校低学年で友人になる以前に、彼女の両親は離
婚していた。宵子は父親がどうしてもと言って引き取った。
離婚の原因が両親のどちらにあったのかはわからない。普通は女
の子に限らず女親が我が子どもを手放そうとはしないものだ。しか
し、父親が離婚の条件として親権をどうしてもゆずらなかったこと
と、宵子も父親と暮らすことを望んだことで、今の父娘暮らしとな
二人兄妹だったのでお母さんが長男を連れて
っているらしい。そこまでは楓も把握していた。
︵もしかして、元々
家を出て行ったってことなの? そして何の事情かしばらくぶりに
里帰りしたと︶
それならば、宵子がこれほどはしゃいでいるのもわかる。久しぶ
りに兄に会えて嬉しいのだろう。いや、楓の知らないところで人知
れず会っていたりはするのかもしれないが。
あまり深く立ち入ってはいけないことのように思えて、楓は詮索
することをやめた。
482
うづきかえで
﹁はじめまして、お兄さん。わたしは宵子の親友で卯月楓と申しま
す﹂
楓が立ち上がってあいさつすると、夕一は右手を差し出してきた。
483
#2
︵あ、握手ですか⋮⋮︶
夕一はニコニコしている。楓は少し気持ち悪いと思った。いまど
きの中学生男女が、初対面の挨拶で握手などしない。
おもて
わずかに感じた嫌悪感を楓は面に出さないように努めた。夕一も
表情を変えることがなかった。
﹁⋮⋮か、エデ⋮⋮お、レ⋮⋮ユーイチ、よ、ろしくおねがいシマ
スタ﹂
︵うん?︶
なにか、おかしな会話をしている気がした。気のせいではなかっ
た。
﹁あ、うちのアニキ、海外暮らしが長くて日本語がちょっと変なん
だ﹂
﹁え、帰国子女?﹂
宵子の母親は息子を連れて海外にわたっていたのか。それはさぞ
かし、感動の再会だったことだろう。先ほど感じた違和感は、カル
チャーギャップなのか。だとすれば失礼なことを思ってしまった、
と楓は考えた。
︵そういえば、どこか雰囲気からオリエンタルなかんじがしないで
484
もない︶
﹁あ、わたしったらお兄さんに失礼だったかしら﹂
﹁うーん﹂
宵子が首をかしげている。
﹁あんまりかしこまらなくていいよ。わたしたち兄妹だけど、誕生
日が一年離れていないから﹂
﹁マジ?﹂
としご
年子というのだろうか、ご両親も頑張ったものである。
﹁実はね。お兄ちゃんとはあんまり一緒に暮らしたいことがないん
だ﹂
聞けば、兄君は日本人があまり行かないようなへんぴな国で育っ
たそうだ。だから日本語も片言で、これから苦労しそうだというこ
とであった。
﹁お兄さんはしばらく日本にいられるんですか?﹂
夕一の顔が曇る。
﹁それが、もう、かエれなクなあてもうたです﹂
︵﹃もう帰れない﹄と言ったのかしら︶
485
﹁もう、かエれなクなあてもうたです。大事なことだから二回言い
ました﹂
日本語が不自由なのか、堪能なのかよくわからない人だ。
対照的に、宵子は上機嫌だ。
﹁これからはずっと一緒だよね、夕一﹂
﹁いやはや﹂
﹁そうそう。来週からうちの兄貴、わたしたちの学校に転校してく
るから。クラスもわたしたちといっしょよ﹂
﹁⋮⋮マジですか﹂
以来、宵子は兄にべったりだったので、必然的に楓も夕一と行動
を共にする時間が多くなった。
リリーナの馬車に場面は移る。
﹁そんなことがあったのですか﹂
あきとせゆういち
リリーナは秋年夕一と楓の出会いの話に興味深そうに聞き入って
いた。
夕一は今は後続の馬車と併走している。領主一家四人が乗る御車
だ。先程と同じように窓に顔を近づけて何か話している。子どもた
ちと話しているようだ。楓からは夕一の微笑む顔が見える。時折、
486
幼い兄妹たちの笑い声が響いた。
487
#3
﹁夕一どのは、エイプリルから見ても異邦人なのですね﹂
︵ああ、そうだ⋮⋮わたしが彼に対していた他の人には無い感覚、
彼はいつだって得体の知れない人だった︶
リリーナ姫の指摘は的確だった。
どこか他人と距離を置いているようなところもある夕一だったが、
ここでは元いた世界よりも空気に馴染んでいる気がする。
日が暮れるより前に目的の街道にたどり着くことができた。
貴人のボディーガードは近衛の方が慣れている。リリーナ姫の宿
を中心に死角の無いように四方の宿の部屋を借りた。そこへ夕一配
下の武人たちが応援を兼ねて同宿する。
楓はリリーナと同じ部屋だ。夕一は姫の希望もあり、隣室に。
﹁ちょっとお手洗いに﹂
一度部屋を出た楓が戻ろうとすると、廊下を挟んだ向かいの部屋
のドアが開いていて、夕一の姿が見えた。
さきほどまで不審なものが屋内に無いか、騎士団が調べた。夕一た
ちはそばにいて、あまり口出しもしなかった。
﹁夕一﹂
488
ドアをノックする。窓の外を眺めていた彼は振り返らなかった。
﹁エイプリル﹂
﹁何をしているの?﹂
﹁この窓からは西南の方角が見える。仲間の部屋はあそことあそこ﹂
対角線上の建物の窓からワイルドエルフの騎士が手を振っている。
警戒は万全のようだ。
﹁こちらの戦力を思い知っているから、敵ももう仕掛けては来ない
と思うけど﹂
気分はプロのボディーガードだ。映画俳優で言ったらケヴィン・
コスナー版のように落ち着き払っている。
この異境の地においては、顔見知りがいるということだけでもち
ょっとほっとした気持ちになれる。
﹁どうした? ぼーっとして。旅の疲れかな﹂
楓としたことが、夕一の顔を見つめたまま惚けてしまっていた。
﹁えっつ、あ、いや、なんっでもないよ? ってか、そうそう! ちょっとくたびれて窓の外を見てたの﹂
慌てて、何も無い空間を両手でかきむしった。
﹁椅子をどうぞ﹂
489
﹁ありがとう﹂
﹁⋮⋮聞きたいことがあるんだよね?﹂
戦死者の埋葬と出発の支度を急ぐあまり、あえて中断していたが
異世界生活の先輩である秋年夕一には問わねばならないことがあっ
た。
﹁よく生きていたわね。この物騒な世界で﹂
しかし、先刻の大立ち回りを思いだせば、はたしてどちらがより
物騒な存在かわからない。
﹁切った張ったなんて、ここでは日常茶飯事だよ﹂
こともなげに夕一は言う。
﹁いつの間に武術や、その剣術を習ったの? 学校では文科系の部
活動をしてたよね﹂
﹁しばし平和な生活に慣れて体が少しなまっていたけれど、もとも
と剣も弓もおれにとっては古い友人のようなものでね。恐れるもの
ではないんだ﹂
490
第十七章 了
夕一はもともと武人なのだという。認めがたいが、そうでなけれ
ば楓は本日中に命を落としていたであろう。
﹁あなたには裏の顔があったのね﹂
﹁こっちが表さ。宵子たちと暮らすために、日本の価値観に合わせ
ているうちに、いつか本当に日本人になった気がしていたのに、こ
んなことになってしまうなんてな。逃れられない宿命か。それでも
友だちの窮地を救うことができた。これも運命かな﹂
﹁トモダチ﹂ぐっとくる言葉だ。
﹁エイプリルもこっちの世界でよく落ち着いていられるな。肝が座
っていて、大したもんだよ﹂
﹁昨夜、最初はいろいろね。でも、リリーナ姫が気さくな人だから﹂
﹁ここへ向かう前にフタバ国に入ったが、姫君はすごい人気だった
よ﹂
﹁あなたは、もともと帰国子女だから、異国にきても馴染むのが早
いのかしら﹂
﹁うん? それはまあね、いろいろおまえに話していないことがあ
るから。そろそろ話しておいた方がいいかな、と思っている﹂
﹁内緒の話? ドアを閉めようか﹂
491
女性と二人きりになる時、部屋のドアは開けておくのがマナーだ。
﹁開けておいてくれ。この宿を出るまでお前たちの部屋から目を離
さないつもりだ﹂
警護のためにずっと自分たちの方を見ていてくれるとのことだっ
た。
﹁いくら腕に自信があるからといって、よく落ち着いてられるわね。
この非常事態に。ねえ、ここから元の世界に帰る方法を知らない?
みんなわたしたちのこと救世主だなんだって言うけれど、とても
この世界を救えるとは思えない﹂
﹁すぐには無理だ﹂
楓とは比べ物にならないくらいに、この世界で広い範囲を行動し
ている夕一ならば、何らかの手がかりを持っていないかと思ったの
だ。わずかな希望ではあったが。
﹁宵子も心配してるわよ。あなたがいなくなってからものすごく落
ち込んでいたのだから﹂
妹の名前を聞いて、ようやく彼の顔も人並みの憂いを帯びた。
﹁なんとしても生きて帰らなくちゃな﹂
この旅団の中では、楓たち二人だけが共通の目的を持っているは
ずである。
492
﹁それまでどうするの? 彼らの言うとおりに戦士として働かなく
ちゃいけないのかしら。あなたはこちらへ来るときにもらった力を
使いこなしているみたいだけど﹂
もとより武術鍛錬行っていたという夕一が、多元世界の狭間を超
えることでその能力が数段も高められたのだろう。
﹁エイプリル、耳を貸せ﹂
何か考えでもあるのだろうか。エイプリルは夕一と一歩も離れぬ
間合いに近づいて、右の耳にかかる髪を指でよけた。
夕一は内緒話をするように、唇を寄せる。かすかに吐息が耳にか
かり、楓はくすぐったいと思った。
﹁実はね、この世界に来るのは初めてじゃない。っていうか、おれ
はこの世界で生まれたんだ﹂
﹁マジ⋮⋮ですか?﹂
さもありなん。
︵ああ、なんとなくわかってきたような気もする。現地の人たちと
すごく馴染んでたもんなぁ︶
帰国子女どころか、遠い世界からの客人だったわけだ。
その時、背後で扉が開く音がした。
493
﹁エイプリル、ずいぶん遅いですね⋮⋮あっ!﹂
リリーナ姫は、目が点になっている。楓の頭には最初、疑問符が
浮かび。はっと気づく。頬を寄せ合い、ささやき合うクラスメイト。
あわてて、夕一を突き放す。
﹁うんにゃー!﹂
夕一は楓に押されて椅子から転げ落ちる。
﹁ご、ごめんなさい。お邪魔してしまって﹂
﹁いやいや、誤解ですから。こいつとはそんなんじゃないですから
!﹂
慌てて扉を閉めようとするリリーナ。その手をつかむ楓。
494
第十八章
敵襲も無く夜が明けた。
フタバ・シャンドリン連合に傭兵を加えた混成部隊一行は宿場街
を後にした。交替で番をしていた騎士たちにはあくびをかみ殺して
いる者も多い。
かえで
申し訳ないが、楓とリリーナはぐっすりと安眠した。
ゆういち
夕一は凛とした顔で、騎乗している。
出発前に何かの植物を採取していたので、何をしているのかと尋
ねた。
﹁おはよう、夕一。何してるの?﹂
﹁エイプリル、これ、なんだかわかる?﹂
丸みを帯びた形で葉の長さは短め。四方に広がった葉が茎ごと積
まれている。一枚一枚では、カフェでのデザートによく添えられて
いる。
﹁ヒント﹂と言いつつ、夕一が楓の鼻先まで葉を近づけた。
﹁この匂い、ミントの葉かな? よくみつけたわね﹂
﹁雑草みたいなものだからね、どこにでもあるよ。これをね﹂
495
摘み取った葉を夕一は口の中に入れた。
﹁ペパーミントだったみたいだ﹂
﹁そのまま食べておいしいの?﹂
﹁食べるのではなく、噛むんだ。眠気覚ましになるよ﹂
出発してからは隊列の馬上の者たちに近づいて、それらの葉を配
っていた。
じょさい
﹁夕一どのは如才ないですね﹂
気がきいて手抜かりがないとか、愛想がいいという意味だ。
﹁そのようで。姫様もおひとついかがですか﹂
﹁あら、あなたももらっていたの。普段野生の植物を、そのまま食
することが少ないから新鮮な体験ですね﹂
楓から夕一の顔が見える位置にもどってきた。ガムでも噛むよう
に、口元を動かしながら手綱を握っている。
不意に姫が窓の外、夕一に向けて手を振った。夕一も何か用があ
るわけではないと知っているのか、少し近づいて二人に微笑みかけ
ると、また少し離れていった。その際、リリーナと夕一が幾秒か見
つめ合ったように楓には思えた。
﹁本当に、彼とは何もなかったのですか?﹂
496
﹁夕一どの﹂から﹁彼﹂へ人称が変化している。
夕一と楓が顔を近づけてひそひそと話し合っているとこ
﹁またですか。昨晩のことなら、何でもないと言ったじゃないです
か﹂
昨晩、
ろをリリーナに見られてしまった。
﹃ご、ごめんなさい。お邪魔してしまって﹄
﹃いやいや、誤解ですから。こいつとはそんなんじゃないですから
!﹄
﹃よろしいのですよ。隠さなくても﹄
彼女の誤解を解くために、夕一との話は中断されてしまった。
その空気を今も引きずっている。
︵考えてみると誤解をされたからといって、何か困るわけではない
のよね。でも、姫様は彼に興味津々みたいだし、やっぱり気を使う
わよね︶
497
#2
﹁姫こそ、夕一のことが気になるなら、喜んでお譲りしますよ。な
んなら仲を取り持ちましょうか﹂
楓は逆襲に転じた。
﹁嫌ですわ、エイプリルったら﹂
嬌声こそ上げないが、楓との間に手で壁を作り、リリーナは恥ず
かしそうにはにかむ。
︵冗談で言ったのにな︶
万が一本当にそんなことになってしまった時、楓には気になるこ
とがあった。
︵宵子が荒らぶるだろうなあ︶
極度のブラコンである親友は、いつも楓が夕一に恋愛感情を抱く
ことを警戒していた。もとよりそんな気のない楓にとっては、ウザ
イことこの上なかった。
︵血の雨が降るわね︶
﹁それにしても、エイプリルがあれほどの殿方になびかないとは。
元の世界には、よほど魅力的な男性が多いのですね﹂
︵あれま、夕一のことを魅力的って言っちゃったよ、この人︶
498
確かに夕一は、今は頼もしいことこの上ない男だ。
﹁あれほどと言ってもですね、最近になって知りました。あんな特
技があることを﹂
﹁実はね、この世界に来るのは初めてじゃない。っていうか、おれ
はこの世界で生まれたんだ﹂
昨晩の彼の告白。リリーナの誤解を解くために、話はとぎれてし
まった。あとでちゃんと話の続きをしないと。
﹁本日中にフタバポリスに到着しますわ﹂
リリーナ姫の居城がある、フタバ国のキャピタル城塞都市・フタ
バポリス。
一行の帰還を待ちかねたように、衛士たちが街道のあちらこちら
から合流する。
城門をくぐり市街に入ると、公女の姿を一目見ようと市民が繰り
出す。彼らはみな、姫殿下の旅の目的を承知していた。
﹁姫様、さすが人望がありますね﹂
リリーナが窓の外に向かってエレガントに、しかし愛嬌のある笑
顔で愛想を振りまいている。
﹁エイプリル、あなたも、降りなさい。今日はわたしだけでなくあ
なたを歓迎しているのです﹂
499
市民も苦行の秘儀を行い、国と自分たちを苦難から救う英雄を連
うづきかえで
れ帰るに至ったと知っているのだ。熱狂の半分は召喚された戦士、
卯月楓に向けられたものであった。
ふと、夕一の姿が視界に入った。先ほどまでは穏やかな顔してい
たが、今は真剣そのものの表情である。
御車を操る騎士や衛士たちに何か話しかけている。
﹁衛士長、わたしたちは無事に帰ったのです。ここまで来れば何も
そう急がなくても良いのではないですか﹂
楓も町に入って少しホッとしていた。しかしは車列はスピードを
緩めることもなく、宮殿を目指した。
城内に入ってようやく御車を降りる。
﹁少し恐い顔していましたね、夕一﹂
ことわざ
﹁わたしの国に諺があります。﹃家に帰るまでが遠足です﹄と﹂
500
#3
﹁リリーナ!﹂
年は四十歳代半ば頃だろうか、楓の父と同世代に見える身なりの
良い紳士が現れた。
﹁お父様!﹂
リリーナが駆け出し、両親の抱擁を交わす。宮城の前では王自ら
が妃と皇女、リリーナの妹たちを従えて、楓を出迎えてくれたのだ。
リリーナの父だけあって、フタバ父王は温和な人相の善君に見え
た。
﹁父上、彼女が救世主にございます﹂
﹁いえ、そんなたいそうなものではありません。ただの小娘です﹂
謙遜したつもりだったが、一同の顔に失望の色が浮かんだ。
︵そうだった。わたしはこの人たちにとって⋮⋮︶
﹁騎士の数が減ったな、やはり敵襲があったか、夕一どの﹂
﹁駆けつけるのが遅れたため、犠牲を出しました﹂
夕一は厳かな声で詫び、王に頭を下げた。
501
﹁父上が夕一どのを向かわせてくれなければ我々は全滅していまし
た。危うくのところに駆けつけてくれたのです﹂
﹁敵はおそらく、マセ・バズークにて鍛えられた暗殺集団﹃虫人﹄
三〇名余。幸運なことは、召還戦士が刺客に加わっていなかったこ
とかと﹂
︵あの殺し屋たち、むしびとっていうのか︶
楓の印象では、暗殺者の動きは虫類的な動きだったような気がす
る。
﹁﹃虫人﹄は、手練の戦人です。その三〇名となれば襲われて助か
ったのが奇跡的かと﹂
必ずしも軍人詳しくはない王に、付き従う将校が耳打ちする。
﹁なんと!﹂
それは、父としては娘を失う可能性が多分にあったことも意味す
る。
﹁マセ・バズークから刺客が来たということは、既に大延国の軍門
に下ったと考えられます。
この報告はフタバ王にとってはショックだった。
﹁ぐぬぬぬぬ﹂
歯ぎしりの音が場に響く。
502
﹁父上、みな疲れています。詳しい報告は後ほど﹂
﹁さようか、いずれにせよ貴君は、姫と国家の恩人であるな。詳し
くは後ほど聞こう。まずは休むがいい﹂
父の性格からすれば、ねぎらいの宴を催すことが予想されたが、
兵士たちの疲弊を考えれば、気を使う祝宴より休養こそ優先であろ
うと考えて、あらかじめ晩餐を控えるよう侍従に伝えていた。
楓も王の前で食事などプレッシャーがかかるばかりである。
﹁楓どの、部屋にご案内いたします。貴賓室をお使いください﹂
リリーナ姫付の女官が移動を促す。
﹁夕一どのはお部屋の希望がありますか? 級友のおそばにいたし
ますか﹂
ともがら
﹁同胞とまとめてどの部屋でもかまいません。城内はご婦人がたも
安全でありましょうから﹂
宮殿の周辺には騎士たちの住まいや兵士の営舎が囲むように配置
されていた。要所には寝ずの番もいる。
503
#4
﹁ぼくの名前はアキトセユーイチ、フタバ国は狙われている!﹂︵
BGM:﹁蒼き流星SPTレイズナー﹂オープニングテーマで︶
そう言って彼が、王の前に現れたのは、リリーナ一行がシャンド
リンに向けて出発した三日後だった。
﹁衛兵を力ずくで押しのけて宮殿のただ中まで乗り込んできたのだ
から驚きだ﹂
夕一が、召喚された異世界人しては、世情に詳しすぎることに他
の者たちも気づいていた。
うづきかえで
﹁いかにも、わたしはこの世界で生まれた人間です。生まれはイス
トモスです。育ちの途中でここなる卯月楓と同じ国に移り住みまし
たが、イストモスタイシャクテーンで産湯をつかい、姓はアキトセ
名はユーイチ、人呼んでアキトセユーイチと発します﹂
︵人呼んでって、そのまんまじゃないの︶
休息の後、近衛筆頭の老騎士から、これまでの経緯が説明された。
王と王妃は王女が間一髪で危難を避けることができたことを落涙し
ながら聞き入っていた。
犠牲者への黙祷の後、リリーナは興奮気味に夕一の奮闘ぶりを語
り続けた。その終盤において、思い出したように召喚儀式の成功と
楓こそがその救国の戦士であることを紹介された。
504
︵ま、いいんですけどね︶
フタバ国より遠く離れた大
思いがけず召喚戦士が二人揃った。鬼に金棒である。
今回の騒乱の源となっているのは、
延国とのことだった。多くの人間が召喚され異能の力を授かり、士
官として召し抱えられている。その際に召喚戦士たちは、サモンマ
スターに逆らえないような処置が施されていた。
﹁大延国では異世界人と言葉を交わすのに、ワードワームを用いて
おります﹂
﹁ワードワーム? なるほど、それで忠誠心を植え付けられるのか﹂
︵ワードワームってなんだろう?︶
異世界人に楓が施された、魔法の書のような精霊の力とは別の術
式により、会話と意思の疎通ができるようにする方法があるらしい。
夕一が王に説明申し上げている間、楓は言葉をはさむことはしな
かった。詳しく聞いていたら、とても食事が喉を通らなかっただろ
う。一言で言えば、﹁グロ注意﹂な方法だった。
﹁ワードワームは大延国にのみ生息する虫で奴隷や捕虜の石意思を
束縛する手段として有名だが、そんな使い道もあったのか﹂
﹁わたしは元より彼らの言葉を理解していたため、いち早く彼らの
企みに気づき、隙をついて脱出することができたのです﹂
そして夕一は逃避行を続ける中、いくつかの国に立ち寄り、大延
505
国が召喚戦士を特使としてそれらの国に派遣し、実質的な支配をし
ているいることを知った。
506
#4︵後書き︶
2500ブックマークありがとうございます。
507
#5
夕一の報告は、諜報活動の成果としてこの上ない重要なものであ
る。各国が召喚戦士を呼び寄せて戦争を始めたのでなく、大延国か
らの特使が異能で各国の首脳を圧倒し紛争をあおり立てているのだ。
どの国にも歴史的に不仲な国がある。大延国は、そういった国同士
に召喚戦士を派遣して紛争をそそのかしているようだ。
小心者のフタバ王は、その性格が幸いして、城門を固く閉じ一時
的に他国との交流を一切立った。そのために、大延国の間者もおお
っぴらな活動ができないでいた。
﹁頼むぞ、二人の救国の英雄よ﹂
天の配剤か、フタバ国は大延国の魔の手に対抗し得る戦力を手に
入れた。しかも、そのうちの一人は敵国の内情にも通じていた。
楓と夕一はフタバ国において高級将校として遇されることになっ
た。
﹁わたし、軍人になるつもりなんてないのに﹂
そのまま正直な気持ちを言ったら、国から追放されるのだろうか。
そこまでひどい人たちにも見えない。いずれにせよ、夕一は前向き
に事態と向き合うつもりでいる。この国を守るために戦うつもりで
いた。これでは楓の意思を表明する機会などない。勝手に話が進ん
でいく。
警戒を怠らず、万全の備えを行うこととし、軍議は明日以降に行
508
うこととなった。
夜も遅くなってきたが、楓は広い宮殿の中を探索する。楓はリリ
ーナ姫の寝室に近い部屋をあてがわれた。
夕一の部屋は彼女らと対角線上の反対向きにあるらしい。ずんず
んと宮殿の廊下を闊歩する楓であった。
︵夕一と昼間の話の続きをしないと︶
勝手のわからない広大な建物の中では、必ずしも最短距離で目的
地にはできない。
︵おおよその目印は見えているのに︶
中庭には植物園もあり、目印にしていたものが少し歩くと見えな
くなったり迷路のようでもある。楓は少々イライラしながら歩き続
ける。やがて廊下の角を曲がったところでリリーナと鉢合わせした。
﹁あ、姫様?﹂
﹁エイプリル? ど、どちらへ?﹂
﹁わたしは、夕一のところへ。ちょっと聞きたいことがあるので。
姫様は?﹂
﹁ほほほ、わたしもちょっと夕一どのに軍学の指南を受けたいと思
いまして﹂
こんな夜更けに公用でもあるまい。とってつけたような理由だ。
509
︵⋮⋮大丈夫なんだろうか、この人?︶
一国の姫様にしては、ちょっとガードが緩いような気がしないで
もない。
﹁では、いっしょに参りましょう﹂
リリーナの後を歩くと、夕一たち傭兵の宿泊部屋にすぐたどり着
いた。
そこはゲストルームだけでなく、会議が宴席も行えるであろう広
いラウンジがあった。
510
#5︵後書き︶
下記の作品と交互に更新しております。
お時間がありましたら、こちらもご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n3365
bg/1/
511
#6
﹁あら、にぎやかな声が聞こえますわ﹂
﹁そうですね。宴会でもしているんでしょうか﹂
秋年夕一の一行は、頭数で十人ほど。お固い任務から一時はなれ
て、慰労会を行っていても不思議ではない。
﹁せっかくくつろいでいるのに、わたしたちが顔を出したらお邪魔
でしょうか?﹂
残念そうなリリーナの声。
﹁夕一は喜びそうな気がしますが、お伴の方たちが気を遣うかもし
れません⋮⋮うーん、でもあいさつぐらいならいいんじゃないでし
ょうか﹂
とにかく一言、声をかけよう。そしてすぐに引き上げればいい。
﹁あー、盛り上がってるところ、すいません⋮⋮!?﹂
そっと壁から顔をのぞかせる楓。トーテムポールのようにその下
からリリーナもひょっこりと顔を出す。
﹁ウー、アチャー、アッ、アタッ!!﹂
とどろく怪鳥音。ラウンジのテーブルは隅に移動され、広々とし
た空間は宴席などではなく、戦士たちの訓練道場となっていた。
512
﹁変わったかけ声ですね﹂
姫の知る騎士たちの訓練風景とも異なるようだ。
男たちは、全員上半身裸でいる。女性はさすがに肌を露にしてい
ないが、上着を脱いだ動きやすい格好でいる。
︵なんなの、これ? ファイトクラブか︶
夕一が仲間の一人と組み手らしきことをしているのを、周囲で仲
間たちが見守り、囃し立てている。
﹁アター! ホワタッタタッタァー!!﹂
︵北斗の拳?︶
手首をカマキリのように、五指を離さず指先を地面に向ける。背
筋はやや後方へ反り、首筋は伸ばす。そして、眉毛を寄せ、口元は
渋く。
︵知ってる、これ﹁ドラゴンへの道﹂だー!︶
夕一のかけ声は微妙に変化していく。
﹁ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!﹂
︵あれ、そういえば夕一って、某女性声優のファンだって言ってた
な︶
513
組み手の相手は、チームの中でも一番大きな男。丸太のような腕
を大きく振るう。隙ができてもリーチの長さが圧倒的だ。
﹁アチャー、オチャー﹂
ぜんわん
武闘家の男の両の拳を、手首から肘までの腕の外側である前腕で
流すようにかわしていく。あの豪腕では、まともにガードしても夕
一の腕が折れそうな勢いだ。
﹁ウーロンチャー!﹂
三度目の正拳突きをよけると、左前腕と右手首でそれぞれ対手の
き
右腕を固定するとともに、その脇の下をくぐり男の背後に回る。そ
して、その腕を極めたまま、腰を落とす。
︵背面からの背負い投げ? 相手が死ぬでしょ!!︶
﹁うわっ、バカッ、夕一、やめ﹂
敵ならともかく相手は味方のはずだ。リリーナは正視できず顔を
手で覆っている。
514
#6︵後書き︶
たくさんの方に評価、ブクマ登録いただきありがとうございます。
励みになります
515
#7
楓から見ると、男の腹筋が天井を向き、その下に夕一がしゃがん
でいるようで姿は見えない。
一度沈んだ二人の身体が、ぐっと持ち上がる。
﹁アルゼンチン・バックブリーカー!﹂
立ち上がった夕一の背中が楓とリリーナに向いている。そのため、
ひざ
てのひら
彼は二人の訪問にまだ気づいていない。肩の上に対手を仰向けに乗
せ、あごと膝を夕一の掌がつかんで固定している。まさしく﹁人間
マフラー﹂の別称もあるプロレス技よろしく、かけ手の首を支点と
して、かけられた相手の背中を弓なりに反らせることによって背骨
を痛めつける技である。
﹁うぐわー! いて、ててて、ギブ! ギブアップ!!﹂
男が手を打つと、夕一は姿勢を傾けて、男を足先から地面に降ろ
した。
﹁リーダー! 後ろ﹂
女性メンバーの一人が、楓たちに気づいて声を出した。
﹁え?﹂
そこで夕一も振り返る。
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﹁リリーナ姫殿下、エイプリル⋮⋮一同敬礼﹂
女性は楓の世界の軍人と同じく右手を額の前で敬礼した。男たち
は⋮⋮
︵それ、ボディビルのサイドチェスト?︶
サイドは横、チェストは胸、サイドチェストは胸の筋肉を張り出
したところを横から見るという意味のポーズだが、これは本当に敬
礼のポーズなのかと楓はいぶかしんだ。
﹁東方式の敬礼ですね? どうぞお気楽に﹂
︵やっぱりこの世界での敬礼なのか、地方の習慣で全国的ではなな
いみたいだけど︶
﹁リーダー、御前だから服来たら?﹂
別の女性にも言われて、はっと男たちは両手で胸元を隠した。
﹁いえ、そのままでもけっこうですよ﹂
楓はリリーナの視線が夕一の肌に釘付けになっているのを察した。
気のせいか、青白い首筋も赤くなっているように見える。
︵姫が見とれるのもわからなくはない⋮⋮夕一は相変わらず肌がす
べすべね︶
夕一はやせ過ぎということはないが、あれだけ長身の巨体を軽々
と担ぎ上げたのか不思議なくらい細身であった。格闘家と言うより
517
はサッカー選手の体格に近い。瞬発力はありそうだが、見た目以上
の怪力でもある。
楓は彼の肌を見ることはたびたびあった。学校でも体育の時間に水
着になるし、男子生徒同士がばか騒ぎをして服を脱いでいるような
こともあった。
夕一の肌は日本として目立つことのない色だが、その顔にはいま
までニキビの一つすら見つけたことがない。中学生時代からの長い
付き合いだというのに。この男の思春期はどこへ行った?
いま、目の前にいる彼の背中にもほくろ一つ存在しない。
その柔軟な筋肉は、担いでいた巨?の負荷から解放されると、六
つに割れた腹筋も筋張った背筋もすべて柔らかな肌の下に隠れた。
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#8
﹁姫、どうぞお座りください﹂
周囲の仲間たちが、テーブルと椅子を元の場所に戻して席を勧め
てきた。
﹁お邪魔ではないかしら﹂
﹁いえいえ、こんなむさ苦しいところへようこそいらっしゃいまし
た﹂
﹁リーダー、服を着たら?﹂
﹁これは失礼﹂
女性メンバーに言われて、男たちが部屋の隅で汗を拭く。服を着
た姿に戻ってきて姫を加工業に全員が着席する。
﹁このチームはみなさんとても、仲が良さそうですね﹂
楓には、夕一がここでは元いた世界より、いきいきしているよう
に見えた。仲間たちとも和気あいあいとした雰囲気に包まれている。
﹁便宜上リーダーとは呼ばれているけど、みんな対等な関係なので﹂
夕一の言葉に異論があった。
﹁うふふふ。謙遜してるけれど、みんなリーダーを信じてついてき
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ているから﹂
髪の長い少女、ムチのようなヒモ状の武器を腰に巻いていた。女
性が二人。帽子をかぶった女性がもう一人。楓が気になったのは、
どちらも楓やリリーナのような人間に比べて耳が長い。
﹁夕一、この人たちとどうやって知り合ったの? それにあなたが
いなくなってから一ヶ月、今までどうやって暮らしていたのよ﹂
辺境伯爵の屋敷で救われて以来、一通り騎士団や夕一の仲間にも
挨拶はしていた。だが、まだ楓には夕一以外の面々には他人行儀に
ならざるを得ない。
リリーナ姫は、彼らの雇用主的な立場であり、初対面の者にかし
ずかれることにも慣れているようだ。
﹁話すと長くなる﹂
﹁あなたのこと、お聞きしたいわ﹂
リリーナがテーブルの上に組んだ手に、小さな顔をのせて微笑む。
﹁昨晩の宿では聞く時間が無かったけど、わたしも一応あなたの友
人として心配していたのよ﹂
﹁すまない。君までこっちへ来てしまうなんてな﹂
﹁夕一どの、それはわたしの行った召喚術の結果で﹂
気をつかったつもりが、またもあらぬ方向に話が向いてしまった。
520
﹁あ、いえ、そのようなつもりでは﹂
﹁エイプリルさんってさ﹂
場を和ませるつもりか、女戦士が話を振ってきた。
﹁はい﹂
﹁夕一リーダーと親しかったの?﹂
﹁ええ、まあ。彼の妹を介して知らぬ仲ではないです﹂
﹁もしかして、リーダーの恋人さんだとか﹂
彼女はいかにも面白そうに、探るような意地の悪いまなざしで問
うた。
﹁﹁﹁なっ!?﹂﹂﹂
楓と夕一、リリーナが同時に感嘆の声を上げた。
﹁そうなのですか! エイプリル?﹂
リリーナの言葉には動揺の響きがあった。
﹁申し訳ありません。そのような可能性はまったく考えておりませ
んでした﹂
召喚戦士二名がたまたま知り合いだったことを、リリーナは奇縁
521
だと考えていた。
522
第十八章 了
だから、楓と夕一が特別親しい男女の関係だなとということはリ
リーナの想像の範疇外だった。
﹁そういう事実はありません。わたしの親友が彼の妹なのです。歳
が離れていなかったので同じ学び舎に通っています﹂
﹁本当かなー、怪しいなー﹂
夕一の仲間たちは、にやにやと楓の弁明を見守っている。
﹁みなさんこそ、どうして夕一と行動を共にするようになったので
すか﹂
﹁フタバ国に危機を伝えたのと同じようにわたしたちの住む集落に
警告をしにきてくれたのです﹂
ムチを操る女戦士は、ローズウィップと名乗った。
﹁おれたちはそれぞれ異なる村の出身だが、傭兵や冒険者の仕事を
ギルドから請け負っているんだが、リーダーがまったく無償で大延
国の斥候や前線部隊から街を救うのを見て、どうせなら商売にした
方がいいって勧めたんだよ﹂
今回の争乱の発端は大延国であることは既にフタバ王以下の執政
たちに報告されたいた。
﹁みんなにはおれが大延国のサモンマスター︵召喚術師︶現世から
523
こちらの世界へ呼ばれたことを伝えてあります。召喚された人間は
特異能力を持ち、忠誠心の厚い戦士として大延国に仕え命令に従っ
ているのです﹂
大延国に召喚された戦士は高級将校として、他国への干渉の指揮
を執っている。
﹁事情も分からぬ異世界人をどうやって服従させているの﹂
楓は言いながらも、いろいろ想像もできた。自分は人のいいサモ
ンマスターに召喚されたものの、力ずくで他者を支配するような国
であれば、右も左もわからぬ人間に逆らう方法はないだろう。逃げ
ようとしてもどこへ逃げればいいのか。
﹁洗脳に近い方法があるんだ。異なる世界の言語を習得させるつい
でにね﹂
夕一の説明が終わらぬ間に、﹁ああ⋮⋮﹂とため息をがもれる。
何人かは思い当たるものがあるようだ。
﹁おれはそれに気づいてこのままだと同じように傀儡にされると察
して、見張りの隙をついて逃げ出したんだ﹂
﹁洗脳ってどうするの?﹂
﹁楓、どうやってこちらの言葉を覚えた?﹂
﹁わたしは、不思議な本から妖精さんが飛び出してきて、こうふわ
ーっと﹂
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手を広げる素振りで、﹁言の葉の書﹂の効能を説明する楓だった。
﹁運が良かったな。人道的なサモンマスターで﹂
﹁他の人たちはどうしてるの?﹂
﹁エイリアンって映画覚えてる?﹂
夕一と楓にしか通じない比喩だ。
﹁こう、フェイスハガーみたいにがばっと⋮⋮﹂
両手の指で顔を覆う仕草を見せた。
﹁oh⋮⋮﹂
その光景を知っているのか傭兵たちは肩をすくめる。
525
第十九章
八本
﹁おれ以外の召喚戦士たちは、ワードワームという昆虫を口から入
れられている。サイズはこれくらい⋮⋮﹂
夕一が指で囲った昆虫の本体はカブトムシ程の大きさで、
の長い足を持っているという。
﹁うえっ﹂
楓の顔も歪む。
﹁人間の顔の内部ってどんな構造になってるか知っているか?﹂
夕一は自分の鼻を指差した。
﹁のどの上の方、鼻腔の奥は空洞になっていて、軟骨と肉がひだの
ように重なっている。よく顔の中心の怪我は気をつけろと言うだろ
う﹂
﹁おばあちゃんがそんなこと言ってた気がするわ﹂
﹁武術の鍛錬でも正中線と言って急所とされている。だから鼻や眉
間に腫れ物ができたときは、放ってくと危険なんだ。この部位の神
経は頭にまでつながっているから、化膿が脳に回れば命を落とすこ
とや障害を残すこともあるくらいだ。もちろん、こっちの世界には
レントゲン写真なんて無いから、おれも日本に行ってからこのこと
が納得のいくように理解できた﹂
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﹁で、そのワードワームって虫は身体にどう働きかけるの? 知り
たくない気もするけど﹂
夕一は指を口に入れた。
すみか
﹁ワームワードは寄生虫だ。喉から鼻腔に入り込んで住処にする。
寄生虫だから宿主から栄養を摂取するとともに追い出されないよう
宿主と一体化する。細い針のような管は人間の脳の下部、脳幹まで
届いて宿主の自我の抵抗を支配する⋮⋮らしい﹂
夕一は医師ではないから断定を避けた。
﹁この抵抗を奪うという作用が洗脳につながるのではないかと思う。
そして副作用として、言語能力を司る大脳皮質が刺激を受けて、異
なる種族の言語を解するに至るのではないだろうか﹂
﹁回り巡って﹂とは直接、大脳まで針が届いていたら、脳を串刺し
にすることになり、宿主は生命活動を維持できないだろうから。
﹁召喚戦士らは自我を保ちながらも、大延国に忠誠を誓っているん
だ﹂
﹁そんなことを無理強いされてよく従えるわ﹂
楓は、リリーナに召喚された自分が心底幸運だったと思えた。
﹁状況を理解していなければ、なんとなく身体検査でも使用として
いるように見える官吏のいいようにされていただろう﹂
ところが、夕一は元からこの世界の言葉を理解していた。高をく
527
くっていた大延国人に反撃したというわけだ。
﹁﹃ファッキン・ジャップ﹄ぐらいわかるよ、この野郎!﹂と洗脳
官と衛兵を倒し、敵の武器を奪って脱走した。
︵いや、それは言ってないんじゃないかな?︶
楓は心の中でツッコミを入れるのだった。
528
#2
﹁おれが元々こちらの世界の人間で、まさか出戻ってきたとは連中
も思いもしなかっただろう﹂
夕一は口の中に侵入するワードワームを噛み砕いて呑み込んだ。
﹁え! 食べちゃったの!?﹂
﹁支配された振りをしてチャンスをうかがったんだ。しばらく状況
を観察して、異世界から召喚された人間はみんな特別な異能を得る
ことを悟った。おれだけではなかったんだな﹂
言わば、特殊能力を持った傭兵たち。
﹁じゃあ、夕一は自分が特別な力を持っていることに最初から気づ
いていたわけ?﹂
﹁そうでなければ、脱走しても先に召喚されていた召喚戦士たちに
成す術も無く殺されていただろう﹂
大延国の召喚戦士の恐ろしさを知っている一同は沈黙した。
﹁よく、そんな連中と渡り合えたわね﹂
﹁おれはイストモスの出身だ﹂
楓の知らぬ国の名だった。ただ、それだけでこの世界の人間には
理解ができたようだった。
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﹁イストモスの男は勇猛果敢で知られます。生まれた子どもは全て
戦士として育てられる。ただ者ではないと思っていましたが﹂
リリーナはイストモス人がどういった民族がよく知っているよう
だった。
﹁イストモス⋮⋮﹂
楓は後に知ることになる、イストモスが悪名高い戦闘民族だとい
うことを。例えるなら、ドラゴンボールのサイヤ人みたいなものだ。
﹁おれは十二歳まではイストモスの騎士として訓練を受けていた。
その後は楓も知っての通りだ。日本人として暮らすうちに、だんだ
んと考え方も変わった﹂
そう言ったとき、ふと夕一が楓の知る﹁いつもの﹂彼にもどった
気がした。
﹁十二歳のとき、何があったの?﹂
﹁十二歳のとき⋮⋮おれは結婚をした﹂
ガシャン。杯が三つ割れた。リリーナと楓とローズウィップがカ
ップを床に取り落とした。
﹁リーダー⋮⋮マジ?﹂
﹁ど、どのような方と結婚されたのですか、あ、結婚と言っても国
同士の政略結婚とか、親同士の決めた許嫁なんてこともありますね﹂
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リリーナのような王族であれば、本人の意思と無関係に結婚を強
いられることもあるだろう。
﹁うーん﹂
夕一は言いづらそうなことを言おうとして、なんにもない方向に
目をそらした。
﹁⋮⋮おれの奥さんはエルフだった。夏の国、古都アルシェロンの
集落で出会った﹂
﹁エルフ嫁か、やるなリーダー﹂
無表情で口をへの字に曲げた仲間の一人が初めて言葉を発した。
﹁アルシェロンって言ったらハイエルフじゃないか。人間と結婚す
るなんて珍しいな﹂
﹁そんなに珍しいことなの?﹂
楓の言葉に答えて曰く。
﹁﹃エルフの嫁は金のわらじ﹂を履いて探せということわざもある
ぐらいよ﹂
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#3
﹁夕一﹂は秋年家の父が娘の宵子に倣って漢字を当てた。イストモ
スの少年騎士ユーワンは、七歳になると親元を離れて他の子どもら
と共同生活をしながら軍学を学んだ。
さと
彼の初陣は他の者より早く十二歳となった。それまで実戦は訓練
の一環として郷の民に害を加える猛獣の狩猟などを行うことがあっ
たのみだった。
ある日、彼と二人の仲間は馬を駆り、いくつかの国の土地を横断
しながら、書状を届ける任務についていた。
そこで遭遇した事件。
∼緑深き妖精たちの国∼エリスタリアの夏の国で、エルフの住ま
う森が蹂躙されていた。
﹁姉様!﹂
幼いエルフの少女、クレプスキュールは羽交い締めにされたまま、
姉が男たちの前でひざまづく様から目を背けることを許されず、首
とあごに手をかけられ、その方向を直視させられた。目を閉じよう
とするも、姉の悲鳴に目を開かずにいられなかった。
父たちの不在を狙って略奪者たちは現れた。もともと温厚なエル
フの長老たちでは訓練された人買いの隊商と、その雇われ兵たちに
太刀打ちできなかった。
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﹁爺様たちが⋮⋮﹂
母たちが叫び声を上げ、我が子に手を伸ばそうとするが兵士たち
の太い腕が彼女らを組み伏せる。
﹁傷つけるなよ、値が下がる﹂
エルフの細い腕を荒縄が縛り上げ、あまりの力に骨折させられる
blir
u
者までいた。捕われた少女の一人が、隙を突いて攻撃魔法の詠唱を
行った。
som
vinden﹂
person
av
en
blader
﹁Kirisake
ren,
男たちが手に握る、女性たちを縛る縄を風の刃が両断した。
その勢いは一人の兵士の顔まで切り裂いた。
﹁グがぁ!﹂
痛みに顔を押さえるが手の隙間から流血がしたたり。逆上した男
は、詠唱を行った若いエルフに斬り掛かり、凶刃が勇気ある少女の
背を襲った。
斬り伏せられたエルフにとどめを刺そうとする兵士に、家長の老
エルフが短剣でサーベルを受け止めた。
若いエルフならば兵士とも渡り合えるが、老人の短剣では敵の攻
撃を二振り受け止めるのが精一杯で、袈裟懸けの一閃は齢三〇〇年
を超えたエルフの生涯を閉じるのに十分な致命傷となった。
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髪を掴まれ引きずられた姉の悲鳴は消え、くもぐった苦しそうな
うめき声に変わった。
﹁姉様から手を離せ!﹂
まだクレプスキュールには、姉が何をさせられているのかわから
なかった。しかし、不浄な行為で、姉が誇りを奪われようとしてい
ることだけは理解できた。
エルフは長命だが、クレプスキュールはこの世界に生を受けてま
だ十一年しか経っていない。
ただ村を覆い尽くす悪意の奔流に呑まれ、涙を流すのみだった。
姉のノアは二〇年は生きているというが、人間で言えばいまがち
ょうど思春期のオトメである。人間に比べ、エルフは感情の起伏が
乏しいと言われるが、この時期になるとエルフの男と恋をすること
もある。
まだそういった相手に出会っていないノアは、こちらの世界の少
女で言えば、中学生に上がり立てほどの性の知識しか持ち合わせて
いない。
学ぼうと思えば学べるものだろうが、牧歌的なエルフの両親はあ
えて自分たちから娘たちに教育をしていなかった。
ノアは口に押し込まれたものを吐き出そうとするが、力任せに頭
を押さえつけられている。
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︵だれか、助けて!︶
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PDF小説ネット発足にあたって
http://novel18.syosetu.com/n1022w/
異界嫁日記 ∼幻色美女図鑑
2014年11月11日00時45分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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