十一 章 『伊勢物 語』二 十 三段の 表 現 ―「 けこの う つ は もの にも り

十一 章
は じめに
『 伊 勢 物 語 』 二 十三 段 の 表現
― 「 け こ の う つ は も の に も り け る 」 の 解 釈と 和 歌 の 役 割 ―
本章では、『伊勢物語』二十三段の、高安の女による、「手づからいひがひとりて、けこのう
つ は も の に 盛 り け る 」 と い う 行 為 と 、 高 安 の 女 が 詠 ん だ 二 首 の 和 歌 が ど の よう な 役 割 を 担 っ て
い る か に つい て 考 察 す る 。
高安の女の行為は、男が高安の女を嫌悪し、通わなくなった直接的な要因であるとされてい
る が 、 平 安 末 期 成 立 の 『 唐 物 語 』 中 の 「 孟 光、 夫 の 梁 鴻 に よ く 仕 ふ る 語 」 と い う 話 を 参 考 に 考
察を試みれば、実はこ の行為がさほど下品な行為ではないことを明らかにしたい。また、「け
こ 」 は 、 現 行 の 「 笥 子 」で は な く 、 竹 岡 正 夫 、 山 本 登 朗 両 氏 が 考 察 さ れ た よ う に 「 家 子 」 と と
るべきこ とを併せて 論じて 、「けこ のうつはもの」に盛ることについての私見を提示しつつ、
高安の女が詠んだ二首の和歌について も考察したい。関根賢司氏は 、「物語の本文は、歌を掲
げて「とよみけるを聞きて、かぎりなくかなしと思ひて」と書かれているのだから、男は、そ
の 歌 に よ っ て 「 か な し 」 と い う 思 い を 触 発 され 、 ふ た た び 愛 が よ み が え っ た 、 と 考 え て も よ い
(1 )
であろう。」と述べて おり、当該章段を「歌徳説話の構造をそなえて いる章段」として 理解し
て い る 。 し か し 、 高 安 の 女 の二 首 の 和 歌 が 存 在 して い る た め、 当 該 章 段を 歌徳 説話 と して は
説明できな い。大和の女の詠んだ歌の徳をクローズアッ プするならば 、『大和物語』一五七・
一五八段、『今昔物語』巻三〇・十二の「住丹波国者妻読和歌語」などのように、一方の女、
つ ま り 高 安 の 女 が 歌 を 詠 ま な い 設 定に し た 方 が わ か り や す い だ ろ う 。 な ぜ 、 高 安 の 女に 二 首も
の和歌を詠ませたのかということは非常に大きな問題であり、当該章段において和歌が担う機
能を 明 ら か に す る こ と に な る と 思 わ れ る 。
まずは、今まで、二十三段がどのように論じられてきたかを示したい。
一 『伊勢物語』二十三段研究史―何がテーマとされてきたか―
二十三段について書かれたいくつかの論文に言及することで、何を中心に二十三段が論じら
(2 )
れてきたのかをごく簡単に見ていきたい。
まず 、秋 山虔 氏 の 論 は 『大 和物 語』 と比 較するこ とにより『伊勢物語』 の独自性に言 及し
(3 )
た卓論であるが、高安の女に二首の和歌を読ませておきながら、なぜ男は高安の女を見限った
のかということが今ひとつ判然としない点が悔やまれる。
次 に 、 後 ほ ど 言 及 す る こ と に な る が 、 野 口 元 大 氏 の 考 察 は 「 み や び 」 を 体 現 して い る か の
(4)
よ う な 男 の 判 断 に 疑 問 を 呈 し 、 高 安 の 女 に 理 解を 示 す 点 で 異 彩 を 放 っ て い る 。 し か し 、 そ れ 以
降の論 においては、概ね、二十三段は 、「みやび」を テーマとした話か、歌徳説話の系譜に連
なる話と把握されてきたようである。極めて独自性のある野口氏の論考も、この段を「みやび」
を テ ー マ と し て い る 点で は 他 の 論 考 と 一 致 して い る 。 野 口 氏 は 男 が 体 現 す る 「 み や び 」 が 形 骸
(5 )
化している問題点を指摘しているのである。
そ の よ う な 研 究 状 況 の 中 で 、 山 本 登 朗 氏 は 、 二 十 三 段 の 様 々 の 絵 画 資 料を 引 用 し な が ら 、
その享受に言及した上で 、「けこ 」について 考察する極めて興味深い論を最近出された。本論
文 と 考 察 対 象 が 重 な る が 、 論 の プ ロ セ ス と 結 論 い ず れ に お い て も 拙 論 と は 異 な っ て い る こ とを
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孟 光 、 夫 の梁 鴻 に よ く 仕ふ る 語
「けこのうつは物にもりつゝ」―『唐物語』の例―
記しておく。
二
第四
①むかし、梁鴻といふ人、孟光にあひぐしてとしごろすみけり。この孟光、世にたぐひな
く み め わ ろ く て 、 こ れ を み る 人 心 を ま ど は し て さ は ぐ ほ ど な り け れ ど 、 こ の 夫 を ま た なき
も の に お も ひ て 、 か し づ き う や ま ふ こ と 思 に も す ぎ た り け り 。 あ さ な ゆ ふ な に い ゐが ひ と
りて、けこのうつは物にもりつゝ、まゆのかみさゝげてねんごろにすゝめければ、斉眉の
礼 と ぞ い まは い ひ つ た へ た る 。
さ も あら ば あ れ た ま の す が た も な に な ら ず ふ た ご ゝ ろ な き い も が た めに は
心ざしだにあさからずは、たまのすがた、花のかたちならずともまことにくちおしからじ
かし (されどもみくゝからぬかほにはみかへにくゝこそ。
②まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくもつくりけれ、今はうちとけて、手
(6 )
づから飯匙とりて、笥子のうつはものに盛りけるを見て、心うがりていかずなりにけり。
① と して 引 用し た 文章 は、 平安 末期 成 立と推 定される 『 唐物語』中 の話で ある 。 傍線を 付
した部分 、
「いゐがひとりて、けこのうつは物にも」るという記述は、『伊勢物語』二十三段、
高安の女の行為と同一である。山本氏の指摘によれば、室町期成立の『窓の教』が『伊勢物語』
二十三段以外で 、「けこ のうつはもの」という記述が見られる最古の作品で あるとされている
が、この『唐物語』のほうが先であることは言うまでもない。
『伊勢物語』二十三段との根本的な相違点は、②として 引用した『伊勢物語』(小学館新編
日本古典文学全集)の後半部分と比較すればわかるように 、『唐物語』において その行為は妻
である孟光の夫、梁鴻に対する誠意ある対応として語られており、夫もそんな妻に非常に感謝
して いる旨 の和歌を詠んで いる。対して 、周知のように、『伊勢物語』では、男が高安の女に
愛想を尽かす行為として語られている。『唐物語』学術文庫版解説は両者を比較して、
「 つまり
『唐物語』は 、『伊勢物語』第二十三段では否定的に 理解されて いる行為を、逆に孟光の徳行
(7 )
を表すも)
のとして 機能させて いるので る。こ の点は単純な表現の援用に止まら ぬ、『唐物語』
の表 現 手 法 と して 見 逃 せ ま い 」 と 述 べて いる 。
確かに その通りで あろうが、『唐物語』にそのような表現を選び取らせた原因を考えること
が重要である。
私は 、『唐物語』の作者が『伊勢物語』で 、高安 の女の行為が男に嫌悪感を起こ させたとい
う現行の解釈をとっていないことに注目する。そもそも、実際にその行為が身分卑しい者がや
る 非 常 識 な 反 み や び 的 な 行 為 で あ る と 言 い 切 れ る の か ど う か が 問 題 な ので あ る 。
その点を考察するにあたり、まず、「けこ 」というのが現在使われている意味で のうつわもの
という意味の「笥子」でいいのかどうかについて見ていきたい。
まず、新旧の注釈書を通覧しておく。
*笥子=飯を盛る器也(『伊勢物語』校注日本文学叢書、広文庫刊行会、一九一八)
*笥子=飯もるうつは(『伊勢物語』改造文庫、改造社出版、一九三〇)
*「笥」は飯を盛る器 。「子」は、破子・樏子・の子の如く、凡て小さい器に添へて いふ
語(『伊勢物語新釈』天地書房、一九三一)
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。
*気子=飯を盛る器(『伊勢物語』誠文堂、校註日本文学大系、一九三三)
*飯櫃(『伊勢物語・大和物語』物語日本文学第二巻、一九三八)
*「けこ 」の「け」は飯を盛る器 「こ」は単なる接尾語とも「籠」の意とも言う。(『
勢物 語 』 岩 波 日 本 古 典文 学 大 系 、 一 九 五 七 )
*御飯を盛る器。うつはものは同格語(『伊勢物語』日本古典文学全書、朝日新聞社、一
九 六 〇)
*「 笥 子」は飯を 盛る 器 。
「うつはもの」容器。笥子である器の意。
(『伊勢物語』小学館日本古典文学全集、一九七二)
*「笥」は飯を盛る器。「子」はあるいは「籠(こ )」か。「器物」はそれをもう一度繰り
返して言っているのである。(『伊勢物語』鑑賞日本古典文学、一九七五)
*飯 を 盛 る 器 。 今 で 言え ば 茶 碗 。
(『伊勢物語』新潮日本古典集成、一九七六)
* 「 笥 子 」は 飯 を 盛 る 器 。
「 う つ は も の 」 容 器 。 笥 子で あ る 器 の 意 。
( 小 学 館 新 編日 本 古 典
文学全集『伊勢物語』、一九九四)
*飯を 盛 る 椀 『伊 勢物 語 』岩 波 新日 本 古典 文 学大 系 、一 九 九七
(
)
以上の諸注釈書を 通覧するに、長い間 、「笥子」と解釈され、器と理解されてきてあまり考
察 され る こ と が な か っ た と 言え る 。
(8 )
「けこ」を器とする現行の解釈に対して、竹岡正夫氏は「けこ」について詳細な用例調査を
され た 上で 、 六 点 の理 由 か ら う つは も伊
のと と る解 釈を 否 定 さ れ た 。 竹 岡 氏 が 挙 げる 六 点 の 理
由 を ま と め る と 次 の よう に な る 。
(1 )「飯がひ取りて、けこ の器物に盛りける」を 見て男が「心憂がりて行かず」なった
こ と を 、 通 説 で は 、 貴 族 の男 は 憂 く 思 っ た と 説 明 す る が 、 男 は 貴 族 だ と は こ の 一 段
のどこにも書かれていないこと。
」の字には食器などの意は全くないこと。(食物やいけにえをおくる。扶持・知
けに飯盛りつつ食へり。(うつほ・吹上・上)
家 に あ れ ば 笥 に 盛 る 飯を 草 枕 旅 に し あ れ ば 椎 の 葉 に 盛 る ( 万 葉 ・ 一 四 二 )
( 2 ) 食器 は 「 け 」 と い っ た 当 時 の 例 は あ る が 、
「けこ」と称した例はないこと。
(3 )
「
行。米・いけにえ・まぐさなどのなま物、の意)むしろ字類抄の「家口(家族)」
をこ そ取るべきであること。
の 器 」 説 を 根 拠 な く 出す ま で は 長 い 間 「 家 子 」 の 意 に 解 し て
(4)「笥子の器物」では同じことを重ねて言っていることになること。
(5)臆断及び古意が「飯
いたこと。
(6)「家子」の用例ならば、
『 竹 取 物 語』 に 見ら れ る こ と 。
(9)
試みに主要な『伊勢物語』古注・新注を通覧したが、果たして竹岡氏の述べるように、賀茂
真淵『伊勢物語古意』以前は、全ての古注が家の者を表す「家子」と解していた 。
ま た、
(2)に関しては主要な物語・日記・和歌などには「笥子」という言葉は『伊勢物語』
知家
前後の用例としては皆無である。時代が下ると、
『現存和 歌六帖』
家 と う じ を おも ふ
た か や す の み も と は は や く な れ に け り て づ から け こ の そ な へ を ぞ や る
『 殷 富 門 院大 輔 集 』
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又 け こ の う つ は も の な ど お き つ つ 、 し ひ の 葉 に も も ら ぬ に や 、 す み な れ たる さ ま ど も し
たるに
と い う 二 例 あ る が い ず れ も 『 伊 勢 物 語 』 を 踏 ま え た も ので あ る 。
竹岡氏が挙げる六点の理由は首肯できるものであり、『小学館古語大辞典』で も岡崎正継氏
執筆 の語 誌で 、
「一家眷族の者の意の「けこ(家子)」と見るのが自然で、食器としての「けこ」
の存在は疑わしい。」として いる。むしろ、現在まで の諸注釈書が、器という意で「けこ 」を
解釈して いる方が不自然と言うべきだろう。 ただ、竹岡氏の解釈は 、「一家眷属の者たちの食
器に飯を盛り分けたりして、たまたま訪問して来ている夫など眼中にもなく、糠味噌女房」ぶ
り を 発 揮 し て い る こ と を 、 男 が 高 安 の 女 の も と に 通 わ な く な っ た 理 由 と 見て お り 、 結 局 、 高 安
の 女 を ひ た す ら 夫 の 無 事 を の み 祈 る 優 雅 な 歌 を 詠 む 大 和 の 女 と 比 較 さ せ た 上 で 、 高 安 の 女 の行
為を鄙びた卑しいものとすることは従来の解釈と変わらない。
しかし、ここで 考えねばならないのは 、『唐物語』の例である。孟光は梁鴻に給仕したので
あって 、家の者のために飯を よそって いたわけではない 。『唐物語』が成立した時は、家の者
を表す「家子」しか存在していないのであるから、
「笥子」ではない。二十三段においても、
「一
家眷属の者」のために飯を盛っていたわけではなく、男のために「家子のうつはもの」に飯を
盛 っ て い た と 解 釈 し た ほ う が よ い の で は な い か 。 そ の よ う に 解 釈 す れ ば 、 男 は 「 家 子 の う つは
もの」に飯を盛られたことに嫌気がさしたということになる。その場合の「家子」は、『唐物
語 』 を 踏 ま え て 解 釈 す べ き で あ る 。 換言 す れ ば 、 二 十 三 段 で は 使 用 人 と い う 意 味 で は な く 、 家
族という意味で 捉える必要がある。しばしば、辞書に「家子」の用例として 引かれる、『竹取
物語』の例 、「しかるに禄いまだ賜はらず。是を 賜ひて 、わろき 家子に賜はせむ」も妻子の意
で あ ると 解 すべき で あ ろ う。
以上、「けこ 」を「家子」と解釈 し、高安の女は形式張った客用ではなく、親しい家族に使
用 す べ き 器 に 飯 を 盛 っ て 男 に 差 し 出 し た と す る 読 み を 示 し た 。 次 節 で は 高 安 の 女 が 飯を 自 ら 盛
自 ら 飯を 盛 る 行 為 に つ い て
って、男に給仕をすることについて考察していく。
三
ま ず 、 疑 問 な の は 、 高 安 の 女 の 自 ら 飯を 盛 る と い う 行 為 は そ れ ほ ど 品 位 に 欠 け る 行 為 な の か
というこ とで ある。私は、『唐物語』の例が特殊だとは思えない。女性が自ら飯を盛るという
行 為 は 立 派 な 家 刀 自 と し て の 姿 を 表 す も の だ ろ う 。 次 に 挙 げ る 例 は 家 刀 自 の 姿を あ ら わ す も の
ではないが、飯を盛 るという行為がそれ程品位に欠ける行為ではない証左として 、『うつほ物
語』でしばしば描かれる貴族が自ら給仕をする場面を挙げておきたい。
①大将、二ところながら御膝に据ゑ立てたまひて聞こえたまふ。
「か し こ に 侍 り つ る 子 に 、
餅 食 は せは べ るを 、 ま づ 聞 こ し め さ せて 、 お ろ し を と て な む 」
。若宮、「わが見に出でたり
しかば、宮の隠して見せたまはざりし」
。小 宮 、
「 見 せ た ま は ざ り し か ば 、 い み じう 泣 き し
かばこそ見せたまひしか。抱きしかば、うち落として騒がれき 」。大将、「さて、いかが御
覧ぜ し 。 憎 げ にや 侍 り し 」
。宮、
「否、いとうつくしかりき。こなたに率て来などせさせし
かば、ののしりて とどめき。ただ今抱きて おはせよ」とのたまへば、「ただ今は、汚げに
む つ か し う 、 な め げ な る わ ざ も し は べ れ ば 、 今 、 大 き に な り な む 時に 、 召 し て ら う た く し
「いとうれしかりなむ。遊ぶ人なくていと悪し」とのたまふ。大将、
て使はせたまへ」。宮、
手づから賄ひして、宮たちに物含めつつ参りたまふ。(蔵開・下)
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② 宰相 の 中将 、
「いと不便なること。ものの聞こえ侍れ。天下の皇子生まれたまへりとも、
さる心あるべき人か。そがうちに、若宮をば、いと心ざし深く思ひかしづききこえたまふ
ものを。この子の日、午前の物調じて、弄び物、七宝を尽くしてし設けてこそ、装束いと
う る は し く 、 賄 ひ し つ つ 、 手 づ か ら 参 り た ま ひ し か 。 さ る も の から 、 世 の 覚 え 重 し と あ る
人なれば、いささかに、ひがみたる心遣ふべうもあらざめり」(国譲・上)
(1 0)
以上の引用場面は室城秀之氏「料理する男たちー『うつほ物語』の飲食表現ー」にも引用さ
れて い る 。 い ぬ 宮 の 百 日 の 儀 に 参 加 し て い た 春 宮 の 若 宮 たち に 、 仲 忠 が 自ら 給 仕 を す る 場 面
で ある。仲忠が宮たちに給仕をするこ とは、前掲論文で 室城氏が指摘するように 、「将来のい
ぬ 宮 の 春 宮 へ の 入 内 を 、 読 み と し て 支 え る こ と に も な る 」 ほ ど 重 要 な こ と で あ る と 言え る だ ろ
う。そして貴族である仲忠が給仕をする行為がどのように受けとめられたかを如実に表してい
る場面が②なのである。この場面は、仲忠があて宮腹の若宮をどれだけ大切に扱っているかを
示す証左として、仲忠が若宮たちに自ら給仕をしたことが語られているのである。
以上の用例を鑑みれば、高安の女が男のために給仕をしたことを下品であると言い切ること
は 困 難で あ る と 考 え る 。
先 に 若 干 言 及 し た 野 口 元 大 氏 が 「 か い が い しく 手 ず か ら 飯が い を と って 夫を 歓 待 す る の は 、
この女にとって、抑えても抑えきれぬ歓びと愛情の表出だったのではないか」とし 、「久しぶ
(1 1)
りに逢う恋しい夫の身の廻りに、いそいそした妻があれこれ手を借すのは、むしろ自然のこと
でしかない」と論じられているのは興味深い 。 野口氏はさらに、「ここでは人間的な共感はす
べて 失われ、外形のみの儀礼や作法だけが評価の対象になって いる」とし 、「みやびによって
愛が虐殺」されていると読み解かれるのである。しかし、男が「みやび」を体現する存在であ
るかは議論を要するだろうし、問題なのは男は高安の女の給仕に嫌気がさしたのかどうかであ
る。男が辟易したのは高安の女が自ら飯を盛ったからではなく 、「家子」の食器に飯を盛られ
たからだとは考えられないだろうか。先ほども述べたように、その場合の「家子」は 、『唐物
語 』 の 用例 を 鑑 み れ ば 、
「 一 族 、 家 族 」 と 解 す べき で あ ろ う 。
以 上 の こ と を 踏 ま え て 「 けこ の う つは も の に 盛 る 」 の私 見を 提 示 す れ ば 次 の よ う に な る 。
(本 文)
まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくもつくりけれ、今はうちとけて、手づ
か ら 飯 匙 と り て けこ のう つは も の に 盛 り ける を 見て 、 心 う が りて い か ず な り に け り 。
(私 見)
たまたま高安の女のもとに来てみると、はじめは緊張して適度な距離を保って客人扱いし
てくれていたのに、今はすっかり気を許し、安心しきって、男を主人として自らしゃもじ
を持って家族用の器に飯を盛っているのを見て、嫌になって通わなくなった。
「高安に来て見れば」を男が高安の女を垣間見している場面と捉える見方がある。垣間見と
捉えると私見は成り立たない。確かに、大和の女を男が垣間見ている部分との対比 、「来て 見
れ ば 」 と い う 垣 間 見 特 有 の 表 現 か ら 垣 間 見 説 に 魅 力 を 感 じ な い こ と は な い が 『 唐 物 語 』 の 例を
考えれば、やはり対面していると捉えた方がよいと思うのである。
当該章段を男が「みや び」を体現して 、「みやび」を基準として 高安の女を排除する、とす
る読み取り方は再考する必要がある。それでは、当該章段を何に注目して読んでいけばいいの
だろ う か 。
- 123 -
私は、高安の女が二首の和歌を詠んでいる点に注目し、和歌を中心に見ていくことで当該章
段の新たな読み取りの可能性が拓かれると考える。現在までの研究史では、高安の女が何故畳
み か け る よ う に 二 首 の和 歌 を 詠 む の か 、 明 確 に 説 明で き て い な い 。
次節では高安の女が詠む二首の和歌が存在する意義について、構想の問題に言及しながら考
「 筒 井 筒 」 部 分 と 高 安 の 女の二 首の 歌
察す る。
四
(1 2)
もともとこ の二十三段は 、『大和物語』のように筒井筒の幼な恋の部分及び高安の女の歌二
首を 除 い た 部 分 が 、 地 方 伝 承 と して 伝 え ら れ て き た も の だ っ たと い う 説 が あ る 。 当 該 部 分 が
『古今集』巻十八・雑下の九九四番歌や『大和物語』にはなく、また「筒井 」「井筒」という
語が『伊勢物語』以前の作品には現れないということであるから、筒井筒部分及び高安の女の
歌は、作者が増補したと見てよいのではないか。
とすれば 、『伊勢物語』二十三段の作者はなぜそれら の部分を増補したのかが問題となる。
筒 井 筒 部 分 が 増 補 さ れ る こ と で 明 確 に な る の は 男 と 大 和 の 女 の 幼 な 恋 に 基 づ く 強 い 結 び つき
で ある。該当部分がない『大和物語』には明確な主題を 見出しにくく、「かなまりに水をいれ
て 、 胸 に な む す ゑ た り け る 。 あ や し 、 い か に す る に か あ ら む と て な ほ み る 。 され ば こ の 水 、 熱
湯 に た ぎ り ぬ れ ば 」 と い う よう に 、 大 和 の 女 が 水 を 入 れ た 金 椀 を 胸 に 当 て る と 、 水 が 沸 騰 し た
とか、「いとあやしき樣なる衣を着て 、大櫛を 面櫛にさしかけてをり、手づから飯盛りをりけ
り」のように、高安の女が大櫛を面櫛にしていたという興味本位の叙述で極端な対比をして、
大和の女の優位性を示しているに過ぎない。
また、高安の女の歌二首が増補された理由は、この章段が歌徳を主題としたものではないと
いうことを大和の女の和歌と対比することによって明らかにするためであると考える。男が高
(1 3)
安 の 女 の も と に 通 わ な く な っ た 理 由 は 、 大 和 の 女 の和 歌 が 高 安 の 女 の そ れ よ り特 別 に 優 れて い
た から で は な い だろ う 。 大 和 の 女 の 歌が 優 れて い たな ら ば 、 男 は 全く 河 内 へ行 か な く な る の
が 筋 だ と 思 う が 、 そ の 後 も 男 は 河 内 へ 通 っ て い る ので あ り 、 大 和 の 女 の 歌 も 歌 徳 と い う ほ ど の
効果を生じていないと考えるしかない。また、表現面においても、男が大和の女の歌を聞いて
河内へ「行かずなりにけり」と、話の最後の「男、すまずなりにけり」は同列の表現ではない。
【「行く」の例】
* そ の 通 ひ 路 に 、 夜 ご と に 人 を す ゑ て 守 ら せ け れば 、 い け ど も え あ は で か へ り け り 。
(五段)
*むかし、男、女のもとに一夜いきて、またもいかずなりにければ、(二十七段)
( 四 十二 段 )
* む か し 、 男 、 色 好 み と し る し る 、 女 を あひ い へ り け り 。 さ れ ど に く く は た 、 あ ら ざ り け
り 。 しば し ば い き け れ ど
*・・・この女思ひわびて里へ行く。されば、なにの、よきこと、と思ひていきかよひけ
れば、みな人聞きて笑ひけり。(六十五段)
【「住む」の例】
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むかし、男ありけり。いかがありけむ、その男すまずなりにけり。のちに男ありけれど、
子ある仲なりければ、こまかにこそあらねど、時々ものいひおこせけり。(九十四段)
「行く」というのが文字通りの意味であるのに対して 、「住む 」というのは女と夫婦生活を
するこ とで あ る 。 そこ に は 当然 男 女 の交 情が 含ま れて い る から 、住 ま な く な っ た と いう の は、
完 全 に 関 係 が 断 絶 す る こ と を 意 味 し て い る 。 大 和 の 女 の 歌 の 歌 徳 が テ ー マな ら ば 、 歌 が 詠 ま れ
(1 4)
た 段 階 で 「 住 ま ず な り に け り 」 で な く て は な ら な い ので は な い だ ろ う か 。 こ の 大 和 の 女 の 歌 に
関 して 、 奥 村 英 司 氏 が 「 和 歌 の 力 が 、 持 続 的 な 効 果 を 持 ち 得 な い 」 と 述 べて い る こ と は 首 肯
で き る 。 歌 徳 と い う か ら に は 一 時 的 な も ので は な く 、 詠 み 手 に 半 永 久 的 な 利 益 を 与 え る も ので
はな くては ならな い。
さらに、奥村氏は和歌の本質とは功利性にあるのではなく、人間の真実の表現であるところ
に あ る と 述 べ て い る 。 二 十 三 段 の み の考 察で 和 歌 の 本 質 ま で 述 べ る の は い さ さ か 困 難で あ ろ う
かと思うものの、少なくとも二十三段における和歌の存在理由は歌徳ではないとしてもよいと
思われる。また、高安の女の歌は男に届いていないのであるから、コミュニケーションの道具
としての機能を果たしているわけでもなさそうである。ここでの和歌は己の思いを表出する手
(15)
段として存在していると捉えるのがもっとも妥当である。その意味で、鈴木日出男氏の次の論
は 示 唆 的で あ ろ う 。
交 渉 の 回 復 の 不 可 能 を 思 い つ つ も 、 男 に訴え か け ず に は い ら れな い 女 の 心 が 、 こ の歌 に は
形 象 さ れ て い る 。 こ の 女 は 、こ う し た 男 へ の 執 心 を 詠 み 上 げ る こ と を 通 し て の み 、 そ の 人
生 を 証 し て い る こ と に な ろ う 妻と 愛 人 の 二 人 の 女 は 、 そ の 歌 が 相 手 の 感 動 を 得 て 顧 み ら れ
る か ど う か の 相 違 は あ る に して も 、 自 ら を 歌 に 封 じこ め よ う と す る 精神 に お い て は 相 違 が
な い。
つ ま り 、 大 和 の 女 の 歌 も 、 高 安 の 女 の 歌も そ れ ぞ れ 男 へ の 真 実 の 思 い が 吐 露 さ れ て い る こ と
こそが重要なのであって、男を引き留められたか否かなどは全く問題になっていないのである。
おわ りに
男が高安に通わなくなった理由、それこそが『伊勢物語』二十三段のテーマと関わるだろう。
すでに述べたが、男は高安の女の給仕自体に嫌悪感を覚えたのではなく、
「家 子 の う つ は も の 」
に盛られたことに辟易したのである。
「家子」を家族と解釈すれば、
「 家子 の う つは も の 」 に盛
るという行為はまさしく、男を家の一員として迎え入れるということではないだろうか。一過
性 の 関 係で は な く 、 半 ば 永 続 す る 関 係 に し よう と い う 意 思 表 示 こ そが 「 家 子 の う つ は も の 」 に
盛 る と い う 行 為 だ っ た ので は な い か と 思 わ れ る 。 つ ま り 、 男 が 高 安 の 女 の も と に 通 わ な く な っ
た の は 、 幼 い 時 か ら 大 和 の 女 と 強 い 結 び つ き が 有 り 、 高 安 の 女 のも と へ 通 っ た の は あ く ま で 経
済的な理由である上に一時的なものであった。当然ながら、高安の女のもとに通い続ける気な
ど な か っ たで あ ろ う 。 男 が 「 家 子 の う つ は も の 」 に 飯 を 盛 ら れ た 事 に 嫌 悪 感 を 抱 く の も 当 然 で
あ る。
当該章段は、男が「みやび」を基準として高安の女を排除し、大和の女を選択するという話
ではなく、男が大和の女が詠んだ歌に感動して、大和の女に対する愛情を回復したという歌徳
説話的な話でもない。和歌が重要であることは紛れもない事実であるが、すでに述べてきたよ
うに、歌徳という和歌の功利性ではなく、功利を超えたところにある和歌の真実性こそが問題
と な っ て い た 。 換 言 す れ ば 、 男 性 中 心 の 話 で は な く 、 精一 杯 男 に 誠 意 を 見 せ よ う と し た 女 の 涙
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ぐましい行為が語られて いる女性 中心の話として 理解すべきなのだと考える。本論文は、「け
こ 」 を 「 家 子 」 と 解 釈 す べ き 点、 高 安 の 女 が 男 に 対 す る 愛 情 を 表 出 す る 和 歌 二 首 の 存 在に 注 目
することによって、高安の女の重要性を明らかにしてきた。しかし、高安の女だけに注目する
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と し た ら 、 二 十 三 段 の 本 質 を 見 誤 る だ ろ う 。 男 に 選 ば れ た大 和 の 女 に も い ず れ 男 か ら 捨 て ら れ
る 日 が 来 る は ず で あ る 。 そ して そ の 時 も ま た 歌 を 詠 む ので は な い か 。 だ が 、 そ の 歌 は 相 手 の
心 に 届 く こ と な く 空 し く こ だ ま の よ う に 己 に 返 る の み で あ る 。 そ の よ う に 考え れ ば 、 大 和 の 女
も 高 安 の 女 も 表 裏 一 体 で あ る と 言 え る 。 二 十 三 段 と は 和 歌に 己 の生 命 を 賭 け る 女 た ち の 話 で あ
り 、 男 は 後 景 に 退 か ざ る を 得 な い 。 男 が 大 和 の 女 を 選 ん だ と い う の も 幼 な 恋 の た めで あ り 、 そ
こ に 何 か 重要 な 意味を 見い だ すこ と はでき な い。筒井 筒部 分で 大 和 の女 の男へ の 強い 思いを 語
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り、高安の女に二首の歌を詠ませることで、元妻と新妻の優劣を鮮明に印象づける二人妻説話
的 二 項 対 立 図 式 を ず ら し たと い う こ と で あ ろ う 。
二 十 三 段 か ら 「 み や び 」 を 読 み 取 る な ら ば 、 そ れ は 男 の 身 勝 手 な 判 断 から で は な く 、 男 の 愛
情 を 得 よ う と 精 一 杯 に 行 動 し た 女 た ち の 姿 勢 から で あ る と 考 え る 。
(注)
(1)関根賢司氏「化粧考―伊勢物語を読む―」(『國學院雑誌』國學院大学、一九八五・七)
』岩波書店、一九五六・十一
( 2 ) 秋 山 虔 氏 「 伊 勢 物 語 私 論 ― 民 間 伝 承 と の関 連 に つ い て の 断 章 ― 」
(『
( 3 ) 野 口 元 大 氏 『 古代 物 語 の 構 造 』
( 有 精 堂 出版 、 一 九 六 九 ・ 五 )
(4)原國人氏『伊勢物語の原風景―愛のゆくえをたずねて』(有精堂、一九八五・十一)、河
地修氏「伊勢物語「筒井筒」章段考―化粧をする女、あるいは没落貴族のこと― (
学論藻』東洋大学文学部、一九九〇・二)、田口尚幸氏「『伊勢物語』二十三段第二・三
『れ
文 も様
部の解釈 」
(『文学研究』日本文学研究会、一九九二・六)などの論がある。」
いず
々な角度から二十三段を分析する卓論で あるが 、「みやび」を テーマとする点はかわら
ない。
( 5 ) 山 本 登 朗 氏 「 伊 勢 物 語 の 高 安 の 女 ― 二 十 三 段 第 三 部 の 二 つ の問 題 ― 」
(『国文学』関西大
学 国 文 学 会 、 二 〇 〇 四・ 二 )
文学
)
( 6 ) 小 林 保 治氏 『 唐物 語 』 全 訳 注 ( 講 談 社 学 術 文庫 、 二 〇 〇 三 ・ 六 )
( 7) 同 (6 )
(8 )竹 岡 正夫氏 『伊 勢 物語 全 評釈 』
( 右 文 書 院 、 一 九 八 七 ・ 四)
(9)竹岡氏は契沖『勢語臆断』から「笥子」説が見られるようになるとしているが、これは
享和三年版本の編集者の補注を、契沖の書き込みと見誤ったものである。
( 1 0 ) 室 城 秀 之 氏 「 料 理 す る 男 た ち ー 『 う つ ほ 物 語 』 の 飲 食表 現 ー 」
(『国文白百合』所収、
二 〇〇 二 ・三 )
(11)野口元大氏『古代物語の構造』(有精堂出版、一九六九・五)
(1 2 ) 森 本 茂 氏 「 伊 勢 物 語 の 伝 承 性 ( 伊 勢物 語論 』所 収、 大 学 堂 書店 、一 九 六 九 ・ 七 )
同 『伊 勢 物 語 全 釈』 大 学 堂 書 店 、 一 九 七 三 ・ 七 ) な ど に 詳 し い 。
(1 3 ) 奥 村 英司氏 は 、
「『伊勢物語』二十三段―和歌の力を超えてー」
(『物語の古代学―内在
す る 文 学 史 ―』 所 収 、 風 間 書 房 、 二 〇 〇 四 ・ 九 ) で 、二 十 三 段 の 和 歌 を 分 析 さ れ 、 和 歌
の力の本質は、その功利性ではなく、人間のありかたそのものを言葉で表現できるとこ
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ろにあると述べている。
(1 4) 同(1 3 )
(15)鈴木日出男氏「伊勢物語の和歌」
(『古代和歌史論』所収、東大出版会、一九九〇・十)
(16 )(15)で 鈴木氏は「相手をも恨まねばなら ぬ愛人の運命も、ひとり彼女だけのもの
でありえず、明日の妻の運命でないと誰が保証しうるか」と述べている。
二人妻伝承考 』(日本放送出版協会、一九八
(17)例えば『大和物語』一五六・一五七段、『今昔物語』巻三〇・十三など。二人妻説話
に ついて は 、 檜 谷 昭 彦氏 『未 練 の 文学
〇・十二) に 詳しい。
*『竹取物語』、『伊勢物語』、『うつほ物語』、『大和物語』本文の引用は小学館新編日本古典文
学 全 集 に よ る が 、 私 的 に 表 記 を 改 め た箇 所 が あ る 。
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