2011 年度 京都女子大学 HP 用過去問題解説 国語(古文)

2011 年度 京都女子大学 HP 用過去問題解説 国語(古文)
出題の概説
本学の入試には、一般入試とセンター試験利用入試、公募制推薦入試などがあります。2011 年
の第1回では、公募制推薦入試「基礎学力検査」の国語問題を見ていき、第 2 回は、一般入試の
問題を見ていきました(2011 年度一般入試A方式1/29:現代文・古文とも)。
どの方式・日程も問題文の量や設問の数量はほぼ同一です。現代文・古文ともに問七~九あり、
B方式や後期日程も、同様に問七~九で構成されています。問題文の字数も一般的な私大並みと
いえるでしょう。
出典としては、現代文は現存の学者・評論家の批評・評論が基本で、小説は出題されていませ
ん。内容としては、近現代の文学的な文章、あるいは人間心理・芸術・思想に関するテーマの文
章が多くなっています。
古文は、平安末期から中世の日記・歌論や、歴史物語、霊験記などで、あまり有名でないもの
が多いのが、本学の出典の特徴といえるでしょう。
今回はこれまでの応用として、2011 年度一般入試A方式(1/30)の現代文と古文の問題に挑戦
してみましょう。
古
文
【問題文について】
2011 年度
一般入試 A 方式(1/30 実施)
二
しゅうちゅうしょう
2011 年 度 一 般 入 試 A 方 式( 1/30 実施)二は、歌学書「 袖 中 抄 」から出題されています。
本学の古文の出典は、平安末期から中世の日記・歌論や、歴史物語など、比較的無名なものが
多いのが特徴といえ、本文も入試ではあまり見かけない歌論の一つです。しかし、問題文には読
解に困難のない箇所が出ていますし、設問も、語彙や文法、内容理解など、基本的な事項を問う
ものになっています。【注】が本文の後にありますので参考にするよう心がけましょう。
今回の『袖中抄』は、顕昭という歌学僧が書いたもので、成立は 1185-1190 年頃といいますか
ら、平安時代の末期です。「万葉集」をはじめ、
「古今集」などの歌集や、歌合(歌人が左右に並
んで歌を詠み合い、優劣を競うもの)、さらには、「伊勢物語」や「大和物語」などの〈歌物語〉
などから和歌をひいて、それの一般的解釈や顕昭独自の解釈を加えています。今回引用されたも
のも、
「伊勢物語」にある和歌について、解釈をしています。和歌のどういう部分が問題とされて
いるのかも考えながら読んでいきましょう。
さて、問題文の構造を見てみると、最初の和歌aは、問題提起となるもので、
「伊勢物語」から
引かれています。最後のbの歌は、aの歌のテーマについて、別の内容に仕立てた和歌で、これは、
へんさん
当代きっての有名歌人・藤原俊成(平安末「千載和歌集」を編纂。定家はその息子)の作です。
a の歌の直後に、
「今案に云はく」というあまり見かけない表現があります。これは後注にある
ように、
「筆者顕昭の意見」ですね。その一行余りの文の最後に「もし大和物語に書きさしたるこ
とはこれにや(あらん)
」として、「大和物語」から、a の歌の出来た由来となる物語が次に出て
います。「伊勢物語」の和歌が、「大和物語」にその由来があるのか、とも思うでしょうが、問九
1
の文学史設問にあるように、両者は、同じ〈歌物語〉のジャンルで、ともに、和歌のそれぞれの
出来た由来を物語った(ゆえに〈歌物語〉という)ものでした。
おもしろいのは、この「大和物語」の話が、途中で途切れていることです(上の引用にも「書
きさしたる」とあります。→問一①)。物語の最後は「これに水くむ女どものわらはなど言ふやう」
とありながら、言った(歌った)和歌自体がなく、言いさしのままで終わっています(筆者顕昭
は、それが a の和歌ではないか、と想定するのです)。
う ど ね り
さて、話の内容は、ある内舎人(官人)が、仕事で奈良の三輪山まで行くとき、途中の「井出」
の里で、たいへんかわいらしい女の子がいるのを見つけた。女好きな内舎人は、その子に帯をさ
しだし、その子の帯には、
「将来私と結婚して下さい」と書きつけた。女の子はその言葉を忘れな
いでいた。月日が過ぎて、男(内舎人)がまた、その地に出向くことになった。大和へ行く途中
の「井出」あたりに宿をとると、そこの井戸で水を汲んでいる女たちの子供がいて、言ったこと
には…(ここで本文は途切れ)。
その後に当然、言った(歌った)話があるはずなのですが、ないのです。それで顕昭が、
「伊勢
物語」にある歌はそれではないか、と検証するのです。その a の歌を見ておきましょう。
山城の
井出の玉水
手にくみて
たのみしかひも
なき世なりけり
(山城の国の井出の玉水を手にすくって手飲みをした。そしてあてにしていた甲斐もない二人
の仲であるなあ)
「山城」の国は現在の京都府、「玉水」とは清らかな水のことで、現在地名にもなっています。
「たのむ(頼む)」は、あてにする・頼みにする、
「かひ」は価値・値打ち、
「世」は、男女の仲(大
事)の意味です。
【設問および解答方法について】
古文は、現代文に比べ、内容読解の設問が少なく、古語や文法、文学史など、知識問題が多い
のが特徴と言えます。設問の構成を見ていくと、問一は語彙(古語)、問二は品詞の識別(文法)、
問三は空欄補充(陳述の副詞)、問四は識別(動詞の活用の種類)、問五は現代語訳(解釈)、問六
は説明問題で、ここが内容設問になっています。問七は例文の空欄補充。これも内容問題です。
問八・九は文学史の設問です。
せっかく本文の内容解説をしたところですから、内容に関する設問から見ていきましょう。
問六は、波線部「推量」についてです。冒頭 a の歌の由来を顕昭が〝推量〟しているとして、そ
の歌の「たのみしかひもなき世なりけり」を根拠に、その時の状況はどういうものであったと考
えているかをたずねています。ここは、いま解説したように「あてにしていた甲斐もない二人の
仲であるなあ」と、男女の関係(仲)のたよりなさ(頼みがいのなさ)を嘆じているのです。
さて、歌の詠まれた「状況」ですが、ここは途中で終わっている「大和物語」の最後の部分に
まず注目です。そこには、「これに水くむ女どものわらはなど言ふやう(言ったことには)」とあ
ります。歌は書かれてありませんが、次に、筆者顕昭のことばが続いています。
「今案に、もしこ
のことかなはぬやうに言ひければ、この『たのみしかひもなき世なりけり』といふ歌をば詠みけ
るにや」と、
「推量」しています。
「状況」はこの中から読み取れます。
「わらはなど」はどのよう
に言ったのでしょうか。それは、顕昭のことばの「もしこのことかなはぬやうに言ひければ」
(も
2
しかして、このこと(=結婚)が思い通りにならないものだと(子どもたちが)言ったから)、こ
の男(内舎人)は、「たのみしかひもなき世なりけり」と歌を詠んだことになります。すなわち、
結婚は成就しなかった(果たされなかった)と子どもたちに言われた、それに男は歌を詠んだ、
ということになります。これに適合する選択肢は、オの「女との約束は果たされることはないと
言われたので、男は歌を詠んだ」になります。
結局、この歌は二人が結婚できないのは、
「男女の仲」というもの自体の頼み難さであるという
ことを言っていますが、ふつうに考えてみれば、交通も住所もはっきりしない当時にあっては、
幼い女の子との結婚は、もともと難しいことだったでしょう。男は、
「色好み」であり、たまたま
かわいい子を見つけたので、
「大きくなったら、結婚してください」という気まぐれな言葉を口に
したのでしたが、言われた女の子は、その言葉をいつまでも胸に抱いていて、たまたまやって来
た男を、「玉水」の地の子供たちがはやしたてた、ということでしょう。
問七は、この a の歌とは反対の内容の b の歌について、設問にしています。b の歌は、次のよ
うなものでした。
解きかへし
井出のした帯
行きめぐり
あふせうれしき
玉川の水
(かつて交換した帯を解いて返して、玉川の水が戻るように、井出の下帯が元に戻ってきて、
結婚できたことはうれしいことだなあ)
あ ふ せ
*「あふせ」は「逢う」と「逢瀬」(男女が逢う機会)の掛詞。
さて、この歌の説明文の空欄
丙
には、和歌の技法の一つ、「縁語」(解答)が入ります。
縁語は、掛詞と同様、和歌の修辞(技法)の一つで、互いに関係(縁)のある語句を意識的に
並べたてる技法、です。例えば、
「雨」なら、それに関係のある「降る」
(「経る」も掛ける)、
「涙」
が出てきたら、それの縁語として、
「流れ」「水」を意識的に並べるのです。
この b の歌でいうと、次の下線部が互いに縁語の関係にあります。
解きかへし
井出のした帯
行きめぐり
あふせうれしき
玉川の水
つまり、
「した帯」の縁語として、
「解き」
「めぐり」
「あふ」が用いられているということです。
要するに縁語は、言葉遊びの一つとして、関連のある語句を並べたてる技法で、口語訳自体には
反映できません。
空欄
丁
すが、空欄
は、「『あふせうれしき』は、
丁
丁
のよろこびを表している」という文脈にありま
には、「あふせ(逢瀬)」の現代語が入ります、よって、「再会」
(=男女が逢う
お う せ
こと)が入ります。あるいは「逢瀬」(とも現代語でいいます)でもいいでしょう。
あ ふ せ
「あふせ」は(注)でも書いたように、「逢う」と「逢瀬」(男女が逢う機会)の掛詞にもなっ
ています。恋人どうしである男女が「逢う」
(動詞)ということと、その出逢いの機会(名詞)の
両方を意味しているのです。そして、掛詞の二つの意味のうち、一方が縁語の関連として使われ
ることも多いのです。
さて、残りの設問も簡単にふれておきましょう。
問一は古語解釈。①の「書きさしたる」は、正解はイで「中途で書きやめた」の意味になりま
す。「~さす」は「止す」と書くように、途中でやめることを意味する接尾語です。「~しかけて
やめる」などと訳します。
②の「女よりきたり」の「より」は助詞ではなく、「寄り」と書く動詞です。「近寄る」の意味
3
で、正解はアの「女は近寄って来た」となります。オは「女に寄りそってきた」の「に」が違い
ます。
問二は品詞の識別問題。基本的な問題で、これは正答しなくてはいけません。A の「る」は、
「契れる」と、「契る」という四段動詞の已然形に接続していますから、「る」は、完了の助動詞
「り」(サ未四已接続)で、ここでは連体形です。よって、正解はウ。
B の「に」は「ありけるにや」に使われているもので、終止形にすれば、
「ありけるなり」とな
るものです。よって、断定の助動詞「なり」の連用形。正解は、アです。
C の「ぬ」は、
「持たせていぬ」とあって、
「持たせて/いぬ」で文節が区切れますから、
「いぬ」
は自立語で、助動詞・助詞といった付属語ではありません。当然「往ぬ」と書くナ変の動詞の一
部です。正解は、オです。
D の「れ」は、
「同じ使ひにさされて」の「さされて」ですから、
「さす」の活用語尾ではなく、
助動詞です。受身の「る」の連用形ですから、正解は、エです。
問三は空欄の補充設問。甲・乙は、ともに、陳述の副詞(呼応の副詞)が入ります。
「
甲
こ
とをとこ(異男)したまふな」の「な」(禁止)があるので、禁止の呼応とわかります。「ゆめ~
な」(決して~(する)な)の呼応関係で、正解はオの「ゆめ」。
乙は「
乙
もありぬべき」とあって、
「いかにもありそうな」の意味です。正解はイの「さも」
で、直訳すると、「そうも」「そのようにも」となります。「ありぬべき」の「ぬ」は、推量(「べ
し」)の前にあるので、強意の用法です。「きっと、いかにも」などと訳せますが、口語では訳出
しない場合もあります。
問四は文法の設問。動詞の活用の基礎問題です。波線部 W の「ゐ」は「ゐてこ」と使われてい
ます。漢字で書けば、
「率て来」で、
「連れて来い(おいで)
」となります。当然「率る」は、ワ行
上一段動詞ですので、正解はアの「似る」です。
問五は現代語訳。波線部 X「われにあひたまへ」を現代語訳するのですが、これは、ある一語
の意味さえ知っていれば、簡単に出来ます。「あひ」の意味ですね。むろん「逢ふ(会ふ)」です
が、これには、「出会う」の意味以外に、古文では、「男女が契る」、つまり「結婚する」、の意味
があります。昔は、男女の出会いはあまりなく、会えば、それは夫婦になることだったのです。
よって、解答としては、
「私と結婚なさりなさい」などとなります(むろん、「~たまふ」という
尊敬の補助動詞も訳出のこと)。
問八・九は文学史。藤原俊成は「千載和歌集」の撰者で、平安末期(院政期)の歌人。藤原定
家は、その息子で、
「新古今和歌集」
(1205 年成立)の撰者でした。院政期の人は、オの西行です
ね。「伊勢物語」「大和物語」と並び称される〈歌物語〉は、エの「平中物語」です。
【勉強法のアドバイス】
以上、解説してきたことに典型的に表われているように、古文では、基本的な古語の習得や、
文法(特に助動詞・敬語)の学習を怠りなくやっておくことが不可欠です。また、今回出てきた
ような掛詞や縁語などの和歌の技法は、意味と同時に、有名な例(用法)も教科書・文法書で覚
えておくとよいでしょう。
4
入試が近づいてきた今、古文の読み慣れということに力を傾注しましょう。まず、登場人物を
おさえ、貴人であるか否か(敬語で確認)をつかみます。筋の展開は、設問のリード文や、後注
に注意して、合理的な理解をはかります。結論としてどういう話だったのかも把握します。これ
らは、設問の選択肢にもヒントがありますので、それらに注目するのも手でしょう。
時間が限られているのはあなただけではありません。勉強法に、簡単な近道などないはずです。
古文は、こつこつとした日ごろの努力が報われる科目です。文法力の基礎、古語の語彙力、全体
の読解力を、過去問で十分おさらいしておきましょう。
「解説」はしっかり読んで、マークすべき
ところは、文法書や辞書で確認しておきましょう。
5