丸山眞男を読む会 渡辺浩『日本政治思想史』 第九章~第十一章 2011-1-22 第九章 一 文責:萩原稔 反「近代」の構想――荻生徂徠(1666-1728)の思想 人と著作(p176-p178) 父は 5 代将軍綱吉に仕える医者、綱吉の不興を買って房総半島に移住。のち再び江戸へ。 : 「御 城下」の変貌に気づく契機となる。 8代将軍吉宗に仕え、独特の思想体系を形成。朱子学の批判者(仁斎との近接性)、政策提言 (白石との近接性)。ただし徂徠は仁斎の経書解釈や白石流の改革を批判。 二 方法(p179) 経書の読解の際、その言語の歴史的文脈とともに、異国の言語であることを意識。 「広く読書して中華の古えに浸り、さらに現代の日本を古えの中華に見立て、なぞらえて、 みずからを文章化・詩化する」 三 → 信奉者の増加。 道(p180-p189) (一) 聖人 「聖人」は模範的人格者ではなく傑出した統治者。ゆえに内面の修養によって「聖人」にな るという発想を否定。 「道」とは「聖人」たちが「建立」し「制作」した統治のための社会制度・政治制度を指す。 ① 衣食住などの技術 ② 「五倫」 :倫理・道徳 ③ 礼楽刑政。あくまで実定法としての 「道」。聖人を超越する規範はない。 (二) 性・人情・気質 聖人の「道」は人間の根本的な社会性を前提。 また、人間の共通した感じ方・考え方・行動の仕方を「人情」と呼ぶ。――習慣への傾斜、 上下関係の安定による堕落と疎隔など。それをふまえて支配をおこなうことが「先王の道」 。 さらに、人間の生まれつきの「気質」を重視。 「適材適所」論の再登場。被治者には「学問」 は無用、基本的徳目のみで十分。安全・安心の一生の保障こそが重要。 (三) わざと陰謀 それを実現する上で重要なのは「物」=諸制度、 「わざ」=具体的な行為の型。それに沿って 行動することにより「心」が作り変えられる。為政者の人格でなく制度に依拠した統治。その 制度に従わせるために「天」と王朝の祖先神を活用。 ただし、「聖人」(ないし統治者)は、統治を安定させ、支配の永続を願うためには「仁」で なければならず、「安民」を心がけなければならない。:聖人の自己利益と人民の利益の一致。 (四) 循環 中華古えの聖人の制度体系=「道」 、人類共通の統治の模範。その根拠:統治の成功。 ただし、その王朝も、太平による奢侈化などによって滅ぶ。――人体のサイクルとの近接性。 四 仕掛(p189-199) (一) 療治 吉宗への提言、徳川王朝の「病ノ根本」を治すための「立替」の必要性。 (二) 人ヲ地ニ着ル ―― 「治ノ根本」という意識。 ・ 治安の回復と確保:流動性や「自由」を制限。江戸の拡大防止や戸籍の整備など。 ・ 武士の知行地居住:百姓との接触。貨幣経済化にともなう奢侈化→衰退へのサイクルをと どめる上でも必要。 ――人間関係の固定化による相互監視のシステムが安定した秩序を生むという発想。 (三) 礼法ノ制度 身分に対応した「礼法」の確立。資源の有限性を念頭、上下関係の安定の上でも必要。 (四) 代リ目 白石の政策を批判、武家の困窮を救う政策を実施したのち大改革の準備を始める。 東照宮参拝を機に「立替」を実施。――「鬼神」の活用。 <結論> 「荻生徂徠の思想の根幹は、とくに『近代的』と呼ばれる立場の逆、ほぼ正確な陰画である」 (p197)――「反進歩・反発展・反成長」 「反都市化・反市場経済」さらに「反自由・反平等・ 反啓蒙・反民主主義」が一貫。 第十章 一 無頼と放伐――徂徠学の崩壊 焦燥 (p200-p202) 徂徠の期待にもかかわらず、彼の提言は実行に移されることはない。 → 「天下国家ヲ治 ムル道」を学んだ徂徠学者はどのように行動すべきなのか? 二 崩壊 (p202-p209) ① 諦めずに政策提言を繰り返す:太宰春台 ② 脱政治化:服部南郭 「民ノ情合」を知らなければ統治はできないという認識――かえって政治から遠ざからざる を得ないという苦悩。 ③ 無道徳化 道徳性への無関心と冷笑――徂徠学に内在する道徳的修養への軽視と連動。 結果、そこから「徂徠学=放蕩無頼」という印象も生まれる。 徂徠が「道」を人造物としたことが問題とする意見も。(広瀬淡窓:「掛リ合ヒノ無キ人」で ある中国の「聖人」が作ったものを「命ヲ棄テヽモ其教ヲ守ル」ことは不可能ではないか?) ④ 徂徠学への懐疑 「乱世」を予告した徂徠、しかし現実に「三代ニモマサルベキ」太平が続く。 「制度」を変える必要がない理由:日本人の優秀性に帰す(服部南郭、賀茂真淵、太田錦城 など) 三 → 中国に対する日本優位論、国学の台頭へと結びつく。 放伐――山県大弐(1725-1767)の思想(p209-p215) (一) 人と著作 甲府の下級武士出身、山崎闇斎の孫弟子と太宰春台の弟子に学ぶ。 日本武尊とその妃の顕彰碑の建立。明和事件により処刑。著書『柳子新論』 (二) 『柳子新論』の主張 徂徠学との近接性。 「聖人」による衣食の術などの制作。ただし古代の天皇を「聖人」とみな す点で大きな特色。 「禁裏」=「中華風の君主」(儒学者にも見られるイメージ)、ゆえに武家の政治は「先王」 の「礼楽」や「衣冠」の失墜。→現状批判へと結びつく。 「武」の尊重が結果的に流動化、都市 化、商業化を生むという視点。徂徠との共通性、ただし究極的には徳川政権の打倒へ。 「放伐」は「仁」のための「刑罰」。それは諸侯でなくとも可能とする。強い「扇動」。 「両都向背之論」への批判に対する、現実の「天朝」 「兆民」の苦境の指摘。――禁裏による 「文」なる統治の実現、 「放伐」による「立替」を意識。 第十一章 一 反都市のユートピア――安藤昌益(1703-1762)の思想 人と著作(p216-p220) 都市と比較した農村の貧窮。冷害と飢饉。 安藤昌益:八戸の町医者、著書『自然真営道』など。村人への影響の強さ。 既成の教えへの強い批判。独特の造語・表記など。 二 土活真と転定(p220-p221) 「道」:「転(天)」と「定(海)」の営み、その中央に「土」がある。 それらはすべて「気」からなり、始めもなく終わりもなく不断におのずから連動して万物を 生成。儒教的自然観との近さ。 しかしこのような「転定」の運行、万物の生成を昌益は「直耕」と称す独自の議論を展開。 ――「活真(イキテマコトナル)」による「大いなる掘り返し、農作業」とみなす。 「万物」の「互性」:二項対立的な「二別」の否定。「男女」=「ヒト」として一体。 三 男女(p222-p224) 「男女」 : 「転定」に生じ、その在り方を体現。=「小転定」。ゆえに「直耕」すべきもの。穀 類に限定した食事の推奨など。人倫の基軸は「夫婦」。西洋の「一夫一婦制」を好意的に紹介。 → このような人の在り方は万人共通:「上下貴賤」の区別や「不耕貪食」を否定。 四 自然ノ世(p224-p227)――「君」=強盗のいない世 人は「転定」と一体。皆が「直耕」に従事。 「統治者は問題の解決者ではなく、原因」 (p225)。 商業、貨幣、職人、音楽、遊芸、医術、宗教などの不要。さらに「欲心」もないため飢饉も 起こらないとする。――農民だけのユートピア、徹底した反都市の思想。 そして、当時のアイヌの在り方を理想の世として位置づける独自の発想。 五 法世(p228-p229) 「自然ノ世」から転落した原因――「聖人」 「釈迦」などの「悪人」の出現。儒教・仏教など も盗人の自己正当化のイデオロギーに過ぎない。 「法」は彼らの私利私欲のための道具。同時に 権力争奪をめぐる「暴力」の出現。 六 → 徂徠の主張の裏返し。 復帰(p229-p232) 「自然ノ世」への復帰――儒教・仏教などの「他国ヨリ来ル迷世偽談ノ妄教」を捨てれば「初 発転神国ノ自然」に帰する。ただし暴力ではなく、少数の「正人」による変革。また、 「上」が 「直耕」に回帰することを「次善」の策として構想。 「耕道」に怠るものを罰する「邑政」だけ で十分に治まるという主張を展開。 これを実現する上で自身の著書の力を信じ、かつ「正人」としての復活を予見?
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