木と快適性 - 静岡県

「木と快適性」
みやざき よしふみ
森林総合研究所 宮崎良文氏
「木の快適性を科学する」
。これが今日の私の話の要約になります。まず、人と、木材を含めた「自然」との関係を
考えてみます。人はホモサピエンスとしてのヒトになって500万年たつわけですが、産業革命以降を都市化とか、
人工化の時代とした場合、我々は自然の中に99・99%以上いたことになります。そして、進化という過程を経て
今の我々の体ができているわけです。ですから都市化された、人工化された社会にいるのですが、自然対応型の身体
にできている。これが私の基本的な実験、研究仮説です。
図 1 自然と人間の関係
木材とヒトとの相性の良さとか同調している状態を調べるには、十数年前までは、主として質問紙、紙に書くとい
う方法しかなかったのですが、ここ数年、急速に脳の活動や血圧、脈拍といった自律神経系の活動を使って測定でき
るようになってきました。人の体を使って人が木材と快適な関係を保っているかどうかということが分かり始めてき
たのです。今日は、ここ15年ほど続けてきた木材と五感に関わる話をかいつまんでお話ししたいと思います。
例えば、図1に示すようにスギのチップの香りをかいだ時のデータを典型例として示しますと、においをかぎ始め
ますと脳の活動が鎮静化する、血圧も下がる。主観的には快適で、自然であると評価する。そういうことから全般と
して解釈をすると、スギの香りというのはヒトをリラックスさせるといってよいだろうと。そういう流れで研究して
います。
引き込みという事も非常に重要な要素なってくるだろうと思います。例えば、何か植物やお花があると近づきたく
なるということをわれわれは経験するわけです。
理由はないけれども引き込まれていくという…。
快適性については、
いろいろな定義があります。私は快適性とは、お互いに引き込み合うという同調であると考えております。いろいろ
な状況において使える言葉だろうと。
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写真 1 の 1 実験風景
測定について、私が使っている方法を紹介させていただきます。脳波のα波というのをお聞きになったことがあると
思いますが、α波はより積極的な個人の価値観によって変化していくといったものにはほとんど使えないのです。ス
トレスの評価には何とか使えますが。今、私が使っているのは近赤外線分光法と言って、光を使って脳の活動を測定
する方法で、静岡県の浜松ホトニクス(株)がこの分野をリードしています。前頭部から近赤外光という赤っぽい光
を入れます(写真1の1)。光の量は太陽光の1/10程度で極めて微弱です。そうしますと、血液の中にあるヘモグ
ロビンによって光が吸収され、戻ってきた光を検出します。血液がそこにたくさんあると戻ってくる光が少なくて、
少ししかないとたくさん戻ってくる。それをみることによって血液の状態が分かる。血液がたくさん流れているとい
うことは、脳が活動しているということです。一秒ごとに脳の活動状態をみることができるということです。
一例ですが、暗算をさせますと、最初、3×7とか、やさしい問題を出しているとほとんど動かないのですが、1
1×12とか、少し頭を動かすことをやっていくと血液が増えてきて、90秒ですから大体 3 問ぐらいやっているの
ですが、例えば、この辺りで132×158という問題を出すと、活動をあきらめてしまって下がるという、こんな
変化が取れるということです(図2)
。
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図 2 近赤外線分光分析法による暗算時の脳活動(宮崎良文他 第 50 回日本木材学会大会研究発表要旨集 184 2000)
もう一つ、血圧、脈拍に関しても指先で測れるタイプのものが出来ています(写真1の2)。これも1秒ごとに連続
的に測定できる。血圧にしても脳の測定にしても非常に簡便にセッティングできるということです。例えば木のにお
いをかぐ実験では、チップを入れておきまして、においをかぐのですが、10秒程度でセッティングできます。
杉のチップをかいだときの結果ですが、においをかぐことによって血圧が下がっていく。しかしにおいですから嫌
いだという人は必ずいます。
「好きグループ」と「嫌いグループ」に分けますと、
「好き」と答えた人の血圧の下がり
方は大きくなります。これに対して「嫌い」と答えた方は普通ストレス反応を起こしますので血圧は上昇するのです
が、
「嫌い」と答えても下がりはしないが血圧の変動はないということです。要するに生理的にはストレス反応を起こ
さないということが分かる。
人の体が自然対応型に出来ているというということを反映していると私は考えています。
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写真 1 の 2 指先を用いた血圧と脈拍数の連続測定
脳の活動に関しましても、鎮静化していくということです。つまり、基本的な考え方として、われわれは人工的な
環境下にいて、われわれ自身は気が付いていないが常に緊張が高すぎる状態にいるのだということです。ですから脳
の活動が鎮静化したり、血圧が下がったりしますと、それが本来の人のあるべき姿に近づいて、それをリラックス感
という言葉でわれわれは表現しているんだろうと。それが快適であるという状況を生みだしているというのが、私の
研究仮説です。
視覚の実験を紹介します。これは静岡工業技術センターとの共同研究ですが、カーテンを開くと、白い壁だとか、
ヒノキの壁がセッティングされています。大きい実物大のものを作って生理的な変化を見ることが非常に重要です。
白い壁、ヒノキの壁を見てもらい、主観的な評価を紙に書いてもらいますと、ヒノキの壁では抑うつ感とか疲労感と
か負の感情尺度は減少する。それに対して白い壁は抑うつ感とか怒りといった感情尺度が上昇する。あくまで気分的
なものですが、こういうことが分かりました。
図 3 ヒノキ材壁板を見た時に
“好きである”
と評価したグループの収縮期血圧の低下
(兼子知行、
宮崎良文他 第 48 回日本木材学会大会研究発表要旨集 213
1998)
その時の血圧の変化を見てみますと、ちょっとフシが多すぎる板を使ったこともありまして、好きな人、嫌いな人
がいます。好きグループを見てみますと、有意に血圧が下がる(図3)
。嫌いグループは下がったり上がったりしてい
ますが、トータルとしては変化がないと評価しています。つまり不快であると評価しても血圧が上昇しない。ストレ
ス状態にはならないのです。白い壁に関しては、上昇する傾向にはありますが、血圧は有意には増えない。しかし、
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白い壁が14人のうち2人だけ好きという人がおり、その人の血圧が下がるのです。嫌いと答えた人は血圧が上昇す
るということが分かりました
(図4)
。
つまり白い壁といった人工物の場合は好きか嫌いかによって血圧が下がったり、
上昇したりするが、ヒノキの壁の場合、好きだという人は血圧が下がるが嫌いと答えてもストレス状態にならないと
いうことがわかりました。木のにおいの実験の場合と同じ結果であると。やはり人の体が自然対応用に出来ているこ
とを反映していると私は解釈しています。
図4 白壁を見た時に
“嫌いである”
と評価したグループの収縮期血圧の上昇
(兼子知行、
宮崎良文他 第 48 回日本木材学会大会研究発表要旨集 213 1998)
次に住友林業(株)との共同研究ですが、実際に8畳の部屋を木材率、デザインなどを変えて作りました。この部
屋に車椅子の乗せた被験者を連れていって目を開けさせるということをしてみました。その時の血圧の結果を見ます
と、木材率によって好きな人、嫌いな人、いろいろでるだろうと予測したんですが、学生を使ったものですから、自
分の下宿よりすべてがいいということで、みんないいという評価になってしまったんです。でも人によってはどちら
でもないと答えたり、快適だと答えたりしましたので、個人の価値観によってどれだけ変わったかをみてみました。
そうすると、
「快適だ」と答えた人は血圧が減少する。
「どちらでもない」と答えた人は変わらない。自然、人工とい
う尺度で「とても自然だ」と答えた人は血圧が減少する。
「どちらでもない」と答えた人は変わらないということが分
かりました。
脳の血液動態にしましても、
「特に快適」であると答えた人は脳が活発に亢進します(図5)
。
「変わらない」と答え
た人は変わらない(図6)
。つまり、快適群においては、脳活動は亢進するが血圧は下がりリラックスした状態になる
のに対し、「どちらでもない」と答えた群においては、脳活動も自律神経活動も変化しない。同じ刺激を受けても個人
の価値観によって全くその生理的な反応は異なるのです。これから我々はプラスαを求めた、木材本来の良さを活用
していかなければいけないわけですが、個人の価値観が重要視されるべきであることが分かります。
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図5 主観的な快適感の違い(”特に快適群”)が脳活動に及ぼす影響(佐藤宏、恒次祐子、宮崎良文 第 50 回日本木材学会大会研究発表要旨集 186 2000)
接触に関してはこのあと、櫻川先生から詳しい説明があると思いますので、塗装の話だけをします。ポリウレタン塗
装という厚い塗装をしたり、
オイルフィニッシュで木材のでこぼこ感を残した塗装をしたりして実験をしてみました。
主観的には「無塗装」
、
「オイルフィニッシュ塗装」
、
「金属」
、
「厚い塗装」において、好き、嫌いに関してはっきり分
かれました。
「無塗装」
、
「オイルフィニッシュ塗装」は快適であると評価され、
「金属」
、
「厚い塗装」は不快であると
感じられていました。血圧の変化に関しては(図7)
、無塗装とオイルフィニッシュ塗装の場合は、接触後の血圧の上
昇が小さく、
すぐに接触前値にもどります。
それに対してスギウレタン塗装と金属では血圧がもとの状態に戻らない。
ストレス状態が持続しているわけです。このように金属とウレタン塗装は非常に近い変化をする。ですから汚れ、傷
の問題はありますが、その時々に応じてその人の価値観に応じて材料を使っていくという使い方が今後重要だろうと
思われます。
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図6 主観的な快適感の違い(”どちらでもない群”)が脳活動に及ぼす影響(佐藤宏、恒次祐子、宮崎良文 第 50 回日本木材学会大会研究発表要旨集 186
2000)
足で触ったらどうかということになりまして、足触りに実験をしてみました。たくさん接触した素材の中から、毛
足の長いカーペット、無塗装のフローリング、畳が主観的に快適であると評価されました。そこで、その時の脳の活
動をみてみますと(図8)
、同じように快適と評価されてもヘアータイプのカーペットの場合には触った時点から脳の
活動が鎮静化していく。木材の場合は触っただけでは変化しないが、足の指で撫でさせたら脳活動が亢進するという
メリハリのついた変化が認められた。木材は人に優しくて、興味深い材料であるといわれますが、それを反映してい
るのかも知れません。畳はちょうどこの間の変化です。同じように快適といわれてもこれだけ脳の活動には違いがあ
るのです。用途別の使い道だとか、個人の価値観における使い道ということのヒントなると思います。
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図7 塗装の違い収縮期血圧に及ぼす影響(宮崎良文他 第 41 回日本生理人類学会誌 Vol.4 特別号 51-52 1999)
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お話しさせていた
図8 足裏への接触が快適感をもたらす素材の脳活動に及ぼす影響(0∼60 秒までは受動的に接触し、60∼90 秒までは指で撫でることによって能動的に接触)
(佐藤宏、宮崎良文 日本生理人類学会誌 Vol.5 特別号 第 43 回大会要旨集 48-49 2000)
無理矢理かもしれませんが、木の樽を使ったウィスキーの実験もやってみました。実際に市販されているウィスキ
ーを使い、0・1ミリリットルですが、舌の上にぽとんと落とします。事前の予備実験で、ウィスキーを飲んだ後の
後味に近いことが確かめられています。舌の上にウィスキーの味が来ますので血圧は上昇する(図9)
。普通のウィス
キーの時には元に戻るのに49秒かかりました。一方、そのウィスキーにスギ樽貯蔵したウィスキーをブレンドした
ものをつくりました。そうすると血圧がすぐに元に戻るのですね(図10)
。つまり、ここの差はスギの抽出物によっ
て起こされた血圧の抑制だということです。しかも、被験者のアンケートの結果では、この2つは同じものを口に入
れられたと感じていたのです。しかし、生理的にはこんな違いが取れるようになりました。脳の活動につきましても、
同じような結果が得られました。スギ材の抽出物が生体を鎮静化させるように作用したと考えられます。ウィスキー
は個人の価値観が重要視されるものですので、いろいろなタイプのものがあった方が良いと思います。木材もうまく
こういうところにも使っていければいいじゃないかと思っています。
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図9 モルトウィスキーの味覚・嗅覚刺激による収縮期血圧の上昇(森川岳、宮崎良文他 日本生理人類学会誌 Vol.6 特別号 第 45 回大会要旨集 76-77
2001)
図 10 スギ樽貯蔵ウィスキーの味覚・嗅覚刺激による収縮期血圧の変化(森川岳、宮崎良文他 日本生理人類学会誌 Vol.6 特別号 第 45 回大会要旨集
76-77 2001)
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お話させていただいた中で2つポイントを挙げますと、
1つは主観評価とは合う場合もあれば合わない場合もある。
しかし合わない場合、自分は不快だといっても生理的にはストレス状態にはならないということです。そこは木材の
大きな優位性だろうと考えております。2つ目としましては、これから木材を使っていくうえで、個人の価値観とい
うものが非常に重要視されるし、そのようなデータがわれわれの研究の中からも出始めているということです。
大慌ての講演になりましたが、ご静聴ありがとうございました。
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