Nara Women's University Digital Information Repository Title 千歳松関係和歌資料:「古梅園造墨資料」翻刻と解題(6) Author(s) 的場, 美帆 Citation 的場美帆:古代学(奈良女子大学古代学学術研究センター)、第 6号、pp.64(11)-57(18) Issue Date 2014-03-31 Description URL http://hdl.handle.net/10935/3617 Textversion publisher This document is downloaded at: 2015-02-01T00:26:21Z http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace 千歳松関係和歌資料 |﹁古梅園造墨資料﹂翻刻と解題︵6︶| 的場美帆︵奈良女子大学︶ 本稿では、古梅園造 墨関係資料の第六と して、千歳松関係資料のうち和歌資料につ いてとりあげる。 れ候やうに﹂ ︵﹃古梅園記録﹄や円照宮御染筆書状︶という 一文が、 書状や御染筆の 添付紙片に記されている。その 言葉どおり、現在も古梅園において、漆塗りの文箱に 保管され、大切に伝えられてきた。なお、紙数の都合上、千歳松関係書状については 別稿にて論じる。 一乗院二品尊昭親王 ︵4︶御筆千歳松之御歌 は、 ﹃新古今和歌集﹄巻七賀 次に、本稿で取り上げる各資料について詳しく述べていく。 ︵資料ご 歌に収められている凡河内朗恒の歌︵題しらず、七 一六番︶ である。 この資料自体に ﹁勅銘千歳松之事﹂には、次のようにある。 ﹃古梅園記録﹄ ︵1︶巻之一 御染筆を拝領した日付は記されていないが、関係書状に﹁去年﹂ 古からは造られなくなった。しかし、中国において紙の主流は唐紙と呼ばれる竹製の 畑 ・油畑の両方が造られていたが 、油畑墨に比べて松畑墨は品質が悪かったため、中 三七︶年であるため、元文一冗︵ 一七三六 ︶年に賜った 御染筆資料である ことがわかる。 せた、とある。これにより、円照寺宮様 ︵5︶から 和歌懐紙を拝領したのが元文 二 ︵一七 より賜った和歌懐紙の 写しを、今回、染筆を願っている ︵資料四︶ の執筆例として見 一乗院門跡尊昭親 王 墨には松畑 ・油畑の 二種類があり、中国では松畑墨を上品としている。 日本でも松 紙であり、唐紙は松畑墨と相性が良かった。その松畑墨の製法を復活させたいと 、古 ﹁丁巳︵元文 二年︶六月﹂に ︵資料二︶干歳松御銘御寄山村へ願進候時書状下書 は、 ﹁千歳松﹂が読まれている 和歌 三首 の覚書下書きである。 同封の 書状によれば ︵資料三︶円照寺宮干歳松之御和歌 この三首 の和歌を右筆に依頼し、清書した後に慈眼を通じて円照寺宮様へ依頼 してい る。 これにより元文 二年十月十八日に 、 ︵資料五︶干歳松大字 は ︵資料三︶ の和歌と共に拝領したとある。 ﹃古梅園記録﹄巻之一に記載されている﹁千歳松、三大 の本歌が 一 記されたものである。 御染筆和歌懐紙を賜った。また 、 ︵資料四︶円照寺宮干歳松之御和歌︵二︶ は ︵資料 ︶ ニ 字、円照寺宮様、御染筆被下候。﹂もので ﹃古梅園記録﹄では 、勅銘拝領願が叶ったことを知らせる書状との関連から、 享保五 ︵資料八︶ 以外にも、七代元葉︵ 一七 一六一 七 6 4 梅園五代当主 ・松井元規︵ 一六五九| 一七 一九︶は和漢の 書を繕き、研究と改良を重 ﹃古今秘苑﹄の製墨法を参考にして﹁唐墨ニ似付程ニ出来﹂た松畑墨を完 ねた。そして、六代元泰︵ 一六八 九|一七四一 二︶が和泉接に任ぜられた正徳三 ︵一七 二 二 ︶年、 成させる。 五 ︶年五月に、 一元泰は﹁朝日山﹂という煎茶銘を後水 この 二年後の正徳玉︵ 一七 一 一七三二 ︶ のもとへも届けられていた 墨 の勅銘拝領を願い 出る。 これが一冗泰 三十 尾天皇に賜った例を挙げ、新造直後から御所御用として第百十 二代霊一元天皇︵ 一六五 四 ﹁千歳松﹂の勅銘を賜ったという。 冗泰編﹃士口梅園墨譜﹄ ︵2︶亨集 ・御墨式に収録されてい 二歳の享保玉︵一七二O︶年の冬に許され、 銘墨﹁千歳松﹂ の墨拓は 年の記事の一つに挙げられているが ︵資料一ニ︶ 円照宮様の御染筆和歌が元文 二年 に る。その図柄は、 二匹 の龍が向かい合ったもので 、大墨 の次に掲載されていることか ︵資料六︶干歳松和歌井序 は、古梅園の依頼に答えて、法橋良弘が詠じた 千歳松の和歌と序文である。同様に、歌僧の似雲 ︵一六七 三|一 七五 三︶が千歳松を そして 送られているため、 享保五年から一元文 二年 の聞に賜ったものと考えられる。 ﹁三字芳名降鳳闘二家美誉遍神洲 らも、古梅園を代表する銘墨 の 一つであることがわかる。 また﹃古梅園墨譜﹄の千歳松には、 ﹁天龍妙製﹂ ︵3︶という説明が付さ ︵資料七︶ 寿ぎ詠じた和歌が ︵資料七︶似雲作和歌短冊 であり、他 にも ︵資料八︶友雲作和歌短 これら ︵資料六 れている。現在、古梅園文庫に所蔵されている願書 の下書きにも、霊元天皇から勅銘 ︵﹃古梅園記録﹄巻之 一︶や﹁いよ/\家のたからとせら 冊がある。 殊ニハ天下ノ宝被奉存候﹂ を賜ったという記述が見られる。そして、千歳松の勅銘は﹁子々孫々至迄冥加至極、 ︵ 三字 の芳名、鳳闘より降る。 一家の美誉、神洲に遍し 。︶ ﹂ σ コ J 、ノ \ / It\ 11i tEi 八二︶編集の﹃古梅園墨譜後編﹄玄集︵ 6︶には、銘墨﹁千歳松﹂を将軍に献上した際 の讃が複数収録されている。その中には、徳川吉宗の奥坊主として仕え 、江 戸冷泉門 一六 八 九 一 七 六O︶ の和歌もある。信遍は ちとせの蚕のすみの畑に一と詠じている。なお、 の有力な歌人であった成島信遍︵道筑、 ﹁おろかなる筆にも名をや立そへむ ﹃古代学﹄第 5号、奈良女子大学古代学学術研究センタ ー編 、 松井氏と信遍との交流は、別稿︵﹁﹃成島道筑老御問之返書﹄﹁古梅園造墨資料﹂ 翻刻と解題︵ 5︶|﹂、 二O 二 二 年三月︶に譲る。 以上のように、現在まで千歳松関係資料は古梅園文庫で特別な箱に収められ、大切 凡例︺ 一、書誌については 、各資料中で触れた。 一、翻刻に際しては、以下の事項を除き、原本の表記に従うことを原則とした。 一、旧字 ・異体字 ・清濁 ・改行は原則として本文通り記した。 一、闘字 ・平出を含め、字間 ・行間・改行については原本の体裁に従わなかったとこ ろがある。 一、表示できない文字は口で 一 不し、その文字構成を︵ ︶内に 示した。 一、各底本の画像を上段に掲載し、該当の書誌・翻刻を下段に記した。但し、和歌短 ﹁千歳松﹂ の勅銘を賜わると 一、私に通し番号を附した。 一、改行箇所は/で示した。 冊と﹁千歳松大字﹂は 、まず画像を 挙げ、直後に該当の 書誌 ・翻刻を記す。 製法を復活させて完成させた松畑墨が天 皇に認められ、 ﹁千歳松﹂墨自体も、その に保管されている。 これらの資料は皇族から下賜されたということはもちろん、古の いう最高の評価を受けたことを示す資料である。そして 前掲注︵ 2︶ (12) 勅銘にふさわしい優れた 墨であるという世間の評価であったことと、広く墨造りの名 霊一克天皇の第十四 皇子 ・尊賞親王。 和 歌 キーワード 古梅園 里 ニヱニ 6 3 家と しての地位と評価を受けていたということを示す、 一つの重要な資料であるとい えるだろう。 i三四号、平成十七i十九年三月 ﹃叙説﹄ 一二一 一 大谷俊太 ・久 岡明穂 ・的場美帆 ・豊田恵子﹁﹃古梅園記録﹄翻刻と解題﹂︵上 ・ 中 ・下 ︶ 霊元天皇の第十皇女 ・永属女王 。 十五世 ・松井淳次発行、平成五年︶による。 3 元葉編﹃古梅園墨譜後編﹄、 五巻、安永 二 ︵一七七 ︶年刊。 二 一 4 解説﹃士口梅園墨譜﹄ ︵2︶﹃古梅園墨譜﹄四巻、寛保 二 ︵一七四 二︶年刊。書き下し文は松尾良樹訳注 注 5 6 ︵資料一︶ 1 一乗院二品尊昭親王御筆千歳松之御歌 1 パ 勺 4ム ’ 札ぜ むg Fj刷、 fh / 、 ー と / EJ ノL ’ 司JF/l 7h 。 ゐ 7A Z 回 詩 附 ︶ 主 ︵ 一紙。未装丁、竪紙、布目斐紙。縦 % ・o m×横的・ 2 m。包紙上 書 に ご 乗院 二品尊 昭親王御筆/千歳松之御歌﹂とある ︵翻刻︶ 千歳ふる/おのへの/松は/秋かせの 書こそ/かはれ/いろは/かはらす (13) ~ jjhd45 m ︵資料二︶千歳松御銘御寄山村ヘ願進候時書状下書 b タ冶 そ’ Fd− 多必ベめっサ︶ 勺点、の科病ソ 今 わ り z J P jbbJ 移4 T h ︶ 4p VUうみ ま争各 izit ゑh 47 JZ tJ ︵ 主 回 詩 附 ︶ 一紙。 未装丁 、 折紙 、椿 紙。 縦凶 ・3 m ×M ・3 m。包紙上書に﹁千歳松御銘之 宝治百首 足曳の 山とし高き峯におふる/千とせの松のかけそ久しき 京極殿にて松有春色と/いふことをかふせられ侍りけるに そ 為経 春雅/初瀬臨 川﹂とある 。 同じ包紙の内に慈眼宛和泉書 状 一通の下書 きも 御寄/山村へ願進候時丁巳六月十 三 日/御返事﹂、包紙裏書 には﹁南都椿井 町/松井 和泉按様 含む。 ︵ 翻 刻 ︶ 嶺松 玉葉集 建仁 三年 六候入道前太政大臣 君か代の春にしあへは常磐なる/ちとせの松もかけそそへけり 皇太后宮大夫俊成 為秀 玉つはき千とせの松もとりそへて/君をそいはふしつの小やまて 康永御合同 幾かへり松の千とせの其ま﹀に/かはして君もかけをならへん (14) マう? d L J υwv字 7yt 三件人え宅ふり 7vr ; ‘ 7P Afv今 1 6 マタはすー ら ノ行︷勺付Rノ明ヘヲ行 吃 、 − ふ ろA jLA z h 全 A︶ γム デ タ フ ηーの少やずに 11qib−−m A五 工ク 五今 わ門ふ ふdm・ 4 , r 法 q今 5 τy 11ノωil へ1 ・ ∼ 1会 幻9 、 7 ψ 6 1 ︵資料三︶ 円照寺宮干歳松之御和歌︵ご U ’ ’ 山内 回 詩 附 ︶ 主 ︵ 。 一紙 未装丁 竪紙、布目斐紙。縦日 ・7 側 × 横 0 ・7 叩 。添えられている 一 紙片に﹁円照寺宮 様御筆/元文 二年丁巳十月十八日拝領/千歳松之御和歌 ﹂とある 。 記したもの 。 新勅撰和歌集巻七 の藤原長能の和歌を 一 ︵翻刻︶ 君か世の/千とせの松の/ふかみとり さはかぬ/水に /影はみえつ﹀ (15) 乃 lhvっ −﹂/少、 Jjゾ Lアベ! 、火 、 め ぞ ︸y 6 0 イf ω ふ 。 仇L7 F W え ふ ︵翻刻︶ 新勅撰第七/賀の部 長徳五年左大臣家歌合に 君か世の千とせの松の深/みとり さはかぬ水にかけは/みえつ﹀ ︵資料五︶干歳松大字 回 詰 附 ︶ 主 ︵ 一紙。未装丁、竪紙、椿紙。縦兜 ・lm×横列 ・l m。包紙上 書 ご 乗院 二品尊 藤原長能 元 文 二年巳十月/乾蓮渓筆﹂とある。 御筆/千歳松御寄の本歌/ 一 ) 主 附 詩 ( 回 昭親王御筆/千歳松之御歌﹂とある。﹁普門主人﹂﹁大味口︵人篇+住+心︶之章﹂ (16) ︵資料四︶円照寺宮千歳松之御和歌︵二︶ " 牟 仰 様 宮 × 寺 照 円 横 「 紙 一 未 縦 裏 に 書 装 丁 、 竪 椿 幻 お 端 明 6 8 ・ 。 の朱印 二頼。享保五年冬以降、元文 二年までに 書かれたものか 。 ︵翻刻︶ 千歳蚕 5 9 ぐ 、 の ω 6 す 4 路 ; l . o t ~ ~ の ん / 1 賀 Q 量 ~ j を ぜ { a ぅ み系 ? / 〉 修 合 ' 1 る b 容拡よ F ︵資料六︶千歳松和歌井序 をノ . , , 宏 7ιj マ L﹃ 円 、 ・ ﹀ \ ﹃ 、 即 ・ ﹄ & 42 サ る毛 1揚白 Y内ヘ干 i b キlj i ?Z 刈 つ h トjJ 21、十﹄イサ Uhd﹂司雪量 争み w 1 . Lf U Jιvl‘,可, 寸 う 同 ‘ ,サ! jd託金! JZr 与を畢汚 ziY 7JZ J匁 え鳴子多しれをL ぶe v よ j;宮33ふ ? 4 M 卸士、1 アイタ勺t作f怒 F 81内t毒年事与三 ;’ i 各 /E w− ム句S 一紙 未装丁、椿斐交漉︵雲母引蓬色押 し葉模様入︶ 。縦 お・ 8 m×横 河・ 8 m。 回 詩附︶ 主 ︵ 。 ︵ 翻 刻 ︶ 青 丹よし奈良のさと古 梅園の主は世を累ねて 造墨 の名家なる中にも 近きほと奇製寸園の大 墨なとつくり出て其名ま たかく雲 の上まても す/il きこえあけてかしこくも 天覧をふるあまり 別製 なる玄香に銘をさへ下 し たまへるはたとへもなき 誉 れにこそあなれ。 その 墨 千年松と 言 へるを予にも めくまれてうたによめと す﹀めらるれは口つ﹀みかた 法橋良弘 ひと しほのいろふか﹀れや名にたてる 千年の松の春のかすみは (17) ? り 議 ゑ く て 1¥ 会~~ 会 一枚。縦幻 ・o m×横 5 ・5 m。似雲 ︵一六七三|一 七五 三︶ 0 ︵資料七︶似雲作和歌短冊 ︵ 書誌 ︶ 打曇 文様短冊、 ︵ 翻 刻 ︶ 千歳松の/御墨 に 似雲 ~ ;( 友雲 一枚。縦幻 ・8 m×横 5 ・4 m。友雲 は不明。 ? ?<r ~ ~\ ︵資料八︶友雲作和歌短冊 ︵ 主 日 斗 誌︶ 打曇 文様短冊、 千歳松と/いへる名の/ 墨を 命なかき硯にそふる 墨なれは ︵ 翻 刻 ︶ 考 U なをも千歳の松といふらし 三・ヂヲ (18) する墨の色はかはらしいつ迄も 千歳の松の名にしおひなは 5 7 勅 銘
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