相模湾初島沖メタン湧水域に生息する巻貝・ツブナリシャジクの卵

相模湾初島沖メタン湧水域に生息する巻貝・ツブナリシャジクの卵カプセル
○ 渡部 裕美 1,木下 吟 2,山本 啓之 1,2,藤倉 克則 1,奥谷 喬司
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1 海洋研究開発機構極限環境生物圏研究センター、2 広島大学大学院
熱水やメタン湧水の活動域に生息する化学合成生物群集は,深海底において基礎生産を担い,海洋
生態系に有機物を供給する役割の一翼を果たしている.しかしながら,一般的に利用される生態の観
察法(継続的観察や飼育実験)を深海生物に応用することは難しく,生活史や基礎生産の実態には不
明な点が多い.新生腹足上目に属する腹足類の多くは,基盤上にカプセルを作りその内部に受精卵を
産み付けることが知られている.この卵カプセルからは,腹足類の繁殖生態や発生,浮遊幼生に関す
る情報を得ることができる.一般的な観察法が利用できない深海生物にとって,卵カプセルの同定は
生活史を知るための有効な手段である.
過去の深海化学合成生物群集の調査によって,クダマキガイ科 Phymorhynchus 属の卵カプセルが東
太平洋および大西洋の熱水噴出域から 2 例報告されている.日本周辺では,相模湾初島沖メタン湧水
域にツブナリシャジク Phymorhynchus buccinoides が生息している.本研究では,ツブナリシャジクの
卵カプセルを同定し,同属他種と比較することでツブナリシャジクの生態的特徴を明らかにすること
を目的とし,NT06-04 航海においてツブナリシャジクの分布を観察するとともに,成体および同所的
に分布する卵カプセルを採集し,卵および卵カプセルのサイズ,1 つのカプセル内の卵数,DNA 塩基
配列を明らかにした.また,卵数の計数やサイズ計測には,過去に同海域から採集されていた同形の
卵カプセルも使用した.
ツブナリシャジクの分布域で観察された卵カプセルは,長さ 1cm,幅 5mm 程度の烏帽子型の卵カ
プセル 1 種類のみであった.このカプセル内の卵と成体ツブナリシャジクの DNA 塩基配列を比較し
たところ全く同じであったため,私たちはこの烏帽子型の卵カプセルをツブナリシャジクのものと同
定した.単一の卵カプセルにはほぼ同一の発生段階の受精卵あるいは幼生が含まれていたが,同時に
採集された卵カプセル間では受精卵からベリジャー幼生まで発生段階が異なることが明らかになった.
このことから,ツブナリシャジクは,他の多くのクダマキガイ類と同様,ベリジャー幼生後期あるい
は幼稚体になるまで卵カプセル内で成長するものと推測される.更に,過去の標本調査からは,様々
な季節に卵カプセルが採集されていることが明らかとなったため,ツブナリシャジクの産卵には季節
性がないと予想される.また,ツブナリシャジクの卵カプセルのサイズは,熱水噴出域で採集された
Phymorhynchus 属の卵カプセルと比較すると約 2 倍であり,卵数も多いことが明らかになった.熱水
噴出域では,噴火のような生物群集にとって壊滅的な環境変化が起こることが知られている.熱水噴
出域の Phymorhynchus 属は,リスクの分散のためにメタン湧水域に生息するツブナリシャジクと比較
して,少数の卵を多数の小型の卵カプセル内に産み付けるのかもしれない.