理科系クラブOB会第6回

うえだ 81 号 P5
理 科 系 班 OB会に
人参 加
NHK気象キャスター 関嶋梢さんも
昨 年、 N H K の 気 象 キ ャ ス
ターである関嶋梢さんが母校
天文班のOBであることが判
明した。当OB会では「来年こ
夫(
)関嶋梢(
)
)廉
)竹内雅
)滝沢裕雄(
)、天文班の吉澤壮夫(
成沢広行(
澤誠司(
) の 各 氏。
典( )、生物班の堀内忠久( )、
電 気 班 の 石 井 則 男(
次回は2011年8月末に開催
す る 予 定 で す。 案 内 状 を 送 り ま す
え、すばらしい景観だった。
広がり、雲の切れ間に八个岳が見
見えなかったが、諏訪湖が眼下に
の で、 こ れ ら の 班 に 多 少 で も 加 入
馬 宿 へ。 義 仲 の 馬 を 洗 っ た と い う
清水で手を洗い、のどを潤し、一
路、 中 山 道 を 歩 き、 本 山 宿 に 着
訪宿本陣は京風数寄屋造りの客殿
を3回まわって一息入れた。下諏
にたどりつき、万治の石仏の周り
藩の番所で、女改めと木曽木材の
第 回は、 月 日、贄川駅か
ら、木曽路北端の贄川宿へ。尾張
満足だった。
期)
した人はご連絡ください。 第 回は、8月 日、セ氏 度
[email protected] の炎天下を、塩尻駅から桔梗が原
のブドウ畑の中の道をたどり、洗
電話
046-285-1086
幹事長 高橋福幸(
次を歩く︵4︶
電気班は今回が初参加で、残るは
写真班だけである。
中山道
く。 本 山 は そ ば 切 り 発 祥 の 地 と の
と 庭 園 が 往 時 の ま ま に 維 持 さ れ、
密移出を取締ったという贄川関所
こ と。 そ ば づ く し の 宿 場 御 膳 に 大
公 開 さ れ て い る の が す ば ら し い。
が復元されている。
回は、御柱祭が終わって静か
日。長久保宿の落
展 望 台 か ら は、 あ い に く 富 士 山 は
た。 清水計枝(
期)
口には義仲と巴の像が並んでい
挙兵の地。義仲館が建てられ、入
歩き道だった。宮ノ越は木曽義仲
車がビュンビュン走るので最悪の
次 の 宮 ノ 越 宿 入 口 ま で の 道 は、
旧中山道が国道に吸収され、大型
薮 原 宿 で は「 お 六 櫛 」 の 効 能 を
聞かされ、買い求める。
く越えて薮原宿へ。
峠を熊よけ鈴を鳴らしながら難な
弥次喜多も泊ったという旅籠
「 ゑ ち ご や 」 に 泊 り、 翌 日、 鳥 居
れ栄えた街並みが今も残る。
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そ彼女に参加してもらえるよ
長久保宿から宮ノ越宿まで
人になりました。だんだん、にぎ
そして、疲れたわれわれを秋宮の
になった5月
の宿場が今に残る。
れた和田峠に向かう。和田峠頂上
10
うに幹事長は交渉せよ!」との
や か に な り、 楽 し い 歩 き 旅 で す。
真新しい御柱が迎えてくれた。
中山道の旅は、 月で 回を数
え、参加者も実人員 人、延べ
合橋でバスを降り、和田宿まで歩
漆 器 の 里、 平 沢 を 通 り 奈 良 井 宿
へ。かつて、奈良井千軒、と呼ば
第
く。沿道のバス停はかやぶき屋根
第 回 は、 下 諏 訪 か ら 塩 尻 峠 を
越 え て 塩 尻 宿 ま で。 塩 尻 峠 の 上 の
分野)が参加していたので、高度
和田宿は幕末の大火で焼失した
が、和宮降嫁を受けて再建された
で街道情緒たっぷり。
予定した会場では狭くなってしま
で幅広い分野にわたる異業種交流
ず、和気あいあい実に有意義で楽
ができ、年齢差
い、急きょ隣の「浜の母や銀座店」
日に開催
とのことで、本陣、旅籠屋など昔
に会場を変更して8月
しい一夜であった。
旧旅籠屋だった本亭旅館に泊
り、早朝、中山道一の難所といわ
参加者は恩師の清水周先生(
期 ) を は じ め、 化 学 班 の 中 島 宏
への道は険しいけれど良く整備さ
) 大 塚 教 夫(
)河原田和
(
ところが、下諏訪宿までの下り
道が悪路で大変だった。下社春宮
高1600㍍の頂上に着いた。
れていて、石畳みの道を歩き、永
) 児 玉 三 明(
)濱村邦
29
53
84
)宮原廸
夫(
) 高 橋 福 幸(
)中澤晃(
13
決議がなされた。あまにも有名
で多忙を極める人なので、恐る
恐るお誘いした。
「案ずるより産むがやすし」
で、快く参加を承諾してくれた
上に、同世代の天文班OB2人
も誘って参加してくれること
になった。この結果、今回は総
人 も の 参 加 者 が 得 ら れ た。
13
歳をものともせ
勢
64
69
10
14
代人馬施行所、東餅屋で休み、標
雄(
山瑛一(
59
56
11
29
)矢嶋瑞
47
した。
最 初、 中 島 宏 氏( 化 学 班 ) に
小講演「中国概観」を行なってい
年の歴
ただいた。さすがに元共同通信社
北京支局長である。建国
史と最近の諸問題の概観を分かり
やすく説明された。
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夫( )萩原清人( )古平明尚
次に、初参加者7人を中心に自
己 紹 介 を 行 い、 懇 親 会 に 移 っ た。 ( )清水文彰( )
、物理班の丸
今回も、学位を有する者7人(5
51
12
93
82
53
93
64
56
93
10
22
58 57 55
34
64
58 56
53
82
51
82
29
60
58
奈良井宿
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