燃料不足に思う カトマンズの燃料事情 ネパールは相変わらず、交通混雑

燃料不足に思う
カトマンズの燃料事情
ネパールは相変わらず、交通混雑と喧騒とホコリと人ごみの町である。それが、今回の訪問で
は、車が少なく、すいすいと走る。いつもなら空港を降りてリングロード(環状線)に乗ると車が
混雑しているのだが、全く混まない。それもそのはず、新しい憲法に関してネパール南部のイン
ド系の住民が騒ぎ、それに呼応してインドが燃料の供給を止めているからである。燃料はインド
から陸路で入ってくる。中国からの道が今回の地震で寸断されているので、インドからの物資供
給が生命線である。それなのにインドが規制をかけ、また、インド系のテライの住民がデモを行
っているので、インドから入ってくるタンクローリーが普段の 1 割とのことである。これでは、
当然、ガソリンの供給が間に合わない。それで、車は普段の 3 分の 1 も走っていない。道が走り
やすいことは良いが、これで経済が成り立つのか心配になる。夕食を食べたレストランも、プロ
パンガスが手に入らないので、薪で調理したとのことである。薪は手に入るらしいが、レストラ
ンの厨房にかまどがあることが何とも面白い。カトマンズ市民も買い置きのプロパンガスが底を
尽き、そろそろ薪で調理する家庭が出つつある。ただマンションの住民は部屋で薪を燃やす訳に
もいかず、いかんともしがたい。
石油のスタンドは長蛇の列である。給油まで 1 日も 2 日もかかる。軽油のスタンドにはトラッ
クとバスの列、ガソリンのスタンドにはタクシーとバイクの列、個人の乗用車はほとんど見かけ
ない。長時間並んでも満タンにはしてくれないらしい。停電が頻発する上に燃料不足、日本なら
大変深刻な話であるが、ネパールの人達は別に慌てふためいているようでもない。ただ、スタン
ドに入ろうとする車の列が一車線を塞ぐので、時に渋滞を引き起こしている。
豪雨災害で陸の孤島と化したカトマンズ
1993 年にも同様な事態に遭遇した。この時は政争が原因ではなく、集中豪雨による土石流と地
すべりならびに斜面崩壊で、インドからの道路がすべて寸断されたことによる。200 万人もの人
口を擁する首都カトマンズが孤立したので、燃料不足や食糧不足などが市民の生活を直撃した。
その時も石油スタンドには長蛇の列が出来ていた。しかし、それでも住民はさしたるトラブルも
なく、生活していたように思う。
日本であれば大変な騒ぎになることであろう。あっと今にコンビニやスーパーの生活物資は売
り切れ、住民はパニックに陥る。実際、昭和 49 年のオイルショックでは砂糖とトイレットペー
パーが瞬く間に店頭から姿を消した。別に、これらの物資が不足しているわけでもなかろうが、
噂が噂を呼んで、市民がパニックに陥り、不安感から買い占めに走ったのである。東日本大震災
の際も首都圏であっという間にミネラルウォーターが姿を消していた。それと比べると、ネパー
ルの人達は平静というか呑気である。石油スタンドの前で 1 日でも 2 日でも待ち続ける。国民性
の違いであろう。
チャイナロード
ネパールの主要な道は外国の支援によっている。カトマンズからインドに抜ける道が 3 本ある
が、一本目の道はインドの支援、二つ目の道は中国の支援、そして、もう一本は日本の支援によ
る。また、カトマンズから観光地ポカラにつながる道やカトマンズ市の環状線も中国の支援によ
っている。中国的なデザインの国際会議場といい、中国の支援がひときわ目立っているように感
じる。
今回の調査では、チャイナロードを国境まで走った。チャイナロードの終点であるネパールと
中国の国境は川で隔てられている。中国からヒマラヤ山脈を越えてネパールに流れ込む川は深い
V 字谷を作っている。そこに、架かっている橋の真ん中の地点が国境である。ネパール側から見
る中国の住居は鉄筋コンクリート造りである。片やネパール側は粗末な作りである。川一つを隔
てて豊かな国と貧しい国が向かい合っている。今回の地震による落石で、橋の床版に穴が開いた
とのことで、元々の橋の上に応急で、仮設の鋼橋が架けられていた。ネパール側には 10m を超え
る様な巨石が落下して、家やトラックを押し潰している。
チャイナロードは至る所で落石、岩盤崩壊、地すべり、表層崩壊などの斜面災害が見られる。
中国側からトラックによる輸送が可能になるまでには 1 年以上はかかりそうである。中国との交
易で栄えていた町はゴーストタウン化している。ヒマラヤ山脈の急な斜面を襲った地震の被害は
想像以上であった。
ネパールの人達は逞しい。チャイナロード沿いに建つ粗末な住居の多くが潰れている。そのた
め、住民はトタンやあり合わせの木材を使って、ともかく雨露をしのぐことができるバラックを
建てている。
ネパールを取り巻く国際戦略
チャイナロードでの中国からの物資輸送が出来ないとなれば、インドからの輸入に頼るしかな
い。しかし、憲法案に反対しているインド系の住民の反対運動が収まる気配がなく、またインド
が規制を緩めることも考えられない。この事態は長く続きそうである。憲法案が出るまで長い政
争が続き、やっと出たかと思えば反対派が燃料の輸送を実力で阻止する。彼らは死ぬことを怖が
らないというか、反対派の政党が、デモで死ねば 500 万ルピーものお金を支給するとの声明を出
しているとかで、軍も警察も武力で鎮圧することが難しい。
このような事態の背後には、ネパールに対して影響力の強化を図りたい世界各国の思惑が交錯
しているとも言われている。インドと中国は、当然、ネパールを挟んで綱の引き合いである。ま
た、EU やアメリカも、それぞれの思惑でいろんな動きをしているのであろう。反対派に裏で資
金を提供している国もあろう。
対立と闘争は何も生み出さない。国民を不幸に陥れるだけである。しかし、ネパール国民の不
幸と引き換えに影響力を強める国も出て来る。しばらくすれば、今回の騒動の裏が見えて来るこ
とであろう。自国の影響力を少しでも強めたいという思惑の中で動く国際政治には、他国の国民
の不幸は一切関係ない。本当に冷酷なものである。
自国に都合が良い新憲法を制定するように圧力をかけてくる大国インドに対して、小国ネパー
ルも一歩も引く気配がない。このネパールの頑張りに対して、国際世論が応援の渦を巻き起こす
ことを願う。
平成 27 年 10 月 8 日
矢田部龍一