56

目 次
新世紀へようこそ
﹁クーバク﹂と戦争の定義
テロ国家
横浜の貨車
三冊の本
今の時点でのいくつかの疑問
﹁誤爆﹂について
nothing
が起こった
﹃十二人の怒れる男﹄
平和について
正義の戦争
空爆の前と後
マフマルバフの映画と本
バーミヤンと首里城
基地オキナワ
無力な立場
イスラエルとパレスチナ
﹃地獄の黙示録 特別完全版﹄
日本人と外国人
日本人と外国人 二
砂漠のカフェの話
ゴジラは来るか
プロパガンダと民主主義
戦車が町にやってくる
戦車はどこに帰るか
敗者を祀る
編集部より
﹁クーバク﹂と戦争の定義
新聞の紙面でアフガニスタン問題が占める面積が次第に
減ってきています。
池澤夏樹
それだけ見ていると事態は沈静化しているように見えま
すが、実際には空爆はまだ続いています。
先日、アメリカはカンダハルおよびその周辺に対して、十
月の開戦以来最大規模の空爆を行いました。
道を走っていたバスが標的になり、三十名以上の民間人
が死んだそうです。
***
﹁空爆﹂というのは爆弾やミサイルを落とす側の言葉で
す。される側から言えば﹁空襲﹂です。
日本人にとっては懐かしくも恐ろしい言葉のはずです。
それにしても、いつから﹁爆撃﹂が﹁空爆﹂に変わったの
でしょうか。これはいったい誰がどこで使いだした言葉な
爆弾について、また砲弾と銃弾について考える時には、そ
れを受ける側の立場も想像してみてください。もちろん、旅
客機を使ったテロ攻撃についても。
具体的なレッスン︱︱
まず、銃を手にした強い自分を想像して、目の前の相手
を思うままに操れる快感を想像する。セックスがらみの古
典的な例を挙げれば、銃を手にした強いあなたは、目の前
の異性に衣服を脱げと命ずることができる。
それと同時に、銃口を向けられた自分も想像してくださ
い。見知らぬ相手の前で衣服を脱ぐという屈辱に耐えかね
て相手に跳びかかろうとし、そこで撃たれて自分の身体が
ばらばらになるところまで。
武器というのはそういうものです。ナイフでも拳銃でも、
またステルス爆撃機や気化爆弾や核兵器でも、基本的な性
格は同じです。
男と女の間でも、国と国、国と組織、組織と個人、国と
個人、すべての対立するグループの間で、この威嚇・脅迫
と恐怖・屈辱の関係が成り立つ。
十一月二十九日、アメリカのブッシュ大統領は対テロ特
***
広辞苑第五版には﹁空中爆撃の略﹂という説明がありま
別軍事法廷の正当性を改めて主張しました。テロ行為は司
のか。爆撃にミサイル攻撃が加わったのが空爆でしょうか。
すが、これもよくわからない。空中からでない爆撃という
法が裁く対象としての刑事事件ではなく﹁戦争行為﹂だか
同時多発テロ攻撃は本当に﹁戦争行為﹂だったのか。
では、九月十一日のニューヨークとワシントンに対する
議会でも批判の声が高まってきました。
です。
三十七パーセントの反対というのはなかなか大きい数字
七パーセントが反対しているそうです。
アメリカの国民の五十九パーセントがこれを支持、三十
らというのがブッシュ氏の論拠です。
ものがあるのでしょうか。
ぼくの日本語感覚によれば、
﹁バクゲキ﹂という濁音の多
い響きの方が、
﹁クーバク﹂というつるりと滑らかな言葉よ
りもずっと実感がこもっている。
の二つ目のbに置かれた
bombardment
劇画風に言えば﹁バ・ク・ゲ・キ!﹂
。
英語ならば 、
アクセントの響き。
***
1
新世紀へようこそ
80 79 78 77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56
56
38 36 34 33 31 30 29 27 25 24 22 20 18 17 16 15 13 12 11 9 8 7 5 4 2 1
これを犯罪ではなく戦争として受け止め、大規模な反撃
犯人引き渡しの義務は発生しないというのが、国際法
ぜ可能だったのでしょうか。
百人を殺さなければ鎮圧できないほどの大規模な暴動がな
この件に関して、国連のロビンソン人権高等弁務官が、戦
という疑いがあります。
た。今回のカライジャンギも同じようなケースではないか
リバン側の少年兵数百人が殺されるという事件がありまし
十一月の半ばに、マザリシャリフで北部同盟によってタ
の原則です。﹁犯人を引き渡さなければ武力を行使す
る﹂というアメリカ大統領の主張は、それ自体が、国
で応ずることは正しい処置だったのか。
いろいろな意見があり、議論は錯綜しています。
際法違反です。
国際法の見地から言えば、今アフガニスタンで行われて
争捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約に照らした国際的な
ここまでが加藤氏のアピールの引用でした︵出典は未来社
という出版社のPR誌﹁未来﹂の二○○一年十一月号です︶。 調査が必要だと言っているのは当然です。
北部同盟がアメリカの手厚い支援でここまで来たことは
する報復戦争は正当化できないと判断します。
以上の理由によって、私︵加藤尚武氏︶は連続テロに対
こういう時は基本にかえった方がいい。
国家間の倫理の基準は国際法です。法の観点から見て、あ
れは本当に戦争行為だったのか。
この点に関して、ぼくが目にした最も明快な論旨は哲学
者の加藤尚武さんが提示したアピールでした。
﹁いかなる転
載にも同意します﹂とあるので、ここでご紹介します。
以下、加藤尚武さんの論︱︱
う時点では成立せず、主権国家もしくはゲリラ団体が
ディンをイスラム諸国会議機構︵OIC︶
、あるいは第三国
タリバンの側はしかるべき証拠が提示されればビン・ラ
今アメリカがしているところの、大量の航空機と地上軍
たジュネーブ条約といい、また日本の憲法問題といい、こ
軍事法廷の問題といい、戦争に関する国際法といい、ま
をしているとしか見えません。
こちらから見ていると、北部同盟もアメリカも勝手放題
所を﹁誤爆﹂して、捕虜多数が死んだという情報もあります。
別の場所では、アメリカ軍が北部同盟管理下の捕虜収容
周知の事実ですし、従ってアメリカは北部同盟に対して強
いるのは戦争ではありません。
ブッシュ政権は最初から平和的解決の努力を放棄してきた。 い発言力を持っているはずですが、彼らは何も言っていな
い。国連の調査に協力するつもりもない。
戦争の意思表示をすることで成立します。ゆえに、今
で開かれる法廷に引き渡すこともあり得ると言っていまし
︵一︶国際法上の﹁戦争﹂とは、単に軍事行動が行われたとい
回の連続テロは犯罪であって、戦争ではありません。犯
た。対話の可能性はあったのです。
解決の努力を義務づけています。ブッシュ大統領が、連
による攻撃が国際法に言う﹁戦争﹂でないとすれば、それ
ういう事態になると急に法律が軽くなるようです。
︵二〇〇一年十二月三日︶
これは世界全体が悪い時期に入りかけている兆候のよう
にぼくには思えます。
テロ国家
2
罪として対処すべきです。
続テロの今後の連続的な発生の可能性に対して、平和
は﹁テロ行為﹂です。他に呼び名はありません。要するに
それを無視して開戦に走ったのはアメリカ側でした。
的な解決の努力を示しているとは言えないので、新た
彼らはテロに対してテロを以て報いようとしている。国際
︵二︶国際法では、いかなる紛争にたいしてもまず平和的な
な軍事行動を起こすことは正当化されません。
仮にブッシュ氏がこれは戦争であると主張するのなら、投
法はそのようなことを許していない。
ません。したがって、たとえ連続テロが戦争の開始を
降したタリバンの兵士はジュネーブ条約に従って正しく捕
︵三︶国際法は、報復のために戦争を起こすことを認めてい
意味したとしても、現在テロリストが攻撃を継続して
虜として扱われるべきです。
先日、アフガニスタン北部カライジャンギの、北部同盟
いるのでないかぎり、報復は認められません。
︵四︶連続テロに対する報復戦争が正当防衛権の行使として
が管理する収容所で、捕虜のタリバン側兵士数百人が殺害
三十代に生成文法というまったく新しい文法理論を作り
認められるためには、現前する明白な違法行為に対し
北部同盟は捕虜が暴動を起こそうとしたと言っています
上げた天才です。これはすべての文法の背後にある原理を
ノーム・チョムスキーという言語学者がアメリカにいます。
は、国際法でも国内法でも認められていません。連続
が、投降後すぐの意気消沈した捕虜が、普通の扱いを受け
されるという事件が起こりました。
テロに対する報復戦争を正当防衛の行使として認める
それと同時に彼は、この何十年かはアメリカ政府の対外
明らかにした、画期的な理論でした。
捕虜というのは武装解除されて収容されるものです。数
ていて暴動を起こすというのは考えがたい。
︵五︶国家間の犯人引き渡し条約が締結されていないかぎり、
ことはできません。
ておこなわれなくてはなりません。予防的な正当防衛
57
政策について厳しい批判を展開してきた論客です。ベトナ
ム戦争に反対するチョムスキーの論は、当時のアメリカで
は珍しく明快で説得力に富むものでした。
この人物が、九月十一日の同時多発テロの後で行ったイ
ンタビュー集が翻訳・刊行されました。
﹃九・ アメリカに報復する資格はない!﹄翻訳は山
崎淳さん。版元は文藝春秋。定価千百四十三円+税です。
彼の論旨は今回もはっきりしています。
手口としてはティモシー・マクベイがやったオクラホマ
の連邦ビル爆破とまったく同じです。
リア、結核、その他の治療可能な病気に罹り、死んだ。
[ア
ル・シーファは]人のために、手の届く金額の薬を、家畜
いた⋮⋮﹂。
***
を供給していた。スーダンの主要な薬品の %を生産して
この件は三年後になって﹁ワシントン・ポスト﹂が報じた。 のために、スーダンの現地で得られるすべての家畜用の薬
***
一九八十年代にアメリカ政府はニカラグアの﹁内戦﹂の
これらアメリカ政府が行ってきたテロ行為の話は、あま
一方に肩入れして、執拗な武力攻撃を行った。
ニカラグアの人々はハーグの国際司法裁判所に訴え、裁
これは犯罪なのだから、アメリカ政府は容疑者であるビ
りにショッキングなことで、信じるのはむずかしいかもし
れません。
アメリカ政府はこれを冷笑と共に無視し、攻撃を倍加した。
判決を出した。
ンなどで爆弾テロを実行してきたが、だからと言ってイギ
ニカラグアはことを国連の安全保障理事会に持ち込んだ。 るかにさほど関心がないので、いきなりこういう報道に接
判にかけ、少しずつ彼らの力をそぐと同時に、北アイルラ
なかった。イギリスはテロリストを追い詰めて逮捕し、裁
ニカラグアは更に国連総会に訴え、ここで決議案は採択
案を出したが、アメリカは拒否権を発動してこれを葬った。
理事会は、すべての国家が国際法を守るようにという決議
つ二つならばともかく、アメリカ政府のふるまいにはこう
しかし、やはり嘘ではないだろうとぼくは考えます。一
何か一種反米的なプロパガンダではないかと思いかねない。
するととまどってしまう。
ンドの人々の言い分を聞く姿勢を見せ、今は最終的な和解
されたが、この決議に実効性はなかった。この時に反対し
が見えてきた。
***
ニューヨークの世界貿易センタービルで亡くなった人の
数はその後なぜか減りつづけて、今は四千人から五千人の
間、ひょっとしたら三千人を切るかもしれないとさえ言わ
れていますが、それでもアメリカはこれだけの人々を亡く
し、あの二棟の建物を失った被害国です。
しかし、この被害国はまた歴然たる加害国でもあった。こ
ダンの死亡者の数が、静かに上昇を続けている⋮⋮こうし
﹁命を救う機械︵破壊された工場︶の生産が途絶え、スー
﹁ボストン・グローブ﹂紙によれば︱︱
の元司法長官ラムゼイ・クラークらによる、国際的かつ広
出ています︵柏書房︶
。いわゆる告発本ではなく、アメリカ
湾岸戦争については、
﹃アメリカの戦争犯罪﹄という本が
それを認めないわけにはいかないのです。
こ何十年か連綿としてそうであった。
て、何万人もの人々︱︱その多くは子供である︱︱がマラ
れは﹁誤認﹂ではないかと言っている。
ていたと主張しているけれども、アメリカのマスコミもこ
行われたもので、アメリカ政府はここで化学兵器が作られ
これは、アフリカの米大使館連続爆破の﹁報復﹂として
たアル・シーファ製薬工場を巡航ミサイルで攻撃した。
一九九八年八月、アメリカはスーダンの首都郊外にあっ
***
でさえ賛成したわけですね︶
。
いう事例が多すぎるのです。
特にアメリカ人の多くは自国の政府が海外で何をしてい
リス政府は彼らの拠点であった西ベルファストを爆撃はし
IRA︵アイルランド共和国軍︶は長年に亘ってロンド
ン・ラディンを捕らえて裁判にかけるべく努力すべきだった。 判所は武力行使を停止した上で賠償金を払うようにという
90
たのはアメリカとイスラエルの二か国のみ︵つまり、日本
オクラホマ・シティーで連邦ビルが爆破された時、実行
者の拠点であったモンタナやアイダホを殲滅しろという声
はあがらなかった。犯人ティモシー・マクベイは逮捕され、
通常の裁判に掛けられ、死刑になった。
﹁犯罪の場合には、スケールがどうであれ、適当かつ合
法的な対処方法がある。先例もある﹂とチョムスキーは言
います。
彼がこの本の中で言っていることで最も重要なのは、ア
メリカこそが世界最大のテロ国家であるということです。
彼の話は具体的です。
一九八五年、時のレーガン政権はベイルートのあるモス
クの外に爆弾を仕掛けたトラックを停めて、ある聖職者を
暗殺しようとした。試みは失敗して聖職者は逃れたが、そ
の一方八十名が亡くなり、二百五十名が負傷した。その大
半は女性と子供だった。
3
新世紀へようこそ
11
範囲の調査の報告書です。
***
ブッシュ政権が今、武力攻撃の範囲を、ソマリア、スーダ
ン、イエメン、さらにはイラクまで広げようとしています。
これには、今までアフガニスタンにおけるアメリカのふ
るまいを認めてきた同盟各国が、反対意見を表明していま
す。いかになんでもそこまではついていけないという感じ
です。
以下に新聞などで報道された各国首脳の発言をまとめて
みます。
ヨ
• ルダン﹁︵拡大は︶ひどく危険で、地域の境界をこえ
る否定的結果につながるだけ﹂
﹁ヨルダンは、武力行使とイラクの事態への外部干渉、
その保全への干渉を拒否する﹂
シ
• リア﹁︵拡大は︶致命的なあやまり﹂
﹁いかなるアラブへの軍事攻撃も際限のない問題へと
つながる﹂
イ
• ラン﹁イランは、イラクへのどんな攻撃にも強く反
対する﹂
﹁イスラム世界全体がこれに反対していると考える﹂
ト
• ルコ﹁イラクへの作戦は望まない、とくり返しのべ
てきた﹂
ア
• ラブ連盟﹁イラクおよび他のアラブ諸国にたいする
攻撃は受け入れられない﹂
﹁いかなるアラブの国への軍事攻撃であれ、それは国際
反テロ連合内のコンセンサスの終わりをまねくだろう﹂
は、国連中心という点での合意を維持する必要がある﹂
﹁アフガン︵攻撃︶後、軍事的手段で問題解決をはか
るべきではない﹂
ド
• イツ﹁ドイツ軍はイラクやソマリアなどアフガニス
横浜の貨車
先月の三十日︵日本時間︶、ジョージ・ハリソンが亡くな
フ
• ランス﹁アフガン以外の国への軍事行動は必要ない﹂
けれど、ビートルズの四人のメンバーの中ではジョン・レ
一年のエリック・クラプトンとの日本ツアーも逸しました
ずっと活動を追うほどのファンではなかったし、一九九
りました。
中
• 国﹁われわれは理由のない攻撃拡大に反対である﹂
タン以外の国への軍事介入を予期していない﹂
これら各国の反応と対照的に、当初二つの国がアメリ
ノンに次いで気になる人物でした。
Within you, without you というジョージの曲
カの動きに追従する姿勢を示しました︱︱
イ
• ギリス﹁かねてから第二段階の作戦があるといって
一定の侵略的な軍事行動が妥当になるかもしれない﹂
はたしかにアルバム︵﹃サージェント・ペパー﹄︶の一角に
とビートルズ・サウンドがふわっと重なりました。あの曲
ラビ・シャンカールに導かれて知ったインド音楽の世界
が、最初に聞いた時以来ずっと頭の中で鳴っています。
日
• 本﹁︵自衛隊派兵は︶イラクというのであれば、イラ
きた﹂
﹁テロリストをコントロールできない国に対する
クも入る﹂
﹁音楽寺院﹂を構えていました。
ジョージに感謝です。
明日十二月八日はまたジョン・レノンの命日です。
***
あ の 一 曲 だ け で、 ぼ く は こ れ ま で も こ れ か ら も ずっと
とも真実を見ようとしない⋮⋮﹂
していた⋮⋮人々は、幻想の壁の陰にかくれて、一目たり
﹁ぼくたちは、ぼくたちみんなを隔てる隙間のことを話
﹁特措法の対象国に特段の限定はない﹂
その後、イギリス政府は﹁米国がアフガニスタン以外に
も軍事行動を拡大することを支持しない﹂と姿勢を変えま
した。
日本の場合は、上記のは杉浦外務副大臣の発言で、福田
官房長官は﹁実際に協力するかどうかは諸般の事情に照ら
し主体的に判断する問題だ﹂と少し軌道を修正しました。
しかし、では﹁主体的に﹂どう﹁判断する﹂のかという
肝心のところがわからない。アメリカの戦線拡大を日本は
支持しないと言い切ったわけではない。
ていました。
ソマリアを空爆に行く攻撃機の燃料を日本の海上自衛隊
今年の初めから﹃ジョンとヨーコのラスト・インタビュー﹄
が空母まで届けるということにならなければいいのですが。 という本の作り直しをしていて、思いがずっとジョンに行っ
自衛隊をテロ国家の手兵にしてはいけないと思います。
彼が亡くなる直前に行われたインタビューの記録で、当
時、たまたまぼくは大急ぎでそれを訳すことになりました。
あれからもう二十一年。なかなかの感慨です。
︵詳しいこと
︵二〇〇一年十二月五日︶
とでおこなうべき﹂
はカフェ・インパラを見てください︶。
エ
• ジプト﹁テロ問題の解決のためには国連の管轄のも
“
﹁国際社会全体がテロとのたたかいに貢献するために
4
58
“
︵一︶カフェ・インパラ
九月十一日から後、またジョン・レノンの考えが世界中
のいたるところで人々を支えています。
Give peace a chance というメッセージが広がっ
ています。
そ﹂の﹁ ディア・ヨーコ﹂に書きました。
に出した一ページ広告については、この﹁新世紀へようこ
九月二十五日にオノ・ヨーコがニューヨーク・タイムズ
“
連結器も旧式で、第二次大戦中のドイツを思わせる。
***
貨車は貨物を乗せるというのは平和な時の話で、戦時に
るというアイロニー。
そういうストーリーが、横浜の貨車の写真を前にしたぼ
くの心に浮かびました。
この作品には﹁一九九九ー二○○一﹂という表示があり
ました。三年がかりのプロジェクトだったわけです。
それでも、この横浜の貨車には九月十一日以降のアフガ
ニスタンの状況を思わせるものがあった。食糧が奪われ、医
は貨車は人も運びます。
映画を例に取りましょう。
薬品が奪われ、機銃掃射よりもずっと効率のよい、効果的
に遠いけれども、遠いからこそ力を尽くして平和を想像し
爆弾の雨が降るアフガニスタンの現状は平和からあまり
ちが操車場に置かれた貨車に住み着いています。貨車の列
た﹃こうのとり、たちずさんで﹄では、各地からの難民た
ギリシャの監督テオ・アンゲロプロスが一九九一年に作っ
も暴力に満ちている。
光ではないか、と思いました。
三冊の本
著者は佐藤秀明さん。版元はマガジンサポート株式会社。
ル﹂と日本語の題があります。
英語のタイトルで、奥付には﹁鎮魂・世界貿易センタービ
という
REQUIEM WORLD TRADE CENTER
先日から、一冊の写真集をよく見ています。
︵二〇〇一年十二月七日︶
空に向かうサーチライトの光は希望を探す︵サーチする︶
した。
未来にむけての希望を表現したいと思いました﹂とありま
﹁我々が廿世紀に体験した悲劇と不正に抵抗し、痛みを癒し、
オ ノ ・ ヨ ー コ が こ の 作 品 に 寄 せ た メッセ ー ジ に は︱︱
れは希望の光のようにも見えます。
その一方、夜を背景に貨車の内側から射す光は美しい。そ
横浜の貨車は暴力の結果を示しています。
***
な、恐ろしい、爆弾が大量に空から降ってくる。世界は今
﹃ドクトル・ジバゴ﹄の中ではオマー・シャリフ演ずる
なければいけない。かつてアフガニスタンにあった平和、い
にそってカメラはゆっくりと移動し、無言でこちらを見て
ところの主人公が貨物列車で長い旅をしていました。
ずれ来るかもしれない新しい平和を思い描かなければいけ
いる彼らの姿をとらえます。
貨車と難民を映す静謐なスクリーンに、彼らがいかにし
て難民になったかを語る声が、クルド語、アルバニア語、イ
ラン語など、さまざまな言語による声が、重なります。
この貨車は動いていないけれど、しかし難民たちの困難
な旅の象徴となっています。
***
﹁横浜トリエンナーレ﹂に出品されたオノ・ヨーコの﹃貨
物車﹄が喚起するイメージはさまざまです。
その一つに強制収容所があることは明らかです。アウシュ
貨物列車で収容所に運ばれる人々。
ビッツやダッハウのいまわしい記憶がよみがえります。
ます。貨車は無数の銃弾に撃ち抜かれていて、夜になると
それと、目的地の収容所で彼らを待っていた運命を重ね
でいった人々。
貨車の中の惨状。血にまみれて、ばらばらになって死ん
貨車を穴だらけにする連合軍の戦闘機。
軍用物資を運ぶ列車だと思って襲いかかり、機銃掃射で
よく見ると、貨車には﹁ポツダム﹂というドイツの地名
ライトの光もある。
貨車の天上の穴から真上にむけてまっすぐ伸びるサーチ
その弾痕から中の光が漏れる仕掛けになっている。
実物の貨車が一台、仮に敷設された線路の上に乗ってい
迫力は伝わります。
んでしたが、今、手元にある大きな写真を見ていてもその
ぼくは見に行きたいと思っていながらその機会を得ませ
した。
に出展された彼女の﹃貨物車﹄という作品は力強いもので
ていた大がかりな現代美術の展覧会﹁横浜トリエンナーレ﹂
今年十月のはじめから十一月の十一日まで横浜で開かれ
オノ・ヨーコはアーティストです。
***
ない。それが﹁イマジン﹂することです。
6
やその他ドイツ語の単語が書いてある。
5
新世紀へようこそ
59
”
これは、佐藤さんが一九六十年代終わりに撮った写真を
中心にニューヨークの風景をまとめた本です。
マンハッタンの南端のあたりからコニーアイランド、ス
タッテンアイランドに通うフェリーなどが舞台です。
二十歳代半ばの若い写真家がニューヨークに住んで、町
の風景を撮ってまわった。
今年の九月十一日に崩壊した世界貿易センタービルの建
設途上の光景がたくさんあります。敷地が均され、岩盤が
掘り下げられ、そこに土台ができて鉄骨が組上がってゆく。
ぼくはこの建物をじかに見たことはないのですが、どれ
ほど大きかったか、この工事の写真でよくわかりました。
それと同時に、これは人々の表情の写真集です。
建築現場で働く労働者たちの埃っぽい顔。
タンの風景と表情、すべての意味で異なるように見えるこ
さて、問題は、マンハッタンの風景と表情、アフガニス
WTCはもうありません。
の二つを、ぼくの一つの心で受け止めることができるかと
していました。
だからこの写真集は、九月十一日に亡くなった人々への鎮
Back then, even homeless people could
でさえなく、もっと深い人間というレベルまで降りてゆく
もしもぼくたちが、文明ではなく、文化でもなく、信仰
シの山々に積もった雪を見ての老人の言葉がある。
今の季節にあの雪ではね⋮⋮﹂という、遠いヒンドゥーク
もう一方には、﹁今年もこの一帯で一万人は死にますな、
ションの付く写真がある。
、ホームレスものどかな感じだった、というキャプ
smile
一方には
せいぜいが宿営地、村、町、難民キャンプなど。
一方は大都会であり、もう一方はほとんどが乾いた山地、
魂であると同時に、無くなった建物への鎮魂でもあります。 いうことです。
***
これとはまったく別の雰囲気をたたえた本をここ何週間
か、繰り返し見ています。
エッセーだから文章を読むのだけれど、添えられた絵が
あまりにいいので、そちらにも見とれる。
甲斐大策さんの﹃神・泥・人﹄という、アフガニスタン
ことができれば、ニューヨークの地下鉄のベンチに坐った
と同時に、アフガニスタンの﹁東部のジャラーラーバー
老女の、疲れてむくんだ下肢のその疲労感がわかる。
ドの旧王の離宮には、毎年、春になると全国の有名無名の
でもありません。
これは、かいなでのレポートでも、いわゆる旅エッセー
コニーアイランドの遊園地に集う若者たちの楽しそうな顔。 の人と風土を描いた本です︵石風社 一九九二︶
。
自分の中に坐り込んだような硬い表情の老人。
暑い日に消火栓を開いて水遊びする子供たち。
甲斐さんは一九六〇年代後半︵つまり、奇しくもWTC
ベトナム反戦のデモに参加する若い人々の溌剌とした顔。
が造られはじめた頃︶から、毎年のようにアフガニスタン
人種もさまざま。
た﹂という、この詩人の涙がわかる。
***
こ こ に もう 一 冊、 佐 藤 さ んの と 同 じ
うタイトルの写真集があります。
﹁レクイエム ヴェトナム・カンボジア・ラオスの戦場
とい
REQUIEM
露しあい、感じれば涙を流し、抱擁を交わし、別れるのだっ
詩人達が集まるのだった。詩人達は茶を飲みながら詩を披
***
思わせます。誘っています。
この乾ききった風景を見たい、この人たちに会いたいと
そのうちの七十人が北ベトナムとベトナム民族解放戦線
ンの作品を集めた本です。
の戦争を撮る過程で亡くなった百三十五人の報道カメラマ
このサブタイトルで明らかなように、これはインドシナ
ケッチですが、それが風景と人の顔を巧みに伝えています。 に散った報道カメラマン遺作集﹂︵集英社 一九九七︶。
表紙の一枚を除いては色のない、陰影もない、線だけのス
絵の魅力を言葉で説明するのはむずかしいものです。
また意外な弱さを語っている。
旅のエピソードのひとつひとつが、彼らの誇りと気概と、
わの報道など及ぶところではない。
アフガニスタン人についての観察と洞察は、最近のどろな
だから、あの国の人々、多くの民族からなるさまざまな
した。
ここにあるのは鉄と褐色砂岩のざらりとした都会の姿です。 を訪れて、広く深く旅をして、たくさんの知人友人を得ま
全体としてはくすんだ印象です。
冬にみなが着ていたのは、フリースでもゴアテックスで
もなく、厚い重い黒いウールのコートでした。
若い写真家の目はリッチではないニューヨークの下町を
きちんと捉えています。
その中から世界貿易センタービル︵WTC︶が、殻を破
るように、脱皮するように、空に向かって伸びてゆく。
世界貿易センタービルは何かを製造するところではなかっ
の場だった。この言葉は﹁貿易﹂であると
trade
た。工場ではなかった。
そこは
同時に﹁取引﹂です。
製造業よりも、商品の売買・流通や金融や投資の方が主
役になる。そういう時代が来ることをWTCの建設は予見
6
側、二十人がカンボジア、そして残りが、数の順に言えば、
アメリカ、フランス、日本、シンガポール、南ベトナム、オー
ストラリア、イギリス、ドイツ、スイス、です。
日本人は四人。一ノ瀬泰造、峯弘道、沢田教一、嶋元啓
三郎の各氏です。
大事なのは彼らが撮った戦争の姿です。そのために生命
を賭する必要があると彼らが信じたほど深い意味を持つ映
像です。
彼らはカメラ一つを手に戦場に行きました。
あるいは戦場の方が彼らのところに来た。
写真のほとんどは地上の視点から撮られています。戦う
今の時点でのいくつかの疑問
マスメディアの報道の中には、アフガニスタンですべて
がうまくいっているような印象のものがあります。
アメリカの武力行使のおかげで、圧政を敷いていたタリ
バンは崩壊・消滅し、全土が解放された。
人々の顔には喜びがあふれ、女性たちはブルカを脱いで
自由を満喫している。
暫定政権を作る動きも順調で、みんなが力を合わせて住
みやすい国が再建しようとしている。
アフガニスタンの村に生まれて、育って、結婚し、子
を生み、子を育て、ふつうに暮らしてきた人々の頭上
にBー が飛来して爆弾が降ってきた。たくさんの人
が死んだ。
では、そこで死んでいった人たちに、WTCで亡くなっ
た三千四十五人の死に対する責任が本当にあったのか。
アフガニスタンに潜伏しているビン・ラディンを逮捕
するためだというが、
﹁誤爆﹂によって多くの民間人を
殺すような武力行使は警察権を大きく逸脱するもので
はないか。
︵二︶アメリカ国内にもわからないことが少なくない。わか
あれだけの事件を未然に防げなかったCIAとFBI
らないというか、隠されているというか。
ではいよいよこのハッピーエンドのストーリーが広められ
日本でさえそうなのですから、アメリカの一般メディア
死体⋮⋮カメラマンはそれらの人々と同じ地面に立って、同
彼らさえしっかり仕事をしていたらあの事件はなかっ
の責任、ブッシュ大統領府の行政責任はどうなったのか。
しかし、何かおかしい。何かがすり替わっている。
裁判を経ることなく人を殺すのはテロであり、リンチ
い場合は殺害も可と公言した。
アメリカ政府は、ビン・ラディンの身柄を拘束できな
この説の真偽はどうなのだろう。
びかけた。
むユダヤ系の人々にその日はWTCに行かないよう呼
アメリカは聞かなかった。モサドはニューヨークに住
機関モサドが計画を探知してアメリカに警告したのに、
事前に知っていた。一説によれば、イスラエルの情報
という噂がある。彼らはあそこで何かが起こることを
九月十一日にWTCにユダヤ系の人たちがいなかった
きなかったのか。
があったとすれば、なぜその二日前の大犯罪が防止で
ディンを容疑者としている。そう判断するだけの情報
九月十三日の段階で既にパウエル国務長官はビン・ラ
働省に対するような︶はないのか。
たという怒りの声︵ちょうど今の日本における厚生労
があるのか。
壊されつつあることの間に、いかなる論理的な繋がり
ラスター爆弾や核兵器に次ぐ大型爆弾などによって破
スタンが巡航ミサイルや、Bー による絨毯爆撃、ク
ペンタゴンがテロ攻撃を受けたことと、今、アフガニ
九月十一日にニューヨークの世界貿易センタービルと
スタンになったのはなぜか。
では、その後のアクションの舞台がもっぱらアフガニ
テロリストの多くはサウディアラビア人であったらしい。
わかっているところでは︶アメリカとドイツで行われた。
︵一︶事件が起こったのはアメリカであり、直接の準備は︵今
***
以下は今の時点でのぼくの疑問です。
たのか、最初に戻って考えてみると、どうもよくわからない。
なぜアフガニスタンに爆弾の雨が降らなければならなかっ
ていることでしょう。
者、逃げる者、捕らえられた者、傷ついた者、死を待つ者、
52
じ危険を冒していた。だから多くが亡くなった。
見ていて辛い写真が多いのですが、それでも何度となく
見てきました。
戦争とはこういうものだとわかるから。
アフガニスタンの戦争について、写真が足りないと思い
ます。
四半世紀に及んだインドシナ戦争と開始以来九週間のア
フガニスタンでは量の違いは当然ですが、それにしても戦
地の人の姿が見えてこない。
アフガニスタンの側にはその余裕がないのでしょう。
そしてアメリカ政府の方は、戦場の光景ほど反戦感情を
煽るものはないと気づいたようです。すべて一括のプール
取材ばかりになって、カメラマンが作戦に同行することは
許されなくなった。
戦争報道はいよいよ非人間的になるようです。
︵二〇〇一年十二月十一日︶
52
7
新世紀へようこそ
60
ではないはずなのに解明はなかなか進まなかった。
郵便物の経路を逆にたどるのはさほどむずかしいこと
炭疽菌事件とはいったい何だったのか。
のか。
アメリカ国民は自国がテロ国家であることを容認した
かったのか。
それはテロだという声はアメリカ国内からは挙がらな
である。
てアフガニスタン女性の人権を守るべく活動してきた
女 性 解 放 の 問 題 一 つ を 取って も、 タ リ バ ン に 対 抗 し
も過半数の支持は、あるか。
この政権に正統性はあるか。国民の支持は、少なくと
作られようとしている。
使と武器援助だが︶、北部同盟を主体とする暫定政権が
外からの介入で︵その最たるものはアメリカの武力行
ことはないのだろうか。
ななかったはずの人たちが、この冬の間に大量に死ぬ
ことではないのか。
アメリカ政府が言う正義とは、実はアメリカの国益の
を事実上容認あるいは支援してきた。
主義的圧政を敷くサウディアラビア、等々の国の政策
するトルコ、タリバンとさほど変わらぬイスラム原理
ロを展開するインドネシア、クルド人を排除しようと
ている。しかし彼らはそれなりの行政を敷いてきた。多
タリバンの支配にさまざまな問題があったのはわかっ
てよくなったのか。
タリバンがいなくなって、事態は国民全体の目から見
しかしその電池は昔、もう駄目だと一度捨てられたも
貸している。
をはじめとする西側諸国も︵日本を含む︶それに手を
うといじっている。電池を入れ替えている。イギリス
しまった玩具をなんとか形ばかりでも動くようにしよ
千発散らばっていると言われるが、これは誰が回収す
アメリカ軍が落としたクラスター爆弾の不発弾が約五
子供たちの予防接種の計画はどうなったのか。
雪が降れば、食糧運搬はいよいよ困難になる。
かないと言っているとか。
のトラック運転手が危ないからアフガニスタンには行
搬がむずかしくなったという情報がある。パキスタン
武装した盗賊が勝手なことをしているので、食糧の運
て、国内の秩序は維持されているのか。
レスチナを破壊するイスラエル、チェチェンを攻撃す
人権外交を標榜していたはずなのにアメリカ政府は、パ
うになった。
アメリカは現実的な理由からパキスタンを援助するよ
国だった。彼らが核兵器を放棄したわけではないのに、
核兵器を作ったパキスタンはつい先日まで制裁の対象
て脅威ではないのか。
それはいわゆる同盟国も含む他のすべての国々にとっ
ものはないと考えているのか。
い通りになるという教訓を得たのか。世界中に恐れる
︵二〇〇一年十二月十四日︶
はかぎりません。アメリカは偵察衛星や無人偵察機で情報
ある施設が軍事目的であるか否か、外から見てわかると
次は情報が不正確な場合。
爆。これはいわば単純ミスです。
事施設に爆弾を落としてしまったというのが、第一種の誤
軍事施設の位置が正確にわかっているのに、誤って非軍
たかです。
問題は、誤りがいかにして生じたか、どこまでが誤りだっ
い施設が壊され、死ぬべきでない者が死んだ。
いところに爆弾を落とした。その結果、壊されるべきでな
です。攻撃側が、間違いによって、爆弾を落とすべきでな
そのままの意に取れば、誤爆とは﹁誤って爆撃すること﹂
話を原点に戻して、誤爆とは何か、改めて考えてみます。
ショックはない。
ます。
﹁また誤爆?﹂と嘆きはするけれど、最初の時ほどの
言葉というのは何度も使われると聞く方の感覚が鈍磨し
するニュースの中で、誤爆という言葉が頻繁に使われました。
十月七日の武力行使の始まり以来、アフガニスタンに関
﹁誤爆﹂について
う、今まで以上に住みにくい時代になるのではないか。
︵五︶結局のところ、二十一世紀は言葉よりも武力がものを言
また菌そのものの分析から、出所がアメリカ軍関係だ
とに強く反対している。事態がよくなるとは思えない
という団体は、北部同盟を政権の座に就けるこ
RAWA
それはいかなる理由によるものか、また実行犯が今もっ
と言っている。
ということがわかるのにも時間がかかった。
て特定されないのはなぜか。
民族で、外部からの攪乱も多くて、まとまりにくい国
のだ。アメリカ政府は大量の武器援助で再充電したつ
言ってみればアメリカ政府は、癇癪をおこして壊して
をともかくまとめてきた。
もりだが、電池の寿命は本当に延びたのか。
︵三︶今、アフガニスタンはどうなっているのか。
その政権が倒された今、北部同盟と、アメリカ軍をは
るのか。
るロシア、チベットを抑圧する中国、アチェで軍事テ
じめとする西側の軍隊、国連、各種NGOなどによっ ︵四︶これでアメリカは、圧倒的な武力さえあればすべて思
飢餓や病気や寒さで、アメリカ軍の爆撃がなければ死
8
61
ぼくがここで軍事行動の結果に、過失致死とか未必の故
の刑法にはありません︶
市内にいる通報者からの情報も正確とは言えない。外か
意とか、民間の刑法の用語を当ててみたのは、戦争がいか
を集めているのでしょうが、それには限界がある。
ら見てその施設が軍事目的に使われているかどうか、必ず
い。誤爆の多くは実は命中だと考えてもいいようです。
もう一つ。
湾岸戦争と今回のアフガニスタンの違いは、
﹁誤爆﹂に対
する監視の目が多いことです。
戦時には、日常の刑法の効力が失われる。大量殺人が当
少ない数字で百二十五,零、多いのならば三百,零のイラ
に非日常的なものであるかを想像するためです。
正規軍でも一般市民の家を接収して寄宿することがあり
然とされる。
﹁誤﹂りで﹁爆﹂弾が落とされる。誰も罪を問
ク人が殺された状況がわかったのは、戦争が終わってから、
しも明確にわかるわけではない。
ます。アルカイダのようなゲリラ組織ならば基本的にこの
われない。
としては、恋敵の家に敵の幹部が泊まっていると嘘を言っ
人が爆弾を落とすという事態を想像してみれば、それがい
普通に暮らしている自分の頭の上に、見ず知らずの外国
今回は比較的多くの目がアフガニスタンに向いていまし
湾岸戦争ではイラクからの情報発信はほとんどなかった。
方針で行動する。兵と民間人は混じらざるを得ない︵作家
て爆撃を誘い、あとで猛烈に悔やむ男の話など書きたいと
かに異常かわかるはずです。自分のオフィスがあるビルが
た。誤爆などに関する情報は、大きなメディアが書かなく
う勝手放題に爆弾を落とせなくて苛立ったようです。予定
ても、インターネットで伝わります。アメリカ軍はそうそ
かれた時のことでした。
国際戦争犯罪法廷のための調査委員会がニューヨークで開
ころです︶
。
崩壊し、自分の乗った旅客機がビルに突入するのと同じよ
不正確な情報であることを承知で爆弾を落とせば、民間
アメリカは結局、あのテロリストたちと同じことをして
人が巻き込まれて死ぬ可能性がある。これが第二種の誤爆。 うに異常なことです。
あるいは、最初から兵と民間人の区別などしない。民間
量の半分も使えなかったとか︵爆弾の予定量というのもグ
たくさんの人が強力な武器によって一方的に殺される事
メディアに関して言えば、この十年で最も変わったのは
しまった。
も殲滅してしまおうという方針もあります。これはもう誤
態に対して、
﹁誤爆﹂という言葉は軽すぎるとぼくは考えま
インターネットの普及でした。もともと軍が開発したイン
人は兵士の供給源であり、支援母体であるのだから、それ
爆とは呼びません。戦略爆撃です。日本人にわかりやすい
す。誤植や誤解、誤作動や、誤認逮捕と比べて、誤爆の罪
ターネットという技術がこのような平和目的に使われると
ロテスクな話ですが︶
例を挙げれば、東京大空襲をはじめとする第二次大戦中の
は段違いに大きい。
いうのも皮肉な話です。
nothing
が起こった
近いカマアドという村にBー が飛来して、たくさんの爆
十二月一日の早朝、アフガニスタンのジャララバードに
これは弁明として成立するでしょうか。
同の配信︶。
意図的なものはない﹂と言ったという記事がありました︵共
爆で死亡した民間人は相当な人数に上るが、ただの一人も
今朝の新聞に、パキスタンにいるアメリカの報道官が﹁空
︵二〇〇一年十二月十九日︶
各地への空襲や、広島と長崎の原爆がこれに当たります。
第一種の誤爆、つまり単純ミスの話ですが、これも大半
二つほど、補足しておきます。
が出ることはありません。ジャーナリストなどの第三者に
は確信犯であって、ミスを装っているだけではないかとい
現実には、爆弾を落とす側から自発的に誤爆という言葉
指摘されてはじめて、それは誤爆だったとしぶしぶ認める
う説があります。
一九九九年五月七日に、ベオグラードの中国大使館にア
のが普通です。
その場合もまずは第一種の誤爆だという。単純ミスであ
り、人間は誰しも間違いをおかすものだから、と弁明する。 メリカの誘導爆弾が命中しました。もちろん中国は怒り狂
い、アメリカはたまたま更新前の地図を使ったためのミス、
しかし、ミサイルが当たった地下の一角には、アメリカ
データの入力ミスなどと言う。これは業務上過失致死に当
しかし、アフガニスタンの場合は実際にはその多くが第
が最も破壊したかった秘密施設があった。中国もアメリカ
いわば入力ミスだと弁明しました。
二種なのではないかとぼくは考えます。民間人が巻き添え
も承知の上で、世間には誤爆説を発表したというのが真相
たります。
になることを承知の上で爆弾を落とす。これは故殺、最も
巡航ミサイルや、カーナビと同じようにGPSを使う今
であるようです。
戦略爆撃はもちろん謀殺の確信犯。最初から大量に殺す
の誘導爆弾の精度は一般に信じられている以上に高いらし
寛大に考えても、これは未必の故意による殺人です。
ことを目的にしている。
︵故殺と謀殺という概念は今の日本
弾を落としました。百十五人の民間人、つまりそれぞれに
52
9
新世紀へようこそ
62
名前があり家族があった男と女と子供と老人が死に、村は
消滅しました。
イギリスの
︵インディペンデント︶とい
Independent
う新聞の記者が翌日この村まで行って、現場を見て、記事
を書きました。
最初から否定の意味を含む代名詞があります。
ぼくが知っている最も古い用例を挙げれば、
﹃オデュッセ
イア﹄の中で、一つ目の怪物キュクロプスに捕らえられたオ
最近、頭上を飛行機が飛ぶたびにとても嫌な気分になり
ます。
ぼくが住んでいるのは沖縄ですから、軍用機が多い。戦
の爆音だけでも相当に威嚇的です。
デュッセウスたちが、この怪物の目をつぶして逃れる場面。 闘機が二機ないし四機の編隊でつぎつぎに飛来すると、あ
オデュッセウスは怪物に捕らえられて名を聞かれた時、英
機関砲、空対地ミサイル、誘導爆弾、などなどが向こう
もちろんこれは今の日本では、たとえ沖縄でも、飛躍し
彼らにその意思があれば、自分は即座に殺されている。
にはあり、こちらには何もない。
に﹂と
にやられたのだ?﹂と聞いた時、怪物は﹁ nobody
にあたる言葉を言います。目が
この報道に対してアメリカ国防総省が発表した最終的な
語で言うところの nobody
コメントは、﹁その村では何も起こらなかった nothing- 見えなくなった怪物の叫びを聞いて駆けつけた仲間が﹁誰
答える。
た想像ということになるでしょうが、アフガニスタンでは
﹂
、というものでした。
happened
﹁誰でもない﹂ということになって、仲間たちは犯人捜
それが現実でした。空からの攻撃に対しては身の守りよう
インディペンデント紙のリチャード・パリー記者は憤慨
しています。彼は現場へ行って、壊れた家々と、爆弾が作っ
しをやめて帰ってしまう。その隙にオデュッセウス一行は
アメリカは世界中いたるところであれほど強気なのはそ
たいくつものクレーター、六頭の腐乱した牛の死骸を自分
リチャード・パリー記者とスタッフの車がその村へ行く
のためです。核兵器から対人用地雷まで、炭疽菌までを装
がない。
道を走っている時、頭上にBー 爆撃機が飛来しました。
まんまと逃げおおせる。
だという。
nothing
の目で見たのです。亡くなった人々はもう埋葬されていま
した。
それらすべてをアメリカ政府は
つまり、今のアメリカの立場から言えば、そういうこと
彼らは車を停め、周囲の野原に散りました。
備して、威嚇によって他の国々に言うことを聞かせようと
い範囲に走って散ったところで、全員を殺すのは容易でし
彼らが取材に出るという連絡があらかじめアメリカ側に
た。照準は正確だし、爆弾にはそれだけの威力がある。
かったことにしようと言うこともできる。しかし、そうい
伝わっていたから、Bー は彼らを識別し、爆弾を落とさ
が起 こ ると
nothing
う欺瞞が通用するのは、身内だけの話です。誤って人を殺
パリー記者は ﹁私の身にも危うく
ころだった﹂と書いています。
もう一つ、カマアドはたまたま優秀なジャーナリストの
目にとまったところです。
アフガニスタン全体でいったいいくつの報道されざるカ
マアドがあったのか、それはわかりません。
***
負けた側の反応は二つあります。
いうことでした。
に
nothing
のは、圧倒的な武力を持つ者が持たざる者を痛めつけたと
治と外交の用語で表現しても、アフガニスタンで起こった
ジャーナリズムがいかに冷ややかな、ニュートラルな、政
何週間かのアフガニスタンの事態でした。
力、そういう言葉をすべて使っても言い切れないのがこの
殴る蹴るの暴行、半殺しの目、凄惨なリンチ、侮蔑と暴
なる、消滅すると見せつけた。
自 分 た ちに 逆 らう と こう い う 目に あって国 が
だからアメリカはアフガニスタンに爆弾の雨を降らせた。
獲得したもののおこぼれに与っている。
日本も無関係ではありません。日本はアメリカが武力で
な暮らしを守ろうとしている。
るという説に従えば、彼らは武力によって自分たちの豊か
中央アジアのエネルギー資源の確保という裏の理由があ
している。今のアメリカに恐いものはない。
実際には、Bー がその気になったら、彼らがいかに広
しげしげと見て、去ってゆきました。
Bー はゆっくりと旋回して、 最新の偵察装置で彼らを
爆弾が降ってくると思ったからです。
52
ずに去った。
は納得しません。するはずがない。
と いう 英語が あ
ある読者の方が、 collateral damage
るとメールで教えてくれました。軍事用語で﹁付随的な民
間人死傷者﹂という意味。
用語があるということは、そういうことが起こりうると
と呼ぶ。
nothing
軍人たちは認識しているということです。そして、それを
彼らは
のような、
英語をはじめとする西洋の言葉には、 nothing
52
10
は起こらなかった。爆撃はなかった。
従って、この件がアメリカ国内で報道されることもない
のでしょう。
亡くなった住民はアメリカにとっては最初から存在しな
い人々であった。
52
した場合に、なかったことにしようと言っても相手の親族
人は見たくないものから目をそむけることができます。な
52
一つはこの圧倒的な武力を前にしての戦意喪失。
もう一つは、あったことをないと言う国に対する強い屈
辱感。
存在を否定されたという屈辱感。
どちらが強いかはわかりません。
先日、ある会食の席で、アメリカの会社の東京支社で働
くアメリカ人男性が、
﹁空爆もアフガニスタンのためだ﹂と
言っていたと、同席した友人が憤慨して報告してきました。
このような発言に至る経路が類推できないわけではあり
ません。賛成ではなく、理解でもなく、類推です。
アフガニスタンはタリバンという悪い連中が支配してい
とでどさっと人が倒れる音がして、その十五秒後に逃げて
ゆく少年の姿を自分のアパートのドアから見たと証言した。
電車の線路を隔てたアパートの女性は、通り過ぎる電車
越しに、少年が父親を刺すのを見たと証言した。
少年はその事件の時、アリバイがない。父親と喧嘩して
家を出た後、映画を見ていたというけれど、その内容もタ
る。それを排除して、正しい政府を作るには空爆しかない。 イトルも覚えていない。
負けたのがタリバンだったのか、いわゆるイスラム原理
主義者の中の過激な一派だったのか、アメリカをはじめと
しかし、単純でわかりやすい論法がいつも正しいわけで
はありません。
***
﹃十二人の怒れる男﹄という映画があります。
制作は一九五七年。監督はシドニー・ルメット。主演ヘ
ンリー・フォンダ。
タイトルのとおり、十二人の男が登場します。他には誰
も出てこない。舞台はニューヨークの、裁判所の一室。暑
い夏の夕方で、冷房はない。扇風機も回らない。
十二人は陪審員です。一般市民から無作為に選ばれて召
還された彼らは、ある殺人事件の裁判が進行する間、日々
法廷に通い、検事と弁護士の陳述や弁論、証人たちの言葉
をすべて聞きました。
その後、被告が有罪であるか無罪であるかを判定するた
めに、自分たちだけで一室にこもる。そこから映画は始ま
であり、思想であり、偏見です。
議論で明らかになるのは、むしろ陪審員それぞれの性格
なつかしいペリー・メイスンではない。
これはいわゆる法廷物のミステリーではありません。昔
崩れてゆく。
そうして始まった議論の中で、証言の信憑性が少しずつ
みんなはうんざり。
いのではないか。
人間の生命がかかっているのだから、少し議論をしてもい
自分も無罪と信じているわけではない。しかし、一人の
その理由を説明します。
無罪を投じた一人が立って︵これがヘンリー・フォンダ︶、
が無罪などと言うのか、とみなが腹を立てる。
こんなわかりきった事件、結論は目に見えているのに、誰
しかし、一票だけ﹁無罪﹂がある。
最初の投票が行われる。十一票が﹁有罪﹂
。
有罪という結論が出れば、十七歳の少年は死刑になります。
しになる。
うしても一致しない場合は陪審は不成立。すべてやりなお
評決は多数決ではありません。全員一致が原則です。ど
者もいる。
ぐに済めばナイターの試合開始に間に合う、と考えている
さっさと片づけてしまおう、という雰囲気が濃厚です。す
だろうと思っています。
陪審員のほとんどはこれはまず有罪としてまちがいない
正義のために多少の犠牲はしかたがない。
は、九月十一日が証明しました。
すでに欧米諸国の社会はアフガニスタンの平定という報
道に安心して、セキュリティーを緩めています。
武力行使は本当に正解だったのでしょうか。
︵二〇〇一年十二月二十二日︶
インディペンデント紙の記事は下記のURLで見ること
ができます。
︵一︶インディペンデント紙
﹃十二人の怒れる男﹄
ぼくはこの﹃新世紀へようこそ﹄でずいぶんアメリカに
対して厳しいことを言ってきました。
事件は単純でわかりやすいものに思えます。
ります。
るべく﹁アメリカ政府は⋮⋮﹂という書きかたをしました
階下の老人は少年が激昂して﹁殺してやる﹂と言ったあ
少年と父親は日頃から仲が悪かった。
逮捕され、裁判にかけられた。
ある不良少年が父親をナイフで刺し殺したという容疑で
ての政府です。
が、しかし民主主義のアメリカですから国民の支持があっ
アメリカ全体と今のブッシュ政権を区別するために、な
単純でわかりやすい論法です。
するリッチな国々に対して不満を持つ世界各地の貧国の人々
すべてだったのか、それもわかりません。
自分たちにはBー はない。しかしBー ならば世界中を
767
飛んでいる。これを借りることが必ずしも不可能でないの
52
今、アメリカ国民の多くはブッシュ政権の方針を支持し
ています。
11
新世紀へようこそ
63
ヘンリー・フォンダが一人で活躍するのでもない。彼は
名探偵ではない。
議論が進み、何度も評決が行われます。最初は紙に書い
いう面もあります。陪審員十二名は全員が白人の男性。暑
い夏なのに、大半はネクタイをしている。社会的には中流
います。
戦争と平和はいつでもセットで扱われます。戦争でない
大事なのは、彼らが、この中流以上という強い一面によっ
で考えてみると、この二つの言葉は、たとえば昼と夜のよ
それはそれでもちろん正しいけれど、もう一歩踏み込ん
状態が平和、平和でない状態が戦争。
て有罪を宣告しながら、それぞれの弱い一面︵老人であっ
うに、全面的に対であるわけではない。
以上の人たち。
たり、視力不足を眼鏡で補う者であったり、息子と不仲で
平和主義者はたくさんいます。
ての投票だったけれど、後は挙手になる。そして、一人ま
無罪というのは、少年が父を殺さなかったと確信するこ
あったり︶によって有罪を疑うきっかけを得るというストー
あなたは平和主義者ですかと問われて、いいえと答える
た一人と無罪派が増えてゆく。
とではありません。法廷で彼を有罪とするに足るだけの立
リーの流れです。
人はまずいない。
況に応じて戦争という選択肢を採る人です。その人も常に
しかし、戦争主義者はいません。いるのはその時々の状
国を動かす政治家を市民が自分たちで選ぶ。
平和よりも戦争がいいと主張するわけではない。
しかし、それは十二人に一人はヘンリー・フォンダが混
︵平和は我らの職務︶とい
ます。 Peace is our business
と技術を持つことによって平和を維持しているのだと言い
戦争の専門家である軍人たちでさえ、自らは戦争の手段
じっていることを前提にしての話です。単純でわかりやす
うのは、たしかアメリカ軍の標語だったと思います。
どちらにもぼくは賛同します。
社会の規範となる倫理を市民が作る。
りがあるようです。
アメリカ流の民主主義と陪審制度の間には密接なつなが
証が行われなかったと判断した陪審員は有罪票を投じられ
ない。
﹁疑問の余地﹂を残したまま死刑は執行できません。
***
実は、ぼくはここ何週間か、この映画のことを思い出し
い論法に従って、この件はさっさと片づけ、その子は死刑
という名のピストルもあった。
Peacemaker
今のアメリカに見るとおり、戦争になると政治家は人気
戦争で潤う立場の人はいます。
にしようと言う多数派に対して、ちょっと待てと議論を始
める者がいることを前提にしての話です。
ヘンリー・フォンダの、あの思い詰めたような顔がなけ
武器を作って売る企業は、戦争になって武器が大量に消
が出ます。
九月十一日の事件の後で、ヘンリー・フォンダの役を担っ
費されれば多くの利を得ることができる。また、戦争は彼
れば、民主主義は衆愚主義になってしまう。
たのは、バーバラ・リー議員でした。上下両院合わせて五
らの商品の見本市であり、新製品の威力を実証するよい機
文明の発達で人々が狭い地域に集まって暮らすようにな
てなくなる。家族が死ぬ。
に入り込んできました。家が燃えてしまって、財産がすべ
人間が火を使うようになった時から、火事は人間の生活
戦争と平和の関係は、火事と消防の関係に似ています。
分の町が戦場になることを望むわけではない。
い。彼らが喜ぶのは他国での戦争であって、自分の国、自
それでも、政治家も武器のメーカーも戦争主義者ではな
会です。
百人を超える議員の中で、たった一人。
この人がいたことを、ぼくの好きなアメリカがまだある
︵二〇〇一年十二月二十七日︶
ことを、ぼくは嬉しく思いました。
平和について
あけましておめでとうございます。
1年のはじめですから、平和について考えてみたいと思
12
ていました。
全体の流れは覚えているけれども、細部は忘れている。ビ
デオででももう一度見たいと思っていたら、クリスマスの
前にDVDが発売されました。
さっきあらためて見たところです。
やはりおもしろかった。元はテレビ・ドラマだったそう
ですが、脚本がうまくできていて、役者が達者。
制作が一九五七年という点に注目します。
一九四十年代の後半から始まったレッド・パージ、いわ
ゆる赤狩りでハリウッドはぼろぼろになりました。多くの
優れた映画人が追放された。
それがなんとか収まって、リベラルな雰囲気が生まれた
時期の傑作がこの映画です。
今回見てみたら、ヘンリー・フォンダは主演だけでなく、
プロデューサーとしても名を連ねています。彼はこの映画
が作りたかったのです︵言うまでもなく、彼の娘が、ベト
ナム反戦で活躍したジェーン・フォンダです︶
。
今から見れば、当時のアメリカがわかっておもしろい、と
64
ると、火事の規模も大きくなりました。一軒の火事が燃え
広がってたくさんの人が死に、町ぜんたいが灰になる。
火事は不幸です。火事はなんとしても防がなければなら
ない。もっとどんどん火事を起こすべきだという火事主義
者はいない。しかし、火事は起こる。
だから、人は消防という一連の努力のシステムを作った
のです。
火事が起こった時にすばやく消すために、町ごとに消防
考え出さなければならない。
戦争が火事に似ていると言っても、違うところもありま
き換えてみるとどういうことになるか。
性別、人種、宗教、言語、生活の状態、などなどで人を
す。戦争の原因は、火事で言えば放火にあたる場合が多い。 分けてみる。
人が戦争を始める基本的な動機は支配欲です。もっと広
です﹂とか、
﹁一人が大学の教育を受け、二人がコンピュー
なく、一人は死にそうなほどです。でも十五人は太り過ぎ
すると、百人のうちの﹁二十人は栄養がじゅうぶんでは
い領土が欲しい。隣の国も自国の一部にしたい。他の宗教
タ ー を もってい ま す け れ ど、 十 四 人 は 文 字 が 読 め ま せ ん﹂
とても多い。
の信者を力づくで改宗させたい。あるいは広い領域ぜんた
などという事実がわかる。
います。
正義の戦争
難民がやってきて、パキスタン側に入ることを求めている
パキスタンとアフガニスタンの国境地帯に五千人ほどの
にはそうではないらしい。
平和に戻ったたかのような雰囲気が流れていますが、実際
メディア全体にアフガニスタン問題は終息し、あの国は
︵二〇〇二年一月一日︶
めに、
﹁百人の村﹂のような知恵がもっともっと必要だと思
二○○二年を平和の年にするために、火事を出さないた
今の人気は戦争を続けなければ維持できない。
真意を読めば、
﹁戦争の年にする﹂ということです。彼の
なる﹂と言いました。
アメリカのブッシュ大統領は﹁二○○二年は戦争の年に
は火の用心の役に立ちます。
たな戦争の火種はたくさんあるけれど、だからこそこの本
実際には﹁お金持ちクラブ﹂の欲望には限りがなく、新
に立つ。
こういう考えかたが、長い目で見れば、戦争の防止の役
いことです。
たくさんの人がこの本を読んでいるというのはとてもよ
いの盟主になりたい。世界を支配したい。
も戦争の動機になります。あるいは、手にした植民地を手
国外の資源が豊かなところを植民地にしたい、というの
それ以上に、普段から人々に火の用心を呼びかけ、消火
放したくない︵第二次大戦の前、日本は﹁満州は日本の生
自動車を用意しておく。
器の設置を促し、新築の建物には耐火構造を義務づけ、大
命線である﹂と言っていました。満州がなかったら日本は
しで栄えています︶
。
生きていけないという意味ですが、現実には日本は満州な
きな建物ならばスプリンクラーなどの設置を強制する。
これらは行政の仕事だと思われていますが、行政は常に
住民の意思を受けて動きます。消防活動の背後には、住民
石油や天然ガスのような経済的な権益も一種の領土欲で
す。逆に商品を売るマーケットを求めて戦争を始める場合
のみなが支持する消防の思想があります。
では戦争はどうか。
もある。
な暮らしの内容を再検討する必要が生じる。無用の浪費と
こかで戦争が起こる。そういう戦争を防止するには、豊か
要するに、一国の国民の豊かな暮らしのために、遠いど
争いは人類の起源以前からありましたし、技術の発達に
つれて次第に規模が大きくなってきた。
はじめ小さな集団の間で戦っていたのが、今は国と国が
戦って大量に人を殺します。
昨年の九月十一日から後、国際社会という言葉が何度と
豊かさは違うということに気づくきっかけがいる。
わかっていても戦争は起こる。火事の場合に炊事の火や
なく使われ、その実態が﹁お金持ちクラブ﹂にすぎないと
戦争は不幸です。それはまちがいない。
タバコの火の不始末とか、漏電とか、放火とか、原因がい
ぼくは書いてきました。
六十三億の人口を持つ今の世界を仮に人口百人の村に置
内容は簡単明快。
が本の形になった。
しい形の民話で、ぼくも何通か受け取っていました。それ
もともとはEメールというメディアに乗って広まった新
ハウス刊︶
。
たら﹄という本がベストセラーになっています︵マガジン
この考えを巧みに表現した﹃世界がもしも百人の村だっ
ろいろあるように、戦争の原因もさまざまあります。
その原因を日常の努力で一つ一つ抑え込む。万一にも燃
え始めたらすぐに消す。延焼を防ぐ。
平和主義とはそのための努力のことです。
努力は具体的でなければならない。
国民がみなで日に三回、平和平和と唱えたところで、平
和は来ない。戦争反対と叫べば、間近に迫った戦争がすご
すごと帰ってゆくわけではない。
戦争が起こるからくりを知って、それに対抗する方策を
13
新世紀へようこそ
65
という報道がありました。
治安の悪さと空爆を逃れてカンダハルから来た人々。実
際に家を捨てはしないものの、できればパキスタンに行き
たいと願っている人も多いようです。
他のイスラム諸国にとってもアメリカにとっても、イラ
ン革命は衝撃でした。
アメリカ︵ならびにその他の先進諸国︶にとって中東は
種で、しかもそこに油田があった。
これら一連の経緯を考えると、湾岸戦争については、ど
ちらの側にも正義などなかったと言わざるを得ません。
あったのは石油を巡る利権であり、サウディならびにク
ウェートの専制的な王家の支配を維持しようという思惑で
石油の供給地です。本当の話、それ以外の関心はない。
旧イランやサウディアラビアやクウェートのように、専
空爆の方は、年末、東部パクティア州で誤爆により住民
あり、大量の武器の売り込みであり、たくさんの死者と、多
弱いクウェートを強いイラクがいじめたから、みなが義
くの破壊、環境への悪い影響でした。
しかし、これらの国々の国民が必ずしも専制的な王の支
侠心で助けに行ったというような美しい話ではなかった。
しかし、イランは意外に強かった。戦争は長引き、戦線
︵今回で言えば、洞窟に潜んだタリバンをおそるおそる
指導者であったビン・ラディン。
ソ連をやっつけるためのサウディアラビアの義勇兵、その
イランを叩くためのイラク、アフガニスタンに侵攻した
なった。
戦死者を出した後、アメリカは自国の兵を前線に出さなく
アメリカはいつでも代理を立てます。ベトナムで多くの
しの強い国。最もたくさん石油を消費する国。
に影響力を行使しようとし、何から何まで仕切りたがる押
中東からはるか遠いところにありながら、すべての局面
イラクでもなく、アメリカでした。
この騒動でことの流れを決めていたのは、サウディでも
配を望んでいるわけではない。イランでは国民の反発は強
あとはどうでもいい。
百名が死亡というニュースがあります︵アメリカ軍は否定︶。 制的な王家が国を支配して、安定して石油が輸出されれば
三日には、今年に入って初めての空爆が実施されました。
寒さが厳しくなる中で、食糧や医薬品の輸送などはどう
なっているのか。報道がないだけに気になります。
かった。
だからホメイニの革命は成功したのです。
前回に続いて、戦争と平和についてもう少し考えます。
正義の戦争はあり得るか。
この革命が波及しては困る、といくつかの国が考えました。
争が始まりました。フセインには速やかに勝利に至る公算
こうして一九八十年の九月、イラクはイランを攻撃し、戦
にしました。サダム・フセインのイラクです。
の産油国とアメリカはイラクに武器と資金を提供すること
イランを倒すためにサウディアラビア、クウェートなど
強い国が弱い国に攻め込んだ。弱い国は必死で防御する。
この場合、この戦いは弱い国の側から見れば正義の戦争で
す。第三者から見てもそう見える。
しかし、現代では事態はそれほど単純ではありません。
ぼくがここで強い国と言ったのは、他国を侵略して併合
できるだけの武力と国力を持つ国という意味です。
一九九十年の八月二日に強い国イラクが弱い国クウェー
は膠着し、死者の数は双方で増え続けた。最終的にはイラ
があった。
トに軍を進めた。この侵略に対するクウェートの戦いは正
クが優勢に立って、八年の後、イランが無条件で停戦に応
強い国と弱い国の典型を探してみました。
義の戦争だったか。
探すのは北部同盟系の兵士。後ろで指揮を執るのはアメリ
かくてイランのイスラム革命が湾岸諸国に﹁輸出﹂される
そして、終わると見捨てる。
じる形で、一九八八年八月、戦争は終わった。
の次の段階、アメリカ軍を主力とする多国籍軍がイラクを
という事態は避けられました。イランを抑えたフセインは、
後に恨みが残ります。
実際にはクウェートは戦う間もなく占領されました。そ
攻めたのは、しかし、正義の戦争とは言えないものであっ
リッチなアラブとアメリカのために多くの兵を死地に送っ
正義は主観的なものです。
に報いなかった。少なくともフセインはそういう不満を抱
サウディなどの産油国とアメリカは、しかし、彼に充分
敵味方に共通する正義があったならば、戦争は起こってい
関係者全員から見ての正義などあるはずがない。もしも
があったか、知る必要があります。
いう経過をたどったか、どちらの側にどれだけの戦う理由
すべての戦争について、どういう事情ではじまり、どう
なかったはずです。
です。もともとイラクとクウェートの間の国境線は論争の
これが一九九十年のイラクによるクウェート侵攻の背景
う思いが残った。
いた。おだてて使われ、ことが終わると見捨てられたとい
カ軍。
︶
た。あまりに多くの利害が絡んでいた。
て戦ったのだから、それなりの報償があるものと思った。
話の始まりはイランです。昔のペルシャですから、イス
ラム圏ではあってもアラブではありません。
かつてこの国はパーレビという専制的な国王が支配して
いました。そしてアメリカはこの国王を支持していた。
しかし、ホメイニが現れてパーレビ体制はあっけなく倒
れました。ホメイニはイスラムの教えに忠実な、厳格な政
治を布いた。イラン国民はこれを歓迎した。
14
今回のアフガニスタンの戦争について言えば、アメリカ
の側に正義はなかった、とぼくの目には映りました。
九月十一日の同時多発テロに対する一連のアメリカ政府
の行動の結果、アフガニスタンのタリバンという政治組織
が崩壊・消滅した。しかし、この間のことの流れを貫く正
義という糸は見えない。
︵二〇〇二年一月五日︶
アメリカにとってタリバンとは何だったのか、それを次
に考えてみたいと思います。
空爆の前と後
アメリカの有力な週刊誌
によると、アメリカ軍の空
Time
爆によって殺されたアフガニスタンの民間人の数は三千七
ます。九月十一日の同時多発テロによってアメリカで亡く
なった人の数は今、三千二百二十五人とされています。ア
フガニスタンの誤爆による死者はそれを上回った。
行使をしたのか。
九月十一日の大規模なテロの容疑者であるビン・ラディ
ンを捕らえる、彼を匿っているタリバンという組織に圧力
ました。ここで四千人から三千二百二十五人を引き算して
のテロの犯人ではない。ビン・ラディンに住処を与えてい
とになった。前にも書きましたが、タリバンは九月十一日
しかし、実際には途中からはひたすらタリバンを叩くこ
ぼくは犠牲者の数による取引をするつもりはありません。 をかける。当初はそれが目的だったはずです。
それについては﹁ WTCの中の保育所﹂に詳しく書き
はいけない。足し算をして、九月十一日のテロの犠牲者は
たという以外、関連はほとんどない。テロの実行者の多く
の試みでした。 でも、 実際にはあれ く
humanization
らいでは足りないのです。ぜんぜん足りない。
アフガニスタン人を人間として見るという意味で、一月
八日の朝日新聞朝刊に載った辺見庸氏のカブール見聞記は
迫力がありました。あの国の人々を今おおう不幸と不安が
具体的に伝わる強烈なレポートでした。
***
そもそも、アメリカはなぜアフガニスタンに対して武力
りました。
その時点から、悪いタリバンというイメージ作りが始ま
軍が役に立つ場面を作らなければならない。
多額の予算で軍を維持している以上、国の危機に際して
その相手がたまたまタリバンだったのではないか。
相手がいる。
もっと大規模な、アメリカの軍事力を誇示できるような
消しなかったでしょう。
らえてすぐに死刑にしたところでアメリカ国民の怒りは解
しかし、彼を捕らえるのはむずかしい。それに、彼を捕
そこでビン・ラディンの名が大々的に報道された。
した。具体的な敵が欲しかった。
た自分たちの失策に対する国民の怒りを振り向ける相手で
当初、アメリカ政府が必要としたのは、テロを防げなかっ
ことを最初から見なおしてみましょう。
どこかで何かがすり替わっている。
にそう言うべきでした。
拘束ではなかったのか。圧政からの解放が目的ならば最初
ら解放した﹂と言っていますが、目的はビン・ラディンの
ブッシュ大統領は﹁われわれはアフガニスタンを圧政か
そして、タリバンが消滅したことを成果として誇っている。
同盟という敵対組織に武器を与えて戦わせた。
タリバンに対してアメリカは大量の爆弾を落とし、北部
はサウディアラビア人だったようです。
七千二百二十五人以上と考えなければならない。
その上で、そのうちの三千二百二十五人の死はテロの犯
人たちの責任、四千人以上はアメリカ政府の責任とするべ
きです。
***
今アメリカのメディアでは、九月十一日の犠牲者たちの一
人一人の中断された人生を検証して詳しく伝える
と呼ばれる報道が広く行われています。死者を単
ization
human-
大学のマーク・ハロルド教授。ただし、これは去年の十二
しかし、アフガニスタンの死者については誰もそれをし
なる統計上の数字ではなく人間に戻して悼む。大事なこと
ハロルド教授がどういう方法で集計したのか、機密情報
ていません。ぼくが ﹁ 難民になる﹂などでなんとかア
月六日までの数字です︵その後、十二月二十九日までの分
にどこまで近づけたのか、どの程度信憑性があるのか、わ
フガニスタンの人々の姿を想像しようとしたのもまた一種
です。
かりません。広いアフガニスタンで、交通機関も通信網も
の
を加えるとおよそ四千人になるという発表がありました︶
。
百六十七人、だそうです。計算したのはニューハンプシャー
20
寸断されているのに、正確なカウントを期待するのは無理
でしょう。だいいち、高い空から爆弾を落とすだけなのだ
から、その爆弾が何人殺したかはわからない。
これが確実な根拠のある死者だけを数えた数字ならば、実
際にはどれだけの人が死んだのか。
いつになったらそれは明らかになるのか。
***
四千人前後という数字にはしかし一つ大きな意味があり
27
15
新世紀へようこそ
66
たとえば公開処刑の映像。
第一、アフガニスタンの女性たちのブルカを脱がせるた
感、放置された大量の不発弾、悪化する治安、無数の軍閥
ア フ ガ ニ ス タ ン で 長 く 女 性 の 人 権 の た め に 戦っ て き た
の跋扈、食糧や医薬品の不足。
タリバンは消滅しましたが、アフガニスタンの女性たち
と い う組 織があ りま す。 彼 女たち は北 部同 盟の
RAWA
めに爆撃が必要だという理屈はありません。
ロッパのほとんどの国が死刑を廃止し、いわゆる先進国の
の多くはブルカを脱ぎません。それはタリバン以前からあっ
統治に反対するという声明を出しました。タリバンも北部
公開であろうとなかろうと、死刑は残酷な刑です。ヨー
中で残るはアメリカと日本だけという事態を考えると、わ
た習慣だから、タリバン以後も続く。タリバンがブルカを
そう思っていたわけではないようです。習慣というのは簡
今、アフガニスタンは混乱しています。信頼される統治
空爆の前と後でアフガニスタンはどう変わったか。
︵二〇〇二年一月十二日︶
足という、共に身に付ける二つの物によって表現されます。
この映画の中で、アフガニスタンの苦しみはブルカと義
一行。
という黒人の医者、カンダハールの婚礼に向かう女たちの
義足を支給する赤十字のセンター、元はアメリカ兵だった
の子をたくさん集めた神学学校、地雷で足を失った人々に
イラン側にある難民収容所、小学校の高学年くらいの男
てアフガニスタンの現状を認識します。
旅の途中でナファスはいろいろな人に会い、体験を通じ
です。
町に向かう彼女の困難な旅を描く、一種のロードムーヴィー
ハールに行くのはむずかしい。映画はイラン国境からこの
ナファスは妹を助けに行こうとします。しかし、カンダ
いる気力がない。二十世紀最後の日食の日に自殺する。
した、女性を蔑︵ないがし︶ろにする国でこれ以上生きて
もとに故郷に残った妹から手紙が来る。この貧しい、混乱
女性が国を出て、カナダでジャーナリストになる。彼女の
アフガニスタンのカンダハールに育ったナファスという
ハール﹄を見ました。
イランの映画監督、モフセン・マフマルバフの﹃カンダ
マフマルバフの映画と本
では何のため爆撃だったのか。
同盟も変わらないというのが理由です。
れわれにタリバンの死刑を批判する資格はありません︵全
誤爆で死ぬのだって不幸なことです。
公開処刑で死ぬのは当人にとって不幸なことでしょうが、
多いようです。
れるのを避けるためにブルカを脱がないという女性たちも
更に今、タリバンの後に入り込んだ北部同盟の兵に襲わ
過ぎなかった。
世界では七十六か国が法的に廃止、二十か国が事実上廃止︶。 発明したわけではなく、彼らはこの習慣の励行を促したに
それに、処刑を公開している数少ない国の一つであるサ
ウディアラビアはアメリカの同盟国です。こちらを無視し
てタリバンだけを難ずるのは公正ではない。
あるいは女性の地位。
タリバンは女性の社会活動を抑圧し、顔を覆うブルカを
強制した。
でいる。誤爆には何もない。無差別の殺意があるだけの無
処刑の方は裁判という、その社会が認めた手続きを踏ん
感情に訴える話題。先進国の女性たちは、そんなものを被
意味な死です。
これはなかなかむずかしい問題です。公開処刑と同じく、
れと言われるのはまっぴらだと、自分の身にひきつけて考
タリバンはあまりに孤立した、現代世界の常識を欠く、問
題の多い組織でした。バーミアンの仏像破壊などとんでも
える。タリバンはひどいと思う。
しかし、文化は結局はその国の人々が選ぶものです。
ないことをした。女性の地位についてもたしかに配慮が足
困などの問題の多くは、それ以前からあったものです。他
しかし、タリバン時代のアフガニスタンが抱えていた貧
りなかった。
江戸時代の既婚女性はお歯黒をしていました。今のわれ
われから見ればとても醜悪なもので、だからテレビ・ドラ
マの中ではこの風習はなかったことにして、妻たちは白い
歯のままで登場します。
しばしば言われる人身売買も、売春も、物乞いをする女
国は誰も手を貸さなかった。
ともないことはおやめなさいと言われたら、日本の妻たち
たちも、アフガニスタンそのものの社会問題であって、タ
もしも、江戸時代、仮にアメリカ人女性からそんなみっ
はどう反応したでしょう。イヴニング・ドレスのような素
リバンはそれを解決できなかったに過ぎない。
よりはタリバンの統治の方がいいと国民の多くは思った。だ
それでも、ソ連の侵攻からタリバン登場までの間の混乱
肌丸だしの恥ずかしい姿はやめなさいと反論しなかったか
どうか。
ブルカを脱ぎたいのに脱げない人にとっては、タリバン
単に廃止できないから習慣なのです。ブルカに慣れた人に
組織の不在、他国の圧力と武力でかろうじてまとまってい
から彼らの統治はそれなりに安定していたのです。
とって素顔を見せるのは裸と同じように恥ずかしいのかも
る暫定政権、キリスト教の大国に依存しているという屈辱
の支配は辛かったかもしれない。しかし、すべての女性が
しれない。
16
67
一方は女の顔を奪い、一方は奪われた足を補う。
リアリズムの話ではなく、なかば幻想の旅路。幻想だか
らこそ話が旅の途中で終わることに意味がある。
今の時点で見るとタリバン批判と取られかねないのです
円+税︶
。刊行されたのは二○○一年の初め、つまり九月十
のあまり崩れ落ちたのだ﹄
︵刊行は現代企画室、定価千三百
︱︱﹃アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱
心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもなら
ガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関
論に達した。仏像は、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ。アフ
ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結
この部分を読みながら、ぼくは最近、バーミアンの磨崖
一日の前、全世界がアフガニスタンに注目する以前のこと
マフマルバフは映画制作者になる前にまず作家になった
仏を復元するプランがあるという記事を読んだことを思い
ないと知って砕けたのだ。
﹂
しょう。近代化ができないままにソ連の侵攻で崩れたアフ
人物ですから、文章がうまい。簡潔に真実を伝えるのがう
出しました。恥辱の思いで自ら崩れ落ちた仏像は、恥辱の
です。
ガニスタンという国の惨状を訴え、この国の戦禍や極貧や
まい。これを書く前に一万ページの資料を読んで勉強した
事態が解消されないかぎり、ただのコピーに過ぎないだろ
が、マフマルバフ監督の意図はたぶんそれよりも大きいで
難民をずっと無視してきた国際社会の無責任を問う。
と言っていますが、その成果をわずか百五十ページの中に
それでも、見終わってから、この組立には限界があると思
︵二〇〇二年一月十九日︶
う、というのがぼくの感想です。
このような、エッセンスだけを収めた本は、書評者の立場
お金は必須だけれど、お金だけでは何もできない。部族
てアフガニスタン人が決めることです。
アフガニスタンをこれからどういう国にするかは、まずもっ
国を作るというのは、人間を組織することです。そして、
でしょうか。
﹁空爆﹂の補償金としてでなければお金は出なかったの
やると言わんばかり。
る気持ちもあります。タリバンさえいなければ何でもして
その一方、先進諸国の掌を返すようなふるまいに当惑す
とでしょう。
何をするにも先立つものはお金ですから、それはよいこ
見捨てられていた国にどっと援助のお金が流れ込む。
先日、アフガニスタン支援会議が開かれました。
バーミヤンと首里城
見事に要約している。
ら描くのでは、アフガニスタン人の内面には入れない︵カ
から言うと、実は紹介しにくい。それ以上の要約は不可能
いました。カナダ帰りの女性を主人公にして、外の視点か
ナダ帰りの女性も自殺予告の手紙も実在し、この映画はい
だからです。こういう本はさわりを引用するしかない。英
な本の典型です。
quotable
わば偶発的に実話から生まれました︶
。
語でいうところの
二か所だけ引きます︱︱
マフマルバフは真摯ですが、それでもやはり外からの批
判です。アフガニスタンの人々が自ら変えないかぎりアフ
だろう。その一時間のあいだに、アフガニスタンでは少な
﹁このレポートを最後まで読むには、一時間ほどかかる
いつか、アフガニスタンからマフマルバフのような映画
くとも十二人の人びとが戦争や飢餓で死に、さらに六十人
ガニスタンは変わらない。
制作者が生まれて、自分たちの視点から見たアフガニスタ
のレポートは、その死と難民の原因について述べようとす
がアフガニスタンから他の国へ難民となって出ていく。こ
それはそれとして、この映画は見るに値します。大きな
るものである。この苦い題材が、あなたの心地よい生活に
ンを描く日を待ちたいと思いました。
スクリーンで見る映像は、やはり強く訴える力を持ってい
﹁私は、ヘラートの町のはずれで、二万人もの男女や子
無関係だと思うなら、どうか読まずにいてください。﹂
ぼくが見たのは東京の新宿武蔵野館四でしたが︵客席数
どもが、飢えで死んでいくのを目のあたりにした。彼らは
ます。
八十四の小さな映画館で第一回上映から満席立見状態︶
、ま
もはや歩く気力もなく、皆が地面に倒れている。ただ死を
人だと言うのを私は聞いた。
アフガニスタン中で餓死に直面している人びとの数は百万
困難な過程でしょう。
ニスタンの人々の性格に合った国のシステムを作る。長い
れ、世界は彼らのために手を尽くすと約束した。三カ月後、 対立と、国を統治する経験の不足、長い戦乱による社会の
イランのラジオで、この国連難民高等弁務官の日本女性が、 荒廃、干魃、国際関係の空白、などなどを越えて、アフガ
る日本女性︵訳注 緒方貞子氏︶もこの二万人のもとを訪
最近の干魃である。同じ日に、国連の難民高等弁務官であ
待つだけだった。この大量死の原因は、アフガニスタンの
もなく日本全国ロードショーの予定とのことです。
***
映画館で彼の著書を売っていたので買いました。
本の方はもっと直接的に、具体的に、アフガニスタンの
惨状を訴えます。
長いタイトルが、この本の内容を雄弁に説明しています
17
新世紀へようこそ
68
い 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ﹂としたら、その恥辱の
沖縄に住むぼくはここでつい首里城のことを考えます。今、 言うように、
﹁アフガニスタンの仏像は破壊されたのではな
首里城は観光の目玉です。観光客の多くが一度は︵一度だ
表象として、あそこはあのまま残すべきです。
そのために外部からの援助は欠かせない。求められてい
るのはお金と知恵です。現地の状況に合った細やかな知恵
けは︶行くところです。ユネスコの世界遺産にもなってい
今、先進国には商品があふれています。商品の供給が文
明だと信じられています。それらの背後にあるのは精神性
消滅した理由は﹁空爆﹂でした。第二次大戦中、沖縄戦
たない。信仰なき者が造るのだから役に立つはずがない。
バーミヤンの仏像を復元したとしても、信仰の役には立
ではなく消費の欲望です。
の最中に、日本軍はここに司令部を置きました。当然、ア
観光という消費を煽り、アフガニスタンを先進国の経済
︵二〇〇二年一月二十六日︶
ぼくの家は沖縄本島の南部にあって、周囲にアメリカ軍
ました。
昨日、本島の中部から家に戻る途中、装甲車とすれ違い
基地オキナワ
画はそれを確かめてからでも遅くはありません。
の国の人々が本当にそれを望んでいるのかどうか、復元計
システムの末端に組み込むのには役に立つでしょうが、あ
メリカ軍は爆弾と砲弾を雨あられと降らせ、首里城は炎上
補修ではなく、消滅していたものをあらためて造った。
しかし、今ある首里城は復元されたものです。修理とか
ます。
の援助が必要なのです。
その意味で、アフガニスタン支援会議で外務省が一部の
を排除しようとしたのは間違いです。会議は東京で
NGO
開かれましたが、現場はあくまでアフガニスタンです。大
国の官僚たちは全体のことの流れの中で、自分たちがどう
いう位置にいるか、正しく把握すべきです。
NGOが動かないかぎり、事態は爆弾の代わりに援助資
一九八九年になって復元計画がはじまり、図面もろくに
しました。
しばしば見るように、企業が群がっていわゆるハコモノは
無かったために苦労を重ねながら、国の予算で建物が造り
金を撒く空爆のようなことになってしまいます。ODAに
できたけれども中身がないということになる。支援のお金
しかし、当然ながらこの建物に琉球の王様が住んだこと
直され、それらしいものができました。
前回も少し書きましたが、提案されているアフガニスタ
はないし、これから住むこともない。本来のものとはまっ
は見事に元の国に還流して企業を潤し、政治家を潤す。
ン再興計画の中に、バーミヤンの磨崖仏を復元するという
たく違う目的のために造られたという意味で、これはテレ
ビ・ドラマのセットと同じものです。今もって新品のピカ
ピカです。
今ここを訪れる観光客に手渡される小冊子には、戦争の
ことは具体的には何も書いてありません。最後のページの
側面に大きなタイヤが三つ付いた迷彩色の装甲車は、い
年表に﹁沖縄戦により焼失﹂と小さな記載があるだけです。 の基地はないけれど、中部と北部にはたくさんある︵自衛
広島の原爆ドームが負の遺産として意義を持ったように、 隊の基地はうちの村にもあります︶
。
首里城も空白のまま残した方がよかった、というのは極論
18
一項がありました。
確かにタリバンの印象を格段に悪くしたのは、あの破壊
行為でした。野蛮な行為と突き放すのは簡単ですが、彼らの
側が出していた必死のサインを先進諸国が読みとれなかっ
たのも問題です。
では仏像は本当に復元できるのか。
多くの政治的な力が働いた結果としての破壊を、土木と
建築でリセットできるのか。
ぼくはそれはむずかしいと考えます。
た。Uターンができない。
こに行くのか追跡したところですが、そこは高速道路でし
ンバー・プレートを見ればわかります︶
、場合によってはど
衛隊か確かめ︵後ろからでは兵の顔は見えないけれど、ナ
一般道ならばUターンして追いかけて、アメリカ軍か自
ました。
乗った兵の顔が日本人のように見えた。自衛隊かなと思い
でしょう。しかし、焼失とその理由もこの建物の歴史におい
きなり見ればぎょっとします。それくらい威圧的です。そ
て重要なものであり、詳しく書かれるべきだとは思います。 れが三台、縦列で通り過ぎました。半身を乗り出すように
昔は大きな建造物を造るのは大変なことでした。
なぜならば、今のアフガニスタンはイスラム教徒の国で
あって、仏像は異教徒の偶像でしかない。従って、その価
と長い歳月が必要でした。仏像の意味はそこから生じた。信
バーミヤンの磨崖仏を造るには無数の信者の祈りと寄進
そして、コピーは結局はコピーでしかない。あの地域で
者たちの信仰心を象徴するものだからこそ、尊崇の対象に
値は観光資源という以外にはありえない。
は六世紀から九世紀までの間に多くの仏像が造られました
もなった。
はいかなる信仰もありません。モフセン・マフマルバフが
遠い国の官僚たちが建設業者と謀って決める復元計画に
が、今回の復元には当時の精神はどこにもない。つまり、復
元される磨崖仏はやはり︵洒落でなく︶まがいものであり、
はりぼてなのです。
69
隊はアメリカ軍基地を守るために装甲車まで持ってきてい
なんとなく嫌な感じのままになってしまいました。自衛
守るものであって、決して住民を守りはしない。住民はむ
それに、軍というものはまず自分たちを守り、次に国家を
ピンに駐留するかもしれない。
指摘する声もあります。アメリカ軍がこれから長くフィリ
ロ組織殲滅を理由にまた大規模な武力行使という可能性を
ちなみにフィリピンで一月下旬に行われた世論調査では
しろ邪魔なのです。
これが今までの沖縄の日常でした。
%が米軍の派遣に反対、 %が賛成でした。また、フィリ
るのだろうか。
九月十一日から後で警戒が厳しくなって、それで観光客
が激減したことは前にも書きました。
しかし、それとはまた別に、アフガニスタンで武力行使
が始まって以来、ぼくの中のアメリカ軍のイメージが変わ
40
の
こ
縄は追い詰められています。失業率は全国平均の倍。県政
ですが、下請けの下請けでも仕事は欲しいというほど、沖
たる事業は内地の大きな会社に行くしかけになっているの
事が舞い込むだろうという期待の力は大きい。実際には主
新基地が建設されるとなると、土木関係で相当な額の仕
から出るようになりました。
て替えられ、それぞれの自治会に年間数百万円の予算が国
国の金はすごい。地元ではこの間に五か所の公民館が建
う選択を迫られている。
費と公共事業の金か、平和で安全な基地なき生活か、とい
有権者は、国からざぶざぶとつぎ込まれる基地関連事業
ます。
選挙は基地受け入れ派の現職と反対派の対決になってい
︵五︶次の市長選の時期が来た、ということです。
︵四︶賛成派の候補が当選して市長になって四年、
受け入れを表明して辞任、
︵三︶市民投票では反対が過半数を占めたのに当時の市長は
︵二︶その候補地として沖縄県内の名護市辺野古が挙げられ、
へ
天間飛行場をどこかに移そうということになって、
︵一︶過密な住宅地の真ん中にある危険なアメリカ海兵隊普
改めておさらいをすれば︱︱
うという、ねじれた選挙。
の選挙であるにもかかわらず国政レベルの判断を住民に問
普天間飛行場移設問題を最大の争点にして、地方自治体
来る二月三日は名護市の市長選挙の投票日です。
ピンの憲法は国内での外国軍の活動を禁止しています。
53
ぼくの家の上空でも頻繁に軍用機が飛びます。中部に行
くとその数が格段に増える。
那覇の空港を離陸した旅客機が、普通ならならまっすぐ
一万メートル以上の巡航高度まで上昇するはずのところを、
低い高度のまま不安定に飛ぶことがよくあります。民間機
軍人たちが操縦するあの飛行機が飛んでいって爆弾を落と
変わったのではなく、具体化したのかもしれない。あの
のコースが嘉手納飛行場の進入路とクロスしているために、 りました。
入ってくる軍用機の下をくぐる形でしか飛べない、という
のが理由です。これも嫌な感じです。
軍は人を殺す。効率的に、大量に、見境なく殺す。しか
す。これは強烈に禍々しい印象です。
している。しかし、日本人の大半はそんなことを忘れている。
も、その死体を見もしない。殺すというよりはもっと無機
日本は日米安保条約に基づいてアメリカ軍に基地を提供
三沢、横田、横須賀、岩国、沖縄⋮⋮これらの地名を見
﹂という感じです。それを任務
liquidate
的に﹁消去する
実際に沖縄からアフガニスタンに向かった部隊はどれだ
て共通項を当ててくださいと言われて、すぐにアメリカ軍
沖縄で暮らしているとアメリカ軍の存在を忘れることは
けあったのかはわかりません。距離がありますから、ベト
とする人々がここにおり、そのための設備がここにある。
できません。日本のアメリカ軍基地の四分の三は沖縄にあ
ナム 戦争の 時のよ うに嘉 手納基地 を発進 したB ー が 爆弾
基地と答えられる人が何割いるでしょうか。
ります。頭上を轟音と共に戦闘機が飛ぶのは毎日のことで
しかし、アメリカ政府はアフガニスタンの後も世界各地
を落とすということはなかったでしょう。
うに芝生が広がり、軍人の住宅がぱらぱらと並ぶ。路上で
で軍事行動を続けるつもりです。さしあたってはソマリア
す。国道の脇は基地、金網の向こうにまるでゴルフ場のよ
ナンバー・プレートにYの字があるのは軍関係者の車。事
とフィリピン。
フィリピンへの派遣は形の上では﹁バリカタン ー一﹂と
そのフィリピンへ沖縄の部隊が行きました。
故も多いし、アメリカ兵の犯罪も多い。
彼らの車は概して整備が悪い。高速道路を通っていて、大
きなトレーラーが故障で路側帯に停まり、兵たちがぼさっ
織アブ・サヤフの掃討作戦であると言われています。例年
いう合同軍事演習への参加です。しかし、実態は反政府組
飛行機にしても同じことで、油圧に異常を生じたヘリコ
ならば一か月の駐留が今回は六か月と長く、しかもアブ・
と救援を待っているという姿を実に頻繁に見かけます。
プターがいきなり小学校の校庭に不時着したりする。全体
アロヨ大統領はアメリカ兵は実戦には参加しないと言っ
サヤフの拠点があるバシラン島を選んで行く。
だからと言って、彼らに守られているから安心という気
ていますが、正当防衛という理由をつければいつでも戦端
として軍というものの存在感が強い土地です。
持ちにはなりません。銃を構えている者は銃で撃たれても
しかたがない。その意味では、基地は攻撃を引き寄せます。 を開くことはできる。アメリカ兵が一人でも死んだら、テ
19
新世紀へようこそ
52
02
は無能。先に希望がありません。あたかも基地移転を受け
しかしその拳で相手を殴りはせず、そのまま降ろす。そち
理不尽な暴力に遭って、ゆるせない、と拳をにぎりしめ、
ぼくにはその非難の中に﹁あんなものを着せられるのは
らの方が普通のふるまいではないのか。なぜならば﹁自分
女性たちにブルカを強制したことが強く非難された。
まっぴら﹂という欧米の女性の感情的な反発があるのでは
の無力さが骨身に沁みているからだ。反撃すれば、もっと
入れるしかないという構図が作られたかのようです。
もう一つ争点があるはずです。
ないかと考えたのですが、これがなかなか説明がむずかし
手痛いしっぺがえしが待っていることを、知っているから
アフガニスタンであれだけ人を殺した、九月十一日のテ
ロ攻撃と結果的に同じことをしたアメリカ軍という組織を、 かった。
す。タリバンの施策は前近代的だったが、それは彼らが、近
だからヒロシマ・ナガサキに対して日本は報復しなかっ
だ。この経験は、無力なものには親しい﹂と上野さんは言
目の前のお金と遠方の死者。
代化すなわち万民の幸福とは考えなかったからでした。そ
た。五十六年間に亘ってアメリカ軍基地を押し付けられて
ブルカはタリバンが発明したものではない。伝統衣装で
むずかしい選択だと思います。お金がなくては暮らせな
れを批判するには、近代化あるいは欧米化が万民の幸福を
も沖縄は日本に反抗しない。夫に殴られる妻は殴り返しは
名護市民は受け入れるのか。
いのは明らかで、そういう時にアフガニスタンのような遠
保証するという論拠を提示しなければならない。
あなたは本当に幸福ですか、と問われた時、イエスと言
力が降りかかってくる。弱者は苦い体験からそれをよく知っ
れても殴り返す力はない。半端に報復したら更に大きな暴
この世界で、暴力に遭う者の大半は無力なのです。殴ら
います。
い国の死者は見えにくい。
うのをためらう人は欧米にも少なくないでしょう。ためら
ています。だから、頭を抱えて、致命的な部分を相手にさ
目を見張りました。ぼくの中のもやもやとした思いがこの
抗で待つ。痛いけれども耐える。
改めて見渡してみれば、この世界に住む人の大半は弱者
力な者なのです。だから、殴り返せる者、報復できる者、圧
です。世に住む者のたいていは泣き寝入りするしかない無
自分が何者であるかは自分が決める。
倒的な武力を持つ者の側から世界を見てはいけない。それ
言葉によってぴたりと定まった。
しない。なぜならば、無力だから。
しかし、戦場はフィリピンに移ろうとしています。フィリ
しと心の中でつぶやくかもしれない。だが、そう言えるほ
す。沖縄との間には昔から多くの人の行き来がありました。 いながらあなたは、それでもアフガニスタンの女性よりま
ピンは近い。那覇から東京と那覇からマニラは同じ距離で
どあなたはアフガニスタンの女性の心の中を知っているだ
らさないように身を丸めて、暴力が過ぎるのを待つ。無抵
フィリ ピン人 の % が反 対して いるア メリ カ軍と いうも
のが恒久的な基地を造って入ってくることを、名護市民は
ろうか。
︵二〇〇二年一月三十一日︶
上野さんが使った﹁自己定義権﹂という言葉には本当に
受け入れるのでしょうか。
無力な立場
おまえは奴隷だという声に対して、わたしは自由ですと
言う権利。これを着ろ、これを着るな、という声に対して、 では世界の大半を取りこぼすことになるから。
という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。弱
者が弱者のままで、それでも尊重されることを求める思想
ぼくはこの考えに賛同します。
が、フェミニズムだと、わたしは考えてきた。
﹂
いもしない。他人を定義する権利さえあると信じて疑わな
渡すためではない。弱者を強者に仕立て直すためではない。
﹁新世紀へようこそ﹂を続けてきたのは、弱者に武器を
上野さんの論旨一の方を見てみましょう。
い。それが﹁強い﹂ということでしょう。
者です。強い者は最初からその権利が自分にあることを疑
わざわざ﹁自己定義権﹂を言わなければならないのは弱
める権利。
わたしは好きなものを着ますと言い返す権利。
ぼくがブッシュ氏の側に立たないのはそのためです。
文章を読んで、触発されました︵見事なコラムなので許可
あるいは、この先は上野さんではなくてぼくの論ですが、
上野さんはまたこう言います。
を得て全文を添付してあります︶。 今回はこれについての
﹁わたしはフェミニズムを、ずっと弱者の思想だと思っ
感想です。上野さんの論から外れるところもありますので、 言い返さない権利。言い返しなさいという外部の声を無視
する権利。そういうこととは別のところで自分の幸福を決
てきた。もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、
そう思って読んでください。
論旨に感心した点が二つありました。
一 無力な者は報復できないということ。
二 自己定義権。
二の方から考えましょう。
タリバンの統治に対する批判の中心に女性の人権の問題
がありました。その象徴がブルカで、タリバンが都市部で
20
53
上野千鶴子さんが書かれた﹁あげた手をおろす﹂という
70
く別種の力によって、失地を回復する。それを夢見ている
の裏付けなき相手のやりかたに同化することなく、まった
弱者がそのまま、相手の武器を奪い取るのではなく、道義
紀前、女たちが翼賛の旗を振ったことをおぼえているわた
だから日本の女は平和主義者だと言えるだろうか? 半世
ぺがえしが待っていることを、知っているからだ。この経
骨身に沁みているからだ。反撃すれば、もっと手痛いしっ
は逆転した。女性のほうが武力の行使にためらいを示した。 てかかって反撃したりはしない。なぜか。自分の無力さが
法を性急に決めたとき、日本国民の賛否は、男性と女性とで
験は、無力なものには親しい。
わたしは湾岸戦争のときにあるアメリカのフェミニスト
道具を手にしたもののおごり。
そう言えるのは強者の権利。強大な軍事力という危険な
りあげる力さえなかった。夫に殴られつづける妻も、食っ
のです。
したちは、女だというだけで自動的に平和主義者だという
そのためには言葉しかない。広告的な、洗脳的な、暴力
﹁だからって、何もしないわけにいかないでしょう?﹂
﹁だからって、何もしないわけにいかないでしょう?﹂
う。アメリカのフェミニストもそういう。
アメリカの男は、アメリカの女たちも、おなじように言
﹁だからって、何もしないわけにはいかないだろう?﹂
カの侵攻を黙って耐えた。なぜなら⋮無力だったからだ。
をされるがままに受け容れた。ニカラグァの人々もアメリ
そう。そのとおり。ヒロシマの人々は、アメリカの蛮行
いうの?﹂
と、激しい議論をしたことを思い出す。湾岸戦争を批判し
新聞の投稿欄に、女性のつぶやきが載っている。アメリ
カのアフガニスタン攻撃に批判的な感想をもらした彼女に、 たわたしに、彼女はこう言ったのだ。
﹁だったらあなたはフセインの蛮行をだまって見ていろ、と
夫は声をあらげてこう言った、という。
*
ことにはならない、と知っている。
的な言葉ではなく、一段階ごとに相手の理解を得ながら論
を進める納得の言葉。先進国だけでなく、世界ぜんたいに
通用する言葉。
︵二〇〇二年二月九日︶
話を元に戻せば、
﹁自己定義権﹂というのは納得の言葉と
してとても美しいと思います。
︱︱︻以下、転載︼︱︱
あげた手をおろす
昨年の同時多発テロ以来、なんともやりきれない思いが
続いている。テロは許せない。何の関係もない民間人の命
もしあなたが無力なら、あなたは反撃しようとはしない
わたしはそれを聞くたびに思う。アメリカのフェミニス
トは、フェミニストである以前に、アメリカ主義者だ、と。 だろう。なぜなら反撃する能力があなたにはないからだ。あ
を奪ったのは卑劣だ。怒りがわく。そこまではよい。そし
てこぶしを握りしめて手を挙げる⋮その手をどこにふりお
彼女たちはいったい何をしているのだろうか? 声が聞こ
なたが反撃を選ぶのは、あなたにその能力があるときにか
ろそうというのか?
たったひとりの反対を除いて支持した。世論の圧倒的多数
際法にのっとらない他国への攻撃行動を、アメリカ議会は
た。ブッシュ大統領が決断したこの宣戦布告なき戦争、国
年にわたる戦乱で疲弊しきった貧しい小国をたたきのめし
とくのことではなかっただろうか? ﹁これがあなたにとっ
者の救済ではなく自己解放、なによりも自己定義権のかく
つけられる﹁解放﹂って何だろう? フェミニズムとは、他
ちわるさは募る。これがフェミニズム? 武器と暴力でおし
だから攻撃してもよい⋮という声がとどく。わたしのきも
きた。もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、と
わたしはフェミニズムを、ずっと弱者の思想だと思って
ずだ。
らいいのだろう? 問いは、ほんとうはここから始まるは
反撃の道が封じられているとき。わたしたちはどうした
ぎられる。そしてその力とは、軍事力、つまり相手を有無
アメリカは挙げた手を、アフガニスタンにふりおろした。 えてこない。そう思っていると、タリバーンが女性から職
をとりあげ、教育を禁止し、ブルカを強制した性差別者だ、 を言わさずたたきのめし、したがわせるあからさまな暴力
のことだ。
派も大統領の決断に賛意を示した。たったひとりの反対派
て解放よ﹂と、当事者以外のだれが、アフガニスタンの女
世界最大の軍事大国が、その軍事技術の粋を尽くして、長
は、バーバラ・リーという女性議員だった。女は平和主義
者なのか? いや、彼女以外のすべての女性議員は賛成に
う道を採らない。相手から力づくでおしつけられるやりか
だから、フェミニズムは﹁やられたらやりかえせ﹂とい
いう思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。弱
に﹁教えてやる﹂ことができるだろう?
理不尽な暴力に遭う。ゆるせない、と拳をにぎりしめる。 者が弱者のままで、それでも尊重されることを求める思想
が、フェミニズムだと、わたしは考えてきた。
そこまではおなじだ。そこで、くちびるをかみながら拳を
まわったのだし、ブッシュの軍事戦略の影には、ライス長
官という女性の参謀役がいる。国民の8割の支持のなかに
おろす。そんな経験を、わたしたちはしてこなかっただろ
うか。ヒロシマ、ナガサキの惨劇のあと、日本には拳をふ
は、当然たくさんの女性が含まれる。
小泉政権がただちにブッシュの支持を表明し、テロ特措
21
新世紀へようこそ
づくで相手に自分の言い分をとおそうとすることは矛盾で
たにノーを言おうとしている者たちが、同じようにちから
いわれる人々は、いったい何のために死ななければならな
人を犠牲にする。アフガニスタンで犠牲になった六万人と
破壊するわけではない。その下にいる人間を殺傷し、民間
かも民間人を直撃する都市のじゅうたん爆撃だ。なぜこん
し、ただちにイギリスが採用し、アメリカが追随した。し
だ。空爆は第二次世界大戦のときにドイツがはじめに考案
東京大空襲では十万人の人々が死んだ。主として民間人
母むせび泣く﹂
﹁アフガンの空爆の報を目にしては沖縄戦を生きのびし
分のすがたを重ね合わせている。
たちは、空爆下のアフガニスタンの人々に、半世紀前の自
空爆の恐怖を覚えている人々が日本にはいる。そのひと
かったのだろうか?
はないだろうか。弱者の解放は、
﹁抑圧者に似る﹂ことでは
ない。
*
アフガニスタンでは﹁戦争﹂がまだ続いている。挙げた
手を、いつ収めればよいか、事態の収拾の時期をブッシュ
はつかみかねている。 最近の世論調査によれば、﹁ビンラ
ディンを拘束するか殺すまで、空爆をつづけるべきだ﹂と
いう意見に、アメリカの多数派が賛成したという。テロ対
策、つまり﹁自衛﹂が、この正統性のない攻撃の大義名分
な無法な攻撃方法が、戦争犯罪と見なされなかったのだろ
︱︱︻転載終わり︼︱︱
イスラエルとパレスチナ
去年の九月にこのコラムを書きはじめて以来ずっと、イ
スラエルとパレスチナのことを一度きちんと考えなければ
ならないと思ってきました。
しかしこれがなかなかむずかしい。
今、イスラエルとパレスチナの関係は非常に悪くなって
います。双方が武闘路線を走って、暴力の応酬がひたすら
拡大している。一方がある目標に攻撃を仕掛ければ、それ
を理由に他方がもっと大きな目標を攻撃する。暴力が拡大
する要因はいくらでもあり、それを抑える動きはどこにも
ない。和平の展望が見えない。
ここまでは敢えて﹁双方﹂と区別せずに書きました。実
際にはイスラエル側は正規の軍隊です。Fー 戦闘機や、A
Hー アパッチ武装ヘリ、戦車などがある。他方パレスチ
16
だから、
﹁敵﹂将の首級を挙げなければ、矛を収めることは
しかしただちに次のような問いが浮かぶ。合法な戦争と
いうものはあるのだろうか。人道的な攻撃は? 戦争犯罪
というからには、犯罪にならない戦争があるのだろうか?
戦争犯罪というかわりに、どうしてわたしたちは、戦争が
犯罪だ、ということができないのだろう?
日本人の一国平和主義とは言われたくない。女は本質的
に平和主義者だとも信じない。もしわたしたちが今でもそ
してこれからもフェミニストをなのりつづけるなら⋮憲法
ナショナリズムにもジェンダー本質主義にもよらない非戦・
非暴力の論理を構築することが、思想としてのフェミニズ
ムに求められている。もしあらゆる暴力が犯罪だ、と言う
ことができなければ、わたしたちはDVすら解決すること
ができないのではないだろうか。
文:上野千鶴子
]
ナ側はパレスチナ解放運動の中のいくつかの武闘派、所持
する武器も自動小銃からせいぜい迫撃砲や手製のミサイル
まで。火力の差は圧倒的だから、自爆テロという究極の方
法に頼ることになる。
どこまで追い詰められると人は自爆テロを実行するのか。
先日、二十八歳の女性がエルサレムで自爆テロによって死
亡しました︵巻き添えの死者一,負傷者約百五十︶。彼女は
救急隊員で、出産直前の妊婦を乗せた救急車がイスラエル
側の検問で病院に行くことを妨げられて車内で生まれた赤
ん坊が死ぬ、というような例を無数に見てきました。
テロに至った彼女の心理はわかりません。安易にわかっ
たつもりにはならない方がいい。しかし、それが絶望であ
るとしたら、それはとても深い、どうにも始末のしようの
ない絶望であったはずです。
22
71
64
う? 非人道的攻撃と? だが、日本という国は、核兵器
できないのだ。
しかもこの機に乗じて、﹁テロとの闘い﹂ の名のもとに、 さえ非人道兵器と主張することのできない国だ。
イスラエル政府によるパレスティナへのあからさまな武力
攻撃が始まった。ゲリラ的な攻撃や自爆テロに対する﹁報
復﹂として民間人の住む街や施設が破壊され、犠牲者が出
る。アメリカのアフガニスタン攻撃と同じ論理、同じやり
くちである。そしてアメリカとおなじく、それをおししと
どめる力はどこにもない。アメリカは﹁テロ対策﹂と称し
て、フィリピンにも軍隊を送り、軍事行動を開始した。
﹁テ
ロとの闘い﹂という名目さえあれば、アメリカの軍隊は世
界中いたるところに主権を無視しても軍事行動をおこすこ
とができる。
﹁パックス・アメリカーナ︵アメリカの平和︶
﹂
が、あからさまな暴力で支えられていることを、こんなに
目に見えるようにしたのが、ポスト冷戦の効果なのだろう
か。アフガニスタンの人々にしてみれば、犯人だという証
という、しかも外国人のために壊滅的な打撃を受けること
日[本女性学会ニュース 号掲載予定
拠もなくどこにいるか所在もあきらかでないビンラディン
になった。ピンポイントというが、爆撃は軍事施設だけを
89
必要なのは、和平のきっかけになる何か、恒久的な平和
国のためとされたものであっても、反民主主義的な活
める。問題はそれが何かということだ︶
。たとえそれが
許されないことがいくつもある。
︵ここまでは誰でも認
対して武力行使を始めた十月七日以降、敵対する者にテロ
の土台になる何かなのに、それが見つからないことを嘆く
それは他の論者の主張を繰り返すことでしかない。
リストという名をかぶせれば圧倒的な軍事力による攻撃も
動を拒むのは市民の義務である。我々の考えでは、長
九月十一日以降、あるいはアメリカがアフガニスタンに
許されるという一種の合意が西側諸国に生まれたようです。 しかない。だから、この問題の扱いはむずかしいと考えて
相互の憎悪がひたすらエスカレートし、暴力が暴力を生
いる手段そのものがあまりに反民主主義的なものであ
めて三十五年間︶
、その占領を維持するために使われて
期に亘る占領と︵占領地へのユダヤ系市民の移住を含
とタリバンなどの関係をそのまま自分とPLOのアラファ
んでいる時、双方が興奮しきっていて他人の言うことなど
るので、これに関する判断は多数決の原理に優越する。
きたのです。
ト議長の間に重ねるような論法で、積極的に攻撃を展開し
聞かない時に、それをふっと鎮める動きが見えることはな
イスラエルのシャロン首相は、ブッシュ・アメリカ大統領
ています。アラファト議長は移動用のヘリを破壊され、家
すなわち、このような命令を拒むことが真の民主主義
る故にどちらも厳しい非難にさらされています。しかし、あ
テルアビブの繁華街ディーゼンゴフで、街角ごとに自動小
否する勇気﹂という整備されたサイトで自分たちの意見を
最初は五十人ほどが名を連ねた新聞広告でした。今は﹁拒
このサイトから、彼らの主張を簡潔に伝えている議論を
紹介します。
Q 民主主義社会で、予備役の兵が軍が指示する地
域で任務を遂行することを拒むことは許されるか。
A 民主主義における市民の第一の義務はその民主
主義を守ることである。多数決は民主主義の中心原理
だが、多数決だけが民主主義ではない。民主主義にも
す。PLOのエルサレム担当相であり、アル・クドゥス大
しての帰還権を放棄してはどうかという意見が出たことで
もう一つの大胆な動きとは、パレスチナの側から難民と
拒否の勇気﹂です。
行うのは正に﹁ Courage to Refuse
よって次々に人が死んでいる時に、このような意思表示を
罵倒もあります。今のイスラエルで、相手側の自爆テロに
二百三十七名。意見の欄にはずいぶんきつい言葉を用いた
とになっています。その数はじりじりと増えて、今の段階で
この運動の参加者は公開のリストに堂々と名を連ねるこ
ない。
れは政治的な決断の問題であって、軍事的なものでは
たいと自分たちは考える︱︱状況は変え得るのだ。こ
するためである。これでは相互のテロの応酬は避けが
征服者として、また領土の占領者としての役割を維持
存続を賭けて戦ってはいない。我々が戦っているのは
みな戦いに参加しなければならない。今日、我々は国の
A 国がその存続を賭けて戦っている時には我々は
のは犯罪ではないか。
Q 我々は戦争をしている。戦時に兵役を拒否する
***
的なふるまいなのである。
いか。育つかもしれない和平の種子はないか。
そういう思いで去年からずっとあの地域を見ていました。
の前にはイスラエル軍の戦車が居座って、軟禁状態に置か
れています。
イスラエルのシャロン政権の側にも最新鋭の武器を難民
るいはこれは新しい展開のきっかけになるかもしれない。
最近になって二つの大胆な動きがありました。大胆であ
キャンプの民衆に向け、数十人にのぼる指導者を暗殺する
第一は、イスラエルの予備役の兵士の間からパレスチナ
パレスチナ側の怒りをぼくは想像してみることができます。
だけの報復と安全保障の理屈があるのでしょう。市民の心
の中には長年に亘る怒りが蓄積されているのかもしれない。 自治区での軍務を拒否する運動が芽生えたことです。なぜ
銃をかまえた若い女性の兵士が立っているのを見て、こうい
表明し、同志を募っています。一般の人々も賛同の署名を
ぼくがイスラエルに行ったのは一九七四年のことでした。 ならばそこには道義的正当性がないから。
う国もあるのかと考え込みました。あの国の雰囲気はあれ
︵二︶ 号以降
︵一︶ Courage to Refuse-combatant Letter 2002
Courage to Refuse-combatant Letter 2002
以来二十七年たってもまるで変わっていないかのようです。 することができます。
これだけの歳月を経てもまだ緊張感が融けないのは、あ
の地域のありかたに何か根本的な欠点があるのではないか、
とも考えます。イスラエルという国はあたかも無人の地に
造るように建国された。そこに住むパレスチナ人は最初か
らいないものと見なされた。そこから四百万と言われる多
数の難民が生じた。これはいわば建国に際しての道義的負
債です。それが今もって処理しきれていない。イスラエル
の保守派はそれを負債と思ってもいない。
その上に、一九六七年の第三次中東戦争でイスラエルが
占領したガザ地区とヨルダン川西岸の問題がある。強引な
入植者の問題がある。
しかし、ここでぼくがイスラエルの非を唱えたところで、
23
新世紀へようこそ
56
学の学長であるサリ・ヌセイベ氏のこの提案はパレスチナ
解放運動の方向を大きく変えかねないもので、論議を呼ん
でいます。
難民は家を追われたから難民です。家に戻った時に難民
でなくなる。パレスチナの場合、帰還の権利は千九百四十
八年の国連総会決議百九十四号で確認されています。イス
ラエルはその実現をひたすら拒んできました。だから、こ
の帰還権問題はPLO︵パレスチナ解放機構︶はじめパレ
スチナ人の活動すべてを支える大義と言ってもいい。
それを放棄する。大義にしがみついていては事態は改善
されない。現実的に考えて、ともかく暮らせる場所を確保
しようというのがヌセイベ氏の意見です。ヨルダン川西岸
とガザ地区にパレスチナ国家を造ることを認めさせる代わ
りに、現イスラエルの領土となっているところへの帰還は
修正箇所についても転送していただけたら幸いです。︶
空爆の恐怖を覚えている人々が日本にはいる。その
ひとたちは、空爆下のアフガニスタンの人々に、半世
紀前の自分のすがたを重ね合わせている。十一月二十
六日の朝日新聞の歌壇には、次のような歌があった。
﹁空爆のニュース日すがら流れいてむせび泣くなり
沖縄の母 新里スエ﹂
東京大空襲では十万人の人々が死んだ。主として民
間人だ。空爆は第一次世界大戦のときにドイツがはじ
めて考案し、ただちにイギリスが追随した。しかも民
間人を直撃する都市のじゅうたん爆撃だ。なぜこんな
無法な攻撃方法が、戦争犯罪と見なされなかったのだ
ろう? 非人道的攻撃と? だが、日本という国は、核
兵器さえ非人道兵器と主張することのできない国だ。
素材の山と格闘して、なんとか編集してまとめあげ、公開
に漕ぎ着ける。
その時点で彼は自分がとんでもないところに来てしまっ
たことに気づいたはずです。これは観客を呼ぶだろうけれ
ど、しかし観客の多くはこれがどういう映画かわからない
かもしれない。だからコッポラはあの時﹁できれば二度見
て欲しい﹂と弱気なことを言ってしまったのです。それは
観客が自分で決めることであって、監督が言うべきことで
はない。
実際、彼の悪い予感は当たりました。評判にはなったけ
れど、評論家も含めて観客の大半はこの映画と、いわばす
れ違ってしまった。
これはぼく自身の相当な反省を込めてのことです。あの
時に書いた映画評を読み返して、ぼくもまた大事なところ
がつかめていなかったと覚りました。
以下が、改訂の要旨です。
が終わってから四年、まだ早すぎたのです。あの時の観客
諦める。これはイスラエル内の左派にも通底する提案です。
死者に縛られるということがあります。
一︶歌が違う
は性急にわかりやすい答えを求めた。しかし、大きなもの
は後ろへ下がらなければ全体が見えない。二十年以上を経
て、ようやくぼくたちは﹁地獄の黙示録﹂が表現しようと
したあの戦争の全体を見ることができるようになった。
今回、コッポラはほぼ思い通りの編集ができたようです。
フランス人の農園のところなど、いくつかの大事な場面が
増えて、全体は五十三分伸びた。その効果は小さくありま
せん。しかし、二十年を超える時間の効果はもっと大きかっ
たと思います。
この映画は川を遡る、一種のロードムービーです。
旅路の途中で主人公はさまざまなものに出会い、その中
で自分の旅の意味を少しずつ覚りながら、最後に目的の地
に至る。
聖杯伝説であり、仏教ならば善財童子の話であり、
﹁ドラ
ゴン・クエスト﹂や﹁ロード・オブ・ザ・リング﹂と同じ
24
何がいけなかったのかと言えば、あの時はベトナム戦争
国はしばしば大義のために国民を死地に追いやります。ま
二︶第二次大戦ではなく、第一次大戦
﹃地獄の黙示録 特別完全版﹄
とキャストを用意して、フィリピンに行って撮る。できた
考え、その方向でおおよその脚本を書き、資金とスタッフ
ついて今作るべき映画はたぶんこういうものなのだろうと
その点でコッポラはキューブリックとは違います。戦争に
監督がすべてを掌握して緻密に組み立てた作品ではない。
なにずっしりとした傑作であったかと改めて感心しました。
ているのだけれど、今回の方がずっとおもしろかった。こん
おもしろかった。千九百七十九年の最初の公開の時も見
完全版﹄を見ました。
この二月二日から公開されている﹃地獄の黙示録 特別
72
た敵対する相手の攻撃によっても死者が出る。それらの死
が後々まで国の方針を縛る︵身近な例を挙げれば、日本は
今もって靖国神社に縛られています︶。あの死は無駄だった
のかと問い詰められるのが恐くて、方針が変えられず、結
局は更に死者を増やすことになる。
死者の名誉と明日の世代の幸福を秤に掛けなければなら
︵二〇〇二年二月十五日︶
ない時がある。パレスチナとイスラエルにとっては今がそ
うなのではないかと考えます。
追伸、
をお使いください。︵あるいは、 すでに転送された場合は、
転送や引用をされる場合は、以下の部分を改訂したもの
添付した文章の改訂部分をお届けします。
上野千鶴子さんからのお申し出で、
﹁ 無力な立場﹂に
70
そこでコンラッドの小説﹃闇の奥﹄や、T・S・エリオッ
子供たちが大急ぎで避難する場面。あの子たちの純白のシャ
ゴア中佐のヘリ軍団が襲いかかる直前で、村の小学校から
を離れてベトナム人の側から事態を観客に見せます。キル
るのです。
らウィラードは観客と共に彼らの間をいわば巡礼してまわ
この階層構造がストーリーの核心をつかむ鍵です。だか
ような構造です。
トの詩や、マイクル・ハーのルポルタージュが素材として
ツと若い女性の先生たちの白いアオザイはそのままベトナ
日本では今年になりましたが、
﹃地獄の黙示録 特別完全
使われていることにはたぶん二義的な意味しかない。
版﹄が最初に公開されたのは去年の五月、場所はパリでし
あの白に視線が留まってしまったのは、アジアの観客と
つまり九月十一日よりも前だったのです。
ム人の無垢の表象となっていました。
現実から神話への旅になっていることです。彼は具体から
してのぼくの偏見でした。しかしあの時はどうしようもな
今のアフガニスタンの戦争と重ねてみると、ベトナムは
大事なのは、主人公ウィラード大尉の歩みが全体として
抽象へ、無時間の世界へと入ってゆく。そうしなければ戦
かった。
戦争映画という言葉が誤解を誘うのかもしれません。
トナムでは、たとえヘリの中からにせよキルゴア中佐には
まだしもましだったというやりきれない結論に至ります。ベ
た。アメリカでは八月から。
争の意味は︵あるいは無意味は︶捕らえられないから。
映画は戦争の全部を描くわけではない。
ベトナム人が見えた。負傷して溢れるはらわたを鍋で押さ
川幅が次第に狭くなり、昼が夜に変わり、霧が立ち込め、
光はすべて逆光になる。奥へ奥へ入ってゆくというウィラー
戦争は大きなドラマチックな社会現象です。これを個人
彼の任務はカーツ大佐を殺すことですが、神話の世界に
﹃ディアハンター﹄はその種の作品でした。あの映画で
され、とんでもない目に合います。それだけで映画は作れる。
に行けなかった。海岸沿いの村にヘリの集団が襲いかかり、
郎とリー・マーヴィン主演の﹃太平洋の地獄﹄でした。孤
戦う両者が直接に対峙する場面だけを描いたのが三船敏
︵二〇〇二年二月二十一日︶
人を部屋などに閉じ込めるのは、最も一般的な刑罰です。
外に出ていない人がいる。
の刑務所まがいの施設に押し込められ、中にはもう半年も
戦乱の故国を逃れて日本に保護を求めてきた人々が、こ
辞苑︶
。
者・被告人・受刑者などを継続的に拘束すること﹂です︵広
拘 禁 と い う の は ﹁留 置 場 ・ 拘 置 所 ・ 刑 務 所 な ど に 被 疑
希望者が拘禁されています。
ります。ここに今、約三十名のアフガニスタンからの庇護
茨城県牛久市に東日本入国管理センターという施設があ
日本人と外国人
関心な戦争が今回のアフガニスタンです。
ベトナムに比べても実に冷ややかな、空疎な、いわば無
目は付いていない。
した。巡航ミサイルにも無人偵察機にも人を人として見る
アフガニスタンではアメリカ兵は敵を見ないことにしま
えるベトナム人を見る気になれば見ることができた。
ド大尉の積極性がこの映画のストーリーを駆動する基本の
住むカーツはもう一つの人格ではない。戦争の欺瞞と無意
はベトナム人の描きかたがあまりに一方的だという批判が
の視点から見ると、巻き込まれた者は日常生活から引き離
味を一身に引き受けた象徴です。だから︵生け贄の牛と重
あったけれど ︵ぼくも反発しました︶
、 徴兵でベトナ ムに
力です。
ねられて、まるで文化人類学者フレーザーが﹃金枝篇﹄で書
可能であり、無意味です。なぜならば双方に感情移入して
戦争映画で戦う双方を描くのはむずかしい。ほとんど不
か見えなかったのでしょう。
いた王殺しそのままに︶、彼は殺されなければならなかった。 行ったアメリカの庶民にとってベトナム人はあんな風にし
振り返ってみると、一九七九年当時の観客はキルゴア中
佐の場面までしか見ていなかったように思います。ヘリに
乗った騎兵隊、ワグナーとナパームとサーフィン。
ミニガン︵超高性能の機関砲です︶を撃ちまくり、ロケッ
島に二人だけ残された日米の兵士の間に友情のようなもの
いたら観客の心は二つに分裂してしまうから。
ト弾を発射し、最後はジェット戦闘機が登場してすべてを
が生まれるけれども、それぞれの友軍が到着した途端にそ
ぼくたちはあの場面でいわば引っ掛かってしまって、先
焼き尽くす。ベトナム戦争の実態とはこういうことだった
﹃地獄の黙示録 特別完全版﹄の登場人物にはいくつも
れが雲散霧消する。
しかし、なぜこういうことになったかを説明しているは
のレベルがあります。巻き込まれ庶民としてのシェフやク
かと思い知った。
ずの映画の後半はぼくに対しては機能を発揮しなかった。
なぜならば、ベトナム人への共感の方が強かったぼくは、 リーン、それにプレイメイトの美女たち、職業軍人として
ち、そして戦争全体の意味と無意味を象徴するカーツ大佐。
い放題のキルゴア中佐、植民地の過去を表すフランス人た
もっと明快にアメリカの政策を糾弾するメッセージを求め、 一定の権限内で職務を遂行するチーフ、戦術的にはやりた
その方向でのカタルシスを求めていたから。
コッポラは一か所だけ、ウィラードやアメリカ兵の視点
25
新世紀へようこそ
73
言うまでもなく、人にとって行動の自由は何よりも大事な
ことだから、それを奪うことは刑罰になります。
しかし、牛久にいるアフガニスタンの人たちは罪を犯し
たわけではありません。被疑者でも被告人でも受刑者でも
ない。迫害され、助けてくださいと日本に駆け込んだのです。
部屋に閉じ込められたままだと、人は精神に異常をきた
します。牛久ではアフガニスタン人の自殺未遂が一度なら
ず起こっています。自傷行為を行った人、吐血した人もい
る。意識を失って昏倒した人もいる。接見した弁護士の報
告は悲痛な声に満ちています。
懲役ならば、なぜ自分が閉じ込められているかわかって
いる。それなりの耐えかたもある。無期刑でないかぎり自
由になる日もわかっている。
しかしアフガニスタンの人々は日本に来て、難民として
の認定を﹁申請﹂しただけなのです。
あなたが事故などに遭って、仕事が続けられなくなり、生
活が成り立たないので区役所に行って生活保護を申請する。
その途端に捕らえられ、狭い部屋に押し込められる。何か
月たっても出してもらえない。
牛久にいるアフガニスタン人の身に起こっているのはこ
ういう事態です。人は誰しも難民になり得る。だから、難
民を救う枠組みが国際的に作られたのです。
しかし、この国で難民として保護を求めると拘禁されて
しまう。
日本国がアフガニスタンからの難民申請者を閉じ込めて
おくのは、要するに日本に入れたくないからです。
しかし、国に帰ったら殺されると訴えている人々を、あ
の戦乱の国に強制送還すれば国際的な非難を浴びるのは明
らか。
では宙ぶらりんの状態のまま放っておこう。
日本政府に働きかけています。その論旨を要約すれば︱︱
なぜ、先進国の中で日本だけが﹁外国人が入ってくるこ
日
• 本は江戸時代の鎖国が、人間の動きに関してはまだ
平沢勝栄さんはこうも言っています︱︱
問題は心の準備です。
ばわかるとおり、法律などはいざとなればすぐにもできる。
とへの準備が﹂足りないのでしょうか。法的、制度的な準備
庇
• 護希望者と難民の拘禁は通常回避されるべきである。 でないのは明らかです。テロ特措法や自衛隊法改正を見れ
難
• 民の地位が認められない者も含め、帰還は自発的な
ものに限るよう各国に対して強く求める。
現
• 在日本で拘禁されているアフガン人は、安全な帰還
が可能となるまでは、一定の条件の下で放免されるべ
きである。長期拘禁は、彼らの苦しみを増すだけである。
難
• 民問題は、制度の問題と同時に、国民の意識の問題
続いているともいえる。
今のところ日本政府はこの申し入れを無視しています。
でもあると思う。外国人と共生する考え方を教育の場
優越感と劣等感は同じ心理の裏表です。
を経た今も、日本人は雑居を恐れているらしい。
内地雑居が実現したのは一八九九年。それから百年以上
主張しました。
国人に掌握され、土地も占有され、風俗や宗教が乱れると
国内の反対派は、外国人の雑居を許すと、日本経済が外
国はこの居留地制度の撤廃を求めました。
後になって、いわゆる不平等条約を改正する時に、諸外
動産の所有も制限する。
ることにした。居住だけでなく、旅行や商工業の経営や不
崎の出島のような居留地を作って外国人をそこに押し込め
雑居ということがありました。開国に際して日本側は、長
幕末から明治時代にかけて、外交上の懸案の一つに内地
そしてこれは典型的な人種差別の思想です。
突き詰めればそういうことになる。
もっと踏み込んで言えば、外国の人は恐い。
外国の人は気心が知れない。
自分の家の隣に外国の人が来ると困る。
という考えがない。
今も鎖国をしている。国民の中に外国人と共に生きよう
で教えていく必要がある。
去年の暮れ、東京地裁は五人のアフガニスタン人の拘束
を解く決定を出しましたが、東京高裁は速やかにこの決定
を覆しました。
なぜ牛久のアフガニスタン人は拘束されたままなのか。
外国人を日本に入れたくない。
これが日本国の本音です。
この問題に詳しい自民党衆議院議員の平沢勝栄さんはこ
う言います︱︱
欧
• 米と違い、日本は一人でも難民ではない人を認めて
は困るという完全主義をとっている。警察でいえば悪
い人間は一人も逃してはいけないという考え方だ。
人
• 、物、カネが交流すれば、社会に摩擦が起き、治安
が悪くなるのは当たり前だが、いまの日本には外国人
が入ってくることへの準備がそれほどない。
難民を犯罪者と同等とみなして﹁完全主義﹂を取ること
の是非はともかく、欧米との間に大きな違いがあるのは明
らかです。
かつては日本もインドシナ難民を一万人以上受け入れた
ことがありましたが、これは例外的な措置だったようです。
これが罪なき拘禁の理由なのでしょう。
最近は最も多い年でも二十人ほど。他の先進国では数千
国連の難民高等弁務官事務所がこの人たちの身を案じて、 人が普通ですから、文字どおり桁が違います。
26
と、蔑みはすぐに恐れに変わります。そして排除しようと
が、その民族に属する人が何か優れたことをするのを見る
他の民族を蔑む。彼らは無能だと言い張る。そういう人
の段階へ進むための必須の一歩なのです。グローバリゼー
たりまえ。摩擦は生じますが、長い目で見ればその摩擦は次
だって異人種を受け入れざるを得ない。共に暮らすのがあ
ます。
た上級裁判所がこの判断をひっくり返すおそれはまだあり
もちろん、去年の十一月のように、入官側の控訴を受け
とりあえず喜ばしいことです。
日本人と外国人 二
先週の ﹁ 日本人と外国人﹂に続いて、同じテーマで
︵二〇〇二年三月二日︶
それでも、国際的な常識にかなった判断が示されたのは
ションとは本来そういうことです。。われわれは訓練が足り
症なのかどうか、ぼくにはわかりません。
実をいうと、本当に日本人ぜんたいが重症の外国人恐怖
ない。決定的に足りない。
図る。
特に世の中がうまくいっていない時には、為政者は単純
な理由を作ってすべてを異人種のせいにする。第一次世界
大戦でドイツが負けたのはユダヤ人が背後から刺したから
しかし、仮にそうだとしたら、平沢勝栄さんが言われる
ように﹁外国人と共生する考え方を教育の場で教えていく﹂
だという類の論議。
かくて人種差別は人々の心の中に定着します。
くらいではとても間に合わない。
ことを決めるべきは今の有権者です。アフガニスタン難
民の問題を見てもわかるとおり、事態は切迫している。教
育を受けた子供たちが育つのを待ってはいられない。
第一、大人が信じてもいないことを子供に教えるのは嘘
の天才がいるかもしれない。経済では人をまずもって人材
彼らの中には有能な者がたくさんいる。歌の天才や数学
す。そちらの側からしか彼らを見ないことです。
偏見とは、最初から彼らを犯罪者予備軍と見なすことで
けのこと。
いと言うのならば、きちんと生計の途を用意すればいいだ
もしも難民は生活が苦しいからそれだけ犯罪に走りやす
も変わらない。
この事実は日本人でも難民として日本に来る非日本人で
人には良い人と悪い人がいます。
その点については問題にならないのでしょうか?
なるように思います。
本で働いてしまおうという人も、多く出てくることに
その場合、入国後、行方知れずになって、隠れて日
の方が日本に入ってきた場合は、どうなるのでしょう?
ンに限らず、他の国の人々も日本に避難したいと、大勢
ンの方々を受け入れることになった場合、アフガニスタ
現在、牛久に居る難民の申請をしているアフガニスタ
次のような返信が寄せられました。
もう少し書きます。
73
国内にいる異人種を国外に追放することと、国外から来
る異人種を入れないことは、国の中を純血に保とうとする
点で同じことです。
日本の純血主義は今も生きています。
最近とても有名になった鈴木宗男代議士は、二○○一年
もしも教育の場で何かするのなら、牛久に拘禁中のアフ
の教育ではないでしょうか。
家一言語一民族と言ってもいい。北海道にアイヌ民族とい
ガニスタンの人々を教室に派遣して、あの国がこれまでど
の七月二日、東京の外国人記者クラブで、
﹁︵日本は︶一国
うのがおりまして、まあ嫌がる人もおりますけれども、今
んな目に合ってきたかを子供たちに話してもらいましょう。
ずです。
難民というものについて、これほど効果的な教育はないは
はもう同化されておりますから﹂と言いました。
たまたま同じ日に平沼赳夫経済産業相は﹁小さな国土に
一億二千六百万のレベルの高い単一民族できちんとしまっ
ここまで書いたところでよい報せが入ってきました。
昨日、アフガニスタン国籍の男性七人が退去強制令書の
ている国﹂と言った。
更に二○○一年十一月三十日、尾身沖縄北方相は﹁日本
執行停止を求めた申し立てで、東京地方裁判所はこれを認
藤山雅行裁判長は、
﹁収容による身柄拘束は重大な人権侵
七人は収容を解かれます。
める決定を出しました。
は単一民族だ。日本人と言えば大和民族だ﹂と演説した。
すべて根は同じです。彼らは異民族が恐い。日本国内に共
に住んで久しいアイヌさえ恐い。だからいないことにする。
人種とか民族とか、分ける基準はいろいろあるでしょう
害で、損害を金銭で償うことは困難。申立人は一応難民と
認められ、行政処分で身柄を拘束し、執行停止も認めない
が、人は雑居が基本の姿です。
人は動く。動けば異質なものが混じりあう。文化がぶつ
と、憲法上の問題も生じかねない﹂と言ったそうです。
性が十分﹂と判断した、とのこと。
とは認められず、収容は難民条約に反して違法となる可能
また、
﹁申立人を収容しなければ出頭の確保が困難になる
かり、新しいものが生まれる。経済を活気づける。近代ヨー
ロッパも現代アメリカも、中世の大イスラム文化圏もそう
やって作られました。
今、人の動きはいよいよ活発になっています。どこの国
27
新世紀へようこそ
74
人はまた異質の能力を持つ。
として見ます。それぞれに能力がある。異質の文化を持つ
外から来た者は犯罪者という偏見の最悪の例として、東
今は文化多元主義が経済の活力源になる時代なのです。
期懲役という極刑に次ぐ判決を下された例も知らない﹂と
を聞いたこともなければ、これほどいいかげんな理由で無
この事件で一番の問題点は、警察がネパール人不法滞在
書いています。
改めて整理すると、一九九七年の三月八日、つまり今日
者という彼らの犯罪者像に合う容疑者を見つけた時点で、他
電OL殺人事件の裁判を見てみましょう。
年後二十年後には日本のある分野を支えているかもしれな
から五年と一日前、東京渋谷で渡辺泰子という女性が殺さ
移住したばかりの時には能力を発揮できないとしても、十
い。彼らと日本人の間に生まれた子が指導的地位に就いて
の可能性を捨ててしまったことです。
いていた。その一方、夜は渋谷円山町界隈で売春をしていた。
時代の上司や東電の幹部の名もあったにも拘わらず、警察
れました。彼女は昼間は東京電力のエリートOLとして働
今の日本で朝鮮半島系の人々が果たしている役割を考え
事件発覚の四日後、警察はゴビンダ・プラサド・マイナ
は初期の段階で彼らを捜査対象から外した。その理由を警
いる。
てみてください。彼らがいてくれるおかげで日本の文化は
リというネパール人を不法残留の容疑で逮捕取調の上、ほ
察は﹁その人の社会的地位からいって、ああいう現場は使
被害者が客の名と電話番号を書いたアドレス帳には東電
ぐっと厚みを増しました。強制的に連れてきたり、さんざ
ぼ二か月の後、殺人容疑で再逮捕しました。
これは予断だと佐野さんは言います。
わないだろうと思った﹂と説明した。
はない。裁判の結果、東京地裁は二○○○年四月十四日、無
日本の社会の病理と闇が彼女に集約されていた。
この事件のショックはここにありました。
課していた。
では家に帰らなかった。ほとんど義務としてそれを自分に
ないのに売春をしていた。毎夜四人の客の相手を終えるま
大会社に勤めるエリート女性が、お金に困ったわけでも
予断の故に警察は真犯人を見つけられなかった。
ところが、東京地検は再拘留を請求、刑事訴訟法を裏切
パールへ強制送還されるはずでした。
ゴビンダ容疑者はここで釈放され、不法滞在者としてネ
罪を言い渡しました。
しかし、検察側は決め手になる証拠を持っていたわけで
差別したり、日本人は彼らにずいぶんひどいことをしまし
たが、コリアン・ジャパニーズは日本にとって大事な要素
です。
悪い人がずっと悪いわけでもありません。
イギリスの植民地だったオーストラリアに最初期に渡っ
た人々の中には流刑囚がたくさんいました。だからと言っ
て、あの国が特別に物騒な国というわけではない。
目にはなぜか受け入れ、ゴビンダ容疑者は拘留されました。
るようなこの措置を裁判所は二度に亘って退けたが、三度
てきた国ですが、一九六十年代からいわゆる白豪主義を捨
そして東京高裁での再審の結果、ゴビンダ容疑者は一転
オーストラリアは白人だけで社会を作って閉鎖的にやっ
てて移民を多く入れ、多民族国家になりました。当初はさ
たという空論を捏造し、この幻想に必死でしがみついた。一
そこで日本の社会は、悪は海の向こうの貧しい国から来
現在は最高裁に控訴中です。
まざまな摩擦があっても、やがて人は互いに受け入れます。 して有罪となり、無期懲役を宣告されました。
今、オーストラリアは誰にとってもなかなか住み心地のよ
人のネパール人を無期懲役にすることで穢れを祓ったつも
司法は社会に属します。警察も、検察も、裁判所も、社会
べきものです。
しかしそれは穢れではなく罪です。祓うのではなく償う
りになった。
この事件に関するぼくの判断はすべて、佐野眞一さんの
全面的に信頼している。
ぼくはノンフィクション・ライターとしての佐野さんを
作に依拠しています。
﹃東電OL殺人事件﹄と﹃東電OL症候群﹄という二冊の著
い国らしい。
広大な国土に少ない人口だったオーストラリアと、比較
的狭いところに多くの人を抱える日本をそのまま比較する
つもりはありません。オーストラリアのような国にはなれ
ないでしょうし、またそれを目指す必要もない。
んは犯人ではない。検察側が出したのは状況証拠ばかりで、 会の意思が矛盾する場合は法をも曲げる︵無罪判決の後の
の意思を代行するに過ぎない。法はあるけれども、法と社
再拘留が刑事訴訟法三百四十五条に反することを裁判所は
そして、佐野さんによれば、これは冤罪です。ゴビンダさ
持ったままでは、日本という国の先行きはとても暗いと思
決定的な直接証拠は何もなかった。まして二審では新しい
しかし、外から来る者はみな危ない人たちという偏見を
うのです。
という偏見の上に立って陳腐な裁判劇を演じ、彼を牢屋に
日本の社会は、ネパール人ならば日本の女を殺すだろう
一度は認めたのです。それが説明もなくひっくり返された︶。
これについて佐野さんは﹁私はこれほど杜撰な判決理由
り返った。
証拠の提出もないのに、粗雑な議論の果て、結論がひっく
切迫した状況にある難民さえ入れない日本は、もちろん
移民も入れない。馴れ合い政治で経済力を内側から食いつ
ぶし、衰えてゆくでしょう。
28
押し込めた。生涯出してやらないと決めた。
偏見はこういうことを人にさせます。
日本の新聞はこの再審のことをあまり書きませんでした。
むしろ海外のメディアの方がこれを問題にしている。
ゴビンダさんの上告を受けた最高裁がいずれ示すであろ
う判断に、法治国家日本の威信がかかっています。
︵二〇〇二年三月九日︶
︵一︶
﹃東電OL殺人事件﹄佐野眞一著/新潮社
場所はイランの東の方、アフガニスタンとの国境からあ
まり遠くないデルバランというところ。
全体として、この映画は国籍の異なる者どうしがいかに
親しくなり、相手を認め、共に暮らすようになるかという
ことを主題にしている。ぼくはそう見ました。
しかしそれは嘘っぽい仲よしごっこではない。
大きなトラックが轟々と通る街道のほとりにカフェがあ
ります。砂漠の中に道があって、そこに砂漠色の建物があっ
アフガニスタン人とイラン人がトランプで遊んでいるう
ちに、インチキをしたのしないので口論になり、口ぎたな
て、行き交う運転手が休憩する。壊れた車が入ってくると、
近くに住む修理工が呼ばれる。
だが、そこまで。
くののしりあって、やがて手が出る。
ここで一人の少年が手伝いとして働いている。
刃物は出ない。世の争いの ・ %はそうなのです。みな
ぜんぜんおしゃれでない、ごく実用的なカフェです。
実際このキャインという子はよく働きます。身寄りがない
この映画には彼が走る姿を写したショットが何度となく
金を奪って去ったら、残された方には屈辱感が残ります。次
もしもここで一方がナイフを出して相手を威嚇し、賭け
ここで先日発覚したアメリカの核先制攻撃プランのこと
繰り返されます。その姿が美しい。走ったり、故障した車
美しい。カメラはすっかり彼に惚れ込んでいるようです。
など考えはじめると、せっかくの砂漠のカフェから忌まわ
しい現実に引き戻されてしまう。
でも、この映画の中ではイラン人の娘とアフガニスタン
から来た若者が結婚するのです。
言葉も通じないのになぜだ、と問う警察官に対して、若
者は﹁愛しているから﹂と答える。
隠す。それでも捕まった時には貰い下げにゆく。老夫婦の
不法滞在者である彼をかばって、警察官が来るとさっと
なくて、居間の卓の上に辞書を置いておいたと笑って話し
ギリス人で、妻はギリシャ人。結婚した当初は言葉が通じ
昔、ぼくが親しかった老夫婦を思い出しました。夫はイ
この言葉をキャインが通訳します。
妻のハレーは片足がないのですが、松葉杖で警察に乗り込
ていました。
異なる人を混ぜておくと、諍いも生じるけれども、仲よ
くもなる。
﹁ 日本人と外国人﹂でぼくが、人は雑居が基
本と書いたのはこういうことです。
この映画のカメラ・ワークのことを書いておきましょう。
てゆく。必ず自分でカメラを覗くと言われるジャリリ監督
つけたら送還する。カフェは人の出入りが多いから、取り
キャインは見つかってしまう。
のこの技法は優れています。
細部のクローズアップから始めて、少しずつ全体を見せ
そこでハレーは警察に乗り込むわけです。
締まりのためにしばしば警察官が立ち寄ります。
イランは、他の国同様、勝手な越境者を認めません。見
スタン人です。
不法滞在者。キャインはこっそりイランに来たアフガニ
んでまくし立てる。
を愛している。頼りにもしている。
だから、カフェを経営する老夫婦は迷い込んだこの少年
いう表情を見せるところなど、一人前です。
堂々と言う。大人の頑迷を前にして﹁まったく、もう﹂と
にはねばり強いし、頼みごとはしつこい。言うべき文句は
あって、キャインは知恵もあれば度胸もある子です。交渉
自活しているということは自立しているということでも
の時には刃物に対して銃を出す。殺し合いになる。
99
99
を押したり、荷を担いだり、彼の身体の動きのいちいちが
︵二︶
﹃東電OL症候群︵シンドローム︶﹄佐野眞一著/新潮社 から自活するしかないのだけれど、それにしてもよく働く。 どこかで自制する。
追記
前回、ぼくがアフガニスタンの人々が牛久に﹁拘禁﹂さ
れていると書いたことについて、法的にはあれは拘禁では
ないという指摘がありました。
ぼくとしては﹁留置場・拘置所・刑務所などに被疑者・
被告人・受刑者などを継続的に拘束すること﹂という広辞
苑の定義の﹁など﹂を実情に合わせて解釈したつもりだっ
たことをここに附記しておきます。
砂漠のカフェの話
世の中がとても殺伐です。
国の中も外も嫌な話ばかりだから、どこか清冽なところ
に行きたいと願う。
しかし今の現実にすっかり背を向けるわけにもいかない
と考えなおす。自分が混乱していることに気づく。
そういう時に、お薦めのカフェがあります。映画﹃少年
と砂漠のカフェ﹄の舞台となったこの店は、今の問題と深
く関わりながら、清冽な印象も与えてくれる。
イランのアボルファズル・ジャリリ監督の作品で、ぼく
はこの映画に熱をあげています。
29
新世紀へようこそ
73
75
機械らしきものの一部を見せ、やがてそれがひっくり返っ
たトラックであること、背後には砂漠の風景があること、人
が何かをしようとしていることを示す。カメラの動きにつ
れてゆっくりと全体がわかる。
この反復が一種生理的な快感を誘います。
ベタにストーリーを説明するのではない。映画では美し
いショットが心地よい順序とリズムで並ぶことが何よりも
大事。
映画の基本原理をひさしぶりに思い出しました。
何十年もの後にぼくがこの映画のことをたまたま思い出
した時、アフガニスタンもイランも戦争もすべて忘却の中
に消えていて、ともかく男の子が砂漠をよく走る映画だっ
たという一点だけが残っている。
この映像にはそういう力が感じられます。
ぼくがこの映画に夢中になったのには、個人的な理由も
あります。
二年前の五月、イランに行きました。砂漠の道をよく走っ
て、オアシスの町をいくつか見て、この映画に出てくるよ
うな大きなトレーラー・トラックをたくさん見て、角砂糖
を口に含んで紅茶を飲むというイラン式のやりかたを習得
しました。
つまり、この映画はずいぶん懐かしいものでした。
ぼくはあの国とあそこの人々が好きなのです。
一つだけ問題を提起しておきます。
最後の場面でキャインが釘を投げる。
︵なぜそんなことをするかは、ここでは説明しないでお
きます。
︶
観客の多くは彼のこの行為への共感の思いを胸に、席を
立つでしょう。
でも、誰一人殺さず、怪我もさせないとしても、あの行
動の原理は暴力です。ごくごく小さな暴力です。
ぼくはキャインのしたことを断罪するつもりでこう書い
ているのではありません。人にはあのような行動に出るし
人を置いてすぐ野戦病院に出頭するように言われる。徴用
退するのが義務です。もともとそのためにあるのですから。
﹁自衛隊﹂である以上、自国の領土に踏み込まれたら撃
たき落とされ、さんざんなものでした。
中で見たものだけです。戦車は踏みつぶされ、戦闘機はた
その後、ぼくたちが記憶している地上戦はゴジラ映画の
負けた。
家総動員法という軍事最優先の法を持っていたのにやはり
うと、その前に硫黄島の戦いがありましたが︶
。日本軍は国
の国内で行われたのは五十七年前の沖縄でした︵厳密に言
歴史を見ればわかるとおり、最初で最後に地上戦が日本
地上戦を想定しているようなのです。
ここまでに挙げた例では、この有事法制は日本国内での
気がする。
しかし、ずっと説明を聞いていると、何かが違うという
ここまではわかりやすい。
ごと家に帰る。戦争なのだからしかたがないと言いながら。
あなたは諦めて車をそこに残し、遠い道を歩いてすごす
月以下の懲役です。
売るとわたしが処罰されます、と断られる。売ったら六か
家に帰れないからなんとかしてよと頼んでも、あなたに
んぶ自衛隊が使うと決まっているから売れないと言われる。
ところがガソリンを入れてくれない。ここにある分はぜ
ガソリン・スタンドに入った。
別の例。車を運転していて、燃料の警告灯が点いたので
病人よりも負傷兵の方が優先される。戦争なのですから。
かない場合もあるのかもしれないと考え、迷っているのです。 です。
これはまた映画そのものから観客への問いかけでもあり
ます。単純なわかりやすいスローガンの映画よりも、考え
ることを迫る映画の方が重みがある。
その意味で、これは傑作だと思いました。
﹃少年と砂漠のカフェ﹄はまず三月三十日から、東京銀
︵二〇〇二年三月十八日︶
座のシネ・ラ・セットで公開されるということです。
ゴジラは来るか
有事法制を国会に提出する準備が進んでいます。
この一連の法案について、断片的にはいろいろな情報が
伝わってくるのですが、しかしわかりにくい。
有事というのは戦争になった時のことで、そうなったら
敵に勝つことが最優先事項になる。そのために自衛隊は自
由に動けなければならない。
日常の法律を無視して行動することもあり得る。
だから、そういう時にはこの特別の法の方が優先的に適
用されますよという法を作っておく。
だいたいそんな趣旨なのだろうと思います。
たとえば、自衛隊が陣地を作るのに最適の場所が私有地
である。所有者がいて許可が得られればいいのですが、い
ないと困る。その時には陣地を作ってもかまわない。一時
的な私権の侵害は許される。
が行われるという事態が想定され、それに基づいて演習が
冷戦のさなかには、ソ連が攻めてきて、北海道で戦車戦
そのために世界第三位という規模の軍事予算を投入してい
所有者の側から見れば、旅行から戻ってみると、庭が高射
砲陣地になっている。丹誠のバラが踏みつぶされてしまった。 るのですから。
しかし、敵の上陸はあり得るのか。ゴジラは来るのか。
でも、しかたがないのです。戦争ですから。
あるいは、いつものように出勤して、その日の手術など
の予定表を見ていた外科医のところに自衛隊員が来て、病
30
76
行われました。しかし冷戦は終わった。
中国の人民解放軍が大挙して攻めてくることもまずあり
得ない。そういう時代ではないでしょう。
北朝鮮はどうか。これも来るとしたら上陸用舟艇の大群
ではなくミサイルのはず。
とイランと北朝鮮に戦争を仕掛けようと言っている。韓国
の太陽政策をアメリカは壊しました。
アメリカが北朝鮮を攻撃する。
日本政府が有事を宣言して、この法制が適用される。沖
縄や横須賀、横田、厚木、岩国などのアメリカ軍、ならび
に全国の自衛隊は臨戦態勢に入る。そして、この法制のた
めに周辺の民間人は協力を強いられる。
思社 千五百円︶
。
︵二〇〇二年三月二十四日︶
︵アンヌ・モレリ著 草
﹃戦争プロパガンダ の法則﹄
おもしろい本を読みました。
プロパガンダと民主主義
77
し かし、 こ の の 法則 は日本 が関わった東 アジア と太平
つかの戦争を扱っています。
ソボまで、ヨーロッパから中近東あたりを舞台にしたいく
第一次世界大戦から湾岸戦争を経てユーゴスラビアとコ
著者はベルギーの歴史学者。
くれる本です。
述べてきた戦争と広告技術の関係をわかりやすく整理して
この半年、ぼくがこの﹁新世紀へようこそ﹂でしばしば
10
もしも若狭湾沿いのいわゆる原発銀座にミサイルが飛来
して原発に命中したとしたら、それは自衛隊にとってすで
ベトナム戦争中の沖縄のように軍がすべてに優先する。
有事法制はそういう事態を想定しているのではないか。
に大敗したことを意味します。
それ以前に日本の外交の大敗です。
つまり、この法制があると北朝鮮などに戦争を仕掛けや
アメリカが悪の枢軸などととんでもないことを言ってい
考えているのではないか。
攻められた時の備えというのは見せかけで、攻める時を
すくなるのではないか。
その先の救援と復旧の作業は自衛隊本来の仕事ではあり
ません。少なくとも日常の法を超えてまで自衛隊が動く緊
急性はもうなくなってしまっている。
それとも、報復のために戦争を始めるのでしょうか。
非常の場合のために普段から準備をしておこうという主
る今、北朝鮮攻撃はありえないことではない。
今朝の﹁沖縄タイムス﹂は嘉手納基地にクラスター爆弾
︵ ー ︶が配備されていると写真付きで報じました。北朝
鮮で使うための配備ではないかと言われています。
新ガイドライン、周辺事態法、テロ特措法、去年の自衛
隊法改正、そして今回の有事法制、一連の法整備で日本は
戦争ができる国になりつつあります。
ブッシュ政権の基本方針は話し合いより武力です。
日本もその後についていって、どこかの国の人を何十万
人も殺しますか。
ゴジラは来ないでしょう。
しかし、こちらがゴジラになって出てゆくのはゴジラが
来るより悪い、とぼくは考えます。
アメリカがする戦争に協力する体制を作るのではなく、な
んとか好戦的なアメリカを抑える方が急務です。
に似せて発音していました。
Satan
ブッシュ氏︵子︶の言う自由と民主主義。
ために戦う﹂
4 ﹁われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命の
をわざと
Sadam
湾岸戦争でブッシュ氏︵父︶はフセイン氏の名である
本では﹁鬼畜米英﹂と敵国民全体を悪魔にしました。また
ヒトラーになぞらえるのが第二次大戦後の流行です。日
3 ﹁敵の指導者は悪魔のような人間だ﹂
ばABCD包囲網、湾岸戦争ならばクウェート侵攻。
この1と2はだいたいセットです。太平洋戦争前夜なら
2 ﹁しかし敵側が一方的に戦争を望んだ﹂
1 ﹁われわれは戦争をしたくはない﹂
げる法則で、その後のはぼくが気づいた実例です。
具体的に見てみましょう。数字の後の﹁﹂内が本書が掲
もそのまま適用されたものです。
洋の戦争にも、今回のアメリカとアフガニスタンの戦争に
10
張はわかりやすいけれど、非常の場合の中身が問題です。現
実的な脅威であることが立証されないかぎり、主張は安全
を盾に取った脅迫でしかない。
水害を防ぐためと称してダムを造る。しかし、ダムより
も源流近くの山の植林や、遊水池や、堤防の補強の方が低
コストで効果的だったら、そちらを選ぶべきです。
安全のための先行投資には脅威の中身とコストをきちん
と評価することがまず要求される。
有事法制が作られた場合の国民のコストは何か。
これが基本的には私権の大幅な制限を目的としている点
と、有事を定義するのが時の政府である点です。
アメリカと日本の密接な関係を考えると、この法制の最
も危険な面が見えてきます。巻き込まれる。
今でもアメリカ軍と自衛隊は連携プレーを演じています。
海外へ出た自衛隊の仕事はアメリカ軍の後方支援です。国
が反対しています。日本国民はどういう意思を表明するの
イギリスでさえ、イラク攻撃には国民の51パーセント
しかし、それだけでは済まなくなる。
でしょう。
内ではアメリカ軍の護衛です。
20
今のアメリカ政府はこれまでになく好戦的です。イラク
31
新世紀へようこそ
MK
自分の方は目標を軍事施設に限ったピンポイント爆撃の
ざと残虐行為におよんでいる﹂
5 ﹁われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわ
あります。
ず自分を納得させる。まず自分を騙すのだ﹂とこの本には
だろう。そして、肯定的なイメージを保持するために、ま
わざ明かそうとはしない。むしろ、善意や愛他主義を装う
かなか収まらない。
よりも少なくなるかもしれない。利害の対立は議論ではな
倍になるわけではない。お互いに相殺しあって一人の知恵
まして付和雷同の衆を煽っての議論なき多数決など、数
たまたまの誤爆。相手方は﹁保育器から未熟児をほうりだ
のファシズムでしかないかもしれない。
それでも、民主主義では責任は自分たちにあります。
今回にしてもカザフスタンの石油が欲しいとは言えない
から、タリバンの圧政に苦しむアフガニスタン人を解放す
したイラク兵﹂や﹁原油まみれの水鳥﹂
。
ちなみにこのイラク兵の話はヒル・アンド・ノールトン
敗戦のような不幸なことになっても他人のせいにはでき
ない。自分で選んだ道ならば、結果が悪くとも自分のせい
ると言う。
が欲しいという単純な物欲よりも高級であるらしい。
そして、どうやらいい人でありたいという欲望は、あれ
騙されての判断では納得できないでしょう。
してはいけない。
す。候補者は嘘をついてはいけないし、政府は隠しごとを
判断の時点ですべての情報が手元になければならないので
だから、後になってよくない結果を受け入れるためには、
思います。
結局、民主主義というのはこれだけのことではないかと
りはずっとよいことです。
これは独裁者という他人に運命を左右されて後で泣くよ
満足につながる。この満足を幸福と呼び換えることもできる。 と納得するしかない。
人間の中にはさまざまな欲望があります。欲望の実現は
という広告代理店の創作でした。
6 ﹁敵は卑劣な兵器や戦略を用いている﹂
アメリカの言う真珠湾の不意打ち。
﹁われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大﹂
いわゆる大本営発表。
これは決してシニカルな意味で言っているのではありま
せん。良くふるまおうという意思は倫理の基本です。困っ
8 ﹁芸術家や知識人も正義の戦いを支持している﹂
日本でも実際多くの文化人が軍の宣伝を手伝いました。戦
ている人を助けるのはよい行いです。
戦争宣伝はそこのところを巧みにすり替えて、卑劣な行
争賛美の詩を書いた詩人もいたし、絵も多く描かれた。
終戦後、そういうことはなかったことにされた。あの戦
為を崇高なものにする。
アメリカも、ヨーロッパ諸国も、日本も、民主主義国で
す。原則として、国民が納得しない政策は実行できない。
32
争は負けたからいけなかっのか、勝てる戦争ならやっても
よいのか、そういうことを突き詰めて考えた文化人はあま
りいなかった。
戦争プロパガンダはその点で民主主義の基本条件を損な
なければならない。しかし、現代の民主主義の手続きでは
相手は悪魔ではないし、相手だけが卑劣なのではない。指
国民が正しい判断をするためには、真正な情報が手元に
ここのところが最も危うい。政府は自分にとって都合のよ
導者が狙っているのは正義の実現ではなく、相手国の資産
9 ﹁われわれの大義は神聖なものである﹂
ブッシュ氏の﹁無限の正義﹂
。かつての日本ならば﹁天に
いことしか国民に伝えない。メディアは政府から独立して
かもしれない。
︵二〇〇二年三月二十八日︶
︵一︶
﹃戦争プロパガンダ の法則﹄
アンヌ・モレリ著 草思社刊 千五百円
ことですから。
平和というのは、一国ではなく世界全体の安定と満足の
けでなく、負け組の事情も想像すべきです。
高い倫理を掲げる指導者を疑い、勝ち組に相乗りするだ
戦う国の国民はみなそう疑ってみることが必要です。
います。
代わりて不義を討つ﹂という歌。
報道をするはずですが、実際にはこの独立がなかなか保て
﹁この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である﹂
典型は今回のアメリカの批評家スーザン・ソンタグ。カ
ない。
してきています。広告代理店は営利企業ですから、人間一
しかも、人の感情を操作する広告の技術はいよいよ発達
ミカゼ攻撃よりもミサイルの方が卑怯だと発言して、猛烈
なバッシングを受けました。
以上で すが、 この の原理を上 手に応用 すると 、 平和 を
ここに現代の民主主義の弱点があります。
般の倫理には縛られない。費用対効果しか考えない。
この種の宣伝のどこがいけないのでしょう。
十人が集まって議論したところで、知恵が加算されて十
しぶしぶながら信じていると言いましょう。
のか。
では、ぼくは民主主義というものをそんなに信じている
大東亜解放というスローガンが正面に押し出される。
中国全土が欲しいなどと露骨に言ってはいけない。だから
戦争には大義が必要です。朝鮮が欲しい、満州が欲しい、
好む国民を戦争に導くことができます。
10
﹁どんなさもしい人間でも、利己的で卑劣な動機をわざ
10
10
げるように言います。そのうちの一人が僕を押して、尋
トイレが終わると、兵隊たちが取り囲んで、手を上
張るので、あきらめて、気をつけるようにと言います。
盗みました。イスラエル兵が銀行、両替所、宝石店に
第に破壊し︵テレビ、流し、家具など︶、挙句に現金を
の父親の家に押し入り、ライフルの台尻で手当たり次
邸の近くに住んでいます。イスラエル兵は金曜日にこ
私の隣人の七十歳になる父親はアラファト議長の官
自分の町が外国の軍に占領されるとはどういう事態か。
問を始めました。
﹁何をしているんだ? 名前は? 歳
押し入り、現金や宝石を盗んでいるという報告があり
イレへ行っています。父と母は止めますが、僕が言い
人が普通に暮らしている町に戦車と兵士がやってくる。
は?﹂僕が答えた時、彼らは僕を殴ろうとしました。そ
戦車が町にやってくる
主要な交差点ごとに戦車が居座り、砲塔をゆっくりと回
家宅捜索が行われる。
の即時撤退を求める共同声明を発表しました。またアメリ
国連や、EU、ロシア、アメリカは先日、イスラエル軍
の責任ありとして官邸に監禁しています。
を行っています。またパレスチナのアラファト議長にテロ
ラエル国民に対するテロを理由に自治区に対する武力弾圧
イスラエルのシャロン首相は、三月二十九日以来、イス
レスチナ自治区の実態です。
これが昨日今日のイスラエル占領地内に何か所かあるパ
でも見ていろという侮蔑の表現です。
放送局は軍によって占拠されています。ポルノは、これ
とテレビは昼間からポルノをやっている。
テレビでも見せようと考えてスイッチを入れると、なん
供に何を言えばいいのか。
いのか。家から一歩も出られないまま、恐怖におののく子
子供は脅えて泣きます。親はこの事態をどう説明すればい
家宅捜索と称していきなり兵士が家に押し込んでくれば、
何軒かの家がダイナマイトで破壊されました。
ています。
五十トンの戦車が走った後の道は舗装もぼろぼろになっ
坐り込む。
駅前のバス・ターミナルを踏みつぶして、そこに戦車が
あなたの町ならば戦車はどちらから来るか。
さい。
自分の身にこういうことが起こっていると想像してくだ
ます。
けじゃないか﹂と叫びました。彼らは僕を放し、僕た
こへ父が﹁やめろ、やめろ、子供がトイレに行っただ
して威嚇する。
街路には自動小銃を腰の位置にかまえた完全武装の兵士
彼らは妹たちと弟たちと僕を小さなキッチンへ閉じ
ちの家に突入しました。
ロケット弾を満載した攻撃ヘリが頭上を飛び交う。町の
込め、家の中のものを壊しました。彼らは父を捕まえ、
が何人もいる。
どこかから砲撃の音が聞こえる。空には黒い煙が漂い、硝
殴りました。ほかの男の人たちも捕まえられ、殴られ
ました。そのあと、父やほかの男の人たちの頭にビニー
煙の匂いが立ちこめている。
ジェット戦闘機がものすごい爆音と共に低空で飛び抜ける。
ル袋をかぶせ、どこかへ連れ去りました。
言葉には拳、投石には銃弾、銃弾には砲弾、手榴弾には
挑発に乗ってはいけない。
ている。あなたを撃つ理由ができれば喜んで撃つ。だから
士を前にして、反抗は無意味です。むしろ相手は反抗を待っ
銃を手にした兵士、その銃を使うことをためらわない兵
ンプや入植地にある拘留施設に送られる者も多い。
屈辱的な尋問の後で家に帰される者もいるが、軍のキャ
は十五歳以上六十五歳までの男性。
住民を学校などに集めて一人一人尋問が行われる。対象
ださい、︰︰やめてください!
止めてください。威張るのをやめ、殺すのをやめてく
僕はこれを決して忘れません。僕は言います、占領を
これが占領というものだということがわかりました。
住民は外出を禁止されます。仕事はもちろん、買い物に
も行けない。家の中の食べ物がなくなる。一般車両の運行
が禁止されているのでマーケットに商品はありません。
子供が病気になっても何もできない。猛烈な腹痛や高熱
や下痢といった症状で衰弱してゆく子を、ただ抱いている
ことしかできない。
家人が死んでしまったのに、遺骸を運び出せないので、そ
のまま一緒に暮らしているという噂が伝わります。
救急車の運行も制限されます。検問所で停められたまま、
その救急車の中で出産した女性の話がありました。赤ん坊
は死んだそうです。
外出禁止は徹底しています。
時にはトイレにも行けない。
ミゼル・ジブリンという十五歳の少年の話です──
ンやトイレへ行くのも邪魔をしました。信じられない
家の中に兵士がどやどやと入ってきて、ものを壊す。
ロケット弾。これがこの町の暴力の交換レートです。
状況です。トイレは家から離れているので、妹はカラ
以下はさる男性の報告──
イスラエルの兵隊は、僕たちが家の外にあるキッチ
のゴミ箱を使っています。僕はそれを拒否して、外のト
33
新世紀へようこそ
78
カのブッシュ大統領はシャロン氏を抑えるべくパウエル国
務長官を中東に派遣しました。パウエル氏は延々と中東諸
国を回った後、ようやくイスラエルに入りましたが、成果
はあまり期待できそうにない。
シャロン氏は﹁テロが続くかぎり作戦は続行する﹂と言っ
ています。
これは矛盾です。なぜなら軍を動かす作戦そのものが挑
発であって、これがパレスチナ人の反発を呼び、テロとなっ
コラムとしてはここで何か結論めいたものが欲しいとこ
エルに関わりのある方からの意見が多数寄せられました。
それを読んで、ぼくはまた考えています。
ジェニンの惨状は明らかになりつつありますし、アメリ
ろですが、結論はありません。
今はともかくイスラエルが軍を引くこと、それにつれて
カのパウエル国務長官の調停はやはり不調に終わりました。
軍の戦車が侵攻したか、なぜジェニンの難民キャンプが破
なぜヨルダン川西岸のパレスチナ人自治区にイスラエル
パレスチナ側のテロも終息し、オスロ合意まで戻って長い
和平への過程が再び始まるのを待つしかない。
シャロン氏はこのまま軍事力でパレスチナ人の抵抗を抑
思います。
ここで改めて、この事態について冷静に考えてみたいと
え込みたいのかもしれませんが、それはむずかしいでしょう。 壊されることになったか。
アラブ系の国民の権利を明記したくないというので憲法
も持たない国、今もできることなら軍事力で領土を広げた
いと考えている国︵ヨルダン川西岸もガザ地区も﹁占領地﹂
て返ってくるのですから。
先に書いたような自治区住民への圧力は、嫌でも屈辱感
であってイスラエルの正規の国土ではない。パレスチナ自
のサイトにコーナーを
Cafe Impala
を生みます。名誉心のある人間がああいう扱いをされて反
治区というのは、この占領地の本当に小さな島でしかない︶。 なさんの意見を掲示できるようにします。
この件については
抗を思わないはずがない。それがいかにして自爆テロの意
イスラエルは多くの点で現代の常識が通用しない国です。
同胞を殺されたユダヤ人が得た教訓は二つありました。第
たのか、イスラエル側の主張にも耳を傾けてみるべきでは
道されていません。なぜ戦車が出てくることになってしまっ
今の新聞などの論調でもイスラエル側の考えはあまり報
︵一︶皆さんのご意見
特設して、掲載許可をいただいたものに限られますが、み
志にまで濃縮されるのか、その過程はぼくにはわかりませ
イスラエル国民の中からも、このあまりの強攻策に反対
一は、人種差別は大きな不幸を招くということ。第二はナ
人は過去の不幸から学びます。ナチス・ドイツに六百万の
する声が挙がっています。一万人規模の反戦デモがありま
チス・ドイツのように強くなければだめだということ。こ
ないか。
返信を寄せてくれた一人、イスラエル在住の山森さんが
言われるのは、この事態が望ましいとは決して思わないけ
れど、ではどうすればいいのかがわからないということで
す。軍を引いて自爆テロが収まるのか、それは誰が保証す
るのか。
ここで山森さんの言葉の一部を引用します。引用にはど
うしても引用者の恣意が混じります。できれば山森さんの
論の全体を読んだ上で、それぞれに考えてください。
山森さんは言います︱︱
﹁私はイスラエルに正義があると言っているわけで
は決してありません。
ジェニンで起きた事に関しての詳細は分かりません
が、イスラエルの手は汚れているのは間違いありませ
34
んが、想像することはできます。
したし、
﹁ イスラエルとパレスチナ﹂で紹介した﹁拒否
の二つは互いに矛盾しています。
今は第二の教訓ばかりが前面に出ているようです。難民
キャンプの実情はかつてのワルシャワのゲットーなどによ
く似てきました。
出﹄という映画が作られた時、イスラエルの国民は本当に
一九四八年の独立の時、また一九六十年に﹃栄光への脱
四月六日以降、ジェニンの自治区でイスラエル軍がパレ
︵二〇〇二年四月十四日︶
町から戦車が出てゆくのはいつのことでしょう。
このような血まみれの未来を予想していたのでしょうか。
言っていますが、人が殺されたことは認めている。
今のところ現地にはジャーナリストは近づけないようで
す。赤十字でさえキャンプのほんの一部にしか入れない。イ
戦車はどこに帰るか
前回の ﹁ 町に戦車がやってくる﹂について、多くの
返信が届きました。特にイスラエル在住、あるいはイスラ
78
スラエル軍がブルドーザーで死体の山を埋めているとも伝
えられます。
ジェニンに来た戦車は、居座っただけでなく、走り回っ
て実際に人を殺した。
79
ナ側は五百人以上が殺されたと言い、イスラエルは百人と
スチナ人を虐殺しているという報道があります。パレスチ
れているともサイトは伝えています。
しかしその一方、三十九名の将兵が軍の刑務所に入れら
十七名が名を連ねています。
での軍務を拒否する予備役の将校と兵の組織には今、四百
する勇気﹂というサイト名を持つ組織、パレスチナ自治区
71
ん。その点ははっきりさせておきたい。
なぜイスラエル軍が自治区に入るのか、という点に
関しては、
﹁アラファトが取り締まろうとしないテロの
パレスチナ人はどこにいるべきなのか。
a 彼らは難民として嫌われながら各国をさまよう。これ
はかつてのヨーロッパにおけるユダヤ人の運命です。
はかつてヨーロッパ各地にあったゲットーの暮らしに似て
犯 人 も し く は 責 任 者 を 拘 束 す る た め﹂
、 という理由が、 b 難民キャンプの中で生まれて、暮らして、死ぬ。これ
日本の多くの方々には理解されていないような気がし
います。相互に育て合っているような気がする。
平和に至る道は険しいものですが、単純なルールを仮定
できないわけではない。
二つの選択肢があった場合、常に平和的な方をまず選ぶ。
それが駄目とわかった時に始めて第二の方法に移行する。
たしかに今のパレスチナ人の政治組織が有効に機能して
武力というものが一切不要であると言うほどぼくは楽天
という見解はもちろん成り立つでしょうが、私は自分
いるとは思えません。アラファト議長は統治の権能に欠け
いて、たぶんそれよりずっと過酷です。
自身イスラエルの大多数の人々を和平に向けて説得し
るかもしれない。しかしパレスチナ側に統一した政治組織
武力行使は正当化されない。アメリカのブッシュ大統領は
ます。それは侵攻、領土拡張のための口実にすぎない
ようとする試みをずっと続けてきた関係上、池澤様の
を作れなかったについては、イスラエルにも責任の一端は
アフガニスタンを攻撃する前にビンラディン氏の身柄引き
しかし、平和のオプションをすべて試した後でなければ、
にはある。
的ではありません。武力に頼らざるを得ない事態も世の中
お考え、解決案を本当に聞きたいのです。
﹂
あるのではないでしょうか。まともな交渉相手と認めなかっ
﹁ from Israel﹂
3より
渡しについて何段階か平和のオプションを試すべきでした。
パレスチナ側、特にPLOの弱体化はイスラエルが望む
ととシャロン氏が岩のドームを訪問したことの影響はとて
うが、ラビン首相がイスラエル内の過激派に暗殺されたこ
オスロ合意が崩れたについて責任は双方にあるのでしょ
ところであった。その結果が今のアラファト議長の無力で
も大きいようにぼくには思われます。ただしこれは鶏と卵、
売り言葉に買い言葉ですから、それを言ってもことは解決
しないのでしょう。
やはり各論に割り込むのは控えておきましょう。
そこで、やはりぼくの問いは最も大きな総論に戻ってし
パレスチナ人はどこに行けばいいのか。
地を奪われたパレスチナ人は必死で教育に励み、知的な能
爆テロを自粛した後で、どこに帰ればいいのでしょうか。
ではパレスチナ人は、イスラエル国内も国外も含めて、自
イスラエルの戦車にはまだ帰るところがある。
力を身につけることで生活を立てるようになりました。彼
イスラエルの国論が一つにまとまっていないことは承知
それならば今の主流と言える意見、シャロン首相を支持
しています。イスラエルは民主主義国です。
ドです。また、湾岸戦争まで、クウェートなどではパレス
す。だからぼくは最後のあり得べき姿を知りたい。
一進一退を繰り返しながら、実現してゆくものだと思いま
和平とは、抽象的な遠い目標を掲げて、そちらに向けて
する人々の意見では、パレスチナ人はどこに行くべきなのか。
硬派とパレスチナ側の武闘派はその戦略においてよく似て
同じように、シャロン首相に率いられるイスラエルの強
この生きかたはどことなくユダヤ人に似ている。
チナ人は医療や教育や行政の分野で要職にありました。
いう名著を書いた在アメリカの思想家エドワード・サイー
らの知的活動のトップにあるのが﹃オリエンタリズム﹄と
敵対する者は似てくるという不思議な現象があります。土
問題はどこに存在すべきか、です。
ることは明らかだと思います。パレスチナ人は存在します。 まいます。
ナ人は存在しない﹂と言いました。今、これが間違いであ
かつてイスラエルのゴルダ・メイヤー首相は﹁パレスチ
しい姿とは何かを問いたいと思うのです。
だから、イスラエル側にとってパレスチナ人の最も望ま
はないのですか。
着くことで相手を認知することを避けた。
た。その権威にしばしば疑義を挟んだ。交渉のテーブルに
山森さんはイスラエル国内の論調の中では和平派です。武
力行使もやむを得ないと考える︵残念ながら今は多数の︶イ
スラエルの人々をどう説得すればいいかと考えておられる。
ぼくが﹁イスラエルは多くの点で現代の常識が通用しな
い国です﹂と書いたことについて、山森さんは﹁いささか
感情的にすぎるのではないかと思います﹂と言われる。言
葉の選択を誤ったかもしれませんが、これを﹁特異な国﹂と
言えばどうでしょうか。軍備への過大な依存、高い税率と
兵役の負担、アメリカの援助、なによりも周囲の国々との
不安定な関係。核兵器を持っているという隠された事実。
すべてイスラエル自身が選んだわけではないでしょうが、
しかしすべて周囲が押しつけたわけでもない。
ここで、いかに部外者とは言え、極端に総論に走ること
は慎みましょう。イスラエルの建国の由来、国土獲得の合
法性、占領地と入植者の問題などを持ち出すのは今は控え
ます。イスラエルはともかくも存在する。
そして存在し続けるためには、上記のような特異な国に
なるのもしかたがないのかもしれない。
そこまで認めた上で、イスラエルの人々に問いたいこと
が一つあります。
35
新世紀へようこそ
人の中では理性よりも感情の方が強い。身内を殺された
参拝された神社の側は、同じく第二十条の第一項の後半
するからです。
私が知りたいのは、小泉首相も当然これらの事は分
﹁いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権
されていて、みなそれなりに理解できます。
かっているはずであり、しかも国内、国外での決して
力を行使してはならない﹂に違反することになる。
恨みはなかなか忘れられるものではありません。今の事態
小さくはない政治的、その他のデメリットを考慮にい
は和平を何十年か遅らせるかもしれない。
その一方で、人には対決の緊張感に疲れることもある。本
れた上で尚、参拝しなければならない理由があるはず
かったのか。
に防衛のために死んだのか、実は日本の方が侵略者ではな
しかし、あの戦争の戦死者の大半は海外で死んだ。本当
形の、無宗教の、施設を造ればいい。
造る。これならば話は簡単です。憲法二十条に抵触しない
そこで戦が終わってから、亡くなった人々を悼む施設を
を迎えて撃退するために戦った人々の中に死者が出た。
たとします︵元寇のような事態を考えてください︶
。この敵
仮に、侵略を意図する者が大軍をもって日本に攻めてき
太平洋戦争とか呼ばれたあの戦争の性格です。
ここで第三の問題として考えるべきは、大東亜戦争とか
改めて確認することです。
ました。そこに国の代表が参拝するのは、死者との約束を
政府に言われて、いわば名誉を保証されて、死地に向かい
万一戦死したら、その時は神として靖国神社に祀られると
もう少し踏み込んで言うと、戦争中、戦場に赴く兵士は、
この関係を憲法二十条は否定しているのです。
接な関係にあった。
の魂を鎮め、慰める。その意味で、ここは日本の政府と密
政府の意図に沿って戦って生命を失った人々を祀る。そ
楯突く者との戦いの死者を祀る。
つまり、日本の敵との戦いというよりも、朝廷や政府に
者を祀るところでした。
ある東京招魂社はもともと戊辰戦争や西南戦争などの戦死
外国との戦いと書きましたが、しかし靖国神社の前身で
る特別の神社です。お稲荷さんや諏訪神社とはまったく違う。
ここは外国の戦いで亡くなった日本の戦死者を神として祀
第二の問題は、参拝した先が﹁靖国神社﹂であったこと。
音のところ、延々と続く殺し合いに双方うんざりしている
だということです。
しかし、日本の首相が靖国神社に参拝するとなると、い
ます。
は何の問題もない。信仰の自由を日本国憲法は保証してい
ある人が神社にお参りしたいと思って、実行する。これ
ましょう。
ぼくも詳しいわけではないけれど、考えてみることにし
きすぎます。
﹁個人の信条﹂で済ますにはあまりにもリスクが大
という一面もあるのではないかとも考えます。
また、イスラエルとパレスチナの問題は当事者の意向と
は別に周囲の情勢にいつも翻弄されてきました。ソ連の崩
壊は事態を大きく変えた。湾岸戦争でサダム・フセインが
いきなりパレスチナとの連帯を唱えたことは、結果として
PLOの力を削ぎ、イスラエルを利することになった。ア
メリカ政府の動向はイスラエル支持という基本姿勢に直結
していました。
そう考えると、イスラエルもパレスチナも国際政治とい
うビリヤードの球の一つでしかないのかもしれません。だ
くつもの問題が生じます。
第一の問題は、いわゆる公人か私人かという議論です。今
回について言えば、小泉氏は﹁内閣総理大臣 小泉純一郎﹂
と記帳し ︵これは公人的︶
、 献 花 料 三 万 円 を 私 費 で 払った
︵これは私人的︶
。
つまり、全体としては公人と私人の区別を敢えて曖昧に
している。自分は鳥でもあり獣でもあるというコウモリの
論法です。
本当に私人として、
﹁個人の信条﹂で参拝したのなら、人
に言わなければいい。本来ならば参拝は個人の魂の行為で
あり、そこには他者は関わらない。
また記帳をするのに役職は書かないでしょうし、だいい
しない。
なぜ公人として参拝してはいけないか。
日本国憲法第二十条の第三項﹁国及びその機関は、宗教
教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない﹂に抵触
36
からこそ、彼らが 自分の運命を自分で決めるのを応援す
べく、それぞれの最終的な着地点を知っておきたい。
パレスチナ人はどこにいるべきなのか。
︵二〇〇二年四月二十二日︶
総論でしかないことを承知の上で、感情論を抑制して、要
点を問うたつもりです。
敗者を祀る
す。それがなぜ問題なのかといった解説はさかんにな
小泉首相の靖国神社参拝が、また話題になっていま
うIさんからメールが来ました。趣旨の部分を引用します。
この件について、ニューヨークに住んで十二年になるとい
ました。いつもながら賛否両論、いろいろな意見が出ました。 ち、普通は神社に参拝するたびにお賽銭は投げても記帳は
今月の二十一日に小泉首相はとつぜん靖国神社に参拝し
80
中国や韓国が首相の参拝を非難するのはそのためです︵今
回、中国の江沢民首席は非常に強く反発しました︶。首相の
亡くなった人々を英霊という美称で呼ぶことにもなる。
この場合、他の死者たちはどうすればいいのか。国内で、
空襲や原爆や地上戦で死んだ民間人、
﹁敵国﹂の戦死者なら
びに巻き込まれて死んだ各地の民間の人々の魂は誰が慰め
参拝は結果として侵略戦争を肯定しているように見える。
話を元に戻して、Iさんの疑問です。
るのか。
た。一つはアマテラスを主神とする伊勢神宮の系統。もう一
日本の古代神話には大きく分けて二つの系譜がありまし
れた。
用意しようというわけで、明治の初期、国家神道が整備さ
るらしい。では日本にも国家を束ねるしっかりした宗教を
西洋の国が強い理由の一つにキリスト教という宗教があ
ごりょう
敗者の怨恨を慰める思想は御霊信仰と呼ばれます。
こう考えてくると、明治の日本は勝ちを急ぐあまり、敗
者への配慮を怠ったという気がします。
その結果、戦後の日本にも敗者を祀るという考えがほと
んどありませんでした。自分たちだけが敗者だと思っている。
しかし、長い長い戦争の間、日本はずっと勝っていたの
です。中国大陸で勝ち、真珠湾で勝ち、太平洋諸島から東
南アジアに広く軍を展開した。すなわち、彼らは行く先々
東京には靖国神社しかない。ここでは、たとえその気に
らば考えたことでしょう︶
。
平洋の死者たちの怨恨のせいかもしれない︵と江戸の人な
今の日本がかくも落ち目になった理由は、彼らアジア太
ことを日本人は怠ってきました。
戦争が終わっても、その敗者たちの怒りと恨みを慰める
くありました。西欧諸国は強い。何をされるかわからない。 で敗者を作っていた。
明治以来、日本の政治家には西欧に対する恐怖感が色濃
ました。
昭和二十年の敗戦まで、日本は神道を国の宗教としてき
なぜ、小泉氏は靖国神社に参拝したのか。
あれは個人の魂に関わることではなく、高度に政治的な
ふるまいです。それは当人も周囲もよく知っている。
そして、政治は妥協と計算から成っている。考えの異な
るA群の人々とB群、C群の人々をそれなりに満足させな
ければならない。全員の満足度の総量が最大になるよう考
えて方針を決める。数学でいえば線形計画法です。
小泉氏がまず考えたのは遺族会という大きな票田でしょ
う。改革はうまくゆかず、人気は下がり、立場が危ういの
が昨今の小泉氏の立場です。今、彼にとって遺族会の支持
は必須であるらしい。
アマテラスの側は勝者を祀ることを主に行い、スサノオ
いしじ
あの戦争の死者すべてを祀ることはできないか。
があるかとぼくは考えます。
この死者たちを前にして、兵士の栄光にどれほどの意味
応なく巻き込まれた人々でした。
まり、亡くなった人の六十二%は民間人でした。戦争に否
しかし最も多いのは沖縄の民間人です。十四万人以上、つ
徴用されていた朝鮮や台湾の人の名もあります。
の姿勢です。日本の兵士、アメリカの兵士、また日本軍に
沖縄戦で死んだ人々の名をすべて記すというのがこの碑
年追加しているので、今はもっと増えています︶
。
れは一九九五年に碑が序幕された時の数字で、その後も毎
半端な数ではありません。二十三万四千百八十三名︵こ
そこに人の名が刻んである。
南に海を望む丘の上の広い公園に、長い石の碑が連なり、
しずえの沖縄語読みです︶
。
沖縄に﹁平和の礎﹂という施設があります︵いしじは、い
つはスサノオとオオクニヌシを主神とする出雲神社の系統。 なっても、敗者は祀れない。
考えたくない人々への慮り。その後で、あの戦争を否定す
/オオクニヌシの方は敗者の魂を慰めることを専らとして
次に、日本人の中でも、あの戦争を侵略戦争だったとは
る日本人や、中国をはじめとするアジアの人々のことも少
きた。
平和主義者であったことになる。
るのは次の戦を避けることだとすれば、日本人は基本的に
勝者を讃えるのは次の戦に備えることであり、敗者を祀
いたからです。
慰め、怒りを鎮め、報復の連鎖を断ち切ることだと信じて
めに大事なのは勝者を讃えることではなく、敗者の恨みを
なぜならば、それまでの日本人は、社会を安定させるた
者の方が重視された。
そして、江戸期までの日本人のものの考えかたでは、後
しだけ考えて、政治日程も視野に入れて、八月十五日を避
けた。
つまりこれは配分の問題です。小泉氏は靖国神社とそれ
に象徴されるものを重視した。しかし、あの戦争を否定し、
次の戦争を避けようとする人々の考えは軽視した。
Iさんが考えておられる以上に参拝のメリットは大きく
リスクは小さい、と小泉氏は判断したのでしょう。
死者を悼むのは当然です。安らかに眠ってくださいとい
うのも墓参では当然のこと。
けれども、自分の命を賭してまでよくぞたくさんの敵を
実際、敗者の怨恨は日本人の思想においてなかなか大き
な役割を果たしています。菅原道真も、平将門も恨みを抱
殺してくださいました、と感謝するのは問題を含んでいる。
それでは日本と敵国という戦時中の対決の構図から抜けら
いて死んだ。だから、そのたたりを恐れて、道真と将門に
ついてはいくつもの神社が造られた。
れない。
靖国神社の基本的性格は、戦死者への感謝です。だから
37
新世紀へようこそ
アジア太平洋の死者の名をすべて記した広大な碑をどこ
かに造ることはできないか。各国の遺族がこだわりなくお
参りするというのは、まったくの夢想でしょうか。
明治国家神道の成立と出雲の関係については、原武史さ
んの﹃<出雲>という思想﹄
︵講談社学術文庫︶を参考にし
ました。
︵二〇〇二年四月三十日︶
︵一︶
﹃<出雲>という思想﹄原武史著
編集部より
有限会社インパラのご好意で掲載しております。
︵一︶本文内容を変更しない。ただし縦組編集のために算用
数字は漢数字に変換しております。
︵二︶著者名︵池澤夏樹︶
︵三︶発行元
有限会社インパラ
︵四︶メール・マガジンからの転載。メルマガの配信登録先
新世紀
︵五︶﹁加筆・修正を加えた最終バージョンの池澤夏樹のテ
キストは、
﹃新世紀へようこそ﹄書籍版 ︵光文社より
三月十一日刊行︶に収録されています。﹂
︵六︶電子ブックではありませんので、プリントアウトして
お読みになることをお勧めします。
編集 片倉啓文
︵一︶編集者のサイト
38
新世紀へようこそ
39