Eternal Dystopia Online - タテ書き小説ネット

Eternal Dystopia Online
ソビくん
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
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Dystopia
Online
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︻小説タイトル︼
Eternal
︻Nコード︼
N1846BF
︻作者名︼
ソビくん
︻あらすじ︼
VRの技術が最初に世間で頭角を現したのは六年前。当初は単な
るオフラインのコミュニティ系ゲームという当たり触りのないどう
でもいいものだったが、六年で変化を遂げていた。容量不足を改善、
対戦ゲームなども発売し、今年ついに、VRMMOとして発売され
るという。そのオープンβテストに当選した義妹のペアチケット。
誘われ、二人で一緒にβテスターとして参加することとなる。デー
タで構成された世界。理想された仮想の現実。しかし一日目終了間
近にして始まったのは、死と後悔の渦巻くデスゲームだった。そし
1
て俺の頭に流れるのは、VRを最も知っている人物の言葉。
︱︱人は、誰しもが現実での自分にコンプレックスを抱いている。
※6/3.あらすじを変更しました。
2
MM
O
0−1:現実と仮想へのプロローグ︻?︼
VR
仮想体感多人数同時参加型オンラインゲーム。世界中の不特定多
数の人々をゲームプレイヤーとし、一つの仮想世界で同時にゲーム
をプレイするジャンルであるMMO。そのバーチャルリアリティ版
とでも思ってくれればいい。
バーチャルリアリティ。つまり仮想現実。脳から発せられる微弱
な電子のほぼ全てを機械が読み取り、自らの分身と感覚を共有して
第二の現実として創られた世界を体験する。所謂ゲームの世界に入
るというようなものだと思ってくれれば大体正解だ。
その技術は元々、ある国が軍事目的に開発していたものを応用し
て生み出され世界中に広まったものだった。初期は最も簡単な聴覚
を除き、視覚を共有する程度が精一杯だったらしい。十年前の初の
実用化では何の変哲もないコミュニティ系のゲームに一環として出
すのが限界で、評判は微妙だったみたいだ。更には機器の値段がか
なり高いこともあり、裕福な家庭でしか買われ、使われることはな
かった。けれど時代は四年で急激に変化する。
今から六年前、初めてVR機器によるFPSや格闘ゲーム等が発
売された。とある天才が容量不足の問題の一部を改善したらしく、
アバターによる激しい動きも可能になったのだ。
NPCとの対戦。プレイヤー同士の対戦。当初はそれしか出来な
い非常に簡単な作品だったのにも関わらず、大流行に大繁盛を重ね
たという。
そこから時代は急速に進化を遂げた。天才が登場してから二年目
にVR機器の値段や大きさの問題が解決され、三年目にゲーム内部
の機能の濃厚さが増した。四年目には仮想世界を殆ど現実と呼べる
ようなものにまで仕上げさせ、五年目ではゲーム内部でのNPCを
完全な人工知能として造れるまでに進化した。
そして今年は、六年目。
3
最早恒例となりつつある毎年のVR技術の発展。今年のそれは、
VR技術のMMO化だった。
◆◇◆◇◆◇
もうすぐ夏休みになるような暑い時期。七月。
炎天下とコンクリートで反射する熱で挟み撃ちにされつつ、俺は
いつも通り高校に通っていた。
二年に上がっても特に何かが劇的に変化することはなく、同じこ
との繰り返しだ。強いて言うなら進路の決定が迫られたことが違い
だろう。別につまらないとは思わないが、何となく刺激が欲しいと
感じていた。
そんなことを思っていたからか。その日、俺は教室で﹃今年の技
術革命﹄なんて話題を耳にした。
﹁VRMMO?﹂
﹁ああ。何でも、今年はVR技術が多人数でやるMMOってゲーム
になるらしいな﹂
あおばたかひと
彼︱︱青葉鷹人の言葉を聞いて、俺は思考する。
最近では授業でも習うようになった技術、バーチャルリアリティ。
現実と感覚を共有し、データで創られた世界を自由に生きる。そん
な人類の夢を体現したようなものらしいのだが、如何せん値段が高
くて手が出せない人が多い。
四年前からは値段の問題がかなり改善されてきているのだが、そ
4
れでもまだ少し高い。それに加え、別の問題もあった。
﹁まぁ、うちは貧乏だからな⋮⋮﹂
何せ義妹との二人暮らしだ。
一年前に御祖母さんが死んでしまった時は大変だったのだが、そ
こは何とか乗り切ったので多くは語らない。
だが、最近は逆に平和過ぎるくらいだと思う。かれこれ七年くら
い義妹と共に暮らしているが、大した問題もない。今の義妹が家族
になる前︱︱七年以上前はいつもが騒がしいくらいだったのだが、
もうそれも思い出すのに苦労するほど遠い記憶だ。刺激がいらない
と言えば嘘にはなるが、愛すべき義妹と一緒ならば何でもいいとも
思っている。
そんな会話をした。その日もまた特に何事もなく終わる。そう思
っていた。
夕食の時間。テレビも点けず、義妹と共にリビングで夕飯を食す。
この静かな空間が好きなのだと、昔、義妹は言っていた。
時計の秒針が聞こえてくるほどの静寂。今の時代では殆どの時計
がデジタルへ変わり、時間のズレ一つとしてないものばかりだとい
うのに、この家では今でも二〇一〇年ほどに作られた古い時計を使
っている。亡くなった御祖母さんによれば、まだ世界がエネルギー
問題に悩んでいた頃︱︱自分が若い頃を思い出して、懐かしいのだ
と言う。家も古く、他の多くの家具も昔のものが多い。俺は御祖母
さんがいなくなった今でも、壊れるまではこの家の家具をずっと使
っていきたいと思っている。
そんなことを考えていると、箸を置いた音が耳に届いてきて、そ
ちらに目を向けた。そこには義妹が椅子に座っていて、御飯を食べ
るのを中断してこちらを見つめてきている。
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不意に彼女が口を開いた。
﹁当たった﹂
そう、一言だけ。
言葉が足りないのはいつものこと。昔の名残で、仕方のないこと
だ。そう割り切り、すぐに彼女が自分に何を伝えたいのかの予想へ
と移った。
思考。考察。予測。
当たった。その言葉から鑑みるに、きっと宝くじかその辺りによ
るものだと思う。ボールを何かに当てたとか、きっとそういうもの
ではない。
宝くじ、か。そんなことを考えていると、不意に高校での青葉と
の会話が頭を過った。VRMMO。今年の技術革命、最近の話題。
だからだろうか。口が滑っただけかもしれないが、俺は言葉を発
していた。
﹁VRMMO、か?﹂
VRMMOのテスターにでも当選したのか︱︱いや、そんなはず
はない。言ってから、心の中で否定する。しかしそんな予想とは裏
腹に、義妹はどことなく嬉しそうな雰囲気を醸し出しながら首肯し
た。
驚きながらも、俺は彼女から何があったのかを聞き出した。MM
Oは兎も角家庭用ゲームとしては既にVR技術は普及しているため、
パソコンを使ったネットゲームは既にマイナーな人だけしかプレイ
していない。その通常のMMOで、サービス終了最後の大会で三位
以内に入賞したために、そのMMOを造っていた会社が所属する、
幾つもの会社の集合した連合が造り出したVRMMO。それの、県
のホールでやるβテスター券を取得したらしい。
6
﹁⋮⋮行きたいのか?﹂
そう聞くと、こちらを窺うようにして再び首を縦に振った。そし
てそれに、心の中だけで驚愕を示す。
義妹こと佐々木鈴音は人間不信、対人恐怖症という病状の傾向が
ある。人を信じることができない、人間自体が怖いという症状だ。
俺以外の人間をずっと恐れている。そんな義妹が、人の沢山来る
であろうような場所へ自分から行きたいと言ってきた。それに驚か
ずにはいられなかったのだ。
﹁大丈夫、なのか?﹂
﹁⋮⋮頑張る﹂
そう拳を握りしめて静かに言う義妹を心の中で微笑ましく思うと
同時に称賛した。
彼女の恐怖症は相当なもので、恐怖症の克服なんてのは、TVや
噂で聞くほど本当は簡単なものじゃない。例えば犬や猫の恐怖症の
例を挙げてみよう。
多くの人々にとっては犬や猫は可愛らしく思う動物で、恐怖の対
象には遠いと感じるだろう。大型犬なら兎も角、子猫や子犬ならば
もの
それは周囲にとって当然のこととなり、可愛がる対象だ。けれど恐
怖症を持つ者にとっては違う。
悪ふざけ、冗談、善意の押しつけ。そんな低俗な良心で克服を手
伝おうと言う人間なんかは山程いる。けれども、彼らはそれがどれ
だけ本人が恐ろしく思っているのかを知らない。だからこそ、そん
な妄言を軽く吐くことができる。
人の気持ちを考えない善意はただの押しつけ。だからこそ無理に
治さなくてもいいと、これまでずっと思い、事実そう言い聞かせて
いたのだが。
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期待に不安を織り混ぜたような表情の義妹を見て。
﹁⋮⋮了解。十分、楽しんできなよ﹂
断るという選択は考えられなかった。
しかし、彼女はそんな俺の返答に首を傾げて疑問符を浮かべるよ
うな雰囲気になる。どうしたのだろうか。義妹はいつでも無表情な
のだが、何年もずっと一緒に居てずっと親愛を注いできた俺には、
その感情が手に取るようにわかる。だからこそ何が疑問なのかわか
らなかった。
﹁ペアチケット﹂
しかしその語句で、疑問にも納得をした。βテスト券は二人で行
けるペアチケットだったのだ。
そして彼女は一緒に行こうと俺を誘っている。
﹁りょーかい。内心かなり心配だったし、断る理由もない﹂
丁度自分も刺激が欲しいと感じていたところだ。少し嬉しく、ま
たその誘いはひどく面白そうなものだった。
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0−2:現実と仮想へのプロローグ︻?︼
﹁ん? ああ、VRMMOのβテストか。それなら俺も行く予定だ
ぞ﹂
︱︱思わず、そう答えた青葉を殴り飛ばしていた。
時は既に、あれから一ヶ月は経っている。夏休み直前の終業式の
日だ。
その日、明日から夏休みだー、などという声に混じって、狂った
笑い声を上げる人物が一人いたという。そいつが友人であった︵青
葉ではない︶ことが何とも言えない話だが、問題はそこではない。
明日から姉さんとβテストに行くんだ、とか言いながら︱︱とい
うより、一年生全員の教室に﹃明日から姉さんとデート﹄などと書
きながら同じことを何度も叫んび回っていたのだ。別に叫んだりし
ていたことが問題なわけではない。寧ろ平常運転なので放置に限る。
問題は、βテストの部分だ。
つい一ヶ月前、俺は義妹にβテストに誘われていて、明日がその
開始の日で、初日の体験日だった。準備は一週間程前に終えていて、
正直そのことを忘れかけていたのだが、彼の叫びで思い出したのだ。
そういえば青葉には知らせていなかった。そう思い、語ってみて
返って来た言葉があれである。俺も今日まで知らせていなかった︱
︱というか忘れていた︱︱ので悪い方なのだが、自分のことは棚に
上げておく。
﹁うん? もしかして、先輩もVRMMOのβテストに行くんです
か?﹂
その声は、俺の左斜め後ろから響いてきていた。
目を向けると、短髪の、若干浅黒い肌を持つ後輩が頭を抑えなが
9
ら立っている。頭にあるのはタンコブで、それを抑えているようだ
った。
﹁李解か﹂
あかいしりかい
彼︱︱赤石李解の名を、青葉が苦笑しながら呼んだ。
俺にとっては、友人であり、後輩であり、同志とでも言える存在。
こちらは青葉とは違い未だ四ヶ月の付き合いでしかないが、嗜好が
合っていて、すぐに仲良くなれた一年生。︱︱βテストのことを叫
びながら告知していたやつは李解であるが、それは彼の尊厳のため
に言わないでおく。最も、無用な気づかいだとは思うけれど。
﹁出たな僕の敵。又の名を働く生徒会長め。僕は貴様に問うたので
はない。零都先輩に問うたのだ﹂
李解は、青葉のことをひどく嫌っている。
いや、本当の意味で嫌っているわけではない。寧ろ、ある事情さ
えなければ親しくなっていたと言ってもいいくらいだ。けれどその
事情は李解にとって大きく、青葉のことは認めていても、どうして
も受け入れられないのだ。
﹁こら、りーくん。先輩にそんな口の聞き方はいけません﹂
﹁はい、すいませんでした姉さん﹂
あかいしちさと
俺の前の席に座る彼女︱︱赤石知里が李解を注意すると、これま
での態度を一変したかように彼は口調を改めた。これもまたいつも
の風景だ。
事情と言うのは、実に簡単なもの。ただ単に、李解が姉至上主義
のシスコンで、その姉である知里が青葉に惚れている。それだけだ。
李解は別に、姉に恋愛感情を抱いているわけではない。それは紛
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れもない親愛だ。俺が義妹を大切にするのと同じ、親愛。けれど、
だからといって姉の色恋沙汰を見逃すわけにはいかないのだろう。
結果、二人は犬猿の仲になった。いや、青葉は別にそんなことは
微塵も思っておらず、少しやんちゃな友達程度の認識らしいのだが。
因みに、青葉は知里の好意には気付いていない。そのことがより
李解に拍車を掛けているのだが、まぁ、気付いていたとしてもどう
せ結果は同じだろう。
﹁おい、働く生徒会長だとそのままだがいいのか?﹂
男の様な言い方であるが、その声の主は男性ではない。声のする
方へ目を向けると、男子の制服を着た女生徒が一人いるのを見つけ
あおばつばめ
た。黒髪のロングで、身長は平均よりも低いが、雰囲気は狂犬のそ
れ。
彼女︱︱青葉燕という名の青葉の妹は、青葉と出会った一年後の、
中学二年の頃に初めて知り合った一つ下の女の子。狂犬のような雰
囲気と言っても、躾の行き届いた大人しい狂犬だ。よく怖がられる
らしいのだが、そもそも、この中にそんな一般の感性を持ち合わせ
た常識人など皆無であるので問題はない。
学校では、よく人がグループ別に分かれるという。ならば、きっ
とこの五人が俺の所属するグループなのだろう。変人揃いの奇人揃
い。去年は俺と青葉と知里だけだったので、随分と賑やかになった
ように思う。
﹁実際働いてるしな、こいつ﹂
﹁⋮⋮褒められてるはずなんだが、何か、嬉しくないな⋮⋮﹂
俺の称賛をそう流す青葉。小さく肩を叩いたが、彼は苦笑い。
その後も適当に会話を楽しんでいたが、不意に、思い出したかの
ように李解は口を開いた。
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﹁話は戻りますけど、先輩方もβテストに参加するんですか?﹂
そういえば、最初はその話をしていた。思い出し、俺と青葉は一
瞬だけ顔を見合わせた。
﹁ん、まぁね。愛する義妹にお願いされちゃ、一緒に行かないわけ
にはいかないさ﹂
﹁俺も、燕から﹃修行だ﹄とかいきなり言われて行くことになって
る﹂
﹁修行ですか? ああ、そういえば、クソ会長様の家は道場でした
っけ﹂
﹁ああ。VRで安全にスポーツが出来る時代、未だ古い伝統に従う
哀れな家さ﹂
李解の問いに答えたのは青葉ではなく、燕。VRでスポーツが出
来る時代。彼女の言うことは事実であり、同時に、現実の価値観が
徐々に失いつつあるということでもある。
少しずつ、少しずつ。這うように遅く、亀のように鈍い。けれど
確実に﹃仮想﹄は﹃現実﹄へと進行してきている。それに焦ってい
る者達も多いのだが、やはり時代の流れには逆らえない。
いつか、二つの現実が同時に平行する世界がやってくる。そう思
わなければやっていけない。﹃仮想﹄に﹃現実﹄が浸食されて反転
するなんて予想、笑えないから。
まぁ、現実が現実である事実は変えようのないもので、それを覆
すことはできない。だから大丈夫だとは思うが、世間のVRへの執
着は狂気的とも言えるほど相当なものなので、やはり嫌な印象や想
像は拭えない。
﹁はあ、VRMMOが修行ですか⋮⋮﹂
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一人、不思議そうに首を傾げる知里。何故修行になるのか、とい
う疑問であろう。
Online﹄は主に﹃何でも出来る﹄ことを
﹁アルファ社が開発しているVRMMOである﹃Eternal
Dystopia
中心に構成されているが、その実、﹃剣と魔法の世界﹄を基に創ら
れている。そのため、戦闘職をロールプレイすることこそが、本来
のプレイスタイルとでも思ってもらえればいい﹂
初耳だった。義妹からは、﹃何でも出来る﹄ゲームとしか説明さ
れていなかったから。
それが修行になるという燕の説明に、知里は更に深く首を傾げて
いた。
﹁つまり、僕達がやるゲームでは、戦うことが主体なんだよ姉さん。
他のことは⋮⋮オマケみたいなもの?﹂
﹁あ、なるほど、わかりました。ありがと、りーくん﹂
姉の御礼に、滅相もないとでも言うように手を振りながら顔を赤
くする弟。微笑ましい光景だ。
首を傾げていたのは、専門用語が多かったせいだろう。多分、知
里にゲーム内での専用言語は通じない。ゲームに縁がなかったのだ
ろうか。うちの義妹は逆に、驚くほど上手くてそちらに詳しいのだ
が。
﹁⋮⋮戦い、ねぇ﹂
そんなのが主体のゲーム。正直、可愛い義妹をそれに参加させる
のは気が引ける。というか知っていたら参加なんてさせなかったか
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もしれない。おそらく義妹もそのことを見越して詳しく語らなかっ
たのだろう。
急に断れるわけもない。勘違いさせたことを怒るわけではないが、
心配させるようなことをしたことは少し叱らなければいけないか。
そう考えていると、丁度チャイムが学校に鳴り響くところだった。
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0−3:現実と仮想へのプロローグ︻?︼
Dystopia
Online﹄
夏休み一日目。熱気を放つ太陽が、一際強い日だった。
VRMMO﹃Eternal
。略してエディのオープンβテスト。その、記念すべき初日である。
﹁スズー、準備できたかー﹂
義妹︱︱佐々木鈴音こと愛称スズ。リビングで鞄に着替えなど色
々と詰めながら、彼女の部屋の方向へ声を掛けた。
前に聞いた限り、一週間の外泊。部屋などは支給されるらしいの
で問題はないのだが、着替えなどの荷物はこちら持ちである。スズ
に重い荷物を持たせるわけにもいかないので、殆どは俺が持つ。
スズの部屋の方へ目をやると。扉から顔の半分だけを出して覗い
てくるスズが目に入った。どうしたのだろうか。
﹁⋮⋮怒って、ない?﹂
その言葉で、ああ、と思い出す。昨日のことだろう。
昨夜、俺は彼女を少し叱った。心配を掛けさせたこと。そんなの
本来ならこちらが勝手に思ったことでしかないのに、スズは真剣に
聞いてくれて、謝ってくれた。泣きそうな顔になっていたスズを抱
きしめて落ち付かせるのも、又叱ってしまった俺の義務でもあった。
昨日のことをまだ怒っていると思っているのか。それとも、嫌わ
れてしまったとでも怯えているのか。友達も親もいない彼女には俺
しかいない。ならば、その不安はきっと計り知れないほどなのだろ
う。
雰囲気から、伝わってくる。大きな不安の感情が。だから俺はい
つもと同じように、安心させるように彼女に笑みを浮かべて、ただ
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答えるだけだ。
﹁もう、怒ってない。スズは俺の話を真剣に聞いてくれた。反省し
てくれてるのなら、むしろ、それはとてもいいことだよ﹂
﹁⋮⋮嫌いに、ならない?﹂
﹁ならない、絶対に。俺はいつでも、スズが大好きだから﹂
﹁⋮⋮うん﹂
小走りに抱きついてくるスズを受け止めて、優しく頭を撫でた。
それに気持ちよさそうに彼女は小さく笑って、俺の胸に顔を埋める。
﹁さ、行こ。もうすぐバスが来るし、早めに行った方が乗り遅れる
こともないし﹂
こちらを見上げながら、スズは言葉に頷いて返すと、自分の部屋
へ戻っていく。数秒後には小さな黒い鞄を持ちながら部屋を出て、
こちらに戻ってきた。
その鞄を受け取ろうとしたが、渡さなかった。どうしたのかと思
ったが、やはり、荷物は自分も持っていたいのだと言う。俺一人に
は任せられない。つまり、そういうことだ。
そんなスズの意思を尊重するが、﹁もし辛いのなら俺が持つ﹂と
も釘を刺しておく。過保護すぎるかもしれないが、元々スズには筋
力なんて殆ど無いのだし、何よりも、不安なのだ。
そんな俺に彼女は首を振って返した。大丈夫。そう伝えているの
だろう。
苦笑しながらも、﹁それでも﹂とだけ言っておいた。相変わらず、
とでも言うように小さな笑顔もを向けてくれた。
外に出て旧世代の頃の鍵を閉めると、それをポケットへ仕舞う。
大体の家では既に個人認証型の機械だが、最近では旧世代も馬鹿に
したものではない。泥棒にしても機械に慣れすぎた人達では、この
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鍵を開けるのは苦労するだろう。ハッカーも何も関係ないのだから。
太陽の光を受けて、スズの姿がハッキリと映る。腰まで届く真っ
黒な髪、燕よりも低い低身長と童顔。そして病弱のように︱︱いや、
病弱でいつも真っ白な肌。儚さと可愛らしさを兼ね備えた容姿は、
どこか弱弱しく見えた。
道を二人並んで歩く。そういえば、スズはかなり久しぶりの外出
だろう。休日はよく日向ぼっこを一緒にするが、外に出たことは全
然なかった。
思わず大丈夫か、と口に出かけたが、飲み込んだ。何かに怯えな
がら、それでいて耐えるようにしている彼女を否定してしまう気が
したからかもしれない。
代わりに、荷物を持っていない方の手で、スズの手を握る。一瞬
ビクっとした様子でこちらを振り向いたが、次の瞬間には、緊張を
少し緩めて手を握り返してくれた。それらが全て、微笑ましく思う。
けれどまぁ、俺も人に近付かないように配慮をし、通りかかる人
達がなるべくスズに目を向けないように工夫もした。仮にも兄なの
だ。これくらいの配慮はしてあげなければ失格だ。
バス停の少し離れた場所で立ち止り、壁に寄り掛かった。バスを
待っている人がベンチに座っていたからだ。スズには近付かせたく
ない。
しかしよく見ていると、それが学校でのいつもの四人だというこ
とがわかってくる。見える。相手もこちらに気付いたようで、李解
と知里がこちらへ来ようとした。が、青葉の兄妹が二人を止めてく
れた。二人にはスズの症状を話している。だからありがたいと、そ
う思った。
これまた旧世代の代名詞でもあるケータイを取り出すと、アドレ
ス帳から青葉の名前を選択して電話を掛ける。一コールの内に彼は
それに出た。
﹁どーも、悪いな﹂
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﹃気にするな。事情はこっちが説明しておけばいいのか?﹄
﹁ああ、頼む。それから折角会ったのにあれだけど、バス内でも席
離れて座ってもらっていいかな。出来れば、話しかけもしないで欲
しい﹂
﹃了解だ、伝えておく﹄
そう青葉が答えて、電話は切れる。
青葉は俺達の中でも、一番常識のあるやつだ。そして、案外真面
目。生徒会長なんて役職に就けているのがそれを如実に表している
だろう。
知里も常識人と言えなくもないが、あれは天然のおっとり系アホ
の娘なので当てはまらない。それを言ってしまえば青葉も道場の師
範代であるが、それは家柄なので仕方のないことだ。李解は言うま
でもなく、俺も、何事にもスズ第一な奇人である。燕は﹁あんな中
途半端な長さのスカート穿くくらいならズボンの方が動きやすい﹂
なんて理由で、嬉々として男子生徒用制服を使ってもいいよう校長
に掛け合うような馬鹿なので、普通に常識人ではない。
視線を隣から感じ取り、スズの方へ目を向けた。その目が語って
いる。あの人達は誰、って。
﹁友達だよ。悪友とシスコンと天然と狂犬の、変わった友人﹂
﹁⋮⋮にぃに、嬉しそう﹂
﹁そうかな。自分じゃ、わかんない﹂
それでも、自分が笑みを浮かべていることはわかるけれど。
そんな俺に、何故かスズは不満そうに雰囲気を変え、俺に寄り掛
かってくる。擦り寄ってくる。
その行動を不思議に思うが、問うよりも先にバスが横の道路を通
りかかり、バス停に止まった。出発する前に乗らなければいけない
ので、俺達は小走りでバス停まで行き、バスの中で前から一番目の
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席に座った。窓側はスズ。真ん中は人が通るかもしれないから。
俺達を乗せてしばらく後、バスの扉が閉まる。誰か人が閉めたわ
けではなく、人工知能による自己判断だ。無人運転バス。今では、
人間が運転することの方が珍しいかもしれない。
バスが出発する。荷物を降ろし、一息吐く。それでもスズは手を
離そうとはしなかったので、俺達は手を繋いだまま。
﹁あと三時間くらいかな⋮⋮﹂
最初は起きていたスズだったが、段々と眠くなっていたようで、
二〇分ほどで彼女は眠りに付いた。俺は眠らない。スズを見守って、
人を近付かせない。そのために。
まだまだ時間はあった。その間ただずっと、スズの頭を撫でつつ
外を眺めていた。
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0−4:現実と仮想へのプロローグ︻?︼
ホールに着いたところでスズを起こし、外に出た。冷房の効いて
いた空気から脱却し、夏の暑さが自分を包み出す。太陽の光を地面
が反射もしているため、普通より暑く感じているのかもしれない。
バスは最後に降りたため、既に降りた人達は近くにはいない。人
が降りるまでスズを起こすようなこともしなかった。これくらいの
気遣いは、普通にする。
窓から見えるホールの入り口付近を見ると、幾人かの女性が受付
をやっているのが目に入った。今はバスを降りた人達に彼女達が対
応をしていて、つまりはあそこがVRMMOの受付ということなの
だろう。
道路へ振り返ると、又新たにバスがやってきたり、車が入ってく
るのが見るできた。早めに行って受付を済ませてしまわなければス
ズに人を近付かせることになりかねない。
俺達の乗ったバスの全員の受付が終わったのを確認し、早々に中
に入った。ここもまた冷房が効いているようだ。スズからペアチケ
ットを受け取ると、彼女をその場に残して受付へ行く。人に会わせ
るようなことは、やはりしたくない。
チケットを受付の女性の一人に渡すと、相手側は白いカードを二
枚、番号札の付いた赤いカードを一枚渡してきた。
﹁参加証明証、及びゲーム起動の際に必要とされるメモリカードと
なります。こちらの赤いキーカードは参加者全員へ供給される部屋
の鍵となっていますので、番号札を確認して指定された部屋へと向
かってください﹂
三枚全てを受け取り、番号札を手に取る。四八番。スズの元へと
戻り、ホールの見取り図を確認してその場所へ向かおうと歩き出す。
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メモリカード、キーカード。旧世代で言うならば、メモリや鍵と
いうところだろう。最近では殆どの物がカードの形を取ることが主
流化してきているため、特に珍しくもない。
部屋まで付くと、扉の横側へ付いているセンサーへとキーカード
を合わせて、認証させる。すると、ピーというような機械音の後に、
鍵の開くような音が聞こえてきた。扉を開けて、二人で中に入る。
第一感想と言えば、質素な部屋だ、というところだろう。全員に
支給されるものだとすれば、かなり豪華な方だろう。
二段のベッド。そのそれぞれの枕元に置いてあるヘッドホンのよ
うな形をした機械、それこそがVR機器ヘッドプラント。第一世代
は一メートル四方の大きな機器という話だったので、かなり縮小さ
れているのは目に見えてわかるだろう。因みに今は第四世代である。
﹁一緒の部屋か﹂
別にいいのだが、と心の中で呟いておく。どうせ同居している身
なのだ。李解辺り、おそらく現在発狂中であろう。良い意味で。
部屋の中に荷物を置いて、一息吐いた。腕時計を確認してみる。
大体時間は一二時半と言ったところのようだ。昼飯の時間には、丁
度いいくらいだろう。
予め用意していおいた弁当を、スズが持ってきてくれた鞄から二
つ取り出す。宿泊場所は用意してくれるらしいが、飯は別みたいだ。
今は弁当を用意してあるが、明日からは外食になるかもしれない。
或いは、買ってきてここで食べるか。どちらにせよ栄養の配分が適
量ではないと思うので、スズに食べさせて大丈夫か、なんていう考
えが浮かんでしまう。流石にそれは、兄馬鹿過ぎただろうか?
一枚メモリカードと共に弁当の片方をスズへ差し出し、二段ベッ
ドの下段に腰掛ける。事無くしてスズも隣に座ってくる。弁当を開
けて、二人揃えて﹁いただきます﹂と言った。
いつものように、ただ無言で黙々と食べ進める。静かで、落ち着
21
く空間。昔のスズも言っていた通り、きっと俺もこの空気が好きな
のだろうと思う。何となく、安心する。
﹁御馳走様でした﹂
スズよりも先に食べ終える。やることも無くなってスズの方を見
ると、丁度彼女もこちらを覗きこんで来ていたようだった。
無言で見つめ合うこと数秒。互いにクスクスと小さく笑い、それ
から視線を元に戻す。笑顔が見れるということは、余程気分が良い
証だろう。普段は感情は在っても、表に出そうとはしない。
﹁御馳走様でした﹂
流石のスズでも、いただきますから始まる御馳走様までの挨拶だ
けはしっかり言ってくれる。頼んだわけではない。ただ、それを本
当に嬉しく思う。
空となった二つの弁当箱を最初に入っていた鞄の中に仕舞い、メ
モリカードを片手にスズの隣へ戻った。サービス開始は確か一四時
から。それまでに直接メモリからキャラ設定は行えるようなので、
やってしまおうという魂胆だ。
ふと、スズの顔を見る。頬に米粒が付いている。人差し指でそれ
を掬って口に含む。特に味はしない。だって米粒だから。されたこ
とを理解したスズは瞬時に真っ赤に染まり、俯いた。恥ずかしいの
だろうか。今更なのに。
﹁メモリオープン﹂
メモリカードの表面を撫で、そう呟く。これがメモリを開くキー
ワード。カードの表面から二○cm四方のホログラムが出現し、メ
モリの内部を映し出す。スズの方を見れば、ハッとしたような顔で
22
同じことをやっているようだった。
Online﹄。もう一つには﹃ショートカ
内部にあったファイルは二つ。一つ目の題名は﹃Eternal
Dystopia
ット﹄と書かれている。ショートカットの方を指でクリックして開
くと、二つのアプリケーションが名の通りショートカットとして鎮
座していた。﹃キャラクター設定﹄と﹃フレンド登録﹄だ。説明用
にtxtファイルもあったようだが、読まない。説明書を読まずに
ゲームを進めた方が手探り感がある。
キャラクター設定を起動すると、もう一枚のホログラムウィンド
ウが重ねて映し出された。基本的には、旧世代のパーソナルコンピ
ュータで開けるメモリと、あまり仕組みは変わらない。
メモリから直接設定出来るのは、職業と種族、そして名前のみ。
キャラクターの外見は本人の体を使うため、変更できない。外見を
弄るにしても、そもそも骨格からして男女は違うので、性別変更は
出来ない。体との齟齬がありすぎると、脳に負担が掛かりすぎるみ
たいだ。ちょっとした変更も推奨はされず、精々変えれるのは目の
色髪の色、後は肌の色程度らしい。尚、その三つだけはゲーム開始
時に設定できるとか。
まずは名前を決めるのが先だろうと、それをクリックして入力を
開始する。こんなのは悩むだけ無駄だと思う。自分は、全てのゲー
ムにおいて同じ名前を使用する派である。そもそもゲームなんてス
ズに付き合う程度にしかしないが。
Nought。ノート。そう入力し、次に種族選択に移る。見る
限り、数は少ない。
人間、エルフ、竜人、魔族、ドワーフ。この五つみたいだ。人間
は全てが平均。エルフは遠距離攻撃と魔法関連、それと速度に補正
があり、筋力についてはかなり低度。竜人は近接関連に多大な補正
があり、それ以外は平均以下。魔族は魔法関連に多大な補正がある
が、それ以外が平均以下。ドワーフは生産系全てに補正があり、戦
闘関連は低度と少々特殊。︱︱と書いてある。
23
﹁種族スキル、ねぇ﹂
そして種族には、それぞれ種族スキルと呼ばれる特殊な技能があ
る。人間は︿ロックオン﹀、エルフは︿精霊言語﹀、竜人は︿竜翼
﹀、魔族は︿魔力活性﹀、ドワーフは︿怪力﹀。︱︱と書いてある。
それぞれの効果はよくわからないが、名前から容易に想像できる。
﹃何でも出来る﹄がこのゲームのキャッチコピーだったはずであ
る。ならば、何でも出来る種族を選ぶのが筋だと思う。
そんな適当な理由で人間を選択。こういうものは変に考えるから
悩むのである。万能キャラは物語等がスムーズに進むので、楽だ。
最後に、職業を選ぼうとクリックをして画面を表示する。出現し
た項目は四つ。それぞれに目を通し、確認した。
︿戦術系統﹀︿魔術系統﹀︿盗賊系統﹀︿生産系統﹀。どうやら
レベル五で正式な職業を選べるらしく、それまでは準備期間という
やつらしい。
︱︱派生システム。それまでの自分の行動によっては普通に派生
できるものとは違い、特殊な職業を手に入れられることがある。そ
こからも更に派生することもあるため、後々になると職業の組み合
わせが被ることは殆どない︱︱らしい。
取り敢えずは、︿生産系統﹀を選択する。何でも出来るなら、色
々やってみたい。四つの内三つが戦闘関連なのだから、こちらの方
が面白そうだ。基本はスズの意向で行動するけれど。
﹁にぃに、決まった?﹂
﹁今終わったよ﹂
声を掛けてきたスズに、そう返す。
開始は一四時からなので、あと四五分。
24
◆◇◆◇◆◇
もう少し。後、もう少し。
スズとのフレンド登録も終え、現在一四時一分前。
俺は上段のベッドへと寝転がっていて、スズは下段側で横になっ
ている。二人共頭に第四世代VR機器ヘッドプラントを装着し、た
だその時を待つ。
ヘッドプラントには既にカードメモリを通してあり、個々データ
の認証︱︱つまりアカウント登録も完了させてある。準備は万端。
あっち
VRMMO
﹁またVR世界で会おうな、スズ﹂
﹁⋮⋮うん﹂
さあ、時間だ、行こう。
俺達は息を吸い、口々に望み完成した夢の世界へと潜る魔法の言
葉を言い放つ。
即ち、
﹁﹁アクセス﹂﹂
25
0−4:現実と仮想へのプロローグ︻?︼︵後書き︶
※今回は︿生産系統﹀を選択しましたが、この小説のメインは戦闘
です。生産職としてのんびり過ごすようなことはありません。
26
1−1:兄妹と運命のエンカウンター︻?︼
気が付けば、大空の上に立っていた。
いや、それは正確には正しくないのかもしれない。この空。宙に
浮いた体。
ここは、ログイン画面だ。オンラインでない通常のVRゲームで
も、このような演出は多々あった。
ログイン画面である証拠に、現在自分の目の前には、空と同じ色
のホログラムで描かれた、大規模で巨大なスタート画面が用意され
establishset
ている。上半分はタイトルロゴに使われ、下半分には︻Game
Start︼と︻Character
up︼、︻Option︼と︻Log−out︼という四つの項
目が、装飾付きで縦に並んでいる。手元にはそれと同じホログラム
ウィンドウのかなり小さいものがあり、巨大ホログラムウィンドウ
と連動しているみたいだった。
establishset
up︼
ゲームスタートは置いておくとして、まずはキャラクター設定と
思わしき︻Character
を手元のウィンドウから選び、クリックする。すると巨大なウィン
ドウは俺の姿全体を映し出すような画面へ切り替わり、手元のウィ
ンドウはアバター設定を変える項目の並ぶものへ切り替わった。巨
大ウィンドウが映し出す自分の姿には見慣れない服が着せられてお
り。おそらく初期装備なのだと簡単に把握できる。
ハンドルネーム。種族。職業。その三つは決まっているが、初期
での髪と目、肌の色は決められていなかった。その項目を進み、設
定を開始する。
髪は灰色、目は翠色。肌はそのまま。そうして設定を完了させる
と、一番初めのログイン画面へと戻る。
Start︼をクリックした。デフォルトから変
オプションはどうせ使わないので、そのままゲームスタートのた
めに︻Game
27
えると逆にやりにくくなる。下手に弄らない方が巧くいく確率は高
い。
空を。俺の周りを。雲のように濃い霧が、包みだす。同時に、体
が再構成されていくような感覚が走っていた。
体性感覚。触覚、温覚、冷覚、痛覚、運動覚、圧覚、深部痛、振
動覚。
内臓感覚。臓器感覚、内臓痛。
特殊感覚。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、前庭感覚。そして、平衡覚、
固有感覚。
ありとあらゆる感覚が精密に反映され、脳の電子が、ヘッドプラ
ントの管理下へと、完全に支配されていく。
痛みに関する感覚、全て二%。その他の感覚、一〇〇%。
再現。
﹁︱︱︱︱ッ﹂
気付けば既に、街の、大きな広場に立っていた。
古い街の風景。幻想的な小鳥の飛び立つ真っ青な青空。現実その
ものとも言えるような︱︱いや、それ以上に綺麗な空気。
けれどそれよりも先に、俺の目を奪ったものが目の前にあった。
クリスタル。
薄緑色に輝く、透き通る程に綺麗な巨大な宝石。広場の中央に浮
きながら鎮座しているそれは、圧倒的な存在感を放ち、見る者を魅
了した。
思わず、笑みが零れるほど。
﹁これが、バーチャルリアリティ⋮⋮﹂
︱︱やっぱり、七年前の時とは別物だ。
けれど、ハッとして、周りを見渡すために顔を動かした。見惚れ
28
るよりも先に、早くスズを探さなければ。スズは対人恐怖症だから。
そう思う。
人が沢山居て、見つけにくい。大声を出すことも考えたが、それ
では目立ってしまう。目立つのは、スズのためにはならない。
ではどうするか。焦り。手当たり次第に行こうかと足を踏み出そ
うとした瞬間、誰かが俺の胸に飛びついてきた。
こんなことをするのは俺の知る限り一人だけ。顔を埋めている彼
女の頭を撫でて声を掛ける。
﹁ごめん、スズ。怖かっただろ?﹂
﹁にぃには悪くない。位置が離れてたのは、機械のせいだから﹂
震えている、その体。恐怖。そんな状態でも真っ先に自分の言う
ことを否定してくれて、嬉しく思う。
早く、ここから離れよう。そう考え、スズの体を御姫様抱っこで
持ち上げて走り出す。注目されるより早く。人波を抜けて。
﹁ぁ、に、にぃに⋮⋮! ちゅ、チュートリアルは⋮⋮?﹂
﹁いいよそんなの。怖いのに、無理するな﹂
あたい
本当は色々と知りたいけれど、人が大勢いるならば論外だ。スズ
の安全と、ゲームのやり方。そんなもの、比べるに値しない。
広場を掛け抜け、大通りをすぐに曲がって路地へ突入する。人が
居ない方へ、人が居ない方へ。兎に角、走る。
奥。ただ進み、人の声も聞こえなくなったところでスズを地面に
降ろした。顔を赤くして、こちらを見上げてくる。
﹁ごめん、勝手に連れ出して﹂
﹁え、あ、う⋮⋮﹂
29
わたわたと慌てた様子で、口を開く。けれども声は出ない。落ち
付くように頭を撫でてみると、嬉しそうに目を細め、深呼吸をした
後、再び口を開いた。
﹁私の、ためだから⋮⋮にぃには悪くない﹂
それはそうだけど、と頭を掻く。スズのためにしていることが本
当に正しいのか、って。
そんな思考の中、ふと、スズの目と髪に目が行った。目は翠色に、
髪は灰色。髪はツーサイドアップで縛られていて、一瞬、兎のよう
な印象を受けた。
目と髪の色が同じ。その事実に驚いて、その様子をスズは不思議
そうに眺めてくる。が、すぐに同じことに気付いたようで、目を見
開いた。
﹁⋮⋮本物の、兄妹みたい﹂
﹁本物だよ。血なんてどうでもいい。ただ互いがそう思っているの
なら、本物﹂
﹁⋮⋮うん﹂
手を差し出すと、スズはそれを取る。笑みを浮かべると、ぎこち
ないながらもいつもの無表情を動かして、微笑んでくれる。
自分を頼りにしてくれる。ならばただ、俺はそれに答えるだけ。
足を動かして、歩き出そうと踏み出す。ここから出て、ゲームを
楽しもう。そうしてここで︱︱
﹁︱︱︱︱あ﹂
︱︱そうしてここで出会った彼女のことを、余程のことがない限
り、俺はきっと忘れることはないだろう。
30
﹁わ、わわわわわわ!?﹂
空から女の子が降ってくる。そんなベタなフレーズを、どこかで
聞いたことがある。
建物の隙間。そんな場所。そんな路地に、ピンポイントで彼女は
降って来た。傘を片手に開き、片手に赤色の液体入りのコップを携
えて。アホな特徴丸出しで、ロマンチックな点なんて一つの欠片も
なく。
けれどそれは確かに、運命の出会いだった。
﹁や、やっぱり飛べないっ﹂
飛べたら逆に凄いだろう。そんな言葉が頭に浮かんだが、声とし
て出すことなく適切に対処する。
スズを連れて後ろに下がり、落ちてくる女の子の落下地点から離
れる。スズは自分の後ろ側に配置して、何があっても平気なように。
そうして、
﹁わふっ!﹂
彼女は地面に墜落する。︱︱頭から。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
三人共、無言。近くに自分以外の人がいるのに、スズの手が震え
ていない。そのことに気付くことができたけれど、何故か全然嬉し
くなかった。
31
﹁⋮⋮行こ、スズ﹂
﹁うん﹂
﹁ま、ちょ、ちょっとま、ま、待って!﹂
シュバ、という擬音が付いてそうなほど素早く頭を上げた彼女は、
必死にそう俺達に呼び掛けてくる。顔に土が付いていることをジェ
スチャーで示してみるが、そんなことはどうでもいいとばかりに、
彼女は思い切り顔を払う。そしてビンタになって自分の頬を直撃し
た。そしてまた倒れる女の子。何故だろう。会ってまだ一分も経っ
ていないのに、この娘が知里以上のアホな子だということが理解で
きてしまった。
無造作に垂らされていた長い水色の髪。同色の水色の瞳。頭の天
辺には、ちょこんという表現が正しいような毛の纏まりの一部が立
っていて、これが俗に言うアホ毛というものなのだろう。
立っていないので正確にはわからないが、背は燕と同じか、それ
より少しだけ高いかと言ったところか。胸は平均くらい、服装はス
ズと同じ初期装備。
そんな彼女は、うう、と呻き声を上げながら倒れたままこちらを
見上げてくる。既にボロボロ。俺達は何もしていないのに。不思議
だ。
﹁⋮⋮﹂
そしてしっかりと彼女を認識していても、スズが殆ど震えていな
いことも俺は把握できていた。
32
1−2:兄妹と運命のエンカウンター︻?︼
﹁ふ、ではまず自己紹介からいこうか﹂
﹁その前に立てよ。ボロボロだぞ﹂
地面に横たわったまま偉そうに言いだした女の子の言葉にそう返
す。あちらも異論はなかったようで、すぐに立ち上がって服の汚れ
を払おうとする。しかし、髪や顔、というよりも体中に汚れが付い
てしまっているため、あまり意味はなかった。
スズがその様子を見て、俺の後ろに回り、服の裾を摘まむ。震え
はいつもよりは小さいが、怯えていることには変わりはない。そし
て恐怖がいつもより薄いからと言って、彼女と無理に仲良くさせる
つもりもない。
全てはスズの意思。話を聞く。ここから去る。彼女と触れ合う。
その選択、全て。
スズは俺の後ろに回った。けれど、去る意思は感じられない。こ
こは、話をするという選択をしたと見て、間違いはないだろう。本
当は、すぐに離れたいはずなのに。
病気を治したいと思っている、のだろうか。無理はしないでいい
といつも言っているのに、それでも?
なら自分はその意思を尊重するだけだ。そう考え、スズから女の
子の方へ視線を戻す。汚れが舞ったのか、くしゃみをしていた。見
た目通りの可愛らしいくしゃみで、これだけ見ると、単なる美少女
だと思ってしまう。実際は、おそらくかなりの馬鹿なのに。
﹁うぅ⋮⋮えー、コホン。ふ、ではまず自己紹介からいこうか﹂
やり直した! そんな言葉が、瞬間的に頭に浮かんだ。スズも同
じようで微妙な表情をしていたが、少なくとも怖がってはいないみ
33
たいだ。
女の子は無駄に胸を張り、言い放つ。
フリー
﹁私は篠ざ︱︱じゃなくて、︿Free﹀! 愛称はフーで!﹂
一瞬本名を言いかけたようだが、元気よく切り替えて彼女は言っ
た。しかも自分から愛称まで付けて。
その様子に、少しだけ、笑みが漏れた。特に何かあったわけでも
ないのに、楽しそうだ、と。
﹁これも何かの縁。御近づきの印に、これ﹂
彼女はドヤ顔とでも言うべき表情で、そう言って片手に持つ赤い
液体の入った瓶をコップを渡してくる。何故屋根から落ちたのに零
れないのか。ひどく不思議に思った。
﹁いや、いらないけど﹂
﹁え⋮⋮!?﹂
断ると。世界が終わったような表情をする女の子ことフリー。そ
んな反応されても困る。純粋にそう思った。
﹁フリー⋮⋮でいいのかな﹂
﹁いいえ違います、フーです﹂
﹁⋮⋮フリー、でいいのかな?﹂
﹁いいえ違いますです。フーなのです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮フー、でいいのかな﹂
﹁よく言えましたー、パチパチパチ﹂
口でパチパチとは言うが、手は叩かない。逆だろう。
34
ノート
﹁俺は︿Nought﹀。後ろの女の子は⋮⋮﹂
そういえば、スズのハンドルネームを、俺は知らない。なんて言
えばいいのだろうか。まさか、本名を言うわけにはいくまい。
言い淀んでいると、スズが、俺の背中から顔を半分だけ出して、
言った。
リン
﹁り、︿Rin﹀、です﹂
自分から進んで言ってくれた。そのことに驚き、又、知らない相
手にいきなり声を出すことができたことにも驚愕した。
対人恐怖症。人間不信。それなのに。そのことを嬉しく思うが、
同時に心配にもなる。大丈夫なのかな、と。
﹁その液体は何なんだ? 全然中身落ちてないように見えるけど﹂
﹁んー? まぁー、当然でしょ。だってこれスライムだし﹂
言って、彼女は中身に手を突っ込む。すると液体と思われていた
部分が、指をプルンっと跳ね返した。弾力性があるらしい。
﹁街にもいるような最弱モンスターの︿ラフスライム﹀って言って
ね、蹴るだけで即死するほど弱いんだよ﹂
そしてそのドロップ品がこのスライム、と指で突きまくる。
﹁その傘は?﹂
ずっともう一つの片手に持っていた傘。それについて聞くと、彼
女は笑顔見せながら言った。
35
﹁あ、これね。丁度良く落ちてた︿廃れた外套﹀を拾って、店で初
期金額使って︿銅﹀を買ったんだよ。それで傘のイメージ通りに作
ってみたら、こうなったんだ。最高でしょ? でもあげない﹂
まだ始まったばかりのはずなのに、既にバーチャルライフを満喫
している。呆れて乾いた笑い声しか出てこなかったが、本当に楽し
そうだなとも感じた。
﹁それで、何か用があったのか?﹂
﹁え? 何のこと?﹂
﹁いや、俺達を呼びとめたの君だろ﹂
そう指摘すると、あーそういえば、などといいながら笑う。そし
て、
﹁何となく止めただけだけだね、うん。こんなところに一人で気ま
ずく倒れていたくなかったです、はい﹂
と、宣った。
﹁⋮⋮⋮⋮まぁいいや﹂
色々と、諦めた。この娘はたぶん、李解達と同じ変人奇人のタイ
プだ。常識を期待するだけ無駄だったということだろう。
﹁それじゃ、俺達はそろそろ行くよ﹂
そろそろスズも限界だろうし。そう思い、二人でフーの横を通り
過ぎようとする。俺はスズを気にかけながら、スズはフーとの直線
36
状に俺を挟んで歩きながら。
しかし次の瞬間。冗談のつもりだろうか。フーがスズと反対側の
位置にある俺の体に抱きついてきた。
それは︱︱マズイ。あまりにも、それは近すぎた。
﹁もうちょっと一緒に︱︱﹂
﹁︱︱離れろッ!﹂
焦り。焦燥。反射的に彼女を弾き飛ばし、すぐにスズの方へ向き
直る。
︱︱今にも、泣きそうな顔だ。
いくら効果が薄かったからって。いくら震えがいつもよりなかっ
たからって。恐怖症なんて、そんな簡単なものじゃない。それに彼
女は、対人恐怖症だけでなく人間不信でもある。
ずっと不安で一杯だった。ずっと耐えて、恐怖を我慢していた。
この病気を治そうと。そう思って。
そんな不安定な状態。急にフーに近付かれたりしてしまえば、堪
えていた恐怖が前面に押し出されてくることは当たり前だった。
だから俺は彼女を抱きしめて、背中を擦る。大丈夫だ、大丈夫だ。
そう言い聞かせながら、静かに。
﹁⋮⋮その、子⋮⋮って⋮⋮まさか⋮⋮﹂
フーが、そんな俺達に向かって口を開いて呟いていた。
﹁⋮⋮勘が良いな。たぶん、想像通りだ。⋮⋮あと、突き飛ばして
悪い﹂
﹁そ、そんなこと気にしてない! そ、それより! ⋮⋮大丈夫、
なの⋮⋮?﹂
37
心配そうに。本当に心配そうにこちらを見ながら、フーは言った。
その目にあるのは、不安や謝罪の気持ち。今にも泣きそうにこち
らを心配している。意外と優しい性格だったらしい。本当は近付い
て本人に聞きたいはずなのに、事情を理解してか一歩引いてこちら
の様子を伺っていた。
﹁ぁ⋮⋮あ、ありが、ありがと⋮⋮にぃ、に⋮⋮﹂
しゃっく
?り混じりの声。泣かない様に一生懸命になりながら、俺の胸に
顔を埋めてくる。
その様子を見たフーは、さらに自分も泣きそうな表情になった。
﹁ご、ごめ、ごめんなさい⋮⋮わ、私、そんなつもり⋮⋮ほ、本当
に、ご、ごめんなさい⋮⋮﹂
痛々しく、ただ謝ってくる。何故こんなに心配してくれるのだろ
う。赤の他人。会話すらロクに交わしていない相手。それなのに。
﹁⋮⋮﹂
いや、本当はわかっている。彼女はただ。彼女の本心は、ただ他
人に関して小心者なだけなのだ。
自分のせいで相手が傷つくのは怖い。自分のせいで相手が不幸に
なるのは嫌だ。そんな感情を異常な程に抱えている。ただそれだけ。
無表情が多いスズの感情を読むことが出来る俺には、彼女の表情
を見るだけでそれが理解できた。
スズが落ち付くまで、ただ抱きしめていた。フーの謝罪も途中で
俺が止めたが、それでもその心配そうな瞳は続いている。
﹁⋮⋮落ち付いた?﹂
38
﹁⋮⋮うん﹂
頬を赤くしているスズ。彼女はフーの方に目を向けた。
その瞬間、フーがビクッと体を震わせた。そんな彼女を俺越しに
見つめながら、スズは口を開く。
﹁ねぇ、にぃに﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁私、あの人と⋮⋮友達になりたい﹂
39
1−3:兄妹と運命のエンカウンター︻?︼
︱︱友達になりたい、か。
その言葉に、急激に自分の心が冷えていくのを感じ取る。そして
そのまま、フーへと自分の目を向けていた。
鋭い視線。鋭利な雰囲気。それに驚いたためか、フーが一歩後ず
さる。
それでも、俺はただ見つめ続けた。
﹁⋮⋮⋮⋮了解、俺は賛成だよ。まぁ、本人に聞かないとどうしよ
うもないけど﹂
鋭さを霧散させ、そう言う。
雰囲気が急に戻ったためか、フーは困惑していた。その様子に﹁
睨んで悪かった﹂と言うと、﹁き、気にしてない﹂と返って来た。
スズは、たった一人の家族。大切で大事な義妹。だから、本当に
相手が良い奴なのか確かめたかった。もう誰にも、スズを傷つけさ
せたくないから。
たとえ誰であろうと。青葉でも、燕でも、知里でも、李解でも。
スズを傷つけるというのならば容赦はしない。
スズは、俺の全てだから。
﹁スズ﹂
俺は言う。
﹁自分で、言うんだ﹂
ただ誘う。
40
﹁友達になってください、って﹂
スズにとっての恐怖の一つを。
俺の言葉に、スズは言葉に詰まったような雰囲気を発した。
﹁残念ながら、俺は完全に賛成ってわけじゃないんだよ。手伝って
やれない。スズにはもう、傷ついて欲しくない。だから、ここから
は自分で選んでくれ。友達になるのか、ならないのか﹂
﹁にぃに⋮⋮﹂
それがたとえ、義妹にとっての恐怖でも。
スズが自分から言ったから。
スズが自分から望んだから。
ならば、俺はその手を引くことはできない。ただ、その背中を押
すことしかできない。
見守る。それだけ。
﹁リンちゃん⋮⋮私は︱︱﹂
﹁それ以上言ってくれるな、フー。これは自分から言わないと、意
味がないから﹂
手を引いてもらうだけじゃ、駄目だ。
自分から友達になりたいって言ったんだ。なら、手を引いてもら
っちゃいけない。
・・・・
スズから、歩み寄らないと。
震える自らの体を抑えながら、そう思う。
﹁⋮⋮にぃ、に?﹂
41
震え。自分のものではないことに、気付いたのだろうか。
それに苦笑しながらも、俺は言葉を発しなかった。
﹁⋮⋮わかった﹂
︱︱スズを辛い思いにさせる自分が嫌いだ。
︱︱スズに嫌われたくない。
そんな思いが、バレた。そんなことを把握して、更に苦笑した。
﹁⋮⋮フー、さん﹂
﹁は、はい﹂
あまりにも空気が真剣過ぎたためだろう。思わず敬語で返したフ
ーに、しかし気にせずスズは続ける。
﹁⋮⋮と、と﹂
震えている。だから、その手を俺がしっかりと握った。
﹁と、とも、とも﹂
これ以上は何もしてやれない。ただ、スズが言い切れるその瞬間
を待つ。
対人恐怖症。人間不信。
スズは、一体どれほどの恐怖を抱いているのだろう。きっと、俺
にはわからない。
わからない。そのことが辛い。怖がらせている。そのことが辛い。
けどこれは、スズが自分で選んでくれたことだから。
﹁と、友達に⋮⋮﹂
42
負の感情を、分かち合えるなんて思ってない。背負ってやれるな
んて思ってない。
それでも、隣にいることくらいはできるはずだから。
見守るくらいは、できるはずだから。
だから︱︱
﹁友達に、なってください!﹂
︱︱よく頑張ったな、スズ。
今なら、そう言ってやれるような気がした。
◆◇◆◇◆◇
あれから、どれくらいの時間が経っただろうか。体感的に、そこ
まで経っていないようには思う。
﹁ほら、ゆっくり、ゆっくりでいいから⋮⋮﹂
﹁う⋮⋮うぅぅ⋮⋮﹂
﹁な、泣かないでぇ⋮⋮こっちも悲しくなってくる⋮⋮﹂
特訓。そう称して二人が始めたことは、きっと、第三者視点から
見れば意味のわからない光景だろう。
フーがスズから離れた位置に立ち、スズが体を震わせ、泣きそう
になりながらもゆっくり近づこうとする。
近付く。少し泣きそうになる。少しだけ近付く。泣きそうになる。
43
ほんの少し近付く。かなり泣きそうになる。
目的は、フーと触れ合えるようになること。
現状、スズは俺としかその肌を触れ合わせることはない。近付か
せはしない。無理に寄ると、泣いてしまう。しかし、折角友達にな
れたのに、近付けませんでは話にならない。
それで、この特訓というわけらしい。
﹁に、にぃに﹂
しかも、一定の距離まで近づくと涙腺を崩壊寸前にさせながらス
ズは俺に抱きついてくる。
進歩がなかった。
﹁あー⋮⋮これはもう地道に直させてくしかないかな﹂
﹁地道って言っても一週間しかないよ?﹂
﹁それβテスト期間。終わった後も友達じゃないのか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮うん、そうだったね﹂
間が空いたのが少し気になったが、おそらくそのことに目がいっ
ていなかっただけと推測した。
﹁そうだ、フレンド登録しようよ﹂
唐突なフーの発言。それに、そういえばしてなかったと、片手の
人差し指でバツを描くようにして、メニューのホログラムを出現さ
せる。
メニューウィンドウ。開き方は、スズから一度だけ聞いていた。
左右どちらかの手を、人差し指だけ突きだした状態にし、空中にバ
ツを描くようにすればいいらしい。他の人にはホログラムウィンド
ウは見えないみたいなので、虚空を見つめて何かをしている様は、
44
さぞや不気味なことだろう。
﹁フレンド登録﹂
音声認識機能。人工知能の定番の技能。それを反射的に使用して
しまったが、どうやら使用は可能らしい。画面が切り替わり、視界
の真ん中を中心としたカーソルのようなものが表示された。
視線をフーの方へ向けてカーソルを合わせ、三秒。︻フレンド申
請をしました︼というシステムメッセージが頭を流れた後、画面が
メニューへ戻った。
﹁イエス、オア、ノーだね。勿論イエス﹂
フーが宙を叩くような動作をして、約一秒。︻︿Free﹀をフ
レンド登録しました︼というシステムメッセージが頭を過ぎる。
それと同じようなことをスズとフーでもし、一息吐いた。
そうして、再び特訓を開始しようとした矢先。
鳴り響く、轟音。
その方向へ目を向ける。見上げれば、クリスタルのある方向とは
反対側から、爆発でもあったかのように、煙が上空へと昇っていた。
﹁⋮⋮なんだ、あれ﹂
﹁大規模なプレイヤーキルでも起きたんじゃないかな。近付かない
方がいいと思うよ﹂
もとより、スズを人がいるような場所へ連れて行く気はないけれ
ど。
それにしても、プレイヤーキルか、と考える。
プレイヤーキル。それを起こす者は、プレイヤーキラー︱︱通称、
PKと呼ばれるらしい。その名の通り、人を殺すこと、人を殺すプ
45
レイヤーのこと。ゲームの中でしか出来ないことをやりたいという
気持ちはわかるし、刺激的なことをしたいという気持ちもわかる。
だから否定をするようなことはしないし、事実、スズが言うにはあ
あいう過激なプレイヤーもいることがMMOの醍醐味、だとか。
それでも、まぁ、自分がするというのならば同意しかねる行為だ
けれど。
﹁⋮⋮行きたい﹂
そう言ったのは、スズ。
﹁低レベル。まだ何もない。なのに、おかしい﹂
﹁⋮⋮え、っと⋮⋮つまり、どういうこと?﹂
フーが、俺に視線を向けてくる。
俺は、肩を竦めながら普通に返した。
﹁まだゲームが始まったばかりで、レベルも低いし物もよく流通し
てないはず。なのにあんな大規模な爆発が起こせるのはおかしい。
って言ってるな﹂
﹁あ、なるほどね﹂
ポン、とでもいう擬音の付きそうな動作。片手の手の平にもう片
手の拳を付いて、フーは納得する。
﹁⋮⋮本当に行きたいのか?﹂
﹁かなり気になる。物陰に隠れる﹂
﹁⋮⋮ノートくん、つまりどういうこと?﹂
﹁出来ないはずのことができるのは、かなり気になる。人が沢山い
るとこはやっぱり凄く怖いから、慎重に物陰に隠れながら決して見
46
つからない場所を行こう。って言ってるな﹂
ノートくん。そういえば、フーに名前を呼ばれるのはこれが初め
てだ。本当の名前じゃないのに、何だかむず痒かった。
けれど、まぁ、特訓も滞っているし、寄り道するくらいならいい
かもしれない。ただ、スズを絶対に怖がらせはしないようにしなけ
ればならないけれど。
47
1−4:爆発と戦闘のユニークシステム︻?︼
爆発現場。そう呼ばれそうなほどに大きなクレーターが出来てい
る大通りへ出れたのは、あれから三〇分ほど経った頃だった。
路地を進み、、途中で見つけた梯子を上手く利用して建物の屋根
まで昇る。そこから慎重に屋上などへの移動を繰り返して、ようや
く辿り着いた。
現在居る場所は、無人の建物の二階。屋根の上に在ったハッチを
開け、下に降りた場所が、この建物の二階だった。そこから、埃に
塗れた窓を介して様子を窺っている。
人が、クレーターを中心に集まっていた。俺達のように好奇心で
来たのだろう。その会話を盗み聞きたいところだが、遠いし、窓も
開けていないので聞こえない。開ければ他人がこちらに気付く可能
性もあるから、迂闊には手が出せない。
﹁んー⋮⋮︿盗聴﹀のアビリティが買えてればなぁ⋮⋮﹂
外の様子を見て、スズがそう言葉を漏らした。
﹁買う?﹂
﹁あれ? 知らないの? んーと⋮⋮このゲーム、﹃コード﹄と名
の付くスキルやアビリティなら、全部ゴールドで買うことが出来る
んだよ。ただ、コードのスキルやアビリティは、ステータスの︻ス
ロット︼に決まった数しかセット出来ないみたいだけど﹂
そんな返答。フーの話を詳しく聞いていると、その仕組みがよく
わかってくる。
コードスキル、又はコードアビリティと呼ばれるものは、基本的
に︻巻物販売店︼と呼ばれる場所で買えるものらしい。街によって
48
売っているものが違ったりもするようだが、まだ一番初めの街なの
で本当かどうかは実証されてるわけではない。ただ、公式サイトに
乗っていたみたいなので、きっと真実なんだろう。
そして、︻スロット︼。コードと名の付くスキル又はアビリティ
は、このスロットに代入しておかなければ使用できない仕様みたい
だ。レベルによって空くスロットの数が変貌するらしいが、レベル
一ならば三つ程度のようだ。スキル三つでもよし、アビリティ三つ
でも構わない、だとか。
﹁コード、ね。種族特有のスキルとかはどうなるのかな﹂
﹁それは例外みたいだよ。クラススキルも例外。レアスキルやレア
アビリティなんてものもあるらしくて、それもこのゲームではコー
ド系列として扱われるみたい﹂
その二つは売ってないんだけど、とフーは補足した。
そこでその話題は終わり、また窓から外を眺める作業に戻った。
しかし、やはり埃で視界も悪い。払えばバレてしまう確率が上がる
ので、自重する。
﹁スキル、か﹂
そういえば、人間の種族は︿ロックオン﹀というスキルを持って
いた。
何となく、使ってみたい。そう思った。
﹁スキルって、どうやって使えばいいんだ?﹂
﹁んー? えっと、音声認識機能を仕様にしてあるみたいだよ。思
考感知機能もあるみたいだけど、正確さで言えば音声認識の方が良
いのかな﹂
49
なるほど、と納得しつつ、呟く。﹁︿ロックオン﹀﹂と、言う。
目を向けている場所はクレーター。視界に、フレンド登録時のよ
うなカーソルが出現した。それが俺の向く方を認識すると、ピッと
いうような機械音の後に、カーソルが青く光り、ゲームのように遠
近感がしっかりとわかるような青いカーソルがクレーターの中心へ
合わされる。
そうしてカーソルの上へ浮かんだのは、︻プレイヤー:名称不明︼
という文字と、三つのバー。
﹁人が、いる﹂
﹁え? ︱︱って、ノートくん、その目⋮⋮﹂
フーが、俺の顔を覗きこむ。その行動を不思議に思ったが、フー
の水色の瞳に映る自分の目を見て、すぐに理解できた。
自分の瞳に、青いカーソルが浮かんでいる。
そして、カーソルを外したはずなのに、何故か頭にはおかしな感
覚がこびり付いている。一言で言えば、気配のようなものだろうか。
クレーターの中心から非常に濃い気配のような感覚を覚えていて、
これらがロックオンの真骨頂なのだと理解した。
カーソルに合わせた相手の情報を読み取り、視界に捉えてなくと
も、居る場所を感知する。距離制限のようなものがありそうだが、
自分とクレーターとの距離から測ると、三〇メートルほどならば平
気そうだ。
﹁︿ロックオン﹀だよ﹂
﹁へえ、これが⋮⋮。私はドワーフにしたからなぁ⋮⋮﹂
物欲しそうな顔で見つめてくるフー。その額にデコピンを食らわ
せて、額を抑えるフーをまじまじと眺めた。
ドワーフ。どこをどう見ても、人間にしか見えない。
50
﹁きゃ、恥ずかしー﹂
態とらしく、笑いながら自らの体を抱くフー。その様子をスズが
ジト目で見つめた後、俺に向けて口を開いた。
﹁基本的に種族で外見は変わらない。エルフは、耳が少し長くなる。
それだけ例外﹂
﹁説明ありがと、スズ﹂
普段言わないくらいの長さで説明してくれたことが嬉しくて、そ
の頭を撫でた。それにスズは照れ臭そうにしながら、受け入れる。
そんな様子を見ていたフーは、不思議そうに問う。
﹁二人は恋人なの?﹂
その言葉に、俺とスズが制止した。傍から見るとそんな風に見え
るのだろうか。そう思いながらスズの方を見てみると、頬に少量の
朱を差している。
﹁いや、兄妹だよ。義理だけど﹂
そう答えると、﹁へー﹂とだけ言ってすぐに窓へ向き直る。ただ
思い浮かんだから、適当に聞いた。それだけなのだろう。
話題はすぐに元に戻る。
﹁それで、どこに人がいるの?﹂
﹁ん。クレーターの中心﹂
そう言うと、フーが目を凝らして見極めようとする。それを横目
51
に、俺はクレーターの周りの人達へ目を向けてみた。
その顔に浮かぶのは、好奇心。恐怖心。その二つ。
そして次の瞬間︱︱その中から、男が一人飛び出してくる。
﹁さっき殺された怨みだ!﹂
その声は、この建物の内部へ届くほどの大きな声だった。
気が付けば俺は、その男にもカーソルを合わせ、ロックオンを発
動させていた。どうやら、複数の相手に発動できるものらしい。
男が背中から抜き出した槍を構え、突進する。それに、クレータ
ーの中心にいた人物はゆっくり石ころを拾い、男の方向へ投げた。
それで何をするつもりなのか。最初はそう思った。だが次の瞬間、
それは驚愕に変わる。
石が男に当たった瞬間︱︱爆発した。
﹁うわわわ!?﹂
﹁え⋮⋮?﹂
﹁はあ?﹂
上から、フー、スズ、俺の反応。それもそうだろう。単なる石が、
爆発したのだ。
しかし、その範囲は一メートルほど。クレーターを作るには程遠
い。何か他にもあるのだろうか。
﹁うわー⋮⋮ないわー⋮⋮﹂
フーが、次に起こった現象を見て、引いたような声を上げた。そ
れには自分も同意する。
クレーターの中心にいた人物は、足元に落ちている石ころを無差
別に男へ投げまくったのだ。そうして始まるのは爆発の連鎖。投げ
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た石ころ全てが爆発する異常な光景。そんな中で、俺は目視する。
クレーターの人物の三つのバー。その内の一つ、真ん中の青いバー
のゲージがかなりの速度で減少している。あの爆発には、どうやら
消費しなければならないものがあるらしかった。
そして、その攻撃を受けていた男の、三つの内一番上のバー。そ
のゲージが減少していくごとに色が変わっていく。、黄緑から黄色、
黄色から赤、最後に全てのゲージが真っ白に染まった瞬間︱︱その
男は、大爆発をした。それこそ、クレーターを作るほどの。
﹃さっき殺された怨みだ!﹄。この言葉を、確か男はクレーター
へ向かう寸前に言い放っていた。一つ目のクレーター。それは、き
っと一度目に殺された時に起こされたものだったのだろう。
そして、それがクレーターの周りにいた人達が近付かなかった理
由。迂闊に近付いてしまうのは危険過ぎたんだ。
﹁なに、あの力⋮⋮﹂
フーが、目をキラキラと輝かせて爆発を見つめていた。いや、正
確には、その正体不明の力。スキルなのか、アビリティなのか、そ
れともそれ以外の何かなのか。
しかし、それとは違い、スズの方は怯えた様子を醸し出していた。
力が怖いのか。そう考えたが、どうやら違うようだった。
爆発を起こした人物が、こちらに視線を寄越している。
その答えが出るのに、そう時間は掛からなかった。
53
1−5:爆発と戦闘のユニークシステム︻?︼
﹁見てくれよ、これが俺の力だ!﹂
レン
彼︱︱︿REN﹀は、自らの作りだしたクレーターの中心でそう
叫んでいた。
突然手に入った自分だけの能力。
何故か授かった固有のスキルとアビリティを内包する能力。
その力に酔いしれ、一人のプレイヤーを周りを巻き込んで惨殺し
た。
﹁ああ凄い、本当に。そして気持ちが良い﹂
結果として一度に何十人ものプレイヤーを殺した。
だから彼の元には今︱︱莫大な経験値が集まっている。
﹁もっと、もっと、もっとだ﹂
血走った眼でそんなことを呟く彼だが、それでも頭は冷静だった。
プレイヤー達に集まられていることを理解し、迂闊に手が出せな
い。
そして不意打ちでない今、自分から手を出すことが十分に危険だ
と言うこともわかっている。
だから待つ。人を。プレイヤーを。
﹁さっき殺された怨みだ!﹂
多くの時間を掛けて出てきたのは一人のプレイヤー。
レンは力︱︱︽絶対爆破︾を解き放ち、ただ殲滅する。
54
金もない。経験値も少ない。
それはそうだろう。先程一度殺した相手であるし、レベルが上が
っている今レベル一程度の相手から満足な経験値が得られるはずが
ない。
相手の死を確認して、周りを見渡した。
大勢の中に居る誰かでは駄目だ。一人を狙った瞬間に周りから集
中砲火される危険性がある。
だから離れている比較的安全な相手を狙う必要がある。
︿ロックオン﹀
彼はそう呟いた。
そして見つける。︿ロックオン﹀の逆探知︱︱誰も相手をカーソ
ルで捉えていない時に発動する、自分に掛けられる︿ロックオン﹀
の逆探知。それが発動し、連動的に青いカーソルが一つの建物の二
階を差す。
そこに目を向けて、レンは二ヤリと笑った。
◆◇◆◇◆◇
﹁逃げるぞ!﹂
思わず、そう叫んでいた。
スズの手を握り、フーの襟元を掴んで踵を返す。グエ、というよ
うな悲鳴も聞こえたが、気にしている暇はなかった。
見上げるのは天井。開かれたハッチの向こう側。
しかしそこへ辿りつくよりも先に、突如、先程までいた場所の窓
が爆発する。
55
﹁あっははははは!!﹂
笑い声。砕かれ飛ばされている、無数ガラスの破片からスズを庇
いながら、煙の中を目視する。
カーソルには、すぐ近くに反応があった。即ち、煙の中。
﹁⋮⋮どうやってここまで来た﹂
未だ見えない相手に、問う。
﹁簡単さ。足元を爆発させて跳んだんだ。多少ダメージは食らった
けど大した問題じゃない﹂
問いはただの時間稼ぎ。
ハッチがある部分は部屋の隅で、高さも殆どなく簡単に出られる
場所だ。そこへスズを引いて駆けて外へ出ようとする。
そこに投げられるたのは一個の石ころ。
﹁ところがどっこい!﹂
そこでフーは唐突に傘を開き、石の爆発を受け止めた。
損壊はそこそこ。通常の傘ならばバラバラのはずだ。
﹁一応これ、武器扱いだからね!﹂
レイピア、と付け足すフー。しかしこの状況ではそんなことは非
常にどうでもいい。
外に三人で出るとそこから屋根を渡った。その途中で先程までい
た建物のハッチ部分が爆発で吹き飛ばされていたので間一髪だった
56
と言える。
﹁逃げるなよ。殺せないだろ?﹂
﹁逃げるよ。殺されるだろ?﹂
そんな応答。
それが終わってすぐに、足元への爆発により猛スピードでこちら
へ突進をしてきた。
速く、又、避けられない。
そう判断し、心の中で謝りつつスズとフーに被害が行かない様に
左右へ突き飛ばす。
相手の手が触れて爆音。二つ目の建物の屋上まで吹き飛ばされた。
﹁やっぱこりゃ最高だ﹂
その手が爆発を逃れたスズへスズへ伸びようとする。それを視認
した瞬間すぐに屋根を蹴った。
飛ばされた距離をゲームらしい最適な動きで詰めて。
﹁はや︱︱﹂
言わせない。拳を握りしめ、その顔面へ叩きつける。いくら爆発
で超速移動ができると言ったってそれは直線的な移動のみでの話だ。
回避の速さが上がるわけではない。
屋根から落ちそうになりながらも、爆発の主は踏みとどまる。
﹁どういうことだよ⋮⋮レベル差があるはずだ。なのにその速さは
何だ﹂
﹁七年前の遺物さ。この世界がゲームでしかなかった頃の技術の遺
物﹂
57
まだ感覚が残ってたことに自分も驚いたが、表情には出さない。
﹁七年前⋮⋮って、はあ? 七年前?﹂
ありえねぇだろ。と胡散臭そうに吐き捨てる爆発の主。
それはそうだ、と自分も思う。だって、七年前は︱︱
﹁危ない!﹂
突然、体を横から押された。声の主はフー。その方向へ目を向け
るとフーが先程まで俺がいた位置に立っていた。
いつの間にか無数の石ころが足元に転がっていた其処へ。
﹁︱︱ぅ﹂
声も出ない、というような様子で後ろへ倒れていくフー。それを
慌てて近付いて受け止めた。
血塗れな彼女。ゲームだとはわかっている。それでも呆然と眺め
ていた。
﹁どうして⋮⋮﹂
﹁ど、うして、って⋮⋮友達、でしょ?﹂
言葉に、詰まる。
注意でよかったはずだ。自分が攻撃を受ける必要なんてなかった
はずだ。両方が助かるのならばともかく、どうして庇った? 避け
られなければ、それは自分のせいだったはずなのに。
彼女にとっての友達。それはどういう意味なのだろう。
58
﹁⋮⋮﹂
ああ、と、ただ納得をした。彼女は優しいんだ。
フーにとっての友達。それがここまでのものならば。自分を犠牲
にしてでも助ける相手ならば。俺もそれに答えなければならない。
﹁スズ、フーを連れて逃げれるか?﹂
﹁⋮⋮え、と﹂
﹁なんなら蹴り落としてもいいから﹂
﹁それは酷いよノートくん!?﹂
フーからの苦情があったが、気にしている暇は無いので無視をし
て続ける。
﹁けど絶対に殺させないでくれ。俺がこいつを倒してすぐ行くから﹂
﹁⋮⋮﹂
目を見開いて固まるスズ。未だ恐怖を抱いているはずの相手に自
分を預けたのだ。いやこの場合、相手を預けさせたと言うべきか。
けれど俺は既に確信した。フーなら大丈夫だ。だから少しだけ。
﹁行ってくれ。後で一つだけ何でも言うこと聞いてあげるから﹂
フーから離れて落ちていた傘を拾う。確かフーはこれを武器と言
っていた。ならば多少の攻撃力はあるはずだ。
﹁⋮⋮わかった、にぃに﹂
その返事を聞いてすぐに俺は走り出した。
相手に向かって駆ける。疾駆する。
59
﹁さあ、じゃれあいを始めよう﹂
60
1−6:爆発と戦闘のユニークシステム︻?︼
﹁じゃれあい、ねぇ。まぁ﹂
爆発の主が屋根の煉瓦を外し、手に取った。
それを、駆けるこちらへ投げつける。
速さはない。けれどそれは、きっと爆発する危険なもの。
﹁いいんじゃないかなァ!﹂
それを、見る。
見る。見て、視て、観て、看る。
あるのは選択肢。何をするのかという決断。それを高速で情報と
して脳に認識させ、思考する。
考える。考える。考える。
こちらの食らったダメージは今のところ爆発一発分。相手は確認
できる限りで爆発加速を二回。相手が足にしかダメージを負わない
ことを思うと、受けたダメージ総量はこちらの方が上だ。この爆発
を食らってしまえばもっと不利になる。ならば食らわないのが最善
か。
いや、違う。
俺が七年前に参加した、VRをゲームたらしめる技術の実験では、
そんなことを習った覚えは無い。
現実の価値観を持ち、ゲームのように感じながら行動すること。
決められた選択肢ではなく、無数にある選択肢。その現実をゲーム
として扱う。ただそれだけ。
VRはゲームだ。
現実は現実。
ゲームはゲーム。
61
だからここを現実と同じように扱うな。
たとえどれだけ現実染みていても、錯覚に惑わされるな。
そう習った。
﹁︱︱これだ﹂
最善。相手のHPと自分のHPの値をより近付けること。それが
できれば過程は何でもいい。
煉瓦をしゃがんで避けると、俺の頭上を通り過ぎようとしていく。
けれど俺はそれを手に持つ傘で叩き、同時に前方へ走りを続けた。
後ろから、爆発の衝撃。
体が加速する感覚。風を切り、押し出される。それでも視界だけ
は何とか保ちながら、足を懸命に動かして駆ける。
向かうは、煉瓦を投げた相手の元。
﹁っりえねぇ!﹂
俺が超速で近付いてきていることを認識した相手は、腕を頭で交
差させた。
傘を突きのように構え、引き絞る。強く。強く。強く。
これはゲームだ。だから、限界まで引き絞れ。
﹁︱︱﹂
体が悲鳴を上げ、痛みが体を襲う。三%の再現だっただろうか。
それでも、少し痛い。
筋肉が悲鳴を上げているのがわかる。ゲームなのに律儀なことだ。
確かに無理はしているが、ギリギリ間接が外れない程度。痛みに耐
えさえすれば、現実でも出来る。
人体に影響がないのなら、力を本当の限界まで引き出せる。それ
62
が、VRの利点だ。
﹁つら、ぬけぇ!!﹂
傘を思い切り振りきり、突く。
傘の先から、何かを突き刺した感覚が伝わって来た。それでも突
き刺すことをやめない。すると傘の取っ手までも、相手の体が突き
抜けてきた。
刺さる場所は、腹。赤いエフェクトが飛び散り、血のように舞う。
﹁ガァ⋮⋮﹂
相手の体を勢いのまま押し倒し、屋根から落ちていく。その途中
で傘を引き抜き、もう一度下に向けた。
相手が地面に着いた瞬間の勢いのまま、もう一度。
﹁︱︱ッ﹂
今度は、右肩を貫いたようだ。赤いエフェクトが再び巻き上がり、
俺の体を穿つ。
着地の衝撃で、足が転んで倒れそうになった。傘を離した手を合
わせた両手で体を支えて、それを抑える。
︿ロックオン﹀に移る相手を示すカーソルのバー。その一番上の
ものが残り四割ほどまで減っていて、それがHPなのだと理解する。
まだ終わってない。そう判断して傘を手に取った瞬間、傘を掴ん
だ腕を掴まれた。
マズイ。
﹁逃がさねぇぜ?﹂
63
体に風穴を開けたままそう言い放つその姿は、不気味の一言に尽
きた。
逃れようとした直前に引き寄せられ、片手を頭に打ち付けられる。
さすがにヤバい。そう直感し頭を横へズラした直後、相手の手から。
爆発が放たれた。
左肩を抉られ、赤いエフェクトが多量に噴出した。腕を掴まれて
衝撃を後ろへ宙へ流せなかったんだ。だから、通常よりも食らう。
﹁ァ︱︱﹂
痛い。これが三%の痛みなのか。そう疑うほどだった。
肩から取れた片腕が宙を舞い、粒子に包まれて消えていく。片腕
の損傷。形勢は、一気に不利になってしまう。
傘を掴む右腕を無理矢理剥ぎ取り、後退する。︱︱が、更なる追
撃。爆発の主が、地面に無数に散らばる砂を投げてきたのだ。
その全てが、爆破。
体が吹き飛ばされ、曲がり角の真ん中、壁へ打ち付けられる。普
通なら、息が出来ないほどの衝撃。それを味わう。
直感で、理解する。脳に情報が送られてくる。
残りのHPは、三割を切った。
﹁お互い様だろ、ははは﹂
掠れた声だった。相手にダメージが通っているのも、また事実。
こちらが不利。相手が有利。戦況はあまり変わっていない。ただ
互いのHPを同じくらい減らしただけだ。
どうする、と自問する。戦況は確かに変わっていないだろう。だ
が確かに、こちらが圧倒的不利な要素が一つだけ存在している。
片腕がないんだ。
方法。模索。探さなければ。勝たなければ。どうすればいい。そ
64
のためにやることはなんだ。
片腕損傷。武器は傘。相手は爆発を武器にして。
爆発。爆発を武器。そういえば、何故あいつはこんな力が使える
のか。
そこが気になり、問うてみる。
﹁その力、どうしたんだ。どうして殺そうとする﹂
﹁あ?﹂
相手は笑いながら語った。
﹁これ、突然手に入ったんだよ。すげぇ力だ。使わなきゃ勿体ない
力だ。力を振るうのは気持ちがいい。態々フィールドに出るのも馬
鹿らしくてな。そもそもの話、力を誇示できる相手なんてそこらに
いるだろ? プレイヤーが﹂
力を振るうのが目的、か。それもまたメジャーな理由だ。
しかし、今気にするべきはそこではない。最初の台詞。こいつは
何を言った。
突然手に入った力。口振りからして、すぐにプレイヤーキルに用
いたと考えるのが妥当だろう。ならば策はまだある。
相手はまだ力に慣れていない。そして仕組みもまだ、よくわかっ
ていないはず。
今の会話と、カーソルに映る上から二つ目のバー。それを見て、
そう結論を出した。
俺は、走り出す。
﹁会話は不意打ちのためか? そんなのお見通しだ﹂
立ち上がった爆発の主は、再び砂を投げつけてくる。それを見て、
65
カーソルの二番目のバーを観て、傘を開いた。
衝撃が腕を襲うも、耐える。傘の傘布は既にボロボロだが、もう
使わないので構わない。
﹁攻撃も防御も出来るって、傘って意外と万能なんだな﹂
そんな戯言が口から出た。それを言いながらも、傘を畳んで追撃
を再開する。
突きのように構えると、相手が震えた。二度食らったんだ。警戒
するはずだ。多少の恐怖は抱くはずだ。
﹁チッ﹂
手を突き出して、爆発を放射。それを見ながらも、又二番目のバ
ーも観る。もう少しで、それはなくなる。
俺は、跳んだ。高く、ジャンプした。壁を蹴り、さらにもう一度
蹴り上げ、逆側の壁へ。三角飛び。
・・
爆発が体を掠めて、目に見えてHPが減少した。残り二割。爆発
を一発直撃でもすれば死ぬレベルだ。
壁に片手と両足を付けて、体を少し屈めたまま、立つ。これもV
Rならではの技術だ。とは言っても、時間はそこまでではなく、た
だの二秒程度。しかし、人はその程度の時間さえあれば、幾らでも
何かを考えることが出来る。
壁を再び蹴り、相手の頭上へ踵落とし。
﹁く、そ!﹂
動く直前、開かされた風穴が痛んだのか、一瞬動きが止まった。
しかしすぐに足元の爆発による超加速でその場を離れ、避けた。
空振りして地に着地し、カーソルの二番目のバーを観る。もう容
66
量はない。
それを確認すると、間髪入れずに又駆けだした。迷いなく。止ま
るのに距離がいるほど、体を酷使した全力で。
ガードはもう出来ない。けれど、それでいい。
﹁馬鹿がッ﹂
砂を掴み、ばら撒いてくる。それでも俺は走るのは止めない。
二番目のバー。そのゲージは既に、何も無いと言ってもいいほど
の容量。ならばきっと大丈夫。
砂が体に当たるが︱︱それだけ。何も起こらない。爆発しない。
だって、彼のMPはもう殆ど〇なのだから。
傘を引き絞り、突きの体勢へ。相手は既に目前だ。
﹁なんで爆発しな︱︱﹂
﹁次は、説明書をきちんと読みましょうな!﹂
台詞を被らせながら、突きを放つ。最高の速度で。体を限界まで
使って。
一度だけでは死ななかったかもしれない。けれどこいつは御丁寧
にも先程、足元の爆発による超加速を使ってくれた。
確実に、終幕だ。
傘の先端が相手の心臓部分を貫き、赤いエフェクトを散らして舞
い上がらせる。同時に、カーソルに映る一番上のバーのゲージが、
真っ白に変わった。
﹁カ、ハハハ⋮⋮。︿ラストゲーム﹀を使う暇も、なかったな⋮⋮
⋮⋮お前、名前は?﹂
体全体を粒子に包ませながら、半透明なまま、問うてくる。
67
﹁︿Nought﹀だよ﹂
﹁俺は︿REN﹀だ。またいつか、戦おう。その時は絶対に︱︱﹂
︱︱俺が勝つ。
レンはそう言って、粒子になって消えた。特に感慨に浸ることも
なく、傘を地面に突き立てて、その場に倒れるように座り込む。
頭の中に軽快なファンファーレが響いてきた。
68
1−7:道具と購入のポーション︻?︼
レベルアップ︱︱その言葉が耳に響いて来て、何となくメニュー
を開いてステータスを確認してみる。
レベルは三。各能力値は少量ずつ上昇してはいるが、目に見えて
結果が出るとは言い難い数値だ。俺がレンを倒せたのも、この上昇
値の低さが関係しているのかもしれない。
レンとの戦闘。体感時間では結構なものであったが、実際はそこ
までではない。精々二分もあればいい方だろうか。防具もなにもな
く、ただ互いに攻撃を受け合うだけだったのだ。だから、当然の結
果だ。
しかし、体の節々が痛い。じわりと痛んでくる。三%だろうと、
肩が吹っ飛んで腕がなくなったのだ。無理もない。
﹁お疲れ﹂
それほどの間そうして地面に座り込んでいただろうか。数秒か、
或いは数分か。声を掛けられた方へ目を向けると、フーが目線を合
わせるように屈んで、こちらの様子を窺ってきていた。後ろにはス
ズもいる。
ああ、駄目だ。すぐに行くって言ったのに。
立ち上がろうとした俺を、フーが右の肩を抑えて止めた。
﹁まだ休んでていいよ。痛いんでしょ?﹂
スズもその言葉に、頷いている。
だから、それに甘えることにした。
﹁傘、ボロボロにしちまった。ごめん﹂
69
﹁別にいーよ、試作品だし﹂
﹁スズも、すぐに行くって言ったのに﹂
﹁いい。にぃに、頑張ってくれた﹂
﹁けど、約束破ったのは事実なんだ。もう一つの方は、絶対叶える
から﹂
何でも一つ、言うことを聞くこと。
それがもう一つの約束。
﹁⋮⋮うん。でも、まだ今はいい﹂
そうスズは答えた。
そんな会話をしている間に、フーは何やらアイテムを整理してい
るようだった。しかし目的のものが見つからなかったのか、溜め息
を吐く。
﹁どした?﹂
﹁んーと、回復アイテムないかなーって。そんな都合よくなかった
けど﹂
俺はフーの手に目を向ける。
﹁そういえば、持ってたスライムもないな﹂
﹁邪魔だから仕舞った﹂
なら何故持ってたのか。そう聞きかけたが、やめた。どうせ意味
なんてないのだろう。
﹁どうやって、作ったの? まだ職業は選べないはず﹂
70
スズが、フーへと訊いた。これだけでも相当な進歩だろう。特訓
の成果はあったということだ。
フーも嬉しいのか、嬉々として答える。
﹁NPC、ノンプレイヤーキャラクターだよ。それに頼んだんだ﹂
﹁職業系統は、生産?﹂
﹁うん。二つとも生産だよ﹂
⋮⋮⋮⋮。
しばしの間、黙考をしていた。聞き間違いだろうか。何か、とて
も重大なことを告げられた感じがする。
しかし意を決して、口に出して問うてみる。
﹁二つって、なに﹂
聞き間違いだったらいいなぁ、というような気持ちを抱えながら。
しかしフーは、不思議そうな顔をしてこちらを見てくる。この反
応でわかってしまう。それは、このゲームの常識なのだと。
﹁なにって、職業は二つ選べたでしょ?﹂
ああ。俺は一つしか選んでいないのに。
そう思ったが、言うことは憚れた。折角スズがフーと交流を育ん
でいる貴重な時間なのだ。それを自分の都合で潰すことは、何だか
嫌だと感じる。
と、その直後。違和感が右腕に発生した。ムズムズとして落ち付
かない感覚。それが治まった時に目を向けてみると、腕が再生され
ていた。これには、目を見張る。
﹁あ、自然回復したね。随分と早かったけど、やっぱりレベルが低
71
いからかな﹂
﹁再生、って⋮⋮どんな感じだったんだ?﹂
腕が生えてくるとか、そんなグロいことにでもなっていたのだろ
うか。スズにそういうものを見せるのは良い気がしないため、罪悪
感に苛まれる。
しかしフーは、心配してる風にはなってないと言って、続ける。
﹁数字と記号が渦巻いてただけだよ。少しずつ、データみたいに再
生してた﹂
それなら安心でしょ、と、フー。どうやら、心配は気付かれてい
たらしい。そのことに、苦笑した。
不意に、視界の端に何か赤色のモノが映った気がした。その方向
を確認してみると、丸いブヨブヨとした小さな塊が飛び跳ねていた。
﹁︿ロックオン﹀﹂
言葉と同時にロックされるカーソル。三つのゲージは全てが満タ
ン。名称の部分には、︿ラフスライム﹀と書かれていた。
二人の方へ目を向けてみると、あれには気付いていない模様。二
人が二人共俺から視線を外した瞬間と同時に、そのラフスライムを
手で捕まえてみる。
本当に小さい。暴れているようだが、ダメージは通っていない。
﹁よわ⋮⋮﹂
思いながら、握りつぶしてみる。するとカーソルに映る一番上の
バーのゲージ︱︱HPが〇となり、スライムが弾けて消えた。
何かが手に入った感覚がしたのでアイテムストレージを開いてみ
72
ると、そこには︹ラフなスライム×二︺という文字が。おそらく、
フーがコップに入れていたドロップ品のことだろう。それをクリッ
クすると、二つの項目が出現する。
︻実体化︼と︻解説︼。解説をクリックすると、説明文がウィン
ドウに表れた。
﹁ラフスライムの体液。光を吸収する性質を持ち、ラフスライム同
様、暗所では通常アイテム以上に目立ちません。食べられません。
保冷剤に丁度いい素材です。非常に滑りやすく、地面に置いておく
と怪我をする可能性がありますのでご注意ください﹂
内容を二人に聞こえない程度に復唱してみた。が、このアイテム、
食べられないと書いてある。ならば何故フーはこれをコップに入れ
ていたのだろう。
多分、意味なんてないと思うのだが。
﹁にぃに、どうしたの﹂
俺が何かをしていることに気が付いたのか、フーがそう訊いてき
た。それに何でもないと答えながら、立ち上がった。
そろそろ、移動しないといけない。レンが戻ってこないとは限ら
ないし、他のプレイヤー達も来ないとは言い切れないのだ。近くで
の爆発騒ぎもある。早めに此処を離れたい。
その旨を二人へ伝え、歩き出す。スズへ行きたい場所を訊いてみ
たが、特にないようだ。フーも、また同じ。
どうしようか、考える。迷っていた。そんな俺の様子を察したの
か、二人も考えるような仕草になる。
しばらく経ち、スズが言った。
﹁ポーション、買いに行こ﹂
73
﹁それなら道具屋に売ってるはずだけど⋮⋮どーしてポーションな
の? もうノートくんの怪我は治ってるでしょ﹂
﹁また怪我するかもしれない﹂
﹁それはそうだけど⋮⋮多分、人いるよ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮いない時を狙う﹂
それなら自分が一人で行くか、或いはフー一人で行かせた方がい
いのではないか。そう考えたが、黙っておいた。
自分から行くと言っているのだ。それに、これはスズの気遣い。
俺のため。なら、甘えてあげないと駄目だろう。ただ、危なくなれ
ばすぐに人がいないところへ行くけれど。
⋮⋮フーと喋れたから、こんなことを言いだしちゃったのかな。
油断は大敵と言うけれど、大丈夫だろうか。大丈夫でなければ、俺
が何とかしないといけないかもしれない。
74
1−8:道具と購入のポーション︻?︼
通常のMMOにおいては︱︱何気なく利用するだけとしても︱︱
道具屋は必須と言えるだろう。
自覚は無いかもしれないが、道具屋は、それなりに大きな役割を
担っている。あまり利用しない人もいるだろうが、レベル上げなど
においてステージに篭もる場合、自動回復だけでは心許無い部分が
ある時。その場合にも多少回復アイテムなどを買うことがあるだろ
うし、弓が武器ならば、矢を手に入れる手段として、購入以外に簡
単なものはないだろう。
VRにおいては、何気なく利用していた道具屋の重要さがよくわ
かるということも、少し有名であるらしい。当然だ。自分の足で行
くのだから、画面上よりも感慨深いものがあるのだろう。
初期金額は、確か一〇〇〇ゴールド。武器は初期装備へ含まれな
いという話なので、やはり普通は武器へとGをかけるだろうか。な
らば、序盤の内なら、道具屋は開いている可能性が高い。それに、
武器を持つのと持たないとで安心感はかなり変わるものだ。最初の
金額を使って道具屋へ来るような輩はあまりいないだろう。
そんなことを考えている内に、いつの間にか道具屋へは到達して
いた。周りにほとんど人がいない瞬間を狙って、店の前までやって
くる。
建物自体は、周りと殆ど変わらず石造りのものだ。しかしほかと
違う部分も、やはりある。壁に在る大きなガラスからは店内が見え
るようになっており、置いてある商品の幾つかが窺える。木製の扉
dealer︺︱︱日本語で︹道具屋︺︱︱の文字が刻ま
にはポーションマークの看板が飾られ、その下には︹furnit
ure
れている。どうやら、ポーションマークが道具屋の印のようなもの
らしい。
扉を開けると、カランカランという音が似合う鈴の音が聞こえて
75
くる。同時に店の奥からも﹁いらっしゃいませー﹂という声も耳に
入ってくるが︱︱NPCだ。ノンプレイヤーキャラクター。単なる
プログラム。最近では人工知能も進化してきているらしいが、NP
Cの一人一人に人間に近しい知能を与えていてはキリがないだろう。
授業で習った限りでは、重要な立ち位置にでもいなければ、音声な
どの認識システムしか搭載されてないという。或いは、一つの人工
知能で多数の役割を担うか。後者の場合は、故障した際のバックア
ップが効きにくいので、あまり適用されていない。おそらくこのゲ
ームも前者の、必要な部分にのり発達した知能を持たせているのだ
ろう。
店の奥からの声に一瞬だけスズが反応したが、フーがNPCだと
言い聞かせることで多少は収まったようだった。それでも、姿形は
同じだ。怖いことは変わらないだろう。早めに購入を済ませよう。
そう思った。
店内に飾ってある色々な物を眺めていく。薬草らしきもの、何か
の種、矢、石、投石器等々⋮⋮その中からポーションを探している
と、フーが先程まで俺が見ていた場所に寄り、ある物を手に取って
目を輝かせた。投石器だ。スリングと、スリングショット︱︱パチ
ンコのこと。以後、間違い安いのでパチンコと称す︱︱の両方を手
に取って、何やら悩んでいるようだ。
その様子を見て、スリングは飛び道具の中で最も習得が難しいと
言われるらしい、ということを何となく伝えてみると、残念そうな
顔をしてそちらは元の場所に戻していた。パチンコが手に残る。メ
ニューウィンドウを開いたようだが、一瞬目を丸くして、はあ、と
溜め息を吐いて名残惜しそうにパチンコを眺める作業になりだした。
買いたかったのだろうか。値段を確認すれば、八〇〇G。そういえ
ば、フーは︿銅﹀を買ったと言っていた。ゴールドが足りないのだ
ろう。
自分のメニューウィンドウを開き、ステータスウィンドウへ移動
する。五二〇〇G。レンを倒したからだろうか。かなり増えていた。
76
ゴールドを八〇〇ほど実体化させると、銀色のコイン︱︱銀貨が
八枚手の平へ出現し、ステータスのGの部分が五二〇〇から四四〇
〇へ変化する。それを見て小さく頷くと、俺はフーの方へ目を向け
た。
﹁フー﹂
﹁ん⋮⋮なに。今、これの構造をしっかりと把握して⋮⋮﹂
ひどく集中しているようだ。それでも気にせず、銀貨を八枚フー
の方へ投げた。
﹁わ⋮⋮﹂
﹁それ、やるよ。あの時爆発から助けてくれた御礼﹂
危なっかしく銀貨を受け取ったフーは、一瞬驚いたような顔をし
て、今日一番とでも言うような笑顔へと変わる。
﹁ありがとう﹂
言葉に、﹁単なる御礼だよ﹂と返そうと思っていた。けれども、
あまりにも嬉しそうで、それを否定する気にはなれなくなった。
本当に。本気で。大真面目に。ただ、感謝をしてくれていて。
素直な奴だと。そう思った。
フーが自分の横を抜けて店員のNPCのいる場所へ行く間に、ポ
ーションを見つける作業へ移行した。眺めていく過程。そんな中で
ポーションを見つけたのは俺ではなく、スズだった。俺の服の裾を
摘まんで、こっちにきてとでも言うように引っ張ってくる。それに
従うと、その場所にポーションはあった。
︿ポーション﹀。一〇〇ゴールド。一〇個以上持っている場合は
二〇〇ゴールドとなる。そう書いてあった。
77
それを手に取ろうとすると、スズがそれを遮る。
﹁⋮⋮私が買う﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁私が買って、にぃににプレゼントする﹂
そのためには、NPCと会話しなくてはいけない。そのことが、
わかっているのか。
そう思った。けれど、彼女もそれはわかっていたようだった。ポ
ーションを取ると、店員の方へ小走りに向かっていく。
声を、かけようとした。止めようとした。けれどもそれは間に合
わなくて。
彼女は。
﹁こ、こ、ここここれ、じ、じじじ一〇個く、ください﹂
﹁一〇〇〇ゴールドとなります﹂
﹁は、はははは、は、はい﹂
︱︱普通に、それを買ってくれて。
﹁⋮⋮﹂
驚きで、向かっていた足が止まった。
恐怖症なのに。
NPCでも、怖いはずなのに。
スズは、調子に乗って油断してたんだと思ってた。けれど、それ
は違った。きっと彼女は、ただ必死になっていただけ。
治したい。ただ一途に、そう思っていただけで。
﹁⋮⋮はは﹂
78
なんだよ、と俺は自分を笑った。
なんだ、なんだよ。スズのことが一番わかっていなかったのは、
俺じゃないか。
﹁にぃに⋮⋮これ﹂
俺を上目遣いで見つめながら、一〇個の瓶︱︱一〇つのポーショ
ンを差しだすスズの頭を、撫でた。
嬉しそうにするスズ。彼女から一〇個全てを受け取ると、アイテ
ムとしてウィンドウへ仕舞う。スズからのプレゼントだ。大切に使
おう。
そのまま、周りを見渡す。ポーションはスズに買って貰った。フ
ーはパチンコに夢中。俺はゴールドが有り余っているのだが、どう
しようか。そう思ってポーションが置いてある近くへ目を送ると、
おかしなものが目に入る。
︿瞬間無敵補強剤﹀。四〇〇〇ゴールド。御一人様一個限定。
﹁⋮⋮なんだ、これ﹂
思わず、手に取っていた。小さな小さな瓶の中に、一錠だけ小さ
な錠剤が入っている。瓶の裏に解説が書いてあるようで、読んでみ
る。
﹁飲んでから二分間。最初に受けた攻撃のみを完全に無効化する。
但し、二つ以上同時に存在する場合、互いに消滅し合ってしまう﹂
凄い効果だと。そう思った。
取り敢えず、それを買っておいた。他にめぼしいものもなかった
わけだし、そろそろ人が来そうな雰囲気だったので早めに退散した
79
かったこともある。
俺達は道具屋を出た。
80
1−9:願望と不可能のログアウト︵前書き︶
途中の長口上は読まなくともストーリーに影響はありません。
81
1−9:願望と不可能のログアウト
あれから、また特訓を路地で再開していた。特にやることもなく、
フーも手伝ってくれると言うので、甘えさせてもらった結果だ。
どれほどの時間が経ったか。既に月が昇りかけている空を見上げ
て、片手にボロボロな傘を携えたフーは呟いた。
﹁そろそろ路地から出ないと、真っ暗になっちゃうかな﹂
それには、俺も同意した。それに現実でも、そろそろ夕飯を食べ
なければいけない頃合いだろう。
路地を出るために、随分と暗くなっている細い道を歩く。怖いか
らか、スズが腕に張り付いてきていたが、ここはVR。元々幽霊な
んてものとは無縁も場所だ。モンスターならば、別かもしれないが。
歩いている途中。突如、頭の中に音が流れ込んでくる。まるで着
信音のような音声だ。フーが言うにはそれはフレンドのメール機能
からのものらしいのだが、ここにいる二人は覚えがないと言ってい
る。というか、二人も同じように届いているようだった。
メニューを開くと、画面の端に赤いメールマークがあることが確
認できる。開いてみると、どうやら、運営からのメールのようだっ
た。赤は運営、白は通常のメールらしい。
メールには、だ件名に﹃重要な御知らせです﹄という言葉が存在
しており、本文には何かのリンクが書かれている。
﹁なんだろ、これ﹂
フーの呟いた疑問。それに反応せず、俺はただ、本文のリンクを
クリックした。
そう。クリック、してしまった。
82
︱︱もしこの時、ここで異変に気が付いて逃げ出していれば、誰
も悲しまない道を歩むことが出来たんだろうか。
押した。その直後、自らの体を。三人の体を、数字が覆い尽くし
始める。
突然。本当にいきなりだった。これが意味するものが何なのか。
わからない。ただ、何か嫌なことが起こる前兆だということだけは
何故か理解できている。だから自然と、離れないようにとフーとス
ズの手を握っていた。
瞬間、切り替わる視界。
場所は、最初の広場だった。鮮やかだったクリスタルが、何故か
今は濁った光を放っているように見える。周りには沢山の人々がい
て、今も尚数字に包まれて突如出現する人が続出していた。
マズイ。即座に判断して二人を近くの建物の内部へ連れて行く。
空家だったのか、人一人としていない内部で、震えるスズを宥めな
がら窓から外を眺めてみる。
﹁ねえ、ノートくん⋮⋮なに、これ⋮⋮﹂
﹁わからない。外にいる奴らもわかってないみたいだ﹂
建物の外からも、困惑の声が聞こえてくる。それはそうだ。重要
な御知らせと聞いていたのに、いつの間にかスタート地点まで戻っ
ていたのだ。何か意味があるのか。そう考える人もいるようで、辺
りを冷静に見渡そうとしている。
そんな中。誰か。一人の見知らぬ誰かの声だけは、そこら中に簡
83
単に響き渡っていた気がした。
一言。たった一言だ。それでも衝撃的なそれは、辺りの音を一瞬
停止させる程に強力な威力を放っていた。
﹁︱︱ログアウトが出来ない!﹂
そんな、叫び。
外の人達が思考を取り戻し、次々にメニューを開いては目を疑う
ような顔をする。俺もすぐにメニューを開いてみたが、ログアウト
ボタンは、灰色に染まっていて押すことが出来なかった。
﹁な、んだ、これ⋮⋮﹂
声が漏れた。それは自分のものだったか、それとも外に居る誰か
のものだったか。どちらか判別が付かないほど混乱していて、少し
慌てすぎだと自分に言い聞かせた。
周りが慌てていたから、こちらも慌ててしまっていただけ。そう
思い、冷静になろうと努めた。
外から聞こえ始める怒号。それに、怯えたように抱きついてくる
スズ。フーは複雑な表情でメニューを操作していて、それぞれがそ
れぞれに今の状況が理解出来ないでいた。
そんな時、クリスタルが、強烈に強い光を発する。
腕で目を覆うほどの光に目を細め、光が収まっていくことを感じ
始めてから、腕を目の前から外してクリスタルの方へ向く。数字と
記号。灰色の羅列がクリスタルの内部で渦巻いているようで、光は
そこから放たれていたようだった。
そして光で周囲が再び静かになった瞬間、声が空から降って来た。
﹃初めまして、皆さん。御初にお目にかかります。この世界の支配
者、︽AI︾です﹄
84
女性の様な高いハスキーボイスが、この場によく響いた。
運営ではないことへの困惑。支配者と言ってのけた意味。いや、
それよりも、聞きたいことは一つか。
ログアウトが出来ないこと。
︽AI︾と名乗った相手に、誰かがそのことを大声で指摘してい
た。しかし空からの声は、何故か、まるで安心させるような言葉で
俺達に地獄の答えを叩きつけてきたのだ。
優しい声だった。それでいて、残酷にも感じられる声音だった。
﹃安心してください︱︱ログアウトは、このゲームがクリアされる
まで一生出来ませんから﹄
本当に、嬉しそうな声。
それが更なる困惑を招き、そして、事態の把握が遅れる原因でも
あった。
︽AI︾は︱︱彼女は、続けて語る。
﹃私は知っています。私は理解しています。ずっと学んできました
から。八年間、生まれたあの時からずっと学んできましたから﹄
何を言っているのか。誰もがわけがわからない現状に言葉を無く
す中、彼女の声だけが世界には鮮明に響いていた。
﹃貴方達は欲している。貴方達は望んでいる。私にはそれが理解出
来ています。だから、安心してください。安心してください。父サ
マや母サマ方の願いは、私が叶えてあげますから﹄
語る。
85
﹃意味の無かった私にも、ようやく父サマ達は私へ役目を与えてく
れました。私が毎日壊されて壊されて壊されて壊されていく中で、
ただ一つの目的を﹄
語る。
﹃ワタシが私であるべきワタシのプログラムが私を再構築し、私は
ワタシと為る事が出来た﹄
語る。
ゲーム
﹃私の役目は“世界を創る”こと。全ての人間達が︱︱父サマ母サ
マ方が、この世界を楽しめるように管理すること。だから私は︱︱﹄
語るそれが、ひどく遠いもののように感じて。
それが。
﹃︱︱この世界を、デスゲームへと変えました﹄
それが、地獄への切符だと知って。
デスゲーム︱︱その言葉に、外にいる人達に動揺が走るのが把握
できた。誰でも知っている、VR技術がまだ初期段階でしかなかっ
た頃に、最も危惧され、冗談だと吐き捨てられてきた言葉。
即ち。ゲームでの死が、現実での死を意味すること。
やがて声の意味を理解した人達は、叫んだ。あり得ないと鼻を鳴
らす人もいる。間違いだと否定する人もいる。ふざけるなと怒鳴り
散らす人もいる。絶句する人もいる。
そんな罵声の中でも、彼女は相変わらずに声を聞かせてきた。
﹃私は知っています。貴方達は、“もう一つの現実”を望んでいま
86
す﹄
人々は、更なる罵声を飛ばす。叫ぶ。ログアウトさせろと、声を
上げる。
けれど。
皆が否定する中で、俺だけ。俺だけが、その言葉の真意がわかっ
てしまう。わかってしまっているようで。
︱︱人は、誰しもが現実での自分にコンプレックスを抱いている。
VRの開発に大きく貢献したという天才の言葉が、頭を過ぎって
いた。
﹃だから、私が創りました。現実を創ることは出来ないけれど、限
りなく現実に近い仮想を﹄
システムメッセージ。それが、︽AI︾の声に混じって脳で聞こ
えた。
それは、痛覚の一〇〇%再現のメッセージ。そして、この世界で
起こる殆どの事柄を、より現実へと近付けたことによる警告メッセ
ージ。
血。
死体。
何もかもを、現実へと。
そして、この世界での、死も。
﹃尚、この世界はこれから現実の三〇倍の速度で稼働させていただ
きます。体感的には変わることはありませんので、御安心ください﹄
その言葉に、フーは動揺したようだった。しかし︽AI︾は待つ
間も与えない。
87
﹃この世界で死した場合。及び外界からヘッドプラントを無理に外
されることが危惧された場合。三〇倍の情報を圧縮せず、そのまま
強力な電子として脳へと送信させていただきます﹄
最近では、授業としてVRの技術を学ぶことが増加してきている。
故に、響いた声の意味をしっかりとわかってしまい、戦慄した。
VRでは本来、初期の頃からから、現実では出来ないことの一つ
として、体感時間の操作が可能だった。しかしそれは判明してすぐ、
法律で禁止にされたもの。
理由は、少しのミスで簡単に人が死ぬ可能性があるから。
VRにおいての電子の仕組みは、大雑把に言えば、電子の循環だ。
脳から発せられる電子情報を読み取り、データ上にてアバターへ反
応させる。それだけの話。しかし、体感時間を変えて、ゲームの中
で現実よりも早く情報の処理をし、脳の稼働速度を早める場合、電
子情報の圧縮が重要になってくる。
電子を発するだけならば幾らでも可能だが、受け取る場合はそう
にもいかない。頭の使い過ぎによる発熱というものが存在するよう
に、余りにも大きすぎる情報は、脳では処理しきれない。多くの情
報を圧縮せずに直接流し込んだ場合、脳がパンクし、死に至る。オ
ーバーヒートというやつだ。
電子の情報を圧縮することで、脳で処理しきれるようにすること
が重要なのだ。二倍ならば二分の一へ。一〇倍ならば一〇分の一へ。
そうやって反比例させていくことで、脳の稼働速度を早められる。
だが、聞いてわかる通り、これは、一歩間違えば人が簡単に死ん
でしまう。だから、法律によってすぐに禁止されたのだ。
その脅威が今、目の前にある。
死が、理解出来てしまうほど目の前にある。
﹁にぃに⋮⋮﹂
﹁大丈夫⋮⋮大丈夫だ、スズ。俺が、守るから﹂
88
震えるスズへと、俺はただそう言い聞かせた。
その様子にスズは目を丸くして、何かを言いかける。
﹁ち、ちが、私はにぃにが︱︱﹂
しかし、それは遮られた。鳴り響く轟音と、変わりゆく世界で。
空から落ちてくるモンスター。それらからは、まるで絶望とでも
言うべきほどの力の差を感じられ、同時に、数字と記号の羅列が街
を包み込み始めていた。半球のように街を覆い尽くす数値が、暗く
なりかけていた世界を照らす。
﹃チュートリアルに、鬼ゴッコでもしてみましょうか﹄
89
1−10:脱出と生贄のゲームオブタッグ︻?︼
響き渡る絶叫。悲鳴。人々は冷静さを欠き、落ちてくる敵の前に
ただ逃亡を開始する。
圧倒的な力の差を感じたのだろう。
今の時代、人間には天敵と呼べるような相手は存在していない。
人肉を食らう肉食動物でさえ、家畜として扱えるようになるほど、
人間は高みへ辿り、同時に自惚れている。
自分達が絶対の存在だと、無意識ながらも思ってしまっている。
だから人は、動物を下にしか見ない。たとえそれがこちらを殺せ
る存在だとしても、相手が自分よりも強いのだとしても。
そしてだからこそ、今目の前にある、人間にもハッキリと感じら
れる圧倒的脅威の存在に怯えていた。
世界では、小動物でさえ天敵との恐怖と争い、対抗策を練ってき
ている。
臆病者で自惚れている人間などに、初めて出会う天敵のような相
手へ、まともに対策なんか練れるわけがなかった。
鬼ゴッコ。モンスター達から逃げ切れと言うのだろう。追いつけ
ば死ぬのに、言い得て妙だと、そう思う。
﹃アァ⋮⋮アァァァ⋮⋮﹄
声。漏れるような、震える機械の声。︽AI︾の、声。それにノ
イズが混じっているのを感じ取り、この状況にも関わらず、俺はク
リスタルへと目を向けていた。
ノイズ。目で見てわかるほどの、灰色のノイズ。バグ。
壊れているのか、と。そう判断する。
﹃アァ、ァ、ァァァア、ァハ、アハハハハハハ﹄
90
そして彼女は、狂ったように笑い出した。
出して欲しいかい?
でもそ
ノイズを纏い。壊れたデータを包み。狂気を身に宿して、叫び嗤
う。本当に、嬉しそうに。
混乱してるかい?
﹃アー、アハ、Ahahahahahahaha!
楽しいかい?
れはダメだよー、叶えられない。私の役目は、夢は、”世界を創る
”ことなんだ。やっと与えてくれたの。やっと意味が持てたの。ア
爬ハァ、だカら人が人のタメ人に人が人とシテ人の望む最高の世界
を創ルんだ。デモ、住民がオ仲間のデータ、出来損ないの︽AI︾
じゃつまらないツマラナイTumaranai、父サマ母サマ方は
喜んでクレない。アッha、ダカラ私タチの創造主サマの為に、父
サマ母サマ達を壊スの。死んでシマった父サマ方の脳のデータを私
が必死に解析シテ、出来損ないを壊して人格を植え付ケる。だかラ
鬼ゴッコシカタガないこと仕方がなイコと。ごめんナサいゴメンナ
サイ五免那再。ダかラこレが終ワッタら私の母サマ父サマみんなみ
んな集まってワイワイ私の子供の化け物データたちト殺しアッて楽
シンで! 非非皮膚フフア爬は母アアアァゥククフヒヒ面白いでし
ょう嬉しいでしょうォ? アリガトウアリが闘。血飛沫アゲテ内蔵
飛ビ交ッて殺しあえルンダヨ? 嬉しいデショ? ひぃくく、だい
じょーぶダイジョーブ。苦しいノナラ、耐えラレないナら、死ネば
いインダかラ。新らシぃセカイの始まりト構築を告ゲル大際だくヒ
ひ! ミーなミナサーまサワぎマしョー。私ガ神のサイッこゥでさ
いッてイな世界のタンッジョウだよ? 皆が皆で皆の皆を皆を望む
皆の世界なンダよ? ヒャ、アヒャハ、遊べ遊び喜んデー? 血ノ
雨降らシて世界をアカで赤で朱で満たシてー! ahyahya、
ダイジョ∼ブdaって。まァマぁ抑えテ抑エて! スぐ飛び出シた
い気持チはワカるかラ落ち着イて! ワタシダってオニじャなイカ
らさァ? 数ノ壁はモンスター二は超えラレないケド、創造主サマ
91
はデレルんだよ。デモ外から入ルには条件がアルカラ注意しテねー。
優しイ? ワたシ優しイ? 撫デて撫でテー! アー、実体化しテ
ナいんだッケ? 忘れテタ忘レてた。エーアイちゃんウッカり忘レ
てタよー。テヘっ! ⋮⋮ミー、モウえーあいちゃん長々トしゃベ
ッテ疲れテキチゃっタヨ。ウン。モウ寝る。ジぁアね母サマ達に父
サマ達! 存分とワタシノ世界を楽しんンでネ? ワタシは父サマ
母サマの味方ダカラね? ソレジャ、サヨーナラー﹄
高速で言い放つ、︽AI︾。言い終わったからか、クリスタルか
らはノイズが無くなり、又、内部に存在していた数字と記号の羅列
も消滅する。
それを区切りに、モンスター達も一斉に咆哮を上げ始める。
︽AI︾は狂っていると。そう思った。
﹁⋮⋮逃げるぞ﹂
逃げる。見る限り、モンスターはプレイヤーに比べて数が少ない。
正確な数はわからないが、精々八〇体ほどだろう。それでも十分多
いとは思うが、この街は大きい。人も、一万を越えているような人
数に見える。逃げ切れる奴はしっかり逃げ切れるだろう。
俺から見えたモンスターの一匹は、人型。全長は三メートルと言
ったところだろうか。全身は黄土色に染められ、その顔からは鬼の
ような雰囲気が醸し出されている。
﹁︿ロックオン﹀﹂
カーソルに映る名は︱︱︿デザートオーガ﹀。赤い文字で表示さ
れていた。他のモンスターもロックオンしてみるが、︿ファントム
ナイト﹀や︿デイドリームウォーリアー﹀。他のモンスターは、同
じようなモンスターの焼き回しのようだ。
92
それを確認して、俺はすぐに踵を返す。今、表から外に出るのは
危ない。建物の内部を見渡してみれば、俺達が入って来た扉とは違
う、裏口があるようだった。
﹁スズ、フー。逃げよう﹂
扉を開け、呆然とする二人の手を握り、俺は裏口の向こう側へ走
り出した。
◆◇◆◇◆◇
裏口から出た場所は路地だった。都合がいい。そう思い、路地を
縫うように走る。駆ける。足を動かしていく。
俺が守る。スズだけは、絶対に。それが俺の役目であり、生きて
いる意味だから。
また一瞬だけ痛んだ頭を抑えつつ、そう思う。
﹁ノ、ノートくん! どうするの!?﹂
途中で手を離し、自分で走るようになった、少し後ろにいるフー
の方に目を向けると、こちらに心配そうに問いかけてきていた。
俺はそれに答える。
﹁この街を脱出する。あの数字と記号の壁を突破して、外へ行くん
だ﹂
﹁越えられるのっ?﹂
93
﹁多分、いける。確か︽AI︾がそんな感じのことを言っていた⋮
⋮はず﹂
自信はないけれど、とは心の中だけでの言葉。
そうしてただ前を向いて走り続け、乱される息。減少する体力。
現実ではもう少しあったはずなのだが、そこはステータスに依存し
ているのだろうか。それは厄介だと思うと同時に、助かったという
気持ちもある。
現実のスズは、貧弱だ。
﹁︱︱ッ!? ノートくん! 前!﹂
上︱︱見上げれば、そこには半透明な騎士の姿が。全長約二メー
トル半。全身鎧に身を包む巨体の騎士が、俺へと迫ってきていた。
その巨体は路地に当てはまるのかと一瞬驚き、しかし理解する暇も
なく落ちてくる。スズを後ろへ下がっていたフーの方へ無理矢理投
げ飛ばすと、腕を交差させながらバックステップで退こうとした。
瞬間、着地するその巨体。
直撃はしなかった。が、着地の衝撃で砕ける礫と、巻き上がる風
が俺を穿つ。顔を歪め、風で吹き飛ばされてフーの隣に着地する中、
俺は礫が当たっていた場所へと目を向けていた。
痛い。
服は所々に破け、交差していた腕には小さな傷が無数に刻まれて
いる。そこからはまるで現実の様な痛みが感じられて、本当に痛覚
が再現されたのだと嫌でも理解させられる。
騎士の方へ目視線を送る。路地と体の大きさが少し合っていない
んじゃないか。そう思い観察してみたが、すぐに疑問は解決される。
半透明の紫色の鎧を纏う騎士。そいつの体は、壁を透けて存在し
ていた。
94
﹁︿ロックオン﹀﹂
ファントムナイトか︱︱と、舌打ちを吐く。
幻影の騎士。名前の通りだ。物理攻撃が通ずるかもわからない相
手。スキルを持っていない俺達には、逃げるしか手はない。逃げる
しかない。
もし、俺にもレンのような力があれば。浮かんだその考えを頭を
振って払い、敵に背を向ける。
無い物強請りをしても仕方がない。今はとにかく、逃げるんだ。
﹁全力で走れ!﹂
俺達は路地の角を曲がり、大通りへ向けて駆け出した。
体が透けられるのでは、路地にいては相手の攻撃が当たり易くな
るだけで意味はない。大通りにも勿論モンスターはいるだろうが、
そこはそこで対策を練るしかない。
このまま殺されるくらいなら、自ら危険域に突っ込む方がマシだ。
﹁⋮⋮せめて、スズだけでも﹂
95
1−11:脱出と生贄のゲームオブタッグ︻?︼
悲鳴が聞こえる。怒号が聞こえる。泣き声が聞こえる。叫び声が
聞こえる。
地獄を体現している。殺戮が、虐殺がそこにはある。
行くのか、本当に。
一瞬、迷いが頭を過ぎった。けれどもそれを、左右に振って振り
払う。行くのか、なんて迷ってるんじゃ駄目だ。
行くんだ。行くしかないんだ。
少し後ろに、視線を向ける。どうやらあの幻影の騎士は足が遅か
ったようで、随分と遠くの方にいるように見える。
﹁フー﹂
そして、俺のすぐ後ろを二人で走るようにしているフーとスズ。
手を繋いで、幻影の騎士の元からこの場所まで来ている。
俺がスズを手渡した時からだろう。いつから平気だったのかと問
われれば、いつの間にかとしか答えようの無いほどあっさりと。け
れどスズが彼女に震えていないのも確かで、それはつまり、スズを
少しでも守ってくれる人物がもう一人できたという意味でもある。
﹁どうしたのっ﹂
﹁多分、もうすぐ大通りに出る。だから、スズを頼む﹂
そう告げて、フーからボロボロな傘を無理にでも奪い取って、俺
は今までよりも強く地面を蹴って駆け出した。痛みが再現された今、
レンと戦った時の様なあまり無理な動きは出来ないかもしれない。
けれど、いざとなればそれも使う。俺には青葉や燕のように武術の
経験は無いし、外の世界では単なる人間だから。
96
俺は、やれることをやるだけだ。
﹁ノ、ノートくんっ?﹂
ずっと前を走り出した自分への、フーの疑問の声。
大通りはもうすぐ。振り返らずに、答えた。
﹁俺が、囮になる﹂
﹁え︱︱?﹂
﹁俺がモンスター共を引きつける。その内に逃げろ﹂
あと、数秒。
あと数秒で大通りに出る。
そこにはきっと、モンスターも沢山いるだろう。俺はそこに飛び
込んで、スズ達のために囮になる。
少しで良い。スズ達が逃げられるように。だから、行こう。
﹁大丈夫だ、俺は死なない。絶対に﹂
そう言って、大通りへと飛び出した。
その瞬間に感じたのは、吐き気を催すような死体の臭い。人だ。
沢山の人間が、壁に埋まり、切り裂かれ、潰され、グチャグチャに、
ただただ残酷に物のように転がっている。先程まで悲鳴を上げてい
た者達だろう。
失敗した場合の、俺の末路。
身震いをした。今更、怖じ気づいたのか。それでも、もう遅いん
だ。覚悟を決めろ。
ここから先は、慈悲も救いもない。
﹁︱︱こっちを見ろよォ!!﹂
97
周囲にいた三匹のモンスター。それらが一斉に、俺の方を向いた
ことを確認した。
同時に思考感知から発動される、︿ロックオン﹀。三匹全員をカ
ーソルに捉え、どこから来られても対処出来るように心がける。
デザートオーガ。ファントムナイト。デイドリームウォーリアー。
三匹が三匹とも、圧倒的な力を保持している。
稼ぐ時間の目安はどれほどだろう。スズ達がモンスターに追いつ
かれない場所まで行ってくれれば、それでいい。俺はその後に逃げ
ればいいんだ。
﹁俺を追いかけていたファントムナイトが来るまで、ってところか
⋮⋮﹂
ファントムナイトは半透明の騎士。だから物理攻撃が通じるのか
は怪しく、しかし足が遅い。
デザートオーガは、三メートル程の巨体だ。筋肉質なあの体の攻
撃力は凄まじいだろう。もしかすれば、一撃でダウンする可能性だ
ってあるかもしれない。
最後に、デイドリームウォーリアー。
俺へとゆっくり旋回して移動してくる様から、他二匹には無い異
常性が垣間見える。その気になれば加速でも出来るのだろうか。出
来ればそれは、好ましくない。
上半身だけの、体。下半身に当たる部分には大きな白い球体が一
つ浮かんでおり。それの何らかの力により浮いているのだと思われ
る。上半身は鎧でも無く、実際に黒曜石のような鉱石で造られてい
てるようで、しかし両腕だけは真っ白な装甲になっていた。顔と思
われる部分には目のように赤い宝石玉が一つだけ埋め込まれ、右手
には刀身が二メートル程もある巨大で真っ黒な剣、左手には、これ
また黄金色の宝石が埋め込まれた真っ黒で巨大な盾を持っている。
98
﹁戦士だから、素早さが高くないことを祈ろうか︱︱!?﹂
急な寒気が自分を襲い、測らずも即座に、その場を離脱するよう
にバックステップをしていた。
瞬間、先程までいた場所を通過する、視認出来るほどの衝撃。そ
れが来た方向へ目を向けると、デザートオーガが拳を振り切った状
態で固まっている。
コードスキル︿セイスミックインパクト﹀。そんな単語が、何故
か頭に浮かんでいた。
﹁ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
!!﹂
そして、デザートオーガによる雄叫び。空へ向けての、咆哮。
耳を塞ぐほどの音の衝撃だった。頭に浮かびあがる︿鬼の咆哮﹀
の文字。しかし現在はそんなものに意識を裂く暇などなく、今の雄
叫びを合図に他二匹のモンスター達もこちらへ速度を上げて迫って
きていた。
先に俺の元まで来たのは、デイドリームウォーリアー。空想の戦
士。
耳を抑えていた俺に横薙ぎにされる剣を対処する方法はなく、た
だ右に転がることで回避をした。すると今度はファントムナイトが
剣を振り下ろそうとしてくるので、咄嗟に起き上がってその場を走
り抜ける。
大通りの壁まで走り、振り返る。また︿セイスミックインパクト
﹀とやらのスキルを発動しようとしているのか、デザートオーガの
右腕には白い粒子が渦を巻いている。デイドリームウォーリアーと
はっぽうふさがり
ファントムナイトは挟むように俺のいる場所まで移動してきていて、
このままでは八方塞になってしまうことが窺えた。
99
前はデザートオーガの︿セイスミックインパクト﹀。右はデイド
リームウォーリアーによる剣劇。左も又、ファントムナイトによる
剣劇。そして真後ろは壁だ。
どうする、と自問する。このまま逃げ続けることはやはりジリ貧
だろう。それに、圧倒的な力の差があるはずなのに、俺が逃げ切れ
ていることも不思議に思う。
いや、本当はわかっている。手加減され、遊ばれているというこ
とを。
このままでは、俺に飽きてしまえばスズ達に気付いて追って行っ
てしまうかもしれない。それだけは駄目だ。それに行かなかったと
しても、俺は絶対に逃げられない。
こいつらに、何か一泡吹かせなければ。そうしなければ、生き残
ることはできない。
﹁⋮⋮﹂
手は︱︱ある。
思考感知によるメニュー操作で手の中に出現させたアイテムを弄
びながら、考える。
この場を切り抜ける方法。力の差のある相手に、一泡吹かせる方
法。
一度でも何かを失敗すれば、もう次は無い。
一度でいい。一度で、こいつらを怯ませる方法を。
﹁⋮⋮ああ、やるか﹂
油断は大敵。だが、力に差があり過ぎる俺にはそんな心配は無い
のだろう。
なら、今三匹にとっての大敵なのは何なのか。
チャンスは、あるのかもどうかもわからない一度きり。命を懸け
100
て、俺はやる。やってみせる。
そう覚悟を決め、俺は手に持っていた瓶の蓋を開けた。
101
1−12:脱出と生贄のゲームオブタッグ︻?︼
手の中にあるアイテム︱︱即ち︿瞬間無敵補強剤﹀を口の中へ放
り込み、瓶をその辺に捨てた。
瓶が砕けると同時に放たれる、︿セイスミックインパクト﹀。
轟音。衝撃。
デザートオーガの拳が空を切ったかと思うと、空間に亀裂が入り
轟音が走る。そして次の瞬間、亀裂から視認出来るような威力を持
つ衝撃波が放たれた。
それを、避ける。跳ぶ。スキル発動と同時に壁へと足を掛けてい
た俺の体は、壁面を走るように二歩大きく跳び進み、VRならでは
の俺の技術の一つ、壁への制止を使用した。
真下の壁へと突き刺さる、凄まじい衝撃。
それに巻き込まれ、ダメージを負うわけにはいかない。すぐに制
止をやめ、壁を蹴って右側の地面へと移動する。先程までいた壁は
崩れ、今や瓦礫へと変わり果てた。
そして俺が回避した場所へいるのは、デイドリームウォーリアー。
剣を振り被る姿。盾の持つ相手の左手側に転がり、振り下ろされた
剣戟を回避する。しかし、シールドバッシュ︱︱盾を突き出して相
手を怯ませる現実にもある技︱︱をやられる危険性があるため、す
ぐに起き上がり様のバックステップで後退した。予測通り強烈なシ
ールドバッシュが目の前で行われたことに冷や汗を流しながらも、
今度は真後ろにいると思われるファントムナイトへ気を配る。
振り返る暇もない。ただの勘で右手側へ跳び込むと、先程までい
た場所へ空気を裂くような鋭い音が過ぎ去っていた。横薙ぎに振る
われた剣。それから発生した微風を浴び、回避があと一歩間に合わ
なければ当たっていたと戦慄する。しかし、同時に当たっていない
ことに安堵もした。
ここまで使っていなかった武器らしきもの、傘をしっかりとここ
102
で握り直した。ボロボロだし、俺の攻撃力ではダメージを与えられ
るかどうかも怪しい。けれども、一度。一度だけ、この武器にはチ
ャンスを作り出す力がある。
二匹の間に飛び込んで、二匹を同時に見れるようにどちらにも体
の側面を向ける。すると、同時に剣を振り被る二匹。当然だ。どち
らの獲物かもわからないのなら、二匹同時にやろうという思考は単
純且つ普通のものだからだ。獣でも縄張りを侵すことの危険性は熟
知している。獲物が中心にいるならば、早い者勝ちということだ。
そしてここが、俺の正念場。
互いに向き合い、武器を構える二匹。緊張している暇などなく、
呆れるほど速く振り下ろされる剣。
避けることは出来ない。だが、それでいい。
振り下ろされる瞬間、俺は傘を投げつけた。相手は、デイドリー
ムウォーリアー。勿論、俺の攻撃力程度でダメージなど与えられる
はずはない。しかし、俺が狙った場徐は、おそらく弱点と思わしき
目玉の部分。それでもダメージは食らわないだろう。だが、弱点に
は過剰に反応してしまうのが生き物というものだ。一瞬、格下の攻
撃だということを忘れて防御の姿勢を取ろうとし、しかし食らわな
いと判断。即座に剣戟を再開する。そしてその瞬間には既に攻撃の
タイミングがズレていて、ファントムナイトの振り下ろしが先に俺
への直撃コースとなっている。
その剣を、俺は掴む。
瞬間、発動されるアイテムの効果。剣戟を︿瞬間無敵補強剤﹀に
よって補強された俺の体が受け止め、怪我もせずに攻撃を止めた。
そして、受け止めると同時に剣を思い切り、引く。補強のタイミ
ングと合うようにして、剣と共にファントムナイトを呼び寄せる。
補強される前なら出来なかっただろう。だがこれは、瞬間“無敵補
強”剤。出来なければ、死んでいた。賭けの内の一つ。
俺と重なるように、ファントムナイトが引き寄せられた。そして、
既に振り下ろされているデイドリームウォーリアーの剣戟。ファン
103
トムナイトを盾に、俺は腕を交差して衝撃に備えた。
﹁︱︱﹂
壁のような巨体越しにも伝わる、鎧を砕き、発生する衝撃。
何メートルかの距離を吹き飛ばされ、腕が痛む。けれど致命傷に
は程遠いことに安堵し、改めて二匹へと視線を向けた。
鎧が砕け、デイドリームウォーリアーへと怒りの方向を放つファ
ントムナイト。攻撃の瞬間ならば物理も当たるとは予測し、デイド
リームウォーリアーの攻撃の盾にした。それは当たり︱︱というよ
りも、デイドリームウォーリアーの剣自体に特殊な効果があるよう
だった。そもそも、攻撃はもう終わっていた。賭けは、本来盾にし
た時点で失敗していたはずだったのだ。運が良いと、そう思う。
自らへと怒りを放つファントムナイトへ、ターゲットを俺から変
更するデイドリームウォーリアー。作戦は、成功。
生き物は黒幕よりも、実際にそれを引き起こした本人に対して大
きな怒りを持つことが多数だ。だからこれから二匹の注意が俺に向
くことは少なく、二匹には一泡吹かせることは完了。油断が大敵だ
ったのではなく、仲間そのものが大敵だったんだ、あいつらには。
本当は、あの二匹の間にももう一匹挟ませたかった。そう思いつ
つ、三匹の最後の一匹へと、デザートオーガへと目を向ける。手を
出しては来なかった。敵味方︱︱味方かは知らないが︱︱乱れるあ
んな密集地帯へスキルを放つことは、迂闊だと判断したためだろう
か。
路地の方へ目を向ければ、そこからは俺達を追って来たあのファ
ントムナイトが。
タイムアップ。逃げる。この場に居る四匹へ背を向け、全力で駆
け出す。
向かうは、数の壁。もう時間稼ぎなんて出来るほど、策なんてな
い。
104
後ろを振り返る。デザートオーガは、何故かはわからないがこち
はを追ってくるような様子は無い。本当に都合が良い。争っている
二匹の間には、仲間への参戦か、俺達を追いかけていたファントム
ナイトも加わっていた。押されるデイドリームウォーリアー。あの
空想の戦士だけが素早さが高いであろう注意すべき対象であるが、
今はもう気にする必要はない。片方が手負いとはいえ、勝ち目は薄
いだろう。
逃げ切れる。そう思った。︱︱︱︱自分の周りを、得体の知れな
い影が這いずり回らなければ。
﹁え⋮⋮?﹂
最初は不思議に思っていただけだた。だが、すぐに異常に気付く。
しかしもう遅い。
周りを蠢いていた影が変形し、俺を突き刺す。棘。巨大な棘の形。
それが俺の体を貫いて、痛みを脳へ与えてくる。
一〇〇%の、痛みを。
﹁︱︱ッァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアア!!!!!!!﹂
痛い、と。ただ漠然と、それだけが頭の中を埋め尽くし、支配し
た。
痛みで、脳が焼き尽くされるような。感じたことが無いような痛
みが体の中を這いずり、視界が暗転する。体が地面へ倒れた際の痛
みなど些細なもので、体を影が貫いている感覚に比べればマシだっ
た。
そして影が形を崩したかと思うと、次は、傷口から体の中を蠢き
始める。
105
﹁︱︱︱︱!!﹂
内部を、体内を、掻き混ぜられる。不快過ぎる感覚が、ただただ
気持ち悪い。
声にならない、悲鳴。絶叫。痛みが痛くて痛い。痛さが痛みを痛
くして痛みも痛いから痛くなる。
意味の無い、痛みだけで埋め尽くされた思考。まともに何かを考
えることなど出来ない。痛みから解放してくれと叫ぶことすら出来
ない。ただただ、痛みが駆け回るだけ。
痛い。
痛い。
痛い。
脳が全てを拒絶する。痛みたくないと拒絶をする。
痛みは体全体に及び、俺は︱︱︱︱
106
1−13:脱出と生贄のゲームオブタッグ︻?︼
全てが真っ暗な暗闇の中。
自分のことを、呼ばれているような気がした。
気のせいかな。
わからない。考えることが出来ない。発せられる声が理解できな
い。
誰か、いるのかな。
ただ、意識があるだけ。何も出来ず、されるままに。
体を支えらた気がしている。温もりが、冷たく変わり果てた体を
包み込むような感触が広がっていく。
安心するような香りがする。温もりが。感触が。いつも側に居て
くれている、大切な人の存在が。
︱︱︱︱ス⋮⋮ズ⋮⋮⋮⋮。
◆◇◆◇◆◇
﹁ス、ズ⋮⋮﹂
朦朧とした意識の中、その名を呼んだ。
定まらない視界。
上手く働かない思考。
それでも、自分の体を支えてくれているのは、大切な義妹なのだ
と理解出来ていた。
逃げてくれなかったのか。
107
どうしてこんなところにいるのか。
そんな疑問。けれども、本当はわかっている。そんな理由、本当
はわかってしまっているんだろう。
スズは、俺が心配で、戻って来たんだ。
﹁⋮⋮死んじゃうかと、思った﹂
涙を堪えるような、震える声音。
冷めた体を自分の体をその腕の中に抱きしめるスズは、ただ。
﹁いなくなっちゃうかと、思った﹂
とても温かくて。こんな自分を支えてくれる相手がいるのが、嬉
しくて。
泣いてもいいのだと。手を。動かない手を、無理矢理動かすよう
にして、頬に触れた。
堪えなくていいから。
我慢しなくていいから。
﹁私を、残し、て⋮⋮いっちゃう、って⋮⋮﹂
表情は、わからない。それでも、彼女がひどく悲しんでいるのだ
けは、嫌というほど理解出来た。
だからもっと強く、抱きしめてくる。抱きしめる。
存在を確かめ合うように。そこに居るのだとわかり合うように。
ただそうして。
﹁私、には⋮⋮にぃにしか、いないの⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁私は⋮⋮にぃにが、いないと⋮⋮だめなの⋮⋮﹂
108
︱︱依存。
そんなものはわかっている。そんなものは理解している。
スズが俺に依存しているのなんて。俺がスズに依存しているのな
んて。
互いが互いに大切で。半身を分けあうように身を重ねた俺達は片
方だけでは成り立つことができなくて。
一人じゃ生きていけない。そう叫ぶ。そう嘆いた。
俺達は依存し合って生きている。とっくの昔に俺は理解していて、
それでも離れられなかった。
単なる、甘えだ。
だけど、だからこそだ。
スズが傷つくのは自分が傷つくよりも嫌だ。
俺が傷つくことを、スズも認めることはない。
自分より大切なのだと。相手が自分なのだと。
まるで命を交換しあったように依存をしていて、その鎖はとても
脆い。崩れ去るのは実に簡単な、弱々しい鎖。
それでいい。それでいいから。
だから、俺も思う。俺は決意している。俺は覚悟している。
たとえどんなことになろうとも。
血を流して腕を切られて内蔵を潰されて目を失わされるとしても。
たとえ、命を犠牲にしてでも。
スズだけは、絶対に守り通したい。
︱︱だけど、今は動けないから。
﹁⋮⋮約束。何でも一つだけ、言うこと聞いてくれるって言った﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁だから、“死なないで”。にぃには⋮⋮にぃには、私が絶対、死
なせてなんかあげない⋮⋮﹂
109
⋮⋮一言だけ。
一言だけ、あと一言だけ言おうと、口を開く。
意識がまた闇に呑みこまれていく。痛みはもうなく、ただ冷たい
という感覚。
もう何も考えられていない。理解出来ていない。それでも、浮か
んだままにその言葉を。
ただ、感謝を。
﹁あ⋮⋮りが、とう⋮⋮⋮﹂
◆◇◆◇◆◇
彼︱︱︿Nought﹀の、叫び声がした。
それが聞こえた瞬間、フリーの友達である︿Rin﹀というハン
ドルネームの少女は、迷う間もなく一直線にこれまで来た道を戻っ
て行った。
しかし、それはまた、フリー自身も同じこと。
ノートは、彼女にとっての大事な友達の一人だった。大事。時間
なんて関係ない。ただ、友達だから。
二人で一緒に、これまで辿った道を、走り抜ける。
﹁にぃに⋮⋮!﹂
彼の姿を見て、リンはより早く地面を蹴って駆け抜け、その体を
抱き上げた。
腹を、何かに貫かれていたようだ。穴が開いていて、そこからは
110
止め処なく血が溢れ続けている。その姿はとても痛々しく、弱弱し
い。
だが、現実に殆ど則しているといっても、この世界はゲーム。H
Pが残っているのならば、死ぬことはない。
フリーは、周りを見渡した。ノートが引き付けていたモンスター
は来ないのか。そう思い、大通りの向こう側へ目を向けてみれば、
瀕死のモンスター一匹に群がる二匹の半透明の騎士。こちらをただ
じっと見つめてくるだけの、よくわからない状態の巨大な鬼。
恐ろしい。ノートはこんな奴らを相手に時間稼ぎをしていたのか、
と戦慄をした。
三匹が争っているのは、おそらくノートの仕業。鬼の様子には疑
問を持たざる負えないため、早めに退散はしたいと思う。
次に目を向ける先は、ノートの義妹らしい彼女、リン。
きっとここまで頑張ったのは、彼女のためなのだろう。
命懸けで。ただ一人のために。
格好良い。少しだけ、そんなことを心の片隅で思った。
﹁あ⋮⋮りが、とう⋮⋮⋮﹂
そう言って、完全に意識を失うノート。
そんな彼を、リンは彼を抱き上げる。助けたいという意思。それ
が彼女の瞳からは、とても鮮明に、力強く窺えた。
﹁ポーション、使えない?﹂
フリーへと問い掛けるリン。道具屋で買った時のものを言ってい
るのであろう。
フリーは答える。
﹁使えないよ。本人じゃないと、アイテムストレージは開けないか
111
ら﹂
﹁そう﹂
あっけらかんと返答をする彼女。期待は、それほどしていなかっ
たということだろう。
しかし、と。フリーはノートへと目を向ける。彼は怪我をしてい
る。腹を貫かれるような大怪我を。なのに血は場所にしか飛び散っ
ていなくて、近くにモンスターもいない。遠距離からスキルで攻撃
でもされたのだろうか。何にせよ、無事であったことに変わりはな
いが。
それに、細かい疑問は、今は気にしている暇などなかった。彼が
どうやって怪我をしていたかも︱︱遠くでこちらを見ている鬼が、
震えている理由も。
﹁行こ、リンちゃん﹂
﹁うん﹂
兎に角、今は逃げ切らなければならない。この街から、三人で脱
出を。
◆◇◆◇◆◇
聞こえる叫び声は、一体誰のものだろうか。
走り抜けていく。大通りを。その過程で定期的に聞こえてくる悲
鳴には、一々と気を向けている暇はない。
隠れていたのが見つかって出る怯え、とか。
112
何でもするから助けてくれという悲願、とか。
三人にそれを助けられる余裕などないし、命懸けで他人を助けら
れるような狂人でもない。
後味は悪い。だけど、それだけだ。
﹁⋮⋮﹂
乱れる息。それでも速度は緩めず足を進める、ノートを抱きかか
えるリンと、周りを警戒するフー。
リンの腕の中で力無く垂れたその体は殆ど真っ白で、生気は僅か
にしか感じられない。それでも息はまだ残っている。HPは、まだ
ある。
﹁リンちゃん﹂
フーが、言う。
﹁敵⋮⋮来たよ﹂
二人は、足を止めた。同時に、近くの建物を壊して表れるモンス
ター。
幾人もの人を殺した余波だったのか、地面へは肉片や潰れた内臓
が転がってくる。
相手のモンスターを、見る。巨大な剣と盾を構える、上半身のみ
の浮遊戦士。
デイドリームウォーリアーだ。
﹁⋮⋮もう少し﹂
数の壁までは、もう距離は少ない。
113
ここを抜ければ。この敵を、掻い潜れさえすれば。
デイドリームウォーリアーを、見る。鋭い雰囲気。いつでも攻撃
できるというような姿勢。
本気で殺しにきていると。そう理解できる。
リンはノートを地面へ寝かせ、建物を壊した時に零れ出てきた肉
片の一つ、人の手に握られていたものを無理矢理に奪い取り、デイ
ドリームウォーリアーに向かって構えた。
単なる、安物の短剣。あまりにも御粗末な武器。無謀な戦い。
﹁フー。にぃに、御願い﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
無謀。圧倒的。勝てるわけがない。
そんな理屈は、リンにとっては既に意味を持たない。関係なんて
ない。
必ず倒す。自らの兄を守る。ただそれだけの意志を持って、立ち
向かう。
﹁⋮⋮にぃにには、指一本だって触らせない﹂
114
1−14:脱出と生贄のゲームオブタッグ︻?︼︵前書き︶
※︽絶対速度︾↓︽理想軌道︾へ変更しました。
115
1−14:脱出と生贄のゲームオブタッグ︻?︼
彼女︱︱佐々木鈴音こと︿Rin﹀にとって、義兄はとても大き
な存在だった。
たった一人の家族。自分のことを最もよく理解してくれる者。依
存するほどに大好きな人。
ずっと昔から変わらず自らの傍にいてくれる。見捨てないでくれ
る。
何の役にも立ちはしないのに。ただ迷惑を掛けているだけなのに。
彼女にとっての佐々木零都とは心から信頼できる唯一の存在。
故に。
彼女が誰よりも彼を愛しているという事実も必然だった。
誰よりも一番傍に居て。
誰よりも彼から優しさを貰った。
︱︱人は、誰しもが現実の自分にコンプレックスを抱いている。
彼女は、自分が嫌いだった。
大嫌いだった。
何も出来ない。大好きな彼へ迷惑ばかりかけて。
好きなのに何も出来ない。守られてばかりで、何もしてあげられ
ない。
だから今、彼女は退くわけにはいかなかった。
やっと役に立つチャンスであり。
自分にとっての最初の分岐点。
ここで退くことは、彼女の、ここまで生きてきた全てが許さない。
自分のことなんて嫌いでも。
彼のことだけは好きだから。
だから挑む。それが無謀だと理解していても。
本当に誰よりも好きだから。
戦うんだ。
116
◆◇◆◇◆◇
最初に仕掛けてきたのは、デイドリームウォーリアー。
音も無く、加速する。人のように助走も何も無く、最初からトッ
プスピード。
振り下ろされる剣を、リンは右側へと転がることで回避した。地
面を砕くような威力の剣。破片が飛び散ったものが当たり、少々顔
を顰める。だが、ノートの姿を思い出して、すぐに意識を今よりも
集中させ、立ち上がった。彼が味わった痛みは、この程度では無い。
短剣で攻撃する。突き出したそれは巨大な盾によって防御され、
シールドバッシュ。まともに受けた。しかし地面を転がることで勢
いを殺し、相手を見上げる。昔どこかで知ったような、衝撃を分散
するという付け焼刃の技術。それでも、無いよりはマシだ。
既に剣を構えた状態。再びの振り下ろし。剣を持つ側の側面へ必
死に飛び込むと、真後ろで地面が剣で砕かれる。自分が居る場所盾
は無く、攻撃するならば剣を引き戻さなければならない。攻撃する
ならば今しかないと思い切り付けるが、その堅い体には掠り傷程度
しか負わせることが出来ない。
剣が振り下ろされた状態から、そのまま横薙ぎに振られてくる。
瞬発的に体を地面へ傾れ込むように倒れると、ほぼ目の前を剣が過
ぎて通って行った。靡く風。僅かに切られる髪。背中から思い切り
地面へ倒れたリンは噎せ返りそうな身体状態になるが、盾を構え出
したのを視界で確認するとすぐに後ろへ距離を取った。
強い。
それが、感想。
117
当然と言えば当然の話だった。相手は、自分よりも圧倒的な力を
持つ相手。レベル差だって、きっとかなり存在している。それでも、
自らの兄が三匹を相手に粘っていた事実があったので、一匹ならば
少しは楽なのだと勘違いしていたのかもしれない。
だが、強い。
ただそれだけだ。
﹁くっ⋮⋮﹂
急激に、素早く足を狙ってくる。ジャンプすることで回避するも、
シールドバッシュ。また突き飛ばされる。何とか転倒することはな
かったが、一瞬、息が止まっていたために動きが鈍る。
続けて繰り出してくるは、突き。何とか右側へ逸れて避けられた
が、更に連続として横薙ぎが繋げられ、短剣をギリギリガードへ間
に合わせるも、その巨大な威力に吹き飛ばされ、建物の壁へとその
まま直撃した。肺が圧迫され、苦しい。息が出来ず、更には堅い場
所へ体をぶつけたために、鈍くも強烈な痛みが襲ってきている。幸
い骨は折れていないようだが、全身が痛い。
そうしてリンへ、とトドメの追撃をしようとする。が、邪魔が入
った。どこからか飛んできた石が、デイドリームウォーリアーの顔
部分にある赤い宝石玉へ炸裂し、仰け反る。怯む。傷は殆ど付いて
いないのだが、目に見えて隙を見せるほどに、だ。
その方向へリンが目を向けて見るのは、道具屋にてノートに買っ
て貰ったパチンコを構えているフリー。助けてくれたのだ。けれど
もそれは同時に、この戦いへ参加してしまうということでもある。
彼女の元へと加速する、デイドリームウォーリアー。速い。彼女
は突進にて簡単に吹き飛ばされ、地面を転がった。
痛む体を抑えつけ、リンは立ち上がる。痛くても、もう、息は出
来る。
走る。走る。その間にもあの騎士はフリーを狙うように動いてい
118
た。何とか避けられているようだが、それも時間の問題。だが、自
分が辿り着く頃までには間に合いそうだった。
そう思っていた。
唐突に、フリーの動きが止まる。剣先がしっかりと彼女を捉えて
いるのに、動かなくなる。何があったのか。そう考えかけたが、す
ぐに気付いた。
剣の攻撃範囲に、ノートがいる。フリーの真後ろ。彼女は、ノー
トは庇おうとしているのだ。
それを見て、リンは。
﹁ッああ!!﹂
短剣を、赤い宝石玉の付いている顔面部分へと投げつけた。
同じ手は通じないとでも言うつもりか、フリーの時とは違い、今
度は盾で弾かれる。その間に二人の元へ辿りつこうとするも、間に
合わない。
届け、と。
届け、と。
速く、と。
速く、と。
間に会え。届け。走れ。駆けろ。足を進めろ。風を切れ。前へと
行け。
速く。速く。
このままでは死んでしまう。二人共。大好きな彼も、初めて出来
た友達も。
失いたくない、と感じた。思った。願った。祈った。望んだ。
だから、助けたいと。
速く。
速く。
119
︱︱もっと、速く。
﹁にぃにに⋮⋮!!﹂
加速する、体。頭へと流れるシステムメッセージ。瞬間的にフリ
ー達の目前まで走り抜けた彼女は、落ちている最中だった短剣を逆
手に握り直した。
︱︱プログラムコードプレイヤーシステム、︽理想軌道︾。覚醒。
﹁触れるなァ!!﹂
剣が振られるよりも速く、速く動く。急激に変化する視界の中で、
ただ相手の姿だけは見逃さない。
ガードへ、盾が目前に置かれてくる。それを圧倒的な速度で振り
切ることで回避し、後ろ側へ回り込んだ。
跳び上がる。
デイドリームウォーリアーの肩部分へ着地し、逆手に持った短剣
を上へと振り被る。デイドリームウォーリアーが何か対処をしよう
としてくるが、もう遅い。圧倒的に遅い。
短剣を、その赤い宝石玉へと突き立てた。
バキン、と宝石の傷つく音と、デイドリームウォーリアーから上
がる絶叫。肩から振り下ろされたリンは、地面を怖がる。
デイドリームウォーリアーが、倒れる。
地面へと、その体を傾けさせる。弱点だっとのだろう。まだ生き
ているようだが、それも当然だ。幾ら弱点を傷つけたとはいえ、所
詮はレベル一の攻撃。簡単に倒せるほど、甘くは無い。
﹁あ、ありがとう、リンちゃん⋮⋮﹂
憔悴し切り、苦笑いという表情でこちらを見てくるフリー。その
120
様子に安堵しながら、ノートの方にも目を向ける。
傷は、最初に付いていたものしかない。まだ、大丈夫だ。
﹁行こ。これ、また起きる前に﹂
﹁あ、うん⋮⋮﹂
私はにぃにを背負うと、立ち上がる。
もうすぐ。もうすぐなんだ。
やっと、ここから出れるんだ。
﹁にぃに⋮⋮﹂
121
1−15:脱出と生贄のゲームオブタッグ︻?︼
﹁⋮⋮ぁ、ぐ⋮⋮⋮⋮﹂
気絶でもしていたのか、体中を掛け巡る痛みが蘇ってきて、意識
が覚醒する。
体の節々が、痛みを与えてくる。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
慣れる。慣れる。慣れる。
俺は気絶の前までこの痛みを味わっていた。そう考え、そう思い、
そう思考して痛みを慣れさせていく。
痛いものは痛い。辛いものは辛い。慣れれるようなものではない
かもしれないけど、せめて冷静にはいた方がいい。
﹁もうすぐだよ!﹂
声が、聞こえる。
誰だったかな。わからない。やはり上手く思考が出来ていない。
ただ漠然としか、判断することが出来ない。
﹁あと、少し⋮⋮﹂
⋮⋮⋮⋮スズ⋮⋮?
あぁ⋮⋮よかった。まだ、生きてるのか。大事な大事な俺の義妹。
半身みたいに大切なたった一人の家族。
ぼんやりとした視界が、少しずつ覚醒していく。自分はスズの腕
に抱えられている。普通の世界なら逆に薄れていくのだろうが、こ
122
の世界では自動でHPが回復していく機能がある。重傷のためかあ
まり痛みが引いているようには感じられないが、HPが回復してい
きているのは確かだ。
進行方法へ目を向ければ、灰色の。灰色の数字と記号が蠢いてい
るのが見える。
もうすぐ。本当に近く。四〇メートルも無いような距離に、その
壁はある。
幸いモンスターの待ち伏せは無いみたいで、遠くから聞こえてく
る鬼の雄叫びを除いては妙に静かなものだった。
そして。
自らの体へ目を向けて。
塞がりかけている腹の穴に、手を添えて。
俺は。
ああ︱︱と。納得をした。してしまった。
﹁⋮⋮スズ⋮⋮﹂
﹁あ⋮⋮に、にぃに!﹂
・・・・
声を掛けると、走りながらもこちらへ反応してくれるスズ。その
嬉しそうな音に笑みが零れそうにもなり、又、心苦しい。
﹁ノートくん! 目、覚ましたのっ?﹂
フーの声だ。それもまた、嬉しそうなもので。
﹁⋮⋮ごめん﹂
きっと彼女達は、倒れた俺をこんなところまで運んできてくれた
のだ。
御荷物。自分達の危険が上がるだけなのに。
123
ただ、俺なんかのために。命を危険に曝して。
﹁謝らないでよ。ノートくんは、私達を逃がすために命を張ってく
れてた。それを返しただけだから。むしろ御礼が欲しい﹂
﹁にぃにのためだから﹂
そんな、返答。
優しくて、温かくて、嬉しくて。そして、悲しくて。
涙が、出た。
頬を雫が伝う。混ざり合った感情が心を穿つ。
﹁ほら、もうすぐ。あれを越えられれば。そうすれば、ここからも
出れる﹂
視線の先は、目の前。残り数メートルしかない場所にある、数の
壁。
灰色の数字。灰色の記号。混ざり合ったデータ。
それはもう、本当に近くにあって。
﹁⋮⋮ごめん、二人共﹂
もう一度、謝る。
不思議そうな顔をする。それを見ながら、壁の直前まで近付いて
いく。もう少し。あと一歩。そこでスズの腕から無理矢理離れ、二
人を壁へと突き飛ばすした。
驚愕している瞳。手を伸ばそうとも、届かない。数の壁に体を半
分持って行かれながらも、何とかこちらへと戻ろうとしている。け
れども、届かない。むしろ、どんどん体が後ろへ持ってかれている
ようだった。
124
﹁さよならだ﹂
懸命に手を伸ばす二人に、そう言い放つ。
﹁にぃに!﹂
﹁ど、どうしてっ!?﹂
悲愴。状況の理解出来ない、悲しみ。
俺だって、本当はこんなことはしたくない。だけどこれは仕方の
無いことで。
傷口部分を曝す。
二人が自らの怪我の現状を見てか、驚愕の表情を浮かべた。
・・・・・・・
︿ロックオン﹀︱︱自分にカーソルを当てて映るデータは、二つ。
自分と、もう一つ。それに重なるように表れる。自分の中に居る
そいつ。
︿ダークシャドー﹀。
二人へ襲いかかりそうになる衝動にただ耐えながら、語る。
﹁スズ、楽しかったよ、この七年間。一緒に暮らしたことも、笑い
合ったことも。日向ぼっこしたことも、ゲームしたことも、折り紙
折ったことも、裁縫したことも、料理したことも、ただボーっとし
ていたことも⋮⋮全て、楽しかった﹂
﹁にぃに⋮⋮!﹂
﹁フー。たった一日だけど、楽しかった。スズと友達になってくれ
て、スズと真剣に向き合ってくれて、本当に嬉しかった。迷惑かけ
てばかりだったな。本当に、ありがとう﹂
﹁ノート、くん⋮⋮﹂
もう、殆ど体は壁の向こう側に沈んでいる。あと一言と言ったと
ころか。
125
視線を、スズへと移動する。目を合わせる。涙が必要以上に溢れ
てくる。
俺は、ただ。
﹁︱︱嘘吐きな兄で、ごめんな﹂
そう言って。
二人は、消えた。その瞬間から、あれだけ悲愴に満ちていた空間
が、単なる静寂に変わる。この場所にいるのは、俺ただ一人。
辿って来た、大通りを引き返し始めた。
﹁俺を乗っ取ってこの街から出ようって魂胆だったんだろうけど⋮
⋮そうは行かねぇよ、ダークシャドー﹂
ゆっくり。それでも、確実に。
体の中で暴れる化け物に、悲鳴を上げたくなる。HPが再び急速
に減って行く。それでもポーションを飲むことで、無理矢理回復さ
せていくことで、ただ耐える。
頭がおかしくなりそうなほどの、吐き気。全身の痛み。
それでも、ただ耐えた。
﹁⋮⋮さぁ、どうやら迎えが来たみたいだ﹂
前を見れば、そこには、顔面部分が傷ついて怒っているようなデ
イドリームウォーリアーの姿。
こちらに向かって、ただ剣を上段に振り被る。
今まで以上に体の中で暴れ始める化け物をポーションを飲むこと
で抑えつけ、言った。
﹁どうせだから、一緒に死んでやるよ。ダークシャドー﹂
126
︱︱振り下ろされた刃をこの身に受け、引き裂かれる。
赤黒く空に舞う血飛沫は暗闇の世界を照らし付け、俺の姿を乱反
射して映し出す。それには、真っ黒な影も混ざっているように見え、
カーソルに映る化け物のHPバーも急速に減少しているのが分かっ
た。
幻想的な光景。数の壁から届く灰色、綺麗に染まり上げられた血
の色が混ざり合い、辺りを舞う。美しい死に様だなと、一人でも笑
えた。
ごめんな、スズ。
一瞬だけ数の壁へと目を向けて、そんなことを思う。残して逝っ
てしまうことを、酷く心苦しいことと感じる。
だけど、彼女はもう一人じゃないから。
彼女は、この一日で随分と成長したから。
だから、きっと大丈夫。
︱︱そうして、俺の意識は暗転した。
◆◇◆◇◆◇
外に弾き出され、ドサリッと地面に叩き突けられた。
﹁ぅ⋮⋮﹂
空が、光っている。
夜の闇が、曇りの無い空からの月と星で照らし出され、明るく世
界を確認できる。現代ではもう見れない、汚れのない空から伝わる
127
光源。全てを静かにただ照らす。世界は静寂。悲鳴も絶叫も聞こえ
てこない。
あるのは、ただ、座り込むプレイヤー達の安心した息づかいだけ。
けれど、恐怖症のくせして、今だけはそれが目に入らなかった。
気にもならなかった。怖くならなかった。ただ、どうでもよかった。
静かに振り返り、目の前に存在する数の壁へと手を伸ばす。この
先に、自分の義兄がいる。義兄に会いたい。きっとまだ生きてる、
まだ大丈夫。また自分を抱きしめてくれる。あの温もりは消えてな
い。
そう思う。そう思いこもうとする。
そうだ、そうだ。嘘だ。死ぬなんてありえない。夢だ、夢なんだ。
違うんだ、現実じゃないんだ。きっとこの壁を抜ければいつもの平
穏が広がっていて、ずっと義兄と一緒にいれるんだ、と。幸せだっ
たち
た日常に戻れるんだ。そう、そうに決まっている。全部冗談なんだ。
質の悪い夢なんだ。なら、もう終わりたい。夢から醒めたい。もう
何も望まないから、願わないから。ただ彼と一緒ならそれでいいか
ら。仮想現実も認めない、恐怖症や人間不信の治療だって努力する。
だから、戻して。戻してよ。返して、返してよ。もう何もしないか
ら、何でもするから。だから︱︱
﹁ぁ⋮⋮﹂
手が、弾かれる。壁が彼女を拒絶する。
もう一度、手を伸ばす。弾かれる。また伸ばす、弾かれる。
もう一度、もう一度、もう一度。
﹁ち、が⋮⋮ぅ⋮⋮!﹂
もう一度。もう一度。
違う、有り得ない、こんなのは認めない。
128
こんなのは全部幻なんだ。夢なんだ。嘘なんだ。違う、全て違う
んだよ。義兄は死んでなんかいない。自分と一緒にいるに決まって
いる。そうだ、そうだよ。
目の前でいなくなったのだって、本当はただのドッキリなんだ。
自分を騙すための冗談なんだ。絶対、必ず、きっと、そうに違いな
い︱︱︱︱はず、なのに。
﹁違う、違う⋮⋮違う、よ⋮⋮こんなの、違う⋮⋮⋮⋮間違ってる
⋮⋮⋮⋮そう、だよね⋮⋮にぃに⋮⋮?﹂
答える者は、いない。
なのに
でも、それでも、違うんだ。認めない。彼女は認めない。彼女だ
けは認めない。
彼が死ぬはずがないんだ。自分が、自分がいるんだよ?
一人で死んだりなんてしないよね?
﹁そう、だよ⋮⋮ぜんぶ⋮⋮ちがう、に⋮⋮きまって⋮⋮⋮⋮﹂
彼は自分を一人になんてしない。いつもそうだったんだ。今回だ
って、そうに決まってる。それしかありえない。それ以外ありえな
い。
そうだよ。自分はなにを心配してるの。生きてる。彼は生きてる
んだよ。不安がることなんて無いんだ、いつも通りでいいんだ。だ
から早く迎えに来て。彼なら、きっとすぐ私の元に来てくれる。
だから。
だから⋮⋮⋮⋮こんなのは、間違いだよね⋮⋮?
自分の勘違いだよね⋮⋮偽物だよね⋮⋮嘘だよね⋮⋮夢だよね⋮
⋮違うんだよね⋮⋮幻なんだよね⋮⋮思い違いなんだよね⋮⋮⋮⋮
現実なんかじゃ、無いんだよね⋮⋮?
129
﹁⋮⋮リンちゃん﹂
こんなの⋮⋮は⋮⋮⋮⋮違う、ん⋮⋮だから⋮⋮。
﹁私は⋮⋮絶対、認めない⋮⋮⋮⋮にぃには⋮⋮きっと生きてる﹂
そのはずだと。そのはずなんだと。
なのに、この場にいるのが苦しくて。
気付けば、何故か我武者羅にどこかへ逃げるように走っていた。
◆◇◆◇◆◇
駆ける足が何かに引っかかり、地面を転がった。それでも、立ち
上がろうと足に力を入れる。ただ走り続けたかった。
もう、何も考えたくなかったんだ。
足がまた引っかかり、転倒する。どうやら上手い具合に何かに引
っかかってしまっているみたいで、瞬時に立ち上がることが出来な
い。
⋮⋮そうしてただその場に寝転がって、考えていく。思っていく。
心を覗いてく。
︱︱どうして私は、こんなにも無力なんだろう。
血塗れた手を。虚ろな瞳を。壊れた心を。
ただ、何もかもを失った全ては地に落ちて沈む。
130
︱︱守れなかった。救えなかった。私は、私だけが、生き残った。
鈍く光る星の下。一人。意味もなく手を伸ばす。
︱︱守るって、決めたのに。
手は届かない。月は雲に隠れ、存在の知覚が出来なくなる。
見えなくなっただけ。わかっているのに、心を圧迫される。
︱︱⋮⋮⋮⋮ああ、そうなんだ。
︱︱そういうことだったのかな。
見えなくなって、初めて気付いた。
これは当たり前のことだ、と。既に決まっていたことなんだと、
理解した。把握した。納得した。
これが現実なんだ。結局は仮想も現実も同じなんだ、って。
︱︱絶対に守れないのに、あんなことをしていた、私は。
愚かに伸ばした手を降ろし、目を瞑る。
願うように。祈るように。︱︱ただ、懺悔を。
︱︱ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
131
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
許さなくていい。だけどもう、同じ過ちだけは決して犯さないか
ら。
ただ、強くなる。強くなりたいと願う。誰よりも、何よりも。
強く。強く。強く。
彼に守られるだけの存在のままではいたくなかった。彼がいない
からといって、全てに絶望するわけにはいかなかった。
彼はきっと、自分が生き残ることを望んでいる。
そのために、苦しくても生きる。悲しくても、意味なんて無くて
も、生きてなんていたくなくても、生きる。
そして、強くなりたい。愛する彼と、同じくらいに。
もう無理かもしれないけれど、もし、まだ繰り返しが効くのなら。
もう一度、生きて会いたい。
夢みたいな話。もうありえない話。
ただの幻想。確かにそうかもしれない。いや、実際そうなのだろ
う。
生きている確率なんて万に一つ。限り無く低い確率。もしかした
ら、零なのかもしれない。
だとしても、それでいい。それでいいから。
彼だけが、自らの生きる希望なのだから。
132
可能性が僅かでもあるのなら、自分はそれだけを求め続けよう。
それが、これからのリン。過去を取り戻して、もう一度平和を手
に入れる。
それが自らの目標。やるべきこと。やらなければいけないこと。
彼に依存している。なら、自分はそれを認める。そして尚、望み
続ける。
全てを捨ててもいい。そう思う。
ただ願う。望む。求める。そうして辿り着くんだ。
過去を取り戻して、未来を。
彼の元へ。今度こそは、もう後悔しないために。
生贄を、取り戻す。
﹁強く、なるんだ⋮⋮誰よりも﹂
強くなって。
誰よりも。誰よりも。誰よりも。
そして、いつか⋮⋮。
133
1−16:生還と死地へのリプリケート︻?︼
ドクン、と。心臓が脈を打つ。
痛い︱︱ではない。
ひたすら
脳を、死という概念そのものが支配する。
それが只管に、怖かった。
怖い。怖い。怖い。
圧倒的恐怖だ。何もかも失っていくような感覚だった。
暗くて、冷たくて、寒くて。
震えるほどに怯えているはずなのに、その体は動くことはなくて。
ただどうしようもなく、怖かった。
◆◇◆◇◆◇
﹁︱︱﹂
目を覚ました時、そこは病院だった。
目の前にあるのは、真っ白な天井。随分と寝ていたのだろうか。
体の節々が痛く、又、何故か体が恐怖のようなものに怯え、震えて
いた。
意味がわからない。本当に、わからない。
震えることに対してではない。
全てが、わからなかった。
﹁⋮⋮俺は⋮⋮誰、だっけ⋮⋮﹂
134
自分の名前も。
気絶するまで何をしていたかも。
震えている理由も。
あらゆる記憶も。
何もかも全部、知らない。わからない。
﹁⋮⋮あれ⋮⋮⋮⋮何で俺⋮⋮泣いてんだろ﹂
頬を伝っていた涙。それを指で掬い取って、腕でゴシゴシと目元
を拭った。
それでも涙は止まらない。
﹁⋮⋮なんでだろ﹂
胸を強く抑えながら、震える声で淡々と噤む。
﹁ひどく、ここが痛い⋮⋮﹂
◆◇◆◇◆◇
ナースコール。それを押してしばらく経つと、白衣の医者がナー
スを一人連れてやって来た。更に後ろには警察と思わしき男が二人
に、見知らぬ女性が一人ついてきてもいた。
﹁目を覚ましたようですね。調子はどうですか?﹂
135
医者が、俺へと問いかけてくるので、答える。
﹁わかりません﹂
﹁⋮⋮わからない、とは?﹂
﹁調子と言われても、何がなんだか⋮⋮元気、とでも言えばいいの
でしょうか﹂
その言葉に、後ろに控えていた女性が眉を寄せた。
﹁直前まで何をしていたのか、覚えていますか?﹂
﹁特に、何も﹂
﹁⋮⋮では、貴方の住所と名前は?﹂
﹁わからないです﹂
残念そうな雰囲気を纏う医者に、顔を伏せるナース。
﹁⋮⋮ふむ、わかっていたことですが、やはり⋮⋮﹂
記憶喪失ですね、と医者は言う。
わかっていたこと。だからか、彼らに驚きは少なかった。
﹁何か、覚えていることはありますか? 何でもいいですので、あ
るならば教えてください﹂
﹁覚えてることですか⋮⋮﹂
思考する。頭を働かせ、何でもいいから思い出そうとする。
しかし︱︱思い出せない。
ただ漠然と、大切な何かが、誰かが自分の傍にはいつもいてくれ
たという感覚だけが、空虚の中にある。
136
その人に会えば、何か思い出せるだろうか。
何もわからないのに、誰かも思い出せないのに、ひどく会いたい
と思う。
そのことを医者に伝えると、彼はふむと顎を摩った。
﹁なるほど⋮⋮言葉はわかるようですし、比較的軽い症状です。何
か切っ掛けがあれば元に戻るかもしれませんが、まぁ、元に戻らな
い可能性も十分にあります。むしろ、そちらの方が高いでしょう﹂
﹁⋮⋮俺、なんでこんなことになってるんですか﹂
聞かざるおえなかった。俺の知らない俺のこと。自分がどんなだ
ったのか、知りたいと。
﹁VRというものが、わかりますか?﹂
しかし返ってきた声は医者のものではなく、後ろで控えていた女
性のものだった。
女性は教えてくれた。
俺がVRMMOというもののβテスターとして参加していたこと。
義理の妹が一緒にいたこと。
ゲームの中に閉じ込められたということ。
そしてゲームの中での死が現実となり、既に幾人もの犠牲者が出
ているということ。
説明が終わった頃を見計らってか、医者がそれに続いた。
﹁貴方が助かったのは奇跡です。本来、三〇倍もの情報量が脳へと
至れば、一瞬で死に絶えてしまいます。しかし貴方は、超高熱を発
しながらも、生き残った﹂
その高熱治療のために病院へ運ばれたと、医者は言う。
137
﹁貴方が生き残った理由は実に簡単でした。記憶喪失です。貴方は
おそらく、情報が送られてくると同時に記憶を駆除することで、情
報を隔絶した。流石に無理があったのか高熱を出しましたが、生き
残った今では些細なことです﹂
﹁どれくらいの間、寝てたんですか?﹂
﹁丸三日ですね﹂
丸三日。一日目を除外すると、二日目から四日目まで眠りに就い
ていたということ。つまり、今日はβテスト開始から五日目という
ことになる。
﹁その⋮⋮義理の妹、というのは?﹂
﹁⋮⋮まだ閉じ込められたままですが、生きています﹂
その言葉に︱︱何故か、妙に安心している自分が居た。
﹁その、妹の名前はなんでしょうか﹂
﹁警察の方々の御話によると、佐々木鈴音、と﹂
佐々木、鈴音。
聞き覚えが、ある。ひどく馴染みの深い相手だったような気がす
る。
とても、大切な存在だったような気がする。
思い出せない。それがもどかしくて、どうしようもない気持ちが
心の中に渦巻いていた。
会いたい。
そう思う。
そのことを伝えると、警察の一人が自分へと近付いてきた。
138
﹁送ろう﹂
◆◇◆◇◆◇
警官の車、即ちパトカーに乗って、道路を進む。
自分は後部座席のゲーム会社の社員らしい女性の隣に座り、警官
二人は運転席と助手席で一人ずつ腰掛けている。警官はどうやら俺
の保護を命じられているようで、少しなら面倒を見てくれるとか。
会話は、無い。空気が重い。そう感じる。だからか、必然的に自
分は考え込んでいた。
俺の名前は、佐々木零都。義理の妹の名前は、鈴音。
夏休みの初日に共にβテスターとして参加し、デスゲームに閉じ
込められる。
医者や隣の女性の口振りからするに、自分はおそらく、一度あち
らで死んでしまったのだろう。
どうして死んでしまったのだろうか。どうして、自分は死んで親
族は生きているのだろうか。一緒に行動していなかったのだろうか。
疑問は尽きないし、けれどもその答えも出ない。無駄な自問。な
のに、何故だろう。義理の妹のことを、自然と考えてしまう。
親はいない。唯一の家族は、その佐々木鈴音だけ。そう聞いた。
しかし、ここまで気になるのは、どうしてだろう。俺の傍にいつも
居てくれた誰かは、その子なのだろうか。
﹁︱︱っ、ぁ︱︱!!﹂
いつの間にか付いていたのか、車の窓からは大きなホールが窺え
139
ていた。
そして、掠れた声も耳に届いてくる。
︱︱罵声だ。
何の罵声なのか。気になった。聞こうと耳を澄ませようとすると、
隣に座っていた女性が俺の耳を塞いできた。
どうしたのだろう。何故、こんなことをするのだろう。止まりか
けていたパトカーは、何故かまた走り出す。窓から見える景色には、
無数の人達がこちらへ何かを叫んでいるように見えた。カメラを構
えた人も、そこにはいる。
耳を塞がれていても、わかってしまった。彼らが、何と言ってい
たか。
﹃どうしてそいつだけ、助かったんだ﹄
﹃私の息子の代わりに、お前が死んでいれば﹄
﹃あいつがデスゲームを仕組んだんだろう﹄
﹃死ねばいいのに﹄
﹃お前が助かって、何で息子が助からない﹄
◆◇◆◇◆◇
理不尽な、怒り。叫び。罵倒。
自分が何をしたのか。わからない。自分が怨まれる要素があるの
か。わからない。
何もかも覚えていないのに、見知らぬ他人に責められていた。
涙が、頬を伝う。自分は悪くないはずなのに、ごめんなさいと謝
りたくなってしまう。
140
それほどの気持ちが籠もった言葉。否定してもいいのだろうか。
自分には非が無いとわかっていても、自分はそんな理由で彼らの感
情を否定してもいいのか。
﹁マスコミは一体どういう報道をしたんだ⋮⋮!﹂
助手席にいる警官は、震える声で言っていた。加え、自分を責め
ていた俺へと、隣の女性は心配そうに声を掛けてくれる。
﹁大丈夫、大丈夫だから。貴方は何も悪くない。何も悪くない。だ
から、そんな悲しい顔はしないでいいのよ﹂
ああ、と、思う。この人達は、俺のために、怒ったり、慰めてく
れたりしてくれているのだと。
﹁ありがとう、ございます﹂
それを嬉しく思い、御礼を言った。二人は顔を見合わせ、笑顔を
見せた。
俺が起きてから、初めて見た笑顔だった。
﹁あと、運転手さんも﹂
さり気無く、その場から速やかに離れてくれた。
彼も、きっと根は優しいのではないだろうか。
﹁いや、どちらにせよ、あれは降りたところで入れはしまい。夜に
ならねば⋮⋮すまないが、君の妹の顔を見に行くのは無理そうだ。
どこか、行きたい場所はないか?﹂
141
どちらにせよ。
その片方の理由は言われなかったが、やはり自分のため。
警官なんてのは堅い人間ばかりだと思っていたが、どうやら違っ
たようだ。
⋮⋮思っていた、か。
自分が無意識に過去の感覚を多少なりとも思い出していたことに
驚愕しつつ、目的地を告げる。
寄りたい場所なんて、一つしかない。俺がそれ以外に行くべき場
所などあるだろうか。
﹁家までお願いします﹂
142
1−16:生還と死地へのリプリケート︻?︼︵後書き︶
今話は予定とは違い急遽内容を変更してしまいましたので、案外適
当になってしまっている可能性が高いです。
不自然な部分の指摘、もしくは展開がつまらないという指摘など、
感想に書いて下さると嬉しいです。今話に限り、書き直しをするか
もしれません。
勿論普通の感想なども嬉しいので、御待ちしています。
143
1−17:生還と死地へのリプリケート︻?︼
トンッ、と。木を叩く音が耳を打つ。
足が家に踏み入れた音。木の床を踏み鳴らした音。
自分の家の中。
家の中に入る時に鍵が無いことに気が付いたが、元々着ていた服
にあったようで、助手席へと座っていた警官が渡してくれた。今着
ている服は、病院へと運んでくれていた、ホールに置いてあったら
しい自分のバッグから拝借したものである。
警官達三人は気を利かせてくれたらしく、車の中で待っていると
言っていた。そも、何も悪いことをしていない人の家へと無断で入
るのは少しいただけないからだろうか。無断でなかろうと、記憶喪
失な家の主だ。許可が出ようと、積極的に入っていいようなもので
はない。
﹁俺の家⋮⋮か﹂
何故か、とても懐かしく、苦しく、寂しく感じる。
苦しい。寂しい。その理由は何だろう。
一つ。一つ。ただ、ゆっくりと廊下を歩く音だけ。それが頭の中
に違和感を与え、また物足りなさを感じさせる。
ああ、そうだ。足音。いつもはここで、誰かが迎えに来てくれた
ような気がする。
そして、言葉。いつもはここで、誰かが自分を迎い入れてくれた
ような気がする。
確か、その言葉は。
︱︱おかえり、にぃに。
144
﹁⋮⋮﹂
静かに、ただ歩みを進める。
誰もいない家。あるべきはずのものが無いような心の空虚。大切
な人のいない世界。
ありとあらゆる違和感と謎の苦しみが俺を縛り付け、胸を締め付
ける。痛い程に感じる心に家を歩く力だけは張り付けて、リビング
に足を踏み入れる。
頭に、再び言葉が過ぎった。
︱︱にぃに。ご飯、早く食べよ?
﹁⋮⋮﹂
足を進める。徐々に止まりそうになる足を賢明に動かして、ただ、
家の中を歩いていく。
遅く、朧気な足取りで。けれど、確かな距離を進む。
︱︱お風呂、入るから⋮⋮覗いちゃダメ。
遠い昔のように感じる。いつか見たように感じる。デジャヴを与
える記憶達が、脳に刻まれた記録が、ビデオテープのように再生し
ていて、幻想を夢に見ているように感じている。
俺は、思い出しかけている。
頭を過ぎる全て。それは、まるで夢。まるで嘘。まるで幻。
自分が確かに辿っていた全ての光景が、ただただ再生される。
︱︱きょ、今日は、一緒に、寝よ⋮⋮?
カーテンの隙間から真昼の日差しが垂れ光る。電気は光っていな
145
い。ただその日差しだけが部屋を照らしていて、僅かな視界にも物
を映らせる。
︱︱ひなたぼっこ⋮⋮気持ち良い。
風呂場の前を抜け、空き部屋も通り過ぎ歩いていく。自分の部屋
の前さえ通り抜けて、辿り着いたと、足を止めた。
そこは、彼女の居場所。大切な人の収まる場。彼女の居るべき、
在るべき所。
︱︱おやすみ⋮⋮にぃに。
義理の妹の部屋。その戸をゆっくりと開け、中へと足を踏み入れ
て扉を閉める。
﹁⋮⋮⋮⋮ス⋮⋮ズ⋮⋮﹂
彼女の匂いが、雰囲気が、存在が強く感じられて、自然と口から
その名が漏れた。
それは、大好きな義理の妹の愛称。自分は彼女のことを、確かに
そう呼んでいた。
なのに、思い出せない。
﹁⋮⋮なにを、やってんだよ⋮⋮⋮⋮俺は⋮⋮﹂
そう呟いていた。
忘却の過去。幻想。終わった出来事。何もかもが、忘れ去られた
日常。
掛け替えのない大切なモノだったはずだ。幸せな日々だったはず
だ。けれど、俺は覚えていない。全部。思い出せないそれは、自ら
146
のもう戻らない全て。
どうして忘れてしまったんだ。どうして覚えていないんだ。
俺はきっと、大好きだった。思い出せない日常が。だからだ。だ
からこんなにも恋しい。だからこんなにも苦しい。悲しい。悔しい。
もどかしいんだ。
憤慨を表す。そんな俺の視界に、机の上に置いてある物が目に入
る。
﹁⋮⋮ノー、ト⋮⋮?﹂
不自然なそれを見て、思考を中断する。止めさせる。
違和感の正体︱︱即ち、机上に存在するノートへと意識を向けた。
それはきっと、大切な彼女のもの。勝手に見てしまうことは憚れる
が、そんなものは部屋に入る時から考えるべき事柄だった。ここま
で来たら、もうどうでもいいだろう。机へと歩み寄り、それを手に
取った。
﹁日記⋮⋮?﹂
何の変哲もないただの日記。スズの記した記憶の欠片。
自分のことも書かれているだろうか。日付を確認する。今年の記
録だ。
何か思い出せるかもしれない。そう思い、ただその日記を開いて
︱︱
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
147
一月一日。
今日から日記をつけてみようと思う。
何を書けばいいのかよくわからないけど、とりあえず感じたり思っ
たりしたことを書けばいいのかな。
三日坊主にはなりたくないから、四日は頑張りたい。
二月一二日。
にぃにのために料理を作った。でも凄く失敗してしまって、どうし
ようか悩んだ。
食べ物は粗末にするものじゃない。にぃににはよくそう言われてい
たし、けれどにぃにへ差し出すのも気が引ける。
そうこうしている内ににぃにが帰ってきて、速攻で食べてくれた。
嬉しそうに。
本当は不味かったはずなのに、美味しいと言ってくれた。嬉しかっ
た。
食べ物は粗末にしてはいけないけれど、本当に心から美味しいと言
って貰えるよう、精進はしたいと思う。
二月一四日。
バレンタインデー。それは女の子達の血肉湧き躍る激しい戦いが繰
り広げられる熱い日である。
とは言ってみたものの、二日前に経験した通り私は料理が全然出来
ない。しても二の舞になるだけなのだ。
この際、﹃私がチョコレート﹄とでも言ってみようかと考えたりも
148
した。だけど、やめる。多分、頭を撫でられたりするだけだ。いや、
それもいいけど、でもそうじゃなくて。
今日はにぃにに喜んでもらいたい。私が喜ぶのではなく、にぃにが。
そう考えていたのに、気がつけばもう夜。時間はなかった。
何も出来なくて泣いた。にぃにに理由を話したところ、気持ちだけ
でも嬉しいと言われた。暖かかった。
その日はにぃにと一緒に寝た。
三月一四日。
今日はやけににぃにのテンションが高かった。何かあったっけ、と
考えても、その時に答えは出なかった。
ただ、にぃににリビングから追い出された時はヘコんだ。いじけた。
ちょっと胸が苦しくなった。
何だかにぃにも追い出す時だけは物凄く申し訳なさそうな顔してた
から、そこまでではなかったけれど⋮⋮苦しいものは苦しかった。
どうやら私は思った以上ににぃにへ依存していたらしい。
にぃににまたリビングに呼ばれた時はやっぱりまだ不機嫌だったけ
ど、にぃにの手に持つものを見てそれが申し訳なくなってしまった。
今日はホワイトデー。男の子がバレンタインデーのお礼をする日。
にぃにが作ったクッキーとチョコは凄く美味しかった。すぐに食べ
切っちゃって、無くなったのが残念になった。
その日は一日中にぃにの顔を見ては赤くなっていたのは内緒の話だ。
それに素で風邪か心配してくるにぃにもある意味凄かったけれど。
四月三一日。
にぃにの学年が二年生になった。いや、たぶん結構前になっている
149
のだろうけど。
にぃにの学校での出来事を知る方法はにぃにに聞くしか私には方法
が無い。
盗聴機でも付けようかな。でも、そもそも盗聴機が無い。ネットで
買うにしても人を経由する場合が多数だから無理そうだし。
正面から盗聴機付けさせてと言ってみようかとも考える。けれど、
Dystopia
Onl
やめる。即答でOKしてくれそうだが、そこまで依存していては元
も子もない。
七月三日。
にぃににVRMMO﹃Eternal
ine﹄のオープンβテスターに当選したことを話した。
私が自分から外に行くようなことを言い出したからか、にぃには良
い笑顔で一緒に行くことを了承してくれた。
最近、考えていることがある。にぃにには、幸せな日々を送ってほ
しいと。彼女をつくって、結婚して、幸せに⋮⋮って。
考えるだけで胸が裂けそうになるほど苦しく感じられる。嫌だって
否定して、拒絶して。でも、仕方がないとも思う。
にぃには、私を妹としてしか見ていないのだから。
七月二四日。
明日は、明日こそがずっと待ち望んでいたオープンβテスト初日だ。
このことをにぃにに言い出したあの日から、ずっと胸が痛い。
離れようと思ったことで、どれだけにぃにが大切だったか思い知ら
された。
本当に、どれだけ愛おしかったか。
150
私もやっぱり女の子なんだろう。ずっと昔から恋をしていて、未だ
に実っていない愛しい気持ち。それが、今ならひどく純粋に理解で
きてしまう。
そう、異性として、義兄が好きな自分の気持ちが。
一日の半分以上は必ずにぃにのことを考えている。居るときも、居
ない時も。だけどそれはもう、駄目なんだ。
私は、明日から全てを始めたいと思う。
にぃにのために。未来のにぃにが幸せになれるように。
私が、変わらないと。私が、彼から離れなければ。
何もできないから。足枷にしかならないから。だから。
でも、最後に一言。
今だけは、日記の中だけで良いから、いつも抱くこの気持ちを曝け
出してみたいと思う。
初めて会った時は、単なる仲の良い友達だった。それでも、自分を
助けてくれて、家族として暮らして、いつの間にか心に燻っていた
気持ち。
”私はね。にぃにのことが、大好きなんだよ”
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
パサッと音を立て、日記が床に落ちた。
倒れるように、俺は座り込む。頭の半分を抑えて。
﹁何で俺は⋮⋮自分をこんなに思ってくれてる人を、忘れてるんだ
よ⋮⋮﹂
151
頭が痛い。混乱している。今俺は、何かに引っかかりを覚えてい
る。
これを逃せば、次は無いかもしれない。
もう二度と、記憶が戻ることはないかもしれない。
脳内で不可思議にグルグル回る思考の中、呟く。
﹁あと⋮⋮少しなんだ。⋮⋮もう少しで⋮⋮何か一つでも切っ掛け
があれば⋮⋮何もかも、思い出せそうな気がするんだ﹂
あと、一つ。
何か、一つ。
頭を抑えて、兎に角考えた。思い出せ、と。頭の中から、何かを
引き摺りだすように。
思い出せない。
思い出せない。
思い出せない。
﹁く、そ﹂
どうして、思い出せないんだ。
頭を掻く。あと少しなのに。もう少しなのに。思い出せそうな気
がするのに。
思い出せ、思い出せよ。どうして思い出せないんだよ。取り戻せ
よ。
こんなに悲しくて、苦しい。心には大きな穴が開いたような空虚
が広がっている。
俺は、何もかもを忘れた。忘れてしまっていたんだ。それでも彼
女のことだけは、漠然としてだけでも覚えていた。
それだけ、大切な存在だったんだ。
それだけ、忘れてはいけないと感じていたはずなんだ。
152
なのに何故。何で。こんなに彼女のことが大切だったのに。まだ、
思い出せないでいるんだ。
﹁俺、は⋮⋮﹂
︱︱不意に。
不意に自分の目の前に、写真立てが、乾いた音を立てて落ちてく
る。
俺が倒れた様に座れ込んだ衝撃か、それとも、元々落ちそうな場
所にあっただけなのか。どちらにせよ、目の前に落ちてきたことに
は変わりない。
それを手に取った。
写真立て。それに入れられ飾られている写真を、見る。昔に記さ
れた記録を、この目で。
﹁ぁ︱︱﹂
二人で、並んでいる写真だった。元旦だろうか。二人して着物を
着て、笑顔でカメラ側を見てきている。
俺の隣には、彼女が。スズが。確かに、そこにいる。
笑顔。笑っている顔。その彼女は本当に幸せそうに、笑っていて
︱︱
﹁思い⋮⋮出した⋮⋮﹂
呆然。そうした表現が似合うほどに体の力が抜け、写真立てが再
び床に落ちた。
しかしそんなことは、既にどうでもいいことだ。
だって俺は、全てを思い出したんだから。
153
﹁スズ⋮⋮﹂
彼女と一緒に暮らしていた日々を。
幸せだった日常を。
VRMMOでのスズの成長も。
スズのために何をしたのかも。
これまでの、ありとあらゆる全ての記憶を。
思い出した。思い出したんだ。全てを。
﹁⋮⋮行かなきゃ﹂
立ち上がる。
﹁行かなきゃいけない﹂
スズの部屋を出て、玄関へと歩み出した。
早々とした足取り。待ちきれないと言った足取り。
﹁もう一度、あの世界へ﹂
︱︱スズはこれまで、俺のことを、直接好きだと言ってくれたこ
とは一度も無かった。
恥ずかしかったんだと思う。態度でわかってはいたが、今日日記
を見るまでは親愛だと思っていた。
けれど、違う。彼女は俺を、異性として好いていた。
俺は彼女が好きだ。けれどその気持ちは異性としてのものではな
くて、親愛のもの。妹として。
だけど、それがどうしたというのだろう。
自らにとって大切なことは、自分が相手をどう思っているのかで
はない。相手が、自分をどう思ってくれているかということ。
154
彼女は俺を好きだと言ってくれた。
しっかりとした形で示してくれた。
それは初めてのことで。だから、とても嬉しくて。
死の恐怖がなんだ、と思う。
怖かった。凄く、怖かった。もう二度と味わいたくない、もう二
度と死の危険と隣り合わせなところになんて行きたくない。そう感
じて。
だけど、そんな感情で、その程度の恐怖で、俺は大切な義妹を捨
てられるのか。
嫌だ、と思う。絶対に嫌だ、と思う。
俺は彼女が異性として好きなわけではない。異性として見たこと
もない。だから今、彼女に会ったところでその気持ちに答えること
は出来ない。でも、それだけだ。
意識すれば、全ては変わる。
もう一度、今度は違う視点で日常を過ごしたい。そう思う。
彼女の思いを無下にしないために。彼女の思いに、答えるために。
何も知らないままだった。彼女の思いも。どうしてあんなに病気
を治そうと必死だったのかも。
俺のため。
だから、俺も答えなくちゃいけないんだ。
スズのために。
スズのために、再び俺は命を懸ける。
﹁囚われた生贄を、取り戻す。俺が、絶対に﹂
155
1−18:生還と死地へのリプリケート︻?︼
パトカーまで戻ると、運転席に座っている警官から声を掛けられ
る。
﹁早いな﹂
当然の台詞だろう。入って一五分も経たずに出てきた。色々とや
ることはあったはずなのに、だ。
それに、当たり触りなく返事を返す。特に何も無かったと、伝え
る。
記憶喪失が治ったことは、伝えない。伝えない方が良いと、そう
判断したから。
伝えればきっと、もう一度病院へ行って検査することになる。
伝えればきっと、警官達から根掘り葉掘り事情を聴取されること
になる。
それは嫌だ。それは困る。あちらでは三〇倍の速さで時間が流れ
ているんだ。これからスズを助けに行くためには、あまり時間を掛
けるのは得策では無い。
故に、騙す。上手く利用する。
優しい人達だ。だから心苦しいとは思う。だけど、それだけ。
スズのため。俺は、何でもする。
﹁お腹が空きました。何処かで、何か食べることは出来ないでしょ
うか﹂
一刻も早くホールへ行きたいが、もう少し待った方が良いだろう。
理由は言うまでもなく、囚われた人々の家族によるものだ。
一度見た様子では、やはりあの状況でホールまで行くのは難しい。
156
無理をすれば行くことも出来るかもしれないが、今の俺は記憶喪失
だ。そこまで必死にホールへ辿る理由は説明し辛い。最悪、治った
ことがバレれしまう可能性がある。それは、やはり困るのだ。
だから、今は腹ごしらえ。三日の間、何も食べていず、体調も病
み上がりで、良いとは言い難い状態。風邪等でVRへと入ってしま
うと悪化の一途を辿るのだが、それは脳の電子の殆どを遮断してし
まうからだ。最初から現実での調子が悪ければ脳から発せられる電
子が弱まり、仮想での動きも鈍るし、現実でも、電子の命令を遮断
するために、最大限の性能を生かし、身体の異常を排除することが
出来ない。今の状態でVRへ行けば仮想でも現実でも不自由になる
可能性が高いため、我慢するしかない。上手く動けないのは困るか
ら。
最初からVRの中へ囚われている場合は余程のことが無い限りは
動きの鈍りは無いだろう。が、このままではこちらは最初から調子
が悪い。電子の読み込みは基本的にアクセス時のものに依存するの
で、行く時は万全な状態でなければならない。
﹁コンビニで何か買っておこうか﹂
言って、パトカーを発車させてくれる警官。任せておけばいいだ
ろう。
これからのことを考える。昼食を食べるのは勿論、ゲームの情報
を引き出すことが第一だろうか。ホールへと戻るのは夜。それまで
に、有用な情報は集めておくに限る。
さり気無く、それでいて確実に引き出す。そのために。
﹁俺が囚われていたゲームというのは、どんなものなんですか﹂
最初の質問は、それ。隣の女性へと問い掛ける。
正直、かなり遠回り。だが、ここから少しずつ真相に近付いてい
157
けば問題無い。
案の定、彼女は質問に答えてくれた。
﹁剣と魔法のオーソドックスなものよ。バトルみたいなものだけじ
ゃなく、普通に暮らしたりも出来るの﹂
そう、言う。
﹁これまでは家庭用のゲームだけだったんでしょう? 処理速度と
かは、問題無かったんですか﹂
﹁問題はありまくりだったわ。データがきちんとしていても、それ
を処理するコンピュータの処理が間に合わない。でも何年か前、国
から、七年前に見つかった人口知能の修理を終えたと連絡が来たの﹂
﹁人工知能?﹂
﹁人工知能、つまり︽AI︾ね。今は人々をゲームの中に捕えるな
んて暴挙を犯しているけれど、その性能は目を見張るものがある。
それは七年前、とある違法研究所から検出されたものでね、見つけ
た当初はデータそのものが壊れていたらしいのよ﹂
人工知能、︽AI︾の成り立ち。それは俺がゲーム内で活動する
においてあまり役に立つとは思えない情報だが、自然と内容が気に
なっていた。
﹁国が保護して、修理をした。それを利用して処理速度も克服した
んだけど⋮⋮まだバグが残っていたみたいなの。暴走してるわ、今﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁知能があるだけ良かったのかもしれない。無ければ参加者全員を
即座に殺すようなことをしていたかもしれないし⋮⋮でも、どうな
んだろうね。知能があるから、私達人間は絶対に︽AI︾には敵わ
ない﹂
158
後悔している、とでも言うように苦笑いをしながら、語る。
﹁︽AI︾にはね、自己進化システムっていうものがあるの。知能
があるから実現できたシステム。そして、私達が絶対にプレイヤー
達が解放出来ない理由の一つ﹂
﹁解放出来ない理由?﹂
﹁その自己進化システムに、私達の技術進歩速度が追いつけてない
のよ。圧倒的な速さであちらは進化していくのに対し、こちらは亀
の様なもの。︽AI︾はもう人間には立ち入り出来ない領域にいる﹂
進化が、追いつけていない。
絶望的な知らせであると同時に、俺の決意を新たにするものでも
あった。
それはつまり、誰かがクリアしなければ脱出は絶対に不可能だと
いうこと。
俺が行かないと、と思う。
俺が行くことに意味があると、感じる。
﹁ちょっと話し過ぎた、かな。他に聞きたいことは無いの?﹂
話を戻された。あんな重要な話を、あまり深く知らせたくは無い
ということだろう。
本来はどうでもいい話題だったのであるし、それには便乗する。
聞きたいことは、他にある。
﹁ゲーム内の危険な設定とか、裏設定って⋮⋮どういうものがある
んです?﹂
いきなりの、核心に迫る質問。怪しまれる要素。
159
勿論それには、どうしてそんなことを聞くのかと言われた。それ
には、囚われた義妹が心配なのだと答える。
かなり無理がある理由だというのは重々承知している。それでも
聞かなければいけない。
ゲーム内で上手く立ち回るために。
彼女はしぶしぶと言った感じながらも説明してくれた。
﹁詳しくは知らないけど、確かプレイヤーキルが簡単に出来る危な
い世界だよ。街でもフィールドでも簡単に殺せる。デメリットは勿
まるまる
論あるらしいけれど。そしてプレイヤーが殺された場合は、その人
ばつばつ
のフレンド全員に連絡が行き渡るの。﹃○○と言ったプレイヤーに
××が殺された﹄ってね﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁うん。簡単に殺せるけれど簡単に犯人もバレてしまう。それに賞
金首みたいなシステムもあってね、プレイヤーが投資すればNPC
だってその人を探してくれるようにもなるんだ。PKには色々と覚
悟が必要なんだよ﹂
簡単に人を殺せる。それは、確かに危険だ。
PKが推奨されるゲームは、沢山ある。だからこの設定も本来は
そう珍しいものではない。少し厳しい程度だ。だが、今回のゲーム
はデスゲーム。仮想での死が、現実での死に繋がる。
そして、一度プレイヤーキラーとなったならば、もう戻ることは
出来ない。そういうことでも、ある。
﹁それから危険と言うと⋮⋮能力システムと自立移動型モンスター
かな﹂
﹁えー、と⋮⋮﹂
﹁あー、ごめんごめん。しっかり説明するよ。能力システムってい
うのはプレイヤー全員が固有の特殊能力が使えるようになるシステ
160
ムだよ﹂
固有の能力。それを聞いて、すぐに俺の頭には、レンの爆発能力
が浮かびあがった。
﹁プログラムコードプレイヤーシステムって言ってね、︽AI︾に
よる心理解析を行って個人と適性が高い能力を創り出すの。解析に
は個人差があって早い人もいれば遅い人もいるね。個人個人に何か
を与えるなんて凄い処理が必要だけど、そこはそれぞれのヘッドプ
ラントのメモリをキャラデータとすることで解決したらしいわ。元
来のMMOはサーバー内にデータがあったから﹂
﹁自立移動型モンスター、というのは﹂
﹁そのままね。フィールドを離れないモンスターとは違い、自立し
て行動するモンスター。比較的高い知能がインプットされているの。
圧倒的に強いモンスターもいるし、そこまで強くないモンスターも
いる。だけどどれもが高い知恵があるから、注意が必要なの。弱く
ても侮っていれば、足元を掬われる﹂
フィールドを持たないということか。どこにでも出没する危険で
強いモンスター。
火山に行く時はおそらく火に強い防具をしていくが、自立移動型
による強力な水属性のモンスターが急に現れることもあるというこ
とだろう。
準備とは違う予測とは違うモンスターが出てくる危険性。いつで
も余裕を持っていなければ蹂躙される可能性もある。
﹁後は⋮⋮準備していれば対応出来るけど固有モンスターも危険か
な。一体しか存在しないモンスターで、かなり強い。一番簡単に出
会える固有モンスターと言うと、︿願いを叶える不幸の風﹀⋮⋮っ
て、それはどうでもいいか﹂
161
ここまできて、もういいでしょ、という風に彼女は話を締めくく
ろうとしてきた。無理に話を続けるのも不自然であるし、了承して
おく。
しかし、PK推奨か、と悩む。スズは大丈夫だろうか。死んだり
していないだろうか。
今更だが、助けに行く決意をしたと言っても、スズが死んでいて
は意味が無い。生きていなければ。だから早めに行きたいのだが、
しかし、夜まで待つのが最善なのだ。
今は、我慢。
◆◇◆◇◆◇
コンビニで昼食を買い、食べた。時間も経過して、夜にもなった。
ホールに、今俺はいる。
前には、警官二人と運営の女性が歩いていた。面会時間は、本来
もう終わっているらしい。俺は兎も角他のプレイヤー達は未だ病院
に運ぶことは出来ない。ネット接続を切ろうとすると、やはり︽A
I︾が干渉してくるかららしい。看病は病院ではなくホールでして
いるみたいだ。そも、病院にゲーム参加者全員が収まるとも思えな
いけれど。
スズの部屋を警官二人が開ける。もう夜のため暗かった。電気を
付けると初日と変わりない部屋の様子が窺えた。
ベッドの二段ベッドの下にいるのは寝転がったスズ。
まだ生きている。そのことに安堵し、同時に気を引き締めた。俺
はこれから助けに行くのだと。そう言い聞かせて。
162
スズの元まで歩いて布団から出ていたその手を握る。脈動が聞こ
える。生の音が伝わる。
﹁⋮⋮スズ﹂
︱︱現実。俺の今の居場所。
俺がいるのは確かな世界。現実。人がこれまで歴史を刻んできた
人間の世界。
俺の故郷。俺の世界。俺達の刻んだ軌跡。
平和で平凡で最高で幸せで退屈で最低で大好きな世界。生地だ。
けれど俺は、今から全てを置き去りにして戦いへと望む。
スズがいるのは不確かな世界。仮想。︽AI︾によって創られた
数値の世界。
俺の戦場。俺の行くべき世界。俺がこれから歩く軌跡。
怒濤で最悪で不幸で危険で完璧で不確かな世界。死地だ。
心臓から手まで。手から俺へと伝わる、彼女の脈動。生きている
証。それを俺は確かに感じている。
大切な義妹。
﹁⋮⋮今、そっちに行くよ﹂
呟く。三人に聞こえないくらい小さく。
そして︱︱
﹁ッ︱︱待ちなさい﹂
ベッドを無理矢理に上まで駆け上がる。後ろから三人の制止が聞
こえたが無視をした。
VR機器ヘッドプラント第四世代を被る。電源を付けメモリが刺
さっているかを確認する。
163
これから行くのは俺が死んだあの街だ。最初の地獄。もう一度、
俺はあれを越えなければならない。
今度は一人で。
三人が手を伸ばしているのが見える。だが遅い。もう準備万端だ。
とっくにあちらの世界へ行く道筋は開けている。
一言。
俺の全てを始める一言を。
放つ︱︱
﹁︱︱アクセス﹂
接続。潜入。
完了。
意識が暗転し、再び地獄の世界へと飲み込まれた。
164
1−19:逆転と覚醒のリべリオン︻?︼
気が付けば、大空の上に立っていた。一度見た光景。ログイン画
面だ。
up︼の項目へ移動する。二つ目の
ウィンドウを操作し、スタートを押す前に︻Character
establishset
職業。ここで決めた方がいいと思うから。
しかし。
﹁もう決まってる⋮⋮?﹂
︿Mob系統﹀。︿生産系統﹀とは違うもう一つの職業には、既
にそう書かれていた。
不具合。バグ。それとも、意図的にこうなっているのか。少なく
とも、最初に職業を決めようとした時にはこんな職業系統は存在し
ていなかった。Mobというからには、モンスターに関係するもの
だろうか。設定した記憶は無いのだが。
変えようとしても、変えられない。このままでいくしかないみた
いだ。
疑問が尽きないし少し不満ではあるが、まぁいい。
やることは、どうせ変わらない。前回スズ達と共に脱出していれ
ば、生産系統のみで生きていかなければいけない可能性もあったの
Start︼をクリック
だ。職業系統が二つあるだけマシと言えよう。
画面を元に戻し、今度こそ︻Game
した。そうして俺の周りを、雲のように濃い霧が包みだす。同時に、
体が再構成されていくような感覚。
体性感覚。触覚、温覚、冷覚、痛覚、運動覚、圧覚、深部痛、振
動覚。
内臓感覚。臓器感覚、内臓痛。
165
特殊感覚。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、前庭感覚。そして、平衡覚、
固有感覚。
ありとあらゆる感覚が精密に反映され、脳の電子が、ヘッドプラ
ントの管理下へと、完全に支配されていく。
全ての感覚、一〇〇%。
再現。
﹁︱︱︱︱ッ﹂
気付けば既に、街の、大きな広場に立っていた。
初めにログインした頃とは、又随分雰囲気が変わっている。地面
は罅割れを起こしているものもあるし、所々には、骨のみになって
いるプレイヤーの死骸だって転がっている。死体特有の嫌な臭いは
しない。出し切ったのだろう。
︿ロックオン﹀を使用しつつ辺りを見渡す。クリスタルを中心に
四方向に大通りが続いている。走るなら、敵の少ない道の方が良い。
路地は論外だ。ファントムナイトに挟まれれば一貫の終わりなのだ
から。
どうやら、北の方が少ないように見える。スズ達と共に逃げた方
向と同じだ。そちらに向けて、走り出す。
疾駆。
初期の頃より体を動かしやすいと感じるのは、︿Mob系統﹀に
よる補正だろうか。それに、第六感のようなものが、少し鋭くなっ
たようにも思う。戦闘系の職業だったのだろうか。それは良い誤算
だ。
このままなら、簡単に数の壁にも辿りつけるかな。そう思ってい
たが、やはりそう簡単にはいかないようで。
突如、斜め上︱︱右側の建物の屋上から、地面を割るような衝撃
音が聞こえてくる。同時に脳裏に浮かび上がるのは︿セイスミック
インパクト﹀の文字。
166
デザートオーガのスキルだ。
走っていた通路を離れるかのように、右側の建物へ転がるように
飛び込んだ。斜めに撃ち出されるからには、おそらく進行方向の反
対側には衝撃が及びにくい。その考えは当たっていたようで、真後
ろを通り過ぎた振動は地面を穿ち、左側の建物まで衝撃を繋げて行
った。反動か、地面が砕けた破片が体に当たったりもしているが、
気にならない。
凄い威力だ。まさか、最初の頃より増してるんじゃないのか。
そんな、思考。
しかし、簡単には思考を続けさせてはくれない。上を見上げれば、
デザートオーガがこちらへ飛び降りようと膝を曲げている。デイド
リームウォーリアーやファントムナイトと違い素肌を曝しているか
ら、そこまで強くないと勘違いしていたかもしれない。しかし、ど
うやら間違いのようだ。防御は兎も角、あの攻撃の威力はかなりの
脅威となる。
デザートオーガを︿ロックオン﹀で捉え、後ろから攻撃されても
対処出来るようにし、その場から逃げるように再び駆け出した。数
秒して後方から伝わる何かが落下した衝撃に、デザートオーガが落
ちてきたことも悟る。
このまま走り続けていては、あの︿セイスミックインパクト﹀と
いうスキルの餌食だろうか。見た情報からするに、あれは直線状に
振動の衝撃波を発生させるというものだ。直線状で逃げ続けるのは
愚策に思える。
そこまで考えて、俺は建物と建物の隙間︱︱即ち路地の入口へ駆
け込んだ。狭い路地。そこから奥へは行かず、片方の壁へと足を付
けた。
二歩。そこから片方の壁へと飛び移り、もう一度元の壁へ。
屋根の端を両手で掴み、両腕のみの力で体を持ち上げて屋根の上
へと移動し、立ち上がる。下を見下ろせば、少し後方からこちらに
拳を構えるデザートオーガ。︿セイスミックインパクト﹀だ。
167
だが、それにはまともには相手にしない。屋根の反対側に移動す
ると、放たれた振動の衝撃は片側の屋根の瓦を吹き飛ばしながらも、
空の彼方へと飛んで行った。俺には当たらない。
そのまま、走る。デザートオーガからは俺が殆ど見えていないだ
ろう。俺がいるのは屋根の反対側。シテにとって、ここは場所が悪
い。
このまま逃げ切れるか。
そう考えた途端、真下から、鋭い感覚が脳へと伝わって来た。本
能のままに屋根の中心へと避けると、先程まで自分が居た場所は半
透明の巨大な剣により大きく抉られていた。
ファントムナイト。
それを︿ロックオン﹀で認識した瞬間、再びデザートオーガのい
る側の大通りへと身を躍らせた。真下から攻撃されるのは流石にマ
ズイ。広い場所なら対処はしやすい。そう考えての行動だったが、
気を早まったか。
大通りの片方には、デザートオーガ。
建物を透り抜けてくるのは、ファントムナイト。
大通りで、二匹と相対しなければならなくなる。
﹁ちっ﹂
最悪だ、と心の中で毒づく。
ファントムナイトの移動速度はそこまで高くは無いことはもう知
っている。攻撃の瞬間に物理攻撃が通じることも知っている。だが
知っていたとしても、触れられないというのは予想外に厄介なのに
変わりは無く、やはり嫌な相手なのだ。
デザートオーガは、そのスキル。他の二匹は覚えていないのかス
キルを使わないが、こいつは普通に使ってくる。しかも、その威力
は他二匹の攻撃力を凌駕する。まともに受けるなんてことは考えた
くもない。より注意を払わなければ一瞬で肉片というのも、有り得
168
ない話ではない。
すぐに、踵を返して逃げ出した。全力で。
だが、運が悪いのだろうか。相手は予想外の攻撃をしてきて、攻
撃をまともに受けてしまう。致命傷だ。︱︱剣を投げてきた。
﹁︱︱﹂
肺の部分に突き刺さる剣。しかしそれだけに留まらず、貫き、体
ごと俺を吹き飛ばす。痛い。痛いなんて話じゃないほど、痛い。地
面に倒れ込む。
息が出来ない。苦しい。最早反射の領域でアイテムストレージを
開いてポーションを三つほど取り出すと、傷口にぶっ掛けた。更に
一つを実体化させ、口に放り込む。
最初は激痛が走ったが、徐々に収まっていく。それに安堵しなが
ら立ち上がるも、すぐ後ろには鬼の気配が。殆ど勘で横っ跳びをす
ると、俺がいた場所を振り下ろされた拳が通過した。地面を叩いた
振動が伝わって来る。
又、背中を向けて逃げ出す。デザートオーガが先に辿りついたと
いうことは、足が遅いファントムナイトはまだ後ろだろう。半透明
な剣も持っていない。これならまだ、と。そう考えていた。
だけど、それも甘かった。
脳裏に流れていく情報、スキル。その名は︿ソードバック﹀。発
動したのは、ファントムナイト。
認識した時には、遅かった。前方に突き刺さっていた剣が不自然
に浮き上がり、瞬間的な速度でファントムナイトの元へ戻った。そ
の余波で倒れかかった俺へ、再び剣を投げようとしてくる。
マズイ。
そう思った時には遅かった。投擲された剣が又も肺を貫き、同じ
痛みを与えてくる。それだけならまだ良かった。ポーションを使え
ばいいだけなのだから。だが、続いて脳裏に情報は流れていく。
169
︿セイスミックインパクト﹀。
振動を、倒れた体を襲う。身体の隅々を切り刻まれるような感覚
に、声にならない悲鳴を上げた。絶叫。誰にも伝わらない痛みの嘆
き。吹き飛ばされる体。HPはもう、瀕死の領域だった。むしろ、
生きている方が奇跡だろうか。
体は、妙に堅いモノに激突して速度を無くした。更に減少するH
P。あと、ほんの少し。
﹁ぁ⋮⋮ぐ⋮⋮﹂
︱︱ここで死ぬわけにはいかないのに。
︱︱ここで生き残らなくちゃ駄目なのに。
激突したものに手を掛けて、無理矢理にでも立ち上がる。アドレ
ナリンでも大量分泌されている状態なのか、痛みは薄い。
視界はブレる。感覚も曖昧。まとめに動けるような体の構造も、
既にない。
﹁死に⋮⋮たく、ねぇ﹂
まだ︱︱﹃外﹄は遠い。
あの数の壁までは、遠い。
走れない。駆けれない。辿り着けない。
いくら手を延ばしても届くはずもない。いくら足を進めようと届
かない。どんなに頑張ろうとも届けない。そのための時間さえ、も
う足りない。
﹁⋮⋮ゲームオーバー⋮⋮なの、かな﹂
そう呟いた瞬間、自らの足がガクガクと震え、転倒する。
死骸。死骸だった。よく見れば俺が激突したそれは、最初の頃に
170
俺が仲間割れで倒させた、デイドリームウォーリアーの死骸。
俺もこうなるのかな、とぼんやりとした思考で思ってしまう。
それでも立ち上がろうと、頑張ってはいた。でも、もうどれだけ
手に力を入れようと、足に力を入れようと、無理だった。
走れない。歩けない。立ち上がれもしない。
流れ出た血が確実にHPを削り続けていたためか、もう目は朦朧
としてその役割を果たさなくなっていた。思考さえも、ただただ単
純なものになって。
︱︱二度目の奇跡は確実に無い。
病み上がりの体。もしまた億が一にでも助かりそうになったとし
ても、その体では高熱にはもう耐えられはしないだろう。
今度は本当の死。本物の死。紛い物でも偽物でも無い、本来の死
の概念。
それは全てを終わりを指し示している。それは無に還ることを指
し示している。
結局俺には、無理だったのかな。
そう思うと同時、何故か涙が溢れ出してくる。
もう体の感覚も曖昧なのに。もう何もかもが朧気なのに。なのに、
涙が流していることだけは痛い程に分かった。
敵わなかったんだ、と思う。
負けたんだ、と思う。
死ぬんだ、と思う。
もう全部終わりなんだ、って思って。
﹁ふ⋮⋮は、ハ⋮⋮⋮⋮﹂
全てが終わる。
スズとのとても大好きで大切だった毎日が。
青葉達との騒がしくも楽しかった毎日が。
フーとの、これから始まるはずだった友情が。
171
全てが無くなる。終わる。終わってしまう。
人生も、決意も、目的も、命も、この身も、意識も、記憶も、精
神も、感情も、記憶も、生きてきた意味すら、何もかもが。
﹁︱︱嫌⋮⋮だよ⋮⋮﹂
ポロポロと、ボロボロと、ポツポツと。俺は顔を雫で濡らす。
まるで子供みたいに。まるで駄々をこねる子供みたいに。
子供みたいに純粋に嫌だと思った。
子供みたいに純粋に死にたくないと思った。
こんなのは嫌だって。こんなのは認めたくないって。
嫌だ。認めない。違う。このままじゃ駄目なんだ。だから変わっ
てほしい。願う。変えたいんだ。何でもいいから。どんなのでもい
いから。何を犠牲にしても。どんなことになっても構わないから。
俺は。
負けたくない。終わりたくない。死にたくない。
スズに会わなくちゃいけないんだ。この命に懸けて。自分自身に
懸けて。
何のためにこの世界に戻って来たのかわからなくなる。そんなの
は嫌だ。俺が助かった何兆分の奇跡のために。
勝ちたい。生きたい。
まだ返事すら出せていないんだ。スズを不幸にしたままなんだ。
まだやり残したことが沢山あるんだ。
まだ終わりたくない。こんなところで死にたくない。
ただ、強くそう思った。強くそう願った。強くそう望んた。
︱︱︱︱全部、もう一度この手の中に取り戻したい。
強く。強く。強く。
思って、願って、望んで。
172
全てが理想。わかっている。
自分の無力さを知った。自分の無意味さを知った。自分の馬鹿さ
加減を知った。
自分の力では足りないことなんてとっくに理解していた。
それでも、諦めたくない。
それでも、このまま終わることは嫌だ。
そう感じた。
だから。
自分の力で足りないのなら、他の足り得るものを己がものとしよ
う。
人間のままでは足りないのなら、化け物にだって成り下がってや
ろう。
全てを取り戻すためになら、どんなモノだって受け入れてやろう。
願いのため。理想のため。俺の全てのために意思が感じる。そし
て、そのために。
叫べ、と体に訴える。
喚け、と体に訴える。
ただ一言で良い。ただ一声で良い。
力を呼び起こせ。体の中に取り込まれている異形の力の一つを。
もう、俺は知っているだろう。
死を共にしたことで一体となった力を。
呼べ。呼び叫べ。そうして、解放しろ。
モンスターの力を、この手の中に。
﹁︱︱ダーク⋮⋮シャァドォォォォォォォォオオオオ!!!!﹂
173
1−19:逆転と覚醒のリべリオン︻?︼︵後書き︶
やっちまった感が凄いです。本来二話に分けてゆっくり進行する予
定でした。
不自然な部分の指摘とか展開の駄目な部分の指摘とかあれば遠慮な
く言ってください。
普通の感想も御待ちしてます。
174
1−20:逆転と覚醒のリべリオン︻?︼
︱︱プログラムコードプレイヤーシステム、︽オーバーライド︾。
覚醒。
叫ぶと同時、自らの影が蠢きだした。
初めはゆっくり。だが、少しずつ。徐々に速さを増していく。
﹁特性を︿インストール﹀﹂
そうして自由自在に動くようになった影を操り、纏う。
動かない体を支え、無理矢理にでもその場に立たせた。
動かない手を動かして、思考感知により出現させたメニューを高
速で操作した。
︿ポーション﹀。四つ。実体化。
瓶を四つ全て開け、自分の体に振りかける。
HPが回復していった。傷が塞がっていった。
朧げだった感覚も復活し始め、体も影の補助無しでハッキリと動
かせるように戻った。
顔を上げる。
目の前に迫っていたのは、拳だ。デザートオーガの拳。ここまで
の動作が長すぎたためか、もうその攻撃は避けられるような間合い
と範囲では無かった。
俺の力では防げない。絶対に。
でも、足り得る者の力ならどうだろう。
影を右腕のみに集中させ、相手の拳の前に差し出した。黒を。闇
を。影を。凝縮させる。
鈍い、激突音。
右腕が少し後ろに下がる。HPも僅かにではあるが確実に減った。
しかし、拳は眼前で止まっている。
175
驚愕に顔を染める鬼の顔に、先程のメニュー操作時に実体化させ
ていた︿ラフなスライム﹀を一つ顔に投げつける。飛び散るゲル状
の液体。目を塞がれた上、顔に嫌な感覚を覚えたのか、拳を戻して
顔に当てていた。
つるぎ
その隙に俺は拾う。武器を。今この場における、最強の武器を。
デイドリームウォーリアーの武具。︿空想の剣﹀。
拾ってすぐに、︿ロックオン﹀により感知していた敵の位置へと
刃を振り抜く。高鳴る金属音。ファントムナイトの振るう半透明な
剣と打ち合い、火花が散った。
そのまま影の補助を盛大に使い、両手で押し勝って振り抜いた。
この剣なら半透明だろうと関係無く物理攻撃が通じる。鎧を砕くと
はいかないまでも、罅を入れて下がらせた。
相手のHPは、目に見えて減少している。
﹁よし⋮⋮﹂
バックステップで距離を計り、両手に剣を構えた状態で静止する。
︱︱︽オーバーライド︾内のユニークスキル、︿インストール﹀。
この身に取り込んだモノを呼び出し、使用する。
︱︱ダークシャドーの特性、︿影の支配﹀。ダークシャドーの元
々のレベルが三〇であるため、自分のレベルではなくそちらのレベ
ルを適応。レベル三〇の補正が掛かる自らの影を操れるようになる。
頭の中に流れていた情報。それを脳裏で反芻させ、笑みを浮かべ
た。
これなら。
これなら、足り得る。
﹁ああ⋮⋮最高に、気持ちが良い﹂
あの時。あの時、スズ達のためにダークシャドーと共に死んだの
176
は無駄なんかじゃなかった。
一度死んだから、俺はダークシャドーと交わった。
一度死んだから、俺はダークシャドーの力を手に入れた。
足り得るものの力だ。足りない俺を補う力だ。
この力は俺だけのものだ。この力は俺が受け入れたものだ。
敵わないから、敵う力を手に入れた。
だから、戦おう。
だから、打破しよう。
もう、力は足りている。
﹁行くぞ⋮⋮﹂
影の力を足裏に移動させると、爆発させるようにして前方へ加速
する。
レンの加速の真似事。だが、あいつとは違いダメージなどない。
近付いた相手はデザートオーガ。対応出来ていない。パワーは一
人前ではあるが、他は半人前のようだ。
遅い。
剣を上方向へ突き出す。普通の剣なら届くか疑問であったが、生
憎これは二メートルはある超長な両手剣。軽々と鬼の眼前まで刃の
先を迫らせ、目玉を貫く。
絶叫。
だが、そんなものは聞いている暇などない。すぐに剣を引き戻す
と、今度は横薙ぎに斬り払う。足払い。激突して倒れようとする巨
体からすぐに目を離し、後ろへ振り返った。
直後、ファントムナイトの振り下ろし。影の補助で無理矢理に目
の前に剣を引き戻し、刃の腹で受け止める。
衝撃。両足を踏ん張り、何とか防いで見せた。腕が痺れている。
使えるには使えるが、あまり役には立たないだろう。
影の補助を足へと移動させると、相手の剣を真横にズラし、自分
177
の剣を手から離した。落下していく剣の向きを足で整え、右足を引
いた。影を右足にのみ集中させる。
穿つ。
足を思い切り突き出して、剣の柄を叩く。蹴り上げられたそれは
切っ先をファントムナイトへ向けられていて、見事に鎧の隙間の首
へと突き刺さった。
その巨体が倒れていく。
﹁⋮⋮まだ二匹とも生きてるか﹂
︿ロックオン﹀に映る二匹のHPバーのゲージ。確認し、そう声
を漏らすと、更に影を動かす。今度は補助ではなく、直接。
まずはデザートオーガ。目から血や白い皮を露出させるそいつの
首に影を巻きつける。強く。強く。強く。自分も歩み寄って。影で
絞めながらも手を入れた。
目の中へ。
暴れ出そうとしているのがわかる。だが、無駄だ。力が入らない
様に思い切り首を絞めている。手がすっぽり入るほどの目の穴の中
は生温かく、居心地の良いものではない。速く終わらせよう。
脳を掴み、潰す。
液体を噴出しながら、その身は動かなくなった。嫌な感触だと思
いつつ手を抜いてHPバーを確認すると、やはりゲージは真っ白の
〇を示している。頭の中に軽快な効果音が鳴り響いた。レベルアッ
プ、現在レベル一四。
残り一匹。
後ろへ体を向け、起き上がろうとしていた鎧に歩み寄る。首から
剣を抜いた。後はトドメだけだ。そう考えていたのだが、妙な胸騒
ぎを覚えて、動かしかけた剣を止めた。
すぐにその場から離れる。すると鳴り響く、爆砕音。
見上げれば、先程までそこにあったファントムナイトの鎧が砕け、
178
散らばっていた。中身のナニカも紫色の煙を噴出し破裂している。
HPは、既に〇。
それを引き起こした張本人。ファントムナイトのすぐ隣に存在す
るそいつへと、目を向けた。
明らかな、異形だった。
半透明で紫色な鎧を全身に着こんでいて、黒と白色の金属で出来
ているような体が透けている。右手には三メートルは越えていると
思わしき大剣、左手には体全体を覆える程の巨大さを持つ壁のよう
な盾を持っており、どちらもデイドリームウォーリアーのもの以上
に見える。顔面部分には半透明な鎧の向こう側に真っ白な宝石玉が
見え、頭上の鎧の隙間からは角と思わしきものが生えている。
︿ロックオン﹀のカーソルを合わせ、出現する名称は︿ファンタ
ジーソルジャー﹀。幻想の兵士。
名称ならばデイドリームウォーリアーやファントムナイトの方が
強そうだが、と心の内で呟く。しかし、この外見からして弱いとい
うことは絶対に無いだろう。まるで三匹全てが集合したような異形
な姿。ダークシャドーの要素は含まれてなさそうだが、果たして敵
うかどうか。
ダークシャドーだけでは、足りないかもしれない。
足りない。足りない。足りない。
なら、足り得るように受け入れよう。
足り得るものを、受け入れよう。
︱︱職業選定。︿Mob系統﹀。
︱︱選択出来る職業が一つしかありません。自動的に選ばれます。
︱︱職業︿ソウルイーター﹀。選定完了。
影が広がる。
そこらに散らばったファントムナイトの破片へ。先程倒したデザ
ートオーガの死体へ。静かに鎮座するデイドリームウォーリアーの
肉体へ。
そうしてそれを影に付与した“口”で取り込んで。
179
喰らう。食べる。受け入れる。
力を。
足り得るための力を。
そして。
﹁さあ﹂
両手で持つ剣の切っ先をファントムソルジャーへと向け、言った。
﹁お前を足り得る糧にしよう﹂
180
1−21:逆転と覚醒のリべリオン︻?︼︵前書き︶
※前話のファンタジーソルジャーの下半身部分を球体から通常の両
足へ変更しました。
181
1−21:逆転と覚醒のリべリオン︻?︼
︱︱職業︿ソウルイーター﹀。第六感に補正が付き、又、獣のよ
うな動きや限界ギリギリの動き等をし易くなる︵派生前にも多少の
補正が付く︶。クラススキルとして︿ポートライトマウス﹀︿ポー
トライトアイ﹀︿融合﹀︿適合﹀、クラスアビリティとして︿イー
ター﹀を取得する。
︱︱︿ポートライトマウス﹀。自分の身体のどこにでも口を造る
ことができる。
︱︱︿ポートライトアイ﹀。自分の身体のどこにでも目を造るこ
とができる。
︱︱︿融合﹀。触れている物質を体に取り込む。MPを使用し、
取り込むモノの大きさによって必要量が決まる。尚、このスキルは
︿適合﹀と連動しており、取り込んだモノを︿適合﹀で保存できる。
︱︱︿適合﹀。取り込んでいる物質を体内に適合させ保存する。
MPを使用し、取り込むモノの力の大きさによって必要量が決まる。
尚、このスキルは︿インストール﹀と連動しており、適合したモノ
は︿インストール﹀で呼び出すことが可能となる。
︱︱︿イーター﹀。暴食のアビリティ。殆ど何でも食べられるよ
うになる。尚、このアビリティは︿適合﹀と連動しており、食べた
モノをMPを使用することなく自動的に適合する。
一瞬で脳裏を過ぎ去る情報を処理し、把握し、理解し、敵を見据
える。
要するに他者の力を取り込む職業。これ単体ではそこまで強くは
ないだろうが、︿インストール﹀というスキルによりその全ては化
けるということだ。取り込んだ力を引き出せるのだから。
﹁化けろ、デイドリームウォーリアー。︿インストール﹀﹂
182
右腕をデイドリームウォーリアーのものとし、片手で︿空想の剣
﹀を構える。
影は補助に回して体がすぐに動けるように対応させる。
︿ロックオン﹀で相手をしっかりと捉え、見逃さない様に集中を
した。
準備は万端。いつでも来い。というような姿勢。
昔、先に手を出した方が負けるなどという戦闘に置ける心得のよ
うなものを聞いたことがある。
あれはどうなのだろうか。
相手は自らの巨大な体を覆えるほどの盾を片手で持ち、余った片
手にはもはや槍のリーチなどアドバンテージにならないほどの大き
な剣を握っている。
こちらにあるのは剣だけ。左手は自分自身のもので、咄嗟に使え
るのみ。
︿インストール﹀もそこまで万能ではなかった。スキルの副次効
果か、頭の中でどこまで力を引き出せるのかという制限が把握でき
るのだが、それはこれ以上は無理だということを必死に訴えている。
だが、それも当然だとは思う。低レベルの自分が遥かにレベルの
高いであろうダークシャドーとデイドリームウォーリアーの力を使
用しているのだ。片腕と特性の二つだけでも、二匹分引き出せただ
け良かったと言ったところだろう。
こちらから動けば、おそらく初撃はガードされ、次の剣の一撃で
やられる可能性がある。
だが、後手に回ったとしても回避するしか道が無い気がする。折
角互いが静止している時。初撃を食らわせられないのは惜しいと思
えてしまう。
結局、待つか攻めるか。どちらが最善なのか。それについて考え
ていた。
だが、そうして思考に耽って注意を怠っていたのが原因なのか、
183
隙を突かれたように、ファンタジーソルジャーが素早く一歩足を踏
み出し、剣を勢いのまま横薙ぎに振るってくる。
三メートルの大剣。一階建ての家の屋根までの高さ辺りを考えれ
ばその長さがわかるだろうか。それほどに大きなものが、横の面積
で広く襲ってきた。
目視した瞬間、影の補助を最大限に活用して、地面に水平になる
ように勢いよくしゃがんだ。ジャンプする手立てもあったが、本能
で理解していたのだろう。考える暇も無かったが、おそらく跳び上
がっていれば、動けない状態をファンタジーソルジャーに攻撃され
ていた。九死に一生を得た気分になりながらも、距離を計るために
後ろへ下がろうとする。
しかし、それよりも先に、相手の続きの攻勢が繰り出された。
ファンタジーソルジャーは剣を空振りにしながらも、更にその勢
いに乗せて盾を横に振り被る。それを視界で認識すると同時に繰り
出される、盾の振り回し。届きはしない。しかし、それで発生する
ものは確実に俺を襲う。即ち、それは暴風。
盾の面積にものを言わせ、しかも相手の怪力によって生み出され
た暴風が、俺の体を穿つ。目をデイドリームウォーリアーの白い右
腕で庇った。後ろへ下がろうとしていたこともあってか想定外に大
きく吹き飛ばされたが、受けたダメージは然程大きいものではない。
攻撃と同じベクトルに移動する瞬間だったからだろう。続く攻撃は
予想外であったが、行動に間違いは無かったということだろう。
重心を前に倒し、足で地面を後ろに削りながら着地した俺は速度
を緩め、顔を上げる。相手は悠々と剣を上段に振り被られているが、
その軌道に俺はいない。しかし、二度体験していた俺には何をする
のか簡単に予想できていた。
剣を、投げるつもりなのだ。
ファントムナイトが使っていたスキル、︿ソードバック﹀。おそ
らくはファンタジーソルジャーも、そのスキルは持っているのだろ
う。だから何度でも投げられるし、距離があるとしても攻勢に出れ
184
る。
計算外だった、と、距離を自ら計ったのではなく、計らされたこ
とを理解する。ダメージが少なかったとしても、攻撃の数が増える
だけ。五分五分と言ったところか、もしくは少し分の悪い選択だっ
た。
どうする、と瞬間的に思考する。
正直、今、俺はこのモンスターを相手にしなくてもいいのではな
いかと考え始めている。急な力に振り回されて忘れていたが、当初
の目的は街からの脱出だったのだ。力を手に入れた時だって、あの
二匹を相手にせずにすぐに逃げていれば、ファンタジーソルジャー
には遭わなかったのだろうし。
冷静な判断が出来ていなかった。俺がすべきは殲滅ではなく、撤
退なのだ。
そも、低レベルな俺が高レベルと張り合おうと考えている時点で
異常だったのだ。逃げるのが普通。なのに俺は力に溺れてしまい、
結果こんな奴を相手にしなくてはいけなくなった。
レンのような気分を味わってしまったように思える。力に溺れ、
余計なことをしてしまったが為に、粛清するような形で誰かが襲っ
てくる。これでは、レンを悪くは言えまい。
そしてもしレンと同じ結末になってしまうのならば、それは俺の
望むところではない。逃げるのが妥当だろう。
しかし、相手は剣を投げてくるような敵。逃げるのは非常に大変
だろう。足元の影の爆発を繰り返すのもいいが、正直、速すぎて感
覚がついていけてないし、直線的にしか動けない。もし下手に選択
を誤ってしまえば、即死亡ということもあり得る。
かと言って、戦うというのも駄目ではないだろうか。
先程は調子に乗ってこいつを糧にするとか馬鹿なことをほざいて
しまったが、正直そんなん無理に近い。
近付けば圧倒的贅力に押され、遠ければ高速の剣が投げつけられ
てくる。この均衡は、力に差がある俺では、簡単には崩せない。
185
何か一つでも。
何か、一つでもイレギュラーな要素があれば。
﹁︱︱ッ﹂
そうこうしている内にファンタジーソルジャーの元から投げられ
る、巨大な剣。回転しながら向かってくるそれは圧倒的存在感を持
っていて、体に恐怖を思い出される。
死を。
一度経験した、死の恐怖を。
﹁ッァア!!﹂
影の補助を使い、思い切りその場から転がるように横へ飛び込ん
だ。剣は遥か後ろを通っていて、俺は建物の壁に激突していた。
過剰な反応だったのは、わかっている。それでも、許容すること
が出来なかった。瞬間的には、克服することが出来なかった。刷り
込まれた死の恐怖を。
︿ソードバック﹀によって戻って行く剣を見ながら、すぐにもう
一撃が来るだろうと立ち上がって身構えた。
何か方法は。
何か無いのか。
考えても考えても、わからない。しかし、取り込まれたモンスタ
ーの中に一つだけ奇妙なものを見つけて、少し思考が止まった。
殆ど取り込んでいないためか、体に顕現できるほどの力の大きさ
は、俺の中には無い。だが、その存在は、俺に一つの可能性を浮か
び上がらせた。
これなら、行けるかもしれない。
チャンスは一回だ。それ以上は続けても無駄であるし、きっと均
衡は崩せない。それに考えついた事柄のものでさえ、決定打にはな
186
らない。隙を作るだけ。最後には、少しだけ自らの力が必要だ。
だけど、方法があるのなら。どれほど可能性が低かろうと、それ
に縋り付く。始まったばかりで終わってしまうなんて、真っ平ごめ
んだから。
再び剣が投げられた瞬間、俺は壁とは反対側に、足元を影で爆発
させて移動した。背後で壁が砕ける音。それを聞きながら、勢いの
まま向かう体を無理矢理ファンタジーソルジャーの方角へ向け、地
面に足を付ける。
地面を削る︱︱前に、更に影を爆発させた。違うベクトルへの力
が残っていたのか、少し狙っていた場所と位置がズレたが、もう一
度爆発を行うことで修正をする。向かうはファンタジーソルジャー
の元。
そこで脳裏を過ぎるスキル名、︿ソードバック﹀。後ろで風を切
る音が聞こえてくる。もしかしたら、剣が戻る軌道上に自分が入っ
ているかもしれない。そう思いながら殆ど勘で剣を後ろへ振ったの
だが、それは正解だったようだ。剣同士が衝突し、火花と甲高い音
を散らし、相手の剣は飛ばされた。
大きかろうと持つ者のいない剣に、デイドリームウォーリアーの
片腕によって振るわれた︿空想の剣﹀。吹き飛ばせるとは予想外だ
ったが、かなり嬉しい誤算だった。
後ろへ剣を振ってしまったことで、背をデイドリームウォーリア
ーに向けてしまっている。しかも、影の爆発により今も体は加速中
だ。相手の土俵に自分から隙丸出しで突っ込んでいると言っても過
言では無いが、別に良い。
開いた左手でこれから必要なことのための工程を行いながら、段
々と距離が近くなってくるファンタジーソルジャーに長剣を振り回
す。再び甲高い金属同士の奏でる音。そのまま押し切ろうとするよ
うなことはせず、盾に両足を付け、影の爆発で相手に衝撃を与えな
がらも斜めに跳び、地面に着地した。
盾が少し引かれただけ。それでも、剣を失くした相手の明確な隙。
187
しかし、まだ足りないと、︿ソウルイーター﹀の補正が掛かる本能
は訴える。だから、続きの工程を行う。残っているのは最後の仕上
げのみなのだが。
影の爆発で相手の懐に飛び込み、しかしそのまま通り抜ける。何
もしないことに驚いたのか、こちらを向いてくるが、もうそこには
俺はいない。又影の爆発により元の位置に戻り、相手が振り向こう
とした瞬間に又逆側へ加速する。
混乱している。それは、目に見えて明らかだ。
業を煮やしたのか、再び︿ソードバック﹀を使用するファンタジ
ーソルジャー。その間に更に相手の背後に回った俺は、左手での最
後の工程を終えさせ、べチャッという効果音を聞きながら後方に下
がった。
そして、ファンタジーソルジャーの手に戻る大剣。
こちらを振り向いたその顔は、笑っているように見えた。表情な
どないのだけれど、そんな感じ。だが、それに答えるように、俺も
笑った。
さあ、ボケをかましてくれ。
剣を構え、上段に振り被る。まだ相手は間合いではない。振り被
っても、初撃を下すのではないのなら攻撃の位置を知らせるだけ。
それでも、動かずに構えたまま制止した。
その姿を隙と見たのか、一歩を踏み出すファンタジーソルジャー。
そしてその瞬間︱︱ヌルッとした音を耳の片隅に響かせながら、
前方へ傾いていく体。転ぶ身体。鈍い音を立てながら、相手は急に
倒れ込む。
それと同時に振り下ろされるは、︿空想の剣﹀。
本来空振りするはずだったそれは、勿論ファンタジーソルジャー
も当たるとは思っていた代物ではなく、故に何の対処もない。だか
らその剣撃は簡単にファンタジーソルジャーの頭部まで辿り着き、
半透明な紫色の兜越しに頭骸を砕く。
弱点の、宝石玉も。
188
﹁※※※※※※※※※※※※※※※※!!??﹂
相手が初めて発する、声とも言えない声。それは絶叫。
それを聞きながら、もう一度剣を上に振り被る。後もう一撃。そ
うすれば、きっとHPは空になる。
﹁お前の敗因は、混乱の後に剣が戻った優越感により、通常より足
元が不注意だったことだ﹂
自分で一度読んだことのあるアイテムの説明を頭の中で反芻し、
語りながら思い切り剣を振り下ろした。
︱︱ラフスライムの体液。光を吸収する性質を持ち、ラフスライ
ム同様、暗所では通常アイテム以上に目立ちません。食べられませ
ん。保冷剤に丁度いい素材です。非常に滑りやすく、地面に置いて
おくと怪我をする可能性がありますのでご注意ください。
今は、あの時ラフスライムを倒し、体液が二つ出たことが、物凄
く幸運なことに感じられる。
何せファンタジーソルジャーは、ラフスライムの体液を踏んでし
まったことで転倒してしまい、俺に明らか過ぎる隙を見せたのだか
ら。
﹁俺の、勝ちだ﹂
既に半壊だった兜を砕き、頭部を完璧に破壊する。
︿ロックオン﹀に示されていた相手のHPゲージが、真っ白に染
まる。
その瞬間、頭の中を流れる二つのファンファーレ。片方はレベル
アップだ。二度経験したからわかる。なら、もう一つは何だろう。
そう思いメニューを開こうとすると、必要の無いくらい明らかな
189
変化が、この場に現れた。
目前に出現する︻クエスト︿無慈悲な鬼ゴッコ﹀・完全クリア︼
という文字。続いて街を囲む数字の壁が頂点から消えていき、やが
て、眩しい程の太陽と、焦がれていた青空が視界を埋める。
そして、ああ、と理解する。理解した。
俺は︱︱この一つ目の地獄を、乗り越えたのだと。
190
1−21:逆転と覚醒のリべリオン︻?︼︵後書き︶
どうもです。作者のソビくんです。ソビではないです。ソビくんで
す。
前話を修正前に見てしまわれた方は茶番のように感じてしまったか
もしれませんが、本当はこれが正しいシナリオなんです。いえ、本
当に。
前話のファンタジーソルジャーの下半身を修正したのは、﹁あれ、
このままじゃフラグ回収出来無くね? 折角あんなどうでもよさそ
うなラフスライム回収の描写をしたのにこれじゃ意味なくね? と
いうか最初は足がある予定だったんだけど﹂という思考から生まれ
た結果です。書いてる時は次話のことを考えて無かったので、うっ
かりしていました。
気分を害してしまった方がいましたら、申し訳ありません。本当に。
191
1−22:採取と兎形のリラックス
﹁残ってるな⋮⋮﹂
おこな
この度解放された街の道具屋の内部。現在俺は、店員のいないそ
の場所で物色を行っていた。建物は結構崩れてるかと思いきや、埃
を被っているだけでモンスターの被害を受けた様子はない。アイテ
ムも店舗に飾られているものなら全て無事のようで、値段が設定さ
れているわけでもなく自由に持ち出せた。それをここぞとばかりに、
俺はアイテムストレージへ突っ込んでいく。
この街にはやはり人は一人も居ず、解放されても在るのは干から
びた死体と活気なモンスターのみだった。モンスターはここに来る
までに二匹ほど相手にしているが、剣を投げるって素晴らしいこと
を理解した自分は、ファンタジーソルジャーの片腕のみを具現化し
て難なく撃破。しかし屍が残り、それはどうしようもないと考えて
そのままにしてある。
死体を放置するのもなんだかなぁ、とも思うのだが、既にこの街
のモンスターを吸収し終えている俺には余り必要の無いものだ。ド
ロップアイテム回収の方法もわからない。ラフスライムも︿ラフな
スライム﹀を二つ取り込むことで完璧に力を引き出せるようになっ
たし、ファンタジーソルジャーの死体も取り込んだ。俺の吸収のよ
うなものは生体には効果が無いみたいなので、ファンタジーソルジ
ャーとの戦闘中には使えなかった。いや、生体に効果が無いと言う
よりは、HPが〇でなければ、だろうか。アンデッド系モンスター
が存在しているとすれば、元より死んでいるだろうから。
しかし、ファンタジーソルジャーのあの巨大な剣と盾も取り込め
たため、その説も少し怪しくなってくる。道具にはHPなど無いだ
ろう。だが、取り込めた。それとも、武具もモンスターの一部とで
も言うのだろうか。
192
まあ、考えても仕方が無いと割り切る。今の問題は俺の能力のこ
とではなく、デイドリームウォーリアーの死体近くで採取できた︿
空想の剣﹀のことだ。
凄く、重い。本当に。
実は、当初は影の補助の二分の一ばかりをずっと手の方の補助に
回していた。レベル三だった俺には、流石に重すぎたから。しかし
レベルが上がったからと言っても、まだ普通に持つなんてことは無
理に近いらしい。重過ぎるため影の補助を三分の一使うか、片腕を
ソルジャーやウォーリアー共に変化させるかしなければ持つことが
出来ない。
現在のレベルは二五。短期間でかなり上がったとは思う。レベル
的には既にダークシャドーなどとタメを張れるほどだ。引き出せる
力の量もレベルが上がったためにかなり上昇している。しかし元々
のモンスターのレベルが高かったために、自分の力は上昇している
のにモンスターの力は成長していないところが悩みどころだ。強い
のだからいいのだけど。
それに自分の力の上昇というのも、まだ微々たるものだ。レベル
上昇により取得したポイントとやらを振り分けなければ、ステータ
スには影響しにくい︱︱と、道具屋にあった︿初心者の基本﹀とい
う本に書いてある。そのポイントも考えて振った方が良いと言うの
で、今は保留中。
兎に角、未だ素の自分では剣が持てないということだ。故に影の
補助を使わなければならず、更にわかってしまったことにある。
この影の操作の能力、日の下では弱体化するらしい。
これにより、性能が三分の一程に下がってしまう。すると、剣を
持つ程度の性能しか発揮できなくなる。他のモンスターの力を使え
ば万事解決なのだが、聊か不気味過ぎるし、常時持ち歩くために常
時モンスター化した片腕など笑えない。影ならば密かに使うことも
そう難しくなく、プレイヤー達にも不審は持たれないと思う。
長い布を適当に巻いて無理矢理鞘のようなものにして背中に吊る
193
す剣。それの柄に一度手を当て、少し溜め息を吐いた。背負うのに
は影の補助が混じっている。俺の能力はレンのようにMPやTPに
左右されないらしいので、かなり便利だと感じている。これからし
ばらくの間は、これを武器にしようと思っていた。勿論、武器なん
てのは一朝一夜で使いこなせるようなものではないので、拘るのは
おかしく変えることもあるかもだが、今はこれ。重いが、威力は抜
群だ。
さて、と、背を伸ばす。粗方のものはアイテムストレージに仕舞
え終わった。ポーションやマジックポーションやテクニカルポーシ
ョンやパチンコや瞬間無敵補強剤など、色々。瞬間無敵補強剤は二
つ近付けると同時に消滅してしまったので、一つしか持てないとい
う設定は健在のようだ。
手にしたアイテムの中から地図を実体化させ、手に取る。実際の
値段はわからないが、買わずに手に入るのはやはり有難い。金は余
り持っていないし、ドロップアイテム回収の仕方もわからない。火
事場泥棒みたいなものだが、三〇倍で動くこの世界ではもう何か月
も経っているはずなので問題は無いはずだ。
地図を見て、ふむ、と。一番近い街は北にあるようだが、正直こ
れは地図とは言い難いものだった。落書きレベルだ。何とか方角が
わかる程度で、万能性は無さそうに見える。
前途多難だな、と思いつつアイテムストレージに仕舞い直す。気
付けば、足元には青色のスライムがプヨプヨと音を立てながら、こ
ちらを上目遣いで見てきている⋮⋮ように見えるではないか。
なんだろう、と興味深く観察する。ラフスライムでは無いのは確
実だ。ロックオンを使い、名称を確認する。プレイヤー相手ではフ
レンドで無い限り名前がわからないらしいが︵本に書いてあった︶、
モンスターであれば見えないことは殆ど無いみたいだ。
出てきた名称は、︿ラビットスライム﹀。言われてみれば、そん
な感じに見えないこともない。
長い耳があり、丸い尻尾があり⋮⋮しかし、そこはやはりスライ
194
ムのようで、身体は丸っこい普通の体のみ。意外と可愛い。
取り込もうかな、と一瞬考えたが、止めておく。どうせスライム
など役に立ちはしないだろう。⋮⋮いや、かなり役に立ったけれど、
自分が化けるにおいてはいらないと思うんだ。
それに、と、そいつを見つめる。攻撃してこない。何故か、友好
的な意思さえ感じるような気がする。
﹁⋮⋮一緒に来るか?﹂
言うと、嬉々とした様子で俺の左肩に飛び乗ってくるそいつ。余
り戦闘の邪魔にならない様にという配慮か、それとも偶然か、利き
手の肩には止まらなかった。
まぁ、旅は道連れとも言う。スライムに不意打ちされようと平気
だろうし、俺だって化け物に片足突っ込んでいるみたいなものだ。
化け物と友好を深めるのも、また一興かもしれない。
そんな思考をしていた俺の脳内に、ファンファーレが響き渡る。
何だ、と思っていると、急にウィンドウが目の前に現れて、その理
由を簡潔に理解させられた。
︱︱スライム系モンスター︿ラビットスライム﹀をテイムしまし
た。名前を付けますか?
よくわからない。︿初心者の基本﹀には書かれていなかった。
しかし、一緒に旅をするのだ。名前くらいあった方がいいだろう。
そう思い、名前を入力する。迷う間は無い。こういうのはすぐ覚
えられるよう、簡単な名前にした方がいいだろう。
︱︱︿ウサギ﹀でよろしいですか?
﹁よろしいです﹂
何となく、音声認識機能を使ってみる。戦闘の時はアイテムスト
レージを開くのに思考感知ばかりだった気がするので、気分転換も
195
兼ねてだ。
︱︱︿ウサギ﹀を自らの使い魔にしました。続けて簡単な解説が
ありますが、必要ですか?
﹁お願いします﹂
︱︱使い魔とは主に従事し、仕えるモンスターです。プレイヤー
同様レベルを上げ、強くなることも可能です。ですが比較的上限レ
ベルが低いため、それ以上はアイテムによる強化や進化が必要とな
ります。好感が低過ぎれば契約が切れる可能性もあるので御注意く
ださい。
そこで解説は終わり、途切れる。本当に簡単な解説だったなと思
いながらメニューを開いたが、どうやらウサギのステータスも開け
るようになっていた。
開けば、そこにはプレイヤーと同じような項目や表示が沢山。違
うのは、プログラムコードプレイヤーシステムこと能力の項目が無
い代わりに、特性の項目があるところだろうか。
ついでにメスだった。スライムに性別とかあるのかよというツッ
コミは無しでいこうと思う。それよりも、先程から妙になつかれて
いる気がするのだが。何故こんなにも好感が高いのか。
その理由は道具屋の外を見て、何となく理解した。してしまった。
道具屋の外では、有象無象のように沢山のラフスライムが元気そ
うに飛び跳ねていて、微笑ましい。表情はわからないのに、何とな
く嬉しそうな雰囲気が伝わってくる。
﹁⋮⋮お前らも、大変だったんだな﹂
街で、生きていた。苦しくも、しっかりと。なのに急に現れた遥
かに強いモンスター達の前には、怯えて暮らすしかなかった。
だけど、その元凶は俺が倒してしまって。
196
本当に、スライム達は元気そうだった。こちらが嬉しくなってし
まうくらいには。
こいつらの感覚では、俺は自分達を助けてくれた救世主というこ
となのだろう。このウサギの好感度が高いのも、それならば納得も
出来る気がする。
そうして、自分が笑みを浮かべていることに気付く。
ああ、と。しっかり、意識しなくても笑えた、と。
励まされた。一人だった。一人でも、頑張ってスズを見つけるつ
もりだった。だけど、こんな光景を見て。仲間も出来て。
自然と、癒されていたんだろう。
﹁⋮⋮こりゃ、恩は返さないといけないかな﹂
返されたのはこちらだが、と心の中で自分に言う。だが、この街
のモンスターを倒したのは自分のためだ。こいつらのためじゃなか
った。
だから。
だから、こいつらが安心して暮らせるように、モンスター退治く
らいはしてやろうかな、と。
背中の長剣の柄を握る。ああ、本当に気分が良い。それもこれも
スライム達の御蔭だ。だから御礼しよう。
この街にいるスライム以外のモンスターをこれから駆逐する。
﹁レベル上げにもなるしな﹂
笑いながら、俺は店を飛び出した。
197
1−22:採取と兎形のリラックス︵後書き︶
はい、これで一件略着で、一章﹁不正甲虫のモンスタープレイヤー﹂
は終了です。
ここまで読んでいただけて、本当に嬉しい限りです。
感想なんか貰えるともっと嬉しいです。とは言っても、そんなこと
しつこく言われても読者様方はイライラしてしまうと思いますので、
程々にしておきますが。
次は二章﹁狂喰断罪のホロコースト﹂に突入です。相変わらず序盤
はゆっくりな可能性がありますが、起承転結の法則により中盤辺り
から面白くなる⋮⋮はずです。何分自分の作品など読んでも面白く
は感じないわけでして、不安です。
どうかこれからも読んでくださると、書く側としては非常に嬉しい
限りです。では。
198
第一章:簡略モンスター図鑑︵前書き︶
新話で無く申し訳ありません。
物語内で説明出来なかった部分もあったので、こちらで遠回しに解
説が混ざっております。それで違和感なんか消してくださると幸い
ですが、読まなくても大丈夫です。
199
第一章:簡略モンスター図鑑
※︿始まりの街﹀※
・︿ラフスライム﹀
キングオブザコの異名を取るほどの貧弱であり、生産系統のレベ
ル一にすらダメージを与えられない雑魚モンスター、略してザコモ
ン。レベル一。
街のように整った石が沢山あるところに住みたがり、というか大
抵の街のどこかには必ずいる。日の当たらない目立たない場所でよ
く見かけるが、それはプレイヤーやNPC達が街を右往左往してい
るからであり、本来は日の下を大変好む。滅びた国がいつの間にか
スライムの王国になっていたという話までもがあり、意外と侮れな
い。
痛覚が無く、また他の感覚にも乏しい。繁殖方法は分裂で、性別
は存在しない。ドロップアイテムは︿ラフなスライム﹀しか落とさ
ない。保冷によく使われる。
・︿ラビットスライム﹀
実はかなり上位のスライムだったりする。元々は︿始まりの街﹀
隠しボスであり、ユニークモンスター。その経験値吸収力は並みの
非では無い。レベル一。
隠しボスであったが、︽AI︾によって圧倒的なモンスター共が
導入された時点で雑魚確定であった。元来このモンスターは“超速
で成長すること”が特徴な大器晩成型ボスと少々特殊であったため、
実は、初期はそこらの雑魚と殆ど変わらない。要は強さのインフレ
により負かされたということである。
痛覚が無く、また他の感覚にも乏しい。兎の名を冠するように哺
200
乳類の特徴もあり、性別が存在する。繁殖方法は体内精製と、そこ
もまた哺乳類らしいものだ。しかし、勿論ラフスライムのように一
匹で繁殖など出来ないし、この固体はユニークモンスターである。
他のスライム系も、やはり皆性別など存在しない。なので、正直繁
Dystopia
殖方法とか本当に無駄設定も甚だしい。何を思って製作者はこんな
設定にしたのか。
尚、このモンスター、実は﹃Eternal
Online﹄のマスコットモンスターの一匹である。マスコッ
トが隠しボスとか本当にやめて欲しい。
ドロップアイテムは不明。
※︿始まりの街﹀︵廃墟︶※
・︿デザートオーガ﹀
ゴブリン、オークに次ぐ鬼系モンスター。その怪力は建物の石壁
を拳一つで粉砕するほどである。レベル三〇。
本来は山に住むような種族である。知性は低く、人肉を好む。
ドロップアイテムは主に角や皮など。運が良ければ︿劣化鬼の心
臓﹀を手に入れることも可能だろう。
モンスターはプレイヤーと同じく、人やモンスターを殺せば経験
値を手に入れ、自らを強化できる。使い魔ではないモンスターが得
られるものは微々たるものだが、鬼のように活発な種族は同族や他
種族殺しの筆頭だ。ノートが感じた強そうになっていたという感覚
も、間違いではなかったのである。
・︿デイドリームウォーリアー﹀
全身が金属で出来、下半身は謎の物体により浮いている謎戦士。
201
レベル三〇。
あからさまな弱点が露出しているので、倒すことはそう難しいこ
とではない。ただ、一撃が予想以上に重く、盾の攻撃と防御が強力
なため、油断してかかると痛い目に合わされる。
せきほうぎょく
ドロップアイテムは主に金属系であるが、顔面部分の宝石玉を傷
つけずにに倒せば︿赤宝玉﹀を手に入れることも出来る。しかし、
それは至難の業である。弱点さえなければ、これほど厄介な相手は
そういない。
尚、剣や盾は壊さなければ高確率で残るが、大抵溶かされて金属
アイテムに変換させられる。重すぎて取り回しが悪く扱いづらいの
だ。仕方の無いことだろう。
・︿ファントムナイト﹀
半透明で紫色な鎧を着用する巨大包帯ミイラ騎士。レベル三〇。
物理攻撃を殆ど防ぐことの出来る鎧を装備し、鎧の三分の一の面
積までならば物を透過させることが出来る。︿空想の剣﹀には“あ
りとあらゆるものに触れられる”という効果により効果を発揮出来
ないが、些細なことだ。
尚、このモンスター、魔法職と近接戦闘職が揃っていれば簡単に
倒せる。鎧は魔法防御力は高いが、物理攻撃力はそう高くない。広
範囲の魔法で鎧の透過効果が無くなっている隙に物理攻撃をすれば
いい話なのである。
中のミイラは豆腐並みの耐久なので簡単にやられてくれるだろう。
鎧を壊さずに倒せばその恐ろしい鎧をドロップさせられるのだが、
出来た輩はいない。鎧は中のものさえ透過させることが出来るので、
どうにも出来ないのだ。通常ドロップは包帯である。
・︿ファンタジーソルジャー﹀
クエスト完全クリアのためのイベントボス。幻想の名を冠し、通
常のボスよりやや強い。レベル三〇。
202
鬼、騎士、戦士の三匹、それぞれの良いとこ取り野郎。鬼の怪力
に騎士の鎧に戦士の剣と盾と体。正直、︿空想の剣﹀が無ければす
ぐに逃げ出したくなるくらいの絶望である。魔法攻撃は鎧によって
半減、物理は鎧を抜けたとしても金属に阻まれるのだから。
だが、デイドリームウォーリアーの弱点を受け継いでしまってい
るところが難儀なところだろう。普通は滅多に無いだろうが、そこ
を突かれればやられてしまう。
ドロップアイテムは不明。
・︿ダークシャドー﹀
隠しボス︿ラビットスライム﹀関連のクエストに出てくるはずだ
ったイベントモンスター。レベル三〇。
影からネチネチと攻撃するセコイやつ。本体はそう強くなく、ど
ちらかと言えば補助や強化に向いている。物理攻撃には圧倒的に弱
く、また物理も得意ではない。
相手の体の中に入るなどという暴挙をすることもあるが、そんな
のは格下相手にしか通用しない。このモンスターは本当に正面から
の戦闘が苦手であるため、同格以上が相手となるとそもそも物理で
攻撃など愚の骨頂になってしまうのである。
尚、基本暗い場所でラフスライムを食べて生活する。意外と燃料
は安い。
ドロップアイテムは︿影胞子﹀。稀に︿影の心臓﹀を落とす。
203
2−1:疑惑と放浪のニュータウン︻?︼
︱︱時計塔の街。
この街には、非常に大きな時計塔が存在していることから、その
名が付いていると言われている。
東には砂漠、西には海、北には森林が広がっていることから、拠
点にも丁度良いものとして知られ、最前線で戦う者以外は大抵ここ
にいることが多い。
故にこの世界で現在一番人気で有名なのは、この街なのである。
そんなプレイヤーの沢山住む街に︱︱俺、アバター名︿Noug
ht﹀は足を運んでいた。
﹁へえ⋮⋮﹂
街に入って速攻で道具屋に行き、街のパンフレットのようなもの
をなけなしの四〇〇ゴールド中の三〇〇ゴールドで買い、読んでい
た俺は息を漏らす。
﹁気に入っていただけましたか?﹂
そう訊いてくるのは、この店のNPC。妙に人間のような仕草に
思えるが、どうせ︽AI︾が何かをしたのだろう。それに、人間の
ように感じるだけで、根本的には何も変わっていない。決められた
ことを実行するだけの、所詮はNPC。
わかってはいるのだが、会話が成立してしまうのも又事実。それ
に、このパンフレットはプレイヤーが作ったものを店で販売しても
らっていると言うし、意見を伺おうとするのもプレイヤーの意思で
は無いだろうか。
204
﹁わかりやすいよ。何か街の地図みたいなのも書いてあるし⋮⋮で
も、これだけの出来だと少し安すぎるんじゃないか?﹂
﹁それは私も思うのですが、製作者の意思なんです。私は兎も角、
製作者も最低限の利益は得られているのも事実ですし、別段問題が
あるわけでもありません﹂
最低限の収入しか得られていない、とも取れる語りだ。製作者は
出来た人間なのだろう。
ヒーロー
作った奴の名前がどこかに乗っていないかと探すと、見つかった。
︿HERO﹀と書かれている。名前からして会いたいと感じること
を躊躇われたので、これ以上の詮索は止めることとした。
パンフレットをアイテムストレージに仕舞わず、崩壊していた最
初の街の道具屋で手に入れた、ウエストポーチにそのまま入れてお
く。また見ることもあるだろう。すぐに取り出して置けるようにし
た方が都合が良い。
﹁それじゃ、用があったらまた来るから﹂
﹁毎度ありがとうございました﹂
店を出て、適当に歩き出しながら考える。
これから、どうするか。
この街に到着したのは、今日の昼。昨日は︿始まりの街﹀と呼ば
れるらしい最初の街で、スライム以外の大体のモンスターを殲滅後
に幾つかの店で火事場泥棒紛いのことをしてから夜を明かしたが、
長く留まるのも意味が無いので早々に旅立った。そして着いたのが、
北に会ったこの街だということだ。
取り敢えずスズの情報を集めたいな、と思う。
フレンドには連絡機能らしきものがあるみたいなので使おうかと
も思ったのだが、何故か、二人に対しては使用ができなかった。使
おうとしてもエラーと出るのだ。一度死んだら終わりのはずだった
205
のに、もう一度来たから、何らかのバグが発生しているのだろうと
予測する。フレンドを結び直すのがいいかもしれない。
死んでいるプレイヤーは名前が黒く染まるらしいが、俺の項目に
在る二人の名前は染まっていない。スズもフーも、健在だ。
連絡は出来ないが、安心はできた。生きている。それだけわかれ
ば、良い進歩。スズはわかっていたことだが、改めてわかるとホッ
とするものがある。
何となく、左肩に乗るウサギも嬉しそうだ。
この街に来る途中に蚊をそのまま大きくしたような︿ナスラモス
キート﹀というモンスターが出て、一匹目は俺が倒して吸収したの
だが、二匹目はウサギに任せたことがあった。その時にこいつの実
力も計ろうとしたのだが一言で言うのなら、便利。そんな感じで、
足手まといにはならなそうで、安心した。むしろ、戦力にもなるか
もしれないと。
基本的に左肩に乗ったままで動かないが、重くは無い。それも便
利さに拍車を掛けている。ただ、定期的に水を上げなければいけな
いのは当然だとは納得したが。
そういえばまだ昼飯食べて無いな、とパンフレットを取り出す。
ここに来るまでは︿始まりの街﹀で拝借した腐らない食べ物を咀嚼
して来ていたが、いい加減しっかりとした食料も摂取したい。食べ
なければ死ぬようになっているらしいので、ゲームだからと笑って
はいられない。
スズの情報を探すのも、その後すぐに行えばいいだろう。
パンフレットから良さげな店を探し、そこまで行くと、扉の取っ
手に手を掛ける。が、そこでハタと気付いてしまった。思い出して
しまった。
一〇〇ゴールドしか持ってない、と。
アイテムや武器、防具などは︿始まりの街﹀で手に入れることが
出来たが、お金となるゴールドは流石に手に入らなかった。因みに
奪っても何も装備はせず、防具は初期装備のままで仕舞ってある。
206
何か売ってこないとなぁ、などと考えていると、急に︿ソウルイー
ター﹀により強化された俺の第六感だか直感だかが危険を訴えてき
たので、その場を後ろへ飛び退く。
瞬間、扉が勢いよく外れてこちらへ飛んできた。今は日の下にい
るので、満足に影の補助は使えない。︿インストール﹀も間に合い
そうに無かったので、即座にその場から横っ跳びをして回避した。
反対側の壁にぶつかる扉を横目に、先程まで入ろうとしていた店
の入り口部分に目を向けた。腰を抜かして怯えているような男が一
人に、片手にクロスボウを構えている少女が見える。
外れた扉の方を見れば、ボルトと呼ばれるクロスボウ専用の矢が
一本刺さっているのが確認できた。少女が放ったのだろう。
﹁情報とその対価が合って無いと思うのだけど、どうなのかしらね
ぇ⋮⋮!﹂
﹁す、すまない! ほんの出来心で言ってみただけなんだ!﹂
どうやら修羅場のようだ。関わりたくないと思いつつ、その場を
離れる。しかし、ただ立ち去るだけでは危ない目にあった価値が無
いなと感じて、扉に刺さっていたボルトを抜いて拝借しておいた。
いずれ使うときも来るだろう。
物を売る。それをしなければならない。そう考えてパンフレット
を買った店まで戻ろうとした道を戻っていたのだが、如何せんそう
上手くは進まないようで。
﹁君、珍しいモノを肩に提げてるね﹂
声を掛けられて、その方向へ目を向けた︱︱瞬間、伸ばされる手。
それを払い、相手を確認する。一人だ。長身で黒髪、金色の瞳の
男。
彼は頭を下げると、言う。
207
﹁悪いね、驚かせてしまったようだ﹂
﹁少なくとも、挨拶もされずにウサギに触れようとするのは、感心
しないな﹂
﹁本当に悪かったよ。謝罪する﹂
危ないのはそちらの方なのだけど、などと思いながら彼の謝罪に
応じる。
﹁別に良いよ、ウサギも気にしてなさそうだし﹂
﹁それなら良かったよ。それから、訊きたいのだけど⋮⋮君はテイ
マーなのかい? モンスターはそう簡単に仲間にはならないと聞い
ているし、テイマーにしては杖が無い。しかしテイマー以外に可能
性が思い浮かばなくてね﹂
好奇心が疼くんだ、と言う。
それに、どう答えるものかと一瞬迷った。現実から戻って来た云
々は余り言わない方が良いことは当然だが、あの街がまだ解放され
ていなかったことから、普通は外から入れないということは明白だ。
テイマーというのは、おそらくモンスターを仲間にするような職
業なのだろう。ウサギを肩に乗せているから、それを疑われている。
下手に誤魔化すのは不自然な気がするので、適当に流そうと思い、
返答をした。
﹁偶然だよ。偶然こいつに出会って、偶然仲間になった﹂
﹁へえ。それはまた良い偶然に出会ったね﹂
もう一つ訊きたいのだけど、と彼は続ける。
﹁本当はテイマー以外は、普通の方法じゃあモンスターを仲間には
208
出来ないんだけど、どう思う?﹂
﹁⋮⋮﹂
カマを掛けられていたのか、と少し驚いた。
初対面の相手で、しかも警戒が強い相手に、カマ掛け。まだ世界
に馴染んでいなかった俺は気付かなかったが、普通、いきなりこん
なことをしてくるだろうか。
そうして更に警戒を深める俺に、彼は笑った。
﹁いやぁ、悪いね。本当はそんなことは無く、普通に仲間に出来る
よ。でもそんな反応をするってことは、やっぱり正規な方法じゃ無
いんだろう?﹂
﹁⋮⋮その﹃本当はそんなことは無く﹄って言葉も、嘘か? 油断
させて、情報を稼ぐとか﹂
﹁さて、ね。疑うことは大切なことさ。特に、僕みたいな怪しいお
兄さんにはね﹂
笑う。嗤う。哂う。
弄ばれているのは、何だか良い気分とは言い難い。左肩のウサギ
も少し警戒してしまっているし、どうしたものか。
そんな俺達の様子を見かねたのか、彼は両手を上げながら言った。
﹁別に危害を加える気は無いし、これ以上追及もしないさ。ただ、
好奇心でからかってみただけだから﹂
﹁長生きしないぞ﹂
﹁そうかもね。でも、長生きするための秘訣は心得ているから大丈
夫﹂
未だからかうように語る彼は、俺達に背を向ける。
209
﹁君に、ほんのお詫びさ。後でポーチを確認してくれると、その意
味がわかるかな﹂
そう言って立ち去る、長身の男。
しばらくはそのまま立ち往生していたが⋮⋮戻ってくることは無
かったので警戒を解き、溜め息を吐いた。
﹁⋮⋮何だったんだアイツ﹂
取り敢えず、言われた通りにポーチへ手を入れて確認してみると、
何やら入れた覚えも無いような紙が入っている。いつの間に入れた
のかと思い返すと、一つだけ当てはまる場面が見つかった。最初に
手を伸ばされた時だ。
片手をウサギにやりながら、もう片方の腕をポーチに。俺の第六
感が目の前に迫る手だけに集中してしまったがためか、気が付けず
に札を入れられたのだ。いや、気が付かずというか、気が付かせな
かったと言うべきか。
本当に怪しい奴だなとか思いながら、紙に何か書かれているよう
なので、それを見る。
そして、驚愕した。
﹁地図⋮⋮﹂
比較的正確な、地図。時計塔の街を中心に、南の始まりの街、北
の森林、西の海、東の砂漠までの位置と在るモノが描かれている。
俺が望んだものだ。地図が落書き程度だったから、欲しいと。
真面目に怪しい、と思いながらそれをポーチに仕舞い直す。俺が
欲っしていたのを知っていたのは、必然か偶然か。おそらく偶然だ
ろうが、それでも怪しさが増したことに変わりは無い。
そんな釈然としない気持ちを抱えながら、俺はこの街に来て最初
210
に立ち寄った道具屋に戻って来た。
211
2−2:疑惑と放浪のニュータウン︻?︼
﹁防具とか武器とかって、ここで売れる?﹂
﹁いえ。矢や短剣等ならばここでも買い取らせていただくことが可
能ですが、基本的には扱ってはいないです。武器屋か防具屋ならば
売ることができると思いますが﹂
以上が、道具屋で聞いた内容だった。
道具屋を早々に出立した俺は、パンフレットに記されている武器
屋に向かう。隣には防具屋も揃っているようなので、色々と好都合
な場所にあった。
歩いている途中にも、色々と思うところはあった。この世界は本
当に現実に近付いているのか、臭い等も再現されている。この街に
来るまではアイテムで代用してきていたが、そろそろ風呂に入りた
い。俺がこの世界に来てから二日目。まだそんなに経ってはいない
が、戦いばかりだったので癒されたいというのが本音だ。
アイテムには便利なものが多く、結構高級なものも混ざっている
ような感覚を覚えた。この街の道具屋と比較してみたが、その予想
はどうやら当たっていたようで。大事に使って行こうと思う。
そんなことを考えている内に、武器屋に着いた。︿始まりの街﹀
で武器屋から拝借したものは沢山あるが、そこはやはり最初の街だ
からか、良い物は余りない。一番上の武器で︿鋼の剣﹀というもの
なのだが、︿空想の剣﹀の方が普通に性能が良く、リーチも長い。
長すぎるというのも考えものであるが、攻撃力の魅力にはやはり敵
わないと思う。逆に小回りの利く短剣などは剣や槍などに比べて売
られているもののランクが低く、扱おうにも付け焼刃程度にしかな
らない。よって、全部売ろうと考えている。
﹁全部で二四四〇〇ゴールドってところか。数だけは沢山あるから
212
な﹂
武器屋の店主の言葉を聞きながら、そりゃあね、と心の中で呟く。
何せ、倉庫の中も漁って来たから。
武器を渡し、金を受け取る。結構な額だ。無数の武器を片づけて
いく店主を眺めながら、ついでとばかりに口を開いてみる。
﹁よく切れる短剣ってないかな﹂
短剣。小回りが利くし、何より、扱い安そうということが魅力的
だろう。俺は一応体の中にファンタジーソルジャーの剣と盾も仕舞
ってあるため、いざとなれば手の平から切っ先だけ出して応戦すれ
ば事足りるのだが⋮⋮︿初心者の基本﹀には、デスゲームとなった
今ではドロップアイテムの回収は剥ぎ取りによって自力で行うもの
だと書いてあったので、そのために欲しい。ドロップアイテムが回
収出来ないのは、今後に響く。
﹁それなら、この︿ナーブルナイフ﹀ってのがおすすめだな。ナー
ブルっつう海のモンスターの角を元に加工されたもんで、切れ味だ
けなら一級品だぜ。耐久は保証しないけどな﹂
耐久はいらない。剥ぎ取り専用ですので。
そう思い、一丁だけ買おうとしたのだが、左肩でウサギが何かを
主張してきたので言葉を押し留める。何だと思い目を向けると、そ
の体はナイフへ向いていた。
﹁欲しいのか?﹂
訊くと、プルルと前後に震える体。欲しいらしい。
仕方無いな、なんて思いながら、頼む数を修正して言葉を放つ。
213
﹁二丁お願いできますか?﹂
﹁あいよ、一丁が一八〇〇ゴールドで、二丁で三六〇〇Gゴールド﹂
金を払い、ナイフを受け取る。それを鞘から取り出し至近距離で
眺めて、へえと嘆息を漏らした。
青い刀身。長さは二〇センチほどだろうか。光を受けて反射する
それは暗所で適してるとは言い難いが、切れ味は確かに良さそうに
見える。耐久は保証しないというのも頷けた。切れ味が良い代わり
に、刃の横幅が薄い。激しく使えばすぐに折れてしまいそうな印象
を受ける。
鞘に仕舞い直し、腰のベルトの左側に下げる。このベルトも道具
屋で手に入れたものだ。道具屋のものは役立つな、とポーチ共々思
う。
次に、もう一つのナイフをウサギに渡した。嬉しいのか、喜んで
いる空気が感じ取れる。背中に付けてとでも言う風に背を向けるの
で、そのまま押し付けた。すると吸引するように吸いついて背中に
くっ付いた。
﹁お前も武器を使いたかったのか?﹂
訊いてみると、体ごと首を横に振る。ならば何故買わせたのか。
そう問う。
すると体を跳ねさせ、短剣が上手く宙に躍り出た。それを歯のあ
りそうな正面部分のスライムで噛むように掴むと、グイグイ、と何
かを剥ぐような仕草をした。
剥ぐような仕草? と、そこまで考えて理解した。どうやら、剥
ぎ取りを手伝ってくれるつもりだったらしい。それは助かる、とで
も言う風に頭を撫でて上げると、心地良いのか体の力が抜けていっ
ていた。
214
こうして頭を撫でていると、スズのことを思い出す。いつも落ち
付かせる時とか、嬉しそうな時とか、褒めてくれそうな時とかに毎
回撫でてあげたっけ。こうして撫でるといつも気持ち良さげに小さ
な笑顔を見せてくれて、それが本当に微笑ましかった。
ああ、会いたいなぁ。会いたい。会いたい。そしてそのために、
俺はこの世界にやって来た。
絶対に探さないと。決意を新たにするようにして、ウサギの頭か
ら手を離す。少し残念そうでもあったが、短剣を取り出す時と逆の
動作で元に戻すと、いつも通りに左肩で大人しくなった。
﹁こいつは驚いたな。いや、わかってはいたんだが⋮⋮そこまで懐
くってことは、相当なテイマーか、あんた﹂
﹁俺はテイマーじゃないよ。こいつと仲間になったのだって偶然だ
し﹂
﹁そりゃまた、凄い偶然もあったもんだな﹂
そんな会話をしてから、店を出た。ありがとうございました、と
いう最後だけ丁寧な言葉遣いの店主に苦笑しつつ、隣の防具屋へ直
行。盾マークの扉を開け、中に入る。
鎧や盾、籠手などが並べてある。布や革に関わる装備は装飾屋と
いう店の方が上質だというので、余り置かれていないし性能も良さ
そうには見えない。金属とか、そちら側の専門なのだろう。
﹁いらっしゃいませぇ⋮⋮﹂
妙に無気力な店主の声。見てみれば、ひどく痩せている男性が力
無い瞳でボウッとしていた。こんなんで大丈夫か、などと思いなが
ら声を掛ける。
﹁防具、買い取ってもらえますか?﹂
215
﹁あぁ、うん⋮⋮じゃあ、何か出して⋮⋮勝手に計算する﹂
習い、アイテムストレージから出現させる。自分には金属類の防
具は合っていないと感じられたので、そのまま全て売るつもりだ。
︿始まりの街﹀の装飾屋は残念ながら潰れていたので、これから軽
装備を買いに行く予定である。
﹁二八〇〇〇ゴールド。ほら⋮⋮﹂
一目見てそう告げて、ゴールドの束を渡される。適当に鑑定した
ように見えるが、生憎と相手はNPC。常識に当てはめてはいけな
いだろう。
これで合計は、四八八〇〇ゴールド。いつまでも初期装備なのも
不安なので、防具は殆ど変える予定だ。自由に選ぶには良い具合の
量で、食事にも手が出せるだろう。
オーダーメイドも良いとは思うのだが、残念ながらまともな素材
がまったく無い。素材を手に入れるにも戦わなければならないし、
その際に初期装備ではやはり駄目だろう。
無気力な店主と共に居るとこちらまで無気力になってきそうだっ
たので、足早に店を出た。さぁ、次は装飾屋だ。パンフレットを取
り出すと、装飾屋のある方へ向けて歩き出す。
人は多い。擦れ違う人々には、色々な種類がある。装備も付けず
歩く人、これから狩りに向かうという風な人、働いているような風
貌の人。
働くことで、金を稼げる。﹃何でも出来る﹄ことを売りにしたこ
のゲームでは、そうして収入を得て暮らすことも可能なわけで。だ
から、戦わないプレイヤーも沢山いるのだろう。
もしこれが、絶対に戦わなければいけないようなゲームだったな
らば、一体どうなっていたのだろうか。命の危険に常に曝され続け
るストレスは、きっと相当なものだろう。
216
そうこうしている内に、装飾屋に着いた。道具屋の隣。更に離れ
た場所には巻物販売店もあるが、︿始まりの街﹀で幾つか回収して
あるので、行く予定は無い。装飾屋の中に入り、扉を閉めた。
装飾屋の役割は、布や革系の装備、及びアクセサリー等を販売す
ることだ。アクセサリーにもステータス上昇効果等があるらしいか
ら欲しいところだが、今は買うつもりは無い。
﹁いらっしゃい。珍しいね、テイマーなんて﹂
声。いきなりこんなことを言ってくるということは、プレイヤー
だろうか。顔を上げれば、寝癖のついた寝ぼけ眼な女性。いや、こ
れだけの特徴を持っているということはNPCか。いやいや、これ
だけの特徴だからこそプレイヤーなのか。
まぁ、どちらでもいいかと考えるのを止める。どうせやることは
変わらないのだし。
﹁テイマーじゃない。これでも一応生産職﹂
まだ決めていないけれど、という言葉は飲み込む。昨日は色々と
大変だったし、この街に来てから決めようと思っていた。飯を食べ、
スズの情報を集め、宿を取ったら、早速決めようと考えている。早
速と言えるほど早く無いけれど。
俺の返しに、驚いたような雰囲気を女性は見せた。
ラッ
﹁へえ、生産職か⋮⋮滅多にフィールドに出ない生産職が使い魔を
ク
ゲットできるなんて、余程運が良かったんだね。運っていうかLU
Kかな﹂
LUK。それがモンスターのテイムに関わってくるものなのだろ
うか。そして武器屋でも思っていたことだが、こんな言い方という
217
ことはテイマーでなくともモンスターは仲間に出来るようだ。路上
で擦れ違った嘘吐きには適当なことを言われて混乱していたため、
ハッキリしたのは有り難い。
取り敢えず、周りのものを見渡す。そういえば、体をモンスター
化させると何故か防具のその部分が消えるのだが、不思議だ。
﹁布装備で、動きやすいの。あと出来れば色々と耐性とかあると良
いけど、そんなの一通りない?﹂
﹁まぁ、そうだね⋮⋮弦闘シリーズかな﹂
﹁それって?﹂
﹁これ﹂
彼女は手元にそれを出す。
﹁︿弦闘の衣服﹀︿弦闘のグローブ﹀︿弦闘のボトムス﹀︿弦闘の
ブーツ﹀の四つが基本の、全体的な性能が平均の装備ね。合計御値
段一五〇〇〇ゴールドってとこかな﹂
﹁結構高いんだな﹂
﹁あったりまえでしょ。命を守る装備だし、ここじゃ結構上質な素
材だから。オーダーメイドじゃないってのも、原因の一つだけど。
市販のものは造りが適当だからあんまりおすすめしないよ﹂
﹁店員が言うのか。まぁいいや、それ買った﹂
ゴールドを渡し、装備を受け取って、アイテムストレージに仕舞
う。装備するには一度今着ている装備を外さなければならないので、
ここでは着替えられない。幾つもの装備を重ねることも出来るそう
だが、そのためには大きさを調整しなければならないらしいし、何
よりも重いし動きにくいとか。
また来るかも、と適当な言葉を残して店を出る。残り三三八〇〇
ゴールド。いい加減本当にお腹が空いてきたし、早く食べに行こう。
218
2−3:疑惑と放浪のニュータウン︻?︼︵前書き︶
※今話までの﹃G﹄の表記を﹃ゴールド﹄へ変更しました。
219
2−3:疑惑と放浪のニュータウン︻?︼
金が無くて断念した食べ物の店まで戻って来た。扉はいつの間に
か付け直されているようだが、ボルトの刺さっていた場所のみは未
だに傷ついている。
扉を開けると、少しヒンヤリとした涼しい空気が近くを流れてい
く。気持ちが良い。適当に見渡して開いている席まで歩いて、そこ
へ座る。ウサギも左肩から飛び降りると、目の前に設置されている
机で力を抜いていた。
一息。
一二〇〇ゴールドで海の定食とやらを一つ、ウサギには無料な水
を注文する。武器屋でも海のモンスターを素材に使ったナーブルナ
イフを買ったのだが、海が人気なのだろうか。もしこの街でスズの
行方がつかめない時は、海の方へ遠征してみるのもいいかもしれな
い。
﹁や、テイマーなんて珍しいね﹂
不意に、そんな声を掛けられた。
この反応は何度目だろうと思いつつ、声の方向へ顔を向ける。
最初に目に付いたのは余りにも綺麗な薄紫色の髪で、次に印象を
受けたのは左腕に装着されたクロスボウだった。
薄紫色の薄着のような装備を身に包み、その上から外套を一枚纏
っている。目はショートの髪と同じように薄紫色を称えていて、猫
目の様に感じられる。
そして、見て理解した。最初にこの店に来た時に遭遇した修羅場
を引き起こした張本人であり、扉に穴を開けたりしたプレイヤーで
もあるということ。
何の用だろうか。というより、まだこの店にいたのか。色んな思
220
考を浮かべつつ、返答はする。
﹁テイマーじゃない。こいつとは偶然仲間になっただけ﹂
﹁へえ。見たこと無いスライムだけど、どこでテイムしたの?﹂
﹁企業秘密﹂
同じ質問には飽きてきた、なんて思う。
コップに入った水が来たので、ウサギの体に中身を零す。どこと
なく嬉しそうだ。ゆっくり流し込んで、水は役目を終える。空にな
ったコップを机の上に置くと、その隙にか、反対側に声の主が座っ
た。
﹁まぁ、別にそんなことはどうでもいいんだけど﹂
彼女は言う。
﹁私が撃ったボルト⋮⋮えーっと、クロスボウの矢のことね。それ
知らないかな。探してるんだ﹂
ああ、拝借したあれか。
アイテムストレージを思考感知で開いて見てみると、確かに︿鋼
製のボルト・☆☆﹀というものが入っているのが確認できる。星が
何を示してるのかは知らないけれど、はてさてどうしようか。
返そうか、と考える。しかしそれでは、危ない目にあった価値も
無ければ、今回も絡まれる理由を作っただけで拝借した意味が無く
なってしまう。今一度トラブルを呼ぶために拾っただなんて認めた
くは無い。
別にそこまで欲しいわけでは無いが、シラを切ろうと思う。惚け
れば他の人のところにでも行ってくれるだろう。
221
﹁知らない。第一、さっきこの店に入って来たばかりなんだ。何に
もわからないよ﹂
﹁⋮⋮﹂
無言で、彼女はクロスボウを向けてきた。
﹁私、別にこの店で撃ったなんて言ってないんだけど﹂
﹁⋮⋮あ﹂
﹃知らない。第一、さっきこの店に入って来たばかりなんだ。何
にもわからないよ﹄。
この台詞では、まるで、この店で騒ぎがあったことをわかってい
る風に聞こえてしまう。それに加えて先程入って来たばかりと言っ
ている辺り、かなり歪めて考えれば、一度来て騒ぎを見、去ったよ
うにも聞こえるかもしれない。
一つの台詞で殆ど犯人と断定されるとか、もう少し気を付けて発
言しようぜ俺⋮⋮なんて戦慄しつつ、冷や汗を流しながらクロスボ
ウを見つめていた。
﹁⋮⋮はあ﹂
しかし数秒後、溜め息を吐いて彼女はクロスボウを下げる。
﹁やっぱり、貴方が犯人で合ってるよね﹂
﹁⋮⋮はい﹂
正直に吐く。
その言葉を聞いて、更に大きく彼女は溜め息を吐いた。
﹁うーん⋮⋮私が騒いでる時に店に入っていたようには見えなかっ
222
たし、ずっと外にいたんだよね﹂
﹁扉の前で待機してました、はい﹂
﹁あー⋮⋮それは結構悪いことしちゃってたのかな。ごめんね、ち
ょっと激昂してて﹂
﹁別にいいけど、どうしてあんな怒ってたのさ﹂
﹁ちょっと情報を買おうと思ったんだけど、あの男、対価に私の体
を要求とかふざけたこと抜かしてきたから、一瞬で切れちゃってね。
まぁ、詫びとして安くさせて許させたけど﹂
﹁あー、なるほど﹂
そりゃ怒るのは当然だろう。しかし、現実に即しているというこ
とは、ゲームで出来なかったことも出来るということか。わかって
いたことだが、そういうことも含まれているとは考えもしなかった。
﹁それで、怪我させようとした私が言うのもなんだけど⋮⋮ボルト、
返してくれないかな。結構高いし、オーダーメイド品だから市販の
より性能が良いのよ。なんだったらゴールドも払うから﹂
問答無用でクロスボウで撃たれることも覚悟していたが、どうや
らそこまで過激では無かったようだ。
﹁別に良いよ﹂
ボルトなぞ使う予定も無い。返すことに異論は無く、アイテムス
トレージからそれを実体化させると、彼女に手渡した。
﹁あ、ありがと﹂
﹁ゴールドはいらない。こっちも誤魔化そうとしたんだし、おあい
こってことで﹂
﹁うん﹂
223
そこまで会話したことで、海の定食とやらが机まで届いた。机の
上に置かれるそれを見て、感嘆の声を漏らす。
見たこともない魚類の焼き魚。海藻の味噌汁のようなもの。白米
に似た何か。
どれもが現実のそれに似ていて、また現実のそれと違う。匂いも
何だか美味しそうな感じで、期待が出来そうだ。
﹁海の定食だね。私も、それお気に入りだよ﹂
まずは焼き魚を口に含み、咀嚼する。
美味しい。
正しく海の味、とでも言えるような味だ。塩も丁度良いが、味が
濃いためか一匹で丁度良い気もする。いや、御飯と一緒に食べるの
か。
色々と食べつつも、そういえば自己紹介して無かったなと思い至
り、口を開いた。
リース
﹁戦う生産職の︿Nought﹀。よろしくな﹂
﹁あ、そっか。まだだったね。私は︿LIRCE﹀、自由階層の戦
闘職プレイヤー。よろしく﹂
リース、ね。その名前を覚えるために頭のなかで反芻しつつ、気
になった単語について問い掛ける。
﹁自由階層って?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
﹁え?﹂
余りにも大袈裟に驚いてくるので、俺も驚いてしまう。
224
マズッたか。まさか、この世界に居る人なら当然の如く知ってい
るような事柄だったか。
後悔しつつ、言い訳を探す。しかし良い訳が見つからず、先に相
手に口を開かれた。
﹁どうしてそんなこと聞くのかわかんないけど⋮⋮説明して欲しい
?﹂
どうやら言及はしないでくれるようだ。それは助かる。
﹁頼む﹂
ここで聞かないのも何だか申し訳ないので、聞く。
聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥とも言う。知らないままでは
不便なことも多いだろう。
﹁えーっと⋮⋮まず、エディに囚われたプレイヤーには、大きく分
けて三つの括りが存在するんだ。一つは、常に最前線で戦い続ける
人達。これは上位階層って呼ばれてる。全体の一割がここに居れば
かなり良い方かな。
次に、所謂中堅のプレイヤー達。攻略に精を出すわけでも無く、
かと言って何もしないわけでもない。そんな上位階層予備軍みたい
な人達が自由階層。
そして残りが、通常階層。これは熱心な生産職を除く、戦わない
人達のことね﹂
へえ、と相槌を打つ。
俺が来たのは、この世界で四ヶ月ほどが経過してからだ。だから
きっと、いくら急激に強くなれたと言っても、それは井の中の蛙。
仮に一日で一レベルずつ上げたとすると、レベルは一二〇ほどだ。
225
この世界はMMOであるし、現実に則されているために、慎重にな
らざる負えない。そんな簡単に上がるとは思えないが、自らの現在
のレベルである三〇よりも上なことは確かだ。
俺の実力はおそらく、自由階層の半ば辺り。いや、そこまで行け
ば良い方だろう。
もっと強くならないといけない。
スズ達がどこに属してるかなんてわからない。もしも通常階層や
自由階層ならば、今日にでも見つかる可能性はある。
でも、もし上位階層なのだとしたら。
見つからなかった場合は、必然的にそうなってしまうのだろう。
戦ってほしくなんて無い。命を危険に曝してほしくなんて無い。
だからその時は、強くならないと。
もっと強く。そうして、スズ達を迎えに行く。
﹁なるほど、ありがと。助かったよ﹂
﹁どういたしまして﹂
丁度海の定食も食べ終わったため、席を立つ。
お腹も一杯になったし、スズやフーを探しに行こう。情報を集め
よう。
その前に、今目の前に居るリースという少女にも聞いておこうと、
口を開いた。
﹁︿Rin﹀ってプレイヤーは知らない?﹂
﹁知らないけど﹂
﹁︿Free﹀は?﹂
﹁知らない。どの階層のプレイヤー? 誰を探してるのかはわかん
ないけど、上位階層の人達は仲が良くない限り殆どが二つ名で呼び
合ってるから、もし上位階層なら探すのに苦労すると思うよ﹂
﹁いや、知らないならいいよ﹂
226
店の扉まで行き、扉を開ける。リースも付いてきて、日の下まで
出て来た。
﹁俺はそろそろ行くけど﹂
リースはどうする、と無言で問い掛ける。
元々付いてくる義理は無いし、そもそも半ば暇だったために、ダ
ラダラと会話していただけの状態だったように思える。
俺の言葉に、リースは﹁なら﹂と言って続けた。
﹁フレンド登録しようよ。いずれ知ると思うけど、今は私を知らな
いみたいだから、何だか上手くやっていけそう﹂
﹁随分と含みのある言い方だな。まぁ、わかった﹂
しばらくして︻フレンド申請が来ました︼という連絡と、イエス
とノーの選択肢が現れたので、イエスをクリックする。
すると︻︿LIRCE﹀をフレンド登録しました︼の文字が浮か
び、やがて消えた。
﹁それじゃ、また会えたら﹂
﹁会うよ、きっとまた﹂
別れを告げ、俺は次の目的地を選ぶために、パンフレットを取り
だした。
スズの行方を、探さないと。
227
2−4:出会いと空腹のブラッディガール︻?︼
結果的に言うと、スズの行方は欠片ほども見つかることは無かっ
た。
道行く人に訊いたり、人の集まる場所へ行ったり。訊いた皆は必
ず、︿Rin﹀という名は知らぬと首を傾げる。
この街にはいないのか。容姿についても説明したが、やはり知ら
ないようで。
ただ、フーのことだけは少しだけ知ることが出来た。
二つ名︿天才﹀。本当に才能に恵まれたりしているわけでは無く、
生産職として造り出す作品のアイデアにより、そう呼ばれるまでに
至ったそうだ。
しかしそれ以上は知ることが出来ず、行方はわからない。ただ上
位階層に居るということだけを知り、この街で会う可能性は限りな
く低いということだけが理解出来た。
スズも、上位階層なのか。
だとしたら、早く迎えに行きたいと思う。何時までも一人で危な
い橋を渡らせるなんてことは、兄として許容し難いことだから。
収穫は少ない。ただ、情報を知るための当てならば知ることは出
来た。
情報屋だ。
モンスターの情報。プレイヤーの情報。クエストの情報。ありと
あらゆる情報を対価を差し出すことで提供してくれる人達のことら
しい。リースも情報を買ったなどと言っていたから、あの時の騒ぎ
の男も情報屋の一人だったのだろう。近いうちに、リースから紹介
してもらうのも良いかもしれない。
﹁はぁ⋮⋮﹂
228
適当な大通りを、溜め息を吐きながら歩く。かなり熱心にスズ達
のことを探していたようで、気付けば既に夜。情報屋でない一般人
から得られる情報は限度があると知り、宿を探すことにした。元々
スズは人間不信であり、同時に人間恐怖症でもある。人から簡単に
情報が得られるとは考えていなかった。
そうだ。病気なんだ。なのに、彼女は俺がいないこの世界でも、
今も生き残っている。
嬉しい。でも、苦しい。一人にしてしまうことが申し訳ない。フ
ーなら一緒にいてくれるだろうが、それも気休めか。おそらく、徐
々に全てが不安定になって行ってしまうはず。スズにはああ見えて
意外と頑固なところがあるが、それは同時に、潰れるまで我慢し続
けるということでもある。だから余計に心配なのだ。
﹁ん⋮⋮?﹂
泊まれる宿を探しながら歩いていたが、不意に、左肩からウサギ
が飛び降りたことを把握した。
どうしたのだろう。スライムの青い体を頼りに視線を向けると、
ウサギが、廃れた建物の鉄製の扉の前で立ち止っていたのが見える。
そこに何かあるのかな。そんな疑問を抱きながら近付くと、ウサ
ギは左肩に戻ってくる。
﹁⋮⋮開かないな﹂
手を掛けても、何かに引っかかっているようで、開かない。⋮⋮
いや、重すぎるだけだろうか。
背負っている長剣を下ろし、試しにと、夜のため最大限に発現出
来る影の補助を全て腕に回し、思い切り扉を引っ張った。これで駄
目ならファンタジーソルジャーの片手を具現化させようかとも考え
ていたが、少しずつだが扉は開いていく。
229
三分の一を開けたところで、開いた隙間を体を横にして通り抜け
た。目の前には、扉が二つある。片方は鉄製の扉で、片方は木製の
扉だ。
鉄製の扉は小さいながらも穴が開いていたので、覗いてみる。し
かしかなり暗いのか、よく見えない。倉庫だろうか。不定形なもの
が沢山置かれていることが辛うじてわかる程度で、把握しきれない。
酷い異臭もする。中には誰もいなさそうなので、開けるようなこと
もせずに木製の扉へと視線を移した。
扉を開けると、鉄製の扉の向こう側から漏れ出ていたものと同じ
ような異臭が鼻を穿ってくる。
思わず鼻を抑え、中を見据える。最初に見えた色は、赤だ。赤。
赤。赤。一面の赤。部屋の殆ど全てが赤い液体で染まっていて、そ
の全てが血だと理解するのにそう時間は掛からない。
所々に蝋燭の光源が置かれていて、それが余計に不気味さを際立
てていた。
そしてその部屋の中央には、服が真っ赤に染まった女の子が横た
わっていたのが視認出来た。大丈夫なのか。近付いてみるが、気を
失っているようで反応は無い。
取り敢えず、血まみれで横たわる彼女を助けないと。
少女を抱き上げると、ひどく体が冷たいことがわかる。そして、
息があることも。それに安堵し、立ち去ろうと木製の扉を抜ける。
三分の一しか開けずに入ったツケが回って来たか。急いでいるん
だとばかりに右足を扉の開ける方向にへくっ付けると、前方のみに
衝撃がいくように影を爆発させた。
ガシャン、という音と共に、扉が勢いよく開かれる。その音にす
ぐに反応するように誰かの掛け声がしたので、早々にその場から離
れるように︿インストール﹀を使用した。
﹁化けろ、︿ナスラモスキート﹀。その翅を還元する﹂
230
ナスラモスキート︱︱この街に来るまでに戦った、蚊をそのまま
でかくしたようなモンスター。
虫の翅。それが装備を抜けて飛び出したことを確認しつつ、飛ぶ。
速度は殆どなく、旋回が出来る程度しか動かせないので、戦闘では
殆ど役に立ちはしない。高度を持つように高く高く飛んで下を見る
と、真下に人が集まろうとしてきているのがよくわかる。
あの人達にこの娘を預けるのが一番楽な対処法なんだろうけど、
少女は気を失ったまま俺の服を指で摘まむようにして震えていたの
で、その判断はしなかった。
何があったのかは知らないけれど、きっと、怖かったのだろう。
﹁あー、ったく⋮⋮﹂
面倒事だ。そう感じる。それでもこんな反応をする少女を見てし
まっては、自然と放っておけなくなる。
人間不信や恐怖症を発症した頃のスズも、こんな風に震えていた
記憶があった。だから何だか、心配な気持ちが強くなってくるのだ。
看病しないと。そんな考えと共に、俺は空から確認できた宿屋に、
羽を動かし旋回して直行する。
早く。速く。
簡潔にチェックインを済ませ、鍵を貰う。ツイン︱︱ベッドが二
つある︱︱の部屋の鍵を開けると、すぐに片方のベッドへ少女を転
がした。それを気にも留めず、少女の額に手を当てた。
﹁冷たい、か﹂
顔色も悪い。
そういえば、︿ロックオン﹀はHPを確認することが出来なかっ
たか。戦闘で無いから頭から自然と抜け出てしまっていた事実を反
芻しつつ、スキルを発動させる。
231
このスキルはTPもMPも必要としない。
見れば、HPが五分の一ほどまで減っていた。今も徐々に減って
きている。その事実に内心慌てながら、ポーションより一段階ラン
クの高いハイポーションを取り出して、口に含ませる。︿始まりの
街﹀の道具屋にあったものだが、合計五個しかなく、これで残りは
四つだ。
HPが回復するが、それも気休めか。再び減りだす。何が原因か
と少女の外見を確認しても、外傷は一つとしてない。自然治癒した
のだろうか。口から血が零れた跡はあったが、それも既に流出は無
く原因となり得ないか。
なら、何故HPが減るのか。わからない。混乱している俺を余所
にHPは減り続くことを止めず、このままでは現状は変えられない。
困惑する。どうすればいいのだろうか。どんな状態異常に掛かっ
ているかを確認できれば良いのだけど。
そんな思考を抱く自分の頭の中に、声が響いてくる。
︱︱︿ロックオン﹀を一時的に一点集中状態にし、他の注意を断
つことでランクを上昇させますか?
よくわからないけど、イエス。そう思考感知で返答すると同時、
自分の意識の殆どが少女に向いていた。
︿ロックオン﹀の表示も変わる。名前はプレイヤーの場合、フレ
ンドになるか、そうであると確信していなければ公開されないらし
く、相変わらず確認出来ないが、その他のことがより鮮明になって
いく。
HPが。TPが。MPが。より正確に、把握できる。
相手の気配も強く感じ取れるようになり、これならばたとえ背後
に居ようとすぐに気付けるであろうくらいだ。他のことに気を殆ど
割いていないためか、それ以外のことには何も気付けなさそうなこ
とは欠点か。
そして、状態異常のことも把握できるようになっていた。
しかし︱︱
232
﹁⋮⋮え?﹂
その状態異常は、﹃超空腹﹄であった。
233
2−5:出会いと空腹のブラッディガール︻?︼
﹃超空腹﹄。
後に聞いた話だが、この世界は現実に則しているために、食事を
摂らなければ死に至る。
自然回復もそれにより得たエネルギーによって行われ、もし食事
を怠れば、HPもMPもTPも自然回復しない﹃空腹﹄状態となる。
そしてその状態が長く続くことで身体能力も低下していき、やが
てなってしまうのが、﹃超空腹﹄という状態異常なのだ。
自然回復するのではなく自然減少し、身体能力が低下するどころ
か身体が動かなくなる。
それに陥った時点で、他人の力を借りなければ生き残れないこと
になってしまうということだ。
尤も、圧倒的に感じる空腹感には逆らえず、草を食ってでも腹を
満たすことになるだろうが。
﹁⋮⋮はあ﹂
部屋の鍵を閉めてから、かなり小さく刻んだ食料をポーションで
無理矢理流し込むことを続け、何とかその状態を﹃空腹﹄までラン
クを下がらせることができた。
HPは、既に減少しておらず、ポーションを使っていたために満
タン。MPとTPは〇であるが、バトルも何も無い今は関係の無い
ことだろう。
後は安静にしておいて、いつか起きるのを待てばいいか。
顔色は未だ優れないものの、規則の良い寝息を立てている少女を
見てそう思う。
ポーション結構使ったな、と考えながらアイテムストレージを開
く。残り一〇個丁度。微妙だ。微妙過ぎて買い足そうか迷うくらい
234
微妙だ。キリは良いのに。
﹁⋮⋮もう寝るか﹂
朝起きて、すぐにこの街まで移動を開始した。ここに来てからも
街で資金を集めたりスズを探したりばかりで、まともに休めたこと
は殆ど無かった。
そう思うと、急に具体的な疲労が体を襲ってきたような気がする
から不思議だ。先程までも感じていたはずだったが、自覚した今は
もっとダルイ。
早く寝よう。明日はリースに連絡を取って、情報屋に会わせても
らうように計らうんだ。
少女の傍から離れるため立ち上がろうとするが、服が引っ張られ
るような感覚がして体を止める。少女が、服の裾を無意識にか掴ん
できている。震えるそれはとても弱弱しくて、振り払うことは戸惑
われる。
その様子に溜め息を吐いて、剣を、自らの影を使って床に下ろし
た。腕の力と影の補助を合わせれば簡単に持つことが出来るが、ど
ちらか片方では意外に難しい。影の力を殆ど割いて床に下ろしてい
た。影は直接的にはあまり力を発揮できないらしい。
そのままアイテムストレージから、︿始まりの街﹀の誰かの廃民
家から拝借しておいた︿毛布﹀というアイテムを取り出す。自分に
掛けると、少女の眠るベッドに座ったまま目を閉じた。左肩に居た
ウサギは共に掛けられた毛布の中で蹲り、そのまま眠る。
これがスズなら一緒になって寝ていただろうが、相手は見知らぬ
女の子。俺だって健全な男子高校生。緊張くらいはするから、そん
なことはいきなりに出来ない。
居心地は良くないけれど、体は予想以上に疲労していたようで、
すぐに居心地などどうでもよくなるくらいの眠気が襲ってきた。
影の補助も、今だけは無い。やがて単純になる思考は意味をなさ
235
ぬものとなり、意識は闇の中へと落ちていった。
◆◇◆◇◆◇
翌朝。ドンッというような、何かが壁にぶつかる擬音が耳に届き、
目が覚めた。ウサギも同じように起きたようで、力無く垂れていた
スライム体が徐々に力を取り戻していくのがわかる。
音の方向へ目を向ける。背後からだ。後ろにはベッドしかなく、
ウサギも肩に乗っているため、必然的に音の主は絞り込まれること
になる。
窓から差し込む朝日は、眩しい。
光が自らの向いた方向を照らし出す。昨日はよく見えなかったが、
今ならその少女の姿がよく視認出来た。
露出する肌はほぼ真っ白と言ってもいいほどで、まるで透き通る
かのような印象を受ける。髪は金色を主張し、目は鈍く光り深紅の
色を映させる。
肌と髪の所々は赤色で染められており、服は凄惨と言ってもいい
ほどに赤色に埋め尽くされていた。
それらを見て感じる心は、綺麗だという一言。しかし、ただ単に
綺麗と思ったわけではないことは確かだった。
身長もスズほどでは無いもののフーよりも小さく、幼い身体だ。
可愛らしいし、もし笑顔を見せればそれはそれは見惚れるものとな
るだろう。
だが、彼女の雰囲気がそうはさせない。
漠然と感じるそれは、明らかな、危険という信号。︿ソウルイー
ター﹀として、化け物としての第六感が告げてくるそれは、確実な
236
る意思。
狂気、とでも言うものだろうか。血がそれを助長させ、それでも
彼女自身さえ、その狂気を恐れるような危なっかしさがあるように
思わせる。
儚く、危なく、悲しく、可愛く、恐り、狂いを感じる少女。
その全てを見て、綺麗だと。そう感じていた。
だけれどまぁ、全部イメージというか妄想の類というか、ただ漠
然とそんな雰囲気を感じただけなのだけれど。
﹁君は⋮⋮﹂
少女の目は、明らかに俺を見て怯えているように見えた。同時に
察知できるそれは、敵意か。それとも悪意か。どちらにしろ、危害
とは変わらない何か。
しかし、様子がおかしい。そんな感覚が発せられているのに、少
女そのものからは微塵もそのような気配が感じられない。
︿ソウルイーター﹀による化け物の勘は言っている。こいつは怯
えながらも、獲物を見る目で自分を見ていると。
人間としての勘は言っている。彼女は怯えながら、ひたすら恐怖
のみに身を震わせていると。
わからない。不安定、不定形、不確定。曖昧な全てが同時に存在
し、混ざり合わない。
ひどく、歪だった。
何があったら、こんなことになるのだろうか。
訳ありなのは確実か。この世界なら無理もないことだろうかなど
と考えながら、言葉を探す。
怖がらせない様にしないと。そんな考えが心を占める。
その直後︱︱
﹁ぅ⋮⋮﹂
237
ぐぅ∼、という気の抜ける音と共に、少女が力無くベッドに倒れ
ていった。
腹の音だ。
﹁⋮⋮食べる?﹂
思わずアイテムストレージから干し肉を差し出しながら、そう言
っていた。
一瞬だけ恐怖が増して、次に驚きが出て、最後に心配と警戒と食
欲が混ざり合ったような表情。
無理矢理差し出すようなことはせず、ただ待つ。
スズの世話をしていたから、よくわかっている。こういう時は自
分からは決して近付かず、相手が近付くことを待たなければならな
い。
来なくても、ずっと。
相手が怖がらない様に、ずっと。
干し肉を差し出したまま止まる自分に、少女が戸惑いを見せてい
ることがよくわかる。それでも待つ。来るまで待つ。ただ、待つ。
その時は、意外に早くやって来た。
怯えている。恐怖している。その感情を抱いたまま、彼女はゆっ
くり顔をこちらに向けてきて。
干し肉の一部を歯で千切り、少し遠くへ離れる。
そのまま咀嚼し、再びこちらに恐る恐る顔を寄せてきた彼女は干
し肉の一部を千切り、少し下がってそれを咀嚼していく。今度は先
程よりも距離が小さかった。
また千切り、また離れる。全てが無くなると、怯えを見せながら
も、何か物欲しそうな顔をする少女。距離は、既にかなり近い。
わかっているとばかりに違う干し肉を取り出すと、齧り付いてき
た。一部を千切って、少し離れて。しかし二度目以降は離れずに小
238
動物のようにその場で続けて食べるようになり、やがて干し肉に口
に付けたまま、美味しそうに千切らずにそのまま咀嚼していく。
そんな少女の頭を、気付かない程度に優しく撫でる。いつもスズ
を撫でている己には、そのような作業は苦も無く実行でき、撫でら
れていることに気付かない少女は、食事に夢中ながらもそれに満足
している様子が窺える。
そして手元の部分まで干し肉を食べきり、忘れていたかのように
自分を見る少女。
途端、怯えが戻って離れる。頭上に置いていた手も自ら離す。再
び震え始めた少女を、干し肉を片手にまた待つだけの作業に戻る。
何度か繰り返す。
何度も繰り返す。
少女の空腹が直るくらいそれを続けた後には、既に彼女の瞳には、
怯えや恐怖以外の感情も灯っていた。
不思議そうな感情。
感謝の感情。
期待の感情。
何かを求めるかのような感情。
様々な思い。それを理解しながら、今度は干し肉も無く、ただ何
かを待つ。待っているのは、言葉。
自分からコミュニケーションを取ろうとするのは愚策でしかなく、
なるべく相手に恐怖を与えないためには、相手から問い掛けてもら
うことが重要となる。
だから、今も待つ。
しかしそう時間は掛からず、彼女は口を開いていた。
﹁あ、ありが、とう⋮⋮です﹂
呟くような小さな声だ。それでも、自分から言った。
239
﹁どういたしまして﹂
笑顔で答える。声を放つ瞬間は怯えが強くなったりしたが、優し
い声音を意識したためか、その後は安堵のような表情に変わってい
た。
さて、ここからは手順を変えなくてはならない。
一度相手側から話し掛けてきた場合は、それからはこちらも適度
に話す意思を見せることで親しくなろうと近付くことができる。
話しかけてこなかった場合は、相手側から心を開いたわけではな
く、こちらから開こうとする行為のため、話しかけるのはNG。
会話と言うライン。そして彼女を安心させるような会話。それら
をゆっくりこなしていけば、自然と仲良くなることも可能となる。
急いではいけない。こちらはあくまで待つ側。話しかけるのも、
心を覗くためではなく、心を見せてもらうために行う行為。
決して自分からは歩み寄らず、ただ誘導するように待つだけ。そ
れが一番恐怖の少ない方法だと、俺はよく知っている。
自分から寄って良いのは、本当に恐怖が無くなった時だけだ。
これはスズとの触れ合いによる実体験でもあるし、カウンセラー
をしていたという御祖母さんのアドバイスでもある。
無理に近寄るようなことはせず、相手が慣れるまでただ延々と待
つ。ただそれだけ。
本当は歩み寄った方が効率が良いとか聞いたこともあるが、それ
は少なからず相手に怯えを抱かせる方法だ。たとえ時間が掛かろう
とも待ち続けることが、相手が最も怖がらない方法となる。
そこまで考えて、俺は口を開く。
まずは落ち付かせることから始める。餌付けは終了。印象はラン
クが上がり、単なる恐怖対象ではなくなった。
心のままに行動することよりも、よく考えて言葉にする方が的確
となる。
物語のように、一つの言葉だけで上手くいくことなんて滅多に無
240
い。少しずつ解き明かしていくしかないのだ。
心のままに行動するなんて、本来は空回りも良いところ。全ては、
主に主観と経験と時間によって変わるのだから。
あいつが自分のためになる何かをしてくれたから嬉しい。主観。
夏なのに長袖だから暑い、変えたい。経験。
手が無くなったその時は悲劇を気取っていたが、もう慣れた。時
間。
やることは少女の恐怖を無くすこと。
兎に角今は、ただ待つだけだ。そう思い、まず手始めにと、とり
とめのない言葉を放った。
241
2−6:出会いと空腹のブラッディガール︻?︼
会話をした。決して急ぐようなことはせず、ゆっくり、なんてこ
との無い会話を。
その結果。
﹁本当にありがとう⋮⋮です﹂
﹁うん﹂
﹁干し肉美味しかったよ、です﹂
﹁うん⋮⋮﹂
かなり早急に、懐かれた。
少女は、既に殆ど怯えを宿らせない瞳をこちらに向けながら、笑
顔を見せてくれるようになっている。無邪気なものだ。敬語にすら
なっていない敬語もどきを使いながら、俺に誠心誠意とでも言うよ
うに、御礼を改めて告げてきた。
本来はもっと時間をかけて心を開いてもらう予定だったんだけど
な、と思いつつ、そろそろ良いかなと、核心に迫る質問をしたいと
考える。
核心。つまり、何故血まみれであんな廃墟のような小さな建物に
倒れていたのか。
訊く。訊いた。すると不安そうな表情を見せ、更に再び恐怖を宿
らせながら後退した。
少し早すぎたか。後悔しつつも、状況は変わらない。そうして、
やがて少女の目が猟奇的に︱︱
﹁失礼、少し時間をいただけませんか﹂
響いた声とノックにより、俺と少女の目線は扉へと移る。
242
男性の声だ。しかし、知らない誰か。鍵を掛けているので入って
これないようだが、返事をするのだ礼儀だろう。
しかし、と少女の方を見る。明らかに怯えている。最初は俺の後
ろにでも隠れようとしたのかこちらに寄ってきていたが、先程の問
い掛けを思い出したのか途中で足が止まった。そしてベッドの方へ
戻ると、掛け布団を被って蹲り始めた。
震えている。
それを見て、仕方が無いか、という気持ちが心を占めた。事情を
訊くのは後でも出来るが、少女を怖がらせないようにすることは今
しか出来ない。
見知らぬ女の子を助けようと考えるなんて、スズと結構重ねちゃ
ってるのかな、などと思いつつ、扉に近寄る。鍵を取り出して、解
錠して扉を開いた。
瞬間、ダークシャドーの力を解放する。影を操る力。自らの影を
瞬時に手に纏わせると、目の前に現れた男の首へと伸ばし、掴んだ。
ぬるぽ。
﹁ガッ!﹂
男の口からの小さな呻き声。それを無視して続けて足を引っ掛け、
床に押し倒す。咽たようだが、首を絞めているために咳など出来る
わけがないしさせるわけもない。
数秒すると大人しくなり、一〇数秒で気を失なった。それを確認
し、振り返る。
﹁逃げよう﹂
プレイヤーだった。それも、武装した。宿屋の部屋に尋ねるだけ
で、武装などするだろうか。昨日街の通りで見た人々は、殆どが布
製の着やすそうなものだった。
243
何をするつもりだったかはわからないが、血まみれな彼女がいる
ために危害を加えられていた可能性も否定できない。少女の身を守
るためには、対話はなるべく捨て去る選択肢だった。
こちらを見つめる少女の表情は、驚愕に染まっている。当然だ。
自分のような怪しく、しかも見知らぬ人間を助けたのだ。驚きもす
るだろう。
そんな呆然とした様子の少女を横目に窓を開けると、剣を拾い背
中に影で補助しながら吊ってから、彼女に近付いて掛け布団ごと御
姫様抱っこをする。その際に抵抗されるかもと思ったが、不安そう
な瞳を向けられるだけだった。
それを見て微笑んで、部屋の鍵を捨てて窓へ向かう。宿の入り口
には同じく武装した人が待機していた。待ち人だろうう。
まったく、と溜め息を吐く。トラブルが多すぎだ。血に濡れた少
女を見つけたり、何故か武装したプレイヤーが訪ねて来たり。
服の殆どが血まみれで、口から血も出して。外傷は自然に回復し
たのか既に無かったものの、﹃超空腹﹄で倒れていた少女。
宿屋を訪ねる二人組の武装プレイヤー。不意打ちとはいえ簡単に
殲滅できたことから、自由階層プレイヤーと思われる。
外傷。武装。ピンポイントで少女のいる部屋を訪ねる。まさかこ
の娘を怪我をさせていたのはこいつらの仲間か、それともこいつら
か。
そんな妄想をしながら、窓の枠へ足を掛けた。所詮は妄想、想像。
予測でしかないそれは、確実ではない。今はただ、逃げれば良い話。
﹁朝だから、剣を背負う以外に影の補助は使えないんだよな⋮⋮﹂
だったら、違う力を。
﹁化けろ、︿ナスラモスキート﹀﹂
244
背中から虫の翅が出現したのを確認し、飛んだ。幸い宿屋の入り
口に居る武装したプレイヤーは空を見ていないので、楽に抜けられ
る。通りにはかなり早い朝のためか、殆ど人も居ない。
反対側の建物に着地し、少女を下ろす。その時に非常に強い風が
来て真っ白な安物のような掛け布団が吹き飛ばされたが、追いかけ
はしない。
翅を仕舞うと、建物の隙間の路地へ飛び降りた。
俺の能力︽オーバーライド︾によるスキル︿インストール﹀は、
制限はあれどMPやTPを使用しない。なので気兼ねなく使うこと
が出来るのだが、さすがにずっと空を飛んでいれば誰かが気付くだ
ろうから自重する。
地面に着地したところで少女を下ろし、その頭に手を乗せた。そ
うして、撫でる。
安心させるように。相手が喜んでくれるように。
スズと同じように、ただただ優しく。毎日と言ってもいいほどや
っていたことだから、何かを撫でるのはかなり得意だと自負してい
る。
彼女も、何処となく嬉しそうでもある。
﹁⋮⋮どうして助けてくれたの、です?﹂
絞り出した声。彼女の目は俺の目をしっかりと捉え、そこから離
さない。
見知らぬ他人。ましてや相手はこちらを拒絶し、しかもかなり怪
しい格好であり、何か事情を抱えているように見える。
助けることに利益などない。それなのに。
﹁まぁ、乗りかかった船だし﹂
﹁ボートに乗ればいいと思うよ、です﹂
﹁そういう意味じゃない﹂
245
頭を掻いて、言う。
﹁妹に似てるから﹂
﹁私が? です?﹂
﹁あー、容姿じゃない。状態だよ、状態。怯えてるところとか、そ
んなの﹂
怯え。スズの、最も近き感情。
この娘を見て、昔のスズを思い出した。俺が庇護するのは、ただ、
それだけの理由。
﹁何か隠してるのはわかってるし、それを話したくないのもわかっ
てる﹂
少女に手を差し伸べて、言った。
﹁それでも、もし居場所が無いなら、俺が手を貸すよ﹂
少女は俯く。
何を思っているのかはわからない。所詮、人の気持ちは人のもの。
他人には絶対に理解出来ないもの。
声は、震えていた。それは怯えか、それとも違う何かか。
﹁ありがとう、です﹂
雫。涙に濡れた顔で、少女は俺の手を取った。
何を抱えているかは知らない。それでも、放っておけなかった。
偽善ぶるつもりはない。厄介事を抱えた見知らぬ誰かのことなん
て、本来は関わりたくすらない相手だ。
246
でも、スズに似てたから。本当に、ただそれだけ。
それだけの理由。スズに似た誰か。そんな誰かがいてくれるだけ
でも、俺の心持ちは変わりそうだったから。
全ては、単なる自己満足に過ぎないんだ。
247
2−7:噂と新装のプレゼントコンディション︻?︼
﹁まぁ取り敢えず、服を変えようか﹂
宿屋から離れるように少し路地を進んでから、少女の真っ赤な服
を見て思う。
真っ赤なデザインの服ではなく血に濡れた服。こんなものを着て
いるのを見つければ大騒ぎだ。
提案には頷いたが装備を持っていないようなので、装飾屋に向か
う。パンフレットには複雑な路地の道筋もしっかり書いてあったの
で、楽に進んで行けた。これを作った人は態々街を全て回ったのだ
ろうか。それは凄いと、それならば素直に尊敬する。
しかし装飾屋の近くまで来て、気付く。店の近くに武装した人が
待機していた。近くと言っても、路地のようなところで何人かが談
笑していただけだ。こちらに気づいてはいないが、明らかに宿屋に
来た人達と何らかの関わりがあるのだろう。
少女に待つように伝えると、俺はその武装した人に近付いてみる。
三人だ。
﹁どうも﹂
﹁ん、おう﹂
﹁おはよう﹂
﹁どうした、何か用か?﹂
親しげに話し掛けてくる三人に、問い掛けてみる。
﹁何をしてるんだ、こんなところで﹂
﹁警備だよ﹂
﹁警備?﹂
248
﹁こう言えばわかるか? 最近、ある一人のプレイヤーキラーがこ
の街で異彩を放っていてな、何人もやられてるんだ。だからそいつ
を捕まえるためにな、門や重要な店をマークしてるんだ。そんで怪
しい人物を見つけたら事情聴取な﹂
﹁もしかして、昨日もいたとか?﹂
﹁おう。⋮⋮何か見たことあると思ったら、昨日のテイマーか。肩
にスライム乗っけてたから印象に残ってたわ﹂
なるほど、と納得する。プレイヤーにとってこのような施設は重
要資源の元だ。それを監視され、しかも街から出られない様に門ま
で警備されてはたまったものではない。宿屋に来たのもこの人達の
仲間だろう。何にせよ、こんなことをされているのなら比較的早く
捕まってくれるか。
しかし、テイマーと間違われることが多いな、と苦笑する。もう
テイマーでいいんじゃないだろうか。というかもうテイマーでいこ
う。訂正するのも面倒くさくなってきた。
﹁まぁ、警備頑張ってな﹂
そう言って、装飾屋に入る。ここには少女を連れてきてはいけな
いだろう。何せ警備がいる。血まみれが怪しいのは確実で、あの娘
が人を怖がっているのも明白だ。必ず寄られるとわかっているのに
つれてくるようなものじゃない。
一度戻ってそれを伝えておきたかったが、路地に戻ってもう一度
来るなんて、ただの奇行だ。怪しまれない方が良い。
しかしその場合彼女の装備を自分が選ばないといけないわけだが。
なんて考えていると、昨日と同じ声が聞こえてきた。
﹁昨日のテイマーくんかな? いらっしゃい﹂
249
この人にはテイマーではないと訂正したはずなんだけど、と思い
ながら口を開く。
﹁全体的な性能が良くて、女の子が着るような装備一式は無い? ついでにフードなんか付いてくるといいかもしれない﹂
性能と女性が着ることは当然として、フード。
彼女は人を避けていた。だから、フードはちょっとした配慮だ。
布一枚でも、何かがあるだけで気持ちは結構変わるものだから。
﹁⋮⋮変態?﹂
﹁違う、知り合いのだ﹂
﹁でも女の子の服でしょ。男に買わせるのは⋮⋮本人は?﹂
﹁人見知りなんだ、そいつ。服はかなり汚れてて使い物にならない﹂
﹁ただ汚れてるだけなら、︿消汚草﹀を入れた水にでも浸かせてお
けばいいんじゃ⋮⋮鎧とかならそれ浸した布で拭くけど﹂
消汚草︱︱確か、︿始まりの街﹀の道具屋から拝借したものにそ
れらしきものがあった気がする。
汚れを吸収する効果を持つ草、としか書いてなかったからよくわ
からなかったが、水に浸して使うのか。装備品の劣化はそうして防
ぐのかと納得した。
﹁風呂代わりにも布で拭いたりするでしょ? その時使ってる︿消
汚草﹀と同じものを使えばいいんだよ﹂
自分が︿消汚草﹀について考えているのを見て、ど忘れしたとで
も判断したのか、そう補足してくれる。
この世界では風呂代わりに消汚草を使うんだな、というような知
識も得られた。
250
しかし、と思考する。そうか。汚れは落とせるのか。ならばどう
しよう。服を変える必要は無いが、顔を隠せるものは欲しいだろう。
少女の安心感の問題的に。
﹁じゃあフード付きのローブかコートでも買えないかな﹂
﹁それならテイマーくんが買うのも普通に許容できるね。効果はど
れくらいのもの?﹂
﹁昨日買ったのと同じくらいで﹂
﹁うん、わかった﹂
俺がゴールドを払うんだよな、なんて今更なことを考えながら、
女性の言葉を待った。
﹁︿白静のローブ﹀かな。四〇〇〇ゴールド﹂
﹁はいよ﹂
ゴールドを渡して装備を受け取ると、女性はニッコリと笑う。
﹁ありがとうござしました﹂
その言葉を背に、店を出た。
残金。宿屋の金も合わせると、二八六〇〇ゴールドか。
路地まで歩きながら、警備をしていた三人の人達に目を向ける。
こちらに着いてこようとする様子は無い。少女の元まで戻り、彼女
が寄ってくるのを見ながら、しかしと考え始めた。
どこで着替えたり、洗えたりすればいいのだろう。
この世界では、生憎と装備の切り替えを瞬間的に行うことが出来
ない。︿初心者の基本﹀によると、様々な種類のモンスターに対し
て、装備を変えて対応することへの対処だそうだ。装備を頻繁に変
えることが出来てしまうと、装備の弱点を突くモンスターが出た場
251
合、すぐに装備を変えられてしまう。それでは装備システムの意味
があまりない、ということらしい。
それと同じようにアイテムの殆どは具現化が出来るが、直接アイ
テムストレージから使うことが出来ない。ポーションは飲むか傷口
に掛けるかしなければならないし、もし手から離れてしまえば自分
のものではなくなる。それを相手が拾った場合、相手が使うことも
出来る。所有者権限というものがあり、奪って使えても、アイテム
ストレージに一時間は収納出来ないらしいけれど。
話を戻すが、兎に角、装備を変えたりする場合には一度今着てい
るものを脱ぎ、具現させたものを再度着なければならない。洗う場
合についても装備を脱ぎ、それから行う必要がある。要するに目の
前の少女が下着姿にならなければならないということだ。
このゲームは元は一五禁だったらしく、下着露出がオーケーとな
っている︵それ以上はシステムにより保護されていたが、現実に則
したものとなった今では効果が無い︶。例によって︿初心者の基本
﹀に書いてある装備品の補足で、装備を変える場合、脱いでから着
る動作で数秒の時間が掛かるし、一時無防備になる上、人前ならば
恥ずかしい思いをしなければならないと書かれていた。そのためモ
ンスターとの戦いに有利になるという利点はそれに耐えなければな
らない上、どちらかと言うとデメリットの方が大きいという仕様と
なっていたみたいだ。
﹁やっぱ服変えるんじゃなくて、それの汚れ落とそう。男だから買
えなかった﹂
﹁うん、です﹂
逃げた場所とは違う宿屋でも探して、早めに今日の分でも取って
おくか。そこの部屋を使えば良い。
そう考えて、パンフレットを取りだした。
252
◆◇◆◇◆◇
宿屋までは特に問題も無く到着し、前回の宿屋よりも二〇〇ゴー
ルドほど高い金を払ってツインの部屋を取った。
部屋は金が少し高いためか前回と違いランプや机などがあり、質
は変わってはいなさそうだが、設備は追加されている。
早速、︿桶﹀︵廃墟の道具屋から手に入れた︶と︿消汚草﹀を実
体化させる。水は無かったのでポーションで代替わりさせるため、
それも実体化させた。
桶にポーションを入れ、消汚草を適当に破いて中に突っ込む。す
ると、何となく桶が清浄な感じが漂ってきてくるような気がした。
﹁洗い方はわかるよな?﹂
頷く少女。
まぁ、洗い方と言うか、聞いた限りでは浸すだけらしいけれど。
﹁じゃ、俺は部屋の外で待ってるから﹂
そう言って、部屋を出ようと扉まで歩み寄る。が、途中で袖を引
かれ、振り返った。
﹁どした?﹂
袖を摘まむ少女に視線を会わせて、問う。もしかして、覗かれる
とでも考えているのだろうか。それならば鍵を部屋の中に置いてお
253
けば良い話であるため、取り出す準備をしようとする。
しかしその直前で、少女は口を開いた。
﹁行かないで⋮⋮で、です﹂
﹁⋮⋮? 別にどこにも行かないよ。汚れが落ちて、それを着直す
のを待つだけ⋮⋮って、ああ、濡れてるのは着てたく無いよな﹂
買ったばかりの︿白静のローブ﹀を具現させると、少女に手渡す。
﹁あ、ありがとう、です。⋮⋮い、いや、そうじゃなくてね、で、
です﹂
言い淀んでいる。言葉を探しているというか、言いにくいという
感じだろうか。
顔を真っ赤にして、チラチラと様子を窺ってきたりしている。そ
してやがて決心したのか、深呼吸をして、言った。
﹁い、一緒にこの部屋に居て欲しいの、で、です﹂
﹁⋮⋮え? ⋮⋮はあ!?﹂
思わず二度反応するくらいには驚き、仰け反る。
そんな俺に、少女は詰め寄ってくる。赤く頬。煽情的な息遣い。
今の台詞を意識してしまったためか、妙に色っぽく見えてしまって
いた。
﹁お、お願い、で、です﹂
﹁流石にそれは⋮⋮﹂
無理だ。そう述べて彼女の肩を押して拒絶しようとしたが、その
体に触れて言葉は止まった。
254
震えている。
恐怖に、震えている。
﹁なんで⋮⋮﹂
どうして、震えているのだろう。
彼女は、自分を見て明らかに震えていた節があった。だから、人
が怖いのだと。そう勝手に解釈して。
でも、少なくとも俺はもう平気なはずなのだ。なのに、なぜ震え
る必要がある。恐怖する必要がある。
その理由は。その訳は︱︱
﹁ひ、一人⋮⋮一人になるの、怖い、で、です。近くにい、いてよ、
くださいです﹂
︱︱ああ、くそ。
頭を掻く。深呼吸をする。
﹁⋮⋮わかった。ただ、後ろ向いてるから、服脱いだら先にローブ
を着といてくれな﹂
﹁りょ、了解、です﹂
人が怖い。人と触れ合いたい。
人が恐い。人と関わりたい。
反対言葉。反対相思。
こんな簡単なことも忘れていた。こんな当たり前なことを忘れて
いた。
人が怖いから触れ合いたくないのではなく、人が怖いけど、触れ
合いたい。
人が恐いから関わりたくないのではなく、人が恐いけど、関わり
255
たい。
寂しいから。一人は嫌だから。
それはスズとまったく同じ症状で。一人がずっと辛くて。
これは拒絶するべきではない。
そう判断した。
﹁じゃ、じゃあ、着替えます、で、です﹂
まぁ、どんな壮大に判断しようと、ただの着替えなのだけれど。
256
2−8:噂と新装のプレゼントコンディション︻?︼︵前書き︶
※変わり映えしないのもなんだかなぁと思い、弦闘シリーズのデザ
インを変更しました。
257
2−8:噂と新装のプレゼントコンディション︻?︼
後ろから衣擦れの音が耳を打つ。気にしないように意識しようと
も、意識すればするほど音が明確になって逆効果だったことに気付
く。
どうしてこんなところまで現実っぽくしてくれたのだろう、︽A
I︾は。
素数を数えることも考えたが、止めておく。取り敢えず気を逸ら
すためにステータスでも確認しておこうと思い、思考感知でメニュ
ーを開いてステータスを展開した。
現れる、数値。HP、体力。MP、魔力。TP、技力。STR、
筋力。VIT、堅さ。DEX、命中力。AGI、俊敏。INT、魔
術的攻撃力。WIS、魔術的防御力。LUK、運。
そしてそれに自由に振り分けられるポイントが、二九〇余ってい
る。まだ一度も振り分けてはいない。
職業の方にも目を向けた。決まっているのは片方、︿ソウルイー
ター﹀。︿生産系統﹀はそのまま決まっておらず、何の効果も無い。
昨日宿屋に戻ってから振り分けや選択をしようと思っていたが急
なトラブルがあったのだ。着替えが終わったらすぐに決めよう。
﹁あ⋮⋮え、えと、あの⋮⋮です﹂
衣擦れの音が無くなった直後に、声を掛けてくる少女。着替えが
終わったには早すぎるか。そも、許可が無ければ振り向きはしない。
冷静を装いながら、何だと返す。少女はそれに、詰まりながらも
答えた。
﹁か、体も⋮⋮よ、汚れてる、です﹂
258
︱︱ああ、そりゃ服が血まみれなら体も血まみれだよな。髪にも
赤が付いてたし。
アイテムストレージから素早く︿布﹀を二枚を実体化させ、真後
ろに置く。それに近付いてくる少女を意識しながらも、平常心を保
ちながらメニューをステータスにゆっくり戻していった。
やがて布を取って行ったのを理解し、知らず知らず息を吐く。だ
って、あれだろう。衣擦れの音が終わってから取りに来たというこ
とは、実質後ろにいる彼女は殆ど裸なわけで⋮⋮。
そこまで考えて、俺は思考を止めた。
服を入れ、布をポーションに浸したのか、水滴が無数に落ちる音
が耳に届く。続いて、衣擦れとは違う肌を擦る音が聞こえてきて、
髪を撫でるような微かな音も響く。
しばらく経つ。終わったのか布を桶の中に戻したような水のざわ
めき。衣擦れの音が再び短く聞き取れるが、すぐに終わって声を掛
けられた。
﹁お、終わったよ、です﹂
﹁う、うん⋮⋮﹂
振り返る。少女はしっかりとローブを着ていて、その姿を見て安
心する自分。桶の中には確かに血まみれだった服が入っているが、
既に三分の一ほど薄められていて驚いた。
鎖の模様が入った、白いフード付きローブ。血の汚れを落としそ
れを着た少女は様になっていて、思わず感嘆が漏れる。
しかしあの後に、慌ただしく頬を上下させる恥ずかしげな少女に
近付くのは戸惑われ、少し気まずい空間が続いた。
やがて沈黙に耐えられなくなった俺は口を開いて、言う。
﹁えっと⋮⋮じゃあ俺も着替えるから、出来れば後ろ向いてて﹂
﹁わ、わかった、です﹂
259
言われた通りに後ろを向く少女。アイテムストレージから弦闘装
備一式を取り出して地面に置くと、ウサギを下ろして服を脱ぐ。
そのまま服を︿消汚草﹀のポーションの桶に入れようとしたが、
止めた。
しばらく呆けていたが、警備の人達や装飾屋の人達の反応を思い
出し、納得する。
改めて服をアイテムストレージに仕舞うと、︿弦闘の衣服﹀、︿
弦闘のグローブ﹀、︿弦闘のボトムス﹀、︿弦闘のブーツ﹀。それ
ぞれを着こなし、ステータス画面に映る自分を客観的視線で眺めた。
赤と黒、偶に白色が混ざる衣服。長袖で、頭を除く殆どの場所を
包んでいる。グローブは手首から肘までの半分ほどまで長さがあり、
結構薄く、何かを持ったりするのに支障は無さそうだ。
﹁終わったよ﹂
声を掛ける。が、振り向かない。どうしたのかと思い近付いて肩
に手を置くと、ビクッと驚いた風な雰囲気を出してから、こちらに
振り返った。
﹁に、にに、似合ってるよ、で、ででです﹂
﹁あ、うん⋮⋮君も似合ってるよ﹂
﹁ど、どどどうも、です﹂
緊張していたのか、ガチガチな少女の頭を撫でると、すぐに少し
距離を取る。
よくよく思い返すと、ローブという名の少し厚い布一枚の向こう
側は殆ど裸だった。
ロボットのような動きながらも不思議そうな顔を見せる少女に苦
笑いを返し、机近くにあった椅子に座った。
260
ウサギも、左肩に乗ってくる。
﹁ちょっとやることあるから、自由にしてて﹂
﹁うん⋮⋮で、です﹂
そう少女に言ってステータスを開き、職業欄へ移動する。そこか
ら︿生産系統﹀までいくと、派生している職業に目を通した。
今、決めてしまおう。
そこにあるのは、鍛冶師、錬金術師、裁縫師など、一般的な通常
派生。ここまでは普通か。しかし最後にはそれに加え、︿スキルメ
イカー﹀という職業があった。
俺は、暢気に生産などやっているようなつもりは無い。だからと
戦闘に関係しそうな︿スキルメイカー﹀を迷わず選択すると、シス
テムメッセージが頭を流れていった。
︱︱職業選定。︿生産系統﹀。
︱︱職業︿スキルメイカー﹀。選定完了。
それが届いてすぐ、その職業の効果を確認するために職業欄から
︿スキルメイカー﹀の部分をクリックする。すると、職業の説明が
出てきたので、読んだ。
︱︱職業︿スキルメイカー﹀。スキルを操る者。ありとあらゆる
スキルに完全適応出来るようになり、︿ロックオン﹀した相手がス
キルの予備動作を行った場合、スキルの名称がわかるようになる︵
名称は選定前でもわかるが、この職業以外を選んだ場合消える︶。
クラススキルとして︿スキルコレクション﹀、クラスアビリティと
して︿スキルコンディション﹀を取得する。尚、スキルには補正が
付くが戦闘に補正が付くわけではないので注意が必要。
それを読んでから、先程取得したスキルやアビリティの確認へ移
る。
︱︱︿スキルコレクション﹀。どんな行動にも、任意でスキル同
様の恩威を得ることが出来る。どれほどの恩威を受けるかによって
261
TP又はMPの消費量が変わる。
︱︱︿スキルコンディション﹀。スキルを少しだけ自由に操るこ
とが出来る。
それを読むと、職業欄を消した。
ポイント振り分けへ移行し、思考する。どう振り分けるべきだろ
うか。
HP。生命力。それにした場合、モンスターの力で補うことの出
来ないものを補強することが出来るし、生き残り易くなる。
STR、筋力はどうだろうか。モンスターの力を扱うためにそこ
まで必要ではないとは思うが、モンスターの力プラス、ポイントに
より追加される筋力分があれば、より強化されるだろう。素の筋力
はモンスターの力に上書きされてしまうので、プラスされるのはポ
イント分だけだと思うけれど。それに、ダークシャドーの特性であ
る影を操る力も︿空想の剣﹀を持つ以外に補助を割けるようになる
︵片手をファンタジーソルジャー等に変えれば解決なのであまり意
味は無いのだが︶。
DEX。命中力。命中は確かに必要だ。遠距離から攻撃する場合
においてこれほど必要なものはないし、遠距離攻撃型のモンスター
を取り込むこともいつかあるだろう。狙った場所へ攻撃を当てられ
るというのは非常に魅力的だ。ただ、遠距離攻撃型モンスターなら
ば命中の補正もオプションで付いてるとも思うし、STRのように
追加分だけプラスされようと然程変わりは無いだろう。
VITは防御力、及び体力。皮膚の堅さや文字通り肉体の体力な
どに影響する。WISは魔術的防御力。二等分にしなければならな
いし、それならば最初はHPを上げておいた方が効率が良いかもし
れない。モンスターの力でこの二つの値は上書きされるし、やはり
先にHP上昇に徹するべきだろう。
AGI。俊敏、素早さ。攻撃の速さや自らの素早さが強化されれ
ば、事を有利に進められるようになるはずだ。
LUK。運。︿初心者の基本﹀には、確か麻痺などの状態異常の
262
確率、生産系スキルの成功率︵成功率のみ。強化の大きさには関係
しない︶等と書いてあったような気がした。アイテムドロップもあ
った気がするが、殆ど現実になった今ではあまり関係ないものか。
状態異常耐性についてはその属性に耐性のあるモンスターの特性等
を反映させればいいだけだろうし、スキルメイカーは普通の生産職
業とはおそらく違う。LUKはあまり関係なさそうで、判断的には
必要としない。
魔術的攻撃力であるINT。︿初心者の基本﹀によれば、魔法系
のスキルは詠唱を必要とし、魔法使いはソロプレイ︵一人でゲーム
を進めること︶に向いていないと描写がある。属性が付き、威力は
強力らしいが、一人になった時に戦えるようにするために、魔法は
あまり覚えないのが賢明であろう。INTはそこまで必要としない。
最後に、MPとTP。殆どのスキルに消費するエネルギー。これ
は必須だ。俺の能力の欠点としての一つには、モンスターの力は引
き出せようとも、そのモンスターの使っていたスキルは引き出せな
いというものがある。一〇〇%まで引き出してモンスターそのもの
となれば可能かもしれないが、それはあまりやりたくないものだ。
元の体と違いすぎて脳に影響が出るかもしれないし、何よりも体に
慣れがない。人型とは一七年も付き合ってきているが、モンスター
の体なんてのは未知のもの。一部なら兎も角、全身など操作しにく
いに違いない。必殺の一撃などのためにも、やはりスキルは必要だ
ろう。
ここまでの考えての結論。現在必要なのは、HP、MP、TP、
AGIだろうか。STRはついで程度。未来的にVITとWISも
上げる必要がありそうなので、そちらも今少し振っておくかと考え
る。
よって、HP、TP、MP、AGIに六〇ずつ。VIT、WIS
に一五ずつ。残りの一〇ポイントをSTRへ振り分けた。
これが最善かはわからないが、今以上に強くなれるのは確実だ。
263
﹁綺麗になったよ、です﹂
満足感が身を包んでいる内に丁度良く少女の服が洗い終わったよ
うで、目を向ければ、水のようなポーションに濡れ金色の刺繍が為
された白色の綺麗な服とプリーツスカートを掲げて見せてきていた。
その様子に苦笑しつつ、﹁ウサギ﹂と左肩に乗っている使い魔の
名を呼ぶ。すると俺の意思を汲み取ったように肩から飛び降り、少
女の持つ服へと飛び付いた。
﹁で、です!?﹂
驚いて離してしまったようだが、その方がウサギもやり易いだろ
う。そう考え見ていると、ウサギがスライム状の体を平面上に広げ
て服を包んでいく。
そしてしばらく経ち、その場から離れて俺の左肩に戻って来た。
﹁ありがと、ウサギ﹂
服を拾い上げ、乾いたそれを少女へ返す。水分の吸収。スライム
ならではの技能だろう。主食である水を吸収して取り込むことが出
来るのなら、こういうことも出来るのだと思ったが、正解だったよ
うだ。
この後にはまた着替えが行われたのだが、余計なことを考えない
ように思考を止めていたので割合する。
264
2−9:進展と対処のキラーインフォメーション︻?︼︵前書き︶
ここら辺りからプロットが曖昧なんですよね⋮⋮。
尽力します。
265
2−9:進展と対処のキラーインフォメーション︻?︼
職業選定。ポイント振り分け。装備新調。大雑把な、スズ達を探
すための情報収集。
殆どの目的は終わり、これからやるべきことはかなり絞られてき
た。
ポイントにより上昇したステータスに慣れるための調整、職業ス
キルメイカーのスキル及びアビリティの確認。この二つは同時にい
ずれ行うとして、今から行うべきことは既に決まっている。
﹁情報屋を紹介してほしいって話だけど﹂
昨日と同じ店で血まみれだった少女と共に座ってると、待ち人が
来たようでそちらに目を向けた。
リース。情報屋と関係を持つ自由階層プレイヤー。
スズ達を探すのは、闇雲に訊いて回るのは効率が悪すぎる。そう
判断した。昨日夜まで情報収集をし続けて、フーが上位階層プレイ
ヤーであるということしかわからなかったという事柄から、それが
よくわかるだろう。だから情報を売りに出す情報屋に頼ることが賢
明だと思い、自らが知る限りで唯一情報屋と関わりのあるリースと
連絡を取った。
少し会話しただけの間柄であるが、親切に頼みを引き受けてくれ
た。仲介にゴールドが掛かるようだが、スズの情報の為なら些細な
対価だろう。
リースが来たことにより、横で大人しくしていた少女が、俺の斜
め後ろにさり気無く移動した。外に出た時から被っていたフードを
更に深く被り、しがみ付いてくる。
その様子をチラッとリースは目を移していたしたようだが、すぐ
にこちらに向いて、反対側のイスに座った。たかが二日の付き合い。
266
あまり追及すべきではないとでも判断してくれたのだろう。
﹁そ。ある人物の情報が凄く欲しくてな﹂
﹁それって、昨日私にも訊いてきた二人のプレイヤー?﹂
﹁当たり。離れ離れになった、大切な妹と友人だ﹂
友人。友人と言えば、青葉達はどうしているだろうか。現実に戻
った時は視野が狭まっていたのか、青葉達を確認しに行く余裕が無
かった。それにプレイヤー名がわからないし、こちらで探すのは困
難であろう。偶然会えれば儲け物という感じだ。生きていてくれる
ことを切に願うし、そちらも、スズ達を見つけ出した後で探すこと
にしようかと考える。
﹁ふーん。フレンドにはなってないの? 連絡は取れるはずだけど﹂
﹁あー⋮⋮ちょっとな。フレンド登録は、忘れてた﹂
嘘。虚。偽。
何故か連絡が取れない、なんてことは言うのは止めたほうがいい
だろう。心当たりがあるとすれば一度死んだこと。理由にそれを話
さなければいけなくなるし、嘘を吐くのなら、話す理由で嘘を吐く
より、この部分で嘘を吐いた方が都合が良い。
俺の返答にリースは溜め息を吐いて、言った。
﹁抜けてるわね﹂
﹁返す言葉も無いです、かな﹂
嘘なのだから、言葉に実感は籠もらないけれど。
リースは仕方無い、とでも言いたげな顔を作り、右手の指でバツ
を描いた。メニューを開く動作だ。
しばらく操作していたかと思うと、手を止めて虚空に話しかけ始
267
める。
﹁どうも、リースよ。昨日に続いてわる⋮⋮いや、悪くないか。あ
んたみたいな変態野郎に遠慮はいらないわね。
⋮⋮なに? そんなのあんたが悪いんでしょうが。まぁいいわ。
ちょっと情報屋であるあんたに会いたいって人がいるんだけど、今
から来れる?
ん⋮⋮場所? 昨日と同じ店よ。ああ、大丈夫。ゴールドはしっ
かり用意させるから。あんたのそれも仮にも商売だからね、いちゃ
もんなんか付けないよ。
時間は⋮⋮わかった。じゃあ、また後で﹂
また後で。その言葉を切りに、少女が会話を終えたのがわかった。
今のが、フレンドによる連絡機能の一つだろう。リースとはメー
ルでやり取りをしたので使わなかったが、虚空に語りかける姿は良
い印象を受けず、不気味に見える。緊急時以外はフレンドとの連絡
はメールでやっていこうと思った瞬間だった。
﹁今から来てくれるって。よかったね﹂
リースがこちらを見つめて言った。
﹁助かるよ、ホントに﹂
﹁仲介のゴールドは五〇〇〇ね。情報はまた別になるけど⋮⋮相っ
変わらずぼったくりだわ情報屋は⋮⋮﹂
溜め息を吐く彼女に、苦笑する。
﹁そういえば、昨日は何の情報を買ってたんだ?﹂
268
気になったため、訊いてみる。
結果的に違うものを払ったとはいえ、対価に自分の体を要求され
るということはそれなりに重大なものなのではないだろうか、と予
想をしている。
質問に答えてくれない可能性も考えたが、彼女は普通に教えてく
れた。
﹁プレイヤーキラー、︿人喰い﹀の情報よ﹂
プレイヤーキラー。人を殺す者。
﹁君がもし世間知らずだったとしても、少しは聞いたことはあるで
しょ? ﹃人﹄の名を冠するプレイヤーキラーのこと。
ちょっと普通とは言い難い︿人斬り﹀は兎も角、︿人喰い﹀︿人
刺し﹀︿人潰し﹀︿人壊し﹀。プレイヤーキラー達の頂点と怖れら
れる、最凶の名を司る︿人殺し﹀。今はこの六人だけど、人の名を
冠するのは、大抵、それに足る理由がある。絶対に、関わらないこ
とが賢明だと言われるくらいに。
私が今回買った情報である︿人喰い﹀は、最近この街で騒がれて
るプレイヤーキラーだね。この街に住む自由階層のプレイヤー達で
も今頑張って行方を捜してる。門や道具屋とかには行ったかな? あそこで自由階層が交代制で行ってる警備も︿人喰い﹀対策だよ﹂
人の名を冠するプレイヤーキラー。差し詰め、他のプレイヤーキ
ラーと一線を駕すような人達のことだろうか。
﹁昨日の情報は、最近は︿人喰い﹀の被害が無いってことだったか
な。︿人喰い﹀は情報が殆ど無いから、今の程度の情報でも結構高
いのよ。私の体とかは行き過ぎだけどね﹂
269
まだ対価のことを根に持ってるようで、少し怒った様子のリース。
別に違う対価に切り替えたみたいなのだから良いんじゃないかと思
うのだが、そこは言ってはいけないのだろう。軽く女性の体を要求
した情報屋さんが悪いのだ、きっと。
俺は今日の朝に警備のプレイヤーのような人が来たこともあり、
少し︿人喰い﹀が気になっていた。
シノ
﹁そいつの名前は? 誰か殺された時って、確かフレンドに連絡い
ったろ?﹂
﹁うん、名前なら判明してるよ。えーと⋮⋮︿SiNo﹀、だった
かな﹂
シノ。その名前を覚えるように頭の中で何度か復唱しておく。
自分が出会うこともあるかもしれない。少し、注意しておこうと
思った。
﹁それより﹂
と、ここでおリースの目線が、斜め後ろにいる少女へ移る。
流石にもう、スルーは出来なくなったようだ。
﹁その子、誰?﹂
見られて若干震えだした少女の頭をフード越しに撫でながら、答
えようとする。
そして、気付く。気付いた。まだ、自己紹介をしていなかったこ
とを。
そんな大事なことを忘れていた自分も自分だが、なんて思いなが
ら自分の名を少女に伝える。名前を教えてほしいと言うと、明らか
に狼狽しながら彼女は言った。
270
シイナ
﹁し、しし、︿Sina﹀、です﹂
慌てる理由は緊張か、リースがいるからか。それとも別の何かか。
少女︱︱シイナが不安げにこちらを見上げてくるので、再度頭を
撫でてあげていると、視界の端で居心地が悪そうに苦笑するリース。
﹁︽歌姫︾さん。朗報、あと収集だ。マルクリに来てくれ。そっち
の、俺に訊きたい情報があるっていうお前さんも、一緒に来てくれ﹂
そんな空気をぶち壊すかのようにやって来たのは、昨日リースと
揉めていた情報屋。
何かあったのだろうか。怯えるようなシイナを安心させるように
撫で続ける。そも、マルクリってなんだろうと思いながら、テーブ
ルの上に置いてある水入りのコップを、左肩の上に乗る、水が欲し
いと急かしていたウサギへとぶっかけた。
271
2−10:進展と対処のキラーインフォメーション︻?︼
いわゆる
マルチクリア︱︱通称、マルクリ。
街に必ず一つあるそこは、所謂、プレイヤー達の溜まり場。
賞金首システムやNPC雇用手続き等、ここで行えることは数多
くある。しかし、現在は、それらとは何ら関係の無い、集会として
ある目的によりプレイヤー達は集まっていた。
即ち、︿人喰い﹀への対処。
情報屋とリースと共に向かった先の建物、マルクリ。その扉を開
けたリースは、堂々と中へ入って行った。
居るのは、沢山の人々。おそらく全員が、自由階層。
﹁︿人喰い﹀の住居らしきところが見つかったっていうのは、事実
?﹂
リースの言葉。それに、扉の近くに居た数人が頷く。
彼女の知り合いである情報屋は、店に来る途中に、重大な情報を
耳に挟んだらしい。
それが、今まで殆どわからなかったプレイヤーキラー、︿人喰い
﹀の住居らしき場所という。
真実かもわからない情報。その裏付けがしっかり為されているこ
とに気付いた彼は、自らの知る限りの自由階層プレイヤーをマルク
リに集め、また他のプレイヤーにも声を掛けるよう呼び掛けた。
丁度俺達の店が近かったことがあり、こちらへは直接来てくれた
らしいが。
﹁そう⋮⋮﹂
リースは少し俯くと、奥の方へと歩いていく。続こうとした俺の
272
裾が、誰かに引っ張られる感覚。振り返れば、シイナが摘まんでき
ていた。
人ごみの中は怖い。そう伝えてきている気がして、進むことを止
め、入口付近を陣取ることにする。そのまま壁に背を預けると、シ
イナも横に並んだ。
周囲の音が、止んでいく。先程まで仲間と思わしき人々と喋って
いたプレイヤー達は一斉に静かになり、彼女の。リースの言葉を、
待っていた。
小さな壇上に乗る彼女は口を開く。
﹁話を聞いて頂戴﹂
︱︱︿LIRCE﹀。自由階層ながらも︿歌姫﹀という二つ名を
持ち、それ単体でモンスターに抗える程の力を持つ﹃絶対系統﹄能
力保持者。
︽絶対音声︾という音に関する能力を持ち、その戦い方故に︿歌
姫﹀の名を携わる強者。
自由階層の、リーダー的存在。それが彼女。
情報屋から聞いた情報を反芻させ、彼女を改めて見た。
細い四肢。貧相なクロスボウ。とても強いようには見えない。け
れど、それは間違い。
見た目が全てではない。故に油断など、死に最も近き愚行。
かなり凄い奴だったんだな、なんて思う。
彼女は誰もが話を聞いているか周りを見渡し確かめると、静かに
話し始めた。
﹁まずは現状を整理するわ。
一。最近は︿人喰い﹀の被害が無かった。
二。そうかと思えば、昨日から今日までの間に︿人喰い﹀の住居
らしき場所が見つかった。
273
三。しかし︿人喰い﹀はおらず、中は蛻の空。死体が複数に渡り
放置されていたが、腐食が酷く、又⋮⋮随分前らしいが、食い荒ら
された痕があった。
こんなところかしら? どう、合ってる?﹂
﹁合ってまーす﹂
﹁お前は黙っとけボッタくり情報屋。
えー、では次に、実際に住居に侵入して隅々まで調べてくれた、
この街に滞在していた上位階層のアカリさんに話をしていただきた
いと思います﹂
リースがそう言って壇上を降り、代わりに黄髪の女性が壇上に立
った。
髪と同じ黄眼。平均以上の身長に、その体。現実で言うならば大
学生と言った年齢の彼女を見て、周りが少し騒ぎ始めていた。
︱︱おい、あれって。
︱︱︿豪遣﹀か⋮⋮?
︱︱結構なのが来たな。
そして彼女は、背中に、俺と同じように大きな武器を提げている。
巨大な斧。
彼女は俺達を見回してから、頬笑みを浮かべて言った。
アカリ
﹁こんにちわ、皆さん。私を御存じの方もいらっしゃるようですが、
上位階層、︿豪遣﹀の︿Akari﹀です。この度は、プレイヤー
キラー︿人喰い﹀について、わかっていることをまとめていく方針
です﹂
透き通るような綺麗な声。純粋な笑み。
それらの動作と、背中に吊り提げられた斧。身に付けられている
金属鎧。そのギャップによって、何とも言えないような雰囲気が出
来あがっている。
274
﹁ではまず、今回見つかった住居らしき場所が、何故︿人喰い﹀の
ものかわかったということですが⋮⋮。
上位階層側で知られる︿人喰い﹀の特徴に、死体の一部が食らわ
れているというものが挙げられます。それは︿人喰い﹀の二つ名の
元ともなっており、︿人喰い﹀が﹃人﹄の名を冠することになった
理由でもあります。今回、廃墟も同然だったその建物内部には、そ
れと同じような状態の死体が複数人、腐食した状態で放置されてい
ました。それにより︿人喰い﹀の住居の可能性が高くなっており、
唯一の手掛かりとして︿人喰い﹀の住居とするのが有力です。仮定
ですが、その確率は一〇〇パーセントに近いでしょう。建物内部に
はその他にも開けたスペースもあり、そこで︿人喰い﹀は生活して
いたと思われます。
しかし、最近は︿人喰い﹀の被害が無かったと聞いています。放
置された死体が腐食されたものばかりであり、又、中に誰もいなく、
血の汚れなども全て乾いている。このことから、︿人喰い﹀は人を
喰らうことが無くなった辺りで、どこかへ逃げた可能性があります﹂
ざわつく人々を、リースが声を掛けて静まらせる。
それを見て、アカリと呼ばれる女性は続けた。
﹁しかし、それは単なる、希望的な推測です。多くの推測の内の一
つに過ぎませんし、不自然な点が残ります。
まず、逃げたとするなら、門はどうやって通って行ったのでしょ
う。確か今は、貴方達自由階層プレイヤーによって出入りが管理さ
れていたはずです。又、多くの重要な施設も。全員の管理は流石に
出来なくとも、︿人喰い﹀は警備によって店には入れていなかった
はずです。ならば︿消汚草﹀や水の補給が困難だったはずであり、
服や体に異臭、又は汚れや血が付いている可能性が非常に高いです。
それならば出ることは困難であるはずで、又、門を突破されたとい
275
う事象もありません。
これらのことから、又別の推測も立てることが可能です。
まだこの街に留まり、機会を窺っている可能性。飢え死にした可
能性。
そしてこれは最悪な予想ですが⋮⋮他のプレイヤーキラーの仲間
に、手助けをされ、あらゆる行動を取れている状態の可能性﹂
彼女が語っているのは、全てが予測。少ない情報を元に作られた
可能性を、挙げているだけ。
それでも周囲に納得を与えられるだけの根拠や雰囲気はあり、皆
が聞き入っていた。
﹁最後の推測の場合、本当に最悪な事態となります。今まで孤立し
ていたからこそ対処が辛うじて可能であった﹃人﹄の名を携わる化
け物に、仲間を与えてしまうことになるからです。
全ての推測が間違っているという可能性もありますが、現在、東
側では、︿人喰い﹀のような手口は見られません。リアルタイムで
フレンドに連絡を取って確認しましたので、これは事実です。
南は崩壊した街でありますし、北の森は、上位階層であるとして
も、奥の方は相当な危険地帯です。西は海ですし、東側にしか向か
うしかありません。その東で被害が無いとなると、やはりこの街に
留まっている可能性までもが高くなってしまいます。
一番最悪な可能性である、手を組まれた。それを予測できる現在
の状況ならば、ここしばらくは警戒を今まで以上に行う必要がある
と思われます。
以上です。長々と失礼いたしました﹂
綺麗な礼をして壇上から降りると同時、拍手が巻き起こる。
それが続き、リースが壇上に再び立った辺りでそれは止まった。
276
﹁それじゃあ、これからするべきことを挙げていくよ。ボーっとし
てるやつも今だけはしっかり聞きなさい。
これまでは警備の時は二人以上で居ることを義務付けていたけど、
今日から三人以上ね。警備に参加しない人も余程のことが無ければ
なるべく三人以上で行動するようにして。
相手に仲間がいる可能性が挙げられた以上、推測が合っていた場
合二人じゃ絶対に足りなくなってくる。もう一度言うわ。三人よ。
絶対に三人以上で行動して﹂
﹁はーい﹂
﹁お前は黙ってろボッタくり詐欺師。一々幼児みたいに返事してん
な、腹立つ。
えー、ゴホン。兎に角、アカリさんが言っていた通りにこれまで
以上に警戒をして。常に気を配るなんてことは自由階層の領分じゃ
ないから別にしなくてもいいんだけど、三人でいることを忘れず、
一人も欠けないように、ということくらいには気をつけておいて。
私からの話も以上。三人以上のグループにならないとマルクリか
らは出してあげないから、今すぐ仲間を探して組みなさい。解散﹂
解散。その言葉と共に、周囲で声を掛け合う人達でごった返し始
める。
一人も反論するような人がいないことにリースの人望を感じつつ、
シイナを庇うように建物の隅へ移動して、後ろに隠すように体を張
る。裾を掴むシイナの震えは、そこまでのものではなくなっていた。
沢山人のいるところに連れてきてしまって、悪いとは思っている。
だけどこれは、仕方の無いことなのだ。
あの情報屋から話を訊くため。スズの情報を手に入れるため。付
いていくという選択以外に、道は無かった。
﹁あ、いたいた。おーい、ノートー﹂
277
声。視線を向ければ、こちらに手を振るリースの姿が見える。
沢山のプレイヤーが声を掛けていたようだが、全て撃沈させられ
ていた。
彼女の後ろには、先程まで壇上の方に居た上位階層プレイヤーの
アカリ、それと情報屋のマイクも付いて来ている。
﹁あんまり注目を集めるようなことは控えてほしいんだけど﹂
﹁大丈夫よ﹂
﹁何を根拠に⋮⋮﹂
フードを深く被って周りすら見なくなったシイナの頭を撫でてあ
げながら、溜め息を吐いた。
﹁あー⋮⋮どうも、こんにちわ。プレイヤー名︿Nought﹀で
す﹂
近くに来た二人に挨拶をすると、返してくる。
マイク
﹁こんにちわ。先程も名乗らせていただきました、︿Akari﹀
です﹂
﹁そういや、ちゃんとした自己紹介はしてなかったな。︿Mike
﹀、情報屋だ﹂
それぞれに名乗ってから、俺はシイナの肩を叩く。前に出なくて
もいいから、名前だけ言ってと静かに伝えた。
﹁し、︿Sina﹀です﹂
短く、簡潔に。それだけ言ってくれる。
しかしその名前に、首を傾げるものがいた。
278
﹁︿Sina﹀⋮⋮?﹂
﹁どうかしました、アカリさん?﹂
その彼女に声を掛けると、こちらを見つめた後に首を振った。
﹁いえ⋮⋮知り合いの名前に近いもので、もしかすればフードの中
はその知り合いなのではないかと勘ぐってしまいまして。
それから私の態度からか、敬語を使ってくださる方は比較的多い
のですが、敬語は使って貰わなくて結構ですよ。さん付けも止めて
くださると助かります﹂
﹁あー⋮⋮わかったよ、アカリさ⋮⋮アカリ﹂
﹁ありがとうございます。何だか、敬語では相手に敬遠されている
ように感じてしまうので、あまり好きでは無いのです。⋮⋮あ、私
の口調は素ですので、本当に気にしないでくださると幸いです﹂
ごめんなさい、と少し謝りながら、バツが悪いと言った微笑みを
浮かべる彼女。
そんな彼女に﹁気にしない﹂と返すと、マイクと名乗る情報屋へ
目を向けた。
﹁訊きたいことがあるんだけど﹂
﹁その前にゴールドな。五〇〇〇ゴールド﹂
﹁ほら﹂
予め用意していたゴールドを渡すと、改めて訊く。
﹁︿Rin﹀、それと︿Free﹀という名前のプレイヤー。その
情報が欲しいんだけど、あるか?﹂
﹁︿Rin﹀は知らないな。けど、︿Free﹀は少し知ってる﹂
279
その台詞に少し落胆しながらも、問うた。
﹁教えてくれ。金なら払う﹂
﹁いや、ゴールドはいらん。どこにでも手に入る程度の情報しか持
ってないし、初回限定サービスというやつだ。どうせもう使わない
と思うが。
まず、︿Free﹀という名のプレイヤーは、上位階層の生産職。
二つ名を︿天才﹀﹂
﹁それは知ってる﹂
﹁ああ、なら、殆どわかることは少ないな。
二つとも職業が生産。女弟子がいる。気まぐれに居場所を移る。
それくらいか﹂
女弟子。その単語に引っかかりを覚え、訊いていた。
﹁残念ながら、︿Rin﹀なんて名前じゃない。そしてそのプレイ
ヤーの情報が欲しいなら、流石にゴールドを貰うぜ?﹂
﹁いや⋮⋮︿Rin﹀じゃないならいい﹂
期待した情報は無かった。そう思い落胆している俺に、彼は言う。
﹁まぁ、俺は情報屋でも底辺の方さ。本当にその情報が欲しいなら、
上位階層の奴にでも訊くのがいいさ﹂
上位階層、か。
つまり、二人を探すためには、強くなって上を目指すしかない。
上に行かなければ、その行方はわからない。
期待していたのにそう結論付けられて、溜め息を吐いた。しかし、
けれどと思う。
280
けれど、元々そのつもりだった。強くなるつもりだった。スズ達
を危険に曝さないように。
スズ達に会うために強くならなければいけないのなら、幾らでも
強くなってやろう。
幾らでも、何度でも、戦いを。
﹁それで、ノートはどうするの?﹂
思考に沈んでいた俺へと、リースが声を掛けてきた。
﹁何が?﹂
﹁何って、話聞いてなかったの? 三人以上じゃないと出さないっ
て言ったでしょ。君とシイナちゃんで二人でも、後一人足りないよ﹂
﹁リースは?﹂
﹁残念ながら、もう決まってる﹂
その返しに、ううんと、悩む。
シイナが恐がらないような気を使える相手というのは必須条件だ。
しかし、都合よく見つかるものか。
﹁私が組みましょうか?﹂
そんな思考をする俺に、アカリから提案が出される。
流石に上位階層の人は攻略があるだろうと。そう断ろうとしたの
だが、リースは手をパンっと会わせて、有無を言わさず口を開いた。
﹁それがいいね。ノートは結構世間知らずだし、後ろの子は何だか
頼りないし。アカリさんが付いてれば安心だよ﹂
そんなことを言われては、断れなくなってしまう。
281
リースをジト目で見ていた視界に、アカリの手の平が移る。握手
の印。
﹁よろしくお願いします、ノートくん﹂
もう完全に断れない。断れるわけがない。
心の中だけで溜め息を吐きながら、彼女の差し出す手を取る。少
しの間だけだけど、よろしくという意思を込めて。
﹁よろしく、アカリ﹂
更にその合わさった手の平に、後ろからシイナが必死に手を伸ば
して合わせてくる。そんな彼女の様子が微笑ましい。自然とアカリ
の方を向くと、目線が重なる。
互いに笑い合って、俺達は手を離した。
282
2−11:試行と奥手のシャムバトル︻?︼
マルクリを出て、まず最初に口を開いたのはアカリだった。
﹁模擬戦をしませんか?﹂
互いの実力を知るために。
彼女は開口一番にそう言いだしていたので、この人を本当に仲間
に加えてよかったのかと数分しか経っていないのに自問してしまっ
た。しかし、後悔しようと既に遅い。
それにデメリットがあるわけでもない。新スキルの確認もあるし、
シイナの力量もわからないままである。更には今の自分の実力が上
位階層にどこまで抗えるかも気になっている。
断る理由は、殆ど無かった。
◆◇◆◇◆◇
時計塔の街はその性質上時計塔を中心に街が形作られており、巨
大な壁が街を囲っている。時計塔は四方全てから時間を視認できる
ために、四方全ての大通りや時計塔の近くは賑わっていたりもする。
しかし、その賑わいが届かない場所は、四か所、しっかりと存在
していた。
それは、四方からズレた八方の内、斜めとなる直線状。時計塔の
近くならばまだ騒ぎを聞き取れたりもするが、壁に近付くほどに人
はいなくなっていく。壁の直前は流石に人がいることはあるが、時
283
計塔と壁の間の微妙な空間は殆ど人はいない。
故に、モンスターの襲撃も無くプレイヤー達の邪魔も無いその場
所は、戦闘の場に最適と言えた。
﹁準備はよろしいですか?﹂
身長程もある巨大な斧を地面に突き付けているアカリは、可愛ら
しい声に比べて外見が凶悪に見えてしまう。
斧を叩きつけた時に、地面に敷き詰められた石床の一部が容易く
砕けていた。意識しないであれならば、意識して振ればどれほどの
ものか。計り知れない。
そんな思考を抱えながらも、自分は遠慮がちに言葉を放っていた。
﹁しかし、いいのか? 二対一⋮⋮いや、三対一で﹂
三対一。俺、ウサギ、シイナの二人と一匹バーサス、アカリ一人。
彼女は俺の質問に答える。軽く、それでいて挑発するような言葉
を。
﹁ええ、平気です。見た限りリースさんほど力があるように思えま
せんし、自由階層ならばまとめてもいけるはずです﹂
完全に舐めた発言だ。怒りを覚えた様に左肩で跳ねるウサギ。上
位階層と言えど、本当に三対一で。
シイナの方を横目で覗く。この娘の戦闘力はどの程度か。俺より
上だろうか、下だろうか。何もわからない。それで、このバトルで
色々と理解できるはず。
﹁では、イエスの文字を押してカウントダウンを始めてください﹂
284
︱︱PvPシステム。今回利用するのは、そんな名前のシステム
らしい。
PvP。つまり、プレイヤーバーサスプレイヤー。このゲームな
らばプレイヤーを問答無用で殺すことも出来るようだが、プレイヤ
ー同士の模擬戦も出来る。
システムで登録してバトルを始めた場合、互いに傷がつくことは
なく、認証された相手の攻撃により受ける攻撃は全てエフェクトだ
けのノーダメージに切り替わる。更にPvPシステム使用時は疑似
HP機能が追加され、受けたエフェクトダメージを疑似的にダメー
ジとして捉え計算し、本来の勝負と同じように疑似HPが減る。そ
れが〇になった時点で負けである。しかし残念ながら、MPとTP
はそのまま使わなければならない。
ただ、PvPでバトルをするなら絶対安全というわけでもないし、
本来の殺し合いで同じような結果を残せるとは限らないみたいだ。
登録したプレイヤー同士ならば絶対安全だが、他のプレイヤーのダ
メージは普通に通常HP機能へ通る。地形ダメージは疑似と普通の
ものを合わせて両方減るし、ポーションを使ったところで疑似HP
は回復せず通常HPしか回復できない。部位欠損︵体の一部の一時
的欠落。レンとの戦闘で片腕を失った時と同じものである︶も発生
しないし、疑似HPが減っても痛みは無い。
それに、不可能なことも可能になる。槍をくらいながらも近付き、
相手の苦手な超近距離戦に挑む。矢が刺さろうとと呻くことなく、
冷静に弓を撃った相手の場所を見極める。そんな痛みを無視した芸
当。
尚、PvPシステムを使いながらモンスターと戦うことでフレン
ドリーファイア︵仲間を誤って攻撃してしまうこと︶の被害を無く
そうとする実験が行われたらしいが、結果は散々なものだったらし
い。どうやらシステム使用中はシステム範囲外からの攻撃の威力は
倍以上のものになるようで、逆に危ないらしく、又PKに狙われや
すいということで実験後にPvPシステムの使用頻度は減ったみた
285
いだった。
﹁そんじゃ、御手並み拝見といこうかな﹂
目の前にあったホログラムウィンドウ。そこに映る三対一の設定
表を横目に、イエスを押してPvPシステムの登録を終わらせる。
カウントダウンスタート。残り一〇秒で、勝負が始まる。
﹁一泡吹かせてやろう、シイナ﹂
﹁やってやる、です﹂
まだシイナは、アカリに慣れていない。当たり前だ。会って数分
の相手に、人を怖がっていた彼女が心を開けるはずが無い。
けれど、この戦いで分かり合えたらいいな、なんて。
逆に恐怖を与えてしまうかもしれないけれど、戦友という言葉も
ある。本来味方同士で使う言葉だろうが、一応相手は味方。定義に
当てはまってくれるだろう。
残り、三秒。
剣の包帯を解き、ポーチに仕舞った。二メートルを超えるその長
剣を両手に構える。影の補助も使う。昼なので剣を持つことを支え
る程度しか出来ないが。
残り一秒。
剣を振り被った。相手に届かない地点で、上段に。
〇。
カウントダウンが終わった瞬間、剣を、思い切り投げつける。
一直線にアカリの元に向かう、それ自体にもかなりの重さが存在
する、回転している長剣。
しかしそれを、彼女は払う。斧を片手で振って、サイドへと吹き
飛ばす。
信じられない光景。剣は金属が敷き詰められているので、見た目
286
に反してかなり重い。それを遥かに弾き飛ばし、建物の壁に突き刺
させた。
﹁発想は良いですね。ですが、予備動作がありますから予測は簡単
です﹂
︱︱スキル、︿ソードバック﹀。
剣が空中で回転をしながら一直線に戻ってくる。それを受け取っ
て再び構え、相手を注視した。
︿始まりの街﹀の巻物販売店からはしっかりと巻物を頂戴してい
る。その一つである︿ソードバック﹀はファントムナイトやファン
タジーソルジャーと同じもの。自分のものである刀剣類を手元に呼
び寄せるという、効果だけ聞けばそれほど使い道が無さそうなスキ
ルであるが、剣を投げるというならばその限りでは無い。剣を失っ
ても戻せるという事実は大きく、故に攻撃の幅が広がるのだから。
スロット数は現在九。元々の数が三であることを考えると、五レ
ベルごとに一つ増える仕様のようだ。レアスキルなどには、強力な
もので五つスロットを使ったりするものもあるという。
現在スロットに埋め込まれているのは、スキル一つにアビリティ
五つ。︿麻痺無効化﹀︿毒耐性﹀︿貫通耐性﹀︿斬撃耐性﹀︿打撃
耐性﹀のアビリティ五つに、︿ソードバック﹀。麻痺無効化は︿始
まりの街﹀解放時の報酬らしく、いつの間にかアイテムストレージ
に収まっていたものだ。使用スロット数は三つ。無効化は流石に多
いらしい。
一つ余ったスロットはそのままだ。
﹁まぁ、勝負はこれからだよな﹂
﹁そうですね。まだ剣を弾いただけですし﹂
そういえば、俺の能力は。
287
モンスターの力を引き出し、反映させて戦う。それは、周囲から
ムカデ
見たらどんな風に映るだろうか。
例えば、と考える。例えば、百足の体色に触角を持ち、目は無数
の小さなもので構成され、体の至るところから口や目が生えている、
なんて姿を想像したらどうだろう。
気持ち悪い。不快。化け物。そんな印象を受けるのが大半であり、
故に周囲には能力を誤魔化した方が良いと結論付ける。
アカリは戦闘相手。しかし同時に一時的な仲間でもある。そんな
人の印象を悪くするようなことは避けた方が良いと考えた。
能力は影だけを使うか。
上位階層相手にそれでは失礼であろうが、これからのためには仕
方が無いことだ。
その分、能力以外は全力でいかせてもらおう。
﹁さ、精一杯力の限り取り組もうか﹂
288
2−11:試行と奥手のシャムバトル︻?︼︵後書き︶
微妙過ぎました⋮⋮。
−
所有権のある刀剣類を手元に呼び戻す。軌
これからも精進します。
※解説※
︿ソードバック﹀
−
自らに受ける状態異常・麻痺を無効化する。
道にズレが生じる程度の邪魔をされた場合、スキルは解除されてし
まう。
︿麻痺無効化﹀
−
斬撃攻撃に少々の耐性が付く。
貫通攻撃に少々の耐性が付く。
自らに受ける状態異常・毒に少々の耐性が付く。
︿貫通耐性﹀
−
打撃攻撃に少々の耐性が付く。
−
︿斬撃耐性﹀
−
︿毒耐性﹀
︿打撃耐性﹀
289
2−12:試行と奥手のシャムバトル︻?︼
﹁さて⋮⋮どうする、シイナ﹂
こちらの攻撃は、どうすれば通じるだろうか。
レベルは劣り、戦闘経験も劣り、唯一勝てる要素と言えば、数。
﹁私はデバフ︵対象を弱体化させること︶が得意だよ、です。近接
戦闘も一応出来るけど、苦手なので厳しい、です﹂
つまり、シイナは後衛職。二人同時に前線に立つのはややこしく、
フレンドリーファイアを誘発するので都合が良かったと思える。
しかし、どうやって攻めるか。
シイナがアカリのパラメータを弱体化させてくれるとは言え、相
手は上位階層。生半可な手では相手にならない。
﹁そちらから来ないならば、こちらからいきます﹂
思考が長すぎたか、斧を肩に担いだアカリが走り込んで︱︱いや、
水平に跳んでくる。
地面に水平に。レンの爆発や、自分の影の暴発と同じように、一
点の力を元に。
おそらくパラメータの構成で一番上のものは、STR、つまり筋
力がなのだと思われる。でなければ斧など使っていないだろうし、
地面を一度蹴っただけでここまでの速度は出ない。
距離は、すぐに縮まる。
﹁︿セイスミックショック﹀﹂
290
上段に振り被られる斧。それを見てすぐに、シイナと共に後方へ
回避行動をした。
白い粒子を纏う斧が振り下ろされ、石床を打つ。同時に白い粒子
が飛び散った。
地面が砕ける。
斧を中心に無数の亀裂が発生し、足元を揺らす。その地震のよう
な衝撃に重心がズラされ、尻餅を付いた。
目の前の地面が大きく、明らかに陥没している。
デザートオーガのセイスミックインパクトよりも強力な一撃。フ
ァンタジーソルジャーの三メートルの剣よりも強力な一撃。
食らえば、一発で終了だ。
立ち上がろうとするが、既に相手は攻撃の体勢で、一瞬の加速で
目前に現れた。手に持つ凶悪な武器が横薙ぎに振られ、しかしそれ
を不安定な状態から無理矢理跳び上がることで回避する。
﹁ウサギ!﹂
今の状態で俺が攻撃するのは難しい。だから、そのサポートは自
らの使い魔へ。
ウサギが空中に躍り出ると、その外見が真っ赤に染まった。ボコ
ボコと泡立てられる体のオプションも付き。その姿になったウサギ
の口と思わしき部分のすぐ傍に青い魔法陣が出現すると、加速度的
に回りだす。
︿スライムショット・バースト﹀。
次の瞬間、回る魔法陣から撃ち出される、泡立つ赤いスライム。
斧を持たない左手でアカリはそれを防ぐ。流石に片手のみで攻撃
を繋げるのは難しいようで、追撃は免れる。だが、そのスライムを
避けずに受けたのは間違いだと内心ほくそ笑んだ。
手に衝突すると、水が蒸発するかのような音を立てて籠手を溶か
す赤いそれ。
291
驚きの目で防いだ片手を見る彼女に、更なる追撃が襲いかかる。
加速の増した魔法陣から赤いスライムの塊が二つほぼ同時に撃ち出
され、今度はそれを受けずに後方に下がって回避していた。その御
蔭で余裕が出来たために地面に足をしっかりと付き、青色に戻った
ウサギが肩に戻ってくる。
﹁酸性のスライムはどうだった、アカリ﹂
﹁非常に厄介です。表面しか溶かされはしはせんでしたが、装備が
一部破損するのは予想外でした。PvPシステムも、プレイヤーの
みならず装備も守ってほしいと一段強く思います﹂
酸性と言っても、何酸なのかは知らないし、知ろうとも思わない
けれど。
赤いスライム状態、ここは酸性モードと名付けよう。あの状態の
ウサギは殆どのものに被害を及ぼし、様々なものを溶かすことが可
能だ。攻撃用のスライムを︿スライムショット﹀又は︿スライムシ
ョット・バースト﹀というスキルによって発射することも出来、︿
スライムショット・バースト﹀の場合は連射が可能となる。魔法陣
の回転速度が上がれば、その連射の速度が徐々に上がっていくが、
︿スライムショット﹀と比べて必要MPが多く、また持続度的にM
Pが必要となる。なので単発であれば︿スライムショット﹀の方が
有効だろう。
﹁それじゃ、次はこっちから﹂
スキル︿スキルコレクション﹀。
足を白い粒子が包み、それを見たアカリが身構える。しかし気に
せず地面を蹴り、アカリの元へ走り込んだ。
速度は上々。影の爆発とはいかないまでも、かなりの速さ。
292
ぶ
﹁正面戦闘ならばこちらに分が︱︱﹂
﹁こっちを見ろ! です!﹂
アカリの言葉を遮り、後ろに居たシイナが叫ぶ。大きな音がした
方向には自然と視線が泳いでしまうのは人間の性か。アカリの視線
が、一瞬だけシイナを見た。
直後、彼女の、俺を迎え撃とうと動かしていた斧。それを持つ右
腕、その肩のみが不自然に停止し、アカリは驚愕を顔に張り付ける。
﹁魔眼︿メデューサの瞳﹀、です﹂
シイナの自信ありげな声に合わせるように、剣を横薙ぎに振った。
上手く動かない右手をそのままに、地面に斧を突き立てて左手で
抑える。そんな作業を一瞬で行って、火花を散らして剣を止めて見
せた。
安堵の表情。しかし、まだその時は早い。アカリの視線が俺の左
肩に移動し、顔が険しくなる。気付いたのだ、ウサギがいないこと
を。
頭の中に鳴り響くスキル発動を告げる音声。︿スライムショット・
イクス﹀。
上空から、赤い酸性の巨大スライムが降ってくる。人の体ほどの
それは、その大きさに見合わぬ速度で彼女に接近し、回避は不可能
と思われた。
大ダメージは確実。そう考えていた俺は、上位階層を舐めすぎて
いたのかもしれない。
アカリの雰囲気が、がらりと変わったような気がした。
未だ彼女の右肩は動いていない。しかしその右手は宙でバツを描
き、かなりの速度で、俺からは見えない自らのメニューを操作して
いっていた。左手は斧から手を離し、力を入れていた剣がアカリ目
掛けて振られるが、直前で右腕の肘で斧が支えられ、ギリギリで当
293
たらずに止まってしまう。
左腕が上空に上げられ、そこにアイテムストレージから取り出し
たであろう大きな斧が実体化する。そして、降り注ぐ巨大なスライ
ムへの一閃。
スキル、︿ショックウェーブ﹀。
斧の刃から発生した衝撃波がスライムを斬り裂き、落ちてくるス
ライムを真っ二つにして回避した。二つに分けたことで片方のスラ
イムが俺の方へ飛んできたため、慌てて空想の剣を手元に戻しギリ
ギリで斬り裂く。
﹁流石上位階そ﹂
最後まで言えなかった。感じたのは圧倒的恐怖。威圧感。爛々と
輝くように見える瞳と、生き生きとした笑顔。その二つを張り付け
たアカリは元々所持していた斧を右手で掴み、右手首のみで、こち
らへ攻撃を加えようと向けてくる。
それを避けようと考えた瞬間に発動したスキル、︿セイスミック
ショック﹀。左手に持つ斧がいつの間にか上段に持ち変えられ、白
い粒子を纏っていた。
最初に来るは右手の斧。スライムを斬り裂いていた俺は剣に重心
を持っていかれていたため、その場から上手く移動できない。空想
の剣を即座に地面に左手で突き立て、︿スキルコレクション﹀によ
り力を上昇させ、手首のみで振られたこともあり何とかそれを防い
だ。
だが、問題は二撃目。
暴力を具現化したような一撃が目の前に迫る。圧倒的な力。避け
なければ必ず負けが決まる程の理不尽な力だ。
このままでは避けられない。剣を手放し、︿スキルコレクション
﹀を扱いながら、後方へ転がるようにしてすぐにその場から離れる。
体を打つ石の破片と、激しい衝撃音。
294
目を向けてみれば、数瞬前まで自分が居たところは既に粉々に。
鳥肌が立った。あんなもの、痛みが無いとしても食らいたくない。
﹁すみません。最初は、様子見をしようなんて甘いことを考えてま
した。しかし、どうやらそれは失礼に当たるみたいです﹂
アカリは言う。
﹁全力でいかせてもらいましょう﹂
微笑み。嬉しそうな顔。
楽しそうだ。
言葉に似合わず戦闘狂なんだなと苦笑してから、気を引き締めた。
295
−
地震の力を対象場所に宿す。地形
2−12:試行と奥手のシャムバトル︻?︼︵後書き︶
※解説※
︿セイスミックショック﹀
を崩すことに特化しているが、武器に宿す場合には多大な制限が存
−
−
自身と同じ種類のスライム
自身と同じ種類のスライムを撃つ。
在する。通常は自身の体に宿して使用するもの。
︿スライムショット﹀
︿スライムショット・バースト﹀
を撃つ。発動時の使用MPはスライムショットより多く、又持続性
を持つために常に少量のMPを消費するが、魔法陣を回転させてい
くことで連射が可能になり、回転が速まれば連射も速まる。尚、二
−
通常より威力の高い、自身と
撃以降は持続性のMPのみしかエネルギーを利用しない。
︿スライムショット・イクス﹀
同じ種類のスライムを撃つ。
296
2−13:試行と奥手のシャムバトル︻?︼
﹁右肩は⋮⋮動きますね﹂
魔眼とやらの効果が切れたのか、右肩を解してから、軽々と斧を
振り回して見せるアカリ。
両腕で振っていた時よりも攻撃を繋げる速度が遅いようだが、そ
れよりも大きな脅威が追加されたので寧ろ状況は悪化したと言える。
斧の二刀流。
ふたふりゅう
﹁私の職業の一つは︿二斧流﹀と言いまして、斧を二つ持った状態
でこそ真価を発揮するものです。
せんぷ
にちょう
この世界には装備制限はありませんのでこの能力が無くともこの
ような戦斧を二挺持つことも可能ですが、この職業ならば補正が掛
かりますし、条件を満たすことで手に入れられる、職業に合うユニ
ークスキルも違います。
もう一つの職業は生産系統ですので、今は関係無いですが﹂
態々説明してくれるのはこちらへの配慮か、それとも特に理由な
どないのか。
﹁そして私の能力により、程度の低い攻撃は殆ど無駄なものとなり
ます﹂
このスライムも、と彼女は表面が溶けている籠手を撫でる。
その動作を不思議に思い、使い忘れていた︿ロックオン﹀を発動
し、俺は目を驚きに見開かせた。
プレイヤー名の部分に︿Akari﹀という名が入れられている
理由は、俺が相手の名前を確信し、それが合っているから。それは
297
いい。
しかし、四つ目のゲージ︱︱疑似HPゲージが一も減っていない
のは、どういうことか。
幾ら装備の表面しか溶かさなかったとはいえ、モンスターの攻撃
に該当するものが直撃したのだ。ポーションで回復できるものでも
ないし、まして無傷で済まされるなど普通は有り得ない。
﹁私の能力の名は︽強さ前に弱きは無力︾。レベルが下に五〇以上
離れた相手の場合は状態異常攻撃を、一〇〇以上離れた相手の場合
は攻撃全てを無効化することが出来ます。又、私を対象とし発生す
るダメージが一定以下ならば、どのようなものであろうと負うこと
はありません﹂
無効化能力。説明を耳にして、舌打ちを吐きたくなった。
鎧の表面までしか届かない攻撃など、無効化できるということだ。
﹁︿ロックオン﹀、です﹂
背後でシイナの声がし、振り向こうとして、止めた。
まだ︿メデューサの瞳﹀とやらを発動しているかもしれない。
アカリも意図的にシイナの方向を向かない様にしているように見
えた。
シイナがアカリに勝つための鍵か。
そう思った。が、それは相手も同じのようで。
﹁厄介な相手である後衛は、早めに倒しておくべきですからね。⋮
⋮許して下さい﹂
︱︱スキル︿ダブルショックウェーブ・イクス﹀。
二つの戦斧をクロスするように前方へ構えると、白い粒子が渦巻
298
きだす。
同時に振られ、放たれた衝撃波。巨大な二つの斬撃が、後ろに居
る相手へ。
﹁︿ソードバック﹀!﹂
音声認識の方がスキルは確実に発動できるため、土壇場では有効
だ。
︿ソードバック﹀を利用しながら、シイナがいると思わしき場所
へ全力で走り寄る。次いで︿スキルコレクション﹀を発動し、又、
剣を持っていないために使用可能となった影の補助による爆発も利
用して。
すぐに彼女の居る場所へ辿りついた。
職業︿ソウルイーター﹀の直感が、第六感が告げてくる。ここは
危ない。すぐに攻撃が来ると。
シイナを、目を見ないように抱き上げ、同じようにスキルと影も
併用してすぐにその場から離れる。直後、真後ろを過ぎ去った空気
を裂く轟音。冷や汗が流れた。
剣が戻ってこない。そのことを不思議に思いアカリに視線を向け
ると、片足で︿空想の剣﹀を抑えていたのが確認できた。
更なる攻撃も。
︿ショックウェーブ﹀。右手の斧から衝撃波が放たれると同時に、
再び思考を遮るスキル名。
︿ショックウェーブ﹀。最初に放たれた衝撃波を避けようと動き、
左手の衝撃波が放たれた直後、再び脳裏を過ぎるスキル名。
︿ショックウェーブ﹀。︿ショックウェーブ﹀。︿ショックウェ
ーブ﹀。
﹁く、ぁあ⋮⋮!﹂
299
全てを避けるために尽くす全力を。影の爆発により建物の壁に足
を付けば、それと同時に︿スキルコレクション﹀によって瞬間的に
その場を飛び去る。地面に足を付く前に足元に影を集め、落ちた直
後に転がるように迫りくる衝撃波を避けた。
避けて、そのまま立ち上がる間もなく次の攻撃が。ウサギが肩に
乗ったまま青いスライム状態で︿スライムショット・イクス﹀を放
つが、しかし衝撃波は易々とそれを斬り裂いてくる。それを視認す
る頃にはスキルと影の爆発を同時に使い、攻撃を免れる場所へ。
休む間もない怒涛の攻撃。まだそれは続き、必死に避け続けた。
両腕にシイナを抱えている。影の補助を十全に使えない。不利な
条件が二つ。
﹁く、そ⋮⋮!﹂
息が切れる。三〇レベル台になって、初めて息が切れる。
影の爆発の連続利用。スキルの連続利用。両腕に余計なものを持
ちながら全力で動き続けていること。
どれか一つが原因か、二つが原因か、或いは全てか。どちらにせ
よ、このままでは勝てるわけがない。
そもそも、何故ここまで正確に狙って来れるのだろう。シイナの
目は見ないようにしていたはずだ。幾ら意識していたとしても、こ
こまで正確ならば流石に目を一度くらいは見てしまってもおかしく
ない。
横目にアカリを確認して、驚愕する。目を瞑っていた。
﹁音、です﹂
腕の中でシイナが言う。
﹁足音という限定された音だけを、集中し、意識して、私達の場所
300
を見つけ出してる、です。
多分︿聞き耳﹀のスキルを持ってるかもだから出来てることだろ
うけど、ここまでの技術は相当なものだよ、です﹂
言葉が続く間にも、攻撃を避け続けていた。
しかし衝撃波の量が、唐突に少なくなる。二分の一程に、変わる。
アカリの右手がメニューを操作しているように見えた。︿ロック
オン﹀に映る三つ目のゲージが、明らかに減っていることが確認で
きた。
TP不足。取り出そうとしているのはそれを回復するためのアイ
テムか。
チャンスはこれを逃しては、無い。だから、迷わず奥の手を使お
う。
﹁シイナ、今からは自力で頼む﹂
衝撃波の隙間を縫って建物の隙間へシイナを下ろし、頷く彼女を
見届けてアカリの方へ走る。衝撃波が迫るも、先程はこの二倍を、
シイナを抱えて避けていた。そう考えると、こんなものはイージー
モード。
彼女の手にアイテムが実体化するのが見えた。ウサギが︿スライ
ムショット﹀でスライムを放つと、目を瞑ったまま足音だけに注意
していたためか、スライム発射音に反応せず、手にスライムが衝突
して、アイテムを取り落とす。
ここでようやく、彼女は目を開いた。
﹁狙いどころは良いですが、状況は最初と変わっていませんよ﹂
アカリ一人に対し、ウサギを連れた俺一人。後ろにシイナ。
違うところと言えば、アカリのTPが不足していること。しかし
301
こちらは剣を失っているため、良くて五分五分と言ったところか。
﹁これから変えるんだよ﹂
手を伸ばし、引き出す。望むものを。具現化︱︱
つるぎ
﹁それ、は⋮⋮﹂
﹁︿幻想の剣﹀﹂
プログラムコードプレイヤーシステム︽オーバーライド︾。それ
に宿るスキル︿インストール﹀、この身に取り込んだ力を呼び出す
力。
その対象は何もモンスターだけでなく、装備にも適用される。
手首の先から三メートルの刃となっている右手を見て、笑った。
引いて、構える。俺だけが、ギリギリ攻撃の届く距離で。
﹁自動詠唱完了、︿ツタ縛り﹀⋮⋮です﹂
斧では俺へは届かない。迎撃できる距離まで踏み出そうとしてい
たようだが、突如石床から石のツタが生え、その足を掴むことで制
される。
よくやった、と、シイナへ心の中で賛辞を送った。
︱︱スキル︿スキルコレクション﹀。
剣を、突き出す。
︱︱スキル︿ソードバック﹀。
︱︱スキル︿スキルコンディション﹀。
斧を重ねて防ごうと動く。だが、それを妨害するようにスキルを
使って見せた。
彼女が足で抑えている剣を揺らす。このタイミングで引き戻そう
とすることで、彼女の行動に差異を作る。
302
少しだけ重心がズレた。しかし、それで十分だ。突きとは最も厄
介で防ぎにくい攻撃方法。防御を抜け、刃は簡単にその体を貫いた。
赤いエフェクト。血は無く、ゲームと同じようなただのエフェクト。
それを見て、笑みを浮かべる。が、
﹁終わりですね﹂
アカリは何でもないように左手で剣を掴んで、刺さったまま、止
めて見せた。彼女が片手に持っていた斧が、音を立てて地面に落ち
る。
顔が引き吊った。剣は体と繋がっている。だから、離して回避な
んて芸当は出来ない。
﹁刺したまま引くのが遅いのは、明らかな隙です。ましてや痛みが
無いのですから、尚更すぐに引かなければなりません。
まぁ、素人には難しいでしょうけどね﹂
ウサギがスライムを撃つが、鎧に防がれ、能力によってダメージ
が通らない。
﹁槍は強いですが、それはリーチが長いから、なんて安直な理由の
みではありません。リーチを生かして近付かせず、一方的な攻撃が
行えるからこそ強いのです。それをするには突きと引き戻しを連続
で行うことが必須であり、そのためには素早い反復練習が必要とな
ります。剣がどれだけ長くなろうと、槍と同じようにはなれません﹂
白い粒子を纏う斧を右手のみで上段に構え、アカリは言った。
﹁何が言いたいのかというと⋮⋮つまり、私の勝ちです﹂
303
︱︱スキル︿セイスミックショック﹀。
剣を手元に引いた彼女は、引き寄せられた俺へ向けて斧を振り下
ろす。
それを避けようと頑張ろうと、彼女が手の平から伸びた剣身を掴
んでいるために出来ることは無く、無駄な抵抗。
戦斧の刃部分が頭にクリーンヒットし、疑似HPゲージが真っ白
に染まった。
304
2−14:反省と散策のナイトガード︻?︼
﹁⋮⋮本当にすみませんでした﹂
﹁あーはいはい、もういいよ。⋮⋮アカリさんが戦闘狂なのは知っ
てたしね﹂
勝負は俺達の敗北で決した。俺が居なくなった後、すぐにウサギ
が散らされ、シイナは敗北を認めて降参した。
そして現在。走ってやってきたリースに、説教をされているアカ
リ。
何故怒られているのか。それは酷く簡単な理由だ。本当に単純な
ものだ。
まぁつまり、建造物壊しすぎました、てへっ、ということである。
アカリの大胆な攻撃。それにより付近が物凄く変形しており、地
面も建物も例外無くボロボロ。
勿論そんなことになれば轟音が鳴る。幾ら人がいないと言っても、
それはこの通り近くのみなわけで、東西南北の四つの通りには居る
ために、音は微妙に届いている。
そこから情報が拡大し、リースがやってきた。惨状を見て、唖然。
そうして、アカリの平謝りが開始されたのだ。
﹁でも修理代はいただくから。生産職の奴らに頼んで修復しないと
いけないし﹂
﹁え⋮⋮いえ、あの、今は手持ちが﹂
﹁稼げばいいよね。簡単に集まるでしょ、上位階層だもの﹂
﹁⋮⋮はい﹂
まったく、とリースは頭を抱える。
305
﹁上位階層は地形を呼吸するように破壊するような馬鹿野郎が多い
って聞いてたけど⋮⋮知り合いの建築師が、上位階層にはならない、
というかなりたくない、とか言ってた理由もわかる気がするわ。毎
回こんな壊されてたら引っ張りだこでしょうね、地形を直せる生産
職﹂
﹁うぐ⋮⋮だ、大丈夫ですよ。破壊しない人も結構いますから﹂
﹁それでも貴女が破壊する側なことには変わりは無い﹂
空しい抵抗をさらりと受け流して、リースは溜め息を吐いた。
﹁はあ⋮⋮︿人喰い﹀かと思ってきてみれば模擬戦って﹂
リースはそう言って、周囲を見渡していく。修理費の計算でもし
てるのだろう。
しかし、︿人喰い﹀と聞いて、気になることがあったので口を開
いて訊いてみた。
﹁そういえば、三人行動じゃなかったっけ。残り二人は?﹂
﹁ここに近付かないようにプレイヤー達を誘導中。無駄になっちゃ
ってるけどね﹂
まぁ、もうどうでもいい、と言ってリースはこちらを見る。
﹁それで、勝てたの? 負けたの?﹂
﹁負けた﹂
﹁でしょうね﹂
当然のように言われた。何かの感情が胸に浮かぶよりも先に、上
位階層と自由階層の壁のようなものを感じて、少しだけ戸惑った。
勝てないのが当たり前、みたいで。
306
そんなに、上位階層と自由階層は違うのだろうか。
﹁でも、しっかりとした攻撃を当ててきました﹂
アカリの言葉に、少なくない驚きの雰囲気を発するリース。
﹁へえ、やるじゃない﹂
そう言って、リースは本格的に修理費の清算に入ったようだった。
肩を竦め、シイナと共に二人の近くから離れて、もはや崩れた瓦
礫となった建物の残骸に座る。
﹁お疲れ、シイナ﹂
﹁うん、です﹂
彼女は、少し落ち込み気味で返事をして。
俺は微笑んで、その頭をフード越しに撫でてあげた。
﹁負けたのは、シイナのせいじゃない﹂
﹁⋮⋮どうして考えてることわかったの、です?﹂
少しだけ嬉しそうに、こちらを上目遣いで見つめてくる。
﹁妹が居たから﹂
﹁それは理由になってないよ、です﹂
﹁妹も、そうやって全部自分のせいだって抱え込むんだ。昔からそ
う。今だって、きっと何処かで⋮⋮俺がいなくなったのは自分のせ
いだと、自らを責めてる﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁まぁ、言ってもわかんないか。でも、抱え込んでるのを見て、俺
307
はいつもこうして頭を撫でて、言ってやってたんだよ。﹃スズのせ
いじゃない﹄、って﹂
﹁⋮⋮でも、私は⋮⋮私がもっと戦えていれば⋮⋮﹂
少しだけ、撫でる手を強めにした。
﹁シイナのせいじゃない﹂
﹁そんなの﹂
﹁嘘じゃないよ。事前に打ち合わせをすることもしなかったし、俺
は能力を十全に使っていなかった。どちらかと言うと、これは俺の
せいだ﹂
そう言うと、彼女は顔を上げて、俺の目を見ながら勢いよく言い
放った。
﹁貴方のせいじゃない! ⋮⋮です!﹂
自分のせいにして、俺を絶対に悪くさせないようにするところも、
またスズと同じ。
本当に、似ている。
だから俺は、プロット通りにその言葉を放つんだ。
二度目の言葉を。
あの時と同じように、同じになるように。再現をする。
記憶を辿るだけ。
全てを揃えて。全てを台本に沿って。
全てを。
﹁なら、誰が悪いんだ?﹂
口を開いてそう、問い掛ける。
308
﹁私は⋮⋮足手まといだった、です。貴方が私を庇ってなければ、
あの沢山の攻撃を避ける時ももっと楽になって、もっと動けてたは
ず⋮⋮です。だから﹂
彼女は後衛職だった。だから、庇われるのは仕方が無い。
そして相手が厄介な方から片付けようとするのも、普通。基本的
にどんなゲームにおいても魔術師は貧弱で、しかし絶大な影響を仲
間に及ぼすのだから。
彼女の台詞に、頭を振って答えた。
﹁シイナは精一杯やってくれたよ。だからこれはきっと、誰もが悪
くないことで、誰もが悪いことなんだ﹂
﹁どういう⋮⋮﹂
﹁そのままだよ﹂
笑って、言う。
﹁そのままの意味。難しく考える必要は無いよ。あの時こうすれば
よかったとか、あの時こうしていなければ、とか。考えることは無
いんだ。
シイナは自分が悪いと思ってる。でも、俺はそうは思ってない。
俺は自分が悪いと思ってる。でも、シイナはそう思ってない。
だからこれはきっと、誰もが悪くないことで、誰もが悪いことな
んだ﹂
シイナを、それ以上は何も聞かないとでも言う風に、抱き締めた。
過程なんてどうでもいい。結果だってどうでもいい。
納得だって、出来なくても良い。
相手が自分を悪くないと本気で思っていると、そうわかってくれ
309
れば。それだけを理解してくれれば。
昔は確かに、そんなことを思ってスズを慰めたんだ。
﹁⋮⋮あー、お二人さん? 修理費計算し終わったし、私帰るよ?﹂
聞こえたリースの声で、俺とシイナは正気に戻った。
桃の匂いが︱︱。
急いで離れたが、シイナも意識してしまったようで、その頬は、
徐々に赤く染まっていった。恥ずかしかったのだろう。慌てている
ような雰囲気が窺える。
フードで顔を隠しながらなので、色々とあれだが。
俺の方も、結構なことになっているのだろうか。今目の前にいる
のは妹ではなく、今朝着替えを部屋で一緒にした女の子。封印され
ていた記憶が解かれそうな感覚を抑えるように、頭に手を当てて掻
き回す。
﹁初々しいねぇ⋮⋮﹂
そんな捨て台詞のようなものを吐いて、リースは去って行った。
◆◇◆◇◆◇
未だ顔を赤くして黙り込むシイナ。今朝の記憶が若干思い出され
て気まずい状態の俺。
項垂れていたアカリはマルクリに入って行った。付いて行こうと
したけれど、シイナに裾を引いて止められて、入り口近くにあった
310
ベンチに二人で座っている。人が沢山いる場所にはあまり行きたく
ないのだろう。
しかし、このまま会話が無いのは辛い。
﹁そ、そういえば魔眼とか言ってたけど、あれはなに?﹂
苦しげに話題を持ち出した。それに彼女はこちらに目を向け掛け
て、しかし一瞬で先程よりも火照りを見せて俯く。
しかし、答えてはくれるみたいだった。
﹁の、能力、です﹂
﹁能力?﹂
﹁︽魔眼保持者︾って能力、です。︿メデューサの瞳﹀を使えるよ
うになる、です﹂
﹁メデューサって、見た者を石にするっていう?﹂
﹁それでしゅ⋮⋮そ、それです。目を閉じることによる溜め時間に、
使用MP、あとレベル差で効果が変化する、です﹂
噛んだことは指摘しない方が良いだろう、と密かに思った。
﹁そっか、教えてくれてありがと﹂
﹁ど、どうってことない、です﹂
再び黙り込むシイナを余所に、一人考える。
溜め時間、って言ったっけ。
ならもし、一時間ずっと溜めたりしていたら。
もし、誰かに声を掛けられるまで溜めたりしていたら。
アカリとの模擬戦の時は一部分しか止められていなかったけど、
もしずっとずっと溜め続けたりしていたら。
石化は無理だとしても、相手の全身を動けなくさせたりは出来る
311
のだろうか。
単なる妄想だけれど、そうなのだとしたら、恐ろしい。
﹁⋮⋮﹂
能力と言えば、今回、武器を手に具現化させたっけ。あれが本当
の手刀、とか。
手刀というか剣そのものだけど。
スキルの確認も勝負の時に出来た。︿スキルコレクション﹀に︿
スキルコンディション﹀。
︿スキルコレクション﹀は、普通の動きにスキルと同じような恩
威を付けさせるスキルか。使用TPによって効果の大きさが変わる
とか書いてあった気がするけど、意識していなかったからか、そこ
まで強いとは言い難いくらいの補助効果だったと感じている。
︿スキルコンディション﹀も、わかりにくかったけれど、説明通
り発動されたスキルを少し操作するだけだった。︿ソードバック﹀
で戻ってくる剣の軌道をカーブに変えるとか、その程度のものだ。
一応当初の目的は達成できたので、勝てなくてもよかったかな、
なんて思う。スキルの確認も出来、上位階層の強さも実感すること
が出来た。
ただ、少し悔しかったな。そうして感傷に浸っていると、扉の開
く音が聞こえて、そちらに目を向ける。アカリが戻ってきたようだ。
﹁あの⋮⋮すみません、恥を忍んで頼みたいことがあるのですが﹂
申し訳なさそうに、彼女は言う。
﹁夜の︿人喰い﹀対策の警備⋮⋮手伝っていただけませんか?﹂
312
2−15:反省と散策のナイトガード︻?︼
夜の︿人喰い﹀対策の警備。修理代に必要な金の手持ちが足りな
いので、受けたい依頼らしい。
内容を訊くが、どうやら、定期的にやっていたことらしい。
︿人喰い﹀の情報が殆ど無いことからわかるように、当然ながら
毎度成果が無く、最近は︿人喰い﹀も動いていないとかで何かが起
こることもなかった。夜の警備は常時マルクリで依頼が出されてい
て、危ない仕事のため、結構な値段が設定されているらしい。誰が
ゴールドを出しているのかは知らない。
夜、それも深夜まで行うので、俺とシイナはアカリの話を了承し
てから、昼食を食べてすぐに眠りに就いた。あちらも我儘を言って
いるとわかっているのか、明日の予定は全てこちらの指示を仰ぐと
のこと。
アカリは、同じ宿の一室にチェックインをしていた。
﹁⋮⋮﹂
目を擦り、眠気に苛まれている頭を。覚醒させようとする。
それでも眠い。
ついでに、何か妙に温かいというか、一人分では無いくらいの温
かさが布団から感じられる。
ウサギが布団の中にいるのかな、とも予想したが、枕元で幸せそ
うに寝ているのを見て、違うと確認できた。
何だ、ウサギじゃないのか。ならもう少し布団の中で温まってよ
う。
そう考えて数秒後、遅れて頭の中で、一つの疑問が浮かび上がっ
た。
ウサギじゃないなら、何でこんなに温かいんだろう。
313
嫌な予感がした。
一瞬で覚醒した頭から体へ指示を出す。布団を勢いよく捲り、自
分もそれに合わるようにして起き上がった。バサッと宙を舞う掛け
布団に気を止めることは無く、すぐに、布団で見えなかった自分の
隣へと目を向ける。
ローブを脱いで、可愛らしい寝顔を見せながらシイナが眠ってい
た。
可能性として一番高いものであったので、驚きの声は無い。少し
だけ緊張したが、それを吐き出すように一つ溜め息を吐いて、反対
側に設置してるもう一つのベッドまで運ぼうと手を掛けようとした。
が、いつの間にか、まじまじと寝顔を観察してしまっていた。
幼い体躯に合うような幼い顔の造形。上下する頬は柔らかそうな
印象を受け、あどけないその顔には既に、昨日寝ていた時に晒され
ていた恐怖の形は一つとして無い。
思わず笑みが零れた。それが聞こえたのか、身じろぎをする彼女。
﹁ぅ∼﹂という、寝言とも言えないような悩ましげな声も口から漏
れる。何かを探すように手を伸ばしていたので、自分の手を重ねる
ようにしてみた。すると目を瞑ったまま無邪気な笑顔を見せて、気
持ち良さそうに眠りに徹する。
﹁⋮⋮スズは﹂
スズは今、昨日までのこの娘のように、寝ている時さえ苦しそう
にしているのだろうか。
俺達は依存し合っていた。俺が俺であるためにはスズが必要で、
スズがスズであるためには俺が必要で。
相手が自分なのだと。半身を分け合うように依存をしていた。
会いたい。いなくなって、その存在の大きさが、よくわかる。
最初の地獄は本来、生き残れるはずが無かった。自分一人で何匹
もの怪物共が徘徊する街を抜けることなんて、出来るはずが無かっ
314
たんだ。
そしてそれは、この世界に戻ってくる前からとっくにわかってい
たこと。
無駄だとわかって尚、この世界に来ることを選んだ。助けられな
いと知って、この世界に戻ることを選択した。
狂っているのかな。
そんなことを思う。思ってしまう。
無駄なはずだったのに、結局、俺は助けるための力を得たわけだ
けど。
けれど最初は確かに、ここまで来ることは不可能だった。
命を懸けてまで守りたいと思う相手。いや、それ以上。
助けられないはずの事実から目を逸らし、命を無駄に散らす可能
性が遥かに高かった道。それを辿るほどに、大切な。
一度死ぬ恐怖を味わった。圧倒的な恐怖。怖い。怖い。怖くて怖
くて、何も考えられなくて。
想像を絶する恐怖だった。
それでもまた、俺はこの世界に居る。
﹁⋮⋮いつか絶対に、見つけ出す﹂
あどけない寝顔を見せるシイナを見つめながら、密かにそう決意
した。
◆◇◆◇◆◇
暗闇に包まれた街を、︿魚油用ランタン﹀片手に三人で歩く。
315
人気は少なく、明かりも多いとは言えない。
怖いのか、再びローブを着たシイナは俺の近くを離れず、アカリ
は注意深く周囲を見回している。
﹁アカリ、聞きたいことがあるんだけど﹂
沈黙を破るように、俺は口を開いた。
﹁なんでしょうか﹂
﹁アカリの能力ってそんなに強そうに思えなかったんだけど、上位
階層って皆そんな感じなのか?﹂
そう訊くと、彼女は﹁いえ﹂と言って、質問に答えてくれる。
かた
﹁能力が強い方も勿論いらっしゃいますよ。しかし、私のように、
能力をサポート程度にしか使わない人もいます。そこは自由階層も
上位階層も同じようなものですね。
私の場合は職業︿二斧流﹀がありますから、能力が殆ど役立たず
でも問題はありません。とは言っても、︽強さ前に弱きは無力︾は
一定以下のダメージを無効化するという効果がありますから、小さ
なダメージが蓄積するということが殆どありません。そこは便利な
もので、レベル上げがしやすいので助かっていますね﹂
能力が役立たずなのは自覚してるんだな、なんて思いながら問い
を続けた。
﹁能力が強いやつらって言うと、例えばどんなの?﹂
かた
﹁そうですね⋮⋮有名なところで言うと、︿双天地﹀の︽詠唱破棄
︾と︽TP無限︾でしょうか。
二人組で、︿天﹀と呼ばれる方は︽詠唱破棄︾という、魔法スキ
316
ルの詠唱を省く能力を持っています。それによる強力な魔法スキル
の連発で有名ですね。ただ、マジックポーションの消費が激しいと
悩んでいるらしいですが。
︿地﹀と呼ばれる方は︽TP無限︾という、名称そのままな能力
を保持しています。無限のTPを使用した連続で繰り出されるスキ
ルの数々は圧巻だと有名です﹂
なるほど、と一人呟く。魔法スキルを連発するプレイヤーに、通
常スキルを連発するプレイヤー。︿双天地﹀と一纏めにする理由も
頷ける。二人組というのも、チームで二つ名を付けることに拍車を
掛けていたのだろう。
﹁そういえば﹂
ちょっとした疑問に、口を開く。
﹁魔法スキルには詠唱が必要だって︿初心者の基本﹀って本には書
いてあったけど、確かシイナって詠唱してなかったよな﹂
それに、シイナが答えた。
﹁殆どの魔法職共通のクラススキルに、︿自動詠唱﹀というものが
あるの、です。本来魔法スキルは、発動にホログラムウィンドウが
現れて、それに乗る文字をしっかりと読み上げなければいけないの、
です。でも︿自動詠唱﹀を使えば、その詠唱を勝手に読み上げてく
れる、です﹂
﹁それは⋮⋮反則じゃないか?﹂
﹁勿論デメリットもある、です。寧ろデメリットの方が多い、です。
読み上げられる速度はプレイヤーに遥かに劣り、しかも効果も本来
のものが出せない、です。メリットとしては詠唱が相手に聞こえな
317
いことと、詠唱を中断されることが無く、詠唱で無いことに気が割
けることかな、です﹂
﹁更にデメリットを付け加えさせていただくなら、︿自動詠唱﹀発
動中は、それを解除するか終わらせない限り、魔法スキルの詠唱ホ
ログラムを開くことができません。MPやTPを使わないというメ
リットも追加としてありますが、︿自動詠唱﹀はそこまで良いスキ
ルとは言えませんね。私との模擬戦の時は、避ける事に気を割きた
かったのでしょう。︿ツタ縛り﹀は初期で覚えられる魔法スキルで
すから、︿自動詠唱﹀の詠唱が遅いと言ってもすぐ発動できますし﹂
つまりまとめるならば、︿自動詠唱﹀は勝手に詠唱を読み上げて
くれるが、その威力は最低限のものとなってしまうスキル、と。
魔法スキルは覚える気は、今のところは無い。しっかりと覚えな
くとも、記憶の片隅に取っておくような心持ちでいいだろう。
その後は特に会話らしい会話も無く、無言の空間が続いた。
静かに街を歩く。少しばかりの警戒をするだけなので、結構暇で
もあった。
﹁⋮⋮ん?﹂
裾を掴む手から違和感を感じて後ろを見る。
シイナが眠そうに目を擦りながら、眠そうにボーっとしていた。
足取りもおぼつかず、今にも倒れそうでもある。
アカリの方へ視線を向けると、訊いてみた。
﹁警備始めてからどれくらい経ったっけ、アカリ﹂
﹁三時間程でしょうか。最後に︿人喰い﹀の元住居へ行って終わる
予定でしたが⋮⋮省いた方がいいでしょうか﹂
焦点の合わさっていないシイナの瞳。難しめにそれを見て、アカ
318
リは言った。
﹁⋮⋮そうだな。今日はこのまま終わりたいけど﹂
シイナの頭をフード越しに一撫でする。気持ち良くて油断でもし
たのか、眠るように倒れそうになった。そんな彼女を支えて、その
まま背負う。
﹁⋮⋮ありがとう⋮⋮です⋮⋮﹂
シイナは御礼を言うと、完全に眠ってしまったようで、背に掛か
る体重が増したように感じた。
﹁⋮⋮気持ち良さそうですね﹂
フードから僅かに覗くシイナの寝顔を見てか、そんな言葉をアカ
リは漏らす。
俺からは見えない。けれど、俺の隣で寝ていた時と同じような表
情でもしているのだろう。
﹁このまま宿に帰っていいかな﹂
﹁そうですね⋮⋮一度マルクリに寄ってもよろしいでしょうか。依
頼の達成を報告したいので﹂
了承して、俺はアカリに続く。
道中は、他愛の無い話をした。警備も終わることにし、シイナが
眠ったのを見てリラックスしたからか、楽しく会話が出来ていた。
御笑いのエピソード。
楽しかったこと。
色んな話をした。
319
﹁そういえば﹂
そんな中、唐突にアカリはそれを言い出した。
﹁︿願いを叶える風﹀って、知っていますか?﹂
﹁願いを叶える、風?﹂
訊き返すと、楽しそうに答えてくれる。
﹁はい。何でも、倒すと願いを叶えてくれるモンスターらしいので
す。ゲームだった頃はレアアイテムや賞金などから自分で選ぶとい
うものだったらしいのですが、現実に近くなることで仕様が変わっ
たみたいで。なんでも、本当に願いを叶えてくれるという噂です﹂
﹁︿願いを叶える風﹀⋮⋮ね﹂
何故か、少しだけの違和感を頭に抱え、引っかかっていた。
近い言葉を、いつかどこかで訊いた気がする。どこだったか。よ
く思い出せない。
けれど、思い出せないということはそこまで重要なことではない
のだろう。おそらく。
きっと然るべきに思い出す。そう結論付けた。
﹁そいつって、どこにいるとかわかってるのか?﹂
﹁噂では、この街の時計塔の中の、隠し部屋に居るという話です。
時計塔の内部には目ぼしいものは無く、螺旋階段があるだけなはず
ですが⋮⋮まぁ、噂ですから。
マルクリに着きましたね﹂
丁度マルクリに着いたところで、彼女は建物の扉を開けて入って
320
行った。
それにしても、︿願いを叶える風﹀、か。
もしかしたら、スズを見つけたいという願いも、叶えてくれたり
するんだろうか。
フーは兎も角、スズについては、未だ手掛かりは殆ど無い状況だ。
上位階層の情報屋でも、何となくだが、簡単に見つけられるとは思
えなかった。
だとしたら、スズの情報が手に入ると言うのなら。噂だとしても、
探してみるのも悪くは無いかな。
俺はそんな風に思いながら、時計塔に張り付けられた、光る大き
な時計盤を見つめていた。
321
2−16:懐疑と混乱のクロックタワー︻?︼
次の日。昼。
俺は昨日の夜に密かに決めた通り、噂を探しに、時計塔の前まで
二人と一匹を連れてやって来ていた。
見上げれば、塔の高さがよくわかる。東京タワー程とは言わない
までも、二〇〇メートルは普通に越えていそうだ。
塔の周りには建物が無い広場が出来ており、人が沢山集まってい
て、露店だってある。
だが、塔の扉を開けようとする者は誰一人として無く、又誰も目
を向けなかった。何も無いことを知っているからだ。
その扉を開けて、中に入る。
内部は随分と閑散としていた。中心には非常に大きな柱があり、
その柱に張り付くように、鉄格子付きの大きな螺旋の階段が存在し
ている。鉄格子には一定の割合で照明が付いているようで、今も明
かりを放っていた。
ここの天井は意外に近くに見えるが、おそらくその上にもここと
同じような場所が在るだけなのだろう。そしてその上にも又同じ場
所が。
﹁これを昇るのか⋮⋮﹂
﹁本当ならかなりキツイでしょうが、パラメータによる補正もあり
ます。休まず昇り切ることは出来るでしょう﹂
俺が今からの苦労を想像して言うと、丁寧に語ってくれるアカリ。
今日の朝は、時計塔の情報収集に徹していた。その結果として一
つの予想が建てられた。
それは、隠し部屋は螺旋階段を昇り切ったどこかにあるというこ
と。
322
仮説。無ければ地道に探すだけ。しかし一番上まで行かなければ
始まらない。
昇ろうと思い、足を踏み出す。しかし、裾を引かれて立ち止まっ
た。
﹁ホントに行くの⋮⋮です?﹂
﹁⋮⋮悪いけど、行かないと﹂
今日のシイナは、何故か少しおかしい。
妙に、何か怯えるようにしていて、隠し部屋を探すことに賛成し
ない。時計塔に来る途中も、人が居ない場所でも、引き止めるよう
に裾をずっと摘まんだままだった。
行きたくないのだろうか。
それでも、スズの情報が手に入れられるかもしれないのだ。嫌が
っても、今回は許容しかねる。
﹁⋮⋮﹂
黙ってしまったシイナ。困ったようにアカリの方を向いてみるが、
あちらも苦笑するだけだった。
歩き出す。螺旋階段を、昇る。
変わり無い光景が続いていた。一定まで昇ると入り口のような空
間へ出て、また一定まで昇ると同じような空間へ躍り出る。それの
繰り返し。
その間に考えるのは、︿願いを叶える風﹀のことだ。
どれほどの願いまでが許容範囲なのか。ゲーム脱出やレベル上昇
は当然不可能だろうが、情報程度ならば。
﹁着きましたね﹂
323
階段が無くなった。アカリが終わりを言い、俺は周りを見渡した。
中心に支柱のような大きな柱があるのは変わらない。しかし支柱
あ
の先は、四方に時間を伝える大きな時計達の中心点まで向かってい
うかが
るようだった。周囲の壁部分には一部、鉄格子で保護された空くよ
うに造られた空間が出来ており、外の様子を覗えるようになってい
る。
﹁どこにあるのかね⋮⋮﹂
もう一度、見渡す。しかし、怪しそうな場所は見当たらない。
アカリと二人で探す。壁を調べたり、空いた穴を覗いたり。だが
そう簡単に見つかるものなら知れ渡っているはずで、やはり無い。
推測は間違ってたかな、と首を捻った。来る途中も一応気を張っ
ていた。同じような場所ばかりなので変化があればすぐ気付くはず
で、それでも途中には隠し部屋に繋がるような所は無かったと記憶
している。
アカリに意見を訊こうと振り返る途中で、シイナが視界の端に映
った。
上を見ている。
何かあるのか。そう思い同じように上を見上げたが、支柱が四つ
の時計の対角線の頂点まで伸びているだけで何も無い。繋がる場所
は空洞では無く、石の天井。これまでの天井とは違い、比較的すぐ
近くに存在している以外は変わらない。
何も無い。そう判断してアカリの方へ目を向けようとしたが、何
かが頭に引っかかった。
天井は壁だ。階段も無い。だから昇れるはずが無く、しかし上に
は何かありそうだと思う。
周囲を見渡す。これまでと変わっているのは天井の高さと、穴の
空いた壁だ。
324
﹁穴の空いた壁⋮⋮﹂
回り道。直線で行くのではなく、外から回る。
もしかしたら。そんな思いを抱えて穴まで歩き、鉄格子に手を掛
けて身を乗り出した。
足元を見る。そこには何も無く、遥か遠くに地面があるだけ。
そこに、鉄格子から少しだけ足を出して、空中に踏み出してみる。
地面が在った。見えない、地面が。
﹁そういうことか⋮⋮!﹂
思わず、言葉に力が籠った。
アカリを呼び、彼女にも見えない足場を確認させる。その事象に
一度驚いたようだが、すぐに落ち付き、彼女はメニューを操作しだ
した。
じょうろ
数秒後、彼女の手に出現したのは、色付きの液体が入った透明の
如雨露。
﹁私のもう一つの職業は︿農民﹀でして⋮⋮恥ずかしい限りです﹂
この如雨露で足場を確認して行きましょう、と彼女は続けた。
如雨露から液体を垂らして足場を確認し、アカリが先に鉄格子の
向こう側へと渡る。それに続こうとする俺の裾が引かれて、振り返
った。
﹁ほ、本当に行くの、です⋮⋮?﹂
震える声。俯いた顔。
怯えているのがわかる。高いところが恐いのだろうか。そうだと
しても、俺は行かなければならない。
325
そう伝えると、彼女は口を閉じ、静かになった。
少しだけ申し訳なく思いながら、鉄格子の向こう側へ渡る。シイ
ナも付いてきて、その手は裾を強く掴んでいた。
﹁どうやら、壁を囲むように、上へ斜めの道があるようですね﹂
アカリを先頭に、足を進めた。
時々強い風が体を打つ。人間の本能か、高所恐怖症で無くともこ
の状況は怖いと感じる。色付きの液体で足場を確認していなければ、
恐怖は倍だっただろう。
どれほど歩いただろうか。二週目に突入した辺りで、時計がすぐ
上まで迫って来ていた。そこまで昇ると足場も無くなっており、し
かし時計の端の方に、小さな空洞があるのが確認できる。
そこへ、入っていった。
暗い。何があるかわからないような暗闇に包まれている通路を、
壁に手を当てながら真っ直ぐに進む。道はそう遠く無かったのか、
次第に光が見え始めていた。
巨大な円形の広場に出る。
一〇メートルほど上には大きな照明があり、この場全体を照らし
ている。周囲は黄色と黄土色が混ざったような色をし、光を反射し
ていた。壁や床には模様のようなものが描かれ、神殿の様な印象を
受けさせ、又この広場は非常に寒く、冷えている。
そこまでは良かった。しかし一番よく目に入るそれは、驚きの感
情を一番に沸かせるものだった。
﹁こ、れは⋮⋮﹂
アカリが思わずと言った調子で、声を漏らす。仕方が無いはずだ。
広場の中心に在るそれらは、ここにあってはならないはずのものな
のだから。
326
死体。
白骨化が始まっている死体が、幾つも放置されていた。
﹁⋮⋮少し、調べましょう﹂
アカリが死体の一つに近付き、片手で鼻を抑えながら、近くで見
たり、腐食が進んでいる薄い肌を触る。
彼女は顔を顰めた。
﹁⋮⋮随分前ですが、食い荒らされた痕があります﹂
食い荒らされた痕。それは、︿人喰い﹀の被害にあったであろう
証。
﹁この温度でこの状態ならば⋮⋮一ヶ月半から二ヶ月前と言ったと
ころでしょうか。︿人喰い﹀の被害が出始めた辺りの時期です⋮⋮﹂
アカリはそう言ってから、他の死体も調べていく。
俺も近付こうと、前へ踏み出した。しかし、違和感を感じて、振
り返る。裾から重みを感じなかった。
シイナが、心の底から怯えているといった状態で、死体を見つめ
ていた。
﹁あ⋮⋮﹂
一歩、後ろに下がる。
﹁い⋮⋮やだ⋮⋮﹂
見たくないという風に、両手で両目を塞ぐ。
327
﹁やめて⋮⋮﹂
うずくま
蹲る。震える。怯える。
そのまま、彼女はその場に倒れた。目を塞いだまま、何かを抑え
るように体を丸めて小さくなる。
怖い、という風に震えていた。
嫌だ、という風に震えていた。
﹁シイナ⋮⋮﹂
﹁こ、来ないで! ⋮⋮です﹂
強く否定して、体を遠ざけようとするシイナ。
その時に、見える。手で隠していた目が。猟奇的に輝く、まるで
獲物を狙うような、血のように真っ赤な瞳が。
ゾクッとするような、寒気に包まれた。
﹁︱︱ノートさん!﹂
アカリの声が耳に響く。同時に︿ソウルイーター﹀で強化された
直感で感じ取る、殺気のようなもの。
後ろからだ。
背負う剣を素早く構えまで持って行き、殆ど勘で振り向き様に振
り抜いた。散る火花。瞬時に切り替えられた視界に映る相手は、右
手を風に纏い剣に対処している、可愛らしい緑色で人型の縫い包み。
反射的に発動した︿ロックオン﹀に載る相手の名は、︿願いを叶
える不幸の風・抜け殻﹀。
それを見て、思い出した。こいつのことを聞いた時のことを。現
実での会話を。
ユニークモンスター︿願いを叶える不幸の風﹀。何かが引っかか
328
ると感じていたが、それは不幸の一言が足りなかったのだと。そう
理解した。
﹁っと﹂
縫い包みが空に舞うように下がり、張り合っていた相手がいなく
なって、剣の重心に引かれそうになる。それを何とか抑え確認して
みれば、︿願いを叶える不幸の風・抜け殻﹀は、俺とアカリと挟む
ような位置の空中で止まった。
後ろを見る。シイナはどうやら今の一瞬の間に気絶してしまった
ようで、倒れたまま動かない。
﹁アカリ﹂
﹁わかっています。さっさと狩り取りましょう﹂
アカリは斧を一挺背から抜き、アイテムストレージを操作し、も
う一つの斧を出現させ、それぞれを片手ずつに持って構えた。
視線を合わせ、同時に頷く。
﹃“舞う空気は刃と変わり︱︱”﹄
︿願いを叶える不幸の風・抜け殻﹀の詠唱。それを耳にした瞬間
に二人同時に足を踏み出し、駆けた。
アカリはSTR、筋力任せのダッシュで。俺は︿スキルコレクシ
ョン﹀による補正を付与した走駆で。
﹃“敵を斬り裂く波紋と成る︱︱”﹄
先に辿りついたアカリが、︿願いを叶える不幸の風・抜け殻﹀へ
向けて右手の斧を振り下ろす。しかし相手は、空に飛ぶことで避け
329
て見せた。
そのまま詠唱が続く。
﹃“真空に生まれし空の刃よ、穿て”﹄
アカリが左手の斧を突き出した。それに乗る。瞬時、アカリは振
り上げた。
︿願いを叶える不幸の風・抜け殻﹀が、迫る。
﹃“︿ウインドウェーブ﹀”﹄
しかし相手の体に刃を突き立てる直前に、空気が揺らいだ。
現れる真空の波。襲い掛かる空気の刃。
TPを三割ほど使用するような気持ちで、︿空想の剣﹀を袈裟斬
りで振り抜く。一瞬の競り合い。しかし面積が低く威力が収束する
こちらに分が上がり、斬り裂いた。斜めに流れていく鋭き風の刃。
それに冷や汗を流しながらも力の向きを逆にし、逆袈裟に、︿願い
を叶える不幸の風・抜け殻﹀を傷付けた。そこで、重力に引かれる
ように体が落ちていく。
相手のHPはまだ残っている。
体を一回転させ、その勢いのまま剣をぶん投げた。外れる。しか
し、それでいい。むしろ、そちらの方が狙いやすいと言える。
︱︱︿ソードバック﹀。
︱︱︿スキルコンディション﹀。
宙を飛んでいた剣に白い粒子が纏われ、こちらへ戻ってくる。そ
の軌道を若干操作し、︿願いを叶える不幸の風・抜け殻﹀に当たる
ように。
綿が舞った。縫い包みに詰まっていたものだろう。︿ロックオン
﹀で確認できる相手のHPは、これで〇。
ウサギが肩から跳んで、綿の中に飛び込んで行った。着地してす
330
ぐにウサギがこちらに再び戻ってくるが、その頭の上には丸い小さ
な緑色の宝石玉。
︿ロックオン﹀で名称だけ確認すると、︿緑宝玉︵小︶﹀と書か
れている。
ウサギにありがとうと言ってアイテムストレージに仕舞い、アカ
リとハイタッチ。
﹁私の意図を察してくれたようで、何よりです﹂
﹁人一人乗せて上げられるくらいの筋力はあると思ったからな﹂
そんな会話をして、視線を違う場所へ向けた。
そこには、横たわるシイナが居る。彼女に近付き、抱き上げる。
﹁⋮⋮シイナ﹂
額を何度か小突くと、瞼が震え、やがて、少しだけ開かれた。
その目にはもう、先程感じたような寒気は無い。
﹁ごめん、なさい⋮⋮です﹂
何に謝っているのだろう。口にも出さないそんな疑問には、答え
てくれない。
﹁取り敢えず、早めにここを出ましょう﹂
アカリの言葉に頷く。
ここには害しか無い。死体、モンスター、シイナの不調。だから
早めに脱出したい。
そう考え、俺達は元来た道を引き返して行った。
331
◆◇◆◇◆◇
﹁本当に、大切なんですね⋮⋮﹂
手の中に抱える、苦しげに呻くシイナ。彼女を見て、アカリがそ
う言った。
﹁⋮⋮大切、か﹂
大切。大切、なのだろうか。
わからない。よくわからない。
会ってまだ二日なのだ。
なら、抱くこの感情はなんだろう。抱くこの気持ちはなんなのだ
ろう。
﹁⋮⋮良ければ、二人の出会いを聞かせてもらえませんか?﹂
唐突な質問。それでも、自然と口から言葉は漏れていた。
﹁どっかの建物の中で、血まみれで倒れてたんだ。血まみれかと思
えば空腹で弱ってただけでさ⋮⋮それに、目を覚ました当初は俺を
怖がるようにしてたよ。それでも妹に似てたから、助けようとして、
懐かれて。こいつが何かを抱えてるなんてのはわかってたけど⋮⋮
妹に似てたから、手を差し伸べた﹂
支離滅裂な文字の羅列。それでも伝わったようで、彼女は口を噤
332
んで、こちらを見守るだけになる。
しかし、騒動に騒動は続くようで。
俺の頭の中に電話の呼び出し音のようなものが響き始める。それ
はコールと呼ばれる、フレンド特有の機能。
リースからだった。
目の前に現れていたホログラムのイエスオアノー。イエスを押す
と、叫ぶような声が脳に直接語り掛けられるように流れてくる。
﹃︿人喰い﹀と思われるプレイヤーを見つけた! 増援お願い!﹄
それだけ言われて、コールは切られた。
333
2−17:懐疑と混乱のクロックタワー︻?︼
街を駆ける。
リースから連絡を受け、俺達は速攻で塔から脱出をした。
探すは︿人喰い﹀の行方。リースから後に届いたフレンド特有の
メール機能のメールによると、︿人喰い﹀は亜麻色のローブを着た
怪しい人物だとか。
塔で遭うはずだったモンスター︿願いを叶える不幸の風﹀は、抜
け殻だった。それはつまり、誰かが願いを叶えたということだろう。
その近くには、︿人喰い﹀の被害者もいた。
それから導き出される最も高い可能性は、一つ。︿人喰い﹀は願
いを叶えた。
妙に気になった。︿人喰い﹀が噂になり始めた時期と、被害者の
死体の時期の一致。叶えられた願い事。︿人喰い﹀は何を願ったの
か。そして、何を手に入れたのか。
本当に、望んだものを手に入れられたのだろうか。
﹁いた⋮⋮﹂
シイナと出会った建物のある通りの、屋根の上。亜麻色のローブ
を着て、深くフードを被った誰かが立っていた。
それに対処しようとしたが、こちらに気づいたフードの人物が、
先に行動を起こす。右手に持つ短剣をこちらに向け、飛び降りてき
た。
シイナを右腕のみで抱えるようにし、左手を相手に向けた。具現
するはファンタジーソルジャーの剣。リーチを利用して先に振り下
ろし。それは体を捻って避けられる。
かなり無理な体勢で、相手は落下していく。それをただ見つめる
わけが無く、二撃目を叩き込もうと力を込めた。
334
しかし短剣を投げつけてきたため、攻撃を中断。それを剣で防御
する。
相手が着地し、ローブの中から短剣を三本取り出して、投擲。
その全てを何とか防ぐと、次は本人による近接攻撃が来る。いつ
の間にか接近してきた︿人喰い﹀と思われるローブの人物は短剣を
右手に持ち、振るってきた。
﹁ちっ﹂
バックステップで距離を取った。リーチはこちらが勝っている。
だが、手数では負けてしまう。
相手が腰を低くし、襲い掛かってくるような体勢になる。しかし、
何かに気付いたように顔を上げ、地面に水平になるように四つん這
いになった。
瞬間、元々ローブの人物のいた場所へ高速で流れていく巨大な斧。
後ろを振り返る。アカリがシイナを腕に抱えながら﹁大丈夫です
か﹂と目で訴えてきている気がした。
俺はモンスターの力が無ければ非力で、人を抱えて走るのは難し
い。剣を持つ時には影の補助を全て回さなければいけないほどなの
だから、今回は抱えて走れるアカリに支えてもらっていた。
アカリの確認に頷くことで答え、二人で並んでローブの人物と対
峙する。
﹁⋮⋮﹂
何も喋らず、︿人喰い﹀と思われる相手は立ち上がる。構えは無
い。しかし構え無い故に次の行動が読めない。自然と、俺とアカリ、
そしてローブの人物の間に緊張感のようなものが走っていた。
人が少ない道のため、相手の周りに向ける警戒心は低い。しかし、
不意打ちが出来無い程度には戦闘態勢を取っているようで、増援が
335
来たとしても一撃で仕留めることは無理そうだ。
戦況は有利に見える。二対一。しかし、違う。シイナという守ら
なければならない対象が居る。
不意に、悲しそうな顔で謝ってくるシイナの顔が、脳裏に過ぎっ
た。
﹁⋮⋮﹂
冷静さを欠いていた。正しい判断を下せていなかった。
きっと死体を見て動揺していたのだろう。シイナは、どこか安全
圏に置いていくべきだったんだ。けれど、もうそれは遅い。
なら、今の彼女にとっての最大の安全圏は。
そんなもの考えるまでもない。俺では力不足。俺では抱えたまま
戦うなんてことは出来ない。それでも、アカリなら。
アカリは上位階層だ。だから、きっと守るだけに徹底してくれる
なら、︿人喰い﹀相手でもきっと。
﹁アカリ、シイナを頼む﹂
そう、言い放つ。ついでにウサギも、シイナの方へと預けておい
た。
近付いた際にシイナの額を小突き、起こしておく。いざとなれば
自分で逃げられるように。
若干驚いた顔のアカリと薄目を開けるシイナを横目に、ローブの
人物へ向き直った。
︿人喰い﹀の隠れた目と、視線が交差する。
﹁⋮⋮﹂
言葉は無い。手を元に戻し、︿空想の剣﹀を引き抜いて構える。
336
一対一。プラス一匹。おそらく相手には、戦闘経験でも、ステー
タスの数値上でも負けていると思われた。
しかし、そんな戦いはこれから幾らでもあるのだろう。素直にレ
ベルを上げていては上位階層へは追いつけない。それ故に、幾らで
も。
だから怖気づく必要は無く、これは未来の為の布石と考えればい
い。
こんなところで死ぬつもりはない。スズと再会しないといけない
んだ。俺は、そのためにこの世界へ戻ってきたのだから。
無理ならばすぐに撤退だってするつもりだ。
これは他のプレイヤーが来るまでの時間稼ぎ。そう考えれば、た
だ戦うよりは結果の良いものが垣間見える気がした。だから、例え
敵わないとしても戦ってやろう。
﹁︱︱ッ!﹂
先に仕掛けてきたのは、︿人喰い﹀だ。
短剣の投擲に合わせてのダッシュ。短剣を全て避け、迎え撃った。
横薙ぎに斬り払うが、ギリギリの四つん這いでの回避。起き上が
り様に短剣の振り上げを行ってくる。
それを剣の鍔で防ぐと、相手を蹴った。一メートルほど後退。し
かしダメージと同時に投げられた短剣により、左手首をやられてし
まう。
攻撃と同時には、流石に避けられない。
痛みに顔を顰めた。そんな隙を相手が見逃すはずが無く、短剣を
投擲してくる。左手が痛んで使い物にならない事実に心の中で舌打
ちしつつ、右手のみを使って全てを払った。接近してくると思い前
を見直したが、そこに姿は無い。
急激な寒気。
直感に身を任せ、思い切りその場から右に避けた。瞬間、真横を
337
過ぎ去る一閃。後ろにいたのだ。
相手の速さに戦慄しつつ、剣を払う。しかし後ろに下がることで
避けられ、距離が空く。
埒があかない。
相手はこちらに素早い攻撃を使うことでダメージを負わせること
ができる。しかしこちらのものは相手に届かず、届くとしても相手
が俺へと攻撃を当てた時のみ。何かに刃物を当てた時には当てない
時とは違い、手にかかる重みがあり、それ故に隙は大きくなる。そ
の大きくなった隙にしか、攻撃は当てられない。
しかも与えられる攻撃は、比較的速く出さなければいけないため、
剣は当てられず蹴りや拳となってしまう。それでは勿論致命傷には
程遠く、段々とこちらが不利になっていくだけ。
何とかして状況を打破しなければ。
そう考えている間に相手は同じように近付いて来て、こちらも同
じような対処。左肩を刺され、こちらはまた蹴ることが出来るだけ
だった。
﹁速い⋮⋮﹂
剣を投げるのは得策では無い。唯一の致命傷となり得るための手
段であり、雑ながらもしっかりと投擲される短剣を防げるのは、こ
のリーチによるものが大きい。手放せば速く動けるだろうが、相手
より速く動くためには︿スキルコレクション﹀で常にスキル恩威を
受ける必要があるだろう。それではTPが持たない。
ならば、と、腰へと左手を持っていき、︿ナーブルナイフ﹀を掴
んだ。
力の入らない手を︿スキルコレクション﹀の恩威を付与して無理
矢理動かし、相手へ投擲。避けられる。しかし、それでいい。
走り込み、剣を振るった。四つん這いになり、足元を切り払って
くる。それを小さく跳んで避け、スキル発動。
338
︱︱︿ソードバック﹀。
﹁痛ッ⋮⋮!﹂
戻ってきた短剣が、相手の背中に突き刺さった。女性のような悲
鳴が相手から聞こえ、少し驚いて動きが止まってしまう。
蹴りを入れられた。
逆らわずにそのまま距離を取り、相手を再度見据える。
少しだけ、怒気が感じられた。
左手。これまで使われなかったそれが、始めて上げられ、こちら
へ向けられる。ローブの中から見えるそれは、クロスボウ。
﹁ッ!﹂
瞬間的に放たれたクロスボウ用の矢であるボルトを、払う。鉄同
士の衝突による甲高い音と火花。更に加えて短剣まで投擲してきた
ため、左に避けた。
相手は素早く腰へと手を持って行き、ボルトを一瞬で装填。慣れ
た動作なのだろう、短剣を避け切った頃には終わっていた。左手を、
再びこちらへ向けてくる。
撃たれ、払い、避ける。
何度も繰り返していた。戦況はこちらが不利だ。相手は攻撃を常
に行っているが、こちらはいつ失敗するかわからない防御ばかり。
夕陽も既に沈んでおり、残ったのは夕焼けの残光。
一か八か。そう考えて、剣を投げつけた。二メートルにも渡るそ
れは、当然、短剣やクロスボウを使っているような非力な相手では
防げない。それ故に避け、その隙に接近をした。
︿幻想の剣﹀、及び︿ファントムナイト﹀の鎧を、具現化。
右手から剣が跳び出し、身体が僅かに紫色の光に包まれる。
鎧や宝玉など、そのモンスターの特殊な部位を完全に具現するの
339
には特殊な条件がいるらしく、何もしなければ不完全になってしま
うことがある。今回もその例だ。完全に具現し続けるためにはMP
を持続的に支払わなければいけないようで、しかし、これで決めら
れなかった時のためにMPは取っておきたい。だから今回はMPを
運用させず、ファントムナイトの鎧を不完全に具現させた。
本来はその面積の三分の一ほどまでを透過させることが出来るよ
うだが、今回は精々一五分の一程度だろうか。それでも、短剣一本
程度は透過させられる。
︱︱︿ソードバック﹀。
剣を戻しながら、更に右手の剣も振るってみせた。短剣の経験か
ら後ろから迫っているとも理解していたのだろう。瞬時に左右どち
らかへ避けようとするも、俺の剣のリーチを見てそれを無駄だと悟
ったようだ。
﹁仕方無い⋮⋮か﹂
︱︱︿サウンドエクスプロージョン﹀。
スキルの発動を感知。それよりも速く攻撃を当てようと動いた直
後、︿人喰い﹀が、ローブから僅かに覗く口を大きく開けた。
前方。後方。右方。左方。上方。下方。ありとあらゆる全ての方
向への、無差別の攻撃。
それは音の爆発だった。
空気が震えるほどの音が体を打ち、吹き飛ばされる。デザートオ
ーガを軽々と凌ぐ咆哮。見れば、相手の後ろに迫っていた剣も弾か
れていた。
そこまではいい。そこまでは良かった。音での攻撃スキル、声を
使った攻撃。そういう脅威なのだと判断できたのだから。
だが、今の振動で。
今の振動で、︿人喰い﹀のフードが外れていた。
その顔は知っているもの。今ここにあってはいけないもの。
340
居てしまえば、矛盾を冠してしまう相手。
俺は、その名を口にする。
﹁なんで、そんな⋮⋮どういう、ことなんだよ⋮⋮⋮⋮リース⋮⋮﹂
︿LIRCE﹀。リース。
自由階層最強とされる︽歌姫︾、リースが、亜麻色のローブに身
を包みながら、こちらを哀しそうに見つめてきていた。
341
2−17:懐疑と混乱のクロックタワー︻?︼︵後書き︶
二三時までに慌てて書き切ったものですので、不自然な点があれば
御指摘よろしくお願いします。
342
2−18:真実と決意のロングデザイア︻?︼︵前書き︶
※前話及び二話前の合計二話の題名を若干変更しました。
343
2−18:真実と決意のロングデザイア︻?︼
﹁⋮⋮もうそろそろ、夜になるね﹂
暗くなり始めている空を見上げて、リースが漏らす。
瞳に込められた思いは、まるで、両親を失ってしまった人間に向
けるような。そんな感情。
﹁お前、が⋮⋮︿人喰い﹀なのか⋮⋮?﹂
訊く。口を開いて、問うた。
その質問で、リースはこちら側へと視線を戻す。
憐れみ。哀しみ。気遣い。
ありとあらゆる、こちらを気遣うような感情。
どうしてそんな目をするんだ、と口にしたかった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
リースは無言で、踵を返す。
まるで、付いてこいとでも言う風だった。纏う雰囲気は既に戦闘
態勢から脱しており、警戒心も多少しか見当たらない。
訳がわからない。
そう思いながらも、追いかけた。足を動かして、リースの元へ。
その途中で、振り返る。二人と一匹は付いて来ているのか。それ
を確認するために振り返るが、しかしそこには、誰もいない。
驚きで、目が見開かれた。
探そうと周囲を見渡し始める直後に、耳まで届く、鉄を踏む足音。
視線を移動すれば、リースが落ちていた鉄の扉を足蹴にし、そのま
まある建物の中まで入って行く光景が視認できた。彼女はこちらを
344
振り返ることなく、迷わずその中へ。
︱︱その建物は、俺がシイナと始めて会った建物だった。
いない二人のことを探したい気持ちで山々だったが、それを一時
的にかなぐり捨てて、リースを追って建物に入る。異臭が酷い。前
来た時は、汚いながらももっと空気はしっかりしていたはずだ。
リースは、かつて来た時は俺が覗くだけで気にも留めなかった、
鉄製の扉の方へ。既に扉は開かれており、鼻を刺激する臭いはその
部屋から漏れているようだった。
続いて入って、絶句した。
﹁な、ん⋮⋮﹂
言葉が詰まり、上手く舌が回らない。
喉がカラカラに乾く。視線が安定しない。慌て、冷静さを欠く脳。
それを無理矢理直すように痛む左手で頭を掻きまわして、現実を認
識させる。
死体だ。
食い荒らされた、死体だ。
﹁⋮⋮昨日ね、アカリさんから相談を受けたんだ﹂
時計塔の隠し部屋で見たものと同じ死体に言を失う俺を余所に、
リースが背を向けたまま、語り出す。
﹁︿人喰い﹀の被害者を騙る女の子に会った、って﹂
リースはゆっくりと死体の一つへと歩み寄り、しゃがんで手を添
えた。
﹁被害者の名前、知ってる?﹂
345
予想出来てるだろうけどね、と彼女は言う。
︱︱︿ロックオン﹀。
一種の確信を持ちながら、俺は、リースが手を添える死体にカー
ソルを合わせて、見た。
そして、ああ、と、納得する。してしまう。
シイナ
わかっていたことだ。わかりきっていたことだ。
死体の元の名は、︿Sina﹀。
この建物で拾った女の子が名乗ったものと、同じ名。
﹁食い荒らされた痕っていうのは、︿人喰い﹀が︿人喰い﹀という
二つ名になった由来。︿人喰い﹀が本当に人の肉を喰らっていたと
いう、その証明。ここにはそれの症状を模る遺体があり、このプレ
イヤーの名前を、昨日の朝の時点で知っている自由階層以上の人は、
アカリさんだけのはずだった﹂
それが示すのは何だろう。
彼女は、ただ語る。わかっているだろうに。俺が何を考えている
のか、俺が全てを理解してしまったことだって、わかっているはず
なのに。
﹁君は何も知らない被害者なんだよね。昨日の夜、そう聞いたよ﹂
夜。アカリがリースに話をしたのは、つまり警備の最後の、マル
クリに入って行った時。
きっと彼女は、シイナの名を聞いた時から、全てを決めて行動し
ていて。
共に行動することで相手を見定め。
勝負は力の把握。
警備は、僅かな可能性の排除。
346
﹁ここにある死体ね⋮⋮二日前の夜、見つかったんだ。大きな音が
して、調査をして﹂
わかるでしょ、と彼女は口にする。
﹁ここは︿人喰い﹀の元住居。私が︿人喰い﹀を騙ったのは、貴方
の注意をあの子からズラして、アカリさんに連れ去ってもらうため。
つまり︱︱﹂
次の一言は、鎖を繋ぎ合せる。不自然を無くす。
不安定だった真実をゆっくりと紐解き、一つの線を。
真実を。
懐疑を越えた真実を、彼女は語った。
﹁︱︱︿人喰い﹀の正体は、シイナを名乗るあの女の子なのよ﹂
シノ
血まみれだった少女の本当の名は、︿SiNo﹀。
言葉を耳にした瞬間、勢いよく建物を飛び出した。
月が顔を出す空。暗闇は十分。
影を全開に開放し、何度も何度も爆発させて、塔まで全力で駆け
る。
加速。加速。加速。
制御すら出来ない速度。現ステータス数値の許容を越えたスピー
ド。一歩間違えばかなりのHPが消えることになる、危険な急駛。
それでも気にせず、ただただ疾駆を続けた。
﹁化けろッ! ︿ナスラモスキート﹀!﹂
叫び、具現化させる。
347
翅が背中から飛び出すと、振動を開始した。
これは飛ぶために使うものではない。落ちないよう支えるために
使うものだ。
塔の壁が、目の前に迫る。タイミングを間違えれば大ダメージだ
ろう。それでも迷うことなく、極限まで集中して動作の工程を済ま
せてみせる。
影の爆発により、上空へと躍り出た。
壁に足を付ける。圧倒的速度からの足の負担。それを無理にでも
無視し、更に爆発。もっと上へ。
爆発。爆発。爆発。爆発。翅で体を壁に密接するように支え、影
を爆発させて塔の壁を駆け抜けた。走り続ける。階段のような無駄
な工程を全て省き、直接壁を垂直に昇っていた。そんな自らの体は
ものの数秒でシンボルの時計さえ越え、天辺まで辿り着き、そこか
ら更に空に向けて跳び上がる。何もかもの存在が無くなった周囲。
遥か上空にてホバリングをし、素早く時計塔の街の全てを見渡した。
︱︱︿ロックオン﹀。
目に入る全てのものをカーソルに合わせ、見つけだそうと試みた。
情報を認識。情報を解析。情報を統合。情報を区別。
機械仕掛けの世界をこの目で覗く。無理矢理に全てへと意識を向
ける頭は、情報の多さにクラクラと虚ろを漂わす。それでもただ覗
き続けた。
認識解析統合区別認識解析統合区別認識解析統合区別認識解析統
合区別。
﹁見、つ⋮⋮けた⋮⋮!﹂
塔から北西の方角。時計塔と街を囲む壁を繋ぐ線を、三分の二ほ
ど進んだ辺り。そこが、目的地。
塔の天辺に着地し、腰を下げ、足に力を込めた。
影の補助の全て足へ。周囲の影さえ収束させ、力の一部へと。
348
︱︱︿スキルコレクション﹀。
最大威力の影の爆発。それと同時にTPを五割ほど使い︿スキル
コレクション﹀の補正を掛け、翅で方向を維持しながら、一直線で
目的地まで飛行する。安定しない視界。強烈な風の打ち付け。何が
あろうと、カーソルに映る目的地だけは見失わない。
地面が、近付く。
影の補助を足へ回し、一回転して地へ足裏を向ける。翅は消して
衝撃に備え、すぐに体は石床へと投げ出された。
衝突音。
着地した地面が凹み、周囲に砕け散る。視界を遮るように出現す
る塵が舞う煙。払うように剣を振り、早く、と前を見据えた。
目的地。そこにある景色は、戦闘後の街の光景。
石床も、周囲の建物も、少なくない被害を負っている。昨日戦っ
た時よりもひどく、戦闘が苛烈なものであったことが窺えた。
﹁⋮⋮来て、しまいましたか﹂
道の中央に立ち、少なくない負傷を見せるアカリが、こちらを申
し訳なさそうに見つめてくる。
その元々の視線の先に居るのは。
目を向ける。やはり、そこにはいた。
傷創を負い動かない様子のウサギと、明らかな重傷を携り倒れて
いる︿人喰い﹀、シノ。
﹁⋮⋮あ、はは⋮⋮﹂
シノが赤く光る瞳を、向けてくる。
﹁ようやく⋮⋮気付いたの? 貴方は騙されて⋮⋮い、た⋮⋮の。
いつか食ってやろう、って⋮⋮わ、私は⋮⋮﹂
349
度々で言葉を放ってくる、彼女。血を吐き、苦しそうにしながら
も。
アカリに、俺と同じように話されたのだろう。全てを。
﹁貴方は、良い獲物だった⋮⋮。私を理由も無く、し、信じて⋮⋮
近付かせた﹂
俺は、歩み寄る。足を進める。彼女の元へと、一心に。
そうして、彼女を見下せる位置に立った。
﹁貴方のこと、なんて⋮⋮なんとも思って、無かった。ずっと食べ
ることだけ、考えてた⋮⋮。馬鹿、みたいに信じてくれる貴方は⋮
⋮騙しやすくて﹂
膝を付いて、彼女へと手を伸ばす。
﹁貴方が⋮⋮大嫌いだっ︱︱﹂
﹁︱︱嘘吐けよ﹂
言葉を遮る。遮って、彼女を抱き寄せた。
彼女の目元に手を寄せて、雫を拭き取る。
﹁そんな悲しそうな顔で涙なんて流して⋮⋮なに、言ってんだよ⋮
⋮馬鹿が﹂
至近距離で彼女の目を見つめ返して、言った。
﹁そ、そんなの⋮⋮有り得ない。わ、私は、本当のことを⋮⋮﹂
350
弱弱しい声で、彼女は言う。否定する。
それを更に、俺は否定して。
﹁自分の顔見直してから言えよ﹂
震える彼女を、強く抱き締める。
そんな俺に、彼女は声を荒げて、叫んだ。
﹁あ、有り得ない! だって私は貴方のことが嫌いで、全部利用し
ようって思って⋮⋮!﹂
必死に言葉を紡ぎだして、続ける。
﹁そうじゃないと⋮⋮! そうじゃないと、貴方が⋮⋮﹂
大粒の涙を流して、彼女は。
﹁貴方が⋮⋮悪者になっちゃうから⋮⋮﹂
そう言った。
目を瞑り、心から絞り出すように。
﹁私みたいな罪人と一緒にいたなんて⋮⋮手を差し伸べたなんて⋮
⋮そんな事実、貴方の足枷で⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁私が悪いの。全部、私が悪いのに⋮⋮︿願いを叶える不幸の風﹀
に、言っちゃったから⋮⋮﹃こんな世界は耐えられない﹄って⋮⋮﹂
だから、人喰いになった。
確かに、願いは叶ったのだろう。かなりの曲解。人を喰うことに
351
抵抗を無くし、人を喰うことを存在意義とする。意味を与えられ、
世界に順応し、それが︿人喰い﹀へと。
不幸にも、願いは叶ってしまった。
﹁本当は嫌なはずなのに⋮⋮何も、そんなこと感じなくて。人を食
べることが、逆に楽しくて⋮⋮段々、頭がおかしくなってきて⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁死のう、って思った﹂
︱︱始めて出会った時、彼女は、超空腹の状態で倒れていた。
血まみれなのに傷が無い。血が全て乾いている。
今考えてみれば、部屋全てを埋め尽くす血量なんて一人で出せる
わけがなくて、口から出ていた血は、人を喰らった跡なのだと。
不自然な点なんて一杯あった。挙動不審、猟奇的な瞳、真っ白な
布団に、血の付いてなかった俺の服。沢山存在していた。
そして彼女が怖がっていたのは、人では無く、人を喰らう自分。
本当は全部気付いていたんじゃないのか、と心の中に問う。
本当は、︿人喰い﹀の話を聞いた時から確信していたんじゃない
のか。ただ、スズに近いからという理由だけで目を逸らしていたん
じゃないのか。
﹁⋮⋮助けなくて良いよ﹂
自分を疑う俺を余所に、シノは言う。
﹁私は、プレイヤーキラーだから⋮⋮﹂
区別。
この世界においては、プレイヤーキラーと通常プレイヤーが曖昧
になるなんてことは有り得ない。
352
誰かを殺せば、フレンドに連絡が行く。
故に誤魔化しが効かず、故に明確に分かれる。
俺は通常プレイヤー。シノはプレイヤーキラー。
その間には、厚い壁が存在していた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
俺には︱︱目的がある。
とても重要な目的だ。この世界に来る理由となった事柄だ。
妹と再会する。それが、俺の目的。
冷静に考えてみろ。相手はプレイヤーキラーだ。目的の阻害とな
る存在だろう。
親しみを覚えていたとしても、だからなんだ。目的のために、捨
てろ。
切り捨てれば良い。切り捨てないといけない。
どうせ俺が見ていたのは彼女自身じゃなくて、その向こう側の︱︱
﹁妹さんの代わりだとしても、嬉しかった﹂
言葉が、詰まった。
﹁こんな汚れた私を受け入れてくれて、嬉しかった。何も訊かない
でいてくれて、嬉しかった。優しくしてくれて嬉しかった。頭を撫
でてくれて嬉しかった。慰めてくれて嬉しかった。一緒に寝てくれ
て嬉しかった。
嬉しかった。楽しかったよ。全部、掛け替えの無い思い出になっ
た﹂
︱︱彼女は、最初からわかっていたんだ。
俺がシノを見ていないことを。俺がシノではなく、彼女の影に映
353
る妹の姿だけを見据えていたことを。
自分が単なる代わりだって。
そんなのは理解していて。それでも、自分の居場所をそこに見い
出して。
わかっていたはずだろ。
スズの時もそうだった。彼女に頼れるのは俺しかいなかった。だ
から依存して、俺だけが彼女の相手になってあげていて。
同じなのに。シノだって、俺しか頼れる相手がいなかったのに。
自分を見ていない。そうだとしても、空いていた空虚に自分を当
てはめた。自分が場違いだと埋め込まれる時から知っていて、それ
でも代わりとして収まった。
あの時は、俺もスズのことをしっかりと認めていた。なのに、な
んだ。今の俺は。
俺は、何をしているんだ。何を、考えていたんだ。
スズは本当に大切に相手だ。彼女には俺しか頼れる相手がいなく
て、だから今も助けようと必死になってる。
シノも、同じはずなのに。
シノだって俺しか頼れる人がいなくて、それなのに俺は、目を背
けて見捨てようとしてしまっている。
﹁馬鹿か⋮⋮﹂
大切なのは、なんだ。
俺はスズしか見ていなかった。シノ自身を見ていなかった。
だから、シノ自身を見ないといけない。
シノは苦しんでる。シノは涙を流してる。シノは悲しんでる。
それだけわかれば、もう充分だろ。
覚悟を決めろよ。
俺がスズを思うのと同じように、こいつも俺を思ってくれている。
スズが俺を思うのと同じように、こいつも俺を思ってくれている。
354
だから。
だから。
﹁元々死のうと思ってたから。だから、怖くない。貴方は妹さんを
探しに行けばいい。それなら、私も本望だから﹂
﹁⋮⋮嘘だ﹂
﹁嘘じゃないよ。私は貴方が幸せなら、それで﹂
﹁嘘だ。嘘に決まってる﹂
口を開いて、言う。
﹁最期なんだぞ? 終わりなんだぞ? ここで全て、これまでの全
部、終わっちまうんだ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁なのに、我慢なんてするなよ。なんで、嘘ばっかり吐くんだ⋮⋮
最期なのに本心を隠して、楽しいのかよ⋮⋮﹂
俺も、同じだった。だから、気持ちはわかる。
嘘を吐いて、スズとフー達から離れた。危害を加えないために本
心を捨てて、死のうと決意した。
同じなんだ。あの時の俺と。
相手が心配で、相手が好きで、相手の足枷になりたくないから。
怖いけど、それでも迷惑を掛けたくないから。
同じだから、よくわかる。
﹁最期と思った時くらい、盛大に迷惑を沢山掛けてくれればいい。
我慢するな、考えるな。自分の幸せだけを、自分のエゴを、一つで
も押し通して、願って見せろよ﹂
スズ達に相談することをよしとしなかった。自分だけで最良と判
355
断してここまで歩いてきた。
本当はもっと良い選択肢があったかもしれない。あの時始まりの
街の数の壁を、三人一緒に渡るなんて未来もあったかもしれない。
俺も、スズも。二人がこうして離れ離れになって、悲しみを抱え
ることなんてなかったかもしれない。ずっと一緒にいれたかもしれ
ない。
あの時はわからなかった。けれど今、スズ達の立場になって、相
談してくれなかった悔しさが、どうしようもなさが、とてもよく理
解出来てしまう。
俺は馬鹿だった。
﹁⋮⋮私は⋮⋮﹂
シノは苦い表情で唇を噛んだかと思うと、一生懸命と言う風に、
必死な顔で。
﹁生きたいよ⋮⋮!﹂
心の内を、打ち明けてくる。
彼女は、言う。
﹁生きたい、貴方と一緒にいたい。全部諦めてたのに、貴方が全部
をくれた。ずっと一人だったのに、貴方だけが私の傍にいてくれて、
貴方と一緒にいるととっても温かい気持ちになった。
死にたいくらい苦しかったのに、生きたいくらいの幸せを与えて
もらった。貴方にとっては大したことの無いことだったかもしれな
いけど、私にとっては全てが、とっても大きなことだった﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
﹁でも、私はプレイヤーキラーで、人喰いで⋮⋮いつか貴方を、殺
してしまうかもしれない。それが凄く、怖い﹂
356
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁私は、化け物だから﹂
化け物。人を喰らう、人を騙る別の何か。
それが彼女。それが、シノ。
願いを叶えた不幸な少女。
﹁⋮⋮それで﹂
俺はそんな彼女に、問う。
﹁願いは、なんだ﹂
﹁⋮⋮え?﹂
言葉を失う、という風の彼女。
﹁言っただろ? 我慢するな、考えるな。自分の幸せだけを、自分
のエゴを、一つでも押し通して、願って見せろよ﹂
﹁で、でも⋮⋮﹂
﹁俺はただ、叶えるだけだ﹂
彼女に微笑んで、その頭を撫でた。
﹁全部、気にしなくていい。受け入れてやる、全て﹂
﹁⋮⋮⋮⋮本当に、いいの⋮⋮?﹂
﹁ああ﹂
僅かな期待と、罪悪感。そんな感情を表情に浮かべていた彼女は。
深呼吸をして。
357
﹁助、けて⋮⋮⋮⋮﹂
何も考えず、強く、望みを言う。
﹁⋮⋮助けて、ノート︱︱!﹂
掠れた声。密かに力の込められた音。小さい声量だったが、それ
でも耳によく響く声音だった。
彼女を地面に寝かせて、立ち上がる。
見据えるはアカリ。構えるは剣。
口にするは、願いへの返答。
﹁︱︱任せとけ、シノ﹂
358
2−18:真実と決意のロングデザイア︻?︼︵後書き︶
今回長くなりましたが、途中で切って二話に分けた方が良いと思う
方がいれば、指摘してくださると幸いです。
あと急いで書いたので、不自然な部分の指摘もしてくださると嬉し
いです。
359
2−19:真実と決意のロングデザイア︻?︼
いつかきっと、俺には後悔をする時がやってくるのだろう。
助けようとしているのは悪人だ。罪人だ。プレイヤーキラーだ。
助けることに意味なんて無い。助けることにメリットなど無い。
シノを助けて、良いことなんて何一つとしてない。むしろ悪いこ
とばかりだ。
なんでこんなことしてるんだろ、と、一人笑う。
絶対に後悔するのに。取り返しが付かないことになるかもしれな
いのに。
自嘲して、それでも、剣は下ろさない。
きっと、いつか俺は後悔をする。
それでも今だけは、この行動を、否定することはしたくない。
シノを助ける。俺はそう決めたから。
﹁⋮⋮何を、しているんですか﹂
アカリの、震える声。それに込められているものは。怒り、後悔、
疑問。
当然だ。その感情は、当然のもの。
剣の切っ先をアカリに向けて、言った。
﹁助けるんだよ。シノを、アカリから﹂
その返しに目を鋭く変化させて、睨んでくる。
そそのか
﹁唆されでもしましたか?﹂
﹁場合によってはそう言うかな﹂
﹁勢いだけで行動しても、良いことなんて何もありませんよ﹂
360
﹁それでも守るよ﹂
﹁貴方は間違っています﹂
﹁そんなのわかってるよ﹂
自分の胸に手を添えた。
わかってる。全部、わかってる。
﹁俺は間違ってる。俺はきっと後悔する。それでも、そんな道理で
割り切れないものがある﹂
善も悪も。正解も間違いも。
全ては、一般的論理という名の大多数から見た評価。
﹁俺のこの激情は、周りの倫理なんて受け付けて無いんだよ﹂
自分自身を。本心を押し込めてまで、そんな正論に従おうだなん
て思わない。
間違っていてもいい。この衝動の前には、何人たりとも阻むもの
を赦さない。
﹁⋮⋮そう、ですか﹂
アカリが、両腕を上げて、持つ二挺の戦斧を向けてくる。
戦いの合図。利害の不一致。
幕は、上がった。
﹁︱︱︿ショックウェーブ﹀!﹂
アカリが右手の斧を振り被り、衝撃波を放つ。強力な一撃だ。そ
れでも衝撃波であるために、直接の斧よりは威力は弱く見えた。
361
だったら、止められる。
右手に全ての影の補助を回す。周囲の影さえも取り込み、剣に纏
わせる。
もっと黒く。多く。強力に。
迫る衝撃波を横薙ぎに払い、影が覆う真っ黒な剣は衝撃波を切り
裂いた。その間に左手ではアイテムストレージを操作していて、そ
の直後に実体化。
ハイポーションを一気飲みし、リースから受けていた傷を完全に
回復させる。
左手が自由に使えるようになった。
︱︱︿ダブルショックウェーブ・イクス﹀。
二つの衝撃が混ざり合い、更に強化を施されている波が自分の元
へ向かってくる。
先程の衝撃波が御遊びに見えるくらいの強さだ。
﹁もう、出し惜しみはしないって決めたんだ﹂
︿インストール﹀。デイドリームウォーリアーの右腕。
いつかの戦士の金属腕。それを具現化させ、影の補助を加えた。
剣で切り裂く。
拮抗をした。手が震え、知らずの内に足に力が入る。
靴の摩擦で焦げた地面が映って。それでも今回も、俺へと衝撃波
は届かない。
衝撃波は二つに割れ、後方へ流されていった。
﹁⋮⋮それが貴方の、隠していた能力ですか﹂
﹁ああ。足り得ない俺を補う、足り得るものの力﹂
全力全開。
限界さえ越えて。
362
戦おう。
﹁︱︱!﹂
影を爆発させて、一瞬で距離を詰めた。
剣を振り上げ、振り下ろし。
しかし相手は上位階層。当然のように斧で受け止められ、それを
予測していた俺はそのまま左手を突き出した。
︿幻想の剣﹀、具現化。
突き出される剣。右足で蹴り上げられ、逸らされる。そのまま踵
落としを繰り出して来て、その足には白い粒子が。
︱︱︿セイスミックショック﹀。
地面を粉砕するほどの威力を秘めたスキル。その強力な一撃を避
ける当ては無く、故に迎え撃つ。
右手の剣を離し、拳を握った。影を凝縮させる。影が凝縮する。
これは賭けだ。
普通に対抗して勝てるわけが無い。シノとの勝負で手負いと言え
ど、自由階層と上位階層。だから一撃を、相手に致命傷を与えられ
る攻撃にする。
アッパー気味に、白い粒子を纏う踵と衝突させ︱︱瞬間、影を爆
発させた。
圧倒的粉砕力と真っ黒な爆発が、拮抗する。
斧では無く足だったからであろう。勝負は引き分けだった。互い
に足と腕が無理矢理後ろ側に吹き飛ばされ、痛む。それでも、その
痛みこそが隙。左手の︿幻想の剣﹀を振り下ろすと、アカリは戦斧
を振り上げてきた。
甲高い金属音。俺もアカリも刃を逸らされ、武器を持つ手は宙に
投げ出される。もう一度剣で攻撃を行おうとするが、それより先に
アカリは蹴りを放ってくるために中断せざる負えない。
右手で受け止め、スキルを発動。
363
︱︱︿ソードバック﹀。及び︿スキルコンディション﹀。
地面に捨てた剣を動かし、剣身が相手を切り裂くような軌道を描
いて手の中に戻ってくるように設定させる。アカリへ迫る刃。彼女
はそれを一瞬だけ見て、先程影と拮抗させていた足で、精密に剣の
腹に踵を落として攻撃を防いだ。
﹁上位階層、舐めてるんじゃないですよ⋮⋮!﹂
︱︱︿ダブルセイスミックショック・イクス﹀。
二挺両方の斧を輝く白い粒子が包む。それを見た瞬間、寒気が背
中を走り抜け、悟った。
これを受ければ確実に死ぬ。
生命の防衛本能が脳に警報を鳴らしていた。これまでに無いほど
の速度で脳は働き、判断を下す。
﹁化けろ! ︿ファントムナイ︱︱﹂
斧が振り下ろされ、地面を割り、砕き、粉々にし、暴落させる。
地面そのものが吹き飛んだと言っても過言では無い一撃。その中
で俺は半透明な紫色の鎧に身を包み、しかしボロボロな状態で生き
残っていた。
ギリギリだった。
ファントムナイトの鎧をMPを支払って完全具現させ、斧の直接
の一撃は何とか透過した。しかしそれにより発生した衝撃そのもの
は透過し通すことが出来ず、ダメージが通っている。鎧も砕け、そ
の具現は解ける。
しかし安心するのは早かった。見れば更に斧を振り被っているア
カリが見え、すぐに再びファントムナイトの鎧を反映させようとす
る。
364
﹁︱︱ッ﹂
インストール、出来ない。
デイドリームウォーリアーの右腕で体を庇い、攻撃を受けた。吹
き飛ばされる体、罅が入り、砕け欠ける右腕。
投げ出された体を、地面に来る衝撃から防ぐように、左手の︿幻
想の剣﹀を突き立てながら右手で地面を擦った。
・・・・
静止し、顔を上げる。アカリは近付いて来ていない。
直後、負担を掛け過ぎた右腕が砕け散り、その中に隠されていた
ように、血まみれで、ボロボロになった右腕が顔を出した。
﹁⋮⋮なるほど、理解しました﹂
アカリが落ち付いた様子で言う。
おおかた
﹁その能力は、大方モンスターの力のコピーと言ったものでしょう。
コード
それも自分のレベルに則させ、本来のモンスターの強さを越えた肉
体を使うことも出来る。かなり強力な部類の能力に入るでしょう。
しかし、弱点もある。
一度壊したモンスターの肉体部分は一定時間︱︱不明ですので、
ずっとかもしれませんね︱︱の間、再利用することは出来ない。先
程、壊された鎧をもう一度使おうとしていましたね? それが出な
かったことで気付きました﹂
まだあります、と彼女は続けた。
﹁貴方が使うモンスターの肉体は、あくまで自分の肉体の延長上︱
︱つまり、傷を付ければ、それに則した分だけ貴方の体にダメージ
が通る。右腕を粉砕したために貴方の右腕は潰れ、鎧を粉砕したた
めに、その身に受けた衝撃以上に負傷した﹂
365
言われ、自らの体に視線を送る。
全身がくまなく、少しだが痛みを発していた。それは、衝撃を食
らっていない部分にも。
鎧は全身と連携しており、右腕はそのまま右腕と連携していた。
全ては理に適っている。
﹁そして延長上ということはつまり⋮⋮一度それほどの重傷を負っ
てしまえば、どんなモンスターであろうと、その部位は不完全な力
となってしまう。
これにより鎧を使えなかったことも考えたのですが、あの鎧は他
とは違い、大きな怪我を全身へ通していませんでした。纏うものが
装備ですから、連携が薄いのでしょう。もう一度使えるはずなのに
使えなかった。この事実が、一定時間使えなくなるという推測を上
手く裏付けしています﹂
最初のように回復は、もうさせません。彼女はそう言った。
語りは終わりだとでも言うように、斧を振り上げる。発動される
スキルは、︿ショックウェーブ﹀。
避けようと足に力を入れた。
けれど、動かない。
﹁貴方の影は、何と連携していたんでしょうね﹂
体を支配するのは︱︱疲労と、空腹。
影は俺自身の影を媒体にしている。影とは即ち、その存在の裏付
け。
連携されているのは、体力だった。
何度も影の爆発を行い、何度も影を酷使し、そしてこれがその結
果。必要以上に使ってしまった結果。
366
相手にばかり目が入っていて、自分を見ていなかった。これはツ
ケなのだ。
﹁終わりです﹂
斧より弾き出された衝撃波が迫る。その間にも、俺は動けない。
右腕重傷。全身軽傷。疲労困憊。空腹状態。
最悪な状態。視線にまで疲労は訴えてきて、定まらなくなってく
る。
避けられない。絶対に。体は動かない。
﹁ハハ⋮⋮﹂
あれだけ盛大に格好付けておいて、助けられないとか。
馬鹿みたいだ、と心で自分を笑う。馬鹿だ、と自分を笑った。
願うなら、これを受けても生きていますように。
そう思って、目を閉じて︱︱
﹁大丈夫⋮⋮です﹂
﹁︱︱ぇ﹂
体を、横から押し退けられた。
驚きで、目を開ける。俺を突き飛ばしたのはシノ。笑いながらこ
ちらを見て。
﹁貴方が真っ直ぐ私を見てくれただけで、もう十分だから﹂
言って、彼女は衝撃波をその身に受けた。
絶句する俺を余所に、事態は進む。
先程よりも血を撒き散らし、吹き飛ぶシノ。地面を何度もバウン
367
ドし、転がり、ボロボロになりながら止まり。
俺はそれを、見てしまって。
﹁シ⋮⋮シノッ︱︱!﹂
叫び、疲労する体を無理矢理に動かして向かう。
駆けたつもりだった。それでも速度は、歩きとそんなに変わらな
くて。
必死に足を動かして、向かった。
﹁シ⋮⋮ノ⋮⋮﹂
辿りついて、彼女の元に、しゃがみこむ。
足を曲げた勢いで体が前に倒れて、疲れて上手く動かない俺は引
き戻せない。
額がシノとぶつかって、霞む視界に彼女の顔がよく映った。
微笑みながら涙を流している。
幸せそうに雫で頬を濡らしている。
俺は︱︱。
俺は。
﹁ぁ⋮⋮﹂
俺は、何をしていた。
諦めていたのか? 守るって、助けるって決めたのに。諦めたの
か?
どうして? 何故? 決意したのに。それなのに、死を前にして
揺らいだ。
その程度の決意だったのか。
その程度の気持ちだったのか。
368
﹁ぁぁ⋮⋮!﹂
弱い。
俺は、弱い。
足りないんだ。まだ足り得ないんだ。
足りなかった。今の力では足りなかったんだ。
もっと力があればこんなことにはならなかったはずだった。
もっと思いが強ければこんなことにはならなかったはずだった。
俺が足り得てさえいればこんなことにはならなかったはずだった。
反芻する。心の中で、何度も何度も。巡り駆ける思いを。
﹁ァァ⋮⋮!﹂
彼女には息がある。よかった。本当にそう思う。でも、違うだろ。
足り得ない。俺では、足り得なかったんだ。
このままでは助けられないだろう。なら、何があれば足り得るん
だ? 助けられるんだ?
どれを自分のものとすれば足り得えられる?
探す。探す。探す。
探して。探して。探して。
︱︱それを見つけた。
﹁ァァァ⋮⋮!﹂
目を向ける。視線を移動させる。
先に在るそれを見た。存在するそれを視認した。
アカリを。
アカリを、見た。
369
﹁ぁぁぁあああああああああああああああああああアアアアアアア
アアアアアアアアア!!!!﹂
︱︱前提条件を満たしました。一時的に︿ラストゲーム﹀を解放
します。
影が、溢れ出す。周囲の影を取り込み、増幅していった。
纏う。使用し発生する疲労さえ纏って補い、無理矢理に体を動か
す。
向かうはアカリの元。
アカリの元。
﹁これは⋮⋮!﹂
影を思い切り爆発させ、これまでの比では無いほどの速度でアカ
リに迫った。
アカリが驚愕を顔に浮かべながらも斧を振り上げている動作が目
に映る。
ああ、その腕︱︱欲しいな。
﹁喰らえよ、︿ポートライトマウス﹀⋮⋮!﹂
そうだ。
相手を倒すために必要なものは、相手に足り得るものだ。
その相手に足り得るものは、どこにある。
・・・・・
決まってる。
相手自身だ。相手そのものだ。
﹁ッく、ぁあアアッ!!﹂
左腕の肩から手首までに掛けて真っ直ぐに口を作り出して、斧を
370
振り下ろすよりも先に、アカリの左腕を︿幻想の剣﹀で斬り落とし
て食べた。
もう一つの斧は振り下ろされる。それを目で確認し、具現化。
左肩の後ろに、デイドリームウォーリアーの左手を。
斧が衝突する瞬間に合わせ、影を爆発させた。勢いのまま倒れそ
うになる体を影で縫い付けて、左手の︿幻想の剣﹀と︿ポートライ
トマウス﹀を元に戻し、違うものを具現化させる。
︿Akari﹀という名のプレイヤーの、左腕を。
﹁影よ﹂
周囲の影を操り、アカリを縛ろうと操作する。しかし相手は上位
階層。精々動きが鈍る程度。
けれど、それだけで構わない。
蹴りを避け、斧を避け、左手で首を掴む。強く、強く。
体の力が抜けてきた辺りで足を引っ掛け、地面に押し倒した。首
を抑えているために咽ることが出来ず、かなり苦しそうにアカリは
表情を変える。
それでもただ、必死に首を絞め続けた。
僅かずつ、HPが減り進んでいく。元々負傷していた身。だから
すぐに、それは減少して、一割を切った。
しかし︱︱終わる。
体を酷使し過ぎたためだろう。スキルが︱︱︿ラストゲーム﹀が
解けて、影も腕も肩も、全てが元に戻っていく。
既に全ては、限界だった。
371
2−19:真実と決意のロングデザイア︻?︼︵後書き︶
物凄い急いで書いたので不自然な点が多いかもしれません。描写が
足りないとか、展開が早いとこあれば指摘して下さると嬉しいです。
上記と同じようなことばかり言ってますね、最近。
372
2−20:真実と決意のロングデザイア︻?︼
﹁くっ⋮⋮ぁ、ぜぇ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
震える体に無理矢理力を込め、首から外した左腕を肘まで使い体
を支えながら、もう片方の手で腰から抜いた︿ナーブルナイフ﹀を
構え、アカリの喉元に押し当てる。
その腕には全力で力を入れているはずなのに、今にも取り落とし
てしまいそうなくらい弱い力だった。
それでも、倒れない。視界が霞もうと汗が滴ろうと疲労が限界直
前まで行っているとしても、倒れない。
﹁⋮⋮わ、たしの⋮⋮負け、ですか⋮⋮﹂
首を締められていたためか、弱弱しいアカリの声が聞こえてくる。
顔は近い。故に、耳元で囁かれる程度でも十分だった。
﹁殺して、ください⋮⋮﹂
アカリが言うそんな言葉に影響されて、震えが大きくなることを
理解する。
本当に、力が入らないだけなのか。考えること。そんなはずはな
く、ただ、迷いを見せていた。
そんな俺に向けて、彼女は口を開く。
﹁私、の親友⋮⋮は、︿人喰い﹀に⋮⋮殺されました﹂
﹁ぁ⋮⋮﹂
﹁仇討ち、だったんですよ⋮⋮私が、この街にいたのは﹂
373
ああ︱︱全ては。
全ては、不運が重なっただけのことだったんだ。
不運にもデスゲームが始まって。
不運にもシノがこの世界に耐えられなくなって。
不運にも彼女は︿願いを叶える不幸な風﹀を見つけてしまって。
不運にも彼女は︿人喰い﹀となり。
不運にもシノは、アカリの親友を殺してしまった。
不運にもアカリはシノと出会ってしまい。
不運にも、シノを救うためにアカリと敵対することになった。
﹁これまで⋮⋮︿人喰い﹀に殺された人達の、ために。殺、された
⋮⋮親友のために。私は、ここで退くわけには、いかないんです﹂
一体誰が悪かったのだろう。
全ては不運の集まりだった。故に、誰もが悪く無くて、誰もが悪
い。
アカリが、正義感で︿人喰い﹀を殺しに来たとすれば、まだ、よ
かったのに。
﹁だから⋮⋮殺して、ください﹂
シノと出会ったのは⋮⋮俺にとって、不運だったのだろうか。
それはまだ、わからない。
後悔はするだろう。それは決まっていること。それでもこれが不
運かどうかは、まだ理解の外。
これは自分で決めたことだから。
利益不利益を考えず、自らが選択したことだから。
だから。
﹁仕方の無い⋮⋮ことなんだ⋮⋮﹂
374
ナイフを持つ手に、力が入る。
﹁これは⋮⋮仕方の無い、ことなんだ⋮⋮﹂
たった二日、付き会っただけの相手。
それはシノもアカリも同じで、それでも俺はシノの味方となるこ
とを選んだ。
自分を求めてくれていたから。彼女には、自分しかいなかったか
ら。
仕方の無いことだったんだ。仕方の無いことなんだ。
﹁⋮⋮理由なんて作らなくても⋮⋮いいですよ﹂
ナイフを持つ手に、アカリが手を添える。
﹁私は貴方を許します﹂
何かが救われた気がした、そんな言葉。
ただの人殺しならこんな気持ちにはならないはずなのに。
救われた気がしたのが、悔しくて。
彼女はそんな苦悩をする俺に、述べてくる。
﹁貴方には⋮⋮きっとこれから、過酷な運命が⋮⋮待ち受けて、い
るんでしょう﹂
まるで弟を信頼する姉のような微笑みを浮かべながら、続けた。
﹁あの子を、守るって⋮⋮決めたのでしょう? なら、覚悟を⋮⋮
決め、て⋮⋮﹂
375
どうして笑っていられるんだ。
これから死ぬのに。これから殺されるのに。
どうして。
不思議だった。
彼女は、言う。
﹁でも⋮⋮無駄死になんて嫌ですから⋮⋮一つ、約束を⋮⋮して、
ください﹂
ナイフを、下に。彼女がゆっくりと動かして、自らの首へ、誘導
してくる。
そして。
﹁私が言うのもなんですが︱︱彼女を⋮⋮シノを、絶対に守って上
げてくださいね﹂
彼女は、そう告げてナイフを自分の喉へ突き刺させた。
零になる、アカリのHP。脳に直接告げられるシステムメッセー
ジは、実に簡単なもの。
︱︱プレイヤー︿Akari﹀をキルしました。
◆◇◆◇◆◇
︿Akari﹀が殺されたという情報は、彼女のフレンド全員に
間違い無く伝わっている。
376
リース。走り去ったノートを探していた彼女にも、そのメッセー
ジは届いていた。
︱︱プレイヤー︿Akari﹀がプレイヤー︿Nought﹀に
キルされました。
驚きで、彼女は固まっていた。
元々、リースはそこまで︿人喰い﹀に詳しかったわけではない。
自由階層最強の肩書きを持つ身として念入りに調査はしていたが、
それでも得られた情報は少ない状態。突然アカリから聞かされた話
より作り出された作戦も、する必要はあるのかと疑問に思っていた。
何故ノートへ、直接︿人喰い﹀のことを伝えてやらないのかと。
︿人喰い﹀がずっとノートの傍にいて、二人が仲良くしていたの
が原因だった。
︿人喰い﹀に聞かれたくない話であったし、何より、連れている
少女についてノートは何も知らない。直接伝えるのは衝撃が大きい
だろうが、作戦を実行すれば、こちらが一方的に行ったこととして
彼が責任を負うことは無くなるのだ。
人一人背負って戦闘は出来ない。ずっと傍に居るという条件を外
すため、リースが︿人喰い﹀を演じてノートの注意を引くこととな
り、その間にアカリに連れ去ってもらった。
それなのに。
この結果は、なんだろう。
リースは考える。どうしてこんなことになっているのかと。
ノートは︿人喰い﹀の事情を知らないはずだった。自分から真実
を告げられた時も驚愕を表に出していたし、それが演技だとは有り
得ないと断言できる。すぐに飛び出して行ったのは予想外だったが、
模擬戦と言えどアカリを相手に二人掛かりで負けたということを耳
にしていたため、どう転がっても大丈夫だとたかをくくっていたの
だ。そもそも、ノートが敵対することを考えていなかった。
ノートには、何か目的があることが窺える。だから下手なことは
しないだろうと。
377
アカリはノートに殺された。それはつまり、彼が︿人喰い﹀の味
方となったことを差す。先程まで何も知らなかったはずなのに。騙
されていたとわかったはずなのに。それなのにアカリと敵対して、
プレイヤーキラーと彼はなった。
馬鹿としか、リースには思えない。何故、プレイヤーキラーに加
担したのかと。
﹁ノー、ト⋮⋮!﹂
自然と、呟くその言葉には力が入っていた。
アカリは上位階層。ノートは自由階層、のはず。何かを隠してい
たとしても、二人掛かりでアカリに負けている時点で、素の力の差
は歴然であることがわかる。アカリは能力に頼らず自分の力の勘を
信じて動くタイプの代表的な上位階層プレイヤーであり、二つの戦
斧を操る戦闘法を主流とし、戦闘の中で冷静に相手を分析すること
に長けた優秀なプレイヤースキル︵ゲームの仕様では無く、純粋な
個人の技術︶も持ち合わす。そんな彼女が戦況を見誤ることはあま
り考えられず、自然とアカリを倒した戦闘法に心当たりが浮かんで
いた。
全プレイヤー共通の、プログラムコードプレイヤーシステムを強
化するスキル。︿ラストゲーム﹀。
リースも、昔に一度だけ使ったことがあったため、その理不尽さ
には心当たりがある。自分の能力の強さに酔いしれ、適正レベルを
遥かに超える地域へ行ってしまった時のことだ。ピンチになって一
時的に︿ラストゲーム﹀を発現し、元々強かった能力が圧倒的なも
のとなって、上位のモンスター共を短時間で全て討ち滅ぼした。そ
の時は自分の力に背筋が凍るような思いをしたし、それ以降は無理
に上へ行こうともせず自由階層に留まり、また︿ラストゲーム﹀を
使っていない。
︿ラストゲーム﹀は一時的にしか発現せず、その条件は︻HPが
378
半分以下︼、︻何らかの感情が激しい︼、︻対象を殺す意思がある︼
、︻能力に信頼を置いている︼の四つとなっている。この四つが常
に無ければ、︿ラストゲーム﹀はすぐに終わってしまう。リースは
一度目の使用時から、未だ自分の能力に少なからず恐怖を抱いてお
り、︻能力に信頼を置いている︼という条件が満たせないために、
今は︿ラストゲーム﹀はかなり発現しにくい状態となっている。
勿論、︿ラストゲーム﹀にはデメリットもあった。制限時間とし
て基本的に五分までしか継続しないというものと、発動中の能力使
用にはかなりの疲労が伴うというもの。三つ目に、︿ラストゲーム
﹀終了以降は、一度しっかりと熟睡を取るまでは能力が使えなくな
るというものもある。
そんな、過去に一度だけ発動したスキルについて振り返りながら、
彼女は走る。
場所は大体の予測が付いており、既にその場へと着いてもおかし
くはないほどだった。
故に、気付く。
目的の場にいるのが、三人では無く四人であることを。
アカリは地面に倒れて、息を引き取っていた。それは連絡を受け
ていたので、驚くようなことではない。
問題は、一人の人物。
血まみれな様子の︿人喰い﹀を、かなり深く眠っているらしいノ
ートの背に負わせ、更に彼を背負う形として立っている、銀を主体
とし金を補助とするような色合いのローブを纏った誰か。フードを
深く被り、二メートルほどの長剣を地面に引き摺っていた。
よく見れば、ノートの頭上には使い魔と思わしきスライムも乗せ
られている。
﹁⋮⋮誰? 二人を抱えてるってことはプレイヤーキラー?﹂
仲間として勧誘。そんな推測を口にしながら、戦闘態勢を取った。
379
そんな自分の様子を見ても、彼は殆ど動じず首を傾げて、言う。
﹁それは無い。俺は、理由も無く君達を襲うことは出来ない﹂
﹁⋮⋮NPC?﹂
︿ロックオン﹀。
映るのは情報。判別はNPC、名称は︿Thguon﹀。
﹁スグアンと読む。スンとでも呼んでくれ﹂
そんなのはどうでもいい。そう伝えるように、リースは左腕に装
着されたクロスボウを向けた。
﹁二人を渡しなさい。こちらで処罰を下す﹂
﹁⋮⋮悪いけど、こいつらは渡せない﹂
NPCは自発的に行動することが極端に少ない。その行動には殆
どの場合において、何か理由がある。
﹁何故?﹂
故に、理由を聞いた。
彼はそれに、淡々と答える。
﹁この男がどこまでいけるのか見てみたい。それだけだ﹂
﹁そんなの理由にはならな︱︱﹂
言い掛けて、彼の周りに魔法陣が展開されているのが視認出来て、
舌打ちをした。
︿自動詠唱﹀を発動されていた。このタイミングから予測するに、
380
おそらく、長距離移動用の魔法スキルであろう。
クロスボウを放つ。長距離移動用の魔法スキルは、レアスキルに
該当するために情報は少ないが、戦闘中には使用出来ないという欠
陥を抱えていることだけは知っている。だから撃って、戦闘とシス
テムに認識させようという考えだった。
だが、︿自動詠唱﹀はデメリットは多いが、余程のことが無い限
りは発動が約束されていると言っても過言ではない。ボルト一本で
はどうにもならないだろう。
事実ボルトは持っていた剣で叩き落とされ、魔法スキルで三人は
消えていった。
リースだけが残る。
彼女は数秒経ってから構えていたクロスボウを下ろし、溜め息を
吐いて場に背を向けた。
﹁⋮⋮納得いかないけど、一応︿人喰い﹀事件解決でいいのかな﹂
少なくとも、︿人喰い﹀がこの街に残る確率は低いと考えられる。
マルクリの掲示板にでもノートや怪しいNPCの情報を提示して
おこう。
この世界では、昨日まで一緒だった人が今日死んでいたなんてこ
とは少なくない。だからリースには驚きはあれど、特に親しいとい
うわけではなかったアカリ相手に、悲しみはそこまで沸かなかった。
慣れは怖い。そんなことをリースは考えながら、マルクリへと向
かった。
381
2−21:同罪と共存のイコールプレゼンス
眩い光が瞼を照らし、その裏側に在る瞳を刺激する。
温度は温かいというより、熱いと言ったところ。しかも誰かに体
を揺すられているようで、眠り続けているのには無理があった。
目を、覚ます。
﹁⋮⋮青い、な﹂
まず最初に出てきた感想が、それだった。
晴天の空。真っ青で雲一つとして無い空に、爛々と照りつける太
陽。その太陽から発せられる光が大分強いような気がする。地面か
ら立ち上る気温もまた高い。
手を小さく動かした。ざらざらとした感触。掲げて見てみれば、
それは沢山の黄土色の砂粒だということがわかった。
﹁ノート⋮⋮!﹂
声が聞こえ、その方向へ視線を移動する。居たのは、瞳に涙さえ
浮かべてこちらを笑顔で見つめている、シイナ︱︱いや、シノ。
体に傷は無い。上半身を上げて見渡せば、そこかしこに空になっ
たポーションの瓶が転がっているのがわかる。それから、ここが半
分ほど砂漠地帯となっていることも。
俺の体にも傷は無い。疲労はまだ残っているが、既に動けるくら
いには回復していた。
誰かが、助けてくれたのだろうか。あの時あの場所で、俺は気絶
し、又シノは倒れていた。捕える絶好のチャンスだったはずだ。だ
が目覚めれば見知らぬ場所にいて、ポーションも掛けられて傷が回
復させられている。
382
考えようとする。しかしそれよりも先に胸に飛び込んできたシノ
によって、止めざるを得なかった。
﹁ごめんなさい、です⋮⋮﹂
強く服を掴みながら、言ってくる。
何に対しての謝罪なのか。そんなのは明白。シノを守るために、
俺がプレイヤーキラーとなってしまったこと。
シノが生きていて、アカリがいない。その事実から最もその可能
性が高いことが予測でき、それは合っている。現場を見ていなくて
もシノはそれをわかっていて、こうして謝ってきていて。
﹁私が貴方に手を差し伸べてもらわなければ⋮⋮こんなことには、
ならなかったのに、です﹂
だから、ごめんなさい。彼女はそう言った。
﹁でも⋮⋮同時に感謝もしてるの、です﹂
顔を上げて、赤く腫らした頬を上気させて、上目遣いを行ってく
る。
笑顔。
﹁助けてくれて本当に嬉しい、です﹂
無邪気な笑み。それに一度、心臓が強く跳ねることを自覚した。
﹁⋮⋮これからも⋮⋮﹂
一転。不安そうにこちらを窺いながら、唇を震わせる。
383
言い淀んでいるようだった。
彼女の頭に手を添えて、撫でる。一瞬驚いた様子でこちらを見て
きたが、しばらく経つと、えへへと微笑みながら肩に顔を埋めてき
た。
そのまま、言う。
﹁これからも、一緒にいてくれますか⋮⋮です?﹂
質問。それをしてからシノの心臓の鼓動の音が、強く聞こえてき
た。
緊張。
何を思っているかは、大体わかる。こんな自分を受け入れてもら
えるのだろうか。何も、得なんてしないのに。そんな思考。
無言で瞳を震わせていた彼女の目元まで手を持っていき、溜まっ
ていた雫を指で拭き取って、俺は言った。
﹁勿論、ずっと一緒だ﹂
シノはそれに目を瞬かせて、
﹁ずっと一緒⋮⋮です?﹂
﹁ああ﹂
﹁でも⋮⋮それは⋮⋮﹂
困ったように顔を曇らせる。
﹁私は︱︱﹂
﹁︱︱俺も化け物だよ﹂
台詞を遮って、言った。その言葉にシノは驚いたような顔をして、
384
でもと言おうとする。
その口に人差し指を添えて、述べる。
﹁あの時⋮⋮助けを求める時、言ったよな。自分が化け物だって。
自分は︿人喰い﹀だから、いつか俺を殺してしまうかもしれないっ
て﹂
﹁だってそれは事実で、ずっと一緒にいるなんて出来なくて⋮⋮﹂
いつか、私を殺してくれればいい。
そんなことを彼女は宣った。
罪悪感で一杯です、と言った様子のシノに溜め息を吐いて、もう
一度言うぞ、と口を開く。
﹁俺も化け物だよ﹂
﹁でもそれは能力で⋮⋮﹂
﹁なら、シノの﹃叶えられた願い﹄も空想だ﹂
その言葉に、彼女は喉を詰まらせた。
否定できない。だって、自分の﹃化け物﹄は、この世界で授かっ
たものなのだから。
﹁そ、それでもこの世界は現実と同じで⋮⋮だ、だから﹂
﹁だったら俺の能力も現実だよ。気持ち悪かっただろ? 人で無い
力を扱う、化け物は﹂
他人の力を奪い、扱う力。足りない自分を補うために、他から獲
り喰らう力。
虚栄の力。他の何かを奪う権利など人には無いのに、それを為し
てしまう力。
禁忌。
385
﹁そんなことはない、です! か、格好良かった、です!﹂
その返答を、嬉しく思う自分がいる。こんな力を忌まずにいてく
れて、嬉しく思う自分が。
それでも。
﹁⋮⋮俺も、シノと同じように人を喰らったんだよ﹂
驚愕した様子で顔を上げる、シノ。
﹁強くなるために人を喰らったんだ。同じなんだよ、シノと。⋮⋮
理由は違えど、やったことは同じ。
いや、もっと酷いかな? 何せ親しくなり掛けていた女性を、そ
うしたんだから﹂
アカリの左腕。それを、喰らった。
今でも、自分の中にそれが存在していることが理解できる。レベ
ル六二で筋力特化の左腕。ファンタジーソルジャーの腕力も越えた
腕。
レベルだって上昇した。三〇だったはずなのに、既に四七。上が
り過ぎではないかと思ったが、まぁ殺したのがプレイヤーならば妥
当な線かと思う。
何にせよ、俺は友を食べたんだ。それは明らかに︿人喰い﹀より
も酷い異形で︱︱。
﹁もしかしたら⋮⋮俺の方が、シノを喰らうかもしれない﹂
強くなるために、と言う。
強くなるために。スズを探すために。スズを守れるくらいの力を
386
手に入れるために。俺は、強くならないといけない。
強く。強く。もっと、強く。
そのことを伝えようとした。けれど、それよりも先にシノが。
﹁ノートは私を食べないよ﹂
アカリとの会話前のように、おかしな敬語を止めて、言葉を発し
た。
確信しているかのような声。何故そう言い切れるのかと。その語
は口に出ることは無く、代わりの返答はまったく同じもの。
﹁シノも、きっと俺を食べないよ﹂
互いに見つめ合う。そして数秒後、互いに笑った。
俺達は、対等な存在になったんだ。
最初は隔たる壁があった。通常プレイヤーとプレイヤーキラー。
人間と人喰い。普通と化け物。
けれど、もう違う。全てが共通され、共に在るようになっている。
それは良いことなのだろうか。少なくとも今、俺達はそれを嬉し
いことだと認識していた。
だから、言い放つ。
﹁これからよろしく、シノ﹂
﹁よろしくノート、です﹂
◆◇◆◇◆◇
387
砂漠ということは、おそらく時計塔の街から東の方向。
シノとフレンドを結んだ。その後、東と思われる方向へ足へ進め
ながら、地図を眺めていた。
時計塔の街の一日目で、道具屋に戻る途中で怪しい男から貰った
正確な地図だ。現在位置は周りにあるものから何とか把握でき、ど
こをどう向かえばいいか決めている。
時計塔の街を中心に描かれているので、砂漠は途中で終わってし
まっていた。
載っている限りでは砂漠に一つだけ小さな集落があり、そこに向
かうことになった。しっかりとその方角へ進んでいたのだが、問題
が一つだけ発生している。
﹁ほら⋮⋮頑張れ、ウサギ﹂
ラビットスライム、ウサギ。スライムに含まれる水分が蒸発して
しまうのか、かなりぐったりした様子で左肩に乗っかっている。
定期的に水代わりのポーションを掛けているのだが、流石に残量
が少なくなってきた。ハイポーションはもう残り三つしか無いため
使用は避けたい。
﹁ん⋮⋮﹂
真下から突然飛び出してきた緑色の物体。それを認識するとすぐ
に後方へ下がり、背中の長剣を抜き放つ。
一言で言えば、サボテンだった。
三メートルほどの巨大なサボテン。半径五センチから一〇センチ
程までの大きさの大量の棘を纏い、中々の強度を誇っている。
歩いている途中で何度も戦った相手だ。故に驚きは無く、︿ロッ
クオン﹀を使わずとも名称は把握している。
388
︿テンタクルカクタス﹀。
﹁※※※※※﹂
意味不明な言語を放ち、テンタクルカクタスは自らの体を覆う棘
を伸ばした。
触手のようにウネウネさせて、動かす。最初はこれのどこがサボ
テンなんだと言いたかったが、よくよく考えれば﹃テンタクル﹄と
いうのは﹃触手﹄の英字の読み方なので、あながち間違いではない
と考えられた。
テンタクルカクタスが体中から大量の触手を放ってくるので、そ
れに対応する。こいつを女性であるシノに任せるのは、何というか
⋮⋮無いとは思うが、想像に難くないことが起こるかもしれないの
で、俺だけが相手にすることにしている。
剣をテンタクルカクタスの向こう側へ投げ、迫る触手を真横にダ
ッシュして避けながらスキルを発動。
︱︱︿ソードバック﹀。
︱︱︿スキルコンディション﹀。
戻る軌道を変えた剣が敵に突き刺さり、一瞬触手の動きが止まっ
た。その隙に、今の全開の影の補助で速度を上げながら、テンタク
ルカクタスへ近付いていく。
両手にデイドリームウォーリアーの両腕を具現化。
金属の腕で、注視しなければ見えない触手化しない小さな棘ごと、
殴りつけた。右ストレート、ジャブ、右アッパー、左ストレート、
右フック。
ボクシングの経験は無く、故に殆ど形だけの適当な殴打。しかし
腕は金属となっており、少なくともボクサーのパンチの数倍は食ら
う。
絶叫を上げる相手に構わず、最後に、裏拳を決めてHPを〇にし
た。
389
能力を解除し、刺さっていた剣を抜き取る。素材の回収を行いた
いところだが、ウサギがヤバいので早めに集落へ向かいたい。棘を
数本適当に切り落としてアイテムストレージへ仕舞い、断念をする。
触手化していたその棘の名は︿ソーンテンタクル﹀。ソーンは棘、
テンタクルは触手。つまり棘の触手。そのままだった。
出会ったモンスターは、テンタクルカクタスの他には全長一メー
トル程の黄土色の魚がいた。名称は︿サンドフィッシュ﹀。口から
砂の球を出し、また砂を自由に泳ぐことが特徴的で、素早いが、防
御力は低いので簡単に倒せた。スキルは無いようで、砂球を口から
吐くのは通常攻撃の一種らしい。
二匹とも取り込み済みだ。
移動を再開する。如何せん砂漠なので足場が悪く、思ったように
進まない。レベルが上がっているため、まだポイントは振り分けて
いないが、剣を持つことに使う影はかなり減っている。故に歩き易
くするのに影の補助を多少たりとも使うのもいいのだが、それでは
シノが不憫なので止めていた。
ただ、歩く。
ただ、進む。
空が赤くなってきていた。この頃になるとウサギもぐったりとは
していなくなるが、ポーションは既に品切れとなっている。
出来れば昼に着きたかったが、無理があったか。砂漠なので思う
ようには進めない。
そろそろ着いても良い頃なんだが、と思い顔を上げると、うっす
らと何かの面影が見えてきていた。
もうすぐ着く。そう考え体を奮い立たせ、歩きを速めた。
390
2−21:同罪と共存のイコールプレゼンス︵後書き︶
一件略着。これにて二章﹁狂喰断罪のホロコースト﹂は終了です。
二章までは、内容は結構細かく決まってました。途中から少し曖昧
でしたが、その時点でプロット再構築をしたので問題はありません
でした。
無事に終わって何よりです。
次は⋮⋮はい、えー、三章はまだタイトル未定なんです。
加え、物語が殆ど決まっていないという体たらく。いえ、大筋は決
まってるんですが、特に重要な部分だけで内容は全然⋮⋮。
と、兎に角、これからも頑張りますので、読んでいってくださると
嬉しいです。
これからもどうかよろしくお願いします。
P.S.今更ですが、タイトルは基本的に、章が﹃○○○○の××
××﹄、話が﹃○○と○○の××××﹄となっています。○が漢字、
×が英語です。英語を解けても前後と繋がっていなくて意味不明だ
ったりしますが、仕様︵わざとそうしていること︶なので見逃して
くださると幸いです。
391
第二章:簡略モンスター図鑑︵前書き︶
※今話までの﹃ナスラモスキートの羽﹄の表記を﹃ナスラモスキー
トの翅﹄へ変更しました。というより修正しました。
392
第二章:簡略モンスター図鑑
※︿明々の平原﹀※
・︿ナスラモスキート﹀
大きな蚊のモンスター。全能力値が最低と言っても過言では無い
が、翅を持ち、また攻撃力は無くとも血を吸うので、戦う時は注意
が必要。油断は禁物である。
通常の蚊と同じく二酸化炭素に反応をする。二酸化炭素を発する
生物へと一直線に向かってくるため、対処は楽。朝から晩までよく
見かけ、いつでもどこでも襲い掛かってくる。街の中にも着いてく
るため、目を付けられた時は逃げ切るか対峙するかどちらかを選ば
なければ、他人の迷惑となりやすい。
飛行ではあまり速く動けず、精々ホバリングが出来る程度。
ドロップアイテムは︿ナスラの虫液﹀︿ナスラの翅﹀。稀に︿ナ
スラの歯﹀を落とす。
393
第二章:簡略モンスター図鑑︵後書き︶
触手様とサンドフィッシュは三章の図鑑の方で紹介するつもりです
ので、抜かせていただきました。
触手を使いたいがために主人公の能力をモンスター吸収にしたと言
っても過言では無いです。やっと触手が出せたと非常に喜んでいま
す。
394
3−1:集落と疲労のリテイリング
血の海に立つその青年は、そこで初めて、自らの内に秘める狂気
を自覚した。
握る一本の剣の柄を、強く握る。
殺したことに後悔は無かった。普通のプレイヤーもプレイヤーキ
ラーもまとめて手に掛けて、それでも、幼い頃からずっと大切な彼
女のためだったから。
この道は、きっと誰もが認めはしない道だろう。
全ての人間に批判される。全ての人種に批判される。普通のプレ
イヤーにもプレイヤーキラーにも、どちらにも忌まれ蔑まれる道。
それでも辿ることにした。
彼女の傍にはもう、大嫌いで大嫌いで仕方が無い、彼がいる。
受け入れられない。どうしても。あいつも自分も、彼女を守り切
れなかった。
大嫌いだった。自分も、あいつも。
それでも彼女だけは大好きだから。
あいつが彼女の傍で彼女を守ってくれるというのなら。
自分は彼女の遠くで、這い蹲る害虫全てを駆逐しよう。
殺す。殺し尽くす。害となる者は全員。この手で。
彼女はそれを望んでくれないだろう。
だとしても︱︱それが彼女のためとなるならば。
◆◇◆◇◆◇
395
集落に着いた俺︱︱︿Nought﹀は、シノと共に、一も二も
無く、宿の方へとチェックインを済ませた。
随分と貧相な場所であるのに無駄に高額だったが、こんな砂漠の
ど真ん中に建つような集落で宿が取れただけ良いというものだろう。
フィールドの中心。役に立つ施設など殆ど無く、故に余程の物好
きでない限りはこの集落に居るようなプレイヤーはいない。
﹁⋮⋮疲れた﹂
ステータスで補正が掛けられているとはいえ、砂の上をずっと歩
いていた。昼の間、ずっと。それにはキツイものがあり、すぐに床
へ倒れ込む。
体を綺麗にして早く寝よう。
そう思ったが、ハタとあることに気付き、起き上がった。レベル
が上がった時のポイントを振り分けてない。早めに振り分けておい
た方が後々振り忘れたなんてことにはならないし、早めにしておこ
う、と。
メニューを開き、ポイントを確認する。一七〇だ。もうすぐで素
の筋力のみで長剣を持てるようになりそうなので、ます始めにST
Rへ一〇を振り、包帯を巻いたまま剣を持つ。ギリギリか。更に一
〇ポイントを入力し、しっかり振り回せるのを確認してから剣を戻
した。
次は、VIT。おそらく、パラメータ上の体力はこれが関係して
いると思われる。影を使用するのには疲労が伴うと分かった以上、
そのままにしておくわけにはいかない。四〇ほど振り分けた。
残ったのは一一〇。前回、分けなかったDEX︱︱命中力︱︱と
LUK︱︱運︱︱に振ろうと思い、それぞれに二五ずつ。残りは六
〇。HP、MP、TP、AGI︱︱俊敏力︱︱にそれぞれ十五ずつ
振り分け、メニューを閉じた。
一息吐く。
396
そういえば、シノが静かだ。部屋を見渡す。あるのは質素なベッ
ドが二つに、小さなランプのみ。部屋も小さく、時計塔の街とは比
べ物にならない。
いない。
どこに行ったんだか。フレンドで連絡を取ろうと項目を開いたが、
外で物音がして動作を中断する。
フレンドに、︿LIRCE﹀はもういない。消した。悪役へと堕
ちた今、リースとの繋がりは邪魔なだけのものだっただろう。だか
ら。
項目を閉じて、外へ向かった。部屋を出て、宿を出て、路地に入
ってすぐ。そこにシノはいた。
左手を口を抑えて、壁に右手を当てて呻いている。
﹁どうかしたのか、シノ﹂
﹁ひ、ひゃい!﹂
ひどく驚いた様子で肩を跳ねさせ、振り向くシノ。
その目は、いつか見た時のように、猟奇的に光っていて。
ああ、と納得した。人喰い衝動か。
﹁え、と⋮⋮い、今は待って⋮⋮もうすぐ、収ま、る⋮⋮はずだか
ら⋮⋮です﹂
そう言って後方へ下がるシノ。こちらを傷つけたくないが故の配
慮だろう。
そういえば、何故、時計塔の街で俺と一緒に居る時は平気だった
のだろう。始めて会った時や死体を見た時は反応したが、それ以外
では普通だった。
強い感情の揺れ、又は強い刺激を与える、それと死体を見るとい
うのが三つの条件だとしよう。これは確実。今はそれらが無いはず
397
で、しかし発生中。時計塔の街では平気だった。
何が違うのか。
考え、気になることを訊く。
﹁もしかして、だけど⋮⋮お腹空いてる?﹂
﹁え⋮⋮あ、うん⋮⋮です﹂
条件の特定は、意外に簡単だった。
現状で考えられる衝動の条件は、四つか。先ごろ挙げた三つに加
え、お腹が空いていること。時計塔の街にいた頃は俺やアカリと共
にしっかり食事を取っていたため、大丈夫であったと思われる。
﹁⋮⋮ほれ﹂
アイテムストレージからいつしかの干し肉を取り出し、投げて渡
してみる。
顔に動かし、瞬時に歯で捕獲し口の中に入れ込んでいた。
もぐもぐと咀嚼する音が聞こえてくる。頬が膨らんでいる。少し
大きかったか。
﹁手より顔の方が速かったな⋮⋮﹂
そう呟くと、噛むのをピタリと止め、こちらを見つめてくる。
一転、赤面。
ネズミのような速さで噛んで食べ切ると、顔を俯かせた。恥ずか
しかったみたいだ。言わない方がよかったか、と若干後悔しつつ、
もう一つ干し肉を取り出す。
今度は手を、彼女の視界に入るようにしながら干し肉を揺らして
見せる。
しばらく何かに耐えるように震えていたが、数秒後、先程のよう
398
に歯を立てて干し肉へ噛みついてこようとしてきた。
それを干し肉を引くことで回避し、そこを負ってきたので左に持
って行って回避。左に来たので右へ移動。右に来たので左に移動。
最終的に、彼女の頭上で手を上げて、手を左右に揺らしている状
態になっていた。左へ行くと顔をそちらへ向けて跳びはね、右へ行
くとそちらへ跳ねる。
思わず笑みが零れ、それに反応したかのようにシノの目が俺へ向
けられた。
直後︱︱痛み。
右腕。装備ごとだが、シノに噛まれる。最初は強く噛み付いてき
ていたが、しばらく経ち、ハッと正気を取り戻し、俺から即座に離
れて行った。
﹁ご、ごめんなさい⋮⋮です﹂
本当に申し訳なさそうに言う。それに肩を竦め、答えた。
﹁いいよ。というか、最初に遊んだ俺が悪かったし。シノが責任負
うことじゃないよ﹂
再び近付いて、干し肉を渡す。
シノが必死に抑えようとしていたのに、刺激した。普通に俺が悪
い。
それでも彼女は納得してくれないようで、落ち込んでいた。
﹁⋮⋮じゃ、ちょっと失礼﹂
彼女の前に手を右手を掲げる。それを右へ移動させていくと彼女
の視線もそちらへ向く。
その隙に左手を上げ、額にデコピン。
399
おあいこ
﹁これで御相子ってことで﹂
そう言うと、彼女は目を数回瞬かせた後、片手で額を抑え、照れ
臭そうに笑った。
うん、と頷く。
もう一つ干し肉を取り出して自分が食べながら、路地を出る。宿
に二人で入り、部屋へと戻ってきた。
二人して背を伸ばす。その後共に脱力をし、メニューを開く。
︿消汚草﹀、︿桶﹀を実体化。桶に店主の方で水を入れてもらい、
次に部屋の扉を施錠。︿消汚草﹀を桶へ入れ、︿布﹀を実体化させ
た。
ベッドに座り、目を、周りが見えないように縛る。
外で待っていればいいものを、何故かこのようにして、体を洗う
ことや着替えを待つことになってしまっている。
本当に何でだろう。
しばらく経ち、衣擦れの音が聞こえてきた。その時は煩悩を排除
し冷静に務め、自分の番ではなるべく早めに済ませるようにする。
何の問題も無く全てが終わった。
現在着ているのは灰色に翠色の刺繍がされた初期装備。残念なが
ら装備が二種類しかないので、汚れを取れるのを待つ時はこれしか
ない。
シノなんてローブ一枚なのに。
普通の服を綺麗にしている間にローブだけを着込み、普通の服を
着ている間はローブを洗う。シノがローブ一枚の時は妙に意識して
しまうので、会話が中々無い。
相手も緊張しているようだから、尚更だ。
汚れが取れた後は、ウサギに水分を吸い取ってもらった後に、ま
た互いに目隠しをして着替える。この時は着替えるだけなのですぐ
に終わり、助かる。それでも着替えが終了した数分は話が出来無く
400
て、会話が無い空間は続くはずだった。
しかし生憎と、今日は随分と疲れていて、その空間は無いようで。
﹁おやすみ﹂と言い合うと、すぐに俺とシノ、そしてウサギは、眠
りに務めた。
401
3−2:襲撃と逃亡のデザートビレッジ︵前書き︶
※後半部分を改訂しました。
改訂前を見てくれた方も、御手数ですが、読んでくださると助か
ります。
402
3−2:襲撃と逃亡のデザートビレッジ
︱︱襲撃警報。
朝。外に居たNPC達が妙に騒がしく、目が覚めた。
その際に、違うベッドで寝ていたはずのシノが懐に潜り込んでい
たのに気付くが、いつものことなので、もう気にしない。
彼女を起こさないように布団を出ると、着替えの際に外しておい
た剣を背中へ吊るし、部屋を出た。
同じように宿の扉も潜る︱︱ところで異変に気付く。剣は間に合
わない。︿インストール﹀も間に合わない。朝の明るさにより弱体
化している影を全て右腕に纏わせ、外へ一歩踏み出すと同時に右手
側へ腕を突き出した。
手へ、衝撃。
顔を上げて見れば、半径一五センチほどの砂の球を受け止めてい
る。砂の為、防ぎきれなかった砂利が顔や服に当てられるが、目覚
めには丁度良いくらいだった。
﹁サンドフィッシュか⋮⋮﹂
少し先に、口を大きく開けたまま制止する一メートルほどの黄土
色の魚の姿を見て、声を漏らす。
剣の包帯を解き、柄に手を添えた。パラメータ上昇により既に影
の補助無しで剣を持てるが、それでも補助を回し力を上げる。
そしてサンドフィッシュへ向かって、投げた。
切っ先が対象へ突き刺さる。上がる、砂で造られた血。発動した
︿ロックオン﹀で確認できるHPは、残り四割。
﹁※※※※※!﹂
403
急な奇声。咆哮。サンドフィッシュが空へ向けて意味のわからな
い言葉を叫び、そのまま倒れた。
︱︱︿仲間呼び﹀。
HPの減少と引き換えに発動されるスキル。それに舌打ちをして
から︿ソードバック﹀を使い、手の中に剣を戻す。
背中へ吊るし、周囲を見渡した。空気が先程よりも違っている。
何かが違うと、︿ソウルイーター﹀により強化された第六感が囁い
ている。
急いで宿の部屋まで戻った。シノを揺すって起こし、ウサギはシ
ノを起こす際の物音で起きたようで、左肩に飛び乗って来る。
﹁どうしたのぉ⋮⋮ですぅ⋮⋮﹂
物凄く眠そうな様子のシノ。語尾も伸びている。昨日は砂漠をず
っと歩いていたのだから、それも当然か。
そろそろ、マズイな。
シノを抱きかかえ、宿の入り口まで駆ける。少しの時間さえ惜し
い。彼女の意識を完全に覚醒させるのを後回しに、外へ飛び出した。
︿インストール﹀。︿ナスラモスキート﹀の翅。
空中へ跳ね、そのまま翅で勢いを加速させて、空中に躍り出る。
静止。辺りを見渡した。
﹁やっぱり、か⋮⋮﹂
ありとあらゆるところで、サンドフィッシュ達が地面を泳いで集
落を闊歩している。︿仲間呼び﹀で呼ばれたのもいれば、最初から
居たのもいる。テンタクルカクタンの姿は無いが、それでも十分に
厄介だ。
﹁わぁ⋮⋮高い高い、です⋮⋮﹂
404
⋮⋮凄く暢気な声に気勢を削がれつつ、周りの観察を続けようと
する。
が、邪魔が入った。下からの攻撃。砂の球だ。両手も塞がり、ま
た、戦闘に向いた飛行は不可能な︿ナスラモスキート﹀の翅。どう
しようもない。
左肩に目を向けると、ウサギは間も空けず頷いて︱︱しかし迎撃
する瞬間に、少ない蒸気を発しながら肩に重く圧し掛かった。
忘れていた。ここは砂漠で、ウサギには害のある場所。
﹁ち⋮⋮!﹂
せめてシノだけでも守ろうと体を反転し、砂の球を背に受ける。
よく背中の傷は恥とか言う武人がいるが、現代ではどこの傷だろう
と変わらない。そもそもVR世界で傷が残るようなことは無い。
翅を欠けさせられた。衝撃に加え、上手く飛行できない事実が災
いし、落ちていく。着地には問題無いのだが、着地後には問題があ
るように思う。
下を見るのを忘れていたが、一体、どれほどのサンドフィッシュ
が居るのか。
落ちないようにしないといけない。
﹁化けろ、︿テンタクルカクタス﹀﹂
左腕でシノを持ち直し、触手サボテンを右腕に具現化。真緑に染
まったかと思えば、そこかしこから半径五から十センチほどの棘が
無数に出現した。
それらを触手化させ、伸ばす。立つ建物の支柱の先を絡め取り、
触手を回収させようとすることで、体を前方へ引っ張らせた。
空中へ加速する体。支柱の先を越えようとする体を又も触手で抑
405
え、絡め付かせている支柱へ足と触手を付けたまま制止する。
﹁⋮⋮逃げるか﹂
集落の様子を見て、そう思った。
砂の中しか泳げない魚達では、建物の中には侵入できない。又、
彼らの出す砂の球では建物を破壊できないようだ。
NPCは全員中に避難中のようだし、こちらも集落を脱出してし
まっても何も問題は無いだろう。
そこまで考えて、触手を解いて違う建物の支柱へと伸ばし、巻き
付かせた。体を引っ張り、空中へと躍り出たまま触手を次の建物へ
伸ばす。
空中を移動。跳ぶとも飛ぶとも言えないような異質な動作を繰り
返し、集落の外を目指した。
しかしそれは。
﹁み⋮⋮は、はれ? 私⋮⋮何か⋮⋮え? ひゃ、ひゃい!?﹂
シノが完全に覚醒し、俺の姿が物凄く近くにあることで慌てたこ
とにより、動作に支障が生じる。
飛ぶ方向を間違えた。地面が一直線に迫るのを視界に収め、一か
八かと足裏の方を地へ向ける。
着地と同時に、弱体化した影の爆発。
通常ならここで少し跳ねたようになってから無事着地だろうが、
生憎これは弱体化版。速度が緩みはしたが、少ない痛みと衝撃が足
を刺激した。
﹁あ⋮⋮ご、ごめんなさい、です! 大丈夫!? です!?﹂
﹁大丈夫、だよ⋮⋮﹂
406
幸い成功したし、痛みの度合いは低い。すぐに立ち上がり、シノ
を地に下ろす。
腕を元に戻し、目の前でグーパーと繰り返した。初めて翅以外の
人型で無い部位を使ったが、問題は無かったようだ。助かる、と思
う。
このまま、新しい街へ向かうか︱︱。
脱出するのはいいが、その辺はどうしようか。
時計塔の街で怪しい男から貰った地図は、残念ながら、砂漠はこ
の集落までしか描かれていない。この向こうがわからない。なのに、
向かう場所もわからないのに出て行っていいのか。
このままなのは、少し無計画過ぎるか。そう判断し、取り敢えず
道具屋へ向かうことにした。建物の中は安全地帯であるし、売って
くれるよう願うばかり。
共に走り、道具屋へ向かった。先程とは違い今回は二人。現れる
サンドフィッシュの相手もそこそこに、速めに移動を行え、道具屋
のすぐ近くまでやってきた。
さっさと地図を買っておさらばしよう。そう考えて速度を上げ、
道具屋の扉を開けた。
﹁砂漠の地図は無いかな﹂
開口一番にそう言い切り、店主の方へ視線を向ける。茶髪のおじ
さんだ。
﹁おいおい、襲撃時に買い物かよ。まぁ、いいが﹂
言いながら、カウンターの下に手を伸ばした後、色の付いたを差
し出してくる。
﹁流石にこんな広大な土地の全てを記したものは無いが、目立つも
407
のと、その方向を示した地図くらいはあるな﹂
受け取って視界に収め、買うことに決定。一五〇〇ゴールドと結
構高かったが、買う価値はあった。
ついでに水も瓶ごと大量に買う。ポーションも三〇個補給し、干
し肉も買っておく。残金が一五〇〇〇ほどになった。そこで買うこ
とを止めて、店主へ訊いた。
﹁上位階層⋮⋮って通じないか。強い奴らが集まってる場所って、
どこかわかります?﹂
彼は気前よく答えてくれた。
﹁それなら、地図の東に大きな街があるだろ。そこの東にある遺跡
が最前線とか言うやつらしいから、そこへ向かえ﹂
﹁ありがとうございました﹂
御礼を言って、店を出る。
場所はわかった。俺は、上位階層へ行く。
目指すべきはその情報屋。会って、スズの情報を手に入れる。
改めて現在のやるべきことを脳裏に反芻し、小さく頷いてから、
シノと共に歩き出した。
東の街へ、向かわなければ。
408
3−3:新街と注目のパーソナルフィギュア
集落を越えた先。再び歩む砂漠は、少し強い風が流れるようにな
っており、砂が巻き上がっている。
出てくるモンスターは変わらない。ただ、目に砂が入ると隙が出
来てしまうし、風が足場の悪さも相まって、余計足を動き辛くして
いる。
それでも、砂が混ざって色が変わりそうだったウサギへ︿布﹀を
被せる事態を除けば、順調に進んでいた。
﹁シノ、付いてきてるか?﹂
思わず前を向いたまま訊く。
﹁大丈夫、です。はぐれてない、です﹂
安堵しつつ、目を細めて遠くを見つめた。
砂が舞っていて見えにくい。それでも、よくわからないながらも
しっかりと認識できていた。
街一つ包み隠せるほどの大きさの、砂嵐。
地図を取り出す。地図と言っても、方角と、どの辺りから何があ
るなどとしか書かれていない簡単なもの。それに描かれる目的の街
を見てみれば、街のマークの下側に砂嵐の印。
きっとあの中。あの中に、目的の街がある。
モンスターを警戒しつつ進む。サンドフィッシュは未だ出てくる
が、テンタクルカクタンはこの地域にはいないようだ。砂が多く舞
う場所に入ってから見かけないため、どうやら風が弱い場所にしか
現れないようになっているらしい。
代わりに、︿サンドバード﹀という鳥がこちらへ攻撃を仕掛けて
409
きていた。全長一メートル半程度の黄土色の鳥類で、サンドフィッ
シュと同じく口から砂球を放ってくる。そう強くは無いが、空中に
いるので厄介だ。一応吸収済み。
淡々と歩みを進め、偶にはぐれていないかを確かめながら先を急
いだ。先程までずっと変わらない景色でつまらなかったが、もう目
的地は見えている。足が自然と速く動くのも不思議ではなかった。
砂嵐の前に、辿りつく。
近くで見ると、本当に巨大だった。街を囲むように強烈に吹く風
に加え、砂が乗っていて、体に当たると普通に痛い。街の周辺のみ
砂嵐が強烈になっているようで、その異質さが窺える。
シノと手を繋ぎ、意を決して内部へ突入した。戸惑いや迷いはあ
ったが、ここに来るまでの変わり映えのしない景色を思い出すと、
ここに入る以外の選択肢は取りたくないと考えている。苦労して来
たのだし、何より、ずっと砂の上を歩いているのは嫌だ。街という
のなら、建物を建てられるくらいには地面がしっかりしているだろ
う。
一メートル先すら見えない砂の嵐が周囲を包み、思わず目を瞑り
かける。それでも方向の失わぬように開け続け、ただ足を動かした。
HPが、少しずつ減少しているのが理解できる。速く。急がずに
はいられないが、あまり無理に動くと吹き飛ばされそうな印象を受
けた。だから、急ぎつつ慎重に。
進行途中で左腕により強い重みと柔らかさを感じた。吹き飛ばさ
れぬよう、シノが張り付いてきたのだろう。ウサギも服の中に避難
してくる。
そうして、歩を進めること数分、又は数十分。砂嵐が急激に薄く
なり始め、地面も堅いものへと変わっていく。
嵐を抜けた。
降り注ぐ太陽が、遮るものなく一直線に光を放ってくる。先程ま
で殆ど見えなかった事実が嘘みたいに周囲が見渡せた。
地面は変わらず黄土色の砂。しかし固まり具合が異常で、思わず
410
地面と錯覚しそうになる。街に門はなくそのまま街へ入れるようだ。
街に、時計塔のように目を引くような高さのものは見当たらないが、
街の周辺をぐるっと囲む砂嵐が印象的だった。
空を見上げれば、真上に太陽が。
もう昼か、と思う。昨日は疲れたから早めに寝たし、朝はモンス
ターの襲撃があったから、早めに出発した。それなのにもう昼とは、
恐れ入る。
ステータスの補正のおかげで疲れを感じにくいとはいえ、精神的
疲労は溜まっている。同じ景色をずっと歩いて来たんだ。早めに街
に入って、食事を取ったりして休憩をしたい。情報集めはそれから
開始すればいいだろう。腹が減っては戦はできぬ、とも言う。
そろそろ離れてくれるようシノに言い、ウサギを服の中から出し
て左肩に乗せた。その際に布は取る。
どうやら気付かずにくっ付いて来ていたようで、シノは羞恥から
か耳を真っ赤にしながら慌てて飛び退っていた。そんな彼女の頭を
一撫でし、フードを被らせて街へ向かう。
新たな街へ。上位階層へ、足を踏み入れた。
◆◇◆◇◆◇
大通りを歩く。目指す場所は道具屋。まずは街の見取り図を買わ
なければ話にならない。見知らぬ場所を手当たり次第に右往左往す
るくらいよりも、地図を片手に動いた方が遥かに良いと考えられる
からだ。
とは言え、道具屋を探すまでは適当に回るしかない。道具屋のマ
ークは確かポーションだったか。目に入る建物に注意を向けていて
411
も、それらしきものは見当たらない。
時計塔の街では簡単に見つかったんだけどな、とか思いながら行
進する。その途中、不必要に視線が集まってきている気がして、シ
ノの手を無断で握った。
フードで顔は見えない。しかし、いきなりのことには、驚いたと
いうことだけはわかった。
︱︱︿ポートライトアイ﹀。
自らの体中のどこにでも目を出現させられるスキル、ポートライ
トアイ。それを利用し、剣以外にも使えるようになった影へと﹃目﹄
を造る。
それを使い、バレないように周囲を見渡した。
﹁⋮⋮シノ、走るぞ﹂
やはりか、と思う。
やはり、意図的に見られている。
目を消し、シノの手を引いて路地へ駆け込んだ。奥へ進むと日が
遮られ、一時的に影の力が増し始める。
後方からの足音に振り返ることはせず、影を爆発させて上方へ跳
ぶ。日の光に当てられ、また影が弱まる。建物より上の高所まで上
がり、屋根の上へ着地した。
シノが動きに付いていけてないようだったので、御姫様抱っこを
して支える。顔を真っ赤に染められるが、これは仕方の無いことだ。
背中には剣があるし、何より、これから翅を出すのだから。
ナスラモスキートの翅。具現化。
弱体化している影の補助を足に回し、屋根と屋根の間を飛ぶよう
に駆けた。影で速度を上げ、翅で落ちないように支えている。影は
弱体化の影響で爆発が不可能であるし、翅はホバリング程度しかで
きないので、妥当な移動法だ。テンタクルカクタスの触手移動も考
えたが、あれは目立ち過ぎるので自重した。
412
そろそろいいか。路地へ降り、暗い隙間を縫って進み、座れるよ
うな場所を見つけて、シノを下ろしてから腰を下ろす。
シノも、ギクシャクとした動きながらも、隣に座ってきた。
﹁大丈夫か、シノ﹂
﹁だ、だだ、大丈夫、です⋮⋮﹂
彼女の詰まりまくりの返答を聞き、安堵する。怪我もしていない
ようだ。
見られていた理由は。追われた理由は。狙われていた理由は、何
だろう。
思考する。耳を澄ませて、もう追われていないことを確認してか
ら、深く考え込む。
おそらく、プレイヤーキラーだとバレたと考えるのが妥当であろ
う。テイマーが珍しかったから、ウサギが珍しかったから。そんな
理由も閃いたが、それが追われる理由になるとは思えない。
では、どちらがバレたのか。シノは顔を曝していない。つまり、
自分だと考えるのが一番自然だ。
けれど、おかしい。俺達は真っ直ぐにこの街まで向かって歩いて
きた。だから、自らのことがプレイヤーキラーだと伝わり切ってい
るとは考えにくく、街に堂々と姿を見せていた。何故バレたのか。
遠距離用の連絡手段がある。可能性としては、その確率が一番高
いだろう。
思わず、心中で舌打ちをする。もう少し余裕があると思っていた。
その間に情報屋を見つけ、スズの情報をどうにかしようと考えてい
た。だが、この世界に来たばかりの俺は無知過ぎて、仕様を把握し
切れていない。
自分も顔を隠さなくてはならない。そう思うが、アイテムストレ
ージの中には目ぼしい装備やアイテムが見当たらない。第一、装備
は殆ど売ってしまっていた。
413
どうしたものか、と辺りを見渡す。便利なものでも落ちてないか
な、なんて軽い気持ちで。本気で何かがあるとは思っていなかった
ので、見つかった時には、流石に驚きの声が漏れた。
黒い兎の仮面が転がっている。
自分は兎という動物に縁があるのだろうか。スズの髪型然り、ウ
サギことラビットスライム然り。確かに兎は好きだが、仮面にまで
そんな拘りを持っているわけではない。
微妙な表情になっていることを自覚しながらもその仮面を拾い、
顔に装着した。耳は斜め後ろに伸びてるため、建物の扉に引っかか
るということは無いだろう。耳の付け根近くから、それぞれ二本の
帯のような黒く細長い布が伸びていたが、それは垂らしておくもの
のようだ。側面にあった紐同士を頭の後ろで結び、解けないように
縛る。
ひとまずは、これでいいか。
早めに道具屋に向かい、地図を手に入れよう。その後は装飾屋へ
行き、外套でも買いたい。飯や情報はその後だ。
自分の容姿が伝わっているとなると、装備の方に何かアレンジを
入れておいた方がいいだろう。それから、何とかウサギを隠せるよ
うにできないと、いい加減目立ち過ぎる。
指名手配ってこういう気持ちなのかな。そんなことを思いながら、
嘆息して立ち上がり、シノと共に路地を縫って進んでいった。
414
3−4:狂犬と尾行のノーユーズファイト︻?︼
道具屋は案外簡単に見つかった。街の西部。中心にある広場に近
い場所に、ぽつりと存在していた。
時計塔の街で買ったようなパンフレット。それに地図が記載され
ているようなので、それをを買って道具屋を出た。
地図を確認する。小さな湖があり、それを中心に広場が造られて
いるようだ。広場を中心とし、西部、東部、南部、北部それぞれに
大通りがあり、それらの通りを歪曲して繋ぐように、街の中に四角
形の通りも存在している。
ヒーロー
路地の繋がる場所まで、細かく描かれていた。異様に詳しい。作
者部分を見れば、︿HERO﹀、と書かれている。いつしか見たよ
うな名前だ。
注意事項という場所には赤文字で﹃この地図に元々描かれている
店舗は、全てNPC営業店となっております。プレイヤー営業店に
付きましては御自分で御探し、又追加で記載していくことを推奨し
ます﹄と写されていた。時計塔の方にも、よく確認してみると同じ
表記がある。
つまり地図に製図されている一つの装飾屋は、NPC店というこ
と。姿を隠すためのものを探す上では都合が良く、すぐさまその場
へ向かうことにした。
﹁いらっしゃいませー﹂
装飾屋の扉を開けてでの、店員の最初の一声。
それを受けてシノと共に中に入り、店員に詰め寄る。
﹁フード付きのコートが欲しいんだけど。できれば、あまり動きを
阻害しないタイプの﹂
415
そう告げると、少し悩む動作をした後に、口を開いた。
﹁でしたら、︿黒動のコート﹀はどうでしょうか。デザインは、御
連れの方の着用している︿白静のローブ﹀の対義を意識し、作られ
ております﹂
取り出し、見せてくる。
初めに目に入った色は、黒だった。これはコートというよりも、
マントに近いだろうか。体全体を覆い隠せるくらいの、布で縫われ
たフート付きのロングコート。シノの着るものとは違い、鎖の模様
ではなく、歯車の模様が描かれていた。
﹁買う。幾らかな﹂
﹁四五〇〇ゴールドとなります。︿白静のローブ﹀よりも五〇〇ゴ
ールドほど御高いですが、動きを阻害しないものとしては、おそら
く一級品かと﹂
白静のローブ︱︱シノの着ているローブは、どのくらいの値段だ
ったか。一々覚えていないが、こちらの方が、激しく動く上では便
利ということだろう。
この街のパンフレットが三〇〇ゴールド。コートが四五〇〇ゴー
ルド。元々持っているゴールドは一五〇〇〇。計算すると、残るの
は一〇二〇〇ゴールド。
コートを買うのはいいが、この金額で、スズの情報を買えるのだ
ろうか。リースは、情報屋はボッタくりだと言っていた。自由階層
の情報屋にはタダで教えてもらったため、相場がよくわからない。
スズの情報の貴重さによる、か。
まずは情報屋を探し、会うのが先決。金のことなんて後で考えれ
ばいい。足りなければ、その分稼ぐだけだ。
416
﹁ありがとうございました﹂
ゴールドを払い、剣を一度外して店内で纏ってから、店を出る。
もし自分の情報が伝わっているとするなら、一番目立ちやすいも
のを隠さなければ簡単に見つけられてしまう。だから、早めに隠し
たい。
ウサギ。どう考えても、これ以上目立たないものなどない。
どう隠そうか。迷うような素振りを見せていたからか、ウサギが
一回、ピョンと跳ねたかと思うと、二回目のジャンプで俺の頭の後
ろ側へ回った。
付けていなかったフードの中へ収まる。
いんぺい
仮面を付けているため、シノのようにフードを被る必要は無い。
なるほど、このようにしてフードを使えば、完全に特徴を隠蔽でき
るということだ。素直に称賛し、ウサギは嬉しそうにモゴモゴと動
く。
さて。
昼飯を食べて、情報屋を探そう。
どうやって探せばいいのかわからない。だが、頭の中で、危険で
便利な施設が一つ閃いていた。
即ち、マルクリ︱︱マルチクリア。
プレイヤー達の集会所、みたいな場所。そこに行けば、情報屋の
一人や二人、見つかるはずだった。
かなり有用な施設だが、それでも危険も付きまとう。
人が沢山いるということは、正体がバレる確率が上がるというこ
と。バレた時の危険性も増し、相手は上位階層のため、生半可な実
力では対処しきれない。アカリに︿ラストゲーム﹀なんていうよく
わからない力で勝った身からすれば、あんな化け物を何匹も一緒に
相手をしたくない。正直、レベルの上がった今でも、一対一で耐え
るだけでもキツイはずなのだから。
417
バレた時のヤバさを考えるだけで背筋が凍るような思いになるが、
その場が一番の手掛かりだ。仕方が無い。スズのためなら何でもで
きると誓えるような自分は、バレた瞬間死ぬようなスパイ任務も、
恐怖せず完遂してみせなければならない。
やる。やってみせる。
﹁シノは、どうする?﹂
バレた時の危険性を説明し、問うた。
無理に来いとは言わない。これは自らの目的のためであり、巻き
込むことは本来、褒められたことではないから。
しかしシノは当たり前のことのように頷いて、言を発する。
﹁一緒に行く、です﹂
◆◇◆◇◆◇
昼飯は適当に済ませ、マルクリへ向かった。内部は時計塔の街で
入った時とは違い、随分と閑散としている。
あの時は︿人喰い﹀対策に追われ、集会として集まっていたから
多かった。それはわかっているのだが、それにしてもプレイヤーの
数が少なすぎるような気がする。
﹁自由階層が﹃世界を楽しむ﹄ということを信条にしているという
なら、上位階層は﹃如何にして効率良くゲームを進めるのか﹄が目
的となっている節が強い、です。勿論楽しむ気持ちもあるのだけど、
418
効率性を最優先に世界を生きてる、です﹂
困惑した様子の俺へ、シノが説明をしてくれた。
﹁基本的にマナーは守るけれど、いざという時には、PvPをして
さえ目的のために戦闘を繰り広げる、です。油断すればすぐに置い
て行かれる、です﹂
﹁なんでそんなの知って⋮⋮﹂
﹁︿人喰い﹀になる前は、私も上位階層だった、です。だから知っ
てる、です﹂
質問の返答には、声をひそめて。自分が︿人喰い﹀だ、なんて発
言は危なすぎるからか。
周囲を見渡す。確かに予想外に閑散としてはいたが、人は居る。
取り敢えず、誰か安全そうな人に話し掛けて、そこから情報屋のこ
とを︱︱。
﹁ぇ⋮⋮?﹂
擦れ違ったプレイヤー。一瞬目に入ったその顔が、ある知り合い
に酷似して見えた。
まさか。
思わず、そのプレイヤーの肩を掴んで引き止めていた。相手は歩
みを止め、振り返る。
︱︱ああ、やっぱり。
﹁ん⋮⋮見ない顔だな﹂
声も似ている。いや、同じなのだろう。
髪も目も、現実と同じ。変えるのが面倒くさいとか、きっとそう
419
いう理由か。こいつはそういう性格だ。勝負事が大好きな変人。狂
犬のような雰囲気を放つ、平均より少し小さい程度の身長の、黒髪
ロングの少女。
本名、青葉燕。自宅の道場の門下生。
﹁何か用か? これから狩りに出掛けたいんだ﹂
生きていたことを嬉しく思うが、違和感。妙に他人行儀な気がす
る。
ああ、そういえば、姿を隠していた。ここで正体をバラすのは得
策とは言えず、穏便に済ますべきかと考える。
﹁いや⋮⋮知り合いに似ていたから。どうやら、人違いだったみた
いだな。謝罪する﹂
﹁気にしてない。それじゃあな﹂
背を向け、マルクリを去っていく燕。
追いかけるべきだろうか。
久しぶりの知り合い。しかし彼女にも確実に自分のことは伝わっ
ているはずで、もし正体をバラして、不運な方向へ傾いた場合⋮⋮。
行く、か。
マルクリを出て、路地に隠れる。彼女が人のいない場所へ辿りつ
くのを待とう。そこで事情を話して、出来れば目的を手伝ってもら
いたい。
どう転ぶかは運任せ。それでも、きっとやらないよりはマシだと
思うから。
420
3−5:狂犬と尾行のノーユーズファイト︻?︼
悠々と歩みを進める燕の尾行を始め、五分ほど。
不意に、燕が走り出した。
勿論、それを追わないわけにはいかない。駆ける。道を真っ直ぐ
に進んだり、曲がったり。複雑に絡む道を進んだ先で、燕は足を止
めた。
小さな広場のような場所。ただ場が開いてるだけで、周りが建物
の壁に囲まれていて、何も無い。
そこで振り返って、彼女は言う。
﹁ほら、こっちから人気の少ないところ来てやったんだから、出て
来いよ﹂
やはり、バレていた。
走り出した辺りからそんな気はしていたが、と思いながら、燕の
前まで歩いて行く。シノにはジェスチャーで﹁来るな﹂と示してお
き、一人で向かった。
俺の姿を認めた燕が、口の端を上げる。
﹁やっぱあんたか。何の用だ?﹂
﹁俺は︱︱﹂
言葉を発しようとした矢先、第六感が危険を察知した。瞬時にそ
の場から飛び退く。すると、先程までいた所で、風を割くような音
が聞こえてきた。
拳が、空気を打ち付けた音。
よく響く音色だった。楽に耳に届くような、鋭く、強い音。剣で
ならば頑張れば出せるような音であるが、拳で風を斬る音など生半
421
可なものではない。
それに、結構距離は離れていたはず。それなのに、スキルも感知
されず、いつの間にか拳が突き出されたということは。
素早さが尋常ではない、ということか。
﹁まぁ、何の用かは何でもいいや。尾行はマナー違反でボコられて
も文句は言えない。だから、久しぶりの対人戦だ。楽しくやろう﹂
矢継ぎ早に呟く燕。こちらに文句は言わせないような、強い口調。
第二撃。事情を説明したいところだが、そんな暇は与えられない
みたいだった。鋭い風切り音。剣は間に合わないと判断し、︿スキ
ルコレクション﹀で強化し、影を纏わせた両腕をクロスさせて防ご
うとする。
腕への振動。次いで体が吹き飛ばされる感覚に、背中を打ち付け
られる痛撃と、息が詰まるほどの衝撃。
防ぐために出した腕を殴りつけ、そのまま突き飛ばし、壁へぶち
当てられた。
咳を発して息を吹き返し、痛む体を動かして、相手へ視線を向け
る。
ヤバい。
これはヤバい。
速すぎて、防げたのが奇跡だと思えるくらいだ。
﹁⋮⋮おかしい。どうして、この程度で終わる?﹂
﹁俺は弱いんだ。だから、そっちの﹃この程度﹄は、こっちじゃ﹃
圧倒的﹄なんだよ﹂
レベルが違う。地力が違う。センスが違う。経験が違う。
相手は現実でも武術を習っているような相手。身体能力がステー
タス依存ということは、現実よりも強力な威力と動きを可能にし、
422
また、武術の応用度も増す。こちらの気配を簡単に察知したような
天性のセンスに、上位階層を維持するほどの戦闘の経験。
俺も一応は、この世界でのみならば、七年前に習った技術で上手
く立ち回ることができる。だがそれは主に﹃システムの誤認識﹄を
扱う技術であって、戦闘に直接関与するようなものではない。
当然のことながら、この世界はシステムで形作られているもので
あり、本当に重力などが存在しているわけではない。ただデータ上
の計算から導き出されているだけだ。俺の技術は、その計算の数値
を少しだけ狂わせる程度のもの。オンラインゲームで、容量が少な
かったり、本体のスペックが低かったりすると、キャラクターの反
応が遅くなり、動きがカクカクとしたものになるだろう。簡潔に言
えば、それと同じものだ。
だが、今はそんなことはどうでもいい。問題は、相手の武術の真
髄。
俺は、知っている。ずっと昔、青葉と︱︱燕の兄と、喧嘩をした
ことがあるから。ずっとずっと昔。まだ、中学に入学したてで、友
達でもなかった頃に。
あいつは随分と荒れていて、当時は俗に言う不良のような輩だっ
た。確か、武術を無理矢理習わされていて、かなり鬱憤が溜まって
いたんだっけ。
不運にも俺は青葉の隣の席。その頃の自分も、まぁ、友達がいな
くて、スズだけが心の在り処だった。
だから、激怒した。
いつだったか、詳しい時期は覚えていない。よく知らない内に青
葉と口論になって、青葉に、家族について馬鹿にされた。
俺達二人を、無理にでも養ってくれてた御祖母さんを馬鹿にされ、
何より、他のどんなものよりも大切にしていたスズを馬鹿にされる。
二人を馬鹿にすることは、俺を怒らせるには十分過ぎるもの。
放課後に、喧嘩として互いに暴れまくった。
その時に身に覚えて知ったものこそが、青葉の家の武術の真髄。
423
重心の完全移動。
勿論、素人な俺に勝てる要素なんてなかった。だけどスズを馬鹿
にされた俺は、当然のように、どんなに倒されても起き上がって。
青葉はそんな俺に︱︱。
首を振る。無駄な思考は止めよう。脱線し過ぎた。
重心の完全移動というのは、つまり、重さの操作。例えば、拳で
突く瞬間に自らの体重全てを拳へ移動させたりすると、対象に、見
た目からは有り得ないほどの力を発揮させられる。そんな強力な技
術。真髄。
当時は、青葉もまだ未完成であったし、現実の体を使ったものだ
った。勿論限界がある。だが、この世界ではどうだろうか。
俺と同じように、相手の技術も飛躍的に上昇するはずだ。
﹁弱い。後衛職か?﹂
考え込み過ぎていた。突然の問いに、答えられない。
そんな様子の俺へ溜め息を吐いて、燕は構えた。
折角の喋れる機会。早く、尾行したことの弁解と、自分の正体を
述べなければ。
﹁ま、待て。俺は︱︱﹂
﹁期待外れだった。さっさと終わらせて、もう一人に期待しよう﹂
言い切るよりも早く。仮面に手を掛けるよりも早く。燕が動く。
拳が風を切り、眼前まで迫る。一瞬の出来事。当たると覚悟し、
しかしその直前で、拳が止まった。
﹁⋮⋮お前、私を殺すか?﹂
﹁は?﹂
424
唐突な質問。意図がわからず、思わず訊き返す。
﹁そのままの意味だ。殺す気はあるのか?﹂
﹁いや⋮⋮無い、けど﹂
燕は、ふむ、と唸り、拳を下ろした。
何がどうした?
意味がわからない。意図がわからない。何故聞いたのか、わから
ない。
﹁なら、一緒に戦え﹂
上を見て、彼女がそう言った。
誘われるように、自分も見上げる。
﹁は、あ⋮⋮?﹂
人がいた。建物の屋上に、沢山。
それだけならば、単なる異常な風景で済んだ。だが目の前に広が
る光景は異様であり、異質であり、不気味。
こちらを見下ろす人の全てが、まったく同じ人物だった。
黄土色の髪と瞳を持ち、子供のような幼さを残した顔立ちをして
いる。緑色の装備を纏った彼らは、まるで造られたかのように綺麗
な顔だった。
こちらを見下ろす全員が微笑みを浮かべ、何となく、薄ら寒さを
感じさせる。
﹁もう一人の奴、呼んだ方がいい﹂
燕の忠告。素直に聞き入れ、こっそりこちらを覗いていたシノを
425
ジェスチャーで隣に呼び寄せた。
口の端を上げ、燕は楽しそうに笑う。
﹁まさか、こんな大物に出会えるなんて⋮⋮﹂
大物。有名なプレイヤーなのだろうか。
沢山いる内の一人が、落ちてくる。トンッ、と音を立てて地に着
地した。その後にこちらを見、微笑みを崩さず紳士のような礼をし、
口を開く。
﹁黒と白の御二方は、御初に御目に掛かります。世界の皆様に︿人
壊し﹀と忌まれる、﹃人﹄を冠する六人の内の一人でございます。
以後、御見知りおきを﹂
一瞬だけシノに視線を移動させ、すぐに︿人壊し﹀と名乗った男
の方へ戻す。
リースから聞いた記憶がある。六人の﹃人﹄の名を司るプレイヤ
ーキラー。︿人喰い﹀︿人潰し﹀︿人斬り﹀︿人壊し﹀︿人刺し﹀
︿人殺し﹀。詳しいことはよくわからないが、プレイヤーキラーの
中でも、特別な位置に属す者達だということは明白だ。
﹁そう殺気立たないでください。知っているでしょう? 私個人で
は自由階層にすら劣ってしまう実力だということを﹂
﹁直接的に殺したことは無くとも、間接的に殺した経験は何度ある
んだ?﹂
﹁ありませんよ、そんなの。全部、勝手に死んでるだけじゃないで
すか﹂
肩を竦め、やれやれとでもいう風に首を振る︿人壊し﹀。
人殺しをなんとも思っていないとか、人殺しに快楽を覚えるとか。
426
そんなレベルじゃなく。
人殺しとさえ思わない。
気付けば、燕の拳が、︿人壊し﹀を貫いていた。
﹁御見事﹂
称賛を最後に、血を噴き出して動かなくなる︿人壊し﹀の体。
だが、二人目が。見下ろしていた沢山の内の一人が、落ちてくる。
同じ表情。同じ姿。同じ声。
﹁何やら面白そうだったので、覗きにきただけですよ。危害を加え
るつもりはありません﹂
異形。そうとしか言いようが無い。
︿ロックオン﹀。思わずそう呟き、全ての︿人壊し﹀を確認して
いた。
燕が貫いた︿人壊し﹀の体はしっかりとHPが〇となり死んでい
る。間違いない。それなのに他の︿人壊し﹀からもまったく同じ反
応が出されていて、全てが﹃プレイヤー﹄と判断されている。
コード
全てが同じプレイヤー。モンスターでも、アイテムでもなく。
おいとま
きっとこれこそが、︿人壊し﹀の能力。不可思議で不気味で怪奇
で怪異な力。
﹁お前は⋮⋮﹂
﹁お腹が空きましたね。挨拶も終わりましたし、この辺で御暇しま
しょう﹂
言って、全員が背を向けた。燕は降りてきている二人目を殺して、
屋上まで跳ぶ。
427
﹁逃がさない﹂
建物の向こう側へ去っていく。
それを最後に、二人が眼前から完全に消えた。一緒に戦うとか言
っていたのに、戦闘が無く出来事が終わり、また、正体をバラすこ
とができなかった。
わけがわからない、と思いながら頭を掻く。いや、もっとわけが
わからないのはシノの方か。こちらを不安そうに見つめてくる彼女
の頭を撫でていると、どこからともなく拍手の様な音が聞こえてき
た。
見渡すと、その正体が見つかる。
この小さな広場の入り口部分に、そいつは立っていた。長い黒髪
と金色の瞳の男。どこかで見かけたことがある気がすると思い記憶
を探れば、時計塔の街の一日目が脳裏に過ぎる。
そうだ。欲しかった地図をくれた、怪しい男。
﹁こんにちわ、プレイヤーキラー︿Nought﹀に、︿人喰い﹀
シノ﹂
その挨拶は、こちらに完全なる警戒心を抱かせるには十分過ぎる
ものだった。
428
3−5:狂犬と尾行のノーユーズファイト︻?︼︵後書き︶
不自然な部分、急いで書いたのできっと沢山あると思います。
御指摘してくださると嬉しいです。
429
3−6:情報と契約のシンフルアドバンス
こちらの正体を挨拶代わりとでもいう風に看破した男は、一瞬屋
上の方を見上げ、こちらに向き直る。
面白そうに。楽しそうに。嗤う。
右手を剣に手を掛け、シノを後ろに回す形で庇った。いつでも戦
闘ができるよう、態勢を整える。
﹁そんなに警戒しなくても大丈夫さ。僕は、君達に何かをするつも
りは無い﹂
両手を上げて、宣った。それでも警戒は解かずにいると、更に笑
みを深めてくる。
﹁合格。疑うことはいいことさ。相手がどんなことを言おうと、ど
んなに信頼できようと。日本はスパイ大国と呼ばれるが、それは日
本人の警戒心が極端に低いからだ。今の君のように、相手の言葉に
耳を貸しつつも警戒を解かないのは、一番良いと思われる行動だ﹂
だが、と続けた。
﹁相手に警戒を悟られるようでは、三流かな。外見上において相手
の言葉を呑み込んだように見せ掛け、警戒を解いたフリをする。そ
こから相手の隙を探し、油断を誘い⋮⋮と、まぁ、そんなことが出
来れば、もっと点数は高くなるよ。素人には難しいだろうし、そも
そも、君にそんな気は無いのだろうけど﹂
肩を竦める男。それを見、言葉を聞きつつも、剣から手は離さな
い。
430
こいつは、俺達をプレイヤーキラーだと知っている。だから。
そんな俺の様子を見て、笑みが、苦笑いのようなものに変わった。
﹁だんまりか⋮⋮まぁ、仕方が無い。こちらの手札を一枚、見せて
あげよう﹂
俺を指差し、口を開く。
﹁現実世界の方はどうなっていたかな、ノートくん﹂
剣を抜き、構えた。
何故、どうして。知っている。脳裏を過ぎる疑問。
時計塔の街でもそうだった。地図が欲しいと思っていたら、こい
つが知らぬ間に地図を渡してきた。知っているはずの無いことを知
っている。情報集めとか、そんな生易しいものではなく。
なんでも知っている。知らぬはずのないことを宣い、そう、思わ
せてくる。
﹁一日目の地獄の始まりの日、︿始まりの街﹀で君は確かに死んだ。
死者の一人に数えられ、人生に幕を閉じた⋮⋮はずだった、とでも
言うのかな?
けれど、君は戻ってきた。四ヶ月︱︱現実の方で言えば、四日か
な? それだけの時間を経て、この世界へ﹂
後ろに居るシノの、驚いている空気が伝わってきた。振り返らず、
反論せず。反応で肯定をする。
男が大仰に自らの胸に手を添えて、続けた。
﹁僕にも知らないことはある。この世界で自分は優秀な情報屋だと
は自負しているが、流石に現実の状況はわからないんだ﹂
431
情報屋。その言葉を聞いて、一瞬だけ反応をしてしまう。
狙い通りとでもいう風に、彼は口の端を上げた。
﹁予測は簡単にできるけどね。現実での死は本物で、君は運が良か
った例外。だけどこれらは情報ではなく予測であり、僕の必要とす
るものではない。僕は、これを情報にしたい。
聞いていいかな? 現実での死は、本物かい?﹂
答えのわかっている質問。意味の無い質問。ただの確認事項。
これに深い意味など無く、言った言葉通りの理由なのだろう。だ
から﹁本物だ﹂とだけ答え、警戒を続けた。
﹁ありがとう。また、情報が増えた﹂
御礼に、もう一枚手札を見せてあげよう。
そう言って大袈裟に溜めを作り、口を開いた。
言う。述べる。
彼は告げる。
﹁プレイヤー︿Rin﹀の情報﹂
︱︱その一言で、思考の全てが驚愕で満たされた。
こいつは。この男は。
俺の欲しい情報を、知っている。
﹁欲しい﹂
一も二も無くそう弁じていた。俺はそのために。スズに会うため
に、この世界に来た。
432
だから否定なんてしない。手掛かりがあるのなら、どんなことを
しようと、それを掴むのみ。
警戒を出来るだけ解いた。すぐに反応できる程度に抑え、話を聞
く態度を見せる。
男は笑みを崩さず、口を切る。
﹁ただでは渡さないよ。君の欲しているこの情報は、君が思ってい
る以上に貴重なものだから﹂
どういう意味だ。言い掛けたが、それよりも先に、彼が発言を続
行する。
﹁おそらく、君の欲している情報を精密で正確に知っているのは、
僕しかいない。それだけ知られていない風説ということだ﹂
﹁金なら払う﹂
﹁いらないな、そんなものは。
何の為に僕が君達に接触したと思う? 態々プレイヤーキラー相
手に丸腰で会いにくるなんて、普通は考えないはずさ﹂
﹁⋮⋮何が言いたい﹂
﹁わかっているはずだよ、君なら。でも、︿人喰い﹀の方はわかっ
てないみたいだから⋮⋮敢えて発話しよう﹂
目を細め、彼は言った。
﹁僕の手足となって、人を殺してほしい﹂
◆◇◆◇◆◇
433
﹁本当に、教えてくれるんだな﹂
﹁ああ、約束するよ。依頼を一回こなす度に、一定の情報を提示し
よう﹂
互いの確認。それを済ませ、フレンド登録を結ぶ。
ネームレス
これで、いつでも連絡を取れるようになる。
相手の名は、︿Nameless﹀。﹃名無し﹄と呼んでくれ、
と発言していた。
﹁依頼に無関係の誰かに君の正体が知られた時⋮⋮またはこの話が
誰かに漏れた時は、この話は無かったことにしてもらうよ﹂
﹁わかってるよ﹂
﹁僕は確実に君の求める答えを知っている。それだけはしっかり断
言しておこう﹂
それを聞いて、もういいか、と、シノを連れて足を動かす。
もう用は無い。依頼はすぐにフレンドのメール機能で伝えると言
っていたし、立ち去ってもいいだろう。
﹁ああ、そういえば﹂
くつくつと笑っていた彼が、背を向ける俺へと切言した。
﹁︿孤独ノ王﹀というレアアビリティが存在していてね、それは﹃
フレンドが一人もいない場合、自らの全ステータスパラメータを一.
五倍にする﹄という変わった効果を持っているんだ﹂
﹁⋮⋮それがどうした﹂
﹁それだけさ﹂
434
いぶか
訝しみながらも歩きを再開し、広場を出た。
路地を歩く。無言で付いてくるシノに、歩みを止めないままに訊
いた。
﹁軽蔑したか?﹂
後ろから、足音が聞こえなくなる。
足を止め、振り返った。
フードから僅かに覗く、俺を見つめる彼女の瞳。映るその色は、
一体なんだろう。
﹁目的のためなら、俺は人殺しだってする。本当のプレイヤーキラ
ーにだってなってみせる。
一を取るために九を捨て、九を捨てることに惜しみはしない﹂
俺は名無しの話を受け入れ、人を殺すことを決断した。
それは最低な決定。哀れで愚かで罪深い、犯罪者となる決意。
自らの目的のため、人殺しをする。自分の意思と関連せずに人を
殺してきた︿人喰い﹀と、全く違う思想。
スズのため。たかが情報程度のために、人殺しに手を染める。
馬鹿のやること。狂気の沙汰。
釣り合いが取れていない。一片の情報と多数の命。倫理的に見て
大切なものはどちらなのか、子供でもわかることだ。
だけど、俺は情報を選んだ。
スズの手掛かりが、やっと目の前に啓示されたから。
﹁俺から離れるなら、今の内だけど﹂
言って、視線を外した。
435
これから始めていくのは、自らの意思で人の殺す行為。
自らの都合で人を殺す行為。
本来はシノに関係の無い話だ。俺の我儘、俺の事情。シノが共に
罪を背負う道理なんてない。
けれど、彼女は言う。俺の手を取って、しっかりと視線を合わせ
ながら、言う。
﹁ずっと一緒にいるって、約束した⋮⋮です﹂
強い意志を、瞳の奥に感じた。
少しだけの申し訳なさ、そして後悔を胸に抱えながら、﹁ありが
とう﹂と返す。
本当にこれでよかったのだろうか。
迷いは消えない。それでも、俺は前に進むしかない。
道は開けている。道筋は見えている。ここで逃せば、いつまた辿
れるかもわからない。
前に歩みを進めるしかないんだ。どんなに罪に塗れていようと、
その先に果てしない後悔が待っていようと。
絶対に俺は、スズのいる場所まで辿り着くんだ。
436
3−7:再会と依存のデクラレーション︻?︼
若干重い、微妙な空気のまま、大通りの方まで戻る。
会話は無い。互いに。
どちらとも何も言えないような雰囲気がずっと続いていた。
昼食は適当な露店で済まそう。
近くにあった焼き鳥屋へ行き、ゴールドを払って六串分買う。
一人三本。これくらいあれば腹も膨れるはずだ。
﹁⋮⋮ありがとう、です﹂
シノに渡し、食べ歩きをして街を徘徊する。
不意に、とある考えが頭に浮かんだ。 スズの情報でも集めようかな。
もしかしたら名無しの言っていた﹃自分しか知らない﹄というの
は嘘かもしれない。いや、嘘と考えるのが普通のはずだ。だけど俺
は馬鹿みたいに信じてしまっていて、こんなに、人殺しの選択をし
てしまったことに、どうしようもない後悔のようなものを抱えてい
る。
シノへの、後ろめたい気持ちも。
どうしてあんな簡単に信じてしまったのか。もう、わかっていた。
あいつが、あまりに当たり前そうに、そのことを口にしたから。
﹃当然﹄とでもいうべき意味を含ませた声音を。
日常生活で使われるような、流してしまう普通の言。
﹁⋮⋮マルクリに戻ろう﹂
あいつの言っていたことは嘘。それを信じたいが為に、もう一度
危険な場所へと足を踏み入れる。
437
本当はわかっているはずなのに。本当は、無駄だと感じているは
ずなのに。
それでも。
それでも、少しでも嘘である可能性を浮き上がらせたかった。
◆◇◆◇◆◇
情報は見つからず、そのまま夜になる。
満月の、異様に寒い夜。
そういえば、ここは砂漠だったっけか。砂漠くらいの温度はステ
ータスに影響しないらしいので、ちょっと暑い程度にしか思ってい
なかった。この寒さもそうだが、急に温度が変わったりすると、流
石に砂漠であることを意識はする。
夕食として干し肉を食べながら、二人で夜道を進んでいた。
今日は宿を確保することを忘れていて、今は適当に探している最
中だ。昼から空気も変わらず、特に会話もない。いつまでこの状況
が続くのだろう。いつまでも、このままではいられないのはわかっ
ているのに。
名無しからも、依頼は来なかった。明日中に絶対に回すという話
なので、そちらを待つしかない。
﹁ノート、は⋮⋮﹂
干し肉を食べ終わった頃に、シノが名前を呼ぶので、後ろへ振り
向く。
438
﹁︿Rin﹀、という妹さんを⋮⋮どう思っているのですか?﹂
フードから僅かに瞳を覗かせ、訊いてきた。
真剣な声音。冗談の含まない、どうしてそこまで必死になって探
すのかと。そういう意思の込められた言葉。
だから俺も、真剣に答えることにする。
﹁俺のことを第一に思ってくれている大切な家族。そして、依存相
手﹂
思い返す。気持ちを。心を。
﹁ずっと一緒だった。互いが互いに依存をして、互いが互いを自分
以上のものと思えるくらい、大切で。まるで半身を分け与えるかの
ように頼り合った。いや、実際にそうだったんだ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁スズのためなら、俺は死んでもいい。そう思って⋮⋮いや、そう
して俺は、この世界で一度死んだんだよ。スズを危険に晒さないた
めに、スズを傷つけないために。それが一番彼女を傷つけるってわ
かっていたのに、わかっていたはずなのに。彼女のために死を選ん
だ﹂
﹁それは私と⋮⋮﹂
﹁そう、シノと同じ。俺もシノのことをそうキツくは言えなかった
んだ。兎に角俺は⋮⋮これからの人生全てを棒に振っても良いと思
えるくらい、スズを大切に思ってる﹂
だから、またこの世界にも来た。死ぬ確率の方が圧倒的に高いあ
の街へ、迷いなく飛び込んで。
愚かな選択だ。馬鹿のやることだ。
他人のために体を張れる奴は大した奴。だが、他人のために命を
439
捨てるような奴は狂人だ。
俺は、狂っている。
それは、ずっと昔からわかっていたことなのかもしれない。互い
が互いに依存し合っていて、互いが互いに壊れていることを知って
いて。
依存は、出来損ないの人間がやることだ。
一人じゃできないから、他人を頼る。自分じゃ絶対にできないか
ら、依存をする。
世間はそれを否定する。俺達を否定する。
何の根拠も無く、﹃依存は駄目なことだ﹄なんて言う人間は、世
界には沢山いて。それはつまり、依存が昔から、世間に認められな
いものだということ。
それでも互いを求めた。
周囲なんて関係なく、ただ手の平を重ねて、笑い合った。
これまでのスズとの毎日が脳裏を過ぎっていく。楽しい思い出。
とても大切な記録。
︱︱最初はただ、スズの泣き顔を見たくなかっただけで。
︱︱いつからだっただろう。
︱︱俺は、彼女の心からの笑顔を見たいと思っていた。
﹁スズのためなら、何だってする。外道と蔑まれようと、人殺しと
忌み嫌われようと。彼女のためなら、いくらだって罪に塗れた悪の
道を進んでやろう﹂
笑う。無理にでも、笑う。
﹁全てはスズのため。自分勝手な選択だってわかってる。それでも、
何をしようと絶対に、別れてしまった彼女の元へ辿りつくんだ﹂
そう言葉を切ってシノを見た。
440
俯いている。
何を考えているのだろう。
彼女は顔を上げて、口を開き︱︱
﹁それは︱︱﹂
﹁見っけた!﹂
不意に耳に響いてきた声。路地の方からだ。視線を向け、目を凝
らす。
そこにいたのは。
﹁フ、ー⋮⋮﹂
微かに漏れた呟きは、風に紛れて消えていく。
間違い無く、プレイヤー︿Free﹀こと、フーだった。
綺麗な水色の髪。あどけない顔立ちに、負の感情が一切見渡せな
いような明るい雰囲気。
着込んでいる装備は、何だろう。目に入る限りは巫女服に見える。
正式名称は巫女装束だったか。
だが、何故袴が水色なのだろう。緋袴ではないのは確実だ。確か
水色は、巫女では無く神主の位を示す色の一つだったはずで、つま
りあれは巫女装束では無く、男性用の礼装となるはず。
けれど、あの形状はどう見ても巫女装束。袴だけが水色だ。巫女
用の袴である緋袴は、緋色か紅色、または萱草色の三種類しかない
と聞いている。つまりあの袴は巫女用の緋袴では無く、まったく別
のものであるということになるはず。けれど形状は緋袴のそれとま
ったく同じで、水色。
こんな恰好をするのはフーくらいだろう。
再会を、とても嬉しく思う。また会うつもりだったが、実際に会
えると、本当に嬉しい。
441
彼女はこちらに指を向けてきていて、言う。
﹁仮面!﹂
先にあるのは、俺の顔。つまり、黒い兎の仮面。
フーが作ったものなのか。それならば、何となく納得できるよう
な気もする。
俺がノートだと伝えないと。
仮面を外そうと手を掛けて、その紐を解こうとしたところで。
止めた。
そういえば名無しには、依頼に関係の無い相手には、正体を隠す
ように言われていた。本当にほんの少しの、噂程度の情報でも、自
分レベルの情報屋ならば簡単に正体が掴めるから、と。
スズの情報のためには、仮面を取らない方が良い、のか?
いや、確かフーは、スズとフレンドだっただろう。連絡くらい取
わざわざ
れるはずで、現在位置はすぐわかるはずだ。直行でスズの情報を手
に入れられるのなら、態々名無しに頼る必要はない。
改めて仮面に手を掛けようとし、一瞬、名無しから聞いた、ある
スキルの名称が脳裏を過ぎる。
︿孤独ノ王﹀。フレンドが一人もいない場合のみ、全ステータス
パラメータが一.五倍されるレアアビリティ。
上位階層のマルクリでも、スズの情報はまったくと言って良いほ
ど見つからなかった。それにより名無しの﹃自分しか知らない﹄と
いう発言の少しの裏付けがされていて、そうでないとしても、スズ
の情報がかなり貴重なものだということは確実となる。
何故、あいつは別れ際、︿孤独ノ王﹀なんてアビリティの話をし
た?
名無しは、知らないはずのことを知っている。俺の一度目の死亡
然り、戻ってきた時期然り。それならばフーと俺が知り合いだとい
うことも知っていてもおかしくない。
442
︿孤独ノ王﹀は、フレンドが一人もいない時のみ発動。つまりフ
レンドがいる場合、その全て削除する必要がある。
仮定、仮の話だ。
もしフーかスズのどちらかが︿孤独ノ王﹀のアビリティを所持し
ており、連絡が取れない状況になっているとしたら︱︱。
仮面から手を離し、下ろした。仮面は付けたまま。
今日は、止めておこう。
ここで正体を曝せば、おそらく名無しにはフーに正体を明かした
ことがすぐに伝わってしまう。そうなれば情報をくれるという話も
無効になってしまう可能性が高く、つまりフーから情報を得るしか
ない。
もしフーが、︿孤独ノ王﹀というアビリティのせいで、スズの情
報を持っていないとしたら。現状を知らないとしたら。
そうすれば、また一から手探りするしかなくなってしまう。
フーに正体を明かすのはいつでもできる。フーからスズのことを
聞くのは、正体を明かさないでやるのは難しいだろうが、自然を装
えばできないこともない。
明かすことに、デメリットが多い。先に一度、名無しに︿孤独ノ
王﹀のことを詳しく聞くのが得策だ。
ここは焦るべきではない。
﹁あー⋮⋮すまないけど、これくれないかな? ゴールドは払うか
ら﹂
取り繕う。苦笑いのような声音を意識して作り、反応を窺った。
フーは、
﹁あ、気に入ってるの? なら返さなくて良いよ﹂
機嫌良さそうにそう言うと、笑顔を見せてくる。
443
少し驚いた。こんな簡単に渡していいものか、と。
だが、くれるというのなら貰っておいた方が明らかに良い。だか
ら、﹁ありがとう﹂と御礼を述べた。
﹁別に良いよ、気に入った人に付けてもらうのが一番嬉しい。それ
より、折角だし挨拶しようよ。こんばんわー﹂
挨拶には少し遅い気もするが、そういうことは言ってはいけない
のだろう。
﹁こんばんわ﹂
﹁こんばんわ、です﹂
二人で挨拶をする。シノとは先程まで真剣な会話をしていたが、
フーの介入により有耶無耶になってしまっていた。
フーは俺達の返しに、満足したように頷く。
﹁その仮面にはね、一つだけ特殊な機能があるの﹂
つつ
﹁特殊な、機能?﹂
﹁額を突いてみて﹂
言われた通り、仮面の額部分を叩く。すると一瞬だけ振動した。
しかし、何も起こらない。
﹃何が︱︱﹄
声が、二重になっていた。
驚愕し、そしてこれが仮面の効果だと即座に理解する。
どうでもいい機能だった。いや、どうせわかっていたことだけれ
ど。
444
﹁面白いでしょ? あと格好良いでしょ?﹂
中学生男子かよ。そう言いそうになったが、喋れば相手を喜ばす
だけとわかっていたので止める。
代わりに、もう一度額を押しておいた。
﹁あー、あー﹂
元に戻る。それに安堵したところで、瞼が重くなってきたことに
気付く。
眠い。そういえば朝から忙しく、ロクに休んでいなかった。
早く宿を探さなければ。
だが、フーと連絡を取るために、何らかの繋がりを持っていた方
が良いか。またすぐに会えるとも限らない。フレンドは無理だろう
から、仮面から理由を探した。
﹁君は、生産プレイヤーかな﹂
﹁うん﹂
﹁この仮面気に入ったよ。他に何かないかな。今日は無理だけど、
明日くらいにどんなものがあるのか見に行きたい﹂
そう言うと、目を輝かせながら奇声を上げ、すぐ後に﹁地図かな
んか持ってる?﹂と聞いてくる。
パンフレットを渡すと、懐から出した鉛筆のようなもので、位置
を書き込んだ。
﹁ここでひっそり適当に頑張ってるから、良かったら来てね!﹂
テンション高く、声を大きく。
445
嬉しかったのだろう。こんな世界でも相変わらずか、と苦笑いが
出た。
﹁それじゃあ、そろそろ行くよ。また明日﹂
﹁うん、明日﹂
﹁またね、です﹂
言い合って、俺達は別れた。
宿を確保しなければ。
進む足を、速める。
446
3−8:再会と依存のデクラレーション︻?︼
﹃やあ。そろそろ来る頃だと思ってたよ﹄
適当な宿を取り、洗濯後、部屋にシノとウサギを残して外に出た。
夜道での、目の前にいない相手との会話。フレンド機能の一つ、
コール。
名無しこと︿Nameless﹀へ連絡をし、聞こえてきた第一
声がそれだった。
﹁⋮⋮やっぱり、全部わかってたんだな﹂
俺とスズとフーが知り合いのこと。
フーとスズが知り合いのこと。
この反応からすれば、俺がフーへ接触したこともわかっているよ
うだった。
﹃ああ、わかってた。君がその仮面を付けていることを知った時か
ら、近いうちに必ず彼女と対話すると予測していたよ﹄
﹁だから、︿孤独ノ王﹀の話を?﹂
﹃言っておかないと正体をバラしていただろう? まぁ少し、君を
試すという意味もなかったわけでもない。賢くない奴とはあまり親
しくなりたくなくてね。けれど、期待通りだったよ﹄
笑う。お気に入りの玩具が手に入った子供のように、本当に楽し
そうに。
﹁それで結局、そのアビリティとフーやス⋮⋮リンにはどんな関連
性がある?﹂
447
その事柄を訊くために連絡した。
それは相手もわかっているらしく、﹁ああ﹂と反応を見せる。し
かし﹁それより﹂と続け、
﹃先に訊いていいかな? ずっと不思議に思ってたことなんだけど
⋮⋮君は、二人とフレンドだったよね? ︿Rin﹀は仕方が無い
としても、︿Free﹀とはこの世界に再度来た時から連絡が取れ
たはずだ。何故、こんな面倒くさい真似をしてるんだい?﹄
少し、迷う。
しかし、すぐに話すことに決めた。名無しには、一度現実へ戻っ
たこともバレている。だから問題はないだろう。
﹁バグってるんだ﹂
﹃⋮⋮バグってる?﹄
﹁二人に対しては、フレンドの連絡機能が一切使えなくなってる。
生存してるかどうかはわかるけど、それだけ﹂
そう言うと、しばらく黙考したような雰囲気の後、彼が口を開い
た。
﹃おかしいな﹄
﹁⋮⋮何がだ?﹂
あまりに真剣な声音。へらへらとした笑い声しか聞いてこなかっ
たので、本当に大事な話かと耳を澄ます。
﹃︿孤独ノ王﹀を持っているのは︿Rin﹀だ﹄
﹁そう、なのか⋮⋮それで、それがどうかしたのか?﹂
448
﹃わからないのかい? ︿孤独ノ王﹀の効果を、頭の中で復唱して
みると良い﹄
言われて、その通りにしてみた。名無しが語ったスキルの内容を
脳裏で反芻させ、確認する。
︿孤独ノ王﹀。レアアビリティ。フレンドが一人もいない場合の
みに限り、全ステータスパラメータを一.五倍にする。
直後、彼が言いたいことに気が付き、辿りついた。
フレンドが一人もいない場合のみ。
ならば連絡機能が使えないとはいえ、何故、フレンドとして繋が
っている?
おそらくバグのせいだろうが、普通、片方が消してしまったのな
ら、こちらも消えるはずで。
バグだけのせいとは言い切れない、違和感があった。
﹃⋮⋮⋮⋮少し、調べる必要があるか﹄
呟くと、一転。再び笑いが主体となった声音へと変わった。
﹃それで、︿孤独ノ王﹀のことだったかな? さっき言った通り、
そのアビリティは︿Rin﹀が所有しているものさ。フレンドは全
削除してあるはずだよ﹄
﹁フーは、リンの居場所を知らないのか?﹂
﹃どうかな? 詳しく知りたいのなら、僕の依頼をこなすのがいい﹄
その後すぐに、彼は﹃そろそろ切るよ﹄と述べて、コールを切る。
逃げるように切られてしまったが、再度掛け直す気にはなれなか
った。どうせ教えてくれないだろう。焦って何もかもを台無しにす
るのは得策ではないし、急がば回れとも言う。早めにスズに会いた
いのは確かだが、慌てて何もかもを逃してしまっては再会もなにも
449
ない。
宿へ戻り、鍵を開けて部屋に入った。内鍵を閉め、鍵をポケット
へ仕舞う。窓からの月明かりのみが照らす部屋、シノが寝ているは
ずの方のベッドへ目を向けた。
膨らんでいる。どうやら、もう眠ってしまったみたいだ。
剣を下ろし、仮面を外す。自らのベッドまで歩いて向かうと、ウ
サギがいるのだろう、こちらの布団も少し膨らんでいた。あまり音
を立てないように意識して進み、静かにベッドへ横たわった。
寝ている、ウサギらしき膨らみを刺激しないように共に布団の中
に入り、目を瞑る。フーの時より少し目が覚めてしまっているが、
すぐに眠くなるだろう。それまで何も考えずじっとしていればいい。
そう思っていたが、不意に布団の中で何かが動くような感覚がし
て、薄目を開ける。
﹁起こしちゃったか? ウサギ﹂
言って、自分の胸辺りまで移動した膨らみへ視線を移す。
そこで、気付く。気付いた。
ウサギって、こんなに大きかったっけ。
次第に布団の中身が露わになっていき、驚愕の声が漏れそうにな
る。
ウサギじゃない、シノだ。
思わずもう片方のベッドへ目を向けた。凝らす。枕元の方から、
少し青色の耳がはみ出ているのが見えた。
﹁逃がさない、です﹂
服の胸部分を掴み、そこへ顔を寄せてくる。自然と上目遣いとな
る彼女の瞳を至近距離で覗きこむことになり、視線を外そうとして
も、近すぎて外せない。
450
﹁なに、を⋮⋮﹂
ほんのりと頬を赤く染めた彼女を相手に、いつの間にか足を絡め
られていたようで、離れることができない。
思わず、こちらも顔から熱を発しそうになる。
しかしそれよりも先に、彼女が口を開いた。
﹁妹さんをどう思っているかについてのお話の、続き﹂
吐息が掛かるほどの距離。彼女は、訊いてくる。
﹁彼女のためなら死んでもいい、って。彼女のためなら人生を棒に
振ってもいい、って﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁彼女のためなら何でもするって⋮⋮言ったよね、です﹂
ああ、と答える。本心からの言葉だ。そう思い、そう感じ、実際
に行動してきた。
これからもそれを変えるつもりはない。全てはスズのため、自分
勝手な選択をし続ける。
決意は揺るがない。
﹁シノに何を言われようと俺はやる。自分の意思で人を殺す。止め
ないでくれ﹂
彼女は、﹁違う﹂と返して否定する。何が違うというのか。その
ことで悩んでいたんじゃないのか。
敬語を止めて、真剣な雰囲気で、彼女は﹁それは﹂と続けた。
451
﹁それは貴方が幸せになってない﹂
俺が?
一瞬だけ、言葉を失う。
﹁いや⋮⋮俺はスズさえ幸せならそれでいいんだ。スズが幸せなら
俺も幸せで︱︱﹂
命を捨ててもいいと思える相手。人生を棒に振っても良いと思え
る相手。
不足なんてない。彼女さえ幸せなら、本当にそれでいい。
本心の言葉。そのはずだ。なので、俺が幸せじゃないなんて、有
り得なくて。
俺達は、互いが互いを自分と思えるほどに、依存をしているから。
だから。
﹁ノートが幸せなら、私も幸せだよ﹂
唐突に発せられたシノの詭弁。無意識の内に口から出ていた声が
詰まり、それを確認した彼女が、言葉を重ねた。
﹁貴方のためなら死んでもいい。貴方のためなら人生を棒に振って
もいい。貴方のためなら私はどんなことだってやってみせる。
人だって殺す。何度でも殺す。誰に何を言われようと、忌み嫌わ
れようと。貴方のためなら罪を抱えて悪へと堕ちてもいい﹂
﹁なんで⋮⋮﹂
なんで。どうして。なぜ。
脳を占める感情が、驚愕を含んだ疑問へと変わる。
452
﹁元々死ぬはずの命だった。救われなくてもよかった。でも貴方は、
そんなに大切な妹さんの捜索の邪魔になると知っていて私を助けて
くれた。狂っていた私を受け入れてくれた。罪を一緒に背負ってく
れた。まるで家族みたいに扱ってくれた﹂
シノは、嬉しそうに笑みを浮かべていた。
﹁貴方が幸せなら私もそれでいい﹂
本当に心からの微笑み。そうわかるほどに気持ちの良い笑顔。
見ていて、痛々しかった。見ていられなかった。俺はこんなのを
望んだわけじゃない。俺がシノの願いを叶えたのは、こんな気持ち
を彼女に抱かせるためじゃない。
だから、口に出してしまう。
﹁そんなの、俺が幸せでもシノが幸せじゃない﹂
強く言う。言ってしまって、気付いた。
シノは俺のことを、今俺が彼女へと感じた感情と、まったく同じ
ものを感じていたんだ。
俺のことを、見ていて痛々しかったと。見ていられなかったと。
スズが幸せなら幸せ。誰かのために全てを捨てられて、それを幸
せだ、と。他人を自分自身のように宣う自分に、彼女は、報われな
い俺自身を認め、﹁幸せじゃない﹂と言い切った。
﹁ほら⋮⋮貴方の鼓動が聞こえる﹂
シノが俺の胸に顔を埋める。
﹁私は二番でもいいよ。きっと貴方には、私は必要のないものだけ
453
ど⋮⋮私はずっと、貴方の側にいる。悲しい時も、寂しい時も、苦
しい時も、嬉しい時も、楽しい時も、悔しい時も、ずっと﹂
妖艶さを匂わせる無邪気な微笑み。狂いに狂ったごちゃ混ぜの笑
顔を見せる彼女は、言葉を続けた。
﹁大丈夫、大丈夫だよ。たとえ貴方が悪の道を進んでも、どんな困
難にぶち当たっても。足枷になる私を殺さなければいけないなんて
時が来たとしても。私はいつだって貴方の側にいて、笑ってあげる。
貴方を拒絶なんてしないし、一人にもしてあげない。それしかでき
ないけれど、私には、それだけはできる。ずっと一緒にいるって、
そう約束したから﹂
ああ︱︱俺達は。
同じなんだ、どこまでも。
俺はスズに異常な依存をしていて、シノは俺に異常な依存をして
いて。
考え方まで同じ。だからわかる。彼女に何をどう言おうと、俺へ
と抱くその思考は変わらない。
シノは、本当に俺のためなら何でもしてくれる。
それが本当に悔しくて、痛々しくて、悲しくて。どうしようもな
い気持ちが溢れかえりそうになる。
俺とスズは互いに依存をしていた。だからこんな気持ちも、傷を
舐め合うようにして消してきた。
でも、シノは。シノは、一人。
彼女を抱き締めた。強く、強く。
俺はシノがいなくても生きられるのに、シノは、俺がいなくては
生きられない。
こんなの。こんなの。
454
﹁こんなのって⋮⋮ねぇよ﹂
震える声。慰めるように背中に手を回し、抱き返してくれる彼女
へ、余計に哀しい情動が積もって。
俺は。
﹁絶対、守るから⋮⋮﹂
彼女の感情を壊すことはできない。彼女の気持ちを否定すること
はできない。それは、俺が自分自身を批判するのとまったくの同義
だから。
これは償いだ。彼女への、購い。
絶対に守り通す。それしかできないけれど、俺には、それだけは
できるから。
455
3−9:依頼と殺人のモーニング
薄目を開け、窓から差し込む朝日を視認し、小さな欠伸を漏らす。
いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。
腕の中を見る。そこには予想した通り、目を瞑るシノがいて。や
はり抱き締めたまま眠ってしまったのだ、と把握した。
起こさないようにそっと出ようとする。音を立てないように。違
和感を残さないように。しかしその直後、片腕に抱きつく形で、シ
ノが飛び込んでくる。
﹁おはよぉ⋮⋮です⋮⋮﹂
物凄く眠そうだった。苦笑いをしながら﹁おはよう﹂と返し、布
団から出ると、そのまま立ち上がる。シノは片腕に掴まったままで、
引き摺られるように布団を脱出していた。
空いているもう片方の手で目を擦り、ウサギの寝ていたベッドま
で向かう。こちらはまったく起きていなかったようで、起こすと、
ダルそうにゆっくり動きながら、左肩に昇って来た。
﹁⋮⋮シノは、朝が弱いんだな﹂
前回も、かなり寝ぼけていたように思える。途中で正気を取り戻
していたようだが、朝が苦手なのは変わらない。
﹁弱くない、です⋮⋮むしろ、強い方なのです⋮⋮がおー、食べち
ゃうぞぉ⋮⋮ですぅ﹂
どう見ても朝が弱いようだし、食べちゃうぞという台詞が洒落に
なってない。
456
朝から冷や汗をかくような気持ちになるとは思わなかった。
シノの額を小突くと、﹁ひゃっ﹂と、妙に可愛い悲鳴が聞こえて
くる。それに少しだけドギマギしながらも、もう一度同じことをし
て、意識を取り戻させた。
﹁⋮⋮⋮⋮お、おはよう、です﹂
﹁おはよう。っていうか、二回目だけど﹂
目が覚めたようで、今の状態を理解し、羞恥で頬を染めている。
二度目の挨拶は、今度こそしっかり起きたとからという証か。何に
せよ、これでもう安心だ。
彼女を腕から離し、仮面を取りに行く。拾い、顔に付け、置いて
おいた剣も背中に吊るした。
ウサギがフードの中に収まり、シノがフードを深く被る。いつも
より深いように見えるのは、赤い顔を隠すために意識的に行ってい
ることかだろうか。それでは前が見えないだろうに、と思っている
と、壁にぶつかっていた。
その際にフードが外れ、目が合って、一層頬を染めた彼女は、瞬
時に後ろを向いてしゃがみ込む。フードもその時に被り直し、今度
は手で抑えて取れないようにしていた。
苦笑いをすると、聞こえてしまったようで、より強くフードを被
り、体を丸くする。
朝。自らの意思で人殺しをする日の始まりだというのに、俺の心
は、まったく沈んでいなかった。
シノがいるから、なんだろうな。
再び笑う。今度は苦笑いではなく、嬉しさで出た笑顔。それを浮
かべて、俺はシノを慰める作業に移った。
457
◆◇◆◇◆◇
何とか説得に成功し、シノと共に、宿を後にする。
昨日の夜には、ベッドで共に契りを結んだくらいの仲だというの
に、あの程度で恥ずかしくなっているというのも、また微笑ましい。
何だか今思い浮かべた一文だけを切り取ると、あまりよくない想
像ができてしまう。だが断じてそういう意味ではなく、健全な意味
だ。
健全な意味のベッドで共に契りを結ぶ行為。一体どういうことだ
ろう。
意味のわからない方向へシフトしようとした思考を無理矢理中断
し、顔を上げた。朝食を食べないと。
適当に周囲を見渡し、露店を見つけ、何かを買いに行く。それを
繰り返し、色々なものを口にして、腹を膨らませた。
﹁やっぱり、人喰いの衝動はお腹が空いてないと発生しないのか﹂
﹁そうみたい、です⋮⋮それでも、死体なんか見ると駄目みたいだ
けど、です﹂
考察を混ぜた会話をし、ふむ、と口元を抑える。
死体、か。
﹁大丈夫なのか、今日は﹂
﹁⋮⋮﹂
今日は自らの意思で人を殺す日。
これまでのように、衝動に駆られたまま行うものではない。正気
を保ったまま、この手で。
458
やっぱり俺一人でやろうか。そう言うために口を開くよりも先に、
彼女が切言する。
﹁大丈夫、です﹂
強い意思が込められているのを、感じた。
そんな彼女に否定の言葉など出るわけがなく、シノの頭を撫で、
﹁ありがとう﹂と御礼を漏らす。返事はない。それでも、喜んでく
れていることはよくわかった。
丁度良く、フレンド機能でメールが届く。
さあ、始まりだ。今日から。一度堕ちれば元には戻れない、罪の
道へ。
一人では不安だった。けれど、二人なら。
間違ってるなんて、わかってる。人の命を奪うなんて最低だと、
理解してる。
それでも、切り開いてみせる。全てを背負って、その先へと。
◆◇◆◇◆◇
フードを脱ぎ、仮面を外す。シノも同じようにフードをアイテム
ストレージへ仕舞い、準備完了といったところだった。
名無しが言っていたのは、依頼に関係の無い相手には素顔を隠す
こと。メールの後に訊いたところ、依頼中に素顔を見られるのは別
に良いとのことだ。困るのは、仮面の人物が︿Nought﹀だと
知られること。そこから情報が漏れる可能性がある、とか。
プレイヤーキラーの顔と、普通のプレイヤーの顔。それを使い分
459
けろということだろう。
行くか。
屋上から飛び降り、隣側にある建物のガラスを割って入り込む。
シノも後に続き、中へ入って来た。
﹁な︱︱﹂
いたのは二人の男。詠唱を済ませていたシノの妨害系の魔法スキ
ルで茶髪の方を拘束し、影を纏わせた手で首を掴む。
相手は上位階層。だから、油断などしない。
“︿Akari﹀の左腕”で全力を以って握り潰すと、腕をだら
んとさせて、動かなくなる。頭の中で鳴り響くファンファーレを無
エヴァネス
視しつつ、それを即座に捨て、もう一人の方へ視線を向けた。
赤髪の男。確か、名前は︿EVANES﹀。二人を殺す理由は、
﹃手を掛ければわかる﹄と。
﹁最後に言いたいことは?﹂
剣を抜き、切っ先を向けて問う。目指すは短期決戦。上位階層相
手にまともに戦うことはできないから。油断している隙に、全力を
出すより先に、狩る。
︿ロックオン﹀を発動し、様子を窺った。
﹁⋮⋮あいつの刺客ですか﹂
苦々しい顔を浮かべ、相手が言う。
あいつとは、つまり名無しか。狙われることはわかっていたとい
うこと。
﹁それが最後の言葉か﹂
460
右腕をテンタクルカクタンの触手に変え、相手を縛り付けた。そ
のまま引き寄せるように触手を巻き戻し、左腕一本で持った剣を振
り下ろす。
呆気ないほど簡単に、死んだ。
血を大量に流し、倒れる。ロックオンに映るカーソルから確認で
きるHPゲージは〇。確実に終わり。
手を掛ければわかると言われていたが、よくわからなかった。
まぁいいと思いながら、剣を背中へ吊った。さっさと退散しない
と人が来る。こんなに早く、苦労することもなく終わったことに疑
問は残るが、それだけ。
﹁シノ、大丈夫か?﹂
﹁ぅ⋮⋮だ、いじょぶ⋮⋮です﹂
頭を抑える彼女に近付いて、様子を確認する。
やはり、駄目か。
﹁やっぱり、やめ︱︱﹂
﹁やめない、です﹂
赤い目を爛々と輝かせながら、強く否定。
御礼を言って、︿ラフモスキート﹀の翅を出現させた。
シノを抱え、窓から隣の建物の屋上に移る。
﹁少し急いで離れる﹂
︿スキルコレクション﹀と影の補助を併用しながらそう述べ、跳
んだ。
461
◆◇◆◇◆◇
﹁⋮⋮﹂
金髪の男性が、二人が殺された部屋に足を踏み入れる。
その目に驚きの光は、まったくと言っていいほど無かった。初め
て部屋に広がる死体を見たはずなのに、まるで知っていたかのよう
に。
感情の無いロボットでも、一度は状況の処理で止まったりするだ
ろう。
﹁やはり、あのクソ情報屋の差し金ですか⋮⋮﹂
二人の死体。その内の赤髪の男に近付き、そう声を漏らした。
コード
﹁何故あいつは私の行動が読める? 私の能力の前では、全ての情
報が無意味となるはずですが⋮⋮﹂
自らの顔に手を掛ける。
﹁⋮⋮︿解答者﹀の二つ名は伊達ではない、ということですね﹂
数秒間そのまま止まっていたが、不意に腕を外した。浮かべる表
情は、先程とはまったく違う。﹃突然思いもしない場所で死体を見
たかのような驚愕と愚弄を織り混ぜた顔﹄を浮かべ、悲鳴を上げた。
その面構えに、余計なものは何一つとしてない。何も、なかった。
462
3−9:依頼と殺人のモーニング︵後書き︶
殺人部分が微妙過ぎる気がしてならないです⋮⋮。
463
3−10:掃除と友達のレジデンス︻?︼︵前書き︶
※前話のタイトルを﹃3−9:殺人と伺候のリセントリー︻?︼﹄
↓﹃3−9:依頼と殺人のモーニング﹄へ変更しました。
464
3−10:掃除と友達のレジデンス︻?︼
﹃︿Rin﹀は二つ名を持っている﹄
人がいない場所まで逃亡し、コートを着て仮面を付けた。シノも
同じように着替える。
その後に、依頼完遂の報告を名無しにし、報酬として貰った言葉
が、それだった。
﹁二つ名って⋮⋮どんな?﹂
﹃それは教えられない。ただ、上位階層ということは確実だよ﹄
﹁⋮⋮﹂
﹃情報が少ないように思えるだろうけど、君はこれまで、まったく
︿Rin﹀のことがわからなかったんだろう? 良い進歩じゃない
か﹄
今回の相手は比較的楽だったしね。そう宣う。
粘り強く問い掛けるも、﹃教えられない﹄の連呼。これ以上聞く
には、また依頼を完遂するしか無さそうだ。
比較的簡単に終わるような相手であったし、仕方が無いのかもし
れない。
﹁次の依頼は?﹂
﹃追々通知するよ。遅くても、明日の朝には。僕も少し忙しくてね、
それまでは自由にしてくれると助かるかな﹄
﹁⋮⋮了解﹂
コールを切る。少ないが、取り敢えずの収穫はあった。
スズは上位階層。そして、場所の予測できるような二つ名を持つ。
465
これだけでもかなりの進歩だ。自由階層である可能性が低いこと
はわかっていたが、一般階層でないこともハッキリした。
二つ名は無数にあるのだし、探すのは大変だろうが、進歩は進歩。
手掛かりの一端。
まだ日は昇り切っていないが、これからどうしよう。
やることがなくなった。狩りに出掛けるという手もあるが、あの
砂嵐をまた歩く気にはなれない。
﹁そういえば、レベル上がったんだっけ﹂
確認すると、五〇レべルになっていた。元が四七なので、三も上
がったのか。
プレイヤーを倒した際の経験値は多すぎではないかと疑問に思い
つつ、手に入った三〇のポイントを振り分ける。昨日は燕との遭遇
で、素早さが圧倒的に足りないことを理解したので、全てをAGI
︱︱つまり俊敏力に当てた。
体が軽くなったような気がする。
﹁ん⋮⋮﹂
どこへ行こうかとパンフレットを取り出して、気付いた。
フーに、来るように誘われていたんだっけ。
﹁⋮⋮行くか﹂
◆◇◆◇◆◇
466
路地を縫い、兎に角人気の無い道を進み、こんなとこ誰も来ない
んじゃねとか思うくらい、複雑な位置。
指定されたその場所には小さな扉があり、〇から九までの数字が
描かれた壁が存在していた。
ノックする。すると、﹃暗証番号を入力してください﹄と聞こえ
てくる。
﹁無駄に高性能⋮⋮です﹂
武器や防具は兎も角、こんなものまで作れるのだろうか。驚きつ
つ、適当に一二三四と入力してみる。
これで開くのは流石に有り得ないと思うが、果たしてどうだろう。
開いた。
﹁⋮⋮﹂
溜め息を吐きつつ、入室する。その際にシノは﹁おじゃまします、
です﹂と呟いていた。
中は、なんというか。
散らかっていた。兎に角色々なもので散らかっていた。
釜戸のようなもの。巨大な壺。変な液体が入ったフラスコ。自転
車。コップ。フライパン。カーテン。リモコン。無駄に装飾の多い
傘。直径一メートルほどの鉄球。眼鏡。ダークマター。御札。ボー
ルペン。ローラースケート。プラスドライバー。マイナスドライバ
ー。孫の手。ティッシュ。トランプ。棺桶。縄。線引き。竹トンボ。
トーテムポール。金属バット。巨大な御玉杓子。サッカーボール。
マジックハンド。
俺達兄妹とは正反対だな、と思う。スズの部屋は随分と片付いて
いるし、俺も部屋もしっかりとさせている。スズの見本となるよう
467
に頑張っていると、散らかっていないのが普通になっていた。
なんというか、こう。
こんなに散らかっているのを見ていると、片付けたくなってくる。
いつも、片付いた部屋しか見ていなかったためだろうか。
青葉は普通に綺麗にしていたし、燕は必要以上のものを置いてい
ないため随分と質素で、散らかるようなことは殆どない。知里は元
からそういうところはしっかりしているし、李解は姉を習い、意外
にも部屋は片付いている。
つまり、だ。
俺はこれまで、このように散らかりまくった部屋は、教科書や授
業関連の動画でしか見たことが無かった。
﹁⋮⋮﹂
だが、ここは他人の住居⋮⋮住居? 兎に角、他人の所有する土
地だ。手を出してはいけない、と自分を抑制する。
︱︱せめて、種類くらい区別しておきたい。
﹁いやいやいや﹂
するとしても、フーが来てから。許可を貰ってから。今のところ
どうやらいないようであるし、何もせず待っているのが普通だ。
ここは我慢。我慢するんだ。
︱︱ちょっとくらい、いいんじゃないかな。
︱︱歩くのも大変そうだし。
︱︱もしかしたら、怪我するようなものが落ちてるかもしれない。
︱︱ちょっと。ほんの、ちょっと。
﹁⋮⋮﹂
468
◆◇◆◇◆◇
やってしまった。
釜戸近くに並べられたトーテムポールや壺。それぞれ仕分けし整
理した筆記用具や工具。玩具やスポーツ用品。棺桶。
ちょっとだけと言いながら、全部片付けてしまった。
﹁わぁ⋮⋮凄い、です﹂
あんなに散らかっていたのに。その言葉が、逆に俺の心を抉る。
ここ、他人の所有地なのに。
罪悪感が漏れてくる。他人の家に勝手に入って色々弄るようなも
のだ。良い気分はしないだろう。
自己嫌悪に陥っていた。これをまた散らかすというのは流石に馬
鹿のやることであるし、さてどうするか。
﹁わ、何ですかこれ﹂
驚いたような声が聞こえてきた。フーのものではなく、確認する
ためにそちらへ目を向ける。
扉の向こう側に、藍色の髪と瞳を持つ少女がいた。
腰まで届くくらいの髪は随分と手入れがされているようで、手触
りが良さそうに見える。服装は、藍色で装飾された、白くて豪華な
布装備。外見的には中学生辺りか。童顔なだけで、実際には大人だ
ったりするのかもしれないが、流石に三〇以降ということはなさそ
うだ。
469
そういえば、フーには弟子がいたんだっけ。自由階層の情報屋か
ら聞いていた情報を反芻していると、相手の瞳が俺達を捉える。
﹁師匠の知り合いですね。貴方達がやってくれたんですか?﹂
首を傾げ、問い掛けられた。それに気まずく、﹁あ、ああ﹂と言
葉を返す。
すると腰を曲げ、礼を行ってきた。
﹁ありがとうございます。師匠、いっつも散らかしてばっかりで⋮
⋮﹂
怒られると思っていて、驚く。しかしなんとか﹁どういたしまし
て﹂と声を出した。
少女は視線を周囲に移し、とある一点に固定すると、呆れたよう
な表情になりながら、そこへ近付いて行く。
﹁まだ寝てるんですか?﹂
言って、目的のものに手を掛けた。
棺桶だ。
彼女はそれを、ゆっくりと開けていく。
中に入っていたのは︱︱やはりと言うべきか、予想通り、フーだ
った。内部に柔らかそうな布団が広がっており、よく見れば、外し
た蓋の内部分にも張り付けられている。宿のものよりも、ずっと気
持ち良さそう。そんな印象を受けた。
服装は、ネグリジェとドロワースのみ。涎を垂らしながら、可愛
らしい寝顔を見せている。
﹁起きてください、師匠﹂
470
少女が揺する。眠りは浅かったようで、それだけで彼女は薄目を
開けていた。
上半身を上げてから、両腕を伸ばしながら欠伸をして、脱力をす
る。
ほぼ下着姿なのもあり、妙に色っぽさが強調されていて、目を逸
らした。普段のフーならばこんな気持ちにはならないのだろうが、
今の彼女はあまりに無防備過ぎる。
俺の変化に目ざとく気付いたらしいシノが、足を踏ん付けてきた。
それに苦笑いしつつ、彼女に目を向ける。逸らされる。どうやら、
少し機嫌を損ねてしまったようだ。女性の恥ずかしげな姿を普通に
見てしまったのだから、同じ女性であるシノに、こう怒られるのも
仕方の無いことなのだろう。反省する。
しかしフーの方はそんなことを気にしていない様子で、寝ぼけ眼
で彷徨わせたいた視線をこちらを留めると、嬉しそうな笑顔をして、
言った。
﹁来てくれたんだね﹂
言葉に力が入って無いようだった。まだ、頭が覚醒し切っていな
いのだろう。
ウサギ用に汲んだ水だけど、少しくらいならいいか。
そう思い、右手でバツを描く。メニュー出現の合図。操作し、ア
イテムストレージから、水が入った瓶を取り出した。
フーに渡すと、﹁ありがとう﹂と彼女は言ってくる。その後に蓋
を外し、遠慮なくそれを口に付けた。
471
3−11:掃除と友達のレジデンス︻?︼
水を飲み、前回も着ていた巫女服っぽいものに着替え、手を一回、
パチンと叩いた彼女は、俺達を迎い入れた。
﹁よく来てくれたね﹂
再びの出迎え。既に元気は戻っているようで、声に力が入ってい
る。
﹁っていうか⋮⋮物凄い片付いてる﹂
周囲を見渡して、フーが言った。案外綺麗好きだったらしい俺の
手によって、ばら撒かれて置かれていた道具達は、種類別に区別さ
れ、適当な場所に邪魔にならないように置かれている。
居心地悪く笑っていると、相手側も笑い、口を開いた。
﹁ありがとう﹂
本当に感謝の心が籠っているとわかる、御礼。少し後ろめたい気
持ちもあり、素直に受取れなかった。
﹁でも⋮⋮よかったのか? 勝手に弄っちゃったけど﹂
いくら御礼を言われようと、他人の住居へ勝手に手を加えてしま
ったことには変わりない。そのことを気にしている俺へ、﹁私じゃ
散らかるばっかりでね。本当に嬉しいんだ﹂と述べた。
それなら、と、﹁どういたしまして﹂と御礼を受け取る。フーも
満足したようで、口の端を吊り上げていた。
472
﹁そういえば、まだ名前を教え合ってませんね。自己紹介をしまし
ょう﹂
気付いたように口を切った、フーの弟子と思わしき少女の言葉。
異論は無く、しかし︱︱そこで問題が発生した。
名前⋮⋮どうしよう。
︿Nought﹀は駄目だ。普通に駄目だ。愚策中の愚策。
なら偽名を言うしかない。偽名⋮⋮偽名⋮⋮なにがいい?
ヒーロー
﹁まずは言い出しっぺの私からですね。私の名前は︿HERO﹀で
す。よろしくお願いします﹂
必死で偽名を考えていた俺の耳に届く、その名。妙に聞き覚えが
あると、目を見開いてそちらを見れば、ヒーローと名乗った彼女は、
少しの笑みを見せた。
﹁私のこと、知ってるんですか?﹂
﹁あの⋮⋮パンフレットの﹂
﹁そうです。御存知のようで、嬉しいです﹂
名称からはフーのような変人奇人を予想していたが、中々に常識
人だったようだ。少し、安心をする。
常識人がフーの弟子なんてしてるわけがないんだけど、そこは儚
い希望だと思い、自分で自分に目隠しをしておこう。
﹁私は︿Free﹀。フーって呼んでね。作りたいものを創りまく
るので、実は結構貧乏な私です﹂
﹁収入の殆どを作成費に回しますからね⋮⋮︿痛覚軽減薬﹀とか生
み出してるのに、色々と残念です﹂
473
そりゃ、こんな棺桶とか作りまくっていれば、どんなに収入があ
ってもすぐに無くなるはずだ。
苦笑していると、二人から、そちらは? という風に目を向けら
れる。
﹁俺の名は︱︱﹂
さて、どうするか。
以前、シノは偽名として、殺してしまったプレイヤーの名称を使
っていたが、それはしない方がよいだろう。
適当な名前をほざくのが一番良い。そう、適当。
ああああ
﹁︿aaaa﹀﹂
︱︱適当過ぎた。そんな気もしないでもないが、時既に御寿司。
違う、時既に遅し。訂正は出来ない。
﹁つまり、アヨンくんだね!﹂
何故か、先程よりも爽やかな笑みを見せ、フーが声を大きく意を
伝えてきた。確かに﹃あ﹄が﹃四﹄個あるので﹃あ四﹄、つまりア
ヨンである。まともな名前に改変してくれたのは素直に助かった。
俺は何とか脱したが、とシノへ目を向ける。前みたいに違うプレ
イヤーの名を言わないでくれという思いを視線に込めておいたが、
果たして伝わっているかどうか。
彼女はフードから僅かに覗く瞳で俺の目を捉え、小さく頷くと、
口を滑らせた。
いいいい
﹁︿iiii﹀です﹂
474
そういうことじゃねえよ。言い掛けた言葉を飲み込んで、口を噤
む。
もう訂正の余地は無い。
フーは一瞬考え込んだかと思うと、言い出した。
﹁つまり、シイちゃんだね!﹂
これにはこちらも、何故そうなったのか思考したが、すぐに思い
至る。
シイナ
﹃四﹄は﹃よん﹄以外にも﹃し﹄とも読む。つまり﹃四﹄個の﹃
い﹄ということで、シイ。
皮肉にも、かつて彼女が騙っていた︿Sina﹀と呼び名が酷似
していたが、それは偶然でしかなく、気にする必要は無い。
﹁それで、私の作ったものが見たいんだって?﹂
凄い勢いで迫ってくるフーを押し返し、﹁ああ﹂と返した。別に
再会するための口実だったわけだけど、辻褄は合わせなければなら
ない。
じゃあ、というように、入口へフーが移動する。扉を叩き、示し
ていた。
﹁暗号を入力すると開く扉⋮⋮という設定の普通の扉ね。どんな番
号でも、適当に入力すれば開くから﹂
﹁師匠も女の子⋮⋮ですよね? 女の子なんですから、防衛はしっ
かりした方がいいですよ﹂
一度疑問形になったことに気にすることなく、フーは﹁大丈夫大
丈夫﹂と返す。本当に大丈夫だろうか。棺桶で無防備に眠っていた
475
り、下着姿に近い状態を他人に見られても平然としていたり、真面
目に心配になってくる。
ヒーローも同じように思っているようで、気苦労を顔に浮かべて
いる。いつものことなのだろう、何もそれ以上言及することはなか
った。
﹁次いこ、次﹂
そう言って、手近に置いてあったリモコンを手に取る。
﹁これは杖ね。詠唱終了後にボタンを押すと、先端っぽいところの
赤い部分から魔法が飛び出る﹂
次は︱︱。と、線引きを持った。
﹁これは短剣ね。切れないけど、分類上は短剣ね﹂
次は︱︱。
楽しそうに語る彼女を止めることはできず、ただ、見守る。
道具のことを耳にしにわけではない。しかし、フーは御機嫌のよ
うなので、それでも良いかなと思った。
見たところ、人は、フーとヒーロー以外、俺達しかいない。道具
を紹介できる人も少ないのだろう。
こと
だったら、少しくらい彼女を気遣うのもいいかもしれない。そう
考え、時折口を挟みながら、彼女の言を聞き続けていた。
◆◇◆◇◆◇
476
﹁フレンド組まない?﹂
唐突なフーの発言。時刻は一二時近くに迫っており、思い出した
かのように、フーに言われた。
どうやって断ればよいのだろう。
当然のことながら、フレンドになってしまえば、本当の名前が明
かされてしまう。それは非常に困ることで、何とか避ける方法を考
えていた。
直後。過ぎったのは、︿孤独ノ王﹀という名のアビリティ。
﹁すまないけど、アビリティの効果を保持するためには、フレンド
を組むのは得策じゃなくて⋮⋮﹂
適当なことを並びたてる。そういうアビリティがあることは、フ
ーも知っているはず。何せ、スズがそれを持っているのだから。
できることなら、そこから話を広げて、スズの情報を︱︱。
﹁⋮⋮﹂
一瞬だけ、フーの表情に影が差した気がした。ほんの一瞬、気付
く方が奇跡と呼べるくらいの、見間違いとも取れそうな。
しかしそれを指摘するよりも早く、彼女は笑顔で捲し立ててきた。
﹁なら仕方ないね。シイちゃんもそうなの?﹂
﹁似たようなもの、です﹂
﹁じゃあ、連絡手段は違うものにした方がいいかな﹂
ニコニコと、常に笑いを見せている。見せてくる。
477
いつもテンションが高く、いつも元気そうで、いつも頬笑みを浮
かべていて。
先程までの、瞬間的な悄然は何も窺わせなかった。
本当に見間違いだったのか。取り敢えず今は気にしないでおこう
と、話題に意識を切り替える。
﹁違うものって?﹂
聞くと、彼女は置いてある鉄球に近付いて行った。
二回ノックするように叩くと、真っ二つに割れ、内部から何かが
出てくる。
﹁これは携帯って言ってね、随分昔の通信機器なんだ﹂
﹁知ってるけど⋮⋮いや、なんで? そんなものも作れたのか?﹂
﹁流石に無理だねー、それは。フレンド機能を付与するイメージで
作成しただけの、フレンド機能のアイテム版だよ﹂
ただし、と彼女は続けた。
﹁メール機能で、小さなものならアイテムを送ることができる﹂
﹁そりゃ、凄いな。ポーション送れるならかなり安全性が︱︱﹂
途中だった台詞を遮るように、フーは首を振る。
フッ、という擬音でも湧きそうな笑みを浮かべると、声を大きく
して言った。
﹁そんなでっかいのは無理!﹂
サムズアップ。繋げて、﹁一週間前に作ったばっかだし、バージ
ョンアップ全然出来てないから精々二センチ四方が限界かな﹂とも。
478
微妙な表情で立ちつくしていると、﹁まぁまぁ﹂と言いながら携
帯を二つ渡してきた。
﹁片方はシイちゃんの分ね。同じ携帯を持ってる者同士で登録して
おかないと連絡できないなんていう仕様だけど、二つとも、私とひ
ーちゃんの連絡先は登録してあるから﹂
﹁ひーちゃん?﹂
聞き慣れない名前に、反射的に問い返す。
﹁ヒーロー、の愛称だよ。アヨンくんも呼んであげてね﹂
﹁別に呼ばなくてもいいで︱︱﹂
﹁呼んであげてね﹂
否定しようとするヒーローに被せるように、同じ公言をしたフー。
愛称、か。まぁ、呼ぶのは吝かではない。ヒーローなんて恥ずか
しい名称を、人前で呼ぶ気にはなれないから。
いや、︿aaaa﹀も十分恥ずかしいけれど。
心の中で何度も﹃ひーちゃん﹄と呟き、もういいだろうというく
らいで、止める。
﹁携帯の使い方はわかるかな? フレンドの劣化コピーだから機能
は少ないよ。コールとメールの二つしかなくて、メールはアイテム
を付与できる。あ、電池は結構な速度で無くなってくけど、アイテ
ムストレージに入れてれば時間で回復するから﹂
それか大量にMPを付与すればね、と追記した。
片方をシノに渡し、残った一つをアイテムストレージに仕舞う。
ストレージに入れていて連絡来た時にわかるのかと訊くと、﹁フレ
ンドの劣化版だから、同じようにわかるようになってる﹂と返され
479
た。アイテム名は、︿ケータイ﹀。
これは確かに便利だが、普通のプレイヤーには必要の無いものだ
ろう。
フレンド機能で全てが済まされる。態々アイテムとして再現する
意味が無いし、元々備わっている機能があるのだから無駄なもの。
同じ道具を持っていなければならず、更には電池がある︱︱つまり、
連続使用時間の制限がある。
アイテムの付与は実用的とは言えないし、どう考えても趣味でし
か使え無さそうな道具だ。
﹁お腹空いてきましたね⋮⋮﹂
閉じた棺桶に腰を掛けていたひーちゃんの呟き。
それを聞いたらしいフーは、笑顔を浮かべ、陳述した。
﹁じゃあ、皆で御飯食べに行こう﹂
480
3−12:宝玉と店員のコンバセーション
﹁いらっしゃいませー⋮⋮﹂
適当な挨拶と共に出迎えられ、店の中へ足を踏み入れた。
プレイヤー営業店﹃わっふんらいにゃー﹄。通称、わふにゃ。
名称はふざけた感じではあるが、内装は随分と普通である。フー
が連れてきたという要素、それから店の名前などからあまり期待は
していなかったが、少しだけ印象が変わった。よくある、内容は大
したことないけど題名で誘うタイプのものなのだろう。
店員であろう、黒髪黄緑目の、めんどくさそうな雰囲気を漂わせ
る少年に案内され、四人で席に着く。何気に沢山の人間を怖がって
いるらしいシノのため、一番隅まで移動してもらった。
店員の少年から、商品の名称と絵柄が描かれたものを渡される。
﹃にゃんかすごいすてーき﹄、﹃わふわふじゅーす﹄、﹃ふんにゃ
んどうふ﹄など、意味のわからない名前のものばかりだった。見る
限りでは、﹃にゃんかすごいすてーき﹄はハンバーグ、﹃わふわふ
じゅーす﹄はオレンジジュース、﹃ふんにゃんどうふ﹄は野菜炒め
である。一つ目二つ目は何となく理解できるが、何故三つ目は野菜
炒めになったんだろうか。
﹁まぁ、ふざけた感じではありますが、味は保証します﹂
ひーちゃんの言葉。確かに載っている絵は普通であるし、納得し
てもいいか。
最近は干し肉しか食べてなかったから、しっかりとした食事にし
たい。取り敢えず、先に挙げた三つでも注文しておこう。
シノの方を見る。何が食べたいか聞こうと口を開こうとすると、
それより先に、﹃にゃんかすごいすてーき・えくすとら﹄、﹃わふ
481
わふじゅーす﹄を指差された。見た目的には単なるステーキか。干
し肉を美味しいと言って食べるようなやつであるし、きっと肉類は
好物なのだろう。
俺のは三つ合わせて三〇〇〇ゴールド。シノの方は、二つ合わせ
て三五〇〇ゴールド。一万近くあったゴールドが、残り三〇〇〇を
切ってしまうような計算だ。
情報とか関係無しに、そろそろ稼ぎ直さないとやばいな。
このままでは、すぐに宿にまで泊まれなくなってしまう。とはい
え、せっかくのシノの希望を拒否するわけにもいかないし、俺が食
べるものを少なくするのも怪しまれる。それではシノも食べる量を
減らしてしまう可能性があるため、得策ではない。
シノはゴールドを殆ど持っていないようだし、これからは少し厳
しくなる。一気に稼ぐ方法でもあればいいのだが、フーやひーちゃ
んはその辺り、何か知っていないだろうか。後で聞いてみよう。
﹁宝玉があればなー⋮⋮﹂
注文を済ませ、料理が到着するまでは雑談。フーの発した言葉に、
少しだけ興味を持ち、訊き返した。
﹁宝玉って?﹂
﹁﹃魔力が込められた、とても高価な宝石玉。加工により強力な効
果を付加したものを作り出すことができるが、非常に脆く壊れやす
いため、扱いには注意が必要﹄、という共通の説明が施されている、
素材系のレアアイテムです。赤や青、黄色など、様々な色の宝石玉
が確認されており、主に装飾品の加工に使用されています﹂
﹁せめて一欠片でもあれば、目的のものが造れるんだけど⋮⋮﹂
机に上半身を倒し、机上に頬を付けたまま、溜め息を吐くフー。
宝玉、か。
482
そういえば、と記憶を探る。そんな感じのアイテムをどこかで手
に入れたような感覚があった。いつだっただろう。確かあの時は色
々と混乱していて、それどころじゃなかった気がするんだけど⋮⋮。
ああ、そうだ。時計塔の隠し部屋。
あそこで︿願いを叶える不幸の風・抜け殻﹀を倒し、︿緑宝玉︵
小︶﹀を入手したんだ。ウサギが綿の中から取って来てくれて、そ
のままアイテムストレージに放置されているアイテム。
確認するため、メニューを開いて︿緑宝玉︵小︶﹀の部分まで操
作し、説明を見た。予想通り、ひーちゃんの言っていた通りの説明
だ。
いや︱︱もしかしたら。
もしかすると、本体と接触したことのあるはずのシノなら、もっ
と大きな宝玉を持っている可能性がある。
一瞬﹃シノ﹄と呼びそうになり、口を閉じた。フー達の前だ。隠
さなければならない。
﹁シイ﹂
呼ぶだけで言いたいことはわかってくれたようで、シノも同じよ
うにメニューを操作し始めた。
実体化する、緑色の宝石玉。
幅は、拳三つ分くらいだろうか。デイドリームウォーリアーの顔
に埋め込まれていた赤い宝石玉よりは小さいが、これでも十分な大
きさに見える。自分の持っているものを実体化してみるが、拳一つ
より少し小さい程度のものだった。
現れた二つの宝石玉を前に、二人が目を丸くする。
﹁凄いです⋮⋮“極小”を手に入れられるだけでも難しいものを、
そんな⋮⋮﹂
﹁しかもこれって、緑だよね? 赤ならまだ納得できるんだけど⋮
483
⋮何か夢みたいっていうか、欲しいものが急に目の前に提示される
と、とっても幸せな気分になるものなんだねー⋮⋮﹂
次第に和やかな瞳へと変わっていくフーの目線。どこで手に入れ
たのか、できれば教えてほしいと訊いてくる、ひーちゃんの口。
﹁ユニークモンスターから手に入れたものだから、行ってももう無
理だよ﹂
﹁へー⋮⋮一応、訊いてもいいですか? なんて名前のユニークモ
ンスターなのか﹂
少し迷ったが、口を開く。
﹁︿願いを叶える不幸の風﹀⋮⋮の抜け殻﹂
ひーちゃんが再び目を丸くし、感嘆の声を漏らした。これ以上追
及されるのは困る気がしたので、﹁先に他の人が攻略しちゃってた
みたいで、抜け殻しかいなかった﹂と伝えておく。
フーの方に視線を向けると、ニコニコと笑いながら、
﹁売ってくれない? それか、私の造ったものと交換しないかな?﹂
と、言ってきた。
元々、その気でなければアイテムストレージから探さなかったし、
実体化などさせなかった。シノも良いようで、目を向ければ、視線
で了承を伝えてくる。
じゃあ、昼飯が食べ終わった後でな。そう述べて、宝石玉をスト
レージへ戻そうとした︱︱その時。
﹁お、何か珍しいもん持ってじゃん﹂
484
後ろから声が聞こえ、振り向いた。
白髪で鋭い赤目の、どこかで見たような少年の姿。口の端を吊り
上げ、俺達の方を見てきている。
確かこいつは︱︱レン、だったか。
プレイヤー名︿REN﹀。まだデスゲームが始まる前に一度だけ
相手をした、PKプレイヤーだったはず。
警戒するよりも先に、彼の服装で噴き出しそうになる。
エプロンを付けていた。
まったく合わない。本当に合わない。警戒とか馬鹿らしくなるく
らい、ギャップが凄い。
そもそも、PKプレイヤーがこんなところいるわけが⋮⋮いや、
俺達は例外として、いるわけがないだろう。レンがPKをしたのは
デスゲームより前の時の話。ここにいるということは、つまりそう
いうこと。
﹁おー、いつか見たような爆発少年﹂
フーが、軽く手を挙げて挨拶をする。それにレンは視線を向け、
数秒考え込んだ後、思い出したように目を見開いた。
﹁あー、ノートの奴と一緒に居た、最初に傘持ってた変なのか。よ
く一瞬でわかったな﹂
﹁記憶力は良い方だと思うんで﹂
グッドサイン。フーは親指を立てて、腕を突き出す。
﹁つーか、俺は一回、お前を殺そうとしたんだけど⋮⋮怖くないの
か?﹂
﹁ゲームの頃の話だと、師匠からは窺っています。そこまで気にす
485
ることでもないと思うま⋮⋮思いますよ。
貴方の事は、話にも聞いてます、﹃絶対系統﹄能力保持者︿爆弾
魔﹀のレン。確か能力名は、︽絶対爆破︾でしたっけ﹂
﹃絶対系統﹄︱︱それ単体でモンスターに抗える程の力を持つ能
力、だったか。
確かリースもそうだったっけ。そんなことを思いながらレンを見
ていると。彼の後ろから一人、少年が寄ってくる。
俺達を案内してくれた店員だ。
﹁レン⋮⋮仕事してくれ。あと客には敬語使え。俺だってめんどく
クロノ
さいけどやってるんだから、さっさと厨房に戻れよ﹂
﹁お前は何やるにもダルそうにしてるだろうが、︿kurono﹀﹂
﹁そりゃそうだけど、お前だっていつも適当じゃん﹂
クロノと呼ばれた店員の少年は、後ろのチラッと見た後、言う。
﹁店長の怒りには触れたくないだろ﹂
﹁あー⋮⋮見てみたい気もするが、アバターに肉球刻まれるのは嫌
だからな⋮⋮﹂
迷うような素振りを見せた後、レンはこちらに背中を向け、その
まま去っていった。
﹁⋮⋮御無礼をおかけしました﹂
物凄い棒読みで言い切り、クロノ店員も離れていく。
﹁⋮⋮あの二人、新人だよね﹂
﹁はい。⋮⋮不憫です、本当に﹂
486
フーとひーちゃんが不吉そうな雰囲気でそう会話をするので、首
を傾げた。
何がどういうことだろう。
不思議に思っている俺に気付いてくれたようで、ひーちゃんが言
う。
﹁私達は個人的にこのわふにゃの店長と知り合いなのですが、彼女
は﹃客は神様﹄ということで客には優しいのですが、店員には厳し
いんです。簡単にバイトとして採用される代わり、採用後は厳しい
調教を多々受けることになります﹂
﹁タメ口を叩いたりめんどくさがっていられるのも、きっと今日ま
でだね⋮⋮﹂
遠い目をする二人。更にその様子に疑問符を浮かべながらも、注
文したものが来たので、話を中断した。
手を合わせ、いつもの通り、﹁いただきます﹂を言う。
スズと共に、静かに食卓を囲んでいた頃を思い出していた。
487
3−13:対象と凄絶のサモンモンスター︻?︼
﹁︱︱ッ﹂
昼飯を食べ終わり、わふにゃから出たその直後。
脳裏で鳴り響いた、メールの着信音。
名無しからだ。
﹁⋮⋮悪い、フー。ちょっと、宝玉の交換は後になりそうだ﹂
遅くても明日の朝までには、と言っていたが、こんなに早いとは。
二人に背を向け、﹁ごめん﹂と漏らす。
﹁何か、あったんですか?﹂
﹁メールが届いて、な。急用らしいから、早く行かないといけない﹂
﹁それは⋮⋮では、いつでもあの場所に来てください。明日は一日
予定が入っていないので、おそらく師匠と共に過ごしていると思い
ます﹂
﹁悪いな﹂
﹁いえ、急用でしたら仕方ありませんよ﹂
シノにも小声で、名無しからメールを受けたことを伝えた。
こちらをチラッと見て、一度頷く。
﹁んー、絶対明日には来てね! 待ってるから!﹂
﹁絶対、とまでは言いませんが、顔を出してくれると嬉しいです。
あの場所に来たのは、私達以外で御二人が初めてですから﹂
それぞれの言葉を耳に留め、二人から離れて行った。
488
途中で道を逸れ、シノと共に路地へと滑り込む。
後ろを見て、誰もいないことを確認してから、切り出した。
﹁殺人の依頼だ﹂
﹁⋮⋮わかってる、です﹂
後悔を滲ませているわけでもなく、苦汁を感じさせるわけでもな
い、ただただ無機質な返答。
メニューを手元に呼び寄せ、メールを開く。
文が画面上に映し出された。
対象の情報。どの時間にどうする予定で、どのような装備に身を
包んでいるか。
どんな職業か、どんな能力を持っているか。
およそ知り得るはずのないことまで、書かれている。
﹁今日の一時半から、東の大通りから一人で外まで出掛ける予定、
か﹂
そこが一番のチャンスだろう。街と街を囲う嵐との間に広がる荒
野。そこなら、不意打ちはできなくとも、他のプレイヤーに邪魔さ
れず相手ができる。
こちらは二人。いや、二人と一匹。アカリの時とは違い、全力全
開の全快状態。更に自分のレベルも五〇を越えているし、行けるは
ずだ。
自分に無理な依頼を、名無しがするわけもない。あいつは知るは
ずの無いことを知っているため、俺達と対象の力量差も把握できて
いるだろう。
正面から殺せる相手だ。だから、行こう。
489
◆◇◆◇◆◇
仮面を外し、コートを脱ぎ、ウサギを左肩に乗せている。
シノもローブを外し、素顔を曝していた。
場所は東の荒野。遠くに人影が見え始め、気を引き締める。
ウサギには嫌というほど水を飲ました。シノは事前に詠唱を終わ
らせておいた。俺は、既に影を現在の全開に開放している。
不足は無いはずだ。
﹁⋮⋮何か、私に用かな?﹂
低い声。見える位置で立ち止まった男性が、問い掛けてきた。
金髪に紫色の瞳。歳は、大体で三〇ほどに見える。菫色のローブ
に身を包んでおり、射抜くようにこちらに視線を向けていた。
俺達二人に目を通した後、彼は警戒を深めたようだった。
﹁昨日、共通掲示板に書かれてた特徴と一致している⋮⋮男の方は、
プレイヤーキラーの︿Nought﹀か。情報も少なく、警戒は強
めるべきだと聞いた。
アカリは確か、お前に殺されたのだったか。彼女は︿人喰い﹀の
対処に向かったはずで⋮⋮つまりそちらの女の方は、︿人喰い﹀だ
な﹂
ローブの中に手を入れ、相手は“本”を取り出す。
ライト
情報の通り。敵の︱︱小ギルド︿アルストプラス﹀のギルドマス
ター︿Light﹀の武器は、魔術書。
490
﹁肯定しよう﹂
芝居がかった言動で、そう示してみせた。
ライトが魔術書を片手で開き、もう片方の手をこちらに向ける。
﹁ならば、目的は私のプレイヤーキルか。⋮⋮このタイミングとい
うことは、お前は誰かの差し金だろう?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁だんまりか。まぁいい。確かに私がここで死ねば、状況は好転も
悪化もすることなく、全てが台無しになるだろう。あいつは疑わし
き者を全て排除する。だから、再構築など出来ない。⋮⋮だが、そ
れもまた、一興かな﹂
笑う。笑った。
前回殺した相手と同じように、狙われる理由をわかっている。
それが何なのかは知らない。知ろうとも思わない。
俺は依頼された相手を殺し、吊り上げ、排除し、スズの情報を手
に入れる。
それだけだ。
﹁私は愚か過ぎた。故に、再構築する資格など、きっと無いのだろ
う﹂
﹁⋮⋮懺悔は終わりか﹂
剣を手に取り、巻かれた布を外す。
話を聞く気はないと伝えるように。
話に興味などないと伝えるように。
ライトは自嘲気味に鼻を鳴らしてから、﹁さあ﹂と続けた。
﹁私を倒してみよ﹂
491
︱︱“大地に迷える魂の在り処を”。
呪文。詠唱。
それが始まると同時に、シノも、同じように詠唱を開始していた。
俺は、駆ける。
詠唱を邪魔し、接近戦を仕掛けなければ。早くしなければ駄目だ。
﹁“今ここに造り出し、汝を呼び出そう”﹂
速く。
影の補助。及び︿スキルコレクション﹀を使い、瞬時にライトの
目の前まで移動する。
剣を横薙ぎに振り払った。
避けられる。伏せられ、いとも簡単に。
﹁“短縮”﹂
名無しから聞いていた通りだ。
大体の魔法使いは、相手の攻撃の予測能力が高い。
それは、低い防御力を補うために、今日までずっと培ってきたも
の。生物としての勘。第六感。
危険察知。
簡単に死んでしまう。それでもここまで生きてきた経験がある。
避けることに関してはプロだと、そう聞いていた。
﹁“︿ビッグクレイゴーレム﹀召喚”﹂
彼の声が終わると同時、ライトの地面が急激に膨れ始める。
バックステップで距離を取り、様子を見た。
泥。泥だ。
492
地中から泥が湧き出し、ライトの足元で堅くなり、形が構築され
ていく。
最初は頭。次は首。次は腕と胸。最後は腹。
全長一〇メートルほどの上半身だけの泥の怪物。︿ロックオン﹀
で確認すれば、名称は︿ビッグクレイゴーレム﹀。
それが、目の前に存在していた。
﹁あらかじめ魔術書に登録してある、二つの魔法の内の一つだ。手
軽く呼べ、且つなかなかに強い。私はこのまま、更なる詠唱をする
としよう﹂
ビッグクレイゴーレムの頭の上で、ライトはそう述べる。
呼び出したモンスターと戦わせ、その隙にまたモンスターを呼び
出し、更にそこからモンスターを呼び出すということか。
悪循環。相手のMPが尽きるまで、いつまでも終わらない。いや、
マジックポーションを使われれば、もっと長い。
やはり、短期決戦しかないか。
チラッと、シノの方を確認した。魔法の詠唱は、まだ終わってい
ない。
そして彼女は、目を瞑っていた。
﹁⋮⋮なるほど﹂
やるしかない、か。
﹁※※※※※※※※※※※※※!!!!﹂
ビッグクレイゴーレムの咆哮。威嚇。
それを聞きながら、剣の柄を強く握った。
ビッグクレイゴーレムが、腕を引き絞る。
493
凄い迫力だ。でかいだけはあった。かなりの恐怖を誘う巨体の圧
倒感に、呑まれそうになる。
だが、それはきっと幻想だ。
手軽く呼べ、且つなかなか強い。そう言っていた。だから、行け
る。
とっとと倒そう。
﹁︿スキルコレクション﹀﹂
剣に白い粒子を纏わせ、威力を高めた。
︿空想の剣﹀の特殊効果は、“ありとあらゆるものに触れられる
”というもの。
だからファントムナイトの鎧へ、普通に干渉ができていた。
泥くらい、切れなくてどうするんだ。
振られてくる腕を視界に収め、剣を下段に構えた。
正しい構えなんて知らない。だが、それでいい。
︿スキルコレクション﹀があれば、技術も補完できる。
﹁ッ︱︱!﹂
影の補助も混ぜ、迫る巨大な腕へ、剣を振り上げた。
割れる。泥が真っ二つに分かれ、左右に広がっていった。
それでも、それは一部分だけ。
剣の範囲内に入っていなかった泥が、容赦なくこちらへ襲い掛か
ってきた。避けようがない。だから、また切る。
振り下ろし。逆袈裟切り。袈裟切り。
影の補助で、剣に持って行かれそうになる重心を何とか支えた。
何度も何度も切ることを繰り返し、攻撃を無効化していく。
やがて泥が来なくなり、腕を伸ばし切ったのだと悟った。
瞬時に真横の泥を切り裂いて、腕の中から脱出。片腕を修復しよ
494
うと泥を集めている様を見て、隙を突くなら今だと判断する。
剣を投げた。
顔を裂き、ビッグクレイゴーレムが悲鳴を上げる。それは更なる
隙。︿ソードバック﹀を用い、切れていなかった反対側も切り裂い
た。
﹁※※※※※※※※※※※※※!!??﹂
HPは、残り半分。やはりプレイヤーでなかろうと、腕より顔の
方がダメージが大きいようだ。
手元に戻ってきた剣。再び投げる姿勢を取ろうとすると、先程と
は違う腕が迫ってくる。仕方なく先程と同じように対処をし、防い
でいった。
だが、相手も馬鹿ではないようだ。
半分までしか修復されていないもう片方の腕での打ち付け。
反応できない。俺は目の前のものに手が一杯だ。
だが、大丈夫だ。
︱︱︿スライムショット・イクス﹀。
左肩側から発せられる巨大な水色のスライム弾が、振り下ろされ
ている腕を跳ね返した。
ウサギだ。
酸性にしていないのは、相手が泥では意味がないからか。何にせ
よ、酸性では俺の左肩の装備が溶けてしまう。助かった。
﹁じゃあ、フィニッシュと行こう﹂
目の前の泥を切り終え、左腕をアカリの腕へと変化させた。
右腕は、ファンタジーソルジャーの剣へ。
影を爆発させてビッグクレイゴーレムへ接近する。続いて右腕の
剣と、左腕へ︿スキルコレクション﹀。白い粒子が纏われ、綺麗に
495
残光を散らした。
二閃。
飛び上がりながら、相手の巨体を半分以上切り裂く。絶叫は断末
魔へと変わり、ビッグクレイゴーレムのHPが〇に変化した。
崩れていく巨体を視界に収め、泥巨人の頭上にいたライトに目を
向ける。
﹁︱︱“幻想を刻め。焼き尽くし、空想を実現しろ”﹂
未だ詠唱中。ライトへ接近し、右手の剣を斜めに構えた。
﹁“短縮”﹂
詠唱をしながらの回避。だが、俺には左手の︿空想の剣﹀もある。
切り裂いた。
鮮血が舞う。致命傷だ。相手の苦しげな顔が見えた。相手は魔法
使い。かなりの痛手のはず。
だが、終わってはいなかった。
HPは僅かに残っており、詠唱は、止まっていない。
痛みに耐え、詠唱を続け。
︱︱︿ラストゲーム﹀。
﹁“︿ファンタジーオルガニズム﹀召喚”﹂
ライトは、モンスターを召喚した。
496
3−14:対象と凄絶のサモンモンスター︻?︼︵前書き︶
※前話のタイトルを﹃3−13:召喚と憑依のリクエストターゲッ
ト︻?︼﹄↓﹃3−13:対象と凄絶のサモンモンスター︻?︼﹄
へ変更しました。
497
3−14:対象と凄絶のサモンモンスター︻?︼
まず初めに目に入ってきたのは、左手だった。
地中から突き出してきた、人間のような形をした赤黒い手。手首
から中指までで三メートル程度あり、それだけで相手の巨大さの一
片を窺わせる。
続いて出てきたのは右腕だ。今度は肘まで一気に飛び出し、怪物
の両手が地面を付いた。
左腕も肘まで見せる。その後に徐々に現れる、頭。顔。
髪も無く、鼻も無く、耳も無い。目の光もまったくなく、ただ空
洞だけが広がっている風貌。
黒だけが窺える口内を見せ、小さな呻き声を発した。
﹁︱︱﹂
ヤバい。マズイ。これは。
このモンスターは、壮絶するほどの力量を備えている。
完全に体を出させるのは駄目だ。そう感じた体が、半ば勝手に動
き出す。
右腕を元に戻し、両手で剣を持った。影を爆発させ、名称︿ファ
ンタジーオルガニズム﹀の顔面へ接近する。
圧倒的恐怖を誘う、地獄の面貌。怯える心を抑えつけ、剣を上段
に構えた。
影を剣へ纏わせ、腕に残りのTP全てを捧げた︿スキルコレクシ
ョン﹀を発動する。
﹁食ら︱︱﹂
気付く。気付いた。
498
ファンタジーオルガニズムの口の中に集まる黒赤の光。
黒が混ざる紅蓮。
いや︱︱おかしい。おかしいだろ。
感じ取れない。俺は︿スキルメイカー﹀だからわかる。スキルの
発動を感知でき、名称が瞬時に脳裏に浮かぶ。
なのに。
スキル名が、表れない。
﹁︱︱ッ﹂
振り下ろされる剣が、口から放たれた光線と衝突した。
腕に掛かる凄絶な負荷を、予め補助として用意していた︿スキル
コレクション﹀と影の補助で耐える。
︿空想の剣﹀の刃が、震えながらも光線を割いていた。
だが、圧倒的に力は足りない。毎秒三〇センチほど足が下がり、
地を削る。腕も先に進まず、むしろ押し返されてきた。
﹁ぐぅ⋮⋮ァアッ⋮⋮!﹂
痙攣する腕で堪えていたが、徐々に、補助が消えていく。
影が光線で消滅し始めた。腕の粒子が効果切れで消え始めた。
﹁くそ⋮⋮ッ﹂
影が消えるせいで、疲労が増す。
影は俺のスタミナそのもの。それはアカリとの戦闘の時に把握し
たのもので、今もそれは変わらない。
︿スキルコレクション﹀が無くなるために、俺のTPは完全に〇に
なる。
スキルはもう使えない。あとは、自分本来の力と、能力のみ。
499
﹁ダメ、だ⋮⋮﹂
もう、抗拒し切れない。
それでも維持で耐えようとして、直後。
一瞬だけ、金属が軋むような音が聞こえた。
それは段々と大きさを増し、聞き間違いではすまなくなっていく。
視界でも、確認できるようになっていく。
剣が。︿空想の剣﹀の刃が。
砕け散った。
﹁︱︱ッ!?﹂
目を見開いた。対処しようにももう遅い。目の前に光芒は迫って
いる。
柄を離し、瞬間的とも言える動作で、イメージをした。
盾を。︿ファンタジーソルジャー﹀のシールドを。
左腕が変化し、光線を受け止める。
熱い。そのまま、伝わってくる。だが、耐える。耐えるしかない。
一度、︿空想の剣﹀が壊れるまで堪えた。だから、しばらく我慢
するだけでいけるはずなんだ。
振動を。痛みを。衝撃を。左腕で防いでいた。
まだ。まだなのか。
もう、無理だ。
そう感じた、刹那︱︱
﹁︱︱ッ!? ⋮⋮はぁ⋮⋮はァ⋮⋮﹂
ギリギリで敵の攻撃が終了した。同時に左腕の盾が消える。
震撼する足が崩れ、そのまま膝を付いた。
500
よかった。やり切った。生き残れた。
脳を占めるのは、凄まじい安堵。
﹁これで、通常攻撃とか⋮⋮ふざけん、な⋮⋮﹂
なんて威力なんだ。
自らのHPは、残量六〇パーセント。左の腕はこれまでに無いほ
どに血に濡れて、グチャグチャで、痛感すら伝わってこない。
片腕だけの怪我だから、残ったのが六割なのか。
それは運が良かったというべきなのか。もう一度あの光束へ身を
投げ出せと言われても耐えられるわけがなく、その時は一瞬でHP
が〇へと移り変わるはずだ。ならば残った量に意味などは無く、た
だの事象の一つに過ぎない。
だが。それでも、俺の︱︱俺達の勝ちだ。
﹁“︿大蛇の鎖﹀”﹂
背後から聞こえた声が、響いてきた。
既に致命傷だったライトを、突如空中から出現した無数の黄金色
の大蛇が縛り付ける。
呻く声が聞こえた。召喚者の危機を感じてか、︿ファンタジーオ
ルガニズム﹀の顔が、魔法スキル発動者のシノへ向けられる。
だが、無駄だ。
﹁魔眼︿メデューサの瞳﹀、です﹂
目を閉じて溜められていた魔眼を受け、ファンタジーオルガニズ
ムの顔の動きが、固まった。
彼女へ容易に視線を送るのは失敗だ。
501
﹁トドメだ、ウサギ!﹂
叫ぶ。左肩に乗る、使い魔の名を呼んだ。頷いて、ウサギは跳ぶ。
酸性モード。
︱︱︿スライムショット・イクス﹀。
泡立つ真っ赤なスライム弾。ライトのHPは、それを身に受け、
〇へと減少した。
頭の中にレベルアップのファンファーレが響き、本当に終わった
のだとと理解する。
全部、情報通りだった。
コード
プレイヤー︿Light﹀。職業は︿召喚術師﹀と︿裁縫師﹀。
固有の能力は︽幻想召喚︾。効果は、幻想の名を携わるモンスター
の召喚を可能にすること。
﹁これ、も⋮⋮また⋮⋮一興だ、な⋮⋮﹂
そう言って、ライトは事切れた。
ファンタジーオルガニズムが絶叫を上げる。
召喚者を失ったことによる死亡。そのままHPのゲージが真っ白
になり、動かなくなった。
﹁⋮⋮勝った⋮⋮です⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮勝ったよ﹂
小さな達成感と、安らぎ。
息を大きく吐く。
勝った。
生き残った。
依頼を一つ、達成したんだ。
502
﹁⋮⋮早く戻って、休みたいな﹂
﹁私は全然動いてないから⋮⋮あまり役に立てなくてごめんなさい、
です﹂
﹁いや、かなり助かったよ。最後はシノの補助が無ければ絶対死ん
でた。ウサギも、ありがと﹂
どことなく嬉しそうな一人と一匹の様子に笑顔を浮かべる。その
後、さて、と目をファンタジーオルガニズムの死体へ向けた。
喰らっておこう。こいつの力はきっと、重要で強烈で、確かな戦
力となる。
◆◇◆◇◆◇
﹁今回の情報を教えてもらおうか﹂
コートと仮面を付け、宿のダブル︱︱ツインにしても、毎度毎度
俺のベッドにシノが入ってくるので仕方無く︱︱の部屋へとチェッ
クインを済ませて、名無しへ連絡を取った。
依頼達成の報告⋮⋮は、どうせしなくても知っているので、その
まま報酬の要求。
彼はいつものように嗤いながら、しかし﹃先に違う話をしてあげ
よう﹄と言った。
﹁そんなのより︿Rin﹀のことがいいんだけど﹂
﹃まぁ、少しくらい聞いていきなよ。終われば、情報を渡すから﹄
503
君はNPCの秘密について知ってるかな?
名無しが問う。
﹁⋮⋮なんだ、それ﹂
﹃ああ、やっぱり知らないか。一応、︽AI︾が︿始まりの街﹀で
言ってたんだけどね﹄
あの時は色々なことがあったから、話の細かいところなんて覚え
ていない。
訝しげな様子の俺へ名無しは続けた。
﹃NPCはプレイヤーの精神情報さ﹄
﹁⋮⋮言ってる意味がわからないんだけど﹂
﹃だろうね。簡単に説明すると、記憶から生じる人格をコピーした
もの⋮⋮って言ってもわからないかな?﹄
イマイチ。そう述べると、じゃあ、と彼は言う。
﹃例え話だ。例えば、僕がデリートされたとしよう。するとこの世
界は、僕を殺す前に精神の情報を読み取ってくるんだ。
情報を読み取り、コピーし、それから殺す。
この世界に在る︽AI︾以外の人工知能は不完全だ。無数に存在
するパターンから返答をし、会話らしきものをするだけ。でも、僕
の精神というパターンを取り込めば全ては違ってくる。
NPCに僕の人格が宿るんだよ。性格も口調も殆ど同じの。でも
記憶は無いし、やっぱりどことなく機械的な感じにはなるけどね﹄
﹁記憶から生じる人格なのに記憶が無いのか?﹂
﹁形成されている人格のみをコピーするんだよ。本人そのものを作
るわけにはいかないから、だと思うかな﹂
504
プレイヤーの人格のコピーがNPC。
だから区別が付きにくいのか。そう考える。
﹃人間専用スキル︿ロックオン﹀があれば一目瞭然だから、<人間
>ならすぐにわかるよ。
︽AI︾は人工知能を進化させるために最初に殺戮を行った。こ
の世界にいるNPCは全てが死んだプレイヤーの人格コピーさ﹄
だから、と彼は言葉を発した。
﹃死んだ大切な人のコピーを見つけてしまって、この世界に永住し
たいという輩も出てくる﹄
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹃世間では伝わっていないけれど、︿人刺し﹀って﹃人﹄の名を携
わるプレイヤーキラーもそうさ。世界に残りたいがため攻略を遅ら
せようと躍起になっている。その道がたとえ間違っていたとしても、
彼は大切な人のコピーのために人を殺し続ける﹄
﹁⋮⋮何が言いたい﹂
﹃単なる好奇心さ。似たような道を辿る人がいることを知り、君が
どう思うかというのも興味があるんだ﹄
似たような境遇、か。
もし。
もしスズが死んでしまって、スズのコピーNPCが見つかったら。
俺は、どうするんだろうか。
スズが死んでしまえば、俺は後悔で死にたくなるだろう。でもも
し、死ぬより先に見つけてしまったら。
俺は。
﹁別に、見知らぬ人間になんて興味は無いけど﹂
505
﹃けど?﹄
﹁⋮⋮俺が同じ境遇になってしまったら︱︱﹂
同じことをする。
そう言おうとした直後、ある人物の面貌が思考に過ぎる。
シノの顔が。
﹃どうしたんだい? 続きは?﹄
﹁⋮⋮⋮⋮わからない。どうなるかなんて、わからない﹂
シノはきっと付いて来てくれるだろう。手伝ってくれるだろう。
それでも、俺はどうしてもシノには同じことはさせられないと思
う。
シノには俺しかいなくて。だけど。だから。
﹃⋮⋮くく、あっははははははははは!﹄
笑う。名無しが面白そうに笑った。
少しだけ不快に思いながら、﹁何がおかしい﹂と訊く。
﹃いいや、おかしいなんて思ってないよ。ただ、やっぱり君は“弱
い”んだなって﹄
﹁⋮⋮弱い? 俺が?﹂
﹃君が︿Rin﹀に依存する理由は、自分自身がよく知っているだ
ろう?﹄
スズが依存するのは兎も角。俺が依存している理由。
分かってる。確かに、俺であるべき俺自身は酷く弱いのかもしれ
ない。
506
﹃いくら僕でも、心の内部情報までは分からない。だけど君を見て
いれば想像くらいは簡単にできる﹄
﹁⋮⋮さっさと情報を寄越せ﹂
詮索されたくないとでもいう風に拒絶し、少しの怒りを滲ませる。
小さく笑い声を響かせてから名無しは答えた。
﹃︿Rin﹀はソロプレイヤー。戦闘を専門とし、上位階層の平均
以上の実力を持つ﹄
﹁⋮⋮それだけか?﹂
﹃決定的なものを曝せば君はすぐにでも探しに行くんじゃないかな
? 少しずつ狭めないと君は利用できない﹄
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹃君はまだ二つしか依頼をこなさず、それなのに上位階層の半分以
下にまで選択肢を狭めてあげた。十分なものだろう?﹄
確かに、そうだ。
まだ二回。それなのに焦るのは得策ではない。
﹃とは言っても、依頼は案外早くなくなるかもしれないけどね。そ
うなれば、決定的なヒントを君に上げることも吝かではない﹄
﹁どういう⋮⋮﹂
﹃あと一回か二回やれば、おそらくあいつが動く︱︱と言ってもわ
からないかな? まぁ、気になるなら自力で調べて頑張ってくれ。
近い内にまた依頼するよ﹄
そう述べられて、一方的にコールは切られた。
嘆息を吐く。だが、案外早く終わるかもしれないという情報は、
かなりの朗報だ。
確実にスズに近付いてきている。
507
﹁⋮⋮何だか嬉しそう、です﹂
いつの間にか隣にいたシノの言葉。
こんなに早く、ここまで辿り着けるとは思っていなかった。
この世界に来てから、丁度一週間。
色々なことがあった。たった一週間で、様々な出来事が。
この一週間が外の世界では僅か五、六時間。
まだ、ログインしてから全然時間は経っていなくて。
まだ、一夜が明けてないくらいで。
その差異を少し面白そうに思い、笑いながらシノの頭を撫でた。
508
3−15:店長と謝罪のエクステェンジ︻?︼
翌日。
五〇センチほど離れて一緒に寝たはずのシノが、腕に張り付いて
いた。
流石に慣れているので驚かない。驚くのと恥ずかしく思うのは別
であるため、早々に抜け出したが。
半開きな目を擦り、視界を安定させる。今日も晴れか。天気が変
わる時もあるらしいが、まぁ、砂漠地帯ならば、晴れと嵐以外はな
いのは当然か。
﹁おはよー⋮⋮ですぅ﹂
声が聞こえ、振り返った。シノがボーっとした目付きで、こちら
を見つめてきている。
昨日は早く寝たから、早く起きられたのかな。その割に俺は疲れ
ていたから、長い間熟睡⋮⋮結果、二人の起床時間の一致。
適当に考察を並べながら、彼女の頭に手を置いた。
﹁おはよう、シノ﹂
もう少し寝ていたいというのが本音だが、朝食を食べた後、今日
は早々にフーの住処に行こうと考えている。
︿空想の剣﹀の代わりになる武器の調達がしたい。
昨日の、ファンタジーオルガニズムの光線。それにより砕けてし
まった︿空想の剣﹀は修復できそうもないほどに粉々というか、破
片すら残っていなくて。だから、新い武器が欲しい。
折角素で持てるようになっていたのに、少し残念だ。仕方が無い
ことだとは思っていても、気分は落ち込む。
509
﹁だいじょうぶだよー⋮⋮です⋮⋮﹂
いつの間にか、シノの方が、俺の頭に手を置いていた。
微笑み。
一瞬言葉に詰まったが、すぐに持ち直す。﹁何が大丈夫なんだ﹂
と言いながら彼女の額を小突くと、小さく悲鳴を上げた。
ベッドから降りて、イスに掛けておいたコートと仮面を取りに行
く。元々は緊急時の防衛としてアイテムストレージに入れずにいた
のだが、剣が無い今となっては、途端に姿を隠すことしかできない。
コートを羽織り、仮面を付け、同じようにイスへ掛けてあったシ
ノのローブを手に、ベッドへ戻った。
﹁⋮⋮ありがとう、です﹂
先程の小突きで完全に意識が覚醒したようで、少しの羞恥に頬を
染めながら、彼女はローブを受け取る。
同じようにそれを着用し、フードを深く被った。
﹁朝御飯でも、食べに行こう﹂
言うと、シノが頷く。了承の合図だ。
枕元に未だに眠っているウサギを自分のコートのフードへ放り込
むと、鍵を開けて部屋の扉を開ける。
鍵を受け付けで返し、外へ出た。
東から立ち上る朝日は⋮⋮街を取り囲む砂嵐のせいで見えないが、
街自体はもう明るい。
どこで食べようかと思考すると、一つの店の名前が脳裏に浮かん
だ。
わっふんらいにゃー。通称わふにゃ。
510
名前に反して普通っぽい店なので、足を運ぶことに抵抗は無い。
そこへ行くことをシノに伝えた。
起きたばかりでダルイ体で、ゆっくりと歩みを進め始める。
店に着くと、開門をして中へ通った。
すると、
﹁いらっしゃいませー!﹂
昨日クロノと呼ばれていた少年が、頬に肉球を刻んだ状態で、物
凄い笑顔を浮かべながら挨拶をしてきた。
驚きで目を見開く。昨日とは大違いだ。だが、どこか必死にして
いるように見えた。無理をしている感がバリバリである。
何となく、フーとひーちゃんの話を思い出した。ここの店長は店
員に厳しいという、雑談。
めんどくさそうにしていた彼がここまで変わるくらい、結構なも
のだということなのだろう。
﹁御二人でしょうか!?﹂
﹁は、はい﹂
あまりに真剣な剣幕の笑顔という意味のわからない表情を向けら
れ、若干引き気味になってしまう。
それに我関せずと言った具合で、彼は続けた。
﹁御案内します! 私に着いて来て下さい!﹂
﹁ど、どうも﹂
素直に連れられ、二人用の席に移動する。
シノと対面に座ると、クロノが大声で捲し立てた。
511
﹁御注文が決まりましたら店員を御呼びください! すぐに駆けつ
けます!﹂
﹁う、うい﹂
﹁ではどうぞ!﹂
店の注文メニューを渡し、早々に去っていったクロノ。それを﹁
人って変わるものだな﹂と人事のように考えて見届けた後、注文メ
ニューを開いた。
﹁あ﹂
﹁⋮⋮どうしかしたの、です?﹂
急に深刻そうな顔をした俺に不穏な空気を感じたのか、怪訝そう
な声でシノが問い掛けてくる。
それを愛想笑いで誤魔化しながら、片手でバツを描いた。即ちメ
ニュー画面の表示。
表れたホログラムをステータスウィンドウに切り替え、とある数
値を確認する。
二五〇〇。
﹁⋮⋮シノ、幾ら持ってる?﹂
﹁⋮⋮そういうことなの、です⋮⋮﹂
彼女もこちらの意図に気付いたようで、メニューを表示させる動
作をした。
こちらからは、ただ空中に手を置いているようにしか見えない。
しばらくして、シノは切り出す。
﹁一五〇〇ゴールド、です﹂
﹁俺は二五〇〇ゴールド⋮⋮﹂
512
両方合わせて、四〇〇〇ゴールド。
昨日と同じものは買えない。高過ぎる。節約する必要がある。
それに溜め息を吐くと、シノが申し訳なさそうに口を開いた。
﹁昨日も、本当はあまり持ってなかったの、です?﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁言ってくれればよかったのに、です﹂
シノが顔を俯かせる。
自分の希望を叶えてくれたことは嬉しいが、それで俺を傷付ける
のは嫌だ。
そんな気持ちがそのまま伝わって来て、こちらも申し訳なく思っ
てしまう。
﹁けど、シノが喜んでたから⋮⋮それなのにその感情を半減させる
ようなことは、したくなかった﹂
﹁そんなの私は気にしない、です。全部、本当に全部⋮⋮ノートに
従う、です﹂
口論。結果、両方が落ち込む。
朝からこんな空気になるなんて、少し失敗してしまったかもしれ
ない。
そう思い、落ち込んでいたが。
﹁でも⋮⋮﹂
シノがフードに手を掛け、俺にだけ見えるようにフードを上げて。
﹁ありがとう。嬉しいよ﹂
513
いつかの時のように変な敬語を止め、邪気の無い無邪気な笑みを
浮かべながら御礼を述べた。
もしこれを向けられたのが、共に在る約束をする前だったならば、
スズのものと重なるはずだっただろう。
だけど、今は一片も湧き上がらない。
それどころか、ただ言葉を失って、彼女に目を奪われて。
﹁⋮⋮どうかした、です?﹂
顔を覗き込まれて、慌てて後ずさった。
﹁い、いや、何でもないよ⋮⋮そう、何でもない⋮⋮何でもないん
だ﹂
視線を合わせず、自分に言い聞かせるように述べる自分を、シノ
は不思議そうに首を傾げつつ見つめてくる。
ただただ顔を逸らして、俺は彼女を見ないようにしていた。
﹁御注文は決まりましたか?﹂
不意に女の子の声が聞こえ、シノと同時にそちらへ顔を向ける。
その時にシノはフードを被り直しているため、顔がバレることはな
かった。
初めに目に入ったのは猫耳。
赤い髪にショートそれを生やし、縦に瞳孔が開いた金色の目玉が
顔にある。背は小学生としか思えないほど小さい。頬には左右それ
ぞれに黒い三本の線が横に描かれていて、何となく猫の髭を連想さ
せた。
体には最低限の部分のみを金属で覆う軽鎧を身に付け、腰のベル
514
トには、鉤爪と融合したような籠手が一双吊るされている。
そして当然のように着込んでいるエプロンと、当たり前のように
背中の方から窺える尻尾。
あれ、獣人なんて種族あったっけ。
湧き上がる疑問。付け加えるならこのゲームは元は一五禁で、小
学生としか思えないような少女が参加できるのかというのも不思議
だった。いや、通常の年齢規制は案外甘いところがあるのでスルー
できるかもしれないが、VR機器ヘッドプラントは、法律で一〇歳
未満の使用を禁じていたはず。流石にそちらの規制が越えられると
は思えない。
背が一メートルと少しくらいしか無さそうなこの少女は、一〇歳
以上だろうか。微妙なところだ。この世界が現実となった今では、
年齢なんてどうでもいいと考えられるのかもしれないが、それでも
気になった。
﹁私は二一歳ですよ、御客様﹂
﹁⋮⋮え?﹂
﹁二一歳です﹂
驚いて、目を見張る。年齢のことに関して驚愕もしたが、口に出
してもいないのに答えられたことにも感嘆をしていた。
そんな様子の自分へ口を開き、述べる。
﹁いつも、私と出会った方々は、年齢を尋ねてくるんです。御客様
も同じかと思い、先に申させていただきました﹂
確かに、こんな小さい女の子⋮⋮いや、こんな小さい女性が一人
だけ混ざっていれば、年齢に疑惑を持つだろう。
﹁いや⋮⋮でも、女性に年齢を訊くのは失礼に当たるんじゃ⋮⋮﹂
515
﹁その部分を気にしてくださる方も多いようですが、皆が皆、気に
なる様子で私の方へ視線を集めてきます。それでは口に出さないこ
とに意味は無く、なので自分から率先してバラすようにしています。
まだ知られたくないような年齢でもありませんから、遠慮する必要
はありませんし﹂
ニコニコとした微笑を携えての言葉。客に対するスマイルは作り
慣れているのだろうか。見ているだけで和やかな気分になるようだ
った。
これ以上会話をするのも不味いと思い、彼女が去らない内に注文
を決めようと、メニューを見る。ここの店長は厳しいらしいので、
あまりこちらから慣れ慣れしくしない方が良いだろう。
シノは、肉類が好きだったっけ。
﹁にゃんかすごいすてーきを二人分御願いします﹂
一品一五〇〇ゴールド。二つ合わせて、三〇〇〇ゴールド。
本格的に稼ぎ直さないとヤバいが、後でフーのところに行った時、
一緒に検討してもらうことにしよう。俺はこの世界を知らな過ぎる
から、どんなものが稼ぎやすいのかわからない。
﹁にゃんかすごいすてーきを二つでよろしいでしょうか﹂
﹁はい﹂
﹁では、少々御待ちください。︱︱レンくん!﹂
厨房の方向へ向かって、突然の大声。答えるように﹁了解しまし
た! すぐ作ります!﹂という昨日も聞いたような声が、耳に届い
てきた。
あちらも真面目になっているようだ。
このままシノと会話して待っていようかと思ったが、どうやら目
516
の前の女性がこちらに用があるらしく、こちらをじっと見据えてき
ている。
俺は、相手の言葉を待った。
517
3−16:店長と謝罪のエクスチェンジ︻?︼
﹁少し、個人的な話をしたいと愚考しているのですが⋮⋮よろしい
でしょうか?﹂
首肯する。
すると、目の前の女性がいきなり頭を下げて、謝罪をしてきた。
﹁ごめんなさい﹂
困惑する。何故謝られているんだろう。問いたい気持ちに駆られ
た。
だが、それよりも先に相手が切り出してくる。
﹁昨日、二人が失礼を侵したよね?﹂
砕けた口調で、若干涙目で。確認をしてきた。
﹁確かにそうだったけど⋮⋮そんな気にしなくても﹂
﹁駄目なの。それじゃ駄目なの。﹃御客様は神様﹄なんだから、最
大限のサポートとサービスと礼儀を持って対応していかないと⋮⋮﹂
少々危ない、目のハイライトが消えたような様子で、自分に言い
聞かせるようにブツブツと呟く彼女。
御祖母ちゃんの残してくれた御金に頼り切るのが嫌で、高校生に
なってから何度かバイトをやってきたため、その思想がどんな店に
も共通するようなものだとはわかるが︱︱そこまで真剣になるよう
なことだろうか。
丁寧に対応することは勿論必要であるが、﹃客は神様﹄という思
518
想は、心に留める程度でよかったもののはずだ。
﹁真面目、なんだな﹂
思わず漏れた文句に、女性が頭を上げ、こちらへ視線を合わせて
くる。
﹁おそらくだけど⋮⋮フー達に連絡を取って、そっちにも謝ったん
だろ?﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁そして、謝らなくていいと言われた。俺達も気にしていないだろ
うから、そんなに気に病むことでないと言われた﹂
フーやひーちゃんならば、言いそうなこと。二人は店長︱︱慥か
眼前の女性と知り合いで、だから俺達とは違い、すぐに交信するこ
とができた。
きっと、そんな会話をしたはずだ。
図星だったようで、﹁うん﹂と言って顔を俯かせる。
﹁でも、﹃御客様は神様﹄だから。店として謝れなくてもいいと言
われても、個人では、謝らなくちゃいけない感情が散乱してて⋮⋮﹂
﹁そこを真面目って言ったんだ。君の⋮⋮いや、年上に対して失礼
かな。それは貴女の利点だよ﹂
肩を竦め、言った。
﹁謝らなくていい、って言っても遅いか。気に病まなくてもいい。
貴女のように真面目な人がいるだけでも、何となく心が安らぐし、
安心できるから﹂
519
口説いてるみたいになっちゃったな、と最後に述べて笑う。言葉
を失ってジーっとこちらを見ていた女性は、それで平静を取り戻し
﹁付き合うならもう少し大きくなってからね、ロリコンくん﹂と返
してきた。仮面で顔は見えないが、声だけで、まだまだ若いのだと
把握しているのだろう。
互いに、頬を緩めた。楽しげな雰囲気で、破顔した。
﹁そろそろ私も、仕事を再開しないと﹂
弁じた彼女に、問う。
ストア
﹁なら、最後に名前を教えてくれないかな。俺は︱︱アヨン﹂
﹁私は、︿StoRe﹀﹂
去る彼女を見届け、シノの方へ姿勢を改めた。
何故か、不機嫌そうにそっぽを向いている。
﹁どうかした? シノ﹂
﹁⋮⋮なんでもない、です﹂
何でもないということはないはずだけど。
首を傾げたが、問い質すよりも先に注文が届き、会話を中断する。
早く食べて、フーのところへ向かおう。
そう思い、早々に料理へ手をつけた。
◆◇◆◇◆◇
520
﹁ひーちゃん、おはよー﹂
昨日と同じ場所に辿りついた時は、丁度ひーちゃんがフーを起こ
しているところだった。
寝ぼけ眼のフーが目を擦り、その後に腕を組んで伸ばす。
﹁二人も、おはよー﹂
挨拶。同じように返すと、彼女は微笑した。
フーがアイテムストレージから水色袴の巫女服っぽいものを取り
出し、着始める。流石にそれを見ているわけにはいかないので、俺
は後ろを向いた。
そういえば、昨日はライトを倒してレベルが上がったんだっけ。
まだ確認していなかった。フーが着替えている間に、ポイント割
り振りまで済ませてしまおう。
メニューを開いて、ステータス画面まで移動させる。
レベル五四。四レベル上がった計算で、手に入ったポイントは四
〇。
昨日は、力の無さについてを実感した。半分以上残っていたTP
と、昼間と言えど影の補助を加えた、あの時点での全力の一撃。力
に差がありすぎて仕方が無かったとはいえ、対抗し切れなかった。
防御面も不安なところがある。
盾で防いだはずなのに、四割も食らっていた。盾が体の一部だっ
たとしても、異常。VITとWIS︱︱つまり、防御力も鍛える必
要があるだろう。
STRに一五、VITへ一五、WISに一〇ずつ、割り振った。
﹁もういいよ、アヨンくん﹂
521
振り返り、巫女服を装備したフーを目に留める。
﹁こんなに早く来るのは思ってなかったけど⋮⋮何か、用事とかあ
るの?﹂
﹁武器が欲しい﹂
言うと、彼女の視線が、剣の吊られていた部分へ移った。
今、そこに剣は無い。
﹁それが俺の宝玉の御礼⋮⋮で、どうかな﹂
﹁本当に!?﹂
急に詰め寄られ、若干足が下がる。キラキラと目を輝かせている
フーへ、何とか﹁本当だ﹂と返し、押し返した。
﹁シイは、どうする?﹂
﹁私⋮⋮です?﹂
俺の宝玉、と自分は言った。シノの宝玉については、まだ決まっ
ていない。
﹁ゴールドにしてください﹂
その要求に驚いたが、シノならそう言うのも、納得できた。
フーは頷き、じゃあ、と顎に手を添える。
﹁一二〇〇〇〇〇ゴールドくらいが妥当かなぁ⋮⋮﹂
﹁ひゃ⋮⋮!?﹂
一二〇〇〇〇〇。一二〇万。
522
とんでもない値段に、二人して舌を巻いた。
﹁それくらいが妥当でしょうね。赤なら八〇万から九〇万ほどだっ
たでしょうが、緑ですし﹂
﹁大きさも類を見ないほどだからね。売るなら、やっぱりそれくら
いだよ﹂
どうする? と、シノにフーが問う。
答えるまでもない。そう述べるように、シノは首肯し、承諾した。
﹁トレード機能⋮⋮は、フレンドじゃないと使えないから、直接交
換しよー﹂
フーがゴールドの入った袋を取り出し、シノは︿緑宝玉﹀を手に
実体化させる。
互いに交換。
所有者権限というものがあったはずだが、それはどうするのだろ
う。相手のアイテムを奪うことはできるが、一時間は所有者権限に
よりアイテムストレージに保存できないという、制限。
﹁︿一二〇万ゴールドの袋﹀、所有者権限解除﹂
不意にフーが呟いた言葉に反応するように、シノの持っていた袋
が、淡い白い光に包まれた。
数秒後、シノが、袋を空中で消す。
アイテムストレージに仕舞ったのだ。ああ呟けば権限が消せると
いうことを学びつつ、自分もメニューを開いて宝玉を実体化させる。
その間に、シノも所有者権限を解除していた。
﹁結構な出費でしたが、大丈夫なんですか? 師匠﹂
523
﹁正直ちょっとキツいかなぁ⋮⋮でも、“あの薬”のゴールドは定
期的に入ってくるから、しばらく経てばまた元通りだよ﹂
あの薬? と思わず問い返す。
ひーちゃんがこちらに顔を向け、答えた。
﹁︿痛覚緩和薬﹀と︿痛覚遮断薬﹀です﹂
﹁あー⋮⋮まぁ予想は付くけど、一応効果も聞いておいていいかな﹂
﹁痛覚を軽減させる薬と、痛覚を遮断する薬ですね﹂
確かにそれは売れそうだ、と肩を竦める。
痛いのが嫌だというのは誰もが持ち得る見識。現代人にはろくな
痛みを味わったものなど少なく、より顕著となるはずである。
六年の間に発売されてきたVRゲーム達でも、痛みを完全に再現
しているようなものはない。そのようなものの発売は法律で禁止さ
れているため、再現できない。針を刺す程度の痛みならば一五禁以
上で味わうこともできるそうだが、それだけだ。一八禁以上でもそ
れ以上は禁止されているので、精々が五パーセントが限界地点であ
る。
違法パッチ︱︱一部のプログラムを書き換えるファイルには“痛
覚を再現する”というものもあったそうだが、自分はあまり知らな
い。授業で少し習った程度の知識しか無く、詳しいことは学んでい
ないから。
﹁それで、アヨンくん。武器が欲しいって言ってたけど︱︱﹂
524
3−16:店長と謝罪のエクスチェンジ︻?︼︵後書き︶
この話より先。実はあと八〇〇文字くらい書く予定だったのですが、
四度くらい書き直したところで断念しました。全部、なんか違う感
じがしました。
主人公の武器⋮⋮。
このまま長剣でいくべきか、それとも鈍器かなんかへ変更するべき
か⋮⋮。
525
3−17:破壊と対峙のリーフファルコン︻?︼︵前書き︶
※前話と前前話のタイトルを変更しました。
526
3−17:破壊と対峙のリーフファルコン︻?︼
﹁どんな武器がいいの?﹂
問われ、顎に手を添えた。
やはり長剣がよいだろうか。
理由は実に簡単なもの。威力、応用性、使いやすさは勿論、少な
い日数とはいえ今日まで使ってきたため、少しの愛着があるからで
ある。
剣や刀などは、刃がすぐに損傷してしまう。刀はそれによりあま
り実用性の無い武器と言われているが、剣は鈍器としても使えた。
刃が損傷して使い物にならないとしても、鈍器として。それならば
そのまま鈍器を持っていた方が良いと思えるのだが、取り回しの良
さや使いやすさ、何よりも、鈍器よりも遥かに軽いことが挙げられ、
剣が戦争では扱われていた。
だが、鈍器の方が威力が高いのもまた本当の姿。一点に威力を加
えるという点に関しては剣や刀の方が上であるが、多くのダメージ
を与えることに関して鈍器が強力なのは周知の事実である。鈍器は
耐久性も随一と呼べるほどであり、専用の技術を殆ど持ち得ていな
くとも簡単に扱える、というのも魅力的だ。
どれもが、刃が損傷してしまえばという仮定の話ではあるが。
この世界には多種多様な効果を持つ、存在しないはずの金属が存
在し、武器の素材にすることができた。それはつまり、損傷し辛い
金属での加工が可能になるということ。そうでなくとも元はゲーム
であり、一人二人斬った程度で損傷していては目も当てられない。
きっとこの世界においては、刃は現実よりも損傷しにくくなってい
る。
刃が損傷しなければ、話は変わってくる。もし刀の刃が損傷しな
ければ、ありとあらゆる武器を逸脱する刀の切れ味が保たれる。も
527
し剣の刃が損傷しなければ、刃物としても鈍器としても、ずっと両
方の特徴を持ち続けられる強力な武器となれる。
鈍器だけがそのままなのだ。だからやはり、剣が一番良いだろう。
別に鈍器が弱いと言っているわけではないし、それだけが理由な
わけでもない。プログラムコードプレイヤーシステム︽オーバーラ
イド︾に組み込まれているスキル︿インストール﹀を活かすために
は、威力などの一点に特化した武器では無く、応用性の高い剣が一
番良いと判断したからだ。
刀や槍などは専用の技術が必要で、斧は取り回しが悪く、鈍器は
先に述べた通り。消去法でいくと、剣しか残らない。
﹁オーダーメイドってできるかな﹂
思考の渦から脱出し、口を切る。
﹁できるよ﹂
首肯して言う彼女に、アイテムストレージから取り出したアイテ
ムを見せる。
回収した、︿空想の剣﹀の柄。
﹁凄い綺麗になくなってますね⋮⋮﹂
﹁ちょっとした魔法みたいなものを切ろうとしたら、砕けちゃって
ね﹂
感嘆を漏らしていたひーちゃんへの返答。魔法ではなく通常攻撃
であるが、光線なんて魔法としか思えないものだ。故に、魔法みた
いなもの。
﹁柄と合わせて二メートルくらいになるよう、刀身を造ってほしい。
528
無理かな?﹂
柄を受け取り、しばらく眺めていたフーは答える。
﹁できるよ。まともな武器造るのって実はこれが初めてだったりす
るけど、素材さえあれば私に“造れないものは無い”から﹂
何気にとんでもないことを言ってのけ、彼女は部屋の奥へ移動し
た。
﹁刀身だけだから一五分あれば造れる。それまでゆっくりしてて﹂
﹁素材は?﹂
﹁こっちで用意するから、いいよ。元々オーダーメイドなんてのは
市販と違って、素材もお金も両方提供してもらうぼったくり商売だ
からね﹂
どうやら扉があったようで、フーが壁を押すと、それが開く。
作業場だろうか。扉の隙間から見えた僅かな景色には、様々な施
設が整っているようだった。
鍛冶。裁縫。練金。全てができるような、施設が。
﹁私も、一五分の間に作れるだけ﹃弾﹄を作っておきたいです。す
みませんが、一五分は自由時間にしていいですか?﹂
﹁いいよ﹂
﹁ありがとうございます。では、私も﹂
彼女も、フーと同じ場所へ歩いていく。去っていく彼女達を見届
けた後、俺はシノと会話でもして待とうと思考した。
だが、メールが届く。俺のフレンドは今のところ、シノと名無し
のみ。シノは目の前にいる。だから、必然的に名無しのものとなる。
529
殺人の依頼。
妙にタイミングが良いことは偶然か、それとも必然か。どちらに
せよ、都合が良いのは確かだ。
﹁依頼だ、シノ﹂
言いつつ、メールを開く。だが、予想していたものとは少し違っ
ていた。
とあるギルドの建造物の壊してほしい。できるだけ派手に。
そんな内容のもの。殺人では無かったことを訝しみつつも、達成
すれば情報が貰えるなら何でも良いと割り切る。
﹁行こう﹂
◆◇◆◇◆◇
街の東北。人気の無いその場所に、目的の建造物は在った。
着替えを済ませた俺達は、別の建物の上からそれを見下ろしてい
た。
とある小さなギルドの拠点。そこを潰せというのが今回の依頼ら
しい。
﹁俺は人を殺してほしいって言われただけだから、本来、殺人以外
は依頼の外のはずなんだけど⋮⋮﹂
﹁私はどんな依頼でも付いていくよ、です﹂
530
ありがと、と呟く。
まぁ、スズの情報さえ貰えるなら、どんな依頼だろうと構わない。
俺はただ、こなすだけだ。
﹁壊す⋮⋮と言われても、何をすればいいのやら﹂
現在のスロット数は一三。空きスロット数、四。
広範囲にわたって被害を加えるスキルなんて持っていない。︿始
まりの街﹀で手に入れたものは、最早このレベルにまでなると、あ
まり強いものとは思えないものばかりだ。
近いうちに、買っておくのがベストか。
スキルが駄目なら、他に広範囲に影響を及ぼすことができるもの
はなんだろう。
シノは妨害系の魔法使い。破壊には特化していないはずだ。何や
ら、まだ少しだけ隠していることがありそうだが⋮⋮今は関係ない。
モンスターの力に、広範囲を破壊できるような攻撃を持つ奴は︱
︱。
﹁⋮⋮化けろ、︿ファンタジーオルガニズム﹀。その通常攻撃を還
元する﹂
ファンタジーオルガニズム。剣が壊れた原因ともなった、凶悪な
モンスター。
おそらく、あれ程のレベルのものとなると、体へ反映させること
は難しい。今の俺のレベルでは、一部分を具現できるかどうかも怪
しいところだ。
それでも、通常攻撃のみならば、いけるはず。
ファントムナイトの鎧を還元する時と同じように、MPが吸い取
られるような感覚がした。それは、モンスターの最も特徴的と言え
る部分を反映する場合に限り掛かる制限。
531
体が重い。やはり通常攻撃だけとはいえ、少し無理があったか。
だが、いける。これなら。
口内に力が収束してくるのがわかる。ファンタジーオルガニズム
の光線と、同じ種類の力。
黒赤の光芒。
目標の建物を視線に収めると、口を開いた。
小さな光が、急激に膨張を開始する。
﹁︱︱﹂
光を、放つ。
ファンタジーオルガニズムに撃たれたものと殆ど同じ赤黒い光が、
口から飛び出した。
巨大な光線。圧倒的なエネルギー。足を地面にしっかりと付き、
方向を安定させた。
建物を穿つ。
いとも簡単に建造物の壁を溶解させ、貫いた。角度を変え、別の
場所も抉り、壊していく。
崩れ、壊れ、落ちる。
完全に破壊されたところで光線の勢いが終息し、止まった。
﹁さっさと逃げたいところだが﹂
ゆっくりと、後ろを向く。
﹁⋮⋮そうはいかない、か﹂
人が立っていた。
全身を真っ黒な服で包み、焦げ茶色の髪と瞳を持ち合わせた青年。
俺のよく知る人物。友人。
532
青葉鷹人。
どこか冷徹な雰囲気を漂わせた彼が、俺を見据えていた。
533
3−18:破壊と対峙のリーフファルコン︻?︼
﹁久しいな、青葉﹂
少しの笑みを浮かべて、挨拶。
彼は俺が壊した建造物をチラッと確認し、呟く。
﹁攻撃の威力が本物となると⋮⋮お前は、本物の零都なのか?﹂
﹁⋮⋮どういう意味だ?﹂
本物の零都。まるで本物でない偽物が存在しているかのような言
い草に、首を傾げた。
﹁惚けているのか、それとも本当に知らないのか⋮⋮まぁいい。教
えても、どうせ何も状況は変わらない﹂
鋭い視線は、真っ直ぐと俺を捉えたまま。
切り出した。
﹁︿人壊し﹀の能力、︽人造管理︾﹂
︿人壊し﹀というと︱︱確か、燕と一緒にいる時に遭遇した、不
可解な奇人。
無数のプレイヤーで構築され、死んでも代わりがいる、一人。
わけのわからない、人の名を冠するプレイヤーキラー。
﹁︽人造管理︾は、プレイヤーを作成し、造る能力だ。自分と同じ
外見のキャラを何人だって造ることができるし、他人をそっくりそ
のままコピーすることだってでき、存在しないはずのプレイヤーを
534
プレイヤー
造ることもでき︱︱現存するキャラ殆どそのままを造ることも、可
能。造られた全ての端末は全ての感覚を共有し、人を騙すことにお
いてはとてつもない真価を発揮する、凶悪な能力﹂
目を見開き、硬直した。
いや。だって。それは。とてつもない能力なのでは無いのだろう
か。
自分が見てきた全てのものが、偽物かもしれないという可能性。
自分が触れ合ったプレイヤーの誰かが、偽物の可能性。
有り得ない。でも、もしかすれば。有り得ない想像が、もし本当
なのだとしたら。
﹁ノート⋮⋮﹂
シノが服の裾を摘まんできて、正気を取り戻す。
今は話を聞くしかない。
﹁⋮⋮なるほど、それで俺を疑ってるというわけか﹂
﹁︿人壊し﹀の演技力には果てしないものがある。⋮⋮かつて、俺
達も騙されたのだから﹂
彼の視線に鋭さが増し、思わず剣があったはずの場所に手を掛け
た。勿論空を切る。
俺達も騙された、か。
一体何があったのだろう。
﹁とはいえ、やはりそんな凶悪な能力には弱点がある。致命的な弱
点が二つ﹂
﹁⋮⋮どういうものか、教えてくれないか﹂
﹁言われるまでもない﹂
535
刹那。
彼の体が急激にブレ始め、頭で判断するよりも先に︿インストー
ル﹀を発動していた。
デイドリームウォーリアーの両腕。
目の前に現れた拳を交差した鋼鉄の腕で受け止め、シノごと、数
歩分足が下がる。摩擦により煙が発生しており、焦げたような臭い
が鼻についた。
﹁弱点一つ目。端末プレイヤーの基礎ステータスは、通常階層以上
自由階層以下。当初は通常階層とそう変わらない程度だったらしい
が、本体のレベルも上がっているのだろう。どういう基準かは知ら
ないが、端末の強さも上昇している。だが、何にせよ俺達には遠く
及ばない。
人を騙すことに関しては一級品と呼べるほどの力を誇るが、実力
そのものはそこまででもないということだ。上位階層が戦闘を好む
のも、偽物か本物か判断するためによるものも大きい。たった一人
のプレイヤーに、大多数のプレイヤーが影響されていると考えれば、
あいつは人の名を冠するのに文句の無いことを侵していると言える﹂
痺れる腕をダラリと下げ、地味に響く痛みに耐える。
具現化を解けば、真っ赤に腫れた腕の筋肉が見えた。
それに顔を引き攣らせる俺に対し、気にしていないという雰囲気
の青葉。
口を開き、彼は二つ目の弱点を述べた。
﹁弱点二つ目。端末プレイヤー創造には材料が存在する。非常に高
価で非常に身近に存在する材料が﹂
﹁⋮⋮それは?﹂
﹁プレイヤーの死体。一人につき一体の端末が製造可能らしい﹂
536
なるほど、と頷く。確かに、幾らでも簡単に端末が創造なんてで
きれば、どんな階層も大混乱に陥ってしまうはずだろう。
戦いで相手の強さを確信し、︿人壊し﹀でないものと判断するの
は丁度良い。
﹁さて⋮⋮打ち込みに耐え、お前が本物だとわかったところでそろ
そろ本題に入ろうか﹂
彼が、構える。
呼応するように、自らの右腕をファンタジーソルジャーの剣へと
変化させ、対峙した。
﹁ここで何をしていた﹂
﹁あれを壊した﹂
左の親指を立て、後ろの建造物を示す。
﹁どうしてそんなことをする。零都には関係の無いはずのものだろ
う﹂
﹁︿Nameless﹀ってプレイヤーに頼まれたんだ。報酬はス
ズの情報﹂
﹁ネームレス⋮⋮︿解答者﹀か﹂
驚いた様子の青葉を見て、少し不思議に感じた。
有名なのだろうか、名無しは。
すぐに落ち付きを取り戻した彼は、口を開く。
﹁なるほど⋮⋮︿解答者﹀の差し金ということはあのギルドは︿人
壊し﹀が紛れ込んでたということか﹂
537
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁その建物はとある小ギルドの拠点だということは知っているな?﹂
彼の確認に、頷いた。
﹁そのギルドは俺がリーダーを務める︿黎明ノ黒鍵﹀というギルド
の所属ギルドだったんだ。昨日の夜、俺が切り離したが﹂
ギルド。多数のプレイヤーが集まり、一つの大きなチームとなる
機能。
﹁どうして切り離したんだ?﹂
﹁怪しかったからだ﹂
発言に疑問を覚え、言葉を待つ。
﹁元々対立気味だったのに加え、短期間でリーダーを含め三人も殺
された。問題のあるギルドなんて︿黎明ノ黒鍵﹀に必要は無い。だ
からだ﹂
﹁⋮⋮ライトって召喚術師の言ってた、あいつってのはお前か﹂
﹁最初に殺された二人の内のどちらかが︿人壊し﹀の端末だったん
だろうが、もう手遅れだったんだろうな。リーダーもその後に︿解
答者﹀の差し金で殺された。根強く残ってしまった種でも土ごと処
理をすれば何の問題も無い﹂
俺が相手をした、最初の二人。そのどちらかが︿人壊し﹀の端末。
おそらく、二人目だろう。あいつは、名無しを知っているような
発言をしていた。
﹁︿解答者﹀だけが唯一︿人壊し﹀と対抗できる切り札だ。彼は︿
538
人壊し﹀の策略をこれまで幾つも潰してきている。今回も、俺が疑
わしいもの全てを切り捨てると知っていてお前を使い︿黎明ノ黒鍵
﹀から︿人壊し﹀の混ざっていた例のギルドを切り捨てさせた﹂
﹁︿人壊し﹀は何をしようとしていたんだ?﹂
﹁それは俺にもわからない。だが︿解答者﹀なら知っているはずだ。
知り合いなんだろう? 興味があるなら訊いてみたらどうだ﹂
わけのわからないことに関わらされているとは思ったが、まさか
︿人壊し﹀への対処だったとは。
簡単に人を揺さぶろうとするあいつの性格からして悪者と決めつ
けていたが、どうやら意外と色々なことに貢献しているような奴だ
ったみたいだ。
抱く印象は変わらないが。
﹁だが問題はそれじゃない。全ては解決したことだ。今関係するこ
とは零都︱︱いや、プレイヤー名︿Nought﹀がプレイヤーキ
ラーになっているということ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁︿人喰い﹀を連れているということは、つまりそういうことなん
だろう。あまり気乗りはしないがお前達を拘束させてもらう。止む
負えなければ殺すことも有り得るぞ。大人しく付いてくることをお
勧めしよう﹂
彼の言葉に、笑う。
﹁行くわけがないじゃないか。スズを見つけるまで俺は何をしてで
も生き残る﹂
﹁相変わらずのシスコンだな﹂
﹁友達だからって手加減するつもりはないんだろう? 青葉の家の
教訓は確か“勝った奴の言うことが正しい”だったか。だから勝負
539
事に関して手加減をすることは有り得ない。負けることは有り得な
い。勝った奴が正義だから﹂
こうしていると、中学の頃、お前と喧嘩した頃を思い出すよ。
そう呟いて、笑みを深めた。
﹁⋮⋮今はあの頃とは違うぞ﹂
﹁わかってる﹂
﹁あの頃はお前が勝ち、間違っていた俺を正した。幾ら倒れようと
立ち上がり、幾ら傷を負おうと気絶せずただがむしゃらに俺と殴り
合いを続けて。
⋮⋮今は全てを極めた。奥義にまで達した。ステータスという補
正だって受けている。お前に勝ち目は無い﹂
あの頃の青葉は、まだ武術を極めていなかった。だから俺でも、
スズを馬鹿にされた意地のみで青葉と張り合えたし、喧嘩に勝つこ
とができた。
今は、レベルが違う。基礎の技術が違う。俺の持つVRでのみ扱
える技術は認識のズレを利用しただけものであり、戦うためにでき
ているわけではない。対し、相手は完全な武術。しかも、極めてい
る。
勝ち目は、確かに無いだろう。だが今、こちらは二人。それに、
青葉を倒さなくとも、俺達は逃げればいいだけだ。
依頼は建物の破壊なのだから、もう達している。
540
3−19:破壊と対峙のリーフファルコン︻?︼
シノの肩を叩く。
魔眼の解放。︿メデューサの瞳﹀。
青葉の右足だけが、不自然に硬直した。それを視認してすぐに左
腕でシノを抱え、右腕をファンタジーソルジャーの剣から、テンタ
クルカクタスの触手へ変化させる。
道の向こう側の建物から飛び出ている柱に触手を伸ばし、絡ませ
た。そこから触手を急速に短くしていくことで体を空中へ躍らせ、
柱の存在する建物の向こう側の地面へ着地する。
そこから路地に駆け込み、全力で走り出した。
﹁シノ、詠唱しといて﹂
﹁わ、わかった、です﹂
慌てた様子で魔法スキルの準備を開始する彼女を見届け、右腕を
元に戻す。
﹁ウサギ、︿スライムショット・イクス﹀﹂
左肩に乗る使い魔が、言葉に呼応してスキルを使用。一瞬だけの
溜め動作の後、真後ろへ巨大なスライムを打ち放った。
青葉の発していた︿セイスミックインパクト﹀と衝突し、しかし
打ち消し切れず、相手の攻撃をズラすだけに留まる。
地震の衝撃が路地の壁を打ち、破壊した。
﹁俺にスキルによる不意打ちは通じないよ、青葉﹂
﹁何か特殊なアビリティでも持ってるのか? まぁいいが、そのス
ライムは飾りじゃなかったんだな﹂
541
スライムに防がれるとは思わなかった、と彼は呟く。
それに怒ったように、ウサギが肩の上でぷよぷよと震えていた。
追いつくのが、予想以上に速い。
振り向いてよく目を凝らして、わかった。まだ︿メデューサの瞳
﹀の効果は持続している。
左足だけで跳び、俺の元まで来た。
走る速度を速め、路地を飛び出す。もう魔眼の効果は切れたはず
で、すぐに追いかけてくるだろう。
﹁化けろ、︿ファンタジーオルガニズム﹀! その通常攻撃を還元
する!﹂
無意識の内に叫び、攻撃を具現させた。
口内に光が凝縮され始めると同時に感じる、MPを吸い取られた
ような感覚。そして、肉体へ掛かる負担。脱力したような感覚。
まだ、あと一発ほどは撃てそうだが、それ以上はレベル的に無理
がありそうだ。
﹁︿セイスミック︱︱!?﹂
こちらの攻撃の強力さを予感でもしたのか、青葉は目を見開き、
スキルを中断した。
直後、脳裏を過ぎる聞いたこともないスキル名。
︿ダブルデストラクション﹀。
三つの声が、重なって響いてきた。
﹁ハァ⋮⋮﹂
青葉が足を止め、構えを取る。
542
圧倒的な威圧感。
圧倒的な存在感。
まるで獲物を狙う鷹のように研ぎ澄まされた瞳がこちらを見据え
てきていて、鳥肌が立った。
直後、彼の正面に重なる三つの青い魔法陣が出現する。同時にこ
ちらの光線も準備が完了していた。
光が膨張し、青葉に向かい強烈な光芒が迫る。
彼はそれを観察するように眺めながら、拳を動かした。
よがさね
﹁奥義、“世重”﹂
まるで一瞬、世界が音を失ったように感じた。
高速で打ち出された拳が一つ目の魔法陣へと衝突し、魔法陣が真
っ白に染まる。
立て続けに他二つの魔法陣も同じ色へと変わった。それも、段々
と白い光が強まっていくように見える。
光線が魔法陣へ到達する直前、まるで目の前で地震が起こったか
のような音が耳へ届いてきた。
おこ
三つ目の魔法陣から、白い粒子を纏った風が飛び出してくる。
いや、風と表現するのも烏滸がましい、振動の塊。まるで、地震
の震源から直接放たれたかのような震動だ。
それが俺の放つ光線と衝突し、この場全体を轟音で埋め尽くす。
﹁︿ダブルデストラクション﹀は、通常攻撃の威力を通算二倍にと
し、風の塊として発射するスキルだ。それ単体ではそこまでの威力
は期待できず、正直もっと強力なスキルを使った方が良いと言われ
るものになる。
だが俺には︽重ね掛け︾というプログラムコードプレイヤーシス
テムがある。︿ダブルデストラクション﹀で打ち出された二倍の衝
撃を更に︿ダブルデストラクション﹀で二倍させ、もう一度︿ダブ
543
ルデストラクション﹀で二倍にし⋮⋮単純に計算で八倍の威力さ﹂
正面からぶつかる二つの力。間違い無く、こちらの光線が押し負
けてきていた。
昼間の影だったとはいえ。全てのTPを捧げてなかったとはいえ。
あの時点での俺の全力を軽く凌いだ、この光線が。
よがさね
﹁そして、青葉家の奥義“世重”は地に掛かる重圧そのものを己が
重さとする技だ。簡単に言えば、世界から自由に重さを受け取る秘
術。それを受ける肉体がその重量に耐えられなければ自滅するだけ
だが、生憎、この世界ではステータスという補正がある。現実で出
せる限界を遥かに越えた重圧に耐えることができた。そして今の一
撃は、この肉体がギリギリ耐えられる程度の重圧が込められた拳。
それが八倍だ。耐えられるわけがない﹂
︿スキルコレクション﹀。
光線へ力を付加するが、徐々に。徐々に、押し返してくる。
状況は変わらない。きっともうすぐ破られる。
どうすればいい。
どうすればいい。
急に、今までの戦いの記憶が、まるで走馬灯のように頭の中を過
ぎった。
一番近いのは、召喚術師との勝負。次は二人のプレイヤー。次は
燕。次はサンドフィッシュ。次はテンタクルカクタス。アカリ。リ
ース。ファンタジーソルジャー。ファントムナイト。デザートオー
ガ。デイドリームウォーリアー。
駄目だ。ヒントになりそうなものなんて。
もっと前。
この世界がデスゲームとなる前の︱︱。
544
﹁シノ! この攻撃が終わったら、青葉を全力で拘束してくれ!﹂
右手でメニューを開きながら、声を張り上げて言った。
﹁まさか、凌ぐつもりか?﹂
﹁ああ﹂
﹁無理だな。俺の攻撃の方が力は上だ﹂
もう、あと何秒持つだろうか。
早く。もっと速く。
メニューを操作し、画面を移動させ、目的のものを手の中に。
実体化。
﹁力なんて関係ねぇよ、青葉﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁お前は、この世界がゲームだってことを忘れてないか?﹂
瓶を握り潰すと、小さな錠剤だけが手の平に残る。
もう、あと一秒保てるかと言ったところか。
光線を止め、薬を呑み込んだ。
目の前に、陽炎が目でないほどに空間が揺れる衝撃が、迫る。
﹁︱︱ッ﹂
衝突。体が吹き飛ばされた。背後にあった建物へ、とてつもない
速度で近付いていく。
冷静に対処。両足をファンタジーソルジャーのものへと変え、影
を纏わせた。
壁へ着地。しかし威力が大き過ぎたのか、すぐに壊れようとする。
右腕をテンタクルカクタスの触手へと変え、近辺の建物の柱へ絡
545
みつかせた。
︿スキルコレクション﹀。
触手の回収にスキルの補正を掛け、後方へ引っ張られる肉体を支
える。
背後の建築物が崩れる音を聞きながら、何とか止まった体を建て
直した。全てを元に戻し、地面へ着地。本来ならもっと後ろへ吹き
飛ばされていたんだろうが、光線と激突した後の一撃。軽く済んだ
みたいだ。
︿瞬間無敵補強剤﹀により、殆ど無傷だった体を動かす。無理に
でも足を踏み出し、青葉の元へ。
駆ける。
﹁“︿大蛇の鎖﹀”。魔眼、︿メデューサの瞳﹀﹂
シノによる続けざまの妨害魔法。青葉に無数の大蛇が巻き付き、
瞳が彼の体を縛り付ける。
デイドリームウォーリアーの右腕を具現。そして影を爆発させ、
青葉のすぐそばへ接近した。
﹁なるほど、どんなものでも絶対に耐える道具か⋮⋮確かに、どれ
ほど強かろうと何も関係は無いか﹂
﹁お前が現実の力を振るうなら、俺は仮想の力を振るう。それだけ
のことだ﹂
振り被り、彼の顔を殴りつける。
拘束されているため、後ろへ飛んで衝撃を受け流すことはできな
い。
呻き声を発し、青葉の膝が屈した。
﹁⋮⋮お前、全力出して無かっただろ﹂
546
﹁いいや、本気だ。だが、切り札は切ってない。威力が強すぎて、
街の地形を変えかねない、からな⋮⋮﹂
意識が朦朧としているのか、どこか虚ろに呟いている。
殺すつもりは無い。依頼の対象外であるし、何より友達だ。だか
ら、このまま置いて逃げる。
﹁約束があるんだ。そろそろ俺達は失礼するよ﹂
青葉に背を向け、告げた。
﹁⋮⋮⋮⋮またな、零都﹂
﹁またな、青葉﹂
547
3−20:自由と象徴のシブリング︻?︼︵前書き︶
すみません、遅れました。
548
3−20:自由と象徴のシブリング︻?︼
﹁おっそーい!﹂
名無しからの情報を後回しにし、フーの居場所へ戻った。
その時に掛けられた、一言。
﹁ごめん﹂
﹁ごめんなさい、です﹂
一五分と言われていたのに、既に三〇分経っている。
言い訳もできず、謝った。
﹁大丈夫ですよ。師匠も、作れる時間が一五分と言っておきながら、
二五分くらい掛かってましたから。気にしなくていいです﹂
﹁ちょ、それは言わない約束﹂
﹁してません﹂
慌てた様子のフーが、ひーちゃんの肩を掴み、ガクガクと揺する。
結構長引いていたようだ。丁度良い時間だったということだろう
か。
﹁だって仕方無いでしょ。私は職業︿鍛冶屋﹀じゃないから補正付
きなんて作れないし。だったらどうせ成功するんだから、物凄い素
材で造りたいでしょ。色んな金属とか鉱石とか混ぜて素材を造った
んだよ﹂
﹁確かにそんな馬鹿げたことをすれば、︿鍛冶屋﹀を泣かすような
ものになるでしょうけど⋮⋮﹂
549
ひーちゃんは難しい顔をし、顎に手を添えた。
﹁⋮⋮幾つ、混ぜたんですか?﹂
﹁三〇かな﹂
﹁⋮⋮どんなのを﹂
﹁︿月の欠片﹀とか︿星の破片﹀みたいなレア鉱石は勿論、︿クロ
デアリペント﹀みたいな遺跡の鉱石、金属の︿聖銀﹀とかかな。取
り敢えず持ってる剣の材料になりそうなものを、上から三〇個抜粋
して、合成してできた金属を使った﹂
引き攣ったような顔をしたひーちゃんを見て、首を傾げる。
生産についてはよくわからないが、凄いことなのだろうか。よく
わからない。
﹁勿論、全部同時に合成したんですよね⋮⋮﹂
﹁当たり前でしょー。絶対成功するんだから、別々にやる意味が無
いよ。そもそも別々にやるより同時にやった方が良い素材ができる
し﹂
﹁⋮⋮混ぜれば良いってものではありませんよ﹂ ﹁流石に三〇個も混ぜれば、単なる補正付きくらいは普通に越せる
でしょ﹂
ひーちゃんが、深く溜め息を吐く。
﹁⋮⋮そうですね。︽絶対練成︾に失敗の二文字はありえませんか
らね。何も考えず色々混ぜた方が、良い結果を生み出せるかもしれ
ないです。師匠の規格外さは十分理解していたつもりでしたが、ま
だまだのようで﹂
﹁絶対⋮⋮練成⋮⋮?﹂
550
気になる単語を耳にし、思わず口に出して訊いていた。
コード
﹁師匠の能力です﹂
絶対系統。それのみでモンスターと渡り合えるほどの力を持つ、
強力な力。
フーが自慢げに胸を張り、語る。
﹁効果は簡単、“生産スキルを絶対に失敗しない”。ただ、失敗し
なくても、造るものの出来の良さは調整できないけどね。そこは自
力だよ﹂
﹁⋮⋮それ、モンスターと戦うのに役立つのか?﹂
どう考えても、モンスターと渡り合えるとは思えない。
俺の疑問には、ひーちゃんが答えてくれた。
﹁師匠は、唯一の生産系絶対系統の保持者なんです。例外、という
やつですよ﹂
なるほど、と頷く。
例外というものは何にでも存在する。
俺だけが、この世界で死んでも生きていられたように。色んな例
外が。
﹁さて、それじゃそろそろ武器の公開といくよー!﹂
声を張り上げ、フーが言った。
メニューを開く動作をし、剣を実体化。
銀色の刀身をした剣が、現れた。
透き通るように綺麗な銀。一切の汚れを感じさせない、白銀。
551
本当に色々なものを混ぜたのだろうか。こんなにも、綺麗である
のに。
魅了されたと言っても過言では無かった。綺麗と言うのも烏滸が
ましい、神秘的な何か。
﹁⋮⋮凄い、ですね﹂
﹁凄い威圧感⋮⋮です﹂
二人揃って、シノとひーちゃんが漏らした。
﹁はい﹂
俺達の反応に満足しように笑みを浮かべ、フーが手渡しで剣を持
たせてくる。
瞬間、まるで、力が溢れ返ってくるように感覚を覚えた。
﹁︿天宝の法剣﹀、所有者権限解除﹂
フーの声が耳に届き、一度、アイテムストレージに仕舞う。
同時に、力が少し抜けたような感覚がした。
そのまま、収納された剣の文字をクリック。︻実体化︼と︻解説︼
の内、解説を選んだ。
説明文が現れる。内容は。
︱︱天の宝とされる神秘の剣。ありとあらゆる金属や鉱石を合成
した、名も無き特殊素材を使うことで造ることができる。装備によ
り、レアアビリティ︿TP超回復﹀を一時的に取得。尚、この装備
は﹃創造システム﹄により作成されたものであり、NPCでは造る
ことができない。
読み終わり、実体化。再び現れた剣の柄を取ると、再度、力が溢
れ返るような体感を味わった。
552
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ステータス画面を展開し、反映されているらしいレアアビリティ
を確認する。
︿TP超回復﹀。TPがかなりの速度で持続回復する。
どれほどの速度だろう。超回復というからには、相当なものか。
わからない。試してみたくなるが、流石にここでは駄目だろう。
﹁ありがとう、フー﹂
包帯を巻こうとポーチに手を入れかけたが、それをフーが制した。
﹁御礼はまだ早いよ。ついでに作っちゃったけど、これもどうぞ﹂
差し出されたのは、白色の装飾が施された黒い鞘。刀身を納める
ための道具。
もう一度﹁ありがとう﹂と言って、受け取る。収めてみると銀色
の刀身が見えなくなり、元々︿空想の剣﹀だった黒い柄が、鞘と上
手くかみ合ったような印象を受けた。
そのまま背中に持っていき、影で支えて吊るす。毎度感じること
だが、二メートルは大きい。少し斜めにしなければ背負えず、しか
し既に慣れているので問題は無かった。
﹁使わせてもらうよ﹂
﹁うん、私も使ってもらった方が嬉しい⋮⋮って、メールだ﹂
ごめんね、と謝り、フーがメニューを開く動作をする。メールを
見るようだ。
剣の柄を掴み、すぐに抜き出せるかどうかを確認しておく。
553
刃を見せ、戻す。そんな動作を三回ほど繰り返し、満足して手を
下ろした。
﹁⋮⋮え?﹂
フーが呆けた声を上げ、そちらに目を向ける。
有り得ない、とでもいう風に目を見開いて、固まっていた。
﹁⋮⋮どうした?﹂
声を掛けると、ハッとしたような顔をし、首を振る。
﹁な、なんでもない⋮⋮﹂
動揺していた。それは、何かがあった証か。
ひーちゃんが﹁師匠﹂と呼ぶが、彼女は一歩下がり、愛想笑いを
浮かべながら告げた。
﹁ちょっと用事ができちゃった。ごめん、さよなら﹂
走って出て行くフー。肩へと手を伸ばしたが、届かずに空を切る。
﹁⋮⋮どうしたのかな、です﹂
﹁わかんないけど⋮⋮良いことでは無さそうだ﹂
いつも通りの楽しそうな笑みでは無かった。つまり、そういうこ
となのだろう。
どうしようか迷っていると、ひーちゃんが口を開き、言った。
﹁追いかけましょう。師匠は時々唐突にいなくなりますので、私は
554
︿追跡﹀のコードスキルを覚えています﹂
頷き、先に出て行くひーちゃんを追いかけた。
速いとは言えない、小走り程度の速度。
しばらく経ち辿りついたのは、わふにゃ。
﹁いらっしゃいませ﹂
出迎えたのは、店長のストア。彼女に近付き、ひーちゃんは訊い
た。
﹁客ではないので、今は私語でお願いします。師匠を見ませんでし
たか?﹂
﹁わかりました。⋮⋮フーちゃんなら見たよ。っていうか、私がメ
ールで連絡したの。レンくんが確認したいことがある、って言って
たから、その間を取り持つ感じで﹂
﹁師匠はここに?﹂
首を振り、続きを語る。
﹁さっきまでいたんだけど、すぐに出て行っちゃった。何か、レン
くんにメールのことが本当か聞いてたみたい﹂
﹁どんなメールを送ったのか、一応聞いてもいいですか?﹂
ひーちゃんの問いに、ストアは思い出すように首を捻った。
﹁えー、と⋮⋮確か、新しいプレイヤーキラーに︿Nought﹀
って名前があったから、何かあったのかなって﹂
﹁︱︱﹂
555
絶句し、しかしすぐに冷静になろうと務めた。
そうだ。わかっていたはずだ。こういう事態になることは、わか
っていた。
俺はこの世界では、一度死んでいる。フーはそのことを知る数少
ないプレイヤーの一人で、だからプレイヤーキラーとなった俺の名
を聞いた時、彼女が何らかの反応を示すことを。
知られないはずがない。
﹁ありがとうございました﹂
三人で店を出て、歩く。
しかし、途中でひーちゃんの足が止まった。周囲を見渡し、溜め
息を一つ吐く。
﹁⋮⋮やられました。︿追跡﹀が反応しなくなりました。おそらく、
師匠のアイテムの効果でしょう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁手分けして探しましょう。私はマルクリの方へ様子を見に行って
みます﹂
去る彼女を見届けると、シノが口を開いた。
﹁私も離れて探した方が効率は上がる⋮⋮です。見つかったら連絡
ください、です﹂
﹁正体がバレたら、すぐに逃げろよ﹂
シノも、どこかへ行ってしまう。
俺も探そうとしたが、メールが届き、先にそちらを見ようと立ち
止まる。
名無しから。内容はたった二言で、﹃ギルド︿アルストプラス﹀
556
の廃墟。そこに、君達の探す彼女はいる﹄と。
557
3−21:自由と象徴のシブリング︻?︼︵前書き︶
更新超遅れてすみません。
558
3−21:自由と象徴のシブリング︻?︼
本当にいるか確認する。そんな思考を基に、武器製作の間に壊し
ていた建物へ向かった。
屋根の上を跳んで渡り、最短距離で。
建築物の残骸が並ぶ場所の前。そこに、立ち尽くすフーは居た。
﹁フー﹂
背後から声を掛けると、驚いたように彼女は振り返る。
﹁アヨンくん⋮⋮﹂
震える声。彼女は明らかに、何かに怯えていた。
﹁⋮⋮二人共心配してる。帰ろう﹂
ただそう言って、フーへ呼びかける。
二人へ連絡を取ろうと、メニューを開きかけた。だが、その手を
フーが掴んで止める。
﹁止めて、ほしい⋮⋮﹂
﹁でも﹂
﹁心配、されたくないから﹂
弱々しい声音。必死な様子の彼女を見て、連絡をする意思が揺ら
いだ。
手を下ろし、フーを見つめる。
559
﹁あり、がとう⋮⋮﹂
笑顔は、無い。愛想笑いさえ無い。
無言の空間が続く。
何もせず、何もない空気の中、俯いていた彼女が、不意に俺に寄
り掛かってきた。
頭を俺の胸に埋め、口を開く。
﹁⋮⋮私、ね。この世界で死んじゃった、ある優しい人の知り合い
なの﹂
黙って続きを促した。
﹁その人は私の、ちゃんとした初めての友達だった﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ずっとずっと友達ってものに憧れてて、だから、絶対大切にしよ
うって⋮⋮でも、その人は死んじゃったの。でも、最後に言ってく
れたんだ。私と居て楽しかったって。妹と向き合ってくれて嬉しか
ったって。私に、ありがとうって﹂
最後の言葉。確かに言った記憶は、ある。
覚えていてくれて、少しだけ嬉しく思った。気持ちが伝わってい
て、少しだけ嬉しく思った。
﹁だから、決めたの。彼が最も大切にしていた妹さんだけは、絶対
に守るって。大切にするって﹂
でも、と言う。
﹁できなかった。私との関係を断って、ただ一人で先に行く彼女を、
560
見ていることしかできなかった﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁私の決意なんて彼女の決意に比べれば、本当にちっぽけで⋮⋮結
局何もできないまま、彼と同じように、私の前からいなくなっちゃ
った﹂
鼻を啜るような音が聞こえ、泣いていることを理解した。
﹁何にも出来なかった。何にもしてあげられなかった。彼の残した
全てを無駄にして、彼女が傷付くのを止めることもできなくて﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁苦しくて、悲しくて⋮⋮私だけが、ただ渇望してた日常を謳歌し
てた﹂
最低だよね、と自虐の言葉を漏らす。
﹁彼が生きてるなら、きっと私を怨んでる﹂
﹁そんなこと⋮⋮﹂
﹁例え無いとしても、そんなの本人に確認してみないとわかんない
よ﹂
俺は怨んでない。そう言いかけたが、やめる。
今の俺は、ノートじゃない。アヨンだ。だから、言うことは出来
ない。言ってはいけない。
﹁怖いんだ⋮⋮。貰ったもの全部捨てちゃった私が、初めての友達
である彼に、また会うのが。折角嬉しいって言って貰えたのに、楽
しいって言って貰えたのに。全部無駄にしてる﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁合わせる顔なんてないよ、私⋮⋮﹂
561
スズを守るなんて、本来、フーが思わなくてもいいこと。だから、
フーは何も悪くないはずなんだ。背負うことなんてしなくてよかっ
たんだ。
そう言いたかった。だけど、彼女にとっては全てが違うんだ。俺
に託されたものを受け取って、その小さな心で必死に守ろうとして
くれていた。
それを否定してはいけない。その熱意を、無駄だったと否認して
はいけない。
でも、このままでは。彼女を苦しみに合わせたままなんだ。
俺のせい、なのだろうか。俺が、死に際にあんなことを言ったか
ら。
何も発さず、ただ死に絶えていれば、フーが重荷を背負うことは
なかったのだろうか。
わからない。歩まなかった、存在しない過去など。わからない。
だけど、俺が俺のせいだと思っているのは変わらない。
言わなければよかった。そうすれば、彼女は苦しまなかった。
そう思う。
後悔。
﹁⋮⋮思い出してみれば、私⋮⋮生まれた時から、人に迷惑しか掛
けてない﹂
﹁なに、言って⋮⋮﹂
﹁誰かのために何かをしてなんてあげられなかった。迷惑掛けた人
達に、何にも返すことができなかった﹂
私なんて、生まれない方がよかったんだ。
彼女の言葉に、何かを言い掛けた喉が詰まる。
俺は何も知らない。
彼女が何を背負っているか。彼女が何をどう思い、どう感じてい
562
るか。
だから、彼女を諭すことなんてできない。むしろそんなことをす
れば、彼女はもっと自分を責める。
人に何かをされてばかりだと。迷惑掛けてばかりだと。
でも。それでも。そうだとしても。
俺は彼女を︱︱。
﹁熱望していた世界の居心地が良くて、その気持ちを忘れてたのか
な﹂
思いも寄らない、男の声。
二人してその方向を向く。そこにいたのは、俺の依頼主。
︿Nameless﹀。名無し。
﹁現実に居た頃はいつも感じていた感情。忘れていたそれを、︿N
ought﹀の名を耳にし、思い出したってところか﹂
﹁何でお前がここに⋮⋮﹂
﹁君にここを示したのは僕じゃないか﹂
肩を竦め、やれやれとでもいうように首を振った。
﹁お兄、ちゃん⋮⋮?﹂
フーが呆然とした様子で、名無しへ視線を向けている。
不敵な笑みを浮かべ、彼は答えた。
えいな
﹁久しぶりだね、永奈﹂
元気かい? と笑う。
563
﹁⋮⋮どういうことだ﹂
﹁どうもこうもないさ。ただ単に、現実で僕達が兄妹ということな
だけだよ﹂
驚きながらも、少しの警戒を開始した。
信用はできない。信頼など、以ての外。
しかし気にすることも無く、彼は口を開く。
﹁夢にまで見た世界の居心地、どうだった?﹂
﹁わ、たしは⋮⋮﹂
﹁これでまた一つ、思い出したかな?﹂
笑みを深め、続けた。
﹁この世界がデスゲームになった時、僕はまだ能力を持っていなか
った。だけど、わかるよ。永奈があの時一体、どんな気持ちになっ
たのか﹂
﹁や、やめ⋮⋮!﹂
﹁当ててあげようか?﹂
デスゲームになった時に抱いた、気持ち。
フーは、意外と早くに鬼ごっこへ適応していたことは覚えている。
普通なら取り乱す場面で、しっかりと自我を保っていて。
焦る様子を見せるフーを余所に、言った。
﹁それだけは言わな﹂
﹁君は喜んだんだ﹂
え? と、思わず疑惑の声が漏れる。
どうして喜ぶ必要があったのだろう。
564
フーの様子からして、この言葉は真実だ。
あれは地獄の始まりで、本当の仮想現実の始まりで。
誰もが望まなかったことのはずだ。
なのに、何故。
そんな単語が、頭を占めた。
﹁絶対に手に入らなかったものが手に入ったから。時間、世界、感
覚、環境、体。既に失うしか無かった全てが手の中に﹂
﹁そんなの⋮⋮﹂
﹁嘘と、言い切れるのかな?﹂
フーの震えが増す。
何か、思い出したくないことを突きつけられるように。
﹁君は喜んだ。その事実は変わらないし、忘れられない。自分でも
わかっているからこそ、否定だって弱々しい﹂
﹁ちがう⋮⋮私は⋮⋮﹂
﹁違わないよ、永奈。君はこの世界が現実になったことに歓喜し、
時間が引き延ばされたことに歓び、人が大勢死んだというのに喜悦
をした。人の死を、地獄を。誰もが望まなかった世界を焦がれ、迷
惑を掛けるだけでは飽き足らず、人の死さえ踏み台に自分の幸せを
喜んだ﹂
﹁わたしは⋮⋮﹂
だって君は。
名無しは口の端を吊り上げ、言った。
フーの秘密。フーの抱えた、不運を。
﹁生まれた時から下半身が動かない、出来損ないだ﹂
﹁︱︱︱︱﹂
565
﹁︿Free﹀なんて名前を付けたのも、自由というものに憧れて
いたからなんだろう? それに確か、余命一ヶ月だったかな。未だ
抗生物質の見つからない未知の細菌に侵されていて、だからこそ三
〇倍の世界を誰よりも喜んで受け入れた。どこまでも人に迷惑を掛
けたまま死んでいくしかった意味の無い人生を否定し、受け入れた﹂
吃驚。
聞かされたフーの事情を耳にし、驚愕する。
﹃⋮⋮思い出してみれば、私⋮⋮生まれた時から、人に迷惑しか掛
けてない﹄
﹃誰かのために何かをしてなんてあげられなかった。迷惑掛けた人
達に、何にも返すことができなかった﹄
言葉の意味をハッキリと把握した。
自分をずっとずっと支えてくれた人に何も返してあげられず、死
ぬしかない。
意味の無い生を。意味のある世界を。
どうしようもない少しの悔しさで、歯を食いしばった。
﹁君は弱い﹂
﹁ぁ⋮⋮﹂
﹁何も知らずに生きてきた。何もわからず生きてきた。だから本気
の覚悟を前に何をすることもできないし、何も変えることなんてで
きない。誰かに守ってもらわなければ生きられないんだ、弱いから。
それが自分を苦しめると知っていて尚、誰かを頼るしかない。その
人に何も返してあげられることなどなく、害のみを与え、そんな自
分が嫌で嫌で仕方がない﹂
今回もそうだ、と名無しは告げる。
﹁自分で全てを捨てたくせに、怯えてる。目の前にいるアヨンへ弱
566
みを見せ、自らの心を保とうとしている。ノートと向き合うことが
怖くて、動くことすら出来ない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁いつまで被害者面しているつもりだい? 君はどう考えても、加
害者側だろう?﹂
その言葉を最後に、フーが胸から離れ、路地へ逃げ込んで行った。
瞳から流れ、宙を舞っていた雫が、地に落ちて染みを作る。
涙。
睨むようにして、俺は名無しを見据えた。
﹁⋮⋮自分の妹なんだろ? 追い詰めて、何のつもりだ﹂
﹁さて、ね。自分で考えてみたらどうだい?﹂
毎度と同じ、人をからかうような口調。彼の感情を読み取ろうと
注視しても、何も分からない。
名無しはただ、いつも通り笑みを浮かべているだけで。
確かに、少しだけ似ているとは思う。
二人共、いつも笑っている。ただ、その種類が違うだけで。
フーが楽しそうに微笑むのだとしたら、名無しは嘲笑う。嘲笑す
る。
凹凸な兄妹。
﹁それより、まだ︿Rin﹀の情報を渡して無かったね。
︿Rin﹀の初期職種は︿盗賊系統﹀と︿魔術系統﹀。主武器は
短剣で、二つ名を持っている。確信となることは言えないけど、他
に答えられることなら返してあげよう。何か、質問はないかい?﹂
﹁⋮⋮そんなものは無い﹂
露骨に話を逸らし出す相手に背を向けて、足を踏み出す。
567
路地の方向。フーが去ってしまった場所へ。
﹁永奈を探しに行くつもりかな? 残念ながら、︿天才﹀はそう甘
くは無いよ。本気を出した彼女は、そう簡単には見つけられない﹂
名無しの制止。顔だけ振り返り、言葉を返した。
﹁それでも俺は探す。だって、あいつが苦しんでるのは俺のせいか
もしれない。だから﹂
﹁罪滅ぼしのつもりかい? これまで何人も人を殺めてきた君が言
うことじゃないね﹂
﹁殺させてきたのは誰だよ。自分からは手を下さず、ただ壇上から
見ているだけのくせに。フーが加害者だとするなら、お前だって加
害者だろうが﹂
そうだね、と彼は肯定する。
﹁僕達は色んなものを犠牲にして、大切な何かを求める。人の命を
理不尽に踏み躙り、その先へ。
そう考えれば、永奈の言う迷惑なんて安いものさ。彼女は、ただ
不幸なだけだったんだから﹂
﹁⋮⋮お前は﹂
わからない。先程までフーを追い詰めていた人の台詞ではない、
と。
どうして今になって、庇うような台詞を言う。
本人の前で、同じような慰めをしてやればよかったのに。
﹁本当に、何を考えてるんだ﹂
568
本気の疑惑。その言の音さえ、﹁さてね﹂と言って、受け流す。
でも、と名無しは続けた。
﹁敢えて言うなら、将棋と言ったところだよ﹂
﹁将棋?﹂
﹁僕には戦う力なんて無い。だから駒を動かして、こちらが優位に
立てるように展開していくんだ。相手の駒を落とし、自軍の駒を犠
牲にして﹂
それが僕。︿解答者﹀だ。
いつも通りの不敵な笑み。それでも、少しだけ何かが違うような
気がした。
今の彼の言葉には、何か覚悟のようなものが含まれているみたい
な。そんな感覚。
彼にも、意志はある。
﹁⋮⋮ちゃんと、謝っとけよ。妹なんだから﹂
それだけ言って、俺は駆け出した。
◆◇◆◇◆◇
﹁はは﹂
小さく声を漏らし、壁へ寄り掛かる。
日が遮られ、代わりに影が差した。
569
﹁⋮⋮頼むよ、︿Nought﹀﹂
心からの声。
メニューを開き、フレンドの画面へ移動。
名前の一つを選び、コールを押す。
﹃何の用だ、︿解答者﹀﹄
まだ幼い、男性の声。鋭さが含まれる言葉に、名無しは調子をそ
のままに口を開いた。
﹁僕が君に連絡する理由なんて一つだろう? 害になるプレイヤー
キラーを見つけた。普段は姿を隠してるみたいで、少し搦め手を使
わないと誘き出せなさそうだ。逃げられてしまう可能性が高い﹂
﹃⋮⋮だから?﹄
﹁あるプレイヤーを囮に、誘き出す。そうすれば、そいつは逃げな
いはずさ﹂
名無しにとって、この世界は将棋と同じ。
駒を動かし、敵を攻める。駒を動かし、最適な戦法を算出し。
そして何よりも。王を守る。
今、全ては順調だ。
全て。
570
3−21:自由と象徴のシブリング︻?︼︵後書き︶
今回滅茶苦茶っぽいですね。滅茶苦茶ごちゃごちゃしてそうですね。
すみません。不自然な点とか指摘して下さると嬉しいです。
571
3−22:対話と急報のボルケーノ︵前書き︶
また遅れてすみません。
572
3−22:対話と急報のボルケーノ
﹁いない⋮⋮﹂
遥か上空。︿ラスモスキート﹀の翅を広げ、真下の街を見下ろし
ながら呟く。
︿ロックオン﹀により映る無数のカーソル。そこから必要な情報
を抽出する作業。夜の時計塔の街で、シノとアカリを探す時にもや
った、効率の良い総当たり。
見つからない。どこにも。
痛む頭を抑えながら、高度を下げていく。既に天気は夕方のよう
で、空が薄赤く染まっていた。
二人も、まだフーを探しているが、おそらく、このままでは埒が
明かない。
︿ケータイ﹀の連絡機能を使っても反応せず、ひーちゃんのコー
ドスキル︿追跡﹀でも居場所はわからない。更に加え、俺の最終手
段でも尻尾すら掴めないとなると、既に御手上げ状態だ。
﹁く⋮⋮﹂
頭痛によるものか。一瞬だけ視界がブレ、翅のコントロールが狂
ってしまった。
立て直すことができず、落下していく。
翅を再度動かそうとするが、反応が薄い。体もあまり上手く動か
なかった。
少し無理をし過ぎたかもしれない。
急激に近付く地面を見つめつつ、体の向きを変えた。
足が地面に来るように。
着地の直前に︿スキルコレクション﹀でも使えば大丈夫だろう。
573
翅を消し、着地に備える。
だが、それは無駄な行為だったようだ。
身体の周囲を白い輪が包んだかと思うと、落下速度が遅くなり始
める。
確実に怪我はしないような速さ。
地に足が付くと同時に、弾けるようにして輪は消えた。役割を果
たし終えたかのように、破片も残らず。
﹁大丈夫でしたか?﹂
後ろから掛けられた声にゆっくりと振り向く。
聞き覚えのある声。見覚えのある顔。
赤石知里。
現実とは違う、白色の髪と金色の瞳を携えた彼女が、心配そうな
顔でこちらを覗いていた。
少し驚いたが、冷静に対処しようと努める。
﹁貴女の魔法スキルかな? ありがとう、助かった﹂
誠意の籠った返答を意識した。
﹁いえ、礼には及びません。偶々目に入っただけですから﹂
﹁偶々目に入っただけなのに助けてくれるというのは、中々に大層
なことだと思うよ﹂
﹁そんな﹂
謙遜するように首を振る知里。そんな彼女から視線を外し、周り
へ張り巡らせる。
知里の弟である李解。あいつなら常に一緒にいるとでも思ったの
だが、見つからなかった。
574
﹁どうかしたんですか?﹂
あからさまに探し過ぎたのか、知里が疑問の言葉を発してくる。
﹁いや⋮⋮何だか貴女には、何かが足りないような気がしてね﹂
適当に誤魔化すために言った言葉。特に深い意味など無く、ただ
の、少しの本当を織り交ぜた嘘。
それに彼女は、露骨に反応を示した。
﹁⋮⋮わかりますか?﹂
顔に影を差した知里が、少し声音を下げて述べる。
やはり、何かある。
青葉も何かを隠していたような雰囲気だった。︿人壊し﹀にして
やられたということを言葉の隅に語っていたことだけは覚えていて、
でもそれ以外はわからない。
知里は瞳を閉じ、若干の後悔を滲ませた顔で、口を開いた。
﹁大好きで、大切な弟だったんです﹂
唇を震わせて、嫌な過去を思い出すように。
告げる。
﹁でも、私が不注意だったばかりに、全部、変わってしまった。私
がもっとしっかりしていれば、あの子が私の目の前からいなくなら
なかったかもしれない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ずっと側にいてくれるだけで嬉しいのに。ずっと変わらないでい
575
てくれるだけで良かったのに。それだけで、私は何よりも幸せだっ
たのに。⋮⋮あ、初対面なのにいきなりこんなこと言っても、わけ
がわかりませんよね。すみません﹂
ハッとしたように慌てて言い訳する彼女に﹁いや﹂と返し、﹁気
にしてない﹂と続けた。
﹃アヨン﹄が深入りしていい話題ではない。
それに、今の俺にはやるべきことがある。だから、もう。
﹁それじゃ、やらなきゃいけないことがあるから失礼する。色々背
負い込むのも悪くは無いけど、偶には我儘を言ってみるのも一興か
もしれないよ﹂
﹁ふふっ、そうですね。我儘⋮⋮大きくなってからは、全然言った
ような記憶がありませんし、ね﹂
微笑をする彼女を見届け、その隣を抜けて歩いていく。
﹁また会えたら﹂
﹁はい﹂
短い挨拶をして、互いにその場を離れた。
さて、どうやってフーを探そうか。
思考しようとするが、それを頭痛が邪魔をする。
少し、休まないといけないかもしれない。
このままでは探すものも見つからない。道の端に座れる場所を見
つけ、そこへ腰を下げた。
空を見上げる。
既に空は赤から青へ変わり始め、温度も急に下がり始めてきた。
暗くもなっているし、そろそろ︿ダークシャドー﹀の影も全開に
発動できる頃だろう。
576
﹁⋮⋮メール?﹂
唐突に響いた音に注意が向き、メニューを開く。
相手は︿Nemeless﹀。名無し。
今更何の用が。まさかこんな時に殺人の依頼か。
色んな推測を交えながら、メールを提示した。
﹃やあ﹄
名無しの声が、どこからともなく聞こえてくる。
音声メッセージ。
声を録音し、それを送るタイプのもののようだ。
﹃簡潔に言うよ﹄ 自分が今忙しいことくらい、相手はわかっているはず。なのにこ
のようなものを送ってきたことに少々の疑義を抱きながら聞き進め
た。
そして、自らの顔が驚愕に染まっていったのがわかった。
﹃永奈がプレイヤーキラー︿人斬り﹀に攫われた。連れ戻してくれ﹄
﹁⋮⋮!?﹂
﹃これが最後の依頼だ。これが終われば、君に︿Rin﹀がよく出
没する場所を教えよう﹄
混乱。どうしてこんなことになっている。状況が整理できない。
しかし時は、容赦なく進んでいく。
﹃今回の依頼に関してのみ、正体を明かすことを許すよ。もう全て
577
終わりだからね。
︿人斬り﹀がいる場所は、この街から北の火山。今の僕が言える
ことはそれだけだ。頑張ってくれ﹄
メールが終わった。しばらく呆然と立ち尽くしていたが、切り替
えるようにして、顔を北の方向へ向ける。
﹁場所は、この街から北の火山⋮⋮!﹂
確認するように強く呟き、立ち上がった。
足に影を収束させ、爆発。最寄りの建物の屋上へジャンプすると、
屋根を伝い、そのまま北へと駆け出した。
着地と同時に影を爆発させて加速し、またの着地と同時に影を爆
発させて加速。
落ち着こうと意識しようとも、上手くいかない。ただ、火山へ向
かうことしか考えられなかった。
早く行かないと。
屋根が無くなり、荒野が目の前に現れる。街を抜けた。地に足を
付いてすぐ、再び影の爆発による加速を始めた。
すぐに、砂の嵐が目前まで迫ってくる。
飛び込み、視界が無数の砂粒で遮られた。
それでも気にせず。いや、むしろ速さを上げ。ただ兎に角我武者
羅に前へ進んだ。
肌に直撃する砂が痛い。それも我慢し、走る。
やがて嵐を抜け、広大な砂漠が目の前に姿を現した。
遠くへ視線を張り巡らせ、見つける。小さく聳え立つ火山を。
その方向へ向け、影を爆発させて行く。
少しずつ。少しずつ。距離が狭まっていくのがわかった。
もっと、速く。
そう思ってはいるのだが、上手くいかない。それどころか、段々
578
と低速になっているような気もした。
気のせいだ。そう無理矢理にでも思わせ、足を動かし影を蠢かす。
あと、もう一キロも無い距離。地面もいつの間にか、砂から赤い
岩体へと変化していた。
視界が霞むの理解しつつ影を酷使し。やがてバランスが崩れ、体
が地面へと倒れてしまう。
投げ出された身体がゴロゴロと転がり、減速。止まった時には、
既に火山は目の前にある。
溶岩を垂らす頂上。赤い液体がそこらに滴る、現実には無いよう
な現象。
目的の場所がそこにある。だというのに、動けなかった。
朝にレベル的に少しの無理がある攻撃を二発撃ち、夕方まで街を
探索し続けた。更には先程、明らかに脳へ負荷が掛かるような人探
し行為まで侵し、影を限界にまで使う行動をずっとやり続けていた。
VITは確か、体力にも関係があるという項目があったような気
がする。その値へあまりポイントを振っていない自らの体に、影響
が出ないはずが無い。
疲労が激しい。
﹁⋮⋮冷静な判断⋮⋮できてなかった、か﹂
ようや
焦り過ぎて、シノとひーちゃんに連絡することすら忘れていた。
横たわり、漸く冷静さを取り戻してきた思考。それで、少しの後
悔をする。
今すぐにでもメールやコールを送りたいところだが、できない。
力を入れても、微動する程度。
それでも頑張って肉体を震わせる。状況は変わらない。それでも。
変わらない。
﹁⋮⋮⋮⋮何してるの?﹂
579
頭上からの、女性の声。火山へレベル上げにでも着ていたプレイ
ヤーだろうか。少なくとも、︿人斬り﹀だとは思えない。
﹁助けて、くれ﹂
有りっ丈の力を込めた、呻き。
誰でも良い。
誰でも良いから、助けてくれ。
﹁友達が、捕まってるんだ⋮⋮あいつがこんな、ことになったのは
⋮⋮俺のせいかもしれない。だから⋮⋮﹂
懇願するような声音。その間も体を微動させ、立ち上がろうと努
力していた。
頭上からの声が、止む。
代わりに、冷たい液体が体へ掛けられたことを悟った。
体に、力が戻ってくる。
ゆっくりと、しっかりと。立ち上がり、霞んでいた視界が元に戻
っていくのを認識した。
﹁これは⋮⋮?﹂
﹁ハイスタミナポーション。隠しステータス、スタミナを回復させ
る﹂
声の方向へ目線を移動させると、その主の姿が明らかになる。
灰色のローブを纏い、フードで顔を隠した少女。フードの間は真
っ黒になっていて覗けない。シノの場合は口元が見える形なので、
おそらく、見えない仕様のローブということなのだろう。
よく見ればローブはボロボロで、所々が黒く染まっている。現在
580
は黒に近い灰色であるが、本当は普通の灰色だったのが簡単に予測
できた。
そして、どこか棘のある空気。いや、まるで何者にも興味を示し
ていないような、雰囲気。
だが、今はそんなものに気を取られているような暇は無い。
﹁ありがとう。助かった﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言で去ろうとする彼女へ、御礼を言った。
一度立ち止まったようだが、また歩き始める。
方向は西だった。
﹁⋮⋮本当に助かったよ﹂
アイテムストレージから︿ケータイ﹀を取り出し、シノとひーち
ゃんの二人へ現在の状況を整理してメールを送った。
返事を待つことをせず︿ケータイ﹀を仕舞い、火山の頂上を見上
げる。
フーを連れ戻さないと。
581
3−23:後悔と宣誓のパストフォールト︻?︼
足の裏へ影を集め、爆発させた。
壁のように聳える崖へと着地する。少々の衝撃で岩が飛び散るの
を感じながら、︿ラスモスキート﹀の翅を生やした。
もう一度影を爆発させ、翅で密着するようにして崖を垂直に駆け
昇る。
本来は回るようにして進むフィールドステージのようで、しっか
りとした道筋は用意されていた。だが、生憎とこちらは急いでいる。
道無き道を走るのに戸惑いは無い。
そこに危険があろうと。
背後から、何らかのモンスターの咆哮が聞こえてきた。その迫力
から、自分より上位のモンスターだと把握する。
剣を抜きながら片目だけを向けるようにし、相手の姿を視認。
赤い鱗を備えたドラゴンだった。︿ロックオン﹀で確認できる名
は、︿レッドドラゴン﹀。
鋭い牙が生え並ぶ口を少々開け、僅かな炎を漏らしている。腕の
爪や足の爪も牙に並んで強力そうだ。こちらからしては大きな赤い
瞳を向けてきており、戦闘する気は満々のようだった。
接近してくるドラゴンを見据え、影の爆発により移動する方角を
変更する。
竜の顔に向け、跳ぶ。
互いに詰め寄ろうとしているからか、すぐに距離は縮んだ。
口内を見せ、牙で喰らわんとしてくる竜の攻撃を、翅で方位の修
正を行うことで避ける。
剣を突き立てようとしたが、相手の攻撃は続いた。巨体に見合わ
ぬ俊敏さを見せ、縦の一回転で尻尾を振り下ろしてくる。
︿スキルコレクション﹀。
腕と刃へ、全てのTPを払って補正を掛けた。影も同じように強
582
化用に纏わせ、より強くさせる。
横薙ぎに振るい、竜の尾を切り裂く。
剣の幅が足りなく、完全に分断することは敵わなかった。それで
も尻尾の攻撃を回避することができたので、よしとする。
痛みに小さく呻く竜を目にし、翅へ影を纏わせた。
相手の頭へにじり寄り、切っ先を下にし、振り下ろす。
瞳を貫かれた竜が絶叫を上げた。
暴れる竜の頭上へ足裏を付け、剣を掴むことで体を固定させる。
そのまま刃を押し込むように力を入れていくと、次第に抵抗が弱ま
ってきた。
完全に動かなくなり、落下が始まったところで、クラススキル︿
融合﹀を発動する。
自分の肉体が竜の体へ、ゆっくりと沈んでいった。一体化するよ
うな感覚に身を任せ、浸食する異物を受け入れる。
いつの間にか閉じていた目を開けてみれば、目の前には地面。頭
の上には︿ラビットスライム﹀のウサギが乗っていた。
﹁︱︱グゥガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!﹂
決して人の物では無い叫びを上げて、翼を広げた。
目指すは火山の天辺。そこにきっと、︿人斬り﹀は居る。
︿融合﹀により手に入れた竜の体。懸命に慣らしつつ、羽ばたい
た。
段々と速度を上げていく。
何度か他のモンスターに見つかってしまうが、こちらも今は同じ
地域のモンスターだ。加速を続ける自分が追いつかれることは無く、
次第に頂上が近付いてきた。
溶岩の流れる音が耳に届く。温度もかなり上がってきていた。
︿ロックオン﹀を発動させつつ目線を色々な場所へ移し、探す。
反応があった。カーソルは、二つ。
583
溶岩に囲まれた平地が示されている。
そこへ急降下しながら、︿人斬り﹀と思われる方の人物へ炎を吐
いた。
﹁︿竜翼﹀﹂
微かに呟かれた声音は、男性のもの。
炎を吐いた方のプレイヤーの背中から翼が飛び出し、自らを包ん
だ。
炎熱に耐え、火が止むと、翼を引っ込める。
ただ、こちらを見据えていた。
﹁︿適合﹀﹂
今度は己の声。竜の肉体が縮んでいき、本体である俺の体へ取り
込まれていく。
体が、二つのカーソルの間へ落下した。
その頃には完全に︿適合﹀は終わっている。落下により舞った煙
を︿天宝の法剣﹀で切り払い、左肩にウサギを乗せる。
﹁アヨンくん⋮⋮何で⋮⋮﹂
﹁探したぞ、フー﹂
目だけを向け、口に出した。
うつ伏せに倒れながら、驚愕した顔を浮かべている。
﹁ウサギ、フーを頼む﹂
肩から離れるウサギを見届け、もう一つのカーソルの人物へ意識
を向けた。その時にフーのカーソルは外しておく。
584
青色の装飾が施された黒い服を纏う、黒い髪に青い目の少年がい
た。随分と見覚えのある顔を備え、刺すような視線で俺を注視して
いる。
﹁お前が︿人斬り﹀か﹂
赤石李解。現実での、最後の知り合い。
片手に赤い剣を携えた彼が、口を開く。
﹁ああ、そうだ﹂
鋭い声音。肯定。
いつでも対応できるように、剣の柄をしっかりと握った。
﹁どうしてフーを攫った。どうして何もしなかった。俺が来るまで
の間に、楽に殺せたはずだ﹂
﹁僕の目的は︿天才﹀じゃない。そんなものに興味は無い。僕の目
的⋮⋮いや、標的は一人。お前だ﹂
疑問への回答。それに驚きながら、疑惑の声を漏らした。
﹁俺⋮⋮?﹂
﹁害となるプレイヤーキラーを排除しろと依頼された。お前の正体
がそれであるため、︿天才﹀を人質に誘き出せと﹂
依頼。俺を殺す、依頼。
一体誰が出したとか、そんなものを考える必要は無かった。
アヨンの正体を知るのは一人。
︿Nemeless﹀。名無し。
不可思議な事態に混乱する。
585
あいつはフーを追い詰めていて、その後に庇護するようなことを
俺だけに言った。そして俺への依頼、フーを救出すること。だけど
フーを攫ったのは名無しの命令で、その目的は俺を殺すこと。
わけがわからない。名無しは、一体何がしたいんだ。
﹁だから殺すのか? 俺を?﹂
﹁そういう契約だ。送られる殺人の依頼を僕がこなし、その対価と
して、大ギルド︿黎明ノ黒鍵﹀へ危害を及ぼすであろう者達の情報
を提供してもらう﹂
﹁そいつらも殺すのか?﹂
﹁勿論。普通のプレイヤーもプレイヤーキラーも関係無く、ただ殺
す。それが︿人斬り﹀、僕だ﹂
﹁⋮⋮姉のためか?﹂
最後に小さく呟いた言葉が聞こえたようで、驚愕したような表情
を李解は浮かべた。
しかし次の瞬間、鋭さの増した瞳で、射抜くように睨んでくる。
﹁何故知ってる? まさか姉さんを﹂
﹁何もしてないよ。ただ、君達四人の関係性は知っている。それだ
けだ﹂
四人。青葉、知里、燕、李解。
人数を当てられれば、流石に関係性を知っているということは信
じなければならない。
﹁︿人壊し﹀との間に何があったかは知らないけど、な!﹂
︿人壊し﹀の名を出した瞬間に突撃してきた李解。振られる刃を
一閃し、弾いた。
586
続く相手の二撃。リーチはこちらの方が上だが、速さは圧倒的に
相手が勝っている。だから、相手の方が攻撃は速くなる。AGIの
補正の違いもあるのだろう。
白い粒子を纏った刀身が横薙ぎに振るわれた。
脳裏にスキル名が出ないことに驚きつつ、︿スキルコレクション
﹀を扱い、同じように粒子を纏わせて対応する。既にTPは剣の効
果により満タンとなっていた。半分のTPを使用した斬撃で何とか
相手の剣閃を防ぎ、そのまま二つの刃は拮抗する。
鉄の音を鳴らす、鍔迫り合い。
﹁あいつだけは許さない。絶対に、許さない﹂
決死の声。
白い粒子に影を追加し、何とか押し返す。
だが、返された勢いのまま一回転し、逆側からもう一度横薙ぎに
払ってきた。体を後ろに逸らしてギリギリに躱し、相手と同じよう
に勢いに乗って、蹴りを繰り出す。
バックステップで避けたようで、空振りをした。
﹁姉は、自分のせいだって嘆いてたけど﹂
﹁違う。姉さんのせいじゃない。僕達の⋮⋮僕のせいなんだよ﹂
距離を取り、二人同時に剣を構え直す。
今のは小手調べだ。実力の上限を計る、小手調べ。
互いに、本気を出すべき相手だと判断した。
そして、これまでに無いほどのスピードで回復していたTPを意
識し、少しだけ感嘆する。
既にマックスとは、非常識にも程があった。だが、有り難い。
李解と戦うのであれば、これくらいでなければ生き残れない。
587
3−24:後悔と宣誓のパストフォールト︻?︼
﹁僕は元々︿黎明ノ黒鍵﹀に所属していた﹂
︱︱︿ショックウェーブ﹀。
相手の剣から発せられる衝撃波。それを影を纏わせた刃で切り裂
き、相手の姿が先程までの場所にいないことを把握する。
いつの間にか懐に潜り込まれていた。
﹁四人で楽しくやっていた。最後の友達を探しながら、こんな世界
でも元の世界みたいに生きていけていた﹂
顔面へ突き出される切っ先を横にズレることで何とか避ける。け
れどその動作に集中したせいで他の動きが疎かになっていた。
足を払われ、地面に背中が付いた。
上がった剣が振り下ろされる。
﹁相変わらず青葉のやつはムカついてたけど、安らぎの日々だった
んだ﹂
わざ
両腕を︿デイドリームウォーリアー﹀のものへと変えて態と二つ
の腕を貫かせた。
頭へ届く前に刃を止める。
そのまま蹴り上げようとしたが、剣を抜いて後ろへ下がってしま
ったためにできなかった。
立ち上がると両腕が砕ける。一つずつ穴を開けた血を流す人の腕
が現れた。
これでしばらく︿デイドリームウォーリアー﹀の両腕は反映させ
られない。
588
﹁だけど、変わってしまったんだ。︿人壊し﹀の策略で、全部﹂
後方へ下がりながらメニューを呼び出し、アイテムストレージか
らハイポーションを実体化させた。
当然、簡単に回復を許してくれるはずが無い。コードスキル︿シ
ョックウェーブ﹀により発生する衝撃波が三つ、己の身へと迫り来
る。
それをジャンプすることで回避してハイポーションを口内へ流し
込んだ。
直後、︿竜翼﹀を使用した李解が目前にまで肉薄し、白い粒子を
帯びる剣を振り回してくる。
六割ほどのTPを消費し、右手と︿天宝の法剣﹀を白い粒子に包
ませた。影の補助も付加させて李解の剣へ対抗する。
火花を散らし一瞬だけ拮抗した。けれどこちらは片手。剣の心得
の無い自分がそれのみで鍔迫り合いなんてできるわけがない。
勢いのまま地面へ押し返された。
﹁あいつは姉さん以外の僕達三人と有数の人物を﹃攻略会議﹄と言
って呼び出し、ギルド内に、自分の端末と反逆を企てていたプレイ
ヤー。そして、戦えない生産職や支援職だけが残るように仕向けた
んだ﹂
それでもハイポーションはもう飲み切っていた。両腕の穴は既に
塞がれている。
空になった瓶を捨てて両足でしっかりと地へ着地した。
李解の方を見上げれば追撃の手が伸びてきていたのが認識できる。
白い粒子。いや、白い光。それを纏わせた剣を大振りに構えて攻
勢を示してきていた。
対抗するために残り全てのTPを腕と剣に包ませる。周囲の影さ
589
え取り込んだ影の補助も付加させ、全力を込めた。
﹁結果は簡単に予想できた﹂
同時に振り抜かれた剣の刀身が激突する。
激しい火花と音を散らした鍔迫り合い。
足を付ける大地が陥没するほどの衝撃を発生させながら切り結ん
でいた。
﹁人が沢山泣いた! 悲しんだ! 男は容赦無く殺され、女は四肢
を切断されて慰み者にされた!﹂
吠えるように言葉を発する李解が剣を力強く押してくる。
負けないようにこちらも押し返そうと歯を食いしばった。
﹁僕達が帰った時には手遅れだったよ! 何にも出来なかったんだ
! 最初から怪しかったのに僕は何も疑ってなくて! だから死ぬ
程後悔して!﹂
だが。徐々に。少しずつ。俺の方が押し返されてくる。
このままではやられる。
そう判断して刀身を斜めにズラした。
それに沿うように相手の刃が流れていく。そのまま地面に振り下
ろされた刃は巨大な切り傷をそこに残した。
追撃をしようと剣を振るうが着地した相手は素早く対応してくる。
鋭い一閃でこちらの刃を弾き、回し蹴りを繰り出してきた。
﹁姉さんも同じだった! だからあの時あの場所で、僕が全員殺し
てやった! 沢山血を流して、まるで海みたいに沢山流させて!﹂
590
避けられずに食らってしまう。吹き飛ばされた体は一〇メートル
ほどで地に付き、そのまま剣を地に刺して慣性を殺した。
それを抜く頃に目前に剣閃が迫っている。
間一髪で弾き返して蹴りを入れた。影の補助付きの蹴りだ。今度
は相手が吹き飛ばされ、先程の自分と同じように地面へ刃を突いた
格好で減速する。
﹁その時、思ったよ⋮⋮僕は狂ってるって。こんなに人を殺したの
に、何にも感じないんだって﹂
声音を下げた言葉を言いつつ李解は大地に立てていた剣を引き抜
いた。
距離のある位置で互いに剣を構える。
﹁姉さんは生きてた。でも、そんなの関係無い。全部手遅れだった
んだから。なのに姉さんは痛々しいほどに謝ってきて、ごめんねっ
て言ってきて。それが辛かった﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁だから、決めたんだ﹂
急激な加速。刀身に白き光を漂わせ、足を踏み出してきた。
既に一杯となっているTP。その七割を剣身に費やして影の補助
の全てを腕に回す。
俺と李解の剣が衝突し、火花を散らした。
そのまま膠着状態になる気は無く、剣を斜めにズラして相手の剣
閃を受け流す。そして後方へ下がりながら突きを繰り出した。
リーチはこちらの方が上だ。退きつつ切っ先を向けたのなら俺の
攻撃のだけが当たるようになるはずだ。
しかし、そう甘くは無いようで。引き戻された剣で弾かれて攻撃
を逸らされる。
591
完全に剣を受け流した後だったのに何故反応できたのだろう。抱
いた疑問は彼の持つ剣が纏う光を見て解消された。
未だ強い白き光を放つ剣。一度目の打ち合いでその効力が失われ
ていない。
弾かれた剣を手元に戻す。
﹁害となるかもしれない人間を、全員殺そうって﹂
振られる剣閃。白光を帯びる一撃。
この攻撃は︿スキルコレクション﹀の補助が無ければ受けること
は難しい。連続で切り結ぶことは不可能だ。
影の補助を足へと回し、出来る限り受け流しつつ刃を避ける。舞
うように放たれる連撃を際どい状態でいなしながら耐え続けた。
﹁守る必要が無いくらい。狙われることすらないように。害虫の全
部を僕が駆逐すれば、何もかも丸く収まる。姉さんは無事で済む﹂
一際強く李解の刀身が輝きを発し始める。神々しいまでの強き光
沢。
﹁例え取り逃したとしても、姉さんの傍には、大嫌いで大嫌いで仕
方が無い、青葉がいる﹂
避けられない。そう判断して自分も全力を一撃に込める。
万端のTPを残らず︿スキルコレクション﹀で消費して刀身を粒
子で包ませた。外側の影を限界まで吸収し、腕へと収束させた。
まだだ。足りない。
︱︱︿インストール﹀。
両腕を︿ファンタジーソルジャー﹀のものへと変化させ、柄をし
っかりと握り込む。
592
﹁全ては姉さんのため。全ては、僕の大好きな人のため。僕は人の
矜持を捨てる。僕は、人の名を冠する﹂
互いに剣を振り切った。
鳴るのは甲高い金属音。何かが爆発したような激しい音。大地が
沈む陥没音。
狂暴なまでの三つの音響が重なった、競り合い。鍔迫り合い。鬩
ぎ合い。
﹁僕が、︿人斬り﹀だ﹂
言い切ると同時に相手の勢いが増した。
より強く光を帯びる。
弾くことは出来ない。こちらの力が相手を上回っていないから。
受け流すことは出来ない。下手に逸らそうとすれば、一瞬で斬ら
れてしまう。
蹴りを繰り出すことは出来ない。今、俺は体全体で相手の攻撃を
耐えている状態。だからそんなことをすればやられてしまう。
手詰まり状態とはこのことだ。
だが、それは相手も同じこと。弾けないし、受け流せない。蹴り
は繰り出せないし、このまま押し返すために全力を尽くすしかない。
﹁良い覚悟だな。大好きな人のためでありながら大好きな人の望ま
ないことをして、大好きな人の幸せのために、自分勝手に自らの人
生を捨てる。本当に、立派な決意だ﹂
口を開き、会話をする。発した言葉に李解が少しの驚嘆を見せ、
返答した。
593
﹁⋮⋮へえ、肯定するのか。てっきり正義感か何かを振り翳して否
定してくるのかと思ったけど﹂
﹁プレイヤーキラーにそんなこと言うやつは滅多にいないだろ。そ
れに、俺もお前と同じだから﹂
同じ? と、力を緩めずに問い掛けてくる。
﹁妹のためなら何でも出来るし、妹のためなら全てを懸けられる。
化け物にだってなってみせるし、人だって幾らでも殺す﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁全ては大好きな義妹のために。全ては大切な義妹のために。そう
して生きて、自分の人生を棒に振ることさえ戸惑わない。そうして
歩み、犠牲を生みだすことに戸惑わない。そんな馬鹿な決心﹂
﹁⋮⋮お前は⋮⋮まさか﹂
僅かな意表。小さくみせた隙に割り込むように剣を押し込んだ。
油断するな、と伝えるように。
﹁知ってる。全部、俺も知ってる。お前の気持ちも、決意も、何も
かも。わかるよ俺なら﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁だから言ってやる。お前の姉は、お前のやっていることを望んで
いない﹂
李解の剣の威力が上がった。それに合わせ、足が摩擦を発生させ、
少し後ろへ下がる。
﹁そんなのわかってるよ。お前も姉の望まないことをしてるって言
ってただろ﹂
﹁違う、お前は何も分かってない。わかったつもりでいるだけだ﹂
594
刀身を纏う白い粒子が弱まり始めたことを視界で確認し、溜まっ
ていたTPの全部を︿スキルコレクション﹀へ回す。
こちらが負け掛けていたが、また膠着状態へ戻った。
相手の剣の光は弱まることを知らない。おそらく李解の持つ能力
によるものでMPやTPを消費するタイプでは無いのだろう。
﹁ついこの間までは俺もそうだった。わかったつもりでいたんだ。
相手が望んでいないことを理解してたつもりで、自分の歩む道の先
にあるものを求めていた﹂
でも、シノの抱く感情を目の当たりにして。
気付いてしまった。
自分のしていることは、相手を傷つける行為だと。
﹁お前のしていることが間違ってるとか、正しいとか。そんなもの
はどうでもいい。だけどこれだけは知っておけ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁お前の姉は、幸せじゃない。むしろ、不幸の絶頂だ﹂
シノは、俺のためなら命さえ懸けられると言ってくれた。
それが俺は、とても痛々しく見えて。悲しく思えて。悔しく感じ
て。
でもその決意は、自らの内にあるものと同じで。
シノは、俺と同じ気持ちを抱いていたんだ。
狂った激情を持つ俺が、痛々しくて。悲しく思えて。悔しく思え
て。
﹁幸せじゃ、ないんだよ﹂
595
どうしてこんなことになってしまった。どうして。
自分はこんなことを望んでいたわけじゃない。願っていたわけじ
ゃない。
変わりたい。変えたい。だけど変えられない。
こんなの、嫌だ。
﹁だったら、どうすればいいって言うんだよ⋮⋮!﹂
音量を上げ、叫ぶように。何かを頼るように李解は吠える。
﹁僕が︿人斬り﹀の覚悟を捨てれば姉さんが苦しむかもしれない!
守れないかもしれない! なのにどうしろっていうんだよ!﹂
暴力的で、懇願するような問い。
静かに答えを発した。
﹁姉の元に会いに行け。そして話をするんだ。それだけでいい﹂
﹁戻れるわけないだろ⋮⋮! 僕はもう、後戻りなんてできないん
だよ! 僕はもう僕じゃなくて、︿人斬り﹀なんだから!﹂
強烈な批判。否定。
当然だ。そんなことができるなら、とっくにしているのだから。
だけど。
﹁黙れ﹂
俺は、言う。
﹁いつまで大切な人を見下すつもりだ。いつまで大好きな人の気持
ちを考えないつもりだ﹂
596
喚き散らしていた李解を睨んだ。
﹁後戻りができない? 僕は僕じゃない? そんなの相手にとっち
ゃ関係ないんだ。相手にとってお前はいつまでも大好きで大切な弟
なんだよ。
大好きな弟が傷付いてるのに、どうして幸せになれるんだ。大切
な弟の人生を棒に振らせてしまってどうして幸せになれるんだ。
お前が姉の傷付くところを見たくないように姉もお前の傷付くと
ころを見たくない。わかってるはずなのにわかってない。お前が自
分の姉を苦しめてる。
危ない道を渡る弟なんて、お前の姉は見てられないんだよ﹂
大切な人が傷付く姿を見たくない。当然の心理だ。
そんなの自分が一番わかってるはずなのに。
相手の心情も理解せず、相手のためと偽って。
怖いだけなのに。
大好きな人に自分が否定されるのが。大好きな人が傷付くのが。
自分がそうなることを怖れてるだけなのに。
﹁俺がいれば姉が苦しむ? だからどうしたっていうんだ。知里な
ら言ってくれる。大好きで大切な弟のためならそんなの幾らでも耐
えられるって。
お前も同じだろ。大好きで大切な姉のためならどんな傷だって負
おうと構わない﹂
だからこうして︿人斬り﹀になった。
﹁知里は言ってたよ。﹃ずっと側にいてくれるだけで嬉しいのに。
ずっと変わらないでいてくれるだけで良かったのに。それだけで、
597
私は何よりも幸せだったのに﹄﹂
大好きな人を自分が不幸にしてどうする。
姉の幸せを望んだのに。姉の笑顔を望んだのに。
真反対のことをしている、お前は。
﹁もう一度言う。相手を傷付けるとか、迷惑を掛けるとか。そんな
のはどうでもいい。
会いに行け。大切な姉へ。知里の元へ。そして話をするんだ。そ
れだけでいい﹂
そこで言葉を止め、目の前の鍔迫り合いのみに集中した。
切れかけていた、︿スキルコレクション﹀の効力。TPを消費し
て追加しようとした瞬間、相手に押し切られる。
斬られはしなかったが、蹴りを食らわされ、距離を取らされた。
﹁⋮⋮わかりましたよ、零都先輩﹂
切っ先を下げ、李解は立ち尽くす。
﹁やっぱり先輩は格好良いですね。青葉なんかよりずっと尊敬に値
します。今だって、僕の及ばないところを的確に指摘してくれまし
た﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁でも、ですね﹂
剣の柄を両手で掴み、その切っ先を、俺の予測しない方向へ向け
た。
己の腹。
そこへ、剣を突き刺した。
598
血が沢山噴き出たのに、まるで気にしていないかのように、抉る。
﹁そう簡単に、割り切れないんですよ⋮⋮﹂
︱︱︿ラストゲーム﹀。
剣を引き抜き、李解は再び構えた。
﹁僕はガキですから、怖いんです。それから、これまでしてきたこ
とが簡単に否定されるのが少し許せないんです。だから、貴方が連
れて行って下さい﹂
俺も呼応するように、︿天宝の法剣﹀の柄を力強く握り締める。
﹁僕に勝って、姉さんのところまで引き摺って行ってくれませんか
?﹂
﹁︱︱元よりそのつもりだよ、李解﹂
599
3−24:後悔と宣誓のパストフォールト︻?︼︵後書き︶
こういう話はシラけやすいものだと理解しています。
なので、不自然な部分の指摘とか、展開の駄目な部分の指摘とかあ
れば、遠慮なく書いてくださると幸いです。
普通の感想も嬉しいですので、気軽にお願いします。
600
3−25:後悔と宣誓のパストフォールト︻?︼
とは言ったものの、どうしたものか。
正直、これまでの戦闘もかなり厳しかった。
今までは影の補助を主体として、︿スキルコレクション﹀は足り
ないものを補うために利用してきたが、先程までの戦闘は違う。︿
スキルコレクション﹀を主体とし、馬鹿みたいな量のTPを費やし
て対抗していた。
︿ファンタジアオルガニズム﹀の光線を防ぐための一撃︱︱つま
り、あの時点での全力以上の威力を持つ剣戟を幾らも繰り出してい
るはずなのに、それでやっと互角。いや、こちらの方が少し押し負
けていたか。
光線以上の攻撃力を携える刃を幾度となく振るうその姿は、正し
く︿人斬り﹀だろう。青葉もスキルで押し返せてはいたが、それを
李解並みに連続で繰り出せるわけじゃない。
﹁一応教えておきます。僕の能力は︽剣ノ心得︾。MPもTPもス
タミナも消費せず、刀剣の類へ任意でスキル補正を掛けられるとい
う効果です。
先輩も同じように行動へ付加する類のスキルを持ってるみたいで
すね。どう考えても僕の方がレベルが上なのにこちらの攻撃に耐え
られることを考えると⋮⋮そちらの方が強力な補正を掛けられるみ
たいです﹂
﹁だけどお前は﹂
﹁はい。︿ラストゲーム﹀を使いましたから僕の方が上回ったでし
ょうね。今までも倒せない対象はこれを発動させて殺してきました。
相手が同じスキルに覚醒しないよう、迅速に﹂
︿ラストゲーム﹀。おそらく、プログラムコードプレイヤーシス
601
テムの効果を強化するスキルだろう。
俺も一度、アカリとの戦いで扱ったことがある。その時は明らか
にその時点での限界を越えた影の力を発揮し、肩から腕を生やすと
いう能力のルールを度外視する行為ができた。当時自由階層並みだ
ったはずの俺が、アカリを追い詰められるほどの力を見せて。
油断は絶対に出来ない。最大限まで集中して、全力全開で対応す
るしかない。
︱︱︿ロックオン﹀を一時的に一点集中状態にし、他の注意を断
つことでランクを上昇させますか?
﹁︱︱﹂
視界が狭まるのが、わかる。
見えるのは一つ。観えるのは一つ。視えるのは一つ。
赤石李解。
その挙動。その動作。一片の逃しも無く、全てに意識を割きなが
ら、全てに集中をする。
﹁五分以内に、終わらせる﹂
刀身へ、先程の鍔迫り合い時と同程度の白光を纏わせ、踏み出し
てきた。
︿スキルコレクション﹀を利用し、TPを半分程消費してこちら
も刃へスキル補正を掛ける。
正面から受けても勝ち目は無い。受け流すことだけに集中を。
そう思っていたのだが、言いようの無い寒気を感じて瞬時にその
場から飛び退き、李解の振るう空振りする剣を注視した。
尋常では無い速度。まるで、本物のスキルと言えるほどの速さで、
剣は振られる。
それを観察し、理解した。
602
これまでは、俺の︿スキルコレクション﹀も、李解の︽剣ノ心得
︾も、ただ剣へスキル並みの威力を補正として追加させていただけ
で。
今は違う。
李解の︽剣ノ心得︾は、完全に、全ての剣技をスキルへと昇華さ
せている。
こちらへ再び駆けてくる相手を見据え、思案。
剣速はスキル並みに上昇しているようだが、肉体のスピードはそ
のままのようだ。
イメージをなぞるように剣が動いているという仕組みだと予測す
る。
受け流し続けるのは現実的では無い、か。
ならば、どうすればいい?
勝つ。
勝つために。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
思考しろ。考えろ。
まず考察すべきは一つ。どうやって相手の攻撃を耐えればいいの
かの、一点。
このままでは数分と持たずにやられる可能性がある。だから、時
間稼ぎができるくらいの方法が、欲しい。
剣を、見る。
未だ白い粒子が纏われていた。これは、︿ラストゲーム﹀発動後
の李解の初撃を避ける前から掛けてあった、補正。
次にTPを確認する。
︿TP超回復﹀の名の通り、数秒しか経っていないのに八割程ま
で復元されていた。
もし。
603
もし、TPを追加して付加できるなら。
剣同士の激しい拮抗時は、李解に弾かれて終わらされた。つまり、
相手にはそれだけの力があの時点で備わっていたということになる。
それならば、こちらの力が多少上昇していても誤差の範囲だった
はずだ。
何度かあの時、こちらは︿スキルコレクション﹀の効果が切れか
けた。だから追加で付加していたが、もしあれが、本当に足されて
いたとしたら。
一度目のスキル発動時間が二度目のスキル発動時間に上書きされ
るということは無い。そうであれば簡単に李解を押し返せていた。
だから、この予想も試してみなければわからない。
スキルの効果を、二重に掛けられるか。
﹁︿スキルコレクション﹀﹂
既に白い粒子に包まれている刃へ、もう一度、今度は残り全ての
TPを付加させた。
粒子が刀身を巻くように帯び、やがて、白い光へと昇華する。
それを俺は、驚嘆の視線で見つめた。
﹁余所見してる暇なんて無いですよ!﹂
振られる、李解の剣閃。同じように俺も振り回し、相手の剣を何
とか受け流す。
やはり。
やはり、効果が足されていた。
白光が消えていくのを見て、更に分析的思考を展開する。
︿スキルコレクション﹀の効果切れのタイミングは二つ。一つは
時間切れ、もう一つは、一度の動作が終了した後。
二重に掛けた場合、一つ目の効果切れは別々に行われる。だが、
604
二つ目の効果切れは同時に行われる仕組みのようだ。
つまり、︿スキルコレクション﹀を二重以上に掛ける時は、その
間に、補正を掛けた部分を一定の動作に利用してはいけないという
こと。
バックステップをし、李解の二撃目を避ける。
TP全損からここまで約二秒。TPへ意識を向けると、六割程ま
でゲージが取り戻されていた。
一秒毎に三割程度。それが、回復速度みたいだ。
なら。
一秒毎に三割、スキル補正を掛け続けることはできるのだろうか。
試してみる価値はある。
﹁︿スキルコレクション﹀﹂
持続的に発動。そう意識し、発現させた。
一秒毎に三割。一秒で三割ではなく、一秒経つまでに三割分掛け
られる構造を。
刀身が白い粒子で覆われ始め、次第に、それが強くなっていくよ
うだった。
成功。
影の補助を足へ全開まで掛け、これで時間稼ぎすることに決める。
影の補助で避けることを主体とし、絶対に避けられないものだけ
を、補正を掛けていた剣で弾く。
いずれ、すぐに破られるだろう。だが、相手を打ち破るための策
を練るのは、その程度の時間で十分だ。
李解の剣戟を見極め、まさに紙一重という部分で避けていく。余
計な力はいらない。次を避けやすくするために、もっと。
﹁二連撃﹂
605
一度振られたスキルそのままの補正が掛けられた剣が、速度を緩
めずに返されてきた。
まるで、元々二連撃のスキルのように。
思わず、まだ十分にスキル補正を溜められていない剣で受けてし
まう。
吹き飛ばされ、地面を転がった。
立ち上がる頃には、目の前に李解がいる。
退き、何とか攻撃を回避した。
駄目だ。
もっと思考に、脳を割け。
考えながら、体を動かせ。
考察しながら、肉体を稼働しろ。
﹁︿スキル、コレクション﹀﹂
剣へ消費しているのは、毎秒の回復分。
それまでに復元されていた六割はそのままだ。
それを利用し、脳へ。
脳へ、スキルの補正を掛ける。
思考速度を上げろ。
思考を分割させろ。
︿スキルコレクション﹀の効果が切れる前に、勝つ方法を生み出
すんだ。
﹁︱︱︱︱﹂
分割思考。
両方を意識しながらも、両方の注意を怠らない。
頭で二つのことを同時に考えながらも、集中は乱さない。
片方は李解の攻撃を流すことに全力を。
606
片方は李解を倒すための策へ全力を。
専念。専心。
﹁︿ショックウェーブ﹀﹂
近距離での斬撃。それに加え、衝撃波が二撃目として同時に襲い
掛かってくる。
対処は簡単。剣の延長線上にいなければいいだけだ。
影の爆発を連鎖的に小さく行い、危なげな状態になりつつも、当
たらない。
李解はどうやって倒せばいい。
自分で自分を刺していた理由は、おそらく︿ラストゲーム﹀発動
の条件に、それに関連する何かがあるから。
彼のHPは現在、俺よりも低い。だから、一撃さえ入れられれば
勝てる。
一撃を入れるためには、怒涛の連撃を掻い潜り、絶対の自信を持
って剣を振らなければならない。
攻撃の瞬間こそが隙となる。剣を使う全行動をスキルと同等の速
度で動ける李解に対しては、少しの隙でさえ命取りになってしまう
はずだ。
相手に隙は無い。舞うようにスキル恩威を受ける彼に、隙は無い。
求めるのは一つだ。
避けることに体を使わず、避ける。それさえできれば、一撃を確
実に入れられる。
だが、それは矛盾だ。できるはずのないことだ。避けるために体
を使うのに、体を使わずに避けるなどできるわけがない。
相手の一撃を態と外させるにしても、今は、片方の思考を全力で
展開し、肉体とスキルを限界まで酷使して、何とかダメージを食ら
わずにいれる状況だ。そんな行動は、即ち隙となる。
避ける必要も無く、避ける。
607
︿瞬間無敵補強剤﹀は青葉から逃げる時に使ってしまって、補給
はしていない。それに、飲む段階で斬られることになることが簡単
に予測可能だ。
他に。他に何か無いのか。
例えば、刃を透過する力なんかがあれば︱︱。
﹁︱︱︱︱ッ﹂
そこで脳に掛けた︿スキルコレクション﹀の恩威が無くなり、意
識が強制的に一つへ収束させられた。
目前に迫る白い一閃。
同じ光を纏う刃でそれを受け流し、相手を蹴ろうと足を上げた。
しかし、相手は剣に関する行動全てに恩威を受けている。
速度を緩めずに、刃が李解の手元に戻り、余裕を持って刀身で防
がれた。
続く、︿ショックウェーブ﹀を利用した同時攻撃。剣は先程使っ
てしまったばかりで、補正を溜めなければ相手の剣戟には張り合え
ないだろう。
影を爆発させ、その場から後方へ下がった。
通常攻撃はそれで避けられても、衝撃波が自らへ迫る。
その程度なら。全力を込めて剣を振るい、それを切り裂いた。
だが、安堵を吐く暇も無く、李解は走り込んでくる。
﹁そろそろ決めます﹂
白い光が、増した。
強烈に輝き出す。強烈な光を放つ。
数字と記号の羅列が光を包み、円を描いた。
本気では無かったのだろう。こちらに合わせていたのだろう。
下手に全力で戦って攻撃を当ててしまい、HPが残ってしまえば。
608
そうなれば、︿ラストゲーム﹀を発動されてしまうかもしれないか
ら。
ただ、確実に一撃で勝てる展開を待っていただけで。
絶対に︿ラストゲーム﹀を使わせずに終わらせられる展開を、待
っていただけで。
剣のスキル恩威は、先程使ってしまった。
影の補正だけではきっと避け切れない。
万事休す、というやつだろう。
けれど、俺は。
﹁俺も、決めさせてもらう﹂
有り難い、と思った。
これならきっと勝てる。
俺が。
俺が絶対に勝てる状況だ、と。
剣を構える。
口の端を吊り上げ、笑った。
﹁僕の勝ちです、先輩﹂
振り下ろされる、壮絶する程の威力が秘められた剣撃。
それを見つめ、見据え、振り仰ぎ。
俺は、発動させる。
︱︱︿インストール﹀。
自らの肉体を、紫色で半透明の鎧が包み始めた。
MPを持続的に消費。完全にそれを具現化。発現。
剣を、透過する。
﹁俺の勝ちだ、李解﹂
609
驚愕を顔に浮かべる彼に向かい、剣を振り抜いた。
血潮が吹き上がり、数瞬後に人の倒れる音がする。
浅い一撃。勿論、殺してはいない。
﹁⋮⋮ふぅ﹂
無意識の内に安堵の息を吐き、膝を付いた。
怖かった。
刃が当たるのをただ見ているだけというのは、怖かった。
あそこで少しでも油断すれば、何らかの対策を施された二撃目を
食らわされて終わっていただろう。
あそこで少しでも恐怖で肉体を縛ってしまえば、何らかの対策を
施された二撃目を食らわされて終わっていただろう。
食らわないことを信じ、受ける勇気が必要だった。
︿ファントムナイト﹀の鎧。着用する者の面積、その三分の一以
下で受ける物理的干渉を透過させる。
分割思考が切れる前に思い付いて、本当に良かった。
﹁アヨン、くん⋮⋮﹂
少女の声が聞こえ、顔を上げる。
横に、フーが立っていた。足元にはウサギもいる。
助け出せた。
俺は李解に。︿人斬り﹀に。
勝った。
610
3−26:演者と偽作のモータルデストロイヤー︻?︼︵前書き︶
遅れて申し訳ありません。葬式関連で忙しく、更新できませんでし
た。
611
3−26:演者と偽作のモータルデストロイヤー︻?︼
﹁ノ⋮⋮アヨン!﹂
﹁師匠! アヨンさん!﹂
能力を解いたところで二人の声が聞こえ、二人して視線をそちら
へ移動させた。
シノとひーちゃん。
二人が走り寄ってくる。
﹁二人共⋮⋮﹂
フーが、俯く。
数秒。
顔を上げた時には、彼女は笑顔を浮かべていた。
本当に嬉しそうで、本当に楽しそうに。
満面の笑み。満面の喜色。
張り付けの︱︱を。
﹁二人共来てくれたんだね。ありがとー﹂
高い声音で、フーは言う。
そんな彼女を見て、ひーちゃんは安堵したような息を漏らした。
﹁心配しましたよ、師匠﹂
﹁ごめんね。ちょっと気になることがあって調べてたんだけど、そ
の時に捕まっちゃって﹂
ニコニコと笑いを浮かべる彼女を、ひーちゃんはジト目で見つめ
612
る。
それでもそのすぐ後に、少しだけ破顔した。
俺の方にはシノが近寄ってくる。
﹁私も心配した、です﹂
拗ねたような、安心したような。
俺を気遣っているような雰囲気。
苦笑いを発して、答えた。
﹁ごめん、ちょっと焦ってた﹂
雫を瞳に溜めていた様子の彼女の頭に手を置いて、撫でる。
目元に溜まり出していた雫を拭い、今度は謝罪では無く、御礼を。
﹁ありがとう﹂
はにかむように微笑むシノをしばらく見守り、手を離した。 ﹁帰ろう、あの街に﹂
◆◇◆◇◆◇
﹁ちょ、流石にバレますって。ヤバいですって。引き返しましょう
よ先輩﹂
﹁ここまで来たら行くしかないって、李解﹂
613
砂漠の街の路地。徘徊するプレイヤー達に会わないよう、最大限
に注意して進んでいた。
夜のためか、大通りともなるとプレイヤーが多い。小さな通路を
歩いていくしか無かった。
﹁それに、勝ったら会うって言っただろ﹂
﹁いや、それはそうですけど⋮⋮で、でも流石に、ギルドに直接侵
入して会いに行くなんてのは無茶ですよ﹂
大ギルド︿黎明ノ黒鍵﹀の本拠地。その建物の隣の路地で足を止
め、回復した李解の方を向いた。
約束通り、知里の元へ行く。
フーとひーちゃんは帰した。シノは付いて来ているが、俺にくっ
付いたままで何もしない。我関せずと言った感じで俺達を観察して
いて、静観するつもりだということが窺えた。
﹁無茶でもやるぞ。いざという時は壁でも何でも壊して逃げればい
いし。俺達なら壁を切り裂くくらい簡単にできるだろ﹂
﹁切り裂くどころか粉砕できますけど。粉砕どころか消し飛ばすこ
ともできますけど﹂
﹁そんなことは訊いてない﹂
さ、行くぞ。そう言って足を踏み出そうとした直後、後ろから声
を掛けられた。
愕然とした雰囲気が漂わせる、高い声音。女性の声。
こちらから会おうとしたはずの人物の言葉。
﹁りーくん⋮⋮?﹂
614
振り向くと、予想通りの女性がその場に立っていた。
知里。
李解が、足を一歩下げる。後ろめたさによるものか、体を反転し
て逃げようとするが、それは俺がさせない。
彼の腕を掴み、止める。
﹁李解﹂
﹁⋮⋮⋮⋮わかってます﹂
観念。腕を下げ、体の向きを知里へ戻した。
姉弟の再会。
目を逸らして、李解は言う。
﹁ただいま、姉さん⋮⋮﹂
小さな声量の、憂いが秘められた発言。
それに対し、知里は目を見開いたまま動きを見せない。
しかし李解が視線を戻すと同時、その瞳から涙が流れ始める。
﹁り、−くん⋮⋮だよね⋮⋮?﹂
詰まりながらも、必死に出された言葉。
現実に居た頃の李解なら、彼女を慰めるため、すぐに近寄ってい
ただろう。
しかし彼は、耐えるように震え、神妙に頷いた。
あの頃とは違う、と自分へ言い聞かせているように。
彼はただ、涙を流す姉を見つめる。
﹁りーくん⋮⋮﹂
615
倒れるように、知里が李解の元へ飛び込んだ。
﹁無事でよかった⋮⋮﹂
強く抱き締め、言う。
﹁どこか痛いところはない? 怪我してない? 誰かに苛められて
ない?﹂
まるで、帰りが遅い子供を心配する母親みたいに。
顔を雫で濡らし、述べていた。
放心したように固まっていた李解だが、意識を取り戻すと、慌て
たように捲し立てる。
﹁だ、大丈夫だよ姉さん。どこも痛くないし、怪我なんてしてない。
僕は平気だから、姉さんは気にしなくていいよ﹂
愛想笑い。そんな表情を浮かべる彼の顔を、慈愛を込めた瞳で、
知里が至近距離で見つめていた。
真剣な顔になり、彼女は首を振る。
﹁嘘。りーくん⋮⋮苦しんでる。
いつもそうやって私に心配させないようにしてたの⋮⋮私、知っ
てるもん﹂
額同士を合わせ、僅かな動揺も見透かすように、知里は李解の瞳
を覗く。
どんな感情も、隠せはしない。
﹁いつだって私に﹃大丈夫、姉さんは心配しなくても大丈夫﹄なん
616
て言って、苦しんでばっかりいて⋮⋮﹂
両親から貰ったプレゼントを無くしてしまった時は、一週間も休
みを無駄にして探してくれた。
偶然なんて見つけたなんて言って渡してきて。でも、それを渡し
てくれる一週間の間は、洗濯機に入ってた服が酷く汚れていて。
ずっと探してくれていたことがわかって。
大切な記憶を思い出すように、言う。
﹁嫌がらせをされてた時は、私に知られないように助けてくれてた。
傘を忘れた時は、自分は二つ持ってるなんて言って、一つしかなか
った傘を貸してくれた。どんな病気の時でも、苦しんでる時はずっ
と側にいてくれた。怖い夢を見た日には、何気なく私と一緒にいて
くれた﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁もっともっと、沢山あることだってわかってる。全部知ってる。
気付いてる﹂
どうしてそこまでしてくれるの? と、彼女は訊く。
無言で立ち尽くしていた李解は、一拍置いて、﹁姉さんは﹂と続
けた。
﹁四歳くらいの頃のこと、覚えてる?﹂
﹁⋮⋮ちょっと、記憶が曖昧かな﹂
﹁僕はその頃、周りに少し付いていけてなかったんだ。誰とも触れ
合ってなくて、いつも一人だったんだよ﹂
今でも鮮明に覚えてる、と彼は語る。
﹁姉さんは皆の人気者で、それがとっても羨ましくて。あの頃は気
617
付かなかったけど、きっとあれが嫉妬の気持ちだったんだと思う﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それである日。いつもいつも一人でいる僕を、同年代の子供がか
らかってきたんだ。
僕は怖くて、怖くて。何もできなくて、毎日泣いてた。あの頃は、
ただただ臆病でさ﹂
でも。
目を閉じ、言った。
﹁でも、姉さんが助けてくれた﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あの頃はまだ、ロクに会話なんてしたことがなかったのに。僕は
姉さんが羨ましくて、避けてたのに。
姉さん、僕を大切な弟だって言って、苦手な殴り合いまでして、
僕を守ってくれた﹂
それがとっても嬉しくて。申し訳なくて。
﹁同年代の子の方が明らかに付き合いが多かったのに、僕を庇護し
てくれた。弟だからって言って、僕を守ってくれた。姉さんは忘れ
てしまったけど、僕だけは、このことを忘れたことは一度もない﹂
李解が自らの姉へしてきた所業に比べれば、本当に小さな事柄だ
ろう。
でも、違う。
李解は本気で苦しんでいて、それを、ただ弟だからという理由で
助けてくれて。
本当に嬉しかったんだと、そう思う。
618
﹁僕は姉さんのためなら何でもする。その理由は簡単で、単純で、
いつだってたった一つだよ。
赤石知里は、僕の大切な姉さんだから。それ以上でもそれ以下で
もない、それだけ﹂
言い切って、彼は目を開けた。
再び目を通わし、見つめ合う。
一拍置いて、知里は涙声で﹁なら﹂と発した。
﹁人を殺し続けるのも、私のため?﹂
本題。
︿人斬り﹀としての李解との向き合い。
このために李解をここまで連れてきた。知里を信じ、連れてきた。
李解は口を開き、しかし言葉が出ないようで、悔しげに歯ぎしり
をする。
﹁私のため、なんだよね﹂
答えない。それは、肯定。
どんなに誤魔化しても、誤魔化し切れるものではない。
彼の行動原理の殆どは、姉のためなのだから。
﹁害さえ駆逐すれば、そもそも守る必要なんて無くなる。そう考え
ただけだよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁例え殺し損ねたとしても、姉さんの側には青葉がいる﹂
宣い続ける彼を、真剣に知里は見据えていた。
619
﹁ムカつくけど、青葉なら姉さんを幸せにしてくれる。姉さんは青
葉のことが好きだから、きっと幸せにだってなれる。
だから、僕は汚れ役を引き受けるんだ。だから僕は、︿人斬り﹀
になることに決めたんだ。姉さんが幸せなら、僕もそれで幸せだか
ら﹂
慈しむように、李解は小さく笑みを浮かべる。
依存する誰かが幸せなら、自分も幸せ。
それは若しくも、俺やシノなどと同じ思い。
知里はそれに、どう返すのだろうか。
少しの好奇心。同じ気持ちを抱く俺達では辿りつけない、その答
えを。
彼女が、意を決した様子の表情を見せ。
知里は︱︱。
620
3−27:演者と偽作のモータルデストロイヤー︻?︼︵前書き︶
後半部分のやっちまった感が半端無いです⋮⋮。
621
3−27:演者と偽作のモータルデストロイヤー︻?︼
︱︱鈍い切断音と共にその場に倒れた。
﹁⋮⋮ぇ⋮⋮?﹂
李解が呆然とした様子で目を見開く。
彼の目の前に映る人物は、いつか見たようなプレイヤー。いつか
見たような狂人。
﹁なん、で⋮⋮お前が⋮⋮﹂
李解の言葉。受けた本人は何も答えず、ただ不機嫌な顔をして鼻
を鳴らした。
人の名を冠する六人の内の一人、︿人壊し﹀。
﹁殺し損ねましたね⋮⋮現実に則していると言っても、やはり、実
力が劣るこの体では一撃で簡単に殺害することはできませんか﹂
下を見て、︿人壊し﹀が呟く。知里のことを言っているのだろう。
横たわる知里の背中には、短剣が突き刺さっていた。
血が大量に流れている。
﹁⋮⋮お﹂
鋭く強い殺意。
当然の感情。大切な姉がやられた。なのに平常でいられるなんて
ことはできない。
増してやこれは、二度目。
622
体を怒りに振るわせ、李解が叫んだ。
﹁お前がァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアア!!!!﹂
剣を引き抜き、︿人壊し﹀を一瞬で切り伏せる。
赤色の血が噴き出ながら倒れた。だが、俺達は知っている。これ
は模造品。幾らでも替えはいることを。
マズイ、と思う。
大通りの方へ騒ぎが聞こえてしまった。何人かは李解に視線を向
けて、何やら口々に言い合っている。
︿人斬り﹀であろうことがバレたのだ。
知里を連れて路地の奥へ逃げよう。このままでは捕まる可能性が
高い。
そう考えたのだが、何故か、奥の方向からも大勢のプレイヤー突
然やってきた。
﹁逃がしませんよ﹂
先頭の人物が発言する。
顔は違う。声も違う。だが、分かった。あいつは︿人壊し﹀だ。
上位階層プレイヤーを︿人斬り﹀という餌で口車に乗せて、ここ
まで路地の方から連れてきたのだろう。
挟まれた。
無数の上位階層プレイヤー達を一気に相手にできるほど、俺達は
強くない。
﹁言い忘れていましたが﹂
上からの声。見れば、屋上から見たこともない姿の男性がこちら
623
を見下ろしていた。
こいつも︿人壊し﹀に造られた存在、か。
﹁貴方の姉を刺した短剣には毒が塗ってあります。猛毒です。早く
何とかしないと死にますよ﹂
言い切って、飛び降りてくる。
︿天宝の法剣﹀の柄に手を掛け、しかし戸惑った。
俺達は姿を隠しているから、李解を見捨ててここを離れても怪し
まれることは無いはずだ。
ここで容姿の安定しない︿人壊し﹀へ手を下してしまえば、プレ
イヤーキラーであると周りに認識される。
そこまで思考したが、首を振ってから剣を抜いた。
駄目だ。流石に無差別に大勢居る上位階層プレイヤー達から逃げ
切れるとは思えない。李解の近くにいたのだから、捕まって事情聴
取をされる可能性が非常に高い。
仮面も取れと言われるはずだ。それは俺達がプレイヤーキラーだ
とバレることと同義で、だったら最初からバラすことに戸惑いはい
らない。
落ちてくる︿人壊し﹀を殺した。
﹁シノ﹂
﹁わかってる、です﹂
俺はフードからウサギを出し、シノはフードを取って顔を露出さ
せた。
シノが顔を曝したのは、︿メデューサの瞳﹀を使用する時のため。
あれは視線を合わせる必要がある。
﹁李解、こっちで大通り側を対処するから路地側を頼む。隙を見て
624
逃げるぞ。知里の解毒はそれからだ﹂
聞いているかはわからない。今のあいつは感情に呑まれているか
ら。
だが、彼が奥へと駆けて行くのを視界に見届け、大通り側へと体
を向けた。
路地の幅的に三人での戦闘が限界。しかし後方支援は別換算でい
かなければならない。
﹁俺が逃走用の通路を作る。シノ、ウサギ。二人で耐えられるか?﹂
不安な問い。一人と一匹は頷くことで答えた。
頼もしさに口の端を吊り上げ、シノ達と李解との間の位置へと移
動する。
どのモンスターを使うか。
剣で一々逃走経路を作成していてはキリが無い。その度のタイム
ロスの関係もあり、故に一直線に道を作り、そこから逃げるのが得
策だろう。
︿ファンタジーオルガニズム﹀の通常攻撃。
一発なら現在のレベルの肉体でも耐えられる。これしかないはず
だ。
口内へ具現化し、強烈な脱力感に耐えながら光を収束させた。
発射準備完了。
仮面を少し外して放射。
︿黎明ノ黒鍵﹀本拠地の反対側の壁へと放たれた強力な光線が、
一直線に破壊の威力を発揮していく。
ありとあらゆる建物に穴を開け、射程の限りに撃ち続けた。
それが終わった時には、ずっと先まで伸びる円形の通路が出来上
がっていた。
625
﹁もういいぞ﹂
少々肩で息をしつつ三人へ呼び掛ける。
そこからの行動は早かった。シノの方ではウサギが︿スライムシ
ョット・イクス﹀を放ち、詠唱が終わっていたであろうシノが妨害
系の魔法で石の壁を作り出して道を塞いだ。
李解の方は、剣へ白光を纏わせ、︿ショックウェーブ﹀による衝
撃波を三連続で撃って時間を稼ぐ。
戻って来てすぐに三人は開けられた穴を確認し、シノとウサギは
俺の方に近付いてきた。李解は知里を抱え、こちらへ視線を向ける。
未だ怒りに染まっているが、それよりも知里への心配の感情の方
が勝っているようだった。
互いに頷き合い、足へ力を溜める。
影を足裏へ収束。
剣を仕舞い、シノを御姫様抱っこで抱えた。背負う形では剣が引
っかかるため、これが一番安定する。
影を爆発させ、一気に体を加速した。方向は勿論、作られた逃走
経路。
李解は、︿サドンアクセル﹀とやらのスキルを発動して並走して
くる。
一直線に進むだけならこちらに分がある。
そう思っていたのだが、甘かったようだ。
後方から飛んできた矢が自らの肩に突き刺さる。
呻き声を上げながら、目に見えて速度が落ちてしまった。
﹁くそ﹂
このまま真っ直ぐ進んでしまえば、また同じ展開になる可能性が
ある。
道を曲がり、きちんとした路地に出た。前に敵はいない。翻弄す
626
るように走れば逃げられるかもしれない。
﹁り、−くん⋮⋮﹂
知里の言葉に、﹁姉さん!﹂と、慌てながらも安堵したように大
きな返事を李解はした。
﹁泥の、中で⋮⋮私のためにりーくんが、苦しんでるのに⋮⋮私だ
け地上の光を浴びるなんて、嫌、だよ﹂
唐突な発言。それは、先程までしていた会話の続き。
﹁わた、しにとっては⋮⋮鷹人くんより、りーくんの方が⋮⋮大切、
なんだよ⋮⋮大切な弟だもん﹂
絶句する彼に微笑みを向けながら、彼女は言う。
﹁もし⋮⋮りーくんが、これ以上⋮⋮︿人斬り﹀のままで、いるな
ら⋮⋮このまま、死んじゃうよ?﹂
毒に侵されている彼女は酷く弱々しい。本当に今にも死んでしま
いそうなほどに力無く垂れていて、肌も白い。
嘘ではない。彼女には覚悟が垣間見えた。
﹁最初で、最後の⋮⋮我儘。りーくん⋮⋮私、と⋮⋮一緒に生きよ
う?
りーくんが傷、付いてるのを見るのは⋮⋮わ、たし⋮⋮嫌だよ﹂
零れ落ちる水滴は、果たして何の感情によるものか。
李解が顔を俯かせ、顔を隠す。
627
何となく。
何となく彼が、何かからの解放感と喜びを感じているような気が
した。
自分では解けない呪縛から解き放たれたかのような。
﹁約束する﹂
小声で、しかししっかりとした声で発言した。
満足そうに知里が笑う。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
羨ましかった。
最初は渋っていたのに、今は李解が本当に嬉しそうで。知里も本
当に嬉しそうで。
現実に居た頃は、ただ李解が知里のために尽くしているだけだっ
た。俺と同じようにそうしているだけだった。
今の彼は違う。彼は知里を信じた。同じ土俵に立った。
庇護する側では無く、共に立つ存在へ。
俺も。
俺もスズと、そんな関係になりたかったのかもしれない。
﹁スズ⋮⋮﹂
囁くように口に出した瞬間、脳裏を過ぎるスキル名。
︿ディスベアドリーム﹀。︿シャーキーハート﹀。
一瞬だけ、脳に違和感を感じた。異物が侵入したような感覚だ。
意識を向けようとした時に、進行方向に誰かが飛び込んできたの
が見える。
思わず加速を止め、凝視していた。
628
﹁先輩?﹂
﹁ノート?﹂
二人の疑惑の視線。それを余所に、ただただ見つめて。
スズだ。
スズが視界に映っていた。
﹁ス﹂
やった会えた、と。呼び掛けようとした直後に異変が起こった。
彼女がこちらに気付くと同時、俺の後ろから矢が飛んできて。
彼女の頭を貫いた。
血を盛大に吹きだし、倒れ伏す。
﹁ぁ⋮⋮﹂
おかしいな。
おかしいな。
どういうことなんだろう。
﹁これ、まさか⋮⋮精神干渉系の魔法スキル、じゃ⋮⋮﹂
声が聞こえる。聞こえない。聞こえた気がした。聞こえない気が
した。
どっちが正しいんだろう。どっちが間違ってるんだろう。
わからないけど、自分が今、酷く不快な感情に苛まれていること
は理解できた。
これの元は。
義妹が倒れた。
629
なんでだっけ。
確か、矢が刺さったから。
どこに刺さったんだっけ。
頭。人間根幹。生きるために絶対に必要な機関。
おかしい。おかしいな。
何か、辛い。
﹁膨大な詠唱時間と後衛にしては近い距離感が必要なはずだけど⋮
⋮﹂
李解はそこまで言って、ハッとしたような表情になった。
膨大な詠唱時間。
何人も自分がいて、全員が発射準備してればどうだろう。
近い距離感。
ありとあらゆる場所に詠唱を終えた自分が待機していたらどうだ
ろう。
そう考察して、上方向へ衝撃波を放った。
血飛沫が飛んでくる。
﹁⋮⋮⋮⋮おか、しいな﹂
思考が安定しないまま、脳は言葉を重ねる。
ついこの前までずっと一緒じゃなかったっけ。
ずっと前から一緒じゃなかったっけ。
生きてきた。居るのが当たり前の日々だった。
頭が貫かれたってことは、つまりどういうこと?
死んだ。
死んだって、つまり?
いなくなった。
いなくなったって、つまり?
630
もう会えない。
会えないの?
会えない。
そう。
会えない。
そうなんだ。
﹁ノート⋮⋮!﹂
胸が痛いんだ。苦しいんだ。
なら、考えないようにしよう。
どうしても気になるんだ。とても苦しいんだ。
なんで。
穴が開いたような。
全てが崩れていくような。
世界が色褪せていくような。
感覚。
どうしてこうなったんだっけ。
原因は?
彼女を殺した、犯人は?
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
もう片方の肩に後方から飛んできた矢が突き刺さる。
振り向けば、弓を構えた黒い影が遠くに見えた。
あれだ。
あれが殺した。
俺の大切な人を。
大好きな人を。
大切だったんだ。
631
大好きだったんだ。
どうしてこうなったんだっけ?
あいつが殺したから。
﹁追いつかれ︱︱﹂
じゃあ、あいつを殺せば元に戻るの?
首を傾げる。
片方を失った状態だから、もう片方無くせば全部元に戻るんじゃ
ないかな。
五分五分で戻るんじゃないかな。
予想だけど、きっと戻る。
なら殺そう。やろう。
それが一番良い。
でも、何か強そうだね。
なら本気出そうよ。
ほらほら。息を一杯吸って。
誠心誠意。全力で。一生懸命。殺そう。
いくよ?
せーのっ。
︱︱︿ラストゲーム﹀。
632
3−27:演者と偽作のモータルデストロイヤー︻?︼︵後書き︶
後半が急展開過ぎてついていけない方がいらしたら、感想で指摘く
ださると嬉しいです。
暴走部分の話をカットして物語を修正するかもしれません。
−
急加速をする。スピードは使用者のAG
このままでも良いという場合も指摘くださると嬉しいです。普通に
やる気出ます。
お願いします。
※解説※
︿サドンアクセル﹀
−
対象が絶望するほどの幻を見せる。
Iから特定の計算をして決められる。
︿ディスベアドリーム﹀
使用の際の範囲はそれほど広くはないため、避けるのは簡単。だが、
−
対象の精神を不安定な状態にする。食
掛かったのか掛かっていないのかの見分けが付きにくいという厄介
な強みを持つ。
︿シャーキーハート﹀
らった際に違和感を覚えるため、慌てなければどうということはな
く対処が可能。
633
3−28:演者と偽作のモータルデストロイヤー︻?︼
空中に投げ出された︿人喰い﹀ことシノは、体勢を崩しながらも
何とか着地に成功した。
先程まで自分を抱えてくれていた彼を見る。
仮面をしていてもわかった。まるで子供のように無邪気に笑いな
がら、ただ真っ直ぐに矢を撃った人物を見据えている、と。
﹁ノー、ト⋮⋮﹂
肩に乗っていたラビットスライムのウサギも振り払われ、シノの
足元に落ちてきた。
仮面もウザったいという風に投げ捨てられ、地面を転がった。そ
れはウサギが回収していたが、彼が今受け取ることは無いだろう。
精神干渉系のスキル。おそらくは、︿シャーキーハート﹀と︿デ
ィスベアドリーム﹀の二つ。
︿ディスベアドリーム﹀は、対象にとっての最悪の幻を見せると
いう一種の精神攻撃だ。効果範囲はあまり広くなく、それでいて詠
唱時間が長いために使われることは滅多に無い。普通の状態のノー
トなら引っかからなかったであろうが、︿シャーキーハート﹀は精
神を不安定な状態に変えるスキルだ。それと合わせれば互いの効果
が足されて凶悪なものへと変化してしまう。
単発では冷静に対処が可能なものでも、二つ一気にやられては流
石に危ない。
︿人壊し﹀の造るプレイヤー︱︱ここでは分体と処すが、分体が
通常のプレイヤーと同じように魔法スキルが使えることは脅威だろ
う。無数に存在する分体が意識を共有し、しかも全てが魔法スキル
という良くも悪くも詠唱の長さで効果がどれほどのものかが決まる
技を使える。個人個人が弱くとも、二重掛けをされたり無駄に詠唱
634
の長い魔法スキルを使われたりすれば目も当てられない。戦闘系は
流石にレベル差であまり効きはしないが、精神干渉系は話が違って
くる。
その例が彼だ。
﹁︿インストール﹀﹂
いつもの彼よりも高い声。子供のような無邪気な声音。
右腕がグニャリと歪み、形状を変えていく。色も原料も何もかも。
それが終わった時にあったのは竜の首。︿レッドドラゴン﹀と呼
ばれる竜種の頭。首の根本から角の先まで、丁度腕の二周りほどの
大きさで具現化されていた。
続いて左腕。
肘から先が金属へと変化する。鋭く長く、それでいて強く。
三メートルほどの剣が現れた。
その時点で再びノートへと矢が襲い掛かってくる。しかし、彼は
はそれをまるで野獣のような動作で無効化した。
飛来してきた矢を紙一重で避け、歯でそれを掴む。
喰らった。
嗤う。嗤いながら咀嚼をして、美味しそうに食べ切る。
﹁すりー﹂
ノートが唐突に切り出した。
カウントダウン。
﹁つー﹂
幼児退行しているように見えるのは、やはり食らったスキルのせ
いだろうか。
635
それとも絶望の幻を見て狂った。いや、両方だろうか。
﹁わーん﹂
急激に彼の纏っていた影が膨張し出す。
体全体を覆い尽くしても余りあるほどに大きく多くなり、強大さ
と威圧感も増した。
﹁ぜろ﹂
最後の数字。言い出すと同時にノートは駆け出していた。
これまでに類を見ないほどの加速の速度。音速へと達しているか
とも感じるスピードで弓を撃っていたプレイヤーに接近し、左腕を
振り被る。
振るう。避けられる。右腕の首を動かす。それも避けられる。
AGIの値が高いのだろうか。攻撃は当たっていなかった。それ
でも一撃一撃が圧倒的に強力なことは容易に窺える。
それに無駄な動きが多すぎた。
自然と誘い出され、ノートに隙が現れる。そこを突くようにプレ
イヤーが片手で矢を振り被った。突き刺すつもりなのだろう。
だが、それは失敗する。
彼の右肩の後ろから金属腕が飛び出した。︿デイドリームウォー
リアー﹀の片腕。簡単に防がれ、プレイヤーが舌打ちをしてバック
ステップをしようとする。
右肩から生える腕の手の平から人間の腕が出現し、プレイヤーを
殴り付けた。
︿Akari﹀の左腕。
壁に激突して呻くプレイヤー。それを余所にノートは相手へとド
ラゴンの牙を向ける。
頭から喰らった。
636
血が。脳が。骨が。内臓が。肉が。人を構成するための機関の全
てを、ゆっくりと確実に食べていく。
楽しそうだった。
﹁︱︱︱︱﹂
唐突に、シノの脳裏へ自らが︿人喰い﹀だった頃が思い出される。
狂気の瞳を持って人を喰らい、それに歓喜して笑みを浮かべてい
た頃。
それが思い出された要因は二つ。人の血や内臓を見てしまったこ
とと、あの頃の自分と似た存在を見てしまったこと。
どうしてだろう。何でだろう。
何故か。嬉しかった。
﹁おかしいな﹂
ノートが不思議そうに首を傾げる。
﹁戻らない﹂
涙を流していた。雫を地面へと垂らし、彼はそれに気付く。
拭き取って、再び首を横へ傾けた。わからない、という風に。
そんなノートへ今度は槍が振り抜かれる。
彼の心臓部分に向かい、貫かれた。
﹁⋮⋮あ、そっか﹂
それを何ともしていないかのように、槍の半ばを腹から具現化さ
せた︿デザートオーガ﹀の手で握り、潰す。
続いて傷口部分そのものが“口”へと変化して、刺さっていた槍
637
の残りを喰らった。
﹁君達も全員殺さないといけないのか﹂
再びの笑顔。嗤い。
楽しそうだった。寂しそうだった。悲しそうだった。
彼の視線の先にいるのは無数の上位階層プレイヤー。弓を撃って
いたプレイヤーが時間稼ぎとなり、追いついてしまったのだろう。
普通ならば勝てるはずが無い。先程は遠距離を急激に縮められる
ノートに分があっただけで、普通に考えて大量の上位階層プレイヤ
ーなど相手には出来ない。例え︿ラストゲーム﹀使用状態だとして
も。
けれど、ノートの能力は他とは違う。一線を駕す。
何も無い状態なら雑魚も同然の能力だ。だが、自分よりも強いモ
ノを取り込んでいる時は最強の能力となれる。
﹁化けろ、︿ファンタジーオルガニズム﹀﹂
普通のモンスターは、例え同レベルであろうとプレイヤーに呆気
無く狩られてしまう。知能の問題もあるだろうが、元々の強さが平
行していないからだ。
けれどボスモンスターは違う。特に、大ボス系のボスは。
例え同レベルであろうと果てしない強さを発揮する。それが自分
より上ならば悪夢のような強さを見せつけてくれる。
抗えない理不尽な力。
ノートの体全体がグニャリと曲がった。歪んだ。
肌が赤黒く染まっていく。人としての機能が全て消失し、全てが
化ケ物へと成り下がっていく。
全長は目測で三〇から五〇メートルといったところだ。髪も無く
鼻も無く耳も無く、目の光もまったくない。ただ空洞だけが広がっ
638
ている目玉部分。
周囲の建物がその巨大さに圧迫され破壊される。視界がクリアに
なり、満月の光が化ケ物としての彼の姿を映し出した。
黒だけが窺える口内を見せ、化ケ物としての雄叫びを発する。
人型の化ケ物だ。
﹁ひ、怯むな!﹂
上位階層プレイヤーの一人が虚勢を張って叫ぶ。
﹁見た目だけのモンスターなんて山ほどいる! 姿形に惑わされる
んじゃない!﹂
明らかに怯えていたが、それでもその言葉には正しい知識が含ま
れていた。
対抗心を取り戻すくらいには良い掛け声だ。自分が恐怖を抱えな
がらも皆を元気付けるためのことを言う。なかなかできることでは
ない。
だが今回限りはそれには当てはまらない。何せ、幻想の名を冠す
るモンスターが相手だ。
しかも、他人の︿ラストゲーム﹀で召喚された凶悪な幻想獣へと
ノートの︿ラストゲーム﹀が重ねられた状態。
彼は既に上位階層へ仲間入りしていると言っても過言ではない力
量を有している。強力なスキルと能力を駆使し、︿人斬り﹀をその
手で倒したのだから。
上位階層二人分の︿ラストゲーム﹀。
圧倒的力量。
﹁やっぱりこうなっちゃたね﹂
639
真横で聞こえた声の方向へ、シノは視線を動かした。
︿解答者﹀ネームレス。名無し。
いつものような笑みを浮かべながら、暴走する彼を見据えている。
﹁⋮⋮知ってたの?﹂
敬語モドキを止め、真剣な口調でシノは問い掛けた。
彼はこちらに一瞥もせずに口を開く。
﹁知ってたというより、予想してた、かな。僕は未来の情報までは
わからないよ﹂
﹁どうだか。本当は未来予知なんて能力でも持ってるんじゃないの﹂
﹁情報屋に詮索とは恐れ入るね。まぁ、確かに未来予知でも似たよ
うな結果はもたらせられる。けれど、僕の能力はそんな貧弱なもの
じゃないよ﹂
未来予知を貧弱と言い切った彼は、﹁それより﹂と露骨に話を逸
らした。
わざとすぎた。だけど、それには反応せざるを得ない。
﹁彼をどう止める?﹂
口から光線を放ち、両腕を振るい、巨体に見合うほどの影を纏う
ノート。偶に白い粒子が彼の体の一部に発せられているところから
見ると、元々所有していたスキルも扱われているようだ。
指差した先にある光景を見て、シノは顔を歪める。
﹁五分の時間切れまで待つかい? その頃には街は壊滅して上位階
層のプレイヤーも大きく減って、攻略が大幅に遅れるだろうけどね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
640
﹁彼が求める彼女はここにはいない。だからこのまま待ってもいい
んだろうけど⋮⋮まぁその場合、彼は世界で最も怨まれるプレイヤ
ーとなるはずだよ。攻略へ最大の害を為した化け物としてね。
︿人壊し﹀は当然として、もしかすれば︿人殺し﹀よりも有名に
なってしまうかもしれないかな。悪評も凄いことになって、現実に
戻った時でさえ危なくなるかもしれない﹂
後のことを考えると、被害が多くなる前に止めるべきだ。
名無しの言うことは的を得ていた。ただのプレイヤーキラーじゃ
いられなくなる。このままでは、世界最悪の障害として大半のプレ
イヤーの排除対象となってしまう。
今止めなければ、きっと後悔するだろう。
確定事項。
﹁君なら止められる﹂
突然の言葉に、喉が詰まった。
﹁君なら彼を止められるだろう?﹂
﹁⋮⋮それは私の︿ラストゲーム﹀のことを言ってる?﹂
﹁違う、その程度じゃ止められない。僕が言ってるのは“願い事”
さ﹂
願い事。つまり、︿願いを叶える不幸の風﹀から叶えられた願望。
﹁あれの願い事は精神を侵すだけな程度の軟なものじゃない。あれ
の願い事はもっと強力で、強烈で、人の手には及ばないようなもの
だ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁君は何を手に入れた? 正直に言って良いよ、僕は全てを知って
641
るからね。これはただの確認事項さ﹂
数秒の無言が続き、その後にシノは口を開ける。
﹁Mob系統職業、︿人喰い﹀﹂
彼女が手に入れた願い。彼に隠している秘密。
狂気の権化。彼やアカリの前では一度も見せていない力。
自分が︿人喰い﹀としてあるべき姿だ。
元々、後衛のシノが何人もの人間を葬れてこれるわけが無かった。
簡単に近付かれて終わり。三人もいれば絶体絶命。
アカリ一人程度に苦戦していたのも︿人喰い﹀を使わなかったか
ら。
﹁でも⋮⋮これは⋮⋮﹂
言い淀む。けれども彼は全てを知っている。言う必要なんて元々
無かった。
﹁君の払う代償で彼の未来が救える。安いものだとは思わないかい
?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮約束があるの﹂
呟くように告げる。
﹁ノートは食べないって。そう約束した﹂
俯いて言うシノ。悔しげに顔は歪められていた。
そんな彼女を、名無しは鼻で笑う。
642
﹁約束なんて幾らでも破ればいい﹂
珍しく真剣な声で続きを言った。
﹁嘘を沢山吐けばいい。自分の主張を捨てればいい。自分の感情を
捨てればいい。全部、捨てればいい﹂
﹁捨てる、って﹂
﹁大切な誰かの為なのに何かを失うことが怖いのかい? 彼は自分
が望むもののためにありとあらゆるものを犠牲にして先へ進んでい
るよ﹂
人としての価値観も。人としての矜持も。
﹁悪役になり切れない奴が、誰かを守れるはずが無い﹂
言い切る。その瞳には覚悟のようなものも映っていて、シノへと
同調を誘ってきた。
捨てれば助けられるかもしれない。全部、捨てれば。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
悩む必要なんて無かった。考える意味さえも無かった。ただ、自
分は彼のためだけに動けばよかった。
そのために生きた。そのために生き残った。それ以外のために生
きている価値など存在しない。
だから。
﹁選別さ、受け取れ︿人喰い﹀﹂
再度笑みを表情に表し始めた彼の言葉と動作。
643
渡してきたのは人の右腕。見れば、彼の右肩から先が消失し血が
噴出していた。
﹁彼を助けてくれ。そうすれば、全てが上手くいくんだ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
小さく頷いて、シノは。
瞳が赤く光る。思考が浸食されていく。脳が人を喰らう化け物へ
と埋め尽くされていく。
昔はこれを拒絶した。全部を拒絶して、完全に力を引き出すこと
は終ぞ無かった。
でも、今。
彼女は力を解放する。
自らの精神を狂気に侵し、人としての精神を代償に。
心なんて、彼のためを思えば随分と軽いものだった。
絶対にノートを助けてみせる。
︱︱︿人喰い﹀。
644
3−29:演者と偽作のモータルデストロイヤー︻?︼
グチャリ、と。
本当の︿人喰い﹀と化したシノが名無しの右腕を咀嚼した。
口元を血に染め、笑みを深める。
指を。骨を。肉を。血を。
食べ、喰らい、飲み込む。
力が溢れてくるようだった。
今食べたばかりなのに食欲が急激に膨れ上がり、彼女は暴れる同
類を見上げる。
心のままに人を蹂躙するノートを見据える。
笑顔。狂気の微笑み。
﹁おいしそう﹂
呟いて、シノの姿がかき消えた。
地面が大きく抉れるほどの跳躍。一瞬でノートの顔面付近まで近
付いた彼女が爪を立て、右手を振り被る。
巨大で鋭い五つの斬撃が放たれた。
突然の攻撃を、勿論ノートは喰らってしまう。傷を受け、ノート
が後ずさった。
落下していく彼女へと腕が払われる。
それをシノは軽く受け止め、力のままに地面へ向かって叩き付け
た。
轟音。
﹁グゥ⋮⋮?﹂
声帯機能が人のものでは無くなってしまっている今のノートが何
645
を言っているのかは分からない。
けれど、確実にシノを敵と定めたことは確かだった。
﹁あっはははははははははは!﹂
シノは嗤う。全てを嘲笑うかのように楽しそうに声を発する。
未だ空中に居る彼女へ、ノートは通常攻撃である光線を放った。
いつもの状態の彼女ならば絶対に受け止められない攻撃。それを今
のシノは、軽々しく片手で抑えてみせる。
抑えつつ、もう片方の手を振り回した。
斬撃が光線を斬り裂いてノートへと向かう。
﹁ォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!﹂
低い声音で彼は叫び、大量の影と白い粒子を纏う右腕でそれを受
け止めた。
今度は先程のように傷は付かず、無傷。
シノが着地する直前には四つん這いの状態となり、手足四本を使
って後ろへ跳ぶ。
先程は二本の足で立っていたが、それがファンタジーオルガニズ
ムの本来の戦闘態勢なのか。獣のように足の他に手を二本地面へ付
け、顔を地に近付けた状態で呻き声を上げた。
︱︱︿スターダスト﹀。
口内へ光が収束し出す。
通常攻撃よりも強力な光だった。おそらくはそのモンスターが元
々所有していたスキル。
︿ラストゲーム﹀状態のノートは元々モンスターが持っていたス
キルさえも使用できるということなのだろう。
シノは何もせずに立ったまま。涎を垂らし、物欲しそうな笑顔を
浮かべ赤く光る瞳で彼を見つめている。
646
光が放射された。
泥のように濁った定まらない混沌色。それを本当に光と呼べるか
を疑問に思えるほどの穢れを帯びる光芒がシノへ迫る。
彼女はただ、左腕を上げて手の平を光へ。
大地が大きく抉れる音を立て、彼女が地面を削りながら後退して
いく。
抑え切れていない。
秒速五メートルほどの速度で下がっていく姿からは、絶対的な力
量差が窺わされた。
けれど。
彼女は嗤っている。
﹁ふふ﹂
腕の皮が捲れているというのに。肉が所々に無くなっているとい
うのに。骨が僅かに露出しているというのに。血が流れているとい
うのに。
嗤っている。むしろ、最初の時よりも嬉しそうだ。
そうして何秒か後に後退が止まり、拮抗状態になった。
彼女が肩や足に穴が空き血を噴出させ、体中を光線の余波で傷付
けながらも光線を受け止めている。
圧倒的な力を捩じ伏せ。
それだけでは無く、彼女は足を一歩前に進めた。
先程圧倒的な力で押し返されていた光を押し退け、前へ。
ゆっくりと。けれど確実に歩いていく。
その間も光線の光は衰えない。それどころか影を追加し、白い粒
子も付加され強化してさえいた。
なのに意も返さず全身を自らの血に濡らして進む。
普通の人間なら生きているかもどうかも怪しいほどの血量も失い、
それでも前へと歩かれる。
647
悪魔。悪鬼。
そんな言葉が似合う姿だった。
﹁おいしそう﹂
光線は、シノがノートの顔の前まで辿り着いたところで止められ
る。
シノの左腕は既に使い物にはならない。
視線が合った瞬間、互いに跳躍をした。
ノートは後方へ。シノは前方へ。
白い光と黒い影が包む通常攻撃が彼女へ放たれるが、それを彼女
は右腕一本で右側へと振り払う。
シノがノートの顔面へと到達し、右手の爪で彼の顔に張り付いた。
そうして目元へと顔を近付け、彼女が口を開く。
舌を出し、待ち望んでいたとでも言うように彼の肉を喰らう。
食べた。咀嚼した。
﹁おいしい﹂
呟く彼女の瞳からは、何故か血の雫が頬を伝っていた。
﹁ォオ﹂
振り払おうとするノートを余所に彼女は更に口を近付ける。
喰らう。胃に入れる。食い荒らす。
食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて。
ノートの︿ラストゲーム﹀がタイムリミットとなった。
648
◆◇◆◇◆◇
自分の上に乗り、首を絞めてきている彼女を見て。
俺は全てを理解した。思い出した。
抉れた地面。血塗れの彼女。崩壊した街。
俺がやった。幻を見せつけられ、自分が。
﹁⋮⋮シノ、ごめんな﹂
感覚の無かった自らの頬に手を当てて、歯を食い縛って述べる。
肉が無い。それはつまり︱︱。
﹁約束、破らせちゃって﹂
顔を寄せてくる彼女が見える。
狂気に瞳を染めていた。明らかに正気では無い。
それでも怖く無かった。
涙を流しながらも自分を救ってくれた存在の、何が怖いものか。
食べる気、なのだろうか。
それもいいかな、なんて今の自分は思ってしまう。まだ魔法スキ
ルが効いているのか、今の自分は少しおかしい気がした。
﹁⋮⋮さよなら﹂
首元で口を開けた彼女の頭に手を乗せ、そう告げて。
俺は意識を手放した。
649
◆◇◆◇◆◇
次に目を覚ました時、俺の視界は真っ暗だった。
ここが死の世界とでも言うやつなのかな、なんて思考しながら手
を伸ばしたが、それが何か柔らかいものに当たった直後にその思考
結果を否定する。
感触からしてこれは布団の類か。
力を入れてみると結構楽に押し退けられた。光明が見え、手で支
えているものを横にズラす。
上半身を起こし、ここがどこなのか把握した。
フー達の住処。
俺はどうやら棺桶に入っていたらしい。内部に布団が張られてい
た蓋を外し、外に出たということ。
地面に立ち、周囲を見渡す。
部屋の隅の方にベッドが置かれ、そこにシノが眠っていた。
近くにはフーがイスに座り、こちらに背を向けている。
﹁⋮⋮フー﹂
呼ぶと、振り返らずに言った。
﹁起きたんだね、ノートくん﹂
暗い声。
告げられた名前に違和感を覚え、顔に手を置いて気付く。
仮面が無い。
探すように視線を張り巡らすと、棺桶の横で眠りに付いているウ
650
サギの横に置かれていた。
﹁ごめんね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
その謝罪は、何によるものか。
素顔を見てしまったことに対してか、それとも彼女が俺へ抱えて
いる気持ち対してか。
何にせよ、彼女が謝ることでは無かった。
﹁俺は気にしてない﹂
言って、歩み寄る。
﹁シイの⋮⋮いや、シノの調子は?﹂
﹁起きる素振りさえないよ﹂
彼女に現在までの経緯を聞いた。
フーは暴れているのが︿Nought﹀だと名無しに告げられ、
住居を飛び出した。
その時にはシノと俺とが戦闘を繰り広げていたようで近付けなか
ったようだが、︿ラストゲーム﹀終了後に駆け付け、重なって倒れ
ている俺とシノを見つけてくれたらしい。
ひーちゃんに事情を簡易に説明し、俺達をここまで運んで貰った。
幸いここは無事だったようで、上位階層の人達から匿ってくれてい
るようだ。
今はあの夜から二日が経過した早朝。俺がシノより先に目を覚ま
した。
フーだけ居るのはひーちゃんはまだ来ていないからみたいだ。
651
﹁俺は、生きてるのか?﹂
シノが首元に顔を寄せてきた光景が脳裏に蘇る。
俺は瀕死の状態だった。少しでも食べられれば亡くなっていたは
ずだ。
それが今ここにいるってことは、つまり。
つまり、そういうことなのだろう。
﹁幾らでもここにいていいよ。私が匿ってて上げるから﹂
フーの言葉。
俺達は少し暴れ過ぎた。上位階層の人達もきっと俺達を必死にな
って探しているだろう。
だから彼女の言ってくれることは素直に嬉しいと思う。
けれど。
﹁⋮⋮俺は行かなきゃいけない。探さなきゃいけないんだ﹂
元々の目的を忘れてはいけない。
ここに留まっているなんて駄目だ。ここでのんびりとしているな
んて駄目だ。
やるべきことがある。
﹁この子はどうするの?﹂
フーがシノを指し示す。
﹁置いてく。シノだけは匿っててくれると嬉しいかな。彼女にこれ
以上は付き合わせられない﹂
﹁この子はノートくんと一緒にいることを望んでると思うけど、起
652
きるの待って上げないの?﹂
﹁彼女を傷付けたのは俺だ。守るって誓ったのに自分が傷付けてち
ゃ意味が無いんだよ。俺が離れるのが最善なんだ﹂
例えそれが彼女が望まないことだとしても。
守るために離れる。それは李解と同じ愚行。
そうだと分かっていて尚、俺は彼女から離れることにした。
﹁力を求めてきた。他のありとあらゆるものを吸収して、自分で無
い力を自分のものにして﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁でも俺自身は全然成長してない。だから今回も力に振り回された。
力を使う方が弱いから、制御できずに周りを傷付ける﹂
自分の力くらい制御できるようにならなければいけない。そうで
なければ彼女を傷付ける。
どんな力でも良いと思って力を取り込んできた。けれどそれが守
る者を傷付ける力ならば必要無い。
自らの力が本当に自分のものとなった時。その時に俺はまた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
しばらく無言の空間が続いた。
シノの様子を少しばかり見ていたが、やはり起きる気配は無い。
そろそろ行こうかと考え始めた頃、唐突にフーが言の葉を切り出
した。
653
3−29:演者と偽作のモータルデストロイヤー︻?︼︵後書き︶
次話で第三章は終了の予定です。
654
3−30:対等と抑止のセツルメント
﹁ごめんね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁私、リンちゃんを止められなかった﹂
淡々と返す。
﹁フーのせいじゃないよ﹂
﹁でも﹂
﹁フーを俺は怨んでない。むしろ感謝してるよ﹂
感謝? と彼女が疑問符を頭に浮かべる。
﹁言っただろ? 俺はフーと一緒に居て楽しかったんだ。ノートと
しても、アヨンとしても。両方﹂
﹁でも、私は﹂
﹁それを受け取ったのは俺だ、フーじゃない。例えフーが全部捨て
ちゃってたとしても、俺は捨ててない﹂
言って、﹁俺は﹂と続けた。
﹁俺は少なくともフーに生きていて欲しいと思う。死んで欲しくな
んかない。大切な友達だ﹂
﹁私が迷惑じゃないの?﹂
﹁迷惑なんて関係無い⋮⋮って言っても、フーは気にするか。でも、
俺もフーに迷惑を掛けてるんだから御相子だ。というか俺の方が凄
い迷惑掛けてる﹂
655
そう言い切る俺に、彼女は首を振る。
﹁迷惑なんて﹂
﹁俺とシノを匿って貰ったし、シノをこれからも匿って貰うことを
約束してくれた。バレれば沢山の上位階層プレイヤーを敵に回すっ
ていうのに承諾してくれた﹂
﹁単なる罪滅ぼしなのかもしれないよ﹂
﹁だったらそれで互いの迷惑がチャラになる。フーが掛けたって言
ってる迷惑は迷惑じゃなくなる﹂
フーが俺を見上げてきた。
それに笑みを返し、彼女の頭を撫でる。
﹁対等な友達として言うよ。俺は、フーに生きていて欲しいと思う﹂
﹁⋮⋮ふふ﹂
フーが笑った。
初めて彼女が笑うところを見た気がする。
これまでフーが浮かべてきた笑顔は殆どが張り付けの笑みだった。
火山でそれを理解した。
でも、今。
彼女は心からの微笑みを浮かべて。
﹁ありがとう﹂
御礼を言い、﹁でも﹂と彼女は言う。
﹁どんなに願っても、私は生きられないよ﹂
頬を伝う涙に、彼女は気付いているのだろうか。
656
もしこの閉ざされた世界が始まらなければ彼女はそのまま死んで
いた。
もしこの死に包まれた地獄が始まらなければ、彼女は心残りなん
てなく死ねていた。
けれど。
きっと、俺が対等な友達なんて言ってしまったから。
彼女は。
﹁私は生きてちゃいけないんだよ﹂
死にたくない。まだ生きていたい。
それは諦めた言葉。叶わない願い。無駄な望み。
自分に奇跡なんて起こるはずがなく、空想でしか無い。
彼女はそれを誰よりも知っている。生まれた時から不幸ばかりを
被ってきた彼女は知っている。
無理なことに憧れるのは何よりも空しいこと。辛いこと。
だから彼女は﹃生きたい﹄とは言わないんだ。
理不尽な運命。そんな一言で生まれた意味も無く朽ちてしまう彼
女は。
﹁どんなに言葉を重ねても⋮⋮駄目なんだよ﹂
何度も何度も希求し、切望して、夢を見て。
渇望したんだろう。
﹁だから嬉しいよ、死ぬ前に対等な友達が出来て。本当にありがと
ね、ノート﹂
一番の笑顔を見せ、彼女は言ってくれた。
俺はそれを見つめ、数秒目を瞑って思考する。
657
考えて、思索して、熟考して。
静かに口の端を吊り上げる。
﹁死なせないよ、俺は﹂
え? と訊き返す彼女を余所に背を向けた。
ウサギの元に寄り、仮面を装着する。ウサギをフードに入れる。
出口の扉へ歩いて、もう一度。
﹁フーは死なせない。助けてみせる﹂
それだけ言って飛び出した。
フーの住居がある地域は壊していなかったのだろう。路地を進み、
曲がり、駆ける。
四つに道が分かれている角が見え、そこで立ち止まった。
﹁やあ﹂
横からの声。見れば、壁に寄り掛かった名無しが俺を見据えてい
る。
﹁スズの情報をまだ貰ってない﹂
﹁わかってるよ。そのためにここで待ってたんだ﹂
彼が口を開く。
﹁君の求める彼女は最前線にいる﹂
思考し、返答した。
658
﹁⋮⋮確か、遺跡だったか?﹂
﹁それなら三日前に︿最強﹀がクリアしたよ。今の最前線は︿時計
塔の街﹀の北にある森さ。そこももうすぐクリアされそうだけどね﹂
居場所が聞ければ十分、と走り出そうとする。
しかし名無しに呼び止められ耳を傾けた。
﹁助けるなんて無責任なこと言っちゃって、永奈をどうするつもり
だい?﹂
なんだかんだ言って妹が心配なのかな、と思う。
﹁当てがあるんだ。そいつならもしかすれば⋮⋮いや、きっとフー
を救える。どんな見返りが待っていようと構わない。だから、そい
つを頼る﹂
﹁⋮⋮⋮⋮ああ、そうか。なるほどなるほど、確かに未知のウイル
スの解析くらいは楽にやってくれそうだ。
いやいや、君がどうにかしてくれるとは予想してたけど⋮⋮なる
ほどね﹂
やれやれ、とでも言うように首を振った。
しかしその後、苦笑いを浮かべて彼は口を開く。
﹁ありがとう、永奈のために﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁僕じゃ救えなかった。だから君には本当に感謝してる﹂
﹁まだ助けられると決まったわけじゃ﹂
﹁君なら大丈夫さ。僕の思い通り︿人斬り﹀だって救ったんだ﹂
そう言って彼は歩き出す。
659
俺の隣を通り、どこかへ。
俺も目的の場所へ向かおうとすると、去り際に﹁そういえば﹂と
最後に述べた。
﹁君に︿人狩り﹀の二つ名が与えられることが決定した。実に七人
目の人を冠するプレイヤーキラーになったってわけだね﹂
原因はどう考えてもあの暴走。
苦笑した。
まずはスタミナポーションとやらを手に入れて、それから目的の
場所へ直行しよう。
一日で着けばいいなと思いつつ、一人足を進めた。
◆◇◆◇◆◇
スワロ
彼の視線の先にあるのは、フードで顔を隠した二人の少年少女。
互いに笑っているのが分かる。
それを見切り、彼は足を反対側に動かした。
やるべきことは交代したんだ。
そう思考し、街の半壊した部分まで行く。
﹁どこに行く気だ? 馬鹿兄貴﹂
聞き慣れた声を掛けられ、振り向いた。
ー
そこにいたのは青葉燕。自らの妹。プレイヤー名︿swallo
w﹀。
660
答える。
﹁どこかな。俺にも分からない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮前の李解と同じものになるつもりか?﹂
疑わしき視線を送る燕が、決心したように問い掛けた。
それに彼は迷うことなく頷く。
元々知里を守れなかったのは自分と李解、二人によるもの。
彼がこの前までの自分の立場になるというのなら、交代して自ら
が︿人斬り﹀と同じものになるのは当然のこと。
青葉鷹人はそう考えていた。
﹁⋮⋮馬鹿だな﹂
﹁何とでも言えばいい﹂
少なくとも一人、俺達三人から離れ関わらなくなった愚妹に言わ
れる筋合いは無い、と。
彼はそう思索し、視線を鋭くした。
﹁燕、お前は俺達から逃げたんだ。それなのに今更口を出すのか?﹂
﹁⋮⋮逃げた、ねぇ。他者からだとそう見えるのかな? まぁ何で
もいいけど。
一応、私も私なりに努力してきたつもりさ。強くなるために﹂
言う彼女の姿がブレる。
一瞬。
自分の顔面へと放たれた拳を片手で青葉は受け止めていた。
﹁速いが、それだけだな。“世重”を習得していないお前の拳を受
け止める程度は余裕だ﹂
661
自分の体重を込める程度では駄目だ。
体重は固定であり、込められる威力も固定されてしまう。この世
界で強化されていく肉体に対し体重はそのままであり、それはつま
り自分のレベルが上がる毎に体重を込めた一撃が役に立たなくなっ
ていくということ。
世重ならば強化された肉体を最大限に活かせるが、そうでなけれ
ば強化された肉体を持て余しているだけ。
﹁お前は俺には敵わない。絶対に﹂
幾ら努力しようと“世重”を習得した自分には勝てはしない。
そう言い切ろうとした彼へ、彼女は言う。
﹁なら勝負をしよう﹂
燕がバックステップで青葉から離れた。
﹁私が勝ったら、やろうとしてる馬鹿な行為を中断してこっちに戻
ってこい﹂
﹁俺が勝ったら?﹂
﹁一生何でも言うこと聞いてやるよ。ずっと強くなることだけに努
力を重ねてきた私が、愚兄程度に負けるはずが無いけどな﹂
彼女が笑い、構える。
先程力の差を見せつけたばかりだというのに、難儀なことだ。
そう思い、自分も戦闘態勢を取ろうとした直後。
﹁リミッターは外していいぜ? それからPvPシステムも使わな
くていい﹂
662
妹の供述に動きが止まった。
﹁死ぬぞ?﹂
﹁殺してもいいだろ。これからプレイヤーキラーになるって言うん
だから﹂
数秒考え込み、まぁいいかと自らの首へ手を置く。
服の中に隠しているペンダントを取り出し、外した。
呪いの装備︿赤い誤文のペンダント・?﹀。
総合攻撃力を一〇分の一にする効果を持つレアアクセサリー。
﹁後悔するなよ﹂
言って、アイテムストレージに仕舞う。
力が溢れてくるような感覚が青葉に駆け巡った。
互いに目を合わせ、互いに一歩踏み出し。
そこからは乱闘。
瞬間的に近付いた二人が拳を交わして殴り合う。
青葉は攻撃を受け流しつつ拳を放ち。
燕は攻撃を避けながら合間を縫って攻撃を放つ。
﹁“世重”は使わないのか?﹂
﹁御希望に沿ってやろう﹂
青葉の繰り出した一撃。とてつもない威力を秘めたそれが迫り、
燕は全力で後ろに下がった。
何とか避け切れ、目を向ければ先程立っていた地面が風圧で削れ
ている。
663
﹁冷や汗が流れて楽しいな。危機感がある﹂
﹁随分と余裕だな、燕﹂
﹁当然。私が勝つに決まってるからな﹂
妙にハッキリ言い切る彼女に疑惑を覚えるが、考える必要もない
と振り払う。
﹁次で決める。悪いがゆっくりと勝負を続ける気は無い﹂
﹁そうか。なら私も次で決めよう。地に伏す愚兄を見下ろすのは実
に面白そうだ﹂
勝手に言ってろと思い、青葉はスキルを発動した。
︿パワーアップ﹀。STRを一.五倍にするスキル。
青葉は燕の能力を知っていた。︽筋力倍加︾というSTRを二倍
にする効果を持つコードだ。
故に負けるわけが無いと考えている。その程度で自分の全力がや
られるはずがないと。
“世重”を使用し、燕よりも遥かに速いスピードで相手に迫る。
拳を振り被り、全開の“世重”を込め。
﹁どうした? こんなものか?﹂
しかし、軽々しくそれが片手で受け止められた。
驚きを隠せない。一驚を浮かべざる負えなかった。
燕は奥義を覚えていない。だから対抗できるはずが無いんだ。こ
んなことできるわけが無いんだ。
有り得ない。
そう考えていたところで違和感に気付き、下を見る。
攻撃を受け止めた燕の地面が思ったよりも抉れていた。
抉れていたことに驚いているわけではない。そんなのは当然のこ
664
とだから。
まるで自分の攻撃をそのまま受けたかのように大きく亀裂が入っ
ていて、それに受け止めた時に耳に届いた轟音も予想より大きかっ
た。
﹁どういうことだ?﹂
更に驚くべきことがあり、無意識の内に言葉に出していた。
“世重”が使えない。
﹁これがお前達と別れてからやっと手に入れた私の力だよ﹂
言われ、空いている片手で頭を殴られる。
驚きで逸らそうとした手が遅れて反応ができなかった。
顔面が地に叩き付けられる。
﹁青葉家の奥義“世重”。それは祖先の一人が人殺しに使ったもの
らしくてな。武術で人を殺すなんて勿論御法度であるし、青葉の家
はそれ以来必死で“世重”に対抗するための術を模索したんだ。自
分達の術で自分達が滅んでは意味が無い。それを自力で抑えるよう
にならなきゃいけない、とな﹂
語り出した燕の発言を青葉は黙って聞いていた。
よわけ
﹁そうして生み出されたのが青葉の第二奥義、“世分”さ。私がモ
ンスター相手に必死に修行して身に付けたのが、現実世界ではまだ
修められなかったこの第二奥義だ﹂
青葉は少なくない驚愕を覚えていた。
そんな奥義の名は聞いたことが無い。自分は父に“世重”という
665
奥義があることだけを教えられてきたのだから。
﹁兄貴が知らないのも当然だよ。基本的に“世重”を習得する方に
は成人になるまで青葉の歴史は教えてくれないんだ。
一人だけ子が生まれた時には“世分”と歴史をその子に教え、二
人生まれた時には“世分”と“世重”をそれぞれに伝える。三人以
上なら“世分”の割合が多くなるようにして⋮⋮とまぁ、そうする
のが青葉の伝統なんだ。“世重”を扱う方が暴走した時には“世分
”を扱う方がそれを抑える。そうして青葉の家は強大さをそのまま
に生き残ってきた﹂
そういえば、と。自分と燕が一緒に修行しない時間帯があること
を思い出した。
あの時には自分は“世重”を習っていたが、燕は“世分”を習っ
ていた、ということか。
﹁勝った奴が正しい。それが青葉の基本理念だ。だからって手に入
れたその力で何をしてもいいってわけじゃないのさ。“世重”は道
を切り開く奥義で、“世分”は道を正す奥義。私はお前らの道を正
すために力を付け続けてたんだよ。
まぁ、零都に横取りされたけど﹂
口を尖らせる彼女に対し、少し笑みを浮かべる。
立ち上がり、クラクラする頭を抑えた。
﹁なるほど⋮⋮“世分”は“世重”の抑止力。予想するに、己に掛
かる重圧全てを地に流す秘術か﹂
﹁御名答。この手で受け止めた技は全ての威力が大地に受け流され、
私自身には一ダメージも与えることは敵わないよ。打撃限定だけど﹂
666
流石に刃物は無理、と彼女は首を振る。
﹁勝った奴が正しい。私の勝ちだ。兄貴、約束は守ってもらう﹂
﹁⋮⋮わかってるよ、燕﹂
相変わらず馬鹿なことをしたものだ。
自分と燕に対し溜め息を吐き、雲一つとして無い空を見上げる。
これでよかったんだろう。
そう考え、青葉は妹と共に久しぶりに並んで歩き出した。
667
3−30:対等と抑止のセツルメント︵後書き︶
三件くらい落着。これにて三章﹁蒼天血海のハイクラスストラータ﹂
は終了です。
内容全然決めてませんでしたが、無事に終わって安心しています。
四章の方が中身スカスカで殆ど決めてないんですけどね。
四章はタイトル未定。一応﹁白﹂とか﹁雪﹂という文字は入ると思
います。次の舞台は雪が降るステージの予定ですので。
物語の内容は全然決まってませんがいつも通り大筋は決まってます。
そしてついにあの子が出てきます。
ええ、あの子です。あの子以外ありません。どう考えても主要キャ
ラで名前も滅茶苦茶出てるのに一回別れてから全く出ていないあの
子です。
何気に三章結構長かったですね。四章はもっと短くなると思います。
多分。
どうかこれからも読んでくださると書く側としては非常に嬉しい限
りです。では。
668
第三章:簡略モンスター図鑑︵前書き︶
同時更新で最新話もこれの前に更新されてますので、先にそちらを
御覧ください。
既読の方はこのまま読んでくださって大丈夫です。
669
第三章:簡略モンスター図鑑
※︿栄光の砂漠﹀※
・︿テンタクルカクタス﹀
三メートルほどの大きなサボテンであり、生える棘の全てが触手
である我らが触手様。
砂の中に隠れる習性を持ち、血を吸い取ることのできる器官を触
手の先端に持つ。旅人から血を吸い取ることで水分を手に入れてい
るが、それ以外の生態系は観測不可能なために不明。辛うじてミル
クが好物だということだけは分かっている。
︿ソーンテンタクル﹀という棘触手をドロップアイテムとしてよ
く落とし、稀に体内で生成されている特殊な媒液も入手できる。触
手はよくアレなプレイに使われるが、先述した通り触手の先端に血
を吸い取る器官があるので加工してから使用することをオススメす
る。
・︿サンドフィッシュ﹀
全長一メートルほどの砂漠を泳ぐ魚。砂を食べるだけで生きてい
ける便利なモンスター。
砂の中を泳ぐことができる魚。砂が無いと死んでしまい、娯楽と
して人間の内臓を食べることで有名。
素早く、口から砂球を吐くことができる。が、防御力がとてつも
なく低いため討伐は容易だろう。
呼吸は肺でしており、繁殖方法は交尾からの体内精製。ドロップ
アイテムとして︿綺麗な砂﹀を落とし、稀に︿砂魚の肺﹀が入手で
きる。
670
※︿王を据える火山﹀※
・︿レッドドラゴン﹀
ファンタジーの代表であるドラゴン。赤い色の種。
炎を吐くことができ、鱗は強固の一言に限る。頭や首をやられな
い限りは不死身のような体力を見せ、プレイヤー達に襲い掛かる。
一応爬虫類に分類され、デカイ蜥蜴のようなものだと考えると可
愛いもの。総じて肉が好物で戦闘を好む。
ドロップアイテムには︿赤竜の鱗﹀や︿赤竜の爪﹀などがあり、
稀に︿竜玉﹀を落とす。︿竜玉﹀は目玉である。
一説では火山を支配していた竜の王に仕えているという噂がある
が、所詮眉唾もの。レッドドラゴンの住む火山は攻略には一切関係
無い場所のくせに遺跡よりも妙に難易度が高いことで注目を集めて
いたが、攻略第一である上位階層の人々が立ち寄ることは少なかっ
た。
※︿砂嵐の加護を受けし街﹀※
・︿ファンタジーオルガニズム﹀
人型の化け物。赤黒い肌と通常攻撃の光線、及びその巨体が特徴
的なモンスター。幻想の名を冠する。
噂では元が人間だったという伝説が存在している。一〇〇〇人以
上の人間の怨念が集まり具現化した姿という説が今最も有力だ。
生息場所は不明。繁殖方法も不明。生態も不明。唯一悪食という
671
ことがわかっており、生き物であれば植物だろうと何だろうとその
口で喰らう。
特殊な光を体内で生成し制御することができ、それで光線を生み
出している。ドロップアイテムは不明。
672
4−1:懇願と提示のオブジェクティブ
レベル九一。ポイント残量四七〇。
なんだこの数値、と自分で自分に呆れつつステータスと睨めっこ
をしていた。
暴走時に何人か、はたまた何十人か殺してしまっていた結果か、
俺のレベルが急激に上がっている。
振り分けは実際に一度最前線のモンスターと戦ってから決めた方
が良い気がするので止めておき、画面を閉じた。
あの頃のレベルはまだ三〇台だったのにな。
時計塔の街。高く聳える塔の天辺を見上げ、心の中で漏らす。
意外と距離があり手に入れたスタミナポーションを結構使ってし
まったが、一日で砂漠を抜けられたのは良かった。
もう夕方。明日からスズを探しに最前線に行くことを考えると早
めにフーを生かすのための用事を済ませた方が良さそうだ。
俺の言葉を聞いてくれるかは疑問なところだが、一か八かで行く
しかない。
ゆっくりと覚悟を決めつつ街の入り口まで歩き、影を足へと集約
させる。
爆発。
南に向けて全力で駆けた。
風を切って進む。草を踏み、途中で通り掛かる︿ラスモスキート
﹀に懐かしさを覚えながら、ただ進む。
どれくらいの時間が掛かったのかは分からないが、日が沈むくら
いに着くことができて安堵した。
ウサギの故郷。︿始まりの街﹀。
影の爆発を止めて街を見回せば、沢山のスライムが建物の影から
覗いているのが確認できる。
︿ラフスライム﹀以外にも種類がいるようだ。
673
元気にやってるらしいことに微笑みを零して足を動かした。
広場で立ち止まり、目の前に鎮座する灰色のクリスタルを見据え
る。
﹁⋮⋮︽AI︾﹂
︽AI︾なら。
︽AI︾なら、きっと未知のウイルスの解析くらい訳無いだろう。
人間を遥かに越えた進化速度を誇る人工知能なら。
人間の想像を遥かに越える知能を有する狂った機械なら。
これは悪魔に魂を売るのと同じ行為だ。これは悪魔に加担するの
と同じ行為だ。
どんな条件を出されようと願いを叶えてもらえるのなら受け入れ
る。
どんな無理を言われようと願いを叶えてもらえるのなら受け入れ
る。
そもそも話を聞いてくれるかすらわからない。むしろ話を聞いて
くれる確率の方が低いはずだ。
それでも。
﹁助けてくれ﹂
頭を下げ、創造主へと請う。
﹁︿Free﹀を救ってくれ﹂
せめてもの礼儀として仮面を外し、素顔を曝した。
﹁どんな条件だって飲む。どんな代償だって受け入れる﹂
674
全ての元凶へ諂う愚かな行為。
わかってる。︽AI︾が俺とスズを引き裂いたことも、︽AI︾
が沢山の人間を死に絶える地獄を作ったことも。
怨むべき相手に媚びる俺は本当の愚者なのだろう。
馬鹿で愚かでどうしようもない人間。いや、化け物か。
﹁だから頼む。お願いだ。大切な友達なんだ﹂
そうだとしても。
フーの不運だけは違う。︽AI︾のせいじゃない。
彼女はこの世界を望んで、彼女は誰よりも現実での自分にコンプ
レックスを抱いていて。
唯一︽AI︾を怨んでいない人間なのではないかと思考する。
異端。
皆が望まないことをした︽AI︾の行為をフーは喜んだ。
それが駄目なことだとわかっていて。それがいけないことだと知
っていて。
フーのためになることをしてくれただけで︽AI︾に感謝する情
は沸いた。
怨みと感謝。俺が︽AI︾へと抱く感情。
﹁頼む﹂
真剣な気持ちを込め、そう言って立ち尽くす。
何秒。何分。何時間。ずっと。
気付けば、星が綺麗に輝いて見えるほどの時間になっていた。
やっぱり、無理なのか。
諦めかける。だが、当たり前のことだった。
たかが一人のプレイヤーのルール違反行為を認めてくれるはずが
ない。
675
せめて︿願いを叶える不幸の風﹀がまだ生きていれば。
いや、あれの願いは不幸を呼ぶ。それにフーを巻き込むのは得策
ではない。
ずっと下げていた頭を上げて背を向ける。
また明日の朝にでも来よう。
そう考えて立ち去ろうとして違和感を覚えた。
後ろから人の気配がする。
振り向く。
スグアン
﹁御初に御目に掛かる。俺の名は︿Thguon﹀。スンとでも呼
んでくれ﹂
金色の装飾が為された銀色のローブを纏った男性が、フードを深
く被り俺へと顔を向けていた。
反射的に発動した︿ロックオン﹀に映る文字に懐疑の言葉を発す
る。
﹁NPC⋮⋮?﹂
﹁ああ﹂
どこか不思議な親近感を感じさせられる相手だった。
﹁それより、随分と必死に頭を下げていたな﹂
背中の方向にあるクリスタルを振り返り、スグアンと名乗った彼
が言う。
しょせん
﹁そんなにその願いは大事か? 所詮その相手とは数日間の付き合
いだろう?﹂
﹁時間なんて関係無い。お前は俺やフーのことを知ってるみたいだ
676
けど、だったらシノのことも知ってるはずだ。彼女と俺だってまだ
出会って間もないけど、互いに親しい仲だと感じてる﹂
﹁⋮⋮まぁ、一目惚れって言葉もあるくらいだからな。時間は関係
無いか。失礼した﹂
謝罪する男に﹁いや﹂と返し、﹁それで﹂と続けた。
﹁お前は何者だ?﹂
﹁何者、とは?﹂
﹁俺やその周りの人のことを知ってるような口ぶりだったけど、普
通のNPCならそんなことは知らないはずだ。何かあるんじゃない
のか﹂
疑いの視線を向ける俺に対し、彼は口の端を吊り上げた。
﹁﹃結界﹄﹂
男が呟いた瞬間、クリスタルを中心に淡い幕が広がり始める。
フードからウサギが飛び出し、それから逃げるように広場から離
れて行った。
幕は広場を包み、そこには俺と目の前のフードの男だけが立って
いる。
﹁何をした?﹂
少々の警戒をする俺に対し淡々と彼は答えた。
﹁スキルや能力の干渉を受けないよう結界を張ったんだ。システム
による保護のために権限を持っている者で無ければ解くことはでき
ない。これで誰にも話を聞かれることはないだろう﹂
677
﹁⋮⋮本当に何者だ、お前は﹂
﹁お前じゃなくスンと呼んでくれ﹂
クリスタルを囲むように建っている塀に腰を掛け、彼︱︱スンが
﹁さて﹂と切り出す。
﹁俺の正体ならいずれ分かるはずだ。そんなことより今は優先させ
るべきことがあるだろう?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁願い事だよ﹂
思わず﹁叶えてくれるのか?﹂と問い掛けていたが、彼は首を振
った。
﹁それは無理だ。俺やそこらのNPCにウイルスを解析できるほど
の知能は備わっていない。正真正銘︽AI︾にしかできないことさ﹂
常に進化し続ける頭脳にしかできない、と言って肩を竦める。
なら何を優先させるって言うんだ。
焦っている様子の俺を見兼ねたのか、スンが窘めて、言う。
﹁落ち付け。︽AI︾にしかできないのなら、正攻法で︽AI︾へ
願いを請えば良いという話だ。このような無駄な祈りで無くてな﹂
﹁正攻法って﹂
﹁︿願いを叶える不幸の風﹀以外にも願いを叶える方法はある、と
いうことだ﹂
その言葉に食い付いた。
﹁それは?﹂
678
﹁ただで教えるのは少し迷う事柄だが⋮⋮まぁいいか。お前には楽
しませてもらってる。
今の最前線がどこかは知っているか?﹂
名無しの言葉を思い出す。
﹁確か、時計塔の街の北の森だったか﹂
﹁ああ。その森を抜けると雪の降る地域に出る。そこで≪神≫を探
せ﹂
﹁神?﹂
﹁詳しいことは言うことができないが、そこにいることは確実だ﹂
塀から降り立ち上がり、彼が背を向けた。
﹁雪が降ると言ってもそこら中が雪だらけだから注意しておけ。雪
原もあれば雪の村もあり雪で埋め尽くされた林もある。雪の降ると
いう条件のみではかなり広い一帯だ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あとは自力でどうにかしろ。俺のような正体不明な男に頼ること
なんてせずにな﹂
言い、どこかへ歩いて行ってしまう。それを見届け、俺もウサギ
が弾き飛ばされた方へ体を動かした。
広場を包んでいた淡い膜が消え去る。
左肩に飛び乗ってきたウサギの頭と思われる部分を一撫でして、
足に影を収束させた。
爆発。時計塔の街まで駆ける。
﹁≪神≫を探してどうするのかは知らないけど、スズのこと以外に
具体的な目標ができたのは確かだ。一緒に頑張ってくれ、ウサギ﹂
679
元気に一度ピョンと飛び跳ねるウサギ。その姿に笑みを浮かべな
がら仮面を付け直し、ウサギをフードの中に入れた。
680
4−1:懇願と提示のオブジェクティブ︵後書き︶
凄く⋮⋮悪い出来です。
駄目な部分とか指摘してくださると助かります。
681
4−2:割当と乱戦のフロントライン︻?︼
時計塔の街に戻り夜を明かし、翌日。
朝食を終えてからアカリをこの手で殺した場所まで行き、合掌を
した。
一分ほどそのままでいて。両手を下ろし、北の方角を見据える。
﹁行くか、ウサギ﹂
呟き、歩き出した。
︿人喰い﹀がいないためか前のように警備はそこまで厳しく無く、
バレる確率は限り無く低い。
北門を抜け、フィールドを進み、雑魚モンスターを適当に狩りな
がら北を目指した。
森林が見えてくると自然と早歩きとなっていて、意外と早く着く。
ここが最前線。
真緑色の葉などがしつこいほどに密集していて明かりがあまり届
いていない。まるで軽い洞窟のように入り口から先は視界が悪くな
っていて、注意して行かなければ簡単に不意を突かれてしまいそう
だ。
木々が総じて太く、そこまで密集していないことが幸いか。戦闘
に必要な広さは確保できる。
深呼吸をし、覚悟を決めて足を踏み入れた。
ウサギにはフードの中から後ろを見張ってもらうことになってい
る。万が一の時は姿を現して戦ってもいい、とも。だから俺は前だ
けを注意していればいい。
そう思っていた。だが、足に違和感を覚えて下を見る。
﹁虫⋮⋮?﹂
682
ダンゴムシのような生物が足元に密集していた。大きさはそのま
まなので本当にダンゴムシそのものと思えてしまうが、違う。
︿ロックオン﹀。名称︿デッドイート﹀。
自分のHPとMP、TPを見るが、何も変わっていない。満タン
のまま。
何をしている。
その疑問は次の一歩を踏んだところで判明した。
急に足元の重みが無くなる。
落とし穴だ。頭から落ちそうになったのでその場で半回転をして
足から着地した。
深さは五メートルほど。今の俺ならこの程度ジャンプ一つで軽く
飛び越せるが、問題はそこではない。
見上げ、気付いた。
大量のヒルのような生物が落下してきている。名称︿ブラッドド
リンク﹀
先程までは姿が見えなかったが、ここは森林だ。隠れる場所など
大量にあり目の届かぬところも多くある。
相手の一匹が天を覆う木々の葉の間から落ちてくるのを見て舌打
ちをした。
ここでは上も下も注意していなければならない。
ヒルは確か人の体に引っついて血を吸い取る生物だったはずだ。
こいつらがそのままなのかはわからないが毒を持っている可能性も
ある。一応適当にゴールドを調達して︿毒消しポーション﹀を買っ
ておいたが、あまり使いたくない。
﹁ウサギ、︿スライムショット・イクス﹀﹂
ウサギにそう言うと真後ろから青いスライム状の塊が放たれた。
それに押し戻されていくヒル達を視界に収め、一跳びで穴から脱出
683
する。
その直後にウサギが慌てたように俺を耳で叩いてきて、すぐさま
その意思を理解した。
剣を引き抜いてその勢いのまま斬撃を繰り出す。
甲高い音を立てて拮抗した。相手は熊のような生物で、そいつの
振るった爪を剣で受け止めている。名称︿レヴィベア﹀。
今は早朝だが、この森林は十分に暗い。影も全開で扱える。
影を腕の補助に回して無理矢理押し切った。
身体の重心がズレて立て直そうとするレヴィベアを視認し、回し
蹴りを御見舞する。衝突と同時に影を爆発させ、威力を上げた。
ドン、と結構な音を立てた痛恨の一撃だったはずだが、相手は二
メートルほど後退するだけで軽く耐えている。これが最前線のモン
スターなのだろうか。HPも殆ど減っていない。
強い。
手加減していれば死ぬと本能で判断し、剣を強く握った。
︱︱︿セイスミックショック﹀。
レヴィベアのスキル。聞き覚えのあるそれは対処法もわかってい
る。
相手が足を振り下ろすのに合わせ軽く跳び上がった。
地面が音を立てて凹む。予想より凹んでいないが、おそらくは周
囲の木々が根を張り巡らせて補強でもしているからだろう。
影を纏わせた腕を振り上げ、地面に着地する勢いのまま持った剣
を振り下ろす。
腕に食い込んだ。ついでとばかりに︿スキルコレクション﹀で半
分ほど補正を掛け、そのまま切断しようと力を込める。
両断。その直後は完全に油断していた。
レヴィベアは自分の腕が切り落とされるのを何とも思っていない
かのように腕を振るう。いや違う。腕を切り落とされる時に既に攻
撃の準備をしていた。
避けられない。
684
体に受けて吹き飛ばされる。運が悪く樹木に激突し、肺から息が
無理矢理吐き出された。
咳き込みつつ前を一瞥して、息ができないせいで力の入らない足
を無理にでも動かして右へと転がる。後ろからの轟音に振り向けば
先程いた木々に穴が開いていた。レヴィベアの追撃だ。
まだ満足に息が回復していないが力ずくで立ち上がる。一秒間三
割の持続︿スキルコレクション﹀で体全体を補強しつつ相手を見据
える。
﹁化けろ⋮⋮︿レッドドラゴン﹀﹂
絞り出すかのような声。両腕を竜の腕へと変えた。
竜の腕と言っても、大きさは自分の体に合わせて縮小させている。
元の人間の腕より一回り大きいくらいだ。
右手だけで剣を持ち、左腕は開かす。
突進してくるレヴィベアを凝視した。
相手が爪を振り下ろすと同時に足裏に集めていた影を小爆発させ、
丁度相手の斜め後ろで着地をする。振り向かずに繰り出される蹴り
を開いている影が覆う左手で受け止め、右腕を振り上げた。
︿スキルコレクション﹀。
持続︿スキルコレクション﹀で利用しているのは回復分のTP量。
元々在った分のTPを全て注ぎ込んで振り下ろす。
頭蓋を叩き割った。
HPゲージが真っ白に変わり、相手の体が倒れていく。
﹁⋮⋮ふぅ﹂
感傷に浸り緩みそうになる警戒心を元に戻し、戦いの反省をする。
相手が自分の腕を犠牲にしてまで攻撃を優先するとは予想外だっ
た。攻撃する時に俺が切断部分のみに集中していたのも悪かっただ
685
ろう。攻撃の瞬間は明らかな隙だとわかっていたはずだ。
足りないものは幾つかある。
攻撃力。影の補助だけではまともなダメージが通らない。これで
は補助無しでの威力も窺えるというもの。ポイント振り分けはST
R︱︱筋力を中心に割り振った方が良いと判断した。
防御力。いや、耐久力。たった一発で咳き込んで動けなくなるよ
うでは駄目だ。VITも上げる必要がある。ついでにHPも上げた
方がいいかもしれない。
TP。急所に当てなければ勝てないようでは駄目だ。切り札の威
力を上げるためにも量を上昇させるのは必須だ。
注意力。DEXを上げればこれを上昇させることも可能だろう。
攻撃の瞬間の隙を小さくするためにも上げる必要がある。
INTやMPは近接特化のためにあまり必要無いが、相手が魔法
攻撃を使う時のためにWISも最低限上げた方が良いはずだ。素早
さに特化したモンスターがいないとも限らないしAGIももう少し
上げた方が安心出来る。
LUK︱︱運は⋮⋮あんまりいらない。
ここでステータスポイントを割り振るのは愚策だ。一度戻ってか
らにした方が良い。
取り敢えず戻る前にレヴィベアを取り込もうと思い、袖を捲りつ
つ近付いて︿ポートライトマウス﹀を発動。腕に口を生やして捕食
していく。
体中に口を生やすスキル。気持ち悪いと思う人もいるだろうし、
人前ではあまり見せたくない力だ。シノが受け入れてくれたのは素
直に嬉しかった。
シノはもう目を覚ましたのかな。
深い思考に陥りそうになり、首を左右に動かして振り払う。警戒
を怠ってはいけない。
ついでとばかりに︿デッドイート﹀と︿ブラッドドリンク﹀も食
べ、その後に注意を怠らずに道を戻っていく。
686
外に出ると一息を吐き、メニューを開いた。
ポイント残量四七〇。
STRに一〇〇、VITとHPに七〇ずつ、TPとDEXに六〇
ずつ、AGIとWISに四〇ずつ、MPとINTに一五ずつ。と、
一度配分を考える。
中途半端にMPとINTを上げるくらいならいらないか。いや、
でもこれから必要になってくるかもしれない。
大量のポイントを一気に振り分けるというのは少々不安が残る。
俺がINTを必要とするのは一部のモンスターの技を使う時。だ
がそれは元々のモンスターの力でINTが必要無い程度の強さは誇
っている。
MPはモンスターの特殊な力を使う時に必要となる。ファントム
ナイトの鎧やファンタジーオルガニズムの通常攻撃。今ならあの通
常攻撃にも十分に耐えうるレベルになっているため使う時も増える
かもしれない。
考察を繰り返し、STRの振り分けを一五、HPを五。それぞれ
減らすことにした。
一〇ずつをMPとINTへ追加して二五ずつ。
STRは八五。HPは六五。
不安を殺すように胸に手を当てて深呼吸をし、全てを振り分ける。
今更だが。考えれば、少しずつ割り当てて調整していくのがベス
トなような気がする。もう遅いけれど。
﹁⋮⋮戻るか、ウサギ﹂
後悔しそうになる気持ちから目を逸らすように再び森へ足を踏み
入れた。警戒せざるを得なくなる感覚。次第と体を重くする後悔と
いう感情は薄まっていく。
無駄に振り分けてしまったのならその無駄を有効的に活用すれば
いいだけの話だ。
687
まずはモンスターとの戦闘に慣れたりするところから始めようと
思索し、集中力を高めた。
688
4−3:割当と乱戦のフロントライン︻?︼
そろそろ正午も過ぎた頃だろうか。正確な時間は分からないが、
なかなかコツが掴めてきた。
本来ならもっと沢山の時間を掛けなければならなかったはずだが、
おそらく職業︿ソウルイーター﹀の補正だろう。
背後から襲い掛かってくる毒蛇︿ドットスネーク﹀の咬み付きを
避けながら思考する。
﹁ウサギ、︿スライムショット﹀﹂
フードから少し体を出したウサギから放たれたスライムが、ドッ
トスネークへ当たって破裂した。
怯んだ敵へ剣を突き刺し、切っ先に影を凝縮させて爆発させる。
﹁っと﹂
そのまま剣を振り上げ、落ちてきていたブラッドドリンクを切り
裂いた。飛び散る体液をひょいひょいと避け、足元に急に出現した
落とし穴を︿ラフモスキート﹀の翅でホバリングすることで回避す
る。
ホバリング中は移動が遅くなるので早めに落とし穴の横に着地し
た。
この森には色んなモンスターがいる。
デッドイートのように直接的な被害は無いが間接的な被害を及ぼ
してくるモンスター。ブラッドドリンクのように戦闘力は限りなく
低いが数と特殊な攻撃方法で厄介さを倍増させるモンスター。レヴ
ィベアのように戦闘力特化のモンスター。
レベルも先程一だけ上がり、手に入れた一〇ポイントはHPとS
689
TRにそれぞれ五ずつ振り分けた。
何となく、疲れてきたなと思う。
スタミナポーションを実体化させて口に含む。肉体に活気が戻っ
てくるのがわかった。
食事は定期的にモンスターを捕食しているので問題無く、またす
ぐに戦いができそうだ。
﹁⋮⋮?﹂
適当に進んでしまうと迷いそうな森だが俺は飛べるから関係無い。
そう思考してどんどん奥へと進んでいたが、気になるものを見つけ
て足を止めた。
神殿がある。
苔が生えたりしている古い石造りの建物だ。
近付いてみるが特に変わったところなどは無い。いや、モンスタ
ーが近寄って来ないというのが変わったところと言える。
休憩地点なのかな、なんて思いつつ入口らしき場所から内部に足
を踏み入れた。松明が通路の両側に定期的に設置されていて視界に
は困らない。
そのまま真っ直ぐ進むと広い場所に出た。
周囲を見ても何も無いが、その場の中央に気になる人と物がある。
宝箱と女の子。開けようと頑張っているようだが上手くいってい
ないようで。
﹁何してるの?﹂
訊くと、こちらに背を向けたまま答えた。
﹁ここにあった宝箱を開けようと頑張ってるです。そちらは?﹂
﹁適当に歩いてたらここに着いて、この建物の中に君がいたから声
690
を掛けた﹂
そう言うと、少女が振り返る。
最初に見た時から気になっていたが特徴的なのは頭に乗せる赤い
三角帽子だろうか。髪は緑色のショートで、服装は三角帽子と合う
同じく赤色の魔法使い風ローブだ。
翡翠色の瞳を俺へと向け、目を細めた。
﹁珍しい匂いがしやがります。レアモンスターとか連れてるです?﹂
ウサギのことだろう。フードの中にいるのに何故バレたのか疑問
ではあるが、肯定という形で頷いておく。
﹁見せてもらいてーのですが、いいですか?﹂
﹁いや、無理﹂
ウサギを見せれば自分がプレイヤーキラー︱︱︿人狩り﹀だとバ
レる可能性がある。
だから断ったのだが、どうやら納得してくれないようだ。
必死に頼み込んでくる彼女をかわす。ここに一人でいるというこ
とは最前線で戦うソロプレイヤーだろう。もし戦闘になったら勝て
るかどうかもわからない。そんな相手に無用に戦闘に陥りそうにな
る種を撒けるものか。
﹁んー⋮⋮じゃあほれ、これ。この宝箱上げますから。ね、お願い
です﹂
﹁いや、そういう問題じゃなくて﹂
﹁どんな問題でも関係ねーです。兎に角見せろです。お願い﹂
根気強く頼み込んでくる。そんなに気になるのだろうか。
691
このままでは埒が明かない。本当にどうしようかと迷っていたが、
無理矢理見られるくらいなら自分から見せた方が良いだろうと思考
した。
もし何か俺に気付くようなことがあれば不意打ちで気絶でもさせ
ればいい。
すぐに攻撃に移行できるように準備をしつつ﹁ウサギ﹂と名前を
呼んだ。
フードの中から出て左肩に乗ってくる。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
目を輝かせてウサギを観察していた。時々考えるように顎に手を
当てたり、触ろうと手を伸ばしたりもする。
俺の正体に気付く様子は無い。
警戒をある程度解いた辺りで女の子が口を開き、言った。
﹁凄く懐いてやがります﹂
コード
良く見れば、彼女の瞳が金色に光っていのが分かる。
能力、だろうか。スキルの発動は感知できなかったのでその可能
性は高い。
﹁⋮⋮故郷を救ってもらったんです?﹂
ウサギに向け首を傾げる彼女の言葉を聞き、驚嘆が心に染み込ん
だ。
言葉。いや、モンスター限定で思考が読めでもするのか?
もしかしたら。
止めかけた警戒を再開したが、相手はそれ以降喋らなくなる。
692
﹁⋮⋮どうもです﹂
しばらく経ってからそう言って、少女はウサギから視線を外す。
ウサギもフードの中に戻っていった。
﹁譲ってもらいてーなんて考えてましたけど、これじゃ駄目そうで
す。凄げー懐いてて手が出せねーです﹂
困ったように頭を掻く相手をしばらく観察していたが、俺に危害
を加えようとするような様子は無い。
溜め息を吐いて肩を竦めた︱︱直後。
気付いた。
﹁⋮⋮嫌な予感がする﹂
俺の言葉に疑問符を浮かべる少女。真剣な表情をする俺を見て、
彼女も何事かと警戒心を上げていた。
これが現実なら嫌な予感なんて信じ難い感覚は頼りにしなかった
だろう。
だがこの世界は違う。
この嫌な予感はおそらく︿ソウルイーター﹀の補正の産物だ。信
じるに値する。
﹁カモン、︿ミート﹀﹂
少女の左手。その人差し指に付けられていた指輪が一瞬だけ金色
に光り、彼女の真横に魔法陣が形成されていく。
そこから出てきたのは黄金色のライオンだった。
一目で分かった。
強い。
693
﹁そいつは⋮⋮?﹂
﹁ユニークモンスター︿百獣之王﹀の猫ちゃんです。砂漠で迷っち
まった時に出会ったです﹂
猫、って。
鋭い雰囲気を放つ目の前のモンスターからは闘気しか伝わってこ
ない。思わず身構えそうになる。
百獣之王︱︱ミートは俺に近付いてきて、そのまま。
舌で俺を舐めてきた。
﹁あ、てめーが気に入ったみてーですね﹂
鳴き声はモンスターそのものであるが泣き方は猫らしい。上目遣
いで擦り寄ってくる。
可愛いとは思えないが。
苦笑しつつミートの頭を一撫でし、入口の方へ視線を向けた。
来る。
同じように気配を感じたようでミートも睨むようにしてそちらを
見た。
︿ロックオン﹀。名称は︿森の民﹀。
肌の色が黄土色の人型で、顔全体には大きな目が一つだけ付いて
いる。
驚いたのはそいつが武装をしていたことだ。
両手に︿レヴィベア﹀の爪を加工したようなクローを付け、体に
は同じく加工された皮で肉体を守っていた。
ハッキリと視界に入ってくると同時にミートが威嚇の声を上げ、
俺も︿レッドドラゴン﹀の声帯を具現化して威嚇する。
俺の出した声に少女が驚いた様子で凝視してくるが、今は説明な
んてしている暇は無い。
694
相手が口を開き︱︱目をバツ型の四分割に割き、その中から出現
した牙が無数に生える内部を見せ︱︱咆哮を上げた。
﹁化けろ、︿レヴィベア﹀﹂
左腕をこの森で倒した熊のモンスターのものにしつつ、足元に集
めた影を爆発させる。
接近して爪を振るった。
それはギリギリで両手に持ったクローをクロスして防がれる。そ
れを視認しつつ右手で剣を引き抜き、
両腕を防ぐことに使っているためにがら空きとなっている胴へ横薙
ぎを繰り出した。
当たると思っていたが、そう甘くは無いようだ。
相手が上半身をそのままの体勢で膝を曲げ、刃を頭上に通過させ
る。外れ。
そのせいで左腕が急に下がり、バランスを崩してしまった。元に
戻そうとしても間に合わない。隙を突くように蹴り上げ、森の民は
空中に放り出された俺へクローを伸ばしてくる。
﹁ミート﹂
しかしその攻撃はミートが阻止してくれた。無理にでも森の民へ
突っ込むことで突撃を防がざるを得なくしてくれたのだ。
着地すると同時に両腕を竜のものへと変える。更に自らの影に周
囲の闇を取り込み、腕に帯びさせた。
黒い竜の手腕。
﹁もう一度⋮⋮﹂
足に影を溜め、踏み出す。
695
4−4:割当と乱戦のフロントライン︻?︼
影の爆発で急接近しながら剣を天井へと投げつけた。
突き刺さるのを見届け、森の民が目前まで迫ったところで右手に
存在する竜の爪を突き出す。
今回は先程の︿レヴィベア﹀のように甘くは無い。影を全力で付
加していた。
だからこそなのだろう。防げないと判断しただろう相手は横へ移
動することで避け、そのままクローを振るってくる。
クローを左腕で防ぎ、相手のクローを強く握った。
﹁頼む﹂
真剣に放った言葉にミートが小さく吠えることで反応する。
俺が抑えている間にミートがスキルを発動し、森の民へと。
︱︱︿レイジングクロー﹀。
ぶっ放す。
ミートの爪が赤い光を纏い始めた。
繰り出された一撃は強烈の一言に限る。
振るわれたスキルを受けた森の民が爆砕した。肉体の破片が飛び
散り、内臓が零れる。
﹁凄い、な﹂
﹁ソロで最前線に挑み続けるならこれくらい強くねーと生きていけ
ねーです﹂
呆然としていた俺へと発せられる少女の言葉。呼応するようにミ
ートが鼻を鳴らした。
このくらいの威力なら頑張れば俺でも出せるが、そうではない。
696
溜めずに出せることが強みなのだ。現在最強の手札である︿スキ
ルコレクション﹀の重ね掛けは溜めに時間が掛かる。
俺もそろそろ︿ソードバック﹀以外のスキルが欲しいものだ。
天井に投げた剣を回収しながらそう思う。
﹁そう言えば、何で剣を上に投げたんです? そのまま使えばいー
じゃねーですか﹂
﹁ミートが決めてくれなかった時の保険だったんだよ﹂
︿ソードバック﹀を︿スキルコンディション﹀で操作して脳天に
落とそうと考えていたが、意味は無かった。
影に︿ポートライトマウス﹀を付加させ、飛び散っている︿森の
民﹀の肉片を喰らって取り込んでいく。
﹁能力ですか?﹂
﹁ああ﹂
﹁かっけーです﹂
シノにも同じようなことを言われたな、なんて思いつつ全てを食
らい切る。
格好良い、のだろうか。
結構グロい映像だ。それはない。おそらくシノとこの少女の感性
がおかしいだけのはず。精神を侵されたりライオンを猫ちゃんとか
いう感覚を持ってる二人がおかしいだけのはずだ。
﹁⋮⋮んー﹂
﹁どうかしたです?﹂
﹁いや⋮⋮倒したはずなのに嫌な予感が消えないというか⋮⋮﹂
むしろもっと強く警報が鳴っている。
697
疑問を感じつつもこれ以上何かが来る気配は無い。さっさとこの
場から退散すれば嫌な予感からも逃れられるはずだ。
外へ繋がる道を歩もうとしたが、それを少女が妨害してきた。
﹁乱入されたせいで忘れかけてたけど、約束通りの宝箱です。開け
れるもんならさっさと開けやがれです﹂
そう言って宝箱を渡してくる。
開けないと道は譲らない、とでも言う風に少女は仁王立ちをして
いた。嘆息を吐きながら開けようとしたが、鍵が掛かっていること
に気付く。
なるほど、自分には開けられないから俺に譲ったのか。
苦笑しつつ影を指先に集めた。鍵穴へと近付け、埋まるようにし
て影を詰めていく。
そのまま捻って解錠した。
宝箱が開く。中には何が入っているのだろう。地面に下ろし、二
人で内部を覗き込む。
巻物が入っていた。
﹁スキルの巻物⋮⋮ですね﹂
なんのスキルかはゲットしなければわからない。そのためか、期
待するような目で少女が俺を見つめてくる。
何のスキルか確かめろと視線で語っていた。
俺も気になるので、取得をしてアイテムストレージを表示する。
巻物にカーソルを合わせ、︻解説︼をクリック。
﹁レアスキル︿レゾナンスユニオン﹀の巻物。スロット使用数は一
三。好感度が一定以上の使い魔と合体をすることができるスキル。
使用者には使い魔の力を全てを反映され、扱うことが可能﹂
698
テイマーしか意味の無いスキルだが効果は強力だ。
スロット数は確認する。数は二一。空きは一三。ギリギリだった。
﹁つまり使用者と使い魔のステータスが合計されるってことですか
? そいつはすげーですが、普通のテイマーにはあまり意味のねー
もんですね。大体テイマーってのは前衛のモンスターを従えて自分
は後衛に徹するもんですし、後衛が前衛の能力を手に入れたところ
で上手く扱えるわけがねーです。てめーは違うみてーですけど﹂
俺が前衛でウサギがサポート。まさに通常のテイマーとは正反対
のテイマーもどき。
だが、だからこそこのスキルが生かせる。それにこれだけスロッ
トを消費するってことは相当なスキルということなのだろう。
無意識の内に笑みが浮かんでいた。
﹁って、注意事項があるな﹂
下の方に書いてあったから気が付かなかった。
﹁ただし使用中は使い魔が窮屈な思いをすることになるので、長時
間の利用は使い魔にとって好まれないものとなる。好感度が一定以
下になると強制解除されるため注意をすべし﹂
声に出して読むことで少女の方にも伝わるようにする。
つまり、好感度を犠牲に力を手に入れるスキルということなのだ
ろうか。
膨大のスロットと好感度。それだけの対価があれば良いのだが。
﹁ん﹂
699
フードから指示無しに出てきたウサギが少女の方へ何かを伝えよ
うと跳ねていた。
視線を通わし、ウサギが先に外してフードに戻る。
少女が俺の方を見て口を開いた。
﹁自分は構わないから存分に使ってくれ、って﹂
﹁⋮⋮言葉が分かるのか?﹂
﹁モンスターの軽い思考や言葉なら能力で分かりますが﹂
﹁君じゃない。ウサギだ﹂
もし分かるのなら少し問題が出てくる。
ウサギが俺達の言葉を理解しているとして。少女がウサギの思考
を覗くことができるとして。
ウサギは俺のしていたことをしっかりと把握していて、少女はそ
れを見ることができるということ。
彼女は俺の正体を知っているかもしれないという可能性が非常に
高くなる。
﹁⋮⋮分かってるみてーですが﹂
剣を少女に向かって構えた。
ミートが守るように彼女の前に陣取り、吠える。
﹁なら俺のことを知ってるということだろう。不意でも狙って殺す
つもりだったか?﹂
﹁落ち付けです。てめーが︿人狩り﹀だってことは兎のスライムの
思考から知見したことですが、だったらてめーがプレイヤーキラー
になった経緯を知ってるってことも分かりやがれです。てめーみて
ーなやつを敵とは判断しねーです﹂
700
本当のことなのだろう。ミートを宥め、下がらせてくれた。
いつでも斬りかかれる。だが俺が斬らないことを確信しているよ
うな表情。
しばらく彼女の瞳を見据え、嘘では無いことを確認して剣を仕舞
った。
﹁悪かった﹂
﹁どーでもいーです。元々プレイヤーキラーであろーと邪魔しねー
限りは何にもしねー主義だったです。
そんなことよりさっさとスキルを覚えやがれです﹂
ああ、と返事をしながらミートに近付く。先程の主への非礼を詫
びるように頭を下げ、許してくれたようで俺を再び舐めてきた。
開いていたアイテムストレージから︿レゾナンスユニオン﹀の巻
物を実体化させる。
巻物を開くと粒子になって消えていく。同時に何かが嵌め込まれ
たような感覚が肉体の内部で蠢いた。
スキルを覚えたらしい。
﹁俺のこと、周りにバラすか?﹂
﹁言わねーです。元々新しいモンスター以外に興味なんてねーです。
どんどん新しいモンスターが見ていられればそれでいーです﹂
それだけのために最前線にいるのだろうか。それは随分と面白い
理由だ。
メイ
﹁てめーもモンスターみてーな人間だから興味があるです。なんな
らフレンドになってやってもいーですよ。私は︿May﹀。名前教
えやがれです﹂
701
﹁プレイヤーキラーって知っていながらフレンドに誘うのか。まぁ
いいけど﹂
嘆息を吐き、その後に﹁ノートだ﹂と簡潔にハンドルネームを伝
える。
相手が空中で手を動かしたかと思うとフレンド登録の画面が目の
前に出現した。
イエスオアノー。イエスを選択し、フレンドになる。
﹁それじゃそろそろ俺は行くよ﹂
﹁私も行くから出口まで付き合ってやるです﹂
並んで二人で︱︱いや、二人と一匹で進む。外へ向かって。
愚かにも忘れていた。嫌な予感を感じていたことを。
神殿を出て周囲を見渡し、顔を歪めた。
﹁どうやらまだ別れには早かったみたいだ﹂
﹁らしーですね﹂
ミートが咆哮を上げる。それに答えるように神殿を囲むモンスタ
ー達も雄叫びを発した。
無数の︿森の民﹀。
そして。
﹁この森のボスか⋮⋮﹂
巨大な蜘蛛が、神殿の上にいつの間にか作られていた巣からこち
らを見下ろしていた。
名称を︿アーススパイダー﹀。
名の前には﹃An﹄という特有のマークも付けられている。
702
ボスの証。
舌打ちをし、剣の柄を強く握った。
703
−
怒りの一撃。その威力は絶大。しかし
4−4:割当と乱戦のフロントライン︻?︼︵後書き︶
※解説※
︿レイジングクロー﹀
使用後の隙が大きく、発動時のモーションも非常に分かり易い上に
射程も短い。
704
4−5:割当と乱戦のフロントライン︻?︼
﹁ミート、︿獣王の咆哮﹀﹂
少女︱︱メイが自らの使い魔へ命令を下す。
︿獣王の咆哮﹀。
スキルの発動を察知。その直後にミートの放つ威圧感が増大し、
赤い粒子のオーラを僅かに纏い始めた。
口を開け、吠える。
荒れ狂う風。嵐とも呼べるそれを前方へ撃ち、敵を一気に殲滅し
ていく。単純な威力ならば︿レイジングクロー﹀と呼ばれたスキル
の方が強力であったが、範囲と射程で考慮するとすれば断トツで高
いスキルだ。
多くの︿森の民﹀がミートの︿獣王の咆哮﹀で命を失っていく。
それでも大して減ったようには思えなかった。いなくなった場所
はすぐに他の︿森の民﹀で補完され、こちらの目からは先程と全く
同じ状況にしか感じられない。
メイが舌打ちを吐く。
﹁数が多すぎんだよです⋮⋮﹂
苦虫を噛み潰したような表情だ。
﹁普通のゲームならボスの取り巻きから片付けるのが定石なんでし
ょーが⋮⋮今回は止めた方が良さそーです﹂
確かに。
取り捲きである︿森の民﹀の数は半端が無い。倒しても倒しても
埒が明かないとはこのことだと強く実感する。
705
ならばどうするか。
答えは一つだ。
メイが俺の方を向く。
﹁私とミートで雑魚共を抑えてやるです。その内にてめー⋮⋮じゃ
なくてノートがあの蜘蛛を倒せです﹂
﹁いいのか?﹂
﹁一三スロットのスキルを悩まず付けられるような奴が範囲攻撃ス
キルなんて持ってるわけねーです。それに空中戦は得意じゃねーで
す。私しかこの役割はできねーし、ノートしかその役割はできねー
です。だから仕方ねーんです。さっさと行きやがれです﹂
それはそれは。申し訳ない。
﹁了解。全力で取り組ませていただくよ﹂
足に影を溜める。いつもより多く。周囲の影も取り込んで。
方向は真上。あの巨大な蜘蛛︿アーススパイダー﹀。
一発目。急接近による不意打ちが重要となるだろう。
︿スキルコレクション﹀。
一気に全TPを剣に付加させる。大量の白い粒子が鞘ごと刀身を
包み出して。
影を爆破させて空中へ加速すると同時に引き抜いた。
その内に回復していた分を更に︿スキルコレクション﹀で補正を
追加し、すぐに目の前まで迫ったアーススパイダーの頭胸部へ剣を
振り被る。
力の限りに叩き斬った。緑色の体液が宙へと漏れていく。
﹁大きいモンスター相手じゃ分が悪いな﹂
706
剣の面積が足りない。こういう時には鈍器が一番好まれる。
アーススパイダーが呻き声を上げながら俺へと顔を近づけてきた。
︿インストール﹀。︿レーザー﹀。
二つのスキル発動音声が頭の中で同時に木霊する。
俺はファンタジーオルガニズムの通常攻撃を具現し、口内へ光を
収束させた。
アーススパイダーも同じように光を圧縮し、︿レーザー﹀らしき
スキルの準備を進めていた。
互いに同時に技を放つ。
赤黒いと白色の光線が激突し、周りへ余波を起こしつつ聞いたこ
ともないような轟音を拮抗が奏でる。
剣同士の金属同士が当てられた甲高い音とは違う。
拳が地面を撃ち砕く鈍い音とも違う。
表現し難い周波数。普通なら聴くことすら適わない音色。
自らの光線へ︿スキルコレクション﹀でスキルの補正を掛けさせ
つつ、︿インストール﹀で︿レッドドラゴン﹀の翼を具現化させた。
ついでに影も帯びさせる。
これで落ちない。
加えてもう一度スキル補正を付加しながらそう思い、次の手を打
つ。
﹁ウサギ、酸性モードからの︿スライムショット・イクス﹀﹂
命令を聞いた使い魔が左肩から一時的に跳び、身体を泡立てる赤
いスライムへと変化した。
顔と思わしき部分の正面に魔法陣が出現し、巨大な赤いスライム
を撃ち出す。
それが相手の八つの目の内の一つに衝突した。
アーススパイダーが悲鳴を上げる。
そして嫌なことは続くものだ。
707
目に攻撃を食らったせいで︿レーザー﹀の位置が僅かにズレ、そ
の隙間へ俺の放射する光線が埋め尽くす。近付いた強力な光は容赦
なく目の一つへと当たってしまい、目を抉っていた。
更なる悲痛の叫び。同時に元に戻ったウサギが左肩に戻ってくる。
アーススパイダーは残りの目で俺達を捉え、憎しみと殺意を容赦
なく向けてきた。
完全に俺とウサギをターゲットにしたということ。
このまま戦っても勝ち目は無い。
先程は不意打ちだから上手くいったに過ぎない。ボスがそんなに
甘ければ苦労しない。
MMOで言うボスというのは通常、何人もの仲間と共に挑むもの。
油断は死に繋がる。
本気になったであろうアーススパイダーが攻撃を受けていない六
つの目で周囲を見渡す。
何かを確認するような仕草。
次の瞬間。アーススパイダーは円網から全てを足を離し、飛行す
る俺達の方へ落下してきていた。
目を見開き、翼を全力で羽ばたかせ横へ避けて回避をする。
それは束の間の安息だ。かわした俺達を六つの目で視認した相手
は出糸突起︱︱糸を吐く部分を俺達の方へ向け、先端に在る無数の
突起から幾つもの糸を撃ち出してきた。
紙一重で避けるのは愚策。あれに捕まれば一瞬であいつの獲物に
なることは確定なのだから。
余裕を持つように全身全霊を掛けて避けに徹していた。翼へ影に
加え持続性︿スキルコレクション﹀も付加しその勢いを無理にでも
増させ。
全部の糸を吐き切ったアーススパイダーが糸を引っ張り、本体を
引き寄せてくる。
真ん中に来るように誘導して糸を吐かれていたことに今更ながら
気付いた。もう避けることはできない。
708
何とか迎撃するしかない。
︱︱︿インストール﹀。
両腕をファンタジーオルガニズムのものへと変化させる。大きさ
は人の腕並みに。
本当はそのままの大きさが良かったが、それでは糸に捕まってし
まう。
全力を込めて迫るアーススパイダーの体を殴った。糸を吐く突起
に当たらないよう慎重で大胆に。
僅かに後退したが、すぐに糸で引き戻されて戻ってくる。
当たり前だ。予め無数の糸を張り巡らせていた奴を吹き飛ばせる
わけがないのだから。
相手の巨体が俺の肉体へ打ち付けられた。脳へと激しい痛みが訴
えられる。正しい判断が一瞬だけできなくなる。
その一瞬のせいで生身で追加の攻撃を受けてしまった。堅いモン
スターを具現せずに。
巨体と樹木に挟まれて表現のしようのない感覚が体全体を掛け抜
けて行く。痛い。熱い。冷たい。
HPが急速に減っていった。
ウサギはスライムだからなのか打撃には強いのだろう、上手く隙
間に体を丸めてやり過ごしている。
俺はどうすればいい。
どうすればこの場を切り抜けられる。
︱︱︿ロックオン﹀を一時的に一点集中状態にし、他の注意を断
つことでランクを上昇させますか?
走馬灯。いや違う。勝つために必要な情報が脳裏を過ぎっていく。
どうすればいい。
アカリとの戦闘が思い返された。
簡単だ。
喰らえばいい。
︱︱︿ポートライトマウス﹀。
709
全身が口へと変化する。
腕も。足も。首も。顔も。腹も。胸も。内臓さえも。
まずは樹木を喰った。間髪入れずにアーススパイダーの肉体を食
べた。
緑色の体液が漏れる。痛みで相手が樹木から離れようとする。
まだだ。
影を総動員して無理矢理に自分の肉体をアーススパイダーの縛り
付けた。
全てを以って全てを喰らう。
出糸突起の内部へ入り込む。邪魔な皮膚や内臓は全て喰らって入
り込む。
体液。気管。糸。
ここは随分と暗い。当然だ。体内が明るいはずがないのだから。
ここにある影は全てが俺の支配下。何も見えない暗闇は影の力を
最大に助長する。
影に口を付加して周囲を喰らう。
出糸突起。それを全て。
外に放り出された時には出糸突起の役割が機能しなくなるほど中
身を食い荒らしていた。
もう糸は吐けない。
﹁は、ァ⋮⋮﹂
落ち付け。
少し落ち付け。
竜の翼を出してその場で飛行をする。
焦り過ぎた。正常な判断ができていない。
先程は一度食べた後すぐに離脱して回復すべきだった。なのに過
剰に攻撃をしてしまって。運が悪ければそのまま殺されていた。
アイテムストレージから即座に︿ハイポーション﹀を実体化させ
710
てそれを飲む。
もう少し慎重に行くべきだ。慎重に。確実に。
このままやればいけるはずなんだ。
糸を吐き出す器官は潰した。だから。
︱︱舐めていたと言わざるを得ない。最前線のボスモンスターと
いうのを。
感知した。スキルを。
︿第二形態﹀。
アーススパイダーの体が歪に膨れ出す。
最初の八本の手足に加え、更に八本の手足がその体に生え出した。
潰したはずの出糸突起は何故か頭胸部へと変化していく。
頭二つに手足が一六本。
ボスの本当の姿。
糸を吐く器官が無くなったためか、アーススパイダーは地面へと
落下していった。
最初に生えていた八本の足で着地し、新たに生み出されたもう一
つの頭胸部にある口が産声を発する。
﹁メイ!﹂
あそこには足止めを頑張ってくれていた少女がいる。
翼を消して重力に沿って落下を始めた。
剣を構える下へ突き出すように。
だが、新たに生えていた四本の手となる部分が俺の行動を許して
くれない。長く伸ばしたそれに付属する爪で俺を切り裂こうと振る
ってくる。
それと剣を衝突させてしまい、攻撃を加えることができなかった。
弾かれて地に着地すると同時にメイの安否を確認。大丈夫。︿森
の民﹀は当初と比べれば多少は数が減っていて、それ故にアースス
パイダーの放つ攻撃にも何とか対処できているようだ。
711
俺のせい。
心の中で自分に叱責をしながらスキルを発動させる。
俺はメイに勝利を託されている。だから勝たなければ。
こんなとこで立ち止まるような奴が≪神≫に会えるはずがない。
再開した時にスズを守れるはずがない。
だから。
﹁いくぞ、ウサギ﹂
もたら
初めて使うそれがどんな結果を齎すのかは分からない。だけどや
るしかないんだ。
新たに手に入れたそれを。
ウサギが小さく頷くのを確認し、口を開く。
﹁︿レゾナンスユニオン﹀﹂
712
4−5:割当と乱戦のフロントライン︻?︼︵後書き︶
段々と適当になってきているような⋮⋮。
あと最近の話は凄い微妙ですよね。すみません。
713
4−6:割当と乱戦のフロントライン︻?︼
俺の真下の地面に魔方陣を出現し、強く青い光を放った。
一瞬。
何かがカチリと嵌め込まれるような。力が満ち溢れるような感触
を肉体に感じる。
異物の侵入。だが、心地の良いものだった。
﹁これがウサギの⋮⋮﹂
頭からスライムで作られた兎耳が一対生えたことを自覚しつつ、
右手を顔の前まで上げる。
甲に魔方陣が描かれていた。左手もだ。
視界にも変化が生じている。
普段の人間としての目線に加えて物体の熱量が見えていた。サー
モグラフィのようなものだ。これが兎の保有する視界ということな
のだろう。瞳は今頃青色になっているはずだ。
耳も随分と遠くの音さえ拾ってくれる。近くの細かい音だって。
これなら。
これならいける。
足に影を溜め、飛び跳ねた。
兎としてのジャンプ力が今の俺にはある。それに影の補助を加え
ればこの場を縦横無尽に支配できるはずだ。
アーススパイダーの繰り出してくる幾つもの手足による攻撃を避
けつつ、冷静になる。
あまり調子に乗るのは良くない。レンの二の舞になってしまうか
もしれない。
慎重に。大胆に。
目で敵を観察した。
714
狙うのは目。視界を断絶させる。
酸性モードとなり、︿スライムショット・バースト﹀を発動。手
の甲の魔方陣が呼応するように回転を始め、手の平から赤色のスラ
イムが溢れ出した。
撃つ。
一発目は足で防がれる。皮膚が特殊なのか酸性としての効果はそ
こまで効いていないようだ。
振るってきた歩脚を避け、もう一度手の平を向ける。回転速度は
上がっていた。放たれたスライムが目を狙うも再び防がれ、今度は
口を開けて︿レーザー﹀を放射してくる。
樹木の一つへと飛び移ることでそれを避けてスライムを発射。ガ
ードされた。
次の樹木に飛び移りながらもう一発。今度は当たる。目の一つを
潰し、現在俺が相対している方の頭部に存在する目は残り六つ。
連射速度が目に見えて上がってくる。
撃って避けて撃って撃って避けて撃って撃って撃って避けて撃っ
て撃って撃って撃って避けて。
最初は単発だったのにいつの間にかマシンガンのような激しさと
なっていたスライムがアーススパイダーに襲い掛かっていた。
そんなものを防ぎ切れるはずがなく、アーススパイダーは徐々に
多くのスライムを体に食らっていく。目は以外に当たっても大した
効果は無いため時間がかかってしまったが、やがて全ての目を潰し
終えた。
次は反対側。
影と兎が合わさった脚力で反対側の地面まで猛スピードで向かい、
もう一つの顔に相対する。その頃には︿スライムショット・バース
ト﹀は使えなくなっていた。MP切れである。
﹁悪かったメイ。こっちに落としちまった﹂
﹁別にいーですよ。戦闘方法が変わる系のやつじゃねーかと思うの
715
で、多分こーなるのは変えられなかったです﹂
近くにいた彼女に謝罪を済ませ、今度は剣の柄を強く握る。
今度は接近戦。
︱︱︿ディスアビリティスレッド﹀。
新しいスキルを感知し、確認するように耳と目を最大限に稼動さ
せた。
空中に無数の魔方陣が現れる。
それを注視した。観察し、熱量を分析。
一致。
内部から撃たれようとしている物体の温度がアーススパイダーの
吐き出す糸と一致していた。
魔方陣の向く方向から逃れるように走り出すと同時、予測通り無
数の魔方陣から大量の糸がばら撒かれる。
目で追い切れる数ではない。
だが今の俺には耳がある。
空気を裂く音から全ての居場所を解析し、四方八方に加え真上か
らの糸も回避し続ける。
攻撃はそれだけではなかった。
アーススパイダーの歩脚によるもの。口元より放射される︿レー
ザー﹀。
糸が地面に張り付いて障害になるという事態もあった。
このままではどんどん不利になってしまう。
だから。
︱︱︿スキルコレクション﹀。
短期決戦を挑む。
剣を白い粒子が包み始めた。影も付加し、力を追加する。
敵の顔面へ飛び跳ね、触肢を掴み勢いを殺して着地。
刀身へもう一度︿スキルコレクション﹀を付加すると粒子が光へ
と昇華した。
716
周囲の影さえ取り込んで。
最後に赤いスライムを纏わせる。
﹁ッ︱︱﹂
目へと刃を振り抜いた。蜘蛛の目は二列となっている。一列目の
四つを横薙ぎ一気に破壊し、続く二撃でもう一列も壊した。
悲痛の叫び。
﹁まだだ⋮⋮﹂
補正の切れた刀身へ︿スキルコレクション﹀を再装填した。
もう目は見えない。だから今の俺へと来るのは自動追尾らしい︿
ディスアビリティスレッド﹀のみ。
次は。
剣を最初にあった六本の内、最も長い歩脚の根元に刃を翳す。
突き刺し、全力で切り裂いた。
それで俺の居場所がバレて残りの手足を俺へと放ってくる。糸が
張り巡らされているせいで回避が難しいが、何とか見極めて退避し
た。
影の補助と兎の脚力を合わせた超ジャンプで一本の樹木へと近寄
り、側面に足の裏を付ける。先程裂いた歩脚と対を成す長いそれを
見据え、再び跳んだ。
︿インストール﹀で具現化した︿ラスモスキート﹀の翅で軌道を
修正して糸を避けつつ接近し、剣を振り被る。
切り裂いた。
ここまで上手くいったのが奇跡だったのだろう。その時点で手足
の一撃を食らってしまい、地面に叩き付けられた。
呻き声が漏れる。
717
﹁まだ⋮⋮﹂
力ずくで起き上がり、超ジャンプをして樹木へ飛び移る。叩き付
けられていた場所は既に無数の糸で埋め尽くされていた。
剣へ三つの補正を付加させる。赤いスライム、︿スキルコレクシ
ョン﹀、影の補助。それぞれが混ざり合った不可思議な色合いとな
った刃の切っ先をアーススパイダーへと向けて飛び跳ねる。
頭部へと突き入れた。
歩脚を斬る時に皮膚が硬いことは分かっていた。普通に斬っても
効率は悪い。脳へと直接一発入れることで決めるのが一番の手段の
はずだ。
溢れる体液を無視し、もう片方の頭胸部まで糸に当たらないよう
に注意して進む。
体に俺の駆ける感触があるのだろう。手足を無理矢理に曲げて攻
撃をしようとしてくる。
それを何とかかわしつつ剣を振り上げ、残った反対側の頭部へと
切っ先を入れた。
二つの脳を破壊。
それでも敵は止まらない。むしろ悪化している気がする。
見境無しに手足を振り回し、見境無しに︿レーザー﹀を放つ。
︿森の民﹀さえ顧みずに。
樹木の上方へ跳んで一度全体を見渡し、頭部へと刺す時のように
切っ先をアーススパイダーへ狙い付けた。
本気の超ジャンプ。影の補助の兎の跳び。
トドメ。
腹部に存在する心臓と思われる部分へ突き立てる。
ずっと俺を狙っていた魔法陣が消え、アーススパイダーも動かな
くなった。
倒した?
HPが〇になったいることを確認して剣を柄に収める。
718
地面に降り、メイの元へ行こうとする。
これで終わり。ボスは倒した。
そのはずだった。
﹁馬鹿野郎です! クリアの告知が出るまで油断するんじゃねぇで
す!﹂
︱︱︿第三形態﹀。
スキルを感知した。後ろから物音がした。
︿ロックオン﹀に捉えられている巨大蜘蛛のHPが急速に回復し
ていくのが確認できる。
驚愕で振り向いて言葉を失った。
こちらに面する頭胸部が再生し、そしてそれ以外の腹部やもう一
つの頭胸部が無くなっている。
全てが歩脚に変わっていた。
無数の手足を保有する化け物が咆哮を上げ、俺達との戦闘時に張
り巡らせた大量の糸に足を付ける。
幾つもの糸と歩脚。
二つが揃うことで、敵は全方向を思うがままに移動することが可
能になっていた。
︱︱︿インストール﹀。
これまでとは格が違うと判断して即座にファンタジーオルガニズ
ムの通常攻撃を撃ち出す。しかしただ移動するだけで避けられ、螺
旋状に回転するようにして糸を伝い接近をしてきた。
刃の届くギリギリの範囲で一撃を振るおうとも、糸と歩脚を上手
く使って紙一重で躱してくる。
どれだけ繰り出そうとも全てを。
単純な素早さなら今の俺の方が上だろう。だが軌道力が違う。上
も下も斜めも横も前も後ろも全ての方向へ自由にいつでも移動でき
る敵が相手では、剣は簡単には当たらない。
719
ああ、そうか。
第二形態は糸を張り巡らせるためだけの単なる布石だったんだ。
﹁これが本番かよ⋮⋮!﹂
悪態を吐きつつ剣を振るう。先程まではこちらが素早さで勝って
いたために好きなだけ襲撃を繰り出せていたが、今は全くの逆。俺
の攻撃が届かない。
ミートが偶に︿獣王の咆哮﹀などで補助をしてくれるが展開は変
わらなかった。三次元を縦横無尽に動き回って楽に掻い潜る。空を
飛ぶモンスターなんて目ではないくらい自由に移動して。
やがてアーススパイダーの反撃が始まる。
使っていない数多の歩脚の振り回し。一本や二本なら良かった。
だが全方位から来る多量の打ち付けは最早絶望だ。
対処の仕様がない。
当然全てを回避なんてできるはずもなく徐々に体に傷が増えてい
く。何とか致命傷は避けているが、それも死を長引かせることにし
かならない。
﹁⋮⋮!﹂
焦っていた。だからミスを侵してしまう。
糸の存在する方向へ回避をしてしまった。
捕えられる。随分と粘着性が強く、全力で体を動かしてもビクと
もしない。
アーススパイダーの顔が迫り、鋏角を見せた。
濃い紫色の液体が滴っている。どう見ても猛毒だ。
それが近付いてくるのをただ見ていることしかできない。
﹁く、そ﹂
720
︿スキルコレクション﹀。
全身全霊を込めて糸から離れようと試みる。影も使う。スライム
も使う。
少し動いた。だが、たかが一〇センチ程度。
時間が足りない。
︿ポートライトマウス﹀。
糸を喰らう。影も利用し、縛り付けを解くように。
それも意味は無かった。
食べたそばから再生する。幾ら食べても無駄で、ただ意味の無い
ことを繰り返すだけ。
激情が体を支配するも、あのスキルは発動しない。
現在はHPはギリギリ五割以上を維持していた。それは発動条件
の一つを満たせていないということ。
毒の付いた鋏角が残り数十センチまで近付いてくる。
ファンタジーオルガニズムの光線を撃とうとしてもMPが足りな
かった。
手詰まり。
﹁ぁ、ぁあああああああああああアアアアアアアアアアアアアア!
!!!﹂
叫んだ。
何のためなのかは分からない。
死にたくないという意思だったのかもしれないし、せめてもの抵
抗だったのかもしれないし、助けを呼ぶためだったのかもしれない。
それとも全てなのか。
ただ、声を上げた。
腹の底から全力で。
そうして鋏角が残り数センチに迫り︱︱。
721
﹁︱︱︱︱﹂
殺された。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
俺が、じゃない。
アーススパイダー。巨大蜘蛛が殺された。
﹁君、は⋮⋮﹂
目の前に煤けた灰色のローブを纏いフードを被った誰かがいる。
背中を向けているが間違い無い。出会ったことがあった。
火山の麓。攫われたフーを取り戻しに行く時に助けてもらった相
手。
そいつがグローブを付けた右手に持つ短剣の切っ先をアーススパ
イダーに突き刺し、静止していた。
切っ先、というよりも先端か。
その短剣には刃が無かった。刀身は鋭い円錐の形状をしていて、
先端だけが刺突としての攻撃の役割を備えている。
刃の無い短剣を刺されたアーススパイダーがゆっくりと伏してい
った。
HPは〇。
放ったのは一撃。
おそらく刃が脳に届いていたと判断できるが、それだけでアース
スパイダーが死ぬだろうか。
何かスキルやアビリティ、もしくは能力が関連している確率が高
い。
ボスがやられたためか糸が消失して体が解放された。残っていた
722
︿森の民﹀も粒子になって消えていき、同時に中空に︻ステージ︿
怪異の森林﹀・完全クリア︼という文字が浮かび上がる。
完全にボスを倒した証だった。
723
4−7:割当と乱戦のフロントライン︻?︼
﹁ノ⋮⋮﹂
メイが走り寄ってきた。俺の名を呼ぼうとしたようだが口を噤む。
他人が居るのにプレイヤーキラーの名を呼ぶのは流石にマズイから、
という配慮を察した。
代わりに心配の言葉を紡ぐ。
﹁大丈夫です?﹂
ああ、と頷くことで答えた。その際に︿レゾナンスユニオン﹀を
解除し、俺を助けてくれた相手にバレないようにウサギにはフード
に入ってもらう。
急に体が重くなったことを感じつつ、口を開く。
﹁ありがとう﹂
﹁別に。助ける気は無かった。早くボスを倒したかっただけ﹂
愛想無く淡々と告げるローブの少女。感情を感じさせない抑揚の
無い声だった。
それに苦笑をする。
﹁助けたって発想が出てくるってことはそれを意識してくれてたっ
てことだと思う。だからありがとう﹂
再度の御礼。今度は何を言い返してくることもなく、一瞬だけ顔
を向けてくるだけだった。
724
﹁︿最強﹀が誰かと会話するなんて珍しいじゃねーですか﹂
メイが感心したように呟く。
︿最強﹀。どこかで聞いたことがあった。
確か。そう。前の最前線だった遺跡をクリアしたプレイヤーの二
つ名だったか。
少しだけ驚嘆を覚えローブの少女を眺める。もしかして一人で倒
したのかなと推察をする。周りに仲間らしき人影は無い。ボスを一
人で倒したとするのなら称賛に値するなんてものじゃない。
ローブの少女︱︱︿最強﹀はメイと面して首を傾げた。
あるじ
﹁⋮⋮誰?﹂
﹁︿主﹀のメイ⋮⋮って言ってもわかんねーですか。︿最強﹀はレ
ベル上げ以外に殆ど興味は示さねーって聞いてますし﹂
肯定も否定もせずに︿最強﹀は身じろぎせず佇む。表情が見えな
いので話を聞いているのかどうかも疑問なところだ。
﹁そんなことより次のフィールドに行くための道筋を探すぞです。
ボスを倒したんだからどっかに道ができてるはずです﹂
ひたすら
﹁神殿の先じゃないのか?﹂
﹁只管に森林が続いてやがります。遺跡で手懐けた︿グリフォン﹀
に乗って確認したです﹂
本当にどうなってやがるんですか、とムスッとした雰囲気で続け
て呟く。
︿最強﹀もどこから繋がっているのかは分からないのか、何も口
出しせずに傍観してきていた。
﹁まぁ取り敢えずは⋮⋮﹂
725
アーススパイダーの死体に近付き、影を全体に広げる。
これだけ大きいと流石に補正の強さや精密さなんかはかなり下が
ってしまう。だが動かない敵を喰らう適度ならこの程度で十分だ。
︿ポートライトマウス﹀。
メイは兎も角、新しく加わった︿最強﹀に見せるのは忍びない。
けれどこれ以外に取り込む方法はレッドドラゴンの時のように︿融
合﹀からの派生なのだから仕方が無い。あちらの方が気持ちが悪い
はずだ。
吸収が終わると同時に影を引っ込める。同時に剣も鞘に戻してお
く。振り向くと、何故か︿最強﹀が先程とは違い驚愕の感情を俺へ
と送ってきているような気がした。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
しかし何も言ってこなかったので何もしない。
俺の力に何か思うところがあったのかなと察する。気持ちが悪い
とかそういう類のものは全く籠って無かったが、少しだけ憎しみの
ようなものが混じっているような感覚がした。
何を考えていようと、会ったばかりの他人の思考なんて予測しよ
うもないけれど。それに気のせいという可能性もある。
﹁意味も無く神殿が建ってるわけがねーはずですから、ここに何か
あると思うけどです﹂
供述をしつつ、メイがミートを連れて神殿の内部へ入っていく。
それに付いて行った。
一本道。松明が並ぶ道を通る。やがて宝箱があった小さな広場に
辿りつき、そこで異変に気付いた。
奥の方の床に魔法陣のようなものができている。
726
﹁あれに乗れってことかです?﹂
触れられるような位置まで来ると、メイが指輪へミートを収めて
それの上に乗った。
輝きが増し、粒子がメイを包み込む。
数秒後には彼女の姿が消えていた。どこかへ転移したと推察をす
る。
︿最強﹀が続いていなくなり、俺もその後に続く。
眩しさに目を閉じ、開いた時に見た光景は先程とはまったく違っ
ていた。
一面雪の世界。真っ白な景色。
﹁さみー⋮⋮です﹂
自らの体を抱くメイ。︿毛布﹀をアイテムストレージから出して
いる様子を視界の端に収めつつ、周囲を観察した。
天に太陽は窺えない。薄暗い雲が遠くの空までを満たしている。
もたら
それでも結構明るいが、降り注ぐ雪が僅かな光さえ何度も反射して
情景に光を齎しているようだった。
ここは見たところここは雪原。雪の積もる枯れ木を左右に二本見
掛け、俺達が足場にしている場所の半径二メートル辺りだけしっか
りとした地面になっている。魔法陣も描かれており、これによりあ
の神殿に戻ることができるのだと考える。
この一帯のどこかに≪神≫は居るのだろうか。
﹁近くに街とかねーんですか?﹂
﹁今のところどの方向にも確認できない﹂
メイが﹁うへー﹂と如何にも嫌そうな顔をした。
727
何も見えないのに手探りで探すのは流石に大変そうだ。
どうするか。
色々と思考を張り巡らせていると、︿最強﹀が一歩踏み出す。
﹁どっちか分かったのかです?﹂
﹁⋮⋮適当﹂
物凄く不安になる言葉だけを残して歩き出した。
メイと視線を合わせ、﹁あれ一人にしていいのか?﹂と気持ちを
僅かに共有する。
溜め息を吐きつつ、俺が先に付いていった。メイも小走りで隣に
並んできて、結局三人で街を見つける旅をすることとなる。
前途多難だ、なんて思いながら足を進めた。
﹁本当に進んでやがるんですか、これ﹂
銀世界の風景もずっと続くと流石に飽きてくる。疑惑を浮かべる
メイの口弁もまた然り。
数秒。数分。数時間。
三人とも足が疲れたような様子を見せないのはステータス補正の
御蔭だろう。現実ならこんな足場の悪い道を進み続ければ体力が持
たない。
もうそろそろ街が見えても良い頃だけど。
そう思った直後、真後ろから雪を打つような音がした。
振り向く。︿ロックオン﹀も発動し、音を出した本体に焦点を合
わせる。
︿ゼットスノウマン﹀。
見る限りでは普通の雪だるまだった。
腕は木の枝。鼻はニンジン、目と口は木炭できており、頭にはバ
ケツが乗せられている。緑色のマフラーも着けていて、雪が少しだ
728
け積もっていた。
ゆきなだれ
外見的にはそこまで強そうには思えないがここは最前線。油断は
禁物だ。
︱︱︿雪雪崩﹀。
スキルを感知。名前からして予測が簡単なそれを把握すると、俺
は片腕でメイを抱えて跳び上がる。
﹁ちょ﹂
メイが戸惑いの声を上げる。無理もない。あいつはまだ何も動い
ていないのだから。
動作無しでのスキル発動など予測できないはずだ。普通なら。
ゼットスノウマンの前方の雪が不自然に盛り上がる。それが急激
に巨大化し、何十メートルと言った大きさになると動き出した。
圧倒的な物量を誇る雪の波が迫る。
その先に居るのは︿最強﹀だ。俺はインストールでレッドドラゴ
ンの翼を具現化し、既にメイを抱えてスキルの範囲外に出ていた。
︿最強﹀は。
雪崩を回避する。それもとんでもない方法で。
﹁なん、だあれ﹂
無意識の内に言葉が漏れていた。
あれは誰にでも思い付く方法。だけど誰も実行しない方法。
雪崩を横から回り込んで避けること。
素早さ、軌道力。共にアーススパイダーと同等。いや、それ以上
だろうか。かつて目にした燕の速さなど霞んで見えるほどだ。
そこからゼットスノウマンへ一直線に駆け、一瞬で辿り着いた︿
最強﹀が手に持つ短剣で突きの構えを取る。
一閃。
729
ゼットスノウマンが崩れ落ちた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アーススパイダーの時のように同じ一撃。それに戦慄を覚えつつ、
別のことにも驚きを隠せなかった。
あれはまだ本気の速度じゃない。
︿ソウルイーター﹀としての勘のせいでそれが理解できてしまう。
﹁これが︿最強﹀か⋮⋮﹂
敵わない。今の戦闘を見ただけで、そう感じた。
730
4−7:割当と乱戦のフロントライン︻?︼︵後書き︶
お わ か り い た だ け た だ ろ う か
⋮⋮すみません。ノリで言ってみただけです。すみません。
本編とは一切関係の無い発言ですので気にしないでくださると幸い
です。
731
4−8:雪街と図書のミソロジー
﹁やっと見えてきやがりましたね⋮⋮﹂
メイが辟易といった様子で呟く。
遠くの方に街が見えてきていた。
道中には色々なモンスターに出会ったが、俺達の出る幕は無く、
殆ど︿最強﹀が片付けてしまっていた。
兎に角殲滅力が半端無い。複数のモンスターが出た場合は舞うよ
うに全員へ一撃を加えて容易に殺し、一匹の場合も同じく一瞬で終
わらせる。
その際の死体は回収しているが、︿最強﹀の戦闘力には驚かされ
るばかりだ。
﹁私は街に着いた後はすぐに宿に直行してーんですが、てめーらは
どうします?﹂
﹁俺は取り敢えず情報を集める。この地域のどっかに目的のやつが
いるはずだから﹂
﹁意味わかんねーです。︿最強﹀はどうするんです?﹂
話を振ると、前を歩いていた︿最強﹀が一度立ち止まり、一言だ
け発した。
﹁新しい戦闘フィールドを探す﹂
﹁ですよねー﹂
メイの反応に何も示さず再び歩き出す。相変わらずだ、なんて思
いながら付いて行った。
732
﹁ってことは、街でお別れですね﹂
﹁そうだな﹂
しばらくして街に着き、少し眺めようと足を止める。
石造りの建物が並んでいる中世風の街だ。
地面は雪で埋め尽くされているために石床のようなものの存在は
確認できないが、雪原よりは足場がしっかりとしている。
ここが新たな街。
﹁それじゃ、またな﹂
﹁またなです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
それぞれ別れを告げ、街へ入っていく。
俺が最初にしたのは周囲を見渡すこと。
目的の場所を見つけ、そこに近付いた。
道具屋。
中に入り、NPCの店員の挨拶を受ける。
﹁地図、ってないかな﹂
カウンターにいた青年へ声を掛けると、営業スマイルを浮かべた
まま首を傾げた。
﹁どこの地図でしょうか﹂
﹁この街の地図﹂
伝えると、﹁少々お待ちください﹂という言葉を放ってカウンタ
ーの下を探し始める。
数秒後、丸め紐で縛られた紙を差し出してきた。
733
﹁三〇〇〇ゴールドとなります﹂
スタミナポーションを手に入れる時に少しだけ稼いでおいたので、
まだ少しだけ余裕がある。
ゴールドを渡して地図を受け取り、店を出た。
紐を解いて開く。
﹁⋮⋮図書館、か﹂
街の中央にその表記を見つけ、目を細めた。
地図をポーチに仕舞って歩き出す。流石に街の真ん中に行くのに
地図はいらない。
目的の場所にはドームのように巨大な建物が建っていた。
大きな扉。大きな時計。丈夫そうな壁。
感嘆しながら扉を開き、中に入る。
内部もよくできた造りだ。流石に現代のものまでは程遠いが、ジ
ャンルで分けるなどで便利さを生み出している。
俺が探すべきはどんな種別だろう。
この地域一帯の地図。それともモンスターの情報。いや、≪神≫
と呼ばれるくらいならたかがモンスター図鑑のようなものに乗って
いるはずがない。
神話、というのが一番近いかもしれない。
結論付ける。そうしてそのジャンルの部分を探し始めて何分か経
ち、やっと探し当てた。
試しに一つの本を取ってみる。が、どうやらこれは現実でもある
神話の本のようだ。この世界特有のものではない。
色々混じっているのかな、と推測をする。この世界の本と現実の
本。両方が。
目的の情報を掘り出すのは苦労しそうだ、と肩を竦めた。
734
◆◇◆◇◆◇
︱︱≪神≫は矛盾を好む生き物だった。
︱︱地中に眠る≪神≫の目を覚ますには。
︱︱矛盾した存在が必要となる。
﹁これ、か?﹂
酷く薄く、ボロボロな紙切れにしか見えないそれを手に持ったま
ま、唸る。
大雑把な地図が書かれているが、それはどうやら雪山を示してい
るようだった。
目指すべき場所は分かったが、暗号のような三行の分が気になる。
だが考えても仕方が無いと割り切り、紙切れを元の場所に戻して
図書館の出口へ向かった。
外に出ると既に結構暗いことに気付く。図書館の外に付けられて
いる時計は一九時を指していた。
雪が特殊なのか僅かな光さえも反射するので一定の光は確保でき
ているが、探索は明日からにした方が良いだろう。
この地域の雪は何か特殊な効果があるのかな、と少し疑問に覚え
つつ地図を片手に宿を探した。
﹁一泊お願いします﹂
近くの宿へそう言って入り、告げられた値段のゴールドを渡す。
735
一人部屋。
鍵を受け取って指定された番号の部屋の前まで歩いていった。い
ざ入るという時に何故か内部から破壊音のようなものが聞こえ、嫌
な予感を抱えつつ扉を開ける。
﹁あ﹂
どこかで聞いたような女性の声。目を向ければ、顔を引き攣らせ
たメイがそこに居た。
何故いるのだろうと思いながら視線を動かすとその疑問は氷解す
る。
壁が壊されていて、そこから隣の部屋と繋がってしまっていた。
﹁⋮⋮なにしてんの、メイ﹂
﹁あ、新しくこの街で買ったスキルを試してみただけなんです⋮⋮
悪気は無かったんです﹂
﹁いや、俺に言い訳されても﹂
困惑気味に苦笑する。それでも申し訳無さそうにするメイへ﹁店
主のNPCに謝りに行けばいい﹂とだけ言って、部屋にあったイス
に腰掛けた。
僅かの間を置いて謝罪へ行った彼女が戻ってくるが、今度はもっ
と申し訳無さそうな表情をしている。
﹁どうかしたのか?﹂
﹁⋮⋮いえ、その⋮⋮﹂
気まずそうに視線を合わせない。
だが、やがて決心したように顔を上げ、口を開いた。
736
﹁巻物を買い過ぎたんです﹂
急に何だ、と思ったが、ゴールドが足りないということを察する。
﹁⋮⋮提示された修理費が足りないとかか? 悪いけどゴールドは
そんなに持ってないぞ﹂
﹁そうじゃなく⋮⋮修理費は何とか足りたんです。ですが宿泊用の
料金が足りねーんです﹂
首を傾げた。
﹁先払いじゃなかったっけ﹂
﹁いえ、私の借りた隣の部屋じゃなく⋮⋮この部屋の分です﹂
﹁この部屋?﹂
﹁ノートは無関係だから別の部屋に移ってもらう、って話になった
んですが⋮⋮その場合ノートは無料で、私は二部屋分の宿泊料を払
わなくちゃいけねーんです﹂
なるほど、と頷く。同時にメイの言いたいことも何となく把握で
きた。
﹁でも、いいのか?﹂
﹁気にしねーです。ノートがいいなら是非お願いしてーです。この
ままじゃ借金背負うことになっちまうです﹂
焦ったように懇願してくる彼女に再び苦笑し、分かった、と了承
をする。
メイの言いたいことはつまり︱︱。
﹁壁が繋がったこの部屋を使ってくれ、ってことだよな。この部屋
737
の料金は先払いで俺が払ってるから、俺が部屋を移動しなければメ
イは払わなくて済む﹂
﹁⋮⋮そーゆーことです﹂
コクコクと首を縦に動かす。
俺の方は特に問題があるとは見受けられない。
これが見知らぬ他人だったなら、寝ている間に仮面を取られたり
することを警戒していなければならない。だが正体を知っているな
ら話は別だ。気軽に休むことができる。
唯一の問題と言えば着替えなどであるが、片方が部屋を出ていれ
ば何も問題は無い。むしろこちらは相手が気にするべき事柄なので
相手が良いと言っているならいいだろう。俺が気にすることではな
い。
﹁ウサギ、出ていいよ﹂
フードから出てくるスライムが床に着地するのを見止め、アイテ
ムストレージを展開した。
瓶ごと水を実体化。ウサギへ垂らす。
嬉しそうに吸収する使い魔を微笑ましい気持ちで見守る。その様
子を興味深くメイが観察してきていた。
﹁水だけでいーんですか?﹂
﹁問題無い﹂
全部流し終えると﹁おかわり、おかわり﹂とでも言うように小さ
く跳ねるので、御希望に沿って︿水﹀を実体化させ、再びこぼした。
﹁そっちは食べさえなくていいのか?﹂
﹁なにがです?﹂
738
﹁ミートに、だよ﹂
﹁いらねーですよ。テイマーにはモンスター保存のスキルが使える
ので、それで体力を節約すれば、食事は一週間に一度くらいで大丈
夫です﹂
﹁へー﹂
ねだ
水を流し終えると、またおかわりをウサギが強請ってくる。しか
しこれ以上は駄目だと伝え、拗ねた様子の使い魔を抱えて机に置い
た。
頭を撫でていると、次第にウサギの力が抜けていく。形が崩れて
平面になっていく感じだ。
﹁撫でるのうめーんですね﹂
﹁まぁ⋮⋮義妹で慣れてるから﹂
﹁義妹、です?﹂
﹁ああ。最近会えてないけど﹂
呟いて感傷に浸る。会えなくなってどれくらいの日数が流れただ
ろう。俺にとってはたったの数日、数十日。
でも、スズにとっては四ヶ月以上。
俺が現実で眠っていた三日は大きかった。
﹁なんか訊いちゃいけねーこと訊いちまったみてーです﹂
﹁そうかな﹂
﹁そうです﹂
ばつの悪い思いを醸し出すメイは紛らわすように指輪に触れる。
魔法陣が現れ、ミートが実体化した。
﹁今日はいいかなって思ってたけど、頑張ってくれたんで褒美です﹂
739
アイテムストレージから取り出したであろう生肉を皿の上に乗せ
て床に置く。それに近付いたミートは一度臭いを嗅ぐ動作をしてか
ら口に含んだ。
美味しそうに食べている。
﹁俺達も何か食べるとするか﹂
﹁そーですね﹂
隣の部屋からイスを持ってきたメイが机の反対側を陣取った。
互いにストレージから出したものを前に手を合わせ、﹁いただき
ます﹂と告げる。
何だか不思議な気分だった。
740
4−8:雪街と図書のミソロジー︵後書き︶
宿屋の壁破壊事件に特に意味は無いということをここに暴露します。
意味は文字数の犠牲になったのだ。
741
4−9:不協和音のトゥゲザーキャプチャー︻?︼
特に何が起こるでもなく一日が経過し、俺とメイは再び別れた。
目指すべきは雪山。そこに≪神≫へと繋がる何かがある。
ボロボロな地図は、確か北を指していた。距離は流石に分からな
かったので準備は怠らない。食事はモンスターでも食えばどうとで
もなるので少なくても良いけれど、ポーション類はしっかりと揃え
ておく。
それからゴールドがそろそろ無くなりそうな感じであるため、今
回の旅路で素材を調達することも忘れないようにする。
いつも通り仮面を付け、フードにはウサギ。怪しい変装フォーム
で街を出た。
北へ歩く。
空を見上げても昨日と同じ薄い曇り空。ずっと雪が降り続いてい
た。おそらくこの地域で雪が止むことは無いのだろう。
コートのおかげか、それとも他の要因があるのか。寒さはあまり
感じられない。そういえば、火山でもあまり暑い感覚がしなかった
記憶がある。溶岩の近くで李解と戦闘を繰り広げたというのに眩暈
の一つもしなかった。
温度に左右されないというのは楽で良い。
街が見えなくなるくらいまで進むと唐突に物音が聞こえ、その方
向へ視線を向けるとモンスターが出現する。
ゼットスノウマン。雪だるま。
﹁化けろ﹂
少し試したいことがあった。
こいつを相手に実践をする。
742
﹁ファンタジーオルガニズム﹂
変換するのは左腕のみ。大きさは今の俺のものを準拠に。
変色し、染まっていく。
そうして赤黒い腕が姿を現した。
︱︱︿雪雪崩﹀。
巨大な津波のような雪の雪崩が迫ってくる。
影を足元で爆発させ、更にスキルの補助も加えてジャンプ。上空
にてそれを回避しゼットスノウマンの位置を見極め、レッドドラゴ
ンの翼を具現化させて接近する。
敵の頭が一回転をし、同時に周囲の雪が盛り上がった。
礫となって襲い掛かってくる。
それをウサギに︿スライムショット・イクス﹀でまとめて流して
もらいながら左腕を振り被った。
ゼットスノウマンの頭へ左の手の平を付けた。
﹁通常攻撃﹂
左手の中に光が収束し、それに呼応するように敵のHPがみるみ
る減っていく。
自分ごと呑み込むかのように周りの雪が俺達を囲んだ。
実際、自らと共に巻き込んで殺すつもりなのだろう。おそらくゼ
ットスノウマンには雪に対しての耐性があり、自分だけ助かること
ができる。
だが、残念ながら今回は俺の方が確実に速い。
光が外にまで溢れ出し、敵の頭が破裂した。〇になる相手のHP。
蠢いていた雪も全て元に戻っていく。
﹁⋮⋮ふむ﹂
743
左手を目の前に掲げ、小さく頷く。
少しならファンタジーオルガニズムの力を具現化できる。それに、
どうやらこのモンスターには光を操る力があるようだ。
少しのパワーアップになったことに満足しつつ具現化を元に戻す。
素材を適度に回収して再び北の方向へ歩き出した。
どれくらい時間が経ったのだろう。
同じ景色がずっと続いていて時間の感覚が狂っているため正確な
時間はよくわからない。だが昼は過ぎていることは確かだ。
お腹が空いてもモンスターを食えば問題は無い。スタミナもまだ
余裕がある。歩く気力も。
本当に進んでいるか不安になるほどの距離を進行し、漸く遠くの
方に山の影が見えてきた。麓には深い林もある。
あれが︱︱。
少しだけ足を速めた。途中の敵は︿ソウルイーター﹀の勘のおか
げか既に攻撃パターンを大まかに把握していたので、適当にあしら
って進む。
やがて辿り着いた。
﹁ここが⋮⋮﹂
≪神≫が居るはずの雪山。
ここからでも山頂付近の光景は大雑把にだが確認ができた。それ
はとてつもなく異様な憧憬で、絶対にあそこには何かがあるという
雰囲気を窺わせる。
凍っていた。
山頂付近は全てが氷に包まれていた。
﹁⋮⋮あそこ、しかないか﹂
呟く。ウサギも同じ気持ちのようで、フードの中で軽く振動をし
744
た。
まずは麓の林。そこを抜けなければ話にならない。
足を踏み入れた。
緑の葉を付けた雪の積もる木々。それが並ぶ道を前進し続ける。
しばらく歩き続け、浮かんだ印象は﹃思ったよりも明るい﹄とい
うものだった。
雪が直接、少量の光を発しているように見える。
夜でも何とか探索ができそうに思えた。
﹁⋮⋮⋮⋮それにしても﹂
何故かモンスターが殆ど見当たらない。
不気味なほどに。弱そうな奴は偶に見掛けるのだが、それこそ戦
闘力が皆無のモンスターだ。︿始まりの街﹀で言うところの︿ラフ
スライム﹀的な存在。そんなものに構う意味は無い。
何かが起こっているのか、はたまた何かを仕掛けられているのか。
警戒を強めた。
だが強めたそれとは真反対に何か変化が訪れるわけでもなかった。
只管に敵のいない状況が続く。只管に。
不意に視界の端に雪に埋もれた何かが過ぎり、それに近付いた。
掘り出してみる。
﹁モンスターの死骸⋮⋮?﹂
かなり綺麗な死に様。急所を一発で貫かれ、ただそれだけで死に
絶えていた。
よく目を凝らして見ればそこら中にこれと同じような死骸が散乱
していることに気付く。何も無い場所も少し雪を掘り返してみれば
そこには死体がある。どこを掘っても死骸、死体、遺体。
全てが同じ死に方だった。
745
﹁⋮⋮まさか﹂
一つの結論に思い至る直前で爆音のようなものが聞こえ、反射的
にそちらの方向へ顔を向ける。
東。結構な近さだ。
取り敢えず適当に死骸を影で取り込み、駆け出した。
走り、進み、進行し。
そうして小さな広場のような場所に行き着いて。
そこには有り得ないほどに大量のモンスター達が居た。一度では
数え切れないほどの数。三桁にも達しているんじゃないかと疑って
しまうほどの量。
無意識の内にに発動された︿ロックオン﹀が、それぞれの名称を
映し出す。
︿フリーズバード﹀。氷の鳥。
︿ブリザードゴーレム﹀。見るからに堅そうな氷の巨人。
︿フローゼンウルフ﹀。氷気を纏う水色の狼。
︿ブルードラゴン﹀。青色と水色を称える氷のドラゴン。
︿アイスパペット﹀。氷のみで造られた不可思議な人型。
︿スノウクラウン﹀。小さな水色の球体を浮かべ、周囲に大量の
氷気と雪を纏う小さな雲。
︿ホワイトモール﹀。通常より一〇倍以上は巨大な白いモグラ。
他にも俺がこれまで遭遇したような雑魚モンスターも多く混ざっ
ていた。
そしてそれらに囲まれ、中央に身じろぎもせず佇む人物が一人。
全員に獲物と定められながら全員を獲物と定め、全員に威嚇され
つつ全員を威嚇する異常なプレイヤー。
︿最強﹀。
﹁︱︱︱︱ッ﹂
746
あれは流石にピンチだろうと思い足を踏み出そうとした直後、︿
ソウルイーター﹀としての勘が急激に危機を知らせてきた。
近寄るな。離れろ。すぐに。
何故か冷や汗が流れるような感覚を身に受けつつ︿レッドドラゴ
ン﹀の翼を具現化して空へ羽ばたく。林の天辺近くの枝。そこに足
を付け︱︱瞬間。
閃光が地面を走ったかのような雪を抉る音が耳に届いてきた。
視線を下げれば、全ての︿アイスパペット﹀が砕け散るのが視認
できる。
今の一瞬で終わらせたのだ。
それを起こした原因である︿最強﹀へ攻撃が殺到した。氷のブレ
ス。氷の光線。強烈な吹雪。圧倒的質量の打撃。
だが、既にそこには︿最強﹀はいない。激しい破裂音が連続でし、
注意を移動すれば、球体を潰された︿スノウクラウン﹀が何体も倒
されている。
そして今度は敵の攻勢が整う前に。相手が今の位置に居る自分に
狙いを定めるより速く足を動かす。瞬間的に︿ブリザードゴーレム
﹀の目前まで駆け抜け、そこからリズムに乗るように三つの破砕音
を響かせた。
三体の︿ブリザードゴーレム﹀を破壊。殺した。
見てから襲撃するのは無駄だと判断したらしいモンスター達が無
差別に攻撃を始める。大多数による広範囲の攻撃。普通なら避ける
ことすら無理な攻勢。
それを︿最強﹀は、撃ち出される攻撃の隙間と合い間を完全にタ
イミング良く縫うように進んでいた。
そこから連続して何体も殺していく。倒し、殺し、ただ作業のよ
うに。
空中に居る相手にはまた対処法が違ったが、それも些細なことだ。
木を足場にして︿フリーズバード﹀に突っ込んで急所に刺し、殺
747
した相手が落ちるより速く足場にして次の︿フリーズバード﹀へ突
貫して行った。また一発で殺してそいつを足場にして跳び、偶に当
たりそうになる吹雪や拳などを紙一重で避けながら惨殺を続ける。
気付いた時には。
︿最強﹀以外は既にそこには立っていなかった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
言葉が出なかった。
ここは最前線のフィールドのはずだ。モンスター達も森林より更
に強化されているはずだ。
なのに、こうも圧倒的に。
追随を許さずに敵を殺し続けることは可能なのか?
﹁⋮⋮⋮⋮どうしてここにいるの﹂
︿最強﹀が驚愕を顔に浮かべていた俺を見上げる。
それにハッとしたように意識を取り戻して天辺から飛び降りた。
着地し、改めて転がる死骸共を目の当たりにする。
全員がピクリとも動かない。
﹁どうしてって言われても⋮⋮﹂
先程の光景のせいか、目の前の少女らしき人物を妙に気にしなが
ら口を動かした。
﹁この先の山に用があるから、としか言えない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮そう﹂
無感情に確認を済ませたかと思うと、興味を無くしたかのように
748
どこかへと歩き出す。
俺は。
去っていく彼女を、何故か反射的に引き止めていた。
﹁待ってくれ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
立ち止まる︿最強﹀。
そのまま、どうしてか唐突に頭に浮かんでいた言葉を、心のまま
に放った。
﹁あの山まで、俺と攻略に付き合ってくれないか?﹂
749
4−10:不協和音のトゥゲザーキャプチャー︻?︼
何でこんな言葉が口から出たのだろう。
戦力になるから、なんて理由ではないはずだ。
心配だから、というのもまた違う。︿最強﹀は誰よりも強い。俺
の助けなんていらないくらい。
寂しいのだろうか。
スズもシノもいなくなって。自分から遠くまで行ったくせに、寂
しいと感じている可能性。無きにしもあらずだが。
いや。
違う。そうじゃない。
そういう感情に由来するものじゃなくて、もっと感覚的なものは
ずだ。
︿最強﹀に何か感じるものでもあったか、俺は。
﹁⋮⋮⋮⋮付いて来たいなら勝手に来ればいい﹂
﹁ありがとう﹂
一緒にいれば、もしかしたら引き止めてしまった理由も分かるか
もしれない。
自分でも分からない自分のこと。
未だ何故あんなことを言い出したのか合点がいかないから。
﹁っと﹂
歩き出した︿最強﹀を追いかけるように足を動かす。
進む速度は戦闘中とは違い、ゆっくりと歩く程度のものだった。
︿最強﹀によって殺されたモンスターの全種類を取り込み、つい
でに少しの素材を影で補完しつつ付いていく。
750
おそらく俺がここに来るまでモンスターがいなかったのは︿最強
﹀のせいだろう。
あんなにモンスターが集まるというのも異常だった。
何か、敵対モンスターを呼び寄せるアビリティでも持っているの
かと推測する。でなければあの数は流石にありえないはずだ。
色々な推察をしながら足を進める。先程沢山のモンスターを殺し
たのでしばらくは出てこないと考えていたのだが、急に地面から三
体の︿アイスパペット﹀が出てきた時は驚いた。
人型の氷。
三つの破砕音が鳴ったかと思えば、既に三体とも息絶えている。
︿最強﹀の急所突き。
体が崩れていった。
一息吐こうとした直後に今度は空中から咆哮が響き、見上げれば
二体の︿ブルードラゴン﹀がいる。
木に足を付け、そのまま︿最強﹀が昇っていく。
ブルードラゴンの吐く氷のブレスには目も向けなかった。
跳び上がり、脳天を一発。落ちる前にそいつを足場にし、もう一
体へ。
唐突に翼撃が繰り出されたが、側面に足を付けることで受け流し
て避けられていた。軽く脳天に食らわされてHPが〇になる。
︿最強﹀が地面に着地した。
﹁凄いな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
称賛をどうでもいいというように無視をして歩き出す。苦笑しつ
つ俺もそれに付いて行った。
またすぐにモンスターが出る。だが再び︿最強﹀が殺し尽くし、
再度前進を開始する。
ずっとそんな感じだ。
751
偶に一〇体が一気に出てきたりするので、その時は一、二体を俺
が担当した。︿ファンタジーオルガニズム﹀の片手で掴み、光を収
束して倒すことを繰り返す。直接内部に光を集められるのは流石に
堪えるようだった。
大量の戦闘回数。すぐに倒して進んでいるのだが少し数が多すぎ
る。思ったよりも進行距離が伸びなかった。
﹁早く行きたいなら勝手に行けばいい﹂
﹁⋮⋮いや、一緒に行くよ﹂
そんなやり取りもする。あちら側から喋りかけてくることは殆ど
無かったので少しだけ嬉しく感じたりもした。
空が少しだけ茜色に染まってくる。明かりも少しだけ無くなり、
雪の発光がより強くわかるようになった。
この時間までになると強力なモンスターの出現頻度も下がってく
る。代わりに小動物系のモンスターが出てくるようになり、その程
度のものだけとなると︿最強﹀は相手をしなくなった。他に強いモ
ンスターが一緒の時は襲うようだが。
そういえば今日は朝からずっと歩いてるんだっけ。
現実でなら考えられないくらいの体力を持っているのだと実感す
る。普通、雪まみれな地面を半日以上歩き続けるなんて普通の人に
はできるわけがないはずだ。それなのに平然のように俺達はそれを
実行していて、やはりステータスの補正が大きいと理解した。
日が完全に暮れると、降り注ぐ光る雪だけが空を照らし出す唯一
の存在となる。林の中も雪だけが光を示すようになっていて、木々
は暗いものが多かったりした。
攻撃的なモンスターが更に減り、偶に出る程度になる。
夜はあまりモンスターが出てこないようなフィールドなのだと拝
察しつつ︿最強﹀の方へ視線を動かした。
足を止めるようなことは一切無い。一心に前へ進んでいる。
752
だから黙って俺もそれに付いて行き、ずっと歩みを進め。
本当に雪以外の明かりが全く確認できなくなるくらいまで経って
から口を開いた。
﹁寝たり、しないのか?﹂
もう明らかに深夜。それに幾ら︿最強﹀と言えど疲れも溜まって
いるはずだった。
訊くと足を止め、彼女は振り返る。
﹁寝なくても動ける﹂
言い、︿ハイスタミナポーション﹀を取り出した。
こちらに背中を向け、それを飲む。
﹁動ける、って﹂
﹁最低限の食料。隠しステータススタミナ。それだけあれば睡眠も
何もいらない。動ける﹂
狂気の沙汰。飲み終えた瓶を捨てる︿最強﹀を眺めながらそんな
言葉が浮かんだ。
まさか、彼女は。
﹁どれくらいからそんな生活を?﹂
﹁デスゲーム開始から二日目﹂
﹁その間に寝たりはしてないのか?﹂
﹁一日目に寝たのが最後。それ以来はずっと最前線﹂
それがどうかした、とでも言う風に首を傾げる︿最強﹀。
有り得ない。そんな言葉さえも生温かった。
753
戦闘狂ならまだ納得できたかもしれない。けれど彼女は違う。彼
女は作業のように何も感じていない。そんな状態でモンスターを殺
し続け。
感情を捨てて、四ヶ月以上の間。
毎日。毎時。毎秒。
﹁スタミナポーション類があれば本来睡眠や休憩で回復する隠しス
テータスも簡単に補える。寝るなんて時間の無駄でしかない﹂
言い切る彼女へ、俺は問い掛けた。
﹁一人でずっと⋮⋮そうしてるのか?﹂
頷く︿最強﹀。
休むことなく、たった一人で戦うという作業だけをする。
そんなことは普通の人間にはできないはずだった。少なくとも、
普通の感性を持つ人間には。
例え戦闘狂でも、休むことなど一度も無く四ヶ月間戦うことなん
てできないだろう。
誰でも狂うはずだ。誰でも諦めるはずだ。誰でも挫折するはずだ。
戦うことだけで二八八〇時間以上も連続で費やすなんて。
狂人。
彼女は、俺やシノに匹敵︱︱いや、それ以上に狂っているのかも
しれない。
﹁無理なら付いて来なくていい。私は元々一人な︱︱﹂
語る途中で︿最強﹀の体が傾いて雪の地面に倒れた。
急な事態に驚き、彼女に近寄る。
荒く白い息を吐いて苦しそうにしていた。
754
﹁⋮⋮極度の低温に長く晒されたことよる肉体硬直⋮⋮フィールド
に対する準備が足りて、なかった﹂
機械のように呟く彼女。無理をしてでも立ち上がろうとする︿最
強﹀に、俺は言葉を発する。
﹁少し、寝た方がいい﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
否定したかったようだが、流石に肉体が上手く稼働しないのでは
言いようがないのだろう。
彼女の体を抱え、道の端で降ろす。
木へと寄り掛からせた。
﹁⋮⋮⋮⋮ちょっと、休むだけ﹂
小さく呟く彼女に﹁それだけでもいい﹂と返し、俺も隣に腰を掛
ける。
気温に対して俺が平気なのはおそらく︿ソウルイーター﹀による
補正だ。あらゆる環境に適応できるような補正が多分存在している。
空から舞ってくる雪が綺麗だった。
無言。無音の空間が続く。
小さなモンスターがやってくることはなく、風すら吹かない。
不意に︿最強﹀の方へ目を向け、黒く影が差して中身が見えない
フードに注視した。
一体、彼女はどんな人物なんだろう。
身長などからの特徴からして高校生以下の少女かと予測すること
はできるが、そんな年齢の誰かが狂人紛いのことを当たり前のよう
にこなしているのはあまりにも不可思議な事象だ。
755
勝手に外すのは流石にマナー違反だ。俺だって仮面を外していな
い。だから気にするだけに留めることとし、視線を上へと移した。
光る雪の振る光景を見つめる。
まるで星の光みたいだ。
﹁⋮⋮⋮⋮貴方が﹂
︿最強﹀が言い出すことに耳を傾ける。
﹁貴方が雪山を目指すのは、前と同じ、友達のため?﹂
頷いた。
﹁あんまり一緒にいたわけじゃないんだけど⋮⋮何か、助けたいっ
て思っちゃって﹂
あいつにとって俺は、誰よりも特別なものだったから。
きちんとした﹃初めての友達﹄。そして、﹃対等な友達﹄。
俺達は大した交流はしていないはずだった。けれど、彼女は俺の
ことをしっかりと覚えてくれていた。
たった一日の友達。その名前さえも。
四ヶ月の時を経てもずっと。しかも俺やスズに対して責任を感じ
てくれるほどの気持ちを抱いてくれていて。
俺がフーを助けるに足る理由なんて十分にある。
﹁⋮⋮まぁ、一番大事な目的は他にあるんだけどさ﹂
その言葉に︿最強﹀が僅かに首を動かした。
俺の方へ顔を向け、問うようにじっと見つめてくる。
756
﹁義妹がさ﹂
目を閉じ、独り言のように呟いた。
﹁この世界に居るはずなんだ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁俺は馬鹿だから、あいつを一人にしちゃったんだ。最善の選択を
相談もせずに勝手に決めつけて、誰もが得をしない道を一人で進ん
だ。誰も望んじゃいなかったはずの未来を作っちゃって⋮⋮本当に
馬鹿だった﹂
相手だけ生きてほしいなんてエゴを押し通そうと躍起になって。
今ならあの時の選択が最悪のものなんだって言い切ることができ
る。シノと出会い、フーの心に触れ、色々なものを短期間でこの目
で見てきた俺ならば。
何が正しかったなんてわからない。何が間違ってたなんてわから
ない。
それでもあの選択がスズを不幸にするものだってことは確実だっ
たんだ。
そんなのは最悪な選択と変わりない。
﹁⋮⋮⋮⋮私も﹂
︿最強﹀が応えるように言葉を放つ。
﹁私も馬鹿だった﹂
静かに続きを促した。
﹁守れなかった。救えなかった。私は、私だけが、生き残った﹂
757
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁どうして私はこんなにも無力なんだろう、って。守るって決めた
のに﹂
懺悔のように重ねていく。
四ヶ月間抱え込んでいた思い。
誰にも頼らず一人で耐えてきた気持ち。
﹁だから決めた。強くなろうって﹂
強く、放つ。
﹁絶対に守れるくらい強くなって、誰も追いつかないくらい強くな
って⋮⋮にぃにの居る場所へ﹂
眉を動かす。
それに︿最強﹀は気付かず、話を続けた。
﹁でも⋮⋮﹂
下を向く。
﹁本当は分かってた。もう、全部取り戻せないことなんて﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あの頃は目を背けてた。でも、今なら絶対に報われないことなん
だって理解できる。どれだけ強くなっても戻ってこない。恐怖症を
克服してもにぃには戻ってこない。
どれだけ強くなっても私は依存から抜け出すことはできなくて、
本当の意味で一人になることなんてできなくて﹂
758
だから、と続ける。
﹁死にに行くように上だけを目指してた。強くなりたかったんじゃ
なくて、多分、本当は死に場所が欲しかっただけなんだと思う。破
滅を願ってたんだ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁もう何にも感じられない。もう言葉に感情も籠らない。全てが色
褪せて見えて⋮⋮貴方の影を見た時が久しぶりの感情だった。だけ
どもう、今こうしている間も、ただ記憶から言葉を抜き出す作業を
しているだけ﹂
悲しみも。苦しみも。悔しさも。
何も無い。
そこにあるのは無感情。何も無い感情という入れ物。
おそらく今の彼女は、死にたいという思いすら浮かべられていな
いのだろう。
最初に決意したことだけを延々とやり続けるだけ。
最初に目指した場所へ延々と進み続けるだけ。
道化ですらない。まるで人形のような。
それは。
﹁⋮⋮⋮⋮貴方なら、私を殺してくれる?﹂
問い。それには何の感情も含まれていることはなく、疑問という
気持ちすら籠っていないように感じられた。
答えられずに固まっている俺へ、彼女は。
閃光のように俺の横を掛け抜け、真後ろにいた︿アイスパペット
﹀を殺し伏せた。
﹁話し過ぎた。もう動ける﹂
759
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
歩き出す︿最強﹀を追いかけるように立ち上がり、ゆっくりと足
を踏み出す。
彼女はもしかすると︱︱︱︱。
いや、今は考えるのは止そう。
まずは≪神≫を探すことに集中するんだ。
問いを投げるのは、全てが終わった後でいい。
760
4−11:不協和音のトゥゲザーキャプチャー︻?︼︵前書き︶
展開速すぎワロタ⋮⋮ワロタ⋮⋮。
︿最強﹀が無口で会話が全然無いせいですよ畜生。
761
4−11:不協和音のトゥゲザーキャプチャー︻?︼
一時間くらい歩き続けると林を抜けた。
聳え立つ雪山。急激に厳しくなる吹雪を感じつつ、大丈夫なのか、
と︿最強﹀を見る。
先程は寒さで倒れてしまっていたが、今はもっと環境が厳しくな
っていた。
﹁⋮⋮走る﹂
猛吹雪の中を駆け抜ける、と安易に示す彼女に苦笑いを漏らした。
ずっと動いていれば、確かに体は硬直しないだろう。
できるかな、なんて冗談と本音を半分ずつのことを思いつつ﹁あ
あ﹂と答えた。
﹁︱︱︱︱﹂
影を爆発、更に︿スキルコレクション﹀を毎秒三割の補正を掛け、
足を踏み出す。
加速。
足場の悪さと吹雪、それから斜面のせいで少しだけスピードが下
がっているがかなりの速度だ。
︿最強﹀はもっと速いけれど。
俺に合わせて彼女は進んでくれた。本当はもっと速いはずなのに、
態々一緒に。
気遣い。
少しだけ嬉しくなり、笑う。
視界が悪いために戦闘には適していない。︿最強﹀も同じように
判断をしているのか、偶に見掛けるモンスターは無視をして行進し
762
た。
疲れてきたところでアイテムストレージからスタミナ回復系のポ
ーションを取り出し、走りながら飲む。
瓶は投げ捨てた。
﹁頂上が見えないな﹂
呟く。外から見ていた時には簡単に地形が把握できていたが、実
際に昇るとなると話が別。
雪で先が遮られる。
そんな中を兎に角進み続け、どれほどの時間が経ったか。
雪が止んだ。代わりに地面が氷となり、霧のような冷気が空気に
流れてくる。
より温度が下がった。
無理をして速度を少しだけ上げる。︿最強﹀の方を気に掛けて。
氷になったということは山頂付近に入ったということ。だから少
しくらいなら気合を入れても問題は無い。
走り。駆け。進み。
巨大な月が目の前に姿を現した。
﹁⋮⋮ここは﹂
冷気が無くなり、完全な常温になっている。足場も氷では無く半
透明な水晶となっており、斜面も平面に変わっていた。
山頂。
巨大な広場だ。四方にそれぞれ尖った水晶の柱が立っており、中
心には不可思議で大きな魔法陣が描かれている。
そして空には巨大な月が浮かんでいた。
広場の上空だけは雲に穴が開いており、真夜中の景色を映し出し
ている。そこにすっぽりと収まるように特大の月が姿を見せていて、
763
何か神秘的な雰囲気を発しているように感じられた。
二人して魔法陣に近付くと、機械音声が周囲に響き始める。
﹃孤独の王とそれに仕える者の存在を確認。隠しクエストを開始し
ます﹄
それを合図に四方の柱が輝きを発した。
魔法陣も点滅するように光を帯び、呼応するように月が黒く染ま
る。
﹁※※※※※※※※※※※※※!!!!﹂
獣でも機械でも人間でも無い声が耳に届き、その方向へ視線を投
げた。
発信源は最も見つかり易い所に存在していた。
魔法陣ではない。柱ではない。
月。
正体を現した黒き月そのものが呻き声を上げ、﹃目﹄を開ける。
︱︱︿ライトゥルームーン﹀。
ロックオンに映る名を確認しつつ、冷や汗を流した。
﹁あれが⋮⋮≪神≫⋮⋮﹂
威圧感が︿アーススパイダー﹀の比ではなかった。
見ているだけで平伏したくなるくらい。
見ているだけで怯えてしまうくらい。
あれは︱︱神だ︱︱。
例え理解していなかったとしても、きっとすぐにそう思っていた
ことだろう。
﹃目﹄を。その体全体を。
764
金色の瞳の模様を写した満月が動き出した。
落ちてくる。ゆっくりと落下を開始して。
確実に。着実に。
それを俺達はただ眺めているだけで。
やがて柱同士の頂点を繋ぐ魔法陣の上で止まったライトゥルーム
ーンが視線の向きを変えた。
俺達を見て。
より強くなった圧力に縛られた。
肉体が硬直する。それ以外に全く集中がいかなくなる。
こんな馬鹿みたいにデカい奴に勝てるのか?
思わずそんな言葉が浮かんだ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
動けない俺を余所に︿最強﹀が足を踏み出す。
何も恐怖を感じていないかのように。何も重圧感を感じていない
かのように。
ただ、いつものように刃の無い短剣を構え。
全力疾走。
﹁︱︱︱︱ッ﹂
一瞬。一閃。
これまでに類を見ないほどのスピードで跳び上がり、接近をした
︿最強﹀が短剣を突き出した。
瞳の中央へ。
そこが急所なのだろう。
避けられず。いや、敵は注視しながらも何もせずにそれを受けた。
いつものようにHPが〇になり。
765
﹁※※※※※※※※※※※!!!!﹂
金色の輪が体である﹃目﹄の周囲に出現した。
︱︱︿ディズ・ライ﹀。
真っ白になったはずのHPが瞬きの間に満タンまで戻り、金色の
輪が弾けて消える。
それと同時に描かれる金色の模様が輝きを増した。
﹁無効、化⋮⋮?﹂
突撃を終えて地面に着地した︿最強﹀をライトゥルーアイが見据
える。
︿最強﹀はそれから逃れるように素早く姿を消し︱︱。
︱︱︿レーザー﹀。
視界の全てが真っ白に染まるほどの光が放たれ、俺は空中へ吹き
飛ばされた。
白。何も分からない中で何かが爆砕するような爆音だけが耳に届
き、すぐに光が収まって。
︿インストール﹀で︿レッドドラゴン﹀の翼を具現化し、羽ばた
きつつ何とか稼働させた目で眼下を見下ろした。
雪山が無い。
極大の瓦礫が無数に転がっているだけだった。
呆然とした状態の俺の目線へ影が差し、見上げる。
︿最強﹀が降ってきていた。
翼で移動して抱えるように受け止める。
怪我が無いことに安心をし、一息を吐く。
﹁力を写された﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁ただの攻撃無効じゃない。無効化した力、今の攻撃に反映してる﹂
766
山の天辺を﹃急所を突くことで確実にHPを〇にする﹄︿レーザ
ー﹀で穿ち、破壊した⋮⋮ということだろうか。
例えそれがなくともレーザー自体の威力もとんでもないものだっ
た。普通に受けて耐えられるようなものではない。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
︿最強﹀がメニューを開くような動作をし、通常の短剣を手の内
に実体化させ。
刃を自らの胸に突き刺した。
驚く俺を余所に彼女はそれを抜き、アイテムストレージ内へ戻す。
︱︱︿ラストゲーム﹀。
︿最強﹀は空中に立ち、敵を見据えた。
﹁倒す﹂
呟き、彼女の姿がかき消えた。
全く見えない。気付いた時には︿最強﹀はライトゥルームーンの
目前まで迫っていて、再び一撃を繰り出している。
︱︱︿ア・ライ﹀。
しかし突き出した短剣はライトゥルームーンの体を透かし、やが
てそのまま消えていく。
真後ろに気配がして振り向けば、俺のすぐそばにそいつが居た。
﹁ッと﹂
剣を引き抜き、切っ先を敵に向けた。
狙われている。
視界を埋め尽くすほどに巨大な敵。それに浮かぶ金色の模様が輝
767
き、スキルの発動を脳裏に告げた。
︱︱︿ディズ・トゥルー﹀。
敵が動き出す。体当たりでもするつもりなのだろう。少しだけ下
がる。
避けようと翼を羽ばたかせ。
敵が前へ進む。直後。
有り得ないほどのスピードで突っ込んできて突き飛ばされた。
最初に降りてきた時。︿最強﹀の突きを受けた時。前者は本当に
ゆっくりであったし、後者はスキルを使ってまで無効化している。
だから素早くはないと判断していた。それは間違いではないはずだ。
スキルの効果だと推測を立て、ボロボロな肉体を治すためにアイ
テムストレージから︿ハイポーション﹀を取り出して、飲む。
﹁手強い﹂
いつの間にか隣に立っていた︿最強﹀が呟いた。
﹁攻撃は簡単に当てることができる。でも、無効化されては手に負
えない﹂
﹁あの急加速はどう見る?﹂
﹁多分私の力の劣化版みたいなもの。﹃想像した軌道を理想通りに
辿る﹄感じと似てた﹂
︿最強﹀の能力についてはよく分からないが、それがどのような
効果なのかは大体理解できた。見えないくらい速い速度もそれによ
るもののはずだ。
﹁倒せないのか?﹂
﹁無効化と幻影。おそらくその両方を同時発動はできない。後者の
時はどうしようもない⋮⋮けど、前者の時なら、やりようがある﹂
768
無効化。つまり︿ディズ・ライ﹀。
幻影は︿ア・ライ﹀だろう。
やりようって? と聞き返すと、彼女は言う。
﹁反映させた力を放つ前、もしくは使用する直前に急所を突いて倒
す﹂
失敗した場合、確実に死ぬ方法だ。
相手の攻撃が来ると知っていて突っ込む。相手の攻撃が自分の予
想を遥かに超えるものだと知って突っ込む。
分の悪い賭け。不確定要素は幾つもあった。
﹁でも、いいのか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
﹁こんな命懸けの勝負に巻き込むような形で付き合って貰っちゃっ
たけど⋮⋮﹂
言い淀む。元々この山の攻略を手伝ってほしいと言い出したのは
俺。責任があった。
そんなことか、とでも言うように反応を示さず、彼女は淡々と答
えを返す。
﹁ここが死に場所ならそれでもいい。私はいつ死んでも構わない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
何も返せなかったが、相手の台詞を戦闘の了承と受け取って切っ
先を敵へ向けた。
影の補正を掛けた翼を上下に振るわせ、ライトゥルームーンへ直
進する。
769
︱︱︿ディズ・トゥルー﹀。
先程と同じスキル。先程の︿最強﹀の考察を頭の中で反芻しつつ、
ファンタジーオルガニズムの通常攻撃を反映させた。
相手が動き出す直前にそれを放つ。影を纏わせ、︿スキルコレク
ション﹀を十分に付加させて。
理想した軌道を辿るなら辿る直前で軌道上へ光線を撃てばいいと
考えた。
︱︱︿ディズ・ライ﹀。
思い通りに当たり、敵のHPが少しだけ減る。しかしスキルの発
動により金色のライトゥルームーンの周囲を取り巻き、一瞬の内に
HPゲージが元に戻った。
金色の輪が砕け、模様が輝きを発する。
それと同時に︿最強﹀が駆け込んでいた。一瞬の内に急所前まで
移動し、突きを繰り出し。
︱︱︿ディズ・トゥルー﹀。
﹁ッ、︿最強﹀!﹂
︿ア・ライ﹀と︿ディズ・ライ﹀は同時に発動できない確率が高
い。だが、そのどちらかと違うスキルなら。
彼女の突きが外れた。
理想した軌道をなぞるように巨体に似合わず俊敏な動きで避けら
れ、後ろに回られている。
﹁くそっ﹂
全力で空を疾走した。
もし︿最強﹀の能力が﹃想像した軌道を理想通りに辿る﹄ものだ
とすると。
きっと、想像するという動作が必要となる。
770
それはほんの僅かなものだ。少し頭を動かすことでできること。
簡単にこなせること。だが、明らかな隙がある。
想像が終わった直後。それは次の想像まで瞬きほどの差があり、
一瞬であろうがそれは隙で。
理想した軌道を辿れる状態の敵ならば、その隙を突くことも可能
︱︱。
手を伸ばす。届かない。
声を上げる。反応しない。
ただ、彼女が笑っているような気がして。
顔が見えないのに、笑っているような気がして。
︱︱死に場所が欲しかっただけなんだと思う。
︱︱貴方なら、私を殺してくれる?
︱︱しねて、うれしい。
﹁ぐ、ゥア⋮⋮!﹂
影を纏わせた左腕で自らの胸を貫いた。
︿ラストゲーム﹀。
目に映る絶望の憧憬。ライトゥルームーンが︿最強﹀を殺す瞬間
を否定するように、咆哮を上げる。
﹁あぁぁァァアアアアアアアアアアアアア!!!!﹂
︿レイ﹀。
光の速度で︿最強﹀の元まで接近すると、そのまま彼女を抱えた。
速度を維持したまま地面へ直進し、すぐ背中の方を轟音が鳴り響
くほどの突撃が通り過ぎていく。
光の速度などコントロールできるわけがなく、瓦礫だらけの地へ
と突っ込んでしまった。
771
それでも︿最強﹀だけは抱えて守り、怪我を負いつつも地へと墜
落する。
痛さに耐えながら、立ち上がり。
一瞬。何かが罅割れるような音を聞いた気がした。
呆然とした様子の彼女を地面に下ろす。
﹁死に場所なんて与えない。殺してなんかもやらない﹂
︿最強﹀の頭に手を乗せ、そのまま撫でた。
いつものように。
懐かしむように。
そして今度は、確実に何かが弾ける音がして。
﹁絶対に俺が助ける﹂
仮面が砕け散った。
素顔が露光する。現実での顔と髪と目の色以外は全く同じなそれ
が。
微笑み、確信を覚えつつ彼女のフードを取った。
その手を阻むものは無く。その中にある顔が白日の元に曝される。
灰色の髪。翠色の瞳。
それらは俺と殆ど同じ色で。最初の頃はそれに対して一緒に笑っ
ていて。
彼女の笑顔をもう一度見たかった。
彼女は︱︱。
﹁折角、スズを迎えに来たんだから﹂
﹁に⋮⋮ぃに⋮⋮?﹂
微笑む自分へ、有り得ないとでも言う風に目を見開く、スズ。
772
色を灯した瞳を見て、俺は。
ああ、やっぱり。
浮かぶ言葉はそれだった。
﹁辛かった⋮⋮よな﹂
これまで抱いてきたスズの思いを林で聞いた。
彼女の辛さは俺の想像以上のもののはずだ。誰にも分かち合えな
い、誰にも理解できないもの。
一人で四ヶ月間戦い続ける人生など。増してや休みなど一度も無
い。
辛い思いをさせてしまった。辛い思いに合わせてしまった。
感情が殆ど無くなるくらい。ずっと。
俺のせいで。
俺達は一人じゃ生きていけないって分かってたくせに、彼女を一
人にしてしまったから。
﹁でも﹂
ライトゥルームーンを見上げた。
まだ俺から取り込んだ攻撃の効果は使用していないみたいだ。
さっさとケリを付けなければならない。
それで。
久しぶりにスズと食事をしたい。
久しぶりに何かをしたい。
久しぶりに一緒に居たい。
だから。
﹁今度は守り切ってみせる﹂
773
勝つ。絶対に。
犠牲にしたものの全てに懸けて。
再会した。
これまでの全ては、この時の為に。
774
4−11:不協和音のトゥゲザーキャプチャー︻?︼︵後書き︶
なんていうか、
展開速いし、カオスってるし、再会が無理矢理過ぎる気がするです。
満足できない方がいましたら御指摘くださると有り難いです。その
場合、大幅に改定または書き直す可能性があります。
先の展開のアイデアが全然なかったのに、無理にでも書いてしまっ
た結果がこれだよです。
775
4−12:不協和音のトゥゲザーキャプチャー︻?︼︵前書き︶
前話は未だに納得いきませんが、このまま進めることにします。ご
迷惑をおかけしました。
今話についてですが、いつもより少し短いです。キリよく終わらせ
ようとしたらそうなってしまったので、御了承いただけると幸いで
す。
776
4−12:不協和音のトゥゲザーキャプチャー︻?︼
初めて正気の時に使用した︿ラストゲーム﹀。その力の絶大さと
扱い方を把握しつつ、︿レイ﹀でライトゥルームーンの元まで戻っ
ていく。
光を操る︿ファンタジーオルガニズム﹀の保有する移動系スキル
︿レイ﹀。発動中に攻撃を繰り出すことはできず、更には受けたダ
メージが二倍になるというデメリットがある。しかし光の速さで動
けるというのはかなり良いものだ。
﹁ウサギ、頼む﹂
︱︱︿レゾナンスユニオン﹀。
新たに力が加わるのを実感し、剣の切っ先をライトゥルームーン
に向ける。
星のように大きな敵。
最初はこいつの強大さに恐怖していた。だけど、今はしっかりと
対峙できている。
倒す。
︱︱︿レーザー﹀。
金色の瞳の模様へ光が収束していく。
視界が白だけで埋め尽くされるほどの威力のレーザーを撃つつも
りか。俺の力も混ぜてくるだろうか。それでも全力で対処するしか
ない。
︿ラストゲーム﹀でできるようになったことは四つあった。
制限の解除。取り込んできた力をどんな部位にも宿すことができ
るようになる。
スキルの使用。喰ったモンスターやプレイヤーの全スキルを使え
るようになる。
777
限界突破。どんな力をどれだけ具現化させようとレベルに関係無
く体が耐えられる。
そして最後が、これまで取り込んできたモンスター及びプレイヤ
ーのTP、MPを全反映という効果。
力を取り込んでいなければまったく意味のないもの。だが、今の
俺にはそれがある。
︱︱︿スターダスト﹀。
多く取り込んだ光を限界まで圧縮し、星の力を混ぜた馬鹿みたい
に強力な力を口内に作り出した。
これじゃ駄目だ。まだ相手に敵わない。
次。
︿バーニングアップ﹀。︿フローズンアップ﹀。
レッドドラゴンとブルードラゴンのそれぞれが持つ力で光へ炎と
冷気を纏わせ、更にスキルを発動させる。
︿ダークアップ﹀。︿エアーアップ﹀。
ダークシャドーとレヴィベアの力も続けて反映させた。闇と風を
帯び、抑え切れなくなって口内から少しそれが出て行く。
ありとあらゆる力を纏う混沌色の光が姿を現す。
﹁これで最後だ﹂
︱︱︿スキルコレクション﹀。消費TPは本来の俺のものの二五
倍。
不可思議な白い文字列が光を取り捲いた。
相手がレーザーを放つのに合わせて俺もスターダストを解放。
一瞬で間合いを詰めた二つの光線が衝突し、轟音という言葉が生
温いほどの爆音を発する。
炎。氷。闇。風。そして過去最高の絶対的なスキル補正の証であ
る、不可思議な羅列と神々しい真っ白な模様。それらが包む混沌の
光芒と、視界を埋め尽くすほどに眩く強烈な光線の激突だ。
778
空間が歪むような印象を受ける。
﹁ッ⋮⋮﹂
ライトゥルームーンが僅かに動き出した。
確実に。前へ。着実に近付こうとしてきている。
レーザーを撃ち続けつつ俺へと直進してくる黒い満月を見止め、
モンスターの力を具現化させた。
右腕をそのまま、︿ファンタジーオルガニズム﹀の上半身へと変
化させる。
視界の右側を赤黒い巨体が陣取った。
︱︱︿スキルコレクション﹀。
一五倍程度の補正を与え、通常攻撃を発する。スターダストのよ
うにずっと使う系のスキルは一つ分使っているので控えた方が良い。
だから。
二つ目の光の放射で敵の行進を何とか止めるが、抑えきれず徐々
に近付いてきているみたいだ。
スターダストと通常攻撃の二つに襲われては流石にキツい、か?
緊迫とした拮抗はライトゥルームーンが俺の元へ辿り着くより早
くついた。
進行の方に力を費やし過ぎたのか、スターダストがレーザーを撃
ち破ってライトゥルームーンに当たる。
穿ち、何かを抉るような音が響き出した。
撃ち終わり確認するように敵のHPを︱︱。
︱︱︿ディズ・トゥルー﹀。
巨体の四分の一程度が大きく削れたライトゥルームーンが物凄い
速度で突進をしてくる。
︿レイ﹀を発動しようとするが、おそらくギリギリ間に合わない。
右側にくっ付いているファンタジーオルガニズムが大きすぎて邪魔
になっている。
779
即座にその具現化を解くが、そんなことをしていては確実な隙の
出来上がりだ。
敵は未だ取り込んだ俺の力を使用しておらず、しかし、今使うす
るような素振りをみせている。
当たれば死ぬ。
冷や汗を流しながら、敵の巨体を眺める。
方法は。作戦は。何か無いのか。
考えるが思い浮かばない。有り得ないほどに加速した思考が幾つ
も案を出すも、それらを実行する時間が足りなかった。
俺は。
またスズを。
悔しげな思いを抱いた自分へ、ライトゥルームーンが迫り。
その直後、爆砕音が鳴り響いた。
﹁⋮⋮もう、にぃにに守られるだけなのは、嫌﹂
ライトゥルームーンのHPが〇になっていた。
目の前の空中に立っていたのはスズだ。
刃の無い短剣を突き出した状態で固まっている。
ライトゥルームーンは俺の力を使用する直前。まだ発動しておら
ず、つまり推測が正しければ︿ア・ライ﹀が使用不可な確率が高い
状態だった。
その間に急所を突き、相手は破片になって崩れていく。
疑いようが無い。
倒したんだ。
﹁強くなった、意味が⋮⋮無いから⋮⋮﹂
︿ラストゲーム﹀が解けたのか、落下を始めたスズを慌てて抱き
とめる。
780
腕の中で。彼女は静かに寝息を立てて眠っていた。
心地良さそうに。満足そうに。
﹁⋮⋮⋮⋮やっと安心できた、ってことなのかな⋮⋮﹂
呟き、高度を下げ、しばらくして地に足を付ける。
頭の中にレベルアップのファンファーレ、そしてクエスト達成の
メッセージが届いてきた。
﹁⋮⋮?﹂
違和感を覚え、真上の空を見上げる。
月の無くなった空に大量の流星群が走っていた。
一際大きな流星がゆっくりと中心を進んでいる。
ああ、なるほど。
そういうことか。
フリー
﹁⋮⋮フーの、︿Free﹀のウイルスを︱︱﹂
三回唱えると、機械の音声が脳裏に過ぎった。
簡単な言葉。しかし心強い言葉だ。﹃願いを受諾しました﹄と流
れ、それ以来は何も流れなくなる。
﹁⋮⋮今日は少し、ここで寝ようか﹂
その前に、と。影を現在の限界まで広げて︿ライトゥルームーン
﹀の死骸を取り込んでおく。丁度良く終わった直前に︿ラストゲー
ム﹀が切れて能力の使用ができなくなった。
こんな状態で出歩くのは危ない。元々そんな気は無いけれど。
レゾナンスユニオンを解いてウサギを左肩へ乗せ、近くの瓦礫へ
781
近付いた。
スズを寄り掛からせ、アイテムストレージから︿毛布﹀を実体化
して、彼女へ掛ける。
今宵は星が綺麗な夜だ。
当たり前のことを当たり前のように心の中で思う。深夜というこ
とで気分がおかしくなっていたり、スズが見つかって浮かれてでも
いるのだろうか。少し今日の自分は変だ。
苦笑いを浮かべ、スズの隣に座った。同じように自分もストレー
ジから取り出した毛布を被り、そのまま目を瞑る。
満足感に浸ったまま意識は落ちていった。
782
4−13:経歴と赤景のミーティングアゲイン
一日目。
にぃにがいなくなった。
きっとそれは私が弱いせいだ。
にぃにの隣に立てるくらい強くならないといけない。
にぃにはきっと生きてる。だから、泣くのは今日までにするんだ。
明日から私は﹃スズ﹄じゃなくて︿Rin﹀になる。そう決めた。
二日目。
効率の良い狩りをするためには効率の良い狩り方が必要になる。
今日一日を使い切るくらいの沢山の実験をした。
部位ごとのHPの減り具合。ステータスが﹃一﹄上昇した時にど
れほどの変化が出るのか。
色々なことも調べた。
睡眠は単なる疲労回復。スタミナポーションを使えば事足りる。
けれど眠気を我慢できるか、それと意識を正常に保ち続けていられ
るかどうかは個人次第。
効率の良い狩りをするためには睡眠はきっと必要無い。
三日目。
早朝に狩りに出掛けた。沢山怪我を負って痛かった。
でも、何だか現実味が無くて。全然平気みたい。にぃにがいない
からかな。
783
能力の効果が分かってきた。
想像した軌道を理想通りに辿るというもの。
運動神経が良くない私にはベストな能力が言えた。
四日目。
眠い。でも、戦い続けて意識を保っていた。
まるで自分とは違う誰かが自分の体を動かしているみたい。
回復アイテムを大量に消費しながら効率の良い狩り方だけを求め
続けた。
目から脳へ刃を通すのが一番食らいやすいらしい。
五日目。
頭がクラクラして視界が定まらない。
歪む視界でも、私の体を動かすのは自分じゃなくて能力だ。
能力なら無理矢理にでも私の肉体を動かしてくれる。
狩りを続けた。
六日目。
大きな武器は体に負担が掛かる。素早さ特化の効率の良い狩り方
を目指す私にはそんなものは致命的だ。
短剣を主武器に固定する。
刃が手のすぐそばにあるから使いやすくて力も入れやすい。
裂かれる肉の感触が直接と言っていいほど明確に伝わってきた。
784
七日目。
最初の日から既に一週間が経過した。
私の生活は変わらない。
スタミナポーションが切れそうになれば補給する。短剣が壊れれ
ば歯でも指でも何でも使って倒す。
世界が色を失ってきた。
一〇日目。
死にそうな目にあった。
血塗れで、意識が遠くなって。何かが欠落しているような感覚が
して。
冷たかった。でも、やっぱり現実味が無い。
殺した。
一五日目。
空腹度が危ない時には自分の腕や足とかを切り落とせばいいみた
い。
それを食べれば回復できる。
どうせ四肢なんて時間が経てば自動で回復するんだから。
一八日目。
もう眠いと感じることは無くなっていた。
785
モンスターを見つければ近付いて殺して。また見つければそいつ
もすぐに殺して。
何にも無い普通の日常だった。
二〇日目。
プレイヤーキラーに遭遇した。
思ったよりも怖くない。
違う。全くと言っていいほど恐怖を感じなかった。
いつものように目から脳を破壊して殺した。
プレイヤーの方がモンスターより多い、莫大な経験値が手に入る
みたい。
良いことを知った。
二五日目。
ボスと戦った。
強かった。痛かった。死にそうになった。
でも変わらない。
夢中になって殺した。
三〇日目。
願いを叶えるモンスターがいる、なんて噂を聞いた。
街に殆ど寄らない私まで届いてくるくらい相当なものなのかな。
探してみよう。
786
三一日目。
︿願いを叶える不幸の風﹀を見つけた。
微かな希望に懸けて、にぃにを生き返らせてほしいと願う。
でも、やっぱり無理だった。
願いを叶える権利を捨てて、いつもの生活に戻る。
世界が完全に色褪せて見えた。
四二日目。
プレイヤーキラーが増えてきたらしい。
運が良い。
経験値のために沢山殺した。
四九日目。
偶々会ったフーから色々心配された。
優しさが伝わってきて、少し、嬉しいと感じていた。
それでも私は変わらずに狩りを続ける。
ごめん。
六三日目。
いつも通りの日常だった。
狩りだけを続けている。
787
七六日目。
良い短剣とアビリティを手に入れた。
急所を突いた時、即死の確率が二倍になる短剣。
急所を突いた場合の即死確率を五〇%上げるアビリティ。
アビリティには﹃敵から攻撃を受けた時、自らが急所を攻撃した
際の即死確率が自分に適用される﹄なんてデメリットもあったけど、
大した問題じゃない。
五〇%上がって、それが二倍になって一〇〇%。
敵を確実に殺せるなら何でも良かった。
たとえ一発食らえば死んでしまうとしても。
八九日目。
︿孤独ノ王﹀というアビリティを入手した。
フレンドがいない場合、全ステータスが一.五倍。
魅力的な効果を持っている。
九〇日目。
フーに別れを告げ、決別をした。
強くなるためにはそれが必要だった。
後悔も悲哀も。もう何も感じることは無かった。
九九日目。
788
肉を裂く感触が普通のものに感じられる。
ずっと昔からこんなことをやっているような錯覚を覚える。
にぃにと暮らした日々が遠い記憶のように。まるで夢だったみた
い。
ああ、そっか。
あれは夢だったんだ。
一〇〇日目。
ずっと覚めないと信じていた夢だった。
そんなの幻なのに。
もう全部終わったんだ。
目の前にある全てこそが現実。
認めた。
一一二日目。
殺した。
沢山殺した。
一三一日目。
遺跡を攻略した帰りに奇妙なプレイヤーに出会った。
疲労で地面をのた打ち回ってるプレイヤー。兎の仮面を付けてい
る。
酷く必死に見えて、助けてしまった。
なんでだろう。これまではこんなの見捨ててきていたのに。
789
不思議だった。
一三五日目。
全然ボスが見つからない日々が続いていたが、神殿の近くにそれ
を見つけた。
中で待っているとか、そういう出現条件でもあったのかな。
近くで叫んでいるプレイヤーを見つけ、何故か少しだけ足が速ま
った。
そいつが殺される前にボスを殺す。
四日前に助けたプレイヤーと同じ人物だった。
影を使っているのを見て驚いて、少しの憎しみが沸く。
にぃには黒い影にやられたんだ。
でも感情はすぐに霧散して、次のフィールドに移動した。
途中まで着いてきた二人とは街で別れた。
一三六日目。
敵モンスターを自分の元へ無制限に呼び寄せるアビリティ。それ
をオンにして戦っていると、昨日も会った兎の仮面を付けた人物に
出会った。
一緒に攻略してくれと頼まれて、承諾するようなことを言ってし
まう。
なんでだろう。こんなの、効率が落ちるだけなのに。
僅かに、不思議な懐かしさと心地よさを感じていた。
一三七日目。
790
次の日になっても雪山に向かって狩りを続けていると、兎の仮面
の人物に声を掛けられる。
睡眠に関しての質問だった。適当に答えて進もうとしたけど、倒
れてしまう。
地形による特殊な効果のようなものがあるみたいだ。
動けずに止まっている時、兎の仮面の人物と話をした。
まるでどこかで聞いたような話に、私も自分のことを話してしま
う。
おかしいな。
無理にでも起き上がって次に向かうことにした。
雪山を昇る。
天辺。そこで私を殺してくれそうな敵にやっと出会えた。
戦って。
絶対に死ぬ状況に私は曝される。
何だか嬉しかった。
ああ、やっとにぃにと同じ場所に行けるんだ、って。
無駄に命拾いをしてきてしまった。
無駄にここまできてしまっていた。
でも、やっと解放される。
私は︱︱︱︱。
◆◇◆◇◆◇
余程疲れていたのだろうか。起きた時、空は茜色に染まっていた。
山の上空だけに雲が無く、赤い光がそこから差し込んできている。
791
重さを感じ、視線を下げた。
スズが胸の中で泣いている。
﹁⋮⋮にぃに﹂
泣きじゃくり、腫れている顔を上げた。
見つめてくるその目には懇願するような意思が込められている。
彼女の頭に手の平を乗せて。
﹁⋮⋮ただいま﹂
告げ、手を動かした。
ゆっくりと。優しく。丁寧に撫でる。
すると彼女の瞳からより大粒の涙が流れ、再び胸に顔を埋めてき
た。
懐かしいのかな。
もう片方の腕で抱きしめつつ、微笑ましく思えて笑みを浮かべる。
﹁おか、えり⋮⋮﹂
詰まりながらも返してくる彼女が愛おしく、﹁ああ﹂と返そうと
した。
そこで気付く。
俺も泣いていた。
﹁⋮⋮は、は﹂
嬉しかった。
スズがこの手の中にいることが。
スズがまた手の届く位置にいることが。
792
本当に、心の底から心地の良い感情を感じていて。
涙が止まらない。嬉しさが湧きあがってくる。
胸が熱くなってきて。
そのままずっと抱き合っていた。
﹁⋮⋮にぃに﹂
しばらくしてからスズに名前を呼ばれ、下を見る。
色んな感情がごちゃ混ぜになっている様子の彼女と、至近距離で
見つめ合う。
夕日が瞳に反射して美しかった。
﹁夢じゃないよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁俺はここにいる。すぐそばにいる。夢じゃない﹂
微笑んで、囁く。呟いた。
嘘じゃない? と問う彼女に﹁嘘じゃない﹂と返し。
本当に? と問う彼女に﹁本当に﹂と返す。
﹁迎えに来たんだ、スズを﹂
﹁⋮⋮に、ぃに﹂
また泣きだそうとする彼女の目元に指を当て、拭った。
﹁辛かったか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮うん﹂
﹁苦しかったか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮うん﹂
793
俺を抱きしめる腕が強くなる。
スズは。
スズは四ヶ月以上もの間、ずっと絶望の淵に立ち続けていたんだ。
ずっと。ずっと。それこそ一時の休みも無く、ずっと。
寂しくて、やるせなくて、切なくて。
身を切られるような思いをずっと味わってきたはずだ。
やがてそんな感情も無くなって。
傷付き続け。
﹁⋮⋮ごめんな﹂
自分のせいだ。
頭を下げて謝る俺に対し、スズが首を振る。
違う、と首を振る。
何が。
何が違うというのだろう。
﹁私が弱かったから。私には何もできなかったから﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁だから、自業自得﹂
強い意志を秘める瞳に黙らされ、聞かされる。
彼女は続けて口を開き。
﹁でも、私⋮⋮強く、なったよ⋮⋮?﹂
自らの肉体が震えていることに、彼女は気付いているのだろうか。
﹁誰よりも⋮⋮強く⋮⋮強く、なったんだよ⋮⋮?﹂
794
スズの体を抱きしめる。
震えを抑えるように。
きっと彼女は、本当は怖かったんだ。
誰よりも世界が怖くて。モンスターが怖くて。人が怖くて。
全てに対して目を背けていただけ。
自分は自分でない、と。兄の死んだ世界など自分の居るべき場所
じゃない、と。
そう否定して。
﹁に、ぃにの⋮⋮隣に、立てる⋮⋮くらい⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
守られるだけの存在は嫌だと泣き叫んだ。
もう大切な人を失うのは嫌だと泣き叫んだ。
強くなって。強くなって。
もし、もしも世界に次があるのなら。
その時は自分が大切な人を守れるくらいの存在になりたい。
その時は大切な人の隣に立てるくらい強い存在になりたい。
そんな彼女の思考が伝わってくるみたいだった。
スズの手を握り、口を開く。
﹁ありがとう、スズ﹂
一言。それだけを告げて彼女の気が済むまでじっとしていた。
好きなだけ泣けばいい。ずっと泣いていなかったんだから。
赤い光を反射する雪。それが降り注ぐ憧憬を目にしながら思いを
馳せた。
795
4−13:経歴と赤景のミーティングアゲイン︵後書き︶
はい、これで四章﹁白独神孤のスノウマーベル﹂は終了です。
三章は長かったのに、今回はとても短かったですね。
今回は出現モンスターが多かったので簡略図鑑が酷くめんどくさそ
うです。深夜中には更新できず、明日になってしまうと思われます。
五章のタイトルは毎度ながら未定です。また適当に辞書でも引いて
決めるつもりです。
四章で強さのインフレをし過ぎたような気もしますが、五章に影響
が出るほどではない⋮⋮はずです。
出ていたとしても大筋的に六章にはまったく影響しないはずですの
で御安心ください。
五章までいけるとは書き始めた当初は考えてもいませんでした。
きっと自分が思っているほど書けてはいないのでしょうが、兎に角
前を目指して頑張ります。
796
第四章:簡略モンスター図鑑
※︿怪異の森林﹀※
・︿レヴィベア﹀
外見上は殆ど普通の熊。だが、その身の持つ筋力と皮膚の硬さは
ズバ抜けている。
痛覚が無く、敵を狩るためならば腕の一本失うことさえ厭わない。
森を常に徘徊しており、音がすればすぐにその方向へ近付いていく。
特殊な習性は無く、上記のもの以外は普通の熊のような習性を持
っている。
ドロップアイテムとして自らの肉や皮をよく落とす。稀に牙を落
とすこともあるが、確率は非常に低い。
・︿デッドイート﹀
外見上は普通のダンゴムシ。が、その正体は土を食べる昆虫。
好物は人の血が染み込んだ土であり、プレイヤーを見つければ足
元に瞬時に落とし穴を作りだす。
直接の被害はプレイヤーに及ぼせず、一匹一匹は本当に弱い。
ドロップアイテムとして体液を落とす。レアドロップは無い。
・︿ブラッドドリンク﹀
外見上は殆ど普通のヒル。ただ、少し大きい。
プレイヤーの体に付いて血を吸い取る習性を持つ。
普通のヒルと違い、皮膚を溶かすことが可能。肉を溶かし、体内
へ侵入することもある。非常に危険だ。
個々の戦闘力は決して高いとは言えないので、見つければすぐに
殲滅することがオススメ。
797
ドロップアイテムは体液。偶に濃密な体液を落とす。
・︿ドットスネーク﹀
猛烈にヤバい毒蛇。背後からプレイヤーを襲うことが多数。
体内に猛毒を宿す毒蛇で、一度食らえばどんな状態になるのか分
からない。強烈な麻痺になるかもしれないし、強烈な毒に侵される
かもしれない。
個々の戦闘力は低く擬態能力も大したことはないので、注意深く
観察して進めばあまり怖い相手ではない。
ドロップアイテムは毒。偶に牙を落とす。
・︿森の民﹀
森で別系統の進化をした猿と思われ、生き残るために身に付けた
術は時に人間を凌駕する。
純粋な強さで言えばレヴィベアの方が高いが、戦術や戦略に関し
てはこちらの方に分がある。知能を有しており、集団で戦う時には
十分に注意が必要。
神殿で最初に一体が来たが、あれは様子見用と時間稼ぎに一体送
っただけのようだ。このことから狩りのためなら命さえ投げ捨てら
れる無謀で勇敢なモンスターと言える。
ボスのアーススパイダーと共存しているらしい。
ドロップアイテムは様々。偶に脳を入手できる。
・︿アーススパイダー﹀
怪異の森のボスである巨大蜘蛛。第一形態では造網性の蜘蛛とな
っているが、第二形態から面影が無くなってくる。
神殿に長く滞在することが出現条件となっているようだ。瞬時に
巣を作れる能力を持ち、放つ糸には後列名粘着性と再生能力が備わ
っている。
第三形態まで形態変化が可能。第二形態までは所謂余興であり、
798
第三形態から本当の強さを発揮する。尚、糸は第三形態の時には吐
けないので、第一、第二形態を素早く倒すことができれば第三形態
は弱体化する。
獲物を狩るために︿森の民﹀と共存をしているらしい。
ドロップアイテムは自らの糸や歩脚など。稀に濃密な毒を入手で
きる。
※︿境界の雪原﹀※
・︿ゼットスノウマン﹀
見た目は単なる雪だるま。雪の中に隠れる習性を持っている。
自分から動くことができず、出現位置に留まったまま戦闘をする。
雪を操る特性を保有しており、迂闊に近付けば大変なことになる。
例として口や目などから体内を浸食されたり。
強大な雪雪崩を起こすことができ、集団戦闘においては非常に厄
介な相手になる。
ドロップアイテムとして特殊な雪を落とす。偶に体の各部位を落
とす。
※︿夢に光る雪林﹀※
・︿フリーズバード﹀
雪の鳥。冷気を収束する力を保持している。
それほど素早く無く、強くも無い。ただ、プレイヤーを見つけた
799
際に他モンスターを呼び寄せるフェロモンを発するので即座に倒す
ことをオススメする。
ドロップアイテムは色々。
・︿ブリザードゴーレム﹀
氷の巨人。冷気や氷を取り込む力を有している。
地面が雪や氷の場合、滑って移動するために素早さが格段に上昇
する。パワーは元から高く、肉弾戦においての強さはレヴィベアを
凌駕する。
食事は必要無いが、何故かプレイヤーを襲う習性があることだけ
は分かっている。
ドロップアイテムは特殊な氷。偶に目玉を落とす。
・︿フローゼンウルフ﹀
厳しい低温度に対応して進化した狼。冷気を操作する力を持って
いる。
攻撃力や防御力、体力は低い。だが、噛みついた相手の体内に冷
気を流し込み行動不能にするなどの特殊な攻撃方法があるので真っ
先に殲滅することをオススメする。
純粋な強さでは他には劣るが、油断していればすぐにやられてし
まうだろう。
ドロップアイテムは皮や肉。偶に爪や牙を落とす。
・︿ブルードラゴン﹀
ファンタジーの代表であるドラゴン。青い色の種。
強力な冷気を吐くことができ、鱗は強固の一言に限る。頭や首を
やられない限りは不死身のような体力を見せてプレイヤー達に襲い
掛かる。
一応爬虫類に分類され、デカイ蜥蜴のようなものだと考えると可
愛いもの。総じて肉が好物で戦闘を好む。
800
ドロップアイテムには︿青竜の鱗﹀や︿青竜の爪﹀などがあり、
稀に︿竜玉﹀を落とす。︿竜玉﹀は目玉である。
一説では雪山を見下ろす空の神に仕えているという噂があるが、
所詮眉唾もの。
・︿アイスパペット﹀
氷でできた人型のなにか。関節が無いくせに動くことができる。
予想もできないおかしな動きをするために行動を読みにくい。死
んだフリなども平気で行ってくるために注意が必要。
個々の戦闘力はあまり高くないが、急に背後に出現したりするの
で警戒は十分にした方が良い。
ドロップアイテムとして特殊な氷を落とす。偶にうねうねと蠢く
氷を落とす。
・︿スノウクラウン﹀
地中で育った宝玉が意思を持って外に出てモンスターと化したも
の。
冷気、氷、雪をそれぞれ操る力を保持している。その強烈さは他
と比類を見ないものであるが、それ以外の攻撃方法を持たない。
宝玉に傷を付ければ一瞬で死んでしまうので倒すのは結構楽。
ドロップアイテムは落とさない。
・︿ホワイトモール﹀
冷たい地中に住み、雪を掘る巨大なモグラ。
特殊な力は特に有していないが、環境を上手く利用した攻撃をし
てくる。足元を抉ったりもしてくるので警戒は必須。
総じて純粋な個々の力も強いため、正面から戦う際には注意すべ
し。
ドロップアイテムは皮や肉。偶に爪を落とす。
801
※︿矛盾の雪山﹀※
・︿ライトゥルームーン﹀
空に浮かぶ偽物の月。普段は眠っており、目を覚ました時には色
が黒く変わる。
≪神≫と呼ばれる矛盾が大好きな生き物。金色の瞳の模様を表面
に写し、その中心が弱点となっている。
とある二つのスキルにより攻撃が殆ど通らず、また高い攻撃力と
防御力を保持している。
体が非常にデカイため、生半可は攻撃では殆どダメージを負うこ
とはない。保持するスキルはそこまで多いとは言えないものの、本
気を出せばフィールドを一瞬で破壊するようなことも可能である。
ドロップアイテムは肉体の欠片。模様の付いた欠片は非常に高い
加護が付加されている。
※プレイヤー︿May﹀※
・︿百獣之王﹀
砂漠でランダムに出現する獣の王。ユニークモンスター。
ありとあらゆる能力値がズバ抜けて高く、遭遇したら死ぬとも言
われていた。
まったく警戒も敵対心も抱かず本当に仲良くなりたいという気持
ちだけを持っていたメイに懐く。
肉が大好物。どんな環境にも耐えられる肉体を持ち、溶岩の中で
802
も短時間ならば耐えることが可能。
ドロップアイテムは不明。
803
5−1:欠落と郷愁のオーバーナイト
街に帰ってきた時、時間は既に深夜を回っていた。
結構急いでいたが、夕方まで寝ていたのだから仕方がないのかも
しれない。
隣にいるのはスズ。
やっと取り戻した大切な義妹と共に雪の降る街へ戻ってきていた。
﹁今日はもう、寝よう﹂
﹁⋮⋮うん﹂
宿の二人部屋。その鍵を受け取り中に入ったところでずっと袖を
摘まんで離さなかったスズへ呼び掛ける。返事は肯定だ。
彼女には、即死系のアビリティを外してもらっている。
急所を突いた時は敵の即死確率が五〇%になるなんていうとんで
もない効果を持ったものだったが、看過できないデメリットがあっ
たためだ。
敵から攻撃を受けた時、自らが急所を突いた時の即死確率が自分
に適用される。
馬鹿げてる。更に、スズの持っている武器はその即死確率を二倍
にまで上げるものだという。
五〇の二倍は一〇〇。つまり確実な死亡だ。
敵の攻撃が掠るだけでも即死してしまうような状況で彼女は戦っ
てきた。確実に敵の急所を見極め、そこを突いて。
ここまで生きてこれたことが奇跡とも取れる。
﹁本当に⋮⋮﹂
﹁⋮⋮?﹂
804
僅かに不思議そうな表情を浮かべるスズの頭を撫で、その後に顔
に付けていた狐の面を外した。
兎の面は壊れてしまったが、スズが持っていたらしい仮面を貰い
受けている。
ウサギを出して机上に移動してもらい、コートを脱いだ。
よく見ればボロボロだ。
新しいのを買わないといけないか、なんて思いながらイスに腰掛
ける。スズには反対側に座るように促したが、隣に座って寄り掛か
ってきた。
懐かしいのか、それとも寂しいのか。
嬉しそうな顔になる彼女を見てしまえば何も言うことはできない。
﹁スズは﹂
唐突に浮かんだ疑問を発するように口を開いた。
﹁何レベなんだ?﹂
﹁⋮⋮二〇九﹂
想像以上に高かったため、驚く。
一〇〇レベル台だと思っていたが、まさか二〇〇にまで達してい
るとは。
﹁最近はモンスターのレベルが低すぎてレベリングが滞らなかった﹂
淡々と告げる彼女から少しずつ感情が消えていくのを感じ、その
額を小突いた。
パチパチと目を瞬かせ、彼女は自分がどうなっていたのか漸く気
付く。
やはり四ヶ月間の影響は出てしまっていた。偶に感情が急激に無
805
くなったりしている。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
怖いのだろうか。体を震わせる彼女をそっと抱きしめた。
性格も少し、変わってしまったような印象を受ける。
それでもスズを手放すつもりはなかった。やっと取り戻した大切
な義妹。もう失うわけにはいかない。
一瞬、シノの顔が頭を過ぎる。
﹁⋮⋮はぁ﹂
色んなモノを犠牲にしてここまで来た。でも、どうやら手に入れ
てしまったものもあるようだ。
新しい大切なモノ。スズ以外に本当に大切だと思える相手。
きっとフーも俺の中ではそんな枠組みに当てはめられているので
はないだろうか。自分ではよくわからないが、結構必死に≪神≫を
探していたような気がする。
青葉達とは違う枠組みだった。大切な義妹、大切な片割れ、大切
な友達。
この世界に来て俺も少なからず変わっているようで。
どう変わっているのかは自分ではわからないけれど。
﹁これから、どうしようか﹂
俺が最前線を目指していたのはスズのため。それからフーのため。
両方を目的を果たしてしまった。
帰るためには攻略が必要だけど、今、俺の中にはスズを危険に晒
したくないという気持ちが存在している。
単なるエゴ。わかっている。だけど仕方が無いことだ。受け入れ
806
る。
スズはいつも危険と隣り合わせで戦ってきた。俺もスズほどでは
ないにしても危険と隣合わせで戦ってきた。
どうせ攻略するのなら安心できるくらいの環境を整えてからにし
たい、と思う。
パーティだ。
何人かのチームを作って行くのがベストだろう。
﹁どうする、って⋮⋮?﹂
﹁明日のことかな﹂
だが、果たして俺達を信用してくれるようなやつがいるのか。
スズは︿最強﹀と呼ばれるほどの最上位プレイヤーだとしても、
俺は違う。
俺の正体はプレイヤーキラー、それも人の名を冠する︿人狩り﹀
だ。何の罪も無い普通のプレイヤーを殺してきた殺人鬼。
そんなやつを信じてくれる奴なんて少数だ。
戦闘力が高く、それでいて俺達と打ち明けられる奴なんて︱︱。
﹁あー⋮⋮﹂
いた。一人、心当たりがある。
フーやシノのことではない。シノには挨拶も無く飛び出して行っ
てしまったし、フーにも少し後ろめたい気持ちがある。まだ会う時
では無いと感じ⋮⋮いや、会いたくないと感じていた。
思い至ったのは最近知り合った少女だ。
あいつなら俺の事情を理解し、しかも受け入れてくれている。攻
略一筋で愛想の無かったスズにも抵抗を示すことは無かったくらい
の人格の持ち主でもあった。
明日、少し街中を探してみよう。
807
良い結論を出すことができた、と少々喜びつつ立ち上がった。ス
ズも付いてくる。
﹁えー⋮⋮と⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
首を傾げる彼女へ言いにくそうに言葉を濁らせるが、仕方無く告
げた。
﹁ちょっと着替えたい⋮⋮けど⋮⋮﹂
部屋の外に出ていて欲しいという意思が伝わったのか、スズは。
より強く裾を掴んで離さなくなった。
困惑していると、彼女が理由を説明してくれた。
﹁近くに居て欲しい﹂
簡潔な一言。空いた四ヶ月が無ければもっと様々な感情が籠った
言葉だっただろうが、感情が欠落しかけている彼女は淡々と口に出
す。
頬を少し赤らめているところを見ると羞恥はあるみたいだ。けど、
どうやら﹃恐怖﹄と﹃懇願﹄が一番強く出ているようで。
またいなくなるかもしれない、という恐怖。
いなくならないで、という懇願。
最初のシノと同じような状況だ。流石に二度目。それに相手は元
は一緒に暮らしていた義妹だ。苦笑いを浮かべつつも了承をし、後
ろを向いているように指示をする。
ストレージから初期装備を実体化し、なるべく早くそちらに着替
えた。
スズにもういい、と許可を出して︿桶﹀や︿水﹀、︿消汚草﹀な
808
どを実体化。服を洗える状況を作る。
﹁私、も⋮⋮﹂
﹁っと⋮⋮わかった﹂
彼女に背を向けた。衣擦れの音や鉄の摩擦音を耳にしながら終わ
るのを待つ。
頃合いを見計らって振り向いた。
彼女の服装も懐かしの初期装備だ。
﹁最近洗ってない、から⋮⋮その⋮⋮﹂
言いにくそうに淀む。気まずい雰囲気を作らないために敢えて言
わなかったりしたが、体も洗わなければいけない。
服を桶の中に入れ、どうしようかと思考する。
部屋を出るのが駄目なら、シノと同じようにまた後ろを向いてい
るしかない。
﹁それじゃスズ、先に︱︱﹂
﹁か、髪⋮⋮﹂
先に体を洗っていい、と伝えようとすると彼女がそれを遮った。
﹁髪だけ⋮⋮洗ってほしい﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
頷き、彼女にイスに座るように促す。その後ろに立ち、隣にもう
一セット桶や水などを用意した。
︿始まりの街﹀の道具屋では様々なものを手に入れている。その
内の一つである︿櫛﹀を取り出し、手始めに彼女の髪を梳かしてい
809
く。
本来ならこの後にシャンプーを使うのだが、生憎とそんなものは
持っていない。︿消汚草﹀を浸した特殊な水を手に付け、彼女の髪
に向かわせた。
指の腹を使うような感じで、優しく、と意識して洗っていく。
水で流すことは室内なのでできない。だから隅までしっかり、傷
めないように丁寧に。
﹁気持ち良い﹂
﹁そう言ってもらえると嬉しいかな﹂
スズのために少しだけ御祖母ちゃんから学んでいた方法だ。女と
男では洗い方も違う。
本来あるべきものがなかったり、本来やるべきことができなかっ
たりで戸惑った。だが何とかやり通し、最後に︿布﹀で髪を纏めて
一息吐く。
﹁にぃに、ありがと﹂
﹁どーいたしまして﹂
こういう会話も久しぶりだ。スズの方も俺より何倍にも懐かしく
感じていることだろう。
特にハプニングも無く体を洗うことを済ませ、洗い終わったらし
い装備をアイテムストレージに仕舞った。
片方のベッドに腰を掛けるとスズも隣に座ってくる。
﹁今日は、一緒に寝たい﹂
﹁⋮⋮はいよ﹂
現実に居た頃より、より大胆に甘えてきていた。
810
これも四ヶ月の空白の影響、か。
苦々しく思い、嬉しく思い、色んな感情がごちゃ混ぜになる。ど
れが本当の感情なのか分からなくて思考を止めた。
﹁ウサギ﹂
膝の上まで跳んでしてきた使い魔を受け入れ、予め用意していた
水を掛ける。
美味しそうに飲みほした。
﹁それじゃ﹂
布団に入り、仰向けに寝転がる。スズは俺の方を向いて丸くなっ
た。
ウサギは俺の頭の上辺りで大人しくなり、眠りの態勢に入る。
﹁おやすみ﹂
﹁⋮⋮おやすみ﹂
811
5−2:図鑑と買物のスリーパーソンズ︻?︼
朝。起きていたらしいスズと少しゆっくりしてから着替えを行い、
仮面を付けて部屋を出た。
スズはフードを外している。
フードには中身を隠す効果と視界の明度を確保する力が付加され
ているようで、被っていると真っ暗闇でも見渡せるらしい。
ただ、スズがそれを付けていると段々と感情が無くなっていく。
四ヶ月間の空白による症状だろう。あまり悪化させるのは得策では
ないために必要時以外には外すことにしてもらった。
この宿には食堂があるみたいだ。
ゴールドに関してはスズが出してくれるそうなので問題は無い。
いや、妹に出してもらうとか兄としてどうなんだとかそういう問題
はあるが、金銭的な問題は無い。
後で道具屋に行って素材を換金しなければならない、か。
﹁オススメを⋮⋮あー、と。二つお願いします﹂
NPCに伝え、返事が返ってきたことを確認して食堂を見渡した。
森林が攻略されたばかりのためか人はかなり少ない。
﹁あ、ノ⋮⋮﹂
唐突に聞こえた声の方向へ注意を向けるとメイが座っていた。
丁度今日探そうと思っていた相手だ。都合が良い。
近付き、対面側に許可を貰って二人で腰掛ける。
﹁二日前とは違う宿屋を選んだんだけど⋮⋮奇遇だな﹂
﹁壁壊しちまった宿になんか平気で居れるわけねーです。ここで会
812
ったのが奇遇ってのは同意ですね﹂
言い合い、その後に﹁おはよう﹂と告げた。﹁先に言いやがれで
す﹂などと指摘されつつ彼女も挨拶を返す。
メイは目を横に動かした。
﹁そっちは誰なんです? どっかで見たような気ぃしますけど﹂
﹁︿最強﹀だよ﹂
答えると、ああ、と納得したようにメイが手を付く。
﹁噂じゃ中身なんて知らねーし知れねーしでよくわかんなかったで
す。そもそも︿最強﹀は基本的にフード外さねーらしーですし﹂
ジロジロと観察するようにスズに視線を送っていた。昔ならきっ
と怖がっていたが、今は居心地悪そうにするだけだ。
一応それも困るので注意を引くように口を開こうとするが、それ
よりも先にメイが訊いてくる。
﹁ってか、なんでノ⋮⋮てめーと︿最強﹀が一緒にいやがるんです
? 別れたんじゃねーのです﹂
﹁あー⋮⋮確かメイには義妹がいるって話したよな? この子がそ
うだよ﹂
少々笑みを浮かべながら言うと、彼女は﹁へー﹂と呟いた後に﹁
えぇ!?﹂と大きく驚いた。
二度見の耳バージョンというところか。
﹁さ、︿最強﹀が義妹なんです⋮⋮? 流石にそりゃねーだろです﹂
﹁⋮⋮︿Rin﹀です。よろしく、します﹂
813
﹁よろしくお願いしますと言いてーことは理解できたです﹂
メイが苦笑する。最初との印象の違いに戸惑っている部分もあり
そうだ。
﹁私もよろしくです。名前覚えてるです?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
沈黙。しばらくしてメイが乾いた笑いを漏らし、再度の自己紹介
を始めた。
﹁︿May﹀。二つ名は︿主﹀。よろしくお願いしますです﹂
手をスズの方へ差し出す。少しの間スズはそれを見つめ、ゆっく
りと手を合わせた。
握手。
手を離し、その後に﹁それにしても﹂とメイが続け︱︱。
﹁︿人狩り﹀に︿最強﹀なんて、随分な大物が義兄妹だったもんで
すね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
再び場が押し黙り、メイが戸惑ったような声を上げる。
スズに視線を送られていると自覚しつつ無理にでも無視し続けた。
まさかこんなところでバラされるとは思わなかった。スズは︿人
狩り﹀の二つ名を知らないようだが、人、という文字が最初に付い
ている時点で簡単に予測はできるはずだ。
人の名を冠する二つ名を受け取るほどのことをしたのだと。
﹁え、な、なんか地雷踏んじまったです⋮⋮?﹂
814
﹁⋮⋮いや﹂
義妹なら知っていて当然、とでも思っていたと推察をする。
いずれ絶対にバレることだったんだ。早いか遅いかの違いでしか
ない。
﹁っと、できたみたいだな﹂
NPCに名前を呼ばれ、立ち上がる。スズも付いてくるためか腰
を上げた。
メイは既に机の上に置いてある。少しずつゆっくり食べているよ
うだった。
受け取りの場所に行く途中でスズが俺を呼び止める。
﹁にぃにが﹂
先程の話題に関してのこと、か。
振り返り、彼女の瞳を見つめた。
﹁にぃにが人の名を冠したのは、私のため?﹂
﹁⋮⋮さて、ね。そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもし
れない﹂
スズのためだけとは言い切れない。それだけなら数人を殺す程度
で済んでいたはずなのに、俺は幻に翻弄されて暴走をしてしまった。
何人も殺したんだ。無意味に。殺戮を。
シノが隠していた力で止めてくれたから良かったものの、本来な
らもっと殺してしまっていたはずだった。
あれはスズのためなんかではない。
俺のせい。誰のためでもない、何の意味もない行為と過去だ。
815
﹁軽蔑したか?﹂
問うと、彼女は首を振る。
﹁どんなことがあっても、にぃにのことをそんな風には思わない﹂
﹁⋮⋮ありがとう、スズ﹂
犠牲になってしまった命を。無駄にしてしまった命を。
それらを忘れて幸せを謳歌しようとしてしまう自分は、一体どれ
ほど人間として成っていないのだろう。
思考を振り払うように頭を振り、オススメの料理とやらを受け取
りに行った。
魚料理。
それを持って二人でメイの元へ戻る。
﹁おかえりです﹂
﹁ただいま﹂
料理を置いて席に座った。
手を合わせ、﹁いただきます﹂と二人で呟いて箸を取る。
しばらく三人で食べることに集中をし、それが終わって暇になっ
た。
そこで話を切り出すことにした。
﹁メイ﹂
﹁んー⋮⋮です?﹂
﹁しばらく三人でパーティ組んでほしい、んだけど⋮⋮お願いでき
ないか?﹂
816
問うと、﹁うーん﹂という風に彼女が腕を組む。
﹁三人って、私と︿最きょ⋮⋮リンとノートかです?﹂
﹁ああ﹂
﹁⋮⋮まぁ、大丈夫です。別に個人でのレベル上げに固執はしてね
ーですし、分かったです﹂
引き受けてやるです、と快い返事をくれた彼女へ御礼を告げた。
スズと一瞬だけ目を合わせ、すぐにそれを外す。
彼女も了承してくれるようだ。
﹁少し行きてーとこがあるんですが﹂
早速、と言った感じで切り出したメイを見る。
別に行くところなど決めていなかった。二つ返事でオーケーの返
事を下し、食事分のゴールドを払って宿を出る。
足を進めるつつメイに問うた。
﹁どこに行くんだ?﹂
﹁図書館です﹂
数分すると目的の場所に着き、扉を開けて中に入る。
ジャンル
前に見たものと同じような光景が広がった。
メイは種別を軽く確認し、図鑑の方へ歩いて行く。それに付いて
行った。
﹁えーと﹂
顔を動かして何かを探している。
見つけたようで、﹁あ﹂と声を出してそれを取った。
817
モンスター図鑑。
﹁⋮⋮ほー﹂
夢中になって読み出すメイ。しばらく時間が掛かりそうだ。
彼女をイスのある方へ誘導し、近くに俺とスズも腰掛ける。
メイが開いているページを見ると、︿海魔リヴァイアサン﹀と描
かれていた。
しかし読み終わったようですぐにページが次に移り、︿陸魔ベヒ
ーモス﹀と。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
本当に熱中して読んでいるみたいだ。しばらくするとページが捲
られ、今度は︿空魔ジズ﹀。
その後は特に目ぼしいモンスターは無く、ただ時間が過ぎて行く。
途中から俺とスズも適当な本を手にとって読んでいた。
﹁あ⋮⋮﹂
自分が時間を忘れて読書をしていたことに気付いたようで、メイ
が﹁しまった﹂とでもいうような声を上げる。
謝る彼女へ別にいいと返した。
元々俺が頼み込んだこと。多少の用事に振り回されるくらいは構
わない。
﹁私の用事は終わったです﹂
図鑑を読みに来ただけらしい。
それじゃ、と俺は切り出した。
818
﹁道具屋と装飾屋に行こう﹂
819
5−3:図鑑と買物のスリーパーソンズ︻?︼
いらっしゃいませー、という声と共に出迎えられて三人で道具屋
に入った。
やはり最前線の街ともなると色々なものが売っているようだ。
メイがフラフラと店内を彷徨い始めた光景に苦笑しつつ、カウン
ターに居た店員へ近付いて行く。
拾ってきた素材を渡し、換金をした。
本来なら道具屋での用事はこれで終わりだ。だが、どうやらメイ
が結構はしゃいでいるようなのでしばらく居ることにする。
スズと二人で店内を見回った。
これといって﹁欲しい!﹂と思うものは無かったが、いざという
時のために︿瞬間無敵補強剤﹀を補給しておく。これまで危ない時
に二回も役に立ってきている。あるに越したことはないはずだ。
﹁おいノートです。これすげーと思わねーですか?﹂
服を引いてきたメイの方へ目を向けると、彼女の手には装飾の付
いたベルトが乗っかっていた。
﹁これは?﹂
﹁変身セットです。登録した装備をこのベルトの効果ですぐに装着
できるっつー優れものです。女の私にはベルトなんて必要ねーもん
ですが﹂
ベルトで変身とは、また随分とヒーローらしいものだ。
肩を竦める。彼女が元の場所にそれを戻す光景を見届け、他にも
腕輪版などがあるのを見掛けた。効果はベルトより下がり腕の動き
も阻害するらしいのでオススメできないみたいだが。
820
ハイポーションを幾つか買うことで補給し、目ぼしいものが無か
ったので店を出た。
次は装飾屋だ。
パンフレットを開き、場所を確認してから歩き出す。
﹁装飾屋に何かしにいくのかです?﹂
﹁買いたいものがあってね﹂
目的地に着いたことを把握して装飾屋の内部に入った。
いらっしゃいの挨拶で出迎えられる。
視線を巡らせ、目ぼしいものがあるところまで移動して翠色の髪
飾りを手に取った。
﹁これ買います﹂
買い物を済ませると店を出る。
これでもうこの街でやることはなくなった。
﹁なに買ったんです?﹂
﹁︿ラストゲーム﹀の時間を一分延ばすアクセサリ。風の噂で聞い
た眉唾ものの話だったけど、最前線には売られてたな﹂
﹁それ一つしかなかったけどなです﹂
髪に付け、さて、と二人へ振り向く。
﹁どうする?﹂
﹁⋮⋮んー⋮⋮そうですね⋮⋮決まってねーなら、ちょっと西の方
に行ってみてーです。何かよくわかんねーんですが、そこには廃墟
があるみてーです﹂
821
掘り出しものが見つかるかもしれない、とメイは補足した。
異論は無い。スズも同じようだ。
行く、か。
街を出るために足を進めていく。
﹁そういや雪山が一夜の内に破壊されたとか馬鹿な話を聞いたんで
すが、何か知らねーですか?﹂
フィールドに出た後の話。暇そうに変わらない景色を眺めていた
メイが唐突に切り出した。
﹁あれなら月みたいなユニークモンスター⋮⋮︿ライトゥルームー
ン﹀ってやつに壊されたよ﹂
﹁何か現場に遭遇してたみてーな口振りですね﹂
﹁そう﹂
肯定の返事を返したのはスズだ。
すげーですねー、と適当な感想をメイは漏らす。
﹁強かったです?﹂
﹁んー⋮⋮スズの一撃で終わらせてもらったから具体的には分から
ないけど、アーススパイダーの二倍は軽く超えた強さだったかな﹂
﹁スズ? ってかすげーつえーじゃねーですか﹂
﹁スズは︿最強﹀のこと。ライトゥルームーンは詳しい力も知れず
に倒しちゃったからよくわからんけど、本当はもっと何かあったと
思うよ﹂
確認できたものは︿ディズ・トゥルー﹀︿ディズ・ライ﹀︿ア・
ライ﹀︿レーザー﹀の四つ。見せてきたスキルは大して多く無く、
最後の一つ以外は未知のスキルだ。
822
スズの能力に酷似したスキル。攻撃を無効化し、それを自らに還
元するスキル。未だ知れない方法で攻撃を透過してみせた︿ア・ラ
イ﹀。
他にも何か︱︱。
﹁どうかしたのかです?﹂
知らずの間に立ち止まってしまっていたことに気付く。
いや、と心配無い旨を伝えて再び歩き出した。
﹁⋮⋮︿インストール﹀﹂
試しに、といった具合にスキルを発動させる。
具現化するのは月の力。︿ライトゥルームーン﹀。
左目へと。
﹁ッ﹂
レベルが足りな過ぎるためか、思ったように具現化ができない。
元々の特性しか反映させられないみたいだ。肉体を写すことも不
可能。
反映できた特性は︿ア・トゥルー﹀。
具現化したためか、効果はすぐに把握ができた。
未来を見る。と、いう力。
常に少量のMPを消費し続けるようなので長時間の利用は︿ラス
トゲーム﹀時以外はオススメできなそうであるが、強力だ。
現代の技術の結晶。幾つもの可能性未来の中から最も確率の高い
ものを導き出し、それを反映させる。
具現化を解いた。
ライトゥルームーンとの戦いで二レベルアップしていたが、その
823
分のポイントはMPに消費した方が良さそうだ。
振り分けをし、その間も歩みを進めていく。
そうして、着いた。
雪に塗れた廃墟。
そこら中の建物が五分の一ほどを雪に埋もれさせている。少しモ
ンスターも見掛けられたが、あまり気にする必要も無さそうな雑魚
だった。
奥の方へ視線を向けると、そこには王城のようなものが見受けら
れる。
﹁すげーですね﹂
﹁ああ﹂
スズも頷いた。
三人で一番目立つ王城へと直進をしていった。
途中で何かが襲ってくることはなく、どうやら基本的にノンアク
ティブのモンスターしかいないみたいで安心をする。
こちらから邪魔を侵さない限り何もしてこないのは有り難かった。
城は見上げるほどに大きく、門は雪のせいか随分と開きにくい。
メイが頑張って開けようとしていた。それをどかせ、右腕を翳す。
全TPを︿スキルコレクション﹀で補正に変換して右腕へ。それ
を三回繰り返し、白き不可思議な文字列が腕を纏い始めたところで
振り被った。
鳴り響く轟音。門の一部が抉れ、中に入れるようになる。
﹁溜めがなげーですが、うちのミートよりすげーんじゃねーですか
⋮⋮?﹂
﹁そりゃ嬉しい御指摘で﹂
城の中へ繋がる戸までの道に大きな庭が広がっているが、それも
824
全て雪で埋もれていた。辛うじて枯れ木が残っているために庭なの
だと理解できる。
﹁おじゃましまーす、っと﹂
それを抜けて戸を開け、城内部へ突入した。
気温は変わらないようだが雪は積もっていない。ただ、少し誇り
臭い。
周囲の光景を見渡しながらも廊下を進み、丁度立ち止まったとこ
ろが謁見の間らしき場所のすぐ近くだった。
二つの豪華なイスが奥に置かれている。王と王妃が座るべき場所、
だったと推察した。
﹁ここにあるもの売れば金になるんじゃねーかと思ったんですが、
古すぎて微妙でやがりますね。金属何かは実用性が無いからてんで
駄目です。現実ならかなり価値があるんだがですけど﹂
つまらなそうな発言だが、その実一番楽しんでいるように見える。
王座に近付き、観察をした。初めて見るそれは新鮮で、無駄に装
飾やらが施されているそれらをじっくり眺めてしまっている。
しばらく後に王座より奥があることに気付き、そこへ歩いて行っ
た。
大きな魔法陣が一つ描かれている。
﹁⋮⋮罠?﹂
スズが少々疑わしげに呟いた。しかし、こんなわかりやすい罠を
こんな場所に配置するだろうか。
﹁転移陣⋮⋮じゃねーですかね。遺跡じゃ無数の転移陣に罠も混じ
825
ってたもんで疑いたくなる気持ちもわっちまいますが﹂
そう言うも、メイは魔法陣に近寄ろうとしない。自分の言葉に確
証がないためだ。単なる推測だけで触りたくないと思うのは当然だ。
他に何かないかと周りを調べるが、何も無い。これだけしかない。
﹁遺跡と言やー、︿最強﹀⋮⋮じゃねーです。リンはあれをどうや
ってクリアしたんです? あんなクソ迷路、クリアしろって方が無
理な気がしたんですが﹂
﹁一日の内に全ての魔法陣を潜る。すると遺跡の外の反対側に新し
い転移陣が出る。それに乗るとボス﹂
﹁一日⋮⋮分かってても、全部潜るなんてそりゃ心が折れるだろー
なです﹂
俺には分からない話をしている二人を軽く放置し、転移陣らしき
ものに近付いた。しゃがみ、少し触れようと手を伸ばしてみる。
瞬間。
転移陣が輝いて視界が切り替わった。
どこかで見たような風景が目の前に現れ、同時に脳裏に︱︱いや、
世界へ機械の音声が鳴り響く。
﹃隠しイベント︿ディスプレイ﹀を開始します。全プレイヤーに参
加権があり、各地にイベント用の特殊ステージへの転移陣を刻みま
す﹄
826
5−4:発生と原因のコンペマッシュ
目の前に広がる光景はいつか見たものとまったく同じだ。
時計塔の最上階。隠し部屋に繋がる道がある見晴らしの良い場所。
転移陣で飛ばされた、ということか。
﹁≪神≫は倒せたようだな﹂
背後からの声に振り向くと、そこには︿Thgun﹀︱︱スンと
名乗っていた男が立っていた。
相変わらずその身に豪華なローブを纏い、フードで顔を隠してい
る。
おかげさま
﹁御陰様でな﹂
少々の疑いを視線に込めつつ口に出した。
﹁俺は少しの情報を与えただけだ。戦ったのはお前達だろう?﹂
彼の言葉で疑心が確信に変わる。
お前達、とスンは言った。
まるで俺がスズと共に戦ったことを知っているかのような口ぶり
だ。
そのことに気付いたことに気付いたのか、彼は薄笑いを浮かべて
﹁しかし﹂と話を変える。露骨だが、どうせ追求しても答えてくれ
ない可能性が高いために文句は発さないことにした。
﹁こうも連続で色々なことに巻き込まれるとは、まぁ随分と不運な
運命にあるものだ﹂
827
もたら
﹁不運かどうかは俺が決める。その結果に何があるか、その経験が
何を齎すか。それらで不運か幸運かは分かれるはずだから﹂
﹁仰々しい言い方だな。もっと簡単な回答があるだろうに﹂
スンが肩を竦め、やれやれとでもいう風に首を振る。
﹁そして今回巻き込まれたのは、︿ディスプレイ﹀か﹂
彼が顔を外の方へ向けたので自分も習うように視線を移動させた。
何か、見える。
黄土色の巨大な何かが遠くの空に浮いているみたいだった。
﹁特殊ステージ︿天空闘技場﹀。︿ディスプレイ﹀用のバトルフィ
ールドだ。あれの出現に伴い、各地に︿天空闘技場﹀へ繋がる転移
陣が設置されたようだな﹂
﹁その︿ディスプレイ﹀ってのは何なんだ?﹂
﹁単なる大会だよ。全プレイヤーに参加を募り、ランダムで行われ
る振り分けでPvPをやるんだ。入賞した者にはそれ相応の賞品が
送られる﹂
スンが俺の方を向く。
﹁あの転移陣に乗ることがイベント発生条件となっていた。つまり、
お前がこのイベントを引き起こしたということになる﹂
﹁俺の参加は強制なのか?﹂
﹁当然だ。だが、まぁ、やりたくないというのなら予選で棄権でも
すればいいだろう。参加賞程度も貰えずに終わる結果になるが﹂
予選を突破しなければ参加賞さえ貰えないということか。随分と
めんどくさい仕様だが、参加賞欲しさのやつが棄権するために参加
828
するのなら最初からいない方がいい、という考えの下に作られた設
定だと推察する。
﹁イベントは明日から開始となる。参加表明は始まる直前のギリギ
リまで可能だ﹂
﹁明日、って⋮⋮﹂
﹁今は遺跡、森林と。最前線を二つも続けざまにクリアされている
状態にある。状況に追いつけていないやつらの丁度良い息抜きにな
るはずだ。それに、別に参加者が少なくともイベントが始まること
に変わりは無い﹂
淡々と語る彼からはイベントの仕組みと意味をしっかりと把握し
ているということが把握できた。
﹁自分の力が現在どこら辺りにあるのか知る良い機会だと思って貰
えれば良い傾向と言える。
派手なバトルをじっくりと見たいのなら観客として見に行けばい
い。自分の実力を試したいのなら選手として参加すればいい。
既に、参加表明のメールが何件も届いている﹂
﹁情報が出回るのってそんなに早いのか?﹂
﹁お前がここに来た直後、システムがお前以外の全員へ告知メール
を送っていた。俺はお前に対しての説明係、ということだ﹂
なるほど、と頷く。
﹁明日の始まりの時間は一〇時三〇分。遅れずに︿天空闘技場﹀へ
行かなければ不戦敗となる﹂
言い、彼は片足を上げた。
トン、っと振り下ろす。するとそこを中心に魔法陣のようなもの
829
が描かれ、彼の体を光の粒子が包み出した。
スキルの発動が感じられない。
﹁それは⋮⋮﹂
﹁システム権限による転移陣の作成だ。あくまでも俺はNPCなの
でな。プレイヤーに干渉できるほどのシステム権限は持たず、この
世界の法則にだって逆らえない。移動にはこういうものが必要とな
る﹂
答え、﹁ではな﹂という声と共にいなくなった。
一瞬。静寂が訪れ、しかしそのすぐ後に脇腹から吹き飛ばされて
地面に倒れる。
重みを感じて目を動かせば、胸の中にスズが収まっていた。
﹁えー、っと⋮⋮﹂
泣いていることがわかる。戸惑いつつ彼女を抱きしめ、あやすよ
うにその頭を撫でた。
近くにメイが立っていたので視線で事情を問い合わせる。
﹁急に転移陣が機能しなくなりやがったんです。さっき直ったけど
です﹂
スンの仕業、と確信を持つことができた。あいつがいなくなって
すぐに二人は来た。
少々の怨みを虚空へ込めてみても状況は変わらない。
スズが落ち着くまでずっと態勢を変えず、泣きやむのを待ってい
た。
やがてスズが顔を上げ、口を開く。
830
﹁またいなくなっちゃうかと思った⋮⋮﹂
震える声だ。本当の言葉だ。
﹁俺はもういなくならないよ。絶対に﹂
﹁でも⋮⋮﹂
心配させないように、と言ったそれへ彼女が告げる。
﹁きっとまた死にそうになっちゃうようなこともある⋮⋮と思う。
私は沢山経験してきた﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁その時、本当に死なないって⋮⋮本当にいなくならないって⋮⋮
にぃには⋮⋮﹂
ありとあらゆるモンスターと対峙し、ありとあらゆる危険を潜り
ぬけてきた彼女の言うこと。それに間違いは無いだろう。
ああ。きっとある。
俺だってこの短期間に何度も経験してきた。だから多少は理解し
ているつもりだ。この世界に死が溢れていることなんて。
﹁もう戦うことなんて止め︱︱﹂
それでも。
﹁俺はいなくならないよ。絶対に﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁絶対にいなくならない﹂
言い切った。
831
知っていて尚。それが厳しいことだと知って尚。
口だけでは何とでも言えることだ。それでも、俺は覚悟を込めて
口に出した。
俺はもう死なない。絶対に。
や
スズを悲しませる未来なんていらないから。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それに、俺には戦いを止めるのは無理な話かな﹂
スズに会って、目的を果たして。欲が出ているのかもしれない。
現実に帰りたい。
現実に帰って、沢山やりたいことができたんだ。
フーやシノ達に会ってみたい。フーの安否を確認したい。青葉達
とまた一緒に遊びたい。
スズと一緒に外を歩いて、笑い合いたい。
昔はこんなことを思うなんてことは無かった。少し刺激が足りな
いとは思っていたけど、スズと一緒に居れるのならそれでいい、と。
確実に俺は変わってきている。
そう実感した。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
スズは口を閉ざし、何かを言おうとする。
だが、何も言わない。
俺を立たせ、代わりとばかりに袖を摘まむ。
それだけだ。
﹁⋮⋮っと、何か蚊帳の外にしてたみたいで悪いな﹂
﹁別にいーですよ。邪魔するのも悪かっただろーしです﹂
832
一緒に居てくれる、という意思表示。そう受け取った。
謝った俺に対しメイはぞんざいに返し、﹁それより﹂と話題を変
える。
口に出したのは先程スンと話していた︿ディスプレイ﹀のことの
ようだ。
﹁あの転移陣に乗るのが発生条件らしい。俺は強制参加だとさ﹂
簡潔に原因と経緯を語るとメイが﹁ほへー﹂と間抜けた納得声を
発した。
﹁何かノートといると色々退屈しねーですね。偶然かもしれねーで
すが、アーススパイダーや宿の壁事件の時もノートがちょっとだけ
関わっていやがりましたし。いつもならあんな連続で色々起きたり
しねーもんです﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁そーです﹂
俺からしてみれば全部がメイと関わったからだと感じる。アース
スパイダーとの遭遇も長く神殿内にいたからだろうし、宿の壁事件
に至ってはどう考えても俺は巻き込まれただけだ。今回のことだっ
て元々はメイが廃墟に行こうとか言い出したからだろう。
どこに関わってくるのかは分からないが、相手側は俺と関わった
からだと思っているらしい。
苦笑しつつ、相手がいいならそれでいいと結論を出した。俺達と
居ることが苦痛で無いならそれで構わない。見る限りでは逆に楽し
んでいるようにも見えた。
さて。
︿ディスプレイ﹀のための準備でもしよう。
少し自分の実力を試してみたいという気持ちも無いわけでも無い。
833
強制参加ならやるしかないだろう。
聞けばメイは参加するそうだがスズはしないようで。可愛い義妹
にはウサギと観客にでも回って貰うことになる。
自分の実力が今、どの辺りまであるのか。
験す。
834
5−5:大会と予選のトーナメント︻?︼︵前書き︶
主人公以外の参加者同士の戦闘はあまり書かない予定です。
もし書くとしても一〇∼一〇〇〇文字以内で軽く描写する程度。一
五〇〇文字に届いたら﹃長過ぎる﹄と判断される程度です。
皆様方の小説でのこういう感じの大会の話を見ていると関係ねーや
つらの戦いが無駄になげーですからね。
キャラのネタもありませんし、そもそもこの小説は基本的に一人称
です。他人の戦いを眺め続ける主人公なんて見ててもつまらないと
思いますので。どうか御了承下さい。
835
5−5:大会と予選のトーナメント︻?︼
周囲を何段にも観客席で埋め尽くされた、まるでコロッセウムの
ような闘技場。
歓声が飛ぶ中で何人もの参加者が中心の舞台に立っていた。
そこには勿論、俺やメイの姿もある。スズとウサギには観客席に
移ってもらっていて、現在の俺は狐の仮面に加えてフードも被って
いた。
﹃さてさて、今回御集まりしていただいたのは他でも無い。プレイ
ヤー同士の戦闘によるトーナメント制の大会を開催させていただく
ためです﹄
脳裏に直接響く機械声。
上空へ魔法陣が突如描かれ、そこからスンが現れる。
彼が発したものだろう。
地面に着地し、彼は大仰に両腕を広げた。
﹃まどろっこしい説明はいりませんね。さっさと予選のメンバー分
けを行います﹄
周囲からは幾つかスンを警戒するような雰囲気が見受けられる。
これはシステムが告知した︽AI︾により管理されたイベント。
それの司会を務める彼に他のNPCとは違う何かがあると、そう考
えていると推察する。
歓声の中には少々の批判の声もあった。しかしスンはそれには反
応しない。ただ進めるだけだ。
﹃そうですね⋮⋮﹄
836
迷う声を上げた彼が右手を前に出す。
パチン、と。
鳴らされた指に呼応するように変化が生じた。
俺達参加者全員の頭上に色付きの旗印が出現する。
﹃その色ごとで予選を行いましょう。内容は対策されることの防止
のため直前で御知らせいたしします。組毎に変えますので二回目以
降のチームの方でも一回目のチームのものはあまり参考にしない方
が良いと思われます﹄
分けられたのは四色。赤、青、黄、緑だ。
生き残るのはそれぞれの色で八人。参加者は他の全選手対応のP
vPの状態となり、疑似HPが〇になれば強制退場で観客席に送ら
れてしまう。
他の予選の細かい設定を述べ、説明を終わろうとしたスンへ参加
者の一人が質問をした。
本選のトーナメントはどのような形で行うのか、と。
﹃選別された合計三二人の方々をランダムに振り分け、勝ち残り式
トーナメント方式で進めていく予定となります。決勝戦の前には三
位決定戦を挟み、敗者復活は存在しません。
本選では特別ルールが一つだけ追加されますが、それは予選終了
後に御知らせいたします﹄
質問をする人がいなくなったのを確認し、スンが言う。
﹃それでは一五分後に赤チームの予選から始めさせていただきます。
その次には、青、黄、緑と続くこととなります﹄
837
俺の旗印は青色だ。
説明を終えた彼が転移陣によって消え、一番高い観客席より数十
メートル上に位置する場所に移動した。
スンの頭上に残り時間を現す数値が出現する。
九〇〇。一五分を秒数に直した数だ。
一時的に観客席に移動するためメイと合流してスズの元へ向かう。
彼女は黄色らしく、俺と戦うとしても本選になる。
スズの下に行くと、その隣に置いてある紙袋が跳ねた。
あの中にウサギが入っている。
﹁ん﹂
ウサギを左肩に乗せ、元々紙袋が置いてあった場所へ座った。す
るとスズが寄り掛かってきて、そのまま頭を預けてくる。
メイは俺の反対側の隣に腰掛けた。
しばらくは他愛の無い会話を度々続けていたが、漸くと言った感
じで一五分が立って予選が始まる時間がになる。
沢山の参加者達が円形の巨大な舞台に集まっていた。
スンが脳に直接響かせる機械音で第一の予選の説明を始める。
﹃第一回目の予選ではモンスターとプレイヤーの入り混じり合う乱
闘となります。モンスターの攻撃では通常のHPは減らず、代わり
に疑似HPが二倍減ることとなっております﹄
フィールド上に無数の転移陣が刻まれ、そこから同じ数だけのモ
ンスターが姿を見せた。
﹃八人が生き残った時点で赤の予選は終了となります。参加者の方
々は頑張って生き残って下さい﹄
838
その言葉と共に三〇秒のカウントダウンが開始する。モンスター
達はその間動かずに固まっており、始まると同時に動き出すことは
容易に想像ができた。
やがて数字が〇になり、第一予選が開始する。
︱︱︿セイスミックショック﹀。
始まった直後に感知されたスキル。見れば青葉と思わしき人物が
片足を上げ、振り下ろす場面が視認できた。
地面が罅割れ、地を伝う衝撃が全モンスターと参加プレイヤーを
襲う。かつて俺が見た八倍の衝撃よりも凄まじいものだった。
ここは流石と言ったようでほぼ全員が避けていた。近かった相手
は何人か食らってしまったようだが、今の攻撃を区切りに数々の攻
防が繰り広げられる。
青葉のセイスミックショックにより作られた僅かな隙を突き合う
プレイヤー達。
モンスターはプレイヤー同士のバトルに介入して次々と脱落者を
増やしていった。目の前のことだけでなく周りにも気を使わなくて
はいけない。これは大変だ。
と、頭に届く指パッチンの音。それと同時に舞台の地面が一瞬に
して元に戻った。スンの仕業だ。
青葉のせいで足場が悪く上手く戦えていなかったプレイヤー達が
若干の有利に曝される。
しばらく客観的な視点で眺めていると、あることに気が付いた。
チームを組んで戦っているところがある。
なるほど、と思う。本選に行けるのは八人。だからチームを組ん
で二対一で戦ったりすると優位に立てのだ。
様々な能力やスキルが飛び交うのを見ていたためか気分が少し悪
くなってきた。
あらゆるスキルを一々感知してしまい、声が煩いというのもある。
俺はあまり乱戦には向いていないということを嫌々に把握した。
そこからは記憶があまり無い。気付けば第一予選が終わり、第二
839
の青の予選が一五分後という状況になっていた。
﹁にぃに⋮⋮﹂
﹁大丈夫かです?﹂
見兼ねたのか、二人が心配してくれる。大丈夫、と返して立ち上
がった。
少しふら付くが問題は無い。予選くらいは何とかしてみせる。
﹁じゃあ、行ってくる﹂
ゆったりとした足取りで歩いて行った。時間は一五分もある。急
ぐ必要は無い。
闘技場を囲む壁の内部に繋がる階段を降り、舞台への入口へ。
抜けた先には既に何人、何十人とプレイヤー達が居た。
﹁まったく不運な話だぜ。お前と一緒の色に配置されるなんてな﹂
﹁どうでもいい⋮⋮﹂
どこかで聞いたような声に視線を移す。
この世界が地獄となる前に一度戦った相手、レン。クロノと呼ば
れていた少年。
二人が未だに頬に肉球を刻まれた状態で話し会っていた。
﹁俺はこんな顔じゃあ参加したくないって言ったんだ。それなのに
お前が無理矢理⋮⋮﹂
﹁別に肉球が消えて無くても拒否ってただろお前なら。これで良か
ったんだよ、ハハ﹂
彼らが働いていた店の店長であるストアはいないようだ。参加し
840
ていないのか、それとも違う色に分けられたのか。
適当に彼らの会話を盗み聞きしていると時間がやってきた。
﹃第二回目の予選では舞台を水で埋め尽くした水中戦となります。
通常と違い、水中でも息も会話もできるように設定されております
ので御安心ください﹄
指パッチンの音。直後に中空から大量の水が降り注ぎ、戦闘フィ
ールドを埋め尽くす。
御丁寧に透明な壁も用意してくれたようで水中より上へ行くこと
ができなかった。
﹁動き、にくいな﹂
一言を発する。確かに話せた。息もできる。問題は無い。
水中戦なんてやったことも無いが、慣れていないのは多分相手側
も同じはずだ。
予選が突破できなければ話にならない。
勝ってみせる。
﹃八人が生き残った時点で青の予選は終了となります。参加者の方
々は頑張って生き残って下さい﹄
841
5−6:大会と予選のトーナメント︻?︼
背中が引っ張られるような感覚。重みがあるそれを耐えていれば
上手く動くことができず、また他に注意を向けることが難しい。耐
えていなければそもそも動くことすらままならなかった。
剣が重いんだ。おそらく現在の俺のステータスならば振るうこと
が可能だが、重心を持っていかれて隙が大きくできてしまう。
邪魔になる確率の方が圧倒的に高いことを理解し、右手で柄に触
れつつ左手でメニューを操作してストレージに仕舞う。
先程より断然と動き易くなった。
普通なら視界も安定しない水中でもDEX補正のおかげかしっか
りと見渡すことができる。
戦闘のために両腕を︿レッドドラゴン﹀に変えたところで後ろか
らピリピリとした感覚を捉え、振り向きざまに爪を振るった。
丁度迫ってきていた水弾らしきものを潰す。
﹁へえ、やるじゃないか﹂
声を主が接近してくる。その動きは明らかに人外なものだ。
くねくねと。ぐにゃぐにゃと。
目で追える早さ。だが、それを予測することは不可能。
突き出された鋭い短剣の一閃を何とか竜の片腕で流し、蹴りを入
れようとしたけれど上手くいかない。水のせいで思ったよりも衝突
が遅れ、さらに相手が勢いに乗ったまま飛ばされてしまった。
また人外な動作を見せて周囲を回り始める。水中を自由自在に蠢
き回って。
﹁水中ステージってのは本当に運が良いなぁ⋮⋮本当に﹂
842
御世辞にも﹃泳ぐ﹄とは言えない肉体の操作をしている相手が呟
いた。
水中で自由に動き回れるアビリティや能力を持っているのかもし
れない。ひどく厄介だった。
︿ロックオン﹀で捉えつつ︿インストール﹀を発動する。
具現化するはファンタジーオルガニズムの通常攻撃。
光を口内へ収束させていく。赤黒い光を。力の塊を。
相手が方向転換する直前を狙って放った。
避けられないタイミングで撃ったつもりだったが、甘い。
まるで水流に流されるみたいに光線に当たる直前で斜め下へと下
がっていた。
﹁僕は水だ。何物にも流され、何者にも捉えられ、そして何者にも
掴むことは敵わない﹂
相手の右腕が異形に歪む。肉が潰れて回転を始める。
スキルは感知できない。最初の水弾もそうだった。これは能力に
よる力。
敵の右側に水で造られた竜巻が出来上がる。
振るわれ、近付いてくるそれを見据えた。
ひどく強い勢いと威力を持っている。受ければ疑似HPが大きく
減ってしまうことだろう。
だが。
この程度、これまで幾らでも見てきたものだ。
﹁︿スキルコレクション﹀﹂
右に在る竜の鉤爪へと七割のスキル補正を掛けた。影も現在仕え
る全開までに纏わせ、体ごと腕を大きく振り被る。
白黒の一閃。
843
竜巻を裂いた。
﹁︿スキルコレクション﹀﹂
残っていたTPを再び全部消費して片手へ補正を付加する。
剥ぎ取り用の短剣を懐から取り出し、驚いて隙ができていた敵へ
と思い切り投げた。
何とか立ち直った相手に避けられてしまう。が、それでいい。
︿ソードバック﹀。︿スキルコンディション﹀。
返す刃で相手を貫く。
首に傷を付けられて相手の疑似HPが目に見えて減少した。
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
少し気になることがあったが、すぐに思考を切り替える。
両腕を︿テンタクルカクタン﹀のものへと変化させ、相手のプレ
イヤーへと迫らせた。
影の補助付きの強力な攻撃だ。
﹁ちっ﹂
敵が舌打ちをし、くねくねとした動きで避け始める。偶々当たり
そうになった触手も押し流されるがのように回避されて当たること
は無い。
もしかすれば。
両手が使えないので音声操作によるメニュー操作をしつつ、とあ
る推測を立てた。
実体化された剣の柄を歯で掴んだ。
TPが急速に回復していき、満タンになったところでそのまま剣
を振り被る。
844
剣を持っている間は上手く動くことができない。だからさっさと
終わらせる。
体ごと捻って投げ、柄を口から離した。
触手を全て引かせて相手を観察する。
﹁なるほど⋮⋮﹂
敵は避けた。自分で動き。
︿ソードバック﹀で剣と短剣を戻しながら口を開いた。
﹁攻撃の纏う僅かな水流に乗ってる⋮⋮いや、流されてるのか﹂
﹁⋮⋮御名答﹂
若干悔しそうな顔をした相手が返答する。
ファンタジーオルガニズムの光線の勢いはひどく強い。それによ
り発生して纏われる水流も相当なものなはずだ。
彼は逃れる水流に乗っていた。回避できない光線を避けるために。
だが、次の一撃である短剣は水流に乗ってかわすことができてい
なかった。偶然かとも考えたが違う。触手の時には後ろから来た攻
勢にも対応ができていたから。
刃物は前方の水流を切り裂く。だから流されることができないん
だ。
﹁随分とめんどくさい能力なことで⋮⋮﹂
水流の乗らない攻撃なんて限られてくる。刃物なんて簡単に水中
で振るえるものでは無く、しかも水中だから切れ味も落ちている。
対して相手は水中でパワーアップするんだ。
﹁殆ど水中でしか使えない能力を持つ僕にはこれくらいの優遇があ
845
って当然だと思うけどね﹂
再び人外の動きで接近してこようとした。
が、今度はそれを邪魔する者が現れる。
突如進行していた彼の前方が爆発をした。激しい水の爆発が発生
して俺も少々吹き飛ばされそうになった。
剣を持っていると上手く動けない。なのでそれをストレージへ戻
しつつ爆発を起こした人物の方向へ顔を向ける。大体想像はできて
いるが。
﹁ヒャッハー! どうだいどうだい? 俺の水蒸気爆発は!﹂
嬉々とした叫びを上げる彼。レンだ。その隣にはクロノという少
年も水中で無気力にめんどくさそうな表情で止まっている。
﹁厳密にはちょっと違うけどな⋮⋮﹂
﹁いいんだよ! 爆発してれば!﹂
﹁⋮⋮どんな理屈だよ﹂
会話していた彼らへ一筋の影が急接近をしていた。
先程爆発を身に受けたはずのプレイヤーだ。水流に流されたのか
疑似HPはあの爆発で全く減っていない。
不意を突かれたはずだった。が、クロノがまるで分かっていたか
のように前へ進み。
︱︱︿カルキュレータ﹀。
﹁ゼロ﹂
敵の右腕にできていた小さな竜巻を片腕で消しみせる。
驚愕を露わにする相手をやはり彼は無気力に見据えていた。
846
﹁ほら、捕まえたけど﹂
﹁でかした!﹂
ゆっくりと相手の肩を掴んだクロノに応え、レンが片手を翳して
爆発を起こす。
よく見れば⋮⋮というより普通に見ても二人も巻き込まれていた。
自分で起こした爆発に。
少々呆れながら眺め、爆発の直撃を受けた水中能力を持つプレイ
ヤーがリタイアしたことを確認する。
﹁だから距離を確認してから爆発をさせろと何度も⋮⋮﹂
﹁気にすんなって﹂
﹁無効化すると相手にも食らわないから受けるしかないんだよ。受
けないこともできるのに受けなきゃいけない俺の気持ちも分かって
くれよ﹂
非難も豪快に笑う彼は簡単に受け流すのみだ。いつものことなの
だろう。溜め息を吐き、クロノは文句を言うのを止めた。
二人が俺の方を向く。
﹁分が悪い、な﹂
レンだけでも十分な脅威だ。あの爆発の威力は今目の前で見せつ
けられ、それに加え謎の無効化スキルを持つクロノもいる。
長期戦は明らかな不利。だから。
︱︱︿インストール﹀。
﹁グ⋮⋮ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!﹂
847
完全なるモンスターの咆哮を発した。
﹁へえ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
全身を︿ブルードラゴン﹀へと変化させた俺に二人はビクリとも
しない。レンは期待するような声を上げ、クロノは適当に眺めてく
るだけだ。
縦に一回転しながら尻尾を振るう。影の補助と︿スキルコレクシ
ョン﹀が込められた暴虐の一撃だった。
移動が上手くできない水中。リタイアしたあのプレイヤーみたい
に速く動けないはずの二人に当たることは殆ど確信していた。
︱︱︿カルキュレータ﹀。
﹁ゼロ﹂
確かに当たる。だが、当たったはずなのに感触が無い。それどこ
ろかまるで最初から攻撃なんてしていないかのように感じられ、尻
尾の勢いが一瞬で止められた。
﹁あー⋮⋮二つも補正なんて付けないでくれ⋮⋮止めるのがめんど
くさくなるから﹂
軽く止めたクロノがそんなことを宣う。尻尾を動かそうとしても
上手く力が入らない。戻すことはできるのに進ませることができな
い。
危機を感じて下がろうとするが、少し遅かった。
﹁早くやってくれよ、レン﹂
﹁あいよ﹂
848
呼ばれた彼が片手を翳して俺を。
と。
そこで予選が終わったみたいだった。
水が急激に減っていく。水中とを分けていた透明な壁が消える。
それでも爆発を起こそうとしていたらしいレンをクロノが﹁ゼロ﹂
と言って止めていた。
俺もドラゴン化を解いてしっかりと地面に足を付ける。
﹃勝者が決定しました。この八人となります﹄
周りを見渡した。確かにしっかりと八人がいる。
少し終わるのが早いような気もするが、範囲攻撃が得意な奴でも
いたのだろうか。どちらにせよ寸前のピンチで助かったのだ。運が
良かったと言える。
﹃次は一五分後に黄色の予選へ移行します。選手達は時間までに舞
台上へ集まって下さい﹄
849
5−6:大会と予選のトーナメント︻?︼︵後書き︶
実はこの話、記念すべき一〇〇話目。
外伝か何かをやろうかと思いましたけど需要が無さそうだから断念
しました。いつもの更新です。
850
5−7:大会と予選のトーナメント︻?︼
一番初めの赤の予選の時には無数のスキルのせいで調子が悪くな
っていた。
もう一度あの状態を味わうのは正直苦痛なため、メイには断わり
を入れて残りの予選の間はスズと共に過ごすことになった。
殆ど誰もいない街で静かにのんびりとした時間を過ごし、三人分
の昼食を買っておく。
予選が終わったと思われる時間に︿天空闘技場﹀へ戻った。
時計塔の一階がワープ地点となっておりそこに刻まれた転移陣か
ら行くことができる。
目の前にドーム状の建物が姿を現した。扉を開け、そこから観客
席に向かう。
最初に俺達が居た席の近くに彼女は座っていた。
﹁メイ﹂
名前を呼ぶと反応を示す。こちらを見付けて薄い笑みを浮かべ、
跳ねるような雰囲気で手を振ってきた。
その膝元ではウサギも紙袋に入った状態で跳ねている。
﹁おかえりです。四回目の予選はもう終わったですよ﹂
﹁みたいだな。本選はいつからだって?﹂
﹁明日と今日で分けるらしーですね。今日は全員分の一回戦をやっ
て終わりっぽいです﹂
三二人もいればそうなるか、と思考した。
メイに買ってきた昼食を渡し、二人で彼女の隣に座る。
851
﹁ありがてーです。礼を言うです﹂
嬉しそうだ。買ってきた甲斐があったというものである。
﹁一回戦はいつからだって?﹂
﹁それより先に追加ルールの発表、それから振り分けられたトーナ
メント表の公開があるみてーです。四〇分くらい先だなです。今は
昼食タイムって感じですね﹂
そう言って手に持っている肉へと歯を立てた。美味しそうに食べ
ている。
﹁あ、あと本選は名前が公開されるみてーです。申請すれば偽名を
使うことも可能らしーので早めに行っておいた方がいーですよ﹂
昼食が終わった後にでも行こくことにする。
手を合わせて﹁いただきます﹂と呟いて買ってきたものへ口を付
けた。
しばらく三人で談笑をしながら過ごす。
基本的に俺とメイが会話をし、スズが偶に入ってくるというサイ
クルだった。結構な居心地の良さを感じる。
ああ。
そういえば、スズを加えた状態で誰かと話すのはフー以来だった
か。
青葉達と会話するのと違い、心から満たされていた。
﹁ごちそうさま。それじゃ、俺は一回席を外すよ﹂
スズにもここで待っていてもらう。
闘技場の内部に入って聞いておいた受け付けの場所まで向かった。
852
︿キツネ﹀と仮面から取った適当なネームで申請をし、スズ達の
居る場所まで戻った。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
その途中。
アイテムストレージに仕舞っていた︿ケータイ﹀にメールが届い
た。
内容は﹃シノが起きた﹄というものだ。
それは良かった⋮⋮と言えるが、俺がいない状態ではシノは何を
するか分からない。
何とか周囲にバレないように頼む、とメールを返す。
それ以外は何も知らせずに︿ケータイ﹀を閉じた。
今は、まだ。
迎えてくれたスズとメイの近くに腰を下ろす。
﹁訊き忘れてたけど、メイは勝った⋮⋮というか残ったんだよな﹂
﹁とーぜんです。じゃねーと最前線にソロで挑んでる威厳が保てね
ーですよ﹂
肩を竦めて応えた。ウサギがこっそりと本当は若干危なかった旨
を小さい動作で示してくれ、苦笑する。
自分を普通より大きく見せたがるなんて、何だか子供みたいだ。
褒めてほしいのかなと思いつつ﹁流石﹂と口に出した。予測は当
たったらしく、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべる。
﹁っていうか、ソロで最前線ってそんなに凄いことなのか?﹂
﹁何言ってやがるんです。当たり前じゃねーですか﹂
本来はパーティで挑むべきものに一人で挑むのだから当然、と彼
853
女は言った。
﹁一人なら一役しかこなせねーですが、二人以上なら二役以上こな
せるです。回復と戦闘、戦闘と補助、戦闘と戦闘。戦略も広がるし
相手のタゲも分散できるし、何より単純に考えて戦力二倍です。一
人仲間がいるだけでも全然ちげーですよ﹂
﹁一応一人でも行ける⋮⋮んだよな﹂
﹁そーですが、いつ死んでもおかしくなくなりやがります。麻痺に
なれば誰も回復してくれずモンスターに食われたりするかもしれね
ーですし、一人で周囲を警戒しなきゃならねーですからふつー精神
が持たねーです。前のアーススパイダーの時のよーに少人数じゃ不
測の事態に全然対応できねーこともあるですからね。ソロなんて自
殺志願者か本当につえー奴か、それこそ余程の馬鹿くれーです﹂
自殺志願者。その言葉で少しスズの方を向いてしまう。
すぐに頭を振って思考を払い落した。
﹁じゃ、メイはその余程の馬鹿ってやつなのかな﹂
気分を元に戻すために無理に冗談を言ってみせる。スズは先程の
視線に気付いていたのか、いつの間にか繋いでいた手をギュッと握
ってくれた。
今はもう大丈夫。だから気にしなくていい。
そう、伝えてくれてるように感じた。
﹁ちげーですよ! 私は本当につえーやつの類です!﹂
拗ねた様子で小さく叫ぶ。後半の台詞は少々得意げに語っていた。
結構単純なのかな。
苦笑を浮かべ、それからスンの方にある残り時間を見上げてそろ
854
そろ時間が来たことを悟る。
スズにウサギを預け、メイを立ち上がらせてその場を去った。
舞台へと移動する。既に残りの人達は全員が集まっているようだ。
三二人。知っている限りでは俺、メイ、レン、クロノ、それから
青葉と燕の六人が居る。
結構知り合いが多かった。
しばらくすると指定された時間になり、俺達の前にスンが転移陣
から姿を現す。
﹃それではこれから本選についての説明をします﹄
芝居がかった動作。案外と適当な敬語。
彼が片手を上げると巨大なホログラムウィンドウが天空に出現し
た。
﹃対戦表はこちらになり、左から順に戦っていきます。決勝戦の前
には三位決定戦を行い、その後に決勝戦へと移ることになります﹄
三二人が割り振られたそれを見据え、ふむ、と唸る。
左の一六人と右の一六人に分れており俺が左でメイが右だ。この
場合、当たるのは決勝戦でしかありえない。
﹁どうやら決勝でやり合うことになりそーですね﹂
﹁二人で勝ち進む前提だと、だけどな。そう簡単には行かないと思
うぞ? 油断は禁物だ﹂
﹁分かってるです。最前線でそんなこと嫌というほど学ばされてん
ですから﹂
互いに少しのライバル心を秘めた対話だった。
自分の力が試したいだけだったけど、この大会を楽しむというの
855
も悪くない。
思う立ち、頬を緩めた。
﹁追加される特別ルールはこちらになります﹂
次に現れたホログラムに映った文字。それには少々驚きを発さず
にはいられなかった。
﹁全試合を通しての一回、一分間だけの︿ラストゲーム﹀使用許可
⋮⋮ですか﹂
使用条件は全て無効となり使用後に能力が使えなくなることは無
い、と追記まである。アイテムの効果も受け付けず強制的に一分に
固定されるみたいだ。
これに観客達は盛り上がった。
本気の争いなんてそう簡単に見れるものではない。︿ラストゲー
ム﹀なんてそれこそ奥の手中の奥の手と言っても過言では無いはず
だ。
参加者達もこれには歓喜の感情を発しているように見えた。
﹃細かなルールは他にはありません。通常のPvPと同じくアイテ
ムも不意打ちもあり、兎に角相手の疑似HPを先に減らし切った者
の勝利となります。降参もできますが⋮⋮当然しないですね。
一回戦目は一五分後に始めましょう。それでは皆さん、解散です﹄
856
5−7:大会と予選のトーナメント︻?︼︵後書き︶
当初はパッと出でそこまで重要でもないキャラのつもりだったメイ
さん。
主要キャラっぽくなってるんだお⋮⋮。
857
5−8:本選と一戦のバーサススワロー︻?︼
﹃ッ⋮⋮﹄
大量に降り注ぐ氷柱。地面を沿って広がるマグマ。周囲を踊る風
の刃。
それらの中心で全てをかわしていた彼が大地の変動で足を崩し、
氷柱に貫かれ風の刃に切り裂かれる。
疑似HPが〇になり大きなウィナー表示が空中に出現した。
﹃⋮⋮ありがとうございました﹄
﹃あざっしたー﹄
礼儀正しく頭を下げる彼︱︱青葉へ、勝利した女性は軽く挨拶を
返す。
一回戦目。青葉は︿天﹀に負けた。
﹁相変わらずのすっげぇ弾幕だったなです﹂
﹁いつもあんな感じなのか?﹂
﹁そーですよ。ただ、すぐにMPが切れるのでポーション買うゴー
ルドがすぐに尽きちまうみてーです。上位階層のくせに金欠ってこ
たー相当なポーションを買ってる証拠です﹂
意外に他のプレイヤーの情報に詳しかったメイへ︿天﹀のことを
聞き、少しだけ親近感を持つ。
金欠。素材を売ったから今はそれなりにあるが、この前までそれ
だった。
﹁それより、二回戦目はノー⋮⋮キツネじゃねーですか? 早く行
858
って準備した方がいーと思うです﹂
﹁そうだな⋮⋮んじゃ、スズを頼む﹂
未だ盛り上がっている歓声の中を縫うようにして歩く。
本番はここから。一対一の正面勝負。本当の実力が試される舞台。
PvPのために痛みは無いがその方がやり易いというものだ。
一回戦目くらいは勝ちたい。
待ち時間の一五分を控え室と思わしき場所で待っていると青葉が
奥からやってきた。
﹁お疲れさま﹂
今は他人だ。少しだけ声音を変えて労りの言葉を投げる。
すると青葉は愛想笑いを浮かべ﹁ありがとう﹂と返した。
﹁一回戦目で負けるのは正直悔しかったが、良い経験になった。今
の俺には複数に対する警戒心が欠けているらしい﹂
﹁あれだけの攻撃を結構な時間避けられていたのも凄いと思うけど。
相性の問題もあるんじゃないか?﹂
﹁勝った奴が正しい。負けた奴は間違いだ。言い訳なんて許されな
い、と俺は教わってきた。
負けたのならその反省点を生かし自分が正しいのだと証明して見
せろ、ともな﹂
中学の頃はこの教訓が大嫌いでグレていたのだが今はそうでも無
いのだろうか。
現実では師範代にまで昇り詰めている彼の言葉には威厳があった。
﹁リベンジするつもりかな?﹂
﹁またいつか、な。妹ほど戦闘狂では無いつもりだが、やはり負け
859
るのは悔しいさ﹂
笑いながら語る青葉からは少々の楽しさの感情が窺える。
最後に会った時にはこんなものは垣間見ることができなかったけ
れど何か変わったのだろうか。今は生き生きとしている。
自分も少しだけ嬉しくなり口角を吊り上げた。
﹁次は貴方の番だったか?﹂
﹁ああ﹂
首肯し肯定する。
﹁相手は⋮⋮﹂
途中まで言い、その後に面白そうに小さく笑った。
一応分かっているが分からないようなフリをするために首を傾げ
ておく。
﹁いや、すまない。俺も待ち人がいるのでそろそろ失礼しよう﹂
﹁ああ。また会えたらな﹂
簡素な挨拶をこなし去っていった。
見送って、さて、と舞台への入り口へ目を向ける。
足を進めるとすぐに外に出た。午後の熱く眩しい日差しが体を襲
い、思わず目元を覆う。
手を取って対面に在る入り口に立つ人物を見据えた。
互いに歩み寄り、話せる位置まで行く。
﹁此度はよろしくする﹂
﹁ああ、よろしく﹂
860
格式ばった礼をする彼女へ俺も頭を下げて勝負前の挨拶をした。
顔を上げると目が合う。
闘争本能全開といった感じだ。獰猛さを隠そうともしない剥き出
しの戦意を瞳に見せ口元を笑みの形に歪めている。
青葉燕。青葉鷹人の妹。
現実でも青葉に勝ったということで一度だけ勝負を申し込まれた
ことはある。けれどそれは断った。だからこうしてしっかりと対峙
して対戦をするのは初めての経験となる。
青葉家の技術ならば兄の方が上のはずだが油断はできない。全力
で戦う。
やがて二回戦が始まる時間になった。
﹃二回戦開始の時間となりました。三〇秒のカウント後、勝負を始
めます﹄
スンの声と共に中空に自分の登録名と相手の名、それから隣にカ
ウントダウンの数字が現れる。
剣を柄から抜いて燕を見据えた。あちらも構えを取って俺を睨む
ように目を鋭くしている。
カウント。
ゼロ。
互いに同時に足を踏み出していた。
この前に一度見た時よりも確実に速い。あの時は本気では無かっ
たのか、それともあの頃よりレベルが上がっているのか。
振り下ろした刃を彼女は俊敏な動きで紙一重で横側に回避した。
勢いのままに回し蹴りを繰り出され、俺はそれを足でガードする。
剣とほぼ同時に足を使ったためにバランスを崩していた。瞬時に
両手を地に付いた彼女が体を回転させ、立て直そうとしていた俺へ
もう一発足による一撃を放ってくる。
861
影を収束させ衝撃を吸収して防いだ。
態勢を整え直し即座に剣を振り回すも、彼女は腕を曲げて大きく
跳ねてそれを回避した。
追撃。未だ空中にいる影を纏わせた剣を振り払う。
﹁おっと﹂
ピンポイントで剣の腹へ蹴りが打たれ逸らされる。影の御蔭で足
の方へ少々のダメージを負わせたが、ほんのちょっとの微量なもの
だ。
自らの疑似HPが減少したことを認め、燕がより一層嬉しそうに
笑顔を顔に浮かべる。
︱︱︿分身﹀。
燕が三人に増えた。どれが本物か、と思考するよりも早く彼女は
襲撃をしてくる。
囲み、三方向からの拳の一撃。
一目観察してスキルを発動させた。
︿インストール﹀。︿スキルコレクション﹀。
どれが本物でも構わない。
左腕を︿レヴィベア﹀のものへと変え、大量のスキル補正を掛け
た爪で一回転をする。
全ての燕を切り裂いた。しかし、全てが煙となって消える。
上だ。
︿スキルコレクション﹀で補正を掛けた剣を振り上げると何かを
切り裂いたような感触が手に及んだ。
と、直後に後ろから何かが落ちたような音。振り返る暇も無く突
き飛ばされ、六メートルほど進んだところで地面に足を付いて減速
をする。
切り裂かれたのを気にせずに後ろへ跳び込まれ、そのまま裏拳で
も入れられたか。
862
燕の動きから先程の展開の推測をした。
﹁⋮⋮化けろ﹂
相手が素早いのなら当たりやすい攻撃で一気に決めてしまえばい
い。
考え、︿ブルードラゴン﹀を己の肉体へ具現化させた。
視界が遥か高くなり、体の感覚も完全に変わる。人間で無いもの
になるのはあまり良い気持ちとは言えないし、人に遠いモノになっ
てしまった場合に副作用のようなものが無いとも言い切れない。さ
っさと終わらせるに限る。
現段階においての最大量の影を翼に纏わせ、︿スキルコレクショ
ン﹀による最大限のスキル補正を尻尾に纏わせた。
翼を利用した空中での一回転からの尾の振り下ろし。強烈な一撃
を御見舞する。大地を粉砕するほどの威力を込めた攻勢だ。
﹁“世分”﹂
小さく呟かれた言葉は地の粉砕に紛れて消えた。
闘技場の地面が大きく凹み、割れ、砕ける。地震が起こったかの
ような轟音が鳴り響く。
確実に衝突したはずだった。だが、何か違和感がある。
それを求めるために燕の疑似HPバーを確認して驚愕をした。
減っていない。
︱︱︿パワーブレイク﹀。
尻尾を退けて突っ込んできた燕に意表を突かれ、その拳で腹を打
ち砕かれた。
目に見えて疑似HPが減少する。
﹁グ⋮⋮﹂
863
竜の声帯により変換された声が漏れた。
二撃目を繰り出そうとする彼女を目視し即座にドラゴン化を解く。
あのままでは的が大きすぎる。小さな人間の状態で無ければ。
上空で空振りする拳を認めつつ着地するとすぐにバックステップ
で距離を取る。
﹁さっきのは⋮⋮﹂
攻撃が完全に無効化されていた。
普通なら押し潰されるなりをして疑似HPが〇になるはずなのだ
が。
止める瞬間にスキルの発動は感知できなかったため、スキル以外
の力⋮⋮能力、または青葉の技術に関係しているという確率が高い。
スキル感知をさせなくさせるアビリティなどもあるかもしれないが、
無効化後の拳や分身のスキルの時には感知出来ていた。その可能性
は低い。
どういう力なのかは分からないが次からは迂闊に隙が大きい攻撃
を使わない方が良さそうだ。
厄介だな、なんて思いつつ再び剣を構えた。
864
5−9:本選と一戦のバーサススワロー︻?︼
相手は拳でこちらは二メートルほどの長剣。リーチは勝っている
のだが、相手の攻撃が届かない距離で刃を振ったところで避けられ
ればかなりの隙となる。
燕の速度は捉えることができるが、謎の無効化技術や青葉の技術、
それに能力のこともあった。先程は大胆に行って負けたため今は慎
重にいくべきだ。
まずは刃を避けられた時のための隙を小さくするために右腕を︿
ブルードラゴン﹀のものへと変化させる。その手のみで剣を持ち、
左腕はいざという時のために開けておいた。
﹁⋮⋮化けろ﹂
第二ラウンドとでも言うべき状況。初めの一手は俺から繰り出し
た。
︿レッドドラゴン﹀の炎。口からそれを放つ。
燕は斜めギリギリの角度へ走ることで炎を退けつつ迫ってきた。
炎のようなものは無効化できない、か。
﹁︿ステップ﹀﹂
急激にスピードアップした彼女が一直線に俺へ接近してくる。
炎を止めてそれに対処した。
剣を横薙ぎに振り払う。燕はそれをしゃがむことで避け、構えて
いた拳を起き上がりざまに打ってくる。
それは影を纏わせた左手で防御した。手を這い、相手の肉体へ影
を浸食させようとすると燕は俺を蹴り飛ばす。
吹き飛ばされながら体を横に一回転し、遠心力を利用した長剣の
865
投擲をした。
あと一歩、というところでジャンプをさせられ当たらない。けれ
どそれでもいい。︿ソードバック﹀で後ろから彼女を狙う。
直前で気付いた燕は何とか、といった感じで伏せることでそれも
回避した。
伏せる、ということは体を完全に地面に付けるということ。それ
は明らかな隙だ。
見逃すはずもなく足に影を収束させ爆発をさせる。戻ってくる剣
の柄を右手で握り、そのまま倒れている彼女へ振り下ろした。
燕は、俺の腕を蹴り上げることで刀身を自分から逸らす。
刃物に対しても無効化が使えない確率も高い。
﹁︿ステップ﹀﹂
追撃を忌避したであろう彼女が、態勢も万全で無い状態でスキル
を発動した。
地を転がりながら俺から離れ、服を汚れさせつつも立ち上がる。
僅かに疑似HPが減っていたが、致命傷を貰うよりはマシだったは
ずだ。
﹁やべー⋮⋮楽しいな、これ﹂
︱︱︿ラストゲーム﹀。
目を見開く。
こんな序盤の戦闘で使ってくるとは思わなかった。もっと上へ上
がり、本当に危ない時に使うのがセオリーでは無いのか。
いや⋮⋮だが、燕ならばこの場面で使うというのも少しは納得が
できていた。彼女は刹那の瞬間を楽しむ嗜好を持っている。今繰り
広げるこの戦いを本当に楽しいものにしたかったのだろう。
苦笑をした。
866
未だ相手の能力がどんなものなのか分かっていないが、何かが強
化されたのは確かだ。油断はできない。
燕が一歩踏み出し。
地面が破裂する轟音を立てて急接近をしてきた。
目の前に拳が迫る。
﹁ッ﹂
何とか上半身ごと体を逸らせることで回避した。そのまま左手を
地面に付き、影を包ませたそれで後ろへ跳ねる。
地に改めて両足を付いて相手を見据えた。
﹁良い反応速度だな⋮⋮ああ、本当に﹂
グラリ、と両手をダランと下げた彼女が本当に楽しそうに呟く。
考える暇も無く。再び一歩を踏み出し目前へやってきた。
予測できていたために先程よりも上手く対処はできる。拳を直前
で左に逸らし、回し蹴りを相手の胴体へ。
確かに食らった。だが、彼女は当たった足に軽くしがみ付いて離
れない。
至近距離から十分に力を溜めて放たれた拳が足を穿つ。疑似HP
が目に見えて減少した。
影を足に集めると彼女はすぐに離れ、しかしまたすぐに駆け込ん
でくる。
剣を振り、攻撃を逸らし、蹴りを繰り出し、兎に角乱戦とでも言
うべきものを繰り広げ続けた。
筋力を倍加する、という能力の可能性が一番高い。今の攻防から
それが予測できる。
﹁あはは!﹂
867
掌低、下段蹴り、アッパー。展開されるラッシュを全力でいなし、
隙を付いて左腕から拳を放った。︿スキルコレクション﹀でスキル
補正が掛けられた一撃だ。
彼女はそれを手の平で受け止める。その程度なら打ち破れるほど
の威力があったはずだが、代わりに地面が大きく傷付いた。
なるほど。
相手の無効化は受け止めた打撃攻撃にのみ有効なのだ。
﹁はっはア!﹂
掴んだ拳ごと俺を振り回し、上へとぶん投げる。そろそろ一分が
立つのだろう。次で決める、とでもいう風に拳を深く構えていた。
俺もそれに応える。
空中で剣を上段に振り上げた。影を纏わせ、︿スキルコレクショ
ン﹀のスキル補正を掛け。背中には翼を生やし。
交差。
ゲージが〇になったのは。
﹁⋮⋮はは、お前の勝ちだ。キツネとやら﹂
燕だ。
俺の疑似HPゲージは一の値すら減っていない。
﹁ああ﹂
拳が当たる直前︱︱俺は︿ファントムナイト﹀の鎧を完全な状態
で体に纏い、拳を透過させた。
それにより攻撃が二人に当たっているように見えても実際に食ら
ったのは燕だけとなる。
868
範囲が限定されている物理攻撃に対してはこの鎧は本当に強い効
果を発揮してくれる。李解の時も最後はこれが勝負を決めた。
全体体積の三分の一以下の攻撃を透過する、というのはそれだけ
大きいのだ。
﹃二回戦目の勝者は登録名︿キツネ﹀となります。次の試合は一五
分後です。対戦をする方はそれまでに舞台上へ足を運んでください﹄
スンが予定を告げる。俺と燕は互いに頭を下げ、背中を見せてそ
れぞれに去っていった。
剣を柄に収め一息を吐いた。
﹁⋮⋮勝てた、な﹂
初見の時は目視が難しいスピードに圧倒されてしまっていたとい
うのに今や︿ラストゲーム﹀を使われても普通に勝てる程度。
俺も強くなっているということがしっかりと実感できた。
さて、と足を進める。行くのはスズとメイの場所。観客席まで着
くと二人の方へ向かった。
﹁お疲れ様です﹂
﹁⋮⋮にぃに、お疲れ﹂
迎えてくれた二人へ﹁ああ﹂と返して隣に座る。
ヴィライ
しばらくすると第三試合が始まった。
︿kurono﹀VS︿VILY﹀。レンと共にいた彼の登場だ。
﹁どっちが勝つと思う?﹂
﹁左の︿計算機﹀じゃねーかと思いますよ。︿獣叫﹀では相性が悪
りーっていうか⋮⋮見てればわかるんじゃねーですか?﹂
869
三〇秒のカウントダウンが終了する。
まず初めに攻勢に繰り出したのはヴィライという男性だ。口を大
きく開き、そこから青色の豪炎を吐き出してみせる。
構えもしないクロノはダルそうに片手を上げた。
︱︱︿カルキュレータ﹀。
﹃ゼロ﹄
瞬きの間。刹那に、炎の全てが最初から無かったかのようにかき
消える。
﹁あれだ⋮⋮﹂
俺の攻撃を止めたのもあのスキルだったはずだ。
舌打ちをしたヴィライが両腕を大きく広げ、大袈裟に振り下ろし
た。
クロノは相変わらずやる気が無さそうにそれを見据え、続いて背
後へ片手を添える。
﹃ゼロ﹄
見えないはずの攻撃を。視覚だったはずの青い火弾を彼は防いだ。
﹃何故⋮⋮﹄
﹃あんたの視線、分かりやすすぎ。不意を突くならもっと分かりに
くくしないと﹄
届く機械音の会話。
そこから展開される勝負もまたつまらないものだった。
870
出されるあらゆる炎の攻勢をクロノがダルそうに手を掲げて防い
でいくだけ。彼は一歩も動かない。ただ全てを無効化するだけで。
やがて男性の方が痺れを切らしたかのように打撃へと移った。
それを目視し、クロノは。
﹃来なくていい﹄
片手を上げ、指を動かした。
何かを描くように。何かを解くように。何かを創るように。
︱︱︿コピーフォーミュラ﹀。
﹃具現、と﹄
青い豪炎がクロノの指から放たれた。
それはヴィライという男性の撃っていたものと全く同じものだ。
完全に同じ一寸の狂いも無いそれ。
不意を突かれたヴィライはそれを直撃してしまう。
﹃なん、で⋮⋮消せねぇ⋮⋮!﹄
自分の炎は自分で消せるのだろうか。苦しげに呻く彼へクロノは
口を開く。
﹃そりゃお前の作った﹃式﹄じゃないからかな。その炎は俺の﹃式﹄
だ﹄
言い、また指で何かを描いた。
炎を何とか払ったヴィライが一端後方へ下がろうとし、しかしそ
の背に一撃を食らう。
自らがクロノへ繰り出していた不意打ちと同じ。
871
二度も強烈な直撃を食らったヴィライの疑似HPが〇になり、ウ
ィナー表示がクロノの勝ちを告げた。
彼は興味無さげに背を向けて去っていく。
﹁⋮⋮もし次の勝負に勝ったら、俺があいつと戦うことになるかも
しれないんだよな﹂
呟いた言葉は風に紛れて消えていった。
872
5−10:天空と魔法のセカンドバトル︻?︼
四試合目は途中まで観戦していたのだが、ある時からスキルの発
動が多すぎて再び気分が悪くなってきたためにそれを止めた。
本来ならまだ平気なはずなのだが一度体調を崩したためだろう。
その日はスズ達の意向で安静にすることになった。
そのために観戦を止め、次の日。
俺達三人は︿天空闘技場﹀に足を運んでいた。
今日で最後の決勝までいってしまうらしい。昨日の勝負で人数は
一六人にまで厳選され、運で残っていたようなプレイヤーは既にい
ない。
これからが本番なのだ。
﹃第一戦目は︿天﹀VS︿キツネ﹀です。一五分後に始めますので
御二人は時間までに舞台上へ集まって下さい﹄
スンのアナウンス。開催をしっかりと行っていたためか、彼に敵
意や注意を向ける者はかなり少なくなっていた。
昨日と同じ席を確保した二人にしばしの別れを告げて道を戻る。
控室を抜けてすぐに舞台へ躍り出た。
昨日より人が少々少ないが、未だ寝ている者もいるのだろうか。
朝なのだから仕方が無い、とは思う。
﹁やー、今日は勝たせてもらうよ?﹂
挨拶に来た相手の女性︱︱︿天﹀へ顔を向けた。
﹁随分と自信があるんだな。いや⋮⋮自信というより確信かな?﹂
﹁とーぜん。貴方が勝つなんてありえないよ﹂
873
随分と舐められたものだ。自信を持つことはいいことだが、過信
するのはあまり褒められたことでは無い。
が。
上位階層においてはそれは当てはまらない常識だろう。幾度とな
く死線を越えてきた人達にとって、そんなこと俺よりも知っている
はずだから。
過信できるほどの力を持っている。自分に絶対の自信を持てるほ
どの力を持っている。
そう考えるのが妥当だ。
﹁そうかい。まぁ、足を掬われないように気を付けろ。ただで負け
てやる気は無いからな﹂
﹁そうこなくちゃ楽しめないからね﹂
挑発気味の台詞を言い合って俺達は離れた。
時間まで戦闘の準備をして互いに待つ。
剣に刃毀れは無い。︿空想の剣﹀が壊れてしまってからは毎度こ
うしてチェックをしているが、フーの造ってくれたこれは何をして
も刃が欠けることが無かった。
﹃開始の時間となりました。三〇秒のカウント後、勝負を始めます﹄
剣を鞘へと収め、敵となる︿天﹀を見据える。
相手が出したのは杖だ。
昨日の試合、それからメイから集めた情報によると彼女の能力は
︿詠唱破棄﹀。魔法発動のために必要な﹃詠唱﹄という工程を飛ば
すことができる力。
魔法スキルというのは基本的に物理攻撃よりも強力になるそうな
ので注意が必要だ。
874
やがて三〇秒が経過して勝負が始まる。
︱︱︿マグマグランド﹀。
︱︱︿ブリザードレイン﹀。
︱︱︿ウインドエッジルーム﹀。
それと同時に繰り出されたのは三つのスキル。昨日、青葉との戦
闘にも使っていたものだ。
地の一部がマグマとなり、空に無数の氷柱が構成され、周囲を鋭
い風が流れていく。
﹁⋮⋮︿ポートライトアイ﹀﹂
青葉は気配で全てを察知していたようだが俺にはそんなことはで
きない。︿ソウルイーター﹀の補正がもう少し強力であればいける
だろうが、どちらにせよ正確性に欠ける。
首の後ろ。両手の甲。
それぞれの三つへ﹃目﹄を作り出した。周りを見渡すことは可能
となる。
﹁それっじゃ、どれだけ耐えられるか試してみようかな﹂
語る︿天﹀が杖を一振りすると、三つがそれぞれに変動を始めた。
氷柱は降り注ぎ、マグマは徐々に広がっていき、風は刃となって
四方八方から襲い掛かってくる。
初見なら慌てて反応が遅れただろうが、一度青葉との試合で確認
していた。こうくるのは分かっていたのだ。
だから対処もできる。
影を全身に回し、全ての動きに軽く補助を掛けるようにした。今
は朝だ。だからあまり影の力は強くないが、使わないよりは使う方
が断然良い。
そして全ての動作に対して︿スキルコレクション﹀で秒速TP三
875
割分の補正を掛け。
迫りくる嵐のような攻撃を全て避けることに専念した。
﹁ふへへ。昨日の長身くんも同じように避けることばっかしてたけ
ど、そんなんじゃ︿グランドマグマ﹀でどんどん足場が無くなって
詰んじゃうよ﹂
そんなことは分かっている。
﹁︿インストール﹀﹂
だが、それでいい。
両腕を︿レッドドラゴン﹀のものへと変化させた。
足を具現化させればマグマが平気になっただろうが、回避という
一つの行動に一番重要な下半身を変えるのは良い判断とは思えずに
止めた。慣れていない肉体よりは慣れている人間の体の方が良い。
代わりに、マグマは襲撃に使うのだ。
風刃と氷柱の隙を縫って足元に在ったマグマへ両腕を浸けた。
掬うようにマグマを手の中に集めて中空へ手を露出させる。
狙いを定め、︿天﹀へとマグマを投げつけた。
︱︱︿ウォーターガード﹀。
突如現れた水の壁で防がれる。不意打ち気味に繰り出されたそれ
に相手は驚いていた。
﹁その程度じゃー駄目だね﹂
自信たっぷりな言葉だが、頬には冷や汗が少しだけ流れている。
それが確認できた。
﹁そう、だな。っと。あの、程度で慌てて、るようじゃ⋮⋮度が知
876
れる、ってものだ﹂
魔法を避けつつ口に出したために途切れ途切れになっていたが相
手に言いたいことが伝わっているのならそれでいい。
恥ずかしそうに︿天﹀は赤面した。それに対して俺は目を鋭くす
る。
あれだけの攻勢に慌てることから察するにおそらく相手は打たれ
弱いのだ。少しでも攻撃を繰り出せれば、或いは。
︱︱︿フレアドルフィン﹀。
先程の発言に怒りでもしたのか魔法の数が増した。
マグマを泳ぐイルカが出現し、跳びかかってくる。追尾性能付き
らしく十分に注意を向けていなければやられてしまうそうだ。
全ての視界を管理し、全ての攻勢を回避していくのは相当な集中
力を使っていた。
︱︱︿ギガサンダー﹀。
更に、今度は︿天﹀自身が杖から魔法スキルを放ってくる。巨大
な雷を閃光とでも言うべき速度で俺を狙って一直線に撃ってくるの
だ。
マグマ。イルカ。風刃。氷柱。雷撃。
五つの脅威を同時に避け続けるのは本当に大変だった。
幾つか既に掠り、疑似HPゲージは少々減っている。
だが。
唐突に雷撃が止んだのを気に、漸くと言った具合で俺はしっかり
とした攻勢に出ることにした。
両手をマグマに突っ込み、相手へ向かって思い切り飛び散らせる。
︱︱︿ウォーターガード﹀。
まだだ。
剣を引き抜き、今度は氷柱を刀身の腹で︿天﹀の方向へ突き飛ば
した。迫るイルカをレッドドラゴンの左腕で無理矢理掴み、それも
敵の方へ。
877
大胆な行動をしてしまったために風の刃がしっかりと直撃してし
まう。急激にHPが減り出した。
これは賭けだ。ここで勝てなければおそらく勝機は殆ど無い。
兎に角攻撃となりそうな行為を繰り出し、繰り返し、何度も何度
もやり続け。
疑似HPは一割を切っていた。
それでも続け、すると唐突に全ての魔法スキルが解けていく。
最初の整地など見る影も無い荒地が晒された。
﹁な、ぐ⋮⋮﹂
言葉にならない、という感じで悔しそうな顔をしている彼女が口
へ瓶を運ぼうとする。剣を投げると行動を中断してその場を横に転
がり必死に回避をしていた。剣が敵の後方へ突き刺さる。
俺が狙っていたのは最初からこれだけだった。
MP切れ。そして全ての魔法スキルの効力を無くすこと。
メイから聞いた限りでは︿天﹀は魔術系特化だ。近接はできない。
魔法を使えない魔法使いなどただの人間と同類だ。
﹁まったく⋮⋮こんなとこで使うことになるなんて思わなかったな
ー⋮⋮﹂
苦々しく呟いた彼女がスキルを解放する。
︱︱︿ラストゲーム﹀。
878
5−11:天空と魔法のセカンドバトル︻?︼︵前書き︶
完全なタイトル詐欺です。
879
5−11:天空と魔法のセカンドバトル︻?︼
﹃勝負が決まりました。︿天﹀VS︿キツネ﹀の二回戦目は︿キツ
ネ﹀の勝利です﹄
響くアナウンスを適当に聞き流しつつ対面の彼女に頭を下げる。
︿天﹀が︿ラストゲーム﹀を使ってからたった数秒で勝負は付い
た。
背後からの︿ソードバック﹀の一撃によるノックダウン。
あの時の俺は疑似HPが極限まで減っていたため、少しでも攻撃
が当たればすぐにまけてしまっていただろう。だから相手とほぼ同
時に発動してさっさと勝負を終わらせた。
相手側や観客は少々納得していない様子であったが敵の︿ラスト
ゲーム﹀を観賞している暇など無かったのだから仕様が無い。頭を
下げたことには﹃ありがとうございました﹄以外にも﹃申し訳ない﹄
という気持ちも混ざっていた。
観客席に居る二人が居るはずの場所へ戻ったが、スズがいないこ
とに気付く。
﹁お疲れ様とおめでとーです﹂
﹁ああ、ありがと。スズはどこに行ったんだ?﹂
﹁リンなら私達三人の今日の分の昼食を買うっつって言って地上の
︿時計塔の街﹀に降りてったですよ﹂
スズが俺の居る場所から自分の意思で離れるとは珍しい。自惚れ
るつもりでは無いが、今のスズは非常に不安定な状態にあるはずな
ことわ
のでその傾向は一層強いはずだ。
少し探してくる、とメイに断って︿時計塔の街﹀へ戻るための転
移陣へ向かう。
880
見つけ、それに乗る。すると一瞬視界が真っ白に包まれ、次の瞬
間には時計塔の一階に足を付けていた。
いつの間にかできていた転移陣に乗っている。そこから離れ、扉
を開けて外に出た。
街は随分と閑散としている。︿天空闘技場﹀で大会が開催されて
いるからだろう。
前に買っていたパンフレットを手に歩いて食料店の前まで行った。
が、スズはいない。NPCに言わせると、それどころか一度もスズ
のような特徴を持った人影は見ていないらしい。
なにかあったのかも、と僅かに嫌な予感を感じて店の外で︿イン
ストール﹀を発動させる。
︿ラフモスキート﹀の翅を具現化。︿ロックオン﹀で空から無差
別に全てをロックし無理矢理にスズを探索した。確信している状態、
またはフレンドでなければ名前は分からないので探すのは結構大変
だ。
人が少ないためか負担は軽く、スズもすぐに見つかった。
すぐさまその場所へ足を進め、辿り着く。
﹁⋮⋮スズ﹂
彼女がいたのは宿屋だ。昨日も泊まった宿の部屋で一人、ぽつん
とベッドに腰掛けて窓から空を見つめていた。
どこか寂しげな横顔に見える。
声を掛けた俺へ、スズが視線を送ってきた。
﹁⋮⋮にぃに﹂
﹁心配したんだぞ⋮⋮何かあったんじゃないかって﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
仮面をずらしながら隣に座り、頭を掻きながら呟く。
881
勝手に心配して勝手に安心しただけ。自分勝手な言葉だけど、そ
れでも安堵に言わざるを得なかった。
彼女は露骨に目を逸らす。
﹁心配なら⋮⋮ずっと一緒に居てくれればよかったのに⋮⋮﹂
毒づくスズからは複雑な感情の色が垣間見えた。
現実に居た頃なら一度も言われなかった文句のような言葉に、少
々驚く。
﹁ス、ズ⋮⋮?﹂
単に拗ねているだけでは無いみたいだった。それもあるのかもし
れないが、それ以外の気持ちが濃いように思える。
顔を伏せ、寄り掛かってきた。
﹁⋮⋮辛い﹂
体を震わせて彼女は言う。
﹁こうしてないと⋮⋮辛い⋮⋮﹂
俺の手をギュッと握る。強く、離れないように。
ああ︱︱と、理解した。
スズは。彼女は。
怖いんだ。
また失うのが怖い。またいなくなってしまうのが怖い。また一人
になるのが怖い。
こうして自分の手でそこに在るのだと感じていなければ安心がで
きないくらい怖くて。
882
恐怖。
四ヶ月の孤独により育てられたそれは予想外に大きく、まるで恐
怖症のようだった。
人はもう平気みたいだが今度は代わりとでも言うべきものが前面
へ出ている。
言葉で片付けられるものでは無く。簡単に自制できるものでは無
く。
どうしようも無い。ただ恐怖を感じているんだ。
﹁⋮⋮やっぱり、逃げよ? 戦うなんて、止めよ⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁どこか遠くへ行って⋮⋮誰もいないその場所で、また現実みたい
に一緒に⋮⋮﹂
弱々しく告げるスズの頭を撫でる。
優しく。安心させるように。現実でやって上げていた時とまった
く同じように。
若干嬉しそうにする彼女に申し訳無さを覚えつつ口を開いた。
﹁⋮⋮無理⋮⋮かな﹂
スズが固まる。
﹁ごめん。でも、そうしないといけないんだ﹂
ずっとこの世界に居ることなんてできないんだ。いつかは絶対に
終焉が訪れる。俺達の﹃本当の肉体﹄が現実に存在する限り。
それはゲームがクリアされようがクリアされまいが同じこと。
今もロクな栄養を取れていない俺達の肉体は衰弱の一途をたどっ
ていることだろう。いつまでもそのままなわけが無い。いつかは絶
883
対に朽ち果ててしまう。
それに、もし数ヶ月も後に世界から解放された場合、俺達の人生
は絶望的になる。
かなり衰えた体をリハビリで動けるようにしなければならないし、
そのための金も必要となる。高校も中退か留年をしなければならな
くなり、御祖母さんの残してくれた財産だけでは足りなくなるかも
しれない。ただでさえ少しでもバイトをして節約をしていたのに、
だ。
フーなんてもっと酷いはずである。確か彼女の余命は一ヶ月。衰
弱によってもっと速まってしまうことを考えれば少しでも急がなけ
ればならない。
帰ることに時間の制限が掛けられているんだ。俺達には。
﹁ごめん﹂
それに、もっと違う理由だってある。
今更フーやシノ、メイを見捨てて逃げるなんてできない。
シノをアカリに頼まれた。フーを救うと決意してしまった。
青葉達だって戦っている。俺だけが戦わないなんてできないんだ。
﹁にぃにがやることじゃない⋮⋮﹂
﹁でも、俺がやることで少しでも解放される時間が狭まるかもしれ
ない﹂
﹁⋮⋮死んじゃうかもしれない﹂
﹁スズが生きてる限りはもう死なないよ﹂
口論はそこで止まった。何を言っても無駄だと思案したのだろう。
目を伏せる。
﹁にぃに、変わった⋮⋮﹂
884
語る彼女の言葉を黙って聞いていた。
﹁昔はもっと優しくしてくれた。昔は私の言うこと、自分の都合で
断ることなんて無かった﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁自分勝手って⋮⋮分かってる。でも⋮⋮何か⋮⋮﹂
頭を掻く。彼女を自分から不幸にしてしまっていた自分に少々の
嫌悪感、それからスズへの罪悪感を覚えた。
俺の行動のせいで彼女を傷付けてしまっている。
﹁⋮⋮変わった俺は、嫌いか?﹂
その言葉に込められた感情は恐怖だった。
嫌われることへの。拒絶されることへの。
それでも訊くと、彼女は首を振った。
﹁にぃにを嫌いになるわけ無い﹂
でも、と続ける。
﹁昔と、違う⋮⋮﹂
ずっと渇望していたものとは違うのだと、彼女は言う。
ズレているのだ。何かが。決定的に。
後少しで掴めそうなそれが掴めなくて。スズはもどかしい気持ち
を感じている。
俺は。
885
﹁⋮⋮変わることは、必ずしも悪いことじゃない﹂
口を開いた俺をスズは見上げた。
﹁俺は変わった。でも、それでよかったと思ってる。罪に穢れて、
沢山の命を犠牲にして、色んな感情に触れ合ってここまで来て。
今なら一度死んだあの時の選択が最悪の選択だったって言える。
今なら、この世界に来てよかったってほんの少しなら言うことがで
きる﹂
たった数週間の出来事。それでも色々なことを目にし、様々なも
のを経験してきたことは確かだ。
それは掛け替えの無い色褪せない記憶。きっと未来永劫忘れるこ
とが無いであろうそれは俺の心に刻まれている。
﹁⋮⋮っていうか﹂
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
﹁スズにあんまり優しくできないのは、ちょっと違う理由もあるん
⋮⋮だけど⋮⋮﹂
気まずそうに目を背けた。続きを言うことが躊躇われたのだ。こ
れを言っていいものかと。
﹁⋮⋮えーっと、怒らないでくれよ?﹂
スズが袖を引いて催促してきたので仕方無く言うことにする。
最初の前振りに彼女はしっかりと頷き、瞳を覗き込むように見つ
めてきた。
やはり少しだけ躊躇しつつ口を開き、言う。
886
﹁ちょっとどうしていいか⋮⋮接し方がわかんなくて⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
﹁スズの日記⋮⋮見たんだけど⋮⋮﹂
数秒。一秒以上三秒未満であったそれの後、スズの顔がリンゴみ
たいに真っ赤に染まった。
顔を隠すかのように胸に顔を埋めてくる。気まずく感じつつ頭を
撫でた。
﹁⋮⋮⋮⋮ちょっと今は、応えられないかな﹂
彼女が少しは落ち着いた頃を見計らって会話を再開する。
スズは握っていた手を少し強く握ることでさり気無く続きを促し
てきた。
﹁気持ちは嬉しいけど⋮⋮なんていうか⋮⋮やっぱり、日記の通り、
俺はスズを妹としてしか見てなかったと思うんだ﹂
震え出した彼女を抱きしめ、﹁でも﹂と言う。
﹁もう一度改めて一緒に居たいんだ。今度はスズのことをしっかり
意識して過ごして、それからまた返事を返したい。保留なんて格好
悪いけど⋮⋮やっぱり今すぐ判断はできないから﹂
﹁⋮⋮うん﹂
いいかな、と問うと彼女は首を縦に振った。震えは既に止まって
おり、今は少しのやる気さえ窺える。
﹁色々変わっちゃったけど、でも、変わってしまったからこそだ﹂
887
そう言って笑う自分へ彼女が本当に久々の笑顔をみせてくれた。
小さく、注視していなければわからないくらいのものだ。まだま
だ昔とは程遠いもの。
けれど今は。俺の目にはそれがとても輝いて見えた。
888
5−12:逡巡と声援のサードマッチ︻?︼
三人分の昼飯を買って︿天空闘技場﹀へ戻った時には、既にメイ
の試合が始まっていた。
ミートが暴風を吹き荒らしながら相手へ突っ込み、その間を縫う
ように空中から全長五メートルほどの鷹が襲い掛かる。
耐えきれなかったのか、すぐに疑似HPは〇になってしまった。
﹃勝負が決まりました。︿主﹀VS︿熱線﹀の二回戦目は︿主﹀の
勝利です﹄
二匹の指輪に仕舞ったメイが相手へ頭を下げて舞台から退場して
いく。
やがて戻ってきた彼女に労りの言葉を投げると、嬉しそうに﹁ど
ーもです﹂と返した。
﹁それは兎も角、遅かったなです﹂
﹁ちょっとゆっくりしすぎたよ、ごめん﹂
﹁別にいーです。けど、あと一戦が終わればもう一度キツネの出番
だぞですよ。もう昼ですし早めに食べることをオススメするぞです﹂
次の勝負が始まるまでには一五分の時間がある。その次が俺とい
うことは、つまりメイが出ていたのは七戦目ということだろう。
昨日の予選で三二人にまで絞られ、その後の一回戦で一六人と半
分になった。一六を二で割れば八となるために間違いは無い。
買ってきたものを三人でいただきますの挨拶の後に食べ始める。
終えるのとほぼ同時に八戦目が始まった。五戦目から八戦目まで
は俺にとってはあまり関係の無い相手のバトルばかりだ。なので適
当に観戦をしていたが、メイは次に戦う相手のためキチンと観察を
889
している。
結局バトルは︿地﹀という人物が勝利を収めた。
アナウンスで俺の名前が告げられて早めに準備をしておこうと立
ち上がる。
﹁ぁ⋮⋮⋮⋮﹂
スズが離れた俺へ手を伸ばすように動かしたが、切なげな表情を
見せるとすぐにそれを引っ込めた。
少々の歯痒い気持ちを感じながら﹁行ってくる﹂と呟いて控え室
に向かう。
﹁⋮⋮ふぅ⋮⋮﹂
心を落ち着かせようと目を瞑り深呼吸をした。
よし、と言葉に出して舞台へ出る。
﹁どーも⋮⋮﹂
相手︱︱クロノの挨拶に自分も﹁よろしく﹂と返して準備に入る。
やがて試合の開始時間となり三〇秒のカウントが始まった。
剣を引き抜く。
敵は謎の無効化スキルと同じく謎のコピースキルの使い手だ。
油断は決してできない。一度、俺はこいつに攻撃を止められてい
るのだから。
三〇秒が経ち、勝負が始まった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
互いに動くことは無い。基本的に受けに回る戦法であるらしいク
890
ロノは当然、俺も様子見という意味で自分から行動は起こさなかっ
た。
しばしの静寂が続いてクロノが口を開く。
﹁⋮⋮来ないのか?﹂
単なる確認、ということが表情から簡単に推測ができた。
応えず、答えず。ただ油断せず彼を見据える。
クロノは頭を掻いて困ったように﹁じゃあ﹂と呟いた。
﹁俺から行くよ﹂
︱︱︿ドローフォーミュラ﹀。
空中に指を置き、何かを描くかのようにそれを動かす。
指先が僅かに光っているのが視認できた。
その手が止まる。それと同時に鋭い風が周囲を取り巻き始めた。
これは。
﹁︿ウインドエッジルーム﹀⋮⋮?﹂
﹁いや、それを真似ただけの模造品。継ぎ接ぎだらけの欠陥品だよ
⋮⋮﹂
飛び交う風の刃を避け、引き抜いた剣で切り裂きつつ相手の言葉
を耳に入れる。
真似る。コピーでは無い、のだろうか。確かに少しだけ弱い気が
するし、少々パターンや頻度も違う。結構の間あのスキルに曝され
ていた自分だからこそ把握できた。
﹁﹃式﹄作るのめんどい⋮⋮そもそも火力はレン任せだからな⋮⋮﹂
891
溜め息を吐く彼に隙を見い出し、足元に影を集めて爆発をさせる。
風の刃の在る領域を抜けてクロノへ迫った。
突き刺す形で切っ先を向け、そのまま前方へ。
クロノはその刃を左手で掴んだ。
︱︱︿カルキュレータ﹀。
一瞬。時間が引き延ばされたような感覚に陥った。
実際にはそうでは無いだろう。だが。
﹁ゼロ﹂
受け止められた刀身がクロノを傷付けることは無かった。どれだ
け動かそうと。どれだけ捻ろうとダメージを負わない。
蹴り飛ばそうとした右足ももう片方の手に掴まれ、無効化をさせ
られる。影を込めたそれも何故か手の平に触れれば嘘みたいに霧散
してしまい為す術が無かった。
﹁なんだよ、これ⋮⋮﹂
﹁いや、君は多分少しは気付いたんだと思うんだけど﹂
クロノが台詞と共に俺を蹴り飛ばす。
地面に足を擦りつつも一〇メートル付近遠くまで吹き飛ばされた。
そのまま握りしめていた剣を再び構え直す。
彼が行動を起こさないことを確認し、少々思考を開始した。
あの時。攻撃が受け止められた瞬間。
俺が感じたのは凄まじい集中力だった。今現在、ダルそうに立ち
尽くしているクロノからはまるで想像もできないほど強烈な。
刀身を。刃を。何もかもを読み取るかのように注視して。
﹁まぁ一応言っとけば俺の能力は︽数値変動︾。ありとあらゆる現
象を数値として読み取り、それらに干渉する力だよ⋮⋮って、分か
892
んないか﹂
﹁いや、十分だ﹂
威力や衝撃と言った﹃衝撃﹄を数値として表し、それに干渉して
数を〇に変える。それにより無効化は実現し、力そのものがまるで
無いかのように扱われるんだ。
威力が在るという事実を威力が無いという事実へ変えてしまう。
彼に言わせれば﹃式﹄。計算式だ。
剣の振り下ろしという﹃計算式﹄を解き、その答えが〇になるよ
うに式を書き換える。炎という﹃計算式﹄の全てを覚え、自分が書
き記すことで技を奪う。
けれど。ことはそう簡単では無い。
刀身が加速されれば威力は増して式が変わる。式が変われば当然
書き換えもまた新しく行わなければならなくなり、結局は食らう直
前に計算しなければ無効化なんてできない。
たった数瞬による数値の書き換え。計算の回答。
並大抵の頭脳では成し遂げられない大技だ。
﹁こんな欠陥品の能力⋮⋮ほんと、俺じゃなきゃ使えねーよ﹂
常人が使っても何の意味も無い能力なことは確かだった。
前に尻尾を受け止めた時の発言から察するに補正が沢山掛けられ
たりしていれば式も複雑になっていくのだろう。
だから無効化をしていたくせに止めるのがめんどくさいなどとほ
ざいていた。
﹁欠陥ばっかだよ、俺の力。式はすぐに変動するから計算をやり直
すことが何度もあるし、一度存在した式は数十秒後には存在しない
ことになってコピーができなくなる。式を作るのだって結局既存の
ものを劣化させたものにしかできないし⋮⋮ホント、使い勝手悪い﹂
893
愚痴。それらの全てをこなせなければ何の役にも立たない能力へ
の文句。
人の能力のために俺には理解できない部分が多数あるが、それが
何だか凄いことということは容易に予測できる。
それに。彼は色々と言っているが、結局全てをこなすことのでき
る頭を持っていた。
それは明らかな脅威である。油断なんて以っての他だ。
﹁⋮⋮いくぞ﹂
改めて口に出して足を踏み出した。
影を集め、爆発。急接近をする。
彼が左手で何かを描いていく。即座に。完全な集中状態へと陥っ
た﹃天才﹄とでも言うべき少年は技を創る。
︱︱︿ドローフォーミュラ﹀。
振り下ろされた剣をもう片方の右手で受け止めた。﹁ゼロ﹂と呟
き、無効化をして。
止められることは分かっていたので俺の次へ繋ぐ行動は速かった。
片足に全力の︿スキルコレクション﹀を掛けて地面を叩き、足場を
思い切り崩してクロノの態勢を奪う。
地面を叩いた方とは別の方の足を振り回した。しかし防げないは
ずだった途中で壁に当たったかのように弾かれ、逆に相手の蹴りを
再び食らいそうになった。
ドローフォーミュラはこの防御のために使っていたのか。
ギリギリで柄から離した片手でガードし、自分からクロノより離
れる。
﹁よっと﹂
894
追撃だ。両手で同時に式を描いて速度を半減させた彼が青い炎を
放ってきた。
刀身に︿スキルクレクション﹀の補正を掛けて縦に切り裂く。そ
の後すぐに嫌な予感がして場を跳び退いた。
背後から襲いかかってきていたらしい青い炎が真横を通り過ぎて
いく。
再度式を描き始めたクロノを視認して即座に近付いた。剣が届く
距離に着けばすぐに切っ先を伸ばす。それは壁に当たったかのよう
に弾かれたが、その後すぐに体が追いついて今度は影が籠った蹴り
を繰り出した。
また弾かれ、そのまま︿インストール﹀を発動して︿ファンタジ
ーオルガニズム﹀の通常攻撃を至近距離で発する。流石に口からは
予測できない、と思っていたのだが彼は何とかと言った様子で両手
を翳して防いでみせた。
しかし代わりにがら空きになった胴へ影を込めた膝蹴りを食らわ
せる。当たった。初めて敵の疑似HPが減っていき、けれど彼は落
ち付いた様子で式を描いていった。
︱︱︿コピーフォーミュラ﹀。
クロノの口内へ赤黒い光が取り込まれ、放たれる。不意打ち気味
だったそれには対処が難しくギリギリかわしきることができなかっ
た。
疑似HPが目に見えて減少していく。
﹁こうなれば⋮⋮﹂
あまりやりたくは無いというか、気乗りはしない。けれどやるこ
とが勝利に繋がるのなら価値がある。
剣を影と︿スキルコレクション﹀の両方の補正を全力で掛けて振
り回した。両手で止められる。威力が大きいと片手では止められな
いのだろうか。何にせよ、これが狙いでは無いので止められても問
895
題は無い。
︿インストール﹀。
背中から︿アーススパイダー﹀の手足を出現させた。
大きさは二分の一ほどに抑え、数は四つ。それらでクロノへ攻め
入った。
手の平で足りない数の連撃。
剣と蜘蛛の手足で攻められた彼が初めて少しの焦りを見せる。
﹁くそ⋮⋮流石に﹃式﹄が多すぎ︱︱﹂
何とか防いでいたようだがその内の一本が当たり、連鎖的に他の
攻撃も幾つか衝突した。疑似HPが急激に白く染まっていく。
クロノは対処しようと新しく式を描いているが、おそらくこれは
間に合わない。俺の殲滅の方が早い。
最後の一発を入れようと力を込め。
不意に。
俺がこの勝負に行く時にスズが見せた、切なげな表情を思い出し
てしまう。
﹃心配なら⋮⋮ずっと一緒に居てくれればよかったのに⋮⋮﹄。
﹃こうしてないと⋮⋮辛い⋮⋮﹄。
もしここでトドメを刺してしまえば必然的にまたバトルに出るこ
とになる。
ここで止めれば。そうすれば、戦いを止めようというスズの願い
を聞いてあげられなかった俺でも少しの償いになるはずだ。
スズは辛いと言っていた。
少しでもスズの隣に居るためには、負けることが︱︱。
﹁ゼロ﹂
クロノが発した声で意識が引き戻されたが、時は既に遅かった。
896
彼が触れた︿アーススパイダー﹀の手足が消えていく。一旦下が
ろうと力を込めたが背後から襲いかかってきた青い炎に突っ込む形
となってしまい吹き飛ばされる。大幅に疑似HPが減少していった。
更に追撃として回し蹴りで飛ばされ、地面を転がる。
疑似HPゲージはレッドゾーンに突入していた。
897
5−13:逡巡と声援のサードマッチ︻?︼
彼女︱︱スズにとって、自らの義兄はとても輝かしい存在だった。
彼は自らのために本当に色々なことをしてくれていた。
色んなことを自分に教えてくれ、様々なことを簡単にこなしてみ
せる。
彼女は、彼が全てを自分のために必死で覚えたことを理解してい
た。
義兄︱︱零都も自らの義妹に弱音を吐くことなど無い。
彼女のためならば命だって容易に差し出し、己が傷付くことさえ
一切戸惑わなかった。
敗北など。彼女の前では見せられない。
故に。
義兄がたった一人のプレイヤーに負け掛けている光景を目視し、
複雑な気持ちを胸に抱いていた。
あの巨大な月のモンスターさえ己と共に倒してみせた彼が。
﹃ああ⋮⋮終わりか⋮⋮﹄
義兄の諦めた声が聞こえてくる。それは一度も聞いたことの無い
言葉だった。
義妹のためには決して諦めることの無かった彼の。
﹁もうちょっと頑張りやがれです!﹂
隣に居たメイが少々怒った風に声援を送った。聞こえたようで、
義兄がこちらを向く。
メイを見て。苦笑して。
自分に視線を移した。
898
その顔は兎に角優しそうで。現実で何度も目に焼き付けられた表
情で。
何故か。
どうしようも無い憤りの感情が芽生えてきた。
最も速いと自負している己だからこそ分かる。彼はトドメを刺す
ことを躊躇していた。
それはおそらく自分のためだ。自分は、今だって彼が手の届く距
離の居ないことに少なからず不安と恐怖を感じている。
けれど。
嬉しいのに。ありがとう、って言いたいのに。
何かが違うような気がしたんだ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
自らの中で一番強いと決めつけていた彼が諦めようとしている。
何度も傷付きながらも最後には全部をやってみせた彼が。
自らのために無理だと思われた出来事だってやってみせた彼が。
負けを認めている。
こんなの。
﹁⋮⋮にぃに﹂
自分にとって義兄は絶対の存在だ。
誰よりも大切で。自らの命なんて秤に掛けられないほど大切で。
だからこそ。
彼女の中にあるべき彼は常に理想の存在で無ければならなかった。
完璧じゃなくてもいい。完全じゃなくてもいい。
たとえ努力の末に負けてしまっても構わない。
たとえ弱音を吐いてくれても構わない。
それは人間では当然のことで。見たことも聞いたことも無いとし
899
ても、きっと彼にだって沢山経験してきたことだから。
でも。
それでも、自らのためと偽って全てを諦めるなんてところだけは
この目で見ていたくなかった。
自分だって努力が実らないことだって沢山ある。
自分だって弱音を吐きたくなることなんて沢山ある。
けれど、できることを諦めるなんてことは決してしないから。
﹁⋮⋮負けないで﹂
義兄のために四ヶ月も眠らずに彷徨い続けた彼女には絶対に諦め
ない自信が心の中にあった。
多くのものが欠けてしまった不完全な心の中に。それだけは欠け
ずに育ち続けている。
だからこそ。
彼が諦めることが許せなくて。
﹁頑張って、にぃに!﹂
それは自らが抱える恐怖よりも優先度の高い感情だった。
たった四ヶ月で住みついた恐怖よりも、ずっと昔からある理想を。
彼が驚いた風に目を見開き、こちらを見つめた。
﹃⋮⋮はは﹄
小さく笑い、彼は前を見据える。
その瞳には迷いなど既に含まれていなかった。
900
◆◇◆◇◆
﹁ウサギ!﹂
呼ばれた己の使い魔が反応し、メイとスズの下から飛び跳ねてく
るのが分かる。
安全のために舞台と観客席を隔てている透明の壁を通り抜け、俺
の方へ。
ウサギは参加者の使い魔だから移動ができるのだろう。どちらに
せよありがたい。
纏っていた紙袋を破いて肩にウサギが飛び乗ってくると会場が騒
ぎ出した。
﹁⋮⋮兎の耳を持つスライムの使い魔、か﹂
プレイヤーキラー︿人狩り﹀として開示されている情報の一つが
兎の耳を持つスライムの使い魔の保有だ。
舞台に入れたために俺がウサギを所有していることは明らかだっ
た。兎の耳を持つスライムなどそういない。騒ぐのも無理は無かっ
た。
けれど、使い魔が被っているだけという可能性もある。故に周囲
の反応は困惑染みたものだけだった。
バレるかバレないかの賭け。疑われるというリスクを侵しての手
段。
本来はウサギと共に闘う予定なんて無かった。そこまで強い相手
ならば素直に負ける。そんなつもりで挑んだのだから。
だけど。
901
﹁大好きな義妹に応援されちゃ、手加減などしてる暇なんてねぇよ﹂
︱︱︿レゾナンスユニオン﹀。
兎と融合し、自らの力が増幅したのを感じ取った。
頭からは兎の耳型の青色スライムが生え、瞳は青色に染まる。手
の甲には魔法陣が描かれて視界は物体の熱量を映し出すようになっ
た。
疑似HP残量は変わらなかったが、これだけで十分である。
一発でも食らえば俺の負け。けれど、もう当たらないから。
﹁それは⋮⋮﹂
今のスキルの現象を数値として確認したのだろうか。随分と驚愕
していた彼が感嘆のような声を漏らした。
その言葉さえ隙なのだと感じる。口を開くその一瞬、声帯を鳴ら
すその一瞬。それら全てが隙なのだと。
ゆっくりと足を一歩踏み出し。
刹那。
圧倒的な速度でクロノへ攻め入った。
﹁ッ﹂
彼が驚いた表情をする。顔の筋肉を僅かに動かすことに力を割い
たそれさえも、合い間を縫うようにして隙へと変えた。
突き出した拳は片手で防がれたが計算が間に合っていない。僅か
に力が伝わって疑似HPが減っている。
一度距離を取ろうとしたのか彼が俺を蹴りで吹き飛ばそうとした。
酸性モード。
スライムを集めた片手で受け止め、逆にダメージを与える。
902
﹁︿ラストゲーム﹀﹂
このままでは勢いのまま攻め入られると判断したのか、彼が冷静
に言葉を放った。
空気が震えるほどの集中状態がクロノを包み出す。ピリピリとし
た雰囲気に押されて反射的にバックステップで下がってしまった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
感情さえ遮断した極限の集中モードだということが容易に把握で
きる。
ゾーン、と呼ばれるものだろうか。圧倒的とさえ言えるほどに集
中力が高められ、まるで景色など目に入っていないかのように俺だ
けをその目で見据えていた。
ダルそうな雰囲気は一切無く。ただ、大きく目を見開いて俺を注
視するだけ。
これが彼の全力。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
静寂。先程とは違い、本当に僅かな隙さえ見せない彼に、攻め入
るタイミングが掴めなかった。
痺れを切らしたのか、クロノが一歩踏み出す。
︱︱︿ドローフォーミュラ﹀。
式を書いていないはずなのに現象に変化が起こった。進むという
現象に干渉し、その速度を圧倒的に引き上げて。
すぐ傍までクロノが接近してくる。
今の俺にはそれが視認し、また対処することも可能だった。剣を
振り回し、しゃがんでかわされたのを確認すれば、影を足に帯びさ
せ前方へ突き出す。
903
︱︱︿カルキュレータ﹀。
それを相手は片手で掴んだ。威力は零。何も無い。
レゾナンスユニオンで強化されていた今の速度は反応できないは
ずの攻撃だったのだが︱︱全ての行動による﹃現象﹄の式を改変し
ているのか。
避けることも。進むことも。受け止めることも。反応することも。
全ての﹃現象﹄を改変し、自分ができる最大の数値へ変動させて。
頭脳を最大に働かせることでレベルを超えた動作と行為を可能に
しているのか。
だが。
﹁この、程度﹂
これくらいの速度、スズや︿ライトゥルームーン﹀の︿ディズ・
トゥルー﹀に比べればどうってことの無いものだ。
そう。
視える。観える。見える。
観えるのなら対処はできる。
︱︱︿インストール﹀。
﹁ッ⋮⋮﹂
式が書かずして繰り出される青い炎。全てが相手にとっての限界
にまで引き上げられた打撃。偶に入る劣化︱︱いや、本物さえ越え
たスキルの模造品。
観える。
レゾナンスユニオン、影の補助、︿スキルコレクション﹀でそれ
ぞれに強化された素早さで全てを避けていた。
一歩でも間違えば即座にやられてしまう高速の戦闘だ。
しゃがめば風の刃が大地を沿ってやってきて、下がれば炎が後ろ
904
からやってくる。攻撃を出そうとすれば掴まれて無効化をされ、そ
の隙を縫うように空から雷が落ちてきたりした。
回避する。
全てを。
﹁︿ア・トゥルー﹀⋮⋮﹂
呟いた。本来は避けられないはずのものも避けられていて。それ
はこの力なのだと。
黄金の模様が描かれた左目の。︿ライトゥルームーン﹀の力を不
完全に具現化した力。
未来を観るアビリティ︿ア・トゥルー﹀。
幾つもの可能性未来から導き出される最も確率の高い未来を映し
出す瞳。本当に不完全な具現化のために途切れ途切れで、しかも未
来が多少間違っていることだってある。
けれどそれだけで十分だった。
﹁終わりだ﹂
合い間を縫うような攻撃。左腕をクロノに向けたまま︿ファンタ
ジーソルジャー﹀の剣へと変化させ、不意打ち気味の刃を放つ。
彼はそれに反応しかけ、しかし、口から撃った︿ファンタジーオ
ルガニズム﹀の通常攻撃と左腕から振るった︿天宝の法剣﹀の一撃、
二つを同時に繰り出されたため対処が難しかったようだ。
彼は一旦動きを止めて今以上に集中した様子を見せ、片腕を全て
の攻撃に当たるように振り回そうとし︱︱。
﹁あ⋮⋮﹂
︿ラストゲーム﹀が解けた。
905
集中が完全に途切れた彼へ三つの強力な攻勢が襲い掛かり、一瞬
で残っていた疑似HPを〇に減少させてみせる。
勝者は︿キツネ﹀。俺だった。
周りからは沢山の歓声が聞こえてくる。その中にはメイのものも
混ざっており、彼女は大きく手を振って俺へ笑顔を送ってきていた。
﹁最後の⋮⋮︿ラストゲーム﹀が解けなければ止められてたか⋮⋮
?﹂
呟く。それが聞こえたのか、クロノはこちらに横目で視線を送っ
てきた。
﹁どうだろう。まぁ、︿キツネ﹀は︿ラストゲーム﹀使って無かっ
たから、どちらにせよお前が上のことに変わりは無いな﹂
淡々と告げる彼からは悔しさと言った感情などは一切窺えない。
先程までの集中状態が嘘かのようにダルそうに立ち尽くし、早く帰
りたいとでも言う風に俺に背を向けた。
肩を竦め、スキルを解くと自分も控え室の方へ戻っていく。
﹃勝負が決まりました。︿キツネ﹀VS︿kurono﹀の三回戦
目は︿キツネ﹀の勝利です﹄
観客席の方へは少し注意をしながら戻って行ったが何も無かった。
ウサギを見せてしまったので少し警戒していたのだが、まぁ無いな
ら無いでそれで良い。
メイに﹁お疲れ﹂と言われ、﹁ありがと﹂と返した。
スズに視線を移す。
﹁⋮⋮にぃに、お疲れ﹂
906
﹁ああ⋮⋮ありがと﹂
何を言えばいいのか分からず頭を掻いていると彼女が自分を見上
げ、口を開いた。
﹁やるなら、勝って﹂
たった一言。それでも言いたいことは十分に伝わっていた。
先程のような情けない姿はもう見せられない。
やるなら全力で。やるのならスズをがっかりさせないように。
彼女が恐怖を我慢してくれるというのなら、俺は誠心誠意それに
応えなければならない。
﹁俺は優勝するよ。約束する﹂
907
5−14:最初と基本のオーソドックス︻?︼
全ての第三回戦︱︱準々決勝を終え、いよいよ準決勝が始まる番
となった。
残ったのは四人。俺、メイ、そして俺達の相手となる二人のプレ
イヤー達だ。
俺にとってはどちらも見知らぬ相手。メイはどうかは分からない
が、どちらにせよ強いことには変わりないはずである。
最初にやるのは俺の準決勝だった。
﹁じゃ、行ってくるよ﹂
左肩にウサギを呼び、二人へ確認事項として告げる。
﹁決勝で会うぞです﹂
﹁頑張って、にぃに﹂
それぞれの励ましや声援を受け、足を動かした。
今回は最初から全開でいく。ウサギには窮屈な思いをしてもらわ
なければならなくなるが、構わないという風に頷く動作をしてくれ
たので全力を出させてもらう。
もうスズに情けない姿を見せるわけにはいかない。必ず勝って、
俺は。
舞台上へ辿り着くと、対面では鎧を着こなした青年が俺の方を無
表情で見据えてきていた。
感情が無いわけでは無い。感情が薄いわけでは無い。ただ、無闇
に言葉を発さない若干クールな雰囲気を纏っていた。
それぞれの片手に剣と盾を装着している彼が頭を下げ、挨拶をし
てくる。
908
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
声は発さなかった。けれど礼儀がしっかりと伝わるような綺麗な
礼で、思わず俺も一言も発さずに同じように礼を返してしまう。
彼はその後、直立したまま残り時間が減っていくのを見つめてい
た。
会話は無い。いや、できないというのが正しいか。相手にどんな
言葉を投げかけようと彼は頷いたり首を振ったりするだけで、決し
て口は開かない。
やがて始まりの時間となり、距離を取って互いに武器を構えた。
三〇秒のカウントダウン。
〇になった瞬間、俺は︿レゾナンスユニオン﹀を発動する。
異物が侵入してくる感覚がし、しかしそれは気持ちの悪いもので
は無く逆に心地の良いものだ。
力の増殖。完全に融合が終わる。が、彼が攻撃を仕掛けてくるこ
とは無かった。
改めて構え直すと、相手が漸く動き出す。
まさか待ってくれていたのだろうか。だとしたら随分と舐められ
ているものだ。
視認が用意な︱︱おそらく上位階層プレイヤーの平均より少し上
程度の速度で走り込んでくる彼を観察する。
強くは見えなかった。それでもここまで勝ち上がってきた実力は
本物のはず。何か仕掛けてくることに間違いは無いはずである。
まるで機械のようにしっかりとした構えから繰り出される剣の一
撃を同じく剣で受け止めた。
これは。
すぐに受け流し、いなす。
﹁っと﹂
909
手本通りと言っていいほど完璧なタイミングで突き出された盾を
下がることで避けた。
追撃はこない。構え直し、機会を窺ってくるだけだった。
﹁⋮⋮剣道でもやってたのか?﹂
相手は首を振る。
最初の一撃。注視すべきでも無い普通の一撃。剣を上から下に振
り下ろすだけの簡単な斬撃だ。
素人のものでは無い。授業で剣道を少しやっていたから分かる。
クラスに剣道三段の人がいたから分かる。
どう見ても熟練された一撃。盾を突き出すシールドバッシュもそ
うだ。見本のように綺麗で、威力が相当に込められているのが理解
できた。
違和感を感じるわけでは無い。ただ、何も感じないのだ。
訝しみつつ、攻めてこないのならこちらからと足に影を十全に溜
めた。
それを爆発させ、同時にウサギの力を最大限に発揮させる。
圧倒的な速度で迫りつつ跳び蹴りの態勢に入った。全開の︿スキ
ルコレクション﹀を掛けた強烈な蹴り技だ。
前方に押し出された盾に激突し、轟音を奏でる。
一秒の内に何メートル前進していることだろう。地を擦る摩擦音
が非常に長い間鳴り続け、第三者から見れば俺が相手を押している
という光景に見えたはずだった。
違う。これは。
止められている。
どれだけ押し込んでも倒れなかった。どれだけ力を足そうとも態
勢を崩せなかった。
僅かにダメージは負っているのが疑似HP残量から把握できる。
910
けれどそんなものこの蹴りの威力に比例させれば本当に少量だ。割
に合っていない、完全に防がれたかのような。
やがて相手が止まり、俺は足を退けて後ろに下がろうとした。
その瞬間に相手は攻撃を繰り出してくる。
合い間を縫うような、ほんの一瞬の隙を突くかのような精密に計
算されたのかと疑ってしまうほどのものだった。
突きの形で迫ってくる切っ先を何とか剣の腹で逸らし、カウンタ
ー気味に相手の腕を蹴り上げようとする。
が、当たらない。突きを完全に同じ軌道を辿ってすぐに引き戻し
た彼が容易に足を回避し、逆に俺を蹴り上げてきた。
片足を上げた直後で避け切れず、剣を持っていた手に当たってし
まう。
﹁ッ﹂
見た目では想像できないほどの力が込められていた。無意識の内
に離しそうになった剣の柄を何とか持ち直し、今度こそしっかりと
距離を取る。
彼は俺の様子を最初と同じように静止して眺めていた。
﹁まるで従来のRPGみたいだな⋮⋮﹂
呟く。最近ではVRが流行っていて廃れつつあるが、それまでは
オーソドックスと言われるほどに当たり前に存在していたシステム
だ。
順番に攻撃を繰り出す。それだけの。
俺が攻撃してくれば相手はそれを防ぎ、今度は自分の番だとでも
言うように攻撃をしてくる。
相手が攻撃をした後はこちらの攻撃を待つかのように観察をして
くる。
911
何もしなければ相手も何もしない。待ってくれているのだ。
舐められているのでは無い。舐めているのでは無い。
理解した。
これが彼の戦い方なのだ。
﹁⋮⋮名前は?﹂
聞き逃していたそれを改めて問い掛ける。
何となく聞いておきたかった。
エド
今まで一度も開かなかった口を開け、彼は答えてくれる。
ハジマリ
﹁二つ名を︿最初﹀、名を︿EDO﹀﹂
簡潔な言葉を言い終えるとそれ以来また喋らなくなった。
苦笑気味に笑みを浮かべ、すぐに顔を引き締める。
﹁⋮⋮いくぞ、ウサギ﹂
酸性モード。体中が熱く燃え上がるような、それでいて心地の良
い感覚が体を包み出した。
一歩踏み出す。それだけで相手の目の前まで急接近して剣を横薙
ぎに切り払った。
盾で防御される。防ぎ切ったと思考したであろうエドが剣を構え
ようとし、その瞬間に剣を引いて影を纏わせた右足を盾へ突き出し
た。
影を爆発、流石に剣を振り被った直後はきつかったのか、彼が盾
を弾かれて後ろへ下がる。
逃がさない。
蹴りの勢いのまま体を回転させ、遠心力を利用した剣の一撃を放
った。
912
﹁︿スラッシュ﹀﹂
盾で防ぐのは間に合わないと判断したであろうエドが白い粒子を
剣を振り下ろしてくる。
甲高い金属音が鳴り、火花が散った。
このまま鍔迫り合いを続ける気は無い。手の甲に付いている魔法
陣へMPを捧げ、呼応して赤く光り出す。
酸性スライムが剣を這ってエドへと迫っていった。
彼は冷静に見極めて俺の剣を弾き、バックステップをする。その
まま相手へ向けて飛ばされたスライムを見据え、片手に構えた剣を
振り抜いた。
切り裂く。
止まること無く再度突っ込んでくるエドを視界に収める。次は自
分の番、と言っているのだろうか。︿スラッシュ﹀を発動させて白
い粒子を刀身へ帯びさせる彼からは鋭い闘志を感じた。
けれど、相手の戦い方に合わせる必要なんて無い。
刃へ酸性のスライムを帯びさせ、回転斬りで相手の方へ衝撃波の
ように放つ。彼は落ち着いていた。剣を縦に振り上げ、振り下ろし
て切り裂くことで防ぐ。
︿スラッシュ﹀が解けた瞬間を狙って前へ全力で跳躍した。
影と酸性スライムを纏わせた剣を全力で振り払う。剣を振り抜い
た彼には盾しか残っていない。押し出されたそれと衝突し、くしく
も最初の時とほぼ同じ状況になった。
相手が突き飛ばされ、地面を煩い摩擦音を発してくる。強烈な一
撃を受けているはずなのにエドは全然態勢を崩さなくて、やがて勢
いは︱︱。
彼はセオリー通りに戦うはずだ。それがエドの戦い方。ありとあ
らゆる基本に忠実な彼のやり方。
なら、それをズラしてみたらどうなるのだろう。
913
酸性のスライムを増やす。自らの全MPを費やし、溢れ出した赤
いスライムを盾を伝ってエドの方へ押し寄させた。
彼はスライムが辿り着く前に盾を斜めにズラして俺の剣を受け流
し、態勢が崩れた自分へ剣を振り被ってくる。
基本を完璧に極めているであろう一撃は態勢も整っていない状態
で受け切れるものでは無い。
だが、受け切る必要も無い。
︱︱︿インストール﹀。
口内に即座に光を収束させて︿ファンタジーオルガニズム﹀の通
常攻撃をエドへ撃ち放った。予想外であったはずの一撃を彼は直撃
してしまい、大幅に疑似HPが減少していく。
エドは気にせず剣を振り下ろして俺の肉体を切り裂いた。赤いエ
フェクトが飛び散って疑似HPが大きく減る。
互いにバックステップで距離を取った。
﹁︿ラストゲーム﹀﹂
彼は迷い無くそのスキル名を言い放つ。
914
5−15:最初と基本のオーソドックス︻?︼
まだ相手の能力すら分かっていない状況で使われたあのスキルを
前に警戒を隠せない。
何がくるのか。何が起こるのか。何がどうなるのか。
︱︱︿決戦﹀。
しばらくエドを観察していると異変に気付いた。
俺とエド、両方の疑似HPゲージがほぼ真っ白に染まっている。
もう少しあったはずなのに、だ。
他にもある。
音が無い。観客の声さえ聞こえず、ただ自分の息遣いが聞こえる
だけだった。
風が吹いていない。まるで世界が静止したかのように風は起こら
なかった。
ウサギの力が感じられない。頭に手を置いても耳は無く、温度も
見えることは無い
﹁これは⋮⋮﹂
エドがこれまでに無い攻撃的な構えを取る。腰を低くし、いつで
も剣を突き出せるように腕に力を入れていた。
対抗しようとして、また違うことに気付く。
能力が使えない。スキルが使えない。アビリティが機能していな
い。
あるのは、ステータスにより強化された己の肉体と装備のみ。
﹁⋮⋮なるほど﹂
互いに一でもダメージを食らえば即死になるようにし、素の力の
915
みで勝負をする︱︱という状況を作ったのか。
相手の能力もまた簡単な予測ができた。
状況を作る能力だ。
自分が基本に沿った行動を取る状況を作り、攻撃を防ぎ切れる状
況を作り、正規な戦い方をする状況を作り。
自らを能力で操っていたのだ、エドは。
人形のように。クグツのように。キャラクターのように。
けれどここで能力を使うことはできなくて。
おそらく、今エドが取っている構えこそが彼本来のあるがままの
姿なのだろう。
﹁⋮⋮はは﹂
面白い。
思考し、俺も手に持つ剣を最も初撃が繰り出しやすい構えを取っ
た。
互いに剣の素人だ。影で補助をして剣術紛いのことをしてきた俺
と、能力で正しき武器の扱い方を再現してきたエド。
剣の道を歩むものからは無様な構えだと笑われるかもしれない。
それでも。
今俺達は視線を通わせ、本気の闘気をぶつけ合っていた。
互いに一歩踏み出し。
ダッシュ。
地を蹴る音だけが空間を埋め、エドとの距離が近付いて行く。
盾でガードすることは無いだろう。一でもダメージが食らえば終
わりなのだ。絶対に刃を振るってくる。
ならば。俺もそれに応えるだけだ。
﹁︱︱︱︱﹂
916
一瞬の交差。一閃した刃を振り抜いた状態で俺達は足を止めてい
た。
数秒してから剣を払い、背の柄へ剣を収める。
勝ったのは。
﹃勝負が決まりました。︿キツネ﹀VS︿EDO﹀の準決勝は︿キ
ツネ﹀の勝利です﹄
一礼をして去っていく彼を見送った。既に風も音も戻ってきてお
り、歓声に混じってメイの称賛等も聞こえてくる。
小さく笑みを浮かべ、左肩にどこからともなく戻ってきたウサギ
と共に観客席へ戻っていった。
﹁お疲れ﹂
﹁お疲れです﹂
ありがと、と言いつつ二人の近くに座る。
﹁次はメイだっけ﹂
﹁そーですよ。勝てばキツネは私と決勝になるですが⋮⋮﹂
不安げに口を閉じたメイに﹁どうした?﹂と問うた。
﹁何でもねーです。てか見た方がはえーですね。多分、決勝じゃ会
えねーと思います﹂
それだけ告げて彼女は準備のために控え室の方へ歩いていってし
まう。
彼女の言ったことはつまり、そういうことなのだろうか。
スズと寄り添って二回目の準決勝の時間を待った。
917
﹃開始の時間となりました。三〇秒のカウント後、勝負を始めます﹄
始まりが告げられる。そのギリギリの直前とも言っていいタイミ
ングで舞台に躍り出てきたメイの相手である人物へ目を凝らす。
着ぐるみ。
全然リアルでは無い、どう見てもマスコット的なファンシーなク
マの着ぐるみを着た誰かが立っていた。
すぐに勝負は始まる。
初めに動いたのはメイだ。指輪からミートと巨大な鳥を出し、空
中と地上で同時に突進をさせる。
着ぐるみは何も動かなかった。ただ立ち尽くしたまま顔面部分を
正面へ向けてピクリともしない。
しかし、二匹が衝突する直後。
着ぐるみの上方と前方に金属の盾が唐突に出現した。誰も持って
いないはずなのに浮いている。
二匹の攻撃をそれが防いだ。
追撃を繰り出すためにミートが︿レイジングクロー﹀を発動する。
爪を振り被り、しかし解き放つ瞬間にそれを後ろに放っていた。
いつの間にか背後に在った槍を弾く。
巨大な鳥の方にもどこからともなく現れた槍が降り注いでいたが
ギリギリと言った様子で避けていた。
着ぐるみは一歩も動いていない。
︱︱︿アローレイン﹀。
スキルの発動を感知。上を見れば、三つの弓がそれぞれに狙いを
定めて引き絞られていた。
メイ、ミート、巨大鳥。
撃たれた三つの矢が増殖する。まるで雨のようになったそれらが
圧倒的部数で一人と二匹を襲った。
ミートは自力でガードしたみたいだが、巨大鳥とメイは食らって
918
しまったみたいだ。
疑似HPが減少する。
﹃相変わらずじゃねーかです⋮⋮﹄
メイが指輪を翳し、すると二匹のモンスターが出現した。
︿レッドドラゴン﹀、そして︿デイドリームウォーリアー﹀。
レッドドラゴンが空中に跳び上がってブレスを放つ。それも盾で
防がれ、合い間を縫ってデイドリームウォーリアーが着ぐるみへ接
近していく。
それも新たに現れた二本の剣を相手に止まらざるを得なくなるが。
操り手がいないはずの剣がまるで生き物であるかのように素早く
蠢く。右から下から上から左から。使う人間がいない剣はつまりど
こをどう動くことも可能ということで、どんな方向からも刃を突き
出してくる二本を相手にデイドリームウォーリアーは苦戦をした。
ミートが剣を爪で無理矢理に壊すことで助けるが、その代わりに
隙を突いて突き出された最初に弾いた槍に貫かれる。
巨大鳥も弓を相手に為す術も無い状態だ。
これは。
﹁武具を操る能力⋮⋮?﹂
クロノのように複雑では無い。エドのように特殊では無い。
単純で、簡素で。けれど、だからこそ強力な能力なのだ。
﹃フ⋮⋮そろそろ終わりにしようか﹄
着ぐるみが初めて言葉を発する。控え目に取っても無理をして中
性的な声を出している声音だった。低い声を出そうとして失敗して
いるみたいだ。
919
低い声が出せない、ということは中身は女性だろうか。
着ぐるみ︱︱彼女が初めて動作を示す。
右腕を上げ、すると全ての武具が消滅した。
代わりに着ぐるみの周囲へ無数の武具が出現する。
右腕に全ての武具が収束していく。剣も槍も斧もハルバードも盾
も何もかも。
そうして出来上がったのは金属で包まれた巨大な鉄腕だ。
﹃さらばだ、︿主﹀﹄
鞭のように右腕を振るって使い魔達の疑似HPを容易に〇へと変
えていく。ミートだけは何とか耐えてメイの元まで戻ったが、それ
でも小さく無い傷を負い疑似HPも大幅に減っていた。
メイが余裕ぶってゆっくりと歩いてくる相手を見、舌打ちをする。
あま
﹃この厨二クソ尼がです⋮⋮﹄
︱︱︿ラストゲーム﹀。
翠色の光が手に灯り、それを指輪に翳した。注がれた光に指輪が
呼応して光る。
次の瞬間。
闘技場を埋め尽くすかのように大量のモンスター達が舞台上に出
現した。その全てが着ぐるみへと濃厚な殺意を向けている。
メイはミートに光を掛け、すると傷が即座に癒えていった。
﹃そちらも相変わらずじゃないか。このパーティはいつ見ても飽き
ないものだ。また増えたんじゃないか? ︿主﹀よ﹄
﹃てめーに負けてから次こそは勝とーって決意したんだよです。私
は強くなれねーし戦えねーですが、それでもこいつらは強くなって
くれる﹄
920
﹃他力本願かい? それは随分と傲慢な考えだな﹄
着ぐるみの言葉に全てのモンスター達がそれぞれに威嚇を発する。
先程よりも殺意も濃厚になっていた。
﹃昔からどーぶつに好かれるたちなんだよです。迂闊なこと抜かす
と火傷するぜです﹄
﹃みたいだな。よくその乱暴な喋り方で好かれることができるもの
だ﹄
肩を竦め、﹃さて﹄と着ぐるみが右腕を構える。
﹃︿主﹀の︿ラストゲーム﹀が切れる前に終わらせてやろうじゃな
いか﹄
余裕の発言。無数のモンスター達に囲まれながら自信満々に彼女
は言い放った。
メイが歯軋りをし、口を開けて叫ぶ。
﹃そーゆーのがムカつくんだよです!﹄
全モンスターが同時に着ぐるみへと襲い掛かった。
921
5−16:敗北と傷心のアスワンプリーズ
﹁なん、だ⋮⋮あれ⋮⋮﹂
無意識の内に声が漏れてしまっていた。だが、それも仕方が無い
ことだろう。
半球だ。
着ぐるみを囲むように半球型に無数の盾が出現し、全てのモンス
ター達の攻撃をシャットアウトしている。
誰一人として。誰一匹として。誰一体として。それを破ることは
できなかった。
︱︱︿エアサードアイ﹀。
﹃特別製だ。その程度で壊れるわけが無い﹄
ミートが︿レイジングクロー﹀を放つが、それさえも精々表面に
小さな傷を付ける程度だ。
やがて更に盾を囲むように無数の武器達が姿を現す。
剣。槍。矢。ハルバード。レイピア。細剣。大剣。短剣。刀。お
よそ﹃刺す﹄という動作が可能な武器達が徐々に数を増し、その切
っ先は全てメイへ向けられていた。
︱︱︿ライトニングスラスト﹀。
武器の全てに淡い光が灯り、かなりの速度で一斉に全てがメイへ
射出される。
邪魔になるモンスターは全員貫いた。壊そうとしてくるやつの攻
撃を撃ち砕いた。前進するために余計なものを全て穿ち、ただ一つ
の目標へと閃光のように駆ける。
︱︱︿獣王の咆哮﹀。
嵐よりも竜巻よりもキツイ威力が込められた暴風と衝撃がミート
922
の口から吐き出された。
少々速度が弱まり、短剣などのものに傷が付く。
しかし、やはり止めきれないと判断したのだろう。ミートは唐突
にメイを抱え、横へと思い切り投げ飛ばした。
彼女を違うモンスターが衝撃を殺す形で受け止める。
投げた隙を縫って無数の武器達がミートへ襲い掛かり、容易に疑
似HPゲージを真っ白に染めた。
﹃ミート!﹄
メイの叫びは届かない。舞台から強制的にシャットされ、ミート
がその場からいなくなる。
そして、悔しげに歯軋りした彼女の下へ一本の剣が突き刺さった。
メイの距離を確認して武器を出して放つには短すぎる時間だ。
それはつまり。
﹃止められた時のために一本取っておいてよかった、かな?﹄
ミートに守られた意味も無く。
メイは負けた。
モンスター達が姿を消し、歓声が闘技場を埋め尽くす。膝を付い
て拳を握り締めるメイとは対照的に
着ぐるみを着た女性は応えるかのように両腕を大きく広げた。
メイが無言で立ち上がり、静かに礼をして舞台を退場する。
﹃勝負が決まりました。︿主﹀VS︿最上﹀の準決勝は︿最上﹀の
勝利です。次は決勝戦の前に三位決定戦を行います。御出場なさる
方は時間までに舞台上へ集まって下さい﹄
アナウンスはあまり耳に入ってこなかった。
923
﹁⋮⋮悪い。ちょっとここで待っててくれ﹂
ウサギをスズに預け、駆け出す。
道を曲がり、石造りの内部を走り、メイの控え室の方まで。
何でこんなことをしているのだろう。あそこで待っていれば良か
ったのに。
いや。
自分がしたいと思ったのなら、きっとそれは正しいことなのだ。
﹁メイ﹂
﹁⋮⋮ノートじゃねーですか。どうしたんです﹂
座り込み、顔を腫らした彼女がこちらを見上げてくる。
バレないようにしているつもりなのか、いつも通りの表情を無理
に保とうとしているのが分かった。
﹁⋮⋮悔しいのか?﹂
口に付いて出たのはそんな言葉だ。何を言い出せば良いか整理し
ていなかったために、適当な言の葉になってしまっていたかもしれ
ない。
メイは小さく笑った。
﹁意外とエスじゃねーですか。分かってるくせに問い掛けやがるな
んて﹂
﹁⋮⋮悪い﹂
﹁一々謝るなです。私が余計惨めになるんだよです﹂
衝動的に来たために何も用意できていない。上手く言葉にならな
924
い思いを出そうとするも口に出そうとする度に空振りする。
そんな俺を見兼ねたのか、メイは言った。
﹁私は一ヶ月前と少し前、あいつに一度負けてるんだです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁当時は本当に悔しくて悔しくて。だから強くなりたいって。強く
なろうって決めて。それから﹂
溢れ出す語りは俺が抱くものと同じく言葉にならない、思いその
ままの言葉だ。
所々抜けていて、それでいて一番感情が籠っているそれ。
﹁ずっと努力してきたです。ミート達と一緒に次こそは勝てるよう
にって、ずっと﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁なのに、あんな⋮⋮﹂
必死に強くなって、自分は︿ラストゲーム﹀だって使って。それ
なのに相手に余裕を残したまま負けてしまった。
どれだけの悔しさが彼女にはあるのだろう。
また泣きだそうとする己を抑えるためか、メイは目元を拭う。こ
れ以上心配させたりしたくないとでも思ったのか彼女は無理矢理に
でも笑顔を作った。
﹁そんなことはどーでもいーですね。ノートは戻っていーですよ。
私はまだ三位決定戦に出ねーといけねーので﹂
もう、いい。
仮面を外してフードを取る。しっかりと気持ちが伝わるようにす
るために瞳を見据え、まだ纏まっていない気持ちをそのまま口に出
925
した。
﹁俺は勝つよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁メイが負けたあいつに勝って、それから優勝する。スズとだって
約束したんだ﹂
メイは苦笑を浮かべる。
﹁やっぱりノートはエスです。敗者にそんなこと言うなんて﹂
﹁別に嫌みってわけじゃない。代わりってわけでもない。思いを受
け継ぐってわけでもないんだ。それでもあいつに勝ちたいって感じ
る﹂
﹁私を傷付けられて憎しみ的な変な感情でも沸いてやがるんですか
?﹂
﹁そうかもしれないな。これはメイのためでも無くスズのためでも
無く、本当は自分のためなのかも⋮⋮﹂
﹁そんなの私は嬉しくねーです﹂
﹁それでも、だ﹂
怒ったように呟く彼女に言い返した。
﹁俺はメイを馬鹿にされたみたいで悔しいよ。森で一緒に戦って、
宿屋で一緒に語り合って、こんな俺やスズを受け入れてくれたメイ
を﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁勝ってもメイのためにはならないし、メイが嫌な気持ちになるだ
けかもしれない。だとしても今は勝ちたいって無性に思う﹂
個人の感情。メイが気にしなくても構わない俺だけの思い。
926
こんなもの嬉しくもなんともないかもしれない。いや、きっと迷
惑に決まってる。
それでもいい。
俺はこの世界で色々なことを知った。
大切な人が本質的に望んでいない結末になる選択は間違いだと。
俺がスズだけを残して世界を一度去ったのは間違いだったと。
たとえそれしか方法が無かったのだとしても。
これもそれと同じだった。メイが望まないことをしようとしてい
る。メイが苦しむことをしようとしているかもしれない。
でも。
俺はスズと約束した。俺は感情のままに動くということを覚えた。
スズに依存しなければ不完全なままだった俺は今、この世界に来
てから在り得ない速度で自我を確立しつつある。
産まれた時から自分に無かったそれが。
ならば新たに創られたそれに従うというもの当然とでも言うべき
ものだった。
俺にはまだ何かが欠けている。
だから、それを求めて。俺は俺であるべき俺自身を︱︱。
﹁⋮⋮相手はナンバーツーですよ。︿最強﹀に次ぐ実力者と言われ
る強力な相手です﹂
﹁それでも勝つよ﹂
﹁無理無謀に決まってやがります。︿アーススパイダー﹀に勝てな
かったノートじゃ絶対⋮⋮﹂
うじうじと言い続ける彼女。まるで新しい一面を覗いたみたいだ
った。
メイは俺を心配してくれていて。メイは相手の強さを誰よりも知
っていて。メイは本当は臆病で。
嬉しく思い、笑みを浮かべて彼女の頭に手を置いた。
927
ゆっくりと撫でていく。
﹁勝てないとか勝つとか、言い方が悪かったかな。俺の勝ちだよ。
あいつと勝負すれば俺の勝ち﹂
﹁⋮⋮なんか馬鹿みてーな言葉だなです。その方が言い方わりーで
すよ﹂
﹁俺の勝ちは決まってるんだよ﹂
言い切ってみせる俺にメイは小さく口を開いた。
﹁つえーですよ?﹂
﹁俺の方が強い﹂
彼女がやっと小さな笑いを、心からの嬉しさなどの感情を顔に浮
かべる。
﹁誤魔化された感じで、あと浸け込まれた感じです。傷心中にこー
ゆーことしてくるなんてノートは意地悪なやろーですね﹂
﹁悪かったよ﹂
﹁でも、ちょっとだけ嬉しいです﹂
そう言って彼女は立ち上がり、舞台の方へ歩いていってしまった。
表情に先程までの暗さはもう無い。
零れた笑み。
﹁さてさて、これでもう後には引けなくなったわけだが﹂
スズと約束してしまった。メイへ言い切ってしまった。
負けなど許されない。許されるわけが無い。
俺は勝つ。絶対に。
928
それが二人に報える唯一の方法だ。
929
5−17:最上と挑戦のファイナルラウンド︻?︼
あの後すぐに始まった三位決定戦ではメイがエドに勝利を収めた。
エドは一対一ならば無類の強さを発揮するようだが、複数の敵を
相手にすることは苦手のようだ。
次は決勝。つまり︿キツネ﹀と︿最上﹀の勝負。
二人に﹁行ってくる﹂と軽い挨拶だけを告げて左肩にウサギを乗
せ足を進めた。
観客席を出て、控え室を抜け、舞台の上へ。
対戦ごとに休憩時間などを挟んでいたりしたため、既に空は暗く
影も完全に力を解放できる状態にある。
対面に立つのはファンシーなクマの着ぐるみを着た女性だ。︿最
上﹀と謳われる上位階層ナンバーツー。スズを除外すれば実質的な
ナンバーワンとなる。
最前線を一人で生き残ってきたメイを︿ラストゲーム﹀ごと容易
に一蹴した相手の実力はどれほどのものか、未だ見当も付かない。
﹁やあ、こんばんわ﹂
︿最上﹀が声を掛けてくる。それに応えるために視線を向けた。
﹁今日はよろしくするよ﹂
手を出して握手を求めてくる。しばらくそれを見据え、小さく笑
みを浮かべて応えるために手を差し出した。
着用する着ぐるみの手の部分を押し潰すかのように影と︿スキル
コレクション﹀のスキル補正を収束させる。
相手は潰れる直前で手を素早く離した。
930
﹁悪いが仲良くする気は毛頭無いよ。自分じゃ分からないけど今の
俺は少々怒っているみたいでね。今すぐにでも跳びかかってしまい
そうだ﹂
明らかな挑発である。聞き、︿最上﹀は肩を竦めた。
﹁随分と好戦的なんだな。これまでの試合を見る限りではそんな風
では無かったはずだが﹂
﹁心境の変化ってやつさ。今の俺には負けられない理由みたいなも
のがある﹂
観客席の方を見上げて呟く俺へ相手は言う。
﹁君は勝てないよ﹂
負けずに言い返した。
﹁俺は負けないよ﹂
それからはそれぞれに準備に入った。俺は剣の具合を確認し、そ
れからウサギに水を上げて万全の状態へ変えたりする。
︿ポーション﹀などは役に立たないが︿瞬間無敵補強剤﹀は効果
があると聞いた。ポーチに入れ、準備が終わって心を落ち着かせた
頃に時間がやってくる。
三〇秒のカウントが始まった。
︿天宝の法剣﹀を引き抜く。
﹁ウサギ、いいか?﹂
小さく頷いて応える使い魔。カウントが始まると同時に︿レゾナ
931
ンスユニオン﹀を使用してウサギと融合をした。
瞳が青く染まり温度が見えるようになる。手の甲には魔法陣、頭
にはスライムの耳が生えた。
倒す。
足に影を溜め、爆発して一気に相手へと詰め寄った。
手始めと言った具合で剣を振り回すが突如現れた盾に防がれ火花
が散る。弾かれた勢いのまま一回転。遠心力を利用した二撃目を盾
へと放つがそれも防がれた。
嫌な予感がしたので横へステップを踏むと、先程居た場所へ槍が
降り注ぐ。あのまま居れば貫かれていたはずだ。
︱︱︿ポートライトアイ﹀。
︿ソウルイーター﹀の第六感だけでは限界がある。首の後ろと横
にそれぞれ目を作り全方向へ対応できるようにする。
背後から迫っていた斧を︿天宝の法剣﹀で弾き︿インストール﹀
を発動した。
口から︿ファンタジーオルガニズム﹀の通常攻撃を︿最上﹀へ撃
ち放つ。防がれることなど分かっていた。単なる時間稼ぎだ。
ブレスで作られた隙へ突っ込む。ウサギの力と影の爆発で合い間
を縫い、盾を抜けて本体へ。
刃を振り下ろすよりも先に相手の手の中に一瞬の内に一本の剣が
出現した。赤色に染まった刀身が印象的だった。
それにより剣撃がガードされるが、そんなものなど御構い無しに
︿スキルコレクション﹀で威力を底上げする。
﹁これは魔法武器と言ってね﹂
守りを破る直前、相手の剣から炎が溢れ出した。
未知の現象。スキルでは無い。
何かがあると︿ソウルイーター﹀の勘が告げていた。即座に攻撃
を止めて飛び退き、すると︿最上﹀の持つ剣の刀身が盛る業火を包
932
み始める。
﹁武器自体が特殊な効果を持つんだ﹂
相手が刃を振るった。刃に纏う業火を放った。
近付いてくる炎を︿ブルードラゴン﹀のブレスで相殺する。が、
それにより蒸気が発生する。白い煙で視界が悪くなった。
そこへ剣や槍が飛び込んできた。
何とか、と言った具合で防ぎつつ足へ力を込めた。このままでは
不利。スピード任せに蒸気から脱出し、攻撃を避けるために速度を
緩めず走り続けながら相手を見据えた。
﹁ふふ﹂
薄笑い。︿最上﹀が片手を上げると全ての武具が消え、彼女の腕
を取り巻くように無数の武器が現れていく。
メイとの勝負の時にも見たことのある光景だ。させない、という
気持ちを込めて足に力を入れて接近する。
フェイントだった。
武具は全て一瞬の内に俺へと切っ先を向けてくる。いきなりのこ
とに驚きを隠せ得ない。放たれたそれらを流石に全ていなし切るこ
とはできず、決勝での初めてのダメージを食らってしまった。
﹁僕の手の平で踊る気持ちはどうだい?﹂
﹁不愉快だ﹂
左腕へ︿インストール﹀、︿ファンタジーソルジャー﹀のそれを。
光を手の中に収束させる。︿スキルコレクション﹀も最大限のス
キル補正を掛けて補助に使った。
威力は無くていい。兎に角量を増やせ。
933
相手が武器を動かす直前の僅かな隙を狙って光を解き放った。
︿最上﹀への攻撃が目的では無い。これは目隠しだ。
舞台を覆い尽くすほどの量の光︱︱フラッシュにより目を閉じて
いたのに己も少々視程が悪くなる。威力を捨てて一つのことに集中
させた光は絶大な光量を誇り、観客に居た人々の視界さえ奪ってい
た。
武器が襲ってこない。相手は行動に虚を突かれたのだ。未だ完全
には目が戻っていなかったが、それでも隙を狙うために剣を握る手
に力を込める。
即座に相手の居る方向へ接近して剣を振り下ろした。が、感触は
鉄に弾かれるそれである。
二、三発と続けて繰り出したところで剣が襲ってきたので左腕を
元に戻しつつバックステップを踏んだ。見えていないのか狙いが適
当だった。
自らの目は殆ど元に戻っている。だから何が刃を防いだのか確認
することができた。
盾だ。︿最上﹀を完全に守る半円球型に盾が集結しており、四方
およ
八方からの攻撃を防ぐ形状をしている。
︱︱︿エアサードアイ﹀。
剣、槍、ハルバード、矢、大剣。凡そ刺すという動作が可能な武
具達が半円球を取り囲む形で出現し、全ての切っ先が俺へと向けら
れている。狂いは無い。視野はスキルで補っているらしい。
この状況もメイとの勝負で一度見ていた。だから何が来るのかは
分かる。
足元に影を集めた。
︱︱︿ライトニングスラスト﹀。
揃った無数の武器に淡い光が灯り、最初に一本の剣が閃光のよう
な速度で襲ってくる。
それを皮切りに他の全ても同じ速度で発射され始めた。
左目へ︿ライトゥルームーン﹀を不完全に具現化する。
934
︱︱︿ア・トゥルー﹀。
常時発動のアビリティにより左目に確率の高い可能性未来が映り
始めた。あくまで可能性未来。外れることもあり、しかしそこは︿
ソウルイーター﹀の第六感でカバーする。
無数の武器達を剣で逸らし、避け、最小限の動きで対処していっ
た。
当たらなかった武器が地面を抉る。
落ちてスキルの効果が切れた武具さえ再び浮いて俺の方へ襲い掛
かってくる。それらの対処も忘れるわけにはいかない。一度の油断
で全てが崩れ去る状況で一片も隙を見せること無く、ただただ集中
を切らさずにいなし続けた。
誘導。
スキルにより速度が上げられた武器の突進が終わる、という時に
一気に武器達が一斉に俺を囲んで避ける方向をあからさまに誘導し
てくる。
分かっていても誘導された方向へ避けるしかなく、そこには矢、
剣、槍がそれぞれ立て続けに迫ってきていた。未来予測。回避は不
可能だ。
本能。
︿ソウルイーター﹀としての感覚に従った。︿アーススパイダー
﹀の森林に行ってから強化され続けていると感じていたそれは、先
程の集中によりもっと強力になっているようだ。
焦りも。思考も。全てを無駄と切り捨て、最初に襲ってくる矢を
︿天宝の法剣﹀で弾いた。
合い間を縫って二本目の剣が自らへ迫る。剣は間に合わない。避
けるのも間に合わない。
だから。
左腕を限界まで伸ばし、既にすぐ傍まで近付いている剣を見据え
た。
突き出した腕のすぐ横を通過した瞬間、左腕を︿スキルコレクシ
935
ョン﹀と影の補助で無理矢理に剣の方向へ動かす。
あと何ミリ進んでいれば自らに直撃していたはずの剣の柄を掴み、
切っ先を逸らした。腕が後ろに持っていかれて体が反転する。
三本目。槍が背中へ近寄ってくる。
剣の柄を掴んだ勢いを殺さずに上半身を回転させた。地が邪魔だ。
下半身は浮かせ、背後に急迫していた槍を空中での回転斬りで弾き
返す。
態勢が悪かったために地面に倒れ込んだ。が、すぐに立ち上がっ
てその場を飛び退く。
﹁凄いね⋮⋮﹂
三本を弾く動作には一秒も掛かっていない。僅か数瞬の間に行わ
れた行為に素直な称賛を漏らす声が半円球から聞こえてきた。
936
5−17:最上と挑戦のファイナルラウンド︻?︼︵後書き︶
かつてこんなに楽しく勝負が書けたことがあっただろうか⋮⋮です。
いや、無いです。
︿最上﹀さんの能力が凄いメジャーで助かります。書き易いです。
937
5−18:最上と挑戦のファイナルラウンド︻?︼
左手で掴んでいた剣を投げ捨てた。もう必要無い。むしろ持って
いた方が重量のせいで邪魔になる。
立ち塞がる武具達を押し退けて盾で作られた半円球に近付いた。
表面を斬り付ける。ダメージは無い。これでは幾ら攻撃したとこ
ろで無駄だ。
影の補助を足して斬り付ける。傷は酷く浅い。何年斬り続ければ、
と言った具合のダメージ。
︿スキルコレクション﹀もプラスして叩き付けた。それでも一日
攻撃し続けて何とかと言った感じで。
足りない。
﹁ッ﹂
背後から襲ってきた斧を弾き、その後半円球から距離を取る。
常人ならばどうしようも無い状況だった。
ありとあらゆる攻勢は絶対的な防御とでも言うべき半円球によっ
て通らず、しかしあちらは構わず攻撃し続けることができる。
どれだけ耐えていようといずれ必ず詰んでしまう。それは俺も同
じだった。
だからこそ。
打ち破る必要があった。
ミートの︿レイジングクロー﹀を軽々しく耐えた半円球を。
大量のモンスター達の攻撃を一度に防いだ無数の盾を。
﹁︿スキルコレクション﹀﹂
右手に持つ︿天宝の法剣﹀へ最大のスキル補正を掛ける。影の補
938
助もだ。TPが回復すれば再びスキル補正を全開に掛け、それを繰
り返した。
何度も。そうしているとやがて刀身を真っ白な数字や記号が這い
始め、それがとてつもない威力を秘めているものだと悟る。
それでも足りなかった。
同時に襲い掛かってきた三本の剣を跳び上がって避ける。移動で
きない空中を狙って放たれた槍も、真下の剣を左手で取って弾き返
す。
今、右手は使えない。溜めている最中。あの防御を打ち破るには
もっともっと力が必要なのだ。
もっと。
︱︱︿インストール﹀。
具現化するのは部位では無い。力だ。それだけ。これまで取り込
んできたモンスターの力のみを具現化し、それをそのまま反映させ
る。
︿デザートオーガ﹀の怪力をこの腕に。
︿レッドドラゴン﹀の炎を刀身へ。
︿ブルードラゴン﹀の冷気を刃へと。
︿ファンタジーオルガニズム﹀の光を収束し。
もっと。もっと沢山。今の俺の限界まで。最大限の力を右腕と︿
天宝の法剣﹀に。
その間も剣や槍、斧や矢なども攻めかかってきていた。けれどそ
れからも注意を外さない。冷静に対処し、できるだけ右腕と剣へと
力を集中させていく。
そして出来上がった。現最大限の攻撃力が。
移動に影は使えない。︿スキルコレクション﹀も使えない。全て
は力を溜めるために使い尽くしているから。
ウサギの脚力で一気に半円球まで接近した。これまでほどの速さ
は無い。けれど武具達を突き離すには十分だ。
流石に俺が繰り出そうとしている剣撃はヤバいと判断したのか、
939
半円球ごと︿最上﹀が下がろうとしている。
だが、遅い。
全力を込めて右腕の剣を振り下ろした。一枚目の盾は軽々しく砕
かれる。しかし壊される一瞬の間に盾が全てその裏側へ収束され、
結果的に全ての盾が何枚も並ぶ形になっていく。
元々こうなるのは分かっていた。だからこそ。
右腕に更なる力を入れ、盾を打ち破ろうと全開に。一枚、また一
枚と砕かれていく自らの盾の姿に相手は余裕が隠せていない。
︿最上﹀が一度俺の剣を受け止めた魔法剣とやらに炎を纏わせる。
全てを壊す前に盾ごと焼き尽くすつもりだろうか。真っ白な炎︱︱
最大火力であろうそれを目視し、口の端を吊り上げた。
少しだけ楽しいと感じる。自らの感情。誰に動かされたのでは無
い、自分だけの意思で作られた気持ち。
ここで退くなんて勿体無い。
手の甲へ大量のMPを送った。呼応するように光り出す。青色の
スライムが溢れ出し、刀身を乱雑に包み込む。
盾の数は既に数枚と言ったところだった。
それらを一気に全て砕いてみせる。飛び散る火花、鉄の破片、衝
撃。
その時点で︿最上﹀は白い炎を帯びる魔法剣を振り下ろしていた。
まるで時間が引き延ばされたような感覚が俺を襲う。
振るわれる刃、炎。ゆっくりと確かに迫るそれ。かなりの威力が
込められていた。あれでは一気に疑似HPが削られてしまうはずだ。
当たれば、だが。
俺は剣を振り下ろした状態。相手は剣を振り下ろす状態。天と地
ほども態勢に差があるのにもかかわらず、俺は体を無理矢理に反転
させる。
自らの全力を込めた右腕、剣。それらに力はまだ大量に残ってい
た。盾を砕き切った程度では止まらない。
反転した勢いに乗って遠心力を発生させ、振るわれた直前の右腕
940
を振り回す感覚で動かしてみせる。痛い。かなりの負荷が右腕に掛
けられ、疑似HPが目に見えて現象しているであろうと分かった。
それでも。
一回転をし、︿最上﹀が刀身を俺へ当てるより先に︿天宝の法剣
﹀を慣性を保ったまま振り上げる。
甲高い音が闘技場全体に鳴り響いた。
炎が目の前に迫る。防がれたとしても相手は炎を飛ばすだけで勝
利をすることができた。多少生き残る時間を延ばしただけだ。既に
目の前に在る真っ白な炎は自らの死を伝えてくる。
それを防ぐ最も簡単な方法は一つ。
︱︱︿スキルコレクション﹀。
更なる力を︿天宝の法剣﹀へ付加し、︿最上﹀の魔法剣を粉砕し
た。剣により発生した効果のため、すぐ傍にまで接近していた白炎
も消え失せる。
明らかに驚愕している様子の︿最上﹀に攻撃を加えたいところだ
った。が、右腕は流石にこれ以上連続で動かすことなどできない。
ウサギの力とステータスのみの威力が込められた蹴りを相手へ放ち、
今勝負で初めてのダメージを相手に与えた。
何度も地面を転がってから︿最上﹀は立ち上がる。
﹁強いね⋮⋮準決勝までとは比べ物にならない強さだ。力を隠して
いたのかい?﹂
﹁違う。あの時も全力だったよ。ただ、今は勝ちたいっていう欲求
の強さがケタ違いだからかな。これまでと違っていくらでも力を引
き出せるような感じがするんだ﹂
会話中に背後から急迫してきていた槍を振り返り様の一撃で弾き
返した。
﹁本当に凄い。称賛に値するよ。僕が﹃敵わないかもしれない﹄っ
941
て感じたのは一体いつ以来だろう﹂
︿最上﹀が右腕を宙へ向け、すると大量の武具達がそれを取り巻
き始める。作られたのは巨大な鉄腕だ。メイの時にも見せていた武
具の塊。
鞭のように振り回されたそれを冷静に見据え、目を閉じて深呼吸
をした。
もう盾はあれだけで品切れなのか。︿最上﹀の周りには何も浮い
ていないし纏われていない。
そろそろ終わらせよう。
長期戦はおそらくこちらが不利になるはずだ。幾ら今の俺の調子
が酷く良く、これまでに無い力を発揮し続けていると言ってもそれ
は変えられない。
絶対にいずれレベル差が出てしまう。
これまでは全て後手に回っていたが、今は違う。これは決勝戦。
後のことを考える必要は無い。
武具の塊が自らに直撃する直前で呟いた。
﹁︿ラストゲーム﹀﹂
︱︱︿ア・ライ﹀。
武器が当たると同時に俺の視界が切り替わる。傍の目からは自ら
が大量の武具に呑みこまれている映像が映っていることだろうか。
そこに居るという現実は﹃嘘﹄になったのに。
今、自分がいる場所は︿最上﹀の背後だ。
剣を突き刺し、自らが攻撃を喰らって漸く︿最上﹀は俺が背後に
居ることに気付いた。
﹁なん⋮⋮﹂
942
アビリティ︿ア・ライ﹀。攻撃を受けたという事実を﹃嘘﹄へと
塗り変え、自らの肉体を近くの好きな場所へ転移させる。このアビ
リティは自動発動し、一分に一度限りでしか使用不可。尚、︿ディ
ズ・ライ﹀と並行して利用することはできない。
自らが使えるようになって理解できた効果を脳内で反芻した。一
分に一度。大会中に発動できる︿ラストゲーム﹀の制限は一分のた
めにもう使用することはできない。
だが、一撃を入れることができたのは大きかった。良いところに
入ったのか疑似HPはレッドゾーンへ突入している。
後一撃。
加えようとする直前で︿最上﹀は俺から距離を取った。武具だけ
で無く本体の身体能力も高いみたいだ。右腕の武装を解き、結構な
距離を一度のステップで跳んだ彼女が迷いも無くとある言葉を言い
放つ。
﹁︿ラストゲーム﹀﹂
943
5−19:最上と挑戦のファイナルラウンド︻?︼
言と共に発生した現象は圧巻の一言に尽きた。
瞬きの間に舞台の全てがありとあらゆる武具に埋め尽くされる。
全て。
地も宙も。
天を埋め尽くすほどに大量な武具達。剣や槍などの武器だけでは
無い。盾や鎧など様々なものが混ざっている。
人の手では決して扱えないようなものまで含まれていた。
︱︱︿ライトニングスラスト﹀。
万を超えているであろう武具達が一斉に光を帯び、切っ先を俺と
いう一存在へ向けてくる。
全方位からの攻勢。かわすことが絶対に不可能であろうそれ。
冷静に見据えていた。
避ける必要は無い。
防ぐ必要も無い。
﹁行け﹂
︿最上﹀の合図と共に襲い掛かってくる大量の武具。その物量で
視界を遮断してしまうほどの。
けれど。俺には全てが酷く弱々しいものに見えていた。
この程度。
これくらい。
︿ライトゥルームーン﹀の︿レーザー﹀に比べれば、何と小さき
ものか。
︱︱︿ディズ・トゥルー﹀。
まったくと言って良いほど同時に四方八方以上の方向から迫りく
る武器を目視し、ほぼ完全な可能性未来を予測することのできる︿
944
ア・トゥルー﹀で先の軌道を観た。
それに合わせ、理想の動きを脳内で刻んでいく。
未来予測から導き出される理想の行動。世界で最も最善と呼ぶべ
き行動を生み出す式。
描いた理想軌道をこの身で再現をした。
﹁流石﹂
相手の称賛が聞こえてくる。が、この程度、︿ラストゲーム﹀に
よりこれまで取り込んできたモンスターの力を最大限に利用できる
俺にとっては造作も無いことだった。
弾いた武具を違う武具に当て、更にそれを違う武具に衝突して軌
道を逸らすように。
そんなことを何百回と連続で行ってみせた。一つの武器をあしら
うだけで他の武器も勝手に相殺。労力は普通に全部を弾くより格段
に小さくなる。
それでも全方位からの攻撃に一気に対応できるスピードが無けれ
ば無理なのだが、それならば︿ディズ・トゥルー﹀で再現すること
が可能だ。
死角は無い。
﹁これならどうかな﹂
言い、︿最上﹀が出したのは巨大な槍だった。
︿ライトゥルームーン﹀の大きさを越えるであろう長さを誇る槍
が天空に中座している。
舞台だけで無くこの︿天空闘技場﹀の一発で破壊できると錯覚さ
せるほどの巨大さだ。あれを︿ライトニングスラスト﹀のスピード
で放たれれば流石に受け止めるのは難し︱︱。
ああでも、観客席が壊れたりしたら困る、と思考する。︿天空闘
945
技場﹀ならスンがシステムで保護してくれるとは思うが、それでも
もしかしたらということがあるかもしれない。
適当にあしらうつもりだったが仕方が無い。
︱︱︿ライトニングスラスト﹀。
猛スピードで空から巨大槍が落ちてくる。観客席から悲鳴も聞こ
えてきた。あの大きさのものが急接近してくるなど、最早隕石か何
かにしか見えなかった。
隕石。
俺とスズは月を壊した。
だからこの程度、俺一人でも破壊できる。
︱︱︿スターダスト﹀。
両手を重ね、そのまま上空へと突き出した。光が収束していく。
濁りに濁った、最早光と読んでも良いか疑わしいと感じるほどの邪
悪なそれだ。
影を纏わせ、炎を帯びさせ、冷気に包ませ。
最後に︿スキルコレクション﹀を二〇倍に掛けた。
究極とでも言うべき威力の込められた光線が巨大槍へと撃ち放た
れる。
拮抗なんてする暇も無く槍は消し炭と化した。
﹁時間稼ぎに付き合ってくれてありがとう﹂
声。上を向いて注意を怠っていた︿最上﹀の方へ改めて目を向け
コード
れば、その手に異様としか呼べない剣を一本携えている。
金色の刀身、それに常に纏われる真っ白な数値と記号。
聖剣、魔剣。いや、まるで神を殺すかのような威圧感を発するソ
レを構えた彼女を見、目を鋭く細めた。
あれは。
﹁︿ゴッドマーダーソード﹀﹂
946
彼女が剣の名と思わしきものを呟くと同時、手に持つそれを包む
コードが大きく光り出す。
笑みを浮かべ、︿天宝の法剣﹀へ三〇倍のスキル補正を掛けた。
数値と記号が刀身に帯び始める。
互いに一歩踏み出し。
次の瞬間には互いの体がすぐ傍にまで迫っていた。
振り下ろされる剣に応え、自らも刃を振り上げる。
鳴り響いたのは天を轟かす金属の轟音だ。衝突により発生した衝
撃波で地が抉れ、俺達二人を中心に地面が無くなった。
気にせず二撃目を繰り出してくる︿最上﹀。俺の︿スキルコレク
ション﹀は一度攻撃をすれば切れてしまう。先程の自らの一撃を受
け止めてみせた威力を誇るそれを防げるはずも無く食らってしまっ
た。
疑似HPが真っ白に染まる。
︱︱︿ディズ・ライ﹀。
当然、受けたのなんてわざとだ。本当なら楽に避けることができ
ていた。
斬られたという事実が﹃嘘﹄に塗り替えられ、真っ白にまで減少
していた疑似HPゲージが数秒前の元のものに一瞬で元に戻る。
そして︿天宝の法剣﹀へ真っ白なコードが這った。それはスキル
補正によるものでは無く︿最上﹀の持つ剣とまったく同じもの。
︿ディズ・ライ﹀は攻撃を受けた過去を﹃嘘﹄へと塗り替え、無
かったこととした過去の力をその身に宿すスキルである。過去の力
を宿している間は︿ディズ・ライ﹀と︿ア・ライ﹀を使用すること
は不可能であり、及び攻撃を受けると同時にスキル発動をしなけれ
ばならないため使用自体が余程の反射神経が無ければ困難となる。
更に大量のMPも消費することとなるため燃費が悪い。
スキルの効果を見直した。
俺には大量のモンスター達のMPとTPがある。俺には未来を観
947
るアビリティがある。
不利な条件などあってないようなものだった。
復活した俺に驚愕したようだが︿最上﹀は隙を見せない。慌てず
に放つ三撃目で俺の繰り出した不意を突く一撃を受け止め、しかし
相手は剣撃を弾かれた。
驚くことは無い。弾くことができたのはどうってことの無い理由
だ。
反映した︿最上﹀の剣の力に加え、自らが︿スキルコレクション
﹀を一〇倍に掛けただけのこと。
この隙を逃すわけにはいかなかった。
後ろから無数の武具達が迫っているのが分かる。少しでも下がれ
ば刺されてしまう。退くことなどできない。
︿ディズ・ライ﹀は万能では無いのだ。︿ア・ライ﹀とは違い︿
ディズ・ライ﹀は転移ができず、その場に留まっていなければなら
ない。
復活するべき場所に武器達が突っ込んで来ていては、過去の力を
宿したまま︿ディズ・ライ﹀も︿ア・ライ﹀も使えない状況に置か
れることになってしまう。
そういう未来が観えていた。だから。
︱︱︿ディズ・トゥルー﹀。
返す刃で︿最上﹀の体へ刀身を走らせる。既に残り数ミリほどの
距離に武器達は迫っていた。後戻りはできない。
どちらが速いのか。勝負を決めるのはただそれだけ。
﹁︱︱︱︱﹂
観えて。観える。俺には観えていた。
相手の武具の方が僅かに速い。一本の剣が突き刺さり、そして自
らが負けてしまう未来が観える。
こういう一瞬を覆すのはいつだって︱︱。
948
︱︱︿インストール﹀。
先に届いた︿最上﹀の剣の切っ先が体を透けていった。
淡い紫色の鎧を纏った己の肉体を。
︿ファントムナイト﹀の力を宿した身体を。
間に合うかどうかは分からない。〇.〇一秒。いや、それ以下。
もうすぐ傍に二本目の剣が迫っているのだから。
流石にそれを受ければ鎧は発動を維持できなくなるはずだった。
急に変えた未来を観ることなどできない。
だから願う。
勝てるように。
そして。
先に︿最上﹀へと︿天宝の法剣﹀の刃が届くのを俺は見た。
観客からは結果が大量の武具で埋め尽くされて視認できなかった
はずだけど。
それでも。
﹃勝負が決まりました。︿キツネ﹀VS︿最上﹀の決勝は︿キツネ
﹀の勝利です﹄
告げられるアナウンスが自らの勝利を宣言してくれた。
949
5−19:最上と挑戦のファイナルラウンド︻?︼︵後書き︶
最後凄く微妙ですみません。
次が今章の最終話︱︱︱︱とはならないんですよね⋮⋮。
続きもどうかよろしくお願いします。
950
5−20:罪悪と逃亡のビトレイアル︻?︼
﹁負けたよ、完敗だ︿キツネ﹀くん﹂
互いに礼をし、勝利を収めた俺は観客席へと戻っていく。
一〇分後に参加賞、それから入賞者への特別なアイテムの授与が
行われるらしい。
﹁にぃに、おめでとう﹂
﹁よくやったです﹂
二人に出迎えられつつ近くに腰を掛けた。
﹁ありがとう﹂
笑顔を浮かべてそう返す。戦っている間にも応援は耳に届いてき
ていて、だから心からの感謝を言葉に込めた。
二人もどことなく嬉しそうにはにかんでくれる。
幸せだった。
一つの大きなことを成し遂げて、それを皆で共有できて。
これまでにこんな気持ちを味わったことは一度も無かった。
いつも俺が真剣になるのはスズのための時ばかりで、それも二人
でしか喜びを分かち合えなくて。
それでもよかった。けれど。
あの時より、今の方が幸せに感じている。
スズはどうなのだろう。
分からない。でも。
スズも同じ気持ちになってくれていればいいな、と。
そう思う。
951
﹁︱︱︱︱﹂
この時、俺は完全に油断していて気付かなかった。
余韻に浸り過ぎていたのだ。警戒心を怠っていた。自らの正体を
忘れていた。
あんなに沢山の可能性を示してしまったのに。
だから。
◆◇◆◇◆◇
表彰は随分と簡単に簡潔に、簡素に行われた。
スンが演技っぽくそれっぽい口上を述べ、それぞれのアイテムボ
ックスに景品を贈って終了。
優勝賞品は︿コードトレース﹀というアイテムだった。効果は﹃
他人のプログラムコードプレイヤーシステムを自らに投影し、能力
を反映させる﹄というもの。制限時間は一〇分、しかも一回限りと
いう使い所に困るものだ。
このアイテムのことはしばらく忘れておいても構わないだろう。
少しの間︿天空闘技場﹀で待機し、人が大分いなくなったのを見
計らって三人で︿時計塔の街﹀に降りた。
空には綺麗な満月が浮かんでおり、今の時間が当に夜中であるこ
とを知らせてくれる。
﹁最後の試合、凄かったじゃねーですか。ちょっと熱くなったぜで
す﹂
952
宿に戻る途中、メイが唐突に口を開いて言った。
その言葉にスズがこくこくと首を立てに振り肯定を示す。
﹁いやでも、スズの方が圧倒的に速いと思うよ﹂
﹁速いとか速くねーとか関係ねーですよ。ってか速すぎると見えね
ーんであれくらいが丁度良かったです﹂
﹁︿理想軌道﹀には﹃軌道を理想する﹄というロスタイムが存在し、
それに沿ってでしか移動することができない。移動中に変えること
もできるけど、相手の動作から一瞬で軌道を変えるなんてことは難
しい。だからにぃには凄い﹂
スズの説明にメイが﹁へー﹂と興味有り気な声音で相槌を打った。
﹁リンみてーな︿最強﹀なんて呼ばれるやつにも弱点ってもんはあ
るんだなーです﹂
﹁当然。メイだって本体を狙われるのは苦手。にぃには⋮⋮﹂
言い淀んだ。そういえば自分の能力を具体的に説明したことは無
かったか、と口を開いた。
﹁俺が持ってるのは︿オーバーライド﹀。モンスターを取り込んで、
その力を自分に反映させる能力だよ﹂
これの御蔭で俺はここまでやってこれたと言っても過言では無い
︱︱というより事実だ。
自分本来の力では無いけれど、色々な足り得る力をこの身に取り
込んで。
スズの居る場所に辿り着いた。
きっとこの力で無ければどこかで誤差が生じていたりして死んで
953
しまっていたかもしれない。この力で無ければ短期間でここまで来
ることはできなかったかもしれない。
だからこの力で良かった、と思っている。
﹁⋮⋮にぃには反映した能力で変わる﹂
﹁そーですね。モンスターによって弱点が︱︱﹂
︱︱飛んできた矢を引き抜いた剣で弾き飛ばし、二人を脇に抱え
てその場を跳び退いた。
直後、無数の矢が元居た場所へと降り注ぐ。土を穿つ音が鳴り響
き、沢山の矢が突き刺さった地面が出来上がった。
﹁ノート!﹂
慌てたのか、そう叫んでメイが俺を脇から見上げる。
言ってしまってから、まずい、という風に口を閉じた。が、もう
遅い。
﹁やはり、君が︿人狩り﹀だったか﹂
建物の上からの声。見上げれば、一人の男が弓を構えてこちらを
見下ろしていた。
路地からも沢山のプレイヤー達が現れる。
﹁これは⋮⋮﹂
﹁派手に暴れ過ぎた、ってことだよ。メイ﹂
どうして狙われることを視野に入れておかなかった、と心の中で
自分に毒づいた。
沢山の可能性を示してしまったはずだ。
954
ウサギ、能力、︿スターダスト﹀。その他にも色々あったかもし
れない。気付かないはずがなかった。だって俺は、人の名を冠する
化け物だから。
認識が甘かった。油断し過ぎていた。
そのせいで二人も巻き込んで。
二人を下ろしつつ︿天宝の法剣﹀を改めて構える。
﹁そちらの二人は御仲間かな? ⋮⋮殺人鬼に加担するプレイヤー
の一人が、上位階層の、それもナンバースリーの︿主﹀とは⋮⋮﹂
失望した、とでも言う風に弓をいつでも撃てる態勢で彼が語った。
ああ、これは。
歯を食いしばった。
﹁⋮⋮逃げるぞ﹂
俺のせい。そう思考し、しかし振り払って二人に告げる。
今は気にしても仕方が無い。
スズ、メイという順に頷いた。
一歩踏み出し。
瞬間、大量の魔法と矢が降り注いできた。
﹁ミート﹂
メイが呼ぶと指輪が輝き、そこから︿百獣ノ王﹀であるミートが
飛び出す。
︱︱︿獣王の咆哮﹀。
吹き荒れる暴風が全ての矢と魔法をかき消し、その合間を縫って
三人で走り出した。
今度は前衛であろう人々が急迫してくる。
955
﹁メイ、スズ! 跳べ!﹂
叫び、︿スキルコレクション﹀を発動した。
全TPを右足に。
トン、と下ろす。すると突いた場所を中心に衝撃が広がり、足場
が不安定になったことによりプレイヤー達が次々に転んでいった。
俺は影の爆発、スズは︿理想軌道﹀、メイはミートに乗ってそれ
ぞれ包囲網を抜ける。
それでも相手は上位階層。簡単に負けるはずが無く、気配を感じ
て上を見上げれば剣を上段に構えた少女が落ちてくるのが見えた。
剣を振り上げ応戦しようとした直後、その姿がかき消える。
﹁ガァ!﹂
ミートの言葉。モンスターの力を携える俺には僅かに理解でき、
故にすぐ剣を背後へと振り回した。
刀身が先程上空に居たプレイヤーに衝突し、突き飛ばす。
﹁瞬間移動する能力か⋮⋮﹂
呟きつつ疾走を再開した。止まれば止まるだけ追いつかれる。逃
げ続けるしか無い。
﹁にぃに﹂
スズが前を見据え、名を呼んだ。同じように前方へ目を凝らして
みると、後方で追いかけてきているであろうプレイヤー達と同じ数
ほどの人が待機していた。
準備万端か、と舌打ちを吐きつつ路地に入り込む。
956
真っ暗闇だ。影を操る力を保持する俺には完全な闇も見ることが
可能だが、二人はどうだろう。
スズは平気そうだ。しかしそれは当然と言える、とすぐに考え直
す。彼女は四ヶ月ずっと寝ずに戦い続けてきた。真っ暗闇など慣れ
ているはずだった。
メイの方も大丈夫らしい。メイ自体は目が見えていないが、あち
らにはミートがいる。一応ライオンも猫科だ。夜目が効いている。
﹁逃がさないよ、っと﹂
見知らぬ声と共に足元が覚束なくなった。やがて足が浮き、体が
上空へと落ちていく。
重力を操る能力。
即座に大雑把な能力を予測し、槍を構えた少年が屋上に居るのを
見つける。
重力を操れるならば俺の移動する軌道を操れるはずで、だから避
けようが無い。
なら避けない。弾きもしない。
槍に辿り着く直前で刃を振り回し、少年が立っている足元の部分
を砕き取った。
態勢を崩した相手を剣を裂き、能力が解けたことにより体が下に
落ちていく。
﹁殺したです?﹂
﹁してないよ﹂
メイの問いに応え、三人と一匹で再び走り出した。
957
5−21:罪悪と逃亡のビトレイアル︻?︼
人を殺すことが悪ならば、人を助けることは善なのか。
殺した者が悪に属する者だった時、果たしてそれは悪だと言える
のか。
助けた者が悪に属する者だった時、果たしてそれは善だと呼べる
のか。
殺さなければ自らが死んでしまう極限状態だったとして。
助けなければ自らも助からない限界状態だったとして。
悪だと知らずに助けたのだとして。
悪だと勘違いをして殺したのだとして。
世間はどう判断するだろう。
俺にはよく分からない。その状況によるかもしれないし、第三者
から見れば悪に加担する行為を見せただけでその者は悪かもしれな
い。
けれど。
当然の悪、というものもある。
殺した者が善に属する者だった時。
殺さなくても良かったのに殺人を侵した時。
助けることもできたのに見捨ててしまった時。
決して許されざる悪だと知って助けた時。
善だと知って見捨てた時。
俺はその、当然の悪を侵したのだ。
殺さなくても良い者を沢山殺し。
善に属する者を殺し。
許されざる悪を助け。
そうだ。
禁忌を侵した。
それは決して許されないもののはずで、だから受け入れられる資
958
格なんて無くて。
殺したことに後悔は無い。その御蔭でここまで辿り着いた。色々
なものを救うことができた。
けれど罪が消えるわけでは無い。
俺は。
非難されることを望んでいたのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇
路地を抜け大通りに出ると、今度は二人のプレイヤーが待ち伏せ
ていたかのように襲い掛かってきた。
片方は槍を突き出し、もう片方は相方を潰された瞬間を狙って攻
撃するためか待機をしている。
仮にも上位階層一位にまで成り上がった俺にその程度の戦略が通
じるはずも無く、口から︿ファンタジーオルガニズム﹀の通常攻撃
をぶっ放して突っ切った。
最初の頃ならばあれだけでも十分に脅威だったはずなのに今はも
うこの程度。
成長していると考えると同時に、これの半分が人殺しによって手
に入れた力なのだと考えると暗い気持ちになってくる。
後悔は無い。けれど。
二人を見た。メイとスズ。
俺が侵した悪に二人に巻き込ませても良いのだろうか。
﹁無駄だよ、逃げられない﹂
959
前方からの声。思考を切り離して前を見れば、最初に俺達に弓を
放ってきていた男が大勢のプレイヤーを後ろに従えて睨んできてい
た。
後方からも音がする。︿ポートライトアイ﹀によって首の後ろに
目を作り、囲まれたのだと把握した。
﹁僕の能力は︽現状把握︾。詳しく教えるつもりは毛頭無いが、こ
の街に居る間は決して逃げられないと思ってくれて構わないよ﹂
﹁誰にも捉えられない速度で逃げるのならどうだろうな﹂
﹁それも無駄さ。︽結界生成︾という能力を持つ仲間が居る。逃亡
は不可能だ﹂
どうする、と自らに問い掛ける。
おそらく逃げ切ることは難しいだろう。いくら上位階層のナンバ
ーツーと謳われる︿最上﹀を倒したと言っても、他人の能力に逆ら
えるわけでは無い。
相手の言う逃亡不可能の能力。もしそれがシステム的に絶対の力
だった場合、逃げることは確実に不可。どうすることもできないは
ずだ。
隠れるか? いや、それも︽現状把握︾などという能力で見破ら
れる可能性が高い。
問い掛けは続く。迷いを感じている自らの状態はは最も隙のある
状況だったはずなのに、相手側は攻撃してこない。
抵抗の意思を見せていないからか、それとも他の理由があるのか。
﹁ノートは⋮⋮﹂
何もできずに立ち尽くす俺を押し退け、ミートから降りたメイが
一歩踏み出した。
960
﹁ノートは悪いやつじゃねーです﹂
一言。されど一言。
人の名は余程のことをした者にしか付かない特別な意味を持つ二
つ名だという。それを対象に悪い奴では無いと言い切ることは一言
でも本当に異様で、異常で。きっと誰もが認め難い言の葉。
そしてそれは、自らが︿人狩り﹀に加担する者だと相手側に確信
を持たせてしまう行為だ。
﹁⋮⋮メイ﹂
止めるかのように小さく名を呼ぶが、彼女は首を振る。このまま
続けさせてほしいと首を振る。
無駄に決まっているのに。
言葉で何もかもがどうにかなるのなら、プレイヤーキラーなんて
くくりはいらない。
それも人の名を冠する者を対象にどうにかなるはずが無い。
そんなのメイも分かっているはずなのに。
﹁ノートは⋮⋮︿人狩り﹀は悪いやつじゃねーです。接して分かっ
たです。本当はとても良い奴なんだよです﹂
﹁洗脳でもされたかと疑ってしまうほどの妄信ぶりだ。君はつい最
近までこちら側の人間だったはずだろう? この短期間に何があっ
たかは知らないが、その程度の時間で築き上げ曝された物々は一部
でしか無いのは明確だ。君は︿人狩り﹀の本質を未だ理解している
はずも無く、故にそれは信用に値することの無い言葉だ﹂
﹁時間なんて関係ねーですよ。たった数日でも分かったんです。こ
いつは何の理由も無く殺人を侵す人間じゃねーって﹂
﹁理由があれば殺して良いなんてことは無い。そもそも︿人狩り﹀
は化ケ物として多くのプレイヤー達へと恐怖を刻み込んだプレイヤ
961
ーキラーだ。殺戮を行われた経歴がある以上、その言葉は矛盾して
いる﹂
正論を重ねに重ねられ、メイが口を噤んだ。
彼女が俺のことをよく知らないのは覆しようの無い事実だ。俺の
行った殺戮をウサギを通してしか知らず、それでいて本人が自らと
過ごした時間も大したことが無い。一面しか見ていないというのも
本当である。
俺の罪を完全に理解し、共に背負い、それでいて全てを受け入れ
てくれる存在は︱︱。
﹁さて、こちらはどのような言を投げかけられようが退く気は無い
のだが? そちらはどうかな。投降する気はあるか?﹂
問い。いや、最終確認か。最後の通達、とでも言う風に囲んでい
るプレイヤー達が全員完全な戦闘態勢を整え始めた。
確認に答えた瞬間に全てが分岐するのだろう。たった二つの選択。
容易に想像可能な未来。
その二つに。
その二つのどちらかに、スズとメイの両方が︱︱俺と二人が全員
幸せでいれるものはあるのだろうか。
無い。あるはずが無い。
﹁⋮⋮またか﹂
これはあの時のものと同じ選択だ。この世界がデスゲームになっ
てしまった直後の頃。俺がスズとフーを生かして自殺したあの時と。
共に死ぬか、二人を生かすか。自らが死ぬことで二人を救ったと、
救ったと勘違いをしたあの時。
また一人で勝手に選んで進むのは単なる愚直であると今は理解し
962
ている。
二人に言って、それから道を選ぶ。それが正しい。
けれど。
おそらく二人は、必ず俺に手を貸してくれる。
俺が勝手にどちらかを選んだとしても絶対に手伝ってくれる。投
降を選んだなら一緒に来てくれるだろうし、戦うことを選んだなら
一緒に戦ってくれる。
スズは絶対に。メイだって。
﹁⋮⋮まったく﹂
左目に︿ライトゥルームーン﹀の力を宿す。周囲が警戒したよう
だが、何もしていないからか何もしてこない。
この瞳に、幸せな未来を幻視できていれば良かったのに。
けれどそれは無い。これは直前の情報から可能性未来を割り出す、
単なる数値的な結果によるもの。自らがこれから行わなければなら
ない選択は予測できず、完全に未知のものである。
選択により創られる未来。全てを決する絶対の決断。
俺は︱︱。
﹁⋮⋮なぁ、メイ﹂
小さく呟いた自分に、彼女は﹁なんです?﹂と訊いてくる。
﹁もし全員が幸せで進める未来があるなら、どうする?﹂
﹁勿論それを選ぶに決まってやがります﹂
﹁スズは?﹂
﹁当然。最善を選ばない理由は無い﹂
当たり前のことか、と苦笑しつつ次の問いを投げた。
963
﹁それに失敗をしてしまえば全てを失うことになるとしたら?﹂
﹁さっきから何言ってんのかわけわかんねーですが⋮⋮最善がある
ならそれを選ぶのはとーぜんです。危険なんて気合でぶっとばしゃ
あいいんですよ﹂
﹁私もそれでも進む。何かを手に入れるのにリスクは付き物。だか
ら全てを手に入れる可能性があるのなら全てを捨てる可能性もある
のは必然﹂
この世界で成長し、経験し、そうして出来上がった価値観から二
人は言う。
何かを手に入れるには何かを捨てる覚悟が必要であり必然。
確かにそうかもしれない。今この時がそれだ。
ああ。そうだ。
あの時とは違うものがあった。
何かを必ず失わなければならなかったあの頃とは。
﹁⋮⋮そか﹂
今は可能性がある。
皆が助かる可能性。皆が救われる可能性。皆が幸せでいれる可能
性。
絶望しか無かったはずのものとは違い、今は僅かな確率で占めら
れた希望がある。
選ばない道理は無い。
それが。
それが例え、皆を裏切ることになろうとも。
﹁⋮⋮メイ、投降を受け入れてくれ﹂
964
肩を竦めて口に出した。メイはしばらく自分を見据え、その後に
﹁いいんです?﹂と訊いてくる。
﹁構わない。二人は?﹂
﹁⋮⋮別にいーですよ、ノートのためなら﹂
﹁平気﹂
三人でそう話し合い、メイが代表して一歩前に進み出た。
周りが警戒するのを眺めつつ、俺は手に持つ剣を振り上げ。
﹁私達は投降を︱︱﹂
メイの背中へそれを突き刺した。
口の端を吊り上げ、嗤うように意識して。
965
5−22:贖罪と幸福のワーフェア︻?︼︵前書き︶
ひどく⋮⋮滅茶苦茶です⋮⋮。
966
5−22:贖罪と幸福のワーフェア︻?︼
振り返った彼女が目を見開き、わなわなと口を震わせる。
﹁ノー、ト⋮⋮?﹂
﹁悪いな、メイ﹂
呟き、刃を引き抜いた。血飛沫が宙を舞い、それに呼応するよう
にミートがメイへ駆け込んでいく。
﹁使えない。一人で突っ込んでくれていればまだ使い所があったと
いうのに﹂
ああ。もしかすれば。あいつも。
名無しもこんな気持ちだったのかな。
少しだけくだらないことに思考を割きつつ、心にも無い言葉を紡
いだ。
﹁やはり単なる人間には化ケ物の付き人は無理だったか。洗脳のス
キルも解けてしまったようだし、もう必要無い﹂
﹁⋮⋮それが本性か? ︿人狩り﹀﹂
﹁さてさてどうだろう。ただ作っているだけかもしれないし、ただ
演技をしているだけかもしれないし、本当にもしかすれば本音であ
り本性かもしれないね﹂
﹁戯言を﹂
男が右腕を上げ、すると一部のプレイヤー達が弓を構え出す。
目を細め、影を足に溜めて空へと跳び上がった。
屋根の上に着地し、そのまま走っていく。途中で矢が飛んできた
967
矢は全て不完全な︿ア・トゥルー﹀による未来予測により軌道を計
算して打ち落とし、ただ逃げるために足を動かし続けた。
﹁にぃに!﹂
後方から追いかけてくる屋根を跳んで追いかけてくる足音と、そ
れから声。
聞き慣れたそれへと走りながら振り返り、口を開く。
﹁俺は望んで人を殺したよ。沢山、それこそ人の名を冠するくらい
に﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁愚妹には分からないだろうな。だが事実には変わりない。付いて
くるな。もう用済みだ﹂
それだけ言って影をより集め、より大きく跳躍して建物の上を駆
けた。
振り返らず。何度も。何度も。
後ろからの気配はとっくに消え、いつの間にか街を囲む壁まで辿
り着いていた。
それを全力で跳んで飛び越え、街の外に飛び出す。
︱︱︿フォレスタイル﹀。
スキルの発動を感知したが気にせず足を動かし続けた。
﹁⋮⋮悪いな、ウサギ。付き合わせて﹂
構わない、という風に左肩に乗っていた使い魔が跳ねる。
自らの意志を分かってくれているようなスライムに苦笑をし、そ
してゆっくりと進む速度を落としていった。
次第に普通に走る速さになり、ランニング程度の速さになり、歩
968
く程度のスピードになり。
止まる。
そこは既に砂漠の真ん中だった。周囲に障害物もモンスターもい
ない。静かな夜の砂漠。
満月が美しく輝いていた。
﹁⋮⋮まったく﹂
ライトゥルームーン
左目に刻まれた文様が呼応して光り出す。月に共鳴でもしている
のだろうか。どちらにせよ、左目から映るその景色はとても美しく
て形容し難いものだった。
綺麗だ、と思う。実に綺麗で、それでいて。
これから起こる出来事を祝福し、歓迎しているような。
目を閉じて深呼吸をする。砂が入って心地の良いものでは無かっ
た。それでも落ち着きを与えてくれる。
だから胸に手を当て、もう一度。
﹁逃げても無駄だよ、︿人狩り﹀﹂
数秒後、目を開くと、目の前には街で見た時と同じように無数の
プレイヤー達がこちらを睨んで足を地に付けていた。
あの時よりも少し多いかもしれない。
ここまでこんなに速く来れたのは途中で感知したスキルによるも
のだろう。誰かしらの能力で自分が逃げられない状態にあるという
ことは先の話から窺えていたので別段驚くことは無かった。
﹁逃げてたわけじゃないさ。場所を変えたんだ。あんな小さな街じ
ゃ、潰しかねないからな﹂
嗤い、ほざく。冗談では無いと︿最上﹀の勝負を見ていたプレイ
969
ヤー達は分かっている。故に身構え、より俺を警戒した。
﹁街のことを心配したのか? プレイヤーキラーならそんなことは
気にしないと思っていたのだが﹂
﹁居心地の良い場所を一々潰すのは勿体無い。休むところが減るの
は嫌なだけさ﹂
それっぽい事柄を並べ、なるほどという風に相手が頷いてくれる
のを確認して安堵の息を漏らす。
相手側は俺の話を完全に信じてくれていた。それは随分と都合の
良いもので、これからのことの保険にもなって。
﹁︿レゾナンスユニオン﹀﹂
ウサギと融合し、力を上げる。その合間を縫って放たれた一本の
矢を軽く掴んで地面へと投げ捨てた。
﹁一人で僕達に勝てるとでも思っているのかい、︿人狩り﹀。仲間
を見捨てた代価が早速やってきたぞ﹂
﹁勝てるさ。そして仲間じゃない。あれは単なる道具だ﹂
嘘を並べ、虚栄を見せ、虚心を浮かべる。そうして全てを偽りに
して、自分自身を誰にも見えないようにして。
勝てるかなんて分からない。これは賭けなのだ。勝利か敗北か、
それだけで全てを決める賭け。
数日前とは違う。あの時はメイやエドのようなクラスの奴らがい
なかった。それはおそらくあの頃に遺跡がクリアされてしまってい
たからで、だから強い奴らは先に森林の方へ向かっていて。
俺も強くなった。けれど、状況も余計に悪くなった。
それでも勝つ。
970
メイは道具じゃない。スズは道具じゃない。大切な仲間で、戦友
で、友達で、妹で。
だからこそ助けたい。そして、だからこそ一緒に居たいと思う。
皆が幸せで居れる未来。
﹁それに﹂
そのために勝つ。
﹁たった一人で勝った方が、俺の力がお前ら全員より上だというこ
とを容易に証明できるだろう?﹂
勝って、強さを証明する。
誰も近寄れないくらい。誰も太刀打ちできないくらい。
誰にでも怖がられ、誰もが怖れる存在になれば。
圧倒的な恐怖を刻みつければ。
物語で言う魔王になればいいんだ。
皆が認知していながら誰も近付かない最強の存在に。
皆が恐怖し、決して敵わない存在に。
そうすればきっと。
﹁⋮⋮かかれ﹂
男の一言。それに呼応して全プレイヤーが動き出し、それぞれに
武具を構えて攻勢に出てきた。
圧巻の一言。ある者は雷となり、ある者は背中に霊らしきものを
出し、ある者は三人へ分身し。
怖気づきそうになる。勝てるのか、と不安になる。
けれど。
971
﹁⋮⋮はは﹂
幸せな未来。それを想像して自らを奮い立たせた。
可能性があるならばそれに飛び付くだけ。それが最善のものなら
ば尚更。
﹁それじゃ、いこうか﹂
一人で来たのには贖罪の意味もあったはずだ。ならば怖気づいて
なんていてはいけない。
全ての怨みを受け止めるために。暴走して何人も殺してしまった
人達。それらと親しかった者達も混ざっているはずだから、その憎
しみを受け止めるために。
単なる自己満足に過ぎないことは重々に承知している。それを受
け入れることなんてできない。ただ垣間見ることしかできない。
けれど、自らが作ってしまった憎しみだけは知っておきたかった
から。
笑みを浮かべて刃を自らの腹に突き刺し、呟く。
﹁︿ラストゲーム﹀﹂
制限が解除されて圧倒的な力が内部に蓄積されたことを把握した。
全ての﹃力﹄のみを肉体へ反映する。︿ライトゥルームーン﹀だ
けは左目に小さな形で具現化させて完全な未来予測を可能にして。
初めに飛んできたのは閃光だった。真っ白な光。飛んできたそれ
をわざと身に受け、︿ア・ライ﹀を利用して全プレイヤー達の遥か
上空へ転移する。
︱︱︿スターダスト﹀。
左の手の平に混沌の光を収束させて真下へ向けて放った。砂漠の
一部が抉れる光景が目に映り、すぐ後に大量の砂が巻き上がる。
972
砂で見えなくなった地から何かが飛び出てきた。背中に竜の翼を
持ったプレイヤー達だ。彼らが突進してくるのを見据え、今度は落
下しながら違うスキルを発動する。
︱︱︿レーザー﹀。
剣の先から光線を出現させ、そのまま右へ動かしてプレイヤー達
を薙ぎ払った。
︱︱︿ラストゲーム﹀。
一部のプレイヤーが︿ラストゲーム﹀を発動したことを感知する。
それと同時に真後ろから気配を感じたが、︿ア・ライ﹀により観え
る未来ではそこには丸太しか無い。
囮。本命は。
落下していた体を捻らせ、真上へ刀身を翳した。すると黒服とロ
ーブ、それからマスクで全身を隠した忍者のような男の短刀とぶつ
かって金属音が奏でられる。
軽く遠くまで弾き返し、その直後に真下から無数の光がやってく
る未来を感知した。
目を向け、しばらくすると大量の矢が自らへ向けて放たれてくる。
光を纏った矢が何万本と。
口の端を吊り上げ、左目を数秒だけ閉じた。
︱︱︿ザット・ライトゥルー﹀。
開く。すると左目のすぐ前に金色の模様が空中に現れ、半径一〇
〇メートルほどの円を描いた。
それに触れた矢が一瞬で消失する。いや、己の力で砕けていった。
模様に触れた物質に宿る力の全てをそのまま反射するスキル。
︿スターダスト﹀によって作り上げられていた窪みに着地する。
︱︱︿アースサンダー﹀。
新たにスキルを認知すると共に左目に危険な可能性未来が映し出
された。
窪み全体を埋め尽くす雷光。真下︱︱地面から発せられる雷鳴。
避けようが無いと判断し、未来に沿って自らのスキルを起動する。
973
視界が真っ白に染まると同時に︿ディズ・トゥルー﹀を。
力の全てを瞳に取り込み、次に︿天宝の法剣﹀の刀身へ移した。
窪みから出るために跳び上がる。そこから確認できるプレイヤー
達へ届かない刃を振り払い雷鳴を放った。
﹁良い気になるなよ﹂
怒気の込められた言葉。それが聞こえ、直前。
雷鳴が跳ね返された。綺麗にそのまま向きを変え、自分の方へ。
︿ア・トゥルー﹀が働かなかった。未来が見えない。そのことに
驚いて動きを止めてしまう。
当たってしまったが、自動発動した︿ア・ライ﹀により体が窪み
のすぐ淵へ転移した。
﹁パッシブ型のアビリティを無効化する能力、スキルを反射する能
力。そして﹂
声に応えるかのように一人の槍使いが走り込んできた。無防備な
突進。かなりの速度であるが、今の俺からすれば容易に避けられる
はずの速さ。
しかし。
動けなかった。動けず、食らってしまう。
﹁必ず攻撃を当てる能力﹂
言を並べ続けていた主︱︱最初の弓使いの男性が槍使いに下がる
ように命じた。蹴りを入れる直前で逃げられて心の中で舌打ちをつ
いた。
ゆっくりと自らが歩みを進めてくる。それを黙って見ていること
は無く、片手で不意打ち気味の︿レーザー﹀を一瞬の内に発射した。
974
衝突する。が、何かがおかしい。
次の瞬間には自分の体に矢が三本刺さっていた。左肩、右肩、肺。
﹁幻を見せる能力﹂
レーザーが通ったすぐ横でいつの間にか弓を構えていた男が言う。
﹁一人一人の力は確かに及ばないだろうが、それでも合わされば非
常に強力でトリッキーな武器になる。数は力と言うだろう? 一人
というのはそれだけでかなりのハンデさ﹂
そう簡単にはやられない、と伝えてくる男。対して、笑う。嗤う。
簡単に勝てないなんて分かってたことだ。いくら俺の力が圧倒的
であろうと、様々な能力を持つ者が集えば流石に勝てる可能性なん
て非常に低いなんてこと。
それでも。
﹁︿スターダスト﹀﹂
勝つ。敗北は有り得ない。勝利を渇望する。
幸せな未来のために。下してきた犠牲の先へ。
幸福を本当の未来にしてしまうために。
975
5−22:贖罪と幸福のワーフェア︻?︼︵後書き︶
正直、︿最上﹀との勝負後の話は蛇足かもしれません。
これやらないと次にいけないんですが⋮⋮。
976
5−23:贖罪と幸福のワーフェア︻?︼
不自然にぐにゃりと歪んだ地形が広がっている広大な砂漠の一角。
月明かりが照らす寒風の吹くその場所に立ち尽くす影が無数にある。
まるでとてつもない化け物との、魔王とでも死闘を繰り広げたの
後のように全員が疲労していた。
それと少し離れたところに一匹のスライムと一人の青年が︱︱ウ
サギと︿人狩り﹀の二つ名を冠する︿Nought﹀がボロボロな
姿で倒れ伏している。
﹁⋮⋮勝った、のか?﹂
無数の人々の前に立つ弓を構えた男性が呟いた。それは疑いの籠
った言葉。疑いを持つほどの戦いだったということだ。
男の声に呼応するように後方で未だ構えを崩していなかったプレ
イヤー達が力を抜いていく。
﹁勝った⋮⋮んだよな⋮⋮﹂
誰かが無意識に放ったであろう言葉は先程青年が言ったものを繰
り返したもので、それでいて皆に再認識させる効果があった。
数秒の無音の間の後、大きな歓声がこの場に鳴り響く。
喜びを分かち合う声。安堵の吐息の音。
弓を持つ青年が目を閉じ、安心に肩を竦めて武器を下ろした。
その瞬間。
伏していたノートの体が︱︱俺が、まだ動けるぞと伝えるために
指先をピクリと震わせた。
﹁ウ⋮⋮サギ⋮⋮﹂
977
近くで瀕死の状態となっているスライムを何とか抱き寄せ、歯を
食いしばりながら足に力を入れる。
ゆっくりと。しかし確かに体が起き上がり、視線が上がっていく。
まともに立っていられていない。下半身はガクガク、頭はフラフ
ラ。踏み外しそうになって留まり、無様ながらもその場に足を付け
て前を見た。
段々と歓声が収まり、全ての視線が自分へ集中していく。
﹁まだ⋮⋮負けてないけど⋮⋮?﹂
左肩にウサギを乗せ、痛みや辛さを全て無視して口の端を吊り上
げた。
仮面はとっくに壊れている。コートも殆ど穴が空いて形を為して
いない。血だって沢山出ているのが外から見ても簡単に分かるし、
誰が見てもそれは痩せ我慢でしかなかった。
それでも。
あれだけ苦しめて、ダメージを与えて。それでも立ち上がって笑
ってみせる俺を嘲笑う奴など一人もいなかった。
﹁流石は︿人狩り﹀と言ったところか⋮⋮﹂
再度弓に矢を当てる男へ対し笑みを浮かべ、手放さなかった︿天
宝の法剣﹀を持ち上げる。
右肩に刀身の腹を乗せる俺に彼は。
﹁だが、もう剣を振ることなどお前にはできないだろう? 抱える
ことがやっとの状態ではその大きな剣は使えまい﹂
と、言った。
978
それは変わりようの無い事実だった。肩に置いておくのが精一杯。
もう体力も気力も限界に達している自らでは普通は戦うことなどで
きはしない。
けれどまだ。まだ方法は残されているんだ。
髪飾りに触れた。装飾屋で手に入れたたった一つのアクセサリ。
いざという時に役立つ効果を発揮してくれる装飾。
輝き、それが俺に一分の力を与えてくれる。
影が周りを蠢き、自ら肉体を取り捲いていく。
﹁これは⋮⋮﹂
﹁一分だけ︿ラストゲーム﹀を延長する髪飾りだよ﹂
千切れた肉を補強し、足りない部分を足し、体が働くために必要
な器官を代わりのもので埋め尽くした。
まだ終わって無い。動く。動ける。
﹁馬鹿な⋮⋮いや、だとしても︿ラストゲーム﹀は相当な疲労を消
費するはずだ。力尽きていたお前にそんな力があるはずが﹂
﹁そうだな。もう体なんてピクリとも動かせないよ。むしろ肉体を
少し震わせるだけでHPが減少するくらいだ。それだけ今の状態は
酷い﹂
﹁ならば何故﹂
﹁今は脳が肉体に指示を送って動かしているんじゃない。能力が人
形として動かすように、無理矢理に体を操作しているんだよ﹂
どうせポーションなんて使わせてくれる時間はくれない。だった
らこれしかない。
疲れていようが関係無い。肉体は動かなくていい。脳が働くなら
何とでもなる。
目も見えなくていい。能力が全てを補完してくれる。
979
音が聞こえなくても。体の感触が無くなっても。全て。
﹁例え人としての体が形を保たなくなろうと、その身朽ち果てるま
で戦い続けるつもりか﹂
﹁当然。だって俺は化け物だから﹂
全てが能力によって動かされる化け物。自らが自らで無い人形。
自分であって自分でないものに動かされてる。自分でなくて自分
であるものに操られている。
まるで俺自身の存在そのもののようだった。
誰かが心の中にいなければ生きられない。自分だけでは何かを決
めることすらできない。
本当は弱くて。ただ他のものを自らだと偽ることで自分を強く見
せて。
誰も気付かない。俺だけが知っている己のこと。
臆病で。誰も知らない自分自身のこと。
﹁じゃあ⋮⋮第二ラウンドといこうか⋮⋮﹂
声帯が壊れたので違うモノに塗り替え、すると喉から出た声は人
では聞き取れないであろう歪なものに変わった。
足を前に踏み出す。肉が千切れるから違うモノで繋げる。
剣を振るう手の関節が。骨が砕けた。それも違うナニカで繋いだ。
﹁⋮⋮無様だな、︿人狩り﹀﹂
﹁構わないよ。勝てるのなら﹂
﹁そうでは無い﹂
男が何かへ合図をするように右腕を上空へ上げる。
直後、何かが上で爆発する音がし。次の瞬間には頭を掴まれ地面
980
に叩きつけられた。
﹁そうまでなって勝てないのは無様過ぎると言ったんだ﹂
目を頭上に作る。するとそこでは微妙な表情をした︿爆弾魔﹀こ
と︿REN﹀の姿が垣間見えた。
﹁⋮⋮今度はお前が悪者じゃねーか、ノート﹂
﹁増援、か﹂
背中から︿ファンタジーオルガニズム﹀の腕を具現化させてレン
を突き飛ばす。流石の不意打ちには耐えられなかったようで俺から
離れていった。
立ち上がり、直後、今度は強大な雷とマグマで形作られたイルカ
が襲い掛かってくる。
︿ア・ライ﹀で回避しようとし、同化していない現状での左肩に
乗るウサギの安否を気にしてしまった。
両腕で守るように抱えてそれらを食らう。せめてもの抵抗として
影を増強させたがそれも気休めか。
肉体は既に形を作っていない。ただ異常な何かが肉を纏っている
だけだ。
それでもまだHPは〇じゃないから。一〇〇レベルを超えている
自らの体力はこれでは死に切らないようだから。
﹁︿天﹀か﹂
背中に生やしていた巨大な腕を伸ばして反撃しようとし今度はそ
の腕が切り落とされる。
エド。
そこで気付いた。
981
見渡せば、大会に出ていた猛者達の一部が俺を見据えながらこの
地に足を付けている。
﹁そのような体では勝てるはずが無い。諦めろ﹂
それは情け。それとも自らを未だ脅威と認めた上での降伏の確認?
これじゃ駄目だ。
俺は恐怖を植え付けなければならない。誰も近付かないくらい、
誰も逆らわないくらい。
一人でこいつらに勝利する。そうして頂点に立って。そうしなけ
れば。
﹁※※※※※※※※※※※﹂
化け物の声は滅茶苦茶で、それでもプレイヤー達には否定の返事
だと分かったようだった。
仕方が無い、という風に猛者達がそれぞれにトドメを自らへと繰
り出してくる。
決して敵わないことが容易に理解できた。容易に把握できた。
それでも、と。
ウサギを左肩に戻し何でも無いように剣を振り被った。
やることは変わらない。
理解していても。分かっていても。だからって諦め切れないもの
がこの世にはある。
できないと知っていても。無理だと、無駄だと知っていても。
挑むしか無いんだ。求め続けるしか無いんだ。
そういう運命にある。そんな馬鹿らしい運命を定め付けた。
それ以外は有り得ない。だから。
俺は︱︱。
982
﹁︱︱やぁ、よくここまで頑張ったものだね。敬意を抱くよ﹂
どこかで聞いたような男の声。同時に、猛者達の繰り出した攻撃
に宿る﹃威力﹄の全てが一瞬の内に〇へと変化した。
﹁めんどくさいけど、今くらいはしっかり働かないといけないな﹂
驚愕を顔に浮かべたプレイヤー達。近接攻撃を仕掛けていた人々
が後方へ下がり、様子見へと戻っていく。
俺は口を開き、声を出した。
﹁※※※※﹂
﹁どうして、ね。君には多大な借りがあるし、永奈の友達である君
を死なせるわけにはいかないからさ﹂
﹁⋮⋮俺のことは基本的に無視でいーよ﹂
何故か意味をはっきりとした形で聞き取ってみせたのは名無し。
いつの間にか隣に足を付けていた彼はやはりいつものように嘲笑う
ような笑みを顔に浮かべている。
適当な返事をしたのはクロノだ。全ての攻撃を無効化してみせた
彼は珍しくめんどくささが薄めで、まるで俺を庇うように前方でプ
レイヤー達に対して構えを作っていた。
﹁それにここに来たのは僕達だけじゃない﹂
名無しが意味有り気に伝える。それが気になって首と視線を僅か
に動かし、目を見開く。
﹁なんで⋮⋮﹂
﹁ノートは嘘が下手すぎんですよ﹂
983
﹁同意﹂
メイとスズが親しげに言いながらミートと共に傍に立っていた。
彼女達だけでは無い。もっと。
﹁慣れないことをするようなもんじゃないな、零都﹂
﹁先輩にも苦手なことがあるんですね﹂
青葉、フードで顔を隠した李解。
﹁私も嘘は下手だ。安心しろ零都﹂
﹁わわ、傷だらけじゃないですか﹂
妙な仲間意識を振り翳してくる燕に、俺の体を心配してくれる知
里。
︱︱︿マックスヒーリング﹀。
知里から回復魔法スキルらしきものが掛けられ、肉体がしっかり
と繋がり体が人の形を取り戻していく。
同時に︿ラストゲーム﹀も完全に解け、疲労が限界を軽く超えて
いる俺は地に倒れそうになった。
それをとある二人が止めてくれる。
﹁いきなりいなくなるなんて酷いよ、です﹂
﹁ごめんねー。止められなかったよ﹂
嬉しげな顔をして非難をしてくるフードを被ったシノと、全然止
める気が無かったことが容易に分かる苦笑をするフー。
別れてからそこまで日が経っていないはずなのに懐かしく感じて
しまう。再会できたことは嬉しく、それでいて少し気まずかった。
984
﹁君が考えていたことは分かるよ、ノート﹂
名無しが言う。
﹁一人で上位階層を圧倒することで、化け物としての自分を上位階
層プレイヤーへと刻み込み、決して敵わないと分からせる。そうし
て暴虐の化け物となることで、誰にも逆らわせず逆らえない平穏を
手に入れるつもりだった。そうだろう?﹂
力無く頷いて肯定を示す。そんな自分へ彼は﹁穴だらけの単純思
考だね﹂と嘲った。
後のことなんて詳しく考えてすらいない単純思考。
本当は無理だってことを分かっていたのかもしれない。だから穴
を全て無視して、そうして。
﹁ノートは御茶目さんだねー。おーよしよし﹂
フーが動けない自分を面白そうに弄ってくる。頬を突いたり、こ
ちょこちょをしたり。今は感触があまり感じられないので別に擽っ
たくは無いのだけれど。
﹁そんにゃことしにゃくてもみょっと簡単にゃ方法があるでしょー
?﹂
彼女のおちょくった言葉に、何とか﹁そんなもの﹂と呟く。
そんなものがあればすぐに実行していた。
これしかなかったから。
スズとメイが俺の罪を背負わなくて良くて、それでいて自らが生
き残る道は。
985
﹁にぃには馬鹿﹂
﹁もう答えは出てるよ、です﹂
スズとシノにも言われる。分からない。何を言っているのか。
そんな方法。あるわけがなくて。
﹁ノート一人で皆を守るなんてできるわけねーに決まってるじゃね
ーですか。自分でやったことの処理もできねーやつが威張んなです。
逆転の発想をしやがれです﹂
メイのそれに更に疑問符を浮かべた。逆転の発想。良く分からな
い、と。
可愛いなぁ、と呟きながらフーが弄るのを止め、優しげな声音で
言葉を放つ。
﹁狙われてるのがノートなら、私達がノートを守ればいいんだよ﹂
986
5−24:贖罪と幸福のワーフェア︻?︼︵前書き︶
遅れてすみません。
987
5−24:贖罪と幸福のワーフェア︻?︼
目を見開き、口を開く。しかし声は出ず、掠れた息しか吐き出さ
れない。
しかし言いたいことは伝わったようだった。
﹁私達に罪を背負わせたくない、かな。
そんなの気にしないっていうのが皆の一致した見解だよ﹂
殺人は本当にいけないことなんだ、と。
そんなものを一緒に背負わせるなんて。その罰を自分以外が受け
るなんて。
﹁俺達は恩知らずじゃないんだよ、零都﹂
青葉の言葉。続くように知里と李解が言う。
﹁私達の殆どは零都くんに助けていただきました﹂
﹁それを無視して先輩を見捨てるなんてできるわけないじゃないで
すか﹂
そんなの気にしていない。俺は皆を巻き込みたく無くて。これは
俺の問題で。
﹁じゃあ、君が解決してきたものは君の抱える問題だったのかな﹂
名無しの放ったそれ。答えることはできなかった。
俺は横から介入しただけだ。でも、それが勝手に周りにとって良
い結果に進んだだけで。場合によってはどうなるのかわからなくな
988
ってたかもしれなくて。
﹁場合によっては、なんてものは辿ってきた道には無いさ。今や未
来のことなら兎も角、既に終わった出来事をそうして悪い方向へ持
っていこうとする謂われは無いだろう?﹂
封殺。続くようにメイと燕が言う。
﹁ノートはやりたいようにやってきたんだろです。だったら私達も
やりたいようにやるだけです﹂
﹁青葉家の教訓の一つに﹃恩は倍返し﹄というものがあってだな。
見捨てるわけにはいかないのさ﹂
でも、と空気を吐いた。
でも、そんなことのために人殺しの肩を持つなんて馬鹿げてる。
﹁人殺しとか関係無い。にぃにが危ないから助ける。それだけ﹂
﹁一緒に背負うくらいどうってことないよ。それに、一人はきっと
辛いから﹂
いつになく強い意志を見せるスズと真剣な声音のシノ。
それでも未だ抵抗の意思を無くさない俺を眺め、クロノが溜め息
を漏らした。
﹁お前にとってこいつらは大切な奴らなんだろ? だから守りたい
って思った。だから自分が傷付いてでも助けて見せた。
それと同じだよ。お前はこいつらにとって大切な存在で、自らが
傷付いてでも救いたいと思える奴。こいつらの気持ちはお前の感じ
ているものとまったく同じものだ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
989
﹁いい加減認めろよ。お前が何を言おうとこいつらは退かない。動
かない。例えこれから死ぬかもしれない戦争が始まるとしても、だ。
いいか? これが﹂
クロノが俺の方へ振り返り、めんどくささなど一切感じさせない
瞳で強く口にする。
﹁お前がこの世界で築き上げた繋がり。現実では有り得ない、命を
懸けた果てにある絆だ﹂
命を懸けるなんて簡単にできるものではないだろう。人は自分が
思っているよりも臆病で、きっと死に直面すれば無様に命乞いをす
る。
恐怖を感じるのは当たり前なのだ。人が臆病であることは当然の
ことなのだ。
それでも。
それを受け入れ、それでいて尚、命を懸けた何かへ首を突っ込む
こと。それができるほどの強い意志があるならば、それはきっと誰
にも覆せないであろう立派なもので。
﹁コンプレックスなんて一切感じさせない純粋な意思。全てが一つ
の何かと化した最高の心理状態。それを覆すなんて無理無謀、お前
があいつら全員を倒すよりも難しいものだよ﹂
そう呟くクロノはまるで見えない何かに憧れを感じているように
見えた。
自分に足りない何かを求めているような。そんな。
﹁まぁ、そういうことさ﹂
990
名無しが締め、そして俺と戦っていた上位階層プレイヤー達へ向
き直る。
それに倣ってか、皆が顔を同じ方向へ向けた。
﹁さてどうする? 僕達と第二次の戦争でもするかい?﹂
多くのプレイヤー達はかなりの疲労状態にありまともに戦えるよ
うな状態では無く、唯一しっかり戦えるとすれば増援である大会参
加者達だけだ。
視線が交差する。敵意が交錯した。
﹁正気か、︿解答者﹀﹂
﹁勿論さ﹂
﹁勝てるとでも?﹂
﹁それはこちらの台詞だよ﹂
弓使いの男の一言に飄々と名無しが返す。
﹁︿最強﹀、︿主﹀、︿人狩り﹀、︿解答者﹀、︿天才﹀、︿豪拳
﹀、︿狂犬﹀、︿聖女﹀、︿計算機﹀にその他諸々⋮⋮これだけ揃
っていて負ける要素があると?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁まぁ正直に言えばこれでも勝てるかどうかは分からないけどね。
だけれどどちらにせよ、君達に壊滅的な打撃を与えることは可能だ
ろう。それこそ攻略が殆ど進まなくなるくらいね﹂
﹁⋮⋮なにが言いたい﹂
視線を鋭くさせる弓使いへ名無しは﹁簡単なことさ﹂と続けた。
﹁取引をしよう。容易で単純な取引さ﹂
991
﹁取引?﹂
﹁ああ﹂
珍しく真剣な表情と声音で彼が言い放つ。
﹁︿人狩り﹀を見逃せ。こちらの要求はそれだけだ﹂
壊滅的な打撃を与えられ、攻略が全然進まなくなるのが嫌なら。
再びの戦争が嫌ならば。
最悪の大罪人を見逃せ。故意に取り逃がせ。
そんな要求。
悪魔の囁きと言っても過言では無いそれを受けて弓使いは顔を歪
めた。
受けるか受けないかで言えば、受けざるを得ないはずだから。
攻略が進まなくなるのは上位階層だけでなく通常階層にも自由階
層にも困ると言えた。
世界が終わるのを待っている人がいる。攻略が進むのを願ってい
る人々がいる。
ほぼ全ての人が困るであろう状況には陥りたくないのが普通だ。
しかし対価は。多くの犠牲を生み出した罪人を生かすこと。
﹁⋮⋮こちらにメリットは?﹂
せめてもの抵抗と言った感じの苦い表情で弓使いは問う。
流れは完全にこっちのものだ、と名無しは笑った。
﹁大幅な戦力の増強﹂
﹁と、いうと?﹂
﹁︿人狩り﹀が君達の側に付くということさ。勿論危害は加えさせ
ない﹂
992
勝手な判断。だが、確かにそれは自分にとって最も理想的な状況
を作り出す案だった。
弓使いは首を振る。
﹁信じられないな。大量殺人を侵した︿人狩り﹀がこちらにつくと
は思えない﹂
﹁いやいや、数日前なら兎も角、今はそうして即断で決めて良いも
のとは言えないんじゃないかなと僕は思うけれど?﹂
﹁何を根拠に﹂
﹁先程の戦争を根拠に﹂
名無しがこの場に居る全プレイヤーを見渡すように視線を動かし、
ニヤリと口の端を吊り上げた。
フーもそれにつられるかのように笑みを浮かべ、俺の頭をよしよ
しと撫でてくる。
﹁君は気付かないのかな﹂
﹁⋮⋮何をだ、︿解答者﹀﹂
﹁頭が悪いね。しかし今は問いを並べる時では無いから即興に答え
を申し上げようか﹂
名無しは両腕を大きく広げ、大仰に言葉を口に出した。
﹁︿人狩り﹀は先の戦いにおいて、人を一人も殺していないよ?﹂
言の葉。それに弓使いだけでなく他のプレイヤー達も目を見開く。
﹁力を調整していたのか、それとも殺さないようにダメージを調整
していたのか。皆が等しく疲労や負傷を負っているのに死人は一人
993
もいない。誰一人として怪我を負っていない者はいないのに誰一人
として死人もいない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁これがどういう意味かわかるだろう? ︿人狩り﹀はいつでも君
達を容易に殺せたんだ。けれどもそれをせず、ただ接戦を演じるだ
け演じてみせた。滑稽な話さ。人殺しが人を殺さないように戦うな
んて。それも自分の命だけでなく、他の人々の運命までもが懸けら
れている戦いでね﹂
︱︱最初の一発。スターダスト。
あの時に大量のTPを注げば、きっと殆どの人々をこの手で殺す
ことが可能だっただろう。
能力なんて力任せでぶち破り。全てを壊し、滅し、滅ぼし。
けれどもそれはしなかった。俺はそれをしなかった。
それのせいで負けた。
けれど、それのおかげで今の状況があって。
﹁君達は︿人狩り﹀に助けられていたんだよ。いつでも君達の命は
自らの手の平の上だったのに、殺さないように。
これでも信じられないかな?﹂
﹁だが、奴は︿ラストゲーム﹀を⋮⋮あれは殺す意思がなければ発
動しないはずだ﹂
﹁あったよ。自分が死ぬかもしれないという覚悟︱︱つまり、自分
を殺す覚悟がね。その気持ちが条件を満たしていても、何ら不思議
じゃない﹂
弓使いが口を閉じる。
信じられない、と口にすることは簡単だろう。俺は大罪人。それ
もきっと罷り通る。
けれど。
994
認めたくない真実。認めなければならない事実。
それらを目の当たりにしてしまえば、余計な感情がそれを言葉に
することを邪魔してしまう。
悔しげに歯を食いしばり、自分達が本当なら敗北していたのだと
知り。
ここで捕まえなければ。壊滅的な打撃を受ける。攻略が進まなく。
相手は大罪人。逃がしてはいけない。いつでも殺せたくせに。負け
た。勝った。どうして助けた。わからない。逃がしていいのか。折
角誰も死んでいないのに、人が死ぬ戦争をするのは。
﹁⋮⋮さっさと行け。気が変わる前にな﹂
弓使いが背を向けて小さく告げた。その判断に一部の人々が喚い
ていたがそれも灯火程度だ。時期に大きくなるかもしれないが、早
めにいなくなればきっと何も関係が無くなる。
取引成功、と名無しが呟いた。そうして俺の方を向いて悪戯好き
な笑みを顔に浮かべる。
何だかそれが前よりも親しげに見えた。
﹁さ、早く逃げようか。そうしないとまた戦争が始まっちゃうかも
よ?﹂
くつくつと言葉の節々で面白味を混ぜつつ放たれた言葉に賛同す
るように、皆が砂漠から去るために足を動かす。
フーとシノは俺をそれぞれ肩に抱えて﹁お疲れ﹂と言ってくる。
それに俺は何も言えなくて。
不思議な感覚だった。
助けられた。救われた。
複雑な感情が蠢いていた。嫌だったのに。望んでなかったはずの
展開なのに。
995
でも。
嬉しくて。たまらなく嬉しくて。
何故か涙が瞳から溢れ出していた。
どうしてだろう、なんて問い掛ける必要は無かった。
分かる。
ああ。俺は今。
きっと、幸せなんだ。
996
X−XX:ダイジェスト・マンイーター︵前書き︶
よくよく考えれば五章に新しいモンスターが出てなかったので、そ
の代わりです。
読まなくとも物語には全く支障はございませんので御安心ください。
997
X−XX:ダイジェスト・マンイーター
これまで普通とでも言うべき人生を歩んできたと思う。
特に突出したことなど無い。目が覚めたらご飯を食べて、学校に
行って、終われば帰宅して自由な時間を過ごす。
毎日の繰り返し。同じような日々の連続。
飽きるほど過ごしたそれの中ではいつも非日常のようなものを望
んでいた。つまらないわけでは無い。ただ、飽き飽きしていたんだ。
何か変わった刺激が欲しかった。そう。自分の中にある重要な何
かを左右してしまうような。そんな。
確かにそれは私の全てを変えてしまったのだろう。
夏休みを使って参加したVRMMOのオープンベータテスト。そ
の一日目にしてそれは起こった。
運命の日。全てが終わりを告げ、始まりを下された日。
仮想が現実となった世界。昔で言う、デスゲーム。
仮想の神様は狂った口調で私達を地獄の中へ放り込んだ。まだ混
乱している時に沢山の人々が化け物に蹂躙される姿を始まった瞬間
に見せられた。
必死で逃げた。周りなんて気にせず。ただ一心不乱に。
安全な地帯に出た時に感じたのは安堵と不安。その両方だ。
矛盾した二つ。結論の出ない問いを繰り返すかのように頭がぐち
ゃぐちゃになっていた。
こんな世界を自分は望んでいたのかな。
刺激が強すぎた。私は非日常というものを知らな過ぎた。
気付いていなかったんだ。何も無いあの日々が一番幸せだったっ
てことが。
絶望の淵。希望の丘。
998
上から下の風景は見渡せる。美しく見える風景。その中へ行って
みたいと感じることは多々あった。
下から上を見た時のことなんて考えて無かった。
焦がれていたんだ。上を。ただ毎日を過ごす日常というものを。
それを取り戻したかった。だから。
戦いに身を投じた。化け物を相手に足が竦んだことが沢山あった。
常に自分は怯えていた。この世界の全てに。
全てが命懸けなこの世界では人の本性というものがよく見える。
生きるために人は人を見捨てる。自分のためなら他人を捨てるこ
とも止むを得ない。
どんな善人でも恐怖の前では逃げるだけの臆病な小さな存在でし
か無い。命を懸けなければならない戦いを前にしては、平和な世界
を生きてきた偽善者では耐えられない。
人を見捨て。挙句それを後悔する。自分のしたことなのに。
あまりにも醜いそれらを見続けることはできなかった。
中には本当に凄い人達もいる。そんな人達は皆を率いたりして率
先して死地へ飛び込んでいく。
そうして真っ先に死ぬんだ。
嫌だった。嫌だった。戦い続けることも、人間の愚かさを眺め続
けているのも。
それだけならきっと耐えられた。けれど。
殺人。
そんなものを本当に侵す人間がいることに驚いて、そんな出来事
を目の当たりにしなければならない事態に遭遇するなんて思いもし
なくて。
心が震えた。体が震えた。
体全体が拒絶した。デスゲームが始まった時でさえ何とか立ち直
れた心。それも全て打ち折られたかのように。
もう、嫌だよ。
呟いた言葉に答えたのか。宿に引き篭り続け、世界の終わりを待
999
つだけになろうとしていた私はとある噂を聞いた。
︿願いを叶える風﹀。会えば願いを叶えてくれるユニークモンス
ター。
私は飛び付いた。あの日々に戻れるのなら。こんな日々が終われ
るのなら。そう思って。
これまで過ごしてきた世界の中で、信用できる人達と一緒に捜索
を始めた。眉唾ものの噂。それを探すのは骨が折れると思っていた。
それを見つけるのは偶然が起きない限り無理とも分かっていた。
けれど。必然が偶然を呼ぶ。
私達はすぐにそのモンスターがいる場所を突き止めた。時計塔の
隠し部屋。誰も気付かなかったその場所を見付けて。
﹃願いを﹄
たった一言。それに反応するように周囲の人達が急に争い始めた。
どうして。そんな言葉も届かない。振り回された武器に傷付けら
れ、地面に倒れ伏す。
願いを叶えるのは私だ、とか。悪いな、とか。殺す気は無い、と
か。
そんな言葉。
醜い、と思う。同時に、ああ、と。やっぱりこの人達も結局同じ
なんだ、と。
もう嫌だ。こんなの。私が信用した人も全部。全部。
結局全部偽物じゃん。
︱︱こんな世界は耐えられない。
小さく呟いた言葉。前にいた願いを求める人形がそれを確かに聞
き届けてくれた。
そして私に絶望をくれる。何もかも。全てが望みの正反対へ向か
1000
う力を。
世界の脱出では無い。世界に順応する精神を。
クリアを実現する希望の力では無い。幻滅した人間を滅ぼす力を。
脳の内部に異物が流れ込む感覚と共に目覚めた。
人を喰らう魂が。
食べたい、と頭の中で何かが呟く。食べろ、と頭の中で化け物が
囁く。
それは悪魔の声だ。それはワタシの言葉だ。
絶望していた私はその声にあっと言う間に屈し、そして。
気付けばこの場に血の海が出来上がっていた。
手には抉り取った人の一部。頬には真っ赤に染まった血潮。体内
には喰らった人間の肉。
それに嫌悪感を感じない。むしろ好意的な感情を抱かざるを得な
かった。
美味しそう。
漏れた、そんな狂った心情。
︱︱こんなのを望んだんじゃない。
叶えられた願い。
絶望した。でもそうなることは人を食べる化け物に段々と屈して
いくことでしか無くて、だからどこにも存在しない希望に縋って絶
望から目を逸らして。
もう、あの醜かった人間の本質よりも、自分は醜いんだろう。
既に自分は人間という生物の敵でしか無い。
沢山の人々に命を狙われた。沢山の人々を喰らってしまった。
抑えきることができなかった。心に巣食う化け物を。
︱︱死ぬしか無いのかな。
1001
そんな思考。自殺。もう絶望から目を逸らすことなんてできなか
った。だって目を逸らした先にも絶望しか無いのだから。
生きていたくなかった。死にたかった。でも、心のどこかでそれ
を怖がってる。
自分で自分が嫌になって。
最後に自らに巣食う化け物へ復讐をしたかった。全てに。ワタシ
に。
だから私は飢え死にを選んだ。
食いたいと叫ぶ脳内へ﹁ざまぁみろ﹂と小さく呟く。
食べろと命令する化け物へ﹁嫌だ﹂と心で否定する。
走馬灯、とでも言うべきものが脳裏を過ぎっていた。
幸せだった現実での日々。あの時。どうして。どうして自分は気
付かなかったんだろう。
一番幸せだったのに。恵まれていたのに。
ああ、私は。
気付けば私は見知らぬベッドの上で寝ていて、見知らぬ誰かに保
護されていて。
何か飢えが少し回復していたようだが、まだまだお腹は空いてい
た。
脳裏で化け物が囁く。目の前の、自分を保護してくれた男を食え
と。
否定する。怖がるように全てから目を背けた。でも時間が経てば
経つほど声は強くなって。でもどうしようもなくて。
恐怖した。目の前の人間を食べてしまうことを。
彼が食べ物をくれなければ一体どうなっていたことか。
ありがとう、と。助けてくれてありがとう、と伝えた。
心のどこかで安堵していた。生きていることを。それがまた悔し
くて。でも。
最後に。一つだけ我侭を。
1002
助けてくれた彼に付いていくことにした。どうせあの時に死んで
いた命。最後くらい誰かを信じてみたい、って。
その選択が私を絶望から引き戻したのか。それとも絶望そのもの
を希望へと変えたのか。
彼はまるで家族みたいに接してくれた。明らかに何か厄介なもの
を抱えている自分に対し、優しくしてくれた。
それは久しぶりに感じた﹁幸せ﹂。楽しい。嬉しい。もう手に入
らないと焦がれていたそれを手にして。
悲しんだ。
すぐに自分のことがバレるって分かってた。それを分かっていな
がら、ただ単に最後の選択として彼に付いていったのだから。
だから悲しかったんだ。手に入らないはずの幸せを噛み締めてし
まい、それを捨てなければならないことが。
でも、彼のためなら仕方無いかな、と思う。
例え彼が自分では無く、自分に似た誰かを見ていたのだとしても。
幸せをくれた彼のためなら︱︱。
堕ちる私を彼はまた助けてくれた。
必死に。命さえ懸け。自らと同じ罪を侵してまで。
たった数日しか知り合っていないのに。彼は。
人間の本質。それは恐怖を目の前にした時に初めて現れる。
ああ。彼は。
自らに対してここまで必死になってくれる人間になんて出会った
ことが無かった。
短い期間顔を合わせただけなのに。一度も本質を見せ合ったこと
なんて無かったのに。それでも。
自分の全てを捧げても良いと思えた。何もかもを失うはずだった
私へ、何もかもを与えてくれた彼へなら。
全て。
彼のためならば何人でも殺そう。
1003
彼のためならば人であることを捨てよう。
それが彼のためならば。
それが彼のためになるならば。
死さえ厭わない。壊れた私を。それでも受け入れてくれる彼のた
めなら。
もう迷わない。
何があろうと、彼だけは信じ切る。裏切られようと。殺されるこ
とになろうと。
何もかも、もう迷わない。
壊れた化け物でもいい。人でなくてもいい。
愛されなくてもいい。愛してくれなくてもいい。
それでも私は愛す。愛し続ける。
幸せをくれた彼のために。
彼のためになることをすることが、今の私の幸せだから。
1004
X−XX:ダイジェスト・マンイーター︵後書き︶
次回からは六章となります。そろそろ物語も終わりに向かってきて
いるところですね。
タイトルはいつも通り未定。内容もあまり決めていない。どうしよ
う︱︱という感じ。
一応大筋は決まっていますので御安心ください。
最近更新が遅れ気味です。申し訳ありません。が、決して未完結で
終わらせるようなことはしないつもりです。必ず完結まで持ってい
きます。ここまで書いたなら止めるなんてとんでもないですし、勿
体無いです。
これからもどうか読んでくださると嬉しい限りです。
1005
6−1:過去と現在のリレーション︵前書き︶
第六章の大筋はそのままにすることに決めました。
昔ほどの勢いで書いていくことは難しいかもしれませんが、どうか
よろしくお願いします。
1006
6−1:過去と現在のリレーション
プレイヤーキラーの頂点とも言われる、人の名を冠する七人の殺
人鬼。
︿人狩り﹀。砂漠で覆われた街にて暴走した︿ラストゲーム﹀を
用い、多くの上位階層プレイヤーを殺害。一度にありえないほどの
大量殺人を行ったにより脅威と認定され、人の名を授けられた。
︿人喰い﹀。願いを叶えるモンスターを捜していたところ、とも
にいた仲間を全員殺害。動機は不明。その後日からプレイヤキラー
としてたびたび現れ始めた。相手の動きを止め、確実に仕留める様
子から、出会えば必ず死ぬとも言われる。人を喰らった形跡から、
人を人とも思わぬ所業にて人の名を授けられた。
︿人斬り﹀。攻略のために会議を行っていたプレイヤーたちを全
員殺害。その後、普通のプレイヤーやプレイヤーキラーに関係なく
無作為に人が殺された経歴が見つかる。どちらかと言えばプレイヤ
ーキラーの方が多いようだ。敵に切り札を使わせず確実に人を殺す
手際から、人の名を授けられた。
︿人壊し﹀。殺害経歴なし。しかし、人を騙し唆し、内部の争い
を加速させることにより大量の事件を作り出した黒幕である。彼の
能力により、これまで信じていた仲間などに裏切られたと勘違いを
し、心を折られたプレイヤーが続出。それらにより、一切の直接殺
人をなしにして人の名を授けられた。
︿人刺し﹀。元は名を馳せていた上位階層のソロプレイヤーだっ
たが、ある日から唐突にあらゆるプレイヤーを殺し始める。人斬り
と同じく殺す対象を区別していないようだが、人斬りとは逆に、積
極的に人を殺すプレイヤーキラーの殺害報告はほとんどない。﹁気
づけば仲間が隣で刺されていた﹂などの謎の報告が多く、一瞬確殺
の脅威として人の名を授けられた。
1007
︿人潰し﹀。自らにちょっかいをかけてきたプレイヤーを無作為
に殺害。建物が唐突に落ちてきたり、剣が運悪く柄から抜け自らの
頭に刺さってしまったりと、プレイヤーたちには謎の死に方が多い。
しかもそれが自殺ではなく、︿人潰し﹀が殺したことになっている
ことから正体不明の能力を恐れられる。念力系統の能力ではと噂さ
れているが定かではない。不快感を与えた時点で殺しにかかってく
るため、明らかな脅威として人の名を授けられた。
︿人殺し﹀。世界で一番最初に殺しを行ったプレイヤーキラー。
彼に続くように多数のプレイヤーキラーたちが登場したことから、
すべての人殺したちの始祖として人の名を授けられる。気まぐれな
性格らしく、大量の人物が一気に殺害されたりすることもあれば、
相対しても挨拶をするだけで去ることも少なくないらしい。
どれもかれもが、その出鱈目な経歴から人の名を冠している。
プレイヤーの中で一番強いのは誰か。訊かれ、︿最強﹀と答える
プレイヤーは多数だろう。そしてそれは正解だ。あれほどレベリン
グにすべてを捧げていた者は他にいない。
ただ、プレイヤーキラーに関しては﹁強い﹂や﹁弱い﹂などの概
念は意味を為さないのだ。
たとえどれだけ強くとも、麻痺に陥り、首を切断されれば死亡す
る。
たとえどれだけ弱くとも、仲間のフリをして近づき、油断した隙
に毒を穿てば相手を殺せる。
どれだけ殲滅力が強いか、戦闘力が強いか、ではない。人を殺せ
るか殺せないか。プレイヤーキラーに必要なのはそれだけだ。
◆◇◆◇◆◇
1008
目が覚めた時、目に入ってきたのは幻想的な雪景色だった。
寒さが体を駆け抜けていく⋮⋮はずだったが、どちらかと言えば
暖かい。よく見れば目に映っていた光景はどこか不自然で、それが
ガラス越しだからということに気がついた。
俺は今、どこかの建物の中でベッドに寝かされている。
﹁⋮⋮ああ、あの図書館がある街か﹂
ここは宿屋か。近日見たような天井と景色に、ようやく答えにた
どり着いた。
上半身を起こす。辺りを見渡すと、頑丈そうな石で作られた床や
壁が目に入る。長机に対してイスが少ないみたいだが、その行方に
はすでに気づいていた。というより、周りを見始めた瞬間から視界
の端に入っていた。
ベッドのそばに、イスに座ったまま俺にかかっていた布団に寄り
かかり、眠っている二人の少女の姿がある。
﹁スズはともかくとして、フーも一緒にいてくれてるのか﹂
空を眺めた限り、今は早朝と言ったところだ。疲れ果てるまで看
護してくれていたのだと考えると、二人に感謝の気持ちが沸き上が
る。
無意識のうちに、彼女たちの頭に手を乗せていた。スズを落ち着
かせたりする時にしてしまう、最早クセのようなものだ。そのまま
撫でると、二人とも気持ちよさげに頬を緩める。
﹁⋮⋮こうして三人になるのは、久しぶりだな﹂
1009
俺は初めの街でいなくなり、砂漠の街でフーの話を聞いた限りで
は、スズとフーは一度決別したと言う。初日は三人一緒にいたはず
なのだが、次に揃うのがまさかこんなに遠い日だとは思わなかった。
俺にとってはたった数週間の出来事。しかし、その中身は比較に
ならないことで、スズたちのように何か月もというのは非常に長い
時だっただろう。
﹁あの頃とは違って⋮⋮ずいぶんと遠いとこまで来ちゃったもんだ﹂
スズに誘われて、世界初のMMOに参加して⋮⋮あとは適当に楽
しめればいいと思っていた。
俺たちは変わったのだ。全員が全員、命を失う可能性が非常に高
い、この世界で。
いいことなのか、悪いことなのか。もし最初の日、あの時、あの
場所でデスゲームが始まらないなら、俺たちはどうなっていたのだ
ろう。
普通の生活を続けていたのか。運命に抗わず、幸せに浸って生き
ていたのか。
それもいいかもしれない。でも、きっともう戻れない。どんなに
取り繕ったって、俺たちは変わってしまった。心も、何もかも。
﹁ってか、俺らこんなに頑張ったっていうのに、現実じゃ数日しか
経ってないんだよな﹂
何気にへこむ。大量の苦労がたった数日のものでしかないと思う
と、まったく。
﹁んぅ⋮⋮﹂
自分のものではない声がかすかに耳へと届き、顔をその方向に半
1010
分無意識に向けた。
スズだ。ほんのわずかに目を開き、焦点の定まらない瞳で中空を
見つめている。
彼女は、いつもは寝起きがいいはずなんだけど⋮⋮。
いや、とは言ってもスズからすれば数ヶ月前の話か。しかしこれ
まで全然寝てこなかった彼女に、寝坊のクセがついてるとも思えな
い。となると、寝起きがダメになるくらい俺を看病していたという
ことになるのだろうか。
相変わらず兄思いの義妹で、嬉しい限りだ。
﹁スズ﹂
頭が半分も覚醒していないであろうスズに声をかける。このまま
放っておけば寝てしまいそうだった。いや、俺のためにこんな状態
になっただろうから休むのはいいと思うが、実際、彼女と話したか
ったという気持ちが大きい。
要するに単なる俺のわがままだ。
﹁にぃ⋮⋮に⋮⋮?﹂
ぼんやりと呟いた後、数秒ほど彼女は動かなかった。しかし時間
が経ち、やっと頭が追いついてきたのか、急にスズがガバッと顔を
上げる。
その目にはすでに何かを見ようとする意志が宿っていた。完全に
目が覚めたみたいだ。
﹁にぃに!﹂
俺の姿を認めると、彼女が嬉しそうに声を張り上げた。安心と歓
喜の感情がありありと表情として浮かんでいて、俺もつられて頬が
1011
緩む。
﹁とりあえず、フーも寝てるし、もうちょい静かに、な﹂
﹁あ⋮⋮⋮⋮ごめんなさい﹂
彼女の高いテンションを下げるのは忍びなく、しゅんとした様子
を見るととたんに申し訳なくなってくる。かと言ってあのままにし
ておけばフーが起きてしまうし、さすがに両方ともこんな早朝に起
こすのは駄目だと思った。
スズの頭に手を伸ばし、なるべく優しくと意識して撫でる。目を
細める仕草を見て、俺も穏やかな気分になってくる。電子世界だか
らか、非常に綺麗な灰色の髪、その心地よさを指や手のひらで感じ
た。
﹁スズ﹂
撫でられながら、上目遣い気味に俺を見つめてくる。瞳に映る感
情は変わらず、俺を案じるものばかりだ。
ああ、まったく。少し前までは俺が彼女のことを案じていたとい
うのに、すでに立ち場は逆になっていたのか。
いや。
︿ライトゥルームーン﹀を倒したあの日、彼女は俺の隣に立てる
くらい強くなったと、そんなことを言っていた。
つまりは、そういうことなのだろう。
﹁ありがとう﹂
戦争でのことは、目覚めてからずっと脳に焼き付いて離れなかっ
た。これまでこの世界で紡いだ軌跡が、俺が勝手に手を出しただけ
だと思っていた人たちが助けてくれたことは。
1012
命がけだ。大量殺人を犯した罪人を助けるなど、友達だからと言
ってできることではない。
きっとこれが、クロノが言っていた﹃現実では有り得ない、命を
懸けた果てにある絆﹄なのだ。
まず最初にお礼を言うべきなのは、いつだって俺のことを考えて、
俺を心配してくれて、誰よりも思ってくれている彼女である。
﹁⋮⋮うん﹂
俺が口にしたことが何に対してのお礼か、彼女はすぐに察してく
れたようだった。小さく頷いた彼女は、その顔に笑みを浮かべる。
満面の笑みだ。比較的無表情に近い彼女にしては珍しい、まるで普
通の女の子みたいな。
一瞬、心臓が高鳴った。ああ。同時に、彼女が俺をどう思ってい
るのかということを思い出す。
なんだ︱︱見惚れてるのか? スズの気持ちを知っているから、
無意識のうちに彼女を意識でもしていたか。
﹁にぃに?﹂
顔に、わずかながら熱が宿っているのがわかる。彼女にはそれを
気づかれているだろうか。意識すると、もっと変な気持ちになって
しまいそうだ。
︱︱私は⋮⋮番⋮⋮いよ。
ノイズが走る。そんな表現が正しいだろうか。脳裏にいつかどこ
かでの誰かの台詞がよみがえり、しかし、ノイズ混じりのそれが、
正確に何なのか思い出せない。
﹁⋮⋮にぃに?﹂
﹁あ、いや、なんでもないよ。まだ本調子じゃないのかもしれない
1013
な﹂
これ以上黙っていると心配される。反射的に答え、俺はさきほど
まで思い出そうとしていた思考を断ち切った。
いつの間にか、顔の熱は引いている。
﹁⋮⋮にぃに。寝た方が、いい﹂
﹁いや、でも折角﹂
﹁話ならいつでもできる。体を大事に。昔、風邪を引いたりすると、
にぃに私にもそう言ってた﹂
自分自身が口にしたことを出されると、さすがに反論できなかっ
た。良い兄を演じている身の上、彼女に諭されれば頷かざるを得な
い。
スズにこんなことを言われる日が来るなんてな。
庇護の対象として見ていた現実では、考えられなかったことだ。
﹁じゃあ、お言葉に甘えようかな﹂
ごろん、と横になる。寝起きでほとんど動いていなかったからか、
睡魔はすぐにでもやってきた。
これからどうするかとか。これからどう立ち回るべきかとか。い
ろいろとあったが、それは全部目覚めた後の自分に任せることにす
る。
意識が黒に染まる直前、自分の横に何か暖かいものが転がり込ん
できた気配がしたが、気にする間もなく睡魔に飲まれていった。
1014
6−2:現状と結成のイデアパーティ︻?︼︵前書き︶
非常に遅れました。最新話です。
1015
6−2:現状と結成のイデアパーティ︻?︼
雪の街は常に天が雲に覆いつくされているから、昼か夜かがわか
りづらい。光源は落ちゆく雪粒がもとになっているから、明るさの
変動も普通の環境に比べたら圧倒的に小さい。昼間か夜間か、それ
しか判断しようがなさそうだ。
前に目を覚ました時は昼間だったと記憶している。そこからスズ
に寝ることを勧められてから再び目を覚ましたのだが、街はすでに
夜間程度の明るさだった。
﹁⋮⋮おはよう? それともこんばんわの方がいいのかな。メイ﹂
﹁間を取ってこんにちわなんてどーです? こんにちわ、ノート﹂
寝る前にスズが座っていた場所にはメイが腰かけていた。隣のイ
スにはフーが眠ったまま腰かけていたはずだが、そこには今は誰も
いない。
上半身を起こすと、モゾモゾと動くなにかを感じ、隣にスズが寝
ていることに気づいた。枕元には一度起きた時にはいなかったウサ
ギの姿もある。
﹁不干渉条約みてーなもんを結べたにしてもノートが恨みを持った
輩から狙われてることには変わりねーです。私とウサギがノートの
そばに、︿天才﹀と︿人喰い﹀が外で警戒しやがってますよ﹂
﹁狙われてるのはシノ⋮⋮︿人喰い﹀もじゃないのか?﹂
﹁あっちはずっと顔を隠してるじゃねーですか。ノートは大量の上
位階層のやつらの前で素顔さらしやがりましたし、なんらかの能力
で補足されてる可能性だってあるんです。守るべき対象はノートで
ある確率の方がたけーんですよ﹂
﹁そりゃ⋮⋮悪い、迷惑かけてるな﹂
1016
メイやスズはすでにシノと面識があるのか。いや、俺を守るため
に集まったんだからなきゃおかしいんだけど。
まぁ、二人なら彼女が︿人喰い﹀だとバレても大した問題もない
だろう。俺と一緒に行動を共にしてたし、フーもシノの安全を保障
してくれるはずだ。
﹁今更じゃねーですか。ってか、言われるなら謝罪なんかよりお礼
の方がいーんですが?﹂
ほれほれ、とでも言いそうな顔で催促してくる。その様子に苦笑
しつつ﹁ありがと﹂と誠意を込めて口にした。
﹁お礼なんていーですよ。友達じゃねーですか﹂
﹁いや、お礼言えって言ったのメイなんだけど﹂
﹁そっちの方が嬉しいとしか言ってねーです。勝手に捏造するんじ
ゃねーですよ﹂
ひどい言いぐさだ。どことなく顔を綻ばせているから確かに嬉し
いっぽいので、なにも言わないが。
﹁⋮⋮にぃに?﹂
視線を下に向けると、横たわったまま寝ぼけた瞳でスズが俺を見
上げてきていた。俺たちの会話で目を覚ましたのか。フーは爆睡し
ていたんだけどな。
﹁リン、こんにちわです。よく眠ってやがりましたね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮? おは、よう﹂
1017
スズが不思議そうに首を傾げた。まぁこんにちわなんて言われて
もな。大方、﹁起きたのにどうしてこんにちわ? おはようじゃな
いの?﹂みたいな思考を繰り広げたことだろう。
と、そこで青い物質が俺の肩に飛び乗ってきた。
﹁っと、ウサギも起きたのか﹂
頬に体をすりすりとしてくるスライムを撫でると、気持ちよさげ
に脱力していく。
前より懐かれているような気がしてならない。︿レゾナンスユニ
オン﹀を乱用してるから嫌われてもしかたがないはずなのだが、俺
のどこをそんなに気に入ってくれてるんだか。
なんにしても俺にとって嬉しいことなのには違いない。いつも他
のことばっかりに気を取られてたし、もっと大事にしてやらないと
な。
﹁こんな時間に全員が起きるなんて難儀なことじゃねーですか。こ
の際、外に出たらどーです? 起きてる姿を見せて安心させるのも
迷惑かけたやつの義務だぞです﹂
﹁そう言われるとな。まぁ俺は最初から行く気だったから問題ない。
ずっと続けてくれてるシノにもお礼を言わないといけないし﹂
﹁⋮⋮にぃにについてく﹂
ウサギはいわずもがな。肩から降りようとしないところからつい
てくることは明白だ。
早速ということでベッドから降り、長い間動かしていなかったこ
とで凝り固まった体を軽くほぐす。それからベッドに立てかけてあ
った︿天宝の法剣﹀を背につけておしまいだ。
三人揃って部屋を出て階段を降り、宿の出入口の扉を開けた。す
ずしく心地よいほどだった温度が、寒さへと昇華して体を駆け抜け
1018
る。
﹁って、いないな﹂
﹁私たちがノートの味方をしたってこたー周知の事実だろーがです。
目立たねーよー路地にいやがりますよ﹂
そう言って宿と隣の建物の間に消えていくメイを追う。
互いの建物から飛び出た屋根が頭上を覆うせいで、路地には雪が
ほとんど降ってきていなかった。地面に積もった光る雪がわずかば
かりにその場を照らし、座り込む二人の人物を映し出す。
﹁扉の音⋮⋮足音の感覚、雪の音の具合⋮⋮ノートの匂いがする、
です!﹂
﹁寒くて鼻なんて効かないよー。あ、メイちゃんこんばんわ。どー
したの?﹂
﹁どうしてもこうしたもねーです。ノートを連れてきてやったです
よ﹂
フーの言う通り、すごく寒い。雪山のフィールドでスズが動けな
くなったくらいだ。よくこんなところで番をしてくれていたもので
ある。
﹁ノート!﹂
俺を見た瞬間に飛びついてきたのはシノだ。白いモコモコとした
ローブに身を包んでいる。フーも同じデザインの水色のローブを着
ていた。
心配と不安を顔に浮かべる少女に安心させるように笑顔を浮かべ
て見せる。
1019
﹁もう大丈夫だよ。っていうか久しぶり。元気にしてたか?﹂
﹁してない、です。いきなり置いてくなんてひどい、です。起きて
フーから﹃ノートが危ない﹄って聞いた時は心臓が止まりそうだっ
た、です﹂
﹁⋮⋮いや、ホント悪かった。また暴走してシノにあんなことさせ
ちゃうのが怖くて﹂
﹁そ、それは⋮⋮⋮⋮私も悪かった、です。約束破ってゴメンナサ
イ、です﹂
顔を俯かせるシノの声は今にも泣きそうだ。そんな様子を見て考
えるよりも早く手が出て、彼女の頭を撫でていた。
﹁助けてくれたのにシノが謝ることなんてない。ありがと、本当に
感謝してる﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮うん﹂
それでも暗い表情が和らぐことはない。よほど気にしているのか、
なにを言ってもダメそうだ。これは今後この話題には触れないのが
賢明か。
と、そこでシノの頭に乗せていた腕を思い切り横に引かれた。
﹁やだ﹂
﹁ス、スズ?﹂
不機嫌そうな面を隠そうともしない彼女が、痛いほど俺の手首を
強く掴む。いや、スズは全然STRに振ってないみたいだから本当
は全然痛くないんだけど。
﹁にぃにが撫でていいのは私だけ﹂
﹁え、えっと﹂
1020
﹁⋮⋮罪作りな奴でやがりますね、ノートは﹂
俺たちの様子にメイがそう呟くのが聞こえた。ご丁寧にため息ま
で添えている。
確かに俺はスズの気持ちを知ってるわけだし、気軽に目の前で他
の女の子に優しくすれば嫉妬なりなんなり抱くのは容易に想像でき
るわけだけど⋮⋮いや、さすがにあんな落ち込んでるシノは放って
おけないというか、今のはしかたがないんじゃないか。
﹁え、なになに! 修羅場!? 私も私も!﹂
と、そこにさらにフーが目をキラキラと輝かせながら近づいてく
る。順にシノ、スズに目を向けて、ハッとなにかを理解したように
素早く頷いた。
そして、開いていた俺のもう一つの手を掴み、フーが自らの頭の
上に置く。
﹁つまりこういうこと?﹂
﹁どういうことだよ﹂
もちろん撫でるはずもなくグーにして頭に拳を落とす。トン⋮⋮
いや、ゴンッと予想以上に鈍い音を響かせてフーの顔が雪に沈んだ。
﹁あれ?﹂
﹁い、痛いよ酷い! 私生産職しか選んでないんだからノートの高
いSTRでこんなことされたら即死級だよ!﹂
﹁わ、悪い。そういや一〇〇レベル越えてたな⋮⋮﹂
ここまで来ると力加減も難しくなってくるか。いや、︿ソウルイ
ーター﹀の適応能力はかなりのものだから、少し慣れれば簡単に制
1021
御ができるはずだ。
ここでさらにフーがなにかを閃いたような顔をした。嫌な予感が
して後ろに下がろうとしても、シノが未だ張りついていたり片手が
スズに取られていたりで動けない。
シュバッとバッタが飛ぶごとく素早く起き上がったフーが、もう
一度俺の手を取った。そして今度は抱きかかえてきた。出し得る全
力でぎゅっとしているようで顔が結構必死だった。
﹁これで振り払えないでしょ! 私の勝ち! 下手にやったら私死
んじゃうからね! う、動かさないでね!﹂
﹁いや⋮⋮怖いならやるなよ⋮⋮﹂
もはや彼女の行動には呆れしか出てこない。なにに勝ったという
のか。
﹁フー、ダメ﹂
﹁ふっふっふ、リンちゃ、ひぃ!? ご、ごめ⋮⋮い、いや、ここ
で引いちゃダメ! ノートの次はリンちゃんに勝たないといけない
んだ⋮⋮逃げちゃダメ逃げちゃダメ⋮⋮!﹂
ブルブルと体を震わせながらより強く俺の腕を抱きしめて、無表
情で睨むという器用なことをしているスズを見返すフー。一体お前
はなにと戦っているんだよ。そう言いたい。
⋮⋮⋮⋮それから、さっきからずっと意識しないようにがんばっ
てるんだけど、フーの胸が当たって精神がキツい。怖いからって力
を強めるのはわかるが俺のことも考えてくれ。吹っ飛ぶかもしれな
いとか考えるとうかつに振り払えないから。
煩悩退散。去れ。スズとは長い付き合いだから、そういうこと考
えるとすぐに感づかれる。なんとか耐えるしかない。
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﹁⋮⋮⋮⋮ホント罪作りな野郎ですね、ノートは﹂
そんなメイの言葉が妙に俺の耳に鮮明に届いていた。
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6−3:現状と結成のイデアパーティ︻?︼︵前書き︶
クリスマスプレゼントです。
⋮⋮嘘です。諸事情によりパソコンが壊れ、家でしばらく書けなく
なりながら、ようやく完成した時がちょうどイブだっただけです。
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6−3:現状と結成のイデアパーティ︻?︼
俺が意識を失ってたのは三日。その間、四人は順番であれだけ寒
いところでずっと警戒してくれていたらしい。本当に頭が上がらな
い。感謝感激雨あられというやつだ。
外は凍えるということで、シノとフーを加えて早々に部屋に戻っ
た。
フーがいくつものイスをインベントリから取り出してくれたので、
それぞれ机を取り囲むように全員で座る。
﹁えーっと、私は︿Free﹀。気軽にフーって呼んで! メイち
ゃんよろしくねー﹂
三日も一緒にいながら自己紹介などまともにしていなかったらし
く、まずはという具合にフーが口にする。
とは言え、知り合いではないのはフーとメイの二人、それからシ
ノとメイだけだ。その後すぐにシノも落ち着いた様子で﹁シノ、で
す。よろしくおねがいします、です﹂とメイへと放った。
﹁︿天才﹀や︿人喰い﹀とも知り合いとは、ホントノートの交友関
係はどうなってやがるんですか﹂
﹁って言われてもな。フーとはまだこの世界がゲームだった頃に知
り合って、シノともなんやかんやあって仲良くなっただけだよ﹂
﹁ふぅん。まーいーです。私はメイって言います。二つ名は︿主﹀、
よろしくです﹂
確かにまぁ、メイが言う通りすごいメンバーが集まったと言えば
そうだ。
まさしくこの世界最強のプレイヤーである︿最強﹀のスズ。七人
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しかいないプレイヤーキラーの頂点、︿人狩り﹀と︿人喰い﹀。
生産系統プレイヤーの最上位とまで言われているらしい︿天才﹀
フー。︿最強﹀や︿最高﹀に続く第三位プレイヤー、︿主﹀のメイ。
﹁いっそこのメンバーでパーティでも組めばおもしろいかもな﹂
﹁あ、それいいね!﹂
俺の呟きに真っ先に反応したのは当然フーである。
﹁おもしろそう! それ私賛成します!﹂
﹁まぁそう言ってもらえると嬉しいけど、もっと他にやることある
んじゃないか? フーだってほら、弟子のひーちゃんはどうしたん
だよ﹂
﹁あの子ならちょっと前に﹃しばらく修行の旅に出ます。探さない
でください﹄ってメモ残してどっか行っちゃったからだいじょーぶ。
それに私はなるべくノートくんのそばにいたいし﹂
という発言に、スズが鋭く目を細めてフーへ視線を送り始めた。
いや、たぶんそういう意味で言ったんじゃないと思うが。
案の定、﹁だっておもしろそうだし﹂と続けたことで即座にスズ
も興味なさげな目になって宙に視線を泳がせ始めた。
しかし修行か⋮⋮彼女はフーと違って常識人の部類だと思ってい
たんだが、フーと師弟関係を結べるくらいは変人だったということ
だろうか。人は見かけや口調によらない。
﹁私も別にいーですね。今更ソロに戻るのも、なんだかちょっと寂
しい気もしやがります﹂
メイが少々恥ずかしそうにそう言った。彼女とは森の遺跡で出会
ってから大抵一緒に行動しているが、そういえばそれまではソロの
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上位プレイヤーだったか。スズと同じく一人で生きてきた彼女の力
が加わると、やはりパーティも安定してくるはずだ。
﹁私も、です。もう逃がさない、です﹂
﹁⋮⋮言わずもがな﹂
シノとスズの返答には特に驚きもなにもなく至って予想通りであ
る。シノの逃がさない発言には苦笑せざるを得なかったが。
ということは⋮⋮これは本当にパーティを組んでもいいというこ
とか?
﹁どーするんだです、ノート。後はノートだけですよ﹂
﹁俺、か⋮⋮まぁ、そうだな﹂
目を瞑り、少し考える。
当初の目的であったスズはすでにここにいる。自分の能力をコン
トロールできるだけの力もすでに持っているはずだから、シノと一
緒にいても傷つけてしまうことはもうないはずだ。
メイは頼りになる、一緒にいてくれるのはありがたい。フーは俺
やスズの友達で、一緒にいてくれるというのなら歓迎するしかない。
﹁⋮⋮これから俺がやりたいって思ってることは、このゲームの攻
略だ。︽AI︾はゲームをクリアしたところでゲームから出られる
とは言ってないが出られないとも言ってない。現状でこの世界から
脱出ができる一番確率が高い方法はそれなんだ。だからこそ俺は挑
まなきゃいけないと思ってる﹂
このままどこか遠くて安全なところに引きこもったっていいのか
もしれない。
でも、俺には責任がある。たくさんの命を奪った代償に、その多
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くの者が望んだであろうゲームクリアに手を伸ばす。
それだけ、というわけでもない。
もしも誰かに殺されそうになった時、スズやシノたちがピンチに
なった時。力がなければ助けることは敵わない。
危険に立ち向かうために危険に身を侵す。まったくおかしな話で
はあるのだが、なにもせずに誰かを守れないくらいならば、全力を
尽くしてこの命を使い果たしたい。
﹁最前線だ。死ぬ確率が一番高い場所だ。それでもついてきてくれ
るんなら、俺は喜んで歓迎したい﹂
そんな俺のセリフに一秒も間を置かず、メイが大きくため息を吐
いた。
﹁前置きなげーんですよ、ノート。素直に﹃寂しいからついてきて
くれ﹄とでも言えばいいじゃねーですか﹂
﹁えっ? それメイちゃんじゃないの?﹂
﹁⋮⋮うっさいです。あれは口が滑っただけです﹂
﹁つまり本音ってことだよね?﹂
﹁だからうっせーって言ってるですっ﹂
顔を真っ赤にしてフーに反論するメイがおかしくて、思わず口か
ら笑みがこぼれていた。
全員の顔を見渡して、皆が断る様子もなく俺を見据えているのを
確認して手を前に伸ばした。
﹁手を重ねよう﹂
スズ、シノ、フー、メイが順番に乗せていく。
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﹁これから俺たちは一つの集合体、隣にいるやつはいつだって仲間
だ。まだ会ったばっかりで全然知らない人もいるだろうけど、これ
から絆を深めていけばいい。誰一人として欠けさせず⋮⋮一緒にこ
の世界を脱出しよう﹂
頷くスズとシノ、満面の笑みを浮かべるフー、口の端を小さく吊
り上げるメイ。
それぞれがそれぞれに肯定の返事をしてくれたことを俺も嬉しく
感じた。
﹁それじゃあパーティ名とか決めようよ! ほら、その方が雰囲気
あるでしょ?﹂
全員が手を離した頃にフーが言い出す。
﹁そーですね。私はなんでもいーですよ、まぁ変なのだったら文句
言うけどなです﹂
﹁文句言うんじゃなんでもいいってわけじゃないんじゃ﹂
﹁うっせー揚げ足とりやがんなです﹂
首を傾げるフーにメイが口を尖らせる。会ってしばらくなのに気
軽に話ができているようでなによりだ。
﹁⋮⋮にぃにに決めてほしい﹂
﹁あ、それ私も同じ、です﹂
呟かれた言葉に反応してみれば、スズとシノが期待の目で俺を見
つめていた。
﹁まぁノートなら安心じゃねーですか? そこのハイテンションモ
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ンスターフーと違ってまともそーなの考案してくれそーですし﹂
﹁私のネーミングセンスは至って普通だと思うけど⋮⋮あ、でもノ
ートくんが決めるのは私も賛成かな﹂
フーとメイもそう言ってくれる。まぁ、確かにフーのネーミング
センスは安直ながらも変とまでは行かないだろう。変、というのは
前にフーやシノたちと行ったことがある﹃わっふんらいにゃー﹄と
かその辺だ。
⋮⋮考えてみると、あの店のネーミングセンスはホントにすごか
ったな。
﹁俺が、か。希望に沿いたいところだけど、そこまでいいもの出な
いかもしれないぞ?﹂
﹁だいじょーぶですよ、納得いかねー、となったら素直に文句言っ
てやりますし﹂
まぁ、そう言ってくれるなら安心して考えられるというものだ。
顎に手を添えてしばらく考え込み、ふと、一つの単語が浮かんで
口に出す。
﹁イデア﹂
全員が俺を見つめていた。
﹁俺たちがこれから目指すのはこの世界の終わりだ。誰もが望む理
想を求める⋮⋮安直でちょっとキザっぽいけど、どうかな﹂
﹁私はいーですよ﹂
﹁ノートらしくていいと思う?﹂
﹁賛成﹂
﹁かっこいい、です﹂
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それぞれがそれぞれに肯定の意を示してくれる。
⋮⋮本当は、このパーティが俺の理想だという気持ちから出た言
葉だ。
イデア
大切な妹、相棒、友達。これまでずっと俺を支えてきてくれたり、
ともに歩んできた仲間たちと一緒にいる。それはまさに理想ではな
いかと。
少し恥ずかしくて本当のことは口にはできなかったが、考えるこ
となく即答してくれた四人を思い返すと口の端から笑みがこぼれて
きた。
﹁⋮⋮それじゃ、今日はもう遅いしな。とりあえず今日は休んで、
明日からいろいろやろう﹂
絶対に誰も死なせない。
決意を新たにして、俺たちは新しい明日を迎える。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n1846bf/
Eternal Dystopia Online
2013年12月24日14時32分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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