オーストラリア ウラーラ市 シドニー湾を一望する高級住宅街 - 自治体国際化協会

シドニー湾を一望する高級住宅街
オーストラリア
ウラーラ市
シドニー事務所所長補佐
水野 智文(姫路市派遣)
シドニー
ウラーラ
シドニー中心部の東に位置するウラーラ市は、シドニー湾に面した風
光明媚な高級住宅街として有名である。ウラーラ市役所は歴史的建造
物を利用した環境に優しい建物として高い評価を得ている。また同市
は、90年近く前に白瀬南極探検隊が駐留した地で、日本とのかかわ
りも深い。
探
検
隊
記
念
碑
を
見
学
し
た
。
cクリストファー・ドーソン前市長(中)とガーリー・ジェームズ ゼネラルマネジ
ャー(右)と塚田シドニー事務所長(左)
ル
・
ベ
イ
に
は
高
級
シ
ョ
ッ
ピ
ン
グ
街
が
あ
り
、
こ
こ
平
均
値
の
約
一
・
五
倍
と
い
わ
れ
る
。
ま
た
、
ダ
ブ
ウ
ラ
ー
ラ
市
民
の
収
入
は
、
シ
ド
ニ
ー
大
都
市
圏
の
最
も
地
価
の
高
い
高
級
住
宅
街
と
し
て
知
ら
れ
、
観
保
護
指
定
地
区
と
一
六
d
の
渚
が
存
在
す
る
。
ア
を
有
す
る
風
光
明
媚
な
都
市
で
、
四
五
ha
の
景
ロ
ー
ズ
・
ベ
イ
、
ワ
ト
ソ
ン
ズ
・
ベ
イ
と
い
う
ベ
イ
エ
リ
規
模
で
あ
る
。
シ
ド
ニ
ー
湾
の
中
で
ダ
ブ
ル
・
ベ
イ
、
都
市
で
、
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
の
自
治
体
と
し
て
は
中
す
る
面
積
一
二
・
四
h
、
人
口
五
万
一
〇
〇
〇
人
の
共
機
関
︵
バ
ス
、
電
車
︶
で
一
〇
分
の
距
離
に
位
置
ウ
ラ
ー
ラ
市
は
、
シ
ド
ニ
ー
中
心
部
か
ら
東
に
公
史
的
建
造
物
で
あ
る
市
役
所
な
ら
び
に
白
瀬
南
極
そ
の
後
に
意
見
交
換
を
行
っ
た
。
ま
た
、
有
名
な
歴
そ
れ
ぞ
れ
の
部
門
の
役
割
に
つ
い
て
説
明
を
受
け
、
市
で
は
、
市
役
所
の
四
つ
の
部
門
の
責
任
者
か
ら
パース
に
取
り
組
ん
で
い
る
。
今
回
紹
介
す
る
ウ
ラ
ー
ラ
会
と
し
て
、
年
間
四
∼
五
団
体
の
ペ
ー
ス
で
積
極
的
体
の
状
況
を
実
地
で
知
る
格
好
の
職
員
研
修
の
機
見
交
換
を
行
っ
て
い
る
。
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
の
自
治
自
治
体
を
訪
問
し
、
市
長
ほ
か
自
治
体
幹
部
と
意
当
事
務
所
で
は
、
二
年
前
か
ら
シ
ド
ニ
ー
近
隣
の
シドニー
は
じ
め
に
概
要
cウラーラ市役所で説明を受ける職員
自治体国際化フォーラム Dec. 2003
24
ウラーラ区分地図
が
も
た
ら
す
美
し
さ
と
、
ユ
ニ
ー
ク
で
多
種
多
様
・
ハ
ー
バ
ー
サ
イ
ド
の
指
定
区
域
を
整
備
し
、
自
然
を
掲
げ
て
い
る
。
て デ ー ラ 数 ラ 八 て パ 自 八 ら ュ ー
ブ で
ウ い ィ 市 ー を か 九 存 デ 治 六 三 ー パ 現 ル は
ラ る ン の ラ 減 ら 四 在 ィ 体 〇 人 ズ ー 在 ・.
す
ペ べ
ー 。 ト 一 と ず 分 年 し ン と 年 の の 、
の
.
ダ
ン 部 再 る 離
イ て
ラ
に て ト し に 議 五
ブ ウ ﹂ の
は
つ
ン
市
員
び
い
ラ と
ウ と 合 州 独 住 た は て 一 が の ル
で
・ ー も 品
法 立 民
な
認 四
ラ
区
ベ ラ
別 め 四 選
物
は
ー る 併 に し が 。
か イ 市 い の
個
ま
現
出
し
よ
た
ら 人
わ
州
ラ 。
ら 、
在
り 。 政 た の れ の さ な パ は れ 価
と そ 、
パ
格
以
一 府 、 繁 た 住 れ
合 の デ 、
り デ 、
ボ
ベ て が
ボ
下
ィ
い
併 後 ィ ー 九 に ー 栄 。 民 て
ル
い 、
高
の
し 一 ン ク 四 請 ク し 当 の る そ ン
ビ る
ト
三
て 九 ト リ 八 願 リ た 時 請 。 れ ン ュ 。 い
こ
つ
現 六 ン ュ 年 し ュ 自 は 願 同 ぞ 、 ー
と
の
・
在 八 は ー の 、 ー 治 、 に 市 れ ボ ヒ
か
ビ
現
自
体
ズ
ウ
に 年 シ ズ
よ は の ー ル
ジ
ら
﹁
至 に ド は 治 ラ も と 在 っ 、 区 ク 、
ョ
っ パ ニ ウ 体 ー 一 し の て 一 か リ ク
ン
ダ
下
ろ
す
景
色
の
良
い
場
所
に
立
地
し
、
訪
問
す
る
c市役所から見えるシドニー湾
れ
て
い
る
。
市
民
サ
ー
ビ
ス
セ
ン
タ
ー
の
上
に
位
置
分
は
、
環
境
を
考
慮
し
た
近
代
的
な
設
備
が
施
さ
観
と
は
対
照
的
に
、
新
た
に
つ
く
ら
れ
た
地
下
部
ー
ビ
ス
セ
ン
タ
ー
を
つ
く
っ
た
。
そ
の
歴
史
的
な
外
新
た
に
二
〇
〇
〇
㎡
の
オ
フ
ィ
ス
空
間
と
市
民
サ
ア
ド
ル
︵
約
八
億
円
︶
を
か
け
て
、
庭
園
の
地
下
に
修
す
る
こ
と
と
な
り
、
一
〇
〇
〇
万
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
化
の
た
め
、
取
り
壊
す
こ
と
も
検
討
さ
れ
た
が
改
ト
ラ
リ
ア
空
軍
が
使
用
。
︶
一
九
九
七
年
に
は
老
朽
25 自治体国際化フォーラム Dec.
四
二
年
か
ら
一
九
四
六
年
は
戦
争
の
た
め
オ
ー
ス
2003
四
七
年
か
ら
市
議
会
と
し
て
使
用
さ
れ
る
︵
。
一
九
後
、
一
九
四
〇
年
に
ウ
ラ
ー
ラ
市
が
購
入
し
、
一
九
功
し
た
商
人
の
邸
宅
と
し
て
建
て
ら
れ
た
。
そ
の
ビ
ラ
﹂
と
呼
ば
れ
る
こ
の
建
物
は
、
一
九
世
紀
に
成
市
民
の
目
を
楽
し
ま
せ
て
い
る
。
﹁
レ
ッ
ド
リ
ー
フ
・
現
在
の
ウ
ラ
ー
ラ
市
役
所
は
、
シ
ド
ニ
ー
湾
を
見
歴
史
的
建
造
物
を
市
役
所
に
cウラーラ市役所
ボークリューズ
ベルビュー・ヒル
クーパー
パディントン
ダブル・ベイ
ボークリューズ
Vaucluse Ward
ベルビュー・ヒル
ダブル・ベイ
Bellevue Hill Ward
Double Bay Ward
クーパー
パディントン
Paddington Ward Coooper Ward
促
進
す
る
。
と
、
地
域
の
利
益
と
な
る
質
の
高
い
サ
ー
ビ
ス
を
を
実
現
す
る
自
治
体
及
び
議
会
の
多
様
な
公
約
・
類
ま
れ
で
う
ら
や
む
べ
き
豊
か
さ
と
高
い
水
準
促
進
す
る
。
め
に
、
積
極
的
な
地
域
社
会
の
参
画
を
支
持
し
ス
と
効
率
的
な
イ
ン
フ
ラ
基
盤
を
実
現
す
る
た
・
健
康
的
な
社
会
環
境
、
適
切
な
文
化
的
サ
ー
ビ
ら
れ
る
最
高
の
環
境
を
築
き
上
げ
る
。
な
文
化
遺
産
と
商
業
区
域
に
よ
っ
て
特
徴
づ
け
のオ
証ー
ス
白ト
瀬ラ
南リ
極ア
探と
検日
隊本
記の
念友
碑好
:
二
〇
〇
二
年
三
月
に
、
白
瀬
中
尉
に
よ
る
南
極
用
部
門
を
受
賞
し
た
。
〇
一
年
ナ
シ
ョ
ナ
ル
ト
ラ
ス
ト
︵
N
S
W
州
︶
賞
の
転
思
え
な
い
快
適
さ
で
あ
っ
た
。
︶
こ
の
改
修
は
二
〇
︵
実
際
、
地
下
部
分
に
入
っ
て
み
る
と
、
地
下
と
は
っ
て
お
り
、
環
境
に
優
し
い
建
物
と
な
っ
て
い
る
。
け
て
地
下
部
分
の
オ
フ
ィ
ス
に
送
る
仕
組
み
に
な
と
も
に
、
シ
ド
ニ
ー
湾
か
ら
吹
い
て
く
る
涼
風
を
受
が
ガ
ラ
ス
で
で
き
て
お
り
、
日
光
を
採
取
で
き
る
と
c白瀬南極探検隊記念碑
待
ち
遠
し
い
。
な
経
験
と
な
っ
た
。
早
く
も
次
の
自
治
体
訪
問
が
エ
ピ
ソ
ー
ド
を
知
る
こ
と
が
で
き
て
大
変
有
意
義
近
く
昔
の
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
と
日
本
と
の
友
好
の
境
を
考
慮
し
た
市
役
所
を
見
学
し
、
さ
ら
に
百
年
換
す
る
と
と
も
に
、
歴
史
的
な
建
物
を
活
用
し
環
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
の
自
治
体
職
員
と
直
に
情
報
交
私
に
と
っ
て
は
、
初
め
て
の
自
治
体
訪
問
で
あ
っ
た
。
今
年
の
四
月
に
シ
ド
ニ
ー
事
務
所
に
赴
任
し
た
お
わ
り
に
設
置
し
ま
す
。
﹂
体
の
設
備
が
見
受
け
ら
れ
る
。
こ
の
設
備
は
上
面
す
る
庭
園
に
は
、
ソ
ー
ラ
ー
シ
ス
テ
ム
に
似
た
直
方
デ
ビ
ッ
ド
氏
で
あ
る
。
一
九
〇
七
年
に
南
極
探
検
人
が
、
シ
ド
ニ
ー
大
学
地
質
学
教
授
エ
ッ
ジ
ワ
ー
ス
・
隊
に
援
助
の
手
を
差
し
伸
べ
た
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
か
け
ら
れ
、
苦
境
に
立
た
さ
れ
る
。
こ
の
時
、
白
瀬
永
遠
の
友
好
の
証
し
と
し
て
、
こ
の
記
念
銘
板
を
ス
ト
ラ
リ
ア
の
初
期
の
友
情
を
記
念
し
、
両
国
の
﹁
隊
の
最
南
地
点
到
達
九
〇
周
年
と
日
本
と
オ
ー
れ
て
い
る
。
cウラーラ市役所の庭園(中央にソーラーシステムが見える)
ス
パ
イ
行
為
を
行
っ
て
い
る
の
で
は
と
い
う
疑
い
を
ウ
ラ
ー
ラ
市
の
記
念
碑
に
は
次
の
よ
う
に
記
さ
基
地
に
も
近
か
っ
た
た
め
、
現
地
の
新
聞
に
よ
り
と
と
な
る
。
キ
ャ
ン
プ
地
が
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
海
軍
ラ
ー
ラ
市
で
約
半
年
間
キ
ャ
ン
プ
生
活
を
送
る
こ
に
す
る
。
こ
の
時
に
、
パ
ー
ス
リ
ー
湾
に
面
す
る
ウ
ト
ラ
リ
ア
に
引
き
返
し
て
南
極
の
夏
を
待
つ
こ
と
悪
天
候
に
翻
弄
さ
れ
た
た
め
、
や
む
な
く
オ
ー
ス
ー
ジ
ー
ラ
ン
ド
の
ウ
ェ
リ
ン
ト
ン
を
出
港
す
る
が
、
ぼ
同
時
期
に
南
極
点
を
目
指
し
﹁
開
南
丸
﹂
で
ニ
ュ
世
紀
の
初
め
に
ア
ム
ン
セ
ン
隊
、
ス
コ
ッ
ト
隊
と
ほ
同
で
建
立
し
た
も
の
で
あ
る
。
白
瀬
隊
は
、
二
〇
白
瀬
中
尉
の
生
誕
地
で
あ
る
秋
田
県
金
浦
町
が
共
市
に
建
立
さ
れ
た
。
記
念
碑
は
、
ウ
ラ
ー
ラ
市
と
探
検
九
〇
周
年
を
記
念
す
る
記
念
碑
が
ウ
ラ
ー
ラ
と
ゆ
き
は
ら
︶
と
命
名
す
る
。
し
、
そ
こ
に
日
章
旗
を
立
て
、
﹁
大
和
雪
原
﹂
︵
や
ま
一
月
二
八
日
に
南
緯
八
〇
度
〇
五
分
ま
で
到
達
プ
レ
ゼ
ン
ト
す
る
。
結
局
白
瀬
隊
は
、
一
九
一
一
年
授
に
友
情
の
証
と
し
て
自
分
の
大
切
な
日
本
刀
を
な
セ
レ
モ
ニ
ー
の
時
に
、
白
瀬
中
尉
は
デ
ビ
ッ
ド
教
検
に
チ
ャ
レ
ン
ジ
を
す
る
。
出
港
前
の
さ
さ
や
か
一
九
日
に
シ
ド
ニ
ー
港
を
出
港
し
、
再
度
南
極
探
助
の
お
か
げ
で
白
瀬
隊
は
、
一
九
一
一
年
一
一
月
供
し
て
く
れ
る
。
教
授
の
物
心
両
面
に
わ
た
る
援
有
益
な
南
極
の
地
理
的
、
地
質
学
的
な
情
報
を
提
の
権
威
者
や
実
業
家
に
協
力
を
募
る
と
同
時
に
、
に
実
際
に
参
加
し
た
経
験
を
持
つ
教
授
は
、
地
元
自治体国際化フォーラム Dec. 2003
26