読後感 岡山県津山市 岸本直哉様 g くもので、単なる「お国自慢」や「風聞」とは全く 異なる重厚なものである。これは執筆者の資質の高 べ芳書拝受の御礼と致します。 ことができる。 であろう。山口県人に非ずとも、好感を持って読む さによるものであることは勿論であるが、創始者金 「蒙談四十一号」について 三、山口に係わる史実、人物を中心としつつ、芸術・ さて、この度は「蒙談四十一号」をご恵贈いただ 一、偉人金本利雄氏への畏敬と追憶の情に包まれた 宗教などの所論および随筆など多彩な収録で、読者 本氏を中心とする同人の思想を反映するとともに、 芳書である。それは巻末の「特集」は勿論、諸論文 の教養を高めるとともに、感興を喚起する。論述は き有り難うございました。厚く御礼申し上げます。 の随所にうかがわれる。 アカデミックであっても、いわゆる学術論文調を避 「山口」が占めた日本史上の位置が然らしめるもの 二、「郷土山口」への愛着と誇りが底流となり、奔 けた、親しみのもてる、情の籠もった麗筆が多い。 早速、拝読いたしました。以下に小生の感想を述 流となって具現している。しかし、それは充分な研 究(史資料・見聞調査などに裏打ちされた)に基づ 所載された各論について・・・私の感じたこと 井 上 馨ら の 渡英 に ついて は 一 般に よ く知 ら れて いる。私は、杉の渡欧についてはこの記事によって 困難である。国司氏の場合は先祖が家老職という名 数 代 に さか の ぼっ て 正確に 叙 述 する こ とは か なり における事績を紹介している。一般に自家の歴史を 君清末毛利家の毛利元純(著者の曽祖父)の幕末期 母は主君の子であった。自家の歴史を尋ねつつ、主 著者国司氏の祖父は清末毛利家の家老であり、祖 ことを指摘している。しかし、 「藩が馬関攘夷戦に 報 告 が 当時 の 長州 藩 の政略 に 大 きな 影 響を 与 えた てのレベルの高さを痛感した。著者小山氏は、杉の の所在が明確に理解できる。また、杉の査察者とし しかも詳細に示されており、当時の日本武士の関心 欧州への道中および英・蘭両国での知見が要領よく、 「両公伝史料」の記述は参考になる点が多かった。 初めて知ることができた。紹介している杉の報告書 門であり、しかも幕末動乱期において歴史上顕著な 踏み切らざるを得なかった。」と述べている点に山 一、 「自分史函にある一枚の写真」 行動をした人物に仕えていたことにより、史料に恵 口人の思いが滲んでいるようだ。 会津(ことに日新館と明倫館)との間の人物交流の 味に富んだ佳話が潜んでいる。著者田村氏は長州と い わ ゆる 正 史に は 採録し き れ ぬ史 実 の中 に 人情 三、「続 長州と会津恩愛の絆」 まれてこれが可能となった。ただ、実際に実情を検 証し、歴史を叙述するには相当な努力が必要である。 お そ ら く著 者 の先 祖 への敬 愛 の 情の 深 さが こ れを 達成させたのであろう。 二、 「杉孫七郎の欧州見聞記」 中にみられた佳話を克明に収録された。禁門の変か ら 戊 戌 戦争 ま での 歴 史のな か で の厳 し い対 立 を余 ている。それなりに勉強させて頂いた。 この件については、 「伊藤博文と韓国併合」 (海野 六、「伊藤博文暗殺事件」 る願いをこめた一文とみられる。信州出身の著者田 福寿著。青木書店。二〇〇四年) 、 「史伝 伊藤博文 儀 な く され た 両者 間 の確執 の 残 滓を ふ っし ょ くす 村 氏 が 会津 領 主に 思 いを寄 せ る 一面 も あっ て のこ 下」(三好徹著。徳間文庫。二〇〇〇年)にも論述 末の指摘は厳しい。 の実績を考証する視点からの厳格な論述である。文 毛利氏による支配に先行した、大内氏による支配 八、「大内氏館跡発掘調査にかかわる諸問題」 市民の自主的参加の熱意に敬意を感じる。 七、「国民文化祭・やまぐち二〇〇六」 いる。 されている。両者とも安重根単独犯に疑問を呈して とかと思われる。 四、 「 『会津残照』出版始末記」 仙 石 善四 郎 氏の 感 想文の う ち より 興 味を 感 じた 点 を 列挙 すれ ば次 の点 。「 高 遠衆 と信 州人 の気 質」 「松平容保と東条英機」 「会津篭城と沖縄戦」 「戊戌 戦争と仙台藩」 「『会津残照』と戦前派の共鳴」。 五、 「明治の乱『愚考』 ・人、それを謀反・反逆とい うか」 題名は「佐賀の乱について」あたりが適当かと思 われる。江藤新平を中心に佐賀の乱について力説し 九、 「藤井清先生のご生涯について」 明治時代、山口県出身政治家は著名である。しか し、他の分野にも幾多の偉人がある。この論文はそ こに光を当てた佳作といえよう。勉強になった。 十、 「 『天草回廊記』上巻を読む」 史料発掘の苦労と喜びが如実に示されている。 「初心忘るべからず」の真意を学ぶことができた。 世阿弥の解説がよく理解できた。 十四、 「山口県特別支援教育百年覚え書き」 一 般 に知 ら れて い ない事 柄 を しん し に紹 介 され ていて貴重である。 「蒙談」の幅広さを思う。 十五、 「やはりイスラームを考える」 この論文は貴重な知識と示唆を与えてくれた。三大 イスラームについて何ひとつ知らぬ私にとって、 陶 磁 器美 術 を心 底 から愛 好 す る著 者 の筆 が 踊っ 宗教および神道の基本理念の特質。コーランはその 十一、 「 『名工を発掘する』 」 ている。その造詣の深さに感服する。「埋もれた名 全てが元祖の言葉であったか、イスラームの優れた 一神教の最大の欠陥。現代世界におけるイスラーム 点と問題点。イスラームの原理主義と世俗化の流れ。 工は足で発掘するしかない」とは至言である。 十二、 「宇治十三塔を仰ぐ」 十六、 「佐用姫伝説を追って」 日徳海・妙覚寺山の十三重塔のことを思い出した。 との対応。以上について考えさせられた。 十三、 「世阿弥とその心」 縁の事物の紹介。湯田佐用姫社と陽物信仰。賽の神 初めてこの伝説について知った。唐津周辺の伝説 情を備えていたのであろう。 しい批判、和やかさ・・・それを包み込む友情と愛 らぬ気の置けぬ場、話題の奥深さ、文化の薫り、厳 二十七人におよぶ多数の方々が、それぞれ故人と 二十一、「偲ぶことば」 感謝と残された者の決意を表す立派な文である。 故人金本利雄氏の人物・功績をたたえ、故人への 二十、 「弔辞」 深さと真摯な態度がうかがわれる。 具―表装の栞」に金本利雄氏の職についての造詣の を紹介し、同氏に対する敬愛の情を表している。 「表 体的に述べながら、金本利雄氏の人情や力量の一端 同 人 の一 人 と金 本 利雄氏 の か かわ り につ い て具 十九、 「表具の名人は和菓子が好きだった」 との係わり、その何れについても初めての知見であ った。前半分は史的考察を含めた優れた紀行文、後 半 は 民 俗学 的 論述 で あるが よ ど みの 無 い文 章 に好 感をもった。 十七、 「チャーの死」 その飼い始めから終焉に至るまで、永年暮らしを 共にしてきた愛猫の様子を克明に、しかも、軽妙に 叙述している優れた随筆である。行間に濃やかな愛 情が滲み出ている。文末に自らの終焉はかくありた しの意をほのめかすなど、心に響くものがある。 十八、 「心の時代と蒙談会」 心暖まる会合とは如何なるものであろうか。金本 利雄氏を囲む蒙談会がその典型であったようだ。飾 戸高一成 高橋紀夫 阿岸鉄三 東京都 永井友二郎 野村克政 新村富士夫 対馬市 小林東五 の縁に触れて、心情濃やかな弔文を記しておられる。 下関市 田中耕三 故人の偉大さが改めて理解できる。 二十二、「執筆者紹介」 呉市 福島市 藤井 旭 職業・経歴などの多彩さに驚く。この方々が心を 込めて参加し、執筆していることに蒙談の豊かさを 篠山市 木村紀夫 東京都 西岡和彦様 まれています。いわく「忠孝巌」です。 崎某に与え、それが竹原市の礒宮八幡宮の磐座に刻 高く評価し、文天祥直筆の「忠孝」の書を弟子の唐 ました。小生が研究しています山崎闇斎は文天祥を 文天祥の「忠孝の拓本掛軸、大変立派で感激致し 和歌山市 茂原 治 感じた。 以上浅学非才の門外漢である私の、勝手な失礼と もいえる感想を述べさせて頂きました。不都合の段 がありましょうが、何とぞご寛容の程お願い申し上 げます。 読後感想を頂いた方 出雲市 千家尊祐 仙台市 仁田新一
© Copyright 2024 ExpyDoc