270 - TOK2.com

東京黒百合会会報
平成 19 年 12月号
東京黒百合会 事務局 牧野尊敏 松戸市稔台
ホームページアドレス
上図:
笠原 寛氏 日展入選作品
「山里好日」 油彩 F100
なお、エルム写生会開催日に注意して
ください。
所:神代植物公園
集合;公園入り口
午前 10 時 30 分
駅:JR三鷹駅または京王線調布から
お知らせ
評
会
時:12 月 16 日(第三日曜日)
午後2時から
所:下谷製本会館
駅:地下鉄銀座線稲荷町駅
会報編集発行 小石浩治
http://kuroyurikai.art-studio.cc/
(写真提供:後藤一雄氏)
※上記国立新美術館にて 12/9 まで開催
--------------
◆合
通巻 270 号
2-16-9 ☎047-363-7410
□
■
◆エルム写生会
時:12 月 13 日(第二木曜日)
今月は日程変更します。
- 1 -
□
展覧会感想
□ □
東京都美術館で開催の第 32 回新芸術展
をみてきました。松田氏が出品されてい
ます。題名は、
「白い影」油彩 F100 の大
作です。作品に奥行きがあり、色もきれ
いですぐれた作品に仕上がっています。
朝 1 番 9 時に行ったせいもあり、会場に
はまだ人がほとんどいなくゆっくり見ら
れ、そして撮影ができました。
見終わったところで、松田さんにお会い
することができ幸いでした。
HP に掲載しましたので、ご覧になってく
ださい。(後藤 記)
★
11 月号会報記事のお詫びと訂正
東京黒百合展会員画評集のうち、画評者を取り
違えて掲載してしまいました。以下の作品寸評が
正当です。作者ならびに画評者のお二人に謹んで
お詫びいたします。(編集:小石浩治)
20. 佐々木俊明 「橈・華」
画評
松田忠好氏画
大谷
敏久
裸婦に寄せる想いと研鑽の深さを覚えま
す。いつも共演する楽器や器物に替わって
華・ハイビスカスを選んだのは「かねてか
らの追求のひとつ」なのでしょうか。少な
い色数と大胆な構成に素晴らしい迫力と美
しさを感じます。
このように単純化すると抽象に近い魅力
が生まれるものと敬服します。裸婦がとて
も綺麗です、とくに肌色と陰と影が。
風景の多彩と共に「新しいおどろき」を
楽しみにしています。
「白い影」 油彩 100 号
http://kuroyurikai.art-studio.cc/
■ 第 29 回大洋展(11/22~29,都美術館)
11 月 23 日、大洋展見てきました。
秋晴れの一日、上野公園は、朝から人が
いっぱいでした。大谷、建脇、江木、喜
多、加藤さんと喜多さんの奥さん田崎さ
んの 6 氏が出品されていました。
寄 稿
黒百合展で思ったこと
青木 宏
会期中に何人かの会員と話しているうち
に、或る事に気がつきました。「自分はこ
れを画きたくて今度の作品を画いたが、出
来具合はどうか」と聞かれて絵の前に行っ
てみると、その画きたい「これ」ばかりが
目だってどうもしっくり来ない。絵の前で
色々と 説明を聞き、そう言われればなる
ほどと思う部分もありますが、では説明を
聞かない人はこの絵をどう見るだろうと不
安になります。このような場面に何回か出
くわしました。
上図:
加藤文男氏
「晩秋の白樺湖」
黒百合会 HP にも載せましたので、ご覧に
なってください。(後藤 記)
- 2 -
そこで昔、黒百合展の会場で聞いた小川
先輩の批評の言葉が思い出されます。
当時アルプスやヒマラヤのトレッキング
に出かける山好きのP先輩がいました。
彼は毎回山の絵ばかり出品して、いつも
我々に画面の山について色んな説明をして
くれました。ある時絵の前の我々のそばに
小川先輩が近寄ってきて説明中のP先輩に
むかい、「君、山を画くんじゃあないよ。
絵を画くんだよ。」とひと言諭されました。
この寸評に私は、絵の本質を突く実にう
まい表現だと感腹したことを強く覚えてい
ます。ここまで原稿を書きながら幾つかの
事が思い起こされます。
その1つ目は、絵は本来「題名」だけを
背負ってひとり歩きする、換言すれば作品
だけで見る人に語りかけてくるものだと言
うこと。
2つ目は、絵は画く場合も見る場合も、
その主役は「感性」であり、その感性は決
して全方位的に均質ではなく、好みや得意、
不得意な面を伴うこと。だから作品とそれ
を見る人との間に、相性の良い悪いが生ま
れるのも当然です。
3つ目は、絵を画く目的の半分は人に見
てもらいたい、褒めてもらいたい気持ちで
す。
4つ目は、言うまでも無く絵を画く基本
は自由である、何でも有りの世界です。
このように並べてみると、2つ目と3つ
目すなわち、画く側と見る側に相性がある
ことと、画く人はなるべく多くの人に褒め
てもらいと言う願望と、必ずしも一致する
とは限らない。およそ皆に良く思われる絵
を画こうなんて不可能です。ではこの点を
どう折り合ったらよいか、その答えは1つ
です。自分の画きたいものを、自分が画き
たいように画くしかありません。そしてこ
こに再び登場するのが小川先輩の言葉、
「君、
絵を画くんだよ」のひと言です。
東京黒百合会の創始者である石田哲郎先
輩も、この辺の本質は的確に認識していま
した。「上手な絵はいらない。良い絵を画
け。」とよく言っていました。画壇で活躍
するのもそれはそれで大いに結構なことで
すが、それとは別に、日本中数多くある画
会の中でもまことにユニークな特色を持つ
- 3 -
東京黒百合会で絵を楽しむのに、両先輩の
言葉は含蓄のある貴重な内容を含むもので
あると考えます。この点の具体的なことは、
また機会を改めて述べてみたいと思ってい
ます。
以 上
随
想
牧野 尊敏
東京黒百合展はあっという間の一週間でし
た。出展者は大変ご苦労様でした。
大変な労作の数々に圧倒されました。こ
の展覧会が終ると私にとってはこの時期を
1年間の区切りとしています。即ち、この
時期に今年の分の後始末と来年に向けての
準備を行います。又、この時期は反省する
時期でもあります。次に、恥ずかしながら
油彩について私のやっている絵の事後処理
の一端を紹介します。
制作して1年以上経過した自作絵は、保存
のためタブローを塗ります。このタブロー
は、ご存知のとおり、昔から仕上がった絵
の保護に使用される天然樹脂系のニスです。
絵を眺めながらおもむろに塗りますが、つ
くづく反省することしきりです。なんでこ
んな絵を描いたのかと。ここのところをも
う少し強くしておけばよかったなど。タブ
ローを塗る時は、光の反射をみて塗り残し
のないように気を付けています。タブロー
を塗った後の大きい絵は、キャンバスを木
枠から外しロールにします。ロールにする
ときは絵側を表にします。ロールにするこ
とは、絵の保存にはよくないといわれてい
ますが、部屋が狭いので止むを得ないです。
私は、木枠を買い求めキャンバスを自分で
貼っておりますが、最近桐の安い木枠が市
販されています。しかし軽いのはよいので
すが、木質が柔らかく、何度も繰り返し使
用する場合には不向きで、大きい絵に対し
ては、やはり昔からの檜等の木枠がよいよ
うです。完全保存の場合には、前述のよう
にタブローを塗りますが、描いたばかりの
出展予定作品には、展覧会へ出す前に乾い
たところでルツーセを塗ります。これを塗
ると、絵に艶が出て一時的な保護が可能で
す。展覧会後に再度筆を入れることができ
ます。このルツーセは、描いている過程で
絵が乾いては塗りを繰り返し、絵具との層
を幾重にも構築して、絵具の定着性をよく
し、絵を保護するための加筆用ニスです。
絵具と混ぜて使用するものではありません。
塗り重ねを繰り返すと、画面が平らになっ
てきます。時間はかかりますが、これを活
用することをお薦めします。
最近は油彩に適するジェッソも出ておりま
すが、ジェッソはあくまでもベースが水性
のものです。私は自信がないのでファンデ
ーションには使用していません。描く絵の
見通しが定まったら、更に下塗りとして絵
の制作課程で色を重ねた場合の効果を考え、
それに合う色のものを塗ります。この下塗
りは余った絵具を混ぜて有効に利用します。
このときメヂウムを混ぜます。メヂウムは
絵具の粒子を包み込み定着性をよくするも
のですが、私は速乾性のメヂウムを使用し
ています。
東京黒百合展の終えた頃は、秋の写生シー
ついでに溶き油について述べますと、描き
ズン、紅葉を求めるなど絵の構想材料の仕
入れ時期で、私はよく長野方面に出かけま
す。又、これから寒い時期になるのと乾燥
する時期でもあるので、筆と絵具のチェッ
クをして整理します。筆は、主にクリーナ
ー(文房堂ではアプト、クサカベではスー
パークリーナーと称している)に浸し絵具
を拭き取ります。このクリーナーは旧い筆
も柔らかくなり再使用できるようになるの
で便利。通常でも絵を描き終えたら、洗油
のみでなくこのクリーナーを使用すると筆
の管理がし易いですし、更に大事な筆はブ
ラシソフターに浸し拭き取って保存するよ
うにしています。
始めは乾きの早い石油系で揮発性油のテレ
ピンやペトロールを混ぜたペイティングオ
イルを使用し、仕上げの段階では植物系で
乾性油のポピー油を使用しています。テレ
ピンは、主に薄め効果をねらったものです
が、空気に長時間触れると変質します。こ
れに対してポピー油は乾きが遅いのですが、
黄変せず定着性がよい溶き油です。夏は乾
きが早いので、初めからポピー系の溶き油
を使用することもあります。又、溶き油を
使用せず、チューブから出したままのもの
を混ぜながら直接絵具を使用する方もいる
ようですが、私は極力溶き油とよく混ぜて
使用することを推奨します。
また硬くなった筆はストリッパー、ユシト
以上私のやっていることの一端をくどくど
と説明してしまいましたが、ご参考になれ
ばと思います。
ール等に浸してから絵具を取り除くことも
行われていますが、筆は消耗品なのでどう
してもだめなものは廃棄しています。絵具
については足りなくなった色のものをリス
トアップしておいて、特売日のセールのと
きまとめて安く買うようにしています。
この時期は乾燥しているので、キャンバス
に地塗りのためのファンデーションを塗り
ます。このファンデーションは色々と市販
されていて、韓国製の安価なものも特売で
販売されていますが、私はマツダのキャン
ゾールを使用しています。このマツダのキ
ャンゾールは、チタン白を単独に使用し、
アマニ油で練ったものですが、柔らかく塗
り易いので長年重宝して使用しています。
寄
稿
補色について
田村鉄弥
「補色とは」
美術の本に書いてある説明は別添のとお
りです。これを読むと色彩論的で実際絵を
描いている我々にはこれを生かして描くの
は難しいのではないかという気がする。
事実私はずっと以前にこの記事を読んで
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なかなか解りずらく、その後、いろいろ迷
いながら何とか自分のものとして生かすこ
とが出来るようになるまでに何十年もの日
時が必要だった。
『それでは今は補色について説明できま
すね』と言われたとしたら先ずはお手上げ
で、事実、ある会合で『田村さん、補色に
ついて説明してください』と言われた時、
私は『或る色を引き立てるために使う反対
色のような色です』としか答えられなかっ
た。それでどのように説明するか迷った末、
これは理屈ではなく、経験だと気がつき、
洵に恐縮ながら「私事」を不確実なら記憶
を辿って述べて見ることにした。
内容は補色の考え方、使い方ですが、絵
の描き方、色の使い方にまで言及すること
にもなるので、当然異論もあると思う。
1.先ず、全ての一流画家は線と色(補色)
を追求していると言われているが、更
に評論家小林秀雄に言わせると、画家
はデッサンと色(補色)と格闘してい
ると言っている。
2.色についてゴッホは『色は自然の色か
ら出発するのでない。自分のパレット
の色から出発する』と、
ドラクロアも全く同じように『色は自
然の色から出発するのではない、自分
の色調の調和から出発せよ』と。
3.色はゴッホ他『色彩は管弦楽の編成で、
色を塗るのではなく色調を編成するの
だ』と、前記小林秀雄は『ゴッホの色の
編成は実に大胆で且つ内面的な生の象徴
を出しているといえると云い、色彩や材
質そのものに自分を託し、感覚を直接訴
える絵具にしている』と。
4.音楽はメロデーに和音、伴奏、アドリ
ブなどが続き、編成されているが絵も良
い絵は基調色から細部に至るまで、補色
が介入し、助け補い、引き立てて編成さ
れているように思われる。
5.絵を描く場合、そのモチーフによって
基調色を決める(逆の場合もある)が、
- 5 -
田辺三重松は風景画の場合、基調色は2
~3が良いと言っているが此処からすで
に補色が始まる。
6.補色は基調色の補色から始まり、細部
の補色まで続く。従って絵は遠くから見
て色が鮮明に浮かび上がっており、近く
で見ても心地よい響きがある。
7.絵の本による補色の色環は、考え方を
示しているが、実用性は乏しい。理由は
色は無限で、ピッタリ合う補色は、微妙
な1点に過ぎないし、色は単独では存在
しないので、周囲の色によって別な色に
なることもある。したがって自分で感覚
を養うよりないように思う。
8.今まで見た絵で『これこそ補色だ』と
鮮明に記憶に残っている絵は、糖業会館
の階段の壁に飾ってあった小さな絵で、
遠くから見ても色が鮮やかに浮き出てい
る。アイズピリの絵だ。
次はシカゴ美術館の広い会場の中で、小
さな一つの絵が強烈に目に付く。ゴッホ
の絵だ。もう一つ、これは“鮮やか”の
例ではなく、此処まで補色について掘り
下げているのかと感心したルオーの絵だ。
9.絵の見方は実に人生観のように様々で
あるが、その物差の一つとして、この絵
はどれだけ線と色(補色)と取り組んだ
かを見るのも一考と思う。
いま思いついたことは以上の通りですが、
最後に蛇足を一言。
ある会合で二度にわたって絵の話をした。
その時私は恰好をつけて云った。
『宗教家は信仰を深め目に見えない物が
見えて来るそうです。私は絵を 50 年以上描
いてきて見えて来るものがあります。それ
は絵の補色です』と。
このような話をしたことは事実ですが、
本当に補色が見えてくるかは改めて本人に
聞いてみないと解らない。
(
(本文は田村さん提供の資料から)
補色関係
補色同志を隣り合わせに並べると、好
ましい画面効果が得られる、、、とは、
よく画家達から聞かされる言葉です。
印象派の画家や、ことに新印象派の
スーラはそのよい効果を作り出すこと
に留意しました。
ではどうして快い効果が生まれるので
しょうか。そのことを触れる前にまず
我々が中学校ですでに学んだ筈の補色
ということについて、もう一度考える
ことにしましょう。
暖色と寒色とは先に対立する性格をも
つと言いましたが、また互いに補色関係
の間柄にもなるわけなのです。赤の補
色は緑、黄の補色は青といった具合に。
そこで、補色関係にある色同志が----例えば赤と緑が-----並べられると、赤から
生じた残像の緑が、お隣の緑を強める
ことになり、また隣の緑は自分の残像で
ある赤でお隣の赤を強める------と交互
に強め合うほかに、暖かい色と冷たい色
とのバランスをも自然に作り出します
から、快い色面効果を生むわけになります。
ただ、赤の純色と緑の純色とを並置す
るとコントラストの効果が強すぎる場合
があるかもしれません。そのような時
はどちらかの色の面積を小さくすれば
快い効果を生み出すことが出来ましょ
う。勿論、他の補色関係にある色でも
同じことが言えます。
色の性格については、以上で概略を終
えたと思いますが、絵を描く場合、(特に
油絵の場合)に、絵の具の純度を生か
す重要性について一言触れておく必要を
感じます。 ――以下略―
資料:
「洋画の技法」美術出版社―本文
色彩論執筆担当:岡鹿之助画伯―から。
色環図: 油絵コース「色彩を考え
る」から―講談社カルチャーセンター刊
(上図;田村さんの原稿は着色無いため、
編集子が他資料を参考に貼付したものです)
ここに一枚の白紙を用意します。
その白紙のすぐ隣に赤い色紙をおきま
す。さて、赤い色紙を一分間じっと見つ
めます。(なるべくマタタキをしない
で)。そして見つめていた眼を急に白紙の
上に落とすと、そこには淡い緑が見え
てくるのです。それを残像と言います。
色彩学者に言わせると、人が赤を見て
いる時には、赤の刺激によって眼の網膜
は緑を知覚しているというのです。そ
して赤から眼を離した途端に、その緑が
残像として生じるのだと説明し、この
場合の緑を「赤の補色」と呼ぶのです。
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私のモチーフ
笠木貴美子
植物画ではない絵についてはずっと悩ん
でおりますので、惹かれるものについて書
かせていただきます。
単純に言ってしまえば木や木のある場所
を描きたくて細密画から移ってきました。
人工物にはあまり興味がありません。
樹や自然の持っている時間や生命力に惹
かれます。
A
色が無くて申し訳ないのですが、和紙と
墨で考えをまとめていくので、下紙がこん
な風になります。
A→B→C が一本の樹木を描き込んでい
く過程です。
形を描きながらだんだん樹木に同調して
いく感じでしょうか。
私の中で対象が語りだすと絵になってく
る感じがしています。
色は……まだ突っ込まないでください!
B
C
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