上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008) 60. 情動による学習能力の修飾の分子機構の解明 真鍋 俊也 Key words:シナプス,可塑性,NMDA 受容体,記憶, マウス 東京大学 医科学研究所 基礎医科学部門 神経ネットワーク分野 緒 言 NMDA(N-methyl-D-aspartate)受容体は NR1 サブユニットと少なくとも1つの NR2 サブユニットから構成される.シナ プスの成熟過程においては,NR2B サブユニットから NR2A サブユニットに変換され,それにより NMDA 受容体の機能が変化 するとされる1).これまでの報告では,NR2A サブユニットはシナプス部位に選択的に局在し,NR2B サブユニットはシナプス外 に分布するとされている2).また,NR2A サブユニットはシナプス伝達の長期増強(LTP)に,NR2B サブユニットは長期抑圧 (LTD)に関与するとされている3).しかし,成体の脳内において,NR2B サブユニットがシナプス部位に局在するかどうか, あるいは,NR2B サブユニットがシナプスで機能し,シナプス伝達やその可塑性に関与しているかどうかについては,いまだに 議論のあるところである.そこで,本研究では,海馬 CA1 領域(CA1)と扁桃体外側核(LA)の興奮性シナプスにおいて, NR2B サブユニットが機能しているかどうかを電気生理学的手法と形態学的手法を用いて検討した.その結果,電気生理学的 には,CA1 と LA のいずれにおいても,NR2B サブユニットはシナプス伝達に寄与しており,その程度は LA のほうが大きいこと が明らかとなった.また,免疫電顕によっても,NR2B サブユニットが LA により多く存在することがわかり,成体の脳においても NR2B サブユニットは正常シナプス伝達に深く関与していると結論された4).このような NR2B サブユニットの局在や機能の違い が扁桃体と海馬の機能の違いに関与している可能性があり,今後は,情動の中枢である扁桃体と記憶・学習の中枢である海馬 のあいだの機能的関連について,さらに研究を進めたい. 方 法 海馬スライス標本および扁桃体スライス標本をオスの C57BL/6J マウス(生後6~10週)から作製し,95%酸素・5% 二酸化炭素で飽和したリンゲル液を灌流しながら,電気生理学的実験を進めた.ホールセルパッチクランプ法により CA1 錐体 細胞および LA 主要細胞より AMPA(alpha-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazolepropionic acid)受容体および NMDA 受容体によるシナプス電流を記録した.LTP は,細胞を脱分極させながら,1 Hz の刺激を100発与えて誘導し た. 免疫電顕による NMDA 受容体サブユニットの局在に関する検討は,これまでの報告と同様に行なった5).分子の局在につい ての半定量的な解析は,非対称性の軸索‐スパインシナプスにおける NR2A および NR2B サブユニットに対応する金粒子の 数を計測することで行なった. 結 果 1.シナプスにおける NR2B サブユニットの局在と機能 CA1 および LA において,NMDA 受容体シナプス応答を記録し,NR2B サブユニット特異的な阻害剤である ifenprodil をス ライスに灌流投与して,正常シナプス伝達における NR2B サブユニットの寄与の程度を比較したところ,ifenprodil による抑制 は LA のほうが CA1 よりも2倍程度大きかった(図 1).したがって,NR2B サブユニットは,成体のマウスにおいても興奮性シ ナプス伝達に寄与しており,その程度は LA のほうが大きいことが明らかとなった.CA1 と LA における NR2B サブユニットの分 布の違いを免疫電顕というまったく異なった方法で検討したところ,NR2B/NR2A の比は LA のほうが有意に大きいことがわか り,電気生理学の結果が支持された. 1 図 1. NR2B サブユニットのシナプス伝達への寄与の脳部位による違い. (A)NMDA 受容体シナプス応答(EPSC)の ifenprodil による抑制は,扁桃体(LA)のほうが海馬(CA1)よりも 2倍程度強い.(B)NMDA 受容体シナプス応答の例で,A 図に数字で示してある時間に記録されたものである. 2. NMDA 受容体シナプス応答の脳部位による特性の違い NMDA 受容体シナプス応答の特性が両脳領域間で異なるかをさらに検討したところ,電流電圧曲線のマイナス電位側で大 きな差がみられた.また,NMDA 受容体は,細胞が静止膜電位付近にあるときには,細胞外の Mg2+イオンによりイオンチャネ ルが閉塞される「Mg2+ブロック」という特性を有するが,その程度は CA1 のほうが大きいことも見出した.したがって,同じ興 奮性シナプスであっても,脳部位によって,NMDA 受容体の特性がかなり異なることが明らかとなった. 3.LTP の誘導における NR2B サブユニットの寄与 記憶の形成では,シナプスで何らかの長期的な変化が起こり,それが持続することがその基礎過程であると考えられている. 中でも LTP はその中心的な役割を果たしているとされている.LTP の誘導に NR2B サブユニットがどの程度貢献しているかを 検討するために,NR2B の選択的阻害剤である ifenprodil の存在下で LTP を誘導したところ,CA1 では LTP の大きさが約 3分の1に減少したが,LA では LTP が完全に消失した(図2) .したがって,扁桃体では,NR2B サブユニットが可塑性誘 導に大きく寄与していることが明らかとなった. 2 図 2. NR2B サブユニットの LTP 誘導への寄与の脳部位による違い. (A)LA における LTP の時間経過.(B)AMPA 受容体シナプス応答の例で,A 図に数字で示してある時間に記録 されたものである.(C)CA1 における LTP の時間経過.(D)AMPA 受容体シナプス応答の例で,C 図に数字で示 してある時間に記録されたものである. 考 察 これまでのいくつかの研究で,NR2B サブユニットはシナプス外に存在し,特別な場合にしか活性化しないという仮説が広く信 じられてきたが,今回の私たちの研究で,NR2B サブユニットは幼若期だけでなく,成体においてもシナプス部位に存在し,シ ナプス伝達とその可塑性に大きく寄与することが明らかとなった.また,NMDA 受容体の分布や生物物理学的な特性が脳部位 によりかなり異なることもわかったが,これらの NMDA 受容体の特性の違いが,海馬と扁桃体のシナプス特性や可塑性の誘導 にそれぞれの個性をもたらすのかもしれない.今後は,情動の中枢である扁桃体と記憶・学習の中枢である海馬のあいだの機能 的関連について,さらに研究を進めたい. 文 献 1) Mori, 2) 3) 4) 5) H. & Mishina, M. : Structure and function of the NMDA receptor channel. Neuropharmacology, 34:1219-1237, 1995. Tovar, K. R. & Westbrook, G. L. : The incorporation of NMDA receptors with a distinct subunit composition at nascent hippocampal synapses in vitro. J. Neurosci., 19:4180-4188, 1999. Liu, L., Wong, T. P., Pozza, M. F., Lingenhoehl, K., Wang, Y., Sheng, M., Auberson, Y. P. & Wang, Y. T. : Role of NMDA receptor subtypes in governing the direction of hippocampal synaptic plasticity. Science, 304:1021-1024, 2004. Miwa, H., Fukaya, M., Watabe, A. M., Watanabe, M. & Manabe, T. J. Physiol., 586:2539-2550, 2008. Fukaya, M., Kato, A., Lovett, C., Tonegawa, S. & Watanabe, M. : Retention of NMDA receptor NR2 subunits in the lumen of endoplasmic reticulum in targeted NR1 knockout mice. Proc. Natl. Acad. Sci. USA., 100:4855-4860, 2003. 3
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