1。発表者の氏名および所属 吉田友紀子(よしだゆきこ) 徳島大学大学院

1。発表者の氏名および所属
吉田友紀子(よしだゆきこ)
徳島大学大学院総合科学教育部博士後期課程
中島浩二(なかしまこうじ)
徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部准教授
2.発表題目
KWIC(Key
Word In Context)検索システムを利用した
日本語コーパスデータのテキストマイニング分析
3.発表要旨
英語をはじめヨーロッパの諸言語など主にASCII文字で構成される言語に対しては
KWIC(Key
Word In Context)表示による検索システムがコーパス言語学研究の分
野を中心にこれまで開発・利用されているが、日本語方言学の分野での分析はまだほ
とんど行われておらず、どのような分析方法が最適かの検証を含め研究は緒に付いた
ばかりである。今回、日本語に対応したKWIC表示による検索システムとテキスト
マイニングの手法を組み合わせ、日本語コーパスとして近年利用が高まっている国会
議事録を方言学の視点から分析を行った。まず、発言者である議員を出身地別に分類
し、公の場における言語使用に方言の特徴が認められるかを探り、その傾向をみた。
語彙の通時的変化に関する調査が多数を占めているこれまでの国会議事録分析研究
とは異なり、当調査では主に文章単位での検索結果に着目した。分析対象は、衆議院
及び参議院における第1回(1947年開催)から第180回(2012年開催)までの国会
本会議議事録である。本調査の作業過程において、この入手データには相当数の誤字
及び形式の誤りが確認されている。そこで作業上必要なデータには後述のような若干
の修正を加えているが、発言の部分については原文のままとした。今後誤字データが
修正・再公開されることがあった場合には結果に若干の違いが出る可能性もあるが、
現在のデータでも大勢には支障がないと考えて分析を行った。また、初期の会議では
旧仮名遣い及び旧字体による発話表記が見られ、同内容で異なる表記があるケースが
多数考えられるが、それについてはand/or検索を用いることにより新旧いずれの場
合でも検索で結果が抽出されるよう配慮した。分析の前準備として、まず全テキスト
をダウンロード後、誤字の修正を加えながら全発言者名を抽出し、発言者別の出現頻
度表を作成した。続いて、発言頻度の高い発言者について出身地域を調査した。以上
のように発言者を示す部分については誤字のチェック対象とした修正を加えたが、発
言者の発話部分については空白が複数回続く箇所を削除した以外はそのまま分析対
象とした。誤字修正作業後の全文字数は約1億7千字弱(空白を含む)であった。修
正後の全データをサーバ上に収録し、独自に作成した国会議事録検索システムを作成
した。当システムを用いてさまざまな発話内容を検索し、主に地域差の視点から分析
を試みた。また、膨大な談話資料から分析例を示す手段として、KWICコンコーダン
スを用いた検索システムが有効性を検証した。
発表題目:日中の「新しい程度を表す副詞語彙」の対照研究
発表者:瞿
葉菁、広島大学大学院日本語教育学研究科博士課程前期
【発表要旨】
近年、日本では、「超」、「めちゃ」などをはじめ、「オニ」、「爆」など新しく創られた程
度を表す語彙が若者の間に盛んに用いられている。このような語彙はそれぞれ品詞が異なること
にも関わらず、若者たちはこれらを「とても」や「かなり」などの従来の程度副詞の代わりに使
っており、より豊かにより強い自己感情を表そうとしている。
一方、中国でも、2000年頃から、「超(チャオ)」、「爆(バオウ)」などの従来にない「新
しい程度を表す副詞語彙」が若者の間に広がっている。若者たちはこれらの新語を、従来の形容
詞に当たる位置に置き、後接述語の程度を限定するものとして用いている。修飾される語には、
名詞のような従来の中国語文法では直接程度副詞語彙の修飾を受け得ない述語も含まれている。
このように、程度を表す語彙に関して、中国の若者たちは中国語の従来の文法の枠組みを破り、
日本語のような使い方をしている。これは単なる日本語からの逆輸入なのだろうか。
そこで、本発表はこのような若者によって創られた「新しい程度を表す語彙」のうち、特に使
用頻度の高い27語(日本語:17語 中国語:10語)を対象に、意味的な面や機能的な面から考察し、
日中の若者語の「新しい程度を表す副詞語彙」の造語パターンの異同を明らかにすることを目的
とする。
従来の程度副詞の分類を参照の上、文法機能の観点から対象語彙を分類し、さらに語義、文法、
語用の観点から「新しい程度を表す副詞語彙」になるための条件を分析する。また、「新しい程
度を表す副詞語彙」の特徴と機能をより詳細に見るため、それと共起する語彙との関わりを対照
して分析していく。特に、従来、日中ともに厳しく規定されていた程度副詞語彙の名詞修飾関係
について、共起できる名詞の特徴だけでなく、名詞に対する取り立て方や、表現効果など表現法
の観点からも考察を行い、若者語の造語意識や発想を明らかにしていく。
結果、日中の若者は新語を創る際に、似たような発想をすることが判明した。しかし、実際に
は、日中それぞれ異なる発生経路を持っていることが分かった。また、「新しい程度を表す副詞
語彙」においては、副詞と接頭辞との境界線が曖昧になっていくことが観察された。 日中の若
者は、将来的に、この境界線をなくしていく可能性が考えられる。
題目:淡路島方言の実時間上の言語変化一『瀬戸内海言語図巻』との比較を通じて一
発表者:峪口有香子(さこぐちゆかこ)、徳島大学大学院博士前期
平井松午(ひらいしょうご)、徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部
【発表要旨】
本発表では、大都市圏に近接し言語変化が著しいとみられる淡路島に焦点をあて、淡路
島方言の実時間上の言語変化を取り上げる。その方法として、GIS (Geographic Information
Systems)を用い、当地域のリアルタイムの言語変化を追う。
比較を行うのはこれまで淡路島方言を対象とした言語地理学的に研究したもので以下の
3つの調査結果である。
(1)藤原与一『瀬戸内海言語図巻』
主に1960年代に行われた瀬戸内海域をフィールドとした方言研究の先駆的な業績とし
て、鳥瞰図的な視点に立つ、世界でも類をみない、日本の言語地理学的研究の成果である。
『瀬戸内海言語図巻』は、老年層と若年層の二層を対象とした言語地図であり、淡路島で
125集落が調査対象となっている。
(2)徳島大学・神戸樟蔭女子大学・園田学園女子大学3大学合同による淡路島方言調査
2000年に実施され、淡路島内の61集落の老年層を対象に行われた。調査結果は未発表。
(3)淡路島方言通信調査
2011年~2012年にかけて淡路島での方言通信調査である。79集落の老年層生え抜きか
ら回答を得た。調査の実施者は発表者の峪口である。
本発表では上記の3つの調査結果からおもに淡路島の方言分布に焦点をあて、「実時間」
上における経年変化に注目し、そこに見出しうる方言分布の変動を捕捉し、地域言語の言
語変容について報告することを目的とする。
主に室山敏昭『瀬戸内海圏環境言語学』(1999)で指摘されている瀬戸内海言語の近畿圏
の影響の増大と共通語化による言語変化といった仮説のもとに、淡路島を多地点に渡って
精査し、それらの調査結果をGISという新たな空間情報解析ツールを用いて調査結果の
分析を試みる。また淡路島が位置する瀬戸内海東部域の言語流動の実態の解明を行う。
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『日清字音鑑』の中国語仮名表記について
岡山大学大学院生
張 照旭
『日清字音鑑』は明治28年6月に発行された。緒言9頁、索引目録3頁、本文89頁、
正誤表3頁からなっている。奥付は「編輯者 伊澤修二」と書かれていたが、本文の一頁
目には「伊澤修二・大矢透同著 張滋防閲」と記されていた。
この本は当時の「支那官話」を中心としている漢字を四千余り収めている。これらの漢
字は日本語の漢字音に基づいて五十音順に並べ、さらに、中国語の四声に基づいて四列に
分けられている。形としては表の形式であるが、日本語の漢字音を通して中国語の発音を
調べるためのものなので、発音字典の性格を持っている。
これら漢字の中国語の発音は、カタカナとウェード式ローマ字綴りの二種類で表記され
ている。中国語を注音するカタカナを「中国語仮名表記」と言うことにする。この中国語
仮名表記は「視話法ノ原理」に基づいて、日本語のカタカナを工夫しながら中国語の発音
を表しているものである。また、緒言の説明と本文の用例の帰納によって、その意味と特
徴は以下のように明らかになった。
1)日本語のカタカナで、注音する。例えば、「魔 モオ」、「勉 ミイェン」、「幕
ムウ」などである。
2)日本語のカタカナに独自の記号を加えるなどして、注音する。
①「パ」「タ」「ツ」「チ」「カ」などの後に「・」を付けて、中国語の有気音を表す。
②「シ」の前に「・」を付けて、中国語の舌面音の/x/・[G]を表す。
③「夕谷」「yy」「宍」などの合字で、ウェード式ローマ字綴りの「6」と対応
する。
④「ダ?」の合字で、中国語の単韻母の/u/
・[y]を表す。
⑤新造符号「│ツ」で、中国語のそり舌音の/zh/・[反]を表す。新造符号「│ツ」
の後に「・」を付けて、そり舌音/zh/の有気音/chノ・[ぜ]を表す。
⑥新造符号「6」で、中国語の有声そり舌音の/r/
⑦新造符号「クヽ」で、中国語の韻尾の/ng/
・[l:]を表す。
・〔l〕]を表す。
3)中国語の四声をカタカナの右に線を引いて表す。例えば、
チ§ チ チ チ1
上平 丿 下平 、;1 上声 七 去声 j
以上のように中国語仮名表記を見ると、『日清字音鑑』は大変工夫して中国語を注音し
たことがわかった。
参考文献
朱鵬(2001)「伊沢修二の漢語研究(上)」『天理大学学報』52
六角恒広(1994)『中国語教本類集成』第4集・第3巻 不二出版
(2)天理大学
発表題目:『本草綱目啓蒙』の古名と漢籍出典
発表者:辜
玉茹、台湾・中国医薬大学
発表要旨:
『本草綱目啓蒙』は江戸末期(享和三年1803)に小野蘭山が『本草綱目』
をその分類条目に日本の本草について講義したものを、その孫・門人などを整
理し出版した書。従来の研究では、諸版の異同、記述の方法、方言についてな
どの研究がされているが、本書の内容記述を詳察されておらず、『本草綱目啓
蒙』は中国の本草・地誌などの諸文献の引用が広く引用され、異名・方言など
も記述されている。本発表は「本草綱目草稿」に基づく講義の記録とするもの
及びそれらの刊本、重修本、重訂本を『本草綱目』と比較しながら、特に古名
及び出典について、詳しく考察をし、分析したものである。
『本草綱目』(1596)が日本へ輸入されたのは中国で出版されてから、十一
年後の慶長十二年(1607)といわれている。寛永十四年(1637)には『江西重
訂本草綱目』が和刻本として出版された。また、正徳四年(1714)には、『本
草綱目』五十三巻を校正して、再出版した。『本草綱目啓蒙』の序文に「我邦
在於蒼波浩蕩之外。方域已殊。風土隔絕。物產不同。或有彼有而我無者。或有
我無而□充彼某物者。或有我有而不識為彼某物者。益為斯學。」と書かれてい
るように、『本草綱目』が日本へ輸入され、二百年に経っても、未だにも不明
点、確かめられないものが残され、小野蘭山がそれらの同名異物、異名同物、
通名など、及び和産か舶来品かなどを詳しく解釈し、当時に適用する書であっ
た。
しかし、『本草綱目啓蒙』という「本草綱目」の書名になっているが、『本
草綱目』との関連はかなり異なっている。『本草綱目』の解説書、考証書、漢
文体を国文体に訳したものなどではない。本文に「当歸 オホゼリ カハゼリ
ヤマゼリ ウマゼリ以上皆古名 今ハ通名 ヨメノワシ越前〔一名〕女二天輟耕録 大
芹事物異名 夷霊芝種杏仙方 地仙圓雲仙雑記 僧庵草郷業本草 当歸舶来ノモノ最上品ナ
リ…」と書かれているように、和名(古名)・方言などについて詳しく記述さ
れ、漢籍に載っている異名も多くあげられている。
本発表は各漢籍の出典及び和名などについて比較調査した結果、予想以上に
多くの漢籍書が引用されて、中国資料としても重要な資料であることがわかる。
また、日本の物の名前(日本名、古名)が中国名の和訳ではないかと推察を試
みたものである。
明治期の郷土誌に於ける『帰化語』について
―香川県三野郡を例として、帰化語の概念の変化、歴史的背景、文化移入の関わりなど―
香川県話し言葉研究会
主幹
島田
治
1、地方改良運動における『郷土誌』『郷土教授資料』の存在
明治 41 年明治政府は全国の市町村に対し、郷土誌の編纂を命じている。その本来の趣旨は日
清・日露の戦争で疲弊した地方に「戦時記録」の編纂を命じたものである。それが、後に、小学
校などの『郷土誌』『郷土教授資料』の刊行に繋がったもので、地方改良運動と言われるもので
ある。香川県では郡長を通じて、各市町村に命じている。
当時の香川県は1市11町 172 か村である(明治 23 年)
。市町村は市町村独自で、あるいは、
各郡に出来た教育会を通じて『郷土誌』『郷土教授資料』の編集方針を定めたことだろう。現在
香川県では約 20 冊、愛媛県では約 30 冊、徳島県では、この事に無知であり、未収録である。
高知県では戦前の災禍で失ったという。
『郷土誌』『郷土教授資料』は筆写・謄写及び孔版刷りが殆どであり、大正期に改めて編纂さ
れたものが合冊されたものも、見受けられる。これは、大正から昭和にかけて刊行された史誌
の端緒と言える。
2、「郷土誌」『郷土教授資料』の内容は
今回取り上げる以外の『郷土誌』『郷土教授資料』は校長や一人の役場の吏員の手によるもの
だが、現代で言えば町勢要覧(内容が不完全な)のようなガイド版である。江戸時代から明治
期に至る街道や地名が記述されている場合などは、貴重な歴史資料がある場合もある。言語に
ついては、引田尋常高等小学校編纂の『郷土教授資料』一四、町風習慣の三章に「俗歌及び方
言」が載せられている。(愛媛県の例はパワポイントで撮影)。
そのような中で、香川県三野郡に作られた郷土誌は編集技術、記述されている内容は現在で
も通用するものである。大勢の方々が力を合わせて作られたもので、広島高等師範の長沼賢海
教授か、その教え子が協力したものと言われている。
3.『勝間村郷土誌』(1912.明治 45)、『比地二村郷土誌』(1915.大正 4)、『上高瀬村誌』(1916.
大正 6)、そして、これらの延長線にある『仁尾村誌』に取り上げられている「帰化語」の採用、
不採用と、そこにおける歴史的背景、日本の国家観の変異、さらに「帰化語」が我が国の文化
移入の見地から検討してみたい。
なお、参考資料として「勝間村郷土誌」「上高瀬村誌」に取り上げられた「帰化語」(表 1)
を添付する。併せて「外国文化移入」(表 7)も添付する。
*参考文献
『復刻
『勝間村郷土誌』見られる「帰化語」について
勝間村郷土誌』『復刻
比地二村郷土誌(抄)』『復刻
島田治著(香川民俗 74)所収。
上高瀬村誌』『仁尾村誌』愛媛県立
図書館所蔵『郷土誌』(明治末~大正初年刊行)
、『三豊郡史』、楳垣実著『日本外来語の研究』詳細
は発表時に資料添付。
発表題目:
発表者:
町
日本語方言文末詞の生成と発展
博光(まち
ひろみつ)、広島大学大学院教育学研究科
発表要旨:日本語文末詞の研究は、これまで各地方言の形式的分類や意味機能の分析を中
心に多くのものが積み重ねられている。しかしながら、日本の方言区画上、本土
方言と対立する琉球方言については、各地での報告も十分になされているとは言
いがたい状況である。また、日本語方言の文末詞の生成や発展について言及した
論考は、藤原『日本語文末詞<文末助詞>の研究』(上)(中)(下) (1982-1986)
や佐々木・藤原『日本語文末詞の歴史的研究』(1998)以外に例を見ない。
本発表は、琉球方言と本土方言の文末詞を対比的にとらえ、彼我の文末詞発展
の違いを見ていこうとするものである。また本土方言における、上古から近世ま
での文末詞の歴史的な研究(佐々木・藤原『日本語文末詞の歴史的研究』1998)
も参看して、日本語文末詞の成立と発展を跡づけていく。
発表の内容は、以下の2点を中心に行う。
①文末詞を形式的に分類すると、本土方言ではナ行音文末がさかえているのに
対し、琉球諸島方言ではヤ行音文末がきわめて盛んである。文末詞の派生形態に
おいて、本土方言と琉球方言とでは、このような著しい対立を見せているのはな
ぜなのか。
②ヤ行音の文末詞は、日本語史上、上古においてさかんだったことが報告され
ている。それがなぜ現代の本土方言ではナ行音に変わっていったのか、この変化
はいつごろから起こったのか。
上記2点の課題について、おおよそ以下のように考えている。ナ行音文末詞は、
その成立は比較的新しいと考えられる。柳田は『国語の将来』(1939)で、「中古
の口言葉のナン」を、「ナ」の起源としている。だとすればナ行音文末詞の成立
は相当に新しいことになる。実際に、上古と平安時代の資料にはノは認められな
い。上古の資料に認められる感声的なナから、ナン→ナウ→ノー→ナーのような
変化をたどってナ行音文末詞が発展してきたものと考えられる。そのような発展
の系譜がありながら、現在ではナーとノーは、本土方言において地域的な分布を
見せている。いっぽう、琉球方言のヤ行音文末詞は上古以来の感声的な文末詞の
残存と考えられる。
これまで日本語の文末詞は、とかく文法的観点からその訴えかけ性が注目さ
れ、意味機能の分析が主流を占めてきた。本発表では、日本語方言文末詞も日
本語の歴史上に位置づけてみていくと、地理的な広がりと相関していることを
報告していきたい。