合掌 「一陽来復」という言葉を聞いたことはありませんか?悪いことが続いた後ようやく好運に向 うという意味で使われていますが、「陰」ばかりの中に「陽」がひとつだけ戻ってきた形。まる で落ち込んでいた太陽の力が復活するかのように、明日からは少しずつ元気を取り戻していくよ うに祈りたい、そんな年の瀬を迎えている方が多いのではないでしょうか。 さて、日本人にとって忘れることのできない一年が終わろうとしています。3 月 11 日に発生 した東日本大震災によって、日本は多くの犠牲者と共に甚大な被害を受けました。昨日、野田首 相は「原発事故は収束」との見解を宣言しました。しかし、この報を受けてほとんどの専門家が 絶句したと聞きます。今なお予断を許さないというよりも、とうにデッドラインを超えてしまっ ているのではないかと思われる福島第一原発の現状や、一向に進展しない復興への道筋。国難に 際してこれほどまでにこの国は脆弱になっていたのかとあらためて寒気がしています。今を遡る こと88年前、関東大震災で復興計画を立案した政治家の後藤新平(1857∼1929)は、震災 の翌日に内相に任命されましたがその翌日(震災発生から 2 日目)に復興案を提出しています。 その内容たるや復興予算はいうに及ばず、震災で再び大きな災禍を受けないよう東京を改造し、 近代的な首都を造ることを目的に大規模な区画整理や幹線道路・歩道・公園、鉄筋・不燃化の小 学校やアパート建設にまで至る膨大かつ詳細で明確な計画だったということです。後藤は医師出 身で衛生行政に詳しく、都市建設のエキスパートであり、台湾総督府民政長官や南満州鉄道初代 総裁、東京市長、閣僚を歴任しており、死者・行方不明者 10 万人以上といわれる首都を襲った 未曾有の大災害の復興責任者としての抜擢であったようです。衆議院の多数派政党に復興予算を 削減されながらも 3 ヶ月もたたずに復興事業が始動し、東京の再生が整然とかつスピーディー に行われたということです。関東大震災は加藤友三郎首相が病気で急死し、山本権兵衛内閣が発 足する直前の政治の空白期間に発生しています。震災翌日には山本内閣が発足、その日のうちに 当時山本首相と激しく対立していた後藤が内務大臣に起用されています。全ての私怨を放念して 大抜擢した首相の判断、入閣したその日のうちに「帝都復興根本策」をまとめた政治決断のスピ ードにはただただ驚かされるばかりです。おそらく二人とも常に「あるべき日本の姿」というイ メージをもち、あらゆるリスクに対して最大限の備えをしていたということでしょう。現在の東 京の都市骨格はほとんど後藤新平のアイデアによるものだそうです。物事にはじっくり時間をか けるべきものとスピーディーに取り組むべきものがあります。今回のような大災害はまさに後者 でしょう。党利党略に縛られて何も生み出せないでいる今の政治の停滞、開祖の説かれた「人、 人、人、全ては人の質にあり」が全てを納得させます。国内外で発生した自然災害は私たちに改 めて人知の及ばない世界や人と人との繋がりの大切さを教えてくれました。日本漢字能力検定協 会が発表した「今年の漢字」は「絆」でした。人と人とのつながりやふれあいの大切さを今年ほ ど考えさせられる一年はありませんでした。「半ばは自己(わがみ)の幸せを 半ばは他人(ひ と)の幸せを」。こんな時代だからこそ「自他共楽」 。 少林寺拳法の理念は私達に明確な生き方を示してくれています。 再拝 2011.12.17 愛知県少林寺拳法連盟 理事長 多月 文博
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