第 10 回 市場の「失敗」とケインズ経済学の登場

経済学概論
第 10 回
市場の「失敗」とケインズ経済学の登場
資本主義経済は 20 世紀に入り新古典派経済学が描
く自由競争の理論とは異なり独占の段階(帝国主義)
へと突入する。また 1929 年にはじまった世界的大不
況は、新古典派経済学にも危機をもたらした。
そこで、マルクス経済学の流れとは別に、新古典派
経済学の流れの中からもこの不況の原因を経済学的に
説明しうる理論の構築が試みられ。特にケンブリッジ
学派のケインズ(John Maynard Keyns,1883-1946)
は新古典派以降の近代経済学の流れに大きな転機を
画した。
ケインズ
1、世界大恐慌と労働市場の理論
(1)20 世紀資本主義と世界大恐慌
資本主義経済体制が成立して以降、19 世紀の自由競争の段階から景気循環
(好況と不況の循環)は存在したが、新古典派経済学の考えでは市場のメカ
ニズムによって自動的に調節されると考えられた。特に固定資本=設備投資
の調整に基づく中期の景気波動(=ジュグラーの波:平均周期 9~10 年)が
恐慌(=不況の著しい状態)の周期と重なり、機械設備の更新投資によって
景気は回復局面に向かっていった。
20 世紀に入り、第一世界大戦以降の復興過程で、ヨーロッパに於ける過大
投資と投機熱による生産過剰の状態が生まれた。この過剰生産の状態は次に
景気後退の局面に向かうことになるが、1929 年 10 月 24 日(木曜日)のニュ
ーヨーク、ウォール街の株式市場の大暴落に端を発した恐慌は、投資家によ
る資金の引き上げ、金融不安と拡大し、また米国
から世界各国へ波及、まさに世界大恐慌となった。
1929~1932 年の間に世界貿易は 70.8%も減り、
失業者は 3000~5000 万人に達し、国民所得は
40%以上減少。米国では株価は 80%以上下落し、
1929 年~1932 年に工業生産は平均で 1/3 以上低
落し、1200 万人に達する失業者を生み出した。こ
れは全労働者の 4 分の1に当たる(失業率 25%)。
閉鎖された銀行は1万行に及び、1933 年 2 月には
とうとう全銀行が業務を停止した。
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経済学概論
米国ではルーズベルト大統領によるニ
ューディール政策が開始され(1933)、
大規模な公共事業が行われたが、その後の
緊縮財政によって再び恐慌の局面に突入
した(1937~38)。
さらに、イギリスやフランスなどの先進主義国
が自国の通貨と産業を保護するために実施したブ
ロック経済が自由貿易体制を分断し市場はますま
す狭隘化しいくことになった。一方、植民地拡大
に遅れをとったドイツ、イタリア、日本など後発
資本主義国ではファシズムと軍国主義が台頭し、
再び領土再分割に乗出すことになる。
(2)新古典派経済学による失業の説明=自発的失業
この長期にわたる不況のもとでの生産設備の遊休と、大量の失業者が存在
することになるわけであるが、新古典派の経済理論ではこれを商品の価値・
価格の理論と同様に、限界理論とそれに基づく市場における均衡理論によっ
て説明しようとする。すなわち労働力に対する需要と供給を商品と同様に市
場均衡の理論で説明しようとするのである。
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経済学概論
新古典派の労働力市場に対する前提(新古典派の公準)は
① 労働に対する需要は、労働の限界生産性が実質賃金に等しい水準に決まる。
② 労働の供給は、労働の限界非効用と実質賃金が等しくなる水準に決まる。
である。
①の公準により、限界生産性が逓減していくならば企業は実質賃金が低い
水準より実質賃金が高い水準では生産量を減らすこととなり雇用量は減少す
る。よって労働に対する需要曲線は右下がりとなる。
一方、②の公準により、労働者は労働時間の増大による労働の非効用と実
質所得の増大による効用を選択して労働時間を決定することになり、実質賃
金が与えられることによってその組合せが決まる。この理論では実質賃金が
高くなると労働時間が増大し労働の供給は増加し(ある水準以上になると労
働時間は減少するが)、一般的に労働の供給曲線は右上がりになる。
この結果、労働の需要と労働の供給が均衡するところに実質賃金と労働の
雇用量が決まることになる。ここでは労働者は実質賃金を基準にして自らが
労働時間を選択し、労働の供給量を自由に決定することになり、均衡点では
完全雇用の状態が常に実現している(一般的である)ことになる。
そして、失業、すなわち労働の供給>労働の需要、の状態は労働者が自ら
の意志に基づいて、高い実質賃金水準を求めて自発的に失業していることに
なる(市場均衡から乖離した特殊な状態として想定される)。
(3)ケインズによる新古典派経済学の労働市場理論批判=非自発的失業
ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)において新古典
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派 が想定する②の公準を否定し、労働者が自らの意志に基づいて失業してい
るのではなく、働く意志をもちながら働く場を得られない労働者の存在を重要
視し、それを非自発的失業という概念で表現し、市場経済のもとではこの不完
全雇用の状態のほうが一般的であるとした。
労働者は実質賃金を基準に自らの行動を選択しているの
ではなく、また実際の、経営者と労働者=労働組合の賃金交
渉においても主体となる労働組合はすでに雇用契約を結ん
でいる労働者を構成員としているのである。むしろ重要なの
は賃金水準の変化も含めた要因による需要の増減であり、労
働に対する総需要を決定する理論である、と強調した。
1
なお、ケインズの『一般理論』において新古典派は「古典派」と総称されているが、これ
はアダム・スミスを中心とした古典派経済学を指すのではなく、限界革命移行の新古典派
経済学を指している。
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