プロレタリア文学による炭鉱の編成 ―「坑内」からプロレタリアートとしての闘争へ― 奥村華子 (日 本 文 化 学 専 門 /博 士 前 期 課 程 ) 1. は じ め に 炭鉱や炭坑夫を題材にした表象において、プロレタリア文学はひとつ の転機である。石炭を取り巻く言説を広く概観した池田浩士の先行研究 では、功績として炭鉱を初めて「外の世界」と結び付けたことが挙げら れ て い る 1 。日 露 戦 争 か ら 第 一 次 世 界 大 戦 以 降 の 石 炭 算 出 の 要 請 増 加 に 伴 い、それまで一般の労働者とは隔たりがあると理解されていた人々が社 会的に意識され始めたことを背景に、プロレタリア文学によって、彼ら にまつわる労資関係は公の問題として提出された。池田の指摘では、炭 鉱での労働経験のある橋本英吉やモダニズム詩人である三好十郎を例に、 重要な示唆が与えられているものの、これらの作家を中心とした炭坑夫 自身による表現、あるいは炭鉱労働の特殊性の表現という観点からの考 察に留まる部分がある。本稿では、プロレタリア文学が炭坑夫をプロレ タリアートという共同体として編成しなおす際の力学、とりわけ炭坑夫 をどのようなイデオロギーに組み込み、どのような闘争に導こうとする かということを軸に、その言語表現の特徴を明らかにする。 2. プ ロ レ タ リ ア 文 学 を ど の よ う に 捉 え る か 2.1. こ れ ま で の 研 究 史 か ら 栗原幸夫によれば、 「 プ ロ レ タ リ ア 文 学 」は こ れ ま で に た だ の 一 度 も 存 在したことは無い。あったのはプロレタリア文学「運動」下における作 品のみで、理論と運動と作品との三位一体の至高点に政治があること、 1 池 田 浩 士 『 石 炭 の 文 学 史 』 イ ン パ ク ト 出 版 、 2012 年 、 p. 71。 18 つ ま り 根 本 に は 「 政 治 の 優 位 性 」 が 存 在 す る も の で あ る と い う 2。 プ ロ レ タ リ ア 文 学 は 、 1921 年 の 『 種 蒔 く 人 』 の 創 刊 に よ っ て 萌 芽 を 迎 え 、 そ の 後 『 文 芸 戦 線 』 や 『 前 衛 』、 『 戦 旗 』と い っ た 政 治 的 思 想 を 一 に す る 団 体 の 機関紙の変遷とともに生成されたものと理解されている。運動成立当時 から文学性を欠いた政治的思想の手足に過ぎないとの批判を受け、研究 史においても祖父江昭二が指摘するように、組織や運動の問題性を追求 する研究は多いものの、作品分析を基礎にした試みは少なく文学運動史 は あ っ て も 文 学 史 が な い と い う よ う な 状 況 が 続 く 3 。そ の た め 具 体 的 な 表 現への言及は、同時代の新感覚派との類似や、表現主義やダダイズムの 出現との世界的同時性、関東大震災といった大規模な社会的変容など、 プ ロ レ タ リ ア 文 学 が 受 け た 影 響 の 指 摘 に 終 始 し て い た 。 2000 年 に 発 表 さ れ た 荒 俣 宏 の 読 み 替 え か え や 4 、2 0 0 8 年 の『 蟹 工 船 』の リ バ イ バ ル ヒ ッ ト から、プロレタリア文学の特徴的な表現に着目する機運が高まり始め、 日本の格差社会を照射するような現在的意義を探ろうとする動向も生じ ているものの、いまだ断片的な考察に留まる部分が多い。 上述のような背景の中で、炭鉱を題材としたテクストにはその労働の 特殊性を真に迫ったものとして伝えるために、前衛的とも評されるよう な 、 プ ロ レ タ リ ア 文 学 総 体 か ら み て も 鮮 烈 か つ 斬 新 な 表 現 が 見 ら れ る 5。 炭鉱とプロレタリア文学という二点固定における表現の考察には、表現 自体にほとんど言及されてこなかったというプロレタリア文学研究の現 状においても、炭鉱や炭坑夫の表象においても、検討の意義があるだろ う 。次 節 か ら は 、雑 誌『 戦 旗 』に 掲 載 さ れ た テ ク ス ト を 例 に 考 察 を 行 う 。 2.2. 雑 誌 『 戦 旗 』 の 伝 播 1928 年 に 創 刊 さ れ た 雑 誌 『 戦 旗 』 は 、 全 日 本 無 産 者 芸 術 連 盟 (ナ ッ プ = N A P F, N i p p o n a P r o l e t a A r t i s t a F e d e r a t i o ) の 機 関 誌 と し て 発 行 さ れ 、 日 本 栗 原 幸 夫 『 プ ロ レ タ リ ア 文 学 と そ の 時 代 増 補 新 版 』 イ ン パ ク ト 出 版 、 2004 年 、 pp. 4-5。 3 祖 父 江 昭 二 「 プ ロ レ タ リ ア 文 学 」『 国 文 学 解 釈 と 教 材 の 研 究 6 月 臨 時 増 刊 号 』 第 13 巻 第 8 号 、 1962 年 6 月 、 p. 48。 4 荒 俣 宏 『 プ ロ レ タ リ ア 文 学 は も の す ご い 』 平 凡 社 、 2000 年 。 5 池 田 、 注 1 と 同 掲 書 、 p. 139。 2 19 共 産 党 の 下 「 思 想 的 ・ 政 治 的 影 響 の 確 保 ・ 拡 大 」 6と い う 目 的 意 識 に 従 っ て労働者や農民への直接的アジテート、労働者階級の多数獲得をねらう 直 接 的 媒 体 と し て 目 さ れ た も の だ 。 特 徴 と し て は 、「 直 接 配 布 制 」 と い う 「 も っ と も 密 接 に 労 働 者 階 級 に つ な が っ て い た 時 期 」 7を 創 出 し た 、と 指 摘されるような配布網の存在がある。直接統制の下、それまでの支部取 次部、および読者会を支局に組織し、本部から直接送られてくる雑誌を 支局が受け取り、その後支局の構成員が秘密裏に各職場での分配を手分 け す る こ と で 、 読 者 会 の 拡 大 を は か っ た 。 1929 年 の 4 月 に 支 局 制 が 確 立 し て か ら 漸 次 的 に 増 加 し た 発 行 部 数 は 、 1930 年 7 月 に 最 大 の 2 万 3,000 部を獲得しており、労農芸術家連盟の機関誌で刊行時期の重なる『文芸 戦線』の最大発行部数がおよそ 2 万部であったと推察されることからも 8 、『 戦 旗 』 の 読 者 数 は 比 較 的 多 数 か つ 安 定 し た も の で あ っ た と い え る だ ろ う 。 1928 年 5 月 の 創 刊 か ら 1931 年 7 月 ま で に 発 刊 さ れ た 44 号 の う ち 実 に 31 号 分 が 発 売 禁 止 処 分 、 ま た は 発 売 禁 止 以 前 の 押 収 を 受 け て い た 『 戦 旗 』に と っ て 、検 閲 を 逃 れ 安 定 し て 読 者 の 手 に 渡 る た め に は こ の「 直 接 配 布 制 」が 不 可 欠 で あ り 、日 本 だ け で な く 朝 鮮 、台 湾 の 読 者 に と っ て 、 『戦旗』を獲得すること自体がプロレタリアートとしての能動的闘争か つ 読 者 共 同 体 の 意 識 を 強 固 に す る も の だ っ た の で あ る 9 。日 本 共 産 党 の 指 導方針および雑誌の伝播過程においても、上述のように強固な共同体意 識を繋いでいく役目を担った媒体において、どのような表現が炭鉱での 労働者の姿を形成し、読者に共有されたのか。 3. 炭 鉱 の 表 現 に つ い て 3.1. プ ロ レ タ リ ア ー ト と し て の 炭 坑 夫 前述のように、プロレタリア文学は炭鉱を表現したという功績を持つ 栗 原 幸 夫 、 注 2 と 前 掲 書 、 p. 93。 同 上 、 p.94。 8 鶴 田 知 也 「『 文 戦 』 に つ い て の 断 片 」『 文 芸 戦 線 ( 後 期 ) 別 巻 』( 復 刻 版 ) 戦 旗 復 刻 版 刊 行 会 、 1983 年 、 p. 25。 9 高 榮 蘭 「『 社 会 主 義 』 と 『 転 向 』 を め ぐ る 文 化 政 治 ― ― 一 九 三 ○ 年 前 後 の 『 社 会 主 義 』 書 物 を め ぐ る 競 争 / 狂 騒 を て が か り に ― ― 」『 特 集 移 動 と 空 間 の 想 像 力 』 (2015 年 10 月 24 日 に 開 催 さ れ た 日 本 近 代 文 学 会 秋 季 大 会 の 発 表 内 容を参照した。) 6 7 20 一方、炭坑夫をその他の労働者と同一のものとして扱うことの問題も指 摘されるものである。その根本にあるのが、社会学の方面から夙に指摘 される炭鉱労働を含む鉱山労働の特殊性で、以下では先導として遠藤正 男による見解を整理する。 遠藤によれば、炭鉱労働を含む鉱山業とは、昔からある産業の中で最 も早く近代的労働者が現れたものであり、またその労動の特殊的性質の ため封建的残存物を最も長く遺したものであるという 10 。「 労 働 の 特 殊 性 」 とは、石炭という燃料の社会的重要性から多くの労働力が「隷属的な賃 金 労 働 」1 1 に よ っ て つ な ぎ と め ら れ て い た こ と 、ま た 鉱 山 業 と い う 労 働 そ のものが深山における危険労働であったことを指している。 「都市や農村 部落の生活より切り離された山中に於ける労働生活は、炭鉱夫をして一 般人と異る言語・習慣・性質を生み出さしめ、この地理的孤独がまた雇 用者と被雇用者との特殊関係を規定し、特殊の封建的拘束による労働者 の 奴 隷 化 」1 2 を 作 り だ す に 至 り 、そ の た め 鉱 山 業 に 従 事 す る 人 々 は 意 識 の 上でも社会的地位においてもまたそれを背景に、中世から通底するもの と し て 、「 頗 る 賤 し く 貧 し き 階 級 」 13 という社会通念の下で長く認識され る。 このような社会関係を描き出そうとする時、 「プロレタリア文学はいわ ばプロレタリアという人間像のはるか手前まで、そして公式マルクス主 義にもとづくプロレタリア革命の構想のはるか彼方まで、描きうるよう な 想 像 力 を 必 要 と せ ざ る を え な い 」1 4 と い う 。い わ ば プ ロ レ タ リ ア ー ト と して想定される労働者よりもさらに「下層」に位置する炭坑夫において は、その労資関係だけでなく、人々のあいだに根付く社会通念そのもの にも変革を起こさなければ、状況の本質的変化はないということに、池 田はプロレタリア文学の問題を指摘するのである。 プロレタリアートとして編成されようとする炭坑夫の姿は、炭鉱の現 1 0 1 1 1 2 1 3 14 遠藤正男 同 上 、 p. 同上。 同 上 、 p. 池田、注 『 九 州 経 済 史 研 究 』 日 本 評 論 社 、 1942 年 、 p. 135。 139。 138。 1 と 同 掲 書 、 p. 73。 21 状に根差すこの問題をたしかにはらむものだろう。それではプロレタリ アートとしての炭坑夫が提示されるためには具体的にどのような力学が 用 い ら れ た の か 。 以 下 は 『 戦 旗 』 1929 年 3 月 号 発 表 の 「 二 つ の 行 列 」 冒 頭部の引用である。 み ど ろ 実炭車が吹飛むだと チェーン 鎖 が断れてか! クリツプが外れて 実炭車が吹飛ぶだと 薪割る斧を投つて ど て ら 伜の寝巻を抱へ 担架よりも 早く 現場へ 駆 け つ け ね ば …… 第二運搬坑道 レ ー ル 急勾配の線路は曲つて 人間を 轢き潰した 実炭車 坑木に 突き当たつて 石炭を吐き出し 折重つて ――転 覆 し て ゐ る 真暗闇の静寂 仲間のカンテラが慄いてゐる 医者の白い上着が蹲つてゐる 伜の死目に逢はしてお呉れよ! 22 伜の肉を拾はしてお呉れよ! 仲間達は 立塞がつて 優しく 母親を 遮る 心配するな阿母!奴は生きて や 15 ま み ど ろ 「 炭 山 の 一 労 働 者 」 な る 作 者 を 付 さ れ た こ の 詩 は 、「 実 炭 車 」 と い う 石 炭を積んだトロッコの暴走による一人の炭坑夫の青年の事故死からその 遺体が坑内から担ぎ出されるまでの様子が、時間経過に比例して、急速 に 拡 大 し て い く 視 点 に よ っ て 語 ら れ る 。 こ の 詩 に お い て は 、 引 用 1・ 2・ 5 連 の 事 故 を 知 っ た 青 年 の 母 の 言 葉 や 、 3・ 4 連 の 事 故 を 語 る 三 人 称 、 ま た 6 連の同じ炭坑で働く仲間の声のように、複数の声がコラージュのよ うに繋ぎあわされている。一連の出来事を主に描写するのは三人称によ る 語 り で あ る が 、 合 間 に 炭 鉱 で の 青 年 の 事 故 の ほ か 3・ 15 事 件 を 想 起 さ せ る よ う な 呼 び か け や 、 10 月 革 命 を 迎 え た ロ シ ア へ 呼 び か け る よ う に 、 昭 和 天 皇 の 即 位 の 御 大 典 を 祝 う 様 子 が 挿 入 さ れ る 。「 二 つ の 行 列 」 と は 、 この御大典に際して打ち振られる日の丸提灯の群と、この奉祝からは隔 絶してひっそりと進む遺体を担いだ一列のことを指す。読者に「見ろ! / 崖 下 の 街 道 を / ――日 の 丸 提 灯 が / 見 ろ ! / 肩 の 担 架 を / ――「 断 固 た る決心」が」と呼びかける三人称の語りは、このふたつを包括して見る ことのできる視点を持ち、最終部において「大空に/無数の眼は 輝き / 眺 め て い る ― ― 二 つ の 行 列 を / 紀 元 二 十 有 余 年 は 愚 か な 夢 に 過 ぎ ぬ 」と 断罪しながら、擬人化した星によって鳥瞰的に炭鉱を見下ろす読者の視 点を暗示する。自身と同一化した高次の段階まで読者を引き上げること で、社会から隔たった炭鉱を認識する視野と、同時にプロレタリアート という共同体に沿う姿勢を読者に要求している。つまり「炭山の一労働 15 炭 山 の 一 労 働 者 「 二 つ の 行 列 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 3 号 、 1 9 2 9 年 3 月 、 p p . 46-50。 ※ 原 文 通 り に 表 記 す る た め 、 空 白 を 一 部 使 用 し た 。 以 下 、 本 論 で は原文に空白箇所がある場合は、同様に空白を使用する。 23 者」という作者名の明記は、ローカルな場所から発せられた訴えを強く 印象づけながらも、その語りの視野は極めて広くプロレタリア文学運動 全体を考慮に据えたものなのである。 母 親 に と っ て の 「 伜 」、 坑 夫 ら に と っ て の 「 仲 間 」、 無 数 の 眼 に と っ て 闘争に向かうための「断固たる決心」と青年の呼び名が変遷するのに従 い、炭鉱で息子を失った母親の悲しみから始まったはずのこの詩では、 最 終 部 に お い て 青 年 の 死 は 極 大 ま で 抽 象 化 さ れ 、 炭 鉱 で は な く 「 職 場 」、 炭坑夫ではなく「プロレタリアート」の死として、闘争に対峙するあら ゆるプロレタリアートに通底する決心へと昇華されている。青年の遺体 を運ぶものと、御大典との二つの行列が「それぞれが別の大義に従って いるという違いしかないものになってしまいかねない」 16 と池田が危惧 す る の は 、テ ク ス ト に お い て は「 × 」と い う 伏 字 で 示 さ れ る「 党 」の も と 、 炭鉱から発された苦しみが、例えば「二つの行列」における抽象化の陰 に捨て置かれてしまうことを指す。解放闘争を掲げる運動内部にはこの よ う な「 難 問 」17が 根 を は り 、こ れ を 突 破 す る た め に 、三 好 十 郎 の よ う な 稀有な作家が前衛的表現を試みるのがプロレタリア文学である、と池田 は指摘するのである。 しかしプロレタリア文学の表現には、イデオロギーや社会通念から逸 脱して炭鉱の生の姿が描かれている可能性がある。そして悲惨な現実を 捨象するのみならず、炭坑夫の苦しみをばねに結実しようとする闘争の 性質も、たしかにその言語表現において確認されている。 3.2. プ ロ レ タ リ ア 文 学 に お け る 比 喩 表 現 に つ い て 以下では、主に鉱山と炭坑夫の比喩表現から、他のプロレタリア文学 テクストとの比較を通した考察を行う。 プ ロ レ タ リ ア 文 学 に お い て は 、搾 取 を 描 写 す る 際 に 、本 来 は 人 間 が 使 用 する側であるはずの機械や道具との関係が逆転している例が少なくない。 『 戦 旗 』か ら い く つ か 例 を 挙 げ る と 、 「工場の門/見ろ見ろ青い顔した兄 16 17 池 田 、 注 1 と 同 掲 書 、 p. 152。 同 上 、 p. 150。 24 弟が/搾取機の中に吸込まれて行かあ/この中で十二時間も生血を搾ら れ ん だ 」 1 8 、「 搾 り × す た め に は 搾 り × す 稽 古 を 」、「 工 場 の 中 で は 俺 ら は 機 械にくゝりつけられてあり/機械が回転し/俺らが回転し/俺らは引き ず り ま は さ れ / 眼 を ま は さ れ 」1 9 と い う よ う に 、ま る で 機 械 の ほ う が 主 体 であるかのように、労働者が支配され、使用されるような労働現場の表 現として用いられている。 無 生 物 の 動 作 の 対 象 と い う 点 で 共 通 す る 例 と し て 、ガ ス 爆 発 を 発 端 に 炭 坑夫が闘争へと向かうさまを描いた橋本英吉「ガス!」がある。そこで は、坑内で爆発が起こったという知らせを聞いたひとりの坑夫がつぶや く ひ と こ と に 、「 ま た 、 人 間 を 束 し て 殺 し や が つ た 。 … … … こ り ゃ 一 体 、 ど う し た ん だ … … … … 。」2 0 と い う も の が あ る 。ガ ス 爆 発 や 炭 塵 爆 発 と い っ た坑内での事故は、明治 8 年の高島炭鉱でのガス爆発以来、九州から本 州 、北 海 道 に 至 る ま で の 多 く の 炭 鉱 に お い て 頻 発 し て き た も の で 21 、坑 夫 のつぶやきに「また」とあるのも、このような社会状況を如実に示した も の と い え る だ ろ う 。実 際 に 炭 坑 夫 を 死 に 至 ら し め る の は 事 故 で あ る が 、 こ の つ ぶ や き の 先 に あ る 明 示 さ れ な い「 人 間 」を 殺 し た 主 体 の 箇 所 に は 、 頻発する爆発の危険性を知りながらも坑内の安全対策を怠っていた会社 の 存 在 が あ る 。そ の 上 で「 人 間 を 束 に し て 」と い う 箇 所 を 読 み な お す と 、 まるでダイナマイトを使用するかのように、石炭を掘り起こすために束 になって使いつぶされる炭坑夫の姿が想起される。 ま た 、「 ガ ス ! 」 に お け る 爆 発 の 直 接 的 な 描 写 は 以 下 の よ う に な っ て い る。 坑夫は口をあけ、白い歯をかんだまゝ倒れた。牛のやうに強い肩 を持つた男は、倒れかゝつて来た枠を、ガツシリと両手で支へたま ま窒息した。広い胸の間に光つてゐた汗は、長い間そこから消えな 吉田節俊「搾 田木繁「搾り 年 9 月 、 p. 2 0 橋本英吉「ガ 2 1 上野英信・編 453。 1 8 1 9 取 機 」『 戦 旗 』 第 1 巻 第 3 号 、 1 9 2 8 年 7 月 、 p . 1 6 8 。 × す た め に は 搾 り × す 稽 古 を 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 9 号 、 1 9 2 9 168。 ス ! 」『 戦 旗 』 第 3 巻 第 1 3 号 、 1 9 3 0 年 8 月 、 p . 1 7 3 。 『 近 代 民 衆 の 記 録 2 坑 夫 』 新 人 物 往 来 社 、 1971 年 、 p. 25 かつた。その横には塊炭で頭を打たれた彼の運搬夫が、呻き声をあ げていた。 二つの盛り上がつた乳房が、地面に乳首をつけてゐた。其の横に は、彼女の夫が座つたまゝ窒息してゐた。二つの肉体は焼けてはゐ なかつた。だが、夫の眼は空にあいたままであり、手に鶴嘴の柄が あつた。女の押しつけられた乳房からは白い汁が流れてゐた。七時 間前までは、彼女の赤ん坊が、そこに唇をつけて笑つていた。七時 間の間に、彼女の乳房は乳で一ぱいになつてゐたのだ。若し、ガス が恐ろしい勢ひで母の命を奪つて行かなかつたら、彼女は坑口から 湯にも行かず、真直ぐに託児所に行つて、汚れた乳首を子供に含ま せることが出来るのだつた。二人は何処にも傷はなかつた。まだ生 きてゐて、一休みしてゐるやうにも見えた。 22 映画のコマが切りかわるように、淡々と爆発の広がりが描写されたの ち の 炭 坑 夫 の 死 で あ る 。 1914 年 11 月 28 日 に 起 き た 炭 坑 の 爆 発 事 故 に 関 する新聞記事を集めた資料である「炭坑爆発誌」 23 を 見 る と 、「 噫 熱 火 地 獄」などの見出しが付けられた記事で、坑内の死体収容の作業に従事す る 人 物 の イ ン タ ビ ュ ー な ど か ら 、 死 体 の 損 傷 の 様 子 が ま ざ ま ざ と 、「 ガ ス ! 」 よ り も 凄 惨 な 表 現 で 、 事 細 か に 描 写 さ れ て い る 。 ま た 、『 戦 旗 』 に お い て は 、 1929 年 9 月 号 に 歌 志 内 炭 鉱 の 爆 発 を 扱 っ た 次 の 様 な 記 事 が 掲 載されている。 「 北 海 道 歌 志 内 の 炭 坑 が 爆 破 し た 。そ う し て 四 十 幾 人 と い ふ 労 働 者 が 逃 れ る ヒ マ も な く 、 ガ ス に む せ び 煙 に ま ぎ れ て 蒸 し ×さ れ た 。 資本家は、火の出た穴を密閉してしまふ。労働者よりも石炭が大切だと い ふ の だ 。 だ が 労 働 者 が ×ち ×る 時 は そ れ が 逆 に な る 」 24 。 悲惨な事故を広く社会に問う記事や炭坑夫と一般の労働者を同一のも の と す る 表 現 と 、「 ガ ス ! 」 に お け る 特 徴 的 な 爆 発 の 描 写 と の 隔 た り は 、 何に由来するものであろうか。胸の間に汗を残したままであったり、子 2 2 2 3 2 4 橋 本 、 注 18 と 同 掲 書 、 pp. 170-171。 上 野 、 注 19 と 前 掲 書 、 p. 453。 「 歌 志 内 炭 坑 の 爆 発 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 9 号 、 戦 旗 社 、 1 9 2 9 年 9 月 、 p . 5。 26 供に与えるはずだった乳を流していたりするきれいなままの死体の姿は、 「下層」の人々の生の姿を訴えることによって、日常に潜む死の危険を 当 然 の も の と は し な い 。「 ガ ス ! 」 に お け る 表 現 は 、 炭 坑 に お い て 頻 発 す る事故という社会状況や使いつぶされる炭坑夫という認識によって形成 され続けていく社会通念を打開する可能性を持つのである。ダイナマイ ト を 想 起 さ せ る 人 々 を「 プ ロ レ タ リ ア ー ト 」で も「 労 働 者 」で も な く 、わ ざ わ ざ 「 人 間 」 と す る の は 、 一 般 化 の 媒 介 と し て で は な い 。「 人 間 」 と 呼 称しなくてはならない必要性は、およそ人間らしくないほどの環境に炭 坑夫の人々が置かれていたということ、またそれが社会通念として広く 解されていたというところにある。ダイナマイトという鉱山労働を代表 す る 表 現 の 担 っ た 特 性 は 、3 . 3 で 検 討 す る が 、本 節 で は 先 に 人 間 を 比 喩 す る表現についてプロレタリア文学での用例を挙げる。 人間を何かに模す、ということについては、資本家からの搾取の様相 と、闘争へと向かうプロレタリアートの姿に共通点がある。圧制や搾取 の 例 と し て 、 比 喩 に よ っ て 人 間 を 表 現 し た も の に は 、「 × × ツ て と こ ろ は 、 俺 た ち を 漬 物 の 菜 っ 葉 み た い に し ち ま う ん だ な あ 」 2 5 、「 娘 は 枯 木 の や う に痩せこけて死んだ。一生を圧搾機にかけて搾り尽された彼女はその代 償 を 親 達 か ら 搾 り 上 げ て い っ た 」 2 6 と い う も の が あ る 。一 方 で 、闘 争 へ 向 か う プ ロ レ タ リ ア ー ト を 表 現 し た 比 喩 と し て は 、「 俺 ら は プ ロ レ タ リ ア おい 俺らは機械 俺らはハガネ/俺らは不死身だ」 27 、「 同 志 等 よ 。 君 等 は 機 おい ら 関車。俺等は燃料だ」 28 、「 こ の 起 重 機 は 血 が す た つ と る や う で / 仲 間 は (ママ) シャフトやう ぬ たたかつとる/人間と機械の/あたらすい結合がでけ あ が る ん だ 」2 9 な ど の 表 現 を 挙 げ る こ と が で き る 。労 働 者 を 使 い つ ぶ す 比 喩として使われていた機械がここでは一転して、理想的なプロレタリア ートの姿として描かれていることが確認できる。 明石鐡 1929 2 6 細野孝 2 7 田木繁 2 8 松崎啓 p. 37。 2 9 浅見弘 1929 2 5 也 「 火 線 ― ― 1 9 2 7 年 の 兵 営 生 活 記 録 ― ― 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 4 号 、 年 4 月 、 p. 170。 二 郎 「 雪 崩 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 4 号 、 1 9 2 9 年 4 月 、 p . 1 5 1 。 「 拷 × を 耐 え る 歌 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 4 号 、 1 9 2 9 年 4 月 、 p . 3 4 。 次 「『 三 月 十 五 日 』 に 送 る 歌 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 4 号 、 1 9 2 9 年 4 月 、 「 工 場 は 建 つ ・ 心 臓 は 敵 意 に た ぎ つ と る 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 4 号 、 年 4 月 、 p. 34。 27 荒 俣 宏 に よ れ ば 、2 0 世 紀 は 人 工 動 力 と 熱 力 学 の 発 展 に よ っ て 、 「疲労」 や「消耗」を排除し、燃料の補給さえしていれば運動を持続できる、と いうことを追求した時代であった。 「 消 耗 」す る と い う こ と は 資 本 家 に と ってもプロレタリアートにとっても恐怖であり、このような共通点は時 代性を反映したものとして妥当だろう 30 。 しかし、炭鉱労働の現場においてはこの状況は異なる。小林園夫「出 発」において「瓦斯爆発!/炭車テンプク!/ロープ切断!/落盤!/ 飢餓賃金!/乞食にも劣る掘立小屋!/死が待つてゐる坑夫/俺は坑夫 だ」 31 と あ り 、「 二 つ の 行 列 」、「 ガ ス ! 」 か ら も 看 取 さ れ る よ う に 、 炭 鉱 労働とはそれ自体が多くの事故や過酷な労働環境にさらされる、死に極 めて隣接したものとして表現されている。その上でこの詩が導くのは、 「何で俺が死を恐れやう!/死を恐れて何が出来やう!/一枚のビラに さへ、俺は俺の命を糊に塗り込む/この一山の兄弟のため/もと/\俺 は 坑 夫 だ / 俺 が 何 で 死 を 恐 れ や う ! 」と い う よ う に「 消 耗 」や「 疲 労 」を 飛び越えた、死を前提とする捨身の闘争である。プロレタリア文学が炭 坑 夫 を プ ロ レ タ リ ア ー ト と し て 編 成 す る 一 方 で 、こ の よ う な 表 現 か ら は 、 資本家側とプロレタリア文学側に共有されるような社会通念が確認され る。この点からも「ガス!」におけるダイナマイトの表現の特異性は伺 えるものであるが、一方でこの武器は闘争の方向においても効果的に作 用する。 3.3. 前 衛 と し て の 闘 争 プロレタリアートとしての闘争を象徴するものとして松田解子「坑内 (シ キ )の 娘 」が あ る 。作 者 は 、秋 田 県 仙 北 郡 荒 川 村 荒 川( 現 ・ 大 仙 市 )の 三菱経営の荒川銅山に生まれ、本格的な作家活動を始めた当初から、生 え抜きの労働者として位置づけられてきた 32 。以 下 は 、松 田 の 荒 川 銅 山 に 荒 俣 、 脚 注 3 と 同 掲 書 、 2000 年 、 pp. 38-39。 小 林 園 夫 「 出 発 」『 戦 旗 』 第 2 巻 第 6 号 、 1 9 2 9 年 6 月 、 p . 5 6 。 32 こ の よ う な 来 歴 か ら も 、 こ の 詩 に お け る 労 働 現 場 は 炭 鉱 に 括 ら れ る も の で な く 、 広 く 鉱 山 と 捉 え る べ き と 思 わ れ る 。 し か し 2.1.に お い て 述 べ た よ う な 労働の環境やその特殊性は共有されるものであるため、共に取り上げ、考察 の一助としたい。 3 0 3 1 28 暮らしていた時代の体験を描いたものと解されることの多い詩から、冒 頭の引用である。 て ご 私達は手子だ 坑夫の掘出した鉱石を運ぶ 私達は運搬夫、私達は坑内の娘だ。 私達は暗黒の中を雌鷹の様に易々と飛ぶ。 監督も、坑夫も支柱夫も捲挙機械夫も 奈落に導く竪坑も恐れはしない。 ダイナマイトの唸りは私達の心臓に 輝く未来を告げる声だ 昨日、十三番坑で君坊が死んだ。 私は其の血を、其の魚肉の様に千切れた肉を、そして岩塊の重圧 にむしり取れた髪の毛を見た。なのに私は泣けなかつた。 (中略) 私達は労働者だ。 私達は仲間の死を悲しむ。だが 私たちは其の死骸を踏み越えて 進まなければならない。 (中略) 私達は手を、握ろう。ケージの中、鉱車の蔭で、お互ひに結び付か う。そして 私達の最初の闘ひを宣する日を創らう。 私達は、今日、鉱石を掘出す だが、その日には タガネで、ダイナマイトで、何を 打ち砕かねばならないかを 29 は っ き り 目 論 ん で 進 ま う ‼33 鉱山用語で、坑道内を指し示す真っ暗な「シキ」から発せられたこの 詩の最終部では、語り手が「闘いを宣する日」を創出するために、ダイ ナマイトを手にする。 「 私 達 の 心 臓 に / 輝 く 未 来 を 告 げ る 声 」と さ れ る こ の道具は、本来石炭を掘り起こすためにさらなる地底へと向かわせ、坑 内で頻発した事故の原因のひとつともなり、十三番坑で起きたという事 故により微塵となった「君坊」の遺体の姿とも重なりあうものである。 このような危険と裏表の道具に希望を見出す「坑内の娘」とは、仲間 の 死 を 契 機 に 、 光 の 届 か な い 地 底 を 破 り 、「 輝 く 未 来 」 を 掘 り 出 す た め に お互いが「束」になろうと、自身を武器としてのダイナマイトに見立て る人々ともいえるだろう。プロレタリア文学において団結を武器とうた うのは、強大な資本と対峙するのに、微細な労働者の力を合わせること が有効かつ唯一の手段と捉えられていたからである。しかし、闘争へ向 かう武器としてダイナマイトを選びとるということは、単に炭鉱労働に と っ て 身 近 な も の と い う 理 由 だ け で は な い だ ろ う 。以 上 の 考 察 か ら 、 「機 械 」 や 「 燃 料 」 と い っ た 表 現 が 、 機 械 文 明 の 発 展 と い う 20 世 紀 の 時 代 性 を 反 映 し 、「 持 続 性 」 と い う 観 点 で 用 い ら れ て い る の に 対 し 、 ダ イ ナ マ イ ト と は 、 使 用 が 一 度 に 限 り 、「 持 続 性 」 と い う 利 点 か ら は 逸 脱 し て い る 。 「不死身の機械」と異なり、ダイナマイトに身を模して闘うということ は、まさに「闘いを宣する日」を創出するために、死をもいとわない闘 争の前衛に立とうとすることにほかならない。 「 坑 内 の 娘 」に お い て は 、初 出 の『 戦 旗 』 1928 年 11 月 号 の 段 階 で は 、 「 母 よ ! 」と い う 小 見 出 し の あ と さ ら に 詩 が 続 く 34 。こ の 詩 で は 、工 場 で 働く娘が鉱山で働く老いた母の手を引き、 「 此 の 張 り こ め た 搾 取 網 、こ の 堅 牢 な 鉄 鎖 、 / 此 の 狂 暴 な ××を か み 切 つ て 行 く の だ 。 / 涙 を ふ け 、 / 母 よ、/私達は今に、すばらしい世界を産み落とすんだ!!」と呼びかけ 松 田 解 子 「 坑 内 の 娘 」『 戦 旗 』 第 1 巻 第 6 号 、 1 9 2 8 年 1 0 月 、 p p . 1 0 8 - 1 0 9 。 そ の 後 刊 行 さ れ た 『 詩 集 辛 抱 づ よ い 者 へ 』 (松 田 解 子 、 同 人 社 書 店 、 1935 年 )で は 、 連 作 で は な く 別 個 の 作 品 と し て 所 収 さ れ て い る 。 3 3 34 30 る。ここには鉱山という閉ざされた場所から離れ、すでにプロレタリア ートとして開かれた場にいる娘が、母に「本当の敵」を教示するという 構図がある。詩の中ではわずかではあるが、船上で働く兄に関する記述 もあり、母や兄を囲い込む閉鎖的な労働現場を破ること自体がプロレタ リアート全体の闘争における一役を占め、社会変革のための新たな地平 を拓くことが示唆されている。 4. お わ り に 本稿で取り上げたプロレタリア文学の言語表現では、炭鉱と炭坑夫を 編成するために、隔絶された現場と労働が鳥瞰的な視野の下、抽象化さ れ提示されている。そしてその編成自体は、共同体の未来の創出のため 自身の生を賭けて闘争しようとする前衛に、炭坑夫を組み込もうとする ことといえる。 その労資関係を解決しようとする時、しかし炭坑夫はプロレタリア文 学の抱える「難問」を体現してしまう存在であった。この点に加えて、 プロレタリアートとしての炭坑夫がどのような役目を担うものとして希 求されていたかという点は留意されるべきであろう。炭坑夫を包括して 新たに生成されようとするプロレタリア文学運動とその表現、またプロ レタリア文学によって生成され始めた炭坑夫の姿の互いを考察するため に、上述の点を注記として挙げたい。 そして今回取り上げた作品には、映画の技法やダダイズムなど世界的 な前衛芸術との関連が伺えるものであるが、調査の行き届かなかった点 も 多 い 。『 戦 旗 』 と い う 誌 上 に お い て は 、 グ ラ ビ ア 記 事 や 表 紙 、 挿 絵 の よ うな視覚的表現を横断して、そこに包括される読者共同体にプロレタリ アートとしての炭坑夫が提示される意義を考察することが必要とされる だ ろ う 。「 母 よ ! 」 に お い て 、 兄 の 労 働 現 場 と し て 触 れ ら れ る よ う に 、 鉱 山のほかにも海上労働のような社会から隔絶され、また他国の労働と通 じるような現場が存在していた。プロレタリア文学運動が世界的な視野 を持って進められていたことからも、炭鉱や広く鉱山での労働に加え、 上述のような労働現場の表現を探ることによって、プロレタリア文学運 31 動総体を検討しなおすことを今後の展望とする。 【付記】 引 用 に 際 し 適 宜 漢 字 は 現 行 の も の に 改 め 、 傍 点 ・ ル ビ は 省 略 し た が 、『 戦 旗』からの詩の引用は初出のままとした。また参照したのは、すべて、 1976 年 に 戦 旗 復 刻 版 刊 行 会 か ら 発 行 さ れ た 復 刻 版 で あ る 。 32
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