微研麻疹研究部時代-麻疹ワク チ ン、ポリ才ワクチン、そして アデ ノ

微研麻疹研究部時代-麻疹ワク チ
する頻度が高いことも知られていた。そこで 3 型 に
的をしぼって弱毒化の研究を行った。そして 感受性
のあるサルと腎細胞交互継代すると、数 代の継代で
ン、ポリ才ワクチン、そして アデ
温度感受性などのマ一カー、および サルの脳内接種
で著明な弱毒化が起こることを 知った 1_2> (表 1)。
ノウイルス、単純へルベス ウイル
いわゆる感受性の低い異種動物 細胞を継代するこ
とにより、容易に本来の宿主 に対する病原性が低下
スの発がん性の研究
するということである。 このことはジェンナー
(Jenner)以来いわれてい たことであるが、弱通化
のマ一力一のはっきり しているポリオウイルスだ
1959 年、私は大学院を修了し、同じ大阪大学 微
生物学研究所(微研)の麻疹研究部に助手とし て
採用された。奥野(教授は麻疹ワクチンの 開発、特
に発育鶏卵継代によるウイルスの弱毒 化に全力を
注いでおられたので、その手助けを することとな
った。
奥野教授は麻疹以外にも イ ン フ ル エ ン ザ 、 ポ
リオのワクチンの開発に意欲を注いでおられ た。
私は麻疹以外にも鶏胚細胞を用いたポリオ ウイル
スの弱毒化の研究も行うことになった。 結采的に
は当時すでにセービン(Sabin)の生ワ クチンが開
発され、世界的に実用化されようと していた時期
であったので、私のポリ才研究は 突を結ぶことは
なかった。しかし安定で、しか も弱毒マ一カーの
はっきりしたポリオウイルス の弱毒化の研究で、
貴重な経験を得ることがで きた。ポリオウイルス
は、2 型はニワトリ胎児細 胞で増殖するが、3 型は
ほとんど殖えない。そし て 3 型はヒトの腸管内で
弱毒から強毒へ逆変換
からこのような明白 な結来が得られたと、驚きに似
た強い感銘を受 けた。これは後に水ワクチンを開発
する際に 非常に参考になった。
1963 年 10 月からロックフェ ラ ー 財団のフェ ロ
ーとして米国に留学することになった。ちょ うど
その前平、アデノウイルス 12 型を哺乳ハム ス夕ー
に注射すると腫瘍が発生するということ が米國で
報告され 31、がんとウイルス閲係者にセ ンセーシヨ
ンをまき起こしていた。私は先に述 ベたように、
ウイルスによる発癌、特にヒトウ イルスと発癌の
閲係に興味をもっていたので、 報 告 者 の ヒ ュ
ーストンのベイラー大学の
の下に留学した。
Trentin 博士
ヒューストンには 1 年滞在したが、縁あって 2 年
目はフイラデルフイア、テンプル大学医学部 のフェ
スのヒトがんとの関連性については、現在.は疑問
視されている。
ルズ研究所で、日本から留学しておられ た山本信人
博士の研究室でバクテリオファージ の造伝学を学
んだ。たまたま山本博士の研究室 には名古屋大学小
水痘ワクチン開発の動機“
W 科から古川宣博士(現金 沢医科大学微生物学名誉
奥野良臣教授によるウイルス生ワクチンの開 発
教授)が留学しておら れ、机を並べて研究すること
研究は、麻疹ワクチンの後、ムンブス、風疹 ワクチ
となった。そこに 私は 1 年滞在した後帰国したが、
ンと進められ、1970 年ごろはいずれも実用化のめど
击川博士はその 後、
ペンシルバニア大学ウイスター
がつ い た 状態となり、残された主要 な小児の感染
研究所の Plotkin 陴士の下でサイトメガロウイル
症でワクチンが望まれているのは 水痘ではないか
スの研究 に長期従事された。
その縁で後に私が水痘
と私は思った。水痘については 私には格別の思いが
ワク チン開発の研究を行うこととなったとき、
風疹
あった。私事にわたって恐 縮であるが、米国留学中、
ワクチンを開発し小児科領域でのワクチンの権 威
私の 3 歳の長男が水痘 にかかり、水疱が全扮に広が
者であった Plotkin 博士から多大の厚意を受け る
り高熱が 3 日問も続 き;1 症となり(図 1)、これは
こととなった。
大変な疾患だと思っ たことがある。そのとき以来、
1971 年、ヒューストン時代の旧知の Rapp 博士 ら
水痘がワクチン によって予防できればとの思いは
が、紫外線で不活化した単純へルベスウイル ス に
絶えず私の念 頭にあった。小児科関係の成書には、
よってハムスター培養細胞のトランス
水痘は一 般に軽症であると書かれているが、ほとん
2
フ ォ ー メー シ ヨ ンが起こることを発表し >世界
どの 小児がかかり、なかには重症もあることは身近
的な注目を集めた。当時単純へルベス 2 型ウイル ス
にみていたのでワクチン開発への思 い が つ のつ
が子宮癌と関係があるのではないかと、
その 血清疫
ていた。
学が盛んに行われていたころである。私 はアデノウ
イルスでの成績からみて条件変異株 を得れば、
紫外
線で不活化しなくてもトランス フ ォ ー メーシ ヨ
ンの研究が進められるのではな いか、
そうすればヒ
ト癌との関係の研究も進む のではないかと考えた。
水痘ワクチン開発についての
問題点
しかし水痘ウイルス(varicella zoster virus :
そこで大学院を終えて いた山西弘ー博士(後に大阪
VZV)は cell-associated の性質をもっていて、cell-
大学医学部長、現医 薬甚盤研究所理事设)の協力を
free のウイルスを得にくいことはよく知られて お
得て、多数の単純 ヘルベスウ イ ル ス の温度感受性
り、ワクチンの開発は容易ではないことは予 想して
変異株を分離し た。そしてハムスター、ヒト培養細
いた。もう 1 つ の 問題は、ヘルぺスウイル スの 1
胞を川いて ト ラ ン ス フ ォ ー メ ー シ ヨ ンの
つとして latency の性質があり、VZV の場 合、将来
研究を行ったが、アデノウイルス以上に困難であり、
の带状疱疹の発病の可能性を 考慮する 必要があっ
ハムスター 培養細胞では辛うじてトランス フ ォ
た。VZV の最初の分離者である Weller 博士は Viral
ー メーシ ヨ
ン細胞が得られたが、ヒト培養細胞で
and Rickettsial Diseases of Man と い う 当時有
は多大の 努力をしてもついに継代できるトランス
名な単行本の中で、VZV に つ い て 、 潜 在性の問題
ム細胞は得られなかった 6>。単純へルベ
があるので水痘ワクチン開発は困難 であろうと述
フォー
スウイル
べていた。しかし、latency と関連
して考えられる発がん性の問題も VZV ではまっ た
に依頼し、典型的な患者の水疱液を採取しても ら
く証明されていない。そして自らのアデノウ イ ル
い、私自身が赴いてそれを受け取り、その患児が岡
ス 、 単純へル ぺ ス ウ イ ル ス の 研究を含めて 考
という姓であったので分離したウイルス を岡株と
えると、VZV がヒトのがんと閲速していると は到底
名付けた。1971 年のことである。今や ワクチン株
考えられず、もし水痘ワクチンが開発で きれば、
として Oka strain は世界的に有名と なっているが、
そのもたらす利益はきわめて人きい で
その当時は思いもしなかったこ とである。岡株ウ
あろうと
強い新年をもって水痘ワクチンの開発を始めた。
イルスは最初からワクチン化 を目指していたので、
きわめて慎重に取り扱い、 ワクチン株の目途がつ
VZV
の不安定性と cell-
associated
くまでは各操作はほとん ど私自身で行った。
ウイルスの弱毒化にはいろいろな方
の性質について の考察
法があ
—方、感染性をもった VZV 粒子を多数集める
る。しかし実際にはヒトでの病原性を調
べうる 実験動物系は、ポリオウイルス以外ではほと
ことがいかに難しいかは電子顕微鏡で粒子数を 調
ん どない。
したがって従来の方法で、しかも確率 の
べた結果で明らかである。図 2)。VZV(河口 株)を
高い方法をもちいることとした。そのときにか つ
使用した実験ではヒト胎児肺細胞感染後 48〜72 時
て の ポリオウイルスの弱毒化の経験が役立っ た。
間後に採取した培養液中、
ウイルス粒 子数は 1〜2 x
VZV はきわめて宿主特異性が強く、ヒトお よびサル
109particle/mL(30〜80%は envelope あり)である
以外の実験動物細胞ではほとんど増殖 しない。しか
のに感染価は検出できな かった。
し、調べてみると、モルモットの 胎児細胞ではある
さらに同株感染細胞(感染後 48 時間)を超音波 処
程度増殖することがわかった ので、モルモット胎児
理(通常感染性粒了を得るのに使用する方法) した
細胞を継代にもちいること にした。このことは後で
液中にはやはり 1~2 x109 particle/mL(30 〜50%は
弱毒化にかな重要な 意義をもっていたことが明ら
envelope あり)がみられたが、感染価は 1〜2 x101
かとなった。岡株 ウイルスを最初やや低温の 34°C
程度であり、感染性粒子の割合は 1/105 の少数であ
でヒト細胞に 11 代継代した後、モルモット胎児細
った。
胞で 12 代継代 した 9 継代後のウイルスは 39℃で、
参考として準純へルぺスウイルス(HSV-2、 VWF
やや温度感 受性であり、モルモット胎児細胞におけ
株)にっいて急速凍結融解を 3 回繰り返して 得た
る増殖 性がもとの株やほかの株より高まっている
上清を調べ ると、卜 2 x10 particle/8.0 x 10
こと がわかった 10>o このような温度感受性と宿主依
infectivity(ratio 57.8 particle/infecdvity) で
存性がどの程度であれば弱毒化として適当かは ウ
あった。
この ratio は Watson5)らが以前発表した 成
イルスによってことなり、一定の基準を決める こと
績とも一致している。
は困難である。
9
7
以上のことは VZV の粒子数と感染価の比が HSV に
幸いに、水痘ワクチン開発研究を始めたころ、
比べはるかに高いことを意味している。 これは多
rVaricella Virus」
(1972)という単行本が刊行さ れ
分 VZV 粒子の不完金さよりも不安定さ に起因して
6 7>
いると思われる •
(図 2)。
このように、感染性のある VZV を得ることは HSV
ウイルスに比べはるかに雛しい の で 、これ を少し
でも改以することが VZV ワクチン研究を 進めるう
えで必須の要件であった。また、感染 性粒子でも
温度に不安定で失活しやすいことは 水痘ウイルス
を取り扱ううえで大きな困難点で あった。
水痘ワクチン開発の経緯
麻疹ワクチン、ポリオワクチンなどの経験か ら、
長期免疫を得るためには生ワクチンでなく てはな
らないと考え、その目的で VZV を分離し、 弱毒化
を始めることにした。VZV は当時大阪警 警察院小児
科部-良をしておられた丸山在一博士
11
、それまでの VZV に関する情報が詳しく集 約 さ
れ て い た 。 そ の な か に 「Experimental Human
Infections」との題目の下に、欧米で 1920 〜1930
年代に水痘、帯状疱疹の患者の水疱液を
健康児に接種した成績が記されていた 12〜16、そ の
結果は unsuccessful(水抱がみられない)
、ある い
は水疱が 26 人中 2 人出たなど、数編の論文で合 計
100 人以上が水痘、帯状疱疹水疱液の皮下接種 を受
けたと引用されていた。当時は、ウイルス 量の測定
は不可能であったと思われるが、野生 侏ウイルスで
も皮下注射で接種すれば重症にな ることはなかっ
たことが示唆されており、以後 ワクチン候補株の臨
私どもの研究室で学んだ,馬場宏一博士(大阪 大
学医学部小児科講師、現開業)が大阪府立公衆 衛生
研究所(大阪府公衛研)を経て大阪大学医学 部小児
科に入り、薮内百冶教授の英断の下に同小児科でワ
クチン外来が設けられ、ワクチン接 種が行われ始め
た。そのなかに水痘ワクチンも 取り入れられ、種々
の疾患児への接種が慎重に 行われた。
床試験を実施するのに安企 性の点で参考になった。
ネフローゼ等の入院児への緊急接種
そして、それまでのい く つ か の ウ イ ル ス の
水痘ワクチンの臨床試験を始めたころ、奥野 教
弱 毒 化 の経験を踏まえて、私どもの得ている継代
授の麻疹、風疹、ムンブスワクチン時代から の長い
株はほぼ適当な変興株で あろうと推定した。
付き合いであった名古屋大学小児科の礎村思无撺土
私は cell-free ウ イ ル ス を ワ ク チ ン と し
て使え
が、「水痘ワクチンについて協力した い希望をもっ
るほどの量を得るのに努力し、培養細胞
ているので」と私どもの研究室に、 若い一人の研究
へのウ イルスの接種、細胞病変の進み具合、感染細
者を連れてこられた。それが浅野喜造博士である。
胞
の採取の時期、方法、感染細胞の
浅野博士は緻密な計画性と すばらしい実行力で、水
ultrasonication による破碎、浮遊液の紐成、ウイ
痘ワクチンの臨床応川 を進めるにっいて力強い協
ルスのカ測定 定法、保存法などを細かく検討して、
力者となった。
1973 年後 半にはかなりの量の cell-free のウイル
スを得て、 安定に保つことができるようになった。
このようにして得られた水痘ワクチンに関す る
成績は、Lancet や米国の小児科誌などに次々 と発
表され 8•17〜19>、国内外で人きな反響をよん だ。特
ワクチン候補株の臨床試験
に最初の、浅野博士らが中京病院でネフ ローゼ児の
多い病棟で水痘患児が発生した際、 ワクチンを緊急
種々の安全試験の後健康児への試験接種
ワクチン候補株について培養細胞、実験動物 を⑴
いての種々の安全試験を行った。特に、モ ル モ ッ
卜 の 胎 児 細胞を継代しているのでモル モッ卜由
来の白血病ウイルス(C 型粒子)の混入の有無を電
子顕微鏡、逆転写酵素測定等により 綿密にチェック
し、その陰性を確認した。そし てヒトへの臨床試験
に進んでいった。
まず私ども自身の研究グループにおいて安全 性
を確かめた後、順次小規模からの健康時への 接種を
広げていった。その結果は、健康児に接種した場合
には副作用はまったくといっていい ほどなく、免疫
反応は良好な成績が得られた 4)。
接種し、続発患者なく接種者全員に免疫が得られた
との成績が 1974 年末 Lancet 誌に発表された
8f
が、
その反響は人きかった。た だちに、ニューヨーク大
小児科の Brunell 博士 (当時ニューヨーク大準教授、
テキサス大教授、 後に NIH)、Gershon 博士 (当時ニ
ューヨーク大準 教授、同大教授を経て現コロンビア
大小児科感 染症主任教授)から letter の形で同誌
に強い反論 が載った
20)
。それは弱毒されていると
はいえ、生- ワクチンをネフローゼのよ うなハイリ
スク児に 接種するのは危険であるという主旨であ
った。 Brunell 博士ら
22
-⑶は、ハイリスク児の水
痘予防 に は 带 状 抱 修 回 復 血 淸 か ら 得 た
グロブリン
水痘の予防に
(Zoster Immunoglobulin : ZIG)が
安全有効である、との成铅をそれまでに発表し 主張
も取り入れられ、ハイリスク児への水痘ワクチ ン接
していたので、強い反論も当然であったか もしれな
植の基準となっていった。
い。後になって Gershon 博士から、ZIG では適切な
予防は実際には難しい、自分もワク チンには賛成で
米国における水痘生ワクチン(岡株)の導入
あるので、ワクチン接種前後の 血清を送ってほしい
1979 年 2 月 、 ワ シ ン ト ン で
FDA, NCI
との手紙を、Brunell 博士 (当時テキサス大サンア
(National Cancer Institute), NIH お よ び
ントニオ校小児科教授)からも自分もワクチンを使
NIAID(National
ってみたいので送っ てほしいとの手紙を受け取っ
Infectious Diseases) 主 催 の へ ル ぺ ス ウ イ
た。その間、水痘 ワクチンについては Brunell 博士
ルスワクチンに関するワーク
21
が NIH1 号館の由緒ある Wilson Hall で 行われ 31>、
23
らの批判に対 し、Sabin 博士 >、ウイスタ一研究
Institute
for
Allergy
and
シ 3 ップ
所の Plotkin 博 土 24)、そしてコロラド大の Kempe
私も招かれ約 1 時間発表した。この ワークシヨッ
博士 25)(米国小児科感染症領域の権威者)らが水痘
プには米国、英国、カナダなどか ら約 150 名の基
ワクチンは 受け入れられるべきだとの意見や反論
礎•臨床の専門家が集まり、3 日 問にわたって、特
の論文を 発衣し、1977 年には米国で人きな論争が
に私どもの開発した水痘ワク チンを米国で正式に
行われ た が 大 勢 は 水 痘 ワ ク チ ン を 支 持
取り上げるかどうかが主題 で熱心な発表討論が行
する形となっ
われた。そのなかで印象 的 で あ っ た の は 、
た。Gershon 博士および Brunell
博士とはその後 親しくなり、訪米時、数度両博士の
最後の討論において故
私宅に泊め てもらった。国内では 1977 年、昭和 49
ュ ー ヨ ー ク 大 名 誉 教 授 、 Gershon 博士の恩
Krugman 博 士( ニ
年厚生省医薬品試験調査委託費による水痘ワクチン
師)が水痘ワクチンのこれまで の成績は高く評価
協議 会(会長:大将明国立予防衛生研究所ウィルス
されるものであり、米国でも 正式にテストされる
リヶッチア部長)が発足し、大谷博士指導の下で 水
べきだと述べられたことで ある故 Krugman 博士は
痘ワクチン実用化に向けて本格的体制作りが 始ま
B 型肝炎ウイルスに関す る研究で世界的に知られ
った。
た人であり、その温厚 な人柄とともに米国で小児
感染症領域では最高 権威者の 1 人として尊敬を集
小児白血病児への水痘ワクチンの接種
めている人だけに、 その発言の重みは大きかった
小児急性白血病児が水痘に罹患すると重症化 す
と思う。その後、賛 成発言が相次ぎ、その結論を
るし、ときに死に至ることは広く知られてい る。し
もとにして米国で NIH の主導のもとに水痘ワクチ
かし当時は、白血病児は生ワクチンの禁 忌対象者と
ン 研 究 グ ル ー プ が 組 織さ れ 、 そ の主 任 に 先の
なっていた。急性白血病を永年研究 しておられた三
Gershonlfd 博士がなっ た。このときの発表は、私
重大学小児科の井澤道教授の 指示の下で桜井
実
がそれまでで、また それ以後の多くの発表の中で
助教授(当時)、神谷 斎 講師(当時)および若い
最も緊張を感じた ものであり、水痘ワクチンが世
研究打らが私どもの研究室 を訪ねて来られ、早速水
界的に取り上げ られるきっかけとなっただけに、
痘ワクチンを白血病児 に接種する計画をたてられ
終生忘れられ ない思い出である。
た。計画は綿密に一 歩一歩進められ、ある一定の接
準の下に接種す れば重篤な副作用なしに接種でき、
有効である ことが示された 26•
後欧米で
27,
o この基準はその
わが国における厚生省厚生研究費補助金 によ
る「水痘ワクチンの開発研究」の活動
わが国では 1981 年(昭和 56 年)からは厚也省科
学研究補助金により「水痘ワクチンの開発研
究班(班長:高橋理明)が組織され、水痘ワクチ ン
(岡株) 実用化のための臨床試験が行われた(3 年
問)。
米 国 Merck 社 の ワ ク チ ン 部門 長 の MauricellR.
Hillman 博士が手紙で、
「Merck 社で水痘ワクチ ンの
開発を進めている(KMcK 株-Merck 社で水 痘ワクチ
中尾亨(札幌医科大学小児科教授)、富樫武弘 (北海
道大学医学部小児科講師)、吉岡一(旭川 医 科 火
学 小 児 科 教 授 )、渡 辺 森 県 立 中 央 病
院
小 児医長 )、 横 山 碓 (弘前大学医学部小児科
教授)、今野多助(東北大学医.学部小児科助教授)、
ほか二十数名の方が班員として活躍された。
ンのヒト 2 倍体細胞を 30〜40 代継代し たもの)
が、
岡株を送ってくれないか、両者を比 較検討しもし岡
株がよければ Merck では岡株を 採川して水痘ワク
チンを作りたい」と伝えてき た。そこで岡株を送り、
両者をさきの Plotkin 博士らが比較臨床試験を行
った結果、岡株の方が 副 作 用 が 少 な く 優 れ
ていることが分かったの
これらの方々および他の研究協力者の成績を 概
で、以後 Merck
では岡株を(Oka-Merck 株)とし て製造していくこ
略すると以下のようになる。
ととなり、米国で始められる 治験はすべて Oka 株由
急性白血病児
来のOka-Merck 株が使わ れることとなった。同じこ
330
うち薬剤投与中止群:251 (臨床反応軽中
ろ、ヨーロッパでも 同様に ス ミ ス ク ラ イ ン
度:46(18.1%)、免疫反応:229 (91.2%))
RIT 社と交渉の結果、岡侏 ワクチンを試作し、ヨー
うち薬剤投与中止せず群(緊急接種(を含む)
:79
ロッパ数力国で試験接種が行われた。その結果は私
( 臨 床 反 応 軽 症 度 :37(46.8%) 、 免 疫 反 応 :76
どもの成績とほぼ同じであった。そこで 1983 年、WHO
(96.2%))
において水 痕ワクチンに関する専門家会議が開か
32>
ネフローゼ症候群 77(臨床反応軽度:3%、 免疫反
れ
、岡 株が生ワクチンとして望ましい性質をも
応:92.2%)
った株 であると認められ、その製造基準が定められ、
その他の基礎疾患児 262(臨床反応軽度:3%、 免疫
1985 年に公表された。それをもとにして 1984 年、ヨ
反応:90.5%)
ーロッパ数力国でハイリスク児を対象に岡株 水痘
他患児
777(臨床反応軽度:1〜
2%、免疫反応:97.4%)
ワクチンが認町された。わが国では先に記 したよう
に 1986 年にハイリスク児および必要な ら ば 健
( 免 疫 反 応 は 主 と し て Immune Adherence
康小児を対象に水痘ワクチンが認可さ
Hemagglutination〈LAHA〉反応による)
れ、1988 年には勧告でも同様に認可され多数の 小
児が接種を受けている。米国ではその
これらの成績を基にして昭和 56 年 9 月、ハイリ
後
Merck 社が健康児を対象に大規投な試験接種を
スク児、他康児を対象として乾燥弱毒生ワクチ ン
続け、1995 年に universal immunization として広
が認可された。このときは、木村三生夫博士、 堺
く小児に接種することが認められた。現在では、 ほ
春美博士には厚生省との折衝の際にお世話 になっ
ぼ世界中で使川されている。
た。木村博士は故人となられ残念である が、特に
謝意を表したい。
水痘ワクチン(岡株)の海外での評価
私どもの研究がだいぶん進んだころ、旧知の
健康小児における水痘ワクチ
ン接種による感染防御効果
わが国で水痘ワクチンが健康児に接種されて 以来
20 年近くが経過し、500 万人以上が接種を受
けている。副作用はほとんどなく、きわめて安 全
水泡発現)前後数日問(特に発病前 2〜3 日間)に高 率
性の高いワクチンといわれている。ワクチン の有
に VZV 血症が検出されるが、水痘ワクチン接 種者を
効率については多くの報告があるが、まと めると
28 日間追跡調査しても血中から VZV は検 出されない
軽症まで含めると感染防御率は約 80%と いわれて
ことを発表した 35~38)0 これは、水痘 の発病、潜在等
いる。
を考えるうえで重要な事実と思 われる。
しかし最近、小児施設などで水痘発生がある と
水痘ワ ク チ ン 接種後、ワ ク チ ン ウ イ ル ス は
罹忠率はもっと上がるということが増え、特 に米
自 然感染と同じように潜在するか、そして将来ワ
国でその対策は問題となった。以前から水 痘ワク
ク チ ン ウ イ ル ス による带状抱疹が起こるのかに
チンは 2 回接種すると抗体価の上昇は 1 回 接補に
つ い て は 長期間の観察が必要である。しかし急 性
比べて顕著によくなることが知られてい る。そこ
白血病児は 水痘罹患後 早期に带状疱修を発症 する
で 2 固接種をルーチンに取り入れると感 染防御率
ことが多いことが知られている。
そこで水 痘 ワ ク
は 98%に達し 33>、小児施設でもほぼ完 企に感染を
チン接後の急性白血病妃を観察するこ
防御できることが分かり、現在米国、 ド イ ツ で
とによって、ワ ク チ ン 接種と帯状疱疹の発症と の
は 水 痘 ワ ク チ ン は 2 回の定期接種が取 り入
関係がかなり明らかになってきた。
れられている。2 回の間隔は米国では 12〜16 力月と 4
〜6 歳となってい る 。
わが国で水痘ワクチンの接種を受 I ナた急性白
血病児 330 人について、ワクチン接種後発疹(水 疱)
わが国でも予防接種委員会で 2 回の定期接種 が
がみられた小児 83 人と、みられなかった 247 人 に
検討されていることが報じられている。水痘 ワク
ついて、帯状抱疹発症を数年追跡調査すると、 前者
チン開発の動機に書かれたような重症の水 痘罹患
では 13/83 (15.7 %)であり、後者では 5/247 (2.0%)
はもはやなくなっている 3‘0。これはワク チンの教
で前者の方が有意に高かった如(表 2) o 米 国でもほ
科書的標準書である Plotkin 博士編集の「VACCINES」
ぼ同様の結果が報告されている‘|()>。
の最新版(第 6 版)(Dr. Gershon、 私、CDC の水痘ワ
これらの事実は、帯状疱疹の発症には、以前 に水
クチン Chief■の Dr. Seward : 著) に書かれてい
痘ウイルス感染による発疹(水疱)があった かどう
る。水痘ワクチンがわが国で実川 化されて 30 年、
かが密接に関連しており、また水疱中の ウイルスが
米国で実用化されて約 20 年経ち、 今では水痘ワク
抹消神経を介して知覚神経節に達す るのがウイル
チンは普通に接種されていくよ う に な っ
ス潜在への主なルートであること も示唆している。
た と 米 国 の
ワクチン接種後罹患した者には通常 水疱形成がみ
Anne Gershon 傅 士 が
Congratulations の言葉とともに手紙で送ってき
られず、かつウイルス血症も検出 されていない。ま
た。私自身は一応これで満足できる状態に達したの
た、ワクチン接種後罹患した ケースでも水疱形成に
ではないかと思ってい る 。
至るものはきわめて少な い。従って、ワクチン接植
者ではワクチンウイ ルスが感覚神経節に潜在する
小児期の水痘ワクチン接種に
よる将来の帯状疱疹発症率減
少の可能性
1984〜1985 年、尾崎、浅町•らは水痘の発症(水
可能性は少なく、 将来带状疱疹を発痖する頻度は、
自然感染で発 症した人の場介に比べて、有位に少な
いであろ うと思っている。
「水痘・帯状疱疹のすべて」より
諸言 水痘ワクチンの開発の動機と報われた努力
131219 水痘ワクチン高橋 理明博士資料