1970 年代における防衛政策 ― 政軍関係の観点から - 立教大学

※ ホームページ等で公表します。
(様式1)
立教SFR-院生-報告
立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR)
大学院生研究
2012年度研究成果報告書
研究科名
研 究 代 表 者
立教大学大学院
21 世紀社会デザイン
在籍研究科・専攻・学年
21 世 紀 社 会 デ ザ イ ン 研 究 科
比較組織ネットワーク学専攻
博士後期課程 3 年
研究科 比較組織ネットワーク学
氏 名
真田
尚剛
所属・職名
指導教員
研究課題名
自然
・
人文
印
氏 名
21 世 紀 社 会 デ ザ イ ン 研 究 科 ・ 教 授
自然・人文
・社会の別
専攻
・
社会
川村
個人・共同の別
仁弘
個人
印
・
共同
名
1970 年 代 に お け る 防 衛 政 策 ― 政 軍 関 係 の 観 点 か ら
在籍研究科・専攻・学年
21 世 紀 社 会 デ ザ イ ン 研 究 科
比較組織ネットワーク学専攻
博士後期課程 3 年
氏 名
真田尚剛
研 究 組 織
研 究 期 間
研 究 経 費
2012 年度
200
千円(実績額又は執行額)
研究の概要(200~300 字で記入、図・グラフ等は使用しないこと。)
1970 年 代 、 日 本 は 国 内 レ ベ ル で 高 度 経 済 成 長 の 終 わ り や 「 大 国 」 意 識 の 高 ま り が あ り 、
国際レベルでは構造の変化や米軍のプレゼンス低下、デタント(緊張緩和)があった。
本 研 究 で は 、そ の よ う な 1 9 7 0 年 代 の 防 衛 政 策 に お い て 重 要 な 研 究 対 象 で あ る 中 曽 根 構 想
( 新 防 衛 力 整 備 計 画 )、4 次 防( 第 4 次 防 衛 力 整 備 計 画 )、「 平 和 時 の 防 衛 力 」、1 - 5 1 大 綱 、
旧日米ガイドラインについて、防衛庁自衛隊の内部や政軍関係に焦点を当て、歴史的に
考 察 し た 。 換 言 す る と 、 1970 年 代 に お け る 防 衛 政 策 が 、 い か に 議 論 さ れ 、 策 定 あ る い は
修正されたのかを明らかにしたわけである。
キーワード(研究内容をよく表しているものを3項目以内で記入。)
〔
政軍関係
〕 〔
1-51 大綱
〕〔
日米防衛協力
〕
※ ホームページ等で公表します。
(様式2-1)
立教SFR-院生-報告
研究成果の概要(図・グラフ等は使用しないこと。)
以 下 で は 、「 1 . 研 究 資 金 の 使 途 」「 2 . 研 究 成 果 」「 3 . 活 用 」 の 順 で 研 究 成 果 の 概 要 説 明
をする。
1.研究資金の使途
①国会図書館憲政資料室及び国立公文書館所蔵の資料複写
国 会 図 書 館 憲 政 資 料 室 で は 『 宝 珠 山 昇 関 係 文 書 』 と 『 海 原 治 関 係 文 書 』、 国 立 公 文 書 館
では『防衛庁史資料』を主に利用し、特に必要な文書については複写した。
『宝珠山昇関係文書』と『海原治関係文書』は、ともに防衛官僚による文書であり、近
年 公 開 さ れ 始 め た 防 衛 政 策 研 究 に お け る 第 一 級 資 料 で あ る 。『 防 衛 庁 史 資 料 』 は 、 防 衛 庁
(現・防 衛省)か ら 移管され た文書 であ り、防衛 庁内の 意思 決定機関 である 防衛 庁参事官
会議の議事要録などが含まれている。
②各種オーラル・ヒストリーの入手
当 事 者 ら の 証 言 録 で あ る オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー に つ い て は 、イ ン タ ー ネ ッ ト 上 に 公 開 さ
れているものはプリントアウトし、それ以外のものについては複写した。
National Security Archive や 政 策 研 究 大 学 院 大 学 に よ る も の の 多 く は イ ン タ ー ネ ッ ト
上 で 公 開 さ れ て い る が 、防 衛 省 防 衛 研 究 所 に よ る オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー は 非 売 品 で あ る 上 、
一部の図書館にしか配布されていないため、複写することとした。
③書籍の購入
購 入 し た 書 籍 は 、 大 き く 2 つ に 分 類 出 来 る 。 第 1 に 、 資 料 関 係 で あ り 、『 楠 田 實 日 記 』
や 『 佐 藤 栄 作 日 記 』、『 防 衛 庁 五 十 年 史 』、『 鏑 木 健 夫 将 軍 追 想 録 』、『 中 曽 根 康 弘 が 語 る 戦 後
日 本 外 交 』、『 ジ ョ ン ソ ン 米 大 使 の 日 本 回 想 』 な ど で あ る 。 第 2 に 、 戦 後 日 本 の 政 治 外 交 史
や 防 衛 政 策 に 関 す る 文 献 で あ り 、『 富 国 強 兵 の 遺 産 』 や 『 日 中 国 交 正 常 化 の 政 治 史 』、『 戦
後 6 0 年 軍 拡 史 』、『 文 化 と 国 防 』、『 日 米 同 盟 の 制 度 化 』 な ど が 挙 げ ら れ る 。
2.研究成果
本 研 究 は 、 戦 後 日 本 に お け る 転 換 期 で あ る 1970 年 代 に 注 目 し 、 当 時 の 防 衛 政 策 を 歴 史
的 に 明 ら か に す る も の で あ る 。そ の 際 に は 、こ れ ま で 研 究 が 集 中 し て き た 日 米 関 係 史 で は
な く 、 防 衛 庁 自 衛 隊 の 内 部 や 政 軍 関 係 に 焦 点 を 当 て た 。 1 9 7 0 年 代 の 防 衛 政 策 史 に は 、「 自
主 防 衛 」と 評 さ れ て き た 中 曽 根 構 想 、最 後 の 年 次 防 で あ る 4 次 防 、防 衛 力 の 限 界 を 巡 る 議
論 か ら 派 生 し た 「 平 和 時 の 防 衛 力 」、 こ れ ま で の 防 衛 力 整 備 計 画 と は 異 な る 形 式 の 防 衛 大
綱 ( 1 - 5 1 大 綱 )、 有 事 に 共 同 で 対 応 す る た め の 日 米 ガ イ ド ラ イ ン が 登 場 し た 。 そ の た め 、
これらを 関連付 けな がら、防 衛庁自 衛隊 において 、いか に議 論され、策定あ るい は修正さ
れたのかを考察した。
研究成果については、時系列的に述べると、以下の通りである。まず、中曽根による 新
防 衛 力 整 備 計 画 で あ る が 、従 来 は 制 服 の 要 求 が ス ト レ ー ト に 反 映 さ れ た 計 画 で あ る と さ れ
て き た が 、よ り 詳 細 に 論 じ る と 若 干 異 な る 面 が 明 ら か に な っ た 。第 1 に 、制 服 の 役 割 を 強
調 し て い た た め 、内 局 の 姿 勢 や 意 見 に つ い て は こ れ ま で あ ま り 触 れ ら れ て こ な か っ た 。し
かし、内 局内部 にお いては、管見の 限り であるが 、中曽 根に よる計画 への 反 対論 はほとん
ど見当た らず、む し ろ賛成の 立場で あっ たといえ る。第 2 に 、制服の姿 勢であ る が、確か
に計画全 体は彼 らの 要求に沿 うもの であ った。だ が、例え ば 、中曽根 が主張 した 装備につ
いては、制服側の意見と異なるもののあり、むしろ彼らが困惑していたことがわかった。
次に、4 次防であるが、これは先の新防衛力整備計画が大幅に縮小された上で、成立し
た 最 後 の 年 次 防 で あ る 。計 画 の 下 方 修 正 に お い て 、そ れ を リ ー ド し た の は 国 防 会 議 事 務 局
のトップであった海原治であった。海原による計画の防衛庁案への「攻撃」に対し、庁側
は防戦一 方とな り、経済情勢 の悪化 など もあり、縮小せ ざる を得なく なった 。以 上の通り
に考えると、先行研究の指摘する通り、海原ファクターの大きさが改めて証明された。
※ ホームページ等で公表します。
(様式2-2)
立教SFR-院生-報告
研究成果の概要 つ づ き
次に、防衛力の限界に関する議論と「平和時の防衛力」である。1 9 7 0 年 代 は 日 本 が 経 済 大 国 と な っ た
時期であり、それにともなう防衛力の自然増に対して限界を求める声が国内外から出始
めた頃であった。そして、その主張が一気に政治問題化したのは、4 次防決定の時期で
あ る 1 9 7 2 年 だ っ た 。既 存 研 究 が 明 ら か に し て い る 通 り 、防 衛 力 の 限 界 を 示 す こ と に 対 し
て、特に制服側は否定的であり、反発した。しかし、より高いレベルから考察すると、
防衛力の限界に関する議論と「平和時の防衛力」は、再軍備以降、防衛力整備にのみ力
を注いで防衛構想を疎かにしてきた結果、ついに防衛構想を策定せざるを得なくなった
ことを意味していると考えられる。換言すると、経済大国となった日本は、いかなる構
想を基に防衛力を整備するのかが問われるようになったわけである。
次 に 、1 - 5 1 大 綱 に つ い て 述 べ る 。1 - 5 1 大 綱 の 策 定 過 程 に 関 し て は 豊 富 な 先 行 研 究 が あ
るが、防衛庁自衛隊の内部や政軍関係に焦点を当てると、以下のことが解明された。第
1 に 、 こ れ ま で 制 服 側 は 1-51 大 綱 で 示 さ れ た 基 盤 的 防 衛 力 に 対 し て 批 判 的 で あ り 、 反 発
し た と さ れ て い る が 、 1-51 大 綱 の 「 本 文 」 作 成 で は 幕 僚 監 部 側 の 意 見 も 反 映 さ れ た こ と
が わ か っ た 。 そ の た め 、 1 - 5 1 大 綱 の 「 本 文 」 に 関 し て 、「 内 局 対 幕 僚 監 部 」 と い う 対 立
した構図によってのみ捉え、制服側が批判だけであったと考えることは不適当だといえ
る 。 第 2 に 、 防 衛 官 僚 と 制 服 の 対 立 と い う 点 で は 、 1-51 大 綱 の 「 別 表 」 の 方 が 重 要 で は
ないかと考えられる。なぜなら、制服側としては、最も重視している点が具体的な装備
内容であり、防衛構想については自分たちがある程度許容可能な内容でさえあれば良い
と 捉 え て い た た め で あ る 。 一 方 、 防 衛 官 僚 側 は 、 具 体 的 な 予 算 措 置 を と も な う た め 、「 別
表」においては制服側からの要求に対し、シビアにならざるを得なかった。
最 後 に 、 旧 日 米 ガ イ ド ラ イ ン に つ い て 取 り 上 げ る 。 従 来 の 研 究 で は 、「 自 主 」 と 「 日 米
安 保 」 と い う 二 項 対 立 の 観 点 か ら 、 1 - 5 1 大 綱 は 「 自 主 」、 旧 日 米 ガ イ ド ラ イ ン は 「 日 米
安保」と捉え、前者については久保、後者については丸山昂が推進したとされてきた。
久 保 が 1 - 5 1 大 綱 、丸 山 が 日 米 防 衛 協 力 を そ れ ぞ れ 進 め た と い う 点 に 関 し て は 、異 論 が な
い 。 し か し な が ら 、 1-51 大 綱 と 旧 日 米 ガ イ ド ラ イ ン は 「 自 主 」 と 「 日 米 安 保 」 と い う 対
立 し た 構 図 で は 捉 え ら れ な い 。む し ろ こ の 2 つ は 、「 車 の 両 輪 」と し て 進 め ら れ た と 解 す
ることが妥当であろう。
3.活用
本 研 究 助 成 に よ っ て 入 手 し た 文 献 や 史 資 料 の 一 部 を 用 い 、 2012 年 度 に「 口 述 記 録 に お
け る 冷 戦 期 の 防 衛 政 策 と 日 米 関 係 ― 「 NSA オ ー ラ ル ・ ヒ ス ト リ ー 」 を 中 心 に 」 と 題 す る
学 会 発 表 を し た 。ま た 、 本 研 究 の 成 果 に つ い て は 、 2013 年 度 に は 論 文 の 発 表 を す る 予 定
である上、博士論文執筆に用いる。
※この(様式2)に記入の成果の公表を見合わせる必要がある場合は、その理由及び差し控え期間等
を記入した調書(A4縦型横書き1枚・自由様式)を添付すること。
(様式3)
立教SFR-院生-報告
研究発表 (研究によって得られた研究経過・成果を発表した①~④について、該当するものを記入してください。該当するものが多い
場合は主要なものを抜粋してください。
)
①雑誌論文(著者名、論文標題、雑誌名、巻号、発行年、ページ)
②図書(著者名、出版社、書名、発行年、総ページ数)
③シンポジウム・公開講演会等の開催(会名、開催日、開催場所)
④その他(学会発表、研究報告書の印刷等)
2012年度の研究業績は、学会発表1本である。以上の研究業績においては、本研究
助成によって収集した文献や史資料の一部を用いた。また、2013年度には、本研究を
基にした論文を発表する予定である上、一部を博士論文の参考とする。
○2012年度
④学会発表
真 田 尚 剛「 口 述 記 録 に お け る 冷 戦 期 の 防 衛 政 策 と 日 米 関 係 ―「 N S A オ ー ラ ル・ ヒ ス ト リ ー 」
を 中 心 に 」21 世 紀 社 会 デ ザ イ ン 研 究 学 会 第 7 回 年 次 大 会( 於 : 跡 見 学 園 女 子 大 学 文 京 キ ャ
ン パ ス ) 2012 年 12 月 2 日 。