講演録 - 大学評価・学位授与機構

大学評価・学位研究 第3号 平成17年9月 (研究ノート・資料)
[独立行政法人大学評価・学位授与機構]
講演録:高等教育の質の管理とグローバリゼーション
Managing Quality and the Globalization of Higher Education
ジョン・ブレナン
訳:米澤 彰純
John BRENNAN
Translated by YONEZAWA Akiyoshi
Research on Academic Degrees and University Evaluation, No. 3 (September, 2005) [the essay/material]
National Institution for Academic Degrees and University Evaluation
大学評価・学位研究
第3号 (2005)
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講演録:高等教育の質の管理とグローバリゼーション
ジョン・ブレナン*
訳:米澤
皆さん, こんにちは。 ここでお話させていただ
彰純**
セスや参加の問題についても研究しています。 こ
くのは私にとって非常に名誉なことです。 また,
うした研究すべてを貫いているのが, 国のレベル
皆さんの活動や日本の高等教育界の動きについて
でも国際的なレベルでも行われている高等教育の
いろいろと教えていただくことを大変楽しみにし
質の保証をめぐる研究です。 私たちは世界のあち
ております。
こちで研究してきました。 中心は西欧と東欧を含
まずは, 評価と質の保証の国際的な動きについ
むヨーロッパですが, メキシコでもかなり行いま
て少々お話をし, それを高等教育全般に見られる
したし, 南アフリカも対象としました。 それから,
もっと大きな流れと関連づけてみたいと思います。
OECD のプロジェクトも行いました。 OECD 諸
今, 私の経歴について, 簡単にまとめておきましょ
国における質の保証の動きを調べたのです。 本日
う。 私は社会学者として出発し, 数年間, 社会学
は, こうした経験を基礎にして, 高等教育の世界
を教えました。 それから, 大学から全国学位授与
に見られる最近の大きな流れについて私の所見を
評議会
述べてみたいと思っています。
(Council
for
National
Academic
Awards: CNAA) に移りました。 基本的に評価
この講演は6つの部分で構成されることになる
機関である CNAA は NIAD に似た組織です。 そ
かと思います。 それぞれの部分の長さはまちまち
こで12年以上にわたって評価作業の中枢で働きま
になるはずです。 まずはじめに, 国際的に 「どん
した。 高等教育機関を訪れ, 評価を組織し, 評価
どん盛り上がっている質の
の報告書を作成するといった仕事をずいぶん長く
ものについてお話します。 この10年, 高等教育界
経験しました。 同時に, NIAD の多くの方々と同
にこの注目すべき国際的な動きを引き起こしてき
じだと思いますが, 現役の研究者としてプロジェ
たことがらについていくつか疑問を提起し, それ
クトの実行や論文の執筆も続けました。 そして,
らが異なる状況にあるそれぞれの国でそれぞれの
今からおよそ10年前, CNAA を去りました。 い
形で現れている同一の現象と見るのが妥当かどう
え, CNAA が私から去ったというほうが正しい
か考えてみたいのです。 その中でイギリスの例を
のかもしれません。 イギリスの高等教育界でさま
少々取り上げます。 イギリスの人々は, これは特
ざまな変化が起こる中で, CNAA は30年の役目
に深い傷をもたらした質の保証の例だというだろ
を終えたからです。 後にお話ししますようにイギ
うと思うからです。 私は, 何年か前にイギリスで
リスの高等教育界の変化はとてもテンポが速く,
プロジェクトを行っていたとき, 評価の経験, ピ
評価機関が3年も存続すれば幸運だというくらい
アレビューによる外部評価の経験について大学の
ですから, 30年というのはずいぶんと長い歴史で
古参の教授たちに聞き取り調査をしたことがあり
あったということができます。
ます。 ある教授が
私は, この10年間, イギリスの公開大学にある
運動 」 と私が呼ぶ
非常に有名な大学の歴史の
教授だったと思いますが
その評価の経験を
研究センターの1つで所長を務めてきました。 私
「離婚, 死別, 質の評価」 とまとめたのを忘れら
たちが特に着目しているのは, 広い意味での高等
れません。 かわいそうなこの教授にとって, 質の
教育と社会との関係です。 高等教育と雇用に関す
評価は, 離婚と死別に次いで大きなストレスであ
るプロジェクトを行ったほか, 高等教育へのアク
り, トラウマを残す経験だったのです。 これにつ
*
オープン・ユニバーシティ高等教育研究・情報センター (Centre for Higher Education Research and Information,
Open University) センター長
**
独立行政法人大学評価・学位授与機構
評価研究部
助教授
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大学評価・学位研究
いては後に説明しましょう。
第3号 (2005)
もあります。 しかし, 全体的に見るならば, ヨー
また, 質の評価と保証がもたらす脅威とチャン
ロッパ諸国の大部分が1992年から2000年までの間
スについても考えてみたいと思います。 評価とい
に, 何らかの全国的な評価機関を設立したといえ
う活動にどのような肯定的な面があるのでしょう
ると思います。 中欧や東欧でも, 次々に評価機関
か。 どのようなことがらの実現を目指すことがで
が設立されています。 共産主義が終焉したあと,
きるのでしょうか。 反対に避けるべき問題として
西欧的な新しい制度や機関を作り上げる西欧化プ
どのような点があるしょうか。 そのうえで, これ
ロセスの一環として, 高等教育の質を保証する全
からどうなっていくのかということを考えたいと
国的な機関が設けられているのです。 こうした多
思います。 それぞれの国のシステムの中で, また
くの諸国にとって高等教育システムの質の保証の
ますます国際的になっていく中で, 私たちはどこ
機関を設立することがそれほど優先順位の高いこ
へ行くのでしょうか。 それが私の話の大筋です。
とがらだと見なされるというのは, 非常に驚くべ
では, まずどんどん盛り上がる質の 「運動」 に
きことではないでしょうか。 つまり, 近代的で民
ついてお話します。 皆さんの多くは, INQAAHE
主的な資本主義国家を作りたいと思うならば
(高等教育質保証機関国際ネットワーク
これらの諸国はそれを作りたいと思っているのだ
International Network of Quality Assurance
と思いますが
Agencies in Higher Education) についてご存
のシステムは最初に考えることではないのではな
知だと思います。 過去12年間の INQAAHE 加盟
いかと思います。 ところが, こうした諸国の多く
団体の拡大を示す数字をあげてみましょう。 この
で, それに非常に高い優先順位が与えられている
中にアメリカのアクレディテーション (基準認定)
のです。
私ならば, 高等教育の質の保証
機関は含まれていません。 アメリカのアクレディ
各国の中にもばらつきがあります。 たとえば,
テーション制度は100年の歴史を持ち, 別の現象
ベルギーの場合, フラマン語地域にはオランダの
だと思うからです。 アメリカでも私がお話したい
システムを主な基礎とした外部質保証システムが
ことに関連する変化が起きているとは思いますが,
ありますが, フランス語地域にはまだ何も設けら
今日の私の話からはある程度アメリカが除かれる
れていません。 また, さきほども述べたように,
ことになります。
大学とそれ以外の高等教育機関で扱いが違うこと
さて, INQAAHE の加盟機関が存在する国は,
もよくあります。
10ヶ国から58ヶ国になりました。 正規加盟団体は
それでは, こうした状況をどのように説明すれ
73にのぼります。 これは1つの国に複数の機関が
ばいいのでしょうか。 典型的には, 過去おそらく
存在する場合もあることを示しています。 1つの
10年か15年のあいだにほとんどの先進諸国の高等
機関が大学を, 別の機関がたとえばポリテクニッ
教育に起こっている変化が指摘されると思います。
クを担当するというように整然とした区分がなさ
高等教育の拡大, つまり大衆化です。 それは何と
れている国もありますが, イギリスなどのように
いっても費用がかさみます。 高等教育システムの
長年にわたって競合する機関が並存している国も
多くが現在でも税金でまかなわれていますから,
あります。
システムが小さかったときよりも, 公的資金の使
ヨーロッパを見ると, そこに統一的なパターン
われ方に関する問いかけが大きくなっているのだ
を見出すことはできません。 よく発達したシステ
と思われます。 しかし, この拡大にはもっと重要
ムを持っている国もあります。 たとえばフランス,
な面があると私は思います。 高等教育がこれまで
オランダ, イギリスなどには早くから確立された
よりも人々の目に見えるものになったのです。 学
システムがあります。 確かにイギリスは変化を続
生という経験をする人が増え, 自分の子どもに高
けている国ですが, 10年以上にわたって質の評価
等教育を受けさせる親が増え, 身近に学生がいる
のシステムと機関があります。 ドイツやオースト
人が増えました。 高等教育が以前よりもずっと一
リアなどはかなり最近になって, ある種の全国的
般的な現象になったのです。
なシステムを作る最初のステップに踏み出しまし
拡大に伴う要因の1つが多様化であり, 多様化
た。 ギリシャのようにまだまったく存在しない国
とともに複雑さと多様性の管理の問題が生まれま
ブレナン:高等教育の質の管理とグローバリゼーション
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す。 その多様性を意味のあるものにし, 多様性を
に評価のメカニズムを使おうとする動きのことで
国民が理解するよう手助けするのはもう1つの要
す。 質の保証が着実に台頭してきたのは, こうし
因です。 それが評価の増大を導いているのだと私
た大きな流れの中に位置づけることができると思
は考えています。
います。
第3のポイントは資源の減少です。 政府が大学
また, 質の保証と称するものには多様な目的が
に用いる平均的な資源を減らし, それが高等教育
あるということも指摘できるでしょう。 これは前
の質を保つ上で脅威になっているといわれる一方
述した OECD のプロジェクトの中で浮かび上がっ
で, 自分たちの予算削減方針が与える影響につい
てきた目的のリストです。 この調査を行ってから
て調べる評価プロセスを作り上げているのは, あ
何年かたっていますから, その間にさらに目的が
る意味で皮肉ともいえます。
追加されたにちがいありませんが, このプロジェ
国際化
ヨーロッパにおいてはこれがますま
クトで明らかになった目的には, 説明責任, 改善,
す重要性を増していると思います。 学生の移動や
予算の決定に責任のある人々にそれを知らせるこ
大学教員の移動が増え, 労働市場での移動性が高
と, 多様なタイプの機関や教育課程の特性につい
まっています
は, 各国の質と資格基準につい
て学生や雇用主に知らせること, 高等教育機関の
ての問題を提起しています。 私が勤務する研究セ
間, およびおそらくは教育課程の間の競争を刺激
ンターでは, 私たちが最近採用した6人の研究者
すること, 新しい機関が設立されたときに質をチェッ
のうち, 5人がイギリス以外の国の出身者でした。
クすること, 多様化したシステムの中で高等教育
このような状況がイギリスの高等教育全体に典型
機関に地位を与えることなどが含まれています。
的な現象だとはいいませんが, それぞれの人の資
たとえば, この数年のあいだに従来の地域カレッ
格について一定の推定をしなければならないとい
ジのシステムからポリテクニック部門が作られた
う事実を示しているのは確かです。 自分の大学内
フィンランドでは, どの地域カレッジまたは地域
の非公式な知識では判断できなくなっているので
カレッジを統合する組み合わせがポリテクニック
す。
の地位にふさわしいかを決定するために評価シス
それから, 評価機関の数の増加には模倣の要素
もあると思います。 これは少々シニカルな見方だ
テムが利用されました。
評価の動きの中では, 国と高等教育のあいだの
とお感じになるかもしれませんが, 世界の教育担
権限のシフトがしばしば見られます。 一般には,
当大臣たちがユネスコや OECD などの会議に出
伝統的な権限の一部が国から大学に委譲され, そ
席し, それぞれの国の評価機関について話すよう
のかわりに大学がこの新しい権限で行っているこ
になりますと, それまで評価機関を持っていなかっ
とがらについて説明責任を強化するという形です
た国の大臣たちが急に, 「そうか, よその国にみ
が, それは伝統的なヨーロッパ大陸型の高等教育
んな評価機関があるのならば, わが国にもそれが
システムの場合のことだと思います。 日本でそれ
必要なのに違いない」 と思い始めるわけです。 一
がうまく機能するかどうかは疑わしいと思います
部の地域, たとえば東欧ですが, そうした地域で
し, 大学のオートノミーの強い伝統があるイギリ
はご存知のように国の規模が非常に小さく, 高等
スでは間違いなくうまく機能しないと思います。
教育システムも非常に小規模である場合がありま
これはイギリスにおける質の保証がどうしてそれ
す。 たとえば大学が2つとポリテクニックが1つ
ほど議論を呼ぶのかという, あとでお話する論点
というような国もあります。 2つしか大学がない
に関係してきます。 イギリスでは, 他の国で見ら
国にその2つの大学を評価する全国的な機関が必
れるような新しい権限の大学への委譲プロセスが
要とは私には思われないのですが, それでもそう
ありませんでした。
した評価機関が作られているのです。 こうしたこ
学生の移動の支援についてはすでに述べました
とはすべて, 一部の著者が 「評価国家の成長」 と
が, 国際的な比較ももう1つの目的です。 これは,
呼ぶ流れの一部だと思います。 政府が高等教育だ
誰が国際的な比較をするのかという点から非常に
けではなくすべての教育, 医療, その他の公共サー
興味深いと思います。 ここで私が言っているのは,
ビスに関するあらゆる公共組織を管理をするため
海外で学びたい学生についての話や, 移動性の問
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大学評価・学位研究
第3号 (2005)
題ではありません。 しかしながら, 大学も国の政
えるのは, 皆さんのほうがよくご存知でしょう。
府も, 他国に照らして自分たちの位置づけをする
私はそれを試みるほどの知識を持ち合わせていま
ことに非常に関心を持つようになってきたと思い
せんので, 皆さんにお任せします。
ます。 中欧と東欧ではそれが非常に強い動機の1
さて, 同じ三角形で評価の現状を考えてみましょ
つであるのは確かです。 長い間, 社会も高等教育
う。 国が管理する高等教育システムの典型的な方
機関もかなり閉鎖的だったこれらの国々では, 大
式は, 国が要件を出し, 高等教育機関がそれに従
学が国際的な信用を得たいと考えており, 質の保
うというものでした。 現在ではたしかに, そうし
証はその方法の1つだと捉えられました。 こうし
た国の要件の多くは基本的に大学, 委員会, 幹部
た国の多くは, 自分たちの質のシステムに意図的
クラスの教授たちが作り出したものです。 とはい
に明確な国際的基準を導入しています。
え, こうした要件の権限は大部分が国からやって
では, こうしたことを私の述べたいことがらの
きます。 一方, 大学寡頭制の中では, 出版物であ
ステージ1と名づけましょうか。 質の保証の台頭
れ研究であれ, ピアレビューが質を評価する古典
です。
的な方法でした。 しかし, 最近では, 教育や学習
これはいったいどういうことなのか, もう少し
考えてみましょう。 これはその問題に対する答え
の質についてもピアレビューが行われるようになっ
てきています。
の一部にすぎません。 すでに述べたことの要約で
われわれは市場の方向に動いてはいますが, 今
もあると思います。 アメリカの研究者バートン・
でも国の要件の要素が少々残っていることもあり
クラークが, 高等教育において権限がどのように
ます。 ピアレビューが役割を担っているものの消
行使されるのか, 決定がどのようになされるのか
費者の声が以前より重要になっているという例も
を捉える1つの方法として描いたこの三角形につ
たくさん見ることができます。 わが国では, これ
いて, ご存知の方もいらっしゃると思います。 こ
から2, 3週間のうちに, 今年勉強を修了するす
れは, 80年代半ばごろに出版されたクラークの著
べての学生についての実験的な全国調査がはじめ
書
の中でクラークが描いた
て実施されます。 これは今後定期的に行われる予
オリジナル版の三角形です。 クラークは80年代に
定です。 おそらく毎年ではなくて, 2年に1度に
行った分析に基づいて, この三角形の上に各国を
なるでしょう。 これが導入されたのは政府がそれ
位置づけました。 まずヨーロッパ大陸諸国があり
を望んだからですが, 学生, 新入生がどこで学ぶ
ます。 スウェーデンやフランスがその例です。 カ
か, 何を学ぶかについて選択できるようによりよ
リキュラム, 教授の任命, 学生の登録といったこ
い情報を提供することを明確な目的としています。
とがらに対して国家がかなり強い統制権を持って
政府の大臣たちがこれを質を高める最も有効な方
います。 ずっと下がって, イギリスでは 「大学寡
法と考えているのが明らかです。 この調査で高い
頭制 (academic oligarchy)」, すなわち自治性の
点数を得た大学に入学を希望する学生が増え, こ
強い大学制度が見られます。 クラークの考えです
の調査の得点が低かった高等教育機関はその事実
から, それが正しいかどうか私は責任を負いかね
を突きつけられて困惑し, 質の改善に努めるだろ
ますが, イギリス, 日本, アメリカはすべて, 大
う, あるいは改善しないならば学生がそこに行き
学寡頭制から市場に至るこの連続の中に位置づけ
たがらないだろう, 最悪の場合にはその機関が姿
られており, 国家の担う役割は伝統的にずっと小
を消すことにさえなるだろうと考えているのです。
高等教育システム
私がここで指摘したいのは, こうした評価プロ
さいわけです。
現在の状況はどうでしょうか。 アメリカはだい
セスの動きの中には高等教育機関の間, 国の間,
たい元々の場所にあるといっていいでしょう。 大
市場の間それぞれにおいて, パワーバランスの違
陸ヨーロッパは, 国家権威から市場へと徐々に移
いがみられ, それが評価の方法とアプローチの違
動しています。 イギリスは国家権威のほうに急に
い
傾き, それから市場へと急転回しました。 ここか
さらにはそうした方法やアプローチの変化
をもたらしているということです。
らずいぶんと大きな移動をしたのです。 現代版の
ほとんどすべてに共通であるように思われるの
三角形の中で日本がどこに位置づけられるかを考
は, ここにいる一部の方々にとっては残念なこと
ブレナン:高等教育の質の管理とグローバリゼーション
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かもしれませんが, 教授のオートノミーの全般的
ぞれの機関全体で同じになりました。 歴史学科も
な低下です。 ずっと昔を振り返って見ますと, 60
工学科も同じ手順に従うことになったのです。
年代や70年代, 大学の民主化により, シニアの教
これに加えて, 「教育」 に焦点をあてた評価も
授たちがその伝統的な権限を学科の同僚たちと共
ありました。 90年代の大部分に高等教育財政カウ
有しなければならなくなりました。 その後, 同じ
ンシルが実行した評価システムです。 その焦点は
学問領域に属する学外の研究者たち, 続いて高等
人, 特に大学の講師や教授におかれました。 いか
教育機関の経営者たちと共有しなければならなく
によい教師であるかということが評価されるので
なり, さらに最近では外部の市場, 学生, 国の機
す。 この評価視点は, イギリスの場合, 長い歴史
関と共有しなければならなくなったのです。 権力
を持つ視学官との強い連携によってもたらされま
の問題に関連して, 価値の問題もあります。 何か
した。 高等教育以外の教育システムに視学官とし
を評価するとき, 何を基準として, よいとか悪い
て関与してきた人々の多くが高等教育財政カウン
とかいうのでしょうか。 80年代の終わり, イギリ
シルに雇用されるようになり, 最初は 「教育の質
スでの評価は, まちがいなく, きわめて伝統的な
の評価 Teaching Quality Assessment (TQA)」,
学術的価値, それぞれの学問分野に固有の価値に
後に 「分野別教育評価 (subject review)」 とよ
対して行われていました。 たとえば, 歴史学者が
ばれるようになったものを導入したのでした。
他の歴史学者の業績を評価しました。 それぞれの
一見すると, この教育に焦点を当てた評価は学
学問分野ごとに評価の重点が異なり, 大学のカリ
術に焦点をあてた評価と非常によく似ていました。
キュラムの中で伝達される知識に重点が置かれて
基本的に, 歴史学者のグループが別の歴史学者の
いました。 こうした判断の最終的な権限は, 幹部
グループを評価するという形だったからです。 し
クラスの学術研究者たちや, それぞれの分野の教
かし, この2つのプロセスの働き方はまったく違っ
授たちにあり, その結果, 質に関する価値は1つ
ていました。 まず, 歴史学者である評価者たちは
の高等教育機関の中でもさまざまでした。 つまり,
すべて, 評価者としての訓練を受けなければなり
歴史学の研究者が工学の研究者から学ぶことは何
ませんでした。 また, 彼らは, 財政カウンシルが
もなかった, もっといえば地理学や社会学の研究
用いる質の基準はどのようなものであり, 自分た
者からさえ学ぶことは何もなかったのです。 評価
ちが評価を行うにあたってどのような基準を用い
はそれぞれの学問領域の価値観と境界の中だけに
なければならないか説明を受けなければなりませ
限定されていました。
んでした。 ですから, この教育評価のプロセス自
しかし, 90年代になると, イギリスでは
質
体は学術関係者たちがコントロールし, 自分たち
に関する2つの競合するシステムができたときな
の価値観, 自分たちの基準に基づいて高等教育の
のですが
一つは, 大学の学長たちによって
評価をしたとはいえ, ある意味で, 学術関係者た
「 高 等 教 育 ク オ リ テ ィ ・ カ ウ ン シ ル 」 (Higher
ちはこのシステムを運営しているアドミニストレー
Education Quality Council: HEQC) とよばれる
ション部門のために雇われた補助役だったのです。
ものが作られ, 高等教育機関のあり方に注目した
そして, ここでは, 教師としての学者たちのスキ
評価を行いました。 学長たちは, 質に責任を負う
ルと能力が評価されました。 そのために, 教室に
のはもはや教授ではない, それは自分たち, ある
座り, 教えている様子を見ました。 そこに権限が
いは少なくとも高等教育機関であると考えたから
あったとするならば, それはおそらくスタッフ・
です。 学長たちは, こうした質に関する高等教育
デベロップメントを行う人々の権限と教育専門家
機関の責任が適切に果たされていることを示そう
の影響力だったでしょう。 評価の底流にあったの
とし, 質を維持する機関内部の方針と手順を評価
は, それぞれの学問分野での修得ではなく, 一般
の対象としました。 HEQC は, こうした方針や
的な教育技能に注意が払われたのです。
手順が本当に有効に機能して質が維持されている
さて, 第4のタイプに移りましょう。 私はこれ
かどうかを確認するために, 定期的に各機関を訪
を 「アウトプット評価」 と名づけているのですが,
れました。 こうしてついに権限はアドミニストレー
卒業生の水準と学習成果に関する評価です。 この
ション部門のものになり, 質に関する価値はそれ
時点で質への価値づけのあり方は高等教育の範疇
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大学評価・学位研究
第3号 (2005)
の外に出てしまったといえると思います。 雇用,
のはさまざまなことがらに対してなされうるのだ
すなわち 「わが大学は労働市場が求めるような卒
ということがこれによっていっそうはっきりする
業生を生み出しているか」 という点が大きなポイ
と考えたからです。 マーティン・トロウは, この
ントになっているからです。 ここでは, 学習課程
分類をした論文で, 教職員の一員が評価的な自己
の終わりに卒業生が何を知っているかに焦点がお
評価の作成や運営に関わるとき, そこでの論理は
かれます。 価値の多様性と均質性は混合していま
おそらく, 「うそをつくこと」 になるだろうと述
す。 一方で, 教育課程ごとに異なる価値観があり
べています。 外部の評価者にすべてがうまくいっ
ます。 歴史学を修めた者が工学を修めた者と異な
ていると納得させること, 問題があるときにはそ
る知識を持っていることが期待されるのは当然で
れが発見されないように隠すことだというのです。
す。 しかし, 同時に均質でもあります。 イギリス
しかし, 支援的な評価であれば, その論理は問題
では, 卒業生の一般的な技能とは何か, それを評
があるときにそれを隠すよりも解決することにな
価するにはどうしたらよいのか, 多くの議論がな
るだろうとトロウは言います。 前者のタイプの評
されてきました。 そして, イギリスの場合, 正式
価はうそをつかせる傾向があるが, 後者のタイプ
に合意された国としての学科目ベンチマークとい
の評価は真実の追求になる傾向があるとかなり強
うものが作られるに至りました。 それには特定分
く示唆しているわけです。
野の卒業生が何を知っており, 何を行うことがで
さて, 次に進みましょう。 私が問いたいのは評
きると期待されるかが明文化されています。 また,
価の共通点と相違点です。 評価のアプローチに見
それぞれの学習課程ごとに, その大学や学科の学
出される主な違いとは何でしょうか。 まず, 共通
習成果を明示する課程細目 (program specifica-
する特徴があると思います。 多くの国で何らかの
tion) とよばれるものも作られています。
種類の国の機関が設立され, 合意された一連の規
このように, イギリスの場合
イギリスに限
制やガイドラインがあります。 それはその機関が
定することが特に重要なわけではありませんが,
作ることもあれば政府が作ることもありますが,
表面的に類似した評価プロセスの中でも実は非常
評価のプロセスを形成します。 さらに, 大学内の
に異なることがらが評価されているということを
自己評価の段階があり, 大学の視察を伴う外部ピ
強調するためにイギリスの場合を例にとったので
アレビュー・プロセスがあります。
さまざまな質の保証システムの中で, 異
しかし, それぞれに異なる面もあります。 評価
なる価値観を反映する異なる基準により, 異なる
方法の適用の仕方も, 各国の事情もさまざまでしょ
ことがらが評価されているのです。
う。 それぞれの国がおかれている事情に違いがあ
すが
「評価とは何か」 という項目の最後のポイント
るということに疑いの余地はありません。
に移りましょう。 すでに私は, 質とは場所によっ
現在, スコットランドにはおよそ20の高等教育
ても対象によっても異なると述べました。 ここで,
機関があるのですが, イングランドには100以上
アメリカ人のマーティン・トロウが1994年に作り
あります。 この事実自体, スコットランドとイン
出したこの分類に当てはめて考えてみるのが役に
グランドがそれぞれ独自の質のシステムを保とう
立つのではないかと思います。 トロウは, 評価が
とするならば
高等教育機関の内部で行われるのか外部で行われ
すが
るのか, および改善, 問題解決, 変更, 強化を導
いうことを意味します。 ウェールズはもっと小さ
くことを役割とする支援的 (supportive) なもの
いですから, また違う形になるはずです。 このよ
か, それとも他の教育課程との比較などによって
うに, 国の大きさ, 高等教育制度の規模は重要な
それぞれの教育課程の質に関する広い意味の判断
背景事情の1つだといえます。 その国の高等教育
をしようとする評価的 (evaluative) なものかと
制度が二元的か一元的かというのも大きな違いで
いう視点で, 非常に明快に, 評価プロセスの4つ
す。 それぞれの国がおかれている事情には多くの
のタイプを区別しました。
違いがあります。 同様にそれぞれの高等教育機関
実際ある程度そうしているので
それぞれ異なる形のものになるはずだと
この区別は現在でもあてはまると思います。 ト
の状況にも差異があります。 国際的で大規模な研
ロウの分類をここで取り上げたのは, 評価という
究機関なのか, コミュニティカレッジなのか, 職
ブレナン:高等教育の質の管理とグローバリゼーション
業訓練を中心とする機関か。 その規模は?
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長い
がその主な原因ですが, イギリスの高等教育が伝
歴史を持ち, 定評のある大学か, 最近できた大学
統的に非常に階層的であり, エリート教育システ
か。 こうしたことがすべて, 評価プロセスに関係
ムから大衆教育システムへと移行する中でその地
してくるのです。
位を保ちたい, 上昇はできないにしても低下はし
評価の共通点と相違点についてもう少し考えて
見ましょう。 質の保証に関する各国の機関にもい
たくないというのが高等教育機関の主な関心になっ
たことも原因です。
ろいろな違いがあります。 それは国の機関なのか。
数年前, 私はイングランド北東部のある大学に
どのようなタイプの評価を行うのか。 評価は高等
行きました。 会うことになっていた学長は私のか
教育機関のレベルなのか, 教育課程のレベルなの
なりよく知っている人でしたので, 待合室のよう
か, その組み合わせなのか。 何らかのアクレディ
なところで別の会議が終わるのを待っていました。
テーションのプロセスと結びついているか。 報告
そこに大学のすべての教職員に向けて学長が発行
書が公表されるのか。 そのほかにもポイントはい
しているニュースレターが置いてありました。 手
ろいろありますが, 「どの国の評価もみな同じか」
に取って見ると, その1面の見出しは大学の全教
という問いに対する答えは No です。 INQAAHE
職員と学生に対する学長のメッセージで, 「おめ
は数週間前に加盟団体の調査を行いました。 その
でとう, 皆さん!
結果は, 政府機関が26%, 独立した機関が29%,
中で63位にランキングされました。 去年は67位だっ
高等教育制度, 学長会議に属する機関が21%, そ
たのに, 今年は63位に上がったのです」 と書いて
れらの混合が12%, 専門家の団体が12%でした。
ありました。 等級付けが何と奇妙な心理を生み出
活動の範囲についていうと, 機関レベルのみの
今年, 本学はすべての大学の
していることでしょうか!
評価を行っているのが17%, 教育課程レベルのみ
すでに述べたように, イギリスではそれぞれの
の評価を行っているのが37%でした。 両者の組み
専門分野には大学を所有しているというオーナー
合わせが半数に近く, 大勢を占めるといっていい
シップの意識がなく, 学問の重鎮たちが専門分野
ようです。
のどこにも位置づけられていませんでした。 たい
報告書の公表については, 広く公表されるのが
ていの国では, 専門分野別レビューは事実上幹部
41%, 非公開が35%でした。 後者は自治権の強い
クラスの教授たちが主導しているのですが, イギ
学術専門職の場合が多いのかもしれません。
リスの専門分野別レビューの組織方法は全く違っ
イギリスの特徴についてはすでに少々述べまし
ています。 教室の視察。 これは明らかに
人を
た。 しかし, イギリスで質の保証がそんなにも評
神経質にさせる何かを導入したいならば, 外部の
判が悪く不安定な理由だと私が考えることがらを
オブザーバーを教室に送り込むといいです。 それ
あげ, 他国にはないイギリスのシステム特有の点
に高等教育機関のオートノミーという強力な伝統
あるいは他国に見られる特徴でイギリスにな
が組み合わされました。 しかも, 学長たちは非常
がこうした問題を引き起こしていること
に長い伝統が崩れていると感じていました。 学長
い点
を示すのは有益だと思います。
たちは 「評価者を私たちの組織に入れない」 と主
イギリスでは, それぞれの高等教育機関がどれ
張しました。 「私たちの組織」 という言葉が, オー
だけすぐれた活動をしているかをすべての人に明
ナーシップの意識を示しています。 もちろん, 学
確に伝えるために評価の結果を等級付けすべきで
長たちがオーナーシップを有しているいるわけで
あるという主張に基づき, 評価は3段階の等級付
はなく, 実のところ評価者を受け入れました。 し
けで始まり, 今や (4段階×6項目で, 合計) 24
かし, これはヨーロッパの他の国々ではそれほど
段階になりました。 新聞には, それぞれの教育課
強くないけれどもイギリスでは非常に強かったオー
程につけられた点数ですべての教育課程, すべて
トノミーの原則に反するものでした。 当然ながら,
の大学をランキングするという楽しみができまし
それは国による攻撃の一部と受け止められました。
た。 そして, 必然的に, 得点付けがプロセスの支
80年代当時はすべての公共サービスがサッチャー
配的な要素になりました。 高等教育機関の間でもっ
政権とその後の保守政権から攻撃されていると感
と競争がなされるべきだという政府の明確な方針
じられたのです。 公共サービスの多くが民営化さ
100
大学評価・学位研究
第3号 (2005)
れ, 売却され, 公的な資金や支援を受けているす
めました。 この調査によって私たちが明らかにし
べてのものが国から疑いの目を向けられたのでし
ようとしたのは, こうした評価活動がどんな効果
た。
をもたらしているのか, 結果として何が変化して
高等教育機関の中でも力のバランスが変化しま
いるか, どのような影響を見ることができるかと
した。 先ほども述べましたが, 機関全体としての
いうことでした。 そして, 4つのレベル, すなわ
政策や手順を強調するアプローチが取られたので
ち高等教育システム全体, それぞれの大学, 基礎
す。 しかし, これはそれぞれの学問分野のグルー
的な単位 (つまり学科や科目のグループ), およ
プからはひどく嫌われました。
び研究者各自というレベルで, その影響を捉えよ
評価の動きがもたらす脅威とチャンスに話を進
めましょう。 脅威についてはすでにいろいろと述
うとしました。
私たちは報償の仕組みも調べました。 報償が金
べてきましたので, 簡単に触れるにとどめます。
銭であることはめったになく, ほとんどは地位や
まず, 服従しなければならないという問題があり
名誉であり, それが影響力を持っていました。 大
ます。 人々は外部評価プロセスの要件を満たすた
学内での方針や構造に変化が起きていることもわ
めに必要なことをやらざるを得なくなっています。
かりました。 物事が以前とは違う形で実行されて
ときとして 「新しい管理主義」 といわれるように,
いるのです。 文化, 心構えや態度, 関係のあり方
マネジメントとプロセスがトップダウンになって
にも変化がありました。
いるのです。 そのほか, それぞれの学問分野に基
そして, どのような影響が生じているかは, 評
づく伝統的な大学の価値が揺らいでいること, 外
価の行われ方とある程度相関していることがわか
部から押しつけられた一定の基準を満たす見かけ
りました。 国の評価システムと高等教育機関の内
の利益のために創造性が弱まること, 競争や等級
部評価システムの両方の特性が影響にかかわって
付けなどから不和が生じること, 高等教育機関の
いるのです。 評価が行われる背景の状況も影響に
間での序列が維持される, あるいは正当化されて
かかわりを持っていました。 国内の背景状況と国
しまうこと, そして何より高等教育機関の多くの
際的な背景状況がありますが, これらについては
人が感じているように, もっと意義のあることに
すでにお話しました。
使える時間が評価に費やされていること, などの
問題があります。
この OECD の調査から得られた私たちの結論
は, 実のところ背景状況のほうが評価の方法より
しかし, 明るい面もあります。 評価のプロセス
重要だということです。 一部の面では背景の要素
の中で, 疑問が提起され, 連携が築かれ, 研究者
のほうが重要なので, 評価の方法論についてそん
たちが互いの業績を吟味することにより, 関係を
なに大騒ぎすることはないと考えられるのです。
明らかにし, 支援を透明にし, 伝統的に個人主義
私は, 評価について語るとき, システムや方法
を重んじてきた学界が集団的な行動を支援し, 研
論やプロセスや方針などばかりについて話すのは
究者同士の関係や研究者と学生の関係を変化させ
残念なことだといつも思います。 評価は学生や学
ることができます。 革新性の評価を行う厳格なプ
習の問題であり, 個々の教育課程の問題でもある
ロセスを設けることにより, 革新的な業績を正当
のです。 それで, 具体的な大学の具体的な学科を
に判断することができます。 問題点を明らかにす
取り上げた例をいくつか紹介しますが, これを見
ることにより, 組織全体の変化を促すことができ
れば, 特定の時, 特定の場所での特定の背景状況
ます。 組織に関与するすべての人々がその活動を
が特定の評価方法と組み合わされて特定の結果が
継続的かつ批判的に吟味する 「学習する組織」 を
生まれるということがおわかりいただけると思い
作り出すことができます。 これらは質の保証のプ
ます。 それが学問領域レベルの評価の根底にある
ロセスによって実現できると主張される利点の一
のです。
部です。 実際, そうした利点が実現されているこ
とを示す証拠もあります。
最初の3例は, すべて工学の教育課程で, メキ
シコ国立大学のものです。 注目に値するのは, メ
私と同僚のターラ・シャー (Tarla Shah) は,
キシコ国立大学の工学部は1949年以来定期的に自
OECD 諸国を対象にした調査を行い, 本にまと
己評価を行っており, この学部にとって評価は目
ブレナン:高等教育の質の管理とグローバリゼーション
101
新しいものではないということです。 現在では,
質の保証機関のネットワークは包括的になってい
この自己評価が国の枠組みに組み込まれています。
くのか排他的になっていくのかという問題もあり
残りの3例は, オランダのアムステルダム大学の
ます。
経済学の教育課程に関する評価です。
2001 年 に 大 学 学 長 国 際 協 会 (International
私の話の最後の項目に進ませてください。 これ
Association of University Presidents) が, それ
からどうなるのか, 評価活動はこれからどこに向
ぞれの質の保証機関の判定をするための国際的な
かうのかということです。
基準を定める協会を設立することを提案しました。
すでに, 市場の方向へのシフト, 消費者の台頭
基準を満たした機関は世界的な質の高さを表す認
についてお話ししました。 高等教育はいっそう拡
定を得るか, 世界的な質の高さを登録するリスト
大しています。 イギリスの現在の目標は, 2010年
に記載されることにしてはどうかというのです。
までに50%の人が大学教育を受けるようにするこ
同様のアイディアは, ユネスコ, EU といった組
とです。 すでにイングランドでは43%, スコット
織によっても提案されています。 その主な目的は
ランドでは50%です。 ヨーロッパ諸国の一部はす
学生の移動を改善することです。 つまり, 高等教
でに50%をかなり上回っています。
育機関
および雇用主
にとって, 世界的な
もう1つの流れとして, 企業としての大学, 企
質の高さを表す認定を受けた質保証機関によって
業化, 私立大学という方向があります。 これは評
質の高さを保証された大学の学生ならば, 安心し
価が対応しなければならない一般的な特徴です。
て入学させたり採用したりできるようになるとい
「モード1」 の知識から 「モード2」 の知識へと
うことです。 また, そのような認定を行うこと自
いう変化もあります。 マイケル・ギボンズ
体が質保証機関にとって向上のインセンティブに
Michael Gibbons らによって数年前に提唱された
なります。
この区別は, 簡単にいうなら, モード1の知識と
ですから, 将来は, 世界的な評価者が地域の評
は学問領域ごとの伝統的な学術的知識, モード2
価者を評価し, 地域の評価者が国の評価者を評価
の知識とは学問的知識, 職場の知識, 社会におけ
し, 国の評価者が高等教育機関の評価者を評価し,
る知識が組み合わさった領域横断的な知識です。
高等教育機関の評価者が学問分野別の評価者を評
最後に, グローバリゼーションがあります。 多く
価し, 学問分野別の評価者が教育スタッフの評価
の面で, こうした変化すべての底辺にグローバリ
をし, 教育スタッフが学生を評価するということ
ゼーションがあるのです。
になるのかもしれません。 まったくなんという世
最近のある会議で INQAAHE が地域化 (regionalism) の問題を取り上げたと聞きました。
界でしょうか!
いろいろ述べてきましたが, 私の結論は楽観的
私はこの会議に出席していませんでしたが, 信頼
です。 私は, およそ12年にわたって毎年20件から
できる人々が伝えてくれました。 この言葉が意味
25 件 の 評 価 に 参 加 し た CNAA で の 経 験 と ,
するのは, ヨーロッパ, 北米といった地域の枠組
OECD プロジェクトをはじめとする各種の研究
みが重要になってきているということです。 ヨー
に携わってきた経験から, 評価とは実のところ学
ロッパにはすでに高等教育の質に関する団体のネッ
ぶことであり, 学んだことを人と共有することで
トワークがありますし, 高等教育の質に関する国
あり, 学問領域の間, 高等教育機関の間, 国の間
のシステムをどの程度, 地域のシステムに置き換
の境界を越えることであり, 異なるグループ, 異
えていくのかという問題が浮上してきています。
なる高等教育機関の間に橋をかけることであり,
私たちは国境を越えた教育
遠隔教育にせよ
既得権に立ち向かうことであり, 批判的な目, と
キャンパス内での教育にせよ
にどう対応して
きには懐疑的な目を通して変化を受け入れること
いくべきでしょうか。 それはときにディグリー・
なのだと考えています。
ミル, アクレディテーション・ミルと呼ばれる問
題と関連しています。 これらはすべて, 企業的や
私的なセクターの発展の重要な部分です。 また,
(講演日
平成15年5月30日)