第210号 - 近森病院

平成15年
(2003)
12月25日発行 1月号
高知市大川筋一丁目1−16 tel.088−822−5231
発行所
医療法人近森会
近森正幸/ 事務局 川添
ttp//www.chikamorikai.or. jp/
医療法人近森会院内誌
発行者
近森 正幸
医療法人近森会理事長
1
第210号
年 頭 所 感
地域医療支援病院の使命をもって
近 森 会 の こ の 一 年 を 振 り 返 っ て み ま す と、 大 き な 出
来 事 は、 平 成 十 四 年 二 月 二 十 五 日 に、 地 域 医 療 支 援 病
院 と し て 近 森 病 院 が 高 知 県 か ら 認 可 さ れ た こ と で す。 こ
れ に よ り、 か か り つ け の 先 生 方 を 中 心 と し た 地 域 医 療
を支援すべき病院として公的に位置づけられたことに
な り、 昭 和 三 六 年 の 救 急 病 院 告 示 以 来、 四 十 数 年 に 亘 っ
て、 二 十 四 時 間、 三 百 六 十 五 日、 患 者 さ ん 中 心 の 医 療 を
行 う た め に 努 力 を 積 み 重 ね て き た こ と が、 よ う や く 実 を
結んだといえます。
平 成 元 年 に 基 準 看 護 を 取 得 し て 以 来、 看 護 の 充 実 を 図
る こ と で、 救 急 病 院 か ら 急 性 期 病 院 へ と 脱 皮 す る こ と が
で き ま し た。 平 成 十 一 年 十 月 か ら は、 か か り つ け の 先 生
方へ落ち着いた外来患者さんの逆紹介をさらに推し進め、
外 来 は 紹 介、 救 急、 専 門 外 来 を 中 心 と し て、 入 院 医 療 に
特 化 し て ま い り ま し た。 施 設 完 結 型 医 療 か ら 地 域 完 結 型
医 療 へ の 移 行、 こ れ は 地 域 の み ん な で 支 え 合 う 医 療 を 目
指 す こ と で あ り、 そ の た め に、 外 来 に 患 者 さ ん が あ ふ れ
て 嬉 し い 院 長 か ら、 外 来 に 患 者 さ ん が 少 な く て 喜 ぶ 院 長
へ、 一 八 〇 度 の 価 値 観 の 転 換 を 必 要 と し ま し た。 こ の 決
断 が、 近 森 会 の 大 き な 転 換 点 に な っ た と、 今 に な っ て 思
います。地域医療支援病院としての役割には
一、紹介患者さんに対する医療の提供
二、救急医療の提供
三、病院施設、設備等の共同利用の実施
四、地域の医療従事者の研修の実施
等が課せられております。
昨 年 五 月 に は、 整 形 外 科 対 応 の 回 復 期 リ ハ ビ リ テ ー シ
ョン病棟を閉鎖し、病棟の再編成を行い、これにより救急、
紹 介 患 者 さ ん の 受 け 入 れ が 改 善 さ れ ま し た。 さ ら に 手 術
室 の 増 設、 生 理 検 査 の 充 実、 病 歴 室 か ら 診 療 情 報 管 理 室
へ の 組 織 替 え な ど、 地 域 医 療 支 援 病 院 と し て ふ さ わ し い
医療の質の向上を図ってまいりました。
さ ら に、 一 昨 年 一 月 か ら の 第 二 分 院 の 全 面 的 な 増 改
築 が、 昨 年 十 一 月 に 完 成 し た こ と が あ げ ら れ ま す 。 新
しくなった第二分院とメンタルリハビリテーションセ
ン タ ー を 統 合 し、 総 合 心 療 セ ン タ ー 近 森 と し て ス タ ー
ト、 二 十 一 世 紀 の 新 し い 精 神 科 医 療 を 提 供 す る 基 盤 が で
きました。
個 人 的 な こ と で す が、 一 昨 年 九 月 三 十 日、 母 が 亡 く な
り ま し た。 空 襲 と 南 海 大 地 震 で 荒 廃 し た 高 知 の 町 で 父 と
二 人 で﹁ 近 森 外 科 ﹂ 開 設 に 尽 力 し、 得 意 の 料 理 の 腕 を 生
かして患者さんの給食をつくってくれた母でした。
昨年の第二分院の全面改築の完成と本院の手術室の増
設、 検 査 室 移 転 に 伴 う 一 連 の 工 事 に よ り、 昭 和 五 十 九 年
の 父 の 死 を 受 け て、 私 が 理 事 長 に な っ た こ ろ の 近 森 会 の
建 物 は、 こ こ に き て ほ ぼ す べ て 新 築、 改 築 し、 全 面 的 に
リ ニ ュ ー ア ル し た こ と は、 創 業 以 来 の 一 時 代 が 終 わ り、
新たな時代へのスタート地点に立ったといえます。
これまでは近森会のなかだけで医療を提供していれば
よ か っ た 時 代 か ら、 こ れ か ら は 高 知 県 の 医 療 を 支 え る 近
森 会 に、 そ の 役 割 を 質 的 に 大 き く 転 換 し た 年 で は な か っ
た か と 思 い ま す。 こ う し た 変 革 を 支 え て く れ た の は 先 生
方やスタッフの皆さまの変革への努力と理解のおかげだ
と深く感謝しております。
今 後 も 医 療 界 は 不 透 明 度 を 増 し て お り ま す が、 こ の 高
知 の 地 で、 私 た ち は 良 質 で 効 率 的 な 医 療 を 提 供 す る と い
う 信 念 の も と に、 提 供 す る 側 で な く、 医 療 を 受 け る 側 の
患者さんの立場に立った医療を行っていきたいと考えて
お り ま す。 私 た ち の 目 標 と し て き た、 患 者 さ ん の 病 気 を
治 す だ け で な く、 患 者 さ ん を 住 み 慣 れ た 地 域 に お 帰 し す
るという姿勢を今後とも貫いていきたいと希っています。
看看看看看看看看看看看看看看看看看看看看看看看 護 研 究 発 表
表表表表表表表 会
会会会会会会会会会会会会会会会会会会会会会
11
15
後の看護実践にその結果を
岡田美幸
活用して欲しいと思われる
平成 年 月 日、高知市文化プラザかるぽーと
15
教育代表委員
なりました。
参加者からのアンケートで
も の ば か り で し た。 ま た、
で、実りある研究発表会と
今年は理事長賞に新館3
部署から発表者が出て
毎年秋の恒例となってい
階西病棟、看護部長賞にC
も、年々研究の内容がレベ
23
る看護研究発表会が、本年
行われました。日々の業務
CU病棟、教育委員長賞に
は
の中で生じた疑問や問題の
をいただきました。今後も
ルアップしているとの評価
看護部教育委員会では研究
2 3病棟が選ばれました。
活動のサポート体制を強化
解決、より質の高い看護ケ
務の合間や休みを返上して
していきたいと思います。
しかし、その他の部署も業
果が得られており、ぜひ今
午後の部の発表の皆さん。後列左より山崎浩子、武市知子、松本絵美、
植村環、青木操、中平美紀、小松亜理沙。前列左から濱田和子、遠藤恵、
大野直美、宮地恵、那須ちか子(敬称略)
真摯に研究に取り組んだ成
谷田美緒、松山恭子、香川美幸。前列左より竹内貴博、中川正樹、多田
天世、細川亜希子(敬称略)
アの提供を目指した様々な
名 の 院 内・ 外 の 参
午前の部の発表の皆さん。後列左より安岡記代、北代都世、加藤千沙、
研究が発表されました。
約
加者からの質疑応答も活発
180
No.210/1月号 2
心臓に電気ショックを加える治療を
除細動と呼びますが、それが唯一、
心室細動を救う方法なのです。それ
も直ちに、1 分でも 1 秒でも早く行
わなければ助けられないのです。で
も、その機械がありませんでした。
そして、日本の法律は医者以外が除
2002 年 11 月 21 日、高円宮さま 細動を行うことを禁じているのです。
篇
※念のため。その❶は 208 号へ掲載しています。
しかし、欧米では違います。一般
が急逝されました。47 歳という若
さでした。よさこい高知国体から帰 人用の自動体外式除細動器 (AED) が
京後すぐのできごとで、私は驚きと 販売され、その使用が救命の第一
歩であることは常識になっていま
同時に大きな無力感を感じました。
その日、宮さまは赤坂のカナダ大 す。日本だけが取り残されているの
使館でスカッシュをされていて、突 です。たとえば、シカゴのオヘア空
然倒れられたのです。直ちに心肺蘇 港は歩いて 1-2 分の場所に必ず AED
生が開始され、3 分後には消防庁に を設置しており、世界で一番安全な
連絡が入り、8 分後に救急車が到着 空港といわれています。
1 年 経 っ た 今、 日 本 で も い く つ
したときは心室細動という不整脈で
した。規則にしたがい電話で指導医 か の 変 化 が 見 ら れ て き て い ま す。
の指示を受け、救急救命士が電気シ 2003 年 4 月 ( 高知は 11 月 ) より、 1990 年にユネスコの世界遺産に登録された古代ローマ
の遺跡群のひとつで市民の娯楽施設のひとつだったコ
ョックをかけましたが、心臓の拍動 救急救命士が電話で医師の指示を待 ロッセオで記念撮影の近森会ローマ第
2 班(4 班のうち)
は戻りませんでした。心臓マッサー つことなく現場ですぐに除細動でき
ジを続けながら慶応大学病院に運び るようになりました。また、厚生労
こまれ必死の治療が施されました。 働省が一般人の除細動を認めるとの
しかし、その甲斐もなく息を引き取 見解を発表しました。少しずつです
られ、死因は“心室細動”と発表さ が、確実に救急救命の輪が広がって
います。これから、AED の普及や心
れました。
これ以上の治療は望めず、仕方の 肺蘇生法の啓蒙がますます重要にな
ないことなのでしょうか。私はひと ります。私も微力ですが循環器医と
つだけ可能性があったと思います。 しての役割を果たしていきたいと思
それは、医者でも救急救命士でもな います。( 循環器科部長 川井和哉)
心臓
突然死
バチカン博物館の見学を終えて町角
で迎えのバスを待ちつつホッと一息
山脇哲臣
やまわき てっしん
大正7年8月 日香北町出身、
﹃土佐の自然﹄編集委員。
牧野植物園園長や土佐山寒蘭
センター所長など歴任。
数年前に八丈島から三宅島へ
行 っ た こ と が あ る。 五 月 で、 両 島
搬送過程を報告した高知市東消防
署三里出張所の救急主任福山さん
が あ っ て、 何 台 渋 滞 す る か 数 え た
で も、 役 場 の 前 に 一 つ だ け 信 号 機
院外エッセイ
さ い の 原 種、 が く あ じ さ い の 花 盛
こ と は な い が、 同 じ 発 想 か と 思 う
そ の ま ま 海 水 を た め、 巨 大 な 池 に
赤 に 焼 け た 海 岸 の 岩 や、 噴 火 口 が
度 か ら 降 る こ と は な い し、 休 日 は
方 で、 三 宅 島 は 暮 し よ い、 冬 も 五
聞けばこの職員の方は栃木県の
とおかしかった。
な っ た 所 な ど 案 内 し て も ら っ た。
親 を 呼 び よ せ る つ も り だ と い う。
磯 で 魚 の 釣 り 放 題、 近 い う ち に 両
栃木の冬と比べるとそう思うだろ
た 山 は、 遠 す ぎ て や め た が、 野 生
のおおしまざくらの実を食べるら
番 先 に 思 っ た こ と は、 彼 は 今 頃 ど
それから数年して今回の大爆発、一
う。
号 機 が 一 つ 立 っ て い た。 案 内 の 彼
び 寄 せ て い た の だ ろ う か。 呼 び 寄
せて直後に爆発が起ったのではな
う し て い る の だ ろ う か。 両 親 を 呼
機 の 必 要 は な い け れ ど、 な い と 肩
か っ た ろ う か、 な ど 親 切 に 案 内 し
が 言 う に は、 一 番 渋 滞 す る と き で
身が狭い思いをするのでつけてい
て も ら い、 信 号 機 の 縁 で 余 計 に 他
も ト ラ ッ ク が 三 台 く ら い で、 信 号
な っ て い て、 役 場 の 前 に は 交 通 信
し い。 三 宅 島 は 東 京 都 の 三 宅 村 に
さくらんぼもあるはずだと言われ
案内してくれて、前回の噴火で真っ
三 宅 島 で は、 役 場 の 若 い 職 員 が
りだった。
平成 15 年 10 月 27 日、
近森病院管理棟5階会議室で
るのでしょうと笑っていた。
人事ならず心配している。
講演中もぴったり息の合っ
た連係プレーが印象的だっ
た講師の横山先生ご夫妻
●近森病院華道部の皆さ
た平井宝
展がトヨ
んを会場
29、30
本 彰
呼吸器外科部長 山
私が仕事に通っている土佐山村
年 月 日に、第二
分院新築完成後、初めて
の行事を開催しました。
新しい草の香りのする
畳が敷きつめられた作業
療法室自慢の和室を使う
ということで開始前から
ドキドキしていました。
和室は特上の舞台とし
17
救急医療
症例検討会と
とも島からこぼれんばかりにあじ
12
特別講演
『米国の病院システム
と
最近の心臓手術』
31
て早変わり。舞台では鎌
田一座によるプロ級の踊
りを披露していただきま
した。襖を開け閉めした
り、紙吹雪をちらせたり
と、本格的な舞台となり
ました。
入院中の患者さん約
六十名がゆっくりと時間
を過ごされ、一
足早いクリスマ
ス気分を味わい
ました。楽しく
終えることがで
き大満足な一日
でした。
︵作業療法室
橋本麻奈美︶
今回は第 40 回の救急医療症例検討会
と、米国のロサンジェルスの St. Vincent
Medical Center の横山太郎心臓外科部長の
講演会を併せて企画しました。
救急医療症例検討会は、近森病院で初め
て開催された 6 月の前回の検討会が、立錐の余地の
ないほど盛況であったことから、今回は院内からの出席者を制
限しましたが、それでも院内外から
160 名の参加がありました。
症例検討は『貫通性気管損傷を呈
した頚部刺創の一症例』についてで
した。まず高知市東消防署三里出張
所の救急主任福山さんが、救急覚知
から搬送の過程を報告され、山本が
院内での対応、手術の経過を呈示、
検討しました。
続いて『米国の病院システムと最近の心臓手術』と題して、
横山先生に講演を頂きました。横山先生は日本で医学教育を受
けた後、米国に渡り研
鑽を積まれ今日の確固
たる地位を築かれ、心
臓血管外科の第一線で
臨床をリードされてい
る先生です。
今回は先生が同日に
近森病院を来訪された
ことから、特別講演を
行っていた
だける機会
を得ました。
講演内容は
本邦のよう
な国民皆保
険制度では
ない米国において医療システムを詳しく解説されると共に、最
近の米国での心臓手術の動向についても話されました。このよ
うな内容についてなかなか聞く機会がない我々にとって有意義
なものとなりました。
その後、高知赤十字病院の西山先生のプレホスピタル外傷シ
リーズの脊髄四肢外傷の講義がありました。
近森病院での開催が、6 月に続き 2 回目となった症例検討会
でしたが、最後まで熱心な参加者が多数参加されて盛会でした。
今後は愛宕病院、高知赤十字病院での症例検討会にも、院内か
らもどんどん参加して、救急救命士の方々とも交流を深め、連
携する人々同士の『顔の見える救急医療』を目指して取り
組む必要性を感じた会となりました。
03
第 40 回
三宅島の信号機
3 No.210/1月号
キラリと光る看護❻
看護部長
経っていました。ご本人は
生活にも適応厳しく 年が
仲間を大切にする姿勢が定
す。 仲 間 を 積 み 残 さ な い、
テーションも行えていま
セクショナリズム無くロー
入院患者さんへの看護サー
急性期病棟の人員配置は
面もあるようです。
発散させるなどと強烈な場
るスタッフを﹁もうイヤだ
をも兼ねつつ夜勤をしてい
ビスのための要員ですが
すごいと思います﹂といっ
あくまでも前向きで本当に
と言わないで一致団結して
送る若いナースは胸がいっ
飄々と退院されましたが見
着しています。反対に医師
で保護義務者がいなくなり
は同居していた母親の死亡
育っているそ の 事 が と て も あ
同僚への配慮が風土として
大分県は全国有数の石臼石仏
の宝庫。穏やかな四つの笑顔
雄大な阿蘇の火口を前にして、気分
もゆったりしてくるなあ︵字余り⋮︶
湯布院のホテルの、一見夕食にも見
えそうな朝食。これで朝なのですか
ら、
豪華な晩餐は推して知るべし。
で、
あえて夕食の写真は載せません
サービス業はかく在りたい。どこまでも細や
かな心配りに優しさいっぱいの応対。我々の
鑑・浜渦添乗員さん、お世話になりました♥
います。
ぱいになり泣いてしまいま
くし、主治医も﹁Aさんが
の存在をありがたく思って
向こうに行っても困らない
てくれる精神科看護管理者
ですぐ生活できる良い退院
結論が厚労省のダイヤ
わった方が良いのでは、と
の成長のためには病棟を変
看護長たちはこのナース
うれしいことでしょう。
サポートがあるとどんなに
り成長の機会になるような
時、一緒に考えて自分を知
との多い状況に立たされた
ろうかと苦しんだりするこ
分の対応が正しかったのだ
ついて行けなかったり、自
かっていても自分の感情が
とが評価されます。頭で解
事例研究会を行っているこ
をスーパーバイザーとした
基礎講座勉強会や外部講師
98
観光先進地湯布院。店ごとの展示ひ
とつ、かわいい工夫に溢れていた
1ヶ月 件にも及ぶ夜間相
ションとして慢性長期入院
サマリーを書いて下さいま
であろうと納得できないこ
まず1 点は新病院建築
だき、受け入れてくださる
の方に説明して理解をいた
したね﹂と労い、喪失体験
した。その姿を﹁家族の代
願望が出された数年前から
病院や施設のご協力を得る
をサポートしてくださいま
モンドプランと同じだった
実践と 回におよぶ精神科
害などの治療構造づくりの
症・人格障害・パニック障
2 点 目 は う つ 病・ 神 経
りがたいことだと思います。
揮できる舞台にすることが
「良く太る」の名のもとに
90
梶原和歌
理念の土台づくりや職場風土を
大事にする気風
全職種の代表が精神科医療
作業をこれも医師・MSW・
談がよせられています。命
いっぱいにたたえ全面オー
装で陽光と木のぬくもりを
の方向性について議論を重
看 護・ O T・ C P み ん な
その人を見捨てない構えや
した。患者さんに寄り添い
の電話・精神科救急の窓口
プンして2カ月が過ぎまし
ね、病院見学などして理念
が行いました。幻覚妄想状
とには反論し、チーム医療
た。この1年 回の引越し
の土台づくりをしたことが
態で入院されていたAさん
の根幹に関わる議論をして
をし、病棟を急性期、回復
がったと思います。
その後のエネルギーにつな
と上司は感謝して目頭を熱
期、ストレスケアと三つの
わりに泣いてくれている﹂
メリハリの利いた機能が発
第二分院がシックな外
28
できた陰の努力を紹介しま
▲じつはいまはこんなにシャー
プです。というつもりで、
ちょっ
とポーズをとってみたのです
が、決まってませんかねえ(笑)
故郷への帰省も市内の単身
す。
小学校2年生から順調に太り始めた私は、小学4年生で
40 キロ、5年生で 50 キロ、6年生で 60 キロを突破するこ
とに……明るく元気な良く太る君。
しかし、昔の暴飲暴食が影響し、現在 22 歳にして高血圧・
高血糖・無呼吸症候群と将来に不安を持ちながら摂生を心が
ける日々。
「早く普通の人間の身体に戻りたい」と切実に願
うばかりの今日この頃です。
ことには驚きました。アク
2
村井良太
リハ病院作業療法科
篇
No.210/1月号 4
近森 正幸
永野福寿さんちのハブ茶と番茶
30 年勤続の皆さん。左から今久保美紀さん(交換
室)
、
松田多津子さん(経理課)
、
佐野登代子さん(新
館 6 階西病棟)
2003
と
表彰式
鏡村の土佐山村寄りでハ
ブ茶をつくっている。ハブ
茶はマメ科のエビスグサと
いう一年草の種子からつく
る。
3 月下旬に種を蒔き 7 月
中旬から 2 回ほど収穫する。
葉と一緒にもんで乾燥させ
てから保存し、店に出す前
い
に煎る。
夏に花が咲くころのハブ
茶はとくに香りがあって美
味しい。
番茶と煎茶の違いは茶摘
みの時期で決まる。煎茶は
一∼二番茶。番茶は三番茶
以降となる。
時期は地域によって変
わってくるが、一番茶は新
茶といい4月から5月に収
穫。二番茶は6月下旬∼7
月上旬。三番茶は7月下旬
∼8月上旬でここから番茶
となる。秋から冬にかけて
は特に寒茶という。煎ると
きは鎌で切るようにする。
以前大阪で番茶を飲んだ
ことがあるが、薬臭くて高
知で飲むような美味しさは
なかった。番茶はあまり加
工してなくてシンプルな飲
み物だから、水の違いがよ
く出るのだろう。
20 年勤続の皆さん。前列左から津野裕紀
美さん(手術室)
、
太田垣日出美さん(新 3 東)
、
和田廣政さん(第二分院)
、久岡和代さん
(透析室)
、渋谷絹子さん(薬局)
、山田優子さ
ん
(いごっぱち)
。後列左から東野栄二さん
(手
術室)
、吉田妃佐さん(第二分院)
、松木秀行
さん(リハ病院)
、上村二美さん(本院)
、山
本重明さん(O - リング科)●右はこれまで
最高の 680 人の出席で、城西館 3 階フロア借り
切りだったが、ごった返した会場のほんの一角。最初の理事長の挨拶で
▼
MVP2003受賞者。左から
吉岡さん
︵画像診断部︶
、
辻さん
︵新
4西︶
、入江部長、山下さん︵
CU︶
、米澤さん︵検査室︶
、池川
さん
︵理学療法科︶
で、
米津さん
︵手
術室︶は式に間に合わなかった
勤続、総勢 45 人の皆さま
ハートセンターMVP
日曜市のスローフード その 9 ハブ茶
勤続表彰式と忘年会
5 No.210/1月号
♥ハートセンター設立から1年を経過し、各部署で職務
に精通し頑張ったスタッフには慰労と感謝を示し、他職
員の励みにも通じるよう、
MVP表彰式も執り行われた。
下は入江心臓血管外科部長を囲み、受賞者の記念撮影
C
自慢料理♧薬用酒アラカルト
文と 画: 薬局 松村 仁美
❻バナナ酒
バナナはビタミン類が多く、食物繊維やミネラル、鉄分、カロチンなど
も含んでいます。離乳食に用いられるほど栄養バランスは優れていて、
疲労回復や美容効果も期待できます。2004 年は申年です。新年をバナナ
酒で迎えてみてはいかがですか?
材料(密閉容器1リットル)
・ 皮 を む い た バ ナ ナ( な る だ け 傷 の な い も の )
・・・ 400g・ ホワイトリカー(35 度)・・・・・ 600cc
作り方
①皮をむき3分の1くらいずつに切ってから漬け込む。
(果肉が柔らかい
ので漬けておくと表面が溶けて濁りが出てくる時がありますが、その時
はバナナを引き上げ、いったんリキュールをこしてから再び熟成を続け
ると良いです。
)②2週間もすれば飲めるようになる。熟成させると、さ
らにおいしいリキュールになります。
※ストレートでも十分おいしいですが、牛乳と好みでガムシロップを加
え、氷を浮かべて飲むのもおすすめです。
(ヘルスケア情報誌コンクール)
た び 第 3 回 目 を 迎 え、
﹃ひ
93
広報や病院経営について
114
施
ろっぱ﹄がついに全国
誌の応募作品の中か
の研究をもとに情報提供な
ら 一 等 賞 に 選 ば れ ま し た。
設、
大阪で
日に行われたHI
28
どを行っている日本HIS
月
11
研究会主催の﹁ヘルスケア
情報誌コンクール﹂がこの
の最優秀賞をいただきました。
万∼歳!
S年次大会2003病院広
は総務課広報担当の小谷隆
報カンファレンス
援病院の機能を充足するた
子編集委員が﹁地域医療支
│﹂と題する事例発表を行
めに│連携のツールとして
い、翌日には表彰式にも出
タッフに伝えるべき情報が
席しました。受賞理由は
﹁ス
ぎっしり詰まっており、デ
ザインも細かいところまで
らゆる面で云々﹂と以下も
工夫がこらされている。あ
う少しお褒めの言葉が続い
これに慢心することな
ています。
く、皆さんのいろいろな思
いや旬の情報が、眺めのい
集まるよう、編集委員一同
い﹃ひろっぱ﹄にどんどん
精進する所存です。
IN
BHI賞
父の遺
みたいにホッと肩の力が抜
瞬間には達成感を共有した
いつつ、一気に読み終えた
があり、ドキドキ展開を追
途中でやめられない緊張感
介護の手記でありながら
も拭いても
た。拭いて
に差し出し
図して、私
取るよう合
シュの箱を
にティッ
け て し ま う。
﹃光
涙は止まら
て、最後の最後に諦めざる
していったもの﹄は、そん
も精神障害者の急性期から
を得なくなったことが悔し
な か っ た。
在宅までの支援システムを
や全国漁協連合会理事など
くてたまらなかったし、私
ここまで
﹁ワインとシングルモル
を歴任された久松啓祐さん
な家族介護を綴ったドキュ
トウイスキーを片手に精神
充実させていきたいと思っ
が、 末 期 の 胃 ガ ン と 診 断
メンタリー遺句集である。
医療、福祉について大いに
お願いします。
ておりますので、よろしく
達が介護から解放されるこ
頑張ってき
語り合いましょう﹂とご案
されたのが一昨年暮れ。妻
俳人で、大月町議会議長
内をさせていただいた祝賀
︵ 第二分院事務長 和田廣政︶
会は、おかげさまであちら
告げない方がいいと話し合
い、最期まで在宅で看ると
決意する。しかし父上の死
が遂に現実のものとなろう
とし、闘病を支えた家族に
も頑張りの限界が見えたと
き、家族代表として筆者の
久松ゆりさんが主治医を訪
ねる。その場面を本文から
引用してみたい。
ほどの達成感を手に入れま
す。そういう日がもう近い
この主治医が外科の北
んです。
︵後略︶│
村龍彦副院長であり、ここ
なったことで、結局最期ま
で父上が入院しないことに
家族にはその点の後悔が残
で 自 宅 で 看 る こ と が で き、
らなかったのではないだろ
家族を亡くすということ
うか。
は、どのように手を尽くし
ても当事者にはなんらかの
が、俳句が趣味の父上の遺
悔いは残るのかも知れない
句をちりばめながら綴られ
日へのエネルギーをどっさ
たこの手記は、読む者に明
久松ゆりさんは、テレビ
り与えているようだ。
番組の台本書きや企画、構
成といった仕事を続けてき
たが、
﹁ずっと頑張ってやっ
を書くための練習だった﹂
てきたことは、全てこの本
と脱稿して実感したとい
を放り出したらきっと後悔
ポートしてもらえる時代が
あれば在宅介護を的確にサ
著者 久松ゆり
想で仕方なかった。誰の前
されますよ。これからの介
き た ん だ と 感 じ、
﹁母にも
そして、家族に思いさえ
う。
報 道 記 者 ら し く、 切 羽 詰
でも泣けなかったが、これ
護生活は、今よりもっと酷
いかにもテレビ局の元
故郷の海一面に
降り注ぐ
﹁光﹂と
なった父の本
とで父の最後の望みが叶わ
全日本断酒連盟最高顧問・
下司病院の下司孝麿院長に
は乾杯のご発声を賜った
ワインやマッカラン 年、ラガ
ブーリンなど、通ごのみのシング
ルモルトと、それによく合うシェ
フ自信の力作に囲まれ、精神医療
の夕べは和やかに更けた
まったピンチであったろう
までの経緯をすべて知って
気持ちでいっぱい﹂なのだ
機関の皆さま方にも感謝の
に、
﹁どんなときでもシー
見るに耐えないものになっ
姉にも夫にも、なにより諸
てくるかもしれません。そ
い状態になっていくでしょ
﹁入院はさせませんよ﹂
た感情が溢れ出した。
﹃光
としみじみ語っている。
う。 お 父 さ ん の 苦 し み も、
け あ っ て、 筆 致 は 冷 静 だ。
れ で も、 ど う か お 父 さ ん
もの﹄は、県内有名書店で
い る 先 生 を 前 に し て、堰 を
│﹁先生、父を入院させて
︵中略︶
。病院は、望めばい
を看続けてください。最期
発売中。
切ったように押し込めてい
もらえないでしょうか。母
つでも入院させてくれると
までお世話をしたとき、あ
︵文責 ﹁ひろっぱ﹂編集室︶
ごしている﹂といわれるだ
が、もう限界だといってい
ころだと思っていた。
なた方はこれまでの苦労が
父の遺していった
ます⋮⋮﹂そこまで話すと、
すべて報われてあまりある
﹁ あ な た 方、 今 お 父 さ ん
︵中略︶
かった。先生が看護師さん
もうあとは涙で声にならな
ンを文字に残すつもりで過
ドキュメンタリー遺句集
なくなるかと思うと、可哀
こちらに大輪の話の花を咲
かせていただけたように思
いたしまし
第二分
た。
院からも多
くのスタッ
フが参加
し て、 関 連
職種のお客
さまと同席
だ き、 賑 や
させていた
な話し合い
かで有意義
が持てまし
た。
建物も気
分も一新し
て、 今 後 と
▲
城西館で
平成 年 月 日
新 築 祝 賀 会
第二分院
11
とふたりの娘は啓祐さんの
25
25
います。
県下の医療、福祉、教育
関係のお歴々の皆さま方に
が同席させていただき、有意義な話し合いが持てた
▲啓祐とうさんを囲んで記念撮影。2001
年の冬。後列左に『光』の著者の久松ゆり
さん。莉子ちゃんを抱くゆりさんの旦那さ
まと、前列に姉の上久保由佳さんと母上
じいちゃん相手に孫の莉子ちゃんはいち
ばんよく笑ったという
発行・本の森
15
日ごろの言動からも病状を
高知県精神保健福祉協会会長の
池田久男先生のご挨拶では、
年近く前、近森病院に精神科を
開設するに当たり、近森正博前
理事長が岡山大学に池田先生を
お訪ねした話なども紹介された
40
No.210/1月号 6
た く さ ん お 越 し い た だ き、 貴 重 な 数 々 の 示 唆 を 頂 戴
会場では関連職種のお客さまと第二分院スタッフ
人物ルポ
心臓血管外科部長/入江博之先生
徹底した合理主義。こうして必要な原稿や研究論文を録音すること
で、自分の必要な貴重な時間を最大限有効に使うことも可能になる
だ。 つ ま り、
﹁だれでも面
実行に移す点にもあるよう
見えないし、見たい方向か
結局自分の見たいものしか
も、入江部長曰く﹁ひとは
きかったのだろう。もっと
らしか見ない﹂から、人物
と、それはその通りかも知
れないが、それを実現まで
角度のなかの一方角からの
ルポでも評伝でも﹁数ある
白いこと思いつくでしょ!﹂
もっていくのは至難の技な
見方でしかない﹂と、バッ
のだ。が、
入江部長は﹁メー
観したい﹂と努めてできる
ルでも電話でも、直接連絡
ものではないだろうが、全
ひとはなにごとでも﹁達
やっぱり涼しい顔なのだ。
余裕綽々に映る部長のスタ
方位全力投球をしながらも
サリ、しかも沈着である。
こういった実行力がここ
イルは、どうやら﹁オンと
を取る方法はいくらでもあ
とイヤミなくらいなのだが、
まで徹底して凄いとちょっ
オフを意識して使い分ける﹂
る。連絡したければ連絡が
ひとにやってもらえること
人間性や小まめな言葉がけ
ワンマンな大黒柱を支え
ことで確立してきたようだ。
つくようにすればいい﹂と、
での臨床研修にニュージー
はできるだけ任せて、
﹁自分
やら感謝の気持ちを素直に
なく、発想法の原点を植え
経歴から始めるべきだろう。
ランドへ一年。外国行きの
しかできないことをする﹂
。
えるから﹂
。で、なにごとも
現わすなど、一帯は丸く収
を許してくれているんじゃ
つけたようでもある。
岡山大学大学院で医学博
きっかけは、
﹁これまで助か
だから、やれると見込まれ
録音してテープ起こしを頼
こんな調子なのである。
ないか﹂と照れ笑いを浮か
は世界有数の心臓専門病院
士号を取った翌年、全米ナ
らなかった人が人工心臓で
た周りのスタッフはしんど
むのも、
﹁ヒマかけて自分が
さて、異彩を放つこの独
べ、
三人の子どもたちは﹁家
助手などを務めたのち今度
ンバーワンの心臓専門病院
助かるというのなら、その
くもあろうが、その分やり
支援病院一周年記念グッチ
ら来るのだろう。学生時代、
特のキャラクターはどこか
なにはともあれ、やっぱ
クリーブランドクリニック
開発に係わりたいと思うの
甲斐も大きいことになる。
タイプ打ちするより、得意
裕三コンサートも﹁入江イ
意識として、
﹁ドアを閉めるのは他
ま ず 徹 底 し た 合 理 主 義。
人工臓器部で完全埋め込み
は自然なこと﹂と涼しい顔
なひとにやってもらった方
ズム﹂の典型といえるので
それに比べると、お茶を入れまし
でもない自分なのだ﹂という責任感
プ に も つ な が る だ ろ う と、
なら支援病院の知名度アッ
も上手で人気者のタレント
はないだろうか。歌も料理
き継がれた。そんな親の頑
の卸会社の経営は母上に引
炎﹂で亡くなり、医療器具
多分C型だったと思える肝
父上が﹁手術での輸血後の、
原書で英語を読む楽しさを
エット﹂の映画を観て以来、
い父﹂と凝縮して交わる術
での滞在時間の極端に少な
大きく開けているようだ。
かにも入江部長らしい道は
が 道 を 行 く、 い
て、 威 風 堂 々 我
し ま う。 こ う し
顔負けに極めて
も徹底的に玄人
たという。趣味でもなんで
当時全曲歌詞を 諳 んじてい
そら
いるし、ビートルズの歌は
覚え、洋書は原語で読んで
むかし、
﹁ロミオとジュリ
を心得てもいるらしい。
まず思いつく。入江部長の
張りに励まされた部分も大
オンとオフを意識して使い分けることで、最高の集中力を生み、ま
た思いっきり緊張をほぐせることになる。上はオペ中で、下はオフ
特徴は思いついたら、必ず
る妻は﹁好き放題する自分
型の人工心臓をつくる米国
をされるが、外国暮らしは
原稿や研究論文もどっさ
がお互いの時間を有効に使
先日実家に帰る機会があり、久し
た、食事の支度を整えました、お湯
を持つきっかけとしては良い表現
さて、これは奥ゆかしい表現なの
であろうか。それとも、やはり逃げ
の表現なのであろうか。自戒するに
も、とても口には出せない。
﹁冷たくしますよ﹂
﹁引っ張ります
よ﹂
﹁痛くしますよ﹂⋮⋮。
まっているようだ。
政府のプロジェクトに参加
入江部長に、手術の技術を
り抱えているが、これらを
ぶりに東海道線に乗車した際、駅の
を沸かしました、というのは、自分
奥ゆかしい表現とは、一歩間違え
であろうと思う。
ると責任の所在をあいまいにする
自分を振り返ってみると、私自身
三倉文子
こういった表現を殆ど毎日使用し
整形外科
﹁ドアを閉めます﹂
アナウンスが妙に耳についた。何と
﹁ドアを閉めます。ご注意くださ
なく違和感があるのだ。
い﹂
。 どうやら
﹁ドアが閉まります。
よく真似をした、耳慣れたアナウン
ている。冷たいですよ、引っ張られ
逃げの表現にもなり得るのだ。
もちろんドアが勝手に閉まるわ
けではないだろうから、より的確な
表現ではあろうが、私は以前の方が
好きだ。
お 茶 が 入 り ま し た、 食 事 の 支 度
しかしながら、ドアを閉める側の
うに思う。
が整いました、お湯が沸きました、 を前面に出すようで厭味が増すよ
等々。日本語独特の奥ゆかしい物言
いだと思う。
ますよ、痛いですよ、等々。
スは最近では流行ではないらしい。
ご注意ください﹂という、小さい頃
ドクターアイ
来春の近森病院地域医療
し、滞米生活を三年経験。
ピカリと磨かせただけでは
りまずは心臓研究を極めた
207
帰国後、岡山大医学部の
7 No.210/1月号
いまでは年に
二回ほどの大
名旅行が定番
となっている
のだそうだ。
大名だか
ら、まとまっ
たお金を払っ
て上等の宿
で、 と き に
個室に露天風呂がついてい
たり、まあ詳しく言うのは
憚 ら れ る︵ 笑 ︶よ う な 豪 華
さらしい。それでも﹁値段
の高い食事というより、取
り立てで青臭さの残るトマ
トの味や、キーンと冷たい
空気のなかで身体はお湯に
浸かってポッカポカで一杯
もいいところはいっぱいイ
ンターネットなどで 探せる
のだから、とにかく﹁えい
や!﹂と行くことを決心す
るのが、開放感の第一歩と
いったところだそうだ。
普通自動車運転免許を取得
しました。車も無理して買
ったのですが、残念ながら
通勤は汽車です⋮⋮
日付、松木秀樹さん
日付、中嶋佳子さん
おめで
とう
●ご結婚
○ 月7日、笹岡詩帆さん
診
( 療情報管理室 が
) 、渡辺崇
史さんと。
月9 日、植木美穂さん 新
(
4東看護師 が) 、
岡本旨高さんと。
○
●お誕生
○9 月3 日、山内学さん 第
(
二分院作業療法室長 に
) 、次
男・優明 ま
( さあき ち
) ゃん
○ 月7日、
中村俊介さん リ
(
ハビリテーション科医師 に
)、
次男・洸太 こうた ちゃん。
(
)
○ 月 日、
青木友恵さん リ
(
通信
ハ4西介護福祉士 に
) 、長女・
実莉 み
( のり ち
) ゃん。
編集
▼院内旅行でローマに行った。
それまでは海外にあまり興味
がなかったのだが、前回の行
き先であるドイツの行程の中
に、
いつか行ってみたいと思っ
ていた所があり参加したこと
がきっかけとなった。やはり
今回もヨーロッパの歴史に触
れ る こ と が で き た と 思 う し、
ホテルも建物自体は百年を超
えているような立派なもので
した。古代ローマ時代の遺跡
が普通にあったり、教科書で
見た風景が現れたりでワクワ
クする毎日でした。 この旅行
で世界史の教師の顔が浮かんだ
のは多分私だけでしょう。
︵裕︶
企画情報室より
月の診療数
スポーツ栄養ガイドブック / ナンシー・クラーク
「看護必要度」の研究と応用 新しい看護管理システムのた
めに / 筒井孝子
薬学生のための病院・教育実習の手引き 2003 年版 / 近
畿地区薬学部学生実務実習に関する協議会
《別冊・増刊号》
臨床スポーツ医学 Vol20 臨時増刊号 疲労骨折の診断と治
療 / 臨床スポーツ医学編集委員会(編集)
近森会 外来患者数
18,535 人
こ こ ろ の 科 学 HUMAN MIND SPECIAL ISSUE 2003
近森会新入院患者数
706 人
100 万人の教員のためのやさしい悩みごと相談 / 岡崎 近森会 退院患者数
741 人
11
勝(他編集)
地域医療支援病院紹介率 84.79 %
《ビ デ オ》
近森病院平均在院日数
16.73 日
ホスピタルフォーラム衛星遠隔研修実践講座
近森会 平均在院日数
24.98 日
◇「DPC」( 1) / 講師:大阪大学 医学部付属病院 医療
近森病院救急車搬入件数
410 件
情報部 部長 武田裕 / H15.11.20 録画
うち入院件数
177 件
手術件数
◇「EBM実践­病院現場の実践事例から」/ 講師:NTT
207 件
うち全身麻酔件数
101 件
東日本関東病院 看護婦長 木下佳子 / H15.11.27 録画
やるとか﹂
、こんな魅力を
住友夫妻は庶民感覚で楽し
んでいるのだろう。どこで
月
療法科主任
=管理部次長兼総務課長兼臨
▼
床工学部部長。森士幸さん=
施設用度課長。沖律子さん=
さん=医療福祉部主任心得。
看護部看護長心得。西本奈加
月
理学療法科の異動
●リハビリテーション部
▼
月1日付、瀧下あゆみさ
=本院↓リハ病院。
ん=リハビリクリニック↓リ
▼
ハ病院。
月1日付、岡本典子さん
●看護部の異動
11
11
10
脳神経外科 高橋 潔部長の巻
人事異動
月1日付、佐藤健三さん
● 次の人事の発令がありました。
20
=3西↓放射線科。藤戸静江
▼
さん=放射線科↓3西
14
谷脇和歌子
は﹁行くことそのものが目
的﹂
。だから時間がなければ
足摺でも日帰りしてしまう。
た
にわき わかこ①CCU
なんとお忙しい⋮⋮。お勧
看
護師②昭和 年1月 日
めスポットはいくつかある
③安芸郡田野町④高知中央
が﹁ホームページをつくり
高等学校衛生看護専攻科⑤
たいとずっと資料を集めて
高知市土居町⑥5年半大阪
います﹂ということなので、
で働いていました。自覚は
やっぱりそれを楽しみに!
ありませんが、悪臭に関し
ての嗅覚が優れているそう
です。今後も悪臭専門の嗅
覚を役立てようと思ってい
ます︵笑︶
。
53
=リハビリテーション部理学
▼
12
左の表の カ所以上をこ
の2、
3年で制覇ということ
は、休める休日にはほぼ湯
に浸かりに行くという計算
になるが、家族で、ひとりで、
妻と、の3分の1ずつの割
になっている。近森病院に
おられた矢尾板先生が温泉
の師匠だそうだが、いまで
中山富雄
11
図書室便り
ニューフェイス
岡林雪絵
高知市南万々⑥休日は登
山やカヌーを楽しんでいま
す。最近スローフードに凝
っており料理も自分で作っ
ています。
28
おかばやし ゆきえ①IC
U看護師② 年1月 日③
安芸市④高知中央高等学校
衛生看護専攻科⑤安芸市⑥
四人姉妹の次女です。最近、
'79
①所属②生年月日③出身地④最
終出身校⑤現住所⑥家族や趣味、
自己アピールなどを6行以内で
11
16
16
50
1 足摺テルメ●土佐清水市 2 十和温泉●十和
村 3 文化ステーション RIO ●鏡村 4 四万十
いやしの湯●中村市 5 こまどり温泉●安芸
市 6 ニュー若宮温泉●土佐山田町 7 はるの
の湯●春野町 8 雲の上の温泉●檮原町 9 魚
梁瀬温泉●馬路村 10 奥白髪温泉●本山町
11 よさこい温泉●芸西村 12 黒潮温泉●野
市町 13 かんぽ温泉伊野●伊野町 14 蘇鶴
温泉●伊野町 15 おこう温泉ホーライ湯●南
国市 16 桑田山温泉●須崎市 17 黒潮本陣●
中土佐町 18 長岡温泉●南国市 19 笹温泉●
物部村 20 神宮寺温泉●物部村 21 別府峡温
泉●物部村 22 千舞温泉●香我美町 23 三翠
園温泉●高知市 24 湯ノ川温泉●高知市 25
オーベルジュ土佐山●土佐山村● 26 佐賀温
泉●佐賀町 27 星羅四万十 v 西土佐村 28 松
葉川温泉●窪川町 29 森の巣箱●葉山村 30
湯の森●吾川村 31 木の香温泉●本川村 32
龍河温泉●土佐山田町 33 馬路温泉●馬路村
34 北川温泉●北川村 35 畑山温泉●安芸市
36 夢の温泉●土佐山田町 37 一の又渓谷温
泉●大正町 38 サンリバー四万十●中村市●
39 四万十源流の湯●大野見村 40 下津井温
泉●大正町 41 中追渓谷温泉●伊野町● 42
二十三士温泉●田野町
【県外】徳島県祖谷温泉 , 新祖谷温泉 , 祖谷秘
境の湯 , 美濃田の湯 / 群馬県法師温泉 , 前橋
駅前温泉 , 湯桧曽温泉 , 宝川温泉 , 高崎温泉か
くれの湯 / 岡山県湯原温泉 / 熊本県黒川温泉
なかやま とみお①リハビ
リテーション科医師②昭和
年7月 日③長岡郡本山
町④高知医科大学︵現・高
知大学医学部︶大学院卒⑤
33
12
11
12
12
新シリーズ●わたしの趣味❷温泉
﹁外の空気のなかで、
ハ ダ カ で お る の っ て、
と っ て も 気 持 ち い い。
す っ ご い 開 放 感 ﹂ で、
最初は高知へ夫とふた
り越して来たとき、近
場で﹁しっかり休める
ところ﹂と探したのが、
温泉との出会いだった
とか。
だんだん仕事はきつくな
るは遊びに出かける時間は
取れなくなるは、で、スト
レ ス も 多 く な り、
﹁これは
やっぱり休むぞ!と決心し
て温泉に出かけるようにし
ないと疲れは取れない﹂と
いうことがわかってきた。
だ か ら と い っ て、 し ば
しば出かけるわけにもいか
ず、 結 局
べっぷ八湯のひとつ。明
ばん温泉は濃いミルク色
生活支援センターこうち 住友芳美所長の巻
No.210/1月号 8