季刊プロワイズ Vol.32

Focus on People
Hanae Hayashi
はやし・はなえ
1979年千葉県生まれ。早
稲田大学社会科学部を卒
業後、国連機関でのインタ
ーンなどを経て、2007年、
外資系広告会社に入社。
同年、ハーバード公衆衛生
大学院修士課程
(ヘルスコ
ミュニケーション専攻)に
合格する。現在博士課程
在籍。著書に
『それでもあ
きらめない ハーバードが私
に教えてくれたこと』
がある。
自分を肯 定できる
ようになった
それこそが大きな
「 学び」でした
れって、
合格? 不合格?─。
れるような自立した生き方をしていた。
入学の可否を伝えるメールが
その女性に促されるままに、林氏は渡米
ハーバード大学院から林英恵
し、ハーバード大学を直接その目で見て、
こ
氏の元に届いたのは、2007年のことだっ
た。17世紀に創設されたこのアメリカ最
「絶対にハーバードに入る。その時、そ
古の名門大学の大学院に留学することを
う決めたんです」
彼女が心に決めてから、すでに7年の歳
月が過ぎていた。
「メールには『合格』と書いてありまし
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苦悩の末に出合った
「本当にやりたいこと」
た。でも、不合格や不採用に慣れっこに
しかし、その固い決意はなかなか結果
なっていたので、この通知も、よく読んだ
に結び付かなかった。1回目の試験は不
ら本当は『不合格』なんじゃないかって疑
合格。2回目の試験でも門は閉ざされた
ってしまったんです。それで、英語が得意
ままだった。一方でマスコミ各社の入社
な友人にメールを転送して、内容を確認
試験を受けるも、すべて不合格。留学も
してもらいました。それくらい、負け癖が
かなわず、就職もできない「暗黒の日々」
ついていたんです」
Prowise _ Autumn 2013 Vol.32
林
決意を確かにして帰国した。
(林氏)を過ごした。
林氏がハーバード大学院への留学を目
アルバイトを次々に変えながら夢のみ
指すようになったのは、早稲田大学の3年
を糧として生きるような不遇の日々は、以
生、20歳の頃だった。きっかけは、交換
後 27歳まで続くこととなった。
留学制度として名高いフルブライトプログ
不遇の原因は何だったのだろう。実力
ラムの説明会に参加したことだった。
が不足していたから、
努力が足りなかった
「ハーバード大学を卒業して起業した
から、景気が低迷していたから、運が悪
女性が留学制度について説明してくださ
かったから─。その一つひとつが小さ
ったのですが、彼女は本当に生き生きし
な理由であったかもしれない。しかし、
よ
て、輝いていました。ああ、こんな人にな
り大きな理由は他にあった。
りたいと思いました」
「本当にやりたいことは何なのか。それ
暗中模索の時期だった。メディアや報
が自分でもはっきりしていなかったことが
道に興味があって、アナウンサーを目指し
一番の理由だったと、今になって分かりま
ていた林氏は、学業の傍ら、テレビのリポ
す。私は、
ただ漠然とハーバードに行きた
ーターの仕事を続けていた。しかし、そ
いと考えていました。では行って何をやる
こで求められたのは、自分の言葉で情報
のかと聞かれても、あの頃の私ははっきり
を伝えることではなく、
「ただ、にこにこし
と答えられなかったと思います」
ていることだけ」だった。自分が目指して
7年という歳月は、本当にやりたいこと
いる仕事ではない。そう思った。
を見つけるために天が彼女に与えた時間
そんな状況に悶々としていた時に目の
だったのかもしれない。その「本当にやり
前に現れたその女性は、林氏が心から憧
たいこと」─ 公衆衛生の研究─が
ハーバード大学院進学の志
を胸に抱いてから14年。
現在、
林英恵氏は、
日本の会社に所属しながら、
同大学院の博士課程で
公衆衛生
(パブリックヘルス)
を学ぶ。
長い苦闘の果てに彼女が見いだした
「学び」
の意味とは。
見つかった時、
彼女は3度目のハーバード
セイ」と呼ばれる志望動機を書かなけれ
返る。年の半分は日本のオフィスに勤務
への挑戦についに成功したのである。
ばならない。3回目の入試で、彼女は、エ
し、残りの半分はアメリカで学業に専念
公衆衛生、英語でいうパブリックヘル
イズや貧困問題をメディアの力で解決し
するという、前代未聞のワークスタイルが
スは、その字義通り、多くの人々の健康状
たいとそのエッセイに書いた。ここから、
許されたのだから。
態を向上させることを目的とする学問分
「パブリックヘルスに関するコミュニケー
「社長には先見の明があったのだと思
野である。医学が、基本的に医師と患者
ションの方法を究める」という彼女のライ
います。欧米の広告会社は、その頃すで
との1対1の関係の中で健康状態の改善
フワークが始まることとなった。
にパブリックヘルスの分野に注力し、専
を目指すのに対し、パブリックヘルスは
もっとも、ハーバード行きがすべてスム
門家を雇い始めていました。日本でもパ
“マス”を対象とする。肺がんで亡くなる
ーズに進んだわけではない。念願の合
ブリックヘルスの専門家が必要になる。
人を減らすために喫煙率をどう下げてい
格通知が届いた時、すでに外資系広告会
そう判断したのではないでしょうか」
けばいいのか。発展途上国に生きる人々
社であるマッキャンヘルスコミュニケーシ
一方のハーバード大学院にも、交渉の
の健康状態を改善するにはどうすればい
ョンズへの採用が決定していた。パブリ
末に1年のうち半分だけ通うスタイルを
いのか。肥満を防ぐにはどのような食生
ックヘルスに関するコミュニケーションを
認めさせた。ハーバードの担当者は、林
活を推進するのがいいのか─。そん
ビジネスとする企業への、しかも人生で
氏を「Ms. Exception(例外さん)
」と名
付けたという。
な視点で健康について考えるのが、パブ
初めての正社員採用だった。
リックヘルスという領域だ。
ここから、林氏の真の粘り強さが発揮
「私がずっと興味があったのは、人の命
されることとなった。彼女は、広告会社の
に関わることと、世界につながること、その
日本支社長に直談判をし、
「会社と大学
言葉のシャワーで
心が洗われた
二つでした。20歳の頃の日記を読み返す
院のどちらを選んでいいか分からない」
かくして「例外」を重ねて入学したハー
と、国際関係の仕事と人々の健康や医療
と率直に訴えた。イギリス人の支社長
バードで彼女が最初に得たのは、意外に
に関わる仕事の間で働きたいと書いてあ
は、
言下にこう告げたという。
も、
専門知識ではなく、
人間としての「生き
りました。今思えば、それこそまさしくパ
「両方やればいい。それ以外にどんな
方」に関わる学びだった。
ブリックヘルスでした」
選択肢がある?」
「とても驚いたのは、感謝の気持ちを忘
海外の大学院に入学する際は、
「エッ
ミラクルだった─。そう林氏は振り
れてはいけない、
今日一日を大切にしなさ
Focus on People
Hanae Hayashi
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Prowise _ Autumn 2013 Vol.32
「 学 ぶことは
生きること」
今 は 確 信を 持 って
そう言えます
い、人の痛みが分かる人になりなさいとい
あくまで「自分がやりたいことは何か」で
を支えてくれた会社に還元していくこと。
ったことを、教授たちが折に触れて学生
あると林氏は言う。
「何をして生きていき
その二つが現在の大きな目標だ。その後
に話すことでした。日本では小学校の道
たいのか」という問いがまずあり、そこに
には、パブリックヘルスの新しいモデルを
徳の時間に教えるような内容を、一流の
職業がついてくる。枠組みの前に、自分
つくり、それを日本から世界に発信してい
先生たちが、大の大人に向かって真剣に
自身の生き方がある。それがアメリカ流
くという大きな夢が待っている。
伝えるんです。言葉のシャワーによって心
の、あるいはハーバード流の考え方だ。
「パブリックヘルスの知見は、まだまだ
が洗われる。そんな感覚でした」
その考え方は、林氏にそれまでになかっ
社会の仕組みにしっかり反映されていな
ハーバードに入学した学生は、
「今、こ
た自己肯定感を与えることとなった。
いと感じています。世界の国々に先んじ
の教室にいられることはとても特別なこ
「それまでの負け続けの人生のすべて
て本格的な高齢化が進む日本で、パブリ
と」と繰り返し教えられる。しかしそこ
をひっくるめて私の生き方なんだ。そう
ックヘルスの先進的な取り組みを実現し
に、
「だからこそ謙虚でなければならな
思えるようになったことが、ハーバードで
ていくことができれば、多くの国にとって
い」
「自分が何に貢献できるかを常に考え
得た何よりの学びでした」
の処方箋になると思うんです」
なければならない」という教えが加わ
ハーバードに入学して数年間、仕事と
足かけ5 年間に及ぶ世界一流の大学
る。特別な教育を受けた人間には、世の
学業との
“奇跡的な”両立を果たしてきた
院での学業生活を経て、今、
「学ぶことは
中のために努力する義務があるのだと。
が、博士課程に進学した昨年9月からの1
生きること」と確信を持って言える。
もう一つ、
「将来は何になりたいのです
年間は、仕事を休職して学業に専念し
「大学院でのハードな勉強も、人との出
か?」と聞かれることが全くなかったこと
た。来年の5月には博士号を得るための
会いも、家族や友人との触れ合いも、もち
も林氏を驚かせた。
試験が控えている。それに2回失敗する
ろん仕事も、すべてが全く同じ重みを持
「日本ではその質問を苦痛に感じてい
と、退学となってしまう。
「この1年は、高
った学びであると感じています」
ました。やりたいことを実現できる職業
校生のように朝から夜まで勉強三昧。そ
20歳の頃にハーバード行きを漠然と夢
が何かが分からなかったからです」
して今年もです」と林氏は話す。
見た女性は、
数々の学びの経験を得て、
よ
自分が属すべき組織、枠組み、形式。
まずは博士号を獲得すること。そして
り確かな夢を手にした。学ぶことは生き
日本ではそれを考えることがしばしば優
パブリックヘルスの知識やその分野に関
ること─。その信念を胸に、
彼女は今、
先されるが、アメリカで重視されるのは、
するコミュニケーションのスキルを、自身
次のステージに向かおうとしている。
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