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Title
量詞
の意味的ネットワークについて( 本文(Fulltext) )
Author(s)
橋本, 永貢子
Citation
[岐阜大学地域科学部研究報告] no.[23] p.[67]-[77]
Issue Date
2008-08
Rights
Version
岐阜大学地域科学部 (Faculty of Regional Studies, Gifu
University)
URL
http://repository.lib.gifu-u.ac.jp/handle/123456789/23947
※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。
岐阜大学地域科学部研究報告第23号:67-77(2008)
量詞"誰''の意味的ネットワークについて
橋
本
永
貢
子
(2008年7月9日受理)
OntheSemanticNetworkoftheClassifier"2:hang(誰)''
Ek止oHASHIMOTO
本稿は、中国語の量詞"敢"と結びつく様々な名詞が一種のカテゴリーを形成してい
るという見方を前提とし1、"光''が本来の動詞の意味から、どのような過程を経て量詞
として成立し、発展したかを明らかにする。また、こうした``誰"についての個別の現
象が、量詞全体の成立と発展、すなわち文法化という観点から見て重要な意義を持つこ
とも考察する。
1."舐"の意味・機能と問題提起
1.1現代中国語における"誰"は、それを量詞として選択する名詞が多様な語の一つ
である。たとえば、時には紙を数える量詞であり、時には弓を数える量詞であるという
ように、同一のカテゴリーには分類できないような名詞が、ともに"光"を量詞として
選択する。そして結びつく名詞が多様であるために、中国で最も代表的な辞典-『現
代汲清伺典』『現代祝酒八百伺』一においてさえもその記述は一致していない2。
1)『現代祝酒伺典』の記述
⑥[量]a)用干紙、皮子等:一∼紙l丙∼画什∼皮子仁三∼鉄板。
b)用干床、臭子等:一∼床個∼菓子トム∼梨。
c)用子囁、股:丙∼囁ト∼股。
d)用干弓;一∼弓
1こうした認知言語学の観点からの研究は、日本語の助数詞「本」について記述したLakoぽ
(1987)が有名であるが、中国語の量詞については、同様の前提に立っていることを明確にし
がある。
ているものとして、宗(2007)や拙稿(200朗
2何禿『量詞一点通』は5項目に、隣保存・除桂成等『況倍量詞伺典』に至っては、名量詞とし
て10項目に分類し解説している。
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橋本永貢子
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2)『現代決壊八百司』の記述
[量]1.用干可張井、可陶捷或巻起約束西。
一∼囁上∼紙(票、画片、半片、像片、地国)上∼涼風丙∼烙僧汗送∼弓准都拉不
功
2.用子平面的戎由平面的物体。
三∼臭刊丙∼葉子(沙友、嫡椅、床)ト∼笑股迎素人上∼∼的臭子授満了大庁
3.用干某些衣具、床器。
一∼歩型(楼)卜∼古琴
『伺典』『八百伺』ともに、第1、2項目には、広がりといったような一定の類似性
が認められるが、そうした類似性を第3或いは第4の項目にも見つけ出すことは難しい。
また、"腱,,は、一方が身体部位として、一方は平面という属性を持つものとして分類
されるが、この相違は"誰,,と結びつく名詞のネットワークに対して、いまだ統一的な
理解がなされていないことを示しているといえよう。
一方、通時的に見た場合はどうであろうか。"好'は、先秦時代に早くも個体量詞と
しての用法が観察される3、極めて歴史の長い量詞の一つである。しかし、次節で詳し
く見るが、先秦時代において、動詞が転用されて個体量詞として機能していたものは、
他に例が見られず、その点で個体量詞"張"の用法は、例外的、あるいは特殊といって
よい。したがってその用法について、真に個体量詞であるかどうかは、なお検証の必要
があろうし、また、その後の量詞全体の発展における上で、どのような役割を果たしえ
たかという考察も、極めて有意義であると考えられる。
1.2
そこで、以下では、まず、動詞"推,,がどのようなプロセスを経て量詞として機
能するようになったかを明らかにする。次に、"光"は時代が下るにつれてその使用領
域を広げて行くが、どのように拡張していったのか、すなわち意味的ネットワークの広
がりを、幾つかのケースに分けて考察する。さらに、"好'におけるこうした個別的な
現象が、量詞という文法カテゴリーの成立と発展を促すような、あるいは量詞全体に共
通するような現象であることを示したい。
2.量詞"張''の成立一動詞から量詞へ
2.1"誰"は、『説文』に"弛,[也文】4弓弦也。"、段注に"[也文】,敷也。"とあるよ
うに、「弓に弦を張る」から、一般に「張る、張り広げる」という意味を持つ動詞とし
て使われるようになり、量詞としての例は、早くも先秦時代に見られる。
3何席士(2000)、呆静(2005)参照。
4[也文】は、[]内の語が一字であることを示している。
量詞"敢"の意味的ネットワークについて
3)子戸以塵養九並行。(左侍・昭13)
刈(1965)が指摘する5ように、文字の成り立ちを考えると、まず弓を数える量詞とし
て現れても不思議ではないが、実際には、弓を数える用法より早く、``畦幕(テント)"
を数える用例が残っている。こうした事実に対して、"光"が先秦時代には原義から進
んで「張り広げる」という意味が十分に浸透し、弓だけではなく、広く「張り広げる」
ようなモノを対象としていたという解釈が可能である。しかし、漢代以降に「テント」
を数える例が見られないことを鑑みると、なお検証の余地があるといえよう。
2.2
そこで、まず"張"がテントを数える量詞として現れる『左偉』中の量詞の使用
状況を詳しく見ていく。何床士(2000)は、『左侍』中に69個の量詞が出現するとし、
それらを"自然単位量伺''``度量衡単位量伺""軍臥(或地方)編制的専用量伺""吋同
量伺''の4つに大きく分類し、"自然単位量伺"は``十体単位量司''と"集体単位量伺"
に分けて紹介している6。
4)↑体単位量称…‥人、匹、乗、輌、今、品、誰、札、言、章、編、枚
5)集体単位量称…‥璃、家、戸、室、乗、朝、称、教、韓、乗、布、盛、箪、筐、辛、
由、爵
先秦時代においてモノの数を言う場合、量詞は必須の文法項目ではなく、[数詞+名詞]
或いは[名詞+数詞]というように、数詞と名詞が直接結びついていた7。このことを
考えると、4)に挙げた量詞のうち、"人、匹8、品、札、言、章、枚"については、それ
が個体量詞の先駆的な用例であることは認めるにしても、なお、名詞としての性格を色
濃く残していることは否定できない9。
5``若就`弛'的司又看,返梓友展似不可能。但`兆'量`弓'更早的例子現在既然述看不到,
迭里就只好存疑了。"
6呆静(2005)は、全部で57個の量詞があるとし、そのうち個体量詞として、``人、匹、丙(輌)、
↑、品、章、札、光、編"を挙げている。
7美浄(2005)の統計によれば、『左停』におけるすべての数量表現のうち、量詞が関わってい
るのは12%であるという。この中には、量詞が必須である計``量"の場合も含まれるので、計
"数''の場合のみでは、主として[数詞+名詞]或いは[名詞+数詞]という形式が用いられて
いたと考えられる。
8"匹"はそもそも"匹配"、「組み合わせる」の意味から、馬、或いは牛を数える量詞としての
機能をもったようである。その具体的な成立には、刈(1965)に示されるように諸説あるが、
本稿では、車を引く馬("渕")のうちの一匹、という呆静(2005)の説を支持する。なぜなら、
この解釈であれば、原義との関わりが明白な上、ペアの玉("教"、または"珪")のうちの一つ
として``玉"、つがいの鳥("撃")に対しての一羽の鳥("隻")というように、集合体を構成す
る部分が言語化されていたこ.とにも整合すると考えるからである。
9郭(1984)参照。
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呆静(2005)は、『左倖』における個体量詞とされるものが、その本来の意味を残して
いて現代語に比べ修飾語としての要素が強いことを指摘しているが、"今、端"につい
ても次の用例から"有根強的修飾効能的"と指摘している10。
6)知武子便行人子員対之日;"君有楚命,亦不便一仝蜃杢告干寡君,而即安子楚0"
(左借・嚢8)
7)二悪覚爽,洗可,又弱一仝焉,妻其危哉!(左侍・昭3)
8)戎敬一編菅焉。(左借・昭27)
"輌"は、車の両輪のことである。したがって、本来は"双''や"対"と同様、組に
なったモノを数える集合量詞といえる。ただ、二つの車輪からメタファー的に転じて、
車を数えるのに用いられ、結果的には個体量詞とみなせるということであろう。
車は、他にも"乗"という量詞で数えられ、その使用例も42例(何床士2000)に上
る。
9)泰子蒲、子虎仰李五百垂以救楚。(左倖・定5)
しかし、``乗"はまた、車を引く4匹の馬の単位としても使用されていた0次の例で"弓
二十乗''とあるのは、馬80匹のことである。
10)(晋公子電耳)及斉,斉桓公孝之,有里二十重。(左偉・倍23)
この事実からすれば、"乗"は、単に「乗る」という動詞が、車あるいは馬を数える量
詞になったというより、本来、馬と人が乗る部分を合わせた全体に着目した集合量詞で
あったとも考えられる。"乗"以外にも、異質のモノからなる集合体を数えるために、
5)で示した動詞に由来する量詞"称、満、辟"11が用いられている。すなわち、"称(合
う),,は揃いの服上下を、"柄(組になる)"は二人の人を、"辟(横に長く並べる)''は
一列に並べた多種類の楽器を数える。このことから、"乗"もまた、異質のモノから構
成される車全体をいう集合量詞とみなした方がむしろ妥当であろう12。
2.3
このように、『左偉』において個体量詞として挙げられるものは、凡そ本来の意味、
106)については、"`行李,指使者,是地位低微的人',,7)については"`↑'是相対千`二'而
言,有`孤立,的意思"とし、両者ともに"↑"に修飾的要素が強いことを示している08)"編"
についても、その「編む」という動詞としての意味が修飾語となっているからこそ、"菅(すげ)"
が「むしろ」という意味に解釈されるとしている。
11何床士(2000)によれば、"盛''は容器の一種であるという。
12呆静(2005)では、"乗"を集合量詞にのみ分類している。
量詞``張"の意味的ネットワークについて
品詞(名詞、動詞)と未分化であるか、或いは"乗"についてみたように、実際には集
合量詞であるといえる。そうであるなら、残る"光,,のみを個体量詞と主張することに
は、やはり疑問を持たざるを得ない。
11)(=3))
子戸以幌幕九敢行。(左倍・昭13)
そもそも、"糎"は、上から屋根のように覆う布であり、"幕"は物を隠すように垂
らした布を指している。両者を組み合わせてできたものが、"幌幕,,にほかならず、言
い換えれば、"畦幕''は、"帳"と"幕"という二種類のモノからなる集合体との見方も
十分可能である。したがって、他の量詞の用法を考えると、"張''もまた本来[+集合]
という"量"に関与する計"量"量詞であったと考える方がむしろ妥当であろう。ただ、
"幌幕"を異質なモノからなる集合体とみなすか、或いは全体で「テント」という個体
とみなすかは、対象を連続的にスキャニングするか、或いは要約的にスキャニングする
かの相違であり、どちらが適切かということではない。要約的にスキャニングした場合、
つまり、全体で一つのモノとして認識した場合、"張"は個体量詞となり、またこうし
た認知の転換こそが、その後の個体量詞というカテゴリーの原点になったと推定できる。
以上から、「張る、張り広げる」という意味を持つ動詞"光"は、動作の対象である
"帳幕"を数える集合量詞として用いられるようになったが、一方で``嵯幕''を一つの
個体と認識した場合には、結果的に個体量詞ともみなしえたと考える。
3.通時的に見た"舐''の意味的ネットワーク
3.1わずか1例であるが、集合量詞"光''が認知如何によっては個体量詞とみなしえ
たことは、動作で以ってその対象を数える単位とする、つまり量詞とする先例となり、
"張"は、漠代以降、個体量詞として広く用いられるようになる。
まず現れるのは、弓を数える用法である。
12)皇一盤,矢四笈1…i。(祝事・句奴倍)
13)具努一盤,力四石,木美。(居筒)
"弓"にしろ、"考(大弓)"にしろ、弦とそれを張る木または木と竹でできた湾曲した
部分(この部分のみを指して「弓」ということもある)からなる、異質なモノの集合体と
考え、12)13)の"敢"を集合量詞とみなすことも可能である。しかし実際に"弓紆'とい
13刈(1965)は、矢を数える"友"について、"定数集合法"、つまり集合量詞であるとしている。
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う動作は、湾曲した木(竹)部分もさることながら、むしろ弦の部分にこそ働く。した
がって、この場合の"光"は弦を含めた弓全体を数える個体量詞と見るべきであろう14。
"張''はまた、「ほこ("戟""殉")」を数える際にも用いられる。
14)輌迭其差可者,奉献金玲去塵五十盤。(全晋文111)
15)超石初行,別費大錘井千余光殉。(宋弔・朱齢石倍)
"戟"は、柄の先端に敵を突き刺す刺(し)のついたものであるから、その刺の有り様か
ら、"光"が量詞として選択されたとも考えられるが、"粕"は、先のとがった矛であり、
"張"の「張る、張り広げる」という原義と直接結びつけることは難しい。さらに、現
代語には、"鋤(すき)、刀、微(スコップ)"など道具類を数える用法があるが、これら
は、"戟"や"殉''を数えるのに"張"を用いることからの類推だと考えられる。なぜ
なら、"戟"や"緒"、さらには"弓"もまた【+道具】という属性を共有しているからで
ある。"弓"や"戟"、"殉"は、より正確に言えば道具というよりは武器であるが、弓
からの類推で"戟"、"殉''に"光"が使用されるようになり15、そこからまた``鋤、刀、
微"へと用法が拡張したと想定される。
3.2
弓と同様、弦を張るものであって、量詞"光''が用いられるようになったもう一
つの方向として、"琴"がある。
16)吏元入倣伴,唯対一一光琴。(白居易蒔1123)
"誰"と"琴"は、動作とその対象、つまり動詞とその目的語という関係で、当時の文
献に現れている。したがって、ここでは、"琴"の場合、弓というモノから琴というモ
ノへの類推というより、動作で以ってその対象を数える単位となりうるという_二弓:こ_上
量鼠二鑑二_聖経み合ねせさ__あるセニ娃そ野方凄か_ら聖餐推によって、"張''が用いられる
ようになったと考えておく。
3.3
魂晋南北朝期の文献に現れている"幕、幡(とばり)、屏夙(犀風)''などを数える
用法もまた動作とその対象という関係に由来する。
17)招賜……真奉養六盤。(魂弔・嬬嬬倍)
18)今呪旦妙蚊障一光。(隋文帝・通有恍弔)
14この時代の動詞に由来する個体量詞として、他に"封"が挙げられる。``又故事渚上里者皆力
二塑。,,(況弔・観相借)この場面における"ニーち"がどのように封じてあったか定かではないが、
"弔"が実質的にプロファイルするのは、用件がしたためられている部分であり、したがって"封"
は、個体量詞として働いているとみなせよう。
15刈(1965)、洪(2000)参照。
量詞"敢"の意味的ネットワークについて
19)磋奏上……琉璃屏凧一光。(1燕外債)
これらは地面に対して垂直方向に「張り広げる」ものであるが、平行方向に「張り広げ
る」"扇(じゆうたん)、紙、皮"などにも"弛''は用いられる。
20)今以鋒地交尤棉五匹,埜地負養嵐十盤。(魂志東夷倖)
21)我棺中可著百盤垂。(魂弔・昭成子弥倍)
22)一只短肪艇,一光斑鹿皮。(白居易涛)
地面に対して垂直方向であれ、平行方向であれ、これら「張り広げる」ものは、当然、
【+平面】という属性を持っているが、この属性を動機として"床、椅、菓子、拒"など
にも、量詞として"張"が用いられるようになる。
23)真義速丙盤,△農産一十六盤,内三光細,逢史産一盤……(済摸店北海転祭器碑)
24)只見徐苓将一盤変塵,量子面南,債券苓上坐,納共便拝。(元・講木造集)
25)却説鴇ノし一見祥多泰西,就叫、「共韓辻一光巣。(元・講本迭集)
現代語においては、"郎票(切手)"のように、およそ畳まないもの、すなわち広げる
という行為を意識しないようなものにも用いられるようになっており、【+平面】という
属性に依拠する用法は、最も活用度が高くなっている。
"口"を"弛"で数える用法は、データベース16によれば、末代の文献以降に確認
3.4
される。
26)我有一堂旦。(古尊宿酒豪)
口が【+道具】【+平面】という属性を持っているとは言い難いことに加え、"光"は「(口
を)開ける」という動作も表すことから、"口''に対する量詞"維"の用法は、動作とそ
の対象という結びつきから来たもう一つのタイプであると考えられる。
さて、"張"はまた、"股"の量詞としても用いられるが、これはどのような動機
3.5
から用いられるようになったのだろうか?
ここまで、"誰"と名詞の結びつきには、大きく二つのパターンがあることを見てき
た。一つは、動作とその対象という関係からの変化、もう一つはすでに"光"を量詞と
して選択することが確立している名詞からの類推による拡張である。"股''については、
16主として北京大学況清酒吉学研究中心が提供しているものに依拠している。また陳(2003)参
昭
一lヽヽ0
7二‡
橋本永貢子
74
前者のパターンからの成立は排除して差し支えないだろう。なぜなら、"光''と"股''
は、一般に動作とその対象という関係では、結びつかないからである。
では、"光"と"股"の結びつきを、後者のパターン
†
"誰''を量詞として選択す
る名詞からの類推と考えるとして、次に具体的には、どの名詞群からの類推かというこ
とを明らかにしなくてはならない。そこで、"胎"を"張"で数えるものとして検索で
きた最も早い時期の用例をまず見てみる。
27)一堂盤元些血色,揮如己朽的髄髄。(明・英烈倖)
28)黒錫塔一泡観盤,狼粗疏両道液眉。(明・英烈倖)
これらの例文に共通するのは、いずれも様態を描いていて、閣僚のように表情がない、
あるいは、`個股,,、「大きな顔」というように、平面さを思わせる描写になっている。こ
れに対し、同じく明の時代の文献には"今/副''で"股''を数える例が散見されるが、
27)28)の用例とはやや趣が異なる。
29)送一十面如飼底赤須快;那一全段似紫専紅霞吐。(封神演又)
30)此人生得肌如雪牽,麿若米韓;一全段△,恰像羊脂白玉礪成的0(醒世恒言)
31)害得邪知人妨滴滴一剋奥塵,紅了又白,白了又紅。(元・講本迭集)
32)返一副笑股,邦平婆的辣手窓忍下的在他股上?(醒世姻嫁倖)
"十"で数える場合を見るケ29)「赤みのある熟のようであったり、30)白い顔でも「つ
るつるした玉」のようであったりする。"副"で数える場合は、31)「柔らかで、赤くな
ったり白くなったりする」顔であり、32)意地悪ばあさんでさえも手を出さないような
「笑顔」である。このことから、少なくとも"股''を"光"で数えるようになった初期
のころには、顔の平面性に着目して使われたのではないかと推測される。
【+平面】という属性からのメタファー的な類推以外には、『詞典』に記述されるよう
に、同じく身体部位である"口、囁"からのメトニミ一による類推の可能性もある。こ
の場合、"誰"と"股"に動作とその対象という関係が認めにくい以上、"一光囁"→"一
光囁股,,→"一光股,,→"一光(股)面"という拡張が合理的であると思われる。しかし、
現在のところ、このような経過を経たことは確認できない。また、顔が"面皮、胎皮"
ともいうことから、【+平面]という属性を持つもののうち、特に"皮"からの類推であ
る可能性も考えられよう。しかし、これも合理的であると思われる"一光面皮/股皮''
→"一光股/面''という拡張が確認できない。
顔の【十平面】は、紙や机のように物理的にそうであるというものではなく、あくまで、
書き手の主観的な捉え方としての【+平面】である。実際には、真っ平らとはいえない木
量詞"光"の意味的ネットワークについて
の葉も"光"で数えられる場合があり、主観的な【+平面】という類似性から"弛"が"股"
の量詞として選択されたと見ることに大きな矛盾はないであろう。そして、この主観的
にとらえた【+平面】は、まさに見立てであり、ここで拡張の動機となっているのはメタ
ファーであることもあわせて指摘しておく。
3・6
以上、量詞"張"の成立と発展を概観してきた。この過程を通時的に見る意味的
ネットワークとみなし、以下の図にまとめる。
4.量詞``誰"の成立と発展に見られる一般性
第1節において、"光"が共時的にも適時的にも大変興味深い量詞であることに触れ
たが、ここでは、そのことについて詳しく見ていく。すなわち、第2、3節で見てきた
"張''についての個別の現象が、量詞という文法カテゴリー全体に対して持ちうる意義
について3点指摘したい。
まず挙げたいのは、動作、すなわちプロセスで参与者を表す17というメトニミー的方
法によって個別のモノを数える量詞という選択肢を示した点である。古代中国語におい
17瀬戸(2005)では、プロセスは、その参与者(行為者、素材、道具、場所、対象)とメトニミ
ー的多義を示すことを指摘している。例;tie(結ぶ→ネクタイ)、date(デートする→デートの
相手)など。
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ては、まずいわゆる不可算名詞が表すモノの量を示す必要から、量詞という文法カテゴ
リーが形成され、そして、その計"量"のための構造が、可算名詞の表すモノを数える
場合にも類推的に用いられるようになった柑。ある名詞に対して初めて量詞を使う時、
どんな量詞を選ぶかは、窓意的である。ただ、"誰"が"糎幕"を数える量詞となった
ケースは、それが捉え方によっては、個体量詞とみなすこともできたために、それ以降
量詞を選択する場合の一つのモデルケースとなったと考えられる。その意味で、"光"
の-用法が、広く個体量詞という用法を確立させて行く上で、大きな役割を果たしたと
考えられる19。
次に、用法が拡張していく際には、大きく分けて、メトニミ一による場合と、メタフ
ァーによる場合とがあるということである。メトニミ一には、動作で対象を表すという
方法以外に、モノの類似性から、たとえば【+道具】や【+平面】という属性を持っている
ということから、隣接するものとして``弛"が選択される場合がある。一方、"股''の
場合は、その平面性というのは、あくまでも主観的な見立てであるから、メタファーが
働いていると考えられる∪
第3に、形態性でつながるグループが最も拡張しやすく、共時的に見た場合、形態的
属性がカテゴリー、あるいは意味的ネットワークの中心となっているということである。
上に示したネットワークの図において、点線で囲った部分は【+平面】という形態的属性
を持ちうるものである。この点線内の用法が、現代では最も使用頻度が高く、そのため
か、恥i&Chao(1944)では、"∼,Zhangisusedfor地軸墜短・"と記述されている0
また『量同一点通』でも、"光,,の用法として、次のように【+平面】を中心に記述されて
いる。
33)『量伺一点通』の記述(用例略)
用法1:用干計量平面的戎有面的東西。
用法2:用干計量帯有平面的家具。
用法3:用干計量像平原約束西。
用法4:用子計量弓等物。
用法5:用干表示人和功物的囁戎股
橋本(2007)では、"把,,について、「握る」という動作から「取っ手を持つもの」という
形態を中心としたカテゴリーへプロトタイプの移動が見られることを指摘している。ま
た他にも、例えば"条"が「枝」から「細長い」へ、"映"が「土の塊」から「塊状」へと、そ
18太田(1958上刈(1965)など参照。
19現代語において、計"量``の必要から量詞と用いられるようになった"把''タイプのもの以
外に、計`・数"時の量詞として用いられるようになったものとしては、"封、編、堵"等がある。
量詞"張''の意味的ネットワークについて
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れぞれの形態的属性を持つものを数える量詞が中心的な用法となっている。これらのこ
とを考えても、"張"における形態性の重視は個別の現象ではないことが指摘できよう。
*
*
*
適時的なネットワークの広がりと、辞書や先行研究における記述との間に見られるず
れは、量詞という文法カテゴリー内部のプロトタイプの変化を反映したものとみなすこ
ともできよう。"張''以外の量詞についても、さらに具体的にネットワークの検証を行
うとともに、量詞というカテゴリー自体の変化についても明らかにすることを、今後の
課題としたい。
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