Page 1 Page 2 報 告 地 域 研 究 に つ い て の 反 省 一 東南アジア調査

KURENAI : Kyoto University Research Information Repository
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<報告>地域研究についての反省
本岡, 武
東南アジア研究 (1964), 1(4): 71-81
1964
http://hdl.handle.net/2433/54882
Right
Type
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Journal Article
publisher
Kyoto University
報
告
地 域 研 究 に つ い て の 反 省
東南 アジア調 査研 究第 1年度 の経験 を とお して 本
Ⅰ は
し が
き
岡
武
この 7カ月 た らずの短 い, しか もあわただ しい経験
地域研究 とは何 か」 と
わ た くLは,本誌第 1号 に 「
に もかかわ らず,研究計画運営 の業務上 の経験,わ た
題 し,主 と して制度的 ・組織的な問題 に重 点 を お い
くしの責任 であ る農業技術班 の研究体験,あ るいは他
て,地域研究 のあ りかたを論 じた1
)
。 本報告では,そ
の諸調査班 についての見 聞な どを とお して東南 ア ジア
の続論 と して,地域研究の中心 とな る現地調査研究の
研究計画 の これか らのあ りかたにつ いて,考 え させ ら
あ りかたにつ いて考えたい と思 う。
れ るところが非常 に多か った。
とはい うものの,わた くLはここで現地調査研究の
このわた くし自身の経験 とその反省 につ いて は,東
あ りかたについての一般 的諸問題を体系的に論 じるだ
8
年
南 ア ジア研究 セ ンター研究例会報告 と して,昭和3
けの十分な経験 もなければ余裕 もない。わた くLは,
昭和3
8
年 9月 2
6日か ら昭和3
9
年 4月 9日にわた り,東
1
2
月2
4日に ビ ルマの最近 の情勢 とあわせて, また昭和
3
9
年 4月 3
0日にはイ ン ドネ シアの最近 の情勢 とあわせ
南 ア ジア研究計画 の うちの, ビ ルマ ・タイ地域調査 の
て,述べ たところであ る。
リーダーと して ,
「タイにおける農業技術 の改良 とその
卒直 にい って,東南 ア ジア研究計画第 1年度事業を
農民段階への彦透」をテーマとす る調査研究 に,兵庫
回顧す るとき,わた くLはむ しろ予期以上 に成功的で
県立農科大学佐藤孝教授 と京都府立大学渡部忠世助教
あ ったと信ず る。その事業 内容 については, 『東南 ア
授 とともに従事 した。 しか し,その期間,同時 にバ ンコ
ジア研究 セ ンタ一所報 Ⅰ(
1
9
6
3
/
6
4
)
』 に報告 されてい
ック連絡事務所を設立 し,その所長 と して運営業務 に
るところであ り,その具体的な研究成果 は予報 の形 で
あた った2
)
。 この間, タイにおける森林 ・
土壌 ・
生薬の
つ ぎつ ぎと本誌 に掲載 されてい る し, またその本報告
研究 に したが った 自然環境班,あ るいは予備調査を行
は本年度か ら逐次 『東南 ア ジア研究調査報告』 と して
な った医学班 の研究計画や その現地 における運営 に,
刊行 され よう。
連絡事務所長 と して関係 した。 さ らに,東南 ア ジア研
しか し,第 1年度を反省す るとき,検討 され るべ き
究 セ ンターの第●
2年度以降の計画設定 のために, フ ィ
余地が多い と思われ る。本年 4月か ら,わが研究 セ ン
T
)ピン ・ビ ルマ ・イ ン ドネ シアおよびマ レー シアの諸
ターの東南 ア ジア研究計画 は第 2年度 にはい った。 し
国を歴訪 し,当方 の調査計画 について諸国の政府機関
か も,第 2年度 には,社会科学部門の現地調査研究計
な らびに大学 の反応を打診 した。なお,その間,昭和
画 が本格的に行 なわれ るだけでな く, 自然科学部門の
3
8
年1
2
月2
2日よ り翌 3
9
年 1月 1
0日まで,バ ンコ ック連
現地予備調査が実施 され,第 3年度の 自然科学部門の
絡事務所運営や その他調査研究計画遂行 についての打
現地調査研究 のため周到 な る計画が樹立 されなければ
合わせ のために京都 に帰 った。
な らない。 ま ことに重要 な年度だ といえ よう。 この と
1
) 本間武 : 「
地域研究 とは何か」 『東南 ア ジア研究
』第 1号 .1
9
6
3
. pp.5
1
9
.
2) 本間武 : 「
京都大学東南 ア ジア研究 セ ンターバ ン
コ ック連絡事務所 について」 『東南 ア ジア研究』
き,第 1年度 につ いての反省 が,第 2年度以降の計画
樹立 と計画実施 とのために参考 とな る点 が,多 々あ る
のではないか と考 え られ る。
欝3号.1
9
6
4.pp.9
0
9
8.
- 71-
この第 1年度の反省 の必要 な ことは, と くに京大東
南 ア ジア研究計画 の本質 につなが る。それ は,毎年,
タイ ・ラオス ・カ ンボ ジア ・南北ベ トナムの大陸部諸
ただひとつのエ クスペデ ィシ ョン ・テ ィームを送 ると
国,マ レー シア ・フ ィリピン ・イ ン ドネ シアの半島部
い うような性質 の ものでな く,い くつかの調査班が現
・島峡部諸国 (これ にブルネイとポル トガル領 チモー
地 に赴 く。 しか も,各調査班の専攻分野 は人文 ・社会
ル とが含 まれ る) とか らな る。
科学 か ら自然科学 にまたが って多種多様 である。その
この東南 ア ジア地域 に対比 して, イ ン ド・東西パ キ
調査期間 について も, 1年以上滞在す るも の も あ れ
ス タ ン ・セイロン ・ネパ ールな どのイ ン ド大陸部 とそ
ば, 1カ月以内の視察 にす ぎない もの もあ る。研究者
れ に付属 の 島峡部 と をあわせて, 南 ア ジア (
So
ut
l
l
に して も,現地調査研究の豊富な経験を もってい るも
差万別 といいたい。 さ らに調査研究 の考 えかたや心 が
As
i
a)といい,それ よ り西 のア ジア諸国を西南 ア ジア
(
So
ut
hwes
t As
i
a) とい う。 そ して, So
ut
l
l
e
aS
t
ut
hAs
i
a とを, しいて一括 して よぽ う
As
i
a と So
ut
he
r
nAs
i
aとい う表現が用 い
とす るときには, So
まえに して も,いろいろ違 ってい ることを認 め ざるを
られ る。 これが, いわば 国際的定義である。 ところ
えない。 この多様性 こそが,京大東南 ア ジア研究計画
が,わが国が外交上 あるいは貿易上,厳密 には規定せ
の長所で もあれば短所 で もあるといえ よ う。 しか し,
ず に漠然 と東南 ア ジアとい う場合, しば しば So
ut
h・
いかに多種多様 であ って も,われわれ は, 少 な く と
e
r
nAs
i
a (
南方 アジア)を さ し, 国際的定義 の東南
も,調査研究者 のあいだになん らかの思想統一 な り相
ア ジアにイ ン ド亜大陸を加 えた広 い地域を意味す る。
互理解 のあ ることが必要 ではないか と思 う。でなけれ
われわれ は国際的概念 と しての東南 ア ジアを採用す
ば, この短所 の面 が強 ま って,計画 の実質 的運営がバ
る。 なぜ な ら, 地域 区分 の根本原則 と しての uni
t
y
ラバ ラにな って しま うおそれがあるか らであ る。
は, この地域 区分 のほ うがは るかに明瞭に見 出 され る
の もあれば, は じめて海外 に赴 くもの もあ る。年令層
に して も, そのデ ィシプ リンの強弱 に して も,実 に千
この意味において,少 な くと も第 1年度の実際を検
か らである。 しか し,そのために, と もすれば従来 の
討反省 し,第 2年度以降の計画設定 と運営 との資料 を
わが国で使用 されている東南 ア ジア地域 の,いわば広
提供す ることは,第 1年度調査計画 の参加者 の義務 で
義の東南 ア ジアと混乱 され るおそれがある。 この点 は
はないかと考 え る。 また, この検討反省 は, ひいて は
十分 に注意 されなければな らないと思 う。だが, ここ
地域研究 における現地調査研究のあ りかた とい う基本
数年来,わが国において も東南 ア ジアとい うとき,わ
問題 を明 らかにす ることにな る。 もちろん, こ こに報
れわれのい う狭 義の東南 ア ジアを意味す る場合が多 く
告す ることは, あ くまでわた くし個人 と しての意見 で
な って きたよ うに見受 け られ る。科学 的地域 区分 の普
あるにす ぎない。 もちろん, これが個人 的意見 である
及 と もい うべ きで,喜 ば しい傾向であ る。
とい って も, この私見が まとまる過程 において,第 1
年度調査研究参加者 との,たえざるデ ィスカ ッシ ョン
t
y を もつ ひ とつの地
東南 ア ジアは地域 区分上 uni
に負 うところ極 めて大 きい ことを も, ここに付言 して
域 とされ ることはさきに述べ た。その理 由と して は,
お きたい と思 う。
いろいろの点があげ られ る。第 1に,気候的には,赤
道気候 ・熱帯湿 潤気候 に属す る。 しか も中国 よ りは高
Ⅲ 東南 アジアの uni
t
y と di
ve
r
s
i
t
y
堤, イ ン ド亜大陸の大部分 よ りは 湿潤 であ る。 第 2
《東南 ア ジア》とい う地域 の範囲 は,わが国において,
に,位 置的には,一方 では中国 ・イ ン ド大陸 と山脈 に
あま りは っき りしていない。 ところが国際的な地域規
よ って さえ ぎ られ,他方 では海洋 に面 してい る。 この
定 と して は,たん に地理学 的にだけでな く,政治的に
位 置は これ までの民族 ・文化の移動を大 き く規定 して
ち, きわめて明瞭にな っている。すなわ ち,東南 ア ジ
い る。第 3に,地形的に,縦走す る河川,平坦な沖積
So
ut
he
as
tAs
i
a) とは, ビルマか ら東, イ ン ド
ア (
平野, い りくんだ湾入,散在す る島暁を特徴 と し, こ
ネ シアか ら北, フ ィリピンか ら西 にかけた 一 帯 を さ
れが内部交通を促進 してい る。第 4に,土壌条件 と し
す。 いいかえ ると,西 はイ ン ド・パ キス タンのイ ン ド
て大陸部 の沖積平野土壌.
,島峡部 の火 山灰土壌 は,この
亜大陸 に,南 はオース トラ リアに,北 は中国に接 した
地域を してア ジアと して はと くに肥沃な一帯 に してい
ア ジア東南部 であ る。 これを国別 にい うと, ビルマ ・
る。第 5に,
北部か らの人 口移動 の困難性 のため,この
-7
2-
地域 はモ ンスー ン ・ア ジアと して は人 口稀薄 な地帯 に
な国 もあれば, イ ンフレー シ ョンのま っただなかにあ
な ってい る。第 6に,内部交通 の容易 さのために,氏
るイ ン ドネ シア, イ ン ドシナ 3国および ビ ル マ が あ
俗学 的に見 て も, あ るいは耕作方法,社会 ・経済組織
る。 この通貨事情 は資 源 に も政治情勢 や経済政策 に も
な どについて も,共通性 が多い。 これ は根本 的には こ
むすぴついてい るが,国民所得 につ いて も国 々の間の
の諸民族 の問 の肉体 的 ・精神 的な近似性 に もとづ くと
開 きが大 きい。 た とえば, 1人 当た り 国民 所得を国
いえよ う3
)
。
連統計 でひ らうと, 旧マ ラヤ連邦 (
1
9
5
9年)の2
0
6ド
これを要す るに, 地理学 的な uni
t
y と して 東南 ア
ル, フ ィリピン (
1
9
61
年)の21
8ドル, タイ (
1
9
61
年)
ジアを と りあげることは可能 だ し, また と りあげ られ
の8
9ドル, イ ン ドネ シア (
1
9
6
0年)の55ドル, ビルマ
な けれ ばな らない ことを意味す る。
(
1
9
5
9
-6
0
年)の5
0ドル とな るよ うに, ひと くちに低
開発地域 とよばれなが らも,その国別 の国民所得較差
この よ うに,東南 ア ジアは,地域 区分 と して, ひ と
t
yを形成 してい る。 ところが,東南 ア ジアの
つ の uni
もつ, もうひ とつ の基本的な特徴 は この地域 の内部に
は大 きい。
ver
si
t
yの 問 題
わ た くLは, い ま東南 ア ジアの di
を詳 しく論 じよ うとは思 わない。む しろ東南 ア ジアの
di
ver
s
i
t
y の解 明は東南 ア ジア研究の最終 の到達点 と
ver
si
t
y であ る。
おける di
注意すべ きは.東南 ア ジアは決 して広大 な地域 でな
4
7万km2 にす
い ことである。陸地面積 だ けを い うと 4
ぎない (アメ リカ合衆国が 9
3
6万km2
, 中華人 民共和
国が 9
5
6万km2 で あ るのに比 較せ よ)。 またその人 口
も1
9
6
0
年現在 で 21
4百万人 であ る (
1
9
61
年 アメ リカ合
衆国 1
9
4百万人, 中華人民共和 国 6
86百万人)0
だが, それ ほ どに広 くない この地域がその内部 にお
いて多彩 に分化 してい るのであ る。た とえば,民族 的
に見 て も密林 のなかのネグ リ ト狩猟民族 か ら文化 の進
ん だ平坦部 の ビルマ,タイ,クメール, あ るい は半 島島
峡部 のマ ライ,フ ィリピノ等 の諸民族 ,あ るい は1
0
0
0
万
を こえ るといわれ る華僑 , 2
0
0
万 に近 いイ ン ド人。 き
わめて多種多様 であ る。 この ことは もちろん言語 の多
様性 につ なが る。宗教 的に見 ると,小乗仏教 の国 ビル
い ったほ うが よいか もしれ ない。だが, ここで, と く
に di
ver
si
t
y の面 を強調 しよ うとす るのほ, 東 南 ア
ジア研究 において, と もすれ ば uni
t
y の面 が重視 さ
れ るのあま り, ひ と くちで 「
東南 ア ジアでは」 とい う
いいあ らわ しかたで, その国 ごとの多様性 が軽視 され
るおそれが あるためであ る。
t
y と して もつ 問題を 解 明
む しろ東南 ア ジアが uni
す るためには, まず この di
versi
t
y の面 が解 明 され
verなければ な らない と い うべ きだ. もちろん, di
si
t
y の面を明 らかにす るためには, uni
t
y と して の
東南 ア ジアの もつ共通 的な性格を あ らか じめ知 ってお
くことは必要不可欠であろ うO しか し,それ はあ くま
で予備段 階 と して の知識 にす ぎない。む しろ研究 の焦
点 は di
ver
si
t
y の研究 にあ て られ るべ きではなかろ
マ ・タイ もあれ ば,
小乗仏教 がかな り特殊化 ししか もカ
うか。 もちろん研究題 目な り研究分野 によ って,その
ソ リック も強いベ トナム,回教国 のイ ン ドネ シア・
マラ
方法や 目的 は異 な るであろ うが,概 してい うと,東南
ヤ, さ らに カソ リックが支配 的な フ ィリピン等 に分 か
ア ジアの特定 の国を と りあげて, これを深 く追求す る
れ る。あ るいは政治的 にみれ ば,ベ トナムは南北 にわ
ほ うが東南 ア ジアの諸 国を網羅的 に研究す るよ りも,
かれ, ビルマは中立, タイ ・フ ィリピンは親米,マ レ
よ り効率 的であ り実際的であろ う。事実,欧米の東南
ー シアは英連邦 内にとどま り, イ ン ドネ シアは独 自の
ア ジア研究者の間 には,東南 ア ジア専門家 といわれて
中立主義を とる。東南 ア ジアは, ま さ しく世界 的に見
お りなが ら, それぞれ の分野 か らす る特定 の専 門国を
て東西勢力 の激突 の場 であ る。 また経済 的 に見 ると,
もってい るよ うであ る。 たとえば経済学 だけを い うな
通貨 の安定 したマ レー シア, フ ィリピン, タイの よう
らば, コ-ネル大学 の ゴレー教授 はフ ィリピンを,ニ
3) Jan 0
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y.London,1
9
6
4.pp.3
-1
0.
ュー ヨー ク大学 の トレーガ一教授 は ビルマをその専門
の国 と して い る。わが国東南 ア ジア研究者 の問 に,専
攻分野 たとえば宗教学 な り経済学 な りの立場か らした
専門の国が, まだそれほ どは っき りしてい な い 事 実
は, この di
ver
si
t
y の面 か ら見 た東南 ア ジア 研 究 の
- 73-
お くれを示す ものではなかろうか。
その国を調査研究 させて もらうとい うことである。 こ
こうした d
i
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r
s
i
t
yの面が重視 されれば さ れ る ほ
こで非常にはっきりさせておきたい ことは,たとえそ
ど,東南 アジア研究が きわめて複雑であ り困難である
の調査研究がその国にとって長期的に見 ると必ず有利
ことが意識 され る。 この意識 は,東南 アジア研究の最
であ って も,その国のために調査研究を してあげるの
小必要条件 であるか もしれない。
ではな くて,われわれの学問研究のために調査研究を
●●●●●●
させて もらうとい う態度についてである。 往 々 に し
Ⅲ 東南アジア現地調査における問題点
て, 「われわれは学術研究のために調査研究を してあ
i
ve
r
s
i
t
y とい う東南ア ジアの 特 徴 を
このような d
げるのだ,だか ら調査許可を くれないなどとい うのは
背景 におきなが ら,東南 ア ジア現地調査の第 1年度の
おか しい」 という考え方で もって調査研究計画をたて
経験を とお して, と くにこれか らの現地調査にあた っ
た事例がないわけではなか った。 したが ってまたその
ての主要な 3つの具体的な問題点を検討 したい。
国 と十分な打合わせな くして調査隊が到着 し,いよい
さきに述べたように第 1年度の現地調査研究が概 し
よ現地調査 に従事 しようと して も, どうして も許可 さ
て成功的であ ったが,それが事実 はタイ国に調査研究
れない場合 もあ った。あるいは非常な困難をおか して
を集 中 した点 に負 うことが大 きいのは明 らかである。
や っと調査研究ができたとい う場合 もあった。 これは
なぜ な ら, タイ ・マ レーシアおよびフ ィリピン 3国だ
根本的な考え方 のちがいに もとづ くものと思われ る。
けが東南 ア ジア諸国において政治的に も経済的に も安
定 しているか らにはかな らない。
だか ら,学術研究のための調査研究を許可す るかど
うかは, あ くまでその国政肝 の権 限に属す ることなの
たとえば, タイと ビ ルマな りイ ン ドネシアな りとを
だ。で きるだけ許可を とるように努力すべ きであ るこ
比較 しよ う。 この比較によって,東南 アジア研究上 の
とは もちろんであるが,その決定権 にまで口を はさむ
難易が国によって非常にちが うことが, たやす く理解
ことは,い うまで もな く,われわれ と しては,で きな
され よう。そ してまた, それによって東南 アジア研究
い ことなのである。
もちろん,政府 の許可な しに調査す ることも国によ
にあた っての具体的な問題点の所在が明 らかにされよ
う。
って可能 でないわけでない。いわゆ る視察 とい う程度
第 1の点 は,調査についての現地政府 の許可が得 ら
れ るかどうかの問題である。
な ら実際に許可を必要 としないだろ うし, また,ある
程度の抜 け道 もないわけではなかろう。 しか し,今 日
この ことに関連 して,わた くLが, と くに考えさせ
の東 南 ア ジアの情勢を もってす ると, またと くに少な
られ る点がある。 とい うのは, ともすれば,われわれ
くと も 1カ所 に 1カ月以上の期間を定著 して調査 しよ
は 「
学術研究」 とい う言葉を錦 の御旗 と して,国の内
うとす る場合, どうして も政府 の公式な り, ときには
外でふ りかざす嫌 いがなか ったか どうかとい う反省 で
非公式な りの,なん らかの形 の許可が必要なのが普通
ある。 この錦の御旗 も, このごろはわが国内において
である。
ら,それを振 りまわ しす ぎたために,だいぶんに影が
ところが, この政府 の許可について,われわれのタ
うす くな って きたようだ。 それで も, まだわが国内
イ調査研究の場合 は 非常 に 円滑 にはこぼれた。 すな
では一応 はまか りとおることが多い。 しか し,東南 ア
わ ち,京大東南ア ジア研究 センターの調査研究活動 は
ジア諸国においては 「
学術研究」 とい ったところで,
昭和3
8年 1
0
月 タイ国外務省 と在 タイ 日本国大使館 との
それほどの ききめがあるわけでない。根本的には学術
間の往復書簡によって, タイ国経理府学術 研 究 会 議
研究その ものにたいす る考え方が,わが国 と東南 ア ジ
ア諸国 との間にかな りちかいがあるか らだ。 このちが
(
Na
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s
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s
Of
f
i
c
e
)を とお して行な うこととな った。いいかえ る
いは, それ 自体興味あるテーマになるだろ うが, ここ
と,たんに許可を得ただけでな く学術研究会議 と協力
で少な くとも学術研究 ということについての考えかた
研究体制を とることとな った。 これで もって,われわ
にちがいがあることを十分 に承知 して もらいたいと思
れ は正式の許可を得 たわけであ り,実ははか りしれな
う。
い有形 ・無形の便宜を得 たわけである。 この学術研究
つ ぎに注意 しなければな らないのは,われわれ はよ
-
8年 8月バ ンコ
会議 に コンタク トを とるために,昭和 3
7
4-
ックに赴 かれ た当時 の京大総長平沢興博士 および京大
ず,なん らかの調査隊 と しての形を とる場合 には政府
東南 ア ジア研究 セ ンター社会科学研究部門主任岩村教
機 関の許可だけではな くて,政府機 関の積極的な応援
授, さ らに在 タイ 日本国大使館安藤書記官 の努力 に負
な り協力 な りな くして は, と うてい不可能 であ る。た
うところ の大 きか った こと も, ここに 銘記 したい。
とえば昨年か らは じめ られ た京大西 イ リア ン探険隊 は
この結 果と して, タイにおけるわれわれ の調査研究 が
イ ン ドネ シア政府 との 密接 な 協力関係 が あ った こと
とにか く一応予定 どお り行 なわれ た。 ま った く学術研
が,その成功 の一因 とな ってい るo
究会議 の許可が あ ったれ ば こそであ る。 したが って,
この政府機関の許可 のと りつ け, あるいは政府機関
このかぎ り,第 2年度以降 もタイにおけ る調香研 究 は
の積極的な援助 が得 られ るか どうか とい うことこそ,
順 調 にゆ くもの と予想 され よ うO
調査研究 の成否を左右す る鍵 であ り, しか もその兄 と
マ レー シア連邦 においての調査研 究 にさい して は,
お しは東南 ア ジアの国 々によ って非常 に異 な るのであ
この国の政治 ・経済情勢 か らみて,政府許可 につ いて
る。 さ らにまた, その兄 とお しを正確 につ け ることさ
は, あま り問題 がない と考え られ る。対政府交渉 につ
え,実 はなかなかむずか しい。 そのためには, あ らか
いて は,む しろ タイよ りも,ず っとや さ しい とい うの
じめ調査計画 の樹立 に さい して最善 の努力が傾注 され
が,わ た くしの打診 の結果 の個人的判 断であ る。
なけれ ばな らない。 また,バ ンコ ック連絡事務所が こ
しか し, ビルマにな ると事情 はす っか り異 な る。昭
和3
8年 5月の岩村教授 の ラングー ン訪 問,つ いで 8月
のための実際的責務 の大半を負 わな けれ ばな らない こ
とはい うまで もない。
当時 の平沢総長が岩 村教授を 同行 されての訪 問, さ ら
第 2の点 は,政府許可 の線か らさ らに進んで,現地
にその間,およびその後 のわが国外務省 な らびに在 ビ
の政府機関な り大学 な りとの研究協力を得 られ るかど
ルマ 日本国大使館 の努力,最後 にわ た くしの1
2月 の訪
うかの問題 である。 この現地研究機関な り研究者 との
問な どと, ビルマ政府 にたい し調査 あ るいは留学生派
協力を得 ることの必要性 につ いて は各 々のプ ロジ ェク
遣 許可 のために,われわれ と して ほ最大 の努力を重ね
トの 目的な り,性質 な り,方法 な りに したが って,相
た。 しか し,昭和37年 2月 クーデ ターによるネ ・ウ ィ
違 す るであろ う。 またその望 ま しい協力 の仕方 も千差
ン政権 の樹立, その後 の国内情勢 の緊迫化 のため,外
万別 であろ う。 だか ら, この問題 につ いて は,具体 的
国人全体 と して学術調査研究許可を うる段 階 には至 っ
には非常 に異 な る ことは認 め られ る。
ていない。ただいまの ところでは,公用旅券 で もって
しか し,少 な くと も, なん らかの協力 の必要 な こと
視察程 度で 1週 間を限度 と して ビルマに入 ることは可
はい うまで もない。 と くに 自然科学部門,その うちで
能 であ るが,調査隊を送 りこんだ り, あ るいは長期間
も応 用科学部門, いいかえ ると 経済開発 に 関係す る
村落 に定 着 した りす るための許可を政府 か らとりつ け
分野 において は,政府機 関 との協力 な くして は調査研
ることは,不可能 と判 断 され る。
究 は不可能 に近 い とい うことがで きる。 たとえば,農
イ ン ドネ シアにつ いて は, ビルマ とは異 な って, フ
ォー ド財団, ア ジア財団,農業開発財団な どのアメ リ
業,林業,畜産業,水産業,鉱業,建設業 あ るいは保
健衛生等 の研究 につ いてで ある。
カ諸 財団 のオ フ ィス もあれ ば, ケ ンタ ッキー大学 とボ
ここで, と くに指摘 して お きたい ことは東南 ア ジア
ゴール農科大学 との交換計画, カ リフ ォル ニア大学 と
の諸 国は もちろん低開発国段 階 に属 して はい るが, そ
イ ン ドネ シア大学 との経済学者交換計画,或いは コ∼
れ は決 して未開国ではない ことで ある。 イ ン ドネシア
ネル大学 その他 か らのイ ン ドネ シア研究者 の フ ィール
につ いて は3
5
0年, その他 の国 について は約 1
0
0
年ある
ド・ワー クな どが現 に行 なわれて お り, この間の事情
いはそれ以上, とにか くタイ以外 はすべて欧米 の植民
は,外 国人 の研究活動 のほ とん どい っさいが停止 され
地 だ ったのであ り,欧米人 による植民地行政 が行 なわ
てい るビルマ とは大 い に異 な って い る。わ た くLが去
れて きたのだ。 しか も,第 2次世界戦争後, ここ20年
る 4月 ジ ャカル タを 訪 問 し, 関係機 関 と 打合 わせ た
近 く,新興 国 と して強いナ シ ョナ リズムの もとに国家
が,や は り本格的な調査研究のため には政府機 関のな
形成 とその開発 に努力が払われて きてい るのだ。 それ
ん らかの形 の 許可が 必要 とされ ることが 明 らかで あ
だ けに, なん らかの形 で中央 ・地方 の行政機構が とと
る。 また, 単身研究者が 住 み こむ 場合 な らい ざ しら
のい,官僚組織がで きあが って いる。
-7
5-
また,政府 に して も大学 に して も,それぞれの専門
れわれは深謝の念をいだいてい る。 これ にたい して,
家をかかえている。 もちろん,政府 な り大学 な りの専
ビルマにおいては,調査協力を得 ることは今 日では も
門家 の学的水準が必ず しも高 くないとはいえ よう。 し
ちろん 不可能 で あろ う。 またイ ン ドネシアに おいて
か し, 現地 の事情 に ついて は,われわれ よ り,はるか
は,不可能 ではなかろ うが,それには非常 な努力が必
に具体的な知識を もっていることはい うまで もない。
要 とされ ることが予期 され よう。
かれ らにとって常識であることを,われわれが知 って
これを要す るに,プ ロジェク トの性質 によ って多少
いない ことが当然多いわけであ る。む しろ,かれ らが
の異 な りはあるが,調査計画の実施 に移 るにさきだ っ
常識 と してい るのに追 いつ くのが,われわれの当面の
て,現地政府 ・大学機関と密接な連絡を はか ることが
課題 であ り,そ してそれか らわれわれの真の研究がは
必要 であ る。 そのため具体的には, あ らか じめ予備調
じまると もいえよう。すなわ ち,われわれはかれ らの
査を行ない, いかなる機関の協力を得 るべ きか, さら
教 えを受 けることか ら研究がス ター トす るのだ。
にいかな るポス トの関係者 とコンタク トすべ きかをま
これをいいかえ ると,機構 と しての政府 との協力,
ず知 ることが大切である。そ して, この接触をで きる
そ して,人 と しての政府な り,大学 な りの専門家 との
だけ強め,可能なかぎ りの協力を得 られ るように努力
協力な くしては, とうてい調査研究 は行なわれ得 ない
すべ きである。他方, そのためには,東南 ア ジア研究
のだ。一例をあげよう。第 1年度 に行な ったタイにお
セ ンターのバ ンコ ック連絡事務所が フルに活用 されな
ける水 田土壌 の研究 は, タイ国政府 の農務省漕戦局,
ければな らない。バ ンコック連絡事務所 の最 も重要 な
米穀局および開発省土地開発局の協力援助の もとに行
機能 は実 は, さきに述べた この調査研究計画 のための
なわれた。すなわ ち,具体的には調査地点 についての
情報 の入手, さらにそれ以上重要 なのはプロジェク ト
協議,地方官庁へ の手配,ついで調査のための ジープ
のための協力を得 るよう関係機関との交渉 にあたるこ
や宿泊所 の提供,調査 のための技術官の派遣 などの便
となのである。
宜供与を受 けた。む しろ, この研究 プロジェク トにお
このタイ国学術研究会議 を とお して調査研究許可を
いてほ, これ ら関係機関の協力を得 ることに最 も力が
得, その研究協力を得 るに至 った ことの背景 と して,
注がれたとい って もよ く, その結果 と して きわめて成
わが国外務省 な らびに在 タイ 日本国大使館の好意 によ
功的であ ったのであ る。
るところきわめて大 きい。 しか し,実 はタイだけにか
ところが, この 協力関係を 得 ることは 決 してたや
ぎ らず,東南 アジア諸国における本格的な調査研究の
す くはない。それ は, いず この国において も同 じであ
ためには,あ らゆ る場合 にわた って,それを go
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るが,ひとつ には行政機構 のす じを たどって交渉 しな
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sにのせ ることが 望 ま し
ければな らない し, もうひとつ には人間関係の問題が
い。 この点,先進国 における調査研究の場合 と後進国
あ る。その うえ,現地政府が経費な り資材な りを負担
における場合 とは全然異な ることを強調 したい。 それ
す る場合 には,い っそ うこれがむずか しくな る。たと
ほどに,現在 の新興国においては中央政府が中央集権
えば, タイにおいてアメ リカの後進国援助機関であ る
的に行政を行 な ってお り, また中央政府 と しての威信
USOM (
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n) が調
が強い。すべてが中央政府 の直接関与す ることにな っ
査を行な う場合,い っさいの経費 ・資材 は USOM が
てい る。 この点 に万全 の注意が払われなければな らな
負担す る。 こうい う場合 には比較的 に協力を得 ること
がたやすい。そ うでない場合には, タイ国政府の財政
いわ けである。他方, go
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sにのせ る以上 は,それに値す るだけの調査研究
規模 か ら見て,いかに政府機関が好意的であろ うと,
成果を生 まなければな らないとい う,われわれの責任
なかなか容易 でないのである。 と くに調査計画が大規
の重大な ことはい うまで もなかろ う。事実, タイ国学
模 になればな るほど, あるいは調査計画が資 金な り資
術研究会議 も,たんにわれわれ に便宜供与す るだけで
材な りを大量 に必要 とすればす るほ ど, これのいよい
な く,その結果 と しての研究成果の報告を要求す るわ
よ困難 とな ることを注意 しなければな らない。
けであ る。
それで も, タイの場合 は,われわれ はきわめて政府
第 3の点 は,調査研究経費につなが る為替相場の問
な り大学 な りの好意的な待遇を受 けることがで き,わ
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ebahtであ る。とい うの
題 である。タイの場合 は,f
- 7
6-
は, この国では為替相場が安定 してお り,現在銀行 で
にはその国 の法律 に違反す ることであ り,危 険で もあ
の交換率 は $1-2
0.
5
8
Bahtときめ られて いるが,毎 日
るわ けであ る。少 な くとも, は っき りいえ ることは,
その相場がかわ り, Mo
neyExchange
rで 自由に ド
タイの場合 には経験 しない困難 な条件下 で調査研究を
ルがバ ーツに交換 で きる。相場が変動す る と い っ て
行 なわなければな らない とい うことであ る。 したが っ
.
5
0
バ ー ツ ぐらいまであが るにす ぎな
も,せ いぜ い 21
て,その対策 と してほ周到 な調査研究を たて ることと,
い。 だか ら,闇相場が存在 しないわ けだ。
調査研究上 よほ どの覚悟を必要 とす ることとが要求 さ
ところが, ビ ルマや イ ン ドネ シアで は事情がす っか
れ よ う。
7
5
り異 な って い る。 ビルマの場合,
公定相場 は$1-4・
Kyatで あ る。 しか し,昨年 1
2
月 の ラングー ンでの経
Ⅳ 東南 アジア現地調査研究のあ りかた
験で は 1 ドルを 1
0チ ャッ トでかえ るとい う街頭相場 と
タイと ビ ルマ ・イ ン ドネ シアとの比較を とお し,東
もい うべ き ものが あ り, さ らに当時 のバ ンコ ックの闇
南 ア ジアの調査研究 に さい しての問題点 が, 同 じ東南
相場 で は 1 ドルを 1
5チ ャ ッ トまで交換 で きた。 ここま
ア ジア地域 内部 において も, 国によ って異 な ることを
で, チ ャッ トはさが ってい る。 もちろん,チ ャッ ト紙
説 明 した.
幣の ビルマへ の持 込み は絶対禁止 で ある し,外貨 な り
トラベ ラース ・チ ェックは入国の さい申告 し,指定 の
つ ぎに,東南 ア ジアを例 に とって,む しろ現地調査
研究一般 のあ りかたについて論 じたい と思 う。
両 替所 で 公定相場で 交換 しな けれ ばな らない。 し か
第 1には,現地調査研究 はおおまかにい うとつ ぎの
し,闇相場 と公定相場 の開 きが 3倍 にな ってい るとい
うことは,現地調査研究上,大 きな問題 にな る。
3作業 にわかれ ることであ る。すなわ ち,
イ ン ドネ シアの場合 は, も、
つとひ どい。その公定相
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場 のかわ りかたを示す と,
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であ る。 もちろん, この 3項 目の実施 の順序 な り重要
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性 のいかん は,調査研究の方法な り, 目的な りによ っ
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4年 4月 $1-51
て異 な る。 しか し, i
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近く
きるか ぎ り資料を収集す ることは, いかな る調査研究
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の場合 に も不可欠 であ る。 これ は国内で も現地 で も行
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なわれ よう。またつ ぎに現地 において はで きるだけ観
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2年 の実勢 レー ト
交換率 が採用 され る。 この相場が 1
察を しなければな らない。 これ にはたんな る観察以外
(
闇相場) だ った。 この実勢 レー トはシンガポールで
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に計測作業 も含 まれ よ う。 この o
の交換 相場を もとと して い るが,現在で は 1 ドル が
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で きるか どうかには di
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00ル ピアの問で 動 いて い る。 この 5月 は
とが強 く影響す るであろ う。 そ して最後 に i
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00ル ピア前後 といわれ た。 だか ら, 新公定 レー ト
が種 々な階層 の 人 々にたい して行なわれ る。 も ち ろ
の もとで も,や は り実勢 レー トは約 3倍 といえ る。 も
ん, この 3作業が別 々に実施 され るとはか ざ らない。
ちろん, イ ン ドネ シアの場合 も, ビルマ と同様,ル ピ
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アの持 込み は禁止,持込 み外貨 や旅行者小 切 手 は 申
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もあろ う し, i
普,所定場所 にかぎ っての公定 レー トでの交換 は厳重
ること もあろ う。
しか し, そ こで と くに 強調 したい点 は, i
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に要求 され る。
これ だけの開 きが あると,調査研究上, いろいろと
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支障が多 いのは当然で あ る。 その国法 に したが って,
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onにさい して も,現地語 が必要不可欠
公定 レ- トで交換 すべ きであ ることはい うまで もない
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on にさい して, しば
だ とい うことであ る。o
が, その場合 には,調査研究経費が い ちじる しく高 く
しば, ひと りが ってん に,お ちい ることが ある。 この
つ くわ けであ る。闇 レー トで交換す るな らば,根本的
弊害を さけ o
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on を た しかめ るためには, そ
- 77-
の場に屠 あわせ る人 々にたずねた りもすれば,環地 の
だ。調査研究者 の立場 と して 「おか しい」 と思われ る
専 門家 に質問す ること も大切なのだ。 とにか く謙虚 に
とき, それを 「おか しい」 とか 「
遅 れ て い る」 とか
と,一言の もとで片 づ けて しまわず,それがその現実
き くことが,o
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nこれを要す るに i
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w のいずれの場合 も言語を媒介 とせず しては行
の場 において, さきの 3ケースのどれにあたるかを考
えてみ ることが,なによ りも必要 なのである。
ない得 ない ことを意味す るゥ これ はわた くし自身の,
ところが,農民が どう考 えているかとい うのを理解
にがい経験 で もある。 もちろん東南 ア ジアにおいては
す るのは容易でない。 しか し農民 の考え方 にフ ォロー
英語 はある程度 は役 に立つ。 と くに旧英領植民地 にお
して考 えて こそ, は じめてわれわれ は農業改良技術 の
ける英語の普及 はい ちじる しい し, またタイ国で さえ
農民段階へ の彦透 とい うテーマを現実 に,そ して効果
数年前 に くらべ ると,ず っと普及 して きた。だか ら,
的にと りあつか うことがで きるわ けである。
英語 は東南 ア ジアにおける国際語 とな りつつあ ること
この内在的理解 の ためには, 農民意識, 伝統, 習
は事実 だ し,英語が現地調査研究の最小必要条件であ
煤,宗教,家族 ,村落あるいは コ ミュニケー シ ョン等
ることは もちろんであ る。 しか し,英語が通用す る階
のいわば精神構造,社会構造 は もとより,その農業経
層 は旧英領植民地 において さえ, きわめてかざ られて
営,農家経済 あ るいは農産物価格関係や流通機構等 の
いること も事実だ。だか ら英語 は現地調査 の十分条件
経済構造,あるいは農村行政 か ら農業政策 にいたる政
なのではない。言語媒介のための十分条件 は現地語で
治構造等の理解を必要 とす る。そのかざ り,総合的な
ある。
理解が必要であ る (
地域研究 の特徴 と しての総合研究
地域研究 において現地語の訓練が重視 されてい るこ
の必要性 はこの点か ら見 て も明 らかであろ う)0
とは本誌第 1号の拙稿で述べたところであ るが,現地
このよ うに,内在的理解 は, くりかえ しい うよ うに,
語をマス ターす ることの必要 は,現地調査研究の手段
決 して容易でない。 しか し, 「そ こに 存在す る も の
と していよいよ切実 に感ぜ られ る。東南 ア ジア研究を
は,なん らかの理 由で存在 してい る」 との考え方を も
今後すすめるにあた っての最 も基礎的な問題 はいかに
つ ことが大切なのである。わた くLは,内在的理解 は
して現地語をマス ターす るか, またそのためにいかな
謙虚 な態度で もって現象 に接す ることには じまると思
る対策を たてなければな らないかにある。
う。 それでは じめて理解へ の糸 口が見 出され ると確信
第 2の点 は,いわゆ る 「
外在的批判」 はたやす く,
す る。
さきにのべ た現地研究者の研究協力を得 ることは,
「内在的理解」 はむずか しいとい うことであ る。
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n にさい し, 調査
た とえば,現地 での o
この内在的理解を助 ける有力 な方法である。 この研究
研究者 にとって 「おか しい」 と思われ る農作業を農民
者 との共 同生活それ 自体が研究 である。わた くLはタ
が行な ってい る場合があると しよ う。それを 「おか し
イ農務省 の官吏 と数回 にわた って旅行 し寝食を ともに
い」 と一言 の もとに批評 して しま うのは簡単 だ。 とこ
した。 この 経験 はそれ 自体 ほん とうに 興 味深 か った
ろが, その 「おか しい」 と思われ る場合 に実 は 3つの
し, タイの官吏の考え方の一面を うかが うことがで き
種類があるのだ。すなわ ち,
たが,同時 にかれ らか らタイの農民 の考え方を理解す
1) こちらの理解 が間違 っていて決 しておか しくな
る鍵 もしば しば与え られ たのだ った。 自然科学的研究
い場合,いいかえ るとそれが農民 と しては最善最適 の
はと もか くと して, 人文 ・社会科学的研究 にお いて
方法を とっている場合
は,人間対人間の関係がなによ り重要 なのだ。
2) 農民 はそれを 「おか しい」 と思 って は い な い
とにか く,現地研究者 と して大切なのは,つねに謙
が,実 はそれが 「おか しい」のが正 しく,改良 の可能
虚 であ り,思 いあが ってはな らない との ことにつ きよ
な方法がある場合
う。
3) 農民 はそれを 「おか しい」 と思 い, その改良を
第 3に, この 「
思 いあが って はいけない」 との 自戒
求 めてはい るが,その改良が不可能 かあるいは容易で
に関連 して,われわれ 日本 か らの研究者 は欧米か らの
ない場合
研究者 よ りも,その地理的接近性 ・民族 的あるいは文
とに分 かれ るのであ る。 この区別 はきわめて大切なの
化的類似性 のために,東南 ア ジアを理解 しやすいとい
-7
8-
PARTI
CI
PANTS
う考 え方である。
わた くLは, 日本人研究者が欧米人研究者 よ りも東
南 ア ジア研究 に通 してい るか どうか とい う問題を ここ
で論 じよ うとは思わない。 またそ うい う検討 はあま り
意味があるとは思われない。 しか し,少 な くと も, こ
れ までのわれわれの東南 ア ジア研究 は,全般的 にい う
と,戦前 のイギ リス ・フランス ・オランダ ・アメ リカ
等がその植民地 について行 な った研究,あ るいは戦後
アメ リカが東南 ア ジア全域 にわた って は じめた研究 に
たい し, はるかにお くれを とってい ることは卒直 に認
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しか も, これ までの研究 についてだけでない。現在
進行 中の研究 について も,かな り,かけはな されてい
ることを認 め る。少 な くと も現地研究 のス タ ッフに量
的 に見て大 きな開 きがあるのは事実 だ。
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年 9月 3
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月 3日にかけてバ ンコ ックで
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ロン ドン大学 コーネル大学社会科学現地研究 セ ミナー
が開催 された。 これ は, コ-ネル大学 の シ ャープ,ベ
ンニ ン トン ・コレ ッジの- ンクスおよび ロン ドン大学
のモ リスの 3教授が司会 した ものであるが ,7
0人 あま
りの参加者があ り,そのほ とん どがアメ リカ人を主 と
す る欧米人であ り, しか もそのほとん どが タイで社会
科学 関係の f
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kにその当時従事 してい るので
あ るO ここにその参加者 の名簿をかか げる (これ はタ
イの社会科学部門研究者名簿 と して, こん ごタイ研究
にあた り参考 とな るか らで もあ る)。 この表をみ ると,
2つの階層の研究者群 があることがわか る。 ひとつ は
る。 このセ ミナーの報告者 は全部 ジュニアーの大学院
があるかほ, この 1点か らして も明 らかであろ う。
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学生層であ り, これが研究の主体をな してい る。 これ
はわれわれ と してほ非常 に注 目すべ きであると思われ
る。昨年い ったいわが国か らどれだけの社会科学関係
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の研究者が タイに滞在 し, f
たろ うか。わた くしの知 るか ぎ り, ただ 1名 ア ジア経
済研究所 か ら 派遣 されていた ものだけだ った。 いか
に,欧米人研究者 と 日本人研究者 との問に大 きな開 き
- 79-
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だ少な くと も早す ぎることだけは明 らかである。
なお, これ に関連 して.一言つ け加えたい ことがあ
る。 とい うのは,現在バ ンコック在留邦人 は 2,
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人
を こえ,旅行者をいれ ると常時 3,
000
人 はい るのでは
ないか といわれ る。事実わが国の大部分の商社 は もち
ろん,主要会社は支店な り駐在 員を おいてい る。に も
かかわ らず,バ ンコックにい る研究者 は数人 にみたな
い。 これ は,わが国があま りに も bus
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の国にな って しま った ことを示 してい るのではなかろ
うか。 こと東南 アジアにかん して, ビジネスが はるか
に先行 し,政治は これ よ りず っとお くれ る。 しか も学
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術研究 はさらにそのあとについてい ってい るとい って
も過言でなかろ う。 もちろん宗教活動 にいた っては,
欧米人 と異な って,ゼ ロである。 はた して, これ でバ
ランスが とれ た 日本 と東南 アジアとの関係 のあ りかた
だ といえ るだろ うか。また この ことは,わが国の東南
ア ジア政策がその重要性 にかかわ らず, と もすれば近
視 眼的,場 あた り的な性格を もたざるをえな くな る一
因ではなかろ うか。
Ⅴ お
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り に
ここまで述べて きた問題点を要約す るとき, これか
らの東南 アジア研究のあ りかたと して, おのずか ら結
論が得 られ よう。
それ は,東南 ア ジア研究 についてそれぞれのプ ロジ
このセ ミナーの参加者 は文化人類学 ・政治学 ・経済
ェク トが長期的な研究計画を もたなければな らない と
学 ・歴史学等 の社会科学 の分野だけにか ぎ ら れ て い
の一言 につ きる。 もちろん, その背後 に お い て の
る。 しか し,他方 タイで研究 に従事 してい る自然科学
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ne の強化な り深化な りがなければな ら な い
部門の研究者 は, きわめて多い。 その大部分 はアメ リ
ことはい うまで もない。すなわ ちこれだけの複雑 に し
カ人であ り, USOM および SEATO (
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て困難な問題 にた ちむか うためには,第 1に周密な準
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備が必要 とされ よう。そ して第 2にはただ 1回の調査
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旅行では問題 は決 して解決 されない。で きるだけロス
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)は じめ, その他 の諸機関に勤務
を少な くす ることが必要 だが,試行錯誤を とお し, く
し, タイの農林業,水利,鉱業等 の調査研究 に従事す
りかえ しくりかえ し現地調査研究が行なわれな ければ
る もの も,かな りい る。 これ らの 自然科学部門の関係
な らない。 もちろん, したが って,そのためには, ど
者を ここに リス ト・ア ップで きない ことを,わた くL
うして も長期的な ビジ ョンとそれ-向 っての,周密な
は遺憾 に思 う。 ただ, ここで指摘 した ことは,少な く
る準備の もとの具体的な長期計画がなけれ ば な ら な
と も現在 のタイ研究 について, アメ リカに くらべわが
い。東南 ア ジア研究計画第 1年度を検討 し, これか ら
国がひど くお くれてい るとの事実 だけである。
のあ りかたを展望す るとき,なによ り必要 なのは,東
このお くれ はタイについてだけにとどま らない。 イ
南 アジア研究計画全体 と しての ビジ ョンの確立統一 の
ン ドネ シアについて も.マ レー シアについて も, ま っ
もとにおける長期計画,そ してまた研究計画参加者 の
た く同 じことがいえ るnだか ら, 「われわれ 日本人 は
それぞれのプ ロジ ェク トについての長期計画 の樹立 に
東南 ア ジアが理解 しやすい」な どとい うの もまた, ま
あるとの点 につ きるのである。
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